「You me」と一致するもの

butasaku - ele-king

 butajiと荒井優作によるアンビエントR&Bユニット、butasakuが2022年リリースした、1stアルバム『forms』のリミックス盤『forms Remixes & Covers』が本日、bandcamp限定でリリース。tofubeatsによるリミックス楽曲のみ各社ストリーミングでも配信開始。
 Jim O'Rourke、Dove、tamanaramen、SUGAI KEN、Itsuki Doiのほか、韓国からはJoyul、ロシアからはKate NVが参加。かなり面白いメンツではないでしょうか。それにbutajiと荒井優作の2人によるセルフカヴァーおよびセルフリミックスも収録した全12曲。また、tofubeatsによる“silver lining (tofubeats Remix)”のみストリーミング各社でも配信開始。チェックしよう。

butasaku
forms Remixes & Covers
2022年12月23日(金)
Bandcamp限定リリース
https://butasaku.bandcamp.com/album/forms-remixes-covers

1. time (butaji Cover)
2. atatakai (Dove Cover)
3. silver lining (tofubeats Remix)
4. the city (tamanaramen Remix)
5. abstract (Yusaku Arai, this is not grey mix)
6. letyoudown (Joyul Remix)
7. picture (SUGAI KEN Remix)
8. forms (Itsuki Doi Cover)
9. the city (Kate NV Remix)
10. forms (Jim O'Rourke Remix)
11. echo (Itsuki Doi Remix)
12. picture (Yusaku Arai Remix)

butasaku

- butaji(Vocal)
- 荒井優作(Track)

Info:https://lit.link/butasaku
Bandcamp: https://butasaku.bandcamp.com/
Twitter:@butasaku_jp
Instagram:@butasaku.jp

R.I.P. Terry Hall - ele-king

野田努

 「テリー・ホールの声は、まったくレゲエ向きじゃない」と、ジョー・ストラマーは言った。「だから良いんだ」。ザ・クラッシュの前座にオートマティックスを起用したときの話である。たしかに、テリー・ホールといえばまずはその声だ。ダンサブルで、パーカッシヴで、ポップで、エネルギッシュな曲をバックに歌っても憂いを隠しきれないそれは、最初から魅力的で、忘れがたい声だった。

 12月18日、テリー・ホールが逝去したという。この年の瀬に、悲しいニュースがまた届いた。10代のときからずっと好きだったアーティストのひとりで、とくにザ・スペシャルズの『モア・スペシャルズ』(1980)とファン・ボーイ・スリーの『ウェイティング』(1983)、UKポスト・パンクにおける傑出した2枚だが、ぼくにとっても思い入れがあるレコードだ。これまでの人生で何回聴いたかわからない類のアルバムで、この原稿を書いているたったいまはFB3のファースト(1982)をターンテーブルの上に載せている。
 ザ・スペシャルズの功績や「ゴーストタウン」(1981)の重要性についてはすでに多くが語られてきているし、ぼくも書いてきているので、サウンド面でも歌詞の面でも、「ゴーストタウン」の序章としての『モア・スペシャルズ』、その続編としてのFB3についてこの機会にフォーカスしてみたい。
 そもそも、エネルギッシュなスカ・パンクとして登場したバンドの2作目にしては、『モア・スペシャルズ』はじつにダークで空しく、苛立っている。アルバムは、ドリス・デイの50年代のヒット曲のカヴァー“Enjoy Yourself (It's Later Than You Think)”にはじまり同曲で終わっているが、この「君自身が楽しめ」をテリー・ホールが歌うと曲名の字面ほど前向きにはならないところがぼくにはたまらなかった。なにせこの曲は、「楽しめ」「遅すぎるけど」と歌っているのだ。楽しむにはもはや遅いかもしれない。それほど事態は最悪のほうに向かっている。アルバムのなかの、とくに“Do Nothing”や“I Can't Stand It”といった曲には耐え難い空しさや苛立ちが表現されているが、それらの感情がサッチャー政権のもたらした貧困と失業の増加、軍国主義、人種差別や性差別が横行する当時のイギリス社会から来ていることは、「ゴーストタウン」を経て始動したFB3の作品においてより明白になっていく。
 ザ・スペシャルズのメンバーふたり(リンヴァル・ゴールディングとネヴィル・ステイプル)と組んだ「楽しい男の子3人衆」は、まったく楽しくない言葉を、非西欧音楽にインスパイアされたそのパーカッシヴなサウンドとしばし陽気なメロディのなかに混ぜていった。「イカれた連中が収容所を支配し、俺の言葉の自由を奪う」などと歌っている音楽においては、「ファン・ボーイ・スリーがやって来る、ファン、ファン、ファン!」という当時の日本盤の邦題は的外れも甚だしいと思われるかもしれないが、しかし、FB3が見かけは明るいポップ・バンドであって、なおかつ彼らの皮肉屋めいた側面を思えばこの邦題もあながち滑っているわけではなかった。
 ファッショナブルで華やかなファンカラティーナの季節にリリースされたそのセカンド、デイヴィッド・バーンがプロデュースしたもうひとつの傑作『ウェイティング』は、翌年登場するザ・スミスよりも以前にイングランドをとことん辛辣な言葉で叩いた1枚で、悲しいことにいまでもテリー・ホールの言葉は通用している。「旧植民地から月を作る/戦争難民のように扱われる/あなたがいるからぼくたちはここにいる/ここがぼくの故郷だ」“Going Home”
 そんなわけでいま、ぼくのターンテーブルには『ウィティング』が回っている。絶対的な名曲“Our Lips are Sealed”(EPのB面はウルドゥー語のヴァージョン)を収録したこのアルバムは、またしても暗いメッセージに満ちている。彼個人が受けた性的虐待を明かした“Well Fancy That”は有名だが、サウンド面でも古びていないこのアルバムにはいまでも考えさせられる言葉がいくつもある。「ヒップなソーシャルワーカーがコーディロイのジャケットに過激派のバッジをつけている/自分の信念を見せるためか?/人は何かしなければならないことをしたのかな?」“The Things We Do”

 こんなリリックの音楽だが、先述したように、FB3はさわやかな衣装を好むメロディックなポップ・バンドだったのだ(FB3の1stでコーラスを担当した女性たちは後にバナナラマとしてポップ・チャートを駆け上がっていく)。こうしたコントラストは、ある程度は自分たちでコントロールしていたのだろう。とはいえトリッキーが、テリー・ホールこそ我がヒーローだとニアリー・ゴッド・プロジェクト(1996)において共演を果たしているように、決して本人がそれを望んだとは思わないが彼は暗くネガティヴな歌を歌っているときこそもっとも輝くシンガーだった。ソロになってからの2枚目の、デーモン・アルバーンやショーン・オヘイガンが参加した、しかもある意味ソフトロックめいた『笑い(Laugh)』(1997)は、笑顔どころか涙で溢れている。

 テリー・ホールは、1999年には日本のサイレント・ポエツのアルバム『To Come...』に招かれているが、21世紀になってからはゴリラズとデトロイトのヒップホップ・チーム、D12とともび911へのリアクション「911」を2001年に発表し、続いてゴリラズの『Laika Come Home』(2002)でも2曲歌っている。で、2019年にはザ・スペシャルズのメンバーとして『Encore』を発表。2021年には過去のプロテストソングのカヴァー集『Protest Songs 1924-2012』(ゴスペルからレナード・コーエン、ボブ・マーレー、イーノ&バーンの曲までカヴァーしたこの選曲は面白い)をリリースしている。テリー・ホールの声は「イギリス人の声だ」とジョー・ストラマーは言ったが、結局彼は、コヴェントリーというイングランドの自動車工業で栄えた労働者の街の子孫として、自分の信念から大きくぶれたことなどなかったといえる。
 没年63歳とは、しかし早すぎる。とはいえ、彼がザ・スペシャルズやFB3でやったことは、これからも我々にインスピレーションを与えてくれるだろう。この先良くなる気配の感じられないようなきつい時代に、では我々は何をしたらいいのか、何を歌うべきなのか、もし迷うことがあったらテリー・ホールの声を温ねたらいい。「君自身が楽しめ。もう遅いけど。元気があるうちに」

 なお、現在ロンドンにいる高橋勇人は、どういうわけかそのご子息であるフェリックス・ホールと友だちになった。在英中の日本人DJ、チャンシーとも交流のある彼はいま〈Chrome〉レーベルを運営しつつロンドンのアンダーグラウンド・シーンには欠かせないレゲトン/ダンスホールのDJとして活躍している。

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三田格

 それまでの輝かしい功績の数々に比べて94年にリリースされたテリー・ホール初のソロ・アルバム『Home』はあまりパッとしなかった。オープニングからミシェル・ルグランの影響が窺え、彼のキャリアのなかではカラーフィールドを受け継ぐシンプルなギター・ロック・サウンドが中心。アンディ・パートリッジやニック・ヘイワードとの共作が目を引くものの、全体的にはクレイグ・ギャノンやプロデュースを務めたイアン・ブロウディの色が強く出たのか、10年遅れのザ・スミスといった仕上がりに。ジャケット・デザインはとても彼らしく、初のソロだからといって虚勢を張るポーズではなく、床にしゃがみこんで体育座りをしている。わざわざコンセプトはホール自身だというクレジットも入っている。デーモン・アルバーンをフィーチャーした「Rainbows EP」を挟んで続くセカンド・ソロ『Laugh』(97)も同じくで、前作よりは厚塗りのサウンドでゴージャスな面もあるものの、ジャケット・デザインはやはりオフ・ビート的なユルいポートレイトが選ばれている。この時期は肩の力を抜きたかったということなのだろう、“Misty Water”などは安全地帯“ワインレッドの心”にも聞こえるし、エンディングはトッド・ラングレン“I Saw the Light”のカヴァー(シングルのカップリングではジョン・レノンやカーペンターズも取り上げている)。 

 さすがだったのはそれから6年後にファン・ダ・メンタルのムシュタークと組んだジョイント・アルバム『The Hour Of Two Lights』。ファン・ダ・メンタルはレイヴに対するリアクションとしてトランスグローバル・アンダーグラウンドやループ・グールーなどと共に現れたコンシャス・ヒップ・ホップで、スペシャルズの理念を受け継いだ人種混淆ユニット。同作ではアラブ音楽に多くを借りながらマッシヴ・アタックを思わせるブレイクビートにエスニックな要素をふんだんに盛り込み、ファン・ボーイ・スリー“The Lunatics Have Taken Over The Asylum”が重みを増したようなサウンドになっていた。これをリリースしたのもデイモン・アルバーンで、彼が後にイギリスのプロデューサーたちを大挙してコンゴまで引き連れ、DRCミュージックによるチャリティ・アルバムを製作した際のモデル・ケースとなったことは想像に難くない。『The Hour Of Two Lights』にはシリアやレバノン、アルジェリアやポーランドのジプシーなどマイノリティで、しかも子どもや障害者のミュージシャンが多数招かれ、それだけで強いメッセージを放つものになっていた。そう、テリー・ホールのキャリアは70年代のスペシャルズに遡る。白人と黒人が一緒にグループを組んだことで知られるスカ・リヴァイヴァルのグループである。

〈Two-Tone〉以前にイギリスで白人と黒人が一緒に音楽を演奏をしなかったわけではない。トラフィックにはロスコ・ジーやリーバップがいたし、ラヴにもジョー・ブロッカーがいた。しかし、白人と黒人が一緒に演奏することをレーベル・デザインにまでしたのはなかなかに強い主張であった(鮎川誠がデザインを見て「スカッとしている」とTVでダジャレを言っていた)。テリー・ホールの訃報を伝える記事にも「いまストームジーがやっていることを、かつてやっていたのがテリー・ホールだった」という見出しがあったほどである。スペシャルズの詳細は野田努ががっつり書くだろうから、簡単にするけれど、“Gangsters”と“International Jet Set”のことは書いておきたい。“Gangsters”のイントロはいま聴くと大したことはないけれど、当時は一体これから何が始まるのだろうと思うようなもので、これとポップ・グループ“We Are All Prostitutes”、そして、PIL“The Cowboy Song”は10代の僕が3大トラウマになったイントロダクションである。スペシャルズが分裂する原因になったとはいえ、スカとラウンジ・ミュージックを融合させるというジェリー・ダマーズのアイディアが炸裂した“International Jet Set”も本当にヘンな曲で、スペシャルズに影響を受けたというバンドはこの後、続々と出てくるけれど、この曲だけは誰も引き取り手がないままいまだに宙をさまよっている。また、コヴェントリーの自動車産業が衰退していく様を題材にした“Ghost Town”が普遍的な価値を得たことについてテリー・ホールは、後に「若気の至りで書いた曲だけど、いまだに説得力があるのは悲しいことだ」とも話していた。

