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青森からやって来て、周囲からも浮いていて、疎外感や孤独感があったんです。交わりたくても交われなかったんです。その感覚がずーっとあるんです。
フルカワミキ / Very |
この取材の興味の矛先はこうだ。電気グルーヴやボアダムス、あるいはロヴォ等々に続くようにして、90年代のレイヴ・カルチャーにインスパイアされたスーパーカーというポップ・ロック・バンドのメンバーだった人物の"現在"について。そんな観点で彼女の3枚目のアルバム『Very』を聴いていると、大雑把に言って、彼女がまだあの場所にいるように思える。ドリーミーでサイケデリックな彼方の、いまだ"ストロボライツ"が発光するあの場所に――。
久しぶりですね。
はい。
最後に会ったのが『ハイヴィジョン』の取材のときじゃないのかな?
へー、そんなになりますか~。
たぶん。
そうですよね。
それで......久しぶりなので、最初に大きな質問させてもらいますけど、このアルバムにとっての成功とはなんでしょう?
んー......、聴いてもらえること、無視されないこと......ですね。
いままでだって無視されてないじゃない(笑)?
いや、でも、ソロになってからは......。フルカワミキがこういうことをやる人なんだっていうことをわかってもらいたいというか。
スーパーカー解散後、ソロになって自分のアイデンティティに関してどう考えました?
考え込むほどじゃなかった。自分の持っている環境や人間関係があったし、それを最大限に活かせればいいと思っていたし。ただ、ポップであることは考えてますけどね。
ポップというのもいま相対化されているフシがありますけどね。インディで30万枚売る人もいれば、メジャーで3千枚も売れない人もいるし。
そうなってますよね。ただ、知らない人に届けたいというのはあるかな。
ポップという言葉をどう定義する?
街を歩いていて耳に入ってくる音楽......。
渋谷を歩いていると、聴きたくいもない音楽がばかでかい音で流れたりして、あれ、うざいって思わない?
思います。ただ、あのなかに自分の好きなモノを混ぜたいとも思うんです。
どのくらいの枚数は売れたいっていうのはある?
んー。
とりあえず10万は超えたいとか(笑)。
いやー(笑)。ここ数年、CDの売り上げが下がっているじゃないですか......、枚数はね......、正直わからない。
[[SplitPage]]過去の2枚の経験が、今回のアルバムにどのように反映されているんですか?
打ち込みと生音を混ぜて、もっと賑やかにしたかったというか、手法にこだわらないほうが自分には合っているのかなと。
自分の音楽にジャンル名を付けるとしたら何?
ジャンル(笑)!
Jポップと呼ばれることに違和感はない?
Jポップと呼ばれるとネガティヴなイメージがあるんだけど、もう、そのあたりもどうでもいいのかなって(笑)。
では、レディオヘッドとエグザイルとでは、自分がエグザイルの側でも構わない?
好きなのはレディオヘッド(笑)。だけど、JポップにはJポップの面白さはあると思うし。まあ、例えば戦略とか。
戦略?
プロモーションの仕方とか。
そこは僕が疎いところで、僕にJポップの面白さについて教えてくださいよ。
それは私もね~! まあ、ネットを見たりして知っている程度で、私もあんまりうまくやれているほうでないので。ただJポップって、すでに日本の文化として成立しているんじゃないですか。
要するに「歌謡曲の良さも認めなければならない」と。
まあ(笑)。嫌いな曲もいっぱいあるんですけど、でもまあ、それを受け入れなきゃならないというか。
なるほど~。質問を変えますね。詞と言うよりも音の人ですよね。
そうですね。曲は完全に音から作っている。歌詞はいちばん最後。
新作『Very』を聴いて"ストロボライツ"や『ハイヴィジョン』時代のスーパーカーを思い出したんですけど、意識した?
とくに意識してはいないけど、たぶんあのやり方が身になっているんです。ちゃんと受け継いでいるというか、それが当たり前になっている。ふだん聴いている好きな音楽も空間がある音楽で......、音と言葉のあいだにちゃんと隙間があるというか。
1曲目から3曲目まで、"ストロボライツ"だなーと思うんだよね。
そうですね。
いや、5~6曲あたりもそうだね。"Make Up"から"New Days "、"Come Now "とか。エレクトロニック・ダンス・ミュージックをふくらませたサウンドというか......。
打ち込みという意味では、そうかもしれないですね。
ざっくり言えば、トランシーなテクノって感じでしょ。それってまさに"ストロボライツ"の発展型だと思うし。
たしかに"ストロボライツ"は私を思い出すときの代表的な曲なんだと思います。声の感じとか、イメージとか。それはよく人から言われる。
あー、やっぱ多くの人がフルカワミキといえば"ストロボライツ"である、と言うんだ?
はい。私のリード・ヴォーカルの曲ではあれがもっとも有名な曲なんでしょうね。それはよくわかるんです。それに、打ち込みで私が歌うと、やっぱああなってしまうんでしょうね。キーだったり、歌い方だったり。
ああいう、レイヴ・カルチャーにインスパイアされた曲にいまでも愛着があるということなんですよね?
そうですね。
すごくよく憶えているんだよね。"ストロボライツ"の頃に取材して、ナカコーがレイヴ・カルチャーにものすごく真っ直ぐに入り込んでいて、それがヒシヒシと伝わってくるようなね(笑)。訊いているほうが恐くなるような鬼気迫るインタヴューで(笑)。
ハハハハ。
ただ、スーパーカーがレイヴ・カルチャーにハマっていた頃って、僕はもうあの文化にわりと飽きていた時期でもあったんだよね。
あ、でもね、スーパーカーがもっともレイヴ・カルチャーにハマっていたのは『フューチュラマ』のときで、『ハイヴィジョン』のときはもう飽きていたんですよ。じょじょに行かなくなってきた頃に"ストロボライツ"で、その後に『ハイヴィジョン』なんです。『ハイヴィジョン』はレイヴ・カルチャーというよりも『キッドA』とかプライマル・スクリームとか......。
『キッドA』の作風はずいぶん陰鬱じゃない。
影響受けたのは手法的なところですよね。ロック・バンドがコンピュータを取り入れる手法を用いたというところ。それを自分たちでやったのが『ハイヴィジョン』ですね。
それでいったら『Very』もその延長にありますよね?
私は作曲するとき鍵盤で作るので、あるいは「あ、この音を使いたいな」というところから入っていくので、だから打ち込みのやり方のほうがやりやすいとも言えるんです。
"ストロボライツ"が良い曲か悪い曲か、好きか嫌いか、そういったことは抜きにして、あの曲がものすごーく切実に作られているなと当時僕は思ったんです。「この人たちは本気そういう風に考えているんだ」って。
デビューの頃に青森からやって来て、とても「イエー!」っていう感じじゃなかった。なんか周囲からも浮いていて、すごく疎外感や孤独感があったんです。交わりたくても交われなかったんです。その感覚がずーっとあるんです。寂しがり屋なんですね(笑)。だから音楽でなんとか前向きなものを出すんですけど、家に帰るとまた元に戻っているというか。だからなのか、4つうちの曲で踊って「わーっ」となるのがすごく楽しかったし、踊るのも大好きだし。それを表現したかったというのもあったんですよね。
いまでも踊りに行く?
