「You me」と一致するもの

Jah Shaka - ele-king

 ジャー・シャカ初の日本ツアーから早20年……長年にわたり唯一無二の存在として尊敬を集めてきた御大が、いまふたたびこの極東の地を訪れます。今回のツアーは東京を皮切りに、名古屋、大阪、福岡を巡る予定で、東京公演にはジャー・シャカのサウンド・システムを日本で継承するJah Iration Sound System + Jah Rising Sound Systemがフルで導入されるとのこと。これは本場UKスタイルのパフォーマンスを体験する絶好のチャンスですぞ。

祝! 来日20周年!!

1997年、当時奇跡と言われたJAH SHAKAの初来日公演から20年が経過する。その間、彼の伝道とも呼ぶべき活動によって日本各地にサウンドシステム・カルチャーが伝播し、ルーツ・ミュージックの発展に貢献してきた。今年2月にはJARIA(Jamaica Reggae Industry Association)のHONOUR AWARDSを受賞し、故国ジャマイカに凱旋した。今も地元UKでJAH SHAKA SOUND SYSTEMは定期的に開催され、ポジティヴなメッセージとスピリチュアルなダブ・サウンドの真髄を伝え続けている。

11/2(木・祝前日)代官山UNITでは日本屈指のJAH IRATION SOUND SYSTEM + JAH RISING SOUND SYSTEMをUNITフロアにフル装備。
JAH SHAKAオンリー! 本場UKスタイルのオールナイト・セッションが遂に実現!
Roots Rock Reggae, Dubwise!
"LET JAH MUSIC PLAY"

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King of Dub
JAH SHAKA
DUB SOUND SYSTEM SESSIONS
- An all night session thru the inspiration of H.I.M.HAILE SELASSIE I -

ザ・サークル - ele-king

 産業革命以降、二酸化炭素の排出量が増えたとされるように、このところ「書き言葉」の量も飛躍的に増えた気がしてならない。ちょっとスマホを見るだけでも同じ内容の案件が繰り返し書き込まれていて「書き言葉」は放射能のように漏れ出してくる(この文章も「書き言葉」だし)。「書き言葉」の歴史はわずか5000年である。人類は鉄道がなかった時代(たかだか200年ぐらい前)にも戻ることはできないだろうけれど、「書き言葉」がなかった時代までリセットすることも不可能だろう。それ自体はいい。つい最近まで代書屋という職業があったぐらいで、文字が書けなかった人の方が多かった時期よりも、いまはきっと何かが良くなっていると思いたいし(一方で日本の識字率は下がりつつあるらしい)。しかし、それにしても文字量が多過ぎる。ここまで何もかも文字にする必要があるのだろうか。人類にとって適正な食物の量というものがあるならば、「書き言葉」にも同じく適正の量が想定されてもいいような気がしないではない。「書き言葉」が増えに増えて、そして、二酸化炭素がオゾン層を破壊したとされるように、いつしか過剰な「書き言葉」も人類の何かを破壊したりはしないだろうか(J・G・バラードなら、ここで言語掃除機を取り出すか)。
「書き言葉」が飛躍的に増えたと感じたのはSNSの影響が大きい。単に体感でそう思っているだけなので、本当かどうかはわからない。100万部に近いベストセラーが立て続けに出たりして出版不況などという言葉がなかった時代の方が印刷された文字数自体は多かったりするのかもしれない。人の目にはふれない日記というものもあっただろう(いまもあるか)。そんなことはSNSの監視に余念がないCIAあたりが毎年の文字量をカウントでもしてくれない限りわからない。SNSが増やしたのは明らかに発信する人の数だから、「多過ぎる」と感じるのは、「書き言葉」そのものよりも、どこに向かって放たれてるのかわからない「書き言葉」のあり方が乱雑すぎて過剰に感じられるというだけのことかもしれないし。もう、ぜんぜんわからない。キングコング西野に至っては文字数を単位とした仮想通貨「レターポット」などという新たな信用経済の構想をぶち上げてくるし。うがー。

 巨大SNSを扱った映画だというので『ザ・サークル』に興味を持った。しかし、結論から言うとSNSがテーマの作品というよりは、SNS批判がトレンド化している現在にあって、その危険性を面白がるエンターテインメント作品であった。文字量=人数という捉え方でSNSを把握し、数の暴力に作品のテーマは絞られている。集合無意識は必ずしも善ならずというような。
 主演はエマ・ワトソン。普段からファンとセルフィーは撮らないと公言し、ツイッターで「HeForShe」や「FemnistBookClub」を呼びかけたり、地下鉄を舞台に様々なアクティヴィストぶりを発揮する彼女がSNSを批判する役回りというのはあまりに……あまりに整合性があり過ぎる。一方、SNS企業のトップにいて悪役を務めるのはトム・ハンクス。メールのやり取りに慰めを見出していた相手が実はビジネス上の敵だったという『ユー・ガット・メール』(98)の役柄がそのまま肥大化し、スケール・アップした感じ。エマ・ワトソン演じるメイ・ホランドは苦情処理の仕事から巨大IT企業、ザ・サークルへ転職を果たす。ツイッターとかフェイスブックがぐちゃぐちゃに混ざったようなアカウント・サーヴィスを提供するザ・サークルが新たに提供しようとするのは小型の監視カメラで、目的はリベラルな政治活動を支援すること。これにホランド自身が命を救われることになり、ホランドは以後、自分自身に監視カメラをつけて行動し、24時間、自分の生活を実況放送することになる。ところがホランドと一緒にいると自分のプライヴァシーまで奪われると感じた親や幼馴染はみな彼女と距離を置くようになり、SNS上のフォロワー以外、彼女はあらゆる人間関係を失ってしまう。そこに小型カメラに託された真の目的を探っている活動家が現れて……。

