「You me」と一致するもの

The Caretaker - ele-king

 スタンリー・キューブリックの映画『シャイニング』を見ていると、懐かしさという感覚は恐怖にもなり得ることがよくわかる。文化的に飽和し、政治的にも行き詰まった現代では、ノスタルジーとは、逃避と苦しみの表裏一体かもしれない。

 90年代から活動する、イギリス出身のエレクトロニック・ミューシャンのジェームス・カービーによるザ・ケアテイカー名義の作品は、よく知られるように、『シャイニング』を契機としている。主人公が不可避的に幻視してしまう幽霊たちの舞踏会、そこで鳴っている音楽は、現在ではない遠い過去の音楽=30年代のソフト・クラシックやジャズである。カービーは、およそ20年かけてその時代のレコード(78回転の10インチ)を蒐集し、ザ・ケアテイカー名義の作品においてコラージュされる音源として使用した。“現在”が不在であること、と同時に、懐かしさに魂が抜かれていくこと。やがてザ・ケアテイカーは記憶障害をコンセプトにするわけだが、アルツハイマー病が進行している作者が、病状のステージごとに作品を発表するというシリーズ『Everywhere At The End Of Time(時間が終わるあらゆる場所)』は2016年にはじまっている。その1曲目“It's Just A Burning Memory(まさに燃える記憶)”は、パチパチ音を立てるチリノイズの向こう側で、遠い過去の音楽=30年代のソフト・クラシックやジャズが鳴っているという構図だった。
 去る3月に発表された同シリーズ6作目の『Everywhere At The End Of Time - Stage 6』は、最終作となっている。(その“ステージ6”の前にボーナス・アルバムのようなもの『Everywhere, An Empty Bliss(あらゆる場所、空っぽの幸福)』も発表している)
 20分以上の曲が4曲収録されている本作は、シリーズの初期の作品とはだいぶ趣が異なっている。“A Confusion So Thick You Forget Forgetting(あなたが忘れたことを忘れる濃厚な混乱)”、“A Brutal Bliss Beyond This Empty Defeat(この空っぽの敗北を越えた残忍な幸福)”、“Long Decline Is Over(長き減退の終焉)”、“Place In The World Fades Away(消えゆく世界の場所)”……こうした曲名からもじょじょに記憶を失っていく状態が描かれていることがわかるように、シリーズの1作目~3作目にはまだ輪郭を有していた音像は、4作目以降は音の輪郭は溶解し、靄がかかり、混乱し、腐り、ノイズによって断線していく。幽霊さえも消えていく。そして本作においては、音がじょじょに音ではなくなっていくような感覚が描かれている。それは時間の終わりをどう表現するかということであり、音楽は記憶を失い、消えることによってのみ甦るということでもある。

 マーク・フィッシャーの“hauntology”において、大いなるヒントとなったのがベリアルとこのザ・ケイテイカーだが、最近は、ほかにもフィッシャーが評価したアーティストたちの作品が発表されている。バロン・モーダント(Baron Mordant)はダウンロードのみだが『Mark of the Mould』というアルバムをリリースした。これも力作であり、いずれ紹介したいと思っているが、ブラック・トゥ・カム(Black To Comm)も新作を出したし、ブリストルのドラムンベースのチーム、UVB-76 Musicの粗野で不吉な作品にはフィッシャーの影響を感じないわけにはいかない。ゴールディーの“Ghosts Of My Life(わが人生の幽霊たち)“を引き継ぐサウンドとして。そういう意味ではまだここには幽霊たちはいる。

野田努

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 当然ながら、芸術は進化しない。技術は進化するとしても。

 一枚の絵がある。緑とグレーが混ざった背景の前に、黄土色の、縦長の板が立っている。板の前面には青のテープが「井」の形を作るように無造作に貼られている。左下に影ができていることから、板は真正面ではなく少し左側からの視点で描かれていることを認識できる。具象的だが実在感を欠いた、この世界に居場所がないような心許なさを伝えるこの絵はイヴァン・シールという作家によるもので、ザ・ケアテイカーの6枚の連作『Everywhere At The End Of Time』シリーズの最後の一枚のアルバム・ジャケットである。

 『Everywhere At The End Of Time』は、2016年にその1作目が発表され、2019年3月の6作目の発表を持って完結した。総時間およそ6時間30分。ジェイムズ・リーランド・カービーによって1999年より開始されたザ・ケアテイカー名義のプロジェクト自体も、本作を持って終了するという。この連作のジャケットは全てカービーと同郷・同年代のシールが担当しており、画家と音楽家が連携した作品という印象を強く残す。

 本作が認知症の進行具合をトレースした作品であることは最初から伝えられていたが、最後まで聴き通すと、そのコンセプトが律儀なまでに貫徹されていることがわかる。1920~30年代の甘美で通俗な大衆音楽のループが、次第に残響音とレコード針のノイズにまみれ、やがて「楽曲」の体をなさない完全な騒音と化す。「ゴォォ」「ファァ」「ザザ」「ツーーゥブツ」といった擬音でしか表せない世界に呑み込まれると、この作品が記憶の喪失のシミュレーションであることをはっきりと実感できるだろう。6枚の連作はそれぞれ「ステージ」と名指されており、認知症の進行具合を示していることがバンドキャンプのサイトの説明文で示される。ステージ6は「without description(説明なし)」とだけ書かれており、具体的な言葉は用意されていないが、収録された4曲には題名がある。「A confusion so thick you forget forgeting(混乱が極まり、君は忘れることを忘れる)」、「A brutal bliss beyond this empty defeat(この空虚な敗北の果ての残忍な至福)」、「Long decline is over(長い衰弱が終わった)」、「Place in the world fades away(世界から居場所がなくなる)」。タイトルの連なりからもわかる通り、最後には世界に自分の場所があることを認識する装置、つまり「記憶」が壊れる。たとえ生命活動が継続していたとしても、それは「人間」にとって〈死〉に等しい。

 このような「死のシミュレーション」の前例として、ギャヴィン・ブライアーズ『タイタニック号の沈没』(1969年)が挙げられる。沈み行く船の中で、六人の弦楽器奏者が聖歌の演奏を続けたというエピソードを可能な限り忠実に再現した本作は、〈死〉の裏返しとしての穏やかさを描いたという意味で、アンビエントの本質を体現している。この曲の録音盤の一つはブライアン・イーノの〈オブスキュア・レコーズ〉からリリースされているが、イーノが「アンビエント」という言葉を初めて使用した最初のアルバム『Music For Airports』(1975年)は「飛行機が墜落しても鳴り続けることが可能な音楽」として作られた。〈死〉と隣り合わせの穏やかさこそが「アンビエント」の定義である。

 上記の意味で、『Everywhere At The End Of Time』は正しくアンビエントを継承した作品であると同時に、〈死〉を内側から眺めたという点で画期を成している。絶対的な断絶としての〈死〉を内側から観察することは不可能だ。だが、記憶は少しずつ死んでいく。そこには時間があり、音楽の入り込む余地がある。カービーは、記憶が「人間」の生を成り立たせる条件であることを見抜き、記憶の消滅を音に演じさせることで、音楽における〈死〉の表現方法を更新したのだ。

 この更新は決して「進化」ではない。ギャヴィン・ブライアーズとザ・ケアテイカーの間に優越をつける意味は全くない。ここ数十年の技術の進歩によって、人間の〈死〉の定義は揺らいだ。脳が活動を停止しても生命機能は維持できるし、他人の身体の一部を移植して生きる人間もいる。生命活動が停止した後で意識が残るような事態も決して非現実的とは言い切れない。現在の人間界では、生死の境界は生命活動の有無で決めることはできないのだ。そして、〈死〉が揺らぐ世界に対応する表現を見出したのが、ザ・ケアテイカーだった。ただそれだけのことである。今、作られるべき作品は、時代において変化する。その変化を見抜く力こそが表現者の条件であり、新しい技術を駆使すればそれが優れた芸術になるわけでは決してない。ザ・ケアテイカーの紹介者でもあった故マーク・フィッシャーは、2000年代のポップ・ミュージックから「新しさ」が喪われたことを嘆いた。だが「新しさ」は、新しい表現にとって何の価値もないのだ。

