「You me」と一致するもの

interview with Theresa Wayman (TT) - ele-king


TT
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 かのハリー・スタイルズが、昨年~今年のワールド・ツアーでオープニング・アクトに指名したのは、ケイシー・マスグレイヴスとリオン・ブリッジズ、それからウォーペイントだった。ガーディアン誌は以前、この1Dのメンバーによるプリンスと同名異曲のヒット曲“Sign of the Times”を紹介する際に、NYを代表する燻し銀のインディー・バンド、ザ・ウォークメンの名前を挙げていたものだが、彼が選んだ3組――現代カントリーの花形と、レトロ・ソウルの新星、独立独歩のLAガールズ・アート・バンドという並びには、英国の白人ポップ・スターから見た「いまのアメリカ」が反映されていた気がしてならない。

 ウォーペイントのヴォーカル/ギター、テレサ・ウェイマンによる初のソロ・アルバム『ラヴローズ』の制作は、バンドが2016年に発表したサード『ヘッズ・アップ』よりも早くからスタートしていた。彼女はみずから歌い、ギターを弾くばかりか、ベースやシンセ、ビートのプログラミングまで一手に担当。ポップで開放的だった『ヘッズ・アップ』に対し、『ラヴローズ』は繭に包み込まれるように、内向きでパーソナルな音像を描いている。シューゲイザーやトリップホップの要素も見え隠れするが、実際にはこのあとのインタヴューでも語られているように、ヒップホップの影響がとにかく大きかったらしい。

 共同プロデューサーとして、ケイシー・マスグレイヴスにも携わった実兄のイヴァン・ウェイマンと、ウォーペイント人脈とも縁の深いダン・キャリー(フランツ・フェルディナンドの3作目『トゥナイト』など)がクレジットされており、バンド仲間のジェニー・リーとステラ・モズガワ、古参リスナーには驚きのマニー・マークなど多彩なゲスト陣にも目を惹かれる。しかし一方で、密室的な『ラヴローズ』は「ひとり」を強く感じさせるアルバムだ。そんな本作のテーマは「愛」。他の記事によると、かつて交際していたジェイムス・ブレイクとの破局も(あくまでポジティヴな形で)反映されているそうだが、ウォーペイントとしてデビューしてから14年が経ち、37歳の母親となった彼女は、月が夜を照らし、孤独がやさしさをもたらすように、一面的ではない「愛」のかたちを歌っている。


自分がキュレーターだとしたら、楽曲はアートギャラリーね。私はギャラリーにさまざまな絵画を並べることで、一編のストーリーを作り上げていくの。

そもそも、どういう動機でソロ・アルバムを作ろうと思ったのでしょう?

テレサ・ウェイマン(Theresa Wayman、以下TW):自分自身をもっと探求してみたかったの。それに曲を書いたり、いろんな楽器を弾いたりすることで、いちミュージシャンとしても成長したかった。そう考えて取り組んでいくうちに、100%自分の音楽をやることの必然性を感じるようになったのよ。

昔からバンド活動と並行して、そういう個人としてのレコーディングもおこなっていたんですか?

TW:ええ。昔からPCを使って少し作ってたんだけど、2009年に入ってから本格的に制作するようになって。その頃はLogicのUltrabeatという安っぽいのを使ってたんだけど、2年後にGeistというソフトウェアと出会ったことで、曲作りの仕方が一変したの。LogicとGeistを組み合わせながらの制作は自分のワークフローとすごく合っていて、アイデアもどんどん湧くようになった。

今回のアルバム収録曲とは別に、まだ世に出ていないデモもたくさんありそうですね。

TW:何百とあるわ(笑)。

そういう自分の曲って、どういうモチベーションで作っているんですか?

TW:普段から音楽をよく聴いていて、そこから自分でも曲を作りたくなるの。それで、真っ白なキャンパスのうえにいろいろ描いていくうちに、最初に想定していたのと違う方向にどんどん進んでいったりして。そういうのが楽しくて仕方がないのよね。

へぇ。

TW:例えば、アルバムに“Mykki”という曲があるでしょ。これはミッキー・ブランコの“Wavvy”を聴いていたときに生まれた曲で、ワーキング・タイトルをそのまま採用したの。とはいっても、彼の音楽とはまったく雰囲気の違う曲になったんだけど、サビの部分で「make it feel」と歌ってるくだりが、なんとなく「Mykki」って聴こえる気もするのよね。

じゃあ、6曲目の“Dram”はラッパーのDRAMから?

TW:違う(笑)。これは「ドラマティック」からきているの。

話を伺いながら納得するところも多いですが、ギタリストによるソロ・アルバムだからといって、ギターを弾きまくる類の作品ではないですよね。音作りについてはどんなテーマを設けていたのでしょう?

TW:ただ感じるがままに、それぞれの曲に相応しいものを作っていった感じかな。出だしのパートにギターを入れるのがベストだと思ったら弾くし、他のサウンドを入れるべきだと思ったらた迷わずそうする。自分がキュレーターだとしたら、楽曲はアートギャラリーね。私はギャラリーにさまざまな絵画を並べることで、一編のストーリーを作り上げていくの。そもそも、私自身いろんなパーソナリティをもっていて、ギタリストであることがすべてではない。「この楽器じゃなきゃいけない」というこだわりは特にないのよね。

ウォーペイントの一員という立場を一旦離れて、ソロになったからできたことってなんだと思いますか?

TW:ベースが弾けることかな(笑)。あと、ドラムビートを自分で作ったりね。音楽を作るのは、自分がどういった人間であるのかを理解する手段でもあると思うの。今回は私自身のためにアルバムを制作したから、いつもより自分のなかに深く潜り込むことができたと思う。きっと私は、そういう探究心が強い人間なんでしょうね。

このアルバムは、エレクトロニック・ビートも聴きどころだと思います。ヒップホップやファンクの要素も感じましたが、どんなことを意識しながら打ち込んだのでしょう?

TW:うまく言えないけど、Geistを通じて自分好みのサウンドを見つけたり、それらをPro Toolsで組み立てながら、ピッチを下げたり、フィルターをかけてファジーで温かみのある音にしていく感じかな。そうやってループを作ったら、そのバリエーションを構築していく。個人的には、ストレートなものよりもランダムな要素を入れていくほうが好き。

なるほど。

TW:私がヒップホップを好きな理由のひとつは、完璧なループさえ用意できたら、あとはそれを永遠に鳴らしているだけで曲が成立するところ。それって物凄くパワフルだと思う。あとはそうね……私の場合は、必要に応じて生ドラムも入れるようにしている。100%エレクトロニックではないかな。

いまの話にもあったように、BPMが全体的に緩やかですよね。

TW:そうね。ムードのある音楽が作りたかったし、聴き手に押し迫るようなものではない、ダウンテンポなアルバムにしたかった。でもグルーヴはあるはずだし、スロウだけど踊ることのできる音楽になっていると思う。だからこれは、夜向きのアルバムじゃないかな。

あと、歌声の使い方も興味深かったです。ウォーペイントにはあなたも含めて複数のヴォーカリストがいますけど、ここではコーラスで自分の声を重ねたり、普段と違うアプローチに取り組んでいますよね。

TW:それはハーモニーが大好きだから(笑)。ただ、声を重ねすぎるのもそんなに好きではないの。だから、(音を重ねない)一本のヴォーカルをよりよく聴かせようというのは意識したわ。そうすることで、サビで声を重ねたり、曲が進むにつれて和音を増やしたり――チョコレートケーキのように豊潤なハーモニーも活きると思うから。あと、ハーモニーのなかに低音が結構入っているはずだけど、そういう声の使い方がもたらすフィーリングも好きなの。

収録曲でいうと、“Love Leaks”のハーモニーはいいですよね。ゴスペルっぽさもあったりして。

TW:たしかに。5曲めの“Tutorial”にも、ゴスペルっぽい分厚いハーモニーが入っていると思う。


愛についてだったら、いくらでも曲が書けると思う。『ラヴローズ2』や『ラヴローズ3』だって作れるくらい(笑)。

ハーモニーという観点で、誰か好きなアーティストはいますか?

TW:いい質問ね。ヴィンス・ステイプルズの“Dopeman”かな。歌っている女の子の名前が思い出せないけど(筆者注:キロ・キッシュのこと)、ハーモニーの重ね方が素晴らしくて、あの曲には大いにインスパイアされたわ。あとはリアーナも……うーん、どうだろう(少し考え込む)。とにかく、ヒップホップのコーラスで好きなものはたくさんあるわ。

アルバムのゲストや制作陣のなかで、個人的にはマニー・マークの参加が気になったんですが、彼とはどのように知り合ったのでしょう?

