「You me」と一致するもの

Colin Stetson - ele-king

 人間の吐く息がダイレクトに空気の振動となり、音となる――という、管楽器の身体性が、昨年のボン・イヴェールの傑作『22、ア・ミリオン』に必要であったことは象徴的なことに思える。同作はテーマの抽象性や内省にも関わらずそこに多くの人間がいることが重要であったが――ある種の音楽的コミュニティがそこでは築かれている――、サウンド面ではとりわけ管楽器が多彩な表情をつけることに一役買っていた。そこからは様々な人間の吐く息が聞こえる。そしてそれは、ときに歪められたり加工されたりすることによって、まったく個性的な「声」としてそこで共存している……。

 ボン・イヴェールやアーケイド・ファイア、アニマル・コレクティヴら北米インディ・バンドへの参加で知られるサックス奏者、コリン・ステットソンのソロ作『オール・ディス・アイ・ドゥ・フォー・グローリー』は、一言でいえばバリトン・サックスによるIDMということになるだろう。ステットソンはEX EYEというポスト・メタル、ジャズ・メタル(と、とりあえずはいまのところ呼ばれている。カテゴライズが難しい非常に実験的なメタルということ)・ユニットでも現在活動しているが、いまや北米のエクスペリメンタル・シーンをつなぐ重要人物のひとりである。これまでのソロ作や、同じくアーケイド・ファイアのライヴ・メンバーであったヴァイオリニストであるサラ・ニューフェルドとの共作『ネヴァー・ワー・ザ・ウェイ・シー・ワズ』ではそのミニマルな作風からスティーヴ・ライヒやマイケル・ナイマンと比較されることが多かったが、『オール・ディス~』では本人が明言しているとおり方法論的に雛型となっているのはエイフェックス・ツインであり、IDMである。つまり、複雑に変幻していくリズム感覚と緻密なエディットが大きな聴きどころとなっている。サックスの演奏を多重録音し、そこに少しばかりのリズム、声を加えていく作風はこれまでと同様だ。ただ、ヘンリク・グレツキの交響曲第3番を独自に解釈し、オーケストラと声楽を大きく導入した前作『ソロウ』がある種の過剰さに貫かれていたのとは対照的に、本作では音のレイヤーをぐっと減らし、少ない音を的確に配置していくことによってストイックに耳を興奮させる。
 単一の楽器によるループとその多重録音を骨格とするという点では、たとえばマーク・マクガイアの手法と近いと言えるかもしれないが、マクガイアのギターが醸すリリカルさやスピリチュアリティに比べると、サックスという楽器の特性ゆえかステットソンの吐き出す音はもっと粗暴で生々しく、フィジカルだ。“Like Wolves On The Fold”や“In The Clinches”ではキーをカチャカチャと素早く押さえる音がそのままリズムとなり、ミストーンのノイズや音の乱れもそのまま録音されている。何よりもバリトン・サックスの低音の迫力――ゴッドスピード・ユー!ブラック・エンペラーのような重々しさを内包したまま、速弾きの躍動感でドライヴする離れ業がステットソンの魅力だ。本作のオフィシャル・ヴィデオではサックスを狂おしく吹き続けるステットソンの姿とサックスのアップばかりが映されるが、人間の身体からいまその瞬間に放たれる息が音に変換しているというダイナミズムがそこでは運動する。とりわけ、終曲“The Lure Of The Mine”において、13分にわたってウネウネと姿を変えていくサックスの旋律はほとんど官能的ですらある。ミニマルなのに自在に上下するメロディと、荒々しいグルーヴ、聴き手を陶酔と覚醒で翻弄するかのような不敵な構成――スリリング極まりない。

 もうひとり、ボン・イヴェールに参加したプレイヤーのソロ作を紹介したい。ジャスティン・ヴァーノンと同郷のウィスコンシンはオークレアのトランペット奏者、トレヴァー・ハーゲンによるノイズ・アルバム『ワンダータウン』は日本のカセットテープ・レーベルである〈kolo〉からリリースされているが、これがトランペットという楽器の知らなかったポテンシャルを発見するような驚きに満ちている。プリペアド・トランペットによる乾いた高音は悲鳴のように轟き、それは切り刻まれのたうち回る。まるで音それ自体がひとつの生き物のようなのだ。けっして耳触りのいいものではないが、管楽器が呼吸器と繋がっていることを如実に感じさせるような熱がこもっている。そしてそれは、静謐なドローンへとやがて姿を変えていくが、緊迫感に満ちた音楽体験がここにはある。

 ステットソンにしてもハーゲンにしても、2000年代後半からのノイズ/ドローンと地続きのものではあるのだろう。昨年のボニー“プリンス”ビリーとビッチン・バハスのジョイント・ライヴを観たときにも感じたが、USインディ・シーンにおいてアメリカーナやフォーク・シーンとノイズやエクスペリメンタルがシームレスに繋がっていることは、そのサウンドの拡がりにおいて大きな強みとなっている。そこでは雑多な人間の実存を主張するかのように、多様な「声」が複雑にポリフォニックに折り重なっているのである。

special talk : Shota Shimizu × YOUNG JUJU - ele-king


清水翔太
FLY

MASTERSIX FOUNDATION

J-PopR&BSoul

初回生産限定盤 Amazon Tower HMV

通常盤 Amazon Tower HMV iTunes


YOUNG JUJU
juzzy 92'

Pヴァイン

Hip Hop

Amazon Tower HMV iTunes

 R&Bシンガー、清水翔太の最新アルバム『FLY』の“Drippin’”という曲でKANDYTOWNのラッパー、YOUNG JUJUとIOがヴァースをキックしている。2人のスムースなフロウが甘美なR&Bのラヴ・ソングのなかを駆け抜ける。JUJUはオートチューンを効果的に用い歌ってもいる。客演のきっかけがあった。JUJUがラッパーのB.D.をフィーチャリングした“LIVE NOW”という曲で、清水の“Overflow”をサンプリングしたビートでラップした。ビートを作ったのはJJJ、サンプリング・クリアランスを取得した上でJUJUのファースト・ソロ・アルバム『juzzy 92'』に収録された。

 前作『PROUD』、そして本作『FLY』を聴けば、清水がいま変化のときを迎えていることがわかるだろう。2月にele-kingにアップされたインタヴューでも、その変化についておおいに語ってくれた。その変化は清水個人のチャレンジであると同時に、現在のUSのR&Bやラップ・ミュージックをいかに“翻訳”して日本の大衆音楽として表現するのか、という(この国の大衆音楽における永遠のテーマとも言える)問いを考えるときに興味深くもある。そういう点でも僕は清水のいまの動向に注目している。

 “Drippin’”、あるいはJUJU がtofubeatsと共作した“LONELY NIGHTS”などを聴くと、JUJUもまた同じような問題意識をもって創作のあり方を模索していっているように思えた。そこで2人の対談の企画が浮上した。ラップもこなすR&Bシンガーの清水翔太と歌うことをより意識し始めているラッパーのYOUNG JUJUに語り合ってもらった。


清水翔太“Tokyo”

YOUNG JUJU“LIVE NOW” feat. B.D.

日本語と英語の混ぜ方という点で、KANDYTOWNの人たちの表現に影響を受けた部分もすごくあるんですよ。 (清水)

最近はラップしながら歌うみたいなのが調子良くて、そのスタイルがいま自分がやりたいことですね。 (JUJU)

YOUNG JUJUさんの『juzzy 92'』には、JJJがトラックを作り、B.D.をフィーチャリングした“LIVE NOW”という曲が収録されています。あの曲が清水翔太の曲をサンプリングしていることを知ったときどう思いました?

JUJU:「(リリースするのは)無理じゃん」って思いましたね。J君が送ってくれた曲が何曲かあったんですけど、僕はそのなかでもあのビートがいいなと思って。Illicit Tsuboiさんのところでよく録るんですけど、Tsuboiさんにも聴いてもらって、「こっちのビートがいいんじゃない?」って選んでもらったのが“LIVE NOW”だったんですよね。そうしたらあとからJ君に「サンプリングの問題でこれはできないかもしれない」と言われて。「じゃあなんで送ったんですか」って思ったんですけど(笑)。そのあとに(サンプル・ネタが)清水翔太さんの“Overflow”だって聞いて。初めて聴いたときは清水翔太さんの曲だと思わなかったので、びっくりしたというのが率直な感想ですね。

ご自身の曲がサンプリングされた“LIVE NOW”を初めて聴いたとき、まず率直にどういう感想を持ちましたか?

清水:うれしいなと思いましたね。僕はポップスに寄りながら、自分のエゴや欲をアルバムの収録曲で出したりしてきたんです。それがまさに強く出ていたのが“Overflow”だったと思うんですよ。そういう曲を自分が好きな人たちがカッコいいと思ってサンプリングしてくれたのがうれしかったですね。しかも原曲とは違うカッコよさで表現してくれていた。

JUJU:ありがとうございます。

清水:こちらこそ本当にありがとうございます。

お会いするのも初めてなんですよね?

清水:そうなんですよね。

JUJU:めちゃくちゃ緊張してます……。実は僕が清水翔太さんを初めて知ったのは、中学生のときにテレビで観た朝のニュースだったんですよ。ニューヨークでライヴしてましたよね?

清水:ああ、やってましたね。

JUJU:それを観た母親が「こんな子いるんだね。スゴいね」と言っていて、それで知ったんですよね。だから今回、清水さんと共演していちばん喜んでいるのは母親ですね。

清水:ありがとうございます。うれしいですね。

“LIVE NOW”の経緯もあったと思うのですが、今回YOUNG JUJUとIOを“Drippin'”という曲に客演として招いたことにどんな思いがあったのでしょうか?

清水:元々僕は頑なに日本語を大事にして、なるべく英語を使わないスタイルでやってきたんです。ただ最近は英語を混ぜて歌ったりラップするようにもなってきている。そういう、日本語と英語の混ぜ方という点で、KANDYTOWNの人たちの表現に影響を受けた部分もすごくあるんですよ。そういうのもあって2人にお願いしました。

JUJU:すごくうれしかったですね。曲に関しては、ラッパーが勢い良くラップするようなビートがくるのかなとも思っていたんです。そうしたら、ああいうテンションの曲が送られてきたんで。

R&B寄りの楽曲で、テーマも恋愛ですよね。

JUJU:そういうテーマも送ってもらって。ただ、僕たちは女の子のことを直接的に書くみたいなことをあんまりやってこなかったんで、IOくんと「さあ、どうしようか?」って話はしましたね。最終的には、曲のムードや感情を壊さないけど、ナヨナヨした感じは嫌なのでああいう形で落ち着きましたね。

ははは。

JUJU:僕がメロディをつけてラップするのはKANDYTOWNの曲のフックとかでしかやってこなかったんですけど、最近はラップしながら歌うみたいなのが調子良くて、そのスタイルがいま自分がやりたいことですね。

清水さんがKANDYTOWNの日本語と英語の混ぜ方に触発された部分があるという話をされていましたが、JUJUさんは「Amebreak」のインタヴューで、「言葉からラップを作っていくのって本当に難しいし、特に日本語だとそうなんですよね。フロウに合う/合わない言葉が日本語だと分かれる。『日本語だと合わないな』ってときに英語をハメていくタイプかな」と語っていますよね。