 “Ghost Town”はスペシャルズにとって2枚目の12インチ・シングルだった。よくアナログ・レコード世代という言い方があるけれど、僕は自分のことを12インチ・ジェネレーションだと勝手に思っていて、スペシャルズからファン・ボーイ・スリーへと移り変わって行ったプロセスがまさに12インチ・シングルのポテンシャルが発揮され出した時期に当たっていた。方向性の違いでスペシャルズを脱退したテリー・ホール、リンヴァッル・ゴールディング、ネイヴィル・ステイプルズの3人で新たにスタートを切ったのがファン・ボーイ・スリーで、デビュー・シングル“The Lunatics Have Taken Over The Asylum”はスカではなく、アフリカン・ドラムを基調にしたブリティッシュ・ファンクにエキゾチック・サウンドを取り入れた変化球。ラウンジ・ミュージックを巡ってジェリー・ダマーズと袂を分かったとはいえ、彼のアイディアが部分的に生かされている気がしないでもない。バス・ドラムがゆっくりと全体をドライヴさせていく感じはそのままマッシヴ・アタック“Daydreaming”につながるし、“Daydreaming”もブリティッシュ・ファンクのワリー・バダルーをサンプリングしているのだから似ていて当たり前ともいえる。テリー・ホールが『Laugh』をリリースした頃だと記憶しているけれど、イギリスの音楽誌でトリッキーがテリー・ホールと対談するという企画があり、その席でトリッキーは緊張しすぎて完全に舞い上がっていた。トリッキーにしてみればサウンド面では明らかにパイオニアだし、彼のような次世代がファン・ボーイ・スリーに会うというのはそういうことだったのだろう。

 “The Lunatics Have Taken Over The Asylum”のカップリングは同趣向の“Faith, Hope And Charity”。驚いたのは高木完がハウス・ミュージックが台頭してきた時期に“Faith, Hope And Charity”はハウス・ミュージックになると話していたことで、実際に同曲はFX名義でハウス・ヴァージョンがリリースされたこと。手掛けたのはドイツのフェリックス・リヒターで、“Faith, Hope And Charity”はものの見事にアシッド・サマーに溶け込んでいた。続く“It Ain't What You Do..”は意表をついて30年代のジャズ・クラシックをスカでカヴァー。一気に彼らの音楽性が挑戦的になり、コーラスにはまだシヴォーン・ファーイが在籍していたバナナラマをフィーチャー。ここまではアルバム・テイクと12インチ・シングルは同じもので、カップリングとなる“The Funrama Theme”でロング・ヴァージョンが初めて試される。てんやわんやのヨイヨイヨイみたいな曲をダブにしたお遊びである。そのオリジナルにあたる“Funrama 2”が収録されたデビュー・アルバム『The Fun Boy Three』がついに82年3月にリリースされる。現代風にいうとトライバル・ファンクの宝庫で、様々な方向に向かい出していたニュー・ウェイヴのなかでもとりわけ猥雑さにあふれ、同時期に様式美を追求していたニューロマンティクスとは対極にあると感じられた。ここから“The Telephone Always Rings”がカットされ、初めてAサイドにダブ・パートを入れたロング・ヴァージョンがフィーチャーされる。転調を繰り返す構成やテリー・ホールの歌い方は“Ghost Town”に揺り戻したようなところがあり、リズム・ボックスの重い響きはあまりほかでは聴いたことがない。

 ファン・ボーイ・スリーはライヴを観たことがなかったので、ユーチューブにライヴがアップされた時は、そのユニークなバンド構成に目を見張った。白人の男はテリー・ホールだけで、リンヴァル・ゴールディングとネイヴィル・ステイプルズは当然ながら黒人、そしてバックを固めていたミュージシャンはドラムから何から全員が女性だった。ダイヴァーシティのダの字もなかった80年代初頭のことである。学校のクラスは3分の2が黒人だったとテリー・ホールは話していたことがあったから、彼にとっては特別なことではなかっただろうし、パンクが女性の表現と共にあったことを思うと、それも自然な流れだったのかとは思うけれど、それにしても面白い映像だった。このライヴ映像は何度観たかわからない。“The More I See (The Less I Believe)”で始まるので、セカンド・アルバム『Waiting』がリリースされた頃のライヴなのだろう。あれだけリズム・コンシャスな音楽をやっていながらテリー・ホールが最初から最後まで直立不動でビクとも動かないのも興味深く、ステージでも楽屋でも笑顔はほとんど見せない。対照的にリンヴァル・ゴールディングとネイヴィル・ステイプルズは時に楽器も触らないでステージ狭しと踊りまくっていたり。2人が“We're Having All The Fun”でちょこっとだけ歌うシーンもある。クライマックスはなんとスペシャルズの“Gangsters”。つーか、またしても全編観てしまった。

 スペシャルズにはゴー・ゴーズやプリテンダーズのクリッシー・ハインドがコーラスで参加し、ファン・ボーイ・スリーにもバナナラマがいて、テリー・ホールのまわりにはいつも女性たちがいるという印象だけれど、テリー・ホールはセカンド・アルバムに収録された“Our Lips Are Sealed”をゴー・ゴーズのジェーン・ウィードリンと共作し、波に乗っていたゴー・ゴーズのヴァージョンはあっさりと全米チャートを駆け上がる。ゴー・ゴーズの“Our Lips Are Sealed”があまりにもアメリカン・ロックの王道だったので、これを追ってファン・ボーイ・スリーのヴァージョンを聴いた時は最初はどんよりと淀んだ曲に聴こえたぐらい。しかし、粘っこいリズムが癖になってくると、だんぜんファン・ボーイ・スリーの方がいい。この曲も12インチ・ヴァージョンは10分を超える2部構成で、ファンク・テイストを前面に出し、中盤はほとんどプリンスと同じ、さらにはウルドゥー語ヴァージョンまで収録するという凝り方だった。デヴィッド・バーンがプロデュースにあたったセカンド・アルバム『Waiting』は長い間、不思議なタイトルだと思っていたけれど、どうやら「あなたのような人を待っている」という意味らしく、「あなた」というのはこのアルバムを聴く人ということなのだろうかと疑問はいまだに続いている。『Waiting』は60年代の映画「ミス・マープル」シリーズの主題歌“Murder She Said”のカヴァーで幕を開け、先行シングル“The More I See (The Less I Believe)”や“The Pressure Of Life (Takes Weight Off The Body)”はやはりジェリー・ダマーズともめたはずのジョン・バリー調、タンゴに取り組んだ“The Tunnel Of Love”を先行シングルとしてカットし、なかでは、最後に収められた“Well Fancy That”が最大の問題作だろう。この曲の歌詞をかいつまんで訳してみる。

あなたはフランス語を教えてくれるといって
僕をフランスに連れていった
10時に集合だとあなたは言った
僕は12歳でまだナイーヴだった
あなたは旅行の計画を立て、僕はあなたの車に座っていた
僕の初めての海外旅行
フランスに行くんだ
信じられないよ
週末はフランスにいるんだ
信じられないよ
ホテルを見つけてチェック・インし、荷物を解いた
長い1日だった
あなたはベッドに入ろうと言った
あなたが僕を観ていると僕は感じた
僕はベッドに入り、あなたは本を読んでいるフリをしていた
灯りが消え、僕は眠り、驚きで目がさめた
あなたの手が僕の体を触っていた
僕は声を出すことができなかった
僕は横を向いて泣いた
フランスで最初の夜
信じられないよ
あなたは僕を怖がらせる
僕は眠りたかった
信じられないよ
朝が来てフランスを離れ、僕は家に帰った
フランスへの旅
信じられないよ
あなたはいい時間を過ごした
セックスを犯罪に変えて
信じられないよ

 これは実話だそうで、12歳の時に学校の先生に誘拐されてフランスまで行き、ナラティヴに綴られた歌詞にある通りペドフィリア(小児性愛)にいたずらをされ、なんとか最後は力づくで逃げ帰ってきたのだという。これが原因で元の生活には戻れず、14歳で学校もドロップ・アウト、掟ポルシェのように様々なアルバイトを転々としながらパンク・バンドで歌っていたところをジェリー・ダマーズにスカウトされてスペシャルズに加わることができたという。前述したムシュタークとの『The Hour Of Two Lights』をリリースした翌年にもこの事件のことが原因で鬱になり、自殺未遂を起こしている。このことについて話すポッドキャストを聞いていたら、12歳の時に精神安定剤漬けになってしまい、それをまた誤って服用したことがトリガーになったらしい。“Well Fancy That”を書いたことで少し軽くなったろうと思いたいけれど、テリー・ホールがここまで黒人や女性たちとバンドを組んできたこともこういったことが影響はしているのかなと。そして、ファン・ボーイ・スリー解散後に彼は初めて白人の男性だけで結成したカラーフィールドに歩を進める。

 カラーフィールドはなぜかマンチェスターで結成され(バンドにマンチェスター出身はいない)、深刻な雰囲気のギター・ポップ“The Colourfield”で84年にデビュー。続く“Take”の12インチにはミシェル・ルグラン“Windmills Of Your Mind”のカヴァーが収録され、この選曲がある意味ですべてを物語っていた。60年代をストレートに振り返るノスタルジー・ポップスやスウィンギン・ロンドンに焦点を当て、テリー・ホールは泣きに力を入れて歌い始めたのである。スペシャルズとファン・ボーイ・スリーには音楽的な連続性があったけれど、それがスパッとここでは断ち切れていた。すでにテリー・ホール信者となっていた僕に戸惑いはなく、時代もスキゾフレニアを推奨していた時期である(ポール・ウェラーという例もあった)。“Windmills Of Your Mind”を換骨奪胎したような“Castles In The Air”やデビュー・アルバム『Virgins And Philistines』の冒頭にも置かれていたサード・シングル“Thinking Of You”もとても素晴らしく、懐古調を僕もとても楽しんだ。なかではザ・ローチェス“Hammond Song”のカヴァーは群を抜いた優しさを運んできた。セカンド・アルバムではそれが、しかし、早くも崩れることになる。当時、イギリスのヒット・チャートは同じシクスティーズでも、ユーリズミックスやスクリッティ・ポリッティはそれをエレクトロニック・ポップの文脈でリヴァイヴァルさせていた。カラーフィールドも『Deception』でプログラム・サウンドへの移行を試みるも、そのような変化を必要としていたサウンドには聞こえず、彼らの良さをすべて失ってしまったように感じたものである。

 次から次へとバンドを立ち上げていくテリー・ホールが次に組んだユニットが、そして、テリー、ブレア&アヌーシュカ。黒人2人と組んだファン・ボーイ・スリー、白人男性2人と組んだカラーフィールドに続いて、今度は女性2人と組んだわけである。ブレア・ブースはアメリカの役者で、アヌーシュカ・グロースは宝石を扱う人らしい。『超近代的子守唄(Ultra Modern Nursery Rhymes)』と題されたアルバムはダスティ・スプリングフィールドを思わせる曲が多く、やはりスウィンギン・ロンドンには心を残していたのかなと。カラーフィールドよりもタイトで、繊細さはなく、もしかするとゴー・ゴーズに近いサウンドだったといえる。さらに2年後にはユーリズミックスのデイヴ・ステューワトとヴェガスを結成し、このユニットが一番記憶に薄く、時期的にもレイヴに飲み込まれて存在感はまったくなかったと思う。いま、聴いてみても『Deception』をもう一度繰り返しているという感じで、新しい発見はなかった。そして、冒頭に挙げたソロ・ワークへと続き、近年はデイモン・アルバーンとの親交が深かったようで、ゴリラズに参加したり、ヴェテラン・レゲエのトゥーツ&ザ・メイタルズが様々なヴォーカリストをゲストに迎えた『True Love』で歌うなど細々とした活動を続けていた一方、07年にはついにジェリー・ダマーズ抜きでスペシャルズを再結成。スペシャルズはその後もメンバーの交代が激しく、13年にはネヴィル・ステイプルズがいち早く脱退。テリー・ホールとネヴィル・ステイプルズが違う道を進むのはこれが初めてとなる。スペシャルズは、そして、19年には『Encore』、20年にもプロテスト・ソングばかりをカヴァーした『Protest Songs 1924-2012』と新作まで完成させたのはなかなかにスゴく、次にレゲエ・アルバムの準備を始めたところでテリー・ホールのすい臓がんが見つかったという。昨年、自身のソロ・アルバムをリリースしたばかりのネヴィル・ステイプルズはテリー・ホールの訃報に触れてファン・ボーイ・スリーのレコーディング状況を回想しており、レコーディング慣れしていないテリー・ホールに力が発揮できるようデヴィッド・バーンが努力したことを明かしている。

 テリー・ホールという人はとにかく一貫性がないし、人々の記憶に残る場面もきっとバラバラなのだろう。ユニットの組み方がとにかく多様で、彼よりも前に同じようなことをやったミュージシャンはきっといないに違いない。テクノ以降にはそれも普通になった印象はあるけれど、ロック・ミュージックがまだ主流の時代に多面体として活動できる前例をつくり、デヴィッド・ボウイが1人でやっていたことを、ある意味で、どんな人と組んでもやってのけたといえる。さらにはナショナル・フロントに目を付けられる一方、単に感傷的な歌を熱唱するだけだったりと、共通しているのは彼の歌がエモーショナルだということぐらいだった。そう、彼のヴォーカルはいつもまっすぐに僕の胸に飛び込んできた。テリー・ホールのまっすぐな感じが僕は好きだったな。TOO YOUNG TO DIE。R.I.P.

