「You me」と一致するもの

Chris Carter - ele-king

 70年代中期から末期、ポスト工業化していく社会にむけて「インダストリアル・ミュージック」を提唱したスロッビング・グリッスル。その創設メンバーであり、電子音楽家/電子音響サイエンティスト/サウンド・デザイナーでもあるクリス・カーターのソロ・アルバムが老舗〈ミュート〉からリリースされた。前作『Small Moon』以来、実に18年ぶりのソロ新作である。
 これまでリリースされた彼の純粋なソロ作品自体は4作品のみだが、寡作という印象はまったくない。近年も再始動したスロッビング・グリッスル(ジェネシス脱退でX-TGに)、クリス&コージー、カーター/トゥッティ/ヴォイドなどのアルバムやEPを継続的に活動・発表をしていたから常に現役という印象である。
 逆にいえばソロとコラボレーションの違いをあまり気にしていない職人気質の人ともいえる。なるほど、こういう人だからこそスロッビング・グリッスルという過剰な(人たちの)存在をまとめることができたのだろう(スロッビング・グリッスルは、その過剰・過激・批評的なコンセプトやパフォーマンス、センセーショナルなアートワークのむこうで音楽性自体はどこか端正な側面もあったと思う)。

 本アルバムは、インタビューでも語っていたようにクリス・カーターがさまざまなプロジェクトを同時進行していくという多忙な活動の中で、一種の息抜きのように制作されたトラックをまとめたアルバムのようだ(コージー・ファニ・トゥッティは参加していない)。そのせいか過去のソロ・アルバム以上にリラクシンなムードの電子音楽集となっていた。
 “Blissters”、“Nineteen 7”、“Modularity”などは彼のルーツであるクラフトワークを思わせるシーケンシャルなモダン・テクノ・ポップといった趣である。同時に“Field Depth”、“Moon Two”などのアンビエントなトラックは、どこか50年代、60年代の電子音楽、たとえばディック・ラージメイカーズを思わせもした。じっさい、クリス・カーターはこんなことを言っている。「特にこのアルバムに関して影響を受けたものがあるとすれば、それは間違いなく60年代の電子音楽だね」(国内盤をリリースする〈トラフィック〉のサイトより引用)

 加えて“Durlin”、“Corvus”、“Rehndim”などのX-TGの『Desertshore / The Final Report』を想起させるモダンな音響感覚が強調される曲も収録されているが、何より“Post Industrial”、“Ars Vetus”などは完全に現代的インダストリアルで痺れるほかない。

 どのトラックも時間が2分から3分ほどの小品であり、どこかクリス・カーターのハードディスクにあるマテリアルを聴いているような興味深さもあった(もしかすると、ありえたかもしれないX-TGとして?)のだが、しかし、どの曲もミックスのバランスは完璧だ。素朴であると同時に、無駄がなく聴きやすいのである。
 さらに聴き込んでいくと、その奇妙な音響処理にも不意を突かれる。特に“Cernubicua”をはじめとする「声」処理の独特さにも注目したい。本作における「声」は、「存在しながらも不在を強く意識させる幽霊的な音響」を実現しているように思えた。じじつ、彼は、こうも語る。

「スリージー(スロッビング・グリッスルの創設メンバーで2010年に逝去したピーター・“スリージー”・クリストファーソン)と僕はかつてソフトウェア、ハードウェア双方を使って人工的な歌声を作っていく作業を共同で担当してたんだ。今回はそれを僕だけで、さらに進んだことをやろうと思ってね。自分の声もしくはかつてスリージーと一緒に作った音声コレクションを引っ張り出して、それらを思いっきり切り刻んで歌詞を作っていったんだけど相当ヘンテコな感じになったね」(国内盤をリリースする〈トラフィック〉のサイトより引用)

 そう、この「声」は、ある意味、ピーター・クリストファーソンとのコラボレーションの延長線上にあるともいえるのだ(それが本作にX-TGらしさを感じる所以かもしれない)。

 そして何より25曲というボリュームにまず驚く。だからといって壮大な「コンセプト・アルバム」ではない。むしろEPを聴いているような軽さがある。もしくはミックス音源のような流れも感じた。天才のメモやスケッチを観る(聴く)感覚に近いアルバムともいえるし、架空のエレクトロニック・バンドの「グレイテスト・ヒッツ」を聴いているような感覚もあった。要するにクリス・カーターという電子音楽家・音響デザイナーのエッセンスが、最良のかたちでアルバムに収められている、という印象である。

 ではそれはどういったエッセンスなのか。おそらく、カーター自身が使っているモジュラーシンセなどの電子楽器における最良のメロディとトーンを追及するという姿勢・実践に思える。オールドスクールな曲調は、むしろ楽器と音色にとって最良の選択なのだろう。
 そのような彼の技術志向は「生真面目さ」などではなく、マシンと音の「必然」性を及しつつ、そこに、これまでにない「逸脱」をどう組み込むのかに肝があるはずで、むしろ技術者の心性に近いのではないか。私見だが「逸脱」に関しては、カーター/トゥッティ/ヴォイドのトラックのほうで実現され、「必然」がこのアルバムに結晶されたようにも思える。
 むろん、この場合、「必然」とはあくまで電子音楽/電子楽器の必然であり、何か社会的主題のようなそれほど意味はない(と思う)。そこがスロッビング・グリッスルとの大きな差異であり、クリス・カーターのソロたる所以でもあるのだろう。彼は「匿名性」を希求している。本作を聴きながらそんな印象を持った。

 電子音/音楽への研究と耽溺を経て、そのむこうに「匿名的な音楽」を見出すこと。スロッビング・グリッスルというあまりに巨大な署名を背負っているクリス・カーターだが、意外と彼が希求する音楽/音響は、匿名の果てにあるマシニックな機能性の美なのではないかと思う。そしてそれこそが言葉の真の意味での「インダストルアル・ミュージック」ではないか、とも……。
 いずれにせよこれこそがクリス・カーターの考える電子音楽である。それはわれわれの耳が求めてしまう魅力的な電子音楽作品でもあるのだ。

 バンドのライヴの合間にプレイされるDJなんて、じっさいのところ誰もちゃんと聴いちゃいない。だから何かにつけて考えすぎてしまう僕のようなタイプの人間からすると、こんなふうにセットリストを組んでプレイすることはどこかで、想像上の友だちとじっくり会話することに似ている。フロア全体の注意を惹きつづける義務を負っているクラブのDJとは違って、バンドの合間のDJの役割は曖昧だ。なにより雰囲気を保つことが大事。あとはたまたま居あわせた好奇心の強い観客や、ハードコアな音楽オタクの興味を惹きつけさえすればいい。こういうDJの場合、それが成功したかどうかは、どれだけの人を躍らせたかとか、何人が自分のところにやってきて、「ねえ、今かかってる曲ってなに?」と聞いたかといったことでは計れないわけだ。
 だけど、日本の音楽シーンについての僕の本『バンドやめようぜ!』のリリース・パーティーで、バンドの合間のDJのひとりとしてプレイしたとき、僕は自分に、もうふたつだけ別の義務を課していた。ひとつは、短いふたつのセットリストを、かならず日本の音楽だけで組みあげること。そしてもうひとつは、好きなようにやってとにかく楽しむこと。イベントのオープニングから、シンセ・パンクトリオJebiottoのライヴまで、そしてその後で、 (M)otocompoのアイドルさながらなニューウェイヴ・テクノ・ポップ・スカから、The Fadeawaysの昭和なガレージ・パンクへ─ 僕に任されていたのは、このふたつの場面の転換を、ゆるやかに導いていくことだった。そこで僕は、1曲1曲の空気が生む全体的な流れのなかに、なによりも自分自身が楽しむため曲を何曲か入れるようにした。ツイッターで誰かが、僕の本がミッシェル・ガン・エレファントにふれていないことを批判していたので、彼らの曲もリストのなかに入れておいた。ローリーの “Love Machine”は、めったにないような笑えて陽気な楽しい曲で、レコードを探し歩くようになったばかりのころ、八王子のブックオフの値下げコーナーのなかで、その変わったジャケットかタイトル以外なんの理由もないままに、本当にたまたま出会ったものだ。
 それとは同時に僕は、今回のセットリストで、ステージに上がるミュージシャンたちや、彼らもまた今の音楽シーンで活発に活動している、会場にやってくる他のミュージシャンたちと、個人的なコミュニケーションを取りたいとも思った。最初のバンドJebiottoは、表面的にはシンセ・パンク・バンドだが、その深い部分では、1980年代にスタジアムを沸かせたようなロック・バンドの心臓が脈打っている。布袋寅泰のは“Poison”をかけたのは、 それがまさに彼らのためにあるような1曲だからだ。
 一方で、Falsettosの“Ink”でパーティをスタートさせたのは、僕の本を物販のテーブルで売ってくれていた、何人かのP-Vineスタッフのためだった。たまたまだったとはいえ、じっさいそのうちのすくなくとも1人か2人は、この曲のリリース時にも動いていた人だった。
 つづけて、僕自身が運営している〈Call and Response〉レコードからリリースしたLoopriderの“Farewell”をかけたのは、誇りに思ってとかそういうこと以上に、自分たちのような小さなレーベルでも、すばらしくキャッチーで、質の高いポップなロック・ミュージックを世に出せるのだという事実を示すためだった。それをスーパーカーの“Fairway”に繋いだのは一種のパーティ・ジョークで、2つの曲が似ていることを示して、友だちでもあるLoopriderのメンバーを楽しませたかったからだが、『バンドやめようぜ!』のなかに書いた曲を取りあげておくためでもあった。
 プレイしたふたつのセットリストをとおして僕は、本のなかで言及した音楽にふれるようにつとめ、あわせて、日本の音楽についての僕自身の探求のなかで、僕にとって重要だった音楽にふれるようにつとめた。ボアダムスやメルト・バナナ、コーネリアスといった、日本に来る前にUKで知っていたバンド。2000年代のはじめに日本に着いた僕を迎えてくれた、スーパーカー、くるり、ナンバー・ガールの三位一体。もっと後になってから恋に落ちた、P-Modelやくるりといったバンド。ともかく素晴らしいということ以外まだよくわからないままな、otoriやFluid、Nicfitといった、日本中のアンダーグラウンドなライヴハウスで見つけたアート・パンク・バンド。結果としてそれは──たとえ自分以外誰一人としてちゃんと聴いていなかったとしても──僕にとって本当に意味深い日本の音楽との出会いの数々を巡る、誰にも思いもよらないような、ノスタルジックな小旅行になった。


1st Set:
Ink - Falsettos
Farewell - Looprider
Fairway - Supercar
I Ready Needy - Yolz in the Sky
Mutant Disco - Fluid
Zero - Melt-Banana
反転 - otori
Poison - 布袋寅泰
So Wet - Tropical Death
Bore Now Bore - Boredoms
Creeps - Nicfit

