「You me」と一致するもの

Oneohtrix Point Never - ele-king

 作者が死んだのはちょうど50年前のことである。テクストは作者の考えていることを表したものではないし、ましてや作者の人間としての内面を吐露したものなどでは断じてない。テクストは引用の織物であり、内面なんてものはそれが言語によってしか説明されえない以上、すべて事後的に構成されるものである。
 もちろん、そのように人間を縮減していく試みは、19世紀の終わりから20世紀半ばにかけて何度も試みられてきた。詩人は言葉に主導権を譲らねばならないと主張した詩人、書物は日常生活を営む自我とはべつの自我によって生み出されると考えた小説家、ゲームや無意識など主体のコントロール外にある偶然的要素を創作に活かそうとした文学・美術グループ、あるいは「この女」と言うためにはその女から実態を剥奪し殺戮してしまわなければならないと説いた批評家。けれど、よりわかりやすい形で人間としての作者に死が与えられたのは、やはり1968年ということになるだろう。ようするにそれは、なんらかの対象について語るとき、それを生産した人間に着目するのはいい加減やめませんか、という提案である。そのような反人間的な発想が現れてから、もう半世紀ものときが流れたのだ。
 どうやらワンオートリックス・ポイント・ネヴァーことダニエル・ロパティンもまたこの問題について考えを巡らせることがあったようで、先日公開された最新インタヴューにおいて彼は、われわれはついつい「この人間そのものの表現だ」と思えるような「苛烈なまでにパーソナルな表現」を賞賛しがちだけれども、自分は「演奏する人間が排除されている」ような「音楽機械」にこそ心惹かれる、と語っている。つまり、いままさにここでおこなわれているように、彼という人間をとおして彼の鳴らす音を説明しようとするのはもうやめませんか、ということである。たいせつなのは人間じゃなくてそこで鳴っている音でしょうよ、というわけだ。アンチ・ヒューマニズムである。

 とはいえOPNは、その発言によって自らの作品をパフォーマティヴに変容させていくタイプのアーティストでもある(同じインタヴューで彼が録音物ですら変化しうると言っているのは、そういう外在的な効果を念頭に置いてのことだろう)。その作品の強度と発言をつうじて、いまや10年代でもっとも重要な電子音楽家と言っても過言ではないほどの存在にまでのぼり詰めたOPN、あまりに大きな期待を背負って発表されたその8枚目のアルバムは、われわれの予想をはるかに超えるアイディアとサウンドをもって、いまふたたび彼のキャリアを更新している。
 どきどきしながら再生ボタンを押すと、すぐさまチェンバロの音が耳に飛び込んでくる。その響きと音階はバロック音楽の雰囲気を醸し出しているが、そのムードは幾度か差し挟まれる叫びとノイズ、そして中盤で30秒ほど挿入されるインスト・ポップ・バラードとでも呼ぶべき謎めいたパートによって破壊されてもいる。異なる時代を強制的に接合するコラージュ。冒頭のこの表題曲の時点ですでにロパティンの勝利は確定したも同然だが、続けざまに「バビロ~ン♪」という加工された音声が流れてくるのを耳にした瞬間、われわれはさらなる驚異と遭遇することになる。歌である。それも、ダニエル・ロパティン本人による歌だ。
 その旋律はポップ・ソングによくある「いかにも」な進行を見せる。押韻もわかりやすい。途中でプルーリエントによるスクリームが挿入されるものの、それでも曲はクリシェであることを全うしようともがき続ける。「ヘルプ・ミー」という高い声が乱入する。クレジットを確認して初めてそれがアノーニによるものであることがわかる。助けて。しかしロパティンは歌うことをやめない。「わかったよ/なんで君が僕らがバビロンにいると思うのかを」。助けて。「わかったんだ/なぜ君がこのバビロンから離れられないのかを」。そしてトラックは解決らしい解決を見ないまま唐突に終わりを迎える。バビロン。それはいったいなんの比喩だろう。インターネットか。資本主義か。それとも、常世すべてか。

 OPNらしい鍵盤とシンセが横溢する3曲目へと至ってようやく、われわれはこれがあのOPNの新作であることを思い出す。アッシャーのために書かれながらもアッシャーには使ってもらえなかったという“The Station”は、前半のロパティンによる歌を否定するかのようなミニマルなギター音の反復をもってリスナーに先を急がせる。ミュージシャンがよく口にする「架空のサウンドトラック」というクリシェを試したという“Toys 2”は、卓球のような具体音と『アール・プラス・セヴン』で展開されていた賛美歌風音声ドローンの断片、『ガーデン・オブ・ディリート』のような強烈なノイズと東洋風の旋律によるかき乱しを経て、初期のOPNを思わせる穏やかなシンセ・ミュージックを響かせる。そしてアルバムは先行公開された問題曲“Black Snow”へ到達する。吐息とフィンガースナップに誘導され、「盲目のヴィジョン/盲目の信念」と、ロパティンは静かに歌いはじめる。リリックはニック・ランドが設立に関わったCCRUの論集からインスパイアされている。バッキングに徹するアノーニ。東洋的なモティーフとノイズの手前で、ダクソフォンが不気味な唸りを上げる。

 アルバムはふたたびチェンバロを呼び込み、大規模なアート・プロジェクトを成功させるためには金融業者と仲良くならなければならないことを諷刺した小品“myriad.Industries”をもって、その後半を開始する。『R+7』の延長線上にあるトラックのうえでプルーリエントが雄叫びをあげる“Warning”や、ミュジーク・コンクレートとインダストリアルを同時に試みたかつてない作風の“We'll Take It”、ようやくアノーニがそれらしい歌声を披露する“Same”など、最後まで聴き手を飽きさせないトラックが続く。『R+7』から目立ちはじめ、『GOD』において突き詰められた、ポップ・ミュージックのメタ的な解体作業。『エイジ・オブ』ではそれがより尖鋭的な手法をもって実践されている。あるいは逆の見方をすればそれは、いわゆる大きな物語が機能しなくなり、幾千の島宇宙がそれぞれに閉じたサークルを形成するポストモダン以降の情況にあって、電子音楽の冒険を電子音楽ファンのなかでのみ完結するものにはしないという強い意志と捉えることもできる。
 ともあれ本作の肝をなす自身の歌唱と、アノーニやプルーリエントといったゲストの参加、あるいはダクソフォンの活用は、前作でチップスピーチを導入していたロパティンにおける声への志向性が、いま、ますます高まっていることを示している。けれどもそれらの声は著しく加工され変調され切り刻まれ、歌い手のキャラクターを尊重しない。声そのものへのアプローチを突き詰めつつもロパティンは、けっしてその人間性には依拠しようとしないのである。それはたとえばジェイムス・ブレイクの起用法にも表れていて、あくまでも彼はキイボーディストおよびミックス・エンジニアとして参加しているにすぎない。
 ロパティンはこれまでも本名名義での作品やプロデュース作品、あるいはサウンドトラックやリミックスなどでじつにさまざまな相手とコラボを繰り広げてきたわけだけれど、他方で自身のメイン・プロジェクトであるOPN名義のソロ・アルバムにゲストを招くことだけは頑なに拒み続けてきた。多くの客人を招待した『エイジ・オブ』はだから、彼のディスコグラフィのなかで大きな転機となるはずで、であるならばいっそ大々的にアノーニやジェイムス・ブレイクの歌声をフィーチャーしたポップ・ソングを作ってもよかったはずである。だがロパティンはそうしなかった。それにはおそらく、現在の彼が人間に対して抱いている二律背反的な、複雑な思いが関与しているのだろう。
 アノーニとの口喧嘩を経て、自分はニヒリストなのかと問いはじめたところからすべてがスタートしたという本作は、他方でわざわざクレジットにCCRUの名を掲げてもいる。ロパティンは揺れている。半分は無意識的に、そしておそらく半分はきわめて意識的に。思い出そう、先に引いたインタヴューにおいて彼が、人間が排除されたような「音楽機械」もまた「とても人間的なものに感じられる」と述べていたことを。「ハートから生み出された感じがする、そういう音楽」こそが好きなんだと、それこそクリシェのような発言をしていたことを。そしていままさにわれわれは、彼という人間をとおして『エイジ・オブ』を理解しようと試みている。

 いまさら人間に全幅の信頼を寄せるようなかつての発想には戻れないし、戻るべきでもない。かといって人間の縮減ないし抹消によってもたらされる種々のほころびをそのまま歓迎することもできない。急速にテクノロジーが変容し、人工知能や人新世といったタームが脚光を浴びる今日、人間と反人間とのあいだで揺れ動く現代、ポストモダンという言葉さえレトロスペクティヴに響き「ポスト・ポスト」という言い回しでしか名指すことのできないこの時代、それこそが『エイジ・オブ』の切り取ろうとしている生々しいバビロンの姿だろう。「オブ」以下が言葉を欠き、大いなる余白を残すゆえんである。

小林拓音

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 その人が資本主義の犠牲者だろうとそうじゃなかろうと、音楽には2種類ある。ひとつは気持ち良ければある程度は完結する音楽=EDM、AOR、MOR、シティ・ポップ、ほとんどのハウスとテクノとヒップホップ、多くのポップスやロックやファンクやジャズ……etc。もうひとつは気持ち良いだけでは物足りないと思っている人の音楽だが、OPNは後者を代表する。ポップのフィールドにおいて、いまこの人ほど思わせぶりな音楽をやってのけている人はいない。

 たとえば『リターナル』というアルバムがある。19世紀のフランスの画家、アンリ・ルソーに触発されたという話はファンの間では知られているのだろうが、ただしダニエル・ロパティンの解説によれば、それはルソーの絵画そのものに触発されたというよりも、自分が行ったことのない風景を人からの伝え聞きによって描いたというルソーの行為への関心によってもたらされている。それは、実際にアフリカを旅行してアフロをやるのではなく、自分が伝え聞いたアフリカをもとにアフロをやるということで、メディアによって拡張された身体が感応しうる世界を捉えるこということだろう。が、あの作品を聴いただけでそこまで想像できるリスナーがいるのだろうか。ロパティンは、自らの言葉で自らの作品に仄めかしを授け与える(その観点でいけばザ・ケアテイカーと似ているし、自己解説が作品に付加価値を与えるという点ではイーノにも似ているのかもしれないが、ロパティンほどアブストラクトではない)。

 『エイジ・オブ』におけるオフィシャル・インタヴューのロパティンの思わせぶりな発言を読んで、この1ヶ月、ぼくのなかにはどうにも釈然としないモヤモヤが生まれている。彼は、本人が歌う“Black Snow”という曲の歌詞がイギリスの思想家、ニック・ランドの影響下にあることを明かしているのだ。正確には、かつてニック・ランドが主宰したCCRU(Cybernetic Culture Research Unit)という研究グループの発表した出版物に触発されているとのことだが、おいおい、これは大いに問題だろう。インタヴューではCCRUのウィリアム・S・バロウズ的な手法が気に入ったと説明しているが、それならバロウズの影響下で作詞したと言えばいいはずだ。さすがにロパティンがアンチ・リベラルの右翼であるはずはないだろうけれど、わざわざブックレットのクレジットにまでCCRUの名前を入れた理由は知っておきたい。

 現代思想に詳しくもないぼくがニック・ランドを知ったのはほんの数年前のことで、UKの音楽メディアでオルタ右翼のイデオローグとして紹介されている記事を読んだからだった。また、彼の提唱する加速主義という思想がやはりUKの音楽メディアにおいてヴェイパーウェイヴの論考に活用されてもいることも気になっていた。ポップ・カルチャーは、かちかちとクリックしながら音楽制作することが普通になった21世紀になった現代でも極端な考え方に惹かれてしまう側面があるらしい。
 ヴェイパーウェイヴがその初期においてひとつの論説として成り立ったことの根拠には、資本主義としての音楽の終わりにあるジャンルだというマルクス主義的な仮説にある。亡霊めいた音響(スクリュー)を特徴としたそれは、当初は無料配信/無断サンプリングが基本で、マーク・フィッシャーいうところの「文化が経済に溶解してしまった」現代においては、たしかにそんな幻想を抱かせるものではあった(〈Warp〉のサブレーベルもヴェパーウェイヴの12インチをリリースし、Macintosh Plusのアナログ盤がインディーズのコーナーに陳列されている今日ではその仮説も紛糾されたわけだが、もちろんそれはそれで良い。ほかのジャンルと同じように認められた=商品になっただけのこと)。
 しかしながら、そうした仮説がまかり通った時代を記憶している者として言えば、ある時期アンダーグラウンドのエレクトロニック・ミュージックのシーンが何かの「終わり」に憑かれていたことはたしかだろう。安倍政権をはやく終わらせたいという願望はもっともな話だが、この「終わり」の舞台は主に英米の音楽シーンにある。つまり、レイランド・カービーが〈History Always Favours The Winners〉をはじめたのも、『フローラルの専門店』もOPNの『レプリカ』もジェームス・フェラーロの『Far Side Virtual』も2011年、ジャム・シティの『Classical Curves』とアクトレスの『R.I.P』は2012年、〈Tri Angle〉や〈Blackest Ever Black〉の諸作が脚光を浴びたのもこの頃だよね。ジャム・シティに関しては、あたかも人類が滅亡した後のオフィスビルのフロアを彷彿させるあのアートワークを見て欲しい。サン・ラーによる世界の終わりとはずいぶん違う。それらはおもに資本主義リアリズムの恐怖に反応したものだと思われる。

 あるいはそれがジョナサン・クレーリーいうところのインターネットが招いた「24/7」消費社会への抵抗かどうか、あるいは加速主義的な、さっさとこの世界を終わらせたいという苛立ちなのかどうか、なんにせよロパティンは少なく見積もっても『レプリカ』以降はディストピックなヴィジョンから逃れられないでいる。
 音楽は答えではない。それは問題提起であり、気づきや揺らぎへの契機となりうるものだ。釈然としないその気持ちをそのまま露わにすることにだって意味がある。ロパティンに対する疑いのひとつに、彼がいまどきのネット時代に特有の情報おたく/オブセッシヴな情報収集家ではないかということがある。どんなに知識を振りかざしたところで、当たり前の話だが、音楽それ自体に訴える力がなければ知識のひけらかしに過ぎない。「ブルーカラー・シュールレアリズム」とロパティンが言うのは、自分の音楽がハイブローな人たちだけではなく、「ブルーカラー」にも聴いて欲しいということなのだとぼくは解釈している。ゆえに『エイジ・オブ』で彼がR&Bやポップスに挑戦したことをぼくは評価したい。が、もうひとつの問題は、しかしこのアルバムの魅力がロパティンのポップ・センスに依拠してはいないということにある。

