「You me」と一致するもの

Gotch - ele-king

 「ミュージシャンは黙って音楽だけやっていろ」。こんな批判を受けながら、アジアン・カンフー・ジェネレーションのゴッチこと後藤正文がツイッター上でリスナー(?)にネチネチと絡まれているのを見たのは一度や二度ではなかったと思う。「世界が見たい」ではなく、現実をいかに都合よく忘れさせてくれるか。おそらくは「夏フェスに参戦」を習慣としているのであろうタイプのリスナーたちが、音楽に対して何を欲望しているのかがあまりにも露骨に顕在化しているようで、僕は何とも言えない気持ちになった。
 と同時に、あの手のリスナーを育てたのは他ならぬアジアン・カンフー・ジェネレーションや銀杏BOYZ、バンプ・オブ・チキンといった世代のバンドなのだと思うと、僕はさらに何とも言えない気持ちになる。そう、おそろいのタオルやリストバンドが舞うフェスで順当に出世する若手のロック・バンドが揃ってノンポリティカルで、それぞれに閉塞し完結した世界観でファンを囲い込んでいる現象は、彼らが連帯保証的に責任を負うべきものだろうし、銀杏BOYZ×花沢健吾のペアもそうだが、アジアン・カンフー・ジェネレーションが浅野いにおとの親和性を前景化したのも功罪相半ばだった。
 そうした状況に落とし前をつけるべく、などと言ったらミスリードになるかもしれない。しかし、周知のように後藤は震災以降、原発、風営法、都知事選といったイシューで明確な態度表明を行ってきたわけだが、リスナーになじられながらも現在のポジションを選んだ背景にはそのような責任感もあったのでは、と想像する(本作のタイトルは『いつまでも若くはいられない』だ)。バンド名義で発表された“ひかり”や“夜を越えて”といった楽曲には、彼(ら)がどのような葛藤のなかにいたかが刻まれている。そして、ザ・タイマーズの歴史への表敬訪問。それは、ここ数年で加川良の“教訓I”や高田渡の“自衛隊に入ろう”あたりの楽曲がプロ/アマ問わずに全国で召喚されていった現象と見事にシンクロしていた。

 しかし、後藤のソロ・デビュー作となった本作『Can’t Be Forever Young』は──おそらくは大方の予想を裏切るかたちで──いわゆるプロテスト・ソングのコレクションになっているわけではない。むしろ雰囲気はリラックスしている。と言うか、この人の愚直なまでの誠実さと不器用さを見てきた人間としての願いはたったひとつ、「自分の趣味だけでアルバムを作ってみて欲しい」ということに尽きたわけだが、本作ではそれが試験的にだが実践されている。ここ数年来、常にある種の緊張関係を強いてきたリスナーとの和解を試みるかのように。
 フォークやカントリーといったルーツ・ミュージックを軽やかに取り入れた“Stray Cats in the Rain”から、ブロークン・ソーシャル・シーンあたりのUSインディを思わせる手触りの“Humanoid Girl”や、どこかウィルコ風の“A Girl in Love”のような曲、あるいは風営法問題に取り組む人たちに捧ぐかのようなエレクトロニック・ビートが打ちこまれる“Great Escape from Reality”のような曲もあれば、ベックやオアシスといった自身のルーツである90年代の洋楽ロックがブレンドされたような曲(“Wonderland”や“Sequel to the Story”)もある。ここには、自身にまとわりついた音楽的なイメージをまず払拭しようとする意志が、メッセージよりも先にある。このあたりはゲスト・ミュージシャンの人選に拠るところも大きい。

 一方で、政治的な主張を直接取り込んだような曲が一曲でもあれば、(いわゆる「炎上」としての話題性も含めて)より面白かったかもしれない、とは思う。しかし、ひとりのリスナーとしてまず安心できたのは、彼の一連の行動が「欺瞞からの突然の覚醒」といったある種の危なさを伴うものではなかった、ということが示された点だ。あるいは、例えば後藤が編集長を務める『THE FUTURE TIMES』の最新06号、「たくさんの人が乗り遅れてしまうような速度で、僕たちの社会は走っているのではないか」と綴られる巻頭言に象徴されるように、この3年間の活動で彼が得たある種の「分断」の実感がそうさせたのかもしれない。そう、彼が探しているのはラディカルな政治の言葉ではなく、膨大な論点ごとに細かく分断された震災以降の「僕たち」を共振させられるような言葉なのだと思う。
 そうした視点に立つと、本作に通底するテーマは「死」だろうか。乱暴な仮説だが、2011年にあのようなことが起こることが分かっていたら、アジアン・カンフー・ジェネレーションはこの10年でまったく違った活動を選んでいたかもしれない。しかし、人生を最初からやり直すことはできないし、そんなことを考えているうちにも人生は絶え間なく前へ前へと押し流されてしまう。最後に待っているのは平等に死だ。いまこの瞬間、歴史の進行に自分が少しでもかかわっていて、それを強く意識したとしても、結局は人間のほうが滅びざるを得ない、その生の不可逆性と一回性を受け止めることから、何かをスタートさせようという――ベタと言えばあまりにもベタな、しかし――普遍的な思いがリリカルに綴られている。

 ところであれは、どれくらい前の話になるのだろうか。「この曲のアウトロがね、本当にたまらないんですよ」――筆者にとっての主たる音楽情報メディアがまだラジオだったころ、後藤正文はそう言ってウィーザーの“Only In Dreams”を嬉しそうにかけていた。「でも夢から醒めると/すべては消えてしまうんだ」――夜の音楽番組で、リヴァース・クオモは消え入りそうな声で歌っていた。分厚いギターの壁も、彼とともに泣いているようだった。あれから何年経ったのだろうか、後藤が中心となって発足したレーベルには<only in dreams>という名が付けられた。
 「夢から醒めると/すべては消えてしまう」――しかしいま、この言葉はあまりにも多義的に響く。そう、すべては夢のなかだ。掴みかけたかに思えた理想や、あるいは2004年のダブル・プラチナ・アルバム『ソルファ』の頃の成功でさえも。しかし、ある種の分断や挫折を経験することによって、いまの後藤やアジアン・カンフー・ジェネレーションは、「他者」という存在に絶え間なく晒され続けている。それこそがロック・ミュージックの「現場」だろう。バンドとしても、どこかふっ切れた感がある“ローリングストーン”を発表するなど、これからどうやって歳を取っていくのか、俄然楽しみになってきた。「現実を忘れて都合のいい夢をもう一度見る」でもなく、「政治の季節をアツく過ごす」のでもなく、彼(ら)は第三の道を見つけられるだろうか。

マージナル=ジャカルタ・パンク - ele-king

 インドネシアに熱いパンク・シーンがあるという話はけっこう前から小耳に挟んでいたし、日本からもFuck on the BeachやCheerio、Jabaraといったアンダーグラウンドなハードコア・バンドがインドネシア・ツアーを行って現地バンドと交流しているのも知っていた(FxOxBは東南アジア・ツアーで共演したジャカルタのバンドRelationshitとスプリットCDもリリースしている)。
 そんなジャカルタのパンク・シーンに興味を持ち、取材を続けている日本人女性がいる、ということを都築響一さんがメルマガの記事にしていた。
https://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=294
https://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=297

 メルマガでの、フォトジャーナリストの中西あゆみさんへのインタヴューでは、彼女がどのようにジャカルタのパンクに興味を持ち、紆余曲折を経てシーンの中でもある種特別なポジションにあるバンド、マージナルと出会い、彼らに魅せられて取材を続けていったのかが紹介された。最終的にはマージナルのドキュメンタリー映画として完成させることが目標となっているプロジェクトだが、資金調達を兼ねた経過報告として、ライヴハウスなどでの小規模な上映会が行われたのが昨年秋のこと。その際、ぼくは中野のライヴハウス〈ムーンステップ〉で、Cheerioなどいくつかの日本のバンドのライヴと併せた形で行われた上映会に足を運んだ(そのときのことはブログにも書きました。ここで一気に心をつかまれた。

 いわば高度経済成長期にあるインドネシア、とくにジャカルタでは大規模な都市開発が進む一方で、少なからずそれに取り残された人々が存在する。マージナルは学校に行くこともままならないような貧しい子どもたちにウクレレを提供して演奏を教え、自分自身で日銭を稼ぐ術を与えている。バンドの音楽性は代表曲“レンチョン・マレンチョン”をはじめ、人懐っこくも力強いシンガロングをフィーチャーしたフォーク・パンクともいうべきものだが、子どもでも演奏できることが想定されているのだと思うとそれもまた納得できる。



 さらには自分たちが住む住居をコミュニティ〈タリンバビ〉(「豚の牙」の意)として近隣の子どもたちに場所を提供しているのである。バンドのマーチャンダイズ、そしてバンド・メンバーたちによる版画やタトゥーの収入などで家賃を捻出し、みんなで食事をしている姿には、CRASS以来のアナーコパンクの理想が地に足をつけて息づいていることがまざまざと感じられる。

 さて、じつはぼくは1月にインドネシア旅行に行ったので、その際に〈タリンバビ〉を訪れている。数日前からメールや電話でコンタクトを試みていたのだがぜんぜん連絡が取れずにおかしいなと思っていたのだけれど、住所はわかってるからとりあえず行ってみることにした。タクシーの運転手にその住所を見せたところ、「そのあたりは洪水の被害に遭っているから行けないかもしれないよ」と。たしかにちょうどその時期は雨季にあたり、何度か土砂降りにあったりもしていたのだが、それで連絡がつかなかったのか……。でもせっかく来たので「なんなら泳いでいくからとにかく行けるとこまで行ってくれ」とタクシーを走らせて一路郊外へ。1時間ほども走ったところで、「この先だよ」と言って、小さな路地を指差される。見るとたしかに、一歩路地に入ると膝まで水に浸かっている。まあ仕方ない、ここまで来たら行くしかないとザブザブと入っていく。

 道の両脇には民家が並んでおり、ぶらぶらしている人がいるので、前方を指差して「タリンバビ?」と聞いたりしていると、ちょっと前を歩いている女の子たちが「あなたたちもタリンバビに行くの? わたしたちも行くからいっしょいっしょに行こう」と言ってくれた。マレーシアから来たという。
 数十メートルも歩いていくと、小さな一軒家にたどり着く。「ハローハロー」とか言いながら入っていくと、マージナルのヴォーカリスト、マイクや子どもたちが笑顔で迎えてくれた。

