「You me」と一致するもの

ビリーブ 未来への大逆転 - ele-king

「民主主義を踏みにじるな」という言い方は誤解を招きやすい。民主主義を達成した社会など地球上には存在しないのだから。ないものは踏みにじれない。少数がすべてを決める社会ではなく、全員にのしかかってくる問題は全員で決めるというのが民主主義で、スイスのように全員でやるのは効率が悪いから代議士に話し合いの役目を託す制度があり、議会制というのはそうした方法のひとつではあるものの、唯一の手段であり続けるかどうかはわからないし、ほかにいい方法があるのならそれを採用すればいいとも思うけれど、どんなシステムを採用するにせよ、くじ引き制にでもならない限り、全員が話し合って意思決定を行うという土台は残るはず。「コミュニケーションは大切だ」という言い方も誤解を招きやすく、コミュニケーションはせざるを得ないものだし、自分が殺されることになっても「意見がない」という人はさすがにいないだろう。黙っていれば不利になると思う人ほどSNSで声を上げているのも、だから、当然の成り行きではある。アメリカで初めて男女平等が議論された最高裁の模様を描いた『ビリーブ』は社会の場におけるコミュニケーションの必要性を痛感させられる作品であった。通常、法廷ドラマというのは、複雑に入り組んだ犯人の動機を解明したり、相手の理屈を突き崩していく過程をスリリングに楽しむものだとは思うけれど、『ビリーブ』で焦点が当てられていたのは憲法解釈で、同じ文章を前にしながら、それがどれだけ解釈に可能性を与え、この場合でいえば男女平等という理念を導き出すツールとなっていたか。フランク・ダラボン『マジェスティック』でもラリー・チャールズ『ディクテーター』でも憲法を読み上げれば事態は収拾していく……というようなプリミティヴなレヴェルとはまるで違った。最高裁という場所が思想の生まれるところであり、知性の結晶として機能していることを実感し、権威として君臨できるのも当然だというか。

 現代アメリカを代表する女性といえばRBGとAOC、そしてオプラ・ウィンフリーとビヨンセになるだろうか(個人的にはティナ・フェイも!)。RBGことルース・べイダー・ギンズバーグは70年代に男女平等を訴えた最高裁の弁論で広く知られるところとなり、ビル・クリントンによってアメリカの最高裁判事では二人目の女性に選ばれた弁護士である。『ビリーブ』は彼女がどれだけ優秀な成績で大学の法科を卒業しようとも女性(で、しかもユダヤ人)が弁護士になれる時代ではなかったために、最初は大学で教授職にしか就くことができず、女性の社会進出に当時としては珍しく多大な理解を持っていた夫に助けられて最高裁に立つことができ、数々の有名な弁論の中でも「ワインバーガー対ワイゼンフェルド」訴訟を取り上げた作品となっている。面白いのは反抗期を迎えた娘が不良化して親の言うことを聞かなくなったのはいいとして、彼女が出かけていく先はロックやドラッグの世界ではなく、グロリア・スタイネムの集会だったということ。実話なのか適当につくったエピソードなのかは知らないけれど、そのようにして親に反抗してフェミニズムの集会に行っていた娘がある時、路上でヒューヒューと男たちに卑猥な言葉を浴びせられると、RBGは「無視しなさい」と忠告するも、そんな時代ではないと娘は男たちにはっきりと言い返す。これでRBGの心に火がつく。そこから最高裁まではまっしぐらである。『ビリーブ』ではそのようにして彼女の家族関係も物語の大きなファクターをなしている。それはさらに追って公開されるRBGのドキュメンタリー『RBG 最強の85才』でさらに詳細に描かれている。『ビリーブ』も『RBG』も単独で充分に面白い作品だけれど、『プラダを着た悪魔』に続いてヴォーグの編集長アナ・ウィンターの素顔を追った『ファッションが教えてくれたこと』を観るのと同じような相乗効果があり、続けて観れば愛も勇気も100倍増しで感じられることは請け合い。

『ビリーブ』では若い時に夫がガンで入院し、看病を続けながら法律の勉強を続けるRBGに焦点が当てられ、『RBG』ではその夫が他界する場面に多くの時間が費やされている。『ビリーブ』では「ワインバーガー対ワイゼンフェルド」訴訟を起こすまでの長い手続きを詳細に追うことで、裁判を起こす意義やその難しさなどが同時に語られていく。『RBG』では彼女が扱った他の有名な訴訟も次から次へとダイジェストで解説され、彼女が最高裁判事になってからも、ジョージ・ブッシュによって保守派の判事が2名も任命され、中道に近かった彼女の存在感が一気にリベラルへと横滑りし、そこからはむしろ彼女の思う通りに判決が下せず、RBGはむしろ最高裁判決に対して「反対意見」を述べる立場になっていく。そのことがしかし、彼女の人気を若い人たちの間で決定づけ、ネット上に「#ノトーリアスR.B.G.」というハッシュタグが立つとTシャツやマグカップまでつくられ、作品中で言われているように「ロックスター並みの」の人気者となり、ポップ・カルチャーの新たな象徴とまで言われることに。ノトーリアス(悪名高い)というネーミングはどう思うかと聞かれたRBGは「似たようなもんだわよ」と言ってノトーリアスB.I.G.とは「同じブルックリン生まれだし」と言って笑う。ほとんどTVを観たことがないというRBGに「サタデー・ナイト・ライヴ」でケイト・マッキノンが彼女のモノマネをやっているところを観せてもRBGは笑い転げていて、これはおそらくドナルド・トランプが大統領戦に出馬した際に批判的な発言をして判事の行動としては軽率だったと批判されて謝罪したという経緯があり、そのドナルド・トランプがやはり「サタデー・ナイト・ライヴ」でアレック・ボールドウィンに自分のモノマネをされて怒り心頭のツイートを連発していたことと対比させて見せる意図があるのだろう。RBGはこれに限らず、どんな場面でもとにかくお茶目だし、人間として可愛らしい。黒柳徹子や樹木希林が芸能人ではなく政治家や法律家だったら、こんな風に見えるのかなというか。


 日本で『ビリーブ』と『RBG』が公開される頃、RBGは86才になる(最高裁判事に定年はない)。トランプ時代になってから彼女が転倒して骨折した時はリベラルの火が消えてしまうと大騒ぎにもなった。また、両作を観ていると日本の女性たちはまだアメリカの60年代にいるとしか思えなくなってくるし、上に書いた以外にもとにかくエピソードが目白押しで、日本と照らし合わせて考えさせられることはとにかく多い。アメリカは個人主義だから組織的な圧力から個人を守るために過剰なほど正義が求められ、組織優先の日本では同じように正義を求める感覚はないのかもしれない(あるとしてもそれはネオ・リベラルがもたらすという皮肉でもある)。ツイッター上で振りかざされる正義感が座り心地のいい着地点を見出せないこともそのせいかなとは思うけれど、とはいえ、個人があってそれが組織に押しつぶされるという図式がまったくないわけではないし、「コミュニケーションせざるを得ない」のは圧倒的に個人の立場にいる人たちだとすれば、RBGに学べることは無限といっていいほど多いことは確か。

『ビリーブ 未来への大逆転』予告編

『RBG 最強の85才』予告編

Qrion - ele-king

 現代的でありつつどこか叙情的なダンス・チューンを次々と送り出す、札幌出身サンフランシスコ在住のDJ/プロデューサー、クリョーン(Qrion)。これまでスロウ・マジックやトキモンスタなどのリミックスを手がけ、デイダラスとも共演、ポーター・ロビンソンやライアン・ヘムズワース、カシミア・キャットらのツアーに帯同してきた彼女だけれど(初音ミクを使った曲もあり)、このたびなんと、昨年リリースされたEP「GAF 1」「GAF 2」の12インチ化を記念してリリース・パーティが開催される運びとなった。日時は4月30日、会場は CIRCUS Tokyo。当日は Taquwami、Submerse、ピー・J・アンダーソンらも出演するとのことで、これは見逃せない!

札幌出身で現在はサンフランシスコを拠点に活動しているDJ/プロデューサー、Qrion (クリョーン)が、スタイリッシュかつディープなハウス・サウンドをみせた2018年のEP「GAF 1」、「GAF 2」の楽曲が待望の 12 inch 化が決定。
平成最後の4月30日に CIRCUS TOKYO にてリリースを記念したパーティーを開催!

TITLE: PLANCHA × CIRCUS presents Qrion 『GAF』 Release party
DATE: 2019.4.30 (TUE/HOLIDAY) OPEN 18:00

LINE UP:
Qrion
Taquwami
Submerse
Pee.J Anderson

ADV: 2,800yen
DOOR: 3,300yen
(別途1ドリンク代金600yen必要)

TICKET:
Peatix:https://qrion.peatix.com/
イープラ:https://eplus.jp/
チケットぴあ:P-CODE (149133)

VENUE: CIRCUS Tokyo
〒150-0002 東京都渋谷区渋谷3-26-16
03-6419-7520
https://www.circus-tokyo.jp

▼ Qrion

札幌出身、現在はアメリカ・サンフランシスコを拠点とするトラックメイカー/プロデューサー。10代の頃からオンラインを中心に音源をリリースし注目を集め、Ryan Hemsworth、How To Dress Well、Giraffage、i am robot and proud ら海外のプロデューサーとの共作が一挙に話題となり、瞬く間に世界中に Qrion の名が広がり、海外からのオファーが殺到、〈Fool’s Gold〉、〈Carpark Records〉、〈NestHQ〉、〈Secret Songs〉などの世界中のレーベルからリリース、「Trip」、「Just a Part of Life」といった自身の作品のほか、TOKiMONSTA、Slow Magic などのリミックス作品もリリースしている。

さらに Qrion は世界中をツアーしており、Slow Magic との28日間の北米ツアーを終えた、Porter Robinson、Ryan Hemsworth、Cashmere Cat, and Giraffage のツアーにも帯同、この秋の自身の最新EPとなる「GAF」のリリース・ツアーでは、LA、ニューヨーク、サンランシスコ、札幌、東京など、アメリカと日本で全8公演を成功裡に収め、更には、世界最大級のダンス・ミュージック・フェス Tomorrowland 2018 出演を始め、HARD Summer、Holy Ship、Moogfest、NoisePop、SXSWのショーケース、Serentiy Fest、更には日本の TAICOCLUB’ 18 など、多くのフェスティバルでもプレイ。 2018年に世界基準でさらなる話題を集める、今最も注目すべきアーティスト。

▼ Taquwami

作曲家。これまでにいくつかのEPといくつかのmp3をインターネット上でリリース。その他プロデュースワークやリミックスワークも多数手がける。

▼ submerse

イギリス出身の submerse は超個人的な影響を独自のセンスで消化し、ビート・ミュージック、ヒップホップ、エレクトロニカを縦横無尽に横断するユニークなスタイルを持つDJ/ビートメーカーとして知られている。これまでにベルリンの老舗レーベル〈Project: Mooncircle〉などから作品をリリースしている。SonarSound Tokyo2013、Boiler Room、Low End Theory などに出演。
また、Pitchfork、FACT Magazine、XLR8R、BBCといった影響力のあるメディアから高い評価を受ける。2017年に90年代のスロウジャムやヒップホップを昇華させたニューアルバム『Are You Anywhere』をリリース!