 すぐに思い出したのは『エドTV』(99)である。マシュー・マコノヒー演じるエド・ペカーニは24時間、自分の生活をケーブルTVで放送し続ける。彼は自分のすべてを誰かに観られることが楽しくてしょうがなく、やることなすこと過剰になっていく。要するにリアリティTVのパロディである。ストーリーの大筋は『エドTV』も『ザ・サークル』も大して変わらない。個人情報をさらけ出せば出すほどいいことがあるとしても、それによって失われるものを秤にかけた時点で話の流れは変わっていく。たとえば自らの身体情報をさらけ出しておくことで早期に病気が見つかるとしても、それでも知られたくないことはあるというようなことが話の潮目になる。そうした倫理観は2作とも同じだった。しかし、無名の一般人が多くの人に注目されたいという欲望を持っていることを暴き出した『エドTV』と、公共の利益をたてに個人情報を流出させようとする『ザ・サークル』では欲望の主体がまったく逆である。ここに政治家に期待される「透明性」だとか、様々な理屈が『ザ・サークル』では積み上げられていく。あなたの個人情報はあなたにはうまく管理できないから国が管理してあげた方がいいでしょうということになる(実際にイギリスではビッグ・データから個人の寿命を割り出せるので、あなたは○○歳で死ぬから年金はいくら納めて下さいという制度にすることも可能だけど……その方が平等なので……でも、さすがにそれはやらないんだとか)。話はそこまで急進的にはならないけれど、アメリカでは親が子どもを育てられないと判断すればソーシャル・ワーカーが親から子どもを取り上げてしまうように、個人から個人情報を取り上げていくような未来が待っていると『ザ・サークル』は示唆する。物語はそのようなことになったら怖いでしょうというSNS批判のトレンドにのって収束し始める。奇しくもいまアメリカではハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ騒ぎが引き金となって#WomenBoycottTwitterが巻き起こっている最中である。そう、SNSはよっぽど社会全体の負担になっていたのだろう。それも峠を越したから、こうしてエンターテイメント化され、スリラー映画として楽しめるのである(怖いという意味では同じエマ・ワトソン主演の政治劇『コロニア』はまったく別種の怖さだった)。

 SNSが個人情報を流出させるという危惧(「いいね!」のプロファイラーという職業もあるらしい)というのはいまは完全に反転してしまい、たとえば芸能人たちがTVで見せる「プライヴァシー公開芸」のようなポテンシャルにすり替わってしまった(気がつくと視聴者は誰かと誰かが飲みに行ったという話を延々と聞かされているだけだったりする)。80年代ならば「それ以上はプライヴェートなので」といってお笑い芸人でさえも口を閉ざすことができた領域をビジネス・チャンスと捉え、すべてをさらけ出しているフリをするのである。芸能人をやっているその人に共感するとか、消費者から見た対象の位置が変わっている現在、プライヴェートがどのようなものであるかを想像させることができない芸能人はもはや売れないのだろう。これはいわばリアリティTVの常態化であり、差し出すものがあるから得るものがあるという構造をどうコントロールするかにその人のセンスがかかっているといえる。こういった仕組みを批判的に捉えたのが『容疑者、ホアキン・フェニックス』(10)で、同作は俳優のホアキン・フェニックスがラッパーに転じるというフェイク・ニュースを流し、プライヴェートを捏造しきったモキュメンタリー作品だった。それと同じことを、もっと薄く、現在の芸能人たちはやっている。改めて思うのは、人々は、では、何を買っているのだろうということだけれど、物語の消費欲求は『ザ・サークル』ぐらいでは止めようがないことだけは確かである。

 もうひとつ気になったこと。グーグルの宣伝映画でしかなかった『インターンシップ』(13)もそうだったけれど、『ザ・サークル』も現在のサンフランシスコを過剰にユートピアのようなところとして描く傾向がある。メイ・ホランドが転職してきてすぐに会社の中を案内され、しばらく歩いていると中庭で本物のベックがコンサートをやっていたりと、どこもかしこもサブカルチャーの天国かと思うような仕様なのである。実際にそういった面もあるのだろう。しかし、現実にはアマゾンなどに多くの社員が勤め出したことにより、地元の交通状況は混乱の一途を増している上に、全米からホームレスが集まってきたためにカリフォルニア州には2年前から非常事態宣言が出されている(アマゾンは社屋のひとつをホームレスに開放している)。60年代にヒッピーが集まってきた時もサンフランシスコの住民はいい迷惑だったかもしれないけれど、似たような歪みがあることはまったく触れられていない。それなりにIT企業を主役として描いているわけだから、ユートピア性ばかりでなく、少し引いた視点も織り交ぜてくれないかなあと思うばかりである。

 ちなみに『エドTV』は、その前年に公開された『トゥルーマン・ショー』(98)に対するブラック・アンサーと評された作品だった。同じようにリアリティTVから発想したとしても、自分の人生が世界中の人に視聴されていることを知らずに暮らしている『トゥルーマン・ショー』はどちらかというと「自分は神に見られている」という宗教的な観点を持った作品で、その主題は当時から統合失調症を予感させるものであった。そういう意味では『トゥルーマン・ショー』に対してアンサーを返した作品は『エドTV』ではなく、僕はウィル・フェレルが珍しくシリアスな演技に徹した『主人公は僕だった』(06)だったと思う。『エドTV』は『ザ・サークル』との対比でようやく現代性を発揮できるようになったのではないかと。


