「You me」と一致するもの

Aphex Twin - ele-king

 先日ロンドンで話題となったエイフェックス・ツインのポップアップ・ショップが、東京は原宿にも出現します。12月1日(土)と12月2日(日)の2日間のみの限定オープンです。強烈なテディベアを筆頭に、さまざまなグッズが販売される模様。ロンドンでは即完売となった商品も多かったそうですので、このチャンスを逃すわけにはいきませんね。詳細は下記をば。

ロンドンに続き、エイフェックス・ツインのポップアップストアが東京・原宿にて2日間限定オープン!

11月22日(木)、エイフェックス・ツイン自身の公式SNSから動画がポストされ、ロンドンと東京での新たなオフィシャル・グッズの発売が発表された。その2日後にスタートしたロンドンのストア/通販では即完商品が続出。それに続き、今週12月1日(土)と12月2日(日)の2日間限定で、東京・原宿にエイフェックス・ツイン・ポップアップストアがオープンする。

今年、傑作の呼び声高い最新作「Collapse EP」をリリースし、シルバー・スリーヴ付の豪華パッケージ盤や、“T69 collapse”のMVも大きな話題となったエイフェックス・ツイン。彼の代表曲のMVから飛び出てきたようなグッズの数々やクラシックロゴTなど、レア化必至のグッズが勢揃い!

APHEX TWIN POP-UP STORE

開催日程:12/1 (土) - 12/2 (日)
12/1 (土) 12:00-20:00
12/2 (日) 12:00-18:00

場所:JOINT HARAJUKU (東京都渋谷区神宮前4-29-9 2F)
詳細・お問い合わせ:www.beatink.com

APHEX TWIN RETAIL ITEMS


『Donkey Rhubarb』テディベア
全高25cmのクマのぬいぐるみ
色:タンジェリン/ライム/レモン
オリジナルボックス入り
販売価格:¥5,000(一体)


『Windowlicker』傘
外側にエイフェックス・ツイン・ロゴ、内側に顔がプリントされたジャンプ傘。取手にはロゴが刻印され、木の柄を採用。
販売価格:¥8,000


『Come To Daddy』Tシャツ/ロンパース
サイズ展開:S、M、L、XL、キッズサイズ、ロンパース
販売価格:¥4,000


『CIRKLON3 [ Колхозная mix ]』パーカー
サイズ展開:M、L、XL
販売価格:¥6,000


『On』ビーチタオル
エイフェックス・ツインのロゴが織り込まれたビーチタオル
サイズ:70 × 140cm
販売価格:¥6,000


『Ventolin』アンチポリューションマスク
エイフェックス・ツインのロゴがプリントされたマスク。ロゴの入った黒いケース入り。 Cambridge Mask Co.製。ガス、臭気、M2.5、PM0.3、ホコリ、煙、病原体、ウイルス、バクテリアを防ぐ。
販売価格:¥9,000


『T69 Collapse』アートプリント
世界限定500枚。ポスターケース入り(額縁はつきません)。
サイズ:A2
販売価格:¥4,000


また今回のオフィシャル・グッズ発売に合わせて、公式には長らく配信されていなかった“Windowlicker” “Come To Daddy” “Donkey Rhubarb” “Ventolin” “On”のミュージック・ビデオがエイフェックス・ツインのYouTubeチャンネルにて公開されている。

Windwlicker (Director's Cut)
Directed by Chris Cunningham
https://youtu.be/5ZT3gTu4Sjw

Come To Daddy (Director's Cut)
Directed by Chris Cunningham
https://youtu.be/TZ827lkktYs

Donkey Rhubarb
Directed by David Slade
https://youtu.be/G0qV2t7JCAQ

Ventolin
Directed by Steven Doughton with Gavin Wilson
https://youtu.be/KFeUBOJgaLU

On
Directed by Jarvis Cocker
https://youtu.be/38RMZ9H7Cg8



初回限定盤CD


通常盤CD

label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: Aphex Twin
title: Collapse EP
release date: 2018.09.14 FRI ON SALE


期間限定「崩壊(Collapse)」ジャケットタイトル


label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: Aphex Twin
title: Selected Ambient Works Volume II
BRC-554 ¥2,400+税
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=2978


abel: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: Aphex Twin
title: ...I Care Because You Do
BRC-555 ¥2,000+税
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=7693


label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: Aphex Twin
title: Richard D. James Album
BRC-556 ¥2,000+税
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=8245


label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: Aphex Twin
title: Drukqs
BRC-557 ¥2,400+税
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=9088


label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: Aphex Twin
title: Syro
BRC-444 ¥2,300+税
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=2989


label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: Aphex Twin
title: Computer Controlled Acoustic Instruments Pt2 EP
BRE-50 ¥1,600+税
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=2992


label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: AFX
title: Orphaned Deejay Selek 2006-08
BRE-51 ¥2,400+税
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=2944


label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: Aphex Twin
title: Cheetah EP
BRE-52 ¥1,800+税
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=2994

Paul Frick - ele-king

 ミヒャエル・エンデが時間泥棒をテーマに『モモ』という童話を書いたのが1973年。オイルショックを経た戦後ドイツの労働争議が最初のピークを迎えるのが1984年。このように並べてみると、その間に挟まれているクワフトワークの”The Robot”が(前作に収録されたマネキン人形から歩を進めた発想だったとしても)どこか単純作業や長時間労働に対するカリカチュアとして「聞かれた」可能性も低くないと思えてくる(経済成長が激化したインドでも労働者をロボットに見立てたS・シャンカー監督『ロボット』で同じく”The Robot”が使われていた→https://www.youtube.com/watch?v=NEfMZbbpsAY)。実際の単純労働はトルコ移民が担い、『Man-Machine』には自分たちがドイツ人であることから逃げ、戦後長らく「ヨーロッパ人」と名乗りたがっていた風潮に対してドイツ人としてのアイデンティティを再確認するために(デザインはロシア構成主義だけど)戦前のドイツに見られた「SF的発想」に回帰するという意図があった(”Neon Lights”はフリッツ・ラング監督『メトロポリス』がモチーフ)。さらに言えばDAFは明らかにナチスの労働組合であるドイッチェ・アルバイツフロントの頭文字を「独米友好」とモジることで二重にパロディ化し、パレ・シャンブルグも西ドイツの首相官邸を名残ることで「ヨーロッパ人」と名乗ることの欺瞞に違和感を示した面もあったのだろう(ここから小沢一郎によってパクられる「普通の国」という再軍備のキーワードまではあと少しだったというか)。

