「You me」と一致するもの

Ambient Patrol - ele-king

 『テクノ・ディフィニティヴ』に続いて『アンビエント・ディフィニティヴ』を出さないかと言われた時は本当に戸惑った。スタジオボイス誌に特集を持ちかけた行きがかりもあって、それをベースにしたカタログ本をつくるところまでは勢いで進められたものの、もともと専門家の意識があったわけではないし、単行本化の過程でいかに手に入らない音源が多いか思い知らされたからである。どちらかというと違った考えを持った人が別なタイプのカタログ本を出してくれた方が気が楽になれると思っていたぐらいで、しかし、そういったことは起こらないどころか、僕の知る限り、体系の方法論だったり、構成の仕方に対する批評も批判も何も出てこなかった。もっといえば書評ひとつ出ないのになぜかやたらと売れてしまったし(渋谷のタワーブックスでは年間2位ですよ)。

 これで『テクノ・ディフィニティヴ』までつくったら、ダメ押しになってしまうではないかと思ったものの、前につくった2冊の編集部が閉鎖されることになり、自動的に絶版が決定し、それまで入手できないと思っていたレア盤のいくつかを聴く機会にも恵まれたので(PDUの3大名作が全部、再発されるとは!)、なんとか乗りかかった船をもう一度、押そうかという気になった。ジャン・ジャック・ペリーのソロ作やグラヴィティ・アジャスターズといった過去のそればかりでなく、OPNやメデリン・マーキーといった新人たちの作品が素晴らしかったことも大きい。ルラクルーザ、トモヨシ・ダテ、マシュー・セイジ……。新世代のどの作品も素晴らしく、モーション・シックネス・オブ・タイム・トラヴェルやミラー・トゥ・ミラーをその年の代表作(=大枠)にできなかったのは自分でも驚くぐらいである。

 アンビエント・ミュージックは06年を3回目のピークとしてリリース量はこのところ毎年のように減っている。しかし、これまでにもっともリリース量が多かった94~95年はいわば粗製乱造で、量が多かったからといって必ずしも全体の質もよかったわけではない。金になると思って寄ってきた人が多かったということなのかなんなのか、素晴らしい作品とそうでない作品にはあまりに差があり、いいものは量のなかに埋もれがちだった。ブッダスティック・トランスペアレンツなんて、当時はデザインだけ見て、なんだ、トランスか…と思っていたぐらいだし。セバスチャン・エスコフェの果敢な試みに気がつくのも僕は遅かった。

 最近は、しかし、むしろ、いいものが多すぎて拾いきれないというのが正直なところである。適当に買ってもあまり外さないし、そこそこ満足しがちである。もっといいものがあるかもしれないという強迫観念は90年代よりもいまの方が強くなっている。あると思い込むのも危険だし、だからといっ てないとはやはり言い切れない。これは喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。いずれにしろ『アンビエント・ディフィニティヴ』に間に合わなかった2013年後半のリリースから10点ほどを以下で紹介いたしましょう。すでに本をお持ちの方はプリント・アウトして最後のページに挟みこみましょう~。

1. Patryk Zakrocki / Martian Landscape (Bolt)

 いきなり詳細不明。ポーランドから40歳ぐらいのパーカッション奏者? アニメイター? 基本はジャズ畑なのか、ポーリッシュ・インプロヴァイザー・オーケストラなど様々なグループに属しつつ10枚近くのアルバムと、06年にはポスト・クラシカル的なソロ作もあるみたいで、ここではマリンバによるミニマル・ミュージックを展開。『火星の風景』と題され、子どもの頃にSF映画で観た火星に思いを馳せながら、繊細で優しい音色がどこまでも広がる。ミニマルといっても展開のないそれではなく、山あり谷ありのストーリーありきで、現代音楽にもかかわらずトリップ度100%を超えている。涼しい音の乱舞は夏の定番になること請け合いです。イエー。

2. Various / I Am The Center (Light In The Attic)


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 これは素晴らしいというか、実にアメリカらしい企画で、1950年から1990年までの40年間(つまり、アンビエント・ミュージックが商業的に成功する直前まで)にアメリカでプライヴェート・リリースされたニュー・エイジ・ミュージックをシアトルの再発系サイケ・レーベルが20曲ほどコンパイル。ヤソスやララージといったビッグ・ネームから『アンビエント・ディフィニティヴ』でも取り上げた多くの作家たちが、かなり良いセンスでまとめられている(こうやって聴くとスティーヴン・ハルパーンもあまりいかがわしく聴こえない)。OPNが『リターナル』をリリースした頃からアメリカでは「アンビエント」ではなく「ニュー・エイジ」という単語がよく使われるようになっていて、アメリカの宗教観がぐらぐらに揺れているのがよくわかる。元がいわゆる私家版だけに詳細を極めるブックレット付き。

3. Donato Dozzy / Plays Bee Mask (Spectrum Spool)


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 イタリアン・ダブ・テクノの急先鋒とUSアンダーグラウンドのルーキーが2012年に苗場のラビリンスで意気投合し、ルーム40からリリースされた後者による『ヴェイパーウェアー』を前者がヴェイパー・リミックスするはずが……いつしかフル・アルバムへと発展。DJノブが『ドリーム・イントゥー・ドリーム』でも使っていた曲から驚くほど多様なポテンシャルが引き出されている。ゼロ年代後半からノイズ・ドローンなどを多種多様な実験音楽を展開していたビー・マスクからアンビエント的な側面を取り出したのはエメラルズのジョン・エリオットで、リリースも彼がA&Rを務める〈スペクトラム・シュプール〉から。

(全曲試聴) https://www.youtube.com/playlist?list=PLE9phMAwHQN5V6oNfDk-dVc6eRL5CiNgE

4. Karen Gwyer / Needs Continuum (No Pain In Pop)


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 〈ワープ〉に移籍したパッテンのカレイドスコープから13本限定のカセットでデビューしたカレン・ワイアーの2作目で、ミシガン州時代には旧友であるローレル・ヘイローのデトロイト解体プロジェクト、キング・フィーリックスとも関係していたらしい(現在はロンドンに移住)。この夏にはトーン・ホークとのコラボレイション「カウボーイ(フォー・カレン)」でも名が知られるようになり、どことなく方向性がナゾめいてきたものの、ここではクラスターから強迫性を差し引き、なんとも淡々としたフェミニンな変奏がメインをなしている。あるいはジュリアナ・バーウィックとOPNの中間とでもいうか。〈ワープ〉の配信サイト、ブリープが年間ベストのトップ10に選んでいるので、来年はパッテンに続いて〈ワープ〉への移籍も充分にありそう。

5. Gaston Arevalo / Rollin Ballads (Oktaf)


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 波に乗っているマーゼン・ジュールがセルフ・レーベル、〈オクターフ〉からアルバム・デビューさせたウルグアイの新人。さざなみのようにオーガニックなドローンを基本としつつ、大した変化もないのにまったく飽きさせない。ペターッとしているのに非常に透明感が高く、何がではなく、ただ「流れ」という概念だけがパッケージされているというか。カレン・ワイアー同様、あまりに淡々としていて人間が演奏していることも忘れてしまいがち。マスタリングはテイラー・デュプリー。

6. Madegg / Cute Dream (Daen)


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 〈デイトリッパー〉からの『キコ』に続いて5曲入りカセット。コロコロと転がる硬い音がアメリカの50年代にあったような電子音楽を想起させるパターンとフィールド・レコーディングを駆使した側面はなんとも日本的(どうしてそう感じるんだろう?)。安らぎと遊びが同居できる感じは初期のワールズ・エンド・ガールフレンドに通じるものがあり、とくにオープニングはトーマス・フェルマンまで掛け合わせたような抜群のセンス。エンディングもいい。フル・アルバムもお願いします。

7. Alio Die & Zeit / A Circular Quest(Hic Sunt Leones)


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 ライヴ・アルバムを挟んで4回目のスタジオ・コラボレイト。庭園に降り注ぐ優しい日差しのなかで果てしなくトロケてしまいそうだった3作目とはがらっと違って全体にモノトーンで統一され、悠久の時を感じさせるような仕上がりに。デザインもイスラムの建築物を内外から写したフォトグラフがふんだんに使用され、「カタチあるもの」に残された人間の痕跡になんとなく思いが飛んでしまう。イッツ・オンリー・メディテイション!

8. Aus / Alpha Heaven (Denovali)


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 モントリオールから2007年にアンビエント・タッチの『ホワイト・ホース』とノイズじみた『ブラック・ホース』を2枚同時にリリースしてデビューした2人組による10作目で、これはロマンティックなムードに満ちた甘ったれ盤。ロック的な感性というと御幣があるかもしれないけれど、コクトー・ツインズが現役だったら、こんなことをやっていただろうと思わせる感じは、現在の〈トライ・アングル〉とも直結する感性だろう。インダストリアル・ムーヴメントに取り残されたウィチネスが「そっちじゃない、そっちじゃない」と手招きしているような……

9. Tim Hecker / Virgins (Kranky)


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 同じモントリオールから、もはやベテランのティム・ヘッカーは……エレキングの年末ベスト号を参照下さい。キズだらけの毅が素敵な文字の羅列を試みているはずです(まさかの本邦初となる国内盤ではライナーノーツを書かせていただきました)。

 そして……

10. Deep Magic / Reflections Of Most Forgotten Love (Preservation)


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 まさに校了日の次の日。1週間早く手にとっていたら2013年の大枠は間違いなくコレだった。当然のことながら、編集作業を終えてからすぐにレヴューを書いたんだけど、鬼のような橋元優歩がいじわるをしてアップしてくれなかったので、以下にそのまま貼るですよ(時事ネタだったので、わかりづらいかもしれませんが)。

……

 “アレックス・グレイはある日気づいたら、アンビエントだったのが変わって、ノイズ・ドローンに変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね。” (あそうそたろう)

 サン・アロウでサポート・ギタリストを努めるアレックス・グレイが様々な変名を使い分け、とりわけ、アンビエント志向のディープ・マジックとノイズ・ドローンを展開するD/P/I/(DJパープル・イメージ)が実は同じ人だったのかーという原稿は前にも書いた通りだけど、さらに『リフレクションズ・オブ・モースト・ファガットン・ラヴ』では彼の作風がミュージック・コンクレートに変わっていた。貧して鈍した日本政府が平和憲法という理想を掲げることに疲れ始めてきたのとは対照的に、アレックス・グレイの向学心は音楽の中身をどんどん発展させていく。倉本諒が指摘していたように、これは彼のルーム・メイトであるショーン・マッカンとマシュー・サリヴァンが先に始めたことで、2011年には連名で『ヴァニティ・フェアー』(『アンビエント・ディフィニティヴ』P246)という傑作もすでに世に問われている。それに感化されたとはいえ、それを自分のものにしてしまうスピード感もさることながら、その完成度の高さには舌を巻くしかない。

 アレックス・グレイがこれまでディープ・マジックの名義でリリースしてきた作品のことはすべて忘れていい。彼がアンビエント・ミュージックとしてやってきたことは、ある種の感覚を磨いていただけで、まだコンポジションという概念に辿り着く前段階でしかなかったとさえ言いたくなる。『リフレクションズ・オブ・モースト・ファガットン・ラヴ』にはもちろん、これまでと同じモチーフは散見できる。オープニングがまさにそうだし、桃源郷へと誘い出す留保のなさは最初から際立っている。彼はリスナーをいつも幸福感で満たしてくれるし、そこから外れてしまったわけではない。過剰なランダム・ノイズもピアノの不協和音も、それ以上にパワフルな光の洪水に包まれ、ミュージック・コンクレートを取り入れたからといって手法的ないやらしさはまったくない。あくまでも彼の世界観を強化するために応用されているだけであって、むしろ、ミュージック・コンクレートにはこんなこともできたのかという発見の方が多い。


 前半ではピアノがかつてなく多用されている。『ミュージック・フォー・エアポーツ』のような鎮静作用を伴ったそれではなく、高揚感を煽るダイナミックな展開である。炸裂しているとさえ言える。あるいはそのようなテンションを持続させず、適度に緩急が持ち込まれる辺りはナチスではなく……DJカルチャーに学んだ部分なのだろう。身体性が強く反映され、具体音に主導権が移っていかない辺りはミュージック・コンクレートとは決定的に異なっている。ということはつまり、ザ・KLFが『チル・アウト』(1990年)で試みたことと同じことをやっているに過ぎないともいえる。もしかすると、そうなのかもしれない。しかし、そうだとしてもここにあるのは圧倒的な手法的成熟と、さらにはイギリス的な抒情とはまったく異なるアメリカのオプティミズム、そして、タイトル通り「ほとんど忘れていた愛の回想」があるのだろう(どうやらこの回想は失敗に終わるという筋立てのようだけど)。

 アメリカという国は理想を捨てない。あまりにスピっていたテレンス・マリック監督『ツリー・オブ・ライフ』の内省はアン・リー監督『ライフ・オブ・パイ』でニュー・エイジの肯定、あるいはニュー・エイジが必要とされる理由へと進み、ウォシャウスキー姉弟監督『クラウド・アトラス』で見事なまでに肯定へと向きを変えてしまった。有無を言わせぬ力技である。かなわない。彼らの書いた企画書にお金を出すのは、いまやインド人や中国人かも知れないけれど、つくっているのはやはりアメリカ人である。お金を出す人たちもアメリカに金を出すということである。この手口に学んだらどうかね。

Magic Mountain High - ele-king

 91年にデビューしたヨケム・パアプ(スピーディー・J)と07年にデビューしたルーシーによるツァイトゲーバーと同じく、昨年、「ワークショップXX」でいきなりデビュー・ヒットを飾ったマジック・マウンテン・ハイも92年から活動を続けるムーヴ・Dことデヴィッド・ムーファンと05年にデビューしたジュジュ&ジョーダッシュによる「年の差」ユニットである。ファクトリー・フロアがカーター・トゥッティやピーター・ゴーダンを訪ねたり、パークがE・ノイバウテンと組むのとは違って、同じテクノというタームのなかで年齢差を感じさせるわけだから、レイヴも長く続いたよなーと(『テクノ・ディフィニティヴ』が売り切れちゃうわけだよね……)。

 初期にはアース・トゥ・インフィニティやディープ・スペース・ネットワークの名義でアンビエント寄りの作風を重ねていたムーヴ・Dはすぐにも故ピート・ナムルックとタッグを組むようになり、さらにジョナ・シャープ(スペースタイム・コンティニウム)と組んだリアゲンツや、ハイアー・インテリジェンス・エイジェンシーとのジョイント・アルバムでもアンビエント風のアプローチは揺るがなかったものの、ゼロ年代に入るとベンジャミン・ブルンと組んだディープ・ハウスのユニットや、ソロでもハウスの要素が強くなっていく。一方、リジー・ドークスのサイコステイシスからデビューしたジュジュ&ジョーダッシュはイスラエルからアムステルダムに移ったふたり組で、「ザ・ハッシュEP」(05)を筆頭にトリップ性の高いディープ・ハウスを追求し、ヴァクラのリミックスを手掛けたり、ジャスーエドやシュティフィのミックスCDにフィーチャーされるなど、この5年ほどで建て直しが進んだディープ・ハウス・リヴァイヴァルの一翼を担っていた存在だといえる。

 この両者がどのようにして出会ったのか……は知らない。マンガのように出合ったのかもしれないし、ありきたりにSNSでつながったのかもしれない。いずれにしろ「ハウスがあれば年の差なんて」どこかで超えられることになり、マジック・マウンテン・ハイは結成される。そして、「ハッシュ」を思わせるデビュー・シングル「ワークショップXX」がハードワックス傘下のワークショップからリリースされ、これがまず大人気を呼ぶ。

 続いて、今年の夏にセカンド・シングル「ライヴ・アット・フリーローテイション」がリリースされたと思ったら、これが両サイド合わせて30分を越すロング・ジャーニーとなり、ファースト・アルバムはさらにその完全版である63分17秒のライヴ・ドキュメントとなった。まったく途切れることなく続くディープ・ハウスの波状攻撃である。攻撃……というか、とても優しい波に揺られ続け、ときにアシッドに、あるいは、しっとりとした情感に揺られ続けるだけ。目新しいものは何もない。気持ちい……としか書きようがない。

 「マジック・マウンテン」というのはトーマス・マンの『魔の山』のことで、妻がユダヤ人だったトーマス・マンは逸早くアメリカ西海岸に逃げ出し、ナチスが敗退してもすぐにドイツには戻らずに、マリファナばかり吸いまくっていたらしいので「ハイ」と名付けた……かどうかはわからないけれど、教養と娯楽がないまぜになった上手いネーミングではある。ヴァクラというのもウクライナの小説家の名前だそうで、ゲットー・ミュージックもいいけれど、こういった楽しみもやはり捨てがたいことはたしか。ちなみに村上春樹『ノルウェイの森』の元ネタとも言われている『魔の山』のストーリーはむしろ堀辰雄『風立ちぬ』に酷似していて、『魔の山』の主人公であるハンス・カストロプが宮崎アニメ版にも登場し、軽井沢のホテルをなぜか「魔の山」と呼んだりw。

 スタンリー・キューブリック監督『シャイニング』の謎を解く『ROOM237』(1月公開)を観ていたら、ここでもハンス・W・ガイセンデルファー監督による『魔の山』の映画版が使われていた。5つの仮説を中心に謎解きが進められていく『ROOM237』は半分は凄まじい妄想だけれど(それはそれで楽しい)、ひとつは大正解ではないかと思わせるものがあった。『魔の山』とナチスを結びつける下りはともかく、エレベーター・ホールに血があふれる理由は非常に納得がいくし、マニアというのは、しかし、ホテルの壁にかかっていた絵から何からよく観てるものだなーと(タイプライターの色が変わるなんて、まったく気がつかなかった)。サウンドトラックはしかも、元V/Vmのケアテイカーで、前後して〈モダーン・ラヴ〉からザ・ストレンジャーの名義では3作目となる『ウォッチング・デッド・エンパイア・イン・ディケイ』がリリースされたばかり。

