「You me」と一致するもの

Aphex Twin - ele-king

 相変わらず話題が尽きない。昨秋は原宿でポップアップ・ショップを展開し、この4月にはコーチェラへの出演が決定しているエイフェックスだが、彼が90年代半ばにニューヨークのライムライト(Limelight)というクラブでおこなったライヴの音源が発掘され、一部で大騒ぎになっている。90年代半ばのエイフェックスといえば、ダンス全盛期に大胆にもビートを排した『Selected Ambient Works Volume II』を発表し、リスナーやメディアを大いに困惑させたわけだけれど、今回の音源は全体的にレイヴィかつアシッディ、インダストリアルなセットで、ミート・ビート・マニフェストやメスカリナム・ユナイテッドのリミックス、ブラッドリー・ストライダー名義で発表した曲などに加え、LFO や L.A.M.(ドレクシアのエイリアスのひとつ)も聴くことができる。

 1ヶ月ほどまえに SoundCloud に出現したこのライヴ音源は、ニュージャージーのレコード店〈Lofidelic〉がポストしたもので、それを独『Electronic Beats』誌が報じたことで一気に注目を集めることとなった。当初の投稿者の説明によれば、1991年または1992年にソニーのポータブルDATレコーダーで録音し、そのまま25年以上放置していた音源で、最近になって友人に協力を仰ぎデジタル・コピーを作成したとのことなのだけれど、どうも記憶があやふやだったようで、現在は1993年以降の音源だろうと訂正が加えられている(じっさい、1994年のデイヴ・クラークのトラックや、翌年のキネステシアやサイロブといった〈Rephlex〉勢の曲もプレイされている)。なかには「1995年8月15日」と日付を特定しているファンもいて、仮にその某氏が正しいとすると、『...I Care Because You Do』が出て4ヵ月後のショウということになるが、はたして真相やいかに。

 なお、エイフェックスは3年前にも90年代のライヴ音源が SoundCloud にアップされ話題になっていた。

The Comet Is Coming - ele-king

 昨年私たちが年間ベスト・アルバムの1位に選んだのはアースイーターでした。では、2位は? はい、読んでくださった方はご存じですね。サンズ・オブ・ケメットの『Your Queen Is A Reptile』です。アフロ・カリビアンからサウンドシステムまで横断する同作はまさに「ブラック・アトランティック」を体現する1枚で、いまのUKジャズのエネルギーを凝縮したじつに魅力的なアルバムでした。中心人物であるサキソフォニストのシャバカ・ハッチングスは、他方でザ・コメット・イズ・カミングというプロジェクトにも参加しており、そちらではポストパンクやエレクトロニック・ミュージックからの影響を強く打ち出しています。そんなTCICの新作が3月に〈Impulse!〉からリリース! まずは先行公開された“Summon The Fire”を聴いてみてください。めちゃくちゃかっこいいコズミック・ジャズ・ロックです。去年に続いて今年もシャバカがジャズ・シーンを席巻するのでは――そんな気がしてなりません。

現行UKジャズ・シーンの中心人物シャバカ・ハッチングスの大本命ユニットが、遂にメジャー・ファースト・アルバムをドロップ!

●2018年、サンズ・オブ・ケメットで米国〈インパルス〉からメジャー・デビュー(アルバムは英国マーキュリー・プライズにノミネートされる快挙)を飾った、現行UKジャズの中心人物シャバカ・ハッチングス(キング・シャバカ)率いる大本命ユニット、ザ・コメット・イズ・カミング。

●サックスのキング・シャバカ、シンセサイザーのダナログ、ドラムのベータマックスによって2013年に結成。2015年末に12インチとデジタル配信のみでリリースされたデビューEP「The Prophecy」は英 DJ Mag 誌で10点中9.5点の高評価を獲得し、ジェイミー・カラムも自身のラジオ番組で「最高のニューカマー」と絶賛。翌2016年にはデビュー・フル・アルバム『Channel The Spirits』を発表。そして今回、満をじしてメジャー・デビュー作をドロップ。

●エレクトロニカやポスト・ロック色の濃厚なスペーシーなサウンド・プロダクションとシャバカが奏でるキャッチーなメロディはトリップ効果絶大!

THE COMET IS COMING
TRUST IN THE LIFEFORCE OF THE DEEP MYSTERY

ザ・コメット ・イズ ・カミング
『トラスト・イン・ザ・ライフフォース・オブ・ザ・ディープ・ミステリー』
2019. 3. 1 ON SALE
UCCI-1045
¥2,700 (税込)
impulse! / Universal
全世界同時発売
日本盤ボーナス・トラック収録

【収録曲】
01. ビコーズ・ジ・エンド・イズ・リアリー・ザ・ビギニング
  Because The End Is Really The Beginning (4:49)
02. バース・オブ・クリエーション
  Birth Of Creation (5:04)
03. サモン・ザ・ファイアー
  Summon The Fire (3:55)
04. ブラッド・オブ・ザ・パスト feat. ケイト・テンペスト
  Blood Of The Past feat. Kate Tempest (8:15)
  (Danalogue/Betamax/Shabaka Hutchings/Kate Tempest)
05. スーパー・ゾディアック
  Super Zodiac (4:02)
06. アストラル・フライング
  Astral Flying (4:44)
07. タイムウェーヴ・ゼロ
  Timewave Zero (5:21)
08. ユニティ
  Unity (4:14)
09. ザ・ユニヴァース・ウェイクス・アップ
  The Universe Wakes Up (5:25)
10. クロッシング・ザ・リヴァー(ジャーニー・オブ・ザ・デッド)*
  Crossing the River (Journey of the Dead) (6:22)

All tracks written by Danalogue, Betamax, & King Shabaka
except where noted.
Arranged by Danalogue, & Betamax

* 日本盤ボーナス・トラック

【パーソネル】
キング・シャバカ (ts, bcl)
ダナログ (key, synth)
ベータマックス (ds, per, programming)
ケイト・テンペスト (vo) on 4
グラニー (vln) on 4

Recorded by Kristian Craig Robinson at Total Refreshment Studios, Dalston, London, February 20-22, 2017 and August 3, 2017
Mixed by Danalogue & Betamax at Total Refreshment Centre, Dalston, London & The Shard, Forest Gate, London, Oct. 2017 - Aug. 2018
Mastered by Daddy Kev

Produced by Danalogue & Betamax

Amazon / Tower / HMV / iTunes

https://www.thecometiscoming.co.uk/

interview with Mark Stewart - ele-king

当時初めてマーク・スチュワート+マフィアでブリストルでライヴをやったことは、ブリストル・シーンが生まれるきっかけになった。このアルバムはバンクシーがいちばん好きなアルバムだし、ダディーGのお気に入りでもある。

 ただ生きるのに、なぜこうも金がかかるのだろう……。いや〜、きつい。だれにとってもこのきつい新自由主義しか生きる道はない、ひとびとにそう信じ込ませるリアリズムを分析し描いたのがマーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』という本で、その副題は「ほかに道はないのか?」だ。本当に、ほかに道はないのか? ぼくたちはこの終わりなき倦怠感のなかでじたばたするしかないのだろうか? 
 音楽ファンであるフィッシャーが、そうしたやっかいな資本主義リアリズムにおける外部の可能性について思考をめぐらせるとき、レイヴ・カルチャーやダブに行き着くのは納得のいく話ではあるけれど、それは過ぎ去った昔のことではないのかという声もあろう。が、「ほかの道」は意外なことに、いちど殺され死滅したものたちこそがしめすかもしれない。死者が無言であるとはかぎらないのである。

 1970年代なかばのリー・ペリーがジャマイカで繰り広げた音響実験は、UKに渡るとパンクを通過して、エイドリアン・シャーウッドによってさらに拡張された。そのクライマックスのひとつに数えられる1983年の『ラーニング・トゥ・コープ・ウィズ・カワディス』は、味気ない灰色の街の抑圧のなかにさえも「ほかにも道はあるだろう」と言っているようだ。バンクシーがこのアルバムを好きなのはなんとなくわかるような気がする。ここには抵抗とともに至福の王国(=エルサレム)も描かれている。熱狂的でもあるのだ。マッシヴ・アタックのダディーGがこれをいちばん好んでいる理由は明白だ。『ラーニング・トゥ〜』は、マーク・スチュワートの数あるアルバムのなかでもっともレゲエ寄りだからだろう。
 とはいうものの、ルーツ・レゲエ・バンド、クリエイション・レベルあるいはダブ・シンジケートのメンバーたち、そしてエイドリアン・シャーウッドといっしょに作り上げた『ラーニング・トゥ・コープ・ウィズ・カワディス』は、初期の〈On-U〉におけるダブの冒険が次のステージ(=オールドスクールのヒップホップ・ビート)へと進む手前の作品である。以下のインタヴューでマーク・スチュワート自らが言っているように、ザ・ポップ・グループのジャズ・ファンク路線からレゲエへとシフトするちょうどのその真っ直中を通過したあたりにドロップされている。なるほどそのサウンドは、たしかにのちのBurialにも繫がっている。

 マーク・スチュワートは読書家で、博識である。そしてその表現が頭でっかちにならないのは彼が本当にいろんな音楽を愛しているからで、たとえばこのインタヴューでいうと、それはスキンヘッドの話に垣間見れる。政治的な人間は、とかく右だ左だと分ける。しかしよく行くパブにはスキンヘッドもいる。自分と同じように、このきつい社会を生きている人間のひとりとして。だから意見はちがっても、マーク・スチュワートは彼らと対話する。そうした人間的な泥臭さは、音楽ならではのものである。

マーク・フィッシャーと同じくらいパンクでワクワクさせる理論を提唱したのがすでに他界したフランスの哲学者のジル・ドゥルーズで、彼に関する展示会を今年の終わりにゲントで企画しているんだ。ジャン・ボードリヤールやジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ。彼らの執筆は、それこそジョー・ストラマーが描く歌詞の世界と同じくらいクールだった。

こんにちは。今回は野田努さんというジャーナリストからの質問になります。これまで何度も取材を受けていると思いますが、よろしくとのことです。

マーク:俺からもよろしく伝えてくれ。日本には数人クールなジャーナリストがいるから顔を見たら誰かすぐにわかるだろう。

ありがとうございます。で、早速ですが、最初にまず、お元気ですか? 

マーク:元気にやっているよ。ありがとう。君の方はどうだ? 

はい、元気です。

マーク:お願いがひとつあるんだが、彼から質問されているって雰囲気を出す意味で、低い声で話してもらえるかな。

(笑)かなり無理がありますが、できる限り頑張ります。で、パリの黄色いベスト運動をどのように受け止めましたか? 

マーク:正直多忙過ぎて状況を詳しく把握できてないから答えるのは難しい。言えることは、同じベストの括りで違う内容の抗議運動が多発しているということだ。政治的な質問ばかりになるのかな。取材を受けると政治のことばかり聞かれるもんだから。

政治の質問ばかりではありません。

マーク:俺をマーガレット・サッチャーと勘違いしているのだろうか。

そんなことはありません。

マーク:それが俺からの答えだ。

フランスでは68年の5月革命以来のできごとだと解釈している向きもあるようです。だとしたら、その影響、余波はUKにもおよぶはずですが、じっさいのところいかがでしょうか?