2nd Set:
You Think You’re A Man - Motocompo
モデル - ヒカシュー
美術館であった人だろ - P-Model
Haru Ichiban - キャンディーズ
Paul Scholes - Yukari Fresh & Tomorrow’s World
I Hate Hate - Cornelius
水中モーター - Quruli
透明少女 - Number Girl
Get Up Lucy - Thee Michelle Gun Elephant
Love Machine - Rolly
No Permanence - The Routes

interview with Unknown Mortal Orchestra - ele-king


Unknown Mortal Orchestra
Sex & Food

Jagjaguwar / ホステス

Indie RockPsychedelic

Amazon Tower HMV iTunes

  60年代に産声を上げたサイケデリック・ロックは、ある時期までのロック史観においては、その時代にのみ瞬間的な爆発をみた徒花的存在として扱われてきたきらいもあった。しかし、商業ベースに乗らない自主制作盤の世界では、サイケデリック暗黒時代と言われる70年代にも少なくないアーティストが蠢いていたことが近年振り返られつつ有るし、オルタナティヴ・ロックの興隆以降、ペイズリー・アンダーグラウンド・ムーヴメントなど80年代におけるリバイバルを始めとして、折に触れてサイケデリックという奴は歴史に顔を出し続けてきた。そしてそれに伴っていつからか、一個の音楽スタイルという括りを越えて、特有のテクスチャーやムードを持ったもの/ことに対して使う形容詞としても定着し、時には安易に使われ過ぎる言葉ともなっていった。
 アンノウン・モータル・オーケストラこそは、そういった捉えがたい霧のようになってしまった「サイケデリック」というものを、今一度リスナーの耳元に引き据えてみせる。しかも、この「サイケデリック」は、往時に描かれたムードとはかなり質感を異にする。それは、これまでサイケデリックを表象してきた攻撃的酩酊感とでもいうべきものと、一般的にはそれと相反すると思われてきた所謂「メロウネス」との巧みかつ大胆な融合によるものだと言えるだろう。90年代後期から米国中心に再び勃興してきたローファイでガレージーなインディ・バンド/アーティスト群や、チルウェイヴやシューゲイザー・リバイバルとの共振も感じさせた初期作品を経て、彼らは徐々に仄暖かでメロウな海へと漕ぎ出してきたのだった。それは一見、かねてよりギャラクシー500やヨ・ラ・テンゴといったアクトが住処としていた海であるようにも見えるが、アンノウン・モータル・オーケストラの眼前に広がるそれは、各種のブラック・ミュージックやビート・ミュージックからの影響も垣間見える、コンテンポラリーなメロウネスと躍動に満ちたものだ。その沖合では既にアリエル・ピンクが帆船を浮かべていたかもしれないが、彼らはそれを横目に見ながら密航者のように鮮やかな手つきで彼らだけの海域を見つけ、そこで巧みに遊んでいる。

 ……そして時に言われるように、サイケデリックへ沈潜し時にノスタルジーの蠱惑にも誘われながらそこに遊ぶことにより、ライブリーな生活圏や政治的世界と隔絶するという現象は、どうやら確かに起こることなのかもしれない。もしかするとここに聴かれる世界は、現在の政治空間からのスキゾ的逃避ととらえられても仕方のないことかもしれないが、しかしながらそもそも逃避とは、その表現者自身に社会に対する鋭敏な問題意識が蟠っているからこそとも言える。この逃避の欲求というのは、かねてよりこの世界に生きる我々皆が少なからず背負い込んでいる問題でもあろうし、その重荷を肩に感じながら、音楽そのものに耽溺するとき、ひょっとしたらメロウネスこそが鬱屈を和らげるオピウムのような役割を担いつつあるのかもしれない。
 サイケデリックは今新たなフェーズを迎えつつある。「官能と飽食」という、いかにも示唆深いタイトルを与えられた今作は、その象徴として捉えられる傑作であるとともに、メランコリーに揺られるからこそメロウネスがひとりでに立ち昇るという仮設を提供してくれていることで、サイケデリック・ロックに限らない昨今の音楽シーンを読み解く優れたテクストにもなるだろう。

 今作での音楽性の深化や、メロウな音楽への関心、シーンを取り巻く状況、ドラッグ・カルチャーについてなど、バンドのリーダーであるルーバン・ニーソンに話を訊いた。

音楽を作る時も、すごく馴染みのある気持ちになることもあれば、暗闇を歩いている気持ちになったりもする。様々な気持ちになるんだけど、時にはその暗闇を歩いている時こそがいい時だったりするんだよね。

今作『セックス&フード』、とても素晴らしい内容で非常にワクワクしながら聴かせていただきました。第一印象として、これまでに増してメロウな感覚が強まったと感じます。バンドにとって、70年代のソウルなどのファンキーでメロウな音楽はどんな存在でしょうか? また、それらはインスピレーション源として大きなものでしょうか?

ルーバン・ニールソン(以下RN):ありがとう! そう言ってもらえて嬉しいよ。そうだね、70年代の音楽にはすごく影響を受けたって言えると思う。ソウルやファンクは、小さい頃に聴いていたような音楽だった。家の中で流れていたものだから自然と聴いて育った音楽なんだ。今でもその頃の音楽は聴いたりするよ。

一方、リード・トラック“アメリカン・ギルト”などのように、鮮烈なギターリフが先導するガレージーな楽曲も収録されています。ガレージロック的なものとメロウなものというのは、一般的には一見背反する要素のように捉えられているかと思うのですが、アルバム全体ではその融合を目指しているようにも感じました。制作にあたってそういった意識はありましたか?

RN:曲作りをアコースティック・ギターで作り始めるから、最初はメロウな感じでいつも始まるんだ。だけど書いていくうちにもっとロックになってきたり、他に試してみたいことが出てきたりして、プロダクションを重ねていくうちにそういう感じに変化して行ったんだ。

ミックスなどの音響面でも、これまで皆さんに対して言われてきたようなローファイな感覚から、曲によってはかなりハイファイな音作りに変化したような気がするのですが、これはなぜなのでしょうか?

RN:僕はレコーディングする時に用いる手法があるんだけど、ヴィンテージのテープレコーダーやカセットテープを使って作業しつつ、コンピューター処理も行う。昔ながらのアナログな手法とモダンな手法が混ざっているんだよね。ディストーションとかはわざと残したりしているよ。でもアルバムを重ねるごとに、自分の技術も上がってきて、よりいい機材を使ったりしているんだ。アルバムごとに少しずつ手法やスキルも上がってきてるからサウンドも変わってきたんだと思う。

近年脚光を浴びている、いわゆる「ヨットロック」のリバイバルについては、どんな認識をもっていますか? ここ日本でも自国の「ヨットロック」である70~80年代の音楽が「シティ・ポップ」として海外からも注目されるなど、今までダサイとされていたものの問い直しが起こっています。

RN:僕が幼い時は、父親がジャズ・ミュージシャンっていうこともあって、家ではジャズ・ミュージックが主に流れていて、ヴォーカル・ミュージックを聴くことが少なかった。でも唯一父親も好きで聴いていた「ポップ」と呼べる音楽は、スティーリー・ダンだった。だからスティーリー・ダンは自分にとってすごく心の中に残ってる音楽なんだよね。今またなんでヨットロックが注目されているかというと、多分今の時代に生まれる音楽とすごく違うからだと思う。あの頃はプロダクションレベルとかミュージシャンシップとか、今よりもすごく高いものが多かったと思う。だからそういう音楽に触れるとすごく珍しい気持ちになる。それに、昔聴いていた音楽はノスタルジーに浸れるっていうのも大きい気がする。ノルタルジーってやっぱり人の心や記憶の中でとても強いものだと思うから。

メキシコシティやアイスランドのレイキャビク、韓国のソウルやベトナムのハノイなど世界各地でもレコーディングを行ったとのことですが、創作にあたって、どんな刺戟がありましたか? また、そういった地域のポップスや民族音楽からの影響はあったのでしょうか?

RN:ローカルの音楽を聴いたりもしてみたんだけど、あまり影響されないようにはしてたんだよね。でもベトナムでは、レコーディングしてたスタジオでいつも顔を会わせるバンドがいて、いつも会うから彼らと仲良くなったんだ。一緒に音を鳴らしたりしているうちに、いろんな音楽ができて行った。結果的にすごくたくさんの楽曲が増えたから、また別の形でそれは出そうと思ってる。音的にはエレクトロニック・ジャズとかクラウトロックみたいな感じなんだけど、それを年内か来年出す予定だよ。あとは、ローカルなライブとかも何度か行ったよ。でも自分的には影響されて、まるでそこの土地の音楽を盗むような真似をしたくなかった。

昨年米国の再発レーベル、〈ライト・イン・ジ・アティック(Light in the Attic)〉より日本のフォーク・ロックを集めたコンピレーション・アルバム『木ですら涙を流すのです』が発売されました。そういったフォーク・ロックに限らず、サイケデリック・ロックなど、ここ日本の音楽に興味はおありですか? また特定の好きなミュージシャンがいれば教えてください。

RN:当然YMOは大好きだよ! あと僕たちが一回日本で共演したTempalayっていうバンドがいるんだけど、彼らはすごく好きだよ! でも残念ながら日本のサイケロックはあまり詳しくないんだ。誰かオススメいる? いたらぜひ知りたいよ!

高度資本化した社会、またポストインターネットといわれる現代の時代状況において、様々な情報や音楽ジャンルが並立し、時にガラパゴス化した様相を呈するようになってきたと感じます。その中で、一部で「死んだ」とすら言われるロックを今演奏し続けることの意義はどんなものだと思いますか?

RN:ロックが死んだって言われたり、どんな状況になっても僕自身は気にしないかな。僕自身、レッド・ツェッペリンやローリング・ストーンズ、僕の中ではロックンロールと思っているデヴィット・ボウイとかを聴いて育って、今でも僕にとって大切な音楽だから、そういうロックな部分が自分の音楽の一部となってしまうことは変えられないと思う。だからロックが死んでようが生きてようが僕には関係ないな(笑)。あと、僕たちのバンドは僕たちの世界というかコミュニティがあるというか、あまり流行に左右されたりするようなポジションには身を置いていないと思う。

人はずっとモーツァルトもベートーヴェンもジミ・ヘンドリックスも聴き続ける。そういうものって政治を超えている気がして、それに比べると政治的なものってちっぽけに感じてしまったりするんだよね。

これまで、ポピュラー・ミュージックは「新しい」ということを至上の価値として歩んできたと思います。しかし、昨今ではそういった感覚すらも相対化されて、特にインディ・シーンでは各々が各々の表現を自身の尺度で自由に行うようになっているようにも思います。そんな中で今一度、「新しい」とは一体どんなことだと思いますか?

RN:すごくいい質問だね。難しいけど、僕にとって新しい音楽とは、まだその音楽が評価されたり、意見を言われたりしていない時だと思う。例えば、音楽を聴いた時に、まだその音楽がいいかどうか分からなくて、でも何か強い思いみたいなものは抱く時とかあると思うんだけど、そういう時が新しいって思っている瞬間なのかもしれない。自分の音楽を作る時も、すごく馴染みのある気持ちになることもあれば、暗闇を歩いている気持ちになったりもする。様々な気持ちになるんだけど、時にはその暗闇を歩いている時こそがいい時だったりするんだよね。それがいいのかどうか自分でも分からず、でも何かすごく強い思いがこみ上げてくる時こそが新しいものを誕生させられる時なのかもしれない。

ルーバンさんはバンド活動を続けてく中で娘さんを授かったと聞きます。彼女の存在が創作に与えた刺戟はどんなものでしたか? また、家庭人と、ロック・バンドのメンバーとしての活動を並立して続けていくことに、時になにか葛藤があったりするのでしょうか?

