「You me」と一致するもの

interview with Strip Joint - ele-king

 自由を我(ら)に。そんなタイトルをデビュー・アルバムのタイトルに冠した、まだ若いインディ・ロック・バンドが現れた。ここ日本からである。いまの閉塞的な日本で生きる若者たちが思い描く「自由」とは、いったいどのような感触をしたものだろうか?

 Strip Joint のファースト・アルバム『Give Me Liberty』には、その感触のようなものがたくさん入っている。溌剌としたギター・ロック・チューン “Leisurely”、“Lust for Life” にはじまり、ウェスタン・テイストのあるトランペットが印象的な “Hike”、ジョイ・ディヴィジョンやギャング・オブ・フォーのリズム感覚を想起させる “Yellow Wallpaper” ……と、アルバム序盤からアレンジメントの多彩さとアンサンブルの完成度の高さに驚かされるが、それらは海外のインディ・ロックからの影響をたっぷりと吸収したものだ。この内向きな国から「自由」を思うとき、海の外のインディペンデントな音楽を聴くことは彼らにとって必然だったのだろうと感じさせる。そしてそれらの曲はすべて、はちきれんばかりにエネルギッシュだ。
 Daiki Kishioka を中心として2017年から Ceremony として活動をはじめ、メンバー・チェンジと改名を経て、ライヴハウス活動をメインに地道な活動を続けてきた Strip Joint。男女6人編成のこのバンドは、トランペットとキーボードを生かした、いわゆるギター・ロックのステレオタイプをはみ出すスタイルをすでに獲得しているところがまずその魅力である。マリアッチに影響されたインディ・ロック・バンドを連想する “Against The Flow” や、ミドル・テンポで鍵盤の響きを生かしながらリリカルに情景を描いていく名曲 “Oxygen”、“Liquid” など、アルバム後半のナンバーは多楽器によるアンサンブル志向の米国インディ・ロックを彷彿させる。歌詞を書く Daiki Kishioka が英米文学の素養があることもあって言葉は英語で(CDには日本語対訳が掲載されている)、積極的に国外の音楽と文化的・感情的に繋がっていかんとする意思が表れている。

 以下のインタヴューでは、最近は同時代のインディ・ロックを意識的に聴き過ぎないようにしていると Daiki Kishioka は話しているが、やはり現行のUKインディ・ロックの活況とシンクロする部分があるのではないかと自分は考えている。ジャンルも編成もスタイルも好き勝手にやっている彼らを指して、もう何度めかもわからない「ポスト・パンク・リヴァイヴァル」ではなく、近年は「ポスト・ブレクジット・ニューウェイヴ」とする表現もあると聞くが、その、「何でもアリ」すなわち「この窮屈な場所からどこへだって行ける」という感性は、海の外のインディ・ロックに影響されていなければ得がたいものだったろう。偉そうな大人たちがめちゃくちゃにした彼らの現在からも、生まれる何かがあるのだと──『Give Me Liberty』のクロージングを飾るアップテンポのロックンロール・チューン “Suddenly I Loved You” の自由な輝きを聴くと、そんなふうに思えてくる。

みんなが同じ音楽に熱狂するっていうことをミュージシャンがしていていいのかなって思うようになって。みんなと違うところを発見するのが俺のやるべきことだと思うようになったので、最近は新しいものを追いかけなくなりました。

今日は、いまの20代がなぜ海外のインディ・ロックに影響を受けたロック・バンドをやっているのかを聞きたいと思っています。岸岡さんはアークティック・モンキーズとの出会いが大きかったとのことですが、彼らに対して「自分の音楽だ」みたいな感覚があったのでしょうか。

Daiki Kishioka(以下、DK):アークティックに関しては、インディ・リスナーとしていろんな音楽を聴くなかで、アレックス・ターナーの音楽性の変化や、言っていることの変化、佇まいの変化を追っていくのが楽しかったんです。そのレベルまで好きになれる唯一のバンドでした。

そういう存在はアークティックが初めてだったんですか?

DK:じょじょにそういう存在になって。いまに至るまで特別ですね。

野田:アークティックは後追いだよね?

DK:後追いです。4枚目(『Suck It and See』)がすでに出ているときに知って、リアルタイムで聴き出したのは5枚目(『AM』)からですね。

野田:そうなんだ。ぼくはやっぱり1枚目(『Whatever People Say I Am, That's What I'm Not』)をいちばん聴いたけどね。どれがいちばん好きなの?

DK:3枚目(『Humbug』)、4枚目ですかね。

野田:そうなんだ。1枚目はダメ?

DK:ダメじゃないですけど、23、4歳くらいになってくると、聴けないですね。

えー(笑)!(木津は当時21歳)

野田:ぼくは40歳過ぎて聴いてたよ(笑)。

(一同笑)

じゃあ、もうすぐ出る新譜(『The Car』)も楽しみですね。

DK:そうですね、純粋にファンとして。

それまでも岸岡さんは親御さんが持っていたポスト・パンクのレコードを聴いていたということですが、世代的には、海外のインディ・ロックを聴くひとが周りに少なかったんじゃないかと思うんですよ。J-POPはともかくとしても、海外の音楽でもラップやポップスのほうが勢いがあったと思うし。そんななかで、どうやって海外のロックを発見したんですか?

DK:音楽体験の最初期は小学生のときまで遡りますけど、それこそ、クラスメイトがJ-POPのコンピレーションを作って配ってたりしていて。でも、その「キミとボク」みたいな世界観に入りこめなくて。そもそも小学生の恋愛なんて恋愛以下だし、入りこめるわけないじゃないですか。でもみんなが、大人の欲望を模倣するというか、それを自然なものとして受け入れているのにまず違和感がありました。それよりも、言葉はわからないけど、もっとシンプルでパワフルなもののほうがいいじゃんって思っていたのが小中学生のときですね。フー・ファイターズやグリーン・デイからロックに入り……、家にもストーン・ローゼズ、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、あとシャーラタンズ、オーシャン・カラー・シーンなんかがあったんですよ。

それは充実したレコード・コレクションですね。

DK:ありきたりなポップ・ミュージックじゃなくて、聴きながら陶酔的になれるものですね。高校生のときにギターを買って、そういうのを流しながら自分でアンプ繋いでいっしょに弾いてました。その頃にバンドをはじめましたね。最初はドラマーで。芸術系の高校に行ってたひとに誘われて、彼は若いのにアーティストとしてやっていくことに意識的でした。ザ・ホラーズフランツ・フェルディナンドみたいな、ポスト・パンク・リヴァイヴァルの美学を自分たちに課してやっていたひとたちで。自分で哲学持って音楽をやろうと思ったのは、そのバンドからの影響が大きかったです。

なるほど。僕は自分の経験として、10代のとき音楽のテイストが合うひとを周りに見つけにくかったんですけど、岸岡さんは音楽の話が合うひとやコミュニティとの出会いはスムーズだったんですか?

DK:それは、ツイッターで。

へえー! でも、いまっぽい話かも。

DK:学校では、俺が「アークティックいいぜ」って周りに薦めると2人ぐらい「いいね」って言ってくれたんですけど、いっしょに音楽をやろうとはならないし。自分の世代だと中2か中3ぐらいでみんなツイッターをはじめるので、ネット上でみんなが自分の好きなものにワイワイ言う、みたいなものは見ていました。当時 The 1975 が出てきたとこで、「あいつらはカッコいいのか」みたいな議論があったりして。そこで知り合ったひとに誘われました。

なるほど、ちょっとひねくれた集まりのなかから(笑)。その後、岸岡さんご自身が Ceremony を作って、それが Strip Joint になっていくわけですけど、それも自然と音楽志向の合うひとと出会っていったんですか?

DK:オリジナル・メンバーのうち、いまもいるギターの島本さんは趣味が合う感じでしたね、ザ・スミスとかが好きで。ドラムの西田くんは、もうちょっとオルタナとかエモ寄りです。学生のつながりのなかで、「こいつならいっしょにやれる」って思えるひとを探してきたって感じでしたね。

音楽的なテイストで言えば、インディ・ロック志向の強いひとを集めた感じなんですか?

DK:ポスト・パンク・リヴァイヴァル以降の流れのインディ・ロックは自分にとってはいちばん思い入れがありますが、メンバー全員にとって特別なジャンルかと言われるとそうじゃないと思います。西田はヒップホップやハードコアも好きだし、ジャズやフュージョンなど、それぞれに幅広く聴いてる感じです。

野田:ちなみに Ceremony っていうのはジョイ・ディヴィジョンの曲名から取ったの?

DK:なんとなく頭にはあったんですけど、取ったというわけではないんですよ。

僕の印象としては、とくに活動初期は英国ポスト・パンクからの影響が強いように感じたんですけど、ポスト・パンク・リヴァイヴァルも含めて、惹かれたポイントはどういったところだったんですか?

DK:そもそもオリジナル・ポスト・パンクは通ってなくて、あとから雑誌で得た知識なので、そこについて語るのはちょっと気が引けるんですけど。ただ、機械的で痙攣するようなビートや、ダンス・ミュージックなんだけど不自然なダンス感覚なんかは、ジャンルとしてのポスト・パンクの好きな部分かな。

まずは何よりもサウンドの部分が。

DK:踊れるっていうのが大きいですね。

なるほど。あと、Strip Joint はバンド・アンサンブルとしてはトランペットとキーボードがいることによる個性も大きいですよね。それらが必要だと感じたのはなぜだったんですか?

DK:小さい頃からテレビで演歌が流れるとよく聴いていたんですけど、非ロックの要素がたぶんもともと好きだったんですよ。それこそアークティック・モンキーズも、ある時期から60年代頃のポップスからの影響を受けてますけど──ザ・スリー・ディグリーズやオージェイズみたいなコーラス・グループなんかに──、「こういうの俺も好きだな」と早い段階から思っていたので。本当なら小さいオーケストラを入れたいぐらいで。あとはキング・クルールが出てきたときに、「やべえ」ってなって(笑)。ここ5年ぐらいですかね、いわゆるインディ・ロックが音楽的に広いジャンルになったのと共振したいという想いもありました。

社会からのメッセージをひとつひとつ聞いているとしんどいじゃないですか。自分のナマの感情が死んでいく感じがする。そういったものに対して反抗をしてもいいんだぜ、みたいなところですかね。

いまのキング・クルールの話は象徴的なように思いますね。ここ10年くらいで注目されるUKのインディ・ロックは音楽的により折衷的になっていますが、そういう同時代のバンドの動向はやはり気になっているんですか?

DK:かつては気になってましたが、みんなが同じ音楽に熱狂するっていうことをミュージシャンがしていていいのかなって思うようになって。みんなと違うところを発見するのが俺のやるべきことだと思うようになったので、最近は新しいものを追いかけなくなりました。

そうだったんですね。ただ、メンバー間でいま熱い音楽みたいな話にはなるんじゃないですか?

DK:長谷川白紙が熱いという話はありましたね。あと藤井風とか。

へえ! それは意外かも。

DK:たとえばブラック・カントリー、ニュー・ロードは話題にすら挙がらないですし……。たぶん、みんなチェックはしてると思うんですけど。

えっ、それも意外です。

DK:自分たちとやってることが近いかも、みたいな意識もあまりない気がします。やっぱり背景からすべて違いますからね。

なるほど。バリバリ意識してるのかなと勝手に思っていたので、それは面白いですね。いま名前が出たブラック・カントリー、ニュー・ロードはアンサンブル自体が民主的に作られているという話もありますよね。Strip Joint は岸岡さんがリーダーということですが、サウンド自体はメンバーの意見が反映されてどんどん変化する感じなんでしょうか。

DK:俺がリーダーとして最終判断をする立場にあるので、「これでいいかな」みたいな感じでメンバーが聞いてくるというのはあります。ただ、アルバムに入っている “Hike” と “Against The Flow” って曲は1年半前くらいにリハをしたときに、俺がスタジオに入らず、他のメンバー5人でアレンジを考えてもらったことがあって。

“Hike” と “Against The Flow” はアルバムのなかでも、とくにアレンジが異色の曲ですよね。

DK:それで面白いアイデアが出てきたので。なんとなく西部劇っぽいイメージみたいな話はしてたんですけど、あそこまでドラマティックに大仰な感じになると思っていなかったので、びっくりしました。アルバムは半分ぐらいがメンバーのアイデアを有機的に生かしたもので、残り半分は俺が頭のなかで緻密に組み立てたものをみんなにそのまま演奏してもらった感じです。ゆくゆくは有機的な部分がもっと増えていったらいいなって思ってますけど。

いまのはいい話ですね。“Hike” や “Against The Flow” がアルバムに入っていることによって、Strip Joint の個性が目立っているところがあると思うので。いっぽうで、歌詞の世界観やテーマはどんなふうにメンバー間でシェアしているんですか?

DK:みんなでアレンジを練るっていうのはありつつも、まずはデモを俺が渡しているので、そのときに歌詞を見てもらう感じですね。

歌詞が英語なのは自然な選択だったんですか?

DK:最初にはじめたバンドが英語だったので、その延長でしかできてないっていうのはあります。いつか日本語でも書けるように、もっと幅を広げていく必要があるんだろうなとは思ってるんですけど。聴いてきたものの影響を素直に出したというのもあったし、リズム感が好きというのもあります。

サウンド的にもフィットする?

DK:それはそうですね。英語できちんとポップスを作ることも、日本人がやってできないわけがないじゃないかという想いはあります。

あと、岸岡さんが英米文学の素養があるのも関係しているのかなと僕は想像しているんですけど。

DK:そこは出したかったんでしょうね。こういうのを知ってるぞ、というのは(笑)。

(笑)具体的に、アルバムに入っている文学からの影響はありますか?

DK:“Yellow Wallpaper” って曲は、シャーロット・パーキンス・ギルマンの同名の小説(邦題『黄色い壁紙』)から取ってます。それがすごく面白い小説で、いまはフェミニズムの文脈で評価されている短編なんですけど。女性が主人公で、医者の夫に「あなたは安静にしてなければならない」と言われて、言われたとおりにしていたら頭がおかしくなって、壁紙からひとが出てくる妄想を抱くという内容のホラーです。現代で生きることの抑圧みたいなものを、そこから着想を得て自分なりに書いてみようと思いました。

そうだったんですね。アルバム・タイトルの『Give Me Liberty』はエミリー・ブロンテの同名の詩からの引用ということでしたが、フェミニズム文学からの影響は意識的にあったんですか?

DK:うーん、それは偶然だと思います。

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自分たちがやってることの意味を話し合おうよっていう時間があって。で、大事なのは自由なんじゃないかって話が出たんですよ。そのときは「Liberty」って言葉は出てないですけど、たぶんそのことが頭にあって

最近は変わってきていますけど、インディ・ロックは長らく白人男性中心の文化でもありましたよね。いまの話って、偶然にせよ Strip Joint にフェミニズム文学の影響が入っているのが面白いと思ったんですよ。Strip Joint はメンバーの男女比が自然に半々になっているのもいいなと個人的は感じています。

DK:それは自然な成りゆきでしたね。まあでも、俺の性格的に男友だちよりも女友だちのほうができやすいというのもあります。

へえー! いいですね。

DK:最初、島本さんを誘ったのも話しやすかったし、音楽の趣味があったというのがあって。はじめサポートで入ったトランペットの雨宮さんとキーボードの富永さんは、島本さんのサークルの友人だったので、それも自然な流れでしたね。

日本のインディ・ロックのシーンもまだまだ「男子」が中心の文化なのかなと、僕は個人的には感じてしまうところがあるんですけど、Strip Joint は自然と男女が混ざっている感じがあって現代的だなと思います。ただ、メンバーがやや多いなかで苦労することはありますか?

DK:うーん……ステージが狭い。

(笑)でも、それはカッコいいと思いますよ。

DK:そうですか(笑)。ギターとか当たりそうになりますね。

逆に、6人いることの強みは感じますか?

DK:面白い音楽をやっているなってパッと伝わりますし、そう言われることも多いですね。サウンドの幅も広がりますしね。ギター、ベースだけじゃできないオーケストレーションがあるので、作曲者としてのやりがいはあります。面白いバンドのコンポーザーでいられるのは楽しいですね。

岸岡さんはピアノを学ばれていたということもあると聞きましたが、コンポーズしたい気持ちも強いんですね。

DK:そうですね。

そのコンポーザーとしての姿勢もあって『Give Me Liberty』はアレンジメントの幅が広いのがいいと思います。こういうファースト・アルバムにしたいというのは事前にあったんですか?

