「You me」と一致するもの

 モーリッツ・フォン・オズヴァルトを中心に、これまでマックス・ローダーバウアーサス・リパッティ、故トニー・アレンと、錚々たる顔ぶれが集ってきた MvO トリオ。きたる8月6日に〈BMG〉傘下の〈Modern Recordings〉から6年ぶりのニュー・アルバム『Dissent』がリリースされる……のだが、そこでメンバーが刷新されていることが明らかになった。
 ひとりは、ドイツのジャズ・ドラマーのハインリヒ・ケベルリング。彼は、〈ECM〉から作品を発表している同国のピアニスト、ジュリア・ハルスマンのクァルテットの一員であり、大阪出身のピアニスト、高瀬アキの作品に参加したこともある。
 そしてもうひとりはなんと、ローレル・ヘイロー。2010年代のエレクトロニック・ミュージックを代表する彼女とモーリッツとの出会い、これはビッグ・ニュースだ。
 新作は2020年の11月と12月にベルリンで録音されたそう。現在アルバムより “Chapter 4” が公開中。音、ヤバいです。これは期待大。

[5月20日追記]
 MVも完成していたようです。クール!


METAFIVE - ele-king

 病から恢復した高橋幸宏、どうやら本格的に動き出すようだ。彼と小山田圭吾、砂原良徳、TOWA TEI、ゴンドウトモヒコ、LEO今井という目のくらむ面々から成る METAFIVE が5年振りのセカンド・アルバムをリリースする。タイトルは『METAATEM』で、8月11日発売。
 それに先がけ、7月26日には KT Zepp Yokohama にてライヴも開催されるとのこと。稀代のスーパーグループの新たな一歩に期待しよう。

METAFIVE
5年振りのセカンド・アルバム「METAATEM」発売!そして一夜限りの自主ライヴ開催決定!!
本日より先行チケット受付スタート!!

METAFIVE(高橋幸宏×小山田圭吾×砂原良徳×TOWA TEI×ゴンドウトモヒコ×LEO今井)が5年振りとなる待望のセカンド・アルバムを8月11日に発売する。タイトルは「METAATEM」。2016年に発売されたアルバム「META」に続くオリジナル・アルバムであり、まさに待望のアルバム発売となる。

METAFIVEは、高橋幸宏、小山田圭吾、砂原良徳、TOWA TEI、ゴンドウトモヒコ、LEO今井という、国内外の音楽シーンでそれぞれが特別な立ち位置を築いてきた6人によるスーパーバンド。2014年1月に行われたコンサート「GO LIVE VOL.1 高橋幸宏 with 小山田圭吾×砂原良徳×TOWA TEI×ゴンドウトモヒコ×LEO今井」をきっかけに集結し、2016年1月に1st ALBUM「META」、同年11月にMINI ALBUM「META HALF」をリリースし、初の全国ツアー “WINTER LIVE 2016”を開催した。その後休止状態に入っていたが2020年に再始動の表明をし、7月に「環境と心理」をデジタルリリース。同シングルは、iTunesのオルタナティブチャートで1位を獲得するなど根強い人気を誇る。今作は「環境と心理」を含むフル・アルバムとなる。

またMETAFIVEは、アルバム発売に先駆け、7月26日に一夜限りの自主ライヴを開催。本日よりオフィシャル先行チケット受付をスタート。彼らにとって2016年12月以来のステージであり、期待が高まる。

【METAFIVE 2nd ALBUM「METAATEM」】
タイトル:METAATEM(読み:メタアーテム)
発売日 2021年8月11日
CD品番・価格:CD:WPCL-13260 / 価格¥3,080(税込)
VINYL品番・価格:WPJL-10136/7(アナログ2枚組)/¥4,950(税込)
予約購入URL:https://metafive.lnk.to/metaatem

【METAFIVE “METALIVE 2021”】
日程:2021年7月26日(月)
会場:KT Zepp Yokohama
開場:17:30-
開演:18:30-
チケット代金(全席指定 / Taxi in / 1drink別):
2F SS席 ¥13,500(オリジナル限定アクリルキーホルダー+B2サイズポスター付)
 *SS席は2階の前2列のスペシャルシート
2F S席 ¥11,000(オリジナル限定アクリルキーホルダー付)
2F A席 ¥7,500
1F S席 ¥11,000(オリジナル限定アクリルキーホルダー付)
1F A席 ¥7,500

・〈オフィシャル先行受付〉 5/17(月)17:00〜5/26(水)23:59
ぴあ オフィシャル先行URL : https://w.pia.jp/t/metafive-y/
・一般発売 6/26(土)
・問合せ:HOTSTUFF PROMOTION 03-7520-9999(平日12:00〜15:00) https://www.red-hot.ne.jp

【「環境と心理」MUSIC VIDEO】
https://youtu.be/A3auu-E3srs

【METAFIVE OFFICIAL SNS】
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「ロゴキーホルダーの色は透明ブルーの予定ですが、変更の可能性があります」

Sons Of Kemet - ele-king

 昨年の春に世界中で起こったブラック・ライヴズ・マタ―の抗議活動で、もっとも反響を呼んだ映像のひとつが、イギリスのブリストルで、抗議者たちが17世紀の奴隷貿易商人エドワード・コルストンの像を引き倒し、港へと押して行った光景だった。その行為は一定の政治家から予想通りの非難を受けたが、象徴性は否定できないものだった。数世紀の時を経て、ようやく歴史が大西洋奴隷貿易の立役者たちに追いつこうとしていた。
 詩人のジョシュア・アイデヘンが、サンズ・オブ・ケメットの『ブラック・トゥ・ザ・フューチャー』の扇情的なオープニング・トラックである“フィールド・ニーガス”で、「お前の記念碑をゴロゴロ転がして行く タバコを巻くみたいに/肖像は川に投げ込め 火葬の薪の価値もない」、と激しく非難する。低音で鳴くホルンと自由形式のドラミングに乗せて、アイデヘデンはプランテーション奴隷制の時代から現在に至るまで続いている、耐え難い不正を調査し、正義の怒りを燃やしている──いまでも、黒人の人びとは「マラソンで全力疾走」を強いられていると感じることがあるのだ、と。
 サンズ・オブ・ケメットのリーダー、シャバカ・ハッチングスは、昨年、ガーディアン紙に「歴史は有限だと思われがちだが、常に探究されるべきものだ」と語った。「同じ過ちをくり返さないために、常に挑戦し、時には点火する必要がある」
 これはファイティング・トーク(売り言葉)だ。アイデヘンが“フィールド・ニーガス”を「すべて燃やしてしまえ(Burn it all)」という呼びかけで締めくくり、アルバムの最終曲“ブラック”では、再び苦悩に満ちた訴えをしているが、これは予想されがちな反乱者のサウンドトラックではない。2019年に録音されたセッションをベースとしつつ、ハッチングスがロックダウン中に大幅に手直しをしたサンズ・オブ・ケメットの4作目の本アルバムは、これまででもっとも豊穣で、思索的な作品となっている。ロンドンのジャズ・シーンで最高に熱いライヴ・バンドとしての評判を築いてきたグループではあるが、ここではその炎をやわらげている。
 ハッチングスは、木管楽器、テューバにツイン・ドラムという、ブリティッシュ・カリビアンのディアスポラや、ノッティング・ヒル・カーニヴァルのグルーヴに根差した、特徴的なラインナップは崩していない。ドラマーのトム・スキナーとエディ・ヒックが、各曲で入り組んだリズムの土台を作り、それらが常に内省しているかのようなダイアログが続く一方、ハッチングスはダンスホールMCのような強烈さで観客を煽るようなソロを繰り出す。
 ハッチングスはまた、昨年のアルバム制作時に、各曲に新たなレイヤーを追加している。みずみずしい木管楽器(クラリネット、フルート、オカリナに少々の尺八まで)のオーバーダビングにより、執拗なリズムとの対比が生まれた。これは、リード・シングル“ハッスル/Hustle”のヴィデオに登場する二人のダンサーによるパ・ド・ドゥの中に見られる、内面の葛藤の二面性を象徴する、プッシュ&プル(押し合い、引き合う)にも似ている。音楽が、“マイ・クイーン・イズ・ハリエット・タブマン”(2018年のアルバム『ユア・クイーン・イズ・ア・レプタイル』からの傑作トラック)や、“(2015年の『我々が何をしにここに来たのかを忘れないために/Lest We Forget What We Came Here To Do』より)のような恍惚とした高みに到達することを約束する、音楽が爆発しそうになるいくつかの瞬間があるが、これは対照的なエレメントの導入により、ムードを変えるためのものだ。
 “エンヴィジョン・ユアセルフ・レヴィテーティング” では、ハッチングスの強烈なサクソフォン・ソロがライヴ・ギグの熱気を呼び起こすが、その様子をほろ苦い気分の距離感から眺めているかのような、木管楽器の穏やかさで相殺される。“レット・ザ・サークル・ビー・アンブロークン”の気だるいカリプソの拍子が、終盤ではアート・アンサンブル・オブ・シカゴ風のフリークアウトへと崩れていくと、哀愁を帯びたフルートのリフレインでバランスが保たれる。“イン・リメンブランス・オブ・ゾーズ・フォールン”の緊迫したリズムは、物憂げな短調のメロディーに抑えられているが、ハッチングスは曲が後半になるにつれ、少し熱気を帯びてくるのに抵抗することができない。
 このようなコントラストがアルバムを通してのテーマとなっており、とても意外なことに、頭のなかのどこかで、初期のECMがリリースしたベングト・ベルガーの1981年の傑作、『ビター・フューネラル・ビアー/Bitter Funeral Beer』を思い浮かべるような心持ちになった。また、より実践的なスタイルで制作されたこの作品は、特に多数のゲストを起用した前半で、彼らがこれまでに到達したことのないほど、グライム&ベースの音楽になっている。
 いくつかのヴォーカル曲でのフィーチャーについては、アイデヘンとコジェイ・ラディカル(“ハッスル”)が傑出している一方、“フォー・ザ・カルチャー”でのD Double Eは、ただトリラリー・バンクスとの”Mxrder Dem”のヴァースの焼き直しをしているらしいのにも関わらず、大いに楽しんでいるように聞こえる。その反面、“ピック・アップ・ユア・バーニング・クロス”にフィーチャーされている恐るべき才能のムーア・マザーとエンジェル・バット・ダヴィドの2人は、強力なラインナップの期待に応えることができてはいないようだ。この曲は、このアルバムでは珍しく、余計な積み荷をしない方がよかったと思われるものではあるが、彼らが一同に会してステージに立ったなら、どれほどのことが成し遂げられるのかは想像できる。
 まさに、「すべて燃やしてしまえ(Burn it all)」である。

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Sons of Kemet
Black to the Future

Impulse!

