「Ord」と一致するもの

Joe Armon-Jones - ele-king

 どんどん燃え上がるサウス・ロンドンのジャズ・シーン。2月に〈Brownswood〉からリリースされたコンピ『We Out Here』はその熱気を切り取った格好のドキュメントであり、今年最初の重要作でありますが、そこに参加していたジョー・アーモン・ジョーンズが初のソロ・アルバムをリリースします。エズラ・コレクティヴの一員としても活躍する彼は、クラブ・ミュージック~エレクトロニック・ミュージックの文脈とも密接にリンクしていて(昨秋サン・ラのカヴァーで話題になった彼らのEP「Juan Pablo」のミックスはフローティング・ポインツが担当)、つまりジャズ好きのあなたにとってはもちろんのこと、「ジャズはあまり得意じゃないんだよなあ」というそこのあなたにとっても注目すべき重要なアーティストなのです。一部ではポスト・フライング・ロータスとも表現されており……ほら、気になってきたでしょ? 発売日は4月27日。

いまもっとも熱い注目を集める南ロンドン・ジャズ・シーンの真打
ジョー・アーモン・ジョーンズ、待望のデビュー・アルバム『Starting Today』
日本先行リリース決定!
ロンドンのストリート・サウンドを示す新世代ジャズの新たな潮流

エレクトロニック・ミュージックの世界からロック~パンクに至るさまざまな分野で、現在もっとも注目を集めるサウス・ロンドン。シンガー・ソングライターでもキング・クルールやトム・ミッシュなど若い才能が続々と登場しているが、そうした南ロンドンでもひときわ熱いのがジャズ・シーンである。特にロバート・グラスパーの登場以降、アメリカでは、ケンドリック・ラマーやフライング・ロータスが自身の作品に積極的にジャズを取り入れ、カマシ・ワシントンやサンダーキャットといったニュー・ヒーローが生まれる一方、ロンドンでもシャバカ・ハッチングス、モーゼス・ボイド、ヌビア・ガルシア、ユセフ・カマールなどの台頭で湧き、そうした熱い息吹はジャイルス・ピーターソンのコンピ『We Out Here』でも伝えられるが、ここにシーンの最重要キーボード奏者及びコンポーザー兼プロデューサーであるジョー・アーモン・ジョーンズのデビュー・アルバム『Starting Today』が登場した。今回の発表に合わせてアルバムのオープニングを飾るタイトルトラックが公開された。

Joe Armon-Jones - Starting Today
https://youtu.be/mdz9jHg-mWM

アフリカンやカリビアン系黒人の多い南ロンドン・ジャズ・シーンにあって、ジョー・アーモン・ジョーンズは異色とも言える白人ミュージシャン。しかし、黒人さながらのグルーヴとフィーリングを有し、アフロ・ジャズ・ファンク・バンドのエズラ・コレクティヴの一員として活躍。ファロア・モンチやアタ・カクのツアー・サポートも務めている。2017年はエズラ・コレクティヴでサン・ラーの“Space Is The Place”のカヴァーを含むEP「Juan Pablo: The Philosopher」をリリースする一方、DJ/トラックメイカーにしてベースも操るマックスウェル・オーウィンと組んでEP「Idiom」をリリース。アコースティックとエレクトロニックを自在に行き来するジャズとディープ・ハウスの中間的な作品集で、Boiler Roomでのライヴも好評を博する。「Idiom」には女性版カマシ・ワシントンとも言うべきサックス奏者のヌビア・ガルシア、ギル・スコット・ヘロンとキング・クルールが出会ったようなギタリスト兼シンガー・ソングライターのオスカー・ジェロームも参加しており、ジャズ・ミュージシャンでありながらクラブ・サウンドやエレクトロニック・ミュージックにも通じるジョー・アーモン・ジョーンズの姿を映し出す作品集となった。

前述の『We Out Here』にも、自身の作品やエズラ・コレクティヴで参加したジョー・アーモン・ジョーンズが、満を持して発表する『Starting Today』には、現在の南ロンドン・ジャズ・シーンの最高のメンバーが集結する。「Idiom」に続いてヌビア・ガルシア、オスカー・ジェローム、マックスウェル・オーウィン、エズラ・コレクティヴのトランペット奏者のディラン・ジョーンズに加え、ザラ・マクファーレンのプロデューサーとしても活躍する天才ドラマーのモーゼス・ボイド、オスカーと共にアフロビート・バンドのココロコで演奏するベーシストのムタレ・チャシらも参加。女性シンガー・ソングライターのエゴ・エラ・メイ、ラスタファリ系ポエトリー・シンガーのラス・アシェバーらもフィーチャーされる。

『Starting Today』にはジャズ、アフロ、レゲエ、ダブ、ソウル、ファンク、ハウス、テクノ、ヒップホップ、ブロークンビーツなど、ジョー・アーモン・ジョーンズが吸収した様々な音楽のエッセンスが詰まっていると共に、それは折衷的で雑食的なロンドンのストリート・サウンドを示している。インナーゾーン・オーケストラのテクノ・ジャズとロニー・リストン・スミスのアフロ・スピリチュアル・ジャズ・ファンクを繋ぐような高揚感溢れる表題曲に始まり、メロウなAOR~アーバン・ソウルの“Almost Went Too Far”はサンダーキャットにも対抗するようなサウンド。スペイシーなエフェクトが効いたダブ・ミーツ・ジャズの“Mollison Dub”、サン・ラー風のコズミック・ジャズをバックにオスカー・ジェロームがファンクとレゲエ・フィーリングをミックスさせて歌う“London's Face”は、ジャマイカンやアフリカ移民の多いUKらしさを象徴する作品。“Ragify”はJディラを咀嚼したようなヒップホップ調のビートを持ち、ロバート・グラスパーやクリス・デイヴらUS勢に対するUKからのアンサーと言えるナンバーだ。

南ロンドン・ジャズ・シーン最重要アーティスト、ジョー・アーモン・ジョーンズのデビュー・アルバム『Starting Today』は、日本先行で4月27日(金)にリリース! 国内盤CDには、ボーナストラックとして、ジャイルス・ピーターソンが手がけたコンピレーション『We Out Here』に提供された“Go See”を追加収録。iTunesでアルバムを予約すると、公開されたタイトルトラックがいち早くダウンロードできる。

label: Beat Records / Brownswood Recordings
artist: JOE ARMON-JONES
title: Starting Today

BRC-572 (国内盤CD) ¥2,200+tax
ボーナストラック追加収録

Alva Noto & Ryuichi Sakamoto - ele-king

 アルヴァ・ノト(カールステン・ニコライ)と坂本龍一によるコラボレーションの最新作である。リリースはカールステン・ニコライが運営する〈noton〉から。
 二人が手掛けた『レヴェナント: 蘇えりし者』(2015/アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督作品)の映画音楽から、彼らの音楽/音響は、どのような「響き」へと至ったのか。もしくは何が継続しているのか。それを知る上で非常に興味深いアルバムであった。
 彼らは音の美や透明性、その自律性にはこだわりがあるが、しかし「音楽」を固定的な形式性としても考えていない。それゆえ「サウンド・アート」的な作品を、驚きに満ちた「音楽」として、まずもって捉えているのだ。音楽は自由であり、その美意識は結晶である。

 本作『グラス』はアメリカのモダニズム建築を追求した建築家フィリップ・ジョンソン(1906年7月8日~2005年1月25日)による20世紀の名建築「グラスハウス」での二人の演奏を記録したアルバムである。演奏は、2016年にジョンソンの生誕110周年、およびグラスハウスの一般公開10期目を記念して公開された草間弥生のインスタレーション《Dots Obsession - Alive, Seeking For Eternal Hope》展示時のオープニング・パーティで披露されたものだ(ちなみに客席にはビョークがいたらしい!)。本アルバムは36分59秒に渡ってこの日の音響音楽を収録している。

 「グラスハウス」はコネチカット州にある1949年に建てられた四方をガラスで囲まれたミニマムなデザインの個人邸宅で、ジョンソンのパートナーであったアート・コレクターであるデイヴィッド・ホイットニーと自身のために設計・建築されたもののひとつだ。
 坂本龍一とカールステン・ニコライは、この「グラスハウス」の特質を存分に利用した方法論で本作のサウンドを産みだした。コンタクト・マイクを「グラスハウス」のガラスに付けて坂本龍一はゴムのマレットでガラスの表面を擦る。いわば「グラスハウス」全体を楽器のように音に鳴らしている。「グラスハウス」という環境・建築・空間それ自体が音響発声装置なのだ。
 むろん、彼らのまわりにはラップトップ、シンセサイザー、ミキサー、シンギング・グラス・ボウル、クロテイルなどの多くの楽器(音響生成のためのモノたち)が置かれている。坂本はキーボードを鳴らしつつ、シンギング・グラス・ボウルを擦り、微かな音を発生している。カールステンはラップトップに向かうと同時にクロテイルを弓で演奏する。それら「モノ」たちが音を発する様は、美しく、儚い。当日の演奏の模様はインターネット上で映像作品としても発表されているが、それを観ると「演奏者二人も含めたインスタレーション」のように思えるし、音響彫刻のようにも見えてくるから不思議だ(演奏は100%即興だという)。

 坂本は、2017年にリリースした新作『async』において「非同期」というコンセプトを聴き手に提示し、それに伴うインスタレーションを「設置音楽」と名付けた。「音響」ではなく、「音楽」なのだ。となれば2016年に披露された本アルバムの演奏もまた「非同期」であり、一種の「設置音楽」ではないかと想像してしまう。
 本作においても重要な点は、サウンド・アート的であると同時に「音楽」である点に思えてならない(ノイズ/ミュージック)。音響は、かすかなノイズや具体音が鳴り響きつつも、それらは「音楽」として緩やかに、大きな流れの線を描く。演奏の後半においては「旋律の前兆」のような響きも鳴り響く。ここにおいてノイズとミュージックが、それぞれの領域に清冽な空気のようにミックスされていく。

 それらすべてを包括するかたちで「グラスハウス」という場所が機能しているように思えた。音楽と場所。音響と空間。現代のようにインターネット空間において無数の音楽に解き放たれている時代だからこそ、ある限定された場所/空間における音楽の重要性や影響もまた大きな意味を持ち始めているのではないか。むろん、それはどこでも良いというわけではなく、コンセプトへの共振が重要に思える。
 その意味で「グラスハウス」=フィリップ・ジョンソンの「新しいものへの進化」、「モダニズムの追求」、「普遍性との共生」のコンセプト(概念)への共振は重要ではないか。個と社会、モダンとポストモダン、人工と自然。その両方を考えるということ。
 なぜなら坂本龍一やカールステン・ニコライもまたそのような20世紀以降のモダニズムの問題を音楽やテクノロジーの側面から追求してきたアーティストだからだ。となれば彼らが「グラスハウス」という「場所」にインスピレーションを受けて、素晴らしい音響を生成し、新しく普遍的な「音楽」の演奏を行ったことは必然だったのかもしれない。
 本作はこの二人の「音楽家」としての本質を知る上でとても重要な記録録音/音響音楽ではなかろうか。耽美的で「美しい」音響であっても、湿ったナルシシズムとはいっさい無縁だ。まさにガラスのように「透明な音楽」である。

Agit Disco - ele-king

 みなさんこんにちわ。先週末、石野卓球のDJで踊った編集部・野田です。先日、ele-king booksから刊行された『超プロテスト・ミュージック・ガイド』(原書タイトル『Agit Disco』)の発起人/監修者のステファン・ジェルクン氏が、彼のサイトにて日本版に追加された各プレイリストに対してコメントしています。
 https://szczelkuns.wordpress.com/2018/02/05/agit-disco-japanese-edition/
 しっかり長渕剛まで紹介されていました(笑)。

 また、わたくしめが本サイトにて発表した「基礎編+α」もそのままコピペされているのはいいのですが、今回の仕事中、ステファン・ジェルクン氏とのやりとりのなかの私信に書いたRCサクセションおよび忌野清志郎の説明までそのままコピペされております。少し大袈裟な表現ですが、そう思っているのでまあいいいか。
  https://szczelkuns.wordpress.com

 最後にもうひとつ業務連絡です。来週、3月12日(月)@DOMMUNE、19:00~21:00、『超プロテスト・ミュージック・ガイド』刊行記念番組をやらせていただくことになりました。出演は、日本版の企画および監訳の鈴木孝弥氏、コントリビューターの1人でありDJの行松陽介氏、そして編集部の小林+野田です。4人それぞれが2曲ずつ選んでかけようと思います。ぜひ、お越し下さい。ブルー・マンデーの夜をぶっ飛ばしましょう。

interview with Young Fathers - ele-king


Young Fathers
Cocoa Sugar

Ninja Tune / ビート

PopElectronicHip Hop

Amazon Tower HMV iTunes

 たしかに多様であることはたいせつだ。排他的だったり差別的だったりする世のなかが生きづらいのは間違いない。けれど、洪水のようにPCが猛威をふるっている昨今、多様性の賞揚それ自体がひとつの体制と化しつつあるようにも見える。企業も広告に気を配るのにひと苦労だろう。彼らは売らなければならない。資本はなんでも利用する。多様な世界、素晴らしい。そんな世界にふさわしいうちの商品、いかがでしょう。
 そのような風潮のなか、サウンドもメンバーの背景も多様なヤング・ファーザーズの新作がリリースされたことは興味深い。アンダーグラウンド精神溢れる〈Anticon〉からミックステープを発表し、〈Big Dada〉から放った前々作『Dead』でマーキュリー・プライズを受賞、前作『White Men Are Black Men Too』で大きくポップに振り切れながらも挑発的な問いを投げかけていた彼らは、いま、バランスをとることに苦心している。
 無自覚ではいけないのだろうけど、かといってPCマシマシなムードには胃がもたれる――似たようなことは音の扱い方にも言えて、大衆迎合的でありすぎてもいけないし、難解でありすぎてもいけない。そのような葛藤は、サブ(=従属的)カルチャーであると同時にカウンター(=対抗的)カルチャーでもあるポップ・ミュージックに背負わされた、永遠の宿命と言っていいだろう。ヤング・ファーザーズはその両岸でバランスをとるのが抜群にうまい。たとえば、今回のアルバムの冒頭を飾る"See How"から2曲め"Fee Fi"の馴染みやすくかつエッジイな音選びを経て、アノーニのようなヴォーカルがアフリカン・パーカッションを連れてくる3曲め"In My View"へと至る流れには、多様性が体制となったこの時代をサーフする巧みなバランス感覚が表れ出ている。
 アルバムごとに変化を続けている彼らではあるが、ヤング・ファーザーズというバンドの芯に揺らぎは見られない。彼らはいまもむかしも変わらず「ポップ・ミュージックとは何か」という問いのなかでもがき続けている。そのエンドレスな格闘のもっとも新しい成果報告が、この『Cocoa Sugar』なんだろうと思う。

ポップ・ソングはバランスがすごく大事で、聴き覚えがある部分と、聴いたことのない、おもしろくてもっと聴きたいと思うような部分のバランスが取れているのが良いポップ・ソングだと思うんだよね。

今回の新作は、前作とはまた異なるアルバムに仕上がっています。制作するうえで方向性やテーマのようなものはあったのでしょうか?