はい。回数は減ったけど。いまでもクラブに行きますよ。
ファースト・アルバムの頃はムードマンにリミックス頼んでいたもんね。
"コーヒー&シンギン・ガール!!!"ですね。
そうそう、あれはフルカワミキのクラブ・ミュージックへの愛情がとてもよく出ていた曲だったよね。
そうですね。でも、さすがにもう山には行かないですけどね。
山(笑)。ハハハハ、それはもう10年以上前の話でしょ。
はい、18、19、20のあたり。
フルカワミキをサポートしている人っていうのは、ナカコーはもちろんのこと、他には誰がいるの?
ドラマーの沼沢(尚)さんとベースの那須野(満)さん。那須野(満 )さんは灰野(敬二)さんのバックで弾いている人。
すごいメンバーだね!
那須野(満 )さんは1枚目からずっとやってくれています。イタリアン・プログレの話とかされるんですよ(笑)。
ハハハハ。いいな~。レーベル・メイトである電気グルーヴについては?
電気グルーヴの作品をがっつり聴いたってことがないんです。卓球さんのソロであったり、まりんさんのソロであったり......『ラヴビート』がすごく好きだったから。
まりんさんはスーパーカー時代から一緒にやってるものね。でも彼はもう何十年も出してないじゃないですか......いや、何十年ってことはないか(笑)。
こないだ久しぶりにライヴやって、音がすごかったですよ。映像もあって、視覚と聴覚と両方すごかった。
卓球さんのやっていることは?
踊らすなーと(笑)。
ダンス・ミュージックでは好きな人って誰になるの?
ふだんDJやっているときによくかけるのが、マシン・ドント・ケア。
何それ?
知りません? けっこう有名ですよ。DJでかけるとやたら盛りあがりますよ。
へー、DJもやっているんだね。
はい。
ほかにどのあたりをかけるの?
ザ・フィールドとか。
ああ、ザ・フィールドね、それは僕も何枚か持ってる。言われてみれば『Very』の音に近いよね。
それとクラーク、あとはボーイズ・ノイズとか。
幅が広いね~。
「この人悪そうだなー」っていう音が入ってくるのが好きだったんです(笑)。
なるほど(笑)。どういうクラブでまわしているの?
バッファロー・ドーターのイヴェントでまわしたのが最初だったんです。
そういえば、昨年、曽我部恵一のイヴェントにも出ていたよね。
それがぜんぜん受けなくて(笑)。
ハハハハ。
「この人、ホントにDJやるの?」みたいな、珍獣を見るような感じで見られて(笑)。ああいうところでテクノやエレクトロはダメですね。
それはそうだよ(笑)。
クラブでは青山の〈ルバノン〉、渋谷の〈エイジア〉とか、京都の〈ワールド〉とか......。
本格的にやってんだね。
練習しなきゃ(笑)。
いちばん受けたのは?
京都。観察される感じじゃなかったし。あとは〈エイジア〉も良かったな。お立ち台に女の人が上がってきて(笑)。
へー、盛りあがったんだね。DJって前からやりたかったの?
けっこう誘われることが多かったんです。で、2枚目のあとに音楽活動の中断期間があって、音楽の現場と疎遠になるのもイヤだったので、だったらDJをやろうと。音楽をかけることで自分も音楽を体感できるんで。
"ストロボライツ"の頃とは違った意味でダンス・カルチャーと関係しているんだね。
そうですね。
[[SplitPage]]そうか......、それでも僕がもし今回のアルバムのプロデューサーだったら、1曲目は"Bridge To Heaven"にしたな。
ハハハハ!
いちばんメランコリックな良い曲だよね。で、2曲目は"Amore"。
ハハハハ、それは野田さんの好みでしょ。
でも言いたいことわかるでしょ。ぜんぜん違って聴こえると思わない?
まあ、そうかも。
"Amore"は、ソニック・ユースかと思ったけどね(笑)。
そうですか~?
ソニック・ユースみたいで格好いいじゃん。そういう曲は後半に出てくる。で、しかし、1曲目の"I'm On Earth"から"サイハテ"までは"ストロボライツ"路線なんだよね。
"サイハテ"を作った(小林)オニキス君が"ストロボライツ"を聴いていてくれて......。ボーカロイド使って『ニコニコ動画』ですごく面白いことをやっている人がいて、それでコンタクトを取ったときに、そういう話になって。
どういう方なんですか?
一般の方です。
家で打ち込みをしている方なんですか?
はい。イラストレーターやグラフィックをやっていたらしいんですけど。で、ボーカロイドではなくて自分で"サイハテ"を歌ってみて......。
......なるほど。
ボーカロイドを通じて私を知った人もいるだろうし、ボーカロイドも『ニコニコ動画』も私はひとつの文化だと思っているし、だから"サイハテ"のリミックスをテイ(トウワ)さんに頼んだのも、ボーカロイドしか知らない人でもテイさんだったらどこか引っかかりがあるだろうと。
なるほど。
もともとは一般の人が作った曲なんです。それを私がオケを作り直して、さらにテイさんに手を加えてもらったということです(笑)。
ネットで誰かが作った曲をカヴァーしたってことなんですね。なるほど。ところで、アルバム全体について言うと、ものすごく前向きな印象を持ったんですよ。ふだん僕が聴いている音楽がゼロだとしたら1000ぐらい前向きですよ。
ハハハハ!
「何でこの人はこの人はこんなに前向きなんだろう?」って。僕にはありえないから、それは(笑)。
前向きというよりは賑やかな感じにしたかったんです。皮肉や暗いことは敢えて減らした。
これほど社会と関わりを持たない音楽も珍しいなと思ったんです。
ハハハハ! そうですね!
それは決めてる?
2枚目はけっこう皮肉が入ってるんだけど......。
だって......、2曲目が"金魚"だよ(笑)。
それはもう、歌舞伎町のお姉たちに踊ってもらいたくて(笑)。
そういうことだったのか!
ハハハハ。まあ、暗いことはいま敢えて言わない、それは意識した。
いやもうね、"New Days "とか、「なんでここまで前向きになれんだろう?」って(笑)。羨ましいよ、ホントに。
ハハハハ。まあ、移籍第一弾だし(笑)!
そこは意識する?
する。
僕は最後の"Harmony"ぐらいのダウナーな感じがちょうどいいな。アルバムの前半がアッパーなんだよね。後半はいろんなことやっているし、また違った展開がある。ちなみに『Very』ってタイトルは?
「際だたせる」っていう意味で。「とても」って、良いときも悪いときも、「とても」って言葉があるといいじゃないですか、そう、ただの「thank you」よりも「thank you very much」のほうがいいし、その「very」、つまり「とても」ということを意識しました。
実際のフルカワミキ自身のキャラはどうなんですか?
完全にネクラです(笑)。だからそれを出しても仕方がない(笑)。
写実的というか、リアリティのある表現っていうのはあんま好きじゃないでしょ? ヒップホップとかさ、曽我部恵一とかさ。
いや、好きですよ。ただ、その人がどういう生活をしいているのかってところまで歌で聴きたいとは思わない。やっぱ気になるのは音なんですよ。音から内容に入って来る。
やっぱザ・フィールドみたいなファンタジーのほうがしっくりくる。
はい。
それは『Very』を聴いているとよくわかるよ。ちなみにスーパーカー時代でいちばん好きなアルバムは何ですか?
『ハイヴィジョン』。もう1枚選ぶなら『アンサー』かな。
いちばん売れたのは?
『ハイヴィジョン』......、それか『スリーアウトチェンジ』。
『ジャンプ・アップ』は?