JUJU:昔からフリースタイルが得意じゃなくて、みんながフリースタイルをやっているときにはやってなかったんですよね。意味わかんない言葉でフロウするってことをやっていたんですよ。「俺らのフロウだけ聴いとけ!」みたいな感じで意味わかんない言葉でフリースタイルしていたのが原点ですね。だから、特にIO君と曲を作るときは「俺ならこうハメる」みたいに意味わかんない言葉でフロウして、「そのメロディ、ハンパない!」ってなったときに日本語か英語でハマる言葉を探して作ることが多いですね。

清水:僕もいわばいっしょで、最初にトラックを作ってとりあえず適当な英語でバーッと歌うんですよ。それでメロディが決まってきてあとから歌詞をつける。英語で適当に歌っているときのフロウがいちばんカッコいいんですよ。何が何でも日本語をハメていかなきゃ、という思考でやればやるほどどんどん良くなくなっていくんです。だからまずは「日本語でやりたい」というこだわりよりも、自分からナチュラルに生まれてきたメロディやフロウが活きるように言葉をハメていくのがいちばんいいと思うんです。

とりあえず歌が上手くて詞も書きます、というR&Bシンガーじゃつまらないじゃないですか。だからいまは自分の歌の力を無駄遣いしてでも、クリエイティヴなことをやっていきたいんですよね。 (清水)

人に届くような歌詞を書こうというマインドに変わりつつあるんです。前よりもそういう風に考えて歌詞を書くようになってますね。 (JUJU)

清水:僕の場合、作品自体の質はもちろん、自分がいまやりたい音楽の方向にリスナーを導いていくというのが課題としてもありますね。やっぱりこれまでの活動があってそういう音楽を求めてくるファンも多いですから。『PROUD』でいろんな挑戦をしましたし、さらに少しずつ広げていきたいですよね。いまは特にヒップホップにはクリエイティヴな人が多いですし、僕もそうでありたいんです。とりあえず歌が上手くて詞も書きます、というR&Bシンガーじゃつまらないじゃないですか。だからいまは自分の歌の力を無駄遣いしてでも、クリエイティヴなことをやっていきたいんですよね。

新作の『FLY』で僕が大好きな曲のひとつは“いつもBlue”なんですけど、この曲はメロディやフロウ、歌詞の部分でも、ラップ・ミュージック、R&Bのディープな要素とポップスの要素を絶妙なバランスで作っている曲だと感じました。

清水:本当にそうだと思います。あと全体の流れも含めて、行き切っている曲も、あえて引いている曲も全部納得いってもらえるように、バランスはすごく考えて作りましたね。ただ、もっとメチャクチャにやってやりたいという瞬間はいっぱいありましたし、途中でぶっちゃけ本当にアルバムの方向性わからなくなったりもしましたけど、とりあえずやりたいことをやって音を作って歌うっていうのをひたすらやり続けて結果としてバランスが良くなったという感じでもあるんです。ツアーも決まっていたのに本当に間に合わなさそうでかなり追い詰められつつ……、でもなんとか間に合ったかな。

『juzzy 92'』は聴かれましたか?

清水:はい。ただただいいなあっていう(笑)。僕は基本的にKANDYTOWNのみなさんのスムースなところが好きなんです。必要以上がないというか、計算されていないようにも見えるし、計算されているようにも見える。どちらにせよスムースだなと。あの感じは狙って出せないし、すごくいまのセンスなんだなと思いますし、やっぱり超カッコいい。

JUJU:ありがとうございます。

清水:ところで、どういうときに(リリックを)書こうと思います?

JUJU:いろいろありますよね。ニュースを見てなにか思いつくこともあるし、くだらないことをやっている人を見て思うこともあるし。

清水:書こうと思ったらすぐ書きます?

JUJU:俺は無理っすね。自然とヴァイヴスが向いていかないと書けないです。「お前座れ!」って言われたら「無理!」ってなっちゃうタイプなので。清水さんはどうやって曲を書くんですか?

清水:僕もなるべく書けるときに書きますね。

JUJU:でも期日とかあったりしたら大変ですよね。

清水:それで頑張らないといけないときもあるけど、でもそういうときはだいたい良い曲はできないですよね。

JUJU:今回の僕らのラップは大丈夫でしたか?

清水:超良かったですよ!

“Drippin’”のラップのヴァースに関して、清水さんからディレクションはしましたか?

清水:自分が「こうしてくれ」と言われるのが嫌ですし、好きにやってもらえればカッコいいだろうという安心感があったので、僕からはそんなに細かく言わなかったですね。

JUJU:テーマも伝えられて、清水さんのリリックもフックもできていたので、イメージはしやすかったですね。僕らが押し出しすぎて邪魔にならないようにしようとは思いました。だから「やりに来たよ!」みたいな感じも出さないで、「あいつらいたね」くらいの雰囲気で添えられたらいいなと思って。自分のなかではそういうイメージがあったという感じでしたね。

ラップのヴァースのリリックを掲載しないのはJUJUさんが決めたんですか?

JUJU:僕らがたしかにそういうことを言って、周りの人がJUJUやIOは歌詞を公開しないスタンスだと思ったんだと思います、歌詞が載っていないのはいま初めて知りました(笑)。でも、もう最近は歌詞を載せても大丈夫ですね。人に届くような歌詞を書こうというマインドに変わりつつあるんです。前よりもそういう風に考えて歌詞を書くようになってますね。

『juzzy 92'』の制作時からも創作に関して変化があるってことですね。

JUJU:ただ、あのアルバムは本当に廃盤にして欲しいぐらいなんです。あの作品に関しては一言も話したくないくらい嫌で、アルバムが出てから一回も聴いていないし、だからライヴとかできないぐらいリリックもわからない。

そうなんですか。どうしてそんなに嫌なんですか? すごく良いアルバムだと思いますよ。

JUJU:あのときは本当にイケイケドンドンみたいになっていたし、いまみたいに真剣に音楽をやるようになるとは思っていなくて、だからちゃんとしておけばよかった、って後悔しかないですね。申し訳ないですけど。

清水:やっぱり作品を出していくなかで、自分の未来との距離感のバランスがなんとなくわかってくると思うんですよ。出せば出すほど、これはたぶんあとから後悔するなって作品とかなんとなくわかってくるんですよね。だから僕も最初は「ここはこうしておけばよかった」とかすごく多かったんですけど、だいぶ減りましたね。でもそれくらいのほうが次はもっといいものを作ろうと思うからいいですけどね。

JUJU:はい。なんというか、ラップだけで気持ちいい音楽を作れる人もいるんですけど、日本語ラップは言っている内容も含めて気持よくないものも多いじゃないですか。自分が恥ずかしいと感じることと、人が恥ずかしいと感じることは違うと思うけど。恥ずかしくなるラップは無理ですね。清水さんの曲は、ラップにも歌にも気持ち良いメロディがあっていいですよね。

清水:ただ、僕もただメロディアスなラップは嫌なんですよね。 僕はラップやヒップホップがやりたいということではなく、言いたいことを伝える方法として歌うことがいちばん適しているなら歌うし、ラップの方が伝わるならばラップするんですよね。表現しようとすることが先にある。歌は基本的にすごく制限があるんですよね。例えばAメロ、Bメロ、サビができちゃったら、2番も文字数を合わせなければならない。そこが面白さでもありますけどね。いまはラップでたくさん言いたいことを言えるというのがちょっとうれしいというか、気持ち良くなっちゃっているところがあるのかもしれないですね。

清水さんが今回のアルバムでいちばん納得している曲を挙げるとしたらどれですか?

清水:個人的にいちばん納得しているのは“夢がさめないように”ですね。ただ、ある意味ではいちばん適当な曲なんですよね。音数も少なくて、シンセとベースとドラムとピアノとか、4つくらいしかない。歌もスタジオに入らずに、家で録ったものなんですよ。そんなことをやったのは初めてなんです。家のマイクでとりあえずやってみて、良いのが録れたからもうこれでいいって感じでしたね。

“夢がさめないように”の余韻を残しながら次の曲“Interlude -夢の続き-”へ流れていきますね。このソウルフルな2曲はたしかに印象的でした。

清水:いままでインタルード的なものを作ったことがなかったんですけど、この曲も家で録ったもののまんまで、トラック・ダウンもしていないんですよ。僕のミックスをそのまま使ってますね。そういう意味ではいちばんナチュラルに僕を感じられるのがその2曲の流れなんです。だからそこが好きだし、聴いてもらいたいですよね。

なるほど。今後、“Drippin’”をステージで共演して披露するなんて予定はあったりしますか?

清水:どうですか(笑)?

JUJU:ぜひやりたいですね。

清水:本当ですか? 2人が2番でバッと出てきてもらうのもカッコいいけど、わりとすぐ終わっちゃいますし、やるとしたらどういう構成でやるんだろうなあというのも考えたりしましたけど(笑)、ぜひやりたいですね。

JUJU:はい。僕はいま、音楽を聴いて「これヤベえ!」ってなっていた時期のフレッシュな感覚に戻りつつあって、歌詞を書いたりビートを聴いたりするのが楽しくて、特に決まったプランはないんですけど、制作にも集中したいって感じですね。

清水:ぜひ呼んでいただけることがあればいつでも呼んでください。

JUJU:ありがとうございます。ぜひお願いします。

●清水翔太info
全国ツアー「LIVE TOUR 2017〝FLY〟」を開催中。
8月12日13日日本武道館、8月20日ツアーファイナル大阪城ホール公演を開催予定。
上記アリーナ公演のチケット一般発売が7/10(土)10:00より各プレイガイドよりスタート。
詳細はホームページをチェック。

Lunice - ele-king

 覚えているだろうか。2012年、強烈な1枚のEP「TNGHT」が〈Warp〉と〈LuckyMe〉から共同リリースされたことを。そのEPを送り出したトゥナイト(TNGHT)はハドソン・モホークとルニスからなるユニットだったわけだが、その片割れであるルニスがついにファースト・ソロ・アルバムをリリースする。現在、最新シングル曲“Distrust feat. Denzel Curry & C9”の音源と、“Mazerati”のMVが公開されている。アルバムの発売は9月8日。心して待つべし。


L U N I C E
ハドソン・モホークとのユニット、トゥナイトでも知られるルニスが、
待望のデビュー・アルバム『CCCLX』を9月8日にリリース!
また最新シングル「Distrust feat. Denzel Curry & C9」と「Mazerati」を公開!

