「You me」と一致するもの

interview with Tycho - ele-king


Tycho
Weather

Mom+Pop / Ninja Tune / ビート

ElectronicDowntempo

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 去年の「ザ・美しい音響&テクスチャー大賞」がジョン・ホプキンスだとしたら、今年はティコだろう。
 ティコ(じっさいは「タイコ」と発音する模様)ことスコット・ハンセンはもともと、もろにボーズ・オブ・カナダに触発されるかたちでダウンテンポ~エレクトロニカに取り組んでいたアーティストである。その影響は実質的デビュー作の『Past Is Prologue』(2004/06年)にもっともよくあわわれているが、今回の新作でも“Into The Woods”や“No Stress”といった曲にその影を認めることができる──とはいえ『Dive』(2011年)以降、BOCの気配はあくまで旋律や上モノの一部に残るに留まり、むしろダンサブルなビートと生楽器による演奏の比重が増加、『Awake』(2014年)からはバンド・サウンドに磨きがかかり、まさにそれこそがティコのオリジナリティとなっていく。その集大成が前作『Epoch』(2016年)だったわけだけれど、重要なのはそのようなロック的昂揚への傾斜(およびノスタルジーの煽動)と同時に、サウンドの透明感もまたどんどん研ぎ澄まされていった点だろう。この美麗さはBOCにはないもので、そのようなテクスチャーにたいするこだわりは、次なるステップへと歩を進めるために〈Ninja Tune〉へと籍を移し、ほぼすべての曲にセイント・スィナーことハンナ・コットレルの魅惑的なヴォーカルを導入、アートワークの連続性も刷新した新作『Weather』においても健在だ。
 前作でキャリアにひと区切りがつき、いま新たな一歩を踏み出さんとするティコ。はたして今回のアルバムに込められた想いとは、どのようなものだったのか? フジロックでの公演を終え、東京へと戻ってきていたスコット・ハンセンに話を聞いた。

毎回もっと聴きやすい作品にしたいと思っている。ロウファイな音楽のなかで興味があったのは、ほんとうにひとつかふたつくらいの要素くらいしかなかったんだ。もっとハイファイにしたいし、クリアな音にしたいと思っている。

いまも活動の拠点はサンフランシスコですか?

スコット・ハンセン(Scott Hansen、以下SH):いまでもそうだよ。もう13年くらいいるね。

日本は湿気が多くて蒸し暑いですけれど、おそらくサンフランシスコはぜんぜんちがいますよね。

SH:まったくちがうね。この暑さには慣れていないよ。サンフランシスコはそこまで暑くならなくて、夏でも短パンをはけるのが2~3週間あるくらい。それ以外は涼しかったり、風が吹いたり、霧が濃かったり。天候のちがいとか雲の動きとかが見えるから、あの気候はけっこう好きだね。

今回のアルバムのタイトルは『Weather』ですが、音楽制作にその土地の気候は影響を与えると思いますか?

SH:たしかに『Weather』という名前をつけたけれども、直接的な意味というよりは、移り変わりというか、いまこの時代いろいろなアップダウンがあって、自分のコントロールの範囲外のこともたくさんあるなかで、それを受け容れていかなければいけない状況、みたいなことも意味してるんだよ。それから、僕がつくる音楽は自分の体験がもとになっていて、僕は自然が好きなんだけど、そういうところに行って、自然を音楽に反映させている。サンフランシスコだと、自然のエネルギーだとか天気の移り変わりだとか、そういうものが直接的に感じられるから、それは音楽につうじていると思うよ。『Weather』には天候という意味もあるけど、ふたつの意味を与えているんだ。

前作の『Epoch』がビルボードのエレクトロニック・チャートで1位をとったり、グラミー賞にノミネートされたりしましたけれど、そういうショウビズ的な成功は、あなたにとってどんな意味がありますか?

SH:僕の目標は音楽をつくるということであって、そういったショウビズ的な成功にはあまり惑わされないようにしてるけど、グラミーとかビルボードで話題にあがったことはすごく光栄だし、じっさいに僕の音楽が仕事として認められたということはすごく嬉しい。もともと僕はグラフィックデザイナーをやっていて、それほど長くは音楽活動をしていないんだよね。だから、アーティストとして認められたということにはひと安心したし、今後もアーティスト活動に集中できるからすごくいいことだと思うよ。自分の音楽はメインストリームの音楽ではないので、グラミーやビルボードに自分の話が出たことにはとてもびっくりしているよ。

まわりの反応も変わりましたか?

SH:うん、そのおかげで一般の人たちが、じっさいに僕が何をやっているのかということを理解できたと思う。両親や友人の一部は僕が何をやっているのかよくわかっていなかったんだ。「DJをやっているの?」とか言われたりね。エレクトロニック・ミュージックをやっている人はけっこう誤解されると思う。じっさいの音楽のつくり方がふつうの人たちにはあまりわからなかったりするからね。だから、グラミーのノミネートとか、ビルボードのチャートインという実績があったことで僕が本物のミュージシャンだということを理解してもらえたのでそれはよかったね。

今回の新作は全体的に、前3作にあったような、わかりやすくダンサブルなビートが減って、ダウンテンポ的な曲が増えたように思いました。それには何か心境や環境の変化があったのでしょうか?

SH:循環というか、一周してきたような感じがするね。『Dive』(2011年)はチルでダウンテンポな感じだった。アルバムを出したあとにツアーをやって、ライヴでエネルギッシュな感じでギターの音やドラムの音を出していった。エキサイティングなものにしたかったから、エネルギーのレヴェルがあがったんだよね。その感じを捉えたくて、『Awake』(2014年)にはもう少しエネルギーが入っている。ロックっぽい感じの音になったと思う。そのあと僕はDJとかダンス・ミュージックにハマるようになっていったんだ。もともと90年代からずっと好きで、それが音楽を作るインスピレイションになっていたんだけど、そこにまた興味がわいてきた。それが2014年から2016年ころの話。そのあとに作ったのが『Epoch』(2016年)で、これはちょっと原点に戻るというか──僕が好きな音楽はゼロ7とかザ・シネマティック・オーケストラとかシーヴェリー・コーポレーションとか、ヴォーカルが入っていてちょっとトリップホップみたいな感じの90'sのころの音楽で。自分もそういうものをつくりたいなと思って、今回はもともと僕が好きだった音楽にふたたび返るような感じでつくったんだ。

いまおっしゃったように、今回のアルバムの最大の特徴は、ほとんどの曲にヴォーカルが入っていることです。

SH:もともとヴォーカル入りの作品はずっとつくりたかったんだよ。でもつくり方を知らなかったというか、まずはベーシックなところから、たとえばシンセをレコーディングしてとか、そういうところからやらないといけなかったんだ。2004年の『Past Is Prologue』にもヴォーカルのトラックはあったんだけど、以降ずっとインストゥルメンタルをやる結果になってしまってね。ただ今回は、ハンナ・コットレル(Hannah Cottrell)と出会うというきっかけがあった。そのときに迷ったんだ。次のアルバムは、すごくヴォーカルに片寄るかインストに片寄るか、どっちかにしようと思っていて。あまりいろんなゲストをフィーチャーして入れるよりも、もっと強いステイトメントみたいなものを出したかった。ヴォーカルをたくさん入れると、けっこうコアで強いメッセージ性が出ると思う。ティコはそういうアルバムこそがメインのアーティストだと思ってるから、アルバムとして強い主張をするならけっこうわかりやすく──今回みたいにヴォーカル寄りなほうがリスナーにとってもわかりやすいかなと思ったんだ。

ハンナ・コットレルはどういう人なのでしょう? 彼女とはどのような経緯で?

SH:共通の友人がいて、それがきっかけで出会ったんだ。彼女がサンフランシスコの親戚に会いに行くことになって、僕が住んでいるサンフランシスコにたまたま来るということになった。そのとき僕はアルバムの曲をけっこうつくっていて、これにヴォーカルを入れるにはどうしたらいいかってちょうど考えていたんだ。友人はそのことを知っていたから、ハンナを紹介してくれたんだけど、僕もそのときまでハンナのことはぜんぜん知らなかったんだ。彼女はそんなに活動もしていなくて、リリースもしていなかったからね。でもとりあえずやってみようということで、2曲やってみた。最初にやったのが“Skate”という曲なんだけど、彼女が歌いはじめたら感動して、これはすごいと思った。ぜひ彼女とのコラボレイションを追求するべきだと思ってアルバムを制作していったら、結局はアルバムのすべてができあがった。すごくインスピレイションになったよ。

リリックは完全に彼女が? あなたからのディレクションはあったのでしょうか?

SH:ハンナがすべての歌詞を書いた。彼女の世界感を表現したかったので、僕はその邪魔をしたくなかった。自分がすべての主導権を握って何もかもをやるというのではなくて、ほかの人の観点も入れて、僕の作品と掛け合わせたものを今回は作りたかったんだ。インストの曲って、聞いた人によっていろんな解釈ができるというか、すごくオープンで、余白が残されている。聴いた人それぞれが各自の旅路、空間にハマっていけるみたいな自由度があるよね。今回はヴォーカルを入れることによって、ハンナというひとりの人間の体験と音楽とを掛け合わせている。これまではリスナーが、自分のストーリーを紡ぎ出したりしていたわけだけど、今回はハンナの物語というか、映画というか、彼女というひとりのキャラクターをとおして僕の音楽をみてもらう──これまでとはちょっとべつの見方をしてもらうためにこの作品をつくったんだよ。

つまり、シングル曲“Pink & Blue”のジェンダーをめぐる歌詞であったり、“Japan”の日本も、全部ハンナの体験ということですね。

SH:そう、ぜんぶ彼女が書いたもので、それは僕の見方や体験とはまったくちがうものなんだ。それじたいが美しくて素晴らしいことだと思う。彼女の世界観は僕では想像できないものだし、理解できないところもあるけど、僕の音楽と彼女の歌詞が新しい何か特別なものを生み出しているということじたいが素敵だなと思う。

僕のなかの記憶だったり懐かしい感じだったり、あとは失われた感じ、喪失感みたいなもの、そういう感情をたいせつにして創作のための活力にしているから、それが音楽にもあらわれているんだと思う。

ヴォーカルを入れるにあたって苦労した点は?

SH:いちばん難しかったのは、余白を見つけること、空間を見つけることだった。僕の曲はたくさんのレイヤーが多層に入っていていろんな要素があるから、難しいんだ。自分だけの音楽だと「じゃあここのシンセを下げよう」とか微調整できるんだけど、今回はヴォーカルがあるから、それをメインの要素として前面に出したいという思いがあった。その一方で、トラックのほかの音の要素、繊細なテクスチャーをどうやって引き出すかという、バランスの作業が難しかったね。

オートチューンだったり、あるいはスクリューのような声の使い方に関心はありますか?