あれはダメだった(笑)。
僕はあれが好きだったけどなー(笑)。
あれはね、自分たちの精神状態も良くなかったんですよ。
『アンサー』が好きな理由は?
もう抜けてるっていうか(笑)。
じゃあ、後期のほうが好きなんだね。
やっぱ初期は恥ずかしい......聴けるんですけど、やっぱ若かったし。
『スリーアウトチェンジ』の頃は何歳だっけ?
18です。
高校生だもんね。
レコーディング中は17歳だったし。
ちなみにフルカワミキのルーツって何ですか?
やることがなかったからバンドやったようなもので......、気の利いたCD屋さんもなかったし、すごく退屈していたし、いまみたいにコミュニケーション・ツールもそんななかったし。楽器屋さんの張り紙で人と知り合うしかなかったんですよ。それでバンドをはじめたようなもので。
ルーツと呼べるほどの音楽体験がなかったんだね。
バンドはじめてから、いろんなものをいっぺんに聴いたから。とくに最初はUSインディをいっぱい聴きましたよ。
バンドのメンバー募集は誰が貼ったの?
私。
ホントにそうなんだね。
「全パート募集」って(笑)。で、足りない楽器を私がやろうと。もう捨て身ですよ。そうしたら彼ら(後のスーパーカーのメンバー)が集まってきた。で、結局私がベースをやることになって......ベースって、太った人がやっているイメージだったんだけど。
ないない、そんなイメージないよ(笑)。
ハハハハ、力強い人がやるんだと(笑)。とにかく通販でベースを買って、練習した。
何歳だったの?
16歳。
音楽の方向性については張り紙に書かなかった?
書かなかった。ヴィジュアル系の人が来ちゃったら止めようと思ってたけど。ただ目立つように絵を描いて......、それと、「急募」と書いた(笑)。
ハハハハ! 素晴らしいね。では......最後にプロモーション・トークをどうぞ(笑)!
とくにないです(笑)! あ、でも、ザ・フィールドの感覚がわかる人にはわかってもらえるかなと思います。
数年前から目につくようになった、MySpaceとかで注目されてヒットに結びついたみたいな新人のエピソードにはいいかげん食傷気味だ。だいたいからしてこれだけネットでいろんなチャンネルができて毎日誰もがネットにつながって何かしらの発信をしたり相当量の情報を得てるんだから、レコード会社がそこから情報を得てないわけもないし、要するにそういう売り文句自体ただちょっと新世代のアーティストっていう箔付をしたいから宣伝に使われてるにすぎないだろ、と突っ込みたくもなる。リヴァ・スターことナポリ出身のステファーノ・ミエーレも、ドアーズの"ジ・エンド"のリミックスだのを勝手に作ってネットで配布し、それがきっかけでノーマン・クック、ジェシー・ローズ、クロード・ヴァンストロークなど売れっ子DJ/レーベル・オーナーたちに注目されて一気にブレークしたと喧伝されている。まぁたしかに、テキトーにブートのリミックスをサイトに置いてそれでおいしい契約が転がり込んできたなんてシンデレラ・ストーリーがホントにあるなら、みんなそうやればいいじゃんという気もするが、彼自身別の名義(本名やMadoxなど)で10年以上の多数のリリース歴があって、まぁいきなりブレイクした新人とは言い難い。世の中そんなに甘くないって!
ジェシー・ローズのレーベル〈Made To Play〉初のアーティスト・アルバムとしてリリースされた本作は、クラブ・ミュージックの最前線を渡り歩いてきた巧者っぽい仕掛けや音のキレもさることながら、全編に渡って途切れることなく注入され続けるあれやこれやのアイデアが素晴らしい。バルカン音楽に傾注してるというだけあって、シングル曲"I Was Drunk"(ヴォーカルにユニークなデュオ、Nozeを起用)やユーゴスラビア映画『黒猫・白猫』(エミール・クストリッツァ監督/98年)を題材にした"Black Cat, White Cat"あたりはそういったジプシー的陽気さをもった伝統音楽の断片を再構築して、えもいわれぬ雰囲気の曲に仕上げている。一発インパクトのあるネタをもってきて切り刻んでファンキーなリズムに乗せて料理するって言う手法は、もう何年も前から「次はコレ」みたいに言われつづけてるフィジット・ハウスだよということなのかもしれないけど、それで「あぁ~、アホっぽいちゃらいやつね。まだあるんだ?」みたいな受け取られ方で敬遠されるくらいなら、いまいちばん笑えて踊れるハウスとでも言ってしまってもいい。自身、MySpaceのジャンル欄には「コメディー」「ハウス」と書いてるくらいだからな。
〈Cadenza〉あたりのフォルクローレ的流れと呼応する部分もあるのだろうか、ブルガリアの女性ヴォイスとラッパ、クラップの絡む"Bulgarian Chicks"はいかにも土着的なダンスの悦びを感じさせる曲だし、"Maria"も元ネタはどこの楽曲かわからないがRebootあたりがやった曲と言われても納得しそうだ(こちらは昨年〈Get Physical〉のサブレーベルからでたシングル"War Dance"に収録されていた)。しかし一方で、"China Gum"はブリーピーでブーミーなベースが炸裂するブレイクビーツ曲だし、呪術的ラップがキモチワルカッコイイ"Dance Me"はストレートなアシッド・ハウス、"Riva's Boogaloo"は全盛時のジェフ・ミルズ~パーパス・メーカーを思わせるピアノのループのグルーヴだけで引っぱる曲、そして"Tribute"はその名の通りMr. Fingersの名曲"Can You Feel It"を彼なりに再構築というかカヴァーした曲だ。ヒヨッコにはかもせない風格というか加齢臭というかも、微妙に漂ってくるではないか。リヴァ・スター自身が編集した"Dance Me"のヴィデオ(たぶん無許可)を見ると、ヴァニラ・アイスやMCハマーからリック・アストリー、Mr. T、そしてニュー・オーダーといったまったく節操のないチョイスのダンスの映像がカットアップされていて、間をつなぐのはとにかくぶっといジョイント。年齢もオリジンも音楽背景も「???」となりそうなセンスなのだが、たぶんこの無意味さ無法さこそが彼の本質なのだ。そのくせ、誰でもメロを口ずさめるロシアの軍歌"ポーリュシカ・ポーレ"の切ない主題をなぜかレゲエ調のトラックにのせてしみじみ聞かせる「Once Upon A Time」が、アルバムの山場にポンと置かれる。たぶん、日本のテクノ好きでこういう趣味をガッツリ否定できるひとは少ないはず。ん~すんばらすぃ~。
ちなみに、日本盤ではジェシー・ローズとオリヴァー$のリミックス2曲が追加収録され、3月3日に発売になるそうだ。楽しみ!
