「You me」と一致するもの

フィッシュマンズ - ele-king

 少し落ち着いてきた。3日前にフィッシュマンズのツアー〝LONG SEASON 2023〟を観に行き、かなりコーフンして、人格などが変わり、しゃべり散らかしたあげく家に帰るまでがフィッシュマンズのライヴだと思っていたのに6時間寝て起きてもまだ同じで、昨日は取材の準備をしなければいけなかったのに何も頭に入らず、気がつくとフィッシュマンズを聴いているし、先ほど取材先から帰ってきてようやく地に足が着いてきた。おお、地面よ、そこにあったのか(『空中キャンプ』かよ)。あれから3日も経っているなんて信じられない。時の流れはほんともウソもつきすぎる。

 フィッシュマンズのライヴはルーティンにならない。佐藤伸治がいないライヴに行くか行かないかでいちいち悩むので、好きなバンドのライヴだから機械的に足を運ぶという感じにはならないから。ただ、「いちいち悩む」こともルーティン化してきたきらいはあるので、悩むことも込みでライヴに行っているとも言えるし、それはそれで機械的と言われれば反論はできない。悩む。あれこれ考える。一から考え直す。結論はない。毎年のように発見があり、どんどん上書きされていく。とはいえ、前回は忙しくて行かれなかったので、それほど考えずに今年はすぐに結論が出た。

 会場は超満員。男の方が多いだろうか。ぎっしりと人が詰めかけたZepp DiverCityを見て昔の野音にはポツポツと空席があったことを思い出す。金がないウッドマンがどうしても観たいというので事務所に頼み込んでムーグさんと3人でザ・KLFの話をしながら観ていたことがある。僕らの周囲には少し空席があり、こんなにすごいライヴなのにもったいないなーと思っていた。フィッシュマンズの出す音が空席にぶち当たってどこかに跳ね返っていく。ウッドマンは僕とムーグさんのよもやま話には加わらず、無言でフィッシュマンズを受けとめていた。7年前に彼が急死したという知らせを聞いて、巨漢の彼には野音の席が少し小さかったことを思い出した。

 この日のフィッシュマンズは茂木欣一、柏原譲、HAKASE-SUNの〝オリジナル・スリー(佐野ディレクターの命名)〟と、ダーツ関口、木暮晋也に加えて原田郁子も正式メンバーとしてクレジットされている。この6人が実にだらだらと登場してくる。どこにも緊張感が漂っていない。これだけ大きな会場なのになんの演出もなく、低いテンションでスタートするというのは明らかに自信の表れである。そして、その通り、“A Piece Of Future”であっという間に彼らの世界へオーディエンスを連れ去ってしまう。瞬時にしてやられてしまった感じ。そして、木暮晋也がヘンな節と声にエフェクトをつけて順にメンバーを紹介していく。いつものようでいつものようではない。煽られまくって僕も叫んでいる。

 ブレイクが入って次の曲に変わったのかと思ったら、まだ“A Piece Of Future”が続いている。このまま30分ぐらい演奏し続けて“LONG SEASON”と2曲で終わったらまた伝説じゃんと思ったけれど、さすがにそれはなかった。続けて“MAGIC LOVE”。急にテンポが上がったせいか、なんとなく勢いをつけ損ねたように感じるもすぐに立て直し、そつなく終わらせて“BABY BLUE”へ。これもまだエンジンがかかりきらず、演奏は及第点。この曲はもう少し疲れた頃に聴きたかった。やはりフィッシュマンズには陶酔させきって欲しいし、“MAGIC LOVE”の余韻にはちょっと合わない感じもあった。とはいえ、会場全体の揺れは早くもハンパない。客席が波のように揺れていた新宿リキッドルームの眺めが蘇る。踊りに没頭して周りが見えなくなればなるほど“BABY BLUE”の歌詞は突き刺さる。「今日が終わっても 明日がきて」というのは毎日が同じことの繰り返しで先に進む感覚がなく、その虚しさから生きることにはなにひとつ「意味なんかない」と思うほど自分自身の存在に価値が見出せない。そして「長くはかなく 日々は続く」と、「いま・ここ」に没頭(=実存主義)できないことに「泣きそう」になっている状態だと受け取れる。この感覚は“すばらしくてNICE CHOICE”の「そっと運命に出会い 運命に笑う」という現実の肯定と対になっていて、“幸せ者”の「みんなが夢中になって 暮らしていれば」感じられる気持ちだと作者はわかっているから“ナイトクルージング”で他者との出会いが実存的不安を解消してくれることを期待して「窓はあけておくんだ」と準備していることと結びつく。無に等しいと感じる個人が世界とかかわろうとすることをサルトルはアンガージュマンと呼び、60年代の若者はこれを政治参加の合言葉としたけれど、「60年代に生まれたかった」と話していた佐藤伸治はあくまでも主体的に「目的は何もしないでいること」とアンガージュマンを社会と切り離す方向で動機づけ、90年代に特有のアティチュードを模索した。いってみれば社会を前提としないアンガージュマンであり、「無に等しいと感じる個人」にとって、その価値は時間が流れる限り肯定と否定の感覚を繰り返さざるを得ない堂々巡りのようなものになる。泣いて笑って、泣いて笑って。何度も何度も何度も。遺伝子の乗り物ではなく、人間であるということはそういうことだから「止まっちまいたい」と思うのは自然な感情である。大脳を発達させ、感情豊かになったことの代償だと思うしかない。今日もきっとSNSは感情の不発弾であふれている。

 続いて“バックビートにのっかって”。バックビートというのは日本人にはほとんど演奏できないとされている洋楽の演奏技術。業界には「バックビートおじさん」というのがあちこちにいて「日本人には無理だ、日本人には無理だ」と連呼する習慣があり、バックビートを演奏できるなどと公言しようものならあちこちから「出来てない!」というヤジが飛んでくるにもかかわらず、それに「のっかって」と歌ってしまうのだからフィッシュマンズも挑戦的である。そして、佐藤伸治がフィッシュマンズのリズム隊にどれだけ信頼を置いていたかということがよくわかる曲名ともいえる。バックビートは4拍目から入って2拍目と4拍目を強調する「4入りの2・4」が基本とされ、これを茂木欣一はレコーディング・ヴァージョンでは3拍目にスネアを入れ、ライヴでは逆に3拍目を抜いたり、1拍目と3拍目では手数を増やすという叩き方だったのが、この日はシンプルに3拍目しか叩いていなかった(←最後が面白い)。また、“バックビートにのっかって”の♪あ~~~あ~あ~あ~~、という生暖かいスキャットが僕は大好きで、これとL・L・クール・J“Mama Said Knock You Out”の冷めきった♪あ~あ~あ~あ、と、戸川純“蛹化の女”の追いつめられた♪あ~あ、あ~あ、が僕の3大「あ~」です。次点でピンク・レディとT・レックス。きゃりーぱみゅぱみゅは入りません。

 続く“Smilin’Days Summer Holiday”でもドライヴ感は持続している。ベースがぐいぐいと渦を巻いて文句なしの流れをつくり出す。これも茂木欣一のドラムは『若いながらも歴史あり』では1拍目と3拍目で手数を増やし、『男達の別れ』では2拍目と4拍目を強調して重く沈み込ませるという叩き方だったのが、この日は“バックビートにのっかって”と同じく3拍目だけを強調していたと記憶。「あの外人みたいな髪型できっと同じことを考えてるぜ~」は何回聴いても笑うなー。佐藤伸治のいたフィッシュマンズにあって現在のフィッシュマンズにないのは、あの突拍子もない言語センスを駆使したMCなんだよな。急に雑誌名を連呼したり、「安いク○リ、やってんじゃないの?」とか。あればかりはもう無理なんだよな。続いて“いかれたBaby”へ。J~ポップからメタルまで幅広くカヴァーされた曲を本家の演奏で聴くという、かつてはなかった興奮を感じるも、韓国のアジアン・グロウによるシューゲイザー風のカヴァーが耳慣れてしまい、本家にしてはちょっと物足りなく感じてしまった。この曲と“SUNNY BLUE”は典型的なマンチェスター・ビートで、フリッパーズ・ギターと共に日本のロックが「聴くロック」から「踊れるロック」に変わった瞬間を刻印していることはとても重要なこと。ele-kingも最初はそこに反応したのに、なんでテクノと結びつけたように言われるのかわけわからん。ちなみに中国では“BABY BLUE”の方が人気で、Vログなどで無数にフィーチャーされ、フレックルズが2コーラス目を中国語で歌っているのがとても可愛い

 MCを挟んで客電が落ちると暗闇からアカペラで“頼りない天使”が聞こえてくる。ゲスト・ヴォーカルのUAがいつの間にかステージに立っていた。細い声の佐藤に寄せるより、思いっきり太い声で歌うUAはまったく違う魅力を感じさせる。いつも1人に向かって語りかけてくる佐藤に対して「不思議」という言葉が届く範囲が広がったように感じられ、単純に声量があるというだけで存在の儚さよりもこの曲が持つ慈愛の面が引き出されるということかもしれない。茂木のドラムがこの曲だけ2拍目にスネアを入れていたと聞こえたんだけど、僕の聞き違いだろうか。続いて“すばらしくてNICE CHOICE”。これは09年の「FISHMANS:UA」でもやっていたけれど、歌詞がUAには合わないというか、茂木のMCでもUAは生命力にあふれているとかなんとか話していた通り(手術して5日後にフェスでドラムを叩いていた茂木には言われたくないという気もしたけれど)、パワーがありすぎて、ぜんぜん「やられそう」じゃないのがどうもひっかかる。タナトスからエロスに引き返してくるところが“すばらしくてNICE CHOICE”の感動的なところなので、UAの歌い方だと強すぎて境界線上をさまよう立体感に乏しくなってしまうのである。これならいっそフォーク調で聴かせるUAの“甘い運命”を柏原譲のねっとりとしたベース・サウンドで聴いてみたかった。UAはしかし、絶好調だったのでしょう。曲が終わるとギャグが止まらず、お台場のガンダムをネタにしたり、モンキーダンス(?)を踊り始めたりと、いわゆるひとつの「大阪のおばちゃん」状態が止まらない。昨年末に細野晴臣のラジオ番組に出て、母の旧姓が平だから「タイラー・スウィフトです」と言って笑い転げていたそのまんまが続いていて。

 この流れにさりげなくハナレグミも加わり……いや、ほんとにさりげなく加わって“WALKING IN THE RHYTHM”へ。それまでの雰囲気とあまりに落差がありすぎて、かえってストンと曲に落ちることができた。スライとピンク・フロイドを合体させているにもかかわらず決然とした曲調を崩さず、フリーク・アウトの予感だけで持たせてしまうというのか、この曲が最も90年代と変わらない印象を残したかも。90年代のライヴ・アレンジは破茶滅茶過ぎて、この日はまだ遊びきれてない感じもあったりと、いや、つくづく佐藤伸治はお化けでしたよね。生きていたらリー・ペリーみたいになっていたのかな。UAがヒゲダンスを踊りながらステージから消え、ハナレグミがメイン・ヴォーカルの“夜の想い”へ。前の日になんとなく1曲だけ聴いたのがこの曲だったので、アイスクリームのあたりが出た気分。ZAKさんが「あれが『空中キャンプ』の始まりだった」というだけあって何かが始まろうとしている感じがじわじわと伝わり、“WALKING IN THE RHYTHM”の「歌うように歩きたい」から「I WALK」へとテーマが続いたのもよかった。フィッシュマンズは前期に昼間の景色を歌った曲が多く(“土曜の夜”は小嶋謙介作)、後期は夜の景色が増えるので、ここがひとつの分水嶺だったといえる。そして、次の曲が実際に「『空中キャンプ』の始まり」となる“ナイトクルージング”。“夜の想い”の「誰もが調子のいい夢」が“幸せ者”に受け継がれ、「いいことあるかい?」が“ナイトクルージング”の「いい声聞こえそうさ」につながっていく。ハナレグミの鼻声は甘えのようなニュアンスもありつつ、内面に踏み込ませないという拒絶の感触も微妙に混じっていて、「窓はあけておくんだよ」のところでもうひとつ切実なニュアンスを伴わない気がしてしまう。佐藤伸治も歌い方を変えたというのだから“ナイトクルージング”を歌う人はもっと努力しナイト。この曲はそんなに簡単な曲ではないと思う。

 “ナイトクルージング”の余韻もなく、すぐにプププーとベースが高音で鳴り、“LONG SEASON”が始まる。ツアー名で謳っているのだからやることはわかっているのに、なんか不意打ちだった。自分がいた場所のせいなのか、この日はHAKASE-SUNのキーボードが全部半音ズレているように聞こえ、“LONG SEASON”も最初はキーボードもベースもズレているように感じる。一緒に見ていた映画監督の朝倉加葉子はわざとやっていると言ってるんだけど、ほんとかなー。フィッシュマンズならやりかねないと彼女は言うんだけど、ズレて聞こえていたのが僕だけではなかったことは確か。ヴォーカルが入ったところで全部がピタッと合い、曲調が一気に加速する。ZAKさんによれば“LONG SEASON”をミックスしていた時にイメージしていたのはカン“Future Days”だったそうで、ヴォーカル・パートから演奏パートに移るあたりはなるほどなあと思えた。『空中キャンプ』のレコーディングを始める前、佐藤伸治はよくムーグさんの家でクラウトロックを聴いていたそうで(だからジャケットに「NEU」の文字)、もしかすると「UP & DOWN」という歌詞もハルモニアに由来するのかなとか。そして、茂木欣一のドラム・ソロがとんでもなかった。照明のせいもあって、なんだか幻影師アイゼンハイムみたいに見え、ピアノのループが鳴り続けているので実際には時々ブレイクを挟んでいるのだけれど、延々と続くドラム・ソロが様々な景色を描き出し、ドラムだけを聴いているという印象ではなかった。しかも、そのままメンバーが戻ってきて一気にピッチを上げたスピードコアに変容。一度だけペイヴメントとの対バンで聞いたパンク・ヴァージョンかと思ったけれど、ライヴが終わってから確認できたのは、あれはモール・グラブへのアンサーだったということ。昨年12月にメルボルンで行われたモール・グラブのDJでオープニングに“LONG SEASON”が使われたのはいいんだけれど、それは彼らがエディットしたヴァージョンで、とんでもなく回転数を早めたものになっていたのである。これを聞いたマネージャーの植田さんが最初に言った言葉が忘れられなくて、彼女の反応は「この手があったか!」というもの。「なんてことするんだ」とか「これじゃ曲が台無し」ではなく、現在のフィッシュマンズを現在進行形で捉えていなければ、とっさにこの表現は出てこなかっただろう。これに関してはアンサーを返そうとするフィッシュマンズもすごいけれど、植田マネージャーも大したものです。おかげで過去最高に長い〝LONG SEASON〟を聴くことができました。ここまでヒット曲大会だったステージは記憶の片隅に眠っていた“FUTURE”でエンディングを迎える。〝A Piece Of Future〟で始めたから〝FUTURE〟なのかなとは思うけれど、大騒ぎの締めくくりに、何もかもが夢だったかのような感触を運んでくる“FUTURE”というのはあまりにも絶妙。2年前にドミューンで川辺ヒロシが“LONG SEASON”の後に“むらさきの空から”をかけたのもグッときたけれど、今回の流れもとてもよかった。

 そして、アンコール。メンバーが出てくるまで手拍子が途切れなかった。こういうことは昔はなかった気がするけれど、自分でも手拍子がやめられないし、フィッシュマンズがかつてのフィッシュマンズとは違うなら自分だってすっかり変わってしまったのだなと自覚する。フィッシュマンズを聴いてこんなに楽しく騒いでいる自分になるとは想像もしなかったし、そう思うと現在のフィッシュマンズを否定し続ける佐藤伸治至上主義者には絶対にいなくならないで欲しいと思う。皮肉でいっているのではなく、「止まっちまいたい」という感情に強く共感したことは確かだし、自分のなかにもそれが少しでも残っていると思いたいから。

 再び客電が落ちて真っ暗になり、誰かが“POKKA POKKA”を歌い出す。「心の揺れを静めるために静かな顔をするんだ」~と、その日初めて聞く声。ライトがつくとGEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポーだった。神宮外苑前で樹木伐採に反対する人たちがミニ・フェスをやった時(PAはZAK)と同じく全身真っ赤な衣装で、カズレーザーみたいだと思っていると、どんどんマヒトゥのヴォーカルに引き込まれる。人の曲を歌って「自分のものにする」という言い方があるけれど、歌詞はまったく同じなのに佐藤とは異なるマヒトゥなりの苦悩があるように聞こえたというか。「だれかにだけやさしけりゃいい」というのは佐藤伸治が当時、観ていたTVドラマ『ロングバケーション』で木村拓哉が言うセリフで、マヒトゥが歌うと佐藤とは人との距離感がまったく違うように感じられ、そもそも佐藤伸治はどうしてこの曲をつくろうと思ったのかと考え始めてしまう。続いて“Weather Report”。そろそろ疲れて終わりが近いという時にこの曲というのはオーディエンスには酷な気がする。ここから、さあ、踊るぜというモードになって、次で終わりというのは何か間違ってるだろー。茂木欣一も「じゃあ、朝までやるか!」と自分で言ってたじゃないか。そんな気分になる曲だし、この曲はもっと早い方が全体に勢いがついていいと思うんだけど。心のなかでそう叫んでもUAやハナレグミもまた出てきて、いかにも大団円といった雰囲気になり、あとはよく覚えていない。朝までやるといったのに「最後です」と前言をひるがえして、あと一曲やるというので“ひこうき”だろうと思ったら、“ひこうき”だった。一度でいいから“シーフードレストラン”で終わって欲しい(ウソ)。

 3時間半のステージが終了し、快く疲れて弛緩していると視界にグレッグ・オールマンが入ってきた。よく見ると髪を伸ばしまくった佐野ディレクターである。「今日の譲はすごかった」と佐野さんは柏原譲のテクニックが『若いながらも歴史あり』の頃に戻ったとコーフンしている。そうかもしれない。ベース・ソロがなかったことが不思議なくらい柏原譲は柏原譲だった。予想通り、会場には外国人の数も増えていて、ベースが技を見せると「ファンタスティック!」という声が飛んでいた。佐野ディレクターはそして、今回のツアーTシャツ「FISH IS WATCHING YOU」を着ていた。またしても「A」がない。そして、そのことについて話をしていて僕は「I’M FISH」は「I’M A FISH」の間違いだとずっと思っていたのだけれど、これはムーグさんがわざとやったのだということを初めて知った。「魚」ではなく一種の抽象概念(=something fishy)だと。ちなみに「FISH」はスラングで「ムショ帰り」とか「キリスト」という意味もあったりするのであんまり外国では着ない方がいいかもしれません。「抽象概念としての魚があなたを見ている」というのは、しかし、ちょっと怖くないですか。「魔物が落ちてくる」よりはいいのかな。

interview with Gazelle Twin - ele-king

 作曲家、プロデューサー、シンガーであるエリザベス・バーンホルツの別名として知られるガゼル・ツインの作品は、トランスフォーメイション(変化・変容)によって定義されてきた。2011年に『The Entire City』でデビューした際には、マックス・エルンストの鳥のような分身、ロプロップに触発された衣装でパフォーマンスを行った。2014年の『Unflesh』では、彼女の学校の運動着をモチーフにした衣装を身に着け、ナイロン・ストッキングを頭にかぶって顔を覆い、内臓をえぐるような(ホラーな)音楽を演奏した。これまででもっとも高い評価を得た2018年のアルバム『Pastoral』では、バーンホルツは、アディダスのトレーナーに野球帽をかぶり、ブレグジット派とリトル・イングランドの有害な遺産を標的にした邪悪なハーレクインに扮している。

 ニュー・アルバム『Black Dog』では、仮面ははずされたものの、彼女はまだ自分自身に戻ったわけではない。このアルバムでは、イギリス・ケント州にある農家を改造した家で過ごした幼少期に遡り、彼女を含む家族の何人かが遭遇した超自然的存在で、アルバム・タイトルとなった黒い犬が取り上げられている。一家は彼女が6歳の時に引っ越しをしたのだが、彼女のなかには漠然とした恐怖が残っており、一人目の子を出産した後にそれが余計に強くなっていた。そこで、彼女は古い記憶を掘り起こして幽霊話に没頭し、自分を悩ませているものの正体を解明しようとしたのだ。
 以前、バーンホルツはガゼル・ツインを操り人形に例えていたが、今回は自分自身を媒体として声をチャネリングさせている。アルバム中に撹拌された、薄気味悪いエレクトロニクスの響きは、時折不穏な静けさに中断され、聴く者を不安にし、時には不気味なサウンド・デザインと激しいヴォーカル・パフォーマンスの両面で、後期のスコット・ウォーカーを彷彿とさせる。完璧なハロウィーン向きのサウンドトラックともいえる。このアルバムは、ホラー映画『Nocturne』などの彼女の最近のスコアをリリースしているInvada Recordsからの初のソロ・アルバムとなっている。

だから子どもたちには、反抗心を植え付ける必要がある。学校では無理なら、家庭でね。

数日前に初めて『Black Dog』を聴いたのですが、ジェニファー・ケントの『The Babadook(ババドック 暗闇の魔物)』を思い出しました。この映画はご覧になりましたか?