SH:たしかにそういう加工には興味があるし、じっさい僕もときどきやるよ。1曲目の“Easy”では彼女の声を細かく刻んで加工している。これまで自分が作ってきたヴォーカルの曲もそういうふうにやってきたから、まったく抵抗はないね。僕はエフェクト、リヴァーブとかディレイは楽器みたいにして使いたいと思ってるから、ヴォーカルも同じように処理したいと思うんだけど、今回のヴォーカルにかんしては、彼女自身の声がすごく美しかったので、なるべくそこはシンプルにピュアに、誠実に彼女の声に近い感じで、あまりやりすぎないようにしたんだ。でもそういうことには興味はあるし、僕も実験しているよ。

3部作あたりから美しい残響、とくにギターの音の響かせ方がティコの音楽の最大の特徴になっていったと思っていて、イーノ=ラノワを思い起こす瞬間もあるのですが、ご自身としてはいかがでしょう?

SH:そのコメントはすごく嬉しいよ。僕は自分のことを巧みな楽器奏者だとは思ってなくて、プロデューサーという自覚のほうが強い。スタジオを楽器として使うとか、エフェクトを楽器として使うみたいなことをやっているから、もちろんメロディに感情を込めたいという思いもあるけど、音の響きとかテクスチャーとか、そういったものをいちばん大事にしてるんだ。だから音楽をつくるときも、最初からピアノでまるごとぜんぶ、ということはできなくて、ピアノをちょっとだけ弾いて、エフェクト、リヴァーブをかけたりして、そういうのを重ねることでおもしろい音になっていって、それにインスピレイションを受けてさらに作曲も続く──という感じでつくっているね。

ジョン・ホプキンスも思い浮かべました。

SH:彼とはじっさいに知り合いだよ。いい人で、コンテンポラリーな音楽をつくる人のなかでも優秀なひとりだと思ってる。

ティコの音楽は、初期の『Past Is Prologue』はいまよりもくぐもった感じ、ロウファイさがありましたけれど、作品を追うごとにサウンドがクリアになり、ハイファイになっていっている印象を受けます。

SH:たしかにそうだね。毎回もっと聴きやすい作品にしたいと思っている。たしかにロウファイに興味があった時期もあったね。あらあらしいというか、ざらざらしたような音が好きだったんだけど、よくよく考えてみたら、そのロウファイな音楽のなかで興味があったのは、ほんとうにひとつかふたつくらいの要素くらいしかなかったんだ。いまではもっとハイファイにしたいし、クリアな音にしたいと思っている。ハイファイのなかでも自分が好きな音の響き方であったりテクスチャーであったり、ロウファイなもののなかで好きな要素だけを残して、どんどんハイファイにしていきたいと思ってるよ。

今回はレーベルも変わって、〈Ninja Tune〉と〈Mom + Pop〉からの共同リリースというかたちになりました。

SH:以前のレーベルは〈Ghostly International〉だったね。彼らとは最初から一緒にやってきて、付き合いも長くて、すごく素晴らしかったんだけど、今回はそれとはちがうことをやりたかったんだ。〈Ninja Tune〉は僕が昔からすごく好きなレーベルで、オデッザやボノボもいるし、今回新しい作品をつくるにあたってちょっとこれまでとは異なる基盤というか、そういうものが欲しかったから変えたんだよ。

いまの〈Ninja Tune〉は90年代のころとはだいぶ音楽性が変わりましたけれど、やはりいまのオデッザやボノボの路線のほうが好き?

SH:いま〈Ninja Tune〉にはいろんなアーティストがいるし、その歴史も素晴らしいものだと思う。僕は95年ころに〈Ninja Tune〉のコンピレイションを買ったんだけど、それでエレクトロニック・ミュージックを初めて聴いたといっても過言ではないくらいで。それまで聴いてきたものとまったくちがったから衝撃的で、「これはなんだ!」って、すごくインスピレイションを受けたよ。昔からすごく好きだね。ただ、いまの〈Ninja Tune〉のほうが、自分のやっている音楽に近いかなという気持ちはある。昔の〈Ninja Tune〉のままだったら、いまの自分の音楽とは合わないかもしれないね。

ティコの音楽にはノスタルジーを感じさせる部分があります。それは意図したものでしょうか?

SH:意図的にというよりは、僕のなかの記憶だったり懐かしい感じだったり、あとは失われた感じ、喪失感みたいなもの、そういう感情をたいせつにして創作のための活力にしているから、それが音楽にもあらわれているんだと思う。たとえば過去を振り返ったりして、子どものときの記憶を思い出したり、幼いころに聴いた音とか、そういうものを思い出して音楽に使ったりしているので、それがノスタルジア、懐かしさみたいな感じで出ているんじゃないかな。

ティコが初期に影響を受けていたボーズ・オブ・カナダや、前作『Awake』のリミックス盤に参加していたビビオも、そういった感覚を呼び起こさせる音楽家ですけれど、あなたのノスタルジーは彼らのそれとは異なるものでしょうか?

SH:ボーズ・オブ・カナダは僕のいちばんのインスピレイションといっても過言ではないね。だいぶ前に彼らに会ったことがあって、そのときに彼らの音楽を聴いて、自分もこれをやりたい、こういう音がやりたい、音楽をはじめたいって思ったんだ。だからすごく影響を受けているよ。ただ、たしかにノスタルジーはあると思うけど、彼らのほうがダークな感じがあると思うね。もう手に届かない、もう戻れない、喪失感、そういった感覚は共通してあると思っている。僕とボーズ・オブ・カナダは歳も近いんだ。僕たちの世代にはそういう感覚を持っている人は多いんじゃないかな。

今回のアルバムのリミックス盤を作る予定はありますか? もし作るとしたら誰に依頼したいですか?

SH:じつはいまもういろんな人にリミックスを頼んでいて、それがどう仕上がるか、楽しみに待っているところなんだ。コム・トゥルーズクリストファー・ウィリッツ、ビビオは以前にもやってもらって、素晴らしいと思うから、またやってもらいたいな。

Dego - ele-king

 今年は4ヒーローの『Parallel Universe』がリリースされてから25周年である。デトロイト・テクノとジャングルとジャズとの奇蹟的な出会いが実現されたあのコズミックな名盤以降、ディーゴはつねに前を向いて走り続けてきた。その飽くなき探究心は2年前のカイディ・テイタムとの共作『A So We Gwarn』にもあらわれていたが、この秋、いよいよディーゴ単独名義での新作がリリースされる。それにあわせて来日公演も決定。9月13日から22日にかけて、京都・仙台・東京・大阪の4都市をまわる。足を止めることなく実験を続ける彼が、2019年のいま見すえているものとは? あなた自身の耳と目で確認しよう。

クラブ・シーンにおけるブラック・ミュージックを更新し続ける圧倒的存在=ディーゴによる待望のニュー・アルバム『Too Much』が9/4(水)にリリース決定!
リリースに合わせた来日ツアーも開催!!

セオ・パリッシュの〈Sound Signature〉、フローティング・ポインツの〈Eglo Records〉にも作品を残す真のカリスマが放つ待望の新作!!

90年代から今日にいたるまでUKのドラムンベース~クラブ・ジャズ・シーンを常にリードしてきた、4 HERO のメンバーにしてロンドンに音楽シーンの礎を築いたディーゴが、自身が主宰するレーベル〈2000 Black〉から入魂の新作をリリース! ソロ・アルバムとしては『The More Things Stay The Same』以降となる4年振りとなる待望の1枚で、ハウス、ブロークン・ビーツ、ソウル、アフロ、ジャズ、ヒップホップ等を飲み込んだ、職人ディーゴならではのジャンルをクロスオーヴァーした極上のトラックを披露! セオ・パリッシュにも匹敵する黒さ漲るグルーヴ感溢れるソウルフルなサウンドと、近年盛り上がりを見せるロンドン・ジャズとも呼応した本作は、ブラック・ミュージック~クラブ・ミュージックの未来を切り開く最高傑作だ!

【アルバム詳細】
DEGO 『Too Much』
ディーゴ 『トゥー・マッチ』
発売日:2019年9月4日
価格:¥2,400+税
品番:PCD-24864
★日本独自CD化 ★ボーナス・トラック収録

【Track List】
01. A Strong Move For Truth feat. Nadine Charles
02. Good Morning feat. Samii
03. Remini Dream feat. Ivana Santilli
04. I Don’t Wanna Know feat. Obenewa
05. Unknown Faults
06. Life Can Be Unreal feat. Sarina Leah
07. Too Much feat. Sharlene Hector
08. You Are Virgo
09. Come Of Age
10. Just Leave It feat. Lady Alma
11. Numero 15
12. Ogawa Okasan Said Just Play
13. A Where Pringle Deh?
14. My Standards Are (Not) Too High
15. Forward Walk *
 *=Bonus Track

interview with Dai Fujikura - ele-king

 ときは2007年。それは偶然の巡り合いだった。もしあなたがクリストファー・ヤングの書いた評伝『デイヴィッド・シルヴィアン』を持っているなら、15章と16章を開いてみてほしい。ご存じシルヴィアンという稀代の音楽家と、若くして次々と国際的な賞を受け高い評価を得ていた新進気鋭の作曲家・藤倉大との出会いが鮮やかに──そして通常はコレボレイションと呼ばれる、しかしじっさいには互いの情熱をかけた音楽上の熾烈な闘いの様子が──じつにドラマティックに描き出されているはずだ。『Manafon』(2009年)とそれを再解釈した『Died In The Wool』(2011年)、あるいはそのあいだに発表されたコンピレイション『Sleepwalkers』収録の“Five Lines”(2010年)。それらがふたりの友情の出発点となった。
 クラシカルの分野で若くして才能を発揮──なんて聞くと、「さぞ裕福な家庭で英才教育を施されたエリートにちがいない」と思い込んで身構えてしまうかもしれないが、藤倉大はいわゆるエリーティシズムからは遠いところにいる。「じつはぜんぜんクラシック育ちという感じではないんですよ。むしろクラシックのことはぜんぜん知らない」と彼は笑う。「10代や20代のときに聴いていたアルバムを挙げてくださいと言われても、クラシックは1枚くらいしか入らない」。そんな彼が少年時代に何よりも夢中になっていたのは、デイヴィッド・シルヴィアンと坂本龍一だった。それが後年、じっさいに共作したり共演したりすることになるのだから、運命というのはわからない。
 ともあれ、音楽的なルーツがそこにあるからだろう、藤倉大の作品には、現代音楽にありがちな人を寄せつけない感じ、理論をわかる人だけが楽しめるあの閉じた感じが漂っていない。彼は近年、笹久保伸との共作『マナヤチャナ』を皮切りに、『世界にあてた私の手紙』『チャンス・モンスーン』『ダイヤモンド・ダスト』と立て続けに〈ソニー〉からソロ名義のアルバムをリリースしているが、そのどれもがアカデミックな堅苦しさとは距離を置いている。
 この6月に発売された新作『ざわざわ』もじつにエキサイティングなアルバムで、たとえば最初の3曲の声の使い方には、ふだんいわゆるエクスペ系の音楽を聴いているリスナーにとっても新鮮な驚きがあるだろうし、後半のコントラバスやホルンの曲も、最近エレクトロニック・ミュージックの分野で存在感を増してきているイーライ・ケスラーオリヴァー・コーツロンドン・コンテンポラリー・オーケストラあたりが気になっている音楽ファンにはぜひとも聴いてもらいたい楽曲だ。
 現代音楽の作曲家であるにもかかわらず、クラシカルについてはよく知らない──その不思議な経歴と背景に迫るべく、ロンドン在住の彼にスカイプでインタヴューを試みてみた。


じつはぜんぜんクラシック育ちという感じではないんですよ。むしろクラシックのことはぜんぜん知らない(笑)。10代や20代のときに聴いていたアルバムを挙げてくださいと言われても、クラシックは1枚くらいしか入らない。

藤倉さんはロンドンのどのエリアにお住まいなのですか?