 彼の発言によれば、『エイジ・オブ』の制作は環境問題をめぐるアノーニとの会話からはじまっている。1万年後には人類は終わるのだから環境のことなど考える必要はないという彼の発言に対して彼女は怒り、ニヒリストという言葉でロパティンを罵倒した。俺はニヒリストなのか? アルバムはその自問自答からはじまっているという。『エイジ・オブ』にセンチメンタルなフィーリングがあるとしたら、人類の未来を案じてというわけではなく、アノーニによって引き裂かれたロパティンのなかの揺らぎに依拠するんじゃないだろうか。
 『エイジ・オブ』は間違いなく前作『ガーデン・オブ・デリート』より魅力的なアルバムで、『R・プラス・セヴン』よりイケてるかもしれないが、この新作はロパティンひとりでは完結していない、他者=アノーニ&ジェイムス・ブレイクが介在しているという点においてもOPNにしては異例の作品だ。アノーニの素晴らしい声を知る者たちが憤慨してもおかしくないほどに彼女の声は加工されているが、それでもアノーニの存在は重要であり、作品のなかに活きているというわけだ。
 アルバム1曲目の“Age Of”からしてニューエイジめいたメロディの背後で不吉なノイズが鳴っている。続く歌モノ“Babylon”はいきなり終わる。ニューエイジ的な陶酔を拒否しているかのように。4曲目“The Station”から“Toys 2”、そして“Black Snow”へと続く美しい流れとは対照的に、7曲目“myriad.industries”からはじまるアルバムの後半には暗い予感が渦巻いている。
 1枚のアルバムには往年のプログレッシヴ・ロックを思わせる“物語”がある。バロック音楽にオペラと、これらもプログレ的な折衷感ではあるのだが、本作のスリーヴにデザインされている3人の女性の絵は、伝説のプロトパンク・バンド、デストロイ・オール・モンスターズのオリジナル・メンバー、ジム・ショウによるものだ。エレキングにおける三田格のインタヴューでもパンクである自分を主張しているが、それは自己確認であり、本作に対するエクスキューズに思えなくもない。こんなところにもある意味どっちつかず、ある意味分裂的な本作の本性が垣間見られる。
 この物語には矛盾があり、引き裂かれている。それがぼくの解釈だ。その引き裂かれ方には、「終わり」に憑かれたロパティンとアノーニがもたらすヒューマニズムとの葛藤と同期するかのように、アンチ・ポップとポップが衝突している。いや、そんなことは誰かほかの作品でも聴けるわけだが、OPNにおけるその衝突は思いがけないマジックを生んでいるかもしれない。

※6月末発売の紙エレキングでは、社会学者の毛利嘉孝氏にイギリスにおける現代思想の大雑把な流れについて教授してもらいました。ニック・ランドを持ち出すことのマズさについてももちろん触れているので、こうした議論の入口、とっかかりとして読んでもらえればと思います。ちなみに「中世に帰れ」という展開も近代的ヒューマニズムを否定するこの流れにあります。また、ダニエル・ロパティンのインタヴューは、webで紹介したのはほんの序の口で、作品の核心に触れているディープな箇所は紙エレキングに掲載されます。また、ほかにも(いい意味で)頭でっかちなアーティストのインタヴューを取りました(笑)。はっきり言って、編集しながらぼくも勉強になりました。どうぞ、お楽しみに。

野田努

Sugar Plant - ele-king

 私の世代(1983年生まれ)は、リスナー体験として、ギリギリSugar Plantの活動が旺盛だった時代に間に合っていない。前作『dryfruit』がリリースされた2000年あるいはそれ以前といえば、レイヴ・シーンはもちろん、まだ東京の先端カルチャーのことなど知る由もないような、青い年頃だったから。
 その後東京へやってきて、「LAW LIFE」などのイベントに触れることができたわけだけれど、その頃には残念ながらSugar Plantの活動はすでに沈黙期にはいっていたのだった。当時、カッコいい(だけどちょっとだけ怖そうな)先輩たちに「キミはどんな音楽が好きなの?」と訊かれて、(本当はザ・フーが一番好きだったけどインディ・スノッブを気取って)「シー・アンド・ケイクとか、ヨ・ラ・テンゴとかとか好きです!」と答えたりしたものだが、そうするとかなりの頻度で「最近はあんま活動していないんだけど、Sugar Plantって日本のバンドがいてさ、おすすめだよ~」などと返されたものだ。
 そうやって私の意識には、Sugar Plantはその頃からすでに「幻のバンド」としてインプリントされていたのだった。だから、後年(2011年だったと思う)、Sugar Plantにサポート・キーボーディストとして参加したこともある高木壮太氏も在籍のバンド「LOVE ME TENDER」のリリース・パーティにて、対バンとして出演した彼らのライヴを目撃できたことは、大きな印象を私に与えた。ソリッドな編成ながら、奏でられる音はあくまで柔和で、空間を包み込む。決して大音量というわけではないのに、体全体が音に浸されていくような感覚。サイケデリックと言えども閉塞的な空気とは無縁で、どこか飄然とした開放感があった。ちょうど世界的にチルウェイヴやネオ・シューゲーザー的サウンドが盛り上がりを見せていたこともあり、そういった文脈における先駆者として注目される向きもあったが、私はむしろ、それだけでは捉えることのできない魅力に強く惹かれたのだった。
 
 ついに。いよいよ。ここに新作『headlights』が届けられることになった。前作からなんと18年ぶりのリリースだ。そしてこれは、私が初めてリアル・タイムに触れるSugar Plantの新作アルバムである。

 M1“Days”は、オガワシンイチによる流麗なギターのアルペジオのあと、ショウヤマチナツの抑制されたヴォーカルが表れた瞬間、Sugar Plantならではメロウネスが新録で届けられることの歓びが湧き上がってくる。リズムは、チナツがこの間活動をしてきたソロユニット、cinnabomに通じるブラジル音楽風味を湛え、メロディは、キング・クリムゾンのチルな一面を代表する名曲“I Talk to the Wind”を思わせもする。なんと素敵な幕開け。
 続くM2“headlights”は、バンドのルーツでもあるヨ・ラ・テンゴやギャラクシー500を思わせるフォーキー・サイケデリア世界。いまになって振り返ってみると、先述のように以前にチルウェイヴの文脈などでから再解釈された側面よりも、この曲に見られるようなスロウコア、サッドコアと共振する「歌心」こそがやはりバンドの魅力の本質に近いのだろうという気がしてくる。
M3“north marine drive”は言わずと知れたベン・ワットによる名曲のカヴァー。オリジナル版よりテンポを落とし、原曲にあった清涼感はそのままに、Sugar Plantならではの妙味として、US東海岸サイケデイア由来のグルーミーな味わいが加えられている。
  M4“I pray for you”では、グッドメロディとディープ・ハウス的音像の融合が甘いサイケデリアを浮かび上がらせるという、かねてより彼らが丁寧に紡いできた世界が、最新の音響意識を纏い、最良の形で提示される。このあたり、本作のエンジニアリングを手掛けた田中章義の手腕とバンドの美意識の理想的な配合と言えるだろう。
 M5“dragon”は、透明なギター・サウンドが互いに絡み合いながら静かなうねりを作っていき、ピアノやシンセサイザーの響きも麗しく、もしもグレイトフル・デッドが2000年代にデビューしていたならこんな音楽を奏でたのかもしれない、などというロマンチックな妄想を掻き立てる。
 M6“I can’t live alone”は先の“north marine drive”にも通じるようなブラジル音楽を経由したネオアコ的世界を思わせるが、むしろここ数年来で興隆した、かつてのAOR~シティ・ポップをインディ・ミュージック視点から再構築するとう潮流に置いてみることでこそ、その魅力が際立つものかもしれない。そういった文脈でも、Sugar Plantの先駆的な音楽性は理解されてしかるべきかもしれない。
 M7“sea we swim”では、ネオアコからさらに遡り、ソフィスティケイテッドなポップスの源流としてのソフト・ロックを、Sugar Plant流儀で今様に再提示してみせる、極めて洗練された小品。
 M8“a son bird”はステディな8ビートが小気味よく曲を駆動する中、甘美なメロディがそよぐ風のように降りそそぎ、徐々に重ねられていく音のレイヤーと、まめまめしく奏でられるギター・ソロが、静かな熱狂へと導いていく。

 これまで聴いてきたように、今作『headlight』は18年ぶりのアルバムでいながら、まったくインターバルを感じさせない内容となっている。音楽的練度・完成度の点で優れているということは勿論だが、それ以上に、この間も彼らは自分たちの愛する音楽を、ただそのままに愛し続けてきたのだろうという、膨よかな安心感が聴くものの胸を温める。
 「幻のバンド」と思われようとも、また後年にそれまでの作品が様々な文脈で解釈・再評価され折々で「早すぎたバンド」と評されようとも、彼ら自身は、ただ興味のままに音楽を聴き、愛し、演奏し続けてきただけなのかもしれない。18年という時間は長いようだけれど、その間にもそれぞれが音楽に触れ続けていたからこそ、このように衒いのない豊かさに溢れた作品を作ることができたのだろう。
 Sugar Plantは時代の先を行っていたというより、時代がSugar Plantの音楽に憧れてつづけてきたということなのかもしれない。自らも音楽を飄然と慈しむなかで紡がれた、彼らの豊かな音楽に。

To Rococo Rot - ele-king

 うーむ、やっぱりエレクトロニカの波、来ていますね。ステファン・シュナイダー、ロナルド&ロベルトのリポック兄弟から成るベルリンのポストロック・バンド=トゥ・ロココ・ロット、そのサード・アルバム『The Amateur View』がリイシューされます。じつにメロウかつ緻密な音響の名作ですので、未聴の方はこの機会にぜひ(可能な限りボーナストラックが詰め込まれているとのことなので、すでに持っている方も要チェックです)。
 ちなみにリリース元のPヴァインは「The Electronica Circuit」と題して、ほかにも往年のエレクトロニカ/IDMの名作をリイシュー中。先月はサヴァス&サヴァラスの00年作『Folk Songs For Trains, Trees And Honey』が、同時期のEP「The Rolls And Waves EP」を併録して再発売されています。「The Electronica Circuit」の詳細はこちらから。

90年代末ドイツ~ベルリンからシカゴへの回答! 先鋭的エレクトロニクス集団「トゥ・ロココ・ロット」が99年に発表した『The Amateur View』が可能な限りのボーナストラックを収録した日本独自仕様で再発!

タイトル:The Amateur View / ジ・アマチュア・ヴュー
アーティスト:TO ROCOCO ROT / トゥ・ロココ・ロット
【CD】発売日:2018.6.6
定価:¥2,200+税
PCD-22409 / 4995879-22409-0

ヌジャベス、ビョークらの元ネタとしても有名な名曲ジジ・マシン“Clouds”をいち早く楽曲に取り入れたそのメロウなサウンドは、硬質なスタイルであった「エレクトロニカ」に色彩を与えた珠玉の名盤!

1990年代中頃からドイツ・ベルリンを中心に活動するポストロック~エレクトロニカ集団「トゥ・ロココ・ロット」。ベース/ドラム/エレクトロニクスという編成でミニマルかつフラットな基本スタイルでしたが、3作目となる本作『The Amateur View』(1999/City Slang)はミニマルでありながら随所に起伏に富んだシーケンスを取り入れたメロウなサウンドで“エレクトロニカ”を幅広いジャンルのリスナーに知らしめた重要作品! 中でもM-10“Die Dinge Des Lebens”のネタはビョーク“It's In Our Hands”(2001~02年)やヌジャベス“Latitude”(2002年)の元ネタとしても知られる名曲ジジ・マシン“Clouds”からのもので、それを最初に世に知らしめた彼らの傑出したセンスが感じられる代表曲! さらに本作には同年発売のシングル「Telema」「Cars」からアルバム未収録の5曲、そして2012年に〈City Slang〉よりリイシューされた盤に収録されていた4曲、トータル9曲を追加収録した2018年日本盤独自仕様!

【収録曲】
01. I Am In The World With You
02. Telema
03. Prado
04. A Little Asphalt Here And There featuring i-sound
05. This Sandy Piece featuring d
06. Tomorrow
07. Greenwich
08. Cars
09. She Loves Animals
10. Die Dinge Des Lebens
11. Das Blau Und Der Morgen
12. Cars (Sunroof Remix By Daniel Miller & Gareth Jones) *
13. Mirror *
14. Milker *
15. Meteor *
16. Telema (Längs) *
17. Even *
18. Cars (Variant) *
19. Rocket Fuel *
20. Casper *
* Bonus Tracks for Japanese edition

p-vine.jp/music/pcd-22409

Janelle Monáe - ele-king

ピンクはわたしのお気に入りの一部 “Pynk”

 イケピンク問題である。『女の子は本当にピンクが好きなのか』を読んだ方には説明不要だろう。ピンクがある種の女性性を象徴する色だとして、それがお仕着せのものであればダサピンクであり、主体的に選び取られたものであればイケピンクとなる。ウィミンズ・マーチのピンク・ニットに代表されるように、女性のエンパワーメントを訴える政治的な色でもある。ジャネール・モネイはピンク色のヴァギナを模したパンツを履いて、ファニーなダンスを仲間の女たちと披露する。ヴァギナの形はひとそれぞれで、ヴァギナを持たない女性もいる。だが彼女たちは同じダンスができる。セクシーなフレーズやイメージを挑発的に繰り返す“Pynk”のミュージック・ヴィデオはまず、21世紀におけるフェミニズムとクィア・カルチャーのもっともポップな成果であり、そして、2018年最高のイケピンクである。

 要は中指の立て方の問題なのだと思う。ヴィデオでは例によって女たちのファックが突きつけられるのだが、その指は色とりどりのマニキュアが塗られている。怒りはある……が、それはカラフルで愉しいものであっていい。#MeTooは女性が自分の性を自分で決めるという宣言であって、必ずしも男を怯ませるものではないはずだ。ウィミンズ・マーチに男がピンク・ニットをかぶって参加したっていい。そして『ダーティ・コンピューター』は、ロマンスが困難な時代になったという反動主義者の早急な結論をからかうように、フェミニズム全盛の現代におけるセックスとエロスを祝福する。その真ん中で踊るのは女たちとセクシュアル・マイノリティだ。USガールズのアルバムにも感じたことだが、いま、怒りを担保したままどのような開かれ方がフェミニズムに可能であるかが模索されている。ビヨンセがコーチェラで女の強さを爆発させたならば、ジャネールはここで女として生きる楽しさを謳う。そしてそれは、「お気に入り」だが彼女たちにとってあくまで「一部」でもある。ジェンダー・ポリティクスはある、が、ジェンダーに囚われなくてもいい。

