「You me」と一致するもの

Rob Mazurek - Exploding Star Orchestra - ele-king

 今年出たジェフ・パーカーの『Suite for Max Brown』でも顔をのぞかせていたけれど、90年代からガスター・デル・ソルやトータスジム・オルークステレオラブらの諸作に参加し、トータスのジェフ・パーカーとはシカゴ・アンダーグラウンド・トリオ~クァルテットやアイソトープ217を組んで、ポストロックとリンクする活動をつづけてきたジャズ・コルネット奏者のロブ・マズレクが新たなアルバムをリリースする。先行公開中の下記 “A Wrinkle in Time Sets Concentric Circles Reeling” を聴けばわかるように、いまなお刺戟的なジャズに挑戦しつづけているようなので、ぜひチェックを。発売は12月16日。

Rob Mazurek - Exploding Star Orchestra
Dimensional Stardust

ジェフ・パーカーやジョン・ハーンドン、チャド・テイラーらシカゴ音響派時代の朋友から、〈Blue Note〉より鮮烈なデビューを飾った新鋭ジョエル・ロスまで参加の、ジャズ・コルネット奏者ロブ・マズレク率いるエクスプローディング・スター・オーケストラ待望の新作!!
ハードバップからポストロックまでをプレイしてきたロブ・マズレクが到達した、前衛ジャズと現代クラシックも入り交じる壮大な音世界!! 日本限定盤ハイレゾCD「MQA-CD」仕様、ボーナストラックを加えてリリース!!

Official HP : https://www.ringstokyo.com/robmazurek

間違いなく、このアルバムはロブ・マズレクのキャリアの集大成であり、今も前進を続ける彼と仲間たちが生み出した驚くべき新作だ。シカゴ・アンダーグラウンド(デュオ、トリオ、カルテット、オーケストラ)、アイソトープ217°、サンパウロ・アンダーグラウンド、そして、このエクスプローディング・スター・オーケストラへと結実した軌跡が鮮やかに刻まれている。アルバムの何れの断片も美しい。(原 雅明 rings プロデューサー)

アーティスト : Rob Mazurek - Exploding Star Orchestra (ロブ・マズレク・エクスプローディング・スター・オーケストラ)
タイトル : Dimensional Stardust (ディメンショナル・スターダスト)
発売日 : 2020/12/16
価格 : 2,800円+税
レーベル/品番 : rings (RINC69)
フォーマット : MQA-CD (日本企画限定盤)
バーコード : 4988044060678

* MQA-CDとは?
通常のプレーヤーで再生できるCDでありながら、MQAフォーマット対応機器で再生することにより、元となっているマスター・クオリティのハイレゾ音源をお楽しみいただけるCDです。

Rob Mazurek (director, composer, piccolo trumpet, electronic renderings, modular synth)
Damon Locks (voice, electronics, texts)
Nicole Mitchell (flutes)
Macie Stewart (violins)
Tomeka Reid (cellos)
Joel Ross (vibraphone)
Jeff Parker (guitar)
Jaimie Branch (trumpet)
Angelica Sanchez (acoustic piano, electric piano)
Ingebrigt Håker Flaten (bass)
Chad Taylor (drums, percussion)
Mikel Patrick Avery (drums, percussion)
John Herndon (drum machines)

Tracklist :
01. Sun Core Tet (Parable 99)
02. A Wrinkle In Time Sets Concentric Circles Reeling
03. Galaxy 1000
04. The Careening Prism Within (Parable 43)
05. Abstract Dark Energy (Parable 9)
06. Parable of Inclusion
07. Dimensional Stardust (Parable 33)
08. Minerals Bionic Stereo
09. Parable 3000 (We All Come From Somewhere Else)
10. Autumn Pleiades
+BONUS TRACK 追加予定

BudaMunk & TSuggs - ele-king

 ビートメーカー/プロデューサーとして様々なアーティストの楽曲を手掛ける一方で、Sick Team の一員としての活動や mabanua とのユニット=Green Butter、Fitz Ambrose とのユニット=BudaBrose、さらに Joe Styles、Aaron Choulai、ISSUGI、ILL SUGI など様々なアーティストとのコラボレーション作品を生み出してきた BudaMunk。ソロでもビート・アルバムだけでなく、ヴァラエティに富んだメンツをゲストに迎えた作品も展開しているのだが、2018年にリリースされたソロ・アルバム『Movin' Scent』の収録曲 “Froaura” にて美しい鍵盤のメロディを響かせていたのが、今回のコラボレーターであるジャズ・ピアニストの Tony Suggs こと TSuggs だ。

 80年以上の歴史を誇る名門ジャズ・バンド、Count Basie Orchestra の5代目ピアノ・プレーヤーを務め、故 Roy Hargrove が率いていたR&B/ヒップホップ・プロジェクト=The RH Factor のアルバム『Hard Groove』にもオルガンで参加するなど、USジャズ・シーンのコアな部分に身を置いていたのがその経歴からも伺える。2000年代のアンダーグラウンド・ヒップホップをルーツに持ちながら、実に数多くの作品を発表してきた BudaMunk であるが、今回の TSuggs とのプロジェクトは、彼にとっても最もジャズのカラーが強い作品であることは間違いない。曲のキモとなっているビートの部分は BudaMunk が手がけているので、曲の芯の部分にあるのはもちろんヒップホップなのだが、曲によってはジャジーなヒップホップというよりも、ヒップホップ・テイストが濃厚なジャズと表現したほうが相応しいようにも思う。

 そんな本作のヒップホップとジャズとの絶妙なバランス感を象徴するのが一曲目の “Mergers and Acquisitions” だろう。DJ YUZE によるアブストラクトなスクラッチに、ジャズ、R&B、ヒップホップなど様々なジャンルのアーティストと共演するギタリストの吉田サトシが参加し、緊張感のある絡みが展開しながら、TSuggs によるキーボード(主にローズ・ピアノ?)によって実に美しく透明な空気感が曲全体を覆う。続く “Convinced” に参加しているのが、TSuggs と同様に Roy Hargrove とも繋がりのあるベーシストの Amen Saleem で、BudaMunkによるビートとキーボード、ベースとのトリオによるライヴ感あるセッションはまさしくジャズそのものだ。他にもベーシストの日野 "JINO" 賢二が参加した “Half on a Baby”、トランペット奏者の Patriq Moody が参加した “Kozmic Question” など、ゲスト参加曲での躍動感溢れるグルーヴ感は実に面白く、ヴォーカル曲では Iman Omari が参加した “Good Vibes” は間違いなく本作の目玉となる極上の一曲だろう。その一方で、BudaMunk と TSuggs が一対一で対峙するミニマルな構成の楽曲での、ビートとキーボードのみが作り出すグルーヴはやはり格別で、永遠に聴き続けていられるような圧倒的な心地良さを与えてくれる。ゲスト参加したアーティストも交えながら、本作の魅力をぜひライヴでも再現してほしいと思う。


CAN:パラレルワールドからの侵入者 - ele-king

 映画『イエスタデイ』は、ビートルズのいない世界を想像してみろと、私たちに問いかける。リチャード・カーティスの、代替えの歴史の悪夢のように陳腐なヴィジョンのなかでも、音楽の世界はほとんどいまと変わらないように見え、エド・シーランが世界的な大スターのままだ。

 しかし、多元宇宙のどこかには、ロックンロールの草創期にビートルズのイメージからロックの方向性が生まれたのではなく、カンの跡を追うように出現したパラレルワールド(並行世界)が存在するのだ。それは、戦争で爆破された瓦礫から成長した新しいドイツで、初期のロックンロールがファンクや実験的なジャズと交わり、ポピュラー・ミュージックがより流動的で自由で、爆発的な方向性の坩堝となり、アングロ・サクソン文化に独占されていた業界の影響から独立した世界だ。

 カンのヴォーカルにマルコム・ムーニーを迎えた初期のいくつかの作品では、このような変化の過程を聴くことができる。アルバム『Delay 1968』の“Little Star of Bethlehem”では、ねじれたビーフハート的なブルース・ロックのこだまが聴こえるし、“Nineteenth Century Man”は数年前にビートルズ自身が“Taxman”で掘り起こしたのと同じリズムのモチーフを使った、拷問のようなテイクをベースにしている。

 カンの1969年の公式デビュー盤、『Monster Movie』のクロージング・トラック、“Yoo Doo Right”は、いかにバンドがチャネリングをして、ロックンロールを前進的な思考で広がりのあるものへと変えていったかがわかる小宇宙のようだ。ムーニーのヴォーカルが、「I was blind, but now I see(盲目であった私は、いまは見えるようになった)」や、「You made a believer out of me(あなたのおかげで私は信じることができた)」とチャントして、ロックとソウルの精神的なルーツを呼び覚ますが、それはベーシストのホルガ―・シューカイとドラマーのヤキ・リーベツァイトのチャネリングにより、制約され、簡素化されて、容赦のないメカニカルでリズミカルなループとなり、ミヒャエル・カローリのギターのスクラッチや、渦巻き、切りつけるようなスコールの満引きに引っ張られて、ヴォーカルから焦点がずらされる。

