「You me」と一致するもの

Erasure - ele-king


イレイジャー
Snow Globe

Mute/トラフィック

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 日本で暮らすアラフォー、アラフィフ世代にとって、イレイジャーといえば「ビートUK」じゃないでしょうか。もうとにかく、イレイジャーがシングルを出すとUK1位。アルバムも1位……という感じで、ヒットし続けたのでした。『ザ・サーカス』(1987年)、『ジ・イノセンツ』(1988年)、『ワイルド!』(1989年)や『コーラス』(1991年)のようなアルバムは、まさにシンセポップのお手本です。しかもヴォーカルのアンディ・ベルはゲイとしても有名で、音を担当しているヴィンス・クラークといえば、あなた、デペッシュ・モードのオリジナル・メンバー、ヤズーの仕掛け人、つまり、〈ミュート〉レーベルはこのヴィンス・クラークという天才を発掘したがためにレーベルとして大きくなったと言える、そんなすごい人なのです。  最新アルバム『スノウ・グロウブ』は実に通算15枚目のアルバムです。5曲の新曲と8曲のクリスマス・ソング・カヴァーという構成になっています。  ファンの方々はご存じだったかもしれませんが、昨年、アンディ・ベルのパートナーだったポール・ヒッキーがエイズで亡くなられました。新作には、そんな悲しみを乗り越えるかのような、力強いさ、深いエモーションがあります。そして6歳になったヴィンス・クラークの息子を祝福するかのように、温かい電子音をバックにクリスマスの歌が歌われています。  日本で暮らすアラフォー、アラフィフにとって、イレイジャーといえば「ビートUK」じゃないでしょうか。ヴィンス・クラークと同じように小学生ぐらいのお子さんのいる方も多いはず。今年は、エレポップの天才が送るクリスマス・アルバムを聴きながら、「あのね、お父さん(お母さん)が若かった頃にね……」などと教えてあげるのもいいかもしれませんよ。


Jake Bugg - ele-king

 1枚目があれほど鮮烈なデビュー作となったからには(そしてブリテンの音楽業界人、中年文化人たちから激烈に支持されたからには)、11月発売のジェイク・バグのセカンド『Shangri-La』に大いなる期待と危惧が寄せられるのは当然のことだ。

 プロデューサーにリック・ルービンを迎えたことから、ジェイクは米国を意識した“ビッグになるため”のアルバム作りをしているという推測は、『NME』をはじめとするメディアが何ヶ月も前から書いてきたことだ。
 「俺と俺のギター」の段階は終わった。これからが本番だ。みたいなことを業界の大人たちが書き煽るなかで、若き青年ジェイクのこころは不安定に揺れたりしていないのだろうか。

 というおばはんの心配を粉砕してくれた、というか大笑いさせてくれたのが、新曲“SLUMVILLE SUNRISE”のPVである。このPVは、(遂に日本公開された『ザ・ストーン・ローゼズ:メイド・オブ・ストーン』でわが祖国の音楽ファンの涙腺を決壊させている)シェイン・メドウズが監督を務め、ベニー・ヒルを髣髴とさせるレトロ調ドタバタ・コメディの映像になっている。彼の代表作『This Is England』シリーズのロル(ヴィッキー・マクルアー)が“Two Fingers”のPVでジェイクの母親役を演じていたので、そのうちシェイン・メドウズも出て来るんじゃないかとは思っていた(実際、カメオ出演までしてジェイクが乗ったボートを担いでいる)が、「来たか」という感じのコラボである。

 曲の終了後、『This Is England』シリーズのスメル(ロザムンド・ハンソン)とジェイクの掛け合いがあるのだが、ジェイクはアルバム・デビュー後こそストレート・ジーンズと黒シャツ、黒ジャケットのシャープなイメージでキメているが、実際このPVのようなヤバめのジャケットを着てChav色を漂わせていた時期もあったので、どこか初心に帰った感もある。また、吃驚したのが、ジェイクが俳優としても大変な逸材であるということで、このまま『This Is England』シリーズに出て欲しいような醒めた目つきの北部のChavっぷりを見せている。

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 今夏、BBCが放映したワーキングクラスの歴史を辿るドキュメンタリーを見ていたら、英国で初めてワーキングクラスがクールになった時代として1960年代の映像がふんだんに出て来た。そのなかで、英国初のワーキングクラス出身モデルだったツイッギーが大きくフィーチャーされ、それまでは上流階級の子女に独占されていたメディア、アート、ファッションといった世界にワーキングクラスの若者たちが進出を果たし、それがスウィンギング・ロンドンに繋がった60年代は、労働者階級が史上もっとも格好よかった時代だと語られていた。

 英国の現代のメディアやアート、ファッション(&ミュージック)といった分野は、60年代以前と同じようにミドルクラスの子女に独占されている。それはジュリー・バーチルなども指摘している点だ。そう考えれば時代は後退したのかもしれないが、そのなかで「恐るべき子供たち」と呼ばれているジェイク・バグやストライプスといった若者たちが60年代を髣髴とさせる音を奏でているのは興味深い。

 が、しかし、60年代のクールなワーキング・クラスが英国に蘇ることはない。なぜなら、現代のワーキング・クラスは社会に忌み嫌われるアンダークラスに変貌を遂げているからだ。アンダークラスやChavは、英国の「クールでないもの」のすべてを象徴しているため、ジャージを着て公営住宅地をふらふらし、妊娠中の女と居間に座っている無職の青年をPVで演じて見せるアーティストなどいない。そんな低みにまでロック・ミュージシャンが降りていってはいけないのだ。なぜなら、ロックとはクールで高尚でアーティスティックで地べたの人間など反映しないものでなくてはならないからだ。

 What the fuck are you talking about?(クソふざけんな)

 という爽快な一撃をこのPVには感じた。わたしが大笑いしたのはその点である。喜ばしいことに、ジェイク・バグのセカンド・アルバムを心配する必要はまったく無さそうだ。

ジャパニーズ・ハウス・ライジング - ele-king

大衆音楽の世界において、外国人にとって日本といえば、YMOやテクノの印象が強い。しかし、この10年で、日本の90年代ハウスが再評価されているということをあなたは知っているか。在日フランス人DJがジャパニーズ・ハウスの魅力をいま語る!

 僕はもともとはヒップホップを聴いていたので、白人ゲイが好むハウスやテクノとは絶対一緒されたくなかった。若い頃は自分のアイデンティティを作る時期なので、余計にオープンマインドじゃないんですよね。
 もっともそれは少年時代の話で、もうちょっと年とったときには、ハウスやテクノは僕が持っていたイメージと全然違うことを知るようになる。とくにヒップホップとハウスのルーツが実はそれほど離れてないってことを知ったときは衝撃だったな。じょじょに興味を持って、そして自分のなかのハウスやテクノのイメージが変わっても、日本にハウス・シーンがあることをまったく知らなかった。僕にとってハウス=アメリカ(80%)とヨーロッパ(20%)だった。それ以外の場所にハウスやテクノは存在していなかったんです。

 ジャパニーズ・ハウスの存在を知ったのは、2005年~2006年、初めて日本に来たときだった。渋谷のディスクユニオンに通って、ジャパニーズ・ハウスのレコードを偶然手にした。でも……それは正確な言い方ではないね。正確に言えば、僕が初めてジャパニーズ・ハウスと出会ったのは子供の頃だったんだと思います。当時はまったく意識はしていませんでしたが、日本のビデオ・ゲームが大好きで、ゲームでよく遊んでいた僕は、自然にゲーム音楽を聴いていたんですね。それがいま思えば、ジャパニーズ・ハウスの原型だったように思う。SEGAの「Sonic 2」, 「Bare Knuckles 2」などのBGM音楽はまさにジャパニーズ・プロト・ハウスです。
 みなさん、是非「Sonic 2」の“Sky Chase Zone”という曲を聴いてみてください! ChordsがシカゴのLarry Heardを彷彿させる、気持ちいい曲なんです。そして「Bare Knuckles 2」の“The park”, “The Bar”,“The opening streets”といった曲も。ゲームのBGMなので音のクオリティはよくないんですが、言いたいことが伝わると思います。つまり、僕はその頃から、ジャパニーズ・ハウスのVibeに染められていたのです。

 ディスクユニオンに戻りましょう。僕は、ちょうどその頃、90年代NYハウスにハマっていたんです。とくにBLAZEが好きだったな。ある日ディスクユニオンで見つけた小泉今日子の「Koizumix Production Vol. 1 - N.Y. Remix Of Bambinater」という12インチ・レコードに、“BLAZE remix”と書いてあったんです。早速、試聴した。それがジャパニーズ・ハウスとの最初の出会いです。
 BLAZEだからジャパニーズ・ハウスじゃないじゃん! って思う人も当然いるだろうけど、僕にとってヴォーカルが日本語だったので、それだけでも充分面白くて、ジャパニーズ・ハウスだったんです。日本語のヴォーカルがハウスにMixされている、これだけでとても衝撃的だったんです! 格好いい! って思ったんですね。ヨーロッパでプレイしたら、絶対にクラバーやDJたちは「なにこれ? なにこれ??!!」ってなると思ったんですね。もう、聴いた瞬間、とてもわくわくしました。
 そして、このレコードの“Sexy Heaven (King Street Sound Club Mix)”という曲で、初めてジャパニーズ・ハウスのことを意識した。
 同じ頃、Masters at Workの曲を必死探していたおかげで、MONDO GROSSOのことも知った。“Souffles H (King St.Club Mix)”という曲に出会ったことも嬉しかったな。まあ、MAWのプロダクションだから日本Vibeがあんまりないんだけど、一応バンドが日本人なので(笑)。BIRDがヴォーカルをやっている“Life (Main)”というMONDO GROSSOの曲もよかった。
 こうして僕は、じょじょにジャパニーズ・ハウスのこと知っていった。しかし、実を言うと、不満も感じていたんです。これ全部アメリカ人のプロデュースだったり、アメリカのレーベルの出版だったりしていたからです。
 でも、正直、見つけたばかりの頃は、そんなことよりも「日本でも国内のシーンがあったんだ!」という驚きと興奮が強く、「アメリカとのコラボいろいろあったんですね!」という感じでした。シーンとしてのジャパニーズ・ハウスのことはまだ意識していなかったです。本格的にジャパニーズ・ハウスを意識するのは、2008年、日本に戻ったときでした。