Zodiak - ele-king

Favorite 2017

Marcus Fischer - ele-king

 00年代後半に電子音響のノイズがアンビエントの海に溶けはじめてから、無数のアンビエント/ドローンが私たちの耳と心をうるおしてきた。この時代、音楽は響きの海の中に溶けていた。
 アメリカのレーベル〈12k〉は、初期のクリック&グリッチな作風からアンビエント/ドローンへと舵をきったことで、この「アンビエントの時代」を体現する重要なレーベルである。みずからもアンビエント・アーティストへと変化を遂げた主宰テイラー・デュプリーのキュレーションによるレーベル・ラインナップは、2010年代以降のアンビエント・ミュージックを知る意味でも重要な指針を与えてくれる。

 そんな〈12k〉を知るうえで重要なアーティストが、マーカス・フィッシャーである。ポートランドはオレゴンを拠点とするマーカス・フィッシャーのサウンドは、〈12k〉のアンビエント/ミュージックを象徴するものだ。淡いドローン、静謐な環境音、微かなノイズ。朝の空気のような清冽なアンビエンス。まさに2010年代的アンビエントの最良の要素を結晶させたかのような音楽/音響を聴かせる。
 とはいえ、マーカス・フィッシャーが〈12k〉からリリースしたソロ・アルバムは2010年の『Monocoastal』のみである。たしかに主宰者テイラー・デュプリーのコラボレーション作品『In A Place Of Such Graceful Shapes』(2011)や『Twine』(2015)など、〈12k〉から素晴らしいアンビエント・アルバムをコンスタントに発表はしてきたものの、ソロ・アルバムではない。また、けっして多い数でもない。
 〈12k〉以外では、〈Tench〉から『Collected Dust』(2012)、自主リリースで(マスタリング担当はテイラー・デュプリー)『Public Works』(2015)をコンスタントにリリースしているし、本年2017年には〈IIKKI〉からテイラー・デュプリーとのコラボレーション・アルバム『Lowlands』をおくりだしてもいるのだが、やはり多作という印象はない。テイラーと協働しつつ、コラボレーションであっても自身が追求する音を誠実にリリースしているような印象である。

 じっさい、マーカス・フィッシャーの作品は、どのトラックも、どのアルバムもアンビエント音楽として、とても澄んでいて、やわらかく、かすかに深淵で、美しい。職人の作るガラスの玉のような音だ。それは彼のつつましい美点でもある。その「つつましやかなアンビエンス」という感覚が、〈12k〉というレーベルのイメージにぴったりとはまる、ひいては2010年代的なアンビエント/ミュージックも。
 じっさいマーカスの演奏映像を観てみると、ギターを中心にさまざまなエフェクターや機材を鳴らして独特のアンビエントを生みだしている。音と音を手で触り、工作するように音を探り、鳴らすかのように。

 それは新作『Loss』でも変わらない。“Nocturna”では、淡い色彩・音色の環境音の中にそっと溶け込むようなギターの響きが鳴る。音楽の手前にある微かな音のうごめきが耳に心地よい。2曲めの“Veering”からして、ひそやかな環境音がドローンに溶け合っていくような楽曲を展開する。まるで風景がゆっくりと変化していくような感覚に耽溺できる。
 そしてアルバム・タイトル曲である“Loss”には、環境音とドローンの交錯の果てに、ピアノがまるで透明な雫のように落とされていく。また、“Murmurations”では、水の音のような環境音に、澄んだ空気のようなドローンと深い響きのギターの音が複雑な色彩のように交錯する。3分ほどの短い曲“While”では、これまで音の欠片のように散りばめられてきたギターの音が、霧のむこうではじめて音楽としてたちあらわれてくる。
 アルバムでキーとなる曲は11分に及ぶ“Home”だろう。曲調としてはアルバム中、もっともダークである。しだいに日が暮れ、あたりが薄暗くなっていく時間、ひたすら家をめざして歩いているような、そんな感覚である。静謐な環境音。ときおり鳴るギターの音のむこうから夜の気配のように聴こえてくるドローン。11分という時間のなかで光景と時間の推移のようなアンビエントを生み出している。この自然音と音楽の非同期的な交錯は、今年リリースされた坂本龍一の新作『async』あたりとも共振するといえないか。

 アルバムには全7曲が収録されているが、どの曲も朝の空気のように清冽で、同時に夜の時間のように親密である。このさわがしい世界から少しだけ離れ、「自分」という存在を再発見するような静謐なオトのつづれおりは、見慣れた風景のように、どこまでも優しく、愛おしい。

 このマーカス・フィッシャーの新作に限らず、現代的なアンビエント・ミュージックは音楽における風景のようなものかもしれない。聴き手の心理、状態、感覚、感性の推移、変化によって、いかようにも見え方が変わってくる景色のような音楽。その意味で、2010年代以降のアンビエントは、写真的かつ映像的である。環境音楽としてだけではなく、もっと聴き手の内面の深いところに作用する音楽/音響作品なのだ。そして、本作『Loss』もまた耳と心をうるおしてくれる逸品なのである。

密偵 - ele-king

 ヴァイオレンス映画やホラー映画が専門なのかと思っていたキム・ジウン監督の新作は日本統治時代の大韓帝国を扱った抗日アクション映画。エンターテインメントであることは外していないものの、これまで緻密に描きこんできたテンションや恐怖感とはどこか焦点が異なっている。拷問シーンなどもあっさりとしたもので、これが残虐極まりない『悪魔を見た』(10)と同じ監督なのかと思うほど。アクション映画とは書いたものの、これもくどいほどヤクザ同士が殺し合う『甘い人生』(05)に比べれば非常に淡白で、そもそも血がそんなにほとばしらない。爆破シーンもカメラは引きになってしまう。抑えたものである。「反日」を強く印象づけているとも思えず、日本人が為政者としてわざとらしく振舞っているシーンも皆無。刑務局のトップを演じているのは鶴見辰吾で、これはけっこう冷酷な役ではあるけれど、日本ではもっと冷酷な役を鶴見は演じまくっている。そう思うと単なるナイス・キャスティングである。では、どこにパワーを振り向けているのか。