マーク:どうだか。もしいま君と俺が地元のパブで話をしていたとしたら、一緒に(黄色いベスト運動について)グーグル検索してそれを元に話ができただろう。でも俺は限られた情報しか持ち合わせていない。フランスに住む友人も大勢いる。彼らからそれぞれ違う視点からの話は聞いている。町ごとに抗議内容が違うんだ(※UKではむしろ右派が黄色いベストを着て、EU離脱に向けてのデモ行動をしている)。
 フランスは元々抗議活動が盛んな国だ。農家でさえ地元の自治体に肥料を遺棄して抗議運動をするくらいなんだから、そういった抗議活動は伝統的に存在する。それがいま組織化されつつあるようだ。発端になったのはどうやら燃料費の増加か何かのようで、消費者による抗議デモのようだ。でも詳細は知らないからコメントは避けたい。

まあ、これがまた信じられないような話でね。まるで『レイダース失われたアーク』のようだったよ。エルサレムのソロモン王の神殿の地下を一生懸命掘って聖なる埋蔵品を発掘したテンプル騎士団そのものだ。

マーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』は読まれましたか?

マーク:もちろん読んだよ。マーク・フィッシャーは親しい友人でもあった。彼は何年もの間俺の音楽を応援し続けてくれた。ミドルセックス州から多くの理論家が出てきた時期があった。〈Hyperdub〉所属のKode9を含む、素晴らしく頭脳明晰な連中だ。urbanomics (都市経済学)についての考察だ。マークの提唱は、パリに住む俺のかつてのシチュアシオニストの友人たちを彷彿とさせる。それと記号学(semiotics)も。今回の再発に辺り、マークの志を継承するイタリアの理論家(※おそらくフェリックス・ガタリのこと)たち、Obsolete Capitalism(※ガタリを使った12インチをリリースしている!)と組んで、エッセイを書いてもらった。当然、マーク本人にエッセイを執筆して貰いたかったが、彼は自決してしまった……。
 マークの頭のなかは輝くダイヤのようだった。彼は音楽を愛した人でもあった。彼の葬儀では俺も弔辞を述べた。彼の兄弟にも声をかけてもらった。頭脳明晰な連中が俺の音楽から様々な思想を見出していることに俺自身が驚いている。(自分の作品に)そんなものが存在していたなんて俺自身も知らなかった。驚きでしかない。このアルバム(『ラーニング・トゥ・コープ・ウィズ・カワディス(Learning To Cope With Cowardice)』)がきっかけでインダストリアル・ミュージック、トリップホップが生まれたと言われるけど、何故なのか俺にはわからない。俺はいまでも無邪気に、子供のように、いまだに好き勝手実験を繰り返している。なぜかはわからないけど、柔軟な考えを持てば、周りも柔軟な考えを持つようになる、ということなんだろう。質問に戻ると、マークは素晴らしい。原稿を集めた本が再発されたようだ(※k-punk: The Collected and Unpublished Writings of Mark Fisher 2004-2016)。
 個人的には彼と同じくらいパンクでワクワクさせる理論を提唱したのがすでに他界したフランスの哲学者のジル・ドゥルーズで、彼に関する展示会を今年の終わりにゲントで企画している。ジャン・ボードリヤールやジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ……。彼らの執筆は、それこそジョー・ストラマーが描く歌詞の世界と同じくらいクールだった。本当に素晴らしい。人びとはもっと彼らのような人たちの書物を読むべきだ。俺にとってのきっかけはシチュアシオニストやダダイズムだった。俺はそういう原稿をハイパーテキストと呼んで魅力を感じているし、アイディアを拝借することもある。おっと、ここではそんなこと言っちゃだめだな。

なぜ上記の質問をしたかというと、〈ミュート〉から送られてきた資料に、マーク・フィッシャーが『ラーニング・トゥ〜』への讃辞を送っていたという旨が記されていたからです。じつは今月末、マーク・フィッシャーが『ラーニング・トゥ〜』について触れている原稿も収録した『Ghosts of My Life』の日本版『わが人生の幽霊たち』を刊行します。

マーク:彼は本も出すのか。

はい。

マーク:最大の敬意を送るよ。俺からも日本で出してもらいたい本があるかもしれない。ところで誰が翻訳をしているんだ?

翻訳者までは把握していないです。すみません。

マーク:ぜひ、同じ理論家の人に訳してもらいたいものだね。俺自身ボードリヤールやボードレールの訳書も多く読むからわかる。その筋の人にしかわからない行間の意味などがちゃんと汲み取れる人でないとなかなか訳すのは難しい。(※訳者の五井健太郎はシュルレリスム研究が専門)

わかりました、そのように伝えておきます。それでは、アルバムについて伺っていきたいのですが、言うまでもなく、『ラーニング・トゥ〜 』は、あのポストパンク時代においても、もっともインパクトの強い作品の1枚であることは、リアルタイムで聴いたこの質問者にはよくわかります。革命的なサウンドからアートワークにいたるまで、あなたのソロ・キャリアにおいてももっとも素晴らしい1枚に挙げられる作品だと思います。その名盤にヴァージョン違いをふくむとはいえ10曲もの未発表音源「The Lost Tapes」が残っていたことがまずは驚きでした。これはいったいどういうことなのか、あらためて説明をお願いします。

マーク:まあ、これがまた信じられないような話でね。まるで『レイダース失われたアーク』のようだったよ。エルサレムのソロモン王の神殿の地下を一生懸命掘って聖なる埋蔵品を発掘したテンプル騎士団そのものだ。今回のプロセスを説明するなら、超自然な考古学だ。『As The Veneer Of Democracy Starts To Fade』のアルバムでも同じことが起ころうとしている。発売から何年も経っているにも関わらず、再発を考えはじめた途端に、どこからともなく人が現れて、「こんな音源がありますけど」と言ってくるんだ。世にも不思議な物語さ。
当時、このアルバムを完成させてから数年経った後にロンドンのエイドリアン(・シャーウッド)の家を訪ねたとき、雨が降っていたんだけど、マスターテープを詰め込んだ箱が外に置いてあったんだ。で、「これどうするつもり?」と聞いたんだ。当時は経費節約のためにマスターテープをそのまま再利用することが多かったからね。例えばリー・ペリーなんかは同じテープを何度も何度も使っていたよ。前に録音したものの上から上書きしてしまうんだ。で、エイドリアンは「家に置き場所がなくてね」と答えたんだ。これは「荷物を減らせ」って奥さんから言われるようになる前の話だ。友だちはみんな持っているCDを処分されないように隠すのに必死だよ」。

日本でも「断捨離」って言うんですよ。

マーク:(笑)女性がハマるんだよね。君の旦那さんも気の毒に。

で、マスターテープの話の続きをお願いします。

マーク:そうそう。で、てっきりマスターテープはすべてなくなってしまったと思っていたんだ。でも、当時から俺はなんでもすべて録音していた。何をやるにもエンジニアに「これを1/4インチテープに録音しておいてくれ」とお願いしていた。というのもマルチ・ダブ、マルチ・テ-プの手法をとっていたから。俺がとったアプローチは、曲を構築する際に、違うテープから一番いい部分をつなぎ合わせたというもので、タイトル曲の“Learning To Cope With Cawardice”なんかは1曲だけで87のエディットがあった。細かいテープの切れ端を壁に全部貼り付けて、「ああでもない、こうでもない」と、まるでシュールレアリズムのモンタージュのようにつなぎ合わせていったんだ。
で、これらの元ネタになった音源、つまり、我々が切り刻んでしまう前のちゃんと楽曲の形をしていた音源が収められていたテープがあって、俺はてっきりそれもすべて処分されてしまったとものだと思っていた。それがいきなりだ。何年も活動していると世界中でコンサートに何度も来る客と親しくなるわけだけど、俺もエイドリアンも親しくしている医者で〈On-U〉の熱狂的ファンがいて、その人から「マーク、古いマスターテープを大量に修復したんだ」と連絡があった。だから「へえ、『ラーニング・トゥ〜』からは何かある?」と聞いたんだ。ちょうど〈Mute〉から再発の話をもらっていたから。そしたら「いくらでもあるから送るよ」と言ってくれたんだ。
というわけで、エイドリアンとふたりで彼のスタジオで修復された当時のマスターテープを全部聴き直す作業をした。なかには30分間ひたすらハイハットとスネアにいろんなエコーを試しに掛けているだけのテープもあった。ルー・リードの『メタル・マシン・ミュージック』ではないが、変わった音を出そうとしてね。俺とエイドリアンが聴く分には面白いけど、〈On-U〉以外の人間が聴いて面白いとは思わないような(笑)。
今回再発盤を出すにあたり、俺もエイドリアンも深く関わっていて、きちんとした物語を伝えたかった。掘り出した音源をラジオ番組のような形で公開することにしたんだ。「これは流石に退屈だろう」という部分だけを除いただけで、他は当時のものをそのまま残している。これらのマスターテープはどういうわけだかポルトガルに流れ着いて、それをオランダに住む俺の友人が、ポルトガルにいる持ち主とファンが集まるチャットで知り合って、オランダで修復作業をして我々に送ってくれたんだ。
他にも似たようなことがあった。アメリカに住むファンがThe Mafiaでのライヴ音源を送ってくれた。そうやって音源を大事に持っていてくれる人たちが世の中にはいるもんだ。
俺もかつてロキシー・ミュージックで同じことをやっていたけどね。我々がまだ子供だった頃、ロキシー・ミュージックのコンサートにカセット録音機をコートに隠して内緒で持ち込んだものだった。今回にしても、レコード会社の倉庫にあった単なるデモ・テープの寄せ集めにならなくて本当に良かったと思っている。
個人的にはいつだって未来のものを発信したいと思っているよ。過去の作品を再発をするのであれば、絶対にクールなインディ・レーベルから、自分たちがすべて監修をおこなう形でしかやりたくない。アートワークから使う紙の材質に至るまですべてに関わっている。実際俺とエイドリアンは今回の「The Lost Tapes」をまとめるのに、オリジナルのアルバムよりも多くの時間を費やしているんだ。

未発表音源の「The Lost Tapes」のクオリティも申し分のないものでした。これらの曲をお蔵入りにした理由は、当時のあなたとエイドリアンが求めていたサウンドには達していなかったからなんでしょうか?

マーク:いや。単に実験的なことがしたかったんだ。美しい曲を書いたら、まずはそれを壊すところからはじめるんだ。つまり、できた曲を録音して、そのテープを切り刻んで、風変わりなものにする。なぜなら、そうしたいと思ったから。それがこそが自分の表現方法だと思ったから。それだけだ。

“Conspirasy”のような曲にはジャズへのアプローチも見られますが、これなんかはシャバカ・ハッチングスをも彷彿させるというか。ほかにも“May I”にしても、とても実験的なサウンドですよね?