▼ Pee.J Anderson

Pee.J Anderson (ピー・ジェイ・アンダーソン)は Al Jarriem (アル ジャリーム)と JOMNI (ジョムニ)による関西出身の Deep House ユニット。
2017年末のハウス・シーンに突如現れ、精力的にリリースやライブ活動を行い東京のダンスフロアを彩り続ける。PCライブをベースに、ボーカルや楽器による生演奏と併せて4つ打ちを鳴らすスタイルからクラブ界隈で異才を放つ。

オカシオ・コルテス現象について - ele-king

 音楽ファンにこそぜひ覚えておいて欲しい。オカシオ-コルテスこそが、政治だけじゃなくカルチャーをひっくり返す存在になり得ることを。
 去る2月7日、米国民主党の女性新人議員アレクサンドリア・オカシオ-コルテスと同僚議員が、かねてから待望されていた「グリーン・ニューディール法案」を米国議会に提出した。

 米国では昨年6月に同議員が初当選したその瞬間から、主流メディア/ネット問わず彼女とその一挙手一投足に、そして法案提出以前から口にしていたグリーン・ニューディールの話題で持ちきりとなり、当選の前後比でこのグリーン・ニューディールに関するするツイート数がわずか数ヶ月で100倍にまで増えたほどだ。
https://www.vox.com/energy-and-environment/2018/12/21/18144138/green-new-deal-alexandria-ocasio-cortez

 “AOC”、彼女のツイッター・アカウントからくる愛称がネット上で散見されるようになるのは昨年夏に遡る。
 2018年6月に行われたニューヨーク州第14選挙区予備選挙で、ほとんど注目もされていなかったダークホースのAOCが下院議員を10期務めた現職のジョー・クローリーを破り、晴れて史上最年少で民主党下院議員となった。

 オカシオ-コルテスは、89年にブロンクスに生まれた29才。プエルトリコ系の労働者階級の両親のもとに育ちボストン大学で政治経済を学んだ。卒業後は地元のタコス・レストランでウェイトレスやバーテンダーの職に就くかたわら政治活動を続けた。
 そして2016年の大統領選で熱い旋風を起こしたバーニー・サンダースの主催するSanders Instituteのサポートを受け、民主社会主義の“パダワン”として頭角を現した。

 日本でも左派界隈を中心に、その物怖じしない発言の数々と、民主主義の理想を力強く掲げ為政者に立ち向かう姿勢が称賛されることとなったが、ミュージシャンでもある筆者の目には“ブロンクスのHip Hop姉さん”にも映った。

 1月19日、Women’s March におけるキング牧師を彷彿とさせる演説ビデオが、日本のリベラル左派界隈でも話題となったことは記憶に新しい。
▼ Watch Alexandria Ocasio Cortez’s Inspiring Women’s March Speech | NowThis

 アナキズムをも連想させる黒地に赤文字の背景の前で、漆黒の装いのオカシオ-コルテスが、「誰一人として見捨てないのが民主主義だ」と力強く語るストリート叩き上げの姿に感動を覚える。

 しかし彼女の革新性は、日本のメディアに語られない点にこそその真髄がある。それはグリーン・ニューディール法案の内容に見て取ることができる。GNDは米国の化石燃料に依存した従来型の産業を、環境保護重視の観点から再生可能エネルギーを中心とした産業構造に変えようとする野心的なものとなる。同法案にはスマートなインフラ整備への公共投資、国民皆保険(Medicare for All)や国民総雇用保障(Job Guarunteed Program)を目指す前代未聞のアイデアが内包される。
 さらに、実に7兆ドルから32兆ドル((約770兆円〜約3520兆円)とも推計されるその財源の多くを、政府の「赤字支出」によって賄おうという稀に見る案を示したのだ。

 29才の跳ねっ返り新人議員が提案した、この革新的な法案に全米が騒然としたことは想像に難くないだろう。
https://edition.cnn.com/videos/tv/2019/02/07/alexandria-ocasio-cortez-green-new-deal-q--a-ed-markey-sot-cnngo.cnn
 各所で賛否両論が沸き起こり、3月2日現在でも同法案の実現可能性に関して絶えず議論が続けられている状況となる。

「インフラや福祉、格差是正に赤字国債を発行して、7兆ドル(推計)を支出する」

 誰もが無謀で荒唐無稽に感じたこのGND法案に、現在までに全ての民主党大統領候補と、およそ70名の民主党議員が、さらには敵対する共和党議員までもが賛同している。長く国際政治をウォッチしている人間たちにとっても、“革命”とも言える異常事態が起こっていることを認めるだろう。

 日本のリベラル左派のあいだには、戦前の教訓から長く“赤字国債発行アレルギー”が蔓延していたが、この革命的現象を、いま語らずして民主主義社会のパラダイムシフトを肌に感じることはできないだろう。

 結びに、先日2月27日の米『ローリング・ストーン』誌のインタヴューに「もっとスケールの大きな話をしよう」と、矢沢栄吉ばりに答えたオカシオ-コルテスの発言を引用し、本コラムを終えようと思う。

「Alexandria Ocasio-Cortez Wants the Country to Think Big」

私にとっての最大の課題は、常識の枠を変える(Move the Overton window)ことです。
私は新米ですから、あらゆる方法を使います。議論の枠を変えることが力になります。
もし私の、議員としての時間が4日間しかなかったら、何よりも私は富裕層の最高税率に関する議論を巻き起こします。
   (中略)
かつて、大不況から脱出した方法は何か、それは大規模な公共投資です。
そして、人々が志を高くし、この国の可能性を信じることです。
ちょっとずつ変えてゆこうという了見ではダメです。
私たちにはMoonshot(月ロケット打ち上げ)が必要なのです。
https://www.rollingstone.com/politics/politics-features/alexandria-ocasio-cortez-congress-interview-797214/

追悼 スコット・ウォーカー - ele-king

冥界の天使 スコット・ウォーカー

 2019年3月25日の夜明け前。スコット・ウォーカーの訃報に接した瞬間、頭の中に広がったのは箱根仙石原のススキの大草原の絶景だった。いや、城ケ島の迷宮のようなジャングルだったかもしれない。仕事が途切れた時に、よく一人でバイクに乗って城ケ島や仙石原に行くのだが、その時は決まって、ポータブル・プレイヤーでスコット・ウォーカーの歌を聴くのだ。夕陽で黄金色に輝いたススキの大草原で聴く“太陽はもう輝かない(The Sun Ain't Gonna Shine Any More)”や“マチルダ(Mathilde)”や“ジャッキー(Jackie)”、城ケ島の森の中で聴く“マイ・デス(My Death)”や“行かないで(If You Go Away)”……。

 スコット・ウォーカーの歌はいつだって、世界を征服したような気分を味わわせてくれた。彼の声、歌には、言語化できない超越感がみなぎっていたから。甘美なメロディも心地よいビートも完全消え失せた晩年のウルトラ・アヴァンギャルドな作品においてさえ、ヴェクトルは違ってもその超越感だけは一貫していた。ソウルフル、というのとも違う。いや確かにソウルフルでパワフルでドラマテックなのだが、彼の歌声は、常に死の匂いを宿し、浮世離れしていた。ソウルやパワーの在り方、向かい方が、アレサ・フランクリンともジェイムズ・ブラウンともトム・ジョーンズとも違う。エロティックなバリトン・ヴォイスは、しかし常に深いメランコリーを孕み、タナトスの闇を浮遊していた。誰とも交わることなく、王のように、天使のように。その超越性こそに誰もが魅せられたのだと思う。

 世界に向けて最初に訃報を発したのは、近年のスコット・ウォーカーが契約していた〈4AD〉レーベルだったが、その直後からネット上には大量の弔辞が流れ続けた。ポップさを120パーセント無視した彼の近年の作品がセールス的に成功していたとはとても思えないのだが、その死を悼む声の多さ、真摯さは尋常ではなかった。特に、イギリスのミュージシャンたちの多さには驚かされる。生粋のアメリカ人ながら、ウォーカー・ブラザーズの一員としてデビューした直後の65年から最期までずっとイギリスを拠点に活動し、60年代末期にはBBCテレビで「スコット・ウォーカー・ショー」なる冠番組まで持っていたから、スコット好きのイギリス人ミュージシャンが多いのは無理からぬことだとは思う。ジュリアン・コープが編纂したスコット・ウォーカーのコンピ盤『Fire Escape In The Sky:The Godlike Genius Of Scott Walker』(81年)も、当時のニューウェイヴ系ミュージシャンたちに大きなショックを与えたそうだし。とにかくどの弔辞も実に心がこもり、“自分にとって彼がいかに特別な人だったか”を涙目で訴える感じのものが多いのだ。まさに、「行かないで」と叫んでいるように。
 ソフト・セル時代には60年代のスコットのルックス(ヘアスタイルとサングラス)を真似、ソロになったらスコットの持ち歌をカヴァした(しかもスコット以上にスコットぽく)マーク・アーモンドを筆頭に、最初期の代表曲“Creep”(92年)がスコットのカヴァだとプロデューサーに勘違いされるほどだったというレディオヘッドのトム・ヨーク、オリジナル・アルバムとしては最後の作品となった『Soused』(14年)をスコットと共作した Sunn O))) のスティーヴン・オマリー、80年代に日本の中古盤屋でスコットのソロ・アルバムを探し回ったたというデイヴィッド・シルヴィアン…その他コージー・ファニ・トゥッティ、グラハム・コクソン、ジャーヴィス・コッカー、ボーイ・ジョージ、ミッジ・ユーロ、デュラン・デュラン、ディーン・ウェアハム(ギャラクシー500)、さらにはスリーフォード・モッズやボズ・スキャッグス等々、新旧硬軟入り混じった名前が途切れなく続く。

 今デイヴィッド・ボウイが生きていたらはたしてどんな言葉を発しただろうか……。なにしろボイウこそはマーク・アーモンドやトム・ヨーク以上に歌い方から音楽家としての姿勢までスコット・ウォーカーに生涯憧れ続けた人だったし。ボウイの2016年のラスト・アルバム『★ (Blackstar) 』なんてまるで、自身の死期を悟ったボウイが渾身の力をふりしぼってスコットに宛てた最後のラヴレターのようではないか。
 また、ルー・リードも生前、雑誌の「Best Albums of All Time」なる企画で『Tilt』(95年)を第2位に選ぶほどスコットを高く評価していた。ちなみにそのベスト10の1位はオーネット・コールマン『Change Of The Century』、3位はボブ・ディラン『Blood On The Tracks』で、以下リトル・リチャードやハンク・ウィリアムズ、ローランド・カーク、ジョン・レノンなどの歴史的名盤が挙がっていた。90年代以降の作品は『Tilt』だけである。

 スコット・ウォーカーのかような時代を超えた絶大な影響力と表現者としての超越性を具に確認させてくれたのが、デイヴィッド・ボウイ総指揮の下で製作された06年のドキュメンタリー映画『スコット・ウォーカー 30世紀の男(30 Century Man)』だろう。前述した面々の他にもジョニー・マーやウテ・レンパー、エヴァン・パーカー、エクトール・ザズーなど多くのミュージシャンたちがインタヴューイとして登場するが、中でもブライアン・イーノの以下の発言は刺激的だった。

「『Nite Flights』で彼の音楽に衝撃を受けた。とてつもない曲だからぜひ聴いてみてくれと言ってデイヴィッドの制作現場に持ち込んだんだよ。感性の一致というか何か通じるものを感じた。ポピュラー音楽でなくオーケストラや実験音楽のようだった。ポップスの枠組みにありながらそこから遠く離れてる。これを聴くのは屈辱的だ。今でもこれを超えられない」

