「Ord」と一致するもの

SUNS OF DUB JAPAN TOUR 2014 - ele-king

 ダブステッパーに限らず、ダブを愛するモノたるやオーガスタス・パブロの名前はマスト。家に最低3枚。これ常識。僕は、若い頃、パブロのライヴは2回とも行った。これ超自慢です。
 今週末、パブロの息子(お父上は1999年に亡くなられている)のアディス・パブロが来日します。名義は、SUNS OF DUB。西から東へ5都市でツアーを開催します。東京では、こだま和文さんが出演します。その低音で、台風なんか吹っ飛ばして。

<東京公演概要>

liquidroom presents
──PABLO & KODAMA──

オーガスタス・パブロ、そのダブの系譜を継ぎ、そして前進させる者たち

1973年のルーツ・ダブのクラシック中のクラシック『King Tubbys Meets Rockers Uptown』をはじめ、自身のメロディカ、そしてタビーによるミックスによってルーツ・ダブのスタイルを提示したオーガスタス・パブロ。自身のレーベル〈Rockers Internationl〉を中心に展開した、ストイックにラスタな、そのルーツ・スタイルは、1999年の没後も、ルーツ・ダブに限らず、さまざまなダ ブ/ベース・ミュージックに影響を与え続けている。その“系譜”を継ぐ”SUNS OF DUB、彼らがKATAにてライヴを行う。パブロの意志を引き継ぐメロディカ・マスター、ADDIS PABLOとセレクターのRAS JAMMYによるプロジェクト。〈Rockers Internationl〉を引き継ぎ、さらにはこれまでにディプロ率いるMajor LazerやToddla Tといった新世代のデジタル・ダンスホール系のアーティストとも共演するなど、現存のベース・ミュージックとの邂逅など、新たなスタイルの創出に余念がない。さらには、MUTE BEAT時代の名曲"Still Echo"にて、オーガスタス・パブロとの共演も果たし現在も日本のレゲエ・ダブ・シーンを牽引するトランペッター、こだま和文、そして“Apach”のカヴァー7インチをリリースしたばかりのトロンボーン奏者、KEN KEN率いるKEN2D SPECIAL、とダブを新たな解釈で突き進める、2アーティストのライヴも行われる。

featuring live
SUNS OF DUB(ROCKERS INTERNATIONAL)
 ADDIS PABLO(SON OF AUGUSTUS PABLO MELODICA MASTER)
 RAS JAMMY(ROCKERS INTERNATIONAL SELECTA)
feat. JAH BAMI
こだま和文 from DUB STATION
KEN2D SPECIAL(Reality Bites Recordings)

dj
Q a.k.a. INSIDEMAN(GRASSROOTS)
Yabby
SEIJI BIGBIRD/LITTLE TEMPO

2014.10.13 monday/holiday
KATA + Time Out Cafe & Diner[LIQUIDROOM 2F]
open/start 16:00 close 21:00
adv.(9.13(sat) on sale!!)* 2,000yen door 2,500yen
*PIA[P code 243-948]、LAWSON[L code 74932]、e+、DISK UNION(取扱店選定中)、Lighthouse Records、LOS APSON?、LIQUIDROOM

info LIQUIDROOM 03-5464-0800 https://www.liquidroom.net/

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▼SUNS OF DUB(ROCKERS INTERNATIONAL, Kingston, Jamaica)
ADDIS PABLO[Melodica], RAS JAMMY[Selecta]

ジャマイカの若獅子、アディス・パブロは99年に44歳の若さで亡くなったルーツ・ロック・レゲエ/ダブ・プロデューサー、メロディカ奏者の父、オーガスタス・パブロのスピリチュアルな音楽を21世紀に継承、発展させる新世代アーティストである。89年生まれのアディスはニュージャージーとジャマイカを行き来して過ごし、キーボードとメロディカを習得。2005年にはオーガスタス・パブロの追悼公演でステージに立ち、ロッカーズ・インターナショナルのヴェテラン・ミュージシャンや伝説的ギタリスト、アール・チナ・スミスと共演、これを機にソロ奏者としてダブ・レゲエの作曲を開始する。10年、アディスはトリニダードからジャマイカにやって来たラス・ジャミーと意気投合し、"サンズ・オブ・ダブ"として伝統的なロッカーズ・サウンドをニューエイジのフォーマットによるダブ・レゲエで提示するべく活動を共にする。11~12年の"For The Love Of Jah"、"13 Months in Zion"以降、100作以上をデジタル・リリース、またメジャー・レイザーのウォルシー・ファイアー、クロニックス、プロトジェイ、クライヴ・チン、マイキー・ジェネラル等、幅広いコラボレーションを展開している。13年には初のヴァイナル・レコード"Selassie Souljahz In Dub"を発表、ヨーロッパ・ツアーを成功させ、英BBCのデヴィッド・ロディガンの番組では「キング・タビー、オーガスタス・パブロ以来のベスト・ダブ・レコードの1枚」と評される。14年にはオランダのJahsolidrockからアディス・パブロ名義の1stアルバム『IN MY FATHERS HOUSE』がリリースされ、北米、ヨーロッパ各国のフェスティヴァル出演で賞賛を浴びている。サンズ・オブ・ダブはダブのニューウェイヴ、ドラム&ベース、ダブステップ、トラップ、ハウス等のクラブミュージックとの触媒として貢献する、ロッカーズ・インターナショナルの新世代である。
https://sunsofdub.com/
https://soundcloud.com/sunsofdub
https://www.facebook.com/sunsofdub
https://www.facebook.com/sunsofdub

▼こだま和文 from DUB STATION

1981年、ライブでダブを演奏する日本初のダブバンド「MUTE BEAT」結成。通算7枚のアルバムを発表。1990年からソロ活動を始める。ファースト・ソロアルバム「QUIET REGGAE」から2003年発表の「A SILENT PRAYER」まで、映画音楽やベスト盤を含め通算8枚のアルバムを発表。2005年にはKODAMA AND THE DUB STATION BANDとして 「IN THE STUDIO 」、2006年には「MORE」を発表している。プロデューサーとしての活動では、FISHMANSの1stアルバム「チャッピー・ドント・クライ」等で知られる。また、DJ KRUSH、UA、EGO-WRAPPIN’、LEE PERRY、RICO RODRIGUES等、国内外のアーティストとの共演、共作曲も多い。現在、ターン・テーブルDJをバックにした、ヒップホップ・サウンドシステム型のライブを中心に活動してしている。また水彩画、版画など、絵を描くアーティストでもある。著述家としても「スティル エコー」(1993)、「ノート・その日その日」(1996)、「空をあおいで」(2010)「いつの日かダブトランペッターと呼ばれるようになった」(2014)がある。

▼KEN2D SPECIAL(Reality Bites Recordings)
TRIAL PRODUCTIONのトロンボーン兼MCを務めるKEN KEN(トロンボーン&MC)によるソロDUBプロジェクトとしてスタート。現在はICHIHASHI DUBWISE(DUB mix)、Gulliver(guitar)の3人編成で活動中!BEASTIE BOYSからの影響を独自にREGGAE DUBにトランスフォーム!!!??したサウンドは、DUCK SOUP PRODUCTIONS、PART2STYLEから数々のアナログ7インチをリリースし、そのほとんどは即完売し入手困難なアイテム多数。2008年にはPART2STYLEから初のアルバム『Reality Bites』をリリースしイギリス国営放送BBCの番組など複数で紹介され、有名誌"WIRE"にレビューが載るなど注目を集めた。2013年自らのセルフ・レーベル<Reality Bites Recordings>を立ち上げ7枚目の7インチ・シングル「I Fought The Law」をリリース、あのDon LettsもBBCで即座にプレイ!前代未聞のド・オリジナル解釈で驚きのカバー曲を連発してるKEN2D SPECIALですが、今年2014年9月には8枚目の7インチEP、APACHEをリリース、こちらもまたKEN2D節炸裂してます!要チェック!!!!
https://m.facebook.com/profile.php?id=503540573038521&_rdr

▼Q a.k.a. INSIDEMAN(GRASSROOTS)
東京・東高円寺の桃源郷レゲエ・バーNATURAL MYSTIC育ち。レコードショップWAVEにてバイヤー経験の後に、NATURAL MYSTIC閉店後の97年同所にてGRASSROOTSをオープンする。「MUSIC LOVERS ONLY」を掲げ、バーであってバーでない、クラブであってクラブでない、人間交差点音楽酒場代表となる。INSIDEMAN名義でのMIX-CDは異才フィメール集団WAG.より『YGKG』、 POSSE KUTから『DEAR』、地下最重要レーベルBlack Smokerより『Back In The Dayz』などリリースしている。
https://insideman-q.blogspot.jp/
https://www.grassrootstribe.com/


A.r.t. Wilson - ele-king

 現代音楽やドローンが結果的にアンビエントに(も)聴こえる作品としてリリースされた場合、そこにはやはり本来の目的は違うところにあるという逃げ道が用意されているような感覚を抱きながら接するものにはなりやすい。どうしたってそれは共犯関係の上に成り立つものだし、本来の目的を理解する気はさらさらないというリスナーの主体性がすでに仮構のものであるからである。

 しかし、これがポップ・ミュージックであった場合、むしろアンビエント・ミュージックは本格的なものにならざるを得ない。退路はどこにもなく、ストレートに真価や有用性を問われるものになる。80年代の人たちはまだ無自覚だったと思うので、『アンビエント・ディフィニティヴ』で取り上げたエイフェックス・ツインやサン・エレクトリック、ケアテイカーやテイラー・デュプリーはそういった意味で揺ぎない時代性を内包した作品だったと僕は思っている。最近ではディープ・マジックやセヴェレンス(Severence)などがそういったものに近づいているとも。

 活気づくメルボルンからアンドラス・フォックス(Andras Fox)の名義でシンセ・ポップを送り出してきたアンドリュー・ウイルソンが〈メキシカン・サマー〉と契約を結んだ一方、新たな名義でリリースした『オーヴァーワールド』は多少のリズム・トラックを含むものの、ポップ・ミュージックがアンビエント・ミュージックに取り組んだ最新の結果を生み出したと僕には感じられる。90年代のようにクラブ・ミュージックとの並走でもなく、ゼロ年代のようにミュージック・コンクレートの方法論を応用したものでもない。なんというか、じつになんでもない。新しいと思える手法は何も用いられていない。非常に簡素で、含みや重層性はなく、最後まで淡々と音が鳴っているとしか言えない。何もないところからは何も生まれないというようなアイロニーもなく、物静かな音楽というような素朴な認識だけがあるというか。これが、しかし、何度聴いても飽きないし、どこか驚きに満ちている。何に驚いているのか自分でもよくわからない。繰り返し部屋のなかに垂れ流すだけ。

 しかし、実際にはこれらの音楽はコンテンポラリー・ダンスのためにつくられたものだという。レベッカ・ジェンセンとサラ・エイトキンが「上流階級(=オーヴァーワールド)」をテーマにしたダンス・レパートリーだそうで、ということは、ここにある優雅さは上流階級の身のこなしを表しているということなのだろうか。「言葉では表せないことを身体は物語る」という文句がジャケットには記され、身体性の裏づけがある音楽だということは印象づけられる。あるいは、階級をテーマにしたものだときいてもとくに皮肉げなニュアンスに意識がいくようなものでもなく、なんとなく思い出すのは〈クレプスキュール〉の諸作や細野晴臣といったポップ・ミュージックである。それにしても欧米はダンスと音楽の結びつきが本当に濃い。スージー&ザ・バンシーズのスティーヴン・セヴェリンからクリスチャン・ヴォーゲルまで、どんなジャンルの人でもバレエ音楽を手掛けているからなー。

