「You me」と一致するもの

Andrea Parker Et Daz Quayle - ele-king

 デヴィッド・クローネンバーグが新作『危険なメソッド』でユングの半生を扱っている。最初は腑に落ちない組み合わせだと思ったものの、すべてをリビドー(性衝動)で説明しようとするフロイトに反発し、性に対する抑圧やその解放を自ら経験しつつ、前後して神秘主義に足を踏み入れる頃には『ヴィデオドローム』(82)や『クラッシュ』(96)といった過去の作品とも重なるものが見えはじめる。なんとも穏やかなラスト・シーンに至ってはかつての世紀末的と評されたエンディングの数々を包み込んで成仏させるような趣きまであった。ユングとフロイトというよりは、ユングと冒頭でユングの診療室に運び込まれてくるザビーナ・シュピールラインという元患者にして、後にロシアでたくさんの弟子を育てる精神分析医の関係が物語の中心となっていて、僕は不勉強でよく知らなかったけれど、この女性の生い立ちがまた凄絶そのものだった(彼女がユングとの恋愛を題材にした論文はフロイトをしてタナトスの概念にも影響を与えたとか)。(日本人にエスプリやフランスの政治はわからないという判断だったのか)劇場未公開だったミシェル・ルクレール監督『戦争よりも愛のカンケイ』(傑作!)は女性に対する性的虐待をファンタジーの領域で逆転させた快作だったけれど、『危険なメソッド』はこれを正攻法で扱い、世界史を構成する不可思議な歯車として認識させてしまう。パク・チャヌク監督『サイボーグでも大丈夫』といい、松尾スズキ監督『クワイエットルームへようこそ』といい、病院に運び込まれてくる女性たちをなめてはいけませんね。

 病院に運び込まれたかどうかはわからないけれど、二度に渡る脳卒中で音楽を諦めることになったダフニー・オーラムは03年に死去してから、ようやく生前の音源がリリースされはじめた。彼女が残した膨大なアーカイヴを整理していたヒュー・デイヴィスも途中で逝去してしまったため、どこでどういうプロセスを辿ったのか、07年に『オーラミックス』がリリースされても内容に不満を持った者が多かったらしく、昨年から改めて『ジ・オーラム・テープス Vol.1』というシリーズが開始されている(いずれも2CDないしアナログ4枚組)。そして、これによって早くから電子音楽を扱っていた女性の表現としてはなかなか意外な相貌が浮かび上がってきた。僕も同時期のアメリカにありがちなシューとかピロピロみたいな無邪気な電子音を想像していたので、むしろミュージック・コンクレートに近い作風がのしかかってきた時には少々面食らった。録音時期が判明しているものでも58年から67年とあり、多くは60年代前半に集中している("脳卒中"と題された曲も......)。

 前述したシュピールラインとその娘たちがナチスによって殺された年、オーラムはBBCでサウンド・エンジニアの職を得ている。戦後のイギリスは男性の数が激減したため、意外な場所に仕事を得た女性が多かった。オーラムはリーダー的な気質だったのか、1958年にはTVとラジオの効果音を製作するBBCレイディオフォニック・ワークショップを組織し、この集団にはジョン・ベイカーをはじめ、後にホワイト・ノイズを結成するブライアン・ホジスンやデリア・ダービーシャイアも所属していた。しかし、1年も経たないうちにオーラムはBBCから不興を示され、同社を退くことになる。以後は財団のサポートを受けて世界でも初めて電子楽器のスタジオを持った女性となり、かなりな数の作品を録音したようだけど、前述した通り、レコードなどでリリースされることはほとんどなかったらしい(https://en.wikipedia.org/wiki/Daphne_Oram)。また、BBCレイディオフォニック・ワークショップがその後も制作し続けた効果音は現在までにけっこうな数がレコード化され、19作目には今年のレコード・ストア・デイで34年ぶりにオリジナル・ジャケットで復刻された『ドクター・フー』も混ざっている。ザ・KLFがタイムローズの名義でナンバー1・ヒットを飛ばした「ドクトリン・ザ・ターディス」はこれの主題歌をサンプリングしたものである(リズムはゲイリー・グリッター......って、いまから思えば単なるマッシュ・アップでしたねw)。

 このようなオーラムの未発表音源に手を加えてリリースしたのが、なんと、アンドリア・パーカーだった。チェロ・プレイヤーからDJに転向し、〈ファット・キャット・レコーズ〉のアレックス・ナイトらとインキー・ブラックヌスとしてデビューしたパーカーは、90年代後半になるとエレクトロのプロデューサーとして〈モワックス〉などからリリースを重ね、やはりエレクトロを専門に扱う〈タッチング・ベース〉を主宰してきた渋いお姉ちゃんである。ライナーによると以前からオーラムにインスピレイションを得ていたパーカーが、偶然にもロイヤル・アルバート・ホールで行われたオーラムの回顧イヴェントでオーラムの曲を再現しないかと誘われたことから話ははじまっている(08年)。「アメリカにロバート・モーグが、イギリスにはダフニー・オーラムというパイオニアがいた」という思いを強くしたパーカーは、いまだ公にされていないオーラムのアーカイヴをすべて聴くチャンスを得て、ダズ・クエールとともに膨大な量のサンプリングを繰り返し、オーラムのダークサイドを抽出したものが『プライヴェート・ドリームズ・アンド・パブリック・ナイトメアーズ』(以下、『PD & PN』)の中核となっていく。面白いのはインナーに使われている写真がオーラムの少女時代のもので、『オーラミックス』や『ジ・オーラム・テープス』に使われていたのがイギリスのがんこババアみたいな写真ばかりだったことと大きな差を感じることである。オーラムの音と向き合うなかで何かを感じたのだろう。

 オーラムのナレイションをフィーチャーした"女の時間"で幕を開ける『PD & PN』はたしかにオーラムのそれよりもゴシック係数が高く、オーラムが影響を受けたミュージック・コンクレートよりも最近の感性に移し変えられている。これはオーラムだけに言えることではないけれど、かつての実験音楽はあえて感情を排しているものが多く、スキルや音の鳴りに興味がなければジョン・コルトレーンなんか、何をがんばってるのかさっぱりわからないことさえあるし、スロッビング・グリッスル以下のノイズ・ミュージックがむしろ感情表現に変革を起こした実験音楽として聴かれていた可能性もあるだろう(でなければ中原昌也のような存在がそれに続くか?)。01年にクォーターマスからリリースしたセカンド・アルバムに『ザ・ダーク・エイジス』というタイトルをつけていたこととも相俟って、パーカーがここで試みていることはオーラムが残した闇のトーンに感情的な奥行きを与えることではないかとまずは推測できる。オーラムの時代には必要なかったのかもしれないけれど、怒りや悲しみを表す場所がいまやアンダーグラウンドに押しやられている可能性もあるだろうし(ヒット・チャートにあふれている音楽のほうがかつての実験音楽のように感情を排しているとしか思えなかったりするし)、感情表現が過去と接続するための単なる媒介になっているとも考えられる。実際、『PD & PN』を聴いていると少し重いなと思ってオーラムのオリジナルに替えたり、オーラムを聴いていると物足りなくなって『PD & PN』に戻したりしてしまうし。

 オーラムが舞台用に手がけた「ハムレット」(63)を基にした"ゴースト・ハムレット"ではパーカーが得意とするエレクトロも顔を出す。パーカーがクエールとともに大きな意味でウェザオール・ファミリーの一員だったことをこの曲は想起させる。ウェザオールがイン・ザ・ナーゼリー改めレ・ジュメにリミックスをオファーする感覚がこの曲にも流れていて、エンディングでそのホラー趣味は頂点を極める。このような曲に「永遠に、そして、いつもここに」というタイトルを与えることはそのままイギリス人の人生観を表しているのではないだろうか。評価されることもなく、忘れ去られていたオーラムが「永遠に、そして、いつもここに」いると、重苦しい曲のなかから語りかけてくる。『ドリアン・グレイの肖像』じゃないけれど、彼らにとってこれは美を意味しているのではないだろうか。聴き終える頃には少女時代のオーラムが最初と同じ感覚では見られなくなっている。心霊写真のように傷ついた写真はまさにオーラムが「いつもここに」いたように見えてくる。

 オーラムに刺激されたか、今年に入ってから女性の電子音楽家が次々と発掘されている。イタリアからはドリス・ノートンのファースト・アルバム『ラプス』が30年目にして復刻され、それほど不遇ではなかったものの、アンディ・ヴォーテルはスザンヌ・チアーニの初期音源を『リクシヴィアション』にまとめ(ライナーでは性転換したんだからウォルター・カーロスも女性として扱おうとヴォーテルは提案している)、タレンテルのジャフレ・キャントゥ・レデスマはアカデミズム畑からマギ・ペインのアンビエント作品を『アー・アー ミュージック・フォー・エド・タンネンバウムズ・テクノロジカル・フィーツ 1984-1987』にまとめている(どう考えても、この流れは流行りですね)。また、今月はこれらに加えて(まだ観てないけれど、アメリカ版『バトル・ロワイヤル』としか思えない)フェイスブック世代の内面をとらえたといわれるゲイリー・ロス監督『ハンガー・ゲーム』に「セディメント」が使われたというローリー・シュピーゲルが1980年にプライヴェート盤として制作した事実上のファースト・アルバム『ジ・イクスパンディング・ユニヴァース』も再発され、快楽主義というフィルターを通過した実験音楽として聴けるものが多いなかでも、驚くほど現代風のアンビエント・ドローンやシンセ-ポップ風のコンポジションを2CDに渡ってこれでもかと聴かせてくれる。それこそモーション・シックネスやメデリン・マーキーに続く新人といわれても気がつかなかったかもしれないし、年代が20年ほど違うとはいえ、そのような比較のなかでもオーラムとパーカーの仕事は異彩を放っていると結論づけることもできる。もちろん、ジョン・ケージと出会ってピアノを売り払い、シンセサイザーに手を染めたテレーザ・ランパッツィやフランカ・サッキなどあまり知られていない女性の電子音楽家は探しはじめれば切りがない。ニーチェの系譜学ではないけれど、歴史とは誰にとって都合がいいものとして書かれてきたのかということを考えはじめるとき、ダフニー・オーラムが忘れ去られた理由も浮かび上がってくるだろうと思うばかりである。

[music video] - ele-king

VIKN Ft. BES,GUINNESS,A-THUG & NIPPS - "STARTING 5"
(Produced by HIROSHIMA&B-MONEY)



 負けを認めるからこそ踏み出すことのできる新しい一歩というものがある。新たなゲームを開始し、ルールを設定し直すために、負けを受け入れなければならないときもある。そもそも誰もが強く、逞しく、信念を曲げず、前向きにい続けられるわけではない。ときには迷い、嫉妬や憎しみを抱き、つまずき、辛酸をなめるときもある。負けているのにもかかわらず、負けていないと意地を張り続ける意固地な態度が道を見失わせることもある。やさぐれた人間のやさぐれた言葉は、ときとして、人の心の深いところに突き刺さったりする。と、そんなことをこのラップ・ミュージックを聴いた直後、僕は漠然と思った。

 トップバッターのBESの強烈な哀しみの歌が僕にそういう思考を促したのか、それともHIROSHIMA&B-MONEYの制作したバックトラックの泣きのストリングスに感情を揺さぶられたのだろうか。それだけではないと思う。5人とも同じ内容をラップしているわけではなく、むしろ5人それぞれが異なるベクトルに向かっているものの、5人のマイク・リレーはある一つのムードを作り上げている(例えば、"GOD BIRD"がそうであったように)。そのムードは言うなれば、いま、とくに東京近郊の街に漂う"負の兆し"みたいなもので、これほど見事に"負の兆し"を捉えたマイク・リレーを僕は久々に聴いた気がして、ゾクゾクしてしまったのだ。その兆しの正体はなんなのか、性急に言葉にしたくないし、できるものでもない。だから、この曲における、5人のラップと身振りは圧倒的にクールであるともいえる。

 ハードコア・ラップ、あるいはハスリング・ラップ、もしくはギャングスタ・ラップ。サブジャンルの呼び名はなんでもいい。SWANKY SWIPEのBESはサウス・ヒップホップ以降のオブ・ビート感覚とNYのラッパーの硬派なスタイルをミックスしたようなフロウで実体験に基づいた痛みと哀しみのストーリーを紡いでいく。それに続く、SEEDAとのビーフで話題を呼んだGUINNESSのより糸が絡み合っていくようなフロウは、こんがらがった内面そのものであるように感じられる。さらに、SCARSのリーダー、A-THUGは、「天国じゃないここはHELL/地獄の炎はメラメラ燃える」「ラップじゃなくても金を稼いでいる」というパンチライン、その間をつなぐ赤裸々なリリックで彼らの剥き出しの現実感覚を鼻先に突きつけ、NIPPSは自問自答と風格のある佇まいでブルースを滲ませる。そして最後に登場するTETRAD THE GANG OF FOURのVIKNが、この曲に、微かな、しかしたしかな光を当てている。

 「STARTING 5」は、ミュージック・ヴィデオの透き通る映像美も大きく影響しているのだろうが、北野武の撮るヤクザ映画に通じる叙情と哀愁、あるいは感傷に満ちている。それらは男のロマンやダンディズムから表出されるもので、その意味で彼らはヒップホップのマッチョイズムに忠実ともいえる。が、ここにある、どうしようもない乾きは、それだけではどうにも説明できない特別なものだ。

 最後になってしまったが、この曲はVIKNが10月発売予定のソロ・アルバム『CAPITAL』からの先行ミュージック・ヴィデオとなる。この曲は、この手のラップ・ミュージックのほんの入口かもしれない。CDが売り切れていなければ、BES『BES ILL LOUNGE:THE MIX』、A-THUG『HEAT CITY MIXED BY DJ SPACEKID』の2枚も合わせて聴くといいだろう。

Chart JET SET 2012.10.01 - ele-king

Shop Chart


1

Zazen Boys - すとーりーず (Matsuri Studio) /
ダンス・ミュージックへと接近した前作『Zazen Boys 4』以来4年ぶり、Leo今井とのプロジェクトKimonosの活動を経て制作された、通算5枚目のフル・アルバム。アルバム全曲+ボーナス・トラック「無口なガール」のmp3ダウンロード・コード付!