 『Everywhere At The End Of Time』の終わりに耳を済ませる。内側から眺めた〈死〉に美しさはない。救いもない。吹きすさぶ風とうごめく地響きのような音が垂れ流されるステージ6の録音は、ほとんどただの雑音だと断じてもいい。荒涼とした音風景とともに時を過ごしていると、やがて薄く引き伸ばしたパイプオルガンを思わせる響きが耳に届く。感じるのは空虚で物体的な質感だ。イヴァン・シールが描いた木の板のような、何の役にも立たない、美しさのかけらもない物質の肌触り。それだけが、鼓膜の振動から伝わる。物質として存在していたとしても、心はもう生きていない。今、ここに呆然と突っ立っている、世界に居場所を欠いたモノの姿を、無意味で無価値な〈死〉の有り様を、カービーとシールは音響と絵筆の震えから伝導させる。その細やかな震えこそが、「芸術」と人が呼ぶものの正体である。

伏見瞬

Moodymann - ele-king

 昨年12インチ「Pitch Black City Reunion」をリリースし、アルバムへの期待が昂まっていたムーディマンですが(当のアルバムじたいは結局お蔵入りに)、新たな情報が飛び込んでまいりました。先月デトロイトで限定発売され話題をさらった12インチ「Sinner」のデジタル版が、今月21日にリリースされます。5曲入りだったアナログ盤からは表題曲が省かれ、代わりに“Got Me Coming Back Rite Now” “Downtown”の2曲と、2014年の『Moodymann』に収録されていた“I Got Werk”のライヴ・ヴァージョンが追加されます(計7曲入り)。現在“I'll Provide”が公開されていますが、めっちゃかっこいいです。予約は bandcamp から。

Moodymann
Sinner
KDJ
KDJ​-​48
21.06.2019

1. I'll Provide
2. I Think Of Saturday
3. Got Me Coming Back Rite Now
4. If I Gave U My Love
5. Downtown
6. Deeper Shadow
7. I Got Werk (live)

https://moodymann.bandcamp.com/album/sinner-kdj-48-2

NOT WONK - ele-king

 そもそもなぜわたしたちは「洋楽」を聴くようになったのだろう。今年に入ってから二度、そう振り返るきっかけとなるような出来事があった。一度めは3月のコートニー・バーネットの来日公演。そして二度目が5月に LIQUIDROOM でおこなわれた NOT WONK のライヴだ。
 ふだん発達障害の子どもたちを支援するNPOで働いているというヴォーカル&ギターの加藤修平は、ぼそっとつぶやくようにこう言った。「隣りの人に優しくしなさいって曲」。彼はこの日、会場にスペースがあることを肯定的に捉えていた。それはつまり見知らぬ誰かを迎え入れる広さや余裕があるということで、このとき彼が日本社会の排他性や閉鎖性を念頭に置いていたのはほぼ間違いないだろう。かすかに爪弾かれるギターの残響をバックに、「すぐ横にいる人もそうだけど、隣りの国の人とかも「隣りの人」だから」と紹介が続く。静かに参入するドラムス。「“Shattered”って曲」。

 苫小牧出身の3人組、NOT WONK による3枚目のアルバムは、「隣りの人」に厳しいことが当たり前になってしまったこの国においてもまだ、そしてギター、ベース、ドラムスというある意味では古臭くなったとも言えるシンプルな構成でもまだ、やれることはたくさんたくさんあるんだと、そう主張しているかのようだ。
 彼らがいわゆる邦楽よりも「洋楽」のほうにどっぷり浸ってきた人間であることは、『The Bends』のころのレディオヘッドを想起させる“Shattered”や、J・マスキスないしガイデッド・バイ・ヴォイシズを彷彿させる“Come Right Back”を聴くとよくわかる。とはいえ“Of Reality”や“I Won't Cry”といった曲の展開に表れているように、彼らは「洋楽」をそのままトレースしているわけではなくて、ヴァースとコーラスのあいだに大きな飛躍を用意したり随所でリズムを崩したりと、グランジ以降のオルタナティヴな感覚を基調としながら、巧みな手さばきでその参照項を次々と換骨奪胎していく。ときには日本的な要素も顔を覗かせるが、その迷いのない折衷具合には、同調圧力のハンパないこの国においてただひたすら他人と違うためにはどうすればいいのかを考え続けてきたという、加藤の想いが強く表れているように思われる。当たり前だが、他人と違っているためにはまず、他人を知らなければならない。

 全篇英語のリリックもまた NOT WONK の魅力のひとつだろう。軽快なロックンロールの旅路をノイズの嵐が強襲する1曲目“Down the Valley”では「いつでも変われるようにいないとね」と歌われ、彼らが絶望とは無縁な場所で音を奏でていることを教えてくれる。あるいは「貧乏っていうのは恐怖から生まれ落ちて度を失った連中が叩き売ってるんだ」「チャブたちのことは要らない?」と歌われる2曲目“Subtle Flicker”にはイギリスのコラムニスト、オーウェン・ジョーンズからの影響が落とし込まれている。NOT WONK は気がついているのだろう。「隣りの人」にたいする想像の欠如と経済的な貧困問題とがじつは密接に関わりあっているかもしれないことに。

 そもそもなぜわたしたちは「洋楽」を聴くのか。なかにはいや、俺は「邦楽」とか「洋楽」とか分けてねえから、平等に聴いてっから、分けてんのはそっちだから、音が良けりゃそれでいいから、という人もいるかもしれない。その並列化が必ずしもダメなことだとは思わないけれど、ただそれは自分たちじしんについても相手についても深く顧みる気なんてさらさらありませんよという態度表明にも転化しうるというか、ある意味ではサードインパクトよろしく全体と同化してしまうことだとも言える。けだし、わたしたちが「洋楽」を聴くのはみずからをちゃんと異化したいと、どこかでそう願っているからではないだろうか。この問いに答えはないのかもしれないが、ただひとつたしかなのは、NOT WONK が音楽をとおしてそういったことを考えさせてくれるこの国では稀有な、であるがゆえにその動向が気になる、信頼の置けるバンドであるということだ。

※ 6月26日発売の紙版『ele-king vol.24』には NOT WONK のインタヴューが掲載されています。

Nubya Garcia - ele-king

 これは朗報だ。2017年に〈Jazz Re:freshed〉よりリリースされていたヌビア・ガルシアのファースト・アルバムが日本盤となって蘇る──。ジャイルス・ピーターソンが「スターになるだろうね」と太鼓判を押すサックス奏者、今年頭に出た新作で彼女をフィーチャーしていたスウィンドルは「ヌバイア・ガルシア」と発音していたけれども、ネリヤ(Nérija)やマイシャといった重要グループの一員としても活躍しているこの次世代のホープは、昨年とくに目覚しい活躍を見せていて、UKジャズの流れを決定づけたコンピ『We Out Here』への参加を筆頭に、松浦俊夫グループ『Loveplaydance』、サンズ・オブ・ケメット『Your Queen Is A Reptile』、ジョー・アーモン・ジョーンズ『Starting Today』、マカヤ・マクレイヴン『Universal Beings』と、2018年のキイとなる作品にことごとく客演している。セカンド・アルバムにたいする期待も昂まっているいまだからこそ、あらためて彼女の1枚目を聴きなおす意義も増していると言えるだろう。
 ジョー・アーモン・ジョーンズ(p)、モーゼス・ボイド(dr)、フェミ・コレオソ(dr)などいまをときめくプレイヤーたちが集結、マッコイ・タイナーのカヴァーも収録したファースト『Nubya's 5ive』の日本盤は8月2日に〈Pヴァイン〉より発売。

Amazon / Tower / HMV

STOLEN - ele-king

 これは爆弾かもしれない。ダークなエレクトロニック・サウンドを響かせる中国四川省は成都の6人組、その名もストールン(秘密行動)が8月7日に日本デビュー・アルバム『Fragment』をリリースする。彼らの楽曲はニューウェイヴ~ゴシック~シンセ・ポップなど、間違いなく英米ロックから影響を受けているが(10月からはニュー・オーダーのツアーに同行することも決定しているそう)、音楽については保守的で厳しいという中国において、なぜこのようなバンドが登場するに至ったのか? ワーキングクラス出身のフロントマン、リャン・イーによれば、まず海賊盤でポーティスヘッドやジョイ・ディヴィジョンと出会い、その後ネット経由でさまざまな海外の音楽にアクセスしていったのだという。なかでもクラフトワークの存在は大きかったようで、借金までしてライヴを観に行ったのだとか(そのあたりの経緯はHEAPの記事に詳しい)。気になる点はまだまだ多いが、いまは続報を待とう。

