「You me」と一致するもの

Everything But The Girl - ele-king

 トレイシー・ソーンとベン・ワットによるエヴィリシング・バット・ザ・ガール(EBTG)が新しいアルバム『Fuse 』を4月21日にリリースする。これは1999年の『Temperamental』以来の新作で、EBTGにとっての通算11枚目のアルバムとなる。
 先行で発表されたシングル曲“Nothing Left To Lose”は、ハウス・ミュージックの影響下にあった90年代のEBTGの延長にあり、アルバムの内容も、エレクトロニックであり、ソウルであるという。

 以下、レーベルの資料からの抜粋です。

 2021年の春から夏にかけてベン・ワットとトレイシー・ソーンによって書かれ、制作された『Fuse』は、バンドが90年代半ばに初めて開拓した艶やかなエレクトロニック・ソウルを現代的にアレンジしたものとなっている。
サブ・ベース、シャープなビート、ハーフライトのシンセ、空虚な空間からなるワットのきらめくサウンドスケープの中で、ソーンの印象的で豊かな質感の声が再び前面に出ており、これまで同様、現代的、同時代的なサウンドでありながらエイジレスなバンドのサウンドに仕上がっている。
  バンドの再出発とニュー・アルバムについて、トレイシーはこう語っている
 「皮肉なことに、2021年3月にレコーディングをスタートしたとき、このニュー・アルバムの完成されたサウンドについて、あまり関心事がなかったの。もちろん“待望のカムバック”といったプレッシャーは承知していたから、その代わりにあらかじめ方向性を決めないで、思いつきを受け入れる、オープンマインドな遊び心の精神で始めようとしたのね」
  2人は自宅とバース郊外の小さな川沿いのスタジオで、友人でエンジニアのブルーノ・エリンガムと密かにレコーディングを行った。
 希望と絶望、そして鮮明なフラッシュバックが交互に現れるこのアルバムの歌詞は、時にとらえどころがなく、時に詳細に描写され、再出発することの意味をとらえている。
  ベンは次のように語っている。
 「エキサイティングだったね。自然なダイナミズムが生まれたんだ。私たちは短い言葉で話し、少し顔を見合わせ、本能的に共同作曲をした。それは、私たち2人の自己の総和以上のものになった。それだけでEverything But The Girlになったんだ」
  二人のスタジオでの新たなパートナーシップは、新しいアルバム・タイトルにもつながった。
 「プロとして長い間離れていた後、スタジオでは摩擦と自然な火花の両方があった」とトレイシーは言う。「私たちがどんなに控えめにしていても、それは導火線に火がついたようなものだった。そして、それは一種の合体、感情の融合で終わった。とてもリアルで生きている感じがしたわ」

Everything But The Girl
Fuse

Virgin Music
2023年4月21日、配信・輸入盤CD/LPにて発売予定
https://virginmusic.lnk.to/EBTG_NLTL

■バイオグラフィー
 エヴリシング・バット・ザ・ガールは、トレイシー・ソーン、ベン・ワットの2人により、1982年にコール・ポーターの「ナイト・アンド・デイ」の荒々しいジャズ・フォーク・カバーで登場した。その後、80年代を通じて英国でゴールド・アルバムを次々と発表。1992年にワットが難病の自己免疫疾患で死に瀕した後、1994年に彼らの最大のヒット曲である「Missing」が含まれ、ミリオンセラーとなった熱烈なフォークトロニカ『Amplified Heart』で復活を遂げる。その後90年代を通じて多くのヒットを生み出し、96年リリースの『Walking Wounded』がバンド初のプラチナ・セールスを記録するなど、多くのヒット曲を生み出すが、1999年のアルバム『Temperamental』のリリースを最後に2000年に活動を停止する。
 2000代はトレイシー、ベンそれぞれソロ活動を展開。ソロ・アルバムやノン・フィクションの出版、また自身のレーベル、Buzzin’ Flyの成功など、その才能を遺憾無く発揮してきた。
 そして2023年、EVERYTHING BUT THE GIRLとして24年ぶりとなる新作アルバム『FUSE』を4月21日にリリースする。

■ アーティスト日本公式サイト
https://www.virginmusic.jp/everything-but-the-girl/

Theo Parrish - ele-king

猪股恭哉

 ダンス・ミュージックにおけるミックスCDというフォーマットは、重要な表現手段としてかつて機能していた。クラブでのプレイをライヴ・レコーディングしたものから、よりアルバム的な、コンセプトを定め微細な箇所まで作り込んだ作品が精力的に発表されていた。フランソワK『Essential Mix』、リッチー・ホウティン『De9: Closer to the Edit』などなど。現在ではインターネット上でオフィシャル、アンオフィシャル問わず、無限に広がり続けていくミックス音源は、自身のスタイルを提示する名刺としての役割へ変化していくことになった。
とはいえ、DJやプロデューサーが貴重なレア音源や忘れ去られていた作品をセレクトしたり、自分のお気に入りのフレッシュな才能を世の中に送り出すキュレーションとしての機能は、かつても現在も駆動し続けている。

 さて、セオ・パリッシュのDJ-KICKSである。自身のレーベル〈Sound Signature〉から数多のミックス音源をリリースしてきた彼によるオムニバス的な側面ではない、初のオフィシャルなミックス作品である。DJとしての評価は揺るがないものを確立し長いキャリアを重ねてきたベテランとしては意外かもしれないが、様々なジャンルや歴史を横断する彼のスタイルを踏まえるとライセンス問題をクリアするのが困難だったのかも知れない(余談ではあるが、かつてMinistry of Soundが一世を風靡した人気ミックス・シリーズ「Masterpiece」にセオが登場するのでは? という噂があった。真偽のほどは不明ながら実現していれば……)。

 本作は、『Detroit Forward』という副題がつけられているとおり、デトロイトのアーティストたちで構成されており、地元音楽コミュニティをセオがキュレーターとして紹介する形をとっているといえるだろう。セオ自身がクレジットされているのは1曲のみで、他はすべてがデトロイトを中心としたローカルな才能たち。アンプ・フィドラーのリミックスを手掛け、近年はソロ活動を積極的に行っているビートメイカーであるメフタ。独特の浮遊感を漂わせるビートメイキングがラッパーJOHN C.とのコラボでも非凡なプロデュースセンスを発揮する。鍵盤奏者としてアンドレスやオマーS、スコット・グルーヴス作品に参加してきたイアン・フィンクが、セオ・パリッシュのクラシック”Moonlite”をカヴァー(コンガでアンドレスも参加している)。マッド・マイク譲りのモーターシティ・ソウルを受け継ぐマルチ・プロデューサーのジョン・ディクソン。デトロイトではないが〈Sound Signature〉からアルバムもリリースしたDJのスペクターがパワフルでタフなジャズ・ビートダウンを提供。セオやアンドレス、ワジードといったプロデューサーから、スカイズー、ドゥウェレ、エルザイらヒップホップ・アーティスト作品にも携わる女性シンガー、モニカ・ブレア。
 そして、本作にクレジットされたアーティストのうち唯一3曲も参加しているデショーン・ジョーンズ。マッド・マイクの薫陶を受け、デトロイトが誇る偉大なトランペット奏者であるマーカス・ベルグレイヴの弟子であり、グラミー賞へのノミネート経験もあるサックス・プレイヤーによる秘蔵トラック。シンガー・イディーヤとコラボしたメロウR&Bに、シンガーやラッパーをフィーチャーした濃厚なファンク、ホーンとコンガとピアノによる巧みなコンビネーションが冴えるハウスまで、名うてのトランペット奏者の知られざる一面を引き出したセオの彗眼に唸らされる。
 ほかにも、YouTubeで公開されている公式ショートフィルムでもフィーチャーされているDJのフーダットとシンガーソングライター・ソフィアEが手掛けたミニマルなデトロイトハウス、プロデューサー/ドラマーのノヴァ・ザイイがヴォーカリスト・ケスワを迎えたスペーシーでサイケデリックなモダンソウル……。
 事程左様にローカルな才能が結集し、様々なスタイルの音楽が次々を広がっていく様は、まるでセオが率いるバンドが演奏しているようで、グルーヴとストーリーが独特の時間軸の変化を見せ聴き手を魅了する(全体のプロデュースをセオがコントロールしているような統一感!)。音楽の街デトロイトで脈々と受け継がれてきたコミュニティが、最高のDJの手でミックスCDとしてキュレートされ、メディアとして世界へ発信される。デトロイト・パワー。

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野田努

 『J・ディラと《ドーナッツ》のビート革命』は良いところもある本だが、ひとつ、大きな間違いがある。アメリカ人の著者が、おそらくは自分が読んだ記事のみによって、デトロイトのクラブ・シーンを「テクノに支配されていた」と紹介している下りである。んなわけないだろ。少なくとも90年代は、デトロイトもほかのアメリカの都市と同様、ロックとヒップホップが人気であって、テクノやハウスなんて音楽は少数派の音楽だったし、そもそもクラブ・シーンと言えるほどのシーンもなかった。
 また、ローカルにおいてはラップとテクノは繋がってもいる。昨年の元スラム・ヴィレッジのワージードのアルバム『Memoirs Of Hi-Tech Jazz』(完璧なテクノ作品)はその好例で、昔で言えば、たとえば同書で鬼の首を取ったように述べている「ジット」(昔ながらのチンピラ風情)、彼らをデトロイト・テクノ第一世代が拒絶したのは書かれている通りだが(喩えれば、高校の文化祭を荒らしに来るヤンキーを追っ払うようなものだから)、しかしその「ジット」にリンクしているシーンこそ、かの地でもっとも大衆的に盛り上がっているエレクトロのシーンであって、そこから出てきたのがオックス88やドレクシア、そのシーンとテクノとの回路を作ったのが(初期においてヒップホップの影響を受けていた)URだ。デトロイト・テクノがブリング・ブリング・シットや不良自慢と距離を持とうとしたのはまったくの事実だが、これはこれでじつに意味のある話なので、いつかしてみたい。