 この夏、韓国で公開された『軍艦島』が日本のTVニュースなどでも話題になった。日本統治時代に長崎の軍艦島で朝鮮人たちが強制労働に就かせられ、脱出を試みるというエンターテインメント映画だそうである。観ていないのでなんともいえないけれど(つーか、日本では公開されない?)、どうも韓国通らしき人のブログなどを読むと大韓帝国における「親日派」の表現に違和感があるらしい。日本がどうこういう前に日本に尻尾を振っていた同胞にすっきりしないものがあり、日韓両国でメディアが大騒ぎしたほどの映画ではないというのである。詳細はやはり観てみないことにはわからない。しかし、キム・ジウンが『密偵』で力を入れていたテーマが、そう、これと同じだった。「親日派」をどう描くか。『軍艦島』を観てからつくるのは時間的に無理なので、まったくの偶然なんだろう。監督自身は現在の北朝鮮と大韓民国に分かれてしまう前の大韓帝国について考えてみたかったということもあるらしい(日本による占領時代を舞台設定とした作品はこの2~3年だけでも『暗殺』や『お嬢さん』などけっこうな数がある)。

 オープニングで刑事イ・ジョンチュル(ソン・ガンホ)は日本からの独立運動を進める義烈団(ウィヨルダン)のメンバーを追い詰める(義烈団は実在した組織で、作中で行われる爆破事件はすべて史実)。イは朝鮮総督府の刑務局部長ヒガシ(鶴見辰吾)の命令で義烈団の全貌を探り、ハシモト(オム・テグ)もその捜査に加われと命じられる。義烈団の団長チョン・チェサン(イ・ビョンホン)はイを味方に引き込もうと画策し、二人は共に酒を酌み交わすことになる。大韓帝国にとどまることが難しくなった義烈団はいったん上海に逃れ、爆弾を大量に入手して、再び、京城へと引き返す。列車に乗り込んだ彼らはメンバーのなかにハシモトの密偵が潜んでいることを知らされ、発車寸前に乗り込んだイやハシモトらと車中で攻防戦が繰り広げられることに。


 韓国系といえば『スノーピアサー』(14)や『新感染』(16)など走行中の列車のなかで登場人物たちが活劇状態に突入するというヒット作が続くのは偶然なんだろうか。狭い空間には経済的に厳しくなってきた韓国の閉塞感が投影され、パニックに陥ることが幻視されているのだろうか。『密偵』で興味を引いたのは、そうしたパニックは適度に回避され、登場人物たちが空いている席にスッと座ることで何度も危機を切り抜けることである。それだけ空席があり、余裕があることを示すことで全体は落ち着くことができる。まるで「親日派」について考えることもそうした余裕から生まれると同作は示唆しているような気がしないでもなかったけれど、警察が待ち受けている京城に着くと、結局はパニック状態を招き、独立運動は頓挫したかに見える。「親日派」の心が深く揺れ出すのはここからである。誰もが初めから抗日の活動家などではなく、占領下にあってはもっと弱い人間だったのではないかという問いが後半のストーリーをドライヴさせていく。韓国では『軍艦島』よりも『密偵』の方がヒットしたそうなので、エンターテインメント以上の問題意識がここでは評価されたと見ていいのかもしれない(反米を強く打ち出した『シン・ゴジラ』とは逆パターン?)。

 ソン・ガンホが演じたイ・ジョンチュルはまったく表情が読めない。「密偵」というのはダブル・ミーニングでもあり、イがどこで何を感じ、どう思ったかは観客次第だし、その解釈によって「密偵」が意味する範囲も変わってくる。ソン・ガンホの演技は、そうした解釈の幅を主人公の「心の揺れ」として感じさせるところが素晴らしい。角度によっては毒蝮三太夫に見えてしょうがない人だけれど、やはり『シュリ』(99)や『殺人の追憶』(03)といった名作に起用され続けてきただけのことはある。また、僕が役者として見飽きなかったのはハシモト役のオム・テグ。日本人を演じているのはやはり無理があったとはいえ、こまわり君を思わせるメイクのせいもあって、その風貌だけで遠くまで持って行かれてしまった。すでに彼を指してオムファタールなどというフレーズまで生まれているらしい(内輪受けですいませんが「倉本諒が真面目な役者としてデビューしたら、こんな感じになりそう」とか言いたい)。

 日本の占領時代といっても舞台の大半は20年代に集中していた。セットによって再現された京城の景観は高貴な佇まいを示し、西欧的なモードとも巧みに折り合った独自の豊かさを感じさせた。『グエムル』(06)や『息もできない』(08)で見慣れた現代の景色とはまったく異なる雰囲気であり、戦後に続いた軍事政権とはもちろん異なっている。この時代を描き出す目的は日本に占領されていたことを思い出すための記憶装置としてだけでなく、日本でいえばバブル回顧のような側面もあるのかなあと。1997年と2008年に2度も通貨危機を経験した韓国は現在、またしても構造危機に陥っているとされ、恋愛や結婚、出産を諦めた若い「三放世代」がさらに仕事や家、夢や人間関係も諦めた「七放世代」に膨れ上がり、すべてを諦めた「n放世代」にまで発展しているらしい。現在の韓国で義烈団がどのように振り返られているのかはわからないけれど、テロリズムを肯定した『密偵』は様々な意味でガス抜きの効果も備えているのかもしれない。