 当時渋谷にはYELLOW POPという中古レコード店がありました。僕がよく通っていたお店のひとつです。最初はハウス・セクションしか見ていなかったのですが、たまに時間つぶしでJ-POPセクションも見ていました。そこで見つけたのがPizzicato Fiveの『Pizzicato Free Soul 2001』です。
 Pizzicato Fiveのことは当時すでに知っていたけれど、僕は渋谷系のバンドとしてしか認識してませんでした。ただし、その盤は「Remixes」という言葉をアピールしています。で、クレジットを見たら、富家哲さん、Tei Towaさんなどの名前があります。リリース日付を見たら93年。90年代ハウスの大ファンである僕にとって必須な1枚です。
 そして、A2の“Catchy (Voltage Unlimited Catchy)”でものすごい刺激をうけたんですね。鳥肌が立ったんです。曲がやばいから鳥肌が立ったのではない。「日本でも僕が大好きな90年代ディープ・ハウスを作っていたプロデューサーがいた! アメリカみたいに、当時の人気POPバンドのハウス・リミックスを作っていた! そんなシーンが存在していたんだ! だったら絶対Digしてやる!」と思ったからです。探してもいなかった宝物が見つかったという感じです。当然、その“Catchy”という曲がすごい曲だからっていうのもありました。ディープなガレージ・ハウスにPizzicato Fiveのリード・ヴォーカルの甘い声が最高の組み合わせでしたからね。

 こうして僕はジャパニーズ・ハウス・シーンから離れられなくなっていました。日本に来る前にはジャパニーズ・ハウスなんてまったく知らなかったくせに、もうそれ以来、ジャパニーズ・ハウスの80年代~90年代のプロダクションを探すに必死になっています!
 そして、僕のなかで、日本でのハウス・シーンのイメージがアバウトに出来上がっていきました。大きく分けるとふたつのグループ頭のなかにあります。
 ひとつ、100%国内プロダクション(日本人のハウス・プロデューサーが単独で曲を作ったり、国内の人気ポップ・アーティストのリミックスなど)。
 もうひとつ、海外DJが日本のポップ・アーティストをリミックスした曲(主にアメリカのNYCのハウス・プロデューサー。MAW, Kerri Chandler, Blaze, Pal Joey, Mood II Swingなどなど)。
 不思議なことに海外ポップ・アーティストをリミックスしたジャパニーズ・ハウス・プロデューサーほとんどいない(富家さんはDef Mixに入っていたから、例外です)。このふたつの大きいグループを合わせて、日本のハウス・シーンが成立していました。後者はもちろんですが、前者も音的にアメリカに影響を受けていました。91~93年の福富幸宏さん、寺田創一さんなどのプロダクションを聴くとわかりやすい。

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 僕は日本の音楽のさまざまなジャンルが好きです。そして、どんなジャンルにおいても、アメリカからの影響を感じます。90年代のジャパニーズ・ハウスも例外ではないですね。70年代、80年代、90年代でDJ活動をはじめた日本人の多くがアメリカに滞在しています。長い旅をしたことがあります。たとえば福富さん、寺田さん、Tei Towaさんたちはその道を歩いて、日本に戻ったときに、アメリカのディープ・ハウスに影響された音を生み出している。有名な〈KING STREET〉を作ったのも日本人石岡ヒサさんです。
 ちなみに何故〈KING STREET〉という名前を選んだか、知っていますよね? 伝説のクラブ〈PARADISE GARAGE〉の住所が「KING STREET 84」だったからです。クラブ・ミュージックのはじまり、伝説のスタートポイントです。Larry Levanがレジデントだったクラブです。
 40代~50代の日本人のクラブ関係者/DJと話していて気がつくのは、Larryを神様みたいな存在として思っていることです。さて、この先は僕の個人的な仮説です。多くの日本人が70年代~90年代初頭にLarryにあこがれて、聖地巡礼に出るようにアメリカに行った。その現象がおそらく日本のクラブ・シーンに大きいな影響を与え、シーンの展開を可能にさせたのではないかと。
 90年代初頭、日本リリース限定(場合によって日本限定ではなかったが)のアメリカ人DJによるJ-POPアーティストのハウス・リミックス版がたくさんあります。しかし、それらが日本限定のリリースだったので、長いあいだ世界はそれらレコードの存在を知らなかった。そのひとつの例が、先述した「Koizumix Production Vol.1」収録のBLAZEミックスですね。


 他にも、僕が見つけた曲にはこんなものがある。山咲千里の「SENRIMIX」に入っているKERRI CHANDLERのミックスとか、露崎春女の「Feel you」のMood II Swingリミックスとか、SNK ゲーム「The King Of Fighters」のLIL LOUISによるハウス・リミックス……。リストにきりがないですね。実はいま現在、こうしたレコードは欧米でも知られるようになっているんですね。みんな必死に探していて、「SENRIMIX」や「KOIZUMIX」みたいなレコードは、海外ではかなり高値で取引されていますよ!

 これも先述しましたが、音的にはアメリカに大きく影響されています。当時のNYガレージ・ハウス・サウンドからの影響はとくに大きかったと思います。福富さんの“It’s about time”という曲を試聴しましょう。福富さんは自分のVibeも注いでいるから、結果としてはクオリティの高い新鮮な出来になっています。ただの真似ものではないんですね。
 少しマイナーな例ですが、関西のプロデューサー、TAKECHA(Takeshi Fukushima)が90年代にたくさんのディープ・ハウスな曲を作っています。そのなかに“Respect To Pal Joey”という曲がある。インスピレーションの元をはっきりさせているわけです。
 TAKECHAのレコードはとてもレアで、僕も3枚しかもっていないんだけど、曲を聴くと、たしかに Pal Joeyからの影響を感じます。しかも、しっかり自分のVIBEを仕込んでいる。TAKECHAっぽい音になっているんです。
 最後にもうひとつ例をあげましょう。東京出身のTORU.Sというプロデューサーです。90年代のTORU.SのプロダクションはNYよりのディープ・ハウス・サウンドです。TAKECHAのようにインスピレーションの元もはっきりしています。97年の「Final story the night」というEPに“Message 1 Thank You Joe”という曲があります。当然、Joe Clausselへのメッセージです。
 Toru Sの当時プロダクションを聴くと影響がはっきりわかるけれど、とくにその曲はJoe Clausselが作ったかのように聴こえます。本人Danny Tenagliaも好きなようで、そのEPの裏面には「Danny Tenaglia...Thanks thanks thanks...I wanna say this hundreds times. Oh Danny! I’m here for you」などと書いてある。ラヴレターみたいですね。TORU Sさんの場合はアメリカにも住んでいるから、また特別なパターンかもしれない。アメリカで作っているので、ほかの国内プロデューサーとはまた環境が違っているんですが。

 他に似たような例がいくつかあるけれど、全部載せられないので、今回はここまで。とにかく、ジャパニーズ・ハウス・シーンが世界ではまだまだよく知られていないのに(実は国内も含めて)、世界中で大人気だったアメリカのシーンと強くつながっていること。アーティストのコラボレーションもそうだし、プロダクションへの影響もそう。アメリカと日本の200年前からの歴史をみると、つねに不思議な関係にあることがわかる。力を使って喧嘩したこともたくさんありました。1854年、アメリカの海軍軍人ペリーは江艦隊を率いて鎖国していた日本にやって来た。その出来事は文化的に大きな影響となった。そして、第二次世界大戦で日本がアメリカに負けた後、アメリカ文化の影響はさらに広がった。アメリカに対して強い抵抗があったはずなのに、ポピュラー・カルチャーに関して日本はアメリカに憧れ、影響されることを拒まず、影響を主張している。それはハウス限定の話ではない。他のジャンルでも同じ現象が確認できる。いずれにしても、アメリカと日本の文化関係は外国人の視点からみると、とても面白いのです。

 歴史の話はそこまでにしましょう。ジャパニーズ・ハウスにおけるアメリカからの影響は誰も否定できない。Vibe的に、NYCディープ・ハウス・サウンドにとても近いものがある。しかし日本Vibeも混入されている。
 え、その日本Vibe、ジャパニーズVibeというのはなんですか? と訊かれても答えづらいんですけど、たとえばChordsは日本の雰囲気を表現していると思います。バブルやポスト・バブルの日本の雰囲気が音に出ているように思います。ハウスではないのですが、Jazzやヒップホップをプロデュースしている宇山寛人さんの“Summer81”や“Oneday(Prayer For Love And Peace)”といった曲を聴きましょう。日本の伝統な心が含まれているように感じます。独特の雰囲気があります。これは外国人である僕にとって、日本の心の一部がそのトラックに練りこまれているように感じるのです。