James Hadfield

One of the most resonant images from the Black Lives Matter protests that erupted across the world last spring was the sight of protestors in Bristol, UK toppling a statue of 17th century slave merchant Edward Colston and pushing it into the harbour. While the act drew a predictable denunciation from certain politicians, the symbolism was impossible to deny. It may have taken a few centuries, but history was finally catching up with the architects of the Atlantic slave trade.

“We are rolling your monuments down the street like tobacco / Tossing your effigies into the river / They weren’t even worth a pyre,” declaims poet Joshua Idehen in “Field Negus,” the incendiary opening track for Sons of Kemet’s “Black to the Future.” Over lowing horns and freeform drumming, Idehen works himself into a righteous fury as he surveys the injustices that have endured from the days of slave plantations to the present – how, even now, Black people can feel like they’re being told “to run sprint times in a marathon.”

“People think that history is finite, but it is something that needs to be explored constantly,” Sons of Kemet leader Shabaka Hutchings told The Guardian last year; “it needs to be challenged and sometimes set alight, so we don’t continue to make the same mistakes.”

That’s fighting talk. But while Idehen signs off “Field Negus” with a call to “burn it all” – and returns to deliver an anguished complaint on the album’s final track, “Black” – this isn’t the insurrectionary soundtrack you might have expected. Based on sessions that were recorded in late 2019 but significantly reworked by Hutchings during lockdown, Sons of Kemet’s fourth album is their richest and most contemplative to date. The group may have built a reputation as one of the most combustible live bands on the London jazz scene, but they’ve tempered the fire here.

Hutchings hasn’t messed with the signature lineup of woodwinds, tuba and twin drummers, rooted in the grooves of the British Caribbean diaspora and London’s Notting Hill Carnival. Drummers Tom Skinner and Eddie Hick create an intricate rhythmic bedrock for each tune that seems to be in constant dialogue with itself, while Hutchings still solos with the crowd-hyping intensity of a dancehall MC.

What’s different is the additional layers that he added to each track while working on the album last year, overdubbing lush woodwind arrangements (clarinets, flutes, ocarinas, even some shakuhachi) that provide a counterpoint to the insistent rhythms. It’s like the push-and-pull captured in the video accompanying lead single “Hustle,”[1] in which a pair of dancers perform a pas de deux symbolising the duality of internal struggle[2] . There are points at which the music seems about to explode, promising to reach the ecstatic heights of “My Queen is Harriet Tubman” (the standout track from 2018’s “Your Queen is a Reptile) or “Afrofuturism” (from 2015’s “Lest We Forget What We Came Here To Do”[3] ), only to introduce a contrasting element that shifts the mood.

On “Envision Yourself Levitating,” Hutchings’ emphatic saxophone solo conjures the heat of a live gig, but it’s offset by gentle woodwinds that seem to be viewing the action from a bittersweet distance. When the languid calypso pulse of “Let The Circle Be Unbroken” collapses into an Art Ensemble of Chicago-style freakout towards the end, it’s balanced out by a mournful flute refrain. The urgent rhythms of “In Remembrance Of Those Fallen” are kept in check by a languid minor-key melody, although Hutchings can’t resist dialling up the heat a little in the song’s latter half.

These contrasts are a running theme throughout the album, taking it into a headspace that reminded me, very unexpectedly, of early ECM releases such as Bengt Berger’s 1981 masterpiece, “Bitter Funeral Beer.” At the same time, the more hands-on production style brings it closer than the group have ever come to grime and bass music, especially during the album’s guest-heavy first half.

Among the various vocal features, Idehen and Kojey Radical (on “Hustle”) are standouts, while D Double E sounds like he’s having a ball on “For The Culture,” even if he’s just rehashing his verse from Trillary Banks’ “Mxrder Dem.”[4] On the other hand, “Pick Up Your Burning Cross,” featuring the formidable talents of both Moor Mother and Angel Bat Dawid, fails to deliver on the promise of its powerhouse lineup. It’s one of the rare moments on the album that might have sounded better without the added baggage, though you can only imagine what these musicians might achieve if they were able to share a stage together. “Burn it all,” indeed.

It’s described in text accompanying the video as “the duality present within any struggle to transcend internal limitations.”

interview with Sons Of Kemet - ele-king

 音楽を聴いて、音楽の力ゆえにどこか異世界に連れていかれることはままある。しかし、なかには魔力めいた音楽が稀にあり、それは幻想や幻覚ないしは音楽の麻酔的な効果などという生やさしいものではなく、リスナーに得も言われぬエクスペリエンス=経験をもたらす。サンズ・オブ・ケメットの新作が引き起こすそれは、ふだんのぼくには馴染みのないこの地球上の文化の断片が描く広大な空間──黒い宇宙のなかにおいて成就される。シャバカ・ハッチングスという、いまもっとも重要なジャズ・ミュージシャンがカリブ海の旋律とリズム──キューバからプエルト・リコ、トリニダードなど多様なその音楽の海──を調査し、同時にUKの移民文化から来ている猛烈なダンス・ミュージック=グライムの奥深くに連なるアクセントを吟味したうえで創造したその音楽は、先進国づらしながら難民の人権さえも軽視する国で暮らしているぼくにはなかなか出会うことのない輝きをおそらく最高のレヴェルで輝かせている。
 サンズ・オブ・ケメットの通算4枚目になる『ブラック・トゥ・ザ・フューチャー』は、悪しきオリエンタリズムに立脚して言えばじつに奇妙で異様な音楽となるのだろう。だが、世界に中心はないという感性にもとづいて言えば、これは驚くべきグローバル・ミュージックとなる。誰もが接続可能な黒い体験であり、UKジャズの金字塔であり、研ぎ澄まされたコスモロジーであり、そして未来に期待する音楽である。
 そう、たとえばザ・ポップ・グループの衝撃のネクストを探しているリスナーには2曲目の“Pick Up Your Burning Cross”をオススメする。ムーア・マザーが参加したそれは、好戦的なリズムと烈火のごとき旋律のすさまじい反復によるカリビアン・パンク・ジャズとでも呼べそうな曲だが、今回の『ブラック・トゥ・ザ・フューチャー』は前作以上にみごとな多様性が展開されている。つまりいろんなタイプの曲がある──メロウなラテン・フィーリング漂う“Think Of Home”、ダンスホール風の“Hustle”、螺旋状のメロディを有するグライム・ジャズの“For The Culture”、優雅でおおらかな“In Rememberance Of Those Fallen”といった具合に。
 また、今作にはムーア・マザー以外にも何人かのグライムMCやジャングルMCが参加している。このことが『ブラック・トゥ・ザ・フューチャー』にフレッシュな生気を与えていることは言うまでもない。2ステップがあり、アフロビートがあり、ハッチングスのヒップホップ愛までもがここには混入しているという、アヴァンギャルド・ラテン・ジャズであり、ポスト・パンクであり、ダンス・ミュージックであり……、いや、なんにせよ、すげーアルバムだ。ハッチングスのキャリアにおいても最高作の1枚になるだろう。

 今年もはや半年が過ぎようとしているが、ありがたいことに手放しで好きになれるアルバムと何枚か出会っている。『ブラック・トゥ・ザ・フューチャー』も自分のコレクションに加えることが決定した。以下に続くシャバカ・ハッチングスの発言にもまた、この音楽と同様ひょっとしたらこの先も広く参照されるであろう言葉がある。ことアフロ・フューチャリズムの理解を深める上では、貴重な話を聞けたのではないだろうか。

「アフロ・フューチャリズム」として何かを提示するとき、忘れられがちなのはそれは単に先に進むだけのものではないということ。僕がリサーチした限りでは、それは過去を通り抜けながら未来へ向かう旅なんだ。

前作『Your Queen Is A Reptile(あなたの女王は爬虫類)』、昨年のBLMを持ち出すまでもなく、あれはとても先見性がある作品だったと思います。アンジェラ・デイヴィスをはじめ女性の名前をすべての曲名にしたことも意味があったと思いますが、あのアルバムを出したあとのリアクションで面白かったものがあればぜひ教えて下さい。

シャバカ・ハッチングス(以下、SH):僕が本当に「女王は爬虫類だ」と言っているのだと思った人がいたってことかな(苦笑)。君主制(王室)に関する質問をすごくされた。でも僕自身、王室に興味はない。王室を重要視する人たちの気持ちは尊重するが、僕自身は王室自体が重要だと思わない。重要なのは、なぜ僕らは特定の人を自分たちのリーダーと見なしているか、疑問を投げかけることだ。特定の人をリーダーだと宣言する人間の心理的な構造を問い直すこと、そして王室中心のリーダーシップではなく、それにとって代わるオルタナティヴなリーダーの有無を正すことにあのアルバムの意味はあった。

前作のときも思ったのですが、あなたがカリブ海の音楽のリズムとメロディを自分の作品に取り入れるとき、それはあなたの記憶から引っぱり出されたものなのか、あるいはUKに来てあなたが学び直したものなのか、どちらなのでしょうか?

