「You me」と一致するもの

 この映画を観てから先日のボブ・ディランの来日公演に行ったものだから、ステージ上の「フォークの神様」(……それとて彼のいち部でしかないわけだが、)の余裕綽々ぶりには思わず笑ってしまった。抑制の効いたバンドの演奏は疑いようもなく素晴らしく、その上でディランは声を張り上げることもなくつぶやくように、時折笑みを見せながら歌っていた。そうだ、半世紀前からフォーク・ソングを歌っていたこの男の以前にも同じようにアメリカに眠る伝承を歌っていた連中はいて、ディランは彼らの遺産を存分に吸収した結果そこにいるのだ。自分が負っているものなんてもちろんわかってるさ、そんな笑い。この映画、『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』はディランが負っている物語のひとつ……歴史の隙間に埋もれていった連中の姿を映し出している。
 NYはグリニッジ・ヴィレッジの売れないフォーク・シンガーであるルーウィン・デイヴィスのある冴えない1週間を本作は綴るのだが、彼のモデルはディラン登場直前にNYで活動したデイヴ・ヴァン・ロンクであるという。宣伝では「ディランになり損ねた男」だとも紹介されているが、要するに1960年代初め頃のNYのフォーク・リヴァイヴァル・シーンにいたひとりであり、いま歴史を振り返ったときにピート・シーガーやアーロ・ガスリーらよりもほとんど見過ごされがちなミュージシャンである。映画が描く「1週間」という短さは、彼らのほんのひとときの人気を示しているようで何とも切ない。

 が、冷静に考えてみれば「ディランになり損ねた男」なんてディラン以外全員なわけで、これは特別な話でも何でもない。そうして見れば、ミュージシャン志望のダメな青年のグダグダな日々を描いている「だけ」の普通の青春映画と言ってよく、そしてその普通さこそがいい。カネのない青年が寝泊まりする場所がないから仕方なく元カノの家に行ったらぞんざいに扱われ、しかも「妊娠したから」と金を要求されるなんて、いまでも身近で聞きそうな話ではないか……。たしかに60年代の冬のNYという舞台は絵になっている、が、時代も都市も必ずしもそこでなくていい。ただひとつだけ、ダメな青春の傍らには音楽があってほしい、そう思えてくる映画だ。彼らにとってそれがたまたまフォークだったのだ。
 コーエン兄弟の映画はどうにも技巧が技巧として目立ちすぎるのもが多くちょっと入りづらい思いをしてきたが、『ノーカントリー』を経て『トゥルー・グリット』から少し何かが変わったように感じる。制作総指揮にスピルバーグがいたことも関係したのかもしれない、「ただのアメリカ西部劇」みたいな普通さになっていて、そうすると名優ジェフ・ブリッジスが歴代のガンマンからの血を受け継ぐように見えたのである。『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』におけるオスカー・アイザックもまた、映画が何度となく描いてきた未来に迷う若者のひとりに見えてくる。(本作も、脚本などはちょっと凝りすぎかなーとは思うものの)コーエン兄弟は自らのテクニックを提示することから少し離れ、ただ大きく広がる「映画」に身を任せはじめたのかもしれない。
 どうして映画が繰り返しダメな若者の日々、その迷いを描かなければならないのかと問われれば、それが映画の宿命としか言いようがないのではないか。なぜなら彼らは「未決定」そのものだからである。次に鳴らされる音を探すために音楽を聴くように、次に映し出されるものを夢見ながら僕たちはスクリーンに目を凝らす。それはつねに「未決定」であったほうがいい。僕たちは歴史のあとにいるから彼らのあとにボブ・ディランがいることを知っているが、画面のルーウィン・デイヴィスはそんなことも知らず、ラスト、スクリーンから僕たちに挨拶を交わす。彼らはその瞬間を生きた、それだけのことだ。

 Tボーン・バーネットが監修したサウンドトラックもオーセンティックなフォーク・ソング集としてなかなかよく出来ていて、オスカー・アイザックもマムフォード&サンズのマーカス・マムフォードもジャスティン・ティンバーレイクも頑張っている。が、ラスト2曲、ディランの正式音源としては初となる“フェアウェル”とデイヴ・ヴァン・ロンクがしゃがれた声で歌う“グリーン、グリーン・ロッキー・ロード”が全部持って行ってしまう、そんな一枚だ。ここはやはり、かの時代を封じ込めたミュージシャンたちの迫力勝ちといったところだろう。

予告編


V.A.
カーネーション・トリビュート・アルバム なんできみはぼくよりぼくのことくわしいの?

Tower HMV Amazon iTunes

 カーネーションのライヴをはじめて観てからというもの、僕はこの2カ月すっかりこのヴェテラン・バンドに恋してしまっている。僕は不覚にもカーネーションの名前しか知らなかった。が、いまは、i-podにはアルバムが5、6枚ほど常備されている。それらはすべてライヴ後に手に入れたものだ。勢い余ってというのも変だが、少し前に発売された2枚の7インチも買った。1枚は曽我部恵一とうどん兄弟がそれぞれ“Edo River”をカヴァーしたもの。もう1枚には、ミツメによる“YOUNG WISE MEN”、スカートによる“月の足跡が枯れた麦に沈み”のカヴァーが収められている。カーネーションが多彩なミュージシャンたちから愛され、現在のインディ・ミュージック・シーンに流れこむいくつもの水脈をつくってきたという事実が、僕にとってまず重要な発見だった。そして、より重要だったのは、カーネーションの音楽とともに春を過ごせたことで、悩ましい日常の幸福度指数が思いがけずリアルに急上昇したことと、ひさびさに魂を揺さぶるロックンロールを体感できたことだった。

 3月15日、昨年リリースされたカーネーション・トリビュート・アルバム『なんできみはぼくよりぼくのことくわしいの?』発売記念ライヴに足を運んだ。友人からの何気ない誘いがきっかけだった。その日、下北沢の〈GARDEN〉に集まったオーディエンスの年齢層は30代後半から40代が中心で、長年カーネーションの音楽を聴きつづけてきたファンが多かったように思う。20代らしき男女も見かけたが、「ライヴを観てやろう」という長年のファンが熟成させてきた静かな気迫がじわーっと会場に漂っていた。間違っても、「イエー!」というノリではなかった。日曜の夕方という、平日労働者の高揚と憂鬱が交錯する時間帯からはじまるライヴ・イヴェントだったが、バー・カウンター前でいい気分になっている酔狂な集団もいない。「これは手強い音楽ファンだ」というのがフロアを見渡したときの第一印象で、この独特の緊張感がカーネーションというバンドが歩んできた30年の道のりを物語っているようにも感じられた。

森は生きている、大森靖子、スカート、うどん兄弟、ブラウンノーズ、Babi、カメラ=万年筆、曽我部恵一、カーネーションという順番で、5時間を超える長丁場だった。が、オーディエンスの集中力は本当に高かった。僕もビールを2、3杯しか飲まなかった。このラインナップを前にして、飲んでいる場合ではないと自分に言い聞かせた。トップバッターにするのはもったいないほどディープなサイケデリアをすべて新曲で展開した森は生きている、“愛のさざなみ”で直枝政広のギターとからだと激情的なからみをみせた大森靖子、90年代初頭のヒップホップ・ソウルを彷彿させる“Edo River”のカヴァーを披露したアイドル・グループ、うどん兄弟、“グレイト・ノスタルジア”(僕がいまもっとも愛聴している曲のひとつ)をカヴァーしたカメラ=万年筆(歌手のマイカ・ルブテのあやうさのある不安定なヴォーカルがじつに魅惑的だった)……。詳述したいが、しかし、先に進む。

会場の空気があきらかに変わったのは曽我部恵一がギター一本で登場して歌いはじめた瞬間だった。それは、人気の高さによるものだけではなかった。曽我部恵一は、前口上抜きで大瀧詠一“それはぼくぢゃないよ”を祈るように歌いあげ、間髪入れずに“Edo River”を艶やかに披露した。歌の届く距離というものがまったくちがった。物理的にも、精神的にも。髪を振りみだしギターをがむしゃらに弾きまくり、あのセクシーな声をクールに低く響かせ、背景に黄金色の夕暮れがふわーっと広がっていくようなフォーキーな表情を浮かべる。そういったいくつもの側面を正味20分程度で、過剰さを感じさせずやりきる。会場の雰囲気がさらにぐっと引き締まったのは間違いなかった。

 そして、サポート・メンバーを加えた4人編成のカーネーションの登場だ。初っ端、大田譲の太く、力強いベースがからだを揺さぶったとき、4、5年前に沖縄のロック・バーで体感したライヴの記憶がよみがえった。長年コザ市(現沖縄市)で米兵相手にロックを演奏してきたそのベーシストはいまでも嘉手納基地近くのロック・バーで酔客相手にベースを弾いていた。身長160cmほどと小柄ながらも筋肉隆々とした体格と、物腰の柔らかさの中に潜む殺気が、彼の歴史を物語っていた。そのベーシストはバーに雇われているミュージシャンで、バンドはベース、ドラム、ギターのトリオだった。彼らの猛々しい演奏は、ロックンロールが理屈抜きのダンス・ミュージックであることを僕に教えてくれた。トリオの中央に立つ老ベーシストは、表情をほとんど変えずに力強くしなやかなベースを弾いた。彼らが刻むベースとドラムのシンコペーションと音量の具合は、酔客たちの肌の表面をやさしく愛撫しながら、からだの奥底のダンス衝動を揺さぶるものだった。その1年ほど前にリキッドルームで観たゆらゆら帝国のライヴと、音楽性は異なれども、ロックンロールの快楽という一点で同種のものだった。

カーネーションの、その日の最初の1、2曲(“YOUNG WISE MEN”→“学校で何おそわってんの”)の演奏に感じたのもまさにそれだった。ベースがバスドラの音の表面を撫でながら、有機的にからみあい、ブーンと腹に余韻をのこす音を発して演奏はずんずん前進していく。直枝政広と大田譲は派手な柄シャツを着こなしているが、期待を裏切らない似合い方をしている。ふたりとも長髪だ。ダンディである。「これぞロックンロールですね」。ライヴに誘ってくれた友人に興奮をおさえて耳打ちすると、彼の大きな目も輝いていた。当然だろう。だが、個人的なクライマックスはそのあとに待っていた。元メンバーのギタリスト、鳥羽修を加えての“Superman”だ。パワフルに跳ね上がるビート、軽快なキーボード、直枝政広の粗野と繊細のはざまを揺れ動くヴォーカル。そしてサビに入ると、なんとも切ないメロディと直枝政広の甘いファルセットが曲のドラマを最高潮に持っていく。最高のポップ・ソングとは、3~5分の短い時間、胸を締めつける恋心の幻想を見せる音楽のことだと断言したくなる、ロックンロールだった。こういうロマンチックな曲を書いて、演奏できるからこそ、カーネーションは愛されているのだろう。最後は、その日の出演者のほぼ全員がステージにあがり、“夜の煙突”の大合唱で締めくくられた。

年齢を重ねるたびに、その経験を活かして“枯れ”の技芸に磨きをかけていくというのは、フォークでもロックでもミュージシャンのひとつの“生き残り方”ではあるが、カーネーションの直枝政広と大田譲は年齢とともにますます瑞々しさを増していっているようにみえた。6月には、廃盤となり入手困難だった『LIVING/LOVING』『SUPER ZOO!』という2枚のアルバムが再発されるという。もちろん僕は聴いたことがない。新譜を待つような気持ちで、いまからときめく準備はできている。