※12月26日に原稿の一部を修正

Shovel Dance Collective - ele-king

 伝統的なフォーク・ソングは、上手く演奏されると尋常ではないクオリティーの高さを発揮する。空気中の何かが変化したかのように、演奏者もオーディエンスも、その会場にいるのが自分たちだけではないことに気付くのだ。シャーリー・コリンズが、かつてインタヴューで「私が歌うと、過去の世代が自分の背面に立っているように感じる」と語ったように。
 これは、現代のフォーク・アンサンブル、Shovel Dance Collectiveの音楽を特徴付ける性質のひとつである。ロンドンの9人組は、いわゆるフォーク・ソング歌手のようには見えない。まずほとんどのメンバーがまだ20代であり、ドローン、メタル、アーリー・ミュージック、そしてフリー・インプロヴィゼーションなどの異端なジャンルへの愛着を公言する。数年前の結成以来、まるで歴史修正主義者のような熱意でフォークの正典に向き合い、労働者階級、クィア、黒人、プロト・フェミニズムの物語を前面に出してきた。その切迫感が音楽にも乗り移り、生々しく、土臭く、非常に生き生きと感じられる。端的に言えば、存在感があるのだ。
 2021年のクリスマスにShovel Dance CollectiveのYouTubeアカウントに投稿された動画は、まさに彼らの典型的なアプローチの仕方といえる。ヴォーカリストのマタイオ・オースティン・ディーンが、がらんとした工業用建物に独り佇み、19世紀の哀歌“The Four Loom Weaver”を歌う。労働者階級の失業と飢餓についての苦悩の物語だ。荒涼としたセットの感じが、ディーンの、首を垂れ、目を閉じてトランス状態にあるかのように切々と歌うパフォーマンスにさらにパンチを加えている。

 これまでのShovel Dance Collectiveのレコーディングの多くは、洗練よりも即時性を重視している。彼らの最初のリリース、2020年の『Offcuts and Oddities』は、手持ちのレコーダーや携帯電話で収録され、しばしばハープ奏者のフィデルマ・ハンラハンのリビング・ルームで録音されているのだ。彼らが従来のスタジオ録音を行うことは想像しにくく、これまででもっとも充実したリリースとなった『The Water is the Shovel of the Shore』(水は岸辺のシャヴェルである、の意)も、勿論そうではない。
 アルバムは4つの長尺の作品(シンプルにIからIVと番号付けられている)で構成され、ヴォーカルとインストゥルメンタルの演奏に、ロンドンのテムズ川とその近辺の水路などで収録された環境音がブレンドされている。マルチ・インストゥルメンタリストのダニエル・S.エヴァンスにより継ぎ合わされたこれらのメドレー/サウンドコラージュは、存分に感情に訴えてくる。
 そこかしこに水が在る。激しく流れ、足元を跳ね上げ、天上から滴り落ちる。たくさんの声が、溺れた恋人や海で遭難した船員、捕鯨船団や、海軍の遠征の話を語り、亡霊のように霧の中から浮かび上がる。しかし同時に、観光客がカモメに餌をやる音、艤装の際の軋む音、そして聖職者が毎年行う川への祝福の音なども聞こえてくる。過去が現在と共存している。歌と、歌に込められた物語は、街そのものから切り離せないものとなる。
 このアルバムは、エヴァンス、ディーンと同じくヴォーカルのニック・グラナータが、ロンドン南東部のかつては水車で埋め尽くされていた地帯であるエルヴァーソン・ロードDLR駅地下を走るトンネルで録音したセッションに端を発する。航海にまつわるテーマの“Lowlands”や“The Cruel Grave”といった曲ではディーンとグラナータの声が幽霊のように空間に轟く。
 他のメンバーたち(彼らのことをショヴェラーズと呼んでもOK?)も水にまつわるテーマを取り上げ、ヴァイオリン、ハンマー・ダルシマー(訳注:イギリスの伝統音楽で多用されるピアノの原型の打弦楽器)、そして私のお気に入りであるバスハーモニカなどの楽器で、バラッドやジグやシーシャンティ(船乗りたちの労働歌の一種)に貢献している。多種多様な録音の忠実度が、hi-fi/lo-fiがブレンドされたcaroline(キャロライン)の自身の名を冠したアルバムを思わせる、ある種の面白いコントラストを生み出している。実際、「The Rolling Waves」の美しいヴァージョンを演奏しているヴァイオリニストのオリヴァー・ハミルトンとロー・ホイッスル奏者のアレックス・マッケンジーは、両方のグループに共通のメンバーだ。
 アルバムに付随するエッセイでは、テムズ川の象徴性と一般的な水について深く掘り下げている。「土地と人々の支配に欠かせない水は、土地の文化とは一線を画した、植民地化、奴隷制度、人種差別、資本、商品や人々の移動の過程で形成された独自の文化を持っている。」という認識は、選曲や演奏のスピリットにも反映される。それは決して騒々しいものではないが、ブリティッシュ・フォークと聞いて多くの人が想像するような気取った田園風のものでもない。
 複数の民族の血を引くこの集団のメンバーと同様に、音楽は特定の国や地域に限定されておらず、イングランド、スコットランド、アイルランドにガイアナの歌がある。アルバムはガイアナ人の母親を持つディーンが歌う「Ova Canje Water」で幕を閉じるが、この曲は旧イギリス領ギアナで逃亡した奴隷が、新しく手にした自由について思いを巡らせながら、タイトルにもなっているカンジェ川の水を振り返って見渡すと言う内容だ。
 荒涼とした話になりがちなこのアルバムのなかでは、希望のある終わり方だ。特に第2部の冒頭を飾る悲痛なバラッド“In Charlestown there Dwelled a Lass ”(チャールズタウンに一人の小娘が住んでいた)がそうで、ハンラハンのハープをバックに、グラナータがアノーニのような情感豊かな震える声で、悲運のロマンスを表現している。衝撃的だ。
 全員によるアンサンブルを聴けるのは、冒頭の“The Bold Fisherman”の1曲のみであるにも関わらず、このレコードにみる団結力のすごさは印象的だ。個々の声が組み合わさり、何よりも大きな物を創造する、真の意味での集団的な仕事なのである。曲の多くが断片としてしか聴こえてこないのも、生きた伝統に触れているという感覚を高めてくれる。人から人へと受け継がれるもの、時が止まっているのではなく、常に動いているもの。過去から未来へと流れる共同体のようなものを。

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Shovel Dance Collective

The Water is the Shovel of the Shore

Memorials of Distinction / Double Dare

James Hadfield
 
Performed well, traditional folk songs can have an uncanny quality. Something in the air seems to shift, as players and audience alike become aware that they’re no longer the only ones in the room. As Shirley Collins once told an interviewer[1] : “When I sing, I feel past generations standing behind me.”
This is a defining quality of the music made by contemporary folk ensemble Shovel Dance Collective. The London nine-piece don’t look like your typical folkies: most of the members are still in their twenties, for starters, and they cite an affection for such heterodox genres as drone, metal, early music and free improvisation. Since forming a few years ago, they’ve been tackling the folk canon with the zeal of revisionist historians, foregrounding working-class, queer, Black and proto-feminist narratives. That sense of urgency carries over into the music itself, which can feel raw, earthy, and very much alive. Simply put, it has presence.
A video[2]  posted to Shovel Dance Collective’s YouTube account on Christmas Eve in 2021 is typical their approach. Vocalist Mataio Austin Dean stands alone in a vacant industrial building and sings the 19th-century lament ‘The Four Loom Weaver’, a wrenching tale of working-class unemployment and starvation. The starkness of the setting gives added punch to what’s already an impassioned performance – which Dean delivers with his head bowed and eyes shut, as if in a trance.
Much of Shovel Dance Collective’s recorded output to date has prized immediacy over polish. Their first release, 2020’s “Offcuts and Oddities,” was captured on handheld recorders and phones; they often record in harp player Fidelma Hanrahan’s living room. It’s hard to imagine the group making a conventional studio record – and “The Water is the Shovel of the Shore,” their most substantial release to date, certainly isn’t it.
The album comprises four lengthy pieces (simply numbered ‘I’ to ‘IV’), in which vocal and instrumental performances are blended with environmental recordings captured along London’s River Thames and nearby waterways. Spliced together by multi-instrumentalist Daniel S. Evans, these medley/sound collages are richly evocative.
Water is everywhere: flowing in torrents, sloshing underfoot, dripping from the ceilings. Voices emerge like revenants stumbling out of the fog, telling stories of drowned lovers and sailors lost at sea, whaling expeditions and naval campaigns. But we also hear tourists feeding gulls, the creaking of rigging, and clergy conducting their annual blessing of the river. The past coexists with the present. The songs, and the stories they contain, become indivisible from the city itself.
The genesis of the album was a session recorded by Evans, Dean and fellow vocalist Nick Granata in a tunnel that runs under the Elverson Road DLR station in south-east London, a site once occupied by a watermill. Dean and Granata’s voices resound through the space, haunting it, as they perform nautically themed fare including ‘Lowlands’ and ‘The Cruel Grave.’
The other members (is it OK to call them “shovelers”?) pick up the aquatic theme, contributing ballads, jigs and sea shanties on instruments ranging from violin to hammered dulcimer and – my personal favourite – bass harmonica. The varying fidelity of the recordings makes for some delicious textural contrasts, redolent of the hi-fi/lo-fi blend on caroline’s self-titled album. Indeed, the groups share a couple of members – violinist Oliver Hamilton and low whistle player Alex Mckenzie – who do a beautiful version of ‘The Rolling Waves’ here.
An accompanying essay delves deeper into the symbolism of the Thames, and water in general: “Vital in the control of lands and people, water has its own culture, distinct from land cultures, formed by processes of colonisation, slavery, racialisation, movement of capital, goods, people.” This awareness informs both the choice of songs and the spirit in which they’re performed. It isn’t raucous, exactly, but nor is this the kind of genteel, bucolic stuff that most people think of when you mention British folk.
In keeping with the mixed heritage of the collective’s members, the music isn’t restricted to any one country or region. There are songs from England, Scotland, Ireland and Guyana. The album concludes with Dean – whose mother is Guyanese – singing ‘Ova Canje Water’, in which an escaped slave in what was then British Guiana looks back across the waters of the titular Canje River, contemplating his newfound freedom.
It’s a hopeful finish to an album whose tales tend to be bleaker in nature. That’s especially true of ‘In Charlestown there Dwelled a Lass’, the heartbreaking ballad that opens the second part. Accompanied by Hanrahan’s harp, Granata delivers a story of doomed romance in a quavering vocal with the emotional intensity of Anohni. It’s a stunner.
Only once – on the opening performance of ‘The Bold Fisherman’ – do we hear all of the ensemble together, yet it’s impressive how cohesive the record is. It’s a collective undertaking in the truest sense, in how the individual voices combine to create something greater than all of them. The way many of the songs are only heard as fragments heightens the sense of tapping into a living tradition: something passed on from one person to the next, in constant motion rather than fixed in time. Something communal, flowing from the past to the future.

律動と残響 - ele-king

 2010年9月4日の深夜、伊豆山中で開催された「Metamorphose 2010」。スティーヴ・ヒレッジとエリオット・シャープを従えたマニュエル・ゲッチングは『Inventions For Electric Guitar』全曲を星空の下で黙々と演奏し続けた。2時間立ち続けて確保した最前列でその波動を浴びながら、私はいつしか30年前のことを思い出していた。ハンブルクからベルリンへと向かう夜行列車の暗い車窓の向こうにぼんやりと浮かんでは消える町の灯り。携帯テレコから延々と流れ続ける『Inventions For Electric Guitar』と『New Age Of Earth』。1980年の夏、2ヶ月かけてヨーロッパを一周していた私は、時間はかかるけど、どうしてもベルリンに行きたかった。『New Age Of Earth』のジャケット(ヴァージン盤)にある風景を見たかった。有刺鉄線が張り巡らされた柵際に屹立する廃墟のようなビルと、その頂に冷たく輝く太陽──あの風景がベルリンのものなのかは不明だったが、とにかくあの孤絶感の中でゲッチングを聴きたいと思ったのだ。

 当時のドイツはまだ東西に引き裂かれ、東ドイツ内の飛び地ベルリン市もコンクリートの壁と有刺鉄線で東西に分断されていた。西ドイツの他の都市とは異なる冷ややかな空気に包まれた陸の孤島には、肌を刺すような緊張感が漂っている。そしてその緊張感は、色彩を失った東ベルリン(旅行者は許可をとって1日だけ行けた)では倍増していた。ゲッチングを聴きながら東西ベルリンをあちこち歩き回った私は結局『New Age Of Earth』のあの場所は見つけられなかったが、ゲッチングのサウンドはこの町だからこそ生まれたということだけはわかった。

 半世紀以上にわたって活動したゲッチングのサウンド手法は初期と後期ではずいぶん異なるが、その哲学を極言すれば「トランス」の一語に尽きる。それは「Trance(意識の変容)」であり、「Trans(超越)」でもある。50年間ひたすら Trance / Trans し続けた音楽家、それがマニュエル・ゲッチングだと思う。何が彼にそうさせたのかといえば、ベルリンという孤島である。孤島で生きる者が抱える緊張感、寂寥感、内省、それらの反作用としての快楽性、刹那性、夢想性。そういったもろもろが混然一体となって昇華されたのがゲッチングの Trance / Trans の正体だろう。ドラッグとの関係にもしばしば言及されるわけだが、実際彼がドラッグ・ユーザーだったとしてもそれは些末な問題だと私には思える。ゲッチングがひたすら奏で続けた律動と残響は、孤島の哀しみにほかならない。


「Metamorphose 2010」にてプレイするマニュエル・ゲッチング

 ベルリン市の西半分(東京都23区よりもやや小さい程度)が壁と有刺鉄線で完全に包囲されたのは1961年のこと。その9年前の52年、マニュエル・ゲッチングは西ベルリンで生まれた。ベルリンの壁は89年には崩壊したわけだが、ゲッチングは生涯この町を離れることはなかった。

