「You me」と一致するもの

Madame Gandhi - ele-king

 4年前、前日から生理になったにもかかわらずフリー・ブリーディング=生理用品を使わずに血が流れるままロンドン・マラソンを4時間49分11秒で完走した女性ランナーが話題になった。キラン・ガンディー(Kiran Gandhi)である。ガンディーは、完走後、彼女にとってマラソンは家族とフェミニズムにとって重大な価値のあるものだったとブログに記し、世界には生理用品が手に入らない女性がたくさんいることを知って欲しかったことや生理だからといって憂鬱にならずに世界中の女性たちに元気を出して欲しいとアピールすることが目的だったとも書いている(スティーヴ・ジョブスやマーク・ザッカーバーグは毎日同じ服を着ることで時間を節約することができるけれど、女性にはそのような選択が許されていないなど、さらに詳しくは→https://madamegandhi.blog/2015/04/26/sisterhood-blood-and-boobs-at-the-london-marathon-2015/)。ガンディーはこうして2013年から始まったとされる第4波フェミニズム(Fourth-wave feminism)のアクティヴィストとして知られるようになる。ローラ・ベイツが2012年に立ち上げたウェブ・サイト、エヴリーデイ・セクシズム・プロジェクト(https://everydaysexism.com)が始まりだとされる4thウェイヴ・フェミニズムはインターネットとの親和性が特徴だとされ、リクレイム・ザ・ナイトのような過去の運動とも結びつきながら、イヴ・エンズラーが設立したワン・ビリオン・ライジングやフリー・ザ・ニプル、あるいはエマ・ワトスンの「HeForShe」など、すでに数え切れないほどの運動形態を産み落とし、最も有名なのはやはり2017年の#MeTooということになる。層の厚くなったフェミニズムには資本主義フェミニズムと呼ばれる傾向も散見され始め、80年代に陥った失敗もすでに懸念されているようだけれど(https://www.theguardian.com/world/2019/oct/18/the-wing-how-an-exclusive-womens-club-sparked-a-thousand-arguments)、ガンディーのそれは4thウェイヴ・フェミニズムが初期から発揮していたエンパワーメントの範疇から外れるものではなく、彼女の活動には今後も期待が持てるだろう。生理用品を扱った表現だと80年代ではコージー・ファニ・トゥッティ戸川純がよく知られているところだけれど、最近の『アレを探して』や『パッドマン』といった映画、小山健のマンガ『生理ちゃん』(これも映画化)や「タンポン・ラン」というゲームはやはりキラン・ガンディーのフリー・ブリーディングがきっかけだったことは確か。ガンディーはちなみに大学で数学を学び、インターンとして〈インタースコープ〉で解析の仕事につき、スポティファイのデータ解析もおこなっていたという。

 キラン・ガンディーはロンドン・マラソンで注目を集める以前からドラマーとして活動していた。同じインド系のM.I.A.が『Matangi』(13)をリリースした際はツアー・ドラマーを務め(ケラーニやシーヴェリー・コーポレイションもサポートしているらしい)、アンシエント・アストロノーツのサード・アルバム『Into Bass And Time』にはパーカッションで参加(“Peace In The East”)。トーマス・ブロンデットやチームガイストのアルバムにも参加し、自身のデビュー・ミニ・アルバム『Voices』はマダム・ガンディーの名義で2017年となった。穏やかな“Yellow Sea”で始まり、比較的単純な曲で構成された同作は懐かしのBモア・ブレイクスやドラムンベースにつくり変えられたリミックス盤もリリースされ、リミキサーには『Thrill』(19)に収録されていたインド風のパーカション・ワークが最高だった“Carl Maria von Weber”のペレーラ・エルスウェア(ジャクージ)やレディ・Gことジズルらを起用。そして、2年ぶりとなる『Visions』がセカンド・ミニ・アルバムとなる。これが飛躍的に高度な内容となり、なんともパワーアップしている。

 オープニングの“Waiting For Me”は得意のパーカッション・ワークを組み合わせたバングラ風のブレイクビーツで、明らかにM.I.A.の影響を感じさせつつ、声のインパクトではかなわないからか、曲の構造がどんどん複雑になっていく。センディル・ラママーンやアーチー・パンジャビなどアメリカにおけるインド系俳優の存在感が映画界ではかなり高いものになってきたこともあり、音楽でも同じようなことが起きているのだろう。“Top Knot Turn Up”、“See Me Thru”と抑制されたドラミングを聴かせた後、“Young Indian”ではボリウッドを思わせるシネマティックな展開と“Bad Habits”ではプエルトリカンのリズムやアレンジを取り入れたカリブ・サウンドで締めくくられる。歌詞的にも「なぜ無力だと思わなければいけない?」「自分の肉体について気持ちよく、そして自信を持って語る可能性を拒否されているから」「地球は私を待っている」「学校で教えられるのは金儲けのことばかり」「社会が私を殺す」「その程度のミソジニーならまだ引き返せるよ」と彼女なりの苦闘や希望を力強く語りかけ、早くも「ポリティカリー・スーパーチャージド・アンセミック・ボディ・ミュージック」などと賞賛されている。もうちょっと聴きたいところだけれど、5曲しか収録されていないので、これを繰り返し聴くばかり。それにしても彼女のドラミングは楽しい。最後にスティックを投げ飛ばさないで欲しいけど。

 キラン・ガンディーの母親はムンバイで貧困問題や教育などに取り組んできたミーラ・ガンディーで、彼女には親の影響がストレートに受け継がれたのだろう。アメリカでは啓蒙活動に力を入れているムーア・マザーオカシオ=コルテス、「ガールズ・アップ」を立ち上げたロシオ・オルテガに選挙権を16歳に引き下げろと運動するマディスン・キムリーなど若い女性のアクティヴィストが最近はよく目につく。この7月に公開されたマイリー・サイラス“Mother's Daughter”のヴィデオに登場したマリ・コペニーはミシガン州フリントの水道水が汚染されていることをオバマ大統領に直接訴え、マイケル・ムーアの『華氏119』(18)でその過程が詳細に描かれたり。そうしたなかのひとりだったといえるミーガン・マークルが英王室入りしたことでイギリスでもインド系の音楽が一気に活気付いたかどうかはわからないけれど、ブリストルのベンガル・サウンドに続き、〈ナイト・スラッグス〉周辺を集めたDJマナラによるインド音楽とクラブ・ミュージックを合体させたコンピレーション・アルバム『The Ultimate Spice Mix』はかなり聴きごたえがある仕上がりに(ミーガン・マークルはちなみに英王室の慣習となっている結婚式の贈り物の代わりにインドの女性たちに生理用品を配布してくれと訴え、4thウェイヴ・フェミニズムがデリーのバス内で起きた集団レイプ事件を機に飛躍的に高まったことを思うと、キラン・ガンディーのような人物が出てくるのは必然だったとさえ思えてしまう)。

 リンスFMに番組を持ち、2017年にボイラールームのDJで知名度を上げたマナラはサウス・ロンドンを拠点にし、以前は〈ナイト・スラッグス〉を主催するボク・ボクとデュオでDJをやっていたらしく、『The Ultimate Spice Mix』でもふたりはパンジャブ・ポップに依拠したベース・ヘヴィな“My Name Is Shhh”を共作。オープニングからバングラなのかゴムなのか判然としない NA DJ “Buzz”で幕を開ける『The Ultimate Spice Mix』は全体にヴォーカルが聴きどころで、独特の節回しとうねるベースを組み合わせた A.G. “Kehna Hi Kya”もユニークならングズングズ(Nguzunguzu)のアスマラによるしっとりとした“Dheere Dheere”やインド音楽を打ち込みで再現しただけに聴こえるアイコニカ“Sarsariya”の清々しさが印象深い。ジャム・シティのコピー・アルバムを3枚も出したヘリックス“Nashe Si Chadh Gayi”は早くもピーク・タイムかと思うほどの迫力で、ジェネラル・コーツだけは……いつも飛ばしてしまう。なお、収益はすべて人権団体のレストレス・ビーング(https://www.restlessbeings.org)に寄付されるそうです。

 11月、今年もこの季節がやってきた。まさに「Our Time Is Coming」。Masters At Work の来日公演まで残り2週間を切った。2016年からスタートしたこのプロジェクトも4回目。Body&SOUL と双璧をなす都市型フェスティヴァルとして、定着してきた感もある。時代を越えていまでも愛され続ける往年の名曲たち、そしてCDJを7台と2台のミキサーを駆使した、もはやライヴとも言える圧巻のDJパフォーマンスを今年も聴けるとなるだけでワクワクが止まらない。この胸の高まりをさらにたくさんの人に届けるべく、日本で MAW を最もよく知る3人にインタヴューを敢行した。90年代からふたりをサポートし、いまでも親交の深い DJ Nori、そして MASTERS AT WORK in JAPAN に唯一4年連続で出演しているハウス・ユニットの Dazzle Drums と共に、改めて MAW の魅力や軌跡を語ってもらった。

「LOVE」をテーマにした楽曲はかけないでくれ! と海外のお客さんに言われたりもして、DJをしていると難しい状況の中で選曲を迫られる局面もありますが、ふたりは頑なにポジティヴなメッセージを発信し続けていますよね。 (Nagi)

遡ることになるんですが、Masters At Work デビュー当初のお話から伺いたいと思います。最初のリリースは1989年の〈Nu Groove〉からリリースされた「Masters At Work House Power」というEPのようですね。

Kei:最初は Todd Telly がこの名義を使っていたんです、それを譲ったんですよね。

Nori:そうそう、その後に〈Cutting Records〉からリリースされた曲もよく覚えてるよ。当時はよくプレイしてたけど Dope と Madd の両面になってて、Dope の方はそれこそ Kenny Dope のヒップホップ感が強かったな。

その時の Nori さんはNYで活動されていたんですか? Dazzle Drums のおふたりも当時の MAW の作品を聴く機会などはあったんでしょうか?

Nori:ふたりが MAW として活動をはじめる少し前には、NYにある「フジヤマ」という店で毎日のようにDJをしていたよ。同時に芝浦GOLD もオープンしていたから、NYと東京を行ったり来たりの生活。91年、92年ぐらいの頃だね。GOLD にも Louie Vega と Kenny Dope は来ていたから、空港まで送ったりもした。彼らと知り合いになったのは、そこからだね。その後に SOUND FACTORY BAR で Louie Vega と Barbara Tucker がスタートさせた「Underground Network」のオープンニング・パーティのサブフロアでDJさせてもらったり。

彼は宇宙人みたいだよ(笑)。やれること全部やってるというか……30年近くシーンの中で高いレベルを維持し続けることは簡単ではないし、音楽をプロデュースする才能も素晴らしい。 (Nori)

Nagi:私たちはまだDJをはじめてもいなかった時代ですけど、当時のラジオから洋楽は聴けたので、MAW に限らず自然と海外の音楽に触れる機会はありました。

Kei:僕はヒップホップを聴いてたから Kenny Dope を通して MAW の存在に触れていました。

Nori:「Shelter」が始まったのも丁度その頃だったから、とくにNYは時代の変わり目みたいな雰囲気が凄くあった。90年代は〈ワーナー〉とかメジャーなレーベルがハウスのレコードを出していた時代。80年代にあったアンダーグラウンドなシカゴのサウンドだったり、イギリスの音楽も勢いがあったからNYも負けじとリリースが増えてハウスがポピュラーになっていった。

Nagi:例えばNYのR&Bシンガーのアルバムのシングルカットにハウスのヴァージョンもあって、ラジオでは原曲もリミックスもプレイされるっていうパターンが当時は多くて。MAW のふたりはリミックスを本当にたくさん作っていましたね。

皆さんには MAW のフェイヴァリット・レコードをいくつか持ってきていただいたんですが、いくつかご紹介いただけますか?

