「You me」と一致するもの

dialogue: Shinichiro Watanabe × Mocky - ele-king

 鍵盤の纏うノイズに、ギターの軋む音──第1話を視聴してもっとも驚いたのはそこだった。いやもちろん、ボンズによる映像も素晴らしいのだけど、それ以上に全篇をとおして繰り広げられる細やかな音の乱舞に、どうしようもなく惹きつけられてしまうのである。かつてこんなにも“生き生きした”具体音をTVアニメで耳にしたことがあっただろうか。そして続く第2話。モッキーによる劇判がこれまた冒険心に満ちあふれている。間違いない。渡辺信一郎、本気である。
 モッキーといえば、もともとはピーチズやゴンザレス(昨年ドキュメンタリー『黙ってピアノを弾いてくれ』が公開)、ファイストらとともに、カナダはトロントのアンダーグラウンドから浮上してきたアーティストだ。ジェイミー・リデルとの度重なる共作や、近年ではケレラ作品への参加でも知られる彼は、実験的な試みとユーモアを軽々と両立させてしまう才の持ち主で、その絶妙なバランス感覚は3月の来日公演でもしっかりと確認することができた。そんな彼が渡辺信一郎による新作アニメのサウンドトラックを手がけることになったのは、いったいどういう経緯からだったのだろう?
 本日深夜よりフジテレビ「+Ultra」ほかにて放送開始となるオリジナルTVアニメ、『キャロル&チューズデイ』。その記念すべき船出を祝して、総監督=渡辺信一郎と音楽担当=モッキーによる貴重な対談をお届けしよう。


みんなAIに興味を持つべきだと思う。その時代がもう来ているから。音楽もそう。僕はいまそれと闘っているんだ。そのなかでバランスを見つけるためにね。だから『キャロル&チューズデイ』のテーマは自分にとってすごく身近なものだった。 (モッキー)

今回、渡辺総監督が『キャロル&チューズデイ』の劇伴にモッキーさんを起用したのはなぜですか?

渡辺:元々、モッキーさんの音楽は好きでよく聴いてたんだけど、今回オファーしたのは、来日公演を観たのがきっかけかな。前回の来日のときのライヴで、どの曲も映像が浮かんでくるような感じがして、すごくサウンドトラックに向いてる音楽だなと。あとは、メンバー全員がすごく音楽を楽しんでる感じが伝わってきて、それがとても心地よくて。丁度そのころ『キャロル&チューズデイ』の企画を考えてたころで、音楽をやっていくうえで幸せって何だろう、と考えてたころで。たとえば何百万枚も売れてヒット出しててもすごく不幸なヴァイヴスを出してる人もいるなか、この多幸感はなんなんだと。そういうことを考えるきっかけにもなったライヴでしたね。

モッキーさんは、渡辺総監督から依頼を受けてどう思いました?

モッキー:ビッグで才能のある方からオファーを受けるというのはとても良いことだよ。

渡辺:ハハハハ(笑)。

モッキー:渡辺さんの作品も音楽と繋がりが深いものだと思う。渡辺さんの映像もすごく音楽を思い起こさせる。だから依頼があったときは嬉しくて飛びついたね。そのオファーを真剣に受け止めて、渡辺さんの作品にふさわしい雰囲気を持った音楽を作ろうと強く思ったよ。

これまでモッキーさんは、渡辺さんの作品には触れていたんでしょうか?

モッキー:そうだね、たくさんというほどではないけど、渡辺さんの特徴を知るくらいにはじゅうぶんに観ていたよ。僕はアニメのエキスパートじゃないけれど、それでも渡辺さんの作品は素晴らしいと感じたね。

本人に実際に会ってみてどうでした?

モッキー:すぐに繋がりを感じることができるアーティストだと思ったよ。話す言語はもちろん違うんだけど、まるで同じ言語で会話をして繋がっているような感じがしたんだ。言葉を交わさなくても通じ合えるというか。

渡辺:打ち合わせがすごく短かったんだよね。

モッキー:信頼があるからね。相手を信頼できるかどうかっていうのはとても重要なことで、それはコンサートでも同じだけど、「何か問題が起こってもこの人と協力すれば乗り切ることができる」というのを打ち合わせの段階で感じることができたから、安心して進めることができたんだ。

渡辺:あっというまに仕事の話は終えて、あとはほとんどくだらない雑談(笑)。だから周りのスタッフが、もっと詳しく説明したほうがいいんじゃないの?みたいな(笑)。いや経験上、こういうのは国籍とか関係なく伝わる人には伝わるものなんで大丈夫かなと。

渡辺さんはモッキーさんと実際に会ってみてどう思いました?

渡辺:とても気さくで陽気な人だったから、逆に「この人のどこからあんな切なく寂しい曲が出てくるんだろう」って思ったかな(笑)。

モッキー:それは僕自身にもわからないなあ。渡辺さんの作品も同じだと思うけど、すべての作品にはバランスがあって、悲しい曲が生まれる背景には何かハッピーなことがあるのかもしれない。悲しい曲でも歌詞がハッピーだったり、逆にハッピーな曲だけど歌詞が悲しいものもあったりするし。今回渡辺さんはAIというテーマを扱っているけど、それだけじゃなくて、他にもいろんなものがあるからこそ、そういうアイディアが生まれてくるんだと思う。あと、渡辺さんの場合はユーモアというのもすごく大きな要素だと思うね。それで繋がりを感じられたんじゃないかなと。

渡辺:そういえばAIに興味があるって言ってたよね。AIに支配された世界のPVまで作ったことがあるって、その場で見せてくれて。

モッキー:みんなAIに興味を持つべきだと思う。その時代がもう来ているから。音楽もそう。コンピュータとかロボットとか。80年代や90年代と違って、いまはドラマーがいらない時代だし、オートチューンが歌ってくれる時代でもあるし、音楽もロボットに支配されつつある。僕はいまそれと闘っているんだ。そのなかでバランスを見つけるためにね。だから『キャロル&チューズデイ』のテーマは自分にとってすごく身近なものだった。

渡辺:それを聞いたときは意外で。そんなことにも興味があるんだって。

じつは、いいサウンドトラックを作る秘訣というのがあるんですよ。それは、一度もサウンドトラックをやったことのない人に頼むということ。ビギナーズ・ラックというか、はじめての人特有のマジックみたいなものが必ずあるんですよね。 (渡辺)

『キャロル&チューズデイ』の世界では99%の音楽がAIによって作られていますが、もし同じ状況だったらモッキーさんはどういうスタンスで音楽を作っていきますか?

モッキー:もう現在すでにそんな感じだと思っているんだよ。人間は完璧ではないから、たとえばコンサートではミスを犯す。でもそれこそがアートを作っているんだと僕は思う。映画も同じで、これから何が起きるかとか、完璧なものができるってあらかじめわかっていたらおもしろくない。最高のテクノ・ミュージックも何かミスが起こったときのものだと思っていて、僕はそのときにこそ生まれるおもしろいものを捉えたいんだ。

AIが99%の音楽を作っているということは、『キャロル&チューズデイ』の世界ではそれだけ多くの人びとがAIの音楽に満足しているということだと推察しますが、AIが作ったものと生身の人間が作ったものとの違いってどこにあると思いますか? リスナーはその違いに気づくことができるでしょうか?

モッキー:若い人たちにはわからないと思う。経験がないから。(と言った直後に突然、力強く机を叩く。その場にいた一同が凍りつく)──驚かせてごめん。こんなふうに机を叩くとみんな「ウッ!」ってなるよね。それは机を叩くとヴァイブレイションが伝わって、何かを感じるからだと思うんだ。でもケータイのスピーカーから出てくる音じゃそのヴァイブレイションが作れない。それは人間だけが出せる音。ただ、だからといってコンピュータのようなテクノロジーで作られた音楽がダメだという話ではないよ。音楽はテクノロジーによってどんどん進化して、良いものになっていったと思うし、実際に自分もエレクトロニック・ミュージックを作っているわけだけど、そこでどうにかバランスをとって人間味を持ち続けていくことが大事だと思う。

先の質問をしたのには理由があって、モッキーさんは以前人間ではないリスナー、ずばり猿を相手に演奏をしたことがありますよね。

モッキー:若い頃にやったね。コンサートでいろんな都市をまわったんだけど、コンサートをする前に動物園へ行って、猿のまわりでセットアップして、そこで演奏をしたんだ。僕が演奏すると猿がジャンプしたりしてすごく昂奮しているんだよね。で、喜んでいるって思ったんだけど、動物園の係りの人に「喜んでるんじゃなくて、嫌がってるんですよ」って言われてしまった(笑)。だからそこでは悲しい曲、静かな曲を演奏したんだ。センシティヴになる必要があったんだよね。そういうふうに猿に対して演奏をすることによって自分のスタイルを築き上げていって、そのあと夜になったら人間に向かって演奏をしていたってわけ。そうやって自分のサウンドを見つけたんだ。

人と違うことをやれ、っていうのがパンク、ニューウェイヴの教えですよ(笑)。ってことで、普通より音楽を立てるというか、映像と音楽がフィフティ・フィフティぐらいのつもりでやってます。 (渡辺)

今回劇伴の制作はどのように進めていったのでしょう?

渡辺:モッキーさんにはサウンドトラックとして40曲くらいを作ってもらったんだけど、そのうち20曲はわりと普通の劇伴のスタイル、音楽メニューを書いてどういう音楽がほしいか説明してオーダーするって形でした。それで、残りの曲のうち12曲は、本人の希望により制約なしに感じたまま自由に作ってもらう、あと残りの8曲だけ、どうしても作品に必要な曲というものがあるんで、そこだけ自分がリファレンスを出してこういう曲を作ってくれとオーダーして。

モッキー:すごく厳しいボスなんだ。「これだけ作れ!」みたいな感じでいつも言われていたよ(笑)。

渡辺:いやいや(笑)。モッキーさんは、自由に作るほうも、オーダーに合わせて作るほうも両方できるのが凄いなと。

できあがった曲を聴いてみていかかでした?

渡辺:ちゃんとサントラでもありつつ、モッキーの曲にもなってるのがよかった。サントラになると急によそ行きというか、お仕事になっちゃうミュージシャンもいるんで(笑)。じつは、いいサウンドトラックを作る秘訣というのがあるんですよ。それは、一度もサウンドトラックをやったことのない人に頼むということ。ビギナーズ・ラックというか、はじめての人特有のマジックみたいなものが必ずあるんですよね。それは、アーティストのファースト・アルバム特有のマジックと同じようなものだと思うんだけど、手探りで新しいものを作っていくときにだけ生まれるものだと思いますね。

音と映像が組み合わさった第1話を観て、どう思いましたか?

渡辺:サウンドトラックってあくまで裏方としてドラマを盛り上げていくものという考えがあって、それはそれで正しいかもだけど、そんな他の人がやってるのと同じことやってもしょうがないじゃない。人と違うことをやれ、っていうのがパンク、ニューウェイヴの教えですよ(笑)。ってことで、普通より音楽を立てるというか、映像と音楽がフィフティ・フィフティぐらいのつもりでやってます。モッキーさんの曲は普通のサントラより音楽として強度があるから、それをなるべく活かしたいなと。

モッキー:音楽に関するアニメだし、それで大丈夫だよね。

渡辺:例えばハリウッドの映画を観ていても、見終わって音楽の印象が残るものってあんまりないじゃない?

モッキー:いまはそうだね。

渡辺:昔の映画にはもっと印象的な作品があったしね。ただし、こういうやり方はリスクもあって、失敗すると音も映像もつぶし合っちゃうから、ギリギリのバランスで成立するように考えてますね。

モッキー:やっぱり渡辺さんは天才だと思うよ。

モッキーさんは第1話を観て、いかがでした?

モッキー:ものすごく気に入ったよ。ジギー(作中に登場するフクロウの目覚まし時計兼ペット)が好きなんだ。欲しいんだよね。僕のために作ってもらえないかな(笑)。ジギーをコンセプトにしたアルバムを作りたいんだ(笑)。まあそれはともかく、『キャロル&チューズデイ』ではAIだけじゃなくて、友情だったり、人生における音楽の役割、なぜ人類が音楽を必要とするのかというのも大きなテーマのひとつになっていると思う。やっぱり音楽って、昔もいまも変わらず僕たちの人生の一部であり、欠かせないものだと思うんだ。たとえば仮に人間が火星で生活をすることになったとしても、みんな音楽を持っていくだろうとか、そういうことをよく考えるんだよね。なんで音楽なんだろうって。それってやっぱり、僕たちが生まれながらにして持っている感情だと思うんだ。子どもが泣けばお母さんは自然に歌を歌うしね。最近のメインストリームのアメリカ映画ではそういうことがぜんぜん語られなくて、人間の作る音楽というものが脇に置かれてしまって、注目されていない。『キャロル&チューズデイ』はそういうことを重要なテーマだと語ることができる作品だから、自分がそれに関わることができたのはすごく光栄に思っている。

モッキーさんが今回劇伴を作るにあたり、とくに意識したことはなんでしょう?

モッキー:とにかく渡辺さんを信用するのみで、僕はとくに何も意識しなかったね。ただもう信頼だけ。自分にとって渡辺さんはミュージシャンのような存在なんだ。初めて会ったときも他のミュージシャンに会っているような感じがしてね。ほんとうに安心することができるし、彼が作った作品の音楽を作っているというだけで、人間と人間が関わっているということを感じることができた。だから、とくに意識したことはないんだ。渡辺さんは音楽の知識が素晴らしいからね。音楽について少し会話をしただけで、すぐに音楽のことをすごく知っている人だってわかったよ。

渡辺:じつは、モッキーさんに音楽を頼んでもうひとつ良かったことがあって。今回、サウンドトラックとはべつにヴォーカル楽曲を国内外のいろんなミュージシャンにオファーしてるんだけど、普通はなかなかハードルが高いミュージシャンたちが「モッキーがやってるなら」ということで興味を持ってくれる場合が多かった。やっぱり彼はミュージシャンズ・ミュージシャンで、ミュージシャンのあいだで人気があるんですよ。「そのおかげで、多くのミュージシャンが参加してくれたとこもあるんじゃないかな。

いまおっしゃられたように、『キャロル&チューズデイ』にはモッキーさん以外にも多くのミュージシャンが参加していますけれど、彼らを選ぶときに何か基準はあったのでしょうか?

渡辺:もちろん自分が好きなアーティストっていう大前提はあるけど、今回はやっぱり作品内容に合ってる人、テイストが合っている人が中心。とくに『キャロル&チューズデイ』ではメロディを重視してるんで、メロディメイカーとしていいかどうかにウェイトを置いてたかな。

モッキー:それは僕も同じで、メロディを作るときって自分の意識とか注意が必要なんだよね。それは(AIではなく)人間だからこそできることなんだ。ほんとうに人間味のある人間だからこそメロディを気にかけるんだと思う。

渡辺:あと、オファーをしていくなかで話を聞きつけたアニメ好きのミュージシャンがオレにもやらせろと言ってきたり、そういうパターンもありますね(笑)。ちなみに今後、モッキーさんにはサントラのオファーがいろいろ来るんじゃないかな。売れっ子作曲家になったりして。

モッキー:日本だけかもしれないけどね(笑)。でも日本が大好きでお気に入りだから。日本は尊敬の念とか感謝の念が素晴らしい。

『キャロル&チューズデイ』では人生における音楽の役割、なぜ人類が音楽を必要とするのかというのも大きなテーマのひとつになっていると思う。最近のメインストリームのアメリカ映画ではそういうことがぜんぜん語られない。 (モッキー)

最後に、これから『キャロル&チューズデイ』を観る方に一言ずつお願いします。

渡辺:音楽が好きな人で、これまでアニメはあまり観てこなかったような人でも楽しめる作品になってると思うんで、ぜひ観てほしいです。音楽ファン必見です。

モッキー:僕もそう思うよ。みんなが楽しめる作品、大人も子どもも世代を問わず楽しめるアニメだと思う。

渡辺:あと、フクロウが好きな人もぜひ観てください!

モッキー:そのとおり! やっぱりジギーだけの作品も作ったほうがいいと思う(笑)。

ではスピンオフ決定ということで(笑)。

モッキー:ジギーが主役のコメディをやろうよ!

渡辺:プロデューサーに言っておきますか(笑)。でもジギーのおもちゃは作ってほしいですね。

モッキー:目覚まし時計もいいんじゃない? ジギーにステージ上で演奏してもらうのもいいね。もし実現したら最初に僕にくださいね!