 マイクは昨年の上映会の際に来日しており、終了後にぼくもちょっと挨拶もしたのだけど、幸いこちらのことを覚えていてくれて、そこから1時間ほどいろんな話をしてくれた。
マージナルはそもそもスハルト政権時代に、政府に抗議する学生運動を通して生まれたこと、近所の人たちとはうまくやっていて政府から弾圧されるようなことがあってもみんなが守ってくれること、近所の子どもたちからすればタリンバビは第二の我が家みたいなものだということ。洪水の被害は心配していたほどではないようで、雨季にはよくあることなので洪水が来れば近所同士で声を掛け合い、手助けしあって荷物を二階に運んでいること等々。


 そうはいっても大変だろうからせめて何かの足しにでもと思い、Tシャツを買うと申し出たのだけれど、むしろこんな状況でおもてなしもできなかったからと言ってTシャツやらパッチやら次々と「いいから持って帰れ」と言ってこちらに渡してくるので、このままいるとどんどん物をもらうことになってしまいそうなので、再会を誓って帰ることに。
 映画のとおりの魅力的な人物だった。短い滞在だったがいっしょに行った妻(ロックとかパンクとかはぜんぜん興味がないというかむしろ嫌いなのだが)も、マイクの暖かい人柄に、すっかりファンになったのだった。

 そして、そのマイクとマージナルがやってくる。すでにアップリンクにてドキュメンタリー映画(「2014年春版」としてアップデートされている)の上映ははじまっており、マイクおよびバンドのもうひとりの顔であるボブは上映にあわせて一足先に来日してアコースティック・ライヴや版画のワークショップを行っている。「パンク」というものに多少なりとも思い入れを持っているすべての人に見てほしいと思う。



■マージナル=ジャカルタ・パンク 2014年春版
Jakarta, Where PUNK Lives ? MARJINAL


© AYUMI NAKANISHI

渋谷アップリンク・ファクトリー
料金一律¥1,500(別途ドリンク代)
https://www.uplink.co.jp/movie/2014/25940

・5/11(日)アコースティックライヴ&版画ワークショップ
(ゲスト:MARJINAL Mike&Bob)
※5/11(日)版画ワークショップは開場時間から始めさせていただきます。
・5/12(月)アコースティックライヴ
(ゲスト:MARJINAL Mike&Bob)
・6/11(水)トークショー ゲスト近日発表
・6/12(木)トークショー ゲスト近日発表
・6/13(金)トークショー ゲスト:都築響一、中西あゆみ

さらにはほかのメンバーが合流し、バンドとしてのツアーも続く。タートル・アイランド主催の「橋の下音楽祭2014」に出演するほか、各地のすばらしいアンダーグラウンド・ハードコア・バンドたちとの共演や映画上映、ワークショップ等が行われる。

5/16 (Fri): 中野MOONSTEP(東京)
517&18 (Sat)(Sun): 豊田橋の下音楽祭. "SOUL BEAT ASIA 2014," (愛知)
5/19 (Mon): 四日市VOTRTEX(三重)
5/21 (Wed): CAFE BORDER(広島)
5/24 (Sat): PLAYER'S CAFE(沖縄)
5/25 (Sun): 新宿ANTIKNOCK(東京)
5/28 (Wed): 横浜CLUB LIZARD(神奈川)

まだまだGW圏内!
いま公開中、もしくはもうすぐ公開の注目映画をいくつかご紹介いたします。


© Final Cut for Real Aps, Piraya Film AS and Novaya Zemlya LTD, 2012
アクト・オブ・キリング
監督/ジョシュア・オッペンハイマー
配給/トランスフォーマー
シアター・イメージフォーラム 他にて、全国公開中。

 ドキュメンタリー映画としては……いや、ミニシアター系のなかでも、異例の動員となっているらしい。本作については水越真紀さんと紙エレキングで対談したのでそちらをご参照いただきたいが、そこに改めて付け加えるとすれば、やはりこれだけ世界的にも評価された上に多くの映画好きの心を掴んだのは、これが非常に含みのある、映画についての映画となっているからだろう。すなわち、映画はどういうところで生まれるのか、どうしてわたしたちは映画を観ることを欲望するのか? 幸運なことに僕は監督にインタヴューする機会に恵まれたのだが、そこで尋ねるとこんな風に答えてくれた。「映画というのは、現代でもっともストーリーテリングに長けたメディアです。この映画では、人間が自分を説得するためにどのように“物語るか”ということに関心がありました。インドネシア政権も、嘘の歴史を“物語って”いるわけですから」。『アクト・オブ・キリング』は、虐殺の加害者たちが自分たちの過去を自慢げに“物語る”様をわたしたちが「観たい、知りたい」と思う欲望を言い当てているのである。つまり、それが映画の罪深さであり、同時に可能性であるのだと。わたしたちはその欲望を入り口としながらも、思わぬ領域までこの「映画」で連れて行かれる。
 この映画で何かが具体的に解決するわけではないが、政治的であると同時に優れてアート的で示唆的だという点で、歴史に残る一本となるだろう。ヒットを受けて、都心部以外の上映も次々と決まっている。ぜひ目撃してほしい。

予告編


©2013 AKSON STUDIO SP. Z O.O., CANAL+CYFROWY SP. Z O.O., NARODOWE CENTRUM KULTURY, TELEKOMUNIKACJA POLSKA S.A., TELEWIZJA POLSKA S.A. ALL RIGHTS RESERVED
ワレサ 連帯の男
監督/アンジェイ・ワイダ
出演/ロベルト・ヴィェンツキェヴィチ、アグニェシュカ・グロホフスカ 他
配給/アルバトロス・フィルム
岩波ホール 他にて、全国公開中。

 もし10代、20代に「いま上映している映画で何を観ればいいか」と問われれば、僕はこれを推薦したい。ポーランドの超大御所、アンジェイ・ワイダによる〈連帯〉のレフ・ワレサ(正しい発音はヴァウェンサ)の伝記映画……というと、堅苦しいものが想像されるかもしれないが、これが非常に熱い一本となっているのは嬉しい驚きだ。政治的にはワレサと袂を分かったらしいワイダ監督だが、ここでは彼の歴史的な功績を描くことに集中しており、彼の傲慢さも含めてエネルギッシュな人物像が魅力的に立ち上がっている。本作ではイタリア人女性ジャーナリストによるワレサへの有名なインタヴューが軸になっているのだが、そこでふたりがタバコをスパスパ吸いながら遠慮なくやり合う様など、どうにも痛快だ。高揚感のある政治映画はある意味では危険だが、そこはワイダ監督なので労働者……民衆を中心に置くことに迷いはない。そして80年代のポーランド語のロックとパンクがかかり、ワレサのダブルピースが掲げられる。かつての理想主義、そして政治参加という意味で、スピルバーグの『リンカーン』と併せて観たいところ。 



© 2013 UNIVERSAL STUDIOS
ワールズ・エンド
酔っぱらいが世界を救う!

監督/エドガー・ライト
出演/サイモン・ペッグ、ニック・フロスト 他 
配給/シンカ、パルコ
渋谷シネクイント 他にて、全国公開中。

 サブカル好きにもファンが多い、『ショーン・オブ・ザ・デッド』、『ホット・ファズ』チームによる新作。高校時代は輝いていたが中年になって落ちぶれた主人公が幼なじみを地元に集め、かつて達成できなかった12軒のパブのハシゴ酒に挑戦するが、町はエイリアンに支配されていて……というB級コメディ・アクション、そしてどこまでも野郎ノリなのはこれまで同様。そこに無条件に盛り上がるひとも多いみたいだけれど、僕はこの「(男は)いつまでもガキ」な感じに完全に乗ることはできないし、プライマル・スクリームの“ローデッド”ではじめるオープニングもちょっとベタすぎると思う。が、書けないけどラストである反転が用意されていて、それは本当に感心した。マイノリティというのはべつに、「人数が少ない」ことではないし、また「虐げられた同情すべきひとたち」でもない。それは選び取る立場なのだ……という決意。その1点において、僕はこの映画を支持する。イギリスの音楽もいろいろかかります。

予告編


© 2013- WILD BUNCH - QUAT’S SOUS FILMS – FRANCE 2 CINEMA – SCOPE PICTURES – RTBF (Télévision belge) - VERTIGO FILMS
アデル、ブルーは熱い色
監督/アブデラティフ・ケシシュ
出演/アデル・エグザルコプロス、レア・セドゥ 他
配給/コムストック・グループ
ヒューマントラストシネマ有楽町 他にて、全国公開中。

 90年代のサブカル系少女マンガと近い感覚を指摘するひともいてたしかにそうなんだけど、フランス映画らしくバックグラウンドにはっきりと社会が描かれていることは見落としてはならないだろう。あるふたりの女同士のカップル(「レズビアン」であることを強調はしない)の蜜月と別れを3時間に渡って辛抱強く描くのだが、それぞれが属する異なる社会的階層がその土台にある。美学生のエマはアーティストである種のエリートだが、主人公のアデルは一種の社会奉仕的な立場としての教師という職業に身を捧げていく。ある苛烈な愛を描きながらも、そこからむしろ離れたところで使命を見出していくひとりの若い女性の感動的な歩みを映している。それぞれの立場を無効にするのが激しいラヴ・シーンなんだろうけど、それが過度にスキャンダラスなまでに絵画的に美しく描かれているかどうかは、正直判断しがたい。が、それ以上にラスト・カットのアデルの歩き去る姿、それこそがこの映画の芯だと僕は感じた。その瞬間のための3時間だと。

予告編


Photograph by Jessica Miglio © 2013 Gravier Productions, Inc.
ブルージャスミン
監督/ウディ・アレン
出演/ケイト・ブランシェット、サリー・ホーキンス、アレック・ボールドウィン 他
配給/ロングライド
5月10日(土)より、新宿ピカデリー、Bunkamuraル・シネマ 他にて全国公開。

 ここのところヨーロッパで軽妙なラヴコメを撮っていた印象のウディ・アレンだが、これもまた彼のシニカルさの純度を研ぎ澄ましたという意味で、あまりに「らしい」一本。いや、『それでも恋するバルセロナ』(08)辺りと比べても、あの最後のカットの虚しさを引き伸ばしたものだとも言えるだろう。セレブ暮らしだった女がその虚栄心ゆえに落ちぶれていく様を、ただただ「まあ人間こんなもんだよ」という認識であっさり描いているのだが、それでもケイト・ブランシェットのエレガントな壊れ方はパフォーマンスとして優れている(相変わらず発話が素晴らしい)。それを肯定も否定もせず、そこに「在るもの」として簡潔に見せてしまうために彼女の力が必要だったのだろう。80歳目前のアレンのこの冷めた見解にはある意味呆然とするが、しかしある種の救いを今後の彼の作品に期待するのも見当違いなのかもしれない。