ロバート・デル・ナジャ......3Dによれば彼が『ヘリゴランド』のポスターのために描いた絵は、ロンドンの地下鉄では使えないそうで、何故ならそれがあまりにも"ストリート・アート"すなわちグラフィティに見えてしまうからだという。もっともそれはマッシヴ・アタックにとって今回のアルバムが成功していることの証左でもある。しばしデヴィッド・リンチを引き合いに出して語られるマッシヴ・アタックの"暗さの芸術(art of dark)"は、ごくありふれた日常のなかの暗い予感を拡大してみせる。「嵐を予感すると人は背を向ける/不安だから」、と『ヘリゴランド』の"パラダイス・サーカス"でホープ・サンドヴァルが歌っているが、これは彼らの不朽の名曲"アンフィニッシュド・シンパシー"でシャラ・ネルソンが歌った「夜も知らないでどうやって昼を過ごせると思うのか」というフレーズとまあ同じようなもので、マッシヴ・アタックはこの世界の負性のようなものと向き合うことで自らのアートを磨いてきた。彼らは闇を友とし、雨を祈願した。コミュニケーションよりもディスコミュニケーションを、笑みよりも無愛想でいることを選んだ。そうした暗さの芸術家たる姿勢がいまやお馴染みとなった3Dの政治活動にも繋がっているのだろう。
ただ、ファンにとって複雑だったのは、3Dが積極的な反戦デモ活動をおこしていた時期にマッシヴ・アタックが発表した『100th・ウィンドウ』が実に不可解な出来となっていたことだった。彼らのそもそもの武器――つまり、彼の地の音楽における二大要素=パンクとレゲエを繋ぐことのできた彼らの方法論――それは言うまでもなくヒップホップである。バンドからマッシュルームが去ったとき、多くのファンがマッシヴ・アタックから離れたのは無理もない話なのだ。彼らの暗さの芸術に眩い光沢を与えていたのはマッシュルームのブレイクビートであり、サンプリングのセンスだったのだから。『100th・ウィンドウ』にはそして、ダディー・Gすら関わっていない。豊富な音楽の知識を持つブリストルのベテランDJも離れ、音楽からは"ソウル"が消えてしまった。3Dは明らかに孤立し、そしてマッシヴ・アタックは長い冬眠に入った。もちろん誰一人としてそれを責めなかった。彼らは1990年代にクラシックと呼べる最高のアルバムを3枚(+1枚)も発表しているのだから。
そんなわけで昨年の先行シングルを聴くまでは、僕はこのブリストルの大物の新作に何の期待もなく、注目もしなかった。だが、2008年にポーティスヘッドの10年振りの『サード』が素晴らしかったように、7年振りの『ヘリゴランド』も見事だった。3Dとダディー・Gはふたたびタッグを組んだ。多くの協力者が集まり、マッシヴ・アタックはソウルを取り戻したようだ。
昨年リリースされて先行シングル「スプリッティング・ジ・アトムEP」を聴いてあらためて感心したのは、彼らの"暗さ"だった。中毒性の高いスカンキング・ビートをバックに、地上に釘付けにされたようなダディー・Gの(音程をキープできるギリギリの低音の)歌ではじまり、続いてホレス・アンディの高く甘い声、そしてまたダディー・G、そしてまたホレス・アンディ、それから3Dの妖艶な声へと代わっていくそのタイトル曲は、不機嫌というよりは恐怖の領域で鳴っている。そしてタチの悪いことに、曲も歌詞も魅惑的なのだ。「ドープなしではホープはない。失業者のお帰りだ」――とても他人事とは思えないだろ? 結局"スプリッティング・ジ・アトム"はアルバムのなかでもベストな1曲で、曲のモチーフは昨年の、G20金融サミットときの銀行を粉々にしたロンドンにおける反資本主義の暴動ではないかと思われる。(筆者による『SOOZER』誌のための取材で3Dは、暴動はコンサートよりもマシだと大いに肯定している)
『ヘリゴランド』の1曲目となった、TV・オン・ザ・レイディオのヴォーカリスト、トゥンデ・アデビンペをフィーチャーする"プレイ・フォー・レイン(雨乞い)"の不気味なパーカッションによる墓場のダンスホールもたまらない魅力がある。が、マルティナ(トリッキーの初期の名作におけるヴォーカリスト)の個性あるパンキッシュな声をフィーチャーした蜃気楼のダブステップ"バベル"、アシッディなミニマリズムとマルティナの歌による"サイケ"、あるいはホレス・アンディが歌い、ブレイクビートと震動するベースラインがしなやかな絡みを見せる"ガール・アイ・ラヴ・ユー"のような曲こそファンが待ち望んでいるマッシヴ・アタックかもしれない。これらの曲は『ブルー・ラインズ』へと接続する。そして、エルボウのガイ・ガーヴェイをフィーチャーしたドラッギーな悲歌"フラット・オブ・ザ・ブレード"、西海岸から参加したホープ・サンドヴァルの妖艶な声とピアノ・サンプルのループが目眩を生む"パラダイス・サーカス"は『メザニーン』へと接続する。
3Dが歌う"ラッシュ・ミニット"もまた『メザニーン』的な――つまりヴェルヴェット・アンダーグラウンド的な暗いトリップで、これが『ヘリゴランド』のハイライトである(残念なことに日本盤ではこの曲の訳詞が割愛されている)。盟友デーモン・アルバーンのソウル・ヴォーカルをフィーチャーした"サタデー・カム・スロー(土曜日はゆっくり来る)"は、エリザベス・フレイザーによる"ティアドロップ"をはっきりと思い出させる。
3Dによれば、アルバムの歌詞にはあらゆる位相において政治的な問題提起がされているとのこと。なお、日本盤には"フェイタリズム"の坂本龍一と高橋幸宏によるリミックスが収録されている。昨年マッシヴ・アタックがメルトダウン・フェスティヴァルのキュレーターを務めたときに、3Dいわく「政治的な理由から」YMOを呼んでいる。また、ブリアルによるリミックスも近い将来に聴くことができそうである(グレイト!)。
フロリダ。メキシコ湾に臨むこの温暖な都市で、夏とヴァカンスのムードに引きこもり、ハイウェイ下の小さなアパートでロネッツやシャングリラズを聴きながら曲を書く日々。ギタリスト、グラハムの職場はディズニー・ワールドだ。流行の音楽は聴かず、車も持たず、浮き世を離れて紡ぐ「シンプルな」ポップ・ソング......しかし、それは何だ?
