「You me」と一致するもの

The Flaming Lips - ele-king

 ロッキー・エリクソンの半生をかなり生々しく描いているらしいドキュメンタリー『YOU'RE GONNA MISS ME』にはずっと興味を引かれつつ、まだ見ていないし、これからも見ないほうがいいのかもしれない。精神病院を出たエリクソンが5つ以上のスピーカーからノイズを流しながらサングラスをかけたままテレビを観る場面の強烈さが相当らしく、「サイケデリック・その後」の人生に覗き見感覚で接することは......60年代の遺産の暗部にダイレクトに触れる覚悟がなければ許されないような気が僕はしている(そして、その覚悟はまだない)。ただ、だからこそエリクソンの場合、その人生を経た音楽作品、すなわちオッカーヴィル・リヴァーのサポートを得た復帰作『トゥルー・ラヴ・キャスト・アウト・オブ・イーヴル』のシンプルな力強さは胸の奥の柔らかいところを一瞬にして掴むものであったし、そしてまた、刑務所で録音されたというそのボロボロの音の弾き語りを聴く度にいまも、音楽から逆流して彼の人生に想いを馳せずにいられない。

 サイケとは言いつつ、2000年代以降の表面的なイメージとしてのザ・フレーミング・リップスは、大勢のヌイグルミを従えて夜毎楽しげな宴を繰り広げている愉快なバンドといったところだろう。もちろんその楽しさはウェイン・コインの実存主義的思想(「きみの知っているひとはみんな死ぬ」)に裏打ちされたものであるが、その哲学自体、バンドのドキュメンタリー『フィアレス・フリークス』によるとメンバーのスティーヴン・ドロゾがドラッグで死にかけた経験に基づいていることがわかる。30年前、ただのジャンクなサイケ・バンドとしてその後の可能性を感じさせずに登場した彼らは気がつけば、いくつかの最悪なバッド・トリップを経験しながら、多くのアメリカのインディ・バンドにとっての精神的支柱のような存在にまでなった......ブッ飛びながら、逸脱しながら、フラフラと表現活動を続けるモデルとして。
 だから、ザ・フレーミング・リップスはひとつのゴールを過ぎたバンドとして、抱かれたイメージと期待に応えながら楽しく活動し続けることだって選べたはずなのだ。が、彼らはそうしなかった。攻撃的で、実験的、ダークだった大作『エンブリオニック』の時点でたしかに新たな道を選んでいたし、先のコラボレーション・シリーズにしたって豪華なゲスト陣とは裏腹にマニアックめの内容だったが......この『ザ・テラー(恐怖)』に至っては、バンドのイメージをひっくり返し、その「楽しさ」に躍っていたファンすら遠ざけかねない不穏な一枚である。トリップはまだ途中、その最中。「サイケデリック・その後」にまでは辿り着いていない、そのエグさがドロリと流れ出ている。
 いくつかの曲において悪夢的で閉所感があり、またいくつかの曲においてスラッシーで強迫観念的、そして全編を通じてメランコリックで瞑想的。多くのひとに愛された『ソフト・ブレティン』や『ヨシミ・バトルズ・ザ・ピンク・ロボッツ』のポップさは解体され、切なく美しいメロディはしかし着地点を定めぬまま部屋の上のほうを漂うばかり。男女のエレクトロ・デュオであるファントグラムを招聘した"ユー・ラスト"に至っては、13分に渡って重々しい反復を繰り返しながらずぶずぶと沼に沈んでいき、そして抽象的なアンビエントで酩酊させて終わる。いくつかのダーク・アンビエントな作風やエレクトロニックな意匠は近年のUSアンダーグラウンドの潮流とも結果的にはシンクロしていると言えるし、実際OPN辺りと比較する向きもあるのだが、この驚くべき変化はきわめて内的な動機によって促されているように思える。
 ウェイン・コインが長年連れ添ったパートナーと別れたことが本作に大きく影響しているそうだが、そのことがここまで痛ましい表現を導いてしまうことに動揺する。僕にとってウェインは、あるいはフレーミング・リップスは、どちらかと言えばつねに自覚的で、ユーモラスで、強い存在だったからだ。だがここで彼は、"ザ・テラー"で「やっぱり、みんな孤独」と言いながらその次曲の"ユー・アー・アローン"で「僕はひとりじゃない/孤独なのはきみ」と口走ってしまう錯乱を隠さない。クラウト・ロックめいた反復と激しいビートが不安感を煽る"オールウェイズ・ゼア、イン・アワ・ハーツ"は、「いつも心にあるのは 暴力と死の恐怖/いつも心にあるのは 愛、そして苦痛」といつ告白から始まりつつも、どうにかして「生きる喜び、それが何ものにも勝る/何ものにも勝るんだ」となかば自分に言い聞かせるように終わっていく。
 ドリーミーな音だと形容できるのかもしれない、が、心地よいとは言えない。何かただならぬ狂気がこのアルバムにはあり、そこに踏み込むことこそがバンドにとっての、サイケデリアの新たな領域となっている。ザ・フレーミング・リップスは完成などしていなかった......ここで「恐れ知らずのフリークスたち」は、人生の苦痛と悲哀に震えながら酩酊することを選んだ。そう......恐れ知らずにも。

NISENNENMONDAI - ele-king

 ノルウェーの〈スモールタウン・スーパーサウンド〉から作品を出したり、先日のソナーサウンド・トーキョーにも出演したり、海外にも多くのファンを持つ、女性3人による超クールなミニマル・ロック・バンド、「理工学系女子サウンド」代表、にせんねんもんだいの新作『N』が、彼女たち自身の〈美人レコード〉からリリースされる。
 そして、坂本慎太郎が主宰する〈zelone〉からは、新作の1曲+"appointmen"の新録ヴァージョンによる12インチのアナログ盤が出る。しかも、この、「理工学系女子サウンド」の裏方には、石原洋+中村宗一郎(ゆらゆら帝国~オウガ・ユー・アスホールでの仕事で知られる)がいる!
 6月2日には、アルバムの発売に先駆けて、渋谷の〈渋谷O-NEST 〉にてライヴもある。行きましょう。

■新作CD 『N』、7月2日(火)発売!

にせんねんもんだい
『N』
bijin records
曲目:
1. A
2. B-1
3. B-2 
価格: 1,800円 (税別)

■12inch vinyl:「NISENNENMONDAI EP」Produced by 石原洋

2013年夏発売予定
にせんねんもんだい
「NISENNENMONDAI EP」
zelone records
曲目: SIDE A: B-1 (You Ishihara Mix)
SIDE B: appointment (You Ishihara Mix)
価格: 1,200円 (税別)

■CD完成記念LIVE
6月2日 (sun)@渋谷O-NEST

■NISENNENMONDAI EUROPE TOUR 2013

JUNE 14 FR-Notre Dame de Monts@West Side Festival
JUNE 15 FR-Paris@Maroquinerie
JUNE 16 NL-Rotterdam@Worm
JUNE 17 BE-Kortrijk@De Kreun
JUNE 19 NL-Tilburg@013-Incubated night
JUNE 20 GER-Hamburg@Cloud Hills
JUNE 21 GER-Schiphorst HH@AVANT GARDE FESTIVAL
JUNE 22 GER-Berlin@Urban Spree
more info: nisennenmondai official HP: https://www.nisennenmondai.com/
official twitter: https://twitter.com/nisennenmondai0
official tumblr: https://nisennen.tumblr.com/

zelone records official HP:www.zelonerecords.com
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DJ KAZUSHI (DUB FRONTIER) - ele-king

blog : https://djkazushi.blogspot.jp
Twitter : https://twitter.com/DJ_KAZUSHI
Face Book : https://www.facebook.com/kazushi.minakawa

DJ Schedule
13.6.8(sat) DUB FRONTIER@仙台CLUB ADD
13.6.5(wed) Light my fire 1st anniversary@仙台CLUB ADD
13.5.31(fri) ZOO DISCO@米沢ARB
13.5.25(sat) まともがわからない満月夜@盛岡MOTHER
13.5.24(fri) @三軒茶屋天狗食堂
13.5.23(thu) @高円寺GRASSROOTS
13.5.19(sun) Sunday chill-out@仙台壱弐参横町 和音
13.5.17(fri) @vinyl diz
13.5.12(sun) Gnu@仙台CLUB ADD
13.5.12(sun) Sunday chill out@仙台壱弐参横町 和音
13.5.5(sun) ZUNDOKO DISCO@仙台CLUB SHAFT
13.5.5(sun) Sunday chill out@仙台壱弐参横町 和音

dilute colord thinly


1
Dub Diablo - A LESSON IN STYLE - JOINT RECORDS

2
NIGHTMARES ON WAX - PRETTY DARK - WARP RECORDS

3
THE IRRESISTIBLE FORCE - POWER - Ninja Tune

4
Lemon jelly - Ramblin' Man - Xl Recordings

5
pizzicato five - 愛餓を - HEAT WAVE

6
Little Tempo - 無能の人 - cutting edge

7
WILD RUMPUS - ROCK THE JOINT - Bitches Brew

8
U2 - LEMON(Bad Yard Club) - island Records

9
HERE COMES THE SUNBURST BAND - Monte Carlo - Z Records

10
atlantic conveyor feat. Habibur Romman - Open Your Soul(Music Box mix) - untracked recordings

tofubeats - ele-king

 インターネット・インディ、とでも言うのだろうか。サウンドクラウドやバンドキャンプの普及によって無限に拡張された「音楽を発表する権利」、その意義や可能性は、いつまでも手放しで称賛されていいものではないのかもしれない。『ele-king』では昨年、その象徴というか、あくまで端的な例としてヴェイパーウェイヴの紹介にかなり固執したけれど、一年が終わるころにはその反動を肌で感じるようになったし、個人的にはその思いを紙版『vol.8』号に書いたつもりだ。
 ひとつのキッカケになったのは間違いなくアルーナジョージの取った軌跡であり、シングル・デビューから〈Def Jam〉あたりが完全包囲していてもよさそうなこの逸材が、最終的には〈アイランド〉にたどり着きつつも、どこかもどかしいステップを踏んだことに違和感があったのだ。もちろん、強力な刺激を求めていくマーケットの要請に、より過剰な人材の投入で応えざるを得ないメジャーの音楽が一方的に退屈だと言うつもりはないし、インターネットが解放したインディの新領域にあらゆる自由があるとも思わない。
 そう、現時点ではまだ、「メジャーとインディとのあいだにある種の倒錯が起きている」というのはあまりフェアではない。だが、少なくとも、生まれたばかりのデモ音源(ときにメジャー契約にあるミュージシャンの新作)が、レコード会社の担当部門だけではなくインターネット上にも流布される現在、だからこそそのスピード感(やレーベルの度胸)という点で、ヤキモキした思いを抱かされるリスナーは決して少なくないと思う。

 とすれば、トーフビーツの登場は、ある意味では遅すぎ、ある意味では早すぎたというほかない。もちろん、ここ数年の活動――アイドル・ポップのプロデュースやリミックス、バンドキャンプからの配信――が単なる消耗戦だったというつもりはない。だが、〈WIRE〉への初出演からも、あるいはいまでこそ文句なしの代表曲となっている"水星"が初めて世に問われたときからも、すでに数年が経過している。彼が(インターネット・インディ以降の)J-POPにおける試金石であるなら、この事実は軽視されるべきではないだろう。
 「すっかり"メジャーなんて"みたいな言われ方する時代になったけど、10年前の俺はメジャーデビューしたくて仕方なかったなぁ。早く音楽だけやってていいようにならないかなって毎日思ってた。」――これは、とある(メジャー契約にある)ロック・バンドのヴォーカリストの言葉だが、"朝が来るまで終わる事の無いダンスを"や"水星"のミキシングが少しずつアップデートされ、少しずつ多くの人の耳に届いていく様子から、僕はトーフビーツの言葉にならない胸の内を見せられた気がした。
 彼の初期のデモ音源集『2006-2009 demo tracks』に、"Bonjour at 5:00AM"という曲があるが、トラックに挿し込まれたタイピングの作業音は、無名のトラックメイカーがなんの約束もない未来を、ベッドルームでひとり想像する孤独な姿を浮かび上がらせる。とすれば、本作の"Intro"に収められた音が割れるほどのエールを聴けば、彼(ら)がどのような世界を手に入れつつあるのかを高い熱量で伝える。とてもアンビヴァレントに。
 そしてトラックメイカーは、また部屋へと戻っていく。そう、多くの思いを胸にしまい、いつものたれ流しUstreamを聴かせるような驚くほど軽いタッチで、『lost decade』は幕を開ける。

 "SO WHAT!?"はさしずめ「ひとりモーニング娘。」状態で、ヴォーカルを取る仮谷せいらのノリノリなコーラスでこのアルバムは急発進する(ちなみにこの二人はティーンエイジ・ポップの傑作"大人になる前に"をリリース済み)。これと好対照をなすと言えるだろう、ファンキーなベース・ラインが妖艶に体をくねらす"No.1"は、G.RINAの艶がかったヴォーカルによって夜のラヴァーズ・ソウルに生まれ変わっている。
 逆に男子校的なノリでやんちゃに遊び回るのは、パンピー(from PSG)をフィートした"Les Aventuriers"、SKY-HI(a.k.a. 日高光啓)が参加した"Fresh Salad"などで、いずれも性急なBPMに合わせた高速ラップが原動力となり、甘いポップスを期待して『lost decade』を手に取ったリスナーを挑発するように激しく動き回っている。
 とすれば、ストリートとクラウドを行き来するラッパー・ERAとマイクをバトンするドリーミー・ラップ"夢の中まで"は、遊び疲れた男たちの涙、報われることのない涙だ。

 そして、理屈から言えば"No.1"のように強力なポップ・アンセムに再録できたであろう"touch A"や"synthesizer"といったトラックは、いずれも既発のヴァージョンで残してあり(本音を言えば、専門のヴォーカリストでいつかリテイクして欲しい!)、その余裕がなせる業だろうか、"I don't care"や"time thieves"といったエッジーなビートものもガッツリ収録してある。そのふり幅、その落差こそが、本作の肝のひとつだろう。
 ブックオフで250円のJ-R&Bやアイドル・ポップから、中古レコード屋で拾ったようなディスコやソウル、同時代のダンス・ミュージック、果てはヴェイパーウェイヴに象徴されるウェヴのフリー・ミュージックまで、彼がツイッターなどでリスナーを誘い込んできた音楽の世界の、その遠い射程を追体験させるような仕掛けが、『lost decade』にはあると思う(だいたい、"水星"の元ネタを水星以前に認知していた人なんてどれくらいいたんだろうか?)。
 トーフビーツの描いてきた軌跡でもって、インディという概念が次のパラダイムに突入したことを――アルーナジョージやスカイ・フェレイラの登場がおそらくは欧米の若いリスナーのあいだでそう機能したように――多くの人が感じ取っているのもまたたしかだろう。だが(この話題をグズグズ引っ張って申し訳ないが)、いくつかの収録曲が、もう何か月も前にバンドキャンプで聴くことができた、ということを考えれば、『lost decade』のリリースはあと1年くらい早くてもよかったのでは......、というか、そうあるべきだったのではとも思ってしまう。

 小さなポップと、その新しい輝きについて――。「きらきら光る星のはざまでふたりおどりあかしたら/もっと輝くところに君を連れて行くよ」――ここにもまた、明るい未来への兆しがある。しかし、ますます真実味を帯びていくこの"水星"のキラー・センテンスが2013年という季節に含むのは、決してプリミティヴな高揚だけではないハズだ。
 だが、やがて『lost decade』は、南波志帆を招いてのタイトル・ソング、パーティの終わりにピッタリの"LOST DECADE"で大団円を迎える。いま、たったこの瞬間を祝福し続けることで、次の10年を繋げていこうというような願いが、さまざまなネガティヴの気配を追い払うように、この5分40秒を堅守する。それは感動的でさえある。僕たちはどうにかして彼を発見したし、この迷える時代に、彼によって発見されもしたハズだ。それがどれほど彼を待たせた結果であったとしても。

 今年の7月にようやく発売されるアルーナジョージのフルレンス・アルバム『Body Music』と、この『lost decade』によって、インターネット・インディとメジャー・レーベルの関係がうまく仕切り直しになればいいなと思う。トーフビーツのメジャー進出は、それくらいの意味をきっと持つ。
 ところで相変わらず、歴史性を欠いたままに惰性とノスタルジーとだけが蔓延しているように思えるJ-POPは、どのように再編可能なのだろうか? そのヒントになるかはわからないが、そういえば昨年、トーフビーツがツイートしているという「だけ」の理由で、森高千里やモーニング娘。をよく聴いた。もちろん、〈マルチネ〉が配信する『街の踊り』や『PR0P0SE』とともに。そこを繋ぐ架け橋、という言葉ではあまりにクリシェだが、彼(ら)が照らす未来を僕はそろそろ待ちきれない。この作品がまた、未来の誰か――ニュータウンや地方都市の片隅に生きる名もない若者たち――を勇気づけることを祈って、僕もその先を考えていきたい。時代に負けるな!

