「You me」と一致するもの

interview with Kode9 - ele-king

 今年で設立15周年を迎える〈Hyperdub〉。ベース・ミュージックを起点にしつつ、つねに尖ったサウンドをパッケージしてきた同レーベルが、きたる12月7日、渋谷 WWW / WWWβ にて来日ショウケースを開催する。
 目玉はやはりコード9とローレンス・レックによるインスタレイション作品『Nøtel』の日本初公開だろう。ロンドンでの様子についてはこちらで髙橋勇人が語ってくれているが、サウンドやヴィジュアル面での表現はもちろんのこと、テクノロジーをめぐる議論がますます熱を帯びる昨今、その深く練られたコンセプトにも注目だ。この機会を逃すともう二度と体験できない可能性が高いので、ふだんパーティに行かない人も、この日ばかりは例外にしたほうが賢明だと思われる。
 ほかの出演者も強力で、アルカのアートワークで知られるジェシー・カンダの音楽プロジェクト=ドゥーン・カンダ(11月29日に初のアルバム『Labyrinth』をリリース済み)や、昨年強烈なEP「Enclave」を送り出したアンゴラ出身のナザールと、なんとも刺戟的な面子が揃っている。さらにそこに〈Hyperdub〉からリリースのある Quarta 330 をはじめ、Foodman や DJ Fulltono、Mars89 といった日本のアンダーグラウンドの最前線を牽引する面々が加わるというのだから、これはもうちょっとしたフェスティヴァルである。
 というわけで、来日直前のコード9にレーベルの15周年や『Nøtel』、まもなく発売されるベリアルの編集盤などについて、いくつか質問を投げかけてみた。(小林拓音)


photo: David Levene

『Notel』の世界はデジタル化された不死の概念を展示するような場所でもあって、そこでは死んだ友人たちが生き続けている。

今年で〈Hyperdub〉は15周年を迎えます。2004年にレーベルをスタートさせたとき、どのような意図や野心があったのですか?

スティーヴ・グッドマン(Steve Goodman、以下SG):はじめたときは、亡きスペースエイプと一緒にやっていた自分の音楽をリリースするレーベルにしたいと考えていただけだった。それ以上の目標は持っていなかったよ。

それは、いまでも続いていますか? この15年で大きな転換点はありましたか?

SG:それが、当初の目的はあっという間にどこかへ行ってしまって、他のアーティストたちの作品をリリースするようになった。ある意味、まったく逆のことをやっている──いまでは自分の音楽をやる時間はほとんど持てないからね。ベリアルのアルバムを出したのは、間違いなく大きな転機だった。2014年に起こったDJラシャドとスペースエイプの死もそうだ。

『Diggin' In The Carts』のリミックスは、あなたのオリジナル作品と言っていいくらい独自にリミックスされていましたけれど、そのとき意識していたことや、4曲の選出理由を教えてください。

SG:2017年から、アニメイターの森本晃司が制作した映像を使って、オーディオヴィジュアル・ライヴを続けている──音楽は、コンピレイション・アルバム『 Diggin' In The Carts』の中から14曲を自分でリミックスしたものを使っている。リミックスEPには、その14曲から好きなトラックを選んだだけなんだ。

12月7日の来日公演に出演するドゥーン・カンダ(Doon Kanda)はヴィジュアル・アーティストとしてのほうが有名ですけれど、その音楽についてはどう思っていますか?

SG:彼の映像表現は、驚きに満ちていてすごく独特だ。音楽にかんしては、鋭敏で優美なメロディ・センスを持ち合わせていると思う。初めてその音楽を聴いたとき、これは アルカの曲だろうかと思ったんだけど、いまでは彼独自のサウンドを徐々に見つけていると思う。今回のアルバムはリズムもすごくおもしろくて、電子音でワルツを刻んでいると言ってもいいくらいだ。


photo: David Levene

おなじく今回来日するアンゴラのナザール(Nazar)ですが、彼の音楽の魅力とは?

SG:ナザールは、ここ最近〈Hyperdub〉で契約した新人でもとくに楽しみなひとりだ。他にはまったくないサウンドを持っていて、それを自分で「ラフ・クドゥーロ」(訳註:クドゥーロはアンゴラ発祥の音楽形式)と呼んでいる。彼がふだん鳴らしている音を説明するなら、ベリアルの音楽をさらに騒々しくしたヴァージョンと、マルフォックスニディア、あるいはニガ・フォックスらによる〈Príncipe〉レーベルの音楽の中間にあると言える。パフォーマンスをするときは、自分の音楽だけを演奏していて、何から何まで独創的な音の世界を聴かせてくれる。彼の作品テーマはアンゴラの内戦と関わりがあって、それで僕の著書『Sonic Warfare』とも共鳴する部分がある。そこがたいていのプロデューサーとちがうところだ。

まもなくベリアルのコンピレイションがリリースされます。彼のことですので、たんにレーベル15周年を祝ってという理由だけでなく、何か考えがあるように思えます。すべて既出の音源ですが、曲順も練られているように感じました。これは実質的に彼のサード・アルバムと捉えてもいいのでしょうか?

SG:彼は適切な流れをつくれるように考えて曲順を決めていた。厳密にはサード・アルバムとは言えないだろう──アルバム『Untrue』以降にリリースされたトラックをほぼすべて網羅したものでしかない。ここに収録されたトラックはどれも、アルバムに入っていないからという理由で、見過ごされてきたように感じられる。われわれとしては、今回の楽曲には、アルバムの収録曲より優れたものさえ存在すると確信している。

今年はサブレーベルの〈Flatlines〉も始動しましたね。第1弾はマーク・フィッシャーとジャスティン・バートンによる作品『On Vanishing Land』で、フィッシャーゆかりのアーティストが多く参加しています。この作品は彼への追悼なのでしょうか?

SG:そうだと言ってかまわない。レーベルの名前は、彼が博士号を取得したさいのテーマにちなんでつけたもので、この作品は、彼の最後の著書『The Weird and the Eerie』に記されたアイディアのいくつかをオーディオエッセイというかたちで実践したものだ。

今後〈Flatlines〉はどのような作品を出していく予定なのでしょう?

SG:もしかしたら、僕自身のオーディオエッセイをいくつか出すかもしれない。

AIやテクノロジーのことがよく話題にのぼる昨今、「もともと人間のために作られたシステムが、人間消滅後もシステム自らのために稼働し続ける」という『Nøtel』の設定は示唆的です。作品のもととなったあなたのアルバム『Nothing』が出てから4年たちましたが、『Nøtel』にはどのような反応が返ってきていますか?

SG:『Nøtel』は興味深いプロジェクトとして続いてきた。最初は僕とローレンス・レックが加速主義(訳註:現行の資本主義プロセスを加速することで根本的な社会変革に結びつけようとする思想)について意見を交わすことからはじまった。それがアルバムの2つ折りジャケットのアートワークにつながった。それから仮想空間に建造物を再現し、僕がライヴ演奏をしているあいだにローレンスがゲーム用コントローラーを使って内部を移動する様子を映し出す(それぞれのトラックにひとつの部屋が割り当てられている)という形式ができて、さらにはユーザー参加型のVR作品に仕上がった。そして『Nøtel』を実際のホテルに見立てた架空の広告を制作し、香港のアート・バーゼルというイヴェントで最大規模のヴィデオ展示をおこなった。12月には上海での展示がおこなわれる──『Nøtel』はこれまで突然変異を繰り返して異なる環境をつくり出し、いまもなお発展を続けている。今回、初めて日本でのパフォーマンスが実現する。


photo: Philip Skoczkowski

『Nøtel』では、資本主義を打ち破るコンセプトとして、ジャーナリストのアーロン・バスターニが描いた全自動ラグジュアリー共産主義(Fully Automated Luxruy Communism)が、資本主義的に読み替えられた全自動ラグジュアリー(Fully Automated Luxury)というコンセプトとして登場します。『Nøtel』は、人間がいなくなったあとも資本主義リアリズムがテクノロジーによって構築され続ける世界です。わたしの記憶が正しければ、『Notel』のなかには、亡くなったスペースエイプやDJラシャドがまるで幽霊のようにホログラムや映像として登場します。人間のいない『Nøtel』の世界に幽霊がいるとすれば、それはどのような意味を持つのでしょうか?

SG:『Nøtel』の世界はデジタル化された不死の概念を展示するような場所でもあって、そこでは死んだ友人たちが生き続けている。『Nøtel』は、富裕な人びとが求める社会的分離が行き着くところまで行ってしまった皮肉な事態(従業員が機械化されたのみならず、『Nøtel』には、もはや宿泊客がやって来ない──ただ、なぜそうなったのかをわれわれは語らない)をあらわすと同時に、「完全自動ラグジュアリーコミュニズム」(訳註:技術革新によって実現できるとされる豊かな共産主義社会で、アーロン・バスターニの著書『Fully Automated Luxury Communism』のタイトルと一致する)という概念があっても、それが企業体によっていかに容易に私物化されうるかという皮肉を示している。『Nøtel』では、ドローンが従業員として仕事をする。そしてこの作品は、自分たちを使役する人間が存在しなくなったと認識したドローンが自由を獲得することで結末を迎える。

あなたは、今回一緒に来日するローレンス・レックの映像作品『AIDOL』に、声優として出演していますね。『AIDOL』の舞台は東南アジアです。では『Nøtel』の世界では、「東洋」はどのように存在しているのでしょう?

SG:物語の上で、『Nøtel』は国有の中国企業によって経営されている──そのブランド戦略を担うコンサルタントのひとりはロンドンのアートスクールで学んだ経験があり、そこで「完全自動ラグジュアリーコミュニズム」という言葉を耳にして、意味をとりちがえたまま中国に持ち帰り、迂闊にも高級ホテルチェーンのキャッチフレーズに転用してしまったんだ。

『Nøtel』における機械(ドローン)には、われわれ人間と同じような肉体があるわけではないですが、人間性のようなものが宿っているようにも見えます。われわれは機械の尊厳についても考えるべきでしょうか?

SG:ドローンには、自由になりたいという欲望がプログラムされていて、それは、主人である人間に仕えるよう定めたプログラムよりも根源的なものとして機能する。どうあれ、人間は自動化を進めたまま、やがて終焉を迎えたということだ。

Hyperdub

Kode9 率いる〈Hyperdub〉の15周年パーティーが "Local X9 World Hyperdub 15th" として WWW にて12月7日(土)に開催決定!
また、孤高の天才 Burial が歩んだテン年代を網羅したコレクション・アルバムが国内流通仕様盤CDとして12月6日(金)に発売決定!

00年代初期よりサウス・ロンドン発祥のダブステップ/グライムに始まり、サウンドシステム・カルチャーに根付くUKベース・ミュージックの核“ダブ”を拡張し、オルタナティブなストリート・ミュージックを提案し続けて来た Kode9 主宰のロンドンのレーベル〈Hyperdub〉。本年15周年を迎える〈Hyperdub〉は、これまでに Burial、Laurel Halo、DJ Rashad らのヒット作を含む数々の作品をリリースし、今日のエレクトロニック・ミュージック・シーンの指標であり、同時に先鋭として飽くなき探求を続けるカッティング・エッジなレーベルとして健在している。今回のショーケースでもこれまでと同様に新世代のアーティストがラインナップされ、東京にて共振する WWW のレジデント・シリーズ〈Local World〉と共に2020年代へ向け多様な知性と肉体を宿した新たなるハイパー(越境)の領域へと踏み入れる。

Local X9 World Hyperdub 15th

2019/12/07 sat at WWW / WWWβ
OPEN / START 23:30
Early Bird ¥2,000@RA
ADV ¥2,800@RA / DOOR ¥3,500 / U23 ¥2,500

Kode9 x Lawrence Lek
Doon Kanda
Nazar
Shannen SP
Silvia Kastel

Quarta 330
Foodman
DJ Fulltono
Mars89

今回のショーケースでは、Kode9 がDJに加えシミュレーション・アーティスト Lawrence Lek とのコラボレーションとなる日本初のA/Vライブ・セットを披露。そして最新アルバム『Labyrinth』が11月下旬にリリースを控える Doon Kanda、デビュー・アルバムが来年初頭にリリース予定のアンゴラのアーティスト Nazar、そしてNTSラジオにて番組をホストする〈Hyperdub〉のレジデント Shannen SP とその友人でもあるイタリア人アーティスト Silvia Kastel の計6人が出演する。

BURIAL 『TUNES 2011-2019』

Burial の久しぶりのCDリリースとなる『TUNES 2011-2019』が帯・解説付きの国内流通仕様盤CDとしてイベント前日の12月6日にリリース決定!