主戦場 - ele-king

 及び腰でこれを書き始める。韓国の慰安婦問題に関するドキュメンタリーで、日韓の言い争いには巻き込まれたくないから。僕がこのドキュメンタリーを観ようと思ったのは韓国映画をもっと気持ちよく楽しみたいという思いからで、最近でいえばナ・ホンジン『コクソン』は2010年代後半のベスト3に入れたいほど僕は気に入っているし、イ・チャンドン『バーニング』やヨン・サンホ『新感染』といったエンターテインメントは公開されても、慰安婦問題を扱った『Herstory』や『I Can Speak』は日本では特別上映会というものでしか観られない(ので僕は観ていない)からその代わりという意味もある。ミン・ギュドン『Herstory』はとくにアメリカでの評価が高く、それはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でどれだけの女性たちが性的な被害に遭っていたかを描いたラリーサ・コンドラキ『トゥルース 闇の告発』やアンジェリーナ・ジョリー『最愛の大地』から続く#MeTooの流れに沿ったものであり、この後には多分、ノルマンディー上陸作戦で同様なレイプ行為が多発していたことを描く作品に続いたりするのではないかと予想される。「主戦場」というのはアメリカのことを指していて、それは慰安婦問題がアメリカでどのように受け取られるかを危惧した日本のナショナリストの発言から拾われたものだという。慰安婦問題についてアメリカで「20万人の女性たちが強制的に性奴隷にさせられていた」と報道されているのは誤りであり、彼らの認識を覆すための戦いという意味である。

 監督は日系アメリカ人のミキ・デザキというユーチューバー。最近はネットフリックスやフールーから大作映画が飛び出しているように、これもユーチューブから派生してスクリーンにステージを移した長編作品ということになるのだろう。冒頭から多種多様なニュース映像をマイケル・ムーアばりの早いテンポでつなぎ合わせていくので、ひとつの話題が飲み込めないうちに次の話題に進んでしまい、あたふたしかける。オープニングは彼がこの問題に興味を持ったきっかけからスタート。デザキはフロリダで生まれ、医大で学位を習得した後、沖縄や山梨県で英語教員を勤めていたことがあるという。その時の体験からなのだろう、「日本にも人種差別はある」という内容の動画をユーチューブにアップしたところ、日本ではテキサス親父として知られるユーチューバー、トニー・マラーノがこれに噛み付いてきたという。移民排斥を訴えるアメリカのオルタ右翼にとって、移民を受け入れないと表明してきた日本はいわば聖地であり、単一民族で国家を築き上げてきたことは彼らにとって大いなる理想といえる。そのテキサス親父はその頃、サンフランシスコに慰安婦像が建造されることに大反対していた。慰安婦像の何がそんなに問題なのか。自分に文句を言ってきたテキサス親父がそんなにも夢中になっている問題に興味が湧き、デザキは慰安婦について調べ始める……と、ドキュメンタリーを観ているだけではそのように受け取れるものの、パンフレットを読むと元朝日新聞の記者、植村隆がネトウヨに中傷されていると知ったことがきっかけで、この問題を知ることとなったと彼は答えている。はて、どっちなんだろう? アメリカでは日韓がこの問題で対立していることもほとんど知られていないため、なぜそんなことになったのかを理解したくなったと彼は続けている。

 取材は韓国と日本、そしてサンフランシスコ議会を行ったり来たりする。慰安婦問題にディープな興味を持っていなかった僕は、まずは韓国内で行われていた議論が興味深かった。慰安婦問題が表面化したのは90年代に入ってからだったけれど、家父長制が根強い韓国では、終戦後もいわゆる「汚れた存在」となった慰安婦は社会にすんなりと戻ることはできなかった。慰安婦たちがなかなかカミングアウトできない社会にも大きな問題があったという部分。それから慰安婦問題でたびたび俎上に上がってきたのが強制連行の有無で、プロの売春婦だったら問題はないとする見解もよく耳にするけれど、日本軍による強制ではなかったものの、ほかに選択肢がなくて慰安婦になった女性たちや韓国の業者に騙されて慰安婦になった女性たちは「反日」という文脈では声が上げづらい立場にあるというもの。具体的には、すべては日本軍が悪いとする「挺身隊問題対策協議会」と、日本には構造的責任はあるけれど、個別には韓国内の責任も問うべきだとするパク・ユハが対立し、ドキュメンタリーを観た後で調べてみたところ、パク・ユハは裁判で訴えられるほど韓国内では劣勢であり、日本では彼女の著作を右派も左派もそれぞれの文脈で評価しているということ。慰安婦といってもひとりひとりはみな異なる運命を辿り、まとめて論じることにそもそも無理があるんだなということがここまでではわかる。実際には人種的にも多岐にわたっていたそうだし。

 最も多くの時間が費やされているのは日本の右派と左派の議論である。どうやら同じ人数で同じ時間になるように配分されているらしい。論点は大きく「強制連行か否か」「慰安婦の数」「性奴隷の定義」などに整理され、細切れにされたインタビューがテーマに沿って再編されている。あたかも対論が行われているかのような例のスタイルである。もともと右寄りの人は右派の話をうんうんと聞き、左寄りの人はその反対となるのだとすれば、僕は明らかに左派であった。全体の90%近くが左派に説得力があり、とくに杉田水脈は喋れば喋るほどボコボコにされていくという感じに見えた。彼女の言葉尻を捉えるようなインサート映像もあったりして、そこは公平ではない気もしたけれど、彼女の理屈が一貫していないことは確かで、伝わってくるのは彼女の負けん気だけ、みたいな。右派の重鎮といえる櫻井よしこはほとんど発言はなく、ほかに藤岡信勝やケント・ギルバートらが右派として名を連ねている(歴史まで整形してしまう高須克哉は出てこない)。対して左派は吉見義明や林博史など。左派の話には納得するところが多かったけれど、人物的に印象に残った人はいなかった。まあ、冷静に喋っていたということなんでしょう。声が大きな人には負けるというか、僕は人類は良い方向に進むか悪い方向に進むかではなく、意志の強い人に引きずられるだけだと思っているので、これだけを見ても日本が右寄りになっていくのは当然だなあと思うばかり。

 右派の決まり文句としてたびたび出てくるセリフに「文書が残っていない」というのがあった。しかし、映画『日本のいちばん長い日』でも描かれていたように軍部は敗戦が決定的となるや記録文書を次から次へと焼却してしまったので、残っていないのは当たり前である。なので、右派も左派も当時の韓国の新聞記事だったり、細かいものをどんどん探し出してくる。そこからわかることはいろいろあるけれど、とくに印象に残ったのは慰安婦には未成年が少なからずいたということと、やはりそれは日本も批准していた国際法ではアウトだったということ。あるいは右派が主張するように慰安婦になることでいい思いをしていた人ももしかするといたのかもしれないけれど、どっちにしろ終戦と共に日本兵が渡していた軍票は紙屑同然になってしまったのだから、最終的には金を稼いだことにはならない。また「いい思いをしていたはずだ」という趣旨のことを繰り返す右派の主張はかなりしつこくて、外国人に生活保護を受けさせるなという在特会の主張を思い出すなあと思っていたら、実際に映像が在特会へと飛んでいったのは驚いた。バンクシーでもハロウィーンでもピエール瀧でも日本のニュースはすぐに金の話になるし、それはここでも同じだという印象。

 ドキュメンタリーのピークは慰安婦像を建てるかどうかで議論を交わすサンフランシスコ議会に移っていく。これが『バットキッド・ビギンズ』で描かれたサンフランシスコと同じ市なのかと思うほど、議論の応酬は凄まじい。結果は広く知られている通り、サンフランシスコ市は慰安婦像を建て、大阪市は姉妹都市を解消することとなった。後半はそのようにして世界にも積極的に働きかけていくネトウヨの背景に焦点が当てられる。安倍政権、そして日本会議である。スクリーンではこれまでに登場してきた右派の人脈図が示され、それらをすべて結びつけていた人物が浮かび上がる。日本会議代表委員などを務める加瀬英明にデザキはマイクを向ける。そこで語られることは(以下、ネタバレなので自粛。加瀬の従姉はちなみにオノ・ヨーコ)。話のスケールはさらに大きくなる。慰安婦に限らず戦後の賠償問題が俎上に上ると、必ずでてくるのが1965年に結ばれた日韓基本条約で、これによってすべては解決済みだという話になりがちだけれど、それはアメリカの都合で結ばせた条約であり、そもそも日韓をこのような関係に追い込んだのはアメリカの外交政策だと、オリヴァー・ストーンばりの歴史批判にデザキの論調も切り替わっていく。「主戦場」というのはアメリカを指していると先に書いたけれど、そもそも日韓で慰安婦論争が起きる種を蒔いたのがアメリカだという回帰性が示され、日韓基本条約が結ばれた時とは情勢が変わって、いまは日韓が争ってくれた方がアメリカには都合がいいのだなということも想像がついてくる。実際、現在の日本と韓国はともにアメリカから兵器を爆買いし(トランプになってからアメリカの軍事産業は30%の伸び率)、日本に関しては小松製作所などが軍需産業から撤退しなくてはならないほど日本政府に兵器や部品を買ってもらえなくなったというし。

 僕は学生時代に小さな本屋でアルバイトをしていて、お客さんに「韓国関係の本はどこですか?」と聞かれ、とくにコーナーもなかったので「うちには置いていません」と答えたら、いきなりものすごい剣幕で怒鳴りつけられ、それ以来、朝鮮人も韓国人もみんな嫌いになってしまったこともあるんだけれど、友だちができたり、水木しげるさんに3日連続で戦争の話を聞く機会があったりして、いつしかあの時のお客さんが怒鳴りつけるのも仕方がないことなんだなと思うようになった。一番いいのはやはり学校で現代史を教えてくれることだとは思うけれど、この作品で日本会議が政治の中枢にどれだけ食い込んでいるかを観てしまうと、学校教育に期待するのも無理がありそうだし、あー、めんどくさいなーと思うばかり。これだから政治は嫌いだ。

映画『主戦場』劇場予告編

Overton's Window(常識の枠)を大きく開けたAOC(オカシオ・コルテス)。
政界に登場したニューヒロインは、私たちのカルチャーにどのような影響を与えるのだろう。

 去る1月上旬、オカシオ-コルテス下院議員がBusiness Insider(ビジネス専門ニュースサイト)のインタヴューで「MMT = Modern Monetary Theory(現代貨幣理論)」について言及し、再び全米を騒然とさせた。これは一部の政治・経済クラスタだけが騒いだものではなく、若年層を中心に注目されるAOCだからこそ政治・経済の枠を超えて多くの人を巻き込む騒ぎとなったといえる。

1000万ドル以上の所得のある超富裕層の税率を、60%から70%で課税することを支持します。

グリーン・ニューディールを成功させる方法に関しては、富裕層課税などいくつもの財源創出方法があります。

政府の赤字支出は良いことです。グリーン・ニューディールを実現させるためには、財政黒字こそが経済にダメージを与えるとするMMT の考えを、”絶対に”私たちの主要議論にする必要があります。

アレクサンドリア・オカシオ-コルテス

 このインタヴューが、誰もが「政府の財政赤字は悪いことだ」と思っていた”Overton's Window(常識の枠)”を、AOCが広げた瞬間となった。勿論このニュースが配信されるやいなや、そのコペルニクス的発想の転換に追いつくことのできない多くの人々は困惑し、バイラル・メディアでは、「借金を増やして良いわけがない」という当然の怒りの声から、「またインテリぶってるのか」「はいはい、炎上商法ね」といった冷笑めいた否定的なコメントも数多く寄せられた。しかし好奇心からMMTに興味を示す人たち、またはその先進的イメージから「AOCをサポートする」といった好意的なコメントも数多く投じられ、結果としてネット上には数多くの賛否両論の言葉が飛び交うこととなった。

 このAOCのインタヴュー報道を受け、保守派が怒りをあらわにしたことは想像に難くないだろうが、著名人たちもこぞって反応した。ビル・ゲイツは「MMTなんて狂ってるね、財政赤字は問題に決まってる」と一蹴。他にも現FRB議長のジェローム・パウエル、ハーバード大教授で元財務長官のローレンス・サマーズ、そして投資の神様といわれるウォーレン・バフェットまでもが、ゲイツと同様に一方的な批判を重ねた。その内容は「債務がGDPよりも速いペースで増加しているのだから 歳出削減が必要だ」、「ハイパーインフレにつながる」と判で押したようなものであった。

 他方で、ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンは、NYタイムスで連載中のコラムでAOCの発した富裕層課税について触れ、「オカシオ・コルテスの提案はクレイジーに聞こえるだろうが、著名なエコノミスト達の真面目な研究とも完全に一致している。 米国では少なくとも73%、おそらく80%以上の富裕層税が適正だろう」と擁護。映画監督のマイケル・ムーアも、「誰がトランプをぶっ潰せるかって? 現在の民主党の大統領候補にはいない。オカシオ-コルテスが立候補すべきだろう。彼女がこの民主党進歩派の運動のリーダーだってことは誰もがわかっている。トランプを支持する視聴者の多いFOXの世論調査でさえ、富裕層の税率を70%に上げようという彼女の主張を、実に70%もの人が支持したんだ」とTV番組で声高に叫んだ。

 しかし、パウエルら批判者、クルーグマンら擁護者の双方いずれもが、MMTの呈する理論を代弁できているとは言えないだろう。MMTの真髄は、赤字財政であっても野放図に支出しても良いとするものでもなければ、富裕層に対する課税を強化しようというものでもないのだ。どのような理由でAOCは「財政赤字は良いことだ」と語ったのだろう。

 AOCの師・米大統領候補サンダースの設立したサンダース・インスティテュート。その経済政策担当で、サンダース自身と民主党上院予算委員会の経済顧問も務めた、NY州立ストーニーブルック大教授のステファニー・ケルトンは語る

MMTは、異なった経済や貨幣制度を調査するためのレンズのようなものです。

アメリカ、イギリス、カナダや日本を見て、これらの国々は独立した主権国家で不換紙幣と呼ばれるものを使用しているという意味で似ています。

自国通貨を発行できる国は、請求書が払えなくなるような状況に陥ることはありません。

 そして、その国債を発行することによる政府支出の上限は、「過度なインフレ圧力」なのだと加える。経済に余剰な供給能力があるのならば赤字支出可能だということだ。ステファニー・ケルトンは、90年代に投資家のウォーレン・モズラーやニューカッスル大学教授のビル・ミッチェル、ミズーリ大教授のL・ランダル・レイらとMMTの基礎を築いたチャーターメンバーだ。MMTの理論が成り立つ前提条件は他にも、変動相場制や、多額の外貨建て債務を有していないことなどが挙げられるが、いずれもケルトンが言及した国々に条件が符号する(そう、我が国もだ)。

 AOCの発した「政府の黒字は経済にダメージを与える」とする発言も、一見して矛盾するように感じられるだろう。しかし政府が民間部門から過大に徴税したり、緊縮的な政策を続けて財政を黒字化させるということは、それだけ経済を巡る貨幣を取り上げることに他ならないのだ。

 現実が経済学を裏切っている。現実を経済学で説明できない。人々の信頼を失い、ジレンマに苦しみ続けた経済学がようやく出した解答が、このMMTだといえるだろう。政府は赤字支出により、国民経済を発展的に管理する必要があり、そのためにこそ国家が存在している。人々がかつて畏怖の対象としてきたリヴァイアサンこそが我々の経済活動をまわす原動力だったと気づかされる。

 米国ではトランプ大統領の登場以前から、深刻な格差の拡大が社会問題となり、それによって世論も二極化した。民主党支持者の60%が社会主義に好意を示し、教育や社会保障への予算割り当ての増額を望む一方、従来のリバタリアニズムを堅持する共和党支持者の多くは、税や政府予算の規律を重視するばかりか、移民への社会的保障が国家運営を阻害するとして批判さえ加えてきた。

 「神の見えざる手」を過剰に信仰するリバタリアニズムや「自己責任論」が、ネオリベ思想にも直結する形に収斂した。そのカウンターとして現れたのが反ネオリベのトレンドである。主流メディアにおいてしばしばこのように語られるが、これは事象を正確に説明しているとはいえない。ネオリベとあまり変わらない「第三の道」を継承したかつてのオバマのリベラル政権下においてこそ、現在に続く反ネオリベ・反緊縮の種が萌芽を待ちわびていたと見るべきだろう。

 リバタリアニズムとリベラリズム両者の瓦解、それによって生まれた反ネオリベの芽がトランプ政権を産み、そしていま、サンダースやAOCを切望するポピュリズムの声となったのだ。

 ポピュリズムとは民衆のデモクラシーを求める声とも言える。そもそもリベラル・デモクラシーは、社会に見放された落後者に対しても、民衆の意思たる代表制をもって人権を保障し、救済するためのシステムであったはずだ。しかし、80〜00年代を通して「ネオリベラリズム」や、ネオリベのマイルド版である「第三の道」に破壊され続けたリベラル・デモクラシーは、いつしか過度なリベラリズム(個人の自由を強調する指向性はリバタリアニズムにも近い)とデモクラシーとに乖離した。

 それらに反発する民衆の声がいま、本来的な意味で、人びとの生きる土地やコミュニティーを愛する純粋なデモクラシーへと進化を遂げるかたちとなった。それこそがポピュリズムの、地べたに根を張る民主主義の本来の姿ではないだろうか。

 Neil YoungやRed Hot Chili Peppers、Vampire Weekendのようなアウトサイダーと呼ばれるロック・ミュージシャン、そしてNASやDiplo、Stieve Aokiといったストリート出身のクラブミュージック牽引者たちのサポートによって、3年前にサンダース旋風が吹き荒れたことは記憶に新しい。

 16年の大統領選に旋風を巻き起こした若者のデモクラシーを求める声は、”#FeelTheBern”のハッシュタグを生み、Cardi Bの”Vote for Daddy Bernie, bitch”へと、そして21 Savageのリリック”I couldn’t imagine, my kids stuck at the border(なぜ子供たちが国境で拘留されているのだ)”に呼応するAOCに引き継がれ、いまなお大きく響きわたっている。

 本コラムを通読いただけた方には、なぜ2019年にアレクサンドリア・オカシオ-コルテスが、そしてMMT=Modern Monetary Theoryがたち現れたのかご理解いただけただろう。それは、人びとが望んだ民主主義が、そこに結実しただけなのだ。

interview with Matthew Herbert - ele-king

 ぼくの知り合いにひとり、本人はきわめて政治的な人間だが、聴く音楽のいっさいは政治とは無関係なものを好むというひとがいる。彼を思うと、ノスタルジックなジャズやMORを好んでいる人間が必ずしも政治的に無関心で保守的であるなどということはないと断言できる。その彼はビッグ・バンド・ジャズが大好きだ。
 マシュー・ハーバートのアイデアは、そういう意味でも面白い。がなり立てるパンクやラップではなく、ノスタルジックなスウィング・ジャズとエレクトロニカとの混合。エレクトロニカも、基本、耳(とその刺激を解析する脳)を面白がらせる快楽的な音楽であり、政治的な作品は、たまにサム・キデルのようなひともいるにはいるが、それは少数派だ。
 快適さのなかにメッセージを忍び込ませるやり方がぼくは好きだ。
 マシュー・ハーバート・ビッグ・バンドは、かつてそれをやってきた。甘くノスタルジックな演奏を交えながら、グローバル資本主義経済を糾弾する2003年の『グッドバイ・スウィングタイム』のことだ。