 それこそが私にとってとても魅力的に思えたところです。そここそがジャパニーズ・ディープ・ハウス・シーンの面白いところなのです。アメリカの音を真似てはいるけれど、真似るだけではない、ちゃんと自分のVibeも練り込まれている。やっぱ違うんです。ジャパニーズ・ハウスになっているんです。
 もうひとつ面白いところを挙げます。どういう理由からか、そうした多くのプロダクションが日本の外に出なかったという事実です。ジャパニーズ・ハウスは、長いあいだ国内にとどまっていたんです。
 ヨーロッパでもアメリカの音からインスパイアされて、曲を作っている人は当然少なくないですよね。Laurent Garnier、Grant Nelson、Bob Sinclar……、イタリのUMMとか。ただしヨーロッパの場合、そのアーティストが世界中に普及していった。
 日本のプロダクションの出来がよくない? いや、全然そんなことはないです。実は、逆にレベルが高かったんです! しかし、誰も注意を払わなかっただけ、というのが僕の結論なのであります。
 さらに僕がびっくりしたのは、ジャパニーズ・ハウスに注意していなかったのは外国だけではなくて、国内のクラブ音楽が好きな人たちからも無視されていたというか、気づかれていなかったということ。みんな当時の人気アメリカDJに夢中で、自分の国でもクオリティの高いディープ・ハウスがあるということに気づいていなかったのかもしれませんね。
 本当に、本当にみなさんにもっと自分の国のハウス・シーンの素晴らしさを知って欲しい! 誇りを持って欲しい! 僕がこの原稿を書いた理由はそれだけです。


FORGOTTEN JAPANESE HOUSE TOP 10

1 Flipper’s Guitar - Big Bad Bingo (Big bad Disco)
1990 (Yukihiro Fukutomi)
激レアプロモ版に乗っている14分のマスターピース

2 Pizzicato Five - Catchy (Voltage Unlimited Catchy)
1993 (Tei Towa)
ディープやダークの最強の組み合わせ。

3 Soichi Terada & Shinichiro Yokota - Shake yours
1991
なぜか聞くと懐かしくなる、ディープな1曲

4 Manabu Nagayama & Soichi Terada - Low Tension
1991
強いベースがあるのに、非常にディープ。寺田さんの音を定義する1曲。

5 Yukihiro Fukutomi - It's about time
1994
完璧なクラブ向けジャパニーズ・ハウス。ディープなキーズで旅をさせてくれる。

6 Wono & GWM - Breezin' part 1
1996 (Satoru Wono & Takecha)
ゲームBGMっぽいとても陽気、すっごく気持ちのいいハウス曲です!

7 Kyoko Koizumi - Process (Dub’s Dub)
1991 (Dub Master X)
シカゴ・ハウスっぽいとてもBouncyな小泉さんのハウスリミックス。

8 Pizzicato Five - 東京は夜の七時 The night is still young; One year after
1994 (Yukihiro Fukutomi)
原曲とても好きだったが、この福富さんによるミックスは最高です。最後の3分間はディープな旅に出る。

9 Toshihiko Mori - I got Fun
1991
Jazzadelicの半分であった森さんによる最強のNYディープ・ハウスっぽい曲。もうちょっとランキングあげればよかったこれ……

10 Katsumi Hidano - Thank you Larry
1993
Larry Levanへの感謝の言葉ですが、音的にLarryっぽくなくてNU GROOVEに近いNYディープ・ハウス系の気持ちいい曲。

LAMPGOD, **Ł_RD//$M$ - ele-king

 先週の金曜日、渋谷のハイブリッドな放送局、2.5Dから放送されたプログラム「10代からのエレキング!」の記念すべき第一回目、「いまさらきけないSEAPUNK & Vaporwave」はご覧になられましたでしょうか? 僕はといえば、おおいに楽しませてもらいました。とても興味深い内容だったと思います。
 さて。ヴェイパーウェイヴを巡る対話のなかで、登壇者の竹内正太郎はこのような趣旨のことを言っていました。いわく、ヴェイパーウェイヴはレア・グルーヴを反転させたものだ。レア・グルーヴは忘れられた良い音楽を復活させたが、ヴェイパーウェイヴは忘れられるべくして忘れられた音楽に再び息を吹き込んだ……。
 今回はもしかしたら、その両者にまたがるような作品、かもしれません。

 〈ブートレッグ・テープス〉。ブルックリンで共同生活を営んでいるらしい連中によって今年発足されたバンドキャンプ・レーベル。既に3作のアルバムと1つのDJミックス作品を、MP3+ヴィデオテープ+カセットテープなどの変則的な形式(いまやそれは変則的でもなんでもないのかもしれない)でリリースしている。
 レーベル名としてはふざけているとしか言いようがないこの〈ブートレッグ・テープス〉という名前は、いたって真剣に名付けられたものかもしれないと考えることもできるだろう。それは、この疑問符に包まれたレーベルが発しているとっちらかった音を聴けば、あるいは彼らがアップロードしている猥雑なヴィデオの数々を視聴すればわかるだろう。なぜならここにあるのは剽窃による創作行為だからだ。〈ブートレッグ・テープス〉の作品はカットアップ、コラージュ、サンプリング、そしてチョップト・アンド・スクリュードによって生み出されている。そしてもちろんこのファースト・リリースも例外ではない。

 ヴィデオテープ+カセットテープでリリースされた、LAMPGODとŁ_RD//$M$の共作によるビート・テープ、『??LAMPGOD??**Ł_RD//$M$??**$$EXT8PE??』(あるいは単に『**$$EXT8PE』)は、主にリズム・アンド・ブルースや80年代までのソウル・ミュージック、ファンク、ヒップホップ、もちろんフュージョン、そしてサウンドトラックやテレビ・プログラムのBGMらしきものからの痙攣したコピー/カット/ペースト/チョップ/スクリュー/ループで構築されている。YouTubeからリッピングされたかのような劣悪な音質とテープに起因するヒス・ノイズに彩られたこのショート・ループ中心のビート集は、J・ディラの『ドーナッツ』のディストピア・ヴァージョンだと言ってもいい。しかし、LAMPGODとŁ_RD//$M$はディストピアの世界で笑っている、というよりも、ウィードを深く吸い込みながらポルノ・ヴィデオを観てニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている(それはもしかしたら、ワンオウトリックス・ポイント・ネヴァーのディストピックなヴィデオに近しいものがあるかもしれない)。

 彼らの手つきは明らかにヒップホップのそれだ。とはいっても、このテープにはヴェイパーウェイヴ("**NUBED$$HEET$$??"、 "**BLACKONBLACK??"、 "**LINGERIEaNdICICLE??"、 "**CHEERLEADER_BJ??")とその先を夢見たフューチャー・ファンク("**BABY$$ITTERGET$$CaUGHT??"、 "**INBLOOOM??"、 "**HI$$$$I$$TER??")らしきものも含まれている。つまりこれはヴェイパーウェイヴ以降のヒップホップだ――などと言ったらそれは言い過ぎかもしれない。
 ヴェイパーウェイヴがフラットなカオスの広がる液晶画面の向こう側をまさぐって拾い上げた音楽を気味悪く無機的な清潔感でもってアイロニカルに提出していたとすれば、翻ってフューチャー・ファンクはヴェイパーウェイヴの漂白された清潔感はそのままに、液晶画面の向こう側からなんとかして身体性を引き摺り出し、それをハウス・ミュージックに結びつけて提示している、と言える(「フューチャー・ファンク」という新タームについては、「フューチャー・ファンクズ・ファイネスト」と題された『KEATS//COLLECTIVE Vol. 4』を聞いてほしい)。
 対してLAMPGODとŁ_RD//$M$の試み、ないし〈ブートレッグ・テープス〉の冒険は、その両者とも違う感覚を携えている。すなわち、液晶画面の向こう側のスクラップの山と、現実のゴミ処理場かバーゲンセールのワゴンから引き上げてきた大量のスクラップ・ヴィデオの山との両方を引っ掻き回し、ディグり、そしてそこから取り出したものを切り貼りし、ブロック・ノイズやヴィデオの砂嵐などに因るザラッとした物質性を強調しながらビートへと落とし込む作業――それはもちろん、オールド・スクール・ヒップホップから連綿と受け継がれるサンプリングという技法に他ならない。だが、『**$$EXT8PE』の脱臼したコピペ感覚は実験的な色彩が強い。

 さらに言えば、この『セックステープ』と題された作品は『ドーナッツ』同様に官能的な響きを持っている。ソウルフルなヴォーカルのサンプリングは官能的に訴えかけ、短いフレーズの執拗な反復はセックスの暗喩にも聞こえる。しかしながら『**$$EXT8PE』の官能は、デジタルなスカムとヒス・ノイズとで奇妙に薄汚れている。ポルノやスケート・ヴィデオ、『ロボコップ』、『燃えよウータン』などをめちゃくちゃに切り貼りした猥雑極まるヴィデオや、ポルノ・ヴィデオ・サイトに氾濫するタグめいた曲名(“アジアン・マスターベーション”、“ナイス・セックス”、“ウェブカム・ティーン”、“クリームパイ”、“ヴァージン・ブッカケ”……)など、そこかしこに過剰で直截的なセックスの表象が埋め込まれている。

 邪推をすれば〈ブートレッグ・テープス〉は、2012年にヴェイパーウェイヴが意図的に葬り去った身体感覚を、液晶画面の向こう側ではなく手前にある肉を、ヒップホップという手法とノイズにまみれた自作の磁気テープの物質性でもって取り戻そうとしている、かもしれない。ともあれ、そんなことを抜きにしてもこのカレイドスコピックに移ろっていく官能的で奇妙なビートの反復は、とてつもなく魅力的でユニークで、かつどうしようもないほどに現代的だ。