Kedr Livanskiy - ele-king

 いま、ポップ・カルチャーを愛する者にとってロシアという国は、ゴーシャ・ラブチンスキーの国かもしれない。ゴーシャ・ラブチンスキーは、コム・デ・ギャルソンのサポートを受けていることから、日本での知名度も高いファッション・デザイナーだ。自身の名を掲げたブランド“ゴーシャ・ラブチンスキー”は世界中のポップ・カルチャーファンを虜にし、ドイツのカルチャー誌『032c』はラブチンスキーの特集を組むなど、いまやラブチンスキーは2010年代のポップ・カルチャーを象徴する存在と言っていい。また、ラブチンスキーはレイヴ・カルチャーの影響を多分に受けている。その影響は、バーバリーとのコラボ・アイテムも登場した2018年春夏コレクションにも表れており、ドレスダウンしたスポーティーなコーディネイトは古き良きレイヴ・カルチャーの匂いを漂わせる。

 そんなラブチンスキーの片腕といえるのが、モスクワを拠点に活動するDJ/プロデューサーのブッテクノことパヴェル・ミルヤコフだ。ラブチンスキーのショーの音楽を手がけ、先述の2018年春夏コレクションのアフターパーティーでもパフォーマンスを披露するなど、多大な寵愛を受けているミルヤコフはロシアのクラブ・シーンでもっとも注目を集めるアーティストのひとり。音楽好きからすると、レーベル〈Johns Kingdom〉の主宰と言ったほうがピンとくるだろうか。このようにラブチンスキー周辺は、ファッションのみならず音楽シーンの人材も集まっている。そして、こうしたそれぞれの界隈を越えた交流があるからこそ、現在のロシアに注目する多くのポップ・カルチャー好きがいるのだと思う。

 そうした流れに、ケダル・リヴァンスキことヤナ・ケドリーナもいる。2016年に来日公演を果たしたことも記憶に新しい彼女は、ミルヤコフの恋人でもある。彼女もモスクワを拠点に活動しているが、いち早くピックアップしたのはアメリカの〈2MR〉だった。〈Italians Do It Better〉の創設者であるマイク・シモネッティー、〈Captured Tracks〉を運営するマイク・スナイパーとアダム・ジェラードの3人によって設立されたこのレーベルは、ダストやセージ・キャズウェルといった、流行りとされる潮流から少し逸れた面白いエレクトロニック・ミュージックを扱っている。
 このようなレーベルにピックアップされたこともあり、彼女が〈2MR〉から発表した「Sgoraet = Burning Down」(2015)と「Солнце Января」(2016)は、早耳リスナーの間で必聴盤となった。とりわけ好評だったのは後者で、彼女にアメリカ横断ツアーというチャンスをもたらした。

 このような歩みを経て、彼女は待望のファースト・アルバム『Ariadna』を完成させた。ローランドのSH-101とJuno 106、さらにはコルグのMiniloguというハードウェア・シンセを駆使した生々しいサウンドが特徴の本作には、〈L.I.E.S.〉や〈Mister Saturday Night〉を旗頭とするロウ・ハウス以降の流れを見いだせる。こうした特徴はこれまで彼女がリリースしてきた作品でも見られたもので、それをより深化させたのが本作と言える。
 一方で興味深いのは、“Ariadna” “Your Name” “Love & Cigarettes”といった曲が80年代エレクトロのビートを前面に出していること。ここ最近、〈Klakson〉などのレーベルが2000年代から種を蒔きつづけたこともあり、80年代エレクトロ再評価の潮流が生まれているが、この潮流とも本作は共振できるサウンドだ。おまけに、マーティン・ニューウェルが朗読で参加している“ACDC”では、トランスを大々的にフィーチャーしている。ロレンツォ・セニやアイシャ・デヴィなど、トランスのサウンドを取りいれるアーティストが増えている昨今だが、そのなかに彼女も仲間入り、といったところか。
 さらに面白いのはサウンドスケープだ。冷ややかでドリーミーな質感を湛えたそれは、『Selected Ambient Works 85-92』期のエイフェックス・ツインを連想させる。ただ、本作のほうがよりダークな雰囲気を志向していること、くわえて歌モノとしても聴かせる側面があるのは大きな違いだ。

 本作は、いま盛りあがっているロシアのポップ・カルチャーを出自としながら、その他のさまざまな潮流を飲みこんだ鵺(ぬえ)みたいな作品である。それゆえ多角的解釈を可能とする多彩さが映え、幅広い層に聴かれる可能性を秘めている。ロシアのポップ・カルチャーはもちろんのこと、90年代のUKテクノ好きから近年のエレクトロニック・ミュージック好きまで、多くの人が本作を気にいるはずだ。

Ariwo - ele-king

 フィジカルにこだわったのがいけませんでした。またしても半年かかってしまいました。キューバで新たに設立された〈マニャーナ・レコード〉からアリワならぬアリウォのデビュー・アルバムをようやく入手。パッと試聴した時はシャクルトン・ミーツ・アフロ・キューバン・ジャズといった感触で『マーラ・イン・キューバ』から思わぬ余波が生じているのかなと。アリウォとは西アフリカの言語、ヨルバ語で「ノイズ」のこと。マニャーナはスペイン語で「明日」。ゴングのデヴィッド・アレンが生前、「マニャーナ、マニャーナ」を連発していたことを思い出す(合掌)。
 ロンドンをベースにエレクトロニクス担当のイラン系1人+キューバ系3人の生演奏で構成されたアリウォは、昨年、キューバ初のインターナショナル・ エレクトロニック・ミュージック・フェスティヴァルでプラッドと共演し、ベスト・アクトの声が高かった。その模様がユーチューブで流れ、それ以前に行われていたボイラールームでのライヴ・パフォーマンスにも興味は集まった。一見、単調なのにどんどん盛り上がって行くスタイルはすでに確立されていて、エレクトロニクスとライヴ演奏が完全に融合している様子がそこでは確認できた。同フェスにはちなみに地元勢だけでなくイギリスからエイドリアン・シャーウッドクァンティック、アメリカからニコラス・ジャーやイタリアからはDJカラブ(本誌20号クラップ!クラップ!インタヴュー参照)ほか多数が参加。

