「You me」と一致するもの

Underworld & Iggy Pop - ele-king

 なんと、アンダーワールドとイギー・ポップがコラボEPをリリースします。これはなんとも意外な組み合わせ……と一瞬思ってしまいましたが、いやいやいや、まったく意外ではありません。『トレインスポッティング』です。あの映画のオープニングを飾っていたのは“ラスト・フォー・ライフ”、そしてエンディングは“ボーン・スリッピー”でした。
 その続編である『T2トレインスポッティング2』の音楽を担当していたリック・スミスは、制作中にイギー・ポップと会合を重ね、それが今回のコラボとして結実したそうです。このたび公開された“アイル・シー・ビッグ”のリリックは、オリジナルの『トレインスポッティング』と『T2』の背景からインスパイアされているのだとか。
 発売は7月27日。22年ぶりの共演に、胸を躍らせましょう。

UNDERWORLD & IGGY POP
Teatime Dub Encounters

ロック界のレジェンド、イギー・ポップと
世界屈指のダンス・アクト、アンダーワールドが満を持して
コラボEP「ティータイム・ダブ・エンカウンターズ」のリリースを発表!

昨年満を持して公開された映画『T2トレインスポッティング2』。その映画音楽を担当したアンダーワールドのリック・スミスは、制作中、ともにオリジナルの『トレインスポッティング』に楽曲を提供したイギー・ポップとロンドンでミーティングを行ない、新作映画のためのコラボレーションの可能性を話し合った。

イギーは快く「会って何か話そう」と応じてくれた。僕らはともにトレインスポッティングとダニー(・ボイル)に強い絆を抱いていたからね。この紳士を説得して一緒に仕事をする一度きりのチャンスだろうと思った。だからホテルの部屋を貸し切って、スタジオを用意して彼が現れるのを待ったんだ。 ――リック・スミス(アンダーワールド)

イギー・ポップの“ラスト・フォー・ライフ”で幕を開け、アンダーワールドの“ボーン・スリッピー(ナックス)”で幕を閉じる96年公開の『トレインスポッティング』。完璧なオープニングと完璧なエンディングを持った映画は、青春映画の最高傑作として本国イギリスを中心とするヨーロッパはもちろん、アメリカ、日本でも異例の大ヒットを記録。ユアン・マクレガーやロバート・カーライルといったスター俳優を生んだ一方、イギー・ポップ、ブライアン・イーノ、プライマル・スクリーム、 ニュー・オーダー、ブラー、ルー・リード、レフトフィールド、デーモン・アルバーン、そしてアンダーワールドといった当時の先鋭的ポップ・シーンを代表するアーティストが名を連ねたサウンドトラックも大きな話題となった。

それから実に22年。リック・スミスのもとに現れたイギー・ポップは、完璧にセッティングされたスタジオを目にし、すぐにでも制作に取り掛かろうという情熱に駆られた。

ホテルの部屋に完璧なスタジオを持った誰かと会って、Skypeにはアカデミー賞監督がいて、目の前にはマイクと30もの洗練された楽曲があったら、頷くだけでびびってられないだろ。一瞬で血が沸き立ったよ。 ――イギー・ポップ

今作『ティータイム・ダブ・エンカウンターズ』は、アンダーワールドが『バーバラ・バーバラ・ウィ・フェイス・ア・シャイニング・フューチャー』を、イギー・ポップが『ポスト・ポップ・ディプレッション』を2016年3月16日に同時にリリースした数週間後に、ホテルの部屋で秘密裏に行われた数回のセッションの末に誕生した。これは過去に対するトリビュート的なものではなく、今もなお第一線で活躍し、持っているすべてを目の前の作品に捧げ、ひらめきこそが創造を生むという信念を持ったアーティストたちが作り上げた、最高に刺激的で躍動に満ちた作品である。

先行曲である“ベルズ&サークルズ”は、BBC Music主催イベント《Biggest Weekend 2018》でアンダーワールドがヘッドライナーとしてパフォーマンスした際に初披露された。そしてEPリリースの発表と合わせて、新曲“アイル・シー・ビッグ”が解禁。“ベルズ&サークルズ”とはある意味真逆の魅力を持った楽曲で、壮大なアンビエント・トラックの上で、イギー・ポップは語りかける。その歌詞は、ダニー・ボイルとの会話の中で、『トレインスポッティング』と『T2トレインスポッティング2』の背景にインスパイアされて書かれたものだという。

今では俺も多少は年を食い、俺がいなくなった時に俺のことを思ってくれる友達について考え始めてる
1人か2人は笑顔を浮かべ、俺との楽しい思い出に浸ってくれるだろう奴がいる


I’ll See Big
Apple Music: https://apple.co/2Ie6vtk
Spotify: https://spoti.fi/2luH9OZ

Bells & Circles
https://youtu.be/KmJWD9jQvhc


アンダーワールドとイギー・ポップによるコラボレート作「ティータイム・ダブ・エンカウンターズ」は、7月27日(金)に世界同時リリース! 国内盤CDにはボーナストラック2曲が追加収録され、歌詞対訳と解説書が封入される。iTunes Storeでは「Mastered for iTunes」フォーマットでマスタリングされた高音質音源での配信となり、今アルバムを予約すると、公開された“Bells & Circles”と“I’ll See Big”の2曲がいち早くダウンロードできる。

label: Beat Records
artist: Underworld & Iggy Pop
title: Teatime Dub Encounters
release date: 2018.07.27 FRI ON SALE
国内盤CD: BRC-576 ¥1,500+tax

リリース詳細はこちら:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=9742

Tracklist
01. Bells & Circles
02. Trapped
03. I See Big
04. Get Your Shirt
05. Bells & Circles (instrumental version) *Bonus Track for Japan
06. Get Your Shirt (instrumental version) *Bonus Track for Japan

XXXTentacion - ele-king

 XXX(エックスエックスエックス)テンタシオンとジミー・ウォポが相次いで撃たれて亡くなった。20歳と21歳。前者はこのところアメリカのヒップホップにおいて高まっていた世代間の確執では中心人物とも言える存在で、しかし、そのことと撃たれたことは関係がなかったらしい。後者も同じくで、強盗か何かに撃たれたらしく、メジャーと契約を交わしたばかりというタイミングだった。このふたりの死から導き出されるのはヒップホップとか文化に関する話題であるよりは、やはりアメリカの銃社会にまつわる議論に終始するべきだろう。警察とのトラブルではないので、ブラックライヴスマターの案件ですらない。
 実は紙エレキング用に5月の時点で書いた原稿にXXXテンタシオンにも触れていて、そのときにはドレイクやミーゴスと対立するXXXテンタシオンをケンドリック・ラマーが支持するのかしないのか曖昧なままにしてあったんだけれど、訃報が伝わった直後にケンドリック・ラマーどころか「どれだけ君にインスパイアされたかわからない」というカニエ・ウエストやディプロ、ジューシー・Jやマイリー・サイラスなど多くのミュージシャンたちが彼の才能に賛辞を惜しまないツイートをアップする事態となっている(意外とマンブル派ではなくJ・コールのようなリリカル派からリアクションが多い。マンブル・ラップというのは何をラップしてるのか内容がわからないと揶揄されているラッパーたちのことで、フューチャーやミーゴスが代表とされる)。もしかすると黒人版ニルヴァーナのような存在になったかもしれないことを思うと、それなりに納得はするものの、一方で、白人の男の子をステージ上で絞首刑にするという映像表現や妊娠中のガールフレンドに暴力を振るい、その映像をバズらせて喜んでいたことは彼の死に同情できないという声を多く呼び寄せる事態にもなっており、彼の才能の是非についてはXXXテンタシオンが生きていて、彼自身の活動によって証明する以外に方法はなかったとも思う。この3月にはビルボードで1位を獲得したというセカンド・フル・アルバム『?(Success&Victory)』もケンドリック・ラマーと同じく僕も5回ほど聴いてみたけれど、そこまでの作品には思えなかったし(大ヒットした“Sad!”より“Moonlight”の方が良かった気が)、やはり昨年、オーヴァードーズで亡くなったリル・ピープ同様、ロックになったりラップになったりというスタイル(エモ・トラップ)は興味深いものの、これまでのラップのスタイルに取って代わる「叫び」を体現したという評価はやや早計な見解ではなかっただろうか(叫んでいるときはラップじゃないし)。
 ちなみに紙エレキングの記事でXXXテンタシオンはスポティファイから削除されたと書きましたが、正確にはレコメンド機能から外されただけで、聴くことは可能のようです。(三田格)