Nori:とにかくふたりは作品が多いからね。どれがベストなのか選べないけど、95年に MAW がリリースした“What A Sensation”なんかはよくリアルタイムでもプレイしていたよ。その頃にはふたりの存在は既に確立されてたし。

What A Sensation

Kei:僕も“What A Sensation”と同じ MAW の別名義「Kenlou」の最初のリリース「Moonshine」は好きな1枚なので持ってきました。

Moonshine

Nagi:私はドラムンベースのプロデューサー Roni Size が98年に出した「Watching Window」。MAWのふたりが「Nuyorican Soul」名義でラテン・アレンジでリミックスをしたものが収録されています。Gilles Peterson のレーベル〈Talkin' Loud〉からリリースされていて、音楽性の豊かさを物語っています。こうやってジャンルを跨いでもクオリティの高い楽曲を当時から作っていたのは本当に凄いことですよね。

Watching Windows (Roni Size Meets Nuyorican Soul)

Kei:Nuyorican Soul名義では〈Nervous Records〉からリリースした「The Nervous Track」も有名ですよね。所謂「4つ打ち」だけに捉われず、ラテンだったりダウンテンポなサウンドもふたりの魅力ですし。

Nagi:話はずれますが、以前マイアミの WMC (ウィンター・ミュージック・カンファレンス)が積極的におこなわれていた03年に、それに合わせて MAW の7インチ・セットが作られたのですが、いまも Louie Vega はオランダの ADE に毎年自分の限定盤のレコードをセットでリリースしたりしています。10年以上が経過してシーンの状況が変わっても、アップデートした形で続けているのは素晴らしいことだと思います。

一般的なバックトゥバックのイメージとは違い、より繊細で難易度も非常に高いです。例えば Kenny Dope のプレイしているビートに Louie Vega がアカペラを混ぜたり、音の上げ下げを含む微妙な調整もふたりで同時に合わせるので、まさにライヴとも言えるパフォーマンスです。 (Kei)

ageHa で開催される「MASTERS AT WORK in JAPAN」も2016年の開催から今年で4年目になりました。日本のハウス・ミュージックを代表する3人から、この数年間でMAW の来日を通して感じたことや変化などはありますか?

Nagi:Body&SOUL に遊びにきているお客さんが年にもう一度、必ず来てくれる機会には間違いなくなっています。クラブから足が遠のいてしまった人や、東京以外からもわざわざ来てもらえるタイミングが増えたのは純粋に嬉しいことですし。

Kei:もちろん昔から遊んでいた人に限らず、新しいお客さんが徐々に増えつつあるのは感じます。具体的にどのくらいって言われると難しいですが、続けていることの結果が出てきはじめているのではないでしょうか。

Nori: 時間帯も深夜じゃないし、90年代に遊んでいた人たちも子どもと一緒に家族で遊びに来られるのは素敵だよね。MAW のふたりからは新しい音源も送ってもらえるし、色々な形で自分のセットに組み込んでいるけど、彼らの音は時代の流れを考えながらも全くブレていない。そこがハッキリしているから色々な人たちに受け入れられるのかもしれないね。

「ブレない」という部分は具体的にどういったところなんでしょうか?

Nori:音楽の基本が決まっているからじゃないかな? さっきも少し出たけど、Louie Vega だとラテンやアフリカンだったり、自分が好きな音楽をずっと表現している。Kenny Dope はヒップホップからソウル、ファンクの楽曲を7インチでかけたり。自分のアイデンティティにストレートな部分は彼らの素晴らしいところだし、もともと音楽的な幅があるふたりが組むことで面白い部分が生まれている。

Kei:ふたりのやりたいことは常に決まってますよね。

ソロでの活動も素晴らしいのですが、MAW のセットにだけある魅力みたいなものは何でしょうか?

Kei:MAW としてDJをおこなうときはバックトゥバックのスタイルを取ってはいるのですが、7台ものCDJにミキサーもそれぞれ個別の機材が置かれているんです。交互に選曲をする一般的なバックトゥバックのイメージとは違い、より繊細で難易度も非常に高いです。例えば Kenny Dope のプレイしているビートに Louie Vega がアカペラを混ぜたり、音の上げ下げを含む微妙な調整もふたりで同時に合わせるので、まさにライヴとも言えるパフォーマンスです。

Nagi:それぞれのスキルも本当に高いのでふたりの駆け引きを現場で体感できるのも MAW ならではというか。もちろん自分たちの楽曲が中心になりますが、それぞれが最近リリースしている音源に別の音源をどうやって重ねていくかなども聴いていて本当に面白いです。

Dazzle Drums のふたりは2016年の初回から唯一4年連続の出演です。DJとしてこのイベントに対する思いや、意気込みなどはありますか?

Kei:基本的にお客さんは Masters At Work 目当てだと思うので、その中でどうやって自分たちを表現していくのかという部分ではやり甲斐を感じます。年に一度のビッグ・パーティーに出演することで、自分たちにとって新しい出会いや広がりを作れる機会でもあるので、そういう場所があるのは本当にありがたいです。

Nori さんは個人でのブッキングは何度かありますが、今回は初めて Muro さんと Captain Vinyl として出演されます。ロング・セットでの出演ということで MAW の楽曲をプレイされたりもするのでしょうか?

Nori:Muro くんも去年、一昨年と連続で出演しているし、MAW の音源は好きだろうから今回ふたりでやれるのはすごく楽しみ。最近は Louie Vega がリリースした7インチの音源なんかもあるから、プレイするチャンスはあるかもね。

Barely Breaking Even

国内アーティストのラインナップもさらに豪華になっています。今年は ageHa に隠さていた秘密の部屋「Romper Room」でもDJの音楽を楽しむことができますし、屋外の雰囲気を味わえる Water には Dazzle Drums 以外では若いDJたちを含めた新鮮なメンバーが集まりました。東京のシーンで活躍されてる3人からここ最近で注目しているDJやアーティストはいますか?

Nagi:それぞれ良いプレイをするローカルの若手DJはたくさんいます。甲乙付け難いのであえて名前は出しませんが、私たちが定期的にDJをしている 0 Zeroや、Solfa、Aoyama Tunnel、蜂、Koara など、数えきれない小箱で若い人たちが個性を出しながら切磋琢磨していますよね。

Nori:僕は正直20代のDJとそこまで接点がないんだけど、女の子のDJが増えてきたのは面白いよね。今回、おなじフロアで共演する Mayu Kakihata なんかもソウルとかファンクをレコードでかけているんだけど、選盤のセンスが良いなと感じる。変に流行りに拘らずに、自分のチョイスの中で表現するのはとても良いなと。若い子がアナログでプレイすることが増えてきているし、掘ることで個性も出てくる。日本の若いDJを全部知っているわけじゃないけれど地方に行けば新しいDJもいるし、エネルギーを持っている人はいるよね。

クラブで開催する深夜イベントとは違って、昼間から楽しめるのも「MASTERS AT WORK in JAPAN」の魅力になっています。Nori さんも Dazzle Drums も深夜のクラブでDJをされることが多いとは思いますが、何か違いを感じたりしますか?

Nori:自分は「GALLERY」っていうパーティーを昼間に20年近く続けていたから違和感はないんだけど、最近は風営法改正もあったし、人や時代も移ろいでいく中で、それぞれの遊びも変わってきている。80年代、90年代の黎明期の時代はやっぱり夜が中心で、SNSもなかったからクラブで情報交換していたけど、いまはそんなことをしなくてもみんなとコミュニケーションできたり、音楽を探すこともできるよね。

Nagi:インターネットがなかった時代はDJの先輩方が新しい音源をレコード屋から先に仕入れて若い人に向けてプレイしてくれたりもしたので、クラブは新しい音に出会える場でもありました。やっぱり現場に行かないと分からないなというのは当たり前だったし、だからこそ面白い人がよくクラブに集まっていましたよね。

Kei:クラブで出会った人と長い時間を共有したのでたくさんの思い出があります。レコード屋に行ったら知り合いがいて、クラブに行ったら友達がいるし。そういう大切な時間をまたここで共有できるのも醍醐味なのかなと。

Nori:Louie Vega も昔はNYの「Sound Factory Bar」で毎週水曜日に自分のパーティーを開催していて、そこでは発売する前の新しい音源をプレイしていたから若いDJたちは情報交換の場としても本当に重要だったと思う。いまレコードが面白くなって若い人もアナログをリリースしたり買ったりするから、昔と同じとは言わないけれど「MASTERS AT WORK in JAPAN」のようなたくさんの人が集まるパーティーをきっかけに、また面白い流れになってくれたらいいよね。

では、最近の海外のシーンについては、どのように感じていますか?

Nagi:ここ数年あったディスコ・ブームみたいなのものが少し落ち着いて、またソウルフルなハウスが面白くなっているのはヨーロッパのシーンからも感じます。その中で、やっぱり Louie Vega は群を抜いて活躍しているし、ラジオで常に新しい音楽を発信している。作品のクオリティーも落とすことなくレコードからデジタルまで時代と共に常に進んでいく姿は凄まじいですよね。

Nori:彼は宇宙人みたいだよ(笑)。やれること全部やってるというか……30年近くシーンの中で高いレベルを維持し続けることは簡単ではないし、音楽をプロデュースする才能も素晴らしい。そういえば Hardrive 名義でリリースした“Deep Inside”ののヴォイス・サンプルを使ったドラムンベース楽曲を最近聴いたんだよね。そこからオリジナルを知ってくれると嬉しいよね。

Nagi:Kanye West も同じサンプルをしてましたよね。 Mr. Fingers の“Mystery Of Love”のベースラインと混ぜたりなんかして。

30年近いときを超えても評価され続ける証ですね。

Kei:楽曲それぞれにメッセージ性が高いのも Masters At Wrok の素晴らしさです。今回は「Our Time Is Coming」で、毎年 MAW の楽曲がパーティーのサブタイトルになっているのも素敵ですよね。

Nagi:彼らがDJ中にプレイする楽曲もポジティヴなメッセージの強い楽曲が多いです。私自身も経験しましたがストイックな現場だと「LOVE」をテーマにした楽曲はかけないでくれ! と海外のお客さんに言われたりもして、DJをしていると難しい状況の中で選曲を迫られる局面もありますが、ふたりは頑なにポジティヴなメッセージを発信し続けていますよね。それに伝え方もとてもユニークで例えば「差別をなくそう」ではなく「みんなファミリーだ」というポジティヴなフレーズに乗せていく。いろいろな世代や人種の人が聴いても楽しい気持ちにさせてくれる絶妙なバランス感覚は流石だなといつも感じています。NYハウスやダンス・クラシックスが好きで、ずっと続けている理由も、彼らの持つポジティヴな雰囲気やブレない姿勢を見ているから、自分も頑張ろうという気持ちになれます。

最後に伺っておきたいのですが、Louie Vega のパートナーでもある Anane Vega のレーベルから Dazzle Drums はアルバムをリリースされています。そういう意味では「Masters At Work ファミリー」とも言えると思うのですが……

Nagi:ファミリーと言える程ではないです! アルバムでもお世話になりましたが、数年前に私たちが作ったエディット Willie Hutch の“BROTHER'S GONNA WORK IT OUT”を Louie Vega がデジタルで長いことプレイしてくれていて。彼の後押しがあって久しぶりにレコードで楽曲をリリースすることができたんです。コスト的にもレコードを作るのが難しい時代にこうして実現できたことを考えると頭があがらない、という関係なんです(笑)。

(取材・文:Midori Aoyama/写真:Yoshihiro Yoshikawa)

PRIMITIVE INC. 13th Anniversary
MASTERS AT WORK in JAPAN - Our Time Is Coming -

-ARENA-
MASTERS AT WORK (Louie Vega & Kenny Dope)
Lights by Ariel

-Manhattan Island supported by Manhattan Portage-
CAPTAIN VINYL (DJ Nori & MURO)
Mayu Kakihata

-WATER supported by Red Bull-
CYK
Dazzle Drums
Mayurashka
okadada
Shinichiro Yokota

-Romper Room supported by COCALERO-
Kan Takagi
Kaoru Inoue
Yoshinori Hayashi

-DANCE CYPHER supported by Lee-
KAZANE (LUCIFER)
KEIN (XYON)
KTea
KYO (VIBEPAK)
OHISHI (SODEEP)
SUBARU (SODEEP)
TAKESABURO (SODEEP)
UEMATSU (SODEEP)

-KIDS PARK-
授乳 & オムツ交換室
赤ちゃんブース
叩いて遊ぶDJ体験型ワークショップ powered by Pioneer DJ
ドラムワークショップ
オリジナルコルクボードづくり
マーブルクレヨンづくり
オリジナルバナーづくり
キャンプファイヤー

-FOOD-
ガパオ食堂
ごはんとおとも
BAHAMA KITCHEN

-TICKET-
Category 4 : 5,500Yen
Group Ticket 2 (5 Persons) : 24,000Yen
U-23 Ticket 2 : 3,500Yen
VIP Pass Category 2 : 7,500Yen
VIP Pass+Parking : 11,000Yen

