「You me」と一致するもの

"No.5"を聴きながら。 - ele-king

 師走といっても東京の空はのんびりと晴れ、天下泰平世はこともなし.....とはさすがに言えないレベルに騒がしき世情ではあるが、このヴィデオを眺めて過ごす3分半ぐらいは、あたたかい陽差しを感じながらだらだらしてもよいのではないだろうか。
 シャムキャッツのニュー・アルバム『たからじま』がいよいよ本日リリースされた。それにともない、特設サイトでは収録曲"No.5"の最新ミュージック・ビデオや、夏目知幸による「レコーディング夢日記」など新しいコンテンツが公開されている。
 さっそく"No.5"を見てみよう。ナインティーズUSインディへの素朴なリスペクトを感じさせながら、ローファイな音像とローアングルな東京の風景とを重ね、2012年のリアリティをゆるやかに描き出している。

 ele-kingでもシャムキャッツのインタヴューを近日公開予定。
 インタヴュアーは、田中宗一郎だ! 乞うご期待!



シャムキャッツ"No.5"


シャムキャッツ"なんだかやれそう"

『たからじま』特設サイト:https://siamesecats.jp/takarajima/

CAMPANELLA & TOSHI MAMUSHI - ele-king

 福岡天神は親不孝通りを代表したILL SLANG BLOW'KER、その唯一となるセイム・タイトルは、マニア界隈において周知の名盤である。。元々は別個に活動するメンバーが集い、ワンボックス・カーで全国行脚を行うも、あるものはその土地に住み着くなどして、グループは離散。そうした逸話もまた、彼らの奔放さを表していていい話だし、この盤からもそんな人となりがなんとなく想像できる。生活臭のなかに入り混じった生のブルーズとでも言おうか。そんなものがパッケージされているからか、たまに聴き返したくなるときがある。CAMPANELLAとTOSHI MAMUSHIがタッグを組んで作った『キャンピー&ヘンピー』にはその作品を想起させるわずかな片鱗があった。振れ幅の広い、ひと癖あるトラックが並ぶなか、異なる話法を持つ語り手がひとつの世界観を作品に落とし込んでいること。高い熱量とクールな空気感が同居し、たえず常温を保つような、ほどよいドープさとチル加減。もちろん、ハイライトとなるいくつかのヴァースはスリリングだし、何より終盤を飾るCAMPANELLAのソロ曲"ナイト&ナイト"こそが、くだんの作品をもっとも強く思い出させる。煙の立ちこめる夜の音楽である。

 フリーのミックス・テープ『デトックス』をはじめ、ネット上で旺盛な音源リリース――MINTとJinmenusagi、daokoとの"ヒート・オーヴァー・ヒア"(リミックス)は必聴――を行い、粘着質のある独特のフロウが持ち味のCAMPANELLAと、抜けのいい声と小気味よいライミングでさすがは名フリースタイラーといったラップを披露するTOSHI MAMUSHIからなるこのコンビは、HIRAGEN、YUKSTA-ILLらを擁するTYRANT、MIKUMARI、ICHIBA SICKNESSが参加するグループ、HVSTKINGSとともに実体のつかめないTOKAI DOPENESS/NEO TOKAIという独自のコミュニティに属している。
 TOKAI DOPENESS/NEO TOKAIという言葉でまず思い出されるのは、かつて名古屋で絶大な人気を誇ったラッパー、TOKONA-Xの最初にして最後のアルバム『トーカイ×テイオー』。2004年、彼の早すぎる逝去以来、いまなお名古屋のヒップホップ・シーンには彼の存在が影を落としていて、そんなシーンの滞りに対するジレンマは確実に溜まりつつあった。そんな現状を打破するために新たに立ち上げた呼称がTOKAI DOPENESSであり、NEO TOKAIなのである。
 彼らの徹底した上昇志向とスキル絶対主義の姿勢は、もはや聴き手に共感とは別種のものを抱かせる。地域性に根差したコミュニティではない彼らが、口ぐちにレップしているのは架空の都市RACOON CITY。これが何のことかと言うと、(たしか)四日市辺りにある工業コンビナートのことで、遊び場にしているこの地域一帯が、夜間はイルミネーションに煌々と照らされる都市のように見えることから取ったそうだ(偶然ではあるが、親不孝通りもまた、実在しない名称である)。
 この集合体は、同じ地元を持つ絆の強い同胞......というより、純粋にスキルの高い個々の才能がひとつの呼称と指標を合言葉に集まったようで興味深い。やや話が脱線するが、2005年あたりからはじまったUMBのような、いわゆるフリースタイルの巧さを競ったMCバトルの開催は、ラッパー全体のスキルの向上・底上げだけでなく、点在するシーンを繋げ、活性化を促したという部分において、何よりもその後のシーンへの恩恵を感じさせる。

 『キャンピー&ヘンピー』の聴きどころはやはり、まったくスタイルの異なる両者のラップ。展開やトリッキーな韻の置き方や、オフビートにも動じない安定感。トラックの中核を成すのはどこか異国的な音像と繊細なエディット感覚が耳を惹くRAMZA、そしてCAMPANELLAとは共作のあるC.O.S.A。バウンシーだが揺れのある、変則的なリズムを刻む。ソウルフルな"ストリート・リンク"はTONOSAPIENSプロデュースで、他にも"チェス・ボクシング"など、完成度の高い曲が並ぶ。
 しかし、昨年リリースされたYUKSTA-ILLの『クエスチョナブル・ソウト』を聴いたときにも思ったことなのだけれど、現場感を作品にパッケージングすることはつくづく難しい。ライヴでは質の高い見応えのあるパフォーマンスも、作品としてのアルバムにうまく作用するとは限らないということだ。ことにラップ表現においては、言葉が直接的すぎるため、聴き手に息苦しい印象を与えてしまうきらいがある。『キャンピー&ヘンピー』というアルバムは、TOSHI MAMUSHIが淡々とラップを繰り広げる反面、醒めた酩酊感を伴ったようなCAMPANELLAがヨレや破綻を生むことで成立しているアルバムだと感じた。思えば、ILL SLANG BLOW'KERのあの作品が素晴らしいのは、ユルさやミスや悪ノリが閉塞感を脱するメソッドとして、明確に提示されていたからだった。TOKAI DOPENESSの今後がシーンの現状にどう影響してくるのか、ひとまず12/8に渋谷FICTIONで行われるリリース・パーティ(https://www.residentadvisor.net/event.aspx?427129)に足を運んで思いを巡らせてみたい。

vol.5 『Hotline Miami』 - ele-king

 みなさんこんにちは。一年は早いもので、もう年末です。海外ゲーム市場も10月~12月はホリデー・シーズンといって、その年の目玉を中心に、数多くのゲームが集中的にリリースされる時期です。当然ゲーマーとしてもいまは一年でいちばん遊びまくる時期。それもあってこれから数回は新作を連続で紹介していくことになりそうです。

 今回ご紹介するのは10月にPCゲームとして発売された『Hotline Miami』。知り合いに薦められて遊んでみたのですが、これがすごく良かった。ゲームプレイ、物語、ビジュアルや音楽ともに文句なしで、今年遊んだなかでも屈指の満足度でした。ただ暴力表現が激しい作品なので、そういうのが苦手な人は注意です。

 この『Hotline Miami』は区分としては前回ご紹介した『Fez』と同じくインディーズのゲームなのですが、『Fez』がいわばインディーズ内におけるメジャーな立ち位置なのに対し、本作はインディーズ内においてもマイナーな存在と言えるでしょう。かくいう自分も本作を開発した〈Dennaton Games〉なんて知らなかったし、同スタジオの中心人物のひとり、“Cactus”ことJonatan Söderström氏のことももちろん知りませんでした。

  Cactusはスウェーデンで活動するゲーム・クリエイター。猛烈な多作ぶりで知られており、その数なんと40作以上! とはいえ、それらには一般的な意味での作り込みは皆無で、とにかくワン・アイディアのプリミティヴなゲーム・デザインをそのまますばやく形にすることを信条にしているのだとか。彼の公式HPを訪れると、荒削りのドットと極彩色で形成されたゲームの数々に触れることができます。


Cactusの過去作の映像。後の『Hotline Miami』につながるセンスを感じさせる。

 もっともこれまでの知名度はインディーズ・ゲーム界でも知る人ぞ知るという感じで、大舞台に出てくることはなかったようです。しかし今回の『Hotline Miami』の開発では、かつて上記映像にもある『Keyboard Drumset Fucking Werewolf 』をともに作ったDennis Wedin氏と合流し、〈Dennaton Games〉を設立。パブリッシャーにDevolver Digitalを据えて、満を持しての商業デビューを飾ったのです。

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■現代に蘇った暴力ゲーム

 そんな経緯から生まれた『Hotline Miami』は、これまでの下積みの厚さを感じさせるすばらしい出来栄えです。とくに過去作で多々見られた極彩色のエフェクトと偏執的な作風が、「80年代風サイコスリラー」というコンセプトに結実しており、その明快さが全体の完成度の高さにつながっていると言えます。今回はそれをさらに暴力表現、ゲームプレイ、物語の3点に噛み砕いて見ていきましょう。

 ゲームのタイプとしては8ビット・スタイルの見下ろし型のアクション・ゲームで、ひたすら敵を倒していくだけのシンプルなもの。この部分だけ抜き出して見れば、凡百のレトロ調インディーズ・ゲームと大差ありません。しかしながら血出まくり・惨すぎ・殺しまくりな猛烈なヴァイオレンス表現は近年見ない異質なもので、さらに眩いネオンやゆらゆら揺れるエフェクト、それにハイテンションな音楽が加わると、その体験はまさにサイコ或いはドラッギーという形容詞で言い表す以外にない強烈なものとなります。

ゲーム序盤の様子。ハイスピードで展開されるゲームに血とネオンと音の洪水。

 このような作風を見て真っ先に思い出すのが、かつて〈Rockstar Games〉が開発した『Grand Theft Auto: Vice City』か、あるいは『Manhunt』という作品。とくにタイトルからして物騒な『Manhunt』はスナッフ・フィルムの都市伝説をゲーム化した作品で、残虐な方法で敵を殺せば殺すほど高得点が得られるという狂った内容。シチュエーションから映像表現、ゲーム性まで『Hotline Miami』が影響を受けていることは明らかです。


『Manhunt』より。いままさに人を狩らんとするところ。ここから先はグロ過ぎるのでお見せできません!

 少し話が逸れますが、この手の作品は暴力ゲームと呼ばれ、ひと昔前までは少数ながらつねに存在していたジャンルです。しかし発売されるたびに世界各国で発禁処分になったり、ゲームは犯罪を助長する云々の論争の槍玉に挙げられたりと、なにかと物議をかもすジャンルでもありました。

 ここにはゲーム表現の限界や、超えてはならない倫理の壁といった命題がつねにあり、単なる愉快犯的な作品もあれば(大半はそれなんだけど)問題提起的な側面を備えた作品も存在して、独特の熱さがあったのです。ただ近年はそういった従来の事情とは別に、元々のニッチさが開発規模の巨大化の割に合わなくなってきたという商売上の問題から、廃れてきてしまっているように思えます。

 〈Rockstar〉もいまでこそ落ち着いた感がありますが、かつては『Manhunt』にしろ『Grand Theft Auto IV』以前の同シリーズにしろ、容赦ないセクシャル&ヴァイオレンス表現の常習犯だったのです。ただ〈Rockstar〉の場合はそんな暴力表現のなかに、いまの作風にも見られるセンスの良さが共存していて、それが独特の魅力やブランド性をかたち作っていました。

 『Hotline Miami』はそんな途絶えつつある文脈の上に立っている作品です。パッと見こそ荒削りの8ビット調ですが、それでも過剰な暴力は確かに表現されており、むしろ見た目の抽象性があらぬ想像力を掻き立てさえします。そして数々のエフェクトと音楽、80年代風で妙にハイ・テンションな雰囲気が織り成すインモラルなクールさは、まさにかつての〈Rockstar〉を引き継いでいると言えましょう。

■目くるめく殺しのルーティン・ワーク

 暴力ゲームと呼ばれるものは、実際のところそのセンセーショナルさに頼ってゲーム性をおざなりにしてしまったり、暴力表現の必然性の証明、ゲーム・プレイとの一致という部分で問題を抱えることが多いです。しかし『Hotline Miami』はその命題に、たしかな完成度と巧妙なトリックで応えています。

 本作のゲーム・ルールについて改めて説明すると、これは建物内にいる敵を倒していくアクション・ゲームで、プレイヤーは敵の落とした近接武器や銃器をとっかえひっかえしながら殲滅を目指します。具体的な様子は前項の映像にあるとおりで、幕間の日常シーンを含めても1ステージ3分に満たない、非常にハイ・スピードでインスタントなゲーム性が特徴です。

 ただしそれはノー・ミスでクリアできればの話であって、よっぽど慣れた人でもないかぎり、まずゲーム・オーヴァーになりまくります。なにせ敵の攻撃はすべて一撃死。反応もはやいし、複数人固まっているのが普通なので、何も考えずに突っ込めば間違いなく死ぬし、考えてもやっぱり死ぬ。


殺っては殺られてまた殺って・・・

 なので、プレイヤーは幾度となくゲーム・オーヴァーになりながら敵の配置を覚え、パターンを構築してクリアを目指すことになります。こういうゲームを一般的には”覚えゲー”と言いますが、クリア時の達成感とゲーム・オーヴァーの連続によるストレスとのさじ加減が難しいゲーム・システムでもあります。

 しかし本作はチェック・ポイントの感覚が絶妙で、且つやられても本当に一瞬、0.5秒ぐらいでやり直せるのがうまいストレス緩和になっていますね。敵を倒すのが爽快なのも、リトライのモチヴェーションになってくる。