GLOBAL ARK 2018 - ele-king

 DJミクが主宰する〈GLOBAL ARK〉が今年もある。場所は奥日光の、もっとも美しい湖のほとりだ。日本のダンス・カルチャー(とりわけワイルドなシーン)を切り開いていったリジェンド名DJたちが集結し、また、海外からも良いアーティストがやってくる。ローケーションもかなりよさげ。スマホが使えないエリアだっていうのがいい。〈GLOBAL ARK〉は、手作りの昔ながらのピュアな野外パーティだが、スタッフは百戦錬磨の人たちだし、屋台も多いし、宿泊施設もしっかりあるから、安心して楽しんで欲しい。気候の寒暖差にはくれぐれも気をつけてくれよ。

Jon Hassell - ele-king

 ブライアン・イーノとジョン・ハッセルの『ポッシブル・ミュージック』がリリースされて38年が経った。「アンビエント・ミュージック」のシリーズを立ち上げて、すぐにもセールス的に行き詰まったイーノが続けさまにローンチした「第4世界(Fourth World)」というラインの起点となった作品である。ジョン・ハッセルのトランペット・ドローンをメインに「エスニック・サウンドとエレクトロニクス・ミュージックをどう融合させるか」がテーマとなり、批評的には多くの媒体で年間ベストに選ばれるほど大成功を収めたものの、イーノが続いてデヴィッド・バーンとつくった『マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースト』をジョン・ハッセルが商業主義的だと批判したことでふたりはそのまま仲違いしてしまう。「フォース・ワールド」は「プリミティヴ・フューチャリズム」を標榜したジョン・ハッセル主導のコンセプトだったため、シリーズ2作目となるジョン・ハッセル名義『ドリーム・セオリー・イン・マラヤ』をもって終了となり、二度と再開されることはなかった。しかし、昨年、〈オプティモ・ミュージック〉は『ミラクル・ステップス(Miracle Steps)』と題された14曲入りのコンピレーション・アルバムをリリース。これには「ミュージック・フロム・ザ・フォース・ワールド 1983-2017(Music From The Fourth World 1983-2017)」という副題がつけられていた。「フォース・ワールド」が終了したのが1981年。その2年後から2017年まで、36年間にわたって「フォース・ワールド」は続いていたのだと主張する編集盤である。「なんとかディフィニティヴ」みたいな発想だけど、これが実に興味深かった。オープニングはメキシコのアンビエント作家、ホルヘ・レィエスによる“Plight”(96)で、彼が得意としてきた厳かなダウンテンポでしっとりとスタート。続いてロバート・A・A・ロウとエリアル・カルマが〈リヴェンジ・インターナショナル〉の新旧コラボ・シリーズに登場した“Mille Voix“(15)やグラスゴーの新人で〈オプティモ・ミュージック〉からデビューしたイオナ・フォーチューン、ポスト・インダストリアルのオ・ユキ・コンジュゲイト、あるいはデヴィッド・カニンガムやリチャード・ホロヴィッツといった〈クラムド・ディスク〉勢にラプーンと続き、全体にやや重怠くまとめられている。〈オプティモ・ミュージック〉らしい歴史の作り方である。

 『ミラクル・ステップス(Miracle Steps)』にはハッセル自身が86年リリースの『パワー・スポット』に収めていた「Miracle Steps」も再録され、これがコンピレーションのタイトルにもなっている。そして、このことがきっかけとなったのか、〈ECM〉からの『Last Night The Moon Came Dropping Its Clothes In The Street』以来、9年ぶりとなるハッセルの新作『Listening To Pictures』がこのほどリリースされた。どうやら純然たる新作のようで、81歳になって〈ワープ〉傘下に新たなレーベルを立ち上げたものだという。演奏スタイルも、これまでのバンド形式からスタジオでミックスを繰り返すなど『ポッシブル・ミュージック』と同じ方式に回帰し、もしかするとクレジットはされていないけれど、ブライアン・イーノが参加しているのではないかという憶測も飛び交っている(だいぶ前に和解はしたらしい)。一応、演奏はギターにリック・コックス、ドラムにジョン・フォン・セゲム、ヴァイオリンにヒュー・マーシュが柱となり、エレクトロニクスにはミシェル・レドルフィを起用。ミックスマスター・モリスにサンプリングされ尽くした水の音楽家で、最近になってデビュー作が〈エディション・メゴ〉から復刻されたミュジーク・コンクレートの重鎮的存在である。また、ドラム・プログラムにはダブステップのベース・クレフからラルフ・カンバーズの名も。これまでライ・クーダーと組んだり、アラブ音楽に接近したりと、それなりに多種多様なアプローチを重ねてきたものとは違い、やはり音響工作の面白さが前面に出ていて、海外のレヴューでOPNを引き合いに出していた人が何人かいたのもなるほど。言われてみるまでそうは聞こえなかったけれど。

 オープニングから意表をついている。コード進行がある(笑)。わかりやすいジャズみたいだし、それがだんだんとドローンに飲み込まれていく。“Dreaming”は見事な導入部をなし、続いてダブステップを意識したような“Picnic”へ。接触音の多用はアルヴァ・ノトを思わせ、ノイズとピアノのオブスキュアなアンサンブルへと連れ去られる。アフリカン・ドラムを駆使した“Slipstream”は『ポッシブル・ミュージック』を坂本龍一が『B2ユニット』風にリミックスしたようで、同じく“Al-Kongo Udu”もノイジーな音処理はダブステップ以降のレイヤー化された美意識を優先させたものだろう。ジュークを思わせる”Pastorale Vassant”は……たしかにOPNっぽいかもしれない。“Manga Scene(マンガ・シーン?)”ではテリー・ライリーのオルガン・ドローンが原型をとどめずに流れ出すなかをムード・ジャズ風のトランペット・ソロが響き……いや、これが本当にジョン・ハッセルなんだろうか。連続性はもちろんあるんだけれども、ここまで変貌できるとはやはり驚きである。プロデュースもジョン・ハッセル本人なんですよ。『絵を聴け』と題されたアート・ワークはマイルス・デイヴィスの『ビッチズ・ブリュー』や自身の初期作を飾ったマティ・クラーワインの手になるものだそうです。

interview with Moodoid - ele-king


Moodoid
シテ・シャンパーニュ

Because Music/ホステス

French Pop meets J-Pop

Amazon

 フランスはなんだかんだといかなる時代においても強力なポップスを生んでいる。とくにこの20年あまりは、エディット・ピアフやセルジュ・ゲンズブールの時代のような言葉への強いこだわりよりも、エレクトロニック・ミュージックとダンス・サウンドへの注力によって、国際舞台で活躍するアーティストを多数輩出していることはみなさんもよく知っての通りである。ダフト・パンク、エール、カシアス、ジャスティス、あるいはシャルロット・ゲンズブール……。それらは別次元からやって来た別次元のポップスのようにぼくたちの耳を楽しませる。ムードイドはひょっとしたらこの輝かしい流れに乗れるかもしれない。
 で、ムードイドという謎めいた名前の正体だが、パブロ・パドヴァーニなる青年が率いるプロジェクトのことである。ムードイドはすでに3年ほど前の2014年に最初のアルバムを出している。それはエールの美学を受け継ぐファンタジーで、しかめっ面をして聴くようなタイプの音楽ではない。そして新作『シテ・シャンパーニュ』においてムードイドは、まさに21世紀のフレンチ・ポップと呼びうる音楽を完成させている。その2枚目となるアルバムでパブロは、ゲンズブール流のポップスとエール流の音響をところどころつまみあげ、それぞれの良さを結合させると、アメリカや日本の音楽からの影響もうまい具合にミックスする。日本? 水曜日のカンパネラの新しいEP「ガラパゴス」には1曲ムードイドが共作というかたちで参加している。じっさいパブロ・パドヴァーニはかなりの量のJ-Popを聴いているようだし、『シテ・シャンパーニュ』はJ-Popに影響されたフレンチ・ポップというなんとも奇妙なハイドブリッド感を有している。
 取材がはじまる前に、ムードイドは日仏会館の中庭でたこ焼きを食していた。うん、とてもおいしかったという満足した顔で、彼は初夏の日差しが差し込む取材の部屋にやって来た。椅子に座って、そして以下のような興味深い話をしてくれた。

例えば、日本ってけっこうポルノっぽいものとか、ゲームだったりとかが日常のなかに溢れていて、そういう騒々しいもの、猥雑なものと、それから伝統的なものとか、禅の考えとか、風水的な考えとかが、本当に自然に共存していると思います。フランスでは考えられないです。

ムードイドのフランスっぽさは、ご自身、意識して出しているんですか?