 カンが1960年代に取り組んでいたロックの変幻自在の魔術への、もうひとつ別の窓は、映画のための音楽を収録したアルバム『Soundtracks』で見ることができる。クロージング・トラックの “She Brings the Rain” などは、かなり耳馴染みのある1960年代のサイケデリックなロックやポップのようにも聴こえるが、このアルバムでは、それ以外にも何か別のものが醸し出されている。それは “Mother Sky” の宇宙的なギターとミニマルなモータリックの間に編まれた緊張感のあるインタープレイや、ヌルヌルしたグルーヴと新しいヴォーカリスト、ダモ鈴木の “Don’t Turn The Light On, Leave Me Alone” での不明瞭なヴォーカルでより顕著であり、おそらくバンドの最盛期の基礎を築いている。

 『Tago Mago』、『Ege Bamyasi』、『Future Days』といったアルバムは、現代のポピュラー・ミュージックの基礎となったカンのパラレルワールドが、我々の世界にもっとも近づいた所にあるものと言えるだろう。目を細めれば、異次元の奇妙な建築物と異界のファッションが、世界の間に引かれたカーテンをすり抜けて侵入しているのが、かろうじて見えるはずだ。それはポスト・パンク・バンドのパブリック・イメージ・リミテッド、ESG、ザ・ポップ・グループ他の生々しい、調子はずれのファンクのリズムや、ざらついたサウンドスケープ、あるいはマッドチェスター・シーンのハッピー・マンデーズやストーン・ローゼスといったバンドのゆるいサイケデリックなグルーヴのなかに、またソニック・ユースとヨ・ラ・テンゴのテクスチュアとノイズのなかに見ることができる。さらに1990年代初期のポスト・ロック・シーンでも、ステレオラブやトータスといったバンドの反復や音の探究を経て、おそらく21世紀でもっとも影響力のあるバンド、レディオヘッドにまで及んだ。カンは過去半世紀にわたり、ポピュラー・ミュージックの進化に憑りついてきた幽霊なのだ。

 カンの影響が長いこと残り続けるあらゆる“ポスト〜”のジャンル(ポスト・パンク、ポスト・ロック、そしてかなりの範囲でのポスト・ハードコアも)が、私にとって重要に思えるのは、これらはジャンルを超越したところにある、生来の本能的なジャンルだったからだ。ポスト・パンクは、パンクに扇動されて自滅したイヤー・ゼロ(0年)に、ファンク、ジャズ、ムジーク・コンクレート、プログレッシヴ・ロック他を素材として掘り起こし、自らを再構築しようとしていた音楽だ。一方、ポスト・ロックは生楽器をエレクトロニック・ミュージックの創作過程のループ、オーバーレイやエディットに持ち込んだ。それらは、従来のロック・ミュージックの世界での理解を超えた居心地の悪い音楽的なムーヴメントだったのだ。言うまでもなく、カンは最初からロックの接線上に独自の道を切り開いてきており、マイルス・デイヴィスが自身のジャズのルーツから切り開いた粗っぽいロックンロールのルーツと同じく、予測不可能なジャンルのフュージョンへの地図を描いていた──おそらくカンの爆発的なジャンルを超越した初期のアルバムにもっとも近い同時代の作品は、マイルスが平行探査した『Bitches Brew』 と『On the Corner』などのアルバムだろう。

 この雑食性で遊び心に満ちた折衷主義は、鈴木の脱退後のアルバムにおいても、カンの音楽の指針となっていたが、『Tago Mago』で到達した生々しい獰猛さを、1974年の『Soon Over Babaluma』の雰囲気のある、トロピカルにも響くサイケデリアのような控えめな(とはいえ、まったく劣ることのない)ものに変えたのだ。

 彼らはもちろん時代の先をいっていた。ロックの純粋主義者たちは、バンドの70年代後半のアルバムに忍び寄るディスコの影響を見て取り、冷笑したかもしれないが、グループの当時のダンス・ミュージックの流行への興味は、カンの幽霊の手(『Out of Reach』のジャケットのイメージによく似ている)に、彼らの宇宙的な次元と、報酬目当てのメインストリーム・ミュージックが独自の行進を続ける世界との間のヴェールを掴ませる役割を果たしていたのだ。カンは一度もロック・バンドであったことはなかったし、シューカイが徐々にベーシストとしての役割からリタイアし、テープ操作に専念するようになったことは、バンドの特異なアプローチが、音楽がやがてとることになる幅広いトレンドの方向性を予見させる多くの方法のひとつであったと言える。もっとも、カン自身はそれらのトレンドに対しては、斜に構え、独自の動きを続けた。

 そういった意味では、1979年の自身の名を冠したアルバムは、カンのことを雄弁に物語っている。10年に及ぶキャリアのなかで蒔いた種が、新世代の実験的なマインドを持ったアーティストたちに刈り取られ始め、カンの音楽とアプローチを軸にした作品が創られ始めたため、彼らはそういった作品に、“巨大なスパナを投げつけて”、妨害せずにはいられなかった。カン自身が創ったミニマリストのような、歪んだノイズのアトモスフェリックなディスコと、ファンクに影響されたサウンドは、キャバレー・ヴォルテールやペル・ウブ、ア・サートゥン・レシオなどと並べても違和感がなく、“ A Spectacle” や “ Safe” などのトラックは、彼らの技の達人ぶりを示していた。しかし決して安全な場所には留まらないのがカンであり、デイヴ・ギルモア時代のピンク・フロイド(1979年には絶対クールではなかった)のような世界にも喜んで飛び込み、SIDE2の大部分を躁状態のダジャレの効いたジャック・オッフェンバックの「天国と地獄」のダンスのテーマである“Can-Can(カン・カン)”の脱構築に費やし、間にはピンポン・ゲームまではさんでいる。言うまでもなく、彼らの最もバカバカしく、最高のアルバムのひとつだ。


 カンの影響下にあるパラレルワールドは、時に我々の世界の近くにありながら、その音楽はあまりにも多くの迂回路に進むため、ほとんどの場合、ぎりぎり手が届かないというフラストレーションを感じてしまう。我々は、次元の間に引かれたカーテンを完全に通過することはできないかもしれないが、隅々まで目をこらして、影や、我々の世界の亀裂を見ると、そこにまだ特異性が根付いているのを見出すことができる。そこには何かが存在し、他の場所からの侵入者が、我々が引いた線の間をぎこちないファンキーさで滑りこんできて、固体を変異可能にし、現実を異世界にし、異世界を現実にするのだ。

 ここに、バンドの面白さを象徴していると思う6枚のアルバムを挙げる。

『Soundtracks』──1960年代のロックから、より宇宙的なものへのバンドの変遷を示している。

『Unlimited Edition』──カンのもっとも折衷主義的で、実験的なアルバム。

『Tago Mago』 ──カンのもっとも極端な状態。

『Ege Bamyasi』──ダモ鈴木時代の、もっとも親しみやすさを実現した作品。

『Landed』──ポップ、エクスペリメンタル、アンビエントなアプローチをミックスするカンの能力を示す素晴らしい一例。

『Can』 ──バンドがバラバラな状態にあっても、常に自分たちにとって心地よいカテゴリーの作品を作るのを避けていたことがわかる。

(7枚目の選択として、『Soon Over Babaluma』は、もっとも繊細で雰囲気のある、カンの一例。)

Can: Intruders from a Parallel World

Ian F. Martin


The movie Yesterday asks us to imagine a world without The Beatles. In Richard Curtis’ nightmarishly banal vision of that alternate history, the music world seems much the same and Ed Sheeran is still a global megastar.

Somewhere in the multiverse, though, there’s a parallel world where the direction of rock emerged out of its rock’n’roll youth not in the image of The Beatles but rather sailing in the wake of Can. It’s a world in which a new Germany, growing from the war’s bombed-out wreckage, was the crucible in which the raw energy of early rock’n’roll merged with funk and experimental jazz, taking popular music in more fluid, free-flowing, explosive directions, independent from the hegemonic influence of the Anglo-Saxon culture industries.

You can hear this process of transformation happening in some of Can’s early work with Malcolm Mooney on vocals. On the album Delay 1968, you can hear warped, Beefheartian echoes of blues rock in Little Star of Bethlehem, while Nineteenth Century Man is based around a tortured take on the same rhythmical motif The Beatles themselves had mined on Taxman a couple of years previously.

On Can’s official debut, 1969’s Monster Movie, the closing track Yoo Doo Right is like a microcosm of how the band were channeling rock’n’roll into something forward-thinking and expansive. Mooney’s vocals summon forth chants of “I was blind, but now I see” and “You made a believer out of me” from the rock and soul’s spiritual roots, but it’s constrained, streamlined and channeled by bassist Holger Czukay and drummer Jaki Liebezeit into a relentless, mechanical rhythmical loop, the vocals dragged in and out of focus by the ebbs and flows of Michael Karoli’s scratching, swirling and slashing squalls of guitar.

A different window into the transformational witchcraft that Can were working on 1960s rock can be seen on the album Soundtracks, which collects some of their work for films. Some songs, like the closing She Brings the Rain, come across as quite familiar sounding 1960s psychedelic rock and pop, and yet something else is brewing in the album too. It’s there most clearly in the tightly wound, tense interplay between cosmic guitars and minimalist motorik rhythms of Mother Sky, as well as more subtly in the slippery grooves and new vocalist Damo Suzuki’s slurred vocals on Don't Turn The Light On, Leave Me Alone, laying the ground for what is probably the band’s most celebrated phase.