アロイシャス・マサコイ(Alloysius Massaquoi、以下AM):前作からの継続だとは思っているんだけど、同じ方向性でわりとシンプルにしたところはあるかな。アレンジに関しても一貫性を持たせるというか。僕らはポップ・ソングを作るという難業に挑んでいる。ポップ・ソングってじつは作るのがいちばん難しいタイプの音楽だと思っていて、重要なのはバランスのとり方なんだよね。すべての正しいものを正しいところに収めていかないといけない。そうしないといいものができない。それがポップ・ソングだからね。その意味で前作でやったことをさらに推し進めつつも、新たなカラーを持ち込んだ。明るいカラーだね。全体としては前作よりも大人になったアルバムと言えるかもしれない。その理由は自信がすごくついたこと。自信があるからやりたいことをやりたいようにできるようになった。やりたいことを自由にオープンに表現するためには、すごく自信が必要なんだと思う。クリエイターとしてそれを得ることができたから、さらに確信を持って作ることができたんじゃないかな。

グラハム・"G"・ヘイスティングス(Graham 'G' Hastings、以下GH):まったくいま言ったとおりなんだけど、いろんなものを押し込めるというよりは、厳選して作り上げた音楽かもしれない。「曲」という認識で作っているから、たとえばブリッジがあってヴァースがあってコーラスがあるというような構成の部分と、音的にもリヴァーブとかのエフェクトに頼るんじゃなくて、ドライに音を作って曲を浮き彫りにするということは考えたかな。

ケイアス・バンコール(Kayus Bankole、以下KB):僕らは作品を作るたびに毎回違うものを作っているんだよね。それは、自分たちに挑みつつ安全圏からつねに踏み出していこうという姿勢の点では同じなんだけれど、結果としてできるものが変わっていくということだね。色合いが増えたとか、明るさについての話が出てきたけど、それは音そのものというよりも感覚的なものかなあ。フィーリング的により明るいものになっているね。僕らはもともとダークなバンドってわけじゃないんだけど、今回はより明るいものを求めていたってのはあるのかもしれない。他のメンバーも言ったとおり、曲の構成をしっかりするということや、内容やトピック、個人的なことに関してもなんでも、わかりやすく伝えやすくすることを考えながら曲として仕上げていった。

AM:ポップ・ソングはバランスがすごく大事で、聴き覚えがある部分と、聴いたことのない、おもしろくてもっと聴きたいと思うような部分のバランスが取れているのが良いポップ・ソングだと思うんだよね。そこは目指したな。

今回のアルバムを制作するにあたって影響を受けた音楽、または映画や本などがありましたら教えてください。

GH:とくに影響源はないよ。ファースト・アルバムもそうだったけど、自分たちは何かを聴いて「これをマネしてやろう」なんて思うことはいっさいないし、とくに今回のアルバムはそれが顕著だったんだ。音楽的に「このサウンドで」と参考にしたものはないね。とにかくスタジオに入って、さあ作ってやろうという勢いで作ったアルバムだったからね。

KB:あらかじめ自分たちの頭のなかに、こんなことをやりたいというイメージがあったから、それをスタジオに入ってそのまま形にすることができたのはすごく良かったと思う。影響源となるものをこちらから求めなくても、自分たちのなかに蓄積があったってこと。もちろん、そのままの形でアルバムになったわけではないけど、自分たちの気持ちに素直にやった結果、新たな発見があったりもして、そうしたなかでできあがったアルバムかな。

AM:ある意味自分たちで勝手にストーリーを作っちゃったようなアルバムだと思っていて、よそから引っ張ってきたと言うより、フェイクもリアルも入り混じった僕たちの作ったストーリーという感じのアルバムなんだよね。

KB:(前作から)2年という月日があって、もちろん音楽は聴いていたんだけど、それまでに自分たちが送ってきた生活や、日常的なことから作り上げられた自分というものが、今回は自然な形で表れているんじゃないかな。新しいサウンドとか新しい方向性をあえて模索しなくても、自分たちが送ってきたふつうの生活が新しいものになってアルバムに出ていると思う。だからここで新しいスタートを切れたような気がするんだよ。(2011年の)『Tape One』もそういう性格のアルバムで、それまでの自分たちの生活から生み出されたものだった。それ以降の作品は、それを踏まえて作ってきたところがあるけど、今回はいったんそれをチャラにして、まったく新しいチャプターが開けたような感覚のあるアルバムなんだ。

GH:だいたい僕らは飽きっぽいからさ。人と一度何かをやるとすぐ飽きちゃうんだよ。だから前と同じことができないというのもあるんだけど、そういう意味でもこの年月のなかで培ってきたものがおのずといい形で出たアルバムなのかなと思う。

KB:「新しいチャプター」という言い方はぴったりだね。他の音楽をまったく聴いていないなんて言うつもりはないし、ふだんからヘッドフォンを持ち歩いて聴いたりはしているんだけど、自分たちに染み込んでいったものが自然と出てきているんだろうな。だけど、あくまで作るという過程、自分たちを表現するという過程においては、その聴いていたものに立ち返ってそれを紐解くというようなことはしていない。自分たちのなかにすでにあるものを自問自答するような形で、自分たちにチャレンジするような、自分たちのなかで議論をしながら作っていったものなんだ。じっさいの作業に入ったら他のものはぜんぜん聴かないね。その部屋のなかで自分たちだけで作ったものなんだよ。

「新しいチャプター」という話が出ましたが、今回はリリース元も前作までの〈Big Dada〉から、その親レーベルの〈Ninja Tune〉へと変わりましたよね。

GH:新しいスタイルになったことで上に上がれたわけだけど、どうかな(笑)。これで満足してもらえるといいね(笑)。「新しいチャプター」だから新しいスタッフと組んでみて、さあどうなるかな、ってところだな。でもフレッシュなスタートを切れたのはよかったよ(笑)。いまのところは順調だね(笑)。

KB:ブルシット! ブルシットだね! はははは!

今回マッシヴ・アタックとともに来日を果たしましたが、あなたたちにとって彼らはどのような存在ですか?

GH:いい人たちだね(笑)。彼らはオリジナル性のあるバンドだった。何もないところからああいう独自のサウンドを作り上げたという意味で、僕らもそうしていきたいと思わせてくれる存在だね。そういう人たちと話ができるのはすごくいい経験だったと思うよ。

AM:しかもそれで成功しているんだもんな。成功例として真似たい存在だとも言えるかもしれない。彼らは一貫性を持ち続けて、あれだけ長く活動して成功しているからね。

GH:あれだけ独自性を持ちながら成功を収めるというのは、じっさいすごく難しいことだと思う。しかもそれを続けているんだからね。それを見ていると希望がわくというか、拘ってやっていってもいいんだなと思える。レコードを売るために、みんなからああしろ、こうしろって言われるようなことをやっていかなくても、自分たちのやりたいことに拘っていくことで成功できる可能性もあるんだなと思わせてくれるバンドだと思うよ。

子どもの頃は、「エディンバラには何もないから外に出ていきたい」と感じていたね。それが逆にエディンバラから受けたいちばんの影響だったような気がするよ。

『T2 トレインスポッティング』ではヤング・ファーザーズの曲が使われていましたが、それはダニー・ボイルから直接オファーがあったんですか?

GH:そうだね。その話をもらって撮影現場まで行ったんだけど、彼は映画ごとに「この音楽を聴きながら作る」というタイプの人だったんだ。あのときはたまたま僕らの音源をずいぶん聴いていたみたいで、それで僕らを信頼して任せてくれたんだよね。すごくいい人だったよ。

オリジナルのほうの『トレインスポッティング』を観たときはどのような感想を持ちましたか? 世代的にリアルタイムではないですよね。

AM:時代の感じが出ている作品だと思う。いまとなっては名作だもんな。当時はヘロインなんかのドラッグ、スコットランドのネガティヴな部分が出ているって文句を言っていた人も多かったみたいだけどね。そのパート2に自分が参加しているんだなという感覚はあるよ。

GH:僕は好きだったよ。

AM:『シャロウ・グレイブ』とか、その前のやつも好きだったな。あと、あの作品はなんだっけ? そうだ、(アーヴィン・ウェルシュ原作の)『アシッド・ハウス』(監督はポール・マクギガン)とかも好きで観ていたよ。

『T2』を観ていてもっとも辛くなった場面はどこでしょう?

AM:最後のほうで僕らの曲が流れてくるところはすごく好きだったけどな。観ていて辛いというか、ふたりの友だち同士が殺し合って首を絞めるシーンとか、そこへ至るまでの緊張感はあったけど、でもそれが嫌だというわけではなくて、そこで自分たちの音楽がサウンドスケープ的に流れてくる感じは好きだったな。

『T2』で使用された"Only God Knows"は今回のアルバムには収録されていませんね。

GH:あれは映画用の曲なんだ。ダニーからオリジナル曲を頼まれて、それで書いた曲だからアルバムには入れていないんだ。

『T2』ではプロテスタントの飲み会に侵入して「ノーモア・カトリック」と合唱するシーンがありますが、そういった光景はいまでもエディンバラでは日常的なのでしょうか?

KB:そのシーンはあんまり印象に残ってないな(笑)。

GH:そういう宗教的なところよりもむしろ、フーリガンの対立のほうが印象に残っているね。まあ、そういうのはエディンバラよりもグラスゴーのほうが色濃いとは思うけど。

AM:あれはどちらかというとお笑いのシーンなんだよ。ああいう人たちの姿から見てとれる滑稽さだとか、「ノーモア・カトリック」って叫んでいるうちにお金を取られちゃったりする滑稽さだとかを描いているんだと思う。

その場面には何か政治性みたいなものがあると思いますか?

GH:笑えるって思えるのは自分たちの地元だからかもしれないけどね。僕らが子どもの頃は、サッカーを観に行けばチーム同士のライヴァル意識からああいうことがよく起こるものだったし、サッカーの世界における互いに対する根深い憎しみというのは、もう笑っちゃうくらいなんだよ。それがああいう形で映画のなかで表現されているということが僕らからすればすごくおかしい。というのも真実だからね。真実だからこそ笑っちゃうというか。もちろん問題としては深刻な部分もあるのかもしれないけど、僕らからするとああいう形で不思議なエディンバラ的なものが描かれているというのはおもしろいし、それを他の世界の人たちが見たらどうなのかなっていうのは興味のあるところだね。

KB:もちろん笑ってしまうようなこともいいことばかりじゃないけどね。ただあの映画のなかでは、あのシーンの役割として、ちょっと笑いを含む滑稽さが出ていたと思う。

スコットランドではEU離脱をめぐる国民投票で60%以上が残留を支持したり、ニコラ・スタージョンの独立路線など、政治的なことがいろいろと起こっていますが、ヤング・ファーザーズの新作にもそういったことが影響を及ぼしたりしているのでしょうか?