パブロ・パドヴァーニ(Pablo Padovani以下、PP):じつはフランスでは、ムードイドの音楽はアングロサクソン、英語圏の音楽に近いと言われています。というのも、フランスの音楽、フレンチのシャンソンと言われるものに関しては、非常に歌詞が重要なんです。けれど僕にとって歌詞というか、声はインストゥルメンタルのひとつ、楽器のひとつとしか思っていないので、そういった意味では、もしかしたらフランス的というのが少ないかもしれないです。
でも、たしかに新しいアルバム『シテ・シャンパーニュ』ではもう少しヴォーカルを意識したりとか、ちょっとセルジュ・ゲンズブールぽく歌ってみるとか、ちょっと官能的な感じでウィスパーヴォイスを使ったりとか試みています。フランスにはジェーン・バーキンをはじめ、ウィスパーヴォイスを上手く使う歌手が多くいるので、そこはちょっと意識しました。

なるほど。あなたの初期の曲 “Je suis la Montagne(ジュ・セ・ラ・モンターネ)”がとても好きなんですが、これを聴いたときにはエールとゲンズブールを合体させてアップデートしたようなふうに感じました。

PP:たしかにエールはすごくインスピレーションのもとになっています。彼らが醸し出す雰囲気が大好きですね。その曲ではリヴァーブのなかにヴォーカルが埋もれているようなところがあると思いますが、これはケヴィン・パーカーの仕事です。彼はテーム・インパラとかMGMTとかの仕事をしていますが、そういったところが感じられるのではないかなと自分でも思っています。

さっきあなたがおっしゃったように、たしかにファースト・アルバムはUK、USのロックの影響を感じましたし、ムードイドをやる以前のメロディーズ・エコー・チャンバーの音楽なんかはすごいUKっぽいですよね。そういうあなたのこれまでのキャリアを考えると、今作『シテ・シャンパーニュ』はすごくフレンチ・ポップというものを感じました。

PP:いま「フレンチ・ポップ」と言ってくれたことは、すごく正しいと思います。というのも、ヴォーカルをもう少し意識したということもありますし、ポップというのは自分のなかですごく大きいからです。ただ、影響としてはフランスの音楽ではなく、じつは日本だったりアメリカだったりの80'sのものにすごく影響を受けて作ったアルバムなんです。
たとえば、アメリカのプリンスの影響を色濃く反映させた曲を作るのではなく……、そういう意味では、坂本龍一、YMO、『パシフィック』……松下誠、坂本慎太郎、コーネリアスとか、そういった日本の音楽が、今回のアルバムに関しては自分のインスピレーション音源でした。なので、そういった意味ではハイブリッドという言い方もできるのではないかと思います。

すごく高名なジャズのサックス奏者であるお父さんがいる音楽家庭で育ったと思いますが、ジャズではなくロックやポップスみたいな方へいったのは、お父さんに対する反発心みたいなものがあったからですか?

PP:反発と言えるかどうかはわからないです。とにかく、ポップ・カルチャーに自分は非常に影響を受けていると思います。もともとは映画の勉強をしていたので、ムードイドという名前が知られるようになったのは、自分が作ったMVからだと思っています。“ジュ・セ・ラ・モンターネ” もそうですし “De Folie Pure(ホーリー・ピュア)”という曲も自分でクリップを加工しています。そこが自分のもともとのルーツというか、音楽に関してもポップ・カルチャーの方から来たのではないかなと思っています。ただ、今回のアルバムに関しては、フランスの若いジャズ・アーティストを呼んで、「80年代的な感じで、ジャム・バンドみたいにして自由にやって下さい」と言って録音したので、ジャズの要素もこのアルバムには含まれているのではないかと思います。

国境を無くすということがこの時代のポップ・カルチャーのいちばん大きな部分だと思います。というのも新しいアーティストが受けている影響というのは、インターネットのおかげで、国境が非常に無くなってきている。例えば、J-POPがすごく好きなのですが、YouTubeが無ければ、こんなにたくさんのJ-POPを知ることができなかったと思います。

ポップ・カルチャーというものの可能性についてどう思いますか? 

PP:ポップ・カルチャーには非常に可能性を感じています。自分たちの世代はインターネットもありますし、新しいメディアの形も変わりつつある時代なのではないかと思います。そういったなかで、クリエイティヴィティというものにも新しいものが求められていて、新しいものが出てきている時代だと思うんです。音楽ひとつとっても、クリップも非常に大事ですし、ヴィジュアルも大事ですし。そういった意味で、音楽に対する新しいアプローチというものが求められる時代に生きていて、新しい音楽の歴史がはじまっているような気がします。ポップ・カルチャーはまだまだ新しい扉が開かれるのではないかと思っています。昨日、水曜日のカンパネラと一緒にクリップを録ったのですが、日本人の仕事を見ていると僕たちの20年は先を行っているように思いました。フランスではありえないような、新しいやり方、斬新なやり方がとられていて、まだまだこれから可能性があるんじゃないかなと思えたところでもあります。

ポップ・カルチャーが成しうる最良のことは何だと思いますか?

PP:国境を無くすということがこの時代のポップ・カルチャーのいちばん大きな部分だと思います。というのも新しいアーティストが受けている影響というのは、インターネットのおかげで、国境が非常に無くなってきている。例えば、J-POPがすごく好きなのですが、YouTubeが無ければ、こんなにたくさんのJ-POPを知ることができなかったと思います。そういう意味で、新しいものが生まれ、そしてそれがどんどん混ざっていき、ハイブリッドになっていくということが、ポップ・カルチャーが成しえるもっとも素晴らしいことのひとつだと思います。フランスのシーンをひとつとってもいろいろなスタイルを持ったアーティストそれぞれが自分のスタイルをすごく確立していて、それを前に出していくアーティストが増えているので、やはりポップ・カルチャーのハイブリッドさの成せる業だと思います。

ちなみに、あなたをポップ・カルチャーの世界に引き入れた張本人は誰ですか? 

PP:圧倒的にプリンスですね。

フェイヴァリット・アルバムは?

PP:フェイヴァリット・アルバムというよりも、まず『パープル・レイン』という映画を自分のなかのいちばんのお気に入りで挙げたいです。映画からサントラとしての『パープル・レイン』というのがあって、映画とサントラというひとつの世界観が作られたという意味で、自分がそんなものを作ることができたら良いなと思える憧れの見本みたいな存在です。

さっきからJ-POPの話が出ていて、実際に今回の “プラネット・トウキョウ”と7曲目の “チェンバー・ホテル” にすごくJ-POPを感じました。この2曲はJ-POPですよね(笑)?

PP:本当におっしゃる通りです(笑)。日本の80年代のポップ・ミュージックの作られ方というものにすごく憧れを抱いています。日本のアーティストはすごく技術が高いというのがいちばんに言えることです。日本の80年代の音楽は、スタジオ・ミュージシャン、スタジオでの作業というものが、非常に高みにあがった時代なのではないかと思います。例えば、シンセにしても、ローランドやヤマハ、コルグ、そのあたりが日本で非常に発展した時代だと思っていて、日本はラボそのものなのではないかと思えます。もっとも新しいマシンがあって、もっとも新しい音があって、それになおかつテクニックと音楽的要素がちゃんと重なっている。そういう意味で、このアルバムのコンセプトになっているのが、80年代の日本の音楽であると思います。

あなたは80年代のJ-POP、日本の音楽を聴いて何を想像しますか?

PP:80年代の日本の音楽から連想させるものは、大きな喜びとポジティヴさだと思っています。それは自分にとって音楽をやる上ですごく大切なエモーションでもあります。要するに、ナイーヴとも言えるような善良さというものが、音楽から滲み出てくるというのが非常に自分の心を打つんですね。あとはジャズの影響というものもベースやギターのプレイに感じられます。例えば、アメリカのスティーリー・ダンみたいな感じで、英語で歌を歌ってみたり。そういう日本のアーティストのアプローチがすごく自分にも通じるところがあると思っていて、同じようなことを自分もフランス語でやっていると思うんです。例えば、YMOはクラフトワークのオリエンタル版だと思っているのですが、クラフトワークと違ってそこにすごく温かいもの、何かもっと人間的なものを感じます。『増殖』はラジオ仕様になっていたりとか、ジョークをつねに言っていたりとか。あのアルバムでのアプローチというのはすごい大好きです。

『増殖』はのギャグは、日本語だからなかなか意味はわからないと思うのですけど?