TW:一緒にコラボしている友人を通じて知り合ったの。アルバムが完成目前のところでマークを紹介してくれて、2日間くらい一緒に音を出したりしているうちに意気投合してね。それで、彼の意見も知りたかったから、アルバムの音源を聴いてもらったら、「こうしたらどう?」って適切なアドバイスをしてくれたの。

前情報のせいもありますが、マークが参加している“Love Leaks”と“Tutorial”のメロウネスは、彼が鍵盤を弾いているビースティ・ボーイズのインスト曲とも重なる雰囲気がある気がします。

TW:どうだろう。さっき話したように、曲自体はほとんどでき上がっていて、彼はそこに少し音を加えてくれた感じだから。

一昨年、ウォーペイントの“New Song”をマイク・Dがリミックスしていたじゃないですか。だから、あなたがビースティの大ファンだとか、密接なコネクションがあったのかと予想していたんですが……。

TW:ううん、そうじゃないの(苦笑)。

そのあたりはさておき、ウォーペイントの『ヘッズ・アップ』では90年代のスタイルを意識していたそうですが、今回のアルバムもトリップホップなど、当時のある種の音楽と同じようなフィーリングを感じました。

TW:そこは全然意識してなかったつもりだけど、「トリップホップっぽい雰囲気だね」って感想にも納得できるの。ダークな曲調でビートがあるけど、かといってヒップホップではないし、やっぱり白人が作った音楽だなって。それに、もともとトリップホップの醸し出すムードは好きだったし、自分が若い頃にミュージシャンを志すきっかけをくれたのも、トリップホップのアーティストが多かったから。ようやくここにきて、自分でもそういう音楽が作れるようになったのかもね。

最初に「自分を掘り下げたかった」という話がありましたが、歌詞の面ではどういったことを伝えたかったのでしょう?

TW:テーマになっているのは、大きな意味での愛。実体験に基づくものもあれば、ファンタジーもあるし、束の間のロマンスや、失恋についても歌っている。ほかにも友情とか、自分を愛すること――いろんな種類の愛を歌っているけど、どの曲もすべて自分の人生経験から生まれている。私自身、母親でありながら、世界中をツアーで廻る生活をしていることに思うところもあってね。どこにも還る場所がないと感じることもあったけど、音楽こそが自分の居場所なんだなって、このアルバムを作りながら強く感じたの。

そうですよね。男女のロマンスのみに留まらない、広くて深い視点は歌詞からも伝わってきます。

TW:愛についてだったら、いくらでも曲が書けると思う。『ラヴローズ2』や『ラヴローズ3』だって作れるくらい(笑)。

愛(love)に法則(Law)があるとすれば、それはなんだと思いますか?

TW:人間関係における根本的な部分、もっとも根底にある法則こそが愛なんだと思う。お互いをリスペクトしたり、愛し合う気持ちがあってはじめて社会が成り立つわけで。でも、いまの時代は憎しみの感情が氾濫していて、バランスが取れなくなっている。

ええ。

TW:それに恋愛も含めて、人との付き合い方にはいろんな関係性があるわよね。ロマンチックなものに、友情とか家族との繋がりだってそう。それに、必ずしも上手くいく関係だけではないわけで。人との繋がりがうまく機能しなかったり、自分自身を大事にすることができなかったり、いろいろな事情で苦しむこともある。そういった話も含めて、私たちが生きていくうえで、愛はものすごく重要で大きな位置を占めている。それぐらい普遍的なテーマだと思うな。


jan and naomi - ele-king

 静かに尖っています……4月にリリースされたフル・アルバム『Fracture』がじわじわと話題のヤン&ナオミ。その収録曲“Forest”のMVが公開されているで、それをチェックしつつ、6月からのツアーの詳細も発表されているので、ライヴにも足を運んで欲しい。彼らへのインタヴューは近々ele-kingでも掲載されます!

“Forest” music video


ウェブサイト:https://janandnaomi.localinfo.jp/
ライブ情報: https://janandnaomi.tumblr.com/



■Fracture tour 2018
全公演チケット:前売り¥2,500 (税込・1Drink別・整理番号有り)
チケット発売 5/26(土)11時~
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■6/23(土) 札幌 PROVO
OPEN 19:00 / START 20:00 <チケット取り扱い>
PROVO電話予約:011-211-4821
メール予約:osso@provo.jp ※お名前・人数・連絡先をメールにてお送りください。
【問】PROVO 011-211-4821

■7/14(土) 福岡 UNION SODA
OPEN 18:00 / START 19:00 <チケット取り扱い>
チケットぴあ P-コード: 118-465
Live Pocket : https://t.livepocket.jp/e/4dw_4
メール予約 : info@herbay.co.jp
※お名前・人数・連絡先をメールにてお送りください。
【問】HERBAY 092-406-8466 / info@herbay.co.jp

■7/16(祝月) 京都 UrBANGUILD
OPEN 18:00 / START 19:00
guest : SOFT <チケット取り扱い>
UrBANGUILD HP予約:
https://www.urbanguild.net/ur_schedule/event/180716_fracturetour2018
【問】UrBANGUILD 075-212-1125

Mary Halvorson - ele-king

 なんだかよくわからない、が、なぜだか魅了されてしまう。メアリー・ハルヴォーソンが奏でる音楽はそのようにして聴き手の耳を掴まえていく。

 わからないとはいえいくつかの特徴を列挙してみることならできる。ゴツゴツと刻まれる乾いた弦の響き。流暢というよりはどこか無骨に辿られるフレーズ。あるいはエフェクト・ペダルを使用して急にピッチをあらぬ方向へと変化させ、メロディーやハーモニーがつんのめるような感覚に陥らせる奏法。むしろこれらの特徴は非常に強く表されていて、一聴して彼女が弾いているとわかるほどに個性的なサウンドだ。

 それだけではない。彼女が作る楽曲もまた特徴的なのである。どこかで聴いたことのあるメロディーが顔を覗かせたかと思えば、わたしたちの予想を斜め上方で裏切りながら、次から次へと奇妙な展開をみせていく。ポピュラー・ソングの断片がとてつもない想像力によって縫合されているかのようだ。楽曲のテーマというのは緊張から弛緩へと連なることで解決=快楽をもたらすものだが、ハルヴォーソンの場合はいつまでも経っても解決らしい解決が訪れることはなく、あるいはつねに緊張状態であり弛緩状態でもあり、だから聴き馴染みのある叙情的なハーモニーは琴線ではなくあくまでも鼓膜に揺さぶりをかけてくる。

 ポピュラー・ソングにはふつう喜びを表すメジャー・キーと悲しみを表すマイナー・キーがあるものの、ハルヴォーソンの音楽はこの二分法にまったくひっかかることがない、あるいはどちらにもひっかかりながら人間の複雑な感情を複雑なままに提示する。とにかくここには確立された固有の響きと固有の構造がある。だがそれらがなぜ魅力的に聴こえてくるのかはやはりわからない。聴けば聴くほどに謎は深まるばかりなのである。

 1980年に米国マサチューセッツ州ブルックラインで生まれたメアリー・ハルヴォーソンは、幼少期はヴァイオリンに親しみ、子供たちが集うクラシカルなオーケストラにも参加していたという。だが10代前半で出会ったジミ・ヘンドリクスの音楽に衝撃を受けてギタリストとしての道を歩むようになった。始まりはジャズではなかったものの、両親に勧められてイスラエル出身のジャズ・ギタリストのもとでギターを学び始め、ほどなくしてジャズの世界にのめり込んでいった。実は父親が大のジャズ・ファンだったらしく、家には聴ききれないほど大量のレコードがあったそうだ。

 高校卒業後はウェズリアン大学に進学しアンソニー・ブラクストンに師事する。ここでの体験が自らの音楽人生に決定的な影響を与えたことをハルヴォーソンは複数のメディアで公言している。ただし同時期にはギタリストのジョー・モリスによるプライベートなレッスンにも通っており、ブラクストン同様に大きな影響を受けたという。モリスの指導は非常にユニークなものだった。ハルヴォーソンが独自のギター・サウンドを獲得するために、スタイルの模倣には陥らないよう、モリスはギターではなくコントラバスを弾いて教えていたそうだ。ハルヴォーソンのあまりにも個性的なギター・サウンドとコンポジションは、ブラクストンとモリスというふたりの偉大なミュージシャンなくしては獲得しえなかったものであるに違いない。

 2002年にニューヨーク・ブルックリンへと拠点を移したハルヴォーソンは、04年に最初期のレコーディング作品をクレイトン・トーマス、中谷達也とのMAP名義でリリースする。当初はフルタイムで昼の仕事も兼ねていたというが精力的に音楽活動もおこない、アンソニー・ブラクストンをはじめトレヴァー・ダン、ウィーゼル・ウォルターら数多くのミュージシャンと共演。ドラマーのケヴィン・シェイと結成したアヴァン・ロック・デュオ「ピープル」やヴァイオリン奏者のジェシカ・パヴォーンとの継続的なデュオ活動ではメランコリックなヴォーカルも披露している。