2006年のデビュー・アルバム『Burial』、翌年のセカンド・アルバム『Untrue』というふたつの金字塔を打ち立て、未だにその正体や素性が不明ながらも、その圧倒的なまでにオリジナルなサウンドでUKガラージ、ダブステップ、ひいてはクラブ・ミュージックの範疇を超えてゼロ年代を代表するアーティストのひとりとして大きなインパクトを残したBurial。

沈黙を続けた天才は新たなディケイドに突入すると2011年にEP作品『Street Halo』で復活を果たし、サード・アルバム発表への期待が高まるもその後はEPやシングルのリリースを突発的に続け、『Untrue』以降の新たな表現を模索し続けた。本作はテン年代にブリアルが〈Hyperdub〉に残した足取りを網羅したコレクション・アルバムで、自ら築き上げたポスト・ダブステップの解体、トラックの尺や展開からの解放を求め、リスナーとともに未体験ゾーンへと歩を進めた初CD化音源6曲を含む全17曲150分を2枚組CDに収録。

性急な4/4ビートでディープなハウス・モードを提示した“Street Halo”や“Loner”から、自らの世界観をセルフ・コラージュした11分にも及ぶ“Kindred”、よりビートに縛られないエモーショナルなス トーリーを展開する“Rival Dealer”、史上屈指の陽光アンビエンスが降り注ぐ“Truant”、テン年代のブリアルを代表する人気曲“Come Down To Us”、そして最新シングル“State Forest”に代表される近年の埋葬系アンビエント・トラックまで孤高の天才による神出鬼没のピース達は意図ある曲順に並べ替えられ、ひとつの大きな抒情詩としてここに完結する。

label: BEAT RECORDS / HYPERDUB
artist: Burial
title: Tunes 2011-2019
release date: 2019.12.6 FRI

Tracklisting

Disc 1
01. State Forest
02. Beachfires
03. Subtemple
04. Young Death
05. Nightmarket
06. Hiders
07. Come Down To Us
08. Claustro
09. Rival Dealer

Disc 2
01. Kindred
02. Loner
03. Ashtray Wasp
04. Rough Sleeper
05. Truant
06. Street Halo
07. Stolen Dog
08. NYC

interview with FINAL SPANK HAPPY - ele-king

 BOSS THE NK と OD という謎に包まれた(?)ふたりによる「三期」にして「最終」の SPANK HAPPY。ある意味、露悪的なまでにフェティシズム、マゾヒズム、サディズム、ペドフィリア、窃視……といった性倒錯をハウスのビートに乗せ歌っていた第二期 SPANK HAPPY (その極点が『Vendôme,la sick Kaiseki』だ)の「ファンダメンタリスト」は、2019年のいまも後を絶たないのではあるが、過去にすがる狂信者を尻目に FINAL SPANK HAPPY のふたりは Instagram やライヴで熱心かつモード系でコミカルな活動を繰り広げている。

 そんな FINAL SPANK HAPPY の全貌を、おそらく提示するであろうファースト・アルバム『mint exrocist』がこのたび届けられた。見る者を困惑させるカバー・アートが部分的に物語っているように、「最終スパンクハッピー」が体現するのは「切ない」、「明るい」、「おもしろい」、そして「元気」である。アメリカのラップ・ミュージックなどについてはいわずもがな、それとはまったくの別軸で(二期スパンクスが予見した)病みに病みまくっている、落ちに落ちまくっている本邦大衆音楽の潮流。そこに悪魔祓いとして、清涼で爽快な香りを漂わせたミントの葉が投げ込まれたのだ。

メンヘラはもうダメですね。表現としては。一般化しすぎた。ヒップホップがバッドやナスティである義務、みたいなものです。いまメンヘラは表現としては「皆さん、喉が渇いたら水を飲むと良いですよ」と言っているのと同じです。一大マーケットですよ。

まずは BOSS THE NK さんと OD さんが出会って FINAL SPANK HAPPY の結成に至るまでのお話をうかがいたいです。

BOSS THE NK(以下、BOSS):菊地成孔くんの有料ブログマガジン「ビュロ菊だより」に私の回想録(「BOSS THE NK回想録」)を連載していていまして、我々が出会ってからフジロックに出るまでのことを書かせて頂きましたが(加筆修正を加えた最新版はこちら→https://www.bureaukikuchishop.net/blog )、菊地くんが12年ぶりでSPANK HAPPYを再開したいんだけど、いろいろと忙しくて自分でできないから(笑)アバターを頼まれました。J-POP史上、というか世界音楽史上稀に見る(笑)アバターを使ってバンドをやるという。彼らしいコンセプチュアルな発想ですが、はたから見たら絶対に「キャラ設定でしょ」って思われるに決まってるんで、、、、というのは、ご覧の通りコイツ(OD を指差して)が、小田朋美さんとミラーリングぐらいに似てるんで、「本人がやってるでしょ? と思われ続けながらやれ(笑)」いうミッションをもらいました。
 で、まずは相方を探してほしいと。 前人の相方の岩澤(瞳)さんはお人形みたいな人で、音楽にいっさい関与しないし、ただ立って言われるようにしていた人だった。だから、今回はなんでも自分でできる天才的な能力を持った──それは身体能力も含めて──相方を探して一応、世界中探し回ったんですがダメで。。。で、疲れ果てまして、私の地元が川崎なので隠し部屋に寝に帰ろうとしたんですが、近くにパン工場があるんですが……。

川崎のパン工場。

BOSS:そこから歌が聞こえてくるんです。あんまりにも上手いから最初はCDだと思っていたんだけど、歌い直したり止まったりするからどうやら生らしいぞと。そしたら中に女の子がいて、その子は小麦粉が入っている袋を服にして着ているボサボサな感じなんだけど、ものすごい天才でバッハから MISIA まで歌えるわけです。
 それが OD なんですけど、彼女は工場から出たことがない捨て子で、工場長から懇意にされてパンを食べながら育ったんだと。その子を工場の外に連れ出して、デビューさせるっていう話を菊地くんと僕とで取り付けて。この子なら間違いないと思ったんですけど……ところが非常に困ったことに、これこの通り、小田朋美さんにそっくりで。。。。

まあ、そうですよね(笑)。

BOSS:本人にしか見えないんだよね、って菊地くんに言うと、おもしろがって「いいじゃん、それだったら誰もがみんな、俺と小田さんがやってるバンドだって思うし(笑)ダブルアバターだ(笑)」って言うんです。

ODさんは?

OD:(パンを食べながら)その通りじゃないスか。インタヴュアーさんも、自分をミトモさん(*注:ODは小田朋美さんをそう呼ぶ)。だと思ってるデスか?

僕は BOSS THE NK さんと OD さんだと思って来ているんですが……(笑)。

OD:当然じゃないスか~(笑)。

OD さんは初対面のとき、BOSS さんについてどう思ったんですか?

BOSS:人さらいだと思ったんだよね(笑)。

OD:ハイ。なので「逃げろ~!」って。でも BOSS が走るのが早くて、ひっ捕まえられたじゃないスか。

BOSS:工場の上のほうまで追いかけるんだけど、OD があまりにも怖がって落っこちちゃってですね。。。でも下に製パン機があって、パン種があるところにボスンと落ちたから怪我しなかった。それで、父親代わりの工場長に相談して。

OD:パン工場のお兄ちゃんたちに囲まれてずっと暮らしていたデス。

BOSS:OD の口調は、そこに勤めている川崎のパン職人さんたちが川崎弁で「〇〇じゃないスか」って言っているのしか聞いたことがないからなんです。まあ、大きく「神奈川喋り」と言うか。

OD:そうなんスか? 全国共通弁だと思ってたじゃないスか~。

いま、ユースの幅も広がっちゃって、10代から50代くらいまでを一括りにできるじゃないですか。それを可能にしたのは、音楽だとロックとアイドルだと思うんだけど、そういう線でなく、10代から50代を「切なくていい」って感じさせられたらいいなと。いまは10代から50代まで青春ですから。

BOSS THE NK は BOSS THE MC が元ネタだと思いますが、「BOSS」に意味はあるのでしょうか?

BOSS:いや、ないです。私は普段は請負屋をしているので、名前は明かせません。それで菊地くんが「じゃあ、BOSS THE NK にしよう」って。北海道の人が怒んないのかっていう(笑)。

OD:なんでデスか?

BOSS:BOSS THE MC っていう、THA BLUE HERB っていうチームで北海道をレペゼンしているヒップホップの人がいるの。

OD:へ~!

BOSS:「ナル・ボスティーノ」かどっちかで迷って(笑)。

OD:「ナル・ボスティーノ」はやばいデスね。。。。

BOSS:で、OD は捨て子だから、コイツ自身も本名はわからないんですが、小田さんに似ているから携帯に「パン OD」ってしておいて(笑)。工場長からの携帯の着信は毎回「パン OD」って出るんですよ(笑)。で、そのまま「OD と BOSS THE NK」ということでスパンク・ハッピーをとりあえず始めたんですね。そうしたらおあつらえ向きに、伊勢丹さんから菊地くんのところに(2018年)5月のグローバル・グリーン・キャンペーンのキャンペーン・ソングをやってくれないかって依頼がきたんです。で、菊地くんがスパンク・ハッピーの再開をプレゼンしたら、すぐに通ってしまいまして(笑)。

FINAL SPANK HAPPY のファースト・シングル「夏の天才」(2018年)が生まれたんですね。

BOSS:その前にデモがあったんですよね。それがアルバムにも入っている“ヒコーキ”。それを聞かせたら、伊勢丹さんがめちゃくちゃよろこんでくれて。「OD、伊勢丹のタイアップ取れたよ」「やったじゃないスか!」っていうことで“夏の天才”ができたと。で、活動を始めて、あれよあれよという間にフジロックの出演も決まったっていう。まあ、SPANK HAPPY は歴史が長いので、12年ぶりに復帰したっていうこと自体がひとつのニュース・ヴァリューを持っちゃう。だから、フジロックからオファーが来たりしたんですけど、「持ち曲2曲しかないよ」っていう(笑)。それから1年半かけて、アルバムにたどり着いたっていう感じですね。

なぜ今回が「最終」なんでしょうか?

BOSS:いや、年齢的に――あっ、年齢は菊地くんと僕は同い年でして。56(歳)です――もしこのバンドがもしうまくいって3、4年続いちゃったら還暦になっちゃうんですよ。還暦になって、口パクで歌って踊っているわけにもいかないでしょう(笑)。

OD:でも、杖つきながら歌って踊るって言っていたじゃないスか!

BOSS:まあ、90(歳)までやってもいいんですけど(笑)。 いずれにせよ OD 以外のパートナーを見つけて第4期をする気はないので。これがトドメなのだ、ここから先はありません、ということで。

それほど OD さんは完璧なパートナー?

BOSS:そうですね。OD とやることが目的であって、OD がいなかったらやらなかった。誰でも良いから、どうしても SPANK HAPPY をやるんだっていう発想ではなく、菊地くんも「天才が見つかったら」ということでしたので。OD ありきなんです。
 あのう、あくまで、事情を知らないお客様から見れば、ですが、小田朋美さんっていうのは大変な才媛で、菊地くんがやっている DC/PRG と SPANK HAPPY のどちらにも、というか同時に 参加できる人材っていうのはいままでひとりもいませんでした。想像すらつかなかった。その点ひとつとっても大変なことです。藝大の作曲科を出ているからアカデミックな意味でも、作曲やアレンジの能力でも完璧っていう以上の特別な意味が小田さんにはある、ということになります。SPANK HAPPY のヴォーカルが DC/PRG のキーボードでもあるとか、トランペットであるとかさ。

OD:トランペットだったら卍ユンケルやばいデスね!(笑)

BOSS:小田さんのパブリック・イメージはクールでやや中性的で、でも歌うとけっこうエモくて鍵盤がものすごく上手くて作曲もできてっていう、完璧に近いような近寄りがたい女性ですよね。
 でも、OD はとにかく。。。。猿みたいなんです(笑)。OD は上京後しばらく小田さんと同棲していたので、小田さんが寝ていたりツアーへ行っていたりする間に勝手に機材をいじっていたら打ち込みができるようになってたんです(笑)。天才ザルというか(笑)。「猿の惑星」みたいな(笑)。

OD:それほどでもないじゃないスか~(笑)

BOSS:謙遜するところじゃない(笑)。「勝手に機械をいじっているうちに覚えたじゃないスか」、「ボスボス~、デモを作ったじゃないスか」って感じで。ジェンダーの問題でいうと、男の子が機械をいじって女の子がポエムを書くっていう、旧態的な役割分担じゃないんです。なにせ我々の場合は、機械をいじっているのもインスタグラムを管理してるのも OD なわけで。

OD:逆に、振付やお洋服は BOSS がやってるじゃないスか。

BOSS:そう。振付とスタイリングは私がやっています。私はダンサーではありませんが、ダンスは子供の頃から好きで、振付にも興味があるから、「OD がこう動いたら可愛いんな」とか、まあ、いろいろ考えて。で、まあ、当たり前ですが、OD も踊ったことがなかったので最初は目を回していたんだけど、あっという間に適応しました。適用能力と学習能力がすごいんですよ。しかも作詞と作曲とアレンジはふたりで共作してるから、もう世代もジェンダーもぐしゃぐしゃにゾルゲル状になっちゃっていて、誰のどっちの曲っていうのももうないんですよ。
 だいたい人間は、自分の正反面っていうのを隠し持っています。だから無教養で猿みたいな女の子で、口癖は川崎のパン工場の人々の言葉で、ものすごい元気でめちゃくちゃ踊ると。恥ずかしげもなんもないから、おしゃれで可愛いと思えばスイムウェアでステージへ上がるのも厭わないっていうのは、あくまで結果としてですが、小田さんの抑圧を集積したみたいなやつだった。天の采配としても完璧な構図ですね。
 それで、FINAL SPANK HAPPY の方向性が定まったんです。いま、皆さん基本的に暗いから。まあその。。。。お届けしますよ(笑)。
 いま、音楽の役割は、生きづらくて暗い自分を励ましてくれるとか、励ますのは素晴らしいことですが、「さあ励ましますよ、はい背中押します、あなたはそのままで良いんですよ」といったそのまんまな形が主流です。 あと、ドス黒いところを吐き出しているSSWの方とか。ディスではなくて、ひとつの成功フォームですから名前を出すけど、大森靖子さんとかですね。女性が暗部を吐き出すのは芸能の古典とも言えます。あとは、椎名林檎さんやコムアイさんみたいな「智将」というか。頭を使って計算して、マーケットはこんな感じでしょう、ふふふ、みたいな感じで、エロ具合からなにから完璧に計算してやる方々。
 そういうんじゃなくて、ポッと出の奴らが、軽くファニーでキュートにやるのだと。FINAL SPANK HAPPY が菊地成孔と小田朋美だったら「スーパー偏差値バンド」ですよね。それは最悪です。なので、私と OD っていう暴れん坊同士で楽しく、かつスーパーハイスキルで最高品質である。ということをブランディングしているつもりです。まあ、ブランディングたって、自然にそうなっちゃっただけなんですが(笑)。

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“エイリアンセックスフレンド”の振付くらいで「エロい」って言われるんだから、この国のピューリタニズムもロリコンもすごいところまできているよね。エロティックがパセティックという目的の素材になるべきです。エロさもあるが切ない。というのが大人の仕事で、AORの本懐である。

いま、BOSS さんがお話しされたのは「メンヘラ」についてですよね。

BOSS:はい。メンヘラはもうダメですね。表現としては。一般化しすぎた。ヒップホップがバッドやナスティである義務、みたいなものです。まあ、もっと一般性の高いことするんだけど(笑)。

FINAL SPANK HAPPY のテーマには「メンヘラの否定」もあるのでしょうか?