SH:後者だ。基本、学んだよ。第二の天性として持ち合わせているものだろうと考えるのは簡単だが、アメリカからの音楽、とくにジャズの概念化のされ方からして、個々が引き継いできたものをそのなかに見い出せるだけの自信を持つまでには時間がかかる。だから僕にとっても、カリブのリズムと再コネクトするのはとても長いプロセスだった。たくさんの音楽を聴き、リズムを練習し、自分の音楽のなかに注ぎ込もうとした。でも生まれながらのものとはやはり違う。かなり長い訓練というプロセスを経て、自然に感じられ、自然に聞こえる段階までたどり着けた。

たとえば、今作でいえば2曲目、ムーア・マザーが参加した“Pick up Your Burning”のリズムとメロディ、あのアンサンブルはどこから来ているでしょうか? 

SH:あの曲のベースラインは、ロンドンのグライム・ミュージックで使われるベースラインをイメージしている。それとフルートやクラリネットの音色といったカリブ風の要素をコネクトできないものかと考えた。僕の音楽はそんな風にふたつ以上の影響を交差させて、そこにどんな共通項が見いだせるかというものが多い。あとは音楽をどう発展させるか、直観を信じる。つまり僕のやってることは、その小さな交差点を見つけ、そこから音楽がどこに向かうのか、自分の耳に任せるということでもある。

ムーア・マザーのことが大好きなので訊きますが、彼女を起用した理由を教えて下さい。

SH:それは僕も彼女の大ファンだからさ(笑)。彼女の曲、彼女のとてもディープな声のトーンが好きなんだ。どんなミュージシャンを聴くときもそう。ヴォーカリストも同じで、最初に惹かれるのは、彼らが出すサウンドや歌声にどれだけ共鳴できる奥深さがあるのかということ。

先ほど、ロンドンのグライムということをおっしゃってました。ロンドンにおけるカリビアン・ミュージックのディアスポラとしてのグライムとは深い共感を覚えますか?

SH:ああ、いつも聴いている。クラブに行けばかかっているし、グライムは自分の楽しみのために演奏する音楽だよ。でもときに人は音楽とはこうあるべき、演奏する音楽とはこうあるべき、というジャンルの垣根を自分たちから設け、影響を受けてきたものをそのまま音楽には表さないことがある。ふだんはグライムやヒップホップを聴いていたとしても、やってる音楽にはそれが出てこないというか。でも僕もミュージシャンとして成長していくうちに、自分の作品に影響や好きなものを全部出してもいいんじゃないかと思えるようになったと、そういうことだと思う。

あなた自身、ロンドンのダンスホールに繰り出したりしているのですか?

SH:ああ、時間があるときはね。ツアー中は──と言ってもいまは当然ツアーはないわけだけど──家を留守にすることが多かったけど、合間を見つけてはよく行っていたよ。

そのなかでなぜD Double E(90年代からアンダーグラウンドで活躍しているジャングルのMC)に声をかけたのでしょうか? もちろん好きだから?

SH:ああ、最高だよ。それに加えて、彼はカリビアンの伝統的なダンスホールMCとロンドンのグライムの要素をコネクトさせていると思うから。本当にディープな意味でね。カリブのダンスホール音楽とロンドンで生まれたグライムのあいだのミッシング・リンク(進化の過程における連続性の欠落部分)のように思えた。彼が橋となってカリブとロンドンは繋がる。そうなったらアメリカとロンドン、すなわちジャズの伝統と僕らロンドンのジャズも橋で繋がり、それらふたつの橋が繋がることで3つめの橋が生まれるかもしれない。将来、僕らのコラボレーションを聴いた誰かがそこを出発点にまた別のどこかへ持っていってくれることでね。

今回はダンサブルな曲が目立っているのも特徴だと思いました。たとえば、“Let The Circle Be Unbroken”はすごくいいヴァイブレーションの曲です。この曲のなかにはどんなソースが混ざっているのでしょうか?

SH:あれは、あのテンポ、そこから生まれるヴァイブとアティテュードが出発点になった曲なんだ。普段、自分の音楽ではあまり使わないテンポで、僕は「大人のテンポ」と呼んでる。普通、若い子が踊るのはテンションが高くてエネルギッシュなテンポを想像するよね? そうじゃなくて、年上のおじさんとかおじいちゃんが膝を痛めることなく踊って楽しめて、グイグイと前に進むようなリズムにしたかった。それでいてチルドアウトしてるhead-bopper(頭でリズムをとる曲)にしたかったのさ。ちょっとスローだけどリズムはしっかりとある。サンプリングとかは一切ない。

“Hussle”は歌モノであり、ダンスであり、すごく面白い曲なんですが、この曲に関してもソースになっている音楽があれば教えて欲しいです。

SH:実は自分でもよくわからない! スタジオにいるとき、ただやったらああなったっていうだけなんだ。音楽的なアイディアだけは書き留めてあって、リハをして、プレイした。どんなソースを使っているのか、自分でも考えてなかった。もちろん何かはあるんだろうけど意識してなかったってことさ。コージーが自分を表現するのに何がベストでやりやすい曲だろうかってことだけを考えていたのさ。

SNSからはじまったムーヴメントにはどうしてもスローガンで終わる可能性が高い。外から見てどう見えるかというところばかりで、本当の意味でストラクチャーを変えるようなことに繋がらない。

アルバムは『Black To The Future』とタイトルが付いていますが、それとの関連も含め、あなたが考えるアフロ・フューチャリズム・コンセプトについて教えてください。

SH:ある意味でアフロ・フューチャリズムという言葉自体、不適切だと思う。アフリカに古来からある宇宙論は時間との循環的な関係という概念に基づいている。つまり時間は過去、現在、未来と線状に進むのではなく、円を描きながら進んでいるというものだ。過去は現在に到達し、過去は変化しながら未来に繋がる。過去は決してそこにとどまっていない。過去も進化し、その進化が未来を作る。そうやってできた未来は人間の過去への見方を新たにしてくれる。だから「アフロ・フューチャリズム」として何かを提示するとき、忘れられがちなのはそれは単に先に進むだけのものではないということ。僕がリサーチした限りでは、それは過去を通り抜けながら未来へ向かう旅なんだ。過去を経由し、未来へ到着する。つまり未来へ、先へ行くためには、過去に逆に戻り続けなければダメだということ。アルバムのタイトルもそこから来ている。フューチャリズムといっても先に進むだけではない、オルタナティヴな道を考える。個人として、社会として、先に進むことを考えたとき、必要なのは周期的な関係だ。螺旋のように。

“black”という言葉を強調した理由について教えて下さい。

SH:ブラックの本当の意味のため……かな(笑)。無視され、傍に追いやられてきたブラックの概念に目を向ける重要性を感じたからさ。アフリカの伝統的宇宙論を勉強すればするほど、アフリカ的な在り方や世界観は、アフリカ以外の世界からまるで理解されていないと思った。歴史上、西洋人がアフリカと初めて出会ったとき、そこにあったのは傲慢さだった。アフリカの人間の考え、行動など理解しようとせず、何もしなかった。いま、過去をリサーチするのは僕らの役目なんだ。彼らはどういう生き方をしていたのかを宇宙論的枠組みのなかで知ることが。だからブラックは必ずしも人種としての黒人のことではない。世界観としてのブラックということなんだ。

BLMの大きなデモがロンドンでもあって、若い世代が多く詰めかけましたが、昨年の動きによって、何か兆しを感じられましたか? 

SH:ああ、物事はつねに前進するものだからね。前進への一歩だったと思う。より多くの人が自分たちの身の回りに疑問を投げかけるようになったとは思う。ただし僕はシニカルな人間なんでね。あのムーヴメントのなかで起きていたことが、UKの構造(ストラクチャー)をごく限定的ではあるが変えたとは思った。多くの機関でその手続きに人種偏見が根付いていることを疑問視しはじめたからね。こういうことは個人的レベルからはじまり、社会へと広がっていくしかない。各個人が人種的ダイナミクスとの関係を問い直さない限り、スローガンで終わってしまう。
SNSからはじまったムーヴメントにはどうしてもスローガンで終わる可能性が高い。外から見てどう見えるかというところばかりで、本当の意味で構造(ストラクチャー)を変えるようなことに繋がらない。この問題を提唱した人間は歴史上、これまでに何人もいた。アンジェラ・デイヴィスとさっき言っていたが彼女だけじゃない。ストークリー・カーマイケル、ブラック・パンサー・ムーヴメント……。長いこと、その問題は口にされてきた。彼ら彼女らの言葉の意味を本当に深く掘り下げ、問題の根底に「マインド」の部分でたどり着かなければ、単なる表面的な変化にしかならない。本当に必要なのは「ブラックとは何か」「ヨーロッパ人であるとは何か」というその認識だ。

今作へとあなたを駆り立てたものに、音楽的情熱と政治的情熱とがあると思います。敢えて訊きますが、あなたが音楽を通してこのように歴史や政治を使っている理由は何でしょうか?