ハドソン・モホークとのユニット、トゥナイトでも知られるモントリオール発ラッパー兼プロデューサーのルニスが、ソフィー、キング・メズ、リーフ、そしてデンゼル・カリーらをフィーチャーした待望のデビュー・アルバム『CCCLX』を9月8日にリリースする。また最新シングル「Distrust feat. Denzel Curry & C9」と「Mazerati」のMVが公開された。「Distrust」においては、デンゼル・カリーと彼の所属するC9クルーからJKザ・リーパーとネルをフィーチャーし、華麗なMCリレーを披露している。

Distrust feat. Denzel Curry & C9
https://smarturl.it/LM040s2spt

Mazerati
https://youtu.be/a_eL5cKv5TY

label: LUCKYME / BEAT RECORDS
artist: Lunice
title: CCCLX
release date: 2017/09/08 FRI ON SALE

国内仕様盤CD
BRLM40

iTunes: https://itunes.apple.com/jp/album/ccclx/id1250483988
Apple Music: https://itun.es/jp/u8nIkb

Shackleton with Anika - ele-king

 は、はやい……年明けにヴェンジェンス・テンフォルドと組んだ強烈なアルバム『Sferic Ghost Transmits』を発表したばかりのシャクルトンが、7月10日に新作『Behind The Glass』をリリースする。今度はアニカとの共作で、どうやらまた新境地を開拓しているらしい。アニカは、ポーティスヘッドのジェフ・バーロウによるプロデュースのもと〈Stones Throw〉からデビューを果たしたベルリンのミュージシャンである。詳細は下記よりチェック。


interview with Laurel Halo - ele-king


Laurel Halo
Dust

Hyperdub / ビート

PopExperimentalJazzDubCollage

Amazon Tower HMV iTunes

 一度やったことはもうやらない。そういうアーティストだと思い込んでいた。だから、初めてローレル・ヘイローの新作『Dust』を聴いたときは驚いた。まさか、ふたたびヴォーカル・アルバムを送り出してくるなんて、と。
 彼女は昨年、このアルバムを制作する傍らスティル・ビー・ヒアというプロジェクトに参加している。それは初音ミクにインスパイアされたアート・プロジェクトで、松任谷万璃が始動させたものだ。そのサウンド部門を担っているのがローレル・ヘイローなのだけれど、彼女がふたたびヴォーカル・アルバムを作ろうと思った背景のひとつに、その初音ミクの存在があったんじゃないだろうか。ボーカロイドの歌/声と人間の歌/声、その両者のあいだに横たわっている差異に触発されたからこそ、彼女は再度自身の作品に声を導入することを検討したのではないか。
 とはいえ本作は、同じように歌/声の可能性を探究したファースト・アルバム『Quarantine』とはまったく異なる作品に仕上がっている。前作『In Situ』でジャズやダブの要素を導入した彼女だが、それらの要素が本作ではより大胆に展開されている。ジャズの因子はほぼ全編にわたって散りばめられており、ダブのほうは“Arschkriecher”や“Syzygy”、“Do U Ever Happen”といったトラックに忍び込まされている。
 そんな今回のアルバムのなかで一際異彩を放っているのが“Moontalk”だ。この曲はアフリカの音楽からインスパイアされているように聴こえるのだけれど、その土着的な雰囲気とは裏腹にヴォーカル・パートは日本語で歌われており、ここにもボーカロイドの影をみとめることができる(が、個人的にはまったく日本語に聴こえなかったため、以下のインタヴューで「これは何語ですか?」と素朴な疑問を投げかけてしまった僕は「バカ」呼ばわりされている)。
 また、本作の多くの曲でパーカッションが有機的に機能している点も見逃せない。打楽器を担当しているのはNYの作曲家/パーカッショニストのイーライ・ケスラーだが、このアルバムにおける彼の貢献は相当なものだ。そんなふうに外部からゲストが招かれていることも本作の大きな特徴で、その数は総勢9名に及ぶ。なかでもとりわけ重要なのが、ブラック・エクスペリメンタリズムの急先鋒=クラインと、ワールド・ハイブリッド・サウンドの最尖端=ラファウンダの参加である。急いで付言しておくと、彼女たちはあくまでヴォーカリストとして招聘されているにすぎない。が、このアルバムの実験性と雑食性が彼女たちふたりのサウンドから大いに刺戟を受けたものであることはほぼ間違いないだろう。ローレル・ヘイローは本作で、ブラック・エクスペリメンタリズムとワールド・ハイブリッド・サウンドと、その双方を独自に消化・吸収している。
 ヴォーカルにパーカッション。ジャズにダブ。クラインにラファウンダ。さまざまなゲストならぬダスト(dust)=粒子たちがこのアルバムの周囲を飛び回っている。それらをつぶさに観測する研究者がローレル・ヘイローなのだとすれば、その入念な研究の成果がこの『Dust』だろう。ポップ・ミュージックとは実験音楽のことであり、実験音楽とはポップ・ミュージックのことである――まるでそう宣言しているかのような清々しい作品だ。ローレル・ヘイローはいま、前人未踏の領域へと足を踏み入れている。
 一度やったことはもうやらない。そういうアーティストだと思い込んでいたけれど、どうやらその思い込みは正しかったようだ。

私は濃密なコードやメロディが大好きなんだけど、最近の音楽はあまりにも色味がなくてベーシックなものが多い気がする。アーティストたちの多くは平均的なリスナーを当然のものだと考えてるけど、彼らは思ってるよりももっと奇抜な音楽や、風変わりなもの、濃いものだってわかるものよ。

前作『In Situ』は〈Honest Jon's〉からのリリースでしたが、今回は『Quarantine』『Chance Of Rain』と同じ〈Hyperdub〉からのリリースです。ふたたび〈Hyperdub〉から作品を発表することになった経緯を教えてください。

ローレル・ヘイロー(Laurel Halo、以下LH):レーベルが体現してるものや、そこのスタッフが好きってこと以外にたいした理由はないね。

前作『In Situ』は実験的でありながらダンサブルで、特に最後の“Focus I”はコードの部分で極上のジャズのムードを醸し出しつつも、リズムの表現もじつに豊かで、またダブ・テクノ的な音響も盛り込まれていました。今回の新作『Dust』に収められている“Nicht Ohne Risiko”や“Who Won?”はジャズ/フリー・ジャズと、IDM/エレクトロニカとの融合とも言えますが、ご自身では本作におけるジャズの要素についてどうお考えですか?

LH:ここしばらくはジャズ・サウンドを音楽に取り入れてる。たくさんのジャズ・ミュージシャンやジャズの精神、フリーダムな心や自由な表現などからインスピレイションをもらってるのね。数え上げれば長くなるけど、私のジャズの知識なんて、ある人と比べれば深くても、別のある人と比べれば浅い。つきつめれば、私が発表したどの作品にも本物のジャズはない。それは加工途中のものだったり、変化の過程にあるものだったりして、スルーコンポーズド(通作)じゃないし、完全にモーダルの様式の中で作ったわけでもないし、フリー・インプロヴィゼイションでもない。アルバムの曲を書いてたとき、即興演奏やフリープレイはたくさんやったけど、こういう言い方が意味を成すなら、それが形になったってことだね。私は濃密なコードやメロディが大好きなんだけど、最近の音楽はあまりにも色味がなくてベーシックなものが多い気がする。アーティストたちの多くは平均的なリスナーを当然のものだと考えてるけど、彼らは思ってるよりももっと奇抜な音楽や、風変わりなもの、濃いものだってわかるものよ。世の中の人たちはシンプルな音楽を深遠なものとして与えられてるでしょ。私のアルバムも聴きにくくはないから、かなりシンプルだとは思うけど、アコースティックな楽器を使ってサイケデリックなサウンドを組み込みたいと思ってた。それにミュージシャンとしての私の仕事にインスピレイションを与えてくれた偉大なミュージシャンたちを賞賛したかった。東京にはジャズとかソウルとか、クラシックとか、メタルとか特定のジャンルの音楽に浸って、サウンドに深く入り込めるバーやカフェがあるのがすばらしいね。

本作『Dust』ではほとんどの曲にヴォーカルが入っています。ご自身の声/歌を使う試みは『Quarantine』(2012年)でもおこなわれていましたが、本作におけるヴォーカルの役割は『Quarantine』とは異なっているように聴こえます。近作ではヴォーカルから離れていたと思うのですが、本作で再び大きく歌を導入したのはなぜですか?

LH:シンプルに言うと、言葉とか歌詞を使いたかったから。だから歌うのは当たりまえのことだった。

リリックはおもにどういった内容になっているのでしょう? アルバム全体をとおしてひとつのテーマのようなものがあるのでしょうか?

LH:歌詞にはいろいろなものが混ざりあっている。歴史的なものや、個人的なこと、非個人的なこと、フィクション、ニュースに基づくこと、私の人生に関わっている人たちのことや、無意味なことから作り出した意味のあることとか。ポジティヴな気持ちを伝えたり、凝り固まったパターンとか流行の外側を見られるように間違った文法や造語を使ってる。

冒頭の“Sun To Solar”と“Jelly”の2曲からは、シンセ・ポップやインディR&Bのムードが感じられますが、それは意図されたものでしょうか?

LH:シンセ・ポップはあるね。それにファンクも、ソウル・ミュージックも、細野晴臣や佐藤博も。「インディR&B」は絶対ないって!!

その、“Sun To Solar”と“Jelly”にはクラインが参加しています。彼女を起用しようと思った理由を教えてください。

LH:彼女の音楽が好きだし、音楽とは何かとか、音楽は何になりうるか、ということについてお互い似たようなヴィジョンを持ってるから。

いまクラインやチーノ・アモービらの音楽が「ブラック・エクスペリメンタリズム」と呼ばれて話題になっていますが、その盛り上がりについてはどうお考えですか?

LH:クラインやチーノの音楽が認められつつあるのは嬉しいね。権力構造を打倒したり解体したりすることを目指す音楽に感動してる。

“Jelly”と“Syzygy”にはラファウンダが参加しています。彼女はベース・ミュージックとワールド・ミュージックを横断するような興味深い音楽を作っていますが、今回彼女を起用しようと思った理由を教えてください。

LH:彼女の声と創造へのアプローチのしかたが好きなの。

“Moontalk”はアフリカン・ポップと呼ぶべきトラックですが、途中でハウスのハットが挿入されたり、最後は壮大なストリングスで終わったり、ポップでありながらも謎めいた展開を見せます。今回のアルバムのなかでもとりわけ異色な曲だと思うのですが、これはローレル・ヘイローの新機軸なのでしょうか? 以前からアフリカ音楽には興味があったのですか?

LH:そういうふうに聴こえたなんておもしろいね。だって私は1980年代の日本のシンセ・ポップやブギーからより影響を受けたように感じてるから。アフリカ音楽が好きかっていう質問はちょっと曖昧で漠然としてると思う。でも、アフリカの音楽もアフリカ系のアーティストが作った音楽もどっちも好きだよ。具体的には、ハウスとかテクノ、エレクトロ、ベース、UKファンキー、ゴム、フットワーク、ディスコ、レゲエ、ダブ、ダンスホール、ファンク、ソウル、ジャズ、ブルース、クラシカル、ミニマル、ラップ、ヒップホップ、ポップ・ミュージックとかね。

ちなみに、この曲のヴォーカル部分は何語なのでしょうか?

LH:バカ ジャ ナイ ノ…😉

アーティストが「進歩的な政見」をオンライン上のアイデンティティやブランドの一部として使うのはすごく皮肉なことだと思う。

“Arschkriecher”にはベーシック・チャンネル的なダブを思わせる部分があります。また、“Syzygy”や“Do U Ever Happen”はジャズの雰囲気をまといつつも、リズム&サウンドのようなエレクトロニックなレゲエ/ダブの要素が含まれています。あなたは『In Situ』でもダブ・テクノの要素を取り入れていましたが、かれらの音楽から受けた影響は大きいのでしょうか? かれらはテクノのミニマリズムとダブのミニマリズムを融合したイノヴェイターですが、あなたはその融合をいったん否定して解体しながらより高次のレヴェルでそれらを接続し直しているように思えます。あなたの試みはある種のアウフヘーベンなのでしょうか?