2

Flying Lotus - Until The Quiet Comes Collectors edition / (Warp)
『Cosmogramma』から約2年振りのリリースとなる待望の最新作。引き続き参加となるThom Yorke、Niki Randaに加えて、Erykah Baduも参加です!

3

Gaslamp Killer - Breakthrough (Brainfeeder) /
単なるビートの寄せ集めではなく、10年に渡って世界を周り、各地でパフォーマンスを行ってきた自身のすべてを反映させた音楽プロジェクト。もちろんリリース元はFlying Lotus主宰レーベルBrainfeederから!

4

Kuniyuki - Earth Beats Larry Heard Remix / (Mule Musiq)
いまだ名曲として多くのファンの間でも親しまれるKuniyuki氏による傑作"Earth Beats"のライブ・ミックスをはじめ、シカゴハウス界の大ベテランLarry Heardによるリミックスを3曲収録した豪華2x12"仕様で登場!

5

Easy Star All-Stars - Easy Star's Thrillah (Easy Star) /
これまでもカヴァーものでヒットを放っていたEasy Star All-Starsが、遂にマイケルの楽曲を取り上げました。

6

Ta-ku - 50 Days For Dilla Vol.2 (Huh What & Where) /
俄然注目を集めているオーストラリアの俊英、Ta-kuによるビート集の第2弾がこちら。多大なる影響を公言して憚らない、J.Dillaへの追悼の意を込めた全25曲を収録。

7

Seahawks - Aquadisco (Ocean Moon) /
名作の数々を生み出すJon TyeとPete Fowlerによるバレアリック・ユニット、Seahawksによる2012年を代表するマスター・ピースがヴァイナルで待望のリリース!

8

Re:Freshed Orchestra - Re:Encore (Kindred Spirits ) /
大ヒット曲"Show Me What You Got"や、人気曲"Roc Boys", "Encore", Breakestra並みのメドレーカヴァーを披露した楽曲など、ファンク~ヒップホップを繋ぐ圧巻の6トラックを収録!

9

Karriem Riggins - Together (Stones Throw) /
同レーベルのFan Clubシリーズもヒット中のKarriem Rigginsですが、先日リリースのアナログ盤『Alone』に続きコチラもバイナルで登場! mp3ダウンロード・コード付。

10

Woolfy Vs Projections - The Return Of Love (Permanent Vacation) /
ドイツ名門"Permanent Vacation"よりWoolfy & Projectionsの才人タッグによる約4年振りとなる最新アルバム『The Return Of Love』が登場。2010年のインディ・ディスコ・アンセム" Coma Cat" でお馴染みのTensnakeとの合作も収録された要注目作が入荷しました!!

interview with Tommy Guerrero - ele-king

 1991年の5月、ヒースロー空港の税関で、僕は、とにかく執拗な質問攻めにあった。財布の中身や手荷物の中身までぜんぶ開けられた。それはThrasherのキャップなんて被っていたからじゃないかと同行した友人に言われたが、そいつは「acid junkies」と英語で書かれたTシャツを着ていたので、もし原因があったとしたらスマイリーのほうだろう。
 昨年、『Thrasher』マガジンの共同創始者として知られる64歳の男=エリック・スウェンソンは、──一説によれば重たい病の苦しみから逃れたいがためだったというが──、警察署に入ると自らのこめかみに銃を当てて、弾きがねを引いた。
 スウェンソンは、スケートボーディングの歴史における重要人物のひとりだ。1978年にサンフランシスコでスケートボード用のトラックを作る会社を設立した彼は、それから3年後にくだんの『Thrasher』マガジンを創刊している。モットーは「skate and destroy」。スケートボーディング自体は1960年代からあったというが、『Thrasher』はそれをパンクの美学に当てはめた張本人だった。スウェンソンはパンク・ロックが大好きだったのだ。結局、このスタイルは、1980年代以降のストリート・カルチャーの代名詞になった(今日ではオッド・フューチャーもそうだ)。

 トミー・ゲレロは、海外では音楽家というよりもスケートボーダーとしての名声のほうが高い......というよりも、いまでは専門誌から「スケートボーダーのゴッドファーザー」とまで呼ばれている。いまさら言うのも何だが、トミー・ゲレロとはマーク・ゴンザレスやなんかと肩を並べるカリスマ・スケーターである。


Tommy Guerrero
No Mans Land

Rush Prodction/AWDR・LR2/BounDEE by SSNW

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 トミー・ゲレロにとってちょっと気の毒なのは、彼のスケーターとしての名声が大き過ぎるあまり音楽家としての彼が過小評価されていることにある。『ガーディアン』のエリック・スウェンソンの死亡記事においては、彼は「プロフェッショナル・スケートボーダー」として紹介され、コメントを求められている。
 翻って日本では、彼のポスト・ロックめいた控え目さと西海岸の叙情性が混ざった音楽は素直に愛され続けている。僕のまわりでもかれこれ10年以上聴き続けている人間は少なくない。ポスト・ロックと呼ぶほどジャズ寄りではなく、ヒップホップのビートから影響を受けつつ、ロックと呼ぶにはこざっぱりしている彼の音楽──ある種スタイリッシュで、ある種の清潔感をともなっているメロディアスな彼の音楽が、日本の文化土壌にハマったのだろう。

 『ノー・マンズ・ランド』はトミー・ゲレロにとって7枚目のアルバムで、マカロニ・ウェスタン調な響きを特徴としている。シンプルな構成のなかには、長いあいだファンを引き続けてやまない良いメロディとしっかりとしたグルーヴがあるが、今作では、スパニッシュ・ギターの響きを活かしながら、曲によっては一触即発な緊張感あるムードを展開している。乾いた風が吹いて、見知らぬ街のバーに入る......「誰もいない土地」という題名のように、どこか孤独なものを感じさせる作品だが、それはプロ・スケーターとして自分を安売りせず、音楽家としても完全マイペースを守っているトミー・ゲレロの生き様と重なっているように思える。

 ちなみにこの12月には、ドキュメンタリー映画『ボーンズ・ブリゲード』の公開も決まっている。ボーンズ・ブリゲードとは、1980年代のスケートボーディング・シーンに革命を起こしたスター集団でトミー・ゲレロはその主要メンバーのひとり。近いうちに若き日の彼のスキルや情熱を見ることができるだろう。

マカロニ・ウェスタンはとても細かいジャンルではあるけど、すごくユニークなんだ。彼らのサントラ・ミュージックで使用されてる楽器、メロディ、コンポジションが大好きなんだ。音響的、空間的に惹かれるところが多い。

スケーターが年齢とともに失っていくモノと得ていくモノと両方について教えてください。

TG:スケートというのは、身体を酷使するんだ。年をとると、その代償を味わうことになるんだよ。自分の理想通りのスケートができなくなる。心のなかでスケートへの情熱は相変わらず熱いんだけど、昔のようにスケートすることが肉体的に不可能なんだ。スケートをすることから得られたものは、死ぬまでサポートしてくれるコミュニティさ。他の世界にはないものだよ。

あなたの音楽のインスピレーションは昔から変わっていませんか? 計画されたものというより、わりと直感的というか、そのときのひらめきというか。

TG:そう、その瞬間のひらめきで作っているんだ。そのほうが満足感があるんだよ。

『Loose Grooves & Bastard Blues』(1998)でデビューしてから14年が経ったわけですが、ずいぶん長い活動になりましたね。長くやっていると当然、どんな人でもマンネリズムという落とし穴があるわけですが、あなたはそこを意識的に回避しようとつとめていますか?

TG:アプローチを考えすぎないようにしてる。分析的になりすぎると、身動きがとれなくなる。とにかく試してみて、どうなるか様子をみるんだ。俺の音楽は表面的にはシンプルに聴こえるんだよ。

デジタル環境の普及、インターネット文化についてどのように考えていますか? あなたのようなヴィンテージな文化を愛する人からすれば、複雑な気持ちがあるんじゃないでしょうか?

TG:ヴィデオがラジオスターを殺したように、インターネットがレコード業界を殺した。でも、活動の場はより公平になった。消費者は、レコードを作るにはたくさんの血、汗、魂を込めて作っていることを分かってほしいし、レコード制作にはお金もかかるということを覚えておいてほしい。ファンがミュージシャンをサポートしなければ、音楽は存在できなくなる。

1日のうち、インターネットを見ているのはどのくらいの時間ですか?

TG:1時間くらいかな。家ではインターネット・アクセスがないんだ。

最近の若い世代はヴァイナルとカセットを中心に作品をリリースしています。こういうアメリカの新しい動きについてはどう思いますか?

TG:素晴らしいことだよ。アナログのマーケットは決して大きくないけど、ヴァイニルがプレスされていることは嬉しい。

自身のカタログのなかで異色だなと思うのはどの作品ですか??

TG:『Loose Grooves & Bastard Blues』だろうね。純粋で無邪気な作品だからさ。

あなたにとって音楽は、最高の娯楽といったところでしょうか?

TG:音楽は本当にセラピーなんだ。ヒーリング効果があるんだよ。

たとえばひとりのリスナーとしては、ふだんはどんな風に音楽を楽しみますか? 

TG:いつもと変わらず、聴いたことがない刺激的な音楽を聴くと、それを探し出すんだ。でも新譜を買うことは少ないね。昔の音源で素晴らしいものが発掘され続けているし、その焼き直しの新しい音楽が多い。俺の音楽も例外じゃないけどね。

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日本製のフェンダーのほうが全然安いし、アメリカ製のギターより質がいいからさ良いギター・トーンを作ることにまずこだわってる。たくさんのリヴァーブとトレモロを使って、とにかくラウドにプレイするんだ。


Tommy Guerrero
No Mans Land

Rush Prodction/AWDR・LR2/BounDEE by SSNW

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新作の『ノー・マンズ・ランド』はマカロニ・ウェスタン風のアルバムになりましたが、エンニオ・モリコーネやヒューゴ・モンテネグロが手掛けたサントラなど、あなたはどんなところが好きなんですか? 

TG:とても細かいジャンルではあるけど、すごくユニークなんだ。彼らのサントラ・ミュージックで使用されてる楽器、メロディ、コンポジションが大好きなんだ。音響的、空間的に惹かれるところが多い。

『ノー・マンズ・ランド』でのギターのスパニッシュな感じはどんなきっかけがあって取り入れたんですか?

TG:自然とそうなったね。

"Hombre Sin Nombre"のようなあなたらしいメロウで、平穏な曲もありますが、『ノー・マンズ・ランド』には"Phantom Rider"や"The Gunslinger"のようなダークな曲もあります。そのダークさは、個人的なものなのでしょうか?

TG:自分でも分からないけど、レコーディングしたときのフィーリングがそのまま反映されているんだ。今回は太陽のように明るい作品を作りたいと思わなかったんだ。

あなたは自分の音楽をスタイリッシュでお洒落だと思いますか?

TG:本当? そんな風に考えたことはなかった。

アートワークを手がけたデイヴ・キンジーについてコメントをください。

TG:彼はスケート界出身のアーティストなんだ。俺の旧友であるアンディ・ハウエルやシェパード・フェアリーとも彼は友だちなんだ。デイヴ・キンジーの最近の作品が好きなんだ。彼の過去の作品よりもアブストラクトで、あまり明解ではないところが好きだよ。

日本では海好きな人たちからもあなたは人気があります。その理由をご自身ではどう理解していますか? 

TG:自分でもわからないよ。おそらく、俺の音楽がグルーヴをベースにした音楽だからだと思う。それに、リスナーが俺と俺の音楽をそうやって捉えているんだと思うよ。

日本人はみんな高いお金をはたいてUS製のフェンダーを買っているのに、あなたはなぜ日本製のフェンダーのほうを好むんですか?

TG:日本製のフェンダーのほうが全然安いし、アメリカ製のギターより質がいいからさ。

ブレイクビーツを使うのは、あなたの音楽にはやはりファンクの要素が欠かせないからなんでしょうか?

TG:俺は古いファンクやソウルのグルーヴに魅了されてるんだ。そういうグルーヴを聴いていると踊りたくなるんだ。

リヴァーブの感じとか、音色や音質にこだわりを感じたのですが、とくに今回録音で凝った点があったら教えてください。

TG:良いギター・トーンを作ることにまずこだわってる。たくさんのリヴァーブとトレモロを使って、とにかくラウドにプレイするんだ。

"Specter City"なんてドリーミーな曲で、ちょっとアンビエントな感じがしますが、アンビエント作品を作りたいとは思わないですか?

TG:つねに作ってみたいと思ってるよ。次のアルバムはまた全然違うアプローチになると思うよ。

ちなみに1曲目の"The Loner(孤独な人)"とは、あなた自身のことでしょうか?

TG:多少はそうだね。俺は基本的にソロで活動しているけど、いつもひとりでやっていると辛いこともある。

なんであなたは、アメリカのインディ・シーンにおいて異端なんでしょうか?