 幼少時には家族でオペラなどを楽しみ、クラシック・ギターを習っていたゲッチングだったが、10代半ばには英米のロック・ミュージック、とりわけジミ・ヘンドリクスやエリック・クラプトンなどのブルース・ロックに耽溺し、67年(15才)に最初のバンド、ブルーバーズをハルトムート・エンケ(b)と結成。それはボム・プルーフス、バッド・ジョー等へと名前を変え、69年にはスティープル・チェイス・ブルースバンドになった。そして70年、ゲッチングとエンケの2人に、タンジェリン・ドリームをデビュー・アルバム・リリース後に抜けたばかりのドラマー、クラウス・シュルツェが合流して生まれたのがアシュ・ラ・テンペルだ。ゲッチングとエンケ、シュルツェは皆、60年代末期ベルリンの実験音楽/アートの梁山泊的クラブ、ゾディアック・フリー・アーツ・ラボに出入りしており、同ラボの出資者の一人でもあるコンラート・シュニッツラーの即興音楽コレクティヴ、エラプションで共演していた仲間である。

 ブルースを基軸にサイケデリック・ミュージックを奏でるアシュ・ラ・テンペルの最初の4作品(71年『Ash Ra Tempel』、72年『Schwingungen』、73年『Seven Up』、73年『Join Inn』)では年長のシュルツェに遠慮したり、ドラッグ大好きエンケに引きずられたりしていたゲッチングだが、シュルツェの脱退、エンケの廃人化によるオリジナル・トリオ崩壊後、恋人ロジ・ミュラーのスペース・ヴォイスをフィーチャーした5作目『Starring Rosi』(73年)で気分転換し、6作目『Inventions For Electric Guitar』(75年)からいよいよ彼は独自のトランス・ワールドを確立してゆく。ゲッチングの名前がプログレ/クラウトロックの狭い囲いからはずれ、彼に商業的成功と歴史的名声をもたらしたのは言うまでもなく84年の『E2-E4』だが、ハウス/テクノに絶大な影響を与えたあのミニマル・サウンドは、既に『Inventions For Electric Guitar』において大本ができあがっていた。

Ash Ra Tempel - Ash Ra Tempel (1971) FULL ALBUM

Manuel Göttsching - Inventions for Electric Guitar (Full Album) 1975

 74年、ベルリンの自宅内プライヴェイト・スタジオ〈Studio Roma〉でゲッチングは新作を作り始めたが、その時彼の手元にあったのは、エレキ・ギターとティアックの4チャンネル・テレコ2台、ディレイやエコーなどわずかなエフェクターだけだった。しかしそのミニマムな制作環境ゆえに新たな世界への扉は開かれたのである。微細にピッキングされたギターのミニマル・サウンドがディレイやエコーによって絶え間なく波紋を広げてゆく中、ブルース・スケールを絡めながらめくるめく幻覚的空間を現出させてゆくオープニング曲 “Echo Waves” は、サイケデリック・ロックとミニマル・ミュージックの融合例としていまなお超える作品がない、律動と残響による革命的名曲である。と同時にゲッチングの「Trance / Trans」哲学がポップな形で初めて表現された成功例でもあった。
 その成果を元に、今度はシンセサイザーとシークェンサーを用いてインナー・スペースからアウター・スペースへと視線を転換させたのが成層圏を突き抜ける法悦感に包まれた次作『New Age Of Earth』(76年)であり、その路線はやがて大銀河に溶け込む無我の音響マントラ『E2-E4』へと結実することになる。

Ash Ra - New Age Of Earth (Full Album) 1976

Manuel Göttsching - E2-E4 (Full Length Version) - 1981/1984

 同じ律動が1時間弱続くアルバム・タイトル曲1曲のみを収録した『E2-E4』は84年のリリースだが、録音されたのは81年の12月12日である。たった1日で完成された一筆書きの作品ではあるけど、一筆書きだからこそゲッチングの人生すべてが詰まっていた。緊張と快楽、内省と無我、永遠と刹那、現実と夢想……ベルリンという孤島で70年の生涯をまっとうしたマニュエル・ゲッチングの人生のすべてが。公式サイトによるとゲッチングが亡くなったのは12月4日だという。しかし公に発表されたのは12月12日だった。41年前にたった1日で『E2-E4』を作り上げた “その日” の持つ意味はゲッチングにとっても、音楽史的にも、重い。

interview with Blue Lab Beats - ele-king

 サウス・ロンドンを中心に、若く新しいアーティストによって活況を呈するイギリスのジャズ・シーン。いろいろなタイプのアーティストが活動しているのだが、そうしたなかでもっともクラブ・ミュージックやストリート・サウンドとの連携を見せるひとつがブルー・ラブ・ビーツである。
 ブルー・ラブ・ビーツはプロデューサー/ビートメイカーの NK-OK ことナマリ・クワテンと、マルチ・インストゥルメンタル・プレイヤーのミスター・DM ことデヴィッド・ムラクポルがロンドンで2013年に結成したユニットで、2016年にEPの「ブルー・スカイズ」でデビュー。ヒップホップやR&B/ネオ・ソウル、ハウスやドラムンベース、ブロークンビーツなどのプログラミング・サウンドとジャズ・ミュージシャンたちによる生演奏を融合し、ラッパーやシンガーたちとのコラボを積極的におこなっている。アメリカにおけるロバート・グラスパーやサンダーキャットなどの新世代ジャズの影響を受けつつも、レゲエ/ダンスホールやグライムなどUKらしいクラブ・サウンドのエッセンスを取り入れているのが特徴である。ファースト・アルバム『クロスオーヴァー』(2018年)ではモーゼス・ボイドヌバイア・ガルシアアシュリー・ヘンリーネリヤらと共演するなど、サウス・ロンドンのジャズ・シーンとも深く関わりを見せ、セカンド・アルバムの『ヴォヤージ』(2019年)ではアフリカ、カリブ、ラテンなどのルーツ・ミュージック的なテイストを色濃く表して進化を見せた。

 2021年からは〈ブルーノート〉と契約を結び、今年は3年ぶりのニュー・アルバム『マザーランド・ジャーニー』をリリースした後、キャリア初のライヴ盤となる『ジャズトロニカ』を発表している。この『ジャズトロニカ』はクラシックなどの世界でも名高いロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでの録音で、JFエイブラハムが指揮するマルチ・ストーリー・オーケストラとの共演という、これまでのブルー・ラブ・ビーツの作品のなかでも異色のものとなっている。こうしてまた新たなチャレンジを試みたブルー・ラブ・ビーツが待望の初来日公演をおこなった。会場はブルーノート・ジャパンが手掛ける新業態のダイニング「BLUE NOTE PLACE」(東京・恵比寿)で、12/6~9と4日間に渡って日替わりでゲスト・ミュージシャンやDJも入り、マイケル・カネコら日本のアーティストとの共演もおこなわれた。このライヴの合間を縫って、初めて日本の地を踏んだ NK-OK とミスター・DM に話を訊いた。


向かって左がNK-OK(ナマリ・クワテン)、右がミスター・DM(デヴィッド・ムラクポル)

ライヴではみんなが即興でやれる自由を与えたい。自分の解釈でやってほしい。きっちりこのメロディ・ラインを吹かなきゃ、とか思わずにやってほしい。

日本は初めてですよね?

NK-OK(以下NK):ああ。

以前、日本のアーティスト Kan Sano さんと対談されていましたが、そのとき来日していたわけではないのですね。

NK:あれはZOOMでやったんだ。

日本の印象はどうですか?

NK:とても美しい。ロンドンより全然クリーンで(笑)。比べ物にならない。

ミスター・DM(以下DM):ヴィジュアル的に惹かれる。

NK:すべてにおいてスタンダードが高くて、感動するね。

気に入った場所とかあります?

NK:今朝、神社に行ったんだよ。このあたりの(と地図アプリを見せる。明治神宮のあたり)。少し歩いたよ。

まずは発売されたばかりのライヴEP「ジャズトロニカ」についてお伺いします。ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールという由緒正しき会場で録音されていますね。普段あなたがたがやっているトータル・リフレッシュメント・センターやジャズ・リフレッシュドなどでのライヴとはかなり毛色が異なっていますが、この会場でやることになった経緯を教えてください。

NK:ロイヤル・アルバート・ホールと言っても、厳密にはエルガー・ルームなんだよ。だからチケットも12ポンド(約2,000円)と手頃な値段だ。

DM:テーブルと椅子もとっぱらった。

NK:そう、スタンディングで400人くらいだったかな。ソールド・アウトになってすごく盛り上がったよ。ここ(恵比寿BLUE NOTE PLACE)もそうだけど、インティメイトなギグだった。「ハイプ・マン!」で「イェー!イェー!イェー!」とみんなを煽るやつを、普段はお堅いロイヤル・アルバート・ホールでできたのが最高だったね。「みんなジャンプしろ!」ってね。しかもバックにはストリングスがいて……最高の気分だった。

エルガー・ルームというのは、ロイヤル・アルバート・ホールのなかにあるスペースのことですよね。

NK:ああ、普段は椅子があって150名くらい入るスペースで。新人のミュージシャンにしてみれば、そこでやっても「ロイヤル・アルバート・ホールでやった」と言えるということ。メインのホールよりはずっとハードルが低くて、チケットも手頃な金額になる。メインホールだと50ポンド(約8,300円)は越えるから。

WACは安い授業料で様々な音楽プログラムを提供するところなんだ。授業料は1時間で1ポンド(170円弱)くらいだったかな。そこでデヴィッドと会ったのさ。

JFエイブラハムが指揮するマルチ・ストーリー・オーケストラと一緒にやることになった経緯も教えてください。

NK:ロイヤル・アルバート・ホール/エルガー・ルームの方から、それでやらないかとコンタクトがあり、それでストリング・セクションを集め、ネイティヴ・インストルメンツ社、スピットファイアー・オーディオ社、YouTubeミュージック社、〈ブルーノート〉などに話を持ちかけ、協賛金を出してもらった。YouTubeが全部撮影をしたので、いまは4曲ほどだけアップされてるけど、年内には全曲分が公開予定だ。

ストリングスが入ることで、クラシック音楽との関連が見えましたが、おふたりはこれまでクラシック音楽を学んだことはありますか?

DM:まったくない。

NK:僕も。オーケストラにアレンジされたものを聴くのは好きだよ。J・ディラの……

DM:ミゲル・アトウッド・ファーガソン。

NK:そう、彼のJ・ディラのプロジェクトはよかった。

今回のストリングスのアレンジとか編成に関しては、誰が、どんなふうにされたんですか?

NK:基本のアレンジは僕らふたりがやって、それをデヴィットから作曲家、そして指揮者に渡して、三者のブレインを集結させ、やりとりの末に仕上げたんだ。一度リハーサルをやって、本番に臨んだ。

曲はおもに今年リリースしたアルバム『マザーランド・ジャーニー』からのものですが、オーケストラが加わることで大きく印象が変わっています。ライヴ用に新たにアレンジされたんですよね?

NK:ああ、そうだよ。

今夜(12月7日)の BLUE NOTE PLACE でのライヴはどんな感じになりそうですか? ストリングスはいないですよね。

NK:(笑)。ああ、いないね。僕がドラムマシンとコンピューターを使って、プログラミングですべての音を出し……

DM:そこに僕がキーボードとギターでライヴの要素を加える。

NK:さらにはゲストでサックス(中島朱葉)、トランペット(曽根麻央)、ラッパー(鈴木真海子)、シンガー(ナオ・ヨシオカ)を迎えるよ。

いつもイギリスでやるときのメンバーを全員連れてくるわけにはいかないと思いますが、今回のように現地のゲストを迎えることもよくあるのですか?

NK:ヨーロッパだったら、いつもやってるトランペットとサックス奏者を連れていけるけど、それより遠くだと予算を考えて、現地のプレイヤーを使うんだ。そうすることの楽しさももちろんあるよ。カナダのモントリオールでもそうだった。

マイケル・カネコ(前日の12月6日に共演)さんとはどうでした?

NK:連絡をもらって、音を聴いて「すごいドープなやつだな!」って思ったよ。

逆に、現地の方々とやることの難しさは?

NK:難しさは言葉の壁かな(笑)。それでも通訳を介して、なんとでもなる。

DM:僕らの音楽を、彼らがどう解釈してくれるか……それを聴くのが楽しいよ。

NK:ああ、それが聴けるっていうのがいちばん美しい部分だね。ライヴではみんなが即興でやれる自由を与えたい。自分の解釈でやってほしい、と。リハーサルでも、アレンジを知ってくれた上で自由にやってとお願いしたんだ。きっちりこのメロディ・ラインを吹かなきゃ、とか思わずにやってほしいと。昨夜もすごくいい感じだったよ。

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ひとつでいいから、自分たちの音楽のなかに初めて探索する部分がほしかった。やり慣れたエリアを離れて仕事をすることで、最終的には「メイク・センスするもの(意味が通じるもの)」ができたと思う。

あらためて、これまでの歩みについても伺いたく思います。あなたがたが登場してきた2010年代後半はちょうどサウス・ロンドンのジャズ・シーンに注目が集まり、トム・ミッシュやジョルジャ・スミスなどのシンガーが台頭してきた時期でした。ですのであなたがたのこともそのくくりで見てしまいがちですが、じっさいはロンドンの北部を拠点にしているのですよね?

DM:ああ、ノース・ロンドンだよ。

そこの大学で出会って、曲作りをはじめた?

NK:ベルサイズ・パークにあるウィークエンド・アーツ・カレッジ(WAC)で会ったんだ。僕は12歳くらいだった。一緒に音楽を作りはじめたときは13になってたよね。

DM:ああ。

12歳で大学生だったわけじゃないですよね?