The albums Tago Mago, Ege Bamyasi and Future Days are really where that parallel world in which Can were the foundation of modern popular music moves closest to our own. Squint and you can just about see that other dimension’s strange architecture and alien fashions trespassing through the curtain between worlds. You can hear it in raw, discordant funk rhythms and harsh soundscapes of post-punk bands like Public Image Limited, ESG, The Pop Group and others; it’s in the loose, psychedelic grooves of Madchester scene bands like The Happy Mondays and The Stone Roses; it’s in the textures and noise of Sonic Youth and Yo La Tengo; it’s in the repetition and sonic exploration of the nascent 1990s post-rock scene, filtering through bands like Stereolab and Tortoise, eventually informing perhaps the most influential rock band of the 21st Century, Radiohead. Can are a ghost that’s been haunting the evolution of popular music for the past half century.

The lingering influence of Can on all the “post-” genres (post-punk, post-rock and to a large extent post-hardcore too) feels important to me, because these were genres with an innate instinct towards transcending genre. Post-punk was music trying to build itself anew after the year-zero self-destruction instigated by punk, mining fragments of funk, jazz, musique concrète, progressive rock and more as its materials. Meanwhile, post-rock brought the live instruments of rock into the loops, overlays and edits of electronic music’s creation process. They were musical movements uncomfortable in the world of rock music as conventionally understood. Can, needless to say, had been charting their own path on a tangent from rock since the beginning, approaching a similar slippery fusion of genres from the rough roots of rock’n’roll that Miles Davis had been charting from his own jazz roots at the same time — arguably the closest thing to Can’s explosive, genre-transcending early albums among any of their contemporaries can be found in Davis’ parallel explorations on albums like Bitches’ Brew and On the Corner.

That omnivorous, playful eclecticism remained a guiding feature of Can’s music in the albums that followed Suzuki’s departure, even as they traded in the raw ferocity that had reached its peak in Tago Mago for something more understated (but in no way lesser) in the atmospheric and even tropical sounding psychedelia of 1974’s Soon Over Babaluma.

They stayed ahead of the curve too. Rock purists may have sneered at what they saw as a creeping disco influence on the band’s late-70s albums, but the group’s interest in then-contemporary dance music kept Can’s spectral hand (much like the jacket image of Out of Reach) grasping at the veil between their cosmic dimension and the mercenary world where mainstream music continued its own march. Can had never been a rock band anyway, and Czukay’s gradual retirement from bass duties to focus on tape manipulation is another of the many ways the band’s idiosyncratic approach foreshadowed the direction broader trends in music would eventually take, even as Can themselves continued to move oblique to those trends.

In this sense, their self-titled 1979 album says a lot about Can. Just as the seeds sown by their then ten year career were starting to be reaped by a new generation of experimentally minded artists and the pieces were starting to realign themselves around Can’s music and approach, they couldn’t resist throwing a giant spanner in the works. The sort of minimalist, noise-distorted, atmospheric, disco- and funk-influenced sounds Can had made their own would have sat very comfortably alongside the likes of Cabaret Voltaire, Pere Ubu and A Certain Ratio, and in tracks like A Spectacle and Safe, Can showed they were masters of that craft. Can were never about being safe though, and they were just as happy diving down rabbit holes of Dave Gilmour-era Pink Floyd (desperately uncool in 1979) and devoting a large chunk of side 2 to a manic, pun-driven deconstruction of Jacques Offenbach’s “Can-Can” dance theme, interspersed with a game of ping pong. Needless to say, it’s one of their silliest and best albums.

The parallel world that lives under the influence of Can is sometimes tantalisingly close to our own, and yet their music pursues so many oblique detours that it mostly feels frustratingly just out of reach. We may never fully be able to pass through that curtain between dimensions, but look in the corners, the shadows and the cracks in our world where idiosyncrasies can still take root, and there is something there: some trespasser from elsewhere, slipping in their awkwardly funky way between the lines we draw, making the solid mutable, the real otherworldly and the otherworldly real.


Here are 6 albums that I think represent six interesting aspects of the band.

Soundtracks - Shows the band's transition from 1960s rock into something more cosmic.
Unlimited Edition - Can at their most eclectic and experimental.
Tago Mago - Can at their most extreme.
Ege Bamyasi - The most accessible realisation of the Damo Suzuki era.
Landed - A great example of Can's ability to mix pop, experimental and ambient approaches.
Can - Shows how even as the band were falling apart, they always avoided making anything that fit into a comfortable category.

(As a 7th choice, Soon Over Babaluma is a great example of Can at their most subtle and atmospheric.)

interview with Meitei - ele-king


冥丁
古風

KITCHEN. LABEL / インパートメント

ElectronicaAmbient

Amazon

 劣化したテープの触感はビビオを想起させる。じっさい、ビビオの音楽はすべて聴いているという。リズミカルにばちばちと火の粉を散らすクラックル・ノイズは、他方で、ベリアルを彷彿させもする。そこへ乱入してくる、くすんだ古の女性の歌声と「和」の雰囲気──。なるほど、たしかにこれは斬新なアプローチかもしれない。当人としてはとくにノスタルジーを意識しているわけではないそうなのだけれど、すくなくともサウンド面で「過去」が重要なテーマになっているのはまちがいない。
 広島在住のプロデューサー、冥丁のニュー・アルバム『古風』は「失われた日本」をテーマにしている。時代のばらつきこそあれ、“万葉”、“花魁”、“貞奴”、“縁日” と、曲名からもそのコンセプトは明確だ。といっても、彼が「日本」を題材にするのは今回が初めてではない。海外で評価された前々作『怪談』(2018年)や前作『小町』(2019年)もそうだった。そもそも「冥丁」じたいが、「日本の古い文化」を追求するためにはじまったプロジェクトだという。
 日々ニュースをチェックしていると、日本は完全に「後進国」になったんだなと痛感せざるをえないような事件ばかりが報道されている。そんなご時勢に叫ばれるのが無根拠な「日本すごい」「日本美しい」といった感情論であるのは、まあ、お約束ではあるけれど、どうも冥丁のコンセプトはその種の日本賛美とは一線を画しているようだ。「もっと日本に誇りを持つことができる活動をしたい」と、一見愛国主義的ともとられかねない発言もあるが、たぶんそれは「クールジャパン」のような政策とはちがった観点から、あらためて「日本」を描きなおしてみたいと、そういうニュアンスなのだろう。
 サンプリング~フィールド・レコーディングを駆使し、独特のざらついたエレクトロニカ~アンビエントを響かせる冥丁、彼の追い求める「過去」の「日本」とは、ではいったいどのようなものなのか? メール・インタヴューを試みた。

本だけではなく、料理人の作る料理、そしてその空間、香り、上質な素材で作られた洋服に袖を通すときなどに、音楽の用途のインスピレーションが湧き上がるんですよね。

まだあまりプロフィールも知られていないと思いますので、バイオ的なことからお伺いしたく思います。音楽をやりはじめたのはいつごろで、そのきっかけはなんでしたか?

冥丁:エレクトリック・ギターを21歳のときに購入しました。そこからはギターをプレイすることに夢中でした。きっかけはジョン・フルシアンテの『Niandra LaDes and Usually Just a T-Shirt』。ただそのときにはまだ本格的な作曲はしていませんでした。
 本格的に作曲しはじめたのは25歳くらいからだったと思います。テープMTRを使っての作曲からスタートして音楽の面白さを知りました。PCでの作曲は便利すぎると感じたので、最初の入門編としてはテープの4トラックMTRが望ましいと感じました。でもだんだんとそれが24トラックの真空管内臓のデジタルMTRになり、28歳くらいから Cubase で制作をするようになりました。

冥丁さんの音楽は、大枠では「アンビエント」や「エレクトロニカ」、「フィールド・レコーディング」といったことばで分類することができるかと思いますが、どのような音楽/音楽家に影響を受けてきたのでしょう?

冥丁:音楽をするきっかけをくれたのはジョンと、当時付き合っていた彼女でした。でも影響を受けたアーティストとなると、絞ることが難しいです。単純に聴いているアーティストにダイレクトに影響を受けているかどうかは僕自身わからない。
 最近は BTS の “Your eyes tell” を100回聴きました。いつも気に入った楽曲は100回聴きます。なので同じような音楽ばかりを年間通して聴いているような感じかもしれません。ジョン・ケイジの “In a Landscape”、“Dream” も100回聴きしていますね。
 いろいろなミュージシャン、アーティストの音楽を普段から聴くことはあるのですが、聴いている音楽と作っている音楽はいまのところ違いますね。自分が音楽を作るときに、音楽からインスピレーションを得ることはほとんどないと思います。
 昨日広島の蔦屋書店で本を見ていたのですが、とてもインスピレーションを受けました。そういう場所で、いろいろな情報を目の当たりにすると、もっとこういう音楽が世の中にはあるべきだと思い付くんです。本だけではなく、料理人の作る料理、そしてその空間、香り、上質な素材で作られた洋服に袖を通すときなどに、音楽の用途のインスピレーションが湧き上がるんですよね。理由なくして音楽は生み出せないと僕は考えています。理由が湧き上がってから、それに向けて音楽を作るタイプです。
 考えてみたら、いつも作品のアイデアを音楽ではない環境から受け続けてきました。僕は本質的にミュージシャンでもアーティストでもないと思っています。だからプロデューサーかな? と思っています。音楽を作ること以外の音楽との関わり方に興味がありませんでした。だからクラブ、ライブハウスに行きたいと思ったことがなく、冥丁のおかげで、そのような場所に行くチャンスをもらいました。僕にとってそれは大きな経験になりました。

「冥丁」というアーティスト名の由来は? 「酩酊」は関係ありますか?