 2008年には自身の名義による最初のアルバム『Dragon's Head』を〈Firehouse 12 Records〉から発表した。ベースのジョン・エイベア、ドラムスのチェス・スミスを従えたギター・トリオ編成を核としてハルヴォーソンの作曲作品を演奏するというコンセプトはその後も継続し発展していく。そこには師であるブラクストンの「より大きな編成のための作曲を」というアドヴァイスも影響していたようだ。10年から12年にかけてはトランペットのジョナサン・フィンレイソンとアルト・サックスのジョン・イラバゴンを加えたクインテット編成で2枚のアルバムをリリース。さらに13年にはテナー・サックスのイングリッド・ラウブロック、トロンボーンのジェイコブ・ガーチクを加えセプテットとして『Illusionary Sea』を出し、ここでリーダー作では初めて既存の楽曲のカヴァーもおこなった。16年にはペダル・スティール・ギターのスーザン・アルコーンを迎えオクテットとなり『Away With You』をリリース。その間に初のソロ・ギター作品でありジャズ・レジェンドから同世代まで様々なミュージシャンの楽曲のカヴァー集でもある『Meltframe』を完成させた。

 他にも数え切れないほどの録音があり、これまでに100枚を超すアルバムに参加してきている。だが一貫して言えることがひとつある。メアリー・ハルヴォーソンは確立された個性を身につけながらもつねに新しい音楽へと挑み続けているということだ。今回リリースされた『Code Girl』もまた個性的かつ新鮮な響きに溢れている。

 これまでソロを特異点としてトリオからオクテットまで共通したコンセプトのもとに〈Firehouse 12 Records〉からリーダー作を出し続けてきたことを踏まえると、メンバーを一新した本盤は方向性を大きく変えて新境地へと突き進んだものだとひとまずは言えるだろう。ベースのマイケル・フォルマネクとドラムスのトマ・フジワラはハルヴォーソンが2011年に結成したトリオ「Thumbscrew」のメンバーでもある。そこにトランペットのアンブローズ・アキンムシーレとヴォーカルのアミリタ・キダンビが加わった編成だ。そして本盤の特徴はハルヴォーソンがヴォーカリストとともに組んだ初のリーダー作であるという点にある。

 アミリタ・キダンビはこれまでダリウス・ジョーンズのア・カペラ・グループで活躍する一方で、ルイジ・ノーノやカールハインツ・シュトックハウゼンの声楽曲をこなすなど、クラシック音楽あるいは西洋現代音楽の分野でも才能を発揮してきたヴォーカリストである。ポピュラー・シンガーに比して器楽的に声を使用することに長けた声楽家としての技量が本盤では見事に発揮されている。歌は入っているものの通常のジャズ・ヴォーカル作品のように歌が主役としては聴こえない、それどころかまったく「歌もの」にさえ聴こえない。声がアンサンブルのなかにごく自然なかたちで溶け込んでいるのだ。それはどこかハルヴォーソンの歌声を彷彿させる物憂げなキダンビの声質にもよるのだろう。自らをあまり主張することのない声質と器楽的な声の使用法。ハルヴォーソンはおそらく歌声を特権的なものとして扱わずに他の楽器群と同等の地平で捉えながら、演奏全体がひとつのアンサンブルとして成立するように『Code Girl』を構想していたものと思われる。

 たとえば本盤ではキダンビを除いたインストゥルメンタル・トラックが2曲収録されている。“Off The Record”と“Thunderhead”だが、どちらも「歌声が欠如している」というふうに聴こえることがない。だからわざわざ他の楽曲と区別して「インストゥルメンタル」と呼ぶのも本当は正しくない。それほどこの2曲は他の楽曲と同じように、あるいは他の楽曲がこの2曲と同じようにアンサンブルとして成立している。

 極めつけはハルヴォーソンとキダンビのデュオ・トラック“Accurate Hit”だろう。ふつうギターとヴォーカルのデュオであればギターは歌声を彩る伴奏楽器になるわけだが、ここではコードのストロークとアルペジオに工夫が凝らされた、一小節ごとにサウンドのありようを変えていくハルヴォーソンのギターが前面に出てくる。もちろん歌声が反転してギターの伴奏を務めているわけではない。それは同じくデュオ・トラックである“Armory Beams”において、まるで鯨の鳴き声のようなアキンムシーレのトランペットの響きがギターと絡み合うように、声とギターが主従関係を結ばずに対話することで成り立つ音楽なのだ。いずれにしても本盤はジャズ・フォーマットに則りヴォーカル・アルバムとしての体裁を保ちつつ、メアリー・ハルヴォーソン色に染め上げられた奇妙にポップなコンポジションのなかで声をアンサンブルに溶け込ませた傑作であると言えるだろう。

 ちなみに『The Wire』のウェブ版では本盤を制作するにあたってハルヴォーソンがインスピレーションを受けたという楽曲のプレイリストが掲載されている。「種明かし」というよりも、こうした影響源がありながらこれまで述べてきたようなアンサンブルが編み上げられてしまう「離れ業」のほうに驚きを感じる。なぜ『Code Girl』のような傑作が生み出されたのか。やはりメアリー・ハルヴォーソンの音楽は謎めいている。

Superorganism - ele-king

 サムシング・フォー・ユア・マーイン、といえば90年代テクノ・キッズにとってはスピーディーJの1991年の代表曲(2001年にはファンクストラングによってリミックスもされている)なので、元ネタのC’hantalの"The Realm"の同じフレーズをサンプリングどころかもっと大胆に引用して脱力ポップ・サウンドに仕立てた"Something For Your M.I.N.D."が掌の上の小さなスマートフォンから見知らぬプレイリストに乗って流れてきたときには、その強烈なインパクトに思わず動作が止まったものだ。
 スーパーオーガニズムは昨年のその時点でまだ謎の存在で、そこからこの曲はどうやらフランク・オーシャンやヴァンパイア・ウィークエンドのエズラが紹介したことがきっかけで人気に火が付いたらしいと判明し、ヴォーカルが17歳の日本人の女の子だという話題性も加わって世界と同時進行で日本でも徐々に注目されていく。
 今年2月の初来日公演はファースト・アルバム発売前にも関わらず、なんとソールドアウト。インターネットを介してじわじわと浸透していくスピードはいかにも現代的で、見ていて痛快だった。"Something For Your M.I.N.D."はいまやサッカーゲームの「FIFA18」のサウンドトラック曲として、ザ・XXやスロウダイヴ、ザ・ナショナルなどの大御所とともに使用されているほど。

 そもそもスーパーオーガニズムの構造自体が面白い。アメリカに在住していたヴォーカルのオロノが2015年の夏休みに帰省した際に、来日していたジ・エヴァーソンズのライヴを観に行ったことをきっかけに彼らとインターネット上で交流を深めていき、バンドのメンバーのうちの4人がコーラス兼ダンサーの3人を加えて新たに始めたプロジェクトのヴォーカルにオロノが大抜擢された、と何だか架空のプロフィールのようによくできた話。
 軽快なビートに親しみやすいメロディと超ダルそうな歌声を重ねた不思議な音はかつてのチボ・マットを彷彿させ、デーモン・アルバーンの新しいプロジェクトだと疑われたというのも納得できる。多国籍なメンバーで構成されたサンプリング多用のヒップホップ的な感覚はザ・ゴー!チームと似ているかもしれない。
 しかし実際の彼女たちの映像を覗いてみると、敢えて狙ったような荒っぽさやローファイ感は一切感じられないニュータイプのようで、メンバーのなかで誰よりも若くて小さいオロノは奇妙な仲間を引き連れた賢者のように勇ましく見えるし、まったく愛想を振りまかずに堂々としているところもステレオタイプな日本人のイメージを覆せと言わんばかりでカッコいい。
 現在8人のメンバーはイギリスのシェアハウスにて共同生活を行っているそうで、曲づくりは基本的にチャットグループの会話でアイディアを出し合い、ファイルを共有して制作されているのだとか。しかし現代のテクノロジーを駆使しながらも世の中の主流に異を唱える姿勢はしっかりと見せ、アーティスト写真にしか登場しないロバートがMVなどの映像制作を、ドラムのトゥーカンがミキシングを担当、ジャケットのイラストはオロノが手掛けるという徹底したDIYっぷり。

 ちょうど最近目にした文章の中にDIYについて書かれた興味深い一文があって、それによると、DIYには自分で人生をコントロールできると感じ、疎外感がなくなる利点があるという。何かを生み出すことでしくみがわかり、視点が変わり、世界が違って見えるということ。スーパーオーガニズムの音楽のなかでは目覚ましが鳴り、鳥が鳴き、水が流れ、子供たちが笑い、りんごをかじる音が聞こえ、ゲームの音や緊急地震速報やクラクションが鳴らされる。そこに無機質なドラムが歪んだギターと強度のあるモーグシンセが絡まってストレンジな音に膨れ上がると、上がりすぎた熱を下げるようなクールな歌声が聴いている者を気軽に出入りできる自由な空間へと導く。コーラス隊の奇妙なダンスも、シンセを操るエミリーの耳で揺れるイヤリングも、キラキラと光るフェイスペインティングも、どれもが音楽の一部として自信に満ち溢れ、存在感を放っている。それは新しい世界のように眩しくて、生き生きとして、未来のようでもあって。