映像はちょっとヒドいけど、“ジェインズ・テーマ(Janine's Theme)”。

 『オーヴァーワールド』を聴いていて、ちょっとだけ思い出すのはエール(フレンチ・バンド)である。いままでアンビエント・アルバムはつくったことがなかったダンケル&ゴダンが、そして、あろうことか、1000枚限定で美術館のためにアンビエント・アルバムをアナログだけでリリース(そのうちCD化されるだろうけど……)。美術館に飾られているさまざまな絵のイメージなのか、ピアノとハミングによるクラシカルなオープニングからどんよりと沈んだムード、あるいは軽く躍動感を感じさせるものまで、意外と表情豊かな曲の数々を聴かせてくれる(“ドリーム・オブ・イー(The Dream Of Yi)”だけは『ラヴ2』(2009)からの採録)。実際にナポレオンの指示で建てられたリール美術館から依頼を受けて製作したものだそうで、ということはフランスまで行けば館内で聴くこともできるということか? これは山田蓉子の感想を待ちたい(紙エレキングで「ハテナ・フランセ」という新連載をはじめてもらいました!)。

 2014年もすでに40枚以上の記憶に残るアンビエント・アルバムと10枚近くの奇跡的な再発盤に出会うことができた。機会があればいずれまとめて紹介したいような。

 いまさら、というかここまで女児文化について書いてきて超そもそももいいところなのですが、「女の子」とはいったい何なのでしょうか。たとえば余裕のある「おじさん」はこんなことを言ったりします。「論理や社会にがんじがらめな僕たち男に比べて、感性のままに生きる女の子はすばらしい! 女の子はもともと自由な存在なんだから、勉強したり女性運動なんかしたりして窮屈な男の仲間入りすることはないんだよ」。一方、メディアに登場する「女の子」(たいていは成人女性ですが)たちも「私たち女の子はスイーツを食べてかわいいものに囲まれていれば幸せ。社会問題なんて難しいこと興味ないわ」とニコリ。そういえば、モダンガールの名付け親とされる北澤秀一は、大正時代に出版された雑誌『女性』で、こんなふうにモダンガールを定義していたのでした。

「〈モダーンガール〉は、いはゆる新しい女でもない。覚めたる女でもない。もちろん女権拡張論者でもなければ、いはんや婦人参政権論者でもない。」「私の云ふモダーン・ガールは自覚もなければ意識もない。」「彼らは唯だ人間として、欲するままに万事を振る舞ふだけである。」「モダーン・ガールは、少しも伝統的思想をもたない、何より自己を尊重する全く新しい女性である。」

 自我に目覚めて男性と同じ地位を得ようとする女性たちと対比させた上で、自我を持たない動物的で非社会的存在として「女の子」の自由さを称える思想は、どうやらフェミニズム思想の輸入および女性の社会進出・高学歴化(への反感)とセットで登場したものであるようです。

 こうした女の子像の政治的な正しさ問題はいったん措くとして、現実に本物の女の子・男の子を育てている親からすると、体感的に飲み込みかねるというのが正直なところではないでしょうか。なぜなら自由ということで言うなら、平均的にみて男児は女児よりもはるかに自由な存在であるからです。Twitter上で、男児のお母さんたちが「アホ男子母死亡カルタ」なるタグのもとに「ひとりが脱げばみんな脱ぐ」「アイス8本一気食い」などの男児のおバカでかわいいネタを寄せ合って盛り上がっていたのは、記憶に新しいところ。これらがお母さんたちの誇張でないことは、小学1年生の授業参観に参加してみればわかります。先生の言うことを従順に聞き、熱心に手を動かす女の子。そもそも大人しく座っちゃいない男の子。お勉強はできても挙手には慎重な女の子。積極的に挙手するも指されたら「わからない!」と堂々と宣言する男の子。その差は一目瞭然です。私が「長女がパンツ一丁で「ありのままで」を歌っている」という内容のぼやきツイートしたところ、すぐさま男児のお母さんからこんなリプライがかえってきました。「女の子はいいですね。パンツはいてくれるから」。

 現役「女の子」がいかにまじめか。それがわかる7歳の女の子のお手紙が今年初めにネットで話題になったので、ご紹介します。彼女がLEGO社宛に書いたお手紙を、お母さんがTwitterで画像アップしたものです。

「今日お店に行ったら、LEGO売り場はピンクの女の子ブースとブルーの男の子ブースにわかれていました。女の子のLEGOがすることといえば、おうちで座っていたり、ビーチに行ったり、お買い物したりするだけ。女の子には仕事がありません。男の子のLEGOは冒険に出たり、働いたり、人を救ったり、サメと泳いだりしてるのに。もっとたくさんの女の子の人形を作って、冒険を楽しませてあげてほしいんです。OK!?!」。

 日本のいち母親からすると、彼女がピンクのLEGOと呼んでいる女児向けの「LEGOフレンズ」シリーズは、女の子の興味を制限しないよう、相当な配慮が施されているように見えます。ラインナップの中には、科学実験をしている理系女子から手品女子、空手女子までユニークなものも。もちろんピンク、ラベンダー、水色といういまどきの女児の目をひきつけるカラーリング。わが家の長女も5歳の頃、科学実験を楽しむ少女をモチーフにした「サイエンススタジオ 3933」をLEGOショップで祖父にねだって買ってもらっています(往年のLEGOファンである父は「海賊セットのほうがかっこいいだろ……」と不服そうでしたが)。が、家の中ばかりと言われればたしかにそう。有職婦人率も少なめです。そこに気づくとは、目線が高いとしかいいようがありません。社会が期待している「女の子」像をまだ内面化していない幼い女の子たちは、そうした枠に縛られていないために、退役「女の子」たちよりもかえって社会参加への意識が強いのかもしれません。


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一部で「リケジョセット」と呼ばれる
「レゴ フレンズ サイエンススタジオ 3933」


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瓦割りもお部屋の中でするLEGOガール。
「レゴ フレンズ・カラテレッスン 41002」



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「Research Institute」

 このかわいくも勇ましい女の子の手紙が好意的に拡散されてから約半年後の8月、LEGO社は再び話題の的になりました。女性の化学者、天文学者、古生物学者をモチーフとした「Research Institute」セットを発売したのです。女の子の願いをさっそく叶えた同社に、人々は喝采を送りました。

 とはいえ実際にはこの新製品、ストックホルム在住の女性地球科学者Ellen Kooijman(※1)が「LEGO Ideas」に2012年に投稿し、ネット投票で10,000票を獲得したアイデアがようやく日の目をみたもの。2013年秋の審査では見送りになったアイデアが復活当選した背景には、女の子の手紙がバズったことも多少関係していたかもしれませんが……。実態はどうあれ、この新製品は女の子の手紙に応えたという文脈で多くのネット・メディアに紹介されました。宣伝効果は抜群だったことでしょう。つづいて開設された、イギリスの女性科学者が同製品を使って女性研究者の日常を再現するTwitterアカウント「@LegoAcademics」も話題になっています。

※1 Ellen Kooijmanはギークドラマ『Big Bang Theory』のフィギュア化も「LEGO Ideas」に投稿し、こちらも1万票を獲得して現在レヴュー中。同アイデアの製品化が実現したら、女性科学者フィギュアがまたまた増えることになりそうです。

 この連載でもたびたび取り上げてきたように、アメリカには「女の子はファッションとスイーツと家事のことだけを考えているおバカさんでいなさい」というジェンダー観に抗う「女の子」を応援する風土があるように見えます。自由の国ってうらやましいですね。それにひきかえウチら日本は……とついついスネたくなるところですが、そういえばかの国の「男の子」はどうなのでしょうか。「海賊ごっこをしろだって!? 男だからって盗んだり闘ったりなんてごめんだね。僕らだってカフェでスイーツ食べて、ショッピングして、ビーチで遊んで、かわいいものに囲まれて過ごすようなLEGOで遊びたいんだ!」、あるいは「男の子用のおままごとセットを作って!」といった主張があってもよさそうなものです。しかし、ミシガン州の教育研究機関のコンサルタントMichelle Gravesによれば、おままごとコーナーで遊んだ男児は、そのことを大人に隠す傾向があるとのこと。ソースは失念してしまいましたが、子どもしかいない部屋ならおままごとで遊ぶ小さな男児も、部屋に父親が入ってくるとやめてしまうという調査も見たことがあります。小さな男の子は、いったいなににおびえているのでしょうか。

 2013年放送の『セサミストリート』のとあるエピソードが、「男らしさの概念への攻撃である!!」「性役割の否定だ!!」「セクシャリティとジェンダーに対する破滅的な教えだ!!!」などとキリスト教保守派から厳しく批判されたことがありました。その神をも恐れぬセンセーショナルなストーリーとは……妹といっしょにお人形で遊んでいたクマのお兄さんが、ブルドーザーの玩具を持った男友だちが遊びにきたときに恥ずかしがって人形は妹のものだと言ってしまう。そんな兄に、ゴードンは男の子向け・女の子向けという区分に理由はないし、男の子がお人形で遊ぶことは将来お父さんになるためのレッスンになるんだよ、と説明する……えっそれだけ? 2014年1月には、11歳男子がかわいい馬のアニメ『マイリトルポニー』が好きだともらしたことから学校でいじめにあい、自室の2段ベッドで首つり自殺を図って意識不明の重体に陥る事件が起きました。彼は自殺を図る前、母親に「ママ、僕はもう疲れたよ。みんなが僕を「ゲイ」「キモイ」「うすのろ」って言うんだ」と語っていたそうです。『マイリトルポニー』のバックパックで学校に通ったことから「自殺しろ」などと言われるいじめに遭って登校できなくなったノースカロライナ州に住む9歳の男の子は、学校側から『マイリトルポニー』バッグ禁止令を出されてしまいました(この処分に納得できなかった少年の母親がFacebook上でキャンペーンを行ったことが有名メディアに取り上げられた後、学校側は『マイリトルポニー』禁止令を解いています)。こうしてみると、女の子的な「カワイイ」界に男の子が足を踏み入れることについては差別が激しく、小さい男の子自身が社会に向けて訴えられるほどの自尊心を築くのは難しそうだという印象を受けます。

 欧米に比べて母性原理が強いとされ、育児が母子密着型になりやすい日本では、少なくとも少年期にこれほどの男らしさプレッシャーはないように思えます。ママはかわいい男の子が大好きですし、かわいい趣味に理解がある女性的な見た目の少年なんて、ファンクラブができかねません。でも日本においても「自由でおバカでかわいい男の子」を満喫できる時期は、そう長くはないでしょう。女性が家事育児に囲い込まれて排除される社会は、必然的に男社会にならざるをえず、そこに投げ込まれたら最後、「かわいい僕」とは訣別しなければなりません。競って、勝って、他人を従え、見目麗しく育ちのよい「女の子」をゲットして勝ち組となるレースに参加しなければならないのですから。その厳しさは女性の社会参加率が低いぶん、かえって他国よりも苛烈かもしれません。たとえば動物園などに行くと、小さな男の子が「カワイイね~」と動物を愛でている様子をよく目にしますが、ある程度大きくなると「女の子」への性的評価以外で「カワイイ~」なんて口にしなくなります。そして「カワイイ」は、口にするのもその対象となるのも、「女の子」の専売特許になってしまうのです。私には、「女の子(少女)とは……」と熱を込めて語る日本のおじさんたちが、「かつてお母さんに愛されていた、自由でおバカでかわいい男の子だった自分」を語っているように思えてなりません。