RN:僕自身音楽一家で育ったんだ。父親もミュージシャンだったし、父親の父親もミュージシャンだった。だから幼い頃から音楽は普通の仕事として見て育ったんだ。人によっては音楽なんて趣味の延長にしか見えないものかもしれないけど、僕はちゃんとした職業として捉えていたよ。僕は父親のツアーに同行したり、サウンドチェックを見たり、常に仕事の現場を見ていたから、音楽が仕事なのは僕にとってはすごく自然なもの。だから自分に娘ができても同じなんだよね。父親であり音楽家でもある姿は自分が見てきたものだから、すごく自然なものだよ。

様々な文化の分野でポリティカル・コレクトネスが更に敷衍されつつあるように感じる昨今、自身の創作にあたって、そういったものを(肯定的か否定的かいずれにせよ)意識したりすることはありますか? または、そういったことへの問題意識が歌詞表現へ反映されていたりしますか?

RN:政治はすごく大事なことだと思うけど、あまりそれに支配されないようにしているよ。政治よりも音楽の方が大きいものだと思っているから。音楽は歴史を変えることはできないかもしれないけど、帝国が建てられては滅び、イデオロギーも立てられては壊され、それでも人はずっとモーツァルトもベートーヴェンもジミ・ヘンドリックスも聴き続ける。そういうものって政治を超えている気がして、それに比べると政治的なものってちっぽけに感じてしまったりするんだよね。だから僕はあんまり政治的なことに左右されたりしないようにしているよ。

ポートランドのシーンの面白さがここ数年で日本でも認知されているのですが、みなさんが注目する新たなポートランドのアクトはいますか? また、そういったミュージシャンとは交流もあるのでしょうか?

RN:仲良いバンドはたくさんいるよ! 特に自分たちのピアグループ(仲間)とはすごく仲が良くて、すごくいいアーティストがたくさんいるよ。例えば、Portugal the man(ポルトガル・ザ・マン)、The Dandy Warhols(ザ・ダンディー・ウォーホールズ)、Star Fucker(スター・ファッカー)、Wampire(ワンパイアー)とか、ポートランドでは人気があって、僕たちとも仲がいいバンドだよ。新しいバンドでは、Reptaliens(レプタリアンズ)と仲がいいよ。あと僕のバンドのベーシストがいたBlouse(ブラウス)っていうバンドもすごく良いよ。

今年からカリフォルニア州で大麻の販売が解禁されたことが日本でも報じられ、一部で話題となりました。日本ではいまだマリファナも麻薬の一種と捉えられ、大きなタブーとして扱われています。米国における現在のドラッグ・カルチャーは、インディ・ロックの文化圏にとってどのような役割を演じていると思いますか?

RN:やっぱりシーンにドラッグは当然存在はしていると思う。でも僕は、いい大人になってきたし、ドラッグのことを考えたり関わったりする時間はすごく減った。個人的には、ドラッグが僕の愛する人たちを破滅させたりするのを見てきたんだ。でも、時にはすごく創造性を掻き立てるものにもなるものなのだと思う。でもやっぱりパワフルなものは、危険も伴うんだよね。だから僕はあまりドラッグはやるべきではないと思ってるよ。

ニュージーランドご出身ということでお訊きします。80年代前半、米国で「ペイズリー・アンダーグラウンド」と呼ばれるサイケデリック・ロック復興的なシーンがありましたが、The CleanThe Batsなど、同時期のニュージーランドにも「ダニーデン・サウンド」と呼ばれるようなザ・バーズなどの60年代ロックからの影響を感じさせるギター・ロックのシーンがあったとききます(日本ではあまり知られていません)。そういったシーンが何かあなた達の活動にも影響を与えていると思いますか?

RN:まずペイズリー・アンダーグラウンドといえば、ザ・バングルズの“マニック・マンデー”を思い出す。ペイズリー・アンダーグラウンドの最大のヒットなんじゃないかな。あとは、プリンスのアルバムに“ペイズリーパーク”っていう曲があるんだけど、きっとプリンスもペイズリー・アンダーグラウンドのフェーズがあったんだと思う。
ニュージーランドのダニーデン・サウンドは、たくさんのバンドが〈フライング・ナン・レコーズ(Flying Nun)〉からリリースされた時代だった。僕が初めて組んだバンドが兄とのもの〔質問者註:ザ・ミント・チックスのこと。2003年デビュー〕だったんだけど、実は〈フライング・ナン・レコーズ〉からリリースしているんだよ。このレーベルからリリースすることが多くの少年の夢だった。〈フライング・ナン・レコーズ〉やダニーデン・サウンドのアーティストは、すごく強いDIY精神をもっていて、レコーディングやアートワーク含め、大きな会社のバックアップがない状況で全て自分たちでやってしまうアーティストばかりだった。僕はそれにとても憧れていたから、自分に必要なスキルを身につけるという点ですごく影響を受けたよ。バンドをやる上で何が必要なのかを学べたし、それができてすごく良かったと思っている。

これまで聴いてきた中で、ベスト・サイケ・アルバム(一般的にサイケとされていなくても自分がサイケと思うものでもOK)3枚を教えていただけますか?

KOJOE × ISSUGI - ele-king

 ずっと動き続ける――ラッパーでありシンガーでありトラックメイカーでもあるKOJOEが、昨年リリースしたアルバム『here』から、とくに人気の高かったISSUGIとのコラボ曲“PenDrop”のMVを公開しました。それまでのふたりのイメージを覆し大胆にアニメイションを導入したその映像は、哀愁を誘うトラックとも見事にマッチ、独特の味わいを堪能することができます。また、4月13日に開催されるリリース・パーティの追加情報も解禁され、同時にKOJOEのオフィシャル・サイトもオープンしています。合わせてチェック!

KOJOEの最新作『here』よりISSUGIとのコラボ曲“PenDrop”のMVが公開!
また4/13に開催するリリース・パーティの前売特典も決定し、同時にオフィシャル・サイトもロンチ!

 AKANE、Awichをフィーチャーした先行シングル“BoSS RuN DeM”が大きな話題となり、それに加えて5lack、ISSUGI、BES、OMSBら地域/世代/クルーの枠を越えた多彩なゲストが参加した待望の最新作『here』が各所で話題となっているラッパー、KOJOE! 同作から特に人気の高かったISSUGIとのコラボによる“PenDrop”のミュージック・ビデオが新たに公開! これまでの両者のイメージと異なるアニメーションをフィーチャーした作品に仕上がっている。
 その『here』に参加しているゲスト・アーティストがほぼ全員出演するリリース・パーティがいよいよ4/13(金)に渋谷WWW Xにて開催! 同公演ではMUDとFEBB(R.I.P....)をフィーチャーした“Salud”のillmoreによるリミックス音源収録のCD-Rが前売券購入者特典として配布されることが決定! また、その公演に向けてKOJOEのオフィシャル・ウェブサイトもロンチしている。

KOJOE “PenDrop” feat. ISSUGI (Official Video)
https://youtu.be/vO8C_aiGHrc

Kojoe Official Website :
https://kojoemusic.com


Kojoe " here " Release Tour in Tokyo - Supported by COCALERO -
日程: 2018 年4月13日 (金)
会場 WWW X

[Live]
Kojoe

[Featuring Artists] (A to Z)
5lack
AKANE
Awich
BES
BUPPON
Campanella
DAIA
Daichi Yamamoto
DUSTY HUSKY
ISSUGI
MILES WORD
MUD
OMSB
PETZ
RITTO
SOCKS
YUKSTA-ILL

[DJ / Beat Set]
BudaBrose ( BudaMunk x Fitz Ambrose )
illmore
Olive Oil

OPEN / START:24:15 / 24:15
※本公演では20歳未満の方のご入場は一切お断りさせて頂きます。
年齢確認の為、ご入場の際に全ての方にIDチェックを実施しております。写真付き身分証明証をお持ち下さい。

料金:前売り ¥3,000 / 当日 ¥3,500 (ドリンク代別)
U25チケット ¥2,500 (ドリンク代別) ※枚数限定
※〈U25チケット〉は、25歳以下の方を対象とした割引チケットとなります。ご購入の方は、入場時に顔写真入りの身分証明書をご提示ください。ご提示がない場合は、正規チケット料金の差額をお支払いただきますので、予めご了承ください。

※前売り特典:Kojoe - Salud Feat. MUD & FEBB ( illmore Remix ) 収録CD-R

チケット発売中
e+ / チケットぴあ[P:111-011] / ローソンチケット[L:73906] / WWW店頭

公演詳細ページ:https://www-shibuya.jp/schedule/008824.php


Oneohtrix Point Never - ele-king

 時は満ちた。
 昨年の『Good Time』の劇伴や坂本龍一のリミックス、そして3月のデヴィッド・バーン新作への参加を経て、ついにOPNが自身のニュー・アルバム『Age Of』をリリースする。
 最近のコラボ相手を見てもわかるとおり、デビューから10年以上が経ったいまダニエル・ロパティンはその活躍の舞台を上げ、それまでの彼のリスナーとは異なる層にまで訴求する存在になっている。だからこそ、次の一手に関してはいかに紋切り型に陥らないか、いかに手癖に頼らないかというのが肝要になってくるわけだが……公開されているタイトル曲の一部を聴く限り、どうやら『R Plus Seven』とも『Garden Of Delete』とも違う新たな試みが為されているようだ。これは、時代の混沌の中で紡がれた21世紀の電子マニエリスム音楽?
 リリースは5月25日(日本先行発売)。9月には東京での公演も決定している。あなた自身の耳でその変化を確かめよう。

時代の混沌の中で紡がれた21世紀の電子バロック音楽
最新にして圧倒的傑作『AGE OF』完成
即完したニューヨーク2公演に続き、ロンドンと東京公演の開催が決定!

現代を代表する革新的音楽家、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(以下OPN)が、最新アルバム『Age Of』を5月25日(金)に日本先行でリリースすることを発表し、待望の来日公演も決定した。

『Replica』(2011)、『R Plus Seven』(2013)、『Garden of Delete』(2015)と立て続けにその年を代表する作品を世に送り出してきただけでなく、FKAツイッグスとのコラボレーション、アノーニやデヴィッド・バーンのプロデュースに加え、昨年公開の話題映画『グッド・タイム』の劇半でカンヌ映画祭最優秀サウンドトラック賞を受賞するなど、多岐に亘るフィールドで成功を収めているOPNことダニエル・ロパティン。そんな輝かしいキャリアの中でも「ポストモダン・バロック」とでも呼ばれるべき未曽有のポップ・ミュージックが収められた本作は、一つの到達点ともいえる圧倒的な傑作だ。先日公開された、5月にニューヨークで行われる最新コンサート「MYRIAD」のトレーラー映像では、アルバムの冒頭を飾るタイトルトラック“Age Of”の音源を聴くことができる。

Oneohtrix Point Never - MYRIAD
https://opn.lnk.to/MyriadNYC

Video by Daniel Swan and David Rudnick
Directed by Oneohtrix Point Never
Animation by Daniel Swan
Produced by Eliza Ryan
Videography by Jay Sansone
Additional Animation by Nate Boyce
Thrash Rat™ and KINGRAT™ characters by Nate Boyce and Oneohtrix Point Never
Engravings by Francois Desprez, from Les Songes Drolatiques de Pantagruel (1565)
Additional Typography by David Rudnick

大型会場パーク・アベニュー・アーモリー(Park Avenue Armory)で開催されるニューヨーク公演は、発売後72時間で2公演ともにソールドアウト。今回のアルバム発表に合わせ、ロンドン公演(The Barbican)と東京公演(Shibuya O-EAST)の開催が決定! 東京公演の主催者先行は4月5日(木)正午より、BEATINK.COMにてスタートする。
詳細はこちらから:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=9577

OPN最新アルバム『Age Of』は、日本先行で5月25日(金)リリース! アートワークにはアメリカ現代美術シーンで最も影響力があるヴィジョナリー・アーティストと称されるジム・ショーの作品がフィーチャーされている。国内盤には、ボーナストラックとして、ボイジャー探査機の打ち上げ40年を記念して制作された映像作品「This is A Message From Earth」に提供した「Trance 1」のフルバージョンが初CD化音源として追加収録され、解説書と歌詞対訳を封入。またスペシャル・フォーマットとして数量限定のオリジナルTシャツ付セットの販売も決定。

Jim Shaw
The Great Whatsit, 2017
acrylic on muslin
53 x 48 inches (134.6 x 121.9 cm)
Courtesy of the artist and Metro Pictures, New York


label: Warp Records / Beat Records
artist: Oneohtrix Point Never
title: Age Of

release date: 2018/05/25 FRI ON SALE
国内盤CD BRC-570 定価: ¥2,200+税
国内盤CD+Tシャツ BRC-570T 定価: ¥5,500+税

Daniel Avery - ele-king

 アンディ・ウェザオールをして「いまもっとも注目すべき新しいDJ」と言わしめた男、2013年にエロル・アルカンの主宰する〈Phantasy Sound〉からデビュー・アルバム『Drone Logic』を放ったDJが、来る4月6日、待望のセカンド・アルバムを発表する。それに先駆け、新曲“Projector”がMVとともに公開された。どこか90年代的なウェイトレス感を漂わせるこのトラック……いや、これは昨年のバイセップに続く良作の予感がひしひし。要チェックです。

●DJ MAG 9.5獲得! UK気鋭DJ、ダニエル・エイヴリーが新曲“Projector”のMVを公開!
●英著名音楽媒体がまもなく発売される新作を絶賛!

