「You me」と一致するもの

yahyel - ele-king

 続報が届きました。ヤイエルが3月7日リリースのセカンド・アルバム『Human』から新曲“Pale”を解禁、MVも公開されています。一見静かで落ち着いた曲に聞こえますが、後ろのほうで色々とおもしろいことが起こっています。ビデオも独特の雰囲気を醸し出していて、ますますアルバムへの期待が高まります。あわせて全国ツアーの詳細も発表されていますので、下記よりチェック。

ヤイエル、待望のセカンド・アルバム『Human』から
新曲“Pale”をミュージック・ビデオとともに解禁!
初となるレコ発ツアーのチケット一般発売は明日から!
新たに仙台公演も決定!

yahyel
- Human Tour -

2016年12月に渋谷WWWにて行われたワンマンは、デビュー・アルバム『Flesh and Blood』の発売日を前に完売。その後も、FUJI ROCK、VIVA LA ROCK、TAICOCLUBなどの音楽フェスへの出演も果たし、ウォーペイント(Warpaint)、マウント・キンビー(MountKimbie)、アルト・ジェイ(alt-J)ら海外アーティストの来日ツアーでサポート・アクトにも抜擢されるなど、活況を迎えるシーンの中で、独特の輝きを放ち続けたyahyel(ヤイエル)が、1年3カ月の時を経て、2度目のワンマン・ライヴ、そしてレコ発ツアーが決定!

anemone - ele-king

 ユニットとは「虚構的存在」である。二人以上、三人未満で何らかの名を名乗ること(4人以上はグループ、もしくはバンドだ)。その類まれな「虚構性」。名乗った時点でそれぞれの人格は、ユニットという虚構的存在へと吸収される。いや包括されるとでもいうべきか。人格とも違う「存在」がそこに生成する。ユニットという「存在」の「現実化」。
 日本のエレクトロニカ・レーベルの老舗〈PROGRESSIVE FOrM〉からリリースされた anemone のファーストアルバム『anemone』を聴いたとき、私はそんな「ユニットという存在」がもたらす虚構性の魅惑を強く感じた。存在と非存在のあいだに鳴り響く、ロマンティックな光のようなエレクトロニカ・ポップ・ユニットの誕生とでもいうべきか。
 まるで繊細な和菓子のようなエレクトロニック・サウンドの折り重なりと、華のように、もしくは夢のように、やがて消え入りそうな儚いヴォーカルが交錯し、全曲12曲アルバム1枚にわたって、ひとつの(そして12の)小さな物語が語られ、意識の欠片のような詩情を鳴らす。それはときに光のように強く、ときに空気のように儚く、ときに消失する心のように切ないものだった。まさにニュー・ロマンティック。それが私を強く魅了した。世界のむこうへ。音の彼方へ。意識の儚さへ。電子音楽の美しさへ。声の官能性へ。電子音、シンセサイザー、ピアノ、声、ギター、グリッチ・ノイズ、エレクトロニクスが光の雨のように降り続ける感覚……。

 anemone は日本在住、1992年生まれのトラックメイカー ninomiya tatsuki と中国在住のヴォーカリスト Yikii による「日中デュオ」とアナウンスされている。2015年、ninomiya tatsuki と Yikii はSoundCloud上に公開していたお互いのトラックに惹かれ、競作を始めたという。そうして名曲“夢うつつ”が2016年に生まれたらしい。「初めて人と音楽を作る楽しさを見出した」。そう思った ninomiya は、Yikii にユニットの結成を提案する。anemone の誕生である(記念すべき“夢うつつ”は本作10曲めに収録されている)。アルバムは1年ほどの時間をかけて丁寧に制作されたのだろう。夢の光のようなアトモスフィアを放ち、誕生の祝福と消失の儚さの両方を持っている作品に仕上がっていた。

 本アルバムの曲は、どれも儚い光のようだ。Yikii のヴォイスも、ninomiya tatsuki のトラックも、ロマンティックな虚構性をまとっているのである。
 例えば2曲め“killing me softly”を聴いてほしい。ゆっくりと時間に浸透するかのごとき可憐なピアノのアルペジオと、シルキーな声が交錯する中、さまざまなサウンド・エレメントが優しくトラックをコーティングする。そのサウンドの虚構のような脆さ、儚さ。そして何より曲が良い。細やかな和声・コード進行で展開し、単なるミニマリズムでは終わらない慎ましやかなドラマ性が生まれている。

 記憶を慈しみ、しかし、その純粋性ゆえ、自らの手で記憶を消失させてしまうようなイノセントな残酷さを象徴するようなソングライティングとアレンジメント。そのムードは“insomnnia”という曲にも強く感じた。

 さらには光の粒子のごとき電子音と淡いアンビエンスに Yikii のヴォーカルがレイヤーされ、液晶のロマンティシズムとでも形容したい“tablet”(曲中盤のラップパート? も素晴らしい)、光と影がガラスの欠片の中に結晶するかのような短いインスト・トラック“vain”、Yikii のリーディング的なヴォイス/ヴォーカルと深海の交信を思わせるエレクトロニクス、ファットなビートの交錯が耳に心地よい“pain”、グリッチ・ノイズと旋律が交錯する“requiem”など、どの曲も、どのトラックも声と電子音が記憶の深層心理に響くような見事な出来栄えである。フランス印象派の響きに、オリエンタリズムの香水を落としたエレクトロニカ・ポップ・アルバム。

 ここでアートワークに改めて目を向けてみると、やや逆光気味のアートワークにも「光」の儚さが満ちていた。まさに「夢うつつ」である。それは虚構への希求でもあるのかもしれない。このユニットは自らを虚構の中に封じこめることによって世界の醜さを一掃し、類まれな美的感覚を差し出そうとしているのではないか。いわば「虚構内存在」としての「印象派オリエンタル・エレクトロニカ・ポップ・ユニット」として……。
 ともあれ、エレクトロニカ・ポップという領域において、近年稀にみるアルバムである。ぜひともアルバムを聴いてほしいと思う。リスニング後、あなたの感覚が浄化されるだろうから。

 1年でのうちもっともピザとチキン・ウィングが出る日、スーパーボウルの日曜日だ。今年2018年は2月4日、ミネアポリスのUSバンク・スタジアムでタイトなユニフォームを着た男たちの戦いがおこなわれた。フィラデルフィアのイーグルスとニュー・イングランドのぺイトリオットの対戦。ハーフタイムにはこの2日後にニュー・アルバム『Man of the Woods』をリリースするジャスティン・ティンバーレイクが出演。2004年のジャネット・ジャクソンとのおっぱいポロリ騒動のパフォーマンス以来だ。そして、それに関する記事がいまさら出てくる出てくる。

 スペシャル・ゲストは誰か? 噂はいろいろあったが、結局ジャネット・ジャクソンもイン・シンクも出演せず。代わりにミネアポリスに敬意を払い、プリンスの映像がプロジェクターに映し出された。ピアノを弾くJTが”I would die 4 U”を歌い、そしてミネアポリスの街がプリンス色に染まるという壮大な演出がはじまった。エンターテイメント! JTのダンサーたちの衣装は、いまどきのカラフルなラフスタイルで、ビッグバンドはお揃いの赤のスーツと見た目も華やか。ハーフ・タイムショーは最近の個人的な楽しみになっている。
https://www.brooklynvegan.com/justin-timberlake-played-the-super-bowl-lii-halftime-show-prince-tribute-included-watch/

 とはいっても私がスーパー・ボウルに興味を持ったのは数年前、ビヨンセがハーフ・タイムに出場した2016年のスーパーボウル50からである。たまたまバーでスーパーボウルが放映されていた(50回目ということで)。ビヨンセのパワフルなパフォーマンスに圧倒され、スーパーボウルを見るようになった。国を挙げた究極のエンターテイメントがここにあり、アメリカのパワーを感じることができる。
 過去のラインナップを遡ってみると……

2012:マドンナ with LMFAO、MIA、ニッキー・ミナージュ
2013:ビヨンセ、ディスティニー・チャイルド
2014:ブルーノ・マーズ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
2015:ケイティ・ペリー、ミッシー・エリオット、レニー・クラヴィッツ
2016(スーパーボウル50):コールド・プレイ、ビヨンセ、ブルーノ・マーズ、マーク・ロンソン
2017:レディ・ガガ
2018:ジャスティン・ティンバーレイク

 こう見ると、それぞれの年を象徴するエンターテイナーが出場しているのがわかる。MIAが中指を立てたことや、ケイティ・ペリーのダンサー、左のイルカがやる気なかったことなど、毎年、さまざまなゴシップが飛び舞っている。
 そしてスーパーボウルが近づくとピザ屋もファストフードも広告に力を入れる。バーも何かとスーパーボウルに託けてスペシャルを用意する。
https://bushwickdaily.com/bushwick/categories/sponsored/5201-big-game-bushwick

 コマーシャルにも注目。アマゾン・エコーにはカーディB、レベル・ウィルソン、ゴーダン・ラムゼイ、アンソニー・ホプキンス他、ドリトス・ブレイズとマウンテン・デュー・アイスではバスタ・ライムスとクリス・ブラウン、モーガン・フリーマン、ミッシー・エリオットが、スクエア・スペースにはキアヌ・リーブスが出演……まさにセレブ満載。
 オーディエンスは試合以外にも、コマーシャルなんかにも注視する。こんかい反応大だったのが、ニルバーナのララバイ・カヴァーの“All Apologies”がバックに流れるT-Mobileの宣伝。可愛い赤ちゃんが登場する。「小さい人、この世界にようこそ。貴方が征服するこの大きな世界では、貴方は繋がることができ、一人ではありません。変化は始まっています」
https://youtu.be/C-rumHvmqCA