 いずれにしろ、3年前にドイツの小学生たちが演奏する”The Robot”がユーチューブでけっこうな話題になったように、ドイツでは一般レベルでも”The Robot”が定番化していることはたしかで、現在のドイツでこの感覚をもっとも受け継いでいたのがブラント・ブラウア・フリックということになるだろう。最初はクラフトワークをジャズっぽく演奏していた3人組で、3人ともクラシックの素養が高く、彼らはこれまではアコースティック・テクノ・トリオと称されることが多かった。水曜日のカンパネラにも中期のクラフトワークを思わせる”クラーケン“を提供していたBBFは、しかし、このところコーチェラにも出演するなどすっかりポップ・ソングの旗手と化してしまい、”Iron Man”でデビューした当時の面影は薄れかけていたものが、メンバーのひとり、ポール・フリックが〈アポロ〉からリリースしたセカンド・ソロ・アルバム『2番目の植物園(?)』はグリッチとジャズをまたいで合間からクラフトワークも垣間見える地味な意欲作となった(自分ではこれがファースト・ソロ・アルバムだと言っている)。作品の中心にあったのは「日常性」、あるいはその「詩情」というありふれたもので、特に興味を引くものではない(録音の時期から考えてもメルケルの引退声明によってカタリーナ・シュルツェがドイツの政界に君臨するかもしれないといった動きが本格化する前の「日常」だろうし)。

 カチャカチャと小さなものが壊れるように細かく叩き込まれるパーカッションやベルなど微細なビートが楽しい曲が多く、音の素材はフィールド録音や切り刻まれたブレイクビーツなどかなり多岐にわたるらしい。それらはつまり、2000年前後にドイツで特に隆盛を誇ったエレクトロニカの方法論を意識的に踏襲したものといえ、妙な近過去ノスタルジーに彩られているとも言える。移民問題がドイツに重くのしかかる直前のドイツであり(注)、もしかするとその時期が無意識の参照点になっているのかもしれない。ポール・フリックは録音中、資本主義にも社会主義にも馴染めない人々を描写した小説家ウーベ・ヨーンゾンがナチズムの台頭から2次大戦までを描いた『Anniversaries』にも多大な影響を受けたそうで(未訳)、”Karamasow(カラマーゾフ)“と題された曲では、そうしたある種の歴史絵巻のような感覚が無常観に満ちた曲として表されてもいる(プチ『ロング・シーズン』ぽい)。そうした寄る辺なさはBBFの近作とは異なって、本当にどの曲も頼りなく、宙に漂うがごとく、である。そうした感覚はジャーマン・トランスのマーミオンも曲の題材にしていた“Schöneberg”(ベルリンの地名)でようやく安堵感へとたどり着き、焼き物を題材にしたらしきエンディングの“Gotzkowsky Ecke Turm”で幕を閉じてくれる。この弱々しさが、小学生たちの演奏する”The Robot”とともに、むしろ、外交でことごとく失敗を重ね、EUでさえ維持が難しくなってきたドイツのいまを表しているのではないだろうか。
 ああ、マッチョだったドイツが懐かしい。

注:ドイツがヨーロッパ中に移民を受け入れるよう先導してきたのはナチス時代に亡命を図ったドイツ人を受け入れてくれた周辺国に対する恩返しの意味もある。

Richard Devine - ele-king

 本作はIDM/電子音響作家リチャード・ディヴァイン、6年ぶりの新作である。IDMマニアからは伝説化しつつあるディヴァインだが、彼のツイッター・アカウントなどをフォローしていれば、日々配信されるモジュラーシンセを用いたサウンドの断片は耳(目)にすることはできる。また、YouTubeのアカウントでも、そのモジュラー音源の映像を観ることは可能である。

https://www.youtube.com/watch?v=o791hgNvGIg
https://www.youtube.com/watch?v=sQOVpUVDPys

 だがそれはいわば日々のサウンド実験の中間報告のようなもので、こうしてアルバムとしてまとまったサウンドを聴くことはやはり重要である。今のディヴァインのサウンドの方向や嗜好性などのモードが手に取るように分かってくるし、同時に彼がいかに才能に溢れた電子音楽家であるかということも再認識できる。それに何よりも彼自身が作品として追い込んでいった電子音響の結晶と構造体を一気に十数曲も聴取できるのだ。これは素晴らしい体験である。

 本作でもリチャード・ディヴァインは電子音による生成、持続、律動、音響、リズムを、とことんまで追及しているように感じられた。モジュラーを駆使したグリッチ・ミュージックの進化形とでもいうべき音に仕上がっているのだ。00年代のコンピューター・エディット/コンポジションの時代を経て、10年代後半的なモジュラーシンセ特有のフィジカルな音響生成に至った、とでもいうべきか。このアルバムは、確かにあの時代、つまり00年代のグリッチ音響作品としてのIDMを継承した電子音響である。電子音楽マニアにとって新たな聖典といえよう。

 リチャード・ディヴァインの経歴を簡単に振り返っておこう。ディヴァインは1977年生まれ、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ出身のグリッチ以降の電子音楽を代表するエレクトロニック・ミュージック・アーティストである。彼は1995年〈Tape〉からファースト・アルバム『Sculpt』をリリースし、以降、いくつかのEPを継続的にリリースした。
 しかしリチャード・ディヴァインが、われわれの知る「リチャード・ディヴァイン」へと変貌を遂げたのは、2001年に〈Schematic〉からリリースされたセカンド・アルバム『Aleamapper』と2002年に同レーベルからリリースされたサード・アルバム『Asect:Dsect』からではないか。特に『Asect:Dsect』は、エイフェックス・ツインやオウテカなどの90年代IDMの最良の部分を継承しつつ、00年代初頭のグリッチ・ミュージックの方法論を洗練・交錯させた名盤で、今でもコアなエレクトロニック・ミュージック・ファンに愛されている重要なアルバムである。
 2005年に〈Sublight Records〉から『Cautella』をリリースした後、アルバムのリリースは途絶えた。ジミー・エドガーとの「Divine Edgar EP」をはじめ、いくつかのEPを発表したが、次のアルバムのリリースまでなんと7年の月日を必要とした。そして2012年、〈Detroit Underground〉から新作『Risp』を発表する。7年の月日をかけただけのことはあり「10年代仕様の複雑かつ見事な電子音響/IDM作品」となっており、マニアは大いに歓喜した。
 本作『Sort\Lave』は、前作『Risp』から6年ぶりのアルバムである。10年代のリチャード・ディヴァインは寡作だが、それはむろん諸々の「状況」の問題もあるだろうし、電子音楽/音響の方法論と形式がある程度、固まってきた時代ゆえ熟考を要する時代になったからともいえなくもない。じじつ、長い時間をかけて制作された『Sort\Lave』は電子音楽の可能性に満ちている。それは何か。一言でいえば「電子音楽におけるサウンド/オブジェの結晶化」ではないかと私は考える。