 『ザ・ステイト・ビトウィーン・アス』は、ブレグジットを契機に始動したプロジェクトである。2年以上を費やし、当初はEU離脱の日とされていた3月29日にきっちりリリースされた。『グッドバイ・スウィングタイム』と同様に、ノスタルジックなスウィング・ジャズとエレクトロニカ(+執拗なフィールド・レコーディング)との混合であり、しかし今作には、そうしたハーバート自身のクリシェを打ち砕く異質さがある。その異質さには、今作のより深い政治性が絡んでいる。自分が英国人であることを強く意識しながら作られた『ザ・ステイト・ビトウィーン・アス』からは、イギリスそしてヨーロッパなるものに直結するサウンド、響き、伝統が否応なしに聴こえてくる。そしておおよそ音楽は晴れやかではないが情熱的で、スリリングに展開する。ダークな曲、メロウな曲、ダンサブルな曲、ドローンからIDM、ジャズからアンビエント……と、まあ、ヴァラエティに富んだ内容で、いつものようにフィールド・レコーディングを活かし、音の細部にまで凝っている。多少重たいが、聴き応え充分の力作である。
 このアルバムを聴いたとき、ぼくにはわからない点がいくつかあったので、ぜひハーバートに取材をしたいと思っていた。なぜ、この作品のアートワークが「木」なのか、残留派であるハーバートは、では離脱派にはっきりとノーが言えるのか(残留派にも離脱派にもそれぞれ言い分がある)、アルバムから聞こえる動物たちの声は何なのか、アルバムにはハーバートのイギリス愛も混じっているのではないか、そもそも現代において左翼とは何なのか、などなど。すべての疑問に彼なりに答えてくれた。(※文末に来日情報あり)

僕はEU離脱に関して多くの嘘を撒き散らした何人かの政治家に対してすごく憤りを感じている。でも、「離脱」に投票した人たちに対しては、友情や協力の意志がある。僕は安定した、幸せな社会で暮らしたいんだ。

政治的であり、なおかつ作品としての魅力を高めようとするとき、そのバランスというのは難しいと思いますが、このアルバムはぎりぎりそれを成し遂げているし、あなたがこの作品に注いだ熱量がどれほどのものかわかる力作だと思いました。音楽的にも、ジャズ、クラシック、エレクトロニカ、ダンス・ミュージック、ミュージック・コンクレート、ドローンなどといったこれまであなたがやって来たことが集約された作品ですよね。すべてを投入して作ったというか、そんな印象を持ちました。

ハーバート:かなり苦労して完成した作品ではあった。何に苦労したかというと、当然音楽を作ることが大前提としてあるわけで、新聞記事を書くわけでも、ドキュメンタリー映画を作るわけでもない。音楽作品でありながら、イギリスにおける政治の現状を反映したものにしたかった。ただその現状というのが、もうめちゃくちゃで……(苦笑)。
つまり、何かについて曲を書いていると、その10分後には状況がまったく変わっている。だから書いていたものをやめて、新たな状況について今度は書きはじめる。で、その10分後にまた状況が一変する。そこの両立が非常に難しかった。それに加え、長いあいだ自分は誰に聞いてもらいたくてこの音楽を作っているのか、戸惑いもあった。いままさにEU離脱を含めた政治状況の渦中にいる人たちが対象なのか、それともヨーロッパにいる人たちに向けて我々の立場を説明したくて書いているのか、それとも20年後にこれを聞く人たちに向けて書いているのか。どういう視点で語るのか、なぜこれをいま伝えなきゃいけないのか、というのが制作中に何度も変わっていったんだよ。

イギリスのEU離脱をめぐる議論は、いまだどこに着地するのかわからない状況というか、カオスになっているようですね。とりあえず、3月29日に離脱することはなくなったわけで、その日をリリース日に決めていたあなたにとってこれは良かったのか悪かったのか、どうなんでしょうか?

ハーバート:すごく良かったと思っている。というのも、我々は国としてまだどんな形であろうとEUを離脱する準備がまったく整っていない。国は激しく分断されたままだ。僕が作る音楽は、僕にとっては大事なもので、参加してくれた人たちにとっても大事なものかもしれないけど、人の生死に関わる問題じゃない。でもEUは多くの人の生死に関わる重大な問題だ。だから僕としては、延期になったのは良いことなんだけど、依然としてどうなるのか先がまったく読めない。あり得ない状況だよ。3年ものあいだこの件について話し合ってきたにも関わらず、いまだにEU離脱とどう向き合うべきかわかっていない。まさにいまのイギリスの政治のどうしようも無さが浮き彫りになった形だと思う。

先頃は反ブレグジットのデモに100万人が集まったという報道がありましたが、100万人というのはすごい数ですね。おっしゃるようにいまはまったく先が読めない状況ではありますが、あなたが望んでいるのはいかなる決着なのでしょうか? 

ハーバート:まず何よりもEU離脱をやめるべきだと思っている。そもそも馬鹿げた考えだった。しかしながら、誰も自分たちの声に耳を傾けてくれない、と感じている人はこの国大勢いる。彼らはこの国の政治に対して長いあいだ失望していた。自分たちの意見は汲み取ってもらえない。生活も不安定で、職もない。満足な医療制度も得られず、自分たちが住むコミュニティーとの繋がりが感じられない。そういう人たちの多くが「離脱」に投票した。なぜなら「離脱すれば自分たちの生活が良くなるから」と言われたからだ。でも実際は、EU離脱が生活の向上をもたらしてくれることはない。むしろこの国をより貧しく、より孤立させるものだ。前向きなものでは決してない。
だから僕としては、もしEU離脱をやめるなら、そういう人たちに改善策を与えてあげなければいけないと思っている。「離脱」「残留」に分断されてしまった国民をどうにかしてまたひとつにまとめないといけない。そもそも「離脱」「残留」という分け方自体、人が創り上げたものでしかないから。そこに明確な線引きはもともとなかったはずなのに、分断の原因になってしまった。個人的に思う今後の最良の展開は、もういちど国民投票を行うことだ。そうすべきだと思っている。今度は、具体的な実施計画に対して投票するのだ。そうすることがもっとも賢明だと思う。政治家が決められないのであれば、国民が決めるべきだ。

今回のアルバム制作の発端は、ブレグジットに対する憤りだったと思いますが、おっしゃるようにEUに残留すればすべてが解決するような問題ではないように思いますし、じっさいアルバムのテーマはより大きなものへと発展していますよね? 

ハーバート:そうだね。アルバム制作をはじめた頃は、政府の動向を細かく追っていて、EU離脱問題とそれに纏わる政治状況だけに絞った作品を作ろうと思っていた。でも途中で、めちゃくちゃなアルバムだってことに気づいた。政府がめちゃくちゃだったからね。その動向ばかりに目を向けていたために全く意味のなさない、どうでもいいものになっていた。
だから途中で決めたんだ。我々にとって本当に重要な問題を取り上げようと。その最たるものが気候変動だ。実はEU離脱問題は、我々が直面する本当の危機的問題から我々の目を逸らすためのものでしかない。イギリスだけの問題ではない。他の国もそう。気候変動や経済格差こそが本来取り組まなければいけない問題だ。今EU離脱問題に費やしている予算は本来気候変動に使われなきゃいけないものなんだ。

先ほどイギリスが分断されているという話がありましたが、タイトルの『The State Between Us』も分断されてしまったイングランドを意味しているのでしょうか?

ハーバート:必ずしもそういう意味でつけたわけじゃない。もちろん、見た人が好きに解釈してくれればそれで良いと思っているよ。タイトルの元々の発想としては、政府(政治)が人と人のあいだに入ってきたらどうなるか、というものだ。例えば、僕は近所の人たちと共有した価値観もたくさん持っている。田舎に住んでいるからまわりは農家が多い。でも、彼らの多くが「離脱」に投票をした。だから僕にとってタイトルが意味していることは、政府が自分とお隣さんとの関係の障壁となったとしたらどうなのか、ということ。自分はどんな感情を抱けば良いのか、と。僕はEU離脱に関して多くの嘘を撒き散らした何人かの政治家に対してすごく憤りを感じている。でも、「離脱」に投票した人たちに対しては、友情や協力の意志がある。僕は安定した、幸せな社会で暮らしたいんだ。だからタイトルは、以前は何の問題もなかった社会に、政府や組織が介入することで問題が生じてしまったらどうなるか、ということを意味している。

こうやっていろいろ考えてみたんだけど、イギリスならではのもので特別な何かを見つけることができなかった。それはつまり、自分がどこで生まれたかなんて所詮地図上のある場所にたまたま生まれたってだけのことだからだ。この国の好きな部分もあるし、好きじゃない部分もある。それはスペインや他のどの場所に対しても言えることだったりする。そういう部分も含めて、アルバムはイギリスらしさとは何かを追求しようとした側面もある。

“You're Welcome Here”の“Here”とはイングランドのことだと思いますが、あなたは今作を作るためにブリテイン島を旅したそうですね。それはなぜですか? それは、もういちどあなた自身のアインディティティないしはイングランドという国のアインディティティを確認したいから?

ハーバート:“You're Welcome Here”の“Here”はイギリスのことだけではなく、音楽も意味している。例えば「このアルバムは君を歓迎するよ」「このアルバム、この音楽の世界にようこそ」とかね。
イギリスのアイデンティティに関心があったというのは、その通りだ。だから、自分では行けなかったから人にお願いしてアイルランドの国境を端から端まで歩いてもらった。それから「離脱」に大半の人が投票したグリムズビーという町にも行った。それから同じく「離脱」に投票した地元のケント州にも長く滞在した。各地に実際に足を運ぶことが大事だった。アルバムにはロンドンで録音された音源はとくに使っていない。ロンドンの合唱隊は参加してくれているけど、ロンドンで録った「音」は入っていない。
僕にとってイギリス人であることのアイデンティティはますますわからなくなってきている。子供の頃に聞かされた「イギリス人たるものはこうあるべき」という価値観にしても、大人になってみるとそうではなかったと思うことがほとんどだった。僕は1970年代に幼少期を過ごしたわけだけど、人種差別、男尊女卑がまかり通っていた時代だったし、男性に支配された社会だった。いまでも男性が社会を支配してはいるけど、少しずつ変化していると感じる。「イギリス人であるというのはどういうことか」というのをずっと考えていたんだけど、例えば「僕は田舎が凄く好きだ」「でもスイスやイタリアや日本にだって美しい田舎はある」と思った。じゃあ、「ユーモアのセンスがすごく気に入っている」と思ったけど、他の国にだってユーモアはある。「この国の音楽がすごく好きだ」と思っても、アメリカやアフリカの国だって良質の音楽を排出している。
こうやっていろいろ考えてみたんだけど、イギリスならではのもので特別な何かを見つけることができなかった。それはつまり、自分がどこで生まれたかなんて所詮地図上のある場所にたまたま生まれたってだけのことだからだ。この国の好きな部分もあるし、好きじゃない部分もある。それはスペインや他のどの場所に対しても言えることだったりする。そういう部分も含めて、アルバムはイギリスらしさとは何かを追求しようとした側面もある。

冒頭の鳥のさえずりが聞こえる場面ですが、場所はどこでしょうか? なぜそこからはじめたのですか? 

ハーバート:あれはドイツにある森のなかで録ったんだ。そこには意図があって、今回のEU離脱問題はこの国とドイツとの関係が多分に関係していると思っている。第二次大戦後ずっとこの国はあの戦争と本当の意味できちんと向き合えてないと思う。ドイツの人たちの方が、あの戦争が自分たちの生活にどう影響をもたらしたかを受け入れている。でもこの国ではまだ神話化されている部分が大きい。というのは、勝利国だったために、内省する必要がなかったんだ。戦争に自分たちがどう関わったかということに対してね。だからとくにドイツに対する誤解は多い。それにアンジェラ・メルケルの方が、メイ首相よりもずっと優れたリーダーだ。彼女(メルケル)の考えにすべて賛同するわけではないけど、国家の首席としてはずっと優れている。そんなわけで、「ドイツの木」からアルバムをはじめるという発想が気に入ったんだ。

「木」と言えば、アートワークにも「木」をあしらいました。また、アルバムの冒頭の曲では木が切られているであろう音がチェーンソーの暴力的な響きとともに挿入されています。「木」は明らかにこのアルバムの象徴としなっていますが、それはなんの象徴なのでしょうか?

ハーバート:EU離脱問題を「木」に置き換えて考えたら面白いと思ったんだ。僕からすると我々は存続危機に直面している。つまり、気候変動によって我々が当たり前だと思っているものがこれからどんどん失われていく。我々人間が行いを改めなければ、人類を含む多くの生き物が絶滅するだろう。これこそが本当の危機だ。だから僕は、何人かの政治家の発言に耳を傾けるよりも、「木」に耳を傾けたいと思ってしまう。自然との向き合い方を考え直さないといけないと思っている。だからこの世界を違う視点から見てみるいい機会だと思った。

あの曲の途中で挿入される歌はなんですか?

ハーバート:曲は僕が作曲したもので、歌詞は16世紀の詩人のジョン・ダンの言葉を引用している。

ビッグバンドでやるのは 11年ぶりと久しぶりですが、今回のテーマをいつものようなエレクトロニカ・スタイルではなくビッグバンドでやりたかった理由はどういったところでしょうか?

ハーバート:ビッグ・バンドの大きな魅力は、ある一定の水準で音楽を奏でられる人だったら誰でもバンドに参加できる、ということだ。例えば、イタリアやスペインやドイツに行ってアルバムのレコーディングを行った際、見知らぬ演奏者の前に譜面を配布さればそれで済んだ。すぐにでも演奏をはじめられる。民主主義的な形態だと感じるね。さらにそこに合唱が入るわけで、アルバムに参加しているのはみんなプロの歌い手ではなくアマチュアの合唱隊だ。そうやって民主主義的な生き方を体現しようとしている。ただ政府を批判するだけでなく、その代替案を提示しているんだ。僕からすると、ビッグ・バンドと合唱隊はいい代替案だと思う。コミュニティーを生み、創造性を生み、協調性があって、経済活動でもあり、人種や性別も関係ない。有用なメタファーだったんだ。

参加した人たちの人数が、数百人とも千人とも言われていますが、CD盤面の記されている名前がそれですよね。これはすべて世界のいろいろな場所でのライヴの際に参加した人たちの名前なのでしょうか? そしてそうした人たちの名前を記したのにはどんな意味がありますか?

ハーバート:全員の貢献をきちんと示したかった。というのも、こうして君と話をしているのは僕だけど、実際は大勢の人がこの作品を支えている。コミュニティを表しているんだ。実はバンドの名前にも納得がいってない。僕の名前が前面に出てしまっているからね。でもSpotifyやApple musicといったサービスのなかで、聴き手にとって作品を見つけやすいというのも大事だった。まあ、せっかく参加してくれたのだから名前を記すのは礼儀でもあると思った。ライヴでも土地土地で新しい人たちに参加してもらった。例えばマドリッドに行ったときは、ステージ上に僕のバンド・メンバーはたったの3人だけで、残りの115人はそこで初めて会う人たちだった。ローマでもベルリンでも同じだ。日本で去年ライヴをやったときも、日本人のバンドと合唱隊に参加してもらった。ライヴの度に違うライナップだったんだ。

イギリスに対しては相反する思いを抱いているのはたしかだ。今回気付いたのは、ある国の国民として生きる上で鍵となるのは価値観なんだということ。どんな価値観を持っているか。だから僕にとって大事なのは……。僕がイギリスでもっとも誇りに思えるのはNHS(国民医療サービス)、それとBBCだ。

今作であなたがあらたにトライした音楽的な実験があるとしたら何でしょうか?

ハーバート:実験と言えるかわからないけど、さまざまな場所を録音した。NHSの病院でも録音したし、首相別邸のChequersの周りを自転車で回って録音もした。それからある人にイギリス海峡を泳いでもらったし、別の人に第二次大戦の戦闘機で飛んでもらった。他にもイタリアの第一次大戦の最前線だった古戦場を歩いてもらったし、アイルランドの国境の端から端までも歩いていろいろ録音してもらった。これ以外にもいろいろなフィールド・レコーディングを行ったよ、

動物の声をフィーチャーした“An A-Z Of Endangered Animals”を収録したのはなぜでしょうか?

ハーバート:僕にとってはこういったことこそが本当の問題だ。生態系の多様性の崩壊だ。野生動物や昆虫の数が激減している。非常に深刻だし悲しい問題だ。今回アルバムに音を収録した絶滅危惧種の動物たちは10年後、15年後にはその声を聞くことがもうできなくなっているかもしれないんだ。絶滅に瀕した動物たちによるコーラスだ。

まさかご自身でフィールドレコーディングされたわけじゃないですよね?

ハーバート:さすがにそこまではできなかった。そうするには費用がかかりすぎるからね。

最後シェリーの詩を歌った“Women Of England”で終わっていますが、あなたこの作品でイングランドを批判してもいますが、同時に愛してもいますよね? “Women Of England”を聴いてそう思ったのですが、いかがでしょうか?

ハーバート:イギリスに対しては相反する思いを抱いているのはたしかだ。今回気付いたのは、ある国の国民として生きる上で鍵となるのは価値観なんだということ。どんな価値観を持っているか。だから僕にとって大事なのは……。僕がイギリスでもっとも誇りに思えるのはNHS(国民医療サービス)、それとBBCだ。国民全員が少額を払うことで、多くの恩恵を得られる機関だ。そういうのは喜べる、前向きな積立だ。それ以上に、優しさ、平等、公正さといった価値観を現れでもある。でもそういう価値観がこの国ではいま脅威に晒されている。そこに僕は怒っている。いま右翼の多くの人は我々もアメリカを見習うべきだと思っている。でもいまのアメリカは非常に残酷で分断された国で、社会のお手本とするには最悪の国だ。

あなたが愛するイングランドというのは、ファンキーな“Fish And Chips”のような曲に表れていますよね? 