GT:一度飛行機のなかで観たのだけど、もう一度観なくてはと思っています。自分が親になる前に観ていて、映画については微かな記憶があるだけ。いま観ると、また違ってみえると思う。

かなり不快に思われるかもしれませんね。ホラー的な要素がありながら、実生活での難しい子供の母親であることの痛みが混ざり合っていますから。見ているものが本当に超自然的なものなのか、あるいは母親の経験が明示されているのかがわからなくなります。

GT:この映画が公開され、自分が母親になってから、この映画について書かれたことをたくさん読みました。おそらくもう一度観たら、ショッキングだと思う。このレコードで出てきた表現のように。親にとっては間違いなく普遍的なものなのに、ほとんど語られることがないように思う。

その理由は、子どもを持つ経験をした人たちが、他の人が親になるのを怖がらせないようにするためでもあるのでしょうか?

GT:それもあるでしょう。そして、それは自分だけの唯一無二の経験だと思っていて、他の人が同じような経験をするとは想像したくないのかもしれない。そして、一定の人たちは、このことをどこかへ埋めて忘れてしまい、前に進みたい気持ちもあるのだと思います。女性が出産について語るときにも似ていて、あんなに痛くて大変な思いをするのは無理だと思いつつ、次の日には「ふむふむ。私はやり遂げた!」という感じ。でもときには、その経験があまりにも強烈で、無視できないこともある。想像以上に物事がひっくり返るような経験だから、みんながもっとそれについて語ればよいのにと思っている。それはすごく大きなトランスフォーメイションで、人間関係や、個人的な感覚や肉体的な感覚においてもそう。とても壮大で重大な出来事だから。これほど長い間、人間がそれを続けてきたことが信じられない! うまくいかないこともあるようだけど、それは起こり続けているしね。

幽霊や不吉なことに付きまとわれる性質には、ほとんど不安や憂鬱、そしてストレスがテンプレートのようにセットになっているのだと思う。物事には生理学的な繋がりがあって、幽霊のループでは、同じことを繰り返す幽霊と、同じ音を繰り返し出すことが繋がっているのではないかと感じる。

『Babadook』を思い浮かべたもうひとつの理由は、映画の結末を覚えていらっしゃるかわからないけれど、彼らを恐怖に陥れていた生物が、まるで手に負えないペットのように、地下室に住み着くことになってしまったからです。関係性が変わり、もはや恐怖の対象ではなく、共存することを学ぶようになった。あなたがアルバムで書いた黒い犬が、アルバムを通してヌメっと現れる存在であるところにも、共通点を感じました。

GT:そうね、それは魅力的な繋がりかもしれない。今晩、絶対に映画『Babadook』をもう一度観てみるわ(笑)。アルバムを制作する過程で、こういうものを観たり、接したりした微かな記憶を辿ったのだけど、当時は怖く感じていなかったことに気付いた。その奇妙さを思い出したのは歳をとってからで、兄弟や父と話して、彼らの同じような体験のヴァージョンを共有することで、これは奇妙で、変で、怖いことだと気がついたのです。このレコードでは、最初はごく大雑把に幽霊について書いたものだったのだけど、子ども時代から10代、大人、そして親に成長するまでの間に経験した不安や鬱との関係性と深くからみついたものになった。幼少期の記憶というのはずっと残っていて、ループされて止めることができないの。

ご兄弟やお父さんも経験したことだったのですね?

GT:たぶんね。いま、そのことを話そうとすると、兄弟はすごく積極的で真剣に語るから。彼にとっても多くのことが未解決なのだと思う。父の方は、いつもそのことを喜んで話してくれるんだけど、多くのことが、なんというか……ありがちだけど、時間がたつにつれて内容が変わっていくの。ストーリーが洗練されていったり、語り口も少し変化したり。でも、私と、特に兄弟が100%の確率で覚えているのは、それが小さな黒い犬だったということ。彼は犬がベッドの下で鳴いているのを聞いたというし、興味深いことに、犬を見たこと、匂いを嗅いだことも覚えているの。私が覚えているのはそれとはかなり違って、それはいつも、ただの影で、ベッドの横に存在する小さな頭部だった。父の話だと、夜中に犬が唸り声をあげたのを覚えていると。それはかなり怖いと思うけど(笑)。それらが、このアルバムのイメージの原動力になっているのはたしかね。でも同時に私のなかでも、それは、実存的で象徴的なものになった。幽霊や不吉なことに付きまとわれる性質には、ほとんど不安や憂鬱、そしてストレスがテンプレートのようにセットになっているのだと思う。物事には生理学的な繋がりがあって、幽霊のループでは、同じことを繰り返す幽霊と、同じ音を繰り返し出すことが繋がっているのではないかと感じる。このアルバムの制作時に、例えば何度もトラウマのような経験を思い返してしまうPTSDの仕組みと似ている部分が多くあることに気がついた。自分で助けを求めて行動を起こさなければ、そのサイクルを断ち切ることはできない。怪談も同じで、断ち切らなければならないループがあって、そのループは、トラウマになるような、精神的な苦痛をともなう経験によって引き起こされるのだと考えられる。ごめんなさい、話がゴチャゴチャになってしまった……。もう4杯もコーヒーを飲んでしまったわ。

いえいえ、全部いい話ですよ。Bandcampの『Black Dog』 のページには、このアルバムの制作期間が5年にわたったとありますが、かなり長い時間の作業だったのですね。

GT:そう、本当に長かったです。予想していたより長くかかってしまったけど、2年間は、COVIDで中断されてしまったし。COVIDよりも前に、もう一人子どもを産もうと決めていて、最初のロックダウン中にその子供が生まれた。これには良いこと、悪いことの両方があったけど、より時間をかけて考えを煮詰めることができたわ。このアルバムを作ろうと思ったのは、本当に瞬間的なことで、『Pastoral』ツアーの最終公演の会場が幽霊の出そうな場所で、一歩足を踏み入れると、瞬時に違和感と不快感に襲われた。そこに何か得体のしれないものがいるような。その場所に居るのが嫌で、ショウの間は本当に不安だった。でもその日、ショウの後に「次のアルバムは幽霊をテーマにして、自分はその霊媒になろう」と思いついた(笑)。複数の声を通す導管になるというのが2019年頃の計画だった。それ以降、その計画が頭にあって、超常現象や幽霊や祟りについての話や理論に浸っていた。ポッドキャストや映画、本などを通じて、本当に怖くなり、心が高ぶっていった。知人にもそれぞれの物語を語ってもらった。できるだけ多くのヴァージョンを集めたかったし、これまでに自分の超常現象について語ったことのない人たちの話も聞きたかったから。

このような探求プロセスを経た後、どのようにして音楽で表現するに至ったのですか?

GT:おかしな話だけど、そのこととの繋がりを意識する前に、すでに多くの曲を作っていた気がします。アルバムの大半は、今年のはじめ頃に作ったの。音楽をわりと早く完成させることができたのは、それまでに大量の感情や思考を貯め込んでいて、今にも吹き出しそうだったから(笑)。その前年の夏に友人の家でサンプルをたくさん作っていた。Moog (Sound) Labという、基本的には可動式の素晴らしいアナログ・スタジオを使用する機会を得たの。全部ヴィンテージのMoogの機材で、さらにサリー大学のものだと思われるヴィンテージのVCS3もあって、光栄にも、夏の間、借りることができた。私の家にはそれを置く場所がなくて、友人の家に置かせてもらったというわけ。私は友人の家に行って奇妙な音を出して、音源を家に持ち帰り、コンピュータに入れるだけであまり触らなかった。そして、今年の初めにまたその作業を再開し、曲に編み込み始めた。音楽作りはとても幽玄なことだと思う(笑)。私にとって、完成するまでは、それが何の意味も持たないものに思えるし、私の脳がそうなっているのかわからないけれど、半分ぐらいはやったことを覚えてもいないの。ただ、何曲かは、レコーディングするのにかなりの苦痛が伴う作業だったことは覚えている。すべてが一気に出てきて、歌詞も溢れ出てくる。レコーディング中、私はとても感情的になり、自分を律する必要があった。それと同時に、溢れ出てくるものに驚いてもいた。「これは何? 私から溢れ出てくるこれは何なの?」と。

このアルバムについてあなたが言っていた、媒体としての役割についてですが、過去にあなたはガゼル・ツインをご自身のアイディアを表現する操り人形のようなものだと説明しました。表面的には、操り人形と媒体は似たような機能を持つものだと思えるのですが、あなたにとっては違いがあるのでしょうか?

GT:そうね、とても近いものだとは思います。たぶん、媒体という概念は、幽霊のルートを辿る以前から頭にあったことだと思う。ガゼル・ツインについては、何枚かアルバムを出したり、プロジェクトを進めたりするうちに、自分自身のキャラクターやヴァージョンが乗っとられるのを許容した自分を感じたのだけれど、でも実はそれとはまた何か違うものだったりする。過去2枚のアルバム『Pastoral』と『Unflesh』では、それらのキャラクターに独自の方法で命が吹き込まれたのです。ライヴ・パフォーマンスでは、私の体のなかで事前に計画したわけではない動きが生まれ、それがぴたりと合って、自分の体のなかを力強く流れているように感じました。まるで憑かれているような、ほとんど悪魔的な奇妙な出来事で、その体験が、まるで霊媒になって自分のなかに霊魂を流し込むようなことだと感じた。その時、幽霊のことを思いついて、そのふたつを掛け合わせてみたというのが本当のところかな。

11月には、このツアーが予定されていますよね。どのような内容になるのでしょう?
この音楽のレコーディングは苦痛の伴うものだったとお話されましたが、そのような経験を何度も繰り返すことになるのでしょうか。あるいは、繰り返すうちに楽になるのでしょうか?

GT:最終的には後者の方であってほしいです。ライヴについては、おそらくそれが理由で、これまででいちばんアンビヴァレントな気持ちになっています。まず、今回は仮面を伴わずに、自分をさらけだすことになるので。完全な自分自身であるとは言わないけれど、私という者の正体が見えやすいでしょう。音楽も、このレコードでは鼓動が高まるような激しく容赦のないビートは多くない。瞬間的にはそのような場面もあるけど、今回は大きく、感情的に歌いあげる部分や大きなコード・チェンジもあります。レコードを通じてムードが大きく変化する。これまでのライヴでは、容赦なく鼓動が高まるような、まるでワークアウトのような状態を、深く考えることなくできていましたが、今回はより多くの思考や、うまくペースを作ることも必要になる。正しいウォームアップが必須だし、自分の身の置き所を間違えないようにしないといけない。

そうそう、このアルバムであなたは本当に歌いあげていますよね。思いっきり!

GT:本当に、大きく歌い上げる場面が多いんです。ツアー中に風邪でもひいたら台無し。

そういう季節でもありますしね。

GT:そうなの。すでにCOVIDや胃腸炎などの悪夢へと向かう時期だし。ツアーに出るには最悪の時期だけど、なぜかいつもこの季節になってしまう。秋にアルバムを出し、寒くて皆が体調を崩しやすいときにツアーに出るという……。

長い間、インディーズで音楽をリリースしてきたガゼル・ツインのソロ・アルバムを、初めてレーベルからリリースする理由は何でしょうか?

GT:長年、私をサポートしてくれている〈Invada Records〉との継続的で本当に素晴らしい友情と関係を築くことができ、彼らが私にチャンスを与えてくれたからです。『Pastoral』の後、私はそれを喜んで受け入れました。それまでは、すべてのレコード発売のためにPRS基金(イギリスの新しい音楽と才能開発のための慈善資金提供団体)やその他から資金を調達し、関係者に報酬を支払い、作品を制作して世に送り出すまで、あらゆることをする必要があった。いずれはレーベルと契約したいという野心は常に持っていました。誰かと一緒に仕事をすることで、スケール感を大きくすることができるし。オファーされたとき、頭を悩ます必要はまったくなかった。私は物心ついた頃からポーティスヘッドの大ファンだったし、ジェフ・バロウが〈Invada Records〉と関係があることは知っていたから。私は彼に少しばかり恐れを抱いていたと同時に、いつかは出会えるかもしれないと密に期待していました。まだ会えてはいないけど、会えることを願っています。

まだ会えていないのですか。

GT:そうなんです。彼らはブリストルにいるし、ロックダウンやら、子どもたちの誕生やら色々なことがあったので、まだブリストルに挨拶しに行けていません。でも2月にブリストルでショウをやるので、その前には彼らに会えるといいいのだけど……。これまではすべてがリモートで行われていたし。皆信じられないほどのハードワーカーで、思いやりにあふれた人たち。長いお付き合いになるといいのだけど。いまこの時というのは、音楽業界にとって非常に厳しい時期で、Brexit(英国EU離脱)がそれをさらに悪化させている。彼らには、『ストレンジャー・シングス』のサウンドトラックのような大きなリリースもあるのに、それさえも利益を出すのが難しいと聞いて、とても憂鬱な気分になります! でも、彼らは仕事を続けていて、それを目の当たりにするのはすごく刺激的。彼らはその仕事を愛しているから、やらずにはいられない。そのような姿勢の人たちと仕事をするのは最高です。

多少、頑なで血の気の多いぐらいの方が、長い道程を歩めることもありますよね。

GT:その通り。粘り強く、できることをやり続ける。沈没しない限りは。タイタニック状態でない限り!

ただただ、希望の光が差し込むことを願うばかり。トーリー党はもう終わらせなければならない。彼らが一掃されなければ、おかしいと思う。そうでなければ、その時点で私は絶望してしまう。だからこそ、私はファンタジーの世界に引きこもるの(笑)。

『Pastoral』の話に戻りますが、これはBrexitの後、私が最初に聴いたアルバムのなかで、イギリスで起こった大きな分裂について、心の中を整理する方法を教えてくれたもののひとつでした。他の多くの人にとっても、同じように心に響いたようですね。

GT:そのようですね。なぜだかはわからないけれど……。まず、タイミングはよかったのだと思う。インディーズでのリリースで、少々PRSの資金提供は受けていたけど、広く流通させるつもりはなかった。でも、なぜか人びとの心に響いたようで、いくつか素晴らしいレヴューや書き込みがありました。ただ自分が田舎に引っ越したときの気分をレコードにしたつもりだったから、驚いたというのが本当のところ(笑)。イギリス人であること、突然そのアイデンティティについて少し疑問を感じてしまうこと。私は常に歴史に興味を抱いてきたけれど、歴史と宗教などがアイデンティティを形成し、それがイギリス人のアイデンティティにどのように使われてきたのか。私は親になったばかりだったので、少し変になりそうだった。そのことを心底バカにしたり、からかったりしたいと思っていた。少しパンクな態度をとろうと思った。本当に悔しかったし、腹立たしく感じていから!

それを発表して反響を得たいま、あなたはイギリスについてどのように感じていますか? 遠くから見ていると、どんどん悪化しているように見えるのですが。

GT:相当ひどい状況だと思う。私の知り合いでも億万長者でないほとんどの人は宮殿のなかでほんの数人によって決められたことのせいで、突然、ライフスタイルのダウングレイドを余儀なくされた。私は自分の正気を保つために、政治の話についての記事や、それにまつわる日々更新されていく負のループから距離をとる必要があった。私は自分の子どもたちの幼少期を、常に絶対的な落胆や鬱々とした感覚に覆われたものにはしたくない。でも、残念ながら彼らはすでにそれらの影響を受けているし、これからの彼らの人生にもかなり影響すると思う。腹立たしいのは、1980年代のトーリー党(保守党)の時代でさえ、私はもっと良い時間を過ごしていたということ。学校では、私に親切ではなかった数人を除けば、楽しく過ごせたし、良い教育、音楽教育を受けることができた。

(音楽教育は)いつも真っ先にカットされるものですよね?