 ケアテイカーの諸作よりもデムダイク・ステアやアンディ・ストットに近いものとして聴こえてしまうのは、やはり先入観のせいだろうか。インダストリアル・ガムランのような“ソー・ペイル~”、同じくトライバル・リズムを使った“スパイラル・オブ・デクライン”、そして、ビートルズ“グッド・ナイト”をノイズ化したような甘ったるい“プロヴィデンス・オブ・フェイト”や“ウェアー・アー・アワ・モンスター・ナウ~?”が、あー、もう、たまらない。『崩壊していく「死んだ帝国」を眺めながら』というタイトルにこめた思いがどんなものであれ、結果的に出てくる音がこのように甘美で優雅なものになってしまう精神状態というのは一体どのようなものなのだろうか。そして、どれだけUSアンダーグラウンドのポテンシャルが高いとしても、このような歴史の果てにある感覚はそう容易に生み出せるものではない。ネガティヴの年輪が違う。

KABUTO - ele-king

 KABUTOは千葉出身、東京在住のDJ。KABUTOが少年時代を送った1980年代~90年代はパンク以降の音楽、クラブ・カルチャーの隆盛、ファッション、スケート・ボード、あらゆるユース・カルチャーが混然となった時代である。当時10代のKABUTOは千葉の街で、日々次々と生み出される新しく刺激的なムーブメントの数々を、ヤンチャな遊びの過程で貪欲に吸収して育った。
 そして2000年代になり、KABUTOは地元の先輩であるDJ NOBUからの誘いで、始動間もない〈FUTURE TERROR〉に加入する。千葉という街で何の後ろ盾もなく、仲間たちによる手づくりで始められた〈FUTURE TERROR〉……それがどれだけ特別なものであるかは、インタヴュー本文でKABUTOの言葉から知ってもらうべきだろう。とにかくKABUTOは〈FUTURE TERROR〉のオリジナル・メンバーであり、後に彼は〈FUTURE TERROR〉を脱退し東京に移るが、いまでもKABUTOの言葉は〈FUTURE TERROR〉への愛と敬意にあふれている。それからKABUTOは〈FUTURE TERROR〉で得た大いなる経験と理想を胸に歩み、彼はいま、東京のダンスフロアからもっとも信頼されるDJのひとりとなった。頼るものはDJとしての心と技、ただそれだけだったであろうが、それゆえに彼の周りには、新しい仲間たちも集まってきた。

 現在のKABUTOのホーム・グラウンドは、全国の音楽好きから愛される東高円寺の〈GRASSROOTS〉で自らオーガナイズする〈LAIR〉。それと、和製グルーヴ・マスターと名高いdj masdaが運営し、ベルリン在住のyone-koも名を連ねる代官山UNITの〈CABARET〉である。KABUTOのプレイ・スタイルの片鱗は、2009年に〈DISK UNION〉からリリースしたMIX CDシリーズ"RYOSUKE & KABUTO - Paste Of Time Vol.1/2"や、この秋サウンドクラウドにアップされた"Strictly Vinyl Podcast 010"等でも触れてもらえると思う。だができることならぜひ、パーティの現場でこそ、彼のDJと人柄を味わってもらいたい。なお2013年12月13日、現時点でのKABUTOの最新のプレイのひとつである〈CABARET〉では彼は朝6時過ぎからブースに登場。ミニマルとディープ・ハウスを行き来し気持ちよく踊らせる持ち味を発揮した後、荒々しいシカゴ・ハウスをはさみつつどこまでも加速するようなKABUTOのプレイにダンスフロアの歓声はどんどん膨らんでいった。時計は7時半を回っていた。

 それではKABUTOの初めてのインタヴューをお届けする。KABUTOと長年交流する五十嵐慎太郎(〈Luv&Dub Paradise〉主宰)をインタヴュアーとして、過去、現在、そしてこれからについて存分に語ってもらった。


俺、全部同時進行なんです。「(特定の)この音楽で育った」っていうのはないんですよね。そういう音楽の聴き方をしていたのは先輩とかの影響もあるから、千葉での遊びがルーツとも言えるかもしれないですね。

■五十嵐:俺、カブちゃんとは常に会うような関係ではないけど、お互いの要所要所では何度も会って、熱い話をしてるんだよね。それこそカブちゃんが〈FUTURE TERROR〉を離れるにあたって考えていたこと、その当時の目標やヴィジョンなんかも含めて、個人的には以前にも話を聞いてるんだ。それからしばらく経って、KABUTO君の近年のDJ/オーガナイザーとしての活躍ぶりは、すごく注目されるべきものだと俺は強く思っていて。それでインタヴューという形で改めて、KABUTOというDJのこれまでの歩みや、何よりもKABUTO君がこの先、DJとしてやろうとしていることについて、じっくり話を伺おうと思ったんです。
 まず、カブちゃんが〈FUTURE TERROR〉を辞めたのはいつなんだっけ?

KABUTO:2008年に辞めたから、5年ですね。

■五十嵐:いきなり言っちゃうけど、その頃カブちゃんは、NOBU君が〈FUTURE TERROR〉というパーティを何もないところから作って、みんなの信頼を勝ち得るまでのものすごい大変さをわかった上で、「そこに挑戦したい」と言っていたんだよね。そして「それで、俺がDJとしていまより良くなっていったとしても、それは〈FUTURE TERROR〉のおかげなんだ」とも話していた。

KABUTO:本当にそう思います。

■五十嵐:これからあらためて聞くけど、カブちゃんがその頃から思ってきたことに、ここに来て近づいてきたのかなって俺は感じてるんだよね。

KABUTO:やっとちょっとは見えたかなって感じですね。

■五十嵐:まず、11月15日にカブちゃんがいま〈GRASSROOTS〉で主宰してる〈LAIR〉の6周年があったじゃない(その日のゲストはムードマンと、DJスプリンクルズことテーリ・テムリッツだった)。あれは本当に素晴らしかったね。あの雰囲気を作り上げたっていうのがさ。DJはもちろん良いに決まってるんだけど。

KABUTO:プラス皆の人間力ですよね。

■五十嵐:その一方で2013年になり〈womb〉や〈ageha〉の〈ARENA〉のような大きな会場のメインも務めたり、活躍の場を広げてきているよね。そんなこといろいろと思い出してたら、こないだの〈FUTURE TERROR〉の12周年(2013年11月23日)のフロアでさ、朝、俺がHARUKAのDJで踊っていたら、NOBU君がカブちゃんのところに来て、「お前、去年あたりからいい動きしてるよ」って、俺の目の前で話し出してさ(笑)。それを見た時に、お互いの気持ちをメチャメチャ感じて、何故か俺が感動しちゃって。俺が泣いてどうするんだっていう(笑)。

KABUTO:NOBU君とは、もう出会って20年ですよ。俺が17のとき。共通の知り合いがいて、ある日その人とNOBU君とで俺の地元に来たことがあって、そのときに初めて会って。凄い覚えてますね。RYOSUKE君(同じく元〈FUTURE TERROR〉)も17のときから知っていて、俺はRYOSUKE君が当時やっていたバンドをよく見に行ってましたね。

■五十嵐:RYOSUKE君がやってたのはハードコアのバンドだったんだっけ?

KABUTO:そうです。RYOSUKE君は、ハードコアだけじゃなくてレアグルーヴとかいろいろな音楽を聴いてる感じで、当時の俺はメチャメチャ影響受けてるんですよね。RYOSUKE君とは、高校生の頃、俺が船橋のバーみたいな所でDJしてたときに、初めて話したのは凄い覚えてます。

■五十嵐: RYOSUKE君も年上だよね? 当時のふたりはどんな関係だったんだろう。街の兄貴分みたいな感じ?

KABUTO:兄貴って、そこまで仲良くなれなかったですね。

■安田:遊びに行くといる、格好いい先輩みたいな?

KABUTO:そう。千葉に〈LOOK〉っていうライヴハウスがあって、そこによく遊びに行っていたんですけど、最初は話もできなかったですね。「ちわっす」「おつかれさまです」って感じで。

■五十嵐:ガハハハハ(笑)! そのときが17歳っていうと、1992、93年ぐらいか。そのときはどんなDJしてたの?

KABUTO:そのDJのとき、(ビースティー・ボーイズの)『CHECK YOUR HEAD』からのシングル・カットをかけてたんですよ。そうしたらRYOSUKE君が反応して、話かけてくれて。

■安田:KABUTO君の音楽のルーツっていうと何なんですか?

KABUTO:うーん、強いていうならスケート・カルチャーがルーツですね。スケートのビデオで使ってる音楽っていろいろじゃないですか。それをすごい観てたから、いろんな音楽を聴くようになったんですよ。
 あと姉が洋楽好きだったので、それでピストルズとかを聴いたのが小6とか。で、ガンズとかのハードロックからヘヴィー・メタル。スレイヤー、メガデス、というのが中1、中2ぐらい。
 で、中3になるとスケートもはじめて、メタリカ、アンスラックス、レッチリとかレニー・クラビッツを聴いていて、それからジミヘンやクラプトンとかも聴くようになりました。で、高校生になるとスーサイダル(・テンデンシーズ)とかバッド・ブレインズとかを聴く一方でHIP HOP、R&Bも聴いてて、テレビでは〈BEAT UK〉を観てたり。そういう感じで、聴いてきたものは皆とそう変わらないんだけど、ゴチャゴチャでいろいろ聴いてたんですよね。だから「昔何聴いてたの?」って聞かれると「全部!」って答えてて。レゲエやスカ、キンクスもスペシャルズも大好きだったし。昼間はスペシャルズ聴いて、夜になったらサイプレス(・ヒル)聴いて、みたいな(笑)。またゆったりしたい日にはスティーヴィー・ワンダーやプリンスも聴いてたし。だから「(特定の)この音楽で育った」っていうのはないんですよね。あと、そういう音楽の聴き方をしていたのは先輩とかの影響もあるから、千葉での遊びがルーツとも言えるかもしれないですね。

■五十嵐:ロックとクラブ・ミュージックが交わる時期というか、とにかくいろいろ新しいものが出てきた時代でもあったよね。

KABUTO:そうですね。アンスラックスとパブリック・エネミーの“ブリング・ザ・ノイズ”とか、ビースティーとかNASも人気があって、それで元ネタを掘り始めたりするんですよね。

■五十嵐:『パルプ・フィクション』等の影響でのレアグルーヴもあったしね。

KABUTO:映画の影響もありましたね。高校の時に『さらば青春の光』を見たり、マット・ヘンズリーの影響でVESPAが流行って乗ったりもしてましたね。

■五十嵐:90年代にはフィッシュとか、ジャム系のバンドも出てきたけどそういった音は?

KABUTO:俺はフィッシュとかは通ってないんですよ。その頃は俺、日本のハードコアがすごい格好いいと思ってた時期ですね。下北沢の〈VIOLENT GRIND〉とかもよく一人で行ってました(笑)。そういえば、NOBU君はニューキー・パイクスと繋がってたりして。

■五十嵐:そうなの?

KABUTO:そうなんですよ。そこでAckkyさんとも繋がるんですよ。

■五十嵐:なるほどね! Ackkyもニューキー・パイクスのライヴに客演で参加したこともあったみたいだもんね。
 そういう、90年代からいまへと連なる人の繋がりもあるわけだけど、ミクスチャーとかHIP HOPの世代の人たちから、バンドとDJの間の壁がまるっきりなくなったと俺は感じていて。要するにNOBU君世代ぐらいからなのかな。それまではクラブとバンド、ラップとバンドの垣根はすごく高かったように思うんだけど、サイプレス・ヒルとかガス・ボーイズが出てきたあたりから変わってきたんだよね。

KABUTO:それが、俺が高校生の頃ですね。俺、全部同時進行なんです。ハードコア聴いてる時期に〈MILOS GARAGE〉に行ったり、平日の青山〈MIX〉、あと〈BLUE〉とかも、千葉から遊びに行ってたし。四つ打ち行く前にアシッド・ジャズ、ラテンとかも聴いていて、ビバ・ブラジル(Viva Brazil)のスプリットのレコードを買ったらその逆面にサン・ラが入ってたりして。後に気付くんですけど、当時はサン・ラってわからず聴いてましたね。

■五十嵐:カブちゃんはバンドだけじゃなくDJの方にも、すんなり入っていったんだね。

KABUTO:クラブ・ミュージックの最初は、地元の仲良い年上の友だちが、兄弟でレコードすごい持ってて。その家がたまり場でよくDJして遊んでたりしてたんです。そこで電気グルーヴの『VITAMIN』や『オレンジ』とかを初めて聴いて、あとは〈ON-U〉とかのダブを聴いたり。高校のときはハウスとかテクノってあまりピンとこなかったんですけど、シカゴ・ハウスを聴いたときに「何だこれ!?」って思って衝撃を受けて、そこからハマってったんですよ。

■五十嵐:その頃、RYOSUKE君とかNOBU君はもうDJやってたの?

KABUTO:NOBU君は出会った頃はまだそんなにやってなかったはずですね。あまり正確には覚えてないんですけど。その頃トリップ・ホップも流行ってたじゃないですか。スカイラブ(SKYLAB)とか〈MAJOR FORCE〉、デプス・チャージ、セイバーズ・オブ・パラダイスとか、それでアンディ・ウェザオールが〈新宿リキッドルーム〉でやるときに、地元の友だちとNOBU君と一緒に行ったんですよ。それがクラブで初めての四つ打ち体験。19ぐらいの時かな?

■安田:四つ打ちを聴きはじめてからはどうなったんですか?

KABUTO:その後、ハタチぐらいからの何年か、毎年のようにアメリカに遊びに行ってた時期があるんですよ。地元のスケーター仲間がアメリカに住んでたから。いろんな街に旅行して、クラブもいろいろ行きました。ニューヨークに行ったときには(ジュニア・)ヴァスケス聴きに行ったりとか(笑)。NYでは他にも〈Sonic Groove〉と〈Drumcode〉の共同開催みたいなパーティとかにも行ったし。ちょうど年越し時期のフェスっぽいパーティで、NYのフランキー・ボーンズ、シカゴのマイク・ディアボーンやポール・ジョンソン、ヨーロッパからもアダム・ベイヤー、ニール・ランドストラムとか、いろいろ出てましたね。サンフランシスコではQ-BERTとか聴いてるけど、レコードはテクノを買って帰ってきました(笑)。ロスアンジェルスに行った時はたまたまカール・クレイグとステイシー・パレン、デトロイトのふたりが出るパーティがあったから、それに遊びに行ったりとかしてました。

■五十嵐:ここまで、若いときの音楽の話には「地元の仲間」という言葉が頻繁に出てくるから、やっぱり「千葉」はカブちゃんにとってとても重要な要素なんだね。カブちゃん自身は、住んでいたのは千葉のどのあたりなの?

KABUTO:僕は成田で、〈FUTURE TERROR〉の最初の4人のなかでは僕だけ住んでる所が離れてるんですよ。

五十嵐:成田ってどういう感じの街だったの?

KABUTO:成田山と空港くらいで田舎です(笑)。で、外国人が多い。地元の仲間はみんなスケーターでしたね。

■五十嵐:それにハードコアとか、バンドや音楽が好きな仲間も。

KABUTO:そうですね。皆で滑って、飲みに行ったり。その頃俺らまだ未成年だったけど、悪い先輩達と遊ぶのがすごい楽しかったし。そこからもう夜遊びの方にシフトしていくタイミングですね。

■五十嵐:俺の地元の静岡もそうだけどさ、そういうので生活は成り立たないじゃない。

KABUTO:成り立たないですね。

■五十嵐:どうしてたの?

KABUTO:普通に働いてました。まず車がほしいんで、お金貯めなきゃ、ってなって。高校卒業してすぐ車ゲットして。これで東京のクラブにも遊びに行ける! って。もうみんな乗せてパーティ行ったりとか、ウロチョロウロチョロしてましたね。俺、就職するとか大学に行くとか、全然考えなくて。まず遊び。

■五十嵐:ガハハハハ(笑)!

KABUTO:パーティの楽しさを知ってしまったので、もうひたすら遊びに行ってました。

■五十嵐:千葉で自分でパーティもやってたの?

KABUTO:いや、やってないです。俺が22歳くらいの時にRYOSUKE君が〈MANIAC LOVE〉でDJシャッフルマスターと〈HOUSEDUST〉っていうパーティでDJをやってて、それに結構遊びに行ってて。その頃にDJ RUSHとかPACOUみたいなDJを初めて現場で聞くんですよね。後で知るんですけど、その頃、KURUSU君(FUTURE TERROR)もRYOSUKE君と遊んでるんですけど、俺はその頃はまだKURUSU君のことは知らなくて、実際に知り合うのはもう少し後なんですよね。

■五十嵐:そうなんだ?

KABUTO:俺とKURUSU君がリンクしたのが、たしか(2000年前後に大人気だった)SUBHEADが来日した後くらいだったかな。
 SUBHEADが来日して、渋谷道玄坂の〈MO〉ってクラブでやってた〈Maximum Joy〉ってパーティでプレイしたことがあったんですけど、そのパーティがすごいヤバかったんですよ。ちなみに〈FUTURE TERROR〉の第1回目のゲストが、そのSUBHEADのフィルとMAYURIさん(metamorphose)なんですよ。
 その〈Maximum Joy〉には俺は客として遊びに行ってて、そこからクリスチャン・ヴォーゲルとか、No Future系にもハマっていくんですけど、そこにはNOBU君たちもいて。それから何年かして誘われるんですよね、〈FUTURE TERROR〉に。

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デトロイトで音を作っている人たちって、結構生活が厳しいながらも、やっぱり音楽の力を信じてやってたりしますよね。自分も(進学はせずに)仕事して、働いた後にパーティの準備するために集まったりしてたんで、そういうところが当時ちょっと自分とダブって感じて、デトロイトの音楽にハマったっていうのもあるかもしれないですね。

■五十嵐:〈FUTURE TERROR〉はこないだ12周年だったから、2001年ぐらいに始まってるわけだよね?