冥丁:「酩酊」と関係はないですね。「冥」の漢字は人びとが見落としている闇のなかの存在を再編していく意味を表しています。「丁」は「使い、奉公する人」の意味を表しています。「冥丁」は人びとが見過ごしてきた真実を音楽で現代に新たな印象値のクリエイトとして表現するブランドです。希望のある未来を見出したいと言う意味を込めています。

「日本の古い文化」を活動のテーマにしようと思ったのはなぜ?

冥丁:僕自身が日本を知りたかった、そして日本人としての表現を世界に発信したいと思ったからです。以前専門学校時代にフランス人の先生にお世話になっていました。彼女から言われた言葉をいまも覚えています。「君は日本人なのに、なぜ日本の要素を作品に入れることに積極的ではないのですか?」
 この文章だけ見ると、伝えづらい意味があるので、補足します。彼女はたぶん現代の日本人が普通に表現する日本という概念自体が、日本のテンプレート化された虚像にすぎないような印象であると思っていたのだと思います。現代の日本文化はそのような流れのなかにあるとも僕は思います
 いまはその意味がわかります。日本にはたくさんの音楽がありますが、同じような文脈で語られる音楽が多い印象を感じました。それは僕が日本人だから、きっとそう思うんです。ルーツ・ミュージック、特定のシーンの音楽、東京の音楽(*)など、文脈通りに一様に音楽が作られている日本文化のあり方が疑問でした。一連の流れができあがっている。でもその外でも音楽はきっと作れる可能性があるにもかかわらず、それに誰も希望を持っていません。「外」とは、音楽を好きな人たちの外を意味しています。本当の外です。
 そう考えたときから、自分が納得のいく作品ができるまでは音楽関係の人たちと一切関係を持たないことに決めました。7年間の間、ひとりで音楽を作り続けました。京都にその間住んでいましたが、新しい友人も作らないようにしました。なので府外の人が時々、京都に来て僕に会うだけで、僕は京都で孤独に生活をしていました。爽やかな孤独がそこにはありました。もう一生そのような時間を持つことはできないでしょう。
 そのときの僕は、そのような状況において自分自身がどのような音楽を作るのか楽しみでした。環境が最も大切な要因だと思っていました。そういう環境のなかで、「失われた日本」というテーマに出会いました。きっかけは本屋さんで偶然小泉八雲の怪談のリイシューを発見したのがはじまりでした。これを音訳する義務があると直感したんです。「Lost Japanese mood」というフレーズが浮かびました。そこで周りを見たときに、そのような音楽を作る人びとは誰もいなかったということに気が付きました。誰もしていないことをしないと、自分自身が次の人生の次元に進めないと思ったんです。
 実際、でもどうして日本人は日本の遺産を表現しないのか疑問に感じたことをいまでも覚えています。いまも感じていますし(文化の継承はありますが)。音楽を作る理由と意味がなければ、音楽を創造する理由が見当たらないように感じました。このときに、そのような隠れた自分の深い意識のあり方を発見したと思います。
 それから制作が進むにつれて、もっと日本に誇りを持つことができる活動をしたいと感じるようになりました。でもそれは最近ですね。日本にはたくさんの興味深いテーマがあります。そういうものを音で印象値化するようなプロセスにとてもワクワクしています。
 東京の音楽、音楽史の音楽を作るような人材は潤沢に揃っていますが、歴史の文脈とは違う文脈で、それでいて日本にフォーカスした音楽を作っている人がいなかった。それを残念に感じました。そういう人がいないということが、現代の日本社会の閉塞感を表していると突きつけられたような気がしました。
 『古風』を作りながら学んだことですが、こんなに昔と比べて自由に色々なモノを作れる環境にいるのにもかかわらず、現代人は同じような場所にみんなで寄り添って生きている。そこに未来の希望の光が僕には見えませんでした。自分が目指すのは日本の印象値をアイコニックでユニークな表現として仕上げ世界中に届けることなんです。そこに希望を感じます。そのための最初のステップとして「失われた日本」をテーマにした作品の制作に突入しました。

*編註:冥丁の補足によれば、どんな場所に住んでいてもおなじような音がつくられ、それが「東京」に集約されているように映る昨今の状況のことだそう。「東京であろうが、なかろうが、作られた土地感が出ないのが現代の音楽で、それは結局東京からアウトプットされるような文化の構造があると思います」と彼は指摘する。


photo: Yuri Nanasaki

文脈通りに一様に音楽が作られている日本文化のあり方が疑問でした。一連の流れができあがっている。でもその外でも音楽はきっと作れる可能性があるにもかかわらず、それに誰も希望を持っていません。「外」とは、音楽を好きな人たちの外を意味しています。

お住まいは広島ですよね。広島という地はご自身の音楽に影響を与えていると思いますか?

冥丁:特に意識して影響を受けている面はないと思います。おそらく引っ越しすると、影響を受けていたことに自然と気がつくと思います。
 以前住んでいた京都については、住みながらにして影響を受け続けていることに気がつくほどでした。学びが多い孤独な街でした。人生で最も影響を受けた街、場所だと思います。
 また住みたいです。そこでアルバム一枚作りたいですね。

2018年の『怪談』が『ピッチフォーク』で評価され、翌年『小町』もレヴューが掲載されました。そのときはどんな心境でしたか?

冥丁:『ピッチフォーク』を知らなかったので、実感がありませんでした。冥丁関係者がみんな喜んでいたので、それで僕も嬉しくなりました。チームで喜びを分かち合えたことが最高でした。国籍の枠を越えて、みんなで仕事できるのは最高です。そう感じました。

新作『古風』をシンガポールのレーベルから出すことになった経緯は?

冥丁:僕のNYの友人(ジェフ)が〈KITCHEN. LABEL〉のリックスを紹介してくれたんです。そこからリックスと連絡を取るようになりました。〈KITCHEN. LABEL〉の存在は知っていました。特に美しいアートワークの作品群には、以前から憧れのようなものを抱いていました。『古風』ができあがって、どのレーベルからリリースするかを慎重に考えました。色々なオファーがありました。NYの僕の友人は冥丁の世界観を理解し、最もパフォーマンスを向上してくれるレーベルと一緒にいるべきだとアドヴァイスをくれました。
 実際まだ音楽業界の知識、そしてノリを知らないので(いまも)、〈Metron Records〉のジャックや〈Evening Chants〉のナイジェルなどに相談しながら考えていました。丁度そのときにNYの友人が僕に〈KITCHEN. LABEL〉を提案してくれました。彼はリックスを知っていたので、すぐに連絡をしてくれました。そこからリックスもすぐに返事をくれて、今回のリリースに向けて新しいチームで動きはじめました。一年前です。そのときは冥丁の世界観とリックスのデザイン、そして〈KITCHEN. LABEL〉のアートワークが合体したらと考えているとワクワクしました。絶対うまくいくと確信していました。
 結果的にそれは美しいデザインのパッケージになったと思います。世界各国の色々な人たちから良いレヴューをもらっています。『古風』のリリースのおかげで、日本人の方々からの声も最近ようやく聞くことができるようになりました。とても気に入っているアルバム。世界中のみんなに推薦したいです!

サウンド面で『怪談』(2018)→『小町』(2019)は連続性があるように感じられますが、『古風』は少しスタイルが変わった印象があります。『怪談』『小町』が「静」だとすると、『古風』は「騒」になったように感じました。声のサンプルが多いからか、あるいはポップな “花魁I” やインダストリアルな “少年” のような曲があるからもしれませんが、このサウンド面での変化はアルバムのテーマと連動しているのでしょうか?

冥丁:もちろんです。いつもテーマに準じて音楽を作るのが冥丁の活動で重要なことだと認識しています。テーマがあるおかげで、なぜ自分が音楽を作る必要性があるのか(もう十分に世の中には音楽が溢れているので、これ以上に同じようなタグ付けで済まされるような音楽を作りたくないと思っています。なので作るのであれば他にはないような音楽でないといけないと思います)を、再確認することができます。
 『怪談』と『小町』が似ているのは、『怪談』の制作時に『小町』のトラック(「夜分EP」)をサンプリングしていたからです。『怪談』のなかで “池” (「夜分」、『小町』収録)は “骨董” になっています。時系列を話すと「夜分EP」からはじまり、『怪談』を作り、『古風』に進むことになりました。「夜分EP」の “池” や “波” などの4トラックが後に『小町』(“Kawanabe Kyosai” などの『小町』のもう半分のトラックは『怪談』の制作時に並行して作っていました)に収録されることになりました。なので、『古風』の前に作っていたアルバムは『怪談』だったんです。『怪談』制作中に日本の古いヴィジュアル・イメージによく出くわしていました。それでそのときから、次のサウンドの想像をよく頭のなかで巡らしていました。『小町』はしっとりとしたムード、『怪談』はコミカルで実験的なサウンド、『古風』はさらにそこに感情的な要素が相まって仕上がったような感覚を持っています。
 それに加え、古い日本のヴィジュアル・イメージからどのようなサウンドの質感が適切か厳格に選びました。「夜分」(『小町』)のときは京都の嵐山(宇多野エリア)に行って夜の大気を知ろうとしました。『怪談』は小泉八雲の怪談からはじまり、水木しげるなど、その周辺へとイメージを拡げ、音に仕上げました。厳密に言えばもっと様々なものに影響を受けていますが。
 そして『古風』はそのようなイメージから、江戸、明治、大正、昭和(歴史上の人物、当時の日常風景など、時代の香り)のムードの音訳、それに加え新たな音楽性の挑戦欲も相まって、以前のサウンドとは違うものになりました。そのような音の世界観を僕自身も肯定できたので嬉しかったです。