[7月5日追記]
 本日、8月リリースのアルバムより収録曲“Chaos”が先行配信された。またなんと、同曲の石野卓球によるリミックスも公開、同氏からはコメントも届いている。「このダイナミックなトラックをリミックスできて光栄です。楽しくできました」とのこと。配信はこちらから。

STOLEN

ダークでミステリアスな、テクノとロックのミクスチャー・サウンドが、ヨーロッパのアンダーグラウンド・シーンで注目を集める、中国のインディーズ・バンド“STOLEN(ストールン)”が、今年8月、日本でデビュー・アルバム『Fragment(フラグメント)』をリリースすることが決定しました。

“STOLEN(漢字表記では“秘密行動”)”は、中国で今最も刺激的な音楽シーンのひとつとして知られる四川省の省都・成都(せいと)を拠点に活動する、平均年齢26歳の5人の中国人と1人のフランス人で構成されるバンドです。

STOLEN Trailer for Japan
https://youtu.be/eeEbvS1hsYY

プロデューサーは、イギリス、マンチェスター生まれの音楽プロデューサー、ミュージシャンである、Mark Reeder(マーク・リーダー)。

マーク・リーダーは、70年代当時、ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスや、マッドチェスター・ムーヴメントを巻き起こした〈ファクトリー・レコード〉のオーナーでナイトクラブ「Hacienda(ハシエンダ)」の創始者、トニー・ウィルソンと親交の厚かった人物。ニュー・オーダーにも多大な音楽的影響を与えており、マーク・リーダーの存在がなければ、ニュー・オーダーの名曲“Blue Monday”も生まれることはなかったと言われています。

また1990年にベルリンで立ち上げた音楽レーベル〈MFS〉は、ポール・ヴァン・ダイクや、エレン・エイリアンら世界的なスターDJを輩出した伝説的エレクトロニック・ミュージック・レーベルとして知られていますが、実は、電気グルーヴの作品を初めてヨーロッパへ向けてリリース(1995年のヒットシングル「虹」をリリース)したレーベルであり、マーク・リーダーは、電気グルーヴと石野卓球氏がその後ヨーロッパでのキャリアを築くきっかけを作った重要人物でもあります。

STOLEN を中国で見出したマーク・リーダーは「ニュー・オーダー以来の衝撃を受けた」と語り、2007年に活動を停止していた〈MFS〉レーベルを再び活性化することを決意、STOLEN のデビュー・アルバム『Fragment』をプロデューサーとして完成させました。

日本では今年8月に、アルバムをリリースすることが決定。マーク・リーダーと石野卓球氏のリミックス音源を含む全13曲を収録したアルバム『Fragment』を〈U/M/A/A〉よりリリースします。

また、STOLEN は10月にスタートする、ニュー・オーダーのライヴ・ツアーに、スペシャル・ゲストとして参加することも決定しています。アルバムのリリースに先駆け、先行配信なども行う予定。今後の動向にご注目ください。

【Stolen プロフィール】

中国で今最も刺激的な音楽シーンのひとつと言われる、四川省の省都・成都(せいと)を拠点にする平均年齢26歳の5人の中国人と1人のフランス人で構成される6人組のインディーズ・バンド。2011年結成。バンド名「STOLEN(ストールン、漢字表記は秘密行動)」は、神秘的、秘密主義、暗やみなどを意味する。

インディーズ・バンドとして中国国内での数多くのライヴ・ツアーを積み重ねた後、2016年に初めての海外ライヴとしてフランス《Trans Musicales Festival》に出演、2017年、フランス《SAKIFO Music Festival》に出演、2019年にはアメリカ SXSW に招かれるがビザの問題で入国することが許されなかった。

謎多き中国のインディーズ・シーンから全世界デビュー・アルバムとなる『Fragment(フラグメント)』はドイツ・ベルリンの伝説的レーベル〈MFS〉のオーナー Mark Reeder がプロデューサーとなり、成都にある彼らのホームスタジオとベルリンのスタジオでレコーディングされた。テクノやロックといったカルチャーを独自に吸収したそのサウンドやライヴ・ステージ、アートワークは、中国の若者から人気を集めるポストロック~ダークウェイヴの旗手として、その注目は世界中へと拡がっている。

【バンド・メンバー】
Vocals / Synth : Liangyi
Guitar / Keyboard / Samples / Vocals : Duanxuan
Guitar / Vocals : Fangde
Bass : Wu Junyang
Drums, Percussion : Yuan Yufeng
VJ : Formol

【Stolen SNS】
Weibo: https://www.weibo.com/mimixingdong
Instagram: https://www.instagram.com/stolen_official/
Facebook:https://www.facebook.com/strangeoldentertainment/

interview with Plaid - ele-king

 何かが違う。いや、ものすごく大きく変わったというわけではない。ただ、どこかいつもと様子が異なっているのである。『Scintilli』『Reachy Prints』『The Digging Remedy』と、UKテクノの良心とも呼ぶべきこの2人組は、きらびやかなメロディと音響への傾斜で2010年代を乗り切ってきた感があるけれど、そしてもちろんその側面が失われてしまっているわけではないのだけれど、『Polymer』は彼らにしてはやけにダークなのである。ぶりぶりと唸るノイズに導かれサイケデリックな音声が侵入してくる1曲目“Meds Fade”も、アシッディな2曲目“Los”もそうだ。インダストリアルな9曲目“Recall”やヘヴィなベースが耳に残る10曲目“All To Get Her”など、今回の新作は全体的に薄暗くノイジーな雰囲気に覆われていて、ロック色も濃くにじみ出ている。間違いなくプラッドにしか鳴らせないサウンドであるにもかかわらず、どうにも不穏な空気に包まれているのだ。
 まごうことなきIDM/エレクトロニカのオリジネイターの1組であり、コンスタントに佳作を送り出し続けてきたプラッドによる3年ぶりのアルバムは、公害や環境問題、政治から影響を受けた作品となっている。それは大量のペットボトルが宙を舞う“Dancers”のMVや「Thanks to the EU」というブックレットの文言にも表れているが、しかし彼らはコンシャスなラップ・グループでもなければパンク・バンドでもない。アンディとエドのふたりが紡ぎ出すのはそもそも言葉を持たない音楽である。ゆえに海洋汚染というテーマも抽象化され断片化されているわけだけど、ただ、これまで基本的には音にポリティカルな要素を落とし込んでこなかった彼らが、実生活をとおして環境や政治の問題に直面し、それにインスパイアされてアルバムを作ったという事実は、やはり大きな何ごとかを象徴しているように思われてならない。それだけ世界の情況が切迫してきているということだから。
 無論そんな御託はきれいさっぱり忘れて、相変わらずきらきらと輝いているメロディや躍動的なビート、ほのかに漂うラテンの香りなど、彼ららしいサウンドの数々にひたすら身をゆだねることもできる。というか、むしろいつまでもそうしていたい──そのような快楽への欲求と、差し迫った現実へのまなざしとの複合こそこのアルバム最大の魅力なのではないか。タイトルの「ポリマー(重合体)」にかんしてエドは、「化合物と天然物を組み合わせると、衝突が起こる場合もあるし調和が生まれることもある」と語っているが、ダークでときにアグレッシヴなスタイルと、美しい旋律や繊細な音響、多彩なリズムとの共存は、それこそプラッドという「ポリマー」における衝突と調和を映し出しているように思われる。
 いったいこの3年のあいだに何が起こったのか。新作『Polymer』にはどのような想いがこめられているのか。アンディとエドのふたりに尋ねてみた。

Dancers (Official Video)

僕らのこれまでの音楽作りの人生においても、化合物と天然物を組み合わせようとしてきたと思っていて。化合物と天然物を組み合わせると、衝突が起こる場合もあるし調和が生まれることもある。(エド)

声が曲の構成の中心点にならないようにしている。なぜなら言葉をとおしてメッセージを伝えようとしているわけじゃないからね。というわけで声はテクスチャーやレイヤーとして使ってるかな。(アンディ)

2016年の前作『The Digging Remedy』から、今回の新作『Polymer』のあいだで、あなたたちに起こった変化を教えてください。

アンディ・ターナー(Andy Turner、以下AT):いまは、かなりふつうじゃない時期だからね。こっち、UKではこの2年くらいで政治的にかなり奇妙なことが起こってるんだ。それが環境の変化としてはいちばん大きいんじゃないかな。たぶん日本の人も知ってると思うけど、ブレクジット関連だったり、そういった政治的議論が巻き起こっていて、『The Digging Remedy』が発売されてから、この3年はそれが話題の中心と言っていいほどになってるんだよ。個人的には引っ越ししたりっていうのもあるけど、それが色褪せてしまうほどだね。

今回のアルバムは公害や環境問題がインスピレイションになっているとのことですが、タイトルの『Polymer(重合体)』は、衣類などに使われるナイロンやボトルなどに使われるポリエチレンのような、ようするに人工的な化合物を指しているのでしょうか?