 試合の結果は、41-33でフィラデルフィアのイーグルスがニューイングランドのペイトリオッツを負かした。イーグルスは1960年以来の優勝。私の友だちはみんなイーグルス派だったので大騒ぎ。理由を聞くとペイトリオッツは強いし(今年は6連覇を狙っていた)、ただたんにトム・ブレイディが嫌いで勝って欲しくなかったと。
 ペイトリオッツのトム・ブレイディはNFLを代表する選手の一人で、リーグMVPとスーパーボウルMVP双方の複数回受賞していて(歴代で2人のみ)、2017年まで負け越したシーズンはなかった。モデルの妻と3人の子供がいて、ボストンのブルックラインに豪邸を構える。
 「彼の人生はパーフェクトだし、トランプ支持者だし、とにかくいけ好かない」と。

 こういう話をはじめると止まらないのがアメリカ人。トランプ・サポーターの話から今回かけたビットコインの話で盛り上がる。スーパーボウルではいろいろな角度からアメリカという国が見える。

Flying Lotus, Thundercat, George Clinton & P-Funk - ele-king

 こ、これはすごい。一昨年、ジョージ・クリントンとの契約が大きなニュースとなった〈ブレインフィーダー〉だけれど、その後しばらく音沙汰がなかったので、いったいどうなったのかとやきもきしていたファンも多いだろう。それがここへ来てとんでもないアナウンスである。今夏8月17日、SONICMANIAに〈ブレインフィーダー〉ステージが出現、フライング・ロータス、サンダーキャット、ジョージ・クリントン&Pファンクのビッグ3が一堂に会する――そう、ここ日本で。まるで夢のような話じゃないか。これはもう行く/行かないを迷うような次元の話ではない。これから半年間、首を長く長~くして待っていよう。

SONICMANIAに〈BRAINFEEDER〉ステージが登場!

フライング・ロータス、サンダーキャット、そして
ジョージ・クリントン&パーラメント・ファンカデリックが出演決定!

‘Brainfeeder Night In SONICMANIA’
featuring
FLYING LOTUS
THUNDERCAT
GEORGE CLINTON
...and more!!

ナイン・インチ・ネイルズ、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、マシュメロという、SUMMER SONICに引けを取らない強力な出演陣が発表され、大きな話題となっているSONICMANIA。今回第2弾アーティストが発表され、フライング・ロータス主宰レーベル〈Brainfeeder〉ステージが登場することが明らかに!

昨年は自ら手がけた映画『KUSO』の公開や、短編アニメーション『ブレードランナー ブラックアウト2022』の音楽を手がけたことも記憶に新しいフライング・ロータス、最新作『Drunk』をリリースし、2017年の音楽シーンを象徴する存在と言っても過言ではない活躍を見せたサンダーキャット、そして言わずと知れたファンクの神様、かねてより〈Brainfeeder〉への参加が噂されていたジョージ・クリントンがジョージ・クリントン&パーラメント・ファンカデリックとして出演決定!

SONICMANIA 2018
2018.8.17
www.sonicmania.jp

2017年11月にMVと共に公開されたフライング・ロータスの最新曲“Post Requisite”
Flying Lotus - Post Requisite
>>> https://youtu.be/2XY0EHSXyk0

フライング・ロータスの長編デビュー映画『KUSO』の公式トレーラー
Flying Lotus - Kuso (Official Trailer)
>>> https://youtu.be/PDRYASntddo

映画『ブレードランナー2049』と、前作『ブレードランナー』の間を繋ぐストーリーとして渡辺信一郎が監督した短編アニメーション
「ブレードランナー ブラックアウト 2022」
>>> https://youtu.be/MKFREpMeao0

80年代を代表する黄金コンビ、マイケル・マクドナルドとケニー・ロギンス参加のリードシングル
Thundercat - Show You The Way (feat. Michael McDonald & Kenny Loggins)
>>> https://youtu.be/Z-zdIGxOJ4M

東京で撮影されたMVも話題となったアルバム収録曲
Thundercat - Tokyo
>>> https://youtu.be/QNcUPK87MnM

フライング・ロータス、サンダーキャット、シャバズ・パラセズによるプロジェクト、WOKEの1stシングル。ジョージ・クリントンが参加!
WOKE (Flying Lotus, Shabazz Palaces, Thundercat) feat. George Clinton - The Lavishments of Light Looking
>>> https://soundcloud.com/adultswimsingles/woke


label: BEAT RECORDS / BRAINFEEDER
artist: FLYING LOTUS - フライング・ロータス
title: YOU'RE DEAD - ユーアー・デッド
release date: NOW ON SALE
cat no.: BRC-438
国内盤特典: ボーナス・トラック追加収録

本日リリース!
label: BEAT RECORDS / BRAINFEEDER
artist: Thundercat
title: Drank
release date: 2018/02/02 FRI ON SALE
国内初回生産盤:スリーヴケース付
歌詞対訳/説書封入
BRC-568 ¥1,800+税

label: BEAT RECORDS / BRAINFEEDER
artist: Thundercat
title: Drunk
release date: NOW ON SALE
国内盤特典:
ボーナス・トラック追加収録/歌詞対訳/解説書封入
BRC-542 ¥2,200+税

interview with Rhye - ele-king


Rhye - Blood
Loma Vista / ホステス

R&BSoul

Amazon Tower HMV iTunes

 シャーデーを好きな男は当然、昔からたくさんいた。だが、シャーデーのような男、はどうだろう。姿を明かしていなかった登場時、その声の主は女性であると多くの人間が思いこんだ。が、そうして愛の憂鬱を呟いていたのはマイケル・ミロシュという男だった。

 ジェンダーとセクシュアリティの自由が拡張され続ける現在、ライはそんな時代にふさわしい性の新しい価値観をもっとも先鋭的かつポップに繰り広げようとするアーティストだ。ジャジーでスムースなソウルに乗せて囁かれる愛の歌……はけっして新しいものではないが、女性性の内側にまで男が入りこもうとする事態は、旧来の性のあり方を湯煎でチョコレートを溶かすようにゆっくりと無効にしてしまう。そう、ライの音楽は成り立ちのメカニズム自体がエロティックだ。性の境界を生理において越えること。ファースト・シングル“Open”のヴィデオが女性監督によるセックスする男女を映すものであったことは、完璧にライの音楽をリプリゼントした。
高い評価を受けたデビュー作『ウーマン』から5年を経たセカンド・アルバム『ブラッド』は、『ウーマン』の色香に悩殺されたリスナーの期待に応える仕上がりになっている。バンドの演奏はよりオーガニックになり、アルバム全体のトーンも前作よりまとめられているとはいえ、基本的な路線は変わらない。ジャズ、ソウル、R&B、香りづけとしてのディスコとハウス、それにファンク。ブラック・ミュージックの官能はあくまできめ細かく調理され、どこまでもエレガントに立ち上がる。スロウなテンポでストリングスがミロシュのアンニュイな声と絡み合う“Waste”。ファンキーなベースラインが品よく躍動する“Taste”。本作からのファースト・シングル“Please”におけるスウィートな愛の憂いに聴き手が辿りつくころには、前作同様の、あるいは前作よりも深くまで染みこむ恍惚が静かに押し寄せている。

 個人の性愛がインターネットを介してあっという間に晒されてしまう現在では忘れられがちなのかもしれないが、性の快楽は閉ざされた場所でこそその真価を発揮する。誰にも奪われない私だけの悦び。そしてそれは、秘めごとであるがゆえに限りなく自由であっていいはずだ。だからライの音楽にダンス・フィールはあってもダンスフロアの公共性には向かわないし、ライヴ会場にあっても一対一の関係を結ぶようなインティマシーを生み出そうとする。どこか不穏な緊張感が途切れずに漂う“Blood Knows”は『ブラッド』におけるハイライトのひとつだが、そこで音に集中していると、普段は押し隠したありったけのエロスを開放しろと迫られているような心地になる。
だが、ひとりだけの快楽だけでは『ブラッド』は終わらない。それをもっとも大切な誰かに明け渡すことで、このラヴ・ソング集は完成するのだとミロシュは言う。それほどエロティックな体験はないということなのだろう。

愛は愛だし、ジェンダーは関係ない。

ライの登場は衝撃的でした。というのも、シンガーの姿が明かされないまま洗練されたソウルが展開されていて、聴き手の興味と想像力を掻き立てたからだと思います。なぜ当初は姿を隠し、匿名的に登場したのでしょうか? また、なぜ現在は姿をオープンにすることにしたのでしょうか?

マイケル・ミロシュ(Michael Milosh、以下MM):最初も、とくに姿を隠したいとかそういう目的はなかったんだ。ただ、音楽をイメージで判断して欲しくなかったから、写真に自分が写らないようにしていただけなんだよ。でも、前のアルバムをリリースしてからパフォーマンスをするようになって、オーディエンスはもちろん僕が誰なのかをもう知っているわけだよね。だから、いまはもっと普通に姿を見せるようになった。それだけさ。ダフト・パンクみたいに、覆面になってまで自分を隠そうとしていたわけではないんだ(笑)。自分が写真に写らない、ということを考えていただけさ。

ファースト・アルバム『ウーマン』は日本も含めて、非常に大きな反響がありました。高い評価を受けた作品でしたが、どのようにリアクションを受け止めましたか?

MM:ただ自分が作りたいものをベッドルームで作っただけだったから、正直リアクションには驚いたよ。だんだん慣れていったけど、受け取るまでには時間がかかった。子どもから手紙をもらったり、僕の音楽を聴いてハグしあったり、泣いたりするひとを見たり、みんながすごくエモーショナルになっている姿を見たりすると、自分の音楽が彼らの感情にまで届いてるんだなというのを実感することができる。それって本当に素晴らしいことだし、本当に嬉しいよ。

また、『ウーマン』においてはバンドの姿が隠されていたぶん、ミュージック・ヴィデオが非常に重要な役割を果たしていました。音楽を映像で見せるとき、あなたからどのようにコンセプトやテーマなどが提示されたのでしょうか?