土曜日はダブとレゲエとラップだ - ele-king

 明日10月26日(土)、〈リキッドルーム〉に行く人も多いでしょう。僕も行きます。〈THE HEAVYMANNERS meets SCIENTIST 『EXTERMINATION DUB』RELEASE PARTY〉がありますから。あのサイエンティストがヘビーマナーズのサウンドをダブ・ミックスした、強靭かつ繊細なダブ・アルバム『EXTERMINATION DUB』は当然素晴らしいわけですが、ヘビーマナーズの圧倒的なレゲエを〈リキッドルーム〉のサウンドシステムで体感できるというだけで、それは特別な体験になり得る。鼓膜と体が揺さぶられ、床と壁が軋む音がいまから聴こえてきています。スタッフも出演者もかなりの気合いが入っていることでしょう。DJ 光、SIMI LAB、DOWNSHOT RIG(KILLER BONG×田我流)、Likkle Mai& The K、RUMIという布陣も強力です。サプライズ共演も期待したいところです……。

 そして!!! 終電前まで〈リキッドルーム〉で遊んだ方はもちろん、遊ばなかった方も深夜に向かうべき場所はひとつ! 〈吉祥寺WARP〉でおこなわれるDOOOMBOYSのファースト・アルバム『#DOOOMBOYS』のリリース・パーティであります。DOOOMBOYSは、THINK TANKのBABAとWRENCH のドラマーとして広く知られているMUROCHINが組んだユニット。BABAはラップとトラック・メイキングとダブ・ミックスを担当している。
DOOOMBOYSは、乱暴に言ってしまえば、ハードコア・ダブ・ラップ・ミュージック(うわ、なんかむちゃくちゃだ)……いや、でもダブステップやインダストリアルの要素もあるし、当然ヒップホップが核にある。そうだ、デス・グリップスに血がたぎってしまうあなたは絶対に生で観ておくべきバンドだと言いたい。
 AUDIO ACTIVEのギタリストCUTSIGHもアルバムのオリジナル曲の大半に参加し、リミックスも1曲やっている。この日もステージに登場する。これが何を意味するのか? つまり、90年前後から連綿と受け継がれてきた東京のダブ/レゲエの遺伝子が異種交配をくり返して、さあ、2013年にどんな音になったのか? という、その一端を見せつけてもいるわけです。

 僕はDOOOMBOYSのライヴをまだ2回ぐらいしか観ていないので、今回も行きます。Skillkillsも素晴らしいバンドだし、いま若手でレゲエをスピンしていてヤバいのはこの二人でしょ! というLIL' MOFOとOG from Militant Bも心地良い空間を作ってくれることだろう。給料日後の人たちも多いでしょう、がっつり遊びましょう!(二木信)


■DOOOMBOYS 1st album『#DOOOMBOYS』release party

2013年10月26日(土)
@吉祥寺 Warp
OPEN / START 24:00
ADV 2000円 / DOOR 2500円+1DRINK

[live]
DOOOMBOYS feat. Cutsigh(AUDIO ACTIVE)
THE LEFTY
skillkills
NEPENTHES

[DJ]
VIZZA CASH MONEY

[VJ]
ROKAPENIS

[LOUNGE DJ]
LIL' MOFO
OG from Militant B
SUU SUN



アナキズム・イン・ザ・UK - ele-king

 トニー・ブレア以降のリアリズムが日本で知られていないというのもある。ジェイク・バグのもっとも深い曲のひとつ“ブロークン”の「壊れてしまった僕」とは「壊れてしまった英国」=ブロークン・ブリテンのことだったのか、“トゥ・フィンガーズ”で彼が歌う彼の育った文化とはこのことだったのか……などと思う。『アナキズム・イン・ザ・UK』には、僕が知らないいまのUKのひとつの真実が描かれている。
 著者は序文でこう書いている。「九〇年代後半、「クール・ブリタニア」という言葉で希望の時代を演出しようとしたトニー・ブレアの労働党政権が、まるで臭いものに蓋をするかのようにアンダークラス層を生活保護で養い続けたため、この層は膨張し、増殖して大きな社会問題になった。この状態を「ブロークン・ブリテン」と呼び、英国は伝統的な保守党の価値観に立ち返るべきだと主張したのが現英国首相のデイヴィッド・キャメロンだ。以来、この言葉は、アンダークラス家庭での児童虐待や養育放棄、十代のシングルマザーの急増、飲酒、ドラッグ、暴力、ティーンエイジ・ギャング、ナイフ犯罪などの荒廃した下層社会の問題を総括的に表現する用語になる」(略)
 「他国の人間がどんどん侵入してきて街を占領して行く社会では、宗教観も善悪の基準も美意識も多様化し、たったひとつの本当のことという拠り所はどこにも存在しなくなる。そこでは、自らを統治するのは自らだ。そこにある自由は、ロマンティックな革命によって勝ち取った自由ではなく、済し崩し的にフレームワークが壊れた後の残骸にも似た自由」
 ……そして、「学生デモや暴動が発生し、ロンドン・オリンピックが開催され、英国王室人気が異様な盛り上がり」を見せている。しかし、と著者はシンプルに、そして力強く言う。何がどうなろうと、「庶民は生きるだけだ」

 この当たり前にして当たり前の感覚を我々はとかく忘れがちである。著者はそして、自身の立場をこのように明確に言う。「地べたの庶民として生き、庶民として生きている人びとのことを書くしかない。今後もたぶんそうである」
 たしかに『アナキズム・イン・ザ・UK』は、英国に暮らす日本人女性の描いた、さながらケン・ローチの映画のごとく、滅多にお目にかかれない優れたUKレポートとして読める。ブレア以降のリアリズム……アンダークラスとチャヴ、年老いたパンクスとアナキスト、人種差別、フディーズ、シングルマザー……今日のUKを知ることは、とくにUKの音楽を大量に聴いている身からしたら、理解を深める上でも役に立つのだが、ブレイディみかこさんの文章が多くの人に愛されている理由は、「地べたの庶民として生きる」と言うところにあると思っている。地べたからモノを考える。日々あくせくと働きながら音楽を聴いている。そこで思考する。彼女の文章を読んでいるとセックス・ピストルズの“ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン”がいまでも通用しているという、これまた当たり前のことに気づかされる。きっとあなたは思わずストーン・ローゼズのレコードをひっぱり出して、オアシスのセカンドを探してしまうでしょう。

 本書『アナキズム・イン・ザ・UK』は、その大半は、書き下ろし+彼女のブログで発表された文章で構成されている。絶版本『花の命はノー・フューチャー』からの再録もあります。多くはないけれどele-king(紙エレキング含む)で発表した何編かの文章もあります。前半はトニー・ブレア以降の社会が見えるもの、音楽や映画に関わるもの、後半はひとりの生活者としての彼女が出ている文章を中心に選んでいます。
 書き下ろしのなかには、UKではもっとも人気のある女性パンク・ライターのジュリー・バーチル、日本未公開のシェーン・メドウズ監督『ディス・イズ・イングランド』の続編、アリ・アップやエイミー・ワインハウス、トニー・ブレアやデイヴィッド・キャメロンに関する文章がある。何故、UKのロック文化が弱体化したのかも理解できる。そして、(UKに何度も行っている人、住んだことのある人なら知っていることだが)リアルな人種差別についても描かれている。
 だが、本当に重要なのはそこではない。いかにこのピンチのなかで笑って生きらるか。どうか読んで欲しい。願わくば、飛ばし飛ばしに読まずに、最初のページから順番に読んで欲しい。文章を読んでいて勇気づけられる、なんてことは滅多にないのだが、ブレイディみかこの文章にはそれがある。“ノー・フューチャー”が絶望ではなく、希望の言葉であることをあらためて知る。
 10月31日発売です。とくに以下のキーワードで引っかかるモノがある人、よろしくお願いします──ストーン・ローゼズ、ザ・スミス、オアシス、エイミー・ワインハウス、アリ・アップ、マルコム・マクラレン、ジェイク・バグ、ジュリー・バーチル、アレックス・ファーガソン、デイヴィッド・ベッカム、シェーン・メドウズ、トニー・ブレア、デイヴィッド・キャメロン、ロンドン暴動、フディーズとパンクス、そしてなんと言ってもセックス・ピストルズ。

海外に住む日本の女たちは、多かれ少なかれパンクなのだ。
日本女性であることも大事にし、リアルな人生に突き動かされ、つらぬかれた!
――菊地凛子


■アナキズム・イン・ザ・UK
――壊れた英国とパンク保育士奮闘記

ブレイディみかこ 著 
判型:四六判/並製/320ページ
価格:税抜1800円 
発売日:2013.10.31
ISBN:978-4-907276-06-5

■目次

Side A:アナキズム・イン・ザ・UK

出戻り女房とクール・ブリタニア
フディーズ&ピストルズ随想
勤労しない理由――オールドパンクとニューパンク
勤労しない理由――オールドパンクとニューパンク
HAPPY?――パンクの老い先
ダブルデッカー・バギーズ
フェミニズムの勝利? ふん。ヒラリーは究極のWAGだ
ザ・ワースト・マザー・イン・ザ・UK
孤高のライオット・ガール
エキゾチック・ジャパン
Atrocityについて。しかも、まじで
雪と学生闘争。そしてジョニー・マー
モリッシーのひねり。それは学生デモ隊に何よりも必要で
ポリティクスと定規の目盛り
暴動理論
暴動の後で小出しにしてみる「愛着理論」
リトル・アンセムズ1――Never Mind The Fu**ers
リトル・アンセムズ2――怒りを込めて振り返るな。2011年版
リトル・アンセムズ3――石で出来ている
愛は負ける
ミッドランドの旧約聖書――『Dead Man’s Shoes』
ミッフィーの×と『初戀』
モリッシーのロンドン五輪批判発言の「痛み」
イミグランツ・イン・ザ・UK
アナキーな、あまりにアナキーな(現実)
仮想レイシズム。現実レイシズム
ウッドビーズとルーザーズ――『This Is England』
ファッキン大人になること――『This Is England』
ヘイトフルグ
死ね。という言葉
墓に唾をかけるな
ストリートが汚れっちまった悲しみに
ファーギー&ベッカムの時代
ロイヤル・ベビーとハックニー・ベビー
WBS(悪くて、バカで、センチメンタル)
ジェイク・バグ