 リチャード・ディヴァインは直接的にはオウテカからの影響の大きいアーティストだ。緻密な音響と伸縮するようなリズム=ビートを追及しているからである。そしてそれはテクノ/電子音響による音響彫刻の実現化でもあった。彼にとってリズムはダンスを目的するものだけではない。サウンドの時間軸を操作するための要素なのだ。
 その意味でオウテカの8時間に及ぶ集大成的なボックス・セットがリリースされた本年に『Sort\Lave』がリリースされたことは象徴的な出来事といえよう。IDM以降のサウンド・オブジェクトの最新型がここに揃ったのだから。

 本作は独自仕様のユーロラック・モジュラー・システムとふたつの Nord G2 Modular ユニットを用いて制作された。トラックの時間軸は一定の反復に縛られず、自在に伸縮している。なかでも12分20秒に及ぶ1曲め“Microscopium Recurse”を聴くと、彼のサウンドの生成と時間軸のコントロールがこれまで以上に自由になっていると分かる。2曲め“Revsic”では一定のビートがドラムンベースのように高速で構築されているのだが、いつしかその反復は伸縮し、非反復的に進行するエクスペリメンタル・テクノ・トラックである。

 アルバムには全12曲が収録されているが、どのトラックもモジュラーによる生々しい電子音が生成しており、電子音に対する耳のフェティシズムとテクノ的な律動と、それを内側から伸縮させてしまうようなタイム・ストレッチ感覚に満ちていた。
 そう、彼の音は、電子音による一種のマテリアル/オブジェなのである。それゆえリチャード・ディヴァインは、最近の電子音楽家にありがちな(?)ポエティックな「思想」は希薄に感じる。いわば音を彫刻のように生成・構築するいまや数少ないサウンド・マテリアリストといえよう。

 もしも仮に電子音楽に新しい可能性があるとすれば、それは抽象的な枠組みに収まらざるをえない「未来」(ユートピアであれディストピアであれ)のようなものを羨望する思想ではなく、具体的な諸々の音の組織体を提示してきた過去から放たれた「一瞬」を掴まえていく意志と行動、つまり創作/制作のただ中にこそあるのではないかと私は考える(そしてその意志の持ちようは聴き手側も変わらないはずだ)。
 音の煌めきに敏感であること。音の運動を捉える大胆かつ繊細な感性を持っていること。数学的といえる整合性と逸脱への関心を交錯させていること。
 過去の煌めきから放たれたものの参照・理解・応用から、現在の閃光=音響が生まれる。リチャード・ディヴァインはそれをよく分かっているのだろう。彼はどこか数学者や科学者のような思考と手つきでトラックを生み出し続けている。本作は、そんな数学者のような電子音響作家によって生み出された新しい音響のオブジェ/構造体なのだ。

Wen - ele-king

 ワイリーが起源だとされるウエイトレスはファティマ・アル・ケイディリシェベルなど応用編の方がどんどん突っ走っている印象が強いなか、さらにウエイトレスとニューエイジを結びつけたヤマネコ『Afterglow』やオルタナティヴ・ファンク風のスリム・ハッチンズ『C18230.5』など適用範囲がさらに裾野を広げ、原型がもはやどこかに埋もれてしまったなあと思っていたら、そうした流れに逆行するかのようにウエイトレス以外の何物でもないといえるアルバムをウェンことオーウェン・ダービーがつくってくれた(以前はもっとクワイトやダブステップに近いサウンドだった)。ファティマ・アル・ケイディリやスラック『Palm Tree Fire』からは4年が経過しているし、何をいまさらと言う人の方が多いだろうけれど、なんとなく中心が欠如したままシーンが動いているというのは気持ちが悪く感じられるもので、それこそデリック・メイが1992年あたりにデトロイト・テクノのアルバムを出してくれたような気分だといえば(ロートルなダンス・ミュージックのファンには)わかってもらえるだろうか。つまり、このアルバムが4~5年前にリリースされていれば、もっと大変なことになったかもしれないし、ボディ・ミュージックを意識したようなストリクト・フェイス『Rain Cuts』などの意図がもっとダイレクトに伝わったのではないかなどと考えてしまったのである。ウエイトレスが何をやりたい音楽なのかということを、そして『EPHEM:ERA』はあれこれと考えさせる。それはとんでもなくニュートラルなものに思えて仕方がなく、ファティマ・アル・ケイディリによるエキゾチシズムやシェベルによるアクセントの強いイタリア風味など、応用編と呼べるモード・チェンジが速やかに起きてしまった理由もそこらへんにあるような気がしてしまう。それともこれはアシッド・ハウスが大爆発した翌年にディープ・ハウスという揺り戻しが起きた時と同じ現象だったりするのだろうか。「レッツ・ゲット・スピリチュアル」という標語が掲げられたディープ・ハウス・リヴァイヴァルがとにかく猥雑さを遠ざけようとしたことと『EPHEM:ERA』が試みていることにもどこか共通の精神性は感じられる。悪くいえばそれは原理主義的であり、変化を認めないという姿勢にもつながってしまうかもしれない。いずれにしろウエイトレスが急速に変化を続けているジャンルであることはたしかで(〈ディフィレント・サークルズ〉を主宰するマムダンスは「ウエイトレスはジャンルではない。アティチュードだと発言していたけれど)、全体像を把握する上で『EPHEM:ERA』というアルバムがある種の拠り所になることは間違いない。

 思わせぶりなオープニングで『EPHEM:ERA』は始まる。そして、そのトーンは延々と続いていく。何かが始まりそうで何も始まらない。立ち止まるための音楽というのか、どっちにも踏み出せないという心情をすくい取っていくかのように曲は続く。うがっていえばいまだにブレクシット(これは反対派の表現、肯定派はブレグジット)の前で迷っているとでもいうような。“RAIN”はそうした躊躇を気象状況に投影したような曲に思えてくる。動けない。動かない。続く“BLIPS”あたりからそうした精神状態がだんだん恍惚としたものになり、停滞は美しいものに成り変わっていく。ここで“ VOID”が初期のアルカに特徴的なノイズを混入させ、美としての完成を思わせる。そこでようやく何かが動き始め、後半はウエイトレスとUKガラージが同根のサウンドだということを思い出させる展開に入っていく。それらを引っ張るのが、そして、“GRIT”である。「エフェメラ」とはフライヤーやチラシのように、役割を終えればすぐになくなってしまう小さな印刷物のことで、ポスターや手紙、パンフレットやマッチ箱などのことを言う。“GRIT”はさらにそれよりも儚いイメージを持つ「砂」のことで、『EPHEM:ERA』にはどこか「消えていくもの、失われていくもの」に対する愛着のようなものが表現されている。『EPHEM:ERA』のスペルをよく見ると、ERAの前がコロンで区切られており、「すぐになくなってしまう小さな印刷物の時代」という掛け言葉になっていることがわかる。それはまさにウエイトレス=無重力に舞うイメージであり、エフェメラに印刷されて次から次へと生み出される「情報」の多さやその運命を示唆しているのではないかという邪推も働いてしまう。膨大な量の情報が押し寄せ、誰もそのことを覚えていない時代。クロージングの美しさがまたとても際立っている。