TG:アメリカのシーンは巨大な池なわけで、俺はそのなかにいる小さな魚なんだよ。アメリカの音楽シーンでは、俺はあまり大きな存在感はないんだ。

あなたはいまでもご自身や自分の仲間を「ビューティフル・ルーザー」という言葉にアイデンティファイできると思いますか?

TG:自分のことを"ルーザー"(負け犬)と捉えたことはない。

ありがとうございました。

TG:長年俺のことをサポートしてくれたファンに感謝!

Bones Brigade Teaser

Bones Brigade: An Autobiography - Trailer


■Tommy Guerrero Japan Tour 2012

10/11(Thu) Tokyo@ duo MUSIC EXCHANGE
問い合わせ先:03-5459-8711
詳細:https://www.duomusicexchange.com/
https://t.pia.jp/sp/tommy-guerrero/tommy-guerrero-sp.jsp

2012年10月3日(水)23:00~02:30「TOMMY GUERRERO SPECIAL~ストリートの生ける伝説」緊急配信が決定しました!
LIVE&TALK:TOMMY GUERRERO(from San Francisco)出演:野村訓市
https://www.dommune.com/

「朝霧ジャム」出演も決定!
2012年10月6 (土) 静岡県 富士宮市 朝霧アリーナ
https://smash-jpn.com/asagiri/timetable.html
OKI DUB AINU BAND、GOMA&THE JUNGLE RHYTHM SECTION、
WILKO JOHNSON、そしてLEE PERRY Bandととも出演いたします。

Tommy Guerrero Japan Tour 2012

10/4(Thu) Nagoya@ BOTTOM LINE
問い合わせ先:052-741-1620
詳細: https://www.bottomline.co.jp

10/5(Fri) Kanazawa@ MANIER
問い合わせ先:IMART 076-263-0112 / CASPER 076-232-5293
詳細: https://mairo.com/manier/

10/7(Sun) Shizuoka@ SOUND SHOWER ark
問い合わせ先:WIGWAM 054-250-2221
詳細: https://www.ark-soundshower.jp/

10/8(Mon) Kyoto@ Club METRO
問い合わせ先:075-752-2787
詳細: https://www.metro.ne.jp

10/9(Tue) UMEDA CLUB QUATTRO
問い合わせ先:06-6311-8111
詳細: https://www.club-quattro.com/umeda/
https://t.pia.jp/sp/tommy-guerrero/tommy-guerrero-sp.jsp

10/11(Thu) Tokyo@ duo MUSIC EXCHANGE
問い合わせ先:03-5459-8711
詳細:https://www.duomusicexchange.com/
https://t.pia.jp/sp/tommy-guerrero/tommy-guerrero-sp.jsp

DON LETTS JAPAN TOUR 2012 - ele-king

 ドン・レッツといえば、ロンドン・パンクの時代、セックス・ピストルズやザ・クラッシュ、ザ・スリッツといった連中にもっとも影響を与えたレゲエDJである。彼がキング・タビーをかけなければPiLは違った音になったかもしれないし、彼がホレス・アンディをかけなければアリ・アップは違った道に進んだかもしれない。
 時代の生き証人であり、パンキー・レゲエ・スタイルの体現者。迷うくらいなら行ったほうがいいですよ!

DON LETTS (DUB CARTEL SOUND STSTEM, LONDON)
 ジャマイカ移民の一世としてロンドンに生まれる。'76~77年にロンドン・パンクの拠点となった〈ROXY CLUB〉でDJを務め、集まるパンクスを相手にレゲエをかけていたことから脚光を浴び、パンクとレゲエを繋げた。
 リアルタイムで当時の映像を撮り、'79年に初のパンク・ドキュメンタリー映画『PUNK ROCK MOVIE』を制作。またブラック・パンクの先駆バンドBASEMENT 5の結成に携わり、THE SLITSのマネージャーもつとめる。
 '80年代なかばにはTHE CLASHを脱退したMICK JONESのBIG AUDIO DYNAMITEで活動、さらにBADを脱退後の'80年代末にはSCREAMING TARGET(※BIG YOUTHのアルバムより命名)を結成し、"Who Killed King Tuby?"等をヒットさせる。
 音楽活動と平行して、多くの音楽ヴィデオやBOB MARLEY、GIL SCOTT-HERON、SUN RA、GEORGE CLINTON等のドキュメンタリー・フィルムを制作、2003年にTHE CLASHのドキュメンタリー『WESTWAY TO THE WORLD』でグラミー賞を受賞する。
 '05年にはパンクの核心に迫った『PUNK:ATTITUDE』を制作。
 DUB CARTEL SOUND SYSTEMとしてスタジオワーク/DJを続け、SCIENTISTの"Step It Up"、CARL DOUGLASの"Kung Fu Fighting"等のリミックスがあるほか、〈ROXY CLUB〉期のサウンドトラックとなる『DREAD MEETS PUNK ROCKERS UPTOWN』('01年/Heavenly)、名門TROJAN RECORDSの精髄をコンパイルした『DON LETTS PRESENTS THE MIGHTY TROJAN SOUND』('03年/Trojan)、'81-82年に彼が体験したNY、ブロンクスのヒップホップ・シーンを伝える『DREAD MEETS B-BOYS DOWNTOWN』('04年/Heavenly)の各コンパイルCDを発表している。
 '07年には自伝「CULTURE CLASH-DREAD MEETS PUNK ROCKERS」を出版。BBC RADIO 6 Musicにて毎週月曜日レギュラー番組"Culture Clash Radio"を持つ。2008年にコンパイル・アルバム『Don Letts Presents Dread Meets Greensleeves: a West Side Revolution』がリリース。2010年にメタモルフォーゼ、2011年にはB.A.Dの再結成でオリジナルメンバーとしてフジロックフェスティバルに出演。
https://www.bbc.co.uk/6music/shows/don_letts/

●10/5(金) 福岡 @AIR
TIME:22:00~
PRICE:2,500yen+1drink oder
ACT:DON LETTS
LIVE:CUT/ THE EXPLOSIONS/NEO TONE
DJ: YOSHIZUMI/DJ OEC/CHACKIE MITTOO/DJ KAZUO/DJ KAZUYA
RED I SOUND

●10/6(土)東京 @club asia
TIME:23:00 ~ LATE
PRICE:DOOR--- 3,500yen/1d ADV---2500yen(ex 500yen/1d)
ACT:DON LETTS
THE HEAVYMANNERS、O.N.O(THA BLUE HERB)
DJs: myQR 、Shigeki Tanaka 、Daisuke Kitajima、Satoshi Hayashi 、Y$K、Kazuki Kudo 、KEI 、Kazuhito Takasaki 、Gaku Miyata、anzie、jyakuzure 、NAMBU
VJ: SeeMyDimple 、VJ 45 、CHRISHOLIC
Photo: Yoshihiro Yoshikawa

前売りチケット
◆e+にて販売中!!!
[for PC] [for MOBILE]
◆都内近郊diskunion各店頭でも販売中!!!
https://asia.iflyer.jp/venue/home

●10/7(日)静岡/朝霧JAM
SMASH : 03-3444-6751
HOT STUFF PROMOTION : 03-5720-9999

interview with Daphni - ele-king


Daphni - Jiaolong
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 『スイム』で感心したことは、それがダンス・ミュージックであること以上にエクスペリメンタル・ミュージックとしての面白味があったことだ。
 ジミ・ヘンドリックスはその昔、水中で音がどのように響くのかに興味をふくらませたあまりアンプごとバケツのなかに沈めたというが、水中の音体験を空想して作ったという『スイム』は、録音も凝っていて、身軽で心地よい体験だった。僭越ながら言わしてもらうと僕は水泳も好きで、昨年はwhy sheep?と50メートル自由形で勝負して勝った(まあ、どちらも遅いということでもある)。『スイム』は真剣勝負というよりも水遊びに近い。アーサー・ラッセルの歴史的名曲"レッツ・ゴー・スウィミング"の現代版である。
 カリブー名義で昨年発表したその『スイム』は、2011年、ほぼすべてのメディアから賛辞された。カリブーは、そして、リミキサーとしてもレディオヘッド、ジュニア・ボーイズ、それからジャイルス・ピーターソンにまで引っ張られている。かつてマニトバ名義でIDMもしくはサイケデリック・ロックにアプローチしていたダン・スナイスにとって、ダンスを意識した『スイム』は出世作となった。
 『スイム』は、彼に取材したときに聞いた話では、ロンドンのクラブ・カルチャーの活気に影響を受けて生まれている。セオ・パリッシュやポスト・ダブステップの面白さにうながされて、彼(ダン・スナイス)と盟友フォー・テット(キエラン・ヘブデン)はダンス・ミュージックにアプローチした。
 『スイム』が徹底徹尾のダンスだったわけではない。彼らしいIDM的なアプローチがところどころにあった。そこへいくと今回彼がダフニ名義でリリースするアルバム『ジャオロン』は、完全なダンス・ミュージックである。

夜遊びに出かける前のワクワクした感覚さ。そうやって作った曲をクラブでためしにプレイしてみたあとは、それ以上曲をいじることはしなかった。その時点でできたものを気に入ればそのままキープして、そうじゃなければ曲を消してしまったんだ。

『ジャオロン』は、あなたがダフニ名義で発表した作品やあなた自身のレーベル〈ジャオロン〉から発売されたシングルの編集盤+新曲ですが、エメラルズのダフニ・リミックスをなぜ入れなかったんですか? 正直入れてほしかったです! 

ダン:ありがとう、リミックスを気に入ってくれてうれしいよ。アルバムに入れなかった理由は、あれは実際エメラルズの曲だし、それにリミックスの曲はすでにデジタル・フォーマットで手に入るからさ。アルバムには1曲だけリミックスとして収録されている曲("ネ・ノヤ")があるけど、あれはリミックスとして制作したわけじゃなくて、コス・ベル・ザムのトラックをサンプリングした僕自身の曲として作ったんだ。でもコス・ベル・ザムのトラックの権利上の理由で、サンプルの使用権をクリアするためにはリミックスとして表示しなきゃいけなかった。

東京には〈テキスト〉や〈ジャオロン〉の固定ファンがいるので、わりとすぐに売り切れてしまうんですよ。ところで、通して聴いていて、あなたが楽しんでダンス・トラックを作っているのが伝わってくるようなCDになったと思います。まずはダフニ名義での活動と〈ジャオロン〉レーベルのポリシーみたいなものを教えてください。

ダン:僕にとってキーとなっているのは、どの曲もすばやく、そして僕自身がDJをするときに使うための新しい曲を作るっていう具体的な目的のためってことかな。曲の多くは、金曜か土曜の午後、DJのために飛行機でヨーロッパのどこかへ行く前に作っていたから、短い時間でいっきに完成させなきゃいけなかった。いまでも聴き返すと、ちょっとした間違いがあっても戻ってやり直したりせずに、急いでいっきに曲を書いているときの熱狂的なエネルギーが感じられるよ。
 曲がそういうエネルギーをうまくとらえてくれているといいなと思っているんだ、夜遊びに出かける前のワクワクした感覚さ。そうやって作った曲をクラブでためしにプレイしてみたあとは、それ以上曲をいじることはしなかった。その時点でできたものを気に入ればそのままキープして、そうじゃなければ曲を消してしまったんだ。

"パリス"みたいな曲には、ちょっとかわいらしい感覚が打ち出されていますよね。ある種のかわいらしさはこのコンピレーション全体にも言える感覚ですが、あなた自身は意識されましたか?

ダン:いや、意識してそうなったわけじゃないよ。でもまちがいなく、カリブーのレコードよりも楽しい感じのする要素が多くなっていると思う。あまり高尚なコンセプトにこだわったりしたものを作るよりも、 人びとが楽しんでくれるような要素を残したものを作りたかったんだ。

音数が少なくスペースがあって、80年代のシカゴ・ハウスやデトロイト・テクノみたいなファンキーな感覚もありつつ、あなたらしいIDM的なアプローチある、とてもユニークなトラック集だと思いました。たとえば"スプリングス"のような曲もユーモラスでお茶目な曲ですが、同時に即興的で、ライヴ感のある曲です。あなたのダンス・トラックにおいて、即興性は高いんでしょうか? 

ダン:かなりあるね。曲の多くは、サンプリングやプログラミングされた音に対応してモジュラー・シンセサイザーを僕が演奏するっていう形で作ったんだ。"スプリングス"はそのいい例さ。トラックを流しながら、シンセサイザーのつまみをいじって作った。だからベース・ドラムのピッチが上がったり下がったりしているんだよ。その予測不能さがクラブで作り出すエキサイティングな感覚が好きだね。

即興性について訊いておいてこんなこと言うのもなんですが、"ライツ"みたいな曲を聴くと、本当にリズミックな感覚を楽しんでいるなと思います。注意深く聴いていくと、曲の展開に関しては、なにげにかなり工夫されていると思いました。あなたがダンス・トラックを作るさい、どんなところに力を注いでるんでしょうか?

ダン:そういうもの(展開やアレンジ)の重要性は低いよ。カリブーの曲を作っているときにはそういうことを長い時間をかけて考えるけどね。"ライツ"の展開がうまくできていると思ってくれてうれしいけど、あれもすごくすばやくジャムをして作ったんだ。とくに途中のアシッドっぽい部分とかにそれが表れているんじゃないかな。

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グローバルな音楽の再発見が進んでいるいまの状態にワクワクしているよ。僕自身レコードを収集していて、こういうオリジナルのレコードを何年も買い続けているけど、リイシューされないかぎり聴く機会のない音楽もたくさんある。


Daphni - Jiaolong
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カリブーの『スイム』以来、急速にダンス・ミュージックにアプローチしていますね。リミキサーとしてもずいぶん活躍しています。あなたにとってダンス・ミュージックのどこが魅力なんでしょうか? 