 情熱的なトランペットが耳を引くので、プレスなどではアフロ・キューバンという性格が強調されているものの、全体的にはユーロ・ジャズの文脈にあるといえる。それがベーシック・チャンネルのようなクラブ・ミュージックとの接点を模索し、独自のスタイルに辿り着いたものと思われる。それこそブライアン・イーノとジョン・ハッセル(と故ナナ・ヴァスコンセロス)の『ポッシブル・ミュージック』(80)を現在の視点で移民たちが作り変えたようなものに聞こえてしまうというか。リズムが走り出すとドラムン・ベースにも近いものがあったり。もしくはキューバ系の3人はこれまでにもブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブなど様々な場で客演歴があるので、彼らをひとつのヴィジョンでポウヤ・エセイ(Pouya Ehsaei)がまとめたとしたらエイドリアン・シャーウッドがヒップホップのサポート・ミュージシャンたちをタックヘッドとして組織し直したときの契機にも重なるものがあるのかもしれない。シャーウッドがヒップホップにダブを掛け合わせたのと同じ要領で、アフロ・キューバン・ジャズとダブ・テクノを橋渡したのである。イラン系のポウヤ・エセイは2015年に〈エントラクト〉から『172』でソロ・デビューしていて、その時はイランの伝統音楽を素材にしたインダストリアル・ドローンを聞かせていた。宗教的なチャントなどをフィーチャーしているあたりはなるほどペルシャ音楽が背景にあることをうかがわせるので、どうしてキューバ音楽の演奏者たちと結びついたのかは不明。ゾロアスター教をテーマとした曲などもあるし。

 かつてキューバ発のパチャンガやデスカルガは国交が途絶えてからもアメリカの音楽に多大な影響を与えていた。カンディードやグロリア・エステファンはディスコにも大きな影響を与えていたし、ピッツブルのようにキューバを憎むあまりマッチョに磨きがかかっていくタイプもいただろう(それは米大統領選の裏テーマでもあリました)。ジャイルズ・ピーターソンが敷いたレールは着実にその流れをブリテン島におびき寄せている。ジャマイカのミュージシャンが現在はアメリカに進出したがるのとは対照的にキューバからイギリスへ向かう流れが生まれつつあるのだろう。人種の衝突からしか新しい音楽は生まれないかどうかはわからないけれど、こういったものがもっと出てくるとしたらカルチャー・クラッシュもグローバリゼイションもぜんぜんありでしょう。よくある先進国と途上国という組み合わせではなく、途上国同士によるトランスローカルな結びつきというのがいいと思う。

 コンガがいい感じで跳ね回っている。最終的には、しかし、そこかな。ピアノとドラムで明暗をはっきりと付けた『マーラ・イン・キューバ』よりも基調はやはりミニマルだし、等しく呪術的とはいえ、モノトーンなエレクトロニック・リズムの繰り返しをコンガがとっちらかしていくプロセスは実にスリリング。90年代のダンス・ミュージック・ファンにはファビオ・パラスだったり〈ゲリラ・レコーズ〉が高級になって戻ってきたような錯覚というか。


Garden City Movement - ele-king

 夏は終わる。必ず終わる。と思っていてもなかなか終わらないのも夏というものだ。今年の夏も長かった。日本はどこか亜熱帯な気候になってしまった。今や「エンドレス・サマー」は儚い夏の記憶というより、いつまでも終わらない夏に対する飽き飽きする感覚に近い。ロマンティックで、その一瞬、刹那にしかない楽園の記憶としての「エンドレス・サマー」は、既に一種のファンタジーだったのかもしれない。だが音楽はファンタジーである。ブライアン・ウィルソンはサーフィンができなかった。だから終わりゆく永遠の夏を音楽にすることができた。人は現実のむこうにファンタジーを感じるゆえに生きていける。夢のむこうへ。

 2001年にリリースされたフェネスの『エンドレス・サマー』以降、たとえば、マニュアル、グリム、イーサン・ローズなどエレクトロニカもまたビーチ・ボーイズ的な夏の記憶=エンドレス・サマーをポップスの並行世界的に継承してきた(00年代初頭のエレクトロニカが90年代のシカゴ音響派などのポストロックやハイ・ラマズなどのモンド・ポップを継承するものであったことの証でもある)のだが、今回紹介するイスラエルのユニット、ガーデン・シティ・ムーヴメントも、その系譜に加えてみたい。
 メンバーはRoi Avital(ヴォーカル、キーボード、ギター)、Joe Saar(ギター、サンプラー、キーボード)、Johnny Sharoni(ヴォーカル、ギター、サンプラー、パーカッション)の3人。イスラエルの人口第二の都市で「中東のヨーロッパ」とも呼ばれるテルアヴィヴで2013年に結成された。地元の優良インディ・レーベル〈BLDG5 Records〉からすでに4枚のEPをリリースしているユニットである。

 イスラエルは遠い。北にはレバノン、北東にはシリア、東にはヨルダン、南にはエジプトだ。そして彼らからみても日本は遠い。だが今はインターネットがある。そもそもインディ・シーンの少ないイスラエルにあって、インターネットで繋がる外国のシーンの方がより「近い」感覚なのかもしれない。じっさい、ガーデン・シティ・ムーヴメントは、今のエレクトロニック・ポップ・ミュージックだ。
 と「今の」、と思わず書いてしまったが、本作『Move On』は、ガーデン・シティ・ムーヴメントの日本特別編集盤である。本盤は2013年の「Entertainment」と2014年の「Bengali Cinema」のEP 2枚に加えて、最新シングル「She's So Untouchable」や初フィジカル化の音源などを日本独自にコンパイルしたアルバムなのである。つまり2013年から2016年までの3年分のトラックが収録されているわけだ。MVにMayan Toledanoを起用し、YouTubeで200万再生を記録した“Move On”は2013年の曲だ(Mayan Toledanoはアーティストであり、彼らのレーベル〈Me and You〉共同創始者)。
 だが不思議と4年の月日を感じさせないのだ。たしかにジェイムス・ブレイク以降のサウンドなのだが、彼らの音楽には不思議と普遍性がある。エンドレス・サマーの感覚だ。それは少年/少女の記憶の封じ込めなのかもしれない。