KABUTO:俺は1回目の〈FUTURE TERROR〉のときはDJじゃなくて。実は1回目は遊びにも行ってないんですよ(笑)。
 俺、その時パーティが開催されることを全く知らなかったんです。地元で仲良かった友だちはそれ行ってて、俺は後から聞いて「え、そんなのやってたの!?」みたいな。で、それが集客も良かったらしくて、レギュラーでやってみようかってなったらしいんですけど、俺はもう、全然知らずに。
 だけど、ちょっと経った頃に……当時よく、音楽好きな友だちと、家でいろんな音楽聴きながらDJしてたんですよ。そしたらある日、NOBU君からいきなり電話がかかってきて「DJやらない?」って言われて。「レコードあるんでしょ?」「はい」って、「今度こういうのやるんだけど、どう? RYOSUKEとKURUSUと4人で」って。だから正式には、俺は2回目からなんですよ。

■五十嵐:なるほどね。

KABUTO:その時は結婚式場を借りて、システムを入れてやるって話で。でも、その時俺はパーティのやり方がなんにもわかんないから。必死にDJやるだけでした。

■五十嵐:俺、その辺の話は静岡にいる時に、何かの雑誌で読んで知った。パーティを自分たちで一から作り上げて。千葉にね、静岡の自分と同じ気持ちの人たちがいるんだってシンパシーを感じてたんだよね。環境がなければ自分たちで作るしかないっていう。

KABUTO:俺はもう、右も左もわかんないし、DJしかやってなかったんですけど。ただ言われたことをひたすらやって。「この時間に集合ね」って言われたら行って、システムを運ぶのを手伝ったりとか、その程度でしたけどね。その前に、自分がパーティに行ってクチャクチャに遊んで、っていう経験はあるんですけど、それを自分がやるとなったらどうやればいいかっていうのは、わかってなかったですね。

■五十嵐:東京のクラブで遊んでて、それを地元の千葉で再現したいっていう気持ちだったの?

KABUTO:うーん、東京で遊んでて、なんだろう、その時期はRYOSUKE君も〈HOUSEDUST〉を辞めていて、NOBU君は空手に打ち込んでた時期なんですよね。たぶん、また遊びたくなったからはじめたんだと思うんですけど。パーティをやるスキルはみんなあったと思うんだけど、日本のシーンに対するアンチテーゼ的な感じで最初ははじまってるんで。

■五十嵐:商売気とかの部分かな?

KABUTO:当時の東京のノリにちょっと飽きちゃったというか。やっぱり地元でやりたいっていうのも強かったと思うんですよね。

■五十嵐:遊びではじめたことに、だんだん気持ちが入っていったって言う感じ?

KABUTO: 初めはNOBU君に誘ってもらったけど、なんで俺を誘ってくれたのかはわかんないですね。聞いたこともないですけど。
 最初の〈FUTURE TERROR〉でのDJは警察に止められて途中でダメになったし、それからは数々のいろんなことがあるわけですけど。当時は「地元でやろう」ということだけを考えてたと思うんですけどね。それが徐々に、徐々に大きくなっていくというか。結婚式場からレストランに移ったり、場所も変えつつ。あ、レストランの前に別の箱があって。潰れて空いてた箱なんですけど、そこでパーティできるって話になって、〈FUTURE TERROR〉で最初にテレンス・パーカーを呼んだのはそこなんですよ。そこでみんなで何日か前から集合して、ホコリだらけのところをみんなで掃き掃除から全部やったりして。そのパーティが凄く強烈でしたね。それまでのパーティも楽しかったんですけど、そこで気持ちが一気に入った感じですね。

■五十嵐:ゼロから自分たちで作っていった、っていう。

KABUTO:強烈に憶えてますね。

■五十嵐:テレンス・パーカーも感動して〈Chiba City〉っていうレーベルを作っちゃったりね。

KABUTO:すぐやめちゃいましたけどね(笑)。最初DJ引退するって言ってたんだけど、その時の〈FUTURE TERROR〉で「やっぱり辞めない」ってなって、それからいまだに辞めてないんですけど。テレンスもそれぐらい強烈なインパクトを感じたんだと思うんですよね。(壁や天井から)水滴も垂れるし、最前列はタバコの火も点かないぐらい酸欠で。みんなメチャクチャ踊ってて。本当、初めて「ハウス」を感じた日だったかもしれない。

■五十嵐:伝説として話は聞いてる。

KABUTO:あれ遊びに来た人はみんな結構憶えてるんじゃないかなぁ。当時はいろんなMIX音源を聴けるサイトは〈Deephouse Page〉ぐらいしかなくて、来日前はそれでチェックするしかなかったんだけど、テレンスはHIP HOPとかいろいろなセットも結構やってたから「当日はどんなDJやるんだろう?HIP HOPやったらどうする?」とか、心配したりもしてたんですよ(笑)。けど、その日はURから始まって、ゴスペルやらディスコやらを2枚使いでかけたりしてて、何じゃこのDJは! って皆ひっくり返ったっすね。

■五十嵐:みんなで何日も前から集まって準備してそこに至る、って、いいなぁ。

KABUTO:みんなでマスクして(笑)。でも千葉のそのDIYスタイルはずっとそうで。その後やった会場はレストランだったけど、そこも何日か前から集合して、壁に防音やったりしてました。そこで本当、パーティをつくるっていうのはこういうことだと教えてもらって……「教えてもらった」って言っても、言葉で何を言われるわけじゃないですけど。

■五十嵐:今日はいろいろ訊こうと思ってたんだけど、その全部の答えがいまの話に集約されていたというか。そういうパーティ体験があったからこそカブちゃんは、ただスキルを磨くだけのDJにはならなかったんだね。

KABUTO:DJのスキルがあっても気持ちがないと……NOBU君のDJを見てたらわかると思うんですけど、たまに(ミックスを)ミスりますよ、NOBU君でも。だけど人間力で持っていけるんですよ。あれはNOBU君にしかない部分だと思うんです。あのイケイケな感じでミックスしてオラーッて、フロアが盛り上がっちゃうんですよ。ああいうDJ、誰にでもできることじゃないから、それをずっと見てると、そういう感覚に陥っちゃうというか。

■五十嵐:スキルは大事だけど、パーティを楽しみたいという気持ちはもっと大切なんだよね。

KABUTO:そう。その気持ちがグルーヴになって現れるし。あとひとつ言えるのは、〈FUTURE TERROR〉のお客さんってメチャメチャ踊るんですよ。常にダンスフロア。そういうダンスフロアの雰囲気。踊った人にしかわからない感覚ってあるじゃないですか。DJの皆もそうで、その感覚を持ったDJが揃ったな、とは思いましたね。

■五十嵐:高橋透さんが同じこと言ってた。透さんはソウルのダンサーやってたの。チーム組んで。透さんが言うには、俺たちは音楽評論家じゃないんだ、ダンスして遊ぶ仲間なんだ、って。

KABUTO:やっぱり、踊ったときにしかわからない感覚、ダンスフロアにいる時にしかわからない聴こえ方、見え方って重要じゃないですか。それをみんな知ってるんですよね。それを言葉で確認したりしないですけど、自然とDJもそうなるというか。〈FUTURE TERROR〉が最初ハウスやってたのも、そこから今のテクノに移行していって耳がどんどん変化していくのも、踊ってる人ならではの感覚があるゆえにだと思います。

■五十嵐:ダンスの楽しさを、人一倍味わっちゃってる人たちなんだよね。

KABUTO:そうなんですよね。いまの〈FUTURE TERROR〉に来てる人は知らないかもと思うんですけど、最初は歌物がガンガンかかってましたからね。ゴスペルとか。デトロイト・ハウスが好きすぎて、実際みんなでデトロイトまで遊びにに行っちゃいましたし(笑)。
 デトロイトで音を作っている人たちって、結構生活が厳しいながらも、やっぱり音楽の力を信じてやってたりしますよね。自分も(進学はせずに)仕事して、働いた後にパーティの準備するために集まったりしてたんで、そういうところが当時ちょっと自分とダブって感じて、デトロイトの音楽にハマったっていうのもあるかもしれないですね。俺の勝手な妄想かもしれないですけど(笑)。仕事してキツいけど、その日のためにみんな気持ちをそこに持っていくというか。
 ひとつ、すげー嬉しかった話してもいいですか(笑)? さっき話したテレンスを呼んだ回の後なんですけど、デトロイトからテレンスとスティーヴ・クロフォードのふたりを一緒に〈FUTURE TERROR〉に呼んだ時があったんです。そこでNOBU君は(海外からゲストをふたり招く大切なパーティを)、テレンス、スティーヴ、俺、の3人だけで一晩やらせてくれたんですよ。そのときもお客さんパンパンで。すげー嬉しかったですね。任されたっていうのもあったし。スティーヴの前にやったんですけど、DJ変わるときお客さんすごい拍手してくれて、テレンスとスティーヴも来てくれてワーッってなって。本当嬉しかったですね。NOBU君はサラッと俺を指名してくれたというか。RYOSUKE君やKURUSU君でもいいはずなのに。でも俺に振ってくれたんです。

■五十嵐:それぞれがDJスキルを見せつけるためにパーティをやってるんじゃないんだよね。

KABUTO:それをすごい感じましたね。

■五十嵐:こないだ(2013年11月)、カブちゃんが〈ageha〉の〈ARENA(メインフロア)〉でやってたじゃない? 同じ日にNOBU君は〈ageha〉の中の〈ISLAND〉でやってたんだけど。いまの話を聞いて、その日のことともリンクすると思った。

KABUTO:俺は初めてNOBU君が〈ARENA〉でやるときも行ってたし、正直みんなも、〈ARENA〉はNOBU君だと思ってたと思うんですよ。最初話が来た時は、自分が本当に〈ARENA〉でやるとは思ってなかったし。今までやってきたことがちょっとずつ繋がってきた瞬間でもありました。

■五十嵐:カブちゃんが〈ARENA〉でやるって知ったときは、俺もめちゃめちゃ嬉しかった。11月にはその〈ARENA〉があって、インタヴューの最初に言った、〈FUTURE TERROR〉12周年におけるNOBU君の「お前、この1年いい動きしてるよ」という言葉があった。その時に俺は「やっぱり思ったとおりだな」って感じたんだよね。あれは同じクルーとしての言葉でもあるけれど、ひとりの男同士としての言葉なんだよね。

KABUTO:本来DJとしては、そういうの持ち込まない方がいいのかな、って思うところもあるんですけど、やっぱり千葉の人間ってそこが熱いのがいいところだから。そういうのがダメな人もいるんですよ。でもやっぱり俺はそういうところ出身の人間なんで。そういう人たちのパーティはやっぱ熱いから。泣けるっすよね。

■五十嵐:だからデトロイト・ハウスにも泣けるんだよね。

KABUTO:感動するし、流行り廃りじゃないスタイルで、本当にここ(胸に手を当てて)。気持ちの部分。いちばん芯の部分をちゃんとわかってる人にしかできないパーティというか。〈FUTURE TERROR〉もダメな人にはダメだと思うんですよ、でもそれはまだ、本当の〈FUTURE TERROR〉を知らないなって。 

■五十嵐:最近になってNOBU君を知った人には案外知られてない部分かもしれないし、もっとアナウンスをしたい部分だと思うんだよね。

KABUTO:常に100%。本気な人ですね。

■五十嵐:KABUTO君もそうなんだよ。

KABUTO:その影響を受けてるから。それは身体で教えられたというか、見せられましたね。言葉では何も言われてないですね。

■五十嵐:それで〈GRASSROOTS〉の〈LAIR〉も同じ11月に6周年。「本当に素晴らしかった」という感想は最初に伝えたけど、あの光景を見た時に、カブちゃんがいままで頭に描いてたことが、形になってきたことの表れだと俺は思ったんだよね。6年経って、それについてはどう?

KABUTO:元々は〈GRASSROOTS〉が10周年のときに、(店主の)Qさんから「カブちゃんやってみる?」って言われて、「いいんすか?」って、最初はホント気楽にはじめさせてもらったんです。そのときは〈FUTURE TERROR〉に在籍してたんで、〈LAIR〉はもうちょっとパーソナルなパーティ……自分のスタイルでパーティをやれたらいいかなと思ってました。その後すぐに〈FUTURE TERROR〉を抜けるんですけど、千葉で教わった、パーティを一から作っていくことを目標にしてやっていきたいと思ってましたね。6年本当あっという間でした。やっと少しは良い感じにやれてきたかなと。

■五十嵐:いま話してくれた、「結果的に〈FUTURE TERROR〉を辞めることになったけど、自由にやれることにもなったんで、千葉で教わった、パーティを一から作っていくことを目標にしてやっていきたいと思うんです」という話が実は、このインタヴュー冒頭で俺が言ったことなんだよね。俺がブッキングさせてもらった姫路の〈彩音〉で、酒でベロンベロンになりながら2時間ぐらい同じ話をずっとしてたよ(笑)。

KABUTO:だはは! ありましたね(笑)。元〈FUTURE TERROR〉の人間として、このパーティの凄さを、もっと知らしめたかったっていうのもありましたしね。

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これから厳しくなっていく環境のなかで、どれだけ工夫してサヴァイヴしていくか。それは、その人がこれまでやってきたことが全部出ちゃう部分だと思うけど、そこからいい音楽は絶対生まれてくると思っていますね。やっとみんな本気で考え始めたんじゃないかって思ってて。「なぜパーティをやってるのか」ということを。

■五十嵐:そして、〈LAIR〉が軌道に乗ってきた2009年には、カブちゃんとRYOSUKE君のスプリットのMIX CDシリーズ(『Paste Of Time』)を〈DISK UNION〉からリリースしたじゃない。あれは俺、いまだに聴いてる。さっきカブちゃんが「踊った人にしかわからない感覚を大事にしているDJが〈FUTURE TERROR〉には揃った」という発言をしていたけど、あのCDの空間の捉え方はまさしく、自宅ではない音の響き方を知ってる人たちのものだと思うんだ。
 去年、〈DOMMUNE〉の番組でベルナー・ヘルツォークの映画(『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』)を紹介する番組に俺が関わったときに、あの日の〈BROADJ〉をRYOSUKE & KABUTOにお願いしたのも、『Paste Of Time』からの流れなんだよ。あの映画は、それまで言われていた人間の起源を大きく塗り替えた、3万2千年前の洞窟壁画にまつわる作品なんだけど、それを〈DOMMUNE〉の番組前半で紹介するなら、番組後半の〈BROADJ〉は「あのふたりに頼んでみたい」と思ったんだ。

KABUTO:なんだろう、(『Paste Of Time』でやったように)空間をイメージするっていう行為というか、ある空間の中でダンスするとか、みんなパーティでやってることなんですよ。

■五十嵐:俺が素晴らしいと思ったのは、ふたりは映画に合った、洞窟という空間による音の響きを意識した選曲とミックスをちゃんとしてくれたのよ。空間プロデュースという側面でのDJの役割を見事に果たしてくれて、印象深いんだよね。

KABUTO:俺も、「洞窟」っていうテーマは初めてで(笑)、しかも何万年もさかのぼるっていうのは初めての感覚で、悩みましたけどね。

■五十嵐:何万年も前の人も、現代の人も、根本のところでは同じなんだよね。それを音で見事に表現してくれた。

KABUTO:あのときの録音はたまに自分でも聴いてます(笑)。でも、そうやっていろいろな現場でDJやれるのはありがたい話ですよね。いま、同じ〈CABARET〉チームのyone-koやmasda君と出会ったのもそうだし。yone-koに関しては、静岡にDJで行った時に、静岡のKATSUさんから「yone-koってのが東京にいるからよろしくね」って言ってもらったことがあって。でも実は俺は、当時から〈CABARET〉が気になってたんですよ。日本人の音源も結構チェックしてたから、The Suffraggetsも聴いてたし。で、静岡から戻ってきてから、〈CABARET〉に遊びに行って。そこで、「yone-ko君っすよね?」って、俺から話しかけたんですよ(笑)。「今度タイミング合ったら一緒にやろうよ」って。それがファースト・コンタクトですね。
 その後、さっき五十嵐さんが言った『Paste Of Time』を俺とRYOSUKE君とで出した時に、「リリース・パーティやらない?」って話になったんですね。それで「ふたりだけでやるのもなんだから、誰か呼ぼうか」ってなった時に、yone-koがいいんじゃないか、と。そのときにyone-koと初めて一緒の現場でDJやって、yone-koが俺らのDJにも反応してくれて。それですぐyone-koはわかってくれたと思うんですよね。その時、音楽の話はそんなにしてないと思うんですけどね。

■五十嵐:音で通じ合った。

KABUTO:そう、それで俺が「〈LAIR〉でもDJやってよ」って。逆にyone-koは自分が〈SALOON〉でやってた〈Runch〉に呼んでくれたり。そういう風に、とんとん拍子に。
〈CABARET〉のメンバーは、最初yone-koしか知らなかったんですよ。他のメンバーとは誰も喋った事なかったから。顔は知ってたんですけど(笑)、話しかけるのも照れくさいしって感じで。で、〈CABARET〉に遊びに行くようになって、yone-koと話してるときにmasda君が来て、「KABUTO君だよね?」って話しかけてくれて「よろしくっす」みたいな感じで。で、少し経ってyone-koはベルリンに行くんだけど、ある時にmasda君と話してて、「〈CABARET〉どうするの?」って聞いたときに、「パーティは続けたい。手伝ってくれない?」って言われて。で、俺、レギュラー・パーティも〈LAIR〉しかなかったから「いいよ」って。俺、最初、裏方の手伝いかと思ったんですよ。一足早く現場に入っていろいろケアしたりとか、そういう意味での手伝いを頼まれてるのかと思って返事したら「いや、DJで」って(笑)。