BOSS:いやいやいや。否定はしません。菊地くんがやっていた第二期 SPANK HAPPY はメンヘラ表現の先駆けになってしまったと思います。渋谷系っていう快楽的でおしゃれで、軽さのある人たちがいっぱいいた世界のなかに、二期スパンクスはフェティッシュだとか、そういうものを持ち込んだわけです。あと、二期ではとにかく「青春」っていう黄金を扱わないって決めていたので、そうなると幼児退行的で多形倒錯的になっていく。岩澤さんと菊地くんとで年齢差があったことによって、フェティッシュやインセストタブーも視野に入っていました。とにかく俗語としてはメンヘラ。だけど音楽は濃密で美しいんだ、という感じの世界観だったんですね(OD 寝始める)。
 二期は早すぎたので、後になって、フォロワーが、、、、SNSじゃないですよ(笑)、アーバンギャルドさんとか。あと、マーケットの需要もですね。菊地くんのあれは一種の病気だと思いますが、何やっても10年から15年早いって言われがちなんです。「いまだったら二期スパンクスは売れるよ」っていう人もいるんですけど、いまメンヘラは表現としては「皆さん、喉が渇いたら水を飲むと良いですよ」と言っているのと同じです。エコみたいですね(笑)。一大マーケットですよ。
 ですので、別に、アンチメンヘラ=健康思考という意味では全くありません。我々だって人間である限りしっかり病んでいます。単に違う商品を売りたい。コイツ(註:OD はもうとっくに寝ている)を獲得することで FINAL SPANK HAPPY のトーンとマナーが決まってきたんです。「エイリアンセックスフレンド」という曲名とか、ファースト・ヴァースで「甘いペニス」とか言うので、それを指して即物的に「エロい」と言われがちですが、でも、あの曲は切ない曲であって、エロい曲ではないです(笑)。

たしかに“エイリアンセックスレンド”からは「逢瀬」というイメージが浮かびました。

BOSS:セフレとはいえ「フレンド」なわけだから、お互いにちょっとは好きでしょうっていう、まあ、切ないところで(笑)。あとは、宇宙人のセフレっていう第一義と、不倫のダブルミーニングですね。年の差不倫の、しかも反復です。「あなたより子供な大人はいっぱいいたよ」と。そういうことほのめかしつつも全体的に切ないな、切なくてちょうどいいわっていう。あとは、タイトルの「エイリアンセックスフレンド」も、歌詞の最後の「ダンディ・ウォーホール」も、実在のバンド名で、ライミングしてる(笑)。
 いま、ユースの幅も広がっちゃって、10代から50代くらいまでを一括りにできるじゃないですか。それを可能にしたのは、音楽だとロックとアイドルだと思うんだけど、そういう線でなく、10代から50代を「切なくていい」って感じさせられたらいいなと。スティーリー・ダンみたいに「すごいだろ、俺たち」っていう上からには、どうせなれませんが、ただ、ハイクオリティな曲を丁寧に作っています。聴き心地軽いけど、切ないっていう。まあ、曲によってはストレートに悪ふざけてますけど(笑)。

1曲目の“NICE CUT”なんて、かなりふざけていますよね。ユースの幅が広がったことと「切なさ」、そして二期で避けていた「青春」はどういう関係性になるんでしょう?

BOSS:簡単に言うと解禁ですよね(笑)。それこそいまは10代から50代まで青春ですから。二期スパンクスは周りが全員青春だった。なので、青春はもういいわっていう格好でしたが、FINAL SPANK HAPPY はメンヘラ退場で、青春再登場っていう(笑)。切なさ、というのは、単に青春は切ないいじゃないですか。特に、いい大人の青春は(笑)。

では、FINAL SPANK HAPPY は性的な倒錯や病理といったものは扱わないんですか?

BOSS:扱わないですね。FINAL SPANK HAPPY では、あくまで装飾物としてエロいものは入っていますし、何せ実際にアダルトですからね(笑)、基本的には大人は明るく切なくいたいよねっていう。「切ない」と「おもしろい」と「かわいい」と「お洒落」しかない(笑)。 あと「元気」か(笑)。OD ライヴ中お客さんにパンをぶん投げたりする元気さですが(笑)。

カバー・アートやアーティスト写真でも意味ありげに使われているパンはなにかの象徴なんですか?

BOSS:だってパン工場で育ったんだもの(笑)

OD:(突如眼を覚まして)うおー!! そうじゃないスか!

BOSS:最初は、本当にパンしか食わないのかと思ってた(笑)。

漫画のキャラクターじゃないですか(笑)。

OD:ラーメン大好き小池さんじゃないスか(笑)。

BOSS:「なんでパン?」っていうのは皆さん言いますが、しょうがないじゃんねえ(笑)。

OD:「ス『パン』クハッピー」からきているって言われたりしたデスね(笑)。

OD さん的には FINAL SPANK HAPPY の切な明るいモードについてはどう感じていますか?

OD:まんまボスと自分を出してるだけじゃないスか(笑)。

二期との関連でいうと、アルバムでは“アンニュイエレクトリーク”をカバーしているのに驚かされました。

BOSS:ライヴでは二期の曲を、前期からのご贔屓筋へのサーヴィスとして3、4曲やっているんですよ。“アンニュイエレクトリーク”は、タナカくん(Shiro “IXL” Tanaka)のピートのクオリティがかなり高かったので収録しました。あとはめちゃくちゃ細かい話ですけど、“アンニュイエレクトリーク”のメロディって、とうとう最後まで岩澤さんがちゃんと歌えなかったんです。当時は Melodyne なんてないから、ピッチを直せなかったんですよ。だから、ちがうメロディのまま録っちゃっていた。菊地くんはああいう人なんで、気にしてないけど、作曲家としてちゃんと作曲した状態のものを正しく歌ってくれる人がいたら嬉しかろうし、OD に完璧に歌ってもらってやっと完成したっていう気持ちがありますね。

OD:“アンニュイエレクトリーク”は15年も前に書かれた歌詞らしいデスけど、いま聞いてもハッとする、響くところがあるデスね。

BOSS:「クラブの閉店」とか「計画停電」とかね。

2010年代には震災と原発事故があって、風営法問題があって…… 。

BOSS:そのうえで、退屈なんだっていう。退屈な人間が、何をするか。

OD:“雨降りテクノ”も雨に注意注意じゃないスか!

BOSS:そうそう。雨が降ってきて濡れると機械は漏電するから(笑)。

会社のデスクに自分の好きなフィギュアを並べているとか、待ち受け画面を好きなアニメにして仕事をしているとか、昭和の日本じゃ考えられなかった。日本人だけじゃなく世界中の人間たちが退行していっている。大人と子どもの振る舞いのすみ分けがなくなってきちゃっている。いまが昭和だったら、私なんてもうシルバー世代ですよ(笑)。

あまり二期と比べすぎるのもよくないとは思うのですが、二期が扱っていたものとして「資本主義」があると思うんです。そこは FINAL SPANK HAPPY としてはどうですか?

BOSS:とにかく二期はあらゆることに対して予見的だったと。当時は資本主義がどうのこうのなんて、多くの人びとには「なに言ってんだ、こいつら」みたいな感じだったと思うんですけど。
 菊地くんの作品には、全体的にそれが張り巡らされちゃっていて、正直よくないところ、というか、さっきも言った通り、症状だと思いますね。ちょうどジャストなときに出せるっていうのが、本当に才能がある人なので。早すぎる人や遅すぎる人は……カラオケで早く出ちゃう人とか、なかなか歌い出さない人みたいなタイミングが悪い人だから(笑)。早すぎるっていうのは音楽家として致命傷だと。
 ただそれは、菊地くんひとりの力じゃどんなに遅らせても、ちょうどぴったりにならない。私にもその病理はあります。けれども OD は、とてもいい意味で古典的な人で。

OD:自分は遅いタイプだから。。。昔のものがすごく好きなんデス!!

BOSS:それにしても“エイリアンセックスフレンド”の振付くらいで「エロい」って言われるんだから、この国のピューリタニズムもロリコンもすごいところまできているよね。パソコンではいくらでもエグいものが見られるのに。ポップ・シティ・ミュージックと完全に分離してしまっている。なんか、一種の放送コードですよね。もし「未来の大人のポップス」があったとしたら、エロティックがパセティック(涙目になるような状態)という目的の素材になるべきです。エロさもあるが切ない。というのが大人の仕事で、AOR(「アダルト・オリエンテッド・ロック=大人志向のロック」)の本懐である。と思ってやっています。菊地くんはバブル世代だから陽気なほうだけど、それでもパニック障害とかやっているしさ(笑)。一方、小田さんはめちゃくちゃ明るい人ではないので、我々とはできることがぜんぜん違うと思いますよ。

OD:ミトモさんに聞いたんデスが、子どものころはすごく明るかったらしいデスよ。

BOSS:それを「暗い」って言うんじゃない?(笑)。 「子どものころは明るかった」っていうひとは暗いひとでしょ(笑)。

OD:なんか、ご家庭でも一番ひょうきんだったらしいじゃないスか~。

BOSS:無邪気だったけど、楽園を追放されて無邪気じゃなくなったんでしょう(笑)。普通の発達だよそれは。小田さんの視点に立ったら、OD は幼児退行という側面もあるでしょうね。

OD:二期も退行を歌っていたじゃないスか。それは「少女」とか「幼児」ぐらいだと思うんデスけど、ミトモさんにとって自分は。。。3歳児くらいの感じじゃないスか(笑)。

BOSS:まあ、天才ザルだからな(笑)。人間以前に(笑)。

その「退行」についてはどうお考えですか?