Side B:Life Is A Piece Of Shit――人生は一片のクソ

花の命はノー・フューチャー
フレンチ・ブランデー
Life Is A Piece Of Shit――人生は一片のクソ
子供。という名の不都合
人が死ぬ
愛の減少感。預金残高も減少しているが
諦念のメアリー
白髪の檸檬たち――底辺託児所とモンテッソーリ
極道児とエンジェル児――猿になれ
ネアンデルタール人の子供たち
Life is a piece of shit after all――人生はやっぱり一片のクソ
ムンクとモンク
命短し恋せよおっさん
極道のトレジャー・ボックス
BROKEN BRITAIN――その先にあるもの
背中で泣いてるアウトサイダー
ガキどもに告ぐ。こいのぼりを破壊せよ
I'll Miss You
アナキスト・イン・ザ・UK
日本人の粛々
人心のメルトダウン
ファック・オフと言えない日本
We've been a bunch of shit all this time――中指と復興と
頑張れ日本。の噴出
五輪閉会式と真夏の七面鳥
さらば、底辺託児所
リトル・アンセムズ4――ジュビリー

あとがき

■ブレイディみかこ
1965年、福岡県福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。保育士、ライター。著書に『花の命はノー・フューチャー』。人気ブログ「The Brady Blog」の著者。『ele-king』にてエッセイ「アナキズム・イン・ザ・UK」を連載中。


vol.10 『The Last of Us』 - ele-king

 

みなさんこんにちは。NaBaBaです。いまさらですが今年はゲーマーにとっては凄い年です。何といってもPlayStation 4とXbox Oneの二大次世代ゲーム機の発売が迫り、いよいよ次の時代がはじまろうとしています。

しかし今世代機も負けておらず、これまでの集大成的大作が相次いで発売されています。前々回のレヴューで取り上げた『BioShock: Infinite』や、つい先日発売された『Grand Theft Auto V』がその筆頭でしょう。そして今回取り上げる『The Last of Us』もまた、今世代を締めくくる大作のひとつと言えます。

さて、近年の大作ゲームはほとんどすべてが何らかの形で映画を意識して作られています。例えばアクション映画のようなスペクタクルをゲームとして体験出できるようにしたい。『Half-Life 2』をはじめ、この連載で取り上げてきた多くのゲームがそうした目標を持っていたでしょうし、今世代は言わばゲームが映画的表現力を獲得していった時代とも言えます。

しかし映画はなにもアクション・スペクタクルなものばかりではないのですが、ゲームが目指す映画的な表現というものは、どうもこうした要素に偏重しがちなのも事実です。

そんななか『The Last of Us』は今世代が培った技術力を最大限に駆使しながらも、上述したステレオタイプとは別の意味で映画的な表現を目指したゲームです。そしてその成果はひとつの時代の締めくくりにふさわしいと同時に、次世代への期待も膨らませる見事なものでした。

■テーマは父と子の人間関係

『The Last of Us』を開発した〈Naughty Dog〉は歴史ある名門スタジオ。かつては初代PlayStation時代に、日本でも有名なクラッシュバンディクーを開発したことで知られています。また今世代に入ってからは『Uncherted』シリーズで再び一斉を風靡したことも記憶に新しい。インディ・ジョーンズもかくやと言わんばかりの冒険活劇で、まさに今世代のアクション映画的ゲームの代表作であります。

そんなスタジオの最新作である本作は、『Uncherted』シリーズからさらにテイストを変え、徹底してトーンが抑制された、渋い作風のアクション・ゲームです。ジャンルとしてはポストアポカリプス、ゾンビ物に属しますが、いまだに派手さを競ってばかりの現代の映画的ゲームのなかでは一見すると地味。

しかし抑制されたトーンであっても、それを裏打ちしているのはいままでの映画的ゲームが蓄積してきた技術的ノウハウに他なりません。フォトリアルなグラフィックスやゲームプレイとインゲーム・シネマティックの自然な融合、リアルなフェイシャル・アニメーション等、〈Naughty Dog〉は今回も最高級の技術を見せてくれています。

 
フォトリアル路線のグラフィックスは間違いなく今世代最高クラス。

本作がいままでの映画的ゲームと比較してもっとも特徴的なのは、その研ぎ澄まされた技術で『Uncherted』シリーズのようなスペクタクルを表現するかわりに、主人公JoelとヒロインEllieの人間関係を描き出すことに一貫して注力した点です。

世界の崩壊と同時に娘を失って以来心を閉ざしていたJoelが、訳あってEllieとともに旅をし彼女を守っていくなかで、第二の親子とも言える関係を育んでいく。本作のコンセプトはこの一点であり、崩壊した世界やふたりを襲う困難の数々、極端な話ゲームプレイさえもが、あくまでもこれを引き立てるためのディテールに過ぎないのです。

 
仕事として旅をはじめた二人だが、やがて掛け替えのない関係を築いていく。

その意味で、本作の質を決定づけているのは技術に加えて脚本と言えます。『ザ・ロード』や『28日後…』等と比較するのはおこがましいかもしれませんが、このジャンルにおける一流映画と肩を並べられる力強い物語であると個人的には感じました。

技術力と違い、脚本に関しては、ゲームは映画と比べて全体的にまだまだ劣っていますが、本作の成功は今後映画的ゲームに求められる脚本の水準を一段と引き上げたに違いありません。

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■プレイヤーにとっての他者としての主人公

ゲームで映画的な物語や体験を描くことが困難なのは、何よりも物語にプレイヤーを参加させなければいけないという、ゲームが本来持つ特性に起因しています。

とくにプレイヤーとゲームの主人公との関係性は、ゲームにどのような立場で参加させるかを決める重要な要素です。例えば映画的ゲームのはしりである『Half-Life』シリーズでは、主人公のパーソナリティは極力排除されていて、主人公=ありのままのプレイヤー自身という構図が明快でした。

しかし描こうとする物語の高度化に伴い、プレイヤーと主人公の関係もかつてのシンプルさはほとんど見られなくなりました。FPSなのに主人公が喋ったり、しかもそれが酷く独善的であったりする。果たして主人公はプレイヤーなのか他人なのか、混乱させられることもしばしばです。

この点『The Last of Us』では、主人公のJoelはまったく完全な他者として描かれており、『Half-Life』とは逆の意味で単純明快です。何よりも三人称視点であるし、Joelの人生観はプレイヤーと同一化できるものでもありません。またJoelが下す物語上重要な決断にもプレイヤーは関与することができないのです。

 
Joelは時に迷い、弱さも見せる、等身大の人格を持ったキャラクターだ。

なので、本作の遊び心地は映画や小説を鑑賞している感覚により近く、プレイヤー自らが主体的に物語を動かすという意味でのゲームらしさは希薄です。むしろ本作のゲームとしてのインタラクティヴ性は、主人公を赤の他人とした上で、彼の感情や意思をプレイヤーに拡張して伝える装置として機能していると感じました。

つまり主人公が負った傷に苦しみながら歩いたり、敵を倒すために試行錯誤したりする過程を操作させることで、その瞬間の主人公の悲喜交々を、より拡張して共感させてくれるということです。そしてこれこそが優れた映画的表現と、他者なりに共感できる優れた脚本の賜物なのです。

とくに敵と戦闘する場面でもこの機能が果たされているのが素晴らしい。まず本作はアクション・ゲームとしては大変システマチックで、達成すべき目標や、攻撃があたった外れた、敵を倒した倒されたの判定が常に明快です。高難易度でいながら、理不尽さがなく、とても攻略のし甲斐がある。この時点ですでに他の競合作より遥かに出来がいい。

ですがJoelとEllie、また敵となる感染者や人間兵の生々しい挙動の数々は、単に出来のいいゲームを攻略する以上の感情移入をプレイヤーに促してきます。シチュエーションの設定も常に秀逸で、戦闘を単なるゲームとしての遊びではなく、Joelたちの必死のサヴァイバル、つまり物語の一部として描けているのです。

 
敵も味方もとにかく必死。この上なく泥臭い戦いが展開される。

これは前々回の連載で取り上げた『BioShock: Infinite』が、戦闘を映画におけるミュージカル・シーンのようなものとして努めてお約束化したこととは極めて対照的です。体験の統一感や感情移入度という点で本作の方に分があるのは言うまでもありません。

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■複数視点で描かれる物語

本作のゲームとしてのインタラクティヴ性は、主人公の感情や意思を拡張して伝える装置であると、前項で述べました。この点についてもうひとつ象徴的な事例をご紹介したいと思います。