■五十嵐:そりゃそうだよ(笑)

KABUTO:それで2012年に〈CABARET〉に正式に入って、いきなりスコーンってやらせてもらって。そのとき思ったのが、「masda君、けっこう腹くくってんなぁ」って。本気だなって思ったんですよ。

■五十嵐:カブちゃんからの影響も強いと思うんだけど。

KABUTO:本当っすか。本気でやろうとしてる人には魅力を感じるし、そういう人じゃないとやりたくないし。

■五十嵐:一緒に本気でやれる新しい仲間ができて、それが〈CABARET〉ということなんだね。それじゃあ、この先の目標は? カブちゃんは〈FUTURE TERROR〉を離れるときから「DJとしても上を目指す」とも話していて、いまは事実、全国津々浦々に呼ばれるようになっているわけだけれど。

KABUTO:目標……大げさですけど、遊びに来てくれた人の人生を変えられるようなパーティをやることですかね。「このパーティがあったから、俺の人生変わっちゃったんだよね」って、来てた人に言わせてみたいですね。それだけかも。俺もパーティで人生狂わされたし(笑)。もちろんいい意味で。〈FUTURE TERROR〉で人生狂わされた人、価値観変わった人結構いると思うんですよ。それを伝えてくってわけじゃないですけど、人生巻き込み型パーティっていうか。生き方に対してもそうだし、全てにつながるじゃないですか。いろんな考えがあってもちろんいいんですけど、やっぱり音楽ってすごい原始的なもので、リズムはずっとあったものだから(人間にとってすごく大切なもの)。それはやっぱ、ずっと伝えないといけないっていうか。テクノだろうがハウスだろうが、基本、根っこの部分は一緒だと思うんですよ。お客さんの人生を変えるぐらいのパーティをしたいっていうのは、永遠のテーマですね。〈FUTURE TERROR〉を抜けてからですけど、やっぱりそれは常に目標というか。

■五十嵐:この生きづらい時代の、パーティの存在意義という話にもつながるよね。ただ楽しみたいだけなのに、どうにかして奪いに来ようとする奴らがいるからね。

KABUTO:それと戦う意味で音楽があると思ってるし。

■五十嵐: 〈LAIR〉に行ったときもさ、あのお客さんの優しさ。

KABUTO:そうなんですよね。

■五十嵐:あれはある意味理想郷だった。あれを目指したいと思ったよ。具合悪そうな奴がいたら「大丈夫ですか?」とか。「金なくて困ってる」っていう奴がいたら……。

KABUTO:一杯おごるとか。そういうことじゃないですか。助け合いの精神。「全てパーティから学んだ」って言ったら大げさかもしれないですけど……俺、元々は凄い人見知りなんですよ。さっきyone-koに自分から話しかけたって言ったじゃないですか。何かそれから、自分からいろんな人に話しかけるようになったんですよ。だいたい酔っ払ってんですけど(笑)。
 最近仲良くしてるSatoshi Otsuki君もそうで。(田中フミヤの)〈CHAOS〉にOtsuki君が来てたときに、「Otsuki君今度一緒にやろうよ!」って話しかけて、そうしたら「MIX聴いてましたよ」なんて言ってくれて「おっ!」みたいな。だからそういう、ベクトルが合う感覚というか、あ、この人全然大丈夫だわ、って嗅ぎ分ける感覚とか、そういうのもパーティから学んだし。だから、自分から行かないと何も開かない、待ってても何も来ない、っていうのは本当に、千葉にいたときに教わったことっていうか。

■五十嵐:ヴァイブスで繋がると、偏見も取れるしね。

KABUTO:そう。例えば〈CABARET〉はマニアックな音を出してるんだけど、みんなシュッとしてて、出で立ちもスマートじゃないですか。最初は俺、〈CABARET〉クルーとこんな仲良くなるなんて思ってなかったけど、なんだろう、〈CABARET〉に入るって決まったときに、俺のキャラがプラスに働くと想像できたんですよ。yone-koやmasda君みたいに知的で、膨大な知識のあるDJと、俺みたいなタイプのDJが一緒にやれたらいいパーティができるなっていうのが。バランスですよね。どっちが行き過ぎてもダメだから。お互い切磋琢磨して、バランスがとれてると凄くいい。それが今の〈CABARET〉なんですよ。

■五十嵐:違う人との調和ってことだよね。本当にここのところね、カブちゃんがずっと前から言ってたことが形になってるという感触を、きっと本人がいちばん感じているはずなんだよ。

KABUTO:そうですねぇ。感じられるようになったかな。

■五十嵐:周りも、そういうステージも用意してきているし。

KABUTO:なんか、DJ度胸じゃないけど、海外のDJが出るパーティで、そのゲストDJの後にやることが何回かあって。その時もまぁ普通に緊張はするんですけど、〈FUTURE TERROR〉のときに比べたら全然余裕、って正直思いましたね。当時は、NOBU君の後にDJすることほど、緊張するものはなかったですね。当時みんなNOBU君を観に来てるって感じもあって、お客さんはNOBU君で散々踊りつくして、DJ変わるとき「次DJ誰? まだ踊れるの?」みたいな空気があるじゃないですか。そういう現場を経験してきたから、外タレのときは緊張は少なくて。やっぱそれは、千葉でやってきた甲斐があったなぁ、っていうのは東京に出てきてから感じましたね。

■五十嵐:俺は、カブちゃんが実際いま好きな音楽とかも詳しくはチェックしてないんだけど、皆がカブちゃんやNOBU君に求めてるものっていうのは、パーティ=人なわけじゃん。

KABUTO:人生捧げてる人たちですから(笑)。

■五十嵐:だから俺はもう、今後の活躍を……。

KABUTO:「このまま散ってやるよ」って感じですね(笑)。

■五十嵐:ガハハハハ(笑)。

KABUTO:だからもう、そこの覚悟を決めてる人と決めてない人との違いは、俺のなかではものすごくデカいんですよ。東京でやってても、辞めちゃう人もいるじゃないですか。

■五十嵐:みんなセンスは凄くいいのにね。

KABUTO:そう。でもなんだかんだ言って、いまは東京で見せてナンボってところは実際あると思う。

■五十嵐:世界との玄関口だしね。

KABUTO:世界中見てもこんなクレイジーな街ってないと思ってるんですよ。本当、東京って独特な狂い方じゃないですか。だからそこで勝負できるっていう幸せも感じないといけないし、ここで生活することの大変さもそうだし、ここでDJできることのありがたみを感じながらプレイして、その気持ちをお客さんに伝えられるかどうかってことですよね。

■五十嵐:プレイがいいのは大前提としてね、そこに気持ちがないと、この街ではサヴァイブできないよね。

KABUTO:ニュースを見てても、これから厳しくなっていく環境のなかで、どれだけ工夫してサヴァイブしていくか。それは、その人がこれまでやってきたことが全部出ちゃう部分だと思うけど、そこからいい音楽は絶対生まれてくると思っていますね。

■五十嵐:だからいま、突きつけられてるんだろうね。

KABUTO:そう、やっとみんな本気で考えはじめたんじゃないかって思ってて。「なぜパーティをやってるのか」ということを。風営法(の問題)もあるし。デトロイトなんか2時までしかパーティできないですからね。それでもたくさんいい音楽が出てくる。普段の生活はキツかったりするのに。厳しい状況になればなるほど、音楽って良くなっていくじゃないですか。それに比べたら東京はまだ恵まれてるんですよ。すごい数のクラブやパーティがあるんですよ。

■五十嵐:本当に、いまの東京は凄いんだよね。

KABUTO:だけど実際は、(本気で)やれてる人はほんの一部じゃないですかね。でも歳とるとだんだん感覚が研ぎ澄まされてくるというか、同じような人が自然と集まってくるんですよね。どんどん辞めて抜けていくから、そういう人しか残んなくなってくるし。それでみんなで協力して盛り上げようとか、そういうことでもいいし。皆でできることがたくさんあると思うんです。

■五十嵐:こないだ俺、ele-kingのチャートで『求めればソウルメイトと必ず会える都内のDJ BAR&小箱10選 pt.1』ってやったけど、「ソウルメイト」ってそういうことなんだよね。若い人に「ソウルメイト」とか言うと笑われるかもしれないけど(笑)。

KABUTO:ジャンルとかじゃないんですよね。だから俺は〈GRASSROOTS〉でパーティやってるし。〈CABARET〉に入る前、〈LAIR〉にmasda君を呼んだ時なんですけど、秋本さん(THE HEAVYMANNERSの秋本武士)とかKILLER-BONGとかがフラッと来たことがあったんですよ。普段やってるクラブじゃ有り得ないですよ。masda君がDJやってるところに秋本さんがいるとか。で、Qさんが「これで秋本さんを踊らせたら凄いよね」とか言うんですよ。俺も本当、そう思って。ジャンルとかは無し。人と人。だから俺も、全然知らない人がやってるパーティ行ったりしてるんですよ。それで新しい感覚を覚えるし、いろんな考え方を知ることもできる。だから〈womb〉も〈AIR〉も遊びに行くし、逆にそこで遊んでる人たちが〈GRASSROOTS〉に来てくれるようになったりするんです。「こんなとこあったんだ、ヤバいね」って言ってくれて「でしょ?」って。でもキッカケがなかっただけで。そのキッカケづくりができたのはデカかったかな。そうすると「ひとりでGRASSROOTS来ちゃいました」とか言う人も出てくるんだけど、何でもいいんですよ。そうやっていろいろな音楽を聴いて、いろんな感覚や価値観を感じてもらえば、やってる意味があるというか。別にDJ巧い人でも、その感覚がなかったら俺はあんまり魅力を感じないし。NOBU君の凄さってそういうところにあるのかなって。〈BERGHAIN〉でやってて、〈GRASSROOTS〉でもやるっていう。

■五十嵐:それをやってたのは、ラリー・レヴァンなのかもね。

KABUTO:そういう感覚を身につけるのはすごい重要だと思いますね。場所を選ぶ嗅覚というか。その場の匂いを感じ取ってそこにガッと行けるというか。

■五十嵐:パーティがあれば幸せでしょ?

KABUTO:幸せですよ。パーティで皆で踊ったり、いろんな人と出会えたり、いろんなジャンルの音楽や人が交じり合う瞬間って、やっぱり楽しいし、幸せだって思います。それがいま自分がいちばん感じやすいのが〈GRASSROOTS〉なのかな、とか思ってますね。そこでいろいろなジャンルの人が交差して新しいものが生まれたら凄くいいし。「俺は違うことやるよ」って思うのもいいし。それを全部含めて、パーティでしかできない感覚というか。そこが全てですね。

■五十嵐:なんか、安心したよ(笑)。さっきからNOBU君、NOBU君、って言ってるけど、カブちゃんにとってはNOBU君発信だったものが、KABUTO君が発信することによって伝わっている人というのが、着実に増えているという風に俺は実感してるんだ。カブちゃんのいないところでね。それこそ、〈CABARET〉にしか行ったことのなかったお客さんが「KABUTOさん良かったです」と。そういうのを耳にしていると、おべんちゃらみたいだけど、カブちゃんは有言実行したんだな、と思う。

KABUTO:俺も意地ありますから(笑)。〈FUTURE TERROR〉を辞めた時の気持ちがずっと原動力になってますから。これからもずっと続いていくでしょうけど。

■五十嵐:いまでも〈FUTURE TERROR〉にはLOVEなんだね。

KABUTO:もちろん。当時〈FUTURE TERROR〉に関わった全ての人には本当感謝してます。お客さんとケンカしてるの五十嵐さんに見られたりとかあったけど(笑)。

■五十嵐:でもちゃんとその後仲直りしてたじゃん(笑)。音楽の前に人ありき、だもんね。

KABUTO:そういうところを感じられたら、また音楽が楽しくなるし。全てですよね、音楽と、人と、その人生。それについてくると思ってるんですよ、パーティって。そこにいるいろんな人に出会って、そこから生まれるものってたくさんあると思うんで。だから、グイグイ来る若い子に「シッシッ、あっち行け」なんて、絶対誰もやらないと思うんですよ。相当ヒドくない限りは(笑)。そういう若い子を増やしたいですね。ちょっとしたことでもいいんですよ。いいパーティだなって思って最後まで遊んだなら、グラス片付けたり、皆に「おつかれさまでした」って声かけてから帰るとか。なんでもいいんで、自分の方からパーティに関わって楽しんでほしいですね。そうすればもっと楽しくなるし。

■五十嵐:そろそろまとめようか。俺が話してほしかったこと、ほぼ全部言ってくれたよ。

KABUTO:あとは〈CABARET〉をよろしくお願いします。これから先も面白い動きがあるし。それで来年で〈CABARET〉は15周年だから、パーッと何かやるか、っていう話もしてて。DJも、〈CABARET〉関連デザインを担当してくれてるMAA君も含めてみんなでいいパーティやりたいと思ってます。

■五十嵐:常に応援してます。これからもその調子で頑張ってください。最近住居がご近所さんにもなったし(笑)。

KABUTO:まだまだ話したいエピソードは山ほどありますけど(笑)、今後の活動を楽しみにしててください。

■ KABUTO on line DJ MIX
CB-157 KABUTO
https://soundcloud.com/clubberia/cb-157-kabuto

Strictry Vinyl Podcast 10 KABUTO
https://soundcloud.com/strictlyvinylpodcast/svp010

■ DJ schedule
12/28(SAT) Mood and Voltage@cafe domina名古屋
12/30 (MON) KARAT@Solfa w DJ SODEYAMA
12/31 (TUE) TBA
1/10 (FRI) GRASSROOTS
1/18 (FRI) CABARET - a leap of faith edition - feat KAI from berlin
2/1 GIFT feat CASSY @AIR afterhours

OGRE YOU ASSHOLE - ele-king

 いま現在、私を完璧にトランスさせることのできる日本のバンドは、オウガ・ユー・アスホールであります。『homely』以降の彼らのライヴは、「ドリーミー」なんて生やさしいものではない、まさしく「サイケデリック」そのもの。「ロープ」という曲は、ヴァージョンによっては「ドープ」と呼ばれているけれど、私はライヴで演奏されるこの曲を世界中の人に推薦したいと思う。ライヴ会場で聴かなければ、この曲の真実は伝わらないし、そして、20分にもおよびであろうこの演奏を聴いたら、その日たとえどんなに嫌なことがあったとしても、1日のうちに2回以上も電車のダイヤルが乱れても、満天の星のなかをドライヴできる。初めての人は、日本にこんなバンドがいたことに驚きを覚えるでしょう。日本にもこんな、強いてたとえるなら、初期ピンク・フロイドとカンが混ざったようなバンドがいるのです。最新号の紙ele-kingの表紙も飾っています。
 というわけで、12月28日恵比寿リキッドルーム。今年最後のフリークアウトを楽しみましょう!