マーク:いまも昔もそう。いまも何時間分もの新しい楽曲の音源に囲まれている。さらには近所のスタジオの仲間が一緒に取り組んでいる新しい曲を10曲届けてくれたところだ。常日頃から楽曲を多く作っていて、そのなかから、そのときどきで選りすぐったものだけが作品として世に出る、ということだ。「作りたい」という衝動が絶え間なく押し寄せる。マーク・フィッシャーも同じだっただろう。彼も絶えず書き続けていた未発表の原稿が何箱もベルリンの自宅にあるだろう。創造を止めることはできない。いざ作品を出すときにはそれらから抽出して、ひとつの声明としてうまく組み合わせて形にいく。
よく質問されるんだけど、自分の制作プロセスを言葉で説明するのは難しい。でも、今度の「The Lost Tapes」も、ひとつの声明として満足しているね。いま考えると、当時マフィアとしての最初のコンサートとザ・ポップ・グループとしての最後のコンサートは同じ日に行われたんだよ。ちょうどそのころ、核軍縮キャンペーンに深く関わっていて、ロンドンで行われた核兵器に反対する大きなデモに参加したんだ。団体のトップに「音楽があった方がいい」と言われて、「ちょうどいい。自分もバンドをやっているし、友人のキリング・ジョークなんかにも声を掛けてみるよ」と言った。
そこで俺は古いプロテスト・ソングを歌いたかったんだ。集まった群衆の年長者たちも共感できるような曲を歌いたかった。トラファルガー広場に50万人も集まったんだよ。ライオンの像の内側がステージだった。で、アメリカでいうところの“ウィ・シャル・オーヴァーカム”のイギリス版となるプロテスト・ソングと言えば、ウィリアム・ブレイクによる“ジェルサレム(エルサレム)” (※1804年の作品でユートピアとしてのイギリスを歌っている愛国歌)だった。社会主義的アンセムだった。デモでどうしてもその曲を歌いたいと思った。でも当時のザ・ポップ・グループはフリー・ジャズっぽい方向性に行っていて、それに対して俺は“ジェルサレム” のレゲエ・ヴァージョンがやりたかったんだよ。だから、ザ・ポップ・グループが演奏した数時間後に俺はまたステージに戻って、そのときに一緒に演奏したのが、ジャマイカ生まれでイギリス育ちのラスタファリアのマフィアの連中だった。まったく同じ日にふたつのグループで入れ替わるようにライヴを行ったんだ。
あのときのデモに参加したことがきっかけで社会活動や抗議運動の精神が芽生えたし、いまでもそれは変わらない。今回の再発にあたっても、イギリスのあるチャリティーと手を組んでいるんだ。古い流し釣り漁船を何隻も改装して、水上の診療所に変貌させて、世界各地の戦地に送り込んで、地雷などで負傷を負った子供たちを治療する活動を支援している。

今回のリリースに際して、あらたに手を加えたのはどんなところでしょうか?

マーク:新たに手を加えた部分はない。

そうなんですね。

マーク:さっきも話したように、どの曲も10ヴァージョンほど録音して、それらをバラバラに切り刻んで、違うテイクを組み合わせて構築していくんだ。重ねて録りも多用している。だから「The Lost Tapes」に入っている曲にしても、“Conspirasy”のようなジャズっぽいものから、“Paranoia”、“Vision”といった曲はどれも、アルバムに収録する曲のために切り刻む前の元ネタ音源のようなものなんだ。“Jeruselum”はサウンド・エフェクトを乗せる前のプロトタイプのようなものだ。これらはすべて当時録音したものをそのまま収録している。劣化部分を修復したマスターテープを何時間分も聴き返して、これ、というものを選び出したんだ。もうあんな高音は出せないよ。

じっさいのところ、このアルバムはどのくらいの期間で制作されたものなのでしょう?

マーク:制作をどこからどこまでって考えるかにもよるけど。歌詞のアイディアの話をし出したら、例えば“Liberty City”なんかはタイトルのヒントになったのはマイアミ近郊の人種暴動が起きた町だった。ちょうど自分が当時住んでいたブリストルのセイント・ポールズでも同様に暴動(1980年)が起きていた。“The Paranoia of Power”はロンドンの地下に眠る秘密のシェルターについての本がヒントになった。アイディアはいつ何時どこからでも湧いてくるものだ。歌詞に関してはそれこそ9歳にまでさかのぼることだってある。その一方でレコーディングに関しては、かなり短時間で作った。その頃にはエイドリアンが〈On-U Sound〉でいろいろなクールな作品をすでに手がけていたから面白いミュージシャンたちが大勢溜まっていた。サックスのデッドリー・ヘッドリーはプリンス・ファー・ライと組んでいて、彼はもともと多くの素晴らしいホーン・プレイヤーを輩出しているジャマイカのAlpha Boys School出身だ。ザ・ポップ・グループのジョン・ボティングトンも何曲かにギターで参加してくれている。オリジナル・アルバムはじつは制作にあまり時間がかかっていないんだ。実際スタジオを使った日数で考えるとね。ただし、夜通しの作業だった。当時は深夜の方が料金が割安だったからね。

アルバム・タイトルにある「Cowardice(卑怯者)」はどのような意味で使われたのでしょうか? その意味を21世紀のいま再解釈するとどんな風になりますか?

マーク:基本的に俺は当時もいまも変わっていない。むしろより無邪気で子供のようになったくらいだ。当時と比べて多くを学んだ。再発は来週発売だけど、これまで話をした人からよく言われるのは、この作品の歌詞がいかにいまの時代にぴったり当てはまるか、ということだ。難民問題、暴動、パラノイヤ、はいまの時代も健在だ。俺はある時代に特化した歌詞は書かない。自分なりの意味付けはあるけどね。
 最近もザ・ポップ・グループの古い音源を掘り起こしていたんだけど、こういう古い作品をあらためて聴き返してみて面白いのは、──『ラーニング・トゥ〜』を作ったときに自分が何歳だったか忘れたけど、例えば22歳だったとして──、22歳の自分が年月を超えて語りかけてきて、アドヴァイスをくれている感覚になる。交霊会みたいな感じさ。俺はまだ死んでいないけど(笑)、上手く説明できないな。
 基本的に俺は説教師ではない。人に何かを説き勧めようとしているわけじゃない。俺がやっていることというのは、アイディアの断片を、ちょっとした情報や面白いサウンドとともに全部鍋に投げ入れてごった煮にして世に出すんだ。「俺は面白いと思って作りました」って感じでね。そこからまた誰か他の人が断片を組み取って何かを生み出すかもしれない。大きな壊れたジグソーパズルみたいになることがある。原理原則があるわけじゃない。もっと開けたものなんだ。道教にも「the path of the open hand」という教えがあるように。

数年後にはジーザス&メリー・チェインがレコーディングを行っていた。CRASSもいて、FUGAZIもいた。アメリカのハードコアの創成期だった。素晴らしかったよ。そこで出会ったジャマイカ生まれのミュージシャンたちとレコーディングしたことと、ザ・ポップ・グループで訪れたアメリカで耳にしたヒップホップからの影響がこのアルバムの礎になっている。

それにしても“Liberty City”は、ジェントリフィケーションによって高級化された世界の都市、ロンドン、NY、パリ、ベルリン、そして東京もそうですが、ネオリベラリズム支配によって灰色と化した都市においてはあまりにもハマリすぎの鎮魂歌として聴こえます。

マーク:当時何が起きていたかというと、ちょうどこのアルバムの曲作りをしていた頃、俺が生まれ育った街でいまでも頻繁に行くブリストルで、UKで初めて黒人居住区で暴動が起きたんだ。俺の母親が生まれ育った地域で、俺もレゲエ・クラブに良く通っていた。警察があるカフェを強制捜査しようとして、セイント・ポールズの街全体が暴徒化したんだ。ちょうどこのアルバムを作っていた頃だ。ちょうど同じ頃にテレビのニュースでマイアミで起きた暴動が報道されたのを見たんだ。そしたら、その町の名前がLiberty Cityだという。その名前をそのままタイトルに拝借させてもらった。これは当時のでも、いま起きていることでもない。これから起きるかもしれないことかもしれない。詩(Poetry)という言葉はあまり使いたくないけど、自由に解釈できる限定されないモチーフなんだ。それは、支配や洗脳という発想だ。カルト教団についての面白いドキュメンタリーを見てたんだけど、消費主義も同じで、消費主義が横行しているあまり、人びとは現実に目を向けないような仕組みになっているという発想。言葉で説明するのは難しい。だから俺は歌詞を書く。歌詞は音楽と組み合わさったときに大きな影響力を持つ。そういう発言をすると、まるでスティングになったような気分になる(笑)。
 今度マークの本を出すという話があったけど、いまのジェントリフィケーションの話にしても、俺は永遠の楽観主義者だ。俺の友人の多くは不満ばかりを口にする。俺はFacebookで世界中のアーティストや執筆家、活動家と繋がっている。なかには頭脳明晰なのに、「昔は良かった」というような愚痴ばかりこぼす連中もいて、たまにうんざりしてしまう。変化には新しい可能性がついてくるものだ。だから俺の哲学は、明日の世界に目を向けて、新しいテクノロジーや発明をすべて、自分たちのために使いこなすということだ。そうやって物事を自分流にアレンジして利用すればいい。何もせずに「最悪だ。お先真っ暗だ」と不平を言ってても何もはじまらない。諸刃の剣なんだ。インターネットにしても最初に考案したティム・バーナーズ=リーの当初の発想は非常に理想主義的だった。欲しい情報が自由に何でも得られる、と言う。それがいまではいろいろ規制しようと言う動きになっている。そのこと自体はこのアルバムとは関係ないかもしれないけど、そういった不都合なことは常にいろいろ起きるものなんだ。トランプ政権のことにしても何にしても文句ばかり言って、まったく行動を起こそうとしない友人たちには呆れるよ。it only takes for good people to do nothing for evil to prevail (善人が何もしないことが悪を蔓延らせる要因だ)という格言があって、いま、何が問題かというと、意識の高い人たちが、どちら側の思想だろうと、みんな文句う言うだけで、何もしてない。前向きな提案や、次の選挙に向けた準備をすればいい。
 俺は永遠に楽観主義だ。いまの世のなかにも素晴らしい理想を掲げた素晴らしい人材は多くいる。民主主義に則った選挙で誰かが当選したということであれば、それは文化を反映している。人びとの考えを変えるには、その文化、そして思想を広めることだ。パンクが起きるまで、小さい地方都市には何もなかった。でもいまではアート・センターやユース・センターができている。そういう地元レヴェルでは確実に積み上げられているんだ。

ちなみにあなたはインターネットやスマートフォンとどのように付き合っていますか?

マーク:テクノロジーは人びとを解放する、という概念を持っている。現代ではパンクもデジタル化が進んでる。インターネットが文明開化に拍車をかけている。いまではアフリカの砂漠の真んなかでヤギ使いが衛星電話を使って子供に助けを呼ぶことだってできる。世界は確実に変化している。最近他界した俺の父親はイカれた科学者だったのだが、研究開発の分野での進化発展は想像を超えるほど凄く先をいっていて、スマートフォンといった消費者向けの製品でさえ、AIやアルゴリズムといった技術は開発者たちでさえ全貌を把握しきれていない。我々が生活しているのはまだ中世かもしれないが、画面の向こう側の光ファイバーの先の世界はまるで違う。それらのゲートウェイを支配する人たちこそが世界を支配する人たちなんだ。
 支配の話は別にして、こういう技術を恐れるのではなく、積極的に利用するべきだと俺は思う。ティム・バーナーズ=リーは非常に理想主義的な意図でインターネットを発明した。『ラーニング・トゥ〜』の頃からすでに人びとは自由な電子の領域について話をした。報道の自由、検閲反対と言った議論はいつの時代もある。中世にも活版印刷の登場で同じことが起きた。いつでも対応できるように、新しい技術に関しても常にアンテナを張ってないといけないと思う。

あなたたちとCRASSのようなアナルコ・パンクとは当時どのような結びつきをされていたのでしょうか?

マーク:不思議な縁があって、いま元フガジのイアン・マッケイと組んで何かやろうとしているんだ。彼のことはすごく尊敬している。当時もだし、いまもそうだけど、俺が〈Mute〉と契約しているのには理由がある。自分たちのレーベルもある。ディストリビューションの政治から自分たちを切り離し、独立してDIYですべてやることで検閲に対抗することが、音楽そのものと同じくらい重要だった。インディ・レーベルという発想だ。〈ラフ・トレード〉、〈Mute〉、〈Soul Jazz〉、〈On-U Sound〉といったレーベルとは深い関わりがあった。つまりは、チャンネルを開けておくための手段だった。
 〈Mute〉のダニエル・ミラーがインディであることの重要性を語っている。君はマークの本を出すと言うが、日本でそんなことをしようとする出版社は他にそうそういないだろう。そういう人たちの存在が自由を支えているんだ。CRASSのディストリビューションにしてもCRASSのスタジオにしても、非常に開放的で社会主義的だった。そんな彼らの思想に敬意を持っていた。それと、その場に集まる人たちも魅力だった。数年後にはジーザス&メリー・チェインがレコーディングを行っていた。CRASSもいて、FUGAZIもいた。アメリカのハードコアの創成期だった。素晴らしかったよ。そこで出会ったジャマイカ生まれのミュージシャンたちとレコーディングしたことと、ザ・ポップ・グループで訪れたアメリカで耳にしたヒップホップからの影響がこのアルバムの礎になっている。彼らはみんな同志だった。いまでもそう。ペニー・ランボー(CRASSの創始者)は俺の大事な友人だ。

あなたから見て、『ラーニング・トゥ・コープ・ウィズ・カウアディス』においてもっとも重要な点はなんだと思いますか?