藤倉大(以下、藤倉):グリニッジほど遠くはないですが、南東のエリアです。たぶん昔、デヴィッド・シルヴィアンやジャパンのメンバーが高校に通っていて、バンドを結成したエリアじゃないかな。

それが理由でそのエリアを選んだというわけではなく?

藤倉:ちがいますね。たんに家賃が安いところを探して選びました。ここはもともとドラッグの売人とかが歩いているような治安の悪い、荒れた地域だったんですよ。それで家賃が安かったから、あえてここを選んで引っ越したのに、2012年のロンドン・オリンピックの影響で、電車とかがものすごく便利になってしまった。それで一気に家賃が高騰して、住んでいる人たちも変わりました。それでも僕がそこに住み続けられたのは、家主が牧師だったからなんです。大家から電話があるたびに、「人間として最悪の罪は欲望ですよね」と言って、そしたら向こうも「そのとおりだ」と言う。聖書にそう書いてあるわけですし、当たり前ですよね。それをずっと言い続けていたら、うちだけ家賃が上がらなかったんです(笑)。

すごい裏技ですね(笑)。

藤倉:そうでもしないと住み続けられなかった。その後、近くに引っ越したんですが、そこも信じられないくらい小さなところで、家の状態もよくなかった。だから高くなかったんです。ちなみにチェルシーはお金持ちが住むところなんですが、僕らが住んでいる地域もいまや「東のチェルシー」と呼ばれるくらいにまでなってしまいました。人種も変わりましたね。以前は白人があまりいなかったんですが、いまは白人やお金持ちの人たちばかりです。

お金のないアーティストたちが住めるような街ではなくなってしまった。

藤倉:そう。ただ、イギリスには不思議な制度があって、売れない画家を装っていても、じつはその両親がお金持ちというケースがあります。譲渡税というか、そういう税があまりかからないらしいんです。だから、親の稼ぎがあるとか、あるいは代々受け継がれてきた家があるとかで、画家としては売れていなくても、ふつうに生活できるんですよ。ここにはそういう人たちが多く住んでいますね。現代美術の画家のような、一見どうやって生きているんだろうと思うような人たちが、このエリアにたくさんスタジオを持っていたりする。たぶん家賃を払う必要がなかったり、親から譲ってもらった家を貸し出してそれで生活したりしている人も多いと思います。イギリスってそういう国なんです。大金持ちではなくても、財産を受け継いで生活できちゃう人たちが多い。
 ちなみに僕は日本人で、妻はブルガリア人なのですが、そういうふうにどちらも外国人だとかなり不利ですね。イギリスはふつうの家でも築100年とか200年とか経っていて、そんなぼろぼろの家でも高額で売れちゃう。そういうおじいちゃんやおばあちゃんの家を売って、孫の数で割って入ってきたお金を頭金にして、みんな20歳くらいでローンをはじめるんです。外国人にそれは難しい。だから、小林さんもイギリスの人にインタヴューする機会があると思いますけど、貧乏っぽく装っていてもけっこう良いところに住んでいたりするような人たちは、そういうことなんですよ。

なるほど。ちなみに、ロンドンへ渡ったのは10代のときですよね?

藤倉:留学するためにイギリスに渡ったのは15歳のときですが、そのときはロンドンではないんです。ドーヴァーの高校にひとりで入って、そこで3年間寮生活をして、ロンドンの大学に行った。ロンドンはそのときからですね。

クラシック音楽はヨーロッパ、大陸のイメージがありますが、イギリスに行ったほうが良い理由があったんでしょうか?

藤倉:ほんとうはヨーロッパに行きたかったんです。ドイツでクラシックをやりたいと言っていたんですけど、まずは英語を喋れるようになってから、そのあと大学でドイツに行くなりなんなりすればいいじゃないかと親に言われて、まずはイギリスに留学することになった。結果的にそのあとも住み続けているという流れですね。
 ちなみに、僕がまだ日本に住んでいたとき、子どものころに聴いていた音楽って、デヴィッド・シルヴィアンとか、坂本龍一さんだったんですよ。『未来派野郎』とか。おそらく僕より10くらい上の人たちがリアルタイムで聴いていたものだと思いますが、そういう音楽に中学生のときにハマって、ひとりで聴いていました。そのままイギリスに渡って、ドーヴァーのCD屋で作品を買い漁ったりして、いまの僕がある。だから、じつはぜんぜんクラシック育ちという感じではないんですよ。むしろクラシックのことはぜんぜん知らない(笑)。10代や20代のときに聴いていたアルバムを挙げてくださいと言われても、クラシックは1枚くらいしか入らない。でもまわりにいるのはクラシックの方が多いから、ふだんこうやってインタヴューを受けるときも、デレク・ベイリーがどうだとかジョン・ハッセルのトランペットが良くてといった話ができなくて残念なんです(笑)。あとは映画音楽かな。ホラーの映画音楽が大好きだったので、中学生・高校生のころは聴きまくっていました。当時日本ではミスチルや小室哲哉が流行っていて、イギリスでは2 アンリミテッドとかもいましたけど、そういうのにはあまり興味がなかったな。当時のチャートに入るようなポップスっていまはもう聴いていられないですよね。でも、80年代のデヴィッド・シルヴィアンの『Gone To Earth』とかは、いま聴いてもものすごくミックスも編集も素晴らしいと思える。

デヴィッド・シルヴィアンとはその後じっさいに共作することになるわけですが、それはどういう経緯ではじまったのでしょう?

藤倉:もともと僕はたんなる彼のファンだったんです。作品はぜんぶ持っていましたね。その一方で、僕は大学2~3年生くらいから現代音楽の作曲コンクールとかで優勝するようになったんですけど、それはもともと賞金が目当てだったんですね。その賞金で家賃を払ったりしていた。僕は外国人だから働く時間が制限されていたというのもあり、賞に応募しまくってその賞金で生活していたんです。
 そうすると、BBCだとかオーケストラの人たちが僕の名前をよく見かけるようになって、それで僕の曲がラジオで流れるようになったりもして、演奏するようになったのが大学3年くらい。そういう感じでゆるやかにキャリアを積んでいったんですが、そんなときにすごくパワフルなおばさまに出会って、彼女が僕にチャンスを与えてくれた。そのおばさまが僕の作品を名門のロンドン・シンフォニエッタに送ったんです。
 そのころ、ロンドン・シンフォニエッタでビートボックスとオーケストラを融合させて曲を書くというプロジェクトの話が持ち上がった。そういうことに関心のある作曲家を探しているから、ワークショップに来てくれと連絡があって、それでそのワークショップに行ったんですけど、それじたいはぜんぜんおもしろくなかったんです。で、「行ってみた感想はどうだった?」と訊かれたので、素直に「つまらなかった」と伝えました。「そういうものよりも僕は、デヴィッド・シルヴィアンと一緒に何かをやるのが夢なんだ」って話したんです。
 そしたら、「デヴィッド・シルヴィアンなら来週オフィスに来るよ」と。それで彼と会うことになって、作品の交換をしたりしました。そのとき彼はちょうど『Manafon』の録音中だったんですが、僕が自分の音楽を送ると、ぜひ参加してほしいと言われて、そこから仲良くなりましたね。

きっかけは幸運な偶然だったんですね。

藤倉:そうですね。デヴィッド・シルヴィアンはめちゃくちゃプロフェッショナルで頑固で、自分が納得しない音楽は絶対に許せないという感じの人なんですが、僕も若かったので、彼のほうから誘ってもらったのに、自分が参加した音の使われ方に文句を言ったりしていたんです。なんて失礼なやつだと思いますが(笑)、でもデヴィッドも不思議な人で、投げやりな人だったりギャラを貰ったからやるというような人よりもむしろ、こだわりがあって譲らないような人のほうがいいみたいなんです。それで、口論したりもしましたが、いまも仲は良いですね。現代音楽の作曲家よりも彼のほうがずっと芸術家っぽいですよ。絶対に譲らないし。マスタリングが気にいらないとか、デヴィッド以外の人には聞こえないレヴェルでも。

その後、坂本龍一さんとも一緒にやられていますよね。それはどういう経緯で?