それは最初のプロローグ。 ここではほとんど歩くか走るかの操作をするに過ぎないのですが、この行為のなかだけでも キャラクターが怯えたり必死になったりといった感情が、操作するときの感触としてフィードバックされてきます。
しかもここでは若きJoelと娘のSarahの両者を操作することになるのがより重要な点です。守り守られるふたりを操作させお互いの立場を共感させた上で、最終的にSarahとの死別のシーンに繋がっていく。

たとえ一瞬でも体験を共有したキャラクターが死ぬのは、映像として一方的に見せられるより遥かにショックだし、もうひとりの操作したキャラクターの悲しみも同様に共感できてしまう。わずか20分にも満たないシーンでありますが、凡百のゲームや映画を越える感動を表現できていると感じました。

 
物語の導入としても完璧。Joelというキャラクターの本質を瞬く間に理解できる。

物語後半でもEllieを操作するという形で再び味わうことになる、この操作キャラクターのザッピングは、主人公を他者としてプレイヤーから突き放すという構図の延長線にある表現でしょう。とは言え操作キャラクターのザッピング自体は過去に例が無かったわけではありません。海外では『Heavy Rain』という作品が正に複数主人公による群像劇だったし、国内では『Bio Hazard 6』や『龍が如く』シリーズ、『SIREN』シリーズといった例がある。

しかしそれらより本作の方が感動的だと感じたのは、隣にいるパートナーが自分のことをどれだけ大事に思ってくれているのかという、誰もが気になる普遍的な関心ごとを、JoelとEllie、あるいはSarahという関係に置き換えて覗き見させてくれるからでしょう。

プロローグの場合で言えば、JoelもSarahもお互い軽口をたたく時もあるが、内心はとても大事に思っている。しかしそれを伝えきれないまま、または知らないまま死別してしまう。プレイヤーだけが特別にその事実を知ることができますが、主人公たちに伝える術がない。しかしこうしたもどかしさが寧ろ胸を打ち感情移入させてくれるのです。

 
Sarahが渡し忘れた父への誕生日カード。Joelが受け取ることは遂に無かった。

ゲームにおける物語は、未だにプレイヤーが主人公になりきったり、またプレイヤー自身が主人公に成るものが大半を占め、複数視点で描くことに関してはまだまだ未成熟です。しかし他のメディアの場合ではひとりの視点に縛る物語の方がむしろ特殊な部類であり、より複雑で高度な物語を描こうと思ったら、今後ますます複数視点の重要性は増してくるでしょう。

折りしもつい先日発売された今年最大級の大作『Grand Theft Auto V』は、まさに複数主人公のザッピングを大々的なフィーチャーとしていますが、本作はそれに先んじてこの物語手法の可能性を感じさせてくれました。

■まとめ

冒頭でも触れましたが、この時期のゲームは集大成とか総決算と言った印象を受けるものが多いです。『The Last of Us』に関してもそれは一部同様で、本作が駆使しているテクニックの数々は今までの積み上げを大変実感させられるものです。

しかし将来の可能性を感じる点で本作は集大成以上のもの。パーソナルな人間関係を描いた物語や複数の操作キャラクターのザッピングは、単体で見ても完成度が高かった上に、大いに伸び代を感じさせてくれるものでした。

満足感がとても高く、かつ今後のゲームの進化も楽しみにさせてくれる大変にお薦めできる作品です。



John Grant - ele-king

 僕がジョン・グラントの音楽を聴くことになったのは、ジャケットの彼と目が合ったからである。なんとなく海外のレヴュー・サイトをウロウロしているときに一際鋭い視線に捕らわれて、ついクリックしてレヴューを読んでみたらば、彼はゲイで、HIVポジティヴであることをカミングアウトしているという。思わずぎょっとして再びジャケットを見てみる……髭面のいかつい男は相変わらずこちらを睨んだままだ。それがたしか、5月のこと。気がつけば、この年僕はこのアルバムをもっとも繰り返し聴いている。

 ジョン・グラントはフォーク/カントリーを基調としたバンド、ザ・シーザーズの元ヴォーカリストであり、本作『ペイル・グリーン・ゴースツ(青緑色の幽霊たち)』がソロの2作目。2010年のソロ・デビュー作『クイーン・オブ・デンマーク』は評論家の間でそこそこ高く評価されたらしいが、僕は知らなかった。恐らくゲイ・シーンの繋がりでヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアとツアーを回ったこともあるそうで、HIVに関してはそのツアーのときに発表したそうだ(ゲイのオーディエンスを意識した上での決断だったのだろう)。
 サウンドは70年代シンガーソングライター風バラッドとフォーク、80年代ニューウェイヴをほどよく交配したよく出来たものである。ちなみに、シネイド・オコナーがパートナーのように3曲でコーラスとして参加している。ゲイ・アーティストで言えば……ルーファス・ウェインライトとジョン・マウスとヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアの間のどこかにいるような。近年のモリッシーのソロ作を聴く感覚とも遠くはないだろう。冒頭を飾るタイトル・トラックは仄かにダークで攻撃的な、ニューウェイヴ調のシンセ・ポップだ。その上でグラントがバリトン気味のよく伸びる声で朗々と歌う。続く“ブラック・ベルト”はややディスコ調のダンス・トラック。ヴァースごとにサウンドをガラッと変えるオールドスクールなマナーも気が利いている。続く“GMF(グレイテスト・マザーファーッカーの略)”はフォーキーなバラッド……普通に聴いていれば、良い声を持った40代のシンガーソングライターによる、影響元を上手く消化したソングブックとして楽しめたのかもしれない。
 だが、このアルバムでグラントが隠さないネガティヴな言葉と感情を耳と頭が探り当ててしまったとき、もう簡単に聞き流すことはできなくなってしまう。続く優雅なバラッド“ヴェトナム”では彼の元恋人、もちろん男の恋人に、「お前の沈黙は兵器だ/まるで核弾頭のような/ヴェトナムで使われた枯葉剤のような」と断罪の言葉を浴びせる。ヴィデオも象徴的だ。白黒の映像に映るのはグラントそのひとで、そして彼はよくあるMVのように口ずさみもせずに、ひたすら画面の向こうからこちらを見つめ、ときどき視線を外す。そしてまたこちらを睨みながら、こう告げるのである。「俺を慰めるただひとつのことは、お前がこの先誰といようが、お前はいつも孤独だろうってわかることだよ」……とても、穏やかに、深い声で、美しいストリングスとアナログ・シンセの和音に乗せて、そう歌うのだ。画面の前で、僕はただ彼と見つめ合うことしかできない。



 これも同様に、かつて愛した人間を「心配するフリなんかしなくていい/思ってもないことなんて言わなくてもいい」と責める“ユー・ドント・ハフ・トゥ”もなかなか強烈だ。「ひと晩中ファックしたのを覚えてるか?/俺も覚えてない、いつもへべれけだったから/痛みを扱うのにたくさんの酒が必要だったんだ」……。だが、サウンドはどこかファニーですらあるシンセ・ポップ。そもそも歌い出しからして、「犬を連れて、寄り添って公園を散歩したのを覚えてるか?」と言いながら、すぐさま「ま、俺たち犬なんて飼ったことないし、いっしょに公園も行ったことないんだけど」とオチをつけずにはいられない。しかしながらこの皮肉は、彼の傷痕から血が吹き出るのをどうにか抑えるための苦肉の策のようでもある。“センチメンタル・ニュー・エイジ・ガイ”におけるパーカッシヴなディスコ・トラックで、なかばやけっぱちにおどけて歌うグラントはしかし、そうして理性をと保とうとする。
 続く“アーネスト・ボーグナイン”(グラントが尊敬するという性格俳優)はHIVポジティヴだと発覚した心境についての歌だという。「医者は俺を見ずに、きみは病気だと言った」。ここで、どうして彼がジャケットからこちらを真っ直ぐに見つめていたかがわかる。グラントは目を逸らされたくないのだ。自らのみっともなさからも気まずさからも卑小さからも。混乱はある、が、錯乱はしていない。「俺はこのクソのような町が大嫌いだ」と軽やかに歌い、過去との訣別を宣言する。そしてラスト・トラックの“グレイシャー”で誇らしげに鳴らされるピアノの高音はそのことを自ら祝福するかのようだ。グラントはそして、アイスランドへと移住したという。
 僕にとってこれは穏やかな精神状態で聴ける作品ではないが、しかしそれなりの覚悟を持って向き合いたいと思える音楽だ。ジョン・グラントはありったけの憎悪と皮肉と悲哀をこめて、愛を歌っている。ユーモアも忘れずに。だから僕は、ジャケットの彼と睨み合いを続けようと思う。

Sound Patrol - ele-king

Paisley Parks - Cold Act Ill EP
Shinkaron


Bandcamp

 ペイズリー・パークスとはプリンスのレーベルではない。日本で生まれたジャパニーズ・ジュークのプロジェクトで、TMTも大絶賛、海外ではすでに人気に火がついている。ところで、つい先日、筆者はKESが〈ダブソニック〉やWOODMANのレーベルから作品を出していたことを知って衝撃を受けた。その初期作品(カセットテープ・リリース)を聴くと、たしかにジュークの青写真とも言えるゲットー・サウンドなのだ。つまり、10年前からやってきたことが、いま、たまたまシカゴと共振したということか。
 ドミューンでのライヴも格好良かった。「F」ワードが乱発される音楽が特別好きなわけではないけれど、この3人組からあふれ出るパンキッシュなエネルギーに降伏したので、早速CD-Rを買った。ブレイクコアのときと似ているのかもしれない。ペイズリー・パークスにしろフードマンにしろ、ジュークは日本との親和性が高いことを証明している。