MM:自分に実際に起こっていることがヴィデオのコンセプトになった。でも、それをダイレクトにヴィデオで表現はしたくなかったから、チームには具体的なことは言わないでいたけどね。それを映像で表現しようとすると、あまりにも何を表現しようとしているかが明らかになってしまうときもある。だから、それが赤裸々になりすぎないよう、少し気をつけなければいけないと学んだよ(笑)。ヴィデオには、そういった自分の中の何かがアイディアになることもあるし、物語性を持ったものもあれば、動きを楽しむものもある。その多様性をみんなに楽しんでほしいんだ。

その意味で、あなた自身が監督した“Please”のヴィデオは昨年の7月には発表されましたが、ライのセカンド・アルバムを想像するための重要なものだったと思います。ダンサーの身体の躍動が観ているこちらにも伝わってくるものでしたが、このヴィデオのコンセプトやテーマについて教えてください。

MM:あのヴィデオのテーマは謝罪。ガールフレンドと実際に口論をしたんだけど、それに関して彼女に謝っている姿をダンスで表現しているんだ。

血というのは、命が生まれるときも出てくるものだし、女性も連想されるし、家族の繋がりにも関係がある。すべての曲に繋がりがあるし、「ブラッド」という言葉がそれをうまく表していると思ったんだよ。

あなたのヴィジュアル表現には身体、とくに裸体がその多くでモチーフとなっていますが、それはなぜですか?

MM:僕たちは人類なわけで、その表現の基本は、身体を動かすことなわけだよね。自分が少しフェミニンであることもわかっているし、裸体というよりは、女性の身体を身近に感じるんだ。でも、それだけが理由なのではなくて、たとえばアルバムのジャケットは、裸体の写真なのではなく、僕のガールフレンドの写真。ただ身体や裸体の写真を使いたかっただけではなくて、彼女の写真を使いたかったんだ。裸体がモチーフのメインではない。モデルや、誰か知らない人を使ってまで裸体で何かを表現したいというわけではないんだよ。

ライの音楽においては、その身体というモチーフもそうですし、性やセクシュアリティが重要なテーマになっているように感じます。あなたにとって、音楽と性、セクシュアリティはどのように結びついているのでしょうか?

MM:僕の曲は、愛についてのものが多い。そうなると、性やセクシュアリティというのは欠かせないテーマだと思う。それらは愛と自然に、そして必然的に結びついているものだからね。

また、ライの音楽は両性具有的としばしば評されたように、非常にジェンダーが曖昧なものになっています。実際のところ、ライにおいてジェンダーのアイデンティティはどのように捉えられているのでしょうか?

MM:僕自身、ジェンダーがはっきり分かれているような環境で育っていないんだ。子供の頃は長い間ダンスをやっていたんだけど、バレエの中でなんかはとくに、男性らしさが求められることもないし、男性の役割、女性の役割というものがはっきりとしていない。だから、僕にとっては男性も女性らしさを持っているし、女性も男性らしさを持っているし、あまり境界線を感じないんだ。だから、僕が何かを表現するとそれが自然と現れてくるんじゃないかな。

わたしがザ・エックス・エックスに取材したとき、彼らはジェンダーレスなラヴ・ソングを歌うことをとても意識していると話していました。あなたの歌も多くはラヴ・ソングですが、ジェンダーレスであることに意識的なのでしょうか? そうであるならば、それはなぜでしょうか? 

MM:意識もしているとは思うよ。それが愛というものだから。愛は愛だし、ジェンダーは関係ない。この前『Call Me By Your Name』という映画を見たんだけど(木津註:ルカ・グァダニーノ監督による映画。1980年代の北イタリアを舞台に、年上の男性に惹かれる少年の夏を描く作品。日本では『君の名前で僕を呼んで』のタイトルで4月公開予定)、あの作品は素晴らしかった。ふたりの男性の愛の物語なんだけど、自分がこれまでに見たなかでも、もっとも美しい愛を描いた映画のひとつだったね。映画を見ていると、彼らがホモセクシュアルということさえ考えない。性別関係なく、ふたりの人間の間に起こるラヴ・ストーリーとして自然に自分のなかに入ってくるんだ。線を引かず、あるがままに愛を表現するというのは、すごく大切なことだと思う。

男性であるあなたがフェミニンな表現をしていることは、聴き手の多くの男性に、ジェンダーやセクシュアリティにおいて自由であることに関して勇気を与えているようにわたしは感じます。ただあなたからすると、世の男性というのは「男らしさ」に囚われすぎだと感じますか?

MM:そう思うこともある。筋肉をつけて強くならなければというストレスや考えは、男性が持ちやすいものだと思うね。それは文化的なものだと思うけど、僕は、それは必要なことだとは思わない。筋肉がついていてもいなくても、強くても弱くても、そんなのどうでもいいこと。世のなかにはもっと大切なことがあって、男性として自分が愛するひとにとって良い存在であることのほうがよほど重要なことだと思う。お互いに戦わないことのほうが大切なのに、あえて線を引いて違いを深めることによって戦いを起きやすくしている。性別に限らず、国籍、宗教、そういったものすべての境界線を越えて、僕たちはみんな一緒に動くべきなんだ。それがいま起こっている深刻な問題の解決策なんじゃないかな。それができれば、そういった問題が生まれさえしないのかもしれないしね。

以上のような話を踏まえてお訊きします。今回のタイトル『ブラッド』が象徴するものは何でしょう?

MM:このアルバムの曲のほとんどすべての曲の歌詞が、それぞれの個性を持ちながら類似性を持っているからこのタイトルにしたんだ。血というのは、命が生まれるときも出てくるものだし、女性も連想されるし、家族の繋がりにも関係がある。すべての曲に繋がりがあるし、「ブラッド」という言葉がそれをうまく表していると思ったんだよ。

セカンド・アルバムの音楽的な側面についてもお訊きします。ツアーのライヴが今回の制作に影響を与えたそうですが、レコーディングもバンドでの演奏をベースに行われたのでしょうか? そのときとくに心がけたことはありますか?

MM:今回もこれまでのライのサウンドに近いものを作りたかった。だから、今回もすべてをライヴでレコーディングしたし、ドラムも全部自分で叩いたし、コンピュータのテクニックは使わず、すべて生演奏をレコーディングしたんだ。意識したのは、純粋な作品を作ること。サウンド的には、すごくアナログなものを求めていたね。70年代や80年代から感じられた、自分が好きなあのサウンドを思い起こすような。エレクトロニック・レコードを作らないことは、自分にとって大切だった。そうではなく、アーシーなレコードを作りたかったんだ。あと、前回はただ作りたいものを作ったけれど、今回はアルバムをリリースした後にパフォーマンスする機会が多く待っていることがわかっていた。だから、ステージでズルをすることなく曲をそのままライヴでパフォーマンスできることを考えながら曲を作ったんだ。

ライの音楽はメロウかつスムースで、ベッドルーム・リスニングに適したものでもあるのですが、“Taste”や“Phoenix”のベースラインはディスコ的なダンス・フィールを感じます。ダンス・ミュージックはライの音楽にどのような影響を与えていますか?

MM:ダンスは確かに少し意識したんだ。ライヴをしていて、人々が踊る瞬間が大切だということを学んだから、今回は、ライヴで身体を動かせるような曲も作りたかったんだ。みんながダンスしている瞬間って、美しいからね。僕も子供のころにダンスをやっていたからわかるんだけど、踊っている間、みんながひとつになっているような感覚になるんだ。でも、クラブ・ミュージックを作りたかったわけでもないから、ベッドルームでももっと大きな場所でもどちらでも楽しめる音楽になっていると思うよ。

僕は個人的には政治的な人間だけど、バンドとしては政治的になりたくない。政治的なメッセージを発信して、人びとをさらに分けるようなことはしたくないから。

あなたはこのアルバムにおいて重要なものは「親密さ(Intimacy)」だと説明していますね。これはファースト・アルバムから重要な要素だったと思いますが、その「親密さ」を作り上げるために、音楽的には、具体的にどういったことが重要でしたか?

MM:ヴォーカルをレコーディングする時は、自分が一緒に音楽を作った近いひとだけがそこにいるようにした。親密さは、自分自身に正直に、素直であることから生まれると思うんだけど、大勢でなく、近い少人数のひとだけが周りにいることでリアルになれるし、それをヴォーカルで表現することができるんだ。

『ブラッド』はメランコリックでもあり、同時にスウィートで官能的なためどこか幸福感も感じられます。実際のところ、あなたが『ブラッド』というアルバムにおいて、掴もうとしたフィーリングはどんなものなのでしょうか?

MM:ひとつではなく、様々なフィーリングがこのアルバムには込められている。それを全部ひっくるめて、このアルバムは喜びに満ちたアルバムに仕上がっていると思うよ。人生や変化、新しいものを祝福している作品。悲しみももちろん表現されているし、様々なフィーリングが複雑に絡み合ってはいるけど、全体的にはハッピー・レコードなんだ。

ボノボの作品(『マイグレーション』)でゲスト・シンガーとして登場していましたが、シンガーとしてもっとも意識していることは何でしょう? お手本にしているシンガーはいますか?

MM:ズルをしないことだね。僕は音程を修正するソフトウェアは使わないし、トーンを変えたりもしない。自分の声のトーンを感じるというのは、すごく大切なことなんだ。あと、自分の声、喉の震えから生まれるその瞬間の緊張感も大切だと思う。手本にしているというわけではないし、彼女のように歌いたいと思っているわけではないけど、ビョークは素晴らしいと思うね。尊敬してる。彼女のヴォーカルはすごくクレイジーだから。

社会が荒れるなか、政治的あるいは社会的なメッセージを含めたポップ・ミュージックが現在多く見られます。いっぽうでライの音楽は徹底して逃避的だと感じますが、あなたにとって、音楽が逃避的であることが重要なのでしょうか?