 また敵を倒すというシンプルな目的ながら、発見されずに近づくというステルス要素もあれば、見つかった後どう捌くかというアクション要素もあり、そのアクションも近接武器を使うか銃器を使うかで事情はまったく変わってきます。そして何よりこれらがハイ・スピードなゲーム・プレイのなかで渾然一体となっているのがとてもおもしろい。

 ステルスとアクションのハイブリット作品というのはいまではなんら珍しいものではありません。ただ僕がいままで遊んできた作品はどれも、敵に見つかるまではステルス、見つかった後はずっとアクションという具合に、両者の境界とゲーム・プレイの差異は明確に線引きされていました。

 しかし『Hotline Miami』にはそのゲーム・プレイがシフトする境界というものがありません。と言うよりも目まぐるしく変わりまくる。映像を見ていただくとわかりますが、敵への接近から攻撃までが本当に一瞬の出来ごとで、ステルスしている1秒後には殴り合いになり得るし、さらにその1秒後には倒した敵の銃を奪って遠方の敵を狙い撃っていることも普通にあるのです。これらが継ぎ目なくシームレス移行しつづけていくゲームというものは、いままでにない体験でした。

 当然、操作中はなかなかの忙しさになるので、パターン化が重要になってきます。敵を殺しまくっては殺されて、より最適なパターンを導き出すため、さらに殺して殺されまくる。殺されまくってイライラが募ろうとも、それさえも糧にして再び挑む。それだけの中毒性が本作にはあるのです。

 そしてこの何度もリトライをする、せざるを得ないゲーム・メカニックが、じつは本作の物語、ひいては暴力表現の正当化につながる巧妙なトリックにもなっているのです。

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■『Hotline Miami』はプレイヤーを道づれにする

 なぜ何度繰り返してでも殺しをつづけるのか、その果てに何を求めているのか、またなぜ何度も繰り返すことができるのか。これが『Hotline Miami』の物語における、重要なテーマになっています。

 本作の物語開始時の設定は、ガール・フレンドを殺された主人公が復讐のため留守番電話の謎のメッセージに従いながら、暗黒街の殲滅を行っていくというもの。しかし程なくして殺されたというガール・フレンドとの出会いの場面が出てきて(上記プレイ動画の後半)設定に矛盾を感じさせたり、中盤以降は日常パートで頻繁に幻覚が出てくるなど混迷の色を濃くしていきます。


ステージ前後に挟まれる日常パートはストーリーを読み解く重要な場面だ

 その末にどのような結末をたどるのかは、ネタバレになるのでここでは書くことはできません。しかしたしかに言えることは、主人公が終始抱いていた復讐願望に、何度リトライしてでもクリアしたいプレイヤーの願望が重ね合わせられている節があるということですね。

 要はプレイヤーは主人公の共犯者に仕立て上げらてしまうわけです。本作は主人公のことを最終的に哀れで空虚な存在として描いている。それはつまり、クリアを妄執するプレイヤーのことをも同様に断罪しているのです。否定しようにも、何度もリトライを重ね、その度に暴力が振るわれることを是認し、その末にクリアしたという事実が言い逃れを許さない。お前もこの主人公と同じ、妄執に生きる哀れな存在だ、このゲームの暴力に意味があろうがなかろうが、ここまでクリアした時点でお前に意見する資格はないんだ! という具合です。

 容赦なくプレイヤーの努力を踏みにじるこの結末は、かつての『BioShock』でAndrew Ryanに対峙する場面、あるいはもっと古い作品なら『たけしの挑戦状』でクリア後に「こんなげーむにまじになっちゃってどうするの」と言われることに匹敵するメタな手のひら返しと言えましょう。

 それでも、いやそれだからこそ、僕はこの作品の物語が好きなんです。プレイヤー自身を当事者として巻き込んでしまうこと。これはゲームでしか成立しないストーリー・テリングのひとつです。それも丁寧なお膳立てをしてプレイヤーに能動的に没入させるのではなく、プレイヤーの無意識に働きかけて気づいたときには取り込まれてしまっていた、という状況を作る。これは相当至難の技のはず。僕も本作の仕掛けに気づいたときには、これは一本取られたと、痛快な気分になりました。

■まとめ

 傑作です。恐らく暴力表現とゲーム・プレイがひとつでもわずかに欠けていたら、本作の物語は成立しなかったことでしょう。それは他ふたつの要素を個々に見ていった場合でも同じです。暴力表現、ゲーム・プレイ、物語の3本柱がそれぞれを絶妙に補完し合い、それが”80年代風サイコスリラー”としての総体を抜群の完成度でかたち作っています。

 いまさらですが唯一欠点らしきものを挙げれば、ステージ・クリア後に手に入るマスクや武器の性能がイマイチ差別化できていないことが挙げられますが、そんなの些細な枝葉の要素に過ぎません。根幹のデザインが非常に優れているため、小技に頼らなくても十分すぎるほどおもしろい。この点は小技に頼りすぎで根幹が空っぽな最近のメジャー・ゲームはぜひ見習ってほしいところ。

 過激な表現の数々から、人をものすごく選ぶ作品なのは否定できませんが、最近の主流のゲームにはないアナーキーさを求めている人、または単純に完成度の高いゲームを求めている人に強くお薦め。このレヴューでひとりでも多くの人に興味を持っていただければ幸いです。



「REPUBLIC」 - ele-king

 2012年12月1日。日本のオーディオ・ヴィジュアル・イヴェントのパイオニア「REPUBLIC」が遂に終焉を迎える。書籍「映像作家100人」とのコラボレーションなどでも多くの話題を呼んだ本イヴェントが初回開催された2007年5月から5年の月日を経て、多くの映像作家や、ミュージシャン、DJ、VJといったアーテイストに「音と映像」の新しい関係を提示してきた。そんな「REPUBLIC」も10回目で遂に最終回となりフィナーレを迎える。

 そんな、最終回となる今回は、もっともフラットで自由な表現に溢れており、ホームグランドである「WOMB」のDAY TIMEでの開催となる。

 出演陣も豪華で、「bonobos」や「OGRE YOU ASSHOLE」、「ハイスノナサ」、「ATATA」などのバンド勢に、今年最も話題を呼んだMCでもある「田我流」、ネクストブレイクを期待される「転校生」、巷で話題のガールズラッパーのニューカマー「泉まくら」などのフレッシュな面々も揃える。
 さらに、sasakure.UK、TeddyLoid、okadada、DJ WILDPARTYなどネットから新しい音楽カルチャーを発信する面々に、骨太のビートを生み出すトラックメーカーの「Fragment」、「Himuro Yoshiteru」、「SUNNOVA」に、「dot i/o (a.k.a. mito from clammbon)」、「aus」といったジャパニーズ・エレクトロニカの雄と「DUB-Russell」、「metome」、「Avec Avec」、「Seiho」などの新世代のエレクトロニカ・シーン牽引するアーテイストが一挙に渋谷に集結する。

 また、映像面も「伊藤ガビン」や「原田大三郎」などのレジェンドとともにVimeoでの映像が海外でも高い評価を受ける「yusukeshibata + daiheishibata」、「吉田恭之」、「Kezzardrix」。そして、日本を代表するメデイア・アーテイストの「exonemo」と「FREEDOM」で一躍世にその名を知らしめた「神風動画」に気鋭のデザイン・チームの「TYMOTE」、「FREEDOMMUNE」や「TOWER RECORDOMMUNE」のヴィジュアルを手がけた「yasudatakahiro」など新旧のTOPヴィジュアル・クリエイターが最後の宴に映像で花を添える。

 そして、その豪華面々がこの日にしか見れない極上のオーディオヴィジュアル・ショーケースを準備。また、前回好評を博した各フロアの映像演出もさらにスケールアップ。プロジェクターと液晶モニターを大量に特設で用意し、「WOMB」の全フロアを余すところなく映像で包み込む。もちろん長時間にわたる開催にあたってのホスピタリティとしてFOODもご用意。


2012年12/01(Sat)
REPUBLIC VOL.10~THE FINAL~
@WOMB
13:30-21:30(予定)
当日¥4,500 / 前売り¥3,500 ※ドリンク代別途

【SOUND ACT× VJ】
bonobos × TYMOTE
OGRE YOU ASSHOLE × TBA
okadada × exonemo with 渋家 (VideoBomber set)
ジェイムス下地 × 神風動画
dot i/o (a.k.a. mito from clammbon) × Kezzardrix
Daizaburo Harada -Audio Visual Set-
田我流 × スタジオ石×SNEEK PIXX
sasakure.UK × まさたかP
ATATA ×伊藤ガビン+hysysk+matt fargo
aus × TAKCOM
ハイスイノナサ × 大西景太
DUB-Russell×(yusukeshibata+daiheishibata)
転校生 × 大橋史(metromoon)
TeddyLoid × COTOBUKI
Avec Avec × 超常現象 [水野健一郎. 水野貴信 (神風動画). 安達亨 (AC部). 板倉俊介 (AC部)]
DJ WILDPARTY × SUPERPOSITION
Fragment × ogaooooo
shhhhh × 最後の手段
泉まくら × 大島智子
Inner Science × Takuma Nakata
Yaporigami × yasudatakahiro
Hiroaki OBA - Machine Live - × らくださん
metome × 吉田恭之
Himuro Yoshiteru × maxilla
Seiho (Day Tripeer Records, +MUS, Sugar's Campaign)× 子犬+UKYO Inaba
munnrai(TYMOTE/ALT) × leno
hiroyuki arakawa × Shinji Inamoto
Free Babyronia × NOISE ELEMENT
Licaxxx × DEJAMAIS

【SOUND ACT】
SECRET GUEST LIVE!!!
SUNNOVA
MASTERLINK
i-sakurai with passione Team B
specialswitch
Narifumi Ueno ( Ourhouse / Arabesque )
neonao(futago traxx)
M'OSAWA
SHIGAMIKI
MAYU
motoki
iYAMA(konnekt, MESS)

【VJ】
BENZNE by VMTT
VideoNiks
blok m
アサヒ
VJ PLUM

【映像装飾】
S.E.E.D

【プロジェクション コーディネート】
岸本智也

【FOOD】
浅草橋天才算数塾
錦糸町izakaya渦

【ORGANAIZED BY】
ishizawa(sonicjam Inc.)

2012/12/01(SAT)渋谷WOMBにて終焉を迎える「映像と音の共和国」を見逃すな!!

https://republic.jpn.org/

Chart JET SET 2012.11.27 - ele-king

Chart


1

三田格 / 野田努 - Techno Definitive 1963-2013 (P-vine)
およそ全250 ページ・カラー、テクノの名盤600枚以上のアートワークを掲載。各年代毎、最重要アルバムと最重要シングルを選びながら、エレクトロニック・ミュージックの歴史も読み取れます。

2

Atoms For Peace - Default (Xl)
Modeselektor率いる50weaponsからのデビュー12"は数分で完売。1st.アルバム『Amok』から、最前線Ukベースを消化した話題沸騰トラックが先行カットされました!!

3

Ame - Erkki (Rush Hour)
Kristian Beyer & Frank Wiedemannからなる"Innervisions"お馴染みの才人デュオAmeによる新作12"。"Running Back"主宰のGerd Jansonが監修したコンピ・アルバム『Music For Autobahns』の冒頭を飾る話題作が先行12"カットにて限定リリース!!

4

Juk Juk - When I Feel / Wars (Nommos)
Four Tetに見出され、主宰レーベルTextからデビューを飾った謎の新鋭Juk Juk。過去2作も爆裂ヒットした自主レーベルNommosからの第3弾12"が遂に登場しました!!

5

Poolside - Harvest Moon / When Am I Going To Make A Living (Poolside Music)
A面は『Pacific Standard Time』収録のNeil Young大傑作カヴァー。そしてB面はネット上で大人気を博していたSade名曲のメロウ・ディスコ・リエディット!!

6

Letherette - Featurette (Ninja Tune)
ご存じFloating Points率いるEgloのオフシュートHo_tepからデビューを飾ったUkベース・ディスコ人気デュオLetheretteが名門Ninja Tuneへと電撃移籍して放つハウスDjも直撃の1枚です!!

7

Slugabed - Wake Up (Ninja Tune)
お馴染みNinjaの天才Slugabed。名曲"Sex"を収めたアルバム『Time Team』に続いて、淡雪の如く舞う美麗シンセをまとったフィメール・ヴォーカル・ベース・ポップ歴史的傑作を完成です!!

8

Auntie Flo - Rituals (Mule Musiq)
チリアン・ミニマル新鋭Alejandro Pazのリリースでも注目を集めるHuntleys & Palmersの代表格Auntie Flo。傑作1st.『Future Rhythm Machine』に続く新作がなんとMule Musiqから登場です!!

9

Luciano - Rise Of Angels (Cadenza)
Mirko Loko Remixを収録、世界各地のフロアを盛り上げた"Rise Of Angels"が遂にシングル化!!

10

Miracles Club - U & Me / Ocean Song (Cutters)
エクスペリメンタル通過後のインディ・シンセ・ハウスの先駆者、Miracles Club。通算4枚目、Cut Copy主宰Cuttersからは2枚目となる12インチ!!