エド・ハンドリー(Ed Handley、以下EH):それもあるんだけど、ポリマーって天然物質のことも指していて、だからこそタイトルとして選んだんだと思う。プラスティックのような化合物のポリマーもあれば、シルクやウールといった天然のものもある。それで僕らのこれまでの音楽作りの人生においても、化合物と天然物を組み合わせようとしてきたと思っていて。環境を汚染するプラステティックを使ってしまっているという矛盾する現実もあるしね。そういう意味でおもしろい言葉だと思ったんだ。それからこの言葉には、「たくさんの(poly-)パーツ(mer)」という意味もあって、それは僕らが音楽を作る上でも同じだと思ったんだ。化合物と天然物を組み合わせると、衝突が起こる場合もあるし調和が生まれることもあって、それはこの3年で僕らが自分たちの人生で直面した問題のいくつかをも反映している気がしたんだよ。

ヴァイナルのレコードもポリマーに含まれる?

AT:そうだね。そこにもアイロニーがあると思う。つまり自分もプラスティックを売っているわけでそこは複雑だよ。それにしょっちゅう飛行機に乗っているから二酸化炭素排出量はひどいしね。

昨今は気候変動や「人新世」のようなタームがよく話題にのぼりますが、このアルバムのテーマもそういったことと関係していますか?

EH:インストゥルメンタルの場合は、もしメッセージがあるとしてもかなりわかりにくいと思うんだよ。タイトルがヒントになってる場合はあるけど、でもあくまでヒントなんだ。というのも音楽から得られる理解とか感覚ってすごく主観的なものだし、その人独特のもので、ほんとうにそれぞれだと思うんだ。だから僕らがこの音楽はこういう意味ですということを承認するのは難しいかな。これまでも僕たちはつねにアルバムにテーマを与えようとしてきたけど、でもそれはたいてい曲作りが終わるころの話で、あとになって曲と曲を繋げる何かを発見するというか。じっさいの音楽とそのタイトルやテーマとの繋がりはけっこう曖昧なものだったりするんだよ。たぶんその曲が伝えようとしている感情がどういうものなのかを感じとることはできると思うけどね。感情をどう受けとるかは人によって違うからその保証はないけどね。アーティストによっては意味づけを避けるために、ある意味わざと不可解なタイトルをつける人もいるよね。僕らの傾向としては、自分たちが何に関心、興味を持っているのか、何をおもしろいと思っているのかのヒントを与えるようなタイトルをつけることが多いと思う。そうやって、僕らがどうそのトラックを捉えているかを理解するためのちょっとした入り口を提供するというかね。

Los (Official Audio)

今作は全体的にプラッドにしてはダークでノイジーで、ロック色も濃い印象を受けたのですが、そういったサウンドの特徴もそのテーマと関係しているのでしょうか?

AT:ああ、それは間違いなくあると思うけど、いまエドが言ったように、それはかなりわかりにくいものだよ。もちろん僕らはこの世界の一部だから、身の回りで起こっていることを吸収しているし、それがいつの間にか自分たちが作る音楽にも表れるというか。だからこの曲ではこの問題を扱おうと決めて作るわけではなくて、結果的に表れるんだ。僕らとしても、アルバム全体をあらためて聴き返してみたら、前の作品よりも間違いなくダークになってるなとは思ったし、それはいまのわれわれが抱えている問題の影響があるんだと思う。

ブレクジットも?

EH:僕らふたりにとって関係のあることだと思う。というのもブレクジットって自分たちが育った価値観にたいする直接的な攻撃だからさ。それはつまり移動の自由だったり、ヨーロッパのどの国に行って住むこともできる自由だったりね。もちろんヨーロッパ以外の人にとっては少し排他的に聞こえるかもしれないけど、でもとにかく、いろんな意味で移動の自由度は高いほうがいいと思うんだよ。それにブレクジットなんて不必要だしね。大きな組織は改革すればいいんであって、破壊する必要はないわけだよ。とにかく僕ら双方にとって心中穏やかでない問題で、この3年はブレクジットのネガティヴな影響を受けてきたと思う。

このアートワークは何を表しているのでしょう?

AT:これは Jamar Finney(※表記不明)というニューヨークのモーション・グラフィックス・デザイナーの作品で、彼のことは〈Warp〉のニューヨーク・オフィスの人から紹介してもらったんだ。それで基本的には、こちらからはアルバムのテーマと音楽を渡して、化合物と天然物の接点について説明して、そして途中何度か話し合いながらこういうアートワークの方向性になったんだ。だからこれは彼の創造的ヴィジョンから生まれたものだよ。

あなたたちの音楽の特徴のひとつに、いわゆるワールド・ミュージック的なものへのアプローチがあります。今回もやはり“The Pale Moth”や“Praze”などからはラテンの風を感じますが、そのような音楽に惹かれる最大の理由はなんですか?

EH:いまはインターネットで音楽が配信されるようになってるから、より手軽に、世界じゅうの音楽を聴くことができるようになってて、じっさいそういった音楽の異種交配も盛んにおこなわれているよね。僕らの場合、ラテン音楽、南米の音楽というのは、かなり早い段階から聴いていて、というのもそういった音楽は初期のヒップホップに影響を与えてたからさ。LAのDJがエレクトロをプレイして、そこに南米あるいはサルサなんかをミックスするとか。というわけでかなり早くから聴いてきたから、その影響が自分の作るものにも出てくることもあって。それでいまは、そういうことがかつてないほど起こっているんだよ。いまアフリカ大陸発の音楽をけっこう聴いてるけど、アメリカだったり日本だったり、いろんな要素が混ざった音楽がアフリカからたくさん出てきてるし、その逆もまたしかりだよ。だからもはや「ワールド・ミュージック」というくくりは無意味になってるところまで来てるというか、むしろすべての音楽はワールド・ミュージックだしね。影響を取り入れる際には、植民地支配的な意味で収奪しないように注意深くならなければいけないのは当然で、誰かの文化を奪うのはダメなわけだけど、でも影響の数々の素敵な融合というのはつねにあるし、僕らふたりとも、世界じゅうの音楽を聴いて楽しんでいるからね。ありがたいことにいまではそれがすごく簡単にできる。昔はたとえばアフリカの音楽が買いたいと思ったら、まずロンドンの専門店まで行かなきゃいけなかった。でもいまなら Spotify でもなんでも自分のプレイリストに瞬時に加えることができるからね(笑)。

今作のギターもベネット・ウォルシュが担当しているのでしょうか?

EH:うん。ベネットとはもうかれこれ僕らが〈Warp〉と契約した頃からの付き合いで、彼も古くから〈Warp〉との関わりがあるんだ。彼とのコラボレイションはほとんどファースト(※『Not For Threes』)から……『Mbuki Mvuki』を含めると2枚目からになるか。彼と作るのはすごく楽しいし、メロディやハーモニーにたいする感性が似ていて、ときにナイーヴとも言えるくらいのフォーキーなものからの影響があったり、しかも彼はもうほんとうにいい人だから、コラボレイションの過程が楽しいんだよ。オープンだし気難しいところもないし、だからこそこれだけ何度も一緒にやっててツアーも一緒にやってるしね。という感じで彼とは長いあいだに友愛関係が築かれてきてるよ。

前作『The Digging Remedy』が出た2016年には、キューバの Obbatuké と共演していましたよね。9年前には Southbank Gamelan Players とも共演しています。そういったラテン音楽やアジア音楽のグループと共作アルバムを作ることを考えたことはありますか?