藤倉:坂本さんがロンドンでコンサートをする機会があったんですが、そのときはチケットを買い逃してしまったんですよ。それで完売しちゃったという話をデヴィッド・シルヴィアンにしたら、どうも彼が僕を紹介するメールを坂本さんに送ってくれたようなんです。あとで坂本さんから、すごく美しいメールだったと聞きました。それでそのコンサートに行けることになり、知り合うことになりましたね。
 ちなみに僕は坂本さんの音楽を聴きまくっていたので、日本のアルバムと海外のアルバムとでマスタリングのバランスが違ったりするんですが、知り合いになってからそれを指摘すると、「たしかに違うはずだ」と。「そこまで聴かれているんだ」と驚かれました。「あそことあそこのピアノの音がちょっとだけちがいますよね」みたいな話をしたら、「それはエンジニアが変わったからだ」とか。デヴィッド・シルヴィアンとおなじで、もともとそういうふうなたんなる聴き手だったので、まさか一緒に仕事をできるとは思っていませんでしたね。

作曲コンクールとかで優勝するようになったんですけど、それはもともと賞金が目当てだったんですね。その賞金で家賃を払ったりしていた。僕は外国人だから働く時間が制限されていたというのもあり、賞に応募しまくってその賞金で生活していたんです。

先ほど少しロンドン・シンフォニエッタのお話が出ましたけれど、彼らは〈Warp〉の作品を演奏したことがあって、テクノの文脈とも関わりがあるんですが、藤倉さんの作品もよくとりあげていますよね。

藤倉:昔はそうでしたね。24歳か25歳くらいのころ、僕は大学院生で、そのときにデヴィッド・シルヴィアンに引き合わせてくれたのとおなじ方から、「メンターをつけて進めていく新しいプロジェクトをするんだけど、ダイはつきたい先生はいるか?」と訊かれたんです。それで、せっかくだから手の届かない人の名前を言ってみようと思って、そのときハマっていたペーテル・エトヴェシュという有名な指揮者であり作曲家の名前を挙げたんです。そしたら、一応聞くだけ聞いてみるね、ということになった。
 すると、そのペーテル・エトヴェシュから、「楽譜と音源を送ってくれ」というメールが届いたんです。次にイギリスに行くのは8か月後になるが、そのとき20分だけロンドンのスタジオでレッスンをしてもいい、と。彼は超スーパースターだから、こちらはもう棚からぼた餅のような感じで、言われるままに楽譜と音源を送りました。そしたらそれ以降、奇妙なメールが届くようになったんです。スイスやドイツ、フランス、オーストリアから、ときには添付ファイルしかないような怪しげなメールが送られてくるようになって、これ絶対ウイルスだろうと思いながら開封してみると、どれも「ペーテル・エトヴェシュがあなたのことを知れと言っているが、君はいったい何者なんだ」というような内容で。名門オケからのメールだったんです。とにかく楽譜や音源を送ってくれ、と。それで、まだデータでやりとりする時代ではなかったので、郵送でCD-Rを送ったりしましたね。
 そうすると、運がいいことに「この作品を演奏したい」とか「一緒に新作をつくりたいのでベルリンに来てほしい」とかいう話になって。ルツェルン音楽祭のブーレーズのプロジェクトに応募したのもそれがきっかけでした。それからもロンドン・シンフォニエッタとも仕事はしましたが、ヨーロッパのプロジェクトが多くなっていって、イギリスは減っていきましたね。

こうしてあとから話を伺うと、ものすごくとんとん拍子のように聞こえますね。

藤倉:僕にとって嬉しかったのは、人柄を気に入ってもらって紹介されたのではなかったというところですね。あくまで曲を聴いて判断してもらった。ロンドン・シンフォニエッタとの関係もそうです。大学2年の年末テストのときに、大学とは関係のない外部から審査員としてロンドン・シンフォニエッタのメンバーの方が来たんですが、面接のまえに先に作品を聴かせるんですね。それでいざ面接のときにその人が、テストのことなんか忘れてしまって、「この楽譜を持って返ってもいいか」と言い出して。その横では、僕の先生がニコニコ笑っている。
そして次のシーズンが発表されたときには僕の作品がプログラムされていました。そんな感じで関係がはじまりました。それが大学生2年生のときですから、シルヴィアンと会うのはもっとそのあとですね、20代後半か30歳くらいのころ。

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デヴィッド・シルヴィアンと坂本龍一さん、ペーテル・エトヴェシュとブーレーズ、この4人が僕にとっていちばん重要な人たちです。その4人全員に会えたというのはすごいことでした。僕の人生の財産ですね。

ブーレーズの名前も出ましたが、晩年の彼とも親しかったんですよね。

藤倉:それもペーテル・エトヴェシュが僕の話をしてくれたおかげですね。スイスのルツェルン音楽祭が若い作曲家を探していて、推薦された大勢の作曲家のなかから何人かを選ぶという流れでした。さらにそのなかからブーレーズ本人がふたりを選んで、そのふたりの作品を2年後の同音楽祭でブーレーズが指揮をする、というプロジェクトです。それでルツェルン側から「君が誰だかは知らないけれど、エトヴェシュから名前が挙がっているので応募してくれ」と言われて、そのとおり応募しました。オーケストラの作品をふたつ送らなければならなかったんですが、クラシックの世界ではオーケストラ作品が演奏されるというのはすごく大変なことなんです。4人のバンドで弾くのであれば4人集めればいいわけですけど、80人のオーケストラに曲を弾かせるというのはそうとうなことがないとできない。しかも若い作曲家にはぜんぜんチャンスもないから、貴重な体験でした。それで僕は最後のふたりまで残ることができたので、そのとき初めてブーレーズに会ったんです。もともと僕は彼のただのファンだったんですが、それから2年後のルツェルン音楽祭で自分の作品がブーレーズ指揮のもと演奏されることになって、そこからかなり親しくなりました。28歳のときですね。
 彼はすごく厳しい人として知られていますが、じっさいに会うとぜんぜんそんなことはなくて、ニコッとして「ミスター・フジクラ」とか「ダイ」って呼ぶときもあるし、ほんとうにふつうに接してくれた。この後、もう1曲指揮してくれたこともありましたし、もっと僕の作品を指揮する予定もあったんですが、そのころから体調が悪くなってしまったので、残念ながらそれはなくなって、彼も観客として見守るみたいな感じで、僕の作品が演奏されるときにはブーレーズが観客にいたりしたしたことはけっこう何回もありましたね。当時もう85歳くらいでしたからね。

すごく出会いに恵まれていますよね。

藤倉:デヴィッド・シルヴィアンと坂本龍一さん、ペーテル・エトヴェシュとブーレーズ、この4人が僕にとっていちばん重要な人たちなんです。じっさいに会うかはべつにしても、この4人から学んだことはすごく大きかった。ずっと彼らの作品を聴いて学んできたので、その4人全員に会えたというのはすごいことでした。しかも、みんな長く関係を続けてくださっている。たとえばペーテル・エトヴェシュは去年、僕の作品の世界初演をやってくれたんですが、そんな感じで10年以上経ったいまも良い関係で、それは僕の人生の財産ですね。お金では買えないですから。

2年前には《ボンクリ・フェス》という音楽フェスを起ち上げていますが、そのとき大友良英さんの曲も取り上げていますよね。

藤倉:今年もやりますよ! 今年の《ボンクリ・フェス》は9月28日です。大友良英さんも出ます。坂本龍一さんの日本初演もあります。「デヴィッド・シルヴィアンの部屋」というのもあります。そこでは、《ボンクリ》のためだけにデヴィッド・シルヴィアンが作業してくれた作品も発表するので、ぜひエレキングの読者の方がたにも来てほしいですね。しかも1日3000円ですから(※《ボンクリ・フェス》の詳細はこちらから)。

大友さんの良いところは?

藤倉:もう僕はたんなるファンですね。大友さんもデヴィッド・シルヴィアンの『Manafon』に参加していて、「キュイーン!」みたいな音ばかりの大友さんのトラックがたくさんあったんですよ。僕がそれを加工させていただくことになって。シルヴィアンからも、大友さんがいかに素晴らしい人かという話も聞いていましたし。デヴィッド・シルヴィアンは誰でも褒めるような人ではないですから、彼が言うならそうとうすごい方だろうと思って、じっさいそのあとに出た水木しげる原作のNHKのドラマの音楽なんかもすごく良かったですし、そうこうしているうちに大友さんからSNSでフレンド申請が来て、それですぐに《ボンクリ・フェス》のお話をさせていただいて。出演してもらうなんてめっそうもない話だから、「演奏させていただける曲はありますか」ってお尋ねしたんですが、そしたら新曲をつくってくださり、出演までしてくださることになって。それが1年目ですね。それで去年も出てくださって、今年も出ていただくことになった。
 でも大友さんは、毎回、どういう音楽になるか前日までわからないと言うんです。譜面をほとんど書かずに、リハーサルを1時間半くらいやって決めて、音楽を作っていくというやり方は、僕みたいに何ヶ月も時間をかけて楽譜にしている立場からするとうらやましいですね。僕もああいうふうに曲ができたらいいのになっていう憧れがあります。

まだ《ボンクリ》には出演していない人で、今後出てほしい方、何か一緒にできたらいいなと思う方はいますか?

藤倉:〈ECM〉から出している(ティグラン・)ハマシアンですね。僕はとにかく熱狂的な彼のファンなんです。彼のアルバムも好きでよく聴いています。

彼はほんとうに試行錯誤して、デザインから何からすべて、隅から隅までこだわる。それをみて、「やっぱりアルバムを作るというのはこういうことだな」というのがわかった。中身は妥協できない。そういう姿勢はデヴィッド・シルヴィアンから学びましたね。

新作の『ざわざわ』についてお尋ねします。再生して最初がいきなり強烈な“きいて”だったので、驚きました。続く“ざわざわ”や“さわさわ”も声を効果的に用いていますし、今回「声」にフォーカスするという、テーマのようなものがあったのでしょうか?

藤倉:それはぜんぜんなくて。僕は基本的に、リリースできる音源が集まったら出すというかたちでやっているので、とくに今回「声」にしようというテーマがあったわけではないんです。日本では〈ソニー〉から出ていますが、もともとは自分でやっているレーベルの〈Minabel〉から出していて。それで、僕は貧乏性なのか、CDを1枚出すのにもいろいろと費用がかかりますから、いつも、出すならぎゅうぎゅうに詰め込んで出そうと思っていて。なので今回も70分以上あるはずです。それでたまたま集まったものに声の作品が多かったというだけの話ですね。ただ、曲の並べ方は毎回かなり悩みますよ。あと、僕はマスタリングも自分でやっているんですが、それもすごくチャレンジですね。たとえば“きいて”なんかはいじりまくっています。モノラルみたいな感じではじめて、途中から広げたり。

ご自身で編集やミックス、マスタリングまでこなすのは、そこまでやってこその音楽家だ、というような矜持があるんでしょうか?