 かわいくあることが許されない男性。子どもの頃と変わらぬ生真面目さで社会が求める「自由でおバカでかわいい女の子」を演じる女性。なんだか息苦しいですね。でも、こうした息苦しさも徐々に変わっていくのかもしれません。というのは、“ポケモン”を凌駕する勢いで現代の男児のハートをとらえているアニメ『妖怪ウォッチ』を子どもたちとしばらくいっしょに見ての感想。こちらの男児アニメに対する先入観、ひいては男児に対する先入観をことごとく覆す内容なのです。どういう内容かというと……いいかげん話が長くなりすぎてなんらかの妖怪に取り憑かれそうなので、この話はまたいずれ。

■いま、早期アクセスが熱い

 みなさんこんにちは、NaBaBaです。今回はいままでと趣旨を少し変えて、最近インディーズ・ゲーム界で流行っている「早期アクセス」という販売形態についての雑感と、それに関連した作品をいくつかご紹介したいと思います。

 この連載で幾度となく言及してきたインディーズ・ゲームですが、その規模は年々大きくなるとともにいろいろな問題が起きてきています。その最たる、かつ普遍的なもののひとつがお金でしょう。デジタル販売が普及し独立系の開発スタジオが自力で販売できる時代になったとはいえ、開発のための予算を確保しペイするのは依然困難なものです。むしろインディーズの裾野が広がっているからこそ、販売形態にも多様性が求められています。

 こうした中で今年に入って急進してきた新たな販売形態が、冒頭で挙げた早期アクセスです。これは開発途中のゲームを先行販売し、そこで得た資金を元手にして開発を継続していくスタイル。
 開発側からすると、はじめから十分な資金を持っていなくても販売と開発の継続ができるチャンスがあり、また開発途中の物を多数のユーザーに触ってもらうことで、実質的なテストができることが主なメリットとなります。

 当然開発途中なので必要な機能が実装されていなかったり、バグが含まれていたりということもあり得ますが、ユーザーもその点を承諾し、一方で完成版よりも割安で購入できたり、バグの報告や新機能の要望等といった形で開発に間接的に関われるというのが購入する側のメリットだと言えるでしょう。

現在Steamでは約270ものタイトルが早期アクセスとして販売されている。
現在Steamでは約270ものタイトルが早期アクセスとして販売されている。

 この早期アクセスが急進してきた背景としては、上記のメリットの他に、クラウドファウンディングの衰退の影響も大きいと言えます。Kickstarterをはじめとしたクラウドファウンディングは、昨年まではインディーズ・ゲーム開発のフロンティアとされてきました。しかしこの方法による資金調達の成功率は非常に低く、有名な開発者が参加していたり、すでに有名な企画だったりという知名度が物を言い、純粋な企画力だけではなかなか成功に繋がらないのが現状。また度重なるプロジェクトの中止等、支援者側からの信頼も低下してきています。

 事実、2014年上半期のゲーム・カテゴリの資金調達額が、昨年の半分以下となったという調査報告が出てきており、クラウドファウンディングのバブルは弾けたというか、多くのスタジオにとってはもはやチャンスを掴める場所ではなくなってきているんですね。

 
ICO Partnersの報告によると、今年上半期のKickstarterのゲーム・カテゴリにおける資金調達額は13,511,740ドルと、下半期を同額と想定しても昨年通期の57,934,417ドルの半分以下にまで下回った。

■早期アクセスとMOD文化の類似点

 早期アクセスが普及したもう一つの主因として、スター的作品の存在にも言及せずにはいられません。インディーズ勃興期にも、またはクラウドファウンディングが登場したときにも、その普及を牽引するスター的作品が存在しました。早期アクセスの場合は『Minecraft』と『Day Z』の2タイトルを挙げることができるでしょう。

 『Minecraft』は言わずと知れたクラフトゲームの始祖であり、今日のインディーズ・ゲーム文化そのものを代表する名作ですが、本作がリリース初期にとっていた、開発途中のものを割安で販売し以後無償でアップデートを繰り返していくというスタイルは、早期アクセスの販売方法のモデルの一つとなっています。

 もう一方の『Day Z』は、もともとは『ARMA II』というゲームのMODとして展開されてきたゾンビ・サヴァイヴァル・ゲームですが、昨年末スタンドアローン版が早期アクセスでリリースされて大ヒットを飛ばし、実質的な早期アクセス・ブームの火付け役となりました。

『Day Z』より。本作と『Minecraft』はゲームデザインから販売形態まで後続のインディーズ・ゲームに多大な影響を与えつづけている。
『Day Z』より。本作と『Minecraft』はゲームデザインから販売形態まで後続のインディーズ・ゲームに多大な影響を与えつづけている。

 さて、以上のように早期アクセスは概念的には『Minecraft』、より実際的な販売形態としてのブームを作ったのは『Day Z』にあると述べましたが、より深い部分にある考え方というか文化的な性質というのは、ずっと前の時代の「MOD」文化から引き継がれているものだと個人的に感じています。

 MODというのは、既存のゲームを「Modification」する、つまり改造し、そのデータをネットで無償で広く公開・共有することを指します。さかのぼるとFPS黎明期である『DOOM』や『Quake』の時代から存在しており、かつてPCゲームを語る上で欠かすことのできない重要な文化でした。

当時のMODの一例。『Shadow Warrior』改め『Sylia Warrior』。98年の作。テクスチャが無秩序に『バブルガムクライシス』のイラストに差し替えられる暴挙。こんな光景当時は日常茶飯事だった。
当時のMODの一例。『Shadow Warrior』改め『Sylia Warrior』。98年の作。テクスチャが無秩序に『バブルガムクライシス』のイラストに差し替えられる暴挙。こんな光景当時は日常茶飯事だった。

 一見して著作権等々の法的問題に触れそうなこのMODですが、改造元のゲームの販売を促進させるということでメーカーも容認する姿勢が一般的で、MOD文化全盛期にはむしろ改造のためのエディターをメーカーが直々にゲームに同梱するのも珍しいことではなかったのです。

 そのMODの内容は多岐にわたり、元のゲームにちょっとした機能を追加するものから、キャラクター・モデルやテクスチャの差し替え、ほぼ完全な別の作品に作り変えてしまう物までじつにさまざま。ほぼ完全な作り変えは「Total Conversion」と呼ぶこともあり、その代表的な作品が『Half-Life』のMODである『Counter-Strike』でしょう。

 ただし『Counter-Strike』という商品化された例があるとは言え、それは特殊なこと。MODは基本的に素人のユーザーが作ったものですからクオリティは玉石混淆、メーカーの保障も受けられない、完全に自己責任で楽しむものでした。Total Conversionについてはいきなり完成版がリリースされることは稀で、大抵少しずつアップデートされていくのを見守るのも楽しみの一つだったのです。

『Counter-Strike』も完成形である『1.6』に至るまで度重なるアップデートを重ねてきた。画像は後年のリメイク作の一つである『Counter-Strike: Source』。
『Counter-Strike』も完成形である『1.6』に至るまで度重なるアップデートを重ねてきた。画像は後年のリメイク作の一つである『Counter-Strike: Source』。

 現代のMOD事情はというと、ゲーム開発がきわめて高度かつ大規模なものになってきたにつれ、素人が手出しできるものではなくなり、かつての勢いはすっかり失われてしまったのが実情です。『The Elder Scroll: Skyrim』等の一部のMODフレンドリーな作品を除くと、現在発売されるゲームでMOD前提とした姿勢は見られなくなって久しいですし、Total Conversionのような大規模なものが話題に上がることも滅多にありません。

 しかしMODにとって代わって興隆してきたのがインディーズ・ゲームです。かつてのゲームに同梱されていたエディターの役目はUnityやUnreal Development Kit等の安価で安定したサポートが得られるゲームエンジンに変わり、既存のゲームを改造するのではなく、1からオリジナルのゲームを作っていくことに軸足が移ってきたのです。

 こうして振り返ってみると、インディーズ文化の先端にある早期アクセスも、単に目新しいだけでなく、かつてのMODやTotal Conversionという文化の土壌があるからこそ生まれてきた、しっかり文脈を踏まえたものだと感じられるのです。またそう考えるとMODからはじまった『Day Z』は、MODとインディーズ、Total Conversionと早期アクセスといった古今を繋ぐ象徴的な作品であるとも捉えられますね。

■お金を取るという事の難しさと責任の重大さ

 しかしながらMODとインディーズには金銭的やり取りの有無に決定的なちがいがあり、これが現在のインディーズ業界にまつわる諸々の問題を引き起こしています。たとえば早期アクセスの場合、開発側とユーザーの認識のギャップが問題になっています。簡単に言えば開発側が公約していた内容、あるいはユーザーが求めている内容と、実際のゲームの内容がちがうということが往々にして起こり得るんですね。

 MODにもそういったことはよくありましたが、MODは商品化でもされないかぎり基本的に無償であり、どこまでいっても所詮は趣味の産物、当然ユーザー側も何が起きようが自己責任だという大前提を暗黙の内に共有していました。

 しかしインディーズは逆に、どんな糞味噌な内容であってもお金を取っている以上は開発側に相応の責任が発生するし、ユーザーもそれを追及する権利を有するという考え方になります。すると開発中であるという前提をすっ飛ばしてユーザー・コミュニティが炎上、ゲームはブランド・イメージを不当に損なうという問題が起きてしまう。

 また開発中止のリスクがつねに伴っているという問題もあり、ひどい場合だと返金処理どころかまともな説明もなくスタジオがばっくれてしまうことも。実際Steamで早期アクセスとして販売されていた『The Stomping Land』の例では、開発半ばでスタジオからの連絡が途絶えそのまま販売停止に至るという事件にまで発展しています。

『The Stomping Land』より。5月30日のアップデートを最後にスタジオは音信不通になっている。
『The Stomping Land』より。5月30日のアップデートを最後にスタジオは音信不通になっている。

 こうした問題を受けて現在Steamでは早期アクセス・ゲームのストアページやFAQで、早期アクセスゲームが開発途中のものであり、最悪の場合は開発中止もあり得るという点を明記するようになりました。しかしながらこれは開発側とユーザーとの信頼の問題でもあり、いくらリスクを明記しても問題が多発するようであれば、ユーザーは関わりを避けるようになるし、健全な開発スタジオにとってもメリットがなくなってしまいます。

 それこそKickstarterにおいてこの数年でさまざまな問題が発生し、クラウドファウンディングの可能性と限界が周知された結果としてそのバブルが弾けたように、早期アクセスも未知数ゆえの評価待ちの状態であり、数年後も安定した販売方法として定着しているかどうかは怪しいところです。

 個人的な見解を述べれば、早期アクセスが数年後もいまの形態のまま存続している可能性は低いと見ています。なぜなぜならゲーム開発とは予定通りいかないものであり、予算も期間も足が出ることは現代の大手のゲーム開発においてでさえ当たり前のことなのです。しかし早期アクセスは将来の完成の可能性を担保に資金を募っている面があるわけですから、これはじつに危ない橋を渡っているものだと感じています。

 しかもベータ版等、ゲームとして必要な機能がすべて実装されている状態ならまだしも、アルファ版やそれ未満の状態で販売しているゲームも多い。ということはそれだけ今後の開発で未知数な部分や問題が起きる危険性が高いのです。しかも開発中のゲームをそういう状態で販売しなければいけないということは、それだけスタジオに余裕がないということの表れでもある。

 早期アクセスが流行りはじめてまだ一年も経っていないので問題も顕在化されていませんが、これから先、募った資金が足りなくなったとか、公約していた機能を実装できない等の問題が間違いなく頻発することが懸念されます。最悪クラウドファウンディングと同じ道をたどり、最終的に信頼も知名度も資金も余裕のあるスタジオにしかうま味がない、何も元手が無い弱小デベロッパーの救いにはならない販売形態になってしまうのではないか、という点を大変危惧しています。

■早期アクセスのその先は?