PP:しかしあのアルバムのなかで、英語で会話をしているのに日本語で答えたりしている部分があると思うんですが、すごく自虐的でアイロニカルで面白いと思っています。足が短いとか、性器が小さいとか、そういう話をしていると思うんですけど、そういうところがじつはすごく好きで、自分のクリップでもアメリカ的なものをコピーしたというか、自分なりに解釈してやったというのがあるんですけど、そのなかでも、フランスパンを使ったり、チーズを使ったりして、他の文化に対するちょっとした勘違いというものってよくあると思うんですけど、そういった異文化へのファンタジー、ファンタジーというか、勘違いのなかで生まれてくる新しさみたいなものがすごく大好きです。

80年代の日本の音楽に関していうと、バブル経済真っ直なかの音楽だから日本人はものすごくそれに対するアンビヴァレンスというか、憧れを持っている世代もいるいっぽうで、ぼくなんかはモノによっては素直に向き合えないところがあるんですけどね。

PP:まずひとつ思うのが、国が悪いときにアーティストは良いものを生み出すのではないかと思うんですよね。クリエイティヴィティが刺激されているんじゃないかと思うんです。だからきっと日本の人にとってはYMOの見づらい部分というものが、僕たちの心を打つところでも実はあるんじゃないかなと思っています。これは自分の場合なのですが、東京に初めて来たときに、自分がまったく知らない本当に新しい世界に来たというふうに思いました。暮らし方からしてもそうですし、言語もそうですし、なにもかもが新しくて。そういった意味で、新世界を発見したみたいなところがすごく引き付けられる大きな部分だと思います。そのなかに少し入ってみて感じるのは、生活のなかにある相反する要素。例えば、日本ってけっこうポルノっぽいものとか、ゲームだったりとかが日常のなかに溢れていて、そういう騒々しいもの、猥雑なものと、それから伝統的なものとか、禅の考えとか、風水的な考えとかが、本当に自然に共存していると思います。フランスでは考えられないです。

たしかに。

PP:例えば、アルバムのなかで "レプティル(Reptil)” という曲があるんですけど、これはフランスで起きたテロを経て作った曲なんです。やっぱりフランスのアーティストでテロの影響が直接的でも間接的でもアルバムに現れているアーティストというのはすごく多くて、そういった意味で、国の状況というのが自分たちのクリエイティヴィティに与える影響はすごく大きいと思うし、テロに関して今後も自分たちの音楽のなかに何かしらの影響を及ぼすんじゃないかな。

なぜレプティル=爬虫類だったのですか?

PP:これはこのアルバムで最初に書いた曲で、テロがあったその夜に書きました。1時間くらいで書きあがったんですけど、そのときはすごく悲しい気持ちで書きました。爬虫類というのは、相手を食べてしまったり、自分の仲間すらも食べてしまうような種族なので自分にとってすごくアグレッシヴなものの象徴です。でも自分はそこからどうやって自由でいるかということを歌っています。
ただ、アルバムを作っていくにあたってムードイドの音楽というのは、もっと喜びに満ちていて、そして、いろいろなヴァラエティに富んだものであるべきだ、そして、希望が感じられるようなものであるべきだと思ってきたんです。結局そのあと、曲やアルバム自体が仕上がったときに、このアルバム全体を聴いてみると、もっとお祭り騒ぎ的なものとかも入っていると思っていて。そのお祭り騒ぎというのは結局あの夜テロリストによって、壊されたものだと思うんですけど、その壊されたもののなかから、どうやって生き延びて、自分たちの自由をキープしながら、どうやってお祭り騒ぎを続けていくのか、どうやって愛を重ねていくのか、というようなことを自分は最終的に歌っているんじゃないかなと思います。

ありがとうございました。

 取材の翌日、ぼくは代官山のクラブでの水曜日のカンパネラのライヴを見にいった。途中コムアイに呼ばれると、ギターを抱えたムードイドはステージに上がり、コラボレーション曲を披露した。それはなんとも微笑ましい一幕で、それはどう考えても、未来という方角に向かっているようだった。

Leslie Winer & Jay Glass Dubs - ele-king

 ユーチューブにアップされている「ポップ・ミュージックの歴史まとめ」みたいな動画を見ていると、題材によってはそれなりに同じような時間をかけて同じものを見ているはずなのに、こんなにも違って見えているのかということがわかって、なかなかに面白いし、音楽について誰かと話をすることの無力さを再確認させてくれる。ヒップホップでいえば、昨年は若い世代が盛んに2パックをディスったり、聴いたこともないという発言が相次いで揉めに揉めていたけれど、意外と多かったのが「知らない方がいいサウンドをつくれることもある」というヴェテランたちの意見で、歴史とクリエイティヴを秤にかければクリエイティヴに軍配があがり、退廃をよしとするのはなかなかに潔いなとも思わされた。あるいは、この数年、再発盤の主流となっているのがプライヴェート・プレスの発掘で、実はこんなサウンドがこんな時期につくられていたというスクープの効果みたいなことも「再発」の意味には多く含まれている。これは言ってみれば、歴史というのは世に出て多くの人の耳に届いたものを限定的に歴史扱いしているだけで、そのことと実際のクリエイティヴには確実なエンゲージメントは保障されていないということでもある。それこそ再発盤が1枚出るたびに歴史が書き換えられていくに等しい思いもあるし、ポップ・ミュージックの歴史というのは勝ったものの歴史でしかなく、それによって隠蔽されてきたものがあまりに多すぎるとも。なんというか、もう、ほんとにグラグラになっているんじゃないだろうか、歴史というものは。

 ギリシャを拠点とするジェイ・グラス・ダブスことディミトリ・パパドタスは事実とは異なるダブ・ミュージックの歴史的アプローチ、つまり「ダブ・ミュージックの偽史」をコンセプトに掲げ、これまでに7本のカセット・アルバムをリリースしてきたらしい(ちゃんとは聴いてない)。この人が昨年のコンピレイションや「ホドロフスキー・イン・デューン・イン・ダブ」などという空恐ろしいタイトルのシングルに続いてレズリー・ワイナーと組んで、なるほどダブの偽史をこれでもかと撒き散らした見本市のような6曲入りをリリース。レズリー・ワイナーというのがまたよくわからない人で、アメリカのファッション・モデルとしてヴァレンティノやディオールと仕事をしていた人らしく、ゴルチエをして「初のアンドロジーニアス・モデル」と言わしめた人だという。彼女がそして、ウイリアム・バローズやバスキアと知り合ったことでファッション業界から離れ、ミュージシャンへと転向してロンドンに移ってZTTからデビューした後、ジャー・ウォッブルとつくったアルバム『ウィッチ』(93)はトリップ・ホップの先駆として後々にも評価されるものになる(その後はレニゲイド・サウンドウェイヴを脱退したカール・ボニーと活動を続け、ボム・ザ・ベースのアルバムで歌ったりも)。つまり、ダブ・ミュージックの偽史を標榜するパパドタスにとっては彼女が格好のコラボレイターであったことは間違いなく、なるほどレイヴ・カルチャーの到来とともにどこかで迷子になったダブ・インダストリアルのその後をここでは発展させたということになるだろうか。

 アンビエント・ドローンあり、レイジーなボディ・ミュージックにウエイトレス紛いとスタイルは様々。ダブという手法はジャマイカを離れ、イギリスのニューウェイヴと交錯した時点で、偽史として構築するしかないものになっていたとも思えるけれど、それにしてもここで展開されている6曲は歴史の闇を回顧しているようなサウンドばかり。どこに位置付けられることもなく、これからも迷子のままでいることだろう。それともジェイ・グラス・ダブスにはダブステップを経た上でここにいるというムードもありありなので、ことと次第によっては自分のいる場所に歴史を引き寄せてしまうことも可能性としてはないとは言えない。まあ、ないと思うけど。ちなみにアルバム・タイトルの『YMFEES』は“Your Mom’s Favourite Eazy-E Song”の略だそうです。なんでイージー・E?

Laibach - ele-king

 米朝、と言っても桂ではありません。昨夜の首脳会談、ふたりの満面の笑みからはきな臭い匂いが漂っています。いったい裏でどんな取引を交わしたのやら……。
 そんな米朝首脳会議を記念して、〈Mute〉所属のライバッハが朝鮮民謡のカヴァー曲を発表しています。7月14日からは、彼らが北朝鮮でライヴを催すまでを追ったドキュメンタリー映画『北朝鮮をロックした日 ライバッハ・デイ』の公開も控えています。聴き手に考えることを促すスロヴェニアのバンド=ライバッハは、いまどんなふうにあの会談を捉えているのでしょうか。
 いやしかしきな臭い。じつにきな臭い……。

ライバッハ、歴史的な米朝首脳会談の開催を記念し、朝鮮民謡“アリラン”のカヴァー曲を発表。
ドキュメンタリー映画『北朝鮮をロックした日 ライバッハ・デイ』は、7/14より公開。

ライバッハは、シンガポールでおこなわれた米朝首脳会談を記念して、朝鮮民謡“アリラン”のカヴァー曲を発表した。

https://youtu.be/w_PCdJ3Dn9E

ライバッハと北朝鮮の関係は、2015年8月15日の北朝鮮「祖国解放記念日」に、北朝鮮政府がライバッハを招待したことから始まる。1980年にスロベニア(旧ユーゴスラビア)で結成して以来35年、革新的な表現活動をおこなってきたインダストリアル・ロック・バンドが北朝鮮の大切な記念行事に招待されたことは、それも初めて招待した外国のミュージシャンが彼らだということは、世界中に衝撃をあたえた。