マーク:俺にとって意義深かったのは、ザ・ポップ・グループはまだ若くて、一緒に楽器を覚えて、誰の靴がいちばん尖っているかって言うようなパンクの影響が強かったのに対して、大のレゲエ好きだった自分が何度も聴いた作品で実際に弾いてるミュージシャンたちとプレイできたのが大きかった。プリンス・ファー・ライやジュニア・デルガードやリー・ペリーは俺にとっての英雄だ。そんな彼らの作品に参加していた大物ジャマイカ・ミュージシャンたちが俺を認めてくれたことが嬉しかった。ぶっ飛んだアイディアを抱えたまだ若造だった俺に。
 それからエイドリアン・シャーウッドの柔軟な姿勢が俺を成長させてくれた。お互い切磋琢磨して影響し合ってともに成長した。いまでもしょっちゅう仕事をしている。何かお互い感じ合うものがあるのだろう。なんだか涙ぐんできたよ(笑)。
 そこには魔法があった。過去を振り返ることは葬式までとっておけばいいと思っているから俺はしないんだけど、当時のセッションを思い起こすと、ひっくり返すと魔法が起きていた。「現実をひっくり返す」という発想で、何か「ここだ」って思ったときに「ひっくり返してみよう」と言うと、何かが起こるんだ。シャーマンに近いものがあった。音楽の世界にはもっとジャニス・ジョップリンやジム・モリソンのような別次元に行っちゃう人がもっと必要だ。パティ・スミスもそうだった。彼女と仕事をしたとき、別次元に行っていた。シャーマンのようにね。でも周りに支えてくれる人も必要だ。ビジネス面を見てくれる人、プロデューサー、ミュージシャンたち。彼らがいてくれるから安心して途方もないことができる。「何をやってるんだ」「こんなのはナンセンスだ」と言わない人たちだ。「精神病院に入れるぞ」とかね。

(笑)あなたは数年前はスリーフォード・モッズを誉めていますが、彼ら以降であなたが共感するアーティストはいますか?

マーク:イギリスにOctavianという素晴らしいラッパーがいる。彼は3、4年ホームレスだったんだけど、素晴らしい作品を次々と出している。あとは、ハンズというアーティストがいて。昔はゲットーテックと呼んでいたんだけど、マイアミ・ベースっていうのか、いま、ベース・ミュージックがまた面白い。あとブリストルも、いまでも自分の誇りだ。友人がバンクシーと仲が良くて彼についての本を書いたんだけど、当時初めてマーク・スチュワート+マフィアでブリストルでライヴをやったことは、ブリストル・シーンが生まれるきっかけになった。このアルバムはバンクシーがいちばん好きなアルバムだし、ダディーGのお気に入りでもある。
 いまのブリストル・シーンも、Giant SwanやKahn、Young Echo Collectiveといった若手が素晴らしい作品を出しているのがとても嬉しい。あの街の何かがそうさせるのだろう。いつの時代も刺激的だ。いま世界中で起きているポスト・パンク・リヴァイヴァルのお陰もあって、若手のアーティストが、我々が当時やっていたのと同じような実験を無邪気にやっている。フリー・ジャズやダブ・レゲエを、いまは機材もすごく進化していて、ブーティー・ベース・サウンドといったいまならでの音と融合させていて、当時我々がやっていたのと同じような精神で変形が生まれる。彼らにとって『ラーニング・トゥ〜』を聴くことは、例えば我々がサン・ラーを聴いてた感覚に近いのだろう。彼らの創造の泉の源泉になれることは嬉しい限りだ。

ブレグジットをめぐる議論が白熱していますが、いったいどうなのか誰にもわからないのが現状だと思いますが、あなたはどうなって欲しいと思っていますか?

マーク:ひと言で答えられるものではない。政治の話題を取り上げるのであれば、答えはマーク・フィッシャーの著書くらい長くなる覚悟が必要だ。問題は、みんなが本質を見失っていることだ。ニュースはこの話題をばかりを取り上げているが、肝心なことが議論されていない。本当に何が起きているのか、俺にもわからないし、誰にもわかっていない。しかも、今後の経済の動向を予測して金儲けをしている連中もいるそうだ。一体どうなっているんだか。俺自身は「◯◯反対」とか「△△反対」という明確な姿勢をとっていない。でも、みんながこれまでにない形で政治に関心を寄せていることは興味深い。
 もし受け入れられない意見に直面したとき、必要なのは対話だ。昔パブでつるんでいた頃を思い出すと、友人のなかにはスキンヘッドになって馬鹿げた活動をしはじめた奴らもいた。右翼で暴力的なこともした。でもブリストルは小さい街だからパブの数も限られている。彼らにしても、夜遊びに行く場所といったら、ブラック・ミュージックを流している店に来て踊るしかなかった。ただ無視するのではなく、対話が重要だ。俺は親戚ともちゃんと話をする。母方の家族は普通のワーキングクラスのブリストル人たちだ。みんな違う意見を持っている。それぞれが自分の考えを示して対話ができれば、その対話を通じて、彼らも自分も何かを学ぶことができる。そうやってコミュニティーはひとつになれるんだ。ただ反対するばかりで「それは間違っている。自分が正しい」としか言わないようだといつまでも溝は埋まらない。そして一般市民は自分たちの声を誰も聞いてくれない、と思ってしまう。
イギリスには根深い階級問題がある。俺がしばらく住んでいたドイツのベルリンにはあまり階級問題がなかった。日本もそうではないだろうか。工場で働く人たちも、それなりの賃金が与えられる。イギリスでは金持ちが労働者をクソみたいに扱う。これは中世の時代にまで遡る。一般労働者、さらには職人たちへのリスペクトがまったくない。いまは少しでも多く賃金を削り取ろうと必死だ。なぜか労働者を下に見ている。でも一概に労働者の方がいいとも限らない。ただ羨ましいと思っているかもしれない。事情はいろいろ入り組んでいる。最悪なのはスケープゴートを見つけ出して責任をすべてなすりつけることだ。それこそが本質を見失っている。
 人は目の前の現実に責任を取らないといけない。俺は敢えて結論を出さないように努めている。今朝のニュースだと、メイ首相は国会で通そうとした法案を棄却された。どうしてそういう話になったのかはわからない。保守党を支持する人たち、労働党を支持する人たちはそれぞれの言い分がある。他の角度からも見てみようと思って新聞の経済欄を見てみると、ポンドが上がっているんだ。市場に投資している人たちは、この混乱に乗じて儲けているんだ。マルコム・マクラーレンがかつての言っていたように「混乱は金になる」んだ。
例えば戦争なんかも、当初国民に伝えられていた理由とはまったく違う背景があったことを20年後に知る。今度のEU離脱の件も20年後に振り返ったときに、まったく違う力が動いていたって明らかになるかもしれない。それが良いとか、悪いとか言っているのではなく、それが現実だって話で、その現実をできるだけ把握して、参加することが大事なんだ。
なかなか面白い時代だと思う。新しい時代を切り開くチャンスであり、新しい取り組み方というのも生まれるだろう。過去ばかり振り返っていても駄目だ。なかには冷戦時代を「良い時代だったと」目を潤ませながら懐かしむ人がいる。理解に苦しむよ。最近書いた曲があって“Forever Now”という曲なんだけど、最低でも「いま」に目を向けて生きる。仏教徒の教えにもあるように。でもできるなら「未来」に目を向けて生きようよ。「未来」を我々の手で築くんだ。だって、「未来」はそこにあるのだから。ジョー・ストラマーの言葉にもある。「未来はまだ書かれていない」って。これが結びだ。

今日はありがとうございました。

マーク:ジャーナリストの彼に伝えてくれ。なかなか良い思想を持っていると。応援してくれてありがとう。マーク(フィッシャー)も感謝しているだろう。

interview with Swindle - ele-king

 スウィンドルが2013年に発表したデビュー・アルバム『Long Live The Jazz』に収録された“Do The Jazz”。ダブステップのビート感、レイヴなシンセ、そしてファンキーなリフをミックスしたこの曲は、彼のなかにある多様な音楽の生態系を1曲のなかに凝縮したような音だった。多くのラップトップ・ミュージシャンと同じように、ひとりで作曲・編曲をこなしミクスチャーな音を届けてくれたスウィンドルは、新作『No More Normal』でさらなる進化を遂げている。自己完結型の作曲・編曲だけでなく、共作するミュージシャンを集め、その「指揮者」となって、彼らの演奏からオリジナルなサウンド・言葉を引き出していったのだ。グライムMC、シンガー、ポエトリーリーディング、サックス奏者、ギタリストなど様々な才能の真ん中に立ち、彼らと制作している。僕が気になったのは、そうした制作手法の意味やコラボレーションのコツだ。どのようにして彼らと出会い、どんな関係を築いていくのか。どのような工夫をすれば有機的な時間を作り出していけるか。スウィンドルのアルバムを聴いたとき、こうした問いに彼がなにか答えをもっているのではないかと思った。

 制作・コラボの秘訣からはじまったインタヴューは、『No More Normal』の問いの意味をめぐる話につながっていった。2018年11月、アジア・ツアーを周り、代官山UNIT の DBS×BUTTERZ の出演を控えたスウィンドルが誠実に答えてくれた。

自分がダブステップを見つけたというよりは、ダブステップが自分を見つけたという感じ。それはグライムにおいても同じで、自分はずっとグライムの「アウトサイダー」なんだ。

前回ele-kingに登場いただいたのは2016年来日時のインタヴューでした。それから、編集盤『Trilogy In Funk』を2017年にリリース、プロデュースの仕事など様々な仕事をされてきましたが、今作『No More Normal』はどのくらいの制作期間だったんですか?