VIP Pass & Table (2 seat) + Bottle Champagne : 30,000Yen
VIP Pass & Table (4 seat) + Bottle Champagne : 60,000Yen
VIP Pass & Table (8 seat) + Bottle Champagne : 100,000Yen

Door 6,500Yen / 4,000Yen (U-23)

※高校生以下は入場無料です。(ドリンク代別途)
※小学生以下の児童及び乳幼児は保護者同伴に限りご入場いただけます。
※車椅子でもご来場いただけます。専用駐車場とメインフロアを眺めるスペースをご用意します。
※テーブル席のご予約はお電話もしくはメールにて承ります。(TEL : 03-5534-2525/MAIL : reserve@ageha.com)

https://mawinjapan.com/

Daichi Yamamoto - ele-king

 今年3月にリリースされた“上海バンド”が業界内でも大きな話題を呼び、さらに日本のヒップホップ・シーンでいま、注目を浴びている若手のアーティストにスポットを当てた Red Bull の映像シリーズ「RASEN」の第2弾に釈迦坊主、dodo、Tohji らと共に出演した際には、“上海バンド”のイメージとはまた異なる、アグレッシヴな一面も披露した Daichi Yamamoto。京都の老舗クラブ、METRO のオーナーである父とジャマイカ人の母を持ち、アートを学ぶために留学したロンドンの大学在学中に SoundCloud で発表した音源が国内のアーティストの間でも話題となり、日本への帰国後すぐに〈Jazzy Sport〉と契約を結ぶなど、彼自身のバックグランドから様々な動きを含めて全てがフレッシュだ。昨年にはピアニスト/ビートメイカーの Aaron Chulai とのコラボレーションによるアルバム『WINDOW』をリリースし、そして待望のファースト・ソロ・アルバムとして発表されたのが本作『Andless』である。

 サウダージ感すら漂う“上海バンド” (SHIMI がプロデュースを手がけたトラックも最高!)を前提にこのアルバムを聴くと、良い意味で裏切られるだろう。Daichi Yamamoto 本人が自らトラックも手がけるトラックに加えて、渡英中からすでに交流のあった jjjKojoe、さらに VaVa、KM、grooveman SpotTaquwami、okadada など最先端かつヴァラエティに富んだメンツがプロデューサーとして参加し、アルバム一枚の中での各曲の振れ幅は実にワイドだ。聴き心地の良いラップ・チューンからハードなトラップまで余裕で乗りこなしたかと思えば、突然、ディアンジェロ“Brown Sugar”のフレーズが飛び出してきたり、さらにダブステップなどの4つ打ちからエレクトロニカなども自由自在に操り、そして当然のようにラップも歌もボーダーレスにビートやメロディに見事にハメていく。ソロでのファースト・アルバムということもあり、自身のショウケース的な意図もあるのであろうが、幅広い見せ方をしている一方で、しっかりとひとつの線が作品全体に貫かれていて、喜怒哀楽を豊かに表現するひとつひとつの言葉も含めて、常に一定の温度が保たれている。この全体の統一された空気感には、Daichi Yamamoto 個人のパーソナリティがダイレクトに反映されているのはもちろんだろうが、さらに彼が現在も住む京都という街からの影響であったり、または現在のホームである〈Jazzy Sport〉という場が作り出している部分もあるに違いない。

 才能溢れる若いアーティストが多数出てきている現在の日本のヒップホップ・シーンであるが、そんな中でも音楽性も含めて、Daichi Yamamoto の持つ独特の雰囲気は他に類がないように思う。もしかしたら、彼のようなアーティストが日本代表として世界で活躍したりするのでは? と、そんな未来を想像させてくれるようなアルバムだ。


クライマックス - ele-king

 なにもフィリップ・ズダールが亡くなった年に、フレンチ・タッチの思い出をここまでボロボロにしなくてもいいだろうに。フランスからディスコ・リヴァイヴァルが巻き起こった1996年、新聞の片隅に出ていたという事件を「大幅に脚色して」映画化したギャスパー・ノエ。それはフレンチ・タッチのダークサイドを描き出すとともにクラブとドラッグの関係を最悪なものにし、人々の足をアシッド・ハウスから遠ざけるだけでなく、クラブに行ったことのない人々の誇大妄想をマックスまで掻き立てることになりかねない。まったくノエの作品はいつも誰を観客として想定しているのかわからず、それでも観ている自分(の存在)に気づいてしまうというオチに辿りつく。片棒を担ぐのはダフト・パンクのトマ・バンガルター。ノエとはこれで3度目のタッグ。1996年にはまだデビュー・アルバムはリリースしていない。

 オープニングは雪の中を這って進む女性。白い雪には鮮血の跡が残り、何か凄惨なことが起きたことを想像させる。ゲイリー・ニューマンによる「Gymnopedies」のカヴァーが飄々と流れるなか画面はそのままエンドロールに突入。最初に流れる時はエンドロールとは言わないのかな。続いてオーディションの様子を収めたヴィデオのダイジェスト。練習室に集められた22人のバレエ・ダンサーが思い思いに抱負を語り、公演に対する意欲を語る。質問は人によってあまりにまちまちだけれど、ごく数名を除いて多くのダンサーがドラッグはやったことがないとコメントし、反対にベルリンから来たプシケは「ベルリンはドラッグが過剰過ぎて、それがいやでフランスに来た」というようなことを語る。面接が行われている部屋には「おたく語り」を挑発するかのようにホラー・ヴィデオやホラー小説が積み上げられ、ひと言でいえばいやな予感は倍増。セルヴァを演じるソフィア・ブテラ以外、ほとんどは本物のダンサーで、面接の様子を見る限り、なるほど彼らはカメラ慣れしていない。続いてクレジットの連打。

 場面変わってクリス・カーター“Solidit”に合わせて通し稽古。内容的にはバレエとストリート・ダンスの折衷で、22人のフォーメイションはばっちり決まっている。あとの方で「3日でよく仕上げた」というセリフが聞かれるけれど、実際にもそれぐらいで完成させたものらしい。そのまま場所を変えずに打ち上げパーティへ。1977年のセローン“Supernature”を皮切りに緊張感の溶けた面々がお互いに相手のダンスを褒め合い、思い思いに好きなことをやり始める。曲が進んでM/A/R/R/S.“Pump Up The Volume”が聴こえてきた辺りから様子がおかしくなり、スタティックな視線はそこから2度と回復しない。酩酊するようにゆっくりとカメラが旋回し始め、遠心力に引っ張られるような感覚が強くなる。ドラッグが効いてきたのだろう。しかし、この映画にはドラッグを摂取するシーンはなかった。子連れのエマニュエルはティトを寝かしつけ、ほとんどのダンサーは話し込んでいる。なかでは黒人たちの野卑な会話が際立っている。バックではドップラーエフェクトのデビューEP「Fascist State」から“Superior Race(優生種)”が低く鳴りわたる。そこに「パーティしようぜ!」と大きな声が響く。

 この映画のためにつくられたDJダディ役のキディ・スマイルとトマ・バンガルターの新曲に合わせてダンサーたちは円陣をつくってひとりずつダンスを披露する。これを真上から撮り続けるシークエンスが面白く、ブレイクダンスなどで床に体を倒すなど横に広がる体の動きはかなり誇張されて感じられ、同時に一定の位置で踊るダンサーには個のスペースがあり、ここまでは人と人の間には距離があることが印象づけられる。これが少しずつ、その間合いを崩す取り巻きが現れ始め、全員でその場をつくり上げているという緊張感が失われていく。同時にグッド・トリップが崩壊し始め、他人がどんどん個の領域に侵入してくる。男は女を口説き、女はコカインを欲しがり、誰かが「アメリカ人たちをぶっ殺すぞ!」と叫ぶ。レイヴ・クラシックのニーオン“Voices”が鳴り渡る頃にはカメラが揺れ、照明も薄暗くなり、距離感もあやふやで、音もどこから聞こえてくるのか不明瞭に。わかっていない人が見ると撮影が下手くそになったとしか観えないだろう。

 セルヴァが最初にバッド・トリップに飲み込まれていく。自我を崩壊させることに彼女は少し臆病なようで、ありったけの不安感を増大させ、(以下、ネタばれ)赤ワインに果物を漬け込んだサングリアと呼ばれる飲み物に「誰かがLSDを混入した」とまくし立てる。その声に扇動されて全員が寄ってたかってアラブ人のオマーを外に追い出してしまう。戸外は吹雪である。ここからはもうバッド・トリップの連鎖で、思いつく限りの悪いことが次から次へと起き始める。黒人たちはことさらに暴力的になり、ダフト・パンクが当時リリースした“Rollin’ & Scratchin’”がかかる頃にはもはや悪夢といっていい事態にはまり込んでいる。どういうわけか1996年から数えて3年後の未来にリリースされるエイフェックス・ツイン“Windowlicker”が鳴り響くなか、ルーの話を聞くセルヴァが意識を集中させようとしても叶わず、壁に手を当てて自我を保とうとするシーンはベスト・ショットではないだろうか。表面的には地味だけれど、彼女はもはやバキバキである。ドムがルーに殴りかかる頃、セルヴァは冷静になることを諦めて廊下へ出て激しく踊り始める。というかLSDがキマっている人たちに時間の連続性はなく、彼らのやっていることにもはや整合性はない。そして、最もドラッグを楽しんでいるのがプシケで、ワイルド・プラネット“Electron”で彼女が恍惚と踊っている様子は、最後まで観た人に思い出し笑いを誘発する場面として記憶されることになる。すべてが終わると「生きることは集団的不可能性」という文字がドカンと映し出され、それが監督の言いたいことなのかと思っていると、やがて人種差別や暴力など「集団的不可能性」を増長させたのはプシケだったとわかる場面に続くからである。本作はプシケの目のアップで終わる。そこに流れているのはコージー・ファニ・トゥッティ“Mad”を CoH がカヴァーしたヴァージョンである。いくらなんでも皮肉が効きすぎている。

「これでも人間が好きか? これでも?」と、どの作品を観てもギャスパー・ノエは語りかけてくる。どれだけ人間の嫌な面を見せられれば人間に期待しなくなるのか。性善説を支持する人にギャスパー・ノエは鬼のような存在でしかない。しかし、人間がここまでヒドいものだとしても、それでも自分は人間を愛せるとノエは言い放つに違いない。羊のようにおとなしく品行方正なだけの人間たちは論外だとしても、アヴァンギャルドであることが権威主義の代名詞にしかならない人ばかりの世界がどれだけ退屈な場所なのか。ノエがドナルド・トランプの支持層=右派の労働者をテーマにした『カノン』を撮ったのは1998年と圧倒的に早く、見たくないものを見せる彼の流儀はある意味、予見的な意味も多分に含んでいる。延々と続く強姦シーンを映し出した『アレックス』(02)、「死者の書」をモチーフにしながら表面的には歌舞伎町のドラッグ・ディーラーが便器に沈められる『エンター・ザ・ボイド』(10)、性愛の境界線が揺らいでいく『ラヴ 3D』(15)と、人類の(過去の)理想をことごとく打ち砕くギャスパー・ノエが『クライマックス』で描き出したものは、人類はどうやら仲良くなれないということのようである。人種どころか友情さえもズタズタにしてしまう人間のクズがときに芸術を生み出し、この世界に奇妙な光明をもたらす。『マッド・マックス 怒りのデスロード』(15)や『ハイ・ライズ』(16)を追って、ここにJ・G・バラードの哲学が継承・発展していく。
 
                                     
『CLIMAX クライマックス』日本版予告


interview with Hot Chip - ele-king

 クラブ・ミュージック以降の感覚を取り入れたポップ~ロックを奏でるバンドとして、00年代半ばという「あの時代」に、ホット・チップもまた登場してきた。〈Moshi Moshi〉からのファーストこそ気だるさ漂うロウファイ・ポップだったけれど、彼らのイメージを決定づけたのはやはり、〈DFA〉およびメジャーとの契約を経て放たれたセカンドのほうだろう。当時の80年代リヴァイヴァルやいわゆるニュー・レイヴとも共振した同作以後、ダンサブルなシンセポップ・バンドとして着実に歩を進めてきた彼らは、チャールズ・ヘイワードとのコラボや〈Domino〉への移籍などを経験しながら、いまやUKの大御所バンドの一角を占めるまでに成長を遂げている。
 この夏4年ぶりとなるアルバムをリリースした彼らは、めずらしく外部からハウ・トゥ・ドレス・ウェルジ・エックスエックスサンファなどのプロデュースで知られるロデイド・マクドナルド(DRCミュージックにも参加)と、最近ではカインドネスのミックスを手がけていた故フィリップ・ズダールのふたりをプロデューサーとして招いている。はたして冒険は功を奏し、『A Bath Full Of Ecstacy』はこれまでとは異なる音響を聴かせつつも、従来以上にキャッチーなダンス・ポップを追及している。その新作について、初の単独来日公演のため赤坂BLITZを訪れていたフロントマン、アレクシス・テイラーに話を伺った。


世界というものはときにすごく重荷に感じてしまうことがある。でもそのなかで音楽や愛を分けあえば、互いにつながりあえるし少し心が安らぐ……でもだからと言ってオール・オッケーって意味でもないんだよ。

“Melody Of Love”という曲は、トランプやブレグジットにたいする幻滅がインスピレイションになっているそうですね。いまイギリスの情況はどうなっているんでしょう?