ねぇ ねころがって話そうよ 
ねぇ ねころがって話そうよ 
ねぇ ねころがって夢みよう 
ねぇ ねころがって空飛んでこうよ 
小さな指をはなさずについておいでよ 
街がほら星くずのように 
ハイウェイが星くずのように輝くよ
“Superman”


追記

僕は、カーネーション結成30周年記念トリビュート・アルバム『なんできみはぼくよりぼくのことくわしいの?』の発起人であるスカートの澤部渡とカメラ=万年筆の佐藤優介のいくつかのインタヴューや、カーネーション好きの友人の意見を参考にしながら、アルバムを手に入れてみた。「全員に対して『SPY FOR THE BAND』で様子を見ろとは言いたくないじゃないですか」と、『ミュージック・マガジン』(2014年1月号)で澤部が語っているので、ベスト盤『SPY FOR THE BAND』だけで様子を見るのは止めた。澤部が選んだ『Prakeet & Ghost』を聴いて、なるほど、澤部の発言の意味がわかった気がする。ポップと実験。ポップにおける実験。実験的なポップ。そのような多層的なカーネーションを知るためには、ベスト盤ではまったく事足りない。いわばコロムビア時代のシングル集である『SPY FOR THE BAND』に詰まっているきらめくポップ・サウンドはとても素敵だ。だが、たとえば『Girl Friend Army』と『天国と地獄』を聴き比べてこそ、カーネーションというバンドを深く堪能できるし、カーネーションがコアな音楽ファンから支持されつづけている理由を理解することができる。“ハリケーン”(『天国と地獄』収録)における、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの名曲“イン・タイム”のドラム・ブレイクのサンプリングのセンスはいま聴いても斬新で、発表が92年であることを考えれば、ヒップホップ的観点からも無視できない重要な一曲。

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カーネーション、現在入手困難なトリオ時代の名盤『LIVING/LOVING』、
『SUPER ZOO!』のアルバムが2枚組デラックス・エディションで再発決定!

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 2013年に結成30周年を迎えたカーネーション。トリビュート盤発売や精力的なライヴ活動で現在でも新しいリスナーを獲得しつづけている彼ら。現在のライヴ定番曲が多数収録されているCUTTING EDGE/avex所属時代(2002~2004)の作品はすべて廃盤=入手困難であったが、満を持してフル・アルバム『LIVING/LOVING』、『SUPER ZOO!』2タイトルの再発が決定。どちらもボーナス・ディスク付きのCD2枚組。ボーナス・ディスクにはアルバム未収録のシングルカップリング曲や限定盤収録の楽曲群を網羅。CCCD(コピーコントロールCD)での発売のみだった20周年記念シングル「スペードのエース」や同時発売のアナログ盤収録曲も晴れて通常音源/盤で収録される。
 また、デモ音源などファン垂涎の未発表音源も多数収録。

■『LIVING/LOVING Deluxe Edition』

発売日:2014年6月18日(水)
カーネーション6月ツアーにて先行発売
(オリジナル・リリース2003年8月27日)
品番:PCD-18767/8 価格:¥3,000+税
最新リマスタリング
解説:岡村詩野

トラックリスト:

【LIVING/LOVING Disc 1 】
01. やるせなく果てしなく
02. 春の風が吹き荒れているよ
03. LOVERS & SISTERS
04. あらくれ
05. 永遠と一秒のためのDIARY
06. COCKA-DOODLE-DO
07. ハイウェイ・バス
08. 愚か者、走る
09. BLACK COFFEE CRAZY
10. USED CAR
11. OOH! BABY

【LIVING/LOVING Disc 2:ボーナス・ディスク】
01. 愚か者、走る (Rainy Day Demo)
02. ハイウェイ・バス (Home Demo)
03. LEMON CREME (Live Version)
04. VENTURE BUSINESS SYMPHONY #1
05. ぼうふら漂流族 (Rainy Day Demo)
06. ダイナマイト・ボイン (Live Version)
07. VENTURE BUSINESS SYMPHONY #2 "VENTURE CHRISTMAS TIME"
08. 放課後の屋上で
09. VENTURE BUSINESS SYMPHONY #3 "VENTURE MASSAGE 4 U"
10. 春の風が吹き荒れているよ (Home Demo)
11. あらくれ (Home Demo)
12. 永遠と一秒のためのDIARY (Home Demo)
13. COCKA-DOODLE-DOo (Home Demo)
14. USED CAR (Home Demo)
15. NO TITLE (未発表曲 Home Demo)
M1-9:限定生産シングルシリーズ『VENTURE BUSINESS Vol.1~Vol.3』収録曲
M10-15:未発表デモ

■『SUPER ZOO!  Deluxe Edition』

発売日:2014年6月18日(水)
カーネーション6月ツアーにて先行発売
(オリジナル・リリース2004年11月25日)
品番:PCD-18769/70 価格:¥3,000+税
発売元:P-VINE RECORDS
最新リマスタリング
解説:安田謙一

トラックリスト:

【SUPER ZOO! Disc 1】
01. SUPER ZOO!
02. レインメイカー
03. スペードのエース
04. 気楽にやろうぜ
05. El Soldado (フリーダム!フリーダム!フリーダム!)
06. あの日どこかで
07. カウボーイ・ロマンス
08. Miss Cradle
09. 十字路
10. ANGEL
11. 魚藍坂横断
12. RUNNIN' WILD

【SUPER ZOO! Disc 2:ボーナス・ディスク】
01. 夜の煙突 (20th Anniversary Party Version)
02. シケイロスのように (Recording Live At The Doors)
03. ANGEL (Home Demo)
04. ROSE GARDEN
05. MY LITTLE WORLD (Live Version)
06. BLACK COFFEE CRAZY (Live Version)
07. LOW PRESSURE
08. おそろいのお気にいり
09. OOH! BABY (Acoustic Solo version)
10. LOVERS & SISTERS (Acoustic Steel version)
11. SUPER ZOO! (Home Demo)
12. 十字路 (Home Demo)
13. 魚藍坂横断 (Vocal Demo)
14. LOW PRESSURE (Vocal Demo)
M1-3:20周年記念シングル『ANGEL』収録曲
M4-7:20周年記念シングル『スペードのエース』収録曲
M8-10:アナログ盤『LOVERS' FAVOURITES』収録曲
M11-14:未発表デモ

■2タイトル同時購入応募特典あり!(商品に応募券封入)

CARNATION official website
https://www.carnation-web.com/
https://twitter.com/carnation_web
https://www.facebook.com/carnationweb

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カーネーション、大阪&東京ツアーに旧メンバー、矢部浩志参加決定!
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 カーネーション、6月の大阪&東京ツアーまであと半月!
大阪&東京公演に旧メンバーの矢部浩志((MUSEMENT、Controversial Spark)の参加が決定!

 2009年に矢部がカーネーションを脱退して以来、直枝、大田、矢部の3人が同じステージに立つのは5年ぶり。本ツアーではカーネーションのエイベックス時代のアルバム『LIVING/LOVING Deluxe Edition』『SUPER ZOO! Deluxe Edition』の先行発売も行われる。

31年目のカーネーション
「タンジェリンとハイウェイ '14」
ツアーサポート:張替智広(Dr)、佐藤優介(Key:カメラ=万年筆)
Special Guest:矢部浩志(MUSEMENT、Controversial Spark、ex.カーネーション)

■大阪公演
2014年6月1日(日)
大阪 Shangri-La

開場:17:00 開演:18:00

オールスタンディング
前売:5,000円 当日:5,500円(ドリンク別)
学割:2,500円
※学割チケットはプレイガイド発売はありません。

学割予約フォームは以下(大阪公演専用)
https://tangerineandhighway0601gakuwari.peatix.com/

チケット一般発売 5月10日(土)
チケットぴあ 0570-02-9999 Pコード:231-868
ローソンチケット 0570-084-005 Lコード:54262
イープラス https://eplus.jp
モバイルサイトGREENS!チケット https://www.greens-corp.co.jp/

(問)GREENS 06-6882-1224

■東京公演
2014年6月8日(日)
東京 キネマ倶楽部

開場:17:00 開演:18:00

オールスタンディング
前売:5,000円 当日:5,500円(ドリンク別)
学割:2,500円
※学割チケットはプレイガイド発売はありません。
カーネーション公式HPからの受付のみとなります。
学割受付フォームは以下(東京公演専用)
https://tangerineandhighway0608gakuwari.peatix.com/

チケット一般発売 5月10日(土)
■Peatix https://tangerineandhighway0608.peatix.com
■ローソンチケット 0570-084-003 Lコード:70008 https://l-tike.com/
■イープラス https://eplus.jp (5/16より取り扱い開始)

(問)東京キネマ倶楽部 03-3874-7988


MARU (MELLOW YELLOW) - ele-king

MIX CD『MARU HOUSE MIX vol.3 - Vivid Summer Traces -』完成しました。過去のはフリーで聞けますのでこちらで。Twitter,FBのリンクもあります→https://soundcloud.com/maru_mellow-yellow

DJスケジュール
5/30(金) 神泉Mescalito
6/11(水) 三軒茶屋 天狗食堂 「Powder & Herb」
6/13(金) 代官山AIR 「MARK E "Product Of Industry" Release Party」
6/20(金) 渋谷Relove 「Let Me In Vol.2」
7/19 (土)-7/20(日) 千葉県 金谷base 「Life」Open Air Party

64歳になっても家で聞きたくなるであろうダンスミュージック12inch single record(順不同)


1
Eddy & Dus meet Lilian Terry - 'Round About Midnight - Mo'Smog Records

2
Axel Boman - Die Die Die!! - Parmanent Vacation

3
Fertile Ground - Let The Wind Blow(Oneness Of Two Mix) - Counter Point Records

4
Bjak - Your Love featuring Janet Cruz(main mix extended) - Deep Explorer

5
Crossroads featuring Deborah Falanga - Sunday Afternoon(Soulpersona Remix) - BeYourself Recordings

6
Rah Band - Questions - s.o.u.n.d recordings

7
Cory Daye - City Nights/Manhattan Cafes - Blue Chip Records

8
Asia Love - You Should Be Here(Mass Mix) - Nu Groove

9
Lama - Love On The Rocks - Numero Uno

10
Sound Of Inner City - Mary Hartman, Mary Hartman(Instrumental) - West End

interview with Kazuki Tomokawa - ele-king


友川カズキ
復讐バーボン

モデストラウンチ

FolkRock

Review Tower Amazon

 お食事中の方にはもうしわけない。
 10年前に友川さんに取材したとき、インタヴューが終わり、川崎駅のホームを東京方面へ歩いていくと階段の影のデッドスペースで中年の男がかがんでウンコをしている。私は彼の背後から追い越すように歩いていたので、突き出した尻の穴から太めのソーセージのような糞が出てくる、まさにその瞬間に立ち会うことになった。ひとは日々排泄しても排泄する自身の姿を見ることはできない。私はとくにそういった性癖があるのではないので、ひとが大便をするのをまのあたりにしたのははじめてだった。尻は白くすべすべしていた。桃尻といってもそれは白桃なのである。
 私がウソを書いていると思われる方もおられよう。ところがこれは事実である。同行したS氏に糺していただいてもいい。事実は小説よりも奇なりという、その奇なりは物語などではなく現実の物事の不可解さなのだと、私はそのとき思ったというと大袈裟だが、友川カズキを思いだせばそのことに自然に頭がいくわけでも当然ない。ただこのたび、友川さんに会って話を訊くにあたり10年前のことを思い返すにつれ思いだした。思いだすと書かなければいけない気になった。その日の友川さんの飄々としたたたずまいとユーモアと訥々しながら不意に核心に急迫するただならぬ語り口に聞き入ったあの取材のそれはありうべき「細部」だったからといったら失礼だろうか。