ダン:ロンドンに住んでいるんだけど、ここではいまは明らかにバンドよりダンス・ミュージックに勢いがあるから、僕自身もそういう方向にエネルギーが向くのは自然なことだと思う。それに僕は飽きっぽいから、『アンドラ』みたいなもっとサイケ・ロックの影響を受けたアルバムを作ったあとには、なにか違ったものを作る必要があったんだ。じつは僕が10代のときに音楽をはじめたのはダンス・ミュージックを通してだったから、僕にとって新しいものってわけじゃないんだ。ただ、自然にまたそこに戻ってきたっていうだけさ。

コス・ベル・ザムの"ネ・ノヤ"のようなアフリカ音楽との出会いと、あなたにとってのこうした音楽の魅力を教えてください。ここ数年、UKやヨーロッパではアフリカ音楽の再発や発掘が拡大していますが、あなた自身もこうした現代のワールド・ミュージックの動きに興味を持っているんですか?

ダン:そうだね、グローバルな音楽の再発見が進んでいるいまの状態にワクワクしているよ。僕自身レコードを収集していて、こういうオリジナルのレコードを何年も買い続けているけど、リイシューされないかぎり聴く機会のない音楽もたくさんある。たとえばコス・ベル・ザムのトラックはアナログのアフリカン・ミュージックのコンピレーションで聴いたんだけど、(コンピレーションを制作した)彼らがバンドに連絡をとってリイシューする権利を得たってことは、僕が自分の曲でサンプルを使うときにも、バンドと連絡を取ってちゃんともとの曲のミュージシャンにもお金が渡るようにするのが容易だってことでもあった。最近はすごく多様で、しかもまったく知られていないような音楽までリイシューされているのにはびっくりするよ。音楽ファンにとってはこの上ない贅沢だね。

ライク・ア・ティムやフューチャーみたいな昔のアシッド・ハウス、初期の〈リフレックス〉なんかを参照することはありましたか?

ダン:じつをいえば、僕の最初のレコードやEP(『ギバー』や『イフ・アスホールズ・クド・フライ・ディス・プレイス・ウド・ビー・アン・エアポート』など)の頃は、自分ではダンス・ミュージックを作っているつもりだったんだ。その頃僕はUKガラージやトッド・エドワーズ、エイフェックス・ツイン、ダフト・パンクなんかをよく聴いていて、そういう音楽と、大好きなスピリチュアル・ジャズの混ざったような音楽を作りたかったんだけど、最終的にそのふたつの中間みたいなところで落ちついたと思う。『スイム』がダンスの世界とインディの世界の中間みたいになったのとどこか似ているよ。

もともとはクラブで汗かいて踊っていたようなタイプじゃないですよね? 

ダン:そういうタイプだったし、いまでもいい音楽がかかっていればそうするよ!

うぉ。あなたが最初に夢中になった踊ったDJって誰でしたか?

ダン:僕にとって最初のDJで、僕にDJのやり方を教えてくれたのはクーシク(Koushik)っていう僕のふるい友人だよ。彼は何年か前に〈ストーンズ・スロー〉からいくつかリリースもしている。いまでも彼は僕がいままで見たなかで最高のDJのひとりだし、誰よりも音楽をよく知っているよ。すばらしい人間さ、彼の音楽がもっと知られていたら、彼がもっといろいろリリースしていたらと願うね。

あなたにとってのオールタイム・フェイヴァリットのダンス・トラックをいくつか挙げてください。

ダン:たくさんありすぎて、選ぶのが難しいな。

いつから、どんな経緯でDJプレイが楽しくなっていったのでしょうか? 多くのダンスのプロデューサーはDJからはじまっていますが、あなたは違った出自を持っています。

ダン:高校のときにDJのまねごとみたいなことをしていて、まだ自分の音楽をリリースしたりするようになる前、僕はトロントで〈ソーシャル・ワーク〉って名前のクラブナイトをやっていたんだ。じつはフォー・テットのキエランと本当に知り合ったのもそこでだよ。いちどイギリスのフェスティヴァルで会ったことがあったけど、ちゃんと知り合って友だちになったのは彼を僕らのクラブナイトでDJしてくれるよう招待したときさ。僕がジャズ・レコードとかをかけていたら、彼がやってきてビースティー・ボーイズやアーマンド・ヴァン・ヘルデンなんかをプレイしはじめたんだ。すばらしいサプライズだったね!

ちなみにDJはどのくらいの頻度でやっているのですか?

ダン:いまはほぼ毎週末だよ。

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高校のときにDJのまねごとみたいなことをしていて、まだ自分の音楽をリリースしたりするようになる前、僕はトロントで〈ソーシャル・ワーク〉って名前のクラブナイトをやっていたんだ。じつはフォー・テットと本当に知り合ったのもそこでだよ。


Daphni - Jiaolong
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ここ数年で、mp3にうんざりした連中がまたアナログ盤にこだわりを見せていますが、〈ジャオロン〉がアナログ盤にこだわる理由を教えてください。

ダン:僕はちょっと矛盾しているんだ。レコード収集家としてレコードという媒体や、それが作り出すデジタル・ファイルにはない所有感が好きなんだけど、レコードのほうが音がいいっていう意見にはまったく賛成できないね。すごく高価なハイファイ・システムでなら少なくとも同じくらいいい音質になり得ることはあるけど、普通のクラブや家で聴くときの環境ならデジタルの24ビット・ファイルのほうがはるかにいい音がするよ。サーフェス・ノイズやクラブで発生しやすいフィードバック・ノイズ、平均的なカートリッジの性能の問題による信号の歪みといった、懐古主義者が忘れがちなごくあたりまえな理由からさ。
 だから、今回も自分の音楽がデジタルやCDでもリリースされてうれしいよ。どうしてもアナログ媒体では届かない層の人たちにも聴いてもらえるからね。

DJでもターンテーブルを使うんですか?

ダン:いや、先に言ったような理由から、CDJとオーディオ・ファイルを使っているよ。

あなたやフォー・テットのような人が作ったダンス・トラックで踊るのとスクリレックスのダンス・トラックで踊るのとでは、同じダンスという経験においては等価でしょうか? それとも違いがあると思いますか? あるとしたらどんな違いでしょうか?

ダン:たぶん違いがあるとすれば、踊っている人たちの平均年齢かな......いや、でもそれも必ずしも違わないな、僕はいつも僕のライヴやDJに来てくれる人たちの年齢の若さに驚いているんだ。もちろんなかには僕みたいに年金生活者みたいな年齢の人たちもいるけど、僕が思うほど多くはないね。

クラブ・ミュージックには音楽的におもしろいものもありますが、実際のクラバーのなかには、もっとメトロノーミックなミニマルでも、あるいは馬鹿みたいなレイヴでも、楽しいひと晩を過ごせるなら何でもいいって人が少なくないと思いますが、そういうなかであなたの作るクラブ・ミュージックには、シーンに対する批評的な態度が含まれていると思いますか? それとも純粋な楽しみ、快楽として作ったものなのでしょうか?

ダン:音楽のどのジャンルにもつまらない音楽は存在しているし、むしろそれが大多数だと思うよ。だからつまらないダンス・ミュージックの存在は僕にとっては驚きでもないし興味もないね。興味があるのはその例外さ、新しくておもしろいレコードだよ。それが僕が音楽を作っている理由でもあるんだ、自分自身のためや、他の人たちとシェアするためにそういうおもしろい音楽を作ろうとしているんだ。

マシュー・ハーバートがやっていることについてはどう思いますか?

ダン:彼のことは好きだよ、ただ僕があまりコンセプトを高く持っていないのに対して、彼はとてもはっきりしたコンセプトを持っているよね。

エメラルズのリミックスは、アメリカのアンダーグラウンドのシーンとロンドンのクラブ・シーンが出会った新しい試みでしたが、他にこうした企画は控えているのでしょうか? あるいはいま〈ジャオロン〉から出してみたいアーティストがいたら教えてください。

ダン:何も計画はしていないよ。僕はエメラルズとツアーをしたことがあるから、彼らとは近い友人なんだ。彼らはすばらしい人間だし、エクスペリメンタル・ミュージックについてすごくよく知っている。僕らはカナダを横断するリムジンの後部座席で、 ニック・レイスヴィク(Nic Raicevik)やモートン・スボトニックについて語り合ったりしたね。



〈ジャオロン〉からは、トロ・イ・モワの別プロジェクトも出してますが、クラブ・シーン以外へのアプローチにも気を遣っているんですか?

ダン:いや、彼もいっしょにツアーした近い友人のひとりなんだ。彼がそのトラックを送ってきて、僕がそれを気に入ったからリリースすることにした、ってだけのシンプルなことさ。

このダフニ名義での活動はまだ続きそうですが、カリブーのほうは逆に言えば、ダンスにとらわれない作品になっていくということでしょうか?

ダン:必ずしもそうとは言えないな、次のカリブーのレコードがどんなサウンドになるかはまだはっきり分からないけど、恐らく『スイム』の後に続くようなものになると思うよ。

NORIKIYO - ele-king

文化的混交、音楽に国境はない 文:二木 信

 またもや中国や韓国との領土問題がマス・メディアを騒がせているようだが、いったいどこの誰が喧嘩の火種をばらまいて、争っているのだろうか。せめて、一部の好戦的な人たちの争いを一般化しないで欲しいものだ。
 神奈川・相模のヒップホップ・ポッセ、SD・ジャンクスタのラッパー、ノリキヨが先日YouTubeにアップした「Hello Hello ~どうしたいの?~」は、2010年末にハイイロ・デ・ロッシとタクマ・ザ・グレイトが発表した「WE'RE THE SAME ASIAN」と同じく、多文化主義と平和主義のコンセプトで、好戦的なレイシズムや偏狭なナショナリズムに揺さぶりをかけている。この曲がユニークなのは、ノリキヨがジャックしているのが、韓国の人気グループ、ビッグバンのリーダーらの別プロジェクトGD&TOPの「ポギガヨ (Knock Out)」のトラック(プロデュースはディプロ!)で、さらにこの手の政治的な楽曲にありがちな堅苦しさがないということだ。要はコミカルで、遊び心があって、ノリがいいのだ。彼が、デビュー・アルバム『EXIT』(07年)の"Do My Thing"で、「仲間は日本人/ラテンにコリアン」とラップしていたのを思い出す。「Hello Hello ~どうしたいの?~」でも、ノリキヨの、町のあんちゃん的な人懐っこいキャラクターがいい味を出している。
 私たちはいま、シミ・ラボのようなマルチ・エスニックなグループの登場を目の当たりにしているし、映画『サウダーヂ』に出演したブラジル人ラッパーがスティルイチミヤとの出会いから、ポルトガル語だけでなく、日本語のラップに挑戦しているという話も伝え聞く。「音楽に国境はない」という物言いは、ある意味では奇麗事だけれど、文化的混交という観点から言えば、たしかに音楽に国境はない。
 ともあれ、このタイミングで、このような曲を素早く発表したノリキヨにリスペクト!!!

文:二木 信


物騒な世界への異議申し立て 文:野田 努

 昔、石原慎太郎が「第三国人」という言葉を使ってマスコミで叩かれたものだが、歓楽街育ちの僕には、この呼称は、善し悪しはともかく、馴染みのある言葉だった。敗戦直後のGHQ占領下において、屈強な「第三国人」はある意味ルードでいられた時期がある。たとえば、食い逃げされても警察は助けてくれないから自分で追いかけるしかない。そんな風な、言うなればラフな多文化的な状況にあったと年配の人たちから聞いている。
 戦前生まれの人間は、それまでの日韓の歴史を日常的な感覚レヴェルで知っているもので、古くは豊臣秀吉の朝鮮征伐、虎退治で知られる加藤清正、明治における西郷隆盛らの征韓論などなど、日本が朝鮮にちょっかいを出してきた歴史を、そして、労働力として彼らが日本に大挙してやって来たことも記憶している。敗戦直後の彼らのルードさも、いままでさんざんな目に遭ってきた歴史から来ていることを知っているので、まあしゃあないかと思えるし、韓国にとって領土問題がたんなる領土(漁業)以上の意味を持ってしまうことも感覚的にわかっている。そう考えると、ノリキヨがこの曲で使っている「ひとつの島」という言葉も微妙と言えば微妙だが、彼が切実に訴えたいことが平和であることは伝わってくる。彼はただ真っ当なことを言っているだけなのだ。

 曲のトラックでは、いまではすっかり国際的な音楽シーンで名が通っているK-POPからサンプリング・ソースを持ってきている。ノリキヨのこのアイデアは、音楽的な軽快さをもって、彼の理想主義的なヴィジョン(音楽によって人種や歴史的しがらみを超える)における友愛さを際立たせている。曲の主題自体はリスキーだし、カットアップされる映像もきわどいと言えばきわどいが、最終的にこの勇敢なラッパーは、物騒な国家主義に異議申し立てをしながら友好を呼びかけている。
 人種差別や国家主義の問題に関して欧米の音楽文化は、臭いものに蓋をするのではなく、ひとつには、激しく罵り合うことをむしろ笑いのレヴェルにまで持ち上げることで超越しているが(あるいは『NME』がダフト・パンクを表紙にするときにフランス人の蔑称であるカエルの格好をさせるとか、ドイツ人の蔑称であるクラウトを褒め言葉へと反転させるとか)、冗談が通じない日本でそういう国家主義をネタにした洒落が通じるかどうか......。ノリキヨが望む社会が来るのにはまだまだ時間がかかるかもしれないけれど、この曲を聴いて、歴史を紐解くのも無駄ではないでしょう。尖閣諸島はまた別の文脈で面倒くさそうだし。