DK:これまでもアルバムを作ろう作ろうと言ってたんですけど、自分たちにアルバムを作る能力があるんだろうかと不安に思ってたんですよ。で、曲がいろいろあるなかでどうやってレコーディングしようか悩んでいたところを、〈kilikilivilla〉の与田さんに出会って。それでいろいろ相談できて、レコーディングのこともわかっている方がいてっていうところで、ようやく自分たちのベストを尽くすのを心置きなくできる状況になりました。時間があったのでデモを作りためることもできて……、だから純粋に自分たちにできるベストをやろうっていうのがいちばん大きかったですね。

それはファースト・アルバムらしい話ですね。与田さんからリクエストはあったんですか?

kilikilivilla与田:とりあえず4年ぐらい活動していたなかからベストを選ぼうって感じですね。アルバムとしてのイメージというよりは、この曲は入れてほしい、この曲はこういう感じにしてほしいというようなリクエストはけっこうしました。

なるほど。ちなみに最高のファースト・アルバムと言われて思いつくのは?

DK:まあアークティックでしょうね(笑)。

野田:やっぱり1枚目もいいよね(笑)。

DK:MGMTのファースト(『Oracular Spectacular』)も最高ですね。あとはやっぱりオアシスじゃないですか。あとさっき与田さんとも話してたんですけど、プライマル・スクリームのファーストも最高ですね。

それらに共通するものってありますか? なぜ最高なのか。

DK:瑞々しさ、ですね。自分たちのファーストがどんな価値があるのかわからないので、並べていいのかわからないですけど(笑)。

いや、全然並べてだいじょうぶだと思いますよ。とくに達成感があるのはどんな部分ですか?

DK:時間かけて準備したのもあって、同じような曲ばかりじゃなくて、バラエティのあるものにできたとは思います。あと、昔の曲を突っこむこともしたんですけど、そのままでは入れたくなくて、歌詞の書き換えもしたんですよ。英語圏のひとに読まれても、文学的な意味で言いたいことが何かというのは伝わるものになっていると思います。

なるほど。これは野暮な質問ですが、その「言いたいこと」をあえて説明するとどういうものになりますか?

DK:そうですね……まともに生きていて、社会からのメッセージをひとつひとつ聞いているとしんどいじゃないですか。自分のナマの感情が死んでいく感じがする。そういったものに対して反抗をしてもいいんだぜ、みたいなところですかね。

いまの社会の閉塞感に対する苛立ちがある?

DK:ボーッとしてると、自分のなかにある感受性や、心を動かす想像力がだんだん薄れていくのがわかるし。そうじゃないときの自分のほうが好きだから、それを忘れないという決意表明として曲を書いているところはあります。

ギター、ベースだけじゃできないオーケストレーションがあるので、作曲者としてのやりがいはあります。面白いバンドのコンポーザーでいられるのは楽しいですね。

アルバム・タイトルのなかの「Liberty」というのも、社会的な言葉でもありますよね。このタイトルにした理由をあらためて教えてください。

DK:メンバーで自分たちがやってることの意味を話し合おうよっていう時間があって。で、大事なのは自由なんじゃないかって話が出たんですよ。そのときは「Liberty」って言葉は出てないですけど、たぶんそのことが頭にあって、パラパラと詩集をめくってるときに目に留まった言葉です。自分が大事にしていることを端的に表したいい言葉だと思ったし、バンド・メンバーと共有できるとも思ったし。メッセージ性があるのもいいと思いました。

そういうところも含め、Strip Joint はインディらしいDIY精神があるバンドだと思います。そういったインディペンデント精神はライヴハウスでの活動ともつながっていると感じますが、Strip Joint にとってライヴ活動を続けていく意義はどういうところにありますか? かなり頻繁にライヴをすることを自らに課しているそうですが。

DK:バンドの数が多いなかで、きちんと存在をアピールしないとあっという間に忘れられるっていうのを、一年くらい活動しなかった時期に体感してるので。そこは責任を持ってライヴを続けていきたいと思っています。いまやっている規模よりももうちょっと集客できるようになって、これまでお世話になってきた小さなライヴハウスに恩を返したい気持ちもあります。ただ、自分たちのやりたいことをやって、自主企画をやって、ってしていてもなかなかうまくいかないことが多くて。これからどんどん大人になっていくなかで、不安や自信の持てなさのほうが正直大きい。圧倒的に売れなかったとしても健全にバンドを続けていくあり方を探すというのは、今後のシリアスな課題ですね。

その不安のなかでもとにかく動く、っていう時期なんでしょうか。

DK:そうですね。月イチで必ずライヴをして、次のアルバムも作って、みんなで協力していきたいというところですね。

そんななかで、自主企画イベント〈iconostasis〉では多様なミュージシャンが出演されているとのことですが、ああいったイベントをするモチベーションはどんなものですか?

DK:10代のときに東京に出てきて、インディ・ロック・バンドの出てるイベントにテクノやトランスのアクトが出演し、彼らがジャンルの垣根なく情報交換していたりしていたのを見てたんですよ。そういうパーティがすごくカッコよかったんですよね。バンドが順番に出てきて、終わったらライヴハウスのひとに頭下げて、打ち上げして、みたいなのじゃなくて、アーティストそれぞれが主体的にやっているのがいいと思ったし。自分がバンドをやるなかでも、いわゆるバンド・イベントみたいなものじゃないものをイチからやりたいと思っていましたね。今回はずっと続けていたことの集大成として企画しました。

いやほんと、アーティスト主体であるのが伝わってくるイベントですね。では最後に、Strip Joint としての今後の最大の目標は何でしょう?

DK:10年後、20年後にも、自分の書いた曲に誇りを持って演奏できていればそれでいいと思います。

そのためにもっとも必要なことは何だと思いますか?

DK:日々めげずに、前向きに、やるべきことをやっていくことかなと思います。

それはストイックな。これからの地道な活動に期待しています。

DK:ありがとうございます。

 インタヴューの後日、小岩のBUSHBASHで開催されたStrip Joint主催のイベント〈iconostasis#7〉に足を運んだ。そこには洒落ているが自然体のインディ・キッズたちが集まっていて、思い思いに個性的なインディ・ミュージシャンたちの音を楽しんでいた。
 6人には狭く見えるステージに登場した Strip Joint は、生演奏でも高いアンサンブル力を発揮し、集まったオーディエンスの熱を上昇させていた。アルバム収録曲以外にもジャジーな揺らぎが感じられる実験的な曲も披露され、バンドのさらなるポテンシャルを思わせる一幕もあった。が、何より重要なのは、大きな場所でなくとも、確実に自分たちの手で音楽をシェアする空間を作り上げようとする意思が漲っていたことだ。Strip Joint がより多くのひとに発見されるのは、そう遠くのことではないだろう。

Zettai-Mu“ORIGINS” - ele-king

 大阪の KURANAKA a.k.a 1945 が主宰するパーティ、《Zettai-Mu “ORIGINS”》最新回の情報が公開されている。今回もすごい面子がそろっている。おなじみの GOTH-TRAD に加え、注目すべき東京新世代 Double Clapperz の Sinta も登場。10月15日土曜はJR京都線高架下、NOONに集合だ。詳しくは下記よりご確認ください。

Zettai-Mu “ORIGINS”
2022.10.15 (SAT)

next ZETTAI-MU Home Dance at NOON+Cafe
Digital Mystikzの Malaが主宰する UKの名門ダブステップ・レーベル〈DEEP MEDi MUSIK〉〈DMZ〉と契約する唯一無二の日本人アーティスト GOTH-TRAD !!! ralphの「Selfish」 (Prod. Double Clapperz) 、JUMADIBA「Kick Up」など(とうとう)ビッグチューンを連発しだしたグライムベースミュージックのプロデューサーユニット〈Double Clapperz〉Sinta!! CIRCUS OSAKA 人気レギュラーパーティー〈FULLHOUSE〉より MileZ!!
大阪を拠点に置くHIPHOP Crew〈Tha Jointz〉〈J.Studio Osaka〉から Kohpowpow!!
27th years レジテンツ KURANAKA 1945 with 最狂 ZTM Soundsystem!!
2nd Areaにも369 Sound を増設〈NC4K〉よりPaperkraft〈CRACKS大阪〉のFENGFENG、京都〈PAL.Sounds〉より Chanaz、DJ Kaoll and More!!

GOTH-TRAD (Back To Chill/DEEP MEDi MUSIK/REBEL FAMILIA)
Sinta (Double Clapperz)
MileZ (PAL.Sounds)
Kohpowpow (Tha Jointz/J Studio Osaka)
and 27years resident
KURANAKA a.k.a 1945 (Zettai-Mu)
with
ZTM SOUND SYSTEM

Room Two
Paperkraft (NC4K)
FENGFENG (CRACKS)
Chanaz (PAL.Sounds)
DJ Kaoll
Konosuke Ishii and more...
with
369 Sound

and YOU !!!

at NOON+CAFE
ADDRESS : 大阪市北区中崎西3-3-8 JR京都線高架下
3-3-8 NAKAZAKINISHI KITAKU OSAKA JAPAN
Info TEL : 06-6373-4919
VENUE : https://noon-cafe.com
EVENT : https://www.zettai-mu.net/news/2210/15

OPEN/START. 22:00 - Till Morning
ENTRANCE. ADV : 1,500yen
DOOR : 2,000yen
UNDER 23/Before 23pm : 1,500yen
※ 入場時に1DRINKチケットご購入お願い致します。

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R.I.P. Pharoah Sanders - ele-king

 2022年9月24日、ファラオ・サンダースが永眠した。享年81歳。昨年フローティング・ポインツとの共作『Promises』をリリースした〈ルアカ・バップ〉からのツイッターでニュースが拡散されたが、終の棲家のあるロサンゼルスで家族や友人に看取られて息を引き取ったということで、おそらく老衰による死去だったと思われる。享年81歳というのは、2年前に他界した交流の深い巨星マッコイ・タイナーと同じで、短命が多いジャズ・ミュージシャンの中でも比較的高齢まで活動したと言える。
 ジャズの歴史のなかでも間違いなくトップ・クラスのサックス奏者ではあるが、長らく正当な評価がなされてこなかったひとりで、日本においても長年あまりメジャーなジャズ・ミュージシャンという扱いは受けてこなかった。フリー・ジャズや前衛音楽の畑から登場してきたため、ある時期までは異端というか、アンダーグラウンドな世界でのカリスマというレッテルがつきまとってきた。ただし、1980年代後半からはクラブ・ジャズやレア・グルーヴの世界で若い人たちから再評価を受けると同時に、バラード奏者としても開眼し、かつてのフリー・ジャズの闘士という側面とはまた異なる評価を得ることになる。

 私自身もフュージョンとかを除いたなかでは、マイルス・デイヴィスでもジョン・コルトレーンでもなく、ファラオ・サンダースが初めてのジャズ体験だった。1990年ごろだと思うが、それまでロックにはじまってヒップホップとかハウスとかクラブ・ミュージックを聴いて、そこからソウルやファンクなども掘り下げていったなか、ファラオの “You’ve Got To Have Freedom” をサンプリングした曲から原曲を知り、それからファラオの世界にハマっていった。“You’ve Got To Have Freedom” はいまだ自分にとっての聖典であり、ジャズという音楽の尊さや気高さ、自由というメッセージに溢れた曲だと思う。
 フリー・ジャズというタームではなく、スピリチュアル・ジャズという新たなタームが生まれ、いまはカマシ・ワシントンなどがそれを受け継いでいるわけだが、その源流にいたのがファラオ・サンダースであり、現在のサウス・ロンドンのシャバカ・ハッチングスにしろ、ヌバイア・ガルシアにしろ、多くのサックス奏者にはファラオからの影響を感じ取ることができる。サックスという楽器にとらわれなくても、音楽家や作曲家としてファラオというアーティストが与えた影響は計り知れないだろう。

 改めてファラオ・サンダースの経歴を紹介すると、1940年10月13日に米国アーカンソー州のリトル・ロックで誕生。クラリネットにはじまってテナー・サックスを演奏し、当初はブルースをやっていた。1959年に大学進学のためにカリフォルニア州オークランドへ移り住み、デューイ・レッドマン、フィリー・ジョー・ジョーンズらと共演。その後1962年にニューヨークへ移住し、本格的にジャズ・ミュージシャンとして活動をはじめる。最初はハード・バップからラテン・ジャズなどまで演奏していたが、サン・ラー、ドン・チェリー、オーネット・コールマン、アルバート・アイラー、アーチー・シェップらと交流を深め、フリー・ジャズに傾倒していく。
 そうしたなかでジョン・コルトレーンとも出会い、1965年に彼のバンドによる『Ascension』へ参加。コルトレーンのフリー宣言と言える即興演奏集で、マッコイ・タイナーやエルヴィン・ジョーンズら当時のコルトレーン・グループの面々のほか、アーチー・シェップ、マリオン・ブラウン、ジョン・チカイら次世代が競演する意欲作であった。これを機にジョン・コルトレーンはマッコイやエルヴィンとは袂を分かち、夫人のアリス・コルトレーンやラシッド・アリらと新しいグループを結成。ジョンと師弟関係にあったファラオも参加し、1967年7月にジョンが没するまでグループは続いた。

 コルトレーン・グループ在籍時の1966年、ファラオは2枚目のリーダー作となる『Tauhid』を〈インパルス〉からリリース。“Upper Egypt & Lower Egypt” はじめ、エジプトをテーマとしたモード演奏と即興演奏が交錯し、自身の宗教観を音楽に反映した演奏をおこなっている。ファラオの演奏で特徴的なのは狼の咆哮とも怪鳥の叫びとも形容できる甲高く切り裂くようなサックス・フレーズで、高度なフラジオ奏法に基づきつつ、内なる情念や熱狂を吐き出すエネルギーに満ちたものだが、すでにこの時点で完成されていたと言える。
 コルトレーン没後はショックのあまり暫く休止状態にあったが、未亡人であるアリス・コルトレーンのレコーディングに参加するなどして徐々に復調し、1969年に〈ストラタ・イースト〉から『Izipho Zam』を発表。1964年に夭逝したエリック・ドルフィーに捧げた作品集で、ファラオにとって代表曲となる “Prince Of Peace” を収録(同年の『Jewels Of Tought』では “Hum-Allah-Hum-Allah-Hum-Allah” というイスラム経典のタイトルへ変えて再演)。シンガーのレオン・トーマスと共演した作品で、当時の公民権運動やベトナム戦争に対する反戦運動にもリンクするメッセージ性のこめられたナンバーである。ある意味でスピリチュアル・ジャズの雛型のような作品で、現在のブラック・ライヴズ・マターにも繋がる。

 レオンとのコラボは続き、同年の『Karma』でも代表曲の “The Creator Has A Master Plan” を共作。彼らの宗教観とアフリカへの回帰、アフロ・フューチャリズム的なメッセージが込められたナンバーだが、こうしたアフリカをはじめ、アラブ、インド、アジアなどの民族色を取り入れた作風が1960年代後半から1970年代半ばにおけるファラオの作品の特徴だった。1970年代前半から半ばは〈インパルス〉を舞台に、『Deaf Dumb Blind-Summun Bukmun Umyunn』『Black Unity』『Thembi』『Wisdom Through Music』『Village Of The Pharoahs』『Elevation』『Love In Us All』などをリリース。『Wisdom Through Music』と『Love In Us All』で披露される名曲 “Love Is Everywhere” に象徴されるように、愛や平和を表現した楽曲がたびたび彼のテーマになっていく。
 また、『Elevation』で顕著なインド音楽のラーガに繋がる幻想的な平安世界も、ファラオの作品にたびたび見られる曲想である。グループにはロニー・リストン・スミス、セシル・マクビー、ジョー・ボナー、ゲイリー・バーツ、ノーマン・コナーズ、ハンニバル・マーヴィン・ピーターソン、カルロス・ガーネットなどが在籍し、それぞれソロ・ミュージシャンとしても羽ばたいていく。彼らは皆スピリチュアル・ジャズにおけるレジェンド的なミュージシャンたちだが、ファラオのグループで多大な影響や刺激を受け、それぞれの音楽性を発展させていったと言える。