 『Nite Flights』(78年)は70年代半ばに一時再結成されたウォーカー・ブラザーズの復活第3作。その前の『No Regrets』(75年)と『Lines』(76年)は全員(スコット・ウォーカー、ジョン・ウォーカー=ジョン・ジョセフ・マウス、ゲイリー・ウォーカー=ゲイリー・リード)の音楽性が均等にバランスをとったアメリカン・ポップスだったのに対し、3作目の『Nite Flights』では音作りの随所にスコットの意志が強く反映され、トータルとしてかなりいびつな作品になっている。それはパンク時代への返答、などではなく、60年代からずっと維持されてきたスコットの本質そのものだ。これがデイヴィッド・ボウイのベルリン3部作最終章『Lodger』(79年)の制作時のできごとだったことに鑑みれば、『Lodger』のいびつさも実は『Nite Flights』と密につながっていたことがわかる。ちなみにこの映画には、当時のスコットの新作『Drift』(06年)の制作風景も出てくるのだが、スコットは未知のサウンドを探して“Clara”という曲でパーカッショニストに豚肉の塊を鉄拳で叩かせていた。楽器クレジットは“Meat Punching”。ホラーである。

 こういったスコットの前衛性は、特に95年の『Tilt』から全開し、齢を重ねるごとに加速し続けた。個人名義の最終作『Bish Bosch』(12年)や Sunn O))) とのコラボ作『Soused』(14年)のすさまじさたるや……。『Soused』が出た時、彼は既に71才だった。
 そして、今改めて初期の作品を聴き直し、そのヴィジョンのブレなさ、スコット・ウォーカーという表現者の超越性をじっくりとかみしめたい。とりわけ、ジャック・ブレルの作品をたくさん英語でカヴァしたソロの最初の3枚『Scott』(67年)、『Scott 2』(68年)、『Scott 3』(69年)。生と死が深く激しく交響するその陶酔的世界こそは、スコット・ウォーカー(本名 Noel Scott Engel/1943年1月9日米オハイオ州生まれ)が生涯追い求めたヴィジョンだった。

interview with J. Lamotta Suzume - ele-king

 リリースから1ヶ月が経とうとしているが、J・ラモッタ・すずめのニュー・アルバム『すずめ』に対する評判がすこぶるいい。街中やラジオでふと流れてきたりすると、ゆっくり浸りたくなる心地よさがある。J・ディラ譲りのビートメイクを生のバンド演奏に置き換え、エリカ・バドゥが引き合いに出される声で可憐に歌うスタイルは、ここ数年のソウル/R&Bにおけるトレンド(いわゆる「Quiet Wave」)を反映したものだ。しかし、彼女のサウンドは作為的なものよりも、ナチュラルで風通しのよいムードのほうが遥かに際立っていて、クリエイティヴの自由を謳歌しているのが伝わってくる。

 彼女が体現する自由のバックグラウンドには、様々なカルチャーが交錯している。もともとイスラエル出身で、現在はベルリンを拠点に活動中。自身のバンドにはデンマークやエジプトの出身者も参加し、アメリカのビート・ミュージック界隈とも接点を持つ。そして、アーティスト名は日本語の「すずめ」。昨年の来日公演も好評だったチャーミングな逸材は、同じくイスラエル出身/ベルリン育ちのバターリング・トリオと同じように、持ち前の多様性でもってソウルの新たな潮流を示す存在となっていくだろう。

 この後に続くインタヴューの質問作成にあたって、TAMTAMのジャケット・デザインなどで知られる川井田好應さんにアドバイスしてもらった。彼はJ・ラモッタが「すずめ」を名乗るきっかけを与えた人物。「Yoshiとはベルリンで偶然知り合って、とても良い友人関係を築くことができた。初めてのEP(2015年作「Dedicated To」)のアートワークを手がけてくれたりね。そして私は、日本の子守唄をサンプルした“Yoshitaka”という曲を書いて、彼にプレゼントしたの。(今回のアルバムの)日本盤ボーナストラックになっているわ」と彼女は語っている。出会いは人生を豊かにさせるし、自分の生き方は必ず自分自身に跳ね返ってくるというのが、彼女の話を聞くとよくわかるはずだ。


学校は、自立してやっていける方法を教えることはできない。私は芸術学校に対して批判したいことが結構ある。あそこで学べることはたくさんあるけれど、その反面、洗脳している部分も多いと思う。

まずは音楽的ルーツの話から聞かせてください。イスラエルの伝統音楽に幼い頃から慣れ親しんできたと思いますが、どういったものをよく聴いていましたか?

すずめ:イスラエルはいろいろな国の人たちが集まってできた国だから、本当に多文化なの。イスラエルに住んでいる人は、70年前かそれよりもあとに、他の国から移ってきた人たちよ。私の家族は1960年代にモロッコから来たわ。だから、イスラエル音楽だと思っていたものでも、ヨーロッパだとか北アフリカのサウンドの影響を受けているのよ。私は幼い頃から、西洋の音楽に慣れ親しんできたわ。アメリカ発祥の音楽が大半だったけど、アフリカの音楽も聴いていた。だから幼い頃から聴いてきたイスラエルの音楽というのは特にないわね。私は人生のほとんどの間、ジャズを聴いてきたの。

ジャズとの出会いについても知りたいです。

すずめ:ジャズは深い愛情のようであり、私にとって故郷のような存在なの。初めてジョン・コルトレーンを聴いたときの衝撃は忘れられない。ジャズはアティテュードなの。それが私のバックグラウンドにあって、この音楽が自分の人生にあることを本当に感謝しているわ。自分にとっていちばん大きな学びを与えてくれたものだから。

テルアビブにいた頃には、ジャズ・スクールにも通っていたんですよね?

すずめ:ええ。学校へ通って、ビバップやスウィング、ハードバップなどいろいろなスタイルを学び、自分でもそれを生み出そうとした。音楽の道を歩みはじめた頃はブルーズの曲をよく歌っていたんだけど、その後、ジャズに出会ったときは衝撃的だった。こんなにもディープなんだと驚いたわ。
 ただ一方で、学校はツールを与えてくれることはできるけれど、私がミュージシャンになる方法は教えてくれないということに、ある時点で気づいたの。学校は、自立してやっていける方法を教えることはできない。私は芸術学校に対して批判したいことが結構ある。あそこで学べることはたくさんあるけれど、その反面、洗脳している部分も多いと思うわ。例えば、ジャズがどういうサウンドであるべきか、という昔からの考え方というのが根強くあって、そういうことを学校では教えている。それはある種の洗脳だと思うのよ。そういう伝統的な考え方から解放されるのには時間がかかるの。

なるほど。

すずめ:ジャズはその時代、その瞬間を反映している音楽だと思う。かつてのジャズには、アフリカ系アメリカ人のムーヴメントが反映されていた。ジャズはそういうものの象徴だった。でも現代の状況は当時のそれとは違う。だから当時のジャズを存続させることはできない。私たちアーティストは自由であるべきで、自分たちのフィーリングに従って創造するべきなのよ。その瞬間を大切にし、自分の現実や状況を理解しながらクリエイトするべきなの。私は枠にはめられたくない。自分のことはジャズ・ミュージシャンだと思っているけれど、当時のジャズのような音楽は作っていない。だって現代のジャズは当時のジャズとは違うものだから。
 だから 学校で芸術を学ぶことについては、デリケートな問題があると思う。私はいつか、そういう学校の先生になりたい。そして生徒に、自由について教え、自由になる機会を与えてあげたい。スタイルやルールを教えるのではなくて、「ルールなんてない」ということを教えていきたい。そういうことをよく考えているわ。

ジャズはその時代、その瞬間を反映している音楽だと思う。かつてのジャズには、アフリカ系アメリカ人のムーヴメントが反映されていた。自分のことはジャズ・ミュージシャンだと思っているけれど、当時のジャズのような音楽は作っていない。だって現代のジャズは当時のジャズとは違うものだから。

テルアビブでは〈Stones Throw〉や〈Brainfeeder〉といった、LAのビート・ミュージックやヒップホップが流行っていたそうですね。

すずめ:テルアビブとLAのビート・ミュージックには確かにコネクションがあるわ。テルアビブにもLAみたいに、夏のビーチや温かいヴァイブスといったアティテュードがあるから、音楽の感じも共通しているんだと思う。

あなた自身、J・ディラからの影響はかなり大きいらしいですね。彼の音楽とはどのように出会ったんですか?

すずめ:私がベルリンに移ったとき。2014年の春くらいかな。当時、私はジャズの勉学に励んでいて、ひとつのジャンルの音楽しか聴かないような、典型的な音楽学校生だった。ミュージシャンとしてのスキルを磨くために、宿題や課題ばかりやっていた。まるでジャズ以外の音楽は存在していないかのように、1930~50年代のジャズしか聴いてこなかった。ベルリンに移住してからやっと気づいたの、聴くべき音楽は本当にたくさんあると。そのときにJ・ディラの音楽を友達から教えてもらって、「一体、私はいままでどこにいたんだろう?」と思ったわ。J・ディラの音楽を知ってから、私の世界は全く変わってしまったの。

「About Love」というトリビュート企画をはじめたきっかけは?

すずめ:「About Love」はもともと、遊び半分のジャム・セッションとしてスタートしたの。毎年恒例のトリビュートにするつもりはなかったわ。J・ディラの音楽でジャム・セッションをやることが多くて、彼の誕生日(2月7日)の少し前に、いままでやったセッションをまとめてみようと思った。それを友達に聴かせたら、「ディラの誕生日の前に、それをリリースして彼に捧げるべきだよ」と言ってくれたの。それでリリースしてみたら、たくさんの人から温かいフィードバックをもらった。J・ディラのビートに対する私なりの解釈を聴くのが面白いって。だから彼の誕生日が近くなると、「もう一度セッションをやろう!」という流れになって毎年やるようになったのよ。

J・ディラのアルバムで、特に影響を受けた作品をひとつ挙げるなら?

すずめ:『Vol.2: Vintage』ね。このアルバムは何度も聴いたわ。彼のインストゥルメンタルの作品が大好きなの。

あなたはイラ・J(J・ディラの弟)とも交流していますし、あなたが住むベルリンの家に、ギルティ・シンプソンやファット・キャットが遊びにきたこともあったそうですね。

すずめ:イラとはベルリンで何度か会っているわ。「About Love」のアートワークは私が作ったコラージュで、イラと彼の母親にプレゼントしたものなの。彼らとハングアウトできたのは最高にクールだったわ。ギルティ・シンプソンは、友達に頼まれて私がインタヴューしたのよね。彼にいろいろな質問ができてとても楽しかった。音楽でコラボレーションすることはまだ実現していないけど、私は彼らの活動をサポートしているし、彼らの作る音楽は素晴らしいと思う。他にもLAのアーティストで強いインスピレーションを感じる人たちはいるから、そういう人たちともコラボレーションできれば嬉しい。例えば、MNDSGN(マインドデザイン)は特に影響を受けているアーティストよ。

すずめさんも含めて、ソウルやヒップホップをルーツに持ち、いろんなサウンドを融合させたミュージシャンがここ数年増えていますよね。そのなかで特にシンパシーを抱いている人は?

すずめ:たくさんいるわ。ここ数日間はソランジュの新しいアルバムをよく聴いていた。ものすごく興味深い作品だし、彼女の選択をリスペクトしている。アンダーグラウンドで、アヴァンギャルドで、実験的な、予想外れの、アトモスフェリックなサウンドを今回の作品で表現してきたのよ。あのアルバムは本当に美しいと思ったし、強いシンパシーを感じたわ。
 数ヶ月前は、ティアナ・テイラーのアルバムをよく聴いていた。カニエ・ウェストがプロデュースしていて、オートチューンを使っているのも関係あるかもしれないけど、サウンドがとてもいまっぽいというか新しいの。彼女のアティテュードやフロウ、ビート、そして作り出す雰囲気が大好き。
 それからネイ・パームもすごく好き。彼女にも強いインスピレーションを受けるわ。彼女の音楽には真実味があるし、自分のスタイルに忠実でいる。オーストラリアでライヴを観たんだけど、彼女が歌って、楽器を演奏するのは圧巻だった。

ベルリンの国際的な環境が、あなたの音楽に与えた影響は大きいと思います。どんなところに刺激されてきましたか?