ライバッハによる“アリラン”のカヴァー曲は、朝鮮民謡“アリラン”と、北朝鮮で広く親しまれている“行こう白頭山へ”を融合させたもので、平壌クム・ソン音楽学校のコーラス隊が参加している。後に、彼らは南北統一を祈願して、韓国の全州でもコンサートをおこない、北朝鮮と韓国の両国で演奏した最初のバンドとなった。


©VFS FILMS / TRAAVIK.INFO 2016

またライバッハが北朝鮮で奇跡のコンサートをおこなうまでの悪戦苦闘の1週間を追ったドキュメンタリー映画『北朝鮮をロックした日 ライバッハ・デイ』が、7月14日よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開する運びとなっている。彼らが所属する〈MUTE〉レーベルの創始者ダニエル・ミラーも北朝鮮ツアーに同行し映画に出演している。

「ユーモラスで異形、示唆に富みながら時折現実を超えた社会主義の世界へどっぷりと入り込んでいく」 ――MOJO

映画公式HP:https://kitachousen-rock.espace-sarou.com/

いまから35年以上前、当時ユーゴスラビアの工業の町トルボヴリェで結成して以来、ライバッハはいまでも中央や東ヨーロッパ旧社会主義国出身としては、世界的に最も評価の高いバンドである。ユーゴスラビア建国の父チトーが亡くなったその年に結成され、ユーゴスラビアが自己崩壊へと舵を切るのとときを同じくしてその名を知られるようになる。ライバッハは聴くものを考えさせ、ダンスさせ、行動を呼びかける。

最新アルバム『Also Sprach Zarathustra』(2017年)

[Apple Music/ iTunes] https://apple.co/2ENp7CL
[Spotify] https://spoti.fi/2sVQtj1


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Jenny Hval - ele-king

 ノルウェーはオスロのアーティスト、ジェニー・ヴァルはただ珍しいタイプのシンガーというわけではない。が、彼女を日本で紹介することの難しさは、そのサウンドを聴いた印象だけを書いても彼女の作品について充分に書いたことにはならない点にある。早い話、歌詞が重要なアーティストなのだ。たとえば彼女の評判をいっきに高めた『Apocalypse, Girl』の収録曲にこんな一節があるとわかれば、その表題をふくめて作品の意味や評価や印象も違ってくるだろう。

いま私は自由だとあなたは言う/戦いは終わった/フェミニズムは終わった/社会主義は終わった/いま私は好きなように消費をする/これは歴史の端で起きること/Great Eyeが振り向く/私たちにできることといえばただ歳を取ることだけ/天国に、天国に、天国にしがみついている/永遠に熟睡せよ/永遠に熟睡せよ “That Battle Is Over”
私はいま自分でやっている?/あなたのやわらかいペニスを包みながら、あなたもいま私と同じことをしていると想像している “Take Care Of Yourself”

 BBCの社長を赤面させるとはガーディアンの評だが、なるほど、政治と性は彼女の主たるサブジェクトのようだ。昨年の『Blood Bitch』にしてもそうだ。サウンドそれ自体もたしかに魅力だが、やはりこのアルバムをたんに吸血鬼やホラー映画と結びつけるわけにはいかない。生理が主題に含まれているという点では戸川純の『玉姫様』と重なりつつも、議論好きと思われるジェニー・ヴァルは、より挑発的な言葉を歌っている。

何日か、薄いブレースによって私は私の体がまっすぐになるのを感じる/金属のスパイクは受け入れる、私の脊柱を、私の顔を、私のマンコを“Sabbath”

 そんなわけで断っておくと、このレヴューも不十分なものだ。というのも、ぼくはこのEPの1曲目の“Spells”をそのサウンドだけでかなり気に入ったのだ。この曲はひとことで言えばジャズだ。アンビエント・テイストのじつにメロウなジャズで、これまで彼女に名声を与えてきた実験的なエレクトロニック・サウンドではない。
 EPのタイトル「長い眠り」から想像できるように、この4曲入りのサブジェクトは眠りだ。“Spells”のサビにおいて彼女はとろけるような声でこう繰り返す。「私たちは長く起きてはいられない(you will not be awake for long)」
 美しいサックス、トランペット、ピアノ、そして素晴らしいメロディとレム睡眠のような声ゆえに、このフレーズはやさしく耳にも入ってくる。残念ながらぼくは若い頃から睡眠時間が短く、歳を取ってさらに眠れなくなっているので、むしろこの歌詞とは逆の生活であるのだが……、しかし間違いなく睡眠時間の歌ではない。寝落ち寸前の声だとしても、言葉は決して平穏というわけにはいかないようだ。「あなたは思考の世界の迷子/あなたは何ひとつ利用しないことですべての実行を失う」
 収録された4曲は連動している。アカペラからはじまる2曲目の“夢見人は彼女の夢におけるすべての人(The Dreamer Is Everyone In Her Dream)”では、曲の途中でさらにまたうんざりするほど「これは長い睡眠(this is the long)」という言葉が繰り返される。そして歌は問いかけとともにこう締めくくられる。
 「歌詞とメロディなしで言うことができたであろう何かがあるべき/たぶん、それがいまここでやっていること/歌詞あるいはメロディ以外のもの/あなたに聞こえるの?/私が呼んでいるのが聞こえるの?/それは言葉にはない/それはリズムにはない」
 B面の1曲は、10分48秒の表題曲の“The Long Sleep”で、ここにはたしかに言葉はない。パーカッション、トランペットとサックス、かすかな声とアブストラクトな電子音……そして彼女の語りをフィーチャーした最後の曲“I Want To Tell You Something”が待っている。
 「私はここで何をしているの?/私たちはいまほとんどやった/あなたはここで何をしているの?/私たちはコミュニケーションしているの?/私はプロモーションしているの?/私はあなたに何か言いたい/私があなたに言える何かがあるべき」
 言葉は先の曲から反復される。言葉は、リスナーであるあなたに向けられている。
 「詞あるいはメロディ以外のもの/それは言葉にはない/それはリズムにはない/それはメッセージにはない/それは作り物にはない/それはアルゴリズムにはない/それはストリーミングにはない/それはあなたが決めた何かではない/あなたは文脈に気づいているの?/私はあなたに何かを言いたい/ただ言いたい/ありがとう/私はあなたを愛している」
 ……いやはやなんとも、である。

John Coltrane - ele-king

 すでにご存じかと思いますが、ジョン・コルトレーンの未発表スタジオ録音アルバムがリリースされる。6月29日、55年前に録音されていたという『ザ・ロスト・アルバム』が世界同時発売されるということだが、ソニー・ロリンズが完な言葉でこのリリースを言い表している。いわく「これはまるで、巨大ピラミッドの中に新たな隠し部屋を発見したようなものだ」
 つまり、こんなところに宝があったと。
 それはニュージャージーのヴァン・ヘルダー・スタジオにおける1963年3月6日のセッションで、コルトレーン史におけるもっともクラシカルなメンバー──ジミー・ギャリソン、エルヴィン・ジョーンズ、マッコイ・タイナーという黄金のカルテットによる。この録音のマスターはリリースの時期を見計らっていたインパルス・レーベルが管理していたが、70年代初頭に保管費用の節約のための破棄のひとつとなったという。
 ところが、コルトレーンは同じテープを後に離婚する妻のナイーマにも預けていた。それがなんと、彼女の家族にまだよい状態のまま保管されていたのだった。これがようやくレーベルのもとに戻ってきたことで今回のリリースが実現した。
 まだコルトレーンが脇目もふらずフリー(スピリチュアル)に突き進む手前の、彼がその美しいメロディを吹いていた頃の演奏だ。彼の作品でももっとも人が親しみやすい『バラード』『゙ョン・コルトレーン・アンド・ジョニー・ ハートマン』と、そして精神の旅に出かけた『至上の愛』のあいだに位置するアルバム。7曲のうち2曲は、未発表のオリジナル曲。デラックス・エディションには別テイクまで収録した2枚組。
 55年を経て見つけられたとんでもない埋蔵物である。ぜひチェックして欲しい。



ジョン・コルトレーン
ザ・ロスト・アルバム(通常盤)

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ジョン・コルトレーン
ザ・ロスト・アルバム(デラックス・エディション)

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interview with TAMTAM - ele-king