SH:すべての音楽は直接政治的ではなかったとしても、政治的な基準枠を提示してると思う。たとえば、誰かが『Missed In the Dawn』というタイトルのアルバムを作ったとする。その限りではどこも政治的ではないかもしれないが、そのとき社会で何が起きていたかによってそこには政治的行動があるわけで、結局は何を政治と呼ぶかなんだ。自分以外の人間との関係のなかで生きている以上、政治的であることは政治的ジェスチャーだが、自分の周囲に言及せずとも、目に見えない形で何かをすることも、また政治的ジェスチャーなんだよ。

アルバムに参加しているほかのMC、ジョシュア・アイデヘン、コージー・ラディカルを紹介してください。とくにジョシュアに関してはLVとの共作ぐらいしか我々は知らないのですが。

SH:ジョシュアのことは15年前の2004年に僕が初めてロンドンに来たときに会ったんだ。彼とはPoem in Between Peopleというグループを組んで、数多くのギグをやってた。とても熱いタイプのパフォーマーで、作品からは火のような感情が伝わって来た。同時に非常に深遠なテーマをヘヴィになりすぎることなく提起するんだ。僕が一緒にやりたいのはそういう風に堪え難いほど重くならずに重要なことができるタイプだ。そこを評価してる。アルバムに参加してもらおうと思った時、連絡を取り「こうしてほしいというスペックはとくにない。その時、どう思うかを教えてもらえられれば必要なのはそれだけだ」と言った。

コージー・ラディカルは?

SH:コージーのことは1st EPの「23 Winters」のときからの大ファンだった。あれはブリティッシュ・ミュージックにとってのひとつの金字塔だったと思う。ムーア・マザーもそうだけど、コージーの深くて、それ自体がポエティックなあの声。僕がサックスで出したいのはまさにああいうハーモニックな深みを持ったサウンドだ。ジョシュアが詩人であるように、コージーはUKヒップホップ・シーンにおける詩人だ。ポエティックな枠組みのなかでリアリティを歌うことができる。その要素を僕はアルバムに取り入れたかったんだ。

最後に今年の予定を教えて下さい。

SH:サンズ・オブ・ケメットとしてのUKでのギグは決まっている。ヨーロッパでもいくつか決まっているんだが、実際どうなるかは今後の状況次第。個人的にはロンドン・シンフォニエッタに委託されてクラシックの楽曲を作曲中だし、コメット・イズ・カミングの新作もレコーディングは終わり、現在ミキシング作業中だ。MPCを買ったのでいまはゼロから新しいテクノロジーを勉強中でもある。毎日マニュアルやYouTubeを見ながら数時間取り組んでるよ。
あと尺八も練習してる。2019年に日本に行ったときに買って以来、長いプロセスだったけど、いまロングノートの基本から学んでいる。こちらもYouTubeのチュートリアルを何本も見て、ブレスと木(竹)の関係の概念、楽器の心境に自分が入り込むことを理解しているところだ。尺八を吹くのに用いるテンションのスペースやエネルギー力は、サックスとはちょっと違うので、おかげでサックスを吹くときのブレスの強さを見直すことができているよ。


GoGo Penguin
GGP/RMX

Blue Note / ユニバーサル

ElectronicaTechnoModern Classical

 これを「ジャズとテクノの幸福な出会い」などと呼んではいけない。出会っているのはクラシック音楽とテクノ~エレクトロニカであり、生楽器と電子音である。ゴーゴー・ペンギンは、ジャズ・バンドではない。

 名門〈Blue Note〉に籍を置きながら、「アクースティック・エレクトロニカ・サウンド」なるタームで評判を集めるゴーゴー・ペンギン(以下 GGP)。クリス・アイリングワース(ピアノ)、ロブ・ターナー(ドラム)、ニック・ブラッカ(ベース)から成るこのトリオは、もともとはマンチャスターの〈Gondwana〉を拠点に活動していたグループだ。2015年、前年のセカンド・アルバム『v2.0』がマーキュリー賞にノミネイトされたことで大いに注目を集め、〈Blue Note〉へ移籍することになった。
 トランペット奏者のマシュー・ハルソールによって設立された〈Gondwana〉は、ママール・ハンズやポルティコ・クァルテットなど、エレクトロニック・ミュージックの要素をとりいれたジャズ・グループの作品を果敢にリリースすることで、南ロンドンとはまた異なるスタンスで2010年代のUKジャズを牽引してきたレーベルである。ジャズのフォーマットに則った生楽器のトリオ編成をとりながら、エレクトロニカやドラムンベースからの影響を「再現」してきた GGP も、そのムーヴメントの大きな旗振り役だったと言えよう。
 だが、ベーシストのニック・ブラッカが「ジャズ・サウンドと呼ぶのは正しくない」と発言しているように、GGP の音楽はブラック・ミュージックの気配を漂わせてはいない。彼らの影響源としてよくあげられるのはドビュッシーやショスタコーヴィチであり、エイフェックス・ツインやスクエアプッシャーである。じっさい、そのミニマルなピアノは、フランチェスコ・トリスターノあたりと並べて語られるべきクラシカル~印象派由来の感傷を携えている。あるいはドラムのロブ・ターナーによれば、GGP が活動をはじめた初期はクラークのドラム音とプログラミングに触発されたという。GGP はジャズ・バンドではない。エレクトロニカなどのアイディアを生演奏で追求するトリオだ。昨年発表された5枚目のフルレングス『GoGo Penguin』はそんな彼らのアンサンブルが最大限に発揮された、セルフタイトルにふさわしい好盤だった。

 このたびリリースされたのは、その『GoGo Penguin』のリミックス盤である。トラックリストにはコーネリアスマシーンドラムスクエアプッシャー、ネイサン・フェイク、808ステイト、ジェイムズ・ホールデン、クラークと、(コーネリアスを除けば)エレクトロニカやテクノ文脈のアーティストが多く並んでいる(〈Gondwana〉時代の盟友と呼ぶべきポルティコ・クァルテットも参加、穏やかなクローザー “Don't Go” にキックを足し美麗な4つ打ちにつくり変えている)。何年も温めてきた企画だそうで、スクエアプッシャーしかりクラークしかり、ほんとうに彼らが好きなひとたちにオファーしていったんだろう。ジャズではなく、エレクトロニカやテクノから影響を受けた生演奏バンドが、その道のプロたちに身を委ねたアルバム──それが本作だ。

 冒頭を飾るのはコーネリアス。原曲 “Kora” のきれいな旋律とドラムの躍動感を損なうことなく自前の電子音を重ねながら、さりげなく日本的情緒を漂わせるなど、GGP へのリスペクトとみずからの解釈を巧みに両立させた、バランスの良い知的なリミックスだ。

 日本からはもうひとり、具体音を駆使するサウンド・アーティスト、ヨシ・ホリカワが参加している。“Embers” の穏やかなムードはそのままに、全篇に微細なチリノイズを振りかけることでアンビエント的な空間を醸成、これまたバランスの良い再解釈を聞かせてくれる。
 ジェイムス・ホールデンはオリジナルの疾走感をすべて剝ぎとり、霧の立ちこめる薄暗い渓谷のような音響空間を生成。フランスは〈Infiné〉のローン(2012年の『Tohu Bohu』で高い評価を獲得、その後ザ・ナショナルのアルバムに参加したりジャン=ミシェル・ジャールと共作したり)は原曲のポリリズミックなピアノを主役の座から引きずりおろし、マンチェスターのシュンヤ(GGP のサポートを務めたこともある新世代のプロデューサー)はもとの諸要素をばらばらに解体、独自にコラージュしてみせる。
 ダンス・カルチャーとの接点という意味では、アルバム中もっともドラムが自己を主張する “Open” をハウシーに改造したネイサン・フェイク、もともとダンサブルだった “Atomised” を自身の電子音で染め上げ、さらに機能性を高めまくったマシーンドラムが印象的だ。みなそれぞれ対象との向き合い方が異なっていておもしろい。

 このように、リミックス盤の醍醐味はやはり、原曲とリミキサーの解釈が大胆にぶつかりあうところにある。化け具合において突出しているのは GGP と同郷の先輩、グラハム・マッセイによるリミックスだろう(808ステイト名義)。原曲のおもかげはほとんどなく、といってアシッドぶりぶりのエレクトロに仕立てあげられているわけでもなく、彼の新境地と呼べそうな独特のサウンドが展開されている。
 みずからの個性と実験性に引き寄せるという点では、クラークも負けていない。彼の調理対象は “Petit_a” で、『GoGo Penguin』の日本盤にボーナストラックとして収録されていた曲。人力でドラムンベースを演奏してみせるあっぱれな曲だが、クラークはそのドラムを切り刻みまったくべつのリズムへと変換、ダークなビート・ミュージックを生成している。トム・ヨークのときもそうだったけれど、期待の地平を裏切りまくる彼のリミックスには毎度唸らされる。

 極私的にもっとも魅了されたのは、ブラッカが「ぼくらの最大の音楽的影響源」と呼ぶスクエアプッシャー。『Solo Electric Bass 1』のごときベースの即興演奏からはじまるこのリミックスは、もとの旋律を破壊することなくシンプルな反復として後景へと追いやり、中盤以降のブレイクビーツの暴動を用意する。家元の矜持なのか、わずかに原曲に含まれていたドラムンベースの要素を消し去り、「甘いな、こうやるんだぜ」といわんばかりに自分の音を炸裂させる様に思わずニヤリ。叙情を忘れないところも含め、『Ultravisitor』期のスクエアプッシャーを想起させる仕上がりで、原曲への敬意とリミキサーの個性とが見事に両立した1曲と言える。ショバリーダー・ワンというバンドをやったことのあるトム・ジェンキンソンにとっても、GGP の存在にはどこか共感を覚える部分があったのではないだろうか。

 このわくわくするリミックス盤を聴けばもう、GGP を「ジャズ」のひと言で片づけてしまうことはできなくなるだろう。彼らはジャズ・バンドではない。機械のエモーションをこよなく愛する、生演奏グループだ。『GGP/RMX』はそんな彼らの本領を教えてくれる、ある種のマニフェストである。