MM:僕も政治に関しては色々なものを読むし、目にするけど、政治について誰かが書いた本、新聞、批評はすでにいくらでも存在しているんだ。僕にできること、僕がやりたいのは、それをさらに増やすことではない。僕が自分の音楽でできるのは、人びとをひとつにすることだと思うんだ。政治に深く関わることだけが生活や人生じゃない。テレビが政治の重要さを押しつけてくるけど、人生において大切なのは、政治よりも分け合うことなんだ。僕は個人的には政治的な人間だけど、バンドとしては政治的になりたくない。政治的なメッセージを発信して、人びとをさらに分けるようなことはしたくないから。ラヴ・ソングで、皆に同じものを感じて欲しい。それが僕が音楽でやりたいことなんだ。あと、政治的になってしまっては、その曲が持つ世界観も限定されてしまうしね。

『ブラッド』はリスナーにどのようなシチュエーションで聴かれてほしいですか?

MM:レコードを理解するまで、ひとりでヘッドフォンで聴いて欲しい。ひとりでなくても、少人数でそれぞれヘッドフォンをつけながらでもいい。で、レコードを聴きこんだら、その経験を誰かとシェアして欲しいな。自分が愛するひとと作品を共有できるようになってくれたら嬉しいね。

最後に、カジュアルな質問です。あなたがもっともセクシーだと思う音楽をいくつか挙げてください。

MM:プリンスの“エロティック・シティ”。すごく官能的だし、美しい曲だから。あとは、オウテカのアルバムの『ガービッジ』(註:4曲入りEP作品)。あのアルバム全体がエロティックだと思う。ひとつの作品で、様々な雰囲気が表現されているんだ。同じ部屋のなかの雰囲気がどんどん変化していく感じ。思いつくのはそれかな。

ありがとうございました!

MM:こちらこそ、ありがとう。日本でまたパフォーマンスできるのを楽しみにしているよ!

編集後記(2018年2月1日) - ele-king

 刊行されてからだいぶ経つが、昨年読んだ小説で面白かったのは村上春樹の『騎士団長殺し』だった。物語の設定が、ここ数年個人的によく考えていることとリンクしたからだ。主人公の「私」は妻と別れ、谷間の入口の山の上の家に住むことになった。家にはパソコンもテレビもないが、ラジオと暖炉があり、レコードコレクションとその再生装置があった。屋根裏にはみみずくが住んでいる。「私」は肖像画を専門とする絵描きで、気が向けば家のレコードを聴く。外部との連絡はメールではなく、家電話を使っている(携帯も持っていない)。
 谷間を挟んではす向かいの山の上には、ひときわ人目を引くモダンな家がある。白いコンクリートと青いフィルターガラスに囲われたその3階建ての家の外側には自動制御された照明があり、家のなかにはエクササイズ・マシンを備えたジムやオーディオルームもある。住人は、「免色」という(色のないという意味の)不思議な名字を持った男。若くして金融関係の事業で財を成した彼は、脱税かマネーロンダリングかで東京地検に逮捕されたことがあるが無罪となって釈放され、会社を売ったお金でその家を買った。なかば隠居的に、ひとりで暮らしている。たまに書斎に籠もってインターネットを使って株式と為替を動かしているらしい。
 いうなれば「免色」は情報の世界に住んでいる。綺麗で明るく、そして脱魔術化された暗闇を持たない世界に住んでいると言える。対して「私」はいわばモノの世界に住んでいる。「私」の家にはみみずくが生息する屋根裏部屋がある。そこには知られるざる過去の記録が隠されている。こうした、谷間を挟んだ山のきわめて暗喩的なふたつの世界が出会うことで(あるいは暗闇をめぐって)物語は展開していく。この設定が、ぼくが音楽文化について切れ切れながらも考えをめぐらせていることと繫がる……というかぼくが勝手に繋げている。

 音楽のストリーミング・サービスは、定額制でどれだけの数量の音楽が聴けるのかというコンテンツ量が重要なポイントになる。どこも似たり寄ったりの量だから、サービスによってJポップが多いか、洋楽が多いかという“傾向”も決め手にはなるだろうが、基本は、自分が聴くであろう数量=情報量に対するコストパフォーマンスが優先される。
 いま音楽は“情報”だ。レコードという“モノ”を買って聴くという行為から得られる体験とは同じであり、違ってもいる。ぼくも定額制のサービスを利用している。自分のプレイリストを作ったりして、それなりに楽しんでいる。聴いていなかった曲をこんなにも簡単に聴けるなんて便利な世のなかだと感心する。ファンカデリックのアルバムだってぜんぶ聴ける。買うことはないであろうが聴きたいとは思うセックス・ピストルズの1976年のライヴとか、ジョイ・ディヴィジョンのライヴとか、そういう微妙な録音物を聴けるのは少し嬉しい。しかし失ったものもある。なんども言われ続けていることだが、それはアナログ固有の音質であり、アートワークのインパクトだ。
 やっぱりモノの強さというのはある。1979年、高校生だったぼくが通っていた輸入盤店の壁の新譜コーナーにザ・ポップ・グループの『Y』とザ・スリッツの『カット』が並んだときの衝撃はそうとうなものだった。恐怖の感覚さえ覚えたものだ。レジデンツやイエロのアートワークもショックだった。輸入盤を買う文化がまだ定着する前の話だ。得体の知れないこれらのレコードを欲することは、自分に悪魔が憑依したのではないかと思うほどぞっとする感覚だった。初めてジョイ・ディヴィジョンの『クローサー』のジャケットを手にしたときもものおそろしさを感じた。写真とデザインもさることながら、あのざらざらの紙はレコード・ジャケットではまず使われない材質だ。1枚のアルバムは、フェティッシュな魅力も携えていた(PiLの『メタル・ボックス』やCRASSのポスタージャケットも)。
 そんなフェティシズムはCDの登場によって後退したのだから、老いたる者の思い出話もいいかげんにしろだろう。もともとの12インチの文化だってヴィジュアルを捨てている。が、アナログ盤はもちろんのこと、CDにしたってリスナーは明瞭に1枚の作品と向き合うことになる。読み応えのあるライナーノートが封入されていれば、さらにその作品の深いところまで聴こうとするだろう。ストリーミングには、そうした音以外に踏みとどまらせる要素がない。すぐ飛ばせるし、どんどんどん他の曲を聴けてしまう(ヘタすればスマホの画面を切り替えて、『サッカーキング』と『BuzzFeed』を見てしまっている)。深い聴き方ができないとは思わないが、どうにもぼくの場合は質よりも量に向かってしまう。
 Spotifyの“人気曲”という機能も良し悪しだ。ラモーンズの人気曲には“ニードルズ&ピンズ”が入ってないし、ウルトラヴォックスの人気曲には“ヒロシマ・モナムール”も入ってないし、カンの人気曲には“ピンチ”も“マザー・スカイ”も入っていないじゃないか(カンの場合はほとんどのアルバムがSpotifyにない。レインコーツもないし)。まあ、こういう突っ込みがタチの悪いことぐらいはわかっている。すべてが網羅されていたら、それこそおそろしい事態だ。まだまだレコードやCDでしか聴けない曲はある。そして、買うほどではないが聴きたい曲を聴ける、しかも移動中に聴けるという便利さがストリーミングにはある。あの音質にさえ慣れてしまえば。
 ぼくが洋楽にのめりこんだ理由のひとつには、アートワークが日本のレコードよりも圧倒的に洗練されていたし、実験的だったということがあった。ストリーミング・サービスの画面に出てくる無数のアートワークはどれもが絵文字のように見えてしまう。それらは、情報としての音楽と同じようにフラットに並んでいる。高度情報化社会では情報がモノと同価である。モノはいらないけれど情報だけが欲しいというひとは多いし、この先もっと増えるだろう。実際のところ、文化は更新されている。何を言っても後の祭りかもしれない。そして音楽は時代の変化を敏感に感じとり、作品に反映させる。

 こうした情報としての音楽と対峙しながら批評的に創作しているのがハイプ・ウィリアムスであり、ジェイムス・フェラーロのような人たちだ。ベリアルの『アントゥルー』がフェイク時代を予見した作品だという議論が昨年の英米では盛り上がったという話だが(紙エレキングの髙橋勇人の原稿を参照)、忘れてならないのは、高度情報化社会に対するシニカルな反応として、謎かけのようなカオスを展開したのはハイプ・ウィリアムスだったということ。何度も書いているけれど、2018年のいまになっても、心底衝撃的だったと言えるライヴは2012年のハイプ・ウィリアムスだ。あれはエレクトロニック・ミュージックの歴史において、ぼくがそれまで経験したことのない、旧来とはまったく違うアプローチだった。匿名性ではなく、偽名性において表現する彼らは、本来であれば暗い照明が好まれるライヴ会場を最終的には目が明けられないほど明るく照らした。あの暗闇のない世界、異様なまぶしさは、インターネット社会の明るさのメタファーだろう。これは幻覚ではない、現実だ。そう言わんばかりの明るさ……。
 チルウェイヴ~ヴェイパーウェイヴないしはヒプナゴジック・ポップなどと言われたいっときの現象は、いま思えば、ひとから睡眠を奪う24時間フル稼働のネット型消費社会への抵抗/渇きのような反応であり、ミステリアスさ/いかがわしさを奪取せんとする動きだったと言える。個人的に苦手ではあるけれど、現在のニューエイジ・ブームがその延長にあるのはたしかだ。ちなみに日本では、元Jesse Ruins/現CVCが主宰するGrey Matter Archivesなるサイトが、サイバースペースにおける妖しい輝きを発している。ぼくがかつて感じたアートワークへの衝撃は、ひとつはいまはこういうところ、デジタル・アンダーグラウンドな世界で起きている。