TAMTAM
Modernluv

Pヴァイン

R&BPopDub

Amazon Tower HMV iTunes

 2016年リリースの前作アルバム『NEWPOESY』で、そのタイトル通り、まったく新しいバンド像を提示してみせたTAMTAM。この勇気ある音楽的旋回で彼らは、我々の想像し得なかったような新たな魅力を知らしめることになった。おおまかな見取り図を描くなら、「レゲエのテイストを湛えたオルタナティヴ・ロック・バンド」というそれまでのキャラクターを潔く打ち捨て、「当世のインディR&Bやジャズ、ヒップホップなどの音楽的語彙に下支えされた音楽家集団」への華麗なる転身、とでも言うべきものであったかもしれないが、その転身劇以上に我々を歓喜させたのは、もちろんその音楽内容の充実ぶりであった。
 さまざまな実験精神が注ぎ込まれたミックステープのリリースを挟み、いよいよ2年ぶりとなるアルバム『Modernluv』をリリースする彼ら。その音楽的視野はさらに広範に及び、肥沃さ・深度の面でも極めて大きく前進した。
 前作以降の音楽的興味や、「バンド」という組織体ならではの創作のダイナミズム、各人のテクスチャーへの繊細なこだわり、そして「現代の愛」という「カッコつけ切った」タイトリングと、稀なる歌詞世界。作詞作曲とヴォーカルを手掛けるクロ、ドラマーにしてバンドのブレインともいうべき高橋アフィのふたりに話をきいた。


もともと僕はノイズとか、なかでも、パワー系ではなく弱音的なものが好きだったんですけど、そういうエクスペリメンタル系の流れのものと、いまのR&Bとかヒップホップのアンビエントなものが、なんとなく音響的に共通するメロウな気持ち良さがあると思っていて。 (高橋アフィ)

〈Pヴァイン〉に移籍後の前作リリースから2年弱を経て、さらにバンドの周りの環境が変わったということはありましたか?

高橋アフィ(以下T):大きく変わったことはそんなになくて。ただ、前作から中村公輔さんにエンジニアリングをお願いしているのですが、ミックスなどのポストプロダクションはもちろん、今回はより曲のコアなところまで関わってもらいました。もちろん僕たちから希望を出すこともあったんですが、中村さんのアイデアでどんどん変わったりして。昔からいろんな音楽を聴いてはいたんですが、「いまこういう音楽がカッコいいと思う」とか、「こういうものが面白いと思う」といったコミュニケーションをするなかで、よりスムーズにやれるようになったな、と。

クロ(以下K):だんだん自分たちとしても、やりたいと思っていることを100用意したら100近くできるようになってきている気がしていて。それは外部環境の変化もあると思うのですが、自分たち自身の変化もあると思います。

コミュニケーションの際の音楽的語彙も、じっさいの録音への取り組み方も深化した、と。

K:そうですね。

今回はイメージの共有が中村さんとも最初からできているような感じだったんでしょうか。

K:そうですね。普段からLINEでコミュニケーション取ったりしながら。

前作ももちろんアイデア豊富で、それをひとつひとつ実現していく感じだったと思うのですが、今回は目標の共有の度合いが明らかにレベルアップしていて、それが成果として表れていると感じました。

K:『NEWPOESY』のときは、それまでと大きく音楽性が変化したりメンバーが変わったりとか、「これがいまのTAMTAMだ」という自我をアピールするということに力を注いだ感じだったんですけど、そこはもう卒業できたというか、考える深度を深めていくことが今作ではできたと思います。

『NEWPOESY』を出したあと、自主制作でミックステープ『EASYTRAVELERS mixtape』をリリースしましたよね?

K:当初は、ラフなものを1作挟んでからフル・アルバムを出そう、という感じだったんですが……結果的に結構丁寧に作り込んじゃって。

T:海外のミックステープっぽいものを、何を演って何を録っても良いっていうラフな感じでやってみようと思って始めたんですが、制作を進めていくうちに、「この曲はふざけてあの感じでミックスしよう」とかやりはじめたらすごい時間がかかってしまって。けれど、それを経たこともあり、だいぶ変なことやってもカッコよくまとめることができるんだな、と思うこともできました。

じゃ、ある意味で『EASYTRAVELERS mixtape』が今作『Modernluv』の習作的存在ということですかね。そこでいろいろアイデアを出した結果、アルバムで目指すべきものが研ぎ澄まされてきた?

T:そうですね、いろんな所まで広げても音楽の強度は保てるし、そっちのほうが面白くなるだろうな、と思って。あとは機材が増えたこともあったり。

K: たしかに『Modernluv』に入っている曲で、ミックステープと制作期間が被っているものもあるので、ホント地続きで来ている感覚です。

どの曲?

K:“Fineview”と……

T:“Deadisland”がそう。

別室でみんながミックスをやっているときに、ブースだけ借りてひとりでずっとダビングをして、気がついたら半日経ってました(笑)。 (クロ)

TAMTAMは、初期からレゲエを重要なルーツとして活動してきたと思うのですが、今回は結構その色が薄くなってきたんじゃないかなと思いました。その点、ミックステープには割とはっきりとレゲエっぽいものが収録されていたりして。で、いま挙げてくれた2曲は、トロピカルさもあってレゲエ的テイストも残っているかなと思うんですが、それ以外の曲については、現在のオルタナティヴなR&Bとかに対してバンドがフォーカスしているのかな、というのを思いました。

K:たしかにそうかも。

T:ただ、ヴォーカルとベースとドラムで基礎を作って、その上にキーボードとギターを重ねていって、という作り方自体は今回もそれまでとあまり違いはなくて。だから、新しい興味とより混ざっていった、というのが感覚としては近いかもしれません。

K:元からラスタマンではないですし(笑)、同世代の他の人たちの平均よりレゲエが好きだった、というくらいの話かもしれないです。

だから、元々好きだったレゲエも、そして新たな興味も、別け隔てなく等距離で見ている感じなのかなと思いました。

K:そうかもしれないですね。

以前のインタヴューで、前作の制作に向けての転機となった曲として“星雲ヒッチハイク”を挙げていましたが、今回も「こういう方向性でアルバムをまとめていこう」というキーになったような曲はあるんでしょうか?

K:個人的には“Esp feat. GOODMOODGOKU”ですかね。リード・トラックだからというのもありますが、制作の早い段階でできた曲で、これが核になるかなという感触があった。デモの段階ではもっとアップテンポな曲だったんですが、BPMを落としてスタジオで試してみたら「おっ」という感じになって。こういうちょっとローなダンス感をバンド・サウンドで演奏するというのが面白いかもと思って、そこから発展させていきました。

たしかにこの曲はリード・トラックなのもすごく納得できるな、と思いました。アルバム全体的にもBPM抑え目の印象を受けたので、その象徴という感じもします。GOODMOODGOKUさんの参加はどういった経緯で?

K:彼とはそもそもなんの繋がりもなかったので依頼するのは賭けでした。GOODMOODGOKU & 荒井優作として去年リリースされた『色』が好きだったので、ダメ元でお願いしてみよう! と。

T:その時点で曲自体はもうできていたんですが、ラップのパートのところはまだできてなくて。客演が決まってから付け足す形で作りました。

リリックを含めて作ってくれませんか? という感じで?

T:そうですね。

K:まくし立てるタイプのラップの人も良いかもな、とか、たくさんラッパーをフィーチャーするっていうのも面白いかなとも思ったんですが、GOODMOODGOKUさんはもっとも自分たちのやっていることと地続きの感覚でやってくれそうな感じがあったので。

メロウなラップというか……とても巧みに溶け込んでいると思います。

K:GOODMOODGOKUさんが参加してくれると決まってからは、彼の持っているエレガンスも意識して楽曲制作をしたかもしれません。

このところ、いろんなジャンルで「メロウ」というタームが浮上してきて、国内外シーンでも重要なものになっていると思うんですが、今作『Modernluv』もやはりとてもメロウだと思いました。おふたりが普段聴いている音楽も反映されているのかなと思うんですが、「メロウ」とか「メロウネス」って感覚って、自分たちにとってどんなものでしょう?