藤倉:人に任せるとお金を払わなきゃいけないというのもありますね。しかも、お金を払わなきゃいけないわりには、僕が納得するマスタリングとかミックスだったことはほとんどなくて。なので、よく素材だけもらって、僕なりにミックスして、友だちのアーティストに送ったりするんですが、そういうときも「こっちのほうがいいじゃん」と言われることが多い。だから何十時間という時間をかけて自分でやるほうが、金銭的にも気分的にもいいなと思っているんです。僕はサウンドエンジニアとかプロデューサーの友だちがけっこう多いんですけど、みんな親切で、丁寧にいろいろ教えてくれるんです。それでどんどん上達したと思います。今回は冒頭が“きいて”で、そこから“ざわざわ”に移るので、最初は眉間の部分を小突く感じではじまって、“ざわざわ”でうわっと世界が広がるという感じかな、とか考えてやっていましたね。あと、僕の場合ライヴ録音がほとんどなので、(オーディエンスの)咳をとり除いたりするのには時間がかかりますね。

“きいて”は小林沙羅さんの息継ぎ、ブレス音も絶妙で。

藤倉:ちゃんと残っていましたよね? あまりにもなくしちゃうと変になっちゃうから。小林沙羅さんはいわゆる正統派のオペラ歌手なんですが、それをこういうふうに遊びで、ちょっとグロテスクな曲にしてしまう。ひどいですよね(笑)。彼女から委嘱されたのに。でも、そういう曲を書いたり変なミックスをしても沙羅さんはおもしろいと言ってくれるんですよ。そういうところが一流のアーティストはちがいますよね。ふつうは守りに入りますから。彼女は気に入ってくれたみたいで、いろんなところで歌ってくれているそうです。しかも毎回ちがう演出らしい。そういうふうにおもしろがってくれるのは、ホルンの福川伸陽さんもそうなんですよ。ホルンで曲を書いてくださいと言われたんですが、じつは僕はホルンが嫌いなので、ホルンっぽくない音を探しましょう、と。これも失礼な話ですよね。でも彼もそれをおもしろがってくれて、何曲も委嘱してくださって。それで“ゆらゆら”という、最初から最後までホルンの変な音が鳴り響く曲ができた。

まさに“ゆらゆら”は音響的におもしろい曲だと思いました。

藤倉:ふつうではない奏法なので。ふつうのホルンのサウンドは嫌ですから。

そして、その前後にはコントラバスのこれまた変な曲(“BIS”、“ES”)が並んでいて。

藤倉:弾いている佐藤洋嗣さんもおもしろいことをやるのがお好きな方で。アンサンブル・ノマドの佐藤紀雄さんのご子息なんですが、アルバム後半のこのあたりの曲は僕が自分でマイクを立てて録っているんですよ。

レコーディング・エンジニアのようなこともされているんですね。

藤倉:でもやり方を知らないから、ぜんぶ見よう見真似です。前のアルバム『ダイヤモンド・ダスト』でヴィクトリア・ムローヴァさんというめちゃくちゃ有名なヴァイオリニストの方に参加してもらったんですが、そのときも彼女の家までマイクを持っていって、自分で録音したんです。6チャンネルで録ったんですけど、そのうちのふたつはムローヴァさんの旦那さんが良いマイクを持っていたのでお借りして。でもヴァイオリンを録るときのマイクの立て方がわからない。そしたらムローヴァさんが、彼女は小さいころからレコーディングしているから、「ふつうはもうちょっと上だね」とか教えてくれる。そういう感じで録っていきましたね。時間があればエンジニアリングも習いたいです。

そういうチャレンジ精神は何に由来するのでしょう?

藤倉:僕の最初のアルバム『Secret Forest』は、芸術のために活動しているイギリスの小さな〈NMC〉というレーベルから出たんです。そこはすごく良心的な現代音楽をやっているところで、売るためにやっているわけではない。そこから出すことになったときに、デヴィッド・シルヴィアンのアルバムのつくり方をずっとみていたんですよ。彼はほんとうに試行錯誤して、デザインから何からすべて、隅から隅までこだわる。それをみて、「やっぱりアルバムを作るというのはこういうことだな」というのがわかった。それで自分のレーベルもはじめようと思いましたし。隅から隅までやって、「これだ」と思えるものしか出さない。ちなみに僕の場合は、助成金とかをもらって作っているわけではないので、ぜんぶ自分の生活費から出ています。いま借りている家には3人で暮らしているんですが、寝室がふたつなんです。仕事するのに自分の部屋がないんですよ。こんなアルバムを出していなかったら、もう一部屋借りられていたかもしれない。それでも出したいということですよね。ほかの人が聴いてくれるかどうかはわからないけど、中身は妥協できない。そういう姿勢はデヴィッド・シルヴィアンから学びましたね。それだけこだわったアルバムなら、好き嫌いはべつにして、出す価値があるって。1トラックに20時間かけるなんてどう考えてもバカじゃないですか(笑)。妻は元音楽家なので耳が良いんですけど、その妻も「そんなもの誰も聴かないんだからもういいじゃん」「でもその音、狂っているよね」とか言って部屋を去っていきます(笑)。

職人ですよね。

藤倉:やっぱりアルバムを作っていると、最後のほうはもう精神病棟に行かないといけないんじゃないか、というくらいになっちゃいますよ。以前、チェロ協奏曲の作業をしていたときに、チェロってそもそも弓が弦に擦れて音が出るものなのに、そのこすれる音が気になりはじめちゃったりして。でもそのこする音がなかったら、それこそサンプラーのチェロみたいな音になっちゃう。そういう感じで、編集とかミックスをしているととまらなくなるんですよね。だから、どこでとめるかというのが問題ですね。

では最後に、ふだんテクノを聴いているような人におすすめの、現代音楽やクラシカルの作品、あるいは演奏家を教えてください。

藤倉:悩みますね。ポーリン・オリヴェロスのディープ・リスニングはどうでしょう。


James McVinnie - ele-king

 スクエアプッシャー、最近あまり名前を見かけないなーと思っていたら、ちゃっかり水面下で新たな仕事を進めていたようだ。UKのキイボーディスト、ジェイムズ・マクヴィニーのためにトム・ジェンキンソンが作曲を手がけたアルバム『All Night Chroma』が9月27日にリリースされる。
 マクヴィニーはもともとウェストミンスター寺院でアシスタントを務めていたオルガン奏者で、クラシカルの文脈に属する演奏家と言っていいだろう(もっとも多く録音を残しているのは〈Naxos〉だし、現時点での最新作はフィリップ・グラスの楽曲を取り上げた『The Grid』だ)。けれども他方で彼は、ヴァルゲイル・シグルズソンがニコ・ミューリーやベン・フロストとともに起ち上げたレイキャヴィクのレーベル、〈Bedroom Community〉から作品をリリースしたり、スフィアン・スティーヴンスOPN と共演したりもしている。とりわけ2017年のダークスターとのコラボはホーントロジカルで素晴らしく、よほど相性が良かったのか、この5月に両者は再度コラボを果たしてもいる。
 そんなわけで、今回のトム・ジェンキンソンとジェイムズ・マクヴィニーの共同作業もがっつり期待していいだろう。なお、ワールドワイドで1000枚ぽっきりのプレスらしいので、気になる方はしっかりご予約を。

[9月5日追記]
 昨日、『All Night Chroma』から収録曲“Voix Célestes”のMVが公開された。トム・ジェンキンソンとジェイムズ・マクヴィニー、それぞれのコメントも到着している。予約・試聴はこちらから。

オルガンのための曲を書くことは、多くの面で、電子楽器の曲を書くことと類似しているのではないかと感じる。 コンピューターの天才が持つ謎めいた魅力に通ずる何かが、オルガン奏者にはあるのかもしれない。 彼らは装置に囲まれながら、賞賛の声から距離を置き、まるで執着がないかのように振る舞っているのだから。 ──トム・ジェンキンソン

ジェイムズとの共同制作は、非常に心躍る経験であり、その要因は、彼の音楽家としての圧倒的な才能のみならず、多くのアイデアを取り入れる感受性と実験的試みを厭わない精神にある。 ──トム・ジェンキンソン

演奏だけでなく、万華鏡のように色彩豊かなロイヤル・フェスティヴァル・ホールの音色にフィットさせることなど、実現に至るまで技術的な挑戦となるものだったんだ。この楽器はミッドセンチュリー・デザインの頂点であり、最初にその音を聴かれた時には音楽界にセンセーションを巻き起こした。豊かで高貴な歴史を持つにもかかわらず、明瞭さと新鮮さを兼ね備え、今回の新しい音楽の理想的な媒体だったんだ。 ──ジェイムズ・マクヴィニー

今年30周年を迎えた〈Warp〉よりスクエアプッシャーことトム・ジェンキンソンが作曲し世界屈指のオルガン奏者ジェイムズ・マクヴィニーが奏でる怪作『All Night Chroma』が9月27日にリリース決定
CD/LPともに世界限定1000枚、ナンバリング付でレア化必至!

スクエアプッシャーことトム・ジェンキンソンが作曲を手がけ、世界屈指のオルガン奏者ジェイムズ・マクヴィニーが演奏した異色作品『All Night Chroma』が、9月27日に〈Warp Records〉よりリリース決定! CD/LPともに世界限定1000枚、ナンバリング付。レア化必至の貴重盤となる。

世界でも有数のオルガン奏者として知られているジェイムズ・マクヴィニー。16世紀のルネサンス音楽から現代音楽までを網羅するマクヴィニーは、これまでにも多くの現代音楽家たちとコラボレートをしており、フィリップ・グラス、アンジェリーク・キジョー、ニコ・ミューリー、マーティン・クリード、ブライス・デスナー、デヴィッド・ラングらが彼のために楽曲を書き上げてきた。

スクエアプッシャーやショバリーダー・ワンとしての活動で知られるトム・ジェンキンソンは、今回マクヴィニーのために8つの楽曲を書き下ろしている。収録された音源は、2016年に、ロンドンのロイヤル・フェスティバルホールに設置され、このホールの特徴にもなっている巨大な Harrison & Harrison 社製1954年型のパイプオルガンで演奏・レコーディングされたものとなっている。ジェンキンソンは、スクエアプッシャー、ショバリーダー・ワン名義の作品群や革新的なライブ・パフォーマンスのみならず、作曲者としての地位も確立しており、2012年のスクエアプッシャー作品『Ufabulum』をオーケストラ用に再構築し、世界的指揮者のチャールズ・ヘイゼルウッドとシティ・オブ・ロンドン・シンフォニアによるコンサートを成功させ、BBCによる映像作品『Daydreams』で1時間半に及ぶ楽曲を提供、"Squarepusher x Z-Machines" 名義で発表された『Music for Robots』では、3体のロボットが演奏するための楽曲を制作している。本作『All Night Chroma』では、スクエアプッシャー作品の礎となっているエレクトロニック・サウンドから離れ、彼のさらなる才能の幅広さを見せつけている。

ジェイムズ・マクヴィニーとトム・ジェンキンソンがコラボレートした『All Night Chroma』は、9月27日(金)に世界同時リリース。CD/LPともに世界限定1000枚、ナンバリング付。国内流通仕様盤CDには解説書が封入される。

label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: James McVinnie
title: All Night Chroma
release date: 2019.09.27 FRI ON SALE
国内仕様盤CD BRWP305 ¥2,214+tax
解説書封入