 より多くの開発者にチャンスを与える。これがインディーズ・ゲーム業界でつねに問われている課題であり、それに応えつづけてきたからこそ、現代の興隆があると思っています。クラウドファウンディングや早期アクセスもそうした試みの一部であり、成功した面もあれば失敗した面もあります。では早期アクセスの次には何が来るのか? その点についても少しご紹介したいと思います。

 インディーズのスタジオにとって資金と同じく問題になるのがプロモーションです。せっかくよい物を作っても十分な宣伝がなされなければ売れるものも売れない。早期アクセスが流行った要因の一つには、じつのところ、とりあえず発売すればSteamのトップページに掲載されるというプロモーション面での理由もありました。こうしたことからもわかる通り、近年ますますたくさんのゲームが発売されひしめき合う中で、いかに目立つかというのは大変重要な課題になっているのです。

 こうした問題に一石を投じる形で最近Steamに登場したのが、「Steam Discovery」および「Steam Curators」という新機能です。この両者はともに多数のゲーム・ラインナップの中からユーザーに適切な商品を紹介することを目的としています。

 Steam Discoveryは個々のユーザーが購入し遊んだゲームをもとに自動生成される商品紹介ページで、これまでの画一的な商品紹介ページでは取りこぼしていた作品の情報をユーザーに届けられるようになることが期待されています。

 もう一方の Steam Curatorsは逆に有人による商品の紹介機能で、キュレーターである個人、あるいは組織が商品を推薦することで、購入の一助にしようというものです。贔屓にしたいキュレーターを登録すれば、先程のSteam Discoveryで生成された商品紹介ページに、キュレーター推薦の商品も掲載されます。

ちなみに僕は『Rock, Paper, Shotgun』を特別贔屓にしている。本来はゲーム専門ニュースサイト(https://www.rockpapershotgun.com/)で、マイナーながら良質なゲームの発掘に定評がある。
ちなみに僕は『Rock, Paper, Shotgun』を特別贔屓にしている。本来はゲーム専門ニュースサイト(https://www.rockpapershotgun.com/)で、マイナーながら良質なゲームの発掘に定評がある。

 これらの新機能はいずれも実装されたばかりなので効果的かどうかの判断はできませんが、こうした試み自体は評価できますし、また引きつづき行われなければいけません。インディーズ・ゲーム業界が今日の形を成しているのは、作っていくため、売っていくための試行錯誤が続けられたからであり、その結果としてマネタイズとクリエイティヴィティを両立しながら市場を拡大してきたことは財産であると誇ってもいいものです。

 そして早期アクセスとMODの繋がりが示すように、今日の試行錯誤や新しい試みの中にも、文化的な土台としての過去をしっかり引き継いでいることに、根底の部分での力強さを感じています。今後もさまざまな問題が起きるでしょうが、それらを乗り越えインディーズ・ゲーム業界をさらに発展させていってほしいと思っています。

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 ここから先は早期アクセスの作品を具体的にいくつか紹介していきたいと思います。ただしどれも開発中のものですから、ここでの評価は最終的なものではないことを念頭に入れてください。

Broforce

 

 開発はFree Lives、パブリッシャーは一癖も二癖もあるゲームの販売でお馴染みのDevolver Digitalによる作品。往年のアクション映画のヒーローたちを堂々とパロディしたキャラクターが大暴れする、肉密度1000%、木曜洋画劇場的なアクション・ゲームです。

 パッと見、『魂斗羅』や『メタルスラッグ』等の純粋な戦場アクションかと思いきや、地形を崩して回り込んだり敵の足場を無くしたりといったパズル的側面もあります。プレイヤーが操作する兄貴たちはどれも強力な火力を持っていますが、敵の攻撃一撃で倒れてしまうため、強力な攻撃をぶっ放しつつ、それによって削れていく地形をも利用し、いかに敵の射線に入らないかを考える、アクションと戦略性をあわせ持ったゲームと言えます。

 とは言えそこまでタイトではなく、そればかりか実際はかなり大雑把なゲーム・バランス。地形は半ば制御不能なくらい削れていくこともあるし、操作する兄貴たちは毎回ランダムで決まる上に性能差が激しくて、使えない兄貴ではクリアはままならない。ただどうせすぐ死ぬし、そしたらまた別の兄貴を操作することになるからいずれクリアできるっしょ? みたいなノリ。同じDevolver Digital販売で、タイトなアクションと戦略性が高いレベルで融合していた『Hotline Miami』とは比べるべくもないアバウトさです。

 しかしながら、本作はそれがいいのではないかとも思います。現在Beta版でゲームとしての根幹部分は大分でき上がっていると思います。一方でいまなお新しい兄貴たちを次々と実装しようとしているところからもわかるように、本作は磨き上げられたゲーム・バランスを味わうものではなく、次々と登場する新たな兄貴にワクワクしながらその場その場の爆発を楽しむ、ファストフード的な楽しみ方のゲームなんだと思います。

 ちなみに法的に大丈夫なのかと心配になるくらいあけすけなパロディをしている本作ですが、なんと本家本元の筋肉映画『Expendables 3』との公式コラボが決定、その名も『Expendabros』という兄弟作をリリースするに至っています。世の中どう転ぶかわからないですね。


『Expendabros』より。ヘタにプロモーション用ゲームを委託開発するより、よっぽどできがいいし話題性もある。

■Dream

 

 Hyperslothが開発、Mastertronicが販売の、題名通り夢を題材にした作品。古くは『Myst』等に代表される、雰囲気系、探索パズル系のゲームですね。開発は順調そうで、月1からそれ以上のペースでアップデートされているので、その点についての心配はなさそうです。

 僕はこの手のゲームが好きなのでそれなりに遊び込んできたつもりですが、しかし本作は残念ながらピンときませんでした。まず第一にヴィジュアルのセンスがない。雰囲気系のゲームはその世界に引き込むヴィジュアルのインパクトが必要ですが、美しさと超現実性、どちらにおいても突出したものを感じない。変化も乏しく、長時間変わり映えのしない空間を歩きつづけさせられることが多く苦痛です。

 またパズル性についても一定のエリアを何度も行き来して解くタイプのものが多く、難易度も高いため個人的にはとてもテンポが悪く感じる。これに変わり映えのしない見た目が加わると、退屈で面倒くさくて、とてもじゃありませんが夢の中を彷徨っているような幻想的な感覚は味わえません。

 夢の中を彷徨っているような体験ということであれば、他に『Kairo』や『NaissanceE』、『Mind: Path to Thalamus』等の作品があり、どれも『Dream』より出来がいいのでそれらを僕はお薦めします。とくに『Kairo』と『NaissanceE』はシンプルなジオメトリで構成された空間が抽象的かつ幻想的で、夢の捉えどころのない感じが具現化されているようで好きですね。

『NaissanceE』より。グレー1色の世界だが巨大構造物の数々はSF的でもあり、こちらのほうがはるかに夢っぽい。
『NaissanceE』より。グレー1色の世界だが巨大構造物の数々はSF的でもあり、こちらのほうがはるかに夢っぽい。

■The Forest

 

 Endnight Gamesが開発・販売を手掛けるオープンワールド・サヴァイヴァル・ゲームで、早期アクセスの中でも人気の高い作品です。ベースは『Minecraft』が発明したクラフト&サヴァイヴァルのシステムを踏襲しつつ、敵の襲撃を想定した拠点や罠の作成、体調管理等といったサヴァイヴァルの側面がより強化されています。

 昼夜を問わず敵である原住民が襲ってくるため難易度は高い。最初の頃、僕はスタート地点である飛行機墜落現場付近に拠点を作っていたものの、すぐ敵に見つかっては殺されるを繰り返してまったく楽しめませんでした。

 しかし敵にも巡回ルートがあるようで、海岸沿いの崖下の僅かな平地に拠点を作成。さらに敵に見つかっても逃げ込めるように各地に臨時避難所を用意することで、ゲームを軌道に乗せることができました。

 以上のように説明不足で大変とっつき難い面があるものの、ゲームの法則を試行錯誤で学習していくおもしろさがあり、一度軌道に乗れば『Minecraft』譲りのエンドレスなクラフト&サヴァイヴァルの世界が開けています。

 現状、ヴァージョンはまだ0.07のアルファ段階で、未実装の要素もあれば挙動も安定していません。ただ基本的な部分のおもしろさは十分実感できるし、グラフィックスもインディーズにしてはよくできているほうなので、今後の開発でしっかり肉付けしていけば、よい作品になる予感がします。

 ただ僕は個人的にはエンドレスなゲームって好みではないし、その方向性であれば『Minecraft』が最強なので、本作には何らかの大局的な目標を用意してほしいところ。ゲームのオープニングで主人公の息子が原住民にさらわれる場面があり、その後とくに説明がないのですが、そのへんの背景設定をゲームの大局的な目標に組み込んでくれることを期待したいです。

■Invisible, Inc.

 

 Klei Entertainmentが開発・販売のステルスゲーム。ここのスタジオはゲームのできに定評がある上、前作の『Dont't Starve』も早期アクセスで販売し完成させた実績があるので、信頼度は申し分ありません。

 本作の最大の特徴はターン性のステルスゲームということで、いままでありそうでなかったタイプです。ターンごとにアクション・ポイントの範囲内で行動をとる、という点を除けば基本的なルールはステルスゲームを踏襲しています。つまり敵に見つからず、監視網を掻い潜ってアイテムを収集し、速やかに離脱する。

 しかしながら非常に難易度が高く、自キャラは敵に見つかったらほぼ死亡確定で、対抗手段もほとんどないのでゴリ押しはまったく利きません。しかも一定ターンごとに警戒レベルが上がり敵勢力が強化されていくため、無駄のない行動と、ときには引き際をわきまえないと、あっという間に包囲網ができ上がり詰んでしまいます。さらにステージはランダム生成なので決まりきった攻略法もない。

 そういうわけでターン性を活かして個々のターン内ではじっくり戦略を練られるものの、大局的には時間制限を意識して行動しなければいけない点が、従来のリアルタイムのステルスゲームの、瞬間的なアクションは問われるものの大局的には牛歩戦術が利く性質とは真逆なのがおもしろいですね。

 しかしそれにしても難しい。自キャラが複数いる内は各ステージはツーマンセルで挑むことになりますが、いまだに2人とも生還してクリアできたことがない。アイテムの購入やレベルアップで自キャラも強化させていけますが、そうした軌道に乗せるためにまずはゲームオーバーになりまくってコツを掴まなければいけません。そのあたりを良しとできるかどうかが好みの分かれどころでしょう。