 今回も、といっても、取材したのは2月21日なので3ヶ月も前だが、友川さんの語り口はむかしのままだった。歌と言葉と音とが三者三様の強さを示すのではなく重なり合うことで見せた、彼のキャリアのなかでもおそらくはじめての作品である『復讐バーボン』をものした友川カズキは代官山の駅の改札をくぐり、こちらにくる途中売店に立ち寄って、ロングコートに身をつつみハットをかぶってやってきた。頭髪に白いものが目立ったほかは時間の経過を感じさせない。取材はその日ライヴをすることになっていた〈晴れたら空に豆まいて〉の楽屋でおこなった。
 内容はご覧のとおりだが、取材後ライヴを観ながら私は友川カズキと同じ時代に生まれた私たちこそ、それを奇貨とすべきだとまた思った。

■友川カズキ
40年以上にわたって活動をつづける歌手、詩人。1975年にファースト・アルバム『やっと一枚目』にてデビュー。〈PSFレコード〉からの『花々の過失』が評判になったのちは同レーベルからのリリースが意欲的につづけられ、なかでも1994年発表のフリー・ジャズのミュージシャンとのコラボレーション『まぼろしと遊ぶ』は新境地として注目される。画家としても活躍するほか、映画出演や映画音楽の制作、海外公演などいまなお活動の幅を広げている。最新作は『復讐バーボン』(2014年)。


私は友川さんを取材させていただくのは10年ぶりです。前回は三池崇史監督の『IZO』に出られたときでした。それ以降、とくにさいきんは友川さんのことを若い世代も聴くようになった気がしますね。

友川:これはね、はっきりいってインターネット時代だからですよね。口コミというかね。むかしだってそんなに人気なかったし、ひとが入らなかったけど、ここんとこずっと満員ですからね。アピア(40/渋谷から目黒区碑文谷に移転した老舗ライヴハウス)なんか毎回満員札止めだからね。それはインターネットの時代だからですよ。あとはほら、ラジオでナインティナインが私の曲をずっとかけたりしてくれて、それがまたインターネットで口コミみたいになったんですね。私はね、インターネットはやらないんですけどね。ケータイもないから聞いた話ですけどね。いまの時代だから世界の独裁者も斃れる。ネットの時代だからですよ。

友川さんはデビューされてそろそろ40年近くですが、インターネット以後お客さんが変わってきたところはありませんか?

友川:私が若かった時分は同年代のひとたちが聴いてくれていたのが多いんですけど、彼らが社会的に地位があがったり家庭をもったりするともう動かないんだね。いつの時代も若いひとたちですよ、行動力と好奇心があるのは。家庭をもったひとは好奇心がないとは思わないけれども、優先順位がちがってくるんですね。ひとを育てているから自分で自分を育てるようなところにはいかないんだ。だってひとりで行動しているということは自分で自分を育てるということだから、優先順位がちがうんですよね。

他者、子どもをまず育てなければならない。

友川:という立場になっているから。大人になったのに私を聴きにくるひとはそうとう家庭不和かその一歩手間か、ほんとうに好奇心があるかですよ(笑)。

私は家庭がありますが友川さんを聴きたいと思いますし家でも聴きますよ。

友川:それはおかしい! 家庭で聴くような歌じゃないでしょ。ああそうか! こうなったらいけないという反面教師か! 私の歌を聴くと家庭はより結束がかたまるということか。隣の家が火事だと家族全員でバケツで水を運ぶあの感じでしょ。

『復讐バーボン』には「ダダの日」とか、この曲には元歌がありますが、こういった曲は子どもうけもよさそうですよね。

友川:子どもがいきなりダダを知るのは不幸ですよ。

ダダは子どもに近くはありませんか?

友川:ない。

あの破れた感じとか。

友川:それはそうかもしれないけど、子どもは破れちゃダメだよ。

歌詞はどのようにつくられるんですか?

友川:説明はうまくできないですよ。ただ今回の“順三郎畏怖”については石原吉郎(1915~1977年、戦後詩の代表的詩人)の歌をつくろうとして、たしかにむずかしくて、私にはわからない詩がほとんどなんだけど、なんか感じていてね。1年か2年ずっとやっていてね。石原吉郎をなんとかかたちにしたいとステージでもよくしゃべったもんです。
 私はもうずっと本は買わなくて図書館なんですよ。年だしいずれ死ぬし、本が部屋にあってもしょうがないから。図書館で借りて本を読むんです。たまたま石原吉郎の仕切りを見ていたら西脇順三郎の本が何冊かあったんですよ。西脇順三郎も読んでいたけどやっぱりわからなくて、でも彼の絵が好きなんですよ。絵が載っている本もちらちらあったから借りてみようと思ってね。そうしたら塚本邦雄が西脇順三郎のことを書いた文章があって、そこに「間断なく祝福せよ」という一行があった。それがあんまりよかったから曲にしたんですよ。

図書館には言葉を探すために通う感じですか?

友川:そんなことない。いちばん借りるのは動物図鑑とか、『世界のホタル』とかそういうのですよ。10冊くらい借りられるんですよ。でっかい美術書とか。無料だから。あんないいことないね。図書館は最高ですね。

『復讐バーボン』をつくろうとしたなりゆきから教えてください。

友川:それは〈MODEST LAUNCH〉小池さんのおかげですよ。小池さんが新しいのをやりましょう。ということで、私はもうつくらなくてもいいかなと思っていたの。年だし、いままでつくったのでいいかなと思っていた節もあるの。前はかたちをつくると元気が出て、次に行けたんですけど、もう大丈夫じゃないかなと思っていたから。

レコードというかパッケージはもう充分だと?

友川:かたちっていうのはよくないと思ったこともあったからね。だいいち時間もないしね。競輪も忙しいし。それがいざやったら元気が出ちゃってね。いいのつくってくれたの。それでまた(次に)行ける感じがしたんですよね。

かたちはもういい、というのはライヴだけでやっていこうということですか?

友川:ライヴもね、もうだいたいでいいなと思っていたの。ただほら、彼らに迷惑をかけているから。歌詞集(友川カズキ歌詞集 1974-2010 ユメは日々元気に死んでゆく/ミリオン出版)を出してくれた佐々木さんがいて、映画(ヴィンセント・ムーン監督『花々の過失』)のDVDも出て、そこそこ売らないとただ世話になっただけじゃ悪いなと、それだけ。私は義理人情にはあつくはないけど、中くらいはあるのよ。あつくはないよ、そういうことは信じないし。絆とか、ああいうのは信じない。「おもてなし」と「絆」は死語ですよ。寺の坊主が暮れにあそこで字を書いたら、その字は全部死語ですよ。いらないですよ。こけおどしだもの。あんなふうに言葉に集約される時代や人生なんかどこにも誰にもないですよ。

清水寺のやつですね。

友川:そうそう。墨を垂らしながね。あれは墨のムダだ。それをまたマスコミが伝えるでしょ。あんなバカなことあります? その字に向かって生きているひとなんかいないし、その字でなにかあったとかなかったとか、そんなひといません。字なんかそんなに重くない。

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それは詩が甘いんじゃないね。人間が甘いんですよ。簡単な話。詩を語ってはダメなんです。ひとを語れば詩になるんです。そのひとに詩があるかないかは、そのひとと語ればいい。詩を真ん中に置いて語ると詩に墜ちる。

しかし友川さんは言葉を生業にしているところもありますよね。

友川:ない(と断言する)。言葉を遊んでいるだけ。蹴飛ばして口笛のように吹いているだけ。生業ではいっさい、ない。寺山修司の名言がありますよ。「詩人という職業はない」詩を書けば誰でも詩人なんですよ。

さっこんの詩については甘いものも多い気がしますが。

友川:それは詩が甘いんじゃないね。人間が甘いんですよ。簡単な話。詩を語ってはダメなんです。ひとを語れば詩になるんです。そのひとに詩があるかないかは、そのひとと語ればいい。詩を真ん中に置いて語ると地に墜ちる。

わかりやすい詩を求めている人も多くいますよね。それを詩と呼んでいいのか、ポエムと呼ぶべきかはわかりませんが。

友川:私も平明な詩がいいとは思っているんですよ。詩も絵もそうだけど、むずかしくするほうが簡単なの。

そうでしょうね。

友川:平明に誰でもわかる言葉で伝えるほうがむずかしい。けっこう気をつかうんですよ。

詩というものは現代詩に象徴されるように難解になっていった歴史というか経緯はありますよね。

友川:現代詩なんて何年も読んだことない。このまえどこかで『現代詩手帖』をわたされましたよ。若いひとでそこに詩を書いている方がいらした。何十年も前に私はずっと投稿していたんですけど一度も載ったことはない。デビューしてからは何度か載りましたけどね。

そうなんですね。

友川カズキ:諏訪優(1929~1992年、詩人。バロウズやケルアックなどビートニクの翻訳者であるともに紹介者であり、レナード・コーエンの歌詞集の翻訳なども手がけた)さんという方と親しくしていたから、諏訪さんが私の詩を2、3回載せてくれたけどね。それだってコネですよね。

諏訪優さんだって友川さんの詩がよいと思うから推薦してくれたんだと思いますよ。

友川:そうそう、私、諏訪さんに助けられたことがあるんですよ。ライヴハウスでケンカになって路上で血だらけで倒れていたところ、たまたま通りがかった諏訪さんが助けてくれたの。私はそのときアレン・ギンズバーグはもう読んでいたけど、そのひとが諏訪さんだとは知らなかった。諏訪さんは学生といっしょで、助けられてどこかに店に入って名刺をもらったら諏訪さんだとわかったのよ。それから何度か連絡をとりあってね。最後は東北の旅をふたりでやりましたよ。彼の詩の朗読と私の歌でコンサート・ツアーをね。彼が死んだときは、私も歌いましたから。福島さんの寺でやったの。

福島泰樹さんですか?

友川:そうそう。

そういう奇縁があるんですね。出会いといいますか。

友川:諏訪さんの場合はあまりにも奇異な出会いだけどね。だからひとですよ、私の場合は。

ひととの出会いでなにか変わるものがありますか?

友川:誰とでもというわけではもちろんないですよ。私は飲んでひとと出会って変わってきた感じがありますね。だってどこも出かけないから。とくにいまは。むかしだって、ただゴールデン街を飲み歩いていただけだから。ああいうところで出会っていった感じがしますね。たとえば中上健次さんあたりにもゴールデン街を連れて歩かれたのよ。嵐山光三郎さんとかね。そういう人間と出会ったからでしょう。

レコードをつくるのもひとつの縁かもしれませんね。

友川:そうそう。ステージとはまったく別の次元のものだからね。

そういうふうにレコードはいいかと思いながらも、『復讐バーボン』が思いのほかよかったから先に進めると思ったんですね。

友川:松村さんも書かれていたけど、はじめて練習したのよ。私、最初小池さんのこと怒ったの。みんなプロなのになんで練習なんかしなきゃいけないのって。それがやったらクセになっちゃってね。ぜんぜんちがうの。私じゃないですよ、まわりがちがうんです。いつもの即興でお願いします、というあれがどれだけ失礼かがわかったの。

長いことかかりましたね。

友川:40年かかったね。いくら技術があってもテンションがあっても、会ってすぐは知らない曲はできないよね。


『復讐バーボン』レコーディング風景
Kazuki Tomokawa "Vengeance Bourbon" Recording Footage

2013.10.11 at APIA 40
歌:友川カズキ“兄のレコード”
共演:石塚俊明(drums)、永畑雅人(piano)、金井太郎(guitar)、
ギャスパー・クラウス(cello)、坂本弘道(cello)、松井亜由美(viol­in)、吉田悠樹(nico)
撮影:川上紀子


トシ(石塚俊明)さんにしろ永畑雅人さんにしろ、彼らの即興はまたすごいと思いますけどね。

友川:彼らはいつでも私に合わせてくれるの。それに私はオンブにダッコだったわけです。バンドにははじめて会うようなひとだっているわけで、曲を知らないこともあるじゃないですか。それを即興で、というのはムリなところもあるし、だいいちつまらない。上っ面をなぞるだけで終わっちゃうから。

そうですか。

友川:曲がわかったうえでそこからのアレンジや即興で壊すと本人が考えるのはいいんだけどなんにも知らないで参加させられた日にはちょっとつらいと思うな。小池さんにはほんとうに勉強させられました。叱った私がバカでした。

私も長らく友川さんの音楽は聴かせていただいていますが、練習することでこれだけ変わるものなんだなとは思いました。

友川:変わる余地は私にはいっぱいあるんです。うぬぼれで生きてきたから。ひとと折り合おうという気はまったくないから。トシとか雅人さんはむかしから会っていて、気心が知れているから合わせてくれていたわけよね。ギターをまちがえたところも、わかっていて流してくれたりしていたんですよ。ところがはじめて会うひとに甘えるのはキツい。それにそれは音楽にも出るんです。

練習というのは友川さんがコード進行を書いてメンバーにわたしたんですか?