予告編

DJ WADA (Sublime, Dirreta) - ele-king

今年セルフレーベルDirretaを始動させました!
1枚目のEPからCloudy Spaceです。
よろしくお願いします!
https://www.youtube.com/watch?v=gbta_1GYz5g
https://www.facebook.com/beetbeat

DJ WADA chart


1
Jah Wobble, PJ Higgins - Watch How You Walk (Red Rack'em Remix) - Sonar Kollektiv

2
DJ Koze- Nices Wolkchen (Robag's Bronky Frumu Rehand) - Pampa Records

3
Pharaohs - If It Ever Feels Right (Tornado Wallace Remix) - ESP Institute

4
Santos - Garlic (Original Mix) - Dissonant

5
Jacob Husley, August Jakobsen - Blue (Minilogue Remix) - WetYourSelf Recordings

6
Kenny Larkin - You Are (C2 Remix) - Planet E Communications

7
Petar Dundov - Rise (Original Mix) - Music Man Records

8
DJ Kaos - Swoop (Club Edit) - Jolly Jams

9
DJ WADA - Cloudy Space - Dirreta

10
Richter - Natura Contro (Dj Wada Remix) - The Zone Records

彼らこそはライヴ・バンド - ele-king


65daysofstatic
Wild Light

Superball Music / 残響

Amazon Tower HMV

 65デイズオブスタティックは、なによりもまずライヴ・バンドだという点が重要だ。彼らの音についての「静と動のダイナミズム」という謳い文句は、レコード・ショップの試聴機からドラマチックな展開をみせたという『ワン・タイム・フォー・オール・タイム』(2005年、セカンド)リリースの頃によく目にしたものだが、それはあの構築的で緊張感漲るサウンドやサンサンブルを寸分の狂いなく表現していた。
 モグワイらをポストロックと呼んだそのポスト──轟音を激情でさらに煽り、それと駆け引きをするかのような計算やプログラミングをマスロック的な感性で対置させ、エイフェックス・ツインの叙情も一刷け、さらにはグリッチ、IDM的な佇まいまで有したポスト・ポストロックの肖像。盤でこそ表現可能だとも思われたあのサウンドを、しかし彼らはバンドという人力スタイルで提示する。


One Time For All Time(2005年)


The Fall Of Math(2004年)

 イギリスはシェフィールドにて結成された4人組インスト・バンド、65daysofstatic。2005年に発表されたセカンド・フル『ワン・タイム・フォー・オール・タイム』は、彼らの真骨頂たる轟音ノイズ+構築的楽曲&アンサンブル+トドメのピアノ・フレーズという圧倒的な様式性によって日本においても大きく支持を得た。麗しき中二心を刺激されたティーンも多かったことだろう。同年にはファースト・アルバム『ザ・フォール・オブ・マス』の日本盤もリリースされ、「マスロック」という呼称の一般化とともに多くのロック・リスナーの記憶にとどめられる存在となった。

 あれから10年。その間もたゆまず新譜を発表しつづけていた彼らだが、2010年の〈METAMORPHOSE〉以来、久々となる来日公演が決定した。そう、彼らがとりもなおさずライヴ・バンドであるということを、われわれはまたまざまざと見せつけられることになるだろう。昨年2013年には5枚めとなる最新作『ワイルド・ライト』を発表し、轟音よりもむしろ空白と間隙をめいっぱいに活かすようにして緊張感を生み出す、成熟したいまの姿を見せてくれた。これがどのように演奏されるのだろうか。

 動かざること山の如し、しずかなること林の如し。動くときには火のように……あのしずかな熱狂をもういちど感じに出かけよう。サポート・アクトにはアニメ『進撃の巨人』の後期エンディング・テーマとして楽曲が使用されたことでも知られるエモ/ポストロック・バンド、cinema staffが登場。〈残響〉的な世界観をしなやかに進展させる新鋭だ。


ツアー・トレイラー

■65daysofstatic ジャパンツアー


65daysofstatic

大阪
5月13日(火) @ 梅田AKASO
Support act: cinema staff
OPEN 18:00/ START 19:00
TICKET¥5,500(オールスタンディング/税込)
<問>キョードーインフォメーション 06-7732-8888

東京
5月14日(水) LIQUIDROOM
Support act: cinema staff
OPEN 18:00/ START 19:00
TICKET¥5,500(オールスタンディング/税込)別途 1 ドリンク
<問>クリエイティブマン 03-3499-6669

65dayofstatic: https://www.65daysofstatic.com
残響レコードHP内イベントページ: https://zankyo.jp/event/469

65daysofstatic - 「Prisms」MV




【cinema staff】
飯田瑞規(Vo&Gt)、辻友貴(Gt)、三島想平(Ba)、久野洋平(Dr)からなる 4 人組ギター・ロック・バンド。2003 年に飯田、三島、辻が前身となるバンドを結成し、2006 年に久野が加入して現在の編成となる。愛知、岐阜を拠点にしたライヴ活動を経て、2012 年 6 月に 1st E.P.「into the green」でポニーキャニオンよりメジャーデビュー。2013 年 8 月には TV アニメ「進撃の巨人」後期 ED テーマとなった「great escape」をシングルリリース。 オルタナティヴ、エモ、ポストロックに影響を受けたポップなメロディとアグレッシヴなギ ターサウンド。繊細かつメロディアスなボーカルで着実に人気を高めている。

Brainfeeder 4 - ele-king

 だから言ったでしょ。5月は忙しいって。で、5月23日の〈ブレインフィーダー〉のパーティ、これがすごい。メンツがとにかくすごい。フライング・ロータスとその仲間たち、そして、ゴストラッド、シミラボ、セイホー……とにかく、とんでもないメンツ。

 そもそも、同レーベルのパーティは、日本でこれまでに3回開催されているが、レーベルを主宰するフライング・ロータスが来たのは最初の1回目だけ。2012年のエレグラや去年のフジロックで、彼はいままでこまめに来日をしているものの、クルーに囲まれた彼の姿をファンはずっと待っていた。今回の「ブレインフィーダー4」、フライング・ロータスは仲間を引き連れてやって来る。ライヴセットでは音を操り、そしてキャプテン・マーフィーとしてマイクも握る!

個性派ぞろいの〈ブレインフィーダー〉だが、今回来日するクルーは、クラブの領域には留まらない越境者が多くいる。
 前回の「ブレインフィーダー3」で、圧倒的なテクニックとセンスを披露したサンダーキャット。彼はキャプテン・マーフィーのバックバンドも担当する。
 テイラー・マクファーリンは要注目だ。この若い才能は、ちまたで議論を呼んでいるロバート・グラスパーのような、新感覚ジャズ系のミュージシャンからもあつい支持をえている。アルバムのリリースも控えているので、ある意味では今回もっとも注目を集めるかもしれない。
 4月に来日したばかりのティーブスも出る。今回は、彼のもうひとつの顔であるグラフィティ・アーティストとしてもライヴ・ペインティングを披露する。
 2011年から〈ブレインフィーダー〉に参加し、テクノロジーを駆使してヒップホップと向き合うモノ/ポリーのステージも見逃せない。

で、日本からも最高のメンツが登場するぞ。
 なんと……3月に傑作『Page 2 : Mind Over Matter』を発表したばかりのSIMI LABが登場。夢がある共演というか、これはサプライズですね。
 また、〈Day Tripper Records〉を主宰し、特定のジャンルに縛られない世界を追求するレイヴ男、SEIHOも出演決定だ。

〈ブレインフィーダー〉が日本のDJをキュレーションするという企画もある。
 出演者は、まずはベース・ミュージックを突き詰める我らが英雄、ゴス・トラッド。そして、〈ハイパー・ダブ〉からもリリースがあるQuarta330。関西で活動し、ジャンルを越境するOKADA。アメリカのヒップホップ・シーンも唸らせたDJ SARASA。どうだ、圧倒的な独創性を放つラインナップになっているだろう。

 筆者のように、10代の頃にフライング・ロータスを通して、最先端のクラブ・ミュージックを聴くようになった人は少なくはない。世界においても、日本においても、ここ数年でフライング・ロータスは本当に大きい存在になった。それにつけても、今回はビッグな〈ブレインフィーダー〉祭だ。5月はこれでしめるぜ! (Y.T)

 

 

interview with JAPONICA SONG SUN BUNCH - ele-king


JAPONICA SONG SUN BUNCH
Pヴァイン

Tower HMV Amazon

 BREEZEが心の中を通り抜ける。というよりは、血沸き肉踊るような熱く飛び跳ねる色とりどりの多彩なリズムが、いちど聴いたらすぐに忘れさせてはくれないグッド・メロディが、ひとときに身体を絡めとって離さない。色気たっぷりの歌ときらめくスティールパンが舞い踊る。ファンキーでラテン・ミュージック・オリエンテッド、トロピカルにカラッと乾いていてスムースでジャジー、クールだけれどとってもホット――それにエロティック。

 月にいちど新宿歌舞伎町の地下、〈新宿LOFT〉で催される、1000円で2時間飲み放題という狂騒の〈ロフト飲み会〉において熱気が地上に噴き出してしまいそうなパワフルな演奏を「余興」として繰り広げてきたジャポニカソングサンバンチ。藤原亮(フジロッ久(仮))の脱退、という残念なニュースはあったものの、“クライマックス cw/恋のから騒ぎ”の7インチ・シングルの発表を経てとうとう彼/彼女らのデビュー・アルバムが完成した! 分厚いホーン・セクションを塗り重ね、老若男女が歌って踊れる歌謡ダンス・ミュージックが鳴らされる現場の模様を見事な鮮度で音盤化した快作である。

 ここには先の2曲はもちろんのこと“かわいいベイビー”や“踊り明かすよ”などなど、笑っちゃうほどポップで開放的な楽曲も収められている。2014年の『泰安洋行』、なんて呼ぶにはこの『Japonica Song Sun Bunch』は軽やかにすぎるし色気がありすぎる。

 バンドのソングライターにしてセクシーなヴォーカリストである千秋藤田(でぶコーネリアスのフロント・マンでもある)を中心に、トロピカル・ダンディーことスガナミユウと鍵盤奏者しいねはるか(もちろん両者ともGORO GOLOのメンバー)を交えて話をきいた。あなたのハートかっさらう歌謡舞踏音楽一味、ジャポニカソングサンバンチのインタヴューを、どうぞ!