俺とお前でこの世界を照らせるんじゃないかな
今夜はみんなスターなんだ
なんでだかは知らないけど

 そう歌う"Everybody Wants To Be Famous"だけは、アルバムに収録されている曲のなかで唯一、公開時のアートワークをオロノではなく日本人の高校生の伊勢健人が手掛けている。一昨年ザ・コレクターズの30周年記念シングル"愛ある世界"のジャケットのイラストを描いた彼もまた、元々オロノとネット上の友だちだったそう。ほらね、現代には国や性別や年齢や経歴が違う人たちと気軽に交流できる便利なツールがあって、その気になればひとつに集まって超個体(スーパーオーガニズム)に変身できるのだ。隣にいる嫌なやつはあんたの仲間じゃない。だから仲良くしようじゃないか、世界と。

interview with Kamaal Williams - ele-king

 まずは“Catch The Loop”を聴いてくれ。


Kamaal Williams
The Return

Black Focus/ビート

Broken BeatJazzFunk

Amazon

 ジャズ・ファンクにはじまり、ヒップホップ・ビートに転じるこの展開はそうとうに格好いい。この曲を聴けば、カマール・ウィリアムスのアルバム『ザ・リターン』への期待も膨らむというものだ。もう1曲チェックして欲しいのは、“Salaam”という曲。ドラム、ベース、そしてキーボードというシンプルな構成を土台に、この音楽はアクチュアルなファンクを描く。ときには突っ走り、ときにはスローに展開するが、エネルギーが損なわれることはない。
 さて、カマール・ウィリアムスとはヘンリー・ウーの本名で、ヘンリー・ウーとはこの2〜3年のUKのディープ・ハウスを追っているファンのあいだではわりともうビッグネームである。生演奏のときはカマール・ウィリアムス、打ち込みのときはヘンリー・ウーというわけだ。中国系とアラブ系の両親を持つ彼は、多人種が暮らしている南ロンドン・ペッカムで生まれ育ったトラックメイカーであり、キーボード奏者。10代前半でヒップホップにはまって、やがてごくごく自然にロイ・エアーズやロニー・リストン・スミスやドナルド・バードなどを聴き漁るようになった彼のバイオ的な話は、別冊エレキングのジャズ特集「カマシ・ワシトン/UKジャズの逆襲」に長々と収録されているので、宣伝になってしまうが、ぜひそちらを読んで欲しい。生粋のペッカムっ子である彼が、ペッカム出身ではない人間が運営する〈Rhythm Section International 〉において、なぜ「Good Morning Peckham」なるEPを出したのかというエピソードは、自分が言うのもなんだが、じつに面白い。
 以下に掲載するインタヴューは、誌面に載せきれなかった部分であるが、これを読んでいただければ、フィーリングはつかめると思う。カマール・ウィリアムスたちのコミュニティがどんな感じで、この音楽がどんな風に生まれたのか──それではweb版「UKジャズの逆襲(2)」、カマール・ウィリアムスのインタヴューをどうぞ。

あの手の音楽をいまの時代に持ち帰ってきて、新たな聴き手に提示する、そうやって再びクールなものに、いまの人びとにとっても今日性のあるものにしたい、そういう責任を感じた。で……自分はその役目を果たしたな、そう思っていて。だからだしね、バグズ・イン・ジ・アティックに4ヒーロー、それにベルリンのジャザノヴァみたいな人たち、彼らがみんな、俺を「同類」と看做してくれるのは。

とてもムードがある作品だと思いましたが、今作においてあなたが重視したのはどういった点でしょうか?

KW:俺たちが重視したのは……まず何よりも、「自分たちはある時間のなかのある瞬間を捉えようとしているんだ」っていう、そのアイディアだね。

ああ、なるほど。

KW:ある時間のなかに生じる瞬間、それを捉えるのは、俺からすればもう……本当の意味での「旅路」だったからね。っていうのも、まず第一に……俺はユセフ・カマールを作り出して、あれは本当にビッグなものになったけれども、にも関わらず、(YK解散によって)俺はまた一からやり直さなくてはいけなくなったわけ。だから、作品にあるエネルギーやエモーション、それらは部分的には悲しみだったし、葛藤でもあったし、と同時に歓喜も混じっていた、と。というのも、俺は自分を改めて発見しなくちゃならなかったからね。自分でも思ったんだ、「人びとは俺のことを信じていないな」と。だから、みんな疑っていたんだよ、「ヘンリー・ウーはこれで終わった。あれが彼の絶好のチャンスだった、ユセフ・カマールが彼のひとつっきりのチャンスだったのに」って具合に。

それは厳しいですね……。

KW:ほんと、そう言われていたんだよ。「せっかくのチャンスをあいつは潰してしまった」って風に。メイン・ステージに出ることができて、みんなが音楽に耳を傾けていたのに、ユセフ・カマールは解散してしまった、と。で、そこからどうやってお前にカムバックができるんだ? と。

あらためて自分の実力・力量を証明しなくちゃならなかった、と。

KW:そう、そういうこと。「ファイト」だった。だからあのアルバムは自分を再び証明する、そういう作品だし──とは言っても、別に他の連中に自分を証明するってことではなくて、自分自身に「自分はやれる」と証したかっただけだけどね。それもあったし、神に対しても自分を証明したかった。だから、「神よ、もう1回俺たちにチャンスを与え給え」と……そうやって、どうぞ自分に家族を支えていけるようにしてください、と。っていうのも、音楽が俺の生き方なんだし、音楽の面でうまくやっていけないと、自分には何もないからさ。

(笑)それってもう、いにしえのジャズ・ミュージシャンみたいな生き方ですよね。

KW:(苦笑)。

アルバムに参加したメンバーについて教えて下さい。ドラムのマクナスティとベースのピート・マーティンについて教えて下さい。彼らはどのようなミュージシャンなのでしょうか?

KW:マクナスティは友だちで、彼とは8年来の付き合いだね。一緒にプレイしたことがあって……一緒にいくつかショウで共演したんだ。で、会ってその日に即、すっかり意気投合して仲良しになってさ。「わぁ、こいつ良い奴!」みたいに、たちまちお互いに親愛の情が湧いたんだ。だから、たまにいるよね、会ってすぐに「うん、こいつとは理解し合える」って感じる、そういう相手が。

ええ。

KW:で……でも、彼とは8年音信不通でね。いや、っていうか、共演した後の7年間かな、それくらいコンタクトをとっていなかったんだ。彼も忙しかったし、子供が3人いる人で、南アフリカに住んでいて。で、ユセフ・カマールが解散したとき、彼に電話をかけたんだよ。「マクナスティ、いまどこにいるんだ?」と。彼の返事は「南アフリカに住んでる」ってもんで、俺は「どうしてもお前に南ロンドンに戻って来て欲しい」と。「俺のために、ひとつギグをやってくれないか?」と。で、「自分にはすごく大事なギグが控えていて、細かいことをいまここでいちいち説明している余裕はないんだけど、お前がロンドンに来てくれたらすっかり説明してやるから、とにかく来い」と(苦笑)。

(笑)はい。

KW:彼は「ほんとにぃ? マジな話なの、それって?」と怪しんでいたんだけど、俺は「いや、これはマジにシリアスな、めちゃ大事な話だから!」と。

(笑)。

KW:で、彼に言ったんだよ、「(彼がロンドンにいた)2010年以降、いろんなことが起きたんだって!」と。だから、あの頃とは違って、俺は自分自身のプロジェクトをやっていて、自分の拠点も持っているし、サクセスも掴んでいるんだよ、と。彼はそういった過去数年の変化をまったく知らなかったんだ。というわけで、彼は南ロンドンに戻ってきてくれた、と。で、彼が戻ってきて……彼に会ったのはキングス・クロス&セント・パンクラス駅だったな(※同駅はユーロスターの発着所のひとつ)。

はい。

KW:で、俺たちはそのままブリュッセル、ベルギーに向かうユーロスターに乗り込んだ、と。ってのも、俺が話していた「ギグ」の第一弾は、ブリュッセル公演だったから。彼に言ったんだよ、「イギリスに戻ったら、そのままキングス・クロス&セント・パンクラスに直行してくれ」と。ってのも、ブリュッセル行きの列車が発車するまで10分しか余裕がなかったから。

ハハハハッ!