すずめ:ベルリンは世界中からアーティストが集まっているから、アートをやる人にとっては本当に良いところよ。多国籍で多文化なところが、私がベルリンを好きな第一の理由ね。私には日本人、イラン人、パレスチナ人の友達がいるし、私のバンドにはデンマーク人やエジプト人のメンバーがいる。それって素晴らしいことよね。母国の言語ではなく、音楽という言語で繋がっている感覚が好きなの。地元のテルアビブでは同じようにいかないから。イスラエルを訪ねて来る外国人とは遊んだりするかもしれないけれど、音楽を作るとなれば、おそらくイスラエル人だけで集まってヘブライ語の曲を作っていると思うから。
 第二の理由は物価ね。昔からベルリン在住の人たちはどんどん高くなっていると言っているし、私もそう思うけれど、まだ手に届く範囲だと思う。もしテルアビブにいたら、朝から晩まで毎日働いて、生活費を補わないといけないだろうから。そうすると音楽制作する時間があまりなくなってしまう。ベルリンではその心配がないの。アメリカに行くことも考えたけれど、ニューヨークへ渡ってもテルアビブと似たような感じで、お金のために働いてばかりの生活になっていたと思う。

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自分の文化に必死でしがみついている人をよく見かける。まるで自分の文化が失われてしまうみたいに。でもそんなことは起こらない。文化は失われない。他の文化を知り、学ぶことによって、私たちは成長することができる。他の文化の美しさが見えてくれば、自分についての学びや、自分の文化をより深く理解することにも繋がるの。

具体的に出入りしているのはどんなところ?

すずめ:それは出演するアーティストにもよるわね。私にとって大切なのは、場所ではなくて内容なの。ベルリンでは《Poetry Meets Soul》という定期イベントがあって、そこは詩人、歌手、ラッパーなどの交流の場になっている。会場は毎回違うけれど、いつも素敵なところでやっているわ。あと、《Swag Jam》というヒップホップのセッションが毎週火曜日におこなわれていて、それは Badehaus という会場でやっているわ。ただ最近は、自分の活動に集中していて、自宅で音楽を作ったりコラボレーションしたりするようにしているの。だから最近はセッションに通うよりも、友達のコンサートに行く方が多いわね。
 ベルリンでは、ノイケルンやクロイツベルクでハングアウトしたり、そこでおこなわれるコンサートに行ったりするのが大好き。私はミッテというエリアに住んでいるわ。わりと中心部だけど、ノイケルンやクロイツベルクほど繁華街でもないところよ。あと、ベルリン市内は公共交通機関が発達しているから市内の移動もスムーズにできるの。そこは東京と同じね。

ベルリンでどんなミュージシャンと交流してきたのか教えてください。ジェイムス・ブレイクのようなエレクトリック系プロデューサーや、ベルリン芸術大学でクラシックを学ぶ人も身近にいたそうですが。

すずめ:それは本当よ。みんなスタイルに関してはとても自由なの。イスラエル人の友達でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に所属している人や、ベルリンでクラシックを学んでいる人も周りにいる。彼らの音楽的なバックグラウンドは私と全然違うけれど、とてもオープンだしどんなスタイルの音楽も聴くの。私がよく一緒にいるのは、やっぱりジャズをやっている友達ね。ベルリンのジャズ・スクールで一緒に勉強してきた友達もたくさんいて、彼らとはよく一緒にハングアウトしている。それからエレクトロニック系の音楽やR&Bシーンの友達もいる。ノア・スリーとも交流があるわ。彼は最高なシンガーだし、よくコラボレートしたいねと話しているわ。

今回のアルバム『すずめ』にも多くのミュージシャンが参加していますよね。昨年の来日公演にも参加していたドロン・シーガル(キーボード)、マーチン・ブウル・スタウンストラップ(ベース)、ラファット・ムハマド(ドラムス)が特に大きく貢献している印象です。彼らはどんな人なんでしょう?

すずめ:私にとって宝物のような存在よ。私のプロジェクトの核を成している人たち。アイデアやヴィジョンは私のものだけど、そのアイデアのベースとなっていたのは彼らのライヴ・サウンドだった。それに彼らは、実験的なことをすることに対してとてもオープンだし、彼ら自身のアティテュードを音楽に持ち込んでくれた。彼らがプロジェクトの要だったから、他のメンバーよりもたくさんの時間コミットしてくれたのよ。
 このバンドにはとても興味深いダイナミクスがあった。でも一緒に作業をはじめた頃は、お互いの文化のギャップがあったの。当たり前よね! イスラエルの男性とデンマークの男性とエジプトの男性がいて、その間に私がいて……私が3人とも選んだんだけど、彼らはいままで一緒に演奏したことがなかった。だから音楽についての意思疎通ができるようになるまで少し時間がかかったわ。でも時間が経つにつれて、お互い自然体になることができるようになっていったの。彼らには本当に感謝している。レコーディングで彼らが貢献してくれたものによって、音楽に生命が吹き込まれたから。

『すずめ』の制作コンセプトについて教えてください。サウンド面ではどういったものを目指したのでしょう?

すずめ:このアルバムの前に、同じバンド・メンバーでEPを録音したの。それはみんな同じ部屋でレコーディングしたのもあって、今回のアルバムに比べると荒削りでラフな仕上がりだった。そのときに比べて、今回はバンド自身も、レコーディングの環境やノウハウもレベルアップしている。
 サウンド面に関しては、マーヴィン・ゲイや70年代の〈モータウン〉、アル・グリーン、アリサ・フランクリンに強いインスピレーションを受けていて。カーティス・メイフィールドのアルバムみたいにしたいというイメージがあった。いまは2019年だけど、彼らから受けたインスピレーションをフィルターにして、当時の美的感覚を、私なりの現代的な解釈として表現したかった。オーガニックなグルーヴを表現したいと思ったのが、今回のプロジェクトをはじめるきっかけになったの。

リード曲の“Turning”について、背景やテーマを教えてください。

すずめ:“Turning”はテルアビブの実家に帰っているときに作曲したの。ピアノの前にひとりで座っていたときに、とても親密なフィーリングがあって、このサウンドは絶対に留めておきたいと思った。だからベルリンに戻ったとき、バンド・メンバーに私の表現したいサウンドを伝えたの。とても親密な感じで、ストーリーを物語っているような……まるで私がカメラになって、空の上からズームアウトしている状態で俯瞰している。それがゆっくりとズームインしてきて物語に入っていく。それがヴィジョンだった。
 私のなかでは、自分がいままでに聴いたことのないサウンドを作るつもりだった。ソウルとジャズの新しい表現方法だと思っていたの。でも、バンドのみんなは最初この曲で苦労していたわ。レコーディングする前も、「この曲はどうかと思うな。トリッキーなパーツもあるし……」と言ってたわ。だけど、私たちはポジティヴに制作と向き合い、“Turning”はバンドのみんなも大好きな曲になった。聴いたことのないサウンドを作るときは、参考になるものがないでしょう。「TURNING, TURNING,」と歌っている箇所だけど、それを作ることができて本当に嬉しい。これこそ私が作ろうとしていた音そのものだった。

「すずめ」はヘブライ語で「自由」という意味なの。だから私は自分にこの名前をつけた。私にとって自由は必要なものだから。みんなにとってもそうだと思う。それがルールよ。私は自由になりたい。

“Ulai/Maybe”ではヘブライ語で歌われていますが、どうしてそうしようと思ったのでしょう?

すずめ:“Ulai/Maybe”は、私がヘブライ語で歌っている数少ない曲のひとつよ。これは日本盤のボーナストラックにしたんだけど、理由はイスラエル大使館からたくさんの支援を得て日本に行くことができたからなの。ユキさん、アリエさん、その他大勢の人たちが頑張ってくれて、日本に行くという私の夢を叶えてくれた。自分の仕事の範囲を超えて、私の夢を実現するために応援してくれたの。だからこの曲は、東京のイスラエル大使館に捧げる曲なの。

昨年、実際に日本を訪れてみてどうでしたか?

すずめ:日本を去る数時間前、私は号泣していたわ(笑)。まさに夢が叶った経験だったから、本当にたくさんのことに興奮したわ。私はいつも自分の夢をメモに書き出して、部屋の壁に貼るということをしているの。そして時間が経過するにつれ、その夢に近づいているか、自分の状況と照らし合わせてみるのよ。毎朝起きると、そのメモを見るから、私は常にその夢を意識しているわけ。そのメモには「バンドのみんなと一緒に日本で公演する」と書いてあった。だから、ブルーノート東京から公演のオファーが来たときは、私にとって特別な瞬間だった。そして、日本に行ってからも特別な体験をいっぱいさせてもらった。私が外国人だからそう思うのかもしれないけれど、日本の人たちはとても親切な感じがする。世界中の人が日本に来てほしいし、日本人の暮らし方を見てもらいたいと思う。

今回のアルバムを『すずめ』と名付けた理由は?

すずめ:アルバムのタイトルは、もともと別の名前を考えていたの。けれど、日本に行ってから、このアルバムは私のいままでの物語や気持ちを表しているものだと感じるようになった。だからある意味、このアルバムは日本に捧げるものなの。日本という特別な場所やその文化に興味を持った自分がいるということ。だから、『すずめ』というタイトルにしたの。なぜ私がこのアーティスト名を名乗っているかを説明するために短編小説も書いたわ。

とても素敵なストーリーで、文才にも惚れ惚れしてしまいました。あの短編小説を今回のアルバムに封入することにしたのはどうして?

すずめ:日本にいたとき、「なぜ、すずめという名前なのですか?」と何度も聞かれて。私は即座に答えられなかった。なぜなら、その経験は私の人生を変えてしまうほど圧倒的なものだったから。その経験は私の考え方を変えた。今回のアルバムでは、自分の脆弱さを晒して、オープンになって、私がどんなものにインスピレーションを受けて、どういう経緯で「すずめ」と名乗るようになったのかを全てみんなと共有したかった。だから音楽に加えて、すずめについてのストーリーを封入することが理にかなっていると思ったの。「Yoshiがこの名前を教えてくれた」という短い回答もできるんだけど、それだけじゃなかったから。
 私はカルマを信じるけれど、カルマは直接的なものではないと思っている。何かを与えたら、すぐ何かが返ってくるような、そういうカルマは信じていない。このストーリーは、お互いがどうやって接し合うのか、その接し合い方というのがとても大事なことなんだ、という内容なの。自分の周りの人たちへの接し方が、自分にも同じように返ってくる、ということ。このストーリーに関与している全ての人によって、私は影響を受け、様々な感情を体験し、自分を「すずめ」と呼ぶということに繋がったの。

その短編小説のB面で、「単一文化主義はあまりに退屈で狭量です。違いを恐れないことには、たくさんの美があるのです」と綴られていたのが印象的でした。国境や文化を超えた多様性というのも、今回のアルバムのテーマなのかなと。

すずめ:その通りよ。あなたがいま言ったように、そのテーマが私の考えなの。「他の文化を恐れるのはもうやめにしない?」と言いたい。私の周りの人、友人たち、リスナーのみんなに伝えたいのは、他の人の文化を学ぶということはとても美しいことだということ。学べることは本当にたくさんあるから。他の文化を通して、人間として、アーティストとして、友人として成長できるから。自分の文化は常に自分とある。それは誰にも奪うことはできない。イスラエルだけではないと思うけど、他の国に旅行したりすると、自分の文化に必死でしがみついている人をよく見かける。まるで自分の文化が失われてしまうみたいに。でもそんなことは起こらない。文化は失われない。他の文化を知り、学ぶことによって、地球という社会の中で、私たちは成長することができる。他の文化を学ぶことによって、その文化の美しさが見えてくる。他の文化の美しさが見えてくれば、自分についての学びや、自分の文化をより深く理解することにも繋がるの。

最後に、あなたにとっての人生のルールは何ですか?