[[SplitPage]]

世間の意識に自分の自意識を立て、反応した結果として作品を作る人が大勢います。でもそれは健康的な社会とは言えず、病的な状況だと僕は感じています。そこに未来の希望はないです。

ピアノなどの新たにクリエイトした音と、過去のサンプル音源をおなじひとつの曲にするときに苦労した点や注意したことがあれば教えてください。


冥丁
古風

KITCHEN. LABEL / インパートメント

ElectronicaAmbient

Amazon

冥丁:単純な、ただのミックス・サウンドにさせないことが重要ですね。タイミングなど、音と音の被り具合のバランスなど、とても細かくチェックしています。サウンドコラージュは生演奏で到達できない想像上の世界のムードを作りあげます。ピアノのサウンドは僕のオリジナルですが、今回はサンプリングした30’sの音素材をたくさん使いました。それらを掛け合わせるときに本当に苦労しました。どれくらい音にヒビを入れるか? そしてどれくらい耳障りな音にしておくべきか? 反対にどれくらい繊細に音の「ぬめり」を出すか? ぬめりと言っても伝わりづらいかもしれませんが、舌触りみたいな感覚です。特にエレクトロピアノの音にはそのような視点で臨みました。
 音楽史のなかでの音楽的なバランスという概念を重視せずに、音楽を作ることに最後まで戸惑っていました。なぜなら僕が知っている音楽はもっと綺麗で、既存の要素が多いものでしたから。自分の壁を破ることが大変でした。自分のなかの常識をいつも越えたいです。それは斬新さと言われる印象かもしれませんし、「型破り」ではなく、「形無し」だとも思われる可能性もあります。
 ひとつの概念の扉を閉じるということは、もうひとつの概念の扉を開けることになると思っています。概念の扉を開けるときは新たな常識を肯定する勇気が必要です。ただ物事の差異を選び分けるという知性とは違う次元の挑戦だと言えます。勇気と情熱なんです。熱量で勝負したい。その熱さというものが『古風』の音楽をより感情的で、激しい音のぶつかり合う瞬間をプロデュースするに至らせてくれたと感じています。
 もしそれがなければピアノとサンプリングの単純な古い音と新しい音のミックスで終わっていたと思います。そのようなサウンドでは『古風』とは言えないと思いました。熱さが『古風に』は必要だと思いました。現代の日本にも。

古い音源を用いているからかと思いますが、本作ではかなり多くクラックル・ノイズが鳴っています。たまたま入ってしまったというより、リズムに合わせて効果的に用いられているように感じたのですが、これは意図的なものですよね?

冥丁:そうです。

ザ・ケアテイカーベリアル、あるいはビビオは聴きますか?

冥丁:ビビオについては全ての音楽を知っていると思います。ビビオの音楽に自然と影響を受けていると思います。ザ・ケアテイカー、ベリアルについては最近知りました。海外の人たちから僕の音楽(『古風』)と彼らの音楽スタイルには共通点があると言われています。


photo: Saki Nakao

テーマとは僕らにとって希望なんです。希望を持っているとは、結果的にテーマに基づいて人生を生きるということだと僕は考えます。どんな希望を描いているかが現代の音楽制作で最も大切なことです。

「日本の古い文化」といっても、たとえば今回は「万葉」(平安以前)から「花魁」(江戸以降)、「川上音二郎と貞奴」(明治~大正)まで、かなり幅があります。ざっくり「日本の古い文化」ということで一緒くたにすることに、抵抗はありませんでしたか?

冥丁:もちろん抵抗がありました。正直にいうと貞奴さんだけでアルバムを作る方が本当は良いと思います。本心でそう思います。そして『花魁勝山』というアルバムも通しで作ってみたかったです。実際勝山(花魁)についてはたくさんトラックを作りました。そのなかからセレクトしてアルバムに収録させて頂きました。吉原遊郭のサウンドトラックも作ってみたいですね。
 僕自身の希望を言えば、たとえば、菌類研究の南方熊楠の生涯、そして宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の音訳作品など、それぞれのアルバムを作って行きたいくらいですが、冥丁はそれにOKを出してくれませんでした。なぜかと言うと、それはあまりにも膨大な時間がかかりますし、冥丁は僕にとってビジネスなので、そのような永遠と続くような作業は僕自身の人生に負荷がかかり過ぎると感じました。
 これはプロデューサー目線ですが、現代の日本に必要なテーマ性のある音楽をもっとたくさん作っていく必要がある。なので個人的に興味のある人物を掘り下げたくとも、他にも次の挑戦が控えているので、妥協しなければいけない部分があります。
 もし冥丁がパトロンを持つことができれば、僕はもっと歴史のワン・シーンにじっくり腰を据えて音楽アルバムを作って、それをみんなでシェアしたいと思います。そのような状況にならない限り、そこまでの制作時間を捻出することは不可能です。精神的、身体的、そして財政的にもリソースがないので。諦めてはいません。いまは保留です。
 たぶん映画監督の人たちと同じような心境かもしれません。彼らはたくさんの企画を持っていますが、そのなかから実際制作に移ることができるのは、ごく僅かなものらしいです。もっと冥丁は色々なジャンルの人たちと新しい音楽の仕事について話し合い、音楽の未来を模索していかなければいけないのかもしれません。いまは広島なのでそういった話ができる人たちとの出会いを十分に持つことはできませんが……コロナ期でもありますし。でもポジティヴです。

“女房” や “花魁” は虐げられた女性たちを描くという観点の曲のようですが、サンプルされた音声は意味がわからないようになっているため、ただ音のノスタルジックな部分だけを聴かれて、逆の意味にとられる可能性もありますよね。「女房」がなんでもやってくれた時代、和服を着た「花魁」がいた時代、つまり「男性にとっての “古き良き” 時代」へのノスタルジー、というふうに。そこはどう思われますか?

冥丁:作り終わった後に僕も同じ質問を自分自身にしました。当然出てくる問いかけのひとつですよね。その質問に対しての納得のいく答えになるかどうか分かりませんが……男性目線の作品であることを冥丁は意識しています。ノスタルジーを故意に表現したいとは思っていませんが、そういうことは現代で尊いことだと感じています。
 その点について説明すると、ノスタルジーの視点を最後まで持たずに僕は『古風』の制作を終えました。ただ目の前だけを見て、走り切りました。作り終えて一年ほど経ったときに、いま受けている質問と同じような問いかけを思いつきました。なぜそれを思いついたのかというと、一般的(一般論)な地点に立ってみたからでした。そこには繊細な現代社会の意識が網のように張り巡らされているようでした。男性目線の回答なのでは? というアンサーも自分自身のなかに見つかりました。でもそのときに、僕はそれで良いと思いました。冥丁は男性ですから。逆に男性目線の作品になっていないと不健康です。
 世の中がより繊細で複雑になるなかで、より一層閉塞的な意識の網が社会を包囲していると僕は思います。その状況下で、世間の意識に自分の自意識を立て、反応した結果として作品を作る人が大勢います。でもそれは健康的な社会とは言えず、病的な状況だと僕は感じています。そこに未来の希望はないです。
 僕が今回『古風』の制作(冥丁の活動)で学んだことがあります。それは一般的な文脈上の事例、見聞を参考にして、そこに意識を向けるのではなく、体圧、体感、つまり肌感覚を通じて時代の文脈では語りきれない点から、作品をプロデュースし、現代の文脈のなかに提出することが大切だと感じました。
 多くの日本人は生真面目にも正解というテンプレートを日常的に必要としているように感じます。音楽はそれが顕著です。既存のジャンルを頭のなかでタグ付けしてハイブリッドな音楽を作っている人が多いからです。それは計算して作る音楽で、それが正解ではありません。そもそも音楽に正解はないと思います。音楽以外のことでもそうです。
 たとえばひとつの目線を通して、世の中をみます。そうすると違う場所でも、同じように自分の目線で世の中を見る人がいます。賛同されたり、反対されたりします。世界(人間社会)とはそういうコンセプトなんです。それが悪くもないし、良くもないです。ここにも正解はない。僕らの世界は、そういう正解の決してないコンセプトの次元で存在しているということです。だから人間はテーマ(人生の意義)を持って生きているのです。
 つまりテーマとは僕らにとって希望なんです。希望を持っているとは、結果的にテーマに基づいて人生を生きるということだと僕は考えます。『古風』は冥丁のテーマに基づいて作られたアルバムです。アルバムは僕にとって希望なんです(だからこの僕の示す希望に対して意見が違う人も少なくからず存在すると考えることができます。世の中そういうコンセプトですから)。
 僕がこのアルバム『古風』で見た世界は過去の私たちの先祖たちが感じた粗野な感情の塊なんです。生々しい音が鳴り、汗をかき、熱風の吹き荒れた世界なんです。なので今作が男性目線のノスタルジーであるということは健全なことだと僕は感じます。それでいいのです。僕が仮に男性目線で作品を描くことに疑問を持ってしまったならば、冥丁に希望はないです。それだと、ただの音の塊を丁寧に作っているだけに過ぎないですね。なぜならば、いまや音楽なんて誰でも手軽に作ることができます。だからこそ、どんな希望を描いているかが現代の音楽制作で最も大切なことです。他の分野でもそうですけどね。

できることならタイムスリップして想像上の過去の日本、「LOST JAPAN」に暮らしたいですか?