■ジャポニカソングサンバンチ
メンバーは千秋藤田(Vocal & Sax)、きむらかずみ(Steel Pan)、 キムラヨシヒロ(Bass)、 しいねはるか(Piano & Keyboard)、太田忠志(Drum)、スガナミユウ(Direction & Guitar)。でぶコーネリアスのフロント・マンとしても輝かしい作品を発表しているジャマイカ生まれのアーティスト、千秋藤田を中心に、〈音楽前夜社〉の面々がバック・バンドを務める話題の音楽プロジェクト。毎月1 回、〈新宿ロフト〉のバー・スペースにて、夜20 時から2 時間1000 円ポッキリで飲み放題の「ロフト飲み会」をショウパブ・スタイルで開催。


『ビートマニア』世代なので。あれをやっているとジャンルが切り取られて、ジャンルがゲームのなかで確立されるんですよ。あれはイケないツールですね。人間が逆にシーケンスされてるっていうか(笑)。 (千秋)

まず、ジャポニカソングサンバンチ(以下「ジャポニカ」)がどういうふうにはじまったのかを教えてください。

スガナミ:ジャポニカをはじめたのは2011年の夏です。

千秋:その前に別のバンドでジャポニカの曲をすでに演奏していたんですが、あまり形になっていなくて。〈音楽前夜社〉という凄腕たちと出会って、彼らが「千秋の歌、やってみようか」と言ってくれたので、〈音楽前夜社〉といっしょにジャポニカをはじめました。

スガナミさんないし〈音楽前夜社〉と千秋くんの出会いはどういうきっかけだったの?

千秋:俺はGORO GOLOのファンだったんです。GORO GOLOは一度解散をしたんですけど、2010年頃に復活したときによくライヴを観に行っていました。そしたらGORO GOLOのメンバーの方たちに俺を紹介してくれて。それから(スガナミ)ユウくんが俺の曲を聴いてくれて、「千秋の曲を理想の形に近づけたい。千秋の曲をやりたい」と言ってくれたので、俺も「〈音楽前夜社〉とやりたい」と相思相愛の形でジャポニカソングサンバンチとしての活動をはじめました。

千秋くんのやりたかった音楽というのはジャポニカでかなり形になっている?

千秋:うん。

たとえば、ファンクとかラテンのリズムがジャポニカの音楽にはすごく入っていると思うんだよね。千秋くんはでぶコーネリアスというパンク・バンドでデビューしているわけだけど、そういう音楽は昔から好きだったの?

千秋:それは昔から好きでした。そこはでぶコーネリアスよりはやりやすくなった。バランスなんですよ。(ジャポニカはファンクやラテンのリズムを)もっと前に出せるようなメンバーでもあるから、すごくやりやすくなったんです。

でぶコーネリアスの『SUPER PLAY』(2009年)っていうアルバムではファンキーなこともやっていたよね。だからそこからジャポニカへつながっているのかな、と思っていた。

千秋:それもありますね。比重というかバランスなんですけど、そこ(でぶコーネリアス)で遊びでやっていた部分を、こっち(ジャポニカ)で思いっきしやるというのはあるのかもしれないです。

スガナミ:ハードコア・マナーでやっていた部分をもっとラテンとかに寄せた。

千秋:(ジャポニカは)歌もあるので別次元でやりたいな、と思って。

千秋くんはジャマイカ生まれだけど、レゲエはやらないの?

千秋:レゲエはやらないっす(笑)。レゲエできるのかなあ?

アルバムを聴いて意外だなって思ったんですよね。1曲はレゲエが入ってくるんじゃないかと思って。サルサとかカリプソっぽい曲はあるけど。

千秋:レゲエ、難しいんですよね。でも最近、レゲエっぽいことをスタジオでやっています。でもレゲエにはしないと思う(笑)。ソカとかそういう音楽のほうへいこうかなって思っています。

そういう中南米系の音楽はいつ頃から聴いているの?

千秋:『ビートマニア』(コナミ、1997年)世代なので(笑)。あれをやっているとジャンルが切り取られて、ジャンルがゲームのなかで確立されるんですよ。

それはすごい話だね(笑)。

千秋:あれはかなり影響力があります。ゲームに合わせて(パッドを)指で叩くじゃないですか。それが小学4年生ぐらいのときかな、めっちゃ流行ったんすよ。ゲーセンでずーっとやってて。

『ビートマニア』でいろいろなリズムが叩きこまれたんだね(笑)。

千秋:そうそう。ボサノヴァとかジャングル・ビートとか。ハウスもあったしレゲエもあったしヒップホップもあったし。あれはイケないツールですね(笑)。人間が逆にシーケンスされてるっていうか(笑)。

機械から人間がシーケンスされている(笑)。

千秋:それはゲームとしてやっていたから、意識的なことではないんですけど。

でもそれが原体験として血肉化されている。

千秋:あと『ダンスダンスレボリューション』(コナミ、1998年)もあったし!

はははは! 『ダンレボ』だ。

千秋:「ワン・トゥー」が入ってるんすよねー。

スガナミ:スペシャルズの“リトル・ビッチ”?

僕、やったことないんだよね。

千秋:おもしろいですよ。小学生の頃、(『ダンスダンスレボリューション』)専用のコントローラーが買えなくて、段ボールで作って……。

(一同爆笑)

千秋:授業中、それを叩いたりこすったりして、真似事をしてたんですよね。

しいね:DIYの歴史があるんだね(笑)。

千秋:1プレイ100円って、小学生にとってはけっこう高いので。

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「バンチ」っていうのは、「グループ」「一味」っていう意味で。「sun bunch」と「三番地」でダブル・ミーニングになるのかな(笑)。  (千秋)


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ジャポニカソングサンバンチっていうバンド名はすごくいいなと思う。

千秋:ありがとうございます。

「バンチ」っていうのは英語の「bunch」なわけじゃん?

千秋:そうですね。

日本語の「番地」ともかかってる。「bunch」って「集団」とか「仲間」とかいろいろと訳があって、いちばんおもしろかったのが「一味」っていう訳。

(一同笑)

スガナミ:「一味」いいね。

「一味」っぽさがジャポニカにはあるのかなって。

千秋:手分けしてものを盗んでそうっすね(笑)。

ワイルド・バンチって実在の窃盗団がアメリカにいて、サム・ペキンパー監督の『ワイルドバンチ』っていう映画もあるんですけど。あと、マッシヴ・アタックの前身のグループがワイルド・バンチ。

一同:へー!

そういう不良っぽさがジャポニカにはある。というか、千秋くんにあるなあと(笑)。バンド名はどうやって決めたの?

千秋:(バンド名を)どうしようかな、みんなで決めようってなってて。最初は「デラベッピン」とかすごくいなたい名前になりそうになって、これはマズいと思って(笑)。

スガナミ:「ジャポニカリズム○○」みたいなのもあったよね?

千秋:そうですね。友だちと富士サファリパークへ行った帰りに、「ジャポニカソングサンバンチ」にしよう、と思いついて。

「バンチ」っていうのはもちろんそういう意味で使ってるんだよね?

千秋:うん。「グループ」「一味」っていう意味で。「sun bunch」と「三番地」でダブル・ミーニングになるのかな(笑)。

千秋くんのスター感、アイドル感がジャポニカの魅力になっているかなって、ライヴを観ていて思うんだよね。昔、でぶコーネリアスのライヴを観たとき、千秋くんが光GENJIみたいな格好をしていて……頭に長いピンクの鉢巻を巻いていた。

千秋:ふふふ(笑)。

あれはいまもやってるの?

千秋:いまはもうやっていないですね。いまはTOKIOになりつつあるので(笑)。

そうなんだ(笑)。その千秋くんのパフォーマンスっていうのはそういう昔のアイドルとかにロールモデルがあるのかなと思って。

千秋:パフォーマンスは自分で飽きないように、毎回ちがうことをしておもしろくしよう、というのがつねにあるので。でぶコーネリアスと主軸は変わっていないと思うんですけど。毎回ステージに出てきて同じことをして帰るんじゃなくて、自分でもびっくりするようなことがしたい。

ハプニング?

千秋:ハプニングっすね。それが毎回、起きちゃうっていうか。なんかあるんすよね。自分では意識してないんですけど。〈(CLUB)QUATTRO〉の上、登ったらめっちゃ怒られましたね。

(一同笑)

ジャポニカとでぶコーネリアスで意識的に変えていることはある?

千秋:まず「歌を歌う」っていうのがあるから、そこかなあと思います。でぶコーネリアスは「べつに歌なんて歌わなくてもいいかなあ」っていう感じなので(笑)。

千秋くんの歌はすごく色気があるよね。節回しを工夫しているのを感じる。そこがジャポニカの歌謡曲感につながっていると思う。一聴してラテン歌謡の感じがジャポニカにはあって。アイドル・ソングや、フォーク、歌謡曲のすべてに共通するようなグルーヴや雰囲気があった頃の時代が、ジャポニカのグルーヴからは香ってくるというか。千秋くんはもともとどういうところを目指して曲を書いていたの?

千秋:もともと遊びで歌を作っていたんですよ。ライヴでやらなくてもいいから、作ったものを音源にしてただひとりで楽しむみたいな、それぐらいのレベルだったんです。そういう感じだったんですけど、これは外でやろうということになって。そこからやっていくうちにこうしていこうというのは見えてきたんですけど。もっとキッズたちに聴かせたいとか(笑)。

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ジャポニカにバラードがなくて。俺は“上を向いて歩こう”がすごく好きなんだよね。それの現代版というか、自分なりの落とし込みかたとして“愛を夢を”を作った。 (スガナミ)


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スガナミ:アルバムの曲でいちばん最初に作った曲ってなんだっけ?