アレクシス・テイラー(Alexis Taylor、以下AT):ブレグジットにかんする政治的な決断がいろいろ遅れていて、たくさんの混乱が起きてる感じだと思うんだよね。僕含め、人びとはこれから何が起きるのかまったくわからない状況なんだ。僕自身や、僕の周りの人間はブレグジットの投票結果に怒りを感じているよ。怒りを感じていると同時に、投票で決まったということの事実も受け止めなければならない。国にとっては悲惨な結果だし、ここからさらにひどくなっていくと思うよ。ボリス・ジョンソンも僕から見たらぜんぜんやり遂げられてないし。僕は政治のエキスパートではないけど、いまの状況には混乱してるし怒りも感じているしすごく憂鬱な気持ちなんだ。こういう気持ちでいるのは僕だけではないと思う。政治的な部分だけではなく、環境問題にたいする先見性の欠如に対して、僕含め大勢の人たちは不安を抱えている。なんの変わりもなく、気にも止めずに生きられる人もいるけど、ほんとんどの人は未来に不安を抱えているんだ。もうすでに景気後退によって人生が良くない方向に変わってしまっている人もたくさんいる。その原因はアメリカだとトランプが国民を守っていないからで、UKでも似た状況だと思うんだ。さっきも言ったように僕は政治のエキスパートじゃないし、曖昧なことは言いたくないんだけど、保守主義で右寄りの人が力を持っていて、自分勝手な決断ばかり下しているのを見るのは腹立たしいね。でも僕らのこの曲は、政治のことを具体的に伝えようとしているわけではないんだよね。憂鬱な気持ちや、信義のない気持ちを歌っているんだ。世界というものはときにすごく重荷に感じてしまうことがある。でもそのなかで音楽や愛を分けあえば、互いにつながりあえるし少し心が安らぐ……でもだからと言ってオール・オッケーって意味でもないんだよ。苦しい気持ちと互いをつなぎあわせてくれるポジティヴなもののあいだにあるテンション感をあらわしている曲なんだ。

離脱を嘆いているのは金持ちだという話もありますし、一概にどちらがいいとも言えない情況のようにも見えます。“Positive”はホームレスや苦境に陥っている人たちについての歌だそうですが……

AT:“Positive”はおもにホームレスについて歌っている曲というわけではないんだ。薬物依存によって壊れていく人間関係とか、依存症を患っている人の知覚的なものをテーマにしてる曲でね。薬物依存はその人自身の問題であるという世間一般の考え方と、依存者に背を向ける社会。すごく複雑な問題だね。“Positive”は、空想のカップルにのしかかってくる、精神病や薬物中毒が原因のネガティヴな圧力について歌っているんだ。「ポジティヴ」って言葉はダブルミーニングとして使ってるんだよね。ひとつは、確信的な意味。たとえば人に「確実にそうなのか?」「絶対に?」って聞くときみたいな感じで、もうひとつは「陽性」って意味。「精神病の診断の結果は陽性だったの?」みたいな感じだね。僕が書いたリリックにはそういう意味が込められてるんだ。ふたりの人間のあいだにある愛や、どっちかが薬物依存症だった場合の苦悩やストレス、その状態が続くとすべてを失い最終的にはホームレスになってしまう、っていうようなことを歌ってるんだよね。サビのリリックはジョー(・ゴッダード)が書いてるんだけど、彼のリリックは僕のリリックとは逆で、曲のポジティヴでアップビートな要素を歌っているんだ。このふたつのムードの葛藤を表現している曲なんだよね。UKでもホームレスの状況というのは、拡大し続けている大きな問題で、自分自身はこの問題を良くするためにどうすればいいのかわからないけど、チャリティに寄付をしたりするのがいちばん効果があるのかなとは思っている。僕はそういうホームレスの方たちに直接お金を渡したり、話をしたりしているんだ。自分のなかで解決策は見つかってないんだけど、でもこの問題についてはよく考えてるよ。UKでも拡大し続けてるし、アメリカでも拡大し続けてる問題だからね。この曲は自分が体験していなくても、苦しい状況に置かれている人にたいする思いやりやコンパッションを持つことのたいせつさを表現してるんじゃないかな。

今年はデイヴの『Psychodrama』がマーキュリー・プライズをとりましたけど、聴いています?

AT:賞をとったのは知ってるけど、聴いたことはないんだよね。聴いた? いいアルバム?

鬱からの恢復がテーマなんですが、鬱は日本では社会ではなく個人の問題とみなされることが多いので、いまの薬物依存の話とつながるかなと思いまして。

AT:僕はただ自分や自分のまわりの人の経験からインスパイアされてつくっただけなんだ。僕は赤の他人の経験をもとに曲を書くことができない。だから友だちや自分の近くにいる人たちが経験したり、見てるものを曲にしているんだよね。

難しい問題に気づくと同時に喜びにも気づく──人びととの強いつながりを信じるっていうテーマが大きく含まれてるんだ。

今回のアルバムは“No God”と題された曲で終わりますね。このアルバムに救いはあると思いますか?

AT:もちろん。“No God”はじつはすごくポジティヴな曲なんだ。誰かをたいせつに思っているという曲でね。歌詞ではたくさんのものをリストアップしているんだけど、そのリストがどんなに長くても、その人にたいする気持ちには届かない、っていう内容の曲なんだ。僕の君にたいする愛はこれらには比べものにならないほど大きいんだよ、って歌ってるすごくポジティヴな曲で、だから「神さまはいない」とか歌ってる暗い曲じゃないんだよ。タイトルがミスリーディングだから、「神さまがいない」って歌ってる曲なんじゃないかって思われがちなんだけど、そうじゃないんだよね。神さまが存在しているって思える気持ち以上の気持ちを君にたいして感じる、っていう純粋なラヴ・ソングなんだ。センティメンタルでちょっとクサい曲だなとも思うんだけど、いちばん最初のリリックをタイトルにしているんだけど、それがよりテーマを強調してるんじゃないかなと思う。
 ジョーがタイトルをつけた“Bath Full Of Ecstasy”もそうなんだよね。「私たちのエクスタシーの中で楽しんでいきなよ」っていう意味の言葉で、ラヴ・ソングなんだけど、「A Bath Full Of Ecstacy」だったら意味が変わってしまう、ミスリーディングなタイトルなんだ。“No God”もタイトルをジョーに伝えたら気に入ってくれた。ちょっと違うスピンを与えてくれるんだよね。タイトルだけみると、じっさいはそういう意味ではないのに、“Bath Full Of Ecstacy”はドラッグの曲のように思われるし、“No God”も反宗教主義っぽい曲だと勘ちがいされる。このアルバムは深刻な問題も歌ってるけど、基本的には希望を歌ってるポジティヴなアルバムだと思うね。“Bath Full Of Ecstasy”、“Spell”、“Echo”、“Melody Of Love”、“Clear Blue Skies”はぜんぶポジティヴな曲だと思うんだ。ネガティヴな内容の“Positive”でも、サビには、精神を昂めなきゃっていうポジティヴなメッセージが含まれている。難しい問題に気づくと同時に喜びにも気づく──人びととの強いつながりを信じるっていうテーマが大きく含まれてるんだ。

全体的にかつてなくダンサブルな曲が多いように感じたのですが、それはプロデューサーのロデイド・マクドナルド、または先日亡くなったフィリップ・ズダールの功績ですか?

AT:このアルバムのデモをつくったのはふたりに出会う前だったから、ダンサブルな要素はもともとあったんだよね。でもマクドナルドが“Melody Of Love”を聴いたときに、「これは10分あるクラブ・トラックじゃなくてポップ・ソング」だって言って、かなり編集してくれたよ。“Bath Full Of Ecstacy”も現代風にプロデュースしてくれたし、“Hungry Child”はふたりとも力を合わせてくれて、ダンスフロアで映える曲に仕上げる協力をしてくれた。あと、いままで出してきたアルバムにはかならずバラードが入っていたんだけど、今回は初めてバラードが1曲もないアルバムだから、それもダンサブルに聞こえた理由のひとつかもしれないね。“Why Does My Mind”はダンス・トラックじゃないけど、テンポが落ちないから、最初から最後まで同じダンサブルなグルーヴが続くような作品になってる。僕的には“Clear Blue Skies”なんかはやさしめの曲だと思う。クラブっぽいとは思わないね。逆に“Bath Full Of Ecstacy”はバラードっぽいけど、クラブで流れても成立する曲だと思う。ダイナミクスが変わらないようフィルターにかけて制作したけど、とくによりクラブっぽいアルバムに仕上げようと思ってつくったわけではないよ。

これまでホット・チップはかなり多くのリミックス・ワークをこなしていますが、もっとも印象に残っているのは?

AT:ジョーは最近リゾ(Lizzo)の“Juice”をリミックスしていたね。僕は参加してないんだけど、エキサイティングですごくいいリミックスだなって思った。リミックス本来の、あるべき姿に仕上がってるなって感じだよ。もとの曲をしっかり呼吸させつつ、ダンスフロアでも生かすと言ったらいいかな。僕自身はロバート・ワイアットと、クラフトワークのリミックスをやったときのことがすごく印象に残ってるね。僕らが若いころから聴いてきた音楽をやってきた面々だったから、すごく特別なものだった。あと、僕の大好きな日本のバンド、マヘル・シャラル・ハシュ・バズに自分たちの“Look At Where We Are”って曲をリミックスしてもらったときのことも印象に残ってるね。リミックスというよりカヴァーみたいな感じだったけど、すごくよかったんだ。僕らの歌詞を日本語で歌ってくれていて新鮮だったよ。リミックスっていうのはいい意味で誰かに、曲に変化を加えてもらえる機会なんじゃないかな。

今後リミックスしたくないアーティストはいますか?