英エレクトロニック・シーンの新鋭DJ、ダニエル・エイヴリー。エロル・アルカン主宰レーベル〈Phantasy〉から4月6日に世界同時発売される待望のセカンド・アルバム『ソング・フォー・アルファ』は、既にDJ MAGにて9.5 / 10点を獲得するなど英著名音楽媒体で高い評価を得ている。

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DJMAG (9.5 / 10) 「自分の正しさを証明しようとするのではなく、何か特別なことを伝えようとしているアーティストのサウンドだ」

LOUD & QUIET (9 / 10) 「前作が稲妻のような衝撃だったとすれば、『ソング・フォー・アルファ』はプロデューサーからの革新的な雷であり、エイヴリーの能力の最高点に近づいている」

UNCUT (9 / 10) 「内省的なアンビエントと緻密なテクノは、待望のセカンド・アルバムにて美しくぶつかり合う」

MIXMAG (8 / 10) 「力強く、時に美しい。プロデューサーとして十分に成熟されたエイヴリーの作品」

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絶賛されている新作から新たに“Projector”のミュージック・ビデオが公開された。既に公開されている収録曲“Slow Fade”の映像を手掛けたロンドンのデザイン・スタジオ、Flat-eが今回も制作を担当している。エイヴリーはFlat-eが手掛ける映像について次のようにコメントしている。「Flat-eについて敬服している事は、彼らは神秘的なものの中にある美しさに気付いているということ。彼らは目を閉じたまま落ちていくことができる世界をつくり出している。」

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新曲「Projector」のMVはこちら:
https://youtu.be/PRMnGzznRMI
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収録曲「Slow Fade 」のMVはこちら:
https://youtu.be/ihl0ep0rnRg
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ツアーやクラブでの出来事などにインスピレーションを得て制作されたという本作は、今やイギリスを代表するテクノDJのひとりとなったエイヴリーの“テクノ・ミュージックの美学”が詰まった傑作だ。日本盤にはライナーノーツに加えて、ボーナス・トラック“Aginah”が追加収録されているので、ぜひ日本盤を手に取ってもらいたい。

■アルバム情報
アーティスト名:Daniel Avery(ダニエル・エイヴリー)
タイトル:Song For Alpha(ソング・フォー・アルファ)
発売日:2018 / 4 / 6 (金)
レーベル:Phantasy / Hostess
品番:HSE-4458
価格:2,400円+税
※日本盤はボーナス・トラック、ライナーノーツ(河村祐介)付

[トラックリスト]
01. First Light
02. Stereo L
03. Projector
04. TBW17
05. Sensation
06. Citizen // Nowhere
07. Clear
08. Diminuendo
09. Days From Now
10. Embers
11. Slow Fade
12. Glitter
13. Endnote
14. Quick Eternity
15. Aginah *

* 日本盤ボーナス・トラック

※新曲“Projector”“Slow Fade”配信中&アルバム予約受付中!
リンク:https://smarturl.it/htumhk

■EP配信情報
アーティスト名:Daniel Avery(ダニエル・エイヴリー)
タイトル:Slow Fade EP(スロウ・フェイド)
発売日:絶賛配信中!
レーベル:Phantasy / Hostess
価格:600円

01. Slow Fade
02. After Dark
03. Radius
04. Fever Dream

※絶賛配信中!
リンク:https://itunes.apple.com/jp/album/slow-fade-ep/1336927751

■バイオグラフィー:
英DJ/プロデューサー。2012年初頭に英DJ、アンドリュー・ウェザオールが“いま最も注目すべき新しいDJ”と絶賛し、ロンドンのタイムアウト誌の「DJ STARS OF 2012」に選出された。同年11月、ロンドンの人気クラブ〈Fabric〉のライヴ・ミックスCDシリーズ『FABRICLIVE 66』を手掛け、多大な賞賛を集めた。2013年、エロル・アルカン主宰の〈Phantasy Sound〉からデビュー・アルバム『ドローン・ロジック』をリリース。著名音楽媒体が軒並み絶賛しエレクトロニック・シーンのトップ・アクトへと躍り出た。2015年10月に、待望の初来日を果たした。ザ・ホラーズやプライマル・スクリーム等のリミキサーにも抜擢され、ダンス・ミュージック・ファンのみならずインディ・ロック・ファンにまでその名は知られている。2016年11月、ドイツの老舗レーベル〈!K7〉によるミックス・シリーズ『DJ-Kicks』を手掛けた。2017年、11月待望の再来日。2018年1月にEP「スロウ・フェイド」をアルバムに先駆けてリリース。同年4月、待望のセカンド・アルバム『ソング・フォー・アルファ』をリリースする。

yahyel - ele-king

 ヤイエルを聴いていると先進的な音楽性のみならず、「SF的なイマジネーション」を追求している姿勢も重要なキーワードに思えてくる。
 何しろ新作のタイトルが『ヒューマン』なのだ。そもそもバンド名からしてニューエイジの思想家バシャールの造語から取られているらしく、「2015年以降に人類が初めて接触する異星人(宇宙人)を指す」という実にSF的な「設定」である。
 これにはどうやら日本人が外国的な音楽を創作・演奏していると、「猿真似」と認識されることへの皮肉もあるらしいが(自らをYMOやコーネリアス以降の世界的人気の「バンド」と意識しているのかもしれないが、そういった世代でもないとも思う)、やはり重要な点はポスト人間的な世界観をイメージさせる点にある気がする。人間の終わり。世界の終わり。そして新世界の生成。
 この感覚がとても重要なのだ。何故か。現在、私たちの無意識は人間以降の世界を強く希求している。ゆえにSF的な感覚が現実を基底する無意識に抵触する。近年、『ブレードランナー2049』や『アナイアレイション -全滅領域-』などのSF映画の同時代的な重要作が相次いで制作・公開されているのも同様の理由ではないか。

 音楽の先端的領域でも同じである。例えばアルカやアクトレスなどの音楽とヴィジュアルを思い出してみれば分かるが、近年の海外の音楽における音楽とSF的なヴィジュアル表現の交錯は、「作品のトータル・イメージ」を形成する上で、より重要な表現になっている。
 政治・経済・社会の枠組みが20世紀的な問題を何ひとつ解決できず、00年代以降、世界/社会の急速な不穏化が進んだ結果、いわゆる20世紀的なディストピア観すら追い越して、「人間以降」の世界の想像力を刺激させている時代なのだから、「人の無意識領域」を刺激する音楽が、ポスト人間的世界観に接触するのは当然かもしれない。
 そこにおいて「ヴィジュアル/映像」と「音楽」の拮抗はより重要な方法論と表現方法になっている。むろんインターネット上で映像と音が同時に公開され、拡散されていくことが当然のことになってきた時代ゆえの変化という側面もある。
 つまり「音楽作品」は音だけあれば良いという時代でも、魅力的なジャケットのアートワークだけで通用する時代でもないのだ。音楽とヴィジュアルと映像がそれぞれ拮抗し合いながら、「作品」としてのより大きなイメージ/イマジネーションが必要とされる時代なのである。その意味で、現代人は映像と音響を包括しつつ、その無意識に作用する総合的な「作品」を求めているのではないか。

 ヤイエルも、そのような潮流と一致する音楽を生み出しているバンドである。「どのような音を作るのか」「いかにして音を鳴らすのか」「どのようなヴィジュアルでその音の持っている表現を拡張するのか」が表現意識として不可分になっているのだ。
 これは日本人にしては稀有な志向性だが、メンバーにVJ/映像作家の山田健人が存在することからも理解できるように意識的な方法論の発露のはずだ。ちなみに山田はバンドのMVすべてを監督しており、映像面でバンドの存在理由を提示する重要な「メンバー」である。
 もっとも音楽そのものが時代のセンスに追いついていなければ、そのバランスは一瞬にして壊れてしまう。ヤイエルはまずもって音楽が素晴らしい。その点は強く強調しておく必要がある。
 2016年のファースト・アルバム『フレッシュ・アンド・ブラッド』や、最先端のステージングでも高い評価を獲得する彼らだが、この新作『ヒューマン』においてはエクスペリメンタルなムードのエレクトロニック・ミュージックとシルキーなエレクトロニック・ソウルを交錯させるという世界的にみても独自の試みを実践している。簡単にいえばアクトレスとフランク・オーシャンの交錯である。これこそ彼らの「日本人であることに意識的な加工貿易戦略」なのかもしれないが、しかし、その音の見事さの前には、ただ「美しい」という言葉をつぶやくほかはない。
 篠田ミル、杉本亘、大井一彌らによる「トラック」「演奏」は、2010年代以降のインダストリアル/テクノなどのモダナイズされた先端的音楽の感覚を持った鋭くも美しいエレクトロニック・ミュージックの側面もあり、日本人離れした声質を誇るヴォーカル池貝峻によって歌われる「音楽」は、ジェイムス・ブレイク以降のニュー・エレクトロニック・ソウル・ミュージックの遺伝子を継承しているシルキーな官能的を有している。この両極の融合と交錯!
 まずはリード・トラックに選ばれた“Iron”を聴いてほしい。アブストラクトでインダスリアルなトラックと、感情を浮遊させるような池貝峻のボーカルが麗しい。

 そして“Rude”。隙間の多いトラックの間を縫うようにシルキーなヴォーカルが舞う。MVにおけるインターネット以降の世界を表象するようなイマジネーションが凄まじい。

 ダビィなビートと霧のようなヴォイスから始まるアルバム冒頭の“Hypnosis”からして、聴き手は、その自我を融解するように作品世界に惹き込まれてしまうだろう。楽曲全体のムードが波のように生成する見事なトラックだ。つづく“Nomi”のミクロのリズム/音響空間を彷徨かのごときトラックとマシン・ソウルなヴォーカルがアルバムの世界観を一気に全面化する。以降、本アルバムは、まるで崩壊した歴史以降の世界/物語のように、断片化と感情の発露が織り上げられていくのだ。