 “Pynk”はまた、音楽的にもジャネールの最新のモードを象徴してもいるだろう。グライムスをフィーチャーしたそのエレクトロ・ポップ調のシングルは、彼女の出自を説明するときに必ず言及された「アウトキャストがフックアップし……」という地点からはかなり離れている。 一貫してタッグを組んできたワンダランドのクルーはもちろん関わっているが、プリンスのファンクを2018年ヴァージョンに仕立てたシングル“Make Me Feel”のように彼らがいない曲もある。ブライアン・ウィルソンがフィーチャーされ、かつて西海岸が見た夢が再現されるかのようなコーラスを聴かせるオープニング“Dirty Computer”をはじめとして、ファースト・アルバムのようなブラック・ミュージックの濃厚さではない軽やかなポップス・コレクションとなっている。 もちろんジャネールはいつでもエクレクティックだったが、本作では使っている色のパレットが原色からパステルカラーに近づいたと言えばいいだろうか。ジョージ・クリントンよりはナイル・ロジャースというか。 ファレル・ウィリアムズが参加したダンスホール調の“I Got The Juice”にしろ、メロウ・ソウルの“Don't Judge Me”にしろ、あるいはフォーキーなサイケデリック・ソウル“So Afraid”にしろ、パワフルさと目まぐるしい展開で押し切っていた初期に比べるとずいぶん洗練された味わいとなっている。そのなかで一貫して感じられるのはやはりプリンスで、それは自分が彼の正当な後継者であると宣誓することであると同時に、20世紀のプリンスの功績を21世紀のクィア・カルチャーの視座からあらためて讃えるということであるだろう。

 『ムーンライト』がアカデミー作品賞を受賞したときに違和感があったのは、作品を評価していないからではなくてむしろ逆で、古い体質のエスタブリッシュメントたるアカデミーには純粋な作品の価値が伝わっていないのではないかと思ったからだ。貧しいブラック・コミュニティにおける同性愛を描いた映画を権威が引き上げるとき、ポリティカル・コレクトネス以外に何があるのか、と。だが、僕は間違っていた。もはやポップの基準は更新され、時代がマイノリティの新しい生き方を本当に感じようとしている。『ムーンライト』で優しく少年に語りかけていたジャネールは、『ダーティ・コンピューター』で現代のポップスターのど真ん中を引き受けながら「マザファッキン・プッシー・ライオット」を始めるのだと言う。街をピンクに染めるのだと。ドリーミーなエレクトロ・ポップ“Crazy, Classic Life”では「わたしはアメリカン・ドリームの象徴」とまで宣言し、それと呼応する“Americans”では「わたしはアメリカン」だと繰り返しながら手を叩き、得意のパーティ・ファンクで締める。
 優等生だと言う意見も理解できる。だが、たとえばバイセクシュアルを公言しているフランク・オーシャンが差別反対のTシャツをステージで着ながら同性愛の官能を歌うように、パンセクシュアルだとカミングアウトしたジャネールがカラフルなポップスを衣装としてエロティックな欲望を掲げるとき、そこにはポジティヴなエネルギーしかない。ジャネールを聴く若い女の子たちがそのパワーを受け取ってくれたら……というのは僕の身勝手な願望だ。だが本当にそう思う。彼女たちの「お気に入りの一部」がポップの未来を変えていくだろう。僕たちもそこに混ぜてもらおう。簡単だ……「We got the pynk」と叫ぶだけでいい。

DON LETTS Punky Reggae Party 2018!!! - ele-king

 UKパンクにおいて革命的なことのひとつに、白人と黒人が人種の壁を越えて交わったということがある。それ以前のUKロックの表舞台には、アフロ・ディアスポラの姿はまだいまほど目立っていない。UKパンクは人種の壁を乗り越えて、積極的にジャマイカ移民の文化にアプローチした。その現場における司祭(DJ)がドン・レッツだった。レッツはまた初期UKパンクの生き証人/ドキュメンタリー映像作家でもある。今回の来日は、東京・岡山・福岡でDJもあり、東京ではトークもあり、UKパンク好き必見の超貴重な映画上映もあり、DOMMUNEの中継もあり(声で宇川直宏も出演、編集部・野田もしゃしゃり出ます)……パンクとレゲエが好きな人はこの機会を逃さないで!

 UKで起きたパンク・ムーヴメントの拠点となる“ROXY CLUB”でDJをしていたドン・レッツはパンクとレゲエを繋いだ張本人であり、THE CLASHのMICK JONESとの伝説的グループ、BIG AUDIO DYNAMITEでの活動も知られる。そして現在はBBC RADIO 6でレギュラー番組を持ち、広く音楽シーンに貢献している。また映画監督として'79年に初のパンク・ドキュメンタリー映画『PUNK ROCK MOVIE』を制作、2003年にはTHE CLASHのドキュメンタリー『WESTWAY TO THE WORLD』でグラミー賞を受賞、その後も数々の音楽ドキュメンタリーや映画『ONE LOVE』を制作している。ドン・レッツのクリエイティヴな才能は現在の音楽シーンに多大な影響を及ぼしてきたと言っても過言ではない。

 今回東京@VISIONでは人種、ジャンル、国境を超越する新パーティー“P.M.A”(POSITIVE MENTAL ATTITUDE)でA$AP J.Scott、COJIE (Mighty Crown)、再始動したSTRUGGLE FOR PRIDEからDJ HOLIDAYらと競演する。福岡公演では九州のサウンド・システムの重鎮、RED I SOUND が主宰、そして岡山の音楽シーンを引率するYEBISU YA PROで初プレイ!

 さらに今まで日本で実現しなかったDON LETTSのトーク・セッションがDOMMUNEのスペシャル・プログラムとして2夜に渡って開催される。
 6月14日のPart.1はロンドンに生まれた2世ジャマイカンであるドン・レッツの背景と音楽活動にフォーカスし、ライター/編集者の野田努が音源やMVを交えつつ話を聞く。
 そして6月17日のPart.2はドン・レッツのフィルム・メーカーとしての活動に焦点を当て、UKサブカルチャーをサポートし続けるオーセンティックなファッションブランド「FRED PERRY」旗艦店からのスペシャル・プログラムとなり、1970年代のパンクとレゲエ・シーンの現場を撮りためた生々しい映像を編集した『DON LETTS TWO SEVEN CLASH』や数々の作品を上映しながらトーク・セッションを展開する。インタヴュアーは野田努、そしてゲストとしてロック・バンドOKAMOTO’SのドラマーでDJやエキシビションを主宰する等、独自の感性で幅広く活躍するオカモトレイジがトークに参加する。
 アティチュードとしてのパンクを実践し続ける“反逆のドレッド"、DON LETTSの熱いプレイ、貴重な肉声を聞き逃すな!


DON LETTS
Punky Reggae Party 2018

6.14 (THU) 東京 : “DON LETTS TALK SESSION Part.1” @DOMMUNE
info>>> dommune.com

6.15 (FRI) 東京 : “P.M.A” @VISION
info>>> https://vision-tokyo.com

6.16 (SAT) 岡山 : @YEBISU YA PRO
info>>> https://yebisuyapro.jp

6.17 (SUN) 東京 : “DON LETTS TALK SESSION Part.2” DON LETTS x DOMMUNE x FRED PERRY @FRED PERRY SHOP TOKYO
info>>> https://www.fredperry.jp/news/2018/06/don_letts_dommune.php dommune.com

6.23 (SAT) 福岡 : @KIETH FLACK
info>>> https://www.kiethflack.net

Total info>>> https://twitter.com/dbs_tokyo


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【東京】
日時:6/15日(FRI) OPEN 22:00
会場:VISION
料金:ADV \3,000 / DOOR \3,500
○e+
https://goo.gl/YfHMrL
○iFLYER
https://iflyer.tv/ja/event/302904/

タイトル:P.M.A

■A$AP J.Scott、DON LETTSを招聘し、新しい音楽と伝統ある音楽をMIXするNEW PARTY始動!

 P.M.A(POSITIVE MENTAL ATTITUDE)をPARTYタイトルに70年代まだ音楽のカテゴライズがされていない中、BAD BRAINSが当時掲げたP.M.A(POSITIVE MENTAL ATTITUDE)をタイトルに人種、ジャンル、国境を超越するPARTY。
 ロサンゼルスからA$AP MOBに属しA$APのDJとしてすでに来日の経験もあるA$AP J.ScottとイギリスからはPUNKからREGGAEから音楽を超越するDON LETTSが来日。
 GAIAでは日本をこれから牽引するであろう若手DJ陣、FUJI TRILL、DJ CHARI、大阪よりYUSKAYを中心に盛り上げる。
 またDEEP SPACEでは説明不要の日本のDUBセレクター、COJIE (Mighty Crown)、そしていま新たに再始動したSTRUGGLE FOR PRIDEからDJ HOLIDAYと今まで混ざらないとされていた音楽性をMIXする今後のTOKYOの新しいスタイルを象徴するNEW PARTY始動!

出演:
//GAIA//
GUEST DJ
A$AP J.Scott
FUJI TRILL / DJ CHARI / YUSKAY / YUA
and more

//DEEP//
DON LETTS
COJIE (Mighty Crown) / DJ HOLIDAY(STRUGGLE FOR PRIDE) / Orion / Hatchuck

//WHITE//
"TOKYO VITAMIN"
Vick Okada / PocketfullofRy / QUEEN FINESSE / SMiiiLES / PIPE BOYS

//D-LOUNGE//
RiKiYA (YouthQuake) / 1-Sail (YouthQuake) / Tsukasa (YouthQuake) / brian / Soushi / Taro / RyotaIshii

info>>> https://vision-tokyo.com

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【岡山】
日時:6/16(SAT) OPEN 23:00
会場:YEBISU YA PRO
料金:ADV 3,000yen / DOOR 4,000yen (ドリンク代別途要)
         ローソンチケット(Lコード:62120)   チケットぴあ(Pコード:116-940)
出演:  
DON LETTS
SOUL FINGER / FUNKY大統領 / TETSUO / MARTIN-I / AYAKA / マイルス

お問い合せ:YEBISU YA PRO…086-222-1015
info>>> https://yebisuyapro.jp

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【福岡】
日時:6/23(SAT) OPEN 22:00
会場:KIETH FLACK
料金:2500YEN (1DRINK ORDER)
タイトル:RED I SOUND presents
DON LETTS JAPAN TPOUR 2018 in FUKUOKA
出演:
DON LETTS
DON YOSHIZUMI / CHACKIE MITTOO(the KULTURE KURUB) / SHOWY(STEP LIGHTLY)
KAZUO(ABOUT MUSIC) / BOLY(ONE STEP BEYOND) / ATAKA(REDi) / MATSUO(REDi)

info>>> https://www.kiethflack.net

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DOMMUNE スペシャル・プログラム決定!!!

 音楽・映像作家のドン・レッツがUKサブカルチャーの歴史を実体験と共に語る! リビングレジェンド、ドン・レッツの貴重なトーク・セッション。
 音楽編は6月14日はDOMMUNEスタジオから、そして6月17日の映像編では日本未公開のDON LETTS自身が撮りためた70年代のUK レゲエ、パンクシーンの貴重な映像、“DON LETTS TWO SEVEN CLASH”を東京から世界のサブカルチャーを発信しているDOMMUNEがFRED PERRY旗艦店からコラボ発信する!

【DON LETTS TALK SESSION Part.1】
日時:6/14(THU) 19:00~21:00
会場:DOMMUNE
出演:Don Letts 、野田 努 (ele-king)
info>>> dommune.com

【DON LETTS TALK SESSION Part.2】
DON LETTS x DOMMUNE x FRED PERRY
日時:6/17(SUN) 19:00~21:00
会場:フレッドペリーショップ東京 東京都渋谷区神宮前5-9-6
出演:Don Letts 、野田 努 (ele-king)、オカモトレイジ (OKAMOTO’S)、通訳:原口 美穂

入場無料

ストリーミング:https://www.dommune.com/ ※6月17日(日)19:00 配信開始予定
info>>> https://www.fredperry.jp/news/2018/06/don_letts_dommune.php dommune.com


※“DON LETTS TWO SEVEN CLASH”ー

DON LETTS自身が撮りためた70年代のUK レゲエ、パンクシーンの貴重な映像。(日本未公開)

人種問題がはびこる当時のUKノッティング ヒル・カーニヴァルの緊張感ある映像やBOB MARLEY、LKJやBIG YOUTHからSEX PISTOLS、THE CLASH、ROXY CLUBの生々しい映像等、お宝シーンが満載!