 いずれにせよ、デトロイト・テクノおよびハウス、ひいてはハウス・ミュージックそのものがアメリカ内部においてはいまだに理解が浅いのだろう。そういう観点からすると、ビヨンセがハウスをもってアルバムを作り、彼女以前にラナ・デル・レイやドレイクがムーディーマンをフィーチャーしたのは(ずいぶん前の話になるがミッシー・エリオットがサイボトロンを引用したのも)、アメリカにおいては文化闘争と言える。大袈裟に思われるかもしれないが、スペシャル・インタレストのようなアメリカのパンク・バンドの口からジェフ・ミルズやドレクシアの名前が出るのは、ぼくからしたらかなり例外的なことだったりするのだ。
 だいたい、アメリカの先鋭的なブラック・エレクトロニック・ダンス・ミュージックは、60年代〜70年代のジャズのように、母国よりもヨーロッパにおいて評価され、多くは大西洋を渡ったところに活動の場を見出している。そして、ゼロ年代において、UKを拠点に活動しているエレクトロニック・ミュージシャンを取材した際に、もっとも多くインスピレーションの源として名前を聞いたのがセオ・パリッシュだった。

 ベルリンの〈!K7〉レーベルによる「DJ-Kicks」は、DJによるミックスCDの長寿シリーズで、2016年にはムーディーマンの魅力的な1枚をリリースしているのだが、DJミックスがネットで無料で聴けてしまう今日においては、ますます存在意義が問われてもいる。選曲に関しても、すべてをフラットにしたがる情報過多な現代では、そこに実験音楽があろうがJ-POPがあろうが誰も驚きはしない。よほどの何かがなければ、商品として成立しないだろう。
 セオ・パリッシュは、ある意味まっとうなコンセプトでミックスCDの意義を我々に再確認させる。ここに収められている20曲中19曲が未発表で(ほとんど新曲のようだ)、クレジットされている17人のプロデューサーは、セオ本人(それからジョン・ディクソン)を除けば格段有名なわけではない。しかしどうだ、みたことかと、素晴らしいなんてももんじゃない、驚きの連続なのである。
 これらハウスやテクノの進化形を聴いていると、デトロイトで何が起きていたのかまだ外の人間が知らなかった時代の、デリック・メイのDJミックスの音源(当時はカセットテープ)を思い出す。ほとんど知られていないシカゴのアブストラクトなディープ・ハウスばかりがミックスされたそれは、「音楽研究所(ミュージック・インスティテュート)」と呼ぶに相応しい、アンダーグラウンドという実験場からの生々しいレポートだった。『デトロイトの前線(Detroit Forward)』と銘打たれたセオ・パリッシュのこれは、いまだかの地において音楽研究が続行されていることを明白に訴えている。そして、デトロイトの神話体系の外側、すなわちメディアやネット系プラットフォームが目配せしないところにこそ、もっともスリリングなサウンドがあるのだと主張しているようでもある。
 ゼロ年代以降のセオ・パリッシュが彼のディープ・ハウス・スタイルを追求しながら平行して手がけていたのは、「レジスタンス年代記」と命名されたサン・ラーへのトリビュート作の発表、あるいは〈Black Jazz〉レーベルの編集盤の監修といった、70年代スピリチュアル・ジャズとの接合である。それを思えば、彼のセレクションにジャズ色が際立っているのは必然なのだろう。本作において唯一3曲に絡んでいるDe'Sean Jonesはスティーヴィー・ワンダーのバックも務めていたこともあるその筋のエリートで、彼はマカヤ・マクレヴェンのバンドでも演奏している。タイムライン(URのサブプロジェクト)のメンバーとして日本で演奏経験もあるサックス奏者だが、彼が入ったときのライヴはほとんどフリー・ジャズで、これまで何度もあったURの来日ライヴのなかの3本の指に入るインパクトだった。
 で、そのDe'Sean JonesとアイディーヤのR&Bヴォーカルによる“Pressure”というダウンテンポの曲がアルバムのオープナーとなっている。凄腕の楽器奏者としてのジョーンズはそこそこ知られているかもしれないが、ここではトラックメイカーとしての彼の姿が表出している。“Flash Spain”という曲ではラテン・ジャズ・ハウスを、“Psalm 23”ではハード・ゴスペル(とでも呼びたくなるような曲)を試みているが、どの曲も大胆さを忘れていない。
 デトロイト・テクノの発展型を知りたければDeon Jamarの“North End Funk”をお薦めするが、その叙情性はWhodatとSophiyah Eによる“Don't Know”にも受け継がれている。ドラム奏者のMeftahによる“When The Sun Falls”と“Full”という曲も深夜の友になりえる恍惚としたアンビエント・ハウスだ。
 かつてサブマージからアルバム(ウマー・ビン・ハッサンやバーニー・ウォーレルがフィーチャーされていた)を出したことのあるDuminie DePorresは、セオ・パリッシュとともに、それこそジュリアス・イーストマンの前衛にリンクするであろう、ジャジーなミニマルを見せている。もうひとつ、実験精神に関しては、セオの〈Sound Signature〉からも作品を出しているH-Fusionによる、テリー・ライリーとドレクシアが出会ったかのような“Experiment 10”が突出している。彼はこの先、ヨーロッパで影響力を持つことになるかもしれない。
 女性アーティストでは、Monica Blaire(mBtheLight名義で〈マホガニー〉からアルバムを出しているが、本作でも同名義の曲がセオによってリエディットされ収録されている)とKesswaがこの先期待大の独創的なサウンドを披露している。そして、カーティス・フラーやフィル・ラネリンなどレジェンドたちと共演経験のある気鋭のジャズ・ピアニスト、Ian Finkelsteinがセオ・パリッシュの曲“Moonlite”をそのエレガントなピアノ演奏によってカヴァーすれば、Sterling Toleは“Janis”という曲によってデトロイト・ヒップホップのファンキーな側面を強調する。

 昨年はディフォレスト・ブラウン・ジュニアが著書『黒いカウンター・カルチャー集会(Assembling a Black Counter Culture)』をとうとう上梓し、デトロイト・テクノの政治的な文脈をより深く紐解いている。こうした新たなデトロイト研究が顕在化している最中、セオ・パリッシュによる『デトロイトの前線』が、モーターシティの音楽がいまも成長しその幅を押し広げていることを見せ、目立ちはしないがそれは音楽の価値やブラック・ミュージックの気高さとは無関係であるとあらためて証明したことの意味は、そう、じつに大きい。

R.I.P. Alan Rankine - ele-king

 昨年のウインブルドンではニック・キリオスが大活躍だった。全身に刺青が入った黒人のテニス・プレイヤーで、ショットが決まるたびに客席の誰かに大声で話しかけ、勝っても負けてもオーストラリア本国に戻ればレイプ疑惑で裁判が待っていた(精神障害を理由にいまだに裁判からは逃げている)。大坂なおみが開いたエージェント・オフィスが初めて契約した選手であり、日本に来た時はポケモンセンターの前に座り込んで「絶対にここから離れない」とSNSに投稿していた。僕の推しはカルロス・アルカラスだったんだけれど、昨年は早々とキリオスに負けてしまったので、そのまま惰性でキリオスを追っていた。そうなんだよ、危うくカルロス・アルカラスのことを忘れてしまうところだった。それだけインパクトの強い選手だった。僕がカルロス・アルカラスを応援し始めたのはピート・サンプラスに顔が似ていたから。90年代のプレースタイルを象徴するテニス・プレイヤーで、あまりにもプレーが完璧すぎて「退屈の王者」とまで言われた男。W杯のカタール大会でエンバペがゴールするたびにマクロンが飛び跳ねていたようにサンプラスが00年の全米オープンで4大大会最多優勝記録を打ち立てた時はクリントンも思わず立ち上がっていた。試合でリードしていても苦々しい表情だったサンプラス。内向的で1人が好きだったサンプラス。僕がピート・サンプラスを応援し始めたのはアラン・ランキンに顔が似ていたから。僕はアラン・ランキンの顔が大好きだった。セクシーでガッツに満ち、野獣に寄せたアラン・ドロンとでもいえばいいか。初めて『Fourth Drawer Down』のジャケット・デザインを見た時、この人たちは何者なんだろうと思い、どんな音楽なのかまったく想像がつかなかった。

The Associates – The Affectionate Punch(1980年)

 なんだかわからないままに聴き始めた『Fourth Drawer Down』はなんだかわからないままに聴き終わった。朗々と歌い上げるビリー・マッケンジーのヴォーカルと実験的なのかポップなのかもわからないサウンドは現在進行形の音楽だと感じられたと同時に「現在」がどこに向かっているかをわからなくするサウンドでもあった。その年、1981年はヒューマン・リーグがシンセ~ポップをオルタナティヴからポップ・ミュージックに昇格させた年で、シンセ~ポップのゴッドファーザーたるクラフトワークが『Computerwelt』で自ら応用編に挑むと同時にソフト・セル『Non-Stop Erotic Cabaret』からプリンス『Controversy』まで一気にヴァリエーションが増え、一方でギャング・オブ・フォー『Solid Gold』やタキシードムーン『Desire』がポスト・パンクにはまだ開けていない扉があることを指し示した年でもあった(タキシードムーンはとくにベースがアソシエイツと酷似し、アラン・ランキンは後にウインストン・トンのソロ作を何作もプロデュースする)。『Fourth Drawer Down』はそうした2種類の勢いにまたがって、両方の可能性を一気に試していたようなところがあった。それだけでなく、グレース・ジョーンズ『Nightclubbing』に顕著なファッション性やジャパン『Tin Drum』から受け継ぐ耽美性も共有し、オープニングの“White Car In Germany”では早くもDAF『Alles Ist Gut』を意識している感じもあった。混沌としていながら端正なテンポを崩さない“The Associate”を筆頭に、PILそのままの“A Girl Named Property”、物悲しい“Q Quarters”には咳をする音が延々とミックスされ、あとから知ったところでは“Kitchen Person”は掃除機のホースを使って歌い、“Message Oblique Speech”のカップリングだった“Blue Soap”は公園のようなところにバスタブを置いて、その中で反響させた声を使っているという。まるでジョー・ミークだけれど、ジョー・ミークにはない重いベースと破裂するようなキーボードが彼らをペダンチックな存在には見せていない。

 これらが、しかし、すべて助走であり、アラン・ランキンとビリー・マッケンジーが次に手掛けた『Sulk』はとんでない方向に向かって華開く。昨年、同作の40周年記念盤がリリースされ、全46曲というヴォリウムに圧倒されながらレビューを書いたので詳細はそちらを参照していただくとして、ここではスネアをメタル仕様に、タムを銅性の素材に変えたことで、インダストリアルとは言わないまでも、全体に金属的なドラム・サウンドが支配するアルバムだということを繰り返しておきたい。『Sulk』はパンク・ロックのパワーを持ったグラム・ロック・リヴァイヴァルであり、ニューウェイヴの爛熟期に最も退廃を恐れなかった作品でもある。あるいは15歳のビョークが夢中で聴いたアルバムであり、彼女のヴォーカル・スタイルに決定的な影響を与え、イギリスのアルバム・チャートでは最高10位に食い込んだサイケデリック・ポップの玉手箱になった。『Sulk』はちなみにイギリス盤と日本盤が同内容。アメリカ盤とドイツ盤がベスト盤的な内容になっていた。ジャケットの印刷技術もバラバラで、リイシューされるたびに緑色が青に近づき、裏ジャケットのトリミングも違う。オリジナル・プリントはイギリスのどこかの美術館に収蔵されているらしい。