LH:アウフヘーベンってドイツ語にはいろいろ意味があるから、あなたがどういう意味で言ってるのかわかんないけど、リズム&サウンドやマーク・エルネスタス、レゲエ/ダブは私にインスピレイションを与え続けてきた。プロダクション・ヴァリューの点でも、サウンドにたっぷりとある土臭さという点でも、うわべがなめらかじゃないという点でも。ベースはメロディや土台だね。音楽やサウンドに呼吸をさせて、ゆがみや欠陥の余地を残して流していくんだ。

アルバムを最初に聴いたときは、細やかな音響やエフェクトの部分に耳が行ってしまったのですが、ベースもしっかりと鳴っていますよね。あなたの音楽にとってベースとはどのような意味を持つものでしょう?

LH:上の回答を読んで!

冒頭の2曲と5曲目の“Moontalk”はダンサブルなトラックですが、それ以外はすべてアブストラクトでエクスペリメンタルなトラックです。アルバムをこのような構成にした理由をお聞かせください。

LH:アルバムをこういうサウンドにするつもりはホントになかったの。このアルバムはいろんなスタイルやフロウを示唆してると思う。シンセ・ポップなアルバムを作る気はなかったな。まあ、そういうスタイルの曲がいくつか含まれてるけどね。

あなたの背景にはおそらくフリー・ジャズやデトロイト・テクノ、シンセ・ポップなどいろいろな音楽が横たわっているのだと思いますが、アルバムやEPを出すごとにその吸収のしかたや取り入れ方が変わっていっているように思います。それで私たちリスナーは戸惑い、あなたがいったい何者なのかということについて考えざるをえないのですが、ご自身としてはこれまでの歩みには一貫したものがあるとお考えでしょうか?

LH:それを決めるのはあなた次第ね!

昨年はUKで国民投票がありUSでは大統領選挙がありました。あなたは国民投票のときTwitterで残留に投票するよう呼びかけ、大統領選挙のときは「So American masculinity is that toxic」とツイートしていましたが、「善意」あるミュージシャンたち、良心的なアーティストたちが残留を訴えたりトランプを非難したり、そういう主張をすればするほど逆に、下層の人びと、貧しい人びとは反感を増していった、という話を聞いたことがあります。そのような時代に音楽にできることは何だと思いますか?

LH:私たちミュージシャンが意見を表に出すのは、もちろん大切なことだと思ってる。いろいろな統治機関のリーダーたちがとる方針には深い関心があるし、ネオリベラルな資本主義が多くの人たちを失望させたのは明らかでしょ。私のオーディエンスは少ないけど、自分ができる場所で自分の意見を言うつもり。あまりにも多くの面で音楽が商品化されてるから難しいけどね。それにアーティストが「進歩的な政見」をオンライン上のアイデンティティやブランドの一部として使うのはすごく皮肉なことだと思う。私は政治に関心があるし、下院議員に積極的にコンタクトをとるし、アメリカ自由人権協会(ACLU)やいろんなファンドに寄付をするし、私が関心のある問題を気にしていない友人や家族には意識を高めるように促している。でも、自分の人生をTwitterでつぶやくことには費やしてないし、自分の音楽には価値があると人に納得させるために自分の政見を利用するつもりもない。それに、こうしたミュージシャンたちのファンはすでに同じような政治的考えを持ってるでしょ。こんなふうにして音楽は腐敗の道具にもなりうるし、同時にただの目的にもなる。リスナーやファンがそれを見通して、正当な理由のために戦い続けるなら、それは私たち次第ってことね。私のオーディエンスは限られてるけど、つねに目を光らせて意識的でいることや意見を言うことは大切だ。アメリカの刑務所制度や性差別、環境問題といったことについてね。いまの時代、絶望せずに希望を失わないことは大切だと思う。

London Grammar - ele-king

 前回のレヴューで取り上げたムーンチャイルドは、女性シンガー1名、男性ミュージシャン2名という組み合わせだった。昔からこの編成のトリオは多く、UKでもワーキング・ウィーク、ヤング・ディサイプルズ、ポーティスヘッドなど、その時代時代でエポック・メイキングな活躍をしたアーティストにはこのパターンが多い。ハンナ・リード(ヴォーカル)、ダン・ロスマン(ギター)、ドット・メジャー(ドラムス)によるロンドン・グラマーも同じ3人組だ。グループ名どおりハンナとダンはロンドン生まれで、グラマー・スクールへ通っていたが、その後ノッティンガム大学に進学して、そこでドットと出会ってグループを結成したのが2010年。卒業後は2011年にロンドンへ出てきて、2012年末にYouTubeへアップした“ヘイ・ナウ”で一躍注目を集める。そして、“ウェスティング・マイ・ヤング・イヤーズ”、“ストロング”といったシングル曲が軒並みヒットする中、ディスクロージャーの楽曲“セトゥル”への参加を経て、2013年にファースト・アルバム『イフ・ユー・ウェイト』を発表。〈ミニストリー・オブ・サウンド〉傘下に自身の版権レーベルとして〈メタル&ダスト〉を立ち上げ、そこからリリースされた『イフ・ユー・ウェイト』は、『ガーディアン』、『NME』、『ピッチフォーク』など音楽誌やメディアでも高い評価を集め、UKアルバム・チャートでも初登場で第2位を獲得した。最終的に2014年度のトップ5のセールスを記録したこのアルバムは、UKのイヴォール・ノヴェロ・アワードなどの音楽賞を受賞している。

 女性シンガーを含む男女3人組の場合、その女性シンガーの歌声がグループの看板となることが多いのだが、ロンドン・グラマーの場合も同様にハンナの歌が売りで、彼女はアデルなどに続く逸材と目されている。英国のメディアが彼女のことを、フローレンス・ウェルチ(フローレンス・アンド・ザ・マシーン)、アニー・レノックス(ユーリズミックス)、ジュリー・クルーズなどと比較しているが、その憂いを帯びた美しくも力強い歌声は、R&Bシンガーやロック、またはポップ・シンガー的というより、どちらかと言えば英国のトラッドやフォークの系譜を受け継ぐ雰囲気を持っており、そうした意味でとても英国らしいシンガーである。そのハンナの歌を、ダンの哀愁に満ちたギター・サウンドがサポートするというのがロンドン・グラマーの音楽の核で、ドットのドラムはミドル~ダウンテンポ系のどっしりとしたビートを刻む。さらに重厚なピアノやストリングス、ブラス・サウンドが彩っており、アコースティックでフォーキーな質感の中にエレクトロニックな要素も忍ばせ、宇宙的とでも言うような広がりを感じさせるその音は、ゼロ7あたりを彷彿とさせるかもしれない。曲によってはダブステップやオルタナティヴR&B的なものもあるが、本質的には歴代の英国ロックの伝統に連なるダークでメランコリックな世界観を持つグループと言えるだろう。

 『イフ・ユー・ウェイト』から4年ぶりとなる新作『トゥルース・イズ・ア・ビューティフル・シング』も、基本は前作の路線を引き継ぐ作品集となっている。プロデューサーには、共にアデルを手掛けたポール・エプワースとグレッグ・カースティンのほか、ジョン・ホプキンスらが迎えられている。先行シングル“ルーティング・フォー・ユー”、続くシングル第2弾“ビッグ・ピクチャー”と、アルバム冒頭は美しいバラード系ナンバーにスポットが当てられている。第3弾シングルの表題曲も含め、これら静的で繊細なイメージの楽曲でのハンナの澄んだ歌声は本当に素晴らしい。一方、“ディファレント・ブリーズ”や“ノン・ビリーヴァー”といった比較的ビート感の強いナンバーにおいても、まずは彼女の歌の魅力をいかに引き出すかが、前作同様にアルバムの重点である。“ワイルド・アイド”や“ヘル・トゥ・ザ・ライアーズ”は、ややダブステップ的な味わいを持つ作品となっており、サブモーション・オーケストラあたりに通じるだろうか。ロンドン・グラマーの持ち味には、アコースティックな要素とエレクトリックな要素の調和もあり、それが発揮された好例だろう。また、サブモーション・オーケストラとの共通点では、教会音楽からの影響も挙げられる。まさに「チャーチ・ミックス」と題された“メイ・ザ・ベスト”、BBCのメイダ・ヴァレ・スタジオでのライヴ録音となる“ビター・スウィート・シンフォニー”に、それが見て取れる。そして、第4弾シングルの“オー・ウーマン・オー・マン”は、ゴスペル・ロック的な世界観とフォーキーなテイストが見事に結実した、アルバムのハイライト的なナンバー。反戦ソングの“リーヴ・ザ・ウォー・ウィズ・ミー”と共に、ロンドン・グラマーの強さが表われた曲だろう。強さと美しさが入り混じった“ホワット・ア・デイ”に見られるように、ロンドン・グラマーの魅力がさらにスケール・アップされたアルバムだ。

Chino Amobi - ele-king

 昨年『Airport Music For Black Folk』をリリースし話題となったチーノ・アモービが待望の初来日を果たす。OPNやアルカに続く逸材として注目を集め、「ブラック・エクスペリメンタル・ミュージックの真髄」とも呼ばれる彼女の音楽は、ディアスポラやジェンダーといったさまざまなテーマとも絡んでいる。クラブ・ミュージックの最新の動向を特集した紙版『ele-king vol.20』(まもなく刊行)でも取り上げているが、まずはこの特異な「ブラック・エレクトロニカ」の正体をあなた自身の耳で確認してほしい。チーノ・アモービ、重要。

Local 🌐 World II Chino Amobi
7/1 sat at WWW Lounge
OPEN / START 24:00
ADV ¥1,500 @RA | DOOR ¥2,000 | U25* ¥1,000

世界各地で沸き起こる新興アフロ・ディアスポラによる現代黙示録。OPN、ARCA、ポスト・インターネット以降の前衛電子アート&ファッションとしてダンス・ミュージックを解体するアフリカからのブラック・ホール〈NON Worldwide〉日本初上陸! ナイジェリアの血を引く主謀Chino Amobiを迎え、コンテンポラリーな先鋭電子/ダンス・アクトを探究する〔Local World〕第2弾が新スピーカーを常設したWWWラウンジにて開催。

LIVE/DJ:
Chino Amobi [NON Worldwide / from Richmond]
脳BRAIN
荒井優作

DJ:
S-LEE
min (The Chopstick Killahz) [南蛮渡来]

#Electronic #ClubArt
#Afro #Bass #Tribal

*25歳以下の方は当日料金の1,000円オフ。受付にて年齢の確認出来る写真付きのIDをご提示ください。
*1,000 yen off the door price for Under 25.
Please show your photo ID at door to prove your age.
※Over 20's only. Photo ID required.

https://www-shibuya.jp/schedule/007862.php


■〈NON Worldwide〉とは?