Major Lazer - ele-king

 カリブ海の音楽といえば、椰子の浜辺のリゾートの涼風やこんがり灼けた美女が反射的に浮かぶようにわれわれは洗脳されている。
 気持ちのいいイメージを思い浮かべることに反対する理由は何もないのだが、ジャマイカ生まれのダンスホールやそれがスペイン語圏の島々の音楽と結びついたレゲトンは、その光景にとどまらない部分も持っている。それらの音楽はカリブ海のストリート/アンダーワールドに深く根ざす一方、ヒップホップやマイアミ・ベースやイギリスのダブステップやブラジルのバイリ・ファンキなど世界各地のエレクトロニックなダンス・ミュージックとも通底しているからだ。
 地すべり的なその現象を象徴的に物語っているのがレゲトンの人気者ドン・オマール・フィーチャリング・ルセンゾの"ダンサ・クドゥロ"だろう。映画『ワイルド・スピードMEGAMAX』に使われたこの曲は、アンゴラのダンス・ミュージック、クドゥロをもとにしてポルトガル人DJルセンゾが放ったヒットのリメイクで、YouTubeでの視聴が4億4千万回を越えている。

 さて、バイリ・ファンキの支持者でもあるDJディプロが主宰するメジャー・レイザーは、ダンスホールを基調にしているが、ビートは通常のダンスホールより多様で越境的。ウェブの『IMDb』に引用されている、ディプロにプロデュースを依頼したのは「音楽の根拠地を持たない感覚が自分と似ているので、ふたりが組めば根拠地のなさを根拠地にできると思ったから」という意味のM.I.A.の言葉(引用出典は不明)もなるほどという感じだ。
 この4年ぶりの2作目では、前作でチームを組んでいたスウィッチが去り、新しいDJたちとチームを組んでいるらしい。今回フィーチャーされているのはエレファント・マン、シャギー、ワイクリフ・ジョンといった有名どころから、ロック系のブルーノ・マーズ、ダーティ・プロジェクターズ、ヴァンパイア・ウィークエンドまでと幅広い。
 ときには尖鋭的に、ときにはロックぽく、ときには下世話に、柔軟にビートを切りかえながらアルバムは進んでいく。ディープなヒップホップを聴いた後にブラック・アイド・ピーズに出会ったときのような親しみやすさもおぼえる。
 ミシシッピ生まれでアメリカ南部を転々として育ったディプロには、まだまだ隠している音楽の引き出しがありそうだが。

風薫るお寺イヴェント第5弾 - ele-king

 彼を通して「ポスト・クラシカル」に触れることになったかたも多いかもしれない。デペッシュモードやスモッグのカヴァー・アルバムでも知られるピアノ・ミニマルの重要アクト、シルヴァン・ショヴォが来日! 今回はソロとアンサンブルに加え、Marihiko Hara、ILLUHAのステージを楽しむことができる。千駄木・養源寺などを舞台に絶妙なキュレートを行ってきたILLUHAによる音と空間のイヴェントを、気候もうららかなこの機会にぜひ体験してみよう。

Live at Ennoji/ライブアット圓能寺
Sylvain Chauveau & O 来日ツアー東京公演

特設サイト:https://live-ennoji.tumblr.com/

「妨害なき相互浸透」をテーマに、大田区大森にあるお寺「成田山 圓能寺」にて荘厳な音響空間の中、畳の上で全身に音を感じられるイベント第5弾! 今回はフランスより、人気作曲家Sylvain Chauveauが待望の再来日、東京公演! Sylvainソロ演奏に加え、新たに結成されたコレクティブ「0」もともに公演決定! 京都よりMarihiko Hara、東京よりilluhaと音響界の話題アーティストを交え開催。

■開催・日時・場所■
2013年5月4日(土)開場13:30 開演14:00
入場料:前売 3000円 / 当日 3500円
Facebook内イベントページ:https://www.facebook.com/events/448938585186555/
※限定130席。予約完売時、当日券の販売はいたしません。ご予約はお早めに。
会場:大田区大森 成田山圓能寺

住所:東京都大田区山王1丁目6-30
 JR京浜東北線大森駅北口(山王口)より徒歩3分
ホームページ https://ennoji.or.jp/index.html 
(当イベントについて圓能寺へのお問い合わせはお控えください)
お問い合わせ:kualauk at gmail.com
予約方法:特設サイト内予約フォームよりおねがいします。

This is the 5th live event under the theme "nonobstructive and interpenetrating". The venue, Ennoji Temple at Omori will provide you solemn atmosphere of sound and you will feel it over the entire body on tatami mats.

Performers: Sylvain Chauveau, 0 (Sylvain Chauveau、Joël Merah、Stéphane Garin), illuha, Marihiko Hara. Please Email early as seating is limited to 130.

出演者プロフィール

〈Sylvain Chauveau〉
シルヴァン・ショヴォは、1971年フランス生まれのミュージシャン。 90年代から本格的に音楽活動を始め、2000年頃からフランス期待のミュージシャンとして頭角を現す。これまでTypeやFatCatといったレーベルから、ソロ作品9枚をリリース、世界中でライヴを行うとともに、映画やダンス作品にも楽曲を提供してきた。ピアノ、ギタ−、ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、電子音などを自在に用いて繊細に音楽を表現し、近年では自らボーカルを務める。またSylvain Chauveauとしてのソロ名義の他に「Arca」,「O」「ON」 等のプロジェクトでも勢力的に活動する彼の音楽は、エレクトロニカ、音響、 実験音楽、ポストクラシカルなど様々な文脈で語られており、ここ日本でも大きな人気を誇っている。
近作は、flauよりリミックス集『Abstractions』、FatCatよりサウンドトラック集『Simple』、Stephan MatheiuとのコラボレーションによるSmogのカバー・アルバム『Palimpsest』など。
https://www.sylvainchauveau.com/

〈O〉
O(ゼロ)は2004年にJoël Merah(acoustic guitar)、Stéphane Garin(percussion, glockenspiel)、Sylvain Chauveau(glockenspiel,acoustic guitar)によって結成されたアンサンブル。フランス南西部のバイヨンヌ/ベルギーのブリュッセルを中心に活動している。これまでにヨーロッパ各地での様々な音楽祭やホールで公演、自身の作品演奏に限らず、Steve Reich, Morton Feldman, 杉本拓, John Cage, Eric Satie, Gavin Bryarsらの作品も演奏し、アンサンブルの持つ未知なる可能性を追求している。
https://youtu.be/K6Kn6UPC1Nk
https://0sound.tumblr.com/

member profile
ステファヌ・ガリン(Stéphane Garin)
パリ管弦楽団、アンサンブル・アンテルコンタンポラン、レ・シエクル室内管弦楽団に参加。ピエル・ブーレーズ、デイヴィッド・ロバートソン、レオン・フライシャー、フランソワ=グザヴィエ・ロト、フェサル・カルイ等の指揮のもとに演奏。
パスカル・コムラード、ミッシェル・ドネダ、ドゥニク・ラズロ、ピエル=イブ・マセ、ティエリー・マディオ、マーク ペロンヌ、ドミニク・レペコ等と共演。ヨーロッパやアメリカやアジア等で公演。

ジョエル・メラ(Joël Merah)
2003年度武満徹作曲賞の第1位。
作曲家として東京フィルハーモニー交響楽団やコート・バスク・バイヨンヌ地方の国立音楽院オーケストラ、オイアッソ・ノヴィスやアンサンブル・ケーン、インジ、ロクテゥオル・ア・ヴァン(L'octuor a vent)などのアンサンブル、Opiyo Okach(ダンサー)と様々なアーティストに作品を提供。 これまでにベルナール・リュバ、ベニャ・アチアリ、ドミニク・レペコ、ティエリー・マディオ、ラウル・バルボザ、Michel Etchecopar(ミシェル・エチェコパル)、Saïd Nissia(サイード・ニッシア)と共演している。

〈ILLUHA〉
アメリカ生まれ日本育ちのCoreyFullerとブラジル生まれ日本育ちの伊達ジュリアーノ伯欣はお互いの音楽を通じて2006年に出会い、 2007年にアメリカ北部ベリングハムにある古教会での録音を元に4年の歳月を経て完成された1stアルバム『Shizuku』がN.Y.の12Kより発売。雑誌WIREなどに掲載され1ヶ月で完売となり、幻の1stアルバムとなる。これまでに日本やアメリカ西海岸ツアーを行い、ライブバンドとしての評価が高い。この夏にはライブ盤アルバムの発売が予定されており、7月26日には山口県YCAMにて坂本龍一+TaylorDeupreeと共演する。Coreyは現在日本へ移住し、オーディオエンジニアおよび映像作家、ディレクターとして活動中。TomoyoshiDateはソロ作品やOpitope、Melodiaとしてもリリースを重ねる一方、西洋医学と東洋医学を用いる医師でもあり、自然と文明の関わり方を医療と音楽の側面から考察している。
illuha.com

〈原 摩利彦 / Marihiko Hara〉
音楽家。京都大学教育学部卒業。静けさの中の強さをテーマに、質感を追求した作曲活動を展開している。これまでにアルバム『Credo』(Home Normal)、『FAUNA』(shrine.jp)等をリリース。舞台や映像の音楽も手がけ、ダムタイプ高谷史郎氏のプロジェクトや伊勢谷友介監督『セイジ 陸の魚』のサウンドトラックに参加。「Shiro Takatani : CHROMA concert version」としてSonar Sound Tokyo 2013に出演。音楽を手がけた短編アニメーション『COLUMBOS』(監督:カワイオカムラ)はロカルノ国際映画祭やロッテルダム国際映画祭など海外主要映画祭 にて上映された。2013年4月に新作『Flora』(night cruising / Drone Sweet Drone)を発表。
www.marihikohara.com



opitope RELEASE PARTY

サイト:https://www.super-deluxe.com/room/3398/

opitope(ChiheiHataleyama+TomoyoshiDate)が6年ぶりのニューアルバム『a colony of kuala mute geeks』をWhite Paddy Mountainから発売! アルバム参加アーティストを含めた超豪華なゲスト11人とopitopeが怒濤の5ステージ!

■開催・日時・場所■
2013年5月12日 (日)
Open 17:00 / Start 17:30
Ad:2,000 +1d Door:2,500 +1d
Tokyo @ SuperDeluxe (Nishiazabu)

LIVE
aus, 秋山徹次, 大城真, Carl Stone, Christophe Charles,
Sawako, 杉本佳一, Tamaru, 中村としまる, 安永哲郎, yui onodera,
opitope

17:30~18:00 Sawako + Tamaru + opitope
18:10~18:40 秋山徹次 + 安永哲郎 + opitope
18:50~19:20 大城真 + 中村としまる + opitope
19:40~20:10 aus + 杉本佳一 + .opitope
20:20~20:50 Carl Stone + Christophe Charles + Yui Onodera + opitope

主催者情報
主催:Kualauk Table https://www.kualauktable.com/(Twitter:@kualauk)

共催:flau  https://www.flau.jp/
後援:HIGASHI TOKYO LABORATORY https://www.higashitokyolab.com/


interview with Acid Mothers Temple - ele-king

 アシッド・マザーズ・テンプルのリーダー、河端一のインタヴューをお届けする。

 アシッド・マザーズ・テンプル(AMT)は河端を中心に「アシッド・マザーズ・テンプル&メルティング・パライソUFO」(通称「宗家」)、「アシッド・マザーズ・テンプル&ザ・コズミック・インフェルノ」(通称「地獄組」)、「アシッド・マザーズ・テンプルSWR」等々、AMTの名を冠した多くのバンド/ユニットが存在する。ゴングのようなものだと思えばわかる人にはわかるだろうか。

 そのゴングとの合体バンド「アシッド・マザーズ・ゴング」、グルグルのマニ・ノイマイヤーとの「アシッド・マザーズ・グルグル」など、合体ユニットものも数多く存在する。このあたり、非常階段、想い出波止場などの関西アンダーグラウンドの系譜も感じさせる。

 AMTは97年のファースト・アルバム以降、ジュリアン・コープによる紹介や英『THE WIRE』誌の表紙掲載(2001年)など海外での評価を高めていき、いまでは数ヶ月におよぶロング・ツアーを毎年おこなっている。
 その姿は「海外進出!」的な華やかなものではまったくない。数多いツアー・バンドのひとつとしての地に足の着いたツアー生活ぶりは、河端のブログでもその一端が伺える。みんな自炊してるし。

 ここで個人的な話をすると、筆者が河端の名前を意識したのは90年代中頃である。当時ハイライズの南條麻人による様々なユニット(メインライナー、ムジカ・トランソニック、狼の時間、東方沙羅等)がPSFレコード(灰野敬二や三上寛のリリースで知られる)から続々とリリースされた。当時すべてをチェックできたわけではなく、それぞれのバンドの区別も曖昧だったのだが、強烈なワウファズギターは強く印象に残っている。

 それ以前は、80年代には女性ヴォーカルを擁したニューウェイヴ・バンドえろちかを率いて活動しており、ナゴムのオムニバスなどでその一端を垣間見ることはできる。インディーズ・ブームの追い風もあって一時はメディアの露出もあったようなので、当時日本のニューウェイヴを熱心に追っていたような人(野田編集長とか)であれば名前くらいは知っているのではないだろうか。

 取材は秋葉原Club Goodmanで行われた狂熱のディスコカバーライヴの翌日、中野の大衆居酒屋で行われ、取材後のフォトセッションの後、さらに飲み続けた。前日も朝まで打ち上げだったというのに、つくづくタフな人である。

そもそも俺はサイケデリックというのは、基本的にアホの音楽だと思ってるからね。言うたらラリって気持ちよくなってるだけであり。そんなところで何をシリアスにやってるのや、もっと陽気にいこ陽気にっていうね。

田畑さんと同じように、まずはバイオグラフィカルなことを順を追ってお聞きしたいと思うんですが。

河端:あんまりないんですけどね、俺は(笑)。田畑はやっぱりいろいろあるじゃないですか。有名バンドを渡り歩いてきたエリートやから。俺は裏街道を歩んできたからね。

音楽活動を始めたのが14歳ということですが。バンドを始めたのがその時ということですか?

河端:14か、13ですかね。そうですね、バンド活動と音楽活動を始めたのが同時で。最初は10歳か11歳のときにラジオで現代音楽を聴いて。それはシュトックハウゼンのミュージック・コンクレートか電子音楽やったと思うね、いま思えば。それを聴いてすごく興味を覚えて「こんな音楽があんのや」というのが始まりで。

あ、じゃあロックより先に現代音楽を?

河端:うちはお袋が音楽にすごく厳しい人で、家で歌番組を見たらあかんかったんですよ。世のなかのくだらない音楽を聞くなと。
 それからまた何年か経って、友だちがロックのレコードをうちに持ってきたのね。お兄ちゃんのレコードを自分のカセットに録音したいと。いまでも忘れないビートルズの『レット・イット・ビー』やねんけど、まったく興味がわかんかってん。「なんやこんなんしょーもない。これがロックいうやつか」思ってんけど。そいつがそれからお兄ちゃんのレコードを持っくるようになって、あるときディープ・パープルを持ってきた。『マシン・ヘッド』。そしたら「なんやこれ、めちゃくちゃかっこええやんけ!」と。

じゃあやっぱりハード・ロックから。

河端:ハード・ロック、プログレからですね。同時にプログレとか聴きだして、フリップ&イーノとか。そうすると現代音楽にまた自分のなかでもどってしまって。
 そうこうしてるうちに、ディープ・パープルみたいなハード・ロックに俺の大好きな電子音楽が乗ってるバンドはないんやろうかと。好きな音楽と好きな音楽が合わさったらもっと好きになるはずや、単純な話。そんなんないんかなあと思ってても、結局当時の力では探せられへんのね。
 じゃあ自分でやるかと。ちょうど仲間が3人おるから3人でやろうやと。そしたらたまたま友だちの兄貴がシンセが余ってて譲って貰ってんけど、電源を入れたらビヨ~ンとかいうやんか。それで「お、シュトックハウゼン確保」(笑)。あとは演奏するだけやけど楽器がないから作ろかと。それで自作楽器を作ってね。スーパーで肉とか買った時についてくるトレーに輪ゴムを張ったり、缶に棒を挿してそれに針金を張って叩いたりとか――まあビリウンバウみたいな感じやねんけどね。いろいろ作って、これでディープ・パープルのような演奏をしようと。

それは(笑)。

河端:気持はの上ではね。まああの疾走する感じで。もちろん即興やねんけど、自分らでは曲をやってるつもりなんやね。だから今とけっこう近いというか。即興といってもフリーミュージックではなくて、作曲と編曲と演奏を同時にしてるだけなんやね。それはまあ今から聴くとなんとも言えへんものやねんけど(笑)。

最初からいまにつながる感じだったわけなんですね。

河端:それがはじまりで、だんだんバンドとしての体裁が整っていった。ギター、ベース、ドラムになって、スタジオに行けばオルガンなんかもあるから。そこのスタジオに、4chのミキサーとマイクとカセットデッキがあったんですよ。それで「録音できるやん」と。それでうちの家には当時カセットデッキが2台あって、スタジオで録ってきたやつにかぶせて次のテイクを録音するという。

いきなり最初からオーバーダビングを。

河端:そうやって自分らで作品作りを始めたんやね。ギターソロとか当時はそんな速う弾かれへんやん。それでラジカセにまずギターソロを録音すんねん、もうデタラメやねんけどできる限りの速弾きを。それをカセットで半押しくらいで早送りするとキュキュキュキュキュって速くなるやん(笑)。
あとカセットテープってネジで止まってたよね、四隅が。あれを開けて、切ってセロテープで繋いだりとか。テープをぐちゃっと捻ってからまた伸ばしてワウフラッター作ったり。ひどい時は1回水で洗って太陽で干してテープをグニャグニャにしたやつをかけたりとか。

へえー。

河端:最初の4年くらいはチューニングもしてなかった。ギターとベースの間のチューニングというのが存在してなくて。いまで言うオープンチューニングみたいな感じで、ポローンとやって「あ、面白い並びやな」「綺麗な並びやな」でそのまま弾くし、ベースはベースで自分でやるから、すごいうまいこと行ってる日とものすごい気色悪い音やなっていう日があって(笑)。

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年齢が28くらいで、このままマトモに就職でもして働くか、それとももう1回音楽をやっていけるか、どうしようかなと。そう思ったときに、自分はミュージシャンとして音楽をやる資格があるのかと。いままで一度も支持されたことのない(笑)、こんな人間が本当に音楽をやる資格があるんやろかと。

ずっと同じメンバーでやってたんですか、中学から高校にかけて?

河端:メンバーを入れたりしたけど3人の結束が固すぎて。価値観が同じで育ってるから入り込めない(笑)。で結局3人だけ残っていくんやけど。
 ただ、ライヴハウスに出だしたときにどこにも属せなかった。

ああ、まあ......ねえ(笑)。

河端:ノイズでもないしパンクでもないしニューウェイヴでもないし。当時はサイケも死滅したジャンルやし、今から思えばいわゆるサイケデリック・ロックみたいなもんでもなかったしね。
でまあ、大阪でライヴやるようになってんけど、「お前らだけちゃう」「ほかのバンドは受けてるのに、お前らのときだけお葬式みたいやんか」と(笑)。終わるとどよーんとした空気になっとって。当時漫才ブームが終わったころで、吉本が若手漫才師をライヴハウスとかに送り込んでたのね。そんで俺らのあとにデビューしたばっかのトミーズが出たことがあって。俺らのライヴテープにずっと録音されてたから漫才の最初のほうが入っとって、雅がずっと「やりにくいなあー」と。

その最初のバンドの録音が最近リリースされてますよね。

河端:はじめはただ単に録音してただけやってんけど、自主制作というのがあると知って。たまたま行った輸入盤屋にXAレコードのカセットが並んでたんよ。XAレコードっていうのはディ・オーバンていうバンドのやってたレーベルで、少年ナイフのファーストとかもそこで出してるのね。
 それを見て店の人に「僕も持ってきたら置いてもらえるんですか」て聞いたら「委託で預かりますよ」「ほんじゃ持ってきます!」言うて。結局40本くらい作ったんかな。

そんなに! 中高生の間にですか。

河端:そう。2000年くらいに1回CD-Rで10枚組を出したんですよ。そしたらイタリアのレーベルが興味を持って、LPでリイシューしたいって言い出して。何枚かがLPで出てます(*1)。当時の音楽はあまりにもデタラメなことをやり過ぎてるんで、逆に言うといまの自分が忘れ去ったようなことがすごく入ってるんですよ。「あ、こんなこと思うとったな」とか、「こんなアイデアよう思いついたな」とか。それがいまの自分にフィードバックする感じ。
 やってることは一緒なんで、アシッド・マザーを結成したときも「やっとこれが出来るときがやってきた」みたいな。

ああ。

河端:ギターの練習も、スケールとかなんも知らない状態から鏡に向かって、1弦から6弦、1フレットから22フレットまでを駆け上がって駆け下がるようなギターソロ。いつも鏡の前で練習してたからね、指使いだけを見ながらこれはめちゃ難しそうに見えるやろと(笑)。そのままいまになってしまったんやね。

ああー。

河端:俺のギターソロの原点はそこ。ほんであと、当時って動画とか滅多に見れなかったから、雑誌とかレコードについてる僅かな写真で判断するわけですよ。そしたらだいたいギタリストってギターを振り上げた時とかそういう写真が多いわけですよ。ずっと暴れて弾いてると思てたんで、最初から家で暴れながらギター練習してて。
 そんな誤解がいまのギター・スタイルとかすべてにつながってる。あとは当時のライヴ・レヴューとか読むとなんでも大爆音て書いてるわけですよ。たとえばキング・クリムゾンの本読んでも、"エピタフ"、あのバラードを歌う歌声が「雷鳴のように聞こえた」って、どんな爆音やねんと。それで絶対にスーパー爆音でないと演奏したらアカんと思って。
 その誤解のままいまに至ってる感じ。音楽のルーツは誤解と幻想。情報量が少なかったのが逆に幸いしたんやね。

そのバンドは結局どのくらいやってたんですか?