GH:ふつうに曲を書いているだけだよ。

AM:もしかしたら逆の意味での影響は出ているかもしれない。そういう状況があるからこそ自分たちがものを作ることに幸せを見出して、作っていて楽しいと思えるとか、逆説的な意味での影響はあるかもね。でも起こっていること自体が音楽に出ているかというとそんなことはない。べつに聴いていて鬱屈するようなことは歌っていないし、俺に言わせれば希望を歌っているものが多いと思う。ダークな曲を書いている人がダークな状況にいるとは限らないのが音楽の世界だと思うんだ。自分たちが書いている曲の内容も、たとえば自分のことだけじゃなくて、生活のなかで出会った誰かのことをキャラクターとして描いていることもあるし、まったくの架空のことを書いていることもあるし。それができるのが創作の良さだと思っている。だからいまそういう現状があるということをそのまま書くのではなくて、そのなかで暮らしている人たちの姿を曲にしているという感じかな。

GH:サウンド的には聴いていてダークな感じはしないと思うんだ。僕が個人的にいいと思う音楽は、歌詞をじっくり読むとそういったダークなテーマを扱っているけれども、仕上がりとして曲を聴いたときには踊ってしまうような、笑顔になってしまうような曲だから、今回の曲たちもそういう仕上がりになっていると思う。リズム的にはアップなんだけど、歌っていることの概念的な部分ではもうちょっと深いところを突いているような曲になっているんじゃないかな。それも滅入ってしまうようなことではなくて。さっきからバランスという話が出ているけど、そういう意味でいろんな要素を取り合わせつつ、最終的にはポジティヴな感覚を伝えたいということだね。

今回質問を用意したもうひとりは、『T2』で描かれるエディンバラにすごく笑ったそうで、彼の子どもは『ハリー・ポッター』で描かれるエディンバラに憧れているそうなんです。ヤング・ファーザーズの音楽もエディンバラの土壌と関係していますか?

KB:俺も笑ったよ。それはいいことだと思う。

GH:たぶん一般的に描かれるエディンバラのイメージというのは、きれいで住みやすい街みたいな感じなんだろうけど、そういう表面的なところからは見えない、でも育った人なら知っているみたいな部分があの映画には描かれていて、しかもそれが映画のスクリーンにボンと出てくるというのが地元民からするとすごく笑えるんだ。いかにも「らしいな」という部分、みんな知らないだろうけど僕らは知っているからこそ笑えるという感覚があって、僕らからすればそれがあの映画のおもしろさだったんだ。たしかにエディンバラには二面性があって、経済的な部分ではある程度豊かであるという良い面がある一方で、ドラッグの問題なんかの悪い面もあって、その二面性のふだんは表に出てこない裏側のほうにハイライトを当てたというのがあの映画のおもしろさなんだよね。

AM:『ハリー・ポッター』は好きじゃないからな。観に行ってもいないし。

GH:あれは完全にファンタジーだから実感はないね(笑)。美しい古い建物がある街だから、そういう環境がああいうファンタジーを生むということは理解できるけど、若いやつらが夢中になれるようなカルチャー的なことで言えば、僕らが育ってきた時代はほんとうに不毛だったよ。改善されてはいるけど、いまだにその名残はあるね。だからアーティストがエディンバラに居場所を見つけるのはすごく難しくて、芸術の世界で何か成功を収めたいと思ったら「ここに留まっていたらダメだ」という感じがいまだにあると思うんだ。

KB:もちろんエディンバラにはエディンバラの文化があるよ。外から入ってきた人がそこに馴染むのは難しいし、そこに居場所を求めるのも難しいから内向きになっていくんだろうな。最近は多少は良くなってきているけどね。

ヤング・ファーザーズの音楽にはそういったエディンバラらしさが出ていると思いますか?

GH:それはとくにないと思う。そりゃふだんから暮らしている街だから、何かしら自分たちのなかに入り込んでいるエディンバラらしさというのはあるのかもしれないけど。子どもの頃は、「エディンバラには何もないから外に出ていきたい」と感じていたね。それが逆にエディンバラから受けたいちばんの影響だったような気がするよ。他に何かを求めるとか、あるいは自分たちの空想の世界に逃げ込むといったことが、エディンバラが僕らに与えた最大の影響かもしれない。

AM:僕らが若い頃はエディンバラには本当に何もなくて、ユース・クラブっていう若い子が集まれる場所が2ヶ所あったくらいで、外へ出ていきたかった。あの街が僕らに与えた影響は、他の国へと目が向いたり、あるいは自分の世界に籠もってしまったりするようなエスケイピズムだった。もちろん、暮らしていくなかで自分たちに染み込んできた街の要素というのはいくつかあると思うけど。

GH:たしかにあの街は僕らにインスピレイションを与えているよ。あの街が僕らをインスパイアして何かをやらせたというよりは、そこに何もないという現実が僕らに他に何かを求めるインスピレイションをくれたということになるのかな。

Tune-Yards - ele-king

わたしはただの人間  “Heart Attack”

 トランプ時代においてアイデンティティ・ポリティクスが新たな展開を迎えている。フェミニズムははっきりと第3の波が訪れているとされているし、人種問題の議論も収まる気配を見せず、文化がそれらを足元から支えている。音楽もまた……自分が何者であるかと向き合い、定義し、そして社会的なエネルギーを掘り起こそうとする動きに呼応しようとする。

 これまでも政治的な問題意識やアティチュードをその音楽に包含することを厭わなかったチューン・ヤーズことメリル・ガーバスは、サウンド作りのパートナーとしてネイト・ブレナー(ネイトロニクス名義で奇妙な感触のエレクトロニカ・ポップをやっていた人物だ)を迎え、この4枚めのアルバムでさらに複雑な領域に踏みこんでいる。テーマはアメリカで白人女性として生きること。ある属性ではマイノリティであり、また別の属性ではマジョリティである自分が、果たしてどんな言葉を持ち、どんな音を鳴らすことができるのか。そもそもチューン・ヤーズの音楽はつねにエクレクティックであり、アフリカやカリブ海など「ワールド」の要素が重要なものとして取り入れられてきた。そのリズム感覚こそが彼女の実験的な試みをダンサブルでポップなものにしてきたのは間違いない。ではそれは、どうすれば「搾取」から自由でいられるのか。そうした葛藤や矛盾を、彼女はここで包み隠そうとしない。
 そのようなデリケートなテーマが本作ではさらなる音の実験を導くこととなった。たとえば、海外の評を見ると必ずと言って引用されている“Colonizer”(“植民地開拓者”)の歌詞に「わたしはわたしの白人女の声をアフリカ男性との旅を物語るために使う」という扱うのが難しい問題に言及するものがあるが、そのトラックのイントロはまるでハード・ミニマルのようなサウンドを持っている。そこにアフリカ的なパーカッションが被されば、グリッチとジャズがグニャグニャと混ざり合うような展開を見せる。「わたしの声に血の匂いがする」。あるいは、ガーバスのソウルフルな声がしかしブツブツと途切れるように処理される“Now And Then”では、「善良な」白人としてレイシズムと対峙する様が描写されているという。これまでのチューン・ヤーズではあまり前に出なかった不安や不穏な響きを持ったこうした曲では、非白人の権利が訴えられる現在のアメリカにおいて、リベラルでありたいと思っている白人の後ろめたさや混乱が表現されている。

 だが、オープニングの“Heart Attack”がハウシーなピアノとファンキーなベース、そしてガーバスのパワフルなヴォーカルが躍動する得意のダンス・ナンバーとなっていることからもわかるように、総合的にはチューン・ヤーズらしい前向きなエネルギーに満ちたアルバムでもある。冒頭で挙げた歌詞はリズムが鳴りやむブリッジで呟かれるが、コーラスでは感情の昂ぶりがそのまま身体に訴えかけようとする。「わたしに話させて、わたしに息をさせて」――ただの人間として。そこでは複雑なアイデンティティに引き裂かれたわたしたちが、しかし同じ音に身を任せることでどうにか同じ祝祭を共有できないかを探るようである。ミュージック・ヴィデオでは様々な人種がカラフルな衣装で踊る……といういかにも今時の企業CMになりそうなダーヴァーシティをモチーフとしながら、ガーバスの涙や困惑もしっかりと描かれている。そしてその上でこそ、彼らはヘンテコで愉快なダンスを繰り広げるのである。

 アルバムの重要なインスピレーション元のひとつとして、やはりポール・サイモンの『グレイスランド』があるという。サイモンが素朴に「歌が異文化を乗り越える」とした1986年から時代も移り変わり、グローバル経済や移民問題によるさらなる困難がわたしたちを縛りつけている。ガーバスも考えずにはいられなかったのだろう……異文化を取り入れるときに、わたしたちはどのように政治的な葛藤を乗り越えていくのか、あるいはそこに留まるのか。彼女はここで積極的に悩むことを選んでいる。少なくとも、『アイ・キャン・フィール・ユー・クリープ・イントゥ・マイ・プライヴェート・ライフ』には、様々な国や文化に根差した音がじつに複雑に混ざり合っている。なぜなら、わたしたちの文化的アイデンティティも国籍や肌の色やジェンダーによって簡単に定義できないほど入り組んでいるからだ。
 彼女はここで明確な答を出していないし、本作の実験的な試みがすべて成功しているとは言いにくい。が、「考えるな、感じろ」ではなく、徹底的に考えながら感じるのがチューン・ヤーズのダンス音楽である。

interview with GoGo Penguin - ele-king

 ロバート・グラスパーやカマシ・ワシントンなど、新しい世代によるジャズはもっぱらアメリカを起点にして語られることが多かった。しかし、それに加えて近年はイギリスの若手によるジャズが熱い。今もっとも注目を集める南ロンドン勢もそのひとつであるが、こうしたUKジャズの評価の流れを生むきっかけとなったのが、フライング・ロータスなどとも共演するドラマーのリチャード・スペイヴン、マンチェスターのマシュー・ハルソールなど〈ゴンドワナ・レコーズ〉勢、その〈ゴンドワナ〉出身のゴーゴー・ペンギンの活躍である。クリス・アイリングワース(ピアノ)、ニック・ブラッカ(ダブル・ベース)、ロブ・ターナー(ドラムス)というピアノ・トリオ形式の彼らは、これまでのジャズ・ピアノ・トリオの概念を変える存在で、テクノ、ドラムンベース、エレクトロニカといったエレクトロニック・ミュージックの要素や概念を演奏や作曲に取り入れている。そうしたエレクトロニック・ミュージックとのスタンスはアメリカ勢のそれとも異なるものがあり、またクリスのピアノに見られるクラシックからの影響、ロックからの影響を含め、UK独自のセンスを感じさせる。一般にはジャズ・バンドという括りで語られているが、実際はエレクトロニック・サウンドをアコースティックな生演奏で表現しているといった方が正しい。少し角度を変えて彼らの音楽を見てみると、たとえばカール・クレイグのインナーゾーン・オーケストラのような音楽と同質のものとも言えるだろう。


GoGo Penguin
A Humdrum Star

Blue Note / ユニバーサル ミュージック

Jazz

Amazon Tower HMV iTunes

 彼らは2009年にマンチェスターで結成され(初代ベーシストはグラント・ラッセルだったが、2013年にニックへ交代)、2012年に〈ゴンドワナ〉からレコード・デビュー後、2013年のセカンド・アルバム『v2.0』が「マーキュリー・プライズ」にノミネートされて一躍注目のバンドとなった。ライヴでも着々と評価を集める彼らは2015年に〈ブルーノート〉移籍し、2016年春にサード・アルバム『マン・メイド・オブジェクト』を発表。直後に初来日公演を行い、その後「ブルーノート・ジャズ・フェスティバル・イン・ジャパン」や「東京ジャズ」などでもステージを踏んでいる。アメリカでは「コーチェラ」や「SXSW」など大型の音楽フェスにも出演し、いわゆるジャズ・ファンでない観客も魅了する彼らだが、このたび通算4作目となるニュー・アルバム『ア・ハムドラム・スター』を引っ提げ、4回目の来日公演を果たした。宇宙科学者のカール・セーガンが1980年のアメリカのTVシリーズ『コスモス』で語った言葉が由来となる『ア・ハムドラム・スター』は、今までよりさらにエレクトロニック・ミュージックとの接点が増えているように感じられる一方、アンビエントな質感も増している印象で、音響を含めた一種のアート作品として完成している。ちなみに、1970年代後半から1980年代にかけてブームを呼んだペンギン・カフェ・オーケストラもアンビエント・ミュージックと呼ばれていたが、ゴーゴー・ペンギンというグループ名は彼らにちなんだものではない。グループ名を決めなければならない期限が迫っていたある日、たまたまリハーサル・スタジオでオペラ用小道具のペンギンの人形を見掛け、それでピンと閃いて決めたそうだ。


アンビエントの定義ということでは、その最高で究極の形はミニマルであることだと思う。最小のマテリアルや素材、アイデアで、何時間も同じことを繰り返していくのがアンビエントであると。余計な音や素材は不必要なだけなんだ。 (クリス)

『ア・ハムドラム・スター』は世界をツアーする合間に作ったものですが、いくつかの曲は異国の地で得たインスピレーションが元となっています。“トランジェント・ステート”は渋谷から代々木公園、原宿を散策していたとき、明治神宮でのイメージが元になっているそうですね。感銘を受けたクリスは神道における祖霊に関する本をいろいろと読み、それらからも曲想を得ているということですが、そうしたスピリチュアルな要素や内省的な事象がゴーゴー・ペンギンの作品に反映されることは多いのでしょうか?