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☆DON LETTS
(DUB CARTEL SOUND STSTEM, LONDON)

 ジャマイカ移民の二世としてロンドンに生まれる。'76-77年にロンドン・パンクの拠点となった〈ROXY CLUB〉でDJを務め、集まるパンクスを相手にレゲエをかけていたことから脚光を浴び、パンクとレゲエを繋げたキーパーソンの一人。同時にリアルタイムで当時の映像を撮り、'79年に初のパンク・ドキュメンタリー映画『PUNK ROCK MOVIE』を制作。またブラック・パンクの先駆バンドBASEMENT 5の結成に携わり、THE SLITSのマネージャーもつとめる。'80年代半ばにはTHE CLASHを脱退したMICK JONESのBIG AUDIO DYNAMITEで活動、さらにBADを脱退後の'80年代末にはSCREAMING TARGET(※BIG YOUTHのアルバムより命名)を結成し、“Who Killed King Tuby?"等をヒットさせる。音楽活動と平行して、多くの音楽ヴィデオやBOB MARLEY、GIL SCOTT-HERON、SUN RA、GEORGE CLINTON等のドキュメンタリー・フィルムを制作、’03年にTHE CLASHのドキュメンタリー『WESTWAY TO THE WORLD』でグラミー賞を受賞する。そして'05年にはパンクの核心に迫った『PUNK:ATTITUDE』を制作。DUB CARTEL SOUND SYSTEMとしてスタジオワーク/DJを続け、SCIENTISTの"Step It Up"、CARL DOUGLASの“Kung Fu Fighting"等のリミックスがある他、〈ROXY CLUB〉期のサウンドトラックとなる『DREAD MEETS PUNK ROCKERS UPTOWN』('01年/Heavenly)、名門TROJAN RECORDSの精髄をコンパイルした『DON LETTS PRESENTS THE MIGHTY TROJAN SOUND』('03年/Trojan)、'81-82年に彼が体験したNY、ブロンクスのヒップホップ・シーンを伝える『DREAD MEETS B-BOYS DOWNTOWN』('04年/Heavenly)の各コンパイルCDを発表している。'07年には自伝「CULTURE CLASH-DREAD MEETS PUNK ROCKERS」を出版。'08年にコンパイル・アルバム『Don Letts Presents Dread Meets Greensleeves: a West Side Revolution』がリリース。'10年にメタモルフォーゼ、'11年にはB.A.Dの再結成でオリジナルメンバーとしてフジロックフェスティバルに出演。'15年7月、井出靖氏が主宰するレーベル、Grand Gallery10周年を記念し、日本人アーティストをメインにセレクトしたMIX CD『Don Letts Presents DREAD MEETS YASUSHI IDE:IN THE LAND OF THE RISING DUB』を発表、日本ダブ史のエッセンスを内外に明示する。
BBC RADIO 6 Musicにて毎週日曜日”Culture Clash Radio"を持つ。
https://www.donletts.com/
https://www.bbc.co.uk/6music/shows/don_letts/

Miki Yui - ele-king

 ドイツ・デュッセルドルフを拠点に活動する美術家/音楽家ミキ・ユイ、その待望の新作が、マンチェスターのエクスペリメンタル・レーベル〈Cuspeditions〉からでリリースされた。前作『Oscilla』から3年ぶりである。マスタリングは『Oscilla』から引き続きラシャド・ベッカーが手掛けた。
 彼女は故クラウス・ディンガーのパートナーであり、その遺作『JAPANDORF』の共同制作者でもあるのだが、多くの音響リスナーが知っているように、ミキ・ユイは『Small Sounds』(1999)、『Lupe Luep Peul Epul』(2003)、『Silence Resounding』(2005)、『Magina』(2010)、『Oscilla』(2015)などの音響作品を継続的にリリースし続けてきた音響作家である。

 2015年に自主レーベルからリリースされた前作『Oscilla』は、(リリース当時)5年ぶりのソロ・アルバムだったが、非常に印象深い音響作品に仕上がっていた。音が放つ空気の層が澄んでおり、聴くほどに空間と体に浸透するようなミニマルなサウンドが生成・構築されていたとでもいうべきか。電子音であるとか、フィールド・レコーディングであるとか、そんな技法的な形式に囚われず、ただ、「そのむこう」で鳴っている音/時間に満ちていたのである。
 この新作『Mills』も同様だ。本作もまたあらゆるドグマから自由な音楽/音響が、密やかに、清冽に、そして濃厚な時間の層のなかで生成している。まずは試聴して頂きたい。

 現在、テクノ〜音響派以降を経由した(主に西欧の)エクスペリメンタル・ミュージックは、ある種の現代的ロマン主義の弊害に陥っている。現代的ロマン主義とは、音それ自体から離れていく観念の肥大だ。観念をコンセプトと言い換えれば、コンセプチュアルなサウンド・アートもまたロマン主義の末裔ともいえる。いずれにせよ、音それ自体からは離れてしまう。
 Miki Yuiの音楽にはそれがない。音が音として具体的に手触りとして存在している。とくに前作から、その傾向がより強くなってきたように思える。それぞれの音が、それぞれの音として、ただ、存在し、鳴り、そして舞う。作曲者の意図が全編を覆いがちな(その結果、ロマン主義的な抽象性へと帰結してしまうような)現代の電子音楽であって、稀有な音楽/音響である。

 新作『Mills』でも、それはまったく変わっていない。音はまろやかに、同時に音の輪郭線と構造は明確だ。そのうえ風に揺れる木の葉のようにしなやかである。そう、音が、「そこ」にある感覚とでもいうべきか。
 本作にコメントを寄せたスラップ・ハッピーのアンソニー・ムーアは「このアルバムは私に あたかも演劇作品を見ているかのような錯覚をあたえる。それぞれの音は独立していて、独自の役柄が巧妙なドラマツルギーにそって物語をつくりあげてゆく」と評しているが、「ドラマツルギー」と語っている点が重要に思える。音と音、その存在同志が奏でる饗宴。

 アルバムには全5曲が収録されているが、どの曲も電子音と、環境音と、微かなノイズによる落ち着いた音色/トーンのミニマル・ミュージックに仕上がっている。聴き込んでいくと分かるが、そのミニリズムは、あるとき必然のように不意に逸脱する。その逸脱の瞬間と持続がとてもスリリングなのである。
 穏やかなミニマリズムが微かなグリッチ音の介入によって僅かなズレと逸脱を生む“dial sun”、遠い夜の世界に響くような打撃音とざわめきのようなノイズが交錯する“granit”と“salute”、生成と消失を反復し空虚の中の清冽さを鳴らすミニマル/ドローンの“mica”、12分に及ぶ長尺のなか(本作の重要曲のはず)、さまざまな音と音が微かに触れ合うように蠢き、変化を遂げる“solareo”、冒頭の“dial sun”と対を成すような“dial moon”の何かを叩くような乾いた音と電子音の反復。
 これら全5曲を聴き終えたとき記憶と耳に残るものは、鉄を軽く叩くような乾いた音であった。柔らかな夢のような持続音、密やかなノイズ、環境音のミニマルな断片、それらのサウンド・エレメントが「音楽」として丁寧に織り上げられていることへの静かな驚き……。それは人が持っている原初の音の記憶のようだ。

 音に触れて、音のなかに潜むもうひとつ音を鳴らすこと。その存在を許容するように生成すること。ここには観念より、より具体的な音の手触りがある。それは、どこか「夜の音」のようだ。「夜」という時空間において、見慣れた木々がまた別の存在感を放つように。
 本作は紛れもなくミキ・ユイの最高傑作である。だが、そんな大げさな形容に意味はない。ただ、音を聴くこと、その秘密を聴くこと。リスニングの魅力と贅沢がここにあるのだから。

interview with Oneohtrix Point Never - ele-king

E王
Oneohtrix Point Never
Age Of

Warp / ビート

IDMAvant Pop

Amazon Tower HMV iTunes

 ジェイムス・ブレイクがミキシング・エンジニアを担当していると発表されたOPNの新作はほかにもアノーニなどゲストの情報が先行しているけれど、そのような人たちの影響が明瞭に聴き取れるようなものでもなんでもなく、はっきりとOPNの新作としか言いようがない作品に仕上がっている。そういったゲストの存在にはまったくと言っていいほど左右されていない。過去の作品と比べたときに手癖のようなものがあることは感じられる。しかし、昨年のレコード・ストアー・デイにリリースした2枚の『コミッションズ(Commissions)』もまたそうであったように、さらりとそれまでとは違うことをやってのけるのがダニエル・ロパティンなのである。いや、さらりとではなかった。そこにはいつもそれなりの苦闘があったことは今回のインタヴューでも確認することができた。どういうわけか彼はそういうことは正直に話してくれる。そこはいつもと変わらない。
 『リターナル』『アール・プラス・セヴン』『ガーデン・オブ・ディリート』、そして、『エイジ・オブ』と、これが4回目のインタヴューである。こんなに何度も同じ人にインタヴューしたのは忌野清志郎以来である。最初はもういい加減、訊くことはないんじゃないかと思ったりもしたのだけれど、ダニエル・ロパティンが加速度をつけて変化しているせいか、今回がいままでいちばん面白いインタヴューになった気までしている。むしろ、彼の考えていることや一貫してこだわっていることがようやくわかってきたような気もするし、取材が終わってから、訊きたいことがもっと出てきたりもした。どこに向かって疾走しているのかはさっぱりわからないものの、それがこれまでに見たことのないどこかであることだけは確かだと言える『エイジ・オブ』について、彼の話はあまりにも多岐にわたり、量も膨大になってしまったので、新作について外側から見た部分をここに、そして内側から見たパートは次号の紙エレキング(22号)で公開することにした。通訳の坂本麻里子さんとは、なんというか、何度もタッグを組んできたせいで、じつはもうどこからがどっちで、どこからが誰なのかわからないほど一体化して取材に当たっているという感じなのですが、詳細な注のほとんどは彼女の手によるものです。(三田格)

パーソナルな表現とは逆に、「ここでは演奏する人間が排除されている」という感覚だね。で、そのフィーリングもどういうわけか、僕にはとても人間的なものに感じられるんだ。

音楽ファンは必ずしも「リラックスしない音楽」を聴くこともあると思いますけど、あなたの場合は「リラックスしない音楽」を聴くことがあるとしたらそれは何のためですか?

ダニエル・ロパティン(Daniel Lopatin、以下DL):(ニヤリと笑ってうなずきながら)なるほど。だから……それぞれの「役目」を持つ音楽、そういうものがあってもいいだろうとは思うんだよ。機能を果たさなければならない音楽というか、聴いているうちに身体の速度が速くなって動いたりダンスしたくなる音楽だとか、寝つけないときにそれを補助して眠りに就かせてくれる音楽だとか。そういった機能的な音楽にはまったく問題がないし、実際のところ、この僕だってたぶん、音楽の持つ医薬的効果の恩恵をこうむっているんだろうしね。たとえば……スティーヴ・ローチなんかのレコードを聴きながら眠りに落ちる、だとか? けれども、僕にとってはそれは違う……だから、それは僕からすればもっとも冴えた音楽の使い方ではない、という。

ほう。

DL:僕にとって、音楽は映画に似たものなんだ。要するに、ほとんどもう鏡に身体が映るかのごとく、聴き手に自身を見せてくれるもの……そのストーリーが観る人間の精神を映し出す鏡になっている、みたいな。で、音楽のもたらす効果にはどこかしら、ほとんどもう彫刻に近い面があるんだよ。だから、音楽を聴いていると空間を思い出させられる、音楽が空間をクリエイトする、というか……そう、自分を取り囲んでいる環境を、自分の置かれた情況を思い起こさせてもらえる、と。(音楽を聴くことによって)いろんな物事を気にしたり関心を持つようになるし、そうした物事というのはさもなければその人間のマインドによって優先事項から外され、どこかにしまい込まれてしまうものなんだよ。で、マインドはこう語りかけてくるわけ、「何も心配しなくていい。とにかく労働せよ」と。「つべこべ言わずに労働し、子供をつくり、それが済んだらとっとと消えろ」とね。

(苦笑)。

DL:で、脳が求めているのって基本的にはそれでしょ?

(笑)ええ、まあ。

DL:だけど、そうじゃないんだ。僕たちはもっとそれ以上を受けるに値する、僕はそう思っているから。で、音楽というのはどういうわけか、その点を思い出させてくれるとんでもない「合図」であって……本当に生き生きとした状態になる、真の意味で生きている状態になることを思い出させてくれる、とにかく途方もないリマインダーなんだよな。

なるほど。

DL:で、他のみんなと同様に、その点は僕だってとっくに承知していてね。そりゃそうだよ、だって、やっぱりきついからさ。毎日毎日、こう……一切の悩みやしがらみから完全に解放された状態で、常時あの、「アウェアネス(気づき、知覚)」な状態で生きる、みたいな? そんなの不可能だから。それをやるには、何か補助してくれるものが必要だよ。だから若い頃は僕もサイケデリックなドラッグとかに向かったしね、その手の経験を得たいと思って。と同時に、その(ドラッグによる幻覚)体験もまた、興味深い形で音楽と組み合わさっていたんだけれども。ところが、歳を食うにつれて、自分でも悟ってきたんだよね……だから、「ほぼ音楽なしでも自分にはそういう経験ができるんだ」と。正直、すごく集中すれば、自分は音楽なしでそれをやれると思ってる。というのも、音楽はそれ以上にもっとエキサイティングだし……どうしてかと言えば、音楽というのはじつに具体的で特定な類いのアウェアネスだから、なんだよね。それは他の誰かさんがつくり出した構造だ、と。そんなわけで……うん、そうやって、他の誰かの知覚に基づいた文脈で自分を満たしてみるのは、興味深いことなんだよ。

ふーん、面白いですね。他人のヴィジョンにすっかり自分を委ねる、とでもいうか?

DL:ああ……。

自分とは違う人間の解釈や構造のなかに自らを解放する、というふうに聞こえますが。

DL:そう! だから、ひとつの関係を結ぶってことなんだよ。それにまた、他にもあり得るのは……

ってことは、それだけその音楽を信頼していないといけないってことでもありそうですよね? 自分自身を委ねるわけだから。

DL:それもあるし、また一方で、ある種アヤワスカ(※自分で調べよう!)みたいに、飲み込んではみたものの吐いてしまう、みたいなことだって起こり得るわけだよね、肉体そのものがそれを求めていなくて拒絶反応が出る、という。で……自分にはどうしても入っていけない、そういう音楽も存在するんだよ。いや、とにかく自分でも入り込もうとトライはするんだけど、そこに何らかの……「壁」めいたものを感じ取ってしまう音楽、という。それって興味深いよ。ってのも、誰だってそういうふうに、様々なアートに対して、それぞれに異なる「壁」を感じるものなんだろう、僕はそう思っているわけ。でも、こと音楽に関して言えば、自分に「壁」を感じさせるものってまず大抵の場合、そこに「あるなんらかの特定の目的を果たすために作られた」感覚を伴うもの、なんだよね。そういうのには退屈させられる。

なるほど。

DL:だから、それを聴いても感じるのは「あー、この音楽に対して聴き手の僕が何らかの行動を起こすように、そう、こっちをプログラムするべく何かつくっている人がどっかにいるんだな」というだけのことだし。で――僕はとにかく、音楽は開かれた、オープンなものであってほしい、みたいな。だから、たとえかなりしっかり構築されたものだとしても、オープンさを許す隙をそれがもたらすことはできるわけでさ。そうは言ったって、何も「すべての楽器は生で演奏されていなくてはいけない」とか……「誠意あるものでなければならない」といった意味ではないんだけどね。だって、不真面目なものだってオープンになり得るんだから。だけど、僕が好きなのは、とにかくここ(と、トントン胸を叩きながら)、ハートから生み出された感じがする、そういう音楽なんだ。そうである限り、音楽の構築の仕方はつくる人の勝手、いかようでも構わない、と。僕が感じるのはそういうことだね。


photo: Atiba Jefferson

レコーディング=記録物ですら、時間の経過につれて変化していく、変化し得るんだよ。たとえ、非常に慎重に保存されたものであっても。

どんな音楽も時代と結びついていると思いますか? それとも時代と結びつく音楽と結びつかない音楽があると思いますか?