MORE INFO:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10470

WARP30周年 WxAxRxP 特設サイトオープン!
スクエアプッシャーも所属するレーベル〈WARP〉の30周年を記念した特設サイトが先日公開され、これまで国内ではオンライン販売されてこなかったエイフェックス・ツインのレアグッズや、大竹伸朗によるデザインTシャツを含む30周年記念グッズなどが好評販売中。アイテムによって、販売数に制限があるため、この機会をぜひお見逃しなく!
https://www.beatink.com/user_data/wxaxrxp.php

Inoyama Land & Masahiro Sugaya - ele-king

 またしても〈Empire Of Signs〉である。2年前の吉村弘のリイシューは昨今の「和モノ・ブーム」のひとつの起点となり、今年は〈Light In The Attic〉から日本の「環境音楽」にスポットライトを当てたオムニバス『Kankyō Ongaku』まで登場、逆輸入というかたちで日本再評価の機運がどんどん高まってきている。その双方で重要な役割を果たしたのがヴィジブル・クロークスのスペンサー・ドーランなわけだけど、どうやら彼は手を緩めるつもりはないらしい。ドーラン主宰の〈Empire Of Signs〉から、新たなリリース情報がアナウンスされた。
 ひとつは、元ヒカシューの井上誠と山下康から成るイノヤマランドの『Commissions: 1977-2000』で、博物館などからの委嘱作品を集めたもの。もうひとつは、かつてパフォーミングアーツ・グループのパパ・タラフマラに在籍していた作曲家、菅谷昌弘による『Horizon, Volume 1』で、彼の80年代の音源を集めたものだ。前者は9月20日に、後者は10月11日にリリースされる。2組とも『Kankyō Ongaku』でとりあげられていた音楽家だから、今後もこのようなかたちで具体的に「環境音楽」のリヴァイヴァルが進んでいくのかもしれない。うーむ。

Artist: Inoyama Land
Title: Commissions: 1977-2000 - Music for Slime Molds, Sensory Museum and Egyptology
Label: Empire of Signs
Out: September 20, 2019
Cat # / Format: EOS03 / 2xLP | CD | Digital

Album Track List

SIDE A
1. Hair Air
2. Cycle
3. Soushiyou To Shiteiru
4. Garasudama

SIDE B
5. Aa Egypto
6. Skyfish
7. Bananatron
8. Fairy Tale

SIDE C
1. Morn
2. Kodama
3. Ougon No Sara
4. Candy Floss
5. Watashikara Ubawanaide

SIDE D
6. Anatano Yushoku No Tameni
7. Candy (alt.)
8. Sekai No Owari


Artist: Masahiro Sugaya
Title: Horizon, Volume 1
Label: Empire of Signs
Out: October 11, 2019
Cat # / Format: EOS02 / LP | CD | Digital

Track List

Side A
1. Horizon (Intro)
2. Future Green
3. Afternoon of the Appearing FIsh
4. Grain of Sand by the Sea

Side B
1. Straight Line Floating in the Sky
2. Wind Conversation
3. Until the End of the World
4. Horizon (Outro)

Tohji - ele-king

 Tohji のデビュー・ミックステープ、『angel』がリリースされた。

 これまで、Abema TV の番組「ラップスタア誕生」でポエトリーにも近い独特なスタイルで注目を集めた。同時にオリジナル楽曲や海外のトラックメーカーのビートに乗せた曲を SoundCloud で公開し、2018年にはEP「9.97」をリリースした。

 今年は Mall Boyz (Tohji + gummyboy) 名義での“Mall Tape”のヒットで着実に知名度を高め、渋谷WWW でデイタイムの彼自身の主催イベント《Platinum Ade》では、未成年のファンを中心に550人ものクラウドを沸かせた。Tohji は彼自身の人気に加えて、Mall Boyz 周辺のシーンをまとめ上げる風格を帯びてきている。

 現行のメインストリームであるトラップ・エモーショナルなラップから、ジャージークラブやパラパラなどのダンス・ミュージックも器用に乗りこなし、ジャンルに縛られない柔軟なスタイルで幅広い世代のファンを魅了してきた。そんな Tohji による待望のミックステープには、彼のスピードに対する冴えた感覚、滾る若さ、そして彼の詩人としての才を随所に感じられる。

 MURVSAKI のビートとF1の轟音でスタートする本作は、ヘヴィな“Snowboarding” で幕を開ける。得意にしているメロディックなフロウとは打って変わり、“flu feat. Fuji Taito”で魅せたようなひとつのキーでモノトーンに攻める。続いて SoundCloud で先行公開されていた“Rodeo”では、英語詞のラップを披露。日本語と英語を同列のレヴェルで扱うことで、言葉が持つ音の面白みを感じられる一曲だ。また、ここで比肩すべき人物として北野武を挙げるところも、映像的な表現が光る彼のスタイルらしい部分である。

飲み込めハイチュウ、食べてる最中 “HI-CHEW”

 インタールードを挟んで“HI-CHEW”では、最初の2小節で全てを語りつくしてしまうこのラインに痺れた。言葉では一言も触れていないのにもかかわらず、このラインは若さや彼の勢いを全て表現していて、その勢いは、MURVSAKI のパワフルなビートに張り合ってこの曲を特別なものにしている。Loota が参加した“Jetlife”では、Mall Boyz の“Higher”と同じ“空”のモチーフを、今度は空の上からダイナミックに掴んでいる。この2曲はこのミックステープのハイライトだと思う。

 “トウジ負傷”を挟み、終盤ではグライム・プロデューサーとしても知られる Zeph Ellis の制作したビートに乗せて、彼らしいラヴソングである“on my way”、そして再び MURVSAKI によるビターなラヴソング“miss u”で幕を閉じる。

 このミックステープはこれまでのリリースよりもより多面的な Tohji をのぞかせてくれる。そこにはラッパーとしてのセルフボーストだけでなく、彼の優しさや傷のヒリヒリとした生々しさもある。それぞれの面が魅力的であり、彼の類い稀な才能が世界にさらけ出された一枚だ。

Haruomi Hosono - ele-king

 いやはや、半世紀である。細野晴臣がエイプリル・フールとしてデビューを果たしてから50年──はっぴいえんどやYMOはもちろん、ソロとしてもじつに多くの遺産を音楽史にもたらしてきた彼のアニヴァーサリーを祝し、その足跡を追ったドキュメンタリー映画が公開される。タイトルは『NO SMOKING』。近年の活動にも密着し、昨年のワールド・ツアー(高橋幸宏、小山田圭吾、坂本龍一が参加したロンドン公演も含まれる)やヴァン・ダイク・パークス、マック・デマルコらとの交流の様子も映し出されているそうで、音楽とタバコとコーヒーと散歩を愛する細野晴臣の人間性がぎゅっと凝縮された作品になっているとのこと。11月、シネスイッチ銀座、ユーロスペース他にて全国順次公開です。

細野晴臣デビュー50周年記念ドキュメンタリー映画
『NO SMOKING』
公開決定&特報解禁&場面写真解禁!

水原希子、小山田圭吾など著名人も愛してやまない「“細野さん”に会いにいこう。」
音楽家・細野晴臣のこれまでの歴史と知られざる創作活動を収めた特報映像が解禁!

タイトル『NO SMOKING』とは? by細野晴臣

世界中を旅して最も感じたことは、当然のことながらどこもNO SMOKINGだったということです。しかしそれは屋内のこと。外ではほぼ喫煙OK。意外と寛容なところがありました。紐育、倫敦では路上ポイ捨てが常識で、それに馴染めずに自分は携帯灰皿を持ち歩いたのです。それを見た土地の人から「礼儀正しいね、でも吸い殻を清掃する業者の仕事を奪う」ってなことを言われました。なるほどそういうこともあるのか。その携帯灰皿を紐育で紛失し、買い求めようとしたらどこにも売ってません。あれは日本独自のものらしい。仕方なく紙コップを持ち歩きました。日本の路上禁煙は珍しい例だそうです。香港はブロック毎に大きな灰皿が設置してあり、喫煙率が高そう。長旅でホテルに泊まれば、ぼくは1時間毎に外の喫煙所へ出ることになり、それはかなり苦痛なことです。部屋で吸えば高額な罰金を取られますから。世界が歩調を揃えているこの禁煙法には違和感を持ちつつも、逆らうことはできません。ですから人に迷惑がかからないことを念頭に、周囲を見渡しながら喫煙を心がけているわけです。喫煙所さえあれば一安心。こうしてNO SMOKINGの世界でSMOKERを自認するのは、ひょっとするとタバコをやめるよりも意志の強さが必要となります。煙を吐くだけで差別され、否応なく少数派の立場に立たされるのですから。「詭弁を言わずにやめたら?」と言われます。いやいや、20世紀の文化を支援してきた紫煙に、突然愛想をつかすわけにはいかないのです。(細野晴臣)

《細野晴臣 コメント》
自分の映画が出来上がって上映されるとは夢のようですが、同時に悪夢だとも思えます。何故生きている間にこんなことになったのかといえば、今年になって50年も音楽生活を続けてきたせいでしょうか。このような映画を自分で作ることはできません。製作陣の熱意があってこそ実現したものであり、自分も観客のひとりとして見ることになります。しかし到底客観的な評価などできるはずもありません。どうか見た人が少しでも得ることがあるように、と祈るばかりです。

《佐渡岳利監督 コメント》
YMOに衝撃を受けた少年時代から仕事をご一緒させていただく今に至るまで、細野さんを「スゴい!」と思い続けてきました。私と同じ思いの方には、その再確認ができて、初めて細野さんに出会った方には我々と同じ思いになれる映画にしたいなと思います。カッコ良くて、カワいくて、音楽を心から大好きな細野さんに、是非会いにきてください。

〈細野晴臣 ホソノハルオミ〉 プロフィール
1947年東京生まれ。音楽家。1969年「エイプリル・フール」でデビュー。1970年「はっぴいえんど」結成。73年ソロ活動を開始、同時に「ティン・パン・アレー」としても活動。78年「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成、歌謡界での楽曲提供を手掛けプロデューサー、レーベル主宰者としても活動。YMO散開後は、ワールドミュージック、アンビエント・ミュージックを探求、作曲・プロデュース、映画音楽など多岐にわたり活動。2019年デビュー50周年を迎え、3月ファーストソロアルバム「HOSONO HOUSE」を新構築した「HOCHONO HOUSE」をリリース し、6月アメリカ公演、10月4日から東京・六本木ヒルズ展望台 東京シティビュー・スカイギャラリーにて展覧会「細野観光1969-2019」開催。
https://hosonoharuomi.jp