千秋:“天晴れいど”じゃないですか? BGM的なノリですけどね。

スガナミ:イージー・リスニング的な。

千秋:ゲームのセレクト画面でずっと鳴ってる、みたいな(笑)。それはけっこう「パレード」に近いものがあって。延々と繰り返すメロディはどういうものなのか、って考えていたんですけど。最初に作ったのは“天晴れいど”じゃなくて“クライマックス”かな? 他の曲とはちょっと毛色がちがうと思うんですけど、“クライマックス”は完全にふざけて作っていたんですよ。もともとは「アイドルっぽいやつを作ろう」と言っていて。たとえばトシちゃんが歌うような、そういう感じのノリで作ったんです。ジャポニカでやったらぜんぜんちがう形になったんですけど。

やっぱりそういう、80年代のアイドル・ポップスがすごく好きなのかなあって感じる。

千秋:好きですね。

それはどうして聴いてたの? トシちゃんとか、光GENJIとか。

千秋:中学生のときに昭和歌謡の復刻がたくさんあって。

スガナミ:コンピレーションが出てたよね。

しいね:出てたね。「青春○○年鑑」みたいな。

千秋:べつに懐古主義ではないですけど、中学生にはすごく新鮮に聴こえるじゃないですか。あと『ルパン三世』が好きだった、ってのもあるんですけど。サントラやリミックスが出てたりして。

ああ、小西康陽さんの(『PUNCH THE MONKEY!』、1998年)。

千秋:あのシリーズが完結したぐらいの年だったんですよ。それはたぶん、意識していない刷り込みっていうか。

昭和歌謡という点でスガナミさんにお訊きしたいんですけど、“愛を夢を”は唯一スガナミさんが書いた曲ですよね。これはどういう歌なんですか? すごく昭和感が出てる(笑)。

スガナミ:ジャポニカにバラードがなくて。俺は“上を向いて歩こう”がすごく好きなんだよね。それの現代版というか、自分なりの落とし込みかたとして“愛を夢を”を作った。だから、出だしの歌詞で「滲んだ星を数えてみた」とあるのはそれを意識してみたんだよね。テンポをどうしようか悩んでいたんですけど、千秋が「“上を向いて歩こう”と同じぐらいのテンポでやってみたらどうですか」とアイディアをくれて、やれたっていう感じかな。

そうなんですね。

千秋:中村八大です。

スガナミ:そう、中村八大(笑)。

千秋:中村八大は俺の地元の市歌を作っている人なんです。だからゴミ収集車が中村八大のメロディを流しながらゴミ収集するんですよ。

(一同笑)

スガナミ:当時、中村八大の話はよくしてたよね。

そっか。中村八大がジャポニカのアルバムに影を落としているわけですね。

千秋:(“愛を夢を”は)詩もまたいいんすよね。俺、そういう気持ちにさせちゃったかなあ、と思って(笑)。

スガナミ:やっぱり千秋の歌詞があって、どういうのを書くかっていうのを考えながら書いたところはある。

スガナミさん自身ではなく千秋くんが歌うから、というのもある?

スガナミ:それもあるね。

その前に入っている“想い影”っていう曲の歌詞がすごくおもしろい。歌詞の「鳴き虫通り」って、「なき」っていう漢字が最後は「亡き」になっているんだけど。

千秋:それは字のとおりですね。もちろん裏に「泣き」があるんですが。

この曲の歌詞はどうやって思いついたの?

千秋:もともと作曲のキム(ラヨシヒロ)が以前やっていたclassic fiveっていうグループのインストの曲だったんですよ。これにメロディを乗っけて、歌詞をつけて、ジャポニカでやってみようってなって。ぜんぶ同じコードなんですよね。

スガナミ:そうだね。ずーっと4つのコードで。

千秋:それにAメロ、Bメロ、サビをつけて、間奏をつけました。実験的な、自分でも挑戦的な感じになったんですけど。

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俺はラップができないから、そこで5・7・5という言葉の配列、リズム、テンポの川柳をいきなりかましてみようと(笑)。  (千秋)


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他の曲とぜんぜんちがう作り方?

千秋:そうですね。

スガナミ:千秋のメロディですごくいい抑揚のついた曲になったよね。

しいね:ずっと繰り返しなのにね。〈(音楽)前夜社〉でやるともう少し単調になるよね。豊かだよね。

スガナミ:川柳パートがすごく斬新なんだよね。間奏の部分の歌詞はぜんぶ5・7・5になっていて。

しいね:いきなり決めてきたんだよね(笑)。

千秋:あはは!

スガナミ:こういうユーモアの投げ方って新鮮。

千秋:俺はラップができないから、そこで5・7・5という言葉の配列、リズム、テンポの川柳をいきなりかましてみようと(笑)。

スガナミ:原始な言葉遊びを(笑)。

しいね:でもさ、25歳でラップができないから川柳ってなかなかないよね(笑)。

(一同笑)

スガナミ:ヒップなスムース・ジャズみたいな曲だからラップは合うんだけどね。

千秋:もしかしたらラップっぽく聞こえるかもしれないんですけど。

5と7の言葉のリズムだと、やっぱりすごく日本っぽくなって、歌謡感がすごく出ると思う。秋元康の歌詞って、けっこう5と7のリズムだったりするんですよ。だからちょっと歌謡曲っぽさがある。ジャポニカの歌詞って、言葉をさらっと流さないというか。言葉をはっきりと区切っていて、歌詞がそのまま歌として伝わってくる、スッと入ってくるよね。もちろん言葉の選択もすごく工夫しているからだと思うんだけど。ジャポニカの歌詞はどういうふうに書くの?

千秋:素の気持ちで、音、リズムといっしょに(書く)。

曲が先にあるんだよね?

千秋:曲が先なんですけど。「こういうテーマで書いてみよう」っていうのはあります。このテーマだからこういうリズムで、こういう言葉で、こういうフックで、みたいなものをざっくり決めてやっていますね。

初期にできた“クライマックス”は歌詞がすごくいいよね。こういう言い方は千秋くんは嫌かもしれないけれど、コピーライター的なひっかかり方がある言葉の選択になっていると思う。「レモンの刺激」と韻を踏んでいるのが「胸に霹靂」とか。直接的な言葉なんだけど、もっと膨らみがあるというか。言葉がスッと入ってきつつも、もっといろいろな意味が喚起される。「眩しい 街中 色彩 パニック」という単語を4つ並べているところもすごくいいと思う。フレーズ、フレーズで勝負している感じがある。

千秋:ありますね。そこはグッと寄って……グッと抱きしめて(笑)。

スガナミ:パンチ力?

千秋:そうですね。どの部分を切り取ってもパンチ力が(あってほしい)、っていう性格なんですよね。BメロでもしっかりBメロとして立つようにしようとか、そういう感じですね。

好きな作詞家っている?

千秋:安井かずみ先生。

あー。僕もすごく好きだな。僕は加藤和彦がすごく好きなんだ。

千秋:いいですね。あの(加藤和彦と安井かずみの)タッグがすごく好きで。松山猛さんも好きなんですけど。松山猛さんはもっとおしゃれっていうか、雑誌感、ファッション感があるんですけど。安井かずみ先生は、テーマが小さくて、かつ広いな、と思うんです。あとは……松本(隆)先生かな。松本先生は偉大すぎる。あの人はカッコよすぎる。キザすぎる感じがあるかもしれない(笑)。

でもジャポニカの歌詞もキザだよね。

千秋:マジっすか?

そんなことない? ロマンティックだと思う。

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1000円で2時間飲み放題というのは新宿歌舞伎町ではありえない設定だと思うんですけど。ジャポニカをやるときに「酒の場でやりたいですね」と。キャバレーじゃないですけど。 (千秋)


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千秋くんが書いてきた曲をジャポニカでどういうふうに形にしていくの?

千秋:このメロディをいれたいとか、こういうリズムをやりたい、ドラムはこのパターン、というざっくりしたアレンジの「骨」をメンバーに渡すんですよ。そこでパッとやって、そこから自分たちの味つけをしてもらう、っていう感じかな。メンバーにとっては(曲は)「お題」ですよね。かつ「このフレーズをいれてくれ」という指示があるなかで、この演奏をしている人に対してこの演奏をして反応を示そう、という積み重ねがあって(曲が)できると思います。完璧に「これがこれで」と1個ずつやってはいられないので、そんなに細かい指示出しはしてないです。

でもそれだけ千秋くんに主導権があるというか、千秋くんのバンドだなあ、っていうのはすごく感じる。〈音楽前夜社〉だからスガナミさんがやたら存在感あるけれど。スガナミさんはこのバンドではどういう立ち位置なの?

千秋:えーっと、スタジオ予約係です。

あはははは!

千秋:嘘です(笑)。マネージャーじゃないですけど、つねに横にいる存在です。ギターも弾いてますけど。俺と〈音楽前夜社〉のメンバーとの間にも入ってくれてます。「千秋どう?」「こんな感じですけど、どうっすか? いいっすか?」みたいにお互い聞き合う感じですね。

ご意見番みたいな感じで。

千秋:あんまアテになんないっすよね。ははは!

そうなんだ(笑)。

千秋:俺がいいようにしてくれます。「これはこうしたほうがいい」みたいなアドヴァイスは、時たまあります。ちゃんと意見を言ってくれます。サウンド面にはあんまり口出ししないようにしてると思う。

千秋くんの意見や考えを優先してくれるんだね。そうなんだ。どういうふうな関係性でジャポニカが成り立っているのかなあってすごく不思議だったので。

千秋:不思議ですよねー。(アルバムでは)1曲しかギター弾いてないのにすごい存在感がある。

ジャポニカは〈ロフト飲み会〉で毎回演奏しているよね。ジャポニカは〈ロフト飲み会〉っていう特定の場所、特定の時間と密接に結びついている。その「箱バン」的なあり方や場所性がジャポニカが普通のバンドとちがうところだと思っていて。〈ロフト飲み会〉が最初にはじまったのはいつ?

千秋:2年前の4月頃ですね。最初はGORO GOLOとかが出ていて、そこからゲストを呼んでいった。「1000円で飲み放題」っていうルールは崩さないように。かれこれ2年ですかね。1000円で2時間飲み放題というのは新宿歌舞伎町ではありえない設定だと思うんですけど。ジャポニカをやるときに「酒の場でやりたいですね」と。キャバレーじゃないですけど。

ナイトクラブ。

千秋:うん。お客さんには、会議しているバンドマンもいれば、若い子が来て踊ったりしてるし、ナンパして口説いてるやつもいると。そういう遊び場を作れたらなあと思っていたんです。幹事はユウくんなんですけど、裏で「この人がいいなあ」って言うのが俺の役目です。

ジャポニカの曲とそういう場とは合っていると思う?

千秋:うん。合ってるかな。聞きやすいというか。DJに負けたくないな、っていうのがありますね。ライヴでもつねにDJのような勢いでやらないと。ちゃんとインプットされる曲ってなんなんだろうって考えるようになって。

DJがかける超有名な曲と渡り合う、みたいな?