すずめ:「ルールはない」ということね。もちろん人生に必要なルールはいくつかあるけれど、自由になること、そして自由でいることが私のルールだと思う。私がここで言う自由というのは、あらゆる面における自由のことよ。じゃあ、あなたにとっての自由とは何? このインタヴューは、私がみんなにそれを問いかけることで終わりたい。『すずめ』は自由についてのアルバムよ。「すずめ」はヘブライ語で「自由」という意味なの。だから私は自分にこの名前をつけた。私にとって自由は必要なものだから。みんなにとってもそうだと思う。それがルールよ。私は自由になりたい。

interview with Courtney Barnett - ele-king

 こんなこと言っても信じてもらえないかもしれないけれど、僕にだってロック少年だった時期がある。ティーンのころのことだ。世代的に少し遅れての出会いではあったけど、いわゆるオルタナとかグランジ、ブリットポップに心を奪われていた。どこに目を向けても行き止まりにしか見えない田舎の風景を眺めながら、学校も家庭もぜんぶぶっ壊れてしまえばいいのになんて、わりとベタなことばかり日々考えていた。文字どおり屋上でひとり過ごしたことだってある。完全にイタい奴である。でもたぶん本気で信じていたんだと思う。こことは違う場所がどこかにある。こうじゃない世界がかならずあるはずだって。
 洋楽だけが窓だった。

 3月8日。O-EASTのステージでは昨年セカンド・アルバム『Tell Me How You Really Feel』を発表したコートニー・バーネットが一心不乱にギターをかき鳴らしており、その姿を観た僕は若かりし時分のことを思い出していた。彼女の音楽はいつだってここではないどこかを夢見させてくれる。いや、というよりも、そう想像することそれじたいの豊潤さを教えてくれる。
 翌日、幸運にも取材の機会に恵まれた僕は、前夜の昂奮を持ち越したまま彼女に、曲作りの秘密やこれまでの作品について尋ねていた。

自分のなかの言葉をどんどん出して表現していくことって、自分をさらけ出すことでもあるけど、「こんなこと考えてたんだ」って自分でも知らなかった部分がわかっておもしろい。

昨夜のライヴ、とても良かったです。自分がいわゆる洋楽を聴きはじめたころのことを思い出しました。オーストラリアはもちろん、アメリカやイギリスの音楽を聴く人って日本ではクラスにひとりいるかいないかくらいの規模感で、いわばマイノリティなんですけれど、日本のリスナーにはどういう印象を持っていますか?

コートニー・バーネット(Courtney Barnett、以下CB):昨日のオーディエンスはすごく大好き。みんな一緒に歌ってくれたし、笑顔がいっぱいだった。自分もやっていてすごく楽しかった。

いま日本では、いわゆる邦楽が好きなリスナーはもっぱらそれしか聴かなくて、閉じているというか、世界から分断されているような状況があります。

CB:日本がそういう状況だとは知らなかった。オーストラリアとはぜんぜん違うのね。私が最初に音楽を聴きはじめたころは、巷で流れている曲や流行っている曲を聴いていて、わざわざ自分から能動的に探して聴いたりはしなかった。でも10代になると、自分の興味の向くものを自分で追求しはじめる。自分がほんとうに聴きたい音楽を見つけるのはとても時間のかかる作業だった。自分の好きな音楽との出会いって、個人差があるんじゃないかな。

言語の壁みたいなものってあると思います?

CB:私の音楽は歌詞に重きを置いているし、自分の音楽についてコメントを貰うときも、歌詞を取り上げられることがすごく多い。じっさい歌詞は時間をかけて作っているし、曲の前面に言葉が出てきていると思う。でも、じゃあ言葉がいちばん大事かっていうと、自分でも断言できないから難しい。今回日本に来る前は南米にいて、そっちも英語が母語じゃないんだけど、ライヴに来てくれる人たちはみんなすごく楽しそうで、歌も一緒に歌うし、盛り上がって歓声も多いから、やっぱり人によって受け取り方が違うんだと思う。言語が同じ国、たとえばアメリカやオーストラリアでさえも、その場所柄というよりは人によって、音楽に対する反応や楽しみ方が違ってくる。世界中をツアーして気づかされたのは、音楽の楽しみ方は人によって違っていて当然ってこと。ここの国の人はこういうふうに聴く、って決まったものがあるわけじゃないと思う。
 あともうひとつ気がついたのは、周囲のエネルギーに左右されることが多いってことね。一部ガラの悪いお客さんがいると、自然に全体としてもガラが悪くなったり。そのへんは自分でも模索中だけど、一方で私じしんは素晴らしいバンドと一緒にツアーで演奏することができて、すごくありがたいと思っている。バンドが繰り出す音のダイナミズムは言葉の壁を越える普遍的なものだから、歌詞がわからなくても音を聴けばたぶん「怒っている」とか「悲しんでいる」という感情が伝わるはずよ。それはそれですごくパワフルなことなんじゃないかな。

おっしゃるとおり、あなたの歌詞は曲のなかで重要な位置を占めていると思いますが、詞を書くときはどういうプロセスを経るのでしょう? 言葉が先なのか、コード進行やサウンドが先なのか。

CB:毎回違うわね。決まったプロセスがあって、それを繰り返しやっているってわけじゃなくて。ただ、ノートに言葉を綴るという作業にはすごく時間を費やしている。たまにギターでコードを弾きながらノートを見て、そのコードに合う言葉がないか探すようなときもある。曲が先にできていて、まったく歌詞のない状態から、それに合う言葉を考えていくこともある。音楽が言葉のヒントになる場合と、逆に言葉が音楽のヒントになる場合の両方のパターンがあるのね。だから決まった方法はない。

これまでに作った曲で、もっとも苦労した曲はなんですか? 音は良いけどそれに合う言葉が出てこないとか、あるいは逆に、この言葉はどうしても使いたいけどそれに合う音が見つからないとか。

CB:両方ある。パズルのピースがぜんぶうまくフィットするように少しずつ調整していくこともあるし、ほんとうにうまくいかなくて、結果的に歌じゃなくてポエムにしちゃったり。どうしても言葉がしっくりこないときは、インストのまま寝かせることもある。カート・ヴァイルとのアルバム(『Lotta Sea Lice』)のなかに“Let It Go”って曲があるんだけど、これはどうしてもうまく歌詞が見つからなくて、ずっとインストのまま放置していたの。それがある日ピンときて曲にすることができた。だから、うまくいくタイミングが来るのを忍耐強く待つ。そういうふうにやっているわ。

言葉を紡いでいくときに、自分じしんが何を言いたいかよりも、言葉たちが何を言いたがっているかを考えて書くみたいな、そういう体験をしたことはありますか?

CB:似たようなことはあるね。曲を作っているときに、たとえば最初の一行が決まっていたりコーラスの部分が決まっていたり、先に鍵になる部分があって、それが自分にとってすごく印象的なものだったから、それを核にして曲を書こうってわかっているときもあるけど、逆に自分のなかでなんとなくこんな感じの言葉を使いたいんだけど、まだ言葉にできないなーってときはすごくフラストレイションが溜まる。でも、なんとかいろいろ模索していって、最終的にかたちになったときの達成感はすごく大きい。

必ずしも自分が言いたかったわけではない言葉が出てくることもあると思うんですけれど、それを自分の名のもとに発表することにかんしてはどう折り合いをつけています?

CB:とくに決まったメッセージとかアイディアがあるわけではなくて、何も考えずに、とにかくどんどん言葉を書いていくと、意味不明な言葉が出てきたり何度も何度も同じ言葉が登場したりして、ぜんぜん理に適ってないんだけど、それって逆に自分の潜在意識にあるものがそのまま出てきているんだというふうにも考えられると思う。何も考えずに書いたもののなかからすごく良いフレーズが出てくることもあるし。
 発表することにかんしていえば、躊躇することはほとんどないけど、ひとつだけルールがあるね。人を傷つけるようなことだけは絶対にしたくない。だから、たとえば誰かにたいして怒っていても、その気持ちは自分のなかに留めておく。あるいは怒りを表現する場合でも、相手を傷つけるようなことは必要ないよねって思ってる。自分のなかの言葉をどんどん出して表現していくことって、自分をさらけ出すことでもあるけど、「こんなこと考えてたんだ」って自分でも知らなかった部分がわかっておもしろい。

オートマティスムですね。歌詞を書くうえで影響を受けた詩人や小説家はいますか?

CB:うーん、「これ!」っていう人は出てこないかな。以前はいまより本を読んでいたけど、「この人が死ぬほど大好きで憧れてる」みたいな存在はいないね。自分が経験したことや吸収したもののすべてが、将来自分が作る作品に影響を与えていると思う。たとえばヴィジュアル・アートとか。あと、オーストラリアにいるときはよく舞台を観にいくんだけど、いろんなアーティストが違う芸術の分野でやってる表現を観るのってすごくおもしろい。分野は違っていても、伝えようと取り上げているものやテーマはすごく似ていて、それをみんながそれぞれのやり方で表現しているのを観るのはほんとうにおもしろいと思う。

その似ているテーマとはなんでしょう?

CB:もちろんひとつのテーマに限定しているという話ではなくて、いろんなテーマがいろんな方法で表現されていると思うんだけど、たとえばシェイクスピアは愛や憎しみ、裏切り、嫉妬、悲しみとか、そういったものを表現してるけど、他の人たちも同じようなものを取り上げているなとは思う。人間関係とか仕事とか、希望だったり絶望だったり、多くの人たちが共通のものを取り上げている。でも、当然それぞれの人が見ている世界は違うから、同じテーマでも人それぞれの見方や表現の仕方があって、やっぱりそれがおもしろいんじゃないかな。

では、ミュージシャンではいますか?

CB:パティ・スミスは音楽や曲作りも好きだけど、彼女は本も書いていて、その本もすごく好きね。彼女の人生すべてをとおして感じられるもの、生き方みたいな部分も大好き。あと、PJ ハーヴェイ。彼女は既成概念を押し破るというか、作品ごとにがらっとサウンドを変えるけど、そういうふうに彼女がアーティストとして、時間の経過とともに変化して進化を続けていることはすごく刺戟になった。オノ・ヨーコも良い意味で人の予想を裏切るというか、人が聴いていて心地良い音っていう、その概念さえも変えてしまうくらいで、やっぱりそういう人が好きだな。他にもたくさんいるけど、ちょっといまはすぐ思いつかない。

たまたまかもしれませんが、いま名前の挙がった人たちが全員女性なのは、「既成概念を押し破る」ということと関係していますか?

CB:たぶん無意識ね。若いころは何も考えずにニルヴァーナとかグリーン・デイとかを聴いてたけど、いまは世界中ですごく頑張っている、刺戟を感じる女性たちがいっぱいいるなって思う。

昨日のライヴではセカンド・アルバムからの曲が核になっていました。リリースから少し時間が経った現在の視点から振り返ってみて、あのセカンドは自分にとってどのような作品だったと思いますか?