 ビリー・マッケンジーが『Sulk』の北米ツアーを前にして喉に支障をきたし、アメリカで売れるチャンスを逃したとして怒ったアラン・ランキンはアソシエイツから脱退、『Sulk』に続いてリリースされたダブルAサイド・シングル「18 Carat Love Affair / Love Hangover」(後者はダイアナ・ロスのカヴァー)がデュオとしては最後の作品となってしまうも、『Fourth Drawer Down』以前にリリースされていたデビュー・アルバム『The Affectionate Punch』のミックス・ダウンをやり直して、同じ年の12月には再リリースされる。元々の『The Affectionate Punch』はなかなか手に入らず、その後、イギリスでようやく見つけたものと聴き比べてみると、ミックス・ダウンでこんなに変わってしまうものかと驚いたことはいうまでもない。たった2年でアラン・ランキンが音響技術の腕を確かなものにした自信が『The Affectionate Punch』の再リリースには漲っていた。同作からは“A Matter Of Gender”が先行カットされ、結局、デビュー・シングル“Boys Keep Swinging”(デヴィッド・ボウイの無許可カヴァー)などを加えて元のミックス盤も05年にはCD化される。『Sulk』に続く道も感じられはするけれど、オリジナル・ミックスはまだシンプルなニューウェイヴ・アルバムで、この時期は〈Fiction Records〉のレーベル・メイトだったキュアーとヨーロッパ・ツアーなどを行なっていたことからロバート・スミスがギターとバック・コーラスで参加、ベースのマイケル・デンプシーはその後もアソシエイツとキュアーを掛け持っていた。ロバート・スミスは後にビリー・マッケンジーが自殺する直前、キュアーのライヴを観に来てくれたのに声をかけ損なったことを悔やんで「Five Swing Live」をリリースしたり、“Cut Here”をつくったりしている。

The Associates – Sulk(1982年)

 バンドを脱退したとはいえ、『Sulk』の名声はアラン・ランキンにプロデュース業の仕事を舞い込ませる。ペイル・ファウンテインズ“Palm Of My Hand”は“Club Country”で用いたストリング・アレンジを流用しながら彼らのアコースティックな持ち味を存分に活かし、反対にコクトー・ツインズ“Peppermint Pig”はあまりにもアソシエイツそのままで、これは派手な失敗作となった。彼らのイメージからは程遠いインダストリアル・ドラムに加えて近くと遠くで2本のギターが同時に鳴り続けるだけでアソシエイツに聞こえてしまい、ノイジーなサウンドに尖ったリズ・フレイザーのヴォーカルが入るともはやスージー&ザ・バンシーズにしか聞こえなかった。そして、アンナ・ドミノやポール・ヘイグのプロデュースから縁ができたのか、アラン・ランキンのソロ・ワークも以後は〈Les Disques Du Crépuscule〉からとなる。アソシエイツ脱退から4年後となったソロ・デビュー・シングル“The Sandman”は幼児虐待をテーマにした静かな曲で、カップリングは戦争を取り上げた暗いインストゥルメンタル。続いてリリースされたファースト・ソロ・アルバム『The World Begins To Look Her Age』はアソシエイツのようなエッジは持たず、80年代中盤のニューウェイヴによくあるAOR風のシンセ~ポップに仕上がっていた。これはランキンを失ったマッケンジー単独のアソシエイツも同じくで、マッケンジーもまた気の抜けたアソシイツ・サウンドを鳴らすだけで、2人が離れてしまうと緊張感もないし、いずれもメローな部分ばかりが際立つ自らのエピゴーネンに成り下がってしまったことは誰の耳にも明らかだった。2人がそろった時の化学反応はやはり1+1が3にも100にもなるというマジックそのものだったのである。しかし、2人は93年まで再結成に意欲を示さず、とくにビリー・マッケンジーはイエロやモーリツ・フォン・オズワルドといったユーロ・テクノの才能と組んでサウンドの更新に勤め、それなりに意地は見せていた。アラン・ランキンは『The World Begins To Look Her Age』の曲を半分入れ替えて〈Virgin〉から『She Loves Me Not』として再リリースした後、〈Crépuscule〉から89年に『The Big Picture Sucks』を出して、まとまった音源はこれが最後となる。

Alan Rankine – The World Begins To Look Her Age(1986年)

 93年に再結成を果たしたアソシエイツは6曲のデモ・テープを製作するも94年からアラン・ランキンは地元グラスゴーのストウ・カレッジで教鞭に立ち、それほど頻繁に作業ができなくなった上にビリー・マッケンジーが97年1月に自殺、新しいアルバムが完成されるには至らなかった。そのうちの1曲となる“Edge Of The World”はその年の10月にリリースされたビリー・マッケンジーのソロ名義2作目『Beyond The Sun』に“At Edge Of The World”としてポスト・プロダクションを加えて収録され、さらに3年後、キャバレー・バンド時代のデモ・テープなどレア曲を37曲集めた『Double Hipness』には6曲とも再録されている。6曲のデモ・テープは『The Affectionate Punch』に戻ったような曲もあれば、新境地を感じさせる“Mama Used To Say”にドラムンベースを取り入れた“Gun Talk”など完成されていれば……などといっても、まあ、しょうがないか。ザ・スミスがビリー・マッケンジーを題材にした“William, It Was Really Nothing”に対する10年越しのアンサー・ソング、“Stephen, You're Really Something”も週刊誌的な興味を引くことになった。アラン・ランキンが残した音源は少ない。ビリー・マッケンジーと組んだアソシエイツとその変名プロジェクトにソロ・アルバム2.5枚とソロ・シングル3枚、クリス・イエイツらと組んだプレジャー・グラウンド名義でシングル2枚のみである。また、2010年まで大学教員を続けたランキンは大学内に〈Electric Honey〉を設け、ベル&セバスチャンのデビュー・アルバム『Tigermilk』など多くのリリースにも尽力している。

 ビリー・マッケンジーがソロでつくった曲は間延びした印象を与えることが多かったけれど、アラン・ランキンが加わるとそれがタイトになり、まるで伸び伸びとは歌わせまいとしているようなプロダクションに様変わりした。アソシエイツはそこが良かった。歌が演奏にのっているというよりも声と演奏が戦っているようなサウンドだったのである。まったくもって調和などという概念からは遠く、ビリー・マッケンジーがどれだけ気持ちよく歌っていてもアラン・ランキンのギターは容赦なくそれを搔き消し、いわば主役の取り合いだった。“Waiting for the Loveboat”も脱退前にアラン・ランキンが録っていたデモ・テープはぜんぜん緊張感が違っていた。アラン・ランキンはおそらくせっかちなのである。彼らの代表曲となった“Party Fears Two”がトップ10ヒットとなり、トップ・オブ・ザ・ポップスに出演した時もランキンは同番組が口パクであるのをいいことに鳴ってもいないバンジョーを弾いたり、ピエール瀧の綿アメみたいに客にチョコレートを食べさせるなどふざけまくっていたのは、たった1曲のために2時間以上も拘束されるため「飽きてしまったから」だと答えていた。『Fourth Drawer Down』も実はそれまでがあまりに狂騒状態だったので、少しは落ち着こうとしてつくった曲の数々だったというし、それがまた再び狂騒状態に戻ったのが『Sulk』だったから、あそこまで弾け飛んだということになるらしい。自分の人生を何倍にも巨大なものにしてくれる人との出会いがあるということはなんて素晴らしいことなのだろう。2人合わせて103歳の人生。短い。あまりに短いけれど、『Sulk』はこれから先、いつまでも聴かれるアルバムになるだろう。R.I.P.

R.I.P. Vivienne Westwood - ele-king

 サウス・ロンドンの湾岸地区にある巨大なスタジオで忌野清志郎のフォト・セッションが始まり、僕はやることもなくただ見学していた。彼の初ソロ・アルバム『レザー・シャープ』のために30着ほどの衣装が用意され、デイヴィス&スターが息のあった撮影を続けている。スペシャルズやピート・タウンゼンド、デヴィッド・ボウイやティアーズ・フォー・フィアーズのジャケット写真を手掛けてきた夫婦のフォトグラファーである。2人が交互にシャッターを切るので、清志郎はどっちに集中していいのかわからず、序盤はうまくいっているようには見えなかった。彼らが用意した衣装のなかにテディ・ボーイズのジャケットがあり、清志郎がそれを着てポーズを取ると、実に恰好良かった。ミックス・ダウンの合間を縫って、体を休める間もなく撮影に挑んでいる清志郎はその時、体重が38キロまで減っていて、ジャケットはややダブついて見えた。そのせいか、そのカットは最終的にアルバム用には使われず、宣伝用に回されたので一般の目には触れなかったかもしれない。半日がかりの撮影が終わり、今日の衣装でどれか買い取りたいものはあるかと訊かれた清志郎はとくに考えた様子もなく「ない」と答えた。普段着にはネルシャツとか目立たないものしか彼は着ない。デイヴィス&スターが「OK」といって衣装を片づけ始めた時、「僕が買ってもいいですか」と思わず僕は声に出していた。テディ・ボーイズのジャケットはその場で僕のものになった。ヴィヴィアン・ウエストウッドの一点ものである。ガーゼ・シャツはワールズ・エンドですでに買い込んでいた。ヴィヴィアンだらけになった旅行カバンを持って僕は初のイギリス旅行から日本に戻ってきた。10代でパンク・ロックに出会うということはこういうことである。カタチから入ってもしょうがないなどとは思わない。ヴィヴィアン・ウエストウッドの服で全身を固めたい。二木信がトミー ヒルフィガーで全身を決めているのと同じである。ヴィヴィアン・ウエストウッドのショップが日本にオープンするのは意外と早く、93年のことだけれど、80年代にはまだ海を渡る必要があった。『レザー・シャープ』の取材とパンクの聖地巡りで僕の24時間はバーストしっぱなしだった。出所したばかりのトッパー・ヒードンがレコーディング・スタジオにいるのもぶち上がった。PV撮影の合間にトッパー・ヒードンが自分で飲むビールを自分で買いに行くところまで恰好良く見えた。