Juke Footwork

Tiny Hearts - Stay EP
Dirty Tech Records


Amazon iTunes

 〈ダーティ・テック〉は、デトロイト・ヒップホップのキーパーソン、ワジード(スラム・ヴィレッジのオリジナル・メンバーおよびPPPで知られる)が昨年立ち上げたレーベルで、〈サブマージ〉もどこまで関わっているのか定かではないけれど、それなりにサポートしているんじゃないかと思わせるレーベルだ。それほどのポテンシャルはある。昨年1枚、今年1枚出ている2枚のepは、彼のエレクトリック・ストリート・オーケストラ名義の作品だったが、マイク・バンクス、セオ・パリッシュ、アンドレスなどテクノ/ハウスの大物も参加している。
 その2枚も、まあ悪くはなかったのだが、この〈ダーティ・テック〉の第3弾には痺れた。ワジードのR&Bプロジェクトのデビュー作で、初期のスラム・ヴィレッジを彷彿させるメロウなヴォーカルとタイトなビート、そして分厚いシンセのリフが素晴らしい。実験的だがポップで、まさにフューチャーR&Bと言いたくなるような……。これは注目しよう。

R&B Pop

Hilaru Yamada And The Librarians - The Rough Guide To Samplin' Pop
CD-R


https://ekytropics.blogspot.jp/

 カットアップ/サンプリング・ミュージックで、インナーにはネタが表記されているわけだが、そのネタの選び方が面白い(そのセンスはコーネリアス的だ)。洒落が効いていて、カラフルで、チャーミングなドリーム・ポップとして成立している。大昔、ちょうどこれと同じ方法論で、砂原良徳がブートを作ったことがある。推薦です!

Musique Concrete Cut Up Mash Up Dream Pop

Duppy Gun - What Would You Say About Me?
Stones Throw


STONES THROW

 サン・アロウとロブドア、そしてマシューデイヴィッド、LAの3人のジャマイカ旅行、第3弾。迫力ゼロのビートにふにゃふにゃのエフェクト。ジャマイカのディージェイ、Fyah FlamesとI Jahbarが勇ましい声を上げている。ディプロのへなちょこヴァージョンとでも言えばいいのか。格好いいポスターが付いているので、見つけたら買うことをオススメする。

Dancehall Experimental Dub

Jay Daniel - Scorpio Rising EP
Sound Signature


Detroit Report

 待っていた人も多かったでしょう。沈没していく街とは裏腹に、デトロイトらしい上昇する感覚を兼ね備えたジェイ・ダニエルのデビュー・シングル。デリック・メイ的とも言えるタフなリズムとシンセリフの“No Love Lost”も良いが、母であるナオミ・ダニエルの歌う“スターズ”のインロ(大本はラリー・ハードの“スターズ”だが)を微かに使った“I Have No Name”が最高。ついに未来のクラシックが登場したね。

Deep House

Audio Tech - Dark Side
Metroplex


iTunes

 これも聴くのをずっと楽しみにしていたんですよね。ホアン・アトキンスとマーク・エルネストゥスというふたりの先達のコラボ作。モーリッツ・フォン・オズワルドとの共作のミニマリズムとは打って変わって、こちらはエレクトロ。ホアン・アトキンスは歌っている。B面ではマックス・ローダーバウアとリカルド・ヴィラロボスのコンビが12分にもおよぶ幻覚性の高いリミックスをしているが、オリジナルとの関連性は見られない。

Electro Techno

Archie Pelago - Hall Of Human Origins
Styles Upon Styles


Amazon iTunes

 太陽のスタンプでお馴染みの、NYのアンソニー・ネイプスと〈Mister Saturday Night Records〉は今日の90年代ハウス・ブームの主役のひとりだが、昨年末に同レーベルからリリースされたアーチー・ペラゴ(ブルックリンの3人組)のシングル「The Archie Pelago EP」は、ジャズ・ハウスとしては実に幅広い層にアピールしたヒット作となった。その後の「Subway Gothic / Ladymarkers」では、実験的なアプローチも見せて、最近出た「Hall Of Human Origins」でも、IDMの領域にも手を出しているし、下手したらジュークさえも自分たちの養分にしようとしているのかもしれない。ラテンのリズムも冴えを見せ、サン・ラーの雄大なブラスをも引用しているのでは……。いつアルバムが出るのでしょう。

Electronica Jazz Broken Beat

山下達郎 - ele-king

再発見され続ける音楽 松村正人

 1972年、昭和でいえば47年、沖縄は本土に復帰したが、いまのような夏のリゾートのイメージに結びつくのはまだ先のことである。沖縄より先に本土に復帰した奄美は、72年生まれの私が子どもだった70年代後半までは、最南端のリゾート地としてそれなりににぎわっていて、夏ともなると毎日、建ったばかりの近所の白亜のホテルから──レンタカーなんてなかったから──自転車でくりだしてくる新婚さんたちに私が目を細めたのは、太陽のまぶしさのせいばかりではなかった。子どもだった私にとって彼らは大人であるとともに都会的であった。そこには時間と距離という乗り越えがたい壁があって、私はいつか私が恋や愛や性や分別を弁えた大人になるだろうとはうすうす勘づいていたが、海を渡り、この閉域の外へ、都市生活者となった自分を想像することはできなかった。しばらくしてそんなことを考えなくなったのは、観光客を海外や沖縄に奪われたから、というのも詮ないが、山下達郎が前々作『MOONGLOW』収録の初のタイアップ曲でありJALの沖縄キャンペーン・ソングだった“愛を描いて─LET'S KISS THE SUN─”を出した79年には80年代がフライングしていて、30年前の 1983年、『MELODIES 』の2曲目、ANAの沖縄キャンペーン・ソングでもあった“高気圧ガール”が先行シングルとしてリリースされたとき、だからシマはすっかり鄙びていた。
 それなのに、この曲が頭から離れなかったのは、楽曲の解放感もさることながら「擬人法的なラヴソング」と山下達郎みずからライナーで注解する通り、高気圧という気象用語を人称につなぎ、語彙の飛躍が海を隔てた場所と場所をむすぶイメージの飛距離となるからだ。イメージの跳躍は海を渡る。それはすぐれて広告的だが、欲望を誘うのではなく情動を解放する。目の前に開ける光景はコバルトブルーと真砂の白に塗りこめられ、風景のなかで匿名ゆえの存在感できわだつ女性というよりも記号としての女性をとらえるが、同時にそれは天気予報に使用する衛星写真のようなカメラアイのようなメタフィジカルな高度もそなえている。
 時代は消費に舵をきっていた。しかしながら、山下達郎は80年のシングル“ライド・オン・タイム”でようやくブレイクしてからというもの、「夏だ、海だ、タツローだ」なるコピーに開放感を感じるとともに、風俗的発散の道具として消費される不安も抱いていた、と自筆ライナーにある。折しも彼は〈RCA〉を離れ、7枚目のアルバム『MELODIES』はその第一弾として〈MOON〉からリリースした。そのためここではビジネスマンでありプロデューサーでありシンガーでありソングライターである者の、音楽がポップとして求められるかぎりの葛藤がうずいていたはずだが、それを取らせないこともまた、ポップのポップたるゆえんである。もちろんおくびにもださないのではない。趣味志向思想信条は音となり、『MELODIES』の場合、言葉にもなった。本作で山下達郎は長年吉田美奈子が重要な役割を担ってきた歌詞をみずから書くことになる。自分の言葉で歌を作ることは、この先音楽を続けていく上で、とても重要なことに思えました、とこれもライナーに書いている。複数の職業作家のプロフェッショナリズムの集積で曲を作る体制からの脱却は賭けに近い試みだったかもしれないが、職業作家の作家性がスキルを担保し、保険として働くのにくらべ、作家性はもとより私性である。それは職能におさまりきらない個を晒すことであり、アマチュアリズムを内に抱えるものだ。いいすぎだろうか? そんなことはないですよね。それは初心であり終心(という言葉はないけれども)だと私は思う。

 30歳になった山下達郎は、前作『FOR YOU』で体制を整えたコンボを支えに、リスナーへの配慮を欠くことなく、そこを突き詰める。16ビート基調のクロス・オーヴァーよりの演奏から、宅録に近い自演も含め、曲想は多様になり、作品に奥行きがうまれた。単なる奥行きであれば一望できなくもないが、ここには翳りがある。シカゴ・ソウルのタイトなリズムとゴージャスなホーンがあり、ブライアン・ウィルソンのカヴァーがある。メランコリックなムードがあり、これまでの路線を継承したバイオニックなファンク“メリー・ゴー・ラウンド”があるが、そこにはシュガー・ベイブのころから変わらぬ愛情を注ぐブラッドベリのやわらかく乾いた詩情が降り注いでいる。メロディーはそれらの言葉を載せるヴィークルであり、旋律に乗った言葉は歌となり、私性と時制を離れ、幾度も回帰する。ときにシティ・ポップの元祖として、あるいは“BOMBER”がディスコ・ヒットしたように、クラブミュージックに対応可能なグルーヴ・ミュージックとして。そのたびに私たちは山下達郎を再認識するのだが、つねに新しさとともにあった。50年代、60、70年代の職人の手になる佳曲は山のようにあるが、山下達郎はそれらを援用はしてもそれが目的ではない(モチベーションにはなるかもしれない)。音楽は再生される音のなかにあるから、聴き直すたびに発見することも多々。シティ・ポップなる恣意的な括りで例証されるのはその一面にすぎない。もちろんそこから多面を見いだすこともあるだろう。つまり閉じていないのだ。余談になるが、いまではシュガー・ベイブのやりそうな曲をやるのがコンセプトのあっぷるぱいなるバンドもあるそうである。これは私が先日、ウルトラデーモン以後のトレンドと風俗をふまえ、脳内で結成したポストロック・バンド、シー&パンケイクに勝るとも劣らない秀逸なネーミングである。
 『MELODIES』の掉尾を飾る“クリスマス・イブ”は畢竟の名曲だが、私はこの曲を日本語でいまさら説明する必要は感じない。ひとつだけ。この曲をふたたび、今度はテレビで聴いたのは90年前後、バブルまっただ中だった。音楽で国民的なコンセンサスが成り立つ最後の時代だった、かもしれない。私はシマを出て都市生活者の仲間入りをしていた、思い出深い曲なのである。