DL:うん、時代と結びついていると思う。その点は僕もとても興味があるところで、というのも、「とあるテクノロジー」は「とある時代」に発生するものだ、その発想が好きだからなんだ。その事実が、(ある時代に)生まれてくる音楽にとっての枠組みをクリエイトするものだ、という点がね。たとえば、ハープシコード。あれだって、初期段階の音楽機械だったわけだよね? それ以外にもハーディ・ガーディとかいろいろあったけど、あれらはマシーンだったわけ。マシーンだからこそ、ある程度の自律性を実現できた、と。要するに、演奏する者とサウンドとの間の分離を生むことができた。で……その分離は、とても興味深いものでね。だろう? とても面白いよ。

なるほど。

DL:自分でも、なぜああいった「ミュージカル・マシーン」みたいなものに心惹かれるのか、そこはわからない。ただ、どういうわけか、あの手の機械に僕は強く興味をそそられる。だから……あの手の機械にある「冷たさ」というのかな? 機械が作り出す、パフォーマーとの間の距離、ということ。それに、そこから生まれるサウンドもとても興味深いしね。で、僕たちが素晴らしいと称えるものって、多くの場合……さっき話していたような、「苛烈なまでにパーソナルな表現」みたいなものなわけ。僕たちはそういう表現が大好きだし、それはやっぱり、「すごい! これはまさしくこの人間そのものの表現だ!」と思えるからなんだよね。たとえば、ジャズの偉大な即興奏者を何人か思い浮かべればそれはわかるだろうし、彼らのやることを僕たちはとても高く評価している、と。たしかに、あれはとんでもなく素晴らしい表現だよ。ところが、それとはまたまったく別物の……フィーリングみたいなものを受け取ることもある、というのかな、(パーソナルな表現とは逆に)「ここでは演奏する人間が排除されている」という感覚だね。で、そのフィーリングもどういうわけか、僕にはとても人間的なものに感じられるんだ。

ほう、そうなんですか。

DL:うん。どうしてそう感じるかは自分でもわからないんだけどね。

特定の時代に引き留められていない音楽、いわゆる「タイムレスな音楽」というのは存在すると思いますか? いまから50年前も、これから先の10年後にも、人びとに同じく聴かれている音楽はあるでしょうか。それとも、やはり作られた時代の色味を音楽はある程度は帯びてしまうもの?

DL:僕が思うのは、何かがいったん「作られて」しまったら……それは変化するものだ、ということだね。それってとんでもないことだけどね。だから、たとえばレコーディング=記録物ですら……それってとても安定したパフォーマンスのアイディアであって、それこそ「物」なわけでしょ? だから、音楽(という形にならない/目に見えないもの)を物体化したもの、みたいな(苦笑)。そうやって音楽を物にしている、という。ところがそのレコーディングですら、時間の経過につれて変化していく、変化し得るんだよ。たとえ、非常に慎重に保存されたものであっても。

それはいわゆる、テープの劣化とか、そういうことですか?

DL:ああ、それで変化するってこともあるだろうね。ただ、考えてもごらんよ!――だから、テープ云々のせいで変化するんじゃなくて、それを聴く人びとによって変化が起こる、と想像してみてごらん。その音楽にまつわる文脈が一切存在しない時期に、人びとがそれを聴くだとか……あるいは長い歳月が経過して、それこそ何千年も経った後では、人びとにその音楽は伝わらないかもしれないよね、僕たちにもはや楔形文字や象形文字が理解できないのと同じように。で、過去を理解する能力が自分たちには欠けている、その事実からは多くを学べると思うんだよ。というのも、そこから僕たちの本質へと導かれるわけだから。

はあ。

DL:だから、物事は保存されないんだ、と。で、音楽にだってそれは同様に当てはまると僕は思っていて。音楽はクリエイトされるし、その音楽が存在した時代に対して何らかのコメントを発している、と。けれども、そのアイディア自体、増強されていかなくちゃならないんだよ。というのも、時間がつねにそれを削り取ってしまうから。時間というのは、だからこう、奇妙な金槌みたいなものなんだよな。

(笑)なるほど。

DL:ゆっくりと、本当に少しずつ、時間は物事の意味合いをノミで削っていってしまう。で、思うにこれはとても……僕たちの精神の機能の仕方のなかの、たぶん悲劇的な部分なんだろうね。だけど、それと同時にエキサイティングな部分でもあるんだよ。というのも、(変化するということは)物事は何かをクリエイトしていく……というか、物事は新たなフォルムへと成長・発展していく、ということだし、その形状なら僕たちにもコントロールできるからね。僕たちにもそれを抑制することができる、と。

(音楽や記録されたものも)有機物みたいなものだ、と。

DL:っていうか、それ以外に有り様がないよね。僕たちの存在そのものの枠組みがすっかり変わらない限り、そうある以外ないんじゃないかと思う。それはほとんどもう、この宇宙(ユニヴァース)の本質だ、という気すらするよ、僕にとっては。

ユニヴァース、ですか。……(苦笑)は、話が大きいっすね。

DL:(手をパンパン叩いてウケて笑っている)ああ、僕はスケールの大きい話は大好きだからね! 普遍的なストーリーが。

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マシュー・ハーバートにはぞっこんなんだ。っていうか、もう――自分がどれだけマシュー・ハーバートが好きか、君に説明しきれないくらいだよ、ぶっちゃけ。

『グッド・タイム』はいままでのどのアルバムよりもダイナミックで伸び伸びしてると感じました。逆にいうと普段はもっと神経症的に曲を作っているということですよね?

DL:(笑)ああ、そうだね。ハッハッハッハッハッ……!

リラックスできないタチで、もっと強迫観念めいたところがある、みたいな?

DL:うん、もちろん。ほら、見るからにそうでしょ?(と、ソファにだらーっと身を預けた完全なリラックマ状態で、わざと無表情な口調で冗談めかす)

(笑)。

DL:(真顔に戻って)まあ、自分にはちょっとノイローゼ的なところがあるんだろうね。でも……どうしてそうなったかは、自分でもわからないんだよ。ただ、僕は移民家族の一員として、ボストンで育てられたわけで……自分たちみたいな家族は周囲に他にあんまりいない、そういう土地で育った、と。だから、当時うちの家族が暮らしていたエリアでは、僕たちはちょっとストレンジな存在だったんだよ。で、僕の両親は金銭面でものすごく逼迫していたし、我が家は物に恵まれてはいなかった。で……だからこう、つねに「恐れ」の感覚がつきまとっていたんだよな。というのも、両親は故国を捨ててアメリカに渡ったし、彼らは見知らぬ国で新たな環境に順応し、しかも僕ら子供たちを養わなければならなかった。だから、彼らに「リラックスしてほっと一息」なんて余裕はまったくなかったんだ。というわけで――そりゃそう、そういった面が僕に影響を残すのは当然の話だよ! いや、だから……僕の生い立ち云々をいったん脇に置いてみようか。母親が僕をお腹に宿していたとき、両親はソ連から旅立とうとしていてね。

ああ、そうだったんですね。

DL:彼らはソ連を脱出しようとしていた。だから「ホリデーでアメリカに観光」なんてものじゃなかったし、実質、嘘をついてソ連から逃げ出さなくてはならなかったんだ(※かつてソビエト連邦は海外移住するユダヤ人に高額な出国税等を課していた。詳しくは、移民の自由を認めない共産圏国家に対する最恵国待遇の取り消しを含む米議院ジャクソン=バニク修正条項を参照されたし。同条項が効力を発した1975年以後、ユダヤ系ロシア人のアメリカおよびイスラエルへの移民が増えた)。当時は閉鎖状態で、ソビエトから出国するのは難しかったからね(※OPNは1982年生まれのはずなので、ブレジネフ時代)。だから……母親は相当にストレスを感じていたに違いないよ。で、そういう心理状態が(お腹の)赤ちゃんにまで影響したか? と言われたら、僕は「きっと影響しただろう」と、そう思っていて(笑)。

(笑)はい。

DL:というわけで、僕はそういうものを受け取ったんだし、おそらくそれって、今後もとにかく付き合っていくしかないんだろうな、と。

なるほど。そんなあなた自身は自分がアメリカン・ドリームを体現したと思いますか?

DL:まあ……僕の両親からすれば、僕のやってきたことってものすごい、クレイジーな話だ、みたいなものだろうね。というのも……自分たちのような家族、海外に渡ったロシア人ファミリーは僕たちもたくさん知っているけど、そうした移民ファミリーの目標はいつだって、「子供たちにより良い生活を」なんだよ。それって典型的な移民家族のゴールだ、と言っていいと思う。……っていうか、移民に限った話ですらないのかもしれないよね? もしかしたら、多くの家族のゴールがそれ、「子孫に良い生活を」なのかもしれない。ただまあ、移民にとっては、「わたしたち家族はこの地に移住する。我々(親)はそこで犠牲を払わないといけないのは承知している。けれどもそのぶんお前たち(息子/娘)は、もっと良い暮らしをするための機会を手にすることができる」みたいな。

はい。

DL:というわけで……まあ、たぶん少々ひやひやさせたところもあったんだろうけれども、いまのこの時点では、両親はこの僕がどうにか上手くやっていて、しかも自分のやりたいことをやれるようになった、その事実をとても喜んでくれていると思う。その点を彼らは誇りに感じているし……うん、その意味ではこれもまた、「アメリカン・ドリーム」のなんらかのヴァージョンなんだろうね、きっと。ただ、それはまた「アメリカの悪夢」でもあるわけでさ。

(苦笑)タハハッ!

DL:いやだから(笑)……まあ、少し前に、あるドキュメンタリー作品を観ていたんだよ。オレゴン州に存在したカルト集団、ラジニーシプーラムを追った内容なんだけど。

ああ、『Wild Wild Country』のことでしょうか?(※2018年3月にネットフリックスが発表したドキュメンタリー。インド人宗教家・神秘思想家バグワン・シュリ・ラジニーシこと「オショウ」と、彼が1981年にオレゴン州の荒れ地に建設した巨大なユートピア型コミューン/実験都市「ラジニーシプーラム」、バイオテロ事件などの同カルトにまつわるスキャンダルを扱った内容)

DL:そう、それ! あれは奇妙なドキュメンタリーで……作品としての出来そのものは、じつはそんなに良くはないけどね。というのも、作者の意図に沿って観る側の考え方を操るようなところが少しある作品だと僕は思うし。ただ……あそこで何が起こったか、それを観ていて(目を丸くする)――要するに、インドからやってきた新興宗教のリーダー、兼マーケティングのものすごい天才みたいな人物がいて、彼のもとに集まり彼に指導された、リッチな層のヨーロッパ人がいたわけ。で、彼は富裕層の欧州人はもちろん金のあるアメリカ人からも祝福されたし、そうやって彼らはオレゴンのなんにもない辺鄙な土地に結集した、と。そんなことが起こり得る国って、他にあったら教えてもらいたいもんだよ! あれはもう、完全なる……一種の気違いじみた妄想であって、それってアメリカでしか起こり得ないものだ、と。

なるほど。

DL:で、この僕だってアメリカからしか生まれ得ないわけ。ご覧の通り、僕はこんな奴だしね。だから……良いものだけではなく同時に悪いものも一蓮托生で手に入ってきてしまう、そういうことだってあるんだ、みたいな。僕だって、何も……もちろん、それって厄介で面倒だよ。だけど……アメリカは非常におかしな場所なんだ、と。そこではたくさんの出来事が起きているわけだけど、そのほとんどは、外部の人間の目には100%の狂気の沙汰と映るようなものばかり、と(笑)。

(苦笑)はい。

DL:で、それが世界全体にとっての利益になる、そういうことだってたまにはあるんだよ。ただし、多くの場合、実際は世界に害をもたらしている、と。僕がこの「アメリカン・ドリーム」というものに対して感じるのは、そういうことだね。

サウンドトラック・メイカーとしては、いまはどこらへんがあなたのライヴァルでしょうか?

DL:ああ、ライヴァルか! 良いね~!(満面の笑顔)

『ナチュラル・ウーマン』のマシュー・ハーバートか、『ファントム・スレッド』や『ビューティフル・デイ』のジョニー・グリーンウッドが当面はライヴァルかな、なんて思いますが。

DL:マシュー・ハーバート! 彼はめっちゃ好きなんだよなぁ! それってドイツ映画?

いや、チリ人監督作品だと思います。

DL:へえー、チリなんだ。いや、その作品はまだ観てないな。ただ、音楽は聴いたよ。だから……マシュー・ハーバートにはぞっこんなんだ。っていうか、もう――自分がどれだけマシュー・ハーバートが好きか、君に説明しきれないくらいだよ、ぶっちゃけ。

(熱心な口ぶりに気圧されて:笑)わ、わかりました。

DL:とにかく、彼の『ボディリー・ファンクション(Bodily Function)』(2001)、あれは僕のオールタイム・フェイヴァリットのひとつだ、みたいな。でまあ、その、ライヴァルってことだと……ところで、「ライヴァル」って良い言葉だよね? 楽しいし、それこそスポーツ選手の話をしてるみたいでさ(笑)。

はっはっはっはっはっ!

DL:だけど――そう言われて自分が想像してみたいのは、むしろある種のクレイジーな現実だな。で、その世界では僕のライヴァルはハンス・ジマーだ、みたいな。

(笑)ええ~っ、大きく出ましたね!

DL:(笑)うん。っていうのも、僕は本当に……ある意味、ちんまりしたスコアはやりたくないっていうのかな、そうではなくて、マジにスケールの大きいスコアをやってみたくてさ。

超SF大作、ファンタジー巨編、みたいな?

DL:うん、本当に、本当にドカーンとでかい作品をやってみたい。それが自分にとってのゴールだし、もしも他の人びとが僕にやれると信じてくれないとしたら――まあ、そりゃ僕にはなんにも言えないよね。(独り言のようにつぶやきながら)ただ、見てろよ、いつの日か僕はやってやるから、と。

お話を聞いていると、あなたってじつはかなり競争意識の強い人みたいですね?

DL:ああ、相当競争心が強いよ(ニヤッと笑う)。

(笑)ちょっと意外。

DL:(笑)いやまあ、それは別としても、ハンス・ジマーは優秀だよ。彼って、少しこう……誤解されてるんじゃないかと思う。ってのも、彼ってとても……いわゆる「コマーシャルな作曲家」なわけじゃない? でも、彼の作品には信じられないくらいすごい瞬間がいくつかあるんだって! たとえば、僕は彼の担当したスコア……あれはすごくデタラメな映画で……たしかジョン・ウー作品だったと思うけど、『ブロークン・アロー』(1996)ってのがあって(※ジョン・ウーのハリウッド2作目のアクション映画)。出演はジョン・トラヴォルタに、あの俳優……『ミスター・ロボット』に出てた人……あ~、名前はなんだっけ……

クリスチャン・スレイター?