 彼らは今の時代の世界と無意識にアジャストする表現を生みだしている。世界は遠い場所ではない。インターネットを介した意識の先にある隣接・接触する領域だ。そしてインターネットは人の無意識の集積である。そしてインターネット以降の世界/無意識は、その境界線を限りなく無化させつつある。
 世界の最先端的音楽は、そんな「無意識」の官能性を表現する。ヤイエルもまたそのような表現を欲している。だからこそ彼らは先端的電子音楽や新しいR&Bなどの 世界的潮流に直接アジャストするのではないか。それこそが同時代意識=センス、ムードなのだから。
 音楽における現代性/同時代的なセンスは、その音楽を生かす重要なエレメントである。同時代的センスを欠いた音楽は、どの世代・年齢の手によるものであれ、精彩を欠き、色気がない。
 ヤイエルにはそれがある。「時代の華」のような「色気」が、まるで新しく調合された香水のように聴き手に向かって放たれている。

 そしてもっとも重要なことは、そんな「人間以降の世界」を希求する「無意識」にアクセスしつつも、彼らの音楽には人間存在への「深い愛」もあるように感じられる点だ。このアルバムの「官能性」の正体はそこにある。じじつアルバムのラストは“Lover”という曲で締めくくられるのだから。
 今という時代は、人間以降の世界への無意識の希求が、そのまま20世紀的な旧来の絶望へと直結せず、人間以降の世界(終わり)を意識しつつも、そのうえで、いちど反転するように「21世紀以降の新しい愛と希望」を求める感覚が強い。ヤイエルの音楽には、そんな新しい「希望」があるのだ。これこそがこのバンドが現代的で先端的な理由に思えてならない。

interview with DJ Nigga Fox - ele-king

 衝撃だった。
 アフロ・パーカッション、奇っ怪な声に素っ頓狂な弦のサンプル、ポリリズミックな音の配置、それらによってもたらされる絶妙なもたつき感――2013年に〈Príncipe〉からリリースされたDJ Nigga Foxの「O Meu Estilo」は、昂揚的なDJ Marfoxともまた異なるサウンドを響かせていて、リスボンのゲットー・シーンの奥深さを際立たせる鮮烈な1枚だった。キマイラを思わせるその音遣いは、アシッド要素の増した2015年のセカンドEP「Noite E Dia」にも引き継がれ、魅力的な才能ひしめく〈Príncipe〉のなかでも彼は頭ひとつ抜きん出た存在になっていく。同年には〈Warp〉の「Cargaa 1」に参加、翌2016年には〈Halcyon Veil〉の「Conspiración Progresso」に名を連ねるなど、国外からのリリースにも積極的になる一方、自らのホームたる〈Príncipe〉初のCD作品『Mambos Levis D’Outro Mundo』にもしっかりとトラックを提供。2017年にはがらりと方向性を変えた「15 Barras」を発表し、アフリカンな部分以外はわけのわからなかった彼の音楽の背景にテクノが横たわっていることも明らかとなった。

 そのNigga Foxが来日するという話が飛び込んできたのが昨年末。このチャンスを逃すわけにはいかないと鼻息を荒くしながら取材を申し込み、幸運にも1月26日、WWWβでの公演直前にインタヴューする機会に恵まれた。当日のDJはこれ以上ないくらいに強烈なセットで、曲の繋ぎ方なんかふつうに考えたら無茶苦茶なのだけど、それが破綻をきたすことはいっさいなく唯一無二の舞踊空間が出現させられており、まだ11ヶ月も残っているというのに今年のベスト・アクトだと確信してしまうほどの一夜だった。たぶん本人としてはとくに奇抜なことをやっている意識はないのだろう。記憶に誤りがなければマイケル・ジャクソンやリアーナが差し挟まれる瞬間もあって、彼がUSのメジャーなサウンドに触れていることもわかった。


DJ Nigga Fox
Crânio

Warp

TechnoAfricanVibe

Amazon Tower HMV iTunes

 そして、去る3月2日。なんとふたたび〈Warp〉から、今度はNigga Fox単独名義で新たなEP「Crânio」がリリースされた(以下のインタヴューで語られている「サプライズ」とはどうやらこのことだったようである)。この新作がまた素晴らしい出来で、かつてない洗練の域に達しているというか、“Poder Do Vento”にせよ“KRK”にせよ、彼特有のもたつき感は維持しつつよりテクノに寄ったサウンドが展開されており、「15 Barras」での実験を経て彼が次なるフェイズへと突入したことを教えてくれる。2018年の重要な1枚となることは間違いないだろう。いやもう正直、ここしばらく彼の紡ぎ出すヴァイブレイションに昂奮しっぱなしである。とうぶんNigga Foxのことばかり考えることになりそうだ。


郊外で育った自分たちにはプロデューサーも完璧なスタジオも、音楽活動をするためのサポートもなかった。

東京へ来てみていかがですか?

DJ Nigga Fox(以下、NF):とにかく東京は人が多いね。東京は、リスボンやポルトガルのどの街とも完全に違う都市だよ。大きな通りや、イルミネイションの美しい街だ。いろんな店が隣り合わせにいろいろ並んでいるのもおもしろい。うん、東京は好きだね。

東京はいまオリンピックへ向けてどんどん再開発が進んでいます。リスボンでは都市計画によってゲットーが隔離されているそうですが、じっさいはどのような情況なのでしょう?

NF:ええと……自分はいま東京にいるわけだけど、この街に関して詳しくはないんだ。テレビやネットの情報で知った東京のイメージが強い。再開発については知らなかったよ。大きなスタジアムや施設を建設するためなんだよね? 観光のためには良いことだと思うけど……。いまリスボンでは、ポッシュなコンドミニアムを建設するために、郊外の団地を破壊している。ちょっと悪いことだと思う。そこの以前からの住人や、すべてのポルトガル人がそういう大きな家やコンドミニアムを手にできるわけではないからね。平等じゃないよね。

あなたの音楽は、そういう場所だからこそ生まれたものだと思いますか?

NF:強く影響を受けていると思うね。街の人たちと違って、郊外で育った自分たちにはプロデューサーも完璧なスタジオも、音楽活動をするためのサポートもなかった。最低限のコンディションで音楽を作ってきたことや、自分たちの前向きな努力を、街の人たちも徐々に理解し始めてきていると思う。自分たちの音楽にはものすごい活力が込められているよ。

音楽を始めることになったきっかけはなんですか? 幼い頃から音楽に触れていたのでしょうか?

NF:17歳の時、家にあった兄のPCで音楽制作ソフトのFL Studioに触れたのがきっかけだね。兄は3歳年上で、DJ Jio P名義で音楽活動をしていて、それについていくような形で楽曲制作を始めた。クドゥーロ(Kuduro)っぽいものを作ってみたりね。そのあと、DJをしている友人たちからいろいろ教えてもらったりして。テクノやハウス・ミュージックが好きで、徐々にそういう音楽も取り入れていった。

〈Príncipe〉の面々は英米のダンス・ミュージックの影響をほとんど受けていない、という記事を読んだことがあるのですが、じっさいのところどうなのでしょう?

NF:ええと……〈Príncipe〉の他のメンバーに関しては何とも言えないから、自分のケースについて話すよ。昔はたしかにクドゥーロやアフロハウスを中心に聴いてた。その頃からテクノは聴いてたけどね。ポルトガル国外でも活動するようになってから、ハウスやドラムンベースとかにも興味を持って、それらの影響も自分のスタイルに取り入れていった。でも、それ以外の欧米の音楽からは、現時点ではあまり影響を受けていないんじゃないかと思うよ。

あなたの音楽はクドゥーロから影響を受けていると言われますが、それと異なっているのはどういう点だと思いますか?

NF:まず、クドゥーロはヴォーカルがあるよね、歌い手がいる。自分の音楽はインストゥルメンタル。そして、自分の音楽には、テクノのエッセンスをひとさじ加えてある。

Buraka som Sistemaについてはどう見ています?

NF:自分たちの作る音楽に注目が集まって世界中で紹介されるのは、彼らあってのこと。先駆者的存在だよ。彼らが活動していた頃は、曲を聴くのはもちろん、ライヴにも行ったよ。いまはメンバーそれぞれがべつべつに活動してるけど、中心人物のBranko(João Barbosa)のDJはいいよね。

〈Príncipe〉の面々のなかでもあなたはいちばん変わった、特異なトラックを作っていると個人的には思っているのですが、ご自身ではどう思いますか?

NF:〈Príncipe〉のアーティストそれぞれに、各々のスタイル、アイデンティティがある。たとえば、DJ Marfoxはもっとクドゥーロ100%って感じだし、他のアーティストも、よりアフロハウス風、ゲットー風とか、それぞれ個性がある。自分に関して言えば、よりテクノの影響が強いのが個性かな。〈Príncipe〉の他の面々はテクノを聴かないからね。テクノが好きなのは自分だけだ。そこが違いかな。

あなたや〈Príncipe〉の作品は複雑なリズムのものが多いですが、シンプルなビートを刻んではいけないというようなルールがあったりするのでしょうか?

NF:ノー、ノー、ノー(笑)。それぞれのアーティストが好きなことをする自由があるよ(笑)。自分はDJ Firmezaが大好きなんだけど、彼の音楽の独特のバランスを、自分の音楽にも取り入れることがある。互いに影響を与えあっているけれど、ルールはとくにない。メンバーそれぞれが、各々のイマジネイションから湧き出す音楽を作ってる。「複雑なリズムの音楽を作ってやろう」って意図はぜんぜんないね。たぶん、他の音楽に慣れた人が自分たちの音楽を聴くと、「何だこりゃ!?」って変なふうに感じる、ってだけなんじゃないかと思うね。

〈Príncipe〉所属のDJには名前に「fox」と付く方が多く、これはDJ Marfoxに敬意を表してのことだそうですが、あなたたちにとってMarfoxはどういう存在なのでしょう?

NF:これも自分のケースについて話すよ。2008年に、DJ Niggaって名前で活動を始めたんだけど、リスボンにはすでにべつのDJ Niggaがいることがわかったんだ。で、DJ Marfoxのことは知ってたし好きだったから、名前に「fox」を足すことにした。他のDJたちがなんで名前に「fox」って付けてるのかは知らないな。DJ Marfoxの影響かもしれないし、ただキツネが好きってだけかもしれない(笑)。自分は、DJ Marfoxのことをすごく尊敬してる。でも、〈Príncipe〉所属だから名前に「fox」って付けなければいけないってルールはないよ。〈Príncipe〉以前から名前に「fox」が付くDJはいたしね。ああ、他のDJの名前になぜ「fox」が付くのかは知らないけど、DJ Marfoxの名前になぜ「fox」が付くのかは知ってるよ。彼は『スターフォックス』っていうファミコンのゲームが大好きで、「fox」はそこから来たんだよ。

ちなみにキツネは好きですか?

NF:好きだよ(笑)。実物を見たことはないけど、かわいいよね(笑)。

あなたはアンゴラ出身だそうですが、〈Príncipe〉に集まっている面々はどういう出自の方が多いのでしょう?

NF:自分はアンゴラ生まれで、内戦を避けるため4歳のとき家族でポルトガルに移住して来たんだ。以来、アンゴラに戻ったことはないね。〈Príncipe〉のアーティストは、アンゴラ出身者、カーボ・ヴェルデ出身者、ポルトガル生まれ、DJ Marfoxはサントメ・プリンシペ出身だし、さまざまな国籍のアーティストが所属している。

リスボンではアフロ・ポルトギースは社会的にどのような立場に置かれているのですか? たとえば、いまアメリカでは人種差別が問題になっていますが、そういったことはポルトガルでもあるのでしょうか?