 70年代当時、パンク・ロックについての情報はほとんど日本に入ってこなかった。マルカム・マクラーレンのことはまだしもヴィヴィアン・ウエストウッドがパンク・ファッションを生み出したと言われても、詳細はわからないし、破けたTシャツぐらい誰でもつくれるような気がした。パンク・ファッションではなくコンフロンテイション・ドレッシングというコレクション名がついていたことも知らなかったし、「サヴェージィズ(パイレーツ)」、「バッファロー/泥のノスタルジー」、「ニューロマンティクス」と移り変わるシーンの背後にウエストウッドがいるらしいというだけで、それが本当なのかどうかもよくわからなかった(バッファロー・ハットは00年代にファレル・ウイリアムズがリヴァイヴァルさせている)。ウエストウッドがどんな顔なのかさえわからなかったので、僕は映画『グレート・ロックンロール・スウィンドル』のレーザーディスクを買い、セックス・ピストルズが女王在位25周年を祝うジュビリー当日にテームズ河に浮かべた船上でボート・パーティを開催し、〝God Save The Queen〟を大音量で演奏するシーンを何度も繰り返し観たけれど、警官たちと揉み合うマルカム・マクラーレンは確認できてもウエストウッドが逮捕された瞬間は判然としなかった(ちなみに『グレート・ロックンロール・スウィンドル』にフィーチャーされた〝Who Killed Bambi〟はテン・ポール・チューダーとヴィヴィアン・ウエストウッドの共作)。それどころかローナ・カッター監督のドキュメンタリー作品『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』を観るまで、僕はニューロマンティクスが下火になってから子どもを育てるお金がなくなくなったウエストウッドが生活保護を受けていたことも知らなかった。僕がカーキ色のジャケットを買い取った頃である。当時は誰と話してもイギリスへ行ったらBOYのキャップやパンクTシャツの1枚や2枚は買ったよと話し合っていた時期なのに。あの売り上げはウエストウッドには入っていなかったのだろうか。同じドキュメンタリーでウエストウッドはパンクについては語りたくないと最初は口を閉ざしてしまう。追悼記事のほとんどが「パンク・ファッションの女王が……」という見出しを立てているというのに、ウエストウッドにとってパンクは思い出したくない過去だということもちょっとショックだった。監督がねばりにねばって最後は経営実態まで細かく語り始め、それもまた驚くような内容だったけれど、同作は全体にお金のことが明確に語られているところが新鮮な作品だった。

  ヴィヴィアン・ウエストウッドは80年代の後半にファッションの方向性を大きく変え、いわゆるヴィクトリア回帰を果たしたとされる。パンクやバッファローとは異なり、確かにエレガントと呼べる性格のものにはなっていたけれど、裾が広がれば広がるほどいいとされた19世紀のスカート(クリノリン)をミニにカットするなど、そのアイディアは上流階級のパロディと言われたり、過去(束縛された女性)と未来(自由になった女性)を同時に表現したとも評され、目に見えない部分では男性用ファッションを素材レヴェルから女性用につくり直すなど、対決を意味するコンフロンテイション・ドレッシングはひそかに続いていたともいえる。92年にバッキンガム宮殿で大英帝国勲章を受賞する際にはスカートに大胆なビキニとスケスケのタイツ姿で現れ、物議を醸す一幕もあった(これには宮殿に所属する写真家の撮り方に悪意があったとウエストウッドは反論している)。一方でBボーイ・ファッションを低脳呼ばわりするなど、クレジットの入れ方を巡って20年間の付き合いに終止符を打ったマルカム・マクラーレンが新たに入れ込んでいたヒップ・ホップには冷たく当たり、ストリート・カルチャーとは決定的に距離を置こうとしたことも確かである。ニューロマンティクス時代の最後に単独で「ウィッチ」というコレクションを発表したウエストウッドはキース・ヘリングをフィーチャーすることで自動的にマドンナが広告塔になってくれるなど、実際にはストリート・カルチャーが彼女の名声を後押しした面があったにせよ。マクラーレンとの残念な結末とは対照的に『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』を観ると彼女の後半生は大学の教え子だったアンドレアス・クロンターラーとの愛の物語であったこともよくわかる。クロンターラーの献身ぶりやウエストウッドを支える彼の努力は並大抵ではなく、彼女もそれがわかっているところはなかなかに感動的だった。オーストリー出身のクロンターラーは92年にウエストウッドよりも25歳下の夫となり、25年間にわたって発表してきた「ヴィヴィアン・ウエストウッド・ゴールドレーベル」は実質的にはクロンターラーが手掛けていたも同然だったと発表し、ブランド名も「アンドレアス・クロンターラー・フォー・ヴィヴィアン・ウエストウッド」に改名されている。

  00年代に入るとウエストウッドは政治的言動を強く繰り出すようになる。とくに「気候変動」に関しては語気が荒く、行動力もかなりのものがあり、緑の党支持を表明しているものの、ヴィヴィアン・ウエストウッドの商品にはポリエステルが使われているなど矛盾を指摘されることも多く、かなりな額を寄付したにもかかわらず緑の党からイヴェントに出演することを拒否されたこともある。驚いたのはシェール・ガスの掘削に反対してキャメロン首相の別荘に戦車で向かって行ったことで、何が起きているのかわからなかった僕はスケートシングと動画を送りあったりして、その夜は、一晩中、大騒ぎになった。道が細くなってウエストウッドを乗せた戦車が別荘に突っ込むことはできなかったけれど、戦車の上から拡声器で抗議する姿を見てウエストウッドがパンクを全うしていることは確かだと思った。またウィキリークスを高く評価していて、アメリカ政府に指名手配され、エクアドル大使館で軟禁状態となっている主幹のジュリアン・アサンジを長期にわたってサポートし、クロンターラーと2人で獄中結婚の衣装をデザインしたり、アメリカ政府への引き渡しに反対して裁判所の前でウエストウッド自らが鳥かごに入って宙づりにされるというパフォーマンスも行なっている。05年にはキャサリン・ハムネットが90年代に定着させたメッセージTシャツに「私はテロリストではない。逮捕しないで下さい(I AM NOT A TERRORIST, please don't arrest me)」というメッセージに赤いハート・マークを付け加えてトレンドTシャツとして生まれ変わらせ、ワン・ダイレクションのゼインがこれを着てツイッターで広めたり、ジェレミー・コービンが労働党党首になった時は派手に応援し、ボリス・ジョンソンに大敗を喫することも。政治に比べてTVドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』で使われたウェディング・ドレスが1時間で売り切れたとかファッションの話題が少ないことは気になるところだけれど、『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』を観ると、そっちの方はクロンターラーがちゃんとやっているのかなと思ってしまうのはやはりマズいだろうか。

  05年に姪たちを連れて森アーツセンターギャラリーで開催されたヴィヴィアン・ウエストウッド展を観に行くと、まだファッションには興味がなかった彼女たちの反応は「魔女みた~い」というものだった。確かに装飾過多だし、とくに黒い服が集められた部屋は森の中にいるみたいで、妙な落ち着きがあった(日本ではゴスロリや矢沢あい『NANA』が流行の火つけ役になったと言われるし、ヴィヴィアン・ウエストウッドが人の名前だと思っていない世代には福袋で有名みたいだし……)。パンク・ロックは遠い夢。ヴィヴィアン・ウエストウッドが家族に囲まれて静かに息を引き取ったことを知らせる公式アカウントには「ヴィヴィアンは自分をタオイストだと考えていた」と綴られている。イギリスはニューエイジ大国なので驚くまいとは思うけれど、ここへ来て最後にタオイストというのは与謝野晶子のアナーキズム擁護に通じる空想性を想起させ、あんまり聞きたくなかったなとは思う。ヴィヴィアン・ウエストウッドの真骨頂はやはり力が漲るデザイン力であり、無為自然という意味でのアナーキズムではなく、大胆に布をカットするように制度として立ちはだかる壁を突破しようとする実行力に直結させたことだと思うから。またひとつパンクの星が消えてしまった。R.I.P.

編集後記(2022年12月31日) - ele-king

 2022年はことばに力のある音楽が多く生み落とされた年だった。あくまで自身の体験にもとづきながら、自分をとりまく社会の存在を浮かび上がらせるコビー・セイを筆頭に、パンクの復権を象徴するスペシャル・インタレストウー・ルーなど、せきを切ったようにさまざまなことばが湧き出てきた。それはもちろん、2020年以降の世界があまりにも激動かつ混迷をきわめていたからにほかならない。
 日本には、七尾旅人がいた。パンデミックやジョージ・フロイド事件以降の世界を鋭く描写しながら、しかしけっして悲愴感を漂わせることなく、ぬくもりあふれるポップな作品に仕上げる手腕は、問答無用で今年のナンバー・ワンだろう。ほかにも、たくさんのことばが紡がれている。それらの動向については紙エレ年末号で天野くんがまとめてくれているのでぜひそちらを参照していただきたいが、個人的にもっとも印象に残ったのは tofubeats だった。
 レヴューで書いたことの繰り返しになってしまうけれど、「溺れそうになるほど 押し寄せる未来」という一節は、どうしたってペシミズムに陥らざるをえない2022年の状況のなかで、「失われた未来」のような思考法と決別するための果敢な挑戦だったと思う。もともと『わが人生の幽霊たち』でその考えを広めたマーク・フィッシャー当人も、つづく著作『奇妙なものとぞっとするもの』では資本主義の「外部」について試行錯誤し、いかにペシミズムから脱却するか、あれこれ格闘していたのだった。来年はいよいよ『K-PUNK』の刊行を予定している。どうか楽しみに待っていてほしい。
 もうひとつ、その『奇妙なものとぞっとするもの』でも論じられていたアンビエントの巨匠、ブライアン・イーノが新作で歌った「だれが労働者について考えるだろう」というフレーズも強く脳裏に刻まれている。振り返れば、2022年の大半はイーノについて考えていたように思う。別エレの特集号、大盛況に終わった展覧会「AMBIENT KYOTO」とその図録の制作、6年ぶりのソロ・アルバム。人民のことを忘れない彼のことばにも、大いに励まされたのだった。

 本をつくるのはほんとうに大変だけれど、それは自分が明るくない分野の知見に触れる、絶好のチャンスでもある。個人的に今年は『ヴァイナルの時代』と別エレのレアグル特集号、そして現在制作中のサン・ラーの評伝に携われたことが、非常に大きな経験になった。エレクトロニック・ダンス・ミュージックのルーツがブラック・ミュージックにあること、それを忘れてはならない。
 2022年、ele-king books は24冊の本を刊行している。あたりまえだが、本はひとりではつくれない。協力してくださった著者、ライター、通訳、翻訳者、カメラマン、イラストレイター、デザイナー、印刷会社や工場、流通のスタッフ、そしてもちろん購読者のみなさま、ほんとうにありがとうございました。来年も多くの企画を準備しています。2023年も ele-king books をよろしくお願いします。