DL:そう(笑)!……でまあ、『ブロークン・アロー』のスコアはじつにクールだ、と。しかも、実際『エイジ・オブ』にも少々影響しているんだよね。っていうのも、あのスコアには一種カントリー風なトゥワングがあるし、ややこう、「西部開拓期」なヴァイブがある、みたいな?

(笑)。

DL:あのスコアは本当に好きなんだ。ある種「コズミック・ウェスタン」とも言えるスコアだから。要するに、エンニオ・モリコーネ風なんだけど、そこに本当にコマーシャル性の高いクサさを伴っている、みたいな。大好きだね(ニンマリ笑う)。

photo: Atiba Jefferson

自分には速度を落とす必要があるんだな、と。ってのも、僕は本当にスピードが速いから。瞬時に変化するってのが好きだし……数秒間以上もうだうだと同じアイディアに留まっているのは苦手なんだよ。

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『エイジ・オブ』はこれまでになくポップな内容だと思います。これはでき上がったものが自然とそうなったのか、それとも意図していたことなんですか? 

DL:ああ、意図的だったね。というのも、自分の成長期の一部に……ベックの『オディレイ』(1996)が出たときのことを覚えているんだよ。あそこで「ワーオ! これは……何もかもが1枚のなかにひっくるめられているな」と感じた。ダスト・ブラザーズの折衷性、みたいな。だから、あのレコードの相当多くの面が、長いこと自分の頭の片隅にひそかに居座っていた、という。で、僕が自分自身のキャリアをさらに奥へ、もっと深くへ辿っていくにつれて、それこそ、もう後戻りするのは無理、みたいな地点にリーチするわけだよね。自分はもうこれ以外の何者にもなれない、「ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー」を続けるだけだ、と。ただ、僕は本当に、音楽全般に魅了され夢中になっているんだよ。それは別に「スタイルとしての音楽」ってことではなくて、なんというか、ある種の、自分自身のステージ(段階)としての音楽、という。だから、ということは、僕には――何も「これ」といった特定のタイプの音楽をやろうってことではないけど、だから、そう……自分の思うまま、自分は好きな夢を夢見ることができるんだ、みたいな? 思いつく限り、どんな楽器を弾いても構わない、と。そんなわけで、僕はジャンルの境界線を使って遊びたいんだ。そこでは、僕は歌に自らを譲ることになるし、そこで自分に歌を書かせるわけだけど……けれども、物事は変化するし、物事は変化したっていいものなんだよね。それに、ジャンルにしたって多かれ少なかれ柔軟にこねられる、それこそプラスティックみたいなシロモノなんだし。

なるほど。

DL:で、以前の自分というのは、すごく目まぐるしいことをやってたんじゃないか? と思っていて。(指を素早くパチン、パチン! とスナップさせながら)基本的に、ひとつの小節あるいは拍子から次へとものすごいスピードで移っていく、みたいな。ところが、いまの時点での僕はそういうやり方にあんまりハマってはいないんだ。それより自分にはゆっくりしたペースと思える、そっちに入れ込んでいる、というか。だからもっとゆったり緩い変容のペースというのか、(1小節刻みではなく)1曲ごとに変化していく、もしくはひとつの曲のなかで大きなセクションごとに変わっていく、と……っていうか、じつはそれですらないかもしれないな? このアルバムは「一群の歌が集まった」ものだし、あれらの曲群はそれぞれ異なる色をつけられているかもしれないけれど、やっぱりそれ自体でちゃんと「歌」になっている。だから、アイディアという意味では、あれらの歌はそんなに素早く急激に変化しないんだよ。

アノーニデイヴィッド・バーンをプロデュースしたことが影響しているのかな? とも感じましたが。

DL:100%そう。実際、自分がやっていたのはそれだったんだし(笑)――だって、過去2、3年くらい、僕はずっと働いていたんだし。とにかく仕事、仕事、と。そんなわけで、自分でもちょっと感じるんだよ、その意味では、こう……自分は街路に立ってスープを煮ているんだな、みたいな。

(笑)。

DL:いや、だからさ、そうやっていれば、他の人びとが何を欲しがっているのか学ぶわけだよ、そうじゃない?(プフッ! と噴き出し苦笑) だから、自分のためではなく、他の人たち向けにスープを料理する、という。そうすれば、「ああ、彼らはニンジンを入れると気に入るのか」などなどわかるっていう。

タマネギを入れたほうがいいかも、とか。

DL:(苦笑)そう、その通り! で……また逆にそこで教わったのが、人びとが求めていないものは何か? ってことでもあってさ(爆笑)! クハッハッハッハッハッ……

ああ、そうでしょうね(笑)。

DL:(笑)僕はフリーク、変わり者みたいなものだし、(指をパチッ・パチッと小気味良くスナップさせながら)自分には速度を落とす必要があるんだな、と。ってのも、僕は本当にスピードが速いから。瞬時に変化するってのが好きだし……数秒間以上もうだうだと同じアイディアに留まっているのは苦手なんだよ。けれども、こう、一緒に仕事した人たちを相手に、総合的な意見みたいなものを調査したところ(苦笑)、ヒッヒッヒッヒッ!……彼らに言われるんだよね、「うん、そこ、良い! そのパートを、ただ繰り返していってもらえる?」と(笑)。で、僕はもう(予想が外れてやや意外/ちょっと違うんだけどなぁ? という感じの、微妙で皮肉まじりな表情を浮かべながら)「なるほどねー、承知しました! うん、それは素晴らしい思いつきだ」みたいな(苦笑)。

(笑)。

DL:たぶん、僕には必要なんだろうな……だから、アノーニにデイヴィッド・バーン、そのどちらからも――それにトウィッグス(FKA Twigs)もそうだけど、彼らみたいな人たち全員から「ねえ、そこの箇所、それをとにかくちょっとループしてくれない?」と言ってこられたら、そりゃやっぱり、僕はたぶんそこをループさせるべきなんだろう、と。彼らは優れた人たち、自分たちが何をやっているかをちゃんと把握している人びとだからね……クフッフッフッ(思い出し笑いしている)。

あなたのやることは凝縮度が高すぎなのかもしれませんね。少々水で薄めないと口に合わない、みたいな。

DL:ああ、ほんのちょっとだけ、ね(笑)。でもさ、じつを言えば、そうやって希釈することは自分でも気に入っているんだ。それって何も「他人のニーズに合わせる」だけのことではなくて、ほんと、自分の音楽をああいう形で耳にすること、それってリフレッシュされる体験だなと我ながら感じる、そこは認めざるをえなくて。だから、とにかくその聞こえ方は……ここのところの自分の物事の考え方にマッチしている、そう思えるんだ。

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ほとんどもう、ポップ・ミュージックにとって当たり前な言語みたくなってきたもの、聴き手に心理的な作用を及ぼすあのやり方、それらの多くに対して僕は抵抗して闘ってきたんだけどね。

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『エイジ・オブ』は前作のハードなところが減って、全体に艶やかさのようなものを感じます。『ガーデン・オブ・ディリート』は劣悪な環境、密室恐怖症的な地下環境が作品に影響していると言ってましたが、今回はいい環境で録音できたということですか?

DL:うん、今回はガラス窓がたっぷりだったよ! それこそ、前庭にある木立を眺めつつ作業する、みたいな。

そうなんですか! それはずいぶん違いますね。

DL:ああ。この作品はとても奇妙な家でレコーディングしてね。

(前作時の)地下牢(ダンジョン)ではない、と。

DL:うん、地下牢はもう後にした(笑)。で、マサチューセッツ州にある私邸に行って。とても変わった家なんだ。ガラス製なんだけど、円形でね。四角くないんだ。で、なかにいると、あの建物がとても奇妙なフィーリングを醸し出してくるっていう。日中に作業している間はとてもリラックスできるんだよ。というのも、ハリネズミだの、いろんな動物が見られて……ハリネズミにコマツグミ、青ツグミにおかしないろんな鳥たち、リスだのが木立で過ごしている様子が見えたし、それに、近所の住人たちも見えたっけ(笑)。近所の隣人たちは興味深かったな。じつは、彼らがいちばん面白かったかも。それはともかく、その一方で、これが夜になると、ガラス張りの家で暗闇のなかにいるととても無防備に感じるんだよ。それって、とても奇妙でね。というのも、ああしたガラスでてきた家に暮らすのって、こう、一種の特権、贅沢だと考えられているわけ。ところが、僕からすればあの家での暮らしって悪夢のように思えて。というのも、いったん家のなかの照明が点くと、外の周囲は何も見えなくなってしまう。で、誰かに監視されてるんじゃないか、そんな気がしてくるんだ。たとえ実際は外に誰もいなくても、いつ何時、誰かが飛び出してくるんじゃないか? みたいな気がする、と(苦笑)。というわけで、あそこは日中は地下牢ではなかったけれども、夜になると悪霊っぽい性質を伴う場所だったね。うん、悪霊っぽいところがあった。

(笑)。それって、マイケル・マンの映画に出てきそうな家ですね。『刑事グラハム/凍りついた欲望』(1986)って覚えてます?

DL:うん、もちろん。

あれにも出てきますけど、マイケル・マン映画ってガラス張りで外から中やアクションが丸見えの住宅をよく使いますよね。カメラがその外にあって、それを追っていく、みたいな。

DL:とんでもないよねぇ。

でも、そういう環境で実際に暮らすのは、さっきもおっしゃっていたように、相当怖いでしょうね。自分は避けたいです。

DL:怖過ぎだよ。僕には怖過ぎ。

ドミニク・ファーナウ(プルーリエント)をヴォーカルに起用するというのはかなり突飛な気がしますが、これはあなたのアイディア?

DL:っていうか、考えてもごらんよ、彼の方から「お前の新作にぜひゲストで参加したいんだけど」って言われたら、ビビるよね(笑)。アッハッハッハッ……

(笑)たしかに。

DL:でもまあ、彼のヴォイスを使う、あれは僕のアイディアだったんだ。ってのも、僕にとっての彼というのは……だから、自分が自作レコードのコラボレーターに求めることって、彼らのとても強力で、風変わりな、パフォーマーとしての側面なんだよ。だから、彼らが何かやるのを聴くと、自分の全身が思わず総毛立つ、みたいな人たちだね。で、プルーリエントというのは、僕からすると……マソーナ(=山崎マゾ、マゾンナの英語読み)と同じところから出てきた人、みたいなもので。マソーナはもう、これまで出てきたノイズ・アーティストのなかでもほぼベストに近い、そういう人なんだけどさ。で、プルーリエントは、この国(アメリカ)のなかで自分にゲットできるそれにもっとも近い存在だ、と。彼、ドミニクはすごく仲の良い友人でね。長年にわたってとても多くを教わってきたし……っていうか、ドミニクがいなかったら、そもそもマソーナのことすら僕は知らなかっただろうね。でも、ドミニクにはまた、彼は詩人だ、という考え方もあるんだよ。だから、彼はただシャウトするだけの人ではなくて、彼の発する言葉、それ自体ももう、僕にはじつに強力なもので。たとえば、彼は……アルバムの“Warning”って曲で歌っているけど、そこで「♪ガラスの家で 最低最悪だ(in a glass house / it's disgusting)」って言っているんだよ。

あー、なるほど(と、ガラスの家での体験談を思い出す)、ハハハッ!

DL:で、「♪警告・警告・警告……!(warning!)」とえんえん繰り返す、という。ふたりでただ雑談していて、僕が夏に体験したことだとか、僕たちが潜っていたクソみたいなことのあれこれを彼と話していたんだけど、そこから彼が引っ張り出してきたのがあの歌詞だったんだ。で――彼に自分のレコードに参加してもらったのは、僕にはとてもスペシャルなことなんだ。というのも、彼は古くからの友人だし、僕からすれば彼はこれまで出てきたなかでももっとも才能にあふれたヴォーカリストのひとり……マイク・パットンやマソーナあたりと同じ系列にいる、そういうヴォーカリストなんだ。いや、もちろん「いろんなスタイルを幅広くこなす」っていう意味では、「すごくレンジが広い」とは言えないタイプの人だよ。ただ、彼が得意とすること、そこに関しては、彼はすごい、非凡だと僕は思ってる。

なるほど。では逆にあなたにとってポップ・ソングの作曲家ベスト3は誰ですか?

DL:おお~!……(と、やや「難問!」という表情。真剣に考え込んでいる)……………………ワーオ! その答えは、しっかり考えさせてもらわないといけないなぁ。

(あまりに悩んでいるので)じゃあ、これはいずれまたの質問、ということで。あなたはこれまでも、ポップ・ソングを書くことに興味を示してきましたけれど、アリアナ・グランデやジャスティン・ビーバーにも曲を書いてみたいですか?

DL:ああ、トライはしてみるよ。だから、新作に“The Station”って曲があるんだけど、あれはアッシャーのために書いた曲だったりするし。

ええっ!? マジですか。

DL:(笑)うん、ほんと! もともとアッシャー向けに書いた曲だったんだよ。だから……まあ、この場では、「最終的にアッシャーが歌うことにはならなかった」という程度に留めておこうか。

(笑)。

DL:ただまあ……はたしてアリアナ・グランデ向けの曲を自分に書けるか? そこは自分でもわからないけど――ただ、挑戦を受けて立つことに、自分は絶対にノーとは言わないね。でも、自分はいわゆる「名人」ソングライターのレヴェル、まだそこには達していないと思ってる。ってのも、あの手の(ビッグなポップ・スター向けの)歌っていうのは、決まった類いのピークや価値観、インパクトみたいなものの設計図を伴う作曲である必要があるし、そこには僕はまったく興味がないんだ。だから、そういった、ほとんどもう、ポップ・ミュージックにとって当たり前な言語みたくなってきたもの、聴き手に心理的な作用を及ぼすあのやり方、それらの多くに対して僕は抵抗して闘ってきたんだけどね。いやほんと、その手法に対する僕の姿勢はつねに「それは良くないって!」ってものだったし、「やっちゃいけないって……やっちゃダメだろ!」みたいな(苦笑)。

(笑)なるほど。

DL:(笑)あーあ、やれやれ……でも、聴くこと自体は自分でもエンジョイするけどね。あの手の音楽のいくつかは、ほんと、聴いて楽しめる。そうは言っても、それは「曲そのもの」を自分が気に入ったというより、むしろ「(歌い手、演奏者なりの)パフォーマンス」が好きだ、ってことなんだろうけど。その意味では、セリーナ・ゴメズのヴォーカルは大好きで。

(笑)そうなんですか!