友川:歌詞を渡してコード進行をわたしました。佐村河内と同じで譜面は書けないからね。

佐村河内は余計なひとことだと思いますが。

友川:佐村河内は興味があるね。まぁ、MCのネタとしてですけどね。そういう仕込みには怠りないんですよ、私(笑)。文春も毎週のように買っちゃった。

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枷のなかでの飛び跳ね飛び散らかりじゃないと自由じゃない。自由というと手足を伸ばしてだらだらしている状態だと思うひともいるけど、あれじゃあないんですよね。

そうですか。でもそうやってコード譜を書いてバンド・メンバーにわたすというのは、それまではやっていなかったということですか?

友川:それはやっていましたよ。

今回はレコーディングの前にリハーサルをやったということですね。

友川:そう。ふだんドラムのひとやピアノひととも音楽の話はしないから。ライヴの前にラーメン屋に入っていても音楽の話なんて出ませんよ。私が知らないのもあるんだけど、それが今回スタジオで音楽の話をしたりしてね。

具体的にはどういうことを話したのか憶えていますか?

友川:ギターのひとがイントロはこういう感じでいいですか、とかそういうことを活かしたり、いろいろでしたね。そしたらちゃんと技があるんだよなあ。それがおもしろかったですね。

バンドには長くいっしょにやられてきたメンバーも多いですが、それまで友川さんはメンバーのどこに信を置いてお願いしてきたんですか?

友川:お願いするということでもないよね。

それも縁のようなものですか?

友川:そうだね。トシはね、あのテンションだね。私、頭脳警察のファンだったんですよ。前座も何回かやらせてもらってね。トシのコンガがよくてね。バンドをやるならいっしょにやりたいな、と思っていたのがもう何十年にもなっているだけですよ。

テンションというのは?

友川:狂気ね。表現というのは悪魔と天使、大胆さと繊細さがないとダメだと思うんですよ。トシには見事にそれがある。その量が大きいのよ。悪魔も大きければ天使も大きい。それがすばらしいバランスなのよ。すごく凶暴だしすごく繊細。どっちかひとつだったら誰にでもあるのよ。こいつは悪魔は大きいけど天使は小さいなとか、天使はすごいけど悪魔はないなとかね。その量が(どちらも)すごいの。キンタマも大きいけどね。2倍だよ。

なんの2倍なんですか(笑)?

友川:ポイント2倍(笑)。いや、あれは大きい。

キンタマの話はさておき。

友川:いやね、松村さん。話というのは枝葉末節のほうがおもしろいのよ。

おっしゃるとおりです。細部というのはなににおいても大切だと思います。

友川:ディテールね。

なぜ英語でいいかえたんですか。

友川:どこかに英語をいれとかないとね(笑)。

天使と悪魔の配分の話ですが、友川さんとしては一方だけはものたりないということですね。

友川:つまらないんですよ。

友川さんの表現もそういうものだと思います。

友川:私は自分のことはわからないけどひとのことは見えますからね。こうやって話していても見えるでしょ。ただ自分のことって意外とね、見えないからわからない。誰でもそうでしょう。

自分のことは見えないということは自分なりの確たる方法論もおもちではない?

友川:方法論ということではないけれども、さっきからの話を集約すると、またひとの言葉になるんだけど、寺山修司が「枷のない自由は自由じゃない」といっているんですよ。枷のなかでの飛び跳ね飛び散らかりじゃないと自由じゃない。自由というと手足を伸ばしてだらだらしている状態だと思うひともいるけど、あれじゃあないんですよね。

枷というのは、歌をつくるときの枷というのはどういうものだと思いますか?

友川:3分半で歌詞は3番までとかね。20分30分する歌もあるかもしれないけど、生理的に3分から5分が限界だと私は思いますよ。

それが友川さんにとっての決めごとになるんですか?

友川:そういったことは……考えたことないなあ。むしろ自然にやっちゃっている感じがある。ただこの言葉はマズいなというのはあるんです。“一人ぼっちは絵描きになる”という歌があるんですが、これはもとは“一人ぼっちは画家になる”というタイトルだったの。ところが「画家」だと「バカ」に聞こえるのよ。これはマズいと思って“一人ぼっちは絵描きになる”に変えたの。だから歌詞の語呂がちょっとおかしいんだよね。気をつけるのはそういうことだね。書いた詩で読んでもらうなら「画家」でいいんだけど私の場合耳から入る詩だからね。あとはむずかしくてわからない言葉でもいいやというのはいっぱいある。わからなければわからないでぜんぜんいい。さっきの平明な言葉と矛盾するかもしれないけど、わからなくてもいいんです。総合的に感じるか感じないかであって、あの言葉はわからないからこの歌はダメだということにはならない。

書く言葉と歌う言葉は――

友川:完全にわけている。私はいまは書きませんけど、むかしは書いていましたから書く詩はなんでもいいわけ。歌はまずひとに聴いてもらう前提があり、歌うという前提があり、人前に出るという前提がある。書いた詩は人前に出なくても読もうが読まれまいが関係ないという気持ちで書くし、読むひとの顔もみえない。歌は見えるんです。聴いているひとの顔が。コンサート会場ではなくともね。

書く詩はなんでもいいわけ。歌はまずひとに聴いてもらう前提があり、歌うという前提があり、人前に出るという前提がある。書いた詩は人前に出なくても読もうが読まれまいが関係ないという気持ちで書くし、読むひとの顔もみえない。歌は見えるんです。聴いているひとの顔が。


友川カズキ
復讐バーボン

モデストラウンチ

FolkRock

Tower Amazon

歌詞をつくるのは時間がかかりますか?

友川:私はなんでも早いですよ。粘ったりしないの。すぐできないのはできないの。絵もそう。できるときはすぐですよ。

でも絵を描くのは地道なコツコツした作業のような気もしますが。

友川:それは絵描きによるし、どういう絵かにもよるね。私は努力とか嫌いだし、地道なんて一刀両断に切って捨てたい言葉だね。

地道に歌いつづけていらっしゃるじゃないですか?

友川:それはちがうな。歌だって2年くらい止めていた時期があるんだから。もういいやと思っていたんだから。飽きっぽいしそういうのはないの。そうしたら渋谷時代の〈アピア〉にあるファンから電話がきて、「友川さんにまた出てほしい」と。毎日のように電話がくるんだっていうのよ。それでまたやることになったんですよ。(お客さんが)10人以下になったらもう止めるとも決めていたんですけどね。それがいつも12、13人だったりするのよ(笑)。これがむずかしいところですよ。

それこそ神の差配なんじゃないですか?

友川:いやいや、神なんかいるもんか。

それでも、すくなくとも10人以上はお客さんはいたわけですよね。

友川:そうだね。これだけ長く歌っているといろんなひとがいるね。

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変わる余地は私にはいっぱいあるんです。

私も〈アピア〉でも何度も聴きました。

友川:滝澤明子さんといういまイギリスに住んでいるカメラマンの方は日本に帰ってくるたびにコンサートにずっときてくれてたんだって。そのときは顔も名前も存じませんでしたが、私がロンドンでライヴをしたときに、彼女がきてくれて、知り合いになった。そういうこともありましたよ。

海外でも友川さんの歌が評価が高いですが、言葉が通じない場所で聴かれていることをどう思われますか。

友川:私だってローリング・ストーンズを聴いたりするわけだしね。しかしどういった感覚なんだろうね。

スタッフの佐々木氏:ロンドンでは〈cafe OTO〉というところでライヴしたんですが、滝澤さんによれば、あんなに話し声がしない〈cafe OTO〉ははじめてだということでした。イギリスではお客さんは演奏中もしゃべっていることが多いらしいんですが、友川さんのライヴはシーンとしていたとおっしゃっていました。

友川:ロンドンでは私は(曲間に)ほとんどしゃべらなかったんですよ。英語しゃべれないから。次々と歌だけ歌ったんです。

それをみんな真剣に聴いていたんですね。

友川:そうそう。

感想は訊かれましたか。

友川:訊くもなにも、話せないから、ただ飲んでいただけ。

私も18、19歳でヨーロッパに行ったとき、友川さんの『初期傑作選』のCDを、当時はCDウォークマンでしたからそれにいれて旅していたんですけど――

友川:つらい旅だ。

いろいろ思うところがあったんでしょうね(笑)。フランスに寄ったとき、知り合った同世代の男性に聴かせたらほしいというもんであげた憶えがあります。私もフランス語はできませんでしたから、いいと思った理由はよくわからなかったですが、言葉の壁を越えて伝わるものが友川さんの歌にはあるのかもしれませんね。

友川:フランスからロンドンに私の歌を聴きにきたレオナルドという男がいたんだけど、彼は私のレコードを全部もっていたからね。ヘンな男だったよ。なんの仕事やってるって訊いたら、無職ですって。アンコールも彼がたちあがってアンコールかけたもので全員仕方なく手を叩きはじめたんだけどね。

そういう熱狂的なファンがいるんですね。

友川:あちこちに、そういった危ない感じのひとがいるのよ(笑)。フランスには多いですよ。

言葉の響きの問題ですか?