BOSS:大きく捉えれば社会問題くらいなものですよね。会社のデスクに自分の好きなフィギュアを並べているとか、待ち受け画面を好きなアニメにして仕事をしているとか、昭和の日本じゃ考えられなかったことだから。
 でも、日本人だけじゃなくって世界中の人間たちが退行していっている。大人と子どもの振る舞いのすみ分けがなくなってきちゃっているんです。「大人買い」って、そこからきているわけじゃないですか。大人になって、子どものころに欲しかったプラモデルを山ほど買うとか。まあだから、20世紀は、どうしても退行の世紀に見えちゃうんですよね。全人類的に退行しているのかどうか? っていうのは、『アフロ・ディズニー』っていう本で菊地くんが識者と話しています。
 その一方で、若いアイドル・ファンたちのわきまえがよくなって、べたべた触って追い出されちゃう人がいなくなり、礼儀がちゃんとしてきている、大人っぽくなっている面もあるんですよね。退行の逆行現象として。だから、退行の問題は簡単には語れないです。特に、市民の私生活と、音楽表現との関係においては。いまが昭和だったら、私なんてもうシルバー世代なんですよ(笑)。

退行は力にもなるんですね。

BOSS:そうですね。なおかつふたりとも運動が好きで、ダンスしているし、ボディケアもやっている。アンチエイジングですよね、ひとつの。

OD:SNSで「菊地さんの隣にいる、あの体育会系の女むかつく」って書かれていて、自分はパリピユンケル卍驚いたじゃないスか! 自分はバッキバキの文化系じゃないスか~、大体自分の隣にいるのは菊地さんじゃないし!!(笑)

BOSS:「○○じゃないスか」っていうのが体育会系の言葉づかいだからってだけじゃない? まあオマエはスポーティーだからな。

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薬ばっかり飲んでいたり、ネットで病気の情報を集めたりしていたらもっと悪くなっちゃうので。恋人でもだれでもいいんだけど、誰にも「あたしのエクソシスト」がいて、ちょっとキスをしてくれるだけで悪魔を払ってくれるんだと。

……ええっと、音楽の話がぜんぜんできていなくて恐縮なのですが、今回はリズムのアプローチが多彩ですよね。二期はハウスやディスコのビートを中心にやっていたので。

BOSS:そうですね。リズミック・アプローチについては、二期スパンクスは DC/PRG と並走していたから、菊地くんもシンメトリーを出したかったんでしょう。ものすごい大人数のプロ集団が複雑なリズムに取り組む DC/PRG と、素人でなにもできない女の子とふたりだけですごくシンプルなテック・ハウスみたいなのをやる SPANK HAPPY と。
 我々はその当時の菊地くんの企みとは無関係です。OD のコード進行やメロディのつくりかたはすごく古典的でありながら、斬新で素晴らしいと思いますね。私にはできないことを簡単にやってのけます。リズムの対応力も非常に高いですし。
 あとは、テクノロジーの力が上がったっていうのも大きいですよね。昔は5連符の打ち込みなんてできなかったから。Ableton Live とか、あらゆるテクノロジーがリズムの揺らぎとかを追求してきている。あと、Ableton Live に「MIDI化」っていうのがあって、どんな音声データでもMIDI情報にできちゃうんです。そんなん使ってないけど(笑)。

OD:それはヤバいじゃないスか。。。。。

BOSS:だから、(エルメート・)パスコアールみたいなことが簡単できちゃう。言葉が全部歌になるので、ミュージカルって概念がなくなるわけです。極論的に、どんな映画も、台詞を全部音程化して伴奏をつけちゃえばミュージカルにできちゃうんだと。
 ポップ・ミュージックは新しい機材や技術をプレゼンテーションする音楽です。だから、FINAL SPANK HAPPY は原義に忠実にポップ・ミュージックだと思いますよ。二期はデカダンだったので、過去志向というか、傷とか幼児退行は過去への志向です。いまは軽やかで最新であると。なにも知らない人に「OD かわいいよねー」、「この曲切ないよねー」って楽しんで頂きたいですね。

ふたりの引力と斥力で、ちょうどいいところにいると。

BOSS:僕はコンサバの力に感動したことってあんまりないんです。業務上、クラシックの弦のチームを、クラシック上がりの有名アレンジャーの方とかと一緒にやるんですけど、あんまり感動したことがないんです。
 でも、小田さんが書いた弦──『mint exorcist』の弦アレンジは小田朋美さんがやっているんですけど──にはすごく感動したんですよね。コンサバで古典的な響きをちゃんと譜面で書ける人の弦って、こんなに感動するんだっていうことに打たれて。小田と OD が唯一繋がっている古典=クラシックスの力は振り絞れるだけ振り絞って、全部使おうっていう気持ちがありますね(笑)。

OD:BOSS のアイディアは、たまに言っていることがわからなくて作業が進まないこともあるデス。でもそれをふたつ、がっちゃんこで合わせてみると「あっ、すごくいいな」ってなるじゃないスか。お互いのいい面が、ひとつの曲としてうまくはまるデスね。BOSS のリズムやコードに対するアプローチって、最初「これは何スか?」みたいな斬新な発想なんデスが、自分は──もちろん新しいものも取り込むけど──基本的にコンサバで古典的なものが好き好きなところがあるじゃないスか。

調性を信じる OD さんと、ジャズの無調や調性から外れることに惹かれる BOSS さんとの対照性や緊張関係があるわけですよね (https://realsound.jp/2018/06/post-208704.html)。

OD:緊張というより、むしろお互いすげーなと思っているじゃないスか。自分は調性と無調って対立しているものではないと思うデス。調性の先に無調があって、距離の問題だと考えているので。無調のなかにもすごく美しいハーモニーはあるし、実は古典的な響きもいっぱいあるじゃないスか。

BOSS:おおおお。その発言自体が超コンサバでしょ(笑)。まあこうやって自然にバランスしてるバディなのだと(笑)。

OD:“Devils Haircut”は調がないっていうか、調性じゃないものがいっぱい重なって入っているデス。とってもお気に入りじゃないスか~(笑)。

BOSS:ブルースやロックンロールは、もともと無調への通路だからね。我々の“Devils Haircut”には、現代ブルースの要素とクラシカルな多調性の要素が、まさに共作的に溶け合っています。

どうしてベックの“Devils Haircut”をカバーしたんですか?

BOSS:ぜんぜん理由はないんですよね(笑)。OD はベック知らないし。「とにかく洋楽をカバーするじゃないスか!」ってなったので、時代もジャンルも関係なくふたりでランダムにどんどん音源を聞いていったんです。

OD:YouTubeでデス。

BOSS:我々のコンビネーションの別軸に「ポップスに対する教養のある/なし枠」っていうのもあるんです。OD は本当にいい意味でポップスの教養がないので、レッチリ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)はローリング・ストーンズの次くらいだと思っていましたからね(笑)。

ロックの歴史的には20、30年空いていますね(笑)。

BOSS:「ベートーヴェンの次がヴェーベルン」みたいな(笑)。すげーびっくりしたんだけど、ポップ・カルチャーという本来無教養なものだったのに対する教養、つまりサブカルですが、OD はポップスに対してパンクというか、アナキストですね。それでふたりでどんどんポップスを聴いていって「あっ、これかっこいいよね」ってなったからやっただけで。「いまこれをやったらセンスいいよね」っていう感覚では全くないです。ガラガラポンですよ(笑)。

OD:クレイジーな曲でカッコいい~と思ったデス。最初はFKAツイッグスの、チェロとピアノだけの静かな曲をやりたいとか、そういう話もしてたデスが、いつのまにか、「やっぱりこの曲良いよね、この曲をピアノでやって見たら面白そう」ってなったじゃないスか。

あのピアノはYMOの“体操”を思い出しました。

BOSS:あれはチャームですね。一番表面に置いてあるから、一聴して“体操”に聞こえるけれども、実際はコンロン・ナンカロウとか、同じ坂本(龍一)さんでももっと最近の作品の要素も入っている。“体操”ってもっとずっとポップだし、あれは形式が変形のブルースだからね。「これ“体操”だろう」っていうのは当然の反応ですけど、奥行きを作っています。
 あれはふたりじゃないとできないアレンジです。縦横に音楽的な奥行きがありながら、すごくふざけているので(笑)。

OD:ライヴの振り付けも、あの曲はスローモーションで卓球をやってるじゃないスか(笑)。それでそれで、最終的にはドライブデート中のふたりが車の事故で死んじゃうじゃないスか~(笑)。

音楽は、「簡単か難しいか」なんてことのはるか以前に、「向いてる向いてない」とか「できるできない」という軸すらないんです。一番似ているのは恋愛です。誰でも恋はする。でも、傷や不全で臆病になるでしょう。

ボニーとクライドじゃないですか(笑)。最後に、アルバム表題曲の“mint exorcist”についておうかがいしたいです。

BOSS:ヒステリーや恋愛依存症、誘惑依存症というのはいつの世にもありました。昔は悪魔祓い師やヒーラーがいて、現代では精神医療で投薬して治しましょうっていうふうに変わったわけですけど、それを一回、また戻したいんです。薬ばっかり飲んでいたり、ネットで病気の情報を集めたりしていたらもっと悪くなっちゃうので。恋人でもだれでもいいんだけど、誰にも「あたしのエクソシスト」がいて、ちょっとキスをしてくれるだけで悪魔を払ってくれるんだと──そういう話をパッと考えついたんですよね。最初はツアー・タイトルとして、適当に思いついたんですけど(笑)曲のテーマに発育させたと。

OD:自分がよくミントを食べていたからじゃないスか?(笑)

パン以外も食べるんですね(笑)。

BOSS:そう(笑)。OD はミントばっかり食って、なぜか途中でやめて、その食べ残しをそこかしこに、財産みたいに積んでるんですね(笑)。んで私は映画の『エクソシスト』が大好きなので、それもあって「mint exorcist tour」って適当に言っちゃったんですよ。で、夏にふたりでうなぎを食いに行って、昼から日本酒を飲んで「気持ちいいじゃないスか~」って言っていた帰りの数分間で、曲の骨格ができあがって。で、あなたは「mint exorcist」だと。涼しく甘く、悪魔を祓ってくれるんだと。

OD:その日のうちにばーって録って、できあがったんデスよね。

BOSS:最速でできた曲ですね。着想から完成まで5分かかってない。

OD さんが「音楽はみなさんが考えてるより、ず~っと簡単じゃないスか!」って言っているのが、いままでにない感じでいいなと思いました。

BOSS:まあ、時間をかけて作る曲もあるけど本当に一瞬でできる曲もある。だから、あの曲自体のことであり、人間が抱えている問題や、萎縮に関する解放ですよね。

OD:音楽が苦手だっていうひともいるじゃないスか。でも、向いていないとか苦手だとかって封じ込めちゃわないで、もっと音楽は簡単だって知って欲しいデスね。

BOSS:音楽は、「簡単か難しいか」なんてことのはるか以前に、「向いてる向いてない」とか「できるできない」という軸すらないんです。一番似ているのは恋愛です。誰でも恋はする。でも、傷や不全で臆病になるでしょう。

OD:臆病はダメダメじゃないスか~。

BOSS:無教養主義に対する肯定がキツすぎるんですよ。一方で、東大出の人が「人生に学歴なんて関係ない」って言ったらいやらしいじゃないですか。もしですよ。小田さんと菊地くんが「音楽なんて簡単ですよ」って言ったら、単純に腹たちますよね(笑)。それでおふたりが「いや、私は学校のなかでもドロップアウト組で……」とか話がグダッグダになっちゃう(笑)。
 だけど OD が、調子よく口笛吹いてる曲の途中で「みなさんが思ってるより音楽は簡単じゃないスか~。ウナギを食ったらすぐに曲ができてすごいじゃないスか~。ウナギには栄養があるじゃないスか~」って言うことで、本当にキツくなっちゃっている、難しく考えすぎちゃっている人たちのキツさをちょっと緩めてほしい。我々からの、小さな傷口へのキスだと思って頂きたいです。と、それぐらいは FINAL SPANK HAPPY はジャストに立っていると──実際どのくらいかっていうのは、これからやってみないとわからないんだけど(笑)。

わかるのは10年後かもしれませんね(笑)。

BOSS:そしたらジャストじゃないですね(笑)。「FINAL SPANK HAPPY はやっぱりマニアックだ」ってなるのか、「いやこれめちゃくちゃポップだよ」っていうふうになるのかは、聴いてくださった皆さんが決めることですから。

元ちとせ - ele-king

 私は元ちとせのリミックス・シリーズをはじめて知ったのはいまから数ヶ月前、坂本慎太郎による“朝花節”のリミックスを耳にしたときだった、そのときの衝撃は筆舌に尽くしがたい。というのも、私は奄美のうまれなので元ちとせのすごさは“ワダツミの木”ではじめて彼女を知ったみなさんよりはずっと古い。たしか90年代なかばだったか、シマの母が電話で瀬戸内町から出てきた中学だか高校生だかが奄美民謡大賞の新人賞を獲ったといっていたのである。奄美民謡大賞とは奄美のオピニオン紙「南海日日新聞」主催のシマ唄の大会で、その第一回の大賞を闘牛のアンセム“ワイド節”の作者坪山豊氏が受賞したことからも、その格式と伝統はご理解いただけようが、元ちとせは新人賞の翌々年あたりに大賞も受けたはずである。すなわちポップス歌手デビューをはたしたときは押しも押されもしない群島を代表する唄者だった。もっとも私は80年代末に本土の学校を歩きはじめてから短期の帰省をのぞいてはシマで暮らしたこともないので、彼女が群島全域に与えた衝撃を実感したわけではない。私のころはむしろ中野律紀さんがシマ唄のホープでありポップスとの架け橋だったのであり、電話口で元ちとせの登場に母の興奮した声音を聴いた90年代なかば、私はむしろゆらゆら帝国(まだ4人組でした)とかのライヴに足を運びはじめたころで、シマ唄なんかよりはそっちのがだいぶ大事だった。しかしそのように語るのはいくらか語弊がある。というのも、そもそも私のような1970年代生まれ以降のシマンチュにとってシマ唄はもとからそう身近なものではない。戦後、米軍統治からの本土復帰後、ヤマト並をめざす奄美にとっては文化も言語も標準化すべき対象でしかなく、私はよく憶えているが、私が小学の低学年だったころまでは学校のその週の努力目標にシマグチ(方言)を使わないようにしましょうというものがあり、使うと他の生徒の前で罰せられたのである(80年代のことですぜ)。私はこのことに子ども心ながら理不尽な気持ちを拭えなかったが、なにがおかしいか、なぜおかしいか、またひとはなぜそのような外部の視線を内面化することで恥と劣等感をおぼえるのか、語ることばをもたなかった。もっともその口にのぼらせるべきことばすら本土化されかかっていたのだとしたら、武装に足ることばなどどこにもなかった。とまれ私たちは中国のウイグル自治区への政策をしたり顔でもって他山の石などとみなすことなどできない。南西諸島にせよアイヌにせよ、境界を措定された空間の周縁は中央がおよぼす文化と政治と経済の波がもっとも可視化されやすい場所であり、言語におけるその顕れはおそらくドゥルーズのいうマイナー言語なるものを派生させ、近代性の波と同期すればポール・ギルロイいうところの真正性オーセンテイシテイを励起するはずだが、この点を論究するのは本稿の任ではない。つまるところ私にはともに90年代前半に見知ったおふたりが20年代のときを経てコラボレーションするにいたったことが事件だったのである。
 恥ずかしながら私はここしばらく元ちとせの動向を追っていなかったのでことのなりゆきがにわかにはのみこめなかったが、レーベルのホームページによるとリミックスはこんごもつづくとのこと。また今回のプロジェクトはもとになるアルバムがあるのもわかった。昨年リリースの『元唄(はじめうた)』と題したシマ唄集で、元ちとせはこのアルバムで盟友中孝介を客演に、勝手知ったるシマ唄の数々を招き吹きこみなおしている。坂本慎太郎の“朝花節”のリミックスは『元唄』の幕開けにおさめた楽曲のリミックスで、同様の主旨のリミックスが以後数ヶ月つづくこともレコード会社の資料は述べていた。したがって本作『元ちとせリミックス』の背景にはおよそこのような背景があることをご理解いただいたうえで、今回の坂本龍一のリミックス作のリリースをもって完了したプロジェクトをふりかえりつつ収録曲とリミキサーを簡単にご説明さしあげたい。