DL:ああ、彼女の声はすごくクールだよ! あのヴォーカルにはどこかへんてこな、ストレンジなところがあるからね。それから……ザ・ウィーケンドも大好きだし。彼はすごくかっこいいと思う。そうは言っても、彼は(先ほど言ったようなポップ勢とは)違うんだけどね。ってのも、スタイルという意味で、彼は非常に「なんでもあり」でオープンだし、受けてきた影響もとても多彩で、とっちらかっててほんとクレイジー、みたいな。だから、彼はとても新鮮なポップ・スターの一種って感じがする……すごく最新型のマイケル・ジャクソン解釈のひとつ、というのかな。でもまあ、概して言えば、僕はそんなにポップ・ミュージック好きってわけじゃないね。

そんなアメリカのポップ・チャートにいちばん足りないものはなんだと思いますか?

DL:スクリーミング! プルーリエントのやってるような、スクリームが足りない。で、いま自分がこうして指摘したから、たぶんこれからスクリームが流行るだろうね。

僕たち人間が全滅した後にAIは世界にひとりぼっちで取り残されるわけだけど、それでもAIたちは地球近辺に集まってきて悲しんでいる、という。それこそ、お墓参りに行って個人を偲ぶようにね。

今作において、全体に低音を入れないのはなぜですか?

DL:サブ・ベース音はあの家には持ち込まなかったよ。あの、ガラス製の家にはね。それをやったら、ガラスが割れていただろうし!(笑)。

(笑)マジですか。

DL:あの家を内破したくはなかったし、それに「この住宅に被害を与えた」ってことで多額の罰金を払いたくもなかったから。

ガラスが割れたら危ない、と。

DL:そう。誰にもケガしてほしくなかったし、ガラスが割れて追加料金を請求されるのはご免だったし。

でも、そもそもなんでガラスの家なんかでレコーディングすることにしたんですか? 相当に奇妙なシチュエーションですよね(笑)?

DL:どうしてだったんだろう? マジに、自分でもわからない(苦笑)。っていうか、とにかく一時的にニューヨークから離れたかったんだ。でもまあ、あれ以外のどこか他の場所をレコーディング場所に選ぶことも、たぶん可能だったんだろうけど……あの家は『エイリアン』ぽっかったんだよ、エイリアンの卵みたいなんだ。だから見ているぶんには楽しくて……

ガラスのドーム型の建物、ということ?

DL:そうだね、ドームなんだけど、本体は白いコンクリートでできていて、それをガラスが囲っている、みたいな。とても奇妙な建物だよ。

それは、築は割と最近の新しい建物? それとも60、70年代頃の古い建物なんでしょうか。

DL:70年代に建てられたものだと思うよ。あの名称は「Earth」……なんとか(※いわゆる「アース・ホーム」のことと思われます)というものだったな。正式名称はとっさに思い出せないけど、うん、建築の発想としては、「自然に溶け合った家」というものだったんだ(笑)。周囲の丘陵の描く勾配に合わせて曲線を描く、みたいな。だから、トールキン小説に出てくるホビットの住居、という感じ(笑)。

なるほど。ちなみに、『グッド・タイム』の後で「FACT Magazine」に公開したミックステープがありましたよね? あそこにあったあなたの「お気に入りの音楽」、ジョルジオ・モローダー他の映画絡みの音楽を聴いて、一種サントラ『グッド・タイム』の参照リストのようにも感じたんですが、ああいうもの、ちょっとした参照点だったり影響になった音楽は『エイジ・オブ』にも存在しているんですか?

DL:――ああ、少しあるんじゃないかな? だけど、直接的なものではなくて……だから、我ながらおかしいんだよな~。ってのも、自分が(レコーディングしていた頃に)聴いていた音楽って、ほんとストレンジなもので。たとえば、サシャ・マトソン(Sasha Matson)って人のレコードがあったよ。彼はヘンなテレビ向け音楽を書くコンポーザーなんだけど(※いわゆるB級映画/テレビの音楽を手がけてきた作曲家?)……素晴らしいレコードを作ったことがあったんだよ、こう、ペダル・スティールと室内管弦楽団が合わさった、みたいな内容の。要するにカントリーっぽいんだけど、と同時に……モダンなジョン・アダムスみたいに聞こえる、みたいな?

はっはっはっはっはっ!

DL:――いやいや、そんなふうにバカにしないでよ! あれはマジにクールなレコードだって!

了解です。

DL:というわけで、その時点の自分は「よし、サシャ・マトソンみたいなレコードを作るんだ!」と息巻いていたわけだけど――僕のお約束で(笑)、そこから一気にまったく違う方向へと転換してしまって、結局、サシャ・マトソンっぽいレコードを作るには至らなかった、と……。で、ドリー・パートンなんかを聴いていたっていう。だから、自分でもよくわからないんだよ。今回の作品はかなり奇妙で、要するに、そんなに過度に……戦略的に作ってはいない、みたいな。

「MYRIAD」の予告ヴィデオにちらっと日本のゲーム・ソフト『MOTHER』が映りますけれど――

DL:(ニヤッと笑う)。

これはなぜ? というか、あのヴィデオ自体はあなたが制作したわけではないでしょうが……

DL:いや、ヴィデオに使われたイメージはすべて僕が選んだものだよ(笑)。

あのゲームが大好きだから使った、とか?

DL:いいや。っていうか、アメリカではあのゲームは『EarthBound』って名称なんだよ。で、まず、答えA:(ダーレン・)アロノフスキーの『マザー!』が好きであること、そして答えB:AIが自分の母親に対してノスタルジーを抱く、要するに僕たち(人間=AIの作り主)をAIが懐かしむという発想ってすごいな、と。だから、僕たち人間が全滅した後にAIは世界にひとりぼっちで取り残されるわけだけど、それでもAIたちは地球近辺に集まってきて悲しんでいる、という。それこそ、お墓参りに行って個人を偲ぶようにね(※ここは、おそらくキューブリック/スピルバーグの『A.I.』のことを話していると思います)。でまあ……とにかく「MOTHER」って単語自体、はてしなく深いし、しかも面白いものだし。それに、あの(ゲームの)カートリッジに描かれたグラフィック、あれが大好きなんだよな。地球のイメージが使われていて、すごく綺麗。あれは素晴らしいよ。

『MOTHER』の作者は生みの母親を長いこと知らなくて、有名になったことでやっと会えた、という逸話があるんですよ。そのことが反映されたゲームらしいです。

DL:(目を丸くして)へえぇ~~、そうだったんだ!? それはすごい話だね!

※『エイジ・オブ』のコンセプトについて語った後編は6月27日発売の紙エレキング22号に続きます。



ビューティフル・デイ - ele-king

 サフディ兄弟の『グッド・タイム』は、ニューヨークを舞台に街の「ゴミ」として敗残した人間が疾走するクライム・ムーヴィーだった。圧迫感のあるクローズアップの多用と間違った選択肢を取り続けるかのような顛末に、拍車をかけていたのがOPNの担当によるスコアだ。音楽が登場人物たちの心理を説明したりシーンに叙情性を与えたりするために――つまり小道具や飾りとして使用されるのではなく、それ自体が映画の主題や動きと不可分であるという事態である。なるほどOPNの音楽がなければ映画はまったく違ったものになっていただろう、そのテーマですら。であるとすれば、リン・ラムジーの長編4作めとなる『ビューティフル・デイ』もジョニー・グリーンウッドが担当したスコアと切り離せない映画である。これもニューヨークを舞台にしたクライム・ムーヴィーだといちおうは位置づけられるが、犯罪や事件そのものは重要ではない。ここで描かれるのは街にこびりついた病理や狂気、その渦中で苦しむ人間の内面世界である。

 汚らしい姿のホアキン・フェニックスが扮する主人公ジョーは、老いた母親とふたり暮らしであり、どうやら行方不明の人間を捜索するという特殊な仕事をしながら生計を立てている。そのためには殺人もする。と同時に、彼は戦場での経験や幼い頃に受けた虐待によるトラウマを抱えており、フラッシュバックするそれらの記憶に苛まれてもいる。30分ほど、つまり映画の3分の1ほどでようやくそうした設定の骨格は見えてくるのだが、それらは断片的でしかも抽象度が高いため何がどこまで事実なのか判然としない。実際的にも観念的にも暴力と死に支配された日々のなかで苦しむジョーを見ながら、 観客は血生臭い展開に翻弄されるしかない。
 ジョニー・グリーウッドの音楽は、日本では同じタイミングで公開されるポール・トーマス・アンダーソン監督作『ファントム・スレッド』とはまったく別のアプローチを取っている。 愛と執着の異常性を描いたメロドラマを 21世紀のポスト・クラシカルからクラシックへと遡行しながら大仰に華麗に彩っていた同作での仕事に対し、『ビューティフル・デイ』ではミニマル、現代音楽、ノイズ・ミュージック、ミニマル・テクノ、ダーク・アンビエント、IDMなどを行き来しながら非常にアブストラクトかつ不穏な音像を立ち上げる。そこに中心はない。特筆すべきは、映画のなかで鳴っている音=ノイズとスコアの境目がどこにあるのか判断できない場面が何度も訪れることである。ミュジーク・コンクレートの逆の状態になっていると言えばいいだろうか? ジョーが実際に聴いている音なのか、彼の頭のなかで鳴っている音なのかこちらにはわからない。そのノイズの隙間から聞こえる旋律になかば陶然としつつ、わたしたちはジョーと、彼が出会う少女が対峙する加虐的な世界に飲みこまれていく。

 本作には児童買春、虐待、戦争によるPTSDといったセンセーショナルな問題がモチーフとして見られることはたしかだろう。だが、ラムジー監督の前作『少年は残酷な弓を射る』(11)が少年による凶悪犯罪を取り上げながらも事件自体ではなく母親の心理に迫っていたように、本作においても犠牲者として生きることを余儀なくされた人間たちの内面こそが映画の関心の中心にある。街には理不尽な暴力が溢れ、世界は汚く、そこで生きる人間たちは壊れている。本作でジョニー・グリーンウッドの音楽を体感していると、レディオヘッドにおいてトム・ヨークが取り憑かれている「世界は壊れている」という認識にいかに肉体を与えるか、という命題にグリーンウッドがつねに向き合ってきた成果が表れているように思われる。映画音楽においては冷静に「仕事人」として活躍しているようなイメージのグリーンウッドだが、じつはレディオヘッドでの役割とかなり地続きであるかのような気がしてくる。

 その物語の類似性から、本作は「21世紀の『タクシードライバー』である」というコピーがつけられているようだ。だが、アメリカン・ニューシネマの空気をたっぷりと吸い込んだ同作において、薄汚れた街でベトナム戦争の後遺症を引きずりながらも、それでもアメリカン・ヒーローになろうとしたトラヴィスの姿は『ビューティフル・デイ』にはない。弱き者を救うというロマンティシズムにも到達できないジョーは暴力によってめちゃくちゃになった人生に呆然とし、涙を流すばかり。そこに沈みこむかのようなホアキン・フェニックスの存在感の重みは言うまでもない。
 英題は「You were never really here」、「お前ははじめから存在しなかった」。つまり、ジョーはまっとうな人生を奪われた人間たちの亡霊としてここにいる。「すべては幻なのかもしれない」――本作の観念性は幾度となく観る者にそう感じさせるが、済んでのところでジョニー・グリーンウッドの音楽とホアキン・フェニックスの身体性、抑制された演出が彼に肉体を与える。ジョーはこの世界に存在することを許されるのか? ラスト・シークエンスの映画的な飛躍は、弱き者たちがこの残虐な世界に生きることが可能なのかを巡る真摯な問いかけである。


予告編

Terrence Parker - ele-king

 テレンス・パーカーと言えば、デトロイトでもっとも最初にハウスをプレイした先駆者だが、日本のファンにはDJノブとの交流でも知られている。昨年は〈プラネットE〉から久しぶりのアルバムを発表し、相変わらずのクオリティの高さにデトロイト・ファンをうならせたこのベテランがまたしても来日する。今回の共演者は、日本の大ベテラン日の DJ EMMA。
 7月7日のデトロイトと東京のハウス・リジェンドの対決(?)、目撃しようじゃないか。

Terrence Parker Boiler Room Chicago DJ Set


■Terrence Parker
7/7 (SAT)@VENT

出演:Terrence Parker〈Intangible Records〉, Detroit
DJ EMMA
And more
時間:OPEN 23:00
料金:DOOR : \3,500 / ADVANCED TICKET:\2,500

VENT:https://vent-tokyo.net/schedule/terrence-parker/
Facebookイベントページ:https://www.facebook.com/events/2060397747553633/

interview with Jon Hopkins - ele-king

 この透明感はどこから来るのだろう。初めて『Small Craft On A Milk Sea』を聴いたとき、その音のあまりのクリアさに驚いた。ノイジーな展開をみせる曲でさえそうなのである。洗練、あるいはある種の雅と言ってもいい。それはたぶん、イーノひとりの力によるものではなかったのだろう。共作者としてクレジットされたレオ・エイブラハムズ、そして彼の古くからの友人であるジョン・ホプキンス。彼らの貢献は想像以上に大きかったのではないか――このたびリリースされたホプキンスの新作『Singularity』を聴いて、改めてそう思った。
 じっさい、海の向こうでの彼の評価はとても高い。たとえば昨年『ピッチフォーク』で企画された特集「The 50 Best IDM Albums of All Time」では、2013年の前作『Immunity』が37位に取り上げられている。その記事のなかで選ばれた2010年代以降のアルバムが2枚のみだったことを考えると、これは快挙と言っていい(ちなみにもう1枚はジェイリンのファースト)。同作はマーキュリー・プライズにもノミネイトされており、やはりそのどこまでも豊饒なる音響とテクスチャーが高く買われているのだろう。


Jon Hopkins
Singularity

Domino / ホステス

ElectronicTechnoAmbient

Amazon Tower HMV iTunes

 そのホプキンスにとって今回の新作はじつに5年ぶりのアルバムとなる。その間に彼が出会ったのはヨガと、そして瞑想だった。新作のサウンド・デザインにもその体験は大きな影響を与えており、アルバム後半のアンビエント寄りの曲群からはもちろんのこと、本人曰く「攻撃と美しさ」をミックスしたかったという“Emerald Rush”や、あるいは“Neon Pattern Drum”や“Everything Connected”といった機能的でトランシーな曲からも、ますます磨きのかかった透明さと精密さを聴き取ることができる。
 もしいまあなたが素朴に「美しいもの」に触れたいと思っているのなら、何よりもまずこのアルバムを手に取ることを強くお薦めしたい。(小林拓音)


揺るがない世界観と自分の素直な気持ちを表現することが音楽の大きな役割。音楽に限らず、アート全般の役割だと思うね。

いろんな国からの取材を受けていると思いますが、プロモーションはたいへんですか?