AT:ガムランの人たちと共演したときは、1時間分くらいの音楽を彼らと一緒に作ったから、じっさいアルバムを作れるくらいの長さはあったんだ。でもそれをアルバムという形でリリースしようと考えたことはなかったな。

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なんでこれを新鮮でおもしろいと思う人たちがいるんだろうと思うんだけど、その人たちは元ネタを聴いたことがないんだって気づくわけだよ(笑)。それに飽きちゃってるのはちょっと歳をとった僕らのような人たちだけなんだよね。(エド)

いろんな分野がロボットに乗っとられて、音楽もそうなるっていうジョークをよく聞くけど、でも僕はそれをとくに脅威だとは思っていない。それも含めてさまざまなものが混ざったときにそこから何か新しいものが出てくればいいと思うんだ。(アンディ)

美しい旋律もプラッドの大きな特徴です。それは今回も“Maru”や“Dancers”、“Nurula”や“All To Get Her”などに表れていますが、メロディを書くときに意識していることはなんですか?

AT:重点を置いているのはそれぞれがそのメロディにたいして感情の部分でどう反応するかっていうことだと思う。それが作る上でのガイドになっているというか。そのメロディが自分のなかのどんな感情を呼び覚ますのかっていうことだったりね。音符が正しく並んでるときっていうのは聴けばわかるんだよ。

Maru (Official Audio)

他方でプラッドはリズムも多彩です。リズムを組むときにもっとも意識していることはなんですか?

EH:僕らの場合はメロディ・ラインからはじめることが多くて、しかもリズムはメロディに本来備わっているもので、だからメロディがリズムを方向づけることが多い。でもその逆の場合もたまにあって、とくにごくありがちな表現に抗いたいとか、少し外したもの、尖ったもの、散乱したものが作りたい場合はね。ただ通常リズムは定まってることが多いと言えるかな。それはおそらくリズムが僕らにとって二次的なものだからだと思う。メロディ・ラインが主導するというのが僕らのアプローチだからさ。もちろんときにはキック、スネア、ハイハット以外のサウンドも使いたいとは思ってるけどね。まあまだ勉強中かな(笑)。

“Meds Fade”や“Ops”、“Dust”など、今作は声へのアプローチも印象的ですが、あなたたちにとって声とはどのようなものなのでしょう?

AT:まあ僕らはふたりとも、残念ながらとくにいいシンガーとは言えないんだ。というわけでシンセティックな声を使うことが多いんだけど、結局は他の楽器と同じように使っているんだと思う。声が曲の構成の中心点にならないようにしているというか。なぜなら言葉をとおしてメッセージを伝えようとしているわけじゃないからね。というわけで声はテクスチャーやレイヤーとして使ってるかな。

この2月に、あなたたちの参加するリピートのアルバム『Repeats』が〈Delsin〉からリイシューされましたけれど、これはどういう経緯で?

EH:これは、あのアルバムを一緒に作ったマーク・ブルームが〈Delsin〉との繋がりがあって、それで実現したものだよ。マークは僕らの友だちでありミュージシャンでありDJで、〈Delsin〉は古いテクノ・レコードだったりエレクトロニックのレコードをリイシューする傾向があるところで。マークとはいまも繋がってるし、彼はいまもDJしたりプロデュースしたりしてるよ。

そもそもあのコラボは1995年当時、どのようにはじまったものだったのですか? 『Spanners』と『Not For Threes』のあいだの時期ですよね。

AT:友だちと一緒にやろうっていう感じのものだったんだ。マークのことはあれを作る数年前から知ってて、彼は当時、リピートの4人目のメンバーであるデイヴ・ヒルと一緒にやってたからね。あれはいま思うと僕らにとってもっともジャム・セッション的に作った音楽のひとつだったね。何回か集まって、それぞれがシンセサイザーを持ってて、みんなで車座になって音を鳴らして、それをシークエンサーで録ってさ。すごく楽しいプロジェクトだったよ。

近年はバイセップやダニエル・エイヴリー、シェフィールドの〈CPU〉など、90年代のテクノから影響を受けたサウンドが話題にのぼることが多々ありますが、オリジネイターであるあなたたちの目に、そのようなリヴァイヴァルはどのように映っているのでしょう?

EH:何かが繰り返したりループしたりするのは、なかなか理解するのが難しい。自分が好きだった、あるいは自分も参画したものがふたたびポピュラーになると、ちょっと退屈だなって思うことがたまにある(笑)。自分はすでにやったわけだし、進歩を見たいわけだからさ。でもじつは同じままで繰り返すことってほとんどなくて、どこかが新しく改良されているし、リヴァイヴァルされるまでのあいだには他の影響もいろいろ挟んでるからね。だからいま言ったような人たちも90年代テクノのサウンドを使ってるけど、超プロデュースされた、超改良されたヴァージョンになってたりするんだよ。だから、なんでこれを新鮮でおもしろいと思う人たちがいるんだろうと思うんだけど、その人たちは元ネタを聴いたことがないんだって気づくわけだよ(笑)。それに飽きちゃってるのはちょっと歳をとった僕らのような人たちだけなんだよね。それにたいして文句はないし、そうやってサイクルが続いていくんだろうし、音楽はずっとそうやって続いてきたんだと思う。しかも遡って古いレコードを聴いてみようって人もいるから、そういう意味で言うと素晴らしいことだと思うよ。

Recall (Official Audio)

今年で〈Warp〉は30周年を迎えます。レーベルの方針や雰囲気やスタッフ、置かれた状況などにかんして、『Bytes』(1993年)を出したころともっとも変わったところはどこだと思いますか?

EH:それほど変わってないと思う。悲しいことにだいぶ前にロブ・ミッチェルが亡くなって創設者のひとりを失ってしまったというのはあるけどね(※2001年)。それがレーベルにとってはいちばん大きな変化かな。もうひとりの創設者であるスティーヴ・ベケットも昔ほどは積極的な役割を担ってないしね。でもそれ以外は、何人かほぼ最初からいる人がいまもいて、James Burthton(※表記不明)なんかはもうずっと長年いて、ほとんど僕らと同じくらい長いんじゃないかな(笑)。だからずっと変わらない部分もあって、A&Rも相変わらず革新的で興味深いものを見つけてくるし、選ぶ基準も比較的変わってないと思うし、まあいまのほうがもう少し洗練されたものになってるかな。それから、いまは「〈Warp〉とはこういうレーベルだ」っていう定義ができあがってるけど、はじまったばかりのころは未定義でレーベルがみずからを形成していくようなところがあったね。でもその他は、アーティストにかなりの自由が与えられているインディ・レーベルであり、多くの音楽好きが知っているほどのブランド力があるという部分は、ずっと一貫していると思うし、その一部でいられることにたいしてありがたいと思ってるんだ。

最近はA.I.の話題をさまざまなところで見かけ、じっさいそれを用いて作曲している音楽家もいます。A.I.が音楽にもたらすものとはなんだと思いますか? A.I.が作る音楽と人が作る音楽に違いはあると思いますか?

AT:僕らもたまにアルゴリズムを使ってメロディやリズムを作ることはあって、それはたとえば、ほとんどセッション・ミュージシャンと仕事をするような感覚というか、つまりはアルゴリズムに演奏してもらって、それを聴いてその一部分を使ってさらに自分たちの好みに改良するとか。だからひとつの情報源として使っているような感じかな。いろんな分野がロボットに乗っとられて、音楽もそうなるっていうジョークをよく聞くけどね。優れたプログラムであれば、人間よりもすごい音楽を作れるようになるんだっていう。でも僕はそれをとくに脅威だとは思ってなくて、それも含めてさまざまなものが混ざったときにそこから何か新しいものが出てくればいいと思うんだ。

日本では6月2日に映画『鉄コン筋クリート』が地上波で放送されるのですが、当時の裏話があれば教えてください。

AT:最初に監督(※マイケル・アリアス)から〈Warp〉に連絡があったんだ。彼はその何年か前に僕らのライヴを観たとき、いつか自分が映画を監督するときは僕らに頼みたいと思ったそうだよ。僕らにとっては『鉄コン』が初めてのサウンドトラックだったから、監督が僕らを起用することはかなりの賭けだったはずだけど、僕らにとってはまたとない機会に恵まれて嬉しかった。でも何しろ大部分が手描きというあの映画の性質上かなり時間がかかって……おそらく4、5年かかったのかな。そのおかげでサウンドトラック入門編としてはかなり緩やかなものになった。何しろアニマティックを参照しながら1年以上かけて作ることができたからね。

いま音楽以外でもっともやりたいことは?