Photodisco - ele-king

聴いていて気持ちの良い、最近の楽曲を選びました。
よろしくお願いします。

■2012/11/12 CASSETTE TAPE - EP "BETA" Release!!!
https://diskunion.net/portal/ct/detail/IND11111

■Profile
https://p-vine.jp/artists/photodisco

■Photodisco Official Website
https://www.photodisco.net/

■YouTube
https://www.youtube.com/user/Photodisco

最近、よく聴いてる音楽10選


1
Madalyn Merkey - Scent - Siren

2
How To Dress Well - Total Loss - Ocean Floor For Everything

3
Teams - Dxys Xff - Stunts

4
Wishmountain - Tesco - Dairy Milk

5
Toro Y Moi - June 2009 - Talamak (First Version)

6
V.A. (100% SILK) - The SIlk Road

7
KINK GONG - XINJIANG

8
Southern Shores - New World - Sankasa

9
Piano Overlord - Aninha Mission - En Sveno

10
ICE CHOIR - AFAR - Teletrips

interview with kuki kodan - ele-king


空気公団 - 夜はそのまなざしの先に流れる
BounDEE by SSNW

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 新しいことをやっていると思っていたら、「70年代が帰ってきた」と言われた......山崎ゆかりと空気公団は、はじめからある種のズレを抱えて年を重ねてきたようだ。今年で第一期結成から15年になるが、ベテランという風格も古びた様子も感じられない。特定の世代から支持を受けているというふうでもなく、どちらかといえば考え方やライフ・スタイルを同じくする人々から愛されるバンドであるように見える。実際のところ、彼らの音楽はとくに新しいわけでも古いわけでもない。そうした価値観の外で、自分たちが大事にしているものに正直に、忠実に制作しているという印象がある。自分を表現することから一歩引くこと、引いた部分に人を引き入れること。そのような音楽のあり方を空気公団は大切にする。おそらくそのために新しいものからも古いものからも少しずつズレるのだろう。彼らは、そのズレさえも大切に思っている。

 今月、空気公団は新作となるフル・アルバム『夜はそのまなざしの先に流れる』をリリースする。先を読んでいただければわかるように、本作は独特の録音スタイルとコンセプトによって組みげられた意欲作だ。筆者のようにこれまで彼らの音をそれほど耳にしてこなかった人も、この冒頭1曲ばかりは足を止め、手を止めて集中せざるを得ないだろう。なにも難しいものではない。むしろ人が自然に耳をひらくことをうながすべく録られた音である。詞があり曲があり、そこに人がすっと入っていけるように隙間(=ズレ=空気)がつくられている。むしろこの「隙間」をどうつくっていくかということに思念をこらした作品であるとさえ思われる。
一種の公共空間を設計することが、ポップスの役割かもしれない。たくさんの人間の思いや気持ちをのせられる無限容量の共用スペースを、そのときどきに様々に生み出してきたのがポップスではないのか。......一方では「初期ユーミン」などと形容され、また一方でクラムボンやキセルに比較され、筆者自身は美術館で演奏したりするアート寄りなバンドだと思っていた空気公団は、そのどれからもズレながら、あくまで自分たちのやりかたでポップスの限界を押し広げている。

天空橋から

どうやって録音しようかと話していたときに、じゃあ空気を録音するっていうのをもっとメインに考えていこうってなって。それでライヴをそのまま録るというところにたどりつきました。

今作『夜はそのまなざしの先に流れる』の1曲目なんですが、これはすごく長い導入部を持ってますよね。

山崎:そうですね、はい。

この長さ、このパート自体が、アルバムというものの時間性ではないなというふうに思ったんです。この奇妙な感触や尺はなんなんだろう、っていう。そのとき、この作品が演劇とともに演奏されたライヴ録音であるということの意味が立ち上がってくるように感じました。

山崎:ああ。

おそらくそれって、この「天空橋」っていう場所を舞台に立ち上げるために必要な時間だったんじゃないか。あのパートはきっと、なにかパフォーマンスが行われていた部分なんですよね?(※1

山崎:あれは、もともとセリフを入れてた部分なんですよ。あとでセリフをカットしたんです。

ああ、そうなんですね。

山崎:そこは津軽弁で物語の筋書きをしゃべってたんですが、カットしたといういきさつです。

全体の録音から、声だけきれいにトリミングしたということですか?

山崎:いいえ。あのオケははじめに録ってあったもので、それに合わせてしゃべってるんですよ。だからあとから声だけ取っ払ったかたちになります。物語の説明なんてべつにいいか、ということになりました。

なるほど。すごく不思議な感触がありました。生演奏でも編集作業でもなくて、もっとべつの力の作用によって成り立った空間だっていう感じがすごくしました。ナレーションがあったということは、アルバムにはなにか設定があったということなんですか?

山崎:いつもまずコンセプトを考えてからアルバムを作るんです。今回は、「人に穴があいている」っていうことを発見して、その穴が何なのかっていうことを探しに行くところからはじまっていて(※2)、それを導入で説明しているんですね。演劇が入ってくるっていうことも念頭にあったので、そうなると歌以外の部分も大切になるな、とは思っていました。それで最初の部分は長く取っています。あれを1曲めにするっていうのはみんなに反対されるかなと思ったんですけど、意外にアリになりましたね。

演奏自体もプログラムの冒頭だったんですか?

山崎:そうですね。曲順通りに演奏してます。

あ、そうなんですね。なんというか......フィールド・レコーディングっていう言葉は、自然の音とか、音楽という意図で編まれていない音を録音することを指しますけども、この冒頭の演奏は、この日のステージをフィールド・レコーディングしたもの、という感じがしました。ちゃんと音楽として組織された音なんだけれど、それが鳴っている場所自体を、ひとつの自然として記録したというか。

山崎:もともとあの部分って、コードしかなかったんですよ。コードだけをひたすらみんなに聴かせる。演奏する人たちとは、「ひとりフレーズをやったら、それにつながるフレーズをまたべつの人がやるというふうにしよう」ってそれだけ決めてました。なので、最後のほうになるとワン・フレーズみたいになって楽器が3つ分重なる部分があると思うんですけど、最初はそれをわからないように演奏しています。パーカッションはその場のノリです。まあ、みんなその場のノリでやってるんですけど......基本的には「天空橋」っていうキー・ワードしかないっていう状態です。あとは、パフォーマーがいるんだ、歌詞はこれだ、これは録音されてるんだ、っていう情報だけは共有されていて、みんなそこから想像してやっています。

「天空橋」っていうキー・ワードはどこからきたものなんですか? あえてそこは明示しない感じでしょうか?

山崎:「天空橋」って言ってますけど、天空橋って行ったことないんですよ。

あれ? 実在する場所なんですか?

山崎:羽田空港の近くですよ。

あー! あるかもです。

山崎:曲を作っているときに、ふと「天空橋に」って言葉が口から出てきて、あれ、天空橋って何なんだ? って思って、自分で調べたら、なんか駅があるらしい。特に場所の設定として天空橋がいいって最初から決めてたわけではないんです。

明確な設定もないし、イメージもとくに統一しないし、天空橋が実在すると知らない人もいるかもしれないくらいのあいまいなキー・ワードだったんですね。

山崎:そうですね。

ライヴ盤とライヴ録音のコンセプチュアルな違い

ライヴ盤......っていうかライヴのときのテンションがあまり好きではないんですよね。なんか、作品を作るっていうよりはその場のお客さんを楽しませるという感じとか。そのちょっとした余裕が生まれている感じがあんまり好きじゃないなって思うんです。

はあ、なるほど。そういういろんな偶然性をはらむような、ライヴ録音というスタイルでこの作品を録ろうとされた意図はどんなところにあるんでしょう?

山崎:いつも空気公団って、録音をメインにしているんですよ。で、手紙みたいに1年に一回はぜったいアルバム出したいなって思ってるんです。次はどうやって録音しようかと話していたときに、じゃあ空気を録音するっていうのをもっとメインに考えていこうとなり、それでライヴをそのまま録るというところにたどりつきました。

でも「ライヴ盤」ではないわけじゃないですか、これは。

山崎:ライヴ盤......ライヴのときのテンションがあまり好きではないんですよね。知ってる曲を演奏するから楽しいし、やり慣れているっていう、そのちょっとした余裕が生まれている感じがあんまり好きじゃないなって思うんです。それで、もうちょっと作品を作っている感じにするために、新曲を演奏しようと考えました。といって、ステージでやるわけだから、録音してる様だけを見せるというのもどうなんだって気もました。音楽をもうちょっと立体的にみせられる方法を思い浮かべたときに、演劇かなと。

へえー。どういうふうにポスト・プロダクションを加えていったんでしょう。8割9割そのままだってことはないんですよね?

山崎:8割9割......そうですよ。ベーシックは全部そのままで、ほとんど差し替えはしていないです。全部録ったあとで、間違えた音を録り直さなきゃね、とは言っていたんですけど、スタッフも「べつにやり直さなくてもいいかもね」とのことだったので、じゃあこれにしようかと。

劇の人たちのズシン、バタン、みたいのは聴こえないですね。

山崎:そこはカットしました。

あ、そこもライヴ盤とはちがう性格のものだって感じがします。スタジオ録音ではないんだけど、スタジオ録音的な作品として完成させようとされている。それは、その場にあったことをそのまま記録しようというライヴ盤とはちがいますよね。そのあたりの差がしっかり考えられて作られていると思いました。

山崎:生(ナマ)なんだけど「生」感を消してるんですよ。だけど、演奏してる人の気合い自体は生というか。歩き回ったりしてますしね。ドラムは囲いで録っていて、スネアなんかも曲によっては替えたかったんだけど、それはできなかった。

前作にあたりますかね、『春愁秋思』のライヴ盤があるじゃないですか。あれとかはヴィデオ・カメラの粗悪な音も積極的に活かすかたちですよね。要は、そこにそういう場所があった、そういう音楽が鳴っていたということのリアルな記録や証拠みたいな性格のものだと思うんです。そういう、ライヴ盤らしいライヴ盤である前作の方法から得たこととか、今作につながった要素があればうかがいたいんですが。

山崎:やり方はいろいろあるってことですね。スタジオでひとりずつ、ドラム録って、ベース録って、っていうやり方じゃなくても録れるし、そういう機械も増えてる。もっとクリアに録って......みたいな欲求も生まれてくるのかもしれないですけど、あんまりそういうのないんですよ。あんまり分離のいい音すぎるのもどうかと思うし。言い方が難しいですよね、「ライヴ録音」っていうのが適当なのか......

ライヴの緊張感をうまくスタジオ・アルバムの単位に落とし込んだような、新鮮な方法ですよね。

山崎:お客さんも緊張してて。1曲めの後なんかも、ふつう曲の終わりとかに拍手があったりするじゃないですか。曲の終わりがわからないというのもあるけれど。でもこれの場合は誰かがパチって叩いて終わった、みたいな。

なるほど。そういう、仕組まれた音が鳴ってるのに環境として録っちゃうというような、コンセプチュアルな仕掛けがあるような気がしておもしろかったです。資料には、山崎さんのことをシンガーとかソング・ライターとかじゃなくて「アルバム・コマンダー」って書いてあったんですけど......

(一同笑)

(笑)そういうコンセプト込みでの指示を出すシンガー・ソング・ライターをうまく呼び表す言葉がなくて、そう表現したのかなあと思いました。言いたいことはすごくわかります。

山崎:3人は空気公団なんですけど、3人だけが空気公団じゃない。そういうところから来てますかね。

山崎さんは、すごく若いときに朝の音を毎日ひたすら録音してたんだという記事を読んだんですよ。

山崎:(笑)

そういうときに音に映り込むものってなんだろうなと考えると、ちょうどこのアルバムの全体の音が、それを人工的に再現した感じに近いのかなと思いました。             

山崎:ああー。

※1...2012年7月6日、日本橋公会堂にて『夜はそのまなざしの先に流れる』が開催された。舞台上では演劇ユニット「バストリオ」による演劇が繰り広げられ、アルバム収録曲すべてが初演奏された。新作『夜はそのまなざしの先に流れる』はこの公演の録音をもとに制作されている。

※2...
いつもの帰りの電車で
ふとあることに気がついた
それは「穴」であり
わたしはそれが何なのか
ぼんやりとわかるが説明できない
これは何であるのか
人々に「穴」があいている
そこからいつもとは全く違うルートで
目的地を目指す
その道すがら思考する
この「穴」は何であってどこに続いているのか
目的地には知らなかったわたしがいた
(『夜はそのまなざしの先に流れる』プレス資料より)

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4層の物語

昔は30テイクとか40テイクとか録って、そこでいいものができれば「ああ、よかった~、録れたよ」って感覚もあったんですよ。けど、重ねていけば重ねていくほど、自分だけが深くなって、まわりとの距離がどんどん広がっていくんですよね。


空気公団 - 夜はそのまなざしの先に流れる
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音響的なものに対する感性や感度の一方で、詞も気になるところです。1曲めばかりで恐縮ですけど、「いつもの通りを抜けてみたら/知らないふたりに/会える気がする」の「知らないふたり」ってなんだろう、ってちょっとびっくりしましたね。「知らない人」とか「知らないあなた」なら予想の範疇なんですけど、「知らないふたり」って単位は何なんだろうと。

山崎:はは(笑)、そうですか。

発話主体からみて、「知らないふたり」ってどんな存在なんだっていう。

山崎:ヴォーカルはナレーションになればいいと思っていて。歌っている人がいるとその人が主人公みたいに見えますけど、じつはその人じゃないんだっていう感じがいちばん好きですね。だからかなあ。

人と人との関係をみていきたいっていうようなことですか?                     

山崎:どうなんでしょうね......。書いてるときは、その「ふたり」っていうのは、自分とこれから会いにいく人っていうイメージだったんですけどね。いままでの自分と君じゃない、まったく新しいふたり、っていうような。

ああ、なるほど。すごく俯瞰の視点ですねえ。この詞の前には「誰かを待つ人/探して見つけた人/抱き合う別れる人/会えなくなる人」っていう、いろんなカップリングを暗示する描写があるので、そういう関係性自体をみつけようとしているのかとも思ったんですが。「あなた」じゃなくて、関係に自分の気持ちが向かうのはポップ・ソングとして変わってますよね。

山崎:そうやって言われるとなんか、書いてよかったなあって(笑)。えーと、手前にドラムがいて、奥にベースがいて、向かって反対側に、前から順にギター、キーボード、わたし、と......まあ、横に3列になっているんですが、その3列のあいだを4本の帯として、それぞれの帯でバラバラの物語が展開されているんですよ。

あ、へえー。

山崎:4つの線のそれぞれにパフォーマーがいて、異なる線の人同士はたがいに挨拶することもあるんだけど、基本的にはそれぞれの線の上で世界が完結している、っていうのがバストリオの今野さんが考えていた。今野さんに「ここはこういうことを言っているから、こんなふうにやってくれる?」みたいな指示は全然してないんです。音楽って顔がないから、その顔になり得るような何かがほしい......音楽の世界を立体に見せてほしい、みたいなことは言いましたけど。

音はみなさんあらかじめ聴いてるんですよね? 脚本ではなくて、音を聴いておのおのの解釈で動くって感じですか?