John Grant - ele-king

 星占いの恋愛運の欄を見ればよく「好きな異性がいるあなたは……」と書いているように、世の大半のラヴ・ソングはヘテロセクシュアルを前提として作られている。たいていの場合世界はマジョリティの原理で動いているのだから、べつに驚くことでもないのかもしれない。だがいっぽうで、まるで同性愛がこの世に存在しないように示し合わされているような不気味さもそこにはあって……たとえば、学校の教科書にLGBTを掲載する必要があるのは特別扱いするためではけっしてなく、「思春期を迎えると誰もが自然に異性に興味を持つようになります」といったような嘘を性教育の現場からなくすためだ。あるいは、教科書に載らない性や愛について描くことがポップ・ソングにはできるのかもしれないが、ゲイを表明している作家によるゲイ・テーマの歌ですら「これはゲイの歌と言うよりは、普遍的な愛の歌である」といったような聞こえのいい言葉がその存在を隠そうとすることもしょっちゅうだ。では、僕たちの愛と人生が息をできる場所はどこにある?

 ジョン・グラントのラヴ・ソングは、「普遍的」などという一見優しげな言葉にけっして取りこまれない明確さと具体性でゲイである自身の性と愛、そして人生を繰り返し描いてきた。しかも彼は優れたリリシストでもあった。厳格なキリスト教の家庭で育ったために両親にゲイであることを受け入れられなかったこと、セックス中毒やゲイ・サウナ(ハッテン場)での放蕩、そしてHIV感染。そうした事柄が、皮肉やサーカスティックな笑いとともにダイナミックに描写される。もちろん彼の歌はすべてのゲイを代表するものではないが、エルトン・ジョンやジョージ・マイケルやボーイ・ジョージといった大スターとはまったく異なる場所から、ゲイ中年のありのままの姿を曝け出した。その歌たちは弱さやみっともなさを晒し続け、そしてなおも誰かと心を通わせることや幸福を諦められずにいる。
 ソロ4作目となる『ラヴ・イズ・マジック』においてもまったく変わっていない。50歳となったグラントは、息子がゲイであることを受け入れずに死んでいった母親のこと、アイスランドで見つけたボーイフレンドとの別れ(前作『グレイ・ティックルス、ブラック・プレッシャー』では彼との蜜月が歌われている)、そしてゲイとして老いていくことの孤独感を赤裸々に綴る。赤裸々に……というより、まるでそれらが隠されることをはっきりと拒むように。ジョン・グラントの歌は、いま表舞台で称揚される多様性の華やかさが見落としているクローゼットの奥にしまわれた魂の声をもノックする。
 サウンド的にはもっともシンセ・ポップ色が強いものとなっており、これはエレクトロニック・ミュージック・グループであるラングラーのベンジとグラントが組んだクリープ・ショウの経験が反映されたものだ(ベンジは本作に参加している)。アナログ・シンセが醸すどこかノスタルジックな響きはジョン・グラントのメロディと声の物悲しさとユーモアの両方を増幅させ、『ラヴ・イズ・マジック』を複雑なペーソスに満ちたものにしている。たとえば“Tempest”はシェイクスピアではなく80年代のアーケイド・ゲームの名前だそうだが、そこではレトロなゲームのサウンドを引用しながら物寂しく愛が懇願される。まんま80年代シンセ・ポップ風の“Preppy Boy”では、アメリカのアイヴィー・リーグ的価値観で育った中年を揶揄しつつ、彼との秘かな同性愛関係をほのめかす(「彼に電話番号を渡したんだ/離婚したあとだったから」)。例によってグラントは道化として振る舞っているし、彼の書くストーリーはある種のゲイ的な内輪ネタとしてそれなりに笑えるのだが、それらはつねにどこか悲しい。最初はプーチンについての歌だったが、「彼はトランプよりも賢い」ことに気づいてドナルド・トランプのことを強烈な卑語で描写するものになったという“Smug Cunt”のような曲でさえ(「小さな子どもみたいに振る舞って/高いオモチャでオナニーする/きみが黙らないから、彼らがきみを遊ばせるだけ」)、柔らかな電子音とグラントの深いバリトンでメロウな響きになる。
 だから、ファンキーなエレクトロ・ポップ“He's Got His Mother's Hip”のような曲もジョン・グラントらしい愉しい曲だが、“Is He Strange”のようなリッチなバラッドにこそ彼の本領が発揮されているのだろう。かつて「きみの愛の前ではすべては色褪せるんだ」と歌っていたグラントは、同じ男に向けていまは「きみをがっかりさせたことを、ただ申し訳なく思う」とつらそうに頭を下げる。あるいはタイトル・トラックの“Love Is Magic”。そこで彼は「愛は魔法/きみが好むも好まないも/そんなに悲劇的でもないさ/それはたんなる、きみが買った嘘にすぎない」とエレクトロニック・ブルーズに乗せて朗々と歌う。もしジョン・グラントの個人的で生々しく、悲しい自画像である歌がそれでも普遍的なのだとしたら、それは、彼が愛のことを嫉妬や惨めさ、別離や性感染症も伴ったものとして、それでも「魔法」と呼ぶからだろう。

 いっぽうで、クロージングの“Touch And Go”は自身でなく、アメリカ軍の情報を漏洩させた元陸軍兵でありトランスジェンダーであるチェルシー・マニングについて描いたものだという。ソウルの甘い調べで、「チェルシーは蝶、彼女は羽化したんだ/彼女を網(ネット)で捕まえることはできない/彼女には内なる自由があるから」と優しく擁護する。『新潮45』の件を思い出さずとも、LGBとTは別物であり、それらは連帯することはできないという偏狭な意見はいつも現れて、僕たちの気持ちを挫かせる。だがグラントの歌の柔らかく、毅然とした反論はどうだろう。奇しくもこの曲は、#WontBeErased時代に響くスウィートなプロテスト・ソングとなった。

Kankyō Ongaku - ele-king

 相変わらず再評価が活発ですね。なかでもこれは決定打になりそうな予感がひしひし。シアトルのレーベル〈Light In The Attic〉が、日本産アンビエントをテーマとしたコンピレイション『Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990』をリリースします。編纂者は、昨今のニューエイジ・リヴァイヴァルとジャポネズリに火を点けたヴィジブル・クロークスのスペンサー・ドーラン。彼は昨年、自身のレーベル〈Empire Of Signs〉から吉村弘の代表作『Music For Nine Post Cards』をリイシューしていますが(『表徴の帝国』をレーベル名にした真意を尋ねたい)、今回のコンピにはその吉村をはじめ、久石譲や土取利行、清水靖晃、イノヤマランド、YMO、細野晴臣、さらにLP盤には高橋鮎生、坂本龍一と、錚々たる面子が居並んでおります。これを聴けば、いまあらためて日本の音楽が評価されているのはいったいどういう観点からなのか、その糸口がつかめるかもしれません(ドーランによるエッセイを含む詳細なライナーノーツも付属とのこと)。発売は来年2月15日。