NK:違う違う。僕が食堂でビートをプレイしてたところにデヴィッドが通りかかって、「ドープ! あっちでリハーサルやってるから来ないか?」って声をかけられて、リハーサル室に行ったら、次々と楽器を弾くんで「よし、こいつとやろう」と思ったんだ。

そのときデヴィッドはカレッジで勉強していた?

DM:2010年に入学して数年通ってたよ。

ナマリはなぜそのとき、WACにいたんですか?

NK:説明すると、WACは安い授業料で、ライヴ・ミュージックに関するクラスとか、プロダクション、ヴォーカル、演技、ダンス……と様々な音楽プログラムを提供するところなんだ〔訳注: 5~25歳の低所得家庭の若者が対象〕。授業料は1時間で1ポンド(170円弱)くらいだったかな。日本円なら数百円(笑)? そこは素晴らしい才能を輩出してるんだよ。そこでデヴィッドと会ったのさ。

ブルー・ラブ・ビーツの音楽にはジャズやR&B、ヒップホップ、クラブ・ミュージックなどいろいろな要素が混ざっています。ナマリのお父さんは、アシッド・ジャズの頃に活躍したDインフルエンスのメンバーですが、そこからの影響もありますか?

NK:ああ、それは間違いなくある。父だけでなく、DJだった母からの影響もね。家ではいつもいろんなジャンルの音楽がかかっていたから。

以前、アメリカのロバート・グラスパーからの影響を述べていたことがありますよね。じっさい『ブラック・レディオ』を意識した部分もあると思います。一方で BLB の音楽には、UKならではのグライムやダンスホール、ドラムンベース、ブロークンビーツの影響もあり、それらUSとUKの要素をうまくミックスしていると感じますが、本人としてはどう思いますか?

DM:うん、オープンでいることはいいことだと思う。自分たちにとって安全なゾーンを離れ、人が予想しないような音楽を聴くこともある。だから、僕らもそうなるんだと思う。

ファースト・アルバムの『クロスオーヴァー』にはモーゼス・ボイド、ヌバイア・ガルシア、ジョー・アーモン・ジョーンズ、アシュリー・ヘンリー、ダニエル・カシミール、エズラ・コレクティヴやココロコ、ネリヤのメンバーなど、サウス・ロンドンの面々が多く参加していました。現在のサウス・ロンドンのシーンについてはどう見ていますか?

NK:シーン? とても盛り上がってるよ。UKエキスペリメンタルというか、UKジャズというか……

DM:サブ・ジャンルを生みつつね。

NK:そう、たくさんのサブ・ジャンルがある。イースト・ロンドンも盛り上がっている。特にグライムかな。いや、グライムはノース・ロンドンでも盛り上がってるな。それを言えば、グライムはロンドン全部でだな。

セカンド・アルバム『ヴォヤージ』ではアフロやカリビアン、ラテンのテイストが際立っていて、今年の新作でもその傾向は強まっています。UKにはアフリカやカリブ、ラテン系のミュージシャンも多く、自身のルーツを意識して音楽づくりをする人も少なくないですが、それはあなたがたもそうですか?

NK:ああ、それはすごく大きいよ。さっきも言った「安全なゾーンを離れる」ということさ。特に『マザーランド・ジャーニー』はそれが顕著だったので、制作には2年半~3年近くかかった。何から何までというのではなく、ひとつでいいから、自分たちの音楽のなかに初めて探索する部分がほしかった。だからいつもの安全ゾーンから飛び出し、ゲットー・ボーイとコラボレーションしてみた。彼とはアンジェリーク・キジョーのグラミーを受賞したアルバム(『マザー・ネイチャー』)でも仕事をした。2年近くかかったけど、やり慣れたエリアを離れて仕事をすることで、最終的には「メイク・センスするもの(意味が通じるもの)」ができたと思う。

いま、シャバカ・ハッチングスとアルバムを作ってるんだ。まだエディット段階だけど、レコーディングは面白かったよ。そのロウなエネルギーといい、ヴァイブ感といい。

『マザーランド・ジャーニー』にはエゴ・エラ・メイ、エマヴィー、ジェローム・トーマスなどUKの新しいアーティストが参加していますが、「次は誰とコラボするのか?」といつも楽しみです。彼らとは日頃のセッションで交流を深めて、その結果アルバムに参加してもらっているのですか?

NK:ああ。ブルー・ラブ・スタジオに来てもらってセッションをするわけだけど、どんなときも、なるべくフリーなセッションにしようとしてる。特にこれ、という目的を設定するのでなくて、会話を交わすように音楽をつくる。それは毎回そう。1曲が終わってようやく「ああ、これはこんなふうだね」「もっとこういうふうにしようか」というように話をする。

スタジオに来てもらう前にも、一緒にやったことはあったんですか?

NK:いや、そのときが初めてだよ。

『マザーランド・ジャーニー』のセッションのなかで、特に「これはすごい」と思った相手、もしくは出来事はありました?

NK:フェラ・クティをサンプリングする機会をもらえたことかな。その機会だけでもすごいことだったから〔訳注:フェラ・クティの関係者側からのオファーだったとのこと〕。

DM:スピリチュアルだった。

NK:“ラベルズ” でコフィ・ストーンとやれたのも楽しかったよ。ティアナ・メジャー・ナインとは昔もやったことがあったけど、またやれて良かった。

キーファーともやっていますね。US西海岸の注目のアーティストで、素晴らしい楽器演奏技術とポップでメロディアスな作曲センスを両立させている人ですが、ブルー・ラブ・ビーツと共通点があるようにも思います。彼との共演はいかがでしたか?

DM:とても良かったよ。さっきも言ったように、他のミュージシャンが僕らの音楽をどう解釈するかという意味で、自分以外のピアノ奏者、しかも彼みたいに最高なピアノ奏者の解釈を聴くのは刺激的だった。

NK:特にイントロ部分がね。

DM:ああ。

NK:彼にはラフなアイディアを渡したんだけど、彼から返ってきたヴァージョン、特にイントロの部分はとてもおもしろかった。

今後の活動で何か考えていることはありますか?

NK:いま、シャバカ・ハッチングスとアルバムを作ってるんだ。まだエディット段階だけど、レコーディングは面白かったよ。そのロウなエネルギーといい、ヴァイブ感といい。彼からスタジオに遊びにおいでよ、と招かれて行ったときには、もしかしたら1曲くらい何かをやることになるのかな、とは思ってた。ところが彼から「君たちとアルバムを作りたいんだ」と言われて驚いた。「え、いま?」「そうそう!」「3日で?」「そうそう!」って(笑)。全部で8曲録ったよ。EPになるのかもしれないけど、どの曲も20分くらいやってそれを6分くらいにする、という感じ。そのうちの少なくとも1曲は10分の長さの曲だよ。

素晴らしいコラボだと思います。それは〈ブルーノート〉からリリース予定ですか?

NK:いや、シャバカのレーベルだ。

では〈インパルス〉ですかね。ちょうど先週、ザ・コメット・イズ・カミングが来日していたんですよ。素晴らしいショウでした。

NK:知ってるよ。彼が、なんだっけ……名前を忘れたけどあの楽器(尺八)を作るんだって、インスタに画像を上げてて(と尺八用の竹を手にしたシャバカの投稿写真を見せる)。完成品を受け取るために、来年また日本に来るらしい。レコーディングのときも尺八を持ってたよ。吹くのがすごく難しいから、まだまだ勉強中らしいけどね。彼が日本に来たときの話もたくさん聞いている。

コラボレーション、とても楽しみです。最後に、日本のファンにメッセージをお願いします。

NK:(一度キャンセルになっていたにもかかわらず)辛抱して待っていてくれてありがとう。ようやく日本で演奏することができたよ。来年、また必ず戻ってくる。日本のヴァイブ、すごく気に入ったんで……何もかもがクールだね!

DM:デビューの頃から、長いことサポートしてもらえたこと、感謝してるよ。

NK:2016年からだ。

DM:ああ、もう6年だ。

NK:最高だよ。

Various - ele-king

 『地元コア!』と題されたエリア・コンピレーションで、ここ30年間にマイアミで名を挙げたダンス・アクトがほぼ一堂に会している(テクノ、ハウス、エレクトロが中心で、ヒップホップは除外)。壮観。全44曲。すべて新録のようで、ヴェテランもニューフェイスもなかなかにしのぎを削り合っている。短い曲が多いせいか、テンションも持続し、いわば「マイアミ・ベース以降」がまとめて体感できる。マイアミ・ベースはアトランタに波及してトラップに発展したり、中南米にはファヴェーラ・ファンクやファンク・カリオカといったシーンを誘発したものの、地元マイアミではどのような変化を遂げたのかということがまとめて報告されたことはなく、それがここに見晴らしよく並べられたという感じ。猥雑でダイナミック。簡単にいえばマイアミの魅力は大胆さと低音の太さに尽きるだろう。ロンドンやベルリンは新しいことをやろうとし過ぎて、時にヒネくれた感じになりやすいけれど、マイアミにはそういったことはない。自由闊達なダンス・ミュージックの最前線である。

 収録順ではなく、プロデューサーのデビュー順に聴いてみよう。まずはラルフ・ファルコンとオスカー・Gによるマーク(Murk)。彼らが名を挙げたのは92年にファンキー・グリーン・ドッグス名義のハウス・クラシック“Reach For Me”がデトロイト・テクノを広めた〈Network Records〉にライセンされ、ヨーロッパでヒットしてから。いわゆるシカゴ・アシッドとは異なるヘヴィなベースがマイアミらしさを打ち出し、本作にも2人はこの30年が何事もなかったように同じパターンの“Filth”を提供している。この不動の価値観。シカゴ・ハウスがヨーロッパに飛び火し始めた80年代後半、マイアミで最も人気だったのはエレクトロ・ヒップホップの2ライヴ・クルーで、彼らのサウンドはデトロイトのサイボトロンがマイアミでもヒットしたことから始まったとされる。2ライヴ・クルーのピークといえる『As Nasty As They Wanna Be』(98)の10年後にはそして、サイボトロンをダイレクトに継承しようとするイグザクト(Exzakt)やBFXが現れ、ここでは両者がタッグを組んで“Reach For Me”をミニマル化したエレクトロの“Let Go”を、また同時期にブルックリンで活動し、後にマイアミに移ってきたゴーサブはマッド・マイクを思わせるデトロイト・タイプのエレクトロ、“Who The Fuck Is Me?”をそれぞれに提供し、さらに少し遅れてデビューしたアルファ606は“Cacique”で、これらとはまったく違った神秘的なエレクトロをオファーしている(同作が全体のクロージング・トラック)。

 最近ではチャイルディッシュ・ガンビーノ“This Is America”のリミックスで名を挙げたジェシー・ペリッツは母親が2ライヴ・クルーのダンサーだったことから音楽の現場とは距離が近く、最初は俳優として活躍していた存在。なかなかの遅咲きで、“Jesse Don't Sport No Jerri Curl”が注目を集めるまでに7年かかり、エレクトロとハウスの中間をいくサウンドを模索。ここではエレクトロに寄った“Pocket Full Of Ones”を提供。エレクトロ回帰と同時期にマイアミに大挙して現れたのがグリッチ・ホップで、元ソウル・オディティのフォーニージア主宰による〈Schematic〉を中心にディノ・フェリペやオットー・フォン・シラクが頭角を現し、本作でも後者はオープニングとなる“Miami All-Stars (Tremendo Intro)”を、前者は当時と変わらずファニーな“In Order To Ground The Listener”をそれぞれに提供。彼らのサウンドはプリフューズ73やフンクシュトルンクなどと並べて聴くよりもマイアミ・サウンドの一部として聴いた方がしっくりとくることは間違いない。さらに活動の途切れていたプッシュ・ボタン・オブジェクツを約20年ぶりにレーベル・オーナーのダニー・デイズが担ぎ出して“I.E.”を共作、ピッチを早めたオールド・エレクトロにアシッド・ハウスを絡めたなパーティ・サウンドに仕上げたことはひとつの快挙といえる。

 エレクトロからクランクへと歩を進めたヒップホップとは距離を置き、マイアミ独自のテクノやハウスが増えたのが00年代。まずはマークの後継としてラザロ・カサノヴァが現れ、ゴーサブ同様、ブルックリンからマイアミに移った彼は作風も“Reach For Me”を継承。ここではレイドバックしたダウンビートの“Nieve”を聞かせる。レーベル・オーナーのダニー・デイズもこの世代に属し、彼もどちらかといえば遅咲きで、『Silicon EP』『Speicher 80』(ともに14)では“Reach For Me”やジェシー・ペリッツの試みをテクノの領域に移植。彼が主宰してきた〈Omnidisc〉ではボディ・ミュージック・リヴァイヴァルのヘレン・ハフやアンソニー・ローター、ワタ・イガラシにブラック・マーリンとオルタナティヴ志向を強くしていたものの、16年にリリースしたヘヴィ・エレクトロの「Miami EP」から本作『Homecore!』のアイディアが膨らんでいったのだろう。〈Omnidisc〉では異色といえる本作には蛆虫が地を這い回るような気持ち悪い“110 Dudes”を提供してマイアミのイメージを根底から覆す役割を演じる一方、ひと世代下のニック・レオンと組んでラ・グーニー・チョンガ“Phonkay”ではアフリカ・バンバータそのままのエレクトロ・ヒップ・ホップも聞かせる。