 現状ランダム生成とはいえステージのヴァリエーションは少ないし、アイテムやレベルアップ時のアンロック要素も十分ではありません。ただ基本部分は大変しっかりしているので、あとは要素を増やしていけばいいという点では、今後の開発も安心して見守れる気がします。

■The Long Dark

 

 Hinterland Studioが開発と販売を手掛けるオープンワールド・サヴァイヴァル・ゲーム。『Minecraft』や『Day Z』のサヴァイヴァル要素のみを抽出・深化させたような作品ですが、ゾンビとか原住民だとかいったフィクション要素はいっさい出てきません。かわりにプレイヤーが立ち向かうのはカナダの豪雪地帯という、厳しい自然環境そのものです。

 サヴァイヴァルに特化しているだけあって、管理しなければいけない自キャラのパラメータは疲労、冷え、飢え、渇き等にわたり、さらに怪我だ病気だといった状態異常にも気をつけなければいけません。

 これらを満たすためにつねに探索しつづけ、食料や衣服、燃料を集めつづけなければいけませんが、これまたとても難易度が高い。極寒の地での活動はそれだけで体力を奪いますが、何もしなくてもパラメータは低下していく。かといって探索したところで物資が見つかる保証も、いざ吹雪いてきたときに非難する場所がすぐそばにある保証もない。

 そんな状況だから、体調が万全なのはゲームを開始したときだけで、以降はつねに何らかの体調不良に悩まされることになります。この問題を抱えたままプレイしつづける感覚は、初代『Half-Life』の、HPがつねに半分前後になりがちなゲーム・バランスに通じるものがあります。

 ただ本作は半分どころか油断していればすぐ詰んでしまいます。といっても即死するわけではなく、何も打つ手がなくなってしまったが後2日くらいは生きられる体力が残っているので、その間ゆっくり衰弱していく、っていう流れになるのがじつに生々しい。

 現状アルファ版でストーリーモードはまだ実装されておらず、純粋なサヴァイヴァルに挑むサンドボックスモードのみを遊んだ上での感想ですが、それでも本作のエッセンスは十分に感じ取ることができました。基本的な操作感は大変しっかりしているし、難易度は高いものの徹底してリアルなサヴァイヴァル・シミュレーターに徹したゲーム・デザインも渋くて好みです。グラフィックスもシンプルだけど自然の険しさと美しさの両面を感じさせてくれます。

 要望としては、現状ではインベントリが文字だけなので、画像を交えて直感的な仕様にしてもらいたい。ただ不満点はそれくらいで、これから先肉付けしていけばかなりいい作品になりそう。今回ご紹介したゲームの中では、個人的には本作がいちばん期待値が高いです。後々実装されるというストーリーモードにも大いに期待したいと思います。

■World of Diving

 

 Vertigo Gamesが開発と販売を行うダイビング・シミュレーターです。海に潜って数々の魚の写真を撮ったり、埋蔵物を収集したりといったことが主な遊びになります。

 最初は海中の美しさにワクワクさせられますが、所詮は作り物。景観のヴァリエーションがなく、もしくは海中なので出しようがないのかもしれませんが、とにかくすぐ飽きてきてしまい、何か遊びはないかと考えるのですが、上記の2種類しかやることがないのでたまりません。

 埋蔵物の収集でゲーム内通貨を貯め、ダイバースーツ等の装備を買い揃えることもできますが、それがゲーム自体のおもしろさに繋がるわけでもなし。いちおうダイビングの諸要素を再現はしているのかもしれませんが、ゲームとしてはただただ退屈なものでしかありません。

 類似した作品はどうなんだろうということで、『Depth Hunter 2』という作品も遊んでみました。開発中のものと完成品を比較するのもフェアではないのですが、『Depth Hunter 2』のほうがグラフィックスは若干綺麗だし、泳いでいる魚の種類も多い。また写真撮影や埋蔵物収集の他にも、スピアガンを使っての魚のシューティング要素もあります。

『Depth Hunter 2』より。見た目が似ていますが別作品です。
『Depth Hunter 2』より。見た目が似ていますが別作品です。

 ただこちらも五十歩百歩という感じで、ゲームとしておもしろいかどうかというと大いに疑問。どちらも実際のダイビングの再現に気を取られていて、ゲームとしてのおもしろさが蔑ろにされている気がします。

 では、ゲーム性優先の海中ゲームはあるのだろうかと探して見つけたのが『Far Sky』という作品。こちらは言うなれば海底版『Minecraft』で、有限の酸素や水圧による活動限界という海中ならではの要素が要所に組み込まれていますが、基本的には『Minecraft』を踏襲したクラフトゲームです。

 前述の2作よりは圧倒的にゲームとして遊べますが、それでも『Minecraft』の縮小再生産の感は否めず、海中ゲームとしてのオリジナリティを実感するには至りませんでした。

『Far Sky』より。こちらも見た目が似ていますが、やっぱり別作品です。
『Far Sky』より。こちらも見た目が似ていますが、やっぱり別作品です。

 今回『World of Diving』を通じていろいろ探し回って感じましたが、海中を舞台にしたゲームは少ないです。それはここで取り上げた3作を遊んでも感じたように、海中という舞台自体が景観の変化に乏しく、飽きがくるのが早いというのも理由の一つかもしれません。

 『World of Diving』のダイビング・シミュレーターとしての再現性については、僕は実際のダイビングをしたことがないので量りかねますが、ゲームとして捉えたらおもしろくないのはたしかです。ただ本作がシミュレーターと銘打っている以上、ゲームとしてのフィクション性を取り入れる気はあまりないようなので、今後のアップデートについても個人的には期待できません。

 それにしても海中を舞台にしたゲームで、これはという作品はないのでしょうか。探しているのでご存知の方は教えてください。ちなみに『BioShock』シリーズは抜きでお願いします。

物語る私たち - ele-king

 and I told you to be PATIENT,
 and I told you to be FINE,
 and I told you to be BALANCED,
 and I told you to be KIND…

 ボン・イヴェールによる“スキニー・ラヴ”が映画の冒頭で流れれば、僕ははじめて『フォー・エマ、フォーエヴァー・アゴー』を聴いたときのことを思い出す。その小さなフォーク・アルバムのなかで、敗れた恋とつまずいた人生に傷ついた男が自分自身に向けて「我慢強く、しっかりと、バランスを保って、心やさしく」あれと懸命に言い聞かせていたその曲のように……『物語る私たち』は、とても個人的な1本だ。

 幼い頃から子役として活動してきたサラ・ポーリーにとって監督3作めとなる本作で、彼女はこれまでの作品群……『アウェイ・フロム・ハー/君を想う』(06)、『テイク・ディス・ワルツ』(11)と同様に夫婦間に横たわる問題と複雑な愛について描き出している。ただし本作でポーリーが取りあげる夫婦は自分の両親であり、そして実話だ。しかしながらこれは「ノンフィクション」や「ドキュメンタリー」と言うより、あくまで「ストーリー」なのだと何度も強調される。
 その「ストーリー」の筋書きはこうだ。舞台女優でもあった母ダイアン・ポーリーはサラが11歳のときにガンで他界した。独立した兄や姉たちとは違って、末っ子のサラは父マイケルと暮らし、父娘の絆は育まれていく。しかしサラが成長してからというもの、家族間で「サラだけパパに似てないよね」という意味深なジョークが時折出るようになり、そしてそれがどうやら冗談でもない可能性が浮かび上がってくる。「サラが生まれる少し前、家を離れてモントリオールの舞台に立ったママは、どうやら恋人がいたらしい」……。そしてサラ・ポーリーは、自らの出生を、奔放だった母の秘密を探るために当時の舞台俳優仲間たちを訪ねることにする。
 たしかにこれはある家族の、ともすれば下世話な興味を引きかねないごくごく内輪の話である。だが、『羅生門』スタイルで、夫、子どもたち、友人、俳優仲間たちがそれぞれ証言することによって唯一不在かつ最大の当事者である母の像を浮かび上がらせていくというポーリーがここで取った手法は非常に効率的で滑らか、そして巧みだ。何度となくノスタルジックに差し込まれる8ミリのホームビデオ。まるで萩尾望都のマンガに出てくるような、率直で賑やかで、少々落ち着きのない母がそこで笑っている。誰もが魅了され、誰もが愛したダイアン。母でもあり、妻でもあり、恋人でもあり女優でもあったその女のある秘密が、じつに鮮やかに暴かれていく。

 ここから以下の文章ではその真相を明らかにしていることをご了承の上、お読みいただきたい。

 あろうことか……というか、大方の予想通り、母には恋人が本当にいて、父マイケルはサラの「本当のパパではなかった」。ただ、中盤であっさりと明かされるこの事実は映画の核心ではない。ここで明らかになるのは、本作が多くの優れたロマンス映画のように「ふたりの男とひとりの女」を題材にしていることなのである。それはふたりの男の間で揺れた母/女ダイアンだけではない。ふたりの父を持つことになった娘サラの物語でもあるのだ。そしてその両者の間にある愛は、形は違えどどちらも真実であり、だからこそ……そのことを知る家族はお互いを許し、母の人生を認め、そしてサラや父マイケルをはじめとして、彼女らが巻き込まれた厄介な事情をそれぞれが受け入れていく。
 興味深いのは、父マイケルもあるいは母の恋人でありサラの実父であった「その男」も、ダイアンとの間に起きたことや自分の人生を語りたがろうとしていることである。一個人の身に起きたことが、何か人生の普遍を……人間の真実を示しているのだと、その行為によって男たちは信じようとする。あるいは、そこに本当に愛があったのだと……。いっぽうでサラ・ポーリーはあくまで監督であり編集者として、一人称を「私」とせず、「私たち」にすることによって父親たちよりも客観的な視点を獲得しており、ひとりの女に大いに振り回された男たちの姿を浮かび上がらせていておかしい。

 だが、『物語る私たち』はシニカルな視点に貫かれているわけではなく、家族の事情を重く捉えないユーモアとお互いへの信頼が映像を満たしているからだろうか、とても温かな感触がある。母が死んだときのことを語らせる娘に向かって父マイケルは涙ながらに言葉を詰まらせ、「お前はなんてサディスティックな監督なんだ」とつぶやく。そしてふっと笑う。「この間もわけのわからない演出しやがって」。その笑顔はつまり、どんな人生にも必ず生まれる深い悲しみや困難に「語る」という行為を通して立ち向かっていくことを示しているように、僕には思えてならなかった。ちょうど、ボン・イヴェールが自らのごく個人的な悲しみと愛を、人称をぼかしながら「物語る」ことによって多くのひとの心を掴んだように。
 邦題が巧みな稀有な例でもある。原題は「Stories We Tell」、すなわち「私たちが語る物語たち」。語られる物語と、それを語る私たち。その円環のどこかに、私たちが愛と呼ぶものが立ち上がっているのだと、この映画はそっと差し出している。

予告編

FEBB - ele-king

 少し前の話だ。テレビでも人気のある元陸上選手のツイートが日本のヒップホップ・ファンのあいだで物議を醸した。彼はツイッター上で激しい批判に晒された。いまさらその話題を蒸し返して、彼を貶めるのが目的ではないから名前は出さない。
 彼の意見を要約すると、つまり、「日本にヒップホップは根づかない/根づいていない」というものだった。耳にタコができるぐらい何度も聞いてきた凡庸な意見である。ある側面においては、この国の輸入文化の受容に対する根強い一般論であり、ありがちな本場志向や本質主義とも言える。だから、彼は突飛なことを言っているわけではなく、率直に保守的な意見を述べたに過ぎない。
 音楽史を振り返れば、日本のロックやジャズやソウル・ミュージックに対してまったく同じことを主張する人間はいたし、彼にしてみれば、「日本で生まれ育った人がフラメンコをやるとどこか違和感がある」というツイートでもよかったわけだ。その元陸上選手がひとつだけ下手を打ったとすれば、熱狂的なヘッズやファンの存在を知らずにヒップホップを引き合いに出してしまったことぐらいだろう。