Various Artists
Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990

Light In The Attic
LITA 167
3LP / 2CD / Digital
Available February 15

https://lightintheattic.net/releases/4088-kankyo-ongaku-japanese-ambient-environmental-new-age-music-1980-1990

[Tracklist]

01. Satoshi Ashikawa / Still Space
02. Yoshio Ojima / Glass Chattering
03. Hideki Matsutake / Nemureru Yoru (Karaoke Version)
04. Joe Hisaishi / Islander
05. Yoshiaki Ochi / Ear Dreamin'
06. Masashi Kitamura + Phonogenix / Variation III
07. Interior / Park
08. Yoichiro Yoshikawa / Nube
09. Yoshio Suzuki / Meet Me In The Sheep Meadow
10. Toshi Tsuchitori / Ishiura (abridged)
11. Shiho Yabuki / Tomoshibi (abridged)
12. Toshifumi Hinata / Chaconne
13. Yasuaki Shimizu / Seiko 3
14. Inoyama Land / Apple Star
15. Hiroshi Yoshimura / Blink
16. Fumio Miyashita / See The Light (abridged)
17. Akira Ito / Praying For Mother / Earth Part 1
18. Jun Fukamachi / Breathing New Life
19. Takashi Toyoda / Snow
20. Yellow Magic Orchestra / Loom
21. Takashi Kokubo / A Dream Sails Out To Sea - Scene 3
22. Masahiro Sugaya / Umi No Sunatsubu
23. Haruomi Hosono / Original BGM
24. Ayuo Takahashi / Nagareru (LP Only)
25. Ryuichi Sakamoto / Dolphins (LP Only)

Eli Keszler - ele-king

 ニューヨークのドラム奏者/サウンド・アーティストであるイーライ・ケスラーは、2017年にローレル・ヘイローのアルバム『Dust』に全面参加し(実質上のコラボレーターともいえる)、2018年に『Age Of』をリリースしたワンオートリックス・ポイント・ネヴァーのワールド・ツアーにドラマーとして参加したことで、その名を広く知らしめることになった。
 むろんイーライはそれ以前もドラム奏者/サウンド・アーティストとして充実した活動をおこなってきた。2006年以降、自身のレーベル〈R.E.L Records〉から精力的に多くのアルバムをリリースし、2011年にはベルリンの実験音楽レーベルの〈Pan〉から『Cold Pin』を、2012年に『Catching Net』を発表する。両作ともドラム演奏とインスタレーション的なコンセプトを音盤化したエクスペリメンタルな音響作品だ。この2作で彼にとって演奏/インスタレーションという極の融合を示してみせた。そして2016年には香港のフリー・ミュージック/実験音楽レーベル〈Empty Editions〉のリリース第1作として『Last Signs Of Speed』をリリースする。
 ソロ作品のリリースのほかに、コラボレーション作品の発表も盛んにおこなっており、2012年にイタリアはヴェニスのフリー・ジャズ・レーベル〈8mm Records〉からベテラン・サックス奏者のジョー・マクフィーとの『Ithaca』を、同年、アメリカ合衆国はバーリントンを拠点とするエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈NNA Tapes〉から電子音響/音楽家キース・フラートン・ウィットマンとの『Eli Keszler / Keith Fullerton Whitman』を、2014年にロンドンのフリー・ミュージック・レーベル〈Dancing Wayang〉からオーレン・アンバーチとの『Alps』などをリリースしている。私見ではこういったコラボレーションの成果が(あくまで音楽的方法論であって、人脈的なものではない)、ヘイローの傑作『Dust』に結実したのではないかと考えている。
 いずれにせよ、イーライのドラム演奏とサウンド・インスタレーションを融合させていく作品は観客/聴き手/アーティストに大きなインパクトを与えた。じっさい音源リリース以外でも作品展示(自身の演奏も含む)やアート作品の発表なども多くおこなっている。それは彼のサイトでも確認できる。

 本作『Stadium』は『Last Signs Of Speed』以来、2年ぶりとなるイーライのソロ・アルバムである。今回は電子音楽家フェリシア・アトキンソンとアート・ディレクター/デザイナーのバルトロメ・サンソンによって運営される注目のエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル/ブック・レーベル〈Shelter Press〉からのリリースだ。
 このアルバムの制作中にイーライはサウス・ブルックリンからマンハッタンへ拠点を移したようで、それに伴う意識の変化や、近年のツアー生活にともなう風景の変化が、楽曲の隅々にまで影響・反映しているようにも感じられる。トラックは意識の変容にように滑らかに変化し、光景/記憶の再生のように生成していく。私見では現時点におけるイーライの最高傑作ではないかと思う。音響の構成や構築度がこれまでの段違いにオリジナリティを獲得しているからである。

 ドラム、パーカッションのグルーヴのみならず、それらのテクスチャーをも精密に抽出し、細やかにスライスし、細やかな粒子のように電子音などとレイヤーさせる手法と手腕によって、ジャズ的/フリー・ミュージックな演奏イディオムをサウンド・アートやインスタレーション、エレクトロニクス音楽の中に分解していく。いわば音と音の関係性が複雑な音響空間の中で、音、音楽、演奏の関係性が、その都度「結び直されていく」かのごとき独自の音響と聴取感が生まれているわけだ。
 1曲め“Measurement Doesn't Change The System At All”や5曲め“Simple Act Of Inverting The Episode”のグリッチするような細やかでハイブリッドなドラミングと柔らかい電子音/サウンドのレイヤー、2曲め“Lotus Awnings”、4曲め“Flying Floor For U.S. Airways”などのズレとタメが多層的にコンポジションされる非常に現代的なリズム構造など、どの曲もハっとするような聴きどころに満ちており、一瞬たりとも聴き逃せない。
 中でも注目したいのが3曲め“We Live In Pathetic Temporal Urgency”だ。この曲は音響とアンビエンスとリズムの時間軸が伸縮するような構造と構成になっており、どこか意識と身体に浸透するようなサウンドを生成している。意識と風景。サウンドとミュージック。マテリアルとアブストラクト。それらの関係が別の地点から結び直されていくような感覚を覚えた。アルバムを代表する曲ではないかと思う。
 ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(ダニエル・ロパティン)はイーライのドラミング/サウンドを「バクテリアのよう」と彼らしい表現で語っているようだが、確かに、サウンドの中に粒子のように浸透する彼のサウンドと演奏は、微生物のような蠢きを持っているように思える。ドラム演奏の粒子化。そこから生まれる伸縮する時間軸を持った音響空間。知覚を拡張するという意味において、彼の音楽と演奏はそれ自体がアートであり、一種のインスタレーションでもある。