Prequel - ele-king

 僕は学生時代にあまりヒップホップに夢中にならなかったし、クラブに行きはじめてから即、ムーディーマンやセオ・パリッシュの虜になったわけでもないが、ヒップホップが大好きでデトロイトのハウスに人生を狂わせられた連中をたくさん知っている。いまこのレヴューを読んでいる貴方もそのひとりかもしれないが、オーストラリアはメルボルンのジェイミー・ロルッソ=ジスカインドこと “プリークエル” も是非その仲間のひとりと覚えておいて欲しい。DJプレミアやMFドゥームらを聴きまくって育った彼が、いまやロンドンやニューヨーク、パリ、アムステルダムなどに並ぶ勢いで成長し続けるメルボルン・ダンス・ミュージック・シーンの環境でモータウンのサンプリング・ハウスに出会うのは至極当然のような流れでもあるし、狭いながらも濃いメルボルン独特のコミュニティーが彼の成長を大きくサポートしたのも頷ける。

 転機となったのは2014年、ロンドン郊外にあるペッカム発のレーベル〈Rhythm Section International〉からデビューEP「Polite Strangers」をリリース。レーベル・オーナーのブラッドリー・ゼロの活躍もあり一躍注目の的になった。
 プリークエル最大の出世作と言えば、続く2作目の「Freedom Jazz Dance」だろう(レコードも何度リプレスされたのか!?)。自身がリスペクトするアーティストの名前をカゾーO.S.L.O の渋いヴォーカルでひたすら語り続ける奇妙でジャジーなディープ・ハウス “Saints” は、今回のアルバムでも発揮されているメッセージ性の強くコンセプチュアルなプロダクション・スタイルの基礎になっているのかもしれない。
 その後も〈Local Talk〉や〈Lobster Theremin〉のサブレーベル、〈Distant Hawaii〉などモダン・ディープ・ハウスの登竜門的レーベルでのリリースを終えて、満を辞してホームレーベルの〈Rhythm Section〉にカムバック。今作『Love Or (I Heard You Like Heartbreak)』を発表した。

 イントロやアウトロを加えると全12曲の収録だが、ここまで明確なコンセプトとメッセージを持たせたハウスLPはあっただろうか? ほぼ全てのトラックタイトルに「LOVE」と入ったトラックリストもなかなか強烈だ。先述の通りヒップホップを通過したハウス・プロデューサーらしくそこら中にサンプリングが散りばめられており、是非とも「ネタ探し」も含めて楽しんでもらえると良いだろう。
 イントロの “I Need Your Love” に続いて、ダークでウェットな雰囲気の “When Love Is New” では同郷メルボルンのハウス/ディスコ・プロデューサー、ハーヴィー・サザーランドのライヴ・トリオにも参加するヴァイオリニストのタミル・ロジョンが参加し、トラックに妖艶な雰囲気を与えてくれた。ラテン・テイストの楽曲 “Violeiro” や軽快なジャズ・ピアノが響く “I Tried To Tell Him”、そしてデトロイト・ハウス勢のお株を奪うローファイ・トラック “And That's The Story Of Their Love” などプロデューサーやDJとして多彩な音楽を吸収しているのも垣間見れるし、絶妙なサンプリング使いの中に生音をしっかりと混ぜこんだプロダクション・スキルは秀逸だ。
 コラボレーションしたミュージシャンにはヴァイオリニストのタミルの他に、昨今のメルボルン・シーンを象徴する人気フュージョンバンド 30/70 や、ツァイトガイスト・フリーダム・ エナジー・エクスチャンジのメンバー、そしてカゾーO.S.L.O も “Saints” 以来の再登板。タイトに繋がっている地元のシーンの層の厚さをここで感じることができる。

 Covid-19 のパンデミック前にはほぼ仕上がっていたアルバムだそうだが、コロナ禍ではひたすら見漁った映画のシーンを切り取り自分で編集(ここでもサンプリング!!!)したと語る3本のビデオクリップと Instagram でのティーザーがアルバムのコンセプトをより深くし、何よりもアルバム・アートワークにさりげなく施されたオレンジの四角形が彼の音楽に対するリスペクトと「愛」を表現していると言えるだろう。アナログは鮮やかな真紅のカラーヴァイナルで2枚組。いろんな角度から楽しめるデビューLP。

※こちらはプリークエル本人によるムーディーマン楽曲のみの1時間MIX
PRAISE YOU: A MOODYMANN TRIBUTE MIX BY PREQUEL
https://www.stampthewax.com/2021/04/15/praise-you-a-moodymann-tribute-mix-by-prequel/

PDP III - ele-king

 PDP III はブリットン・パウエル、ルーシー・レールトン、ブライアン・リーズ (ホアコ・エス)の三人のユニットである。いまや絶好調ともいえるフランスのエクスペリメンタル・レーベルの〈Shelter Press〉からアルバム『Pilled Up on a Couple of Doves』がリリースされた。

 本作は、この三人の個性的なアーティストのコラボレーション作品として話題を呼んでいるが、制作工程としてはまずブリットン・パウエルがベースとなるトラックを作り、それをルーシー・レールトンとホアコ・エスのふたりが音を重ねてコンポジションしていったようだ。その意味でブリットン・パウエルを中心としたプロジェクトといってもいいだろう。
 アルバムには全5曲収録され、どのトラックも全リスニングへの没入度を高めるように入念に編集がなされている。電子音、環境音、ノイズなどがときに瞑想的に、ときにノイジーに展開し、硬質でありながらも、豊穣かつ複雑なサウンド・テクスチャーが圧倒的であり、実に濃密な音響作品である。

 ここで三人の経歴を簡単に説明しておこう。まずイギリスのルーシー・レールトン。レールトンはチェロ奏者であり、その音響を駆使したエクペリメンタルな音響作品で知られる。〈Modern Love〉からのファースト・アルバム『Paradise 94』(2018)でその名を知らしめ、〈PAN〉からリリースされた Peter Zinovieff との共作『RFG Inventions for Cello and Computer』(2020)や、 〈Portraits GRM〉からリリースされたマックス・アイルバッハーとのスプリット盤『Forma / Metabolist Meter (Foster, Cottin, Caetani And A Fly)』(2020)でもマニアたちの耳を唸らせた。2020年はオリヴィエ・メシアンの曲を演奏した『Louange à L’Éternité de Jésus』(〈Modern Love〉)もリリースした。

 ホアコ・エスはテン年代アンダーグラウンド・アンビエントの最重要人物である。2012年に〈Opal Tapes〉からリリースされた『Untitled』、2013年にワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(ダニエル・ロパティン)が運営していたレーベル〈Software〉からリリースされた『Colonial Patterns』、2016年にニューヨークのカセット・レーベル〈Quiet Time Tapes〉からリリースされた『Quiet Time』、そして同年2016年にアンソニー・ネイプルズ主宰のニューヨークのレーベル〈Proibito〉からリリースされた『For Those Of You Who Have Never (And Also Those Who Have)』など、どの作品もテン年代のアンダーグラウンド・アンビエントを代表するアルバムといっても過言ではない傑作ばかりだ。特に『For Those Of You Who Have Never (And Also Those Who Have)』は、アンビエント・マニアであれば名盤として聴き続けているような作品である。その意味でアンビエント・音響マニアからもっとも新作を期待されているアーティストのひとりといえる。とはいえ先に挙げたアルバム数からも分かるように非常に寡作な作家でもある。よって PDP III 『Pilled Up on a Couple of Doves』に参加していることは、本作の重要なトピックなのである。

 PDPⅢ の要ともいえるのがニューヨークのサウンド・アーティスト、ブリットン・パウエルだ。NYの〈Catch Wave〉から2020年にリリースされた『If Anything Is』は物音系・コンクレート作品として素晴らしい出来だった。パウエルのサイトに記された一文によると(https://www.britton-powell.com/About.html)、「エレクトロニクス、ビデオ、パーカッションを用いて、音響心理学的現象、ミニマリズム、非西洋音楽の伝統を探求している」音響作家である。インスタレーション作品でもあった「If Anything Is」は、「ハイパーリアリティと資本主義のテーマを、サウンドとマルチ・チャンネル・ビデオのためにデザインされたミクストメディア環境で表現したもの」らしい。加えて「If Anything Is」は、「急速に進むメディアと商業の世界に直面して、経験の恍惚とした交換を探求している」ともいう。「テクノロジー、儀式、都市の景観の交差点についての瞑想であること」をテーマとしているようだ。私見だがこの「儀式、都市の景観の交差点についての瞑想」は、そのまま PDP III 『Pilled Up on a Couple of Doves』にも通じるテーゼのように思える。

 PDP III 『Pilled Up on a Couple of Doves』には全5曲のトラックが収録されている。どの曲も電子音のテクスチャーが複雑にレイヤーされている。それもそのはずで、パウエルが2年の歳月をかけて編集に編集を重ねて完成させたのだ。なかでも3曲目 “Walls of Kyoto” から4曲目 “49 Days” のサウンドの変化がアルバム中でもクライマックスともいえるほどにドラマチックに展開する。
 ます “Walls of Kyoto” では瞑想的なサウンドが次第にノイジーな音響空間へと変化する。京都という古都/都市のなかにひそむ音と音が、次第にズームアップされていくかのような圧倒的なサウンドスケープだ。そして “49 Days” ではルーシー・レールトンのチェロと硬質な持続音が真夜中のざわめきのようにひっそりと変化を遂げていく。この曲もまた瞑想的であると同時に不安を引きだすような白昼夢のムードを放っている。実に濃密な16分間の音響空間を生みだしている。