山崎:一度、稽古を見に行ったんですよ。そしたら男女でペアを組んで、それぞれにお題が与えられて、そのお題をどう表現するかということを話し合っていたんですね。歌詞の意味ではなくて、歌詞に出てくる単語をお題? として。たとえば「角部屋」のチーム。「角部屋」って歌詞に出てくる言葉なんですけど("あなたはわたし")、それをどう表現するかというのをペアで表現し、そこで出てきたものを今野さんが「これはいいね、これは使おう」って決めてました。

なるほど。それで、その4組は舞台は同じだけど、それぞれに違う次元のストーリーを同時進行していると。

山崎:歌詞もそうなんですけど、全部を言い切っていないんですよね。間(あいだ)が抜けてるって言われたことがあって。それぞれの行をレイヤーとして見ると、今回の4つの線も同じで、4面の層になっている。今野さんがやろうとしていたのは、その4枚が重なったときに見える色があるっていうことなんですよね。たとえば。

へえー。実際すごくコンセプチュアルに組み立てられたステージだったんですね。ステージの上から見ててどうでした? 音との絡みとか。

山崎:あんまり見てる余裕がなかったですね。曲間とかクリックもあるし、どこから誰が入ってきてというのもヘッドホンで確認しながらだったので......ほぼ録音と同じでしたね。リハーサルは当日だし、通しの稽古もあったんですけど音は出してないんです。音だけの最終リハーサル時の録音を流しながらバストリオの8人が踊っていました。本当に、初めてのものを作る、という感じでしたね。

緊張感はみなぎってますよ。

山崎:あんまりにも緊張感のあるアルバムってどうなんですかね? 演奏している側には踊っている人の動きが見えてるものだから、やっぱり自分のなかに入り込むというよりは、出すって感じが強く働いてて、すごく音が太いんです。だから差し替えられなかったんですよね。

あ、後から録り直したものとテンション的に違ってて、差し替えられなかったと。

山崎:そうそう、同じにはならなかったですね。

「空気」というキー概念――結成を振り返る

ライヴハウスとかもみんな大体壁が黒いですけど、ここで絶対やらなきゃいけないのか? というようなことも、観ていくうちに考えるようになって。ライヴをして、お客さんを増やしていって......っていうのではないやり方があるんじゃないかなあ、と。

へえー。ライヴ盤の話ももうちょっと聴きたいんですよ。ヴィデオ・カメラの録音も採用するというのは、演奏された音をいかに精緻に録るかというのとはまたべつの意図があるからですよね。音自体ではない、あるなにかを録ろうとしているわけで。

山崎:いい空気かどうか、ということを基本に考えてますね。もちろんいい機材があればそれで録りますけど、毎回揃えられるわけじゃないし。やっぱりあるんですよ、すごく空気が濃いときが。澄んでるというか。あと、一気に丸くなるとき。お客さんとか自分たちとか場所の空気がうまく噛み合うと、すごく大きい、丸みたいになるんですよ。どんな録音のときでも、それはアルバムに入れたいなと思います。

そのときその場所でしか生まれなかったというような、体験の一回性みたいなものを記録したいということですよね。でも、そこで聴いていたファンだけが買えばいいというものでもないわけじゃないですか。

山崎:そうですね。昔は30テイクとか40テイクとか録って、そこでいいものができれば「ああ、よかった~、録れたよ」って感覚もあったんですよ。けど、重ねていけば重ねていくほど、自分だけが深くなって、まわりとの距離がどんどん広がっていくんですよね。そうじゃなくて、一気に録ろうと。いいものを出そう、出そうとするのではなくて、自分がいま思ったこと、感じたこと、それがうまい具合に空気になっていくのを録れるといいなって思います。それに、ヴィデオ・カメラについてるふつうのマイクの音って古い、昔っぽい音がしませんか.....なんか、削られてるんだけど、なんかいい音......。

空気っていうのは、ほんとにキー概念ですよね。その朝の音の録音にしてもそうですし、空気公団という名前にもなってますし。とすると、空気公団って名前は......「公団」っていうと戦後スキームの歪みとか矛盾みたいなものを象徴するみたいな響きがありますけれども(笑)、空気を仕切っていい塩梅に配分するっていうようなイメージでしょうか。アイロニーがあったりはするんですか?

山崎:(笑)漢字がよくて、どうしても。あと、ふたつの単語に分かれるのがいい。ただそれだけでした。みんななんか、わりと横文字だった。横文字だとカッコいい。けど、そんな感じじゃないしな、と。それで、そのときのメンバーに「じゃ、今日から空気公団ってことで」って言ったんですけど、そしたらみんなに「やだよ」「恥ずかしいよ」って言われました(笑)。

ははは!

山崎:みんなもっとカッコいいのに、なんか収まってる、って。

(笑)でも、漢字がいいからって、「空気」と「公団」をもってくる理由にはならないですよね?

山崎:なんでか思いついちゃったんですよね。最初はパンク・バンドに間違えられたりしました。

(一同笑)

ありえますねー。

山崎:そのころ「団」とかなかったし......。空気公団を名乗りはじめたあと、ある人がライヴをやったほうがいいよ、ホームページを持ったほうがいいよって言ってくれて、「ああ、ライヴか」と思ったんです。それでライヴ・ハウスを探してたら、面接なしでうちですぐやれるよっていうところがあったんです。で、そこに行ったら、骸骨から血が出てるみたいなポスターが貼ってあったりとかして。

あははは。

野田:僕、当時初めて名前をきいたころのことを覚えてるんですよ。当時は『ele-king』っていうテクノの雑誌をやっていて(旧『ele-king』)。コーネリアスとかを表紙にしてたんですけれども、ちょうどそういうものに対するアンチテーゼみたいなかたちでサニーデイ・サービスとかが出てきたんだよね。曾我部くんとかははっきりと僕なんかがプッシュしていた音楽に対して反対の立場で意思表明をしてたんです。彼とはそのころ知り合ったんだけど、あのときのサニーデイのはっぴいえんどというコンセプトは、ある意味では1990年代後半だからこそあえてやったというようなところがあって。やっぱり彼の上の世代、フリッパーズ・ギターとかへの違和感が彼にはっぴいえんどという選択肢を与えているんだと思うんですけど、そのへんはどうだったんですか?

山崎:結成したときは、いろんなところに声をかけたけどべつに誰が何をするでもなくという状態で、自分たちで売るしかないなって、自分たちで店を開拓して売ってたんですよ。それがきっかけでCDを出すことになるんですけど、そしたらいろんな雑誌とかが取り上げて、レヴューしてくれるようになったんです。で、それを見たら「70年代の音楽が帰ってきた」みたいに書かれてて、「あれ? 70年代なんだ」ってそのとき思いました。

ああー。意識してたわけじゃなかったんですね。

山崎:新しいことをやってると思ってたのに、あれ? そういうことだったんだ? って(笑)。大貫さんがやってきたこと、と。

野田:さすがにユーミンではないだろうというのは僕も思いましたけどね。

うん。いまとなっては活動全体からもまったくそういうイメージが結びつかないですね。学校の先生に「きみはバンドをやったほうがいい」って言われた、というインタヴューも読みましたけれど、その先生の言葉の意図ってどういうところにあったんでしょう。何を聴かせたんです?

山崎:いや、ただ手に負えないと思ったんだと思います。

ああ(笑)、え? 悪い生徒だったんですか。

山崎:悪い生徒ではないんですけど、あんまり言うことをきかなかった。曲を先生のところに持っていくと、「歌詞を黒板に書け」って言われて、書いたら「この歌詞に出てくる男の人は何歳の設定なんだ」とかきかれたりして、そういうことをやっているうちに、何を教わりたいのか疑問に思いました。

いちばん初めのメンバーは女性ばっかりなんですよね。

山崎:女3人と男1人なんですけど、よく女性4人グループって書かれてましたね。

(一同笑)

山崎:男だけど髪が長かったんで、そのせいもありますかね。で、またその髪が長いっていうのも70年代的ってところになんとなく重ねられたのかもしれないです。

ほんとに、全然そういうバンドのコンセプトはなかったんですか?

山崎:全然ないですね。その当時はすごくたくさんのライヴを観に行ったんです。そのなかで、空気公団が何をやったらいいのか考えましたね。なんか疑問がいろいろありました。伝統や習わしめいたやり方の中で何を守っていくのがいいのか。ライヴハウスは大体壁が黒いですけど、わたしたちの音楽もここに合うのか? って観ていくうちに考えるようになって。それと、ライヴをして、お客さんを増やしていって......っていう以外にやり方があるんじゃないか、というようなことですね。

なるほど。

山崎:2度めにライヴをやったのはスパイラル・ホールなんですけど、そのときは「空間」というタイトルをつけました。スクリーンをステージの前に降ろし、その後ろで演奏して、それをカメラで撮ったものをスクリーンに映してるっていうステージです。

絵本とのコラボがあったり、いろんな不定形を試みているのも、基本的には同じ疑問から生まれたものだということになりますか?

山崎:そうですね。聴き方は自由であっていいと思うし、聴かれ方も自由であっていいと思うので。いろんなところで音楽が鳴っていてほしいとも思うし。

空気の創造というか、画一的なもののなかに押し込められるのではなくて、鳴っている場所ごと作るっていう、それが「空気公団」ということなんですかね。

山崎:音楽が主役でいいと思うんですよね。音楽がまず目の前にあって、演奏してる人はスクリーンの後ろでもいいじゃないかって。なんというか、自分たちがバンドだというふうにはあまり思ってないですね。音楽があって、それを演奏しているだけというか。メジャーでデビューしたときの録音で、ギターがほんの3音しか入らないアレンジを考えて、「ここにギターを3音入れたい」って言ったら、「ライヴしたときのことを考えてごらん」と返されまして、ライヴすることを考えるものなんだなってそのとき思いました。ギターが3音だけだったらその人はそこまで何にもしてないことになるんですよね。

(笑)

山崎:そういう考え方もあるんだ、って思いましたね。

あらゆる型を窮屈に思ったんですね。けど業界とはソリが合わなかったという。

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アニメ『青い花』と

いちばん最初にメジャーでデビューしたときの録音で、あたしはギターがほんの3音しか入らないアレンジを考えて、「ここにギターを3音入れたい」って言ったら、「ライヴしたときのことを考えてごらん」って返されたんですよ。ライヴすることを考えるものなんだなってそのとき思いました。


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ところで、話は変わるんですが、2009年にアニメ『青い花』のオープニング・テーマを担当されてますよね。この曲("青い花")はライヴ盤にも入っていますけど、お好きな曲なんですか?

山崎:あれはリクエストが多いっていうのもあって。

そうなんですか。アニメのOPって、もうエモーションを盛りに盛って、疾走感を出しまくってという、かなりはっきりとした感情表現が求められるのかなという印象がありますけれども、あの曲はピアノのシンプルなイントロが逆に強烈なインパクトを持ってますよね。

山崎:依頼をされて、出した案のひとつですね。こんな感じですかね? って。1曲めはちょっと違うかなってことになったんですけど。歌詞はほとんど添削なしでそのままでした。思ったとおりに書いていいですよって言われて書いたものです。

初めにある程度の指定を受けて作られるわけですよね。ストーリーや内容の説明を受けるんですか?

山崎:マンガ本をもらいました。それを見て好きに書いていいですよって。録音も好きにしていいよということでした。

あ、かなり自由なんですね。では依頼されたかたは、もしかするともともと空気公団のイメージでオープニングを考えていらっしゃったのかもしれないですね。

山崎:いつか(空気公団に)お願いしたいと思ってくださってたというお話をききました。

ああ。ちゃんと狙いが定まっていたような、すごく腑に落ちる引き合わせだと思いました。あれは女性同士の恋愛、しかもうら若い女子高生同士の恋愛が描かれた作品で、それが鎌倉の明媚な風景のなかで展開されるじゃないですか。淡い光と繊細な関係性、みたいなモチーフが大切にされてますよね。実際、そういう部分に対するひとつのアンサーとして曲が書かれているんでしょうか。

山崎:思ったとおりにやっただけ、という感じではあって......あんまり、オーダーに対して「わかりました」って応えられるタイプではないので。読んでみて印象的だったコマ、そこからふくらませた話を書こうと。そのときはまだ結末がなかったんですよ。

ああ、いちばん最初ですもんね。ちなみに印象的だったコマってどんな部分だったんですか?

山崎:女の人の横顔で、うしろに、その人の気持ちを表す吹き出しみたいなのがある......まだそれが言葉になっていない、そういうコマですね。言葉にしてないんだけど、なんだかわかるというか、奥行があるというか。そういうのが印象的だったかな......。

世間一般としてストレートな恋愛ではないわけなんですが、そういうテーマ性への意識などはありましたか?

山崎:いや、なんの抵抗もなかったですけどね。

先ほども触れた、山崎さんの歌詞のなかの「ふたり」問題もそうなんですけど、山崎さんの「ふたり」とか「あなた」というのは、恋愛関係があるようでいて、ベタな恋愛とか相聞歌に回収されないような種類のものだと感じるんですね。なんというか、届きようもない「あなた」というか。どこかで性別も年齢も関係ないような点に行き着く「あなた」というか......。2人称をどんなふうに使っていらっしゃるんですか?