 となればフィジカル盤もまたそんな彼による最新のアートフォームといえよう。アートワークはレーベル主宰のひとりでもあるバルトロメ・サンソン。タイポグラフィと写真を効果的に活用したクールな出来栄えである。アナログ盤とCDのデザインを大きく変更している点も興味深い。アナログはタイポグラフィを効果的に使ったミニマルな仕上がりであり、CDはプラスチックケースに特殊印刷でタイポグラフィを印刷、盤面に写真をトリミングして印刷した仕様である。ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーの『Age Of』のCDデザインと同様に、CDだからこそ可能なアートワークといえよう。

Niagara - ele-king

 ポルトガルの〈プリンシペ〉というレーベルがクゥドロをリリースしはじめたとき、それは本当に斬新でモダンなダンス・ミュージックであった。正直、〈プリンシペ〉よりも10年前にクゥドロを先導していたDJアモリムやDKカドゥはまったく垢抜けず、ワールドワイドに知れ渡ることがなかったのも当たり前だと思えた(筆者は2008年にブラカ・ソム・システマのデビュー・アルバムで初めてクゥドロを知ることになった。だから、それ以前のものは遡って聴いただけ)。旧世代ではDJネルヴォソだけが〈プリンシペ〉にサルヴェージされ、作風もアップデートされたものになっている。〈プリンシペ〉はごく初期にフォトンズというポルトガルでは2006年からレコードをリリースしていた中堅のハウス系プロデューサーをレーベルに迎え入れていたので、クゥドロを土着サウンドとして温存するのではなく、ハウスというフォーマットの中で都会的な洗練を施そうという意志を持っていたことは明らかだったと思う。そして、DJニガ・フォックスやB.N.M、あるいはパリのニディア・ミナージュがそのラインで流れ出していったのである。しかし、その中にレーベル番号で言えば3番という早い時期のリリースにもかかわらず、なかなか意図不明なリリースが含まれていた。ナイアガラである。アルベルト・アルルーダ、アントニオ・アルルーダ、サラ・エッカーソンからなり、ノヴォ・ムンドの名義では普通にハウスもやっている3人組が2013年にリリースした事実上のデビュー・シングル「Ouro Oeste」はクゥドロとはまったくかけ離れ、ハウス・ミュージックとしてもどこかしっくりとこないものであった。僕はしばらくすればナイアガラは〈プリンシペ〉を離れ、同じポルトガルの〈エンチュファーダ〉辺りに移るだろうと思うほど〈プリンシペ〉の路線ではないと思っていたぐらいで、それが〈プリンシペ〉における3枚目のアーティスト・アルバムはDJニガ・フォックスでもなければCDMでもなく、まさかのナイアガラだったのである。そして案の定というか、これがやはりダンス・アルバムではなく、初めて9月に聴いてからすでに1ヶ月、いったいこれはなんだろうと思いながら何度も聴き返してしまうことになった。何度聴いても過去の引き出しのどこにも収まってくれない。もう一度、もう一度……

 ポップでもなければ、実験音楽でもない。最初はスフィアン・スティーヴンスやコス/メスがシリーズ化しているライブラリー・ミュージックを狙ったものかなと考えた。冒頭から変調させた声がミニマルというか、循環コードに絡みつき、アンビエント・ミュージックにしては賑やかな情景描写が展開される。このパターンが何曲か続き、ダンス・ミュージックでないことははっきりしてくる。いわゆるヒプノティックな効果は期待されているようで、メンタルに訴えかけようとはしているものの、トリップ・サウンドの要素はなく、特異な世界観に引きずり込まれることはない。なんというか、抽象的でとても醒めている。調べてみるとアルベルト・アルルーダは〈プリンシペ〉と出会う前にノイズやポスト・ロックのバンドで活動していた過去があり、それがどんな音楽だったのかということまではわからなかったものの、実験音楽やアヴァンギャルドにありがちな理性的で酩酊感のない音楽であろうとする感覚は残っているということなのだろう。ノイズやポスト・ロックにありがちな攻撃的要素をすべてスタティックなパーツに置き換えて全体像を組み立て直したという感じかもしれない。それでいてミュジーク・コンクレートに通じる面はまったくないのだから独創的としか言えない。何度も聴いているうちにどこにもなかった扉が開いて自分の中に新たな引き出しが生まれたような気になってきた。違和感が既視感にすり替わったというか。

 後半になると控えめながら、ほとんど曲でパーカッションがフィーチャーされる。催眠的であることに変わりはなく、ポップでも実験的でもないことは変わらないのに、どことなく理性的ではなくなり、知らず識らずのうちにトリップ・サウンドに紛れ込んでいるような体験になっている。“Damasco”“Siena”、そしてポルトガルなのになぜかイタリア全土を統一に導いた“Via Garibaldi”と続く流れは実に素晴らしく、“Matriz”であっさりとアルバムが閉じられてしまうと、え、ちょっと待ってよ、もう一度という気持ちになってしまう(出来の良くないハウスを追加したボーナス・トラックは興ざめ)。ここでやはり今年前半の白眉だったと言えるドゥ・レオンのミニ・アルバム『De Leon』を思い出すのが順当だろう。ナイアガラに比べてテクノのフォーマットにすんなりと順応しているドゥ・レオンは絶対に正体を明かさないユニットとして登場し、ガムランとカポエラにダブを取り入れたサウンドでテクノとワールド・ミュージックの垣根を完全に取り払ってしまった(“A3 Untitled”は確実にベーシック・チャンネルの先をいっている。1年以内に必ずマーク・エルネスタスがリミックスか何かで関わろうとするだろう)。2本のカセットに続いてリリースされたデビュー・アルバムは〈オネスト・ジョン〉傘下の〈マナ〉からリリースされ、その瞑想的なダンス・サウンドはナイアガラ『Apologia』で「それ以上、先に行ってはいけない」と釘を刺されていた領域にズンズンと突き進んでいく。この2枚を続けて聴くことは、結末を読むのが怖い昔話を読むような体験に似ているような気がする。

FUTURE TERROR 2018-2019 - ele-king

 今年も残すところあと7週間。いよいよ2018年の終わりが迫ってきました。ちらほらと年末年始のパーティ情報が出はじめていますが、なかでも強力なのがこちら。12月31日に代官山 Unit / Unice / Saloon にて開催される《FUTURE TERROR》のニューイヤー・パーティに、なんとドレクシアの元メンバー、DJスティングレイことシェラード・イングラムが出演します。これまでも世界じゅうの尖った才能たちを招いてきた同イベントですが、今回も気合いじゅうぶんです。さらに大阪からは Synth Sisters が参加、Wata Igarashi によるライヴや実験的なベース・ミュージックを追求する Lynne など、ほかにも見どころ満載。もちろんレジデントの DJ Nobu、Haruka、Kurusu も出演します。
 なお、スティングレイは大阪と札幌もまわることが決定しており、12月30日には Compufunk Records にて、年明け後の1月2日には Precious Hall にてプレイします。これは最高の年末年始が送れそうです。