河端:高校3年までやったから、結局6年間。メンバーが辞めていって変わっていくようになると、いままで3人で即興でずっとやっててわかり合ってたことがわかり合えなくなってくる。そこで初めて、自分たちの価値観は自分たちしか通用しないということがわかって、ほんなら曲をちゃんと作らないと演奏できないということになって。ほんで俺らあまりにも受けなさすぎて、その時流行ってたポスト・パンクにだんだん近づいていくのね。

そこからえろちかに移行していく感じですか。

河端:いや、えろちかはまた違うねん。そのバンドで最後俺も辞めちゃうのね。で、オリジナル・メンバー・ゼロで解散ライヴすんねん。解散ライヴを俺が見に行ったくらいで。結局メンバーが36人変わって解散すんねんけど。
 ほんで解散した後に新しいバンドはやりたいけど、前のバンドはあまりにも不遇やったと。アングラシーンのなかでもここまでうけへんというのはありえへんというくらうけない。当時マントヒヒっていうライヴハウスが大阪にあって、非常階段とかアングラ系のバンドがよう出てた、ちっちゃいライヴハウスやねんけど。
 とにかくどのライヴハウスに行っても「お前らはよその店に行ったほうがいいよ」と言われてて「僕らはどこ出たらいいんですか」と最終的に聞いたら、「マントヒヒがいいんちゃうか」。それでマントヒヒにテープ持ってったら断られて。
 林直人さんと死ぬ前にたまたま呑む機会があって、昔マントヒヒで断られたことがあるって言ったら、「あそこで断るってありえへんやろ」って言われたけど(笑)。

当時非常階段が出てるようなところと言ったら相当ですよね。

河端:そう、非常階段が一番スキャンダラスやったとき。そこに出られへんってありえへん。
 それでまあ、えろちかのときは、売れたいけど魂を全部売るわけにはいかないので、売れるための要素と自分の趣味の部分のバランスが面白いバンドにしようと。だから1回聞いたら絶対覚えられるリフとかメロディを一個は必ず曲に入れるというのをコンセプトにしたのね。それでアレンジはわざと変にして。
 はじめはちょっとパンクっぽい感じやったけど、だんだん趣味部分がどんどん出てきて、最後はプログレ化していくという。メンバーも変わってワンマンバンドになっていって、最後は作詞作曲編曲まで全部自分でやってた。ワンマンバンドなんで上手いメンバーばっか集めてこういうことをやってくれと。そしたら弊害が出てきてん。

ほう。

河端:もうバンドのカラーが決まったバンドに入ってくるから、俺が新しいことをやろうとすると「それはえろちかっぽくない」って言われて、前に書いた曲の二番煎じみたい曲ばっかになって、どんどん面白くなくなってくる。それと当時売れたいからというので、メジャーとかから話は来るわけですよ。バンドブームやったしね。それでメジャー4社断ってんけど。

へえー!

河端:メンバーに相談せずに(笑)。俺は別にメジャー・デビューがしたいわけじゃなくて、ある程度音楽が支持されるようなとこでやりたいというだけやったから。結婚なんかもそうやけど、メジャー・デビューもゴールやなくてスタートやから。やりやすいように仕事せなあかんねんから、話が来るたびに必ず条件を3つ言って、この条件を飲んでくれたらら契約しますと。ひとつはセルフ・プロデュースであること。あと歌詞の検閲を受けない。それと海外盤を出す。その条件が飲めないならやらないと。そうやって4社くらい断るともう話がないよね、当時は。

噂も広まるし。

河端:断ってるうちに話がパタっと来なくなって。それでメンバーに言ったんよ、ある日。「全部断っといたから」って。そしたら「なんでやねん!」と(笑)。「もう道はなくなった」ってメンバーがみんな辞めてしまった。まあそらそうやな。
 そのままちょっとプライベートでいろんなことがあって音楽を辞めてた時期があるんですよ。自分のなかでえろちかっていうのは、結構全身全霊を傾けてやってたバンドだったんで、音楽的にはある程度自信があったし。それが終わった時点で、やることなくなったという感じがしたんやね。ちょうどその頃サンプラーを買ってテクノを自分で作ったりしてて。

へえー。

河端:ロッテルダム・テクノやったっけ? 歪んで速いやつを。それはDJやってる友だちにあげたりとかして、誰かがプライベートプレスかなんかして一部でかけてくれてたらしいけどね。それも結局興味があんまもたなくて、まあもうええかな、音楽やめよ、って辞めてたんですね。
 そしたらまたとある出来事があって人生振り出しに戻った瞬間があって。年齢が28くらいで、このままマトモに就職でもして働くか、それとももう1回音楽をやっていけるか、どうしようかなと。そう思ったときに、自分はミュージシャンとして音楽をやる資格があるのかと。

資格ですか。

河端:いままで一度も支持されたことのない(笑)、こんな人間が本当に音楽をやる資格があるんやろかと。その頃ジョン・ゾーンとかが人気が出てきてて、ニューヨークのシーンがすごい盛り上がってて。ちょうど最初のニッティング・ファクトリーの頃。それでニューヨークの、世界で最先端だと言われてたそいつらを見てみたろうと。それを見て、自分もやれそうだと思ったらやろう、あかんと思ったら辞めようと。
 とりあえず有名無名のいろんな人を見て、日本で観たことのある人もいたけど、日本で見ると「外タレ」と思って見てるからフィルターかかってるねん。向こうに行くとフィルターがなくなるんで、純粋にミュージシャンとして見れるわけですよ。そしたら、まあ言うたらあんま大したことないな、こんなもんかと。または、凄いけどとんでもなく凄いわけでもない。

手が届かないわけではないと。

河端:これやったら俺もいい線行けるんちゃうかなと思って、そのままニューヨークに居て続けてやろうと思ったんやけど、向こうの人に帰ったほうがいいって言われたんですね。こっちに住んでしまったら「アメリカに住んでる日本人」になっちゃう。そんなん珍しくないし。でも日本から来たら外タレやでと。たしかにそれは言えとる、英語もそんな喋られへんし。
 1回日本に帰ったらたまたま南條(麻人)さんに久しぶりに会って、そこからPSFのリリースに繋がった。


(*1)
イタリアの〈Qbico〉レーベルからリリースされたLP10枚組のコンピレーションBOXセット「Omicron/Omega」に、河端一が最初に結成したバンド「暗黒革命共同体」の1979年のライヴ音源が1枚、自作楽器による実験ユニットMURAが1981年に録音&リリースされたカセットからセレクトした1枚の計2枚が収録されている。

(*2)
1990年録音、1991年リリース。「愛の四畳半」「秀松おしの」「天寿全うたたきの一物」の3曲を収録した短冊型8cmCD。

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灰野さんが南條さんに、なんでそんなにたくさんバンドを作るんだと。それで南條さんはコンセプトごとにバンドを作るんだって答えたら、灰野さんはそのときに「俺なら不失者で全部やる」と。それを聞いたときに、俺はなるほどな、そっちのほうが賢いかもと。

南條さんとはその前から面識はあったんですか。

河端:南條さんが名古屋に住んでたときに、レコード屋に貼ってる論文みたいに超長いエッセイみたいなメンバー募集を読んで、1回電話してみたらハイライズの南條さんで。そのメンバー募集で来たの俺だけやったらしくて(笑)。あまりにもとんでもないメンバー募集だったから誰も来なかったと。それで一緒にやるようになって。その時はえろちかもまだやってたのでそこまで深入りはせんかったけど。

南條さんとのユニットが爆発的に出てきましたよね

河端:南條さんは初めて会ったときに、「僕はシンガー・コンセプト・ライターなんです」って言うてて。僕はコンセプトを考えるのが得意なんですと。でも曲は作れないので、僕がコンセプトを考えますから、河端君が音楽を作ってくださいっていう。

へえー。

河端:南條さんが「このバンドはこういうコンセプトだ」っていうと「じゃあこういう感じかな」っていうコラボレーションになって。南條さんはプロデューサー的なところが優れいて、俺が作った音に対してミックスとか、ちょっとした細部のオーバーダブで音を足したりしてくるんやね。ミックスもまず1回俺が作るんですよ。そしたら南條さんが「わかりました」言うてちょっとだけフェーダーを動かして、そしたらいつもグッとよくなるねん。言うたら南條スクールみたいな。それでいろんなことを学んだ感じ。
 自分の音楽がいまいち理解されなかったかのが、音楽性の問題じゃなくて、その表現の仕方がハッキリしてなかったんやね。南條さんのミックスはハッキリしてるんですよ。普通やったら、どの楽器も全部聴かせたい。ドラムやったらバスドラがちゃんと聞こえるようにしたいとかあるでしょ。でも音楽的にそのバスドラがどこまで必要かと言うたら、実はそんな要らんねんで。
 南條さんの場合は、一番大事なものが聞こえたらあとはいいです。頑張って録音したのはわかるけど、消すわけじゃないけど聞こえなくなってしまってもいいんですよ。トータルの響きが大事なんです、と。それが俺は結構眼から鱗で。
 やっぱりプレイヤー気質からすれば頑張ったんだから聞いてほしい。でも音楽というのはプレイヤー個人のエゴなんかどうでもよくて、全体の音像やから。南條さんは「音響」って言ってたけど、個々の演奏はそれを支える一要素でしかない。それが1個ずつクリアに聞こえたって何も関係ないと。それから自分のなかで扉が開いた感じやね。

なるほどなるほど。

河端:それまでは、ミックスしてても、なんかしっくりこないのはわかってるんやね、自分でも。それをどうしたらいいのかがわからない。これを上げちゃったらこっちが聞こえなくなるし、と。でもそしたら上げたらええんや。そこからは自分の世界でやっていったところもあるけど、きっかけは南條さんやった。あの人は本当にシンガー・コンセプト・ライターやったね。次々とコンセプトが用意されてるわけですよ。

あの頃次々と出てきましもんね。

河端:だって俺もバンド名知らんかって。東京に毎月出てきて1週間くらいレコーディングしてたんやけど、「河端君、今回の録音予定です」って渡されて、新しいバンド名とコンセプトが書いてあるんですよ。南條さんが面白かったのは、コンセプトの数だけバンドを作るっていうね。

ああー。

河端:南條さんはハイライズだけが認められるのをすごい嫌がってたのね。ハイライズは僕のなかの一側面でしかないから、もっとほかの面も同時に評価されたいて言うて。1回灰野さんと3人で会ったときに、灰野さんが南條さんに、なんでそんなにたくさんバンドを作るんだと。それで南條さんはコンセプトごとにバンドを作るんだって答えたら、灰野さんはそのときに「俺なら不失者で全部やる」と。それを聞いたときに、俺はなるほどな、そっちのほうが賢いかもと。でないと、バンドばっかたくさん作っても結局理解できないでしょ。全部がサイドプロジェクトになってしまって。

ハイライズとその他、みたいな印象になっちゃいますよね。

河端:でしょ。そしたら結局南條さんの狙い通りにはならないわけ。

アシッド・マザーを結成したときには、ファーストを作ったときにはべつにバンドにするつもりじゃなかったんよ。ただヨーロッパとかを南條さんと一緒に回りながら、もうちょっとこういうバンドがあったら面白いなと思ったときに、昔の「ディープ・パープルとシュトックハウゼン」というのを思い出して、そうやいまやったらやれるかも、やってみよかなと。

今度Kawabata Makoto's Mainlinerっていうのがあるじゃないですか(*3)、あれは何ですか?

河端:ああ、あれはメインライナーですよ。メインライナーはそもそもは南條さんのバンドやったんですね。で、メインライナーは海外での評価が異常に高いんですよ。下手したらアシッド・マザーよりも人気がある。ハイライズ以上かも。
 メインライナー自体がもう南條さんとか関係なしに90年代のサイケバイブルと言わてるんやね、あのファースト・アルバムが。アシッド・マザーをやってても「メインライナーのギタリスト」って言われるくらいの人気で。でも南條さんとはもう10年以上会ってもないし連絡も取ってないし。田畑は最近成田さんや氏家くんとやってるけど(*4)南條さんは出てこないじゃないですか。まあ出てくるつもりももうないんやろうけど。せやから南條さんのメインライナーをやるわけにはいかない。
 最低限ファースト・アルバムは、曲は俺が作ってるからね。だから人気のあったファーストのメインライナーみたいなバンドを、まあみんながそこまで望むならもう1回やろうかなと。で、敢えて「Kawabata Makoto's」とつけて、南條さんはいませんよと。そのかわり演る曲も、基本的には新曲やけど、仮に旧曲をやるとしてもファーストからしかやらない。そういう感じです、みんなが観たいというからやってみよかな、っていう。

告知が出たときに「何だろうこれは」と思ったんですが。

河端:でももう3年くらい前からやってて、録音もだいぶ古いし。はじめは南條さんの代わりにベースを誰にするかと言って、いろいろ候補はあったんやけど、結局Bo Ningenのタイゲンを入れて。それに兄い(志村浩二)(*5)はメインライナーの最後のドラマーなので。このまま続けるか、アルバム1枚と1回のツアーで終わるかは、まだ自分の中でもわからない。もともとメインライナーのツアーをやっていて、「もっとこういうバンドだったら面白くなって客層も広がるのに」と思ったのがアシッド・マザーやったから。逆にそのなかで、今度はメインライナーみたいなことだけを要求されてきて。だからそれを抽出してみたということ。
 アシッド・マザーを結成したときには、ファーストを作ったときにはべつにバンドにするつもりじゃなかったんよ。ただヨーロッパとかを南條さんと一緒に回りながら、もうちょっとこういうバンドがあったら面白いなと思ったときに、昔の「ディープ・パープルとシュトックハウゼン」というのを思い出して、いまやったらやれるかも、と。
 たまたま当時須原(敬三)君(*6)が暇にしてたので、一緒にやろうやと。そしてらコットン(*7)をヴォーカルに連れて来て、俺もメインライナーのドラムだったハジメちゃん(小泉一)がおったんで連れて行くわってことになって、ドラムとヴォーカルとギターとベースの4人で最初にはじめて。はじめはセッションしてただけやってんけど、そこに元えろちかのメンバーだとか、ヒッピー・コミューン系の人らがまわりにおったから、そういうのもどんどん取り込んで。おもしろいことやってくれるなら全部やっちゃおうかと。まあ言うたらゴング的発想。

ああ、なるほど!

河端:とにかくおもしろい奴は全員入れちゃえという。そしたら一瞬でメンバーが40人くらいに膨れ上がって、もう収拾がつかない。ともあれ録音はして、アルバムできました。もともとベルギーのレーベルが出したいって言うてくれててんけど、できたときはレーベルが潰れてなくなってたんや。それで宙に浮いたんでいろんなレーベルを当たってたんやけど、全部断られた。またかと。俺の作ったものはどうも認められへんのやなと。
 モダーンミュージック(*8)にたまたま行った時に生悦住さんと話してて。「河端君は何か自分のものはないの?」って言われたんで「いや、新しいバンドを作ってファーストのマスターはあるんですけど、誰も出してくれないんです」と。ちょっと聞かしてみてよって言われて、たまたまその時マスターを持ってたんでかけたら、すぐ「じゃあうちで出そう」って。
 それで出たのがファースト。ファーストは記念碑的なソロ・アルバムだったんやね、自分のなかでは。身の回りにいる友だちみんなを巻き込んだ、青春の想い出ではないけど、「こういうものがありますよ、世界のどこか隅に」という。だからセカンド作るつもりも全然なかった。

極端なことを言えばバンドですらないというか。

河端:うん、ただ1枚のためのレコーディング・ユニットだったんやけど、あれが日本で全然売れなくて。ところが、『WIRE』の年間ベスト・アルバムに選ばれて、バンド名もバンド名やしジャケットもジャケットなんで、海外からライヴ・オファーが急に来た。じゃあ行ってみようかと。それでツアーできるメンバーを集めてなんとか海外ツアーに行ったわけですよ、初めて。当時は曲とかなかったんで、ほぼ1曲か2曲をブワーっと突っ走って演奏するだけだったんやけど、まあ結構受けた。
 帰って来たら津山(篤)さん(*9)と久々に会って。「俺らこないだヨーロッパ行ってんけど、津山さんも一緒にヨーロッパ行く?」とか言ったら「うん、俺も行きたい」「じゃあ入る?」言うて、津山さんがベースで入って。そうしたらセカンド・アルバム作ろうかと。それでセカンド・アルバムを作ったらそのまままた海外に行くようになって。そこから後はみなさんの知ってるような。


(*3)
英〈Riot Season〉レーベルよりアルバム『Revalation Space』が2013年5月発売予定。CDのほか、アナログ2種(ホワイトヴィニールとゴールドヴィニール)、カセットでも同時リリース。

(*4)
ハイライズのギタリスト成田宗弘は、ベースにAMTの田畑満、ドラムに元ハイライズの氏家悠路という編成による「GREEN FLAMES」で活動中。

(*5)
アシッド・マザーズ・テンプルのドラマーで、自身のリーダー・バンド「みみのこと」でも活動中。かつては石原洋率いる「ホワイト・ヘヴン」にベーシストとして在籍。ハイライズにも在籍経験があり、Kawabata Makoto's Mainlinerにも参加。