GT:本当に信じられない!  トーリー党のイデオロギーのどこかに、アーティストたちが物のわかった人たちであることを知っていて(笑)、彼らの繁栄を許せば、自分たちの所にやってくるという認識があるのではないかと思う。それはあるんじゃないかな。だから子どもたちには、反抗心を植え付ける必要がある。学校では無理なら、家庭でね。

次の総選挙に期待。

GT:ただただ、希望の光が差し込むことを願うばかり。トーリー党はもう終わらせなければならない。彼らが一掃されなければ、おかしいと思う。そうでなければ、その時点で私は絶望してしまう。だからこそ、私はファンタジーの世界に引きこもるの(笑)。まったく異なる方向に興味を持つことの方が、よほど見返りがあるというものよ。ところで、あなたは日本のどのあたりに居るの?

東京です。

GT:ああ、そうなの! 本当にいつか東京に行ってみたいと思っているの。ショウをしにでも、旅行でもいいから。息子たちがスタジオ・ギブリの大ファンだし。私、正しく発音できてた? 「ギブリ」?「ジブリ」?

「ジブリ」ですね。

GT:なるほど。これでわかったわ!

いまは、ジブリ・パークもあるんですよ。映画に出てきた場所などが再現されていて、『となりのトトロ』の家に行ったりできる。

GT:ああ、それは子どもたちより私の方が興奮するかもしれない。今日も家を出るとすぐに「Hey Let’s Go」(「さんぽ」の歌詞〝あるこう〟の英語版)を口ずさんでいたぐらいだから。うちの子のひとりは、レインコートを着て、もうひとりは小さな虎のつなぎを着ていたのだけど、車のなかではこの曲をかけさせてくれず、かわりにヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュースの“パワー・オブ・ラヴ”をかけさせられたわ。

それは興味深いチョイスですね。

GT:彼らは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が大好きだからね。とくに車のデロリアンが。実は、私が子どもの頃に好きだったものばかりなんだけど。

 

interview with Gazelle Twin

by James Hadfield

The work of Gazelle Twin – the alias of composer, producer and singer Elizabeth Bernholz – has been defined by transformation. When she debuted with “The Entire City” in 2011, she performed in a costume inspired by Max Ernst’s birdlike alter ego, Loplop. With 2014’s “Unflesh,” she donned an outfit based on her school PE kit and pulled a nylon stocking over her face while performing visceral body(-horror) music. 2018’s “Pastoral,” her most acclaimed album to date, found Benrholz she adopting the guise of a malevolent harlequin in Adidas trainers and baseball cap, as she took aim at Brexiteers and the toxic heritage of Little England.

On new album “Black Dog,” the masks are off, but she still isn’t quite herself. The album reaches back to the early years of her childhood, spent in a converted farmhouse in Kent, where she and some of her family had encounters with a supernatural presence – the black dog of the title. Although the family moved when she was six, an inchoate fear stayed with her, and grew stronger after the birth of her first child. So she started dredging up old memories and immersing herself in ghost stories, trying to understand what exactly was haunting her.

While Bernholz has previously compared Gazelle Twin to a puppet, this time she saw herself as a medium, channeling voices. The album’s churning, eldritch electronics, punctured by moments of uneasy calm, make for a disquieting listen, at times recalling late-period Scott Walker both in the uncanniness of the sound design and the intensity of the vocal performances. A perfect Halloween soundtrack, in other words. It’s her first solo album for Invada Records, which has also released some of her recent scores, including for the horror film “Nocturne.”

I listened to “Black Dog” for the first time a few days ago, without reading anything about it beforehand, and it was making me think of Jennifer Kent’s “The Badadook.” Have you seen the film?

I’ve seen it once, on a plane, and I really need to revisit it. I have a faint memory of what that film is, and I watched it before becoming a parent. I think it would be very different watching it now.

Yeah, it might be quite uncomfortable. The way it has this horror element, but then just mixed in with the real-life pains of being a mother to a very difficult child. It makes you question whether what you’re seeing is something genuinely supernatural, or if it’s this manifestation of what the mother is going through.

I’ve read a lot about it since it came out, and since I’ve become a parent. I think it’s going to be a bit mind-blowing if I watch it again, in terms of what has come out on this record – which is a universal thing, no doubt, for parents. It’s just rarely spoken about, I think.

Do you think that’s partly because people who've gone through the experience of having kids don't want to scare anyone off from becoming parents themselves?

I think it is partly that. I think also, you know that it’s your experience, and unique, and you don’t want to presume that anyone else will necessarily have that same experience. I think also, there’s a certain degree of wanting to just bury it, and just move on. It’s kind of similar to how women talk about childbirth. You can’t believe that it’s possible to go through so much pain and effort, but then the next day you’re like: “Hmm! I've done it.” But sometimes, the experience can be so intense that you can’t really ignore it. I wish people did talk more about it, because it really does turn things upside down, in many ways – many more ways than I ever imagined it would. It’s a huge transformation that happens: in a relationship, but then in your own individual sense, and your physical sense. It’s just an epic, momentous thing. I can’t believe people have been doing it for so long! It doesn’t seem to work that well, sometimes, but it does keep happening.

I guess another reason I was thinking of “The Babadook” is because – I’m not sure if you remember the ending of the film, but this creature that’s been terrorising them, they end up with it living down in the basement, almost like an unruly pet. It’s like the relationship has changed, so it’s not this object of fear any more, but something that they're learning to coexist with. Reading what you’ve written about the black dog – which is this presence that looms throughout the album – it seemed like maybe there was some similarity there as well.

Yeah, that’s a really fascinating connection to make. I'm definitely going to go and watch “The Babadook” again tonight (laughs). Through the process of making the album, I went from these very faint memories of this sort of thing that I would see, and interact with – which I was never afraid of at the time. It was only through the bizarreness of remembering it when I was older, and then conversations with my brother and my dad about their version of it, that made me think: God, that’s creepy and weird, and scary. The record started out as something, very broadly, about ghosts, and became much more intertwined with my development from childhood into teenhood, into adulthood, into parenthood, and the connection with anxiety and depression. These memories of childhood just linger, and they stay with you – it's just like this loop that doesn’t stop, and I couldn't put it to bed.

So this is something that your brother and dad also experienced?

Well, supposedly. I mean, when I try to talk to them about it now, my brother’s very active and very serious about it. For him, a lot of it, I think, is unresolved too. I know that my dad was always really happy to talk about this stuff, but a lot of it’s kind of... you know, things change over time, the way people tell their story. The story gets refined, or the narrative slightly shifts. But from what I remember – and my brother absolutely, 100% remembers this – it was a small dog, a small black dog. He remembers hearing it under his bed, he remembers seeing it and smelling it – which is quite interesting. For me, it was very different: It was just a shadow, it was a small head that was by the bedside. My dad, I think, had a story about seeing it growling at him in the night, which is pretty terrifying (laughs). And obviously, that drives a lot of the imagery of the album. But also, it’s become something that's really quite symbolic to me, as an existential thing, really. I think there’s so much in the nature of ghosts and hauntings that is almost like a template for anxiety and depression, and stress. I feel like there’s connections in the physiology of things, the looping of ghosts – if you're talking about a ghost that does the same thing over and over again, or the same sounds. I became aware, when I was making this album, just how many similarities there are with how PTSD works, for example, and you’re reliving a traumatic moment, over and over again. You can’t break the cycle until you seek help and you do something about it, and it feels like ghost stories are the same. They’re this kind of loop that needs to be broken, somehow, and those loops are supposedly caused by these emotionally traumatic events. Sorry, I’m really, really waffling. I’ve had four coffees.

No, it’s all good. Looking at the Bandcamp page for “Black Dog,” it says you were working on the album over a five-year period. So it was quite a drawn-out process, right?

Yeah, really long. Longer than I really expected, but we had a couple of years’ interruption with COVID. I’d already decided before COVID that I was going to have one more child, and it just so happened that I had that child in the first lockdown – which was good and bad, really, but it gave me more time to just sort of stew. I made the decision to make the album, really, on a split-second moment – on the last show of the “Pastoral” tour, in fact, in what I felt was a haunted venue. I’d walked in and felt instantly different and weird. I just had that instant sense of, like: There’s something in this room. I really didn’t like being in there, and I was really anxious during that show. But that day, at the end of that show, I thought: I’m going to make the next album about ghosts, and I’m going to be a medium (laughs). I'm going to be like a conduit for multiple voices to come through – that was the plan, back in 2019. Then over that period of time, I kind of kept that in my head, and I just lived and breathed stories and theories about the supernatural, and about hauntings and ghosts. I was listening to podcasts, watching films, reading books – getting myself really scared and worked up. I was asking people I knew, as well, to send me their stories, because what I wanted was to have as many versions of paranormal events as I could, stuff from people that have never really spoken about it before.

When you’re going through all this process of exploration, how did you then go about expressing that in music?

Well, it’s funny, because I think I'd probably made a lot of the music before I’d clocked the connections. I think that the majority of the album was made this year, the beginning of this year. It came out quite quickly, and I think I’d just stored up so much of these feelings and thoughts that I was ready to blow (laughs). I’d made a lot of samples in my friend’s house the previous summer. I had the chance to use the Moog (Sound) Lab, which is a really amazing analogue studio, basically, that’s mobile. It’s all vintage Moog equipment – plus there was a vintage VCS3, which I believe belongs to the University of Surrey, that lent it to me for the summer. I was really privileged to have that, and my friend had to put it in their house, because I didn’t have space for it. I’d be going there and making these weird sounds, and then bringing them home and just putting them on my computer and not really touching them. But then I went back to it early this year, and started to kind of weave them into songs. Making music is a very ethereal thing, I think (laughs). For me, it doesn’t really seem to make any sense until it’s all done. I don’t remember even doing half of it – I don’t know if that’s just the way my brain is – but I do remember that quite a few of the songs were very wrenching to record. They would come out in one go, and the lyrics would just sort of pour out. I’d be very emotional during the process of recording, trying to sort of gather myself up, but also kind of surprised at what was coming out. It was like: What is this? What’s this thing flowing out of me?

With what you were saying about acting as a medium on this album: In the past, you've described Gazelle Twin as being like a puppet for your ideas. On the face of it, a puppet and a medium would both seem to serve a similar function, but what’s the distinction for you?

Yeah, I think it’s very close. I think the idea of the medium thing had already been in my head, before I’d gone down the ghost route. I’d actually thought of Gazelle Twin – you know, having come a few albums down the line, and a few projects down the line – I thought it’s like I'm allowing myself to be taken over by these characters, or these versions of myself, but they’re kind of something else. With the previous two albums, “Pastoral” and “Unflesh,” those characters came to life in their own, very unique ways. In the live performance of them, there would be movements that would just happen, in my body, that I didn’t plan, but they felt really right – like it was fully flowing through me, that energy. It’s almost like being possessed. It’s this almost demonic, strange event. So I had it in my head – I was thinking it’s like being a medium, and letting these spirits flow through me. Then I hit on the ghost thing, and I just put those two things together, really.

You're going to be taking this on tour in November. What’s that going to involve? You were just saying how wrenching it was to record some of these songs – do you think you’ll be having to go through that experience again and again, or will it perhaps become easier with repetition?

Well, I hope the latter, by the end. I am more ambivalent than ever about the live shows – for that reason, I think. Firstly, I don’t have the mask thing going on: I’m very much revealed. I wouldn't say I’m completely myself, but I’m very much visible. And with the music, there isn’t so much pounding, intense, unrelenting beats on this record. There are moments of that, but there’s a lot of moments of big, emotional singing – and chords, lots of big chord changes. There’s a lot of shifts in mood throughout the record. I think where I’ve previously been able to put on a live show that’s just relentless and pounding, and it’s kind of a workout situation – I can do it without thinking too much about it, and really go for it – this time it’s going to require a lot more thought, and a lot more pacing. I’m going to need to really warm up properly, and get myself in the right space and stuff.

Yeah, because you really belt it on this album. I mean, God!

There’s a lot of big singing, yeah. I’ll be buggered if I have a cold or anything throughout the tour.

Yeah, it’s that time of year as well, isn't it?

Yeah, exactly, I know. We’re already heading into the nightmare of COVID and stomach bugs and all that. It’s the worst time of year for me to ever be going out on the road, but it just happens that way every time. I always end up doing autumn records, and going and touring when it’s freezing, and everyone’s ill.

Having released all your music independently for such a long time, this is the first Gazelle Twin solo album that’s coming out on a label. What was the reason for that?

Just a sort of ongoing, really nice friendship and relationship with Invada Records, who had begun to support me over the years, and they just offered me that chance. I was all for it, after “Pastoral.” I’d gone through various stages of funding to release every record that I’d done; I had to have funding from the PRS Foundation and elsewhere to make that happen, to pay people, to get it made and get it out there. I’d always had the ambition to be signed, eventually, because it’s potentially a really nice thing to have – to work with somebody, and to be able to increase the scale of what you do. It was a no-brainer for me when they offered. For as long as I can remember, I was a huge Portishead fan, and I always knew that Geoff (Barrow) was associated with Invada Records. Whilst I was a bit terrified of him, I was secretly hoping that one day I might be able to meet him – I haven’t yet, actually, but I hope to.

Oh, have you not?

No, because they’re in Bristol, and since all this stuff’s been happening, it’s been lockdown and kids, so I’ve never been able to get back to Bristol to say hi or anything. But I’m doing a show in Bristol in February. Hopefully I’ll see them before then – but no, everything’s been remote so far. They all work so hard – I can’t believe how hard they work – and they really care. I hope it’s a longterm relationship. It just happens to be a really bad time for the music industry at the moment, where Brexit makes it even harder. Some of the records that they’ve released, like the “Stranger Things” soundtrack – these are huge, huge things. And to know that even that is hard to make a profit, or whatever, it’s so depressing! But they carry on doing it, which is more impressive, because they just love it so much. It’s all they know. I love working with people who have that attitude.

A bit of bloody-mindedness gets you a long way, sometimes.

Absolutely. Yeah, you’ve got to be persistent, and just carry on if you can. As long as things aren’t sinking. As long as you’re not in a Titanic situation!

Just going back to “Pastoral”: After Brexit, it was one of the first albums I’d heard that really gave me a way of, I guess, processing this great schism that had happened in the UK. It seems like it resonated with a lot of other people, too.

Yeah, I mean, I don’t know... well, I do know why. Firstly, I think just the timing was probably quite lucky. You know, it’s an independent release. I had a bit of PRS funding, but we hadn’t planned for it to get really widely distributed. But it did seem to chime with people, and there were a couple of really excellent reviews and write-ups about it. I was surprised, really, because I thought I’d just made a record about what it feels like to move to the countryside (laughs). And being English, and then suddenly facing that identity and questioning it a bit, and wondering. You know, I’ve always been interested in history as well – history and religion, and how these things make an identity, and how they’ve been used in English identity. But I was also a new parent, and going a bit crazy. Also, I felt like I really wanted to mock things. I really wanted to take the mickey a bit, and just have a little bit of a punk attitude towards it. I was really frustrated, really angry.

Having put that out and seen the response it got, I was wondering how you feel about England now? Because looking from afar, it seems like stuff just gets worse and worse.

It’s a bit of a shit show, I think. For most people I know who aren’t millionaires, they are suddenly having to downgrade their lifestyle because of decisions made by a few people in a palace. I have had to step away from reading all about political life, being connected to the eternal loop of misery that is generated on a day-to-day basis, just for my sanity. I don’t want my children’s early years to be constantly overshadowed by this sense of absolute dejection and gloom – but unfortunately, it’s affecting them, and is going to affect them for a lot of their lives. It makes me so mad that this stuff is even... you know, I had a better time in the 80s, and it was still a Tory government. I had an amazing time at school – apart from individuals who weren’t kind to me – but in terms of education, music education.

It's always the first thing that gets cut back, isn't it?

It begs belief, doesn’t it? I think, somewhere in the Tory ideology, they know that artists are enlightened (laughs) and they know that they’ll be coming for them if they’re allowed to flourish. That’s part of it, really. There’s that rebelliousness that needs to be instilled (in children) – if it’s not at school, then at home.

Roll on the next general election.

I hope that genuinely brings a glimmer of hope. I mean, the Tory party have to be finished. I’d find it ludicrous if they didn’t get wiped out. I’d be in despair at that point, I think. But I think this is why I retreat into a world of fantasy (laughs). It’s so much more rewarding, isn’t it, just to be interested in a completely other dimension. Whereabouts in Japan are you, by the way?

Tokyo.

Oh, wow. I really hope to come to Tokyo one day, whether for a show or just to visit. I’ve promised to bring my boys there one day, because they’re massive Studio Ghibli fans. Have I said that right? Is it “Gib-lee” or “Jib-lee”?

“Jib-lee."

Right. Now I know!

They have the Ghibli Park now, as well. They’ve recreated some of the locations from the films, so you can go to the house from “My Neighbour Totoro” and stuff like that.

Oh, I’d probably be more excited than my children. I was literally singing “Hey let’s go!” as we left the house this morning. My little one was in a raincoat and one in a little tiger suit. They didn’t let me put it on in the car – we had to listen to "The Power of Love" by Huey Lewis and the News instead.

That’s a curious choice.

Well, they love it because of “Back to the Future.” They love the car, the DeLorean. It’s all stuff that I loved, really, when I was a kid.

interview with Nubya Garcia - ele-king


3日連続公演の初日にあたる10月2日、ブルーノート東京でのステージ。向かって左からライル・バートン(キーボード)、ヌバイア・ガルシア、マックス・ルサート(ベース)、サム・ジョーンズ(ドラムス)。

 2010年代後半以降の音楽、その見過ごせない潮流のひとつにUKジャズがある。先日エズラ・コレクティヴがジャズ・アーティストとして初のマーキュリー・プライズ受賞を果たしたのは、かれらの活動だけが評価されたからではないはずだ。それはシーン全体が無視できない成果をあげてきたことの帰結であり、ムーヴメントが成熟に至ったことの象徴だったのではないか。
 さまざまなプレイヤーやグループが切磋琢磨し、それぞれの独創性を追求しつづけている。あまたの才能ひしめくなか、サックス奏者のみに的を絞るなら、筆頭はシャバカ・ハッチングスとそして、ヌバイア・ガルシアということになるだろう。まさにエズラ・コレクティヴとも浅からぬ関係にある彼女だけれど、その音楽を特徴づける要素のひとつにダブがある。ブルーノート東京での3日連続公演の中日、10月3日のステージでもそれはひしひしと感じられた。バンドはサム・ジョーンズ(ドラムス)、マックス・ルサート(ベース)、ライル・バートン(キーボード)からなるカルテットだったが、メンバー紹介では客席後方のダブ・マスターにもしっかり感謝が述べられていた。以下でも語られているとおり、ダブにはなみなみならぬ思い入れがあるにちがいない。
 力強いサックスを支えるドラムスにはエレクトロニック・ミュージックからの影響もうかがえる。最新シングル曲 “Lean In” はUKガラージから触発された曲だという。あるいはパッケージとしての現時点での最新作はクルアンビンとのライヴ盤だ。それら一見ジャズとは異なる文脈に属しているように映るものへの貪欲さこそ、ガルシアの音楽を豊かなものにしているのだろう。
 取材は翌日の10月4日。まだ公演を控えているにもかかわらず、終始気さくな態度で彼女は話に応じてくれた。

すごく自由な空間を与えてくれる場所、というのがわたしにとってのダブかなと思う。自分が解放されるというか。ツアーが終わったとき、いつも最初にやりたいのが、サウンドシステムを組んでいる場所で8時間ぐらい休みなしにそういう音楽を聴きにいくことで(笑)。

昨日のライヴ、すばらしかったです。ふだんロンドンでギグをするときはオールスタンディングの会場が多いのですよね? ブルーノート東京はいかがでしたか?