EH:ライヴのための映像をちょっとやってて、音とシンクロするイメージを作ったりしてるんだ。それはふたりとも興味を持っているかな。もちろん音楽以外にも興味を持ってることはあるけど、キャリアとして考えると音楽以外の仕事は難しいだろうな。創作にかんして言えば、いろんな人とコラボレイトすることでほんとうにいろんな音楽ができるから、自分たちにとって音楽がおもしろいものであり続けているんだよ。音楽にはまだまだ発見がたくさんあると感じてるし、学ぶべきこともまだまだたくさんある。調べることや探求することもたくさんあると思うし、自分はまだひよっこだと感じるよ(笑)。まだ100年分くらいやることがあると思う。

Amp Fiddler & Andrés - ele-king

 7月12日(金)、大阪の梅田クアトロにデトロイトからアンプ・フィドラーとアンドレスがやって来る。どちらもまったく素晴らしいブラック・ミュージックを聴かせてくれること請け合い。
 アンプ・フィドラーはライヴセット、アンドレスはDJセットです。ムーディーマンも新しいアルバムが出るというし、また、アンドレスのほうもアルバム『Andrés Ⅳ』のリリースを間近に控えているし、期待大です。大阪梅田クアトロの初のオールナイト・イベント。行くしかないでしょう。

■公演詳細

会場:梅田クラブクアトロ
〒530-0051 大阪市北区太融寺町8番17号プラザ梅田10F TEL.06-6311-8111
https://www.club-quattro.com/umeda/

公演日:2019年 7月 12日(金)
開場/開演:23:00
料 金:前売¥3,000【税込】/当日[1\4,000、2\2,500(24:00までに入場)、3\3,500(with Flyer)【税込】]
入場時ドリンク代600円別途必要
※オールナイト公演のため20歳未満の入場はお断りいたします。
※エントランスでIDチェックあり。必ず顔写真付き公的身分証明書をご提示ください。
(運転免許証、taspo、パスポート、顔写真付マイナンバーカード、顔写真付住基カード、外国人登録証)
ご提示いただけなかった場合、チケット代のご返金はいたしかねます。
整理番号付・営利目的の転売禁止


■Amp Fiddler
Amp Fiddler(アンプ・フィドラー)は、ミシンガン州デトロイトを拠点とするキーボーディスト/シンガー/ソングライターである。
George Clinton率いるParliament/Funkadelicに在籍し、またMoodymann, Brand New Heavies, Fishbone, Jamiroquai, Maxwell, Princeのレコーディングやツアーに参加してきた、現代を代表するSOUL/FUNKミュージシャンの1人である。
テープ編集でビートを作っていた若い頃のJ Dillaに、サンプリング・ドラムマシーンAKAI MPC60での制作をAmpが薦め教えたことでも知られ、そしてそのDillaをQ-Tipに紹介したのもAmpである。その後DillaはThe Ummahに参加する。
1990年、ベースプレイヤーであるBubz Fiddlerとの兄弟ユニット、Mr.Fiddlerとして、アルバム『With Respect 』をリリース。Amp Fiddlerとしてソロ名義ではアルバム『Waltz Of A Ghetto Fly』(2003年)、『Afro Strut』(2006年)をリリース、2008年にはSly & Robbieとの共作アルバム、Amp Fiddler/Sly & Robbie『Inspiration Information』をリリースしている。
2016年には10年ぶりとなるソロアルバム、『Motor City Booty』をMidnight Riot Recordings(UK)よりリリース。
2018年、Moodymann主宰Mahogani Musicから、最新アルバム『Amp Dog Knights』をリリース。
https://www.ampfiddler.com
https://twitter.com/AmpFiddler
https://www.instagram.com/Amp_Fiddler/
https://open.spotify.com/artist/39g75EmRFeFbvHhsGjUpLU?si=shLDKOFsTGSg2lD-12-wow

■Andrés (aka DJ DEZ / Mahogani Music, LA VIDA)
Andrés(アンドレス)は、Moodymann主宰のレーベル、KDJ Recordsから1997年デビュー。
ムーディーマン率いるMahogani Musicに所属し、マホガニー・ミュージックからアルバム『Andrés』(2003年)、『Andrés Ⅱ 』(2009年)、『Andrés Ⅲ』(2011年) を発表している。
DJ Dezという名前でも活動し、デトロイトのHip Hopチーム、Slum Villageのアルバム『Trinity』や『Dirty District』ではスクラッチを担当し、Slum VillageのツアーDJとしても活動歴あり。Underground Resistance傘下のレーベル、Hipnotechからも作品を発表しており、その才能は今だ未知数である。
2012年、 Andrés自身のレーベル、LA VIDAを始動。レーベル第1弾リリース『New For U』は、Resident Advisor Top 50 tracks of 2012の第1位に選ばれた。2014年、DJ Butterとのアルバム、DJ Dez & DJ Butter‎ 『A Piece Of The Action』をリリース。
パーカッショニストである父、Humberto ”Nengue” Hernandezからアフロキューバンリズムを継承し、Moodymann Live Bandツアーに参加したり、Erykah Baduの “Didn’t Cha Know”(produced by Jay Dilla)ではパーカッションで参加している。
Red Bull Radioにてマンスリーレギュラー『Andrés presents New For U』を配信中。

Tyler, The Creator - ele-king

 前作『Flower Boy』から2年ぶりにリリースされた、タイラー・ザ・クリエイターにとって初となるビルボードの総合アルバムチャート(Billboard 200)1位に輝いたニュー・アルバム『IGOR』。このチャート1位という結果は、彼自身がいまのアメリカの音楽シーンを代表する存在という証(あかし)でもあるが、一方で他のメインストリームのヒップホップとは一線を画するように、彼自身の音楽性はより独自な方向を突き進み、本作によってひとつ頂点を極めている。

 タイラー自身が全曲プロデュースを手がけるトラックは、イントロ曲の“IGOR'S THEME”や、続く先行シングル曲“EARFQUAKE”に象徴されるように、シンセサイザーを多用したメロディアスで重厚なサウンドが軸となっており、さらにラップよりも歌やコーラスにウェートが置かれているのも大きな特徴でもある。タイラー本人以外には曲ごとにフィーチャリングのクレジットは一切ないものの、リル・ウージー・ヴァート、プレイボーイ・カルティ、ソランジュ、サンティゴールド、カニエ・ウェスト、シーロ・グリーン、ファレル・ウィリアムといった錚々たるメンツがラップ、ヴォーカル、コーラスなど様々な形で参加しており、エフェクトを駆使しながら、まるで楽器のひとつかのように彼らの声を自在に操り、見事に自らのサウンドの中へ取り込んでいる。

 恋人との別れや三角関係がアルバムのテーマになっており、ある意味ヘビーな部分もありながら、同時にタイラーならではのユーモアも存分に盛り込まれているのは言うまでもない。全部で40分未満とコンパクトなサイズの中で、しっかりとコンセプトとストーリーが組まれており、それがアルバム全体の完成度を高めている大きな要因にもなっている。

 いまやラッパーが歌うのは当たり前であるし、ヒップホップとR&Bの境目が非常に曖昧な時代でもある。しかし、このアルバムの奥底に存在しているのは、完全にヒップホップだ。それはアルバム前半でやたらと強調されているアナログ盤のプチプチと鳴っているノイズであったり、“WHAT'S GOOD”にて響き渡るストレートなBボーイブレイクにも感じるし、あるいは本作のリリース時に話題となった“GONE, GONE / THANK YOU”の後半部分での山下達郎“Fragile”の引用(サンプリングではなく、山下達郎の歌詞とメロディをアレンジして歌い直している)という手法にもヒップホップ・アーティストならではセンスが伺える。しかし、それらはあくまでも表面的なわかりやすいヒップホップ感でしかない。それ以上に重要なのが、決して音楽としての美しさや格好良さだけを追求しているのではなく、何らかの歪(いびつ)さがサウンドやヴォーカルの中に盛り込まれ、結果的にそれらの要素が作品の魅力を別のベクトルへと導き、ヒップホップとしても完結させているように思う。

 タイラー・ザ・クリエイターというひとりのアーティストだけなく、ヒップホップ・シーンが今後、どのように進んでいくべきかの指針にもなるようなアルバムであり、ぜひ、頭から最後までじっくりと通して聴いてもらいたい作品です。