クリス・アイリングワース(以下、クリス):うん、そういったことはすごく多いよ。もちろん、最終的な自分の意見を決めたり、結論や自分は何者であるかとか、そういった答えを出すのは自分自身でしかないのだけれど、それに至るまでにいろいろな人のアイデアや考え方、ものの見方を知るということは、とても面白いことだと思うんだ。だから、本とかを読んでいろいろな人の考え方を知ることが僕は多いけれど、神道についてはそれまで全く知識がなくて、いろいろと本を読んで勉強したんだ。ちょうどその日の明治神宮では結婚式が行われていて、ほかにも代々木公園の雑踏の中でいろいろな体験があったりと、心が動かされることが多くてね。そうした今までにない経験やインスピレーションから“トランジェント・ステート”を作ったんだよ。

今回の来日ではどこかへ行く予定とか、行きたい場所はありますか?

ニック・ブラッカ(以下、ニック):今回はスケジュールがあまりなくて、忙しいから難しいかもね、残念だけど(笑)。昨晩は僕とクリスで日本食のレストランに行ったけど、それくらいかな……前回の来日で明治神宮に行ったときは5日間くらい滞在できたけれど、そういったことは普段あまりないからね。

海外のアーティストにはアニメ好きな人も多くて、秋葉原へ行くことも結構ありますよ。

クリス:秋葉原は前回行ってるよ。僕の妻が日本のアニメの大ファンで、特にスタジオ・ジブリ作品が好きなんだけれど、彼女の薦めで僕も『となりのトトロ』とかいくつか観てるんだ。僕らのエンジニアのジョー(・ライザー)もアニメ・ファンだしね。

“ア・ハンドレッド・ムーンズ”はカリブの賛美歌を聴いているときに生まれたという、オーガニックでパーカッシヴなビートを持つ今までのゴーゴー・ペンギンにはなかったようなタイプの作品です。“ストリッド”はニックの故郷のヨークシャーを流れるワーフ川の様子から名付けられました。アルバム・タイトルの『ア・ハムドラム・スターズ』は宇宙科学者のカール・セーガンの言葉が由来となっています。“トランジェント・ステート”もそうですし、今回のアルバムには自然や宇宙、または宗教的な儀式などに結びつくような作品が多いように感じますが、いかがですか?

ロブ・ターナー(以下、ロブ):最終的に自然とか宇宙、儀式などの要素がアルバムに多くなったけれど、それらのものがアルバム制作の出発点になったわけではないんだ。アルバムを作る時点ではもっといろいろな要素や物事があって、異なる側面から曲も書いていったけれど、制作の中で曲も旅をするみたいにどんどんと進化したり、曲自身が探求するように変化していったりと、結果としてこうしたアルバムになったんだ。

クリス:僕らの曲は小さなアイデアから始まって、それがだんだんと膨らんでいく中で、別のものに変化することはよくあるんだ。誰かのアドバイスがきっかけで変わるとか。人によってものの見方は違うだろ。だから、曲によって僕とたとえば君とでは違う捉え方をすることもある。でも、それは僕らにとって面白いことなんだ。だって、人から言われないと、この曲にはそういった見方もあるだなんてわからないし、気付かされることもないからね。

ちなみに、前のアルバム『マン・メイド・オブジェクト』の中に“プロテスト”という曲がありましたが、あれは何かへの抵抗を示したり、政治的なメッセージなどと結び付いたりしているのですか?

ロブ:特に何かについての抵抗という意味ではなくて、「ノー」という感覚を言葉にするようにあの曲は作ったね。

クリス:偶然だけれど、あの曲を作っていた頃、僕らがツアーで行く先々でいろいろとテロが起こっていて、そのテロ事件の少し後にライヴや公演がたまたま組まれていることが重なっていたんだ。僕らはそうした事件や社会的な出来事にも目を向けていたい人間だから、もちろんテロという現実にも目をそむけることはできない。暴力的なことと結びつくような人間ではないけれど、でもやっぱりテロのあった地を訪れるといろいろと感情が湧いてきて、そういったものが“プロテスト”に結びついているのかもね。僕らはツアーが終わればテロのあった場所から去ってしまうけれど、これからもそこでずっと生活していく人たちもいるわけで。でも、これは僕個人の意見だけれど、“プロテスト”を演奏するときは、怒りとか憎しみとかそういった感情が僕の中にあるのではなく、ポジティヴなものが溢れ出る気がするんだ。それは演奏を聴くお客さんたちからも感じられるもので、悲しいことがあったけれど、ひとつになって生きている喜びを分かち合おう、称えようという、そんな気持ちを感じるんだ。

オーガニックな要素という点では、“プレイヤー”でのノイズ的なサウンドは、ベース弦に鎖やメジャーを当てて発生させたものです。プリペアド・ピアノの概念をベースに当てはめたようなものですが、こうした発想はどのように生まれてきたのですか?

ニック:あれは鎖をピアノ線に当てていて、ベース弦に金属メジャーを当てているんだ。一緒にレコーディングをしてくれるエンジニアのブレンダン(・ウィリアムス)のアイデアなんだ。

ピアノの場合は結構そうやって音を出すピアニストもいますが、ベーシストでそうやって音を作る人はあまり見かけないかなと。

ニック:ブレンダンとジョーは本当にアイデアマンなんだ。前のアルバムのときはフード・プロセッサーを持ち出してきて、僕らも一体何が始まるのかわからなかったね(笑)……実際は録音には使われなかったけど。

クリス:あと壊れたメトロノームを使って音を出してみたりとか。

何だかマシュー・ハーバートみたいですね(笑)。

ロブ:ほんと、そうだね。ハーバートは僕らのリミックスもしてくれているんだよ。

『マン・メイド・オブジェクト』ではピアノやベースを元にするほか、ロブがロジックやエイブルトン、あるいはiPhoneアプリを用いて作曲することもあったのですが、今回もそうした手法を発展させたり、あるいはまた何か新しいアイデアを盛り込んでいますか?

クリス:ステップ・シーケンサーというアプリはローランドTR-808みたいなドラムマシンの音を出すことができるから、それを使って“トランジェント・ステート”を作っているね。でも、アプリのサウンドはあくまでスケッチというか、アイデアを伝える道具的なものなので、実際にはそこからロブがロジックを使って、より細かくて複雑なリズムを組んでいくんだよ。

『マン・メイド・オブジェクト』のときもエレクトロニックに作りたいという意識はあって、今回はそれをさらに推し進めたいと考えたね。〔……〕でも、あくまで演奏の軸となるのはアコースティック楽器だよ。 (クリス)

“ア・ハンドレッド・ムーンズ”には初期のブライアン・イーノのようなアンビエントの雰囲気も取り入れられ、“プレイヤー”もアンビエントなピアノ・ソロから始まります。“ディス・アワー”はフランチェスコ・トリスターノとカール・クレイグが共演したようなアンビエント・テクノ的な楽曲と言えます。もともとゴーゴー・ペンギンの作品にはアンビエントと結びついた作品は多かったのですが、今作では改めてアンビエントをとらえ直しているように感じました。あなたたちはアンビエント・ミュージックをどのように考えていますか?

クリス:イーノは僕が大きな影響を受けたひとりだよ。彼の『ミュージック・フォー・エアポート』のフィルム上映が故郷のヨークシャーで行われたときに観にいって、それからハマって『ミュージック・フォー・フィルムズ』などいろいろと聴いていった。彼から学んだアンビエントの定義ということでは、その最高で究極の形はミニマルであることだと思う。最小のマテリアルや素材、アイデアで、何時間も同じことを繰り返していくのがアンビエントであると。余計な音や素材は不必要なだけなんだ。

あなたたちのトリオという形態もミニマルなものと言えますし、『ア・ハムドラム・スター』のアルバム・ジャケットも不必要なものをそぎ落としたシンプルなデザインですしね。

ニック:ああ、ジャケットは僕の友達のお兄さんがデザインをしてくれているんだ。ヨークシャーの頃からの知り合いで、前作でもジャケット・デザインをしてくれているよ。

一方、“レイヴン”や“トランジェント・ステート”はゴーゴー・ペンギンの躍動的でアグレッシヴさが凝縮された作品で、ロックからクラブ・ミュージックの影響が感じられる力強いビートがあります。“バルドー”はさらにダンス・サウンド的で、この曲のイントロの入り方、ブレイクの間合い、ビートが抜けてピアノだけになるところとかは、明らかにクラブ・ミュージックやエレクトロニック・ミュージック以降の感性かなと思います。“ストリッド”は一種のブロークンビーツと言えますし、トリッキーなDJプレイを思わせるリズム・チェンジの場面があります。マシン・ビートに近似した“リアクター”など、そうしたリズム面では今までのアルバムよりさらにエレクトロニックな視点で作られているのではと思いますが、いかがでしょう?

クリス:『マン・メイド・オブジェクト』のときもエレクトロニックに作りたいという意識はあって、今回はそれをさらに推し進めたいと考えたね。ベースをペダルによって変調させるという手法はわりと前からあって、僕たちも『マン・メイド・オブジェクト』のときにやったけど、今回は初めてピアノにエフェクターを用いたりしている。でも、あくまで演奏の軸となるのはアコースティック楽器だよ。僕らのスタイルであるアコースティック楽器で演奏するエレクトロニック・ミュージックというのに変わりはないね。ロブはロックが好きで、僕とニックはエレクトロニック・ミュージックが好きと個人的な嗜好はあるけれど、そうしたものを自分たちの音楽に反映させる技術がより進歩してきたということもあるかな。もちろん、そのために演奏の練習を積んだり、日頃からスキルを磨いたりしているわけで、それが今回のアルバムで形になったんじゃないかな。

“ソー・イット・ビギンズ”や“ウィンドウ”はティグラン・ハマシアンのようなリリカルで美しい世界を、トリップ・ホップやダウンテンポ、あるいはダブステップ的に解釈した作品と言えそうです。イギリスではリチャード・スペイヴンがダブステップやドラムンベースも咀嚼したジャズ・ドラマーで、サブモーション・オーケストラのようなダブステップを生演奏するバンドもいます。あなたたちはそうしたダブステップやドラムンベースの影響はどのように受けていますか?

ニック:彼らは僕らと同世代で、サブモーション・オーケストラとは10年ぐらい前から知り合いだし、リチャードとはライヴで共演したりすることもある。でも、僕らは彼らのやり方に影響を受けているというより、また違った角度でダブステップとかドラムンベースにアプローチしているといった方がいいかな。個人的にはダブステップそのものに大きな影響を受けているわけではなくて……中にはいいものもあるし、そうでないものもあるし。でも改めてそうした視点で見ると、確かに“バルドー”のベース・ラインはダブステップ的なものかもしれないね。

クリス:“ウィンドウ”の後半のビートとピアノのコンビネーションは、まるで何か新しい楽器を作り出しているみたいな感覚があって、どこか時計仕掛けのエレクトロニックな感じが出ているかもしれないね。

先ほどから名前が出ていますが、あなたたちには専属エンジニアのジョー・ライザーとブレンダン・ウィリアムスが第4のメンバーとしてついていて、作品やステージからは音響やポスト・プロダクションなどへの強いこだわりが感じられます。同じマンチェスター出身で今はロンドンを拠点としていますが、フローティング・ポインツも音響を作品の重要な要素と位置づけるアーティストで、ミキシング・エンジニアの仕事もしています。音楽家としてのスタイルは異なりますが、そうした点であなたたちには彼と同じ匂いを感じさせるところもあるのですが、いかがでしょう?

ロブ:うん、フローティング・ポインツのサウンドはすごくいいね。でも、彼はプログラミング中心のアーティストで、僕らとは音楽へのアプローチ方法が違う。彼の作品を聴いてると、クラシック的な緻密な音作りをしているんじゃないかなと思うね。スタジオでマイクをどう立てたりとか、この楽器にはこのマイクを使ったりとか。

クリス:僕らの場合は3人で、それぞれの楽器を、どうやってその楽器らしく響かせるか、聴かせるかということに主眼を置いている。しかも、その楽器の音をどうブレンドさせるかが難しいところで、そうじゃないと深みのあるものが生まれなくて、フラットなサウンドになってしまう。聴く人が音に包まれるような感じにはならない。あと、僕らのライヴはわりと生命力が溢れるような感じになるけれど、それをレコーディングでCDに取り込む場合、躍動感をいかにパッケージへ落とし込むかが結構難しいんだ。そうしたときにポスト・プロダクションの手助けを借りることが多いかもね。


アイスと雨音 - ele-king

 これは驚いたな。松居大悟といえば男子高校生が学園祭で大騒ぎするだけの『男子高校生の日常』とか男子高校生が女子高校生の脱毛を手伝う『スイートプールサイド』とか大事なことなのかそうでもないことなのかもよくわからない青春映画を丁寧に撮っている監督だと思ってるわけじゃないですか。確かにクリープハイプのプロモーション映画『自分のことばかりで情けなくなるよ』はプロパガンダの範囲を大きく超えてロック・バンドの表現がここまで来たかと思うような面はありましたよ。大島渚が撮ったフォーク・クルセダーズの映画『帰って来たヨッパライ』に匹敵するとは言わないけれど、神聖かまってちゃんの映画よりは1000倍ぐらい面白かったし、クリープハイプの名前も一発で覚えましたからね。でもですよ、『アイスと雨音』も青春映画ではあるけれど、いままでとはぜんぜん違うんですね。すべてワン・カットで撮影されていて、それは内部事情に詳しい朝倉加代子監督の密通によると全行程14日のうち、12日をリハーサルに費やして最後の2日間で3テイク撮ったものから最後のヴァージョンが完成形ということになったらしいです。実験映画なんですよ。邦画ですよ。同じ映画が3ヴァージョンも存在するんですよ。設定を聞いて下さいよ。舞台稽古の読み合わせから話は始まって、演出家と役者が鬼のようにぶつかり合って、ひとつの舞台が出来上がっていくなーと思っていたら、いきなり、その舞台が中止になるんですよ。みんな、がっかりですよ。やりがい搾取だなんだといろんなことを言われてる時代に、とりあえずは役者たちが一所懸命、稽古をしている場面を観てきた観客も一緒にがっかりですよ。しかし、それからですよ、この話は。中止になったにもかかわらず、役者たちは下北沢の本多劇場に忍び込むんですね。ここで、あッ!と氷解しました。これは『バードマン』のパクリなんですよ。もとい、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥがアカデミー賞を取った『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』と似た発想で、「舞台裏」というものを念入りに描こうとしたのが『アイスと雨音』なんですね。それではもう少しゆっくりこの作品を観ていくことにしましょう。ワン・カットだからといってワン・パラグラフで全部書いたら読みにくいですからね。