NG:スタンディングも着座も、わたしは両方好き。ヨーロッパでも座席指定のショウをやることはあって。シートとべつにスタンディング・エリアのような場所を設けてどちらも楽しめるようにするときもある。今回はブルーノートでパフォーマンスができてすごく嬉しかった。東京のアイコニックな場所だし、シート・チェンジがあって、それで場のエナジーが変わる感じも楽しい。光栄でした。

以前ジョー・アーモン・ジョーンズのバンド・メンバーとして来日したことがあるかと思いますが、ご自身がメインの公演としては今回が初来日になります。どこか訪れた場所はありますか?

NG:ちょっと忙しくて、まだあまりいろんな場所には行けてないんだけど……新宿で「ガルシア」っていう(自分とおなじ)名前のバーを見つけて、そこは最高だった! 明日からようやくオフだから、日本のスタイリッシュな洋服を買いに行きたい。あと、アイウェアのお店に行ったり、ボートで東京湾をまわったり、お寺を見に行ったり……いろいろ楽しもうと思ってる。

ぜひ楽しんでいってください。ではまずあなたの音楽キャリアのことからお伺いしたいのですが、初めて学んだ楽器はヴァイオリンだったんですよね。

NG:ええ、そのとおり。

クラシック音楽を学んでいたということでしょうか?

NG:そう、18歳までは。17歳ごろまではジャズを習ったり学んだりした経験はなくて。ティーンエイジャーのとき、週末だけちょっと習いにいったりグループでやってみたりもしたけれど。

現在あなたはサックス奏者/フルート奏者として活躍していますが、それらの楽器を選ぶことになったきっかけ、そしてジャズをやっていくことになったきっかけはなんだったのですか?

NG:じつはサックス自体は10歳のことからやっていて。あとクラリネット、ヴァイオリンも。兄や姉とコンサートに行ってビッグ・バンドの演奏を観たりするようになってから、ほかの楽器にも興味を持つようになった。サックスはひとつのジャンルに限らずさまざまな音楽にとりいれられているから、いろんな楽曲に挑戦できそうだなと思って。そのかわり、ちゃんとグレード(学年、成績)もとって、ほかのことも勉強するという条件でね。17歳まではクラシック音楽のサクソフォンをやってて、それ以降本格的にジャズへ打ちこみはじめた。

今年の9月、エズラ・コレクティヴがジャズ・ミュージシャンとして初めてマーキュリー・プライズを受賞しましたよね。そのスピーチでリーダーのフェミ・コレオソが、これは自分たちだけの力ではなく(無償のプログラムである)トゥモローズ・ウォリアーズをはじめとする多くのサポートのおかげでもある、というような感謝を述べていました。

NG:わたしも16歳か17歳ぐらいのころに(トゥモローズ・ウォリアーズに)入って、そこでエズラ・コレクティヴのメンバーの何人かと出会った。ほんとうに人生を変えてくれた機関だと思ってる。ちゃんと若者の個性を育てて、似たような感性を持つひとが集まっていて。自分たちは移民の二世なんだけど、そういうひとにもチャンスを与えてくれて。そういうひとたちがイギリスで経験してきたことを踏まえて音楽を教えてくれた。だから、ジャズ以上のことも学べたと思う。音楽的にも社会的にも文化的にも金銭的にもそう。それら全部を踏まえて自分たちの音楽活動をサポートしてくれる、すばらしい場所。


Nubya Garcia
Nubya's 5ive

Jazz Re:freshed / Pヴァイン

UK Jazz

Amazon

ファースト・アルバムの『Nubya's 5ive』が2017年ですが、以降はジェイク・ロングのマイシャに参加したり、ネリヤをやったり、ほかのひとたちとのグループでの活動にも積極的ですよね。そういった集団やコレクティヴでの活動は、いまのあなたになにをもたらしていますか?

NG:わたしはサイド・ミュージシャンとして活動するのもすごく好き。グループやコレクティヴとして活動することのよさは、ひとりだとすべて自分自身にかかってくる音楽への責任のようなものを、みんなとシェアできる点だと思っていて。内容や方向性だとか、どんな演奏の機会を選ぶかとかをいろんなひとと話しあって決められるし、さまざまな意見を参考にすることもできる。みんなで一緒に決めていくってすごくいいこと。あと、自分のソロ・プロジェクトではソング・ライティングをだれかとやることはないけど、ひとと一緒に曲を書くということもいい経験だったと思う。そしてなによりも、楽しいんだよね。いろんなスタイル、いろんな楽器を探究できるし。それがほかのプロジェクトで活動することの醍醐味。


Nubya Garcia
Source

Concord Jazz / ユニバーサル

UK Jazz

Amazon

前作『Source』から3年が経ちますが、いま振り返ってみてそれは自分にとってどういう作品だと思いますか?

NG:やっぱり、あれは自分が正直に表現したものが作品になった音楽だったと思う。当時自分が聴いていたジャンルや音楽、世界をめぐって経験したこと、そういったものがそのまま作品に映し出されているような感じのね。

あなたの音楽の見過ごせない特徴のひとつに、ダブがあります。それは昨日のライヴでも感じられました。なぜダブに惹かれるのでしょう?

NG:フリー・スペースのような……すごく自由な空間を与えてくれる場所、というのがわたしにとってのダブかなと思う。自分が解放されるというか。ツアーが終わったとき、いつも最初にやりたいのが、サウンドシステムを組んでいる場所で8時間ぐらい休みなしにそういう音楽を聴きにいくことで(笑)。あのエナジーはすばらしい。たくさんの人びとが、お酒を飲みに来ているわけでもなく、話しに来ているわけでもなく、純粋に音楽を楽しみに来ているあの状況、みんなでダブ・プレートを聴いてインスパイアを受けてひとつになっているあの空間の一体感が大好き。
 やっぱり、ロンドンで暮らしている影響はあると思う。サウンドシステムの文化も60年代にジャマイカから入ってきて、その子どもたちにどんどん受け継がれて、歴史が深まっていったわけだし。それがあるからこそ、ダンス・ミュージックにエネルギーが生まれて、イギリスという土地でどんどん発展していったんだと思う。わたしはロンドンでああいうカーニヴァルを観て育ってきたけど、いまはレイヴやサウンドシステムを体感できる場所も機会も減ってきてるよね。でもやっぱりツアーをしているとすばらしい音楽に出会えたり、それらを聴きたい人びとがたくさんいるんだな、ってことがわかるからほんとうに嬉しい。(そういった体験に恵まれているのは)自分がロンドンにいてさまざまな文化に触れてきたことがいまにつながっているからだと思う。

ネリヤの『Blume』でもご自身の『Source』でも、プロデューサーとしてクウェズ(Kwes)が参加していました。彼は制作にどこまで関わっているのですか?

NG:共同プロデューサーというかたち。わたし自身も彼もプロデューサーだし。だから一緒につくる感じかな。前回の『Source』のときも互いに曲を書いて、スタジオに行ってレコーディングして、一緒にミックスして一緒にポスト・プロダクションをやった。いつもそんな感じ。こないだリリースしたシングル(“Lean In”)もそう。

いまお話に出たシングル “Lean In” ですが、UKガラージにインスパイアされた曲だそうですね。

NG:(これまでのほかの取材でも)ずっとそのことを訊かれてた(笑)。

あなたの音楽的背景にはエレクトロニック・ダンス・ミュージックもあるのでしょうか?

NG:わたし自身はそうだと思ってるし、そう思いたい。エレクトロニック・ダンス・ミュージックのひとたちがそう思ってくれるかはわからないけど。ちなみにいま自分がいっているエレクトロニック・ダンス・ミュージックというのはEDMとはぜんぜんべつのもので。EDMからの影響はまったくないけど、ダンス・ミュージックという観点から(エレクトロニックなダンス・ミュージックは)インスピレイションのひとつだし、バップやフリー・ジャズとおなじぐらいたいせつな存在の音楽。確実に自分の音楽の要素に入っているひとつだと思う。

(エレクトロニックなダンス・ミュージックは)インスピレイションのひとつだし、バップやフリー・ジャズとおなじぐらいたいせつな存在の音楽。

いま注目しているエレクトロニックなダンス・ミュージックのプロデューサーはいますか?

NG:ティーブス。去年ロンドンで初めて観ることができて。ロンドン・コンテンポラリー・オーケストラとやったショウだったんだけど、オーケストレイションのなかにモダンな感じもあって素晴らしかった。私は彼のアルバムの大ファンだし、それまでとぜんぜん違う空間で彼が活躍してるのを観る体験自体も刺激的だった。それと、キーファー。アメリカのピアノ奏者でビートメイカーでもあるひと。ヒップホップとエレクトロニックの中間的なサウンドをつくりながら伝統的なジャズ・ピアノを弾けるところがほんとうに好きで。ロンドンだと、スウィンドルが好きかな。

ああ! 以前彼のアルバムに参加していましたよね。

NG:いろんな音楽をどんどん拡げていって、ジャンルレスに開拓している姿勢が素晴らしい。

最近だと、春に出た『Bitches Brew』50周年を祝うアルバム『London Brew』にもあなたは参加していました。マイルスが成し遂げた最大の功績はなんだと思いますか?

NG:もちろん全部(笑)。まったく他人に左右されずに、自分の信念を貫いて音楽をやりつづけ、みんなの概念を変えつづけたひとはほかに存在しないと思う。

マイルスでいちばん好きなアルバムは?

NG:うーん……ライヴ・アルバムだったと思うんだけど、1966年の。たしか1年間で4枚のアルバムを出してて、その最後のリリース(注:1966年リリースのライヴ盤であれば『Four & More』だが、4枚の発言から推すに、1956年録音のマラソン・セッション4部作のことかもしれない)。でもお気に入りといえるかはわからない。それぞれべつの魅力があるし。『Nefertiti』はトップ・リストに入るかな。……選ぶのは難しいな。(『Nefertiti』を)最初に聴いたときは「なにこれ?」って感じで、子どものころは理解できなかった。でも歳を重ねるごとにあの作品のすごさに気づくことができた。

今後の予定で話せることはありますか?

NG:ニュー・シングルについてなら少し。1月にリリースするんだけど、それはみなさんが楽しみにしている内容だと思う。

最後の質問です。レコーディングやライヴに臨むうえで、あなたがもっともたいせつにしていることはなんですか?

NG:やっぱり、自分に正直にありつづけることかな。誠実で、リアルでありつづけることがたいせつだと信じてる。その日の自分のベストを引き出せるよう努力しつづけること、それがキーだと思う。あとは、自分自身の境界線上に立ちつづけることかな。質問してくれてありがとう。

Meitei - ele-king

 今夏は初の日本国内リリース・ツアー「怪談 TOUR 2023」を敢行、さらに海外公演も成功させるなど、いまめきめきと名をあげている広島のプロデューサー、冥丁。「失われつつある日本の雰囲気」=「失日本」をテーマに活動する彼だが、ニュー・アルバム『古風 Ⅲ』が12月1日にリリースされる。『古風』シリーズの完結編だ。今回は「夢十夜」「江戸川乱歩」「刺青」など文学が多く題材になっているようで、どんな趣向が凝らされているのかいまから楽しみ。ちなみにマスタリングは畠山地平です。

 ※別エレ最新号『アンビエント・ジャパン』には冥丁による特別エッセイを掲載しています。ぜひそちらもお手にとってみてください。
 ※シリーズ第1作『古風』リリース時のインタヴューはこちらから。

日本の古い文化をモチーフにした唯一無二のオリジナリティーで、世界のエレクトロニック〜アンビエントシーンで脚光を浴びる広島在住のアーティスト冥丁が『古風』篇三部作の最終章となる『古風 Ⅲ』をリリース。冥丁の解釈に基づいた、文学的で私的な香りが漂う日本の心象風景の琥珀。

【商品情報】
発売日:2023年12月1日(金)
アーティスト:冥丁(メイテイ)
タイトル:古風 Ⅲ(コフウ・スリー)
レーベル: KITCHEN. LABEL
ジャンル:CLUB / ELECTRONIC / AMBIENT / J-INDIES
流通 : Inpartmaint Inc. / p*dis

フォーマット①:国内流通盤CD
品番:AMIP-0345 / 本体価格:3,000円(税抜)/ 3,300円(税込)
フォーマット②:国内流通盤LP
品番:AMIP-0346LP 本体価格:5,000円(税抜)/ 5,500円(税込)
フォーマット③:デジタル配信

https://www.inpartmaint.com/site/38551/

◆ライブ情報
11/15(水)東京・WWW『絵夢 〜 KITCHEN. LABEL 15 in Tokyo』(KITCHEN. LABEL15周年記念イベント)
出演 : 冥丁、Kin Leonn、ASPIDISTRAFLY、Hiroshi Ebina
詳細 : https://www.inpartmaint.com/site/38321/

11/19(日)京都・METRO『COLLABORATIONS : AMBIENT KYOTO × night cruising』
出演:冥丁、Kin Leonn、moshimoss、RAIJIN、Tatsuya Shimada
詳細 : https://www.metro.ne.jp/schedule/231119/


【『古風 Ⅲ』作品紹介】
「失日本」(LOST JAPANESE MOOD) = “失われつつある日本の雰囲気”をテーマに、アンビエント・ミュージックやミュージック・コンクレートを融合させて、時とともに忘れ去られる日本の古い歴史や文化をノスタルジックな音の情景に再構築した作品群で高い評価を得てきた冥丁。本作『古風Ⅲ』は、『古風』(2020年)、『古風Ⅱ』(2021年)に続く、『古風』シリーズ3部作の完結編となるアルバム。この最新作では、日本文化の本質を深く掘り下げながら、静けさや自己発見を通して心の闇を克服した冥丁の精神的な旅路にリスナーを誘っている。

『古風』篇とその前身である『怪談』は、冥丁の故郷である広島の尾道で制作が行われた。当時、精神的な不調を抱えていた冥丁は、賑やかな京都から尾道の田舎に移り住み、孤独に身を置きつつも尾道の静かで穏やかなエネルギーに安らぎを覚えながら、失われつつある神秘的な日本の本質を具現化させる「失日本」(LOST JAPANESE MOOD)をテーマとした音楽制作を始めた。本作『古風Ⅲ』には、その時期に経験した故郷の心象風景が特に色濃く映し出されており、また自己の内なる探求が深い癒しへと発展したことが示されている。

故郷の広島と冥丁自身の複雑な関係や思いと共に、刻々と変化する日本の姿を考察した「黎明」「廣島」、そして、広島の平和教育に対する冥丁の深い考察と歴史的悲劇を認識することの重要な意義が凝縮された「平和」など、冥丁の内なる心象風景を描き出した楽曲や、江戸川乱歩、谷崎潤一郎、夏目漱石たちの日本文学からの影響を題材にした「江戸川乱歩」「刺青」「夢十夜」他、全9曲を収録。

「古風 III』は、冥丁の心の奥底にある不思議な風景を通して、私たちを見えない糸で過去へと結びつけ、日本のベールに包まれた匿名の歴史や私的な痕跡の残る隠された宝物へと導くだろう。

【冥丁(メイテイ)・プロフィール】
日本の文化から徐々に失われつつある、過去の時代の雰囲気を「失日本」と呼び、現代的なサウンドテクニックで日本古来の印象を融合させた私的でコンセプチャルな音楽を生み出す広島在住のアーティスト。エレクトロニック、アンビエント、ヒップホップ、エクスペリメンタルを融合させた音楽で、過去と現在の狭間にある音楽芸術を創作している。これまでに「怪談」(Evening Chants)、「小町」(Métron Records)、「古風」(Part I & II)(KITCHEN. LABEL) などによる、独自の音楽テーマとエネルギーを持った画期的な三部作シリーズを海外の様々なレーベルから発表し、冥丁は世界的にも急速に近年のアンビエント・ミュージックの特異点となった。

日本の文化と豊かな歴史の持つ多様性を音楽表現とした発信により、The Wire、Pitchforkから高い評価を受け、MUTEK Barcelona 2020、コロナ禍を経てSWEET LOVE SHOWER SPRING 2022などの音楽フェスティバルに出演し、初の日本国内のリリースツアーに加え、ヨーロッパ、シンガポールなどを含む海外ツアーも成功させる。ソロ活動の傍ら、Cartierや資生堂 IPSA、MERRELL、Nike Jordanなど世界的に信頼をおくブランドから依頼を受け、イベントやキャンペーンのためのオリジナル楽曲の制作も担当している。

Instagram @meitei.japan
https://www.instagram.com/meitei.japan/

interview with Evian Christ - ele-king

義理の父が趣味でトランス系のDJをやっていたから、それに影響を受けて6歳くらいからトランスを聴いてた。

 トランス・ミュージックが国内外の若い地下シーンで復権を果たして久しい。日本では新世代のDIYレイヴ・クルー〈みんなのきもち〉がデジタル・ネイティヴ的美学に基づくピュアなトランス・ミュージック体験を各所で啓蒙中で、国外に目を向ければラテン・ミュージック文化圏ではネオ・ペレオと呼ばれる実験的でトランシーなサウンドが新たに定着しつつあり、ヨーロッパには〈Drain Gang〉の熱心なヘッズたちが巨大なコミュニティを築き上げ、そしてインターネットから世界に向けて〈PC Music〉の一群がポップスを笠に着つつ Supersaw サウンドの美しさを広めている。そんな同時多発的なムーヴメントのなか、あまりの寡作さになかば伝説化しつつあった天才、エヴィアン・クライストが〈Warp〉との契約後ようやく初のフル・アルバム『Revanchist』を発表し、「オルタナティヴ・トランス」と定義できそうな、この新たなムーヴメントにさらなる追い風を吹かすこととなった。

 2010年代にかけて発生した「ウィッチ・ハウス」(インダストリアルなトランス・サウンドを活用した耽美的でゴシックなビート・ミュージック)ムーヴメントや、「デコンストラクテッド(脱構築)・クラブ」(既存のクラブ・ミュージックの持つ普遍性からの逸脱を目指し、複雑なリズムやグリッチ・サウンドをコラージュ的に組み合わせた実験音楽)など、ポスト・インターネット的美学に基づくアンダーグラウンドなサウンドが、DAWやDJ機器の技術的進化とともにポップスの領域、果ては電子音楽そのものを飲み込もうとしたのが2010年代初頭から後期にかけてのこと。そして、2010年代末~2023年現在において、それらはストリーミング・サーヴィスにおける商業的利便性から定義された「ハイパー」という形容詞とともに、新しいポピュラー・ミュージックの地平を切り拓いてきた。

 その過程で再発見されたサウンドの代表例のひとつがトランスであった。(これもハイパー同様、既にクリシェと化した惹句だが)いわゆる「Y2K」的なリヴァイヴァル・ムーヴメントとともに急成長したサウンドの源流が、「エピック」や「ユーフォリック」とかつて定義されたジャンル群なのだ(サイケデリック・トランスとはほぼ無関係ということも特徴的)。

 『Revanchist』は「トランスの潜在的な可能性を探求」するといったコンセプトのもと長い期間をかけ生み出された8曲入のアルバムで、なかにはアンビエントを想起させるものからリヴァイヴァル以降のブレイクコア(Kid 606 のようなサウンドとはほぼ関連のない、どちらかといえばアトモスフェリック・ドラムンベースと呼ばれるべき「インターネット発」の2020’s ブレイクコア)に至るまで、自由さを感じさせるヴァラエティに富んだ内容となっている。しかしながら全体に漂う荘厳さがある種の統一感を漂わせてもいて、そしてなによりすべての音像がハードにマキシマイズされている極太さも魅力的だ。
 タイトルの「revanchist」とは「失地回復論者、報復主義者」といった意味を指すようで、あたかも荒れゆく昨今の世情を反映したかのようなタイトルだが、本人曰くただ単にタイポグラフィ的なカッコよさを言葉遊びのように掬い上げ採用したにすぎないとのこと。「コンセプト的な深みはゼロ」と断じるものの、やはり稀有な天才に世界は隷属的にならざるを得ないのだろうか……。そんな不可思議な音楽家への、希少な日本語インタヴューをぜひ一読いただきたい。

音楽制作をはじめてそれほど時間も経ってないときだったし、スタジオに入ったこともなかった。なのに突然、カニエ・ウェストの史上最も実験的なアルバムに取り組まなければいけなくなった。あれは自分にとってかなり大きな挑戦だったね。

イングランド北西部のエレスメア・ポート(Ellesmere Port)という港町にお住まいなのですよね。日本からはなかなか想像しづらいのですが、どのような街ですか? 音楽シーンはどんな感じですか?