AT:たしかに、好きじゃないなと思う音楽はたくさんあるよ。まずヴォーカルの声じたいが好きじゃなければリミックスはしたくないんだ。僕はどっちかというと、嫌いな音楽には集中したくないから、まず聴かないかな。自分の好きな音楽だけを集中して聴いていたいからね。

Dorian Concept × Chitose Hajime - ele-king

 昨年ミニ・アルバム『元唄(はじめうた)』を発表した歌手、元ちとせの周囲が騒がしい。同作は彼女の原点たる奄美の島唄を新たに録音したものだが(紙エレ最新号にご登場いただいた民謡クルセイダーズも参加)、その収録曲を次々と気鋭のアーティストたちがリミックスしているのだ。6月には坂本慎太郎、7月にはLAの故ラス・G、8月には畠山地平、先月はティム・ヘッカーによるリミックスがリリースされている。そして今月は……ドリアン・コンセプトである。それぞれスタイルは異なるものの、みな独創的なアーティストであることは疑いない。いったい元ちとせのまわりで何が起こっているのか? 注目のリミックス企画、今後も目が離せそうにない。

元ちとせ
自らの歌の原点ともいえる奄美シマ唄を国内外の鬼才がREMIX

民謡クルセイダーズ参加の“豊年節”をウィーン生まれの超絶技巧アーティスト/プロデューサー Dorian Concept (ドリアン・コンセプト)がリミックス

元唄 幽玄 〜元ちとせ奄美シマ唄REMIX〜

2002年「ワダツミの木」の大ヒットからデビュー16周年を迎え、その歌手活動が充実期を迎える中、自身の歌の原点である「奄美シマ唄」集の新録アルバム『元唄~元ちとせ 奄美シマ唄集~』が昨年11月にリリース。10代の頃から地元・奄美大島でシマ唄の唄者(うたしゃ)として活躍していた元ちとせが「今の声で歌うシマ唄を残したかった」と語るアルバムが多方面から高い評価を受ける中、“奄美シマ唄の再構築”ともよべる新たなフェーズに突入する企画がスタートすることになった。このアルバム楽曲の未知数の可能性と魅力が引き出された気鋭のアーティストによるREMIX配信リリースが決定した。

2019年6月よりサブスクリプション、配信サービスにて各月1曲を配信。後にアナログとしての発売も予定している。

参加アーティストには元ちとせとも親交が深く、日本を代表する音楽家でもある坂本龍一をはじめとして、ゆらゆら帝国解散後、独自のスタンスで国内外へ活動の場を広げている坂本慎太郎、ジャズやヒップホップをベースにしたドープなビートの開拓者 Ras G、異ジャンルとのコラボで新たなアンビエント・ミュージックの世界を構築している鬼才 Tim Hecker、海外からの評価も高い新しい日本の才能 Chihei Hatakeyama、ウィーン生まれの天才演奏家/プロデューサー Dorian Concept など各ジャンルの革新的アーティストがラインナップされている。

またジャケットは『元唄〜元ちとせ奄美シマ唄集〜』と同様に信藤三雄氏がデザインを手がけ、日本画家・田中一村氏の作品が使用されている。

異ジャンルとの融合により生まれた新しい唄 異世界へ誘う幽玄の音楽がここに誕生。

■10月30日(水)配信リリース 
豊年節 REMIXED BY Dorian Concept

2018年11月に発売された、元ちとせ自らの原点である奄美大島の「シマ唄」新録アルバム『元唄(はじめうた)~元ちとせ 奄美シマ唄集~』が、気鋭のアーティストたちのリミックスで新たな表情を見せる配信リリースが決定。
第5弾となる今回は、昨年〈BRAINFEEDER〉からリリースされたアルバムが世界中で絶賛され、ここ日本でも数多くのファンを得ているウィーン生まれの超絶技巧キーボード・アーティスト/作曲家/プロデューサー Dorian Concept (ドリアン・コンセプト)がリミックスを手がけている。
ドリアンが手がけたのは奄美シマ唄ではスタンダード・ナンバーのひとつである“豊年節”。昨年リリースされた『元唄』でも大きな話題となった民謡クルセイダーズとのコラボ・ヴァージョンのリミックスである。クンビアと呼ばれる中南米のリズムを取り入れた民謡クルセイダーズのアレンジをベースにおきながらさらなる斬新な解釈を加え、生演奏とエレクトロ・サウンドで構築された新しいハイブリッド・ミュージックへと昇華させている。


Photo by "Jakob Gsoellpointner".

Dorian Concept (ドリアン・コンセプト)
オーストリアのキーボード・アーティスト兼プロデューサー、エレクトロ、ジャズ、ポップ、ヒップホップ、アンビエントなど、さまざまなジャンルをクロスオーヴァーした独自の音楽スタイルを構築している。
フライング・ロータスやザ・シネマティック・オーケストラのライヴ・メンバーを務めるなど活躍している傍、自らのアルバムを〈Ninja Tune〉、〈Brainfeeder〉などのレーベルからリリースしている今話題のアーティスト。

■恒例の Billboard Live 決定
元ちとせ Billboard Live "歌会元(うたかいはじめ)2019"

【ビルボードライブ大阪】
11/27(水)
1stステージ 開場17:30 開演18:30 / 2ndステージ 開場20:30 開演21:30
サービスエリア¥8,300-
カジュアルエリア¥7,300-(1ドリンク付き)
[ご予約・お問い合せ] ビルボードライブ大阪 06-6342-7722

【ビルボードライブ東京】
11/29(金)
1stステージ 開場17:30 開演18:30 / 2ndステージ 開場20:30 開演21:30
サービスエリア¥8,300-
カジュアルエリア¥7,300-(1ドリンク付き)
[ご予約・お問い合せ] ビルボードライブ東京 03-3405-1133

バンドメンバー決定
Vo・元ちとせ
B・鈴木正人
Pf・ハタヤテツヤ
G・八橋義幸

チケット発売中

元ちとせ (はじめ ちとせ)
鹿児島県奄美大島出身。2002年に「ワダツミの木」でデビュー。ヴォーカリストとしてさまざまなステージでその唯一無二の歌声と存在感を示している。 2012年、2月6日にデビュー10周年を迎え、初のベスト・アルバム『語り継ぐこと』をリリース。戦後70年となる2015年7月、“忘れない、繰り返さない”というコンセプトのもと、平和への思いを込めたニューアルバム『平和元年』をリリース。デビュー15周年を迎え、その歌手活動が充実期を迎える中、自身の歌の原点である「奄美シマ唄」集のアルバム『元唄~元ちとせ 奄美シマ唄集~』が2018年11月に発売になった。
奄美大島に生活の拠点を置きながら、精力的な活動を行っている、日本を代表する女性シンガーのひとりである。

Mini Album
元唄 ~元ちとせ 奄美シマ唄集~
発売日 : 2018年11月14日(水)
CD : ¥2,000(税込)
UMCA-10062

【収録内容】
01. 朝花節 with 中 孝介
02. くるだんど節 with 中 孝介
03. くばぬ葉節
04. 長雲節
05. 渡しゃ with 中 孝介
06. 行きゅんにゃ加那節 with 中 孝介
07. 豊年節 with 民謡クルセイダーズ

Daniel Lopatin - ele-king

 まもなく《WXAXRXP DJS》での来日を控えるワンオートリックス・ポイント・ネヴァーことダニエル・ロパティンが、新たなサウンドトラックをリリースする。2年前の『グッド・タイム』に続いて、今回もサフディ兄弟監督による映画の劇伴だが(原題『Uncut Gems』)、名義が OPN から本名へと変わっているのには何か意図があるのだろうか。
 映画の製作総指揮はマーティン・スコセッシで、主演はアダム・サンドラー、さらに作中ではザ・ウィークエンド(The Weeknd)がサックスを吹いていたり(予告編にも登場)、トラヴィス・スコットまで参加している模様。全米では12月13日に公開され、それ以外の地域では2020年1月に Netflix での配信が予定されている。
 なお、サントラのコントリビューター一覧にはイーライ・ケスラーゲイトキーパーの名も挙がっており、音楽のほうも注目すべきポイントが多そうだ。リリースは映画の公開とおなじ12月13日。

DANIEL LOPATIN

アダム・サンドラー主演、サフディ兄弟監督の話題作
『UNCUT GEMS』の音楽をOPNことダニエル・ロパティンが担当
12月13日にサウンドトラック・アルバムのリリースが決定

ダニエル・ロパティンが新たに手がけたサウンドトラック・アルバム『Uncut Gems - Original Motion Picture Soundtrack』が12月13日にリリースされることが発表された。ハリウッド俳優アダム・サンドラーが主演を務め、NBAの元スター選手であるケビン・ガーネットや、ザ・ウィークエンドが本人役で出演するクライムサスペンス映画『Uncut Gems (原題)』は、ジョシュア&ベニー・サフディ兄弟が監督を務め、新進気鋭の映画スタジオA24の配給で2020年1月に Netflix にて公開が予定されている。

Uncut Gems | Official Trailer HD | A24
https://youtu.be/vTfJp2Ts9X8

今週いよいよ開催を迎える〈WARP RECORDS〉30周年記念イベント《WXAXRXP DJS》にも出演するワンオートリックス・ポイント・ネヴァーことダニエル・ロパティンとサフディ兄弟がタッグを組むのは、2017年公開のロバート・パティンソン主演映画『グッド・タイム』に続き、今回が2度目となる。『グッド・タイム』では、カンヌ・サウンドトラック賞やハリウッドメディア音楽賞を受賞したことでも大きな話題となった。ダニエル・ロパティンは、これまでにもソフィア・コッポラ監督映画『ブリングリング』(2013)やヴァンサン・カッセル主演映画『Partisan (原題)』(2015)の映画音楽を手がけている。

ダニエル・ロパティンが手がけた音楽が、映画のクライマックスの緊張感をさらに高め、また幻想的な要素も加えていることよって、強迫観念や神経の高ぶりが生むエネルギーが映画を包み込んでいる。 ──Little White Lies

ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーことダニエル・ロパティンの類いまれなるパーカッシヴなサウンドトラックが、次々と巻き起こる展開を圧倒する ──IndieWire

エレクトロニカとオペラを融合したダニエル・ロパティンによる不穏な音楽は、見る者の血圧を上昇させ続けながら、サフディ兄弟の生み出す奇妙なマジックに多大なる貢献をしている。 ──Thrillist

Uncut Gems (原題)
監督:ジョシュア・サフディ&ベニー・サフディ
脚本:ジョシュア・サフディ、ベニー・サフディ、ロナルド・ブロンスタイン
製作:スコット・ルーディン、イーライ・ブッシュ、セバスチャン・ベア・マクラード
出演:アダム・サンドラー、キース・スタンフィールド、ジュリア・フォックス、ケビン・ガーネット、イディナ・メンゼル、エリック・ボゴシアン、ジャド・ハーシュ
音楽:ダニエル・ロパティン
公開:2020年1月予定

ダニエル・ロパティンによるサウンドトラック・アルバム『Uncut Gems - Original Motion Picture Soundtrack』は、12月13日(金)に世界同時リリース。国内盤CDには解説書が封入される。

label: BEAT RECORDS / WARP RECORDS
artist: Daniel Lopatin
title: Uncut Gems Original Motion Picture Soundtrack
release date: 2019/12/13 FRI ON SALE

国内盤CD
BRC-625 (解説書封入) ¥2,200+税

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10630
Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/B07ZR5G8DL

TRACKLISTING
01. The Ballad Of Howie Bling
02. Pure Elation
03. Followed
04. The Bet Hits
05. High Life
06. No Vacation
07. School Play
08. Fuck You Howard
09. Smoothie
10. Back To Roslyn
11. The Fountain
12. Powerade
13. Windows
14. Buzz Me Out
15. The Blade
16. Mohegan Suite
17. Uncut Gems

interview with KANDYTOWN - ele-king


KANDYTOWN
ADVISORY

ワーナーミュージック・ジャパン

Hip Hop

Amazon Tower HMV iTunes

 東京・世田谷を拠点に十代から集まった仲間同士によって結成され、総勢16名のメンバーを擁するヒップホップ・コレクティヴとして活動する KANDYTOWN。インディペンデントでの活動を経て、2016年にグループとしてのファースト・アルバム『KANDYTOWN』にてメジャー・デビューを果たし、それと並行して各メンバーのソロ活動も精力的に展開してきたことで、日本のヒップホップ・シーンの中で、KANDYTOWN の存在感は年を追うごとに加速度的に存在感を増している。
 2019年に入って、EP「LOCAL SERVICE」によって久しぶりに作品リリースを再開した彼らが、ついに完成させたセカンド・アルバム『ADVISORY』。KANDYTOWN の熱心なファンであれば、前作同様に東京という街や彼らの仲間を思う気持ちがこもったラップの中に彼らのクールで普遍的な魅力が伝わってくる一方で、ソロ活動を経ての個々の確実な成長が、アルバム全体に溢れていることを感じ取ることができるだろう。
 今回のインタヴューでは、今回のアルバム『ADVISORY』のメイン・プロデューサーである Neetz と、もうひとりのプロデューサーでもある Ryohu (ふたりともラッパーとしても複数の曲に参加)、さらにある意味、本作の MVP とも言える Gottz の3人に参加してもらい、アルバム制作の過程を中心に語ってもらった。行間から溢れてくる KANDYTOWN のファミリー感も含めて、彼らの生の声をぜひ聞いて欲しい。

3年前に前作『KANDYTOWN』をリリースして、それ以降、それぞれソロでの作品も積極的にリリースしてきましたが、思い描いていたプラン通りという感じでしょうか?

Ryohu:そうですね。漠然とファーストを出した後に、ソロをやっていこうっていうのはあったので。KANDYTOWN だけでやっていくよりも、ソロでちゃんと力を付けて、それが KANDYTOWN に返ってくるのが理想だし。だから、ソロでやっていくのも大事だっていう話もしてたんで。だから、思い描いていた通りにはなっていったかなって。特に Gottz なんかは2枚もアルバムを出して、こんな立派になられて。

Gottz:(笑)

今年5月の渋谷 TSUTAYA O-EAST でのワンマンであったり、フェスへの出演とか、個々での活躍するフィールドも大きくなっていって、オーディエンスの反応自体も大きなものになってると思うんですけど、実感としてはいかがですか?