スウィンドル(Swindle、以下S):『Trilogy In Funk』 の後にこのアルバムのプロジェクトをはじめたというわけではなくて、コージェイ・ラディカル(Kojey Radical)と同時並行でいろいろ作っていたりするなかで、このアルバムが生まれたんだ。音楽は「日記」のように書き続けているから、音楽の仕事はすべてが繋がっているように感じているよ。

なるほど、『No More Normal』にはエヴァ・ラザルス(Eva Lazarus)、ライダー・シャフィーク(Rider Shafique)、コージェイ・ラディカル、マンスール・ブラウンといったジャンルやエリアを超えた多彩なアーティストが参加しています。アルバム制作のコラボレーションはどのように進んだのでしょうか。

S:ロンドンの郊外にある Real World Studio という素晴らしいスタジオを2週間貸し切って制作に入ったんだ。そこに自分が一緒に作りたいアーティストを招待した。じっさいにどういうふうに制作が進んだかというと、朝10時にはエヴァ・ラザルスがきて、12時にはべつの人が来てエヴァに加わったり、マンスール・ブラウンがギターで加わったりとか。だから何も強制せずにすべてが自然に起こったんだよね。 アーティストと一緒に制作するとき、いま取り組んでいることを止めてべつのことをやらせたりとか、「時間が無駄だからこれをやって」というように言ったりすることはしないんだ。夜9時になって、全体を見て「ひとつアイディアがあるんだけど、こういうことをやってみるのはどう?」と提案することはあるけど、やっぱりルールがあるわけじゃないし、プレッシャーもなかったよ。

それはすごく理想的な環境ですね。短い時間だけスタジオに入って作業すると、「この時間内に成果を出さなきゃ」というプレッシャーがあったりします。

S:そうだね。参加してくれたアーティストのなかにはロンドン以外を拠点に置いている人もいて、べつべつに作業することもあったけど、基本的なアイディアとしてはみんなで長い時間いて、その場所にいて制作するということ。これまでは、言ってくれたように2時間だけスタジオを借りて、そこでちゃちゃっと作っちゃうっていうことをしてきたけど、今回はそうじゃなくて、2週間という期間があったのがよかった。

このアルバムを聴いていて、じつは最初は「なんて生音のように素晴らしいシンセサイザーなんだ」ということを思ったんです。僕のミュージシャンの友だちはあなたのお気に入りの VST(作曲ソフト上で作動する音源ソフト)を知りたいみたいだったんだけど、そういうわけではないようですね。

S:VST は入ってないね。今回はサンプリングもいっさいしていない。808 の部分とピアノのいくつかは使っているけど、それ以外では MIDI も使っていない。ほんとうにそのスタジオで録った音しか収録されてないんだ。

アナログな手法が音の質感の変化にもつながっていますね。一方で『Trilogy In Funk』に引き続き、ゲッツ(Ghetts)やD・ダブル・E(D Double E)、他にもP・マニーといった第一線のグライムのMCが多く参加していますが、レコーディング中のエピソードはありますか。

S:ゲッツとの共作“Drill Work”を作っているときかな。ロンドンのスタジオで、初日はビートを作って、その次の日にヴァイオリン、その次の日にホーンというふうにレコーディングしていったけど、ゲッツはその音に対してノートも使わずにその場でビートをスピットしていったんだ。マイクの前に立って、ゲッツが「Been there, Done there, No Talk, Don chat」とスピットして、俺は「イェー」って感じ。そういうことが生まれるのもスタジオのいいところだね。まるでスタジオを「白いキャンバス」として使うようで好きなんだ。自分の音楽がほかの人をインスパイアして、それがさらに次に繋がっていって、一緒に作っているという感覚がある。

生の空気がそのまま制作につながっていくんですね、ヴァイブスの高さはゲッツらしい感じがします。ほかに一緒に参加したアーティストはどのように選んでいますか?

S:とにかくまずはその人の音楽が好きなこと、そして「正直」なことをやっている、音楽を感じられること。「真のアーティスト」であると感じられること、そして自分がつながりを感じられること。「人気がある」とかほかの瑣末なことは関係ないよ。スタジオでケミストリーが生まれるかどうかが大事だな。

誠実さというのがいちばんキーになるのはすごくおもしろいと思いました。少しむかしのことを振り返るような感じになりますが、スウィンドルが「スウィンドルになる前」についても聞かせてください。私は最初あなたの音楽を「ダブステップ」や「UKベース」の棚で見つけました。ご自身はダブステップのシーンが非常に勢いづいていたクロイドンで生まれ育っていますが、そこまでダブステップにハマっていたというわけではなかったんですね。

S:自分がダブステップを見つけたというよりは、ダブステップが自分を見つけたという感じ。クロイドン(*)が出身だけど、もともと作っていたものを外の人が聴いて、「こういうのやらない?」と誘われた感じだね。それはグライムにおいても同じで、自分はずっとグライムの「アウトサイダー」なんだ。たとえば、アラバマ出身でカントリー・ミュージックをやるっていうのは「ふつう」のことかもしれない。だけど、「ふつう」にはないようなユニークなことをやっている人が、お互いをサポートするためのシステムが〈Butterz〉だったりするんだ。たとえば僕が応援している ONJUICY が日本でグライムをやっているってことは、もうそれだけで「違うこと」をしているわけだよね。だから彼をすごく応援したいし、彼の立場に共感できるんだ。

オーセンティックになるためには「自分自身」でなければいけないと思うよ。ただそれは「何かから距離をとる」っていうことじゃなくて、あらゆるものにより近づくってことだと思う。

いまUKのジャズ・シーンにはすごく勢いがあって、おもしろい作品がたくさん生まれています。今回のアルバムにはヌバイア・ガルシア(Nubya Garcia)やマンスール・ブラウンが参加していますが、ジャズとの関わりはいかがでしょうか。

S:ヌバイア・ガルシアとはむかしからの仲で、僕のショーのサポートでも演奏してもらっている。彼らとのストーリーといえば、2013年に1st アルバム『Long Live The Jazz』をリリースしたときにいろいろな人から「ジャズというジャンルは人気じゃないし、そのジャンルに自分を並べることは今後の音楽活動に悪い影響がある」という話をされたんだよね。でも後から、アルバムに参加しているマンスール・ブラウンとかヌバイア・ガルシアや、ヘンリー・ウーユセフ・デイズ、エズラ・コレクティヴ、フェミ・コレオソ(Femi Koleoso)といったミュージシャンが僕を見てくれていて、僕が「ジャズ」という言葉を使ったことで、彼らが新しいムーヴメントを起こすときに後押しされたと言ってくれた。だからといって、べつに僕は「彼らの成功は自分のおかげだ」と言うことはまったくないけどね。僕はジャズという言葉を文字通りの意味以外の意味で使っていた部分もあるけど、僕がしてきたことで彼らを後押しできたことはとても素晴らしいことだと思っている。

非常におもしろい話ですね。そういったことを踏まえて、ジャズについてご自身はどのような立ち位置だと感じていますか? グライムやダブステップと同じようにやはり「アウトサイダー」でしょうか。

S:やっぱりアウトサイダーのような感じだね。ヌバイア・ガルシアと自分は同じアーティストとしてメッセージを発していて、彼女とは従兄弟のような感じかな。

そういう意味では影響を受けている音楽も含めて、あらゆる音楽から少し距離を置いているというか、言い方を変えれば「孤立」しているという感じでしょうか。そういういわゆる「オーセンティックなもの」からは……

S:だから「自分がオーセンティック」なんだよね。たとえば「オーセンティックなグライムをやる」っていうのは、他のオーセンティックな人に合わせるっていうことだと思う。そしたら、オリジナルの人はオーセンティックかもしれないけど、フォローする人はオーセンティックじゃないんだよね、オーセンティックになるためには「自分自身」でなければいけないと思うよ。ただそれは「何かから距離をとる」っていうことじゃなくて、あらゆるものにより近づくってことだと思う。(ジャズ・レジェンドの)ロニー・リストン・スミスとも仕事するし、(グライムMCの)D・ダブル・Eとも仕事してきた。ほかの人から、「そんないろんな人と仕事をしているのはスウィンドルだけだ」って話を聞いた。だから、オーセンティックになるためにダブステップやグライム、ジャズから距離を取るのではく、あらゆるものに近づいて、いろいろなものから影響を受けるっていうことだと思った。

でもそういう人と仕事をするのってけっこう大変なときもありませんか。「友だちになる」っていうこともコラボレーションのなかには入っているでしょうから。

S:でも何も強制することはないよ。自分はこれだけ音楽に浸ってきているので、ライヴとかショーとか、他のときに一緒にいたというきっかけで繋がって打ち解けることが多い。具体的に「どこで」出会ったかとかは忘れてしまっているけど、音楽に対して向き合う姿勢やリスペクトはすごく大事だね。

なるほど。少しネガティブな話になりますが、そうした音楽キャリアのなかで自分の成功やこれまでの評価が逆にプレッシャーになることはありませんか。

S:2013年に、ロンドンのクラブ Cable でDJしたときに、電源が止まって、音が止まってしまったんだ。そのときに満杯のお客さんに対してどうしたらいいかわからなくて。

それはある意味でプレッシャーですね(笑)。

S:そう、でもそのときに自分の口から「Long Live the Jazz」という言葉が出て、それでお客さんとコール・アンド・レスポンスしたんだ。そこからはじまった。いまは多いときは毎週5000人のお客さんに会うことになる、そんな生活はすごく恵まれていると思う。音楽キャリアのなかでいちばん大変なのは飛行機とか車で移動することだけど、音楽をやることはぜんぜんプレッシャーには感じてない。一方で、音楽で生計をたてていることには責任を持たなければいけないと思っているよ。なぜかというと、音楽をやって生活しているということは特権的な生活だから。そのためには、自分が好きな音楽だけをやってそれで自分がハッピーになって、周りの人にポジティヴなものを返す、与えるっていうことを大事にしているよ。

みんなが憧れるような人気DJやアーティストとして素晴らしい仕事をしていても、不幸になってしまう人もいますね。

S:そうだね、それはすごく気をつけなくちゃいけない。結局不幸せになるっていうのは「やりたくないことをやっている」からだよね。たとえば歌がうまくて歌手になったのに、着たくない衣装を「人気が出るから」という理由で着るとか. そういうことが不幸になってしまう最初の状態だったりする。家具職人が最初は手の込んだ家具を作っていたのに、「お金が儲かるから」とか「これが仕事だから」とか、そういう理由で組み立て家具ばかり作らされてしまうみたいなことだ。そうしたら、家具職人はむかしやっていた自分の好きなことが懐かしくなって、いまがすごく不幸に感じられてしまう。それはなぜかというと、「自分はなんでいまこれをやっているのか(Why are we doing what we do?)」っていうことに気を配ってないからなんだ。

まさにアルバムの最初のライダー・シャフィークのメッセージですね(**)。そういう話を聞くと一層メッセージが強く伝わってくる感じがします。アルバムのタイトルになっている「No More Normal」というメッセージはどのような意味がありますか。

S:自分はまずタイトルが決まってからアルバムを作りはじめるといった性なんだよね。3年前に自分が思いついて、いまは自分にとっては「連帯」やコラボレーションを通じて自分たちの未来を作り上げていくというような感じかな。ジャンルやバックグラウンドが違っても、「自分たちらしくある」ことで自分たちの未来を作り上げていくというメッセージを込めているんだ。

(*) クロイドンは南ロンドンの郊外にある地区。2000年代のUKダブステップの興隆の中心となった。
(**) “What We Do (Feat. Rider Shafique, P Money, D Double E & Daley)”『No More Normal』

Jeff Tweedy - ele-king

 オルタナティヴという言葉はある時期まで、なにか真新しいものを指す響きを伴っていたはずだ。日本では「オルタナ」といえばイコールで(ある程度狭い範囲の)オルタナティヴ・ロックを指す時代もあった。主流派や多数派の主張、ロック・スターやその物語を崇めるだけでは感じることのないできない何か……いまでは言葉自体の新鮮さは失われ、オルタナと言えば右派の冠となって(alt-right)もっとも話題になっているようである。リベラリズムにネオがついて別の価値観を提示するようになったように、オルタナティヴもまた行き場所を失っているのだろうか。
 とはいえいま、だからこそと言うべきなのか、「オルタナ」は懸命に回顧されている。ライオット・ガールをはじめとした90年代の女性たちによるロック・ミュージックが再評価されるのは時流を考えれば当然のことだし、スネイル・メイル、コートニー・バーネット、ジュリアン・ベイカーといった現在脚光を浴びる「オルタナティヴ・ロック」の新世代のアイコンが非ヘテロの女性というのも象徴的だ。ビキニ・キルの再結成も、スリーター・キニーの新曲をセイント・ヴィンセントがプロデュースしているというのもいいニュースだと思う。いま、「なにか真新しいもの」は圧倒的に女性の表現だ。