(*6)
レーベル〈Gyuun Cassette〉のオーナー。元「羅針盤」のベーシストであり、その後も「埋火」や山本精一の「Playground」などに参加。関西アンダーグラウンドシーンの影の重要人物。

(*7)
コットン・カジノ。ヴォーカルおよびシンセサイザーでAMTに初期から在籍するが2004年に脱退し、現在はアメリカ在住。AMT以前には女性4人組サイケデリック・バンド「マディ・グラ・ブルウ・ヘヴン」に在籍。

(*8)
東京の明大前にある「日本一アンダーグラウンドなレコード店」。インディ・レーベル〈PSFレコード〉も運営。

(*9)
アシッド・マザーズ・テンプル&メルティング・パライソUFOおよびアシッド・マザーズ・テンプルSWRのベーシストであり、想い出波止場のベーシストとしても知られる。ほかに赤天、ZOFFY、サイケ奉行など数々のバンド/ユニットやソロで活動。山小屋の管理人でもあるので夏には音楽活動を行わないことでも有名。

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ロンドンとかだとクイーンエリザベスホールでワンマンとか、前売チケット3000枚ソールドアウトとか、海外ではすごい有名になってて。ホークウィンドとかゴングが再評価でやっと出てきたときで、俺ら自身はゴングとかは好きやったけど、影響を受けたのはほんとはディープ・パープルとシュトックハウゼンやったんやけどね、そやけど面倒くさいから否定はせずに。

ゴングとオーブのライヴがロイヤル・フェスティバル・ホールであって、そのときにうちらも一緒に出たんやね。アシッド・マザー、ゴング、オーブっていうライヴで。そのときにバックステージでアレンと話してて、俺は昔ゴングの初来日のときに凄いファンやったから名古屋と大阪と2公演観に行ったっていう話をして「ありがとう」とか言うとって。

ジュリアン・コープの紹介もありましたよね。

河端:うん、あれが大きくて。イギリスに1回行って、その次に半年ぶりにまた行ったわけですよ。前回行ったときは客が100人か150人くらいだったのね。それが次に行ったらソールドアウトで700人とか入ってて。ライヴハウスもアップステアーズとダウンステアーズがあって、下がデカいほうで上がちっちゃい方。俺らはいつもちっちゃいほうでやってたのに、ブッキングが入れ替わっててね。
 あのときはサイケブームもあったんで追い風で。ロンドンとかだとクイーンエリザベスホールでワンマンとか、前売チケット3000枚ソールドアウトとか、海外ではすごい有名になってた。

日本のバンド・ブームみたいな時期もありましたもんね。

河端:ジャパノイズね。俺らはジャパノイズの一番ケツで、灰野さんとかルインズとかボアダムスとかの後に出て来て、ちょうどジャーマン・ロック・リヴァイヴァルとか――リヴァイヴァルというかイギリスでは初めて紹介されたようなもんやけど――サイケ・リヴァイヴァルの波にちょうど乗ったのね。それで当時は宇宙音を使ったバンドがいなかって。うちらはツインシンセがセンターにおって、ギターとベースが端にいるっていう編成やったから。普通シンセはおっても端っこでしょ?

後ろとかね。

河端:それが真んなかにおって、しかもふたりが頭振って暴れながらシンセを弾いてるというのが衝撃やったみたいで。それが凄い影響を与えて、次の年にツアー行くと前の年に対バンしたバンドに全部アナログシンセが入ってんねん。
 結構そういう意味では開祖みたいなところがあって。しかもホークウィンドとかゴングが再評価でやっと出てきたときで、お前らもゴングやホークウィンドの影響を受けてるのかと言われて。俺ら自身はゴングとかは好きやったけど、影響を受けたのはほんとはディープ・パープルとシュトックハウゼンやったんやけどね、面倒くさいから否定はせずに。

否定せずにいたら一緒にやるようになっていたと(笑)。

河端:そうそう。まあ一緒にやるようになったのもおもしろい話で。ゴングとオーブのライヴがロイヤル・フェスティバル・ホールであって、そのときにうちらも一緒に出たんやね。バックステージでアレンと話してて、俺は昔ゴングの初来日のときに凄いファンやったから名古屋と大阪と2公演観に行ったっていう話をして「ありがとう」とか言うとって。そしたらアレンの彼女がアシッド・マザーの凄いファンで。そもそもそれでそのときアシッド・マザーにオファーが来たのね。
 そのあとにうちの掲示板で、誰かが「Acid Mothers Gongみたいなのが観たい」って書いたんよ。それで俺が「Who can organize?」と言ったらゴングのマネージャーが「誰か俺を呼んだ?」って来て(笑)。次にアレンが「ん、なに?」とか言って来て、話がトントンと。

へえー。

河端:はじめはスケジュールが合わなくて、コットンとアレンと3人だけでGuru & Zeroってバンドを作ってアメリカの西海岸だけツアーしてアルバムを1枚作った。で、そのツアーをやってるときにアレンが突然新しいアイデアをメディテーションで得たって言って、それが「You'N'Gong」で、アレンの「You & I」みたいなイメージと「Young」とGongが重なってるみたいなバンド名。『カマンベール・エレクトリック』のTシャツ着たお爺が前に並んで"You Can't Kill Me"とかやるのはもう30年やってきて、ナイトメアやって言うてて。もうとにかく新しいことがやりたい、一緒にやらへんかということになって。
 それでオーストラリアで一緒に録音して、ライヴも一緒にやって。それがゴング名義で『Acid Motherhood』というアルバムで出た。だからあれはゴングやったのね。ところがアレンもいろいろ事情があって、youNgongのバンド名をゴングにしてしまったんで、そこからで話がいろいろややこしくなってしまったわけよ。

はあ。

河端:クラシカルゴングはやりたくない、もうゴングはこれでいいと言ってて。それでヨーロッパツアーやるってブッキングを2回したんやけど、2回とも上手いこと行かなかったのね。やっぱりかつての曲をやらないとか、メンバーが全部ちゃうから。
 それで結局ツアーができなくて、アレンがまたクラシック・ゴングをやらなあかんことになって、ゴングはまた元にもどって。それでもアレンは俺とまたやりたいっていうので、前回はバンド名をゴングにしたから失敗したんやと。メンバーも俺が納得できるメンバーでやりたい。それでアシッド・マザーズ・ゴングというのはどうやろう、そう言って結成したのがアシッド・マザーズ・ゴングなんやね。

マニさんはどんな感じで?

河端:元々グルグルの初来日は観てるんですよ。初来日の前座が赤天(*10)やったのね。赤天やねんけど、ギターに内橋さん(*11)を入れてて。あのリズム隊に内橋さんのギターって往年のグルグルみたいだったんよ。

ああー。

河端:逆にいまのグルグルは後期のグルグルの音なんで、まあマニさんもいるのは嬉しいけど赤天のほうがグルグルっぽかったみたいな。それがちょうど俺と吉田達也氏(*12)がヨーロッパから帰って来た2日後くらいやったのかな。それでヨッシーに俺もグルグル観に行きたいって言ったら「じゃあおいでよ」ってことになって。そこで初めてマニさんと会った。
 だいぶ経ってからマニさんが何度も日本に来るようになって。高円寺の円盤でZoffy(*13)ワンマンをやったらマニさんが見に来てて、終わってから声かけられて、明日名古屋でソロのライヴやねんけど、この3人で演奏しないかと。「ああ、ええよ」って言って名古屋のライヴハウスで演奏したんですよ。そしたらマニさんが凄い喜んでこれをバンドにしたいと言ってくれて。そうしてアシッド・マザーズ・グルグルっていうバンドができた。
 マニさんは俺らの即興っぽいのが凄く気に入って、ファーストのグルグルみたいだと。マニさんはあの頃のあの感じは俺にはもう出来ない、あんなことはもう出来なくなってしまったと。アックス・ゲンリッヒも一緒にやってるけど、あの感じでは弾けないと言ってて。それで俺と津山さんは昔から初期グルグルのファンやったから「あんなのたぶん簡単やで」って言って(笑)、じゃあ往年のグルグルを演奏するバンドになろうと。マニさんが円盤に見に来たのがきっかけ(笑)。もともとグルグルってちょっとおちゃらけたバンドやん、ユーモアのある。Zoffyは同じようなもんやから。

津山さんもそういうノリがありますもんね。

河端:津山さんなんかは昔出したファースト・ソロ・アルバム(*14)は表がリチャード・トンプソンで裏がグルグルでしょ。当時初来日した時にマニさんにあげて、マニさんが大笑いしたっていう。あのバカなジャケットをよくやったなと。

はいはい(笑)。

河端:そういうところでもともとシンパシーは感じてくれてたと思う。グルグルには想い出があって、高校時代に『ロックマガジン』の通販コーナーやったと思うけど、グルグルの『UFO』が、たしか6800円とかけっこう高い値段で載ってて。そのコピーが「73年のキング・クリムゾンを凌駕するインタープレーの嵐」って書いてあったんや。73年ってジョン・ウェットンがおった頃やないですか。あのクリムゾンを凌駕するインタープレーの嵐? どんな演奏やろう、多分変拍子バリバリの現代音楽も合わさったような物凄い演奏ちゃうんかと。アルバイトした金を全部投入して買ったわけですよ。
 それでやっと開けて聴いたら、なんかジミヘンみたいやな、変拍子はどこで出てくるねん? そのままA面終わってもうて。「あれ? ただのジミヘンやな。いや、たぶんB面が......同じやな」と。はじめは理解するのに凄い苦労しててん。

あれはただのダラダラしたセッションに聞こえちゃいますもんね。

河端:そうそう。一緒にやるとよくわかるけど、クラウトロックって「上がりそうで上がりきらずに、ゆるやかになって、また上がりそうで寸止めくらいのところで留まって、というのが気持いいらしいんですよ。だからアシッド・マザーみたいに上がり続けるとダメみたいで。

たしかに、ノイなんかとくにそんな感じかも。

河端:アシッド・マザーは上がっていくだけやから。ああいうのはね、ジャーマン・ロック的にはダメらしい。上がって下がって上がって下がって、で。最近人から「アシッド・マザーみたいなバンド、ほかにないんですか」って言われたから「え、どういうことなんですかそれは?」て聞いたら「もうどこまでも上がっていくようなバンド」って。確かにバンドで一個のリフを演奏しながら速度がひたすら上がっていくバンドって聴いたことないなと。だって基本的に速度が上がったらあかんわけでしょ。普通、概念的なものでは。

テンポをキープして、っていう。

河端:それが走るってレベルでなくて、加速していくから。考えてみたらそういうバンドってないなあと。俺らは普通に何の疑問も持たずにやってるけど、そういう意味では確かに珍しいバンドかもしらん。


(*10)
津山篤と吉田達也によるユニット。通常の楽器以外にハサミ・歯ブラシ・ジッパー・カメラ・ペットボトル等々の日用品を駆使したユーモラスな楽曲を演奏する。バンド名は高円寺にある餃子の名店から取られた。

(*11)
内橋和久。即興ロックバンド「アルタードステイツ」で活動するほか、ワークショップや即興演奏のフェス「フェスティバル・ビヨンド・イノセンス」などを通じてシーンの育成に大きく貢献した。

(*12)
「ルインズ」や「高円寺百景」をはじめ、数多くのバンド/ユニットで活躍するスーパードラマー。鬼気迫るドラム演奏の一方で、アカペラコーラスグループ「ズビズバ」などのユーモラスなユニットも。作品は主に自身のレーベル「磨崖仏」から発表。

(*13)
河端一と津山篤によるプログレユニット。ムソルグスキーの『展覧会の絵』をエマーソン・レイク&パーマーがカバーしたアルバムのカバーアルバムをリリースしている。

(*14)
96年発表のアルバム『Starring As Henry The Human Horse』。表ジャケットはリチャード・トンプソンのファーストソロ『Henry The Human Fly』、裏ジャケットはグルグルの『カングルー』裏ジャケットのパロディになっている。

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一緒にやるとよくわかるけど、クラウトロックって「上がりそうで上がりきらずに、ゆるやかになって、また上がりそうで寸止めくらいのところで留まって、というのが気持いいらしいんですよ。だからアシッド・マザーみたいに上がり続けるとダメみたいで。

アシッド・マザーのアートワークなんですけど、パロディっぽいのが多いですよね。

河端:もともとアートワークってもの全般に対して、俺はまったくなんでもいいんよ。ジャケットに芸術性なんてまったく必要ないと思う。例えば最近だとポストロックとか、ジャケットがみんな風景みたいな写真ばっかりで、インパクトもないし下手したらバンド名も書いてない。伝達性もないやろ。

ただの木の写真とかありますもんね。

河端:予め雑誌か何かでこのアルバムのジャケットはこれですよっていうのを見てないとわかれへんくらいでしょ。俺はそういうのじゃなくて、ジャケットっていうのは広告やと思ってるから。店頭で見たときに、音楽を知らなくてもジャケ買いしたくなるようなものでないと駄目。音はある程度自身がある。けど、聴いたら好きになる人でも、手に録ってもらえなかったらその人には届かない。その人に届くように、ジャケットに関してはなんぼでも魂売ったるっていう。
 初めの頃は、自分がレコード屋で見たときに衝動買いしたくなるジャケットっていうのがコンセプトだったのね。そうするとああいうヒッピーみたいな変なメンバーが並んでると怪しいな、俺やったら絶対買うぞと。Father Moo and the Black Sheepっていうサイドプロジェクトをやったときに、あれなんかは東君(*15)と俺でレーベルをはじめて、次に何出そうかという話になって。やっぱり衝動買いしたいジャケには謎のグルみたいな奴と、裸の信者みたいな――まあヤホワ13みたいなね。

なるほど(笑)。

河端:ああいうのは絶対買ってしまうと。それではじめはメンバーと裸の女とかで作っててんけど、リリースが増えてきてジャケのアイデアが思いつかなくなってきて。
 それで曲のタイトルも英語でつけるのを基本にしてるのね。英語やったら最低限理解できるひとが日本語よりは多いから。ほなら俺ら英語は母国語じゃないから、ちゃんとした英語タイトルが思いつかない。でも日本語タイトルを英語にするのは嫌なんやね。英語をもっと直感的に使いたいから。そうすると、知ってる英語をパロディにすることになって、自ずから有名な曲とか本のタイトルのパロディになってしまう。そうなってくると、「そうか、考えたらジャケットもパロディにすればええんや」と。

なるほどなるほど。

河端:俺が例えば灰野さんのビジネス展開から学んだことは、あれだけ作品出して内容もそれなりのものを出してるのに、客がもう買いたくないと。リリース数が多いし、どれ聞いてもはっきりした明確な区別がないし、さらにジャケットがまずわからない。

ああ、そうですね。

河端:これ、俺持ってんのかな? っていうね。全部真っ黒やから。だから俺は内容もゴロっと変えて、ジャケットも1回見たら持ってる・持ってないは最低でもわかるようにしようと。ほなら裸ジャケットが続くと区別がつかないのも出て来るんで、有名なバンドのジャケットをパクれば絶対にわかるから。さらに覚えやすいし。

有名盤のパロディみたいなジャケはここ最近特に増えてるなとは思ったんですけど、そういうことでしたか。

河端:ネタがなくなったのと、その手の客に届かせるように。たとえばブラック・サバスとかのファンやったらたぶんこのアルバムは気に入るなと。でもブラッック・サバスのファンがアシッド・マザーのCDを買うかいうたら、買う人もおるけど買わん人もたぶんおる。ほなら買わせるにはどうするかと言うたら、ブラック・サバスのパロディをやればええと。「あれ、こいつらサバスのマネしとるな」で、そこで嫌がる人と、面白そうやなって興味持つ人がおるから、最低限素通りはされへん。
 アートワークについてはそういう作戦なんですよ。ポリシーも何もない。アルバムタイトルも、ふざけてると言われようが、「スターレス&バイブル・ブラック・サバス」とか。おちょくってんのか? おちょっくてますよっていうね(笑)。

サノバビッチズ・ブリュー』ってのも相当ですよね(笑)。

河端:あれはでもちょっと違うけどね。俺はもともとマイルス・デイヴィスとジョン・コルトレーンがジャズで一番嫌いで。あいつら2人がジャズを殺したと。

ほう。

河端:理由はいろいろあるんですけど。若いときにジャズも聴きだした頃に、ジャズ史の革命的なアルバムだと。どんな革命的なアルバムなんやろと思って話を聞いたら、エレキ楽器を使ってロックのビートを取り込んで、と。別にそれってジャズ・ロックでええんちゃうの? と。まあでも「革命的なレコードや!」言うから、まあそうですかと。とりあえず聴いてみたら全然おもろない。これだったらソフト・マシーンのセカンドのほうが好きやって。その後にもいまやったら良さがわかるかもしれへんと思って何度も聴いてるけど、何度聴いてもおもろない、タルい演奏やと。本当はあのアルバムは、ジャズ史上初めて編集されたアルバムやって意味もあるけど、それはともかくとして出来てる音像は俺にしたら面白くない。ほんならこっち側からの提案で、『ビッチェズ・ブリュー』を俺がやるんやったらもうちょっと面白くできますよという皮肉がこめてある。だからあれ、海外のレヴューとかやと「マイルス・デイヴィスのアルバムに捧げた」とか書いてあるけど、いやいや捧げてない(笑)。

ははははは

河端:まあみんながどう取ろうとが構いません。でもあのジャケット見たらおちょくっとるというのはわかるやろ(笑)。
 本当に内容までパロディというのは少ないですよ。だいたい録音中は何も考えてなくて、録音が終わってからさあアートワークと曲名つけなくちゃっていう感じやから。曲名とアートワークはいつも難産で。音楽はすぐ出来るんやけど、曲名つけるのに悩んで悩んでだいたい2日くらいかかるし。ジャケはそれから考えるんで。
 だいたいジャケとかは後付けやから、そこに何のメッセージもない。もともと音楽にメッセージを乗せないというのが俺の主義なんで。音楽は音楽でしかないから。歌詞らしきものが乗っていてもそこに意味はないし。何語で歌ってようが、内容はどうでもいい。ヴォーカルっていう楽器が入ってるっていう。音楽にメッセージを乗せなあかんようだったら、メッセージを直接話せよと。人のやってることは構わへんけど、「音楽で世界に平和を」とか、お前らアホかと。
 たとえば反原発とかでも、俺も意見はあるよ。でも音楽を手段に使うなと俺は言いたい。音楽好きな人でも原発推進派の人もおるやんか。それを反原発に使われてしまうと、原発推進派の人は「ええー、何なん?」てなるでしょ。音楽はそれに対して責任はないんで。音楽はその音楽を好きな人に対してシェアされるべきやから、政治的な理念とかそういうことでシェアされるべきではないんですよ。だからそういうイベントには出ないし。

うーん、なるほど。

河端:楽器を演奏する奴はライセンス制にせい言うてたことがあって。俺は音楽やってるような人間はカスやと思ってんねん。昔やったら河原乞食じゃないですか、江戸時代とかならね。一般社会では仕事につけない、身分の一番低い人間がやってるわけでしょ。お百姓さんとか、物を生産する人っていうのは絶対必要なわけでしょ、社会に対してね。でも余興みたいなことをやってる人間は、ほんまに生活に余裕が出た時にはじめて楽しめるもんやから、最悪、要らない。そういう社会の余録みたいなもので食べさせてもらってる人間やから――何の話をしてたんやっけ?