Ryohu:知ってもらえるようになって、聞いてくれる人が増えた分、やっぱりどこに行っても盛り上がってくれて。昔よりは多くの人が楽しんでくれてるのは感じていますね。

今年2月にはEP「LOCAL SERVICE」をリリースしていますが、今回のアルバム『ADVISORY』の話が出てきたのはどの辺りのタイミングだったのでしょうか?

Neetz:「LOCAL SERVICE」が出た後に、Zepp でのライヴ(今年11月に行なわれる Zepp Diver City と Zepp Osaka Bayside での公演)をやろうっていう話になって。それに向けてアルバムを作ろうっていう話になって。

アルバムの方向性などについて話したりはしたのでしょうか?

Ryohu:Neetz に「ビート、よろしく!」ぐらいな感じでしたね。とりあえず1曲やって、2曲、3曲って、ビートを作り始めようって。

つまり、アルバムをどういう形にするっていう話はせずに?

Neetz:かっちり話し合ったっていうのはあんまりしなかったと思いますね。とりあえず音を作って、みんなに聞かせて。ひとつずつ曲を作っていった感じですね。

「これを俺にやらせてくれなかったら、二度と Neetz と喋んない」っていうくらいの勢いで。「やりたいから、やらせて」みたいな逆オファーもしたっすね。(Gottz)

過去のインタヴューでも KANDYTOWN はビート先行っていう話をされてましたけど、今回のアルバムに向けて、ビートのイメージなどはありましたか?

Neetz:Zepp でライヴをやるっていうのは決めてたんで、とりあえずはデカい箱(会場)で鳴らすためのサウンドを意識して、ビートは作っていって。それぞれのビートに合う、KANDYTOWN のメンバーを選んでハメていくっていう作業をしましたね。

ビートを作った時点で、誰がラップするっていうのも決めていったと?

Neetz:定まってないのもいくつかありましたけど、大半の曲は自分で事前に決めました。ファースト・アルバムのときは、そういうことはあんまりしなくて、みんなにビートを投げて、それに誰かが乗っかってくれるっていうやり方が多かったけど、今回は指定してっていうのが多かったと思いますね。

ビートを作りながら、誰がラップするのかを自分で見えるようになったっていうことでしょうか?

Neetz:そうですね。ソロ・アルバム(『Figure Chord』)のときにも自分でラッパーを指定したんですけど、結構、悩んで作ったんで。その辺りの成果が今回のアルバムにも反映させられたのなかって思います。

ソロをやることによって、その人のラップの良さがより分かるからね。(Neetz)

そう。漠然と「何を作ったら良いんだろう?」って思うよりも、メンバーのことを理解した上で作れる。(Ryohu)

今日、お話を伺っている3人は、それぞれ今年に入ってからもソロでの作品をリリースしていますが、ソロ活動が今回のアルバムにも大きな影響を与えていると思いますか?

Ryohu:確実に大きいと思いますね。ソロでやった分、KANDYTOWN でアルバムを作るっていうのは作りやすかった。ひとりで作品を作るとなると、例えば1曲作る場合にも全部自分でやることが多いと思うんですけど、KANDYTOWN のアルバムを作るならば、近い仲間がいて、「ちょっとワン・ヴァース蹴ってみてよ」みたいのも簡単にできて、そっからトントン拍子で作っていける。

サウンド面で今回はトラップ的な要素が入ってきていますが、そういう部分では前作からかなり幅が広がった印象があります。すでに Neetz 君のソロ・アルバムでもトラップはやっていましたが、そういったサウンドもやるようになった理由は何でしょうか?

Neetz:単純に昔と作っている環境が変わってきたっていうのもあるし、ドラムのスネアとかキックとか選び方も、どの音がハマるかっていうのも分かってきたと思うんで。成長っていうか分からないですけど、そういうのが分かってきたのかなっていうのは思います。

こちらの勝手な推測なんですけど、KANDYTOWN の中で Gottz 君のソロって、KANDYTOWN の幅を広げるっていう意味で、結構大きいのかな?って思っていて。

Ryohu:確実にデカいと思います。

Neetz:デカいですね。

トラップを取り入れたサウンドの部分にも Gottz 君のソロが影響しているのかな?と思ったんですが、いかがでしょうか?

Neetz:サウンド面でもちょっとは影響があると思いますね。

Ryohu:それこそ、O-EAST でのEP(「LOCAL SERVICE」)のリリース・パーティのときに、合間に Gottz と MUD の時間を設けたんですけど。そこでのライヴにおける爆発力っていうのがハンパなくて。自分たちも楽しめるし。その楽しさに味をしめたっていうのがあるかもしれませんね。

Gottz:いままで KANDYTOWN でやる場合、普通に好きだけど、自分のソロでは使わないようなビートっていうのが多かったんですけど、今回は自分のソロでも使いたいようなビートが多くて。3曲目の“Last Week”とか“Slide”とかもそうですけど、ああいうビートが俺はいちばん大好物なんで。っていうか、「これを俺にやらせてくれなかったら、二度と Neetz と喋んない」っていうくらいの勢いで。「やりたいから、やらせて」みたいな逆オファーもしたっすね。

Neetz:(笑)

Gottz:実は俺は3年前のアルバム(『KANDYTOWN』)の自分をあんまり認めていなくて。あんまりやれてなかったし、自分的にはダメだった。ヴァース数も少ないし、ライヴでも演る曲も少ないし。そこでクサることはできたけど、じゃあ、ソロでカマしてやれば良いじゃんっていう開き直りで。俺みたいなやつでも、ソロ・アルバムを出せるチャンスがあったんで。〈P-VINE〉から『SOUTHPARK』を出させてもらって。そうやって独り立ちして、発言権のある人間として帰ってこれたのは良かったかなって。

今回のアルバムでの個々の参加曲数をカウントしたら、Gottz 君が最多(15曲中8曲)ですよね?

Gottz:そうですね。けど、それはたまたまというか。俺と同じくらいヴァースを録っている人もいたんですけど、俺は1曲も削られなかったっていうだけで。そこがいちばんデカいですね。

Neetz:Gottz はソロ・アルバムを2枚出して、ソロでライヴもやって。Gottz のライヴは客が物凄く盛り上がるから、単純にスゲえなって。やっぱり、そこからの影響っていうのはありますね。

実力でメンバーを認めさせたと?

Neetz:そうですね。この人はそれをやって。そうなると、今回のアルバムにも入れたくなるから、結果的に曲数が増えてきた。

Ryohu:あと、ソロをやることによって、その人のやりたい音楽性とかが分かるじゃないですか。一緒にやってても分からないことも多々あるし、昔のイメージで止まっちゃう場合もあるだろうし。俺はビートメーカーも兼任してるんで、「Gottz だったらこういうのが良いのかな? Neetz だったらこういうのが良いのかな?」って、何となくその辺のイメージもしていて。そういう意味で、ソロがあると、ビートを作る側としても「ここに Gottz を入れたら面白くなるんじゃないかな?」とかっていうのができるんで。

Neetz:ソロをやることによって、その人のラップの良さがより分かるからね。

Ryohu:そう。漠然と「何を作ったら良いんだろう?」って思うよりも、メンバーのことを理解した上で作れる。今回のアルバムで Neetz が「このビートにはこのラッパーが乗って欲しい」ってイメージできてるのも、そこが理由のひとつになっていると思います。

YUSHI君に関しては、ヴァースをやっている人たちが、それについて言っているかもしれないし、また別のことを言ってるかもしれないし。それはヴァースをやっている人、それぞれの気持ちだと思うんですよね。(Neetz)

具体的にアルバムの制作がスタートしたのはいつ頃でしょうか?

Ryohu:2月14日に「LOCAL SERVICE」をリリースして、その後、2月20日に Neetz のソロ・アルバムが出て。それまで Neetz が自分のことで精一杯だったので、それが終わって3月に入ったくらいから、Neetz が KANDYTOWN のビートを少しずつ作り出して。9月くらいに全体のミックスとマスタリングが終ったので。だから、5、6ヶ月くらいかかりましね。

約半年間の制作で15曲、さらにボーナストラックを合わせるとかなりのボリュームですね。

Ryohu:Neetz が頑張ってくれました。

ちなみにアルバムの中で最初に作った曲は覚えていますか?

Neetz:何だろう?

Gottz:“Take It”じゃない?

Neetz:あっ、そうだ!

Gottz:最初に KIKUMARU がラップ書いてたんだよね? それで俺はゲームしながら、KIKUMARU に耳元でラップされて、「こういう感じなんだけど、どう?」って。「あ~」って聞き流してて。

Ryohu&Neetz:(笑)

Gottz:その20分後くらいに俺もリリックを書き出して、パッと書いたのがあれだったと思う。「Gottz のほうが勢いあるからワン・ヴァース目で良いっしょ?」みたいに Neetz が言ってくれて。

Neetz:そうだったね。先に KIKUMARU が録ってたけど、Gottz の勢いが良かったからワン・ヴァース目とツー・ヴァース目を入れ替えたんだ。

Gottz:その後に MUD がフックを入れてみたいな流れで。

あの曲の「違うママから生まれたけど、俺らブラザー」とか、「ララバイ」と「儚い」で韻踏んでるところとか、結構パンチラインになってて好きです。

Gottz:ありがとうございます。でも、本当にあんまり考えずに書いてて。

それが逆に良かったんでしょうね。

Neetz:本当に勢いですね。

そこから1曲1曲作っていって、全体のムードができていった感じでしょうか?

Ryohu:そうですね。何曲かごとに誰かが勢いをつけてくれると、みんなも「おっ、来たか!」みたいな感じになって、周りも作ろうっていう気になってくる。何もしないときは、本当にみんな何もしなくなっちゃうんで。

今回のアルバムの中でキーになった曲はどれでしょうか?

Neetz:とりあえずリード曲で行こうみたいな感じだったのは“HND”と“Last Week”で。

Ryohu:もう録っている段階でわりと、そういう話が出ていて。

Neetz:最初、一発目に“HND”でシングルを出そうっていうのは決めていて。ビートができた時点で、これ一発目かなっていう話をした気がする。それで、みんなのヴァースを乗っけて。

Gottz:多分、俺が最初に言った気がするんだよね。ビートがなんかもう KANDYTOWN っぽいし、「これが一発目で良いんじゃない?」って。Neetz のビートの中でもまだ誰も触ってすらいなかったときに、俺は自分では絶対にラップしないけど、「これ格好良いじゃん!」ってずっと思っていて。それで、Neetz の家で「これなんじゃない?」みたいに言ったんじゃないかな?

Neetz:それ覚えてる。感触を窺うために、ビートをみんなに聴かせるタイミングがあって。それで Gottz が言ってくれたっていうのはある。

Gottz:MUD がやったら間違いないから、「とりあえず MUD でしょ!?」みたいな。やっぱり、安定感が彼にはあるんで。それで MUD が入れてから、BSC と DIAN もリリックを書いて。

これは単純にリリックの中に「羽田エアポート」って出てきたから、「HND」っていうタイトルに?

Neetz:そうですね……としか言えないですね(笑)。最初にタイトルを聞いても意味分かんないでしょうけど。

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改めて16人いるって凄えなって。文化祭みたいっていうと軽く聞こえちゃいますけど。十代から夜な夜な集まって、ビート聞かせてもらって、ラップ書いてみたいな。いままで自分たちがやってきたことを久々に、改めてみんなでやるっていうのは楽しいことだなって。(Ryohu)


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“Last Week”のほうはどのような流れで?

Neetz:“Last Week”もビートを聴かせた時点で、みんなの中で「ヤバい!」ってなかったから、それでメンツを決めようってなって。IOくん、Gottz、MUD で。初めは4人くらい入れても良いかな?って思ったけど、もうちょいシンプルにしようと思って、その3人に決めて。さっき話も出たように、Gottz の逆オファーもあったんで。

“HND”はいままでのみんなが思い描く KANDYTOWN のスタイルでしたけど、一方で“Last Week”はもっとトラップっぽいビートで、新たな KANDYTOWN っていう感じがしましたね。

Neetz:“HND”はザ・KANDYTOWN な色をまた出せれば良いなっていうのがあって。またそれとは別に“Last Week”は、新しい感じの色、アップデートされたものを作りたかったっていうのはありますね。

Gottz:これだけの振り幅の曲を1曲目と3曲目に入れてくるアーティストってなかなかいないと思うんですよ。しかも、2曲目は“Slide”じゃん。

Neetz:たしかに。

Gottz:結構、玉手箱みたいな。

確かに頭の3曲の振り幅はなかなか凄いですね。

Gottz:でも、最後までアルバムを聴くと、「なるほどね」って、ちゃんと着地する。

“Slide”みたいに、ダンストラックみたいなのを KANDYTOWN で作りたいっていうのは前からあったんですか?