 では男たちはどうだろうか。天野龍太郎くんには年末の紙エレキングのコラムで「木津はいま一番生きにくいのは白人男性だと言っている」と書かれてしまったが――いや実際に言っているのだが――、もう少し正確に言うとそれは白人ヘテロ男性で、具体的な経済的・政治的なことではなく、なんと言うか、発言力や表現の説得力のようなものを指している。いわゆるトキシック・マスキュリニティ(有害な男性性)を男性側から糾弾したジレットのCM(https://youtu.be/koPmuEyP3a0)がいま海外では凄まじい議論になっているが(日本であまり話題になっていないのはなぜ?)、彼らヘテロ男性たちの肩身の狭さを見る想いがして何とも言えない気持ちになってしまった。
 かつて「オルタナ」だった男たちもすっかり中年になり、もはや新しくも何ともない。しかし……結論から言えば、ジェフ・トゥイーディとJ・マスシスというオルタナ中年男のソロ・アルバムがなんとも沁みるものがあるのである。それは多分にノスタルジーもふんだんに含みつつも、彼らの現在を懸けて鳴らされていることが伝わってくるからだ。

 どちらも飾り気のないフォーク・ロック・アルバムだ。ウィルコのフロントマンであるジェフ・トゥイーディの『ウォーム』ではドラムのグレン・コッチェや息子のスペンサーなどお馴染みのメンバーを招きつつ、お馴染みの彼の歌がパーソナルに展開する。フォーク/カントリー、いくつかのパワー・ポップ、ほのかなエレクトロニカやアンビエントの音響。90年代末から00年代頭にかける頃のウィルコの音のドラスティックな進化はすでに過去に得た語彙のひとつとなり、着古したシャツのように全体の一部として馴染んでいる。鳴りのいいギターを殊更強調するわけでもなく、かといって無理に加工したりしない率直さ・素朴さはキャリアの長さを思えばじつはすごいことのようにも思えるし、ジェフの声もメロディもいまふと沸いて降りてきたような親密さがある。
 キャッチーで軽やかなフォーク・チューンである“Some Birds”や“Don't Forget”も彼らしいチャーミングな曲だが、ラスト2曲にこのアルバムの良さがよく表れているように感じる。ビターなメロディと余韻を残すギターが重なる“Warm (When The Sun Has Died)”では「僕は天国のことを信じない」と老いや死についての内省が弱々しく呟かれ、力の抜けきったダウンテンポ・フォーク“How Will I Find You?”では「どうすれば君を見つけられるだろう? わからない」と繰り返す。僕には「You」が生きる目的やゴールを指しているように聞こえる。彼は天命を知るはずの50を過ぎてなお、途方に暮れる自分を包み隠そうとしない。

 ダイナソーJr.のマスターマインド=J・マスシスの『エラスティック・デイズ』もまた、オープニングの“See You At The Movies”のあまりにも瑞々しいギターのイントロの時点でハッとするものがある。よく歌うエレキのソロと、90年代の青春映画に一気にタイムスリップするような甘酸っぱいメロディ……「映画のなかで会おう」。だがそれは、彼が向き合い続けたロック・サウンドの蓄積でこそ実現しているのだとわかる。マスシスはここでギターだけでなくほとんどの楽器を自分でこなし、おそらく過去最高に親しみやすくパーソナルな一枚を作り上げた。ダイナソーJr.のギター・ノイズではなく、アコギを主体とした演奏はあくまで優しい。ほとんど3分台のナンバーがズラッと並び、エモの復権を象徴するように情熱的なギターの演奏が次々に現れては去っていく。ドラマティックなコントラストを持つ“Give It Off”、激しさを内包しながら疾走する“Cut Stranger”、叙情的アコースティック・サウンドで聴かせる“Sometimes”……思春期の少年たちの偶像劇のようでありながら、しかしこれはあくまで若くない男の内部にある柔らかい部分の表出である。
 何かと奇人とか変人とか言われるJだが、それは「普通」に器用に生きられるひとたちが見落としている何かが彼には見えているからだろうし、この飾り気のないソロ・アルバムを聴いていると、彼のほうこそその瞬間瞬間を生きているのだろうと思わされる。それが「オルタナ」なのだろうと。

 ふたりがまだ真新しかった頃を僕はリアルタイムで知らないので「いい年の取り方をしている」なんて偉そうなことは言えないのだけど、オルタナティヴとして年を重ねることの困難と勇敢さを感じることはできる。20年以上前に壁に貼ったライヴのポスターは剥がれてしまったし、誰かにもらったお気に入りのミックステープもなくしてしまった。だが、もう入らなくなってしまったTシャツとジーンズを棚から引っ張り出さなくても、30年以上弾き続けてきたギターを鳴らすことでふたりのJは僕たちをいまもビターでスウィートな気持ちにしてくれる。

Merzbow - ele-king

 ノイズ/ミュージックとは物体の持つ「声」の残滓だ。いまは/いまも存在しない「声」でもある。発したモノがなにものかわからない「声」。しかし、その「声」は、かつて確かに世界に響いていた。音、音として。どんなに小さく、どんなに儚くとも、その「声」は世界に対して轟音のような己の意志を発する。そのようないまは消え去ってしまった「声」のすべてを蘇生すること。「声」とは存在や物体すべてが有している音でもある。「声」とは音だ。となれば刹那に消え去ってしまった「声」は「最後の音楽」といえないか。音。その音は小さく、しかし大きい。存在と幽霊。蘇生と爆音。となればノイズ/ミュージックとは「声」=音の存在を拡張する方法論だ。いまここでは幽霊になってしまった最後の「声」=音たちの蘇生の儀式なのである。

 メルツバウの新作『Monoakuma』を聴きながら、改めてそのようなことを思ってしまった。なんと想像力を刺激するアルバム・タイトルだろうか。「モノアクマ」。具体と抽象が同時並走するようなこの言葉は、先のノイズ/ミュージックというマテリアルな「音楽」の本質を見事に掴んでいるようにも思える。まず、このティザー映像を観て頂きたい。

 まるで黒い幽霊の「声」と「影」のごとき映像は、まさに「モノアクマ」ではないか。「モノアクマ」の発する「最後の音楽」としてのノイズ(の断片)。この感覚は、本作だけに留まらない。私は、メルツバウのノイズを聴いていると、いつも「最後の音楽」という言葉が頭を過ってしまうのだ。音楽から轟音/ノイズが生まれ、やがて音楽はノイズに浸食され、融解し、そのノイズの中にすべて消失し、やがて終わる。消失直前の咆哮のごとき「最後の音楽」。
 だが重要なことは、「最後の音楽」である以上、「最初の音楽」もあったという点である。その「最初の音楽」とはキング・クリムゾンの『アースバウンド』かもしれないし、ピンク・フロイドの70年代の演奏かもしれないし、ジミ・ヘンドリックスかもしれない。もしくはサン・ラーかもしれないし、ブラック・サバスかもしれない。あるいはデレク・ベイリーなどのフリー・インプロヴィゼーションかもしれないし、ヤニス・クセナキスなどの現代音楽/電子音楽かもしれない。
 しかしここで重要なことは、それぞれの固有名詞「だけ」ではない。メルツバウにとって「最初の音楽」が「複数の存在」であったことが重要なのだ。複数性からの始まりとでもいうべきか。ノイズという原初の音の中に複数の音楽聴取の記憶が融解し、生成変化を遂げている。いわばノイズ/ミュージックとは、千と一の交錯であり、音の記憶の結晶であり残滓なのだ。
 そこにマイクロフォンによる極小の音から最大への拡張があったことも重要である。マイクロフォンで音を拾い、拡張し、どんな小さな音も轟音へと変化させること。メルツバウがその活動最初期に掲げていた「マテリアル・アクション」は、そういったノイズの原初の音響を示していた。

 つまり、メルツバウというノイズ・プロジェクトは、その活動最初期から三段階の進化を一気に得ることでスタートしたといえる。まず、ロックやフリージャズ、現代音楽などの音楽の記憶、ついでマイクロフォンによる音の拡張、そしてそれらの意識/手法の融合としてのノイズ/ミュージックの生成。となると2010年代のメルツバウは、その進化の最先端/最前衛に位置しているともいえる。
 じじつ10年代のメルツバウは、まるで巨大なノイズの奔流と微細な神経組織が交錯するようなノイズ・サイバネティクスとでもいうべきノイズの生態系へと至っているのだ。それは実体と抽象が交錯するノイズ/ミュージックの必然的な進化=深化だろう。現在のメルツバウのサウンドを聴取すると、私などはローラント・カインの音楽を思い出してしまうほどである。40年近い活動の中で、メルツバウのノイズを生み、ノイズを越境してきたのだ。

 その意味で、00年代以降のドローン音響作家を代表するローレンス・イングリッシュが主宰するエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈Room40〉からリリースされた『Monoakuma』は重要な作品に思える。まずここで重尾なのは「40」という数字だ。1979年から活動を開始したメルツバウ(初期は水谷聖とのユニット)は、2019年に活動40周年を迎える。
 その「40周年」を直前とした2018年12月に「40」という数字を持った名のレーベルからアルバムをリリースしたのだ。これは非常に意味深いことに思える。むろん、ローレンス・イングリッシュはヘキサとしてメルツバウとのコラボレーション・アルバムをリリースしているし、イングリッシュ自らが署名付きで執筆した本作のリリース・インフォメーションで、2000年代半ばにおけるメルツバウ/秋田昌美との出会いを書き記してもいた。つまり〈Room40〉との邂逅は10年以上前から準備されてはいたのだが、それゆえに「40」という数字を巡る必然には改めて唸ってしまう。アンビエントを基調とするレーベルからメルツバウのアルバムがリリースされたことは、やはり必然/運命だったのだろう。

 録音されている音自体は、2012年にブリスベンの Institute of Modern Art でおこなわれたライヴ録音だという。しかし一聴しただけでも10年代のメルツバウのノイズ音響そのもののような音だと確信できる。まさにメルツ・ノイズの現在形そのもののような素晴らしい演奏と音響なのである。
 マテリアルとアトモスフィア、モノと幽霊の交錯のような硬質なノイズが、激流のように変化を遂げている。加えて不思議な静謐さすら感じさせてくれた。爆音のノイズが生成するスタティックな感覚。具体音、ノイズ、エラー、モノ、アトモスフィア、生成、終了……。そう、この『Monoakuma』から、過去40年に及ぶメルツ・ノイズの時間の結晶を感じてしまったわけである。
 80年代のマテリアル・アクションからノイズ・コラージュ時代、90年代のグラインドコアの潮流と融合するような激烈なアナログ・ノイズ時代、00年代の〈メゴ〉などによって牽引されたグリッチを取り入れたデジタル・ノイズ時代のサウンドの手法と記憶と音響が、さらなるアナログ・ノイズの再導入と拡張によって結晶化し、聴いたこともないエクセレントな衝撃性を内包したノイズ音響空間が生成されている。まさしくノイズによる無数の神経組織の生成だ。そのような「神経組織の拡張」は、当然、コラボレーションに及び、アンビエントやフリージャズや電子音楽などの音響空間にも浸食し続けている。

 浸食するノイズ/ミュージックの巨大/繊細な神経組織としてのメルツバウ。むろん、マウリツィオ・ビアンキもホワイトハウスもラムレーもスロッビング・グリッスルも SPK もニュー・ブロッケーダースもピタもフランシスコ・メイリノも、すべてのノイズ音楽は「音楽」に浸食する存在だった。そもそも20世紀という時代は、ノイズと楽音の区別が消失した時代である。しかし、そのなかでもメルツバウは、ひとつの原初/オリジンとして20世紀音楽から21世紀の音響音楽に巨大なメルクマールを刻んでいるのだ。メルツバウは、まさに「ノイズ/ミュージック」のひとつの最終形態とは言えないか。

 メルツバウにおいて、「音楽」はノイズの波動と化した(「最後の音楽」だ)。そのノイズ=波の中には無数のノイズが蠢き、ひとつの/無数の音の神経組織を形成する。その聴取は驚異的な快楽を生む。そう、メルツバウを聴くことの刺激と快楽は、そのマクロとミクロが高速で生成されることに耳と肉体が拘束される快楽なのだ。ノイズはモノであり、そのノイズ=モノはアクマのようにヒトを拘束し、しかし魅惑する。
 本作もまた50分が一瞬で過ぎ去ってしまうような刺激と、永遠を感じさせるノイズ・コンポジションが発生している。その音はまさに「40」という時間を超える「22世紀のノイズ」の胎動そのものに思えてならない。

Phony Ppl - ele-king

 先週初の来日を果たし、熱気あふれるパフォーマンスを披露してくれたブルックリンの新世代5人組ソウル・バンド、フォニー・ピープル(Phony Ppl)。「西がジ・インターネットなら、東はフォニー・ピープルだ!」と、大きな注目を集めている彼らのニュー・アルバム『mō zā-ik.』が、本日ついにCDでリリースされる。マーヴィン・ゲイやスティーヴィーなど70年代黄金期のソウルを彷彿とさせるその新作は、古き良きブラック・ミュージックの魂が現代においてもしっかり息づいていることを教えてくれる。聴かないと単純に損しちゃいますよ。

現代最高のヒップホップ~ソウルを響かせるフォニー・ピープルによる最新作『mō zā-ik.』が遂に本日リリース! KANDYTOWN の MASATO、KIKUMARU からの推薦コメントも到着!