NF:昔はもっと複雑だったけど、いまは落ち着いてるね。以前は、アフリカ系の移民がピザ屋で働くのも大変だったというけれど。じっさい、ポルトガル人には少し閉鎖的なところがある。でもいまはふつうだよ、もっと落ち着いてる。いまは、皆が自分の可能性や才能を試すための扉が開かれていると思うね。

海に行って水平線を見ているのが好きだね。海が好きなんだ。音楽を作るためのエネルギーをもらえる気がする。

〈Warp〉の「Cargaa 1」(2015年)に参加することになった経緯を教えてください。

NF:自分が直接やりとりしたわけではないので詳しい経緯はわからないけれど、〈Warp〉のオウナーだったか誰かが自分のEPか何かを耳にして、〈Príncipe〉にコンタクトを取ってきたらしい。で、自分は2曲〈Warp〉に送って、それが使われたってわけ。おもしろかったよ。あの企画に参加できて楽しかった。

オファーが来る前、〈Warp〉の存在は知っていました?

NF:正直に言うと、知らなかった(笑)。そもそも、10年くらい前から楽曲制作はしていたけど、DJやプロデューサーとしての自分のキャリアを真剣に考え始めたのは、ポルトガル国外でもDJするようになった4年前なんだ。それ以前は、誰が有名だとか、どのレーベルがすごいとかの情報は気にしていなかったんだよね。

〈Halcyon Veil〉の「Conspiración Progresso」(2016年)に参加することになった経緯も教えてください。

NF:先方から来た話なのか、〈Príncipe〉側からのオファーなのか詳しくは知らないけれど、コンピレイション・アルバムに自分の楽曲を使いたいと言う話が出たので、OKと言ったんだ。自分たちの楽曲を広めてより多くの人に聴いてもらうチャンスだからね。

リスボン以外のレーベルから作品を出すことは、あなたにとってどのような意味を持ちますか?

NF:リスボン以外のレーベルから作品を出すことは、自分の音楽を自分の家の外に出すような感じだよ。国外でのリリースがきっかけで、自分たちの音楽は注目され始めたんだ。自分たちは立派なスタジオを持ってるわけじゃないし、限られたコンディションで音楽を作ってきた。自分の音楽が、自分のベッドルームから世界に飛び出て行ったことを、すごく誇りに思うよ。自分たちの音楽は、ポルトガル国内より、国外で注目されてきた。なんでかわからないけどね。でも最近ではそれも変わりつつあって、Sumol Summer Fest、Milhões de Festaみたいなポルトガル国内の大きな音楽フェスティヴァルや、Lux FrágilやMusicboxみたいなリスボンの大きなクラブでもパフォーマンスしている。

あなたや〈Príncipe〉の音楽はSoundCloudやBandcampなどネット上のプラットフォームを介して広まっていきました。アナログ盤もリリースされていますが、ご自身はふだんどのように音楽を聴いていますか?

NF:リスナーとしてもクリエイターとしても、完全にデジタルだね。自分の使いたいマテリアルはデジタル・フォーマットにしかないことが多いし、レコードを使ってDJしないしね。

インターネットは音楽にとって良いものだと思いますか?

NF:良いものだと思うね。レコードの再生機器を持ってない人も、インターネットを通じて音楽にアクセスすることができる。SoundCloud、YouTube、Spotifyにはいろいろおもしろいものが転がってる。うん、良いことだと思うよ。

ふだん曲を作るときは、アイデアがふっと湧いてくるのでしょうか? それともあらかじめみっちり構成を練って作るのですか?

NF:まず、ビートの断片が頭に浮かんでくる。自分のイマジネイションの世界からビートがやってくるんだ。でも、曲は1日では完成しないね。FL Studioで練ってみたり、インスピレイションが湧くまで1週間かかることもある。いろいろ混ぜてみて、次の日にはぜんぜん違う音楽になってることもある。こういう試行錯誤は、家でひとりでやるんだ。大勢に囲まれて「こうじゃない」「これはこうしたほうがいい」とかいろいろ言われながら作るのは好きじゃない。家で、ひとりで、静かに曲作りするのが好きだね。

では、これまで誰かと共作したことはない?

NF:あるよ。一度、〈Príncipe〉のほとんどのミュージシャンが曲の断片やアイデアを持ち寄って、1曲作ったことがある。DJ FirmezaやDJ Marfoxと曲作りをしたこともあるし。

トラックを作るときに、音楽以外の何かからインスパイアされることはありますか?

NF:海に行って水平線を見ているのが好きだね。海が好きなんだ。音楽を作るためのエネルギーをもらえる気がする。あとは、クラブに行って他のスタイルの音楽を聴くのも好きだね。クドゥーロ、テクノ、ポップ、トラップとかね。

「15 Barras」(2017年)は長尺の1トラックで、それまでとはがらりと作風が変わりました。インスタレイションのために作られたものだそうですが、この曲が生まれた経緯を教えてください。

NF:「15 Barras」はある種の実験だったんだ。「Nigga Foxの音楽とは完全に正反対のものを作ろう」という意図のもとに生まれた。15分のトラックで、完成までかなり試行錯誤したよ。何日もいろいろ考えて、あちこち切り貼りしたり、時間をかけてね。結果的に、良いフィードバックをもらったし、うまくいったと思ってる。あくまで単発の実験だけどね。「15 Barras」は朝4時にクラブで聴く類の音楽ではなくて、日中とか旅行中に聴く音楽、って感じだね。完全に違うトラックだよ。

今後アルバムを作る予定はありますか?

NF:もうすぐサプライズがあるよ(笑)。いまはまだ言えないんだけどね。2ヶ月後位にアナウンスできるんじゃないかな〔註:この取材は1月末におこなわれた〕。

あなたの音楽を一言で表すとしたら、何になりますか?

NF:VIBE。ヴァイブレイションだね。

dialogue: suppa micro pamchopp × Captain Mirai - ele-king


Various Artists
合成音声ONGAKUの世界

Pヴァイン

ElectronicPopVocaloid

Amazon Tower HMV iTunes

 ボーカロイドやその他の音声合成ソフトを用いて作られた音楽はいまその幅を大きく広げ、アンダーグラウンド・シーンも成熟へと向かっている(そのあたりの流れは『別冊ele-king 初音ミク10周年』『ボーカロイド音楽の世界 2017』を参照のこと)。そんな折、『合成音声ONGAKUの世界』なるタイトルのコンピレイションがリリースされた。帯には、まるでそれが正題であるかのように、「ボカロへの偏見が消えるCD」と記されている。監修を務めたのはスッパマイクロパンチョップ。1998年に竹村延和の〈Childisc〉からデビューを果たした彼は、最近になってボーカロイド音楽の持つ魅力に気がついたそうで、それまでの自分のように偏見を持った人たちに少しでも興味を持ってもらおうと、精力的に活動を続けている。今回のコンピもその活動の成果のひとつと言っていいだろう。じっさい、ここに収められているのはシンプルに良質なポップ・ミュージックばかりで、もしあなたがなんとなくのイメージで避けているのであれば、それはほんとうにもったいないことだ。そんなわけで、監修者のスッパマイクロパンチョップと、同コンピにも参加している古参のクリエイター、キャプテンミライのふたりに、このコンピの魅力について語り合ってもらった。あなたにとってこれがボーカロイド音楽に触れる良い機会とならんことを。

※ちなみに、スッパマイクロパンチョップのブログでは、今回の収録曲から連想される非ボーカロイド音楽のさまざまな曲が紹介されており、ロバート・ワイアットやエルメート・パスコアール、ダーティ・プロジェクターズやディアンジェロなど、興味深い名前が並んでいる。そちらも合わせてチェック。


たまたま耳に入った曲が自分の好きな感触じゃなかったら、そのイメージしか残らなくて、それ以外が想像できないという状況だと思うんですよね。 (スッパマイクロパンチョップ)

対バンした相手と表面上は仲良く話していても、心の底では「なんだあいつ」みたいに思っていたり(笑)。〔……〕ボーカロイドを始めてみたらみんなすごく開けていたんで、それもすごく驚きましたね。 (キャプテンミライ)

スッパさんがボカロの音楽を聴くようになったのはわりと最近のことなんですよね?

スッパマイクロパンチョップ(以下、S):そうですね。ボカロの音楽を聴き始めたのは去年の8月末からなんです。初音ミク10周年のタイミングですね。それまではあまり興味がなかった。でも、Twitterでたまたま流れてきたyeahyoutooさんとPuhyunecoさんのふたりの曲を聴いてとても感動したんですよ。それ以来ニコニコ動画でアーカイヴを掘りまくっていますね。そこから自分でも曲を作り始めるようになって、10月にはもうボカロに関するトークイベントをヒッキーPと始めていましたね。

キャプテンミライ(以下、C):最近スッパさんという方がボーカロイドに熱中しているという噂は僕も聞いていて、ちょっと前からTwitterとかでスッパさんの発言を拝見しているんですが、ようはその2曲がボーカロイド音楽を聴き始めるきっかけになったわけですよね。

S:そうですね。

C:僕も似たような感じで、ボーカロイドを始めるきっかけになった曲があるんですけど、やっぱりそれって、ボカロ云々を抜きにして音楽として良かったっていうことで、ようはすごくかっこいい曲に出会ったということですよね。

S:ですね。キャプミラさんの出会いの曲はなんだったんですか?

C:すんzりヴぇrP(sunzriver)という人の曲ですね。僕はもともとバンド畑の人間で、「ライヴハウスだ、バンドだ、ギターだ」みたいな世界でやっていたんですが、じつはその頃からすんzりヴぇrとは知り合いだったんですよ。彼は最近何をやっているんだろうと思って調べてみたらいつの間にかボーカロイドを始めていて。もちろん僕もボーカロイドの存在は知っていたんですが、なんとなくの見た目のイメージくらいしかなかったんですね。でも彼の楽曲を聴いてみたら、彼がそれまでやっていたものとぜんぜん変わらない、むしろボーカロイドによって魅力が増しているかもしれないと感じたんです。これはおもしろいなと思って、自分でもやってみることにしたという流れですね。

S:それは2008年ですか?

C:2008年ですね。

けっこう初期ですよね。

C:そうです。当時はまだ偏見もいまより大きかったし、バンド畑の人間だったので、ライヴハウスとかで周りに「ボーカロイドというのを始めてさ」って言うと、反応が冷たくて。「お前、何やってるんだよ」みたいな反応をされることが多かったですね。でもそれからどんどん初音ミクがメジャーになっていったので、やっている側としては広まりきった感はあったんです。でも今回のスッパさんの活動を見ていると、まだまだ広がりきっていなかった部分があったんだなというのを感じましたね。

S:その「広がった」というのも、もしかしたら偏見が広がったということかもしれないですよ(笑)。

C:まあ、同時なんでしょうけどね。ただ若い世代にはふつうに広まっている感はありますね。だからいまスッパさんが届けようとしているのは、若い子よりも少し上というか、ミドルで音楽好きの人たちという感じですよね。それこそバンド畑の人とか、ロックやエレクトロニカを聴いているようないわゆる音楽好きの層というか。

S:そこにも届けたいってことですよね。自分もライヴハウスとかクラブとかはよく出演しているんですけど、そういうところで出会う人たちの偏見ってすごく根強くって。キャプミラさんが「お前、何やってるんだよ」と言われたときと、いまもまったく同じ状況なんですよ。

C:そうなんですね。難しいですねえ。たとえば「初音ミク」という名前自体はそれこそ誰でも知っているものになっていますけど、じっさいにそれを聴いているかは別問題ってことですよね?