 最後に。故ミラ・カリックスの思い出として、1曲リンクを貼りつけておきたい。

 それではみなさん、どうぞよいお年を。

mira calix - a mark of resistance (radio edit)

interview with Pantha Du Prince - ele-king

 2022年はビヨンセが高らかに、ハウスがもともとブラック・ミュージックでありゲイ・コミュニティから生まれた音楽であることを訴えた年だった。テクノでいえば、2018年からディフォレスト・ブラウン・ジュニア(スピーカー・ミュージック)が「テクノを黒人の手にとりもどせ(Make Techno Black Again)」を掲げて活動している。そういった動きを受けこの見出しをつけたわけだが、ホワイトウォッシング(白人化:詳しくは紙エレ年末号の浅沼優子さんのコラムを)が問題の時代にあって、いわゆるミニマル・テクノ~ハウスにくくられる音楽をやっているパンサ・デュ・プリンスことヘンドリック・ヴェーバーが、それらのルーツを忘れていないことは重要だろう。
 最新作『Garden Gaia』のサウンドや彼の来歴については、先日のアルバム・レヴューを参照していただきたい。今回は《MUTEK.JP》出演のため初の来日を果たした彼に、清らかで逃避的なあの音楽がどのように生まれたのか、その背景を探るべくいくつかの質問を投げかけている。サウンドから予想されるとおり感じのいい気さくな人柄で、好きな音楽から環境問題まで、大いに語ってくれた。

都会からちょっと離れたところに行くと、いきなり手つかずの自然が広がっていたりするんです。そのぶつかり合いみたいなところが好きなんです。たとえば東京も、すごく都会なんですけど、少し歩くだけで田舎のようなところに出たり、みんなが知らないような自然があったり。

今回が初来日ですよね。どこか行かれましたか? 気になるものはありました?

ヘンドリック・ヴェーバー(以下HW):じつは日本に住んでいるインテリア・デザイナーの友人がいるんです。彼に渋谷とかを案内してもらって、カフェとか、「COSMIC WONDER」というブランドのストアに連れていってもらいました。月曜日(12月12日)からは「Sense Island」という島(横須賀市猿島の無人島)のエキシビションのようなイヴェントに行く予定です。まだそれほど観光できていないので、ほかにもいろいろ見てまわりたいなと思っています。ドイツにも日本人の友人がたくさんいるんですよ。竹之内淳志さんという日本のマスターから舞踏を習っていて。だから日本とは強いつながりを感じています。

現在の拠点はベルリンですか?

HW:エリア的にはそうですね。ベルリンの郊外に住んでいます。

あなたの2004年のデビュー作はミニマルなダンス・ミュージックにフォーカスするベルリンのレーベル〈Dial〉から出ていました。今年は〈Perlon〉からメルキオール・プロダクションズ15年ぶりのアルバムが出て話題になりましたが、現在でもベルリンのミニマルのシーンは勢いがあるのでしょうか?

HW:わかりません(笑)。以前と比べて、わたし自身変化したし、スタイルも少しずつ変わってきました。いまでもクラブでプレイしますが、自分のジャンルはどんどんちがう方向へ向かっているし、コンパクトさやミニマルさは薄れて自分独自のジャンルを確立できてきていると思うんです。いまはクラブだけでなく、クラシック音楽やアンビエントのフェスティヴァルでも演奏しますし、ほんとうに幅が広がったんです。最近はモダン・アートやヴィジュアル・アート、サウンド・アートの場で演奏することもあります。わたしの音楽はひとつのセッティングだけで完結するものではありません。オーディエンスのひとたちが座って聴くこともできれば、パーティでダンスしながら聴くこともできるし、あるいはふつうのコンサートのように楽しむこともできる。時間帯や場所もさまざまで、幅広い層に聴いてもらえる音楽に変わってきていると思います。

そのようにご自身の音楽が変わっていくきっかけになったことはありますか?

HW:やっぱり自分自身が変わってきて……たとえば自分の身体やフィーリングについて知るようになっていったことが、ひとつのきっかけとしてあるように思います。それともうひとつ、「音楽はつねにすべてのひとのものである」という意識が自分のなかにあって。夜クラブに来るひとたちのためだけではなく、あらゆるひとに届けられる音楽をつくることに興味がありました。それで、みなさんが家で聴いても楽しめる音楽をつくりたくて、自然と変化していったのかなと。あと、自然環境とのつながり、植物や動物と人びととのつながりを表現したいというのもありますし……まわりのひとたちにも自分自身について知ってもらうことで、自分たちが周囲とどうつながっているかを追求できますし、それにともなって音楽も変わっていくんだと思います。わたしはアルコールも飲まないしドラッグもやらないので、まわりの人たちや環境から影響されて変わっていったんだと思いますね。

自然とのつながりというお話が出ましたが、あなたの音楽にはよく鳥の鳴き声と水のフィールド・レコーディングが導入されています。「自然」のなかでも、とりわけ「鳥」と「水」にフォーカスするのはなぜですか?

HW:わたし自身がもっとも多くの時間を過ごすのがそういう場所なんです。もちろん東京みたいな都会も好きですよ。人びとが集まっているエナジーを感じますが、でもやっぱり自分は自然のなかでインスピレイションをもらったり、自然とつながりを感じることが多いんです。リラックスできますし、身体的にも精神的にも癒されますし。健康を保つためにはとてもたいせつな場所なんです。だからよく森に行って鳥の鳴き声を聴いたり、海辺に行ったり、あと南スペインやハノーファーに行ったり。今回のアルバムはじっさいにそういう場所でレコーディングしました。都会からちょっと離れたところに行くと、いきなり手つかずの自然が広がっていたりするんです。それがとてもおもしろくて、そのぶつかり合いみたいなところが好きなんです。たとえば東京も、すごく都会なんですけど、少し歩くだけで田舎のようなところに出たり、みんなが知らないような自然があったり。
 鳥にかんしては……鳥ってもっとも古くから存在する動物なんです。恐竜が鳥になったんです(※鳥は恐竜の一種だと考えられている)。だから鳥の鳴き声を聴くと、人生や歴史、いろんなものが混ざりあって考えさせられるんです。テクスチャーも、フリークエンシーがとても複雑で、それがすごくおもしろい。小さい動物なのにあんなにインパクトのある大きなサウンドをつくりだすことができるのはすごいと思います。水も、ヴァラエティ豊かですばらしい。速い流れと遅い流れで音がぜんぜんちがうし、山からちょっと流れてくる少量の水でも地面や草に流れる音がありますし、アグレッシヴで強い音が出たと思いきや、アンビエント的でハーモニーのような美しい音も出るし、ラウドな音も出るし。美しい音がいきなり強い音に変わったり、ちょろちょろした小さな音でも奇妙に、危険に感じられることもある。そういった水の音の幅広さはすばらしいです。だから鳥と水が多いんです。

自然への関心は幼いころから抱いていたのですか?

HW:そうですね。もちろん小さいころから興味はありました。自分は都会のそばに住んでいて、都会と田舎のあいだで育ったんですが、どちらも孤独を感じます。

都会の孤独というのは、「ひとがいっぱいいるけどだれも知り合いじゃない」みたいな感覚でしょうか?

HW:そうです。逆に田舎の場合は、文化や文明が恋しくなる。自分のまわりにその両方があることが当たり前の環境で育ったんです。

病気になることは必ずしもダメなことではありません。それによってからだがバランスをとれるようになり、もっと強くなる。メンタルヘルスについてもおなじだと思います。なにかよくないことがあっても、それはよりよい方向へ変化するためのステップだと思うんです。

新作『Garden Gaia』の制作は、パンデミック中ですか? ウイルスも自然から発生するものですが、人間たちに壊滅的な状況をもたらしました。先ほど自然と都会のバランスについての話がありましたけれど、今回の新型コロナウイルスについてはどう思いましたか?

HW:非常に複雑な状況だったと思うんですが、人間が変化するべきだという警告だったような気もします。もっとサステイナブルに生きよう、自分の健康にも気をつかおうと思いましたし、コミュニティでひとと一緒になにかをやることのたいせつさにも気づきました。そして自分にとってなにが幸せなのか、なにが自分を幸せにしてくれるのか考えさせられました。多くを学べるいいレッスンだったと思っています。自分たちの人生においてなにがたいせつかという問いを持ち、自身の心をより深い部分まで掘り下げるようになりましたし、起こっていることと自分とのつながりについても考えるようになりました。コロナって、みずからそれを受けいれないといけないんですよね。それによって自分の体も変化していくと思うんです。ワクチンもそうです。もしかしたらもうみんなに抗体ができているのかもしれない、わたしのなかにも存在しているのかもしれない──そうやってひとのからだも、なにかがあるたびにそれを受け入れることで変化していくんだなと感じました。これはわたしたちにとって新しいチャレンジだと思います。どう受けいれ、どう付きあっていくか、どう変化していくかがたいせつです。あと、ひとりではなにもできないこと、すべてがつながっていることにも気づかされましたね。パンデミックが起こったら、日本だけではどうすることもできないし、ドイツだけでも中国だけでもダメだし、やっぱり世界じゅうのみんながつながって、みんなでなにかをしないと乗りこえることはできないんです。
今回のパンデミックでは、ガイア(※大地、地球)という大きなもののなかでみんながつながってシステムを形成し、それが機能していることのバランスを強く感じました。そのバランスを表現して、世界に発信したいと思いました。たとえば、病気になることは必ずしもダメなことではありません。それによってからだがバランスをとれるようになり、もっと強くなる。メンタルヘルスについてもおなじだと思います。なにかよくないことがあっても、それはよりよい方向へ変化するためのステップだと思うんです。受けいれて、変化していく。まわりとバランスをとりながら、乗りこえていく。そういったつながりとバランスを感じる機会が今回のパンデミックでした。

わたしはエレクトロニック・ミュージックが好きでよく聴くのですが、ときどきエレクトロニック・ミュージックが電気を使わざるをえないことについて考えます。クラブのサウンドシステムもそうですし、ヴァイナル・レコードやCDの生産もそうで、石油由来のものをいっぱい使わなければいけない。と同時にわたしたちは、気候や自然について考えることを避けて通れない段階にきている──そういったテクノロジーと自然の関係についてはどう思いますか?