 Fla$hBackSのFEBBが今年1月に発表したファースト・ソロ・アルバム『THE SEASON』は圧倒的にかっこいい。東京のインディ・レーベル〈WD Sounds〉と〈Pヴァイン〉のダブル・ネームでリリースされたこの作品は2014年の最重要作の一枚あり、僕の今年の愛聴盤でもある。
 前述した件があってから、あらためてFEBBを聴き込んでいる。『THE SEASON』の有無を言わさぬかっこ良さはなんなのだろうかと考えながら、何度も聴いている。そしてあることを思う。東京出身の弱冠二十歳のラッパー/ビートメイカー/プロデューサーは、この国でヒップホップをやることに微塵のコンプレックスも感じていないんだろうなと。

 日本のヒップホップはそのはじまりから、多かれ少なかれ、本場=アメリカに対するある種のコンプレックスを糧にして成長、進化してきた側面がある。この手の話は散々語られてきたことではあるが、コンプレックスそのものは必然的なことだったし、だから、ここで言うコンプレックスは必ずしもネガティヴな意味ではない。
 ラップで英語を多用し、英語訛りを積極的に取り入れてきたZEEBRAやSEEDAも、逆に、英語や英語訛りを意識的に避けてきたRHYMESTERやILL-BOSSTINOも、それぞれのコンプレックスに徹底的に向き合うことで独自のスタイルを生み出してきたという点では共通している。
 また他方で、強烈な名古屋弁でラップすることで、東京のラップともUSラップとも異なる地方独自の個性で人気を博したTOKONA-Xのようなラッパーもいた(ちなみに、方言の訛りを活かしてリズミカルにラップすることにおいていま最も独創的なラッパーのひとりは岡山県津山市出身の紅桜( https://www.youtube.com/watch?v=KGhWqZ6Y-GI )ではないか。stillichimiyaの甲州弁ラップもじつにおもしろい)。
 いずれにせよ、原点にあるコンプレックスとアメリカとの距離感が、彼らの音楽の芯の強さとユニークさを作り上げてきたのである。

 そのようなコンプレックスから解放されているとまでは言わないまでも、早い段階で攻略法を見つけ、ぐんぐん進化していく、いまの「日本のラップ」のおもしろさと醍醐味を体現するラッパーはたくさんいる。たとえば、AKLOとMOMENTというふたりのラッパーを挙げることができる。
 先月リリースされたセカンド・フィジカル・アルバム『THE ARRIVAL』で、メキシコ人と日本人のハーフであるAKLO( https://www.youtube.com/watch?v=DGTddE4UV5U )は、意味や叙情性をほぼ排し、超絶した技巧力でグルーヴする(本人はこのカテゴライズを嫌うが)日本語と英語のバイリンガル・ラップにさらに磨きをかけている。橋本治のある歌謡曲論に倣って言えば、これぞ、人生の悲哀や人間の真実、美しい愛の歌でもない、素晴らしいノリだけでできた、2014年のラップ・スターのシュールな世界である。
 また、韓国語、英語、日本語を使い分け、ときにミックスし自由自在にフロウする大阪在住の韓国人であるMOMENTも魅力的だ。MOMENTはいま、自愛と自虐の葛藤のなかで次の舞台を模索しているようにみえるが(それこそいろんなコンプレックスに懊悩しているようだ)、彼ならきっと困難を乗り越えることができるだろう。

 FEBBの唯一無二のかっこ良さは、彼が息を吸って、吐くようにヒップホップしているところにあると思う。迷いがなく、理屈もない。ダ・ビートマイナーズやヒートメイカーズ、スキー・ビーツといったビートメイカーたちをフェイヴァリットに挙げるFEBBの音楽にとって90年代、00年代のNYヒップホップは重要な構成要素であるものの、彼のラップやビートを聴いても、模倣や解釈ということばは頭に浮かんでこない。
 14曲中4曲はみずからビートを作り、それ以外のトラックを国内外のビートメイカーに託している(スキー・ビーツも一曲提供し、ミキシング/マスタリング・エンジニアを、カレンシー『PILOT TALK 2』(2010年)のマスタリン・エンジニア、Brian Cidが担当)。
 そこには、呼吸するように英語と日本語を混ぜたハードボイルドかつ鋭いラップをスピットし、鼓動を刻むようにドープなビートを作り出す生身のFEBBとその仲間たちがいるだけだ。
 アルバムの冒頭曲、SOUL SCREAMの“君だけの天使”と同じネタがサンプリングされたジャジーでスムースな“NO.MUSIC”で、FEBBは印象的なことばを吐いている。「俺は獣」、そして「言葉はノイズ」だと。じつにFEBBらしいパンチラインだ。
 
 かつてZEEBRAが、「東京生まれ/ヒップホップ育ち」(「Grateful Days」)と歌ったのが、1999年だったから、それから15年が経った。そのころ4歳だったFEBBはさながら「ヒップホップ生まれ」という感じである。それは、Fla$hBackSのメンバーでソロ・アルバムの完成が待たれるjjj( https://www.youtube.com/watch?v=h_dXj_jhFis )にも、先日素晴らしい無料ミックステープ『Shadin'』を発表したFEBBの盟友、KID FRESINOにも共通するものだ。
 
 最後に。『THE SEASON』は、サイケデリックで、ソウルフルで、ジャジーで、ファンキーな、素晴らしいハードコア・ヒップホップだ。まだ聴いていない人はぜひ聴いてほしい。

IPPI - ele-king

旅先で聞いたアルバム 2014.10

パーティーを開催します!
楽しもう!

PYRAMID ROOTS
2014.10.10.FRI.
at BONOBO
https://bonobo.jp/schedule/2014/10/001524.php

僕のHPです!
https://www.ippi.jp


Yasuyuki Suda (inception records) - ele-king

Recent Favorite Music

群馬県桐生市でinception recordsというレコード屋やっています。
同じ桐生市のLEVEL-5にて、"TIME"(奇数月第2土曜)、"HOWSAUCE"(偶数月第2土曜)でDJもやっています。今回、店に入荷したタイトルを中心に、自分の最近のお気に入りをピックアップしました。
https://inceptionrecords.com

Aphex Twin - ele-king

五野井郁夫/Ikuo J. Gonoï
1979年、東京都生まれ。国際政治学者・政治哲学者。著書に『「デモ」とは何か――変貌する直接民主主義』(NHK出版)など。世界中のフェスや美術展、流行の研究と批評も行っている。去年は新語・流行語大賞を受賞。

若山忠毅/Tadataka Wakayama
1980年生まれ。写真家。
主な展示 第10回写真「1_WALL」展 / 銀座 ガーディアンガーデン(2014)。テクノ・ハウス全般に造詣が深い。
https://twitter.com/t_waka1980
https://www.facebook.com/waqayama.tadataqa
https://rcc.recruit.co.jp/gg/exhibition/gg_wall_ph_201403/gg_wall_ph_201403.html

Aphex Twinにいつ、どのようにして出会ったか

五野井:Aphex Twinといえば、われわれの世代からすると、挑むにせよ、模倣するにせよ、ひとつの準拠点なわけですが、まだネットがなかった頃の電子音楽、そしてAFX体験っていつでしたね? 思春期の頃には、お互いすでに聴いていたのだけど。

若山:はじめて知ったのはレコード屋ではなく、まず雑誌ですね。クラブミュージックを取り扱ったほとんどの雑誌の情報はなんでも仕入れていました。あとは海外の雑誌をたまに。高校ぐらいからは『ele-king』が創刊されて読むようになった世代ですね。そんな情報の中でアンビエントってジャンルがあるんだと知りました。いろいろ聴いていると変なのが引っかかった。それがAphex Twinです。音としては、最初に〈Warp Records〉が発表した『Artificial Intelligence』(1992)。あとはソニーの〈Warp〉のコンピに入っていた、Polygon Window名義の“Quoth”(1993)って曲ですね。90年代は何々テクノやらハウスやらがいろいろあって、それを必死で追いかけていました。

五野井:そうですね。『Artificial Intelligence』にはThe Diceman名義の“Polygon Window”(1992)が入っていたんですよね。ネットが普及していないので、まず、音を紙で聴いて、情報を仕入れてCDを買いに行くっていう感じでしたね。身体性を気にしない澄んだ音だったから、90年代の帰宅部カルチャーだったわれわれにとっては、すぐれて心地よくもあったわけで。1992年にアルファ・レコードから『HI-TECH / NO CRIME』と1993年の『Hi-Tech / U.S. Crime』(YMOのリミックスCD)が相次いで発売されて、これが未来なんだって当時感じましたね。徹底的にテクノの「洗礼」を受けた時期かな。雑誌といえば『i-D』や『Face』、あと季刊の『Vouge Hommes』で、音楽はもちろんモードや写真にも入っていきましたね。2000年にターナー賞受賞したウォルフガング・ティルマンスなんかが、90年代当時のUKクラブシーンを撮っていたし。

若山:ぼくはティルマンスが写真撮っていたことは、当時まったく気づかなかった。あの頃は写真に興味がなかったから(笑)。でも彼がAphex Twinの写真を撮っていたんですよね。当時のAphex Twinへの入り方は、お互い歳がそんなに離れていないから、ここは2人の共有できる点ですね。そのCDから誰がリミックスしているとかから、アーティスト名を調べていた時期です。彼らのオリジナルやその周辺のアーティストを漁りはじめたころ。最初のころは曲名の意味や発音が分からなかったですから。Aphex Twinの場合だと『Selected ambient Works 85-92』(1992)の“Xtal”や“Tha”とか、そもそも辞書に載っていないじゃないですか。現に存在する言葉をいじる、もしくは作ってしまえという発想は新鮮でした。それは今回もやっていますね。

五野井:しかもAphex Twinはもちろん、ほかのアーティストも別名義を幾つか持っていたりするから、ああいう文化も衝撃的だったなあ。いずれにせよ、ベンチマークになりましたよね。多重人格ではなくして、分割可能な人格って、政治哲学者のウィリアム・コノリーとかが現在でも唱えているプルーラリズム(pluralism:多元主義)そのものですから。

若山:あのころ分割可能なアーティストって多かったですね。リチャード・D・ジェイムスの旧友のTom Middletonなんかもいろいろ使い分けていたなぁ。本人も様々な名義を使い分けてトラックをリリースしていましたね。でも、だからこそ抽象的な次元から飛び出てくる多様な音や言葉(=意味不明な曲名)を視聴することで、音楽の自由さみたいなのを知ることができたといっても過言ではないです。パンクの人がNeu!を聴いた衝撃に近いかも。「あ、こんなのでいいんだ!」って。あとは中二的ですけど、無機質人間っぽさのない状況に入り込んでみたかったっていうのは、郊外における日々の生活の退屈さゆえにありましたね。
※「neu!」https://www.youtube.com/watch?v=vQCTTvUqhOQ/
「neu!2」https://www.youtube.com/watch?v=tOfhR6uybNo

五野井:そういえばYMOやクラフトワークへと続く古典的な黎明期テクノのロボティックで機械的な音だとされているなかで、Aphex Twinの位置づけって、電子音楽というよりはむしろ牧歌的で、とくに第二期以降は露悪的だとする評価がありますけど、どうです?