 ト書き:いつもの文体に戻る。

 台本の読み合わせから話は始まる。最初のうちは断片的に、こうした稽古の場面が繰り返され、テロップによって日付が変わっていくことが示される。友だちが町から出ていくと聞いて、それを聞いた仲間たちがあれこれとリアクションを返す。観客はどのような舞台にするとか、方向性のようなものは何も知らされていないので、演出家が役者の演技に注文をつけても、どこがどう悪かったかはわからない。ダメ出しの理由は明確に述べられているので、プロっぽいなーとか思うだけ。どこまでが稽古で、どこからがそうではないのかが意図的に混乱してしまうように撮られているので、当然のことながら混乱しそうになりながら観続ける。つーか、その連続。日常会話かと思うと劇のセリフだったり、外に買い物に行くはずが、路上で一人稽古が続いていたり。これだけで充分、飽きさせないのに舞台音楽として設定されているはずのラップ・グループ、MOROHAもカメラのフレームに入ってくる。演じている人たちには見えていないという設定で、舞台からインスパイアされたらしき内容のラップが時々入る。役者の心情を代弁したり、挑発したりする内容のものもあった。そして、役者たちは突然、公演が中止になったことを制作サイドから告げられる。チケットが売れなかった。ガラガラの観客の前で演じても君たちの未来に傷がつくだけだとかなんとか。遅刻してくる役者がいて、みんなが受けているショックに時間差で追いつたりする。そして、何日かは稽古場を片付けるためにやってくるスタッフと役者たち。ここでまた稽古が再開する。上演されないかもしれないけど、やろうと言い始める人がいて、その気になる人もいて。そして、その熱は次第にエスカレートし、彼らの足は自然と本多劇場に向かう。

 ト書き:ここまで書いた文章を自分宛てにメールで送り、他人が書いた文章であるかのように読み直す。

 経済原理が若者の行動すべてを支配できるかという話である。そこは簡単。だから、このまま上演を決行すれば君たちのキャリアに傷がつくと言われた時に誰も言い返せない。コクトー・ツインズが初めて日本に来た時は15人ぐらいしか観客はいなかったし、アンダーワールドの初来日も40人ぐらいしかクラウドはいなかった。それが笑い話にできるぐらい彼らはビッグになったということになるけれど、君たちにはその可能性はないと言われたも同然なのに。確かに、昔とは違って、人が入らなかった作品にはその数字が付いてまわり、一度ヘマをするとなかなか取り返しがつかないという社会構造にはなりつつある。数字というのは侮れない。ウソをつくわけでもない。そう、公演を中止にした人の言い分は正しいのかもしれない。しかし、目の前に希望をぶら下げられて、それを取りあげるということはそこから広がるはずだった可能性もまた閉ざされるということであり、経済的にはそうかもしれないけれど、希望をぶら下げられた方にはそこだけで計算が終了するというスケールの話でもない。ここから、まるで経済の外に、それこそ資本主義の外側に主人公たちが飛び出していこうとする「衝動」がクローズ・アップされてくる。それがあまりにも自然にこの映画では描かれていた。『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』や『ディストラクション・ベイビーズ』が描く若者たちの暴走は心象風景としては共感できただろうけれど、実際に同じことをやるかと言われれば「やりませんよ」と誰もが答えるだろう。「やるはずがないじゃないですか」と。しかし、『アイスと雨音』で起きることは、やってやれないことはない範囲の行動で、いわば人の迷惑になるようなことをあえてやるのである。ここ数年に限っていえば屈託のないティーンムーヴィーと若者の貧困を描いた作品には同時代性を見出すのが困難なほど開きがあり、どちらかといえばティーンムーヴィーの側にいるのかなと思っていた松居大悟がこうして暴走する若者たちを撮ったものだから、冒頭にも書いたように僕は驚いたわけである。溝が埋まってしまうとは言わないけれど、どちらかに収まっているよりは、この作品が「一歩踏み出した」ことは確かだろう。

 ト書き:気持ち的には70年代の青春映画に話を大きく広げたいところだけれど、ほかの原稿もあるので、いい加減、まとめなければいけない。

 労働とアイデンティティは切り離した方がいいという議論がある。経済と人格は別にした方が楽だろうし、そもそも労働で自己実現できる人の数はたかが知れてるとも。これだけ労働に対する価値観が揺れている時期に若い時代を過ごすということは、昔のように「真面目に働くのが一番」というスローガンとそれに反発するエネルギーという図式とはまったく違うところに放り出されているということだから、自分なりの労働観を形成するのも一苦労だろうし、何をやっても迷うだろうなとも思う。『アイスと雨音』にはそのような時代背景も巧みに織り込まれているように見えるし、あくまでも「衝動」をクローズ・アップしているわけだから、彼らの行動のすべてを語るのも無理だろうと思わせるものがある。観客が誰もいない劇場で彼らが演技を始めた時、それは誰も読んでいないSNSに書き込む行為にも通じ、「誰とも繋がってなんかいない」とかいうセリフがすべてにオーヴァーラップしていく。だから、楽屋裏を晒したんだろうという作品なのである。観たいのは表現じゃなくて、「その裏側では」ってやつなんでしょうと。『バードマン』にあふれていたスノビズムはここにはない。
 2時間ぐらい観ていたのかと思ったら、この映画、たったの70分だった。


Klein - ele-king

 これは昂奮せずにはいられません。『Only』で圧倒的な存在感を示し、昨年は〈Hyperdub〉との契約~EPのリリースも話題となったクラインが、来る3月23日、ついに初来日を果たします。OPNやアルカの登場から時代がひと回りし、新たなエレクトロニック・ミュージックの機運が熟しはじめている昨今、ele-king編集部内でも「次の10年を決定づけるのは誰か」という議論が日々盛り上がっておりますが、その最右翼のひとりがクラインです。彼女の魅力を説明するのに、コード9でさえ言葉を失うほど。つまり、今回の来日公演は絶対にスルーするわけにはいかないということです(当日は〈PAN〉のフローラ・イン=ウォンやセーラーかんな子らも出演)。いやしかし去年のチーノ・アモービといい先日のニガ・フォックスといい、《Local World》はほんとうに良い仕事をしますな~。


Local 6 World Klein
2018/03/23 fri at WWWβ

時代を研ぎ澄ますアフロ最前衛の結晶 Klein 初来日! “フリーク・アウトR&B”とも形容される、サイケデアリにまみれたナイジェリアン・ルーツのミュータント・ソウル・シンガー/プロデューサーをロンドンから迎え、本ディケイドの電子音楽を革新する〈Hyperdub〉と〈PAN〉、そして中国、韓国、アイルランド、日本など、様々な背景が入り混じるエクスペリメンタル・クラブ・ナイト。

圧倒的にオリジナルな作品で時代を駆け抜けるアフリカン・ルーツの女性プロデューサー Jlin (Planet Mu)、Nidia Minaj (Principe)、Nkisi (NON Worldwide) などと同時期に、R&B/ソウル/ゴスペルを軸にサイケデリックかつゴシックなテイストでノイズ、インダストリアル、トラップ、UKガラージをコラージュで紡いだ怪作『Only』〈Howling Owl 2016 / P-Vine 2017〉で現代電子音楽の最前線へと躍り出し、昨年〈Hyperdub〉からデビューを果たし、Laurel Halo の最新作にも参加したサウス・ロンドンの異端 Klein が、ローカルかつワールドな躍動を伝える《Local World》第6弾へ登場。共演には元『Dazed』のエディターとしても活躍し、現在ベルリンの〈PAN〉の一員としても働く、ロンドン拠点のプロデューサー/DJ Flora Yin-Wong、ネット・カルチャーから現れ、新旧のアンダーグランドなクラブ・ミュージックと日本のサブカルチャーのセンスが入り混じる特異な存在 Sailor Kannako (セーラーかんな子)、日本とアイルランド双方にルーツを持ち、複数の言語と独自のセンスでその世界観を表現するプロデューサー/シンガー ermhoi、ロンドンの〈BBC AZN Network〉やアジアンなクリエイティヴ・コレクティヴ Eternal Dragonz にミックスも提供する韓国は釜山生まれ、現在は東京を拠点とする Hibi Bliss が登場。拡張されるアフロやR&B、躍進するアジア、そして女性アーティストの活躍など、今日のエレクトロニック/クラブ・ミュージックの躍動とモードがミックスされた最旬のエクスペリメンタル・クラブ・ナイト。

Local 6 World Klein
2018/03/23 fri at WWWβ
OPEN / START 24:30
ADV ¥1,500 @RA / DOOR ¥2000 / U23 ¥1,000

LIVE:
Klein [Hyperdub | Nigeria / London]
ermhoi

DJ:
Flora Yin-Wong [PAN | London]
Sailor Kannako
Hibi Bliss

https://www-shibuya.jp/schedule/008823.php

※未成年者の入場不可・要顔写真付きID / You must be 20 or over with Photo ID to enter.


■Klein (クライン) [Hyperdub | Nigeria / London]

ナイジェリアのバックグランドを持つサウス・ロンドン拠点のアーティスト。シアターやゴスペルのファンであり、楽曲制作の前に趣味でポエトリーを書き、Arca の勧めにより本格的にアーティスト活動を始動。自主で『Only』(国内盤は〈Pヴァイン〉より)と『Lagata』を2016年にリリース、UKの前衛音楽の権威である『The Wire』やレコード・ショップ Boomkat から大絶賛され、一躍シーンの最前線へ。2017年には Kode9 主宰の〈Hyperdub〉と契約を果たし、リリースされたEP「Tommy」は『Tiny Mix Tapes』や『Pitchfork』といった媒体で高い評価を受け、最近ではディズニー・プリンセスにインスパイアされたファンタジー・ミュージカル『Care』のスコアとディレクションを手がけ、ロンドンのアート・インスティテュートICAにてプレミア公開。
https://klein1997.bandcamp.com/

■Flora Yin-Wong [PAN | London]

ロンドン生まれのプロデューサー、ライター、DJ。「|| Flora」としても知られ、フィールド・レコーディング、ディソナンス、コンテンポラリーなクラブ・カルチャーを下地とした作品やミックスを発表。これまでにベルリン拠点のレーベル〈PAN〉の一員としてベルグハインやBlocのショーケース、アジアや欧州を軸に様々な場所でDJをプレイ、Boiler Room、NTS、Radar Radio、BCRといったショーへも参加。プロデューサーとしてはNYCの〈PTP〉からEP「City God」をテープでリリース、〈PAN〉のアンビエント・コンピレーション『Mono No Aware』、その他 Lara Rix-Martin の〈Objects LTD〉、Lolina (Inga Copeland) や IVVVO も参加の〈Caridad〉のコンピレーションへ楽曲を提供、Celyn June (Halcyon Veil) のリミックスやミランの〈Haunter〉やロンドンの〈Holodisc〉とのトラック共作を手がけている。
https://soundcloud.com/floraytw

■Sailor Kannako(セーラーかんな子)

1992年広島生まれ。2012年ごろから、ネット・カルチャーを軸にしたパーティ《Maze》に参加。現在は幡ヶ谷Forestlimit など、都内を中心にDJしたりしなかったり。SoundCloudでミックス音源をときどき更新中。
https://soundcloud.com/onight6lo0mgo

■ermhoi

日本とアイルランド双方にルーツを持ち、複数の言語と独自のセンスで世界観を表現する、プロデューサー/シンガー。2015年ファースト・アルバム『Junior Refugee』を〈salvaged tapes records〉よりリリース。以降イラストレーターやファッションブランド、演劇、映像作品への楽曲提供や、千葉広樹をサポートに迎えてのデュオ、吉田隆一と池澤龍作とのトリオの nébleuse、東京塩麹のゲストボーカル、TAMTAM やものんくるのコーラスなど、ジャンルに縛られない、幅広い活動を続けている。
https://soundcloud.com/ermhoi