 1970年代後半にはフュージョンにも取り組む時期もあったが、〈インディア・ナヴィゲーション〉へ移籍した1977年の『Pharoah』では、1960年代後半から1970年代初頭に見せた無秩序で混沌とした演奏から変わり、水墨画のように余計なものをどんどん削り、ミニマルに研ぎ澄ましてく展開も見せている。時期的にはブライアン・イーノがアンビエントの世界に入っていった頃でもあり、もちろんファラオ本人にそうした意識はなかっただろうが、ある意味でそんなアンビエントともリンクしていたのかもしれない。
 そして1979年末に再びカリフォルニアへと拠点を移し、〈テレサ〉と契約して心機一転した作品群を発表する。その第一弾が『Journey To The One』で、前述した “You’ve Got To Have Freedom” を収録。フリー・ジャズやフュージョンなどいろいろなスタイルを通過したうえで、再び原点に立ち返ったようなネオ・バップ、ネオ・モードとも言うべき演奏で、かつての〈インパルス〉時代に比べ軽やかで、どこか吹っ切れたような演奏である。ピアノはジョー・ボナー、ジョン・ヒックスというファラオのキャリアにとって重要な相棒が、それぞれ楽曲ごとに弾き分けている。
 1981年の『Rejoice』は久々の再会となるエルヴィン・ジョーンズほか、ボビー・ハッチャーソンらと共演した作品で、女性ヴォイスや混成コーラスが印象的に用いられた。同年録音の『Shukuru』ではヴォイスやコーラスとストリングス・シンセを多層的に用い、ジャズに軸足を置きながらもニュー・エイジやヒーリング・ミュージックに繋がる世界を見せる。一方で1987年の『Africa』では、アフリカ色の濃いハイ・ライフ的な演奏からモード、バップ、フリーと幅広く演奏しつつ、バラードやスタンダードなどそれまであまり見せてこなかった世界にも開眼。穏やかだが情感溢れる演奏により、これ以降はバラードの名手としての評価も加わるようになり、1989年の『Moon Child』、1990年の『Welcome To Love』といったアルバムも残す。

 このように正統的なジャズ・サックス奏者としての地位も確立する一方で、1987年の『Oh Lord, Let Me Do No Wrong』ではレゲエを取り入れた演奏も見せるなど、つねに新しいことに対する意欲や探求心を持って演奏してきたミュージシャンである。1990年代以降はクラブ・ミュージックの世代から再評価されたことを自身でも受け、ビル・ラズウェル、バーニー・ウォーレル、ジャー・ウォブルらと共演した『Message From Home』『Save Our Children』を発表している。日本のスリープ・ウォーカーから、ロブ・マズレクらシカゴ/サン・パウロ・アンダーグラウンドなど、国、世代、ジャンルの異なるミュージシャンとの共演も盛んで、そうしてたどり着いたのが遺作となってしまったフローティング・ポインツとの『Promises』であったのだ。文字通り死ぬまでボーダーレス、ジャンルレス、エイジレスで自由な活動を続けた稀有なミュージシャンだった。

Babylon - ele-king


 1970年末から1980年代にかけてのUKは、移民と極右との激しい闘争の時代でもあった。度重なる差別と抑圧のなかで勃発した1976年のノッティングヒル・カーニバルでの暴動は有名だが、1981年のブリクストンやトクステスでも暴動は起きている。これらは、警察の嫌がらせに対する反乱が起爆剤となった。『バビロン』は、人種をめぐっての政治的な緊張状態にあったこの時代のロンドンを舞台にした映画で、当時のレゲエ文化のリアルなシーンを描いている。
 物語は、サウンドシステムを使ってのバトル(サウンドクラッシュ)への出場を控えた、ひとりの青年(当時アスワドのメンバーだったブリンズリー・フォード)を中心に繰り広げられる。相手はジャー・シャカで、主人公は仲間と一緒に、サウンドクラッシュに向けて着々と準備をするが、彼の前にはさまざまな困難が待っている……。

 まず嬉しいのは、当時のUKのサウンドシステム文化が見れること。なるほど、こうやっていたのかと。再開発されるずっと前のロンドンの荒んだ町並みもいい。もちろん、劇中では素晴らしいレゲエとダブが鳴り響いている。ヤビー・ユーやI-ロイのディージェイ・スタイル、ジャネット・ケイのラヴァーズ、それからなんといってもアンドリュー・ウェザオールも愛したアスワドの名曲“Warrior Charge”、この映画のテーマ曲だ(ちなみにそのサウンドトラックにおいては、『女パンクの逆襲』のヴィヴィエン・ゴールドマンが同曲でトースティングをしている)。
 思想家ポール・ギルロイが言ったように、体を揺さぶり、低音を聴き、感じることができるロンドン中のレゲエやダブのサウンドシステム文化は、現代社会に対する過激な批判を秘めていると、映画『バビロン』を見ると納得する。『ガーディアン』が書いたように、「暗いダンスホールは、参加者を抑圧的な現在から連れ出し、音楽の歌詞は、資本主義の下で働くことのつまらなさを鋭く突く」。
 ジャマイカとはまた違ったUK独自のレゲエ/ダブのドキュメント、2019年にニューヨークでプレミア上映され大きな反響を呼んだという本作、本邦初上映です。

原題 : Babylon | 監督:フランコ・ロッソ│脚本:マーティン・ステルマン、フラン コ・ロッソ│撮影:クリス・メンゲス│音楽:デニス・ボーベル、アスワド 出演:ブリンズリー・フォード、カール・ハウマン、トレヴァー・レアード、ブライ アン・ボーヴェル、ヴィクター・ロメロ・エバンス、アーチー・プール、T.ボーン・ ウィルソン
1980 年│イギリス │カラー│94 分 |
配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィ ルム | 宣伝:VALERIA

■10月7日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次ロードショー

Plaid - ele-king

 2022年は名曲 “Nort Route” 30周年にあたる。この記念すべきタイミングで、プラッドが3年ぶりにニュー・アルバムをリリースすることになった。通算11枚め。おなじみの〈Warp〉から11月11日に世界同時発売。前作『Polymer』(2019)では環境破壊をテーマにしていた彼らだが、今回はファロークスなる惑星で開催されたフェスティヴァルでのショウ──という設定があるらしく、なにやら示唆的なコンセプト・アルバムとなっているようだ。公開中の新曲 “C.A.” を聴きながら楽しみに待っていよう。

PLAID
惑星ファロークスから響き渡る至福の電子音
11作目となる最新アルバム『FEORM FALORX』のリリースを発表!
新曲 “C.A.” を解禁!

〈WARP〉が誇るエレクトロニック・ミュージックのオリジネイター、プラッドが待望の最新アルバム『Feorm Falorx』のリリースを発表し、先行シングル “C.A” を解禁した。アルバムは11月11日に世界同時発売となる。

Plaid - C.A. [Visualiser]
https://youtu.be/kjjjX30MjAo

〈WARP〉との契約30周年を目前に控えた今、エド・ハンドリーとアンディ・ターナーによるユニット、プラッドがエレクトロニック・ミュージックの発展と音楽シーン全体に与えてきた影響の大きさを改めて考える時が来た。80年代後半から活動している彼らは、革新的なエレクトロニック・ミュージックにおいて象徴的な存在であり、プラッド名義はもちろん、ザ・ブラック・ドッグ、バリルといった名義で作品を発表し、またビョークとのコラボレーションでも幅広い音楽ファンを魅了した。

11枚目となるアルバム『Feorm Falorx』では彼ら特有の遊び心と心地良いミステリアスさが絶妙なバランスで表現されている。前作『Polymer』に漂うダークな雰囲気と比較すると今作は全体的に穏やかなサウンドで、代名詞である美しいメロディーに満ち溢れている一方、多彩なサウンドがリズミカルに展開する。

テクノロジーを強く支持するプラッドは、『Feorm Falorx』において、最先端のサウンドでありながら、暖かく人間的でノスタルジックな、ハイテク・レトロ・フューチャリズムを表現している。今もなお進化を続ける彼らだが、本作では彼ら自身の音楽的背景を辿ることもできる。初期のより奇抜な作品から現在に至るまで、彼らは新しい合成方法を取り入れ、多様な音楽スタイルを探求し、彼らの青春だという初期のヒップホップから、それに影響を与えた60年代、70年代のサウンドまで紡ぐ糸を維持している。一聴してわかるというものではないが、耳をすませば、そこにはプリンスの “Soft and Wet”、ボブ・ジェームズの “Westchester Lady”、ジェスロ・タルの “Bouree” などに見られるユニークなグルーヴが感じられるだろう。

サウンドの創造性における解放感と軽快さは、惑星ファロークスで開催された銀河系の祭典『Feorm Festival』でのパフォーマンスを再現するというアルバムのコンセプトにも反映されている。惑星ファロークスの大気を生き抜くため、彼らは光へと姿を変えたが、そのおかげで宇宙船ザ・キャンベルに搭載された従来の録音装置は機能しなかった。地球の宇宙局に相談したところ、そのパフォーマンスをロンドンのスタジオで再現しても大丈夫だと判断され、改めて録音したものを徹底的にテストした結果、思想的な汚染も「完全に許容できるレベル」と判断された。

アルバムのアートワークと今作におけるアーティスト写真のイメージは、AI技術や写真合成技術、OpenAIが開発した機械学習モデル、DALL?Eを使って作成されている。今後公開が予定されているミュージック・ビデオやグラフィック・ノベルもAI/AR技術を駆使し、惑星ファロークスの世界観を形成していく。

プラッドは、長年に渡ってツアーや様々なコラボレーションを行なっている。近年ではBBCコンサート・オーケストラのために楽曲を制作した。またゲーム音楽や映画音楽も手がけ、そのうちのひとつ『鉄コン筋クリート』(マイケル・アリアス監督)は日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞を受賞している。

プラッドの最新アルバム『Feorm Falorx』は11月11日に、CD、LP、デジタル/ストリーミング配信で世界同時リリース。CDは日本語帯・解説書付きの国内流通仕様で発売される。

label: Warp
artist: Plaid
title: FEORM FALORX
release: 2022.11.11

BEATINK.COM: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13025

tracklist:
01. Perspex
02. Modenet
03. Wondergan
04. C.A.
05. Cwtchr
06. Nightcrawler feat. Mason Bee
07. Bowl
08. Return to Return
09. Tomason
10. Wide I’s

Spoon × Adrian Sherwood - ele-king

 テキサスはオースティンのロック・バンド、スプーン(バンド名の由来はCAN。ドラマーのジム・イーノはチック・チック・チックのプロデュース経験あり)の最新アルバム『Lucifer On The Sofa』を、なんと〈On-U〉のボス、エイドリアン・シャーウッドがリワークする。題して『Lucifer On The Moon』。もともとはシングル曲だけのリミックス依頼だったものの、その結果に歓喜したバンドはアルバム全体のリワークも任せることにしたそうだ。意外な組み合わせだが、そこはかつてプライマル・スクリームなども手がけていたシャーウッド、さすがの手腕だったのだろう。先行公開されている “On The Radio” と “My Babe” を聴いてみても……たしかにこれはかっこいいですわ。『Lucifer On The Moon』は11月4日に、〈マタドール〉よりリリース。

interview with Nils Frahm - ele-king

 ニルス・フラームは、ポスト・クラシカルの旗手としてもはや押しも押されもせぬ存在である。
 彼のプロフィールとしてまず筆頭に来るのはピアニストとしての顔であることは衆目の一致するところだろうし、続いて作曲家、電子音楽家という顔を持つことももちろん重要だ。しかし、2018年の『All Melody』以来4年ぶりとなるオリジナル・アルバム『Music for Animals』を聴いたひとは誰でも驚愕するに違いない。
 このアルバムからは彼のトレードマークであったあのピアノの音が聴こえてこないのだから。

 驚くのはそれだけではない。この『Music for Animals』のトラック数は10。しかしそのランニングタイムのトータルは3時間を超えるのである。密やかなフィールド・レコーディングによるノイズからフェイドインしてくるオープニング・トラック “The Dog with 1000 Faces” のランニングタイムは26分21秒もあるのだ。
 これまでのニルス・フラームのトラックはだいたいそんなに長いものではなかった。ポスト・クラシカルの作品は得てして尺が長くなりがちなのだが——それはそれで素晴らしい体験をもたらすのだけれど——ニルス・フラームの作品は比較的コンパクトにまとまったものが多い印象があった。
 しかし今作は違う。トラックタイムは1曲目から順に26分21秒/13分28秒/13分9秒/24分48秒/18分15秒/27分3秒/7分26秒/15分2秒/18分32秒/22分37秒。もちろんこのくらい長い尺を持つトラックは、アンビエントなどの電子音楽系ではさして珍しいものではないだろう。だが、ニルス・フラームのこれまでの作風からすると、このトラックタイムの急激な増加はいったい何を意味するのか。

 じつはニルス・フラームはこのアルバムのリリースに先立ち、何枚かの未発表曲集と、初期のオリジナル・アルバム2作をリリースしている。Covid-19禍によって自己の過去と向き合うということだったのかもしれないが、しかしそういうふりかえりを経て制作された新しい作品がこのような(これまでのニルス・フラームの作品を知る者にとっては)すっかり装いを新たにしたものになっているということに、やはり聴き手としてはいろいろな憶測を巡らせてしまうのである。

 ……と、いろいろなことを考えながら、ベルリン在住のニルス・フラームとZOOMで繋がって話しはじめようとしたのだが、どうも様子が変だ。画面に映るニルスの背後は白塗りの壁。本人は上半身裸で麦わら帽子のようなものをかぶってリラックスした雰囲気である。聞けば「いま、スペインでバカンス中」なのだという。しかしよく話を聞くと、バカンスというのではなく、ベルリンとスペインの二重生活を送っているようなのだ。そういえばCovid-19禍初期の2020年にソニック・ブームにインタヴューした際、彼もいまはイギリスを離れてポルトガルに暮らしているという話を聴いたことを思い出した。南欧はいま、音楽的に注目のスポットということなのか。

社会が必要な人間と不必要な人間に分けられたように、僕も自分のカタログを「人が聴いてもいい、良い曲」と「そうじゃない曲」に分けることにした。〔……〕過去の古いハードディスクは取り外して、ゴミ箱に捨てられるんだ。

もうCovid-19はすっかり日常の風景になってしまった観もありますが、ベルリンの生活の状況はどうですか?

ニルス・フラーム(Nils Frahm、以下NF):もう誰も気にしてないと思う。世界中の国と同じく、ドイツもロックダウンがあって、生活は大きく変わったりしたわけだけど、いまは僕が見る限り、誰も気にしていないし、口にもしない。まるでそんなことなかったかのようだ。自分でも驚いているよ。しばらくの間は世の中でCovid-19問題について考えることがいちばん大切なことのように思えたけど、いまはウクライナの戦争──ベルリンとは地理的にも近いし──ヨーロッパの猛暑への不満だったり……。人間っていうのは、同時にふたつのことしか心配できないんだ。三つ、四つと心配するのは不可能なのさ。

なるほど、優先順位が移ったということですね。

NF:優先順位、そう、まさにそれだよ。

いまのあなたの日常生活はどんな感じですか? 音楽制作については後でたくさん話してもらうと思うので、音楽制作以外で、パンデミックはどのような影響、もしくは変化をあなたにもたらしましたか?

NF:自分のスタジオがあり、楽器もあり、アイディアは頭の中にあるので、仕事はそのまま続けられたわけだけど、以前のように演奏するモチベーションが持てなかったね。以前はアスリートのように音楽に取り組んでいたんだと思う。世界のすべてのものごとがすごいスピードで動いていて、自分もそれに慣れていたんだよ。それが突然、文化もコンサートも不必要なものになってしまった。コロナ禍になって最初のころさかんに論議されたのは、社会生活にとって必要で重要で意味ある仕事──例えば消防士、警官、医療関係者、食料品店など(いわゆるエッセンシャルワーカー)──と、それ以外の無用で無意味な仕事という線引きだ。前者の人間はずっと仕事をしつづけられたが、後者の人間はなにもできなくなった。僕の友人のほとんどはアーティストや文化系の仕事をしてるので、みんな無意味な人間になっちゃったのさ。そのことについてはいまだに考えるよ。実際、アートも音楽も無意味なのかもしれない。将来、世の中にとって意味あるものは、食料と兵器だけになってしまうのかもしれない。

今回の新作の前に、あなたはまず昨年2021年に、2009年に制作されながらリリースされていなかった『Graz』、2009年から2021年までに制作されたピアノ・ソロを23曲も集めた大作『Old Friends New Friends』をリリースし、今年に入るとファースト・アルバム『Streichelfisch』、セカンド・アルバム『Electric Piano』という、〈Erased Tapes〉レーベルからリリースする以前の2枚の作品をあなた自身のレーベル〈Leiter〉からリイシューし、また過去のEPと未発表曲からなるコンピレーション・アルバム『Durton』をリリースするなど、Covid-19時代になって過去の音源に再び向き合う姿勢を見せました。もちろんCovid-19によるロックダウンで外に出られない日々が長く続いたということもあるのでしょうが、これらのリリースは、あなたにとってどういう意味がありましたか?