CB:1年くらいライヴでやってきてるけど、時間の経過とともに曲じしんが進化しているように感じる。曲を書いてスタジオで録音して、リリースの段階ではほとんどライヴでは演奏されていない、すごくフレッシュな状態なわけだけど、お客さんの前で演奏することによって自然とそこから変化していく。「ここはこういうふうに弾いた方がいいな」「こういうのも付け加えてみようかな」ってなるから、どんどん曲が進化していく。歌詞についても、改めて「なるほど、ここはこういう意味だったんだ」というふうに、自分のなかで発見があったり。だから、曲にたいして違う理解の段階を楽しんでいる感じね。

昨夜はファースト・アルバムの曲も演奏されましたが、そちらはセカンド以上に時間が経過していますよね。変化していくうちに、当初考えていたことと違う意味合いを持つようになった初期の曲はありますか?

CB:変化っていうより、いろんな人との出会いや別れがあったり、あるいはまったく知らない人を見ながら曲を書いたりするなかで、懐かしさを感じることはあるかな。そこまで時間が経っているわけじゃないけど、この数年のあいだで自分なりに成長したところとか、考え方の違いとか、懐かしいなって。たとえば「この曲のこの部分は、ひょっとしたら当時、ユーモアで自分の気持ちを隠そうとしたのかな」って思うようなことがあって、もちろん当時の自分はそうとは認めないだろうし、そもそも気づいてすらなかったと思うけど、時間が経ったことでそういうちょっとした気づきを得ることはある。

いま何か進めているものはありますか? もうサード・アルバムには取り組みはじめているのでしょうか?

CB:言葉はいろいろ書いてるけど、歌っていうよりもポエム、詩ね。あとは絵を描いたりしている。まだ具体的な音楽作品の予定はないし、今回のアルバムのツアーが終わったら休みを取るかもしれない。でも言葉はつねに書いてるから、いくつか取り組んでいるものはあるけど、いつまでにこういう作品を出そうっていうのはとくに決めてないわ。

interview with Akira Kobuchi - ele-king

 昨年末マンスール・ブラウンのレヴューを書いたときに改めて気づかされたのだけれど、近年はテクノやアヴァンギャルドの分野のみならず、ジャズやソウル、ヒップホップからグライムまで、じつにさまざまなジャンルにアンビエント的な発想や手法が浸透しまくっている(だから、このタイミングでエイフェックスの『SAW2』がリリース25周年を迎えたことも何かの符牒のような気がしてならない)。Quiet Waveと呼ばれるそのクロスオーヴァーな動向は、もはや2010年代の音楽を俯瞰するうえでけっして語り落とすことのできない一翼になっていると言っても過言ではないが、ではなぜそのような潮流が勃興するに至ったのか──いま流行の音像=Quiet Waveの背景について、元『bmr』編集長であり『HIP HOP definitive 1974 - 2017』や『シティ・ソウル ディスクガイド』の著作で知られる小渕晃に話を伺った。


もはやジャンルから解放されていますよね。それよりも出音がすべてみたいなところがある。今は圧倒的にアブストラクトでアンビエントな音が気持ち好いよねというモードになっている。

ここ数年アンビエント的な手法がいろいろな分野に浸透していて、テクノの領域ではノイズやミュジーク・コンクレートと混ざり合いながらさまざまな展開をみせていますが、それはQuiet Waveというかたちでジャズやソウル、ヒップホップにも及んでいます。

小渕:今は求められている音像が、どのジャンルでもみんな同じですよね。歌モノをやっている人にもインストをやっている人にも、ジャンルの垣根を超えてアンビエントが広がっている。FKJなんかがそのちょうど真ん中にいる印象で。歌モノもやるしインストもやる、ハウスもやればジャズもやる。FKJにはぜんぶ入っている気がします。


FKJ
French Kiwi Juice

Roche Musique / Rambling (2017)

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Yuna
Chapters

Verve / ユニバーサル (2016)

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Nanna.B
Solen

Jakarta / Astrollage (2018)

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Richard Spaven
Real Time

Fine Line / Pヴァイン (2018)

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彼はフランスですよね。Quiet Waveは、たとえばユナはマレーシアでナナ・Bはデンマークというふうに国や地域がばらばらという点もおもしろいですが、やはりジャンル横断的なところが特徴ですよね。

小渕:歌モノとジャズなど他ジャンルの才能たちが一緒になってやっていますよね。もう分けてはやらなくなっている。

リチャード・スペイヴンを聴いて、当初ダブステップの文脈から出てきたフローティング・ポインツも同じ観点から捉えられるのではないかと思ったのですが、そのフローティング・ポインツが発掘してきたファティマもアンビエント的なタッチでLAビートとグライムを繋いでいます。

小渕:クラブ・ミュージックや四つ打ちの流れから出てきた人たちが今また歌モノをやっているというのはありますね。アンディ・コンプトンやノア・スリーがそうですし、エスカを手がけているマシュー・ハーバートや、FKJのレーベルメイトのダリウスもそうです。

ただジャンル横断的とはいっても、比較的ソウルとの親和性が高いのかなとも思ったのですが。

小渕:くくる側の意識次第だと思いますよ。たとえばトム・ミッシュって、昔ならロックに分類されていたと思うんです。でも今なら、彼の音楽はソウルとくくられることが多い。ですが、彼のやっていることは音楽的にはジョン・メイヤーに近くて。時代が違ったからジョン・メイヤーはロックと呼ばれているだけで。ジョーダン・ラカイもそうだと思います。今の人たちってもはやジャンルから解放されていますよね。それよりも出音がすべてみたいなところがある。その音像も時代が違ったら変わっていくものですが、今は圧倒的にアブストラクトでアンビエントな音が気持ち好いよねというモードになっている。

R&Bのサブジャンルというわけでもないんですよね。

小渕:R&Bって、何より歌の音楽なんです。とにかく歌を聴かせるためのもので、基本的にラヴソングなんです。Quiet WaveがR&Bと異なるのは、たとえば自らの孤独について歌ったりもしていて、けっしてラヴソング一辺倒ではない。そして、彼らは自分のヴォーカルも完全にサウンドのひとつとして捉えてやっている。たとえばソランジュも、最近出た新作については「私のヴォーカルだけじゃなく、サウンド全体を聴いてほしい」というようなことを言っています。R&Bのワクからはみだしている決定的な理由はそこなんです。

誰か突出した人がQuiet Waveのスタイルを発明して、みんながそれを真似しているというよりも、自然発生的にそういう状況になっていった、という認識でいいんでしょうか?

小渕:間違いなくそうですね。ヒップホップとかR&Bとか、ブラック・ミュージックって特に集団芸なんですよ。誰かひとりの天才が何かを発明する音楽ではない。みんなでやっているうちにすごいものができて、するとみんながそれを真似していく。だから個人ではなく、常にシーン全体がオモシロイ、興味の対象となる音楽なんです。Quiet Waveもそうです。ただもちろん、そのなかからフランク・オーシャンのような突出したヴォーカリストも出てくるわけですけど、サウンドに関してはそれを生み出したシーン全体がすごいのであって、誰かひとりが偉いという話ではないですね。


80年代のロックの音像って、イギリスで育った人には刷り込まれていると思うんですよ。その音像が10年代になって再び出てきたのかな、というふうに感じています。けっしてブラック・ミュージックだけの文脈では語れない。


Fatima
And Yet It's All Love

Eglo / Pヴァイン (2018)

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Andy Compton
Kiss From Above

Peng / Pヴァイン (2014)

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Noah Slee
Otherland

Majestic Casual / Pヴァイン (2017)

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Darius
Utopia

Roche Musique (2017)

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とはいえ、いくつか起点となった作品はあるんですよね?

小渕:Quiet Waveの2010年代の動きを決定づけた作品のひとつは、2011年のジェイムズ・ブレイクのファーストだと思います。イギリスの音楽ならではの特徴といえばレゲエとダブからの影響ですよね。それはジャマイカからの移民の多さがもたらす、アメリカにはないもので、イギリスの良い音楽家はみなレゲエやダブから影響を受けている。ジェイムズ・ブレイクの場合はダブですが、はずせないのはマッシヴ・アタックの存在です。今は彼らの子や孫の代が活躍している時代という言い方もできると思います。
 それともうひとつイギリスの音楽の特徴として、ニュー・オーダーやザ・キュアー、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの影響力の大きさを挙げることができます。そういった80年代のロックの音像って、イギリスで育った人には刷り込まれていると思うんですよ。その音像が10年代になって再び出てきたのかな、というふうに感じていますね。あとアメリカではザ・スミスの人気が00年代になってから火が点きましたよね。アメリカではUKのオルタナティヴなものが遅れて盛り上がる感じがあって、その影響が今になって出てきているのではないかと。だから今流行りの音像、Quiet Waveについては、けっしてブラック・ミュージックだけの文脈では語れないんですよね。

ブラックもホワイトもアンビエント的な音像に流れている。

小渕:今の時代への影響という点で重要なのがU2なのではないかという気がしています。彼らの『The Joshua Tree』という決定的な作品のサウンドを作ったのは、ブライアン・イーノとダニエル・ラノワですよね。だから今流行りの音像、Quiet Waveも遡れば実は、アンビエントの第一人者であるブライアン・イーノに行き着くのかなと。

マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのシューゲイズ・サウンドをアンビエント的な観点から捉えたのもイーノでしたよね。その後じっさいにスロウダイヴとは共作していますし。U2にかんしても、イーノ本人のアンビエントとは分けて解釈する見方もあるとは思うのですが、僕は『The Joshua Tree』のギターの残響やシンセ遣いにはイーノとラノワの影響が強く表れていると考えています。

小渕:その通りだと、僕も思います。それで、イーノとラノワはU2の次にネヴィル・ブラザーズの『Yellow Moon』を手がけていますよね。

これもふたりの色が濃く出たアルバムですね。

小渕:収録曲のひとつがグラミーを受賞していて、音楽好きなら知らない者はいないくらいの名盤ですが、やはりその影響力はすごく大きいと思います。僕は初めてジェイムズ・ブレイクのファーストを聴いたとき、『Yellow Moon』を思い出したんですよ。ボブ・ディラン“With God On Our Side”のカヴァーが入っているんですが、完全にノン・ビートで、アンビエントな音像のなかをアーロン・ネヴィルがひたすら美しく歌っている。ジェイムズ・ブレイクが自分なりの歌モノというのを考えたとき、ダブのバックグラウンドと、ネヴィル・ブラザーズのあの曲などをヒントにして、自分なりのヒーリング・ミュージックを作ったのではないでしょうか。

すごく興味深い分析です。

小渕:他方でアメリカでは、ジェイムズ・ブレイクの1年後、2012年にフランク・オーシャンの『Channel Orange』が出ています。ふたりは共演してもいますし、ジェイムズ・ブレイクのファーストからの影響は少なからずあるはずです。加えて、フランク・オーシャンはニューオーリンズ育ちです。ネヴィル・ブラザーズのホームタウンです。そして、アメリカのサウスといえば、これはテキサス発祥ですけれどスクリュー&チョップです。その影響も大きいと思いますね。

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今のアメリカのR&Bでは、アリーヤの影響力がすごく大きい。彼女とティンバランドが90年代の終わりにやっていた音楽的な試みが今になってすごく効いている。


Tom Misch
Geography

Beyond The Groove / ビート (2018)

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Jordan Rakei
Cloak

Soul Has No Tempo / Pヴァイン (2016)

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James Blake
James Blake

Atlas / ユニバーサル (2011)

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Frank Ocean
Channel Orange

Island Def Jam / ユニバーサル (2012)

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もう少し近いところでQuiet Waveの源流となるような動きはあったのでしょうか?