“アフリカのアーティストやアフリカン・ルーツを持つアーティストのコレクティヴ。サウンドを第一のメディアとしながら、社会の中でバイナリ(2つから成るもの)を作り出す、見えるものと見えないフレームワークを表現し、そのパワーを世界へと運ぶ。“NON”(「非」「不」「無」の意を表す接頭辞)の探求はレーベルの焦点に知性を与え、現代的な規準へ反するサウンドを創造する。”

USはアトランタ発祥のトラップと交わりながら、もはや定義不問な現代の“ベース・ミュージック”をブラック・ホールのように飲み込み解体しながら、OPN、ARCA、そして〈PAN〉といった時の前衛アーティストやレーベルや、USヒップホップを筆頭としたブラック・ミュージックとも共鳴する現行アフロの潮流から頭角を現し、ヨーロッパの主観で形成された既存の“アフロ”へと反する、アフリカンとアフロ・ディアスポラによる“NON=非”アフロ・エクスペリメンタル・コレクティブ〈NON Worldwide〉。その主謀でもあり、ナイジェリアの血を引くリッチモンドのChino Amobi(チーノ・アモービ)をゲストに迎え、第1回キングストンのEQUIKNOXXから半年ぶりに〔Local World〕が新スピーカーを常設した渋谷WWWのラウンジにて開催。

国内からは、DJライヴとして最もワイルドな東京随一のエクスペリメンタル・コラージュニスト脳BRAIN、アンビエントからヒップホップまでを横断する新世代の若手プロデューサー、某ラッパーとの共作発表も控える荒井優作(ex あらべえ)、DJにはアシッドを軸に多湿&多幸なフロアで東京地下を賑わせる若手最注目株S-Lee、Mars89とのデュオChopstick Killazや隔月パーティー〔南蛮渡来〕など、ベース・ミュージックを軸にグローバルなトライバル・ミュージックの探求する女子、Minが登場。

ポスト・インターネットを経由した音楽の多様性と同時代性が生み出す、前衛の電子音楽におけるアフロ及びブラック・ミュージックの最深化形態とも言えるChino Amobiの奇怪なサウンドスケープを起点に、DJをアートフォームとしたコラージュやダンス・ミュージックがローカルを通じ、コンテンポラリーなトライバリズムやエキゾチシズムが入り乱れる、前人未到のエクスペリメンタル・ナイト。

*ディアスポラ=人の離散や散住を意味する。現在は越境移動して世界各地に住む、他の人口集団についても使われている。撒種を意味するギリシャ語に由来するこの概念は、離散してはいても宗教、テクスト、文化によって結びつけられている。

アフリカン・ディアスポラの研究はアフリカ大陸の外で生きているアフリカ系の子孫のグローバルな歴史を強力に概念化している。それは、アフリカ系の子孫の数世紀にわたるさまざまなコミュニティを、ナショナルな境界線を横断して統一的に議論することを可能にする用語でもあると同時に、補囚、奴隷化、そして大西洋奴隷貿易につづく強制労働の歴史を取り戻す議論のための方法でもある。1500年から1900年までの間に、およそ400万人のアフリカ人奴隷がインド洋の島々のプランティーションに、800万人が地中海に、そして1100万人がアメリカスという「新世界」へと移送された。

Amehare's quotesより
https://amehare-quotes.blogspot.jp/2007/07/blog-post_09.html

■Chino Amobi (チーノ・アモービ) [NON Worldwide / from Richmond]

1984年生まれ、米アラバマ州タスカルーサ出身のプロデューサー。ヴァージニア州リッチモンド在住。当初はDiamond Black Hearted Boy名義で活動。ARCAも巣立ったNYのレーベル〈UNO〉からEP『Anya's Garden』で頭角を表し、新興のアフロ・オルタナティヴなコレクティブ〈NON Worldwide〉を南アフリカのAngel HoやベルギーのNkisiと2016年より始動、“NON=非”ヨーロッパ主義の*アフロ・ディアスポラを掲げ、コンテンポラリーな電子音楽やダンス・ミュージックとしてワールドワイドに相応しい世界的な評価を受ける。またLee Bannon(Ninja Tune)率いるDedekind CutやテキサスのRabit(Tri Angle / Halcyon Veil)の作品に参加するなど、アフリカン・ルーツを持つアーティストと活発的に共作を続け、Brian Enoの『Ambient 1 (Music For Airports)』も想起させるコンセプト・アルバム『Airport Music For Black Folk』(NON 2016 / P-Vine 2017)が大きな反響を呼び、最新作となる実質のデビュー・アルバムとなる『Paradiso』ではトランスジェンダーのアーティストとしても名高い電子音楽家Elysia Cramptonもゲストに迎え、サンプリングを主体にアメリカひいては現代社会の黙示録とも言える不気味なサウンドスケープを披露。

《国内リリース情報》※メーカー資料より

アルカ、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーに続く恐るべき才能! 西アフリカに位置するナイジェリアの血を引くエレクトロニック・ミュージック・シーンの新興勢力〈NON〉から、主宰者チーノ・アモービによる最狂にブっ飛んだエクスペリメンタル・アルバムが登場!

アルカもリリースする名レーベル〈UNO〉からのアルバム・リリースも決定したエレクトロニック・ミュージック界の要注意人物!! UKの名門レーベル〈Ninja Tune〉を拠点に活動を続けるリー・バノン率いるユニット、デーデキント・カットのリリースや、躍進を続けるプロデューサー、エンジェル・ホーなども在籍するアフリカン・アーティストによる要注意な共同体レーベル〈NON〉。そのレーベルの主宰者の一人として早耳の間では既に大きな話題を呼んでいるアーティスト、チーノ・アモービが昨年デジタルのみでリリースしていた噂のアルバムが、ボーナス・トラックを加えて念願の世界初CD化! アンビエント・ミュージックの先駆者、ブライアン・イーノの名作『Ambient 1: Music For Airports』の世界観を継承しつつも、アルカ、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーにも匹敵するアヴァンギャルドさを加えた唯一無二のサウンドが生成された本作。ブラック・エクスペリメンタル・ミュージックの真髄を見せつけてくれる圧巻の内容です。

https://soundcloud.com/chinoamobi/sets/airport-music-for-black-folk

主催:WWW
協力:P-Vine

https://twitter.com/WWW_shibuya
https://www.facebook.com/WWWshibuya


■リリース情報

アーティスト:Chino Amobi / チーノ・アモービ
タイトル:Airport Music For Black Folk / エアポート・ミュージック・フォー・ブラック・フォーク
発売日:2017/04/05
品番:PCD-24604
定価:¥2,400+税
解説:高橋勇人
※ボーナス・トラック収録 ※世界初CD化

https://p-vine.jp/music/pcd-24604

interview with Dub Squad - ele-king

僕らはメンバーの3人で完結しているわけじゃなくて、ライヴの場に来ている人たちとの関連性みたいなものがすごく大きいし、そこを含めて活動してきているんですよ。だから、あらかじめ自分たちで「こういうことをやっていこう」というのはあえて決めないというか。「場」から受けるフィードバックってすごく大きいからね。(益子)


DUB SQUAD
MIRAGE

U/M/A/A Inc.

BreakbeatDubTechno

Amazon Tower HMV iTunes

 16年――そのあいだに僕たちは、オリンピックと大統領選挙を4度迎えることができる。無垢な赤子は生意気な高校生へと転生し、生意気な高校生はくたびれた労働者へと変貌する。前作『Versus』のリリースから16年。90年代にパーティの現場から登場してきたバンド=DUB SQUADが、そのあまりにも長い沈黙を破り、2017年の「いま」新たなアルバムを発表したことは非常に感慨深い。
 最近ジャングルが盛り上がっていることは『ele-king』でもたびたびお伝えしているが、その流れで思い浮かべるのがゾンビーである。彼が2008年にアクトレスのレーベルから放ったファースト・アルバムのタイトルは『Where Were U In '92?』、つまり「92年にお前はどこにいた?」だった。まさにその92年に渡英し、かの地でレイヴの現場を目撃したのが中西宏司と益子樹である。その光景に衝撃を受けたふたりは、帰国後、山本太郎を誘ってDUB SQUADを結成する。しかし、ではいったいレイヴの何がかれらを駆り立てたのか? 92年の何がそれほど衝撃的だったのか? そしてそのとき日本はどのような状況だったのか? DUB SQUADの3人は以下のインタヴューにおいてさまざまな体験を語ってくれているが、これは、リアルタイムでレイヴを目の当たりにすることのできなかった世代にとってはかなり貴重な証言だろう。
 件のゾンビーも92年には間に合わなかった世代である。彼は『Where Were U In '92?』を「その時代に対するラヴレター」だと発言しているが、当時のハードコア/プロト・ジャングルを直接体験することのできなかった若者が、そのエナジーを空想しそれをダブステップ以降の文脈へ落とし込むことによって、2010年代の音楽シーンにオルタナティヴな選択肢をもたらしたことは、いわゆる「創造的な誤読」の好例と言っていいだろう。その時代を体験していないからこそ生み出すことのできるサウンドというものもある。だから、そういった誤読の流れともリンクするような形で「いま」オリジナル・レイヴ世代のDUB SQUADが活動を再開したことは、きっと音楽シーン全体にとっても良き影響を及ぼすに違いない。
 ダブ/アンビエントなムードが途中でブレイクビーツ/デジタル・ロックへと切り替わる“Exopon”や、ギャラクシー・2・ギャラクシーのフュージョン・サウンドを想起させる“Star Position”のように、今回リリースされた『MIRAGE』は、けっしてリラックスしすぎることもなく、かといってハイ・テンションになりすぎることもない。この絶妙な匙加減こそが『MIRAGE』というアルバムの間口を大きく広げている。『MIRAGE』は、もともと彼らのことを知っている世代にだけでなく、もっと若い人たちにも積極的にアピールする何かを持っている。たぶん、こういう懐の深さのことを「歓待」と呼ぶのだろう。それは、これまで「場」との交流を音楽制作の大きな動機としてきたかれらだからこそ鳴らすことのできるサウンドなのだ。このアルバムを聴いた若者たちがいったいどんな反応を示すのか、そしてそれがどのような形でDUB SQUADへとフィードバックされるのか。いまからもう楽しみでしかたがない。


1996年、フリーズハウス/アムステルダム、オランダ

バンドだと、演奏者とお客さんというすごくはっきりした境界線がありますが、レイヴはそうじゃなくて、「場」というか、オーガナイズする側もお客さんたちも両方楽しむというか、ある意味ではすごくシンプルなことをみんなが力を合わせてやっている (益子)

DUB SQUADを結成されるまでは、それぞれどんな活動をされていたのですか?