NF:君が言うように、時間がたっぷりあったし、他に何をしていいのかも確かじゃなかった……というか、再び音楽を作るのかどうかもわからなかった。もしこの先音楽がなくなって、農家か警官か兵士になったとしたら、僕はもうカタログの心配をしなくてよくなるわけだよね。それで、社会が必要な人間と不必要な人間に分けられたように、僕も自分のカタログを「人が聴いてもいい、良い曲」と「そうじゃない曲」に分けることにした。20年間で作った全作品を聴き直し、『Graz』『Empty』『Old Friends New Friends』などをリリースし、同時にそれ以外の曲をすべて削除したんだ。いまはもう何も隠しているものはないよ。これですべてだ。おそらく僕は線を引きたかったんだと思う。ひとつの時代を終え、決して振り返らない。いま現在の僕の脳と耳で決めたんだから、もう心配はしないよ。将来、「もしかしてニルスはいいものを作っておきながら、リリースせずに隠してるんじゃないか?」と思って、僕のハードディスクを見られたとしても、良いものはなにも残ってないんだ。過去の古いハードディスクは取り外して、ゴミ箱に捨てられるんだ。


©LEITER

僕はアルバムをハンバーガーを売るように売ってるわけじゃないし、金を儲けるために作ってるわけでもない。もし金を儲けたければ、金融取引とか広告業界とかNFTとか暗号通貨とか、音楽以外の職についているよ。

私はあなたの音楽をデビュー時から聴いていて、10数年でゆっくりとあなたが変わっていく様を見届けてきました。そんな私ですら、あなたの音楽はリリースされるたびに毎回変化を遂げていて驚かされているというのに、これらのリイシューによって、あなたを新しく「発見」したリスナーにとっては、極めて短期間にあなたの歩みと変遷を経験したわけです。新しいリスナーにしてみれば「Nils Frahmっていったいどういうアーティストなんだ?」と驚いたのではないでしょうか?

NF:確かに、新しいリスナーの入口としては難しいのかもしれないね。あまりにもたくさんの音楽があって「自分の好きな曲はどれだ?」と選ぶことからスタートしなくちゃならない。でもね、正直に言うけど、人はもうアルバムなんて聞いちゃいないよ。Spotifyに行ってその中の4、5曲だけを聴くか、プレイリストに入っていたから聴くというだけで、アルバム全部を聴く人はごくわずかだ。それはたぶん日本人のリスナーだろうね(笑)。だから僕は自分の音楽があるスペースを作った。そこから好きにプレイリストに入れる曲を選んでくれればいい。僕はそれで構わない。つねに思ってきたことなんだが、僕がいつそのアルバムをリリースしたかなんていう情報は実はあまり重要じゃないんだ。例えば『Screws』をリリースしたのは2011年だけど、あれを2022年のいま、初めて見つけて聴いて「私のお気に入りのアルバムだ」と言ってくれる人がいるわけだよ。自分が好きだと思えるものを見つけるのに、10年かかる人だっているんだ。『Spaces』は2013年に作ったが、今年あれを買って、新しい音楽として聴いてくれる人もいる。だから短期間で数多くの作品を出すことは、いまは少し人を混乱させることかもしれないと思ったが、10年後には誰も気にしないし、覚えてもいないと思ったのさ。

先程、「ひとつの時代を終える」とおっしゃっていましたが、では新作『Music for Animals』は新しいチャプターのはじまりだということでしょうか?

NF:ああ、その通りだよ。これは作るつもりはなかったが、あまりにも時間があったので、できたアルバムなんだ。ニーナ(ニルスの妻)がグラスハーモニカを弾いているのは、ロックダウンで会える人が一緒に住んでる人だけだったからだよ。アルバムが持つテーマや作られた状況は、歴史が一旦(コロナによって)切り離された状況と一緒なんだ。パンデミック以前のキャリアと、パンデミック以降のキャリア、と言っていいよ。

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人間ではなく、まるでエイリアンが作ったかのような、もしくは自然が作ったかのような音楽、というのかな。西洋の感覚でいう “エゴ” のないものにしたかった。〔……〕僕を通り越して、僕がそこに介在しないものにしたかったんだ。

『Music for Animals』は、実に3時間以上に及ぶ長大な作品になりました。しかもトラックは10個しかないのに、です。これまであなたの作品は一部を除けば10分を超える曲はほとんどなく、どれも5分前後のコンパクトな曲が多かった。しかし今回のアルバムは、なかには30分に近い長大な曲もいくつかありますね。このような長時間をあなたの曲が必要とするようになったのはどういうことを意味しているのでしょうか。

NF:長い曲である必要はなかったし、全部の曲の短いヴァージョンを作ることもできたんだけど、それでは真実を隠すことになると思ったのさ。僕はスタジオで曲を書きはじめ、セッションをはじめ、ある程度時間がたったところでようやく「いま、自分がいいと思える方に曲をナビゲートできているな」と感じるわけ。だから曲の最初と最後はあまり気に入ってなかったりする。これまでのアルバムの曲は、そういった良くない部分を全部カットしたヴァージョンだったわけさ。初期のころの自分は、曲を聴き直しては「これでは長すぎる、短くしなきゃ」と思い、曲を短くすることが恒例になってしまったんだ。曲を書いたら手はじめに「長すぎると思われないように、どう短くするか」を考える、というようにね。でも本来、自分のために曲を演奏しているときは──今回はニーナと一緒だったけど──これだけの長さだったというのが真相なんだ。『Music For Animals』の曲はどれもライヴ・インプロヴィゼーションだ。譜面を書いて演奏したわけではなく、スタジオに入り、演奏した。ライヴ・コンサートを聴いてもらっているようなものさ。テンポもペースも演奏されたまま。それを切り取ってしまいたくないな、と感じたのさ。短くしてもよかったけど、そうしたら何かが欠けてしまったかもしれないわけだからね。

なるほど。さきほど、人はアルバムを聴かないと言ってましたね。確かに聞き手はイントロを数秒聴いて次の曲にスキップ、というようなことを普通におこなうようになりました。そんななか、あなたが今回そういったアルバムをあえて作った、というのは何か意図があったのでしょうか?

NF:僕はアルバムをハンバーガーを売るように売ってるわけじゃないし、金を儲けるために作ってるわけでもない。もし金を儲けたければ、金融取引とか広告業界とかNFTとか暗号通貨とか、音楽以外の職についているよ。もしアーティスト──なんていうものがまだ存在するのなら──僕らは生きている時代を反映させたアートを作るべきだと思う。僕らはみんな、急がされ、あわただしく、不安とストレスと恐怖の中、友人とか愛といったものの欠如、時間を無駄にしていることへの恐れを感じながら生きている。『Music For Animals』で僕が言っているのはそういうことだよ。いま、僕らの周囲で起きていることへの僕なりのステイトメント。Spotifyのような配信サービスでアーティストはより短い曲を作るように促される。2分聴いて、もう一度聴かれれば、その分印税が入るし、短ければプレイリストに入れるのにも楽で、プレイリストが何度もストリーミングされ……。30秒でその曲全部のクレジットをもらえるという、変なルールがあるのさ。つまり2分の曲でも20分でも同じ。だから皆、短い曲をたくさん作る。でも僕は思うんだけど、お金は決して最高のコンポーザーじゃない。最高のアーティストでもない。もちろん、お金がインスピレーションを生むことはあると思う。誤解しないで、お金は存続するためには必要なものだ。ただし、僕はミュージシャンにはキャリアやお金の心配はしないで、作りたい音楽を作れ、と言いたいんだ。僕の作る音楽を聴いて、何かを感じてくれている人もいるわけだから、みんながそれを実践すればいいんだと言いたい。妥協するなってことさ。『Music For Animals』は確かに長いアルバムだし、誰もやったことがないかもしれないけど、やることは可能なんだ。好きになってくれても、嫌ってくれてもいい。論議を呼ぶかもしれない。だってアルバムの中にはなんにもないんだ。あるのはサウンドとループだけ。でも、もしかしたらそこに心の声を見つける人がいるかもしれない。能動的なリスニング体験をすることで、初めて音楽を好きになるかもしれない。能動的に音楽を聴くというのは、すなわち曲を聴きながら、曲をコンポーズするのと同じことだ。たいがいの曲は120%完成したコンパクトな形でリスナーに届くから、リスナーは何もすることがない。イベントが次々起こるようなものだ。でも僕は曲の半分しか外に出さない。残りの半分は中に留まったまま。リスナーの天才的な心がそれを見つけ出してくれると思ってるんだ。しかも毎回違う結果を伴ってね。『Music For Animals』は、音楽にやるべきことをやらせる、一種の実験なんだ。コンポーザーはそこには介在せず、音楽に人間が及ぼすインパクトをすべて排除した。人間ではなく、まるでエイリアンが作ったかのような、もしくは自然が作ったかのような音楽、というのかな。西洋の感覚でいう “エゴ” のないものにしたかった。たいていの、いや、すべてのコンポーザーは、自分の書く音楽に自分自身が現れるものだ。彼らの体験や視点が、彼らが外に出すもの、つまり音楽の基本を形成している。でも僕はそうじゃなくて、僕を通り越して、僕がそこに介在しないものにしたかったんだ。

人が自分の息よりも長い音を出すには、息を吸い込まなければならない。でも吸い込む息のないサウンド、吐き出す息しかないサウンドを出す楽器は、ある種の神のようなものなんだ。僕らの知ることを超えているという意味で、神に近い。

今回はピアノを使ってませんね。そもそもあなたの音楽にはいつもアコースティック・ピアノというイメージがありました。ましてあなたは2015年からはじまったイベント《Piano Day》の創立者でもあります。そんなあなたがピアノという楽器から離れようとしたのはどういう理由があったのでしょうか。

NF:特別な理由があったわけじゃない。エゴを排除したアルバムというコンセプトに、ピアノはそぐわなかっただけだ。ピアノというのは人間の声のようであることも多く、エゴのない形は難しい。それをやろうとするとハロルド・バッドブライアン・イーノのようになってしまう。ハロルド・バッドがやってたのは、ピアノをウィンドチャイムのように弾くということだ。ウィンドチャイムは風に揺られて音が出る。自分から音を出しているわけではない。そこにエゴはない。アンビエント・ミュージックだ。基本的には12音技法、もしくはセリエル音楽と同じで、12の音すべてに同等の意味や重要性がある。そこから、正しくない音を省いていく。そういう音楽を聴き、自分でも試そうとしたことがあるけど、どうしても他のコンポーザーが書いた曲のようになってしまうんだ。ハロルド・バッドや他の好きなコンポーザーのようにね。それは僕がすでに知っていることなので、僕が望むのはこれではないと思ったんだ。

グラスハーモニカの話が先ほど出ましたが、この楽器は、18世紀に発明され、その後爆発的人気を博しながらも健康障害を引き起こすという噂が広がって一時廃れ、近年また脚光を浴びたそうですね。発明したベンジャミン・フランクリンが「天使の声」と形容したとも聞いています。あなたはどうしてこの楽器に着目されたのですか?

NF:人間の息の長さよりも長い音を出せる楽器というのは、そういくつもないんだ。例えばトランペットも長い音を出せるが、いずれは息が切れて音は止まるよね。でも世界中、スピリチュアル・ミュージックには無限の音を出せる楽器が必要とされる。インド音楽には手動オルガンのハルモニウムがあり、楽器にふいごで空気を送り込むことによって永遠に続く音を作り出せるんだ。それは一種の宇宙だ。普通、音は自然や地球から生まれ、そこで終わる、それが現実というものだ。すべての音にははじまりと終わりがある。でもスピリチュアルでコズミックな音には終わりがない。ドローンのように。海の音のように。吹き続ける風のように。西洋の伝統には教会のオルガン(パイプオルガン)があるが、あれも永遠に音を続かせることができる。人が自分の息よりも長い音を出すには、息を吸い込まなければならない。でも吸い込む息のないサウンド、吐き出す息しかないサウンドを出す楽器は、ある種の神のようなものなんだ。僕らの知ることを超えているという意味で、神に近い。ヴァイオリンも長い音を出せるが、それでも弓を返す時に音はどうしても途切れてしまう。継続する音を出せる楽器はごくわずかなんだ。グラスハーモニカはそのひとつ。シンセサイザーもそうだね。


©LEITER

人間だって、結局は動物。僕らは動物という家族の一員だ。これは人間から生まれた音楽でもないし、人間のための音楽でもない。

収録曲のタイトルについて。「動物のための音楽」と言う割には、動物の名前は「犬」「ムール貝」、「かもめ」、「羊」と、最初の4曲にしか使われていませんね。強いて言うなら9曲目の「レモン」も動物のひとつに入るでしょうか……

NF:いや、レモンは動物じゃないよ(笑)。

ですね(笑)。それ以外の曲も含め、どうしてこういうタイトルにしたのか、理由を聞かせてください。

NF:インストゥルメンタルの曲のタイトル選びっていうのは、一種のジョークのようなもので……。歌詞がないわけだから、何かしらの名前をつけなきゃならない。新しい猫を2匹家に迎えたら、「なんて呼ぼう?」と考えて、名前をつけるのと同じ。僕としては笑えるタイトルが好きなんだ。だって曲を作るプロセス自体が楽しいわけだからね。タイトルによって曲の雰囲気に何かが加わることもあるので、繊細な曲を、例えば「レモンの日」、もしくは「ムール貝の記憶」と呼ぶことで、その曲自体が少し変わってくることもある。タイトルをどうするかは、決して5分で決めるようなことはせず、しばらく考えるけれど、タイトルがすごく重要だとは思っていないんだよね。「Music For Animals」も僕とニーナの頭の中では、ずっと仮のタイトルだったんだ。今回はロックダウン中だったから友人に聴かせることもしなかったので、聴いているのは僕らと猫2匹と犬だけ。彼らは音楽を聴きながら、寝たり、リラックスしているようだった。というか、他の音楽を聴いているときより、ぐっすりと眠っていたんだ。実際、猫と犬でテストをしたんだけど、僕らの音楽はリラックスにいい効果があったみたいだよ。人間だって、結局は動物。僕らは動物という家族の一員だ。これは人間から生まれた音楽でもないし、人間のための音楽でもない。パンデミック中に起きていたいろいろなドラマはちょっと僕にはトゥー・マッチなところもあったし、さまざまな決断が知らぬ間に勝手にされていることに、僕自身「いまの時点で、僕は人間が嫌いだ」という思いになったりもしていたんだ。だから動物のためにアルバムを作りたいな、とね。

アルバムのジャケットについてですが、デザインはお父さんのクラウス・フラームによるもので、色使いも含めてとてもシンプルながら光を感じるいいデザインだと思います。このデザインの意味するところをあなたはどう見ていますか? そういえば、左側に文字、右に写真というデザインは、2022年に出た『Durton』と『Old Friends New Friends』、リイシュー版のファースト『Streichelfisch』にも共通していることに気がつきました。これらはあなた自身の希望も反映されているのでしょうか?

NF:ああ、シンプルなアルバム・ジャケットは、僕にとっては意味があるし、目的に適っている。まずアーティスト名は表ジャケットに載ってなきゃだめだ。ここ10〜20年くらい、表ジャケットは写真だけで何も文字を入れないというのが流行りになってたけど、僕はアーティストが誰なのかを知りたい。レコード店でレコードを探すときに写真だけのジャケットは本当に苦労するんだ。レコードの中身は好きなことをやっていいけど、ジャケットに関しては見た目重視のひとりよがりなエゴマニアにならないでくれ! と言いたいね。ジャケットもそうだし、レコード盤にも、必要な情報が全部載っていることが重要なんだ。ちゃんとSide A、Side Bと書いてくれ。曲目も、大きい字で、裏ジャケットにも読める字で書いてくれ! アートに終わりはない、と言わんばかりのジャケットにはうんざりなんだよ。いまはアナログ盤が一種のアーティスティックなステートメントになってしまっているけど、かつてはただ必要な情報を提供するものだった。昔のジャケットから学ぶべきだと思う。レコード店で見やすいように、左の上に名前を書く。下だと探しづらいだろ? 僕の作品のアートワークがどれも似ているのは、正解はこれしかないからなのさ。それにこのストラクチャーが決まっていれば、毎回「ジャケットをどうしよう?」と頭を悩ませて、いかにクレイジーな新しいことを試すか、ということをしなくて済むしね。

2023年にはライヴが予定されているとのことですが、このアルバムの曲を丸ごとライヴで演奏するのでしょうか? それとも何曲かピックアップして、あとは既存曲を演奏するとか?