小渕:ティンバランドがアリーヤとやっていたことは大きいですね。

あの赤いアルバムですか?

小渕:その前後です。今のアメリカのR&Bでは、アリーヤの影響力がすごく大きい。死により伝説になったからというのもあるのでしょうが、それ以上に彼女とティンバランドが90年代の終わりにやっていた音楽的な試みが今になってすごく効いている。ティンバランドはトラックを作るとき“下”=ドラムスをポリリズムで敷き詰めましたけど、そうして“上”には広大な空間を作りだしました。だから自由に歌えるし、アンビエンスも多い。“We Need A Resolution”などがその好例ですが、その影響が今いろいろなところに表れています。

目から鱗です。アリーヤをアンビエントの観点から捉えたことはありませんでした。

小渕:そのアリーヤ由来のアンビエント・スタイルの流れを決定づけたのが、ジェネイ・アイコです。彼女のオフィシャルなファースト・アルバム『Souled Out』は、完全に今の流れの先駆けですね。彼女は日系だから、わび・さびのような感覚も持ち合わせていて、それがQuiet Waveを表現するのに適していたとも思うんですけれど、ヴォーカルはそこまで歌い上げる感じではない。いわゆるディーヴァではないんですよ。では、どうやって自分のヴォーカルを活かすかというのを考えたときに、アリーヤのように小さい声でささやくように歌うことを選んだのではないかなと想像しています。2014年当時ジェネイ・アイコは、アメリカでは新しい歌モノのアイコンになっていました。ケンドリック・ラマーとも共演していましたし。そこでアンビエントな音像、アブストラクトなメロディ、囁くような歌、というフォーマットが確立されて、今に至る。それがアメリカの流れですね。

その流れに、ミシェル・ンデゲオチェロのような90年代組も乗っかってきている。

小渕:彼女はもともとこういうサウンドが好きな人でしたけれど、ブラック・ミュージックってやっぱりそのときの流行に乗っていかなきゃいけない、乗っていくからオモシロイ音楽なので、たとえばレイラ・ハザウェイのようなヴェテランも今はアンビエントなサウンドでやっています。ミシェルの場合はさらに、ディーヴァ系ではないので、今流行りのスタイルがハマるというのもあると思います。やっぱりディーヴァ系の人がQuiet Waveなサウンドでガーッと歌ってしまうと、「ちょっと違う」ということになってしまうのではないでしょうか。たとえばマシュー・ハーバートがサウンドを作っているエスカ、彼女はものすごいゴスペルを歌えちゃう人なんですよね。でもちゃんとハーバートの求める歌い方ができている。ほんとうにしっかり歌い上げてしまうとQuiet Waveにはハマらないのかなと思います。

ビヨンセはアウトだけど、ソランジュならイン、ということですね。

小渕:ソランジュはデビュー当時から姉とは違うオルタナティヴなスタンスでやっていて、ディーヴァとして歌い上げなかったんですよね。だからこそ、今のQuiet Waveの流行のなかでは姉より輝いている。ビヨンセは今に限って言えば、次に打つ手がないのかなという気もします。たった今は、あのハイパーな歌は合わないんですよ。ただ音楽の歴史は反動の繰り返しですから、いまこれだけアンビエントが流行っていると、次はまたハイパーな時代が間違いなく来ると思います。


10年代の「ネオ・ソウル~Quiet Wave」の関係性って、70年代の「ニュー・ソウル~Quiet Storm」の関係性と非常に似ているんです。


Jhené Aiko
Souled Out

Def Jam / ARTium (2014)

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Meshell Ndegeocello
Comet, Come To Me

Naïve / Pヴァイン (2014)

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Eska
Eska

Naim Edge / Pヴァイン (2015)

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ビヨンセは『Lemonade』の“Formation”で#ブラックライヴズマターとの共振を示しました。サウンドは異なりますが、ソランジュも同じ年の『A Seat At The Table』で人種差別にかんする歌を歌っています。そういうポリティカルな要素も、Quiet Waveに影響を与えているのでしょうか?

小渕:コンシャスになっているというのは確実にそうでしょうね。たとえば今調子がいいのは、ほとんどがシンガー・ソングライターです。スティーヴィ・ワンダーが最大のロールモデルになっていて、逆にメアリー・J・ブライジのように誰かに書いてもらった曲を歌うというタイプのシンガーが出にくくなっている。それはやはり、自分の言葉で歌わないとリアルじゃないという、ヒップホップ以降の感覚が浸透した結果だと思うんです。

70年代のソウルも社会的・政治的でした。

小渕:ニュー・ソウルと呼ばれるものはそうですね。1971年にマーヴィン・ゲイの『What's Going On』が出て、ダニー・ハザウェイやカーティス・メイフィールドもすごく社会的なメッセージ性のある音楽を発していました。ただ『What's Going On』って、毎日聴きたい音楽ではないんですよ。毎日メッセージばかり聴いてはいられない。そこで、1975年にスモーキー・ロビンソンが『A Quiet Storm』というアルバムを発表していますが、ずっとコンシャスなものばかり聴いてはいられないよ、ということだったんだと思います。アメリカでは70年代半ば頃から増えてきた中間層に向けた、夜のBGMとして作っていた側面もあったと思います。中間層向けだから演奏も洗練されたもので、ベッドのうえのBGMでもあったからうるさくない。今のQuiet Waveの要素は、スモーキー・ロビンソンの“Quiet Storm”にすべて入っていたのかなという気がしています。「Quiet Storm」という言葉はその後ラジオのフォーマット、ひいてはジャンル名にまでなってしまうくらいでしたが、それくらいすごい曲だったんだと思います。

社会的・政治的であることに対するカウンターということですね。

小渕:今の時代の人びとにとっての『What's Going On』って、ディアンジェロの『Black Messiah』ですよね。ただあれは、ずっとそれだけを聴いていられる音楽ではない。Quiet Waveはその反動なんだと思いますね。あるいは「#ブラックライヴズマター疲れ」と言ってしまってもいいかもしれない。10年代の「ネオ・ソウル~Quiet Wave」の関係性って、70年代の「ニュー・ソウル~Quiet Storm」の関係性と非常に似ているんです。大きくて強いムーヴメントが起こると、必ずそのカウンターが来る、というのがアメリカの音楽業界ですね。

弁証法的ですね。

小渕:音楽はとにかくカウンター、カウンター、カウンターで進んでいくことが、歳を取るとほんとうによくわかります。その前に流行っていたものに対するカウンターが次の時代を拓いていく、そういう動きが何十年も繰り返されている。いま静かでアブストラクトなQuiet Waveが流行っているのは、そのまえのEDMやエレクトロ・ポップのブームが強大だったからこそだと思うんです。


テクノロジーの進化によって00年代とは異なる音像が作れるようになって、アーティストたちはそれを楽しんでいるんだろうと思いますね。

Quiet Waveの流行は、テクノロジーの変化も関係しているのでしょうか?

小渕:実はそれが最大の要因かも知れなくて。今の聴取環境の主流は、欧米はサブスクリプションですよね。サブスクは定額だから、ずっとつけっぱなしで曲を鳴らすことができる。そうすると一日のなかで、うるさい曲をずっと続けて聴くことはなくて、むしろBGM的に流している時間のほうが多い。あと、サブスクはイヤフォンかヘッドフォン、あるいはスピーカーでもハンディなもので聴くことが多いと思うんですが、そういった機器で聴いたときに気持ちの良い音像って、音数が少なくて立体的なものです。Quiet Waveはそういう聴取環境の変化にも対応していると思いますね。これは細野晴臣さんがラジオで言っていたことなんですが、今の音はヴァーチャルだと。

それは、生楽器ではなく打ち込みである、という意味ですか?

小渕:いえ、打ち込みが2010年代になって進化したという話です。たとえば低音って、以前は実際に「ブーン」と出ていて、身体にボンッと振動が来ていたわけですけれど、細野さんいわく、今の音は実際には波動が出ていないんだと。でもあたかも低音が「ブーン」と鳴っているかのように作れてしまうと。

物理的に違ってきていると。

小渕:それは、ハリウッド映画のサウンドから始まり、波及してきたそうなんですけど、音楽で最初にやったのはDr. ドレーだったと思うんです。『2001』(1999年)は音楽の新時代のはじまりでした。あのアルバムは、ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』のために作ったTHXという映画用のサウンドシステムのシグネイチャー音で幕を開けます。あれは、「これから一編の映画がはじまる」という合図であるのに加えて、「これまでとはサウンドの次元が違うんだ」ということをドレーは言いたかったんだと思うんですよ。『2001』から打ち込みサウンドがかつてない、超ハイファイになって、ひとつ違う段階に入った。あのときと同じように、10年代になってから、テクノロジーの進化によって00年代とは異なる音像が作れるようになって、アーティストたちはそれを楽しんでいるんだろうと思いますね。ソランジュも新作について、歌詞を削ってでもビートを、サウンドを聴かせたかったと言っています。ひとつのドラムの音を決めるのに18時間かかったと。彼女のような人にとっては、10年前とまったく違う音楽を作れることがおもしろくてしかたがないんじゃないでしょうか。

Quiet Waveはヴェイパーウェイヴともリンクするところがあるのではないかと思っています。おそらくリスナー層はかぶっていないんでしょうけれど、ヴェイパーウェイヴもある意味で現代のアンビエントですよね。

小渕:おっしゃるとおりだと思います。いまのサブスク時代の聴取のあり方を考えると、20代とか10代にとっては、ああいうちょっとアンビエントなスタイルがいちばん合っているんでしょうね。僕はサンプリングが好きだからヴェイパーウェイヴもよく聴くんですが、小林さんのおっしゃるとおり動きとしては重なっていると思いますよ。

時代の無意識のようなものですね。

小渕:聴取環境の変化と制作機材の進化、そのふたつがいちばん大きいですね。それを背景に、アンビエントな音像とメロディのアブストラクトな歌モノが合わさって出てきたのがQuiet Waveで。もちろんそれは前の流行に対するカウンターでもありますから、次はきっとまた違うスタイルの音楽が盛り上がっていくことになるでしょうね。

CAFROM - ele-king

 スカやロックステディを取り入れながら、甘いメロディにハードな歌詞を載せるバンド、CAFROMがいまライヴハウスのシーンで話題になっている。昨年暮れに〈Feelin'fellows〉から出した1st EP「Letter To Young Djs」は瞬間的に完売、そのセカンドEPがこのたびリリースされる。
 CAFROMとは、松田CHABE岳二が下北沢のライヴハウスTHREEにて毎月9日に行われている〈9Party〉のために、身近なバンドマンに声をかけてはじまったバンド。新作は、はRAMONESとジャポニカ・ソング・サンバンチのカヴァー2曲(ひとつは反レイシズムの曲ですね)。完売した1st EPのリプレスも同時リリースされます。
 また、レーベルの元でもあり、このバンドの拠点である下北沢THREEのパーティ〈Feelin'fellows〉の拡大版が5月でリキッドであるので、そちらもぜひどうぞ〜。