友川:関係ないでしょ(笑)。

『復讐バーボン』にも訳詞がついていますし、海外でも聴かれるといいですね。

友川:そうね。

友川カズキ“馬の耳に万車券”
Kazuki Tomokawa "A Lucky Betting Slip to Deaf Ears"

2014年1月29日 in 大阪『復讐バーボン』レコ発ライヴ
友川カズキ、永畑雅人、石塚俊明、ギャスパー・クラウス


言葉にしろ曲にしろ、演奏しても『復讐バーボン』はこれまでの友川さんの作品のなかでも頭ひとつ抜けていると思いました。

友川:それはうれしいね。いつまでも『初期傑作集』じゃね。

初期は初期ですばらしいと思いますよ。前に原稿でも書きましたが、変わっていくもののなかに一貫しているところがあるのも友川さんだと思うんですね。

友川:松村さんはそう書いていたけど、私もそう思う。一昨日の私ではダメなのよ、明後日の私がつねにここに坐っているような感じでないと。なにかないと。

そうありつづけるひとも多くはないと思いますけどね。

友川:いや表現者にはいっぱいいますよ。

そういう表現者がいっぱいいれば日本はもっと住みやすいと思いますけどね。

友川:偉いこといったな、あんた(笑)。ちょっと政界にでもいってきてよ。(ライヴハウスの店員に)じゃあ、ビールとあとカレー3つ。


(後編につづく)


BACK DROP BOMBというBANDでguitarを弾いたり、
歌舞伎町のドープオアシスSPOT BE-WAVEで色々とやっております。
DJ nameはDJ TASAKAと同様の発音でお願いします。
BAND活動20周年を記念してTRIBUTE ALBUMを作りました。
20周年特設サイト(https://bdb20th.com/)

DJ&LIVEスケジュール
6/3 DJ BAKU PRESENTS "MIXXCHA"VOLUME ONE"@中目黒solfa(DJ)
6/7 歌舞伎町be-wave 8Anniversary party@be-wave(DJ)
6/9BACK DROP BOMB特別番組@DOMMUNE(Talk)
6/14 Broccasion Live@六本木ex-theater(Live)
6/15rega「2014tour discuss」@仙台MACANA(Live)
6/22HOLYDAYS@LOUNGE NEO(DJ)
6/27Broccasion Live@大阪BIGCAT(Live)
まだ他にも決まっているlive等有ります。こちらでチェックプリーズ(https://backdropbomb.jp/

最近DJで良くかける曲10


1
PAPER,PAPER... (MxAxD) - BRON-K feat.NORIKIYO

2
Animal Chuki - Capicúa

3
Mastered - A-Trak feat.Lupe Fiasco

4
Rathero - Semilla

5
Buraka Som Sistema - Zouk Flute

6
Dillon Francis - I.D.G.A.F.O.S. (Neki Stranac Cumbia Digital Rework)

7
Liliana (Dengue Dengue Dengue! Refix) - Los Demonis del Mantaro

8
FISSA - UFO!&Hoodie

9
Snake (Neki Stranac Moombahton Mix) - Blasterjaxx

10
Lagartijeando aka Mati Zundel - Doña Maria - El Pescador (Lagartijeando Remix)

Arca (DJ set) - ele-king

 「DJ set」というクレジットに不安をおぼえたひともいたかもしれないが、しかし、アルカのそれはまるでライヴだ。プレイ・スタイルは言葉どおり、まさにトータル・フリーダム。彼の進化系ないしは変異体。さながら魔術のようなCDJさばきからはトータル・フリーダムの影響力をまざまざと感じる(じっさい友だちだとのこと)。〈フェイド・2・マインド〉的なヒップホップ/R&Bのミックス感覚でもって音響的悪戯を極めたステージ。出世作のタイトル『&&&&&』はハッタリじゃない。ヴォーグに、ハウスに、アンビエントに、リック・ロスに、R&Bヴォーカルに、スムース・ジャズっぽいトランペットに、…メタル? たしかにミックスは(Tくんがジョージ・マイケルとデフトーンズの曲だったと証言するとおり)カオスそのものだが、一貫してダンス・ビートは崩されない。サウンドの根底には、エレクトロニカやグリッチ、そしてヒップホップがあるようだ(彼がもともとヌーロ/Nuuro名義でエレクトロニカ/エレクトロポップを作っていたこと、『&&&&&』にスヌープ・ドッグが鮮やかに挿入されていたのを思い出してほしい)。

 『&&&&&』からは想像するのがむずかしいほど、リスニングの姿勢で来たら面食らってしまうほど、アルカことアレックスのDJはハードなダンスを志向する。フロアを沸かしにかかる。が、沸きあがる直前でつぎつぎと曲を変えていく。エフェクトの使い方もすさまじく、ピッチもBPMも彼の思うがままに操作され、サウンドはぐにょんぐにょんに引き伸ばされ、ゆがみ、ぶっ飛んで、沈んでいく。DJというより、『&&&&&』のダンス・ヴァージョンをその場で作っていたような感覚だ。かつてのヌーロ名義のクリアなイメージとはほど遠く、ダーティでノーティ。ダークでエレガンス。エクスペリメンタルでありエクスペリエンス。脳は揺れ、身体が音楽をキャッチする。いったい何が彼を変えたのだろうか? 1時間半、彼の集中力と陶酔は最後まで崩れなかった。
 また、アルカとともに怪奇的な映像プロジェクト『トラウマ』を制作しているジェシー・カンダもロンドンから会場にかけつけており(VJはしていなかったようだ)、流暢な日本語でファンと話していた。
 『&&&&&』のヴァイナル化を経て、今年はアルカのアルバム・リリースが期待されている。これはかなり期待していい。再来日公演があれば、絶対に見逃さないでほしい。

 この夜は他の出演者も印象的だった。ゴルジェを牽引しつつ最新EPで「終了」を宣言したハナリ(hanali)も忘れられない。タムを激しく乱打しながら思いっきりダンスのモードで挑んでいて(本人いわく途中からはノープランだったらしい)、これまででいちばんの熱いライヴだった。マッドエッグ(Madegg)も、途中ナイト・スラッグス的グライムの趣味をのぞかせつつ、文句なしのカッコよさ。物販で買ったEP「4」も、疲れた身体にしみるクールな作品だ。

 もしかすると今年いちばんの夜だったのかもしれない。このイヴェントに立ち会えて幸福だった。また、〈モダン・ラヴ〉のショーケースでも感じたのだが、オーディエンスに若くクールな女性が多かったことも印象的だった。リカックスを筆頭に。

 今月24日の深夜にはJ・クッシュとトータル・フリーダムのDJが体験できた。(https://www.tokyoprom.com/2014/05/prom-nite-4.html)。#最高の夏がきた。

Talker - ele-king

 インダストリアル・リヴァイヴァルにおける再評価が高まるリージス(Regis)ことカール・オコナーであるが、しかしリージスも彼の〈ダウンワーズ(Downwards)〉も90年代から徹頭徹尾ブレない美意識を探求してきたわけで、単なるリヴァイヴァルに回収されない強靭な核を有していると思うのだ。

 とは言え、昨今のシーンの動向、具体的にはUSのニューウェイヴやミニマルウェイヴ流れのインダストリアルなアプローチにも柔軟に反応しているのが現在のカールの確固たる地位を維持してもいるわけで。〈ダウンワーズ〉は現在、活動拠点をNYに移し、スローペースながらも時代を反映した確実に良質なリリースを継続、昨年はレーベル20周年のコンピレーションをドロップ、また〈ダウンワーズ・アメリカ〉なるサブ・レーベルをサイレント・サーヴァント(Silent Servant)の協力の下に設立、カールの美意識の一旦であるノワールな世界観を共有するLAのポストパンク・ユニット、ディーヴァ・ダマス(Dva Damas)のリリースなんかも手掛けていたりする。

 んで先月〈ダウンワーズ〉からリリースされたシカゴのデュオ、トーカー(Talker)の12インチをいま聴いているわけなんだけども、じつはあんまりピンときていない。前振りで〈ダウンワーズ〉は最近の流行とはちがうんだぜ! みたいなことを抜かしといて申し訳ないんだけども。けっこう前の紙『ele-king』のインダストリアル対談で、インダストリアルは鉄槌感とファッショ感でしょ! みたいなことを言ってしまってじつは最近ものすごく後悔していて、これだけインダストリアルってタームが完全に飽和化し、コンポジション云々よりもテクスチャーや雰囲気を重視したレコードが氾濫している現状を目の当たりにしているとさすがにゲンナリしてくるわけですよ。いや、何が言いたいかっていうと、けっしてこのレコードが悪いわけではなくて(むしろ完成度は高いです)、2014年現在、ビートやコンポジションをないがしろにしてインダストリアルな質感や雰囲気のトラックをつくってもべつにもう尖ってないよってことなんです。

 先日ペインジャークの五味さんとそのあたりのシーンについていろいろとお話する機会があり、ウィリアム・ベネット(元ホワイトハウス)のカット・ハンズ(Cut Hands)なんかは、いい歳こいてぜんぜんいまの若手のノイズ→テクノなんかより尖りまくっているという意見には激しく同意したのが記憶に新しいわけで。個人的にもニューウェイヴ、ミニマル・ウェイヴ流れの雰囲気インダストリアル・テクノよりも、トライバルに、パーカッシヴに、プリミティヴに土臭い方向性を持った、暴力的な電子音楽のほうがいまは魅力的だ。と思っていた矢先に前述の雰囲気系インダストリアルのパイオニア、ドミニク・フェルノウの〈ホスピタル・プロダクション〉からこのイタリアのパーカッション・デュオ、ニノス・ドゥ・ブラジル(Ninos Du Brasil)がドロップ。ここでまた話の流れがふたたび崩壊してしまうわけですが、このアフロ・テクノ・パンク・サンバ祭りには有無を言わせずにブチあげられてしまう。夏には〈DFA〉からのリリースも控えている。

 やっぱりレーベルを偏見的に捉えてしまうのはよくない、と思わざるをえない昨今の2枚。猛烈にあのインダストリアル対談をアップデートしたい。


 ニノス・ドュ・ブラジルのYoutubeクリップを見ていて気づいた。この微妙にイケてない感じどっかで見たことがあるな。と思ってちゃんと調べてみたらやはりニコ・ヴァッセラーリ(Nico Vascellari)であった。ニコはもともとミラノのパンク畑のミュージシャンで、ミラノのスクワット・パンク・シーンをコンテンポラリー・アートに繋げたパイオニアである。サン(SUNN O))))のスティーヴン・オマリーとジョン・ウィーゼ等とおこなったカッコー(Cuckoo)や巨大なブロンズのモノリスをガンガン打ちまくり、ブリアル・ヘックス(Burial Hex)がフィードバッグをコントロールしたアイ・ヒア・ア・シャドウ(I hear a shadow)など、国内外のアーティストとのパフォーマンス・アートでのコラボレーションをおこなっている。

 本人名義でのハーシュ・ノイズは過去にドミニクのプリュリエントとのスプリットもリリースしていたはずだ。てなわけでなぜ〈ホスピタル〉なのかも納得がいきました。

interview with Archie Pelago - ele-king


Grenier Meets Archie Pelago
『グレニアー・ミーツ・アーチー・ペラーゴ』

Melodic Records/Pヴァイン

Tower HMV Amazon iTunes

 要はタイミングである。だってそうだろう、生ジャズがハウスと一緒になった、珍しいことではない。新しいことでもない。が、アーチー・ペラーゴのデビュー12インチは、都内の輸入盤店ではずいぶんと話題になった。何の前情報もなしに売り切れて、再入荷しては売り切れ、そしてさらにまた売り切れた。
 僕が聴いたのは2013年初頭だったが、リリースは前年末。年が明けて、お店のスタッフから「え? まだ聴いてないの?」と煽られたのである。そのとき騒いでいたのは、ディスクロージャーの日本でのヒットを準備していたような、若い世代だった(……マサやんではない)。
 
 いまや人気レーベルのひとつになった、お月様マークの〈Mister Saturday Night〉が最初にリリースしたのがアンソニー・ネイプルスで、続いてのリリースがアーチー・ペラーゴだった。東欧やデトロイト、そしてUKへと、ポストダブステップからハウスの時代の到来を印象づけつつあった流れのなかでのNYからのクールな一撃だったと言えよう。

 アーチー・ペラーゴの結成は2010年、グレッグ・ヘッフェマン、ザック・コーバー、ダン・ハーショーンの3人によって、ブルックリンにて誕生。メンバーはPCやターンテーブルを使い、そして同時に、クラリネット、トランペット、チェロ、サックスを演奏する。全員が幼少期からクラシックとジャズを学んでいるので、うまい。PCにサン・ラーのでっかい写真(?)が貼られているところも好感が持てる。