これが現代最高のヒップホップでありソウルだ! 歌姫エリカ・バドゥとの共演も果たすブルックリンのヒップホップ・ソウル・コレクティヴ=Phony PPL(フォニー・ピープル)による最新作『mō zā-ik.』が念願の世界初CD化! さらに KANDYTOWN の MASATO、KIKUMARU からアルバムへ対する推薦コメントも到着!

https://www.youtube.com/watch?v=ri_3z0l1HMI

■MASATO(KANDYTOWN)
ジャンルに縛られないメロディとドラミングが Phony Ppl のオリジナルさだと感じる。
曲の展開はいい意味で期待を裏切ってくる。特に、“Move Her Mind.”がHookに入る前の引き的な感じでずっと進んで、気持ちよく終わって行くのがいい。アルバム通して聴ける作品。

■KIKUMARU(KANDYTOWN)
Phony Ppl は何よりもライブが良い。New Yorkでドラマーのマヒューと出会い、Blue Noteでの公演を見たあの日から完全に彼等のファンになってしまった。
何処と無く感じるNYのGroove。“Way Too Far”から“on everytinG iii love”までのSmoothな流れに誰もが心を踊らされるだろう。
今後の Phony Ppl に期待せざる得ない。


◆これまでに届いた豪華推薦コメントの数々も必読!

■DJ JIN(RHYMESTER, breakthrough)
連綿と続くソウル・バンドの系譜を思い起こしながら、いまの極上グルーヴをシミジミと味わう。やっぱ音楽最高。個人的には、あのヒップホップ・レジェンド、DJジャジー・ジェイの息子=マフューがドラムを務めていることにグッとくる。

■小渕 晃(元bmr編集長、City Soul)
ロスアンジェルスの The Internet、ロンドンの Prep、それに Suchmos らと同時進行で、いまの世界的なソウル・バンド・ブームを牽引するニューヨークの注目株の、注目しないわけにはいかない新作。
ポップさと、コンシャス具合のバランスがオリジナルで、繰り返し聴きたくなる1枚です。

■末﨑裕之(bmr)
西がジ・インターネットなら、東はフォニー・ピープルだ!
ジ・インターネットが「仲間」だと認め、マック・ミラーやドモ・ジェネシス作品に関わるなど西海岸からも支持を得るだけでなく、チャンス・ザ・ラッパーとも共演したブルックリンの音楽集団がさらなる成長と深化を見せるマスターピース。
メンバー個々の才能が混ざり合い、R&B、ファンク、ジャズ、ラテン、ヒップホップが自在に組み合わさった、ひとつのユニークなモザイク画として完成した。
フォニー・ピープル。彼らは間違いなく、知っておくべき“ホンモノ”だ。

■OMSB(SIMI LAB)
あらゆるジャンルを飲み込みながらも、絶妙で軽やかなポップセンスで、どこかレアグルーヴ的な懐かしさも残す本当の意味での王道neo soul。
恐らくそんなジャンル分けにも固執せず、純粋に phony ppl 式の心地良い音楽を作ろうと言う気概を感じます。
信頼のド直球なフリをして程よく裏切るフレッシュなバランス感が最高!
全曲心地良いですが、一押しはビートレスのアコギ一本にハスキーな子供の声風ピッチチェンジが効いたM7 “Think You're Mine”! 兎に角楽しんで!

【アルバム詳細】
PHONY PPL 『mo'za-ik.』
フォニー・ピープル 『モザイク』
レーベル:Pヴァイン
発売日:2019年1月23日
価格:¥2,200+税
品番:PCD-22412
[★解説:末﨑裕之 ★世界初CD化]

【Track List】
01. Way Too Far.
02. Once You Say Hello.
03. somethinG about your love.
04. Cookie Crumble.
05. the Colours.
06. One Man Band.
07. Think You're Mine.
08. Move Her Mind.
09. Before You Get a Boyfriend.
10. Either Way.
11. on everythinG iii love.

The 1975 - ele-king

 音楽においてはときに、そのサウンド以上にテーマやリリックが重要な役割を担う場合がある。去る2018年はコンセプチュアルな作品が目立つ年だったけれど、それはなにもアンダーグラウンドに限った話ではなくて、たとえばメインストリームのど真ん中を行くUKのバンド、ザ・1975のこのサード・アルバムも、そのような傾向のひとつとして捉えることができる。

 邦題は『ネット上の人間関係についての簡単な調査』。テーマは明白だ。イントロを聴き終えると、なんともご機嫌なポップ・チューン“Give Yourself A Try”が耳に飛び込んでくる。「近ごろ(modern)の議論では文脈が無視されて発言が取り上げられる」という印象的なフレーズ。続くシングル曲“TOOTIMETOOTIMETOOTIME”では軽快な4つ打ちに乗って「泣き」のコードがぐいぐいと進行し、SNSにおける恋人とのすれ違いが描写されていく。
 タイトルが端的に表しているように、オンラインで交わされるコミュニケイション、そしてそれによってもたらされる疲労やもろもろの弊害がこのアルバムの切りとろうとしている現代性である、とひとまずは言うことができる。テーマのうえで核となるのは9曲目の“The Man Who Married A Robot / Love Theme”で、Siri が「インターネットは彼の友達だった」と、ある孤独な男にかんするテキストを淡々と読み上げていく様は、すでに多くのメディアが指摘しているようにレディオヘッドの“Fitter Happier”を想起させる。一度この語りを耳にしてしまうと、一見ごくありふれたラヴ・ソングのようにしか聞こえないほかの楽曲も、すべてネットやPCについて歌っているように思えてくる。
 歌詞だけではない。イントロや4曲目の“How To Draw / Petrichor”、合衆国を諷刺した“I Like America & America Likes Me”では、昨今のオートチューンの流行に目配せするかのように加工されたヴォーカルが強調されていて、やはり今日的=モダンであろうと努めることがこのアルバムのリアリティを担保しているようだ。どこでどう繋がったのかわからないが、昨秋亡くなったロイ・ハーグローヴのトランペットがジャジーな装飾を施す“Sincerity Is Scary”では「人は極めてポストモダンな方法で自らの苦悩を隠そうとする」と歌われており、この曲からも彼らがモダンにこだわっていることがわかる。では彼らが追い求める「モダン」とは、いったいなんなのだろうか。

 ファンキーなムードが強めに打ち出されていた前作では、随所で80年代メインストリームのポップ・ミュージックを想起させる音作りが為されていたけれど、本作でもたとえば11曲目“It's Not Living (If It's Not With You)”や14曲目“I Couldn't Be More In Love”のように、レトロな音の構築が目指されている。なかでも注目すべきは5曲目の“Love It If We Made It”だろう。ここでも「誤解にもとづいたポジションを強固なものにする/あらゆるアプリにアクセスできる」と、スマホ文化から材を得たフレーズが登場するが、他方でブラックライヴズマターに感化されたと思しき言葉も顔を覗かせていて、「現代(Modernity)は俺たちを見捨てた」との歎きを経たリリックは、背後の80年代的なサウンドとは裏腹に、リル・ピープの追悼やカニエ~トランプの諷刺へとなだれこんでいく。興味深いのはその途中で「リベラルなキッチュ」という言い回しが差し挟まれるところで、これは人種差別のような深刻なテーマを、あたかも検索に引っかかることが目的であるかのように軽く歌詞のなかに滑り込ませてしまう、自分たち自身のことを揶揄した表現だと考えられる。

 ザ・1975がこのようにメタ的な態度を見せるのは今回が初めてではない。彼らはセカンド・アルバム制作時にボーズ・オブ・カナダからインスパイアされたことを明かしているが、しかしじっさいにはBOCを思わせる箇所などまったくなかったわけで(シューゲイズの要素はあったけど)、つまり彼らが参照したのはBOCのサウンドそれ自体ではなかったということになる。では彼らがBOCから受け取ったものとはなんだったのか。ずばり、ノスタルジーだろう。80年代的な音作りやアートワークのネオンサインはその何よりの証左である。ようするにザ・1975は前作において、10年代の音楽、とりわけメインストリームのロックやポップがレトロを志向せざるをえないことをメタ的に表現していたのだ。
 そう考えながら今回の新作を聴くと、いま彼らが何をやろうとしているのかがクリアになってくる。本作で聴くことのできるサウンドはそのほとんどが、合成音声など一部の例外を除けば(いやもしかしたらそれでさえ)、すでに80年代や遅くとも90年代の時点で出揃っていたアイディアに範をとったものだ。新しさはない。では既存の手法の組み合わせ方が斬新かというと、そんなこともない。このアルバムのおもしろさは、そのように懐古的なサウンドが「オンライン上のコミュニケイション」という今日的なテーマと組み合わせられるという、その不均衡にこそある。
 いまでもポップ・ミュージックにおいて、言葉の面でみずみずしいテーマを追求することはじゅうぶん可能であるが、他方サウンドの面でそれに見合う新しさを生み出すことはきわめて困難になっている──まさにそのような昨今の状況こそ、彼らが肉迫しようと試みているモダニティなのではないか。入念に練られたザ・1975のこのアルバムを聴いていると、強くそう思わずにいられない。

On-U Sound - ele-king

 いやー、嬉しいニュースですね。かなり久びさな気がします。〈On-U〉がそのときどきのレーベルのモードをコンパイルするショウケース・シリーズ、『Pay It All Back』の最新作が3月29日に発売されます。
 最初の『Vol. 1』のリリースは1984年で、その後1988年、1991年……と不定期に続けられてきた同シリーズですけれども、00年代以降は長らく休止状態にありました。今回のトラックリストを眺めてみると、ホレス・アンディリー・ペリーといった問答無用の巨匠から、まもなくファーストがリイシューされるマーク・ステュワートに、思想家のマーク・フィッシャーが『わが人生の幽霊たち』(こちらもまもなく刊行)で論じたリトル・アックスなど、〈On-U〉を代表する面々はもちろんのこと、ルーツ・マヌーヴァやコールドカットやLSK、さらに日本からはリクル・マイにせんねんもんだいも参加するなど、00年代以降の〈On-U〉を切りとった内容になっているようです。これはたかまりますね。詳細は下記をば。

Pay It All Back

〈On-U Sound〉より、《Pay It All Back》の最新作のリリースが3月29日に決定! リー・スクラッチ・ペリーやルーツ・マヌーヴァらの新録音源や未発表曲を含む全18曲入り! 日本からはリクル・マイ、にせんねんもんだいが参加!