ザ・ドラムスは頭がいい。アメリカというすさまじいノイズと外部性に曝された場所に生きながら、例えば9・11以後のアメリカを歌わない。あるいは等身大のリアリティを歌わない。そんなものは無粋だ。もっと「アリ」なもの......夏と海と恋を歌おう。「起きてハニー、素敵な朝だよ。星がまだ瞬いてる。一緒に行かないかい? ビーチへ駆け出そう」
ベースの小気味よいリフと、心躍る口笛が印象的な"レッツ・ゴー・サーフィン"。ハンドクラップが軽やかに浜辺へと誘い、メロディは一度聴いたら耳を離れない。もっとも生命が燃え、肉体が充実する季節を50'sサーフ・ポップへのオマージュとネオ・アコースティックのときめき感たっぷりに描き出す楽天的な2ミニット・ポップ......。
だから初めて聴いたときの感想はサーフィン・クソ野郎、だった。みんなもっとがんばっているじゃないかと。昨年で言うならダーティ・プロジェクターズやアニマル・コレクティヴ、アトラス・サウンド、あるいはパッション・ピットやタイヨンダイ・ブラクストン。みんな「いま」という時間と鋭く切り結んだ、戦士たちといった印象だ。シンセ・ポップなニュアンスを持って台頭した一群も、80年代の享楽と90年代の絶望を止揚するかのように、柔らかで明るい――しかし半面にシビアな現実認識がある――地平を拓いた。ガールズは......別格だ。彼らは......刺せばどこからでも血が吹き出る。
ザ・ドラムスはボーダーのTシャツとジーンズで浜辺を駆け巡り、「夏や恋や海以外に大事な問題ってあったっけ?」というような表情でいまという問題設定をキャンセルしてみせる。なんかずるいな。いいんだけど、もっとリスキーな勝負をしている連中をなんとなくバカにしてるみたいに見えて、好かないな。そんなふうに思った。が、しかし、彼らの音の訴求力というのは半端じゃない。店でかけても「これ誰ですか?」という問い合わせの多さに驚かされる。『NME』などUKのプレスも、過去10年でもっとも熱いニューヨークのバンドとして彼らを熱狂的に迎え入れている。そうなのか。
注意して聴いてみる。すると彼らの一種の「過剰さ」に思い当たる。なんだか出来過ぎているな、というのは全曲に感じることだ。レトロな質感を持ったシンプルなポップ・ソング。そのコンセプトはよくわかるけれど、彼らのなかにあるのはシンプルさではなく、シンプルであることへのオブセッションなのではないか。ソングライターでヴォーカルのジョナサン・ピアースはこう語っている。「......たぶん何曲かはハッピーな曲に聴こえるだろうね。だけどすべての主題となっているのは、すごくきついものなんだ。不幸にもね。僕は愉しい曲を書こうとしてきた。だけど僕にできるベストは、君が小躍りできる悲しい曲を書くことなんだ」(「ミュージック・フィックス」2009.7.11)
この発言は、彼らのイメージを華麗に裏切る。あれらが本当は悲しい曲だとは......。なるほど彼らは楽天性を志向するように思えるが、本当のテーマはそうではないのだろう。では、なぜ敢えてハッピーな(=シンプルな)曲を書かねばならないのか。複雑で踊れなくて悲しい曲じゃ、なぜいけないか。その答えはとくに述べられない。いろいろあるだろう。単に好みの問題かもしれない。だが、事実「なぜか」そうせねばならない。この点に、彼らのリアルと呼べる感覚が初めてひりひりと立ち上がってくるように思った。シンプルさが無邪気に調達されたものではないことに、そこに彼ら固有の問題がありそうだということに。同時に、たしかにそのくらいの複雑さを持ったバンドだよなと、納得もする。あの出来過ぎたポップ・ソングはいまや少し苦く響くようになった。
彼らの翳りはまた、ヴィンテージ・ブリッツへの愛にも伺い知ることができる。ザ・スミス、ジョイ・デイヴィジョン、ラーズ......ピアースが自らの主題と考える「きついもの」は、おそらくはそこにある。サーフ・ポップの裏側にニュー・オーダーがいることは、彼らのサウンドを説明する上でも重要だ。〈ファクトリー〉のプロダクションを彷彿させる、コーラスがかったペナペナな音(それはペインズ・オブ・ビーイング・ピュア・アット・ハートを筆頭としたc86リヴァイヴァリストたちのモラトリアムなムードと、ノー・エイジや〈ウッドシスト〉~〈キャプチャード・トラックス〉周辺のシットゲイズなローファイ感覚をハイブリッドに繋ぐ、2009年の離れ業でもあったわけですが!)は、はっきりとそのオマージュだと言える。そしておそらくは、それがUKでも歓迎される所以だ。
バンドはUKのインディ名門〈もしもし〉より2009年8月にファースト・シングル「レッツ・ゴー・サーフィン」を、続いて「アイ・フェルト・ステューピッド」をリリースしている。それらに3曲を加えた7曲入りEPが、この『サマータイム!』だ。ジョナサン・ピアースと、幼馴染みでフロリダに住んでいたギタリスト、ジェイコブ・グラハムを中心とした4人組。バンド結成のためにピアースはグラハムの許へ移住、その後4人体制になっている。そう、終わらない夏を希求するかのようにピアースがフロリダへ向かったところから、ザ・ドラムスははじまっている。こんなところもでき過ぎている。切ない。
昨年、UKのダンスフロアの主役の座に躍り出たコズミック(バレアリック)なるジャンルに、ここ日本でずいぶんと早い時期から先鞭を付けていたのが〈クルーエル〉だが、このリミックス集がそうしたひとつの方向性で統一されているわけではない。とはいえ、1曲目のディスコセッションの"TV Scene"のソフト・ロックスによるリミックス、あるいはルーガー・イーゴの"A Trader In Furs Living In Exile"のクワイエット・ヴィレッジによるリミックス、それからポート・オブ・ノーツの"You Gave Me A Love"の井上薫のリミックス――この3つはまさにバレアリックといった感じで、実に心地よい。ブライトンの注目株たるソフト・ロックスは憎たらしいほどユーフォリックな楽園を描き、このジャンルにおけるチルアウト感覚を表現したクワイエット・ヴィレッジはダブを上品なラウンジ・サウンドへと転換する。井上薫にとってチルアウトは昔からお手の物だ。パーカッションのデリケートな響きを抽出して、そこにダブの無邪気な遊び心を加え、そしてさらにソウルフルな展開を与える。まったくアルバムの最後に相応しい。
ストーンド・グリーン・アップルズの"Sugar K"のゆらゆら帝国によるハウス・リミックスにはリリース時に多くの注目が集まっている。ハウスといえども、4つ打ちに新たなギターとベースラインをかませて作り上げたその空間的な響きは紛れもなくゆらゆら帝国のもので、まるで下へ滑っていくような、なんとも言えないグルーヴを創出している。もっともアシッディなリミックスをしているのはDazz Y DJ Nobuで、これはDJノブのプレイそのものに聴こえる。DJなら深い時間にかけたいトラックだろう。ポート・オブ・ノーツの"Regret "の砂原良徳によるリミックスは、『ラヴビート』の延長に思える。スローなテンポでうねりを出し、エレガントなトリップを展開する。
他にバーミンガムのマーク・Eのような新世代、ケンイシイやフォース・オブ・ネイチャーのようなベテラン勢もいる。マーク・Eはスロー・テンポの渋いダビー・ハウス、フォース・オブ・ネイチャーはアッパーなディープ・ハウス。そしてこのスタイリッシュなアルバムのなかでたったひとり浮いているのがケンイシイで......聴いていると1992年にタイム・スリップする!