 このところローレル・ヘイローからニコラス・クルスまであらゆるDJミックスに登場するニック・レオンは「マイアミを音楽都市として再浮上させたプロデューサー」と言われるほど評価の高いプロデューサーで、〈Alpha Pup〉からのデビュー・アルバム『Profecía』(16)ではリスニング寄りの穏やかな側面を見せ、世界中のレーベルからリリースされるシングル群ではワラチャというキューバのリズムやドラムンベース、最近はラプター・ハウスと称されるチャンガ・トゥキにデトロイト・テクノを縦横に駆使し、どれも外しがない。とはいえ、本作ではあまり本領を見せていないメカニカルなエレクトロの“Sapo”を提供していてやや残念。ヴォーカリストとしてニック・レオンと組む機会が多いビター・ベイブも本作にソロ名義で“Gimme”を提供し、レゲトン版ドレクシアなどと評されたニック・レオン「FT060 EP」(最高です!)に共作で参加していたグレッグ・ビートー(Greg Beato)はリズム感がそれほどよくないせいか、最近は実験的な作風に傾き出し、〈Schematic〉をエレクトロに戻したような作風をプッシュ。ここでは90sリヴァイヴァル風の“Hey Angel, Whatever”を提供している。

 ダニー・デイズと活動を共にしているジョニー・フローム・スペースことジョナサン・トルヒーヨはニック・レオンやシスター・システムらと合わせてニュー・スクールと呼ばれる若手の代表。DJパイソンの向こうを張る形でレゲトンのリズムに由来するデンボー(dembow)の使い手とされ、これをプッシュ・ボタン・オブジェクツなどのグリッチ・ホップと接続させたと評される。しなやかで柔軟性のある『R​.​E​.​M.』(ムスリムガーゼ、池田亮司、ヤン・イエリネクらに捧げられている)や『Tide』など彼は本当に才能豊か(“Sueño Latino”みたいな曲がたまにあるところもよい)。本作にはいままでとイメージが異なるタイトなエレクトロの“Refresh”を提供。本作でデンボーを扱ったものはMJ・ネブリーダによるフィッシュマンズみたいな“Arquitecto”も。また、トルヒーヨが新設した〈Space Tapes〉から4thアルバム『Parrot Jungle』をリリースしたニコラス・G・パディヤはエレクトロとベース・ミュージックを接合させたハイブリッドで、ニューエイジ用語をちりばめているわりに曲が荒々しいのは絶滅させられた少数民族の代弁者を名乗るからだろうか。本作にはガラッと変わってポリリズミックなブリープ・エレクトロの“Zone”を提供。ジョニー・フローム・スペース周辺からはほかにシスター・システム、バニー(Bunni)などがエントリー。

 ベース・ミュージックがマイアミと相性がいいのは当たり前というか、ハーフタイムとエレクトロをスムースにつなげ、珍しくUKガラージを意識したINVTも短期間にミニ・アルバムを量産しながら(この4年で『Sano』『DisruptionI』『Extrema』『Cambio De Forma』『Mundos』、ニック・レオンと組んだ『Paseo』『Media Noche』『Plaza』『Doble Carga』『Ritmo Caliente』『Gazebo』『Duro』『La Chamba』『MiradaI』『Prendida』など)クオリティは下がる気配もなく、本作では前述のワラチャを応用したらしき“Dassit”を提供。このドラムはたまらない。リトル・シムズの新作『No Thank You』に収められていた“X”もおそらくは同じリズムで、個人的にはこれがベスト・トラック。ほかにUKとダンス・ミュージックの文脈を共有しているのはFKAトゥイッグスを早回しにしているようなバブルガム・エレクトロのティドゥー(TIDUR.)、トッド・テリーが派手にジュークをやっているようなセル6(sel.6)、アレックス・リース“Pulp Fiction”を思い出すなというのが無理な90sドラムン・ベースのシノビ(Shinobi)、同じくドクター・ロキット名義のハーバート“Café De Flore”を思わせるスパニッシュ・ムードのハーフタイム、“Red Keycard”を聴かせるニア・ダークといったところ。UKはやはりどこかに冷静な感じがあるというか。

 ニック・レオン、ジョニー・フローム・スペースと並んでいま、マイアミにおける台風の目となっているのが、そして、フィー-ゴー・ジット(Fwea-Go Jit)。同じフロリダ州のタンパで生まれたジューク(スペルはJookで、ジュークボックスに由来)と呼ばれるヒップ・ホップ・ダンスがマイアミに飛び火してジャージー・クラブやダンスホールと融合し、DJキャレド“To the Max”(17)によって世界的に広められたバウンス・ビートを縦横に駆使した3thアルバム『2 La Jit』はけっこうな評判を呼んだ。MCの起用も多く、どこを取ってもピットブルかよと思う激しいダンス・ミュージックの嵐で、本作では折り返し地点に置かれた“Touch It Turn It”が微かな哀愁も漂わせつつ、次章への幕開けとなっている。また、リッチー・ヘルはこれまでになかったタイプというのか、バンド編成でマンボやクンビアを演奏し、ボビー・コンダースやモーリス・フルトンに近いリラックス・タイプ。本作にはクンビア調の“Rapto Cosmico”を提供。

 ここからは少し端折ろう。さすがに数が多過ぎる。ウィッチハウスとしてキャリアをスタートさせたブラック・アントことジャン・ピエール・アンソニーは少し変わり種で、初期には拷問のようなゴシック・ホップを掘り下げ、4作目から〈Schematic〉に移籍、レーベル・カラーに合わせてLAビートに転じている。5thアルバム『Hidden Packages (Islands 3 + 4)』はまさかのJ・ディラとラス・Gに捧げられ、本作にもフラッシュ音を強調したグリッチ・ホップの“Bellfast3”を提供。同じ〈Schematic〉からゾン・ジャマール(Sohn Jamal)とマックス・ブゾン(Max Buzone)、そしてロイジュー(Roiju)もエントリー。サイケデリック・ブレイクコアのジョセフ・ナッシングを思い出すゾン・ジャマールは比較的オーソドックスなグリッチ・ホップの“TQ Visa”を、哀愁に沈んだIDMのマックス・ブゾンはいままでとは比較にならない出色の“Epoch”を、そして叙情的なIDMのロイジューはパーカッシヴな“Sin Gravedad”をそれぞれに提供。珍しくミニマル・テクノのフィーフ(Feph)はまったく表情を変えずに“Resolve”をオファー。やはりマイアミには珍しく〈Warp〉風のリスニング・テクノからミニマルも射程内に置くエライアス・ガルシアも本作ではジェフ・ミルズ風の“Radiant”を。

 『Homecore!』は半数がここ2年でデビューした新人か本作で初めて曲を発表したニューフェイスで占められ、オープニングに続いて2曲目と3曲目に抜擢されているのがロウ・エンズ・レコーズとジ・オウ・ファイ(Tre Oh Fie)。どちらも荒々しいエレクトロを提供し、イメージ通りのマイアミで幕を開けるという役割を全うしている。御大マークの次に置かれたコフィンテクスツ(Coffintexts)も新人ながらやはり大役を担い、これもハードなブレイクビーツ路線とは少し変わってハーフタイムの“Muy Bien”で面白い流れをつくっている。無名どころの新人ではほかに(って僕が知らないだけかもしれないけれど)、ジャン・アンソニーによるポリリズムのエレクトロ、“Trees Whispers Leave”もなかなかに良かった。

 10年代の前半こそロサンゼルスにレイヴの舞台を奪われたものの、ほどなくしてその座を奪い返し、レイヴどころか『お熱いのがお好き』の昔から踊る天国であり続けているマイアミ。キューバとの関係が様々な意味でマイアミを活気づけ、介護される富裕層が共和党支持なら介護する労働者が民主党支持というスタンダードな政治風土を背景にマルコ・ルビオ上院議員や最近ではトランプの代替わりとされるロン・デサンティス州知事が吠える、吠える。ゲイ・クラブでの銃乱射事件が象徴しているように、いまや性別を気にしないノンバイナリーに対して性別をはっきりさせるバイナリーのテリトリーとしても強度を増し、マジック・マイクたち男性ストリッパーもステージ狭しとショーを続けている。最近になってマイアミに引っ越したジェフ・ミルズ夫妻によると日本並みに湿度が高く、コロナでも誰もマスクなんかつけていなかったというし(ロックダウンが解除されたと思ったら、あっという間に海岸がゴミだらけになったとも)。突拍子もない水着ショーも面白いし、できることならエルモア・レナードやカール・ハイアセンの犯罪小説を読み続けて一生を終えたいなー……と思った3時間半でした。

Federico Madeddu Giuntoli - ele-king

 イタリアのピサ出身、現在はバルセロナ在住のフェデリコ・マデッドゥ・ジュントリは、音楽のみならず、美術や写真など複数の分野で横断的に活躍するアーティストだ。00年代にはイタリアのエレクトロニックなバンド、DRMの一員としてアルバム『Haiku』を発表してもいる(ベルリンのトゥ・ロココ・ロットや、〈Hefty〉に作品を残すナポリのデュオ Retina.it が参加)。
 そんな彼のソロ・アルバムが日本の〈FLAU〉からリリースされている。ゲストとして、〈12k〉からの作品で知られる日本のアンビエント/エレクトロニカ・アーティスト Moskitoo や、ドイツのプロデューサー AGF(ヴラディスラフ・ディレイことサス・リパッティのパートナーでもある)が参加、それぞれをフィーチャーした曲のMVが公開中だ。注目しておきましょう。

神経科学の博士号を持ち、美術、写真、言語学と様々な分野で活躍するバルセロナ在住のイタリア人アーティストFederico Madeddu GiuntoliがAGF、Moskitooらをゲストに招いたファースト・アルバムをリリース。11のミニマルで親密な小さな曲で構成された本作には、寂寞感漂うピアノの断片、密やかに爪弾かれるギター、絶妙にコントロールされたドラム・パーカッション、柔らかで繊細なスポークンワード/ボーカルが、加工されたマイクロ・サウンドとフィールド・レコーディングと共鳴し、ロマンスとミステリーへの簡潔で、深遠な旅を作り出しています。

「このアルバムは、洗練とレイヤリングの緩やかなプロセスに従って形作られ、10年以上にわたる長い間、邪魔されることなく、しばしば自分の意志に反して、最終的な形に到達するために組み立てられたものです。この作品に関連性を見出すことができるとすれば、それは、稀な脆弱性、憧れ、生き生きとした感覚、即興性と脆さの芳香が、説明しがたい完璧な印象と混ざり合ったものを提供する能力にあると言えるでしょう」

about Federico Madeddu Giuntoli
イタリア・ピサ出身、バルセロナ在住のサウンド・アーティスト。To Rococo RotやRetina.itとコラボレーションを果たしたイタリアのエレクトロニック・バンドDRMの一員として活動後、バルセロナに移住し、写真家として、写真集「Nuova gestalt」を出版、彫刻作品の制作や国際的なランゲージ・トレーナーとしても活動している。

■Federico Madeddu Giuntoli - The Text and the Form

タイトル:The Text and the Form
アーティスト:Federico Madeddu Giuntoli
LP発売日:2022年12月7日
フォーマット:LP/DIGITAL

tracklist:
01 lolita
02 text and the form (feat. Moskitoo)
03 #8
04 you are (feat. AGF)
05 flow
06 inverse
07 our Bcn nights
08 unconditional
09 h theatre
10 unconditional (reprise)
11 grand hall of encounters

Jeff Mills - ele-king

 ジェフ・ミルズがなんと、ディオールの音楽を手がけている。12月4日に発表された「2023年フォール メンズ コレクション」は、「Celestial」と題され、ギザの大ピラミッドを背景に近未来的に演出されているのだけれど、デザイナーのキム・ジョーンズがセレクトしたミルズの楽曲群がアフロフューチャリスティックな要素をつけ加えている(最初のみサバーバン・ナイト“The Art of Stalking”)。トラックリストは下記よりご確認を。

Tracks include:

Suburban Knight / The Art Of Stalking *
X-102 (Jeff Mills) / Daphnis (Keeler’s Gap)
Jeff Mills / Microbe
Jeff Mills / A Tale From The Parallel Universe
Jeff Mills / Gamma Player
Jeff Mills / Resolution
Jeff Mills / Step To Enchantment (Stringent Mix)
Jeff Mills / The New Arrivals

*The Art Of Stalking by Suburban Knight courtesy of Transmat Records

 ちなみにミルズは11月25日に新作EP「Extension」をリリースしたばかり。そちらもチェックしておきましょう。


Label: Axis Records
Artist: Jeff Mills
Title: Extension

Format: EP
Release Format: Vinyl & Digital
Release Date: November 25, 2022
Cat. No. AX109
Distribution: Axis Records

TRACKLIST
A: Rise
B1: The Storyteller
B2: Entanglement

axisrecords.com/product/jeff-mills-extension-ep/


Satomimagae - ele-king

 独特の静けさを携えた実験的なフォーク・サウンドを響かせるSatomimagae。彼女がおよそ10年前に録音し、自主で発表していたデビュー・アルバムがリマスタリングされ、拡張版となって復活する。いうなればSatomimagaeの原点にあたる作品だ。その『Awa (Expanded)』は2月23日、〈RVNG Intl〉よりリリース。CDは日本盤のみで〈PLANCHA〉から。まずはヴィデオも公開された “Inu” を聴いてみて。引き込まれます。

Satomimagaeが自主制作でリリースしていたデビュー・アルバム『Awa』の10周年リマスター・拡張版がRVNG Intl.からリリース決定。先行ファースト・シングル「Inu」がリリース&MV公開