NF:確かに『Music For Animals』はライヴ向きのアルバムではないかもね。スローすぎるし、皆を眠らせてしまう。なので、何曲かを新たにライヴ・ヴァージョンとして書き変えようと思っているよ。ニーナがツアーには同行しないので、グラスハーモニカもない。まあ、これはもともと音量が小さい楽器なので、エレクトロニックなライヴでは使えないんだ。他にもいろいろとライヴ・プロジェクトにするにあたっては制約があるアルバムなので、これまでとはまったく違うものをライヴ用に作る予定だ。考えてみればバカな話さ。たいていの場合、アルバムを作ったらそこで仕事はひとつ終えるわけだから、あとはそれをライヴでパフォーマンスするだけだ。ところが今回はライヴに必要なプラスアルファの仕事をこれからしようと思ってるんだからね。昔からレコードを作るときはレコードを作り、ライヴをするときはライヴをやる、という気持ちでやってきた。ライヴ体験のためにはすべてを変えることもある。家で料理したり、パーティーをしながら聴くのに適した良いレコードを作るのとはまったく違うチャレンジだからね。ライヴにはもっとダイナミクスが要求される。それをレコードでやってしまうと、音が大きな箇所にくると、会話が聞こえないからと言って音量を下げられてしまい、そのままずっと小さな音で聴かれることになる。家で聴くのと、ライヴは、まるで違う体験なんだよ。

奥さんは同行しないとのことですが、他にミュージシャンは?

NF:今回は僕ひとりだ。将来的には他のミュージシャンを連れて、ということもあるかもしれないが、今回はひとりでやる予定だよ。

まだ日本公演の予定は立てられないかもしれませんが、2013年、2018年に続く来日公演を楽しみにしています。

NF:(笑顔)

街に溢れる最新のiPhoneもソフトウェアも、NFTも暗号なんちゃらもね……僕にはすべてひどい間違いであるように思えるし、その片棒を担がされたくない。僕が唯一興味あるのは、過去を一度振り返って、どこで人間は間違った道を選んだのか、それを話し合うこと。5千年前だったのか、2千年前だったのか……

最後に、あなたがこのCovid-19時代に新しくのめり込んだもの、興味を持ったものについて教えてください。音楽でもいいし、本、思想などなんでも。

NF:ここ最近はスペインで暮らす時間が増え、ベルリンに戻るのは仕事のときだけになった。スペインでは家の外に出て、木を切ったり、動物や植物を相手に自分の手で作業したり、自分たちの食べるものを育てたりしているよ。僕はこれまでずっとスタジオで暮らしてきたけど、太陽の下、自然の中で過ごし、「生きているもの」からなにかを学べるのはいいことだね。楽器にしても、ケーブルにしても、スタジオの中にあるものはすべて「死んだ金属」「死んでいるもの」だ。僕がスタジオを留守にしても成長したりしない。埃を集めて、壊れるだけ。ずっとつねに死んだものに囲まれてきているから、それを変えたいと思ったんだ。イノベーションとか最新のものに、なんだか疲れてしまってる……。街に溢れる最新のiPhoneもソフトウェアも、NFTも暗号なんちゃらもね……僕にはすべてひどい間違いであるように思えるし、その片棒を担がされたくない。僕が唯一興味あるのは、過去を一度振り返って、どこで人間は間違った道を選んだのか、それを話し合うこと。5千年前だったのか、2千年前だったのか……どうやって、ゆっくりと時代を戻って行けばいいのか? そもそもそんなことが可能なのか(笑)? そして実際、何が大切なことなのか? もしかするとそれはオールドスクールと呼ばれることなのかもしれない。たとえば、人間が必要な食糧を機械をいっさい使わずに作ることを考えてみて。トラクターも、エンジンもなく、インフラも、チェーンソーもなしに、すべて人間の手と力と頭だけで作る。それこそ、もっともエキサイティングなことじゃないかな? 人間は全部忘れてしまったんだよ。新しいものに流され、古いもの、良いものを忘れてしまった。でも僕はそこに興味がある。そこにこそ、人間のindependency(他人、相手の影響から自由になる)がある。僕らは忘れてしまってるんだ。あの最新マシンがすごい、この技術が!……と将来だけに目を向けているとき、人間はindependent(自主的、独立)ではなくなる。大きな間違いだと思うよ。早く過去を振り返って学ばないと。先延ばしにして、ハイテク化がもっと進んでしまったら、重要な根本を見直すのがより難しくなる。だからいまは、昔ながらの木や動物を育てる技術に、僕はより夢中なんだ。

さっき猫2匹、犬1匹、他の動物と言ってましたけど、本当に動物を飼ってるんですね?

NF:羊2頭と鶏がいるよ。そんな多くないけどね。趣味の領域だよ。でも僕らがみんなどこからやってきたか、それを感じるには十分なんだ。

Fontaines D.C. - ele-king

 ザ・スミスが引き合いに出されるなど、サウンドのみならずその文学性も称賛されているダブリンのバンド、4月にリリースしたサード・アルバム『Skinty Fia』がそれはもう高い評価を獲得しているザ・フォンテインズD.C.。残念なことにフジロックへの出演がキャンセルとなっていた彼らだが、ここへ来て一陽来復、あらためて初来日公演がアナウンスされている。来年2023年の2月、大阪(梅田 CLUB QUATTRO)と東京(Spotify O-EAST)の2か所を巡回。今日におけるインディ・ロック復権を担う5人組のパフォーマンスを、この目にしかと焼きつけるまたとないチャンスだ。これは行くしかないでしょう。

ニュー・アルバム『SKINTY FIA(スキンティ・フィア)』がUKアルバム・チャート1位、を獲得。
2022年を象徴するロック・バンドに成長したフォンテインズD.C.。
無念のフジロックのキャンセルを経て遂に初来日公演が決定!

『Japan Tour 2023』

FONTAINES D.C.

Fontaines D.C.はアイルランドのダブリン出身のポストパンク・バンド。2019年4月、デビュー・アルバム『Dogrel』をリリース。アルバムはNME(5/5)、The Guardian(5/5)、Pitchfork(8.0/10)と各メディアで高い評価を獲得。UKチャートの9位、アイルランド・チャートの4位を記録し、ツアーは軒並みソールド・アウト。Rolling Stone誌は「我々のお気に入りの新しいパンク・バンド」とバンドを絶賛。The Tonight Show with Jimmy Fallon にも出演し、アルバムはRough TradeとBBC 6Musicの年間ベスト・アルバムの1位を獲得。2019年のマーキュリー・プライズにもノミネートされた。2020年7月にはセカンド・アルバム『A Hero’s Death』をリリース。アルバムはUKチャートの2位、アイルランド・チャートの2位を獲得。アルバムは多くのメディアで年間ベスト・アルバムの1枚に選ばれ、第63回グラミー賞の「Best Rock Album」にもノミネートされた。また、2021年4月、バンドはブリット・アワードの「International Group」にもノミネートされた。アイルランドという自らのアイデンティティを問うサード・アルバム『スキンティ・フィア』はUKアルバム・チャート1位、アイルランド・アルバム・チャート1位を獲得し。待望の初来日公演が決定した!

2023年2月17日(金)大阪 梅田 CLUB QUATTRO

2023年2月18日(土)東京 Spotify O-EAST

(問)SMASH:https://smash-jpn.com/

2022.4.22 ON SALE[世界同時発売]

全英2位を記録しグラミー賞/ブリット・アワードにノミネートされた前作から2年、フォンテインズD.C.の新作が完成。
アイルランドという自らのアイデンティティを問うサード・アルバム『スキンティ・フィア』、リリース。

●プロデュース:ダン・キャリー

アーティスト:FONTAINES D.C.(フォンテインズD.C.)
タイトル:SKINTY FIA(スキンティ・フィア)
品番:PTKF3016-2J[CD]
定価:¥2,500+税
その他:世界同時発売、解説/歌詞/対訳付、日本盤ボーナス・トラック収録
発売元:ビッグ・ナッシング/ウルトラ・ヴァイヴ

収録曲目:
01. In ár gCroíthe go deo
02. Big Shot
03. How Cold Love Is
04. Jackie Down The Line
05. Bloomsday
06. Roman Holiday
07. The Couple Across The Way
08. Skinty Fia
09. I Love You
10. Nabokov
11. I Love You - Live at Alexandra Palace*

*Bonus Track

「Fontaines D.C.の最高傑作」- Rolling Stone ★★★★★
「インスタント・クラシック」- The Times ★★★★★
「息を呑むようなコレクション」- NME ★★★★★
「自分たちの進むべき道がはっきりしたバンド」- DIY ★★★★★
「Fontaines D.C.はここに留まるだけではなく、支配するためにここにいることを証明する」- The Line Of Best Fit (10/10)
「彼らはこれまでの最高傑作を作った」- Dork ★★★★★
「Fontaines D.C.はますます良くなっている」- The i Paper ★★★★★ (Album of the Week)
「この時代の最も重要なグループのもう一つの勝利」- Record Collector
「今世紀最もスリリングなギター・バンドの一つ」- Mr. Porter
「ファンタスティックなアルバム」– Uncut
「巨大なパワーと目的を持ったもうひとつの作品」- The Telegraph

NME (★★★★★)
DIY (★★★★★)
The Times (★★★★★)
Rolling Stone (★★★★★)
The i Paper (★★★★★)
Evening Standard (★★★★)
Daily Express (★★★★)
Daily Star (★★★★)
The Guardian (★★★★)
Upset (★★★★★)
Dork (★★★★★)
The Line of Best Fit (10/10)
Uncut (9/10)
Sunday Times Culture (★★★★ & Album of the Week)
Record Collector (★★★★)
MOJO (★★★★)
Loud and Quiet (9/10)
Louder Than War (9/10)
CLASH (8/10)
Gigwise (9/10)
Examiner (★★★★★)
Irish Times (★★★★)
Pitchfork (8/10)

●Fontaines D.C.はサード・アルバム『Skinty Fia』を2022年4月22日、Partisan Recordsよりリリースする。プロデューサーのDan Careyと3度目のタッグを組んだ『Skinty Fia』は、全英2位を記録し、BRIT Awards 2021(ブリット・アワード)とGRAMMY(グラミー)にノミネートされた2020年のセカンド・アルバム『A Hero's Death』に続く作品となる。バンドが最初に世界的な注目を集めたのは、2019年にリリースされたデビュー・アルバム『Dogrel』が、その年に最も高く評価された作品のひとつとなり、Mercury Music Prize(マーキュリー賞)のショートリストに選ばれた時だ。それ以来、彼らはここ数年で最も新鮮で刺激的な若いバンドの1つ、として認知されている。BRITS(Best International Group)、GRAMMY(Best Rock Album)、Ivor Novello Awards(Best Album)にノミネートされた後、バンドはパンデミックのロックダウンから戻り、『Skinty Fia』の作業を終える前に、ロンドンのAlexandra Palaceでのチケット1万枚全てをソールド・アウトさせた。『Skinty Fia』はアイルランド語で、英語に訳すと「the damnation of the deer(鹿の天罰)」となる。アルバムのカバーには、自然の生息地から連れてこられ、人工の赤い光に照らされた家の廊下に置き去りにされた鹿が描かれている。大きな鹿はアイルランドでは絶滅種であり、バンドのアイルランド・アイデンティティに対する考えは、『Skinty Fia』の中心をなす。『Dogrel』にはダブリンのキャラクター(「Boys In The Better Land」のタクシー運転手等)のスナップショットが散見され、『A Hero's Death』ではバンドがツアーで世界を回る中で感じた疎外感と断絶が記録されているが、Fontaines D.C.は『Skinty Fia』で、自分たちが新しい人生を別の場所で作り直す中、遠くからアイルランド性を訴えているのだ。D.C.は「Dublin City」の略で、故郷というものが体内に脈々と流れるバンドにとってのこのアルバムは、視野を広げる必要性と、残してきた土地と人々への愛情を解決しようとする姿を見せてくれるものである。『Skinty Fia』には『Dogrel』の荒々しいロックンロールや、『A Hero's Death』の荒涼とした雰囲気が存在する。しかし、三部作の三枚目となるこのアルバムは、より広大でシネマティックだ。Fontaines D.C.は常に進化を続けているバンドだ。結果、『Skinty Fia』には、移り変わるムード、驚くべき洞察力、成熟等が内包され、大きく感情移入できる作品へと仕上がった。

●Fontaines D.C.はアイルランドのダブリン出身のポストパンク・バンドだ。メンバーはCarlos O'Connell(g)、Conor Curley(g)、Conor Deegan III(b)、Grian Chatten(Vo)、Tom Coll(Dr)。5人がダブリンのミュージック・カレッジで出会い、バンドはスタートした。2019年4月、デビュー・アルバム『Dogrel』をリリース。アルバムはNME(5/5)、The Guardian(5/5)、Pitchfork(8.0/10)と各メディアで高い評価を獲得。UKチャートの9位、アイルランド・チャートの4位を記録し、ツアーは軒並みソールド・アウト。Rolling Stone誌は「我々のお気に入りの新しいパンク・バンド」とバンドを絶賛。The Tonight Show with Jimmy Fallon にも出演し、アルバムはRough TradeとBBC 6Musicの年間ベスト・アルバムの1位を獲得。2019年のマーキュリー・プライズにもノミネートされた。2020年7月にはセカンド・アルバム『A Hero’s Death』をリリース。アルバムはUKチャートの2位(1位はTaylor Swift)、アイルランド・チャートの2位を獲得。アルバムは多くのメディアで年間ベスト・アルバムの1枚に選ばれ、第63回グラミー賞の「Best Rock Album」にもノミネートされた。また、2021年4月、バンドはブリット・アワードの「International Group」にもノミネートされた。

■More info: https://bignothing.net/fontainesdc.html

対談 - ele-king

 ときは1973年。ブルースとロックンロールを愛する静岡の高校生たちは「静岡ロックンロール組合」を名乗り、情熱の赴くまま1枚のレコードをつくり上げた。題して『永久保存盤』。21世紀になり一度CD化され、ロウファイ・ガレージ・ロックの文脈でも再評価された同アルバムが、アナログ盤として半世紀ぶりに蘇る。音質重視の12インチ45回転2枚組で復刻される同作について、オリジナル・メンバーである鷲巣功と、巣鴨のモッズ・バンド「イギリス人」の黒沢ビッチたつ子りんが語り合い、そして以下、鷲巣氏自らが記事を執筆してくれた。(編集部)


和気あいあいと話すふたり。向かって左がたつ子りん、右が鷲巣功。

 「マトイチ」という言葉をご存知だろうか。CDが登場する前も塩化ビニールのレコードというアナログ音楽録音作品は、発表前にA / B面の曲をそれぞれの間を取って順番に並べ、全体の最終的な音量や音質などを調整する「マスタリング」行程が、盤に溝を切り込む技師(カティング・エンジニア)によって仕上げられていた。その際、完成したレコード盤にはレイベル付近の溝のないところに、カティング・エンジニアの自筆で「matrix 1」という爪痕が刻まれる。「完成作品第一版」の証しだ。
 いま世の中ではロック名盤の「完成作品第一版」が密かな人気で、「マトイチ」と呼ばれているそうだ。中には酷い音量、音質で世に出された盤も多く、極端な例としてはA / B面が逆になっている不良品もあるという。もしこれが有名グループのものであったらば、郵便切手の「エラー」印刷と等しく、驚異的な値段で取り引きされそうだ。
 「マトイチ」からは初回ロットとして一定の量の複製、つまり一般的に言えば、商品としてのレコード盤が産み出される。後任の担当者がそのマスタリング状態に不備不満を感じてカティング作業をやり直す場合もあり、そうすると「matrix 2」になるので、「マトイチ」はそこで葬られ、余計に貴重となる。昨今では、誤字脱字誤植が山のようにある初版本のような価値が付くらしく、この領域にも好事家が出現し始めたらしい。
 先日ある場所で、マーヴィン・ゲイの “レッツ・ゲット・イト・オン” は、イギリスで出た17cmシンゴー盤の音が一番だ、と聞いた。その伝説をわたしは知らなかったので、急にこのシンゴーを欲しくなった。ただし、この噂は発売直後からあるらしいので「マトイチ」でなければダメだ。生きている間に “レッツ・ゲット・イト・オン” のイギリス・シンゴー盤、その「マトイチ」に逢えるだろうか。
 今回の対談の相手役であるモッズバンド「イギリス人」のヴォーカルのたつ子りんは、この「マトイチ」を集めているそうだ。形よりも実を取る性癖のたつ子りんは、盤が「マトイチ」ならばジャケットなどボロボロでも構わない、という徹底ぶりで恐れ入る。
 ブライアン・ジョーンズに憧れてハモニカを吹くところから本格的に音楽と触れたという彼は、新宿のロフトでアナログ・レコード・コンサートのDJを務めたりしていた。冴えたオーディオ感覚を持つ若い世代のたつ子りんには、今回蘇ったこのアナログ「『永久保存盤』マトイチ」を是非とも聞いて欲しかった。