 全5曲、すべてのサウンドが、まるで聴き手の聴覚を拡張するかのように進行する。その意味では非常にサイケデリックなアルバムともいえる。アートワークにニューヨークの詩人・写真家・映画作家アイラ・コーエンによるサイケデリックなイメージの1967年作品「Alien Intelligence」が用いられていることもその証左になるのではないか。
 都市の景観、都市の儀式、都市の瞑想、都市のノイズ。そこから生まれる意識の拡張。そう、『Pilled Up on a Couple of Doves』は、21世紀の都市に生きるわれわれの精神的な瞑想と拡張のために存在するような常備薬のような音響音楽である。2021年という不安な年だからこそ何度もそのシンセティックでノイジーなアンビエンスなサイケデリックな音響空間に没入したいものだ。自己と世界の関係性を音によって再考するかのように。

 昨年、このサイトの記事で、音楽における政治の重要性について書いた。アーティストがオーディエンスの生活と繋がりを持ち、自分たちの音楽と世界への視点を豊かにする方法と、メインストリームな組織以外の場所で、繋がりを築く方法について述べた。しかしその記事では取り上げなかったひとつの大きなイシュー(問題点)がある。政治に内在する対立が芸術に入り込んだ時に何が起こるのか、ということだ。

 これこそが、多くの人が日常的な交流のなかで、政治の話を避けようとする主な理由だ。新しい同僚に対して慎重になって政治についての話題を避けたり、高校時代の旧友が、政敵について好意的に語ると胃が締めつけられる気がしたり、何杯かの酒の後に抑制が効かずに家族と衝突してしまったりする。学校の教師をしている両親の息子である自分は、普段、ミュージシャン、ライター、アーティストやその他のクリエイティヴな人びとの輪のなかでほとんどの時間を過ごしているが、自分の政治観(社会的リベラル、経済的には左寄り)が決して皆のデフォルトではないことを想像するのが難しい時がある。だが、自分の住む国やより広い世界に少しでも目を向けると、それが真実ではないことがわかる。

 音楽の世界にも充分すぎるほどの対立があり、ミュージシャンが自分の意見をオープンにすればするほど、その境界線が明確になる。セックス・ピストルズとPiLのジョン・ライドンは、昨年の米国大統領選挙でトランプ支持を表明した。ザ・ストーン・ローゼズのイアン・ブラウンは、COVID-19の偏執的な陰謀論の声高な擁護者となり、アリエル・ピンクとジョン・マウスは米連邦議会を襲撃したトランプ支持者たちとともに行進し、モリッシーは口を開くたびに、人種差別的なばかげた言葉の塊を吐き出し続けている。彼らは何をしているのだろう? 彼らは我々の仲間ではなかったのか? どうやら“我々”にはあらゆる大衆が含まれているらしい。

 一見、似たような政治観を持つ人びとの間でも、より微妙な対立が生じることがある。英国のグループ、スリーフォード・モッズとアイドルズは表面上、非常によく似ている。どちらも政治意識が高く、イギリスの保守党体制を鋭いリリックで批判し、音楽的にはまったく異なる方法で、ポスト・パンクのねじ曲がって歪んだ構造を想起させる。しかし、彼らの間には、階級政治に根差した意見の相違があったのだ。

 2019年、スリーフォード・モッズのジェイソン・ウィリアムソンが、アイドルズは、はるかに安定したミドル・クラス(中流階級)出身であるにもかかわらず、「ワーキング・クラス(労働者階級)の声を盗用している」と批判した。このコメントで引かれた、スリーフォード・モッズとアイドルズの間の境界線は、新しいものではない。1981年にドイツのSPEX誌がザ・フォールのマーク・E.スミスに、ギャング・オブ・フォーについて訊ねた際のスミスの批判は、似たような所から来ていたのだ。

「彼らは左翼的な思想を説く。彼らは大学で学び、特権階級に属している。ワーキングクラスが何を求めているのか、知ったふりをしているのが問題だ。でも何もわかっていない。シャム69は、自分たちが言っていることをよく理解していてよかった。自分を含むイギリスのワーキングクラスにとって、ギャング・オブ・フォーの音楽は、侮辱的で、無礼で傷つけられると言う意味で有害だ」

 ここには、階級政治に関わるイシューがあり(2017年のジョーダン・ピールの映画『ゲット・アウト』でも人種問題における力学の似たような試みが行われている)、ブルジョワのリベラル派が自分自身のブランド価値を高めるためにワーキングクラスを装って、もがいてみせることがある。その方法で迎える典型的な結末は、ワーキング・クラスの人たちが元の場所に置き去りされ、彼らの声さえもが他人に利用され、薄められてしまうのが常だ。スリーフォード・モッズの最近のアルバム『Spare Ribs』からの曲、「Nudge It」で、ウィリアムソンは、こう言う。

愚かで自暴自棄になってる奴らの前でプレイしてきた  
愛とつながりについての乏しい見解
バカな考えにとらわれて
お前が作れる料理はそれしかないから
クソッタレなクラス・ツーリス((階級見学ツアーの参加者)め
お前たちは社会集団というものを混同している

 もう少し根本的なところでは、いつの時代も説教臭い人間は忌々しいし、リベラルや左派の人間が他人の意見に対して小うるさく、偉そうにする傾向があることが、ジョン・ライドンを、トランプの、ガサガサした革のような腕の中に押し込めた原因のひとつかもしれない。そもそもパンクは、進歩的な政治のムーヴメントとはいえないものだった。パンクは常に何かに反応していたが、反応と反動の境界線は、我々の多くが信じたかったものよりも、薄っぺらなものだったのだ。1970年代後半、パンクはしばしば保守の体制に反応したが、根本的には、世間体のよい立派な人間になるように命令する、あらゆる声に反発していたのだ。

 そういう意味でトランプは、良いパンクな大統領だった。彼の魅力の多くは、結果など気にもとめずに、人を混乱させ、無視し、奪ったり侮辱したりしながら人生を歩む能力にある。トランプの不名誉な行いを見ると、パンクが与えたのと同じような、責任感からの解放がある。彼は立派であろうとせず、繊細さや礼儀正しさが求められるところで失敗しても、無頓着でいられる才能があるのだ。話す内容の細部は意味をなさないが、彼が発するメッセージはキャッチ―でシンプル、そしてパンク・ロックのコーラスのように、反復的だ。

 トランプと極右の人びとのシンプリシティを志向する本能こそが、ブルース・スプリングスティーン(“ボーン・イン・ザ・USA”)やニール・ヤング(“ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド”)、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン(“キリング・イン・ザ・ネーム”)などの反国家主義的な曲を、国家主義的な主義信条のサウンドトラックとしてうまく利用できた理由だ。彼らはバカではない。これらの曲が彼らに反対するものであることを知りながら、その繊細なメッセージを一切見ようとはせずにそれを消し去り、完璧な重度の繰り返しにより、自分たちのための曲だと主張することができた。曲のキャッチ―さを利用し、皮肉を逆手にとり、洗練された部分にはドリルで穴をあけて、曲が元来持つシンプルな魅力を掘り起こしたのだ。トランプの「クソッタレ、お前のいうことなんて聞かない」という態度こそが、彼の支持者たちへのアピールの核心だ。

 スリーフォード・モッズは、そのような伝統のなかにおいては、それほど派手な不作法さはない。ウィリアムソンは音楽が生まれた場所について正直であることを重視し、演壇やお立ち台などがなくても人びとにコミュニケートする能力がある。“Elocution”という楽曲は、皮肉たっぷりの歌詞で始まる。

やあ、そこの君
今日は独立系コンサート会場の重要性について話しに来た
そしてそれについて話すことに同意することで、
俺自身がそのような会場でプレイすることをやめられる立場になることを、密かに望んでいる。

 この歌詞は、アイドルズや他のミドル・クラスのロッカーたちへの批判のようにも読めるが、バンドが成功するにつれ、より大きな会場に招かれ、ウィリアムソン自身が隣人たちのことを書いて有名になった地元の街から、家族を連れて郊外に引っ越すにつれ、自分のなかで芽生えた不安が反映されているのかもしれない。歌詞の皮肉はさておき、スリーフォード・モッズはパンデミックで大打撃を受けた、インディペンデント系の会場の強力な支援者であり、2020年12月には、“インディペンデント・ヴェニュー・ウィーク・キャンペーン”を支持してコンピレーション・アルバムに曲を提供している。

 アイドルズもまた、インディペンデント系の会場の積極的な支援者であり、2021年に発表した楽曲“Carcinogenic”のミュージック・ヴィデオは、彼らの故郷ブリストルの地元の会場を支援するために制作された。バンドとPR会社は、確かにそれを大々的に宣伝しているが、ブリストルにある会場のうち、文句を言っている所などあるだろうか?