ジョン・ホプキンス(Jon Hopkins、以下JH):アルバムがリリースされてから1週間が経つけど、いまのところ、すごくエキサイティングだよ。イギリスではトップ10に入ったけど、ああいう音楽がトップ10に入ることなんてほとんどないしね。先週最初のショウをやったんだけど、心配だったヴィジュアルもうまくいって、すべてがいい感じだった。いまからはインタヴューよりもライヴ・ショウが多くなる。あとはラジオだね。移動も多くなるし、忙しくなるよ。

前作『Immunity』が2013年ですから5年ぶりになりますよね。この間、ライヴや映画の仕事で忙しくしながら、今回の新作の準備も着々と進めていたと思います。あなたにとってこの5年間はどんな意味のある5年間でしたか?

JH:5年のうち、2、3年はツアーで忙しく、ツアーが長かったから、そのあとはちょっとオフをとった。その間はロンドンのバービカン・プロダクションの学校で教えて、そのあと2015年の終わりに今回のアルバムの制作をはじめたんだ。仕上がったのは2017年の10月。そして、いまやっとそれをリリースできてまたツアーがはじまるところ。

通訳:制作自体には2年間かかったんですね?

JH:そう。といっても、2年間まるまる制作していたわけではなくて、じっさいに制作に費やしたのは1年半くらい。制作しては休み、制作しては休み、といった感じだったね。

この5年間で、あなたのまわりの人びとや環境、あるいはUKや世界の状況など、世の中は変わったと思いますか? もし変わったとするなら、どのようなところに変化を感じますか?

JH:複雑で、どう言葉で表現したらいいかわからない。でも、その変化はすべて音に出ていると思う。サウンドのレイヤーや複雑さに自然とそれが反映しているんだよ。とくに制作をしていた2年間は波のように変化が起こっていたと思う。でも変化が起こるなか、音楽を作る上でたいせつなのは、ピュアな感情をそのまま表すことだと思うんだ。揺るがない世界観と自分の素直な気持ちを表現することが音楽の大きな役割。音楽に限らず、アート全般の役割だと思うね。それが人びとをハッピーにすると思うし、いい意味で影響するんじゃないかな。不安や恐れを振り払ってくれる。不安を抱えていても、音楽は自分のそばにいる味方、みたいな感じ(笑)。

通訳:あなたにとっていちばん大きな変化はなんでしたか?

JH:僕はカリフォルニアに住んでいたから、それ自体が人生の大きな変化だったね。住む場所が変わって、もっとヒッピーになったと思う(笑)。ヨガや瞑想をはじめたりさ(笑)。それは音楽にも深く影響していると思う。

通訳:いまもヨガは続いていますか(笑)?

JH:続いているよ。呼吸が重視されたヨガで、痩せはしないけど、精神的にすごくいいんだ。だから、身体のためには他のエクササイズもしてる。不眠症だったからはじめたんだ。おかげで治ったよ。人生でいちばん大切なのは、自分の脳内をコントロールできることだと思うね。それは学ばないと習得できないことだと思う。

人生でいちばん大切なのは、自分の脳内をコントロールできることだと思うね。それは学ばないと習得できないことだと思う。

作曲はどんなところからはじまるのですか? あなたの音楽には瞑想的な側面もあるし、アンビエントの要素もありますが、作曲は理論的にはじめるのか、それとも感覚的にはじめるのでしょうか?

JH:ほとんどは即興だね。音を即興で演奏してみて、そこから広がっていく。だから、感覚的だね。たとえば“Recovery”はピアノを弾いているうちにあのアルペジオが生まれた。あれはそのアルペジオをもとに東京にいたときも曲を書いたんだ。そこでも何も考えず、何が起こるかわからないまま音を出してみた。あの曲は、そのアルペジオをもとに曲が自分でできていった感じだね。曲によってはじまり方は違うけど、スタジオに入ると、スタジオの外で考えることはあまりない。スタジオのなかで即興で演奏して、そこから曲を作っていく流れがほとんどだよ。

先ほど少し出てきましたが、今回のアルバムの制作期間中に瞑想を経験されたそうですね。なぜ瞑想を必要としたのか、そして、じっさいに経験したことが音楽にどのようにフィードバックされたのか話していただけますか?

JH:瞑想は、はじめて3年くらいになる。瞑想をはじめてから、サウンドがもっとオープンになったんだ。そして、もっとポジティヴになったと思う。だから、このアルバムでは、前回以上に喜びが表現されていると思うよ。

通訳:瞑想はどれくらいやっているんですか?

JH:1日に2回、20分ずつ。時間がないときは1日1回。

通訳:けっこうしっかりやってますね!

JH:瞑想は、僕にとってやらないといけないからやっていることではないんだよね。やりたいからやっていることなんだ。すごく気分が良くなるから瞑想をする。課題ではないんだよね。

前作もそうでしたが、今回もアルバムの曲順は重要ですよね? アルバムは物語であり、そしてそこにはあなたの考えが潜んでいるようですが、それを教えていただけますか? それは人生についての考えですか?

JH:もちろん、曲順はいつだって重要。曲を作っている時点で順番を考えているほど、作品の流れは僕にとってたいせつなんだ。抽象的だから、その物語や考えを言葉で説明するのは難しい。込められているものは、すべて言葉では表現できない。だから、リスナーがそれぞれにストーリーを感じ取ってほしいんだ。

“Everything Connected”のような曲もその成果のひとつでしょうか? 曲名にも深い意味があるように思いますし、曲調もトランシーですよね。

JH:その曲は、セレブレイションを音にした作品なんだ。生きていることの祝福。人生は素晴らしいものだということに気づく美しい瞬間を表現したかった。このトラックを作るのは、すごく楽しかったよ。音ができていくままに自由に作業を進めていったんだ。この曲もそうだし、今回のアルバム全体が新しく、アグレッシヴで、奇妙で、長くて……話せばきりがないけど、新しいことをたくさん試みているんだ。アルバム全体が革新的だし、長い物語、旅のような仕上がりになっていると思う。

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「singularity」という言葉は、僕にとっては一体感(連帯感)と飾り気のないことを意味する。そして、少しだけ宇宙創世のビッグ・バンも連想される。すべてが何かに向かって成長していくようなイメージかな。

各曲のタイトルは詩人であるリック・ホランドとの共作となっています。前作でも彼の力を借りたそうですが、今回曲名を決める際に、あらかじめテーマのようなものはあったのでしょうか?

JH:テーマがあったというよりは、僕とリックの会話から生まれたアイディアを使って曲のタイトルを決めていったんだ。もちろん、彼が書いていた美しい詩からインスピレイションを受けたものもあるけれど、メインのインスピレイションはふたりの会話だった。テーマはあまり考えない。しばらくアイディアとして出てきた言葉を使って言葉を操ってみて、曲にフィットするタイトルを考えることがほとんどだね。たとえば“Emerald Rush”は、曲を書いているときにキラキラした緑色のカラーがイメージできていて、それを表現できる言葉は何かを考えていた。だから思いついた言葉を組み合わせていろいろ候補を考えて、あの言葉にたどり着いたんだ。

“Emerald Rush”はヒットしていますね。幻想的というか、サイケデリックとも言える響きを有していますが、この曲の狙いはなんでしょうか?

JH:それは自分でもわからないんだ(笑)。自分の直感に従って曲を書いていってでき上がったトラックだからね。とにかく、魅力的で美しい作品を作りたかった。攻撃と美しさのミクスチャーというか。目をつぶって、自分自身でも説明ができない自分の意識に導かれるがままに音を作っていった感じ。そしてあるとき、仕上げようと思って音をまとめた。だから、すごく長いプロセスだったんだ。これは、逆にシンプルにすることが大変だった曲だね。仕上げるために、思いついていたアイディアをけっこう却下しなければいけなかった。前回のアルバムとはまったく違うサウンドを作りたかったから、それが必要だったんだ。


その“Emerald Rush”にはドラムのプログラミングでクラークが参加していますが、彼はどのような経緯で参加することになったのですか?

JH:彼は仲の良い友人のひとりで、自分が知るなかでもベスト・プロデューサーのひとりだから、彼にオファーすることにしたんだ。彼は、あのトラックにさらなるパワーをもたらしてくれたと思う。

続く“Neon Pattern Drum”ではティム・イグザイルが Reaktor のパッチを作っています。彼は前作にも参加していましたが、彼とはどのように出会ったのですか?

JH:彼とは同じ事務所なんだ。その関係でベルリンで出会って、一緒にショウをやって、友だちになった。それからずっと友人なんだよ。

本作のアートワークの夜明けの写真は何を表しているのでしょう?

JH:あのアートワークは存在しない場所なんだけど、あのランドスケープがすごく気に入ったんだ。自分が持っているアルバムのイメージと一致したから、あのアートワークを使わせてもらうことにした。行きたくても絶対に行けない場所、というアイディアに魅力を感じたんだよね。なにせ、存在しない場所だから(笑)。

アルバム・タイトルを『Singularity』にしたのはなぜですか? 「singularity」は人工知能などテクノロジーの分野で使われる言葉であると同時に、哲学でも使われる言葉です。あなたはこの言葉から何を思い浮かべますか?

JH:アルバム・タイトルはシングルからとっているんだけど、じつは、そのタイトルのアイディアは長いことずっと頭のなかで眠っていたものなんだ。12年くらいかな。それ以上かもしれない。2005年だったと思うから、もうなんでそのアイディアを思いついたのかまでは覚えていないけど(笑)。でもとにかくそのアイディアがずっと好きで、でもそのタイトルの曲を作る準備ができていなかった。だから寝かせておいて、いつか曲を作るときにそのタイトルを使おうと思っていたんだ。「singularity」という言葉は、僕にとっては一体感(連帯感)と飾り気のないことを意味する。そして、少しだけ宇宙創世のビッグ・バンも連想される。すべてが何かに向かって成長していくようなイメージかな。“Singularity”という曲も、ひとつの音符からどんどん広がってひとつの曲が完成している。それがしっくりきたんだ。


今回のアルバムを聴いて瞑想に興味を持ってくれる人がいれば、そして瞑想を学ぶきっかけになってくれれば、彼らは自分以外の人間との接し方を学ぶだろうし、自分のなかの幸福が増していくと思う。

その“Singularity”にはギターであなたの古くからの友人であるレオ・アブラハムが参加しています。8~9年ほど前にあなたは彼とブライアン・イーノの3人でアルバム『Small Craft On A Milk Sea』や映画『The Lovely Bones』のサウンドトラックを作ったり、ナタリー・インブルーリアをプロデュースしたりしていました。そのため、個人的にはその3人でひとつのチームのような印象を抱いているのですが、ご自身ではどう思っていますか?

JH:どうだろう(笑)。最近はあまりその3人では作業していないから、僕にはあまりそのような感覚はないかな(笑)。2009年と2010年はけっこうコラボしたけど、最近はブライアンとは会えてもいないからね。レオは毎回アルバムに参加してくれるけど、彼はほんとうに天才なんだ。僕にとってはいちばんのギタリスト。彼は、いつも僕だけでは作り出せない彼のテクスチャーを作品にもたらしてくれる。感謝しているよ。

2年前のイーノのアルバム『The Ship』に収録されたヴェルヴェット・アンダーグラウンド“I'm Set Free”のカヴァーもそのチームによるものでした。録音自体は同じ頃だと思うのですが、あの曲を録音することになったはなぜだったのでしょう?

JH:それ、忘れてたよ(笑)。たしかにあのトラックで自分がプレイしたのは覚えているけど、流れは覚えていないな(笑)。たぶんブライアンがやりたがって、5分くらいジャムをしたのかも(笑)。自分がそのカヴァーに参加したことさえ忘れていたよ(笑)。

あなたはかつてコールドプレイをプロデュースしてもいます。あなたにとってナタリー・インブルーリアやコールドプレイのようなポップ・ミュージックはどのようなものなのでしょう? テクノやアンビエントなどのエレクトロニック・ミュージックと通ずる部分はありますか?

JH:コールドプレイに関しては、ブライアンが彼らを僕に紹介してきたんだ。それで意気投合して、彼らにもっとイクスペリメンタルなサウンドを提供した。クリス(・マーティン)のソングライティングにはいつも感心していたし、彼のスキルは素晴らしいと思っていたからね。エレクトロニック・ミュージシャンやイクスペリメンタル・ミュージックのミュージシャンは、スタジアム級の曲を作ることがいかに難しいかを理解している。だから、僕は彼をリスペクトしているんだ。すべてのジャンルに通ずる部分はあると思う。今回のニュー・アルバムでも、ポップの要素があることは聴き取れると思うよ。僕自身が、ディペッシュ・モードペット・ショップ・ボーイズ、伝統的な構成の曲を楽しんで聴いてきたから、それは影響として自分の音楽にも出てくるんだ。ヴォーカル・メロディは僕には書けないけどね。ブライアンは、そのジャンルの架け橋だと思う。テクノやアンビエントとポップ・ミュージックに限らず、質のいい音楽はすべて共有するものがあるんじゃないかな。やっぱり、良いサウンドと人を惹きつける、そしてひとつにするという点で音楽は繋がっていると思うね。

あなたはもともと王立音楽大学で学んでいましたが、クラシック音楽の道に進まなかったのはなぜでしょう?

JH:興味がなかったからさ(笑)。何百年も前に書かれたものをふたたび作ることにおもしろみを感じないんだ(笑)。学べたことは良かったとは思っているけど、影響を受けているとも感じないな。

あなたが自分の音楽をとおしてもっとも到達したいもの、もっとも表現したいものはなんですか?

JH:音楽で何ができるかをより意識していくことかな。「人びとをひとつにする」ということが、音楽にはできると思うんだ。あと、今回のアルバムを聴いて瞑想に興味を持ってくれる人がいれば、そして瞑想を学ぶきっかけになってくれれば、彼らは自分以外の人間との接し方を学ぶだろうし、自分のなかの幸福が増していくと思う。そして彼らに会ったまた他の人びとが、彼らからインスパイアされてそれを学んでくれたら嬉しい。音楽はそのきっかけになれると思うし、良いフィーリングを広げることに繋がると思うんだ。それが目標だね。

通訳:ありがとうございました。

JH:ありがとう。また日本に行けるのを楽しみにしているよ。

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