昨年RVNG Intl. / Guruguru Brainから傑作アルバム『Hanazono』をリリースした、東京を中心に活動しているエクスペリメンタル・フォーク・アーティスト、Satomimagae。彼女が2012年に自主制作でリリースしていたデビュー・アルバム『Awa』を再考し、新たな活力を吹き込み、その10周年記念として拡張版『Awa (Expanded)』がRVNG Intl.からリリースされることが決定致しました。CD版はPLANCHAからのリリースで、日本のみです。

収録曲から先行ファースト・シングル「Inu」がリリースされ、同時にミュージック・ビデオも公開されました。

Satomimagae “Awa (Expanded)” 2023/02/23 release

Artist: Satomimagae
Title: Awa (Expanded)
Label: PLANCHA / RVNG Intl.
Cat#: ARTPL-187
Format: CD / Digital
Release Date: 2023.02.03
Price(CD): 2,000 yen + tax

昨年RVNG Intl. / Guruguru Brainから傑作アルバム『Hanazono』をリリースした、東京を中心に活動しているエクスペリメンタル・フォーク・アーティスト、Satomimagae。彼女が2012年にリリースしていた魅力的なデビュー・アルバム『Awa』を再考し、新たな活力を吹き込み、その10周年記念として拡張版『Awa (Expanded)』のリリースが決定。

2011年から2012年にかけてSatomimagae自身によってレコーディング、ミキシング、マスタリングされたこのアルバムは、彼女の特徴である叙情的なアトモスフィア、アコースティック・ギター、環境芸術の組み合わせを支えるソングクラフトに対する鋭い耳と広い目のDIYアプローチを伝えている。大きな衝撃というよりも深い余韻を残す『Awa』は、 Satomimagaeの世界にあるいくつかの物語の起源の1つである。

『Awa』は、彼女が7年の間、ほとんど一人で音に没頭していた間に書いた曲を集めたもので、大学で化学と生物学を学んでいた時期と一部重っている。大学では毎日授業、毎晩研究室での実験という生活が繰り返された。その密閉された空間で、ファンタジーの世界が形成され、彼女が慣れ親しんだいくつかの楽器 (古いアコースティック ギター、フェンダー ベース、そして彼女の周囲のフィールド音) に手を伸ばし、その出来事を音楽の文脈の中で捉え、考察していった。彼女の声を含む音の受容体の集合体から、苔の膜、宝箱、灰、蝋などのイメージが浮かび上がる。土と幻想の錬金術、そして音楽の伝統を超えて機能するフォーク・アルバムが形成された。

自宅と実家を行き来しながら、やかんの音、家財道具の音、子供たちの遊ぶ声など、日常生活の中にある不思議な音やリズムと自分の歌を融合させるという新しい試みに挑戦している。映画のサウンドトラック、古いフォークやブルースのレコードの質感、中南米、アフリカ、中東の音楽、そして実験音楽からインスピレーションを得て、彷徨いながらも正確で、荒々しくも確かな音のコンピレーションが生まれたのである。重要なのは、これらの楽曲が元々含まれているノイズも含めて元の音色が尊重されていることで、リヴァーブやディレイなど、音に手を加えることは避けている。そして、それぞれの曲は以前の作品とは明らかに異なっており、このアルバムはデザインによって分類されている。この思想が『Awa』の耐久性の鍵である。それは群れであり、銀河である。

この頃のSatomimagaeの音楽は、主に一人で作られていたが、『Awa』では3人のミュージシャンが重要な役割を果たしている。ライヴに参加することもあるTomohiro Sakuraiは「Kusune」と「Riki」でパワフルなギター演奏とヴォーカルを披露している。ジャズ・トランペッターのYasushi Ishikawaは「Beni」で彼女の歌詞に明確なソット ヴォーチェを加ており、Kentaro Sugawaraは「Tou」でより深い情感を与えるピアノ演奏を見せている。

『Awa』は10年前に自主制作でリリースされ、一部のレコード・ショップで販売され、ささやかな反響を呼んだ。2021年に発表された『花園』を完成させた後、彼女はこのファースト・アルバムの奇妙な音楽にインスピレーションを求めたのだ。初期の作品にありがちなことだが、ファースト・アルバムを欠落したもの、欠陥のあるものとして認識していた。しかし、しばらく間を置いてから、そのアルバムを見直すと、新鮮な発見があった。単なる設計図ではなく、その手触り、心意気は比類なきものだ。Satomimagae自身の手によって蘇り、Yuya Shitoがリマスタリングし、Will Work for Goodのデザインによる新パッケージで生まれ変わった本作は、彼女の近作を愛する全ての人への贈り物となるだろう。

Track List:
01. #1
02. Green Night
03. Inu
04. Q
05. Koki
06. Mouf
07. Hematoxylin
08. Bokuso
09. Tou
10. Kusune
11. Riki
12. Kaba
13. Hono
14. Beni.n
15. Hoshi
16. Mouf Remix

Satomimagae ‘Inu’ out now

Artist: Satomimagae
Title: Inu
Label: PLANCHA / RVNG Intl.
Format: Digital Single
Release Date: 2022.11.30
Buy/Listen: https://orcd.co/j2jerro

Satomimagae – Inu [Official Video]
YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=vS_DXxb47cE

Directed by Kanako Sakamoto
Featuring Hideaki Sakata
Second cameraman: Bobby Pitts II
Assistant: Hidemi Joi

Satomimagae:
東京を中心に活動しているアーティスト。ギター、声、ノイズで繊細な曲を紡ぎ、有機的と機械的、個人的と環境的、暖かさと冷たさの間を行き来する変化に富んだフォークを創造している。
彼女の音楽的ルーツは中学生の時にギターを始めたことから始まる。父親がアメリカからテープやCDに入れて持ち帰った古いデルタ・ブルースの影響もあり、10代の頃にはソング・ライティングの実験をするようになる。その後PCを導入したことで、より多くの要素を加えた曲を作ることができるようになり、彼女の孤独な作業はアンサンブルへの愛に後押しされるようにななった。大学で分子生物学を専攻していた時にバンドでベースを弾いていたことから、様々な音の中にいることへの情熱と生き物や自然への情熱が交錯し、それが彼女の音の世界を育んでいったのである。
この間、アンビエント音楽、電子音楽、テクノなどの実験的でヴォーカルのない音楽に没頭するようになり、聴き方の幅が広がっていった。サンプラーを手に入れ、日本のクラブやカフェでのソロライブを始めた。苗字と名字を融合させた「サトミマガエ」は、彼女の独特のフォークトロニックな考察を伝える公式キャラクターとなった。
初期のアンビエント・フォーク・シンセサイザーを集めたファースト・アルバム『awa』(2012年)は、ローファイ/DIYのセルフ・レコーディング技術を駆使した作品である。2枚目のアルバム『Koko』(2014年)では、彼女は控えめでライヴ感のあるパフォーマンスと、フォークの伝統に馴染んだ温かく牧歌的なエネルギーの冷却を追求した。続いて、『Kemri』(2017)では、より豊かな和音とリズムで伝えられる人間的な感覚に触発されて、この効果をバランスよく調整している。彼女の2作品をリリースしたレーベル、White Paddy Mountainとそのディレクター畠山地平の影響を受けて、スタジオ環境の中でよりコンセプチュアルな方向に進むことができたが、彼女の作曲やレコーディングのプロセスは、自分で作ったものであることに変わりはない。
そしてNYの最先鋭レーベル、RVNG Intl.へ移籍してのリリースとなる『Hanazono』では、URAWA Hidekiのエレクトリック・ギターとバード・コールが加わったことで、子供のような魅力を持つSatomiの微細なヴィジョンが融合している。Satomiの姉であり、アルバムやウェブサイトのすべての作品を担ってきたNatsumiの直感的なビジュアルが、温かみのあるものとクールなもの、手作りと機械で作られたものが混ざり合うというSatomiの夢を、彼女の別世界への窓のように機能する木版画で見事に表現している。
2021年には最新アルバム『Hanazono』に由来する繊細な周辺の花びらの配列である”コロイド”を構築した。自身の楽曲から4曲を選曲しリアレンジした『Colloid』を引き続きRVNG Intl.から発表した。

interview with Zaine Griff - ele-king

そう、トニーと『灰とダイアモンド』のレコーディングをロンドンのグッド・アース・スタジオで行っていたときに、突然ボウイが姿を現したんだ。そしてしばらくぼくのベースのレコーディングの様子を見ていて、こう言った。彼のバックでベースを弾いてくれないか、と。

 ザイン・グリフ。
 1970年代末から1980年代初頭の英国の音楽シーン、なかんずくニュー・ロマンティックスと呼ばれたムーヴメントに関心を持っていた方なら聞き覚えがある名前だと思う。
 ニュー・ロマンティックスは、後にヴィサージを結成することとなるスティーヴ・ストレンジとラスティ・イーガンが1978年頃からスタートしたクラブのパーティーから始まった。
 それは、パンク以前のグラム・ロックをポスト・パンクの精神でリバイバルしたもので、1970年代前半のデヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージックのグリッターで絢爛な音楽とファッションを、エレクトロニック・ミュージックやワールド・ミュージック、レゲエなどの意匠を纏ったダンス・ミュージックとして蘇らせるという趣向だった。
 1979年にはスティーヴ・ストレンジらのヴィサージが結成され、やがてウルトラヴォックスやスパンダー・バレエ、アダム&ジ・アンツ、カルチャー・クラブらがこのニュー・ロマンティックスのムーヴメントに加わり、シェフィールド出身のヒューマン・リーグやヘヴン17といったロンドン以外のアーティスト、グループも参画していくことになる。
 そんな中でシーンに登場したのがザイン・グリフだ。

 ザイン・グリフは1957年にニュージーランド・オークランドで生まれた。10代の頃から地元のバンドにベーシストとして加入して音楽活動をスタート。1974年にはヒューマン・インスティクトというバンドでレコード・デビューも果たしている。

 しかし、同年ザインはそのバンドを脱退し、ロンドンに向かった。

 やはり当時のロンドンの音楽シーンに対する強い憧れがあったのだという。

 到着したロンドンで、ザイン・グリフは積極的に音楽活動を開始した。伝手を頼り複数のアーティスト、バンドのセッションにベーシストとして参加したほか、ソロ・アーティストとしても音楽制作を開始している。

 また、この時期にはデヴィッド・ボウイも師事したパントマイム・アーティストのリンゼイ・ケンプのカンパニーに加わってもいる。パントマイマー、ダンサーとしての修行を開始したのだが、当時の一座にはケイト・ブッシュも在籍しており、後々まで交流が続くことになる。

 ザイン・グリフは1977年には自身のバンドを結成し、積極的にライヴ活動をスタート。これがいくつかのレコード会社の目にとまり、ワーナー・ミュージック傘下のレコード会社オートマティックと契約。いよいよソロ・アーティストとしてのザイン・グリフが誕生する。

 ソロ・アーティストとしてのこのデビュー・アルバムは、プロデューサーに、これもまたデヴィッド・ボウイとの仕事で名を成していたトニー・ヴィスコンティを迎えた。ニュー・ロマンティックスとグラム・ロックの中間的なサウンドを奏でたデビュー・アルバムは『灰とダイアモンド(Ashes and Diamonds)』と名付けられ、日本を含む世界各国でリリースされている。

 このアルバムではトニー・ヴィスコンティのプロデュースということ、それにザイン・グリフの華やかな容姿からデヴィッド・ボウイの再来的な評価も受けた。この頃、『ロウ』『ヒーローズ』といったベルリン時代の諸作のプロデューサーであるトニー・ヴィスコンティと密な関係を保っていたデヴィッド・ボウイもザイン・グリフの存在は気になっていたようだ。あるとき『灰とダイアモンド』のレコーディング中にスタジオに姿を現し、その場で自分のレコーディングにベーシストとして誘っている。

 先日行ったザイン・グリフのインタビューで、当時のことを彼はこう振り返っている。

「そう、トニーと『灰とダイアモンド』のレコーディングをロンドンのグッド・アース・スタジオで行っていたときに、突然ボウイが姿を現したんだ。そしてしばらくぼくのベースのレコーディングの様子を見ていて、こう言った。彼のバックでベースを弾いてくれないか、と。もちろんふたつ返事でOKしたよ」

 この頃、ボウイは英国の音楽とヴィデオ・アートを融合した先駆的なテレビ番組『ケニー・エヴェレット・ヴィデオ・ショー』への出演オファーを受けており、そこで披露するオリジナル・ヴィデオのためのトラックを準備中だった。
 トニー・ヴィスコンティのプロデュースで、ボウイの過去の楽曲のリニューアル・ヴァージョン3曲のレコーディングにザイン・グリフは参加。曲目は“スペイス・オディティ”“パニック・イン・デトロイト”“レベル・レベル”。
 これらのうち、アコースティック・アレンジの“スペイス・オディティ”が番組でオリジナル・ヴィデオとともに放映され、1979年にはボウイのシングル“アラバマ・ソング”のカップリング曲としてレコード・リリースされてもいる(演奏者のクレジットはない)。“パニック・イン・デトロイト”も後に複数の再発アルバムのボーナス・トラックとなっているが、“レベル・レベル”は未発表のままだ。