KW:(笑)で、彼はホームに走ってきて、「来たよ!?」と。そんなわけで、俺たちは列車に間に合って──

(笑)。

KW:その晩のギグに向かった、と。会場に直行して、そこでサウンド・チェックをやることになったんだけど、会場は広くてね。キャパは1000人くらい。で、会場を前にして、マクナスティは「おい、本当にここでいいのか? 住所間違ってるんじゃない?」みたいな。

(笑)。

KW:こっちは「イエス! 俺たちは今夜ここでプレイするんだよ」と答えたわけ。そしたら、マクナスティが「以前、自分もここでプレイしたしたことがあるよ」と教えてくれてね。何年も前の話だけど、彼は当時人気のあった、すご〜〜くビッグなポップ・アーティスト、キザイア・ジョーンズって人のバックで演奏したことがあったんだよ。

ああ、覚えてます。

KW:……(苦笑)で、マクナスティに「なあ、ヘンリー? なんだってお前はこの会場、キザイア・ジョーンズと同じヴェニューでライヴをやれるようになったんだ??」と訊かれたから、俺は言ったんだ、「ギグにようこそ! いらっしゃいませ!」と。

(笑)。

KW:(笑)。で、そのショウを終えた後……彼はすっかり状況を気に入ってしまってね。「すごい、信じられない!」みたいなノリで、バンドに残る、と言ってくれて。ロンドンに戻るし、このギグは続けたい、と。そんなわけで、その後の12ヶ月間、彼は俺のドラマーになってくれた、と。

ピートはどうですか?

KW:ピート、彼は……当時はトム・ドゥリーズラー(YKのメンバー)がベースを弾いてくれていたんだけど、ギグを2本終えたところで、トムが言ってきたんだよ、「どうだろう、自分はこのギグには不向きな気がするんだけど」と。ってのも、変化したからね。マクナスティが加わったことでリズムが変わったし、ヴァイブも変わった。だから俺たちは、誰か……新しいヴァイブにフィットする人間を見つけてこなければならなかった、と。そしたらマクナスティが「ぴったりの人材を知ってる」と言い出して。「その人は6年近くプレイしていないし、彼の連絡先も知らないけど、とにかく探し出そう」ということになって。そこで彼の連絡先を突き止めて、マクナスティが彼に電話してっていうね。

ああ、そういうことだったんですね。

KW:で、ピート、彼は俺たちよりもずっと歳上でね。彼は50歳なんだ。90年代末から00年代にかけて、コートニー・パインともプレイしたことがあったんだよ。

わーお。

KW:だから、コートニー・パインのバンドのベーシストだった、と。それにピートはデニス・ロリンズ、フランク・マッカムといった優れた面々ともプレイしてきた、そういうUKベーシスト界のレジェンドみたいな存在なんだけど、長いこと活動していなかった、もうギグはやらない、という状態にいたんだよ。ところがマクナスティが「これは特別だから!」と彼を説得して。
 で、この作品のストーリーにはマクナスティの帰還って面も含まれていて、彼が音楽の本当のエッセンスに帰ってきた(returning)、という。ってのも、彼はここ10年近くポップ・ミュージックをプレイしていたし、だからこれは彼が本当に愛する音楽に帰還した、という意味でもあるんだ。それはピート・マーティンにしても同じことで、彼もまた、彼の愛する音楽のエッセンスに回帰を果たした、という。
 ってのも、忘れちゃいけないのは、ピート・マーティンは70年代に育った人だし、ウェザー・リポートにハービー・ハンコックに……だから、彼はああいうレコードが発表された当時、まさにその頃にベースを学んでいたっていう。俺が後にHMVで買いあさっていたああいうレコード、ドナルド・バードだとか(※別冊ジャズ特集参照)、ああした作品が世に出た頃に彼はもうこの世に生きていて、ああいうベースラインを自分のベッドルームで弾いていた、っていうね。
 だから、彼からすれば「おおー、こういう音楽がまだいまの時代に存在するのか!」ってもんだったし、マクナスティにとってもそれは同じだった。俺としては「カムバックするぞ」という思いだったし、映画みたいなものにしたいな、と。
 だから、俺たち3人が集まった経緯も映画っぽかったし、そこで「オレたちにはまだもうひとつ、やり残した仕事がある」みたいな。そんなわけで、とてもエモーショナルな作品なんだ──っていうか、俺は毎回音楽を通じて自分のエモーションをチャネリングさせているんだけどね。決してただ単に「こういうサウンドの音楽を」ってだけの話ではないし、その音楽をプレイしていて、そこで自分は何を感じているのか、自分は何を考えているのか? そこだからね。で、あそこで考えていたのは、「これが自分に残されたすべてなんだ」ってことで。だから、「もしもこれが俺にとっての生き残っていくための術(すべ)であるのなら──どうか神様、お願いです、俺にチャンスを与えてください」と。そして、「どうか、この音楽が聴く人びとにとって何か意味を持つものにしてください」と。この音楽をプレイすることで、人びとに何かをお返ししたい、そうやって聴く人びとが喜びを感じ取ったり、あるいは彼らに安心感を与えられれば、と。

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ああ、シャバカ! シャバカはレジェンドだよ! 彼とは2009年に一緒にプレイしたことがあってね、ブリクストンで。ちょっとしたジャム・セッションを彼とやったんだ。だから彼のことは知ってるし、彼は本当に長いことプレイしてきた人だし、うん、ものすごくリスペクトしているよ。とても、とてもリスペクトしている。

お話を聞いていると、あなたは「松明を受け渡す」ということにとても意識的みたいですね? あなた自身のヘリテージはもちろん、ジャズからダンス・ミュージックに至る長く多岐な歴史、その歴史を受け継ぎ、そして未来の世代に渡していこうという、その意識はあなたの音楽的なDNAなのかもしれません。

KW:うん、その点は間違いなくあるね。

どうしてそういう意識が強いんでしょう? その「伝統の継承」が、現在のシーンには欠けているから?

KW:うん、だから、どこかにそういう人間がいなくちゃいけない、というか……思うんだよね、要するに、デジタル音楽が一般的になって──ダウンロード、ストリーミングなんかが発展していった時期……2006年後期から2008年くらいの時期だったと思うけど、あの時期に、たくさんの音楽やアーティストが消えてしまったんじゃないか?と。たとえばバグズ・イン・ジ・アティックとか、アシッド・ジャズ系のアーティストとか。というのも、あの時期はまだいまみたいなソーシャル・メディア網が存在していなかったし、彼らのようなアーティストたちにはソーシャル・メディアという手段がなかったわけ。

なるほど。

KW:彼らは違う世代から出て来た人びとだし、彼らはこの、新たに変化した音楽産業にどう適合していいか、そのやり方を知らなかった。そんなわけで、彼らのような世代のアクトたちは(デジタル・メディア/音楽の世界から)姿を消してしまったんだよ。だから、俺の系統の元にあった人たちはみんな消えてしまった、みたいな。
 対して俺は、ソーシャル・メディア時代に生まれた、っていうか、ぎりぎりその世代に含まれる時期に生まれたわけだよね。だから自分は新世代の人間だし、でもああしたかつての音楽を聴いていた、と。そこで感じたんだよ、責任感を。あの手の音楽をいまの時代に持ち帰ってきて、新たな聴き手に提示する、そうやって再びクールなものに、いまの人びとにとっても今日性のあるものにしたい、そういう責任を感じた。で……自分はその役目を果たしたな、そう思っていて。だからだしね、バグズ・イン・ジ・アティックに4ヒーロー、それにベルリンのジャザノヴァみたいな人たち、彼らがみんな、俺を「同類」と看做してくれるのは。
 というのも、俺の音楽を聴けば、彼らにも俺が彼らの音楽を聴いてきたこと、彼らの音楽を聴いて育ってきたのがわかるだろうし、しかも、いまや俺は彼らを再びシーンに引き戻すこともできる、と。今後、自分のレーベル、〈Black Focus〉からアフロノートのアルバムを出すつもりだし、カイディ・テイタムやマーク・フォースのアルバムも出そうと思ってる。そうやって、彼らを新しい時代に生き返させることで、自分の受けてきた彼らからの影響に敬意を表したい、ということなんだ。

“Rhythm Commission”のようなディスコ調のファンク、こういうリズムはペッカムのハウス・シーンのトレードマークのひとつと見て良いと思いますか? 〈Rhythm Section International〉あたりから出てくるサウンドもこのようなリズムが多く見られます。

KW:っていうか、あれは「ペッカムのトレードマーク・リズム」じゃなくて、「ウーのトレードマーク」なんだよ。

(笑)なるほど、了解です。

KW:(笑)だから、ヘンリー・ウーのトレードマークってこと! あれが俺のシグネチャー・サウンドの鳴り方なんだ。アルバムのなかに何か、橋渡しをするもの……ジャズ・ファンクとハウスとの間のギャップを繋げるもの、そういうものを入れたかったからね。だからあの曲は、むしろ「ヘンリー・ウーのチューン」、「ヘンリー・ウーのビートが鳴ってる曲」みたいな。だからなんだよ、あの曲をアルバムに入れたかったのは……アルバムはもちろんバンドと作ったけれども、あの曲を含めることで文脈の繫がりを見せたかったっていうか、「ほらね、(名義は違うけれども)中身は同じなんだよ」と。だから本当に、聴き手にこのアルバムをじっくり聴いて欲しいと思っていて。エレクトロに聞こえることもあれば、ジャズ・ファンクな面もあって、新しいんだよ。だから、ただ単に(昔ながらの)「ジャズ・ファンク・アルバム」ではないし、モダンなサウンドやシンセも入っている。わかるよね? だから、フレッシュなものにしたかったんだよ。

“LDN Shuffle”に参加しているマンスール・ブラウン(Mansur Brown)ですが、彼はTriforceで演奏して、今年のはじめに出たコンピレーション・アルバム『We Out Here』にも参加していますよね。

KW:うん。

で、あなた自身はシャバカ・ハッチングスやジョー・アーモン・ジョーンズなんかとも繋がりはあるのでしょうか?