 

朝花節 REMIXED BY 坂本慎太郎
2019/6/26 Release

 “朝花節”は唄遊びや祝宴の席で最初に歌うことの多い、座を清めたり喉のウォーミングアップをかねたりする唄。唄者には試運転をかねるとともに、唄の場がひらいたことを宣し声を場にチューニングしていく役割もある。多くの唄者の音盤でも冒頭を飾ることが多く、元ちとせの〈セントラル楽器〉(名瀬のレコード店で唄者のアルバムを数多くリリースしている)時代のセカンド『故郷シマキヨら・ウム』(1996年)の冒頭を飾ったのも“朝花節”だった。1975年の敗戦の日の日比谷野音で竹中労が音頭をとり、嘉手苅林昌、知名定繁と定男父子、登川誠仁など、稀代の唄者が集ったコンサートの実況盤でも奄美生まれの盲目の唄者里国隆の“朝花節”が1曲目に収録されているのもおそらく同じ意味であろう。
坂本慎太郎のリミックスはもっさりしたチープなビートが数年前のクンビアあたりを彷彿する点で、『元唄』のボーナストラックだった民謡クルセイダーズの“豊年節リミックス”に一脈通ずるが、音と音との空間を広くとり、定量的なビートにも機械の悲哀といったものさえ感じさせるソロ期以降の坂本慎太郎の作風を縮約した趣きもある。背後からヘア・スタイリスティックスとも手を結ぶ作風ともいえるのだが、坂本は元や中の声を効果的にもちい、聴き手の感情をたくみに宙吊りにする。うれしくもなければ悲しくもない。笑いたいわけではないが怒っているのでもない、日がな一日砂を噛みながらみずからの鼻を眺めるかのごとき感情の着地を拒む幕開けはアルバム総体の行方も左右しない。

 

くばぬ葉節 REMIXED BY Ras G
2019/7/31 Release

 つづく“くばぬ葉節”のリミックスはラス・Gの手になる。ラス・Gは今年7月29日に逝去したがリミックスの公開はその二日後、はからずもいれかわるように世に出た。LAビート・シーンの立役者のひとりであり、幾多の独特なリズム感覚でビート・ミュージックの形式にとどまらない作風をものしたラス・Gらしく、ここでもパブリック・イメージをいなすノンビート・アレンジで意表を突いている。全体はスペーシーな風合いがつよく、冒頭のSEは極東の島国のさらにその南の島からの唄声に自身のサウンドをチューニングさせるかのよう。表題の「くばぬ葉」はビロウの葉のこと。シマでよくみるヤシ科の常緑の高木でその葉を編んで団扇にしたことなどから身よりのないシマでのひととのえにしの大切さになぞらえている。

 

くるだんど節 REMIXED BY Chihei Hatakeyama
2019/8/28 Release

 ここからアルバムはアンビエント・パートへ。数あるシマ唄でも代表的な“くるだんど節”を本邦アンビエント界の旗手畠山地平がカスミたなびく音響空間に仕上げている。表題の「くるだんど」とは「空が黒ずむ」の意。その点でも幽玄の情景を喚起する畠山のリミックスは唄のあり方を的確にとらえているといえる。もっともシマ唄の歌詞に決定稿は存在しない。歌詞は唄うものが唄い手が独自に唄い変える。じっさい畠山のリミックスの原曲となった『元唄』収録の“くるだんど節”は島の特産物産を自慢する内容だが、この歌詞は親への感謝を唄うオーソドックスなものともちがっている。むろんそれさえも「空が黒ずむ」ことともなんら関係ない。転々とシマからシマ、ひとからひとへ唄い継ぐうちに歌詞も節もグルーヴも変転する世界各地のフォークロアな音楽と通底するこのような口承性こそ、共同体の暮らしの唄としてのシマ歌の真骨頂といえるのだが、畠山地平は唄の古層を探るかのように原曲の音素をひきのばし、幾多の微細な響きに解体した響きが蜿蜿と蛇行する大河のような時間感覚をかたちづくっている。

長雲節 REMIXED BY Tim Hecker
2019/9/25 Release

 声の響きに着目した畠山のリミックスと対照的に、つづくティム・ヘッカーは“長雲節”のリミックスで元ちとせの唄の旋律線の動きに焦点をあてている。ティム・ヘッカーといえば、昨年から今年にかけて『Konoyo』と『Anoyo』の連作での雅楽との共演でリスナーをおどろかせたばかり。雅楽とは、いうまでもなく中国から朝鮮半島を経由に伝来した宮廷音楽だが、楽音と雑音とを問わずあらゆる音に色彩をみいだすこのカナダ人は雅楽という形式特有の持続とゆらぎに、おそらくは此岸(この世)と彼岸(あの世)のシームレスなつながりをみた、そのように考えれば、シマ唄、ことに元ちとせら「ひぎゃ唄」の唄者が自家薬籠中のものとする裏声によるポルタメントな唱法(グィンといいます)はヘッカーをしてシマ唄と雅楽の類似点を想起させなかったとはだれにも断定できない。原曲となる“長雲節”はしのび逢いの唄で、別れ唄とする地域もあれば祝い唄とみなすシマもある。このような背反性までもリミキサーが理解していたはずはないが、かろうじてかたちを保っていた唄が旋律の線形だけをのこし抽象化し、やがてサウンドの合間に姿を消すヘッカーの解釈は唄の物語世界にも同期する、好ミックスである。
ちなみにさきに述べた「ひぎゃ唄」の「ひぎゃ」とは東の意。元ちとせの出身地でもある奄美大島南部の瀬戸内町の旧行政区画名「東方村」に由来する。すなわち南方を東方と呼んでいたころのなごりで、北部を代表する「かさん唄」(「かさん」は現奄美市に合併した笠利町のこと)とシマ唄の傾向を二分する流儀である。武下和平から朝崎郁恵まで、著名な唄者がひぎゃ唄の唄い手に多いのは起伏に富む歌いまわしがテクニックに結びつくからだろうが、地鳴りのような唸りからファルセットまで一気にかけあがる唱法は、北部に比して急峻な南部の地形に由来するとも、信仰や風習や、はたまた薩摩世(薩摩藩支配時代)の過酷な労働に由来するとする説まで、諸説紛々だが真偽のほどはさだかでない。

 

Photo by "Jakob Gsoellpointner".

豊年節 REMIXED BY Dorian Concept
2019/10/30 Release

 フライング・ロータス、サンダーキャットらの〈ブレインフィーダー〉から『The Nature Of Imitation』を昨年リリースし一躍ときのひととなったドリアン・コンセプトは『元唄』では唯一のリミックス作“豊年節”を題材に選んだ。すなわち民謡クルセイダーズのリミックスのリミックスということになるが、ジャズからビート・ミュージックまで手がけるオーストリアの才人は原曲を活かしながら独自色をひそませ、島々を練り歩く放浪芸の一座のようだった原曲にサーカス風の彩りをくわえている。

 

Photo by zakkubalan(C)2017 Kab Inc.

渡しゃ REMIXED BY 坂本龍一
2019/11/27 Release

 『シマ唄REMIX』の参加者でそれまでに唯一元ちとせとの共演歴をもっていたのが“渡しゃ”を担当した坂本龍一である。坂本と元は2005年の8月6日に広島の原爆ドームの前で、トルコの詩人ナジム・ヒクメットが原爆の炎で灰になった少女になりかわり書き綴った詩の訳詞に外山雄三が曲をつけた“死んだ女の子”を演奏し、爾来夏を迎えるたびに限定で配信し収益のいちぶをユニセフに寄付しているという。元ちとせの2015年のアルバム『平和元年』も収める“死んだ女の子”はまぶりのこもった歌声と柔和なメロディに鋭いたちあがりの音が同居した、反戦と平和を希求するスタンダード・ナンバーとして灯りを点すように広がりつつあるが、ここでの坂本は元ちとせのリズミックな演奏に抑制的にアプローチすることで原曲の秘められた側面をひきだしている、その作風は畠山地平やティム・ヘッカーと同じくアンビエントと呼ぶべきだろうが、声の断片、電子音のかさなり、ピアノの打鍵、かぎられた響きで多くを語る方法は坂本龍一の作家性を端的に物語っている。
表題の「渡しゃ」は島と島を渡すもの、すなわち「船頭」の意。船頭が唄のなかで奄美大島、喜界、徳之島、沖永良部、与論からなる奄美群島をめぐっていく。歌詞にみえる「間切り」の文言は琉球と奄美にかつて存在した行政区画で、市町村の町みたいなものだが、島には陸地にはない海の道があり、海が隔てる別々の島のシマ(村)が同じ間切りに入っていたこともしばしばだった。今福龍太が『群島論』で指摘したように、海を道とみなす視点には陸地と海洋が反転した白地図が文字通り浮上するというが、形式を問わない自由な耳でしかあらわれない音もおそらくこの世には存在する。『シマ唄REMIX』が収めるのは純粋なシマ唄でもなければポップスでもない。リミックス集だがダンス・ミュージックでもないし、中身も歌手元ちとせの唄のみをひきたてるものではない。実験的で挑戦的な内容ともいえる一枚だが、エキゾチシズムに淫せず、伝統に拝跪せず、神秘主義に溺れず、反省的な文化人類学の反動性に与せず、ありきたりなポストコロニアルやカルチュラル・スタディーズの思弁にも回収されない、蠢動するものはそのような音楽がもっともよく体現するのである。

特設ウェブサイト:
https://www.office-augusta.com/hajime/remix/

Gang Starr - ele-king

 90年代のヒップホップ・シーンを代表する存在であり、その後に繋がるヒップホップ・サウンドの基礎を作ったデュオである Gang Starr が、まさか16年ぶりとなるニュー・アルバムを完成させるなんて、筆者も含めて誰も予想していなかったであろう。2003年にリリースされた前作となる『The Ownerz』を最後に、Gang Starr はグループとしては事実上、活動停止となり、その状態のまま2010年にMCである Guru がガンによって命を落とす。以降、Guru の相棒であった DJ Premier はDJ/プロデューサーとして精力的に活動を続けながら、Gang Starr 名義での作品の制作およびリリースについて度々言及していたものの、実現まで到ることはなかった。しかし、Gang Starr が活動停止していた時期に Guru のDJ/プロデューサーを務めていた Solar という人物が保有していた未発表のヴォーカル音源が2016年に売却され、それが DJ Premier の手に渡り、今回のアルバムが制作されたというわけだ。

 今年9月に本作リリースの一報と同時に、先行シングルとして J.Cole をフィーチャした“Family and Loyalty”が発表されたのだが、往年の Gang Starr のフレイヴァーがそのままダイレクトに表現されたこの曲に、Gang Starr ファンであれば誰もが驚かされたに違いない。もちろん、厳密な意味で技術的にはいま現在の質感の上にあるものであるが、チョップ&フリップによるサンプリング・ループにワードプレイを駆使したスクラッチが随所にはめ込まれたトラックは、一聴してすぐにわかるあの当時の DJ Premier のシグネチャー・サウンドそのもの。そして、J.Cole という現トップクラスのラッパーを従えながら、Guru のラップは相変わらずの最高の相性で DJ Premier のトラックの上でドライヴし、全盛期とも寸分違わない Gang Starr としての完成形に仕上がっている。それは本作『One of the Best Yet』も同様で、DJ Premier と Guru のふたりでなければ成立しない、誰もが思う Gang Starr サウンドそのものがアルバムの隅々にまで行き渡っている。