 エレクトロニカといってもガーデン・シティ・ムーヴメントの曲はどれもインディ・ロック的であり、ネオ・ソウル的ともいえる。アルバムは1曲めから4曲めまでがEP「Entertainment」収録曲で、5曲めから8曲めまでがEP「Bengali Cinema」収録曲となっている。9曲めから12曲めまでがシングル「She's So Untouchable」収録の表題曲や12インチ・ミックス、コンピレーション・アルバムなどに収録された初フィジカル化の新曲などを収録している。
 1曲め“Casa Mila”からガーデン・シティ・ムーヴメントらしさがあふれている。エディットされたヴォーカルに、夏の夕暮れの空気を感じさせる電子音とコード、細やかなビート。2曲めは彼らの代表曲ともいえる“Move On”。ぐっとBPMを落としたトラックに甘いギターとヴォーカル、ゆったりしたビートの向こうに聴こえる微かな雨の音のような環境音の組み合わせも心地良い。ちなみに“Move On”は、Teen Dazeのリミックスも知られている。4曲め“The More You Make It”はヴォーカル・エディットが控えめになり、ディスコ・ソウル風味のキャッチーな曲を聴かせる。これは2016年のシングル曲“She's So Untouchable”に聴くことができる傾向で、とても良いと思う。


 5曲め以降の「Bengali Cinema」収録曲では7曲め“Lir”に注目したい。おだやかなアコースティック・ギターとエモーショナルな電子音。彼らの曲には、良質で控えめなエモーショナルさがあるのだが、それが楽曲のメロウさを際立たせている。ボーナス・トラック曲では“The Best Of Times?”が素晴らしい。2016年にリリースされた〈BLDG5〉のレーベル・コンピレーション・アルバム『Nightingale Floor Compilation』に収録されたトラックなのだが、夜の空気に満ちたネオ・ソウル的な曲だ。

 以上のように、幅広いリスナーにアピールできそうトラックばかりである。細やかにエディットされた電子音とヴォーカル/メロディ、フローティングする甘いコードのレイヤーは、聴き手を夢の中のビーチへと誘うようなメロウな感覚に満ちている。秋が来て、やがて冬が来ても永遠の夏を夢想したい。そんな永遠のポップ中毒者におすすめしたい1枚だ。
 何より本アルバムはアートワークといい曲の並びといいオリジナル・アルバムといっても過言ではない統一感がある。 ガーデン・シティ・ムーヴメントを初めて聴くリスナーにとって最高の入り口になるだろう。

KANDYTOWN - ele-king

 勢いが止まらない。メンバー各々が精力的にソロ活動を繰り広げるなか、今度はKANDYTOWN本体が動き出した。去る9月29日、かれらにとって2017年最初のリリースとなる新曲“Few Colors”が配信でリリースされたけれど、この度そのMVが公開された。メンバーたちが一堂に会し、同じブーツを着用している風景はじつに壮観である。今後もかれらの動向から目が離せそうにない。


東京の街を生きる幼馴染たち、総勢16名のヒップホップ・クルー:KANDYTOWN
2017年第1弾リリースとなる新曲“Few Colors”(ティンバーランド 2017年FALL&WINTERタイアップソング)のMUSIC VIDEOを遂に公開!

昨年11月に発売した1stアルバム『KANDYTOWN』がiTunes HIP HOPチャート1位を獲得し、各メンバーのソロ名義でのリリースも活発に行い話題のヒップホップ・クルー:KANDYTOWNが、ティンバーランドの2017年FALL&WINTERタイアップ・ソングとなっていることでも話題の2017年第1弾リリースとなる新曲“Few Colors”のMUSIC VIDEOを公開した!

これまでこの映像は“Few Colors”のiTunes Store限定バンドル特典としてしか見ることができなかったが、新曲“Few Colors”が配信されるや否や、各配信サイトのHIP HOPチャートの上位を賑わせている中での、まさに待望のMUSIC VIDEO公開となった! 今回のMUSIC VIDEOも、KANDYTOWN内のIO、YOUNG JUJUが所属するクリエイティヴ・チーム:TAXi FILMSが手掛けており、映像中では、ティンバーランドのアイコンとも言うべき、シックスインチプレミアムブーツを着用したメンバー全員が出演している。重厚感のある楽曲同様、これまで以上に深く、濃くKANDYTOWNの世界観を味わえる内容となっている。

そんな、KANDYTOWNはティンバーランドとのコラボレーションを記念して、MUSIC VIDEO同様にTAXi FILMSが手掛けたビジュアルを始めとしたスペシャル・コンテンツを擁した特設ウェブサイトもOPENしているので、是非チェックしてみよう!