冥丁:暮らしてみたいかもしれません。でも強くそれを望みません。2020年が好きですし、この時代はとても良い時代です。

今回の『古風』で「LOST JAPANESE MOOD」3部作が完結します。次はまったく日本とは関係ないテーマになる可能性があるのでしょうか? たとえば次は古代ギリシャをテーマにしたり、はたまたラテン音楽にフォーカスしたり。

冥丁:冥丁ではいつも日本の音楽を作ることがコンセプトとしてあるので、日本を描き続けたいです。その先に何があるのか知りたいです。冒険のような。
 その他にも冥丁を通じて仕事をしています。たとえば舞台、ファッション業界、リミックス、特定の環境下で使用するための音楽などの制作をしています。先日は広島のLOGというホテルのための夜のライヴセットとアンビエントを用意しました。それは現在リリースしている音楽とはスタイルの違うものです(定期的に開催する予定ですので、皆さんにも足を運んでもらえたらと思います)。今後も冥丁のベーシック・ライン(Japanese mood)に加えて様々な音をプロデュースしていきたいと思っています。
 でも将来日本以外の国の音楽をもし作っていたらと考えると、その未来も面白いですね。
 ありがとうございます。

Richard Spaven & Sandunes - ele-king

 現在のサウス・ロンドン勢が注目を集める以前、2010年代前半頃より既にUK発の新世代ジャズ・ドラマーとしていち早く脚光を浴びていたリチャード・スペイヴン。UKではザ・シネマティック・オーケストラや4ヒーロー、インコグニートの演奏に参加し、USではホセ・ジェイムスからフライング・ロータスなどとも共演してきたことにより世間へアピールする機会に恵まれ、またヒップホップにダブステップやドラムンベースなど、クラブ・サウンドを取り入れた演奏によりジャズ以外の分野からも支持を集めていった。現在はモーゼス・ボイドゴーゴー・ペンギンのロブ・ターナーなど、そうしたジャズとクラブ・サウンドを繋ぐようなドラマーもいろいろいるが、そうした先陣を切ったのがリチャード・スペイヴンとも言える。

 ジェイムスズージョーダン・ラカイ、ステュアート・マッカラム、フリドラインなどいろいろなアーティストの作品に参加し、アルファ・ミストと44th・ムーヴというユニットを結成する一方、自身のソロ作品では2010年に処女EPの「スペイヴンズ・ファイヴ」を〈ジャズ・リフレッシュド〉からリリースし、その後ファースト・アルバムの『ホール・アザー』(2014年)以下、『ザ・セルフ』(2017年)、『リアル・タイム』(2018年)と発表してきている。『ザ・セルフ』では盟友のギタリストであるステュアート・マッカラムほか、ジョーダン・ラカイ、ジェイムスズー、クリス・バワーズ、クリーヴランド・ワトキスらが参加し、ファラオ・サンダースからキング・ブリット、フォーテックに至るカヴァーも手掛けるなど、ジャズからクラブ・サウンドに通じるリチャード・スペイヴンならではの世界を見せてくれた。『リアル・タイム』も同じくステュアート・マッカラムと組んだバンドで、数曲でジョーダン・ラカイのヴォーカルをフィーチャーしていた。このアルバムのプロデューサーはドイツのドラムンベース・プロデューサーとして知られるフレデリック・ロビンソンで、マスタリングはバグズ・イン・ジ・アティックのメンバーでディーゴとの共演など、主にブロークンビーツ方面で知られたマット・ロードが手掛けるなど、一般的なジャズとは異なる人脈がブレーンを固める異色作であると同時に、リチャード・スペイヴンというミュージシャンのジャズとクラブ・サウンドの境界にある立ち位置をよく示した作品と言えるだろう。その『リアル・タイム』から2年ぶりの新作となるのが『スペイヴン×サンデューンズ』である。

 このアルバムはタイトルが示すように、サンデューンズという女性ピアニストとのコラボレーションとなっている。サンデューンズは本名をサナヤ・アルデシールといい、インドのムンバイ出身で現在はロンドンを拠点にインド、ヨーロッパ、アメリカとワールドワイドに活動している。ボノボのオープニング・アクトを務め、プリティ・ライツのツアー・サポートをおこない、ジョージ・フィッツジェラルドのアルバム制作に参加するなど、エレクトロニック・ミュージック系での活動が多い。〈!K7〉から今年5月に「スペア・サム・タイム」というEPをリリースしているが、『スペイヴン×サンデューンズ』もその〈!K7〉からのリリースとなる。サウンデューンズはピアノやシンセ、キーボード全般を扱い、それ以外にゲストも参加しない完全にふたりだけのコラボとなっている。リチャード・スペイヴンはドラマーであると同時にエレクトロニクス機材を扱うビートメイカーでもあり、本作においてはそうした彼のビートメイカー/プロデューサー的側面が強く表れたと言えるだろう。過去にジェイムスズーとおこなった共演に近い形態の作品集だ。

 小鳥のさえずりのSEを交えたオープニングの “イン・リーディネス” はアンビエント・テクノ系の作品で、全体的にテクノの影響が強い作品集となっている点はドイツの〈!K7〉らしい。こうしたテクノ的な色合いに生ドラムを有機的に融合したのが “ツリー・オブ・ライフ” という曲で、スペイヴンの独壇場とも言える世界だ。ドラムンベースのビートをさらに細かく分解し、それに人力でディレイを掛けたようなテクニックには恐れ入る。“イヴリン” でのコズミックな音響空間にこだまするミニマルなビートから、次第にインプロヴィゼイションを交えた立体的で複雑なドラミングへと展開するのも巧みで、エレクトロニクスとジャズの即興演奏を見事に操っている。“キャント・セイ・ザット・トゥ・ユー” に見られるように、サンデューンズのキーボードは非常に抒情的で、ときにインド音楽を思わせるような独特の旋律を奏でる場面もある。“リトル・シップス” や “サステイン” における瞑想的なサウンドは、明らかにインド音楽からの影響と言えよう。アリス・コルトレーンやファラオ・サンダースがインド音楽を取り入れた演奏をおこなったように、古来ジャズとインド音楽は相性がいいものだ。『スペイヴン×サンデューンズ』はそれを現代的な手法で解釈したもののひとつとも言える。


さよひめぼう - ele-king

 インターネット上を拠点に活動、これまでアメリカの〈PLUS100〉や〈BusinessCasual〉といったヴェイパーウェイヴ系のレーベルからリリースを重ね、〈Maltine〉にもEPを残すトラックメイカー、さよひめぼうが初の全国流通盤を送り出す。
 ブレイクビーツが暴れまわったり謎めいた声ネタが飛び交ったりしているが、全体的にはじけんばかりのキャッチーさに包まれている。不思議なハイブリッド感を楽しもう。


さよひめぼうの新アルバム『ALIEN GALAXY MAIL』本日10/21CD発売&配信/ストリーミングも開始!

●2016年6月14日アトランタの名門Vaporwaveレーベル〈PLUS100 Records〉、2017年4月21日米国のインターネットレーベル〈BusinessCasual〉よりアルバムをカセット・デジタルで発表し、2019年には〈Maltine Records〉からEP「深圳DIVA」をリリース。その独創的な音楽性が国内でも話題を振りまきつつあるトラックメイカー=さよひめぼうの新アルバム『ALIEN GALAXY MAIL』が本日10/21に発売!