 「僕は『永久保存盤』のマトイチをまだ聞いたことがないので、この音は非常に新鮮ですが、50年前のマトイチはどんなだったんですか」
 冒頭、45回転30cmLP2枚組A面の “シャンのロック” と “レインボウ・クイーン” を聞き終えた後、たつ子りんからこう聞かれた。
 『永久保存盤』は1973年5月に30cmLPの形で世に出た。手許にある発注書を見るとプレスは全部で70枚だ。7人のメムバはもちろん、周囲の関係者にも御礼として配ったから、多分それで殆どが無くなってしまった筈だ。わたしは古くからの友達に在庫1枚を売った覚えがあるが、それで制作費が取り戻せた訳ではない。
 その「マトイチ」の音はひどかった。田舎の子供はマスタリングという行程がある事すら知らずに、マスターたる4トラック19cm/sec.のオープン・リール・テイプを、プレスをしてくれる会社に持ち込んだだけだ。しかもA / B面とも20分を超える演奏時間で、既にその時点で良い音にするのは無理だったのだが、初代マトイチはそれを通り越したもっと酷い音だった。わたしですら針を落として、「あれえ」と違和感を持った。
 だから20年前にこの「名盤」が発掘されて水面下で小さな話題になった時に、わたしはたいそう悔しい思いをした。浜松駅前のレコード店では10万円という高値で買って帰った人が実在したという。その奇特なお方にも、せめて「絶対不変的な良い音」で「おお、これは」と言わせたかったのだ。
 発掘後の再発CDの音には不満はない。あの時点で精一杯の結果だ。そもそもこの『永久保存盤』は、決してオーディオフォニックな音ではないのだ。現場で関わった誰もが、その種の感覚を持ち合わせていなかった。故にもう少し良い音で塩化ビニール盤を刻って欲しかった。と、ここまでは、全て恥ずかしい言い訳である。
 今回は45回転30cmLP2枚組だ。アナログ・レコードにこれ以上の条件はない。実際「良い音」で出来上がった。あの時の「4トラック19cm/sec.のオープン・リール・テイプ」の音が出ている。これが正規の「マトイチ」だ。今から50年前の1973年春、殆ど国産の民生機材で、田舎の素人集団が、ここまでやれたのだ。

 「そのころ世界的な流行の波は2~3年遅れて日本に入って来てたんですよね。静岡となると、そこから半年くらいは更に遅くなったんですか」
 年齢不詳の、モッズバンド「イギリス人」のヴォーカリストたつ子りんは、
 静岡市に接している清水市で生まれ育った。わたしとは相当に歳が離れているから、あの田舎町界隈での音楽活動時期が重なってはいないが、彼があそこでどうやって音楽を続けていたか、という事には深い興味があった。
 今は政令都市静岡の「清水区」となっている旧清水市は、50年前にも国際貿易港を擁した活気ある町だった。「軽音楽」にイカれた青少年が大勢いて、その動きは派手だった。おしなべて清水の人間たちは聞いている音楽、持っている楽器、表現法、更には着ている物まで静岡ロックンロール組合員たちとは全然違っていて、カッコ良かった。周りにはいつも婦女子が群がっていたし、雑誌に出て来るような存在だったのだ。演奏会などで顔を合わせる度に完敗だった。
 その中のスターが河島信之という男で、わたし達よりひとつ年上、静岡市内にある県立工業高校の機械科に通っていた。1972年当時からグレコの、コピー・モデルだが、レスポールを弾いていた。わたし達はそれだけで大騒ぎだ。後に「すみれセプテンバーラヴ」の一風堂で知られた富士市の土屋昌巳でさえ、当時はヤマハのセミアコ(—スティック・モデル)の安い方だったのに。
 河島信之は音楽に理解のある環境で育ったようだ。家を訪ねたら、グランド(・ピアノ)があって驚いた。静清地区を総ナメにした後は東京に出て来てエアーズというグループで、華々しくデビューしている。
 東京都渋谷区に本校所在地を持つけれど、その発祥は清水市である東海大学付属の第一高等学校、そして工業高校があった事も関係しているのか、清水市の人間たちは、県都の静岡市ではなく東京の方を向いていた。それがたつ子りんの世代ではどう変わっていたのかにも興味はあった。東海一高と工業は1999年に一緒になり、今は東海大学付属静岡翔洋高等学校となっている。

 「結局のところレコードは静岡まで買いに行きました。それか最寄りの店で取り寄せてもらうようなやり方でした。ジミヘンを聞いてワウワウの音に異常な興味を持ちまして、それがギターだと教えらえて、自分で買ったのがなんと生ギター。当然クライ・ベイビーは繋げなかったんです。そのくらい周りに情報は全く無く何も知らなかった。親戚にひとりだけ、サム・クックを知っている人がいた程度です。その人はアメリカ大陸を放浪したりしてたヒッピーでね。その後にオーティス・レディングを聞いて、いいなあ、と思うようになりました。当初はレコード・クレジットをそのまんま信じて、セックス・ピストルズにシド・ヴィシャスとグレン・マトロック、ベーシストが二人が居るじゃないか、じゃあ俺たちにも二人必要だって決めた位なんです」
 まるで笑い話だが、たつ子りんの時代でも情報は不足気味で正確さに欠けていたようだ。加えてそれが上手く理解出来ていなかったという点でも、わたし達の頃とはあまり変わっていない。

 「小学生の時に、同じ町にドラムが出来る奴がいるって噂が耳に入りました。セットも一式持ってて、美術系の父親のアトリエでいつも叩いてるって言うんです。実際には会ったこともないのに、僕はその存在をとても意識しました。その町一番の太鼓叩きとは中学校で一緒になったので、すぐふたりで音楽を始めて『これはイケる』と直感しましたね。でも他のメムバはなかなか決まらなくて。出来そうな奴なら誰でも、っていう具合ですから、ある時にはギターが4人だったりね。特にベイスの人材ではずいぶん苦労しました。演奏技術じゃなくて、やる気があるかどうかですね。練習はよくやりましたけど、上手い奴が下手な奴に演奏を教えて1日が終わるんです」
 彼らの「練習」の様子が目に浮かぶ。手に取るように想像出来る状況だ。この辺もあまり変わりはない。
 「人前で演る機会はあんまりなかった。出られる状態でもなくて、そもそもライヴハウスがない。ハコみたいのはありましたが、そういう所に出入りしてるのは本当に悪い人間だった」。ほとんど同じだ。

 清水市一帯も静岡市と同じく温暖な気候で、陽当たりの良い山肌を利用してミカン栽培をしている農家が多い。
 「ミカンを出荷前に仕舞っておく倉庫で初ライヴしたなあ。エレキを使っての初ライヴは、山の上の作業場までロープウェイで楽器を運んで、自分たちでやりました。電源はバッテリーを使った筈です。それとそこに置いてあった発電機かな。ブヲーってその音がずっとうるさくてね」
 これは涙ぐましい武勇伝である。「ロープウェイ」と言うのは、それぞれの農家が独自に持っていた、山で摘んだミカンを麓まで降ろす電動設備だ。子供たちはこれで遊んでよく怒られていたという。危険なのだ。荷物を積むところは籐で編んだ籠である場合が多く、少なくともアムプやドラムズを運ぶには敵さない。だが若い力の向こう見ず精神は、非現実的事実を実現可能にしてしまう。
 「そこに仲間も呼んで気分はウッドストックでした。ガンガン演っていい気分になってたら、山の中とは言えどこかから騒音の苦情が出たらしくて、親たちが集まって来ちゃって、とても厳しく叱られた。夕方の帰り、山道は真っ暗闇でした」
 そうか、偉いぞ。環境が無ければ自分で造るんだ。音楽を志すなら、このくらいの頑固な思いは絶対に必要だ。

 「このLPは収録順に演奏して録音したのですか」、たつ子りんからの次の質問はこれだった。
 「一曲目と二曲目の音の違いに驚いたんです」、たつ子りんはこうも言った。
 これは正しい指摘である。“シャンのロック” と “レインボウ・クイーン” には明らかな違いがある。“レインボウ・クイーン” は確かに作者であるわたしの頭の中に仕上がった時の響きがあったが、結局は始めから終わりまで通して演奏しただけだし、他の曲でも楽器の持ち替えとか演奏者の入れ替えは殆どない。全曲で全員が担当楽器を持ち場で演奏している。ミクス・ルームでプレイバックを聞きながら音楽を詰めて行く余裕など、全くなかったのだ。
 「この “レインボウ・クイーン” が2曲目に置かれている事で、全体の印象がガラッと変わりました。このアルバムの世界観を作っているような気がする」
 それが良かったのかどうかは、分からない。ただ当時わたし個人は、もっとポップなロックンロールを演りたかった。婦女子から「キャー」と騒がれたかった。男同士の汗臭い世界にウンザリしていたのは事実だ。
 謎の多い録音詳細によれば、これらの楽曲は1973年3月22日に11 曲の全てが録音された事になっている。数十年ぶりにこれを読んだ時、わたし自身も信じられなかった。「まさかひと晩で……」全員18歳の浅学非才な子供たちがこんな事を仕上げるのは無理だ。ただ、最近ではこのデイタを事実として認めるようになって来ている。
 それまでに数日間のセッションはあった。初日に “お金がいちばん” を録って聞いたプレイバックの興奮は今も忘れられない。ただし、わたし達の音楽に精通した専任の録音技術者がいたわけではないから、ミクスもヘッタクレもなく、当然ながらそのテイクはボツになった。
 録音場所はNHK静岡放送局が入っていた建物の「第一スタジオ」だ。ここは天井が高くアップライトながらピアノも置かれていて、NHKが移転した後も市内の健全な合唱団や弦楽器演奏家たちが練習の場として使っていた。「軽音楽」にイカれた不良どもは、休日の工場や寺の境内、騒音に寛容なメムバの家などでエレキをかき鳴らすしかなかった頃だ。“シャンのロック” のイントロで「県民会館第一スタジオ」の音響が少し分かる。
 以前にここを訪れた機会があったわたしは、入って右側に大きなガラス窓があるのに気づいていた。内側からカーテンが引かれていて内部を見ることは出来ないが、これが「調整室」であるのはすぐに分かった。
 「ここなら『雑誌に載っていた写真』で見たようなレコーディングが出来る」。映画『レット・イト・ビ』の場面が心に浮かんだ。静岡市内でマトモな録音が出来るのは、ここだけだ。少なくとも当時わたし自身は他を知らなかった。
 「静岡県民会館」となっていた建物は静岡県の管轄で、第一スタジオの調整室跡は貸し出しの対象外だ。わたしは窓口の女性を努力と忍耐で説得し、使わせて貰った。そこは長いこと放置されていた全くの空部屋で、周辺から強制的に供出させたテイプ・デッキやミキサー卓を置く机すら外から運び込んだ。マルチ・ケイブルなど誰も見たことがない時代で、演奏ブースと調整室の間には数本のコードが通せる細いパイプが通されているだけだった。毎回の録音セッションは、そこに12本のマイク・シールドを通して二つの部屋を電気的に繋ぐ事から始まる。これは大変な作業だったが、ギターの孝弘がすぐに慣れて素早く出来るようになり、大いに助かった。
 楽器や録音機材をリヤカー他の人力で運び込んで設置し、このケイブル通しを行うとそれだけでもうグッタリだ。その後に本来の歌唱と演奏が待っている。わたし達のバンド屋稼業は重労働の連続だ。既にその頃は最も厄介な学業から全員が逃れられていたが、「雑誌に載っていた写真」のように、調整室内で「プレイバックを聞きながら音楽を詰めて行く」どころではなかった。だからひと晩で通しの演奏を録ってそのまんま、というのは事実ではないだろうか。

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 たつ子りんとの “レインボウ・クイーン” に関する質疑応答は続く。
「ハモニカをアムプリファイドしてるでしょう。この頃、もうみんなそうだったんですか」。
 ハモニカを吹いているチャアリイは、恐ろしいほどの集中力を持った男だった。その前は、ギターの近藤良美、ドラムズの竹内康博たちとクリームみたいな音楽を演っていて、ジャック・ブルース真っツァオのベイスを弾いていた。高校を3日で辞めて働いていたので自分で使える金があって、エルクのジャズベース型、そして録音でも使った同社製の大型アムプを持っていた。それがブルーズに急天直下したのだ。わたしはその頃からハードロックが大嫌いだったので、この転向は歓迎した。

 「そうですか、クラプトンからブルーズですか。正しい道のりですね」。
 正しいかどうかは分からないが、チャアリイのハモニカ演奏技術は、日本ビクターから『ザ・ベスト・オヴ・リル・ヲルター』が出た後、飛躍的に上達した。その次には音色に活路を求め、アムプリファイドに辿り着いたのである。実際にヲルターが行っていた事実も知らず、練習場所に転がっていた10ワット程度の小さなギター・アムプにダイナミック・マイクロフォンを直接突っ込んで「ヴォリウム」、「ベース」、「トレブル」、そして「リヴァーブ」までフルテンにする。つまりツマミは全部「10」の位置で、これが奴のセッティングだった。えらく迫力のある音が出た。低出力だからフィードバックも起こらない。その頃この町でハモニカをアムプリファイドしていたのはチャアリイだけだ。
 人格、芸が共に並外れて規格外のサニーボーイ・ウイリアムスンIIが大好きで、自分もハモニカを吹くというたつ子りんはこの日も一本持参していて、色々と話してくれた。その時に持っていたトムボのリー・オスカー・モデルは、今ミック・ジャガーも使っているという代物で、修理用パーツも整えられているそうだ。50年前にはホーナーのブルーズ・ハープとそれを模倣したトンボ・フォークバンドしかなかった。チャアリイは本物の方のブルーズ・ハープを何本も揃えていた。

 わたし達は丁度『永久保存盤』の録音中に七間町という静岡市の繁華街にあった「キングスター」というダンスホールで毎晩演奏が出来た。ステイヂには高価なビンスンのエコーチェムバが置かれ、小型ながら88鍵のピアノもあった。それまで本来の担当楽器であるピアノを弾いて一緒に練習をした事がなかったわたしには嬉しい環境で、毎日開店前に特訓をした。ただそれも全体の流れを頭に叩き込んで通すだけ。最初に演ってみた形を、どこまで間違えずに出来るか、が練習だった。
 その『永久保存盤』録音中に、静岡ロックンロール組合の全員は歌を唄いながら担当楽器を弾いていたのではないか。そうでもしなければ、今どこを演っているのかわからなくなってしまう。ヘドフォンはおろかモニターのひとつもなく、メムバはただ通し演奏をしただけだが、「足らぬ足らぬはソーゾーリョク」とばかりに、全ての不足を世間知らずの逞しい精神力で補っていたのだ。しかもその時はこれがフツーの状況だと考え、足りていない事物が何なのかすら、分かっていなかった。作詞作曲者の心の中にあった “レインボウ・クイーン” の完成形を、彼らがどのように考えて演奏していたか、今となっては知る由もない。