えーと、アートワークの話でしたね(笑)。

河端:ああ、すいませんね。まあそんな人間は偉そうなことをまず語るなと。語るなら語る場所に行って語ればいい。シンポジウムなりミーティングなりなんでもいいよ。音楽は人を喜ばすためにあるんです、エンターテイメントやと思ってるから昨日のライヴみたいなことになるわけで。

ああ、なるほど(笑)。

河端:お客さんが2000円なり3000円なりお金払ってくれたら、それは通勤電車に乗ってしんどい思いしながらとか、お小遣い少ないのにそこからやりくりして来てくれてるわけですよ。たかだか2時間か3時間の時間を買ってくれてるわけやから。俺らの商売は時間を買ってくれた人に対して、それなりの商品を与えるということやと思ってるからね。満足して帰ってもらわないと駄目なんですよ。
 そやから満足してもらうためにはギターを叩き折ろうが何しようが関係ないわけです。それが俺らのビジネスやから。満足してもらえなかった時点でリコールされるわけでしょ。

まあ次から来なくなりますよね。

河端:信用というのは1回落とすと回復するのはほぼ不可能で、たまたま出来の悪かったライヴを見られたことによって「あいつらしょうもなかったで」って悪い噂が広まるのは速いからね。とにかくアシッド・マザーを結成したときから通してるのは、絶対に手を抜かないこと。絶対に前回よりはいいライヴ、前作よりもええアルバムを作ろうと。それが出来るかどうかは別問題として、そういう気持ちでやる。

(*15)
東洋之。AMTのシンセ&サイドギタリストであり、元えろちかのベーシスト。AMTのフロントマンとして白髪を振り乱して宇宙音シンセを演奏する姿は大きなインパクトがある。

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初めの頃は、自分がレコード屋で見たときに衝動買いしたくなるジャケットっていうのがコンセプトだったのね。そうするとああいうヒッピーみたいな変なメンバーが並んでると怪しいな、俺やったら絶対買うぞと。やっぱり衝動買いしたいジャケには謎のグルみたいな奴と、裸の信者みたいな?? まあヤホワ13みたいなね。

ツアー・バンドなんかは一期一会ですもんね。

河端:そうなんですよ。ツアーとかやってると、長いからなんとなくペース配分をしようとするんですよ。でも俺らは明日のライヴできなくなってもいいから、今日全力で燃える。一試合完全燃焼じゃないけど、アストロ魂みたいな。

(笑)。

河端:明日出来るか出来へんかはわからん。とにかく今日のライヴに客が来てる限り、この人らに満足して帰ってもらわなあかんねん。そのためにギター折ったりして、次の日ギターがなくて、楽器屋行く時間もなくて、ステージ上がった瞬間に「すいません、誰かギター持ってませんか?」ではじまったライヴもあるんよ、ほんとに。「誰か持ってませんか、絶対に壊しませんから」って言うて(笑)。

持ってるもんなんですねえ。

河端:意外に持ってる。アンプが吹っ飛んだときも、いっぺんライヴでアンプ2発飛ばしたんや、スペアもあったけどそっちも飛ばしてもうて。ほんでまだ2曲目くらいで「どうしよかな」ってなったら、客が「俺、家がここから車で5分くらいやから、取りに帰ってくるから待っててくれ」って。

それはすごい!

河端:やっぱりそれなりの気持ちを持って来てくれてるわけやから。家にアンプを取りに帰ってもいいからこの続きが観たいって。それだけの気持ちを持って来てくれてる限りはこっちも死ぬ気でやるわけで。
 そうや、音楽をライセンス制にせえいう話や。もしほかに才能があるならそっちの仕事についてくれと。そっちのほうがまず社会のためになる。音楽やるような人間はだいたい音楽しかできんような人間になってんのや、もう。
 まわりで残ってる人もだいたい人間的に落ち度のある人ばっかりで。例外はあるけど、音楽のつまらない人はたいがいしっかり仕事出来てるんでね。だから別に趣味でやってはってもそれでいいんやけどね。もちろん必ずしもではないよ。音楽が面白いことやってて、うまいことバランス取ってる人もいるけど、だいたい音楽だけでやってる人って人間的に欠落してる、何かが。よく言えば面白みのある人、興味の湧くような人、ちょっと意味不明な人とか。悪く言うたら単なるデタラメとか頭おかしいとか。社会生活が出来ないような、某田畑君とか(笑)ああいう人が多いわけですよ。
 そういう人こそが音楽をやるべきなんや。音楽以外の才能がある人はそれを社会のために役立ててください。音楽なんてそれしかでけへん人がやればいい。だから音楽をライセンス制にというのは逆の意味でね。全部にバツ印もらってはじめてライセンスもらえるみたいな。お前しゃあないから楽器弾けと(笑)。そうしたら世のなかは人材的にもっと恵まれるはずなんや。音楽なんかやらせてるから駄目やねん。

だいたい毎年、年に何回か長い海外ツアーをやり、いろんな国のレーベルからリリースをしてたりすると思うんですが、日本とここが違うと思うようなところはありますか。

河端:システムは違う。日本はまずライヴハウスありきで。まずもっとも違うのは、ライヴというものの捉え方が違う。日本ではライヴは音楽鑑賞会的なところがあるでしょ? 向こうは呑みに行く感覚かな。
 欧米って実は娯楽があんまりないんですよ、日本に比べて。だから夜、遊びに行くパターンとして、呑みに行くかと。その飲みに行ったバーの奥にライヴスペースがあって、あと5ドルか10ドルのドアチャージを払えばこのビールを持ったままライヴを見に入れるわけ。ジュークボックスと感覚が近いかもしれん。

ああー。

河端:ジュークボックスていうのはバーがあって、みんなが金を入れて自分が聞きたい曲をリクエストをかけるわけでしょ。それを聞きながらお喋りして呑んでるというのが、アメリカのスタイルなわけで。それのちょっと発展した形で、生バンドを観ている。だからアメリカ映画とか観てたら、客はガラガラやけどバンドが演奏してて、酒呑んだり話したりとかしてるでしょ、ブルース・ブラザーズみたいに。
 ライヴをやってもっとも違うのは、俺らは結成したときからツアーではヘッドライナーしかやったことないのね、基本的に。前座はやらないという俺の主義で。で、前座のときは客が来ない。日本は4バンド出たら、たいがい最初から来るでしょ。時間が間に合う限り。向こうは間に合おうが間に合うまいが関係なしで、メインのバンドしか見に来ない。

ほう。

河端:だから3バンドあると、2番目のバンドの終わり3曲くらいで客がガーッと来る。それで俺らのときはフルテンの5~600人になってると。あふりらんぽがソニックユースのツアーしたときに、あいつらはCDとか無茶苦茶持ってたんやけど、あふりらんぽが演奏してる時は客が40人やったらしい。ほんであいつらは本チャンのソニックユースの時に乱入したっていう(笑)。私らの時には客おれへんのに、私らも客いっぱいの前で演奏したい言うて。
 ほんまそんな感じやで。でも向こうでは有名になるためには、基本的には有名なバンドの前座で回るしかないのよ。だから前座で回りたがるねん、うちらのオープニング・バンドに使ってくれって。でも客が来てないわけよ、あんまり。最後に来るから、エンディングのほうにかっこいい曲をやらなあかんわけ。

こっちの感覚だと、1曲目でまずガツンとあげようみたいな気がしますけどね。

河端:ガンと上げた時に客がおれへんからね。メインのバンドはもちろん違うけど。そもそもライヴハウスに行くという感覚が違うんやね。向こうはドアチャージももうちょっと安いし。あとウィークリーペーパーみたいなフリーペーパーがあって、そこに映画館とかシアターとかライヴハウスの情報が全部載ってんねん。それを見てみんな見に行くわけですよ。

タウン誌みたいなのが必ずありますよね。

河端:だからあんまり前もってチェックしてないね。最近でこそうちは有名になってるんでチケットがソールドアウトになるから前もって買っとくって人も増えたけど、前はそんなこともなかったし。日本みたいに告知告知告知とかやらないから、向こうでは。ネット上で海外のバンドの告知って見ないでしょ?

言われてみれば。

河端:ネットの情報もあるけど、だいたい地元のバーとかレストランとかどににでもフリーペーパーが置いてあるから。
 それで日本のライヴハウスは機材が全部揃ってるじゃないですか。その代わり維持費がかかるし家賃も高い。それとバーでの売上って基本的にないじゃないですか。ワンドリンクついてて、それで粘って終わる人が多いから。自ずから金の上がりっていうのはチケットだけでしょ。だから出るバンドに対してノルマができるわけですよね。向こうは機材とか何もないわけですよ。下手したらエンジニアかてオーガナイザーが呼んでこなあかんくらいで。ただのハコなわけですよ、アメリカなんかは特に。基本的には全バンドが自分の機材で演奏するんです。サンフランシスコみたいな街だと練習スタジオも違うんですよ。ものすごいデカい建物の中に部屋で分かれてて、そこに自分の機材を入れるとか。

あ、練習スタジオでも自分の機材?

河端:うん、そこに例えばレコーディングの機材も入れて録音もしたりとか。だいたい3バンドくらいで1部屋をシェアする感じで、お互いにスケジュール決めて「今日は俺らが使うで」みたいな。ライヴするときはそこから機材を積み込んで行くんですよ。もしくは家ね。向こうは家が広いから。下手したらリビングルーム一間をスタジオみたいにしてあって。

家でライヴやったりもしますもんね。

河端:ハウスショウね。よくレコード・ジャケットとか見たら家のなかにアンプとかが並んでて録音風景みたいになってるじゃないですか。ほんとにあのままなんですよ。
 そういう状況なんでアンプを持って歩くのが当たり前なんですよ。日本なんかは逆に箱にアンプがあるから持ってこなくていい。その代わりライヴハウスは維持費があるんで金を取ると。最近ヒデくん(ウルトラビデ)(*16)がよく言ってるのは、アメリカみたいにしようやと。チャージを下げて、その分でドリンクを買ってもらう。そうしたら店は売上ができるしチャージが安ければ客も来やすいやろう。
 と言うてるけど、日本人はもうちょっと音楽を「聴きに」来てるから、仮にチャージが下がってもそこでビールを5杯呑まないでしょ。30代過ぎた客は呑むかもしれんけど。10代20代のバンドやったら安かったら安いってだけで終わるでしょ。ほんで浮いた金でTシャツ買って帰るか。

それは店のあがりにはならないですもんね。

河端:それは根付いてる習慣の違いなんでね。それがアメリカに行くと、バンドにはフリードリンクとか。あるいはドリンクチケットがもらえるとか、楽屋にバンド用のビールが用意してあったり。あとご飯代がちょっと出る。
 その代わり泊まるところは、アメリカだとだいたい誰かの家に泊まるんですよ。家が広いんで、昔からの友だちとかバンドの友だちとかのところに泊めてもらう。初めて行く街で泊まるところがないときは物販テーブルに「誰か泊めてください」って書いておく。そしたら絶対何人か出てくるんで、明日向かう方向の家を選んで泊めてもらう。よっぽどのことがないとモーテルとかには泊まらない。アメリカのツアーバンドはみんなそんな感じ。ヨーロッパはまた違うんです。

へえ。

河端:ヨーロッパではブッキングするイコール機材――機材は自分で運ぶ場合と両方あるけど――、それと絶対ついてくるのがご飯と宿泊。ヨーローパのブッキングはそこまで世話しないとあかん。だから嫌がられるんですよ、バンドは。ソロだったら宿泊もひとりでしょ。アンプも1個か2個でいい。バンドだと5人編成なら5人分のホテル代もメシ代もかかる。チケットの前売が悪いとオーガナイザーが心配になってくるんよ。それで結構直前にキャンセルとかになる。
 ライヴのブッキングってヨーロッパでは凄いお金がかかるんよ。ヨーロッパではだいたいブッキングは店がやるんじゃなくて、地元のプロモーターがライヴハウスをホールレンタルみたいなことをするわけですよ。機材はバンドが持って来るから店のPAを借りて、店はドリンクの売上とホールレンタルで儲かってるから、プロモーターはまあそこからちょっと抜くか、もしくは自分が好きでやってるだけなんで。売上が悪いとヘタするとホテル代とかメシ代のほうが高いってことに。

なっちゃいますね。

河端:だからこれはマズイってなったら直前にキャンセルとか。

(*16)
即興演奏は電子音楽を取り入れたパンクバンド、「ウルトラビデ」を率いて非常階段のJOJO広重らと初期の関西インディーズシーンを牽引した後、単身渡米。ニューヨークを拠点に活動してジェロ・ビアフラのレーベル〈オルタナティヴ・テンタクルズ〉からアルバムをリリースするなどした後、帰国。ウロトラビデおよびアマゾン・サライヴァを率いて活動している。

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『ビッチェズ・ブリュー』を俺がやるんやったらもうちょっと面白くできますよという皮肉がこめてある。だからあれ、海外のレヴューとかやと「マイルス・デイヴィスのアルバムに捧げた」とか書いてあるけど、いやいや捧げてない(笑)。

ブッキングってどういうふうにやってるんですか?

河端:昔は全部自分でやってたんですよ。日本でブッキングするのと同じ方式。1回出たことのある店に直接連絡したり、その地区に住んでるミュージシャンの友だちに頼んだり。もしくはレーベルとかに。はじめはそれやってんけど、いまはもうブッキングエージェントに所属して。
 最初の頃はメールもないんでファックスやったし。ファックスがまた腹立つねん。1枚送るのに61秒かかるんよ。国際電話だと1分と2分で全然値段が違うから。61秒になった時点で120秒の扱いになるんで、国際電話代が2倍になる。当時1ヶ月の電話代が1万8千円とかやったからね。国際電話、KDDIだけで。

アメリカやヨーロッパだとブッキングエージェントもいると思うんですけど、最近はアジアも多いですよね。

河端:アジアもね、とにかくすべて最初はそこに住んでる地元のミュージシャンとか、自分の作品を出してくれるレーベルとか、それがきっかけなんですよ。最近はFacebook上で知り合ったりしてるけど、まあ去年中国行ったときに出来た知り合いとか。あとは向こうでCD出してくれたレーベルが仕切ってくれたり。1回行けばあとはネットワークが広がっていくんで。行った先でまた出会うから、あとは向こうから勝手にオファーが来るというパターンで。

じゃあ最初は小さくともそこからだんだん広がっていく感じなんですかね。

河端:そうですね、結局日本でやってることと一緒ですよ。たとえば東京のバンドが地方に行くときに、はじめは大阪のバンドを東京に呼んで、「じゃあ今度は俺ら呼んでよ」みたいな感じでやるじゃないですか。それで大阪に行ったらまた知り合って次はまた一緒にやりましょう、東京に来たら俺が世話するから......ってやりとりしているうちにネットワークが広がっていって四国とか九州とかいろんなところでやるようになる。
 よく海外ツアー行きたい言うてる人がいるけど、一言やで。日本でやってることと同じことなんです。なんの特別性もない。青春の思い出作りに行くんやったら勝手に行けばいい。でももし海外で将来的にちゃんと仕事としてやっていきたいと思うなら、まず小さくてもいいから地元のレーベルからCDを出して、それに対してプロモーションでツアーをしないと。作品を出せばディスク・レヴューも載るでしょ。話題にも多少はなるから、ライヴで来るってなれば記事にもなる。記事になったら目に付くからお客もひと通りは来るんよ。でも何もなしで突然行っても、ただフロムジャパンのバンドが来たっていうだけで。15年前だったらフロムジャパンというだけでも対バンもつくしお客も入ってたけどいまはもうそういう時代じゃないんで。

もう珍しくもないですよね。

河端:珍しくない以上にね、昔は日本のバンドは全部面白いと思われてたんですよ。それがいっぱい行くようになって、面白くないバンドもいるということがバレたんよ。

なるほど!(笑)

河端:たとえば日本人が昔はブリティッシュ・ロックは全部凄いと思ってたのが、どうも外人のバンドやからって全部かっこいいわけじゃないなっていうことがわかってきたというのと同じやね。

わかりやすい(笑)。

河端:外国に行ってよく言われるのが、日本のミュージック・シーンとかアングラ・シーンでも、海外でよく頑張ってるバンドってことでMONOとかBORISとかMelt-Bananaとか言われるけど、個人的に面識のある人もいるけれども、日本ではまったく関係のないシーンにいるし客層もまったく違う。お前らで言うたらヴェルヴェット・アンダーグラウンドとイーグルスとグレイトフル・デッドとか3つあげて「どう思いますか?」って言うとるの同じことやぞ。だからジャパニーズ・アンダーグラウンドという一括りにせんといてくれと。括るのは勝手やけど、それは違うことやからわからないことが多い。

昔あるバンドがツアーに行くと、行く先々で「少年ナイフと知り合いか」って言われるって言ってましたけど。

河端:そうでしょ。俺らの最初の頃はコーネリアスやったからね。けっこうコーネリアスがヨーロッパ回ってた頃で。日本ではコーネリアスはヒットチャートにも上がってて、俺らは当時はまだ無名のバンドやったけど、クラブサーキットでまわるクラブは一緒なんやね、ほとんど。

へえー。

河端:だって俺らフランスのフェスティヴァルで一緒にやったのが小西康陽(笑)。楽屋も一緒。日本のイベントみたいなやつで。
 そのライヴはちょっと気の毒やったけどね、小西さんは。DJやったんやけど、俺らが先に出たのね。その日ホークウィンドが同じ日にライヴやってて、俺らの客が全部「まだ間に合うから」ってホークウィンドに行っちゃって(笑)。そんなところでDJしてはって「気の毒やな、これ」って。

それは辛いですね......。

河端:ほんで俺らはやっぱ1年に1回しか来ないからね。話は変わるけど、俺らは「フェア」てことに関しては昔からすごく厳しく考えとって。ロンドンでも1年に1回、ニューヨークでも1年に1回じゃないですか。東京だけで年に10回とかやったらそれはおかしい。俺は世界中の人に対してフェアでいたいから日本でも1回しかやらない。
 アメリカとかヨーロッパやと5時間とか6時間とかかけて見に来る人がおるからね。いくらツアーやってたってあんなに広いとこやからフォローしきれないわけで。そうなると自分の家から一番近いところがここやとなったら5~6時間車で走ってくる。それでいまから帰って明日はまた仕事で出勤せなあかんと。向こうはライヴ終わるの2時くらいやからダッシュで帰らなっていうから「ありがとうなあ」ってなんねんけど。
 それくらいのことをみんなするんで、日本でも5時間くらいの移動は費やしてくれと。だから東京からなら名古屋なんか3時間でしょ? だからまあ名古屋くらいがちょうどええかなということで。