HW:じつはわたしは、テクノロジーと自然を分けて考えていないんです。文明が生まれたことにより、自然も人類も発達してきたと思っています。わたしにとってより重要なのは、いかにテクノロジーを使わないかではなく、どのように使うかです。じっさいテクノロジーはすばらしいものですし、それを利用することで自分たちの人生をエンジョイすることも、とても大事なことです。飛行機に乗ってもいいし、パーティをしてもいい。ただ、それらを楽しむなかで、どのようにテクノロジーをとりいれ、有効活用できるかを考えることがいちばん大事だと思います。使うだけなら簡単ですが、すべてにノーと言うのでもなく、どのようにとりいれて使うか。テクノロジーが生みだすエネルギーはすばらしいものなのだから、その使い方を考えていくべきだ、と。そこがテクノロジーと自然を分けて考えるよりもたいせつなことだと思いますね。

デトロイトのすべての音楽もそうです。セオ・パリッシュや友人になったマッド・マイクからは強く影響を受けています。それらすべてが、自分の音楽からは聞こえてくるんじゃないかなと思います。

もっとも影響を受けた音楽や作品はなんでしょう?

HW:すごくたくさんの音楽から影響を受けましたね。うーん……まず、ドイツのクラウトロックからは大きな影響を受けました。ハルモニアやクラスター、もちろんノイ!も。80年代後半のイギリスのインディ・ミュージックからも大きくインスパイアされましたね。あとたとえばパン・ソニックだったり、日本のノイズ・ミュージック。すごく好きなのは……カールステン・ニコライ、〈Mille Plateaux〉、池田亮司。とくに〈Mille Plateaux〉からは特別な影響を受けました。〈Mille Plateaux〉と、〈Mego〉ですね。フロリアン・ヘッカーだったり……あとはフランシスコ・ロペス。もちろん、リカルド・ヴィラロボスやベーシック・チャンネルもですし、ハウスだとハーバートですね。デトロイトのすべての音楽もそうです。セオ・パリッシュや友人になったマッド・マイクからは強く影響を受けています。それらすべてが、自分の音楽からは聞こえてくるんじゃないかなと思います。子どものころはクラシック音楽をよく聴いていたので、その影響も大きいです。バッハやリスト、シューベルト。とくにシューベルトは自分にとって大きな存在です。それと、リゲティの影響も大きい。……まだまだ出てくるんですが、このあたりにしておきます(笑)。いま挙げたひとたちは自分にとってとても大事なエッセンスになっていますね。

マッド・マイクと友だちになったというのはすごいですね。デトロイトに行ったんですか?

HW:ツアーで会って、いっしょに時間を過ごすことができました。アンダーグラウンド・レジスタンス・ミュージアムに行ったんですが、なんとそこに彼がいて、自分のところに来てくれて、歓迎してくれました。魔法のような体験でした。スペシャルなエディションのレコードを全部くれたりして、とても友好的で、すごくクールないいひとでした。

アンダーグラウンド・レジスタンスのベスト・レコードはなんですか?

HW:フーッ! ……うーん、答えられないな(笑)。……DJロランドの「Knights Of The Jaguar」かな。大きなヒットですけど、自分はヒットが好きなので。いまだに大好きです。ご存じのとおり、わたしの音楽はとてもメロディックだと思うんですが、やはりデトロイトのああいう感じとメロディが合わさることで、よりダークでアップリフティングな感じのサウンドをつくりだすことができていると思います。みんなが知らないようなものを挙げられなくて、アンダーグラウンド・レジスタンス・ファンの答えじゃないですね(笑)。でも、デトロイトのあのコミュニティが世界的な大ヒットを生みだすことができたということがすばらしいですよね。とても賢くて、シンプルなライフのなかで可能性を活かして、規模の大きいものをつくっているところが魅力だと思います。

あなたの音楽には、いい意味での逃避性があると思います。気候危機だけでなく、近年は大きな戦争などいろいろなことが起こり、暗い時代がつづいています。とくに2022年はそうでした。そういったなかで、音楽にできる最良のことはなんだと思いますか?

HW:つねに音楽はそういう役割を担ってきたと思います。たとえばナポレオンの時代にしても、乱世から美しい音楽が生まれています。社会にエネルギーをもたらすのも音楽だと思いますね。そこから生まれるダークでアグレッシヴな音楽にも希望が見えたりするでしょうし。あと、アーティストや音楽それ自体は政治的になってはいけないと思っています。やっぱりコミュニティが大事なんです。先ほども話したように、この地球でどうバランスをとり、どうみんなでひとつになって生きていくかがたいせるだと思います。政治的になりたければ政治家になればいいんです。音楽をつくって届ける身としては、他人とは異なる見方をして、なにが大切か、どんな可能性があるのか、どのような美しさが存在しているかを見つけだして、それをみんなに届けることで、人びとがつながってコミュニティを形成できるようにしたい。それが自分たちアーティストにできることだと思います。たとえばウクライナでも、レイヴ・ミュージックによってみんながひとつになってエネルギーを生みだすことができています。なにがたいせつか、人びとが心でなにを感じているか、そういうものを伝えあって広げていくのが音楽にできることだと思います。

interview with Nosaj Thing - ele-king

 取材に入る直前。インタヴュー・カットを撮りたいので、最初の数分だけ照明を落とさせてもらいますと、そう伝えた。「大丈夫、暗いほうが好きだから。暗いのはいい」。その返答は、まさに彼の音楽を体現していた。どこか内省的で、しかしけして感情を爆発させることはない音楽。映像喚起的で、光よりも影のほうを向いてしまうタイプの、マシン・ミュージック。
 バックグラウンドは00年代後半の西海岸にある。いわゆるLAビート・シーンが彼のスタート地点だ。当地のDJ/プロデューサー/エンジニアであり、レーベル〈Alpha Pup〉の主宰者でもあるダディ・ケヴが、ビートメイカーにフォーカスしたパーティ《Low End Theory》を開始したのが2006年。そこでケヴがノサッジ・シングの(のちにファースト・アルバム『Drift』に収録されることになる)“Coat Of Arms” をヘヴィ・ローテイションしたことが、彼のその後の飛躍につながった。
 とはいえデイダラスフライング・ロータスティーブスといったあまたの才能ひしめくムーヴメントの渦中、やはりノサッジ・シングの音楽はどちらかといえば控えめに映るものだったのではないだろうか。以下に読まれる「日中はヒップホップのアーティストのプロデュースを手がけて、夜はアンビエント・ミュージックをつくって自分の世界に籠もる」との本人の弁は、まさに彼の音楽の特徴をよくとらえている。間を活かし、表面的な華やかさよりも、ある種の静けさや落ち着きのなかに独自の雅を展開していくこと。2010年代に入りチャンス・ザ・ラッパーやケンドリック・ラマーといった大物をプロデュースしたり、トラップの感覚とエレクトロニック・リスニング・ミュージックを折衷する『Fated』や『Parallels』といったアルバムをつくり終えた今日でも、その軸はまったくブレていない。

 むろん、変化している部分もある。この秋リリースされ、年明けにアナログ盤の発売を控える5枚目のアルバム『Continua』に色濃くあらわれているのは、マッシヴ・アタックやトリッキーといったブリストルのサウンド、かつてトリップホップと呼ばれた音楽からの影響だ。
 最たる例はジュリアナ・バーウィックを迎えた “Blue Hour” だろう。この曲がまたとんでもなくすばらしいのだけれど、驚くなかれ、ふだん声をあくまでひとつのサウンドとして利用している彼女が、ここでは歌詞を書き明瞭に歌っている。ゲストに新たな試みを促す力が、ノサッジ・シングの「暗い」トラックには具わっているにちがいない。
 バーウィックはじめ、ほとんどの曲にゲストが招かれている点も大きな変化だ。サーペントウィズフィートトロ・イ・モワパンダ・ベアなどなど、多彩かつジャンル横断的な面子が集結しているが、なかでも注目しておきたいのは今年素晴らしいデビュー・アルバムを送りだしたコビー・セイと、ele-king イチオシのラッパー=ピンク・シーフ。ここでもまたノサッジ・シングは、普段の彼らからは得られない、声の抑揚やムードを引きだすことに成功している。
 ほの暗く、静けさを携えながらも、内にさりげない光彩を潜ませた音楽──それは、激動の一年を締めくくろうとしているわたしたちリスナーが、じつはいちばん欲しているものかもしれない。間違いなく、すごくいいアルバムなので、ぜひ聴いてみてほしい。

マッシヴ・アタックやポーティスヘッド、トリッキー、アンクルとか。そういったものにインスピレーションを得ました。

NYにいる友人から聞いた話では、いま物価の上昇がすごいらしいですね。レストランにふたりで入ると以前は50ドルで済んだところが100ドルはかかるようになったそうです。LAはどんな具合でしょうか? NYはパンデミックで仕事を失った人も少なくなく、さらに追い打ちをかけるように物価高になり、ホームレスや精神不安を抱えるひとも増え、治安も悪くなったと聞いています。

NT:やっぱりLAも同様にインフレがひどくなりました。とくにガスの料金がすごく上がっていてみんな苦しんでいます。ホームレスにかんしては、LAはここ10年くらいずっと問題視されてきていましたので、パンデミックの影響というよりも、ひとつの社会問題としてつねに存在していました。個人的には、パンデミックのときはたまにゴッサム・シティ(『バットマン』で描かれる、荒廃した治安の悪い都市)に住んでいるような気分になりましたね。

新作は最終的にはとてもムーディーで、ある意味では心地よい音楽にまとまっていますが、背景には気候変動など未来への不安や、あなた個人の家宅侵入被害といった、いくつかの重たいテーマが潜んでいるようですね。今回は5年ぶりの新作で、12人ものゲストを迎えたアルバムです。どのようにこのプロジェクトがはじまり、進んでいったのかを教えてください。

NT:前のアルバムを2017年にリリースしたんですが、そこからどういう方向性にいくかを考えるのにしばらく時間を要しました。どのように自分の次のアルバムをつくりあげていくか、すごく悩みましたね。パンデミックは世界じゅうの人びとにとって難しい時期だったと思うんですが、自分にとってその時間は貴重なものだったと考えています。というのもこの数年間、5~7年はずっとツアーをしたり、他のアーティストのプロデュースを手がけたりしてきて、そういった経験を自分の世界にどのように落としこむかを考えていたので、自分にとってはある意味とてもポジティヴな時間でした。
 今回のアルバムそのものは、とてもシネマティックなものだと思っています。僕は85年に生まれたんですけど、90年代半ばの音楽をとくによく聴いていたので、そういった音楽を自分なりに解釈して取りこむことにチャレンジしました。たとえばマッシヴ・アタックやポーティスヘッド、トリッキー、アンクルとか。そういったものにインスピレーションを得ました。とはいえ、ノスタルジックになりすぎないよう、細心の注意を払いました。
それと、今回のアルバムはこれまででもっともコラボレーションを全面に打ちだしたものになっています。ぼくはもともとすごくシャイな人間ですが、今回参加してくれたアーティストたちには個人的に知っていたわけではないひとも何人かいて、そういうひとたちにも連絡をとって参加してもらうようにお願いしました。だからさまざまなスタイルをうまくミックスすることができたアルバムだと思います。

日中はヒップホップのアーティストのプロデュースを手がけて、夜はアンビエント・ミュージックをつくって自分の世界に籠もる──そういうような棲みわけをしてきました。

あなたの音楽はビート・ミュージックでありながら、ある種の静けさや暗さを携えていて、アンビエントにも通じる部分があるように感じます。過度にハイテンションになる音楽ではなく、こういったサウンドができあがるのには、あなたの性格や生い立ちも関係しているのでしょうか?