文:野田 努

Cooly G - ele-king

 ブローステップのおかげか、『ミュージック・マガジン』が無理して酷評したおかげか、『マーラ・イン・キューバ』は、日本では、ブリアル以外でけっこう売れているダブステップ作品のひとつとなったようだ。
 ブローステップにしろポスト・ダブステップにしろダルステップにしろ、拡張していくダブステップの手綱を引き締めたのは、結果としてゴス・トラッドの『ニュー・エポック』や〈ディープ・メディ〉だったかもしれないといまなら思えるが、オリジナル・ダブステッパーとしては〈ディープ・メディ〉と双璧を成している〈ハイパーダブ〉も、ハイプ・ウィリアムスローレル・ヘイローといった冒険を押し進めながら、クーリー・GやDVA、LVなどUKアンダーグラウンド・シーンからの才能もしっかりフックアップしている。それらは目立たないかもしれないが、とても良いアルバムなので紹介しておきたい。

 DVAは、2010年、ちょうどUKファンキーが最高潮だった時期に、〈ハイパーダブ〉から「ガンジャ」という12インチ・シングルを出している。これも当時の下北沢のZEROで「なんか良いファンキーください」と訊いたら教えられたもので、なるほどこの曲を聴けばファンキーがソカとUKガラージ、そしてハウス・ミュージックのハイブリッドであることがわかる。



 その年DVAは、スクラッチャDVA名義でクーリー・Gとのスプリット・シングルを自身の〈DVA Music〉レーベルから出している。
 またクーリー・Gのほうは、2010年、〈ハイパーダブ〉から「アップ・イン・マイ・ヘッド」をリリースしている。それは美しいストリングスとR&Bヴォーカルを擁したUKガラージで、UKファンキーよりもさらに、クラブ・ミュージックとしての汎用性の高いトラックだった。
 さらにまた、翌2011年にDVAが〈ハイパーダブ〉から発表したシングル「マッドネス」は、アンダーグラウンドでのこうした動きをアーバン・ポップにまで導く作品だったと言える。



 いずれにしても〈ハイパーダブ〉は、ピアソン・サウンドから2562やマーティンまで、とにかくこの2~3年のあいだの多くのポスト・ダブステップがミニマル・テクノやディープ・ハウスもしくはデトロイト・テクノといったクラシカルなスタイルに"ネクスト"を求めていることに対して、あくまでもオリジナル・ダブステップすなわちUKガラージの発展型としての"ネクスト"にこだわり続けている。そこがこのレーベルの、ある種の硬派的な姿勢から来るもうひとつの面白さだ。
 そうした成果が、今年の夏前までにリリースされたDVAの『プリティ・アグリー』とクーリー・Gの『プレイン・ミー』、最近出たばかりのLVのセカンド・アルバム『セベンザ』、そしてテラー・デンジャーのセカンド・アルバム『ダーク・クローラー』の4枚にある。

 DVAは出自がドラムンベースにあり、ちょうどディジー・ラスカルやワイリーが脚光を浴びていた時代のグライムの主要レーベルのひとつ、テラー・デンジャー主宰の〈アフター・ショック〉に関わっていたという経歴からも読めるように、この10年のUKのアンダーグラウンド・ミュージックの証人のひとりとも言える。
 『プリティ・アグリー』には、そんな彼のキャリアゆえか、7人のヴォーカリストがフィーチャーされている。そのなかにはくだんの"マッドネス"で歌ったベテランのヴィクター・デュプレ(古くはジャザノヴァやキング・ブリットとの共作で知られる)も含まれている。
 今日のR&Bブームにも積極的にアプローチしていると思えるほど歌モノが目立つアルバムで、僕がジェシー・ウェアに期待していたものはむしろこちらにある。あるいはディジー・ラスカルの『ボーイ・イン・ダ・コーナー』がメロウに、そしてクラブ・フレンドリーに、ソウルフルに展開した結実のようだ。プリティ=メロディアスで、アグリー=ストリート・ミュージック臭がとても良い感じで漂っている。

 女性プロデューサーにしてシンガー、DJにしてフットボーラーのメリサ・キャンベル、クーリー・Gを名乗る彼女の『プレイン・ミー』からも『プリティ・アグリー』と同じく街のにおいがある。あたかも深夜バスに揺られながら聴こえてくるR&Bのようだがビートはかなり凝っていて、DVAと同様に、今日的な──UKガラージの発展型としての──ブロークン・ビーツを提示している。
 それでも彼女は、オリジナル・ダブステップのダークなムードを確保している。DMZを彷彿させるハーフステップがあり、ブリアル系の都会の人気のない通りの街灯のような、いかにもUK風の薄明かりの叙情主義がある。ザ・XXの『コエグジスト』の沈んでいくアンダーグラウンド・ヴァージョンとでも喩えたくなるような、ロマンティックな気配さえある。コールドプレイのカヴァーが収録されているけれど、それは言われなければわからないほどに、ダブステップの悲しいメロドラマへと変換されている。ちなみに2010年の名曲"アップ・イン・マイ・ヘッド"は、アルバムのクローサーを務めている。



 ロンドンを拠点にする3人組のLVは、昨年リリースされたファースト・アルバム『ルートス』が、それこそ寂しい通りの街灯をデザインした、ブリアル系のロマンティックな作品だった。ところが、南アフリカ出身のMC、Okmalumkoolkat(オクマルムクールキャット)とRuffest(ラフィスト)、Spoek Mathambo(スポーク・マサンボ)の3人をフィーチャーした新作は、前作とはまったく別のアプローチを見せている。
 LVも一時期はUKファンキーに手を染めていたほど、ある意味柔軟な姿勢でシーンと関わっている。『セベンザ』はヨハネスバーグのクワイト(kwaito)と呼ばれる、ハウスとヒップホップが混合された"アフロ・ロービット・エレクトロニック・ダンス・ミュージック"に触発されたアルバムで、南アフリカを旅したメンバーが2年前から着手しているプロジェクトの成果だ。
 『マーラ・イン・キューバ』や『シャンガーン・シェイク』のような、旅するダブステップという試みのひとつだが、LVによるこれはマーラや〈オネスト・ジョンズ〉の2枚よりもずっといなたく、逆に言えばクワイトの生々しさが保存されている。威勢が良く、訛りむき出しの、気迫のこもったMC、そしてカラカラに乾燥した電子音、南アフリカのゲットー・ミュージックに突き動かされたチープな音は生き生きと躍動している。ドラムンベース~UKガラージのスリリングなビートと低音に注がれるクワイトの野性的な香り、ポリリズミックなパーカッションや彼らのMC、ダイナミックに素速くチョップされる声から生まれるグルーヴは実に魅力的だ。
 最近のUKのクラブ・ミュージックは、こうした今世紀のワールド・ミュージック的展開において、現地の音楽へのリスペクトを示しつつも、自分たちがやってきたことの文脈(ここで言うならダブステップ/UKガラージ)をうまくミックスしていると僕は思う。



 未聴だが、USの〈サブポップ〉も、最近スポーク・マサンボのアルバム『Father Creeper』をリリースしている(オクマルムクールキャットも参加)。
 グライムのプロデューサー、テラー・デンジャーのセカンド・アルバムについては機会をあらためて紹介したい。

interview with Ogre You Asshole - ele-king

E王
OGRE YOU ASSHOLE
100年後

バップ

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 あのさ、と彼は言った。9月になったら世界恐慌が起きて、日本もギリシャみたいになって、それから......と彼は続けた。医療制度から原発問題にいたるまで、ひと通り。そして9月になって、オウガ・ユー・アスホールの新作『100年後』がリリースされた。
 『100年後』は実に興味深いアルバムだ。これを失敗作と言う人がいても不自然ではないと思えるほど、バンドは、ある意味では、思い切った賭けに出ている。もしここで『homely』をもっとも象徴する曲を"ロープ"のロング・ヴァージョン(12インチ・シングルに収録)だとするなら、『100年後』はあの曲のスペース・ロックめいた恍惚、清々しいまでの残響から自ら離れていったアルバムだ。
 気晴らしに徹することができたらどんなに楽だろう。結局のところ『homely』で最高に気持ちが良いのは、"ロープ"のロング・ヴァージョンの長い長いインストの箇所かもしれない。もうひとつ、『homely』を象徴する曲"フェンスのある家"で歌われている「嘘みたいに居心地が良い場所(comfortable lie)」が具体的にはどこを指しているのかバンドからの説明はないと思われるが、はっきりしているのは、オウガ・ユー・アスホールには離れたい場所があったことだ。
 バンドは音楽的に多様なスタイルを身に付け、ここ数年で、聴覚的な面白味を具現化している。石原洋と中村宗一郎によるそれ自体がアートの領域のようなミキシングを介して生まれる刺激に満ちたサウンドは、『homely』の最大の魅力である。出戸学の歌詞は、ほとんど断片的な言葉で組み合わされている。受け取り方によっては、パラノイアックにも思えるし、アイロニカルで、そして感情的な空想を駆り立てている。それらが一体となったとき、いかにもシャイな青年たちによるオウガ・ユー・アスホールは最高の高揚に達する。「わな?  居心地よく 無害で/笑っていた ここはウソ/飾るためのドア/つかれた彼も/心地よく呑まれていた」"作り物"

 アビヴァレンツなムードが『homely』以上に際立っているのは、『100年後』が異様なほどにリラックスしているからだ。『homely』が"マザー・スカイ"なら今回は『フロー・モーション』とも言えるが、『フロー・モーション』ほどリズムをテーマにしている感じではない。それでも『100年後』には、快適さや楽観性と並列して恐れや懐疑がある。メロウで弛緩しながらも、ところどころでささくれている。その点では『フロー・モーション』的と言えるだろう。
 そして、この面倒な混線のあり方は、たしかにわれわれのいまを表しているのかもしれない。わけわかんないって? しかし、それでは、ガイガーカウンターの音でもサンプリングすればいいのかという話だ。
 オウガ・ユー・アスホールは、彼らの催眠的な演奏を控え目にしながら、多様な思いを、複雑な感情をある種チルアウトな場所へと持ってく。感情の垂れ流しではない。僕は、このアルバムの感覚は、フライング・ロータスの新作やエジプシャン・ヒップホップのアルバム、ないしは今日のアンダーグラウンド・ミュージックにおけるアンビエント志向ともそれほど遠くはないと思う。なんとかして、落ち着きを取り戻しているのだ。ひどく引き裂かれながら......。
 『100年後』はなかばトロピカルなゆるさとともに、こういう歌い出しからはじまる。「これまでの君と/これからの君が/離れていくばかり」"これから"

『homely』がほんとに自分たちでは完成度の高いものができたなと思ってるんで、それに恥じないものを作ろうと思ってました。でもそれの延長上もイヤだったんで。その最初のきっかけがどういうものになるかっていうのがもっとも重要な点でしたね。

『homely』のあとの方向性として、チルアウトな感じっていうかメロウな感じ、もしくはエクストリームな感じか、っていう風には思ってたんですよ。それで、どっちに行くのかな、っていう興味があって。結果を言えば、エクストリームな方向性っていうのをあそこまでライヴで実現しておきながら、捨てたじゃない? すごくもったいないなと思ったんですよね(笑)。

出戸:ああー(笑)。でも、エクストリームな方向に行くと、『homely』の延長上になってしまう気がするんですよね。

もちろん、もちろん。

出戸:そこはまあ、作品の連続性があるなかでも、ベクトルは変えたいなと思って。

ただ、『homely』であれだけ自分たちのサウンドを作ったわけだから、もう1枚ぐらい続けても良かったんじゃないのかなっていう。そういう気持ちは少しぐらいはなかった?

出戸:そういう気持ちも、ほんとに半々でスタート地点でどっちに行こうかっていうので僕も迷ってて。でも最初に作った曲が、1曲目の曲なんですけど。

あ、1曲目の"これから"が最初だったんだ?

出戸:それができたときに、「こっちだな」っていう風に思って。

ああ、なるほど。あのイントロにはたしかにやられました。でも、いや、『homely』の続編を1枚作れば、ひょっとしたらゆらゆら帝国が行けなかった領域に行けたかもしれないのに、と思って。

出戸:そうなんですか(笑)?

ゆらゆら帝国フォロワーって言われるのは自分では抵抗ありますか?

出戸:ありますね。

100パーセント抵抗あるって感じ?