T:もともと僕はノイズとか、なかでも、パワー系ではなく弱音的なものが好きだったんですけど、そういうエクスペリメンタル系の流れのものと、いまのR&Bとかヒップホップのアンビエントなものが、なんとなく音響的に共通するメロウな気持ち良さがあると思っていて。先述の『色』のトラックを作っていた荒井優作さんもどこかのインタヴューで言っていたんですけど、「クラブ以降のアンビエント」みたいな話をしていて、そういう感覚というか。

フランク・オーシャンに代表されるような……

T:そう。あとブラッド・オレンジや、80年代っぽいものも含めて。スクリュー系の音楽も好きで聴いていたし。音としての快楽を高めていくと、ビートの有無に関わらず、ちょっとメロウな感覚が出てくるというか。だから自分のなかでは、エクスペリメンタル寄りのアンビエントの流れとしてメロウなものが存在している気がします。

例えば70年代のソウルとかAORとかいう流れの「メロウ」ではなくて。

T:そうですね。でも、ヴェイパーウェイヴも聴くようになって、80年代のフュージョンやAORも、音響的にメロウな作品として聴くようになりましたけど(笑)。

現在何気なく言われる「メロウ」って複数の流れがある気がしていて。レア・グルーヴ~アシッドジャズ由来の90年代型DIG文化を反映したフリー・ソウルとかからの流れ。ヴェイパーウェイヴからフューチャーファンクに繋がる流れ。それと、多少領域も被るけれど、いまおっしゃったエクスペリメンタル的文脈も汲みつつアンビエントとブラック・ミュージックが融合していく流れとか……。そういう論点で考えると、今作は、はっきりとどの流れから出てきた、と言い切れないようなハイブリットな面白さがあると思って。それは、メンバーみなさんが聴いてきた/聴いている音楽が反映されているんだろうなって思うし、その上、レゲエも含め、プレイヤーとしてずっと演奏経験を積んできたっていうのもやっぱり単純な傾向付けから抜け出ている要因なのかな、と思いました。

T:クロちゃんは、90年代のR&Bとかルーツ?

ミッシー・エリオットとかネプチューンズとか?

K:そうですね。あとR・ケリーとかめちゃくちゃ好きでした(笑)。

T:ちょっといま絶妙に出しづらい名前ですね(笑)。

K:高校生の頃とか聴いてました。

みなさんが聴いてきたそういった音楽がとても有機的に消化されている感があって。いわゆる「メロウネス」にもいろいろな種類や傾向があるけど、みなさんのなかでストレスなく混合しているんだろうな、と。

T:それと……アルバムを作っているなかで「メロウ」とは、と考えたとき、元ライのロビン・ハンニバルがプロデュースしている、デンマークのオーガスト・ローゼンバウムというピアニストのソロ作にはとても影響を受けました。ロビンのクアドロンや周辺のアーティストたち……。ヴェイパーウェイヴ風の80年代的ゲートリヴァーブ、生音のシネマティックな音響、それとポスト・クラシカル的というか、現代音楽っぽい感覚。そういったメロウネスも参考にしたかもしれません。

そういった音像のコントロールの話になると、やはりエンジニアの中村さんの活躍は相当大きいんだろうなという気がしてきます。リズム面についてですが、作曲やデモ段階から途中でアレンジを変えたりするんでしょうか?

T:クロちゃんからデモが来る段階では大体全パートできているんです。完コピは難しいのである程度はもちろんその後変わりはするんですけど。大幅に変わった曲は“Esp”と“Morse”と“Goooooo”と……あ、結構変わってますね(笑)。

最初から「はいリズムはこれで行きます」という感じで決めて臨んだわけではないように感じたんですよね。おそらく、コミュニケーションのなかで「あ、これは変えちゃって良いんじゃないか」とか、それ位のスポンテニアスさがないと、なかなかこういう風な仕上がりにはならないだろうな、と思って。

K:“Morse”とか“Goooooo”とかはもう、10転11転くらいした。デモの跡形もない。

T:すごく変わりましたね。無難な落とし所として、ちょっと遅めのテンポで柔らかな4つ打ちベースに16分っぽいのをアクセント的に入れるっていう、いわゆるトロピカル・ハウス的なパターンがあまりに使いやすくはあるんですが、いまやってもあまり面白くないな、と。だからといって、R&Bをそのままやるバンドでもないですし。リズム・アレンジはかなり考えたな、という気がします。

クロさんはデモをバンドに共有する段階で隙間とかアレンジの余地を残しておいたりするんですか?

K:そうですね。TAMTAMのデモ制作には、トラックとしてひとりで一旦完成近くまで持っていきたいときと、まったくそうでなく大雑把に、部分的に作るときがあって。でもどっちの場合も最終的には演奏する人物の解釈・変更はむしろあったほうが嬉しくて。ポジティヴなものだと思っています。あくまで自分はメンバーのなかで少しフレーズ出しや構成が特異なポジションという認識で。それと、打ち込みだと、特にギターの音がイメージしづらいので、ギターは固定フレーズのたたき台になるようなものだけ作って、結構丸投げしちゃうことが多いかもです。

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自分はそういうタイプではないなと思っているからこそ、じゃあカッコつけ切った方ほうが良いなというのがあって。 (クロ)

メロディと構成だけは固めるけど、アレンジは基本余白のある状態で、と。


TAMTAM
Modernluv

Pヴァイン

R&BPopDub

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K:基本ベースとドラム、そして歌ですね。それ以外は結構変わっちゃうかも。でも“Morse”はバンドで合わせてみたときにぜんぜんハマらないなあと思ったので、メロディも全て変えました。それから、レコーディングでカリンバ音源などの重ねをたくさんしていった。これはライヴを想定していない作り方なので、7月以降レコ発やツアーでバンドで演奏する準備をこれからやらなきゃなんですが(笑)。

T:生バンドと打ち込み感の融合ということで言うと、このアレンジ「チルくていいよね」みたいな感じで盛り上がっても「でも、それならバンドじゃなくていいかも……」と迷ったりするんです。そういうときにムラ・マサを聴いて。ムラ・マサはバンドじゃないですけど、トラックは生音っぽいニュアンスが出ている。なおかつ打ち込み特有の圧のある感じで、リズムのシンプルな強さが際立っていて。

打ち込みと生っぽさの融合。

T:それならバンドでやれるかも、と思って。

K:ただ、ムラ・マサの感覚をバンドに置換するのはさほど苦労なくイケるだろうと思ったんですけど、じっさいはぜんぜん一筋縄にいかなくて。

プレイが難しいという意味?

T:それもあるんですけど、それ以上に、彼はもう2個くらい何かしら違う技を使ってると思うんですけど。

K:意外とバンドらしさとの共存が難しいのかも。受けた影響をそのままやってみようとすると「あれ? なんか情報量足りない?」ってなっちゃったんですよね。

でも結果的には、ムラ・マサの感覚をバンドで再現するというところに拘りすぎなくて良かったと思います。いい意味で、みなさんのプレイの手癖みたいなものが引き出されることで、個性も出てくるわけで。
 そういう意味で“Morse”などは、バンド・サウンドのダイナミズムが聴けるので、例えばジャズ・ファンが聴いても面白いと思うだろうし、“Fineview”もファンク的だったり、プレイヤビリティに根付いた快感もちゃんとある。特定の質感を狙いすぎると、肉体的な要素を削ぎ落としすぎてしまうこともままあると思うのですが、それがしっかり残っているというか、全面的に聞こえてくる。だからもしかすると、いまのUKジャズのシーンとかにもバランス感覚が近いのかな、と思ったりしました。
 今日いらっしゃらないメンバーの方々の音楽志向についても教えてください。まずギターのユースケさんは?

K:かつては結構普通にロック少年だったと思うんですけど、最近はDJで引き合いが多いようで、元からクラブ・ミュージック全般的な部分には詳しいですね。

T:バレアリック寄りというか、生音のレア・グルーヴっていうより、辺境系のサイケ色が強い感じの。

K:ここ最近はニコラ・クルーズにハマっているみたいで。「今作でも影響を実践した」と言ってました。本人に言われて作った後に気づきました(笑)。

たしかに、フレージングとかはすごく巧みなんだけど、なんというかギター・キッズ感はなくて、自身の演奏を俯瞰的に捉えている感覚を覚えました。DJとしても活動しているというのはなるほどという感じです。キーボードのともみんさんは?

K:彼は一言で言うなら、ポップスとして精度が高いものが好きという感じだと思います。

宇多田ヒカルとか?

K:そう。それと、ディズニー映画のサウンドトラックとか。あんまりバンド活動をしていてもなかなか会わないタイプの……

T:ぶれずにずっと好きだよね。学生の頃から。出会ったころは、槇原敬之とか。

K:学生の頃に一緒に演っていたラテンとかカリプソ、レゲエも彼の嗜好を捉えたみたいです。

T:ラテンとかもよくあるんですけど、80年代っぽいというか、逆にいなたいくらいのゴージャスな音を狙いたいとき、「そういう音色で」っていうと、ぱっとすぐ弾いてくれたり。そういう勘所がすごくあって。そういうポップスのアクっぽいところを即座に理解してくれます。

なるほど。かなり客観的にポップスを聴いているということですね。ウェルメイドなものを目指すという点においては皆さん同じだから、ユースケさんやともみんさんのなかにある蓄積や引き出しが混交することでTAMTAMのバンド・サウンドが形作られている、と。

T:そうですね。

次にクロさんの歌唱のことについてお訊きします。前作『NEWPOESY』での変化が大きいかと思うんですが、以前に比べると相当に歌い方が変わりましたよね。

K:そうかもしれないですね。

今回、前作よりさらにソフトというか、抑制されたヴォーカリゼーションに感じたのですが、やはりこれは音楽性の変化に合わせて、ということなんでしょうか?