中西宏司(以下、中西):僕はいわゆるインストのレゲエ/ダブ・バンドをやっていました。キーボード担当。でもライヴハウスで何回かやったという程度で、まあアマチュアですね。まだダブ処理とかを自分たちでできる状況ではなかったので、インストでレゲエをやっているみたいな状態でした。メロでピアニカ吹いたりしていましたよ。1990年前後かな。

益子樹(以下、益子):僕はすごく雑食なんで、いろんなバンドをやっていました。ロック・バンドもあればファンク・バンドもあって、ノイズのバンドもあったし、けっこうな数をやっていたと思う。音楽って、ちょっと日常とは違う何かがありますよね。そういうフッとテンションの上がるものだったらなんでもやりたいと思っていました。基本的にはギターで、あとはシンセも持っていたからそっちもやったり。でもまだそのときは、いまでいうクラブ・ミュージックにハマっていたわけではなくて、ふつうのバンド・キッズですよ。

山本太郎(以下、山本):僕はロック・バンドでベースを弾いていましたね。ただ、新しい音楽が好きでいろいろ聴いてはいたので、91年にジ・オーブのファースト・アルバムが出たときに「これはおもしろい」と思って。それで打ち込みに興味を持って、シーケンサーとかを買ったんです。バンドをやりながらそういうものにも興味が出てきた、というのがDUB SQUAD結成前ですね。

その後93年にDUB SQUADを結成されるのですよね。そこにいたるには、中西さんと益子さんがUKに行かれた経験が大きかったとお聞きしています。

益子:当時代々木に「チョコレート・シティ」というライヴハウスがあって、そこで、いまROVOを一緒にやっている勝井(祐二)さんや、ベーシストのヒゴヒロシさん(ミラーズ、チャンス・オペレーションなどに在籍)、それからDJ FORCEといった面々が「ウォーター」というハードコア/ブレイクビーツ・テクノのパーティをやっていたんです。ロンドンにヒゴさんの古い知り合いのカムラ・アツコさんという女性がいて、この方は当時フランク・チキンズというバンドにいて、その昔は水玉消防団というバンドにもいた人なんですけどね。そのカムラさんから「いまロンドンでおもしろいことが起きているから、一緒に行こうよ」と誘われて、ヒゴさんたちがレイヴ・パーティに行った。それで彼らはカルチャーショックを受けたんだと思いますが、日本へ戻ってきてから「ウォーター」を始めるんですね。そこに僕や中西君も遊びに行っていて、これはおもしろいなあと。それで、たしか92年の夏にカムラさんが日本に帰ってきていて、「ロンドンに遊びにいらっしゃいよ」と言われて。それで僕もイギリスに行って、いくつかレイヴ・パーティを体験して、本当にカルチャーショックを受けたというか。バンドだと、演奏者とお客さんというすごくはっきりした境界線がありますが、レイヴはそうじゃなくて、「場」というか、オーガナイズする側もお客さんたちも両方楽しむというか、ある意味ではすごくシンプルなことをみんなが力を合わせてやっているということ、あともちろんその場所で聴いた音の気持ち良さがものすごく大きな衝撃だったんですね。それで、僕が帰ってきてから半年後くらいに中西君もカムラさんのところに行って。

中西:そのときはまだ面識はなかったけどね。

益子:同じライヴハウスに出ていたり、リハで使っているスタジオが一緒だったりしたんですよ。もっと言うと3人とも一緒だった。世代も近いし、なんとなく友だちになって「じゃあなんか一緒にやろうか」というところから、いまのDUB SQUADが始まる感じです。

中西:何かのパーティに行ったときに益子君と話して、「僕もロンドンに行ってきたんだよ」という話になって。それで「何かやろうか」みたいな話になったんです。「ウォーター」だったかな。

おふたりがUKで体験されたレイヴはハードコアやブレイクビーツのパーティだったということですが、ジャングルもかかっていたんですか?

益子:そのときはまだジャングルはなくて、後にそこから派生した感じです。まだドラムンベースという言葉もなかった頃ですね。

中西:僕はその2年くらい後にまたUKに行ってるんですよ。そのときはもうジャングルになっている時期で、だいぶん雰囲気も変わっていて、それはそれで興味深かった。僕は、レイヴ的なハードコアが研ぎ澄まされて、いろいろなものを抜いていってダブになったものがジャングルとドラムンベースだというふうに思っているので、「こういうふうに変わっていっているんだ」と思った記憶がありますね。

「3人で何かを始めてみよう」となったときに、バンドという形態になったのはなぜなのでしょう? 先ほどお話に出たジ・オーブのように、向こうだとDJ/プロデューサーのユニットの形態が多いですよね。

益子:「バンドをやろう」とか「バンドじゃないものをやろう」とかそういうはっきりした意識があったわけじゃなくて、自分たちの出せる音を鳴らしていたら必然的にこういう形になったというか。一緒にやることになったときに、中西君はキーボードを弾きつつもベースが好きだったから、彼がベースを弾いて、僕はリズムマシンでちょっとしたドラム・パターンを流して、それをリアルタイムでダブ処理して遊んでいるような状態からスタートしたんです。

中西:ドラムとベースしかない(笑)。それでシーケンサーがないから、シーケンサーを持ってるやつを呼ぼう、ということになって。

益子:上モノがないわけ。それでも楽しくやっているんだけど、もうちょっと音楽的に充実させたいなと考えたときにフッと「そういえばタロちゃんがシーケンサー持ってたな」と思い出して(笑)。

山本:持っていたという(笑)。でも当時、僕はハードコアもダブもそんなによく知らなくて。「とりあえず遊びに来い」みたいな感じで誘われたので、行ってみたらふたりがそういうことをやっていて。これはどうすればいいんだろう、みたいな感じで(笑)。

中西:キョトンとしてたよね(笑)。

益子:でも「ジ・オーブとか好きなんだよねえ」とか言って(笑)。

山本:そうそう(笑)。当時はサンプラーも高価でなかなか個人では買えない値段だったんですけど、たまたまスタジオに古いサンプラーがあって。「じゃあサンプリングしてみよう」と(笑)。でもサンプラーなんていじったことなかったから、MIDIでノートの割り当てするとかもわからなくて、ひたすらプレイ・ボタンを押すだけとかで(笑)。そういうところから始まっているんですよね。

ちなみに益子さんと中西さんがUKに行かれたときは、のちのDUB SQUADのようなバンド・スタイルの人たちはいたのですか?

益子:それはなかったですね。僕が行ったときにはライヴはいっさいなかったと思う。DJと、あと謎のパフォーマンスをしている人はいたけど(笑)。楽器を持って演奏している人たちには遭遇したことはなかった。

中西:匿名性のある場だったから、なんだかわからないけどフライヤーを頼りにして、このDJの名前が載っているからまた行ってみよう、みたいな状態でしたね。

いまみたいにライトが当たっていたりするわけではなかった、ということですよね。

益子:そこがまさにおもしろかったところで。かれらはスポーツ・センターとかを借りてレイヴ・パーティをやっているんですが、たしかにスピーカーの向いている方向とかはある。けれどお客さんたちが誰も一方向を向いていないんですよ。もう好き勝手にいろんな方向を向いていて、それぞれに楽しく踊っているのね。DJがどこにいるのかもわからないし、何かに向かうというような感じではなかった。

中西:少なくともDJを見ようとする人はいなかったですよね。

益子:いないね。それはすごく新鮮な出来事で、バンドという形だと、観られる対象と観る人たちがいるわけで、自分もそれまでバンドをやっていたんだけど、観られる対象であることについてはあまり考えたことがなかったから、レイヴを体験してこういうやり方があるんだとわかって、少し楽になったところはあります。

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1996年、マッツォ/アムステルダム、オランダ

バンドという形だと、観られる対象と観る人たちがいるわけで、自分もそれまでバンドをやっていたんだけど、観られる対象であることについてはあまり考えたことがなかったから、レイヴを体験してこういうやり方があるんだとわかって、少し楽になったところはあります。 (益子)

そういうハードコアのパーティに刺戟されてDUB SQUADが始動したわけですが、最初に出たアルバムは『Dub In Ambient』(1996年)ですよね。そのときダブとアンビエントをやろうと思ったのはなぜだったのでしょう?

益子:体験したレイヴ・カルチャーをそのまんまやろう、という発想が僕らにはなくて。僕と中西君にはそういう共通体験があったわけだけど、あくまでその「感覚」で、何か一緒にできないか、というシンプルな気持ちでした。互いにしっくりくることができたらいいなと。で、音を出してみたら結果的にそういうものだったという。

他方、当時はリスニング・テクノやベッドルーム・テクノみたいなものも出てきていたと思うのですが、そっち方面から影響されることはありましたか?

益子:いや、俺はあんまり聴いてなかったなあ。

山本:俺はちょいちょい聴いていたかな。ブラック・ドッグとかは好きでしたよ。

益子:俺はジ・オーブくらいかなあ。なんか聴いたっけなあ。

中西:エイフェックス・ツインのアンビエント(『Selected Ambient Works Volume II』)は好きだったけど。

益子:俺はエイフェックス・ツインってあんまり聴いたことないんだよな(笑)。いまだによくわかんない(笑)。

山本:俺もアンビエントのやつしかそんなに好きじゃない。

益子:あとはロッカーズ・ハイファイだね。

山本:あれね(笑)。ロッカーズ・ハイファイはもしかしたら影響を受けたって言えるかも。

益子:『Ambient Dub』というコンピレーションがあって。あれは中西君が買ったんだっけ? それは俺らとやっていることがすごく近いなと思った。全曲じゃないんだけど、一部ね。そのなかにすごく共感できる人たちがいて、それがオリジナル・ロッカーズで、その後ロッカーズ・ハイファイに名前が変わるんだけど。それはよく聴いていたかなあ。

山本:たしかバーミンガムの人たちだよね。

中西:それは3人ともおもしろいと思って聴いていて。たしかにそういうアンビエント・ダブ/テクノ/ハウスというか、そういうコンピレーションを聴いてはいたよね。何枚かいいのがあって。共感ではないけど、似たようなことやっているのかなと思ったり。でもべつにそういうものがあるからそういうことをやろうと思っていたわけではなく。

DUB SQUADを始めた頃は、クラブでライヴをやっていたのでしょうか?

山本:当時はなかなかクラブもなくて。

益子:いちばん最初って「チョコレート・シティ」かな?

山本:最初はそうじゃないかな。

益子:ライヴがやれるとしたらライヴハウスだったからそこでやってみたんですけど、さっき言ったような「観る/観られる」の関係がやっぱり違うなと感じて。その後はたしか「キー・エナジー」だよね? 当時大きいパーティだとセカンド・フロアみたいなチルアウト・ルームを持っていたので、そういうライヴ・アクトが出られるパーティにアプローチをして、やらしてもらっていましたね。

山本:93年頃はエレクトロニック・ミュージックの音がかかっているクラブもまだそんなになくて。「マニアック・ラヴ」のオープンが93年頃だったと思うんですけど、それより前からあったクラブにテープを持っていってもあんまり聴いてもらえなかった。じゃあパーティをやっているオーガナイザーに渡そうみたいな感じで。当時「キー・エナジー」というわりと大きなパーティがあって、そこのメイン・フロアはトランスっぽい音がかかっていたと思うんですが、そのチルアウト・ルームの方に出たりしたのがクラブ・シーンに入っていく最初のところかなと思います。『Dub In Ambient』の頃はメイン・フロアじゃなくてチルアウト・ルームでやっていたんです。その曲調で踊りたい人は踊るし、寝転がって聴いている人もいるし、みんな自由にやっていて、こっちとしてもすごくやりやすい環境がありました。

益子:いわゆるド・アンビエントじゃないもんね。

僕は『Versus』からDUB SQUADに入ったので、最初の2枚は遡って聴いたのですが、セカンドの『Enemy? Or Friend!?』(1998年)になると、僕の知っているDUB SQUADだなという感じがするんですよね。

山本:『Versus ‎』と繋がっている感じですよね。

益子:それは、96年にもうひとつ、僕らにとっての大きな転機があったんです。「アンビエント・ウェブ」というイベントを東京や茅ヶ崎でやっていたヤックというDJがいて、彼はアムステルダムのクリエイターとコネクションがあったので、96年の夏、ちょうど僕らがファーストを出す頃に「アムステルダムにライヴしに行かないか」と誘ってくれたんですね。「ブッキングとか大丈夫なの?」って訊いたら「ひとつは確実にとれる」と(笑)。で、1回ライヴをやればきっと地元のオーガナイザーが観てくれているから、次のライヴも決められるだろうと言われて。