山崎:見えてるものだけが正確なものじゃないから......人のなかにもう一個あるわけで。なんというか、心みたいなものが。だから「あなた」とか「きみ」とか言ってるけど、目の前に現れてる人っていうよりは、もうちょっともやもやした記憶のなかの人のことだったりするかもしれないです。これから出会う人とか。

つねに微妙な関係性に焦点があって、『青い花』の音楽を依頼されたかたも、山崎さんの音や詞のそういう部分を必要とされたんじゃないでしょうか。

山崎:さっき言ったことと重なりますけど、ヴォーカルがナレーションみたいだったらいいですね。男女でも、何でも、物語が繰り広げられているのを隙間からのぞいて、その様子を書いてるってふうにしてるんです。だから「あなた」とか「きみ」とか「ぼく」とかがちょっと遠く感じるのかもしれない。でも、それを見つつ、そのなかに入っていく自分という視点もある。あんまり深く考えてないかもしれない(笑)。

あまり激しい感情表現をされませんよね。「嫌い」とか「憎い」とか、どぎつくて直接的な表現を避けながら作っておられるのかなというふうにも見えます。

山崎:言葉が簡単だと、安いというか。直接的な言葉......たとえば「嫌い」って言うときの「嫌い」の範囲ってすごく大きい気がしませんか。言葉だけで何でも完結させる必要はないし、音楽だけで何かを理解させなくてもいいかなあとは思います。音楽と言葉が同時に鳴って、言葉の消えかける瞬間、和音、そんなところからいろいろなものを感じとってもらえるはずだから。みんなそこに潜んでいるものをおのおの見つけて、ああこれが空気公団かって思ってくれているという感じがしてますね。なんか空気公団のお客さんって、ひとりで聴いてくださっているかたが多いようなんです。

ああー。

山崎:みんなで聴いてほしいんですけど(笑)。

(一同笑)

いや、わかりますよ。それ重要な観察じゃないでしょうか。だから......その音楽が自分との間で成立してほしい、1:1で向かい合いたいという感じになる構造を持ってるってことかもしれないですね。あんまり人と聴くものじゃないかも。

山崎ゆかりとラヴ・ソング

言葉が簡単だと、安いというか。直接的な言葉......たとえば「嫌い」って言うときの「嫌い」の範囲ってすごく大きい気がしませんか。言葉だけで何でも完結させる必要はないし、音楽だけで何かを理解させなくてもいいかなあとは思います。

ちなみに、せっかくなので恋愛とかラヴ・ソングについておうかがいしたいんですが、音楽を作る上で恋愛というテーマを意識したことはありますか?

山崎:うーん、ないかな......。むしろ意識してできるようになりたいですよね。

でもほとんどラヴ・ソングに聴こえるって話もあると思うんですよ。

山崎:その相手の人がひたすら好きっていうよりは、その人を活力にしてるというか、その人がいるおかげで自分が生きていけるんだというような......結局、自分で完結してる。その人が死んじゃったらどうしようとか、そういうラヴ・ソングじゃないんですよね。誰かがいて自分が生きているという、そういう感じかもしれない。

「きみ」もたくさん出てきます。

山崎:まず、「ぼく」が主人公の曲が多いんですよね。ヴォーカルが女の人で、曲中で「わたし」って言ってたら、ズレがないというか。そこにズレが欲しいですね。歌ってる人が曲のなかの一人称と同一人物じゃなければ、聴いている人もそこに入っていけるじゃないですか。それで「ぼく」が歌うとなると、相手は「きみ」になるっていうことなんです。

ああー。べつに少年に仮託してるってわけじゃないんですね。

山崎:聴いてる人がもっと自由になったらいい。

主体がつねに歌い手とイコールじゃないっていうのは、ロックとかポップスのなかでは異端的ですよね。「I(アイ)」を中心にして表現をする、歌う言葉がすなわちその人の揺るぎない実存を表す、みたいな定式があるわけじゃないですか。そこを避けていくのはなぜなんですか? 

山崎:音楽ってもっと自由だったらいいのにって思ってたことですかね。バンって言い当てられちゃって、考える隙がないというのはもったいないって。

それが一種、引いたカメラみたいな構図を引き出すんですかね?

山崎:空気公団の音楽って、毎日のなかになんとなく流れてて、ふと気づいたらそこにある、みたいになればいいと思ってたんですよ。真正面から流れてるというよりは。ひとりのときにだけ流れていることがわかって、背中をポンと押すようなものであればいいなっていう。

むき出しの主語で実体験を書いたことはないですか?

山崎:嘘は書いてないですね。誰かの話を聞くのが好きで、その人の話してる表情が強く印象に残るし、そういう風景を写真で撮っている感じです。言葉で「これだ」ってひと言で表現してしまうと、みんな同じものしか見えなくなる。ズレてズレてズレて、空気公団というものができあがっているんじゃないかと思います。

なるほどなあ。空気公団とズレ......。"日寂"って曲は、詞がアナグラムみたいになっていますよね。ええと、「るいへくおの/ろここてせよに(/もととひにかず/しはみなんばざ/とつづく)」......

山崎:ああ、それは後ろから読んだだけなんですよ。後ろからよむとちゃんと歌詞になってるんです。リハーサルのときに違う歌詞を逆さにして歌ってたら、「それでいいんじゃない?」って感じになって。
 べつに、ふだんから歌詞がどう読まれてもいいって思ってるわけじゃないんですけど、そういうズレってすごくいいもので、しかもみんなが空気公団になれる。その音楽に入れる。それに、それぞれの思う空気公団の音楽もみんな違っていたりして、それがいいと思うんです。

これ、ニコ動(ニコニコ動画)だったか、逆回転させたものが上がってましたよ。

山崎:ええー、すごい(笑)。

楽しいですよね。ズラす人がいたら戻す人がいて、ちゃんと戻るわけじゃない......っていうかむしろもっとズレてるんだけど、そのときちょっとだけ世界の厚みは増している、みたいな。

山崎:いいんじゃないですか。かっこいいと思いますよ!

ズラしという仕掛けがあったからこそ、思いがけないコミュニケーションが生まれて、思いがけない作品の表情をえぐり出したというか。

山崎:中心はあるんですよ。どう読まれてもいい、どう思われてもどうズレていってもおもしろいんじゃないかって思う反面、やっぱり自分たちのなかに中心はあるわけなんです。それを明かさないというだけで。

詞ではなくてヴォーカルのほうはどうですか? 山崎さんの歌い方にも、空間にズレを生むようなものを感じます。

山崎:ほんとですか?

それこそ"青い花"の「きみがいて」の「て」とか。極端な話、その「て」の歌い方があるから、「あ、ここに出てくるきみって量産的なラヴ・ソングのきみじゃないんだな」みたいに感じるというか。「きみ」のニュアンスとかイメージも多層的になるんですよね。

山崎:歌詞のなかにもっと入っていってもらうためには、ヴォーカルにクセがないほうがいいというか、そこは気にしてます。登場人物を歌うためっていうよりは、景色を見せるために、って思ってますね。ライヴでも真ん中に行かないんですよね。いつも端にいるんです。空気公団を「町」だと考えると、ヴォーカルが中央にいる必要はないかなと。

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30を越えること

わたしは、空気公団の音楽って、毎日のなかになんとなく流れてて、ふと気づいたらそこにある、みたいになればいいと思ってたんですよ。真正面から流れてるというよりは。


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なるほど。芸能の世界だと、女性ってなんだかんだと若さとか容姿の追い風を受けたりする部分もあるじゃないですか。そうじゃなくて、ミュージシャンとして20代を越え30代を越えていくときに、大事になるものとか感じることとかはないですか?

山崎:うーん、あんまり考えたことないかなあ......

もちろんそういう魅力を消費されるようなバンドではないと思うんですけど。

山崎:最初から古くならないような気がしていたし、いつまでもやっていけるかもしれないというふうに思えましたけどね。そういうことをよくメンバーと飲みながら話してました。
 でもだからといっていまも昔と変わらない気持ちかといえば、そんなこともないけど、貫くのがいちばんだって思いますかね。昔言ってたんです。自分たちを砂山だと思って、その砂山を、光が差しているところへ崩れながらでも少しずつ移動させていこうって。移動させるたびにそれはボロボロ崩れていっちゃうんですけどね。自分たちが変化していくっていうんですかね。でもあるとき、もう砂山を移動させる必要はない、「ここに砂山がありますよ」って言いに行けばいいんだって思いました。自分たちが出ていこうというふうに考え方を変えたんです。(移動できる砂山ではなくて)一定の場所にもっとしっかりと作ってしまおう。そういうふうに考えはじめたのは、20代の終わりだったかもしれないですね。

ああ、へえー。

山崎:やっぱり、揺るがされる瞬間ってあるんですよね。でも、もう揺るがないなと思ったんでしょうね。そこから、はじめに言ったような、何十テイクも録っていいものを作ろうっていう考え方じゃなくなったように思います。もっと自由でじゃないかってなってった。

なるほど。揺るがないことで、むしろ自由になるんですね。

山崎:自分を表現したいって思ってるわけではないんですよね。気持ちがあるのってもっと奥なんです。自分をアピールしたいというよりは、自分のなかで見えてるものをもっと外に、って思ってました。

音楽と年齢との関係になにか変化があったりはしないですか?

山崎:べつにないかな。曲を書くぞって思ったときに、歌詞のなかに出てくる男の人の像がふわっと見えてきたりするんですよ。でもその人がいっしょに年をとってるかどうかもよくわからないですね。とってるかもしれないですけど。

空気公団、新しいコミットメントの可能性

昔言ってたんです。自分たちを砂山だと思って、その砂山を、光が差しているところへ崩れながらでも少しずつ移動させていこうって。でもあるとき、もう砂山を移動させる必要はないと思って。「ここに砂山がありますよ」って言いに行けばいいんだって。

ではもうひとつ。山崎さんはソロとしてではなくて、バンドというかたちで活動しているわけじゃないですか。いまって、たとえば家族ですら、とても偶然的な集団として考えられてたりして、人と人がいっしょに集まっていることの意味が昔ほど自明ではないと思うんですね。この10年、ソロやデュオで音楽やる人もとても増えましたし、バンドってものの意味も空洞化してると思うんです。そんななかで、人と関わって音楽をつくっていくことにどんなことを見出していらっしゃるんでしょう?

山崎:自分ひとりが考えてることってほんとに大したことがないんですね。とくに自分で曲を書いて詞を書いてると、アレンジも想像できたりして。自分は人が好きなので、がっちり合わなくても、ちょっとでも交わっている部分の色を大切にしようって思います。
 わたしの場合、自分ひとりで突き詰めたものって、自分の思ってるものじゃなくなる気がする。逆に。

人と人が交差するかもしれないプラットフォームを準備することのほうに意識があったりするんでしょうか。

山崎:人数が多いといろんなところに点が置けるので。

ライヴ盤もお客さんふくめたくさんの人が参加してるし、今回のも劇の方々が入ったりと多くの人で構成されてますよね。そうやって人を集めていくというか、同じ意志を持ってるわけでもない、いろんな人の集まる場所を作っていこうという考え方の根本には、何があるんだろうって思うんです。

山崎:うーん、なんでしょうね。

べつに互いがベタベタしてる関係でもないし。

山崎:3人だけでも欠けているので。3人でやれることは限られてる。だけど、そこのなかには思いが強くあるので、それをわかってくれる人を巻き込んで、もっとおもしろいことができればいいのに、とは思ってますね。上手い下手じゃないですね。窓をいっぱい持たせて、どこの窓から入ってきてもいいよってふうにさせたい。

人が集まると軋轢が生まれると思うんですよ。まあ、必ずしもそうじゃないかもしれませんけど、人が多いほどストレスも生まれるし、やっぱりそのリスクを避けたくて、多くの人はそこからなるべく隔たって自分の自由なスペースを確保したいって思ってると思うんですよね。いまはそれである程度不自由なく暮らせる条件が揃っているんで。でもそうではないところでつくっているのはなぜなのか......

山崎:でもそれなら空気公団の音楽はちょうどいいですよ。ひとりで聴く人が多いから。

ははは。それもそうですね。なんで矛盾するんだろ。そうそう、そうやって多くの人が交わりながらもベタつかずにひとりでうまくやってけるんなら、うちらもそうしたいんですよ。......っていう気持ちがすごいあるんですけど。

野田:さっきからうかがってると、共同体とかコミュニティに対する山崎さんなりの視点っていうのがはっきりあるよね。ヴィジョンとして旧来的でない共同体のかたちが頭に描かれているようにも見えますけど。

そうそう。そんなものがあるのなら社会としても知恵を拝借すべきじゃないですか(笑)。

山崎:「主張したいのは自分だ」っていうのを後ろに置けばいいんじゃないですかね。わかんないけど。CD作りたてのころに、ミックスのエンジニアの人とかによく言われたのが、「『もっと上げてほしい』じゃなくて『もっと下げてほしい』みたいな要望が多いねー」ってことだったんです。「もっと自分の楽器を落としてほしい」とか、下げる方向のことばかりお願いしてたんだけど、「ふつうは上げてくれって言うもんだよ」って。不思議がってましたね。

それは一種、共存を可能にするスタイルだってことなんですかねー。

山崎:うーん、町を表現するというか、そういうときに重要になるのは、そこに流れているメロディをどうやって伝えるか、だと思うんですよね。

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明日とはきみのこと

流れると、止まるじゃないですか。レコードって。でもまたすぐ明日も来るというか。「明日」っていうのが「きみ」なんですよ。「朝」も「きみ」です。自分はやっぱりひとりでは生きていけない、というか。音楽にはもっと力があるというか。

まとめのようになりますけれども、"夜と明日のレコード"の「明日」とか「レコード」のイメージってどういうものなんですか?