■Hibi Bliss

DJ HIBI BLISS a.k.a Princess Samsung

https://soundcloud.com/hibi-bliss

The James Hunter Six - ele-king

 バンマスの名前+メンバーの総人数からなる〈テッド・テイラー・フォー〉〈デイヴ・クラーク・ファイヴ〉式の、クラシカルなUKスタイルのバンド名の響きだけで好事家ならウィスキー2~3ショットあおれてしまう。1962年イングランドはエシックス(Essex)で生まれたジェイムズ・ハンターは、過去最高のUK白人R&B(ブルー・アイド・ソウル)シンガーと称賛されるまでになった。……となると単純にスティーヴ・ウィンウッドもヴァン・モリスンも凌ぐことになるが、オタク度、オーセンティック度、何よりその漆黒度合いにおいて言うならまさにその通りだろう。
 あと数年で還暦を迎える年季の入ったそれほどの人材が、日本ではどうしてマニア以外には知られていないのか。それにはいくつか理由がある。まずは、そもそもこの人物が“ハウリン・ウィルフ”(校正ミスではない。“Howlin' Wilf”)を名乗る当初セミプロのクラブ・シンガーだったことにも関係しているだろう。

 80年代中期のロンドンでは、ポスト・パンク/ニュー・ウェイヴの流れと並行しつつ、しかし音の方向性は逆行して、ロック・ミュージックをプリミティヴなロックン・ロールや古典的R&Bまで遡るリヴァイヴァル・ムーヴメントも起きていた。その一大震源地だったのが、マーケットで有名なカムデン・タウンで、そこで売っているUSヴィンテージ古着とラバーソウル・シューズを身につけ、古いレコード・ジャケットの黒人の髪形を真似てリーゼントにした白人“ビート・バンド”が、夜な夜な町のクラブをわかせていた。
 それと同時代の東京は原宿ホコ天に棲息し、語り草になっているローラー族がお手本としたのは、ジェイムズ・ディーンの物腰だったり、いにしえのロカビリー・スター(エディ・コクラン、バディー・ホリー、ジーン・ヴィンセントetc.)のクールネスだったりと、要は50'sアメリカの不良アイコンだったわけだが、そのローラー族の中でも真にイケてる(当時風に言うとアンテナのビンカンな)人々は、ちゃんとそのロンドンのムーヴメントにも注意を払っていた。そのときにカムデンをツイストさせていたバンドの最右翼がハウリン・ウィルフ&ザ・ヴィー=ジェイズ(Howlin' Wilf and the Vee-Jays)だったのである。
 バンド名は言うまでもなく、ブルーズマンのハウリン・ウルフと、50~60年代に栄華を極めたシカゴのブルーズ/R&B/ロックン・ロール・レーベル〈Vee-Jay Records〉へのオマージュであり、このジェイムズ・ハンターは日中は鉄道作業員として生計を立てながら、夜になるとその“ハウリン・ウィルフ”という別人格("wilf"は英俗語で“ばか者”)になり切って黒いロックン・ロールで名を馳せ、余勢を駆って1990年までに同名義でフル・アルバム2枚とEP2枚、ライヴ・ヴィデオまでリリースした。日本ではいまだにジェイムズ・ハンターという名前の認知度は低いとしても、80年代の志の高いロックン・ローラーたち(今もブライアン・セッツァーなんかが来日すれば、櫛目美しいリーゼントからグリースの甘く切ない香りをプンプンさせてきちんと集合するような面々)は、当時ハウリン・ウィルフの音楽にも結構グッときていたはずなのである。

 その後ザ・ヴィー=ジェイズが解散したあと、よりソウルフルな路線を指向することになるハンターだが、90年代に入るとヴァン・モリスンに誘われ、彼のバンドにギター&コーラスとしてしばらく加わっている。モリスンの方も96年、ハンターがようやく本名名義でリリースしたファースト・アルバム『Believe What I Say』にはなむけとして客演した。
 それ以降のハンターは、合衆国と英国を中心に小さなクラブのどさ回りは続けるも、アーティストの“たち”として結構な寡作であることが、その名声を広く轟かせるためにはマイナスに働いた。2006年米〈Rounder Records〉から出た『People Gonna Talk』はグラミーにノミネイトされるまでの高い評価は得たが、そのカテゴリーも〈ベスト・トラディショナル・ブルーズ・アルバム〉だったせいで(実際の音は古典的R&Bなのだが)一般的な注目度は高くなりようがなかったし、08年にはアラン・トゥーサンが客演した好盤『The Hard Way』がせっかくヒットしたのに、その後また5年、リリースがぱったり途絶える、という調子だったのである。

 だが、〈ジェイムズ・ハンター・シックス〉のバンド名義でアルバムを発表し始めた2013年以降は少々様子が違う。1996年からの17年間でアルバムを4作しか作らなかったのに、13年以降の〈ジェイムズ・ハンター・シックス〉では既に3作目。その13年作品『Minute by Minute』からは、ニュー・ヨークはブルックリン拠点、昨今のヴィンテージ・ソウル・ブームの牽引役〈Daptone Records〉と手を組んだことがどう見てもいい刺激になっており、おそらくこれまでのキャリアでも最高レヴェルの作品を生み出している。ばかりか、一作ごとにどんどんみずみずしく、躍動感を増してきていて、まさに〈ダップトーン〉の水が合ってる、という感じなのだ。

 〈ダップトーン〉レコーズは最近、レーベルの偉大なる二枚看板だったシャロン・ジョーンズとチャールズ・ブラッドリーを16年と17年に相次いで失った。レーベルにとっては不幸中の不幸であり、このレーベルのソウル&ファンク・サウンドのファンをひどくがっかりさせたが、このアルバムはその喪失感を確実に少しは埋めてくれる。ジェイムズ・ハンター・シックスの音楽は、スタイル的にはもう少し時代を遡るものではあれ、音/レコード作りに対する同レーベルのポリシーと見事に同調し、シャロン・ジョーンズとチャールズ・ブラッドリーに比肩するまでに、〈ダップトーン〉の強いこだわりを聴く満足感を与えてくれるのである。ヴィンテージ・アナログ機材を使ってアナログ・テイプへ録音する方式はもちろん今回も変わらず、さらにジェイムズ・ハンター・シックス作品はシングルも含めすべてモノラルのアナログ盤でリリースされており(『Minute by Minute』に至っては、自前でのCDリリースもない)、その音質と音場の中に、レーベルの審美眼が最大限に発揮された美味が隅々まで詰まっている。

 プロデュースは前作同様〈ダップトーン〉創始者のひとりでシャロン・ジョーンズ&ザ・ダップ=キングスのバンマスでベイシストである1974年生まれのガブリエル・ロス(a.k.a.ボスコ・マン)だ。自分が生まれる前のサウンドを作ることに人生賭けてるロスにとって、この音が俗っぽい意味合いにおける懐古趣味にはなりようがない。ダップ=キングスといえば、エイミー・ワインハウス2006年の世界的ヒット作『Back to Black』のあの独特のヴィンテージR&Bサウンドをクリエイトし、彼女のツアー・バンドも務めたことを覚えている人も多いだろうが、あの音の首謀者が、単純に自分がこれまでに聴いてきた中で一番いい音を出す種の音楽/レコードの数を自分の手で増やそうとしているわけだから、出てくる音は端正に挑戦的であり、そこが、そこはかとなくフレッシュなのである。

 そんなロスのプロダクションとして仕上げられた、このバンドの特徴である2本のサックスが絡み合う重厚なリフやむせび泣くハモンド・オルガン、乾いたピアノ、ハンター自身の達者なギターとリズム・セクションがくんずほぐれつする、パンチも暖かみもある音の塊の奥行き。ふくよかなミディアムを中心に、ロッキン・ブルーズあり、シャッフルあり、ツイストあり……。齢50半ばを過ぎ、悪くない方向に枯れ始めたハンターの声、そのひと節ひと節が艶と渋い深みをたたえ、ジャッキー・ウィルソン、サム・クック、ソロモン・バーク、クラレンス・カーター、ウィリアム・ベルetc.がかわるがわるに憑依する歌。これはまさに珠玉の味わい、というべきものだ。

 このオールディーなスタイルのR&Bをリヴァイヴァル・ブームの文脈に押しやるのは簡単だが、これを復興とするなら徹底的な攻めの姿勢によるそれだし、洗練と本気度がここまでくると、もはやそれを超越した新たな文化の創造である。日本語が“米国黒人大衆音楽”という訳義を充ててきた“R&B”だが、グラミーのそのR&B部門をアフリカン=アメリカンではないブルーノ・マーズが獲るこの時代に、ブルックリンのオタッキーな白人が英国白人のバンドをプロデュースしたこれもまた、R&Bの豊かさのもうひとつの極を指し示している。グラミー的には、きょうびブルーノ・マーズとこれを同じカテゴリーでくくるのは無理がある、ってことなんだろうけど、そんなのは知ったことではない。素晴らしい音楽は何だって貪欲にむさぼり楽しみ、大声で称揚すればいいのだ。

interview with Tom Rogerson - ele-king


Tom Rogerson with Brian Eno
Finding Shore

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 00年代を代表するバンドのひとつにバトルズがある。彼らが圧倒的だったのは、グライムやダブステップのようなエレクトロニック・ミュージックが大きな衝撃を与えていた時代に、ロックやバンドといったフォーマットが為しうる最大限のことを実践していたからだが、それは彼らより後に来る世代から次々と選択肢を剥奪していく行為でもあった。バトルズ以降に可能なロック・バンドとはいったいどのようなものなのか――そんなポスト・バトルズの時代に一筋の光を差し込ませていたのがスリー・トラップド・タイガーズである。バトルズという存在をしっかりと見定めたうえで、改めてテクノやIDM、ドラムンベースなどからの影響を大胆にロックやバンドの文脈へと落とし込んでいくその様は、当時ひとつの希望として映っていたのではないだろうか。
 そのTTTのキイボーディストにしてヴォーカリストでもあったトム・ロジャーソンが、彼らのことを推薦していたブライアン・イーノとアルバムを作っているという情報が流れたのが2016年の早春。かつてのタイヨンダイと同じようにロックやバンドという枠組みから離れた彼が、アンビエントのゴッドファーザーと手を組んだら、いったいどんなサウンドが生み出されるのか――その答えが2017年末にリリースされたこの『Finding Shore』である。
 そもそもふたりが初めて出会ったのはトイレだったそうなので、そこから一気にデュシャンまで線を引っ張りたくなるけれど、それより少し前のサティや印象派からそれより後のケイジやライヒまで、このアルバムにはクラシック音楽の大いなる遺産の断片が随所に散りばめられている。基本的にはロジャーソンのルーツたるピアノを大きくフィーチャーした作品と言えるが、ジャズの即興性や電子音楽の音響性、ピアノの打楽器的な側面も当然のように踏まえられており、ドローンやノイズといった手法も惜しみなく導入されている。そこにアンビエントの創始者たるイーノ当人まで関与しているのだから、このアルバムそれ自体がちょっとした音楽史になっているわけだけれど、とはいえ教科書的な堅苦しさとは無縁で、すべてのトラックがポップ・ミュージックとして気楽に聞き流せる作りにもなっている。極私的には2017年のベストな作品のひとつだと思う。
 このようにいろんな意味で味わい深い逸品を送り届けてくれたトム・ロジャーソンが、自身の音楽的経歴やイーノとの出会い、ピアノという楽器の持つ可能性や即興の重要性について、大いに語ってくれた。

とにかくトイレの前だった。で、顔を見たらブライアン(・イーノ)だったから、挨拶しちゃおうかな、と思って、したんだ(笑)。そして一緒にレコードを作るに至ったんだから、なかなかすごい展開だよね。

あなたはロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックでクラシック音楽を学んだそうですが、セルフタイトルの最初のソロ・アルバム(2005年)もトム・チャレンジャーとの共作(2010年)も、ジャズやエレクトロニックな即興音楽だったということで、まずはあなたのなかでのジャズとクラシックの位置付けから教えてもらえますか?

トム・ロジャーソン(Tom Rogerson、以下TR):ああ、まず、僕はそもそもピアノの即興演奏を子供の頃からやっていたんだよ。そこからどう展開したかというと……、本格的にピアノを学ぶようになる前から自己流で弾いていて、そのきっかけは姉がやっていたからで、自宅にピアノがあって両親ともに弾いていたから見様見真似で……という感じだったんだが、10歳か11歳の頃に、自分が即興で弾いたものを書き留めて残しておきたいと思うようになってね。つまりは、自分で曲を作るということに興味が向いていったんだ。当時から20世紀の現代音楽の作曲家をよく聴いていたので、それを真似るようにして作曲らしきことをやり始めたんだ。その後15歳ぐらいになると、僕がピアノの即興をやれるということで、学校の友だちから「ジャズやってみたら? 即興ばっかりやってるから、きみ、きっとジャズいけると思うよ」と勧められた。その友だちとはいまだに付き合いがあるんだけど……とにかく、それがジャズとの出会い……そして、そいつを含めた何人かでジャズのバンドを組んだのが16歳のときだった。大学卒業後にニューヨーク・シティに3年住んで、最初のレコードを作ったのはそのタイミングだった。ただ、――これは強調しておきたいんだけど、いま話に出たふたつのアルバムは大々的にリリースされたわけじゃない。作りはしたものの、変な話、ほとんど公になっていないんだ。だから、僕の最初のレコードはジャズだったと言うと……、いや、ジャズといってもラフな即興演奏でしかなかったんだけど……、でもサックスが入っていたからジャズってことになるのかな(笑)。

(笑)。

TR:とにかく、CDにはしたものの、今でもその9割は僕の手元に残ってる。自宅に。売る努力もしなかったし。こう言うとなんか変だけど、たぶんビビってたんだと思う。作りはしたものの聴いてもらう勇気がなくて、宣伝したくなかった、みたいな。

そうだったんですね。

TR:でも、その後にやったバンドは知られてると思う。スリー・トラップト・タイガーズ(Three Trapped Tigers、以下TTT)ていうんだけど。

はい、もちろん。

TR:あれはレコードが出回っているはずだ。

ロック・バンドですよね。

TR:うん、ロック・バンド。不思議なインストの……エレクトロニック・ロック・ミュージック、かな。

友だちに勧められるまでジャズには親しんでいなかった?