●今作はライヴテイクの勢いを大きく反映させ、今までのベッドルーム・ミュージック的なアプローチから、踊る事を主軸に置いたダンスミュージックへと進化した一作となる。国内・海外で注目を集める横浜育ちのビートメーカー ΔKTR がプロデュース。マスタリングを ISSUGI や仙人掌、KID FRESINO、JJJ、C.O.S.A. らの作品への参加でも知られるプロデューサー/ビートメーカーの Aru-2 が施し、アルバムデザインは tofubeats のアートワークや、PUMA とのコラボレーションなど、インディーズからメジャーレーベルまで幅広い分野にアートワークを提供し、様々な企業、ブランドとのコラボレーションでプロダクトを展開している GraphersRock が担当した。

●GraphersRock のアルバム・アートワークを元に、たすけてセンター街が監督・編集したトレイラー動画や、imai (group_inou)、パソコン音楽クラブ、長谷川白紙、ぷにぷに電機、SEKITOVA、tomad、John Zobele (Business Casual)、R23X (Plus100、NEOGAIAPHANTASY)からのコメントも是非合わせてチェックしてください。

[AppleMusic, iTunes, Spotify など各配信/販売リンクはこちら]
https://smarturl.it/SAYOHIMEBOU

[アルバム・トレイラー映像はこちら]
さよひめぼう - “ALIEN GALAXY MAIL” Trailer
https://youtu.be/ek42B2LzMiE

2050年、新たな氷河期に突入後、
人類の大半はアジア大陸上に浮かぶ巨大コロニーに移住。
そこで暮らす中国人中学生猫娘は、
エンジニアの祖父からY2Kを経て改良・使用し続けた旧型Windowsパソコンを受け継いだ。
その娘のパソコンにある日、宇宙人からメールが受信される。
その内容は高速監視システムで探知され、瞬く間に全世界へ流出して大問題となった。

・・・

[各推薦コメントはこちら(順不同)]

初めてさよひめぼうさんの曲を聴いた時はバックグラウンドが全然見えなくて、本当に宇宙人かと疑いました。

今作はそんなさよひめぼうさんが地球で活動を始めて、あらゆるトラックメイカーと共演する事で言語を習得し、最強バイリンガルになったような印象を受けました。

さよひめぼうさんは地球年齢だと僕より先輩にあたるのですが、「今が一番楽しい」と仰られていて、とても感動しました。
また共演してフロアをめちゃくちゃにしましょう!
特大リスペクト!!!!!

imai (group_inou)

---

とにもかくにもリリースおめでとうございます! パソコン音楽クラブの企画で初ライヴを拝ませてもらってからはや3年、当時のVaporwave meets IDM的なカオスの連打から深圳DIVAあたりでの言語感覚の獲得によるポップな狂いと、そこに込めたインスピレーション元への私的な敬愛を同時に覗き見ることができる面白いアルバムでした。毎作ごとに恐る恐る拝聴させていただいております。今後とも油断も隙もならない音楽を楽しみにしています!

SEKITOVA

---

蛍光色のエイリアンと毒ミッキーが融合・分裂し続けるトリップの中で、縦横無尽に跳ね回るのは、過剰なまでにケミカルな音の塊。背後から迫ってくる音響生命体は、おしゃべりのようにアーメンブレイクのスネアを打ち出し続けている。このコミュニケーションの成立しない銀河に、人間の出る幕は勿論ない。

柴田(パソコン音楽クラブ)

---

さよひめぼうさんは、その初ライブが僕の所属するパソコン音楽クラブ企画の小さなイベントだったと思います。
その日、それまでにさよひめぼうさんの音楽を聞いたことのある人は少なかったと思いますが、様々な音楽の影響を感じさせつつも誰にも真似できない唯一無二の圧倒的なサウンドを聴き、そこに居合わせた全員がこれはとんでもないことになるんじゃないか、と物凄いワクワク感を感じたのを覚えています。それ以降も要所要所でご一緒し、僕はいつもその音楽に圧倒され続けてきました。
そんなさよひめぼうさんが今作ついに全国流通盤を出されるとのことで、本当に嬉しいです。
今作は当初からのIDM・ブレイクコア的ビートの持つ疾走感を引き継ぎつつも、声ネタや音選びなどから、過去作に比べてよりキャッチーな印象を感じました。しかしながら不思議な位相感や浮遊感のある調性など、抜群のオリジナリティは健在です。初めてさよひめぼうさんの音楽を聴く人に寄り添いつつも、体験したことのない聴了感を感じさせてくれる作品だと思います。

西山(パソコン音楽クラブ)

---

我々の記憶から発音体までの距離をサンプリングしてしまうような唯一無二としか言いようがない音像/
常に音楽的構造を維持していながらも、“伝統的”な小節単位の進行ではない、予測不可能な、天上からの走り書きみたいな展開/
唐突に挿入される異分脈の和音の濁り、きみょうな転回形、グリッド外のリズム、異なる分割のリズム/
まるで中世音楽のような雰囲気すら感じさせるような旋法性や声部の独立性/
宇宙の全てを射程に捉え予言するような、鮮烈で恐ろしい記名性/
最新にして最大の美しくよごれた幻影!

長谷川白紙

---

さよひめぼうさんはコラボレーションの際、いつもそのCuteで過激な音色を動力に、わたしの声を異次元に連れていってくれます。
 頂いたトラックを聞けば極彩色の世界感が嬉しくて「どこ~~~!?」と叫びたくなりそうなほど、魅力的なエンジンをお持ちの宇宙船です。
 そんなさよひめぼうさんがアルバムをリリース! ということで、先だって聴かせていただいたのですが、やっぱり「どこ~~~!?」でありつつも、流体のような滑らかさと硬質でパワフルなビートを更に洗練させておいでで、さらなるアップデートに眩暈がするほどです。
 きっとこのアルバムをお聞きの皆さんを最高の銀河に連れていってくれるでしょう。
 ヤバいとこまで届きそう……。

ぷにぷに電機

---

はじめて聴いた時これは「テクノ」だと思った、そして泣いた。
ここではない未知なる惑星の思い出が走馬灯のように脳内を彩る。
2020年、宇宙への旅。さあ、最悪なこの地球から飛び出そう。

tomad (Maltine Records)

---

"Another exciting release from SAYOHIMEBOU, featuring their signature blend of glitchy vaporwave.
Surprising and fun as always."

John Zobele (Business Casual Owner)

---

Sayohimebou’s latest high-energy, auto-tuned, chopped-up masterwork pushes plunderphonic music to another level—it will blow your mind!

Sayohimebou is back in full force deconstructing techno, breakbeat, IDM, and plunderphonics through the lens of internet music.

Alien Galaxy Mail will make you rethink what dancing in a club could and should be.

This is an amazing blend of breakbeats, bubbling synths, warped samples, and bass lines that will get you moving… truly unique music.

Sayohimebou’s latest work is like putting hardcore techno, drum & bass, and vaporwave—with a pinch of gabber—into the blender and then microwaving the results. Incredible.

R23X (Plus100, NEOGAIAPHANTASY)

・・・

アーティスト:さよひめぼう
タイトル:ALIEN GALAXY MAIL
品番:PCD-20429
定価:¥2,000+税
発売日:2020年10月21日

Tracklist:
01. 拝啓 聖 猫娘
02. NEO ICE AGE
03. GALAXY MAIL
04. Runway
05. ON-GAKU
06. Camouflage i-Land
07. Spam Trap (ハニーポット)
08. Summer Skate Link
09. AFRICA Mickey Museum
10. 1998-2050 (Memphis)

https://smarturl.it/SAYOHIMEBOU

・・・

[プロフィール]
さよひめぼう
主にインターネットを活動の拠点とする、ミュータントFutureダンスミュージック製造工場!? 米国〈PLUS100〉〈BusinessCasual〉など、Vaporwave~Experimental系レーベルから多数アルバムをリリース。日本では〈NewMasterpiece〉からカセットテープを限定販売。2019年には〈Maltine Records〉からEP「深圳DIVA」リリース。
https://twitter.com/sayohimebou

BIM - ele-king

 THE OTOGIBANASHI'S の一員としての活動を経てソロ・デビューを果たした BIM。2018年にリリースされた 1st ソロ・アルバム『The Beam』では、アルバム中約半数の曲で自らがプロデューサーとしてトラックも手がけながら、自身のソロ・アーティストしての個性を明確に打ち出し、作品としても日本語ラップ・ファンを中心に高く評価された。アルバム全体で一定のトーンをキープし、どちらかと言えば内向的な印象が残った『The Beam』であったが、今年2月にリリースされたミニ・アルバム『NOT BUSY』では、『The Beam』にも参加していたドイツ人プロデューサーの Rascal が全曲プロデュースを手がけ、さらにスチャダラパーの Bose をゲストに迎えたことも相乗効果となりながら、外側へと向かっていくようなイメージの作品であった。そして『NOT BUSY』から約半年後に今回の 2nd アルバム『Boston Bag』がリリースされたわけだが、『NOT BUSY』の延長上にありながら、様々なスタイルのプロデューサーを迎え入れたことで表現の幅はさらに広まり、実に多面的な魅力を持つ作品に仕上がっている。

 本作の軸になっているのが前出の Rascal、そしてもうひとりが STUTS だ。CreativeDrugStore から in-d、JUBEE、VaVa をゲスト迎えたイントロ曲 “Get Gas (Hey You Guys)” や “三日坊主” などアルバム前半に集中している Rascal プロデュース曲はストレートなヒップホップ・トラックが特徴で、アルバムのヒップホップ濃度を上げている。なかでもテディ・ペンダグラス “Close The Door” のサンプリングにハードなビートを重ねたメロー・チューン “Jealous” は90年代的なテイストも醸し出しつつ、そこに乗る BIM と KEIJU (KANDYTOWN)の絡みが凄まじく格好良く、さらに男の色気も強く滲み出ている。一方、昨年リリースされた RYO-Z (RIP SLYME)との共演曲でもあるシングル “マジックアワー” でも素晴らしい相性を見せていた STUTSは、先行シングル曲である “Veranda” を筆頭に3曲のプロデュースを担当。STUTS の持つポップなセンスとダンサブルなスタイルがアルバム全体に上手く溶け込み、cero の高城晶平をフィーチャしたアーバンなダンス・チューン “Tokyo Motion” はその中でも最高峰とも言える一曲だろう。ダンス・チューンと言えば G.RINA がプロデュースを手がけ、kZm をフィーチャした “One Love” は “Tokyo Motion” とはまた異なる方向性のシンプルな抑えたムードの作りで、それぞれのプロデューサーの異なる個性が実にバランス良く溶け合っている。全11曲、32分というコンパクトなサイズ感ではあるが、楽曲の流れも実に巧みで、No Buses というバンドをゲストに迎えた80sニューウェーヴ的なテイストも感じられる “Non Fiction” で締めくくるというラストへの流れも含めて、アルバム単位で頭から最後までじっくり味わって欲しい作品だ。