NT:LAで育って、さまざまな音楽やカルチャーに触れる機会があったことは大きかったと思います。東京も同じような感じですよね。自分の世界をクリエイトするなかで、アンビエントをつくることは一種のセラピーのように感じています。これまでいろんなアーティストとセッションをしたり、プロデュースをしたりしてきましたけれど、たとえば日中はヒップホップのアーティストのプロデュースを手がけて、夜はアンビエント・ミュージックをつくって自分の世界に籠もる──そういうような棲みわけをしてきました。それこそブライアン・イーノがさまざまなジャンルの音楽をプロデュースしていて、ロックからアンビエントまでいろいろやっていましたが、歳を重ねるうちに彼のようなことをやりたいと思うようになりましたね。

エレクトロニカ的だけれどもヒップホップやR&Bでもあり、新作にはあなたが好きな音楽がいろいろ詰まっています。なかでもやはりヒップホップの要素は大きいように感じましたが、いかがでしょう? とくにピンク・シーフはエレキングが好きなラッパーのひとりですので、参加しているのが嬉しかったです。彼の魅力はどういうところにあると思いますか?

NT:ピンク・シーフには、とても新鮮で近未来的な印象を抱きました。彼のレコーディングは私のスタジオでおこなったんですが、とても面白かったことがあって。アルバムのアートワークに使われている写真はエディ・オットシェールというロンドンの写真家によるものなんですけど、この写真には両面があるんです。表に「両面を見て」と書いてあるんですよ。表では、道の真ん中に人が座っています。裏返すと、その道の反対側も写されているんです。ひとつの作品で道の両面を写したものなんですね。
 その写真をスタジオでピンク・シーフに見せたところ、彼は「わかった」と言って20~30分でリリックを書き上げました。そして彼はレコーディングをはじめて、楽器も演奏したんですけど、すごく長いテイクをひとつだけ録って、「できたよ」って言ったんです。追加で録音することもなく、ほんとうにワンテイクで終わらせちゃったんです。スタジオで彼に初めて会って、いきなりレコーディングがはじまって、すぐに終了したというそのプロセス自体が、自分にとってはかなり衝撃でしたね。
 その後「足すものはほとんどないけど、スクラッチだけ足したい」と伝えると、Dスタイルズの曲をスクラッチしてくれました。自分が10代の頃によく聴いていたDJグループで、当時はスクラッチにハマっていたので、とても嬉しい経験でした。

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ジュリアナ(・バーウィック)の最新アルバムに参加していて交流があったから、この曲を聴かせてみたところ、それが彼女にとって生まれて初めて歌詞を書いてみようと思うきっかけになったみたいで。

先ほどマッシヴ・アタックやトリッキーの名前が挙がりましたが、まさにその影響を大きく感じさせるのが “Blue Hour” です。この曲にはジュリアナ・バーウィックが参加しています。彼女もわれわれのフェイヴァリットで、当然あなたも大好きなアーティストだと思いますし、彼女のアンビエントが素晴らしいことをあなたの前でことさら言う必要はありませんが、このアルバムにおける彼女の起用法はとても気に入りました。

NT:この曲はそもそもインストゥルメンタルからはじまったんです。ぼくは画像や映像からインスピレーションを受けることが多いんですが、この曲もガールフレンドが撮った短いビデオをスマホで見ていたらコードが浮かんできて、そこから作曲しました。ぼくはジュリアナの最新アルバムに参加していて交流があったから、この曲を聴かせてみたところ、それが彼女にとって生まれて初めて歌詞を書いてみようと思うきっかけになったみたいで。彼女はいつもコーラスのような歌い方で、歌詞を書いたことがありませんでした。今回初めてちゃんと歌詞を書いて歌ったんですね。そういう感じでコレボレーションしつつ曲をつくったんですけど、じっさいに彼女と一緒に作業をしたのは2回だけです。

“Grasp” に参加しているコビー・セイもわれわれのフェイヴァリットのひとりなのですが、彼とはどうやってつながったのでしょう? 彼のどんなところを評価していますか?

NT:この曲は個人的にもとくにお気に入りなんです。最初は自分でドラムを叩いてプログラミングをして──という感じで、この曲も最初はインストゥルメンタルにしようと考えていました。それからギター・リフを弾いたり、なんとなくつくってはいたんですけど、そのまま数か月放置していたんです。でもずっと気にはなっていて、この曲をどう練りあげていくか頭の片隅で考えていて。
 そこでサム・ゲンデルに「アイディアを足してくれない?」と頼みました。そしたら彼がサックスのパートを送ってくれたので、インストにサックスが載った感じの曲にしようと思ったんですが、それでもどこか完成していないように感じていました。どうしようか悩んでいたところ、〈Lucky Me〉のダンというひとがコビーを紹介してくれて、「彼にやってもらったら?」と言ってくれたんです。
 それでコビーに連絡をとって、「こんなアイディアがあるんだけど」と4つ5つほどアイディアを出したところ、彼がそのうちひとつをピックアップして、ヴォーカルやベースをやってくれました。何千ものパズルがひとつにまとまるようにしてできあがった感じです。自分にとっても彼は特別なアーティストだったから、一緒にできたことはいまでも信じられないですね。

あなたは00年代後半に、《Low End Theory》を中心とするLAのビート・シーンから登場してきました。現在でもその「シーン」のようなものは続いているのでしょうか? もしそうであれば、そこに属しているという意識はありますか?

NT: 2005年か2006年だったか、かなり昔の話ですからね……。みんなそこから進化して、新しい道を歩んでいって、2012年か2013年くらいになんとなく空中分解したような感じではあるんですけど、いまでもみんな友だちだし連絡もとりあっていますよ。みんな成長して大人になって、子どもがいるひともいます。たとえばティーブスはアート・シーンに向かったり、フライング・ロータスは映画監督をやったり。みんな多様な活動をするようになりましたが、互いにサポートしあっています。

日本語には「地味」という言葉があります。あえて飾り立てないことのカッコよさについて言うことばですね。たとえば江戸時代は、着物を羽織ったときに、生地の表面に色味を使うのは「粋=クール」じゃないという大衆文化のなかで芽生えた美意識がありました。鮮やかな色彩は、着物の裏面に使うんです。それが歩いているときや風で少しめくれたときにちらっと見える。それが「粋」です。あなたの音楽にもそういうところがあるように思いましたが、いかがでしょうか?

NT:そういうふうに思ってもらえるのはすごくありがたいですね。それがひとつの個性だと考えられたら自分でも嬉しいです。自分としては、このアルバムで表現したかったことは、映像的なものに近いんです。
 これまでの自分のミュージック・ビデオは、ちゃんとしたチームがいるわけではなかったのであまり冒険せず、実験的でもなかったと思うんですが、ぼくの頭のなかにはつねに実験的なアイディアがありました。だからいま、ヴィジュアル・アルバムを作成していているんです。それはひとつの長い映画のような作品になりそうです。ぼくのアルバムのアートワークは全部モノクロなんですけれど、そのヴィジュアル・アルバムはとてもカラフルなものになるので、いまおっしゃっていたような感覚もあるのかなと思います。1月末にリリースする予定です。

Oli XL - ele-king

 2017年に〈PAN〉のアンビエント・コンピ『Mono No Aware』に参加、2018年には北欧エレクトロニカの牙城のひとつ、ローク・ラーベクが主宰する〈Posh Isolation〉のコンピ『I Could Go Anywhere But Again I Go With You』にも名を連ね、じわじわと存在感を増していったストックホルムのプロデューサー、オリ・エクセル。
 2019年にはファースト・アルバム『Rogue Intruder, Soul Enhancer』を発表、昨年〈Warp〉との契約がアナウンスされた彼の、初来日公演が決定した。1月14日(土)@渋谷WWW、1月15日(日)@京都METROの2都市を巡回する。新時代のエレクトロニカの担い手として期待大の逸材、そのパフォーマンスを目撃しておきたい。

北欧のスターOli XLジャパン・ツアー東京&京都!
ハイパーポップからのエレクトロニカ新時代、
名門WARPからアルバムも期待される最新鋭が初来日★

Oli XL JAPAN TOUR 2023

1/14 SAT 23:30 at WWW Tokyo
https://t.livepocket.jp/e/20230114www
*限定早割12/29まで販売

1/15 SUN 18:00 at METRO Kyoto
https://www.metro.ne.jp/schedule/230115

tour artwork: sudden star
promoted by melting bot / WWW

Oli XL [SE]
ストックホルムのOli XLは、プロデューサー、DJ、ビジュアルアーティスト、アンダーグラウンドなクラブ・ミュージック界隈で最も魅力的な新人アーティストの一人として頭角を現している。19歳の若さで最初のレコードをリリース、現在3枚のEPとLPをリリースしているOli XLはUKの名門〈WARP〉とも契約を交わし、シングル「Go Oli Go / Cartoon Smile」をリリースした注目のアーティストである。ベルリンのレーベル〈PAN〉から2017年に新世代のアンビエント・コンピレーションとして名高い『Mono No Aware』のトラックや、同年のベルリンAtonalでのVargのNordic Floraショーケース(Sky H1、Swan Meat、Ecco2k、そしてVarg自身を含む他のアーティストと共に)、2018年1月にリリースされた〈Posh Isolation〉のコンピレーション『I Could Go Anywhere But Again I Go With You』が大きな反響を呼び、2019年にデビューアルバム『Rogue Intruder, Soul Enhancer』を自身の新レーベル〈Bloom〉からリリースし、その際立ったサウンドスケープは瞬く間に広がりを見せる。