 「はい、それは分かります」。
5曲目の “ロックンロールNO.1” を聞く時、わたしはたつ子りんが口を開く前に「これはクリーデンス・クリアヲ-ター・リヴァイヴォー(以下C.C.R.)の『トラヴェリン・バンド』だよ」と告白した。その時の返事がこれだった。
 年齢不詳のたつ子りんは小学生時代C.C.R.に惹かれ、ベスト盤を買ったらしい。それは冒頭2曲が “スージーQ” と “アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー” という演奏時間の長いブルーズ・ナムバで、たつ子りんはそれらを聞いて閉口し、「俺にロックはまだ早いんじゃないか」と、本気で考えたそうだ。
 “スージーQ” と “アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー”、共に1枚目のアルバムからのシンゴー曲だ。〈リバティ〉からデビューする以前、C.C.R.はサンフランシスコはずれの実演クラブでハコ仕事をしていた。こういう場所ではひと晩で数回のステイヂをこなすのが絶対条件だ。ファンク的なワンコード曲やキイとテムポーさえ決めれば後は同じで何度でも繰り返しが可能なブルーズ・ナムバは、少ない持ち歌の楽団にとっては有難い。「三つ子の魂百まで」なのか、確かにC.C.R.のデビューLP『スージーQ』はハコバン(ド)時代の陰が濃い。その中から極め付けの2曲を最初に続けて聞かされては、幼い子供がウンザリするのも分かる。おかげでブルーズに対するアレルギーは無くなって、その後に聞いたザ・ローリング・ストーンズの “スージーQ” がとても心地よく聞こえたと言う。分かるね、その気持ち。
 C.C.R.はNHKの海外買い付け「軽音楽」フィルム番組の祖「ヤング・ミュージック・ショウ」の1971年第一回で楽しい実演の模様が放送された事もあり、組合員全員が好きだったが、彼らのリパトゥワを自分たちで採り入れる程ではなかった。わたしを除く6人はラジオで流れるヒット曲より、もっとハードロック的な音楽を志向していたのではないか。
 ジョン・フォガティは “アイ・プット・オン・ア・スペル・オン・ユー” を1コーラスしか唄っていない。激しい表現のようにも聞こえるが実に単純なギターのソロを挟み込んで、唄を2回同じように繰り返しているだけだ。ただし結果、スクリーミ・ジェイ・ホウキンズの原曲は2分半足らずなのに、C.C.R.版は4分半を超える「長時間演奏」となった。60年代の終わりには、複雑で難解、かつ非常識な激しい表現で長大な、重たい「軽音楽」が無条件に持て囃された時代であり、C.C.R.の単なる時間引き伸ばし作戦も、周囲には「驚異のニュー・ロック・サウンド」に聞こえたのかも知れない。それでもジョン・フォガティの本質的な歌心とロックンロール魂は、たつ子りんの心を捉えたらしい。ずっと注目を続けていて最近の動向にも詳しい。
 何れにせよたつ子りんは、ロックが一番カッコ良かった十年間に心を奪われているようで、対談中に話題となった音楽は大体わたしですら知っていた。彼の方でわたしに合わせてくれたのかも知れないが、50年前にわたしが目の仇にしていたレッド・ゼペリンの結成時には、キース・ムーンがドラムズ担当だったとか、貴重なよもやま話をいくつか教えてくれた。

 「これは……」と半ば不思議そうな表情でたつ子りんが訊ねたのは、新規マトイチB面最後、第6曲の “女と赤い花” に針がかかった時だった。
 この歌は “レインボウ・クイーン” よりも更に響きが大きく異なる。中途半端なブルーズ・ロック・バンドが、ただその場で演っている演奏ではない。たつ子りんが疑問に思うのも無理のないところだ。
 出来上がってから練習場へ持って行き、皆なに「新曲だ」と披露した時、康博に指定したリズムのアクセントは通常の2拍4拍ではなかった。ここでわたしはピアノではなくアクースティク・ギターを鳴らし、チャアリイも慣れないコンガを叩いている。伸びのあるロング・トーンを活かしたかんばのベイスが美しい。新規マトイチならはっきりと聞き取れる。他の収録曲と明らかに違う響きがたつ子りんの不審感を煽ったらしい。
 もとはシャンがラリって見た夢を基にした歌である。フツーの演奏では面白くない。結果として静岡ロックロール組合としては極めて異質な響きとなった。余談だが、わたしはマーク・ボランが全編でエレキを持つ前の、スティーヴ・トゥックがパカーションを叩いていた頃のティラノザウルス・レクスが好きで、その残像もこの変則的アクースティク・ロック “女と赤い花” には少し映し出されている。
 こんな説明をしたのだが、たつ子りんに分かって貰えただろうか。

 50年かかって出来上がった『永久保存盤』のマトイチ特別試聴会は、33回転時代のB面に入った。“今夜はバッチリ” は、イントロで孝弘がギター低音部の巻弦をピックで擦るのが見えるように生々しい。45回転ならではの音だろう。
 シャンのバカはしゃぎで突っ走る “徹夜ブギウギ” も充分な迫力だ。良美のスライド・ギターも冴えている。彼は一浪後の高等学校入学祝いにアリア製のレスポール・コピーモデルを買って貰っていて、ファズの後に流行りつつあった効果器「ブースター」と共に使っていた。この “徹夜ブギウギ” のソロは、その「ブースター」が際立って活躍している。収録されている何曲かで聞こえる雑音「ガリッ」というのは、そのアッテネータをいじった時の音だ。
 最長の演奏時間となったスローのブルーズ “A39” では、テープのヒスノイズが始まりから終わるまで気になる。しょせんは4トラック録音なのだ。ここで2022年のディヂトー時代に引き戻される。

 さて最後のD面だ。“川合節” は天理教の修行から戻ったチャアリイがこの録音のために持って来た「新曲」なので、誰にも馴染みが薄かった。セッションの終わり頃に手を着けて時間に追われるように仕上げたので、作者は「ないがしろにされた」と40年後にも文句を言っていた。その通りだ。もう少し詰めれば面白くなる要素がある。ただしここまでが1973年当時、静岡ロックンロール組合の限界だった。
 そして、いかにも70年代的な、遅れて来たメセヂ・ソング “ばかっちょい” で、45回転30cmLP2枚組の『永久保存盤』は終わる。音質はすべて極めて良好で、これなら堂々と「50年前の1973年春、殆ど国産の民生機材で、田舎の素人集団が」作り上げたLPの正規の「マトイチ」だ、と胸を張って言える。

 我ながら満足して達成感を味わっていたら、最後にたつ子りんが意外な事を尋ねて来た。
 「パンポットはどのように調整したんですか」。
 この質問には虚を突かれた。録音の全てを司った調整卓の「ヤマハ アンサムボー・システム」略して「YES」は、この国に音楽ミクスという概念を持ち込んだ画期的な新機軸だったが、しょせんは低価格の民生機で、登場後半年ほど経ってモデルチェンヂした後にパンポットのツマミが付いたものの、出入りしていた楽器屋から借り出した初代機の各チャネル出力先は、左か右どちらか片方をボタン・スイッチで選べるだけで、両方を押せばモノーラル出力となる仕様だった。
 諸般の事情によりずっとモノーラル再生で音楽を聞いていたそれまでの体験から、当時のわたしはスティーリオ感覚が貧困だった。これは21世紀の今も変わらず、モノーラルの方が気持ち良く聞ける。ただ今はスティーリオが当たり前で、更に使う音が沢山になって来ると、左右に拡がった音場を的確に利用する感覚が必須だ。
 「レヴェル・フェーダーやイクヲライザーを使わなくても、パンポットで音の場所を決めてやれば、バランス取りは上手く行きます。そういうのは自分がレコーディングを経験して分かった事です」。たつ子りんの言う通りだ。その後このわたしも音楽制作者となり、スティーリオ音場の使い方ほかのさまざまな勉強をしたが、この時は調整室に入っている手伝いに「楽器のソロになったらその楽器の出力チャネルは左右両方にする」と伝えるのが精一杯だったから、定位など考えている余裕はなかった。それでなくても、ひとつもライン録音がなく全てが実際に鳴っている音は、他のチャネルに回り込んでいた。
 この『永久保存盤』はスティーリオのレコードだ。しかし、全体を象徴する最後の一曲 “ばかっちょい” だけが、完全モノーラルになっている。前後に配した、静岡市内の賑やかな交差点で録った街頭音は、使ったカセット・レコーダーがモノーラルで、この辺りにわたしの貧困なスティーリオ感覚が顔を出している。
「この部分がスティーリオで録れていたら、雰囲気はもっと盛り上がったでしょうね」とはたつ子りんの言葉だ。御意。特にイヤフォーンでしか音楽を聞かない最先端の世代には、効果音がスティーリオなのは必須である。ただし、わたしには音楽そのものをモノーラルにした覚えはない。何故だろうか。先の記載録音日と共に『永久保存盤』にまつわる大きな謎である。

 静岡ロックンロール組合でわたしはロックンロール・オーケストラ的なものを意図していた。ジョー・コカーの『マド・ドグズ・アンド・イングリッシュメン』に多大なる影響を受け、そこのバン(ド)マス(ター)だったリオン・ラッソーに憧れていた。だから全員に出来る限り上手そうで滑らかな演奏を求めた。録音も然りで、もっと普通の良い音にしたかった。ただ今になって考えれば、目指していた音楽と静岡ロックンロール組合とは全く次元が違い、ああいうのはプロフェッショナルな人間たちが動き回る世界だ、という事にまるで気付いていなかったのである。採り上げた楽曲の質が違い過ぎる点も分からなかった。
 だからこそ、結局のところ静岡ロックンロール組合の『永久保存盤』は、東海地方の静岡という田舎町の世間知らず達が暴走した、当時はまだ概念すら確立していなかった、極めて「パンク」的なLPになったのではなかろうか。
 総じて、わたしとたつ子りんの時代で、田舎町の音楽状況はあまり変わっていなかったようにも思える。実際に会う前は、さぞかし違った世界が開けているように考えていたが、そうではなかった。これには正直、納得が行く。まあこんなモンではなかろうか。
 敢えて言っておこう。『永久保存盤』の程度の事なら、今この記事を読んでいるあんたにも出来る。五十年後の今ならラクショーだ。ガンガンやってくれ。ロックンロールだ。

 対談が終わって、今回のセッション全域で惜しみない協力をしてくれたオーブライト・マスタリングスタジオの橋本陽英が、「ちょっと確認させて下さい」と、もう一度アナログ盤の “シャンのロック” を回した。そして「大丈夫です」と直ぐに針を上げてから、この前のCD『永久保存盤』について語り出した。
「あの時は『他のCDに音量や音圧感で負けたくない』という思いが強かったので、ダイナミク・レインヂなんかよりそっち優先で作業したんです。その後は時代も少し落ち着きましたんで、今回は本来のマスター・テイプの魅力を引き出す事に専念出来ました」

 有難い言葉だった。CDの利便性にはわたし自身も抵抗出来ないが、世の中がすべて効率的で便利なだけでいいのだろうか、という疑問からは離れられない。特に昨今、あらゆる事をスマフォの中で済ませてしまうような思想にはジンマシンが出る。古い奴だとお思いでしょうが、その延長かこの45回転30cnLP2 枚組『永久保存盤』の制作は、自分自身にとって非常に重要だった。50年かかって、ようやく「マトイチ」が出来た。巻き込まれたみなさん、どうもありがとうございます。
 今回、世代を超えて建設的な意見をしてくれたたつ子りんにはことさら感謝だ。「イギリス人」という風変わりな名前の彼のロックグループの実演予定をここに挙げておこう。そこには静岡ロックロール組合との、何か共通点があるかも知れない。

モッズバンド イギリス人
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CD『永久保存盤』解説書(ユーケー・プロジェクト / DECREC DCRC-0061)
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■静岡ロックンロール組合 LP&Tシャツ通販ページ
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interview with Danger Mouse - ele-king

 それは間違いなく事件だった。ジェイZの『The Black Album』(2003)のリミックスを、あろうことかビートルズの『The Beatles (White Album)』(1968)からのサンプルで制作するという企みは『The Grey Album』(2004)というネット上で流通する作品の形で結実した。その首謀者はデンジャー・マウスという人を食ったような名前をまといキャラ立ちしたプロデューサーだった。ポール・マッカートニーにさえ歓迎されながらも音源使用クリアランスの問題で決して正式にはリリースされないそのスキャンダラスな作品は、ヒップホップにおけるサンプリングというアートフォームの可能性と限界を同時に指し示すものだった。

そしていま約20年の時を経て、マルチプレイヤーとして、プロデューサーとして多くの経験を積んだデンジャー・マウスが、ヒップホップ史上最高のMCのひとりであるブラック・ソートとタッグを組み、再びサンプリングというアートフォームに向き合った作品をリリースした。音声やリズム面の快楽を撒き散らしながらもパズルのように絡まり合う意味をほどいていく面白さを教えてくれるブラック・ソートのリリックと、これまでになくエモーショナルで映像を喚起させるようなデンジャー・マウスのビートの相乗効果は凄まじく、現行のヒップホップ・シーンで盛り上がりを見せるブーンバップ・ルネッサンスに一石を投じる作品となった。『Cheat Codes』と名付けられたこの傑作の成り立ちについて、デンジャー・マウスその人に話を聞いた。

僕が今回求めていたのは、メランコリーでドラマティックなサウンド。

おふたりが出会ってから約20年越しのアルバム完成ということですが、なぜ、どのようにしてこのタイミングでアルバムの共作となったのでしょう?

DM:僕たちが出会ったのは2005年。最初に出会った場所はスタジオで、一緒に音楽やアルバムを作れたらいいねという話になって、そのあとしばらくしてからアイディアをいくつかレコーディングしたんだ。レコーディングしたものは、すごくクールで良かったんだけど、そこからもっと踏み込むつもりで少し寝かせていたら、ふたつのことが起こってしまってね。ひとつはナールズ・バークレイ(Gnarls Barkley)。そしてもうひとつは、タリク(Black Thought)がザ・ルーツの活動で忙しくなったから、お互いに時間がなくなってしまったんだ。で、そこから何年も経って、2010年か2011年にまた会って一緒に曲を作ったんだけど、そのあとまた忙しくなり、またそこから時間が経って、2017年か18年に電話で話した。そのときに、やっぱりどうしてもアルバムを完成させたいという話になって、電話をした2日後くらいにスタジオに入って、制作をはじめて、このアルバムができ上がったんだ。

楽曲の制作プロセスを教えてください。まずあなたがビートを作り、タリクがリリックを書いてレコーディングしていったのでしょうか? 特に普通ではないプロセスで生まれた曲があれば教えてください。

DM:まず僕が、ビートを含めいろいろな種類の音を作って、タリクが朝に僕の家に来て、僕が作ったビートを聴いて、彼がその中から選んだものを使って僕が音楽を書きプレイして、彼がリリックを書き、それをレコーディングした。アルバムのほとんどは、そのプロセスででき上がったんだ。コロナがあったから、ゲストの何人かは一緒にレコーディングできずに別々でレコーディングした曲もあったけど、それはコロナ禍でなくてもあることだから、普通でないとまではいえないかな。エイサップ・ロッキーは一緒にレコーディングしたけど、ラン・ザ・ジュエルズはリモートだったりしたんだよ。シンガーのパートも、別録しなければならなかった部分がいくつかあった。まあ、前からそういうプロセスも経験しているから、めずらしいことではなかったけどね。

今回のサウンドは、サンプリングのループを中心としながらも、マルチプレイヤーのあなたが楽器の演奏を足しているように聞こえますが、どこまでがサンプリングでどこまでが演奏なのか区別できないほど馴染んでいますね。

DM:サンプルだけを使った曲と、サンプルと生演奏がミックスされたものが入った曲があるんだ。それが区別できないほど馴染んでいると思ってもらえたのは嬉しい。それは、僕が意識したことだからね。これまで僕は、生楽器を使った作品もたくさん作ってきたし、サンプルを使った作品も作ってきた。でも今回は何もルールを設ける必要はなかったし、自分が何かを加えたい、加える必要があると思ったらそれを加えるという、本当に直感と自然の流れに任せたやり方で曲を作っていったんだ。僕が今回求めていたのは、メランコリーでドラマティックなサウンド。それを作り出すために、もう少しその感情を表現するために何かが必要だと思ったら、コード進行を考えたり、それに合ったサウンドを自由に加えたり取り除いたりしながら作っていったんだ。

やはり相当意図的なものだったんですね。そのサンプリングされているレコードの演奏に耳を傾けると、ひとつひとつの楽器のサウンドは当然録音された時代のヴィンテージ感があるにもかかわらず、同時にあなたの演奏であってもおかしくないほど現代的でクリアな分離が良いものとなっています。なぜこんなことが可能なのでしょう? 今作はミックス、サンプリング・サウンドの楽器の粒立ちというものに相当気を遣いましたか?