スリーヴ・アートは〈クルーエル〉らしく手の込んだ段ボールネジ止め特殊パッケージ。ジャケに対する並々ならぬ力の込めようにも、レーベルの強い気持ちが表れているようだ。
85年、イースト・ロンドンに生まれたディラン・クワナベ・マイルスは、アフリカ移民の母親に女手ひとつで育てられ、やがて、貧しさから犯罪に手を染めるようになった。しかし、そんな典型的なストリート・キッズで、袋小路にいた少年に、まるで突然、空から縄梯子が降りてくるかのように音楽が味方してくれる事となる。UKガラージにラップを乗せる当時のモードに、よりへヴィなサウンドとハードコアなアティテュードを持ち込んだディランとその仲間たちの独創的なスタイルは、やがてグライムと呼ばれて注目を集め、02年、彼はソロ・アーティスト"ディジー・ラスカル"として、わずか16歳で大手レコード会社〈XL・レコーディングス〉と契約。翌年、リリースされたファースト・アルバム『ボーイ・イン・ダ・コーナー』は25万枚を売り上げ、その年のマーキュリー・プライズを獲得する。もし、ブリティッシュ・ドリームという言葉があるとしたら、それはディジーにこそ相応しいだろう。
――と、ここまでは、日本でもよく知られた話だ。
その後、ポスト・ディジー・ラスカルを探せとばかりにレコード会社によるグライム・アーティストの青田買いが始まるものの、彼のように商業的な成功を収められたものはいなかった。例えば、ディジーも所属していたロール・ディープ・クルーのワイリーも同じく〈XL〉からデビューを果たし、ファースト『トレッディン・オン・シン・アイス』でユニークなセンスを披露するもセールス面では惨敗。早々とディールを打ち切られ、以降、レーベルを転々とするはめになる。というか、当のディジーもファーストを発表するや否や、ロール・ディープ(つまりは、自分の出自であるストリート)と決別、セカンド『ショウタイム』でアメリカ進出を狙い、US・ヒップホップ調のトラックにも挑戦するが失敗。後の迷走は昨年のフォース『タン・ン・チーク』まで続いている。それらの結果、近年、目に見える形での、要するにコマーシャルな形でのグライムのリリースはめっきり減少している。その横で、元々は兄弟分的なジャンルだったダブステップ(04年にダブステップを初めて表立ってコンパイルした〈リフレックス〉のオムニバスは『グライム』というタイトルだったし、ダブステップのアーティストがグライムのトラックをつくっているケースも多い)が、インストゥルメンタルの特性を生かし、活動の範囲を世界に広げ、評価を高めていく中、海外のストリート・カルチャーを単なる消費物として扱わない傾向のある我が国のリスナーが、こんな戯言をのたまうのも無理のない事なのかもしれない。「グライムってまだあるの?」と。
いや、自分の事を棚に上げるのは良くない。正直、私もグライムに対して、"まだあるの?"とまでは思わないにしても、長いあいだ、チェックを怠っていた。そして、その浅はかさに気付いたのは極最近のことだった。ダンスフロアで出会った友人である"banchou"(皆、彼のことをそう呼ぶのだ。彼は本当に面白い人物なので、またの機会に詳しく紹介しよう)が手掛けている〈不可視の学院〉はネット時代のジャーナリズムとでも言うべき素晴らしいblogで、いつも刺激を受けているのだが、09年11月11日のエントリーを見て驚いた。そのページには、同年のクリスマス・シーズンにUKで公開された『1デイ・ザ・ムーヴィ』という映画のトレイラーが掲載されていたのだけれど、そこでかかっていた音楽こそ、そう、グライムだったのだ。当たり前の話、このカルチャーは続いていた。しかも、より力強くなって。
『1デイ』の監督、ペニー・ウールコックは、彼女自身がロンドンで強盗に合った経験を発端として構想しはじめたというこの作品で、UKのストリート・ギャングを描くにあたって、彼らと音楽の結び付きに注目したという。実に誠実かつ聡明なアプローチだと思う。何故なら、不良少年達の置かれている状況や彼等の内面性は、往々にして、彼らが犯す違法行為よりも、彼らによって従来の形から好みの形に歪められる、ファッションや音楽といったサブカルチャーにこそ、象徴化されるからだ。グライムもまた然り。この音楽に耳を傾ければ、それがUSのヒップホップに強い影響を受けながらも、トラックのリズムやベース・ライン、あるいはローカル・アクセントを強調しながら捲くし立てるファスト・ラップに、UKの移民文化のひとつであるサウンド・システム・カルチャーの伝統が息衝いているのが分かるだろう。また、ゲームのソフトでトラックを制作し、出来たばかりのそれを携帯電話で鳴らしながら街中でフリースタイル・バトルを繰り広げる彼らのDIYな行動は、意図せずして70年代中頃におけるサウス・ブロンクスのB・ボーイたちのジェスチュアをヴァージョン・アップしている。しかし、何より重要なのは、この音楽はどんな感情よりも苛立ちに満ち溢れているということだ。
『1デイ』の劇中歌のひとつは"ヘイト・ミー・ヘイト・ユー"という。映画に起用された、実際にストリート・ギャングでラッパーでもある黒人青年は、それを、カフェで寛ぐ、如何にも庶民面をした人びとに対して、唾とともに浴びせ掛ける。平穏な午後のひと時を台無しにされた彼らには申し訳ないが、ここでの彼らは窮屈な社会そのものなのだ。もうひとつの劇中歌"ウォー・ソング"はまさに決闘に出掛ける際の雄叫びで、この曲に漂うネガティヴなエネルギーも凄まじい。これらを観る限り、本編にはまだ目を通せていないが、同作品はラップ・フランセをテーマにした『憎しみ』や、プレ・バイリ・ファンキのパーティ・シーンも出てくる『シティ・オブ・ゴッド』と並ぶストリート・ムーヴィの傑作になっているのではないかと期待が膨らむ。
そして、グライムの苛立ちは簡単に発散されることはない。いや、むしろ、商業的成功という出口を失ってしまったせいで、より苛立ちは募っている。近年、シーンは手をこまねいているレコード会社に見切りを付け、作品を発表するメディアをインターネットに移し、ミックステープと称したフリースタイル集のデータをアップ、無料で配信しまくっている。その手法が、USヒップホップでここ数年見受けられる傾向にインスパイアされているのは間違いないのだが、USのミックステープがあくまでメジャーとディールを結ぶためのプロモーション・ツールであるのに対して、UKのそれは純粋な芸術行為である。いや、私が言いたいのは、清貧主義だから素晴らしいということでは全くない。第一、グライム・アーティストだって儲けられるものなら、儲けたいだろう。実際、拝金的なリリックも多い。そうではなく、言いたいのは、本来、ハスリングの代替行為だったはずのミックステープ・メイキングが、仕方がなく商売と切り離されてしまったUKでは、それが独自の展開を見せているということだ。そこでは、レコード会社みたいに役に立たない他者よりも、狭いシーンの中にいる仲間こそが意識され、だからこそ、スタイルは素人の目を騙すような奇を衒う形ではなく、玄人に目を瞠らせるようなより研ぎ澄ます形で、つまり、進化ではなく、深化していくのだ。2010年のグライムを耳にして、「7年前とどこが違うんだ?」という感想を持つ人もいるだろう。しかし、よく聴いて欲しい。そこでは、サブカルチャーがカルチャーになっていく瞬間の音が、はっきりと鳴っているはずだ。