ハーバート:いや、あの曲はグリムスビーという街で録音したものなんだけど、グリムスビーはかつて漁業が盛んな街だったのに、その漁業が衰退してしまった。僕にとってこの曲はニューオーリンズの葬送曲のイメージで、漁業の死についての歌をパーティ調に奏でることで皮肉を込めているんだ。

4月に来日しますが、楽しみにしています。どんなプレイをするつもりでしょうか? 話せる範囲でお願いします。

ハーバート:そうだな。本当になんとも言えないんだけど、DJセットというのはつねに即興だと思っている。だからとりあえずいろんなジャンルからのいろんな音楽を持っていって、あとはそのときの感覚で作り上げていく。でも、まあ、基本はハウスとテクノで、そこに実験的なものや、新しいノイズなんかも盛り込んでいきたいとは思っている。まあ、基本はその場の即興だよ。

ブレグジットを遠目で見ながら、もしも左翼思想というものが世のなかで弱い人たちを助けるという思想だとしたら、はたしていま弱い人たちは誰なのかということを考えてしまうのですが、あなたの意見を聞かせてください。

ハーバート:そんな複雑な話じゃないと思っている。実際よりも事情は入り組んでいると我々に思わせるのも政治的罠のひとつなんだ。この国が抱えている大きな問題というのは、数年前に大きな経済危機があって、その際に経済を持続させるために政府が国民の税金を金融産業に投入した。保守党政府は、経済的にいちばん底辺にいる人たちに負担をさせたんだ。つまり障害者、生活保護を受けている人、貧しい人、子供、シングルマザー、女性。そういう人たちへの補助を減らすことで、銀行が引き起こした負債のツケを底辺の彼らが払う羽目になった。それこそがこの国の根本にある不正であり、EU問題もそれに対する反動だった。保守党が築いた社会構造に対する人びとの不満の表れだった。だから僕にとって弱い人たちというのは、他の人が起こした問題のツケを払わされている人たちだと思っている。


ハーバート来日情報!
Hostess Club Presents...Matthew Herbert DJ Tour 2019

HOSTESS CLUB ALL-NIGHTERのレジデントDJでもあったダンスミュージック / サンプリング界の鬼才マシュー・ハーバート、各地で豪華ゲストを迎えるDJツアーの開催が決定!

東京
2019年4月22日(月)代官山UNIT
with Yoshinori Hayashi and 食品まつり a.k.a foodman
Open / Start 19:00
Extra Sound System Provided by PIONEER DJ

北海道
2019年4月23日(火)札幌 Precious Hall
with Naohito Uchiyama and OGASHAKA
Open / Start 20:00

福岡
2019年4月24日(水)福岡Kieth Flack
with T.B. [otonoha / under bar]
Open / Start 20:00

京都
2019年4月25日(木)京都 CLUB METRO
with metome (Live Set)
Open / Start 20:00

Ticket:
東京公演 5,800円(税込)
札幌 / 福岡 / 京都公演 5,300円(税込)

https://ynos.tv/hostessclub/schedule/20190422.html

Matmos & Jeff Carey - ele-king

 これは嬉しいお知らせです。去る3月15日、プラスティック製品に焦点を当て環境破壊をテーマに取り上げた意欲的な新作、その名も『Plastic Anniversary』を〈Thrill Jockey〉からリリースしたばかりのマトモスが、この5月に来日公演を開催します。同伴者は電子音楽家のジェフ・キャリーで、東京4会場、京都1会場をまわります。いったいどんなパフォーマンスを見せてくれるのやら……期待大です。

Joni Void - ele-king

 デビュー・アルバムは『セルフレス』というタイトルだった。セルフィーが撮りまくられる時代に「自分がない」と訴えていたのである。セカンド・アルバムは少し難しくなる。「Mise En Abyme(ミザナビーム)」とはフランス語で深遠な状態を作り出すことを意味し、日本語では「紋中紋」と訳される。モチーフの中に同じようなモチーフが入れ子構造になっているというイメージらしく、具体的には電話やカメラ、ゲームやヴィデオといったデバイスに残っている自分の痕跡をなくし、言葉になっていない他人の声をソースとして使うことによって、昔の自分を再構築するということのようである。短絡的に言えば自分という存在は複数の他人との関係のなかに存在していると考えるラカンの思想を音で表現するということになるのだろう。他人に「いいね!」をされなければ存在していると思えない、いわゆる承認欲求が蔓延しているSNS時代にはありがちというか、遅すぎた発想だし、そのような理屈が先にあったと知っていたら初めから聴かなかったかもしれない作品なんだけれど、そうとは知らずに聴いていた僕は、この作品が非常に面白く聞こえ、ミュジーク・コンクレートの傑作とされるリュック・フェラーリの『Presque Rien』をポップにしたような印象まで受けてしまった。そして、これが調べてみたらゴッドスピード・ユー・ブラック・エンペラー!のレーベルからリリースされていたのである。先入観のない音楽体験ほど人を驚かせてくれるものもない。あれよあれよという間に僕はジョニー・ヴォイドの過去音源にも手を伸ばしてしまった。

 ジョニー_リッパーの名義で2010年から5枚のアルバムをリリースしてきたジャン・クザンが2017年から使い始めたミュジーク・コンクレート用の名義がジョニー・ヴォイドのようである。生まれはフランスで、14歳から独学で音楽を学び、2012年からはゴッドスピードユー~やティム・ヘッカーが拠点としていたカナダのケベックへ移住、ジョニー_リッパー名義では主にサウンドクラウドやバンドキャンプで作品を発表してきたものが名義を変えてからは〈コンステレーション〉とタッグを組んだという流れになっている。ケベックに豊穣なDIYシーンがあったことが彼をベッドルームから外へと誘い出し、パフォーマーとしての成長を促した上にオーガナイザーとしての活動にも発展していったという。フランスにいた頃は『アメリ』のヤン・ティルセンやフィリップ・グラスの映画音楽に影響を受け、サンプリング・ミュージックとしてのボーズ・オブ・カナダベリアルに多くを学んだとも。そして、彼にとっての最大のヒーローはなんとBBCレディオフォニック・ワークショップに在籍していたデリア・ダービシャー(後にホワイト・ノイズ)で、細かく切り刻んだサンプリングや偶然性といった方法論はさほど珍しいものではなくなったと思うものの、音楽を演奏せず、徹底的にテープ編集にこだわるのは彼女の方法論に追従したいがためのよう。またミュジーク・コンクレートにポップな要素を持ち込むのも『ドクター・フー』のサウンドトラックを手がけていたダービシャーの影響といえるらしい。

 2017年の『セルフレス』はややとっちらかった印象が強かったものの、その後の失意を背景にしてつくられたという『ミザナビーム』は縦横なイメージの広がりがあるにもかかわらず、全体のまとまりはよく、上に書いたようにボーズ・オブ・カナダやベリアルをミュジーク・コンクレートの文脈で受け継ぐものと考えていいと思う(『IDMディフィニティヴ』に2019年のページがあったら、完全にこれが大枠ですね)。オープニングは混沌としたフィールド・レコーディング(?)。続く“Dysfunctional Helper”から前半はメランコリックなコンポジションが並び、彼がタイム・トラヴェル実験と呼ぶ時間感覚の遡行が柔らかな感触とともに意識の反芻を織りなしてゆく。とくに“Lov-Ender (with YlangYlang)”というシャレたタイトルの曲はストレートにベリアルを思わせるところがあり、しかも、闇の中からベリアルを引っ張り出そうとする衝動も併せ持つ重層性が素晴らしい。似たような曲を畳み掛けているようでいて、周到に回避されている回帰性と微妙にずれてゆく感傷性やリズムは確かにモチーフの入れ子構造をなしており、パズルを解き明かすように耳を傾けたくなってしまうことは確か。話し中の電話音やファックスの送信音などで構成された“No Reply (Interruption)”を挟んで、後半は徐々に躍動感に満ちていく。アシッド・ハウスが床を踏み外したような“Safe House”、コーネリアスの悪ふざけを思わせる“Cinetrauma”、後半のハイライトといえる“Voix Sans Issue”では「音声なし問題」というタイトルとは裏腹にヴォイス・サンプルだけで複雑に絡み合うドローンをつくり上げているように聞こえるのだけれど……。最後の2曲はジョニー_リッパー時代の作風に戻り、それまでとは打って変わってアグレッシヴで重厚な曲調で締めくくられる。実験的な音楽であることをすっかり忘れてしまうほどイメージの展開が豊かで、見事な力作である。マーク・フィッシャーには悪いけれど、時代は前に進んでいる。

 デトロイト・スウィンドルやレイ・ファーなど、数々のアーティストの来日を手がけるイベント〈Eureka!〉の主宰として、ハウス・ミュージック・シーンに確かな実績を残してきたMidori Aoyama。〈Eureka!〉がレーベルとしても好調ななか、Midoriが次に仕掛けたプロジェクトが、インターネットラジオ「TSUBAKI FM」だ。
 昨年の立ち上げ以降、毎週日曜にライヴ配信を行っている「TSUBAKI FM」だが、その特徴は〈Eureka!〉とは一線を画すラインナップにある。ロック・ステディ・クルーのスキーム・リチャーズからCMYKといった国内の若手クルーまで、ジャンルもキャリアも異なる様々なDJがこのネットラジオでプレイしてきた。とりわけ「TSUBAKI FM」が力を入れてピックアップしたのが、Masaki TamuraとSouta Rawだった。

 京都在住のMasaki Tamuraは、国内でも屈指のジャズイベント〈DoitJAZZ!〉を主宰し、ジャズDJの枠を広げるような活動を行なっている。近年では、ジャイルス・ピーターソンによる「Worldwide FM」の京都サテライトとしてスタートした「WWKYOTO」のDJにも抜擢された。Souta Rawは、サダー・バハーの国内ツアーなどでも知られる茶澤音學館に所属し、アンダーグラウンドなディスコを中心に、幅広いジャンルをかけるDJだ。Aoyama TUNNELで毎週火曜のレギュラーを務めている。

 Midori Aoyama、Masaki Tamura、Souta Raw。同世代ながら背景の異なる3人だが、今年2月には「TSUBAKI FM」として、東京、京都、広島、福岡の4箇所でツアーを行なった。各地を回ったあとで、彼らがDJとして見据えるものはなんだろうか。ネットラジオで日本全国を巡るというかつてないツアーを経験した3人に話を聞いた。

5年前にマッツにインタヴューしたときに、「自分がキャリアを続けられるのは、ハウス以外の音楽もやってて飽きないから」って言ってて。それ聞いたときは「何言ってるんだこのおっさん」くらいに思ったけど、だんだんわかってきた(笑)。──ミドリ

まず、「TSUBAKI FM」の設立経緯を教えてください。クラブ・シーンでは、Midoriくんといえば〈Eureka!〉の主宰者、という印象が強いと思います。パーティやレーベルとして〈Eureka!〉の運営も好調のように見えますが、なぜ新たにネットラジオを立ち上げたのでしょうか?

Midori Aoyama(以下、ミドリ):元々、曲を探すときにジャイルス・ピーターソンの番組とか聴いてたし、自分でもいつかラジオをやりたかったんだよ。それにいま、ネットラジオは戦国時代に突入してるよね。ヨーロッパでは「NTS Radio」や「Red Light Radio」、アメリカなら「The Lot Radio」とかがあるから。日本でも最近はいろんなネットラジオが出てきた。でも、自分たち好みな、4つ打ちから生音まで扱うネットラジオってあまりなかったからさ。日本にないんだったら作ろうってことで始めた。

〈Eureka!〉と「TSUBAKI FM」ではどのような違いを感じてますか?

ミドリ:ネットラジオの方がライフスタイルに近いかな。〈Eureka!〉は日常とかけ離れた空間を創造していくんだけど、「TSUBAKI FM」は普段の生活に音楽を持ち込むってところを意識してる。そこは大きな違いだと思う。やっぱり30代になるとクラブから卒業する人が多いんだよね。クラブに行けない人とか東京以外に住んでる人でも僕らのやってる音楽を聴きたい人がいるから、ラジオがあったほうがいいなって。あとはかける音楽が違うかな。〈Eureka!〉はハウスだし、「TSUBAKI FM」はもっと広いジャンルを扱ってる。自分も数年前までハウスしかかけてなかったけど、他のジャンルのDJにもネットラジオに出てもらって、いろんなものを吸収することができた。

ラジオではほぼ毎回、ミドリくんも新譜のジャズやソウルをかけてますよね。

ミドリ:自分でもずっとハウスをやっていきたいと思っていたけど、続けていくうちに変わってきた。その点、〈Eureka!〉にも出演したマッド・マッツの存在が大きいんだよね。5年前にマッツにインタヴューしたときに、「自分がキャリアを続けられるのは、ハウス以外の音楽もやってて飽きないから」って言ってて。それ聞いたときは「何言ってるんだこのおっさん」くらいに思ったけど、だんだんわかってきた(笑)。それに、他の音楽を吸収することによって、ハウスの新しい面白さも見えて来るんだよね。サンプリングのネタがわかるようになるし。

「TSUBAKI FM」ではこれまでにいろんなDJが出演してますが、とくにピックアップしてるのが、MasakiくんとSouta Rawくんですよね。この2人を選んだ理由やきっかけはありますか?

ミドリ:僕が探してないのもよくないんだけど、同世代で面白いDJってあんまり知らなかったんだよね。だから、「TSUBAKI FM」を立ち上げる前に新しいDJを見つけようと思って、ハウス以外の音楽がかかるクラブとかバーに積極的に遊びに行って探しはじめた。それで、ラジオをやって全国に発信するならまずは地方のDJがいいなって思って、沖野修也さんとかJazzy SportのMasaya Fantasistaさんとかに聞いたら、「京都にTamuraくんっていうジャズのDJがいるよ」って話になった。

Masaki Tamura(以下、マサキ):そうそう。それも最初のきっかけはマッド・マッツかな。ミドリくんがマッツのツアーをやるにあたってメールでやりとりした。僕は当日に別のイベントがあって結局出れなかったけど、ミドリくんが京都に来たときに喋って。それがラジオを立ち上げる1年前ぐらい。

Souta Rawくんについては?

ミドリ:カンマ&マサローのツアーをやってたときに、2人と一緒にAoyama TUNNELに遊びに行ったら、Souta Rawが回してた。2人が「このDJすごくいいから聴いた方がいいよ」って言ってて。それで、別の日にNTSレギュラーのナビア・イクバルと一緒にTUNNEL行ったときも、「このDJ本当にいいから、絶対「TSUBAKI FM」のラジオでやった方がいいわ」って言われた。外タレ2組に言われてたんだよ。それ絶対ヤバいでしょ。それで声かけたんだっけ?

Souta Raw(以下、ソウタロウ):そうだね。ミドリくんから話しかけられたんだと思う。

そうすると、3人ともお互いを知らなかったんですね。それは意外でした。

マサキ:だからまだ出会って1年ちょっとくらい。去年の2月に「TSUBAKI FM」のローンチ・パーティをThe Roomでやったときに、ソウタロウくんと初めて話した。

ソウタロウ:そうそう。「こういう人たちがいるんだ。面白いな」って思った。

ソウタロウくんは茶澤音學館に所属していて、ディスコのシーンに近いですよね。あと、昔から7インチでDJしてる印象があります。

ソウタロウ:島くんと出会ったときは、ちょうどケニー・ドープやDJスピナが、ヒップホップやハウス、ディスコとかファンクとかレゲエなんかのジャンルを、7インチ・オンリーで跨ぎながらやっていたんだよね。彼らに影響を受けて、7インチのパーティを毎週やっていたからそういう印象があるのかも。そのときに7インチでジャンルを跨ぐのって珍しかったし、今だと当たり前のように置いてあるハウスやヒップホップの7インチコーナーもあまりなかったから、集めるのに苦労したね。

なるほど。そうやってジャンルを横断するDJをやる前は、ディスコやハウスをかけてたんですか?

ソウタロウ:いまはAoyama TUNNELで毎週やらせてもらっているからディスコ・ハウスのイメージを持ってる人もいると思うけど、最初はレゲエばかりかけてたね。昔、六本木にRoots Nっていう小箱があって、そこでヴィンテージのジャマイカ音楽をかけるパーティをはじめた。そのお店のスタッフに「〈Coffe & Cigarettes〉ってパーティが面白いから」って誘われたら、そこでDJ Kenseiさんがやってたんだ。いろんなジャンルの音楽がかかっているし、そのかけ方と鳴りが最高で、いろんな音をかけたいと思うようになった。その後しばらくして、サダー・バハーのDJを聴く機会があって、そのグルーヴ感とみんなを笑顔にするあまりのハッピー感に感動して、ディスコやジャズ・ファンク、シカゴ・ハウスを集めはじめたんだよ。自分は生音から入ってハウスをかけるようになったけど、ミドリくんはハウスから入って生音をかけはじめた。逆なんだけどそれが面白かったね。

マサキくんは京都で〈DoitJAZZ!〉ってパーティをやっていて、ジャズDJのシーンにいますよね。

マサキ:そう、基本的には生音でやってて。でも、どっちかっていうと最近はハウスに寄っていってる。さっきも話に出たけど、ミドリくんがハウスから他のジャンルに近づいてるとしたら、僕らはもうずっとジャズをやってたのが、ハウス界隈とかディスコ界隈の方に行ってる感じがある。

ちょっと意地悪な質問をすると、変わっていったのは、やっぱりジャズを集めるのが大変というのもありますか?