KW:ああ、シャバカ! シャバカはレジェンドだよ! 彼とは2009年に一緒にプレイしたことがあってね、ブリクストンで。ちょっとしたジャム・セッションを彼とやったんだ。だから彼のことは知ってるし、彼は本当に長いことプレイしてきた人だし、うん、ものすごくリスペクトしているよ。とても、とてもリスペクトしている。ジョー・アーモン・ジョーンズ、彼は逆にすごく若い世代って感じの人で──

エズラ・コレクティヴをやっている人ですよね?

KW:そう、エズラ・コレクティヴ。で……彼はもっと若いし、グレイトな、ファンタスティックなミュージシャンだと思う。すごく優れたキーボード奏者だよ、彼は。ただ、シャバカは……彼のことは本当に昔から覚えているし、だからそんな彼がいまや有名になって雑誌の表紙を飾ったりするのを見るのは、俺も本当に嬉しいんだ。彼に対してとても良かったな、と思う。ってのも彼は実にハードに働いてきた人だからね。10年経ってもまだがんばって活動を続けている、そんな人がいまや成功を収めるようになった、そういう光景を見るのは俺には最高なんだ。そういうのを眺めるのは大好きだね。

“Broken Theme”のような曲もまた、あなたなりのブロークン・ビーツの挑戦ということだと思うのですが、カイディ・テイタムやディーゴのようなオリジナル世代からの影響はありますか?

KW:うん、それは確実にそう。彼らからはものすごい、ビッグな影響を受けたよ。ああいう連中は……だから彼らは、いまの俺がやっていること、それと同じようなことを過去にもうやっていた、みたいな。もちろん、彼ら独自のスタイルで、ね。彼らみたいな人たちがほんと、フュージョンの手法を開拓していったんだし……っていうか、ディーゴ、彼はドラムン・ベースのオリジネイターだったからね、彼があれを見つけたっていう。彼みたいな人たちだったんだよ、ドラムン・ベースをはじめていったのは。で、それが後になってブロークン・ビートの一部になっていったわけだし、一方でカイディはちょっと若い世代で、だから彼はブロークン・ビートにそのまま入っていって……カイディはアメイジングな人だよ。ってのも、彼はライヴでの演奏もできるし、しかもビートも作っていたから。だから彼は、俺みたいなアーティストなんだよな。

なるほどね。

KW:でも、カイディに関して言えば、彼はバンドとのライヴ・アルバムを1枚も作ったことがなくてね。で、俺は「彼があのバンドとのライヴ作品を作っていてくれたらなぁ」と思ってしまうんだ。というのも、彼がバンドとやったライヴは何回も観たし、どのショウも素晴らしくて。だから「なんで彼はあのバンドとの生演奏のライヴ、あのショウを作品化しなかったんだろう? 惜しい!」と。そんなわけで、俺はいまだにカイディにお願いし続けているんだよ。「カイディ、ぜひライヴ・アルバムを作ってくださいよ」って。

今作を作るにあたって、70年代のロイ・エアーズであるとかロニー・リストン・スミスのような人たちの作品を参照しましたか?

KW:ああ、そういう人たちみんな、だね。アルバムのサウンド、そして自分たちがどんなものをプレイしたいか、その面で大きな影響だった……それから、ヴァイブなんかも。まあ、俺が本当に一番好きな時代、それは70年代だ、みたいなもんだしね。ロニー・リストン・スミス、ロイ・エアーズ、ハービー・ハンコック、ウェザー・リポート……ああいったレコードは、俺のオールタイム・ファイヴァリットなんだ。

カール・クレイグのインナーゾーン・オーケストラの作品なんかはあなたの今作『ザ・リターン』とも似たムードを持っているんじゃないでしょうか?

KW:なるほど……。でも、正直なところ、彼らのアルバムはちゃんと聴いたことがないんだよ。だから何とも言えないけど、うん、もちろんカール・クレイグはよく聴いてきたし、彼の音楽がどういうものかは知っているけど、そのアルバムは聴いたことがないな。

なるほど。いや、あなたの友人であるK15はデトロイトのカイル・ホールのレーベル〈Wild Oats〉からも作品を出していますよね。なので、そういうデトロイト繫がりがあったのかな? と。

KW:ああ、まあ、俺はデトロイトの音楽は何でも好きだしね。それに、K15(ケー・ワン・ファイヴ)、彼はたしかにモロにそういう感じだし、彼はデトロイトから強く影響を受けているから。

ヒップホップで育ったあなたがラッパーとは組まないのは何故でしょうか?

KW:いや、ラッパーと仕事はしているんだけどね。ただ、これまでの段階では、まだちゃんとしたものはやっていない、というか……作品はまだ何もリリースしていないんだ。というのも(やや慎重に言葉を選びながら)──UKラッパーたちというのは、いずれ俺も一緒にやっていきたいと思っているけれども……自分は過去にもうやってしまったことだからね。ガキの頃、成長期の若かった自分の背景はUKラップにあったわけで、それはもう自分はやり終えたことだ、みたいな。そこから自分は前進・発展していったと思っているし……それにUKヒップホップは、現時点ではそんなに良い地点にいないんじゃないか?と思ってもいて。俺が大きくなっていった時期、あの頃のUKヒップホップはすごく良かったけれども、いまではMC云々という意味で言えば、むしろグライムの方が「UKの声」になっていると思うし。でも、いずれ将来的にはMCやラッパーと仕事したいと思っているよ。

さきほども話に出ましたが、あらためて訊くと、アルバムのタイトルの『ザ・リターン』とは何を意味しているのでしょうか?

KW:俺たちの帰還──音楽の本当の意味でのエッセンスに回帰していくこと、音楽の純粋さに立ち返る、ということなんだ。だから、俺は、俺は……自分のハートに戻っていくんだ、と。自分のハートに響く音楽に戻っていく、というね。それに、一緒にプレイしてくれるグループ、彼らとも素晴らしいコネクションを結べているし、とにかくポジティヴなんだ。これはポジティヴな帰還だよ。……それに、ちょっと映画っぽいよね? だから、俺はブルース・リーの映画『Return of the Dragon』(※『ドラゴンへの道』のアメリカ公開タイトル)が好きだし(笑)。だから、そういう面も少しある作品なんだ、映画みたいに作った、という。

K15とのWu15プロジェクトでの作品は予定されていますか?

KW:うん、ぜひやりたいね! ってのも、日本のブラザーたちがこのアルバムを気に入ってくれるのは自分でもわかるし、俺が日本に行くと彼らはK15も聴いてくれていて……K15は俺の大親友のひとりなんだ。だから、彼と俺とで一緒にアルバムをやることになった暁には──それはきっとすごくスペシャルなものになるはず。で、そのときは間違いなく、東京にいるブラザーたちが真っ先にそのニュースを知るようにするよ! うん、なるべく早くKu15のアルバムを作れたら良いな、そう思ってる。

※なんどもうるさいですが、このインタヴューの前半は、5月30日発売の別冊エレキング『カマシ・ワシントン/UKジャズの逆襲』に収録されております。カマール・ウィリアムスの良い兄さんぶりをぜひ、そちらでもチェックしてください。

Courtney Barnett - ele-king

 自信? あるわけないだろ。ぼくたちは不安の時代に放り出されている。セルフヘルプというアメリカ型ビジネス社会の生き方がほぼ世界基準となっている今日では、それ相応に賢く生きる人は多いし、移民のような社会的に不利な立場の人たちのなかにもテメーのことはテメーでやらんとなと腹をくくって逞しく生きている人が少なくないことは、音楽を聴いている人にはよくわかる。そして、もちろん、そこで腹をくくれない人たち、逞しくなれない人たちもいる。いつだって気が晴れない、どんなに強い酒を飲んでもこの違和感だけは払拭しようがない。コートニー・バーネットはそうした不安定さを生きる、不安を生きざるを得ない人たちにとっての最高のソングライターである。『ときには座って考えて、ときにはただ座る(Sometimes I Sit And Think, And Sometimes I Just Sit)』に続く彼女のセカンド・アルバム、『あなたが本当にどう感じているのか私に教えて(Tell Me How You Really Feel)』は期待通りの内容だ。