EC:日本では知られていない場所だろうね(笑)。小さな街だよ。ものすごく小さいというわけでもないけど。人口5万人くらいかな。リヴァプールの近くで、リヴァプールのすぐ南にあるんだ。昔は工業都市で、自動車製造と石油精製が盛んだった。原子力発電所もたくさんあるよ。『ザ・シンプソンズ』に出てくるスプリングフィールドみたいな街。

通訳:生まれたのもその街ですよね?

EC:そうだよ。

通訳:生まれてからいままで、街を出たことはありますか?

EC:じつは一時期アメリカにいたんだ。でも結果、LAがあまり好きになれなくて。それでエレスメア・ポートに戻ってきたんだよ。

通訳:音楽シーンはどんな感じですか?

EC:音楽シーンはひとつもない(笑)。街にはナイト・クラブが全然ないし、ライヴ会場みたいな場所もないんだよね。みんなラジオとかから流れてくる音楽を聴いてる。だから逆に、音楽シーンに流されずに自分がつくりたい音楽を集中してつくれるんだ。

通訳:シーンがないなか、あなた自身はどんな音楽に触れてきたのでしょう?

EC:とりあえず、まわりにある音楽。リヴァプールはビートルズという超大きな遺産があってその影響が大きいから、エレクトロニック・ミュージックはあまりビッグにならなかった。だから、バンド系の音楽がたくさん流れていたんだ。でもぼくは、義理の父が趣味でトランス系のDJをやっていたから、それに影響を受けて6歳くらいからトランスを聴いてた。あと、コンピュータ・ゲームもやってて、昔のコンピュータ・ゲームはプレステとかとは違ってエレクトロニック・ミュージックを使った曲がたくさんあるから、そういう音楽に影響されていたと思う。で、もう少し大きくなると、ネットで好きな音楽を聴くことができるようになった。ダウンロードしたり、音楽コミュニティを見つけたり、テレビで音楽チャンネルをみはじめて、その音楽番組でダンス・ミュージックを聴いたりしてたな。それが、ぼくの音楽への入り口だったと思う。

あなたは2012年に〈Tri Angle〉から『Kings and Them』でデビューしています。当時はどのようなモティヴェイションで音楽に臨んでいたのでしょう? もともとは小学校教師を目指していたのですよね。

EC:目指していたというか、ぼくは教師だったんだ。教員免許を取ったばかりで、6~7歳の生徒を教えていた。当時、音楽はぼくの人生のなかで大きな大部分を占めていたわけではなかったんだ。あの作品が出たときが初めて音楽作品を完成させたときだったし、あまり真剣に音楽に取り組んでいたわけではないんだよ。趣味のランキングでいえば、音楽はスポーツ以下、飲みに行くこと以下、そんな感じだった。音楽をリリースしたいとか、音楽で存在感を示したいとか、そういう野望は一切なくて、ただ冬に寒くてやることがなかったから音楽をつくっていただけなんだ。で、あるとき『Kings and Them』をたまたま完成させたから、それを友人に送ったら、ラッキーなことにそれに火がついた。以来、流れでなんとなく音楽をやることになっていったんだよね(笑)。

通訳:それがどのようにしてリリースに至ったのでしょう?

EC:そもそもトラックをつくったのは、プロデューサーの友人たちに趣味で送るためだった。で、そのなかのひとりがルーキッド(Lukid)っていうプロデューサーで、彼がそれを気に入ってくれて、彼にさらに曲を送ったんだ。で、彼がそれをフェイスブックにアップして、そこから話題になってしまって。アップされてから1週間もしないうちに、レコード契約とか出版社とか、いろんなオファーが舞い込んできたんだよ。それで、レコードをリリースすることになったんだ。

ご自身の音楽的なバックグラウンドについて、もう少し詳しく聞かせて下さい。『Kings and Them』を聴いた印象では、ベース・ミュージックやヒップホップを聴いて育ったのかなと思ったのですが。

EC:子どものころ、ぼくはトランス・ミュージックにかなり夢中だった。さっき話したけど、それは義父の影響で、彼がレコードをたくさん持っていたから。アートワークにもすごく興味があったし、〈Gatecrasher〉のコンピレーションCDとか、そういうコンピCDにも興味を持っていて、義父のソニーのウォークマンを借りて聴いてたんだ。自分の部屋でも流していたし、車でどこかに行くときは、いつも車のなかでトランスを流していた。大人になってからもトランス好きは変わらない。そして、少し大きくなって高校生になると、ラップ・ミュージックに興味を持つようになった。まわりの友だちがラップを聴いていたからね。ネプチューンズのプロダクションとか、リル・ウェインとか、ポピュラーなラップにハマってた。2、3年はハマってたかな。で、大学に進学したとき、今度はコンテンポラリーなエレクトロニック・ミュージックにハマりはじめたんだ。でもぼくは、ハマっていたとはいっても、音楽にのめり込んでいたわけじゃなかった。BGMで流している程度。でも、ネットを使うようになって、エレクトロニック・プロデューサーを何人かオンラインで見つけて、彼らとメッセンジャーなんかで友だちになりはじめたんだ。そしたら、彼らがもっとちゃんとしたエレクトロニック・ミュージックを送ってくれるようになってさ。たとえば、さっき話したルーキッドが、僕にアンビエント・ミュージックを紹介してくれたりね。最初ちょっと変な感じがしたけど、どんどんそういう音楽に興味が沸いていった。それまで聴いていたのは、かなりひどいエレクトロニック・ミュージックだったから、音楽にはそこまでのめり込んではいなかったんだよ。まわりの学生たちが夢中になっているような音楽にはあまり興味がなかったし、学生のころのぼくは、もっとオンライン・ポーカーやスポーツ・ギャンブルのほうに興味を持っていたから(笑)。音楽によりハマりだしたきっかけは、大学のひとりかふたりの友人やオンラインで、もっと面白いエレクトロニック・ミュージックを紹介してもらってからなんだ。

なるほど。アンビエントを聴き始めたのはルーキッドが紹介してくれてからだったんですね。同年の「Duga-3」はアンビエントでした。『Kings and Them』も、ある種の静けさを持った作品でしたが、あなたのルーツのひとつにはアンビエントもあるといえますか?

EC:ある意味そうかもしれない。ルーキッドに教えてもらってから、アンビエントは気に入ってずっと聴いてるからね。

あなたは2013年、カニエ・ウェストの『Yeezus』(2013年)に、アルカハドソン・モホークといったエレクトロニック・ミュージシャンに混ざって参加しています。ウェストのチームとは、データのやりとりではなく、パリで一緒にスタジオに入ったのですよね? その経験は、あなたになにをもたらしましたか?

EC:そうだよ。音楽スタジオに入ったのは、そのときが初めてだったんだ。それまでは、母親のガレージやラップトップが使える適当な場所で作業していて一度も音楽スタジオに入ったことがなかった。だからスタジオでの経験は面白かったよ。もちろんすごくクレイジーな経験でもあった。スタジオに入るまでぼくはなんの準備もしてなくてさ(笑)。さっき話したように、僕が音楽制作をはじめてそれほど時間も経ってないときだったし、スタジオに入ったこともなかった。なのに突然、カニエ・ウェストの史上最も実験的なアルバムに取り組まなければいけなくなった。あれは自分にとってかなり大きな挑戦だったね。ソーシャル的に複雑な環境でもあったんだ。他のプロデューサーたちがたくさん出入りしていて、クレジットやアイディアが飛び交っていた。アルバムのトラックをめぐって、たくさんのひとたちが競い合っていたんだ。あれはすごく興味深かった。そこで飛び交う音楽も面白いものばかりだったしね。それにカニエとの作業は正直本当に楽しくて、彼は素晴らしいひとだった。彼は礼儀正しくて、すごく感じのいいひとだったよ。もちろん才能はものすごかったし。だから本当にいい経験だったし、あのレコードが大好きなんだ。あのレコードの一部になれたことを心から誇りに思う。

カニエ・ウェストは、常人が予想もしないような発言や行動をとりいつも人びとを驚かせますが、ある意味でそれは彼が真の天才である証かもしれません。いまでも彼はあなたにとってスターですか?

EC:いい質問だね。ぼくが子どものころ、彼はぼくの大好きなアーティストのひとりだった。でもリスナーとしてぼくはヒップホップやラップをあまり聴かないんだ。大人になってからは、ほとんどダンス・ミュージックを聴いているから。だからスターかどうかと聞かれたらそれはわからない。でも彼について悪く思うことやいいたいことはなにもないし、彼との作業は素晴らしかったし、彼と彼の作品が僕の人生を変えてくれたこともたしか。それはいまでも変わらない。

自分はどんなことに興味があるのか、どんなことにワクワクするのか。自分が音楽でなにを伝えたいのか、なにを世に送り出したいのか。そして、自分の音楽体験のなにが他のひととは少し違うのか、なにが自分にとって本物なのか。その答えがトランスだったんだ。

2015年に〈Warp〉と契約しました。どのような経緯でそうなったのでしょう?

EC:〈Tri Angle〉とちょっと仲違いして、レーベルに所属している他のアーティストたちとも仕事をするのが難しくなったんだ。それで弁護士を雇って〈Tri Angle〉との契約を解消したんだよ。で、その後他のアーティストたちやメジャー・レーベルを含むいくつかのレーベルと話して、〈Warp〉と契約することにした。彼らはとても乗り気になってくれたし、ぼくはオウテカOPN の大ファンだったから。そんな素晴らしいアーティストたちの仲間になれることもいいなと思ったし、多くの人びとにとって意味のあるレーベルでもある。だから彼らを選ぶことにしたんだ。意気投合して、彼らもぼくの音楽に興味を持ってくれたから、かなり自然な流れだったよ。

2017年の春ころ、あなたが NHK yx Koyxen こと Kohei Matsunaga と共作する、または共作したという話を聞いたのですが、事実でしょうか? その後どうなったのでしょう?

EC:そういえばそうだったね。ぼくもあの話がどうなったのか忘れちゃった(笑)。彼の音楽は本当にクールだよね。過去のメールのやりとりを見ればわかるかも。曲をつくろうとしたけどまとまらなくて、そのまま互いに忙しくなったとかそんな感じじゃないかな。ぼくって、コラボ相手としてはやりやすい相手じゃないんだ(笑)。だから作品がまとまらないっていうのはよくあること。彼は〈PAN〉のメンバーで、ぼくは〈PAN〉のビル(・クーリガス)と仲がよかったからその話になったんだと思う。コラボって自然の流れで起こることが多くてさ、だれとなにをやったかとか、いつどんなコラボをしたか、する予定だったか、ぼくはすぐ忘れちゃうんだ(笑)。彼が許してくれますように。

2010年代後半は、いくつかのリミックスなどを除けば、あまり動きがなかったように見えます。おもになにをされていたのでしょうか?

EC:曲をリリースすると、そのあとつねに曲をリリースすることをけっこう期待されるよね。でもぼくは、音楽をつくること以外にも、いろんなことに興味があるんだ。ライヴも好きだからアメリカやアジアでライヴをやったり、ショウをやるために南米にも行った。DJもたくさんやったし、DJの練習をしたり、DJのテクニックを磨いたり、自分なりのライティングのアプローチを開発してストロボ・ライトやスモーク・マシーンを使ってみたり、そんな活動をしていたよ。あと、トランス・パーティっていうクラブ・ナイトを立ち上げたんだ。だから、イヴェントもやってた。そういう活動をしながら黙々と音楽をつくり、自分の技術的な知識を高め、自分のつくりたい音楽のスタイルを洗練させたかったしね。ぼくの場合、音楽をはじめてからレコード契約をするまでが本当に短かった。だから、じっくりと腰を据えて機材を探して買ったり、その仕組みを学んだり、スキルを磨いたりする時間があまりなかったんだよ。そのためには時間が必要だったし、自分がどんな音楽をつくりたいかをじっくりと考える時間も必要だった。そしてそれを探る期間のなかで、ストレートなダンス・ミュージックではなく、ビルドアップやブレイクダウンに傾倒したトランス・ミュージックというスタイルにもっと興味を持つようになったんだ。

たしかに、2020年の “Ultra” であなたの新しいスタイルが完成したように思います。トランスの換骨奪胎は、本作でも大きな特徴になっていますね。「初期作品にあるベース・ミュージックやヒップホップのラインからトランスへと舵を切ったのは、もとの手法やアイディアに行き詰まりを感じたからですか?」と質問しようと思ったのですが、トランスへと舵を切ったのは、自分がつくりたい音楽はなにか、時間をかけて考えた結果、そこに行き着いたからでしょうか? そして、それをとりいれるスキルを身につけたから?

EC:そのとおり。それまでは、ラッパーのためにヒップホップのビートをつくったり、アメリカに行ってスタジオ・セッションをしたりしていた。もちろんそれもとても興味深かったよ。でもぼくにとって、それはちょっと退屈だったんだ。そういう環境で仕事をするのは、創造的に興味深いとは思えなかった。それで自分が聴いていた音楽とか、自分が大人になってからの音楽とかをベースにして、自分なりのアイディアを練っていったんだ。ただ、そのアイディアを練り上げるには少し時間が必要だった。とくに〈Warp〉からのデビュー・アルバムをリリースするということでプレッシャーも大きかったしね。だからゆっくりと時間をかけていろいろなアイディアを探ってみたかったし、ときどきリミックスを発表して、自分の進歩の一端を見せたかったんだ。

通訳:あなたにとって、トランスとはどのような音楽なのですか?

EC:幼いころから惹かれつづけている音楽、かな。アメリカの経験、つまり他の人のレコードのプロデュースを頼まれるという経験は、自分にとってあまり満足のいくものではなかった。だからそれをやめて、なにがぼくを満足させるのかを考えてみたんだ。自分はどんなことに興味があるのか、どんなことにワクワクするのか。自分が音楽でなにを伝えたいのか、なにを世に送り出したいのか。そして、自分の音楽体験のなにが他のひととは少し違うのか、なにが自分にとって本物なのか。その答えがトランスだったんだ。

もうこれ以上エネルギーを加えられないと感じられるポイントに達するまで、ぼくは曲づくりをやめない。ときどきこのへんにしておきたいって思うときもあるんだけど、性格上、毎回すべてがマックスになるまで作業しちゃうんだよね。

あなたにとって初のアルバム作品となる今回の新作を聴いて、荒廃した未来のようなイメージが浮かびました。ご自身としてはいかがでしょうか?

EC:アルバムは、一度リリースされるとそれはリスナーのものとなり、そこからなにを感じるかは彼らの自由。でも個人的には、結果的に、自然と破壊といった壮大なアイディアに到達したと感じる部分もあるけど、それは意識的なものではないんだ。ぼくは作品をつくっているとき、ただただ本能的に、すべてをもっとワイドスクリーンにして、もっとラウドに、もっと騒々しく、もっと圧倒的なものをつくりたくなる。もうこれ以上エネルギーを加えられないと感じられるポイントに達するまで、ぼくは曲づくりをやめない。ときどきこのへんにしておきたいって思うときもあるんだけど、性格上、毎回すべてがマックスになるまで作業しちゃうんだよね。

以前ベン・フロストのリミックスをされていたことがありましたね。また “Abyss” ではヴィジョニストとコラボしてもいます。それぞれスタイルは異なりますが、あなたの音楽のダークさや冷たさは、どこかふたりに通じるものがあるように感じます。彼らの音楽にシンパシーを抱いていますか?