若山:たしかにAphex Twinをそう位置取りする方が多いのかもしれませんね。いくつかの仕事を取り上げれば、牧歌的で露悪的というのは賛同できます。でも当時テクノの細分化のなかで、もっと露悪で牧歌的なのってあったと思うんです。だから彼だけにそうした意識を強く感じることはなかったです。

五野井:70年代後半以降生まれの世代からすると、シェーンベルクからメシアンという純粋音楽の延長線上にブーレーズ、シュトックハウゼンら、「管理された偶然性」としてジョン・ケージから貶された系譜だとも云える。とくにYMOの『増殖』と2枚のHi-Techが所与だったせいか、社会風刺としての露悪や諧謔もテクノの一部だと思っていました。  とりわけ、90年代前半に中学生って、Blurの“Park life”(1994)を日本で実体験していた世代だから、あの露悪は自然な流れというか、妙なリアル感があるんですよね。あとはクリスチャン・マークレーみたいに音の外のアイデアで戦うのはなく、あくまで諧謔は補足的なものでしかなく、何だかんだいって純粋に音の中で勝負するっていう姿勢には感銘を受けました。

若山:パークライフ的な冴えない生活環境だからこそ、純粋な音楽で別次元に行きたいっていうのはありましたね。まだ郊外に住んでいるから、それはいまでも変わらないかな。

五野井:むかしだと、寺山修司が演劇『レミング 世界の涯まで連れてって』(1979)のなかで「室内亡命」という提案をしていますね。いまだとネットに逃げそうだけど、当時は普及してなかったからできなかった。「室内亡命手段」の1つは、書を捨てて街に出るのだけど、行き着く先はクラブ。そういえばそのダンスフロアからも、苦手な音の時は室内亡命をするっていうのは、建築雑誌の『10+1』に以前書いたなあ。まあ、でもフロアも疲れるときってありますよね。

若山:でも、なぜAphex Twinなのかといえば、爆音のフロアで聴かなくても、チルアウトスペースでも、さらには自宅の畳の部屋でも電気を暗くすれば、同じ効果が得られるっていうところですよね。「畳とテクノ」って(笑)。まぁ、ベッドルームテクノの本質ですね。

五野井:家で聴けるって、お金もかからないし、中高生の懐にも優しい音楽でしたよね。

若山:当時のクラブ・ミュージック、とりわけ・は退屈な曲が多くなっていっていましたよね。それよりもAphex Twinは、普通の音でも、爆音で聴いてもいい。そんな特徴があったのだと思います。“Didgeridoo”(1991)や“Polynomial-C”(1992)なんかは、面白いですよね。ダンス・ミュージックの名曲って箱でも家でもどちらでも聴いても楽しむことが可能なのが多いですね。

五野井:“Didgeridoo”は当時のワールド・ミュージックに対する嫌がらせであるとともに、引きずられた感じの両方があるのではないかと。第二期へのとっかかりとも取れるわけですけど、あれって、ジャングルとかトリップ・ホップの前で、目の前の不安感をそのまま出した感じがするんですよ。ウィトゲンシュタインの「言語のザラザラした大地」を音で垣間見たというか。

若山:バカにしているのか、本気なのか、どっちだったのでしょう。「流行りの音なんて、もううんざりだー!」って風潮はあったのかもしれない。失礼かもしれませんが、AFXってあまりクラブとか行かなそうだし。仮に家で地道にやってたいらなおさらなわけです。

五野井:本人に聞いたら絶対にはぐらかされるだろうけど、90年代のいくつかの雑誌インタヴューで本人は代表曲としていたから、本気でしょうね。当時のアーティストがみんな語り口からして真面目だったのに対して、Aphex Twinって基本姿勢は諧謔キャラだけど、でも音はもちろんとして、インタビューでも真面目な部分がちらりと見えます。誰に似ているかというと、デミアン・ハーストの、シニシズムでキャラをつくりながらも「俺の作品は残酷だって言うくせに、一番スキャンダルなのは新聞の紙面で、戦場で兵士の頭が吹っ飛んだって書いてあるのに平気な奴らだ」っていうアレかな。

若山:ぼくらがみてきたイギリス人特有のふざけた感覚ですね。ストレートな面白さと真面目さではない、ねじれた面白さと真面目さですね。多感な時期に斜に構えたスタンスを植え付けられたというか。今考えるともっと普通に青春時代を過ごしていればよかったなぁって、感慨深いです(笑)。

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新作『Syro』について

五野井:で、『Syro』なわけですが。あの純粋な音、何か懐かしい感じがしませんか。

若山:トラックごとに聴いてみると、初期の別名義の作品に似ていたりするのかなと。そして格別に新機軸ってわけでもないんですよね。AFX名義で「Analord」(2005)シリーズを発展させた感じで聴いてくださいっていうAFXの新しい楽しみ方をみつけました。

五野井:たしかにそれは新しい提案だと思う。さて、しっかりと分析していきますか。

若山:まず、“minipops 67 [source field mix]”ですね。これはGAK(AFX変名)に似ているのかな。基本に帰るっていうかアマチュアっぽいのがなんとも、どうでしょう?

五野井:GAK 1”(1994)はビートがいわゆる「完全に一致」ってやつで懐かしくもあります。Aphex Twinをこれから聴いてみようっていう人には、入門としてよい1曲目ですね。でも一般的な商業テクノの市場はこれを求めているのだろうか。

若山:たぶん、この人は一般的な市場とかどうでもいいんじゃないでしょうか。市場でのエレクトロニカ系は知的な音楽っていう嫌いがある。話がずれますが、岡崎京子の『東京ガールズブラボー』(1990-1992)でも、ニューウェーブ好きの男の子ってそういう設定で描かれていますよね。

五野井:『東京ガールズブラボー』の犬山のび太くんは、かなりナードですよね。その設定を商業的なマーケットからは求められているけど、あえて今回『Syro』では肩透かししたった、と。

若山:おそらく。先ほどから言っている予期せぬ作用があるわけです。“XMAS_EVET10 [thanaton3 mix]”はそこまでキャッチーじゃないけど、Metro Areaの“Caught Up”(2001)を思い出してしまいました。メローだからかな。

五野井:2000年代初頭の音に還っていってますね。にしてもマッシュアップ感、パねえなあ……(笑)

若山:03. produk 29、前半の緩めのビートの部分はやはり2000年代前後のダブディスコを想起してしまいます。Chicken Lipsとか……その辺かと (笑)

五野井:このあたりはさほどAphex Twinの得意分野でもないのかもしれませんね。とまれ、「神は細部に宿る」とは云ったもので、Aphex Twinが他のミュージシャンが保ち続けることの出来なかったベテランとしてのクオリティを保っていることは分かるわけで。そういう意味では、この辺りはフォロワーに対して「過去のグラマーお前らに教えてやんよ」、なのですかね?

若山:一応ベテランなわけですしね。04.4 bit 9d api+e+6はピッチを曲げるデトロイトっぽいシンセがいいですね。似ているというわけではないのですが、このトラックのシンセやベースの懐かしさがわかるといえば、Rhythm is Rhythmの“Nude Photo”(1987) とMr. Fingersの“Washing Machine”(1986)あたりとかを聴くと「おぉ!」ってなるんじゃないかな。

五野井:たしかに。この前『短夜明かし』(河出書房新社)を出した作家の佐々木中さんが講義で学生にRhythm is Rhythm聴かせたら、学生が感動したらしいですからね。われわれの世代が聴くと今回の『Syro』は2000年代初頭にくわえて、80年代〜90年代のいくつかの牧歌的な音にも戻ってきている気がするのですよ。踊らせてやるぜっていう感じとこれがテクノのクロノロジー(年代記)だよっていうメッセージも感じます。

若山:“180db_”は4つ打ちになりますね、これに関してはフロアチューンと言わないまでも、そっちの方向ですよね。でもすごいだるーいですね。ハードコア・テクノみたいだけど、音がスカスカ。Human Resourceの“Dominator[Joey Beltram remix]」”(1991)、全然違うかもしれないけど、思い出してしまいました。

五野井:刻みのよいビートなので素材としても使えるしフロア的ですね。他方、“CIRCLONT6A [syrobonkus mix]”は擬似的な感じですね。速さがあり、クラシックで、やはりベーシック。いじくり回して打ち込んでいる感じがたまらない。これがうまくいくというのは往年の技を見た気がします。とくにリズムの刻みが激しくなり巻き返すところは極めてオーソドックス。必ずどこかで聴いているような気がするっていうのはすごいことですよ。

若山:すでに聴いたことがある、どうでもいい音を再度取り上げるスタンスは大切だと思います。“CIRCLONT6A [syrobonkus mix]”も2000年くらいのBreaksってこんな感じでしたね。Plump DJsの“Soul Vibrates”(2004)はたしかこういうビートでした。でも、やはりAphex Twinらしさは十分にありますね。あと中盤のところがPsycheの“Crack Down”(1990)の後半みたいな疾走感がありますね。

五野井:たしかにPsycheのときのカール・クレイグっぽいかも。他方“fz pseudotimestretch+e+3”は転調しますね。“CIRCLONT14 [shrymoming mix]”のアンビエントな入りだけど、這うような音が入り、スピードが上がる。不安さから心地よい速さへすすむ。Aphex Twinが歳をとったのか、我々がこの音のもとで育ったからなのか、追いかけてくるような音もずしんと来る音も、オーソドックスで安心しますね。Roland TR-808と909ですよね。

若山:はい、ぼくらはこの音にやられていた。大好きな808と909です。やっぱり加工していない生の音に安心する。“CIRCLONT14 [shrymoming mix]”は極端なシャッフルが面白くて聴き入ってしまいます。クセになりますね。DJがターンテーブルで遊んでいる感じですね。リズムボックスで遊んだことがある人だったらこの機能は試したことあるんじゃないかな。おそらく機材をそのままの使っているかのようで。

五野井:生の音、というか安心できる素の音ですよね。。電子音楽における「生」っていうのは、明らかに語義矛盾なのだけど、これはたしかに生の音だなあ。TR-808、TR-909あたりで、音圧で潰さない感じがそういって差し支えないかと。

若山:いまはソフトシンセでトラックを作る時代。過去の機材もソフト上でその音を再現してくれます。最近はこうしたビンテージ機材を見直す動きみたいなのがあるのでしょうかね。

五野井:“syro u473t8+e [piezoluminescence mix]”のシンセのベタなメロディが引っ張って、後半の高音4音が純粋に気持ちいいし、そのあとのテンポの下げ方もよい。まるで他のエレクトロニカを嘲うかのように、他ジャンルをAphex Twinの音に仕上げているけど、これやる人あんまりいないですよね。

若山:こうやってコミカルにやるのはコーンウォール一派の人たちですかね。みんないいやつです(笑)。

五野井:先生と生徒(mentor and disciple)の関係ですね。そういえばスクエアプッシャーがジーマのCMに曲提供していたけど、そういう時代になったんですね。ええと、“PAPAT4 [pineal mix]”ですが、テクノポップみたいなシンセの入り方でお得意のスネアのうねりがあって、聴覚だけではなく、他の五感や身体性が拡張される感じがします。メトロノームの刻みのような音はウィリアム・ケントリッジの『The Refusal of Time』(2012)なんかにも影響を与えている、安定のAphex Twinサウンドですね。