 一匹狼とも言えない
 普通の人にもなれない “Hopefulessness”

 1曲目の題名、強いて訳せば“より少ない希望”とでもなるのだろうか、この言葉はさりげなく彼女の特徴を表している。何故コートニー・バーネットが世界で支持されているのかといえば、オーストラリアのこの女性ロッカーは、もとよりロックが扱っていた疎外感や失意といった負の感情をじつに的確に、そしてうまい具合に叙情的に描いているからだ。まあ、生徒会長めいた社会派なんぞではない、いまや貴重な(?)素晴らしき内省派というわけだ。
 話が逸れるが、たったいま、2018年の上半期のベスト・ポップ・ソング20というコラムを来月末発売の紙エレキング用に書いているのだけれど、3曲はすぐに言える。アンノウン・モータル・オーケストラの“いまや誰もが狂ったふりをする(Everyone Acts Crazy Nowadays)”、ヤング・ファーザーズの“Toy”、そしてコートニー・バーネットの“Need A Little Time”。本当によく聴いている。ちなみに3曲ともロック・ソングで、つまりロックはいまでもぜんぜん生きている。で、この3曲のなかではバーネットの“Need A Little Time”だけがケレン味のないオーソドックスなロック・ソングだ。そのなにが良いのかを問われれば、ロック・ソングの普遍的な良さが詰まっているとしか言いようがない。

 みんなが好き勝手に自分の意見を言いたがる
 交通事故が起こらないかと、ずっと思いながら “Need A Little Time”

 スキャンダルこそ現代のエンターテイメントだ。ツイッター上で誰かが誰かを批判しているとか、その手の話が好きな人はじつに多い。バーネットは「私には少しの中断が必要(I need a little time out)」というフレーズを繰り返す。メロウなギターのフレーズが言葉と溶け合い、得も知れないカタルシスがもたらされる。ぼくはこの曲を少なくとも50回以上は聴いているし、これから先も聴くだろう。マッチョな男社会を批判する“Nameless, Faceless”も良い曲であることは間違いないし、彼女らしいガレージ・ロックのドライヴ感が効いた“Charity”も魅力的だが、とりあえず1枚通して聴いて言えることは、この音楽は時代から目をそらさず生まれたものであるってこと。内省的であってもだ。もちろんポップスターの胡散臭さもない。この音楽が誠実であることもすぐにわかる。彼女の声を聴けば。その声はものすごく憂鬱な声だが、難しい話を難しく話すのではなく、難しい話をかんたんな言葉で伝えることができる。

 恐くないフリはしなくていい
 みんな同じように恐いんだから “Charity”
 

Cardi B - ele-king

 リタ・オラの新曲、“ガールズ”が炎上している。女性、そしてLGBTQ+の人々をエンパワーするはずの曲が、強烈なバックラッシュに遭っている。ゲイやバイセクシュアルのコミュニティから批判の的となっているのは、主に「時々、女の子たちにキスしたくなる/赤ワイン、女の子たちに口づけしたい」というコーラスの歌詞で、要は「私たちのセクシュアリティは“一時的な”感情ではないし、ましてや“酔っ払ったときの”気の迷いなんかではない」というわけだ。

 オラ本人は謝罪文をツイッターに投稿した。いわく、「女性とも男性とも恋愛関係にあったことは事実であり、それを表現することで同様の立場の人々をエンパワーしたかった」。その後、彼女は「(バイセクシュアルであることをにおわせるハリー・スタイルズの“Medicine”が賞賛され、オラの曲がリンチされるのは間違っていると主張するコラムを書いた)ユスフ・タマナ、ありがとう!」と書いたポストが批判され、それを消すなど、事態は複雑な様相を見せている。当事者性やメイル・ゲイズ――レズビアン表現を性的に消費するヘテロ男性の問題などが絡み合っており、一言では説明がつかないイシューだろう。

 同曲に客演し、「あなたの口紅にだってなれる、一夜だけなら」というリリックで火に油を注いだ格好になっているのがカーディ・Bで、彼女も同様に謝罪文を投稿している。カーディは、「これまでに多くの女性と経験がある」と弁解しているが、そのロマンスがゲイやレズビアンたち固有のセクシュアリティの切実さに見合うものであったかどうかは、誰にもわからない。この一件は、むしろシスジェンダー/ヘテロセクシュアルとLGBTQ+の人々との断絶を強調してしまったのではないか。繊細なイシューを単純化し、グラデーションや複雑さを縮減してしまうこと、あるいは差異を認めることなく「私も同じだ」と同質性を主張してしまうことに、当事者たちは殊の外敏感である。誠実さをもってそこを乗り越え、何ができるのだろうか。そこまで議論を進めなければ、“ガールズ”の一件からは何も得られない。

 渦中にあるカーディ・BがLGBTQ+のコミュニティと連帯できるかどうかはわからない。しかし、恋人からの被DV経験があり、臀部の整形手術をし、ストリップ・クラブという性風俗産業に身を置いていたカーディは、すくなくともフェミニストたちとは連帯できるだろう。彼女は言う。「私はなんだってできる――男ができることだったらなんだって」。出世曲となった“ボダック・イエロー”のコーラスはこうだ。「私がボス、あんたはただの労働者」。カーディは度々ビヨンセの名前をラップしているが、彼女は力強いリーダーであるビヨンセとも、優等生のジャネール・モネイとも異なる立ち位置でスピットしている――それは、「バッド・ビッチ」だ。あくまでもダーティなバッド・ビッチたるカーディは、男が女を消費するように、男を消費してみせる。「彼、ハンサムだよね/名前は?/バッド・ビッチは男をナーヴァスにする」(“アイ・ライク・イット”)。彼女の手にかかれば、男女関係を反転させることなど他愛ないことだ。

 ピッチフォークは、カーディ・Bのデビュー・アルバム、『インヴェイジョン・オブ・プライヴァシー(プライヴァシーの侵害)』のレヴューで、彼女を「新しいアメリカン・ドリーム」だと褒め称えている。ソーシャル・メディアやリアリティ・TVを通じて成功を手にしたカーディは、ソーシャル・ネットワークの荒野で油田を掘り当てたのだ。ゼア・ウィル・ビー・ブラッド。カーディは、まさしく現代のアメリカン・ドリームだろう。元ブラッズの一員で、「血まみれの靴(クリスチャン・ルブタン)」を履いた足で男たちを踏みつけるこの力強いビッチは、しかし、繊細な一面も見せる。ケラーニをフィーチャーした“リング”ではこうだ。「私が先に電話したほうがいい?/決められない/電話したいけど/ビッチにもプライドはある」。フィアンセであり、二人の間に授かった子の妊娠も発表したミーゴスのオフセットの浮気を糾弾するラインも、一つや二つではない。「私には気をつけたほうがいい/何をやっているのかわかっているの?/誰の感情を逆なでしているのか、わかっているの?」(“ビー・ケアフル”)。穏やかではない。

 ジャスティン・ビーバーの『パーパス』やカミラ・カベロの『カミラ』と並ぶような、実に現代的なポップ・アルバムである本作には、親しみやすいメロディがあり、自身のルーツを活かしたトレンディなラテン・ビートがあり、ダーティなトラップ・ビートがある。先のピッチフォークのレヴューにならうなら、「ポップ・ラップからトラップ、バラード、もったいぶったプロムナードまで」をも包括していると言えるだろう。それは、フーディニからグッチ・メインやフューチャーまで、さらにマライア・キャリーを経て、ケイティ・ペリーもテイラー・スウィフトも、カーディはお気に入りのクリスチャン・ルブタンの赤い靴底で踏みつけているということだ。ここには(自覚的か無自覚的か)フェミニズムがあり、リアリティ・TVとインスタグラムがあり、恋心とジェラシーがあり、アルコールとセックスがあり、ラップ・ミュージックの典型的な成功物語がある。なんとも心強いではないか。あくまでもダーティなバッド・ビッチとして、不遜なハスキー・ヴォイスをもってして、カーディ・Bはアメリカン・エンターテインメントの頂点に躍り出た。

Vincent Moon - ele-king

 パリ出身の映像作家、ヴィンセント・ムーンの名前は、2006年にはじまったウェブ向けの音楽シリーズ「Take Away Show」によって広まった。「Take Away Show」ではミュージシャンを街の至る所へ連れ出し、彼らの素顔を捉えたリアルな映像を収めている。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLB11F2A75B21884EC&feature=plcp

 ちなみに現在彼は、2019年の実施を目指し、日本のシャーマニズムや伝統音楽を追いかける「響 HIBIKI」プロジェクトの準備をすすめている。
 牧野貴もまた、映画、音楽、インスタレーション、オーディオビジュアルパフォーマンスなど多分野で活動し、ジム・オルーク、大友良英、坂本龍一など著名な音楽家とのコラボレーションも活発に行っている映像作家。3台のプロジェクターから作られるイメージの重なり合いが幻想的だ。