S:たまたま耳に入った曲が自分の好きな感触じゃなかったら、そのイメージしか残らなくて、それ以外が想像できないという状況だと思うんですよね。だから、このコンピを聴いて考え直してほしいってことですね(笑)。

C:でもどうなんでしょうね。偏見ってじっさいそんなに強いのかな……いや、やっぱり強いのかなあ。

S:強いと思いますよ。Twitterで「これ最高! ヤバい!」ってYouTubeのリンクを貼るのと、ニコニコ動画のリンクを貼るのとでは違いがあるというか。ニコニコ動画なんか誰も覗いてくれないんですよ。「そっちの世界は行きたくない」みたいな偏見はあると思います。

音楽ファンって、ほかの何かのファンと比べると、なかなかそういう壁を崩さない感じはありますよね。オープン・マインドに見えて、じつはすごく閉じているというか。

S:ですよね。だから今回はそういうボカロのネガティヴなイメージをすべて取っ払って、音楽だけに集中して見せたいんですよね。音楽活動をしている知り合いには若い子が多いんですが、若い子でも外へ出て音楽をやる人と、家のなかだけで音楽をやる人とではちょっと違いがあって。やっぱり外でやるおもしろさを知っている人は偏見を持ちがちですね。キャプミラさんの場合はボカロとの出会いが早かったから良かったというのもあると思うんです。すんzりヴぇrさんやディキシー(Dixie Flatline)さんとは、ちょっと仲間意識みたいなものもあるんじゃないですか?

C:そうですね。当時はボーカロイドをやっている人たちの横の繋がりがすごくあったんですよ。初投稿日が近い人たちなんかで良く会ったりしていて。バンドをやっていると意外にギスギスしているところがありますよね。たとえば対バンした相手と表面上は仲良く話していても、心の底では「なんだあいつ」みたいに思っていたり(笑)。ライヴハウスではそういう空気をバンバン感じることがあったんですが(笑)、ボーカロイドを始めてみたらみんなすごく開けていたんで、それもすごく驚きましたね。だから10年前に出会った人たちとはいまだに会ったりするような仲になっていますし、それが世代ごとにいろいろとあるんじゃないですかね。いまの若い人は若い人たちでコミュニティがあるんじゃないかという気はします。

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僕が言う「偏見」って、世代的な断絶でもあるんですよね。高年齢の音楽マニアとのあいだにすごく大きな壁があるというか。 (スッパマイクロパンチョップ)


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今回のコンピはどういった基準で選曲していったのでしょう?

S:これを聴けば偏見が吹き飛ぶだろう、という選曲ですね。よくあるボカロのイメージにそぐわない曲というか。「え、これボカロなの!?」って、あっさりボカロを好きになっちゃうような選曲のつもりです。とはいえボカロのおもしろい曲ってすごくバラエティに富んでいるので、それを「ベスト・オブ・ボカロ・ミュージック」みたいにひとつにまとめるのは難しい。そこへ、「音楽好きの人がさらっと聴ける」「BGMとして心地良く聴ける」のがいいというお話をいただいたので(笑)、それもテーマにしました。もちろん自分の趣味も入っているんですけど、それだけじゃなくておしゃれに聴けることを意識したというか。ボーカロイドってべつに「おしゃれ」のイメージはありませんよね。

C:そうですかね。

S:偏見を持っている人たちは、アニメとか萌えとか、そういういわゆるオタクな世界に悪いイメージを抱いていて、それは「おしゃれ」とは正反対だと思うんです。もちろん音楽ファンも「おしゃれ」だけを基準に聴いているわけではないですけど、やっぱりイメージってあると思うんですよね。「このサウンドがいまいちばんかっこいい」っていう感覚って、「(そのサウンドが)おしゃれ」ってことでもあると思うので、そのラインは守っているというか。「ボカロっておしゃれかもしれない」とか「意外と気持ちいいんだな」と思ってもらえるよう選曲していますね。たとえばでんの子Pさんの曲でも、選曲を間違えたら「え……」って思われちゃうかもしれないので(笑)。だから、突出した才能を持っているけど、その人のなかでも耳触りが良いもの、たとえばエルメート・パスコアールなんかと同列に聴けるもの、という基準ですね。キャプミラさんも名曲揃いですから、どの曲でもよかったんですが、せっかくなので僕がいちばん感動した“イリュージョン”を選びました。僕、ボカロを聴いて泣いたのはその曲だけですからね(笑)。

C:おお(笑)。ありがとうございます。

今回の収録曲のなかではいちばん古い曲ですよね。

C:そっか、ディキシーさん(Dixie Flatline)より古いのか。

S:ディキシーさんのは最近の曲なんです。2015年。古いのはTreowさんとキャプミラさんだけです。おふたりはクラシック代表なんですよ。

ということは、この曲で使われている鏡音リンのヴァージョンも初代ということですよね?

C:そうです。初代のリンってソフトウェアのエンジンがVOCALOID2という古いヴァージョンなんですけど、いまの環境で動かすにはちょっとめんどくさいんですよね。Windows10とかだとけっこう微妙な感じになっちゃっていて。データをコンヴァートしたりしなきゃいけなくて、かなりたいへんなんです。

この曲に感動して同じような音を鳴らしたいと思った人がいても、それはもう難しいという。

C:そうなんですよね。ソフトはどんどん新しくなっていって、もちろん内容は素晴らしくなっていっているんですけど、やっぱり声が違うので「初代のほうが良い」みたいなことはありえますよね。

楽器だといわゆるヴィンテージの機材を追い求める人たちもいますが、これからVOCALOIDもそういう感じになっていくのかもしれませんね。

S:そういう時代は来そうですね。

C:そしたらリヴァイヴァルするかもしれないですよね。いまのエンジンで当時の声がそのまま出るよ、みたいな感じのライブラリを出してもらえるといいんですけどね。

今回のコンピには入っていませんが、多くの人がボカロと聞いて思い浮かべるだろう、テンポの速いロック系の曲についてはどうお考えですか?

S:数年前に流行った高速ロックの流れもまだそんなに廃れていないというか、「ボカロと言えばとにかく速い」みたいなイメージが一般的にもあると思うし、じっさいそういうものがたくさん聴かれているのはすごく感じるんですよね。わりと再生数を稼げる人たちのなかでも、ボカロのそういう側面を追求する層と、どうやったら「おしゃれ」に作れるかで競っている層と、ロックか「おしゃれ」かみたいなふたつの線があるように思いますね。

C:いまのバンド・シーンの若い子たちのなかでも、あの頃の高速ロックの流れを汲んだバンドは多いですよね。BPMが速くて、四つ打ちで、速いギター・リフみたいな。中学生のときにもうボーカロイドがふつうにあってそれを聴いて育ったから、大きくなってバンドをやろうってなったときにおのずとそういう楽曲が出てくる、そういう世代がもうけっこういるのかな。やっぱり高速ロックは影響力ありますよね。

S:ありますね。だから僕が言う「偏見」って、世代的な断絶でもあるんですよね。高年齢の音楽マニアとのあいだにすごく大きな壁があるというか。若い子が音楽を始めようと思ったときに、いまだとやっぱりコンピュータで音楽を作るという選択肢があって、それで作ったものをアウトプットする場所としてボーカロイド・シーンがすごく身近なんだろうなと。曲を作ってアップロードするだけならべつにSoundCloudでもいいんですけど、若い子からしてみると華やかな感じというか、SoundCloudにアップするよりもキャラクターとビデオのあるボーカロイド・シーンのほうが注目されるんじゃないか、というような期待があるんでしょうね。そもそも音楽と最初に出会った場所がニコニコ動画だったという人も多いでしょうし。それでいろんなタイプの音楽が集まってきているような気がします。

キャプミラさんが今回の収録曲のなかでいちばん印象に残った曲はどれですか?

C:羽生まゐごさんの“阿吽のビーツ”かな。民族っぽいパーカッションのリフで始まる曲。でも、たしかに全体的におしゃれだなとは思いましたね。

S:1曲目とその羽生さんの“阿吽のビーツ”はガチでおしゃれだと思います。それ以外はオーソドックスな感じもあって、「エヴァーグリーン」という感じですね。僕はどんな音楽を聴くときも普遍的かそうでないかみたいなところでジャッジしていて、もちろんそうでなくてもいいんですけど、コンピを組む場合は50年後とかに聴いても古いと思わないような強度のある曲を選んでいるつもりなんですよね。それでいてサラッと聴ける曲。あまりにも濃いと引っかかっちゃうので。作業しながら聴いていて「えっ!」って(笑)。

僕は松傘さんやでんの子Pさんが好きなので、その両方が入っていたのは嬉しかったですね。でも、彼らの曲のなかではわりと聴きやすいというか、比較的癖のない曲が選ばれていますよね。

S:松傘さんの個性ってずば抜けているところがあるんですが、松傘さんが単独で作っている曲をこのコンピに入れるのはちょっとエグいかなあと(笑)。でんの子さんもそうなんですよ。でも彼らのおもしろさはなんとか伝えたいので、誰が聴いても「良いな」って思ってもらえそうな曲を選びましたね。

C:そういう意味では、最近のボーカロイドをそれほどチェックできていない僕みたいな人向けでもあるというか、ここからいろいろ漁っていくという聴き方もできそうですね。

S:そうなんです。たとえばある曲に惹かれて、もっと掘ろうと思ってその作り手の他の曲を聴いてみると、そっちはそれほどでもなかったり、というようなことがボカロではわりと多いんですよ。だから今回のコンピも、その曲に出会った人がもっと掘っていったときにがっかりしないように、そもそも作っている曲が全体的におもしろい人たちのなかから選りすぐっていますね。あと、ぜひ入れたいと思ったけど、そもそも連絡先がわからないというパターンもありました。連絡が取れないとどうしようもないので、現実的にコンタクトできてOKしてくれそうで、それでいて誰が聴いても良いと思える曲がある人、という基準で選んでいます。

C:そうなるとけっこう難しそうですね。連絡の取れない人、多そうだから(笑)。

S:難しかったですね(笑)。でも良い内容にできたとは思っています。

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試しに作ってみると世界が変わると思いますよ。声を合成するというのは、やっぱり音楽をやっている人ならおもしろいと思える部分があるはずですので。 (キャプテンミライ)


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今回のコンピに収録されているような、シンプルにグッド・ミュージックだったりちょっと尖った曲を作っている方たちって、やっぱり再生数は低かったりするんでしょうか?