K:普通に歳を取っただけかもしれないですけど(笑)。昔の自分の音源や『NEWPOESY』も含めて、ちょっとキンキンするなって。そこをもっと無理しないように歌うのは意識したかもしれないです。

先ほど90年代のR&Bがルーツというお話をしていましたが、だからといって、張りまくって歌い上げる系とはまったく違って、よりクワイエットというか、ちょっとフォーキーさも感じました。

K:最近は「どうだ、歌い上げてやるぞ」というような人よりは、抜き方がうまい歌い方の人が好きで。歌い手はもちろん、最近だとノーネームとかラッパーにも好きな人が多くて。

それはリズム感というかフロウというか?

K:それもそうだし、声の使い方が面白い。

その声の使い方ということで言うと、個人的にそういった女性ラッパーからの影響以上に感じたのは、ダーティ・プロジェクターズのコーラス処理に似た感覚というか……。吉田ヨウヘイgroupではコーラスを担当されていますが、そういったことを通じて歌に対する意識が変わったりしましたか?

K:そうですね。吉田ヨウヘイgroupでは、一般的に言うコーラスより地を出してメインと同じくらいの存在感を出すというなかなか珍しい形態なので、そういう意味では使える声を日々発掘してます。

じっさい今作のコーラス・アレンジもすごく凝っているなあ、と思いました。

K:もともと重ね録りが好きだったのでそこはなんの苦でもないですね。家でデモ録音しているときも、放っておくとコーラスの重ねが止まらなくなります。

オケとコーラスの関係性が高い意識で突き詰めるられているというのはTAMTAMの音楽の特徴のひとつだと思いました。

K:すべて、メインの歌を録ってコーラスも必ず2~3本は重ねるという流れでした。1曲目のタイトル曲はいちばん最後の曲のBPMを落としているだけなんですが、あれに関してはひたすらコーラスをその場で適当に10何本とか重ねて。

たしかにすごい音像でした。声というより何か……。

K:別室でみんながミックスをやっているときに、ブースだけ借りてひとりでずっとダビングをして、気がついたら半日経ってました(笑)。ムー(MØ)とかのような、簡単には知覚できないところにいっぱいコーラス・トラックがあったというのをやりたくて。シンセとか環境音みたいに鳴らしたり、喋っている声を入れたり、じつは細かくパンを左右行き来させたり、とか。

インディR&Bの人たち、フランク・オーシャンとかもそうなんですけど、等身大っちゃ等身大なんだけど、パートナーを誘う言葉がすごいカッコつけているってことに気づいて。 (高橋アフィ)

最後に歌詞の話を。全体的になんというか……。言葉にしちゃうと俺がアホみたいなのですが(笑)……「都市の大人の恋愛観」というのが色濃くある気がして。

一同:(笑)。

「アーバンなラブ・アフェア」という感じ? 言い方を変えるなら、「平成の終わりのラグジュアリー」というか。それはアルバム通した要素としてある気がするんですけど、何か意識して書いているんでしょうか?

K:私田舎者なので(笑)、アーバンかどうかはわからないんですけど……。いまの自分から、あんまり距離がないものにしようと思っていました。

題材を自分に相応のものから選んでいる、と。

K:そうですね。男か女かはわからないけれどパートナーが存在して、その関係性についてを書くところが多かったというか。それこそ前作でそうやって書くのが楽だなあと気づいて、自分の言葉が出てくる感じになって。

その前はかなり壮大な世界観というか、宇宙をモチーフにしたりしてましたよね。

K:そう。単純にSFが好きだから、それをネタ元にしてて。いま思えば見よう見まねで歌詞を書いてた時期で、自分のメソッドもないから、歌詞書くのは好きだけど「上手く伝えられた」と思うことが少なかった。さっきのサウンドの話とも一緒かもしれないのですが、作曲も自分でやるようになって、作曲面の自我が固まるにつれて歌詞もメロディもすごく乗せやすくなってきた。パーソナルなことも、開いた感じで書きやすくなった気がします。

全体的にものすごい気怠そうというか……(笑)。大人ならではの甘美な疲れ、みたいな……熟れたラグジュアリー感ということなのかもしれないけど、『なんとなくクリスタル』のような感じとももちろん違っていて。自分の周りの題材を素直に扱ってこういう作風になるっていうことは、非常にアーバンな生活をされている方なのかな、とか思いました(笑)。

K:そんなこともないんですが(笑)。狙ってアーバンにしている曲もありますね。

なんというか、かつてのプロの作詞家的っぽさもあるんですよね。2000年代半ばくらいがピークだと思うんですけど、等身大の自分をピュアにさらけ出す、的なものが素人作家主義のようなものとしてかつてあったと思うんです。そういうのっていま聴くと結構キツかったりするんだけど、今作の曲からは言葉の使い方とか含めていい意味での職業作家性やストーリーテラーとしての意識を感じました。

K:たしかに、自分の近くにいる相手に何かのきっかけで思ったりしたこととか、をとっかかりにするという意味では「等身大」ではあるけど、リアルにさらけ出す、というものは目指してなくて。たしかに自分の好みとしても作家っぽい人は好きです。小西康陽さんとか。

ユーミンとか。

K: そうそう。自分のなかで歌詞について迷っていたときに、「好き・嫌い」「自分にフィットする・しない」の2軸で世のなかの歌詞を分類してみたことがあって。「好き」でいうと、じつは強烈な個性をさらけ出す、痛烈でリアルな言葉を吐くといったタイプも好きで、自分ができないから憧れるところもあるんですけど。自分はそういうタイプではないなと思っているからこそ、じゃあカッコつけ切った方ほうが良いなというのがあって。それでまたR・ケリーが出てくるんですけど(笑)。

そこに繋がるんだ。

K:R・ケリー、そんなに持ち上げても仕方ないんだけど本当に最近また参照したからな(笑)。こういうの好きだったなって。歯の浮くようなことを言い切るとか……それこそGOODMOODGOKUさんも、そういう視点で「うわ! カッコいい!」と思いました。

T:ああ、言ってましたね。シド(ジ・インターネット)もそんな感じだって。

K:そうそう。ちゃんと気取ってて好き。

T:良いなという歌詞を探していたとき、インディR&Bの人たち、フランク・オーシャンとかもそうなんですけど、等身大っちゃ等身大なんだけど、パートナーを誘う言葉がすごいカッコつけているってことに気づいて。恋愛ものだったら、愚直な感情をすごく詩的な表現で伝えるみたいなのは多いですよね。フランク・オーシャンの“Super Rich Kids”とか、本当にそのときフランク・オーシャンがそうだったかというよりも、「俺たちSuper Rich Kidsだ」って言うこと自体カッコつけているけど、カッコつけているからこそリアルさが出るといったような、あの感じは結果的に参照してたかものしれない。等身大だけど、言葉遣いまで等身大にしなくてもいいっていう。

K:R&Bは金の話か女の話か犯罪の話かをイキって歌うみたいなのが多いと思うんですけど、トピック自体はともかく、歌うときのカッコつけ方自体は、いいなと思っていて。

そのカッコつけが、いまの日本の都市文化的な風土を経由して表現されている気がして。本作の曲からは、どうしても東京の夜の街並みが浮かんでくる。それはもちろんかつてのバブル期の風景とも違って。カッコいい言葉を使いながらも、心象風景は現代っぽいという。一方で、ストリートに根ざした音楽は社会的なイシューと繋がっているべきだという論調もあるじゃないですか。その論調を拒絶するわけでもなく、個人の関係のなかへ逃避するときに発生してしまう気怠さを、なるべくベタつきのないカッコよさで見据える行き方というのは、現代に生きている都会人として気負いのない真摯な態度であるとも言えると思います。「メロウ」というのはそもそも「メランコリック」と親和性があると思うし。そういう意味ではみなさんと同じくらいの世代、30代で、自立しつつもそろそろ生活に膿み始めている大人たちとかは絶対共感できるだろうなって(笑)。

T:良かったです(笑)。

K:浮かばれました(笑)。

最後にアルバム・タイトルのことを。『Modernluv』っていうのは、まさにこれまで話してきた通り、この2018年の……多レイヤー化する社会に揺られながら、日々を生きる大人がする気怠さと憂鬱を孕んだ恋愛、という意味なのかなって勝手に解釈してたんですけど……あってますかね?

K:素敵な解釈で嬉しいです。それをカッコつけて看板を付けてあげたみたいなことかな。

めちゃハマってますよ。「LUV」だしね。カッコつけ切ったな、と(笑)。

K:なんか……バンドとして、いきなり「LOVE」はまだ恥ずかしいかなっていう(笑)。


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