「未発表のままの“レベル・レベル”はオリジナルに近いアレンジだったけど、“スペイス・オディティ”と同様に音の隙間が多いゆったりとしたサウンドだったな」

 こうしたボウイとの共演をはさみ、ファースト・アルバム『灰とダイアモンド』は1980年10月に発売された。先行シングルの「トゥナイト」がチャートで健闘し、アルバムもヒットとは言えないもののニューロマンティック・ブームの最盛期だっただけに注目を集めた。
 ザイン・グリフもこれを受けてさらに積極的にライヴ活動を行うが、以前からバッキング・バンドのキーボーディストはハンス・ジマーが務めていた。現在はアカデミー賞にも輝く映画音楽界の巨匠だが、この頃はまだまだ無名に近いいちスタジオ・ミュージシャンに過ぎなかった。
 しかし、ザイン・グリフはハンス・ジマーの才能をすでに見抜いていたという。

「ぼくは彼は絶対に成功すると予期していた。だからライヴだけでなく『灰とダイアモンド』でもキーボードを弾いてもらったのだけど、そのときにはすでに次のアルバムは彼との共同プロデュースで作りたいと思っていたんだ」

 ザイン・グリフは新たにポリドール・レコードと契約し、セカンド・ソロ・アルバムの準備を始めたが、レコード会社はプロデューサーにハンス・ジマーを立てるという提案に難色を示した。プロデューサーとしての実績がないのだから当然だろう。

「レコード会社はハンス・ジマー? 誰だそれは? っていう反応で、大反対されたんだけど、とにかくぼくとハンスにチャンスをくれって頼み込んで、とりあえず2曲レコーディングしてみて、それを聴いて判断するということになったんだ」

 新しいアルバムのための2曲のデモ・レコーディングは満足のいくものになり、レコード会社もハンス・ジマーを共同プロデューサーとすることを認めた。

「デモを聴いたレコード会社は即座に認めてくれた。ぼくはそのときがハンスの今日に至る成功の階段のファースト・ステップを踏んだ瞬間だと思っている(笑)。すくなくとも彼の背中を押したことはまちがいがない。彼の才能を考えると当然の結果だったけどね」

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ユキヒロとのスタジオでの思い出は、なにより仕事が早いことに驚いたこと。あと、スタジオにあったスタインウェイのピアノの下に潜り込んで、ドラムのスティックで弦を叩き出したこと。スタインウェイだよ!(笑)そんなことをしていいのかってひやひやして見ていたけど、ユキヒロは涼しい顔でああ、いい音だなあなんて。

 1982年9月に発売された新アルバム『フィギュアーズ(Figures)』はセカンド・アルバムにして、渡英以来のザイン・グリフのキャリアを凝縮した名作になった。ザイン・グリフの書いた曲、そしてヴォーカルも前作から格段の進化を遂げていたのはもちろん、共同プロデューサーであるハンス・ジマーのアレンジもすばらしかった。クラシック音楽の正統的な教育を受けていたジマーの、のちの映画音楽作家時代を十分に予兆させる、美しいストリングスを中心としたオーケストレーションと和声、転調と変拍子を多用した装飾はザイン・グリフの楽曲を際立たせた。
 また、ゲストの豪華さも話題になった。
 以前、ライヴで共演したことがあったウルトラヴォックスのドラマーであるウォーレン・カン、もうひとりのドラマーは当時YMOの高橋幸宏。

「YMOは彼らの1980年のロンドン公演を観て知ったんだ。そのとき楽屋でユキヒロに初めて会った。それで、ぼくの次のアルバムのレコーディングに参加してくれないかと頼んだんだ。するとユキヒロは、彼のアルバムにぼくがゲストで参加してくれるならいいよ、と」

 高橋幸宏は『フィギュアーズ』収録の「ザ・ヴァニシング・メン」でドラムを叩き、ザイン・グリフは約束通り、1982年にロンドンで録音された高橋幸宏のアルバム『What Me Worry? ぼく大丈夫』でザイン・グリフ作詞作曲の「The Strange Obssesion」をはじめ「使いすてハート」「Real You」の計3曲でヴォーカルを担当することになった。

「ユキヒロとのスタジオでの思い出は、なにより仕事が早いことに驚いたこと。あと、スタジオにあったスタインウェイのピアノの下に潜り込んで、ドラムのスティックで弦を叩き出したこと。スタインウェイだよ!(笑)そんなことをしていいのかってひやひやして見ていたけど、ユキヒロは涼しい顔でああ、いい音だなあなんて。なんて創意工夫に富んだ人だろうと思ったね。いい思い出だ」

 そしてこの『フィギュアーズ』にはリンゼイ・ケンプのマイム・カンパニーで共に学んでいたケイト・ブッシュも参加し、「フラワーズ」でザイン・グリフとのデュエットを聴かせてくれている。
 アルバムは前作以上の売り上げを記録し、カットされたシングル「フィギュアーズ」「フラワーズ」なども好調だった。この1982年の後半はニューロマンティックス・ムーブメントの最後期で、多くのバンド、アーティストが失速していく中、ザイン・グリフの『フィギュアーズ』はあたかもニューロマンティックスの最後の輝きのような作品とも言えるかもしれない。
 ムーヴメントの盛衰はともかく、ザイン・グリフは当然、『フィギュアーズ』の次のアルバムの準備を開始。
ロキシー・ミュージックやジャパンとの仕事で知られるジョン・パンターや、ウルトラヴォックスのミッジ・ユーロをプロデューサーとしていくつかのレコーディング・セッションを行って次作の方向性を探っていく。
 そんな中、ハンス・ジマーからもちかけられたのが、彼とウォーレン・カンが始めたプロジェクト〜ユニットである“ヘルデン”で何曲かヴォーカルを担当しないかという話だった。
 ヘルデンはすでにインストゥルメンタルの実験的なライヴを行っていたが、作詞家のヒューゴ・ヴァーカーとともにアルバムの制作に入り、ヴォーカリストを探していたのだった。
 ザイン・グリフはもちろん快諾してレコーディングに参加。作詞や作曲にはかかわらず、ヴォーカリストとしてのみの参加だったが、ハンス・ジマー、ウォーレン・カンと一緒に制作した『フィギュアーズ』の延長の作品という意識もあったそうだ。

「ぼくには『フィギュアーズ』の続きだという意識があった。音楽的にも『フィギュアーズ』の延長線上にあると思う。ハンスはあのアルバムの作業を通して自分のスタイルを確立したんだ。また、その一方で、ヘルデンの音楽には、映画音楽家としてハンス・ジマーが当時手掛けはじめていたいくつかのサウンドトラック作品との共通項もあった」

日本でのファンタスティックなショーのあとに、何人かのファンからヘルデンのアルバムは結局どうなったんですかと訊かれたんだ。みんな気にかけていたんだと驚いたね。

 しかし、1982年の後半から始まったヘルデンのレコーディングは、1983年に入ると滞るようになった。あとはギターを追加ダビングして、ヴォーカルを何曲かで差し替えれば完成という段階で、実際にトラックダウンまで終わった曲も複数あった。
 エヴァという女性スパイを主人公にしたロック・オペラ、もしくは架空の映画のサントラという想定の『スパイズ』と名付けられるはずだったアルバムだったが、先行して完成されていた楽曲「ホールディング・オン」をインディー・レーベルからシングルとしてリリースしたところで、作業は完全にストップした。レコーディング中、スタジオでエヴァの容姿を想像したドローイングを描くほどこのアルバムに入れ込んでいたザイン・グリフにとっては残念な事態で、以降も長年に渡ってこの『スパイズ』は心の片隅にひっかかったままとなった。

「当時、ハンスは映画音楽の仕事を始めていて、ハリウッドとの関係も深くなっていた。彼の意識はどうしてもそちらに向かい、ロスアンジェルスに活動の拠点を移そうともしていた。そうしているうちにヘルデンのプロジェクトに割ける時間はなくなり、完成間近のアルバムはそのままになってしまったんだ」

 ヘルデンが幻のプロジェクトとなる中で、ザイン・グリフの英国での音楽活動にも影が差す。
 新しいソロ・アルバムを完成することもなく、ザイン・グリフはやがてアーティストとしての活動を引退し、祖国ニュージーランドへの帰国の途についた。
 故郷であるニュージーランド・オークランドで彼は音楽クラブを経営し、地元のバンド、アーティストに演奏の場を提供するほか、自分でも趣味として音楽制作を続けていたそうだ。
 そうして時は流れて21世紀。
 2011年、ザイン・グリフは長い沈黙を破って、アルバム『チャイルド・フー・ウォンツ・ザ・ムーン(Child Who Want the Moon)』を発表。それにともないライヴ活動も再開した。
 2年後の2013年にはサード・アルバム『ザ・ヴィジター(The Visitor)』をリリースすると、ロンドンに渡ってかの地のファンの前でひさしぶりのコンサートを行う。翌2014年にはさらには根強いファンのいる日本も訪れ、日本人ミュージシャンとともに東京で初来日公演を実現。
 またこの間に、過去の2枚のアルバム『灰とダイアモンド』『フィギュアーズ』を自らの監修でリマスター再発、そして過去の未発表のマテリアルを編纂したコンピレーション・アルバム『イマースド 浸漬(Immersed)』もリリースしている。
 2016年、東京で共演したミュージシャンも参加した5枚目のソロ・アルバム『ムード・スウィングス(Mood Swings)』を発表。
 ここまでの21世紀のザイン・グリフは、かつてのニュー・ロマンティックス時代の作品の片鱗は残しつつも、オーガニックでアコースティック楽器の響きが美しいアルバムを作ってきた。
 これが新しい、いまのザイン・グリフの音楽だ。
 誰もがそう思っていたところ、2022年になって、6年ぶりとなるニュー・アルバムの発表が予告される。

 新しいアルバムは『ザ・ヘルデン・プロジェクト // スパイズ』。この発表は古くからのファンに混乱をもたらした。
 『スパイズ』は幻となったヘルデンのアルバム名で、タイトルにはヘルデンの名前も入っている。
 当初はヘルデンの幻のアルバム『スパイズ』が正式に発売されることになったという捉え方もされた。
 しかし、実はこのアルバムは、かつてヘルデンが完成直前まで作業を進めたアルバム『スパイズ』を、ザイン・グリフがいちから構築し直し新たにレコーディングを行ったソロ・アルバム。いわばかつて自分が参加した音楽ユニットのセルフ・カヴァーということになる。
 作詞も作曲もかかわっていない過去作のセルフ・カヴァーというこの異例の作品が実現するきっかけは、なんと日本にあった。前述の2014年の来日公演のときの終演後のできごとだ。

「日本でのファンタスティックなショーのあとに、何人かのファンからヘルデンのアルバムは結局どうなったんですかと訊かれたんだ。みんな気にかけていたんだと驚いたね」

 さらに日本〜東京に滞在中、ザイン・グリフは都内のヴィンテージ・シンセサイザーや機材を取り揃えたショップの存在を知り、そこでヘルデンの制作当時のシンセサイザーやエフェクターを手に入れることができたという。
幻に終わったヘルデンのアルバム『スパイズ』を自らの手で再構築しようという意思が固まった。

「ニュージーランドに帰国して、よし挑戦してみようと決めたんだ」

 幸い、手元には当時の『スパイズ』のカセット・コピーが残っており、それを聴きながら1曲ずつ採譜していく日々が始まった。楽曲はどれも複雑で、友人の音楽学者の手も借りた。
 途中、アルバム『ムード・スウィングス』の制作をはさみつつ、ザイン・グリフは足かけ8年の時間をかけて、『スパイズ』を蘇らせたソロ・アルバム『スパイズ・ザ・ヘルデン・プロジェクト』を完成させた。
 東京で入手したものをはじめ多くのヴィンテージの機材を使ったが、同時に最新のテクノロジーも駆使した。1980年代の作品の再現ではあるが、随所にアップ・デートを施し、現代のサウンドとしている。

「雰囲気は極力オリジナルに近づけようと思った。同時に、いまだったらハンスやウォーレンはこうするだろうというアプローチもとった」

 同時期にロンドンで活動を始め、いまはオーストラリアで暮らしているジュリアン・メンデルソーンに1曲リミックスを頼んでいるが、これもまた1980年代と2020年代の混交のようなサウンドになっている。
 そしてジャケットにはヘルデンのレコーディング中に描いた1982年のエヴァのドローイングが使用された。ついにここにヘルデンの幻のアルバム『スパイズ』が21世紀にアップ・デートされた形で蘇り、世に出ることになったのだ。
 ザイン・グリフはこの作品をこれまでの自分のアルバムの中でもベストのものだと断言している。1980年代的なエレクトロニック・ポップを現代のサウンドに昇華し、幻だったアルバムを見事に蘇らせた。2011年の復活以降のザイン・グリフの巧みさと深みを増した歌声がそこに乗っている。40年前の空気をまとった最新のアルバムという不思議な世界だが、古臭さはまったくない。予備知識なくアルバムの音に触れる人はどういう感慨を持つのだろう。
 もちろん、ハンス・ジマーとウォーレン・カンには以前からこの再現プロジェクトのことは伝えており、両者から楽しみにしているという返事をもらっている。
 いま頃は完成された『ザ・ヘルデン・プロジェクト // スパイズ』の音を両者とも聴いているだろう。その感想も知りたいところだ。

■ザイン・グリフ オリジナル・アルバム・ディスコグラフィー

『灰とダイアモンド(Ashes and Diamonds)』 1980年
『フィギュアーズ(Figures)』1982年
『Child Who Want the Moon』 2011年(日本未発売)
『ザ・ヴィジター(The Visitor)』 2013年
『ムード・スウィングス(Mood Swings)』 2016年
『ザ・ヘルデン・プロジェクト // スパイズ』 2022年

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