千秋:そうっすね。そういう曲がどういう原理でできているのかな、と思ったら、意外と単純で原始的であるってことがわかって。これは今後の自分の課題でもあるんですけど。どれだけ原始的にできるかな、と。言葉もそうだし。飲みの席でもあるし、難しいことなんかいらないと思うんで。

シンプルだからこそすごく普遍的というか、大衆的な響きがある。難しいことはぜんぜん言ってないんだよね。

千秋:俺はあんまり難しいことは考えられないので(笑)。横文字はわかんない、みたいな(笑)。正直な気持ちで(曲を)書けているのかな。

ジャポニカってこれまでCDを出してないよね。リリースしているのはマッチ(『火の元EP』)や勿忘草の種(『WASURENAGUSA EP』)にダウンロード・コードをつけたものと、“クライマックス”の7インチ。このフィジカルのアイディアは千秋くん?

千秋:そうですね。レコードを出したかったんですけど、レコードを出すために資金をどうやって作るか、と。

レコードが目標としてあって。

千秋:もともと出すならレコードがいいなあ、っていうのがあったんです。シングルを3枚切ってアルバムを録ろう、みたいな。でも、いきなりそれは無理だっていうことになって(笑)。まだバンドをはじめたばかりで名刺代わりになるものをどうしましょう、という話になりました。レコードは作れないし、CD-Rだとお粗末でダメかなあと思って。そのときダウンロード・コードが流行っていたので、これをどうにかしようと思って。ダウンロード・コードがいまメインで主流の新技術だとしたら、いちばん古い技術をくっつけて売っちゃおう、と。「火を点ける」っていう意味もあって、人間が発明した新しいものと古いものをくっつけた。

なるほどね。

千秋:ジャポニカのコンセプトにもそういうところがあるのかなあとも思ったりするので。新しいものと古いものと。それを出した半年か1年後ぐらいに、〈less than TV〉が骨(ThePOPS『BONE EP』)を出すんですよね(笑)。骨にダウンロード・コードをつける。これはヤバいなと。パッケージングとして極まってるもんな、と思って(笑)。

だって最近、ビニール袋にCDを入れてたよね(FOLK SHOCK FUCKERSの『FOLK SHOCK FUCKERS ③』)。

千秋:ダウンロード・コードとのつきあいかたがおもしろいですよね。〈less than TV〉の骨を受けて、そのあと種を出したんです。あっちはハードコア・パンクならではの「死」だけど、こっちは「リヴィング」「生きていくぞ」と対比になるものを。

ジャポニカはそういうふうに方向性がはっきりとしていて、フィジカル・リリースに対してちゃんと裏付けがあって、その一貫性がすごくいいと思う。

千秋:レコードの代わりというか、天秤にかけてレコードと同じくらいの重さのものを作ろうって考えてできたのがマッチと種ですね。本当はレコードが出したかったけど、それがダメならどうするか、と。そういう感じですね。

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言葉や音選びで「なにを持って出かけよう?」と。なるべく手ぶらがいいと思うんですけど。なにを持って出かけるかをすごく慎重に選んでいるかもしれないですね。 (千秋)


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千秋くんはアートワークも手がけていてすごいな、と思う。

千秋:アルバム・ジャケットは中東っぽいところが売りですね。

細野晴臣さんの『泰安洋行』とか『トロピカル・ダンディー』っぽいよね。音楽的にも、2014年の『泰安洋行』。

千秋:あっ、いいっすね。

『トロピカル・ダンディー』感あるよね、スガナミさんが(笑)。

千秋:「クロコダイル・ダンディー」かもしれないですよ(笑)。

絵は昔から描いているの?

千秋:そうですね。落描き程度にひそかに描いていました。

デザインは勉強してない?

千秋:勉強はしてないですね。ぜんぜん学校も行かなかった。

自己流なんだ。

千秋:1年ぐらい、女性のヌードとファッションのデッサンはしました。お絵かき教室みたいなところは行っていました。

千秋くんってJ-POPについてどう思う? 聴く?

千秋:ここ最近のですか? 聞きますよ。(中田)ヤスタカ先生はすごいな、と思います。Perfumeはすごい。最近のPerfumeときゃりー(ぱみゅぱみゅ)は歌詞もおもしろいと思います。ああいう音楽が平然とメインのシーンというか、お茶の間に出ているのがすごい。

いちばんメジャーなところで実験をやっているようなものだからね。先鋭的だもんね。

千秋:あとはブルーノ・マーズが好きっすね(笑)。

ブルーノ・マーズ!?

千秋:ダフト・パンクも相当すごいですよね。ダフト・パンクってシブい大人からナンパなヤングまで聴けるじゃないですか。あんなにシブいアルバムを出したのに、『EDM 2013』みたいなコンピにも入ってる。その幅の広さが恐ろしいと思って。ダフト・パンクさすがだわー、と。J-POPじゃないですね。

なんでJ-POPについて訊いたのかというと――ジャポニカってJ-POPというよりは歌謡曲に近いと思うんだよね。いまのJ-POPって歌謡曲的なものはすごく少ない。歌謡性をジャポニカは表現していると僕は勝手に思っているんだけど、ジャポニカが歌謡性を持ったポップスをやるっていうのは、アンダーグラウンドからのJ-POPへの揺さぶりかけのように思う。

千秋:あるかもしれないですね……。自分たちはいちおうJ-POPとしてやっているつもりなので。最近のJ-POPはその人が歌っているのかコンピュータが歌っているのかわからないようなものが多いじゃないですか。(ジャポニカは)そういうものとは真逆のやりかたでやっているのかな、と思う。もちろんジャポニカでチャートを狙う勢いで今後やっていきたいと思うんです。

それは絶対に狙えると思うんだよね。

千秋:目に入ってくるし、耳に入ってくるし、そこ(J-POP)を無視しているわけではないので。「ああ、こういうのが売れるんだ」と(笑)。疎外感はちょっとありますけどね。そういうアプローチのバンドは……。

あまり周囲にはいない?

千秋:そうですね。シンプルで原始的な形で残すってどんな感じなんだろう? と。いまはまだ勉強中なんですけど。いまは飛び道具的だったりとか、消費的だったりとか、そういうものがメインじゃないですか。まだそこには到達していないんですけど、いずれはゴリゴリのEDMサウンドがジャポニカソングサンバンチでできたらいいんじゃないですかね(笑)。やらないと思うけど(笑)。

ジャポニカの曲のメロディ・センスはオーヴァー・グラウンドに行けるようなものだと思う。でも、千秋くんが歌謡曲をリアルタイムで聴いていたわけではないということが関係していると思うんだけど、ジャポニカの歌謡性はぜんぜん懐古的じゃなくて、もっと未来に向いているよいうな、推進力になっていると思う。

千秋:「なにを持って出かけよう?」という感じはあるのかもしれないですね。

どういうこと?

千秋:たとえば、言葉や音選びで「なにを持って出かけよう?」と。なるべく手ぶらがいいと思うんですけど。なにを持って出かけるかをすごく慎重に選んでいるかもしれないですね。それが表現のひとつになっているのかもしれないです。

服部 (PIGEON RECORDS) - ele-king

名古屋のPigeon Recordsでバイヤーをやっています。FKトリビュートからの新譜
& レコードバック常駐盤を何枚か選びました。

www.pigeon-records.jp
https://twitter.com/pigeonrecords

2014.05.09.Fri Black Cream presents Nina Kraviz @ Club Mago
2014.05.17.Sat Familia feat.威力 @ Kalakuta Disco
2014.05.23.Fri The Human Cannon Ball with Conomark & Sonic Weapon @
Kalakuta Disco


1
Jago - I'm Going To Go (Frankie Knuckles Remix) - Full Time Records

2
I:Cube - Cubo Rhythm Trax - Versatile

3
The Jaydes - Area 89 (Boo Williams Tech Dub Remix) - Dame-Music

4
Mr. G - Moments - End Recordings

5
Butric - Up - Sei Es Drum

6
Lisa Moorish - I'm Your Man (Green Velvet Mix) - FFRR

7
Earnest & Just - Still Here - Misterio

8
Heller & Farley Project - Ultra Flava (Any Mixes) - AM:PM

9
Steve Silk Hurley & The Voices Of Life - The Word Is Love - Silk Entertainment

10
James Blake - Limit To Your Love (Daniel Bortz Re-Edit) - White

11
Sydney Youngblood - Anything (Classic Frankie Mix) - RCA

interview with Swans - ele-king


スワンズ - To Be Kind
[解説・歌詞対訳 / 2CD / 国内盤]
MUTE / TRAFFIC

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 4月8日に保坂さんと湯浅さんとディランのライヴ──モニターがトラブったあの日である──にいった翌週、季節はずれのインフルエンザにかかりタミフルでもうろうとしながらこのインタヴューの質問を考えていたら、ボブとジラが二重写しになったのは、テンガロン・ハットをかぶったいかめしい男を真ん中にした男臭い集団のもつムードに似たものをおぼえたからだろうが、それはアメリカの国土に根づく、というより、いまも澱のようにこびりつくアメリカン・ゴシックの、無数の歴史的諸条件によりかたちづくられた感覚を、一方は60年代のフォーク・ロックとして、他方は80年代のインダストリアルと00年代のフリーフォークがないまぜになった感覚で表出するからではないか。音楽の貌つきはまったくちがう。映し出す時代も、住処も地表と地下ほどにちがうかもしれない。ところがともにフォークロアではある。それはポピュラリティさえもふくむ複層的な場所からくる何かである。

 私は前回のインタヴューで再活動をはじめてからのスワンズの宗教的ともいえる主題について訊ねたところジラはそれを言下に否定した。それもあえていうまでもなくそれはディランが70年代末から80年代初頭キリスト教ににじりよったように彼らの一部でありいうまでもなかったのかもしれないと思ったのだった。

 『To Be Kind』は前作『The Seer』を引き継ぎ、長大な曲が占める。セイント・ヴィンセント、コールド・スペックスを招き、ジョン・コングルトンが録音で参加した布陣も今回も冴えている。朗唱のようなジラのヴォーカルと豪壮な器楽音の壁が長い時間をかけ徐々に徐々に変化する作風は前作以上に有機的で、1年前の日本公演をふくむワールド・ツアーの成果を反映した現在のスワンズの音楽を指してジラは「音の雲」と呼ぶのだが、刻刻と変化するのにそれは同時に豪壮な構築物でもある。矛盾するような得心するような、こんな音を出せるバンドは彼らをおいてやはり他にいない。

ハウリン・ウルフは私のヒーロー、アイコンなんだ。彼の自伝も数年前読んだ。すごい人生を歩んだ人だ。1900年代初頭のミシシッピの貧しい小作人の子どもでね、13歳になるまで靴もはいたことがないほどだった。8、9歳くらいから畑を耕しはじめ、もちろん教育など受けたこともなかったが缶を叩きながら畑の中で歌った。

2013年2月の来日公演からすでに1年経ち記憶も定かでないかもしれませんが、とはいえ、その前の来日公演となると20年以上前だったわけですが、なにか印象に残っていることがあれば教えてください。

MG:その来日ではライヴは1回こっきりだったんだけど、日本のファンはとても熱狂的だったのを憶えているよ。あと、これはいつも思うことなんだけど、日本人の礼儀正しさにはほんとうに関心するね。

資料によれば『To Be Kind』の素材となった部分はこのときのツアーで練り込んでいったとあります。じっさい2013年2月の東京公演では“To Be Kind”ではじまり、“Oxygen”などは“The Seer”とメドレーで演奏していました。そのときすでに『To Be Kind』のコンセプトはできあがっていたのでしょうか?