グライムのミックステープは毎日のように発表されている。その情報が知りたければ、〈グライム・フォーラム〉というサイトにアクセスしてみるといい(さらに詳しく知りたい向きには〈グライム・ウィキペディア〉まである)。このジャンルにおいては、もはやミックステープとオリジナル・アルバムの差はほとんどないのだが、ここではその中でもクラシックの風格を讃え、インディペンデントながらコマーシャル・リリースもされている作品をひとつ、レヴューしておこう。『マニー・オーヴァー・エヴリワン』は、P・マニーにとって2枚目のアルバムとなる。サウス・ロンドン出身で、元々はフェイタル・アサシンズというグループを組んでいたこのラッパーは、サウス・ロンドンのシーンで最も大きいクルー、O.G.'Zことオーガナイズド・グライムの一員でもある。そのメンバーやワイリーもバックアップした本作は、現在のグライムの熱さを象徴するような作品だ。以前はBPM130に対して、半分のリズムを取ることが多かったトラックも、ここではイーブン・キックが強調され、よりダンサブルに、ウワモノはよりレイヴィになっており、それはダブ・ステップにおけるファンキーこそ連想すれど、ディジーが新作で挑戦したフィジット・ハウスとは真逆のダークネスとヘヴィネスがある。そのビートの上で、荒馬を乗りこなすかのごとく、もとい、荒馬を捻り倒すかのごとくライミングしていくP・マニーのラップは、まるでKRSワンとダディ・フレディがひとつになったかのようだ。リリシズムよりもスピードとハードコアさを重視する彼のスタイルは、掃き溜めの中で生き抜く生命力そのものである。それにしても、このような力作が連日生み出される現在のグライムのシーンは本当にエキサイティングだ。UKも含めた世界がいよいよ、不景気のどん底へと落ちていく中で、"汚物"と呼ばれるこのカルチャーはますます美しさを増して行く。これからが楽しみでならない。
なお、本テキストを執筆するにあたって、前述したbanchouや、また、彼を経由してtwitterで知ったfujii_、cceeddrrooといった、本国から遠く離れた日本で地道にグライムを追いかけている探求者たちから得た知識が非常に役立った。この場を借りてお礼が言いたい。どうもありがとう。願わくは、より多くの人が、こう書いている今もリアルタイムで進行している、この素晴らしいカルチャーに興味を示してくれんことを。
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――そう、やっているあいだはたしかに楽しかった。が、それも家に戻って自分たちの姿をテレビで見るまでの話で、私に関して言えばテレビがポイントだった。(略)革命はテレビで報道されなければならず、このショーにおいて我々はベトナム平和運動という派手なテレビ・コマーシャルに登場したエクストラに過ぎなかった。現在このことを私はいたってシンプルに要約できる。「もし我々が1968年の反米デモから何かを学ぶ取ったとすれば、デモは何の役にも立たないということである」
が、私の思考はもう少し深く及んだ。ポスト・マクルーハン時代に生まれたカルチャーの俗物たる私は、(略)自分に他にもっとやるべきことがあるとわかっていた。私は単に大衆のひとりでいるのではなく、大衆に向けたコミュニケーションによって貢献すべきだった。新聞、雑誌、映画、テレビ、ロックンロールのレコード。こういうものこそが変革の武器になるんだ。
ミック・ファレン著『アナキストに煙草を』(赤川夕起子訳)
フォーガトン・パンク――僕がこの連載にこんな題名を付けたのは理由がある。この言葉を見つけたのは『ガーディアン』の記事のなかだった。忘却されたパンク――なんて言葉だ、そしてある意味、なんて言い得ているんだ。
実に長いあいだ、僕はかれこれ30年以上も「パンク」というタームはつねに素晴らしいもの、自分のアイデンティティとしては非の打ち所のないもの、そしてそれはタイムレスに輝けるコンセプトであると信じてきた。おめでたい話だが、さすがにこれだけ生きているとそれが万能ではないことが気がついてくる。むしろ「パンク」という言葉に嫌悪を抱いている人は少なくない。クラブ・シーンにおいても「パンク」嫌いの人に会ってきた。しかしそれだけならまだいい(それがゆえに「パンク」なのだから)。僕は......ひょっとしたら今世紀においてそれは、本当にパンク=役立たずの言葉になっているのではないかと思うようになった。僕が15歳の頃は「パンクが好き」であるということは、それは市街戦に臨むゲリラ戦士の合い言葉のような響きを持っていた。異教徒たちの暗号だった。ティーンエイジャーにとっての秘密のパスワードだった。われわれはそこに「punk」と打ち込みさえすれば良かった。しかし、ポスト・モダニストが闊歩する現代においてパンクの反抗とはある種のジョークになりかねない......そんな悪夢が襲い、真夜中に布団から飛び起きる。
とはいえ、考えてみれば、日本には青春パンクというジャンルがある(磯部涼の得意ジャンルだ)。そしてまた......日本のパンクは「政」よりも「性」に強いコンプレックスを抱いてきたフシがある。大江健三郎の有名な「セブンティーン」ではないが、スターリンにしてもじゃがたらにしても、電気グルーヴ(パンクではないが)にしても銀杏ボーイズにしても、ステージで全裸になった経験を持ち、またそういう人たちは売れている。ザゼンボーイズにしても「抑えきれない性的衝動」だし。
もっともストゥージズやヴェルヴェッツをその起源とするなら、パンクに「性」のオブセッションがあったことは事実だ。セックス・ピストルズというネーミング......、ピアッシングしたジェネシス・P・オリッジ......。が、それと同等に彼らのパンクは「政治的」でもあった。そこへいくと日本は「性」や「性愛」に偏っているように見える。ピューリタニズムとは違ったカタチで、「性」が抑圧されているからなのだろうか、それとも近代以前の日本が「性」に寛容だったことの記憶がそうさせているのだろうか......。セックス・ドラッグレス・ロックンロール......そしてこんな書き出しからはじまるこの原稿は、まったく別のところにワープするのであった。 [[SplitPage]]
「それは決して責任逃れというわけではなく、たんにより人生に近いレヴェルで......」とミック・ファレンは書く。昨年末から今年の1月にかけて彼の著書『アナキストに煙草を』を読んでいる。60年代末のロンドンにおいて、ロバート・ワイアットに"プロト・パンク"と評されたザ・デヴィアンツのリード・ヴォーカリストであり、アンダーグラウンド新聞『IT』の編集者および〈UFOクラブ〉スタッフ、ホワイト・パンサー党英国支部結成や数々のデモ活動を経て、そして70年代は『NME』の記者となり、やがて小説家になった人物による英国カウンター・カルチャー史――いや、帯の言葉が言うように「カウンター・カルチャー風雲録」である。
「たんにより人生に近いレヴェルで......」、ファレンがボブ・ディランについて綴ったこのフレーズが読みながら頭にこびりつき、そして読み進むにつれてそれが僕のなかで光明になった。何か、ほんのわずだが答えに近づけたような気がしたのだ。「そうか! それだ! そうだろ!」と......(ビールを何缶も飲みながらそう思っただけなので、まあ、たかが知れているだろうが)。
まずは簡単に本書の紹介をしよう。カウンター・カルチャーにおける痛快な回想録というのは、自分でもずいぶん読んできたように思う。好奇心があったし、若い頃は憧れもあった。ケン・キージーのようなヒッピーからアメリカの新左翼、ないしはイルカ語を話せうるというグレゴリー・ベイトソン、CIAのLSD調査に関する記事まで。しかし考えてみればその舞台はつねにアメリカで、イギリスにおけるそのスジの翻訳物はたいしたものが出ていない。まずはそういった観点から言っても『アナキストに煙草を』は興味深い。〈UFOクラブ〉においてシド・バレットがいかに超越した王様であったのか、いかにぶっ飛んでいたのか、こういった細かいエピソードは僕には嬉しい限りだし、他にも心温まる話がたくさんある。ローリング・ストーンズが大麻で逮捕されたとき大麻解放のデモ行進まであったとか、キース・ムーンがピーター・セラーズと一緒に皮のコートにナチのヘルメット姿でクラブにやって来た話とか、1972年のアルバム『ホワット・ア・バンチ・オブ・スウィーティーズ』においてまったく素晴らしいアートワークを誇る、ホークウィンドとともに当時のロンドン・アンダーグラウンドの脅威として記憶されるピンク・フェアリーズについての文章が読めるだけでも僕は嬉しい。