 ある意味、アイドルズのヴォーカルのジョー・タルボットは、ウィリアムソンとは異なる領域に、自分の真正性の杭を打ち込んでいるともいえる。彼のリリックや公式見解の多くは、ソーシャルメディアなどの不安定な場でよくみられる、告白めいた、少し防御的な姿勢で書かれてはいるが、ある種のポジティヴな自己表現を土台としている。彼には(ワーキング・クラスとしての)“真正な”生い立ちの物語はないかもしれないが、自分に対して正直だ。2020年のアイドルズのアルバム『ウルトラ・モノ』に収録されている“The Lover”では、まさにこのような声で、批評する人たちに訴える。

お前は俺の決まり文句が嫌いだというが
俺たちのスローガンやキャッチフレーズは
”愛はフリーウェイのようなものだ”
クソッタレ、俺はLOVERだ

 社会の変化に伴い、ワーキング・クラスとミドル・クラスの伝統的な区分が複雑になっているのも問題のひとつだろう。アイドルズ自身はワーキングクラスではないかもしれないが、彼らの音楽の怒りと祝福の声は、増え続ける不安定雇用に陥っている、大学教育を受けた社会的意識が高い若者層と呼応している。最近出現したプレカリアート(雇用不安定層)の新メンバーたちは、その苦悩や先の見えない将来の不安を味わっているにもかかわらず、気取ったノスタルジックな1950年代の田舎やワーキング・クラスの生活の幻想を懐かしむ政治やメディアから、特権的な学生と嘲笑されているのだ。彼らは、田舎は自分たちの世界よりも現実的だといわれたり、ビスケットの缶の絵からそのまま取ってきたような田舎の愛国心のイメージなどに、また、自分たちの理想主義が揶揄され、軽蔑されることに疲れている。多くの人にとってアイドルズのヴォーカリスト、ジョー・タルボットは、“本当のイングランド”という安直な概念を切り崩し、フラストレーションや怒りを受け止めてくれる存在なのだ。

 「不平等ということに怒っているのなら、“お前は間違っている、クソッタレ”というのではなく、代替案としての平等を説くべきだ」と、タルボットはウィリアムソンの批判に応えて述べた。「1970年代にパンクスがやっていたことをいまも議論し続けているのは、“クソッタレ”的なことでは成功しなかったという事実があるからだ」

 「もうウンザリだ、俺の怒りは正当化される!」というアチチュード(姿勢)もあり、トランプ支持者のそれと似ているようにも聞こえるが、極端な比較をするのには慎重になる必要がある。似たような怒りのアクティヴィズム(行動主義)であっても、残酷ではない社会を求めて戦うことと、白人至上主義を支持して議会を襲撃することは同義ではない。だが、その原動力には似通ったものがある。どちらも怒りを原動力とするマシーンであり(“怒りはエネルギーだ”と言ったのは誰だっけ?)、いずれも無力感やある程度の個人的な承認欲求から生まれたものだ。彼らは信じられないぐらい複雑化する社会に方向性を与えると同時に、人びとの声を多数に分けて、それぞれに自分の主張を最も声高に叫ばせている。

 アイドルズは、多くの政治的な議論やレトリックには軋轢が存在することを認識しているようだが、団結を求める彼らの声(少なくとも彼ら側では)は、自分自身の真実を語るというタルボットの、本質的には個人主義的な必要性に、常に磨きをかけている。“Grounds”という曲のなかで、彼は批判者たちが建設的ではないと非難する。

勇敢なことや役に立つことなど何もない
お前はクソなたわごとを小個室の壁に書きなぐり
俺の人種や階級はふさわしくないという
だから俺は自分のピンク色の拳を振り上げ、
ブラック・イズ・ビューティフルと言う。

 タルボットにしてみれば、自分の人種や階級を理由に、自分が関心のあるイシューに貢献することを妨げられたくはないのだ。しかし他人は、タルボットのその思いには、白人のミドル・クラスの男性として、自分が選択したどの領域の誰の問題にも関わって指揮を執ることができるという、生まれながらの特権があると思っていると感じてしまう。さらにその結果として得られるキャリア上の利益の権利があると思っている、そのことこそが問題の核心なのだ。

 このような論争を、大きな視点から眺めてみれば、それほど重要なことではない── 「音楽は政治問題を解決できない」と言ったジェイソン・ウィリアムソンはおそらく正しいし、その延長線上にあるミュージシャン同士の政治的な不和はさほど重要ではない。しかし、音楽における政治の役割が、アーティストがいかに自分たちのオーディエンスにつながるかということに行きつくのだとすれば、スリーフォード・モッズとアイドルズは微妙に異なりながらも、かなりの程度、重なり合うオーディエンスに対して、非常に効果を発揮している── 一方は政治を辛辣でシュールな、時に自嘲的な日常の見解と織り交ぜ、他方は、あらゆる自制心を焼き尽くす、自分自身と信念に対する祝福のような主張をしているのである。


Class, Politics, Sleaford Mods and Idles

by Ian F. Martin

In an article for this site last year, I talked about the importance of politics in music — as a way for artists to connect with their audience’s lives, of enriching both their music and perspective on the world, and to build links with others organising outside the mainstream. One big issue that piece didn’t try to address, though, was what happens when the conflict inherent in politics enters art.

This, of course, is the reason many people try to avoid politics in their daily interactions — why we tiptoe around it with new coworkers, why we feel our stomachs tighten when an old high school friend drops a talking point favoured by our political enemies into the conversation, why we clash with family members after a few drinks have loosened our inhibitions. For me, the son of schoolteachers, who spends most of his time in a bubble of musicians, writers, artists and other creative people, it’s sometimes hard to imagine that my politics (socially liberal, economically left-leaning) aren’t the default for everyone, but a simple glance around the country I live in or the wider world proves that’s not true.

Within the music world, there’s plenty of division too, the lines of which become clearer the more open musicians are about their views. John Lydon of The Sex Pistols and PiL came out in support of Donald Trump during last year’s US elections; Ian Brown of The Stone Roses has been a vocal proponent of paranoid COVID-19 conspiracy theories; Ariel Pink and John Maus marched with the Trump supporters who invaded the US Senate in January; nuggets of racist idiocy continue to drop out of Morrissey’s mouth every time he opens it. What are they doing? Weren’t they one of us? Apparently “us” includes multitudes.

Even among people with apparently similar political outlooks, more subtle antagonisms can arise. The British groups Sleaford Mods and Idles are on the face of it quite similar — both delivering politically conscious, sharply worded lyrics critical of the British Conservative establishment, with music that evokes, albeit in very different ways, the twisted and distorted structures of post-punk. Nevertheless, they’ve had their disagreements, with the roots lying in class politics.

In 2019, Jason Williamson of Sleaford Mods criticised Idles for “appropriated a working class voice” despite coming from a far comfortable, middle-class background. The line these comments draw between Sleaford Mods and Idles isn’t a new one. Back in 1981, when German magazine SPEX asked Mark E. Smith from The Fall about Gang of Four, Smith’s criticisms came from a similar place:

“They preach the leftist ideas. They went to university and belong to the privileged class. The problem is that they pretend to know what the working class wants. But they haven't got a clue. Sham 69 knew what they were talking about and they were good. The English working class (including myself) find the music of the Gang of Four offensive, insulting, hurtful.”

There’s an issue relating to class politics here (and Jordan Peele’s 2017 movie “Get Out” takes aim at a similar dynamic in race issues) in how bourgeois liberals often dress themselves up in the struggles of the working classes to boost their own personal brands, in a way that typically ends up leaving the working classes right where they were, with even their own voice appropriated (and often watered down) by others. On “Nudge It” from Sleaford Mods’ recent album “Spare Ribs”, Williams says:

“I been out playin to this mindless abandon / This ropey idea about love and connection / Just stuck on silly ideas / ‘Cause it's all you can cook / You fucking class tourist / You mix your social groups up”

On a more fundamental level, of course, people who come across as preachy are always annoying, and the tendency of liberals and the left to be fussy and pompous about other people’s opinions seems to be part of what pushed John Lydon into the leathery arms of Trump. But then punk was arguably never a politically progressive movement to begin with: it was always reacting against something, and the line between reactive and reactionary is perhaps thinner than a lot of us want to believe. In the late-1970s, it was often reacting against a conservative establishment, but more fundamentally, it was reacting against any voices ordering them to be respectable.

Trump was a good punk president. A lot of his appeal lies in his ability to shuffle, shrug, mug and insult his way through life with no care for the consequences. There’s a liberation from responsibility in watching Trump’s disgracefulness that is similar to what punk gives — he doesn’t care about being respectable and he has a talent for blundering carelessly through any demands for subtlety or decorum. When he speaks, the details are always nonsensical, but the message is as catchy, simple and repetitive as a punk rock chorus.

It’s an instinct for simplicity that has enabled him and other far right figures to successfully co-opt anti-nationalistic songs by Bruce Springsteen (“Born in the USA”), Neil Young (“Rockin' in the Free World”) and Rage Against The Machine (“Killing in the Name”) to soundtrack a nationalist cause. They’re not stupid: they know these songs are aimed against them, but by simply refusing to see the subtlety in the message, they can erase it and claim the song for themselves through sheer weight of repetition, using the catchiness of the hooks to turn irony back against itself, drilling past its layers of sophistication and reclaiming the simple appeal that the song hangs from. The attitude of “Fuck you, I won’t do what you tell me” is at the heart of Trump’s appeal to his supporters.

Sleaford Mods are in a less brash sort of tradition. Williamson puts a great deal of importance on honesty about the place music comes from, and his talent is in his ability to communicate to people without a soapbox or pedestal. The song “Elocution” begins with the sarcastic opening line,

“Hello there, I'm here today to talk about the importance of independent venues. I’m also secretly hoping that by agreeing to talk about the importance of independent venues, I will then be in a position to move away from playing independent venues.”

You can read this as a criticism of Idles and other middle class rockers, but it’s perhaps just as much as a reflection of his anxieties about himself as he grows more successful, as his band gets invited to play larger venues, as he moves his family out from the neighbourhoods that he became famous writing about and into the suburbs. The line’s sarcasm aside, Sleaford Mods are strong supporters of independent venues, which have been hit badly by the pandemic, and in December 2020 contributed a song to a compilation album in support of the Independent Venue Week campaign.

Idles have also been vocal supporters of independent venues, and the 2021 music video for their song “Carcinogenic” was made to support local venues in their hometown of Bristol. The band and their PR machine certainly make a big show out of their cause, but how many venues in Bristol are complaining?