 2013年以降は、自分たちのレーベル〈Archie Pelago Music〉を立ち上げて、コンスタントに作品をリリースしている。ジャズ/ハウスといったカテゴリーに留まらず、よりレフトフィールドな領域にもアプローチしている。IDMやブロークンビートの要素を取り入れながら、自分たちの可能性を広げているのだろう。

 この度NYの3人組は、サンフランシスコのDJ、ディーン・グレニアーとのコラボレーション・アルバム『グレニアー・ミーツ・アーチー・ペラーゴ』をリリースする。共作とはいえ、アーチー・ペラーゴにとっては初めてのアルバムとなる。



 このように、液体状のごとく溶けるジャズ・エレクロニカだが、これを中毒性の高い、夢世界を繰り広げるのがアルバムである。

いつもエレクトロニック・ミュージックは好きだった。ジャズのコンサートではなく、夜のクラブに行きはじめたのは2008年か9年頃。決定的なきっかけは、とあるバーにたまたま立ち寄った際に、素晴らしいサウンドシステムで、140bpmの音楽を聴いたときだったね。

バンドはいつ、どのようにしてはじまったのでしょう? 2012年、アーチー・ペラーゴが〈Mister Saturday Night Records〉から発表した「The Archie Pelago EP」は、同時期にリリースされたアンソニー・ネイプルスのEPとともに日本でもコアな人たちのあいだでずいぶんと話題になったんですよ。

Dan ‘Hirshi’:クローバとコスモとは、僕がニューヨークでDJをしていたときに別々に知り合った。ふたりとも僕のDJセットに生楽器をブレンドするという可能性を提示してくれてね、とても興奮したよ。彼らはエレクトロニック・ダンス・ミュージックの未来に関して、僕と同じような先見を持っていたからね。

Zach ‘Kroba’:大学を卒業してから、しばらくハーシと彼のDJのパートナーと一緒にいたんだけど、そのときに、ハーシがチェロ奏者と一緒にはじめる新しいプロジェクトに参加しないかと声をかけてくれた。コスモの家に行って曲を録音したのがはじまりだ。その後は知ってのとおりだね。

Greg ‘Cosmo D’:長いあいだ、僕らは、独自の方法でエレクトロニック・ミュージックを作ってきたんだよ。2009年から2010年にかけていろんなダンス・パーティに遊びに行っていたからね。とくにDub Warというパーティへよく行っていたんだけど、その後自分のまわりで起きていることをもっと深く自分のプロダクションへ反映させたいと思った。それがハーシに会ったときで、彼はクローバも紹介してくれた。そして、2010年にアーチー・ペラーゴがはじまったっていうわけ。

バンドをはじめようと言いだしたのは誰でしょうか?

G:とくに誰かがはじめようと言ったわけではないよ。セッションをしていくなかで、ごく自然に、有機的にはじまった。

メンバーのみなさん、クラリネット、トランペット、チェロ、サックスなど、生楽器を演奏しますが、それぞれの音楽のバックボーンについて教えて下さい。

G:子供の頃からチェロをならっていた。大人になってジャズとインプロヴィゼーションを学び、そしてエレクトロニック・ミュージックに興味を持ったんだ。大学の後にもっと真剣に楽曲の制作をするようになった。

Z:僕は、7歳の頃からクラリネットのトレーニングをはじめたんだ。1年後にはアルト・サックスの練習した。15歳でテナー・サックスに転向して、数年後にジャズの音楽学校に通いはじめた。学校ではギターのペダル・エフェクトをサックスに使う実験をはじめたり、ロジック・プロを使ってエレクトロニック・ミュージックの作曲もはじめたね。

D:僕は、5年生の頃からトランペットを吹きはじめている。バンドだったり、オーケストラ、ジャズ・バンドで演奏もしていたよ。ちょうど、自分の人格の形成期の頃だったね。大学でも演奏を続けていたけど、僕の音楽の探求はアカデミックな方向にも向かった。しかも、この頃にDJを覚えてWNYUというラジオ局で自分の番組も持ったんだ。また、リーズンというソフトを使ってアイデアを形にすることを覚えたのもこの頃。こうしたことが2014年のいまの自分が音楽的にどの立場にいるかを形成したと思う。

メンバーの役割分担はどうなっているのでしょうか?

G:僕たちはみんなで作曲して、クリエイティヴィティに貢献している。作曲後、さまざまなクリエイティヴなテクニックを通して、僕がミックスして、“アーチー・ペラーゴ・サウンド”を作り上げる。

D:僕たちの役割は絶えず変化する。たいていの場合、初めは誰かがアイデアを出して、それをグループで形作っていく。それぞれの得意な方向性があって、他のメンバーのフィードバックを受け入れている。

Z:他のメンバーと作曲することにはとても満足しているけどね。僕たちは楽々とお互いのアイデアを膨らますことが出来るから。そして、いつも互いに影響を受け合っている。

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〈Mister Saturday Night〉は特別な存在だよ。パーティをはじめたイーマンとジャスティンには明確なヴィジョンがあった。いちどなかに入ると、君はあることに気付くだろうね。それはイーマンとジャスティンがダンス・ミュージックの外にある音楽世界を意識していることなんだ。


Grenier Meets Archie Pelago
『グレニアー・ミーツ・アーチー・ペラーゴ』

Melodic Records/Pヴァイン

Tower HMV Amazon iTunes

ジャズのアーティスト/もしくは作品でとくに好きなのは誰/もしくはどの作品なのでしょうか?

G:エリック・ドルフィーで、『Out to Lunch』だね

D:リー・モーガンの『Lee-way』かな。

Z:それでは僕は、キース・ジャレットの『Fort Yawuh』をあげておこうか。

みなさんがクラブ・カルチャーに入ったきっかけは何だったのでしょう?

G:初めの頃から、僕は、いつもエレクトロニック・ミュージックは好きだった。ジャズのコンサートではなく、夜のクラブに行きはじめたのは2008か9年頃かな。決定的なきっかけは、カルガリーのとあるバーにたまたま立ち寄った際に、素晴らしいサウンドシステムで、140bpmの音楽を聴いたときだったね。ニューヨークに戻ってからは、もっと深いところを追求するようになった。

D:大学の頃にヒップホップのシーンに関わっていたんだけど、エレクトロニック・ミュージックは、単純に次のステップだった。とくにDub Warというイヴェントが新しいダンス・ミュージックへの扉を開いてくれた。2009年から10年にかけて、多くのUKのアーティストがプレイしていたような音楽だよ。この音楽とそのコミュニティにとても影響を受けている。想像力を掻き立てられたんだ。

Z:僕は若いころからジャングルとかIDMをたくさん聴いてたからね。2008年頃に、UKガラージとダブステップにハマった。当時はまだ21歳未満だったから、ニューヨークのほとんどのクラブには入れなかった。で、2009年から10年頃にオランダのアムステルダムに住んでいて、ようやくお気に入りのDJやクラブに行けるようになった。これが大きなきっかけになったね。

〈Mister Saturday Night〉はレーベルであり、ブルックリンのパーティでもあるそうですね。どんな特徴のパーティなのでしょう? あなたがたと〈Mister Saturday Night〉との出会いについて教えて下さい。

G:Mister Saturday Night(MSN)のスタッフとはジョーダン・ロスレイン(Jordan Rothlein)を通して知り合った。ジョーダンは、いまはレジデント・アドバイザーで記事を書いているよ。
 そうだな……僕は、当時はWNYUでレギュラー番組を持っていた。僕たちの曲をMSNのスタッフに渡してくれて、アーチー・ペラーゴとつながるべきだと推薦してくれた。MSNは特別な存在だよ。パーティをはじめたイーマン(Eamon)とジャスティン(Justin)には明確なヴィジョンがあった。MSNはきちんとブランディングするような会社が作ってきたわけじゃないからね。ふたりとその仲間たちが主導して進めてきたものなんだ。パーティ自体がとても独特で、いちどなかに入ると、君はあることに気付くだろうね。それはイーマンとジャスティンがダンス・ミュージックの外にある音楽世界を意識していることなんだ。だから僕たちが関われたんだよ。アーチー・ペラーゴではなく、プロとして活動するミュージシャンとして。

生楽器の演奏とPC(デジタル)との融合が〈Mister Saturday Night〉の特徴ですが、エレクトロニック・ミュージックでとくに影響を受けたのは誰でしょうか?

G:直接の影響は説明しづらいな。それぞれのメンバーがそれぞれの方法で演奏をはじめて以来、エレクトロニックな要素はミュージシャンとしての僕たちが求める重要なものだった。最近見たKiNK(※ブルガリアの炉デューサー)とVoices from the Lake(※イタリアの2人組)のライヴ・ショーにはとくに感動した。

Z:Voices from the LakeとKiNKは、エレクトロニックを混ぜたインプロを見せてくれたよね。まさに僕らの求めるものだった。僕らの好むパフォーマンスにはリスクが必要だし。

Archie Pelagoというバンド名の由来について教えて下さい。

D:このプロジェクトをはじめたとき、コスモと僕でバンド名のアイデアを出し合っていた。アーチー・ペラーゴは発音しても本当に面白い言葉だよね。僕は、本当に存在するかもわからないようなアーティストに魅了されてきた。アーチー・ペラーゴはひとつの名前だけど、バラバラの素材がひとつの完全体を作り上げているんだ。根底には、共通のヴィジョンを持った共同体、諸島、列島という意味がある。

G:それと僕たちのホームタウンのニューヨークは専門的に列島(archipelago)だろ。このこともバンド名には反映されている。

ライヴはよくやられているのでしょうか?

G:月に何回かね。それからSub FMでは毎月第1と第3日曜に自分たちの番組を持っている。こちらの現地時間で夜の11時からの放送で、ネット配信なので世界中から聴くことができるよ。

自分たちのレーベル〈Archie Pelago Music〉を立ち上げた理由は?

G:自分たちのやり方で、自身の音楽を出していきたかった。少なくとも2、3作をリリースしてみて、その過程がどのようなものか知りたかったんだ。

D:自分たちの音楽に対して、クリエイティヴなコントロールを自分たちで行うのはとても重要だし。

Z:僕たちの書いてきた音楽って、どこか他のレーベルが興味を持ってくるかわからないから。“Sly Gazabo”は素晴らしい曲だったし、自分たちのやり方で出来るのかやってみたかった。

シングルでは、いろいろなアプローチ──ジャズ、ハウス、ブロークン・ビート、エクスペリメンタル、IDMなどなど──を試していますが、これは、ひとつのスタイルを極めるよりも、たくさんのことをやりたいというバンドのスタンスを表しているものなのでしょうか?

G:僕たちは、自分自身の音楽的宇宙を創造したいと熱望している。自分らが共有してきた経験を取り囲むもの。発展させていく音楽とクリエイティヴに関する興味を反映させたものだ。ファンには音楽の進化として、過去の音楽ジャンルと僕たちの成長を見てもらいたい。

PCを使った音楽で、とくに影響を受けた作品はなんでしょう?

G:マトモスの『A Chance to Cut is a Chance to Cure』はコンピュータが制作の過程として機能するという意味においては、初期に大きな影響を受けたね。

D:ザ・フィールドの『From Here We Go Sublime』が大好きだな。極限にミニマルで、極小のサンプリングがとてもパワフルなんだ。

Z:オウテカ、エイフェックス・ツイン、ヴェネチアン・スネアズ、スクエアプッシャーには個人的にとても影響を受けた。自分はジャズ・ミュージシャンとして、彼らの興味深いシンコペーションの方法を楽しんでいるんだよ。

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オウテカ、エイフェックス・ツイン、ヴェネチアン・スネアズ、スクエアプッシャーには個人的にとても影響を受けた。自分はジャズ・ミュージシャンとして、彼らの興味深いシンコペーションの方法を楽しんでいまるんだよ。


Grenier Meets Archie Pelago
『グレニアー・ミーツ・アーチー・ペラーゴ』

Melodic Records/Pヴァイン

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今回、ディーン・グレニアーとのコラボレーション作品とはいえ、初めてのアルバムとなりました。シングルではなく、どうしてアルバムにまで発展したのでしょうか?