山本:行ったらなんとかなるよって。

益子:そうそう。そのひとつだけブッキングがとれているというパーティが、地元の若い連中がスクウォットして運営しているところだったんです。

山本:もともとアメリカの食品倉庫だったところを不法占拠してやっているところで。

益子:そこをクラブとスケート・パークとギャラリーにしていて……

中西:あとレストラン(笑)。

益子:そこでライヴをやることになったんですが、その会場はワンフロアしかなかったんですよ。つまりメインのフロアしかない。だから、踊りたい人たちばかりが来ているわけで、そこで僕らがライヴを始めると、ファーストの音を聴いたらわかるように当時の僕らの音楽はBPMもすごくゆっくりしているし、激しく踊るような音楽じゃなかったから、お客さんがライヴ中に話しかけてくるんですよ(笑)。「もっと速い曲ないの?」って(笑)。

中西:「ブレイクが長すぎる!」とかね(笑)。

益子:それは雰囲気を見ていてもわかるから、僕らも「参ったな」と思っていて。「僕らが用意しているのはこういう曲しかないけれど、僕らの後のDJが速いのかけるからちょっと待っててよ」とか言ったりしながら(笑)。

中西:女の子に呼ばれてワクワクして行ったら、「なんであんなにブレイクが長いの!?」って怒られるという(笑)。

益子:僕らは来た人たちを楽しませたいという気持ちが強いから、踊りたい人は踊らせないといけないなと。その方がお互いに楽しいし。だからその1回めのライヴが終わった後にすぐ次のライヴに備えるための曲作りに入って。

中西:次のブッキングが決まったから、急遽その倉庫の部屋を借りて、持ち込んでいた機材を使って曲を作ったんだよね。

益子:そうそう。1回めのライヴは港の倉庫だったんだけど、次のライヴは街なかの「マッツォ」というクラブで、これはちゃんと踊らせないと白けるぞと(笑)。

山本:当時のアムステルダムではいちばんメジャーなクラブだと説明されて、それはヤバいなと(笑)。

中西:オシャレというか、ちゃんとしたクラブでね。

益子:それで、メイン・フロアで自分たちとお客さんとお互いに楽しむための音というのはなんだろう、というのを考えはじめたところでちょっと意識が変わったというか。東京に戻ってきてからもその延長線上でどんどん曲を作っていって、それが『Enemy? Or Friend!?』に結びついていくんですね。

山本:ちょうど『Enemy? Or Friend!?』が出る90年代後半くらいから、クラブのパーティでライヴをやるということがそんなに特殊じゃなくなっていったと思うんですよ。僕らもDJの間に挟まって踊れる曲をプレイするというのが、その頃からだんだんふつうのことになっていった。

中西:その場に応じて試してみたことでオーディエンスが踊ってくれたから、今度はそれをフィードバックして新たに曲を作る、というふうに「場」と曲作りが呼応していったというか。

山本:それで思い出したんですけど、「リターン・トゥ・ザ・ソース」というサイケデリック・トランスがメインのパーティがあって。TSUYOSHIさんがやっていたのかな。そのオープニングでライヴをやってくれという話があって。会場は山の中だったから、のんびりした感じでパーティを温めるように始めるのがいいよねって心づもりで行ったんです。そしたらこれがけっこうな大雨だったんですよ。で、大雨なのに、もう踊る気満々のやつしかいなくて(笑)。このクソ雨のなかよく集まるなってくらいフロアに人がいて。それで僕らがふわ~っとした感じで1曲めを始めたら、ピリッとした空気になって(笑)。

(一同笑)

益子:やってるのに「早くやれ」って言われそうな(笑)。いや、もう始まってるんだけど、と(笑)。あのときの1曲目はド・アンビエントだったよね。失敗したなと思いつつも、それはそれでおもしろいかなという気持ちもあったり。

山本:あれはいい体験になった。

中西:「アチャー」感があったね。

山本:そういう「場」とのフィードバックのなかで、「じゃあ今度はこういうのをやったらいいんじゃない?」みたいなことが積み重なっていったんです。

僕らは来た人たちを楽しませたいという気持ちが強いから、踊りたい人は踊らせないといけないなと。その方がお互いに楽しいし。 (益子)

その次に出るのが『Versus』(2001年)ですが、あのアルバムもそういう「場」とのやりとりのなかから生み出されていったものだったのでしょうか?

益子:90年代の半ばから97~8年あたりまでは、クラブとか野外レイヴ・パーティとか、いわゆるクラブ・ミュージックの延長にある場でやることが多かったけど、だんだんそれ以外にもロック系のフェスとか、そういう場に呼ばれたりすることが増えていって。そうすると、それぞれの場に対応していくことになるから、そういう過程で曲も少しずつ変わっていったとは思うんですよね。

中西:音も詰まっているしね。すごく圧が強いというか、とにかく高エネルギーな感じだよね。

山本:90年代後半~2000年代初頭の頃には、クラブ・ミュージックが細分化していって、ある程度決まったパターンみたいなものができ上がっていたと思うんですよ。たとえばドラムンベースならこういう感じ、ビッグ・ビートならこういう感じ、というふうに。でも僕らはテクノのパーティにもトランスのパーティにも出るし、フェスにも出るしで、そういう特定のパターンにハマらないようにやっていたから、その結果がああいう感じになったというのはあるかもしれないですね。

益子:たぶん、ライヴの場で僕らに求められることが変化していったというのが大きいと思うんですよ。「テンションが上がる」とか「盛り上がる」といったことを求められるような場が増えたから、中西君が言った「高エネルギー」っていうのはそれが反映された結果なのかもしれない。僕らのことを認識している人たちが増えると、それまでのDUB SQUADで盛り上がった記憶を持っているお客さんも増えるから、その「盛り上がるんだよね?」っていう期待に応えなくちゃというような強迫観念があって。

山本:ははは(笑)。

益子:そういうのに必死になっていたのかもしれない。

中西:いま思えばね。べつにそれが辛いと思ってやっていたわけではないし、むしろ楽しいんだけど、たしかにそういう側面はあったかもしれないね。

益子:だから、どれだけ曲にエネルギーを込められるかとか、どれだけ僕らの音からそういう過剰なものを感じてもらえるかということを意識してはいたと思う。

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僕たちはたとえばサイケデリック・トランスを好んで聴いていたわけではないけど、そのパーティに来るゴリゴリのサイケっぽい人たちがフッとチルアウト・ルームに立ち寄って僕たちの音楽を聴いたときにどんな反応をするのか、というのをおもしろいと思っていて。 (中西)

なるほど。そのように『Versus』の頃にはすでにDUB SQUADのことを知ってライヴに来る人が増えたり、あるいは僕が地方で『Versus』を手に取ったように、どんどん知名度が上がっていったと思うのですが、まさにそこからDUB SQUADは沈黙に入るという……

(一同笑)

益子:そうなんですよ。いま振り返ると、たぶん一度リセットしたくなっちゃったんだと思うんですよね。もう詰め込むだけ詰め込んでしまったから……

中西:次は何に手をつけたらいいのかということを考えた時期でしたね。

益子:手を打つとしたら次は何か、というのが見えない状態に入ってしまったんだと思います。

中西:そうですね。3人に共通している意識として、それまでわかりやすく「これ!」というのからはちょっと外したようなものをやってきていたつもりがあって。でもその外しようがなくなったというか。

益子:下手したら外しているんじゃなくて、メインのものになりすぎちゃうっていうか。そういう恐れみたいなものがあったのかもしれないですね。当時それを意識していたわけじゃないけど、いまこうやって振り返ってみると僕らはたぶんカウンターでありたかったんだと。でもカウンターというのは、そもそもメインのものがあって初めて成り立つわけだから、そのカウンターになるためのメインがないという。

山本:メインがなんなのか、わからなくなるという。

中西:話が戻っちゃうんですが、僕たちはたとえばサイケデリック・トランスを好んで聴いていたわけではないけど、そのパーティに来るゴリゴリのサイケっぽい人たちがフッとチルアウト・ルームに立ち寄って僕たちの音楽を聴いたときにどんな反応をするのか、というのをおもしろいと思っていて。あっちはあっちで「こんなのあるの!?」って思うし、こっちはこっちで「こんなお客さんもいるんだ」みたいな(笑)。

(一同笑)

山本:なんて格好してるんだ、お前ら、みたいな(笑)。

中西:そういう相互作用みたいなものを僕らは場に求めちゃうというか。

そういうことが薄れていったということでしょうか。

益子:クラブ・シーンみたいなものがある程度でき上がってしまって、パーティもそうだけど、2000年代初頭から半ばにかけては新鮮さがちょっとなくなっちゃった頃だと思うんですよ。

山本:バンドで踊るということも当たり前になってきた頃だと思うんですよね。そういう踊らせることができるいいバンドが他にもたくさん出てきて。それで、「あのバンドは踊れるよね」と期待して来るお客さんがいることが当たり前になってきた、というのはあったかもしれないですね。

1999年、〈RAINBOW 2000〉/白山、石川

その後、益子さんはエンジニアリングなどの仕事でよくお名前を拝見していたのですが、中西さんと山本さんはDUB SQUADが休止されているあいだ、どんな活動をされていたのですか?

山本:僕たちはふつうに仕事をしたりしていました。僕はDJもやっていたので、自分でパーティをやったりはし続けていましたけど。

益子:中西君は、DUB SQUADと並行して僕がやっているROVOというバンドに、一時期だけど参加してくれていたことがあって。『Versus』が出た後、2001~04年くらいだっけ。

中西:DUB SQUADのメンバーとも完全に会わなくなったわけではなくて。たまに会ってセッションしていた時期もあるし、今回のアルバムも、何年か前にやっていたセッションからでき上がったものも多いんで。そのあいだにライヴもやってきているし、まるまる16年何もしていなかったというわけではないです。

ライヴは2011年から再開されているという話を聞きました。ちょうど『Versus』から10年くらいですよね。そのときはどういう経緯で再開されたのですか?

山本:「METAMORPHOSE」に「ちょっとまたやろうと思ってる」という話をしたら、「それなら、出ない?」と誘われて。よし、じゃあそこで再開しようと思って準備を始めたんだけど、台風で「METAMORPHOSE」がなくなっちゃったんですよ。ただ、それに向けてもう活動を始めてはいたので、その後何本かはライヴをやっています。それで曲もある程度できたからレコーディングしようという話になったんですが、そこからけっこうかかっちゃいましたね(笑)。3年くらいかな。


2000年、“3D 10周年時〈WATER〉フライヤー” 王子、東京

今回のアルバムがどういうふうに受け取られて、どんな反応が返ってくるのかというのが僕は楽しみで。たとえばそれこそEDMフェスみたいなものは昔はなかったから、ああいう場で楽しんでいる若い子たちの耳に入ったらどういうふうに聴こえるのかなとか、興味がありますね。 (山本)

今回新作をレコーディングすることになった際、先ほど仰っていた「メインに対するカウンター」というか、新たな外し方みたいなものはあったのでしょうか?