出戸:それはしようがない部分があるのはもちろんわかってるんですけど、僕個人としては、フォロワーっていう気分では作ってないっていうか。それはプロデューサーが同じだから、石原(洋)さんの色とかみたいなもので共通項はあるだろうけど。まあ言ってみればメンバーがひとりカブってるようなものだと思ってるから。フォローをしていくっていうつもりはあんまりなくて。

フォロワーってちょっと僕の言葉が悪かったね。

出戸:影響は受けてると思います。石原さんと一緒にいて、喋る時間とかも長くなってるんで。そういった意味では、あるのかもしれないですけど。

僕はゆらゆら帝国も最近のオウガ・ユー・アスホールも大好きなんですけれど、ゆらゆら帝国とオウガ・ユー・アスホールの違いを僕なりに言うと、ゆらゆら帝国はドライなことをやろうとしていながら自分たちのウェットさから逃れられなかったという感じがするんですね。たとえば"つぎの夜へ"って曲があったじゃないですか。ああいうある種の感傷がばっと出てしまう瞬間があったでしょ。そこが魅力でもあったんだけど、そういうところがオウガにはない。

出戸:ないですね。

今年見たライヴなんかは、そのさばさばしたドライな感じとサイケデリックなトリップ感がものすごくうまくなった感じがあって。とくに"ロープ"のライヴ演奏とかすごかったじゃない。だからあの路線をもう1枚続ければ、ゆらゆら帝国が行けなかった領域に行けたんじゃないかって僕が勝手に思ったんだけどね、すいません(笑)。

出戸:なんですかね、まだどうなるかわからないですけど、自分のなかには構想があるんで(笑)。

そう(笑)。それで、新しいアルバムの『100年後』、出戸君の発言を拾い読みすると、「100年後を想像したときにすごく楽になれた」って話じゃないですか。それっては諸行無常ってことだと思うんだよね。ある種の無常観、つねに物事は終わっていくっていう。だけど『homely』はそういう無常観とは違うものだったよね。ちょっとパンク・ロック的な感覚もあったと思うし。パンクっていうか、100年後を想うことのある意味では対極かもしれないんだけど、たったいまこの瞬間だけを一生懸命生きるっていう感覚が。無常観っていうのもひとを楽にさせるとは思うんだけれども、たったいまこの瞬間のことだけを考えるっていうのも重要なことじゃないですか。

出戸:その熱さみたいなものもの、熱を持ちつつ、一回冷やした状態で曲を作りたかったみたいなのはあって。

それはどうして冷やしたかったの?

出戸:なんだろう、『homely』の続編を作るときに......なんですかね。まあもともの性質でもあるんですけど、僕そんなに「いまを生きる」熱さみたいなものはないのかもしれない。ライヴのときはあるかもしれないですけど。本質的にそんなにガツガツした感じではない(笑)。

それは見てて非常によくわかる(笑)。でも、「いまを生きる」って熱さでも冷たさでもなくてさ、考え方じゃないですか。気持ちのありようっていうか。そういう「いま」の連続性が、音楽でいうとミニマリズムみたいなことかなって思うんですけれど。僕もオウガから熱さは感じないからさ。

出戸:ですよね(笑)。

だからこそ、続けるべきだったんじゃないでしょうかね(笑)。

出戸:えー、今回のは、いまを生きているって感じはないってことですか(笑)?

だって今回は『100年後』だから。

出戸:まあそうですね。

それは何かきっかけがあったの? 今回のコンセプトに行き着くような。

出戸:『homely』の終末観みたいなものは自分のなかではあったんですけど、それが重くなりすぎた感じがして、僕のなかで。『homely』が。

ええ、そうなの。僕は逆になんかね、すごく軽くしたっていう風に思ってたんだけどね(笑)。あれはでも重かった?

出戸:はい。それで次はもっと軽くしたいなっていう。テーマ的にはそんなに変化はないんですけど、もっと軽く表現したいなって思ったんです。

なるほど。そういえば、ぜんぜん話飛んじゃうんだけどさ、レコーディング中にジム・オルークさんが乱入したっていう話を聞いたよ。

出戸:レコーディングっていうかライヴの練習中ですね。練習中に入ってきたんですね。

それは何? スタジオが同じだったの?

出戸:いや、僕らの持ってるスタジオが長野にあるんですけど、そこの近所で石橋(英子)さんたちがレコーディングしてて、そこのスタジオのオーナーが僕の知り合いで、それでたぶん連れてきたんですね。急に「うるさい!」って言って入ってきたんですね(笑)。

はははは。面白いね。

出戸:そのとき石橋さんも一緒にいて、って感じでしたね。

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『homely』の終末観みたいなものは自分のなかではあったんですけど、それが重くなりすぎた感じがして、僕のなかで。『homely』が。それで次はもっと軽くしたいなっていう。テーマ的にはそんなに変化はないんですけど、もっと軽く表現したいなって思ったんです。

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100年後

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なるほどね。なんかね、『100年後』を一聴したとき、すごくリラックスしているアルバムだなと思ったんですね。その感じが僕にはとても良く思えたんですよね。恐怖を煽るような感じじゃなくてさ、腹の括り方というか。それは自然に自分たちから出てきたものなの? それとも、ある程度コントロールしてそういう世界を作ったって感じ?

出戸:そうですね、『homely』が重さとか緊張感とかがあったので、最初にそれとは違うベクトルのものを作っていこうってなったときに、まあ単純にそうなったっていうのもあるし。もともと僕のなかでそういうものが聴きたいっていう欲求もあって。

1曲だけ"黒い窓"ってダウンテンポがあるけど、他は曲のテンポがみんな近いじゃないですか。テンポ的に追えば、アルバムのなかであんま起伏がないっていうか、ある種のフラットな感じもあって、そこは意図した?

出戸:そうですね、意図してますね。

ああ、やっぱ意図的だったんだ。さっきも言ったけど、1曲目のイントロがほんと最高でした。あの何とも言えないメロウなニュアンスっていうのが、自分たちでは今回のアルバムのイントロダクションとして最高に機能できるものだっていう?

出戸:そうですね、はい。1曲目にふさわしいとは思いましたね。あのイントロの音は。

出戸くんは最初に曲を作って後から歌詞を乗せる?

出戸:そうですね、逆のことはまずないです。

じゃあ「100年後」って言葉も後から出てきたんだ?

出戸:いちばん最後、全部ができた後にアルバム・タイトルをつけました。

その「100年後」って言葉には、出戸くんなりのちょっとした諧謔性、ユーモアっていうのもあるの?

出戸:ユーモアっていうか......「なにもない」っていう言葉、いまあるものがない、僕が死んでるとか、そういう終わることを、恐怖心を煽る感じで言いたくないなと思ったときに、100年後っていうのがユーモアではないけど、自分のなかではそういう言葉がハマったっていうか。

なるほど。1曲目で「諦めて/おいで」って言葉が出てくるじゃないですか。その「諦める」っていうのは何を意味してるの?

出戸:うーん......何だと思いますか(笑)?

ははははは(笑)。いろいろと考えちゃうよね(笑)。あのー、出戸くんは歌詞もすごく特徴があって。直接的な言葉やわかりやすい言葉遣いを避けてるじゃない? その理由は何なんでしょう?

出戸:なんかガッツリ音を聴いたときに、こう言葉が入ってくると単純に踊れないとか、そういう音楽を邪魔する部分ってあるじゃないですか。素直に音に入っていけなくて、そっちの文脈に頭が行っちゃって歌詞を追うようになっちゃうっていうので、あんまり入ってこないようにはしたいけど、まったく意味のないものにもしたくないというか。その中間で歌おうとすると、こういう感じになったっていうか。

出戸くんは、表に出さないだけであって、実は苛立ちであったりとかさ、憤りを抱えている人でしょう? ぎゃあぎゃあ言わないだけで。やっぱどこかにささくれだったものを感じるもん。

出戸:苛立ちみたいなものは多かれ少なかれあるとは思うけど、ぎゃあぎゃあ言うのは性に合わないっていうか。友だちとはそういう話はしますけど。歌詞では、わかるひとにはわかるぐらいの発信の仕方っていうか。

どちらかと言うと誤解されてもいいやぐらいの感じじゃない。だっていまの「諦めて」っていうのもさ(笑)。

出戸:(笑)そうですね、でも誤解されてもいい。音楽が......。

語ってくれると。

出戸:そう思うんですけど。

さすがですね。"黒い窓"って曲のなかでさ、「ふつう」って言葉が出てくるんだけど、出戸くんは自分のことを普通だと思う?

出戸:まあ普通になりたいとは、子どもの頃から思ってた。

ここ数年ぐらい普通ってことをすごく強調するひとたちが目につくようになったでしょ?

出戸:そうですか?

「そんなの野田さん普通ですよ!」とか言って(笑)。

出戸:はあ......(笑)。まあその歌詞で言う「ふつう」っていうのは、ちょっと死体のような感じのニュアンスもあるかもしれないですね。どっちかって言うと生気のないひとのことを表しているような気もする。

ああ、なんかそういう感じだよね、あれは。あと、AORっぽい曲で、"すべて大丈夫"って曲があって、あのなかで「似ていく/正しいことも/間違いも」って言葉が耳に残るんですけど、これはどういうことなんですか?

出戸:これはまあ、感覚が麻痺した状態っていう意味で。終わりかけの麻痺感に近いのかな。

あと、今回はポップスってことをすごく意識してるなと思って。"記憶に残らない"って曲なんかはね、変な話、懐メロっていいますかね。

出戸:懐メロですか(笑)。

レトロ・ポップス的な要素を入れてるじゃない。あのコーラスとか。

出戸:はいはい。まあ敢えてって部分もありますね。そのコーラスの部分は。

懐メロっぽいことをやりながら、「記憶に残らない」っていうさ。ある種パラドキシカルな言葉をつけているのも面白いなと思ったんだけれども。

出戸:ああ、でもそれはあんまり意識してなかったですね。たまたまですね。

この「記憶に残らない」っていうのはさ、負の意味で言ったんですか? それとも正の意味で?

出戸:まあどちらでもいいんだけど、負に捉えたほうが面白いかなっていう。

皮肉が含まれてる?

出戸:皮肉っていうか、まあそう素直に思う部分もあって、っていう。でもどっちに取られてもいいような状態にはなってると思いますけどね。

『homely』のときもそう思ったんですけれども、ただ今回のほうがより抽象性は高いと思う。

出戸:そうですかね。

自分ではどう?

出戸:自分では、今回のほうがより焦点がわかりやすくなってるかなと思ったんですね。

ほお。出戸くんは歌詞はスラスラけっこう書けてくほう?

出戸:スラスラ書けるときと、書けなかったら書かないみたいな感じですね。ひとつのテーマが思いついたらけっこう早いっていうか。

音楽性の追求ってことで言えば、インストの曲だってできるバンドだと思うんだけど、やっぱ日本語の歌っていうものに対してこだわりがあるわけでしょう?

出戸:まあこだわりって言ったらあれですけど、でも自分が歌い上げてって言うよりは、やっぱり楽曲のなかでそんなに邪魔でないものであってほしいとは思ってますけどね。

長野で生まれて、名古屋に出てきて、で、また長野に戻って活動しているわけだけど、自分たちが長野の地元にいるってことは、オウガ・ユー・アスホールの創作活動においてどのような影響を与えてると思う?

出戸:うーん......いまのプロモーション期間とかは、ほんと毎週東京に来てて。その距離の問題で、僕に疲れを与えている。

はははは! ......すいません。

出戸:(笑)。

昔よく絶対聞かれたと思うんだけど、自分たちが名古屋の学校を出た後に、そこでまた地元に戻ったっていうのはごく自然な選択だったの?

出戸:みんなで話し合った結果、どうしたいっていう話のなかで、選択肢は名古屋に戻るか、東京行くか、長野に戻るかっていうので。そういういろんな可能性を話した結果、長野ってことになったんですけどね。

長野はどんな場所なの?

出戸:場所は、周りにほとんど家がなくて、森のなかで砂利道をこう、500メートルぐらい舗装道路じゃない道を行ったところにある場所なんですけど。そこでスタジオで音が出せる環境があって、楽器とかも広げたら次のライヴまでそのまま片づけなくていい、みたいな感じで。

牧歌的な感じ?

出戸:牧歌的って言うよりも、なんですかね、夜とかはひとがいなさすぎてちょっと怖い。冬になると「ひとが住む場所じゃないな」みたいな(笑)。

出戸くんの歌詞のなかに出てくるさ、「なにもない」っていう言葉っていうのはそこから来てるのかな?

出戸:でもそこは、牧歌的感とはあんまり結びつけてほしくなくて。もうちょっとこう、追いつめられて気が狂ったひとの歌みたいな気分で、自分は書いてて。

あ、そうなの!?

出戸:で、妙に明るいみたいな。いままで終わりに向かって歌ってたのに、急に妙に明るく「なにもない」って言ってる感じが、自分のなかではちょっと発狂に近いようなニュアンスで書いたつもりなんですけど。

なるほど。心の叫びとも言える?

出戸:心の叫び(笑)。

いや、そんなもんじゃない(笑)。でもやっぱり、暮らしやすいですか?

出戸:いまは夏なんで暮らしやすいですね。夏は標高が1200メートルぐらいあるんで、単純に涼しいっていう意味では暮らしやすいですけど、東京のひとで毎日とか週2~3とかでひとと飲んでてワイワイやってるひとには耐えられない空間だって(笑)。

なんで? 何もないからってこと(笑)?

出戸:ひとと会わないし、あんまり。ひとに会えない。会うときはこっちがよっぽど遠くに行くか、向こうが来てくれるかぐらいなんで。

ちょっと想像しにくい場所だね。

出戸:うーん......。

そういうところはきっとオウガっていうバンドのエッセンスとして関わってるんだろうね。

出戸:うーん、僕らがそこにいるっていうポリシーで作ってる曲はないから、自分としてはそこから何か発想を得てるっていう気はないですけどね。

スタジオって自分たちでお金をかけて作り上げたって感じ?

出戸:多少はお金使ったんですけど、レコーディングはできないんで。

リハーサル・スタジオなんだ?