マサキ:きましたね(笑)。最初ジャズをやろうと思ったときは、スタンダードにレア盤を買ってたけど、途中で絶対無理やって気づくじゃないですか。すごいコレクションの人も身近にいるけど、自分が同じようにはできない。だから、「ジャズDJが必ずしもジャズのレア盤をかけなあかんわけでもない。別の新しいものを提示していくのもジャズじゃないか」って勝手に解釈した。例えば、500円の日本人のフュージョンとか、そういう方向性でいったら結構楽になってきたかな。その延長で、フュージョンのアルバムとかやったらディスコっぽいのもあるし、「これは4つ打ちで混ぜれるやん」って。ジャズをやってるつもりがいつの間にかディスコになっていき、それがまたハウスにもつながる。そういうスタンスでやってます。もちろん勝ち負けじゃないけど、上の世代の人と同じことをやってると勝てない。

お互いの興味が徐々に近づいて行ったときに、3人でやり始めたのがいいですね。

ミドリ:近づいてはいるけど、お互いこれまでにこだわってきた自信のある部分と足りない部分があるんだよね。自分だったらハウスでは負けないし、新しい音楽をいち早く届けるってところに長けてるけど、ジャズとか7インチは2人に教えてもらうことが多い。ラジオだとそういう不得意なところを自分で補うんじゃなくて、誰かにやってもらえるのがいい。2人とはそういう価値観を共有できるし、「TSUBAKI FM」の可能性を広げてくれる存在だと思う。

マサキくんとソウタロウくんは、実際にネットラジオでDJしてみてどう感じましたか?

マサキ:クラブと選曲の仕方とかかけ方が少し変わるかな。あと、普段クラブに来ない人から反応があるのは嬉しい。

ソウタロウ:やっぱり知らない人から反応があるっていうのは一番面白いかな。TUNNELにたまたま来る海外の人でなぜか「TSUBAKI FM」でのDJをチェックしてて、「聴いてるから来たよ」って言われたり。それってびっくりするじゃん。とくに俺は、マイクで紹介してレコードをかけるっていうジャマイカのスタイルが好きだから、ラジオでDJする機会をミドリくんにもらってよかった。

海外の人がチェックしてる点も含めて、手応えは感じてますか?

ミドリ:それはもう超感じてる。世界中からメッセージが来るし、「自分もラジオでやりたい」って言ってくれる。

そうしたなかで、今回ツアーをやった理由はなんですか?

ミドリ:単純にラジオを東京でやってるだけじゃ、広がらないなっていうのがひとつ。やっぱり現場で人と出会って伝えるのが一番大事かなと。もうひとつは、僕らがやってることを日本中の人にちゃんと見てほしかった。「TSUBAKI FM」を紹介するときに、自分が面白いと思ってる2人を全国の人に紹介しなくちゃいけないっていう気持ちがあった。実際、ツアーをやってみると、「2人はすごい」ってみんな言うんだよ。そこはマジでやってよかった。

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最初ジャズをやろうと思ったときは、スタンダードにレア盤を買ってたけど、途中で絶対無理やって気づくじゃないですか。すごいコレクションの人も身近にいるけど、自分が同じようにはできない。だから、「ジャズDJが必ずしもジャズのレア盤をかけなあかんわけでもない。別の新しいものを提示していくのもジャズじゃないか」って勝手に解釈した。──マサキ

ちょっと話を戻すと、ラジオをやって海外の人から連絡来たりといった反応はあるけど、国内的にはそこまで手応えを感じなかったんですか?

ミドリ:どっちかって言うと、広がってるのをもうちょっと肌で感じたかった。昔のラジオだったらラジオステーションがあって、そこに人が集まらないと放送できなかったけど、ネットラジオはネットと電源があればどこに行ってもできるから。全国津々浦々、場所を変えてやるのはすごい価値あるなと思ったし、「TSUBAKI FM」で1年間やってきたことを大きいパッケージにしたいなって思ったのが今回のツアーだね。

ツアーをして、「マサキくんとソウタロウくんがすごい」っていう反応があったという話でしたが、一方で、3人の目から見て地方のDJはどのように映りましたか?

マサキ:地方は地方で独自に発達してるというか。どのジャンルをかけてるっていうわけじゃないんだけど、自分の色をださはる人が多いというか。自分のスタイル、世界観でやってるなみたいな。

ソウタロウ:全然違うんだよね。「いまこれかけるんだ」みたいな、独特ですごい面白いし、向こうも同じように感じてるんじゃないかな。言い方悪いけど、東京の人だと似てくるじゃん。このシーンの人はこの感じって。だからツアーで回ってみて、みんな個性的だなって思ったし、それにすごく影響を受けた。

ミドリ:広島で24、5歳くらいの若いDJがいて、みんなよかった。しかもレコードでかけてるし。

ソウタロウ:まだ1年ぐらいとか言ってた人もいたもんね。俺は1年でこんなにできなかった(笑)。

ミドリ:HitomiちゃんっていうDJ。すごいセンスあったな。広島では7時半くらいまでやってたんだけど、その子は最後まで残ってて(笑)。僕らがツアーしたことで彼女に出会えたし、彼女にとってもいい経験になるといいな。5年後とか10年後、そういうDJが面白いことやってくれるんだったら、それだけでもやってる意味があると思う。

マサキくんは京都だけど、ジャズでDJやってると、京都が地方っていう感じはあまりないですよね。沖野修也さんと沖野好洋さんがよくイベントやってるし。

マサキ:たぶん、京都は東京の情報が結構入ってくるからそこまで変わりはない。でも、福岡とか広島とか、京都より西に行くと全然雰囲気が変わりますね。京都はちょっと中途半端かな(笑)。自分が京都だから分からへんけど。

ミドリ:それが今後効いてくると思うんだよね。だって、マサキくんは京都をベースにしてるわけだから、東京以外からも情報発信できる可能性があるわけじゃん。だから西で何かをやろうとしたときに、僕じゃなくて、彼を中心に西日本で面白いコンテンツをやるのはかなり大きいと思う。今回のツアーで、関西のDJと一緒に全国を回ったのはすごく大きい。

そういう役割は自覚してますか?

マサキ:フットワークが軽いのが自分のいいところ。東京は東京の人だけ、関西は関西の人だけでやっちゃうことが多いから、みんながもうちょっと自由に適当に動けるぐらいの方がいいのかなとは思う。もちろん他の人でもいると思うけど、僕みたいにリリースをしてないDJも、いろんな場所にいけるやんっていうのがあった方がええかなと。

やっぱり知らない人から反応があるっていうのは一番面白いかな。TUNNELにたまたま来る海外の人でなぜか「TSUBAKI FM」でのDJをチェックしてて、「聴いてるから来たよ」って言われたり。それってびっくりするじゃん。──ソウタロウ

では、これからいろんな場所で情報を発信するなかで、「TSUBAKI FM」ないし3人がとくに推したいものはありますか? ジャンルや曲だけでなく、DJでもいいのですが。

ミドリ:僕はまず、「TSUBAKI FM」でもDJしてもらったMayu Amanoを推したいね。彼女みたいな20代前半の若いDJって本当に育ってきてるけど、僕らの世代や上の世代はそれがあんまり見えてないよね。これから若いアーティストやDJがすごい勢いで出てきて、すごいスピードで追い抜いていくから。それは今回広島とか福岡に行ってみて感じた。そういう新しい世代を紹介したいし、一緒にやりたい。

ソウタロウ:ブラジルの〈ゴマ・グリンガ〉っていう、リイシューとブラジルの最新の音楽、どちらもピックアップしてるレーベルかな。ジャズとかファンクとかロックとか、いろんな要素が混ざってるバンドをリリースしてるんだけど、そのなかでもメタ・メタっていうバンドがかなり面白い。トニー・アレンも参加してるし、ノイズみたいな瞬間もあったり、でもブラジルっぽい美しさもあったり。普段かけるのとは違うけど、ラジオでかけれそうだし、尖った音楽を聴きたい人にはそのレーベルは面白いんじゃないかな。

マサキ:最近、日本人の80年代のニューエイジとかアンビエントにはまってますね。例えば、旧譜のアニメのサントラとかも、レアグルーヴ的な聴き方じゃなくて、ニューエイジ的な聞き方で聞いてみたい。シティポップとかも流行ってるけど、僕にはこっちの方が面白いな。安いし。

日本のアンビエントなジャズだと、濱瀬元彦さんの作品とかも最近リイシューされてますしね。

マサキ:ラジオをやってからその辺の聴き方を勉強して、「いけるやん」ってなって買ってる。あと、そういうビートないものとかかけてパーティ感が薄くなっても、逆に面白いかなっていうね。

ジャズといえば、「TSUBAKI FM」では最新のUKジャズも積極的に紹介していますよね。メディアを見るとUKジャズがかなり盛り上がってるように思えますが、ラジオではなくクラブのフロアではどうですか?

マサキ:いいんだけど、DJとしては何かが足りひんよね。

ミドリ:それディーゴも同じこと言ってた。

UKジャズの新譜はたくさん出てるのに、そこまで現場でかかってない気がします。次々と登場する新しいミュージシャンの名前は覚えるけど、曲の印象が薄いというか、DJ的にどれがいい曲かというのがあまり定まってない。フロアでクラシック化した曲って全然ないですよね。

ミドリ:わかる。リスナーに強く訴えるだけのエンジンが足りないのかも。この曲がアツいっていうのを刺しにいくようなパーティやラジオもそんなにないしさ。あと、日本のクラブに関して言えば、日本のアーティストだったりDJがそのシーンに行かないといけないんじゃないかな。やっぱり海外のものを単純に扱ってるだけだと刺さんないよね。例えば、Ryuhei The Manさんのレーベルから出たNAYUTAH「Girl」のMUROさんのエディットとかはすごくかかってるじゃん。ああいうのが今後大事だよね。純国産っていうところはキーワードだなって思う。将来、「TSUBAKI FM」でもレーベルをやりたいって思ってるし、日本人のコンピレーションもやりたい。ジャイルスがやったUKジャズコンピ『We Out Here』の日本人版みたいな。

国産音源だっていうのもわかりますが、メディアとは別の回路で、USジャズなりUKジャズなりの海外の作品を、クラブから独自にクラシック化させないとマズいと思ってます。自分もDJなので、クラシックをどう作るかってところは意識したいです。

ミドリ:逆だと思うんだよね。UKジャズがサウスロンドンから出たことで、今度はディーゴとか、ウエストロンドンのブロークンビーツがクラシックになったじゃん。新しいシーンができることによって、いままでやってたのがクラシック化されるっていうのもあるはずなんだよね。その流れの中で、ウエストロンドンのマーク・ド・クライヴ・ロウがジャズのアルバムを作るとか、さらに新しい動きがあるのも面白い。

そういった動きの紹介も含めて、新譜や旧譜に限らず、新しいクラブクラシックが3人の周りから出てくることを期待しています。では最後に、3人の今後について、展望や目標を教えてください。

ソウタロウ:毎週火曜日にAoyama TUNNELでやっている〈Tunnel Tuesday〉をもっと盛り上げたい。単純にもっと深く深くプレイを出来るようになりたくて、その為に毎週トライ&エラーを繰り返すのみだね。あと、なんとか時間を作って、今年こそはEDITモノなんかを作りたい。

マサキ:僕は地元が京都なので、もっと京都を面白くしたいというのが根底にあって。「TSUBAKI FM」含めていろんなことをやって地元に還元したいし、プラスにしていきたい。できれば、東京の人とかが「京都は東京よりも面白いことやってんな」って思ってもらいたい。最終的には、音楽だけじゃなくて街としてもっと面白くなったら、逆に音楽ももっとよくなるかなって。

ミドリ:やりたいことがめっちゃあるんだよね。全部やったら5年はかかるくらいあるんだけど、もちろん「TSUBAKI FM」は大きくしていきたい。違うな。もっと濃くして価値のあるものにしていきたい。結局さ、大きくしたいってなったら、数字とかSNSのフォロワーとかになっちゃうじゃん。「TSUBAKI FM」はそれだけを指標にしたくない。数字で見えないものにも価値をつけたいから。

数字で見えないものというのは?

ミドリ:具体的には2つあって。まずは日本をどうやって面白くしていくか。もっともっと東京以外にいるDJを探したいし、「TSUBAKI FM」でもプレイしてほしい。あとは若いアーティストだけじゃなく、ベテランでも、まだみんなに知られてないDJは紹介したい。もう1つは、今日本でやってることを海外に発信していくこと。自分も海外でツアーやってみて思ったけど、結局1人で頑張っても無理なんだよね。でも、「TSUBAKI FM」っていう器があることによって、新しいアーティストやDJを海外に紹介できると思った。2人にもガンガン海外でやってもらいたいし、やれるようにみんなで頑張りたい。ちゃんと海外のアーティストを日本に紹介していく作業と、日本のアーティストを海外に紹介していくって作業がうまいことできてくると、日本のシーンとカルチャーがもっと面白くなるんじゃないかな。

■Current Top 5

//Masaki Tamura//
Joe Cleen - Care While It Lasts
St Germain - Real Blues (Terry Laird & The Run Island mix Band Jazz mix)
Emma-Jean Thackray - Ley Lines
Jazzanova - Dance the Dance (Atjazz Remix)
Studio R - A+R feat.Capitol A (Llorca Remix)

//Souta Raw//
Frank Pisani - Please Don't Make It Funky
Special Touch - This Party Is Just For You
Joe Coleman - Get It Off The Ground
Kindred Spirit & Corina Flamma Sherman - Inner Languages
Manfredo Fest - Jungle Kitten

//Midori Aoyama//
14KT Presents IAMABEENIE - The Power Of Same ft Muhsinah
KOKOKO! - Malembe
Harvey Sutherland - Something In The Water ft. Jace XL
Wipe The Needle feat. Alex Lattimore - Enchanted (Original Mix)
Jaxx Madicine - Astral Changes


TSUBAKI FM

ABOUT

Tsubaki FM is a brand new platform for independent music, straight from the heart of Tokyo. We aim to bring new life to the underground music scene in Japan while also helping better connect artists and listeners worldwide. Get fresh tracks from diverse genres, music culture information, live broadcasts, and more.

東京発、インディペンデントミュージックを発信する新しい音楽プラットフォーム 『TSUBAKI FM』世界中から集まるクオリティの高いアーティストやリスナーをキュレーションしながら日本のシーンに対して新しい風を送ります。 様々なカルチャーや多彩な音楽そしてライブブロードキャストを中心に毎週日曜日 18:00~21:00 にしぶや道玄坂のウォーム・アップバー「しぶや花魁」から配信中

Web: https://tsubakifm.com
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James Blake - ele-king

不器用だからこそ生々しい物語山﨑香穂

 ここまで顔を前面に出したジャケットがジェイムス・ブレイクの過去作にあっただろうか。『James Blake』も『Overgrown』も『The Colour in Anything』も本人(もしくは本人らしき人物の絵)がジャケットに登場しているが、顔がはっきりとみえるわけではない。
 ジェイムス・ブレイクにはアンニュイな男性というレッテルがつきまとっていた。ジェイムス・ブレイクといえば、昨年の1月にリリースされた“If the Car Beside You Moves Ahead”(『Assume Form』日本盤のみボーナストラックで収録)に続く、“Don't Miss It”(『Assume Form』収録)をリリースした際、自分自身に「sad boy」というレッテルを貼られていることに抗議する声明文をツイッター上に投稿したことが記憶に新しい。女性は弱さや悲しみなど、そういった自身の精神的な内面の感情を歌っても特別問題視されないのに対し、男性は正直な自身の内面の感情を歌うと「sad boy」的なレッテルを貼られ、感情をオープンにできないのは不健全だといったような内容だった。そして自分自身もいままでそういった感情を押し殺し、オープンにすることができなかったとも述べている。

https://twitter.com/jamesblake/status/1000228403998425088/

 その声明文の内容を踏まえてなのか、今作『Assume Form』ではこれでもかというほどの自身の主に恋人への赤裸々な心情をオープンに語りかけてくる。『Overgrown』にも恋人からの影響が大きいと思われる楽曲はあったものの(『James Blake』と『Overgrown』のあいだには恋愛が関係したなにか大きな変化が彼のなかであったと思うし、インタヴューでも当時付き合っていたウォーペイントのテレサ・ウェイマンとの関係がプラスに働いていたともインタヴューで言っていた)、今回はそれよりもさらにダイレクトな内容になっているように感じる。「ポスト・ダブステップの人」として初期作品からサウンドメイクの面で革新的な存在という印象が強い彼だが、やはりシンガーソングライターとしての歌詞の存在感も彼の魅力のひとつであり、今回のアルバムもその魅力が前面にでていることは間違いない。
 1曲目“Assume Form”で「さてと そろそろ打ち明けようか(Now I'm confiding)」とはじまり、アルバムを通してこれでもかというほどの恋人との関係、自身の内面の感情、がオープンに綴られていくわけだが、決して激甘な恋模様が綴られているわけではなく、恋人への思いに関する自問自答が繰り返され、葛藤や躁鬱が繰り返され、どこか不器用な物語にジェイムス・ブレイクらしさを感じ、ぐっと引き寄せられる。硬質で冷たい音のイメージのなかにもどこか温かみを感じるのはオープンにされた人間の生々しい感情ゆえだろう。