 その明るさに懐疑的で、高度情報化社会にどこかで抗おうとしている自分がいる。『騎士団長殺し』をぼくのように読む人は多くはないだろうけれど、あの小説はアナログ盤にかじりついている音楽ファン目線で読んでいくとそれはそれで面白いのだ。「私」の親友がカセットテープで音楽を聴きたいがために車を古いのに買い換えたというエピソードはちとやり過ぎじゃないかと思ったけれど、カセットテープを買ってダウンロードで聴くという行為よりはスジが通っている。
 小説のなかでもっとも好きなフレーズは、その親友から「今はもう二十一世紀なんだよ。それは知ってたか?」と問われるところだ。「話だけは」と私は言った。──と小説では続く。ぼくはなんとか21世紀を生きている。シーンにおけるキーパーソンや注視すべきポイントもより見えてきている。年末年始の休みのあいだはコンピュータを持たず、本とスマホだけを持って帰省した。この1〜2年は移動中はストリーミングでひたすら音楽を聴いている。近年は12インチ・シングルが少量しかプレスされないので、すぐに売り切れる。アナログ盤にこだわっていると良い曲を逃してしまうことになる。自分はいまのリリース量/リリース速度についていけてないので、こういうときにインターネットやストリーミングはありがたい。リー・ギャンブルが見いだした、グラスゴーを拠点とするLanark Artefaxは、〈Wisdom Teeth〉のLoftなどとともに、近々間違いなくテクノ新世代としてより広く注目されると見た。Spotifyに入っている人は、「Whities 011」というシングルを聴いて欲しい。21世紀を生きるドレクシアがここにいる!
 (※リリース元は、抜け目のない〈ヤング・タークス〉傘下の〈ホワイティーズ〉です)


Filastine & Nova - ele-king

 いまエレクトロニック/クラブ・ミュージックはどんどんワールド・ミュージックと交錯していっている。とはいえ、一言で「ワールド・ミュージック」といってもそのあり方はじつに多岐にわたる。その多様性や複雑さを損なうことなく新たな形で示してくれるアクトのひとつが、世界各地の音楽を実験精神をもって表現しているデュオ、フィラスティン&ノヴァだ。バルセロナを拠点としているフィラスティンとインドネシア出身のノヴァから成るこのユニット、詳しくは下記のバイオを読んでいただきたいが、なかなかに尖っている(ちなみにフィラスティンは先日亡くなったECDこんな曲を共作してもいる)。そんな彼らの久しぶりの日本ツアーが開催されるとのことで、これは足を運ばずにはいられない。東京公演には KILLER-BONG や ZVIZMO(伊東篤宏×テンテンコ)らも出演。要チェック。

越境するマルチメディア・デュオ、FILASTINE & NOVAのジャパン・ツアー決定!
東京公演は2/11(sun)に代官山のSALOONにて開催!

 2月にバルセロナを拠点とする作曲家/映像作家フィラスティンと、インドネシア出身のネオ・ソウル・ヴォーカリスト、ノヴァ・ルスによるデュオが来日、ジャパン・ツアーを敢行する。「都市の未来を崩壊させるようなベース・ミュージック(Spin)」、「ワールド・ミュージックというよりも、もう一つの世界から来た音楽(Pitchfork)」と評される、映像、音楽、デザイン、ダンスを駆使したダイナミックなライヴ・パフォーマンスは必見だ。

FILASTINE & NOVA
Drapetomania Japan Tour 2018

2/6 福岡 art space tetra
2/7 尾道 浄泉寺
2/8 名古屋 K.D Japon
2/9 京都 octave
2/11 東京 SALOON
2/12 札幌 第2三谷ビル6F 特設会場

 2/11(sun)に代官山のSALOONにて開催される東京公演では、“最も黒い男” KILLER-BONG、アヴァン・エレポップ/ストレンジ・テクノイズを響かせる ZVIZMO(伊東篤宏×テンテンコ)がライヴを披露、また、オリジナルなワールド・ミュージック/伝統伝承の発掘活動も展開する Shhhhh、空族の映画『バンコクナイツ』への参加でも知られる Soi48、ヒップホップやアンビエントを行き来しながら活動を展開する YAMAAN といった独創的なDJたちがスペシャルなプレイをくり広げる。VJとして rokapenis の参加も決定している。世界各地域の音楽、文化を実験精神をもって独自に表現する面々によるクレイジーでダンサンブルな一夜になるだろう。

FILASTINE & NOVA
Drapetomania Japan Tour 2018 in Tokyo

2018.02.11 (sun)
@代官山 SALOON
Open/Start 18:00
Adv 2500yen(1D付き)/ Door 3000yen(1D付き)

| Live |
FILASTINE & NOVA
KILLER-BONG
ZVIZMO

| DJ |
Shhhhh
Soi48
YAMAAN

| VJ |
rokapenis

| Ticket |
前売りチケット取扱い店
・IRREGULAR RHYTHM ASYLUM
・disk union
└ 渋谷クラブミュージックショップ
└ 下北沢クラブミュージックショップ
└ 新宿クラブミュージックショップ
└ 新宿ラテン・ブラジル館
└ 吉祥寺店
└ 池袋店

・予約 filastine.tokyo2018@gmail.com

| Info |
IRREGULAR RHYTHM ASYLUM
https://ira.tokyo/filastine-nova-tokyo/ | 03-3352-6916


【PROFILE】

●FILASTINE & NOVA

バルセロナを拠点とする作曲家/映像作家フィラスティンと、インドネシア出身のネオ・ソウル・ヴォーカリスト、ノヴァ・ルスによるデュオ。ブラジルのカーニバルのバトゥカーダやモロッコの神秘主義者たちとの関わりから打楽器を学び、ラディカル・マーチングバンド The Infernal Noise Brigade を率いたフィラスティンと、幼い頃からペンテコステ派の霊歌やコーランを歌い、ガムラン・パーカッションを演奏し、インドネシアのヒップホップ・シーン草創期にラッパーとしても活躍したノヴァが生み出す音楽は、まさに「ワールド・ミュージックというよりも、もう一つの世界から来た音楽(Pitchfork)」である。世界各地の音楽フェスティバルに出演する以外にも、ドキュメンタリー映画『アクト・オブ・キリング』の公式ミックステープ制作や、フランス・カレーの巨大難民キャンプ「ジャングル」でのライヴ、掃除婦や鉱夫などの底辺の労働者がダンスによって解放される映像シリーズの制作など、音楽を通して「もう一つの世界」の実現を目指すラディカルな表現活動を続けている。2017年に最新アルバム『Drapetomania』を発表した。
https://soundcloud.com/filastine

●KILLER-BONG

〈BLACK SMOKER RECORDS〉主宰、最も黒い男。

●ZVIZMO

蛍光灯音具 OPTRON (オプトロン) プレイヤーの伊東篤宏と、アンダーグラウンド⇔メジャーを縦横無尽に行き来する テンテンコ によるデュオ・ユニット。テンテンコの聴き易いが意外に重たいエレクトロ・ビートと伊東のフリーキーだが意外とキャッチーな OPTRON が作り出すその音世界は「奇天烈だが何故かフレンドリー」な響きに満ちている。2017年11月に〈BLACK SMOKER RECORDS〉より1st アルバムをリリースした。

●Shhhhh(El Folclore Paradox)

DJ/東京出身。オリジナルなワールド・ミュージック/伝統伝承の発掘活動。フロアでは民族音楽から最新の電子音楽全般を操るフリースタイル・グルーヴを発明。13年に発表したオフィシャルミックスCD、『EL FOLCLORE PARADOX』のコンセプトを発展させた同名レーベルを2017年から始動し、南米から Nicola Cruz、DJ Spaniol らを招聘。アート/パーティ・コレクティヴ、Voodoohop のコンピレーションLPのリリースなど。dublab.jp のレギュラーや、オトナとコドモのニュー・サマー・キャンプ“NU VILLAGE”のオーガナイズ・チーム。ライナーノーツ、ディスク・レヴューなど執筆活動やジャンルを跨いだ海外アーティストとの共演や招聘活動のサポート。全国各地のカルト野外パーティー/奇祭からフェス。はたまた町の酒場で幅広く活動中。
https://soundcloud.com/shhhhhsunhouse
https://twitter.com/shhhhhsunhouse
https://www.facebook.com/kanekosunhouse

●Soi48(KEIICHI UTSUKI & SHINSUKE TAKAGI)

旅行先で出会ったレコード、カセット、CD、VCD、USBなどフォーマットを問わないスタイルで音楽発掘し、再発する2人組DJユニット。空族の新作映画『バンコクナイツ』にDJとして参加、〈EM Records〉タイ作品の監修、『爆音映画祭タイ・イサーン特集』主催。フジロックや海外でのDJツアー、トークショーやラジオなどでタイ音楽や旅の魅力を伝えている。その活動の様子はNHKのTV番組にも取り上げられ大きな話題となった。CDジャーナル、boidマガジンにて連載中。英Wire Magazineにも紹介された、『Soi48』というパーティーを新宿歌舞伎町にて不定期開催中。Brian Shimkovitz (AWESOME TAPES FROM AFRICA)、Zack Bar (FORTUNA RECORDS) からモーラム歌手アンカナーン・クンチャイ、弓神楽ただ一人の後継者、田中律子宮司など個性的なゲストを招いてのパーティーは大きな反響を呼んでいる。タイ音楽と旅についての書籍『TRIP TO ISAN: 旅するタイ・イサーン音楽ディスクガイド』好評発売中。
https://soi48.blogspot.jp/
https://www.instagram.com/soi48/

●YAMAAN

HIPHOPやAMBIENTを行き来しながら活動中。2017年2月に“NN EP”をリリースした。
@Mirage______

R.I.P. ECD - ele-king

ECDさんといつまでも(Together forever)

矢野利裕

 ECDさんが亡くなってしまったことが、とても悲しく、つらいです。

 ele-kingのかたより「ECDさんの追悼文を書きませんか」と連絡をいただきました。わざわざ人前で追悼文を発表することに抵抗感があるし、「オレなんかが」という気持ちもあります。しかし、そういう局面において、いつでも覚悟を持って言葉を発することを選び続けることが、ECDさんをはじめとする日本語ラップの格闘だったはずで、僕自身、この20年、日本語ラップのそういうアティテュードにおおいに勇気づけられてきたので、自分なりにECDさんについて書かせてもらいます。