もうひとつこの本で面白いのは、イギリスにおける60年代の左翼運動と音楽との関係が詳細に描かれていることだ。ハチャメチャだがパワフルで、イギリスらしい政治的抵抗が満載である。さらにもうひとつ、伝説のバンド、ザ・デヴィアンツのバイオグラフィーとしても読める。このバンドは、ピンク・フロイドがサイケデリックと左翼運動のお化け屋敷から逃げ出してしまったため、それを一身に担ってしまったというなんとも業の深いバンドでもある。MC5に対するロンドンからの返答とも言えるかもしれない。実際に深い交流があったわけだし、ウェイン・クレイマーが警察のおとり捜査にひっかかり逮捕されたときにもファレンは居合わせている(それはとても悲しい話だ)。
そしてさらにさらにもうひとつ、ファレンが音楽ライターであり『NME』の記者だった経歴もあるので、イギリスのポップ・ジャーナリズムが何故ああも面白いのかというところの秘密を垣間見ることもできる。70年代後半のパンクの時代から『NME』の黄金時代を築いたニック・ローガンが、酒を浴びるように飲み、ドラッグをお菓子のように貪りながら路上やライヴ会場で暴れ、そして左翼系の出版物に関わっていたファレンをよくもまあ編集部にヘッドハンティングしたものだと感心する。セックス・ピストルズの登場を受け入れる体制はメディアの側でも準備が進んでいたのだ。
そんなわけで、この本は多様な側面を持っている。読む人によってひっかかる箇所も違ってくるだろう。僕なりに大枠を言えば、UKポップ・カルチャーにおける「音楽、政治、ドラッグ」の話だ。
政治の話で言えば、この文章の冒頭にファレンが自らの経験を踏まえた上で導き出した言葉――「もし我々が1968年の反米デモから何かを学ぶ取ったとすれば、デモは何の役にも立たないということである」――は印象的で、人によっては挫折を意味する敗北的な告白に思われるかもしれないが、しかし偉大なるギル・スコット・ヘロンとは真逆の理論「革命はテレビで報道されなければならない」は、ポップ・カルチャーといういかがわしい産物のなかにいかようにしてその企みを放り込み、より多くの人間をその気にさせるかという魂胆、そしてそれを面白がってやろうという気概が隠されている。これはおおよそイギリスのポップ・カルチャーのみが執拗にこだわっているところで、いまでも彼らはそのアティチュードに疑いを持っていない。マッシヴ・アタックやポーティスヘッドにしても、あるいはゴリラズにしても、あるいは......自らを左翼だと主張する二木信には是非とも聴いてもらいたいマニック・ストリート・プリーチャーズにしても。
[[SplitPage]]もうひとつ僕の感想を言えば、まあ......、最近はたいてい缶ビール(大量に家に積まれている)を飲みながら読んでの感想なので、たいそうなことではないのだけれど、先述したように、「より人生に近いレヴェル」から綴られるという"言葉"についてだ。ザ・クラッシュもザ・スペシャルズも、自分の人生に照らし合わせながら言葉を吐いているだけだとも思えるし、ここ10年における日本のラッパーの面白さもそれに尽きるのだ。
以下、少し長いが本書において重要な箇所を引用してみる。
――が、かと言って、何らかの形で強制的な平等化がおこなわなければならないと考えた人間に、私はたいして共感を覚えないのである。それはあまりにも安易な道であり、もっとも極端な形では、ポル・ポトとクメール・ルージュによって採用された方法だった。彼らはイヤー・ゼロを宣言し、すべての人間を極度に悲惨で貧しく無学な農民に貶め、その未来に狂喜しない者を皆殺しにしたのである。すべての人間を平等に悲惨な状況に追い込むことを目指すいかなる革命にも、私は大きな懸念を感じる。(略)心の奥底で私は俗物なのである。個人の権利と自由について情熱的な関心を抱いてはいるが、同時に人生が提供してくれるものを享受することに目がない。まわりにある本や音楽やヴィデオテープが好きだし、12年もののスコッチ、ヴィンテージ・ワイン、上質なチーズ、イチゴとクロテッド・クリーム、晴れた午後に飲むカクテル、グスタフ・クリムトの絵画やヘルムート・ニュートンの写真を愛し、ドラッグも手に入る限り最上のものを選ぶ。美しく奔放な女性に魅かれ、彼女たちが私に魅かれることもたまにある。血統書付きの猫や金魚や日本のアニメが大好きだ。
(略)が、同時に私はカネに対する執着心が全然ない。まったく非商業ベースの独創的なアイデアを追求するために、赤貧でもやっていけるだろう。が、共産党員やナチ幹部や議長にそうしろと言われたからといって、不味いペーストを塗ったトーストで食いつなぎ、白黒テレビを見ながらセメダインを嗅ぐ生活はしたくないのだ――
ザ・ストリーツがファースト・アルバムでやったことと言えば、リズラとプレステとクラブ三昧の「俗物」である自分の日常を語ることでしかなく、しかしそれがゆえ重要な指標になりえたとも言える。あの頃はセカンド・サマー・オブ・ラヴの残滓もまだあったし、自分をふくめてポップ・カルチャー全体が"ムーヴメント"=大きな物語というオブセッションを抱えていた。数年前に三田格と宇川直宏の〈マイクロオフィス〉で続けていたトークショーのテーマも「ムーヴメントのなさ」がテーマだったし、先日の田中宗一郎とのトークショーでもこのことは話題になった......というよりさんざん迷子になりながら、結局のところこのことについてアーでもないコーでもないと話してきたように思っている。一部の方々には後ろ向きな考えであると思われたかもしれないけれど、僕はものすごーく前向きに、とりあえずいまは、そんなもの(大きな物語)にこだわらなくても良いじゃないかと話したつもり。あるいは、もしそれをこれからまた新しく話すのなら、くどいようだけれど、「より人生に近いレヴェル」からはじめたいと思っている。要するに、地に足が着いた言葉で。
それともうひとつ興味深いと感じたことがある。ファレンがセックス・ピストルズにおいてもっとも感心したのが(史上初めてイギリス訛りでロックンロールを歌ったことと)、そして例のアメリカ・ツアーの最後のステージでジョニー・ロットンが吐いた有名な台詞――「Ever get the feeling you've been cheated?」(だまされていたという気分を味わったことがあるかい?)――だったということ。それがファレンのような古典的なモダニストからすれば「ポスト・モダンの狡猾な詐欺」に見えたという、これもまあ、当たり前と言えば当たり前の話か。ジョニー・ロットンだって一生懸命だったし、大変だったんだろう。しかし当時のロットンが覚えた「だまされた」という感覚は、セックス・ピストルズそれ自身が持っていたポスト・モダニズムに由来する。それはセンセーショナルに売り出されたピカピカの商品でもあったのだ。そして、商品であることを自ら止めたのがポスト・パンクなのだから、あの時代とのアナロジーで語られる現在のシーンを嘆くのもどうかと思う。
The Deviants Disposable |
さて、冬の3時半は日の角度から言って夏の6時半だ。稲垣足穂のように黄昏に生きる人間として、また今日も冷蔵庫を開けて缶ビールでも出すか......。忘れられたパンクのひとつであるザ・デヴィアンツの『ディスポーザブル(使い捨て)』でも聴きながら......。
最後の最後にもうひとつ引用。
――もし革命の最初の構想が個人を解放して自分の夢を追い、自分の可能性を追求する自由を与えることだとすれば、その革命がたちまち夢を制限して、可能性を阻む場合、何を達成できるのだろうか? この葛藤に身を投じることはアーティストの義務かもしれないが......(略)。
葛藤がそのまま音に出ているのが、例を挙げれば、そう......もう言わなくてもわかるでしょ、彼ですよ、彼。ファレンの翻訳を僕に教えれてくれたのも彼だった。