EC:ふたりともぼくの友人なんだ。ヴィジョニストとコラボしたことなんてあったっけ? ほら、また忘れてるだろ(笑)。グーグルで検索してみよう。あ、これか。いま思い出した(笑)。
 ベンは、とくに大きな影響を与えてくれたアーティストのひとりなんだ。ぼくがフェスティヴァルのブッキングをはじめたばかりのころ、2013年のサウンド・フェスティヴァルで彼に出会ったのを覚えている。あのころのぼくは、実験的な音楽についてあまり知識がなかった。でも、ベン・フロストのパフォーマンスをみて、これこそぼくが好きな音楽そのものだ、と思ったんだ。こんなにパワフルな音楽をつくっているひとたちがいるんだって感動したんだよ。ぼくもトランス・ミュージックを使って彼みたいな音楽がつくりたいと思った。アンビエントのようだけど、リラックスするような感じでもない。そこにすごくインスパイアされたんだ。そしたら、彼がぼくの作品のファンであることもわかって、彼と話をするようになった。彼は本当にいいやつで、今回のアルバムの制作も手伝ってくれたんだ。
 ヴィジョニストにかんしては、ぼくがロンドンで初めてショウに出たときに出会った。だから彼とは長い付きあいで、彼がグライム・ミュージックをつくっていたころ、ぼくはずっとその音楽が好きだったんだ。いまはぼくの親友だよ。

“Xkyrgios” ではジャングルのビートが用いられています。ジャングルはトランスとは異なる場所にある音楽ですが、今回1曲だけこのスタイルをとりいれようと思ったのはなぜですか?

EC:2014年〜2015年くらいの間、ランダムに数ヶ月間ブレイクコアに夢中になっていた時期があってね。自分のセットで超高速のブレイクコアをプレイしていたんだけど、その時期につくったのがそのトラックなんだ。制作の実験として、あのスタイルで数曲だけつくったんだよ。プロデューサーとして、曲をつくりはじめて最初の数年間は、いろいろな音楽を聴いて、それがどうやってつくられているのか実際に作業してみて確認することは重要なことだと思う。だから、当時はブレイキーな音楽、テクニカルなものをたくさんつくっていたんだ。そのなかでも、そのトラックはクールなトラックだと思って。本当に古い曲で、たしか2015年くらいに書いたんだと思う。アルバムに入れるためにほんの少しミックスしていくらかの要素を加えたんだ。今回のアルバムはヴァラエティに富んでいる。多くの素晴らしいエレクトロニック・アルバムは、基本的にはひとつの曲の異なるヴァージョンで構成されていると思うんだけど、今回のアルバムは、その対極にあるものにしたかったんだよね。どの曲もそれぞれの人生というか、そういう存在感を持っているようなアルバムをつくりたかったんだ。

「Revanchist(報復主義者、失地回復論者)」というアルバム・タイトルにはどのような思いが込められているのでしょうか? どうやら戦争に関連することばのようですが。

EC:なにか思いが込められていると答えたいところだけど、アルバム・タイトルをそれにしたのは、ただそのことばが「Evian Christ」に見えるからってだけ(笑)。ぼくの名前にしか見えないなと思って(笑)。しかも、なんかカッコいいことばだなと思ったしね。だから深い意味はない(笑)。どうやってこのことばを見つけたかも覚えてないんだ。ネットのどこかで見たような気がする。で、実際に意味を調べてみたら、その意味もアルバムの音楽とマッチするような激しさがあるなと思って。コンセプト的な深みはゼロ。ただ、タイポグラフィ的にかっこいいと思っただけなんだ(笑)。

12月まではツアーですね。そのあとのご予定を教えてください。

EC:オーストラリアとアジアでショウをやる予定だよ。いまはその準備をしているところ。日本はフジロックに一度出演したきりだから、また日本に行くのが本当に楽しみなんだ。中国にもいく予定。4月か5月にもさらにショウがあって、基本的にはツアーがしばらく続く感じだね。ツアーが終わったらまた曲づくりに戻るつもり。8年もかからないうちに作品を完成させて、早めに次のレコードをリリースできたらいいな。

ALCI&snuc - ele-king

 ダブとヒップホップの絶妙な組み合わせ──これはなかなか期待大のアルバムだ。東海のラッパー ALCI と吉祥寺のビートメイカー snuc による共作『縁』が10月28日に配信でリリースされる。ALCI は日系兄弟というラップ・デュオの片割れで、YUKSTA-ILL の『MONKEY OFF MY BACK』に参加していたことも記憶に新しい。クールなダブを聴かせる snuc は、さまざまな音楽を吸収してきたDJでもある。このコンビ、かなりいい感じなのでぜひチェックしてみて。

ALCI&snuc『縁』 INFO

■トラックリスト

1 INTRO
2 我々ノ世界 feat XICAO-RHYDA
3 DOPE JUNGLE feat HEKONDADEKO
4 CLEAN HIT feat Pcill
5 SKIT
6 JAZZ THING =縁=
7 HOOCHIE COOCHIE feat TONY THE WEED
8 SKIT
9 陽だまり
10 NATURAL BBB feat sulak-カナミaka.Ms.Miii
11 OUTRO

NAVIGATOR BLACKJOKER
SCRATCH JETT
DESIGN MARKS EDIT
STUDIO スタジオ民家 MAGICRUMBROOM
LABEL 5bitRecords SMELLTHECOFFEEWORKS
MIXING snuc
MASTERING EASTBLUE

■配信リリース
2023/10/28

■PROFILE

ALCI from NIKKEIKYOUDAI
日系兄弟でのギグは唯一無二、全国各地のAmigo達と作り出す良き酔い夜のこだわりは刺激とEnergyのなせる技、こしばきのフーテンは未だ見ぬ世界を又にかけるHiphopPlayer、老舗CLUB BUDDHAを輪に日々奮闘中 VIVA VIDA LOCA PAZ...

snuc
HIPHOP・REGGAE・LATIN・AFRO等をバックボーンに持ちながら自由奔放なアイディアと手法で聴き手の身体を本能で揺さぶるような野生的GROOVEを持ち、それらを独自のBASS MUSIC~DANCE MUSICへと落とし込むDJ,BEATMAKER。吉祥寺Cheekyを拠点とし全国各地へTropical Vibeをお届け。RHYDA & snuc ,じゃけ& snuc,ALCI & snuc等音源リリース、ソロ音源制作も絶賛進行中。

■コメント

snucにのってALCIの言葉がヨイッと背中を押す 生活の中で自分を少し立たせてくれるUPなアルバム
あなたにも縁がありますように

abeee / bar Cheeky

嘘偽りのない自然体であり,力強く心地の良いジプシーな作品
芯はブレず変化し続ける彼の今後も気になるくらいの一枚でした
chanDOI

陽気な2人が出会い産み出した『縁』生活に根ざした飾らない芯のある言葉とゆったりとしていながらもしっかりハイグレードなサウンドに遊び心が加わってできたこのアルバムは見事なまでにHIP HOPだ 『縁』が縁となりまた各地に仲間が増えていくんだろう リアルな音楽家たちいつもありがとう fujii / howwhat
初めてムタンチスを聴いた時の質感。東海の都会の南国の風 おめでとうございます marrom
いい加減というかイイ塩梅,シンプルだけど緻密,つまりRUFF&TUFFな名盤の誕生! Mal

Procare - ele-king

 不定期に開催されているパーティ「プロケア」。11月10日、久方ぶりに同パーティが渋谷・WWWβにて敢行される。NYを拠点に活動するプロデューサーの K Wata (yaeji のアルバムにロレイン・ジェイムズらに混ざってフィーチャーされていましたね)、オーストラリア出身の Cousin、ブランド〈C.E〉設立者 Toby Feltwell のゲスト3名に加え、同パーティのレジデンスの面々が出演。なかでもUS拠点の K Wata は、日本での初ライヴを披露する。詳細は下記より。

interview with Slauson Malone 1 - ele-king

 スローソン・マローン1ことジャスパー・マルサリスが、〈Warp〉と契約を交わし、アルバム『EXCELSIOR』をリリースした。プロデューサー、ミュージシャンであると共に、ファイン・アートの世界でも活動するアーティストだ。ニューヨークやロサンゼルスで個展を開催し、最近もチューリヒ美術館のビエンナーレに招聘されている。ロサンゼルスに生まれ、いまも活動拠点としているが、10代でニューヨークに移り住み、美術を学び、クリエイターとしてのキャリアをスタートさせた。
 彼のアート作品は、油彩の抽象画、釘やハンダを組み付けたキャンバス、コンタクト・マイクを使ったサウンド・インスタレーションなど多岐に渡るが、「自分の心に残るものは自分が嫌いなもの」という彼の言葉そのもののように、影や暗部を淡々と照らし出している。そして、彼の音楽も不協和音、不安定なビート、解決しないメロディが絡まり合っている。とはいえ、抽象度の高いアート作品とは違い、アコースティック・ギターやビートに乗った彼の声はよりストレートに感情を伝えている。その声はどこか、マック・ミラーを思い起こさせもする。
 ニューヨークのアート・シーンと結びついたスタンディング・オン・ザ・コーナーやラッパーのメードニー(Medhane)と繋がりのあったスローソン・マローン1の音楽は、ローファイなフォークやインディ・ロックにも近い。しかし、それだけに収まっているわけではない。『EXCELSIOR』には、シンガー・ソングライターのチョコレート・ジーニアスことマーク・アンソニー・トンプソンや、BADBADNOTGOOD のドラマー、アレックス・ソウィンスキーなども参加しているが、基本的には様々な楽器をひとりで演奏している。ベッドルーム・ミュージックの延長にあるプロダクションだと言える。
 ジャスパー・マルサリスとネットで検索をすれば、ウィントン・マルサリスの名前がたくさん現れる。そう、彼の父親は世界的なジャズ・トラペッターだ。ジャズ・アット・リンカーン・センターの芸術監督を長年務め、クラシック音楽の世界でも活躍し、ジャズ及びジャズ・ミュージシャンの地位向上に腐心してきた。そして、マイルス・デイヴィスがエレクトリック楽器を使ったこと、ヒップホップに接近したことを批判した人物でもあり、いまもヒップホップには否定的だ。この父親と対比させて何かを語りたくもなるが、それはあまり意味がないと感じてもいる。ジャスパー・マルサリスのアートも音楽も、既に充分に自立したものであるからだ。

ポピュラー音楽は、みんながそれぞれ作品の意味を解釈したりして積極的に関わるという、まさにそこが面白いところだと思う。

今回、スローソン・マローン1として〈Warp〉からデビューすることになった経緯から教えてください。

SM1:すごく粘ったからだと思う。

粘ったというのはレーベル側がですか?

SM1:じゃなくて僕が。すごくいいパートナーになれると思ったんだ。彼らがマーク・レッキー(Mark Leckey)のレコードをリリースしたっていうのが決め手としてあったから。マーク・レッキーとフロリアン・ヘッカー。マーク・レッキーっていうのはヴィジュアル・アーティストで、僕は大ファンなんだよ。ちなみに僕自身もアートをやっていて。だから〈Warp〉には、音楽やアートを分野横断的なアープローチで作ることに対する理解がある人が誰かいるんだと思って。それで〈Warp〉と契約したいと思ったんだよ。基本的にはそれが理由だね。

〈Warp〉というレーベルにはどのような印象を持ってきましたか?

SM1:もちろん彼らは素晴らしい音楽をたくさんリリースしてきたと思う。でも僕が興味を持ったのはファイン・アートに対する感受性があるっていう、その特定の理由だったね。

ジャスパー・マルサリス、スローソン・マローン1、あなたにはふたつの名義がありますが、名義による作品の区別はあるのでしょうか?

SM1:スローソン・マローン1は何と言うか、パフォーマンス・アートの延長という感じだね。スローソン・マローンはもう死んでいて、スローソン・マローン1はそのコピー・バンドみたいなもの(笑)。自分のなかではそういう感じで説明するとしたらそうなるかな。

本名のジャスパーの方がリアル?

SM1:どっちがリアルとかじゃなくて違うだけ。たとえば結婚式に着ていくような服装のときはプールに行く格好をしているときと振る舞い方が変わるよね。泳ぐときは海パンが必要で。でもそのふたつのうちどっちがリアルとかってことではない。違うだけ。

画家、アーティストとしての活動と、ミュージシャンとしての活動、どちらが先だったのでしょうか? また、それぞれの活動はどのように作用しあっているのでしょうか?

SM1:同時発生だったと思う。どちらかと言うとファイン・アートの方はずっとプロフェッショナルというか、キャリアとして続けていくものとして考えてきたんだよ。でも5、6年くらい前に音楽が趣味からプロフェッショナルなものへと変わったんだ。

つねに安全な場所を探していたというか、自分にとっての理想的な場所を作りたくて。逃げ込むっていうわけではないけど、何だろう、いつでも行ける場所が欲しかったんだ。

あなたが音楽で表現できることと、アートで表現できることの間に、どのような共通項、あるいは違いがあるのか、教えてください。

SM1:僕のアート活動は絵がベースだから、つねにフレームを意識してる。つまり二次元空間があって、それが絵画でもパフォーマンスでもすごく似ているんだ。ステージがあって、そして人びとが立って四角い長方形を見ている。僕が絵を描くとき、何度も繰り返されるアイコンや色、形だったりというテーマがつねにあると思う。たとえば円錐形が何度も繰り返し出てくるとか。そして音楽でも同じく、つねに同じテーマを探求しようとしているんだ。スマイルのテーマ、“Smile #1” “#2” “#3” “#4” “#5” “#6” (編注:ファースト・アルバム『A Quiet Farwell, 2016–2018 (Crater Speak)』やEP、シングルなどの収録曲)とか。それから新作にも “Olde Joy” と “New Joy” があったり。
ふたつのいちばんの違いは経済的な構造かな。音楽はレーベル的にはつねに赤字運営だけど、一般大衆が支えている部分も大きい。このプロジェクトにお金を出したいか、このアルバムを買いたいかを人びとが決める。一方アートは非常に私営化されているというか、ギャラリーやコレクターといった機関がひとりのアーティストをバックアップする。だからそこはかなり違っていて、でも同時にアートは妙に自由度が高くて、一般大衆の関与が少ないからより挑戦的なアイデアを試すことができたりする。でもやっぱり音楽はエキサイティングなんだよ。ポピュラー音楽は、みんながそれぞれ作品の意味を解釈したりして積極的に関わるという、まさにそこが面白いところだと思う。

表現できることの違いはどうですか?

SM1:やっぱり時間がいちばん大きい違いかな。音楽は、その作品を鑑賞するためには時間ごと経験しなければならないから。絵や彫刻にも時間はあるけど意味が違うというか、そこに寄りかかってはいない。鑑賞者はいつ立ち去ってもいいし、時間を忘れることもできる。音楽はモロに時間なんだよね。あと音楽の方が変にパーソナルな感じがする。自分が音楽のなかで語っていることって、アートのときよりもかなり個人的なことじゃないかと思う。

最初に音作りをはじめたきっかけは何だったのでしょうか? また、特に影響を受けたものは身近にありましたか?

SM1:僕の姉がEDMのDJになりたかったんだ。それで、説明が難しいんだけど、何と言うか、僕はいつもそういったコンサートの規模の大きさに衝撃を受けていて。スティーヴ・アオキとかアフィとかのサウンドを聴いているとウオオオーッとなって、たぶんその頃初めて自分の音楽を作ってみたいと思ったんだ。あと僕は、つねに安全な場所を探していたというか、自分にとっての理想的な場所を作りたくて。逃げ込むっていうわけではないけど、何だろう、いつでも行ける場所が欲しかったんだ。

弾き語りやラップから、楽器演奏、トラックメイキングまであらゆることをあなたは手掛けていますが、そうした制作スタイルが生まれた背景を教えてください。

SM1:単純に好奇心だと思う。「これはどうしてこうなんだろう?」とか、「この椅子はどうしてこういう形なんだろう?」とか、そうやって興味を持ち続けた結果として生まれたんだ。

『EXCELSIOR』にはコラボレーターも多数参加していますが、どのように制作されていったのでしょうか? アルバムのヴィジョンを描いて制作に臨んだのでしょうか? それとも徒然に曲を作っていったのでしょうか?

SM1:じつは元々このアルバムを諦めかけていたんだよね。曲数も2曲のみにするつもりで、その2曲はほとんど完成していて、でもそのときマネジメント・チームにすごく支えてもらったんだ。あと仲のいいミュージシャンの友だちがいて、彼女がジョー・ミークの “I Hear A New World” って曲を聴かせてくれて、それが効いたというか、音楽の力というものにすごく興奮したんだ。それでその曲をカヴァーしようと思って、実際アルバムにも収録されているんだけどね。それからニッキー・ウェザレル(Nicky Wetherell)はアルバムでチェロを弾いていて一緒にツアーもしたんだけど、彼の影響もすごく大きかった。ソングライターとしても人としても。彼とストリングスのアレンジをやったり曲のアイデアを探求したりするのは本当に楽しかった。それからアンドリュー・ラピン(Andrew Lappin)の影響も大きかったね。彼のスタジオで作業したんだけど、僕は普段は全部自宅でやるから、スタジオに入って、次はドラム、次はヴォーカルという感じでチェックリストに沿って作業するのが面白かったよ。

それで2曲のみにするつもりがいつの間にか?

SM1:そう。そこから拡張していった。面白いのは、このアルバムの中心的なテーマのひと つが細胞分裂で、原子や細胞が分裂するプロセスだったこと。そして実際ひとつの曲が別の曲に分裂していくような感じになっているんだよ。それがいつの間にか最初のテーマに戻っていたり。結果的にその最初の2曲がアルバムの土台のようになったのが面白いなと。だから結局、もうやりたくないと思っていたのに諦めることに挫折したってことだね(笑)。

様々な楽器、機材を使える状況で、曲作りは実際、どうやってはじまるのでしょうか? 

SM1:そのときによって変わるけど……自分の耳が発達したり、興味の対象が変わったり。この質問を訊かれるのが初めてで、ちょっと考えるから待って……ああ、わかった、まずは他の音楽を聴くことからはじまる。それで好きだと思った音楽の何に自分が興味を持っているのかを考える。メロディなのか、サウンドのテクスチャーなのか。それからメロディやコードを作りはじめるんだけど、その時点ではまだかなり抽象的で、方向性があるわけではなく、僕のパソコンがゴミ箱と化し、ヘドロが沈殿していく。あるいはキノコのように菌を増殖させていく。それをひたすら修正して破壊して。そして最後の3ヶ月くらいですべてが立ち現れてくる感じで、そこがいちばん好きだね。

リリック、言葉はあなたの音楽において大切にされていると感じます。『EXCELSIOR』で追求したことを教えてください。

SM1:主に身体についてだったと思う。皮膚や骨や肉体や血。

フライング・ロータスにインタヴューした際、彼はサックスを少し習っていたが、親類の優れたミュージシャンたちを見て早々に諦めたと話していました。あなたの場合も似たような経験はありますか?

SM1:正直すごく複雑なんだ。というか、どんな家族構成であってもたいていは次世代がより良くなることを望んでいて、でも時代と共に何が良くて何が悪いかは変わる、みたいな話だと思う。

ライヴは大好きだよ。録音された音楽とはかなり違うものだよね。結構パフォーマンス・アートに近いというか。僕がいちばん気に入っているのは、それをポップ・ミュージックの文脈のなかでやれるということ。

お父さん(ウィントン・マルサリス)の音楽は、あなたにとってどのような存在だったのでしょうか? 