〈監督:佐渡岳利 サドタケトシ〉 プロフィール
1990年NHK入局。現在はNHKエンタープライズ・エグゼクティブプロデューサー。音楽を中心にエンターテインメント番組を手掛ける。これまでの主な担当番組は「紅白歌合戦」、「MUSIC JAPAN」、「スコラ坂本龍一 音楽の学校」「岩井俊二のMOVIEラボ」「Eダンスアカデミー」など。Perfume初の映画『WE ARE Perfume -WORLD TOUR 3rd DOCUMENT』も監督。

【細野晴臣デビュー50周年 〈細野さんに会いに行く〉】
〈NEW ALUBM〉「HOCHONO HOUSE」発売中
〈展覧会〉「細野観光1969-2019」10/4(金)-11/4(月・休)@六本木ヒルズ展望台 東京シティビュー・スカイ
ギャラリー(六本木ヒルズ森タワー52F)
〈コンサート〉特別記念公演 11/30(土)、12/1(日)
〈COMPILETED CD〉「HOSONO HARUOMI compiled by HOSHINO GEN」(8月28日(水)発売)
「HOSONO HARUOMI compiled by OYAMADA KEIGO」(9月25日(水)発売)連続リリース!
詳細は⇒hosonoharuomi.jp

出演:細野晴臣
ヴァン・ダイク・パークス 小山田圭吾 坂本龍一 高橋幸宏 マック・デマルコ
水原希子 水原佑果(五十音順)

音楽:細野晴臣
監督:佐渡岳利 プロデューサー:飯田雅裕
製作幹事:朝日新聞社 配給:日活 制作プロダクション:NHKエンタープライズ
(C)2019「NO SMOKING」FILM PARTNERS
HP:hosono-50thmovie.jp
twitter:@hosono_movie50

11月、シネスイッチ銀座、ユーロスペース他全国順次公開

Kali Malone - ele-king

 なんという天国的な音楽だろうか。なんという崇高さを希求する音響だろうか。なんという透明な霧のごときパイプオルガンの響きとミニマムな旋律だろうか。持続と反復。俗世と重力からの解放。思わず「バロック・ドローン」などという言葉が脳裏をよぎった。
 
 カリ・マローンの新作アルバム『The Sacrificial Code』のことである。「犠牲的な、生贄のコード」? じじつカリ・マローンは音楽の「神」に身を捧げている。いや、正確には「音響と音楽が交錯し、持続し、やがて消失する、そのもっとも神聖で、もっとも美しい瞬間に身を捧げている」というべきか。この音楽はそれほどにまでに特別な美しさを放っている。
 だからといって派手で、大袈裟で、装飾的で、豪華な美ではない。パイプオルガンの持続の線がひとつ、そしてふたつと折り重なる簡素なものだ。しかし、そのミニマムな持続の生成には、音楽の持っている崇高な美がたしかに折り畳まれている。

 スウェーデンのストックホルムを拠点とするカリ・マローン(1994年生まれ)。彼女は新世代のサウンド・アーティストであり、ポスト・ミニマル音楽の作曲家である。そして西洋音楽を歴史を継承する現代音楽家であり、2010年代のエクスペリメンタル・ミュージック・パフォーマーでもある。
 カリ・マローンは弦楽器、管楽器、聖歌隊、パイプオルガンなどのオーセンティックな西洋音楽の楽器を用いつつ、デジタル処理された電子音、シンセサイザーなどをミックスし、独創的で現代的な音響空間を生成する。さらにそのライヴでは電子音のみの演奏も披露する。カリ・マローンのサウンドは優雅にして深遠。持続音(ドローン)に融解したロマン派のような響きを放つ。

 カリ・マローンは2016年にカテリーナ・バルビエリ(Caterina Barbieri)、エレン・アークブロ(Ellen Arkbro)ら現代有数のエクスペリメンタル・アーティストらとのコラボレーションEP「XKatedral Volume III」をストックホルムのレーベル〈XKatedral〉からリリースした。バルビエリとアークブロは、ともに優れたエクスペリメンタル・ミュージック・アーティストであり、バルビエリの最新作『Ecstatic Computation』(2019)、アークブロの最新作『Chords』(2019)は、タイプは違えども電子音の反復と持続の問題を追及した重要なアルバムである。
 翌2017年、カリ・マローンはエレクトロニクスに16世紀末に登場しバロック末期まで主に通奏低音楽器として用いられたテオルボ、ゴング、ヴィオラ、ヴァイオリンなどの弦楽器をミックスするファースト・アルバム『Velocity of Sleep』を〈XKatedral〉からリリースした(アメリカの〈Bleak Environment〉からも配給)。
 続く2018年、アルトサックス、バスクラリネット、ファゴットにカリ・マローンのシンセサイザーを加えたセカンド・アルバム『Cast Of Mind』を、スイスの〈Hallow Ground〉より送り出す。同年、〈Ascetic House〉より、パイプオルガンを用いたドローン作品を収録したEP「Organ Dirges 2016 - 2017」もリリースし、優美さと恍惚さを併せ持ったサウンドは大いに話題を呼んだ。
 2019年は、今回取り上げるサード・アルバム『The Sacrificial Code』をヨアキム・ノルドウォール(Joachim Nordwall)が主宰するスウェーデンの名門エクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈iDEAL Recordings〉からリリースし、Acronym とのコラボレーションEP「The Torrid Eye」をストックホルムの〈Stilla Ton〉から送り出す。このEPではエクスペリメンタルなディープ・テクノを展開した。
 カリ・マローンは、エレン・アークブロ、サラ・ダヴァチー(Sarah Davachi)、エミリー・A・スプレイグ(Emily A. Sprague)らと同じく新世代のドローン/ミニマル音楽作曲家である。さらに電子音楽家カテリーナ・バルビエリやフェリシア・アトキンソン(Felicia Atkinson)、ノイズ・アーティスト、ピュース・マリー(Puce Mary)らとの同時代性を共有する2010年代を代表するエクスペリメンタル・アーティストでもある。断言するが彼女たちの音楽/サウンドを聴くことは、音響、作曲技法、録音、繊細なサウンド・ノイズの導入の結晶である現代の先端音楽のエッセンスを知る最大の手掛かりとなる。

 本年にリリースされた新作『The Sacrificial Code』は、2018年の「Organ Dirges 2016 - 2017」を継承するオルガン・ドローン作品だ。ミニマムな音階もあり、ドローンとメロディのあいだでわれわれの聴取環境を生成する見事な現代音楽作品でもある。その簡素な音階の変化に耳を傾け、ミニマルにして複雑なサウンド・テクスチャーを聴き込むことで、単一の音の中に多様な音の蠢きをリスニングすることが可能になる。
 アルバムにはLP版は2枚組で全8曲、CD盤は3枚組で23分もの長尺の追加曲を含めた全10曲、データ版も全10曲が収録されている。アルバム前半、CD盤だとディスク1に当たる「Canons For Kirnberger III」はストックホルム音楽大学で2018年3月におこなわれた。アルバム中盤、CD盤ディスク2にあたる「Norrlands Orgel」のライヴ録音はスウェーデンのピーテオーで2018年9月におこなわれた。アルバム後半、CD盤ディスク3の「Live In Hagakyrka」パートは、イェーテボリにある教会で2018年4月に演奏・録音された。この「Live In Hagakyrka」にはエレン・アークブロも参加している。これらのすべての演奏の記録はラシャド・ベッカーによって丁寧なマスタリングを施され、見事な録音芸術作品となった。

 どの曲も優美にして繊細、大胆にして深遠。極上にして天国的。パイプオルガンという西洋音楽における伝統的な楽器を用いつつも、本作のサウンドのテクスチャーは極めてモダンである。まるで電子音響やフィールドレコーディング作品を聴取するようにパイプオルガンの音を聴くことができるのだ。
 ミニマルな音階と、その音の芯のまわりに鳴るノイズの蠢きを聴き込むことで、聴き手の聴覚はゆったりと拡張するだろう。リスナーは「聴くということの意識化」と「聴くことで得られる恍惚」のふたつを得ることになるはず。
 この『The Sacrificial Code』は、そのような「聴く」という意識と、聴取のむこうにある「音響の結晶」を確実に捉えている。音楽と音響は相反するものではない。旋律や和音・和声が鳴り続けていったその先に、音楽と音響は融解・消失する。その消失地点こそ音楽/音響の結晶体なのだ。
 CD3枚、LP2枚に渡って収録された楽曲(CD・データ版は2曲追加収録されており、うち“Glory Canon III (Live In Hagakyrka)”は23分もの長尺)たちは、そのような音楽と音響の結晶地点を示す「新しいドローンおよびミニマル・ミュージック」である。全曲を通して聴くことでパイプオルガンの単一でありながら、複数の響きの蠢きを聴取することができるようになるだろう。それこそが「音響と音楽が緻密に、複雑に融解」していった「2010年代のエクスペリメンタル・ミュージック」の姿でもある。

 旋律を超えて反復へ。反復が融解し持続へ。持続が解体され複数の層へ。消失から結晶へ。本作は、そんな音楽/音響の現代的な聴取のレイヤーを内包した新しいポスト・ミニマル・ミュージックだ。それは新しい時代の教会音楽/宗教音楽への模索と接近に思えた。反復と持続が融解し、消失した瞬間に表出する「崇高な美」。この「美」を「神」とすれば、本作のサクリファイス・コードが何を開くためのものかも分かるというものだ。

Solange - ele-king

 いつまでも姉を引き合いに出されては不本意だろうから手短かに済ますけれど、ソランジュはその活動の初期から常道とは異なるスタンスを打ち出すことでメインストリームをサヴァイヴしてきた、いわば対抗的なシンガーである。圧倒的なスターとして自らの存在感を顕示するのではなく、アプローチの多彩さやサウンドの掘り下げをとおして王道とはべつのルートを選択すること──そのオルタナティヴな態度は、とはいえまだディーヴァ的歌唱法やモータウンへの憧憬の大いに残存する2008年の2枚目からも聴きとることができる。同作に収められた“This Bird”がボーズ・オブ・カナダの“Slow This Bird Down”をサンプリングし、現在の彼女のスタイルにつうじる方法論を編み出していたことは、メインストリームとアンダーグラウンド、USとUK、ブラック・ミュージックと白人音楽といった種々の二項対立を考えるうえで見過ごすことのできないポイントだろう。他のアーティストがBOCを引用するようになるのは(実質的に)2010年代に入ってからだし、その実例も素材に必然性のないリル・Bだったりシューゲイズ的サイケデリアが目的と思しきリル・ピープだったりするので、早さの点でも使い方の点でも、ソランジュの慧眼は称賛に値する。
 とまれ、そのようなオルタナティヴの萌芽は2012年のEP「True」で一気に花開き、2016年の前作『A Seat At The Table』において盛大に咲き乱れることになる。高らかに歌い上げることをやめ、わかりやすい昂揚からは距離をおき、従来のR&Bともヒップホップとも異なるドリーミーさを獲得、丁寧に音色や音響に気を配りつつ、非ブラックの協力者も迎えながら、他方でレイシズムにしっかりと抗議を表明する彼女は、輝けるポップ・ミュージックの歴史に深くその名を刻みつけると同時に、ハーメルンの笛吹きのごとくインディ・キッズたちを元いた場所から連れ去ってしまったのだった。それから2年半のときを経て届けられたのが今回の新作『When I Get Home』である。