FUTURE TERROR 2018-2019
早割チケット販売開始

DJ NOBU 主催のテクノ/ハウス・パーティー《FUTURE TERROR》のニューイヤー・バージョンが大晦日の晩、代官山 UNIT / Unice / Saloon にて開催決定。早割チケットを 11/12(月)18:00より販売開始。

今回《FUTURE TERROR》レジデントの DJ Nobu、Haruka、Kurusu に加え、デトロイトの至宝 DJ Stingray、大阪からサイケデリカル・ドローン・ユニット Synth Sisters、テクノ・ミュージックのティープサイドを探求し続ける Wata Igarashi の Live set、《FUTURE TERROR》初登場となるエクスペリメンタル・べース・ミュージック・アクト Lynne の出演が決定しています。

枚数/期間限定の大変お得な早割チケットを下記サイト上にて11/12(月)午後6時から販売します。
https://jp.residentadvisor.net/events/1182469
次回発表は12月初旬の予定です。どうぞご期待下さい。

FUTURE TERROR 2018-2019
日時: 2018.12.31 - 2019.01.01
会場: UNIT / Unice / Saloon (東京都渋谷区恵比寿西1-34-17 ZaHOUSE)
料金: Early Bird Ticket (早割) ¥2,500 (11月12日18 時よりRAイベント・ページにて販売/枚数・期間限定)

Line up:
DJ Stingray, DJ Nobu, Synth Sisters -Live-, Wata Igarashi -Live-,
Lynne, Haruka, Kurusu 他多数出演予定

more info coming soon...

Notice: You must over 20 with photo ID.
※ 20歳未満の方の入場はお断りします。
※ 全てのお客様のご入場時に写真付身分証明書の確認を行わせていただきます。

■補足情報
なお、DJ Stingray は年末年始にかけて東京・大阪・札幌の計3都市を回るツアーを行います。大阪と札幌の公演日程は下記の通りです。

2018.12.30
"MIDI_sai feat. DJ Stingray"
at Compufunk Records

大阪市中央区北浜東1-29 北浜ビル2号館 2F
TEL: 06-6314-6541
VENUE HP: https://www.compufunk.com
INFO: info@midisai.com

2019.01.02
"Method"
at Precious Hall

札幌市中央区南2条西3丁目13-2 パレードビルB2F
TEL: 011-200-0090
VENUE HP: https://www.precioushall.com

■DJ Stingray Biography


photo: George Nebieridze

DJ Stingray はテクノの世界で20年以上に渡り強力な存在感を保持してきた存在だ。デトロイトに育ち、同級生でありDJパートナーであった Kenny Dixon Jr. と Urban Tribe を1991年に結成し、今ではクラシックとなった“Covert Action”が〈Retroactive〉の『Equinox』コンピレーションに収録され、この街の豊かなテクノ・ソウルの歴史に名を残す。数年後にはロンドンの〈Mo' Wax〉からデビュー・アルバム『The Collapse of Modern Culture』を発表し、そこには同郷の Anthony 'Shake' Shakir、Moodymann、Carl Craig といった友人たちとのコラボレーションが多数含まれていた。彼の最も輝かしい功績は Drexciya のライヴ・メンバーとしての活躍かもしれない。Stingray は、Drexciya の James Stinson による命名である。マスクを被ってのパフォーマンスで世界中を巡ってデトロイトの精神をレプレゼントし続け、数十枚に及ぶリリースを続けてきた彼は、レーベル〈Micron Audio Detroit〉のオーナーとしての顔も持ち、世界中のフレッシュな才能を世に送り出している。

https://jp.residentadvisor.net/dj/djstingray
https://www.discogs.com/ja/artist/724414-DJ-Stingray-2


■DJ NOBU Biography


photo: Cedric Diradourian

DJ NOBU は一つのスタイルに踏みとどまらず、幅広い世界の音楽を引き出し、彼にしか作りえない唯一無二のサウンド・スペースを現出させる、卓越した実力を持つDJである。NOBU のDJを知る人にとって彼はちょっとしたカルト・フィギュア(熱狂的人気の対象)であり、その二十年余りに渡る経験は、厚い信頼を得ているパーティー《Future Terror》や、主宰レーベル〈Bitta〉、いくつかの音源やミックスのリリースとなって世に出ている。ここ数年にわたる活動の中で、ゆっくりと確実に、NOBU は日本のシーンの中心的存在から、フレキシブルでありなおかつ進化を続ける、世界で最も有望なセレクターというあらたなる評価を獲得するに至った。

https://octopus-agents.com/dj-nobu
https://jp.residentadvisor.net/dj/djnobu
https://www.facebook.com/pages/DJ-NOBU-OFFICIAL/236488399758952/
https://futureterror.net/

James Ferraro - ele-king

 3割、いや、4割くらいだろうか。現在OPNに寄せられている賛辞のうち、それくらいはジェイムス・フェラーロに譲ってしかるべきだろう。シンセの音色や展開、音声やノイズの処理法、挿入のタイミング、全体的なテクスチャーやレイヤリング――彼らふたりはサウンドのメソッドをかなりの部分で共有している。それは今年リリースされた作品にも顕著に表れ出ていて、フェラーロの新作「Four Pieces For Mirai」が鳴らすチェンバロや音声ノイズを耳にすれば、それらがほぼ同時期にリリースされたOPNの『Age Of』と共時的な関係を結んでいることがわかるだろう。
 そのようなサウンド面での共振以上に重要なのは、彼らがともにコンセプチュアルなアーティストであるという点だ。バラよりもパンが、想像的なものよりも具体的なものが優先されるこの時代にあって、彼らはフィクションというものが持つ力をどこまでも信じきっている。そんなふたりがじっさいに友人関係にあり、アイディアを交換しあっているというのはなんとも素敵な話ではないか(『Age Of』の「○○時代」という着想は、フェラーロとの読書会をつうじて獲得されたものである)。