SM1:僕にとっては音楽自体がどうっていうことではなくて。コンセプトとか音色とかサウンドよりも深いもので。父をはるかに超え、祖父をはるかに超え、その祖父または祖母をはるかに超えた深い系譜があって……。

では、お父さんが大切にしている伝統的なジャズに対する、あなたの意見もぜひ訊かせてください。

SM1:音楽。全部音楽だよ。素晴らしいと思う。デューク・エリントンは素晴らしい作曲家だと思うしビリー・ストレイホーンも素晴らしい。

ジャズではメソッドが大切にされています。またジャズに限らず、ジャンル音楽には固有のスタイルがあります。あなたの音楽は、そこから自由であろうとしているように感じられますが、メソッドやスタイルにどう向き合ってきましたか?

SM1:よく聴くことだと思う。そのメソッドを理解した上で、ちゃんと聴こうとすること。音楽に限らず誰かの話でも何でも。僕の向き合い方を説明するとしたらそうなるかな。でも誰もがそこから借りる必要があるのかどうかはわからない。よくよく考えてみるとそれって恣意的なものだったりするからさ、特にアートではね。キュービズムであるための要件がキュービズムの絵を興味深いものにするわけではないっていう。たとえば誰でも四角を描いたりそれっぽい感じの絵を描けるけど、そこじゃないわけだよ。画家それぞれが現代における実存と向き合ったり、もっとずっと深い考えがあったんだ。

NYのシーンとも交流があって、スタンディング・オン・ザ・コーナー(Standing On The Corner)やメードニー(Medhane)との活動からも、あなたを知りました。彼らとの関係について教えてください。

SM1:もういまはないね。若い頃の自分にとっては刺激的な時期だったけど、男性の集団にいることに居心地の悪さを感じるようになったから。

LA生まれで、活動基盤もLAですよね? LAの音楽シーンについてはどう思われますか? 特に共感を寄せるアーティストがいれば教えてください。

SM1:じつは正直に言うと、あまり出かけないから、いま何が起きているのかちょっと疎くて。あ、違う、昨日出かけたんだ。ええと……誰を観たのかど忘れした! 脳がコロナのときみたいな……ちょっと待って。あ、わかった、ジェフ・パーカーだ、ギタリストの。彼の影響はかなり大きいからライヴを観れてすごく嬉しかった。それからジョシュ・ジョンソンにも影響を受けてるよ。

ライヴをやることは好きですか? またライヴはどのようなスタイルでおこなっているのか教えてください。

SM1:ライヴは大好きだよ。録音された音楽とはかなり違うものだよね。結構パフォーマンス・アートに近いというか。自分の身体も使って、観客がいて、すごく楽しい。普段は僕がギター、ヴォーカル、コンピューターで、ニッキーがチェロで、アコースティック・ギターとチェロという古典的な楽器ふたつだけだから迫力に欠けるんだ。そしてものすごく退屈なところからはじめて、同じ音を何度も何度も繰り返し弾く。ひたすらCを弾くとか。そして観客がうんざりしてきた頃に徐々にメロディのあるフレーズを弾いていき、それが最初の曲に発展する。あとは、まあこれはレコードと同じ感じだけど、すごく静かになったりラウドになったり、そしてあるときは僕が叫んだり床で転がって観客を押し退けたり(笑)。そこはレコードとはかなり違う。僕のアートと音楽それぞれの活動の中間みたいな感じ。そこでできることがたくさんあると思っているし、すごく興味がある。アイデアを試す場所というか。僕がいちばん気に入っているのは、それをポップ・ミュージックの文脈のなかでやれるということ。多くの人はパフォーマンス・アートの経験がないかもしれないし、あったとしても受け付けないっていう感じだと思うからさ。

 まるでプラトンの「洞窟の寓話」みたいだ。男性優位にもとづいた家父長的な観念の数々が何千年ものあいだ女性の経験をかたちづくってきたために、その外でシスターフッドを概念化することは難しいし、ましてそれを定義することは難しい。
 いずれにせよ私は、フェミニズムがこんにち辿りついている地点を疑わしく思っている。いうまでもないことだが、たとえば日本とアメリカのあいだにある社会的・文化的なニュアンスの違いは、結果として女性の行為についての異なる基準を生みだすことになる——つまりジュディス・バトラーが述べたとおり、「ジェンダー[役割の数々]は行為遂行的なものであり[……それらが]行為されるかぎりにおいて実在する*2」ものなのだ。だけどけっきょくのところいま、ニューヨークから東京まで、誰もが同じ経験をしている。つまりいま現在のフェミニズムのなかでは、女性にたいする抑圧のメカニズムそのものが、私たちをエンパワーするための鍵としてブランド化されてしまっているのである。 
 とはいえ、10年たらず前まで、フェミニズムは刺激的な危険地帯に身を置いていた。#Metooの示した展望のあとで、いったい私たちは、どうしてこんなところに辿りついてしまったのだろうか?
 そのピークにおいて#Metooは、——そもそも女を支配し沈黙させる性質をもつ家父長的な管理が、原初的なかたちをとってあらわれたものである——性的暴行の証言とともに、有名無名を問わない女たちを公の場へと連れだした。2000年代初頭にこの運動を開始したとされるタラナ・バークの言葉を引用するなら、「”Me too”はたった二語で十分だった。(……)暴力は暴力である。トラウマはトラウマだ。だけど私たちはそれを軽んじるように教えこまれ、子供の遊びのようなものだと考えるようにさえ教えこまれている」
 だけどミュージシャンたち——つまり明確に社会のサウンドスケープを形成している者たち——は、2010年代なかばの絶頂期のさなかで、奇妙なほど沈黙したままだった。とはいえ、少数の女性たちが名乗り出たことは賞賛されるべきだろう。なかでもとくに挙げられるのは、虐待を受けたマネージャーにたいする10年以上に及ぶ訴訟につい最近決着をつけたばかりのケシャや、レディー・ガガビョークテイラー・スイフトなどの名前だ。とはいえしかし、こんにちのフェミニズムをより生産的な方向へと導きうる道しるべは、まさにいま現在ポップ・ミュージックのなかに身を置いている女性たちをより深く掘り下げてみることによって与えられる。

もうひとつの“F”ワード
——いったいいま誰がフェミニストになることを望んでいるのか?

 スキャンダラスな——いやむしろ虐待的な——男性ミュージシャンたちは、実質的にひとつの原型になっている。長い間彼らには、その行動にたいするフリーパスが与えられてきたのだ。マイケル・ジャクソンは金目当ての子供たちに性的虐待なんかしていない。たしかにデイヴィッド・ボウイは14才の「グルーピーの子供」とセックスしたが、彼女は自分からその状況を招いたのだ。だとしても、ではあの悪名高いレッド・ツェッペリンのサメ事件はどうなのか? いずれにせよいつも、「男ってのは困ったもんだ」で済まされるのだ。カニエ・ウエストでさえ擁護者を抱えている。YouTubeのコメント欄をざっと見てみると、敬虔なイーザス信者の軍勢がいることが見えてくる。なかでもとくに、以下のような悲痛なコメントは、こちらをノスタルジーというボディーブローで連打してくる。「カニエは『Graduation』を作った。『Graduation』を作った。『Graduation』を作ったんだ!」*3
 どうやら男たちの場合、アーティストと彼の作るアートは、つねに切り離すことが可能らしい。
 だがしかし、女たちの場合はどうだろう?
 人類学者のルース・ベハーは『Women Writing Culture』において、あえて発言する女たちに突きつけられる期待をあきらかにしながら、「女たちが書くとき、世界は見張っている*4」と警句めかして書いている。女性ミュージシャンたちもまた、その発言にかんして——文字どおりそれを注視するような——同様の圧力に直面している。よく知られているとおりだが、シネイド・オコナーが教皇の写真を破った直後にキャンセルされたことを思いだしておこう。より最近の例として、ラッパーのアジーリア・バンクスは、楽曲よりもそのスキャンダルで有名になっている。また誰もが覚えているとおり日本では、AKB48のメンバーが、ボーイフレンドと夜を共にするというとんでもない犯罪——嗚呼!——を犯したために、頭を丸め、公に謝罪したのだった。
 悲しいことに#Metooは、たった数年で頓挫しだしたが、おそらくそれは、不幸にも性的暴行とコミュニケーション不足が結びつけられていったからだろう。2022年になるとハリウッドは、配偶者からの虐待を主張して彼の「名誉を毀損」した元妻アンバー・ハードとの訴訟に勝ったジョニー・デップを、やさしく諸手を広げて受け入れた。#Metooのあとで、私たちに伝えられているメッセージはこれまで以上にはっきりしたものになった。私たち女は、火あぶりにならないよう目立つようなことはしないのが一番なのだ。
 当初は#Metooや、ジョー・バイデンにたいする性的暴行の申し立てを支持していたレディーガガが、にもかかわらず大統領就任式で歌うことになったのは、きっとそうした圧力があったからなのだろう。だがこのことはむしろ、アメリカの(そして他の後期資本主義社会の)政治が激しく分岐していることの証明なのかもしれない。「すべての女たちを信じる」[#Metoo運動のなかで生まれたスローガン”Belive women”の派生系。ハラスメントや暴行の申し立てをまずは信じることを主張する]——なるほどね、だけどそうすることが政治的に不都合じゃないかぎり、でしょ?
 またおそらく——以前は自身がフェミニストであることを宣言する光り輝く巨大な電飾の前でパフォーマンスをしていた——ビヨンセが、女性問題にたいする公然としたサポートをやめたのは、#Metooのあとで、もはや社会の同意が得られなくなったからなのだろう。
 あるいはまた、おそらくこのことは、あの業界の寵児について、そう、テイラー・スウィフトその人について説明するものでもあるはずだ。私は自分が「スウィフティー[Swiftie:スウィフトのファンの通称]」だとは思わないし、スフィフトが——フェミニスト的な立場を主張していたのに——カニエ・ウエストの「Famous」のなかの悪名高い歌詞(自分とスウィフトは「まだセックスしてるかもしれない」というもの)を[発表前に知っていながら]知らないふりをしていたことを、[カニエの元妻の]キム・カーダシアンが暴露したときは、真剣に眉をひそめもした。しかしキャリアがスタートに見られたコンプライアンスを重視するその公的な人格は、結果として彼女のファン層(とその経済的自由)を築きあげ、そして最終的には、いまいる場所まで彼女を辿りつかせることになった。こうして彼女はいま、倫理的な理由でSpotifyから楽曲を取り下げたり、最初の6枚のアルバムを自身のアーティストとしてのヴィジョンに合うように再録したり、摂食障害について率直に語ったりしているわけである。
 だからこそ、キム・カーダシアンには[SNS上で]すぐに捕まったとはいえ、スポットライトの外で一年を過ごしたすえに18キロも痩せて帰ってきながら、歴史に残るカムバック・アルバム『Reputation』であからさまに中指を突き立て、次のように歌っていた頃のテイラー・スウィフトこそが、私は大好きなのだ。「私は誰も信じないし、誰も私を信じない。私はあなたの悪夢の主演女優になってやる」  あれこそが最高(バッドアス)だった。

女の性の力

 #Metoo以降、他に何が起きたのかを考えてみよう。グローバル経済は着実に下降している。アメリカ人たちは2008年の破綻以降いまだにふらついたままだ。一方で日本では、バブル崩壊以後の終わりのない不況が、長い戦後史上でも最低の円安を招いている。またコロナ禍以降、インフレによって貧富を分けるうんざりするような隔たりが世界中で広がっている。
 苦境にあえぐ経済は、同じ立場で男が1ドル稼ぐあいだ、こんにちにいたってもいまだに77セントしか稼げていない女たちにとって、とくに深刻な含意をもっている。そうした状況がある以上、セックス・ワークが——なかでもOnlyfans[ファンクラブ型のSNS]のような界隈のなかや、「シュガー・ベイビーズ」というかたちでおこなわれるそれが——これまで以上に魅力的なものに見えているのも当然だといえる。『Harper’s Bazaar』誌でさえもが、カーディ・Bがストリッパーだったことを梃子にして登りつめたことを「シンデレラ・ストーリー」だと表現するくらいだ。
 「WAP」で共演しているメーガン・ザ・スタリオンは自身のリリックのなかで、ごくシンプルに、「この濡れたマンコにキスしたいなら学費を払ってよ」と歌っている。
 カーディ・Bのブランドになっている、いわゆる「売女ラップ[slut rap]」の土台には、当時としては革命的だった1990年代の遺産が横たわっている。リル・キムの“How Many Kicks”やキアの“My Neck, My Back (Lick It)”といった曲が、その当時のヒップホップの場を地ならしし、女たちも、異性をモノのように扱うことで悪名高い男たち——私がここで思い浮かべているのはスヌープ・ドッグの“Bitches Ain’t Shit”やジェイ・Zの“Big Pimpin’”のような曲だ——に肩を並べることができるようにしたのは疑いないことだ。
 だがけっきょくのところ売女ラップは、男性の眼差し(メイルゲイズ)からの持続的な解放にはいたらなかったと言えるのではないだろうか? 私は何もここで、女性のセクシュアリティや、「世界最古の職業」(このこと自体、女の「選択」よりも男の欲望の方が優先されてきたことの例だが)を侮辱しようというつもりはない。そうではなく——とくに女性のセクシュアリティの表象がどんどんと男性の眼差し(メイルゲイズ)におもねったものになっている状況のなかにおいて——こんにちのフェミニズムが、そうした選択は女性たちをエンパワーするものだと主張していることに疑問を投げかけたいのだ。もちろん、少なくともエルヴィス以来ずっと、ポップスターたちは自身のセクシュアリティを資本化してきたわけだが、ガールパワーを伝えるものだったローリン・ヒルの“Doo-Wop (That Thing)”やシャナイア・トゥエインの“Any Man of Mine”、ノー・ダウトの“Just a Girl”といった90年代のヒット曲は、“WAP”を隣に置かれると、まったくもって禁欲的なものに見えるてくる。
 つまり私たちのもとにはいま、男性ミュージシャンにたいして、何でもいいがたとえば、「バカなことするのはやめて」と頼みこむ代わりに、その先には袋小路しかない「性的エンパワーメント」なるものへと向かう道をどんどんと突き進んでいく女性のポップスターたち——しかも男性プロデューサーからなるチームに指導された*5女性ポップスターたち——がいるのだ。ドレイクが自身[と21サヴェージ]のアルバム『Her Loss』のなかでフェミニズムに言及しているのは、よく言えば自分で自分に鞭を打っているようなものだが——ああ、クソッ、俺は悪いビッチたちに惑わされた善人だ、というわけである——、悪く言えば人を侮辱するたぐいのものだ。「お前らのために50万ドル遣ってやるぜビッチ、おれはフェミニストだ」といったリリックによってドレイクは、男性の眼差し(メイルゲイズ)の外に自分たちのための価値を見いだそうとしてもがく女たちを嘲笑っている。だがそのことと、“WAP”の待望された続編である“Bongos”——そのMVのなかでは、Tバックを履いた二人のラッパーがセックスの真似をしながら、「ビッチ、私はお金そのものみたいにイケてる/私の顔をドル札を印刷したっていい/太鼓みたいにコイツを叩いてみたらどう?」とラップしている——とのあいだに違いがあるとした場合、けっきょくのところそれは、後者においては、女が主導権を握っているという点に求められることになるだろうか?
 たしかに、ポン引きに食い物にされるより、自分自身がポン引きになる方がいいだろうが、だが真剣に考えてみてほしい、はたしてそれだけが私たちの選択肢だといえるのだろうか?
 #Metoo以降メディアがどう変わったか(あるいは変わっていないか)を見ていると、私たちは完全に論点を見失っているのではないかと思えてくる。言っておくが、私はカーディ・Bのメディア上での人格が好きだ。彼女はクレバーでふてぶてしく、現代にとって決定的なものである経済的な戦いも上手くこなしている。彼女もまた最高(バッドアス)だ。だから我がシスターたちの一部とは違った考えをもっていることになるかもしれないが、とはいえ私は、ファミニズムを苦しめる内輪揉めに加わるつもりはまったくない(また平等を求めるその他の運動に加わるつもりもまったくない——この点については、次のように書くなかでシモーヌ・ド・ボーヴォワールが見事に要約しているとおりだ。「女たちの翼は切り取られている、その上で彼女は、飛び方を知らないといって責められる*6」)。プラトンの寓話の洞窟に捕らえられたあの魂のように、私たちにとって真の平等を概念化することは難しい。
 だけど、ねえ(メン)*7——カーディ・Bがあの素晴らしい声を何か他のことを言うために使ったとしたらどう思う? 
 けっきょくのところ性的暴行とは、不平等にもとづくより広範なシステムの悲劇的なあらわれなのであり、このシステムにおいて女たちは、男の期待によって拘束されつづけている。男たちに私たちの価値を定義するように頼っているかぎり、私たちの価値はあくまで、特定の(セックス)にかかっていることになる。つまり、男の喜びに向けて調整された(セックス)に。
 だがひどいセックスと同じで、そんなことはただ退屈なだけだ。

【プロフィール】
ジリアン・マーシャル/Jillian Marshall

ジリアン・マーシャル博士は、現在ニューヨークを拠点に活動しているライター、教育者、ミュージシャン。初の著作『JAPANTHEM: Counter-Cultural Experiences, Cross-Cultural Remixes』 (Three Rooms Press: 2022)は、日本の伝統音楽、ポピュラー音楽、アンダーグラウンド音楽にたいする民族音楽的研究にもとづき、大学と公共圏を架橋している。博士号取得後にアカデミアを去ったが、その理由のひとつは、同僚たちからその半分もまともに受け取れないのに、彼らの二倍も努力するのに嫌気がさしたからである。https://wynndaquarius.net/

◆注

  • 1 [訳注:原題にある”hot take”とは、大方の予想とは異なる見方を強く示すことで、受け手の積極的な反応を引き出す一種のレトリックのこと。もともとはスポーツ・ジャーナリズムで用いられた言葉だが、SNS上で一般化した。日本語の語感としては「逆張り」にも近いが、もっぱらネガティヴな面が強調されてしまう点で本稿のもつ自覚的な戦略性にはそぐわないため、ここでは、カナによる音写で多義性を残しつつ、直訳的に訳した]
  • 2 Judith Butler, “Performative Acts and Gender Constitution: An Essay in Phenomenology and Feminist Theory,” in Performing Feminisms: Feminist Critical Theory and Theatre, ed. Sue-Ellen Case (Baltimore: Johns Hopkins University Press, 1990), 278.
  • 3 はぁ。冗談ではなく私は、本当に昔のカニエが恋しい。
  • 4 Ruth Behar, Women Writing Culture, ed. Ruth Behar and Deborah Gordon (Berkeley: university of California Press, 1995), 32.
  • 5 カーディ・Bとメーガン・ザ・スタリオンは、自分たち以外の6人と作詞のクレジットを共有している——そのいずれもが男性だ。
  • 6 Simone de Beauvoir, The Second Sex (New York: Vintage, 1989), 250.
  • 7 [訳注:英語では、性差を問わず誰かに呼びかけるさいの言葉として”man”が用いられるが、ここではそのことが、言語そのものに刻まれた男性優位の例として強調されている。]

なお、本コラムの第二回目(2010年代のカニエ・ウェスト)は、年末号のエレキングに掲載される。

Musicological Hot Take: Pop Music Post-#MeToo By Jillian Marshall, PhD

It’s like Plato’s “Allegory of the Cave": because patriarchal notions of male superiority have shaped the female experience for millennia, it’s hard to conceptualize —let alone define — womanhood outside of it.
Nevertheless, I find myself wondering about where feminism has ended up today. Of course, socio-cultural nuances between, say, Japan and the US create different standards of the feminine performance — and, as Judith Butler wrote, “Gender [roles] are performative… and are real only to the extent that [they] are performed.”*1 But in the end, it’s the same story from New York to Tokyo: in contemporary feminism, the mechanisms of women’s oppression are now branded as the keys to our empowerment.
Yet not even ten years ago, feminism was perched at an exciting precipice. So, how did we end up here after the promise of #Metoo?
At its peak, #MeToo brought forward women of both stature and obscurity with stories of sexual assault: a primary manifestation of patriarchal control that, by its nature, dominates and silences women. Quoting Tarana Burke, who is credited with starting the movement in the early 2000s, “‘Me too’ was just two words… Violence is violence. Trauma is trauma. And we are taught to downplay it, even think about it as chid’s play.”
Yet musicians — those who explicitly shape society’s soundscape— remained curiously silent during #MeToo’s height in the mid-2010s. Perhaps it should be celebrated that only a handful of women came forward with stories: notably KE$HA, who only recently settled a decade-plus lawsuit against her abusive manager, as well as Lady Gaga, Bjork, and Taylor Swift. But a deeper inquiry into women in pop music today provides a roadmap that could guide contemporary feminism toward a more productive direction.