Compilation Albums - ele-king

 コンピレイションを3~4枚。

Various Artists - New German Ethnic Music  Karaoke Kalk

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 エレクトロ・アコースティックならぬエレクトロニカ・アコースティック系の〈カラオケ・カルク〉が企画したのはドイツのフォークロアをマーガレット・ダイガスやウールリッヒ・シュナウスをはじめとするクラブ系のプロデューサーたちが電子化するというもので、1970年代にヘンリー・フリントがアメリカでブルースやカントリーをエレクトロニック化した「ニュー・アメリカン・エスニック・ミュージック」に習ったものだという。このところドイツでは過去の音楽に関心が集まっているらしく、移民たちがドイツに持ち込んだ音楽を浮き上がらせるためにリミックスという手法を選択したのだとか。なるほどトーマス・マフムードは北アフリカ起源のグナワをダブに変換し、グトルン・グットはクロアチアの無伴奏男性合唱、クラッパに重いベースをかませて高い声を引き立てている。マーク・エルネストゥスの興味はモザンビークに移ったようですw。

 元の曲がわからないのでジャーマン・ネイティヴのようには楽しめないものの、基調となっている重苦しさはブルガリアン・ヴォイスを思わせるものが多く、オープニングのムラ・テペリはまったくそのまんま。言われてみれば明らかにトルコ系の名前だったカーン(エア・リキッド)はかつての出稼ぎ先だったギリシア音楽をゴシック風にアレンジしてみせる(古代を中世化させたわけですね)。奇しくも2013年はトルコ人9人を殺害したネオ・ナチで唯一自殺しなかった女性、ベアテ・チェーペの裁判がドイツ中の注目を集め続けた年だけにトルコ系のプロデューサーが健在だったというだけで嬉しい知らせといえる。ワールプール・プロダクションズのエリック・D・クラークがキューバ系だったということも初めて知った。
 グルジアや南米からのエントリーもあって、2013年には相変わらずモンド気分な『ザ・ヴィジター』をリリースしたマティアス・アグアーヨと第2のジンバブエと化しているベネズエラのニオベはそれぞれヴェトナム・カン・ホーというフォーク・ソングとスペインのルネッサンス合唱を題材にレジデンツ風ラウンジ・ミュージックに仕上げている(そう、個人的には南米組、圧勝です)。つーか、トラック・リストは面倒くさいので以下を参照。
https://www.inpartmaint.com/shop/v-a-new-german-ethnic-music-immigrants-songs-from-germany-electronically-reworked/

HouseIDM

Various Artists - Scope Samurai Horo

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 なんだか補完しあっているようだけど、同じドイツから〈サムライ・ホロ〉がコンパイルした『スコープ』は期せずして、フォークロアとはなんの関係もないのに、似たような重厚さにに支配され、フェリックス・Kのヒドゥン・ハワイと同じく、ベーシック・チャンネルを通過したストイックかつスタイリッシュなミニマル・ドラムンベースを聴かせる。イギリスからASCや最新シングルがまさかの〈トライ・アングル〉に移ったニュージーランドのフィスなど、集められたプロデューサーはドイツだけとは限らず、このところ頭角を現しつつあるサムKDCや2011年に『テスト・ドリーム』が話題となったコンシークエンスの名前もあるものの、まるでひとりの作品を通して聴いているような統一感があって、その意志の堅さには恐れ入る。こういった音楽をマイナー根性ではなくファッショナブルな感覚で聴いていただけたら。



ExperimentalDrum'n'BassIDM

Various Artists - We Make Colourful Music because We Dance in The Dark
Greco-Roman

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 大量に吐き出される音楽にはやはり無意識が強く反映され、日本のそれには奇妙な躁状態が表出しているように(なんで?)、ヨーロッパはいまだ深い闇に沈んでいるようである。2017年までにEUからの離脱を国民投票で決めるだなんだと騒がしくなってきたイギリスは、しかし、まったく雰囲気が違っていて、ディスクロージャーのシングルをリリースしてきたグレコ・ローマンがコンパイルした『ウイ・メイク・カラフル・ミュージック・ビコ-ズ・ウイ・ダンス・イン・サ・ダーク(僕たちは暗闇で踊るのだから、カラフルな音楽をつくるのさ)』は(思わずタイトルで買ってしまったけれど)、たどたどしさをなんとも思っていない勢いと若さに満ち満ちている。ディスクロージャーとデーモン・アルバーンのDRCミュージックに参加していたトータリー・イノーマス・イクスティンクト・ダイナソー以外はまったく知らないメンツだったけれど、バイオとテルザがとても耳を引き、調べてみたら前者はヴァンパイア・ウィークエンドのクリス・バイオで、それこそヴァンパイア・ウィークエンドのトラックを使い回したハウス・ヴァージョン。ハーバートがデビューさせたマイカチューのプロデュースによるテルザはゼロの飯島さんもお気に入りのようで、「踊ってんじゃなくて戦ってんのよ/輝いてんじゃなくて燃えてんのよ/触ってんじゃなくて感じてんのよ」という歌詞を気だるげに歌っています。


Various Artists - Young Turks 2013 Young Turks

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 この辺りのシーンの火付けは野田努が言うようにジ・XXなんだろう。同じくレーベル・コンピエイションとなる『ヤング・タークス2013』はジ・XX「リコンシダー」にサウンド・パトロールで紹介したFKAトゥィッグス「ウォーター・ミー」とまー、レア・シングルばりばりで、コアレスのニュー・プロジェクト、ショート・ストーリーズ「オン・ザ・ウェイ」まで入ってますよ。いやー、こんなに勢いがあったら、そらー、EUも飛び出しちゃうかも知れませんねー。とはいえ、ギリシャを見放さなかったことで、EUには現在、周辺から弱小国が相次いで加入を決め、入れてもらえないのはトルコだけという感じになっています。〈ヤング・タークス〉というのは若いトルコ人という意味だけどね。

ExperimentalHouseAmbientElectro

Youth Code - ele-king

 どうやら昨年頃からその兆候が見えていた90'sリヴァイヴァルは完全にトレンドとなってしまったようだ。

 ときに野生の鹿を轢きかけるなどして肝を冷やしながら極寒の東海岸をドリフトしている昨今のわたくしですが、先日、ブルース・コントロールのふたりの運転で移動しながら連中が車内でフロント242(Front 242)をかけていたので、何でこんなん聴いてんのよと訊ねたところ、ラス曰く、だって安いじゃん。とまっとうな回答が返ってきた後、でもEBMはいま結構流行ってんだよとのこと。確かにここ数週間ブルックリンを徘徊していたかぎりそれは充分に感じられた。たしかに昨今のUSインディー・シーンにおけるキーワードはインダストリアルというよりはボディ・ミュージックなのかもしれない(三田先生は流石です)。

 コールド・ケイヴに代表されるミニマル・ウェーヴ・リヴァイヴァルはボディ・ミュージック・リヴァイヴァルに完全に移行したと言っても過言ではあるまい。ユース・コード(Youth Code)はLAを拠点に活動する超スキニー・パピーな男女ユニットである。個人的にとてもアガッているおもな理由はこの男、ライアン・ジョージ。彼はかつて燻し銀のオールド・スクール・ハードコアを聴かせてくれたキャリー・オン(Carry On)のメンバーである(このあたりのバック・グラウンドも相当コールド・ケイヴと被ってるよね。だってウェスのアメリカン・ナイトメアも同時期に限りなく同じシーンで活動してたわけだし……)。
この手のサウンドにおける看板レーベルと言える(ジェネシス・P・オリッジの再発とかも精力的にやってますからね)〈ダイス・レコーズ(Dais Records)〉から発表された彼らの初のセルフ・タイトル・フルアルバムとなる本作は完全にボディ・ミュージックとしか形容できないビシバシ系のトラックにハードコアな男女ヴォーカルが畳み掛けるハイテンションな内容だ。またこのお姉ちゃんがブルータルなんですよ。Youtubeを見る限りパフォーマンスも相当テンション高めなんで近いうちに見たいなー……

 でもヒップなDJたちにとっては良いトレンドではないでしょうか。だってEBM系のレコードはワゴン・セール出没率高いですからね。

interview with Lea Lea - ele-king


Lea Lea
Pヴァイン

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 あの手この手で続けられるM.I.A.バッシングを見ていると、マドンナが『トゥルー・ブルー』(86年)を出した頃を思い出さざるを得ない。どこか挑戦的な女を見ると無性に腹が立つ男がいるということなのかなんなのか、理由は後から取ってつけたような批判が後を絶たず、何を歌っても三流扱い、映画『シャンハイ・サプライズ』に出れば「ワースト・アクトレス」に認定と、それはもうスゴい言われようだった。「フェミニズムを10年遅らせた」という女性たちからの批判も凄まじかったし、マドンナも脇が甘いというのか、批判を寄せつけないという雰囲気からはほど遠く、むしろ呼び込んでいるような風情まであった。いまのM.I.A.にも、そうした「呼び込む」感じというのはあって、「無性に腹が立つ人たち」の琴線を刺激していることは確かなんだろうけれど、これだけ時代が経っていれば、それがマドンナと同じものであるはずがなく、格差社会やイスラム差別といったイッシューも重なっているだろうから、なかなか見えにくいとは思うものの、どこがどう変わったのか、そこが気になるところではある。M.I.A.は一体、時代の何を刺激しているのだろうか。

 ジャマイカのテリー・リンもフォロワーにたとえられたけれど、リー・リーことリー・リー・ジョーンズにもM.I.A.と重なる部分があるように思われる。彼女について考えることもひとつの方法ではないかと思い、具体的にM.I.A.の名前を出して、どこか影響があるか訊いてみたところ、これは完全にスルーされてしまった。それだけ脈があると考えればいいのか、それともぜんぜん見当はずれだったのか。ひとつ、面白かったのは、リー・リーも政治的な歌詞を過剰に歌う反面、楽園に対するイメージも強く持っていたことで、イギリスにはこれまで戦闘的なシー・ロッカーズから浮かれモードのベティ・ブーへ、あるいは、グランジ・ロックのヴードゥー・クイーンからラウンジ・ミュージックのアンジャリへと、極端な方向転換を試みたフィメール・ミュージシャンがどの時代にもそれなりにいたことで、そこには政治とパラダイスが裏表に存在しているという観念がどうしても認められてしまう。「なにも戦いたくて戦っているわけじゃないから」と、彼女たちは言っているかのようだし、M.I.A.に通じる部分もそこかなーと思ったり。

ヴォーカルのレンジとパフォーマンスと社会的なメッセージのバランスを取ろうといつも思っています。

店頭で見かけたジャケットのヘア・デザインが気になって興味を持ちました。ドクロの髪飾りは何を意味していますか?

リー・リー:昔からドクロのデザインには魅了されてきました。ヴィジュアルも美しいだけでなく、感情にもうったえかけてきます。わたしたちはみな、頭蓋骨を持っています。みな、骨格を持っていて、それはわたしたちが生存している証拠の裏にあるものですよね。

音楽をやりはじめたきっかけや、現在に至る過程を教えてください。

リー・リー:音楽家の家庭に生まれたので、子どものころから歌いはじめ、パフォーマンスしてきました。15歳のときにプロとして音楽を作りたいと気づいて、そのときはヒップホップのバンドに参加しました。18歳のときに初めてソロのリリースがありました。そのとき以来、順調に物事が進んでいますね。

派手になり過ぎない演奏やどこか覚めた雰囲気を残した歌い方だと思いましたけど、それは意識して?

リー・リー:ヴォーカルのレンジとパフォーマンスと社会的なメッセージのバランスを取ろうといつも思っています。このことを常に忘れないようにし、どの曲も慎重に考えて作りこんでいます。

曲はどうやってつくるのですか?

リー・リー:いろんなやり方があります。最初にメロディーが浮かぶこともあれば、先に詞を思いつくこともあります。キム・ギャレットとジャック・ベイカーといっしょに作曲と制作を進めてきました。型にはまった作曲方法がないので、かえってイノヴェイティブでエキサイティングなものになりました。

ホレイス・アンディとはどんな関係? 彼から学んだことはありますか?

リー・リー:アルバムのプロデューサーのジャック・ベイカーに紹介してもらいました。残念ながら、ジャマイカに行ってホレイスといっしょにレコーディングはできませんでした。まだ実際には会ったこともないのです。彼は音楽の生きる伝説で、彼の音楽からは沢山影響を受けてきました。

先行シングル『ブラック・オア・ホワイト』のリミックスにGOTH-TRADを選んだ理由は?

リー・リー:GOTH-TRADとは共通の友人を通して数年前にロンドンで知り合いました。すぐに意気投合したのです。いっしょに仕事をしたいとずっと思っていました。『ブラック・オア・ホワイト』のリミックスを誰にしようか考えたときに最初に浮かびました。光栄にも彼は引き受けてくれて、あのリミックスはお気に入りのひとつです。



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殴られて、めった刺しにされて、残酷に苦しめられてから生き埋めにされるより、「AK-47」で瞬時に撃ち殺してほしいとその女性は懇願しているのです。それは寛大な処罰の象徴であり、選択の余地のない世界からの現実逃避において間違いを引き起こすものでもあります。


Lea Lea
Pヴァイン

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クラブにはよく行く方ですか? どこで音楽を聴くことが多いですか?

リー・リー:そこまで頻繁にクラブへ行く方ではありません。むしろライヴハウスにバンドを見に行ったり、温かい雰囲気で盛り上がっているようなバーでDJプレイを見ている方が好きですね。こういうところで新しい音楽を聴くのは大好きで、いろんな影響を受けます。

歌詞がわからないのでタイトルから内容を想像するだけなのですが、“アパルトヘイト”や“ブラック・オア・ホワイト”は人種差別だとして、“デッド・ガール・ウォーキング”は死刑制度に関する曲ですか?

リー・リー:どちらも人種差別についてではありません。

あ、違うんですか。

リー・リー:“アパルトヘイト”は経済的な隔離がテーマです。不正を生み出し、世界中のコミュニティは分裂させられています。“ブラック・オア・ホワイト”は判断(ジャッジメント)や、さまざまなイデオロギー/パーソナリティー/文化に対してオープンになれないことについて歌っています。両方とも社会問題が根底に強くあるので、そこからの波及効果で人種差別に関しても読み取れるのかもしれませんね。“デッド・ガール・ウォーキング”も死刑制度に関する歌ではなく、わたしたちは必ず死ぬ運命にあることをテーマにしています。

なるほど。ドクロに繋がるテーマなんですね。アメリカでいま、もっとも人気があると言われている“AK-47”ではおそらく自動小銃の残酷さを訴えていると思いますが……



リー・リー:“AK-47”はアメリカとの国境近くに住んでいるメキシコ人の女性の視点で書かれています。麻薬戦争の起きている過酷な地帯のことです。殴られて、めった刺しにされて、残酷に苦しめられてから生き埋めにされるより、「AK-47」で瞬時に撃ち殺してほしいとその女性は懇願しているのです。メキシコの国境付近に住む人々にとってはこのような恐ろしいことが日常なのです。この場合には「AK-47」は寛大な処罰の象徴であり、選択の余地のない世界からの現実逃避において間違いを引き起こすものでもあります。

“ブラック・オア・ホワイト”のヴィデオで日本刀を振り回しているのは?

リー・リー:あの刀に暴力を助長する意味はありません。自由意志のヴィジュアル的なメタファーとして使いました。自分と他人を守り受け入れるためにも使えますし、傷つけるためにも使えるものです。

フェミニズムがバックラッシュの憂き目にあって以来、女性ミュージシャンの書く歌詞は社会や男性に期待しなくなり、女性から女性に向けられたものが増えました。日本では「女子会コミュ」とか言うんですが、音楽ではその最大の成果がケイティ・ペリーやアメリカのハイヒール・モモコと化しているニッキー・ミナージュだと思います。あなたはそういった流れに属するよりはM.I.A.やジャマイカのテリー・リンに近い立場を選択したと考えてよいですか? そうだとしたら、そのようにしようと思った理由は?

リー・リー:わたしの興味は社会問題について歌って、音楽を作ることです。人権や男女間のことなどにも触れますね。

『モーヴァン』や『ハッピー・ゴーラッキー』、あるいは最近の『フィッシュタンク』といったイギリス映画を見ていると、イギリスの若い女性たちは異様なほど追い詰められているというか、ほとんど全員テロリスト予備軍に見えてしまいますが、実際はどうなんでしょう? 最近の映画であなたがいいと思った作品があったらそれも教えて下さい。『アリス・クリードの失踪』なんかはイギリスらしくていい作品だと思いましたけど。

リー・リー:正直に言うと、これらの映画は見たこと無いのです……。でも女性のメイン・キャラクターがステレオタイプではない役をするような映画は大好きです。『ハンガー・ゲーム』でのカットニス・エヴァディーンは最高でしたね!

ああ、めちゃくちゃ強い女性像ですね。アメリカ型というか。あ、イギリスにも『タンク・ガール』があったか。ちなみにイギリス以外の国で暮らすとしたら、どこがいいですか?

リー・リー:タイ~カリフォルニア~ハワイの順番に住みたいです。基本的に暖かくてビーチが近くて、時間がゆっくりな感じのところならどこでも言ってみたいですね。

現時点での目標はなんですか?

リー・リー:当面の目標は世界ツアーをすることです。日本にも行ってぜひパフォーマンスしてみたいです!

ひとりだけ死者を蘇らせることができるとしたら、誰にしますか?

リー・リー:マリリン・モンローです。女性の中でももっとも美しく、知性があって、創造性に溢れるエネルギッシュなひとだからです。

あれー、僕といっしょですね。理由もほとんど同じだなー。へー。

interview with MARIA - ele-king

 今年、ソロとしては初のアルバムをリリースしたシミラボの紅一点、MARIA。シミラボがいかに稀有で魅力的なヒップ・ホップ・ポッセであるか、ということについてはいまさら論を俟つまでもないが、ではMARIAとはどのようなアーティストなのか。巻紗葉『街のものがたり』以前には、もしかするとあまりシリアスな解釈は存在していなかったかもしれない。そして、女性からみたMARIA像というのもあまり知らない。聞き手が田舎のごく一般的な中流家庭に育った貧相なボディの文科系女子で申し訳ないのだが、たとえばこんなMARIA像、あなたはこの大きな愛と、それが肉と皮膚を離れずに音の実を結んでいることに驚くだろう。



MARIA・ザ・マザー

境遇、について

ヒップホップは近道ではない

欲深くて、愛しい

音楽と、ちょっとセクシーな話

人任せじゃダメなジェネレーション

アンチ・アンチ・エイジング

音楽と、けっこうセクシーな話



MARIA・ザ・マザー

あたしはまあ、「世界がアタシにひれふす」みたいなことをさんざん言ってきたかもしれないけど、みんなのことが好きなのもほんとだよって。うーん……母?

恐縮ながら、わたし自身はふだんコアなヒップホップに触れることが少ないんですが……

MARIA:いやいや、あたしもそうですよ。自分がやっておきながら全然詳しくないですから。

でも、かわいいとかちょっと踊れるとか、そういう性的なアピールとは別のところで、スキルのあるいちラッパーとしての存在感を確立していらっしゃいますよね?

MARIA:どうですかねえ……。でも、自分は女ですけど、自分が女であるというところにはまったく期待してないんですよ。

ええー(笑)? ほんとですか?

MARIA:化粧とかも最大限の身だしなみってノリでやっていて。とくに自分を可愛く見せたいとかってことはないですね。だから逆に、ラップとかも思いっきりやれるのかなって思います。

でも、自分を性的に見せないっていうことと、スキルを磨くとか研鑽を積むっていうこととはイコールではないですよね? やっぱりそこの努力や勉強っていうのはすごくされてるんだと思うんですよ。

MARIA:そうですかねえ。

その動機っていうのは何なんでしょうね?