Bon Iver - ele-king

 傑作『22、ア・ミリオン』(16)リリース以降も、地元ウィスコンシンでの音楽フェスの開催、ザ・ナショナルのアーロン・デスナーとともにアート・コレクティヴ〈PEOPLE〉を発足、〈PEOPLE〉発のプロジェクトとしてビッグ・レッド・マシーンの結成とアルバム発表、エミネムの楽曲への参加など精力的に活動してきたジャスティン・ヴァーノンだが、久しぶりにボン・イヴェール名義の新曲を2曲発表した。“Hey, Ma”と“U (Man Like)”というタイトルで、どちらも『22、ア・ミリオン』以降のジャンル横断性やエレクトロニック・サウンドとオーセンティックなルーツ・ミュージックの混淆が聴ける。昨年、ロウのこちらも傑作アルバムである『ダブル・ネガティヴ』を手がけたBJバートンがプロデュースを担当し、ロブ・ムース、ザ・ナショナルのブライス・デスナーといったボン・イヴェール周りのお馴染みのメンツをはじめ、大御所ブルース・ホーンスビーから新世代の星モーゼズ・サムニー、ワイ・オークのジェン・ワズナー、それに地元の幼馴染ブラッド・クックら多彩なメンツが参加。分断がキーワードとなった2010年代にあってヴァーノンは断片化したものを懸命に繋ぎとめようとしてきたが、明らかにこの男はいま、世代も立場も土地もジャンルも超えたコミュニティ・ミュージックを生み出そうとしている。“U (Man Like)”の後半、様々な人間に歌い継がれていくメロディが美しい。

Hey, Ma

U (Man Like)

 ボン・イヴェールの最新の動向をアナウンスする〈iCOMMAi〉なるサイト(https://icommai.com/)も立ち上がっているが、これらの新曲がアルバムに続くものなのかはまだわからない。しかし、様々な「人びと」が集まってノイズを生みながらも美しい歌を生み出そうとしている様からは、2020年代のアメリカの音楽の理想主義のゆくえが見えてこないだろうか。期待しよう。(木津毅)

ジャスティン・ヴァーノンのプロジェクト、ボン・イヴェールが新曲“Hey, Ma”と“U (Man Like)”をリリース。


「Bon Iver - Hey, Ma - Official Lyric Video」
https://youtu.be/HDAKS18Gv1U


「Bon Iver - U (Man Like) - Official Lyric Video」
https://youtu.be/Hs5rXRPC0rc

【Bon Iver / ボン・イヴェール】
Bon Iver はシンガーソングライター、Justin Vernon のプロジェクトだ。2008年のデビュー・アルバム『For Emma, Forever Ago』が大絶賛され、2011年のセカンド・アルバムは全米チャート2位/全英チャート4位を記録。第54回グラミー賞で Best New Artist と Best Alternative Music Album を受賞した。2016年にはサード・アルバム『22, A Million』をリリース。全米チャート2位/全英チャート2位を記録した。

■More Info:https://bignothing.net/boniver.html

interview with DJ Marfox - ele-king

 ずっと待っていた。ベース・ミュージックの枠にもテクノの枠にも収まりきらない、かといっていわゆる「ワールド・ミュージック」や「アフリカ」のように大雑把なタグを貼りつけて片づけてしまうにはあまりにも特異すぎる〈Príncipe〉の音楽と出会い、昂奮し、惚れこんで、その中心にいるのが DJ Marfox だということを知ってからずっと、いつの日か彼に取材できたらと願っていた。だから2016年、タイミングが合わなくて初来日公演を逃したときはひどくがっかりしたけれど、幸運なことに彼はこの3月、ふたたび列島の地を踏んでくれることになり、こちらの期待を大きく上回る最高のセットを披露、まだ寒さの残るフロアを熱気で包み込んだのだった。
 とまあこのように、およそ15年前に彼や彼の仲間たちによってリスボンの郊外で生み落とされたアフロ・ポルトギースのゲットー・ミュージックは、いまや世界各地のミュージック・ラヴァーたちの心を鷲づかみにするほどにまで広まったわけだけれど、ではその背後に横たわっているものとはなんだったのか、いったい何が彼らの音楽をかくも特別なものへと仕立て上げたのか──じっさいに対面した Marfox はきわめて思慮深いナイスガイで、誠実にこちらの質問に答えてくれた。

100%ポルトガル人じゃないし、100%アフリカ人でもない。自分たちは「50%・50%(フィフティ・フィフティ)」な存在なんだよね。

そもそも音楽をはじめたきっかけはなんだったんでしょう?

DJ Marfox(以下、M):音楽をはじめたのは14歳のころで、創作というよりは、他の人の音楽──アンゴラのクドゥロ楽曲を再現するようなことをしていたね。それから徐々にリミックスを作ったり、いろいろな曲の気に入った断片をコラージュするようなことをはじめた。PCの、Virtual DJ というソフトでね。
 2004年に Quinta do Mocho (訳注:リスボン郊外の移民たちが多く暮らす団地地域)のパーティで、DJ Nervoso と知り合ったんだ。彼はそこでDJをしていたんだけど、自分の知らない曲ばかりかけていた。そのころ、自分はアンゴラ帰りの人にCDを借りたりして、アンゴラの音楽はだいたい知っていたから、衝撃だったね。だから──これはパーティでいいDJがいたらふつうの行動だと思うけど、DJがどんなヤツで、なんて音楽をかけているのか知りたくて──DJブースに近づいていって彼に話しかけたんだ。「ねえ、自分もDJなんだけど、誰の曲をかけてるの?」と聞いたら彼は「ああ、これは俺が作った曲だよ。俺はプロデューサーだからね」って答えたんだ。それがきっかけで仲良くなって、彼は自分に「プロデューサー」という新しい世界を紹介してくれた。Fruity Loops みたいなソフトの使い方とかもね。

あなたの音楽はクドゥロから大きな影響を受けていますが、ふつうのクドゥロとあなた独自の音楽との違いはなんですか?

M:子どものころからクドゥロを聴いてきたから、クドゥロは自分の音楽に不可欠な要素のひとつだ。クドゥロにはビートがあって、歌手がいる。でも、当時のリスボンにはクドゥリスタ(訳注:クドゥロ歌手のこと)がいなかったんだ。だから自分たちは、よりダンス・ミュージックにシフトし、躍らせるためのビートを構築することにフォーカスしていった。ホット・ビートと歌い手がいれば、リスナーにインパクトを与えることは簡単だけれど、ビートだけでそれを実現するのは難しい。クドゥリスタが不在であるがゆえに、自分たちリスボンのプロデューサーは、創意工夫をして独自の音楽性を確立していったんだと思うよ。

2005年に DJ Pausas、DJ Fofuxo とのグループ DJs do Guetto をはじめた経緯を教えてください。当時の野心はどのようなものだったのでしょう?

M:自分も、DJ Pausas と DJ Fofuxo も、アフリカ出身の両親のもとに、リスボン郊外で生まれ育ったキッズで、自分たちのアイデンティティを「ポルトガル人」とも「アフリカ人」とも定義づけられずにいた。自分たちは黒人だから、欧州系のポルトガル人たちには「ポルトガル人」には見えないし、アンゴラやカーボ・ヴェルデやサントメプリンシペのような、ポルトガルの旧植民地から移民してきた人たちにも「君らはアフリカで生まれてないから、僕らとは違うよね」と言われ続けてきた。この作品を発表することは、ポルトガル人でも、アフリカ人でもない、という自分たちの新しいアイデンティティを主張するために必要なことだった。グループを結成したときは、何をしているのか意識的ではなかったけど、「自分たちは何者なんだろう?」というのは当時からの自問だった。100%ポルトガル人じゃないし、100%アフリカ人でもない。自分たちは「50%・50%(フィフティ・フィフティ)」な存在なんだよね。

2011年の「Eu Sei Quem Sou (訳注:自分が何者か知っている)」は〈Príncipe〉の最初のリリースであり、決定的な一枚となりました。当時はどんな気持ちだったのですか?