 このようなジェイムス・ブレイクの魅力からか、近年ではビヨンセフランク・オーシャンケンドリック・ラマーなどなどUSメインストリームのアーティストとのコラボも増え、トラヴィス・スコット“Stop Trying To Be God”やアブ・ソウル&アンダーソン・パークとの“Bloody Waters”でもヴォーカリストとしての地位を確立してきているようにみえる。今作にもアウトキャストのアンドレ3000や、エレクトロサウンドとフラメンコを融合し、新しいフラメンコのかたちを提示したスペインのロザリアなど多角的なゲストを迎えている。2曲目“Mile High”と3曲目“Tell Them”には、USのトップ・プロデューサー、メトロ・ブーミンが参加し、“Mile High”ではトラヴィス・スコット、“Tell Them”ではモーゼス・サムニーといった、縁のあるゲストを迎えている。ある意味客演陣の面からもメインストリームにオープンな内容だが、ここには消費されないなにかがある。『Assume Form』はジェイムス・ブレイクの(かつては)閉ざされていた内面を描いた作品であり、なにもかもくれてやればすべてを失うことになる(The world has shut me out. If I give everything, I'll lose everything.)という締め出された世界から、毎日大好きな人と出かけて、鈍い痛みが消えたなら、殻の中で幽霊みたいに引きこもるのをやめたならという祈りである。そして、僕みたいにしくじるなよ(Don't miss it. Like I did.)という警告でもある。(カッコ内は収録曲“Don't Miss It”から)
 ジェイムス・ブレイクが前髪をあげたそのジャケット写真を手に取り、あらためてなるぼどなと納得させられる。

山﨑香穂

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「他者を自分と融合させること」木津毅

 ジェイムス・ブレイクとワンオートリックス・ポイント・ネヴァーという2010年代の方向性を決定づけたふたりのエレクトロニック・ミュージック・プロデューサーが深く交わったのが『Age Of』というアルバムだったが、『Assume Form』は『Age Of』以降を強く意識させる作品だ。それは他者の受容の問題においてである。ことブレイクに関して言えば、ファースト・アルバム『James Blake』の頃から自己の像をどうやって結ぶかということが主たるテーマになっており、いっぽうはベリアルに代表されるゴーストリーな響きのアンダーグラウンドのエレクトロニック・ミュージック、いっぽうはジョニ・ミッチェルに代表されるメランコリックでパーソナルなソウル・ミュージックの両方から照らされる光の重なるところにどうやって自分を置くかという試みだったと思う。その、どこか寄る辺ないひとりの青年と向き合うことがジェイムス・ブレイクの音楽を聴くことであった。2010年代はもしかしたら1960年代を凌ぐほどのアイデンティティ・ポリティクスの時代だ(った)と感じるが、ディケイドを通してブレイクのプロダクションがアンダーグランドからメインストリームにまでスムーズに行き渡ったのは、逆説的に、個々のアイデンティティが強く問われる時代にあってそれが判然としない人びとや越境せざるをえない人びとの無意識を捉えたからではないだろうか。『James Blake』のジャケットで彼の像は悲しいほどにブレていた。そしてブレイクは、アルバムを重ねるほどに内省を深めていくことになる。コラボレーション曲やカヴァー曲が収録されていたとしても、ほとんどがぐっとジェイムス・ブレイク側のサウンドに寄せられたものであって、彼の音楽の向かう先はどこまでも自分自身だった。
 そうしたブレイクの混乱したアイデンティティにおける自己探求が極点に達したのが昨年のシングルで、本作にも収録された“Don't Miss It”だろう。近い時期に発表されたシングル“If the Car Beside You Moves Ahead”がどこか彼のポスト・ダブステップ時代を彷彿させるものだったことから、それに対して“Don't Miss It”は彼のシンガーソングライター的側面を強調した曲だと分析されたが、よく聴けばそんな単純なものではなかったことがわかる。メロウなピアノ・バラッドのピアノの和音や歌声は微細に複雑に加工されており、ピッチはつねに不安定で、音色はアンクリアだ。そして、ほとんど偏執的に繰り返される厭世に満ちた言葉。その壊れてしまったソウル・ミュージックの孤高は、数多くのフォロワーすら置き去りにする響きを有していた。きわめて端正に歪められた音で綴られる外界に対する拒絶感は、彼が世界に自己を開け放つのをついに諦めてしまったかのようにさえ思えた。しかし同じ曲でブレイクは、聴き手(と、おそらく自分自身)に向かってこう告げるのである。Don't miss it、やり損なうな、と――。

 そして『Assume Form』は、その地点からダイナミックに他者を歓迎するものとなった。その飛距離がどうやって達成されたかはわからない。が、少なからず『Age Of』での経験が反映されているのではないかと僕は考えている。ほとんどコントロール・フリークだと自分を分析していたダニエル・ロパティンが、しかし他者の存在や意見を受け入れることで新たなサウンド・イディオムやテーマを手にする様をブレイクは見ていた。ラップ・ミュージック周りで多くの仕事をこなしてきたブレイクが、本作でトラップ・シーンを代表するメトロ・ブーミンやトラヴィス・スコットを迎えていることはさして驚くことではないが、モーゼズ・サムニーをフィーチャーしたメトロ・ブーミンとの共作“Tell Them”において中近東を思わせる旋律が聴こえてくることには鮮烈な印象を受ける。あるいは、ネオ・フラメンコ・ポップのニュー・スターであるロザリアをフィーチャーした“Barefoot in the Park”において、ふたりがフラメンコを経由した情熱的なメロディをユニゾンするだけで胸を打つものがある。ここでは、これまでの「ジェイムス・ブレイク」に由来しない音や旋律が生き生きと息づいている。
 そのロザリアが「フラメンコ界のリアーナ」だと評されているように、サウンドのアイデンティティをやすやすと越境する存在がブレイクに力を与えたのではないだろうか。モーゼズ・サムニーが自身の作品においてチェンバー・ポップとソウル・ミュージックを両立させているように、いま、冒険的な音を鳴らしているのはマージナルな領域に挑んでいるミュージシャンだとブレイクがここで確信しているように感じられるのである。結果として、ゲストを迎えていないトラックにおいてもブレイクは新たなサウンドを模索しており、ほとんどドリーム・ポップのようなユーフォリアが漂う“Can't Believe the Way We Flow”などは、フィーリングも含めてこれまで聴いたことのない「ジェイムス・ブレイク」である。

 これまでの手法を洗練させ、彼らしい陰影を深めた“Don't Miss It”のような曲が収録されているいっぽうで、“I'll Come Too”や“Power On”のようなドリーミーでスウィートなナンバーもあることに対して、散らかった作品だとする向きがあるのも理解できる。だが、それらが両立していることこそがこのアルバムの達成である。プライヴェートな恋愛の幸福が本作に強い影響を与えているそうだが、そんな風に彼個人が経験した「他者を自分と融合させること」がダイレクトに表現に出現するその思いがけない素直さが、ジェイムス・ブレイクの核心なのではないかと思う。「サッドな青年のメランコリックな歌」というレッテルを貼られることにうんざりしたという彼は、アイデンティティの混乱やナイーヴさを抱えたままで、より広い世界に自身を解放した。ここには、その頼りなくも感動的な一歩が刻まれている。ジャケットの彼はもうブレていない。
 クロージング、“Lullaby for My Insomniac”はそのタイトル通り、過去の自分に向けた子守唄だ。それを生み出したのは「きみ」の存在に他ならない――「もしきみが眠れないのなら、僕が起きていよう/僕もいっしょに起きていよう」。そこでは、メランコリーと安らぎがどこまでも親密に共存している。

木津毅

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応答と追悼と拒絶小林拓音

 たしかに「トラップ以降」というのはある。いまのメインストリームにたいしどのような態度をとるかというのは、ポスト・ダブステップの文脈に出自を持つブレイクにとってある種の踏み絵のようなものだろう。だから、メトロ・ブーミンと共作した“Mile High”や“Tell Them”が脚光を浴びるのは仕方のないことではあるのだけれど、しかし序盤に配置されたこれら2曲は本作の核を成すものではまったくない。
 前者においても後者においても、トラヴィス・スコットやモーゼズ・サムニーの声は、たんにブレイクのそれとは異なるものとして呈示されているにすぎない。ブレイクの声がそれらゲストの声とは別個のものとして存在しているという、まさにそのことこそが肝なのだ。トラップのリズムもこれまでのブレイクのイメージを裏切るための道具のひとつであり、つまりそれは他の手段でも構わなかった。じっさい“Tell Them”ではオリエンタルな旋律とヴァイオリンがその役を担っている。弦の存在感は続く“Into The Red”にも持ち越されているが、ここでも中国的ないし日本的な旋律が曲全体の支配権を握っており、さらに中盤以降ではストリングスがそこはかとなくケルティックな風を誘い込んでもいる。
 決定的なのは“Barefoot In The Park”だろう。アルバムに違和をもたらすロザリアのスペイン語とフラメンコ由来と思しきリズムの導入はまず間違いなくブレイクの新機軸だし、そして“Into The Red”と同様、背後では加工された音声が小さな唸りをあげている。
 この唸りはアルバム後半において増幅される。“Can't Believe The Way We Flow”では、ザ・マンハッタンズの肉感的であるはずのR&Bコーラスが極端にエディットされ、亡霊のように楽曲にとり憑いている。このサンプルの活用法は完全にベリアル由来のもので、似たようなことはアンドレ3000が素晴らしいラップを聴かせる“Where's The Catch?”や、モリコーネの並走者たるブルーノ・ニコライの劇伴をサンプリングした“I'll Come Too”でも試みられているが、後者ではあたかも時間を巻き戻したり押し進めたりすることの比喩であるかのごとく、ぐりぐりとメトロノームの針を回すような音が差しはさまれてもいる。
 とりわけ注目すべきは昨年シングルとしてリリースされ大いに話題となった“Don't Miss It”だろう。ここでは幽霊的なサンプルに加え、ブレイク自らの声までもがグリッチーに変成させられており、彼がいま何をもっとも気にしているのかを教えてくれる。

 かつてベリアルのヴォーカル・サンプリングを「オリジナル版の存在しないダブ・ヴァージョン」と表現した批評家のマーク・フィッシャーは、そのような時間の顚覆によって切り拓かれた地平のうえで、じっさいに歌い上げることを選択してしまったブレイクの試みを、事後的にオリジナル版を作成する営みと捉え、鋭い診断を下している。

ブレイクのレコードを時系列に沿って聴きかえしてみると、まるで幽霊がだんだんと物質的な形式を身にまとっていく(assume material form)のを聞いているような気分になる。あるいはデジタルな媒質(digital ether)が(再)融合して生まれた曲を聞いている気分といってみてもいい。
──『わが人生の幽霊たち』(五井健太郎訳、273頁)

 これはブレイクにとってかなり重みのある指摘だったのではないだろうか。彼はその後、この判定を推し進めるかのようにシンガーソングライターとしてのあり方に磨きをかけ、3枚目のアルバムを送り出すことになるわけだけれど、4枚目となる本作においてそのSSW的佇まいはさらに深みを増している。前回の共同作業者がリック・ルービンという大物だったのにたいし、今回の相棒が気心の知れたマウント・キンビーのドミニク・メイカーであることも、ブレイクの内省の深化を考えるうえで見過ごすことのできないポイントだ。
 だが、しかし、にもかかわらずこのアルバムで際立っているのは、前半におけるワールド・ミュージック的なものへのアプローチであり、後半におけるベリアル由来の声の変成なのである。新たな実験と過去の総括との同衾──ここでわれわれは冒頭に配置された1曲、すなわちアルバムのタイトルに採用された“Assume Form”へと立ち戻らねばなるまい。

僕は 形をとろうと思う/仮想の媒体を捨てて
(I will assume form / I'll leave the ether)
“Assume Form”(高間裕子訳)

 間違いない。これはマーク・フィッシャーにたいする応答である。ブレイク周囲のスタッフは関連を否定しているようだが、一度このリリックの秘密に気がついてしまうと、他の曲における二人称もすべて、とはいかぬまでもほとんどがフィッシャーを指示しているように思えてくる。「しくじるなよ、僕のようには」という“Don't Miss It”のメッセージも、最終曲“Lullaby For My Insomniac”のリリックが過去のブレイクを慰める内容になっているのも、これまで不明瞭だったアートワークの被写体が今回は明らかに「形をとっ」ているのも、フィッシャーの批評を受け止めたうえでなお己が道を突き進むという、ブレイクの並々ならぬ決意表明にほかならない。
 シンガーソングライターというあり方は手放さずむしろそれを加速させながら、他方でフィッシャーの批評と死に応えるために同時にとらねばならなかった選択肢、それがいわゆるワールド・ミュージック的なものへの接近であり、ベリアル的なものの再召喚だったのだ。前進と、反省。ようするにこのアルバムはブレイクなりのフィッシャーにたいする追悼であり、そして、これからの彼の旅路にフィッシャーが幽霊となってとり憑くことを拒絶する、お祓いの儀なのである。

小林拓音

消えるにはこうすることだ 真夜中の闇を縫って
This is how you disappear/out between midnight
──“Rawhide”from Climate Of Hunter(1984)

 スコット・ウォーカー(本名ノエル・スコット・エンゲル)、享年76。訃報に触れて初めて、彼が結婚していてお孫さんまでいることを知って驚いた。それくらい彼は必要以外の世俗とは断絶していた。ゆえに最期まで「エニグマ」だったわけだが、そのオーラを尊重し距離感を保つことは彼の音楽を愛する者の間では暗黙の了解だったと思う。少し前にキース・フリントが世を去った際、「彼がどれだけイイ奴だったか」という美談がツイッターから追悼記事、ファンのコメントまで各所で語られていて泣けた。そこには、ザ・プロディジー文脈ではとかく戯画としての「邪悪」「危険」ペルソナ担当だっただけに、実は普通で心優しい人だった、と反駁したくなる人間心理もあるのだろう。そうしたメモリーの集合を「デジタル時代のはなむけ/記念碑」と呼ぶ人もいる。
 だが、スコット・ウォーカーに関してこうした思い出の断片によるデジタルなコンポジットが生まれる可能性は低そうだ。トム・ヨークからブライアン・イーノまで追悼の意は続々と幅広く発されてきた──ジュリアン・コープが80年代にコンピレーションを編纂し、90年代に企画されたコンピではマーク・アーモンドが解説を寄せ(再発時はニール・ハノンが執筆)、パルプがプロデュースを依頼し、『Climate Of Hunter』再発ではボブ・スタンリー(セイント・エティエンヌ)がライナー執筆と、いわゆる「ミュージシャンズ・ミュージシャン」の典型ゆえに当然だ。だが、「○×年のコンサートは素晴らしかった」とか「気さくにサインに応じてくれた」、「よく来るカフェではこんな感じの紳士でした」と言った、プライヴェートな表情を偲ばせるほろりな逸話はあまり出て来ない気がする(でも、自転車愛好家だったのは知っている)。