 ロパティンの『Chuck Person's Eccojams Vol. 1』やラモーナ・ゼイヴィアの『フローラルの専門店』と同様、ヴェイパーウェイヴの重要作とみなされるフェラーロの『Far Side Virtual』(2011年)は、それまでのロウファイ路線から一気に舵を切った転機作で、彼に大きな名声をもたらしたアルバムだ。PCや携帯電話などの当世風環境音をレトロフューチャリスティックな佇まいで導入・再編した同作は、セカンド・ライフやグーグル、スターバックスのような記号と組み合わせられることによって、「ハイパーリアリティ」や「消費文化」といったタームで評されることになったわけだけれど、最近の『WIRE』のインタヴューにおいてフェラーロは、『Far Side Virtual』の射程がたんなる資本主義批判に留まるものではなかったことを振り返っている。いわく、文化はいかにして存続するのか、今日人びとはどのように関係を結びあっているのか、それはインターネットを介してである、うんぬん。ようするに同作は、今日の資本主義がヴァーチャルを拠りどころにしていることをこそメイン・テーマとしていたのであり、たしかにそれは先に掲げた術語たちと相つうずる側面を持っている。
 その後R&Bを都市の亡霊として利用した『NYC, Hell 3:00 AM』や、合成音声とモダン・クラシカルとの不和をそのまま共存させた『Human Story 3』など、いくつかの重要なアルバムを送り出したフェラーロは、新作「Four Pieces For Mirai」でふたたび『Far Side Virtual』の見立てへと立ちもどり、当時のアイディアをより深く突き詰めている。

 最初に気になるのはやはりタイトルの「ミライ」だろう。これは差し当たり一般的な意味での「未来」ではなくて、2年前に世間を騒がせたマルウェアの「Mirai」を指している。世界じゅうの大量のデヴァイスに侵入し、それら端末をのっとることによって同時多発的に特定のターゲットへと膨大なリクエストを送信、対象のサーヴァーをダウンさせるというその手法は、なるほどたしかに今日のオンライン化した資本主義にたいする勇猛な挑戦であり、電子的なレジスタンスといえなくもない。フェラーロはミライを肯定的に捉えている。トレイラー映像でも触れられているように、ミライはわれわれをヴァーチャルへの隷属状態から解放すべく生み出されたものなのである。

 いまやオンライン上の人びとの自我はその領分を逸脱し、フィジカルな世界で具現化を試みている。そもそもデジタルな自己とフィジカルな自己とが一致する必要なんてなかったはずなのに、今日ではオンライン上での振る舞いが現実のそれへとフィードバックされるようになってきている――『WIRE』においてフェラーロはそのような診断を下しているが、たしかに昨今オンラインとオフラインとでまったくちがう自分を演じ分けることが徐々に難しくなってきているというのは、体感的にも賛同できるところだろう。ようするにフェラーロは、ヴァーチャルによって実生活が侵食されつつあると考えているわけだ。その閉塞を打破するのがミライである。「人間はインターネットの支配下にあるけれど、このヴィールスは人間を解放するものなんだ。悪魔が人間を自然の状態へと戻すものであるようにね」とフェラーロは同じインタヴューで語っている。「Four Pieces For Mirai」は、そのようなミライによる解放のプロセスを描いたもので、今後続いていくシリーズの序章に位置づけられている。

 ここでフェラーロが「自然」という言葉を持ち出しているのは重要だろう。なぜなら「Four Pieces For Mirai」からはじまるこの新たなシリーズは、ほかならぬ「文明の衰退」をテーマとしているからだ。それは「人新世」なる語によって人間が相対化される昨今の風潮ともリンクしているし、あるいは「自然」を「文明」に対抗するものとして捉え返した『文明の恐怖に直面したら読む本』と問題意識を共有しているともいえる。しかもフェラーロは、ものごとを刷新するには既存のそれを燃やし尽くす必要があるという考えを表明してもいて、それはアンドリュー・カルプにもつうじる発想だ。既存の体制を維持しながら部分を改良するのではだめなのであって、一度すべてを破壊しつくさなければならない。ミライはそのための「人工的な火災」なのである。
 さらにいえば、フェラーロが着目したマルウェア「Mirai」の生みの親が、「アンナ先輩」と名乗っていたことも示唆的だ。『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』において、体制のもたらす法を無条件に信じこみ、それに従わない者たちを取り締まる立場にあった彼女が、遵守すべき法と自身の欲望とのあいだで折り合いをつけるために、既存の道徳を独自に読み替え、主人公の属するテロ組織以上に過激に立ちまわる人物であったことを思い出そう。彼女は体制を妄信するがゆえにこそ、その法を極度に徹底することによって法それ自体の瓦解を誘発しているのである。だから、「彼女」によって開発された「Mirai」=ミライは、われわれにそのような創造的な誤読=思考の変更を強制的かつ同時多発的に実行させるヴィールスなのだと考えることもできる。

 かつて『Far Side Virtual』が「ハイパーリアリティ」や「消費文化」といったタームで語られてしまったことにたいして、フェラーロはじつはひそかに不満を抱いていたのではないだろうか。というのも、それらの語は68年を契機に力を持ちはじめた概念であり、またそれらの語を用いた人物は80年代に人気を博した思想家だったからだ。『Far Side Virtual』がリリースされた時点ですでに「ポストモダン」という言葉はレトロな響きを携えていたし、何よりヴェイパーウェイヴという運動それ自体にそのような過去の相対化が含まれていたのだから、遠景へと退けたはずのものと親しい概念によって自作が評されてしまうことに、フェラーロは既存の体制の堅牢さを感じとったのではないだろうか。だからこそ彼は今回、ミライという破壊的なコンセプトを考え出したのではないか。

 冒頭の“Fossils”や“Green Hill Cross”、“Butterfly”などで顔を覗かせるチェンバロ、“Green Hill Cross”や“Mirai”や“Gulf Gutters”などで差し挟まれる不気味な音声ノイズ、“Butterfly”や“Mirai”や“Remnant”などで展開されるバロック的だったり東洋的だったりする音階に耳を傾けていると、ロパティンとフェラーロはあらかじめ共謀していたのではないかという気がしてくる(とくに最後の“Gulf Gutters”)。『Age Of』と「Four Pieces For Mirai」は奇妙なまでに対照的で、相互補完的だ。前者がポップとアヴァンギャルドのあいだで引き裂かれているのにたいし、後者はそれと近しいサウンドを用いながらも前者が回避したアンビエントとしての完成度を追求している。あるいは前者が人間と非人間とのあいだで揺れ動くロパティンのためらいそのものをエモーショナルに表現しているのだとしたら、後者は絶滅の危機にある人間(“Remnant”)を救うために非人間が破壊を遂行していく様を淡々と描いていく。コンセプトに重きを置いた作品が目立つ2018年にあってこのふたつの作品は突出している感があるけれど、ラディカルさにかんしていえば、アノーニに引っ張られて躊躇しているロパティンよりも、肯定的に破壊を描き切ったフェラーロのほうが一枚上手なのではないだろうか。

 尋常ではない数の名義を使い分け、尋常ではないペースで作品を発表し続けるジェイムス・フェラーロ。彼によって送り出される無数のピースたちそれ自体がきっと、ミライのようなヴィールスなのだろう。彼の音楽を聴いた世界じゅうのリスナーたちはいつの間にかその毒に感染し、気づかぬうちに思考を変えられてしまっている――フェラーロが想定するミライとは、そのような未来のことなのかもしれない。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316