 紋切の言いかたですが、20年まえ、14歳のときに『BIG YOUTH』という作品でECDを知ったことからこそ現在の僕がいます。本気でそう思っています。具体的に言うと、地に足をつけた労働者であるとともに、表現者であるということ。僕はいま、自分なりのヒップホップ観の延長で、中高一貫校の教員という仕事をしています(ようするに、KRS ONE的「TEACHA」による「Edu-tainment」を目指している、ということです)。幸いなことに、それなりにまともな給料をもらっています。ただ、よく言われるように、教員というのはなかなか休みに恵まれません。運動部の顧問ということもあり、土日の休みもままならず、肉体労働の側面も強いと感じます。疲労とストレスがたまって、肉体的・精神的に弱ってくるたびに「いっそ文章を書くことに専念したい」と思います。でも、辞めない。なぜか。でも、お金の問題は関係ない。仕事を続けるのは、労働をしながら表現をすることが誠実でかっこいいことだ、と思っているからです。労働者であることと表現者であることが深く結びついていること。生活が表現を生むこと。その表現が生活に戻ってくること。そういう生きかたを強烈に体現した人が、ECDさんでした。「21世紀のECD」以降を生きる僕にとって、「好きなことをして食べる」という一途な生きかたは、それほど魅力的には映っていないのです。

 『BIG YOUTH』を初めて聴いたとき、ヒップホップというものに触れること自体がほとんど初めてだったから、めくるめくサウンドとラップに本当に衝撃を受けました。ああ、こんなにもスリルと喜びに満ちた音楽があるのか! すぐに心を奪われました。『BIG YOUTH』は、自分が音楽にのめり込むきっかけの大きなひとつで、例えば、マーヴィン・ゲイを聴くようになったのは、「ECDのロンリー・ガール feat. K DUB SHINE」で下敷きにされていたからでした。その他、ミュート・ビートにしてもデ・スーナーズにしても、「ECDが使ったから」が根拠になって、自分の音楽の世界は広がりました。『BIG YOUTH』の冒頭、クール・ハーク、グランドマスター・フラッシュ、ラキム、KRS ONEの名前が出てくるのですが、無知な自分としては、それらがなにを意味しているのかまったくわからない。人の名前だったと知るまで、まるで呪文のように頭にこびりついていました。あるいは、「復活祭」においてシャウトアウトされるポール・Cや江戸アケミの名前。こちらは、人名だとは分かったけど、いくらヒップホップの棚を見ても、ポール・CのCDなどないし(エンジニアだから当然だ)、江戸アケミという人も見つからない。だから、さらに調べて探す(遅いぞ、追いついて来い)。僕にとって1998年とは、ECDさんに導かれるように、次々と新しい音楽に出会う幸福な時期でした(この点においては、実はもうひとり、同時期のDEV LEARGEという存在もすごく大きかったです。ECDさんもDEV LEARGEさんも亡くなってしまい、僕の音楽的原風景が無くなってしまった気持ちです)。

 ECDさんはその後、ヒップホップ自体から距離を取るようになりました。「ヒップホップでなければ何でもいい」という態度で制作された『MELTING POT』をはじめ、この時期の作品(ka『MELTING POT』『THRILL OF IT ALL』『SEASON OFF』)は、アルコール中毒に悩んでいた時期ということもあるのか、いびつな印象もありますが、そのぶん、ECDさんが切り拓く新しい領域に食らいついて行こうと、熱心に聴き込んだことを覚えています。だから、いずれも大好きな作品です。avexを辞め、ECDさんが本格的に働き始めるのもこの時期で、個人的には、このあたりからECDさんがまた違うフェーズに入ったと思っています。自主盤として『失点 in the park』『ECDVD』『Private Control』シリーズなどが、安価で発売されました。『失点 in the park』のジャケットは、「反戦」「スペクタクル社会」と書かれた公衆トイレの写真です。この公衆トイレがあるわかば公園は、まさにECDさんを聴き始めた中学生時代、友人たちとのたまり場になっていたところだったので、驚きました。この頃から、音楽以上にECDさんの生きかたや態度について、深く受け止めるようになった記憶があります。正確に言えば、ECDさんの音楽に向き合うことがそのままECDさんの生活や考えに向き合うことを意味した、という感じでしょうか。例えば、アルバム『失点 in the park』はたしか、定価が1500円でした。レコード会社を通して高くするより自主盤で安く届けたほうがいい、というECDさんの信念の反映です。あるいは、サウンドデモの不当逮捕に対して作られた「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」という曲は、著作権とは関係のないところで朱里エイコの曲をそのまま使い、即日ウェブにアップされました。政治的なリリックだから政治的なのだということではなく、音楽にともなうECDさんの振る舞いすべてが、政治的なアティテュードとしてありました。僕自身、社会問題や政治思想を自分の問題として考えるようになったのは、明確にこの時期、ECDさんがきっかけでした。僕が刺激を受け、惹かれていたのは、労働も生活も表現もすべて飲み込んで、全身で社会と対峙しているECDさんのありかたでした。意欲的であり続けるECDさんの新作を聴くたび、生活人としての自分の中途半端さに恥じ入るような気持ちとともに、またエネルギーが湧いてくるのでした(遅いぞ、追いついてない)。

 日々、仕事して給料をもらう。充実してもいるが、ときには疲弊もする。そんなときは、愛すべき音楽を聴いて、明日へのエネルギーとする。日々の労働のなかで感じたことや考えたことを、言葉にして文章を書く。生活のなかから言葉を練り上げる。その言葉をまた生活のほうに戻す。僕の暮らしは、だいたいこんなものです。でも、このなかに、話したこともないECDさんから受け取ったものがどれほどあることか。もちろん僕は、教員になるような退屈な男で、ECDさんのようなラディカルさやアナーキーさはありません。個別には、意見の違いもあるでしょう。とは言え、個人的な思いとしては、いま、この文章を書いている、明日、また仕事に行く、その行動ひとつひとつのなかに、ECDさんの存在が入り込んでいるように感じます。もしECDさんがいなかったら、いまの僕はばらばらにほどけてしまいそうです。その意味で、多くのファンと同じように、自分にとっていちばん大事なミュージシャンでした。とても悲しく、つらいです。

 昨年、ECDさんの自伝的エッセイ『他人の始まり 因果の終わり』が出ました。家族をめぐるこの作品は、パンクスとして「個」になったECDさんが、その地点から、ヒップホップによって新しい「つながり」(POSSE)を築く物語だと思いました。大学院生のとき、アルバイトさきの中古レコード店が素人の乱の近くでした。夕方になると、近所のバンドマンから冷えた味噌汁の差し入れがあるなど、オルタナティヴな「つながり」を肌で感じていました。素人の乱店主のひとり、松本哉さんがおこなった「高円寺一揆」にECDさんが来るかもしれない、ということを、僕がECDファンであることを知っている、インテリパンクさんという年上の友人に教えてもらいました。当日、フィラスティンのDJ中にふらりと現れたECDさんは、アカペラで「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」を披露しました。高円寺駅前に出現した一時的自律ゾーンで大好きな「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」がラップされる、というスリリングな状況に、僕はずいぶん興奮し、いちばんまえで、ECDさんに合わせて、ずっと大声でラップをしていました。このときのことについては、ECDさんの『いるべき場所』という音楽的自伝の最後に書かれています。

 しばらくして、司会らしきひとのリクエストで僕はアカペラで「言うこと~」をやることになった。最近のライヴではレパートリーから外れていた「言うこと~」は歌詞がうろ覚えで誤魔化し誤魔化しのラップだったが、ひとびとのレスポンスがそれを補って余りあるものだった。コール&レスポンスがあんなに自然発生的に盛り上ったのは自分のライブでは初めてのことだった。

 いまでも思い出すのは、このとき、ECDさんが「わかっちゃいるけど路上解放区」という一節が出てこなくて、大声で歌っていた僕の声だけが一瞬、鳴り響いてしまったこと。僕のなかでは気恥ずかしい思い出として残っていたのですが、のちの『いるべき場所』によれば、ECDさんはその場面を「ひとびとのレスポンス」として捉えていました。ECDさんが書いている場面と僕が思い出している場面が同じという保証もないのですが、『いるべき場所』を読んだとき、自分がECDさんの「音楽的自伝」のなかに参加したようで勝手に嬉しくなりました。なかば妄想として自分に言い聞かせるように書きますが、単にテンションが上がっているだけの僕の声が、目のまえのECDさんにとって、ほんの少しだけでも力になったのなら、それはなんと喜ばしいことでしょう。涙が出そうです。もっとも、僕がECDさんから受け取ったエネルギーに比べたら、ほんの微々たるものですが。まったくの「他人」である僕は、「他人」であるからこその仕方でECDさんとともに歩ませてもらった、という気持ちがあります。ここには書ききれませんが、アルバムから12インチから、本当に全作品がそれぞれに素晴らしいです。そのようなECDさんの表現に触れることは、僕にとって生きることの一部でした。これは、ECDさんの言う「つながり」(POSSE)と言えるでしょうか。言いたい気持ちはあるけど、わかりません。ECDさんの死後も、そのような「つながり」(POSSE)の感覚は維持されるでしょうか。ECDさんといつまでも。

 労働と生活と表現のすべてを飲み込んで、最後まで全身でこの社会を生ききったECDさんが亡くなってしまいました。ECDさんのファンである僕も、ECDさんのように、働き、生活をし、表現をし、全身で生ききりたいという気持ちがあります。でも。でも、ECDさんが亡くなった以降にそれを実践するのは、とても厳しいよ! ああ、悲しいよ! 体がばらばらになって、ふとしたとき、自分が自分でなくなってしまうようだ! だって、いまの仕事をしていることも、それを続けていることも、その合間にこうやって文章を書いていることも、その出発点にはECDがいるじゃないか! あの、まっすぐに社会と対峙し、そこから唯一無二の表現を練り上げるECDの姿が! ECDがいたから! 本当にありがとうございました! 本当に本当にありがとうございました! これからがんばってみます! どうか、安らかに。