 何せ彼は、1978年を最後に公の場で歌うのをやめてしまった。自作曲を含むソロは1970年の『’Till The Band Comes In』が最後で、以降はスタンダードや映画のテーマ曲、ポップスのカヴァーを収めた売れ線MORが続き、彼が遂に自作曲を披露できたのはザ・ウォーカー・ブラザーズの(所属レーベル倒産前のどさくさに紛れて出したとされる)再結成後のサード『Nite Flights』(1978)。プロパーなソロ復帰作『Climate〜』まで14年かかったことになるし、そこからスタジオ次作『Tilt』(1995)まで11年、続く『The Drift』(2006)も11年後とサントラ他を除く寡作ぶりはたまにおとずれる皆既日食や彗星か何かのようだった。その意味では、今にして振り返れば「晩年」期だった『Bish Bosch』が2012年、サンO)))とのコラボ『Soused』がその2年後、更に映画向けのスコアを2作制作したのだから、スコット的時間軸で考えれば10年代の動きはかなり速かったことになる。
 このスコット的時間軸は、サントラで彼が初めて全面参加した『ポーラX』(1999)冒頭のクレイジーなモンタージュに流れる“The Time Is Out Of Joint!”──元ネタはシェイクスピア『ハムレット』の台詞「今の世の中は関節が外れている」だろう──のタイトルにいみじくも象徴されている気がする。アイドルがシリアスな大人路線への脱皮に苦戦する……というのはエンタメ界の古典的な物語のひとつだが、彼が70年代に不遇をかこったのは60年代初期〜中期にかけてザ・ウォーカー・ブラザーズのヴォーカルとして爆発的なアイドル人気を博したがゆえだった。名匠ジャック・ニッチェが参加した“Love Her”を手にハリウッドからロンドンに渡った彼らは、フィル・スペクター/ザ・ライチャス・ブラザーズ流の壮麗なウォール・オブ・サウンドを活かしてバカラック=デイヴィッドら達人の曲を次々ヒットさせた。ノーブルなマスクの「欧州のアメリカ人」が醸すエキゾチズム、現代版シナトラとも言えるクルーナーが歌う甘美なバリトンに、英国のロマンティックなティーン女子は熱狂した。ファン・クラブ会員数は一時期ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズのそれを凌いだという。
 イコール、ロック時代本格化以前のポップス〜イージー・リスニング歌手ということであり、ブラザーズ解散後『Scott』(1967)でソロに転向しテレビ番組まで持つに至った彼もその初期はカヴァーが多かった。中でも秀逸なのはジャック・ブレルの猥雑で情熱的なシャンソン群だ。エンニオ・モリコーネ〜ジョン・バリーばりのアレンジをほどこしたドラマ性は受けたし、ダスティ・スプリングフィールドと並び彼は〈フィリップス〉のユーロ・ポップ工場英支部における顔になったと言える。マスプロのポップ工場と書くと顔をしかめる向きもあるかもしれないが、スタジオにフル・オーケストラを仕込め、ジャズ/クラシック系編曲者も使える〈モータウン〉ばりに贅沢な生産体制はもともと欧州びいきだったスコットの想像力をさらに煽った(ちなみに、〈フィリップス〉のスタッフとしてダスティやブラザーズと働いたひとりがアイヴォー・レイモンド。彼の息子サイモン・レイモンドはスコットの過去15年の所属レーベル〈4AD〉の顔=コクトー・ツインズの元メンバーで、現在は〈ベラ・ユニオン〉を運営。2017年にクラシック音楽コンサート集『BBCプロムス』の一環として『Songs Of Scott Walker 1967-1970』の共同芸術監督を務めた)。
 しかし「自作を自演する」ロック的な図式が浸透していったこの時期、67年から69年にかけて発表したソロ4枚を通じ彼は徐々に自作曲を増やしていった。「アイドル」の側面を重視したレーベル/マネジメント側は、娼婦や死といった物騒なモチーフを含むブレル曲以上に、月夜の窓辺に生じる大天使による救済だのキッチンシンク型(ドストエフスキー的でもある)の安下宿の人間模様の観察だの、どう考えてもライト(軽い/明るい)・エンタテインメントとは言えないダークかつ文学的なオリジナル曲には慎重だった(ブラザーズ期は、印税向けに主にシングルB面が自作曲発表の場として彼に許されていた)。そんな押し引きを経て、『Scott 3』で13曲中10曲を自作──ブレルのカヴァー3曲は末尾にまとめられており、1曲ごとに映画スチルめいた写真を配した内ジャケのアートワークも自作曲しか取り上げていないのでこれらカヴァーは商業的な「妥協案」だったのかもしれない──し、「最初の傑作」とされる『Scott 4』で遂に全曲オリジナルを達成する。
 しかし、ボードレールやローデンバッハを思わせる象徴主義/サイコジオグラフィを喚起し、政治を皮肉り30世紀の未来に思いを馳せ、中世スウェーデンを描いたベルイマン『第七の封印』を参照する、そんな時空間とアートのトラヴェラーである彼の「関節が外れた」感性と位相感覚を狂わせる和音・不協和音の拮抗は、前衛アートをポップスにまんまと売り込んだボウイ登場以前のこの時期、イギリスですらぶっ飛んでいたのだろう(1976年に彼が応じたラジオ・インタヴューで、番組に電話をかけてきたファン女性が「あなたの“Plastic Palace People”という曲には気持ちが悪くなるんですが」となじっていたのは、あの曲の言葉と音のイメージ双方が生む悪酔いしそうなサイケな渦を思えば納得だ)。『3』のジャケは今の感覚ですら面妖だし(本人の顔は毒々しく彩られた巨大な目の中に弱々しく浮かぶだけ)、スコット・エンゲル名義で発表したためチャート入りしなかったとも言われ程なくして廃盤になった『4』の2枚連続の失敗から「言わんこっちゃない」とばかりにアーティスティックな決定権を取り上げられた彼は、主にレコード契約消化のために作家ではなく歌手に徹していく。先述した70年代低迷期の始まりであり、80年代まで続いたその状況を「誰もが会ってみたがるが、その監督プロジェクトに誰も出資しようとしない」オーソン・ウェルズに自らなぞらえるほどだった(同じように出資者探しに苦労し続けているレオス・カラックスとのコラボレートは、その意味で実にいい顔合わせだ)。
 が、スコット版ブレルを下敷きに“Amsterdam”と“My Death”を60年代後期〜70年代初期にカヴァーするなど、かねてよりスコットに敬意を表していたボウイ(スコットの誕生日、1943年1月9日のほぼ4年後に生まれた)とイーノとのベルリン三部作に通じる音楽性が評価された『Nite Flights』(スコット曲は4曲だけとはいえプロデュースも兼任しているのでサウンド感覚は味わえる。意趣返しのごとくボウイは93年に“Nite Flights”をカヴァーした)あたりから、メビウスの輪のようにねじれた──先を行き過ぎていた、と評する人間もいるだろう──スコット的時間軸はリアル・タイムとシンクロしはじめる。
 イギリスにおけるパンクの功績のひとつに、ポスト・パンクやエレ・ポップ、ゴスといったその後の音楽的派生およびその新波が地方や郊外を活気づけた側面がある。80年代以降の「スコット再評価」の先陣を切ったコンピレーション『Fire Escape in the Sky: The Godlike Genius of Scott Walker』は英中部出身〜リヴァプール・シーンで活躍していたジュリアン・コープの愛の賜物だった(リリース元〈ズー〉はビル・ドラモンドが共同運営者)し、マーク・アーモンドも、ブリットポップ勢ファンも地方/郊外人。“Big Louise”の歌詞からとられた「Fire escape in the sky(空に伸びた非常階段)」のフレーズは、都会や摩天楼の輝きから遠い退屈な地と灰色の日常に縛られ、マイ・ベッドルームにひとりぼっちの王国を築きつつも窓の外を眺め「いつかここから飛び立ちたい」と願う地方の若人のロマン──映画『Billy Liar』的なそれ──の象徴だ。筆者が初めてスコット曲を聴いたのは〈エル〉のコンピ『London Pavilion Vol.1』収録のメイフェア・チャーム・スクールによる〝Montague Terrace (in Blue)〟のカヴァーだったが、〈エル〉もまた、80年代中期の当時に背を向けて40/50/60年代のイギリスを夢想する、奇妙なレーベルだった。NowとHereをすり抜けるポータルとして、時代はスコットを再発見しはじめた。
 だが、ここから彼のおこなった、再び時代を突き放す孤高のワープ航法はすさまじかった。『Climate〜』で初めて組んだ(そして最後までコラボレーションを続けることになる)プロデューサー:ピーター・ウォルシュとの出会いを経て、1995年にリリースされた『Tilt』から『The Drift』、『Bish Bosch』に至る三部作だ。その第一作にして新たなスコット像を確立した傑作『Tilt』での質感と空間性を重視したストイックなサウンドスケープは、彼が『Scott』を題したソロ4作で追求してきた「耳で聴く映画」の帰結/具現と言える。パイプ・オルガンや硬質なエレキ、寒気をもたらすパーカッション群、中国の横笛バウ他いびつで意外な響きが描き出す荒涼としたポエトリーとインダストリアルなアトーナル・シンフォニー。パゾリーニ、18世紀の英王妃スキャンダルとアドルフ・アイヒマン裁判、マンハッタンにボリヴィアと幅広く──というか、これは彼本人にしか理解できないランダムさだ──(奇)想を得た、アルカイックさとジョイス的なモダニズムを併せ持つ歌詞。ここで据えられた基盤から、スコットは映画『スコット・ウォーカー 30世紀の男』でも話題になった“Clara”録音場面での「豚肉パーカッション」、「歌」というものの概念を引っくり返す“SDSS1416+13B (Zercon, A Flagpole Sitter)”の錯乱した構成、フリー・ジャズからハワイアンへ脱臼する“Epizootics!”のサウンドのシフト等々、『The Drift』、『Bish Bosch』を通じて極北の世界観を突き詰めていった。それまでのイメージの残滓を完全にぬぐい去る漆黒のモノリスを思わせるこの3作で、彼はブラザーズ時代からのファンはもちろんのこと、80年代以降の「60年代キッチュを愛する」系な比較的若いファン層の一部に対してすら「失踪」をやってのけた、と言える。
 ライヴ・パフォーマンスを自主的に放棄し「レコーディング・アーティスト」に徹した面も大きかっただろう。側近スタッフの横領により齢74にして隠遁生活からツアー生活に戻る羽目になったレナード・コーエン、あるいはいまだにステージ上を転がり続けている同い年のミック・ジャガーといった具合に、ライヴをやらずに生き残るのは昨今の音楽家にとってタフだ。スコット本人は常々「仕上げたら、もう二度と自作は聴き返さない」と語っていて、それは「常に前だけ見ているアーティスト」としての(いささか格好良過ぎな)気風の表明とも映った──が、ライヴでの再演向けに習得する必然がないのだから当然でもある。同じようにツアーやライヴ活動に消極的なスタジオ系アーティストであるイーノも、2016年に『ele-king』向け取材で通訳をさせていただいた際「自分の書いた歌ですら、その大半の歌詞は覚えていない」と話していた。そんな彼が生前からスコットの歌詞も高く評価していたのは、同じ取材で「言葉の持つ〝意味合い〟に自分はさほど興味を掻き立てられない」と述べた感性ゆえだろう。たとえば『Soused』収録の“Bull(雄牛)”冒頭の歌詞。
 

 Fire-ant-necklace.
 Bump the beaky
 Watch-garroted.
 Bump the beaky
 火蟻の首飾り。
 鷲鼻をぶっつけろ
 時計付きの鉄環絞首台(スペインで生まれた拷問/死刑道具)。
 鷲鼻をぶっつけろ

 字面だけ読んでも意味はさっぱりわからない。陰惨なギターとパーカッションの激打と合わせて聴いているうち、首に何本もの槍を刺され、血を流しながら、それでも死に突進していく闘牛場の雄牛のイメージが浮かんでくる──が、首に青筋を立てて歌う様が浮かぶ、分割されて「B」の破裂音のインパクトに焦点を置いた「バン・パ/ビー・キー(Bump the Beaky)」としか聞こえない(=もはや意味をなさない)執拗でトチ狂った連呼は、大仰なだけに聴いているとつい笑ってしまう(ためしにこのフレーズを「ビ・ビ/ン・バ!」に替えて大声で歌ってみてください)。
 シュールな混交と言えば『Bish Bosch』もすさまじい。内蔵、卵、歯、静脈、内眼角贅皮、小便、肉、タンパク質、家畜のと殺、漿膜、肛門、性腺、ナメクジ、宦官、骨、精液、脳味噌、饐えた馬乳のビール、睾丸、痰、くしゃみ……等々、古い解剖学/生物学系用語や触覚・嗅覚・味覚に訴えてくる単語の数々および音作りは、2013年にオーストラリアでアンビシンフォニック版3Dインスタレーションになったのもうなずける作品だ。と同時に、緊張感のある「前衛」音楽と格調高そうな歌唱の中に唐突に「おなら?」と耳を疑うサウンドやクリスマスののんきなジングルが響き、「その大きな『ブタ鼻』がわたしの股の間に押し込まれて」とか「左の睾丸のように(右より)垂れ落ちていく夜の中で」といった奇矯なフレーズが耳に入ってくるたび、ブフッ!と吹き出さずにいられない──というか、“30 Century Man”ですら「うまくやり過ごして/残せるものはすべてサランラップに包んでおくがいい」と、妙に俗な台所用品名が目配せと共に使われていたわけで。
 筆者も先ほどから「荒涼」だの「極北」といった安文芸ライター調な言葉を使いまくっているが、そう言いたくなるくらいシリアスで重い音楽の中に、おそらく彼は「声に出して発語したり歌うと気持ちのいい響きを持つ言葉」(詩)と「イメージ喚起力の高い言葉」(文学)をダークなユーモアと共に差し出してもいた。この原稿のために生前のインタヴューをいくつかあさってみたところ、ドライなウィットに富んだ受け答えからも、スコット・ウォーカーはイギリス人以上にイギリス人な不思議なアメリカ人だったのかもしれない、と思う(2018年には自選歌詞集『Sundog』も出版されているので歌詞カードやブックレットをいちいち見るのが面倒だ、という方はぜひ。ただし、曲と一緒に、ヴォーカルと音楽の情景を味わいつつ読むのがベストだと思います)。

 にしても、晩年に向けてスコット色を再び強めた(と自分は思っている)ボウイは一足先に世を去り、スコット沒の約1ヶ月前=2月25日にはイギリスにおけるポスト・ロックの先駆者マーク・ホリス(トーク・トーク)も亡くなった。ポップ・スターから隠遁者になり、孤独な惑星から異界の音を受信し独自に翻案しこちらに通信してくれる人びと(ケイト・ブッシュ、デイヴィッド・シルヴィアンらもここに入るだろうか)──の灯りが少しずつ消えていくのは切ないとはいえ、寿命なので仕方ない。だが、“Brando”で「Ahh…, the wide Missouri!(ああ、広大なミズーリよ!)」と(おそらくイギリスにいながらにして)アメリカ中西部の平野を朗々と称えると共にマーロン・ブランドの倒錯した被虐性を描き出したスコット・ウォーカーという人の無茶苦茶な奔放さ/優雅さとがないまぜの声と想像力、そして様々な犠牲を払ってそのヴィジョンを最後まで守り抜いた姿勢が、これからもひとにぎりのアーティストたちの霊感になっていくのを祈らずにいられない。

Carole & Tuesday - ele-king

 これはビッグ・ニュースだ。去る2月、デヴィッド・ファースによるWebアニメ・シリーズ『Salad Fingers』の新作に音楽を提供していることが話題となったばかりのフライング・ロータスだけれど、なななんと、渡辺信一郎による最新アニメ『キャロル&チューズデイ』にもコンポーザーとして参加していることが明らかとなった。さらに同作には、フライローの盟友たるサンダーキャットまで参加しているというのだから驚きだ。ほかに G.RINA、マイカ・ルブテ、☆Taku Takahashi が参加していることも発表され、音楽好きとして知られる渡辺総監督の気合いがひしひしと伝わってくる。
 また今回の発表にあわせ、ナルバリッチとベニー・シングスが手がけるOP・ED曲(ヴォーカルはナイ・ブリックスとセレイナ・アン)を収録したシングルが5月29日にリリースされることも決定、現在OP曲“Kiss Me”のMVが公開されている。ボンズ20周年×フライングドッグ10周年記念作品として送り出される『キャロル&チューズデイ』、放送開始は1週間後の4月10日(フジテレビ「+Ultra」、NETFLIXほか)。モッキーが劇伴を担当し、総監督みずからが音響監督を務める同作、けっして見逃すことなかれ。

[4月24日追記]
 本日、フライング・ロータスやサンダーキャットらが手がける劇中挿入歌を収録したヴォーカル・アルバム『VOCAL COLLECTON Vol.1』のリリースがアナウンスされた。発売日は7月10日。アニメ好きとして知られるフライロー&サンダーキャットだけれど、まさかの本人アニソン・デビューである。いったいどんな曲に仕上がっているのやら。続報を待とう。

[4/24更新]
TVアニメ『キャロル&チューズデイ』
フライング・ロータス、サンダーキャットらが手掛ける劇中挿入歌(1クール分)を収録したアルバム『VOCAL COLLECTON Vol.1』 7/10発売決定!!

■TVアニメ『キャロル&チューズデイ』VOCAL COLLECTION Vol.1
7月10日(水)発売
VTCL-60499 / POS: 4580325328639 / ¥3,000+tax
※配信
iTunes Store、レコチョク、moraほか主要ダウンロードサイト及びストリーミングサービスにて5月29日(水)より配信スタート

(収録内容)
TVアニメ「キャロル&チューズデイ」を彩るキャラクターが歌唱する約20曲の劇中歌を収録。
※2019年4月から連続2クール(半年間)放送となるTVアニメ『キャロル&チューズデイ』の1クール分(12話分)の劇中歌をまとめたヴォーカルアルバム

・キャロル&チューズデイ (Vo. Nai Br.XX & Celeina Ann) / 「The Loneliest Girl」
 作詞/作曲/編曲: Benny Sings
・キャロル&チューズデイ (Vo. Nai Br.XX & Celeina Ann) / 「Round&Laundry」
 作詞/作曲/編曲: 津野米咲
・DJアーティガン / 「Who am I the Greatest」
 作曲: ☆Taku Takahashi (m-flo)

他、20曲収録予定

総監督:渡辺信一郎、アニメーション制作:ボンズ、キャラクター原案:窪之内英策ら強力なスタッフ陣が挑む
全世界の音楽を愛する人に捧げる、2人の少女が起こした奇跡の物語。

『キャロル&チューズデイ』

☆オープニングテーマ「Kiss Me」ミュージックビデオ公開!!
☆オープニング&エンディングテーマ
「Kiss Me/Hold Me Now」5/29リリース決定!!
☆第3弾参加コンポーザー
(フライング・ロータス、サンダーキャット等)発表!!
☆『キャロル&チューズデイ』劇中ボーカル曲参加コンポーザー
 ラインナップ映像公開!!

きっと忘れない。
あの、永遠のような一瞬を。
あの、ありきたりな奇跡を。

ボンズ20周年×フライングドッグ10周年記念作品として総監督・渡辺信一郎、
キャラクター原案・窪之内英策を迎えアニメ史を塗り替える、全世界に向けた音楽作品
TVアニメ『キャロル&チューズデイ』。
本日、番組オープニングテーマ「Kiss Me」のミュージックビデオが公開となった。
出演は『キャロル&チューズデイ』のシンガーボイスを担当しているNai Br.XX(ナイ・ブリックス)&Celeina Ann(セレイナ・アン)。この2人は全世界オーディションによって選ばれたシンガー。

オープニングテーマ「Kiss Me」は先日、ミュージックステーションにも初出演し、現在男女問わず
絶大な人気を誇るNulbarich(ナルバリッチ)によるプロデュース楽曲。この「Kiss Me」にのせてギブソン(ハミングバード)を弾きながら歌うセレイナ・アンとナイ・ブリックスが向かいあって歌うシーンはまさに『キャロル&チューズデイ』を象徴しているようなミュージックビデオになっている。

「Kiss Me」Music Video(short ver.)
URL: https://youtu.be/k45EpgweT9o

またこのオープニングテーマ「Kiss Me」とオランダを代表するポップの才人・Benny Sings(ベニー・シングス)プロデュースによるエンディングテーマ「Hold Me Now」を収録したシングルCD、配信、アナログ盤が5/29にリリースすることが決定した。

そして、劇中ボーカル曲第3弾参加コンポーザーも同時に発表となった。
LAビートシーンを先導する存在であり、現在の音楽シーンのカギを握る最重要人物であるFlying Lotus(フライング・ロータス)。
超絶技巧のベーシストでもあり、ここ数年のブラックミュージックの盛り上がりにおいて、誰もが認める立役者の一人にでもあるThundercat(サンダーキャット)。
日本の女性シンガーソングビートメーカー/DJで土岐麻子やNegiccoなどへの楽曲提供からtofubeats、鎮座DOPENESSなどとのコラボなど、幅広い領域で活動しているG. RINA(ジーリナ)。
Shu Uemuraやagnès bなどの 数々のファッションブランドやCM音楽を数多くプロデュースしている気鋭のシンガーソングライター/トラックメーカーのMaika Loubté(マイカ ルブテ)。
m-floのトラック・メイカーとしての活動はもちろんのこと、音楽プロデューサーとしても向井太一や加藤ミリヤなどを手がけ、アニメ「Panty&Stocking with Garterbelt」などのサントラも担当しており、渡辺信一郎監督作では「スペース☆ダンディ」にも楽曲提供している☆Taku Takahashi (m-flo)といった超豪華な面々。

合わせて現時点で参加している全てのコンポーザーのラインナップ映像も公開となった。

参加コンポーザーラインナップ映像
URL: https://youtu.be/jJ6QCaqCC5g

このメンツを見るだけでも胸アツラインナップだが、今後もさらに参加コンポーザーが発表されるようなので
今からこちらも楽しみに待ちたい。
いよいよ第1話放送まで1週間に迫った他に類を見ない本作に是非ご期待ください!!