松村正人

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Tatsuro As Rare Groove, Tatsuro As Culture Crash 野田 努

 池袋には、どこかくすんだ空気が漂っているように感じる。バブルの頃は高価な“文化”で賑わったものだが、いまやその跡形はほとんどない。池袋にはヒップホップの拠点として知られるベッドというクラブがある。池袋は山下達郎が生まれ育ったところでもある。歩いてみよう。頭のなかでは空しさをなだめるように“ウインディ・レイディ”が鳴っている。

 1. ネット普及後の世界においては、かつて世界中のコレクターが探したアメリカのレアグルーヴはアーカイヴ化されているが、未整理な領域のひとつに70年代後半~80年代前半の日本がある。ジャズ・ファンクのコレクターが探しているのは、山下達郎、細野春臣、吉田美奈子、大貫妙子、鈴木茂などなど。彼らのメロウでグルーヴィーなダンス・ミュージックだ。
 2. 90年代の日本では、70年代のマーヴィン・ゲイ、カーティス・メイフィールド、スティーヴィ・ワンダーないしはハービー・ハンコックなどの再発盤がレコード店の棚に並んだとき、山下達郎は再発見されている。周知のように、山下達郎自身がDJカルチャー顔負けの超マニアックなリスナーなのだが。

 東京在住のフランス人DJ、Alix-kunに訊いてみる。彼は日本のジャズ・ファンクを集めているコレクターのひとりだ。日本全国のレコード店を訪ねながら70年代後半~80年代初頭の山下達郎や細野春臣、吉田美奈子や大貫妙子といった人たちの作品を蒐集している彼は、DJとしては主にデトロイト・テクノやディープ・ハウスをプレイしているだが、“いつも通り”もDJミックスする。彼はハウスに痺れるのと同じように山下達郎のグルーヴに痺れている、ある意味では。今年再発された『PACIFIC』(いわゆる和モノレアグルーヴの定番)はマストだし、“あまく危険な香り”はキラーチューンだ。が、別の意味では、これらアメリカの影響下で生まれた日本の音楽に独自な個性を感じている。そしてそこには、エキゾティック・ジャパンに想定されることのない領域が広がっている。
 たとえば(個人的に大好きな)『オン・ザ・ストリート・コーナー・2』のB面には“ユー・メイク・ミー・フィール・ブランド・ニュー”が収録されている。スタイリスティックスのあんな美しいソウルをアカペラでカヴァーするという試みそれ自体がひとつの文化的実験だ。影響を自分の血肉としながら、しかしオリジナルとはまたひと味違った滑らかな光沢を感じる。躊躇することなくアメリカに飛び込んでいったところは、寺田創一、富家哲、テイトウワなどなど、日本の初期のハウス・シーンのプロデューサーとも重なる(テクノはヨーロッパ志向)。

 エレキングの読者においても、ここ2~3年でたとえば鴨田潤がファンクラブに入会するほど心酔、レイヴ・カルチャーにどっぷりだったラヴ・ミー・テンダーが敬意を表すなど、山下達郎再評価が高まっていることは記憶に新しい。文化的アンビヴァレンス──長いあいだ日本のロック/ポップスは欧米の物真似だと言われてきたが、エキゾティック・ジャパンが我々を救ってくれるわけでもない──を払いのけて、サウンドを追い求めるDJカルチャーだけの話ならわかりやすいが、00年代以降の日本のクラブ/インディ・シーンで活動してきた人たちが山下達郎をいま支持している現象はこれまた興味深い。さらに、山下達郎はディストピアとしての都会を主題にしたパンク前夜からニューウェイヴの時代にかけて名作を出しているので、最近はどちらかと言えばパンク/ニューウェイヴの側にいた人間(たとえば僕や松村のことだが)にさえも求心力を持ちはじめているという事実は、一考の価値がある。
 もっとも、ドリーミーな音楽がポップのモードとなり、とくにR&Bが若い世代に好まれている現代では、それは当然の成り行きだとも言える。『ノー・ワールド』の後に『サーカス・タウン』を聴いても根幹のフィーリングに近しいところがあるからだろう、それほどの違和感はない。トロ・イ・モワの後に『スペイシー』を聴いたら前者が貧弱に思えるかもしれない……のように、一連の達郎再評価現象には批評と問題提起も内包されている。自閉的なJ-POPへの反論もあるだろう。価値の多様化にともなうシーンの細分化や素人の氾濫という名のポストモダン「アーティスト」への異論もあるかもしれない。あるいは、下北のインディ・キッズがAORをディグりはじめたこのご時世だ、純粋にアーバン・ポップ・ミュージックへの探求心に火が付いたのかもしれない。フィラデルフィア・ソウルとビーチ・ボーイズとの奇跡的な出会いにただただ感動したのかもしれない。そもそもフィリー・サウンドはディスコの青写真であり、すなわちハウスの重要な起源のひとつでもある。そう考えれば、(((さらうんど)))のバックボーンと必ずしも遠いわけではない。そしてAlix-kunは「“いつも通り”こそシティ・ポップの誕生」だと主張し、来日したエヂ・モッタ(ブラジリアンAORの巨匠)はブルーノートで“ウインディ・レイディ”をカヴァーする。

 1983年、彼自身のレーベル〈MOON〉の第一弾としてリリースされた『MELODIES』は、周知のようにシュガー・ベイブのアルバムや最初の2枚(『FOR YOU』を入れて3枚?)と並んで山下達郎のクラシックな1枚として有名だ。発売から30周年を記念してリマスターされた本作には、“悲しみのJODY”のインストゥルメンタル、“高気圧ガール”のロング・ヴァージョン、“BLUE MIDNIGHT”や“クリスマス・イブ”のミックス違いなどレア・トラックが5曲収録されている。テナー・サックス以外のパートすべてを自分で演奏している多重録音の“JODY”(圧倒的なファルセットのヴォーカリゼーション)は後に英語でも歌われている。
 前作までは夏や南国のイメージでヒットを飛ばしている山下達郎だが、『MELODIES』は、本人がライナーで書いているように内省的な曲が多く、『サーカス・タウン』や『スペイシー』と同様に、都会の夜の切ない空気が詰まっている。コーラスとパーカッションの“高気圧ガール”やファンキーな“メリー・ゴー・ラウンド”をのぞけば、おおよそメランコリックな響きが耳にこびりつく。個人的には“夜翔”や“BLUE MIDNIGHT”を好んでいるのだが、Alix-kunは「やっぱ“メリー・ゴー・ラウンド”だ」と言う。これぞDJ目線。山下達郎のトレードマークとも言える陶酔的なグルーヴがたまらないのだろう、などと言うと「でなければ“ひととき”だね」と言う。
 このように、こと『MELODIES』は聴き手によって好きな曲がばらけている作品なのではないだろうか(『サーカス・タウン』ならほぼ満場一致で“ウインディ・レイディ”でしょう?)。アルバムにはブライアン・ウィルソンの超レア・シングルのカヴァーという、マニアックなリスナーとして知られるこの人らしい“GUESS I'M DUMB”なる曲も収録されている。
 アメリカの影響下で生まれたポップにおける日本らしさはメロディにあると外国の人はたびたび指摘する。「日本語は、外国人の耳では音として柔らかい」とフランス人のAlix-kunも言うが、日本語の歌は子音で止まることがないので、滑らかに聴こえるのだ。

 とはいえ、江利チエミや雪村いづみが少女歌手としてジャズを歌ったとき、彼女たちの歌は「英語発音の祖国を喪失したあやしげな日本語」だと知識人から批判されている。同時代の歌手として知られる美空ひばりが農村や老年までの幅広い層に受け入れられたのに対して、江利チエミや雪村いづみのファンは主に都会で暮らす若者に限られていた(*)。今日の日本のアーバン・ミュージックは、この頃、つまり戦後「祖国を喪失したあやしげな日本語」を彼女たちが歌いはじめたときに端を発しているのだろう。そして、それがいつの間にか大衆音楽の本流となっているわけである。日本語で歌われる“JODY”と英語ヴァージョンとの境界線は素晴らしく揺れている。
 山下達郎の音楽はマニア受けもしているが、マニアにしかわからない音楽ではない。むしろ彼は意識的にマニアの壁を突破してきている。彼には職業作家としての自覚があるが、それは大衆に迎することを意味しない。『MELODIES』と同時発売されたリマスター盤『SEASON'S GREETINGS』はアカペラのクリスマス・ソング集、こちらは20周年記念盤だそうで、ちなみに今年はプリンスの『ラヴ・セクシー』から25周年。若い世代がR&Bで盛り上がっているのは「いま」。清志郎は南部だったが達郎は北部。初のリマスタリングCD化、聴いていない人はこの機会を逃さないように。これは日本で生まれた永遠の都会情緒、アーバン・ソウル・クラシックである。
 
(*)加太こうじ・佃実夫編集『流行歌の秘密』(1970年)

野田 努

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