 繰り返しになるが、本作は Guru が『The Ownerz』以降、亡くなるまでの間にレコーディングした未発表のヴォーカル音源に、DJ Premier が後からトラックを合わせ、そして、曲によってはゲストを入れた上でアルバムとして完成させている。つまり通常のアルバム制作の流れとは異なるわけであるが、不思議なほどに不自然さを感じることはない。そんなことを考える前に、DJ Premier によるDJプレイで Gang Starr クラシックが“Full Clip”から全11曲立て続けに飛び出すイントロの“The Sure Shot”で一気に気持ちを持っていかれるだろう。Gang Starr Foundation とも呼ばれる彼らのクルーから M.O.P. (“Lights Out”)、Group Home (“What's Real”)、Jeru the Damaja (“From a Distance”)といったメンツが再度結集し、さらに Big Shug と Freddie Foxxx に到っては“Take Flight (Militia, Pt. 4)”にて Gang Starr クラシックである“The Militia”の続編を『The Ownerz』ぶりに披露。また、当時では共演の叶わなかった Q-Tip (“Hit Man”)や Talib Kweli (“Business of Art”)などもゲスト参加していたり、あるいはインタールード(“Keith Casim Elam”)で Guru の実の息子がシャウトアウトを送ったりと、こちらの予想を超える様々な仕掛けが盛り込まれており、さらにこのアルバムを魅力的なものにしている。

 もちろん、90年代や2000年代のヒップホップ・サウンドを知らないリスナーがこのアルバムを聴いても、単なるオールドスクールなものにしか感じないかもしれない。だが、10年以上も前にレコーディングされた Guru のラップのスタイルやリリックの内容も含めて、時代を超えたヒップホップとしての普遍的な魅力が本作には詰まっており、Gang Starr をリアルタイムでは経験していない世代にも、その良さが少しでも伝われば幸いです。

Burial - ele-king

 12月6日に編集盤『Tunes 2011 To 2019』のリリースを控えるベリアルだけれども、新曲“Old Tape”がストリーミングにて公開されている。同曲は〈Hyperdub〉と Adult Swim のコラボによるレーベル15周年記念コンピ『HyperSwim』に収録されているトラックで、コンピじたいもすでに配信開始となっている。同盤には他にアイコニカリー・ギャンブルファティマ・アル・カディリローレル・ヘイローといった精鋭たちに加え、マイシャやDJハラム、エンジェル・ホなど最近レーベルに加わった面々も名を連ねている(もちろんコード9も)。『HyperSwim』の試聴・購入は下記のいずれかより。

 Adult Swim / Spotify / Bandcamp

 なお〈Hypedub〉は12月7日に渋谷 WWW にて来日ショウケースを開催予定。

HyperSwim

Tracklist:
01. MHYSA - Games
02. Okzharp & Manthe Ribane - In Your Own Time
03. Ikonika - Primer
04. Proc Fiskal - Devlish River
05. DJ Taye - Inferno
06. DJ Haram - Get It
07. Angel-Ho - Chaos
08. Burial - Old Tape
09. Doon Kanda - Perfume
10. Mana - Climbing The Walls
11. Dean Blunt - Darcus
12. Scratcha DVA - Baka
13. Cooly G - Nocturnal
14. Nazar - Unruly
15. Kode9 - Cell3
16. DJ Spinn - Opioids
17. Lee Gamble - Chain 9
18. Laurel Halo - Crush
19. Fatima Al Qadiri - Filth

interview with Battles (Ian Williams) - ele-king

 結成から17年。世間的には“Atlas”で一世を風靡したことでも知られるエクスペリメンタル・ロック・バンドのバトルスが、ギター/キーボードのイアン・ウィリアムスとドラムスのジョン・ステニアーのデュオ編成となって初めてのアルバム『Juice B Crypts』をリリースした。4人から3人へ、そして2人へと編成を変えながら、変わることのない鋭角的なサウンドと祝祭的なグルーヴを奏で続けてきた彼らは、11月初頭に恵比寿ガーデンホールで開催され、満員の観客が詰めかけたリリース記念ライヴでも、その圧倒的な個性を聴かせてくれた。いや、むしろプリセットされた音源やシンセサイザーなどを駆使するイアンのサウンドと、サンプラーを使用しつつあくまでも生身のドラミングを力強く披露するジョンのグルーヴは、バトルスの核にある音楽性をより剥き出しにして聴かせてくれたと言ってもいいだろう。ライヴ当日、ステージに出ていく直前のイアン・ウィリアムスに、バトルスの変化と具体的な制作手法、新作『Juice B Crypts』について、さらにはその「モダン」なありようを伺った。(細田成嗣)

オリジナル・メンバーと、新しいメンバーのヒエラルキーができるよりは、ふたりだけの方がいい。

4年前のアルバム『La Di Da Di』と今作『Juice B Crypts』の一番大きな違いとして、やはりメンバーのひとりデイヴ・コノプカが脱退したということがあると思います。トリオからデュオへと編成が変わるなかで、音楽制作にどのような変化がありましたか。

イアン・ウィリアムス(Ian Williams、以下IW):デュオになったことである意味ではとてもやりやすくなった。というのも曲ごとの方向性が明確に見えるようになったんだ。いまは俺とジョン(・ステニアー)のふたりで楽曲制作をしているんだけど、ジョンはあくまでもドラマーとして存在していて、それ以外のギターやキーボード、あるいはループを使うところのコントロールとかはすべて僕がやっている。デイヴ(・コノプカ)やタイヨンダイ(・ブラクストン)がいた時代は、俺がここにこの音を置きたいって思っていても、みんながいろんなものを持ってきたりするから、なかなか思い通りにはならなかった。でも今回は俺が行きたいところにまっすぐに進めたという意味ですごくやりやすかった。だから曲の形を作るという点でははっきりと自分の意図を出すことができたんじゃないかな。いままでは意図がぶつかり合うことがあったんだけどね。もちろんぶつかり合うことで矛盾が生まれて面白いものができるっていうこともあって、とてもクレイジーで良い方向に進むこともあったんだけど、たまにクレイジーすぎてしまうこともあった。そういったことが整理されたっていう意味では今回のアルバム制作はとてもいい機会だったと思うよ。

バンドをやめる、あるいは後釜のメンバーを入れるなどの選択肢はあったのでしょうか。

IW:新しいメンバーを入れるというのは、変な感じがするというか、俺とジョンだけの方が正直な感じがする。オリジナル・メンバーと、新しいメンバーのヒエラルキーができるよりは、ふたりだけの方がいい。

具体的にアルバムを制作するうえで方法を変えたことなどはあったのでしょうか。

IW:俺が前にやってたドン・キャバレロの終わり頃からそうだったんだけど、バトルスの曲作りにおいてつねにインスピレーションを与えてくれるものがある。というのはループ・ペダルを使って音を重ねていく作業をするんだけど、それをバンドという形でやるにあたって、重ねた音をそれぞれの生身のミュージシャンに割り振ったらどうなるだろう、っていう考えがあるんだ。EPとか『Mirrored』の頃もまさにそうで、コール&レスポンスがかなり多い音作りだったと思うんだけど、それはたぶんね、ひとりで作った音を他人と共有するときに生まれる呼びかけ合いみたいなものがあったからなんだと思う。要するにループ・ペダルで使ったものを一旦バラして人に割り振るっていうことから生まれる呼びかけ合いね。今回の新しいレコードでやったことも割とそれと同じなんじゃないかというふうに思っていて。ただ今回はメロディの情報がものすごく多いから、リズムの上にメロディを乗っけるっていうんじゃなくて、サウンドの壁みたいなものにメロディも埋め込まれているというか、構築されたもの全体の一端がメロディになっている。つまりメロディがウワモノとして乗っかっているんじゃなくて、サウンドの壁の中から聴こえてくる、っていうふうに変わったっていうのはこれまでとの違いなのかもしれないな。ただ、自分が作った音楽を表現するやり方っていうのは意外とあんまり変わっていないんじゃないかな。

ループ・ペダルで作ったものを生身の人間に割り振る際に、機械ではなく身体を用いることによる意想外な出来事がひとつの面白さとして出てくると思うんですが、たとえば長時間のジャム・セッション、つまりインプロヴィゼーションをおこなう中でコンポジションのアイデアを掴んでいく、といったような制作方法をすることもあるのでしょうか。

IW:いわゆるインプロはやらないな。もちろんいまふたりしかいないということもあって、一緒に曲作りをするときにジョンにドラムを叩いてもらって、なんか面白い響きがしてヒントになることはあるにしても、僕らの場合それはたぶんインプロとは違う。インプロと言うよりも「必死の試行錯誤」って言った方が合ってると思う。「あ、いまなんか面白いのができたね」ってなったときに、どうやったか覚えておこうみたいな、そういうことはよくやってる。でもそれは曲作りそのものと同じだから、僕の中では特にインプロだとは思ってない。

新しいものを使ってみるのが好きなんだ。色々なことをやってみて、努力して、事故が起きるという状態まで自分を持っていく。素敵な事故が起こるまで。自分では予測や想像できなかったであろうことが起きるまで、機械と交流するんだ。

『Juice B Crypts』のもうひとつの特徴として、大勢のゲストが参加されてるということがありますよね。ゲストはどういうふうに選んでいったのでしょうか。

IW:服を着替えるような感じだった。色々と試しては「これ似合うね」とか「他のも試してみよう」とか、そういう感じで選んでいった。だけど特に決まったメソッドがあったというわけじゃなくて、それぞれの曲についてそれぞれの理由で人選していった。曲の求めに応じて解決策を探していったと言えばいいかな。たとえばセニア・ルビーノスに関しては前から好きな声で素晴らしいシンガーだと思っていたんだけど、最初は“Fort Greene Park”をやってもらおうと思って試してみた。だけどなんだか上手くハマらなくて、洋服を色々とあてがってみる感じで彼女に合う曲を探していった。その結果あのソウルフルな感じが“They Played It Twice”に合致してクールな出来になったんだ。

つまりアルバム全体のコンセプトを先に決めてそれに当てはまるようにゲストを呼んでいったのではなく、曲ごとにそれぞれの理由でゲストとコラボレーションしていったということでしょうか。

IW:そうだね。最初から全体を見ていたわけじゃない。たとえば“Titanium 2 Step”は最初インストで録ってみて、誰だったかに聴かせてみたら「なんかオールド・ロスト・ニューヨークっぽいよね」って言われて。たしかにニューヨークのクラシックなディスコ・パンクというか、70年代終わり~80年代頭ぐらいのノーウェイヴっぽいよなと思って、その手のバンドにいた人っていうことでサル・プリンチパートの名前が浮かんだから、声をかけてみたり。曲によって理由は様々なんだよ。

台湾の Prairie WWWW とはどのような経緯でコラボレートしたのでしょうか。

IW:彼らを観たのは4年くらい前、台湾の台北だった。とてもクールで変わったバンドだと思ったのを覚えている。彼らは、俺たちがいるステージの反対側に、クラブのフロアで準備していて、大きな帽子をかぶって床に座りながら、変な音をマイクから出していた。すごく奇妙だったんだけどクールな感じだった。だから彼らのことは覚えていて、連絡も取っていた。そこで今回の曲に参加してもらうことになって、クールなコラボレーションが実現したんだ。

アルバムの構想は、いつ、どのように生まれたのでしょうか。

IW:前作のツアーが終わった後、俺はひとりで新しい音楽の制作に取り組んだ。そしてデイヴが脱退した。俺たちが作る音楽は、何をやっても、良い音楽になるという自負はあった。それが成功するかどうかは全く分からないが、俺たちの音楽はクールなものになるだろうと思っていた。そこでジョンに、「この新しい音源で何かやってみないか?」と聞いたらジョンはやりたいと言った。だからこのアルバムの元となったのは、俺がしばらくの間、作っていた素材なんだ。

なるほど。それはどのような素材だったのでしょうか。

IW:俺はいつも新しい「楽器」に興味を持っている。「楽器」とカッコ付きで呼ぶのは、エレクトロニック・ミュージックでは色々なものが「楽器」になるからだ。ある種のソフトウェアも楽器だし、シンセサイザーも楽器、伝統的なギターやベースギターもそうだし、ペダルを通すものや、モジュラーシンセサイザーも楽器になる。その全てが今回のアルバムに使われた。俺は、そういう新しいものを使ってみるのが好きなんだ。毎回、違った結果が生まれるからね。色々なことをやってみて、努力して、事故が起きるという状態まで自分を持っていく。素敵な事故が起こるまで。幸運な事故が起こるところまで色々なことを試してみる。実際に起こるまでは、自分では予測や想像できなかったであろうことが起きるまで、機械と交流するんだ。そしてそういうことが起きたときに「すごいな、こんなことが起こったんだ」と思う。そういう作業が大部分を占める。そのような事故が起きるような状況まで自分を持っていく。そのために機材やツールを組み合わせる。今回のアルバムでは、モジュラーシンセサイザー、エイブルトン、スウェーデンの会社のエレクトロン、それから何本かのギターを使ったね。

8分くらいの大曲を書くよりも3分半の短い曲を書く方が難しい。バトルスではいくらでも複雑なことができるわけで、それを一口大で提示してみるっていうのがいわゆる「歌もの」をやることの醍醐味だと思ってる。

タイヨンダイ・ブラクストンが脱退した後にリリースされた2枚目のアルバム『Gloss Drop』にも多数のゲスト・ミュージシャンが参加されていましたよね。メンバーの脱退後にゲストを呼んでアルバムを制作する、という点では似た経緯を踏んでいるように思いますが。