(『ENDLESS CINEMA』音楽:ジム・オルーク2017)

 当日は、ヴィンセント・ムーンと写真家で作家のプリシラ・テルモンによるライブ・シネマと、牧野貴 によるライヴ・パフォーマンスが予定されている。
 映像詩人たちによる当日限りの特別プログラムに足を運んでみてはいかがだろうか。

■ FOUNDLAND feat. VINCENT MOON + 牧野貴

2018年6月11日(月)@ VACANT
18:30 open / 19:00 start
前売 3,500yen / 当日 4,000yen(+1D別途)

出演:
Vincent Moon & Priscilla Telmon
牧野貴
音響:福岡功訓(Fly sound)
予約:https://foundland.us/archives/1961
イベント詳細:https://foundland.us/archives/1961

Vincent Moon web site:VINCENTMOON.COM
響HIBIKI project web site:https://hibikiproject.com
牧野貴 web site:https://makinotakashi.net/
Priscilla Telmon web site:www.priscillatelmon.com

K-HAND - ele-king

 1990年代初頭から活躍するデトロイトのDJ/プロデューサー、K-Handことケリー・ハンドの来日が東京、大阪で決定しました。この女性DJは、昨年は、Nina Kravizのレーベル〈трип〉から作品を発表しており、近年はまさに再評価を高めている。いまでこそ女性のDJ/プロデューサーは珍しくないが、ケリー・ハンドが自身のレーベル〈アカシア〉をデトロイトではじめた時代は、右も左もブースでレコードを回すのは野郎ばかりだった。まさに先駆者であり、偉人ではないだろうか。


K-HAND Japan Tour
5/26(土)大阪 @ALZAR
5/28(月)東京 @Contact K-HAND

≪Boiler Room DJ set 2015≫

≪Nina Kravizが選曲したK-HANDの15曲≫
https://www.youtube.com/playlist?list=PLnZOad80R4noDs94C1e6CsMgydiS_UWuE

あの時代が残したもの - ele-king


Simian Mobile Disco
Murmurations

Wichita / ホステス

TechnoElectronic

Amazon Tower HMV iTunes

 レヴューには書きそびれてしまったのだけれど、『ザ・スクエア 思いやりの聖域』でジャスティスの“Genesis”がかかったとき、何とも言えない気持ちになってしまった。それは主人公のクリスティアンが低所得者が暮らす住宅に脅迫めいたビラを配るのに向かう車のなかで流されるのだが、暴力的な気分を上げるためのものとしてドラッグのように「使用」されている。ジャスティスのファースト・アルバム『†』が2007年。当時、ニュー・エレクトロと呼ばれたエレクトロニック・ミュージックのイメージがまったく更新されないままそこで援用されている。まあジャスティスの場合はロマン・ガヴラス監督による“Stress”の超暴力的なヴィデオの印象を引きずっているところも大きいだろうが、いまから振り返って当時のインディ・ロックとエレクトロのクロスオーヴァーの思い出は大体そんなところではないだろうか。粗暴で子どもっぽく、刹那的。それ自体はけっして悪いことではない。ニュー・レイヴと呼ばれたシーンにまで拡大すれば、事実としてインディ・ロックを聴いていたキッズたちを大勢踊らせたし、自分もけっこう楽しんだほうだ。オルター・イーゴの“Rocker”で何度も踊ったし、ヴィタリックのファーストも買った。デジタリズム(ああ!)のライヴも観たし、クラクソンズの登場も面白がった。が、2010年に入るとかつてのニュー・エレクトロのリスナーの少なくない一部がEDMに回収されていくなかで、00年代なかばのクロスオーヴァーが何を遺したかと問われれば答に詰まるところがある。いや、はっきり言える……何も残らなかった、と。ジャスティスやクラクソンズのデビュー作が発売された2007年、まったく別の場所からべリアルの『アントゥルー』が届けられているが、どちらに史学的な意義があるかははっきりしていることだ。

 ジェームズ・フォードとジャス・ショウによるデュオ、シミアン・モバイル・ディスコ(以下SMD)もまたニュー・エレクトロ、ニュー・レイヴの渦中から現れた存在である。フォードは実際クラクソンズのプロデュースを務めていたし、彼が所属していたバンドであるシミアンの曲をジャスティスがリミックスしたシングル“We Are Your Friends”はニュー・レイヴのアンセムだった(覚えていますか?)。が、そのなかにあってSMDはどこか違っていた。粗暴でもないし刹那的でもない。チャイルディッシュな人懐こさはあったものの、フォードがプロデューサーということもあり何やら職人的な佇まいは隠されていなかった。何しろデビュー作のタイトル(これも2007年)は『アタック・ディケイ・サステイン・リリース』だ。音のパラメータを触ることによって生まれるエレクトロニック・ミュージックの愉しさ。同作はニュー・エレクトロの勢のなかでもじつはもっとも純粋にエレクトロ色が強い作品(つまり、オールドスクール・ヒップホップ色が濃い)で、じつにポップな一枚だが、同時に音色の細やかな変化自体で聴かせるようなシブい魅力もあった。
 その後ニュー・レイヴの狂乱が忘れ去られていくなかで、しかしSMDはアルバムを約2年に1枚のペースで淡々とリリースし続けた。その傍らフォードはアークティック・モンキーズやフローレンス・アンド・ザ・マシーンのような人気バンドのプロデュースを続け、職人としての腕も磨いていく。セカンド『テンポラリー・プレジャー』(09)の頃はゲスト・ミュージシャンを招いたポップ・ソングの形式――「ニュー・レイヴ」――をやや引きずっていたが、作を重ねるごとにエレクトロを後退させ、よりアシッド・ハウスやテクノに近づいていく。モジュラー・シンセとシーケンサー、ミキサーのみというミニマルな形態にこだわりながらクラウトロックの反復をテーマとした4作目『ウァール』を経て、 とりわけ、自主レーベル〈Delicacies〉からのリリースとなった『ウェルカム・トゥ・サイドウェイズ』(16)は非常にストイックなテクノ・アルバムとなった。ヴォーカルはなく、固めのビートが等間隔で鳴らされるフロアライクなトラックが並ぶ。とくに2枚目は50分以上に渡るノンストップのミックス・アルバムになっており、これはほとんどミニマル・テクノのDJセットである。そこにニュー・レイヴの陰はまったくない。

 そしてやはり2年間隔でのリリースとなった新作『マーマレーションズ』は、そうしたクラブ・ミュージックとしてのテクノの機能美を引き継ぎつつ、いま一度ヴォーカル・トラックに向き合った一枚である。ロンドンの女性ヴォーカル・コレクティヴであるディープ・スロート・クワイアをフィーチャーし、リッチなコーラス・ワークを聴かせてくれる。それはいわゆるカットアップ・ヴォイスのように断片的にではなく、比較的メロディを伴った形で導入されているのだが、やはりテクノのDJプレイのようにフェード・イン/フェード・アウト、カット・イン/カット・アウトするものとしてパラメータを絶妙に変化させながら現れては消え、また現れる。クワイア単体では演劇的な仰々しさがあるのだが、それが硬質なエレクトロニック・ミュージックと合わさることで異化され、抽象化される。モダン・ダンスを思わせるヴィデオとともに先行して発表された“Caught In A Wave”や“Hey Sister”などは比較的まとまったポップ・ソングとしての体裁があると言えなくもないのだが、アルバムでは長尺となる“A Perfect Swarm”や“Defender”辺りは一曲のなかで組曲のような壮大な展開を見せる。

 パーカッションなど生音が多く使用され、声が音響化されているため耳への響きは柔らかく、前2作の硬さとは対照的だ。あるいはビートレスのまま音の揺らぎが重ねられる“Gliders”などを聴くと、10年代のアンビエント/ドローンをうまく吸収していることがわかる。初期のローレル・ヘイローを思わせる部分もあるし、あるいはそのスケール感とエレガンスからジョン・ホプキンスと並べてもいいだろう。要はモダンなのだ。それは、彼らがデビューから静かに音の「アタック・ティケイ・サステイン・リリース」を細やかに練磨し続けてきた成果であり、『マーマレーションズ』ははっきりとキャリアでもっとも完成度の高いアルバムだと言える。
 フォードはアークティック・モンキーズの最新作のプロデュースに携わっており、プロダクションの面で大いに貢献している。裏方としての役割をいまも粛々とこなす彼には、ひょっとしたらSMDを過去の遺物として葬る選択肢もあったかもしれない。名義を変えてエレクトロニック・ミュージックをやるとか。だがフォードとショウのふたりはそんなことはせず、地道な変化と前進でこそニュー・レイヴではないテクノ・ミュージックをしっかりと作り上げていった。あの時代が残したものがそれでももしあるのだとすれば、それはシミアン・モバイル・ディスコという存在自体なのではないか……『マーマレーションズ』を聴いていると、そんな気分になってくる。


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