The Other “F” Word: Who Wants to Be a Feminist, Anyway?

Scandalous — nay, abusive — male musicians are practically an archetype, and they’ve long been awarded free passes on their behavior. Michael Jackson didn’t sexually abuse those gold-digging children. Sure, David Bowie had sex with a fourteen-year-old “baby groupie,” but she put herself in that position. And that infamous shark incident with Led Zeppelin? Well, boys will be boys. Even Kanye West has his apologists: a quick look at YouTube comments reveals legions of faithful Yeezus devotees. One lament in particular hits me with a nostalgic gut punch: “He made Graduation. He made Graduation. He made Graduation!” *2
With men, we can always seem to separate the art from the artist.
But women?
In Women Writing Culture, anthropologist Ruth Behar quipped that “When women write, the world watches,”*3 articulating the expectations thrusted upon women who dare speak up. Female musicians face similar pressures regarding their voices— literally. Consider how Sinead O’Connor was famously cancelled for ripping up a photo of the Pope before cancellation itself. More recently, rapper Azalea Banks is more famous for her scandals than her songs. And in Japan, we all remember when the AKB48 member who shaved her head and publicly apologized for the egregious crime of — gasp! — spending the night with her boyfriend.
Sadly, #MeToo began fizzling out just a few years in, perhaps due to unfortunate conflations of sexual assault with poor communication. By 2022, Hollywood opened its loving arms to Johnny Depp following his victorious lawsuit against ex-wife Amber Heard, who “defamed” him with claims of spousal abuse. Post #MeToo, the message is clearer than ever: we women best stay in line, lest we burn at the stake.
So maybe this explicit pressure explains how Lady Gaga, despite her initial support for #MeToo and the sexual assault against allegations against Joe Biden, sang at his 2021 presidential inauguration ceremony. But this might be more of a testament to the bitter bifurcation of American (and other late-capitalist societal) politics. “Believe all women”— unless it’s politically inconvenient to do so, right?
And maybe Beyonce— who once performed in front of that giant, glowing sign declaring herself a FEMINIST — dropped her overt support of women’s issues because, post-#MeToo, societal permission was no longer granted.
Or maybe this all explains the industry’s darling: yes, Taylor Swift herself. Now, I’m not exactly a “Swiftie,” and I raised a serious eyebrow when Kim Kardashian revealed that she feigned ignorance — while claiming a feminist stance, no less — regarding Kanye West’s infamous lyric about how he and she “might still have sex” in his song “Famous.” But Swift’s compliant public persona at the start of her career is what built up her fan base (and financial freedom) to ultimately arrive where she is now: pulling her catalog from Spotify for ethical reasons, re-recording her first six albums to fit her artistic vision, and speaking candidly about her eating disorder.
And though Kim Kardashian caught her red-handed, I love that Taylor Swift came back forty pounds healthier and a year out of the spotlight later, middle fingers blazing on a come-back album for the ages, Reputation, singing: “I don’t trust nobody and nobody trusts me. I’ll be the actress starring in your bad dreams.” Badass.

The Power of Female Sex

Let’s consider what else has happened since #MeToo: the steady downturn of the global economy. Americans are still reeling from the crash of 2008; meanwhile, an endless post-Bubble recession in Japan has weakened the yen to its lowest value in the long postwar. And since coronavirus, inflation cleaves a disheartening chasm across the globe between the rich and poor.
The implications of a struggling economy are particularly grave for women who, to this day, still earn just 77 cents for every dollar made by men in identical positions. So it makes sense that sex work, especially in spheres like OnlyFans or as “sugar babies,” holds seemingly more appeal than ever. Cardi B’s upward mobility, leveraged by stripping, is even described by Harper’s Bazaar as a “Cinderella Story.”
“WAP”-collaborator Megan Thee Stallion puts it succinctly with her line, “Pay my tuition just to kiss me on this wet ass pussy.”
Cardi B’s brand of so-called “slut rap” builds on a legacy from the 1990s that was revolutionary for its time. There’s no doubt that Lil Kim’s “How Many Kicks” and Khia’s “My Neck, My Back (Lick It)” leveled the hip-hop playing field for a time, enabling women to keep up with boys notorious for their objectification of the opposite sex (Snoop Dawg’s “Bitches Ain’t Shit” comes to mind, along with Jay-Z’s “Big Pimpin’”).
But can we finally admit that slut rap didn’t impart lasting liberation from the Male Gaze? I don’t mean to shame female sexuality or the “world’s oldest profession” (itself a commentary on the prioritization of male desire more than female “choice”), but to question contemporary feminism’s insistence this choice is inherently empowering— particularly as representations of women’s sexuality increasingly pander to the Male Gaze. Of course, pop stars since at least as far back as Elvis have capitalized on their sexuality, but the 90s girl-power messaging of Lauryn Hill’s “Doo-Wop (That Thing),” Shania Twain’s “Any Man of Mine,” or No Doubt’s “Just a Girl” appear downright puritanical next to “WAP.”
So rather than imploring male musicians to, I don’t know, stop being assholes, instead we have female pop stars — coached by a team of male producers*4 — marching further down a dead-end road toward “sexual empowerment.” We can all agree that Drake’s nods to feminism on his album Her Loss, is self-flaggelating at best — aw, shucks, just a good guy led astray by bad bitches — and insulting at worst. With lyrics like “I blow half a million on you hoes, I’m a feminist,” Drake makes a mockery of women’s struggle to find worth for themselves outside the Male Gaze. But when the purported difference between this and “WAP”’s much-anticipated follow-up, “Bongos” — whose video features the two rappers in thongs, simulating sex, rapping “Bitch, I look like money / You could print my face on a dollar / Better beat this shit like a drum?” — is that, here, the women are in control?
Sure, I suppose being your own pimp is better than being pimped, but seriously: these are the options?
Seeing how things have (or haven’t) changed in media since #MeToo leaves me wondering if we’ve missed the point altogether. For the record, I like Cardi B’s media personality: she’s clever, unapologetic, and in tune with the economic struggles definitive of our times. She, too, is a badass, so while I might have differing ideas on feminism from some of my sisters, I’ll never participate in the infighting that plagues feminism (and any other movement for equality_, which Simone de Beauvoir eloquently summed up when she wrote, “Women’s wings are clipped, and then she’s blamed for not knowing how to fly.”*5 Like those souls trapped in Plato’s allegorical cave, it’s hard for us ladies to conceptualize true equality.
But man — can you imagine if Cardi B used that incredible voice of hers to say something else? Ultimately, sexual assault is a tragic symptom of a broader system of inequality, where women are imprisoned by male expectation. When we look to men — themselves increasingly socialized by pornography and violence — to define our value, our worth hinges upon a particular kind of sex: one geared toward male pleasure. Like bad sex itself, it’s all just so boring.

  • 1 Judith Butler, “Performative Acts and Gender Constitution: An Essay in Phenomenology and Feminist Theory,” in Performing Feminisms: Feminist Critical Theory and Theatre, ed. Sue-Ellen Case (Baltimore: Johns Hopkins University Press, 1990), 278.
  • 2 Sigh. I really do miss the Old Kanye.
  • 3 Ruth Behar, Women Writing Culture, ed. Ruth Behar and Deborah Gordon (Berkeley: university of California Press, 1995), 32.
  • 4 Cardi B and Megan Thee Stallion share writing credits on “Bongos” with six others— all men.
  • 5 Simone de Beauvoir, The Second Sex (New York: Vintage, 1989), 250.

Author Bio

Jillian Marshall, PhD, is a writer, educator, and musician currently based in Brooklyn New York. Her first book, JAPANTHEM: Counter-Cultural Experiences, Cross-Cultural Remixes (Three Rooms Press: 2022) draws on her ethnomusicological research on Japan’s traditional, popular, underground music worlds, and bridges the university and the public sphere. She left academia following the completion of her doctorate, in part because she was tired of working twice as hard to be taken half as seriously by her colleagues.

10月のジャズ - ele-king

 つねに新しいものが求められがちな音楽シーンにあって、ジャズの場合はそれだけでなく、過去の音源の発掘や歴史に埋もれた作品の再評価といった作業も大きな意味合いを持つ。そして、歴史や伝統のある音楽シーンであるからこそ、昔から現在に至るまで長く活動するミュージシャンも多い。今月はそうしたレジェンドのリリースが見られた。


Hugh Masekela
Siparia To Soweto

Monk Music / Gallo Record Company

 南アフリカ出身で米国に渡り、世界的に活躍したトランペット奏者のヒュー・マセケラ。シンガーでもあり、作曲家としても数々の名曲を残した彼が没したのは2018年だが、その死後もミュージシャンたちへの影響は続いており、たとえば生前の2010年に録音された故トニー・アレンとの共演作『リジョイス』が2020年にリリースされた。これは彼らふたりの録音に、新たにエズラ・コレクティヴココロコなどの演奏を加えて完成されたもので、見事に新旧ミュージシャンの共演となっていた。そして、この度またヒュー・マセケラの未発表音源が発掘された。

 2005年にトリニダード・トバゴのジャズ・フェスに参加して以来、アフリカとカリブの音楽を繋ぐことに腐心していったマセケラは、2012年から2016年にかけてトリニダード・トバゴを訪問し、現地のミュージシャンたちとのセッションをおこなった。参加したのはソカの伝説的なミュージシャンであるマシェル・モンタノ、スティールパンの世界的第一人者であるアキノラ・セノンが率いる楽団のシパリア・デルトーンズ・オーケストラなど。マセケラは2005年のフェスでシパリア・デルトーンズ・オーケストラに出会ってから、その演奏にずっと魅せられ続けてきており、念願の共演となったようだ。

 トリニダーソ南部の街であるシパリアから南アフリカのヨハネスブルグにあるソウェトへと題されたこのアルバムは、マセケラはじめとした参加ミュージシャンの国境を越えたセッションに留まらず、アフリカ大陸とカリブ海の文化的遺産を巡る旅のような音楽である(トリニダードの住民の多くは、かつて旧英領時代にアフリカから奴隷として連れてこられた人びとを祖先とする)。トリニダードで人びとが集うもっともポピュラーな場所はマンゴーの木下だそうで、そこで政治や経済について議論がおこなわれ、歴史や文化が受け継がれてきたとアキノラ・セノンは述べており、そうした背景が “ザ・ミーティング・プレイス” “マンゴ・ツリー” といった曲へと繋がった。自分たちのルーツは本質的にアフリカ人であるというセノンは、トリニダード・トバゴの文化的遺産とアフリカ系カリブ人のディアスポラの復興のため、その象徴的な楽器としてスティールパンを用いているそうだ。そして、その音色はとてもピースフルで、“ボンゴ・デイ” や “ロール・イット・ガル” などさまざまなタイプの音楽とも調和することが可能だ。アフリカからカリブへと跨る文化遺産の多様性、そしてその根底にある平和的な思想を音楽にしたアルバムと言えよう。


Idris Ackamoor & The Pyramids
Afro Futuristic Dreams

Strut

 1970年代より活動するアイドリス・アカムーアと彼の率いるザ・ピラミッズは、2010年代に入るとスピリチュアル・ジャズ再評価の影響を追い風に、『ウィ・ビー・オール・アフリカンズ』(2016年)、『アン・エンジェル・フェル』(2018年)、『シャーマン!』(2020年)とコンスタントにアルバムを発表している。『アン・エンジェル・フェル』『シャーマン!』はヒーリオセントリックスのマルコム・カットが共同プロデューサーとなり、そのミキシングやレコーディング作業を通じてアイドリス・アカムーアの音楽観や世界観を現在のシーンにも繋がるものへと仕上げていたわけだが、この度リリースされた新作『アフロ・フューチャリスティック・ドリームズ』もやはり彼が共同プロデュースをおこなう。結成から50周年を迎えたザ・ピラミッズは、オリジナル・メンバーのマルゴー・シモンズや1970年代の作品にも参加したブラディ・スペラーのような年長のミュージシャンがいる一方、サウス・ロンドンのアフロ・バンドであるワージュやジョーダン・ラカイのバンドに参加するアーネスト・マリシャレスと若いミュージシャンも参加するなど、新旧ミュージシャンが融合した形で、サン・ラー・アーケストラのように過去・現在・未来を繋ぐ存在と言えよう。“サンキュー・ゴッド” あたりはとてもサン・ラー的な楽曲だ。

 『アフロ・フューチャリスティック・ドリームズ』というタイトルが示すように、シャバカ・ハッチングスら南ロンドンのミュージシャンらの活躍で再び注目を集めるようになったアフロ・フューチャリズムを反映したアルバムであり、『アン・エンジェル・フェル』以降に顕著なブラック・ライヴズ・マターからの影響が本作においても “ポリス・デム” “トゥルース・トゥ・パワー” などの楽曲に表れている。また、表題曲などシンセサイザーやエフェクターによって人工的なサウンドとプリミティヴなアフリカ音楽を意図的に融合する場面があり、そこがアカムーアなりのアフロ・フューチャリズムの表現と言えるだろう。


Kofi Flexxx
Flowers In The Dark

Native Rebel Music

 コフィ・フレックスとは覆面的なアーティストだが、実際はシャバカ・ハッチングスの新たなプロジェクトである。これまで2022年にカルロス・ニーニョとコラボした “イン・ザ・モーメント・パート3” というフリーフォームなアンビエント音源をデジタル・リリースしたのみで、今回の『フラワー・イン・ザ・ダーク』が実質的な初リリース・初アルバムとなる。シャバカ以外の参加ミュージシャンは明らかではないが、楽曲ごとにラッパーやシンガーがフィーチャーされていて、ビリー・ウッズ、アンソニー・ジョセフ、コンフューシャスMC、エルシッド、ガナブヤ、シヤボンガ・ムセンブなどが参加する。トリニダード・トバゴ出身の詩人であるアンソニー・ジョセフのポエトリー・リーディングをフィーチャーした “バイ・ナウ(アキューズド・オブ・マジック)” は、同じカリブをルーツに持つシャバカ・ハッチングスにとって、彼らのルーツや歴史・文化を表明したアフロ・ジャズ。ヒュー・マセケラやアイドリス・アカムーアら先人の音楽とも繋がる作品である。

 “イット・ワズ・オール・ア・ドリーム” や “フラワーズ・イン・ザ・ダーク” など、比較的リズムを中心とした作品が多く、リズム・セクションもパーカッション中心にミニマルでトライバルな展開をしていく。シャバカのサックスやクラリネット、フルートも土着的な音色を奏で、“インクリーズ・アウェアネス” や “ショウ・ミー” のように薄くアンビエントな演奏が目につく。特に “インクリーズ・アウェアネス” ではインド音楽のようなコーラスが幻想的に流れ、サンズ・オブ・ケメットザ・コメット・イズ・カミングなどともまた異なる、シャバカのまた新たな側面を見せるプロジェクトだ。


Daniel Villarreal
Lados B

International Anthem Recording Co. / rings

 ダニエル・ヴィジャレアルは南米パナマ出身で、シカゴに移住して活動するドラマー/パーカッション奏者。ラテン・バンドのドス・サントスのメンバーでDJとしても活動する彼は、ジェフ・パーカーなどとも交流が深く、その力を借りてファースト・アルバムの『パナマ77』を2022年にリリース。アメリカの黒人ドラマーなどとはまた異なる、ラテン民族ならではの独特のリズム・センスを感じさせるアルバムだった。

 この度リリースした新作『ラドスB』は、鍵盤楽器や管楽器なども入っていた『パナマ77』と異なり、ダニエル・ヴィジャレアルのドラム&パーカッション、ジェフ・パーカーのギター、アンナ・バタースのベースというミニマムなトリオ録音(“サリュート” という曲のみローズ・ピアノが入る)。録音自体は2020年10月のロサンゼルスにて2日間でおこなわれており、3人の即興的なセッションを比較的ラフな形でレコーディングしている。ラテン音楽特有のハンド・ベルではじまる “トラヴェリング・ウィズ” は、ファンキーなフレーズを奏でるギターやベースを交え、1970年代のエル・チカーノやマロといったラテン・ロックを彷彿とさせる作品。このあたりはDJもやるヴィジャレアルのレア・グルーヴ的なセンスが表れているようだ。速いビートを刻む “リパブリック” は、ラテン民族ならではのヴィジャレアルのドラミングが光る楽曲。一方、レイドバックしたグルーヴの “サリュート” にはフォーキーで枯れた雰囲気もあり、ラテン音楽とアメリカのブルースがうまくマッチした楽曲となっている。

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