MARIA:うーん、ぶっちゃけ、スキルうんぬんっていうよりもけっこう感覚でやっちゃうタイプなんですよ。あんまり誰に影響されたとかってこともなくて。まず、ビートが好き。ビートにインスパイアされる。そこではじめて生まれるラップっていう感じなんですね、あたしのは。だからスキルを磨くために何かやるっていうよりも、自分のイメージをふくらませるために、映画とか音楽を観たり聴いたりするっていうくらいかな。


Maria
Detox

SUMMIT

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映画についてはよくお話をされてますね。ラップも、トラックからのインスピレーションが先なんですね。――どうしてもMARIAさんっていうと、一面的なイメージとはいえ「強い」「正統派」という印象があるわけなんですが、今作『Detox』は、そんな「強い」MARIAのなかの弱い部分が出ていると言われる作品です。そして、それがはっきりと言葉によってリプリゼントされているとも感じます。だから、わりと日記みたいなものからできていても不思議はないなと思ったんですが、そういうわけではないんですね。

MARIA:今回は全曲トラックが先ですね。でも、言葉は後だけど、このアルバムはあたしひとりのアルバムだから誰の足を引っ張ることもないっていうか。ある意味、自分のことはどう思われてもいいっていう気持ちがあったからこそ、言えた部分があるかもしれない。シミラボ(Simi lab)だったら言えなったかもしれないけど、このアルバムでは、聴いてる人とあたしが1対1だから。
 (「強い」というイメージについても)自分としては、「アタシ世界一だから」っていうよりも、「そんな変わんないよ、うちら」っていうようなノリなんですよ。実際は。

そうなんですね。2曲め(“empire feat. DJ ZAI Produced by MUJO情”)なんかはまさに「世界がひれふすname」――アタシは強いんだぞっていうセルフ・ボーストなのかなと感じられるわけですが、実際よく聴くと「アイ・ラヴ・ユー」的な曲なんですよね。わたし、そこに感激して。その超展開に。

MARIA:なんか……バランス? ヒップホップって自分を主張するものかもしれないけど、英語ならともかく、日本語でグイグイくるのはあまりにストレートで……。そりゃもちろん「アタシ、アタシ」の音楽なんだけど、みんなありきのアタシだよっていう……。

ああー、「みんなありきのアタシ」。日本の風土やメンタリティを前提にしたセルフ・ボーストなんですね。

MARIA:そうそう。ひとりでやってきたわけじゃないしね。

なるほど。本来、ああいうのって、ちょっと笑いが生まれてしまうかもしれないくらい 「スゲーぜ、自分は」ってやるものなわけじゃないですか。だから、ふつうだったらどう「スゲー」のか、どうしてスゲーのかっていうことを説明するロジックがそこできちんと歌われているはずなんですよ。けど、あの2曲めにはそれがない。海とか世界が割れていくイメージとか、「アイ・ラヴ・ユー・オール」みたいなことが突如出てきて、「スゲー」ってことの理由がそれに飲み込まれていくんですよ。それがなんか、象徴的だと思って、素晴らしくて。

MARIA:あの最後んとこでしょ? あたしはまあ、見た目がこわいかもしれないけど、「世界がアタシにひれふす」みたいなことをさんざん言ってきたかもしれないけど、みんなのことが好きなのもほんとだよって。うーん……母?

そう! 母なんですよ。

MARIA:ああ……、マザー感が出ちゃってるんですね。

はは! マザー感(笑)。いや、笑いごとじゃなくて、それいつごろから出てるんですか?

MARIA:いや、どうだろう、高校……?

高校ですかハンパねぇ……。ほんとにね、この「love」、この愛、こんなデカいものがどこから出てくるんだ? ってふつうに驚くんですよ。

MARIA:はははは!



境遇、について

憐れまれるのが好きじゃなくて、お涙頂戴も好きじゃないんですよね。実際、あたしなんかよりもキツい人はいっぱいいるし、しかも日本にいるってこと自体がスーパー恵まれてるって思うから。

いや、ご本人に向かってうまく伝えられないんですけどね。パーソナルな話は恐縮なんですが、巻紗葉さんのインタヴュー本『街のものがたり』に、妹さんとほぼふたりで生きてこられた境遇が語られているじゃないですか。それから妹さんのお友だちも心配だから引き取っていっしょに暮らしている話とか。そういうことも思い出しました。音楽と無関係でないと思うんですね。

MARIA:ああ、いまもいっしょに住んでるし、この先もずっといっしょにいるかもしれないけど。なんか、高校の頃から変わんねーって言われますね、よく。昔からたぶんマザー感はあったんでしょうね(笑)。

あははは。……いえ、訊くのためらっていたんですが思いきって言ってしまうと、けっこう大変な境遇でいらっしゃいますよね。大変言い方は悪いですが、まったくそれがお涙頂戴にならないところというか、それに気づかせないところは、MARIAさんという個人の強さ、奥行きなのだなと思いました。

MARIA:憐れまれるのが好きじゃなくて、お涙頂戴も好きじゃないんですよね。実際、あたしなんかよりもキツい人はいっぱいいるから。だからここで泣いてもなあ……みたいな。しかも日本にいるってこと自体がスーパー恵まれてるって思うから、いろいろあったけど、それは人のいたみを知るのにちょうどよかったんじゃないかっていうところもあるかな。

もちろん、音楽のよさが境遇に寄りかかったものだという言い方をしているんじゃないんですよ。ただ、そういうことを隠しもしないし売りにもしないしっていう潔さみたいなものがMARIAさんの「強い」イメージの一部を作ってもいると思います。湿っぽいものを跳ねのける……。

MARIA:みんなそういうものが好きじゃないですか。そういう一面を見ると、それだけでそのアーティストや俳優を好きになったりってことがあって。でもやっぱり音楽として評価されたいですからね。あたしやっぱり見た目がこんなのだから、パッと見で薄っぺらい人間だと思われるというか、イイ感じのアメリカ人のパパと日本人のマミーがいて、甘い感じに育ってきたんじゃないの? みたいに見られることが多いんですよ。

ええー? でも、病んでるようには見えないですもんね。それが楽天的と解釈されるということですかね?

MARIA:そうそう、こいつほんとにわかってんのかよ? って思う人のほうが多いんじゃないかなあ。もちろんセルフ・ボーストだったり、オラオラな曲もいっぱい書くけど、この『街のものがたり』では実際あたしがどういうことに直面してきたか知ってもらおう、って感じで話しました。

フラットな言葉ですよね。

MARIA:そう、イージーなやつだって思われるかもしれないけど、それなりにあたしはあたしの経験の上で話してるよっていうことを知ってもらいたくて、そんなふうに書いてもらいました。

これまで公開したり話したりしてきたことばかりですか?

MARIA:いえ、こんなに話したのはこの本が初めて。

あえて言わないようにしてきたってところはあります?

MARIA:まあ、お涙頂戴で評価されてもなっていうのがあったからかな。でもそういうふうに感じなければ、自分のこと話したっていいかなと思って。実際いろいろあっても、どういう人生にするかは結局自分次第だよっていうことを伝えたかった。

ああ、なるほど……。そのメッセージはとても伝わりますよ。なんかMARIAさんにお話をきいていると、「物事をゆるす」っていう表現がぴったりくるように感じますね……。「ゆるす」っていうとすごく上からな感じがしますけれども、そうではなくて、あるがままを受け入れるというようなニュアンスでしょうか。世界がそうあるのならそのままそれを認める……ゆるしていく、っていう。

MARIA:でも極端ですよ、あたしの場合。MARIA大好きっていう人と、なにあいつ、っていう人がいるから。ちょっと男尊女卑的な考え方の男の人とかだと、お前女のくせに調子乗んなよ、みたいなノリ出されるし、女の子でもけっこうふたつに分かれるしね。でもあたしのことを知らないわけだからそれは当たり前で。
けど、何かを言われて傷つくことはあるけど、あんまりムカつかないんですよ、あたし。あっちもあたしのことを知らないけど、あたしもあっちを知らないから、ムカつきようがないっていうか。そいつがほんとに最悪なやつだったら嫌いになるかもしれないけど、メディアに出るってことはそういうことだっていうのもわかってるので。だからまあ、自分が何か言われてそれに対してふざけんなよって思うことはそんなにないかもしれない。


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MARIA・ザ・マザー
境遇、について
ヒップホップは近道ではない
欲深くて、愛しい
音楽と、ちょっとセクシーな話
人任せじゃダメなジェネレーション
アンチ・アンチ・エイジング
音楽と、けっこうセクシーな話

ヒップホップは近道ではない


やっぱり、みんながオラオラしてるあたしを期待してるわけじゃないですか。そして実際問題、あたしはそれに応えたくてしかたないんですよね。


そうなんですね。そういった話が引き出されてくるのも、シミラボではなくソロだからこそという感じがします。逆に、せっかくのソロだからということで、意識して取り組んだ部分っていうのはありますか?


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MARIA:やっぱり、ビートですね。シミラボで作るってなると、やっぱり男が多いから男のセンス寄りになってると思う。みんなには悪いけどね(笑)。“ローラー・コースター”って曲があって(“Roller Coaster feat. JUMA,OMSB”)、超ノリノリなんだけど、たぶんシミラボでああいう曲をやることはないと思う。どちらかというと、「自分はこうで、お前はこうで、世界はこうなんだぜ」って言い聞かせるのも大事かもしれないけど、それよりもその場の一体感が好きで。みんなで楽しもうよっていう曲を意識したかもしれないです。

ああ、なるほど。わりと後半はアブストラクトな流れになるというか、サイケデリックでぼんやりとした曲調になっていきますよね。それは、より内面に向かっていくっていうようなこととリンクしていたりしますか?

MARIA:そうですね、ビート自体ははじめからこのテーマでいこう、というのがあって。ふだんいろいろと考えることが多くって、自分のアルバムだから自分の価値観で書いたっていうのが、後半は出ているかもしれない。もともとあった気持ちと、入ってきたビートがたまたまぴったり合ったっていうこともあるかも。後半の“ユア・プレイス”っていう曲と、“ディプレス”(“Depress feat. ISSUE”)、このふたつはちょうどぴったりきた感じですね。

後半のほうが、その意味ではストレートというかナイーヴな部分に触れるものなのかもなと思いました。

MARIA:そうですね。“キャスカ”とかは実際強く見られるけど、いまシミラボを何千人もの人が知ってくれるようになって、そのひとりひとりに「ちょっと待って、じつはあたしはこういう人で……」とかって説明できないじゃないですか。だから(自分のことは)言いたいように言ってくれよって思ってるんだけど、実際にラップをやってなかったら、あたしは超ふつうの人なわけだから――いまもふつうの人だけど――奥さんとかになって、彼氏とかに献身的に尽くしてたと思いますね。

うーん、尽くす。でも実際にラップをやってなかったら……って選択肢はあったんでしょうか?

MARIA:いまはほんと、そういうふうには考えられないけど、でもいまだにラップやってることが不思議なことはあるかな。子どもの頃がいちばん弱かった時期だから……。家庭もそうだし、自分が置かれている環境(米軍基地と日本の学校との往復)もそうだし、自分を打ちのめす出来事が多くて。でもそんななかで、ヒップホップの「ワルそう」な感じにはインスパイアされたんですよ。自分をオラオラさせてくれる。

そうか、本当に必要に迫られた、武装の手段でもあったわけですね。

MARIA:そうそう。だからいまでもそうなんですけど、ライヴするたびにすごく緊張するんですよ。やっぱり、みんながオラオラしてるあたしを期待してるわけじゃないですか。そして実際問題、あたしはそれに応えたくてしかたないんですよね。もちろん楽しんでほしいとも思うし、あたしのことを、あたし自身が憧れてきたラッパーたちみたいに思ってくれる子がいたらうれしいし。逆に、ヒップホップは自分にとっては武装だし居場所でもあったから、今度はあたしが逃げ場になってもいいなって思ってるかな。

ああ、すごい。MARIAさんは担いだ神輿に乗ってくれるんですよね。そして、ふだん多くの人が抱えている負の思いを引き受ける存在。まさにスターとかヒーローの役割です。言い方が少し大げさになりますが。



ヒップホップは自分にとっては武装だし居場所でもあったから、今度はあたしが逃げ場になってもいいなって思ってるかな。

MARIA:やっぱり同じ人間だからね。そういうネガティヴなこととか文句とか、同じような気持ちになることは多いと思うんですよ。ヒップホップはそういう方向で発信しやすいというか。

たとえば、細かい事情は抜きにして、わたしだったらMARIAさんのお父さんを許せるだろうか、とか素朴に思うわけです。でもMARIAさんはそういうことをひとつひとつ許していく。そしてその一方で、“ヘルプレス・ホー(Helpless Hoe)”みたいに攻撃もするわけですよね。その攻撃性っていうのはやっぱりヒップホップのひとつのフォームとして演じているものなんでしょうか? それとも分裂しているものなんでしょうか?

MARIA:最近、考えていたんですよ、矛盾について。人間って結局のとこ矛盾してるなって。その意味では演じているというよりは、このアルバム自体が人格で、だから矛盾してるって感じ。あたしってけっこう気分がコロコロ変わるから、いいときには「みんなおいで~」って感じだけど、そうじゃないときは、何か言ってやろうって思うこともあるんですよね。
この“ヘルプレス・ホー”に関しては女性だけじゃなくって、男性についても言えることなんですよ。なんか、自分のゴールに向かって努力するのはいいことだと思うんだけど、その努力の仕方ってものがあるじゃないですか。たとえば女だったら媚を売って、すり寄って、玉の輿を狙って……って、近道しようとする人たちがいるじゃないですか。そういう感じが好きじゃなくて。要は真実じゃない愛とか真実じゃない気持ちっていうのが嫌い。すごく嫌いです。それは男の人にとってもそうで、上っ面しかないものが嫌ですね。

MARIAさんの気高さですね。こうしたリリックのなかに出てくる「あなた」とか「you」っていうのは、特定の対象を指していたりしますか?

MARIA:曲によりますけどね。たとえば、“ユア・プレイス”なんかは完全に過去の男たちですね(笑)。やっぱり、もとからラップをやっている人間って知ってて、そこを認めてもらった上で付き合いはじめる人ばっかりじゃないから。男の人って、女のほうがグイグイ前に出るのは嫌じゃないですか、たぶん。だからプライドの高い人と一緒になると、なんか、終わるっていうかね……。お互い疲れちゃうんですよ。あの曲はやっぱり、そういうときに頭に浮かんでた男性について書きました。

ああー。そういう「you」も、曲になると普遍的なものに聴こえてきますよね。ヒップホップがとくに歌い手と「I」とが一致しやすい表現フォームだということなのかもしれませんが、音楽とか文学とかアートとかって、自分っていうものを切って売っていかなきゃ成立しないものだって思いますか?

MARIA:それは思わないですね。ヒップホップ=ストリートから生まれたもの、リアルなものっていう話になるけど、自分は妄想とか想像力があるんだかなんだか、ひとりで家にいてもマジでファンタジーな感じなんですよ。もちろんリアルな自分の気持ちとか言葉を発信するんだけど、でもやっぱり邪念とかそういうのをなくして、理性とかも捨てて、楽しい気分になりたいときがあるじゃないですか。そういう意味ではけっこうファンタジックで無責任な言葉もあるのかなって思います。

自分の思ったこととか感じたことを書いてるだけなんで、結局スーパー・ストレートなだけなのかもしれない。ただ自分は、自分のスーパー・ストレート自体が他の人とは少し違うのかなって思うところはあります。けっこうマイノリティっていうか、信念とかの話になるとけっこうみんなとズレてるって感じ。大人になると汚れるとは言わないけど、どんどんしゃあない、しゃあないって流していくようになると思うんですよ。でもその「しゃあない」ってなってるときに、気高いほうの自分がそれを見たらめちゃくちゃ食らうっていうか……。どうしてこんなにブレちゃったんだろうって、呆然としたことがあったんですよ、前に。そこから、何が何でもブレないようにって思うようになって。



欲深くて、愛しい

どんなに理性でいまこんな話をしていても、実際に人間でいる上は罪深い、っていうか。人として生きていく限り、絶対最悪な部分を持ってるから。
――でもやっぱり、愛が答え。それしかないって思った。

去年やっていたアニメなんですが、人々の心のなかの負の感情とか暴力衝動みたいなものを数値化できるテクノロジーがあって、その数値に沿って人間を管理することで自治と平和を守っている社会が舞台なんですよ。その数値が一定以上上がると自動的に処罰とか処刑の対象になるっていう……

MARIA:あ、何でしたっけ、それ? 知ってる! 見てないけど、友だちがおもしろいって言ってた。

『サイコパス』ですね。

MARIA:あ、言ってた。それだ。あたし、それらしいよ。

それ……? あ、主人公ですかね! そう、いままさに主人公に似てるって言おうと思ったんですよ。罪を犯しちゃうような心の数値が上昇するはずのところで上昇しない。「くそっ、こいつムカつく、死ねっ」みたいに思っても、そこで殺意とか暴力衝動みたいなものに結びつかない人って設定なんです、主人公は。その子のことを指して、作中に「(世界を)よしとしている」って表現が出てくるんですが、MARIAさんはまさにそれですよ。「よしとしている」。

MARIA:ただね、何でもかんでもよしとしててもアレだから、撃つとこは撃たないと。これとかもそうだけど(“ボン・ヴォヤージュ”)、「欲深い生き物め」ってところの一行めと三行めを男性、二行めと四行めを女性に向けて書いたんだよね。結局、男も女も欲深くて、女は自分の住みかや心が満たされたりするならそれのために何でもするっていうようなところがあるし、男は男で性欲とかを満たすために何でもする人が多い。女の人と男の人で、欲の種類は違うけど、それを満たすために何でもするところは同じ。戦争だってそうだし。だから、そういう意味では人間が大っ嫌いとも言える。

この「欲深い生き物」っていう言い方自体がすでに男とか女とかっていう区別を超えて、人間について言及されたものなんだろうなとは思いました。

MARIA:その欲のせいで力のないものが傷ついている ――動物とか子どもとか――と思うと許せないけど、でもやっぱり、愛が答え。それしかないって思った。結局そこに行きつくしかないって。

みんな強くも完璧でもない。その人間の欠けた部分を埋めるものは愛しかない、というようなことでしょうか? 