Vityazz - ele-king

 ジャズを出自に持ちつつも、型にはまらないスタイルで活動の幅を広げてきたヴィチアス(Vityazz)、昨年発表されたデビュー作『11034』もいまだみずみずしさを失わないなか、アルバム冒頭を飾っていた “How days slided” のセッション・ライヴ映像が公開された。
 新たな活動の場を模索するべく彼らは自宅スタジオを開設。今後は關伊佐央、Shun Yamaguchi との共同イベント「atonarium session」を配信で開催していくとのこと。

The Bug - ele-king

 ケヴィン・マーティン──テクノ・アニマルやキング・ミダス・サウンドなどで知られ、最近はミス・レッドの裏方、ベルリアとのFlame名義のコラボ作、ムーア・マザー参加のゾーナルケヴィン・リチャード・マーティン名義もあり──じつにいろんな名義で多岐にわたる活動をしているアーティストだが、やはり彼のメイン・プロジェクトだと思われるのは、ザ・バグ名義だろう。
 ケヴィン・マーティンの音楽には多くの場合、ダブからの影響が滲み出ているが、ザ・バグには当初からダンスホールというコンセプトがあった。新作はベルリン拠点のプロデューサー/ヴォーカリストのディス・フィグとのコラボとなっており、ふたりは今作のスタイルを〈トンネル・サウンド〉などと呼んでいるが、その名の通り、いままでにないほどスモーキーでメディテーショナルなサウンドとなっている。
 木霊するディス・フィグのボーカルに飛ばされつつも、強力なダンスホールのリズムに踊らされる“Destroy Me”、仄暗い底からジワリジワリと迫り来る強烈な沼アシッドの“Blood”、タイトル通り永遠に揺られていたくなるようなリズムに儚げで美しいウワモノに心奪われる“Forever”、バグの生み出す強力な低音、リズムとの相性バッチリなディス・フィグのヴォーカリストとしての魅力が最大限に発揮された先行解禁曲の“You”など、一度ハマったら抜けられない沼サウンド全12曲を収録! 
 吸うか、吸われるか……2枚組のLPはブルー・ヴァイナル仕様となっている。
 

THE BUG FEATURING DIS FIG
IN BLUE

Hyperdub/ビート

輸入盤1CD / HDBCD055
輸入盤2LP(ブルー・ヴァイナル仕様) / HDBLP055
CD発売日: 2020年11月20日 (金)
LP発売日: 2020年12月18日 (金)

CD
01. Around Me
02. Come
03. Destroy Me
04. Blood
05. In 2 U
06. Levitating
07. Forever
08. Blue To Black
09. Take
10. No Return
11. You
12. End In Blue

LP
A1. Around Me
A2. Come
A3. Destroy Me
B1. Blood
B2. In 2 U
B3. Levitating
C1. Forever
C2. Blue To Black
C3. Take
D1. No Return
D2. You
D3. End In Blue

Young Girl - ele-king

 ちょっと異常だなと思うのが、新型コロナウイルスによる被害について語るときに欧米と日本を比較する頻度。ファクターXとか「日本はなぜ被害が少ないのか」という問いの立て方自体が間違っていて、被害が少ないのは日本だけではなく、東アジアとアフリカ大陸は全般的に死者数が少なく、アジア系の多い東欧も死者の数は4桁に届いていないところが多い。逆に言えばインド≡ヨーロッパ語族に被害は集中し、ネアンデルタール人のDNAを受け継ぐ人種がとくに危険だという仮説に僕は説得力があると感じた。アメリカと中南米で黒人に死者が多い理由も社会的要因はもちろんだけれど、わずかでも白人の血が黒人に混じっている率の高さを思えば、これも同じように説明がつくし。にもかかわらず、日本人が日本と欧米だけを比較し続ける心理はやはり「日本は欧米の一員」という意識が右派にも左派にも浸透しきっていて「アジアの一員だとは思いたくない」という意識が病的なほど強く働いてしまうからなのだろう。その一方で、安倍政権から菅政権へと権力が移譲されたプロセスは絵に描いたように東アジア的で、韓国やマレーシアでさえここまで民主主義を省略してしまうことはなく、欧米から見れば日本のやり方は中国や北朝鮮と大差ないものと映ったことだろう(森総理の時よりは大人数で決めたけどね)。行動原理はディープに東アジア的。意識は欧米か!。なんともスキゾフレニックな国民である。インダストリアルなリズムにうっとりとするようなメロディを掛け合わせたエイフェックス・ツインのファンが日本には多いわけである。

 「エイフェックス・ツインとスクエアプッシャーの肩の上に立っている」と自らプロフィールに記すヤング・ガールの2作目はドリルン・ベースならぬグリッチン・ベースで幕を開ける。“Vomit Nightmares(嘔吐の悪夢)”は突拍子もないブリープ音と穏やかなシンセサイザーのぶつかり合い。いきなり脳天に花が咲く。続く“The Low Men”もブチブチと途切れるリズムに断片的なメロディが浮かんでは消え、ぶり返しては断ち消える。なるほどエイフェックス・ツイン(やクラフトワーク)に多くを負っていることは確かで、いくつかストレートに曲名も浮かんでくる。とはいえ、オリジナルな要素も潤沢で、野山を駆けめぐるような“The Red Birds”に慌てふためく“The Black Gulls(黒いカモメ)”は独自の境地を感じさせる。アルバム・タイトルは『The Night Mayor(夜の市長)』となっているものの、いわゆるナイト・タイム・エコノミーとは無関係のようで、活動の拠点が「地球上で最も人が孤独になるオーストラリア西部」だと意味不明のアピールをしつつ、本人はいつも仮面で顔を隠し(前作では髭が見えていた)、アリアナ・グランデと同じ構図のジャケット・デザインには中途半端な自己顕示欲が感じられる(悪いとは言っていない)。自意識がねじくれていることがスキゾフレニックな音楽性には不可欠なのだろう。ゆっくりとネジがはずれていくような“Codeine”は、フィッシュマンズが♪風邪薬でやられちまったみたいな~と歌っていた咳止めのこと。日本では3年前に12歳以下の子どもには処方することが禁止となった風邪薬で、風邪もひいていないのに子どもが飲みたがる家庭麻薬として昔からつとに有名だった(アメリカの2010年代がコデイン→アヘン(オピウム)→フェンタニルと同じ成分の生成方法が変化しただけということも思い出す)。アルバムの後半はとてもナイーヴな展開で、前半の躁状態はどこかに陰を潜め、戯画的でありながら心に重くのしかかる曲が続く。そして、“Frustration Nightmares”でブチ切れ、“Sleep Paralysis(金縛り)”で異様なムードに反転。最後は朝が来てしまったということなのか、“Wake Up Wake Up Wake Up Wake Up Wa…(起きろ起きろ起きろ起きろ起……)“と、どこか暴力的な朝の描写で幕を閉じ、「夜の市長」はいなくなってしまう。夜だけが好きで、朝が嫌いな人にはマストのアルバムです。

 日に日に夜が長くなってきたせいか、「夜」をテーマとしたコンピレーション・アルバムも何種類かリリースされ、なかではポスト・ロックの中堅レーベルが企画した『A Little Night Music:Aural Apparitions from the Geographic North』がだんとつで良かった。全31曲とけっこうな曲数があり、オープニングとクロージングはオリヴァー・コーツ。『The Night Mayor』はちょっと怖い夜だったけれど、こちらはとても穏やかで、包み込んでくれるような夜の優しさや、つかみどころのなさを表現した曲が大半を占めている。目立ったところをかいつまんでいくと、久々に名前尾を見たゼリエノープル(Zelienople)やフェネスは安定した音楽性。気持ちのいい圧迫感とそれを凌駕する安心感がキャリアの余裕を感じさせる。グレッグ・コワルスキーやKi Oni(木鬼? カイ・オナイ?)はイマジネーション豊かで伸び伸びとしたコンポジション。広島でアンビエント・ミュージンクを展開するフジタ・ダイスケのMeitei / 冥丁は雨だかグリッチ・ノイズだかを背景に軽く打楽器を加えた寂しい曲(怪談好きのようです)。高木正勝もなぜか似たような発想で、こちらは雷雨とピアノ。メアリー・ラティモアはメランコリック、イリヤース・アーメドはエスニック・フォーク、フェリシア・アトキンソンはアンニュイと続き、驚いたのはシューゲイザイーのロータス・プラザが復活したこと(7年ぶり?)。これが迷宮のようなクラウトロック風のピアノ曲で、さすがでした。ハウスの人だとばかり思っていたフィット・オブ・ボディがジャズ風のスローナンバーを寄せているのも驚いた。元LAヴァンパイアのニック・マーキンによる温泉のような暖かさからルイーズ・ボックのオカルティックな響きまで、とにかく違和感のある曲が1曲もない。流れも巧みで、とても優れた編集センスだと強調したい。なお、収益はすべてレーベル所在地であるアトランタの女性団体に寄付されるそうです。とりわけ堕胎を希望している女性たちのサポートに(https://www.feministcenter.org)。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316