 十和田市現代美術館での毛利悠子さんの個展《ただし抵抗はあるものとする》の目玉作品であるインスタレーション《墓の中に閉じ込めたのなら、せめて墓なみに静かにしてくれ》の展示室にむかう廊下の壁面には映像作品《Everything Flows : Interval》を映写している。いや「いた」と過去形で書くべきなのは、毛利さんの個展は北の地に桜前線がおとずれるよりひとあしさきに十分咲きの桜のごとく好評のうちに先週末に千秋楽をむかえたからであり、私はまことに残念なことに会期中に彼の地をおとずれることがかなわなかったが、3月初旬に毛利さんとナディッフで対談したおり、ジガ・ヴェルトフの『カメラを持った男』(1929年)を抜粋再編したという《Everything Flows : Interval》を壇上で拝見した。毛利さんがなぜジガ・ヴェルトフの映画を題材にしたかは、私の能書きよりも個展の図録にして現在の彼女の思索の一端がかいまみえる展覧会と同名の著書を繙かれるのが近道だが、映画の黎明期をいくらかすぎ、20世紀モダニズム文化が花開いた時代に、ロシアを舞台に当時最先端の技法をもちい、映画を撮ることについての映画を撮ったジガ・ヴェルトフの、1932年の日本公開時の邦題を『これがロシヤだ』というモノクロ、サイレントのドキュメンタリーフィルムから毛利さんが抜いたのは、しかしこの作品を映画史の前衛たらしめたシーンよりむしろそれらのあいだをつなぐなにげない余白のような場面だった。その意図については、それだけでかなりの紙幅を割くことになる──ネットですけれどもね──のでここではたちいらない。ただひとことつけくわえると、フィルムは撮影者の意図しない映像をとらえることがしばしばある、この機制は映画にかぎらず、写真や録音物といった近代テクノロジーを媒体にもつ表現形式にはつきもので、その点で映像の初発的な偶然性をレコード、ことに実験音楽や即興音楽における記録のあり方に敷衍したデイヴィッド・グラブスの『レコードは風景をだいなしにする』(フィルムアート社)の論点にかさなるものがあると、私はそのさいもうしあげた。すなわち主たる対象にあたらないものが接続詞の役割をえて、作品の力動の淵源になっており、それをぬきだせばつくり手にひそむものがみえる(かもしれない)ことが過去の映像や録音物にふれるにあたっての旨味のひとつともなる。再解釈、再定義、再発見をふくむ聴取や視聴のあり方は眼前にそそり立つアーカイヴの存在に気づいたころにははじまっており、毛利さんをふくむ誠実な方々の表現はそこに内在する批評の感覚でアーカイヴを触知する、そのような作家の身体/感覚は90年代をひとつのさかいに十年期の終わりにはさらに深まっていった。

 ザ・シネマティック・オーケストラ(以下TCO)がグループをひきいるジェイソン・スウィンスコーの勤め先だった〈ニンジャ・チューン〉から『モーション』でデビューしたのは90年代と20世紀が終わりかけた1999年だった。いま聴き直すとアシッド・ジャズ、トリップ・ホップないしブレイクビーツなることばが矢継ぎ早に脳裏をかすめ、目頭を熱くさせるこのアルバムは、しかしいわゆるモダン・ジャズやスピリチュアル・ジャズを土台に、室内楽風のストリングスや緻密に構築したリズムを加味したことで、クラブ・ジャズがリスニングタイプに脱皮する画期となった──というのは大袈裟にすぎるのだとしても過渡期をうつしだしていたのはまちがいない。さらにTCOは世紀をまたいで3年後にあたる2002年のセカンド『エブリデイ』ではヴォーカル曲をふくむ構成で、先の傾向をより盤石なものとした。アリス・コルトレーン風のハープの爪弾きで幕をあけるこの作品は前作以上に曲づくりに重点を置き、起伏に富む曲調が名は体をあらわすかのごとき佇まいをしめしている。往年のソウル歌手フォンテラ・バスを担ぎ出し、音的にも意味的にも厚みを増したサウンドは今日までつづくTCOの音楽性の雛形にもなった。ゆっくりと立ち上がりじっくりと語りゆく音の紡ぎ方はさらに映像喚起的になり、なるほどシネマティックとはよくいったものよ、との慨嘆さえ漏らさざるをえない『エブリデイ』の扇の要の位置に置いたのが“Man With The Movie Camera”すなわち「カメラを持った男」と題した楽曲だった。

 私はこのとき、来日したスウィンスコーに話を聴いた憶えがあり、ジガ・ヴェルトフの映画についても質問したはずだが、昔のことなので記憶はさだかではない。それとも取材したのは次作のときだったか。いずれにせよ、『エブリデイ』の次作は2003年に世に出た。タイトルを『マン・ウィズ・ア・ムービー・カメラ』という。すなわち『カメラを持った男』だが、じつは2作目と3作目は前後関係が逆なのだった。『マン・ウィズ・ア・ムービー・カメラ』は表題のとおり、ジガ・ヴェルトフの同名作の全編にわたり音をつけた作品だが、もとはEU主催の文化事業で映画に生演奏をつけるプロジェクトの一貫として2001年におこなわれたものが2003年にレコードになったのだった。したがって『マン・ウィズ・ア・ムービー・カメラ』の演奏はライヴがもとで、耳をそばだてるとリズムのゆらぎも聴きとれる一方で音像にはスタジオ録音以上に奥行きが感じられる。映像と音を同時に再生すると楽しさもひとしおというか、YouTubeにも映画とサウンドを同時再生した映像があがっているので、公式か非公式かはぞんじあげないが、興味のある方はご覧いただくとして、そのなかでも『エブリデイ』に収録(再録)した表題曲“Man With The Movie Camera”からインタールード的な“Voyage”~“Odessa”を経て“Theme De Yoyo”にいたるながれは白眉である。その最後に位置する“Theme De Yoyo”はアート・アンサンブル・オブ・シカゴがモーシェ・ミズラヒ監督による1970年のフランス映画『Les Stances à Sophie』に提供したサウンドトラックからの抜粋で、原曲の歌唱はAEOCのレスター・ボウイーの奥方でもあるフォンテラ・バスが担当している。この背景が『エブリデイ』の“All That You Give”や“Evolution”へのバスの参加のきっかけだったと推察するが、おそらく同時並行的に進行していた『エブリデイ』と『マン・ウィズ・ア・ムービー・カメラ』へのとりくみがTCOをコンセプト主導型のプロジェクトから音楽的内実を備えた集団に脱皮させた、そのような見立てがなりたつほど2000年代初頭の作品は力感に富んでいる。

 上記3作を初期のサイクルとすると、その4年後に世に出た『マ・フラー』は彼らの次章にあたる。花を意味する仏語を冠したこのアルバムでTCOはこれまで以上に歌に比重を置いている。前作につづきフォンテラ・バス、新顔のパトリック・ワトソンとルイーズ・ローズが客演した『マ・フラー』は映像喚起的というより音がイメージそのものでもあるかのように運動し、ジャズの基調色は後景に退いている。作品の自律性をみるひとつの指標である空間性が『マ・フラー』にはあり、それが彼らの代表作たるゆえんでもあるが、なかでもしょっぱなの“To Build A Home”はTCOの世界にリスナーをひきこむにうってつけである。TCOの首謀者スウィンスコーは最新のオフィシャル・インタヴューでこの曲について「当時あれを〈Ninja Tune〉に届けた時、彼らはああいう曲を期待していなくて戸惑ってた」のだという。ところがこの曲は「本当にたくさんの人に響いた」ばかりか、ストリングスやピアノなどのクラシカルな編成を効果的にもちいた編曲はTCOがアレンジによる色彩感、ときにくすみ、ときに鮮烈でもある色彩感を自家薬籠中のものとしたことを意味していた。

 まさに「ホームを建てた(Build A Home)」というべき『マ・フラー』をものしたザ・シネマティック・オーケストラだったが、しかし彼らはその後12年の長きにわたる沈黙期に入ってしまう。12年といえば、きのう生まれた子どもが中学にあがり、干支がひとまわりするほどの時間である。いかに居心地のいいわが家とはいえ手を入れなければならない箇所も目立ってきた。とはいえリフォーム代もばかにならない。悩ましいところだが、手をこまねいていてはますます腰が重くなる──おそらくこのような生活感とは無縁の地平で、スウィンスコーは『マ・フラー』以降のTCOの行き方を熟考し動き出した。

 そこには環境の変化も寄与していた。スウィンスコーは長らく住み慣れたロンドンを離れ、2000年代なかばにはニューヨークへ、その後ロサンゼルスに拠点を移している。実質的に「ホーム」を離れていたのだが、それにともない他者との共同作業を中核に置く音づくりの方法も必然的に変化した。結果、新作『トゥ・ビリーヴ』は歌への志向性で前作をひきつぎ、旋律線の印象度はさらに深まったが、それ以上に歌唱と編曲の多様性で前作をうわまわるレコードになった。そもそも前段の発言の直前にスウィンスコーはこうもいっている。「僕は自分のやったことを繰り返したくないし、繰り返すことに意味を見出せない」このことばは生き馬の目を抜く音楽業界でいかに誠実に音楽をつくりつづけるか、その決意をしめしたものともとらえられるが、発言はさらに音楽が生きながらえるにはスタイルにとらわれないことが肝要だとつづいていく。スウィンスコーの発言を裏書きするように、『トゥ・ビリーヴ』は形式よりもリズムや音響といった音楽の原理にちかい部分に注力し、何度聴いても聴くたびに滋味をおぼえる一作になっている。私はこのアルバムを最初、レコード会社主催の試聴会で、さらにレコード会社のストリーミングで発売後はCDで愛聴しているが、再生環境やデータの種類のちがいによらず、音の表情に相同性があるのは、細部の再現性に気を配っているからで、そのようにすることで各エレメントがパズルのピースをくみあわせるように聴覚上でぴったりかみあうのである。その意味で『トゥ・ビリーヴ』は人声から器楽あるいはサンプリングのいち音にいたるまでどれが欠けてもなりたたないが、なかでも、フライング・ロータスからサンダーキャットまで、現行のLAシーンと深くコミットするミゲル・アトウッド・ファーガソンの手になるストリングスの存在感はきわだっている。『トゥ・ビリーヴ』でスウィンスコーの片腕となったドミニク・スミスのひきあいで参加し、96テイクものトラックを提供したというアトウッド・ファーガソンは通常のオーケストラの編成ともちがう、何挺もの同種の弦をかさねており、意図的に帯域を狭くとったなかにそれらが輻輳することで、クラシック音楽をたんになぞるだけではない『トゥ・ビリーヴ』の音響感覚を特徴づける音響空間ができあがっている。この実験的なサウンドデザインが『エブリデイ』以来の登場となるルーツ・マヌーヴァや、LA人脈のモーゼス・サムニーや常連のタウィアの歌声と併走するとき、ザ・シネマティック・オーケストラの新章はふくよかなイメージの広がりとともに延伸する、その過程をこの目で確認する機会がちかづいているとは、なんともはやラッキーなことといわねばならない。

Kelsey Lu - ele-king

 朗報です。ソランジュケレラOPNブラッド・オレンジなどの諸作に参加してきたチェリスト兼シンガー兼プロデューサーのケルシー・ルーが、ついにファースト・アルバムをリリースします。プロダクションにはジェイミー・XXやスクリレックスが参加している模様。昨年公開されたシングル“Due West”と10ccのカヴァー“I'm Not In Love”も収録。楽しみですね。

artist: Kelsey Lu
title: Blood
release: 2019.04.19
label: Columbia

Tracklist:
01. Rebel
02. Pushin Against The Wind
03. Due West
04. KINDRED I
05. Why Knock for You
06. Foreign Car
07. Poor Fake
08. Too Much
09. I'm Not in Love
10. KINDRED II
11. Atlantic
12. Down2ridE
13. Blood

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316