山崎:これは自分たちのことを言っているような気がして、メンバーもいちばん好きな曲なんです。ここにでてくる彼は、最初に夜に似たものを見せてくれる。彼女に対して。でもそれは「秘密」だと思う。自分なかの。音楽ってどういうものか、ということでもあるし。コミュニケーションに似たものだと思うんですよね。ひとりでは成り立たないものというか。夜と朝があるみたいに、自分と相手もいて。

アルバム後半は、どんどんテンポ・アップしていきますよね。夜のイメージのなかから、光とか朝とか希望みたいなものがなんとなく暗示されて、この曲が現れてくる。そこで「レコード」にどんなイメージを見ていらっしゃるのかなと思ったんです。

山崎:レコードにこだわっているというわけではないんですけど、音楽ってもっと人を支える力があるということは書きたかったです。スケート・リンクみたいなところに――それがレコードなんですけど――、男女が、ひとり立ち止まって、ひとりぐるぐる回ってて、という絵を想像してました。流れると、止まるじゃないですか。レコードって。でもまたすぐ明日も来るというか。「明日」っていうのが「君」なんですよ。「朝」も「君」です。

アルバムのことが立体的に見えてきてよかったです。今日はありがとうございました! ちなみに、「人に穴があいている」感覚についてもおうかがいしたいですね。ふつう、人のなかには心臓とか魂とかカタマリを見るものじゃないですか。その逆ですよね、穴は。

山崎:それは電車に乗っているときだったんですけど、ホームには楽しそうにしてたり、携帯をいじってたり、抱き合っている人だったり、いろんな人たちがいて、でもそのみんなに穴が空いているように見えた......すごく言いにくいというか、どう説明していいかわからないんですよね。

うーん。そこもこじつけになるかもしれないですけど、中心が空洞として捉えられることで、人びとに交通のためのスペースを敷いているようにも思えますね。足すじゃなくて引く、盛るじゃなくて減らす、カタマリではなくて空洞、そこもほんとに一貫してますね。

山崎:もう、演奏者やパフォーマンス、デザインの方すべてにその穴の話をしているんですけど、みんな「なるほど、ああ、そうなんですか......」って......(笑)。

(笑)。うーん、とか思いながら、なんだろう穴って、とか思いながら、めいめいに穴のイメージを浮かべつつ制作していると。

山崎:1曲めで花束を持っていた男の人は、10曲めの明け方ではもうその穴が何なのかを探す旅に出てしまったので、花束はしおれてしまった。扉を開けると明日があった。それが、穴。そのふたつの曲には山本精一さんを、と思って。

あ、やはりこのふたつの声が山本精一さんですか。なるほどー。すごく大事な部分をそっと歌ってらっしゃいました。謎がいろいろ解けましたよ。

空気公団『夜はそのまなざしの先に流れる』
(DDCZ-1840)
発売日:2012年11月21日
価格:3,000円(税込)

【収録楽曲】
1.天空橋に     
2.きれいだ     
3. 暗闇に鬼はいない
4. 街路樹と風    
5. つむじ風のふくろう
6. 元気ですさよなら 
7. にじんで     
8. 夜と明日のレコード
9. あなたはわたし  
10. これきりのいま  

【参加ミュージシャン】
奥田健介(NONA REEVES)
山口とも
tico moon
山本精一

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■ライブ情報

空気公団 LIVE TOUR 音・街・巡・旅 2013
――夜はそのまなざしの先に流れる 2013.2.11ー2013.6.15 

2013年2月11日(月・祝日) @渋谷WWW

演奏:空気公団 / ゲスト:山本精一

Info: https://www.kukikodan.com

https://www-shibuya.jp/schedule/1302/003174.html




空気公団オフィシャル・サイト:https://www.kukikodan.com/

Rhythim Is Rhythim - ele-king

 1991年か1992年、デリック・メイが、リズム・イズ・リズムとして、トレヴァー・ホーンの〈ZTT〉からデビューするはずだったという話はファンのあいだでは有名だ。しかし、トレヴァー・ホーンの執拗なディレクションにドタマに来たデリック・メイは、テーブルをひっくり返してしまった。こうして、リズム・イズ・リズムのデビュー・アルバム『ザ・ビギニング・オブ・ジ・エンド』は幻となったわけだが、アルバムの先行シングルが、実は「ザ・ビギニング」だったことをデリック・メイから昨晩教えてもらった(そして、その「ザ・ビギニング」の方向性を嫌ったのも、レーベルの側だった)。
 よって、リズム・イズ・リズムのアルバムのために録音された曲は、1993年に"アイコン"として発表され、続いてロング・アゴー名義の"レリックス"として、リズム・イズ・リズム名義では"ケオティック・ハーモニー"、そして同名義で1999年のコンピレーション『タイム:スペース』において"ビフォア・ゼア・アフター"として発表されている。12月5日にリリースされる〈トランスマット〉の新しいコンピレーション・アルバム『BEYOND THE DANCE~TRANSMAT 4』には、さらにまた、『ザ・ビギニング・オブ・ジ・エンド』からの1曲"ハンド・オーヴァー・ハンド"が収録されている。20年かけて、デリック・メイが当時どんなアルバムを作っていたかがようやくわかってきた(笑)。(そして、それは相当に、メランコリックな作品だった)

 以下の映像は、1989年、26歳のデリック・メイ、20歳のカール・クレイグのふたりによる、リズム・イズ・リズムのロンドンのライヴである。遠くで野球帽をかぶっているのがカール・クレイグ、手前でシンセサイザーを弾いているのがデリック・メイ。ファッションが時代を物語っているが、音楽はいまも超越的に聴こえる。

Dum Dum Girls - ele-king

 名前を捨てた女。パンク・ロックに憧れ、イギー・ポップとラモーンズとヴァセリンズに徽章を借りて、カリフォルニアのリヴィング・ルームから世に現れた女。タイトなスカートにブラック・レザーをまとい、ファズの騒音とゴシックによる世界の暗転を好みながら、破れたストッキングを気にも留めずに、砕かれた愛を切々と歌うその女、ディー・ディーは、"ロード・ノウズ"でいま、神々しいまでのロック・バラードを歌う。男(ロック)への同一化願望や、母(保守)への反発といったライオット・ガール的なテーゼも、ここでは古くさいものに思える。ディー・ディーは、もっともっと遠い場所を仰ぎ見ているようだ。「ベイビー/これ以上、あなたを傷付けることはできない/神様なら知っているわ/私は自分の愛をずっと傷付けてきた/私の愛を」
 
 わたしはこの曲の感想を、もうロックなど聴いていないだろうと思っていた人とも共有した。それはとても久しぶりのことだった。流通環境的にも、単純に内容的にも、ポップ音楽ほど激しい変化にさらされつづけている文化も珍しいのかもしれない。もはや「特定のものが蒸し返される背景には、時代を支える無意識ではなくて個人的な動機が存在するだけだ」、橋元優歩が言うように。あるいはロックが自意識の容器になったと評されて20年以上経過しているが、別にいいではないか、それでも。ディー・ディーは、それこそごく個人的でしかない動機によって――この世界で生きることを引き受けようとするときに――ロックの緩衝を必要としているようにさえ見える。



 さて、このEP『エンド・オブ・デイズ』を何度か聴いてみて、良くも悪くも冒頭の"マイン・トゥナイト"と"アイ・ゴット・ナッシング"にどこか違和感を覚えたなら、あなたの直感は正しい。この2曲は前作、『オンリー・イン・ドリームス』のセッション時に生まれたもので、録音は2011年だ。既定のガレージ路線に沿って進む序盤の展開には、控えめに言っても、特筆すべき新鮮さはない。つづく"トゥリーズ・アンド・フラワーズ"の、輝くようなアンビエント・ギターで世界が一変するが、これはストロベリー・スウィッチブレイドが1983年にヒットさせたデビュー曲のカヴァー。母性の象徴としてか、「アイ・ヘイト・ザ・トゥリーズ/アンド・アイ・ヘイト・ザ・フラワーズ」というリリックをそのまま引き継ぎつつ、原曲に漂うある種の陽気さを取り払っている。地に根を張って、花に囲まれながらフォークを奏でることなどできない、とでも言うかのように。

 個人的なことを言えば、ダム・ダム・ガールズのレパートリーでは、アルバムに数曲だけ収録される、素直にポップで、センチメンタルで、狂おしいまでにロマンティックな曲を好いてきたが、その名も『オンリー・イン・ドリーム』(2011)のフォロー・アップにふさわしく、『エンド・オブ・デイズ』は、"トゥリーズ・アンド・フラワーズ"以降の3曲でドリーミーな時間をゆったりと過ごしている。同郷のガレージ・ポップ・デュオ、ベスト・コーストのセカンド『ジ・オンリー・プレイス』が演出していた、とろけるようなメロウ・アウトと共振するようでもあるが、あちらがミニマムな実人生に寄り添ったFMポップだったのに対し、本作の構えはもっと超然としている、啓示的なまでに。ホーリーでありながらドラッギーな傑作"ロード・ノウズ"のあと、EPをクローズするギター・ポップ"シーズン・イン・ヘル"は、バンドの結束とエナジーがまだ失われていないことを丁寧に補足している。


 彼女らはこの冬、ツアーを回っているが、その報告写真にしばし見とれた。そこに写されるのは、人生から逸脱しながらも、人生を引き受けて生きる女の姿である。単純なドロップアウトがアートにおける正義ならどんなに楽だろう。古いロック・スター・ライフへの同一化に誘惑されながら、そしてライオット・ガール史の現在地で引き裂かれながら、ディー・ディーは結局のところ、すべてを引き受けている。社会に含まれつつも真実に生きる逸脱者として、あるいはまた、夫を持つ一介の既婚者、妻として――。だからこそ『エンド・オブ・デイズ』は最高だ。つねにダブル・スタンダードを抱えてきたロック音楽の成熟と浄化、そして変わらぬ美しさを、ダム・ダム・ガールズは2012年に伝えている。

interview with secretsundaze - ele-king


JAMES PRIESTLEY & GILES SMITH - 10 YEARS OF SECRETSUNDAZE

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 ロンドンが誇るハウス、テクノ・パーティ、secretsundaze(シークレットサンデーズ)のことを初めて知ったのはたしか、アンドリュー・ウェザオールにインタヴューした時だったと思う。彼の口から長らく下火になっていた非定住型のウェアハウスやオープン・エアのパーティ、それも日曜午後の時間帯に始めた新世代として名前が挙がったことで、海の向こう彼らをチェックするようになり、ジャイルズ・スミスとジェームス・プリーストリーというふたりのDJからなるsecretsundazeがハウス、テクノの最前線と全体像を見事にとらえた人気パーティであることを知った。
 そして、ほどなくして届けられた初の、そして2枚組となるミックスCD『Secretsundaze vol.1』。この作品に衝撃を受けたこともよく覚えている。2007年当時、いまのように顕在化していなかったミニマル・テクノからディープ・ハウス回帰の流れをいち早く予見していたばかりか、スタジオ「Life's A Beach(Todd Terje Remix)」のようなバレアリック・トラックやDOCTOR'S CAT「Feel The Drive」のようなイタロ・ディスコまでもがそこにはミックスされていて、ジャンルの細分化をまるで無視するかのような、現場感覚のクロスオーヴァーがとにかく面白かった。そして、それからというもの、個人的にはダンス・ミュージックの新しい動きを知りたいときは、彼らの動向を気にするようになったほどだ。

 彼らの歴史と功績、その後の飽くなき進化は後述のインタヴューに譲るが、2004年のジェームス・プリーストリー初来日を皮切りに、secretsundazeとしてもたびたび来日してきた彼らが本国でのパーティ始動から11年目にして日本で心機一転。さすがにいきなりデイタイム・パーティとまではいかなかったが、今回は早い時間のパーティの楽しみを紹介するべく今週末に来日を果たす。ジャイルスは先頃、モダン・ディープ・ハウスの傑作と評されるデビュー・アルバム『Golden Age Thinking』を発表したトゥー・アーマディロスの一員として、ジェームスもダン・ベルクソンやマルコ・アントニオをパートナーに、プロデューサーとしても活躍。さらにはレーベル、secretsundazeやDJマネージメントのシークレット・エージェントも運営するなど、その活動は多岐に渡っているが、なにはともあれ、まずはパーティとしてのsecretsundazeについて掘り下げるべく話を聞いたのだが、意気上がる彼らの日本でのパーティが本当に楽しみだ。

僕らは好きな場所で、好きなようにDJできるパーティが作りたかった。ただそれだけで、最初はゲストDJすらいなかったし、それほど壮大なヴィジョンがあったわけではなかったんだ。のちに僕らの代名詞となる「日曜午後のパーティ」というアイディアについても、考えていなかったわけではなかったけど、どちらかといえば偶然でそうなったところが大きいね。

90年代末のスーパー・クラブの時代を経て、2000年代初頭のロンドンのハウス、テクノ・シーンは低迷期にあると言われていたように思うのですが、そんな2002年におふたりはどのような思いからsecretsundazeをスタートさせたんですか?

ジャイルス(以下G):はじめたきっかけは、他のあらゆるパーティと同じで、誰にも指図されず、自分たちが好きな音楽をかけて、好きな人を呼びたかっただけなんだ。その頃の流行はというと、エレクトロが台頭してきていて、イースト・ロンドンではブロークンビーツが人気で、いわゆるアンダーグラウンド・テクノ/ディープ・ハウスは人気もなく、そういった音楽がプレイされるパーティもいまのようにはなかった。だから、僕らは好きな場所で、好きなようにDJできるパーティが作りたかった。ただそれだけで、最初はゲストDJすらいなかったし、それほど壮大なヴィジョンがあったわけではなかったんだ。のちに僕らの代名詞となる「日曜午後のパーティ」というアイディアについても、考えていなかったわけではなかったけど、どちらかといえば偶然でそうなったところが大きいね。
 なぜかというと、僕たちが絶対ここでやりたいと思っていた(ブリックレーンの)「93 Feet East」というクラブがあって、いまもそのクラブ自体は存在しているんだけど、そこにはもう無くなってしまった「The Loft」という部屋があった。その部屋は、初めて足を踏み入れたときから、「ここだ!」と感じたところだった。理由はうまく説明できないんだけど、そういう場所ってあるだろう? とにかく、「ここでパーティをやりたい!」と思ったんだ。他にもロンドン中のクラブを見て回ったけど、「The Loft」以上の場所は見つけられなかった。そこで、店に話をしに行ったんだ。当初は金曜か土曜にやるつもりだったんだけど、クラブには他にも2つ部屋があったから、店側からは「金、土にやるのであれば、全部の部屋使うイベントを優先したい」って言われたんだよ。当時、僕たちはまだロンドンでパーティをやった経験がなかったし、いきなり3部屋を使ったパーティをやるのは荷が重過ぎた。そもそも僕らは「The Loft」を使いたかっただけだったから、話し合いのなかで「日曜日はどうかな?」って逆に提案したんだ。店側も、「日曜日?」と最初は驚いていたけど、普段は閉めている日だから、別に構わないということで日曜にやることになったんだ。

では、最初のsecretsundazeはクラブでの開催だったんですね。

G:そうだね、普通のクラブだった。「The Loft」は建物の二階にあって、テラスがついているところが普通のクラブとは少し違っていたところだね。キャパシティは150人くらいかな。テラス側の壁が全面窓になっていたから自然光が入って、まるで屋外にいるような雰囲気があったし、テラスにも自由に出入りすることができた。

その後、どうして、箱を移動することになったんですか?