型破りでありながらファンキーなリズムとポップなセンス、これまでのリリースで示唆されていたサウンドが結晶化した2018年のEP『Stress Junkie』のリリースはSource DirectとBasement Jaxxの間のようなものだと本人は表現している。「クラッシュするようなシンコペーションのドラムと、静謐でリバーブのかかったアンビエンスの間のスイートスポットを突く」スペキュラティブなクラブ・ミュージックと呼ぶこともできるだろう。DJとしては、UKのハードコアの連続体への親和性とともに、そのニュアンスをすべて取り込み、時代性のある美学によってフィルターにかけ、多彩なダンス・フロアのサウンドを生み出している。UKのFACTは〈W-I〉をレフトフィールド・クラブ界隈の重要な声として取り上げている。そのレーベルにおいてCelyn June、Chastic Mess、Lokeyといった友人のリリースをディレクションし、音楽の物理的な新しいリリース方法を模索、Relicプロジェクトでは、安価な家電製品からパーツを集め、3Dプリントされた形状に埋め込み、Celyn JuneのEP『Location』を音楽プレイヤーとして機能する彫刻としてリリースする。〈W-I〉をクローズした後は新レーベル〈Bloom〉を立ち上げファースト・アルバム、続いてInstupendoとのコラボ・シングルやプロダクション・ワーク、最近ではWarpとの契約を発表後最初のシングル「Go Oli Go / Cartoon Smile」をリリース。UKクラブ・ミュージックの連続体のリズムを解剖したフリーハンドのアプローチで、断片的なサンプリング・テクニックにパーソナルなフィールド・レコーディングと加工されたボーカルを組み合わせ、ユーモアのないグリッチと並行してにBasement Jaxxの遊び心を想起させる奇妙だが感情豊かな音楽世界を実現している。

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https://www.instagram.com/oli.xl/
https://twitter.com/oli_xl
https://www.youtube.com/channel/UCnNcOJlxRqrd7Lq49H0M_KQ
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Oscar Jerome - ele-king

 サウス・ロンドン・シーンのなかでもジャズやアフロ、ファンクやヒップホップ/R&Bと縦断した活動を見せるオスカー・ジェローム。シンガー・ソングライターでありギタリストでもある彼は、トム・ミッシュあたりに比べるとどうも過小評価されているきらいがあるけれど、この秋にリリースしたアルバム『スプーン』は個人的に2022年のベスト・アルバムに推したい。2019年にリリースしたアムステルダムでのライヴ盤以降、UKを離れていろいろな土地でも活動を見せている彼だが、たとえばナイジェリア出身でベルリンを拠点とするシンガー・ソングライターのウェイン・スノウのアルバム『フィギュリン』(2021年)にも参加している。彼らの共作である “マグネティック” は、『ヴードゥー』の頃のディアンジェロにクルアンビンのような幻想的なコズミック・サイケ・フィーリングをまぶしたもので、表立ってはいないもののアフリカ音楽の影響も感じさせるものだった。

 『スプーン』の先行シングルとなった “ベルリン1” は、そうしたベルリンでの活動が刺激となって生まれたもののようで、ミュージック・ヴィデオではベルリンの街中をオープン・カーでクルージングするオスカーの姿を見ることができる。ちなみに、彼の乗っている車はかなり旧式のメルセデスで、ブラック・スーツを着てオールバックにサングラスを掛けるというオールド・ファッションがここのところの彼のスタイルのようだ。こうしたファッション・センスを見るにつけ、オスカーはポール・ウェラーのようなアーティストなのではないかなと思うことがあるし、前のアルバム『ブレス・ディープ』(2020年)ではスティングを重ね合わせるような作品もあったりした。やはりUKらしいシンガー・ソングライターなのである。

 『スプーン』は『ブレス・ディープ』でミキシングをしていたベニ・ジャイルズが共同プロデュースをおこなう。彼は女性シンガー・ソングライターのリアン・ラ・ハヴァスのプロデュースを手掛ける一方、アルカを思わせるエクスペリメンタル・プロジェクトのアドヘルム名義で活動するなど幅広いアーティストだ。ココロコのドラマーであるアヨ・サラウ、ベースのトム・ドライスラー、サックスのセオ・アースキン、ドラムスのサム・ジョーンズ、エンジニアのロバート・ウィルクスなども『ブレス・ディープ』に続いての参加となる。
 新たに参加するのはトム・ミッシュやブルー・ラブ・ビーツ、最近はブラック・ミディなどとも共演するサックス奏者のカイディ・アキニビ、オーストラリア出身で 30/70 のドラマーも務めるジギー・ツァイトガイストなどで、特にジギーは3曲ほどオスカーと共同で作曲している。その “ザ・ダーク・サイド”、“ザ・スープ”、“パス・トゥ・サムワン” は、どれも1分弱のインタルード風の小曲で、オスカーとジギーの即興演奏というかジャム・セッションの一場面を切り取ったもの。ここでのオスカーはまるでフレッド・フリスのような実験的なインプロヴァイザーぶりを見せる。

 その一方で、“スウィート・アイソレーション” のような内省的なフォーク・ソングがオスカーの魅力。キング・クルールにも通じるぶっきらぼうな歌とロー・ファイな演奏で、そのダークで狂気じみたトーンはニック・ドレイクやシド・バレットなどと世界観を共有する。“ザ・スプーン” も枯れた味わいで切々と紡ぐブルージーなナンバー。パーカッションを交えた土っぽい香りの演奏のなか、オスカーのギターはフリートウッド・マックの “アルバトロス” におけるピーター・グリーンのような音色を奏でる。曲の進行とともに次第にエモーショナルな熱を帯びていくオスカーの歌も素晴らしい。
 ジャズの方面から語られがちなオスカーだが、彼の歌とギターは本質的にはロックだ。妖しげなフルートの音色を交えたアフロ・ロックの “チャンネル・ユア・アンガー” は、ヴードゥー教の宗教儀式で伝わる音楽のような呪術性を帯びている。オスカーのアフリカ音楽に対するアプローチが表れた一例だ。“フィート・ダウン・サウス” はヒップホップの影響が強いファンク・ナンバーで、ロイル・カーナーやトム・ミッシュなどサウス・ロンドン勢に共通するムードを持つ。多分このアルバムのなかで一番人気が高いだろう。でも、ほかのシンガーたちと違って、しっかりとギター・ソロの見せ場を作るところがオスカーらしい。アコースティック・ギター演奏のみの小曲 “アヤ・アンド・バーソロミュー” 含め、どちらかと言えば『ザ・スプーン』はシンガーよりもギタリストの方に比重が高いアルバムとなっている。

 セオ・アースキンのサックス、アヨ・サワルのドラムスとともに激しい演奏を繰り広げるジャズ・ロック調の “フィード・ザ・ピッグス” は、ギターのフィード・バック演奏によってサイケデリックなムードを生み出していく。“ホール・オブ・ミラー” は注目の新進女性シンガー・ソングライターのレア・セン(彼女もオスカーと同じギタリストでもある)とのデュエットで、タイトなビートとメロウなギター・フレーズが印象的なネオ・ソウル調のナンバー。途中で口笛やスキャットを交えながら歌う “ユーズ・イット” は、延々と同じフレーズをギターで紡いでいくミニマルなナンバー。ココロコのように土や埃の匂いが漂ってきそうな曲で、こうしたアーシーなサウンドがオスカーの一番の魅力ではないかと思う。

DJ Shufflemaster - ele-king

 90年代後半、ダンス向けの12インチにこだわった日本のレーベル〈Subvoice Electronic Music〉などから作品を発表し、日本のテクノ・シーンを支えてきたひとり、DJ Shufflemaster による唯一のアルバムがリイシューされる。2001年に〈Tresor〉から出ていたフロアライクなその『EXP』は、年明け1月27日にアナログ3枚組とデジタルの2形態で発売。ストリーミングでの配信は今回が初で、アートワークも Sk8thing の手により一新されている。現在、ミニマルな先行シングル曲 “Imageforum” が公開中。これはクラブに行きたくなりますね。

DJ Shufflemasterとして知られる金森達也は、東京のテクノ・アンダーグラウンド・シーンの最重要人物のひとりであり、初期は〈Subvoice〉レーベルから始まり、〈Tresor〉、〈Theory Recordings〉、および日本の〈Disq〉といったレーベルから多数の作品を発表してきた。オリジナル版リリース時の2001年当時、彼はこの作品を、多様な潜在的アイデアを編み込んだ、網のようなアルバムだと考えていたという。「私の思想、自分のすべてを表したアルバムであるべきなんです。私の思想や、生きている理由が現れていなければ、アルバムを作る意味などないのです。ですから、『EXP』 には、単一のテーマやコンセプトはありません」

『EXP』は、純粋にフロアに焦点を当てた、妥協のないサイケデリックなテクノのあり方を体現している。“P.F.L.P.” や “Opaqueness” のようなミニマルでダビーなトラックから、より激しくパーカッシヴな楽曲まで、ベルリン〜デトロイト〜UKを繋ぐサウンド・ムーヴメントに共通する、テクノというジャンルの多面性を網羅している。テクニカルで削ぎ落とされた “EXP” や “Onto The Body” のようなストレートなテクノ・トラックがある一方で、このアルバムは予測不可能な領域にも頻繁に飛び込んでいく。“Angel Exit” などは、まるでルーツマンの失われたダブプレートかのような、UKステッパーズの神秘性を漂わせている。かと思えば、“Flowers of Cantarella” や “Dawn Purple” では、金森はデジタル・グランジとでも呼ぶべきループの深みへ、変形自在な人工的世界へと誘う。

『EXP』 は、今こそ新たな耳へと届けられるべき、〈Tresor〉の過去から発掘された大胆で新鮮なテクノの至宝である。

artist: DJ Shufflemaster
title: EXP
label: Tresor
release: 27th January 2023

tracklist:
01. EXP
02. Slip Inside You
03. Onto The Body
04. Fourthinter
05. Imageforum
06. Angel Gate
07. P.F.L.P.
08. Experience
09. Experience (Surgeon Remix)
10. Angel Exit
11. Flowers Of Cantarella
12. Innervisions
13. Innervisions (Pilot)
14. Opaqueness
15. Dawn Purple
16. Climb*
17. Guiding Light*

*digital bonus

https://tresorberlin.com/product/96122/

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