ああ、それで年末のアシッド・マザーズ祭(*17)は名古屋で。

河端:とにかく条件としては海外とあまり変わらないようにってことであそこでやってる。だから日本でだけ何度もはやらない。

たしかに、わりと厳選されてる感じはしますね。

河端:あとは依頼も来ないしね(笑)。


(*17)
名古屋のTOKUZOで毎年年末に行われる恒例の大イベント。

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俺は音楽やってるような人間はカスやと思ってんねん。クズ中のクズ。音楽やるような人間はだいたい音楽しかできんような人間になってんのや、もう。まわりで残ってる人もだいたい人間的に落ち度のある人ばっかりで。例外はあるけど、音楽のつまらない人はたいがいしっかり仕事出来てるんでね。だから別に趣味でやってはってもそれでいいんやけどね。

メンバーが住んでるところもバラバラだから、どこに呼ぶにもちょっとハードルが高いですよね。

河端:そうですね、交通費だけでどこに行くにも7万くらいかかるんで。ギャラとかも、いまはそこまで言わんけど「50万」って言うてたからね。それは本当に50万くれって意味じゃないねん。50万って言われて「いや、無理やと思いますけど頑張って何とかします」て言うてくれたらそれくらい頑張ってお客さん呼んでくれようとするでしょ。そういう人とは仕事をしたい。といっても流石に50万は高すぎるかなと思って最近は20万とかにしてるんやけど、20万仮に払えなくても、そのつもりで頑張ってくれてるのであれば俺はその人と仕事したいし、また続けて呼んでくれたらそれでいいと思う。
 逆にハナから「あ、無理です」てぱっとやめるようなのはそんだけの奴や、俺らの動員力を期待して呼んでるだけやなと。もちろん俺らかて動員は努力するけど、そっちでも頑張ってもらわないと。そのくらいの気持をたしかめるためにギャラの設定があるのよ、俺には。だから20万て言いながら実際は7万でやってることもあるわけよ。実際に20万もらうことあるし。そこは相手の熱意と状況やね。
 もちろんそれだけのギャラを貰う限りその分は絶対、客に対しても主催者に対しても、納得して呼んでよかったと思われたい。それだけの仕事はする。

なるほど。

河端:あと海外はお客さんのノリが違う。日本でもアシッド・マザーの客はある種育てられたところがあって。はじめのころは普通のアングラバンドと一緒で、みなさん座ってテープレコーダーを置いてるような人たちばっかりやったから。いわゆるPSFの客(笑)。
 下手したら曲が終わっても拍手がないねん。拍手が録音されるのが嫌っていうので。誰もせえへんかったら自分も拍手しづらくて、そのうちに次の曲がはじまっちゃう。そういう、俺が言う「東京ブラック軍団」みたいなのがあんねんな。はじめはたしかにそんなやったけど海外に行くなかで外人の客が来るようになってん、俺らのライヴに。ほな外人が騒ぐから。日本人て自分からはよういかんけど、横でワーワー騒いでると、なんとなく自分も行っちゃおうかなみたいなのあるやん。

ありますねえ。

河端:それがあってだんだん盛り上がるようになって、アシッド・マザーのライヴは暴れてええと。俺らも面白いからもっと暴れさそ、みたいな。そもそも俺はサイケデリックというのは、基本的にアホの音楽だと思ってるからね。言うたらラリって気持ちよくなってるだけであり。そんなところで何をシリアスにやってるのや、もっと陽気にいこ陽気にっていうね。
 海外に行くと最前列に俺のいう「ハイドパーク踊り」をやってる人がいるんですよ。ストーンズのハイドパークコンサートで狂ったように踊ってる奴おるやん。あとインド調のゆらゆらしたやつとか。

やっぱいまでもいるんですか、ああいう人。

河端:めっちゃ多い。そんなの普通やねん。俺は別に録音したいのが悪いとは言わないけども、違う楽しみ方をしたい人が楽しめない状況はよくないと思うから。だからそういう選択肢は与えてあげないといけないで。ああいう外人のおもろいおっちゃんとかがおるようになって、それで空気がちょっと軽くなってるのは俺はいいと思う。あの人達は音楽を楽しみに来てるんで。日本人は音楽を聴きに来てる。でもね、俺はどっちがダメとも言わない。

ふむ。

河端:外国に行くと日本のツアーバンドがみんな感じるのが、「すっごい受けた!」ってこと。それはね、向こうの奴らは楽しみに来てるだけやからなんでもええんよ(笑)。前座のものすごいつまらんバンドにも「イエー!!」ってやってて、俺らが出てきても「イエー!!」ってやってて、おどれら一緒やないかと。ある種、信用でけへん。日本の客はシビアやから。面白くなければほんとに面白くない空気を出すからね。あと大きなクエスチョン持ってるなとか。

わかりますよね(笑)。

河端:大きなクエスチョンは成功のときもあるけどね。想い出波止場みたいな。日本人は音楽を聴きにきてるし耳も肥えてる。これだけジャンルをデタラメに音楽聴いてるのは少ないのね。いまはインターネットが広まったから海外の人もいろいろ聴くようになったけど、日本人て音楽をカタログ的に聴くでしょ。
 もともとロックでもジャズでもカントリーでも歴史とか社会の背景がないから輸入音楽として全部同じように聴ける。だから時代感覚がないやん。40年代のものも80年代のものも同じように聞ける。あの人たちは根付いてる音楽やからもっとリアルに聴いてるわけ。日本人のほうが、面白いんだったらなんでも聴いちゃえってなる。だから遠慮無く混ぜたりできるわけやね

ディープ・パープルとシュトックハウゼンを混ぜようっていう発想はたぶん出てこないですよね。

河端:ルインズなんかは顕著な例やろうね。いろんなプログレとかを16小節ごとくらいに全部ちょんぎって、それをハードコアみたいにまとめちゃうみたいな。あれはまさしく日本人的発想ですよ。情報を圧縮して。外人やったらちょっと出来ないよ。もっと歴史とかが根付いてて、あんなに割り切って編集できないというか。大都会東京の情報が多くてスピードが速いという感じが出てる。だからルインズなんか海外に行けば行くほど、こんなに日本的なバンドはないと思うんですよ。外人はみんなマネしようとしてマネできない。外人がやってもライトニング・ボルトみたいになるでしょ、あれが限界なんよ。膨大な情報量を管理できないと思う、おそらく。

なるほど。

河端:批評家的な聴き方をするから。好きなバンドを見に来てるのにアラ探しするようなつもりでおるやん。そういう厳しいところで日本のバンドは演奏してるわけですよ。ましてやライヴハウスのシステムも違うからお金ももらえないし客も来ない。東京はライヴハウスの多さがたぶん世界で一番くらいやから。
 それだけたくさんあるすべてにひと晩に4バンドとか出てるわけでしょう。ほんで月曜の夜やのに俺がここでやってて、大友さんがそっちでやってて、灰野さんがあそこで、みたいなことになる。どんな街やねんそれ。ロンドンでもそこまでバッティングしないよ。週末やったらバッティングするから月曜にとかいう感じでズラしていくとそこでまたバッティングするやろ。

そうそう、平日でも被りますね、今は。

河端:バッティングするだけやなくて、お客さんも別に毎日来れるわけじゃないし、1週間とか1ヶ月の間に観たいライヴが何十本あるんやってことになってまうからね。そうなるとお客さんを確保するのが難しくなるわけですよ。客の耳も肥えてるしお金ももらえない、そのうえ客の動員も難しいという、世界最高に難しいシチュエーションで演奏してるから、そうなると音楽性を上げるしかないよね。音楽性を上げることでより客を掴むしかないから切磋琢磨されるんで、海外に行ったときにあっと驚かれるような演奏力とかアイデアがあるんよ。とくにフランスなんかクソみたいのばっかやから。

(笑)。

河端:政府が金を出してて、まったくの素人やのに「ぼく、電子音楽を勉強したいです」って学校入るやん。それでマッキントッシュ買いたいです言うたらお金もらえて買えるねん。それで卒業するやろ。そうすれば大したことできへんのに仕事はなんぼでもあんねん。演劇とかのコラボレーションで電子音楽を、とか。それで聞かせてもろても、パソコンつこたら誰でも5分で出来るような音楽やねんけど、そんなんでもちゃんとお金がもらえて仕事になるねん。
 日本は凄い面白いミュージシャンがアルバイトしてやってるわけやろ。そんなのがいきなり向こうに行ったらレヴェルが違いすぎる。そやから江戸時代の逆。日本は文明が進みすぎて原爆作れるくらいになってるのに、向こうに行ったらまだ火縄銃だったみたいな。たしかに火縄銃は向こうから来たんやけど、あっという間に原爆作れるくらいになって、「よし!」って行ったら、「あれ、自分らまだ火縄銃? 下手したらまた槍に戻ってるし」みたいな。日本の音楽はぶっちぎりに凄いと思うよ。世界レヴェルで見て、個人的な好き嫌いとか面白い面白くないは別として、圧倒的やと思う。

レヴェルの高さというか。

河端:ハードコアがとくに凄いらしい。前にヨーロッパツアーをやったときに、ツアードライバーがイタリアのハードコアの奴やったのね。そいつが一番好きなバンドは日本のハードコアの、高知のバンドやとか言うてて。そのバンドのTシャツなんかも着てて。逆に俺らは知らんからね、「え、高知? 東京じゃなくて?」とか言うて。「俺は昔リップクリームを観たことある」て言ったら「うおおおおー、そんな凄いバンドを観てるのか!」とか(笑)。

レジェンドだ! みたいな。

河端:たぶん俺からしたらフランク・ザッパを観たみたいな話なんやろうね。俺はたまたま観ただけやけど。話を聞くとやっぱり日本のハードコアは上手いと。演奏力が桁違いで。それでそいつのやってるイタリアのバンドを聞かせてもろたら、「これベアーズにも出られへんやろ」「でもここまでヘタやと逆に出れるかも」みたいな(笑)。

スカム枠で(笑)。

河端:ありえへんくらい下手なんやね。ほんまに昔は白人なら演奏が上手い、黒人ならリズム感がいいと思ってたけど、全然そんなことない。あとドゥーム・メタルのバンドとかと対バンするじゃないですか。アンプを凄い積んでるわけですよ。俺らの倍くらい置いてて、そしたらそれが「なんやこの屁みたいな音」ていうね。それで俺らは音がデカすぎるって言う。俺らはそれが普通やからね。特別音がデカいバンドとも思ってないし。

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ただフロムジャパンのバンドが来たっていうだけで。15年前だったらフロムジャパンというだけでも対バンもつくしお客も入ってたけどいまはもうそういう時代じゃないんで。昔は日本のバンドは全部面白いと思われてたんですよ。それがいっぱい行くようになって、面白くないバンドもいるということがバレたんよ。

日本人は音がデカいって話もよく聞きますよね。

河端:デカいし、耳栓しないでしょ。向こうは客もエンジニアも演奏するやつもみんな耳栓するから。それは目が弱いからグラサンしないとあかんのと一緒で、たぶん耳栓もしないとあかんのやと思う。もしかしたら、耳栓しても俺らくらいに聞こえてるのかもしれない。もともと感度が良すぎて補聴器つけてるような耳なのかもしれんわね。だってボリューム2くらいで練習しててもみんな耳栓してるもん。ライヴハウスで耳栓売ってるしね。

ああ。

河端:テリー・ライリーの70歳の誕生日ライヴに呼ばれたことがあって、『In C』を演奏したんやけどね。とりあえずギター・アンプを3台用意してもらって。それで俺らの前にテリー・ライリーが演奏して、俺らのライヴの番になったらアナウンサーが「次はアシッド・マザーズ・テンプルです。ただいまホールのロビーで耳栓を配っています」言うたら殺到して(笑)。耳栓をもらい損ねた人はトイレットペーパー詰めてて。それで最初にドローンでしばらくグワーってやってから『In C』のタラッタラッってところに入るんやけど、その時点で客が半分以上帰ってた(笑)。

ええー?

河端:現代音楽のコンサートなんで。半分はアシッド・マザー目当てのヒッピーやんか、もう半分はネクタイ締めたお客さんで。ネクタイ締めた人は全部帰って、ヒッピーおやじだけが全部前にやってきてハイドパーク踊り状態(笑)。テリー・ライリーもライヴ前は仲良く喋ってたのに、終わったら口もきいてくれない(笑)。

向こうはいわゆるクラシックとロックとかが完全に分かれてますもんね。

河端:テリー・ライリーも最初は「僕の曲を演奏してくれてありがとう」とか言うてたのが、アルバムとライヴが違いすぎて。俺のギターソロもそうなんやけど、アンビエントに聞こえるみたいやね。CDやと。

まあ小さい音で聴けばそうかもですね。

河端:ライヴのときにあんな爆音でやってるとは思えへんから。それは「グレッグ・レイクのバラードが雷鳴のように聞こえた」っていうのの延長なんよ。アンビエントのように聞こえるけど爆音でやってるていう。
 ノイズのライヴとか行くとすごく静かに聞こえて寝てしまうんよ。それに近い恍惚感みたいなものを自分のライヴにも期待してる部分もあるね。録音物はアンビエントに聞こえるけど、それを爆音でやることによってノイズの向こうにある無音みたいなものが出たらいいなと。それをちっこい音で演奏してしもたらそれはただのほんまにちっこい音やからね。

ドローンみたいなのもやはり中学生の頃からの延長というか。

河端:やってますね。ハーシュノイズみたいなのがあんま興味なかったので。中高生の頃もエフェクターを発振させるだけ。ピーって発振させてるのをずっとほっとくとすこしずつ変わったりもするから、それで20分録音したりとか。ドローンもそうやな、小学校のときに「驚異の世界」とかいうドキュメンタリー番組があって。それでインドが舞台のドキュメンタリーを見たときにインド古典音楽を演奏しているシーンがあって。それが妙にぐっと来たんやね。その後探したときにも、楽器とかも最初からシタールではないなと。俺が気持ちよかったのは何やと思ったらタンブーラだったんやね。基本的にビヤ~~ンていってるやつ。それでインド音楽が好きって話をした時に「何が好きなん?」て聞かれて「タンブーラ」って答えたら、「あれは楽器じゃないやろ」みたいな。シタールとかリード楽器が演奏している下でずっと鳴ってるだけの楽器やからね。そういうふうに基本的にドローンみたいなものには反応してたんやね。

そう考えるとすごく一貫してますね。

河端:変わってないね、進歩がない。

これまでの経歴を追っていくとえろちかだけちょっと浮いてる感じはしますけど、それでもなんか東洋的な旋律みたいなものの取り入れ方は共通してるかなと。

河端:例えばビートルズでもね。リバプールの港町にアメリカの音楽が入ってきたと。そこでそういうアメリカのリズム&ブルースとかにリバプールのもってる民謡みたいなメロディを重ねていったのがビートルズ・サウンドなわけやんか。それと同じように、日本のロック・バンドがかっこ悪い理由っていうのは、フラワー・トラベリン・バンドでもなんでもそうやけど、リズムを導入するからかっこ悪いんやと。ロックでかっこいいのはどっちかというとリズムやから、ロックのリズムに日本のメロディを乗せればええ。和音階を乗せても、あのドンタカタッタみたいなリズムでなければカッコ悪いことにはならないんで。あれをやってしまうと間抜けに感じるでしょう

そうですね。

河端:フラワー・トラベリン・バンドでもチャクラとかでも、好きは好きやったけど、やっぱ間抜けやないですか。その極みが竜童組みたいなもんで。あんなふうにならないように、和風のメロディとアメリカのリズムという組み合わせにしてるわけですよ。

日本の要素を導入しようとするとどうしても祭囃し的な感じになりがちですもんね。

河端:あと和楽器を使わない。和楽器を使うと外人がやってるみたいになるんやね。どう考えたって三味線とか琴とか尺八とか入れたってかっこ良くなるとは俺には思えないから。シタールとかならまだ魔術があるけど、和楽器を入れてもロック的にあまりかっこよくない。それなら普通にギター、ベース、キーボード、ドラムでやったほうがかっこええかなと。えろちかは、そういう意味では自分のなかで何か日本人にしかできないロックを作ろうとちょっと無理したんよ。その反動でまた元に戻った、原点に(笑)。

東洋的な旋律はでもアシッド・マザーにも入ってますよね。

河端:それは多分血ですよ。子供の頃とかよくあることで、ピアノの前に座って弾けもしないのに適当に弾くと絶対日本っぽくなるでしょ。そこで例えばジャズみたいにはならないし、ヨーロッパのものにはならないやん。
 えろちかはそれをかっこ悪いと思わないようにしようということで、出てきたメロディをかっこわるいと思わず、これこそが自分のメロディなんやから、それにかっこいいリズムを乗せればいいと。
 アシッド・マザーもたぶん白人とかに聞いたら日本的な曲なはずや。それはブリティッシュロックを聞いたらやっぱりブリティッシュロックに聞こえるし、アメリカのロックでも西海岸のやつならカリフォルニアの音がしてるし。ジャーマンロックはやっぱり同じプログレでもジャーマンな感じやん。言葉は関係なく。体質みたいなのはやっぱ音楽に反映されるから。
 だから俺らが日本人でロックをやってても、外人が聞いたらどこか日本っぽく聴こえるはずなんよね。ペンタトニックでブルースギター弾いたって日本っぽく聴こえると思う。だからわざわざ日本のものを加える必要はなくて、はじめから出汁の匂いがしてるんや(笑)。昔アンコールで"ルシール"をやったことがあって。

リトル・リチャードの?