M:〈Príncipe〉は自分にとってたいせつな存在で、この作品は最初の子どもみたいなものだ。一緒に〈Príncipe〉をやっている連中とは2007年に知り合っていて、彼らはリスボンの郊外で何が起こっているのか、どんな音楽が生み出されているのかをよく理解していた。でも、当時はまだそれらの音楽を都市部に、そして世界に紹介するコンディションが整っていなかったんだよね。自分たちの音楽はニッチだと思っていたから、適切なかたちでマーケットに紹介するためには準備が必要だった。その期間、自分自身もプロデューサーとして成長し、2011年に〈Príncipe〉は「Eu Sei Quem Sou」をリリースできたというわけさ。この作品は自分にとっては「表明」の作品で、この作品をリリースしたとき、自分が何者で、何がしたくて、どこに到達したいのかが明確な状態だった。〈Príncipe〉の連中も最初に出会った日から自分が何をしたいのか理解してくれていたし、準備期間にもずっと連絡を取り合っていたよ。

やはりあなたや〈Príncipe〉の面々が郊外出身であるというのは重要なポイントなのですね。

M:そうだね。おもしろいことに、いつも都市部で活躍したいと思ってきたけれど、都市部は長いこと自分たちに関心を払ってこなかった。DJ Nervoso が活動をはじめたのが2001年、自分が〈Príncipe〉の連中と知り合ったのが2007年、「Eu Sei Quem Sou」をリリースしたのが2011年。それぞれのプロセスに5~6年かかっていて、そのあいだ自分たちはずっと、都市部もメディアも注目しない郊外のアンダーグラウンドな存在だった。でも、もしもっと早く注目されていたら、いまのような活動はできていなかったように思う。メディアが「これは一時的なムーヴメントなのか?」と取り上げはじめたころにはすでに、自分たちは長く活動していて準備万端だったから、すべての出来事はベスト・タイミングで起こったと言えるね。

「Eu Sei Quem Sou」のころには自分が何者か明確になっていたとのことですが、あらためてあなたは何者なのでしょう?

M:自分は「顔」だ。声を持たない人びとの顔、居場所を持たない人びとの顔、見向きもされない人びとの顔、声を発しても聞いてもらえない人びとの顔。それらが「声」を持ったのが自分だと思ってる。思ったことを言い、何をしたいか主張し、互いに敬意を払う。これは「闘い」だったけれど、それはインディペンデントで、社会的な側面もある「音楽プロジェクト」という形態である必要があった。この音楽は人生を変えたんだから。
 最近、自分はとても幸せな気持ちで眠りにつくんだ。眠りにつくいまこの瞬間も DJ Nigga FoxNídia や Nervoso が地球のどこかでDJをしている、と思えるのはとても幸せな気分だ。いまや〈Príncipe〉には30人近いDJがいて、みんな、レーベル主催のリスボンでの定期イベント《Noite Príncipe》から、イギリス、アジアやアメリカまでDJしに飛び回っていて、もはやポルトガルだけでなくヨーロッパがホームだと感じるくらいだ。人びとのために、音楽で成し遂げなければならないことをやっている。人がいなければ音楽ではないからね。

他方で何がしたいかも明確になっていたとのことですが、そのあなたがやりたいこととは?

M:都市部と郊外の架け橋になることだね。自分の作る音楽がなければ、今日自分はここにいないだろう。音楽をやっていなかったら、自分は大学も出ていないし、多くの友人たちがそうしたように、イギリスかドイツにでも移民していただろう。この音楽は発表した当初から、国内外で注目されて、そのことによって「アフロ・ポルトギースも価値ある存在なんだ」「新しい存在、新しいリスボンを代表する存在なんだ」ということを革命的に示すことができた。以前より居場所があると感じているし、希望も感じているけど、まだまだ活躍の場を生み出すことはできる、ポルトガル社会においてアフロ・ポルトギースの存在を示すことはできると思っている。

自分は「顔」だ。声を持たない人びとの顔、居場所を持たない人びとの顔、見向きもされない人びとの顔、声を発しても聞いてもらえない人びとの顔。それらが「声」を持ったのが自分だ。

ペドロ・コスタという映画監督を知っていますか? 彼の『ヴァンダの部屋(原題:No Quarto da Vanda)』という映画を観たことは?

M:彼の映画『ホース・マネー(原題:Cavalo do dinheiro)』は観たことあるよ。ポルトガルにおける移民の扱い、移民がいかに疎外されているかにかんして鋭い批判をしている人だ。移民たちの抱える問題はゲットーを作ることではなく、ゲットーを抜け出せないことにある、と彼はよく理解しているよね。自分たちの親や祖父母の世代がアフリカからポルトガルに移民してきたのは、植民地化から解放されて何も残らなかった故郷にいるよりも、良い人生を送りたかったからだ。でも、たとえばポルトガルでの教育ひとつをとっても、義務教育レベルで優秀な教師は都市部の学校にいて、郊外には質の高くない教師があてがわれる。ペドロ・コスタは、そういった状況……「移民支援」のような「嘘のシステム」についても指摘しているよね。『ホース・マネー』でも、若くしてポルトガルに移民してきたカーボ・ヴェルデ出身の老人が、長年リスボンの工事現場で、都市の、ポルトガルの発展のために働いてきたにもかかわらず、社会保障や年金を受けられないまま死の床にある様子が描かれている。30年以上、陽の当たらないスラムに住みながら働いて、何も得られない、という作中の彼のような状況に置かれたアフリカ系移民はたくさんいると思う。
 とはいえ物事にはいろいろな側面があって、1974年4月25日(訳註:ポルトガルでカーネーション革命が起こり、独裁政権が終焉を迎えた日。同時に、各アフリカ植民地独立の契機となった)以前の祖父母世代の人びとの生活は、いまよりずっと苦しいものだったということも理解している。ペドロ・コスタはそういったことも含めた社会矛盾を指摘している映画監督だと思うよ。個人的にも知り合いだしね。

知り合いだったんですか! 彼とはどのような経緯で?

M:共通の知り合いがいて、その人がペドロに「いままでのリスボンにはなかったような音楽活動をしている人たちがいる」と言ったら、彼が興味を持ったらしいんだよね。彼はうちに遊びにきて、自分の母親にも会ったことがあるよ。

先ほど「架け橋になりたい」という話が出ましたが、郊外のあなたたちにとって都市はべつに「敵」のような存在だったわけではない、ということですよね。

M:ぜんぜん。僕らが Musicbox (訳註:リスボンのナイト・シーンの中心的クラブ)で毎月開催しているイベント《Noite Príncipe》は、Musicbox で続いているいちばん長い定期イベントで、2月20日にちょうど7周年を祝ったところだ。このときは特別に、ポルト含め5箇所でイベントを同時開催したんだけど、すべてソールドアウトだった。貧乏人も金持ちも外国人もほんとうにいろいろな人びとが遊びにきていて、これが音楽の力だなと実感したよ。リスボンも、世界も、ますますオープンになっていくし、世界じゅうの人びとが集まる自分たちのイベント《Noite Príncipe》がそれを証明していると思う。

ではもしあなたたちに「敵」がいるとすれば、それはなんでしょう?

M:自分たちに唯一「敵」がいるとすれば、それは自分たち自身さ。自分たちが音楽を作ることをやめてしまうこと、諦めること──それが最大の敵だね。

ということは、そろそろ DJ Marfox 名義の新作も?

M:うん、取りかかっているところ。だいぶ長いことかけているわりに、発表できていないんだけどね。自分は「アルバムを作らなきゃ」っていうプレッシャーだったり、「自分の作品を見てもらいたい」みたいな自己顕示欲が強いタイプじゃないから、気楽な気持ちで取り組んでる。こうしてあちこち旅行して、他のいろんなDJや音楽を聴いて影響を受けて、それでも自分のベースになる要素は忘れずに、プロデューサーもこなして……というスタイルが自分には合ってると思う。自分名義の作品は、プロデュースやリミックスの依頼をこなしつつゆっくり作っているよ。ヴェネツィア・ビエンナーレのドイツ館の音響を担当する話もあるし(註:7月には彼を含むドイツ館の楽曲を収録したLPもリリースされる模様)。

それはすごいですね。ちなみに〈Domino〉の Georgia の曲を5曲、共同でプロデュースしたという情報を見かけたのですが。

M:もう公開されているはずだよ(註:取材後に再度調べたところ、たしかに新曲は公開されているものの、ふたりがコラボしたという情報は本人の発言以外見つからず)。1月にロンドンに行ったのもその繋がりで、Laylow という新しいヴェニューで彼女が1月のあいだ、レシデンス・アーティストとキュレーションを手がけている、その最終日に出演したんだ。

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