G:1年目は「The Loft」の5月から9月にかけて隔週でやっていたから、それだけでもかなりの回数になるんだけど、2年目をはじめたところで近隣から騒音の苦情が来たんだよ。パーティ自体はすごく調子が良かったのに、会場からは追い出されることになってしまった。最初は50人くらいのお客さんからはじめて、1年目の終わりには150人くらい。その後、オフシーズン中に口コミで評判が広がったのか、2年目のシーズンになったらいきなりお客さんが増えて500人くらいになったんだけど、いずれにせよ、会場に収まり切らないほどだったから、「The Poet」という場所に移ったんだ。そこは「The Loft」よりさらに素晴らしいロケーションで、完全にイリーガルだった。表向きはイースト・ロンドンのパブだったんだけど、そこはビジネス街にあって、日曜日は人気がなかったし、その店には500~600百人収容できる大きな裏庭があったんだ。ここで1年半ほど続けたんだけど、結局、ここも警察に見つかって追い出されることになった。とてもスペシャルな場所だったんだけどね。

(会場の雰囲気が分かる映像見つけました:https://youtu.be/5g2I-J28SHw

では、secretsundazeは会場を変えて行うパーティにしようという意図は元々なかったんですね?

G:全くなかったよ(笑)。でも、何事にもそうなる理由があるんだろうね、そうこうしているうちに、僕らの会場に対する考え方もオープンになっていったし、色んな可能性を考えるようになった。そして移動することにも慣れた。いまの時点でも、「夢の会場」と思える場所を見つけられたかどうかは分からない。もし見つけられたならそこを離れる理由はないだろうし。でも、常に「よりよい会場」を探し続けることが日常になってしまった感じだね。お客さんも場所が変わることが当然だと思っているし。2007年からの2シーズンやった「Canvas」という会場は本当にアメージングなところで、僕たちは離れたくなかったんだけど、離れざるを得なかった。キングスクロスのビルの屋上で、3000人収容できたんだ。実際に3000人入ったことも何度かあったね。

(ここですね:https://youtu.be/mNnQ6TSGUJQ

都心の屋外でそんな大規模なパーティをやるなんて、東京では考えられないんですが、ロンドンではどうしてそれが可能だったんですか?

G:ロンドンでもいま現在は考えられないね。でも、2007年頃までのイースト・ロンドンはもっとカッティング・エッジな街だったんだ。いま頃になって「イースト・ロンドンはカッティング・エッジだ」って言ってる人もいるけど、いまはメインストリームな街だよ。仮にいま同じことをやろうとしたら、ずっと遠く東の住居がなくて工業ビルしかないような地域へ行かないと無理だ。でもそうすると、今度はそこまで出かけるのが大変になってしまう。だから、実際どんどん難しくなっているよ。でも、2002年にはじめた頃のブリック・レーンやイースト・ロンドンは、ずっとオープンマインドだったし、当局もずっと放任主義的だったんだ。

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最初は50人くらいのお客さんからはじめて、1年目の終わりには150人くらい。その後、オフシーズン中に口コミで評判が広がったのか、2年目のシーズンになったらいきなりお客さんが増えて500人くらいになったんだけど......。

ここ数年はロンドンでもクラブではない会場を使った「ウエアハウス・パーティ」がどんどん増えているようですが、これについてはどう思いますか?

G:そういうスタイルでパーティをはじめたのは僕らが最初じゃないし、日曜のパーティだって、90年代にはベン・ワットの「Lazy Dog」や「Full Circle」といったパーティがあって、実際に僕も行ったことがあった。でも、secretsundazeほどのスケールのものはなかったかもしれないね。だから、偶然の産物とはいえ、日曜の午後に本気で遊ぶパーティを確立させたとは言えると思う。ロンドンの「Half Baked」やローマの「Confused」はsecretsundazeに遊びに来た人たちが「俺たちもやりたい」といってはじめたsecretsundazeにインスパイアされたパーティで、これは賞賛だと受け止めているよ。
 日曜の日中という時間帯にやると、普通のクラブとはまた違った層のお客さんが来るんだ。月曜日の朝に会社に行かなくてもいいような、アーティスト系の人たちも多いし、ロンドンの平均的なクラブの金曜や土曜の夜の客層よりもいいお客さんが集まるんだよ。

クラブも多く、パーティ激戦区であるロンドンでこれほど成功できた理由は何だと思いますか? ふたりはケンブリッジからロンドンに移ったばかりで初めてオーガナイズしたパーティだったわけですよね?

G:理由はたくさんあると思う。ロンドンではないとはいえ、ケンブリッジは車で1時間ほどの街だから、ロンドンには十分馴染みはあった。北部から出て来た、というわけじゃなかった。当初は、僕とジェームスと、主に制作面を仕切ってくれていたクリストフという友だちと、もうひとりの4人で始めたんだけど、成功の理由は、まず情熱を持ってやっていたからじゃないかな。パーティをはじめること自体は誰でもできるけど、僕らはそれ以前にずっと音楽にのめり込んできた。だから自分たちのスタイルもある。
 あとは、レジデントである僕ら自身を強調した点も重要だったと思う。大物のゲストに頼るのではなく、自分たちのスキルを上げることに注力した。レジデントが1時間ずつやって後はゲストに盛り上げてもらって終わりっていうパーティは多いけど、とくに初期の頃はゲストではなく自分たちにお客さんがつくように努力したね。それと、プラスアルファの努力をして面白い会場を見つけて毎回お客さんを飽きさせないように心がけた。楽な選択肢を選ぶのではなく、ね。マーケティング/プロモーションの仕方も控えめに、ロゴやデザインもミニマルに、シンプルにアンダーグラウンドに、情報を与えすぎないようにしたのも良かったと思う。

ジェイムズ(以下J): 僕らに正しい土台、正しい理由があったからじゃないかな。つまり本当に自分たちがやりたいという純粋な気持ちからやり始めたことだったし、元々大きな計画を立てていたわけではなかった。はじめた当初はみんな別に仕事を持っていたし、これで稼がなきゃいけないというプレッシャーもなかった。若かったし、エネルギーもあった。愛情があったから育っていったんだと思う。それが最高のプロモーションだからね。当時はソーシャル・メディアなんかなかったから、僕ら4人自身が「パーティ大使」になって交遊を広げていた。その頃はそれぞれかなりパーティで遊びにも行っていたからね(笑)。情熱を持っていたこと、自分たちのやっていることを信じていたこと、そこに運が加わって、ちょうどいいタイミングにちょうどいい場所にいたんじゃないかな。いわゆるスーパー・クラブの時代が終わり、オルタナティブなものが求められていたときに、それを提供できたんだと思う。

当時、secretsundazeではどんな音楽をプレイしていたんでしょう?

J:secretsundazeの特徴のひとつは、午後の早い時間からはじまるから、リラックスした、ウォームアップの時間が長いところ。初期の僕はこの午後早めの時間にプレイすることが多かったから、ジャズやソウル、ファンク、ブロークンビートからはじまって、徐々にハウスに近づけていくような感じでやっていた。僕は自分をハウスDJだと思ったことはなかったけど、secretsundazeと共に成長して、いまはかなりハウスに寄ったスタイルになっていると思う。でも、元々フリースタイルだから、伝統的なハウスDJとはちょっと違うと思うんだけどね。

今では、かつて、オルタナティブだったディープ・ハウスも再び主流になってきているように思うんですが、おふたりはいまのsecretsundazeをロンドンのクラブ・シーンでどのように位置づけられていますか?

J:secretsundazeのサウンドは、レジデントである僕とジャイルスと、僕らが選ぶゲストによって定義づけられている。それは常に進化してきたし、もともと戦略のようなものがあったわけでもない。単純に僕らがインスパイアされた音楽や、好きなものを取り入れて来ただけなんだ。いつも新しいアーティストや違うDJをブッキングするのもそういう理由からさ。現在のsecretsundazeがどんなパーティかという点に関しては、パーティ自体は11年目になるんだけど、いまも全く新しいDJを呼んでいるし、いまもカッティング・エッジであり続けていると思いたいね。とくに僕とジャイルスは、最近、元気だと感じられるイギリスのプロデューサーに注目しているんだ。
 ここ3~4年、イギリスから面白いものがたくさん出ていると思うよ。パーティをはじめた頃は、UKのアーティストで呼びたい人はほとんどいなかったんだけど、いまはたくさんいる。僕らはそうしたプロデューサーたちの多くをサポートしているつもりだし、secretsundazeにも出演してもらっていて、その何人か、例えばジョージ・フィッツジェラルドやジョイ・オービソンはいまやかなり成功している。彼らはダブステップやUKガラージをバックグラウンドとしていて、根っからのハウス・プロデューサーではないけれど、クロスオーヴァーする可能性を持っている。そういうアーティストをハウスのパーティにブッキングするプロモーターはほとんどいなかったけど、secretsundazeではそれをだいぶ前から試みているんだ。

secretsundazeは新しい才能、知られざる才能の紹介の場としても機能していますよね。リカルド・ヴィラロボスにルチアーノ、スティーヴ・バグ、マティアス・タンツマンといった才能をロンドンで始めて招聘したパーティとも言われていますが、secretsundazeのブッキング・ポリシーは?

G:リカルドやスティーヴ・バグは、たしかに彼らがビッグになる前、かなり早い段階で呼んだのは間違いないけれど、secretsundazeがはじまったのと同じ頃にオープンした「Fabric」が先か僕らが先か、という感じだった。それ以外ではジョシュア・イズやドック・マーティンといったサンフランシスコのDJをよく呼んでいたのと、キャシーやローソウル、サッセのUKデビューもsecretsundazeだった。Innervisionsの面々なども、かなり早い時期に呼んだと思う。今年もいままでイギリスに来たことがなかったエイビー(Aybee)を呼んだしね。もっと楽をしようと思えば、確実に人が入って盛り上がるDJをブッキングすることはできるけど、それはやらないようにしている。

J:僕たちが好きでリスペクトしている人たちを呼ぶという以外では、どんなにプロデューサーとして名前が知られていてもDJがちゃんとできる人しか呼ばない。それは僕らにとって最初から守っているとても重要なポリシーだ。ただ新しくハイプなだけのプロデューサーには飛びつかず、DJとしてのバックグラウンドがあるかどうかを確認してからブッキングする。そして、少なくとも、彼らにプロフェッショナルなレヴェルまで成長できる時間を与えるね。
 例えば、サシャ・ダイヴは、5年ほど前に僕らがふたりとも作品をすごく気に入っていたアーティストだったけど、ずっとブッキングしなかったんだ。なぜなら、彼はDJをはじめて間もないことと知っていたから。いいレコードを作ることとDJをすることは別物だからね。結局数年経ってからブッキングしたよ。他には、僕たちはオリジナルというか、生粋のUSアーティストも積極的に呼ぶようにしている。彼らは取り組み方が真剣だし、ヴァイブもアプローチもヨーロッパのアーティストとは全く違う。よりハードコアでピュアリストというかね。そういう、既に確立されたアーティストと、カッティング・エッジなアーティストを両方ブッキングすることで面白いコンビネーションにしようと努めているんだ。そして、もちろん、単にフライヤー上の見栄えがいいからというだけでなく、きっちりとパーティ全体の流れを考えてその組み合わせを考えるようにしてるね。

G:パーティをはじめた頃といまではブッキングするアーティストもだいぶ変わっていると思うけど、変わっていないのは質の高いハウスとテクノを核とする点だ。僕らのルーツはシカゴとデトロイトにあって、それは揺るぎないね。僕らがやっているDJのマネージメント・エージェンシーにシェ・ダミエやデラーノ・スミスやパトリス・スコットが入っているところにもそれは表れている。
 ただ、それだけが全てではないよ。僕たちはただ、いい音楽に対してオープンマインドでいようとしているだけなんだ。僕個人はかなりテクノも聴くし。でも1回1回のパーティのブッキングについては、全体の流れの中でそれをどうバランスよく配分するかを考える。secretsundazeの特徴、あるいは強みのひとつは、その日のパーティの流れをとても慎重に考えてプログラムするところにあるんだ。例えば今年のオープニング・パーティではクラシックなサウンドとフレッシュなサウンドの両方を取り入れたかったから、ジョイ・オービソンとリル・ルイスをブッキングしたんだけど、ジョイ・オービソンはとてもUKっぽいサウンドのアーティストでリル・ルイスとは全然違うから、僕たちがそのバランスを取るようにして、その日の最初から最後までの流れを上手く作るようにしたんだ。

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情熱を持っていたこと、自分たちのやっていることを信じていたこと、そこに運が加わって、ちょうどいいタイミングにちょうどいい場所にいたんじゃないかな。いわゆるスーパー・クラブの時代が終わり、オルタナティブなものが求められていたときに、それを提供できたんだと思う。

おふたりはいまお話に出てきたように、自分たちで運営するエージェンシーでたくさんのアーティストを抱えていますよね。

G:そうなんだ。30名ほどのアーティストがいるから、その中だけでパーティを回そうと思えば、それもできる。でも、エージェンシーの方は必ずしもsecretsundazeに合うアーティストばかりではないんだ。エージェンシー名にsecretsundazeとつけずにThe Secret Agencyとした理由もそこにあるんだよ。パーティの枠に縛られず、UKガラージやベース系など、もっと幅広い音楽を紹介したいからね。だからエージェンシー所属のアーティストでsecretsundazeにブッキングするのは8割くらい。オクトーバーやパトリス・スコット、Wビーザ、スヴェン・ヴァイズマンなんかがそうだね。

近年、secretsundazeはパーティだけでなく、DJのマネージメント・エージェンシー、さらにはレーベルと、その活動範囲を広げていった理由は?