Neetz:そうですね。元々、4つ打ちっぽいのが結構好きだったから。4つ打ちっぽい、けどヒップホップみたいなのを目指しました。

Gottz:けど、“Neon Step”(Gottz のファースト・アルバム『SOUTHPARK』収録曲で Neetz プロデュース)まで行くと、このアルバムには入れられないからね。やっぱり、ああいうビートはやりすぎ感あるじゃん。

Neetz:あれはもっと4つ打ちで、オシャレ。

Gottz:ヨーロッパみたいなイメージだね(笑)。

今回のアルバムで唯一、3人がラップで揃って参加しているのが“Imperial”っていう曲ですけど。この曲はイントロのギターが印象的で、アルバム後半の結構重要なポジションにいる曲にも感じますが、この曲はどうやってできたのでしょうか?

Ryohu:元々はイントロのギターの部分で1曲作っていて。けど、音の鳴り的にスタジアム級みたいな曲になりそうで、やり過ぎだなと思ったんでそれはヤメて。でも、もったいないから取っておいたものをイントロに使って、もうちょっとトーンと下げて、冷たいイメージでビートを作ってみて。これは俺の中ではすごくヒップホップな曲だと思っていて。ラップのスキルが見えるっていうか。もちろんブーンバップ系でもラップのスキルは見せられるんですけど、ああいうノリのビートで格好良くラップを乗っけられるのが、俺が思うラッパー像としてひとつあって。それで、いろんな奴に頼んでみようと思って、DIAN と BSC と Neetz に頼んでみたら、途中で DIAN が「無理っす」みたいになって。Gottz がレコーディングの前半に自分の録りを終ってたんで、「Gottz、お願い!」って、急遽、召喚して。「Gottz ならイケるっしょ?」って。そしたら、ああいう男臭い感じに仕上がって。

Neetz:(Ryohuが)フックを先に乗せてたよね?

Ryohu:そうだね。先にフックはできていて。

Neetz:コンセプトとサビは先にできていたから。ヴァースは作りやすかったですね。

Ryohu:Neetz のあのヴァースはすごい気に入っています。Gottz もすぐに書いてくれて。結構、急にお願いしたのに、ああやって対応できるのは凄いなって。

“Imperial”ってボースティングの曲ですけど、最後の BSC のヴァースで「誰でも自分たちと同じことができる」みたいなメッセージになっているのが良いなって思いました。

Ryohu:BSC はソロでも KANDYTOWN の曲の中でも、リリックとか内容が深い傾向があって。全員がボースティングしたら、結局、そういう曲になっちゃうけど、あえて BSC をラスト・ヴァースに置いておいて、最後にBSCがハッとさせられるワードを言ってくれたらって。本人には伝えてはいないんですけど、それをわざと意図的にやったら、本当にああいうラップになって。みんなの言ってることをまとめたというか、ちゃんと最後に分からせてくれたっていうか。BSC にやらせておけば、間違いなく締まると思ってたんで、思った通りになりましたね。

家族以外では誰よりも、いちばん長く人生をここまで一緒に過ごしていると思うんですよ。俺らはこのCD1枚に収まりきらないほどのライフがあるし。それはこれからも止まることはないし。自分たちもそのつもりで街を歩くし。(Ryohu)

今回もアルバムのトラックのほとんど(15曲中11曲)を Neetz 君が手がけていますが、“Imperial”も含めて、Ryohu 君とはどういう役割分担をしているんでしょうか?

Ryohu:Neetzが作ったトラックの中で足りない部分を聞いて、「こういうのをやりたい」って自分が思ったのを作るっていう感じです。だから、完全に自分発信っていうトラックはあんまりなくて。けど、個人的に808(TR-808)の音みたいなのは入れようと思っていて。“In Need”とかは、最初のデモの段階ではわりとR&Bっぽかったんですけど、ちょっとトラップっぽくして。「こういうのも面白いでしょ?」って。

Neetz:アルバムの後半に Ryohu の曲が多くなっていて。そこでやっぱり、俺のトラックに足りない色が出てきていて。そういうバランスになってると思いますね。

Ryohu:前作(『KANDYTOWN』)と同じで、絵みたいに「ここにもうひとつ、この色を足したら良くない?」みたいな感覚ですね。だから、俺は Neetz の後ろにいて、全体を見ている感じです。

Ryohu 君がトラックを手がけた曲だと、こちらも個人的には“Cruisin'”が好きですね。

Ryohu:一度、KANDYTOWN のDJチーム、MASATO と Minnesotah をウチのスタジオに呼んで、「KANDYTOWN に良い曲ないかな?」みたいな話を軽くしたときに、いくつか出てきた曲のひとつがミッドナイト・スターの“Curious”っていう曲で。あれを聞いて「KANDYTOWN ってこんな感じだよね?」みたいに個人的に思っていて。あのビート感というか。そのオマージュとして作ったのが“Cruisin'”ですね。さっきも言ったように、Zepp でのライヴに向けたイメージの曲が多かったので、良くも悪くも振り切れている曲にしたいなと思って。一応、「Cruisin'」ってタイトルだけども、ゆっくりと車に乗るっていうよりも、もっとドライバーに特化したというか。がっつりと運転しているようなイメージで。KANDYTOWN だと、ゆっくり聞ける感じのイメージなんだろうけど、あえて違う方向に振り切ってみました。

この曲のリリックに「闇かき消すYUSHIのフロー」っていう部分がありますけど、YUSHI さんの存在はいまでも KANDYTOWN の中であったり、作品として今回のアルバムにも残っている感じはしますか?

Ryohu:そうですね。90年代にエリック・B&ラキムが“What's On Your Mind”っていう曲で“Curious”を使っていて。そのビートで YUSHI がラップしている音源が残ってるんですけど。今回、“Cruisin'”にそれを入れるっていう話もあったんですけど、曲の内容が今回のテーマと違っていたので入れるのはやめたんですが。でも、それだけじゃなくて、YUSHI の名前はいろんな話の中で出てくるし。そういうこともあって、リリックの中に入ってきたっていうのはあるかもしれないです。

最後の“Until The End Of Time”も YUSHI さんに捧げてた曲ではありますか?

Gottz:IO 君は YUSHI 君について歌っていますね。

Neetz:YUSHI 君に関しては、ヴァースをやっている人たちが、それについて言っているかもしれないし、また別のことを言ってるかもしれないし。それはヴァースをやっている人、それぞれの気持ちだと思うんですよね。“Until The End Of Time”は、とにかくいまのこの感じは、延々に止まらず、残るもんだぞっていう意味で作ったから。

今回のアルバムの制作の約半年は、結構、密な感じだったと思いますが、再びみんなでアルバムを作る作業っていうのを久しぶりにやってどうでしたか?

Neetz:やっぱり帰ってきた感じはあるよね?

Ryohu:懐かしいなって思いましたね。「LOCAL SERVICE」の段階でもそういう感じは結構ありましたけど。やっぱり、いざアルバムを作り始めると、ファーストのときの感じってこんなんだったっけ?みたいなことは思いましたね。あと、おのおのソロでやっているから同じことを感じると思うんですけど、「俺、ワン・ヴァースしか蹴ってないのにもう1曲できてる!?」みたいなのはありますね。人数がいるっていうだけでも進みの速さというか。ひとりだと考え過ぎちゃうこともあると思うんで。そういう意味では、ファーストを思い出しながら、改めて16人いるって凄えなって。そういう、みんなでやっている凄さだったりを感じつつ、久々にみんなでひとつの作品に向かえるのは、文化祭みたいっていうと軽く聞こえちゃいますけど。十代から夜な夜な集まって、ビート聞かせてもらって、ラップ書いてみたいな。いままで自分たちがやってきたことを久々に、改めてみんなでやるっていうのは楽しいことだなって思いましたね。

Gottz:俺はソロのほうでライヴとかツアーとかやってて、制作も続けてるんで。今回、KANDYTOWN には帰ってきたんですけど、あんまりやることは変わってないというか。むしろ、みんながいるから楽しいっていうのが帰ってきた感なのかな?っていう。いつもは基本ひとりなんで、やっぱり楽しいですね。

KANDYTOWN は落ち着ける場所なんですかね? それとも、刺激を受ける場所?

Neetz:どっちでもあるよね。

Gottz:スタジオとかライヴとかだと刺激を受けるかもしれないですけど。「あいつカマしてるな」みたいに。けど、それ以外だと、やっぱり普段は落ち着くっすね。

前作からの3年を経て、KANDYTOWN の絶対に変わらない部分って何だと思いますか?

Ryohu:……結構難しい質問ですね。

Gottz:まあ、やりたくないことはやらないっていうのですかね。

Neetz:音楽をやらなくても、仲間であって……ってことじゃない?

Gottz:(その答えは)30点くらいだね。

Neetz:(笑)

Ryohu:音楽しかりですけど、KANDYTOWN っていう仕事仲間であり、友達でありっていう。まだ短いですけど、少なからず家族以外では誰よりも、いちばん長く人生をここまで一緒に過ごしていると思うんですよ。そういう仲間と、誰かに何か言われなくとも、自分たちでやろうぜってなって。いろんなことが巻き起こりながら、十代からここまで来て。その結果、いま、こうやって音楽で表現してるっていうだけでも、俺は十分凄いことだなって思っていて。このアルバムがどう評価されるかは分からないですけど、俺らはこのCD1枚に収まりきらないほどのライフがあるし。それはこれからも止まることはないし。自分たちもそのつもりで街を歩くし。ソロでも、仲間たちに馬鹿にされないように作品を作らないといけないと思うし。けど、(KANDYTOWN に)帰ってきたら、こうやってリラックスして。みんなで作ろうってなったら、また新しいアルバムでも作るかもしれないし。それが全部に繋がっていくというか。それがいちばん、KANDYTOWN らしいというか。それに全てが尽きるのかなっていう感じはしますね。

楽園 - ele-king

 10月中に絶対『ジョーカー』を観るぞーと思っていたのに、僕のまわりは全員がネガティヴな評価で、しまいには「観なくていい」とまで言われ、いや、ホアキン・フェニックスにトッド・フィリップスだし、自分の目で観なくては……と思っていたにもかかわらず、10月最後の週末に足を向けたのは『楽園』でした。口コミってボディブローのように効いてしまうんです。

 酒鬼薔薇聖斗の社会復帰を暗示した『友罪』(18)、大正時代のアナキストと女相撲を交錯させた『菊とギロチン』(18)に続いて瀬々監督が取り組んだのは吉田修一の短編2作を合わせた限界集落の閉鎖性。これまで吉田修一といえば李相日監督が『悪人』(10)、『怒り』(16)と力作を連発し、大森立嗣監督が『さよなら渓谷』(13)、沖田修一監督が『横道世之介』(13)と水際だった作品ばかりなので、『ヘヴンズ ストーリー』(10)や『64(ロクヨン)』の瀬々監督なら、それらを上回るストレートな社会派エンターテインメントが期待できるだろうと。

 一面に広がる田んぼをタテ移動で見せ、森の中をヨコ移動でそれに続けると、中年の女性がヤクザ風の男に殴る・蹴るの暴行を受けている場面へカメラは寄っていく。黒沢あすか演じる中村洋子は村のフリーマケットに許可なく参加してしまったようで、それを咎め立てた男に問答無用で暴力を振るわれていたのである。綾野剛演じる息子の中村豪士は最初は車の陰で怯えているだけだったけれど、なんとか助けを呼びに行き、柄本明演じる藤木五郎らが「まあまあ、大目に見てやれ」とその場を収める。この母子は難民で、様々な国を転々としながらようやく長野県にたどり着いたことがだんだんとわかってくる。(以下、ネタばれ)タイトルの「楽園」というのは難民たちが日本に対して抱いているイメージのこと。中村豪士は体が弱く、綾野剛による体の動かし方はいわく形容しがたいものがあり、これがひとつの見所になっている。