IW:そういうふうに言う意味はわかる。けれども僕らは『Gloss Drop』のことは意識していなかった。ゲスト・ヴォーカルをたくさん入れるのってとても楽しい試みだと思うんだよね。それはバンドという関係ではできないことができるというか、歌う側もいつもと違うことができて楽しいのかもしれないし、いつもと少し違うヴォーカルを聴いてもらえる機会にもなるのかもしれないし。僕らとしてもバンドのメンバーじゃない人とやるからいい意味でプレッシャーがかかるところもあるんだ。インストの曲ってさ、どれだけ楽器が上手いかとか、どれだけ曲が長尺で複雑で、山あり谷ありで最後には感動させてみせるぞみたいなね、そういうことが問われてしまうところがある。ひけらかし的な部分とか、どれだけ宇宙の彼方まで行って戻ってこられるか的な部分とか。でもそういった側面から自由になれるっていうのが、歌の入った割とコンパクトな曲の醍醐味だと僕は思う。単純に音楽として楽しんでもらえるんじゃないかっていうのがあるんだ。それに実を言えば8分くらいの大曲を書くよりも3分半の短い曲を書く方が難しい。それはたぶん100ページで書くことを10ページにまとめるときの難しさと同じだと思うけど、バトルスではいくらでも複雑なことができるわけで、それを一口大で提示してみるっていうのがいわゆる「歌もの」をやることの醍醐味だと思ってる。もちろんだからといって簡単なことをやってるわけではけっしてなくて、一口大の中にものすごくいろんなものが入ってるっていうことは間違いないけどね。

一方でもちろん『Gloss Drop』にはなかったような要素も『Juice B Crypts』には数多くあります。前作『La Di Da Di』から今作をリリースするまでの4年間に新しく興味を持った音楽はありましたか。

IW:シンセサイザーをいじることかなあ。具体的なレコードとか人物というよりも、新しいシンセを手に入れて遊んだりすることがすごく刺激になっている。

今作のプレス・リリースであなたは、モダニズムの概念を鍛錬した美術批評家クレメント・グリーンバーグの「メディウム・スペシフィシティ」に言及していましたよね。

IW:あれは〈Warp〉が勝手に入れたんだよ(笑)。たしかに雑談をしているときに名前を挙げたり、グリーンバーグのコンセプトを語ったりはしたかもしれない。でもそれを元に曲を作ったという話は一切してないよ。ただ、そうだね、たとえば曲の意味を問われたときに「これは恋人のことを想って書いた曲です」とか言っちゃえば簡単なんだけれども、俺の場合は「こういうビートがあります」とか「こういうテクスチャーのサウンドがあります」とか、それがそのまま曲になっているから、モダン・アートの考え方に似てるんじゃないかとは思う。モダン・アートって、たとえばブロックと木片があってそれらを組み合わせて何かを作ったときに、「これは支え合いを意味するのです」とかいう説明をしたらそうなるかもしれないけど、でも実際には単にブロックと木片があるだけだよね。白いキャンバスの上に白い輪っかを描いたとして、何を意味するのかって言われても、それは単純に白だよね。もしくはペンキをぶちまけて何かを描いたとして、それが牛みたいに見えることもあるかもしれないけど、でもそれはただのペンキなんだよね。そういうことなんだよ。素材がそのまま曲になってるっていう意味では、そういう一部のモダン・アートの考え方と近いところがあるよね。

バトルスの音楽はモダンだと思いますか?

IW:うん。そういうイデオロギーの方が好ましいと思う。

Stereolab - ele-king

 10年ぶりの活動再開とともに順次リイシュー企画の進んでいたステレオラブですけれども、なんと来日公演が決定しました! 2020年の3月、稀代のバンドが東京と大阪の地に降り立ちます。来日公演はじつに11年ぶりとのことで、いやーこれは見逃せません。ちなみにリイシュー企画最後の2作、『Sound-Dust』と『Margerine Eclipse』は明々後日、11月29日の発売です。イアン・F・マーティンによる深い深いステレオラブ論はこちらから、レティシア・サディエールのインタヴューはこちらから。

STEREOLAB
10年ぶりに再始動をしたオルタナティヴ・ミュージック界の皇帝
ステレオラブ
11年ぶりの来日公演が決定!!

80年代のギター・ポップ・バンド、マッカーシーに在籍していたギタリスト兼ソングライターのティム・ゲインと、英語とフランス語を使い分けながら歌うヴォーカルのレティシア・サディエールを中心として90年代にロンドンで結成され、クラウトロック、ポストパンク、ポップ・ミュージック、ラウンジ、ポストロックなど、様々な音楽を網羅した幅広い音楽性で、オルタナティヴ・ミュージックを語る上で欠かせないバンドであるステレオラブ。その唯一無二のサウンドには、音楽ファンのみならず、多くのアーティストがリスペクトを送っ ている。10年ぶりに再始動を果たした彼らは、過去タイトルから一挙7作品を再発すると共に、Primavera Sound Festival や Pitchfork Music Festival など様々な大型フェスティヴァルを含む大規模なツアーを敢行中。そしてついに11年ぶりとなる来日公演が決定した。

https://youtu.be/nYDtWdyIUiQ

今回の再発キャンペーンでは、メンバーのティム・ゲインが監修し、世界中のアーティストが信頼を置くカリックス・マスタリング(Calyx Mastering)のエンジニア、ボー・コンドレン(Bo Kondren)によって、オリジナル・テープから再マスタリングされた音源が収録されており、ボーナストラックとして、別ヴァージョンやデモ音源、未発表ミックスなどが追加収録される。国内流通盤CDには、解説書とオリジナル・ステッカーが封入され、初回生産限定アナログ盤は3枚組のクリア・ヴァイナル仕様となり、ポスターとティム・ゲイン本人によるライナーノートが封入される。

Japan Tour 2020
STEREOLAB

東京 3/16 (月) LIQUIDROOM
OPEN 18:00 / START 19:00
¥6,500 (前売 / 1ドリンク別)
03-3444-6751 (SMASH)

大阪 3/17 (火) UMEDA SHANGRI-LA
OPEN 18:00 / START 19:00
¥6,500 (前売 / 1ドリンク別)
06-6535-5569 (SMASH WEST)

■チケット発売

主催者先行:11/26 (火) 17:00 ~ 12/2 (月) 23:00 (抽選制)
https://eplus.jp/stereolab/

一般発売:12/14 (土)
東京:e+ (Pre: 12/4 12:00 ~ 12/8 23:59)|ぴあ (P:171-039)|ローソン (L:74870)|岩盤 ganban.net
大阪:e+ (Pre: 12/4 12:00 ~ 12/8 23:59)|ぴあ (P:171-116)|ローソン (L:55768)

クレジット
協力:BEATINK

お問合わせ
SMASH:03-3444-6751|smash-jpn.com

label: Duophonic / Warp Records / Beat Records
artist: Stereolab
title: SOUND DUST [Expanded Edition]
release date: 2019/11/29 FRI ON SALE

label: Duophonic / Warp Records / Beat Records
artist: Stereolab
title: MARGERINE ECLIPSE [Expanded Edition]
release date: 2019/11/29 FRI ON SALE

label: Duophonic / Warp Records / Beat Records
artist: Stereolab
title: EMPEROR TOMATO KETCHUP [Expanded Edition]
release date: NOW ON SALE

label: Duophonic / Warp Records / Beat Records
artist: Stereolab
title: DOTS AND LOOPS [Expanded Edition]
release date: NOW ON SALE

label: Duophonic / Warp Records / Beat Records
artist: Stereolab
title: COBRA AND PHASES GROUP PLAY VOLTAGE IN THE MILKY NIGHT [Expanded Edition]
release date: NOW ON SALE

label: Duophonic / Warp Records / Beat Records
artist: Stereolab
title: Transient Random-Noise Bursts With Announcements [Expanded Edition]
release date: NOW ON SALE

label: Duophonic / Warp Records / Beat Records
artist: Stereolab
title: Mars Audiac Quintet [Expanded Edition]
release date: NOW ON SALE

ブラック校則 - ele-king

 赤塚不二夫がもしも酒に溺れず、武居俊樹に代わる若くて優秀なブレーンとタッグを組み続けることができた場合、いったいどの時期までのギャグマンガと張り合えただろうと考え、高橋留美子から中村光へと受け継がれたコミュニティ路線や赤塚がハナから興味を示していない自意識系を除外すると、かなりな拡大解釈をして久米田庸治『さよなら絶望先生』(05-12)や大武政夫『ヒナまつり』(10-)までは行けたのではないかと根拠もなく思うのであった(詳細は会って議論でもしよう)。だけど、『セトウツミ』(13-17)の此元和津也だけはどうやっても赤塚とは距離があり、此元本人が仮りに赤塚の担当編集者になるようなことがあったとしても、これをひとつの作品にまとめることはやはりできないのではないかという溝を感じてしまう。理由はいずれ考えるとして、その、此元和津也が脚本家としてデビューすると知り、10月からのTVドラマ『ブラック校則』は実に楽しみだったし、実際、これまでのところ期待を裏切られた回はない(あとは最終回を残すのみ。正直、10月期のTVドラマではベストでしょう。2位は向田邦子を思わせる『俺の話は長い』、3位は『少年寅次郎』か『おいしい給食』)。主役はセクシー・ゾーンの佐藤勝利演じる小野田創楽とキング&プリンスの高橋海人演じる月岡中弥で、彼らは学校の校則に疑問があるという縛りを手玉にとって、自分たちが置かれている日常を笑いに変え、なんとも鮮やかに高校生活をグレード・アップさせていく(流しソーメンの回、最高!)。これにモトーラ世理奈演じる町田希央がスクラップ工場で働く外国人労働者とラップやグラフィティを介して課外時間を充実させ、労働問題などを巧みにストーリーに織り込んでいく手腕は見事としか言いようがない。モトーラ世理奈はイタリア系アメリカ人を父に持つハーフのファッション・モデルで、最近は女優業にもめざましく、この7月に茂木欣一と柏原譲の演奏を得てフィッシュマンズ「いかれたBaby」のカヴァーで歌手デビューも果たしている。強い内容のセリフをたどたどしく話す様子にはつい目が惹きつけられる。

 驚いたのは『ブラック校則』の映画版が同じ時期に並行して公開されたことで、これがTV版と違ってコメディ要素はほとんど削ぎ落とされ、同じ撮影素材を使いながら、まったく違う雰囲気の内容に仕上げられていたこと。TV版では『セトウツミ』をマネて毎回、小野田創楽と月岡中弥がお台場の海でだらだらと駄弁りながら学校であったことを回想したり、「コーツ高レジスタンス部」と呼ばれるチャット・ルームにログインしたりと、いくつかシチュエーションの異なる場面転換が用意されていたのに、映画版ではシンプルに学校生活だけを追い、ストーリーも一直線に進んでいく。導入はTV版と同じく、町田希央が登校してくると、生活指導の教師から髪を茶色に染めているのは校則違反だと注意され、そう言われた町田希央はくるっと方向を変えて学校の敷地から出ていく。これを毎日繰り返していたのか、町田希央はすでに出席日数が危うくなっている。本当は地毛であるにもかかわらず、町田希央は仕方なく髪を黒く染めて登校してくる。地毛証明書を提出すれば、そもそもこんなことにはならなかったのだけれど、彼女にはそれを提出できない理由があり、この様子を見ていた小野田創楽は校則の方がおかしいと感じ、校則を変えるために意見ボックスを設置する。これに腹を立てた生徒会長の松本ミチロウ(田中樹)が小野田創楽の前に立ちはだかる――。高校生が始める「運動」はあっさりと挫折したように見えたものの、ある時、校舎の裏に誰かがグラフィティを描き殴ったところから、これがレノン・ウォールのような役割を果たすようになり、学校にいる間はスマホを取り上げられていることも手伝って、生徒たちが校則に対して思っていることなど様々な意見が描き加えられるようになっていく。なんでペンキがいつもたっぷりと置いたままなのかなという細かい点は気になったけれど、取り立てて特別な才能があるわけでもない小野田創楽を中心に現状を変えていこうとする高校生の姿はティーンムーヴィーにしては珍しいテーマだし、ルールがあった方がいいと「自由を恐れる」生徒会長の上坂樹羅凛(箭内夢菜)が変化を見せたり、吃音症のラッパー、達磨がほとんど素のままで演じる東詩音など個性的なキャラクターの配置が面白く、何よりも此元和津也の硬派っぷりに驚かされる作品であった。

 TV版の第4話で月岡中弥がこんなことを言う。何匹かの猿がいて、ハシゴを登ればバナナに手が届く。ところが1匹がハシゴを登ると他の猿には冷水が浴びせられる。誰かがハシゴを登ろうとすると、冷水を浴びたくない猿たちはこれを止めさせる。やがて誰もハシゴを登らなくなる。そこに新しい猿が入って来ると、もはや理由もわからずハシゴには登らせない。髪型、スカート丈、アルバイト、自転車通学がどうしてダメなのか、実はもう誰にも理由などわからないのに禁止になっていると。これに対する答えとして、TV版では第5話で規則を破った教師が事故死したというエピソードが語られる。でんでん演じる法月士郎校長はかたくなに校則は厳しくあるべきだと自説を曲げない。映画版ではこうした重層性はなく、校則を変えたい一心で小野田創楽たちは最後まで突っ走っていく。ありとあらゆる登場人物が束になってクライマックスに突入するプロセスはなかなか圧巻でした。小野田創楽が設置した意見ボックスに5人しか意思表示をしなかったにもかかわらず、壁に殴り書きされた言葉で事態が動き始めるという流れは、日本人の「本音」好きがよく表れていて、それは同時に潜在的に「変えたい」はあっても「理想」がないということも露わにしている。この世界がどうなったらいいのかという理想がなければ「変えたい」という衝動もその場しのぎで終わりかねないし、過程こそすべてと考えるか、馴れてしまえば「このままでいいや」ということになりかねない。適度な息抜きを与えられた「このままでいいや」は明らかに「変えたくない」には勝てないし、理想のない「変えたい」は「このままでいいや」にかなわない。「変えたくない」が保守で、「変えたい」がリベラルやラディカルだとすれば、日本人のほとんどは、おそらくは「このままでいいや」ということになるだろう。TV版の第2話で月岡中弥は「痛いやつ、必要説」を唱える。群れからはずれた「痛いやつ」しかパイオニアにはなれないと。月岡中弥の冗談とも本気ともつかない話しっぷりは本作の大きな魅力である。