DM:2005年に彼と初めて出会ったときは、まだそこまでそのブレンドはうまくできていなかったと思う。でも、いまはその加減がわかるんだ。もちろん、やってみてしっくりこない混ざり方になってしまうこともあるけど、そのときはボツにするしね。このアルバムで聴くことができるのは、その成功例。どうして可能なのかを言葉で説明するのは、かなり技術的な話になってしまうからちょっと難しい。僕自身も、そういう技術的な部分が必要になってきたときは、エンジニアと一緒に作業するんだ。僕はプロのエンジニアではないからね。大切なのは、自分がその曲に何を求めているのかをきちんと把握していること。何を必要としているのかという目的がハッキリしていれば、それを作り出すために何を取り入れて重ね合わせるべきかがわかるからね。サンプルを使うなら、何のためにつかうのかというポイントを押さえて使いはじめなければならない。それがわかっていれば、作業はグッと楽になると思う。

僕が意識しているのは、その音楽を聴いたときに、その音を誰が演奏しているのかを人びとが想像できないサウンドを作るということ。僕は、リスナーに楽器を演奏している人を想像してほしくないんだよね。

基本はサンプリング・ネタにブレイクビーツの組み合わせという、非常にブーンバップの正統的な手法で制作されているような本作ですが、実はとても繊細な仕掛けがそこかしこに為されています。たとえば “Identical Deaths” のビートは一聴すると、最近オーセンティックなブーンバップ曲で流行っている完全なるワンループ、つまりドラムもウワモノもどちらも含んでいるネタのワンループに聞こえます。でもさらに耳を傾けると、フィールド・レコーディングのような街のざわめきが重なっていたり、後半部分ではラウドなブレイクビーツが絡む間奏があったりと、非常にシネマティックな作りになっています。あなたはこれまでデヴィッド・リンチやダニエル・ルッピなど映画監督や映画音楽制作者とも仕事をしてきていますが、今作の制作にあたって「映像的」な作品を作るという意図はありましたか?

DM:僕は比較的すべてのものをシネマティックな捉え方で見ているから、それが映像的な要素になっていると思う。自分が作品を作っているときも、サンプルを探しているときも、僕自身がそういうサウンドに惹かれるしね。でも、意図的に自分の作品を映像的にしようとしているというよりは、それを作り終えたあとに、自然とそうなっていることが多いんだ。僕が意識しているのは、その音楽を聴いたときに、その音を誰が演奏しているのかを人びとが想像できないサウンドを作るということ。僕は、リスナーに楽器を演奏している人を想像してほしくないんだよね。ドラムやギターを演奏する姿を思い浮かべてほしくないんだ。僕が作りたいのは、自分自身の世界を想像できるような音楽。だから、僕が求めている音楽は、背景にいるミュージシャンのことを考えさせない音楽なんだ。映画音楽は、それが実現できてる音楽だと思う。演奏ということを意識させずに人びとの頭の中に入っていく音楽だからね。

普段、視覚的なイメージにインスパイアされて音楽を作るケースはありますか?

DM:いや、ヴィジュアルにインスパイアされて音楽を作ることはほとんどない。それよりも、僕は音楽を聴いて、リスナーが自分のヴィジュアルを作り出し、それを感じてほしいんだ。

今作のシネマティック、という印象は、物語性を感じさせるという意味でもあります。今回のサンプリングされたサウンドの数々は、各楽器や歌声、ドラムの音まで非常に1970年代を感じさせる温かみのあるアナログ感が強調されています。さらに “Aquamarine” や “Saltwater” のように、ベースラインの動きで元ネタのサンプル・ループを4小節以上のコード進行のある叙情的な展開が作られていることで、背後に物語の存在を感じさせる曲作りになっていると感じました。あなたのミュージシャンとしての側面から、コード進行やハーモニーのある楽曲展開は自然と出てくるものでしょうか?

DM:自分が好きなものを取り入れている過程で、自然と出てくるんだ。自分が惹かれるものと、自分が作ろうとするものは似てくるからね。コード進行に惹かれることもあれば、楽器に惹かれることもあるし、テクスチャーに惹かれることもある。そういった魅力あるサウンドに自分が作るものを近づけようとする過程で、より楽しく、より意味のある展開ができ上がっていくんだよ。たとえば “Saltwater” は、サンプルには含まれていなかった感情を加えるために、あのベースラインを追加したんだ。そうすることで、新しいエモーショナルな要素が加わって、より良いものが生まれると思ってね。

そのような楽曲展開への志向が、ヒップホップ的なミニマルなワンループという制約でもあり美学でもあるものとあなたの中でぶつかり合うことはありますか?

DM:それは、僕がずっと前にサンプリングをしばらくやめた理由のひとつだった。デーモン・アルバーンと一緒にゴリラズのアルバムを制作していた頃は、ドラムのサンプルは使っていたけど、音楽的なサンプルはほとんど使わなかったんだ。コード進行やハーモニー、その他いろいろなものを使ってみたくても、サンプルを手にすると、そこにあるものに縛られてしまう。頭の中にアイディアがあっても、サンプルをアレンジして、その方向性を変えることはできない。ずっと前にすでに演奏されたものを、いまいきなり変えることはできないんだ。だからしばらく遠ざかっていたんだけれど、やっぱり良いものは存在するし、僕がサンプリングが大好きなことは紛れもない事実なんだよね。そして、サンプルを使うからこそ生まれる制約が逆に良いものをもたらすこともある。どちらがいいとかではなく、サンプリングと楽曲展開は別物なんだ。僕はそれを混ぜ合わせることができるけど、そこにはやはり生まれるものと失われるものがあると思う。

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個別の楽曲についても少し教えてください。“Belize” にはMFドゥームがフィーチャリングされていますが、『Danger Doom』のリリースから17年が経過しています。どのようにしてドゥームをフィーチャーすることになり、この曲は生まれたのでしょう?

DM:MFドゥームの部分をレコーディングしたのはずいぶん前だった。ドゥームとブラック・ソートは互いのファンで知り合いだったから、ドゥームのヴァースとブラック・ソートのヴァースを2、3曲レコーディングしていたんだ。で、僕がそれを使ってときどき作業はしていたんだけど、結局完成させることができずにいた。でも、このアルバムのために、“Belize” としてきちんと仕上げさせることにしたんだ。で、それが決まってから、このアルバムのムードとフィーリングに合うように、音楽を加えていったんだよ。あと、オリジナルのトラックには悲しみの要素はなかったけど、ドゥームが亡くなったいま、この曲には悲しみが必要だとも思って、それを加えたりもした。だから曲単体の雰囲気も変わったと思うし、アルバムにとても合う作品に仕上がったと思う。

“The Darkest Part” では、キキ・ディーの楽曲のサンプリング・フレーズを使っていますが、そのスピードとピッチを変化させることでコード進行をつけ、キッド・シスターの歌うフックが乗ることで全く新しい楽曲が生み出されています。これはサンプリング素材を使って新しい絵を描くという、非常にクリエイティヴな手法に思えます。どのようにしてこのような手法にたどり着いたのでしょう?

DM:その曲は、アルバムに収録されているものとは最初全く違っていたんだ。曲のほぼすべてが、ドラムのサンプルとキキのサンプルだったからね。すごくゴチャゴチャしていて、複雑だったんだ。で、アルバムができ上がるにつれて、僕が改めてその曲のためにコーラスの部分を書いて、それを歌ってくれるヴォーカルが必要になった。そこでキッド・シスターに連絡を取ったんだ。で、彼女の声はもちろん良かったんだけど、曲がまだまだゴチャゴチャすぎてしっくりこなかったから、ドラムのサンプルを全部取っ払ったんだよね。それから、僕のスタジオで働いてくれているサム・コリンに頼んでドラムを演奏してもらって、それをチョップして曲に加えたんだ。そうすることで、ボーカルがより目立つようになったと思う。その曲は、かなり試行錯誤してでき上がった曲なんだよ。その変化を加えるまで、アルバムに収録しようとさえ思えていなかったんだ。

アルバムの中であなたがお気に入りの曲はありますか?

DM:特別この曲ということはないけれど、“Aquamarine” は、ブラック・ソートの視点から見ていちばんエキサイティングな曲のひとつだと思う。あの曲が持つエモーションも好きだし。

確かに “Aquamarine” は本作の中でもひと際輝いている楽曲のひとつだと思います。あなたの壮大なスケール感のあるビートの上で、タリクがノリにノッて溢れ出すリリックをスピットしている感覚が伝わってきます。これらの楽曲が生まれた環境についてはいかがしょう。アルバム制作で使ったサンプラーやDAW、楽器、マイクなどのレコーディング機材について可能な範囲で教えてもらえますか。ハードウェアのサンプラーは使用していますか、それともPC上のソフトウェアでしょうか?

DM:ごめん。僕は機材に関しての質問には答えないことにしてるんだ。たぶん、ハードウェアのサンプラーは今回は使用していないと思う。ほとんどがソフトウェア。それが僕の原点だからね。『The Grey Album』も全部ACIDで作ったし。いまでもACIDを使ってるんだ。

サンプルを使うからこそ生まれる制約が逆に良いものをもたらすこともある。どちらがいいとかではなく、サンプリングと楽曲展開は別物なんだ。僕はそれを混ぜ合わせることができるけど、そこにはやはり生まれるものと失われるものがあると思う。

なるほど、いまでもACIDを使っているんですね。ありがとうございます。ではハイファイになりすぎないヴィンテージサウンドを表現するために、特に駆使したプライグインはありますか? それも含めサンプリング・ネタとドラムやブレイクビーツをフィットさせるために、どのような点に気を遣いましたか?

DM:その質問にも答えられないんだ。申し訳ない。いい質問だとは思うよ(笑)。スタジオにいてくれたら何を使っているのか見せるんだけど、言葉だけだと説明が難しいんだ。どの点に気を使ったかも言葉にするのが難しい。サンプルを探すときに、自分が他の人が見ているのとは違う部分に注目している音源を探したり、あまりにもハッキリとした特徴がないものを探すことかな。でも、あまり考えずに、これ最高だな! と思うものを選ぶこともある。そのサンプルの原型を崩しても、しっかりと機能するものである必要もある。それが機能するかは、もちろんまずは試してみる必要があるけどね。バランスが大切なんだ。

タリクは以前のインタヴューで「ブライアンの音楽を聴くと、リリックが自然と流れてくることに気づき、解放された気分になった」と言っていました。たしかに “Aquamarine” や “Saltwater” のようなビートにはラッパーを没入させる強烈な叙情的なサウンドを持っていると思います。自分の音楽のどこがラッパーを引きつけるのだと考えますか?

DM:わからないな。ラッパーとはそんなに何度もコラボしたことがないから。エイサップ・ロッキーは、僕がナールズ・バークレイと一緒にやった作品をすごく気に入ってくれたらしい。あの、エモーショナルでダークな感じに惹かれたらしいんだ。ブラック・ソートは、すごく好奇心が強かったんだと思う。彼は、もちろん僕の音楽も気に入ってくれたんだろうけど、僕がどうやって彼とフル・アルバムを作るかにすごく興味があったみたいなんだ。僕がいったい何をするのかが予測できなかったらしい。でも、皆、僕とコラボをする理由はすごくシンプルだと思うよ。ドゥームが僕とコラボしたのも、僕のビートを気に入ってくれたことが理由だったし。

逆に、あなたはタリクのラップのどのようなところに惹きつけられますか? 今作ではタリクの言葉や物語が引き出されるようなビート作りを意図的に目指したのでしょうか?

DM:彼は最高。彼は僕のお気に入りだし、彼がやることにはすべて奥深さがある。ブレス・コントロールも素晴らしいし、ヴォイストーンもそうだし、すべてが際立っているんだ。彼のすべてが必要不可欠な要素なんだよ。僕は長年彼の声をずっとファンとして聴いてきたから、ビートを作っている時点で、彼がラップを乗せたらどんな感じになるかが想像できるんだ。彼がこんな風にラップをするなら、こういうビートにしたらいいかな、とかね。で、もしビートとラップが合わなければ、彼が他の方法を試してくれたりもするしね。でもたいていは、ビートを作っている時点でなんとなくそれが彼の声と組み合わさったらどうなるかを想像できるんだ。

あなたはヒップホップ・アーティストに限らず幅広くプロデュース・ワークをおこなっていますが、ラッパーにビートを提供するビートメイカーとプロデューサーの大きな違いはなんでしょうか?

DM:そのふたつは全然違う。誰をプロデュースしているかによっても変わるけど、プロデュースに関しては、一からすべてをはじめる。制作をはじめるときには何もできていなくて、最初に思いついたコードやピアノ、ギター、リズムやドラムビートといったアイディアの周りにサウンドを構築していく。こちらの方が、よりコラボっぽいんだ。一緒に曲を書いて、一緒に楽器を演奏するから。一方で、ビート作りは、より瞑想的。ひとりで部屋にいるという部分も大きな違いだしね。でもどちらの場合でも、作業の過程で偶然起こる奇跡を期待していることに変わりはない。それを待って、それを元に曲を作っていくんだ。作業中にミスをして、そこから良いものができることもあるしね。形式的なソングライティングではなく、僕はそっちのやり方が好きなんだ。

ではプロデューサーとしてその作品をプロデュースする際に最も重要なことはなんでしょうか?

プレイリストの一部としてではなく、アルバムとして作品全体を楽しんでもらえたら嬉しい。日本ってまだCDショップがあるんだよね? アルバムを買ってそれを最初から最後まで聴くって素晴らしいことだと思うから、ぜひそうしてほしい。

DM:自分のフィーリングを信じることかな。他の誰かが難色を示しても、それに心を揺るがさないこと。何かに対して最高だと思ったら、それを貫かないと後で必ず後悔するから。これはいい! と思ったら、その気持ちを信じてそのまま進みつづけることが大切だと思う。

あなたのブロークン・ベルズの活動や様々なアーティストのプロデュース経験は、久々のヒップホップ・アルバムとしての今作の制作にどのような影響をもたらしているでしょう?

DM:いちばん大きかった影響は、曲の構成とアレンジメントの仕方だと思う。あとは、メロディックで悲しい感情の表現かな。“No Gold Teeth” みたいな曲からはその影響は感じられないかもしれないけど、アルバムのほとんどはその影響を受けていると思う。あとは、考えすぎないこと。何か良いものがすでにできているなら、そこからあまりこれでいいのか、もっと手を加えた方がいいのかと深く考えすぎず、そのできたものを信じること。サンプルも、ときにいじりすぎずにそのまま使った方がいいものもあるしね。シンプルであることの大切さも、そういった経験から学んだと思う。

トラップがメインストリームとなって以降、それでも依然としてサンプリング主体のヒップホップは生き続け、進化しているように見えます。あなたは数多くの楽器を扱うミュージシャンでもありますが、『Grey Album』以降ずっと中心的な制作方法であるサンプリングという手法はあなたにとってどんな存在ですか? サンプリングというアートのどこに魅力を感じていますか?

DM:難しい質問だな(笑)。どんな存在かを説明するのは難しいけど、魅力なら答えられる。サンプルにおけるベストな部分は、作業をしながらも、そのサウンドのファンでいられること。自分で楽器を演奏していると、ちょっと自意識過剰になってしまって、自分のやっていることだけに耳を傾けてしまうことが多々ある。でもサンプリングをしているときは、ただそれを流しているだけで美しいサウンドを聴くことができるんだ。あと僕は、再文脈化することが好きだから、すでに自分と深い関係のある曲をサンプリングするのは好きじゃない。曲全体が大好きな作品は、それを変えたいとは思えないからね。あと、他の人びととのつながりが強すぎる曲も選ばないようにしている。多くの人がすでにつながりを持ってイメージが固定したものではなく、自由にアレンジしても心地がいいものを選ぶようにしているんだ。

日本のヒップホップ・ヘッズたちも、このアルバムを歓迎しています。日本のファンたちへメッセージをお願いします。

DM:僕はシンガーやフロントマンではないから、こういう形で誰かに向けてメッセージを伝えるのは得意じゃないんだ(笑)。だから、このインタヴューで話したことを僕からのメッセージとして受け取ってほしい(笑)。今回のアルバムは、たくさんのレイヤーが重なってひとつの作品ができている。だから、プレイリストの一部としてではなく、アルバムとして作品全体を楽しんでもらえたら嬉しい。日本ってまだCDショップがあるんだよね? アルバムを買ってそれを最初から最後まで聴くって素晴らしいことだと思うから、ぜひそうしてほしい。

今日はこの素晴らしいアルバムの成り立ちについていろいろと興味深いお話を伺うことができました。どうもありがとうございました。

DM:日本には何度か行ったことがあって、日本は大好きな国なんだ。タリクはつい最近、ザ・ルーツのライヴで来日したばかりだしね。今日はありがとう。

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