C:たとえば鈴鳴家さんも音作りがものすごくて狂気じみていますけど、再生数の面ではそこまで評価されていませんよね。だからボカロ界にはもったいない人がいっぱいいますよ。

S:なぜなんでしょうね。プロモーションのしかたなのかなあ。

C:でもディキシーさんやTreowさんはすごく再生数の高い曲を持っていて、数字が付いてきているというか。

S:そうですね。ちなみに羽生まゐごさんはむちゃくちゃヒットしていますね。あと、1曲目の春野さんもわりとおしゃれ系でヒットしています。まだ20歳らしいですよ。

C:おお。いや、まさにそこなんですよね。最近の音楽自体ちょっとヤバいというか、いまは若くても本当にすごいものを作ってくる。むかしはそんなことはなくて、若い子は若い音楽しか作らなかった。町田町蔵が出てきたときに、「すごい10代」みたいに言われていたんですけど、ボーカロイドをやっていると、そのすごい10代がいっぱいいる感じがするんです。環境が良くなっているのかな。コンピュータで音源も安く買えて、いきなりすごい音が出せるみたいなことの影響もあるんですかね。

S:あると思いますね。

C:2007~09年にボーカロイドが盛り上がっていった時期って、いろんなインフラが整っていった時期でもあると思うんですよ。音楽制作をしたい人がコンピュータでそれをできるようになって、プラグインも安くなって手が届くようになった。動画もそうですよね。動画編集ソフトにも手が届きやすくなって、個人で作れるようになった。絵もデジタルで描く方法が確立されて、pixivのようなものが出てきて盛り上がっていった。そういった人たちが集まって何かを作ろうというところにちょうど初音ミクが登場して、ニコニコ動画という場もあって、「僕が楽曲」「僕が動画」「僕が絵」みたいな感じでどんどん盛り上がっていった。それがおもしろかったんですよね。同じような時期に、アメリカやヨーロッパではインディ・ゲームのシーンが盛り上がっているんですよ。それもたぶん同じように誰でもプログラミングできたりグラフィックを作れたりする環境が生まれて、じゃあ何を作るかってなったときに、日本みたいにニコニコ動画があるわけじゃないから、みんなでゲームを作ろうというような感じで盛り上がっていったんじゃないかと思うんです。それがいまはまた分裂して、絵を描く人は絵だけで行こう、みたいになっているような気がしますね。当時ボーカロイドをやっていた人のなかでも、いまはプロの作家にスライドして曲を作っているような人も多くなっているので、音楽は音楽でやっていこうという感じなんですよね。あのときにみんなでガーっとやっていたところからどんどんひとり立ちしていって。そう考えると10年の歴史の流れを感じるというか、じーんときますね(笑)。いや、でもやっぱりみんな若いんですねえ。

S:詳細な年齢まではわからないけど、新着の初投稿の曲を聴いていても、いきなり成熟したポップスみたいなものがわりと多いんですよ。そこは謎なんですよね。最初からスケッチ的なものじゃなくて、しっかりポップという。

C:ポップスってけっこう理論とかがわかっていないと作れないものなのに、それをさらっと作っちゃいますよね。それは、たんにツールが良くなっただけじゃできない。耳も良いのかな。

音楽活動はべつにやっていて、匿名で投稿しているケースもあるんでしょうね。

S:それはいっぱいあると思いますよ。

C:言いかたの問題もあるでしょうね。ずっと音楽はやっていたけどボーカロイドは初投稿です、みたいなケースもあるのかもしれないですしね。

S:いまはまだ偏見を抱いているクラブ・ミュージックの作り手とかが、いつか「ボカロっておもしろいんだな」と気づいて、自分でもボカロで歌ものを作ってみてハマる、そういう可能性を持った作り手ってじつは山ほどいるんじゃないかと思っていて。

C:僕がそうだったんですけど、イメージで偏見を持っていても、じっさいにボーカロイドを使ってみると、打ち込んで、機械が歌ったときにちょっと感動があったんですよね。「声が聴こえてきた!」みたいな。それで急にキャラクターにも愛着が湧いてくるというか、「このソフトはこんな声をしているのか」という感じで世界が広がったことがあったんです。だから作り手の人に、もちろんまずは聴いてほしいですけど、じっさいに作ってみてほしいんですよね。べつにニコニコ動画やYouTubeにアップロードしなくてもいいんで、試しに作ってみると世界が変わると思いますよ。声を合成するというのは、やっぱり音楽をやっている人ならおもしろいと思える部分があるはずですので。

S:そういうものを作らなさそうな人にこそ作ってみてほしいですよね。

C:あとは音質の話ですけど、ニコニコ動画にアップロードしている人たちには、ミックスやマスタリングの癖みたいなものがありますよね。とにかく音がデカくてバチバチにしているし、低音も切り気味だし。もしかしたらそれをクラブ・ミュージックの人が聴くと、物足りない感じに聴こえちゃうのかもしれない。パッと聴きでもう質感が違うと思っちゃうのかなという気もします。

S:自分は家ではデスクトップのパソコンに大きなスピーカーを繋げて聴いているんですけど、どんなにクオリティの低い曲でも小さな音で再生しているぶんにはなんにも気にならないんですよ。でも、ヘッドフォンで聴くと不快になるってことは多いですね。なので今回のマスタリングでは、全体的に高域をちょっと削ってマイルドで優しい聴き心地になるようリクエストしています。ボカロの声って高音が痛かったり刺さることが多いですし、そもそもそれが嫌いだと言われちゃったら薦められなくなりますからね。

C:じっさいに作っていると声の癖も気にならなくなるんですけどね。僕の場合、ボーカロイドはちょっと楽器的に使っているんですよ。使い方を楽器的にするということじゃなくて、人間が歌うときとはオケも変わってくるので、アレンジ含めてボーカロイドを楽器として扱ったほうがおもしろくなるんですよね。僕がボーカロイドですごく良いと思っているのは、歌詞がそんなに聴こえてこないところなんです。ものすごくクサかったり恥ずかしかったり中二っぽい歌詞でも、ボーカロイドが歌うと成り立つんですよ。人間がこれを歌ったらちょっと恥ずかしいだろうというものでもボーカロイドだとさらっと歌えちゃう。それはやっぱり機械が歌っているからこそで、ようするに歌詞の幅がものすごく広く取れるんですよね。じっさいボーカロイドの歌詞ってすごく個性的というか、振れ幅が大きいですよね。癖のある歌詞も多いですけど、それはボーカロイドならではですよね。

S:素人の方々の「歌ってみた」ヴァージョンを聴いて、ボカロ・ヴァージョンより良いと思うことはあんまりないんですよね。人間が歌うとエゴが入ってくるというか、味がありすぎて。

C:そうなんですよ。歌詞も聴こえてきちゃうんですよね。

S:たとえばライヴでどっぷり浸かるようなときはそれでもいいんですけど、部屋のパソコンで聴いていると、その人間の味がうるさすぎるよなって感じるケースが多い。だからたぶんボカロで曲を作ったことがない人は、そういう匂いの消し方とか、そういう力をあまり知らないというところもあるんじゃないかなと思いますね。だから、そういう人たちをうまい具合に引き寄せられたら、第二次ブームみたいなことも可能だと思うんですよね。いや、ブームになってほしいなあ。

C:まあ、ある意味ではずっとブームなんですけどね(笑)。

U.S. Girls - ele-king

 女性たちの怒りをいよいよ世が無視できなくなっているが、このムーヴメントより以前にメーガン・レミーはたしかに怒っていた。女性の労働の不遇に、ホワイトハウスに、戦争そのものに。しかし、その怒り方が彼女の場合……変だ。若い女が何かをすると「○○女子」といった安易なカテゴライズをすぐに与えられてしまうが、それを逆手に取るかのように「アメリカ女子」などという雑な自称をしていた彼女は、その名前を変えないままカナダに移住し、いまもアメリカの外からアメリカを糾弾している。はじめは冗談だったという。それはやがて批評的な意味を帯び、だがいまも半分は冗談のまま、「アメリカ女子」はおかしなプロテスト・ソングを歌っている。利発で奔放、そして徹底的に反抗的なUSガールズのウィアード・ポップは時代の追い風を受けていまこそ高みへと飛翔する。

 通算では6作め、名門〈4AD〉からは2作めとなる『イン・ア・ポエム・アンリミティッド』は、音楽的には近作のポップ志向を前進させたロジカルな発展形と言える。初期のローファイやアングラ性は影を潜め、ゴージャスなバンド・アンサンブルとリッチなソングライティングが堂々たる一枚だ。が、それでもどこかメジャー感がしないのは、様々なジャンルが脈絡なくミックスされているからだろう。何やらいかがわしく、どうにも奇天烈。映画にはジャンル映画という言い方があるが、同様に、USガールズの音楽性は様々なジャンルの音楽のクリシェを敢えて強調するようなやり方で取り入れたものだ。60年代のガールズ・グループ、グラム・ロック、ディスコ、シンセ・ポップ、ノイズ、ダブ、ジャズ……それらがランダムバトルのように次々に現れ襲いかかってくる。
 夫のマックス・ターンブルやトロントのミュージシャンであるシモーヌ・シュミットがソングライティングに貢献しており、メーガン自身は作曲のクレジットから外れているナンバーもある。その分なのか、メーガンは歌謡ショウのステージに立つシンガーよろしく艶やかに歌い上げる。素直に言ってチャーミングだし、セクシーだとも思う。それがかえって舞台装置めいた大仰さを醸しており、マックスが参加するジャズ・バンドであるザ・コズミック・レンジによるビッグ・バンド風のサウンドを背に彼女自身がギラギラと光沢を放つかのようだ。

 そうしたシアトリカルな意匠はサウンド面だけでなく歌詞のモチーフとも一体化。たとえばリヴァービーなパーカッションが響くオープニングのダブ・ナンバー“Velvet 4 Sale”はドメスティック・ヴァイオレンスなどの加害者に対する女からの復讐譚だそうだ。あるいは妖しげコーラスが彩る異形のファンク“Pearly Gates”は、危険なセックスを強要する男の姿を宗教的な権威と重ねながら告発している。ナマで入れたいがために「俺は外に出すのがすごく得意なんだ」と自慢する男のアホらしさから着想を得たそうだが、そうした語りの面白さは確実にこのアルバムの魅力だ。この突拍子もないユーモアこそがUSガールズの武器であり、それはここでさらに磨かれている。前作に続いて戦争の暴力を訴える“M.A.H.”はロネッツのようなイントロで始まったかと思えばチャカポコとコンガが楽しげに鳴り出すふざけたディスコ・ナンバーだが、それはオバマ前大統領に向けられたものである。「わたしは忘れない、なんで許さないといけないの?」──誰もがトランプに怒りをぶつけているときにオバマの外交面の失策を指摘しているのは彼女らしい怜悧さを示すものだが、それはこじれた男女のラヴ・ストーリーのように語られる。躁的な高揚感に満ちたリズムに合わせて中指を立てながら踊るレトロな映像を装ったヴィデオも、シュールでふざけていて、ひたすら痛快だ。


 
 アルバムは“Rosebud”の室内楽+R&B、“Incidental Boogie”のけばけばしいグラム、“Poem”のシンディ・ローパーかマドンナかと見紛うようなシンセ・ポップとコロコロと場面を変え、情熱的なジャズ・ロック・セッション“Time”の狂騒で幕を閉じる。アメリカのショウビズの遺産を引用しながらアメリカを皮肉るというのは最近ではファーザー・ジョン・ミスティの『ピュア・コメディ』を連想するが、ジョシュ・ティルマンのそれがペーソスを纏っていたことを思うと、メーガン・レミーの反骨はもっとタフでパワフル、それにひょうきんだ。この奇怪なプロテスト・ソング集は、それが「Girls=女子」によるものだからこれほどまでに生き生きと躍動しているのだろう……というのは情けない男の勝手な願望だ。メーガンはそんなもの歯牙にもかけずに勝手にやっている……このまま勝手にやってほしい。
 MeTooやTimesUpが強権的な佇まいを帯びてきつつある現在だからこそ、『イン・ア・ポエム・アンリミティッド』のユーモアは輝いている。ここには怒りも憎しみもある。が、それ以上にダンスと快楽がある。収まりのいい場所に1秒だってじっとしていられないとでも言うかのようなUSガールズのポップ・ソングは、新しい時代における自由を無根拠に予感させてくれる。

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