ポストパンク、ダンス・ミュージックなど様々なスタイルの中でダブを体現するエイドリアン・シャーウッドが率いるUKの〈On-U Sound〉より、1984年に初めてリリースされた《Pay It All Back》シリーズの待望の最新作、『Pay It All Back Volume 7』のリリースがついに実現! リリースに先立ってトレイラーと先行解禁曲“Sherwood & Pinch (feat. Daddy Freddy & Dubiterian) - One Law For The Rich”が公開された。

Pay It All Back Volume 7 Trailer
https://youtu.be/Ro8QcLi5azg

Sherwood & Pinch (feat. Daddy Freddy & Dubiterian) - One Law For The Rich
iTunes: https://apple.co/2W5AA6l
Apple: https://apple.co/2R36YD1
Spotify: https://spoti.fi/2DmeqW0

今回の作品にはルーツ・マヌーヴァ、リー・スクラッチ・ペリー、コールドカット、ゲイリー・ルーカス(from キャプテン・ビーフハート)、マーク・スチュワート、ホレス・アンディといった錚々たるアーティスト達の新録音源、過去音源の別ヴァージョン、そして未発表曲などを収録した、まさにファン垂涎モノの内容となっている。また、日本からはリクル・マイ、にせんねんもんだいが参加している。

LPとCDには〈On-Sound〉のバックカタログが全て乗った28ページのブックレットが付属し、デジタル配信のない、フィジカル限定の音源も収録されている。また、アルバム・ジャケットにはクラフト紙が使用された、スペシャルな仕様となっている。

〈On-U Sound〉からのスペシャル・リリース『Pay It All Back Volume 7』は3月29日にLP、CD、デジタルでリリース。iTunes Storeでアルバムを予約すると、公開中の“Sherwood & Pinch (feat. Daddy Freddy & Dubiterian) - One Law For The Rich”がいち早くダウンロードできる。

label: On-U Sound / Beat Records
artist: VARIOUS ARTISTS
title: Pay It All Back Volume 7
cat no.: BRONU143
release date: 2019/03/29 FRI ON SALE

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10072

TRACKLISTING
01. Roots Manuva & Doug Wimbish - Spit Bits
02. Sherwood & Pinch (ft. Daddy Freddy & Dubiterian) - One Law For The Rich
03. Horace Andy - Mr Bassie (Play Rub A Dub)
04. Neyssatou & Likkle Mai - War
05. Lee “Scratch” Perry - African Starship
06. Denise Sherwood - Ghost Heart
07. Higher Authorities - Neptune Version*
08. Sherwood & Pinch ft. LSK - Fake Days
09. Congo Natty - UK All Stars In Dub
10. Mark Stewart - Favour
11. LSK and Adrian Sherwood - The Way Of The World
12. Gary Lucas with Arkell & Hargreaves - Toby’s Place
13. Nisennenmondai - A’ - Live in Dub (Edit)
14. African Head Charge - Flim
15. Los Gaiteros de San Jacinto - Fuego de Cumbia / Dub de Sangre Pura (Dub Mix)
16. Little Axe - Deep River (The Payback Mix)
17. Ghetto Priest ft. Junior Delgado & 2 Bad Card - Slave State
18. Coldcut ft. Roots Manuva - Beat Your Chest

ともしび - ele-king

 シャーロット・ランプリングは笑わない。少なくともそのイメージは強い。かつて桃井かおりは自分の演技に限界を感じてイッセー尾形の元に弟子入りした際、演技することが苦しいと感じるようになった理由は「桃井かおりが桃井かおりしか演じていないから」とかなんとか言われたそうで(いまなら木村拓哉とかほとんどの役者がそうだけど)、シャーロット・ランプリングも演じる役柄に幅がなく、同じイメージを厚塗りしていくことに息苦しさを覚えたりはしないのかと心配になってしまう。「シャーロット・ランプリングは笑わない」と最初に僕が思ったのは1974年のことだった。どっちを先に観たかは忘れてしまったけれど『未来惑星ザルドス』と『愛の嵐』を立て続けに観て、表情筋がピクリとも動かない彼女の表情がそのまま海馬の奥深くに焼き付いてしまったのである。当時、色気というものを覚え始めた僕はジャクリーン・ビセットがひいきで、胸の開いたドレスを吸い込まれるように凝視していたはずなのに、45年後のいまもインパクトを保っているのはシャーロット・ランプリングの方であった(偶然にもランプリングもビセットもデビュー作は『ナック』)。『マックス、モン・アムール』ではチンパンジーと愛し合い、『エンゼル・ハート』ではあっという間に殺されてしまう占い師、最近では『メランコリア』で結婚式の雰囲気を台無しにするシーンも忘れがたい。ショービズで無表情といえば元祖はマリアンヌ・フェイスフルで、日本だとウインクなのかもしれないけれど、老齢というものが加わってきたランプリングにはそれらを寄せ付けない迫力があり、やはり説得力が違う。クイーン・オブ・ポーカーフェイスが、そして最新主演作となる『ともしび』で、またしても表情からは何ひとつ読み取らせない老女役を演じた。

 「脚本の段階、しかもオーランド・ティラドと一緒に書いた最初の一言目の段階から、シャーロット・ランプリングのことを想定していました」と監督のアンドレア・パラオロはプロダクション・ノートに記している。オープニングはちょっとびっくりするようなシーンなので、監督の言葉が本当だとしたら、ランプリング演じるアンナを常識とはかけ離れた人物という先入観に投げ込み、観客とは一気に距離を作り出したかに見える。しかも、夫は何らかの罪を犯して自ら刑務所に足を向け、何が起きているのか掴みきれないままに話は進行していくのに(以下、ある種のネタバレ)その後はひたすらミニマルな日常だけが流れていく。だんだんとアンナの行動パターンがわかってくるので、時間の経過とともに特別なことは何もなく、むしろ日常的な惰性や疲れに引きずり込まれていくだけというか。一度だけ孫に会いに行こうとして息子らしき人物に拒絶され、トイレにこもって号泣するシーンがあり、そこだけは物語性を帯びるものの、それも含めて「伏線」や「回収」とは無縁の断片化された日常の継続。新しい日が始まると、喜びはもちろん、今日も生きなければならないのかという嘆きもなく、ただ淡々と日課をこなすだけである。近年の傑作とされる『まぼろし』では夫が波にさらわれて死んでしまったことを受け入れられず、夫が生きているかのように振る舞うマリーを演じ、4年前の『さざなみ』では結婚45周年を迎えたものの、夫婦関係がゆっくりと崩壊していくことを止められないケイトを演じ、これらに『ともしび』のアンナを加えることで、いわば物理的に、あるいは心理的に「夫と離れていく妻の日常を描いたミニマル3部作」が並びそろったかのようである。どれもが女性の自立からはほど遠く、夫への依存度が高かったことが不幸を招き、3作とも自分を見失う設定になっていることは興味深い。「笑わない」というイメージから連想する「強さ」やリーダー的存在とは正反対の役どころであり、それこそランプリングは女性たちに最悪のケースを見せることで逆に何かを伝えようとしているとしか思えない。

 アンナの視界は狭い。彼女以外の視点から語られる場面はないので、何が起きているのか観客にはわからないままの要素も多い。このように「神の視点」を排除した語り口やカメラワークは近年とくに増えている。最近ではイ・チャンドン『バーニング』やリューベン・オストルンド『ザ・スクエア』にもそれは部分的に応用されていたし、『ともしび』では他の人の感情や存在感もほとんど消し去られていた。これは一見、主観的な表現のようでありながら実際にはヴァーチュアル・リアリティを模倣しているのだと思われる。あらゆるものをあらゆる角度から見渡せるといいながら、自分の視点からしか見ることができない視野の狭さがヴァーチュアル・リアリティには常に付きまとう。他の人の視点を交えることができない時に、映画というものはどのように見えるのか。こうした客観性や間主観性の排除がトレンドとなり、いわば古臭い物語でもヴァーチュアル・リアリティのような体験として蘇らせることがフォーマット化されつつあるのである。それこそスマホやSNS時代の要請なのだろう。フィリップ・K・ディックの世界と言い換えてもいい。そして、そうした方法論を最初から徹底的に突き詰めていたのがハンガリーのネメシュ・ラースロー監督であった。彼のブレイクスルー作となった『サウルの息子』(16)はホロコーストに収容されたユダヤ人の眼に映る光景だけですべてが構成され、主人公はいわば一度も客体視されず、観客が主人公となってホロコーストを「目撃」し、あるいは「体験」するという作品であった。自分の背後や周囲で起きていることが完全には把握できないことが無性に恐怖感を煽り、70年以上前のホロコーストをリアルなものへと変えていく。

 ネメシュ・ラースローの新作が公開されると知り、偶然にもハンガリーでデモが起きた当日に試写室に押しかけた。ブタベストで起きたデモは残業時間を年間250時間から400時間に引き上げるという法案が議会を通過したことに対して抗議の声が上がったもので、当地では「奴隷法」と呼ばれているものである。デモは昨年末に5日以上続き、催涙弾が飛び交う悲惨な事態となったようである(日本ではちなみに先の働き方改革法案で残業時間は年間700時間と定められた)。冷戦崩壊後のハンガリーはソヴィエト時代を嫌うあまり王政復古を望む声の高かった国である。そのことが直接的に現在の右派政権につながったかどうかは軽々に判断できないものの、ラースローが『サンセット』で描くのはそうした王政の最後、いわゆるハプスブルク家支配の末期である。ユリ・ヤカブ演じるレイター・イリスが帽子店で働こうと面接試験を受けに来るところから物語は始まる。イリスはその外見をカメラで捉えられ、客体視はされているものの、しばらく見ていると『サウルの息子』よりも少しカメラの位置が後退しただけで彼女の眼に映るものがそのままスクリーンに映し出されているものとイコールだということはすぐにわかる。ほんとにちょっとカメラの位置が後ろにズレただけなのである。イリスが働こうとする帽子店はとても高級で、どうやら王室御用達であることもわかってくる。イリスは経営者と交渉するが、その過程で彼女の家族に関する大きな秘密を明かされる。イリスは経済的に困っていただけでなく、アイデンティティ・クライシスにも陥り、いわば何もできない女性の象徴となっていく。そして、歴史が大きく動き始めたにもかかわらず、自分がどうすればいいのかはまったくわからない。当時のオーストリア=ハンガリー二重帝国がその直後にフランツ・フェルディナンドが狙撃され(サラエボ事件)、第1次世界大戦が始まることは観客にはわかっているかもしれないけれど、イリス(=ヴァーチュアル・リアリティ)が体験させてくれるものはその中で迷子になっていく市民たちであり、とっさにどれだけのことが個人に判断できるかということに尽きている。このところハンガリー映画が面白くてしょうがないということは『ジュピターズ・ムーン』のレビューでも書いたけれど、ラースロー作品にはハンガリー映画をヨーロッパ文化の中心に近づけようとする強い意志も感じられる。

 『ともしび』のアンナも『サンセット』のイリスもどちらも名もない女性である。彼女たちの内面ではなく、その視点だけを通して、この世界を見るというのが両作に共通の構造となっている。時代の転換という大仕掛けを用意した『サンセット』とは違って『ともしび』には格差社会や人種問題といったマイノリティの理屈さえ入り込む余地はなく、アンナの目に映るものは実にありふれた光景ばかりである。にもかかわらず、そのラスト・シーンで僕は心臓が止まるかと思うようなショックを受けた。映画が終わるとともにいきなりヴァーチュアル・リアリティのヘッドギアを外されたように感じたのである。

映画『ともしび』予告編

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