In a way, Idles vocalist Joe Talbot is just staking out his own sort of authenticity in a different territory from Williamson, many of his lyrics and pronouncements coming in the sort of confessional, slightly defensive voice usually encountered on the unsteady ground of social media, but grounded in a sort of positive-minded self-expression — he may not have an “authentic” backstory, but he’s true to himself. On “The Lover” from Idles 2020 album “Ultra Mono”, he addresses his critics in just this voice:

“You say you don't like my clichés / Our sloganeering and our catchphrase / I say, ‘love is like a freeway’ and / ‘Fuck you, I'm a lover’"

Part of the problem may also be that traditional divisions between working- and middle-class have been complicated by changes in society. Idles may not be working class themselves, but the angry yet celebratory voice of their music chimes with the growing class of university-educated, socially-conscious young people trapped in unsteady employment. Despite their struggles and increasingly dim futures, these new members of the recently emerged precariat have been derided as privileged students by a political and media establishment that prefers to see authenticity in twee, nostalgic 1950s fantasies of rural and working class life. They’re tired of being told that (for example) the countryside is more real than their world, when images of rural patriotism come straight off biscuit tins — tired of having their idealism sneered at and derided. To many people, Idles vocalist Joe Talbot cuts through these facile notions of “the real England” and offers a voice that acknowledges their frustration and anger.

“If you’re angry about inequality, you have to preach equality as an alternative rather than go, ‘Fuck you, you’re wrong,’” said Talbot in response to Williamson’s criticisms. “The fact that we’re still talking about the same stuff punks were dealing with in the 1970s means that ‘Fuck you’ thing didn’t work.”

There’s an attitude of “I’m tired of it, and my anger is justified!” that might sound similar to that of the Trump supporters. We should be wary of taking the comparison too far — similarly angry activisms, one fighting for a less cruel society and one storming the Senate in support of a white supremacist, are not the same thing — but there’s something similar in the dynamics. They’re both machines powered by anger (who was it that said “anger is an energy”?), both born from feelings of powerlessness, and also on some level driven from a personal desire for validation — to feel heard. They give people direction in a world that feels like it’s becoming impossibly complicated, but they also divide them into a multitude of voices, all trying to shout out their claims loudest.

Idles seem aware of the divisiveness of much political debate and rhetoric, but their calls for unity (on their own side at least) constantly rub up against Talbot’s essentially individualistic need to speak his own truth. In the song “Grounds”, he accuses his critics of being unconstructive:

“There’s nothing brave and nothing useful / You scrawling your aggro shit on the walls of the cubicle / Saying my race and class ain’t suitable / So I raise my pink fist and say black is beautiful”

To Talbot, he doesn’t want to be held back from making a contribution to issues he cares about simply because of his race and class. To others, though, Talbot’s annoyance at being told what it’s appropriate for him to say or otherwise may seem like a reflection of the core problem: that as a white, middle class man, he feels he has an intrinsic right to take command of any issue he chooses, on anyone’s territory, as well as the right to whatever career benefits that might accrue to him as a result.

When you look at disputes like this from a wide view, they’re obviously not that important — Jason Williamson is probably right when he says that “music can’t solve political problems”, and by extension of that, the political disagreements between musicians themselves are of little consequence. However, if the role of politics in music really comes down to how artists connect to their audiences, this is something both Sleaford Mods and Idles are doing very effectively to slightly different (but also to a large degree overlapping) crowds — one interweaving politics with caustic, surreal and often self-mocking observations of daily life, the other a celebratory insistence on itself and its beliefs that burns through all demands for restraint.

CAN - ele-king

 5月28日に『CAN:ライヴ・シリーズ』の第一弾がリリースされることは既報の通りだが、ついにというか、やっとというか、CANの全カタログ16作品のサブスク/デジタルが解禁された。
 また、『CAN:ライヴ・シリーズ』に関して、ダニエル・ミラー(MUTE創始者)のインタヴュー映像も届いたので、リンクをどうぞ。エレキングでも5月後半、イルミン・シュミットの最新インタヴューを掲載します。まだまだCAN再評価は続くのだった。

■ダニエル・ミラー(MUTE創始者)インタビュー映像(日本語字幕付)

第6回 慣れか、諦めか、それとも - ele-king

 僕は一生懸命に語りかけている。恋とか愛とかの話だったかもしれないし、Autechre が連続してリリースした2枚のアルバムの話だったかもしれない。古びたダイナーのボックス席で、向かいのトマト缶(ホール)に向かって語りかけている。あいつは何も言わず、黙ってそれを聞いている。埃や油で黄色く汚れた右側の窓から、砂塵や有害な化学物質を通過したオレンジ色のデイライトが差し込む。僕はテーブルの下に忍ばせたボストンバッグの中で、短くソードオフしたショットガンのグリップを強く握りしめて、銃口をトマト缶(ホール)に向けている。クソ、手が離れない。嫌な手汗が人差し指を伝ってトリガーを濡らす。もう爆発寸前だ。あのキャメル色の年季の入った革張りのシートを真っ赤に汚してやろう……。

 恐る恐るフェードインしてきたアラームの音に起こされ、ブラインドの隙間から差し込む朝日に目を細める。角度を調整してあるとはいえ、春の無遠慮な日差しの前では、ポリ塩化ビニル成の薄いブラインドはあまりにも弱々しかった。最近見た映画や読んだ小説(おそらく『裸のランチ』や『記憶屋ジョニィ』、そういえば安いトマト缶はギャングのシノギらしい!)なんかの内容が全部ミックスされた夢の内容を思い返しながら、手探りでチタン製フレームの眼鏡の冷たい感触を見つけ出し、部屋の隅にピントを合わせながらのろのろと体を起こす。iPhone のappで適当に BBC Radio 6 か 1xtra をつけて Bluetooth スピーカーに飛ばし、一昔前のOSなみに立ち上がりの遅い脳に耳から刺激を与える。春とはいえ、朝はまだ空気が冷たい。電気ケトルで湯を沸かし、ティーバッグを浸す。そして朝と同じ温度に冷えたアルミニウムボディのラップトップでメールの返事をいくつか書いているとスピーカーからはBLMの話が聞こえてきた。ジョージ・フロイドが警官に殺されてから1年が経ったらしい。僕は、BLM運動の中で生まれたいくつかの自治区のことについて思い返した。僕がアナキズムについて、より意識的になるきっかけになった出来事だった。おそらくあの時、警察の侵入を許さなかったそのいくつかのエリアが、アメリカでもっとも安全な場所のひとつになっていただろう。デヴィッド・グレーバーの『アナーキスト人類学のための断章』にも、浅沼優子さんが訳した『アンジェラ・デイヴィスの教え──自由とはたゆみなき闘い』にも「可能である」と強く書かれていた状態が部分的にではあるが実現していた。それは間違いなく希望だった。
 世界がコロナ禍に飲み込まれてからも、1年と少しが経過した。ワクチンが開発されたりするなど、先の見通しが少しは立つようになったとはいえ、この国の状況は悪い方へ突き進んでいるように思える。それにもかかわらず、なぜか僕の精神の衛生状態は1年前と比べると格段に良くなっている。慣れか、諦めか、それとも一時的な躁状態かは分からないが。この、正気でいるにはあまりにも狂いすぎている国で、精神状態が回復しているということは、正気を失いつつあるのかもしれない。
 メールを書く手が止まっていることに気づいた僕は、BGMを変えようと iPhone に手を伸ばす。次は SWU か NTS か Worldwide FM か。いやレコード棚から選ぼうか。行方を求めて彷徨う指は、ひとりでに、慣れた手つきで、半分無意識のうちに instagram のアイコンをタップした。Feedには Calvin Klein の下着を履いたモデル(程よく割れた腹筋と、白い肌にいくつかのタトゥー付き)の写真と、ソールの分厚いスニーカー(シューレースの通し方は神のみぞ知る)の写真に挟まれて、視覚的にデザインされた Stop Asian Hate の文字のグラフィックが。BLM のムーヴメントで反差別の戦いは大きく前進したはずだったが、差別主義者は、より大人しいマイノリティにエイムを切り替えただけで、問題の本質は理解していない。セミオートで動く親指に任せてFeedを下へ下へと進んでいく。Music Video の断片、新作のジャケット、人々が減って自然が回復した街の風景、犬と飼い主、海岸に打ち上げられた大量のマスク、誰かのディナー。
 「2年前の今日」と書かれた誰かのパーティーフォトのコメント欄に世界中から Miss you が届いている。パンデミック以降のこの1年と少し、新しいライフスタイルは新しい人々を繋げ、新しいコミュニティが生まれていくような気がしていた。しかし、この一年で傷を癒し合えたのも、未来への意志を確認し合えたのも、知らない人間の汗やタバコに濃厚なパフューム、ビールやシャンパンやウイスキー、いかがわしい色のエナジードリンクや吐瀉物のにおいが充満したあの空間を通して繋がることができた者のみだった。数週間前の午後9時ごろにダンスフロアの隅で会ったDJの大先輩は、自問自答を繰り返す毎日だったと言っていた。その一言で僕には、その自問自答の内容をなんとなく感じ取ることができた。僕自身、毎日のように同じく葛藤していたからだ。他人に話せること話せないこと。理想と現実のギャップ。進むべき未来。それらを反芻しながら帰路についた。Fixie の後輪を削りながら走り抜ける夜の渋谷は、博物館の陳列物のように凍りついていた。昼の街しか知らない人間は、彼らが捧げた生贄の大きさを理解できない。何人の人間の心臓を抉り出して石の祭壇に供えても、それが自身の心臓でない限り誰も気にかけない。そして往々にしてその気高い代償に権力者の心臓は選ばれない。
 人から奪い、虚栄心を満たす者。経済的な価値を信仰する者。彼らは消え去らなくてはいけない。僕が夢で見たような、もしくは僕が New Dawn の中で描いたような、オレンジ色の粉塵に覆われた赤褐色の荒野が現実になる前に。
 世界は常に変化し、いくつかの問題はより良い方向へ向かい、いくつかは悪い方向へ。そして人々のフォーカスは常に新しい問題へ。僕の右手にはオプティミズム。左手にはペシミズム。耳にはダイヤモンドを通して蘇る Ari Up の声。
 クロムメッキのデスクランプが、冷たくなった紅茶の入ったマグカップにスポットライトを当てている。


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