TR:ぜんぜん。僕の背景は、そこに至るまで完全にクラシックだった。16歳ぐらいまでは。なのに即興で演奏していたというのがおもしろいところで、もちろん、それがジャズに通じるということも意識していなかったんだけど、いざジャズをやり始めてからの適応力はすごくあったと思う。後にジャズのランゲイジを……アメリカのブルーズを踏まえたジャズのランゲイジを学ぶようになってからも覚えは早かったんじゃないかな。割とスムースにいろんなジャズのバンドでライヴをやる機会に恵まれるようになったよ。ただ、それが自分の母語だと感じたことはなくて、やっぱりアメリカで形成された言葉だな、と。英国やヨーロッパにも独自の素晴らしいジャズ・ミュージックはあるから、そっちのほうが究極的には僕にはピンとくるように思う。ある意味、こんなに時間をかけて……いま、僕は35歳なんだけど、最初から自分がやっていたものに戻ってきたという……、6歳ぐらいからひとりでやっていたこと、あれが僕のやりたいことだったんだと気がついた、というわけさ(笑)。ジャズがやりたいんでも、ロックをやりたいんでもなくて、やりたいことを僕は最初からやっていたんだ、とね。いちばん近いのはキース・ジャレットかな。彼はアメリカの人だけどね。英国人ピアニストならキース・ティペット。ふたりともすごく個性的なピアニストで即興能力が高い。もっとも、僕がやっていることはそのどちらともまた違うんだけどね。ブライアン・イーノとのアルバムではエレクトロニクスを導入しているし……

とにかく、一巡して自分の居場所を見つけた、という感じのようですね。

TR:そう、そういうこと! だから今回のアルバムは『Finding Shore』というタイトルなんだ。

なるほどぉ!

TR:家に帰ってきた、という感じ。あちこちを訪ねて、いろんなジャンルの音楽を経験して、どれも最高に楽しかったけど、気がついたら子どもの頃にやっていた音楽の岸辺にまた辿り着いていた。

おもしろいですね。ジャズの岸辺で最初に聴いたのはどんなアーティストでしたか?

TR:友だちから聴かされたのはアート・ブレイキーの『Moanin'』だったと思う。あれは……50年代か60年代か〔註:1958年録音〕……〈ブルーノート〉の名作アルバムのひとつだよね。僕らのバンドが覚えた最初の曲もそれだったんだ。他にも〈ブルーノート〉の作品に一時期かなり入れ込んで、ホレス・シルヴァーとか、デューク・エリントンとか……デューク・エリントンの〈ブルーノート〉のアルバムで、えぇと……なんてタイトルだったかな、「マネー・ジャングル」とか、そんな名前のやつ〔註:『Money Jungle』は1963年に〈ユナイテッド・アーティスツ〉からリリースされたアルバム〕。そこから始まって放射線状に広がってマイルス・デイヴィス、チャーリー・ミンガス、コルトレーンなどなどをひと通り。ニューヨーク・シティで暮らすようになったのは2003年なんだけど、その頃にはジャズにもそうとう詳しくなっていたつもりだ。というわけで、最初に自分で演奏してみたのはハードバップの名曲で、あれはいまプレイしてもものすごく楽しいし、聴くのも楽しい。

最初からそう思いました?

TR:思ったよ。

お友だちはきっと、ピアノで即興がやれる仲間がなかなか見つからなくて苦労していたんじゃ(笑)?

TR:そうだろうね。何しろ小さな町だし、彼も最初はロックが好きでレッド・ゼップリンなんかをカヴァーしてたんだけど、そこからジャズに目覚めたルークは……そいつ、ルークっていうんだけど、ものすごく熱い男で、ドラマーで、じつはいまでもロンドンでバンドをやってるし、あいつにはジョアンナって姉妹がいて彼女はいまアメリカでシンガーとして活動してる。当時からずっと一緒に音楽の旅をしてきた地元の仲間が生き残って続けているんだから、不思議なものだよ。とはいえ、あの頃やっていたこととはだいぶかけ離れている。あの経験で僕は新たな音楽のランゲイジを身につけることができて、クラシック一辺倒だった僕の世界が広がったのは間違いないけど……、こんな言い方は変に聞こえるだろうけど、ピアノと本気で向き合ったのは21歳くらいになってから、なんだ。

へえ……

TR:ずっと弾いていたけど、さっきも言ったように10代の頃からコンポーザー志向で、しかもクラシックの……現代音楽のコンポーザーを目指していたから、ピアノというのは……とくにジャズをやっている間は趣味というか、弾いていて楽しいだけのもの、という存在だった。ライヴをやる、そして人前で即興をやる。それまでは即興といってもひとりでやって楽しんでいただけなのが、ライヴで人前でやることで評価を得たというか、自分にはそういう能力があるんだって実感できたんだ。つまり、ジャズが僕に与えてくれたのは、ライヴにおける自信、あとは鍛錬……とくにニューヨークに行ってからは周りにビックリするほど才能のある若い子がいっぱいいて、競争がハンパなく厳しかったから、そのなかでなんとか生き延びていこう、自分を評価してもらおう、と技術もだけど個性も磨いていけたのはとても自分のためになったと思う。感謝してるよ。その後、ジャズは諦めてしまうんだけどね。最初のジャズのレコードを作った後で、22歳の頃、ジャズには見切りをつけたんだ。

あちこち旅して回って最後には出発した場所に戻っていくという感じを出したかったのかもしれない。ぐるっと長い環状線を歩いて、出発点に戻ってきたときに、最初とはまったく違う新しい視点で同じ場所を眺められるようになっている……、旅をしてきたおかげで、ね。

そこでTTTが始まるんですか?

TR:ニューヨークからロンドンに戻って、その頃にはもう、ジャズは音的に僕の求めるものじゃないと考えるようになって、聴くのも英国のエレクトロニック・ミュージックが多くなっていた。ロックも一部聴いてはいたけど、ほとんど電子音楽だったな。ロンドンに帰ってまず旧交を温めたのが昔からの音楽仲間で、そいつらがいたインディーズのシーンの連中と知り合って僕もバンドでピアノやキイボードを弾いたり、一時期は一緒に暮らしたりもしていたんだ。そのときのルームメイトが僕を入れて4人で、ミュージシャンが3人とレコード会社に勤めてるやつが1人。だからもう、毎晩のようにどこかで誰かの関連するライヴがあって、出かけて行っては出演したり観覧したり……それがすごく楽しくてね。バンドでやる楽しさも味わったし、お客さんも若いから一緒に楽しめる雰囲気が僕には新鮮だった。ほら、ずっとクラシックとジャズをやってたから、どうしてもお客さんは年齢層が高い上に、ごく限られた層の人しか来ない、ある意味エリート主義なところがある……って、これも後から客観的に気づいたことなんだけど、とにかく僕らがわりと実験的な即興を入れた風変わりで複雑なロックをやっても300人くらい入る会場が若いお客さんでソールドアウトになる様子を見ているうちに、こういうのもありなんだと自信を深めていったんだ。ジャズもクラシックも演奏の場はあるけれど、それほど波及力があるようには思えなかった。個人的な音楽の嗜好もどんどんロック寄り、電子音楽寄りになっていた時期なので、じゃあ自分でもバンドをやってみようか、と。発想としては、ライヴでやる電子音楽。エイフェックス・トゥイン、オウテカ辺りを僕は最初アメリカで耳にして、「こういうのをライヴでやったらカッコいいだろうな」と思っていたんだ。そういえば、アメリカのクラシックのグループ〔註:アラーム・ウィル・サウンドか〕がエイフェックス・トゥインのアルバムを丸ごとライヴでやったんだよな。あれは素晴らしかった。ただ僕の考えでは、それを踏まえて即興を展開するというもので、たとえばドラムもただ機械的に叩くんじゃなくて即興で対応してほしかった。となると、ものすごく難しい仕事だよね。ありがたいことに、アダム・ベッツ〔註:TTTのドラマー〕という適任者と出会うことができて、始動したのが2005年……2006年だったかな。その前に僕はギタリストのマット(・カルヴァート)〔註:TTTのギタリスト〕とふたりで完全フリー即興のライヴをやっていたから、そこからの発展形としてすべてが整ったのが2007年。そしてTTTを名乗って最初のアルバムを出したのが2009年……いや、2008年か。音楽仲間と暮らしていて、そこにレコード会社の人間もいたから人脈は豊富だった。結局、僕らのためにレーベルをスタートするという友だちと組んだんだけど、知り合いが多かったからあっという間に注目が集まった。その時点で僕らがやっていた音楽って、かなり変わってたと思う。バトルズが解散した直後で……バトルズって覚えてるかな、ライヴ電子音楽をやっていたバンドで……

はい。彼らの『Mirrored』が出てから10年になりますね〔注:この取材は昨年おこなわれた〕。

TR:ああ、10年前か。だからまあ、ああいうライヴでやる実験的な電子音楽がおもしろかった時期ではあって、ワクワク感があったんだ。僕らのバンドもエネルギー満載、怒りあり、ユーモアあり……僕は25歳くらいで、(TTTは)人生のあの時期にやるのにふさわしいバンドだったんだと思う。じっさい、僕もいろいろと腹の立つことがあって(笑)、エネルギーを持て余していたから(笑)。ピアノで美しい叙情的な演奏ばかりしている気分じゃなかったんだろう。ツアーらしきこともやって、ほんとうに楽しかった。10年の間にソフトウェアが様変わりして、いまや電子音楽をライヴでやるなんてごく当たり前のことになっているから、若い人はピンとこない話かもしれないけどね。いまはどこへ行ってもそういうライヴを観られるし。次から次へと、みんなが便乗してきてさ。TTTのドラマーはいま、ゴールディとスクエアプッシャーのドラマーをやってるよ〔註:つまりショバリーダー・ワンのドラマー、カンパニー・レイザーの正体はアダム・ベッツだったということ〕。

へえ。

TR:あいつ、あのスタイルのドラミングの世界的なエキスパートになって、当初の僕らが必死になって真似しようとしてたバンドでプレイしているという……

(笑)。

TR:でも、 僕も喜んでる。そもそもうまいやつだったけど、あのバンドでの経験がなかったら、いまの活躍はなかったと思うんで、見ていてワクワクするよ。現状、あの分野のパイオニアとしてのしかるべき評価をあいつはまだ得ていないと思う。そのうちそうなるだろうけどね。理由はさておき、あいつより有名になっているドラマーは他にいるけどさ。あいつのソロ作にも、完全にイッちゃってるすごいのがあるから、ぜひチェックしてみてよ。TTTと同じレーベルから出てるから〔註:『Colossal Squid』〕。あいつもいつか日本で活動できるといいんだけど。

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ピアノ自体が体現するものは19世紀であり、それが人気だった時代なんだよね。〔……〕ピアノで新しいことをやろうと思うなら、やり方を工夫する必要がある。社会的にも政治的にも歴史的にもさまざまな背景を背負った、侵食された楽器なんだから。


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クラシックの海を航海するうちにジャズの島に辿り着き、また海に出てロックの島に寄り、気がついたら出航した岸辺に戻っていて、そのトイレでブライアン・イーノに出会った。

TR:ははは、正確にはトイレの外で、だけどね。僕は彼女を待ってたんだよ。もちろん、彼女は女子トイレに入ってて(笑)、出てくるのを待ってたらブライアンが通りかかった。トイレに行こうとしてたのかどうかはわからない。とにかくトイレの前だった。で、顔を見たらブライアンだったから、挨拶しちゃおうかな、と思って、したんだ(笑)。そして一緒にレコードを作るに至ったんだから、なかなかすごい展開だよね。当然だけど、まさかこんなことになるなんて、そのときは思ってなかった。ただ「ハロー」って声をかけただけで……なんて言ってるうちにこの話がとんでもなく美化されてしまうと困るのでいまのうちに言っておくと、彼と僕は同じ町の出身なんだよ。イングランド東部の、海に近いほんとうに小さな町の、ね。だから、いつかブライアン・イーノに会うことがあれば、それが話のきっかけになるとはずっと思ってた。彼は地元の有名人で、僕も音楽的にずいぶん影響されていたからね。もちろん大きな影響を与えてくれた音楽家は他にも大勢いるけど、そういう人たちと話す機会がもしあっても「あなたに影響されました。ありがとう」くらいしか言えないのに対して、ブライアンには「すごく影響されました。しかも僕もウッドブリッジ出身なんです」と言えるぞ、と(笑)。同郷っていうのは興味を惹くだろ? たとえそれっきりもう会うことがなくても、その場ではその話題だけで5分は盛り上がれるんじゃないか、と思ってた。じっさい、僕らはその場で5分は喋ったし、連絡先を交換してその後もつきあいが続いたんだ。僕がTTTの話をしたらライヴを観に来てくれたから、メンバーにも紹介した。僕らのライヴには何度も足を運んでくれて、バンドとの共演もしたし、彼がキュレイトしたフェスティヴァルに僕らを呼んでくれて、そこで一緒にセッションしたこともある。いつか個人的に彼と組んでやってみたいと、ずっと思っていたのが今回実現したんだよ。

出会ったのは何年ですか?