【“Few Colors”YOUTUBE URL】
https://www.youtube.com/watch?v=pKb2qbY7ccg

【“Few Colors”作品詳細】

配信日:2017年9月29日(金)0:00
タイトル:Few Colors(ティンバーランド 2017 FALL&WINTERタイアップソング)
配信URL: https://lnk.to/KFQE0
備考: iTunes限定で特典にMUSIC VIDEOが付いたバンドル配信も決定。

【KANDYTOWN|Timberland特設ウェブサイト】
https://goo.gl/LFdZSK

【KANDYTOWN オフィシャルHP】
https://kandytownlife.com/

【KANDYTOWN WARNERMUSIC JAPAN HP内ARTIST PAGE】
https://wmg.jp/artist/kandytown/

【KANDYTOWN プロフィール】
東京の街を生きる幼馴染たち、総勢16名のヒップホップ・クルー。
2014年 free mixtape『KOLD TAPE』
2015年 street album『BLAKK MOTEL』『Kruise』
2016年 1st album『KANDYTOWN』
2017年 1st album『KANDYTOWN』(4LP)

ハテナ・フランセ - ele-king

 現在日本では衆院選の真っ最中ですが、フランスでは9月24日に議会上院の選挙が行われたばかり。とはいえ上院は直接的な国民投票ではなく議員による投票なので、国民の関心も薄い。そんなわけで今回は6月の選挙で約2/3が初当選の議員が占めることになったフランスの下院議会、そして個人的に注目している議員フランソワ・リュファンのお話をしたく。
 先の下院選でマクロン大統領率いる新党、「共和国前進」は協力政党の「民主運動」と合わせると国民議会の6割に上る議席を獲得し大勝利を納めた。与党が過半数を占める議会となった選挙ではあったが、議員の顔ぶれは大きく変わった。これまでの2大政党の共和党は113議席、社会党は29議席史上最低の数字を記録。大統領選の最終決戦に残ったマリン・ルペンの率いる国民戦線は、大統領選時のルペンのディベートが振るわなかったせいで勢いを削がれたが、それでも前回の4倍に当たる8議席を獲得。そんな中で大統領選にも出馬したジャン=リュック・メランションの左派新政党、「屈しないフランス」がフランス議会で会派を形成できる15議席をからくも超えた17議席を獲得して健闘した。この党の中でも抜群の好感度を誇るのが先に触れたフランソワ・リュファンだ。

 現在42歳のリュファンは左寄りの季刊新聞Fakirの創刊者でありジャーナリスト。マイケル・ムーアに影響を受けて「メルシー、パトロン!(社長さま、ありがとう)」というドキュメンタリー映画を撮り50万人を動員する大ヒット記録した。ディオールやルイ・ヴィトンなどを傘下に持つLVMHのCEOにして世界で5本の指に入る大富豪、ベルナール・アルノーに、リストラされた工場労働者の老夫婦とともに立ち向かう様をユーモアたっぷりに描いた本作。世界最大とも言われるファッション・グループから送られてくる百戦錬磨な社員たちを相手に、職を失い家も失う危機に瀕した下層労働者階級の老夫婦を、弁護士などの援護なしにアイデアのみで窮地から救っていく様は「スターウォーズ ジェダイの帰還」でイウォークが帝国を工夫と団結力で倒したような爽快感だ。そして全編に散りばめられたベルナール・アルノー=富と冷酷な資本主義の象徴に対する、徹頭徹尾ふざけたおちょくり&反抗精神が、観る者に「何もできないと諦めていたけど、本当は自分でも何かできるかもしれない」という希望と政治参加を喚起した。この映画をきっかけにフランスではNuit Debout(夜、立ち上がれ)というデモ運動が始まり、パリならばレピュブリック広場で夜を徹して資本主義に偏った社会をどうしたら変えられるか討論が行われている。その活動はフランスだけでなくスペイン、ベルギー、ドイツ、イギリス、イタリアなど、ヨーロッパ中に広がってさえいる。その運動の中心となったフランソワ・リュファンが今年6月の下院選で初当選したのは当然の流れと言えるかもしれない。

 当選してからもリュファンの姿勢はジャーナリストそのもので、いわゆる社会の底辺で困難にあえぐ人たちの話を聞きに足を運び、徹底して大企業や政治家の不正や不誠実さを調べ上げ議会で追求する。例えば8月末に政府が発表した労働法改定案は、雇用者が今よりも解雇をしやすくしたり、賃金交渉が労働組合を通さないでも行えるような抜け道を誘導するような法案で、経営者、雇用者側に有利で市場原理主義のマクロンそのものといえるものだ。その法案に反対するべく、リュファンは大手スーパー、オーシャンの例を上げる。「売上を14%伸ばし株の配当も75%伸ばし、経営者のジェラール・ミュリエは260億ユーロの資産を持っているにもかかわらず、870人もが解雇された。この意識の高いみなさんの集まる議会で、我々はどうやって経済的弱者が経済的強者から搾取されることを防げるのか。共和国前進の議員諸君教えてくれ給え!」と、時に笑いを誘いながら正確なリサーチに基づきリュファンはしつこく問いかけ続ける。また最新のエピソードとしては、フランス最大の精肉会社ビガーの社員への不当な扱いを非難し、調査委員会で口座開示を求めた。もちろん企業側はのらりくらりと返答を避け、当然口座開示も拒否。それに対抗して民主運動の議員とともに正式な口座開示要請の手紙を送りつける様をもちろんSNSで公開。ただリュファン始め「屈しないフランス」などの議員たちが提出する修正案や法案などはことごとく「共和国前進」の議員たちの反対にあい、残念ながら通ることはないのだ。少なくとも今のところは。このように現在のフランス議会は既成の政治への否定に始まり、市場原理主義の「共和国前進」に対し彼らの行きすぎた資本主義を大きく引き戻そうと「屈しないフランス」などが抵抗する場になっている。「屈しないフランス」党首のジャン=リュック・メランションは、今後「共和国前進」の議員たちの造反が少しずつでも増えてくることを密かに狙っているようだが、どうなることやら。

 ただ個人的には野心と私利私欲に駆られた誠実さのかけらもない政治家ばかりなのだろうかと絶望しつつある今日この頃、社会の底辺で困窮する人々を救うために何をするべきかという使命感のもとに活動する政治家を目にすると、ちょっと希望を抱かされるし自分なりに社会貢献をしてみたくなったりするのだった。頑張れリュファン!  SNSフォローし続けるからね!

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