 とにかく音響にたいする意識がすさまじい。冒頭“Things I Imagined”で連続する「I」と「imagine」の母音同士の間合い、“Down With The Clique”や“Stay Flo”で畳みかけられる「down」や“Dreams”における「-ms」の発声などは、言葉の意味よりもまずその響きのほうへとリスナーの耳を誘導する。「ひとつのドラムの音を編集するのに18時間かけた」というエピソードも、“Way To The Show”のシンセ・ドラムや“Binz”のハットあたりを聴けばなるほどと唸らざるをえないし、随所に挿入される電子ノイズや鍵盤の音色、“Stay Flo”におけるずっしりとした低音とふわふわした上モノとの対比、“Almeda”や“Sound Of Rain”のチョップド&スクリュードなども、彼女のサウンドにたいする並々ならぬ情熱を物語っている。
 ソランジュは本作のレファランスとしてスティーヴィー・ワンダーやスティーヴ・ライヒ、アリス・コルトレーンやサン・ラーといったレジェンドたちの名を挙げているが、本作はそのどれとも似ていない。前作で確立された彼女の独自性はここで、さらなる高みに到達している。他にもインスピレイション・ソースは多岐にわたるが、たとえばトラップ由来のリズムやドラムもそれじたいが目的になっているわけではないし、豪華なゲストたちの個性も巧みに抑制されている。ときおり背後に敷かれるドローンはかなり薄めのレイヤリングで、おそらくはジョン・キャロル・カービィによるものだろうスピリチュアルな気配も、ニューエイジ的な側面が肥大しすぎないよう適切に押さえ込まれている。フライング・ロータスがそうだったように、ソランジュもまた今回の新作において「音楽監督」としてのスキルを格段に向上させている。
 言葉のほうも力強い。黒人の肌や髪の特徴を歌い上げる“Almeda”で彼女は、「ブラックの信念は、いまだ洗い流されていない」と、なんともしとやかに宣言している。この「ブラックの信念」は、アルバム全体のテーマと深く関わっている。

 タイトルどおり、本作のテーマは「ホーム」である。それは具体的には彼女の出身地たるヒューストンを指している。チョップド&スクリュードの導入もたんなる気まぐれではない。その手法を編み出した故DJスクリューは、ヒューストンを拠点に活動していたプロデューサーだった。他にも本作では俳優のデビー・アレンや歌手のフィリシア・ラシャッド、詩人でありブラック・パンサーにも関わったレズビアン活動家のパット・パーカーなど、同地出身者たちの音声がサンプリングされている。
 原点たるヒューストンへと還ること──それは空間的には郷愁と呼ばれ、時間的には懐古と呼ばれる。そのようなノスタルジーは、“Almeda”のMVが「まわること」をモティーフとしている点にもあらわれている。登場人物たちは歩きながら円を描き、ダンサーはポールを軸に回転し、ソランジュ本人もハットを指に引っかけてぐるぐるとまわしている。あるいは“Beltway”のMVでは、点滅する光が輪をかたちづくっている。現在は過去を想像し、過去は現在へと回帰する──ノスタルジーは、線的にではなく円的に発動されるのだ。注目すべきはそこに「ブラックの信念」が伴っている点だろう。

 今日はもはや「レイス・ミュージック」の時代ではない。にもかかわらず、差別構造じたいは強固に残存している。何度も繰り返される警察の暴力──そのような悲惨な現実に抗するひとつの方法は、いつか訪れるだろう素晴らしい未来を夢想することかもしれない。でも逆に、過去を志向することだって立派な抵抗たりえるのではないか? 一般的に郷愁や懐古は後ろ向きな姿勢と見なされるが、じつはそれほどネガティヴなことではないのではないか? 過去の想像それじたいがオルタナティヴな戦術たりえるような、なんらかの方法があるのではないか?
 このアルバムがおもしろいのは、主題としての過去と音響としての現在が熾烈な闘いを繰り広げているところだ。テーマがノスタルジックなのとは裏腹に、サウンドはいっさいレトロを志向していない。後者はむしろ、現行ポップ・ミュージックの最尖端を突き進んでいる。過去を呼び戻す必要のあるときも必ずひねりが加えられていて、たとえばインタールードの“Exit Scott”では、懐かしさを煽るはずのソウル・ソングがパルス音によって汚染され相対化されていく。そもそもチョップド&スクリュードだって、既存の素材を著しく変容させて再呈示するわけだから、過去を異化する手法と言える。

 本作収録曲のMVを観ていると、もうひとつ気づくことがある。“Things I Imagined / Down With The Clique”や“Way To The Show”など、現時点で公開されているほぼすべての映像に、カウボーイが登場しているのだ。いくつかの宣材写真ではソランジュ本人がその姿に扮してもいる。重要なのは、それらがみなブラックであるという点だろう。
 彼女のホームたるヒューストンは、カウボーイの街として知られている。通常それは白人の男性を想起させるが、「わたしが最初に見たカウボーイはみんなブラックだった」と、彼女はファッション誌『VOGUE』のインタヴューで語っている。最後の曲のタイトルも“I'm A Witness”だ。自らの幼いころの記憶と、おそらくは映画産業によって流布され固定されたであろうイメージ、そのギャップを浮かび上がらせるために彼女は、色とジェンダーを反転させる。

 カウボーイのモティーフから僕が最初に思い浮かべたのは、“Dayvan Cowboy”というギター・ノイズとドラムの乱舞が美しい、2005年の曲だった。「dayvan」というのは、窓際に設置する背もたれのないソファや長椅子を指す、「divan」なる単語が変化したものらしい。つまり「ダイヴァン・カウボーイ」とは、長椅子に腰かけたり寝そべったりしているカウボーイのことで、ようは「安楽椅子探偵」みたいなものだろう。外へは一歩も出ずにたいがいの物事をこなしてしまう人間の喩えだ。
 この曲のMVは、成層圏まで上昇した気球から人が飛び降りる場面ではじまる。彼はどんどん落下し、やがて大海原に突入する。巨大な波が押し寄せるなか、まるで何事もなかったかのように彼は海パンに着替え、サーフィンを試みる。軍人のジョゼフ・キッティンジャーとサーファーのレイアード・ハミルトンの映像をつなぎ合わせたものだ。成層圏ダイヴからの大波サーフィンという、じっさいにはまず不可能であろうアクションも、部屋でソファにひっくり返りながらであればたやすく想像することができると、そういう話である。
 この“Dayvan Cowboy”は、突飛で非現実的な想像をどこまでも擁護する──と同時に、当時の世界情勢を踏まえるなら、イラク戦争中にホワイトハウスのデスクに腰かけたまま再選を果たした、ジョージ・ブッシュを諷刺するものでもあったにちがいない。興味深いことに、かの大統領が中学時代を過ごし、州兵時代に配属された土地もまたヒューストンだった。それから15年近くが経過し、黒人で初めて大統領になったオバマはとうに政権を去り、現在は新たな白人のカウボーイが合衆国を牛耳っている。
 2005年のこの曲がいま、ソランジュの思考に回帰してきている。“Dayvan Cowboy”が収録されていたのは、かつて彼女がサンプリングした“Slow This Bird Down”とおなじアルバムだった。まさにボーズ・オブ・カナダこそ、ノスタルジーを鍛錬し、戦略的に打ち出した嚆矢だった。ソランジュはいまふたたび彼らのアイディアを応用し、ブラックの文脈へと移殖することで、あらためて世界に問いを投げかけている。

 メインストリームを主戦場とする歌手がアンダーグラウンドを参照し、現代的な音響を追求しながらノスタルジーを導入することで開始した、あまりに静かな叛逆──「わたしは想像する」という言葉で幕を開けるこのアルバムは、「夢」を経由し、「わたしは止まらない」という言葉で幕を下ろす。なかったことにされている過去を現在へと浮上させ、世界に変革をもたらそうとするその姿はまるで、これから起こる悲劇を回避するために何度も過去へと遡る、ループものの主人公のようではないか。
 これは、闘いである。ただし、あくまで穏やかで、上品で、どこまでも夢見心地な。

Myele Manzanza - ele-king

 セオ・パリッシュのバンド、ザ・ユニットのドラマーであり、セオの主宰する〈Sound Signature〉やその姉妹レーベル〈Wildheart〉からリリースを重ねてきたマイエレ・マンザンザが、10月9日にニュー・アルバムを発売する。昨年末にセオのマイルス・デイヴィス・トリビュート曲“Love Is War For Miles”を巧みに再解釈して注目を集めた彼は、次にどんなジャズを聞かせてくれるのか。期待大です。

Myele Manzanza
A Love Requited

THEO PARRISH のバンド “THE UNIT” のメンバーとしても知られる、ニュージーランド出身のドラマー MYELE MANZANZA (マイエレ・マンザンザ)が新作をリリース!! アグレッシヴなドラミングから産まれるグルーヴに、壮大さとダイナミックな世界感を融合させた集大成となる一枚!!

Official HP: https://www.ringstokyo.com/myelemanzana

マイエレ・マンザンザを遂に紹介できます。エレクトリック・ワイヤー・ハッスルやソロ・デビュー作『One』の頃から気になっていたドラマーです。同じニュージーランド出身のマーク・ド・クライヴ・ロウや、セオ・パリッシュからも信頼を寄せられてきた彼の待望のフル・アルバムは、これまでの活動の集大成と言えます。洗練されたモダン・ジャズもスピリチュアルなジャズもアフロセントリックなソウルも、ラテンやアフリカのリズムも、コンゴのミュージシャンだった父との対話も融合させた、壮大でダイナミックな世界を楽しんでください。(原 雅明 / rings プロデューサー)

アーティスト : MYELE MANZANZA (マイエレ・マンザンザ)
タイトル : A Love Requited (ア・ラブ・リクアイテッド)
発売日 : 2019/10/9
価格 : 2,450円+税
レーベル/品番 : rings (RINC57)
フォーマット : CD

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