G:このアルバムは僕たちにとって未知の領域だよ。部分的にはフル・アルバムをリリースしたといえるだろうけど、いままでにも多くの曲を書いてきたからね。

D:これはただのはじまりに過ぎないよ。

Z:セッションではたくさんの曲を作ったよね。で、これはオーディエンスに聴かせる価値があると感じた。

ディスタルが縁でディーン・グレニアーと知り合ったと言いますが、ディスタルと知り合ったきっかけは何でしょうか?

D:2009年から10年にかけて、ディスタルがニューヨークにツアーに来ていたときに会った。そのとき僕らがWNYUの番組に誘ったんだ。それから連絡を取り続けて、〈テックトニック〉からリリースされたヘクサデシベル(Hexadecibel)とのコラボの「Booyant」のリミックスで初めて一緒にやれたんだよね。

ディーン・グレニアーのどんなところに共感したのですか?

G:スタジオでの化学反応がすごくよかった。アイデアが自然にすぐに出てくるんだ。

D:お互いの音楽を好きなことも要因だよね。

Z:実は、2011年末にグレニアーがニューヨークに来たときに一緒に数曲録音したんだ。実りの多いセッションでね、だから、その後のコラボを目指してきたんだ。

サンフランシスコでのセッションは、どんな感じだったのでしょうか?

G:建設的で、オーガニックな感じで、とても満足のいくものだった。

D:ペール・エールとソーセージが燃料になった感じ。

Z:数日の中でいろんな音楽を詰め込むことができたかもね。

生楽器の音色が、液体が溶けるようだったり、大気中に溶けるようだったり、とてもユニークな録音になっているように思います。

D:そうだね、アーチー・ペラーゴのサウンドとグレニアーのプロダクション・スタイルがピッタリとハマった感じだよね。

Z:グレニアーの特徴的なプロダクションがアーチー・ペラーゴの音色の幅のなかに溶け込んでいるのがきっと聴こえるよ。これは本当に偶然的なことだよ。

G:うん、まわりの状況がどうであれ、作曲して制作することは僕にとっては呼吸をするようなも。制作過程のなかで、時間と場所があって、音楽を広げることと、深くへ入り込んでいく好奇心を共有できたのはラッキーだった。

“Swoon”の出だしが最高で、思わず音楽のなかに引きずり込まれますが、とくにお気に入りのトラックは?

G:難しい質問だね。個人的には“Cartographer’s Wife”がアルバムの中心だと思っている。ジャングルのなかで宝箱を見つけたような感じじゃない? 他のメンバーは否定するかもしれないけどね。

Z:僕は、いまは“Tower Of Joined Hands”がお気に入りかな。だけど、心のなかには“Monolith”もある。

D:うーん、僕は、“Hyperion”と“Tower Of Joined Hands”がいまの気分だね。

ほかにも、“Navigator”のハウスのリズムとトランペットの重なり方も素晴らしいと思いましたが、今作には、テクノ寄りのダンス・ミュージックがありますね。たとえば、ミニマルな“Pliny The Elder”、あるいは“Phosphorent”、で、いま話に出た“Tower Of Joined Hands”もダンス・ミュージックへの情熱を感じる曲です。こうした曲には、ディーン・グレニアーの存在が大きいのでしょうか?

G:いろんな段階だったり、さまざまな方法で、僕たち全員がこのアルバムのすべての楽曲に関わっているんだ。とく誰かってわけではないよ、みんなで共有しているものだ。

あながたの好きなテクノについて話して下さい。

G:ピーター・ダンドフ(Petar Dundov)にはやられた。彼の音楽の組み立て方とシンセのパターンは素晴らしいと思う。

Z:〈ザ・バンカー〉(The Bunker)、〈トークン〉(Token)、〈スペクトラム・スプールズ〉(Spectrum Spools)、〈ジオフォン〉(Geophone)、〈プロローグ〉(Prologue)あたりのレーベルはいつも僕の鼓膜を喜ばしてくれる。迷宮のなかに深く潜り込んでいく感じがするね。

D:僕はロバート・フッドやアンダーグラウンド・レジスタンスが好きだね。

好きなDJの名前をあげてください。

D:ターボタックス・クルー(Turrbotax crew)、ヌーカ・ジョーンズ(Nooka Jones)、ベンUFO、ドナート・ドッジー(Donato Dozzy)……。

G:お気に入りはいつも変わっているんだけど、最近だとグラスゴーで見たジェネラル・ラッド(General Ludd)のギグが良かった。

Z:カルロス・ソーフロント(Carlos Souffront)は選曲もミックスのスキルの点でもマスターだと思う。デトロイトはいつも素晴らしいよね。ドナート・ドッジーもシャーマン的なマスターだよ。

アーチー・ペラーゴのインスピレーションの源はなんでしょう?

G:人生だね。

Z:ピザだね。

D:人生とピザだね!

アーチー・ペラーゴ単体のアルバムのリリース予定はありますか?

G:もちろん! 引き続き注目していて下さい!

interview with Plaid - ele-king




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 コンセプトしてのチルウェイヴってやつには3つの切り口がある。ひとつ、ネット時代のコミュニティが生んだジャンルであると。もうひとつ、ベッドルーム・ミュージック。で、もうひとつはドリーミーであるってこと。この3つのポイントについて時間を遡ると、1992年の〈ワープ〉に行き着くわけだ。よって橋元優歩さんはオープンマインドになって、この時代のテクノを復習すべきってことですね。
 『アーティフィシャル・インテリジェンス』のジャケに、CGによって描かれているのは踊っている人の群れではない。部屋に佇む「ひとり」だ。ネットが普及するずっと前の話だが、ネット上の議論の模様をそのままジャケに掲載したのも『アーティフィシャル・インテリジェンス』の「2」だった。
 何故こんな懐かしい話をしているのかって? 橋元さんはそこまで強情なのかって? いやいや、そういうわけでは……ほら、聞こえるでしょう。パテン、リー・バノン、DJパープル・イメージ(D/P/I/)、あるいは、ブレイク必至のゴビー(ARCAのレーベルメイトで)……、そう、エイフェックス・ツインの足音がもうすぐそこまで来ているじゃありませんか。
 彼こそはクラブの壁を崩して、その向こう側にあるベッドルームとの往復を実現させた張本人。そして、プラッドは、その方向性に与した人たち。「僕は部屋で座って未来を夢想している(I'm sitting in my room imagining the future)」、出てきたばかりの彼らの有名な曲(“Virtual”)には、こんな科白があった。1989年、セカンド・サマー・オブ・ラヴの真っ直中に、ひとりになりたいと彼らは言っていたのである。(大幅に中略)……それでも彼らがダンス・カルチャーと離れることはなかった。このねじれ方、パラドキシカルな感覚こそ90年代的だったと言えるのかもしれない。

 そんなわけで、プラッドの最新アルバム『リーチー・プリント』、フィジカル・リリースとしては2011年の『シンティリ』以来の作品だ。

 『リーチー・プリント』はクセのない作品で、テクノ・マニア専用の音色があるわけでもない。こざっぱりとして、メロディアスで、とにかく、聴きやすいアルバムである。プラッドの音楽はもともと聴きやすかったけれど、新作は、さらにいっそう、まるくなったように思われる。一歩間違えればMORだが、いや、これは円熟と呼んであげよう。彼らの音楽は、際だったキャラのエイフェックス・ツインと違って、地味~に、地味~に(25年経とうが、コアなファン以外で、エドとアンディの顔が即座に思い描ける人はどれだけいるだろう)、長い時間をかけて愛されてきたのだから。
 ──ちなみに、エイフェックス・ツインやプラッド(当時はブラック・ドッグとして知られていた)を世界で最初に大々的に推していたのは、のちにアニマル・コレクティヴを世に広めるロンドンのファット・キャットである。


その時代はハウス・パーティが終焉を迎える時期だったと思う。プロパガンダによりパーティがたくさんあったけど、結局右翼とかが出てきて、取締りにあったりして、だんだんパーティ自体が消滅していったよね。

いまも、おふたりともロンドンで暮らしているのでしょうか?

アンディ:ロンドンのスタジオは一緒にシェアしているんだけど、僕はまだロンドンに住んでいて、エドはロンドンから1時間半の郊外に住んでるよ。

2枚のサントラを入れると10枚目のアルバムになるんですね。おふたりの場合、Black Dog 名義での活動もありますから、Plaidとしての10枚というのはどんな風に思っているのかなと。

エド:かなり長いあいだレコーディングしてたからこれが本当にリリースされるのかどうなのか正直不安になったほどだったけど……いまはリリースできて嬉しいよ。

オリジナルのフル・アルバムとなると2011年の『Scintilli』以来となりますが、この3年間はどんな風に活動していましたか? 

アンディ:ライヴがいちばん活動として多かったかな。あとはコマーシャル・プロジェクトや映画の仕事とか。でも曲は常に書いてる感じだね。

※ここでエドの回線がおかしくなり、通話から消える。

日本には根強いPlaidのファンがいることはもうご存じかと思います。日本のライヴの良い思い出があれば話してください。

アンディ:日本には良い思い出があるね。でもすごく覚えているのが日本に行った時に映画の仕事を同時並行でやっていたときがあって、締切の関係で日本でのライヴが終わった後も作業をしなくちゃいけなくて睡眠時間が少なくて、とても辛かったのを覚えているなぁ。
 あとは僕個人としては家族と一緒に富士宮に行ったことが一番印象深いね。いつもツアーであちこち行くだけで本当の意味でその国の街並みを見ることってあまりないんだけど、そのときはゆっくり日本を堪能出来てとても楽しかったね。

あなたがたの作品が日本で出回りはじめたのは1991年頃なのですが、実は、今年で結成25周年なんですね。1989年の、結成当時のことはいまでもよく覚えていますか?

アンディ:エドと僕は学生時代からの友だちなんだけど、卒業後は連絡先を失くしてしまって音信不通になっていたんだ。ところが、お互いロンドンに出てきていて、そこで再会したんだよ。当時僕はロンドンのラジオ局でDJをしていて、エドは曲を書いたりしていたんだけど、僕のライヴを見に来てくれて、そこで再会して、連絡先を交換して、一緒にやることになったんだ。

最初はどんな機材で作っていたのですか?

アンディ:最初は最小限の機材で作業してたんだけど、MIDIとかAMIGA500、あとたしかチーターっていうシンセと初期のローランドを使ってたかな。その後AKAI 950とかも使いはじめたと思う。

お互いの役割というのは、いまも昔も変わりませんか?

アンディ:うん、とくに変わってないね。

最近は90年代リヴァイヴァルだったり、セカンド・サマー・オブ・ラヴが再評価されていますが、若い子たちからあの時代の質問をされることが多いんじゃないですか?

アンディ:いや、実は他の人からもこのこと聞かれたんだけど、僕自身は自分たちがそういう風に取られられてることにあまりピンと来てないんだよね。だけど、君が言う通り、その質問は多くされるよ。

80年代末から90年代初頭は、おふたりにとっても良い時代だったと思いますが、あの時代のどんなところがいまでも好きですか?

アンディ:好きだと言うより、その時代はハウス・パーティが終焉を迎える時期だったと思う。プロパガンダによりパーティがたくさんあったけど、結局右翼とかが出てきて、取締りにあったりして、だんだんパーティ自体が消滅していったよね。

学生時代は、自分たちの将来に関してどんな風に考えていたんですか?