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INFORMATION

OPテーマ「Kiss Me」/ EDテーマ「Hold Me Now」
キャロル&チューズデイ(Vo. Nai Br.XX & Celeina Ann)
5月29日(水)発売

<収録曲>
1. Kiss Me (作詞/作曲/編曲:Nulbarich)
2. Hold Me Now (作詞/作曲/編曲:Benny Sings)
3. Kiss Me TV size ver.
4. Hold Me Now TV size ver.

※シングルCD
VTCL-35302/POS:T4580325 328578
¥1,300+tax

※アナログ盤
VTJL-2 /T4580325 328622
¥2,000+tax

※配信
iTunes Store、レコチョク、moraほか主要ダウンロードサイト及びサブスクリプションサービスにて5月29日(水)より配信スタート

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渡辺信一郎監督の新作「キャロル&チューズデイ」に楽曲を提供するアーティスト第3弾。
フライング・ロータスは正真正銘、現在の音楽シーンのカギを握る最重要人物だ。彼は本名をスティーヴ・エリソンというプロデューサーで、83年にロサンゼルスで、お婆さんのお姉さんがアリス・コルトレーンという家系に生まれた。06年にビート・メイカーとしてデビュー。08年には自らのレーベル=ブレインフィーダーを立ち上げ、ヒップホップやテクノ、ジャズなどを包括するLAのビート・シーンを先導する存在となった。今のところの最新作『ユーアー・デッド!』にはラッパーのケンドリック・ラマーやハービー・ハンコックなども参加している。昨年8月には“ソニックマニア”出演のために来日し、3D映像と融合したDJステージを展開、そこでもゲームや『攻殻機動隊』サントラなどをプレイしたが、「カウボーイ・ビバップ」なども好きだったようで、渡辺信一郎監督の『ブレードランナー ブラックアウト2022』の音楽を監督からの要望で担当してもいる。
 そんなフライング・ロータスと楽曲を共作するのがサンダーキャット。ブレインフィーダー・レーベルに所属するロータスの盟友の一人だ。彼は本名をスティーヴン・ブルーナーといい、84年にLAで生まれた。ベーシストとしてスラッシュ・メタルのスイサイダル・テンデンシーズから、R&Bのエリカ・バドゥ、ラップのケンドリック・ラマーまで、様々なアーティストと共演してきたが、そんな経歴を詰め込んだようなハイブリッドな音楽性で11年にソロ・デビューした。シンガー・ソングライター的な側面を強めた『ドランク』(17年)はそんな彼の決定版で、マイケル・マクドナルドなどを迎えた「ショウ・ユー・ザ・ウェイ」はAOR再評価の波と相まって、大きな話題となった。
 ☆Taku Takahashiは日本のDJ、音楽プロデューサー。98年からm-floのトラック・メイカーとして活動、99年にメジャー・デビューしてからヒット曲を連発した。音楽プロデューサーとしても向井太一や加藤ミリヤ、MINMIなどを手がけ、最近では韓国のセクシー・グループ、EXIDの日本オリジナル曲もプロデュースした。また、アニメ「Panty&Stocking with Garterbelt」などのサントラも担当しており、渡辺信一郎監督作では「スペース☆ダンディ」にも楽曲提供している。
 G.RINA(ジー・リナ、グディングス・リナ)は日本の女性シンガー/ビートメイカー/DJ。03年にすべてセルフ・プロデュースで作り上げたアルバムでデビューした。ディスコ/ソウル/ヒップホップを始め、広くダンス・ミュージックにこだわった音楽性で、07年にはビクターからメジャー・デビューしたが、同時にインディ・レーベルも主宰するなど、独自の活動を続けている。土岐麻子やNegiccoなどへの楽曲提供から、tofubeats、鎮座DOPENESSなどとのコラボなど、幅広い領域で活動している。
 Maika Loubté(マイカ ルブテ)は日本人の母とフランス人の父の間に生まれた女性シンガー・ソングライター/トラックメイカー/DJ。10代まで日本・パリ・香港で過ごし、14歳で作詞/作曲を始めた。小山田圭吾、鈴木慶一、菊地成孔などとの共演を経て、14年にアルバム・デビュー。ヴィンテージなアナログ・シンセから最新電子楽器までを駆使した宅録女子として独自の世界を作り上げている。CM音楽や劇中歌なども数多く手がける気鋭のクリエイターだ。

Text: 高橋修

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Flying Lotus(フライング・ロータス)
LA出身のプロデューサー、フライング・ロータスことスティーヴン・エリソン。大叔父にモダンジャズの名サックスプレイヤーのジョン・コルトレーン、そしてその妻でありジャズミュージシャンのアリス・コルトレーンを大叔母に持つ。LAビートシーンの最重要人物にして、サンダーキャットやテイラー・マクファーリン、ティーブスらを輩出した人気レーベル〈Brainfeeder〉を主宰。2010年の『Cosmogramma』、2012年の『Until The Quiet Comes』、そして世界各国で自己最高のセールスを記録し、その年を代表する名盤として高い評価を受けた2014年の『You're Dead!』などのアルバムを通して、その評価を絶対的なものとする。2017年には、自ら手がけた映画『KUSO』の公開や、渡辺信一郎監督の短編アニメーション『ブレードランナー ブラックアウト 2022』の音楽を手がけるなど、その活躍の場をさらに広げている。

Thundercat(サンダーキャット)
フライング・ロータス諸作を始め、ケンドリック・ラマー、カマシ・ワシントンらの作品に参加する超絶技巧のベーシストとしてシーンに登場し、ここ数年のブラックミュージックの盛り上がりにおいて、誰もが認める立役者の一人にまで成長したサンダーキャット。2011年の『The Golden Age Of Apocalypse』、2013年の『Apocalypse』でその実力の高さを証明し、2017年の音楽シーンを象徴する傑作として高く評価された最新作『Drunk』ではケンドリック・ラマー、ファレル・ウィリアムス、フライング・ロータス、マイケル・マクドナルド、ケニー・ロギンス、ウィズ・カリファ、カマシ・ワシントンら超豪華アーティストが勢揃いしたことでも話題となり、その人気を決定づけた。

G.RINA (ジーリナ)
シンガーソングビートメイカー・DJ
近作アルバム『Lotta Love』『LIVE & LEARN』では80年代 90年代へのオマージュとともに、日本語歌詞のメロウファンク、ディスコ、モダンソウルを追求している。英国、韓国アーティスト、ヒップホップからアイドルまで幅広くプロデュース、詞/楽曲提供、客演など。2018年、ZEN-LA-ROCK、鎮座ドープネスとともにヒップホップユニット「FNCY」を結成。
https://grina.info

Maika Loubté (マイカ ルブテ)
Singer song writer / Track maker
SSW/トラックメーカー/DJ。近所のリサイクルショップでヴィ ンテージアナログシンセサイザーを購入したことをきっかけに、ドリームポップとエレク トロニックミュージックを融合させたスタイルで音楽制作を始める。 日本とフランスのミックスであり、幼少期から十代を日本・パリ・香港で過ごす。
2016年夏、アルバム『Le Zip』(DIGITAL/CD+42P PHOTO BOOK)をリリース。
のち2017年3月にリリースしたEP『SKYDIVER』がJ-WAVE「TOKIO HOT 100」に選出され、
番組にも出演。2017年5月、Underworldがヘッドライナーを務めた バンコクの音楽フェス
「SUPER SUMMER SOUND 2017」に出演。 SUMMER SONIC 2017出演。同年7月、Gap“1969 Records”とのコラボレーションによりMVが制作された「Candy Haus」を、配信と7インチLPでリリース。
インディペンデントな活動を続けながら、Shu Uemuraやagnès bなどの 数々のファッションブランドやCM音楽をプロデュースし、これまでに自主盤を含め2つのアルバムと3つのシングルEPを発表。
2017年、米Highsnobietyが企画・制作したMercedes BenzのWeb CMに出演し、
未発表曲がフィーチャーされた。台湾・中国・韓国・タイ・フランスでのライブパフォーマンスも成功させ、活動の幅を広げている。2019年、新作フルアルバムをリリース予定。元Cibo MattoのMiho Hatoriらを客演に迎え、PhoenixやDaftpunkなども手がけるAlex Gopherがマスタリングを務めた。
Official web www.maikaloubte.com
Twitter https://twitter.com/maika_loubte
Instagram https://www.instagram.com/maika_loubte/

☆Taku Takahashi (m-flo)
DJ、プロデューサー。98年にVERBAL、LISAとm-floを結成。
ソロとしてもCalvin Harris、The Ting Tings、NEWS、V6、Crystal Kay、加藤ミリヤ、MINMIなど国内外アーティストのプロデュースやRemix制作も行うほか、アニメ「Panty&Stocking with Garterbelt」、ドラマ・映画「信長協奏曲」、ゲーム「ロード オブ ヴァーミリオン III」など様々な分野でサウンドトラックも監修。2010年にリリースした「Incoming... TAKU Remix」は世界最大のダンスミュージック配信サイト“beatport”で、D&Bチャートにて年間1位を獲得。また同曲で、過去受賞者にはアンダーワールドやファットボーイ・スリム、ジャスティス等、今や誰もが知っているスーパースター達が名を連ねる『beatport MUSIC AWARDS 2011 TOP TRACKS』を獲得し、日本人として初めての快挙を成し遂げ、名実ともに世界に通用する事を証明した。
国内外でのDJ活動でクラブシーンでも絶大なる支持を集め、LOUDの“DJ50/50”ランキング国内の部で3年連続1位を獲得し、日本を牽引する存在としてTOP DJの仲間入りを果たした。2011年に自身が立ち上げた日本初のダンスミュージック専門インターネットラジオ「block.fm」は新たな音楽ムーブメントの起点となっている。2018年3月7日には、15年ぶりにLISAが復帰しリユニオンしたm-floのNEW EP「the tripod e.p.2」をリリース。m-floの最新シングル「MARS DRIVE」「Piece of me」「epic」も好評配信中。
https://twitter.com/takudj
https://block.fm/

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《キャロル&チューズデイとは?》

ボンズ20周年×フライングドッグ10周年記念作品。
総監督に『サムライチャンプルー』・『カウボーイビバップ』・『アニマトリクス』・『ブレードランナー ブラックアウト2022』ほかを手掛け国内外においてカリスマ的な人気を誇る、渡辺信一郎。
キャラクター原案に、日清食品カップヌードルCM「HUNGRY DAYS 魔女の宅急便篇」、「HUNGRY DAYSアルプスの少女ハイジ篇」などのキャラクターデザインで人気を博している窪之内英策。
この強力タッグのもと、アニメーション制作は『COWBOY BEBOP 天国の扉』・『鋼の錬金術師』・『交響詩篇エウレカセブン』・『僕のヒーローアカデミア』など数多くのヒット作品を世に送り続けるボンズ、物語の主軸となる音楽は『カウボーイビバップ』・『マクロス』シリーズなど数々のヒットアニメーション音楽を作り出すフライングドッグが担当する。
劇中音楽はカナダ出身のアーティストMockyが手掛け、主題歌は全世界オーディションによって選出されたNai Br.XX(ナイ・ブリックス)、Celeina Ann(セレイナ・アン)がキャロル・チューズデイのWキャストとして曲を歌唱する。音楽にも強い拘りがある本作は海外アーティストからの楽曲提供が多く、さらに劇中歌及び主題歌は全て外国語で歌唱される。
オープニングテーマ「Kiss Me」は現在、男女問わず絶大な人気を誇るNulbarich(ナルバリッチ)。エンディングテーマ「Hold Me Now」はオランダを代表するポップの才人・Benny Sings(ベニー・シングス)が担当。また、劇中ボーカル曲参加コンポーザーとして、ノルウェー出身の音楽プロデューサー・ミュージシャンのLido、オランダを代表するポップの才人・Benny Sings、エレクトロポップデュオ《The Postal Service》への参加でも知られるUSインディー界の歌姫・JEN WOOD、女性4人によるロックバンド・《赤い公園》でギターを担当する津野米咲、ビヨンセやリアーナ、ジェニファーロペスなど超大物アーティストに楽曲を提供しているEvan "Kidd" Bogart、現在活動停止中ではあるがロック・ファンにはなじみの深いKeane(キーン)のTim Rice-Oxley、コーネリアスやファイストなどとのコラボも話題となったノルウェー出身のグループ、Kings of Convenience(キングス・オブ・コンビニエンス)のEirik Glambek Bøe等といったこちらも早々たる面子が音楽で本編を彩る。
2019年4月10日からのオンエアに向けて本編、音楽ともに絶賛鋭意制作中!
他に類をみない本作品に乞うご期待!!!

☆新プロモーション映像
 URL: https://youtu.be/CBak9m0bcB0
☆ドキュメンタリー映像
・Story of Miracle (vol.1)
 URL: https://youtu.be/hzxqk2dVvf4
・Story of Miracle (vol.2)
 URL: https://youtu.be/K8X10gdWz-A

《あらすじ》
人類が新たなフロンティア、火星に移り住んでから50年になろうという時代。
多くのカルチャーはAI によって作られ、人はそれを享楽する側となった時代。
ひとりの女の子がいた。
首都、アルバシティでタフに生き抜く彼女は、働きながらミュージシャンを目指してい
た。いつも、何かが足りないと感じていた。
彼女の名はキャロル。
ひとりの女の子がいた。
地方都市、ハーシェルシティの裕福な家に生まれ、ミュージシャンになりたいと思ってい
たが、誰にも理解されずにいた。世界でいちばん孤独だと思っていた。
彼女の名はチューズデイ。
ふたりは、偶然出会った。
歌わずにいられなかった。
音を出さずにいられなかった。
ふたりなら、それができる気がした。
ふたりは、こんな時代にほんのささやかな波風を立てるだろう。
そしてそれは、いつしか大きな波へと変わっていく───

■メインスタッフ
原作:BONES・渡辺信一郎
総監督:渡辺信一郎
監督:堀 元宣
キャラクター原案:窪之内英策
キャラクターデザイン:斎藤恒徳
メインアニメーター:伊藤嘉之、紺野直幸
世界観デザイン:ロマン・トマ、ブリュネ・スタニスラス
美術監督:河野羚
色彩設計:垣田由紀子
撮影監督:池上真崇
3DCGディレクター:三宅拓馬
編集:坂本久美子
音楽:Mocky
音響効果:倉橋静男
MIXエンジニア:薮原正史
音楽制作:フライングドッグ
アニメーション制作:ボンズ
公式HP: https://caroleandtuesday.com/
Twtter: @carole_tuesday
Instgram: @caroleandtuesday
Facebook: https://www.facebook.com/caroleandtuesdayofficial/

©ボンズ・渡辺信一郎/キャロル&チューズデイ製作委員会

《主題歌情報》
オープニングテーマ「Kiss Me」
作詞・作曲・編曲:Nulbarich
歌:キャロル&チューズデイ(Vo. Nai Br.XX & Celeina Ann)

エンディングテーマ「Hold Me Now」
作詞・作曲・編曲:Benny Sings
歌:キャロル&チューズデイ(Vo. Nai Br.XX & Celeina Ann)

■メインキャスト
キャロル:島袋美由利
チューズデイ:市ノ瀬加那
ガス:大塚明夫
ロディ:入野自由
アンジェラ:上坂すみれ
タオ:神谷浩史
アーティガン:宮野真守
ダリア:堀内賢雄
ヴァレリー:宮寺智子
スペンサー:櫻井孝宏
クリスタル:坂本真綾
スキップ:安元洋貴

■シンガーボイス
Nai Br.XX(キャロル)
Celeina Ann(チューズデイ)
Alisa(アンジェラ)

■本作参加コンポーザー
Mocky / Nulbarich / Benny Sings / Lido / JEN WOOD / 津野米咲(赤い公園) / Evan "Kidd" Bogart / Tim Rice-Oxley (Keane) / Eirik Glambek Bøe (Kings of Convenience) / Flying Lotus / Thundercat / G.RINA / Maika Loubté / ☆Taku Takahashi (m-flo)
・・・and more

《タイアップ》
ノード、ギブソンとのタイアップ決定!!
世界のトッププレイヤーたちが愛用するシンセサイザー/キーボードの“Nord”ブランドと世界的老舗ギターメーカー“ギブソン” (Hummingbird)とのコラボレーションが決定!
キャロルのキーボード、チューズデイのギターにはそれぞれNord、ギブソンのロゴが入り、
リアルな音楽作品としてよりいっそう本タイトルを盛り上げます。

協力:株式会社ヤマハミュージックジャパン(日本国内におけるNordブランド製品の輸入・販売元)

《放送情報》
2019年4月10日よりフジテレビ「+Ultra」にて毎週水曜日24:55から放送開始(初回は25:05~)
NETFLIXにて4月10日配信開始。2話~毎週木曜日配信(日本先行)
ほか各局にて放送 (関西テレビ/東海テレビ/テレビ西日本/北海道文化放送/BSフジ)

・テレビ西日本 4月10日(水)25:55~26:25
・東海テレビ 4月13日(土)25:55~26:25
・北海道文化放送 4月14日(日)25:15~25:45
・関西テレビ 4月16日(火)25:55~26:25 
・BSフジ 4月17日(水)24:00~24:30 

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