 場面変わって2人の少女が田んぼの脇でシロツメクサを積んでいる。2人は仲が良いのか悪いのかよくわからない雰囲気を醸し出していて、まるで仲違いでもしたように別な道を通って帰っていく。Y字路を左の道に進んだ「あいか」が、そして、行方不明になる。村中が総出で「あいか」の捜索を始め、やがて川べりでランドセルが見つかる。12年後、「あいか」と別れてY字路を右の道に進んだ湯川紡は東京の青果市場で働いている。村の祭りで笛を吹く要員が足りないというメールを受け取った湯川紡は村に戻り、祭囃子の練習に参加した夜、帰り道でうしろから近づいてきた自動車に驚き、自転車ごと転んでしまう。それが中村豪士との出会いだった。湯川紡を演じる杉咲花はまだ若いのに、最近のTVドラマで観ていると何もかもを知り尽くしたおばばさまのように超然とした雰囲気を持った女優で、頼りなさのようなものとは無縁に思えてしまうのに、それが『楽園』では自分に自身を持てない気弱な女性を演じながら、それが最終的には少しずつおばばさまめいてくるところが、もうひとつの見所。

 物語が大きく動き出すのは12年前と同じ事件が起こり、村人Aが「犯人は中村豪士だ!」と叫んだのにつられて村中が中村豪士の家に押し寄せるところから。逃げ出した中村豪士は蕎麦屋に逃げ込み、全身に灯油をかけたまま、店の中に立てこもる。これらのシークエンスに村祭りの場面が交互に差し挟まれ、わざわざ東京から駆り出された湯川紡の視点ということなのだろう、祭りの描写は共同体の外側から冷静に観察されているように熱を帯びず、何か異様なものを見ているような雰囲気に終始する。真利子哲也監督『ディストラクション・ベイビー』(16)ほどではなかったものの、近年の邦画では地方の共同体が否定的に描かれるとき、このように祭りをストレンジなものとして描く傾向がある。ついでに言うと、つい4日前にTVで放送された即位の礼で手を振って万歳を叫んでいる人たちも、浅田彰ではないけれど、さすがに僕も(自粛)に見えてしょうがなかった。ということは、『ディストラクション・ベイビー』も『楽園』も近代人の視点でつくられているということである。日本列島が呪術に覆い尽くされているわけではない。

 村祭りのクライマックスは宮司が燃え盛る松明を振り回すシーン。それと同時に頭から灯油をかぶった中村豪士はライターをかちっと鳴らす。ここで第1部は終わり。想像通り、第3部では中村豪士が火だるまとなって焼け死んでいく様子が描写される。村祭りはいわば生贄をシミュレートしていたわけだけれど、「あいか」ちゃんのような事件が起きると、そのような擬似だけでは事態を収束できないことがここでは示されている。イラク戦争をオーヴァーラップさせたクリント・イーストウッド『ミスティック・リバー』(03)でも生贄が必要だという意味では同じストーリー展開だったことを思い出す。

 中村豪士の家に押し寄せた群衆のひとり、佐藤浩市演じる田中善次郎が第2部の主役となる。田中善次郎はUターン組で、若い人がいなくなっていく村では様々な人の役に立つことができる人材として重宝されていた。田中はそうしてあちこちでちやほやされているため、調子に乗って養蜂で村おこしをしようと提案したあたりから雲行きが変わっていく。それから起きたことを抽象化していうと、権力者がその優位を確保するために、新たな経済の発生に存在価値を認めず、村から若い人たちが逃げていく要因をますます強くしていったということになる。新自由主義というのは根っからの悪者のように言われているけれど、この村と同じように守旧派なりが利権を独り占めしている時に、その恩恵を機会均等にし、自由競争の状態にすることが目的のひとつであった。そのためには政治にメスを入れ、いわゆるアメリカン・ジャスティスを機能させなければならず、悪と戦う姿勢が根本にはあったはずなのに、公共事業の民営化など利権がバラけ始めると目先の利益に飛びつくだけが能となり、いわば村社会の利権が前門の虎なら新自由主義が後門の狼という配置ができあがってしまい、どちらにも属さない人にとってはこの世は地獄もいいところとなっていった。それが「平成」という時代である。日本では新自由主義というよりも経済右翼といった方が実像に近いだろうし、多くのリベラルが新自由主義に変質したのもそうした正義感に感応して新自由主義を選択したわけであって、なにも最初から欲ボケでそうなったわけではないだろう。ちなみにこうした事態に対して「第3の道」があると宣言したのが、ザ・KLFも期待を寄せたトニー・ブレアで、しかし、「第3の道」とは具体的なアイディアでもなんでもなく、ただ言ってみただけだったというのがすでに22年前。

『楽園』が剥き出しにするのは新自由主義ですら入り込む余地がない、それ以前の価値観で動く世界であり、原発でもいいし、文化庁の助成金システムでもいいけれど、守られなくてもいい日本と守られなければいけないはずの日本が逆転し、グローバル時代に奇妙なダブル・スタンダードが都合よく使い回されていることが痛感させられる。都会から地方に移住した人がゴミ収集に参加させてもらえないという話はよく聞くところだけれど、田中善次郎も同じ目に遭い、事態はどんどん悪化していき、ついに彼は村人を襲い始める。選択肢を奪われ、追い詰められていく佐藤浩市の演技もとても納得のいくものだった。そしてそれは李相日監督が映画化した『怒り』では抽象化するにとどめられていたテーマの種明かしにもなっていた。第3部は無惨極まりない結末の嵐である。それこそ5分おきにありとあらゆる道が閉ざされていく。韓国映画の代名詞となったポン・ジュノ『殺人の追憶』(04)にはさすがに及ばないものの、まったく揺るぐことのない体制の前ではどうすることもできないという徒労感では同格か、引けを取らない作品だというか。

 多様性の掛け声も虚しく、日本はやはり個性を認める社会ではない。どんなレヴェルであれ、権力者が自分の家来になったものにその力を譲り渡すだけで、構造的にはなにひとつ変わっていくことがない(要するに家父長制)。そのために世界の変化に対応する柔軟性を持つことができず、世界の中でどんどん貧しくなっていくのが現在の日本であり、ひとつの村にたとえているけれど、これが日本全体の縮図だということを『楽園』はとてもわかりやすく描き出している。サラリーマンであれ、掃除夫であれ、同じだけ働いてもアメリカ人の3分の2しか給料をもらえず、日本で10万円しかもらえないアニメーターは中国へ行けば27万円になるというとき、誰が「村」を出ていかないという選択をするというのだろうか。湯川紡のことが好きで、彼女のあとを追って東京へ出てきた野上広呂(村上虹郎)が最後に湯川紡に告げた「楽園をつくってくれよ」というセリフは家父長制に逆らう気もなく、安倍政権を受け入れた「若い男」の本音ということになるのだろうか。女に頼るなよとも思うし、女性に期待するしかないよなとも思うし。

 観終わって、珍しく社会派的な気分になり、そのまま渋谷のハロウィーンにぶつけて行われるプロテストレイヴ(https://www.youtube.com/watch?v=KNEBe95ZtOc)に向かい、DJ TASAKAや1-DRINKと合流。ヘロヘロになるまで踊り歩いてしまいました。やっぱ、サウンドデモだねー。いいぞ、DJマーズ89

『楽園』本予告

Kokoko! - ele-king

 エボラ出血熱ではない。はしかでもない。戦争でもなければ性暴力でもなく、なんというかこう、もっとポジティヴなニュアンスで最近「コンゴ」という単語を目にする機会が多い。別エレ最新号をつくる過程で久しぶりにDRCミュージックを聴き返したというのもある。あるいは先月来日を果たしたキシ。彼女は幼いころに旧宗主国たるベルギーへと移住しているから、現地の空気にどっぷりというわけではなかったんだろうけど、それでも音楽に興味を持つきっかけになったのはルンバ・コンゴレーズやドンボロだったと語っているし、それこそ『7 Directions』のテーマは植民地化される以前、かの地に存在していたという部族「バントゥ・コンゴ」とコスモロジーを接続させることだった。なぜだか最近「コンゴ」がキイワードになっている。

 首都キンシャサのブロック・パーティのなかで産声をあげたコココ!は、通常のバンドとは異なり、楽器の発明家たちをそのおもな構成員としている。グループ名はリンガラ語で「ノック、ノック、ノック」を意味し、そこには「ドアを開けて自分たちの音楽に触れてもらいたい」という彼らの願いがこめられている。唯一西洋からの参加者であるデブリュイことグザビエ・トマはブリュッセルを拠点に活動しているプロデューサーで、彼が映画制作会社のベル・キノワーズとともにキンシャサを訪れた際に路上でパフォーマンスする発明家たちと出会い、2016年の夏、コココ!が結成されることになった。
 最初に完成した曲だという“Tokoliana”は2017年6月にシングル化され、彼らの記念すべき最初のリリースとなる。その後セカンド・シングル「Tongos'a」を挟み、翌2018年にはリスボンのDJマルフォックスやダーバンのシティズン・ボーイを招いたリミックス盤を発表、見事昨今のトレンドへの合流を果たす。そのままサード・シングル「Azo Toke」や初のEP作品「Liboso」を送り出し、今年に入ってからもシングルを連発、かくしてお目見えとなったのがこのファースト・アルバム『Fongola』だ。

 コココ!のメンバーはフランコ&OK・ジャズやパパ・ウェンバといったコンゴのレジェンドたちから影響を受けているとのことで、たしかに部分的にそれらしき要素がにじみ出ている、ように聞こえなくもない、が、それ以上に注目すべきなのは、彼らの驚くべきDIY精神だろう。RAのセッション動画を見ればわかるように、コココ!の面々は空き缶やペットボトル、タイプライターやトースターを楽器として用いている。それだけではない。本作を録音するにあたって彼らは、なんとスタジオまで自作してしまっている(素材は卓球台とマットレス)。
 彼らがそのように日常的なマテリアルを楽器として用いるのは、けっして奇をてらっているわけではなく、そもそもコンゴでは楽器が異様に高いという理由からだ。かつてフライング・リザーズもドラムのかわりに段ボールを叩いていたけれど、じっさいに手に入るか入らないかというのは大きなちがいだろう。レンタルですらとうてい手が届かない値段だそうで、おまけにかの地はしょっちゅう停電に見舞われるらしく、ゆえにコココ!は身のまわりにあるもの、路傍で拾ったもので音楽をつくりあげなければならなかった。そんな彼らの創意工夫を最大限に活かすためだろう、デブリュイによるシンセもできるだけ簡素に、良い意味でチープな音を繰り出している。

 冒頭“Likolo”や“Azo Toke”、ダンサブルな“Buka Dansa”や“Malembe”といった前半の曲たちが体現しているように、アフリカンなヴォーカル、ミニマルな各種パーカッションと、ダブやベース・ミュージック、ハウスなどの手法との組み合わせがこのアルバムの基調を為しているが、他方でひたすらストレンジなムードが続く“L.O.V.E.”や、陶酔的なベースラインの反復とギャング・オブ・フォーを思わせるギター(??)との対比が強烈な“Tongos'a”、加工されているのか生で発せられているのか判然としない独特のヴォーカルがクセになる“Zala Mayele”など、さまざまなアイディアでリスナーを楽しませてくれる表情豊かな1枚に仕上がっている。なかでももっとも彼らの真髄を堪能させてくれるのは、やはり、最初につくられたという“Tokoliana”だろう。この曲をミラ・カリックスサンズ・オブ・ケメットに接続したのも頷けるというか、ベースラインやダビーなドラム処理が高らかに告げているように、これは、まさしくポストパンクである。

 彼らの創意工夫の背景にはもちろん、政治的に困難なコンゴの情勢が横たわっている。西洋のアーティストが趣向を凝らそうとして楽器以外のものに手を出すのとはわけがちがうのだ。だからコココ!の音楽は、DAWがあればいかようにもそれっぽい曲がつくれてしまう昨今の風潮にたいするオルタナティヴであると同時に、創意工夫を重ねなければならない状況へと彼らを追いやった社会なり世界なりにたいするプロテストでもある。
 にもかかわらず。にもかかわらず、たとえば彼らのボイラールームでのパフォーマンスなんかを観ていると、怒りや抗議よりも圧倒的に、喜びや楽しみのほうが勝っているように感じる。なんというかこう、もっとポジティヴなのだ。きっとその正のオーラこそ、コココ!の音楽最大の魅力なんだと思う。

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