河端:そう。ディープ・パープルもやってるしね。それで初めて来た客が終わってから「キミらの音楽を初めて観たけどよかった。とくにルシールが良かった」と言ってて。それまでやってた曲は、日本人がやってる音楽やからいいか悪いかよくわからない。でも最後のルシールは自分も知ってる曲やし、ほかのミュージシャンがやってるものいろいろ聴いてる。ああいう曲をやると、違いがよくわかると。

知ってる曲が違う風に演奏されてると。基準ができるというか。

河端:それで「君たちの音楽は素晴らしいと思う」と。そういうことで理解がしやすいみたいやね。アシッド・マザーなんかは普通にベタなサイケロックをやってるわけやけど、どこかでやっぱり日本ぽさがあるんだと思う。メロディにしてもギターソロにしても、どこかで出てしまうことはあるやろ。でもそれは別に血で持ってるもんでしょ。フランス人はどうしてもあの変なフレンチポップみたいなややこしいコードが入るコード進行になったりね。たぶんあの人達にはあれが普通なんやろ。東欧とか行くとどうしてもあの東欧的な感じが出て来るしね。

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観たいんやったらいま来いやと。来年は見れるかどうかわからない、来年も来るつもりではいるけどないかもしれへん。だから見れるときに見に来てほしいという意味も兼ねて、「最後」と書きゃあ来るかもと(笑)。

コリアンサイケとかも独特ですもんね。

河端:そうそう。語感も面白いけど、音楽的に違いがどうしてもある。自分から出てきたフレーズが何かに似てたとするやん。でも、いろんなものを聴いてやってるわけで、まったくゼロからオリジナルなものを作ってるやつなんて滅多にいないから。たまたま出てきたリフが「なんやどっかで聴いたことあるな」っていうのでも、それはしゃあない。別にレコードを聴いてコピーして作ったわけじゃなくて、自分のなかのフィルターを通って出てきてんねんからそれはもう自分の音やねん。だからと言って鮎川誠がそうやってるとは思えないけどね、俺は(笑)。
 さっきの話に戻るけど、灰野さんが全部の音楽をひとつのバンドでやっちゃえっていう感覚は俺も近くて。アシッド・マザーのファースト・アルバムを出した時はソロみたいなものやったけど、セカンド(『Pataphysical Freak Out MU!!』)を出したときにはハードサイケ路線の、まあ同じようなものが続いて。次に3枚続けて同じ物を出すと客が絶対そう思っちゃうから、3枚目はちょっとドローンっぽい静かなものにして。その後に出したのが『Wild Gals a Go-Go』っていうちょっと映画のサントラみたいなワケのわからんやつで。
 とにかくはじめにおもいっきり振り幅を広げたわけ。ハード・サイケ・バンドと言われたときに、歌のものもありますし、ドローンとかわけのわからないアヴァンギャルドな曲もやりますと。とにかく俺のコンセプトとしては、どんな音楽であれ上に宇宙音が乗ってたらアシッド・マザーだと。それがひとつのキーワードではある。必ずしもではないけども、何をやっても、どんな音楽をやっても宇宙音さえ乗ってればアシッド・マザーとわかってもらえる。古いアルバムは、俺は曲によってはギター弾いてないからね。俺が参加してない曲もあるくらいで。

へえー。

河端:とにかく三枚続けて同じようなものを出すとイメージが固まるので。それは桑田佳祐から学んだ(笑)。はじめに「勝手にシンドバット」」出して売れたでしょ。2枚目にまた同じようなラテン調の曲を出して、ヒットとしてはちょっと落ちた。でもレコード会社としては3枚目ももう1回その線で出したかったのね。でも桑田は3枚目にはバラードを出したいと。レコード会社は「何を言うてんねん、このままいかなどないすんねん」と思ったけど、もしダメだったら次はまたお祭り曲出したらいいから、このままだと俺らはお祭りバンドだと思われてまう。それで出したのが――

"いとしのエリー"ですね。

河端:大ヒットで、そこからサザンオールスターズはお祭り曲から泣けるバラードまでできるバンドということになった。それを聞いた時に「これや」と。
 アシッド・マザーは戦略的にかなり考えてやってるんですよ。バンド名つけるときも、頭文字は絶対「A」って決めてて。レコード屋では絶対Aから見るからね。アシッド・マザーより前に来るのはアバとAC/DCしかない(笑)。だって「S」とか「T」になったらもう疲れてきて見ないでしょ。そういう戦略はいろいろあったんですよ。

じゃあそろそろ締め的に、今後の展開などを。

河端:よくある質問ですね(笑)。いままでのインタヴューでだいたい全部同じ答えですよ。何もないです。

おお。

河端:だっていまこの店を出た瞬間に轢かれて死ぬかもしれへんから。そらもちろん半年先・一年先のブッキングはしてるよ。レコーディングもするしリリースの予定もあるけど。気持の上では、ここを出たら死ぬかもしれへんし、死んだら終わりなんで、考えることは今のことだけ。でもまあビジネスとして、活動としては来年も同じです。アルバムを出してツアーをして、みんなが楽しんでくれればそれでいいです。身体が続く限り。それだけが問題やね。みなさん身体がボロボロなんで。

あのライヴをどれだけ続けられるかっていうのはありますよね。

河端:スポーツ選手みたいに身体のあちことが摩耗して疲弊していくんで。一昨年は兄いがヨーロッパツアーが終わったところで空港で倒れて、日本についた時には車椅子やったからね。

ああ、でしたよね。

河端:そのあともライヴ中にぎっくり腰にならはって、それでもそのままライヴが終わるまで叩き切った。うちら最後のほうはメガ加速状態やからね。耳ももうダメで、三半規管をやられてるから平衡感覚もないし。津山さんは右の肩の筋が4本切れてるし。俺は関節が摩滅して、こっちの筋も痛いし。東君も手が痛いとか言うてるしね。あと田畑は痛風・糖尿・脂肪肝(笑)。

それだけちょっと別な気が(笑)。

河端:でも田畑は人間力よ。自分はアレやのに、周りが田畑を助けるように仕向けられてるねん。田畑はみんなほっとっけないんよ、なんとかしたろうと思うし、田畑のことを悪く言う奴はいないやろ。それが田畑の人徳で人間力やねん。人間力のないやつはダメになってくよね。あいつはやっぱり音楽が好きで、最終的にボロボロになっても音楽は続けたいと思ってるしね。
 俺らの時って情報もあんまりなかったんで、生き様こそがロックみたいに思ってたんやね。特にヴォーカルとかでカリスマ的なものを持ってた奴は生き様が暴走しすぎて廃人になったりとか、ダメになってくねんな。ほんで俺らみたいな裏方の人間のほうが残ってるわけ。
 俺らはバック・ミュージシャンやけど、メインに立つカリスマ的な奴、町田町蔵に続くべきカリスマみたいなのがいっぱいおったはずなのにみんな消えてしまった。結局アイちゃんとかがおるくらいやね。ロックスター言うのはこれくらいいかなあかんのじゃあ! 言うてみんな終わって、気づいたら結局楽器とか演奏したりレコードを聴いたりするのが楽しかった裏方の人間だけが残ってる。

ああー。

河端:あれがもっと残ってたら俺等の世代はもっと残ってたはずなんよ。社長とかヒデくんとかの世代はけっこう残ってるやん。下のハードコアの世代も残ってるねん。俺等の年代だけスコーンと抜けてるの、全部。当時、俺の2個上くらいからの3年間くらいは独特のシーンがあったんやけど、音源もないんやで。
 主要な人物がどんどん辞めていくから誰も語らない、資料も残らない。そうやってそこが完全に抜けてるわけよ。田畑にしても、のいづんずりはたまたま後から入ってるから残ってるけど。それは今やもう殆ど誰も覚えてへんから語らないでしょ。
 でもそれは仕方のないことやから。残らなかったのは俺らのせいやし。残そうとしなかったわけやし、今も語ろうともしないやろ。ていうか自分の過去に値打つけてどうすんねんと(笑)。やっぱり自分の過去を伝説にしたくないんよ。あの時はこんなに凄かったんやで! とか言うても、現場にいた人間からすると、客5人くらいやったでとか。音楽的にも大したことなかったやん、とか――何の話でしたっけ。

今後の話ですね(笑)。

河端:あ、今後の話がなんで過去の話になってんねん(笑)。いつまで続けられるかはもうわからないんですよ、自分らも。アシッド・マザーも去年「Last Tour」とつけてワールドツアーをしてましたけど、あれはマヤ暦の話にひっかけて冗談で言ってる部分もあったけど、自分らの肉体的にもあと何年ツアー・バンドを続けられるかはわからない。あとで「見たかった」と言われるのも嫌やから、観たいんやったらいま来いやと。
 来年は見れるかどうかわからない。だから見れるときに見に来てほしいという意味も兼ねて、「最後」と書きゃあ来るかもと(笑)。実際自分らも、もしかしたら去年の時点では来年ツアーできるかどうかわからない状態やったからね、身体は。ツアー中に駄目になるかもしれないし。それくらいのところでずっとやってるんで、そういう意味で先はわからない。だから「また次見に行くわ」っていうのは、俺らのなかではないんやで。

「ぼく自身はあのプロダクションにすごく惹かれるんだよね。あと、あの時代の音楽には、すごく純粋な感触がある気がする。ある意味すっごくシリアスなんだけど、同時にシリアスでもないっていう。」ジャック・テイタム(本誌インタヴューより


Wild Nothing -
Empty Estate

Captured Tracks / よしもとアール・アンド・シー

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エイティーズのUKインディ・ロックへの思慕をあふれさせた美しい2枚のアルバムにつづき、ワイルド・ナッシングことジャック・テイタムからささやかな音の贈り物が届けられた。ミニ・アルバム『エンプティ・エステイト』は5月15日リリース。終わらない夢のつづきを、この10曲とともにたどってみよう。"ア・ダンシング・シェル"ではディスコ色が加味され、エール・フランスからメモリー・テープス、パッション・ピットまで想起させる涼しげなダンス・ビートが感じられるが、それでも依然として彼の夜はプール・サイドやクラブにはない。前作ののちにブルックリンに移り住んではいるが、それはいまだ、どこかジョージアあたりの田舎の家屋の、静かな窓のなかにある。

Wild Nothing "A Dancing Shell"


3月15日に行われた初来日公演もソールド・アウト!

米ヴァージニア州出身のドリーム・ポップ/シューゲイズ・バンド、ワイルド・ナッシングのミニ・アルバム『エンプティ・エステイト』のリリースが決定!!

3月15日に行われた初来日公演もソールド・アウト。ここ日本でも大きな注目を浴びる米ヴァージニア州出身のドリーム・ポップ/シューゲイズ・バンド、ワイルド・ナッシング。昨年の8月(日本は9月)にリリースされ、iTunesの「2012年ベスト・オルタナティヴ・アルバム」も獲得した傑作セカンド・アルバム『ノクターン』に続き、全10曲入り(日本盤ボーナス・トラック含む)ミニ・アルバム『エンプティ・エステイト』のリリースが決定。日本盤のみミシェル・ウィリアムズ(『マリリン 7日間の恋』『ブルーバレンタイン』『ブロークバック・マウンテン』)をフィーチャリングした「パラダイス」の別ヴァージョン他、ボーナス・トラックを3曲追加収録。

■ワイルド・ナッシング『エンプティ・エステイト』
Wild Nothing / Empty Estate
2013.05.15 ON SALE!
¥1,400 (税込) / ¥1,333 (税抜)
歌詞/対訳付
★日本盤ボーナス・トラック3曲収録★

[収録曲目]
01. The Body In Rainfall / ザ・ボディ・イン・レインフォール
02. Ocean Repeating (Big-eyed Girl) / オーシャン・リピーティング(ビッグ・アイド・ガール)
03. On Guyot / オン・ギヨー
04. Ride / ライド
05. Data World / データ・ワールド
06. A Dancing Shell / ア・ダンシング・シェル
07. Hachiko / ハチ公
08. Paradise (Radio Edit) / パラダイス(レディオ・エディット)*
09. Paradise (featuring Michelle Williams) / パラダイス(フィーチャリング・ミシェル・ウィリアムズ)*
10. Paradise (Setec Astronomy Remix) / パラダイス(セテック・アストロノミー・リミックス)*
* 日本盤ボーナス・トラック
All songs written and produced by Jack Tatum (ASCAP)

[バイオグラフィー]
ワイルド・ナッシングはアメリカのポップ・バンドだ。ただ、バンドと言ってもジャック・テイタムしか在籍していないワンマン・バンドである。2010年、21歳のテイタムはヴァージニアのブラックスバーグの大学の最終学年に籍をおいていた。そしてこの年の春にリリースされたのが、ワイルド・ナッシングのデビュー・アルバム『ジェミニ』である。このアルバムは2010年の夏のカルト・ポップ・レコードとなった。80年代のインディ・ポップをルーツに持つこの作品は、インターネットを通して瞬く間に人気を獲得することになり、評論家からも極めて高い評価を獲得した。2011年、テイタムはセカンド・アルバム『ノクターン』の制作を開始。「僕の理想世界の中でポップ・ミュージックは何だったのか、またどうあるべきなのか、といった感覚を表現したアルバムだ」と彼自身が語るこのニュー・アルバムは、まさにテイタムのポップ・ミュージックに対してのヴィジョンが詰め込まれた傑作となった。アルバムは、iTunesの「2012年ベスト・オルタナティヴ・アルバム」も獲得し、2013年3月に行われた初来日公演もソールド・アウトとなった。

※日本オフィシャル・サイト: www.bignothing.net/wildnothing.html


interview with The D.O.T. - ele-king


The D.O.T.
Diary

ホステス

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 取材当日の午前中、マイク・スキナーの具合が悪く、病院に行った。なので、急遽、ロブ・ハーヴェイひとりで対応して欲しいとホステスの担当者から電話がかかってきた。これは困った。僕は、ザ・ストリーツはデビューからずっと聴いている。しかし、ロブ・ハーヴェイのミュージックに関してはずぶの素人。申し訳ない。
 The D.O.T.を、マイク・スキナーの新しいプロジェクトと見るか、あるいはロブ・ハーヴェイの新しい作品と見るかでは、おそらく違うのだろう。僕は、日本では少数派かもしれないが、ザ・ストリーツの最後の作品、『コンピュータ&ブルース』(2011年)の延長で聴いている。その作品が、わりとロック寄りの内容だったので、部分的にではあるが、The D.O.T.の予習はできていた。
 それでも、最初に『アンド・ザット』(既発曲の編集盤)を聴いたときには、CDを間違えたのかと思った。ほとんどラップもないし、ガラージでもないし、クラブ・ミュージックでもない。その代わりに......エルトン・ジョンのような歌が聴こえる(!)。
 『コンピュータ&ブルース』が、リリースから2年経ったいま聴いても良い作品であるように、The D.O.T.のデビュー・アルバム『ダイアリー』も、良いポップ・アルバムだ。ザ・ストリーツの作品にように、シニカルかつアイロニカルに屈折しているわけでもない。雑食的な音だが、基本にあるのはポップ・ソングだ。エモーショナルで、耳に馴染みやすいメロディ、綺麗なハーモニーがあって、クラブ・ミュージックのセンスも注がれている。

 しかし......先述したように、筆者は、ミュージックなるロック・バンドの音楽を知らない。『コンピュータ&ブルース』に参加したロブ・ハーヴェイについては知っている。ロブはその現実を受け止め、とても真摯に答えてくれた。


言葉表現の能力の高さ、素晴らしさに尽きるね。思いを言葉にするだけじゃなくて、その言葉や意味を、人に聴かせうる質にまで高めることができるんだ。正直、うらやましいと思った。

正直に言いますと、僕は、あなたのことを『コンピュータ&ブルース』で知ったような人間です。誤解しないで欲しいのは、ロブのことはリスペクトしていますけど、それまでミュージックのこともロブ・ハーヴェイのことも知りませんでした。

ロブ:オッケー、オッケー、よくそう言われるよ(笑)。

でも、『コンピュータ&ブルース』であなたが歌っている3曲は好きでした。

ロブ:アリガト。

編集部の橋元からは、「常識的に言えば、ミュージックは人気バンドで、とても有名だし、知らないのは頭がおかしい」と言われました。

ロブ:はははは。

実際、『コンピュータ&ブルース』がD.O.T.のスターティング・ポイントだったと言えるのでしょうか?

ロブ:初めて共作したのはこの作品でした。スタジオに入ったのも初めてだったし、それが可能性について考えはじめた時期でもあったよね。

ロブから見て、ザ・ストリーツのどんなところが好きでしたか?

ロブ:言葉表現の能力の高さ、素晴らしさに尽きるね。思いを言葉にするだけじゃなくて、その言葉や意味を、人に聴かせうる質にまで高めることができるんだ。正直、うらやましいと思った。音楽をやっている人間なら誰しも過去にはないものをやりたいと思うものだけれど、それを実行することは難しい。マイクはそれをできた数少ないひとりだ。その影響力は、アークティック・モンキーズにもいたる。イギリス人の直面している現実っていうのものを巧い言葉で表現するんだ。アメリカの真似ではなく、イギリス的なやり方でね。

アルバムではどれがいちばん好きですか?

ロブ:おお、難しい。『コンピュータ&ブルース』と言いたいところだけど、自分が参加しているからね......やっぱりファースト・アルバム(『Original Pirate Materia』)かな。強さを感じたのは。セカンド・アルバムはコンセプトというものを形にした作品で、シングル曲も良かった。『Everything Is Borrowed』は、スピリチュアルな歌詞も良いし、サウンドの様式的には僕が好きなタイプでもある。

『Original Pirate Materia』にはイギリスの名もない野郎どもの日常が描かれていましたが、あなたにとってはあの作品のどこが良かったんですか?

ロブ:目の前にあるモノを的確な言葉で表現していることだね。つまり、表現の仕方が、「いかにも」的な、何度も聞いたことがあるような言葉ではなく、しかも、あからさまな表現をしていない。それでも、多くの人があの歌詞に共感したんだよ。何故なら、そこには、ユーモア、知性、それから繊細さもあった。イギリス人はだいたい、繊細さを見せると弱い人間だと思われるんで、繊細さを隠す傾向にある。しかし、マイクは、繊細でありながら、弱さに覚えれなかったんだよね。

あの歌詞で描かれているようなイギリスの若者の日常には、ロブも共感できるものなの?

ロブ:まあ、僕は当時、バンドにいたし、まったく違ったライフスタイルだったからな。マイクの場合は、たったひとりの日常を描いているわけじゃないんだ。いろんなタイプの人たちの日常を描いて、物語として伝える。そこがすごいところだ。

あのアルバムは2002年でしたっけ? ああいうUKガラージに興味はありました?

ロブ:なかったね。僕がその頃いた北部は、ガラージよりもハウスやテクノのほうがかかっていたんだよね。最初に行ったギグはレフトフィールドだったよ。こういう感じで......(ドンドンドンドンとテーブルを4つ打ちで鳴らす)。

はははは。

ロブ:そう(笑)。

『コンピュータ&ブルース』は、ザ・ストリーツのなかでもロック寄りの作品でしたよね。"Going Through Hell"なんか、いま聴くとD.O.T.の原型みたいな気がします。

ロブ:うーーーん、それはやっぱザ・ストリーツの曲だと思う。ザ・ストリーツのとき、マイクはすべてをひとりで作らなきゃいけなかったんだけど、D.O.T.はもっと楽しみながら制作している。"Going Through Hell"はふたりでやった最初の仕事には違いないけどね。でも、やっぱその曲はザ・ストリーツの曲だ。

D.O.T.の方向性にとくに影響を与えた作品はありますか?