若山:もっともAphex Twinっぽいですよね、聴きやすい。10の雰囲気はAFX名義の“Hangable Auto Bulb”(1995)みたい。

五野井:かわいた感じがたまらないですね。近頃、世界はウェットなもので溢れているから。

若山:ええ、あらゆる事象がウェットすぎですね(笑)。まま、ドリルンベースで刻むところとかいいですね。こういう音を昔のサンプラーで編集するとかなり時間がかかるんですよね、それに比べるとだいぶ楽ですよ、いまは。

五野井:“PAPAT4 [155][pineal mix]”と“s950tx16wasr10 [earth portal mix]”まで聴いていると、ひさびさにホアン・アトキンス先生のModel 500“Night Drive”(1985)が聴きたくなります。今回の『Syro』はback to the basicだと感じるのはこういう昔からの音をもう一度聴きたい気にさせる曲調が多いからでしょうか。“s950tx16wasr10 [earth portal mix]”はドリルンベースとはかくあるべしと言う曲ですね。鉄線を擦るような、ウォルター・デ・マリアの“Apollo's Ecstasy” (1990)のように、ジリジリとした感じがたまらない。曲の作りはグラマーのお手本だなあと。でも、最後の“aisatsana”は、評価が分かれますね。

若山:11曲目のタイトルにある「S950」ってサンプラーの名前かな? 最後はどうなんでしょうかね。ここまで打ち込みだったから、最後まで同じノリでやるのかなと予想していたのですが、意外な展開ですね。『Drukqs』の“jynweythek”的なのを思い出してしまって、少し驚きました。

五野井:11はAKAIのあれですかね。12曲目はたしかにウェブ上にアップされている“jynweythek”をピアノで弾いたのを聴いてみると、曲調がかなり似ている気がします。欧州圏のミックスCDのお手本のような無理のない終わり方ですね。

『Syro』を聴いてから、もう一度Aphex Twinの意義を考える

若山:今回『Syro』を聴いてみて気づいたのは、やはりルーツを調べることや戻ることの大切さということですかね。音だけで勝負するのってわれわれの世代にはすごく影響を与えていますよ。例えばテクノとハウス最初に聴いていた頃は、白人が作っているって先入観がありましたから。それこそ初めて聴いたときはDJピエールって字面であの音聴いたらみたらね。そしたら違った(笑)。テクノとハウスの歴史を紐解いてみると必ずしもそうではない。世界では音と実力で勝負出来るのだと理解できて、価値観が変わったのを今でも覚えています。それ以降、通り一遍で物事を考えず、多方面から物事をみるのがデフォルトになりましたね。

五野井:とくにAphex Twinは実際どの方向から攻め込んできてもおかしくないですからね。今回の『Syro』がそうだったけど、聴く側の隙あらばやられてしまう(笑)

若山:その隙があればやられてしまうのって、たしかに聴く側もそうですが、ポップスにとっても最大級の脅威だと思うのですよ。宅録してさじ加減ひとつでああいうものができちゃうから、お金儲けという意味での音楽関係者にとっては恐ろしいでしょうね。

五野井:いつの時代もテクノって人生の闘い方を教えてくれるよね。

若山:そうですね、そんなポップスからも奪えますからね、さらにそれで攻撃が出来るっていう、サンプリングとかでいろんな手段を使って取り込んで、ショッピングモールとそこでたれ流される音楽とか、すでにある生産物から自分に都合のよいものを、都合のよいやり方で利用することができますし。

五野井:ポップスに代表される社会の「戦略」は、どうでもいい曲を大量生産し、碁盤の目のようにレコード屋やダンスフロアを区切り、流行を押しつけてくる権力です。対してテクノの「戦術」は、この流行の権力を逆手にとって利用し、巧みにあやつり、サンプリングによってアプロプリエーションしていくわけですよね。社会が押しつけてくる「戦略」の隙をついて、押しつけてくる「戦略」の武器をそのまま逆機能にして、オセロをひっくり返すのがテクノの「戦術」。ポップスは資本の「戦略」側に「踊らされる音楽」。対してテクノとは、踊れる音楽だけど「踊らされない音楽」かな。そこではポップスの曲調はYMOがテクノポップとしてやってみせたように、すべて「戦術」へと転用可能だけど、ポップスはテクノを取り込むことはできない。ポップスでそれをやるとただの剽窃になるし、なによりも商業的な採算も合わないから。身を委ねない音楽としてのテクノと、他の身を委ねていい音楽の違いはこういったところでしょうね。

若山:Aphex Twinに話を戻すと、テクニカルな面白さと全体的な面白さもある。電子音楽の基本とは違うし、クソみたいなポップスの詰め込みました、っていうのとも違いますよね。AFXは醜悪な映像は持ってきても、たとえば適当なアイドルとかグッズとか二次元キャラとか、音楽以外の付加価値で騙すってことをしないから。利潤追求じゃなくて、たぶん面白いとか適当にやっていた。その程度の事なんじゃないでしょうか。その結果として、たまたま評価されて大変なことになったみたいな状況なんじゃないでしょうか。

五野井:Aphex Twinの場合、第二期以降とくにそうですけど、騙すときは、商業的な理由とは別のどうでもいい理由で騙しますよね(笑)。しかも、皿や電子音というフラットなかたちで。アプロプリエーションの極地ですね。でも主戦場はあくまで音という。ジョン・オズワルドの「プランダー・フォニックス(plunder phonics:略奪音)」の電子音楽版というか。

若山:こうしてAphex Twinについて話をしていると、突き抜けそうで、突き抜けてない(笑)。奇才とか言われているけど、意外とコツコツ真面目な人だと思いますよ、彼は。

五野井:音だけを追求するっていう突き抜け感だけでは、シカゴやデトロイトの先行するアーティストのほうが振り切っていますね。でも、Aphex Twinの自分が他人からどう見られているのかを気にする「まなざしの地獄」(見田宗介)は、現代人の多くが抱えている悩みでしょう。そのシャイさがAphex Twinに身体性からは自由なはずなのに、人間味や憎めなさを与えている。なぜ我々はAphex Twinにわくわくするのかといえば、Aphex Twinは洒脱で諧謔なフリして、実際にはそれなりに本気で作り込んでいるところですね。

若山:おそらく、過去の遺産を食いつぶし、切り貼りをする貼り合わせがどのように文化産業のなかで行われているのが現代じゃないですか。Aphex Twinは音楽も映像も、すべてどこかで聴いた音(過去のAphex Twinの音も含む、あのback to the basic感など)、どこかで見たもの、拾って彼の音に再構成してくるというスタイルはダンスミュージックの基本に忠実な人ですね。

五野井:どこかで聴いたかなっていう断片を虚焦点にして、そこから新しい音を作っている点が今回の聴きどころかなあと。自分の過去の作品も含むコピー(コピーのコピーの……)からオリジナルを作る技というのは、つねに今の自分をも越えようとする試みです。この完成度をもって今回世に出た『Syro』というアルバムは、過去の遺産の切り貼りになっている現在の「n周目の世界」におけるひとつの到達点なのかもしれないですね。

※10月7日(火)
21:00-23:30 DOMMUNE「ele-king TV エイフェックス・ツイン特集」
https://www.dommune.com/
https://www.3331.jp/access/
出演者:
野田努(ele-king)、佐々木渉(クリプトン・フューチャー・メディア)、五野井郁夫(政治学者)、三田格(音楽ライター)
DJ:DJまほうつかい(西島大介)

※10月15日
ele-king vol.14「エイフェックス・ツイン特集号」発売
リチャード・D・ジェイムス、独占2万字インタヴュー掲載!

Elijah & Skilliam from Butterz × RAGEHELL! × SWIMS - ele-king

 先日のアクトレスとバグの来日で幕を開けた秋の怒濤の来日ラッシュですが、みなさまはいかがお過ごしでしょうか? 第一線で活躍するDJやプロデューサーだけではなく、レーベルを作り上げたカルチャー・クリエイターたちの表現に触れる絶好のチャンスです。〈ナイト・スラッグス〉のボク・ボク、〈dmz〉のマーラ&コーキ、そして〈バターズ〉のイライジャ&スキリアムがやってきます!
 2007年にロンドンで〈バターズ〉はブログとしてスタートし、グライムのアーティストのインタヴューやミックスなどを公開していました。2010年からはレーベルとしても活動をはじめ、現在にいたるまでレコードのリリースとデータ配信を通じて最先端のグライム・アーティストを紹介。所属アーティストにはスウィンドル、ロイヤルT、テラー・デインジャなどがおり、インスト・グライムからダブ・サウンドまで素晴らしいリリースを発表してきました。
 さらに、目玉のマークで知られるブランドの〈ミシカ〉とコラボレーションをするなど、ユニークなアプローチでレーベルをデザイン。グライムをアップデートしつづける存在として、〈バターズ〉は大きな注目を集めています。

 先日、〈ファブリック〉からふたりのミックスが発表されたばかりですが、ネット上で公開された〈アウトルック・フェスティヴァル〉でのミックスも素晴らしいので、気になる方は要チェック!


Outlook 2014 - Butterz Stage w/ D Double E, Footsie & Novelist

 XXX$$$やブロークン・ヘイズといった東京のベースミュージック・シーンの重要DJや、若手チームの〈レイジヘル!〉や〈スウィムズ〉も出演! 
 リンスFMヘヴィー・リスナーのグライム・ヘッズだけではなく、グライムが何なのか正直ピンとこないあなたもぜひ現場へ! 

■Elijah & Skilliam from Butterz × RAGEHELL! × SWIMS
日時:10月3日(金)OPEN/START 23:00
会場:Trump Room(渋谷)
出演:
〈Butterz〉
Elijah&Skilliam

〈Guest Acts〉
XXX$$$ (XLII & DJ SARASA)
BROKEN HAZE (RAID SYSTEM)

〈RAGEHELL!〉
K.W.A
YTGLS
SAKANA

〈SWIMS〉
Gyto
Shortie
Tum
AZEL
SUNDA

〈Support DJ〉
Koko Miyagi
KONIDA
NODA
ZATO
BAMBOO CHOCOLA

Supported by
Butterz |MISHKA

料金:Door 3,000円 1d / フライヤー持参2,500円

Elijah & Skilliam (BUTTERZ , from UK)


いわずと知れたロンドンのリンスFMに2008年に登場して以来、多くのプロデューサーと共に活動してきたイライジャ&スキリアム。2010年にレーベル〈バターズ〉を本格始動させ、翌年にはリンスFMからミックスをリリース。スウィンドル、ロイヤルT、フレイヴァD、テラー・デインジャなどといったエッジのきいたグライム・アーティストとも強い繋がりを持つ。彼らのグライムレコードのリリースにも如実に表れているように、MCだけでなくプロダクションにも重きを置く姿勢が多くの共感とリスペクトを呼んでいる。〈バターズ〉のパーティではJMEやスケプタといったMCを、コード9やDJ EZといったDJと共演させるというドープな演出を毎回実現させていた。2014年、ふたりは、ロンドンの人気クラブ〈ファブリック〉からリリースされるミックスを手掛けた。〈ファブリック〉からのリリースのなかで、グライムだけで構成された初のミックスという点でもランドマーク的な作品である。UKグライム・シーンの現在を語る上で欠かすことの出来ない二人のプレイを体感してほしい。

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