 僕の記憶にある限り、80年代や90年代の日本人はフィリピンやインドネシアの開発独裁ぶりを見て、どこか嘲笑っていた。イメルダ夫人が贅沢三昧にふけるのはアジアがまだ「後進国」で「遅れている」からだと。僕にはいまの日本はまるで「成長」という呪文をかけられた開発独裁の国にしか見えない。政治家などというものはどの国も大したものじゃないのかもしれないけれど、せめて自分たちがやったことの記録ぐらいは残して欲しいし、身内や友人に利益供与があった場合、マレーシアや韓国でも政治家はクビにされ、国民は他の選択肢に変えるというのに、いまの日本にはそれこそスハルトかピノチェトが君臨しているかのように政権は盤石で、記録を残す政治家を選ぼうという「理想」すら耳にしない。開発独裁に怯えていたアジアの人たちは無知でバカなんだろうな~などとかつては勝手に思っていたけれど、あ、いまは自分たちがそれなのかという感じ。「このままでいいや」が長く続いた結果ということなのか、日本はいま、経済的に途上国並みだとかいう議論の前に政治的に後進国になってしまい、ルワンダのカガメ政権やベラルーシのルカシェンコ政権、トルコのエルドアン政権やフィリピンのドゥテルテ政権と同じカテゴリーに属しているということなんだろうか。つーか、これジャニーズ映画なんですよね。田母神美南(成海璃子)とかヴァージニア・ウルフ(薬師丸ひろ子)とか、役名がとんでもないですけれど。


映画『ブラック校則』(11.1公開)予告編

ジョーカー - ele-king

 公開前から賛否両論で異例の盛り上がりが生じた、バットマンの有名な悪役ジョーカーのオリジンを描いた話題作。煽りだけで終わることなく封切ったら実際に大ヒットし社会現象化した感すらあるが、筆者は「これがヴェネチア金獅子? スキャンダラスで大胆?」と首を傾げずにいられなかった。
 R指定映画だけに、なるほど暴力描写は手加減なし。しかし、アメリカで「インセルたちのヒーローか」との声もあがった主人公ジョーカー/アーサー・フレックはコメディアンを夢見る派遣ピエロ。孤独なヴィジランテでも無差別テロリストでもないし、観て心がざわつく、本当の意味で物騒な作品でもなかった。悪運続きで崖っぷちに追い込まれた窮鼠であるアーサーは、危険なヒーローではなくむしろ憐憫を誘うだろう。
 監督トッド・フィリップスは本作を「独自の世界で起こるもので、過去および未来のDC作品とは一切繫がりがない」と位置づけている。しかしバットマンの文脈を物語に取り入れているので、既によく知られたキャラクターの知られざる前身を観る側に発見させるさりげなさには欠ける。こじつけっぽく含まれた社会派な背景音も、ひとりの人間の内面と変容をじっくり追った作品の主調と不格好にクラッシュする。今風な「貧困層対1パーセント組」の対立図式が含まれるものの、一方で台詞のある黒人キャラクター3名はいずれも「(白人)主人公をケアし、そのニーズに応える役柄」と、古いステレオタイプを踏襲しているのも後味が悪い。
 1970年代後期〜80年代のニューヨークを舞台に人間の狂気をサタイアも交えて掘り下げるのであれば、『ジョーカー』が色んな意味で多くを負っているマーティン・スコセッシの『タクシー・ドライバー』と『キング・オブ・コメディ』、シドニー・ルメットの『狼たちの午後』、『ネットワーク』を観ればいいかと。まんまとハイプに引っかかってしまった、己の野次馬根性の負けである。

 それでも、ホアキン・フェニックスは観るに値する。映像になっても減少しない強い存在感と性格俳優の面を兼ね備えた彼は、特に10年代以降スパイク・ジョーンズ、ポール・トーマス・アンダーソンら「作家」から引っ張りだこになってきた。会話は多くない、ページ数にしたらかなり薄そうな脚本を、ホアキン自身が経験値と想像力とで立体化し厚くし、可視化している。しかも『マシニスト』のクリスチャン・ベールばりの熾烈な減量も敢行していて、半裸シーンは観ていて痛々しい。役に合わせて体重を増減させルックスを変えるカメレオンと言えば『ジョーカー』にも友情出演(笑)しているロバート・デ・ニーロの十八番だが、ホアキンの身体性豊かな全身を使っての演技には吸い込まれずにいられなかった。
 眉や頬の筋肉の動き、目の微妙な変化といった演技は、演劇にないクローズアップが可能な映画メディアで発展してきたメソッドだ。だが今ほど自由自在にカメラが動けなかった映画史初期はアクターのアナログな肉体は重要な要素で、ここでのホアキンはフィジカルとサイコロジカルな演技の双方をブレンドしている。フレッド・アステアの『踊らん哉』、チャップリンの『モダン・タイムス』が画面にチラッと登場するのはダンスやスラップスティックな動きへの目配せであり、グリーン・スクリーンとCGでなんでも可能な現代映画へのアンチだろう(貧しい工員が近代資本主義の工業化に揉まれ狂気に陥る『モダン・タイムス』は『ジョーカー』の青写真でもある)。
 アーサーの孤独なダンスは非現実的でフリーキーでありながら妙に優雅で、映画の見せ場だ。取り憑かれたようなその踊りは、白塗りメイクと濡れたロン毛、ズボンの裾から覗く細い足首と相まってふとマイケル・ジャクソンを連想するほど。しかしそれらダンス・シークエンスの数々が、主人公のナルシシスティックな妄想の視覚化ばかりか制作者側のナルシシズムにも見えてきたのは鼻についた。筆者にはむしろ、映画の冒頭・中盤・ラストと何度か登場するアーサーの疾走の方が印象に残る。
 疾走の性質は「追跡」から「逃走・脱走」に変化していくので、自らのアイデンティティを探し追っていた彼が、逆にアイデンティティから逃げてそれを喪失していく過程のメタファーにもなっている。しかし『ザ・マスター』でのフレディ・クウェルの走り方とも違うドタバタした走り方はどこか滑稽で、どっちに向かってもアーサーはどんづまりの道化であることを感じさせ、とても切ない。ニューヨークを舞台にした犯罪人間劇の秀作であるサフディー兄弟の『グッド・タイム』もよく走る映画で、あれもどんづまりだった。

 トッド・フィリップスはホアキン以外にジョーカー役を想定していなかったそうだが、その決定に彼の過去の主演作『ザ・マスター』およびリン・ラムゼイの『ビューティフル・デイ』(主人公ジョーはPTSDに苦しむローナーで母親とニューヨークにふたり暮らし、とアーサーの設定と少々被る)がフィードバックしていると感じたのは筆者だけではないだろう。しかもフィリップスは「コミック映画ではなく、『本物の映画』を作る」が『ジョーカー』の基本コンセプトだったと明かしてもいる。コメディ映画をさんざん作ってきた人間に、「漫画映画はリアルな映画じゃない」と否定されたくはない。
 百歩譲って、監督自身が『ハングオーバー!』他で当てた自らのパブリック・イメージが邪魔になることを危惧してシリアスさを強調しているのだとしても、大人向けの本物の映画に脱皮する踏み台として、ハイブロウなアート/インディ系映画役者であるホアキンのハクと演技力が利用されたとの印象は残る。人間と社会を描く映画を目指しながらも、DCブロックバスターの枠組みに手を縛られ、そもそもオリジンがないキャラクターが生み出す余白を映画好きをくすぐるテクニックやリファレンスのオンパレードで埋めたことで中途半端になったこの作品、いささか「仏作って魂入れず」な1本だと思う。

『ジョーカー』本予告

NITRODAY × NOT WONK - ele-king

 ミニ・アルバム『少年たちの予感』が話題のニトロデイが、年明けの1月12日に新代田FEVERにて自主企画イベント《ヤングマシン4号》を開催する(この日はヴォーカル小室の20歳の誕生日なのだという)。共演相手に選ばれたのはなんと、こちらも今年話題のアルバム『Down the Valley』を発表した NOT WONK! これは素敵な一夜になりそうだ。詳細は下記をば。

NITRODAY、ヴォーカル小室の20歳の誕生日となる、2020年1月12日(日)新代田FEVERにて自主企画ヤングマシン4号を開催!
共演は NOT WONK が決定!

来年2020年1月12日(日)NITRODAYヴォーカル小室の記念すべき20歳の誕生日に、自主企画シリーズ「ヤングマシン」の第4回「ヤングマシン4号」の開催が発表された。
対バンは以前自身のツアーにも招き、メンバーがリスペクトを公言している、NOT WONK の出演が決定!

まさにヤングでロックでオルタナティブな夜になること間違いない。
先行受付も本日からスタートするので、ロックファンは間違いなく来て欲しい夜になるだろう。

【LIVE INFO】
ヤングマシン4号
2020年1月12 日(日)東京・新代田FEVER
出演:NITRODAY / NOT WONK and more...
open 17:30 / start 18:00
2,800円(ドリンク代別)

オフィシャル先行受付
11/22(金)12:00~12/1(日)23:00
https://www.nitroday.com/

NITRODAY "ブラックホール feat.ninoheron" (Official Music Video)
https://youtu.be/YCz0RcZWXHA

NITRODAY "ダイヤモンド・キッス" Official Music Video
https://youtu.be/Q_B-7kmMcjc

NITRODAY "ヘッドセット・キッズ" Official Music Video
https://www.youtube.com/watch?v=GAysdh-dL1U

“少年たちの予感”各配信サイト
https://ssm.lnk.to/premonition_of_kids

NITRODAY
NEW MINI ALBUM「少年たちの予感」
発売日:2019年10月23日(水)
税込価格:¥1,650 税抜価格:¥1,500
品番: PECF-3244
収録曲
01. ヘッドセット・キッズ
02. ダイヤモンド・キッス
03. ブラックホール feat.ninoheron
04. アンカー
05. ジェット (Live)
06. ボクサー (Live)
07. レモンド (Live)
08. ユース (Live)

【other live】

■2019年12月8日 「極東最前線~にゅーでいらいじんぐ2019~」 
会場:渋谷CLUB QUATTRO 出演)eastern youth / NITRODAY

■2019年12月13日 「Doors Music Apartment -1213-」
会場:仙台LIVE HOUSE enn2nd + 3rd 
出演:NITRODAY / オレンジスパイニクラブ / osage、Slimcat / TETORA / CRYAMY / MINAMIS

■2019年12月20日 「年末調整GIG 2019」
会場:名古屋CLUB UPSET
出演:EASTOKLAB / キイチビール&ザ・ホーリーティッツ / PELICAN FANCLUB / NITRODAY

■2019年12月31日 「AFOC x Shelter presents ROCK 'N' ROLL NEW SCHOOL 19/20」
会場:下北沢SHELTER
出演:a flood of circle / SAMURAIMANZ GROOVE / The ManRay / THE PINBALLS /突然少年/ NITRODAY  / DJ:片平実 [Getting Better]

■2020年2月15日 「ROOTS NEW ROUTE TOUR」
会場:心斎橋Pangea
出演:Jurassic Boys / No Buses / CAR10 / NITRODAY / DJ:DAWA [FLAHE RECORDS]

■2020年2月16日 「ROOTS NEW ROUTE TOUR」
会場:名古屋CLUB ROCK'N'ROLL
出演:Jurassic Boys / No Buses / CAR10 / NITRODAY / DJ:⽚⼭翔太(BYE CHOOSE)

【PROFILE】
小室ぺい(ギボ) やぎひろみ(ジャズマスター) 松島早紀(ベイス) 岩方ロクロー(ドラムス)

独特の語感で描かれる小室の歌詞世界を軸に、様々なロックミュージックへのリスペクトと愛情を感じるサウンドをポップにそして、時にエモーショナルに表現し、今後の日本ロックミュージックを担うであろう大きな可能性を秘めたバンド。2018年7月2nd EP「レモンドEP」をリリースし、Apple Music「今週のNEW ARTIST」、SPACE SHOWER NEW FORCE 2018、タワレコ メンなどにも選出され、2018年12月1st アルバム「マシン・ザ・ヤング」をリリース。2019年3月22日新代田FEVERにてバンドとして初のワンマンライブを開催。7月19日渋谷WWWにて自主企画第3弾「ヤングマシン3号」を開催。そして11月より盟友betcover!!とのスプリットツアー“エノシマックスツアー”を開催中。

▼TOTAL INFO
NITRODAY OFFICIAL WEBSITE
https://www.nitroday.com/

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