アンディ:残念なことに僕は家を早くに出たから、学生でいた期間はとても短いんだけど、そのときはあまりどうしようとか考えてなかったと思う。クリエイティヴなことをしたいなって思ってただけで、そこまでいろいろ考えていたわけでもなかったなぁ。

もし、ヒップホップやテクノと出会ってなかったら、何をやっていたと思いますか?

アンディ:もしやってなかったらMaster of Artの修士を取ってたと思うよ。さっきも話たけどクリエイティヴなことをやってたと思うんだ。例えばプログラマーとかね。

Plaidもそうだったし、エイフェックス・ツインもそうでしたが、デビュー当時、いろんな名義を使って匿名的に活動していましたよね。あれはあなたがたにとってどんな意味があったんでしょうか?

アンディ:実はとても最悪なレーベルと契約してしまったことがあって、別で活動するために名前を変えたっていうのがあるんだ。そのレーベルと契約したときにアルバムをリリースしても自分たちに一銭もお金が入らなかったりして、困ってたことがあったんだ。でも契約している名前を使って曲を作るとまたお金も入ってこないから、別の名前を使って活動するしかなかったというのが本当のところだよ。

シカゴ・ハウスやアシッド・ハウスよりもエレクトロやデトロイト・テクノのほうが好きだったのでしょうか?

アンディ:全体的には、そうだね。最初はヒップホップから入ったんだけどね。ラップのジャンルレス的な感覚に惹かれて、ヒップホップを聴きはじめて、その後デトロイ・トテクノに出会って、自分はこういうのが好きなんだってわかったんだ。なんていうか、いろんな要素を含んでいるのにメロディがあって楽しめる音楽っていうのがいいよね。

あなたがたの音楽がダンスの要素を強調しなかったのは、クラブで遊びよりも、どちらかといえば、部屋に籠もっているほうが好きだったからなのでしょうか?

アンディ:うーん……わからないなぁ。いまはもう40代も半ばだから昔ほど踊らないというのはあるけど……でも、いまでも出かけて音楽を聴いてるよ。


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もう遅いかもしれないけど、宇宙飛行士になりたいのはずっと昔から同じだよ。それがダメならクリエイティヴなことがいいかな。音楽じゃないならゲームデザインとかね。


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Black Dog Productionsとしての活動が、日本で暮らしている我々にとっての最初の出会いでした。いまでも『Bytes』(1993年)には愛着がありますか? それともPlaid名義の最初のアルバム『Mbuki Mvuki』のほうがより愛着があるものですか?

アンディ:僕は『Bytes』かな。これこそ僕らの原点だなって思うんだ。『Mbuki Mvuki』はもっとヘヴィーなサウンドなんだけど、これはそのときの雰囲気を詰め込んだっていう感じだから、ちょっと普段の僕たちとは違うよね。

オリジナル・メンバーだったKen Downieとは連絡は取り合っているのでしょうか?

アンディ:いや、もう別れて以来話してないね。

新作の『Reachy Rrints』は、いままで以上、とてもリラックスした感覚を持っていますね。メロディは魅力的で、音色も曲調も、ねらってやっている感じがないんです。そこは自然にそうなったのでしょうか?

アンディ:どちらもっていう感じかな。最初にあったレイヤーからいらない音を省いていくって作業をするんだけど、いろいろな作業を経て最終的にいちばん良い物だけを残すんだ。

録音がとてもクリアなのですが、特別に気を遣っていることがあれば教えて下さい。

アンディ:正直プロダクションの効果がいちばんあると思う。さっき話した通り、余分なものを取り除いたりしたから、クリアなサウンドが出たのかもしれないよね。

のりで作ったという感じではなく、時間をかけて丁寧に、緻密に作っているように思うのですが、実際のところいかがでしたでしょうか?

アンディ:基本的に曲はライヴでやることを前提に作っているんだよね。やっぱりライヴで聴きたいと思う曲を作る方が聴いてるオーディエンスにも伝わりやすいでしょ?

1曲目の“OH”をはじめ、音色の豊富で、弦楽器などいろいろな楽器の音を使っているようですが、音選びについてはどのように考えていますか?

アンディ:ストリングスを弾いているのは、ここ最近一緒にやってるギタリストなんだけど、生のストリングスとシンセサイザーのストリングと、どっちも使って音の質感の違いを出しているんだよ。

何か機材面での変化はありましたか?

アンディ:新しいドラムマシンをいくつか試したんだけど……エド! お帰り! 戻ってこれてよかったよ。もうインタヴューは進んでいて、機材の話だよ。ドラム以外で新しい機材何か使った?

※ここでエドの回線が復旧して戻ってくる。

エド:Razorっていう新しいシンセを試したよ。ヴォコーダーとしても使えるからこのアルバムでは結構使ったね。ちょっといままでと違う感じの音になるしね。

4曲目“Slam”には、ちょっとオールドスクール・エレクトロのセンスが入ってるように思いましたが、90年代のように、マニアックなテクノ・リスナーを想定していないというか、もっと幅広いリスナーに向けられているように感じます。そのあたり、映画のサウンドトラックの経験が活かされているのかなと思ったのですが、どうなんでしょうか?

アンディ:そうだね、さっきも話したけど、映画と自分たちのアルバムを作ることは違うプロセスがあるけれど、そういうことから学んだことを自然と活かせているのかもしれないよね。

老いることが音楽にどのように影響しているんだと思いますか?

エド:どうだろう、まぁ、少なからずとも経験値が増えたことでいろいろなことができるようになっているとか、そういうスキルアップはあると思うけど、歳をとることで何かが変わることはとくにないと思うよ。

作者からみて、今回のアルバムが過去の作品と決定的に違っているのは、どこにあると思いますか?

アンディ:すべて新しい曲だっていうことだね。コンセプトがあるわけじゃないから、何が違っていうのもはっきりはわからないけども、新しいことを取り入れていることも前と違うっていう意味ではそうなのかなぁ。

エド:同じことを何度もやらないようには気をつけてるよ。でも単純に好きなことをやるっていうのはあるかもしれない。基本的な核の部分は最初から変わってないと思うよ。

今回のアルバムのコンセプトは、人生における「以前」「以後」だと言いますが、どうしてそのようなことを思いついたんですか?

エド:アルバムをまとめはじめたときに、なんとなく君が言ってる意味に集約されている感はあったんだ。別に何も意図したわけでもなく、なんとなくまとめていったらそういう感じのものになっていたというか。「記憶」っていうキーワードが見えてきて、その記憶がよみがえったり、記憶が消えていたりっていう、それが自分のイマジネーションをどう掻き立てるのかっていうところに行きついたというか。

アンディ:アルバムをまとめるときに各ピースをあてはめていくんだけど、なんとなくハマらないピースとかもあったりするんだよね。それをのぞいてハマるものを探していったら、そういうテーマっぽいものにまとまったっていう感じだよね。

曲名はどのように付けられたのですか?

エド:いくつかは仮タイトルをそのまま起用したり、その他は曲が出来あがってからそのイメージでタイトルをつけたりしたね。タイトルをつけるときは聴いた人がその曲をはっきりイメージできるようなタイトルにするように心がけているけど、できるだけ抽象的に、聴いた人が自分の解釈で曲を聴けるようにっていうところは気をつけてるかな。

アンディ:曲名自体はそんな重要じゃないと思うんだよね。タイトルはシリアルナンバー的なものだと思うから、人と話すときに助けになるものあればいいと思ってるくらいかな。

いま現在のあなたがたの音楽活動を続ける以外の夢はなんでしょうか?

アンディ:僕もだけど、ふたりともプログラミングが少しできるからそういうのをやってもいいし、あとはアプリの開発をやりたいね。他にオーディオ・ヴィジュアルに関連することもいいね。僕たちの音楽に関係することがいいよね。

エド:もう遅いかもしれないけど、宇宙飛行士になりたいのはずっと昔から同じだよ(笑)。それがダメならクリエイティヴなことがいいかな。例えば、音楽じゃないならゲームデザインとかクリエイティヴなビジネスとかね。

Plaidの音楽は、政治や社会とは直接関わりのあるものではありませんが、そのことは意識しているのでしょうか? 

アンディ:まぁ頭にあることはたしかだけど、あまりダイレクトにそれを出さないようにはしてるね。あまりはっきりしたものよりも抽象的なもののほうが聴く人に委ねられるから、そのほうがいいかなって思ってる。

若い世代のエレクトロニック・ミュージックは聴きますか?

エド: ふたりともDJもやるからいろいろな音楽は聴くよ。それが若い世代かどうかまではよくわからないけど……

いま、Plaidがリスナーとして面白がっているエレクトロニック・ミュージックはなんでしょう? 

エド: いまは、MASTとエッセントっていうのが面白いと思う。

人生でもとくに今日は最悪な日だというときに聴きたい音楽は何でしょうか?

アンディ:わからない……自分にとってどういう意味で最悪だと定義するかで聴く音楽が変わると思うけど、全般的にエレクトロ・ミュージックを聴くかな。落ち込んでるときにハッピーな気分にさせてくれるからね。

エド:僕は、オールド・ソウルとかニューオリンズのファンク・バンドとかダンス・ミュージックを聴くかなぁ。

今年の予定を教えて下さい。

アンディ:3週間後からツアーがはじまるよ。いまのところはツアーがメインだね。その後もしやれるのであれば映画音楽をまたやりたいなと思っているよ。


 amazonさんでもすぐに品薄になってしまうのですが、おかげさまで『遊びつかれた朝に──10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』、好調な売れ行きでございます。お読みいただいているみなさま、ありがとうございます!
 さて、去る4月16日、インターネット・ラジオdublabさんにお迎えいただいて、著者おふたりが本書を紹介されました。dublabさんのアーカイヴにてそのときの模様が公開されましたので、ぜひお聴きください。ご都合のため九龍ジョーさんは途中からのご登場となっておりますが、磯部涼さんのDJとトークをたっぷりお楽しみいただけます。もちろんAZZURROさんによる、〈Ultimate Breaks & Beats Session〉も!

■DJ AZZURRO, Ryo Isobe w/ Yuho Hashimoto & Kowloon Joe – dublab.jp “Radio Collective” live from Malmö Tokyo (04.16.14)

こちらからお聴きいただけます!
https://goo.gl/WhfvY2

dublabさんサイト
dublab.jp

*磯部涼 選曲リストより
1. 浅野達彦 / LEMONADE(M.O.O.D./donut)
2. Gofish / 夢の早さ(Sweet Dreams)
3. 両想い管打団! / キネンジロー(Live at 元・立誠小学校、2013年1月13日)(NO LABEL)
4. うつくしきひかり / 針を落とす(MOODMAN Remix)(NO LABEL)
5. odd eyes / うるさい友達(less than TV)
6. MILK / My(Summer Of Fun)
7. soakubeats feat. onnen / Mission:Impossible(粗悪興業)
8. Alfred Beach Sandal / Rainbow(ABS BROADCASTING)
9. Hi, how are you? / 僕の部屋においでよ(ROSE RECORDS)
10. FOLK SHOCK FUCKERS / ロード トゥ 町屋(less than TV)
11. DJ MAYAKU feat. SOCCERBOY / DANCE WITH WOLVES(Goldfish Recordings)
12. LEF!!! CREW!!! x NATURE DANGER GANG / Speed(NO LABEL)
13. 嫁入りランド / S.P.R.I.N.G.(NO LABEL)

■『遊びつかれた朝に──10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』
発売情報はこちらから! → https://www.ele-king.net/news/003740/


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