追悼ECD

野田努

 ぼくが石田さんの曲でいまでも強く印象に残っているのは、“言うこと聴くよな奴らじゃないぞ”だ。2003年の対イラク戦争への反戦集会で、石田さんは1枚100円でこの曲のCDRを手売りしていた。その曲はデモ隊への励ましの曲だった。2年前のSEALDs主宰の国会議事堂前の抗議集会のときに、酸欠か何かでひとりの女性が倒れたことがあった。数人の男性がその女性を救護していたのだが、そのひとりが石田さんだった。あ、ECDがいる、と遠目に見ながら思った。石田さんはずっと変わらずに、仕事をしながら音楽活動を続け、ある時期からご家族を支えようと奮闘し、現場での献身的な(反戦、反原発、反差別などの)抗議活動も続けていた。そんなアーティストがこの世から消えたのだ。覚悟していたこととはいえ、あらためてその喪失感を感じている。とても悲しい。24日朝方の悲報に日本中のファンが大きな悲しを覚えたことと思う。
 ぼくが初めてお会いしたのは『Big Youth』(1997年)のときだった。「最近は働きながらバンドやっている連中に共感する」みたいなことを、当時はメジャーレーベルに所属して、ヒップホップのスポークスマン的な立場をこなしていた彼は言った(まだミュージシャンがそれなりに潤っていた時代にである)。『シック・オブ・オール・イット』のときは自分はヒップホップと同じようにパンクも好きなんだと、この元ロック少年はなんども「パンク」を強調した。それ以降も断続的にお会いする機会があった。2000年代前半の『ファイナル・ジャンキー』の頃はライヴハウスでなんどかライヴを観ている(共演者はハードコア・バンドのSFPであったり、ヒップホップ・グループのMSC であったり……まさにパンクとヒップホップのECDだった)。個人的に好きな曲がMute Beatをサンプリングした“ECDのAfter The Rain”だったので、こだま和文さんと対談してもらったこともあったな。
 ぼくが最後に編集長を務めた009年の『remix』で(『天国よりマシなパンの耳』の頃)、「ボヘミアン」をテーマに原稿を依頼したことがあった。そうしたら文中に当時の自分の所得額をしっかり書いて、月40万もらっていたメジャー時代の収入の半分にも満たない「いま」のほうが、もちろん不安を抱えてはいるが、生きていて楽しいというようなことを書いてきた(家族がある身でそれだけじゃダメなんだけど、とも加えて)。そういうことを本心からさらっと言えてしまうのが、ECDだった。ピュア、あるいはピュアリストという言葉は、ときにシニカルな使われ方をするけれど、石田さんはぼくから見て、デヴィッド・ボウイの歌詞の世界を本気で実践しているかのような、あまりにもピュアで、ある意味ピュアリストだった。その真面目さに息苦しさを感じたこともあったけれど、ぼくが知る限りで言っても、ECDは見えないところで人を助ける人だった。くだんの原稿のときは、ジョージ・オーウェルの『葉蘭を窓辺に飾れ』の翻訳本の表紙を自分のページのヴィジュアルに指定してきたが、この世知辛いご時世のなか、ある種プロレタリアートめいた自分を誇りにさえ思っていたのではないだろうか。それはいわゆる清貧主義ではないと思う。それはいまになってもぼくには説明がつかない、ひとつの信念のようなものが彼にはあるんだとずっと感じていた。そうえいば、ECDとは稲垣足穂の『弥勒』に出てくる江美留について話したこともあった。
 昨年の春頃、紙エレキングのヒップホップ特集の際に取材でお会いしたのが結局は最後となってしまった。貧困問題をテーマに喋ってもらったそのときにも「お金がなくても自由だぜ」ってことを伝えたい、と彼は言った。気の利いた未来像などラッパーは言わない、ただ「生きてるぜ」ってことを見せるのがラッパーだ、と彼は言った。なんて力強い言葉だろう。いつだってECDは弱き者、不器用な者、ドロップアウター、スマートには生きられない者たちの味方であり、基本的にそこから外れたことはなかった。石田さん、本当に本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。心からご冥福を祈ります。
(※写真は、カメラマンの小原泰広が2007年に『失点 in the Park』で描かれた下北沢の公園で撮影したものです)
 
 


『いるべき場所』のこと

大久保潤

 ECDによる私的音楽史を書いてほしいと思ったのは、『RECORDer』というミニコミと『クイック・ジャパン』誌に載った「ECDの音楽史」という記事がきっかけだ。前者は日本のパンク/ニューウェイヴ、後者は日本のヒップホップ・シーンについての貴重な目撃証言だった。
 とはいえ、当時の自分はECDとは面識もなく、紹介してもらえるような知人もいない。どうやって連絡を取ったらいいか考えた末、『SEASON OFF』収録の“GO!”という曲で、自分の住所をラップしていたので(!)、それを頼りに手紙を書くことにした。
 「もう引っ越してるかも……ていうかそもそも本当の住所なのかな?」とか思いつつ投函するとほどなくメールが届き、下北沢駅前の、駅舎に隣接したドトールで会うことになる。寡黙だが発言に無駄のない人なので、話は早かった。音楽的自伝という趣旨で、基本的に1章につき10年分とすること(1960年生まれなので、産まれてからのことを10年ごとに書いていくとちょうど60年代、70年代……となるのだ)にして、毎月1章ずつ書いてもらうことにした。途中から内容の濃くなる時期は5年で1章になったりもするが、それでも半年くらいで書き上がる計算だ。
 それから月に1度、同じドトールで会うことになる。原稿用紙に鉛筆書きで推敲の跡も生々しく残った原稿を受け取り、その場で目を通す。書いた本人が目の前にいて、無言でじっと見ている中で原稿を読むというのはこちらも緊張する時間だったが、さいわい毎回面白かった。そのドトールはもうずいぶん前になくなってしまったけれど、下北の南口に出ると今でも当時の店内の様子とECDの顔が目に浮かぶ。
 締め切りはきっちり守ってくれて(時にはちょっと前倒しでくれることすらあり)、そこから本が出るまではスムーズだった。こちらは『ECDの音楽史』というタイトルを考えていたのだが、本人が『いるべき場所』にしたいという。ちょっとわかりにくいでは?という気もしたのだが、居場所を求めて様々なシーンを転々とする軌跡を描いた本なので、すぐに納得した。一冊の本のタイトルであることを超えて、ECDの人生を表すキーワードのとなったと思う。
 最後に新しく彼女ができたことを明かしてこの本は終わっている。その「彼女」と結婚して間もなく子供も生まれ、ECDの人生はまた新たな局面を迎えた。それ以外にもいろんなことがあったその後10年のことを加えた『増補版 いるべき場所』を作りたかったのだけれど、それもかなわなくなってしまった。「直したい箇所がある」とは聞いていたので、せめてそこだけでもちゃんと教えてもらっておけばよかった。今はそのことばかり考えている。

interview with Nightmares On Wax - ele-king

 ダンス・ミュージックがもたらしたリズムの発明は、フィジカルな肉体の運動を促すものだけではない。ある種の、甘美なる怠惰のためのBGMというか、リラックスのためのビートも生み出している。ある種のヒップホップの手法だったブレイクビーツから派生したダウンテンポと呼ばれる音楽は、リラックスのための最良のグルーヴを生み出した(もちろん、そのリズムであなたがゆったりと体を動かすことは自由だ)。ジョージ・エヴリン(DJ E.A.S.E.)を中心としたプロジェクト、ナイトメアズ・オン・ワックスとは、その名前とは裏腹に、心地よいその手のサウンドのイノヴェイターとしてUKの音楽史に30年近く君臨してきたアーティストだ(そういえば、LFOのマーク・ベルが2014年に死去したことを考えれば〈WARP〉の最古参アーティストでもある)。

 1995年にリリースしたセカンド・アルバム『スモーカーズ・デライト』が、そのアーティスト史的には転機と呼べる作品であり、音楽史に残るある種の発明でもある。ソウルやファンク、R&B、そしてレゲエ/ダブなどを吸い込んだ、ヒップホップ的なサンプリング・センスと、ザ・KLFの『チルアウト』のコセンプトを掛け合わせたというそのサウンドは、まさにヒップホップのある種の“チルアウト性能”を極限まで音楽的に増大させた。それはダウンテンポ(もしくは当時の流行り名でいえばトリップホップ)と呼ばれる音楽の雛形のような作品となった。そのタイトルが象徴するようなある種の実用性(むろん、そこから離れた単なるリラックスした空間での実用性も含めた)のなかでのサウンドトラックとして増殖し続け、フォロワーも星の数ほどいるジャンルとなっている。


Nightmares On Wax
Shape The Future

Warp / ビート

DowntempoR&B

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 前置きが長くなったが、ここにナイトメアズ・オン・ワックスの実に5年ぶりとなる8作目の新作『シェイプ・ザ・フューチャー』が届いた。野太いベースとソウルフルなサウンドに支配されたダウンテンポ──基本サウンドはもちろん『スモーカーズ・デライト』から変化がないと言えるかもしれない。しかし、もはやそれは彼の作品を貫く美学でもある。もちろん、これまで以上に熟成したサウンドが展開されてもいるし、そして新たな変化もある。ひとつ新作の特徴を挙げるとすれば、それは歌にフォーカスしたアルバムと言えることだ。これまでの作品にも参加してきた、モーゼズ、LSK、クリス・ドーキンス、JD73、シャベルといったシンガーに加えて、サディー・ウォーカー、ジョーダン・ラカイ、アンドリュー・アショングなど新世代のシンガーも参加しており、アルバム全体としてはR&Bへとそのサウンドの舵をきっているとも言えるだろう。彼のサウンドの長年のファンに説明するとすれば、どちらかといえば近作2作のファンキーなビート・サウンドの作品よりも、『マインド・エレヴェイション』や『イン・ア・スペース・アウタ・サウンド』といった、歌モノが心地よい、よりチルな雰囲気のシルキーでソウルフルなサウンドを思い浮かべてもらえればいいかもしれない。甘美な怠惰のためのビートはソウルフルに鳴り続けるのだ。

メディアの言うこと、政治、他人が言ったことではなく、自分のフィーリングや自分と誰かの会話から生まれるものに従って世界を見て、未来を作っていくという意味さ。

現在もリーズに住まわれているんでしょうか? それともイビサですか?