MG:いや、一部の(と強調)要素はライヴを通じて、インプロヴァイズしながら練り込み、そこから私がリフやグルーブを足して、一年をかけてひとつの大きな作品として形を変えていった。たとえば、はじめの段階では歌詞はまだなかったのがその当時読んでいた本を元にライヴで徐々に歌詞をつけたしたりした。それがこのアルバムの半分くらいの曲で、残りの曲のグルーブやサウンドに関しては、アコギでつくりあげたんだ。“A Little God in My Hands” “Some Things We Do” “Kirsten Supine”“Natalie Neil”、それと“To Be Kind”もコアの部分はすべてアコギでつくった。『To Be Kind』の多くはそういった手法でメンバーと集まってつくりこんだ。スタジオでは他のミュージシャンも参加して私がアレンジを加え、練り込み、映画のサウンドトラックのような感じにつくりあげた。

『The Seer』と『To Be Kind』は長尺曲を中心としたCD2枚+DVD1枚にわたる作品という両者の構成もよく似ています。このような構成にこだわった理由を教えてください。あるいては楽曲の要請としてこれは必然だったのでしょうか。

MG:ライヴ音源は長時間に渡っていたからね、34分っていう曲もあったし。そういう曲のことをどういえばいいのか、音の雲とでも呼ぼうか。曲の長さを気にすることなく、流れに任せて演奏して、その曲の存在価値を見い出そうと決めたんだ。素材が集まった段階でどういうフォーマットに落とし込んでリリースするかを決めた。それで今回はCD2枚、ヴァイナル3枚という構成になったんだ。DVDはボーナス・ディスクだ。ほら、われわれは心優しいからね(笑)。

とはいえ、前作と本作では音の表情はかなりちがっています。よりブルージーになったといいますか。要因のひとつにレコーディングを担当したジョン・コングルトンの存在があったのではと思うのですが、彼とは事前にどのような音づくりを目指しましたか。またレコーディング中で印象に残ったトピックがあれば教えてください。

MG:メンバーは私が集めてきた要素よりも、ライヴでやったものを意識していた。どういうサウンドのアルバムにしたいかということはすでに頭にあったし、曲ごとにどの楽器を使うか、どういう構成にするかなどのリストもつくっていた。他のミュージシャンが参加して、別のものをもってくると私のアイデアよりもいいと思うものが出てきたりもした。ブルージーになったかどうかはわからないな。ブルースの雰囲気くらいはとりいれていたかもしれないがコード進行までは意識してはいない。どちらかというと、グルーブとか深い音という面でだろうね。ジョンとはそれぞれの曲がどのような相互作用を持つかを重点に考えていた。スタジオで録音されたものをきっちり演奏するというよりも、ライヴで演奏を重ねることによってより大きな建造物をつくりあげていきたいと思ったんだ。

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Jennifer Chruch

ルーヴェルチュールは奴隷の反乱の扇動者で、ナポレオンの失脚の一因ともなった人物だ。1700年代後半から1800年代前半のハイチで初めて奴隷の反乱が成功したのはルーヴェルチュールのおかげだった。その後にナポレオンの部隊に捕まり、フランス国内で投獄されそこで人生を終えた。

音楽の形式としてゴスペルに対する憧憬をあなたは前回のインタヴューで述べておられました。『To Be Kind』ではそれがより直裁に表現されたと考えられないでしょうか。

MG:実際ゴスペルは詳しくないんだけど、永遠に続くクレセントがゴスペルに通じるものがある、という意味でその当時そういったんじゃないかな。ゴスペルの熱気のようなものはスワンズとの共通項だね。

ジョン・コングルトン氏はセイント・ヴィンセント氏からの紹介ですか?

MG:いや、その反対だ。ジョン・コングルトンが以前からスワンズといっしょにやりたいといっていたんだ。もともと、スワンズのパーカッションのソー・ハリスがジョンとかかわりがあり、いちどShearwaterというジョンがプロデュースしたバンドとライヴをしたんだ。ソーはあと、スモッグの……えーっと誰だっけ? そう、ビル・キャラハンともいっしょにやって、それもジョンがプロデュースした。そういうわけでソーがジョンのことを薦めていっしょにやるようになった。ジョンは長年のスワンズ・ファンなんだけど、3年程前にスワンズの曲をセイント・ヴィンセントに聴かせたら、えらく気に入ってくれてわれわれのライヴに来るほどのファンになったんだ。今回のアルバムでは構想段階で女声ヴォーカルがほしかったから、セイント・ヴィンセントに連絡をしたというわけだ。レコーディングではダラスまできてくれて、すばらしいヴォーカルを録ることができたよ。

彼女以外に『To Be Kind』でも前作と同じく多彩なゲスト・ミュージシャンを起用されています。準メンバーのビル・リーフリン氏以外に、上述のセイント・ヴィンセント氏、コールド・スペックス氏のふたりの女声ヴォーカルが特徴的ですが、彼女たちに声をかけたのはそのような理由だけですか。

MG:コールド・スペックスはソウルフルでゴスペルなすばらしい声のもち主だ。“Bring the Sun”にぴったりだった。彼女を起用したのは、すばらしいシンガーだから。この一言に尽きる。彼女は以前、スワンズのカヴァーをやったこともあるんだ。いままで聴いてきたスワンズのカヴァーで唯一いいと思えたのが彼女がやったものだった。『My Father Will guide Me Up A Rope To The Sky』に収録した“Reeling The Liars In”という曲で、いうことなしのできだった。そこから繋がったんだ。

「Chester Burnett(ハウリン・ウルフ)」「トゥーサン・ルーヴェルチュール」といった歴史上の人物を本作ではとりあげたのはどのような理由からでしょうか? またこれら歴史上の人物からあなたはどのようなインスピレーションを得たのでしょうか。

MG:ハウリン・ウルフは私のヒーロー、アイコンなんだ。彼の自伝も数年前読んだ。すごい人生を歩んだ人だ。1900年代初頭のミシシッピの貧しい小作人の子どもでね、13歳になるまで靴もはいたことがないほどだった。8、9歳くらいから畑を耕しはじめ、もちろん教育など受けたこともなかったが缶を叩きながら畑の中で歌った。ほどなくギターも習った。苦境に立たされているからそこから逃避したい気持ちがあったんのだろうね。後に南部を中心に酒場のドサまわりをはじめ、知名度もあがってきたところで、シカゴに移り、マディー・ウォーターズらとともにエレクトリック・ブルース、つまりシカゴ・ブルースだ、それを確立した。それがのちに多くのひとに多大な影響を与えることになった。その意味では魔法使いという呼び名がふさわしい。苦境から這いあがり世の中に多大な影響を与えるすばらしい人生であると同時にすばらしい声のもち主でもありひと息で低いバリトンから高いヨーデル調の声まで幅広く出る。彼の曲には楽しくてダーティで性的な要素がすべて詰まっている。
 ルーヴェルチュールはまったく別のところから引っ張ってきた。“Bring the Sun”はインプロヴァイズを重ねてつくった曲で歌詞はなかった。その頃私はルーヴェルチュールの伝記を読んでいて、それで彼の名を歌詞の中で連呼することを決めた。そこから歴史的瞬間を捉えるような音的な言葉をつけ加えて曲を構築したんだよ。ルーヴェルチュールは奴隷の反乱の扇動者で、ナポレオンの失脚の一因ともなった人物だ。1700年代後半から1800年代前半のハイチで初めて奴隷の反乱が成功したのはルーヴェルチュールのおかげだった。その後にナポレオンの部隊に捕まり、フランス国内で投獄されそこで人生を終えた。
 彼もハウリン・ウルフと同じく、奴隷としての人生から自由の身となり、働いていた農園のオーナーからは努力を認められ、オーナーや修道士から読み書きを教えてもらったそうだ。そこから、ルソーなんかのフランス啓蒙思想家やマキャヴェッリについて読み、軍事戦略について学んだ。彼も奴隷からはじまり歴史を変えた人物だった。ルーヴェルチュールによるナポレオンの失脚がなければ、ナポレオンはアメリカへルイジアナを譲渡することなどなかったにちがいない。ルーヴェルチュールの軍に勝つには、軍事強化のための資金が必要だったかね。だから彼も世界の歴史を変えた人物の一人だよ。私が読んだのは、マディソン・スマート・ベルの著書(マディソン・ベルはルーヴェルチュールとハイチ革命について『All Souls' Rising』『Master of the Crossroads』『The Stone That the Builder Refused』の三部作を著し、『Toussaint Louverture : A Biography』なる評伝もある)。フランスの歴史上重要な時代だからおさえておいた方がいい。

『To Be Kind』はなぜ〈Young Gods〉ではなく〈Mute〉からのリリースなのですか?