MARIA:そう、みんなそうじゃないからこそ、その部分を認めないと。自分にばっかり意識がいきがちだと思う。愛するっていうと大げさに聞こえるかもしれないけど、あたしけっこう何でも愛しいと感じる瞬間が多くて。仲間とか、動物なんてとくにそうですけど、対象物に対する愛しいっていう気持ちを持てるようになったら、みんなハッピーなんじゃないのって思う。まあ、感謝の気持ちを忘れないっていうような、学校の先生みたいな話になっちゃうけど。本当にそう思うんですよ。

すごくよくわかりますね。ただ、音楽がすごく生き生きとしていたり、何かがすごく魅力的だったりするのは、強烈に欠けた部分があるからだっていうふうには思うんですよ。絶対条件というわけではありませんが。

MARIA:それは絶対ある。どんなに理性でいまこんな話をしていても、実際に人間でいる上は罪深い、っていうか。人として生きていく限り、絶対最悪な部分を持ってるから。だから結局、衝動に負けることもあるし、衝動で楽しい方をえらんじゃたりとか。それはわかってるんだけど、でもやっぱりここに行き着くんじゃない? っていうような。


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境遇、について
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欲深くて、愛しい
音楽と、ちょっとセクシーな話
人任せじゃダメなジェネレーション
アンチ・アンチ・エイジング
音楽と、けっこうセクシーな話

音楽と、ちょっとセクシーな話

セクシーさね。それは超大事。親子の愛はピースだけど、男女の愛はピースじゃない。お互いが夢中になったら最高に気持ちいいわけじゃないですか、それって。


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最近、音楽にあまりセクシーさを感じないですよね。いや、セクシーな音楽もあると思うんですが、とくに国内は音楽カルチャー全体がそういうフェイズじゃないっていうか。MARIAさんの音楽には生々しい男女観があったりもして、そこが少し異質でもありますし、音楽のなかに確実にダイナミズムを生んでいるとも感じます。だからMARIAさんに訊きたかったんですが、音楽にとってセクシーさって何だと思います? あと、愛っていろんなニュアンスがありますけど、セクシーさに関係あります?

MARIA:セクシーさね。それは超大事。親子の愛はピースだけど、男女の愛はピースじゃない。お互いが夢中になったら最高に気持ちいいわけじゃないですか、それって。盲目なものだしね。それは人間の欲の部分でもあるし、ピュアな部分でもある。欠点だらけの男女の結びつきが大事だってこの本(『街のものがたり』)のなかで言ったと思うんだけど、それは崇高なものだと思うんだよね。どうでもいい相手なら何も思わないけど、どうでもよくない相手なら苦しい。自分を苦しめる人ほど大事な人だったりする。
 ただ、そこで勘違いしちゃいけないのが、その人だから苦しいのか、故意に苦しめられてるのかっていうことだけどね。でも結局、……あんまり大きい声で言っていいのかわかんないけど、あたしは少なくともセックスが好きなんですよ。

……あ、えっと、かっこいい。それはなんというか……、いいお話ですね。本質的というか。

MARIA:うん、マジで本質ですよ。どうでもいい奴とやったら、それこそ惨めになるだけですけど、べつに、付き合う付き合わないはともかく、大事だと思う人ならばその瞬間に最高に満たされるし、その後もいい思い出として終わるし。そのときだけの関係っていうのもいいと思うよ、とは言ってるんですよ、“ゴッド・イズ・オフ・オン・サンデイ”で。「See ya later 朝までmommy」っていうのは、「mommy」ってセクシーな女の人のことを言ったりするんですけど、「朝までmommy」ってことは、その人に朝まで呼ばれるってことなんですよ。でもそれは「よっぽどいい男んときの話」。

これはたしかにセクシーな曲ですね。

MARIA:そう、でもこの「よっぽどいい男」っていうのは見た目とかの話ではなくて、その人をリスペクトしているか、大事か、後悔しないか、みたいなこと。性的なものとアートはすごく結びついているから。愛情にしても恨みにしても、黒い気持ちってあるじゃないですか。愛とそういう黒い気持ちとは似ていると思うんですよ。ふつふつと沸きあがる感じとか。だから、そういうものと音楽を結びつけたらもう無限なんだろうなって思って作ってる。

なるほど。

MARIA:だから、アーティストはセックスとオナニーをいっぱいしたほうがいいんですよ。

なるほど!

MARIA:ほんとに(笑)。『ブラック・スワン』(ダーレン・アロノフスキー監督/2010年)って観ました? 映画。あれで、先生が「お前の表現力で足りない部分はそこだ」って言うじゃないですか。あたしめっちゃ共感できて。それは人間の本質だから。それを動かすものを知らないと、表現みたいなところでも出せないと思う。

わかります。でも、お訊きしたいんですが、時代はもうずいぶんしばらく「草食系」が引っ張ってきましたよね。音楽だって、ポップ・マーケットに限って言えばボカロ音楽やアニメ音楽がオルタナティヴに機能していて、それはめちゃくちゃざっくり言えば「いい男」ではなくてメガネ男子が象徴する世界なわけです。

MARIA:うんうん。

彼らは性的なものから疎外されているわけではけっしてないですけど、かといって『Detox』に出てくるようなワイルドで生々しいセクシーさに肉迫することもないと思うんです。そういうメガネ男子たちはどんなふうに見えているんですか?

MARIA:そうですねー、どうだろう。草食系の友だちもいるけど、実際、そういうふうに見えるだけで、意外とフタを開けると違ってたりね。それに自分が気づいてない、見えてないだけかもしれない。そういうものを受け止めてくれる人が出てきたときに、はじめて見えてくるものかもしれないし。……でも、正直、やっぱり自分には何も言えないですね、そのへんは。

なるほど、そうですよね。わたしはこんな仕事をしていなかったら、もしかしたらシミラボやMARIAさんを知らないままだったかもしれないトライブの人間なんですが、やっぱりなかなかそのワイルドさセクシーさに距離があって……。聴いて触れればすごくかっこいいのに、触れるまでに超えなきゃいけないものがあってちょっと時間がかかったんです。

MARIA:うーん、そうだよねー。あたしは直接話すしかないと思ってて。2ヶ月に1回シミラボでやっている〈グリンゴ〉っていうイヴェントがあるんだけど、そこではあたし、酒の瓶持って客全員に話しかけますからね。「どう、飲んでる? 楽しんでる~?」って。だから、ラップとかしてる人間ではあるけど、みんなと何にも変わらないよって思ってる。小学校行ったし、中学校行ったし、やなことあったし、みたいな。でもヒップホップはいろんな音楽の要素を入れることができるから、そのよさは壁を越えて伝えたいとは思う。



シミラボの男たちはみんな痛みを知っているし、嘘をつかないし。自分の信念とか自分の意志がちゃんとしてるから、すごい魅力的だと思う。

MARIAさんらしい、って言ってもいいでしょうか。とてもリスペクタブルなことだと思います。ところで、では世の中全般のこととして男子がどうかっていうふうに訊き直したいんですが、いまMARIAさん的に「いい男」っていうのはどんな感じなんですか。

MARIA:ぶっちゃけ少ないね。少ない。でも最近なんかキてるのかもしれないけど、マジやべえって思う男がふたりいた。

へえー。そういう男の特徴って何なんでしょう?

MARIA:なんだろう、やっぱり自分の意見をはっきり言える?

それは一般論として、日本男子には少ないイメージですよね。

MARIA:そうだね。あと、下心があったとしても、ちゃんと自立した男だったら、それがずる賢い感じで伝わってこないの。最近会ったその男たちに関して言えばそうだね。いやらしくないし、ずるくないの。正々堂々としてる。自立心と自分の意見、それが大事かな。

それはそのままMARIAさんの理想の男性像と考えてもいいですか?

MARIA:それももちろん含まれる。あとは人の痛みだよね。そういうことがわかるのが最高に理想。それを知らないで育って人を傷つけてたら意味がない。

シミラボの男性たちはその意味ではかなり理想の方々ではないですか?

MARIA:あ、シミラボのメンバーはね、メンバーだからこそ何もないけど、もう最高だと思いますよ。彼氏探してるいい女の子がいたら全然推す。シミラボやばいよって。シミラボの男たちはみんな痛みを知っているし、嘘をつかないし。もちろん相手との関係によって少し差は出てくるかもしれないけど、自分の信念とか自分の意志がちゃんとしてるから、すごい魅力的だと思う。

よく、こんな人たちが揃うなあって、人間性や個人的な特徴ももちろんだし、音楽のセンスとかスキル、ルーツみたいなことも含めてけっこう奇跡ですよね。

MARIA:たぶんいまのシミラボのなかで「なんかちがくない?」みたいな人がいたら、すぐいなくなると思う。

日本はやっぱり、海に囲まれつつほぼひとつの民族で歴史を紡いできた国なわけですし、みなさんそれぞれの出自というのがさまざまに摩擦を生んできた場面も多いと思います。そういった個人の背景にあるものが、絆を支える上で大きく関係していたりするんでしょうか?

MARIA:同じような環境にいるから、価値観が合うのかな。だから、なんでそんなことができるの? っていうような違和感もないし。みんな優しいんですよ。

その優しさっていうのも、自分に気持ちのよいことをしてくれる、という意味ではなくて、もっと自立した強さのあるものって感じがしますね。

MARIA:うん、愛情深いですよ。それに、あたしはヒップホップについてDJみたいに詳しいわけじゃないし、音楽がよければ聴いてる、みたいな感じだったんだけど、それを誰かと共有するということがいままでなかった。それをはじめて共有できたのがシミラボですね。



人任せじゃダメなジェネレーション

ちょっと遊んだらその月ギリギリみたいな。それでこの国終わってるよねーとかって言ってるくらいなら、あたしはあたしのまわりの少人数を動かすから、お前はお前のまわりの少人数を動かせよ。

OMSB(オムスビーツ)さんとかのインタヴューを読んでいたら、逆にMARIAさんが思ってもみなかったような、自由な発想を持ってきてくれるっていうようなことを言われてましたよ。音楽に凝り固まっていない人だからこそ見えるものっていうことなんでしょうね。

MARIA:そうなんだ(笑)。自由かどうかはわかんないけど、それはあるかも。音楽に入り込みすぎると、自分のなかでやばいと思う方向にしか行かないときがあって、それだとリスナーがついてこれなくなったりするんじゃないかと思う。

そっちの方にもっと突き進んでいくっていう選択肢はないんですか?

MARIA:あたし自身が、どっちかいうと楽しみたい派というか。あんまり深くというよりも、楽しみたいという感じ。内側からぐわーって出てくるものとか、頭が固くならないもののほうが好きかな。だから「あたしはこういうスタイルなんだ」っていうのはあんまりない。

このアルバムのなかにだって、メンツ的に見ればほとんどシミラボだなっていう曲もありますけど、そうじゃなくてMARIAのアルバムなんだっていう部分は、ご自身としてはどんなところだと思いますか?

MARIA:なんだろう……。“ムーヴメント”(“Movement feat. USOWA, OMSB, DIRTY-D”)とか、“ローラー・コースター”。パーティーしようよ、そんな固い話やめようよ、っていう。

MARIAさんだからこそシミラボから引き出せたっていうような部分ですかね。そういうところは他にもありませんか?

MARIA:“ローラー・コースター”に関しては、ファンキー感。みんなファンクが好きなので。シミラボの輩(ヤカラ)感?

あはは、そんな言葉があるんですね。ヤカラ感。なるほど。

MARIA:みんなね、殺してやろうみたいな考えが強いんですよ。「ぶっ殺そうぜ!」「何も言わせねえよ!」みたいな感じだから「えっ」ってなるんだけど、“ローラー・コースター”に関しては「まあ、まあ」みたいな。楽しくやりたくない? って。JUMAはもともと楽しいやつだけど、オムスもまあハッピーなやつなんだけど、よりハッピー感出せたんじゃないかなって思う。結局、シミラボ自体がすごく高い適応能力を持っているから、深く注文とかつけなくてもいいかってなるんですよね。USOWAとかも入っているけど。

せっかく“ムーヴメント”のお話が出たのでお訊きするんですが、「人任せじゃダメなジェネレーション」って詞が出てきますよね。これはMARIAさんの実感ですか?

MARIA:これはあたしが書いたフックなんです。やっぱり、政治とかでもそうですけど、自分が動かないと何もはじまらないじゃないですか。何かしたいと思う気持ちが、「でも自分ひとりが何かしたって(どうにもならない)……」って諦めの気持ちに消されて、ムーヴメントを起こそうとしない人が多いと思うの。自分の意見も言えないし。でも結局そんなんじゃ何にも動かないし。経済的にも、ちょっと遊んだらその月ギリギリみたいな。それでこの国終わってるよねーとかって言ってるくらいなら、あたしはあたしのまわりの少人数を動かすから、お前はお前のまわりの少人数を動かせよ、それではじめてムーヴメントが起こるんじゃないの? って。ちっちゃいところから動かしていけば絶対変わるよ、って気持ちがある。

その「変える」っていうのは、どんなこと、どんなイメージですか?

MARIA:さっき言ってたような人種問題とかがそうですね。ちょっと変わってると目立ちやすいじゃないですか、日本って。でもそれぞれの主張が強くなることで、バラエティのある国になると思う。あと、あたしストレートに言ったり書いたりしたことないんだけど、動物がマジ好きで、殺処分とか、本当に嫌なんですよ。ドイツとかだと保健所もないし、ペットショップもないんです。生体販売を行ってなくて。日本はオリンピック開催が決まったけど、そんな金につながりそうなところばっかり見てて、もっと大事なところを見てない。ペット業界もお金が入るからってことで産ませるし、売れ残ったら殺す。ゴミみたいな扱いだよね。あたしはそういうところでもムーヴメントを起こしたいって思ってるし、署名活動とかもやるし。あとは風営法。クラブなくなっちゃったら、もうヤバイじゃん。脳科学者も言ってるんですよ、ストレスをなくすには歌と踊りがいちばんって。それなのにクラブで踊れないって何だよって、ねえ? でも、その陰にはこっち側のマナー違反だてあるわけだし、人任せじゃなくて自分がしっかりしなきゃ。ちゃんとしてれば楽しいことも制限されないんだし。だから、ちょっとシャキッとしてくれよって思いますね。

なるほど。それぞれが自立しよう、小さいところから動きを起こそう、というのは年齢に関係のない普遍的なメッセージだと思うんですが、それが「人任せじゃダメなジェネレーション」ってふうに世代の問題として書かれてますよね。そこが興味深かったのですが、他じゃなくて、とくに自分たちの世代にそれが必要だって思うんですか?

MARIA:なんか、友だちにこういうこと言っても、「へー、すごいね。そんなこと考えてるんだ。」で終わっちゃう。「すごいねー」じゃない、お前たちのことなんだって思うんだよね。

それはうちらの世代特有、という感じですか?

MARIA:とくに多いんじゃないですか。逆に、自分たちより下の高校生とかのほうがちゃんと考えてるみたいに見えるんですよね。うちらの、いわゆるゆとり世代はちょっとどうかなって思うときはある。

快速東京の哲丸さんも自分たち「ゆとり」について興味深いお話をされていたんですが(『ele-king vol.10』参照)、やっぱりわりと強い横の意識があるんですね。

MARIA:自分と同じくらいの年のほうが意見が聞きやすいってこともありますけどね。

あ、それはそうですね。

MARIA:あと、あたしは一応、社会に出た経験もあるからね。親くらいの世代にもちゃんとしろよって思うことけっこうあった。大人になればほんといろんなことが「しょうがない、しょうがない」ってなっていく。あと、金に換算したりね。これだけ払ってるんだから、これだけのことをやれ、って。人間が、気持ちのあるものがそれをやってくれてるわけなのに、そこを考えないよね。人と人とのつながりが薄くなってきてるって感じる。

大人っていう問題は、他人事ではないですね。人間としてもそうですが、ミュージシャンとしてどう歳をとっていくかっていう問題もあると思います。さっき言っていたかっこいい男子たちやミュージシャンは、かっこよく30代、40代になれるのか。

MARIA:シミラボのみんなはそれなりに……なれるんじゃないですか(笑)。

あ、そうですね。

MARIA:いい味出るんじゃないですかね。少年の心を忘れないと思う。だからずっと若々しくいられると思う。あたしはわかんないな……もともと精神年齢が45(歳)とかって言われてるから。

はははは!

MARIA:自分がどうなるかはわかんないですね。

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MARIA・ザ・マザー
境遇、について
ヒップホップは近道ではない
欲深くて、愛しい
音楽と、ちょっとセクシーな話
人任せじゃダメなジェネレーション
アンチ・アンチ・エイジング
音楽と、けっこうセクシーな話

アンチ・アンチ・エイジング

自分が中学生、高校生だったときに噛みしめていましたから。いまはいましかない。「若くいたい」って思いたくない。

新しいですね、「45歳」って。では、こうなりたいっていうのはありますか?

MARIA:うーん(笑)、あんまり変わりたくはないですね。きっと惑わされるものがたくさんあると思うんですけど。

女性誌とかファッション誌とかって読まれたりします?

MARIA:いやー、読まない。マジで本を読まない。セレブのゴシップ記事とかしか読まない。

ははは、ゴシップ記事限定。

MARIA:リアーナ、へー。みたいな。

服もコスメも髪型とかもとくに何を参照するでもなく?