ロブ:マイクのほうがいろいろな音楽を聴いているからね。僕は、他の音楽からの影響というよりも、自分自身が良いミュージシャンになりたいという気持ちのほうが強い。生きていて、生活のなかからインスピレーションをもらって、それをいかに音楽の形にするか。ソングライターとしてとにかく成長したいという思い、新しい音楽の作り方を模索したい、自分のメロディをさらに良いモノにしたい、歌い方も、いままでやったことのない歌い方に挑戦したい。そういった思いが僕を音楽に突き進ませるんだ。

とてもエモーショナルで、ソウルフルな音楽、そして親しみやすいポップ・ミュージックだと思ったんですが、あなたから見て、もっともD.O.T.らしい曲はどれでしょうか?

ロブ:"Blood, Sweat and Tears"だね。

ああ、メランコリックな曲ですね。

ロブ:そうだね。

僕は。"Under a Ladder"や"How We All Lie"のほうがD.O.T.らしく思ってしまったのですが。

ロブ:"Under a Ladder"は基本的にマイクひとりで書いた曲だよ。

"How We All Lie"は?

ロブ:僕らふたりと、もうふたりのミュージシャンとの合作だね。歌メロは僕が担当して、他のヴァースはマイクが書いた。

"Blood, Sweat and Tears"がもっともD.O.T.らしいと思う理由は何でしょう?

ロブ:それぞれが得意としているところをしっかり見せているからだね。プロダクションもシンプルで、歌も直接的で、装飾的ではなく、人の心に訴えるような曲だと思う。

"How We All Lie"や"How Hard Can It Be"のような、興味深い曲名が並んでいますよね。

ロブ:みんなに考えさせたいと思ってそういうタイトルにしたんだよ(笑)。

歌詞についてのあなたの考えを教えて下さい。

ロブ:ひとつの具体的なことを歌っているわけじゃないので、好きに解釈してくれればいいよ。より多くの人の感情がアクセスできるような、共鳴できるような歌詞にしているし、その言葉によって自分も救われたいというか。

その言葉は社会から来ているのでしょうか? それとももっとパーソナルなもの?

ロブ:どちらにも受け取れる。たとえば"How Hard Can It Be"は、政府のことかもしれない。あるいは、恋愛関係のことかもしれない。自分と自分のことかもしれないし。聴き手次第だね。

訳詞を読みながら聴くべきだと思いますか?

ロブ:僕なら読まないね。音を聴いて欲しい。だって、同じ言葉でも、僕の歌い方によって感じ取り方が違うと思う。歌詞ってそういうものじゃん。

たしかに感情的なところは歌い方によって違いますからね。

ロブ:そういう意味では、僕の歌はつねに個人的なところから来ていると思う。芸術家ってそういうものなんじゃないかな。商品を作っているんじゃないんだ。描きたいから描くのであって、僕も謡から歌っているんだ。D.O.T.では、マイクが頭脳担当なら、僕は感情担当なんだ(笑)。たしかにザ・ストリーツの素晴らしさは言葉表現だったと思う。でも、ミュージックは、誠実さ、迫力、もっとエモーショナルものだった。僕がD.O.T.に持ち込んでいるのは、そういうことなんだ。つまり、これは、ザ・ストリーツとは違うんだ。

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 その当日、結局マイク・スキナーの体調は戻らず、取材はキャンセル。帰国後、電話を使っての取材となった。ロブ・ハーヴェイが言うように、言葉表現の巧みさを持った彼の作品について訊くのは、歌詞を精読してからのほうがベターなのは間違いないが、いままで知らなかった彼の音質へのこだわりなど、興味深い話が聞けた。

僕はダンス・ミュージックが大好きでDJもよくするし、僕のルーツのひとつだからね。いまはThe D.O.T.のリミックスもやっているところなんだけど、そっちはよりクラブっぽい音になってるよ。


The D.O.T.
Diary

ホステス

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『コンピュータ&ブルース』がラップ、ダンス、ロックのブレンドだったわけですが、ロブは3曲参加していますよね。ザ・D.O.T.は、『コンピュータ&ブルース』を契機に生まれ、その延長として発展したプロジェクトとして考えて良いのでしょうか?

マイク:そうだね。これがはじまったのは偶然みたいなものなんだ、ちょうどその頃僕たちふたりとも当時やっていたプロジェクトがひと段落するところでさ、最初にまず2曲くらい一緒に作ってみたらすごくいい感じのものができて、そこからそのまま一気に進んでいったんだよ。

『コンピュータ&ブルース』制作中にはすでにThe D.O.T.の構想はありましたか?

マイク:えーっと、ロブがザ・ストリーツのツアーを一緒に回って、その後にザ・ミュージックのラスト・ツアーに出てたから、はじまったのはザ・ストリーツの活動が終わってすぐかな。僕のスタジオを中心に、ロンドンのいろんなスタジオで制作していったんだ。僕にとっては、ずっとほとんどひとりで音楽を作っていたから他の誰かとやるっていうのは初めてだったし、ずっとバンドでやっていたロブにとってはふたりだけでやるのは初めてだったから、お互いに新しい挑戦だったよ。

『コンピュータ&ブルース』に入っている"Going Through Hell"なんかはザ・D.O.T.の原型みたいじゃないですか?

マイク:ああーうん、そうだね! The D.O.T.の基本的なアイデアとしては、僕のプロダクションの上にロブの歌やメロディをのせていくって感じのものが多いんだけど、"Going Through Hell"でもロブがメロディを書いたんだ。今回のアルバムの曲の多くとは、基本的な原理は同じで組み合わせている要素も同じだから、結果的にかなり近いものが出来たと思う。

あなたは、『コンピュータ&ブルース』というザ・ストリーツの最後のアルバムで、なぜロック的なアプローチを取り入れたのでしょうか?

マイク:いろいろな違った方法を試してみるっていうのは大事だと思うんだ。同じことを同じ方法でやってばかりいると、ありきたりで予想のつく音楽になってしまうからさ。ただ僕自身はあれがとくにロック的だとは思っていないよ。ロックっぽく聴こえるのは、良いヴォーカルを入れようとした結果じゃないかな。

ザ・D.O.T.で、よりソウルフルな、エモーショナルなポップ・ミュージックにアプローチした理由を教えてください。

マイク:今回The D.O.T.の音楽を作る上では、あんまりいろいろなことを意識してやっていたわけじゃないんだ。特定の誰かと一緒にスタジオに入ったときに、なんとなく楽器を手に持って弾きはじめる......みたいな感じだった。ただ僕は元々がラップ・ミュージックから来ているから、アルバムを作るときも自然とエモーショナルな方向にいくし、ロブはソウルフルなシンガーだからそういう音になったね。

とても聴きやすいアルバムだと思うのですが、とくにザ・D.O.T.らしい曲はだれだと思いますか? 

マイク:"Blood, Sweat and Tears"は僕らがThe D.O.T.としてできることのいい見本になっていると思うよ。かなり短時間でできたストレートな曲で、僕の好きなビッグなドラムの音が入っていて、ロブのヴォーカルにもすごく感情が込もっている。

"Under a Ladder"は?

マイク:"Under a Ladder"は僕がほとんど自分ひとりで作った曲だね。なんていうか、このアルバムは僕らが作った幾つものトラックの中から選んだベスト・トラック集みたいな感じなんだよ。

では実際に作ったトラックは何曲ぐらいあったんですか?

マイク:僕のデスクにある記録だと、70曲強だね。そのなかから完成させたのは40から50曲くらいかな。

かなりありますね! そちらのリリースはしないんですか?

マイク:次にアルバムを作るときは、またいちから新しい曲を書くと思うよ。これまでにインターネットに上げた曲や今回のアルバムの曲はみんな似たような雰囲気があるしさ。でも、またもう少ししたら新しい曲を書きはじめるつもりでいるよ。

トラックの基本はマイクが作ったんですよね?

マイク:その曲によって作り方は違ったよ。まずロブがメロディを作って僕がプロダクションをしてってパターンが多かったんだけど、その逆になるときもあった。僕がビートを作るところからはじまって、ふたりで完成させたりとかさ。ほとんどの曲は僕がプロダクションの部分を仕上げたけど、なかにはロブがほとんど完成までやった曲もあったしね。他のミュージシャンと一緒にスタジオに入って、みんなで曲を書いたこともあったよ。ひとつのパターンにはまるんじゃなくて、いろいろとやり方を変えることで、いろんな違ったものが作りたかったんだ。

プロダクション面はマイク主導でやっていたんですね。具体的にはどのような感じでしたか?

マイク:僕の持っているスタジオでやることが多かったんだけど、僕はオールドスクールなやり方で作るのが好きなんだ。もちろん基本はコンピュータを使っているけど、まわりの機材はアナログが多いから、ちょっと70年代っぽい音になっていると思う。僕らはマスタリングまで自分たちでやるんだけど、マスタリング関連の機材は使っていて楽しいよ。

アーティスト自らマスタリングまでやるというのは珍しいですね。

マイク:うん、僕にとっては、ミキシングやマスタリングまでやるっていうのは大事なんだ。ミキシングまでやるミュージシャンは多いけど、マスタリングまでっていうのはあんまり多くないよね。自分で曲を書いたならプロダクションまで自分でやる方がいいと思うんだ、その曲がどういう風に聴こえるべきか自分でわかってるんだからさ。とくにマスタリングって、その曲がどう聴こえるかに大きな影響を与えるから、自分でその部分のコントロールもするっていうのが理にかなっているよ。

ダンス・ミュージックというところは意識しましたか?

マイク:もちろんさ、僕はダンス・ミュージックが大好きでDJもよくするし、僕のルーツのひとつだからね。とくに(ザ・ストリーツの)ファースト・アルバムにはそういう部分がより出ていたと思う、クラシックっていうか、ストレートにアップビートな感じの曲が多かったセカンドよりも、より遊びのあるダンスっぽい感じの音さ。いまはThe D.O.T.のリミックスもやっているところなんだけど、そっちはよりクラブっぽい音になってるよ。

自分たちの方向性に影響を与えた作品はありますか?

マイク:わからないな。僕らふたりとも、年齢とともにだんだん「これに影響を受けた」ってはっきり言うのが難しくなってきてると思うんだ、これまでにいろんな音楽を聴いたり、映画を見たり、本を読んだりしてきたからさ。最近はとくに音楽以上に、映画や本から影響を受けているんじゃないかな。

映画や本ですか。普段どのような本を読むんですか?

マイク:いま読んでいるのはハリー・セルフリッジ(イギリスの高級デパートチェーンの創業者)についての本だけど、普段好きで読むのは第一次世界大戦前の、エドワード朝時代あたりを題材にしたものとかだね。世界大戦で人びとの生活も何もかもがすっかり変わったから、その前の時代のことってすごく魅力を感じるんだよ。

個人的にいちばん好きな曲のひとつなのですが、"How We All Lie"は何についての歌ですか?

マイク:The D.O.T.の曲の多くは抽象的で曖昧なんだ、それぞれの曲にはっきりしたストーリーや視点があったザ・ストリーツのときとは違ってね。僕自身、そういうストーリーとかの制約から自由なところで活動したかったからさ。"How We All Lie"では、基本は人びと全般について歌っているんだけど、スタジオに居たときにそこにあった新聞のスポーツ面を見ながら書いたから、サッカーについてのテーマも同時に曲全体に入って いるよ。
 ザ・ストリーツでは歌詞を書くのに時間をかけていたけど、今回はできるだけ時間をかけないようにしたんだ。そうするとその分、ほかの面でクリエイティヴになる余裕ができるんだよ。

"How Hard Can It Be"は社会風刺ですか?

マイク:あの曲はちょうど、次期首相を選ぶ総選挙の直前に書いたんだ。(その選挙で選ばれた)いまのイギリスの首相(デイヴィッド・キャメロン)はエリート学校出身のお坊ちゃんなんだけどさ。

それが歌詞の「You don't know the price of bread(アンタはパンの値段なんか知らないクセに)」に繋がるわけですね。

マイク:その通り! それとその曲では、人びとのなかには、世界で何が起こっているのかよくわかっていない人たちもいるっていうことにも触れているんだ。

ザ・ストリーツには作品ごとにそれぞれのコンセプトやテーマがありましたが、そういう意味でのコンセプトやテーマが今回もあったら教えてください。

マイク:そうだね、さっき言ったように今回はより抽象的だし、コンセプトっていうのはないと言えると思う。あんまり音楽にヘヴィで現実的なテーマばっかり求めてしまうのも良くないと思うんだ。
 僕はこれまでにコンセプト・アルバムっていうのはひとつだけ作ったことがあって、あれは曲それぞれにストーリーがあって、それを繋げていくっていうものだったから、それほど現実的なテーマではなかったんだ。それを批判する人も多かったんだけど、それも無理はないと思うよ、人って音楽に何か「リアル」なものを求めてしまうものだからさ。


ちなみに来日して病に伏したマイク・スキナーが作った曲がsoundcloudに挙がっている。


続・すべてを聴き逃さないように - ele-king

 エメラルズ解散は惜しまれるものの、それぞれに豊かな才能を持つ3人だ、惜しみつつワクワクもする。最後のアルバムは、聴きようによってはマークのギターをふたりがどう料理するかという作品でもあった。ジョン・エリオットは「ジョンと僕はたくさんの様々なアプローチを取りました。マークのギターの音色にもこだわり、異なるアンプやマイクに通したりしてたくさんの時間をかけました。」と語っていた。マークがほとんど自身のソロ作品と変わらない演奏を、のびのびと繰り広げていることのカラクリがわかるようで微笑ましい。同時に彼のギターがバンドによっていかに大切にされていたのかが理解できるエピソードだ。先にひとり抜けるかたちになってしまったマークの、脱退後初となる来日情報をお伝えしよう。サポートにはケン・シーノ(ポニーテイル)。完全にひとりで、じっくりと、驚くべきグルーヴを立ち上げた前回に対し(且つラストはナゾのディスコ展開に!)、今回はいったいどんなステージになるのか......楽しみです!


■Mark McGuire (ex. Emeralds) Japan Tour 2013
special guest: Ken Seeno (ex. Ponytail)

インディ・シーンからエクスペリメンタル・ミュージック・シーンにおいて、リスナーからミュージシャンまでその動向を緊張感をもって意識される存在がマーク・マグワイアである。エメラルズからの脱退後(その後バンドは解散)初となる来日公演、誰もがその動向に注目していただけに貴重なライヴになること必至! 今回はあのダスティン・ウォンが在籍したボルティモアの実験的アート・バンド、ポニーテイルのギターリスト、ケン・シーノがサポート・アクトとして同行します。お見逃しの無いように!

関連リンク:
Mark McGuire: https://soundcloud.com/mark-mcguire https://mcguiremusic.blogspot.jp/
Ken Seeno: https://soundcloud.com/kenseeno

■5.8 wed 名古屋 TOKUZO
出演: Mark McGuire (ex. Emeralds), Ken Seeno (ex. Ponytail), Maher Shalal Hash Baz
開場 18:30 開演 19:30
¥3,000 (Advance), ¥3,500 (Door) 共に別途ドリンク代
ぴあ (P: 198-357)
メールでのチケット予約→ info@tokuzo.com or tkbcdef@gmail.com
Information: 052-733-3709 (TOKUZO)
https://www.tokuzo.com/
https://www.thisisnotmagazine.com/

■5.9 thu 大阪 CONPASS
出演: Mark McGuire (ex. Emeralds), Ken Seeno (ex. Ponytail) and MORE!!
開場 18:30 開演 19:30
¥3,000 (Advance), ¥3,500 (Door) 共に別途ドリンク代
Information: 06-6243-1666 (CONPASS)
https://conpass.jp/

■5.10 fri 東京 UNIT
出演: Mark McGuire (ex. Emeralds), Dustin Wong, Ken Seeno (ex. Ponytail)
開場 18:30 開演 19:30
¥3,500 (Advance), ¥4,000 (Door) 共に別途ドリンク代
Information: 03-5459-8630 (UNIT)
https://www.unit-tokyo.com/

■5.11 sat 新潟 正福寺(新潟市中央区西堀通7番町1548)
出演: Mark McGuire (ex. Emeralds), Ken Seeno (ex. Ponytail), le
開場 18:00 開演 18:30
¥2,500 (メール予約), ¥3,000 (Door), ¥2,000 (新潟県外), FREE (学生)
メールでのチケット予約→ info@experimentalrooms.com
*新潟県外・学生の方は入場時に身分証明証をご提示下さい。
Information: https://www.experimentalrooms.com/

■5.16 thu 広島 ヲルガン座
出演: Mark McGuire (ex. Emeralds) その他 *Ken Seenoは出演致しません。
開場 19:00 開演 20:00
¥3,000 (メール予約), ¥3,500 (Door) 共に1オーダー
メールでのチケット予約→ organzainfo@gmail.com
Information: 082-295-1553 (ヲルガン座)

■5.17 fri 高松 ノイズ喫茶iL
出演: Mark McGuire (ex. Emeralds) その他 *Ken Seenoは出演致しません。
開場・開演 20:00
¥3,000 + 1ドリンクオーダー
Information: 087-805-7215 (ノイズ喫茶iL)

■5.18 sat 京都 THE STAR FESTIVAL 2013
出演: Mark McGuire (ex. Emeralds) その他 *Ken Seenoは出演致しません。
開場 13:00 開演 14:00
¥5,000 (Advance), ¥6,000 (Door)
Information: 06-6541-6377 (THE STAR FESTIVAL)
https://www.thestarfestival.com/


Mark McGuire
1986年12月31日生まれ。米クリーブランド出身。マニュエル・ゲッチング等からの影響が色濃いミニマリズムと幾重にもレイヤーが重ねられた現代のギター・アンビエントを融合させたサウンドで、テン年代のエクスペリメンタル・ シーンにおいて最も注目を集めるアーティストのひとり。彼がギタリストとして在籍したバンドEmeraldsのアルバム『Does It Look Like I'm Here?』(2010年)が世界中で高い評価を受けたのをきっかけに、マークのソロ作品『Living With Yourself』(2010年)、『Get Lost』(2011年)も賞賛され、ソロ・アーティストとしての人気を確立。LindstromやDucktailsのリミックスも手掛けている。2012年末にEmeraldsを脱退。また過去にはEmeraldsの他にReal EstateのEtienne Pierre Duguay, Daniel Lopatin (Oneohtrix Point Never), Trouble Books等と多数のサイド・プロジェクトを行い、現在では入手困難なカセットテープやCDRを含む数え切れないほど膨大な量の作品をリリースしている。

Ken Seeno (ex. Ponytail)
ボルティモアで結成されたエクスペリメンタル・アート・バンドPonytailの元ギターリスト。Ponytail解散後、3枚のソロ作品『Open Window』『Invisible Surfer on an Invisible Wave』『Ken Seeno - Jeremy Sigler LIVE』を発表。シンセサイザーをベースとする彼の音楽はニュー・エイジとも称されている。現在はロサンゼルスに住んでいる。


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