ジョージ・エヴリン(George Evelyn、以下GE):イビザだよ。もう11年になる。

制作はどのくらいの期間で行われたのですか?

GE:3~4年くらいかな。はっきりとは言えないんだけどね。というのも、俺はアルバムを作ろうと決めて作品を作り出すわけではないから。常に曲を作っていて、ある程度の数ができあがったときに、それにアルバムとしてのまとまりを感じれば、そこで「お、これはアルバムになるな」と思うんだ(笑)。

〈WARP〉の他のアーティストもそうだと思いますが、リリース・サイクルは自由なんですね(笑)。

GE:そうだよ。あまり「なにかを作らなければいけない」という考えに縛られるのが好きじゃないんでね。自分のなかから自然に出てくるものを活かしたいんだ。締め切りとかに制限されず、自分の音楽には自由なスピリットを取り入れたい。そっちの方が、誠実な作品を作ることができるからね。

資料には本アルバムの制作をして「肉体的にも精神的にも新しい旅をした」と書かれていますが具体的にはどんなところでしょうか?

GE:肉体的というのは、もちろんツアーで旅をしていたこと。そして、その旅を通じて様々な文化を体験したし、国を訪れる度に、現地の人たちに聞いて、その土地の社会や経済、政治、音楽シーンについて学んだんだ。それによって、世界をまた違った角度から見ることができた。様々な問題や崩壊したシステムが存在することがわかったし、俺は、それに興味を持ったんだ。精神的というか、内面的にも様々なものを見て、感じたんだよ。その経験を通して、世界の見方について考えるようになった。多くの人々は、自分の目で世界を見ていないと思う。外部からの情報に影響されていて、その情報は正しいものでなかったり、ポジティヴでないものが多いんだ。そこで、もし自分たちがそういうものに左右されず、情報、政治、宗教がなく、自分たち自身の見解で未来を考えたらどうなるだろうと考え始めた。世界をどう見るか自分たちにはどんな未来にするかを選ぶ選択肢があるということ。それに気づき、それを表現したいと思ったんだ。

それでアルバムのタイトルが「Shape The Future」なんですね?

GE:その通り。メディアの言うこと、政治、他人が言ったことではなく、自分のフィーリングや自分と誰かの会話から生まれるものに従って世界を見て、未来を作っていくという意味さ。

本作はこれまでのあなたのキャリアで最も“歌”に注力したアルバムではないかと思うんですがいかがでしょうか? もしそうであれば理由も教えてください。

GE:結果的にはそうだね。でもさっきも話したように、俺は計画して作品を作るわけではないから、たまたまそうなったんだ。ただそれくらい、今回は伝えたいメッセージがあったんだろうね。俺の音楽は作っている時の自分の状態が映し出されたものだから。

Little Ann “Deep Shadows”をカヴァーしたのはなぜですか?

GE:アルバムに女性のミュージシャンをフィーチャーしたらいいんじゃないかという話をマネージャーとしていて、マネージャーが送ってきた曲の候補の中にあの曲があって、いいなと思ったんだ。誰かと親しくしていても、その関係の中でなにかが満たされないというか。ひとつの方向にとらわれず、複数のアングルから人間関係を見ているのが面白いと思った。そういう曖昧な部分に惹かれたんだ。

これまでの作品にも参加してきたシンガーに加えて、ジョーダン・ラカイ、アンドリュー・アショングといったシンガーも名を連ねています。彼らはどのように起用したのでしょうか?

GE:ふたりとも、俺のイベント《Wax Da Jam》に参加してくれたアーティストなんだ。アンドリューとは、曲を作って、去年EPとしてリリースしたんだけど(註:2016年のEP「Ground Floor」のこと)、その作品の出来が良かったからまた彼を招くことにしたんだ。さっき話したイベントのクロージング・パーティーでジョーダンはプレイしたんだけど、その次の日に俺の家でバーベキューをやって、それに彼が来て、その流れで一緒にスタジオに入ってレコーディングした。その曲をアルバムに入れることにしたんだよ。

ベースは、暖かい毛布のようなもの。そう考えればいいのさ(笑)。寒かったら、俺のレコードを聴けばいい(笑)。

また今回はウォルフガング・ハフナーなど、ジャズ・ミュージシャンの演奏も多く取り入れている模様ですが、このあたりはどういったコンセプトがあったんでしょうか?

GE:いや、ないね。さっきも話したように、あまり何かを決めて作品を作ることはないから。これまでもジャズ・ミュージシャンたちとはたくさん共演してきているから、俺は特に多いとは感じていない。アルバムに参加してくれているミュージシャンたちは、皆友だちなんだ。彼らのような素晴らしいミュージシャンに参加してもらえたのはすごく嬉しいね。

全体の何割ぐらいをミュージシャンの生演奏を使っているのですか?

GE:50%くらいだと思う。このアルバムに限らず、俺は常にアナログとデジタルの融合を意識している。

やはりいまでもサンプリングという作曲方法にマジックを感じていますか? それはどんな部分ですか?

GE:もちろん。サンプリングは俺にとって主要な表現方法だからね。サンプリングに自分のアイディアを混ぜ、新しいものを作る。俺のバックグラウンドはヒップホップだから、サンプリングは俺をここまで連れてきてくれた基本。曲作りにおいてだけでなく、曲選びのスキルもサンプリングで鍛えられたと言ってもいい。サンプリングの魅力は、ある曲のわずかな数ミリの瞬間をもとに、そこにアイディアを加えて混ぜることで、全く新しい作品が生まれるところだね。

あなたやJ・ディラといったアーティストが切り開いたブレイクビーツ・ミュージックが逆に新世代のジャズ・アーティストに影響を与えるという状況もでているようです。こうした事態に関してあなたはどう思いますか?

GE:興味深いと思うよ。インスピレーションの循環のひとつだと思うし、それがナチュラルに起こっているならより良い。意識してやってしまうと、それはコピーになってしまうからね。インスパイアされることによって自分の作品がより深いものになるなら、それは素晴らしいことだと思う。

最近のジャズやR&Bのアーティストでおもしろいと思うアーティストはいますか? たとえばハイエイタス・カイヨーテやロバート・グラスパーなどはどう思いますか?

GE:Electrio っていうイギリスのグループで、彼らはすごく面白いよ。それからニック・ハキム。ハイエイタス・カイヨーテもロバート・グラスパーも素晴らしいと思うよ。ハイエイタスはアルバムも良かったし、去年フェスで一緒になったからパフォーマンスを見たけど、あれは素晴らしかった。あと、カマシ・ワシントンも最高だね。

アラン・キングダムはなぜ起用したのでしょうか?

GE:すでに作っていた曲があって、そこにもっと若いエナジーを加えたいと思いつつそのままになっていたんだ。でも、あるときアランがスタジオに来る機会があって、彼がピッタリだと思った。彼はコンテンポラリーなヒップホップ・アーティストだし、アルバムにダイナミックさをもたらしてくれると思ったんだ。

この作品に限らず、いくつかの例外はあるにせよ、あなたの作品は基本的にある種のベース・ミュージックだと理解しています。とても心地よいヘヴィーなベースがずっとなっていて、それが楽曲全体を印象づけていると思っています。

GE:どうだろう(笑)。心地よい音楽を作っているつもりではあるし、暖かいベースを作りたいとは思っているけど(笑)。暖かくもありながら、セクシーな気分になったりダンスをしたくなるベースでもあり、かつハッピーにもなれるベースが最高だね(笑)。

ベース・ミュージックをうまく作る秘訣を教えてください!

GE:ハートで音楽を作ることさ。頭ではなく、ハートで作ること。ベースは、暖かい毛布のようなもの。そう考えればいいのさ(笑)。寒かったら、俺のレコードを聴けばいい(笑)。

あなたの音楽は『Smokers Delight』という作品の名前が象徴的ですが、スモーカーたちを喜ばせ続けるようなサウンドをリリースし続けています。歳をとるとやめてしまう人もいますが、あなたはいまでも優秀な“スモーカー”ですか?

GE:今は若い時ほどは吸わないね。例えば、今も3日間吸ってない。自分にとって前ほど必要なものではないよ。


Double Clapperz & EGL - ele-king

 君はダブクラを知っているか? もしまだ知らないのなら早めにチェックしておいたほうがいい。グライムから影響を受け、いま東京でもっとも尖った音楽をやっているアクトのひとつだ(インタヴューはこちら)。そんなダブクラこと Double Clapperz が新たに10インチEPをリリースする。今回は東京の若手トラックメイカー、EGL とのコラボEPで(EGL はファティマ・アル・ケイディリのリミックスも発表している)、発売は2月中旬を予定。リリース元は彼ら自身のレーベル〈Ice Wave Records〉。また、フィーチャーされている Ralph は20歳の若きラッパーで、彼にとっては本作が初のフィジカル・リリース作品となるそう。そろそろ君も馴れ合いをやめて、斜に構えてみてはいかがだろう?

Double Clapperz & EGL -
斜に構える feat. Ralph / Obscure VIP

A. EGL - 斜に構える feat. Ralph (Double Clapperz VIP)
B. Double Clapperz - Obscure (EGL VIP)

発売 - 2月中旬

※アナログ・リリース・オンリー
MP3ダウンロード付き

購入リンク:https://doubleclapperz.bandcamp.com/

■Ralph
Instagram - https://www.instagram.com/ralphlamed/

■EGL
SoundCloud - https://soundcloud.com/itsegl
Twitter - https://twitter.com/ItsEGL
Instagram - https://www.instagram.com/itsegl/

■Double Clapperz
SoundCloud - https://soundcloud.com/doubleclapperz
Twitter - https://twitter.com/doubleclapperz

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