出戸:リハーサル・スタジオなんで、そんなにお金かけることもなくて。防音と吸音ぐらいで。あと機材、マイクとかスピーカーとかぐらいで、そんなに莫大なお金はかかってないです。

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夜とかはひとがいなさすぎてちょっと怖い。冬になると「ひとが住む場所じゃないな」みたいな(笑)。そこは、牧歌的感とはあんまり結びつけてほしくなくて。もうちょっとこう、追いつめられて気が狂ったひとの歌みたいな気分で、自分は書いてて。

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大滝詠一さんが昔の日本の音楽は分母には世界史があったと、しかしその分母がニューミュージックの台頭で内面化されて、どんどん世界が隠蔽されていったという話があって、僕もそうだなと思うんですけど、日本の音楽、とくにロック・バンドとかさ、その多くがなんで音的な視野を狭めちゃったんだと思う?

出戸:まあキャラクター商売だと思ってるひとが多いかなって思いますね。キャラとして確立されれば、音はどうでもいいと思ってるんじゃないかって。

ああなるほど。でも、キャラを売るって昔からずっとあったと思うんだよね、とくにポップ・ミュージックの世界では。

出戸:もしくは、ロック・バンドって、「自由にやることがいい」みたいな。「自分たちの好き勝手にやるのがいい」っていうのが美学になったのが、こう何ですかね、間違って捉えてほんとに自由にやってて、ファンがいいって思うことと自分がいいって思うことが一緒になって混ざっちゃって、っていうのがあるのかもしれない。そこで手綱を引き締める、批評をしなくなるっていうか。

ある1曲がファンから強烈に愛されてしまうと、その曲から自分たち自身が逃れられなくなっちゃうってこと?

出戸:っていうのと、あと自分たちの作品に批評性を持ってない。自由にやるっていうのが、それを持たないで自由にやってる感じがするっていうか。だから「俺、すごい」っていうパターンか、ファンに迎合してるパターンの2パターンっていう風に見える。それで自分に対しての批評を持たずに作品を作ってるひとが大半で。

そういう意味で、同世代だとトクマルシューゴみたいなひとには共感がある?

出戸:トクマルくんが4つか5つぐらい上なんですけど。まあ昔からの知り合いっていうのもあって。

みたいだね、なんかね。

出戸:トクマルくんがツアーに出たとき初めてのツアーが長野で、そのときに対バンで僕らが呼ばれてて。そこで初めて僕らが知って、みたいな。それが6、7年前とかそんな感じなんで。対バンとかはあんまりしてないですけど、プライヴェートではちょこちょこ喋ることがあって。

まあ、トクマルくんもそうだけど、オウガ・ユー・アスホールも理屈っぽい音楽ではないでしょ。かといって感情を思い切り表に出していく感じでもないし......。さっきも訊いたけど、出戸くんはポップっていうことはどんな風に意識している? ポップスというか。

出戸:ポップスとまでは行かないですけど。でも今回は『homely』が持ってたちょっとアヴァンギャルドな感じとかを......

トゲがある部分を。

出戸:トゲがあるもの、その要素も持ちつつもうちょっと歌の存在感はある、みたいな。『homely』のときに歌がそんなにないような感じだったんで。もうちょっと歌を前に出そうかなぐらいは思ったけど、そんなポップスほどまでは考えてなかった。

"記憶に残らない"とかもそうなんだけど、"すべて大丈夫"とか、けっこうオウガ流のポップスみたいなものを考えてるのかなっていうか。"すべて大丈夫"なんてさ、タイトルからしてオウガらしくない無理な感じはあるじゃないですか(笑)。

出戸:まあ敢えてつけてますね。

バンドにとって今回もっとも重要だった点っていうのは何だったんでしょうか。

出戸:『homely』がほんとに自分たちでは完成度の高いものができたなと思ってるんで、それに恥じないものを作ろうと思ってました。でもそれの延長上もイヤだったんで。その最初のきっかけがどういうものになるかっていうのがもっとも重要な点でしたね。違うベクトルであり、『homely』にも恥じないというか、そういうものをどう作ろうっていうのはけっこうありました。

やっぱり前作を超えなければいけないっていうね。

出戸:延長上だと、たぶん『homely』は超えられないんですよね。音楽を作ってる経験上。

なるほど、ストイックだねえ。

出戸:いやあ(笑)。ストイックなんですかね(笑)。

ははははは。やっぱ『homely』的な激しさっていうのは、本来の自分たちの限界を超えたっていうか、ちょっとこう、跳躍してみた感じっていうのがあったんですね?

出戸:そうですね、かなり異次元のものを作ってやろうっていう意気込みが最初にすごくあって。自分たちも捉えられないようなものとか、そういう要素を。レコーディング期間とかもけっこうあったんで、わけわかんないものをとりあえず入れといて、ミックス作業で意外と自分たちのなかではけっこう抑えたというか。ミックスしてみると収まったという感じですかね、どっちかと言うと。だからレコーディングしてるときは「これ成立するのかな」っていうぐらいで作ってたんで。そういった意味では、今回はそういうのはなかったかもしれないですね。でも今回も3、4曲目とかはどうなるかわからないスリルみたいなのはありましたね。

『homely』よりもさわりはゆるい感じですが、今回はより深みはあるっていうかね。またライヴが楽しみです。


「100年後」リリースツアー 10/13 松本ALECX(ワンマン)
日時:2012年10月13日(土)OPEN 18:30/START 19:00
出演:ワンマン
TICKET:
一般発売日:8月18日(土)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:FOB新潟 025-229-5000

10/19 新代田FEVER
日時:2012年10月19日(金)OPEN 18:30/START 19:00
出演:ゲスト、石橋英子
TICKET:
一般発売日:9月9日(日)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:Livemasters Inc. 03-6379-4744

10/21 横浜F.A.D
日時:2012年10月21日(日)OPEN 17:30/START 18:00
出演:ゲストバンド有・後日発表
TICKET:
一般発売日:9月9日(日)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:Livemasters Inc. 03-6379-4744

10/27 札幌cube garden
日時:2012年10月27日(土)OPEN 17:30/START 18:00
出演:ゲストバンド有・後日発表
TICKET:
一般発売日:9月9日(日)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:WESS 011-614-9999

11/3 新潟CLUB RIVERST
日時:2012年11月3日(土)OPEN 17:30/START 18:00
出演:ゲストバンド有・後日発表
TICKET:
一般発売日:9月9日(日)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:FOB新潟 025-229-5000

11/4 仙台MA.CA.NA(ゲスト有)
日時:2012年11月4日(日)OPEN 17:30/START 18:00
出演:ゲストバンド有・後日発表
TICKET:
一般発売日:9月9日(日)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:G/i/P  022-222-9999

11/9 福岡DRUM Be-1
日時:2012年11月9日(金)OPEN 18:30/START 19:00
出演:ゲストバンド有・後日発表
TICKET:
一般発売日:9月9日(日)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:BEA 092-712-4221

11/10 広島ナミキジャンクション
日時:2012年11月10日(土)OPEN 17:30/START 18:00
出演:ゲストバンド有・後日発表
TICKET:
一般発売日:9月9日(日)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:夢番地広島 082-249-3571

11/17 名古屋CLUB QUATTRO
日時:2012年11月17日(土)OPEN 17:30/START 18:00
出演:ゲストバンド有・後日発表
TICKET:
一般発売日:10月6日(土)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:ジェイルハウス 052-936-6041

11/18 大阪BIGCAT
日時:2012年11月18日(日)OPEN 17:30/START 18:00
出演:ゲストバンド有・後日発表
TICKET:
一般発売日:10月6日(土)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:グリーンズ 06-6882-1224

11/24 「100年後」リリースツアー 渋谷AX
日時:2012年11月24日(土)OPEN 18:00/START 19:00
会場:SHIBUYA-AX
TICKET:
一般発売10月6日(土)
前売¥3,500/当日¥4,000
INFO:Livemasters Inc. 03-6379-4744

Flying Lotus - ele-king

 チル・ウェイヴが16ビートを取り入れるようになった→ダフト・パンクがブラック・ミュージックに近づく→ジェイ・ポールがソウル・ミュージックの文脈でそれをやったとき、「ジャスミン(デモ)」は2012年のベスト・シングルになることは決まっていた......のではないだろうか。

「ジャスミン(デモ)」はデビュー前から期待されていたシングルだった。昨年、プロモーションで撒かれた「BTSTU」をドレイクがさっさとサンプリングし、タナソーのように『テイク・ケア』を評価したリスナーには彼の名前は早くから浸透していたはずである。僕のようにドレイクはウェットでもうひとつだな......と、オッド・フューチャービッグ・クリットを好んだリスナーにもそれは伝わってきた。もうひとついえば、そんなことは何ひとつ知らなくても、どこからか「ジャスミン(デモ)」が耳に飛び込んできたリスナーにももちろんダイレクトにアピールしたに違いない。プリンスのファンであれば、それはもう、間違いなく。

 ドレイクの名前は意外なところでも目にした。ドミューンでもすっかりお馴染みになったオンラのレーベル、〈キャットブロック〉から「プレイグラウンド」でデビューしたフランスのビート・メイカー、アゼルのデビュー・アルバム『ザ・ロスト・テープス』でも彼はラップを披露している。
 アゼルのビートはどちらかというとデリック・メイを思わせる情熱的なもので、泣きのメロディに沈みたがるドレイクの趣味ではないと思えるものの、すけべの波長でも合ったのだろうか、2曲でさらっとしたフローをキめ、大物気取りのような嫌味は感じさせない(ドレイク以外にはイブラヒムが"ディス・イズ・ドープ"でふわふわと歌うのみ。ストリングスを厚く走らせたり、様々なメロディを細かく絡ませたがるアゼルもドレイク以外にMCを起用する気はさらさらないといった風情である)。

 基本的には淡々とビートが刻まれるだけ。ほかに特記できることはない。"アイズ・イン"でも"シチュエイション"でもデリック・メイを遅くして聴いているようなもので、スローモーションでスウィングしていく感じは古典的なメロウネスにも直結するものがある。それが夏のダレきったムードに合ってしまうことこの上なく、この夏はけっこう重宝した。フランスのヒップホップというと、基本的にはユニオンのような(二木好みの)古くさいファンク趣味や、デラのようなラウンジ系がほとんどで、アゼルのようなタイプは珍しい。そう、フランス文化にはそぐわないストイックな作風は、おそらくフライング・ロータスの影響によるもので、ハウスではシカゴ発のディスコ・リコンストラクションからダフト・パンクがブレイクするまでに4年ぐらいはかかった計算だとすると、ここでもフライング・ロータスがセカンド・アルバム『ロス・アンゼルス』で注目を集めてからも同じく4年が経過し、フランス人が手を出すにはちょうどいい頃合ともいえる。続くフースキースクラッチ・バンディッツ・クルーといった変り種も控えているけれど......(フランス人のヒップホップに興味が湧いた方はぜひ、ドッグ・ブレス・ユー『ゴースツ&フレンズ』のジャケット・デザインもチェック→)。

 世界中のビート・フリークが注目するフライング・ロータスことスティーヴン・エリスンの4作目は、しかし、かなり方向性を修正してきた。『ロス・アンゼルス』から『コスモグランマ』への発展を歓迎した人は腰が引けるかもしれないし、『ロス・アンゼルス』では過剰に封印されていたジャズを前作で解き放ったことの意味が明快になったと感じる人もいるだろう。「静けさが戻るまで」というタイトルから察するに、自分の身に起こったことがいかにも騒々しいことで、自分のペースを取り戻したいという願いから導き出された音楽性なのかもしれないし、「騒々しいこと」を正確に映し出したものとも考えられる。そのときにつくられたものが一大トリップ絵巻のようなストーリーテリングのそれであったことは、やはりレイヴ・カルチャーの渦に呑み込まれた90年代初頭のフランクフルトからスフェン・フェイトが『アクシデント・イン・パラダイス』でチル・アウトを希求したことを思い出させ、ほんの数ヶ月前にシャックルトンがやはり似たような組曲形式のものに『ミュージック・フォー・ザ・クワイエット・アワー』というタイトルを与えていたことを連想させる。いずれにしろ尋常ではないスピードで動いているものがなければ、それとは反対の概念に価値が求められることはない。きっと......嵐の中心は静かだということなのである。

 僕が『アンティル・ザ・クワイエット・カムズ』を聴きながら頻繁に思い出したのは90年代にラウンジ・リヴァイヴァルの先頭に立ったジェントル・ピープルである。オープニングから数曲はそれこそイージー・リスニングじみたフュージョンを思わせるテイストにまみれ、あまりに素直なバリアリック・モードにはしばらく不可知の未来に置き去りにされてしまう。すっかり陽気になり、ときにボトムが弱く、ティンバランドのようにハイハットで手繰り寄せていくビートはオフ・ビートが効きまくったエレクトロニカにも聴こえるし、『コスモグランマ』からの脈絡を重視していると、マジで時間軸を見失いかねない。『パターン+グリッド・ワールド』のスリーヴ・デザインで全開になっていた世界最強のドラッグとされるDMTを扱ったらしき曲はまさにジェントル・ピープルそのままに聴こえてしまうし......(DMTに関してはサイエンティック・アメリカンの副編集長だったジョン・ホーガン著『続・科学の終焉-未知なる心』を読むしかない!)。なぜかトム・ヨークがドラッグのディーラーについて示唆する曲もエアリアル・ピンクやコーラと同じくノスタルジックな意味合いでシクスティーズが裏側にべったりと貼り付いたようなところがあり、ロング・ロストのローラ・ダーリングトンによる艶かしいヴォーカルが聴こえてくる頃には、あたりの景色はすっかり『バーバレラ』のセットに様変わりしている(橋元さんがモバイル・スーツに着替えるタイミングですね)、エンディングはまさしく「空飛ぶ蓮」である。この陶酔感は実に純度が高い(古代ギリシャでは、想像上の植物であるロートスの実を食べると、浮世の苦しみを忘れて楽しい夢を見ると考えられていた)。