J:エージェンシーをはじめた理由は、これまでやって来たことから自然に派生したということ。つまり、僕たちの願いであり、恐らく特技でもある「新しい才能の発掘」だ。僕らは、他から有名アーティストを引っ張って来たりすることに興味はなくて、草の根から一緒に育っていくようなアーティストを応援しているんだよ。そして、エージェンシーとしてプロモートすることで、そういう人たちに対して、1回や2回の出演チャンスをあげるだけでなく、もっと踏み込んで共にキャリアを築いていくことができる。僕とジャイルスは、これまでとても幸運に恵まれていて、音楽でここまでやって来ることができた。だから、その分、僕たちで力になれるなら、他のDJやプロデューサーのゴールなり夢なりを実現する手助けをしたいんだ。
 実際、エージェンシーをはじめたことによって、家族のような絆もできたしね。そして、もちろん、イベントやパーティをやる際にラインナップに加えられるようなアーティストが既に揃っていることも心強いよ。それからレーベルは、エージェンシーの機能を補完する役割、それからsecretsundazeの精神とサウンドを世界中に伝えることにあるんだ。僕たち自身がいつも色んなところへ出かけられるわけじゃないし、例えば日本も通常年に一度しか行かない。だから、レコードで少しでも楽しんでもらうことは、secretsundazeにアクセスするひとつの方法になる。
 来年はもしかしたらサブレーベルもはじめるかもしれないよ。まだ決まってはいないんだけど、secretsundazeに縛られずより幅広い音楽もリリースしていけたらと思っているからね。さらにそうやってエージェンシーとレーベルの両方を機能させることで、アーティストは次のステージに成長していける。実際に、エージェンシーに入った時はほとんどギグをやっていなかったのに、いまは忙しくなったり、より遠いところへブッキングされたり、より高い出演料をもらえたりしているアーティストを見ると自分のことのように嬉しいし、そうやって、全てがとても有機的に発展したのがいまの状況なんだ。

おふたりがいま注目しているDJ、プロデューサーは?

J:いい質問だね。えっと......ブレイデン(Braiden)というロンドンのアーティストがいるんだけど、彼はDJとしてとてもエキサイティングな才能で、既に二回出演してもらっている。リリースは現時点でジョイ・オービソンのレーベルDoldrumsからの1枚しかないけれど、もうすぐRush Hourから2枚目が出るよ。僕が今年最も気に入っているレコードのひとつだ。とてもユニークでフレッシュな、UKベースにインスパイアされたテクノという感じ。うちのエージェンシー内でいうと、Fear of FlyingなどのレーベルもやっているBLMというプロデューサーかな。secretsundazeレーベルの8枚目も彼の曲なんだけど、テクノのヴァイブを持ったハウスを作っているんだけど、そのバランス感覚がフレッシュだね。
 エージェンシー以外では、まだほとんどヨーロッパでプレイしていないシカゴのスティーヴン・タンかな。彼はここ2年ほどの僕のお気に入りだね、デトロイトの影響を受けたハウス/テクノでとても最高なんだ。もうひとりはトレヴィーノ(Trevino)かな。彼は僕らのエージェンシーに所属しているわけではないけど少し関係している。彼はかつて、マーカス・インタレクスという名義でドラムンベースを作っていて、実は昨年出した僕らのミックスCD『10 Years of Secretsundaze』にも彼が2001年に出した曲を収録したんだ。その曲「Taking Over Me」は僕以外で誰もかけてなくて、ちょっとした秘密兵器だったんだよね(笑)。その彼が、今年からトレヴィーノという名義でハウス寄りのトラックを作るようになって、実は今度secretsundazeから出る僕の曲「Speed」も彼にリミックスしてもらったんだ。
 この曲は、かつてLTJブケムがレジデントだった「Speed」というパーティにインスパイアされていて、ブケムが「Horizons」というドラムンベース・クラシック曲に使ったのと同じヴォーカル・サンプルを使っているんだ。だからリミキサーとしてトレヴィーノはぴったりだったんだよね。あとはWビーザとジョン・ヘックル、エティル(Ethyl)とフローリ(Flori)、それからアンソニー・ネイプルズというニューヨークの新人も注目株だね。

おふたりのDJプレイに関して、実体験した印象としてはジャイルズがどちらかといえばテクノ寄り、ジェームスがディスコ寄りのプレイに特徴であるように思ったんですが、DJのパートナーとして、お互いの音楽性についてはどのように思われていますか?

G:そうだね、僕がディープ・ハウス~テクノ寄りで、ジェームスは元々ドラムンベースがバックグラウンドにあって、そこからディスコ、ハウスへと変化していった。僕もガラージやベースものをかけたりもするけど、基本的にハウス/テクノのピュアリスト(純粋主義者)だ。僕から見たジェームスの強みは、僕よりも「パーティDJ」だということ。何をプレイするかよりも、プイレのし方の面においてね。僕がプレイする曲を彼もプレイするんだけど、プレイのし方が違って展開がもっと速い。僕はどちらかといえばもっと伝統的なスタイルで、徐々にビルドアップして、また落としていくルーティーンをなるべくスムースに繰り返していくスタイルで、終盤の、着地に向かっていく時間帯が得意なんだけど、ジェームスは自分のプレイしたいものを恐れることなく奔放にぶち込んでいくスタイルだね。そして、常にお客さんの期待に応えるだけでなく、いい意味での裏切りがあるんだ。だから、ジェームスはパーティの前半や中盤にプレイすると映えると思う。
 僕らは毎年Robert Johnson(フランクフルト近郊のクラブ)でロングセットをやるんだけど、そのときのジェームスのプレイが僕はいつも楽しみなんだ。そこでは音楽好きのお客さんが集まることもあって、ジェームスの幅の広さが発揮されるんだよ。ディスコ、ブレイクビーツ、ブロークンビーツ、ハウス、テクノ......彼のそういう多彩な部分が僕は好きだね。

J:ジャイルスは、伝統的なハウスのプログラム方法で、物語のように曲をつなげていき、流れを作ることができるDJだね。彼のようにそれができる人は他にはそう多くない。僕は逆に、リスクを恐れずに異なるジャンルや時代、リズムの曲を織り交ぜてかけることが多いよ。UKベース/ガラージ系の曲をかけるのも好きだしね。お客さんにサプライズをもたらすようなプレイを目指しているんだ。お客さんにショックを与えることなく、いい驚きをもたらすことができるのも優れたDJの条件だと思うからね。だから、僕のプレイは、ファンク・パンクやテクノを多めにかけていたときもあれば、ディスコを多めにかけていたときもあるし、その時々で変化しているんだ。

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ジョイ・オービソンとリル・ルイスをブッキングしたんだけど、ジョイ・オービソンはとてもUKっぽいサウンドのアーティストでリル・ルイスとは全然違うから、僕たちがそのバランスを取るようにして、その日の最初から最後までの流れを上手く作るようにしたんだ。

そんなおふたりが続けてきたsecretsundazeはイビザやベルリンを含むヨーロッパでの評価を確立しながら、トレンドの移り変わりが激しく、飽きっぽい遊び人相手に、11年に渡って良質なパーティを提供してきましたよね。この11年のハイライトは? 

G:ハイライトはあり過ぎて挙げ切れないけど...... 強いて3つ挙げると、ひとつはイースト・ロンドンのストリート・パーティだな。元々は小規模のサイクリングのプロモーション・イベントだったんだけど、secretsundazeがそれを乗っ取ったようなかたちになったんだ。あれはたしか、2004年か2005年頃だったと思うけど、道路に3つサウンドシステムが出ていて、他ではレゲエなんかがかかっていて、その一つをsecretsundazeが担当したんだ。その道路に沿って電車の高架があったんだけど、そこにミラーボールを吊るしてね。4000人かそれ以上の人たちが集まったよ。フリーパーティだったから、イースト・ロンドンの地元の人たちが遊びに来ていて、とても特別な雰囲気だった。
 ふたつめは、2006年にイビサ島でリカルド・ヴィラロボスを呼んでやったパーティだね。その頃の彼は有名になりはじめたばかりの頃だったんだけど、イビサ島というのは、地元にネットワークがないとパーティをするのがとても難しいところでね、それでも僕たちはパーティの数日前に島へ渡って、とにかく死にものぐるいでパーティをオーガナイズしたんだ。「The Blue Marlin」という島の南側にある美しいロケーションでできることになって、いまは金持ち向けの気取った店になってしまったけど、その頃はとてもシンプルなビーチ・バーだった。サウンドシステムもとても良くてね。この日も2000人くらいが詰めかけて、ビーチが人でいっぱいになって近くの道路も渋滞するほどだったんだけど、そのときの雰囲気が素晴らしかった。イビサでも、他の場所であんなヴァイブのパーティは体験したことはないね。もう6年も前のことなのに、いまでもイビサに行くと、そのときのパーティの話をして来る人が時々いるよ。
 3つめは...... どれにしようかな。2年目の「The Poet」でやったシーズンは全て最高だったね。イヴァン・スマッグ、ルチアーノ、ローソウル、トレヴァー・ジャクソンなんかを呼んだけど、どのDJも会場に入ると顎が外れそうに驚いていたよ(笑)。屋外だったけど、壁に囲まれていたから音も良かったし、何人かのDJは、お客さんの勢いや会場の雰囲気に飲まれそうになって緊張していたほどだったよ。僕らは毎回やっていたから慣れていたけど、それくらいパーティに勢いがあったんだ。

最後の質問です。いま、日本のクラブ・シーンは古くからある法律を振りかざした公権力の過度な取り締まり対象になっていて、箱自体が営業停止に追い込まれたり、極端にいえば、深夜に踊ることが禁止されているような状況下に置かれていて、ダンス・ミュージックというもの、そして、パーティを続けることの根源的な意味が問われています。そこでお聞きしたいのは、ふたりが困難な状況に直面しても続けてきたパーティとは?

J:多くの人にとって、パーティをすること、踊ることは極めて重要な意味を持っていることは間違いないよね。とくに震災のような厳しい体験を経た日本では、厳しい状況のときこそ、多くの人で集まって楽しい時間を共有する体験が必要だと思う。ただ楽しいから遊びに行くというのも十分な動機だけど、日常のことや心配事を忘れて自己を解放したくなるときもあるだろ?  そういうときこそ、パーティはより大きな意味を持つんだと思う。
 日本が今直面している法律の問題はとても難しい課題だから、向こう数年どんな変化が起こるのかということにも興味があるよ。今回の僕たちのツアーも早めにはじまって深夜に終わるスタイルだから、それがどう受け入れられるのかも気になるね。例えば、ここ数年ロンドンではナイトクラブではなく、ウエアハウスのパーティが主流になってきている。そういう単発のイベントの方が、クラブを営業するよりも規制が緩いからだ。そのせいで、クラブの営業が厳しくなって来ている現実があって、実際に何軒ものクラブが閉店してしまった。クラブ営業だけでやっていける店は本当に少なくなって来ているんだ。新しいお店の多くは、クラブだけではやっていけないので日中はアートスペースとして運営しているよ。それは面白い動きだと思うけれど、残念なのはクラブとしての設備投資が十分にできないから、音響などに資金が回らないこと。この経験が日本でどう応用され得るかはわからないけど、いま起きている問題のせいで日本の素晴らしいサウンドシステムを持ったクラブが存続できなくなるとしたらとても悲しいね。日本のクラブの素晴らしいところ、そして世界中のDJから愛される理由は、妥協を許さない音作りにあると思うから。
 とはいえ、みんなの音作りの情熱が消えることはないだろうから、ロンドンのようにアンダーグラウンドなウエアハウス・パーティが主流になっても、仮設の素晴らしい音響を実現してくれるのかもしれないけどね。あるいは今後、時間帯を早めた、日中のパーティが多くなってくるのかもしれないよね。少なくともロンドンではそうなって来ているし、僕らが最初に日曜の日中のパーティをはじめた動機のひとつに、ロンドンの土曜日の夜だと多くのクラブが3時に閉店してしまって、ひとつのパーティを作り上げるには時間が短過ぎるという不満があった。だから日曜の午後2時~10時半までの時間があれば、もっと色んなことができると思ったんだ。だから、そうやって遊び方を変えてみるのもひとつの方法かもしれない。

つまり、secretsundazeみたいなパーティをやってみれば? と(笑)。

J:その通り(笑)!

インタヴューの完璧な〆をどうもありがとうございました。それでは日本でお待ちしてますね。

J:ありがとう。パーティで待ってるよ。

11/8(木) 21:00~ secretsundaze presents Giles Smith and James Priestley @ Dommune
観覧の予約はこちら:https://www.dommune.com/reserve/2012/1108/

11/10(土)20:00~ secretsundaze tokyo @ Galaxy
出演:Giles Smith, James Priestley & Kez YM
https://www.thegalaxy.jp/programme/secretsundaze.php

11/11(日)19:00~ secretsundaze osaka @ Circus
出演:Giles Smith, James Priestley, Ageishi & Ono
https://circus-osaka.com/events/secretsundaze/

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