MG:〈Mute〉のダニエル・ミラーがスワンズのことを再結成後からずっとフォローしてくれていたんだ。私は1990年から〈Young Gods〉をやっていてスワンズをはじめ、他のアーティストのリリースもしてきているから、あえて他のレーベルと契約するのは頭になかったのだけどアメリカ国外のディストリビューションには弱かったから、ダニエルがミュートとの契約の話をもちかけてくれてよかったよ。どちらかというとパートナーシップだね。われわれは若いバンドでもないし、懐の広い叔父さんのレーベルと契約をしたわけではない(笑)。音楽を心から愛して、サポートの厚いダニエル・ミラーのことは私自身とても尊敬しているし、ミュート・レコードからのリリースはとても名誉なことだ。だからこういう流れになってうれしいよ。

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Sibastian Sighell

音楽を心から愛して、サポートの厚いダニエル・ミラーのことは私自身とても尊敬しているし、ミュート・レコードからのリリースはとても名誉なことだ。だからこういう流れになってうれしいよ。

『To Be Kind』は繊細かつ実験的な音づくりだと思いました。あなたは前回のインタヴューでベーシック・トラックを録った後、どのような音が必要か考え、音を追加するとおっしゃっていました。今回はそれが非常に緻密におこなわれていると思いましたが、そこにもジョン・コングルトン氏のアイデアが活かされているのでしょうか。

MG:うん。彼は今作ではプロデューサーではなくエンジニアだ。だいたいにおいて、私がアイデアを出して練り込むんだけど、彼に「これも試してみなよ」ってな感じでいわれたり。プロデューサーではないんだけど、アイデアを提供してくれたりはしたよ。どんなエンジニアにもそうあってほしいと思うよ。たとえば、エンジニアにはピッチがおかしかったりしたら、それをすぐに察知して教えてほしい。私はそれ以外のことで頭が一杯だからね。ジョンはその役割も果たしてくれている。私のアイデアをうまくまとめて、さらに広げてくれもした。そういった意味ではジョンのアイデアはかなり活かされているよ。

逆にいえば音盤をライヴで再現するのは難しいと思いました。その点についてはどう思われますか。ライヴはスタジオワークとはまったく別ものでしょうか? スワンズとってレコードとライヴをそれぞれ定義してください。

MG:まず、音源をライヴで忠実に再現することには一切興味はない。ライヴでプレイするのであれば、まったく別のものにしたいと思っている。アルバムをプロモートするためにライヴをしたいんじゃない。ライヴの「いま」を体験してほしいんだ。ツアーをすれば、要素はつねに変化するし、1週間後2週間後のライヴではセットもまったく異なってくる、たとえ同じ曲を演奏していても。だからライヴとスタジオワークはまったくもって異なったものだ。アルバムは録音された曲の集合体。曲を組み立てて、アルバムを構築して、ひとつのアート作品をつくるという行為は私は好きだ。そのプロセスが終わっても音楽はコンセプトとして生き続けるのだがそれをライヴで演奏するとなるとつねに自由自在に変化できるようにしていかなければいけない。
 ニーナ・シモンの“Sinner Man”を考えてごらん。ライヴごとに変化していっているよね。いいアーティストはそれができるのだと思うよ。いわゆるポップ・ソングじゃないかぎりね、われわれはまるっきりのアヴァンギャルドではないけれどもつねにフレッシュで予測できない音楽をつくっていきたい。自分のためにもオーディエンスのためにも。

『To Be Kind』では器楽音意外の具体音(馬の歩み、いななきなど)も使われており、それもあって音による(言葉ではありません)大河ドラマを聴くような気がしました。たとえば『To Be Kind』をサウンドトラックにするとしたら、どのような映画がよいと思いますか。古今東西誰のどんな映画でもかまわないのであげてください。

MG:黒澤明の『蜘蛛巣城』(1957年)とラース・フォン・トリアーの『メランコリア』(2011年)だね。あと、ギャスパー・ノエの『アレックス』(2002年)かな。勇気があったら観てごらん(笑)。ところでギャスパー・ノエの『エンター・ザ・ボイド』(2009年)は映画館で観たかい? 私は家のスクリーンで観たんだが映画館で観たらまた違った体験ができたんじゃないかと思った。家だとトイレに行ったり、スナックを取りに行ったりできるけど映画館じゃできないだろ。だからあの映画の間映画館の椅子に縛りつけられていたらどんな気分だろうと思ったんだ。ストーリーも映像もすごく美しい。当初ストーリーはなかなか入り込めなかったが終わってから作品について読んでもういちど観たらようやくどういうことかわかってきた。よくできた作品だと思うよ。キャラクターの視点からの録り方がよかったね。あと、体内に入りこむところも。

アートワークにはボブ・ビッグスの作品を使っていますが、1981年に彼の目にした彼の作品をなぜ本作でまた使いたいと思ったのでしょう。資料によれば、この作品はボブ・ビッグス氏の家の壁に描かれた水彩画だということですが、ビッグス氏とあなたは旧知の間柄なんですか。

MG:その当時からボブとは面識はあったが親しい仲ではなかった。例の作品は壁の水彩画じゃなくて、黒い用紙上のパステル画だ。その作品がとても気に入ったんだ、ジャスパー・ジョーンズの旗や標的の作品のようにアイコン的でね。表現方法が不思議で興味をそそられた。神秘的なシンボルのようでね。意味が込められているかそうでないのかもわからない。面白いのは、ずっとみていると、意味と無意味が交互に共鳴しはじめるんだ。実際に自分が何をみているのかもわからなくなってくるようでね。30年の時を経て、使用許可をもらったんだけど、黒のバックグラウンドから頭だけを切り取ったんだ。今みてもらっているベージュの部分は実際は段ボール用紙で、その上に作品がエンボス加工でプリントされている。ツヤ加工もしてあるから、段ボール用紙からまるではがせるような風合いだよ。当初の予定では、実は赤ちゃんの代わりに女性の乳首を使おうと思っていたんだ(爆笑)。でも実際画像を集めはじめたら、乳首に焦点を当てると美しくも何ともないことがわかった。これは使えないとなった。そこでなぜかボブのことが思い浮かんだんだ。ほら、赤ん坊と乳首は同じような感情を呼び起こすだろ(笑)? それでボブに例の赤ちゃんの作品について訊ねたわけだ。

上記質問と同じ意味で、あなたが長年あたためながらまだ実現していないことのひとつをこっそり教えてください。

MG:もしかしたら知っているかもしれないけど、私は以前に本を書いたことがある。時間があればぜひまた執筆活動をはじめたいね。いまは本を読む時間もなかなかとれないから、時間ができたらまずは読むことからはじめたい。読むときに使う脳の部分をまずは活性化させないとね。だからそれができる時間がとれれば、また書きはじめられる。それが死ぬ前にやりたいことだね。

スワンズは現在のシーンでは孤高の存在だと思われます。ジラさんにとって現在のシーンで共感できるバンドないしミュージシャンはいますか? もしくは他者の存在はさほど気にすることはないですか。

MG:最近の音楽にはさほど興味がないんだけど、ベン・フロストやシューシューはいいと思うね。サヴェジーズやリチャード・ビショップの音楽もいい。いわゆるメジャーなポップ・ミュージックには興味はないね。

次回の来日公演はいつになりますか? まさかまた20年後ということはないと思いたいですが再々来日を待ちわびる日本のファンにコメントをお願いします。

MG:I love you very much(笑)!

Akkord - ele-king

 前回のレヴューで、ジャングルには、「音楽的にもまだ開拓する余地があり、横断的に、そしていろんなアプローチを取り入れることができるのだ」と書いた続き。
 遅ればせながら、僕は新世代ジャングルにハマっている。細かく断片化されて再構成されたパーカッシヴなブレイクビートの、言葉が舌に引っかかって出てこないようなまどろっこしさと、それとは相反して加速していくような滑らかさが同居しているという、ある種分裂的な感覚が実に気持ち良い。
 マンチェスターのアコードは、それをミニマル・テクノとうまい具合に調合する。

 さて、いま僕の隣にいる男が、アコードのふたりはシャックルトンからの影響が大きいとわめいている(彼は昨晩彼らと一杯やってきているのだ)。なるほど、たしかに、たしかにそうだ。それにしても、シャックルトンの影響がこういうかたちで表出するのか……。
 
 〈Houndstooth〉は昨年からファブリックがはじめたレーベルで、本作のリリースも2013年の冬、アルバムより半年ほど前に同レーベルから出している「Navigate EP」をいま聴くと──これまたごく個人的な興味の流れでリアルタムで追っている人には「何をいまさら」な話なのだが──リズムの組み方が新鮮に感じられる。
 シャックルトンのような、お化け屋敷で迷子になったような怖さはないが、フィリップ・K・ディックの描くまやかしの世界に迷い込んだかのようだ。風景が揺れているように感じるほど眩惑的で、ホアン・アトキンスともどこかで繋がっているのではと勘ぐらせる、マシナリーな、ロボティックなポスト・ダブステップ・ファンクといった風でもある。
 アコードのふたりは、いまちょうど来日中なので、興味のある方はぜひパーティに行ってみよう。東京公演は、日本人DJのラインナップも面白い。

 もう1枚、昨年のリリースで「何をいまさら」だが、とくに良いと思ったのはフレデリック・ロビンソンのデビュー・アルバムの『Mixed Signals 』。

 90年代にもジャングルはフュージョン/ブラジル音楽との接続を果たしたものだが、それはレイヴ・カルチャーが共同体に疲れて、なかばうんざりした時期におきた、離反と成熟から生まれたものだった。要は、それ相応の手続きと時間を要したのだが、この21歳のドイツ人青年は、そうした、いかにもシーンで揉まれてきたかのような汗や手垢の一切を感じさせないクリーンさで、しかし似たようなことをやっている。ロマンティックな美しいメロディと、こと細かく編集されたブレイクビートのドリルンベースで魅了したエイフェックス・ツインをフュージョンの側に寄せた感じだとでも言えばいいのか。しかもこの青年はひとりで、さまざまな楽器──鍵盤のみならずバイオリンまで──の演奏をこなしている。なんてクールなヤツだろう。

 ダンス・カルチャーには、フィリップ・K・ディックが『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』で描いたように、そこが楽園だと信じてあれこれ貪ったあげくに世にもおそろい目に遭うという側面がある。ゆえに……と言っていいのだろうか、ダンス・ミュージックには、おそらく直感的に、そこを楽園だとは思わせないような、ダークネスを敢えて描くところがある。
 アントールドやミリー&アンドレアの、暗い衝動を秘めたアルバムを聴き入ったあとでは、憎たらしいほどキラキラしていて、屈託のなさが気になるというか、気持ち良すぎて気持ち悪いのだが、耳に優しいのはフレデリック・ロビンソンだ。叙情に耽ることなく、清々しいまでに前進している。ああ、若いって良いナー。家聴きには最高のアルバムだし、僕は、初期のDJサッセや一時期のスヴェックのような、北欧系の、透明度の高いクラブ・サウンドを思い出す。
 本作は、下北沢のZEROに行けばまだ在庫があるかもしれないので、この音にピンと来た人は早めに駆けつけたほうが良いです。

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