益子:いや、当時はそういう感覚でいたと思うし、さっき言ったみたいに止まっちゃったというのもそういうことだったと思うけど、そこからだいぶ時間も経っているし、だからべつに何かに対峙するということじゃなくて、自分たちがいま素直に気持ちいいと思えることをまとめたのが今回のアルバムですね。そういう意味では、ファースト・アルバムの『Dub In Ambient』とすごく近いかもしれない。

中西:もうある程度リセットできたという気持ちはあります。だから初期の頃のような気持ちでまた曲作りに取り組めたかな。こんなふうに言うと、以前はすごく追い立てられていたみたいな感じだけど、それほど売れているバンドでもないから(笑)。でも話にするとそうなっちゃうよね(笑)。まあ流れとしてはそんな感じで、『Versus』で飽和して、一度リセットしてという。

益子:まあ、長いブレイクだったよね。

中西:得意のね(笑)。で、やっぱり今回はアンビエントっぽい要素が増えているし、そういうのもリセットしたかった気持ちの表れなのかな。

今回、16年ぶりの新作『MIRAGE』を聴かせていただいて、この言葉が適切かどうかはわからないですが、『Versus』などに比べると少しポップになった印象を抱きました。間口が広くなったと言いますか、たとえばクラブ・ミュージックを聴きはじめたばかりの人でもすんなり入っていけるような。その辺りは意識されたのでしょうか?

益子:まったく意識してないね。

山本:でも『Versus』よりは音がシンプルになりましたよね。

益子:クラブ・ミュージックって何か規定があるわけじゃないし、結局いまどういうスタイルが多く機能しているか、という話だから。そこに対しての意識というのは特にないなあ。でも、細かい部分では逆の意識はあったかな。いま使われているようなリズムとか、ドラムマシンの加工された音を使うのはあえてやめようということは思っていたけど。

山本:いまトレンドの音楽ってすごく作り込まれているし、若いクリエイターたちは凝った作り方をしていると思うんですが、DUB SQUADは基本的に使っている機材も昔と変わっていないんです。いまも『Versus』を作っていた頃とほとんど同じ。バンド名に「ダブ」という言葉が入っているように、出ている音にエフェクトをかけて変えるとか、そういう手法が原点なので。

益子:そうだね。「なぜバンドという形になったか」という質問のときに答えるべきだったけど、僕らは昔もいまも曲作りという制作作業のなかでパソコンを使うことがないんですよ。もちろん人によって作り方はいろいろだろうけど、おそらく多くの人たちがDAWとか、90年代だったらLogicとかソフトウェア・シーケンサーというものを使って作っていたと思う。僕らはそういう作り方をずーっとしていなくて。その理由は、ひとつのものを3人でああだこうだ言いながらいじくるのは大変じゃないですか。

なるほど(笑)。

益子:あれはひとりで制作するのに向いている作り方だと思う。複数の人間、なおかつバンドをやっていた人間にとっては、1回ずつ音を止めなきゃいけなかったりとか、何かするたびに待ち時間があったりするというのはすごくまどろっこしいんですよ。だから基本的には押したらすぐ音が出る楽器であったり、ハードウェアのサンプラーだったり、そういうものを使って作るほうが自分たちにとってすごく合っていた。それで、昔からぜんぜん機材が変わっていなくて。もちろんマイナーチェンジはあるんだけど、メインの機材はほぼ同じですね。

中西:僕の場合はさらに劣化して、シーケンサーを使わずやっていて。

(一同笑)

山本:劣化というか退化だね(笑)。

益子:手で弾いているよね。

中西:手で弾いてる。最初にセッションで始めた頃のことを、ただそのままやっているという。だから「ポップ」という感想は意外でした。意識はしていないので。

益子:もちろん奇をてらって変なものを作ろうなんて思っていないけど、何か選択をするときに「受け入れられやすいように」という気持ちで選択することもあまりないというか。たんにそれがおもしろいかおもしろくないか、というところでしか選んできていないから。

中西:そうだね。でも「間口が広い」と思ってもらえたのはいいことだよね。

益子:いいことだよね。よかったね。

中西:僕らのなかでの「これはいいでしょ!」という展開とか、「これはさすがに無理でしょ」みたいなものというのは、たぶん誰にも共感してもらえないなと。そういう暗黙のルールみたいなものがあって(笑)。

今回のアルバムは16年ぶりのリリースでしたが、これからもDUB SQUADとしてまだまだ出していきたいと考えていらっしゃるのでしょうか?

益子:うーん、特に何も考えてないな。でもこれで終わりにしようとかそういうつもりはまったくなくて、何か次に残したいと思えるようなものが貯まってきて、いいタイミングが来たらまたアルバムを出したいと思います。僕らは「契約があって、何年のうちに何枚かを出さなきゃいけない」というのではぜんぜんないから。

山本:あと、今回のアルバムがどういうふうに受け取られて、どんな反応が返ってくるのかというのが僕は楽しみで。長らく音楽シーンから離れていたということもあるし、僕たちが休止した頃といまとではシーンの状況もぜんぜん違うと思うので。たとえばそれこそEDMフェスみたいなものは昔はなかったから、ああいう場で楽しんでいる若い子たちの耳に入ったらどういうふうに聴こえるのかなとか、興味がありますね。聴いてくれるかわかんないですけど(笑)。

そういうポテンシャルのあるアルバムだと思います。

中西:またそういう反応で僕らの方向性がどういうふうになるのかというのも変わってくるんじゃないかな。もうド・アンビエントの作品しか出さなくなる可能性もあるし(笑)。

(一同笑)

山本:それがおもしろいと思えばそうなるかもしれない。

益子:本当に「場」というか、いまはライヴの本数は少ないけれど、僕らはメンバーの3人で完結しているわけじゃなくて、ライヴの場に来ている人たちとの関連性みたいなものがすごく大きいし、そこを含めて活動してきているんですよ。だから、あらかじめ自分たちで「こういうことをやっていこう」というのはあえて決めないというか。「場」から受けるフィードバックってすごく大きいからね。

DUB SQUADライヴ情報

R N S Tアルバム リリース パーティ「REMINISCENT」
日時:2017.07.08(土)OPEN 18:00 CLOSE22:00
料金:¥3000 (+¥600 drink charge) W/F ¥2500 (+¥600 drink charge)
会場:Contact

FUJI ROCK FESTIVAL ’17 “INAI INAI BAR” produced by ALL NIGHT FUJI
ステージ:Café de Paris
日程:2017.07.28(金)
会場:新潟県湯沢町苗場スキー場

詳細:https://dub-squad.net/

Second Woman - ele-king

 2017年、セコンド・ウーマンの新作『S/W』が〈エディションズ・メゴ〉傘下の〈スペクトラム・スプールス〉よりリリースされた。〈スペクトラム・スプールス〉は、元エメラルズのジョン・エリオットが主宰するレーベルで、イヴ・ド・メイ、コンテナ、ニール、ドナート・ドジーなどシンセティック/エクスペリメンタルな電子音楽を数多くリリースし、マニアから絶大な信頼を得ている。

 セコンド・ウーマンは、その〈スペクトラム・スプールス〉から、2016年にファースト・アルバム『セコンド・ウーマン』をリリースすることでデビューしたユニットである。とはいえ、彼らは「新人」ではない。メンバーは、あのテレフォン・テル・アヴィヴのヨシュア・ユーステスと、〈クランキー〉からのリリースで知られるビロングのターク・ディートリックなのである。
 もはや説明は不要だろうがテレフォン・テル・アヴィヴは、00年代エレクトロニカにおける最重要ユニットである。近年、〈ゴーストリー・インターナショナル〉からファースト・アルバム『ファーレン・ハイト・フェア・イナフ』とセカンド・アルバム『マップ・オブ・ホワット・イズ・エフォートレス』がリイシューされ、改めて00年代エレクトロニカ/IDMの再発見に一役を買っている存在だ。
 対して、ヨシュアがメンバーでもあるセコンド・ウーマンでは、「現在進行形のエレクトロニック・ミュージック/電子音響」を提示する。いわば、マーク・フェル以降のグリッチ・ミュージックとテクノとアンビエントの交錯の実現である。むろんそれは単に「テクノ化する」という意味ではない。いわば00年代のグリッチ/クリックから10年代のアンビエント/ドローンに移行したときの「中間地点」を、もういちど見直し、それを現代的な音響作品として(再)生成する試みなのである。いわば、グリッチ・テクノとアンビエント/ドローンの融合という形式の実現だ。
 それでも前作であるファースト・アルバム『セコンド・ウーマン』には、いかにもテクノ/IDM的なミニマリズム=反復性の残滓があったことも事実である。しかし、その反復性は、BPMの揺らぎによって、内側から機能を停止され、グリッチ的に散らばるサウンドの粒が次第に融解していくような感覚も聴き手に与えていた。これが重要なのだ。今ならば、『セコンド・ウーマン』は、10年代的なインダストリアル/テクノ的な重厚さを一度、解体するようなサウンドであったと理解できるだろう。このアルバムの真の役割は、インダストリアル/テクノなど、テン年代初頭のエレクトロニック・ミュージックを、一度、終わらせたことにある。

 そして、EP「E/P」を経由し、リリースされたセカンド・アルバム『S/W』においては、グリッチ・ノイズの音とテクノ的な反復が、シンセ・パッドの音色の中に融解しかけており、新しいアンビエントな音楽/音響として再生成されていく、そんな新しい感覚を生み出していた。グリッチでもあり、テクノ的であり、フットワーク的でもあり、アンビエント的でもあること。00年代のグリッチ/クリックから10年代のアンビエント/ドローンの「あいだ」に存在していた「かもしれない」のサウンドを、セコンド・ウーマンは構築しているのである。

 同時に、本作は、後半になるに従い、まるで時間がループするかのように、次第にテクノ的反復性が、表面化するような構成になっている。曲名が「/」で統一され、“/”、“//”、“///”、“////”となっていくわけだが、ちょうど折り返し地点である5トラックめ以降は、“////\”、“////\\”、“////\\\”……とバックスラッシュが逆向きから支える表記になっており、そこからもこの「反転」が意図的なものだと分かってくる。アルバム・ジャケットも赤と白で反転=対称的である。
 時代のヘゲモニーは、ある真理が、空虚=洗練に辿り着いたとき、すべてが反転する。本作のアンビエントからテクノへの反転は、そんな時代の反転(反動ではない)を象徴しているように思えてならない。彼らは「グリッチ以降とアンビエントの中間領域に消え去った音」=「消え去った二番目の女」を探し求めるうちに、また最初の地点へと戻ってしまったのだろうか。ループする並行世界の只中を生きるように。

 まあ、そんな妄想はさておき、少なくとも本作は、エレクトロニカの並行世界を生きているふたりによる「かつて、あったかもしれないサウンドの捜索(=創作)」の中間報告書ともいえるアルバムではないかとは思う。彼らは00年代以降の電子音楽/エレクトロニカ特有の「空虚さ=ミニマリズム」を現代からもう一度、辿りなおしてみせる。その結果、「かつてありえたかもしれない」グリッチとテクノとアンビエントの、精密で、マシニックで、美しい音のタペストリーを、われわれに向けて提出することになるのだ。
 2000年代末期から2010年代初頭にかけて、クリック&グリッチなサウンドが、もしも急速にロマンティックなドローンへと反動的に転換せずに、あの〈ミル・プラトー〉の理想を受け継ぐように、アンビエントとグリッチが融合・交錯していたら? そんなエレクトロニカ/電子音響の並行世界を、彼らはセコンド・ウーマンとして意図的に生成するのだ。そんな気がしてならない。
 真の未来とは、そして、本当の新しさとは、香水の残り香のように消え去った近過去の中に優雅に漂っているものだ。それは電子音楽でも変わらない真理である。セコンド・ウーマンの電子音には、そんなエレクトロニカ/電子音響の「二回めのゼロ地点」を聴き取ることができるはずだ。

You me - ele-king

FORESTLIMITで聴いて良いと思った曲

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