MARIA:そういうのはネットで見ちゃう。あと、流行りがどうっていうよりも、こういうのしたーい! っていうのを調べるから。

調べていて手本になるというか、ビビっときた人はいますか? アーティストとかでも。

MARIA:アーティストとかもあると思うけど、あたしほど感覚で生きてるやつもそんないないと思うからなあ(笑)。ファッションじゃないけど、ビビっときたのは、セレーナ・ゴメス。最初はガキくさい顔してるから好きじゃないと思ってたんだけど、最近『カム・アンド・ゲット・イット』っていう曲を出して、そのPVを観たら腕と脚が超長いの。それが超セクシーで、人間が平等だって誰が言ったんだよ? ってレベルなの。彼女はいわゆるアイドルって感じに言われやすい人なんだけど、そのわりには実力派だと思う。プロデューサーがいいのかもしれないけど、アルバムもよくて。彼女はすごいいい感じに仕上がってきてると思う。

仕上がる(笑)。

MARIA:リアーナよりセレーナ・ゴメスって感じ。

へえー。リアーナとか超メジャーな存在でも、アメリカで黒人でセクシーでヒップホップでってなると、なかなか具体的にマネしたり目指すべきロールモデルとして考えにくいところがありまして……

MARIA:うーん、そうかもね。でも、“ウィ・ファウンド・ラヴ”って曲だっけな、このPVを見たときに、これはシドとナンシーだろうなって。完璧にコンセプトはコレでしょって感じで、今年はイギリスきてんのかなと思った。でも、女の人で憧れる存在か……、基本、巨乳なんだよね。

おお?

MARIA:巨乳は強いでしょ。

そうですね、「貧乳」「つるぺた」っていう革命的なキーワードもありますが……。

MARIA:そこは強くない。

ははは! 強くはないですねー。

MARIA:この間言ってたの。Eカップが最強だって。それを毎日見た男性は、何かの数値が高くて、長生きするって。

へえー……、ええ!? ぶっとび科学ですね。

MARIA:あ、憧れる女性ひとりいたわ。杉本彩。

それはまたセクシーですね。

MARIA:杉本彩と、マツコ・デラックスと……。

それは巨乳枠なんでしょうか(笑)。

MARIA:はは、あとアンジェリーナ・ジョリー。この3人かな。すごく好き。

みなさん強いですね、たしかに。あんまり日本人らしい日本人のなかにロールモデルはいなさそうですね。

MARIA:日本はないかな、やっぱり。体型が体型だしね。

アイドルとかももちろん……

MARIA:全然興味ないですね。

そうですよね。MARIAさんは黒髪時代も素敵でしたけど、きっと黒髪の意味が違いますもんね。

MARIA:うん。黒のほうが映えるかなってだけ。なんか、こんな適当な人いないよね。

いや、まったく適当ではないですよ。

MARIA:適当、適当。最低限、その人が立ち直れなくなっちゃうようなところまでは言わないようにしてる、ってくらいで、すごい適当だよ。

ははは、今日も話をお訊きしておきながら、なんだか聞いてもらっちゃってるような気持ちがしてきて。初対面なのに。そうか、これがMARIAという人のサイズかあ……って。これがマザーであり、「45」のサイズなんですね。

MARIA:そう、マザー。

みんなアンチ・エイジングなのに。「30代女子は大人ボーイッシュ」とか「かわイイ女」とか。

MARIA:ああ、大っ嫌い。電車とかで中吊り広告あるじゃないですか。もうほんとメンドクセって思いますよ。最近唯一興味持てたのが安達祐実のヌードくらい。

そんなことが……。

MARIA:そのくらいしかないですね(笑)。

そりゃ「カーディガンだけでオシャレ度アップ」とか読みませんよね(笑)。

MARIA:ほんと、どうでもいい。うるせーよ、って。

こういうのは、若返ること、若くいつづけることにコストをかけていく思考じゃないですか。それに対して「45」っていうのは新しいカウンターだと思いますよ(笑)。

MARIA:基本的に、若けりゃいいって考え方を改めたほうがいいと思うんだよね。

では、若さってことに対して特に思い入れたことがあまりないんですかね?

MARIA:自分が中学生、高校生だったときに噛みしめていましたから。いまはいましかない。いまの見た目はいましかない。歳とったひとも、まだ小さい人も、必ず一回通る場所だから、「若くいたい」って思いたくない。



音楽と、けっこうセクシーな話

でもね、結局その領域にまで踏み込まないとダメだって思う。日本はもっとみんなセックスしたほうがいいですよ。

でも、MARIAさんはすごい美貌でもいらっしゃるわけじゃないですか。それをとどめておきたいって気持ちはないのか……、セクシーってこととMARIAさんの容姿とは無関係ではないと思うんですけどね。

MARIA:セクシーではいたいですけどね。やっぱりやりたいから。……男を誘惑できなくなったら嫌じゃないですか。男がやりたいと思わない女になったら終わりだと思うんですよね。はははっ。

あー、なるほど。

MARIA:(笑)

ははっ、いや、流したわけではなくて! 本質的だなって、すごいなって思って。すみません。でも、セクシーさは見た目じゃないってことになりますよね。見た目じゃないセクシーさって何なんでしょう。

MARIA:えっとね、やっぱり、場数ですかね。

(笑)……具体的(笑)。

MARIA:あははは! 場数っていうか、回数っていうか……(笑)。結局イったことあるかどうかだと思いますよ。

おっと! ちょっと今日は、やばいですね!

MARIA:あはは! マジで? あたしなんて初めてイったのは……

いやいやいや、そこまでで(笑)!

MARIA:(笑)でもね、結局その領域にまで踏み込まないとダメだって思う。日本はもっとみんなセックスしたほうがいいですよ。

(一同笑)

なるほど、そうなんだ……

MARIA:そういう意味では、男の人も表現とか苦手だと思うんだけど。でも女性は褒められるとその褒め言葉が栄養になるから、もっと褒めてって言いたいな。

大変深いお話がきけました。じゃ、最後に『Detox』っていうこのアルバム・タイトルについてなんですけど、この「毒(解毒)」っていうのは、もともと身体の内側にあったものというイメージなんでしょうか? それとも外から入ってきたものって感じなんでしょうか?

MARIA:自分のなかにあったものですね。あたしが子どもの頃からコンプレックスを持ってきたもの。その塊。

ああー。世のなかにあるけがれみたいなものではなくて、内側で蓄積されていったもの、というイメージなんですね。

MARIA:でも結局世のなかのけがれについても歌ってるし、あたしのコンプレックスみたいなものについても言ってるし。両方にそんなに変わりはなくて、じゃあみんなでデトックスしようよ、みたいな感じです。CDの裏の方は真っ白なデザインなんですけど、それはデトックスされた、浄化されたというイメージですね。

説教くさくキレイになろうって言ってるんじゃない感じがよかったです。「デトックスしよう」って、ちょっと宗教がかったニュアンスになることもあるじゃないですか。

MARIA:うんうん。説教キライ。

MARIAさんの場合、そうならないところにセクシーさってものが絡んでくるって思います。

MARIA:それは、ラフさとか気軽さを意識したからでもありますね。教祖っぽくなったり説教になったりすると、お前誰だよ? ってことになるじゃないですか。そういうことになると、人は話に入ってこなくなると思うんですよ。なんで、そういうところでは気軽に話しかけてきてよって考えながら、作ってますね。

なるほど。今日はほんとに、話をお訊きしながら、むしろわたしが受け止めてもらったような感じがいたします。ありがとうございました!

Katie Gately - ele-king

 総勢14名から成るフィールド・レコーディング・オーケストラ、シアトル・フォノグラファーズ・ユニオンに途中から参加したらしきケイティ・ゲイトリーによる初ソロ(from LA)。これがフォークにもインダストリアルにも聴こえる不思議な感触を放つサウンドで、OPNが切り開いた地平の深さを見せるというのか、USアンダーグラウンドがまだ未知数にあふれていることを実感させてくれる。どこから聴いても、誰のマネでもなく、戸惑うばかりの新感覚である。

 アコースティック・インダストリアルとでもいうような彼女のサウンドは一体、どこから来たのだろう。ゼロ年代前半に地下で蠢いていたマルシア・バセットのノイズ感覚と、最近だとメデリン・マーキーのような透明度の高いドローン・サウンドが同居しているのも奇跡的に感じられるし、インダストリアル・サウンドに憎悪ではなく、美的センスが感じられるところも素晴らしい。もしかしてアンディ・ストットの影響はあるのかもしれないけれど、それをフェミニンな変奏として示すだけでも充分にチャレンジングだし、そうだとすればそれは本当に成功している(アンディ・ストット・ミーツ・FKA・トゥィッグスというか)。インダストリアル=鉄槌感だという人には申し訳ないけれど、インダストリアルでありながらまったく重さも感じさせない。

 本人の言葉に左右されて音楽を聴くという態度はあまり好きではないんだけど、どうしてもそういうことが気になるという人はインタヴューをどうぞ。「美」に関してはやはり意識的なところがあるようで、音楽に深く入り込むようになったのは去年の夏から。きっかけはドクター・アクタゴンと来た。クール・キースがダン・ジ・オートメイターと組んだサイケデリック・ヒップ・ホップの快作である。もちろん、彼女の作品とは似ても似つかない。最近のお気に入りはマイルズ・ウィットテイカーにデムダイク・ステアー。アンディ・ストットではありませんでした……。

 サウンドクラウドで聴ける音源はこれよりも古いものなのか、時に重く、あるいは痛く、全体に洗練されていないニュアンスが残っている。つまり、はじめから独自のサウンドを有していたわけではなく、試行錯誤の末に現時点へと辿り着いたことが推測できる。あるいは、アルバムを先に聴いてしまったせいか、ここに上がっている曲はまるでデトックスのように感じられる。毒を吐き出して、後に残ったものの、なんと美しかったことというか。

 https://soundcloud.com/katiegately

 つーか、なんでファーマコンの音源がアップされているんだろう??

 高畑勲監督のジブリ最新作映画『かぐや姫の物語』、ご覧になりましたか? 人目もはばからずふわわとあくびをし、カエルの真似をしてケロケロ這う無邪気な乳幼児時代のかぐや姫、激萌えでした。少女に成長してからも粗末な衣服を着て泥だらけで野山を駆け回っていた彼女は、翁からプレゼントされたピンクの薄衣を見るや目を輝かせ、衣を羽織って大喜びで家中を飛び回ります。ピンクの服、そしてお姫様として与えられた大きなお屋敷にときめくかぐや姫の気持ちは、きっと純粋なものだったはず。しかしそこからはじまる、欲望の客体「女」としてひたすら自我を殺すことを強要されるかぐや姫の怒りと絶望の描写には、娘を育てる身として大変心が痛んだものです(求婚しにきた浮気男を試すために本妻と入れ替わるという『ロンドンハーツ』みたいなドッキリには笑いましたけど)。

 純粋な気持ちでピンクやプリンセスに憧れているうちに、「客体として生きよ」という世間からのメッセージを刷り込まれる。狭苦しい「女」の領域から抜け出したいと願っても、世間との軋轢は免れ得ず、いつしか自我を手放して価値観を世間に同化させてしまう。最後まで抵抗しながらもすべての記憶と感情を失って月に帰ったかぐや姫は、こうした女性たちのあり方を暗示しているようにも見えます。この問題意識はアメリカの女性たちにはなじみ深いものであるらしく、問題解決のためのさまざまな試みが女性自身の手でなされているようです。

Girls.
You think you know what we want, girls.
Pink and pretty it's girls.
Just like the 50's it's girls.

ガールズ
私たち女の子が欲しがるものが何か、わかってると思ってるでしょ
ピンクにカワイイもの、それが女の子
まるで50年代みたい

You like to buy us pink toys
and everything else is for boys
and you can always get us dolls
and we'll grow up like them... false.

みんなピンクのおもちゃを私たちに買い与えたがる
それ以外のおもちゃはみんな男の子のもの
いつだって女の子には人形を与えておけばいい
そうすればお人形さんみたいに育つだろうってね
……なわけないし

It's time to change.
We deserve to see a range.
'Cause all our toys look just the same
and we would like to use our brains.
We are all more than princess maids.

今こそ変わるとき
女の子も広い選択肢を知る価値がある
女の子用のおもちゃはみんな同じに見えるけど
女の子だって頭を使いたいの
私たちはただのプリンセスのメイドじゃない

Girls to build the spaceship,
Girls to code the new app,
Girls to grow up knowing
they can engineer that.

宇宙船を造る女の子
新しいアプリをコーディングする女の子
女の子にだってそういうものが設計できるって
学びながら成長する女の子

Girls.
That's all we really need is Girls.
To bring us up to speed it's Girls.
Our opportunity is Girls.
Don't underestimate Girls.

ガールズ、それが女の子に本当に必要なこと
私たちにスピードを
女の子であることが、私たちのチャンス
女の子を見くびらないで


 これは女児向けのエンジニアリング玩具「Goldieblox」のプロモーション動画。音楽好きのみなさんならすでにお気づきのとおり、これはビースティ・ボーイズ“ガールズ”のパロディです。「皿を洗う女の子、俺の部屋を掃除する女の子、洗濯する女の子、俺たちが女の子に本当に求めてることはそれだけ」というヤンチャな歌詞が、見事に真逆の意味に入れ替わっています。

「Golodiebox」は大資本の企業が販売している玩具ではありません。スタンフォード大学でエンジニアリングを学んだデビー・スターリング(Debbie Sterling)というひとりの若い女性のアイディアから生まれたもの。小さな女の子にもエンジニアリングの楽しさを伝えるおもちゃが必要だと考えた彼女は、クラウドファンディング・サービス「Kickstarter」で目標額15万ドルをはるかに上回る28万ドルを獲得し、2012年10月に会社を設立。トイザらスと全国流通契約を結んだときに制作された、ピンクまみれの女児玩具コーナーを女児3人組が襲撃するというプロモーション動画がセンセーショナルだったこともあり、一躍ネットの注目を集めたのです。小さな女の子は、女児向けのカラーリングを施された玩具以外はすべて男の子向けだと考える傾向があると言われています。そのため、組み立て系の玩具が置いてあるコーナーに多くの女児は寄りつかないとも。そこで「Goldieblox」はピンク、ラベンダー、水色という定番の女児玩具カラーと、いるかのバレリーナや気の強いネコといったキャラクターを採用し、女児向けであることをわかりやすくアピール。さらにかわいい絵本風のブックレットも付け、物語に没入する感覚で組み立て玩具を楽しめるようになっています。

 上記の“ガールズ”パロディ動画は瞬く間にネットに広がり、700万回以上も再生される人気動画となりました。そして今年11月、「Goldieblox」の知名度をさらに高める出来事が起きました。ビースティ・ボーイズ側が、楽曲の使用許可を得ていないことを問いただすクレームをGoldiebloxに送ったのです。そしてこれを受けたGoldieblox側が、実際に訴えられる前に「著作権侵害ではない」とする先制攻撃的な訴訟を起こすという斜め上の展開に。このユニークな騒動は各メディアで取り上げられ、「Goldieblox」は多くの人の目に触れることとなりました。問題の動画がステレオタイプなジェンダー観を批評するパロディ作品と認められるのか、それともただの著作権侵害と判断されるのか、法律に疎い私はわかりません。ただ、LAタイムスの記事によれば、SNS上の反応は圧倒的にGoldieblox側に好意的だとのこと。だいたいにおいてフェミニスト的な主張は笑いものになって終わることが多いのですが、ひとりの女性の奮闘で世間の空気が変わるという事態に勇気づけられずにはおれません。訴えたわけでもないのに一方的に悪者にされてしまったビースティ・ボーイズはお気の毒ですが……。

※訴訟を起こされた後にビースティ・ボーイズが発表した公開書簡では、Goldiebloxへのリスペクトを表明しつつ、あくまで商品の宣伝に自分たちの楽曲を使わせないという従来からのバンドの方針を強調しています。この方針が昨年亡くなったビースティ・ボーイズのメンバー、アダム・ヤウクの遺志によるものであることを知ったGoldiebloxは著作権侵害を指摘された動画を取り下げ、ビースティ・ボーイズと和解する姿勢を見せました。なお、メンバーのアドロックことアダム・ホロヴィッツの奥さんは、筋金入りのフェミニストバンド「ビキニ・キル」のキャサリン・ハンナ。

「女の子は、“さすが〜”“知らなかった〜”“すご〜い”“センスいい〜”“そうなんだ〜”だけ言っていればいいんだよ」というような言説は、いまでも少なくありません。「ほ〜うまいことあいうえお作文にまとめたもんだね〜」と感心する気持ちもあるのですが、同時に女の子を育てるのが怖くなることがあります。「わたしこんなことできたの!」と報告されるたびに褒めて励まして自尊心を育むこと、これが将来生きていく上で全部裏目に出てしまうのではないかと。でも世間はうつろいやすく、知恵と技術とプレゼン能力さえあればほんの少しずつでも変えることができる、変えるのは、未来を生きる女の子自身。そう考えれば、女の子を育てることに希望がわいてきますし、自分にだって何かできることがあるのではないかと思えてきます。

 もしもかぐや姫に翁が与えたものが、ピンクの衣に大きなお屋敷ではなく、ピンクの大工道具だったら? はたまた自由にアプリをコーディングできる開発環境だったら? 無数に存在する幼いかぐや姫たちの、そのはつらつとした自我を守るためにできることを考えるのが、翁・媼サイドたる私たちの務めなのかもしれません。



ギークマム 21世紀のママと家族のための実験、工作、冒険アイデア
(オライリー・ジャパン)
著者:Natania Barron、Kathy Ceceri、Corrina Lawson、Jenny Wiliams
翻訳:星野 靖子、堀越 英美
定価:2310円(本体2200円+税)
A5 240頁
ISBN 978-4-87311-636-5
発売日:2013/10 Amazon

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