 フライング・ロータスの変化のスピード感は、現在のLAの様相をそのまま反映しているのだろう。それは内容的なものと同時に消費の速さでもあり、ムーヴメントの常識として荒廃の予感が押し寄せてくるという時間感覚との闘争でもある。それを単純にどこまで先延ばしにできるか。60年代のビートルズや90年代のジ・オーブに課せられたものと同じものに追いかけられるという幸福感が『アンティル・ザ・クワイエット・カムズ』には漲っている。さらなる飛躍をもたらすかもしれないし、たった1作で崩壊してしまうかもしれないLAの現在。あれが「終わりのはじまりだった」といわれる可能性だってあるし、そのすべてを左右する1作になる可能性は高い。フライング・ロータスは少なくともそれぐらいの冒険はしている。ジミ・ヘンドリクスやジーザス&メリー・チェインはあの後、どうすればよかったのかということでもある。現在のLAからは次から次へと才能が出てくるし、ジェレマイア・ジェイのように〈ブレインフィーダー〉と契約したミュージシャンだけでなく、同じシカゴからアン・アッシュやメデリン・マーキーまでがカリフォルニアに移住してくるなど、全米からミュージシャンが押し寄せているような印象があるなか、そのなかの誰かがフライング・ロータスの位置に取って代わってくれるわけではない。フランクフルトのレイヴ・カルチャーはスフェン・フェイトの失速とともに一度は崩壊している。それでも彼は静けさが回復することを願って、このような作品をつくった。ジェントル・ピープル版『アクシデント・イン・パラダイス』を。そして、それはエミネムがMDMAを摂りはじめたあたりからヒップホップ・サウンドが辿り付くべきものだったのかもしれない。カレンシーもウィズ・カリファも皆、そのための通過点だったと思えてくる。 

 同時期のリリースとなった『マーラ・イン・キューバ』は聴くたびに印象が二転三転した。ダブステップという明確な落としどころがあり、しかもオールドスクールの実験であることに思い至れば難しいことはなかったのだけれど、そのような基本を忘れてしまう仕掛けがあのアルバムには張り巡らされていた。『アンティル・ザ・クワイエット・カムズ』にも同じことがいえる。ヒップホップ・ミュージックで『サージェント・ペパーズ〜』をやろうとしたプロデューサーがいなかったのだから、梯子から落ちやすいのも仕方がないけれど、何よりも重視されているものが「流れ」であり、その強さに負けて、ほかのファクターが頭や耳からは抜け落ちやすい。かつてデイジー・エイジと称揚されたデ・ラ・ソウルにしろ、かのクール・キースにしろ、効果として狙ったものはあったかもしれないけれど、ヒップホップのグラウンド・デザインに深くメスを入れて、ここまでトリップ性を優先させるものはなかった。クリシェに倣っていえば「こんなものはヒップホップじゃない!」し、そう言わせるための作品だとしか思えない。面白いというか、『アンティル・ザ・クワイエット・カムズ』にもっとも似ていると思うのは、LAがまだ「静か」だった時期にダブラブが同地のプレゼンテイションとしてまとめた『エコー・イクスパンション』(07)というエリア・コンピレイションで(09年に曲を増やして再発)、カルロス・ニーニョにはじまり、フライング・ロータスやラス・Gを経て、デイダラス、ディムライトと続く「流れ」はなぜかラウンジ・テイストのものが多く、クートマやテイクを経て、クライマックスはマシューデイヴィッドによる強烈なアンビエント・チューンになっている。フライング・ロータスが考えている「静けさ」がここで展開されているサウンドを想定しているのなら、彼はまさにこの時期に戻りたいと(無意識に)願っていると考えてもいいのかもしれない。
 
 アトム・ハートに背後から膝カックン(=Using your knee to kick someone else in the back of their knee)をやられたようなフライング・ロータスに代わって、かつてのフライロー・サウンドを引き継ぎ、そこにワールド・ミュージックの要素を豊富に放り込んだのがガスランプ・キラーことウイリズム・ベンジャミン・ベンサッセンのデビュー・アルバム『ブレイクスルー』だろう。僕は発売前の音源を法律的に貸与されてレヴューを書くことはあまり好きではないのだけれど、そうはいってられない場合も増えてきて(つーか、そのような制度を採用しているのは日本だけらしいんだけど)、毎月2周目などはそういったものばかり聴かなければならないし......ということはさておき、そのようにして同時に手渡されたフライング・ロータスとガスランプ・キラーの音源がもしも入れ替わっていたら、後者を聴いて前者が『コスモグランマ』から『ロス・アンゼルス』に揺り戻す際にワールド・ミュージックやホラー・テイストを加えたものだと判断したのではないかという可能性がなかなか捨て切れない。ひとつにはフライング・ロータスにはどこか重厚なイメージがあって(多分に「テスタメント」のせい?)、それが『ブレイクスルー』にはあるけれど、『アンティル・ザ・クワイエット・カムズ』にはほとんどなく、どちらも華やかな印象にあふれているのは現在のLAのムードが反映されているからだとは思うけれど、それでも少しは引いた部分が『ブレイクスルー』にはあって、それもフライング・ロータスに(勝手に)投影していたイメージに近いからである。それだけ『アンティル・ザ・クワイエット・カムズ』が飛躍しているということでもあり、かつてのデトロイト・テクノのような通奏低音が現在のLAには流れているということでもあるだろう。

 最初期からロウ・エンド・セオリーのレジデントを務めていたというベンサッセンは、ゴンジャスフィのプロデューサーとして知名度を上げたのもなるほどで、似たようなカップ・アップ・サウンドをやらせても如実に都会的なリー・バノンとは違って、どこかヒッピー的なところである。『アンティル・ザ・クワイエット・カムズ』と同じく、トリップ・ミュージックとして構想されていることは明らかだけど、フライング・ロータスが執拗にシクスティーズをリファレンス・ポイトにしているのとは違って、時間軸はむしろイメージを混乱させるために悪用され、それこそウイリアム・バロウズの「時間旅行で乗り物酔い」を思わせる。アトラクションは次から次へと入れ代わり、デイダラスと組んだ「インパルス」など、いまのはなんだったのだろうとトリックめいた印象を残す曲が多く、『アンティル・ザ・クワイエット・カムズ』のように全体で何か訴えかけるような性格は持たされていない。ディムライトとはトラン・ザム以上バトルズ未満みたいなマス・ロックもどきに仕上がっているし、カルロス・ニーニョ率いるビルド・アン・アークからミゲル・アトウッド-ファーガスンとの"フランジ・フェイス"などはイタリアのホラー映画みたいだし......。

 ただし、サーラ・クリエイティヴからフサインとキースをフィーチャーしたボーナス・トラック「ウィッスル・ブロウアー(=内部告発)」は(紙エレキング6号にも書きましたけれど)国連がサラエボで傭兵のために売春婦を斡旋している組織と裏でつながっていたという史実を扱った映画『トゥルース 闇の告発』の原題と同じだったりするので(主演がレイチェル・ワイスだったにもかかわらず日本未公開。アメリカでも国連が圧力をかけたのかほとんど公開されず)、「サラエボ」とか「内部告発」といった歌詞が断片的に聞き取れたので、それについてのものだということはすぐにわかるし、これは、現在のLAを支配している気分やトリップ・ミュージックとはかなり異質のものである(だから、日本盤のみのボーナス・トラックなのだろう。それとも、これが現在のLAと何か関係のある曲だというなら、ここまで書いてきたことはすべて崩壊するしかない)。

 レイヴ・カルチャーが社会の表面に姿を現した当時、イギリスのマスコミがそれにセカンド・サマー・オブ・ラヴという呼称を与えたことを受けて、それをいうならアメリカで起きていることはセカンド・ロング・ホット・サマーと呼ぶべきではないかと書いたことがある(いまだにひとりも賛同してくれた人はいません~)。つまり、80年代後半のダンス・カルチャーはヨーロッパの白人とアメリカの黒人には正反対とまでは言わないけれど、社会的な意味はけっこう違ったということで(何度も書いたようにボム・ザ・ベースのように連想ゲームのようなことが起きた例もあるし、ア・ガイ・コールド・ジェラルドやチャプター&ザ・ヴァースのように裏目に出た例もある)、しかし、それが、現在のLAでは、白人にも黒人にも少なからず同じ意味を持つ音楽になっているのではないかということを『アンティル・ザ・クワイエット・カムズ』からは感じ取れるのではないかと。マーティン・スコセッシ監督『ヒューゴの不思議な発明』とともにどうしてアカデミー賞を取れなかったのか不思議でしょうがないテイト・テイラー監督『ヘルプ』のような映画を観ると(『ハート・ロッカー』に続いて『アーティスト』の受賞は本当にナゾでしかない)、60年代にもそのような事態は実際には部分的にしか存在しなかったのだろうということも想像はつくけれど、それでもモンタレー・ポップ・フェスティヴァルにはオーティス・レディングが出演し、聴衆に向かって「愛し合ってるかい?」と問いかけたことは、セパレーティスム(分離主義)を掲げていたパブリック・エナミーとは異なるヴァイブレイションの産物だったはずで、そのような融和が少しでも現在のLAには存在しているのではないかということが『アンティル・ザ・クワイエット・カムズ』と、そして、マシューデイヴィッド『アウトマインド』という2枚のトリップ・アルバムによる響き合いのなかから聴き取れるのだと僕は思いたい。そして、その青写真を与えたのはザ・ウェザーの3人だったのではないかと。デイダラス、バスドライヴァー、そして、レイディオインアクティヴの3人がはじめたことがここまで来たのではないかと。

 デイヴィッド・ベニオフの原作に同時多発テロを背景に加えたスパイク・リー監督『25時』はニューヨークを舞台にしながら、最終的にはLAを目指す心性が描かれていた。ブロークン・ウインドウズ理論を振りかざしたジュニアーニによるジェントリフィケイションも少なからず影響はあっただろう。それまでは、アメリカの各州から夢を抱いた若者が出てくる都会といえば、圧倒的ニューヨークだったのに、スティーブ・アンティン監督『バーレスク』でも、デヴィッド・フィンチャー監督『ソシャル・ネットワーク』でも、目指す都会はLAであり(かの『ボラット』も!)、あっという間にエレン・ペイジを過去に押しやったクロエ・グレース・モレッツがついに初主演を演じたデリック・マルティーニ監督『HICK ルリ13歳の旅』も最終目的地はLAに設定されていた。シリコンヴァレーからはじまる物語は音楽文化だけの話ではない。フランク・ダラボン監督『マジェスティック』やガス・ヴァン・サント監督『ミルク』は過去のLAを検証し直し、F・ゲイリー・グレイ監督『ビー・クール』、リサ・チョロデンコ監督『キッズ・オールライト』、アレクサンダー・ペイン監督『サイドウェイ』、中島央監督『Lily』......と様々に夢が語られる。いまさらのように『ランナウェイズ』の伝記映画までつくられ、もちろん、マーク・クラスフェルド監督『ザ・L.A.ライオット・ショー』やジョー・ライト監督『路上のソリスト』のようにダークサイドを描いた作品も力作が多い。

 そんな気運のなか(?)、信じられなかったのは2008年にLAタイムズが発表した「LAを舞台にした映画ベスト25」である。

1位「L.A.コンフィデンシャル」(カーティス・ハンソン監督)
2位「ブギーナイツ」(ポール・トーマス・アンダーソン監督)
3位「ジャッキー・ブラウン」(クエンティン・タランティーノ監督)
4位「ボーイズ'ン・ザ・フッド」(ジョン・シングルトン監督)
5位「ビバリーヒルズ・コップ」(マーティン・ブレスト監督)
6位「ザ・プレイヤー」(ロバート・アルトマン監督)
7位「クルーレス」(エイミー・ヘッカリング監督)
8位「レポマン」(アレックス・コックス監督)
9位「コラテラル」(マイケル・マン監督)
10位「ビッグ・リボウスキ」(ジョエル・コーエン監督)
11位「マルホランド・ドライブ」(デビッド・リンチ監督)
12位「ロジャー・ラビット」(ロバート・ゼメキス監督)
13位「トレーニング・デイ」(アントワーン・フークア監督)
14位「スウィンガーズ」(ダグ・リーマン監督)
15位「青いドレスの女」(カール・フランクリン監督)
16位「friday」(F・ゲイリー・グレイ監督)
17位「スピード」(ヤン・デ・ボン監督)
18位「ヴァレー・ガール」(マーサ・クーリッジ監督)
19位「L.A.大捜査線/狼たちの街」(ウィリアム・フリードキン監督)
20位「L.A.ストーリー/恋が降る街」(ミック・ジャクソン監督)
21位「To Sleep with Anger」(チャールズ・バーネット監督)
22位「レス・ザン・ゼロ」(マレク・カニエフスカ監督)
23位「フレッチ/殺人方程式」(マイケル・リッチー監督)
24位「Mi Vida Loca」(アリソン・アンダース監督)
25位「クラッシュ」(ポール・ハギス監督)

 『サンセット大通り』も『チャイナタウン』も『ブレードランナー』もなければ『エリン・ブロコビッチ』もないし、『モーニング・アフター』も入っていないではないか......。『ハードコアの夜』も『奥さまは魔女』も......どういうことなんだろう......

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