TR:2012年だな。

そうでしたか。じつはこの雑誌が2012年の終わりにブライアンにインタヴューしているんですが〔註:紙版『ele-king vol.8』『AMBIENT definitive 1958-2013』にも再録〕、そのときに注目しているバンドを挙げてもらったらTTTの名前が出てきたんですって。

TR:それってたぶん、ノルウェーで彼がキュレイトしていたフェスティヴァルに僕らを出してくれたすぐ後じゃないかな。あのときの演奏は僕ら史上有数の出来だったんだ。

ブライアンからの影響、もしくはブライアンの音楽の初体験はなんでしたか?

TR:これがすごく単純なんだけど、U2の『Rattle and Hum』のビデオなんだ。意外に思うんじゃない? 僕が5~6歳の頃、兄がU2に夢中で、うちに初めてのビデオプレイヤーが来たとき、わが家で初めて観たVHSのテープはU2の『Rattle and Hum』だった。『The Joshua Tree』のツアーを網羅したやつ。ほとんどモノクロで、半ばでいきなり画面が真っ赤になる、あのシーンに圧倒されて。こうして話しているだけでも鳥肌が立つくらいなんだけど……とにかく、その真っ赤な画面に“Where the Streets Have No Name”のイントロが流れてくる。『The Joshua Tree』の1曲目だ。美しいVX7の音。ブライアン・イーノが録音した音だ。あのレコードは彼がプロデュースしたんだからね。それがほんとうに印象的で、赤い画面に彼らのシルエットが浮かび上がり、ステージに上がってきた彼らが位置につくとラリー・マレンが叩き始める……いや、タタン! と鳴らして、そこでストップするんだ。そこであのアイコニックなジ・エッジのギターリフが鳴り始めるんだ。ティリリリリ~♪ で、ドラムがタタンタタンタタン、ドゥドゥドゥドゥ、タンッ! ときて、いきなりスタジアムが明るくなる。スタジアム全体が明るくなって、ヘリコプターからの映像に切り替わり、そこがアメリカンフットボールのスタジアムで、8万人だかでビッシリ埋まっているのがわかるんだ。もう最高。そしてバンドは“Where the Streets Have No Name”の演奏に突入、と……、その影にブライアン・イーノがいたことは当時は知らなかったけど、あのなんとも劇的な瞬間はずっと印象に残っていて、大好きだった。僕の兄は7歳、いや8歳年上なんだけど、U2が好きだったからブライアンが関わっていることも知っていて、「このブライアン・イーノって人はウッドブリッジ出身なんだぜ」と教えてくれて、以来僕も「『The Unforgettable Fire』や『The Joshua Tree』や『Achtung Baby』はこの町から生まれたんだ!」ぐらいに思っていた。ブライアンにはロジャーっていう弟がいて……、ブライアンのお母さんは2005年頃に亡くなっているんだけど、彼女がずっとウッドブリッジ在住だったからイーノ家の男の子ふたりもあの町の育ちで、ロジャーに至っては4×4の車のナンバープレイトに「ENO」って書いてあった。「R15ENO」とか、そんな感じだったと思う。

へえ……(笑)。

TR:子どもの頃、「ENO」って書いてあるナンバープレイトの車とすれ違うと大騒ぎしたもんだよ。

すごいですね。小さい町と言いながら、ずいぶん音楽的な町だったんじゃないかと思えてきました。

TR:考えるとすごいよね。ブライアンは運転しないから、そんなナンバープレイトはおろか、そもそも車を持ったことがないらしいけど(笑)。

そうですか、U2が最初だったんですか。よく知られている彼のアンビエント的なものではなくて。

TR:アンビエント・ミュージックを初めて知ったのは16歳のときで、アメリカのバング・オン・ア・キャンというクラシックのグループだった。『Music for Airports』のカヴァーをアコースティックでやっていたんだ。ロイヤル・アルバート・ホールのBBCプロムス〔註:プロムナード・コンサート〕で、生楽器で演奏していた。まだ僕もクラシックに入れ込んでいた時期で、(BBCの)ラジオ3を熱心に聴いていたら、そのプロムスが流れてきて、僕がピアノでやっていたインプロっぽいことと少し似ているという意味でも驚いたし、刺戟的だった。その後、あんな感じの音楽を書いてみようと努力した記憶もある。『Music for Airports』のピアノの旋律はロバート・ワイアットが弾いていたはずだけど、いまだに僕には印象的で参考にしたくなるんだよね。そこからスティーヴ・ライヒにも興味を持ったし、ロンドンの音楽仲間……さっき話したインディーズのシーンの連中に教えられてデイヴィッド・ボウイとかトーキング・ヘッズとか、ブライアンが手がけてきたいろんな音楽のおもしろいコラボレイションを知ったんだ。デイヴィッド・バーンもそうだし、ロバート・フリップとか、ジョン・ハッセルとか、すごいのがたくさんあった。そうこうするうちに、僕も立派なブライアンおたくさ。

(笑)。

TR:そうなったのは20代になってからだけそね。その前の、8歳と16歳でじつは彼の音楽に遭遇していた、ということ。

今回、作業はどう進めたんですか? じっさいにブライアンと同席して一緒にやった?

TR:そうだよ。ロンドンにある彼のスタジオで、アップライト・ピアノが1台と、彼が試してみたいと言っていたモーグ・ピアノというやつを、いい機会だから使ってみようということで持ち込んで、彼は僕と背中合わせに近い形で座って……お互い直角ぐらいの位置かな、手を伸ばせば届く距離だよ。その状態で僕はピアノを弾き、彼はデスクトップ・コンピュータをいじりながら音を作ったりミックスしたりしていた。僕が弾くピアノの音を彼が録って……ピアノからのMIDIシグナルを彼がコンピュータに録音して、その後、加工していったんだ。たしか作業は15日間。すごい量の音楽を録音したよ。

すみません、もう予定の30分を過ぎているんですが、まだ大丈夫ですか? あと10分でもいただけたら嬉しいんですが。

TR:ぜんぜん大丈夫だよ。僕はいつまでだって喋っていられる。

(笑)。ありがとうございます。助かります。えぇと、ブライアンが試してみたかったというのはモーグ・ピアノ、でいいですか?

TR:うん。モーグ・ピアノ・バー、かな、正確には。

有名なプリペアド・ピアノではなく。

TR:そう。モーグっていうあの楽器の会社が2003年……だったと思うけど、に作ったやつで、ピアノの上に設置してアコースティック・ピアノをデジタル・ピアノに転じるという……。でもプリパレイションはまったく絡んでいない。弦には触れないんだ。鍵盤に触れるだけで。なんか、不思議なセンサーだけで技術的にはじつは極めて基本的なものらしくて、2003年に製造したものの評判はいまいちで、数もあんまり作られなかったらしいよ。たまたまブライアンが1台持っていたんだけど……。

彼はうまく使いこなしていました?

TR:と、思う。なかなかクールな機材だった。うまく機能しないというか、ピアニストからすると不安定で使いづらい。単純な仕組みなのに気分屋で、当てにならないから使い勝手はよくないね。

ケータイに記録しておこう、なんて思った途端に本質から外れて台なしだ。体験することの価値、その場にいることの価値、その瞬間にそのミュージシャンがやっていたことは瞬時に消えて二度と戻らないという刹那の価値。

アルバムの構成ですが、最初のほうに美しいピアノのメロディが印象的な曲が続き、終盤に向けて実験性の高い曲が出てくるようですね。これは流れを考えて意識的にそうしたんでしょうか?

TR:スタジオで15日間作業して、毎日何時間もやっていたから……基本すべて即興で、終わったところで編集というか、音量調整したりすることはあっても、ほとんどはその場で僕が演奏したものそのままなんだ。で、すべて曲が揃ったところでアルバムに仕立てるのは僕に任された仕事だった。だから、ぜんぶ持ち帰って必死でやったよ。要は曲選びってことだけど、ふたりで好きなようにやった結果だから、ものすごく幅広い音世界が網羅されていて、下手したらちょっとゴチャゴチャした印象のアルバムになってしまうんじゃないかと僕は懸念した。ありとあらゆることをやっていて、おもしろいけどとっ散らかってしまうんじゃないか、と。そこで一体感を持たせるために追求したのは、ブライアンの音楽言語である彼の音世界……これはつねにけっこうな一貫性があって、オルガンだろうがベルだろうが徹底しているんだけど、僕の側の音世界は僕の感覚によるメロディでありハーモニーなので、それを彼の世界と擦り合わせて全体としての説得力を持たせなければ……と、まあ、それが音の整合性なわけだけど、他に曲を並べたときに自然な曲線が描かれるような……しかるべきところで頂点に達して、ストーリーを感じさせながら聴き手を旅に誘うような、どこかへ連れ出してしまうような……、いや、違うかもしれないな……、おかしな話だけど、あちこち旅して回って最後には出発した場所に戻っていくという感じを出したかったのかもしれない。ぐるっと長い環状線を歩いて、出発点に戻ってきたときに、最初とはまったく違う新しい視点で同じ場所を眺められるようになっている……、旅をしてきたおかげで、ね。まあ、そんなことをそこまで意識して曲順を決めたわけではないけれど、後から考えるとそんな感じがする。おっしゃる通り、穏やかに、ピアノ重視な始まりから段々とエレクトロニックになっていく中盤、そしてけっこういろんなことをやった上で最後にまた穏やかなエンディングに辿り着く、という感じかな。

穏やかな岸辺、ですね。タイトルが示すように。

TR:そういうことだね。

ピアノはとくにクラシックの分野では昔から主要なメロディ楽器でしたが、発明された当初は非常に馴染みのない、いまでいうデジタルな感触の響きと受け止められたのでは? と質問者は言っているのですが、どうでしょう、意味はわかりますか?

TR:あぁ、もちろん! わかるよ。その通りだと思う。いい指摘だ。まず、ピアノが音楽に与えたインパクトは驚くほどラディカルなものだったはずだ。ああいう形でスケールを鳴らせる楽器が登場したんだから。バッハもピアノでは作曲していない。彼が使ったのはキイボード……クラビコードもしくはハープシコードだ。バッハの音楽は非常に音数が多い。タンタンタンタンタンタン……♪ と、ぎっしり音で埋まっている。考えてみるとそれはアルペジオだろう。モーツァルトやハイドンですら、あるいはスカルラッティあたりの音楽もティラリラティラリラ……♪ と延々と繰り返すことをやっているが、あれだってつまりはアルペジオさ(笑)。おもしろいよね。ショパンだって、ショパンというとみんな叙情的なメロディで有名だと思っているだろうけど、彼の音楽には音の連なりがものすごく多い。いわば16分音符だ。古いエテュードなんか、ティラリラリラ……♪ って(笑)、あれをピアノが支えたことは驚くべき音盤を……音世界を得たことになる。うん、そのジャーナリストの指摘はまったくその通りだと思う。現代におけるシンセサイザーのように、音的にいろんなことを可能にしてくれたはずだ。とくにペダルを使うと巨大な音を鳴り響かせることができるし、サステインも効くし、それ自体がオーケストラだという印象を与えたんじゃないかな。それが一般の人の居間にふつうに置かれるようになり……、いまのピアノの興味深い点は、ピアニストとしては逆にそれが古代の技術であることを意識すべきだということ。もちろん、いまもって優れた楽器であり、インターフェイスが機能していることは後のキイボードもシンセサイザーもピアノのそれを模していることからも明らかだけれど、ピアノ自体が体現するものは19世紀であり、それが人気だった時代なんだよね。エレクトリック・ギターが50年代から60年代、70年代あたりの新しさを象徴しているのと同じだ。いま、エレクトリック・ギターを弾きながら新たな文化を創造している感覚を味わうのは難しい。ジミ・ヘンドリックスがしたように。ね? ピアノにも同じことが言えると僕は思う。ピアノで新しいことをやろうと思うなら、やり方を工夫する必要がある。社会的にも政治的にも歴史的にもさまざまな背景を背負った、侵食された楽器なんだから。そう考えると、これだけピアノ音楽が溢れている現状は興味深い。ここ数年のピアノ音楽は……、こちらの状況で話しているけれどもおそらく日本もそうだろう、日本は昔からピアノに親しみがあるから。

ヤマハの国ですから。

TR:あはは、そうだった。間違いなく最高のピアノを造っている。シンセサイザーも最高だと僕は思うが……、まあ、それはいいとして、ヨーロッパではピアノ音楽の人気の高まりがこの数年顕著でね。たぶんそれは時代を超えて人間に共鳴する馴染み深い音……アコースティックな音をいままた人びとが求め始めていることの証なんじゃないだろうか。デジタル・ライフを象徴するソーシャル・メディア的な、刺戟の多い複雑な混乱した世の中からの逃避、というか。それがいま、より静かな(stiller)ピアノ音楽の再評価という形で表出しているんじゃないか、と僕は思うんだけど、どうだろう。だとしたら、その嗜好は僕にもよくわかる。ただ、僕のレコードがやっていることはそれとは違う。僕のレコードは相変わらず……、なんて言うんだろう、僕のレコードにはデジタルが存在しているから……、なんだろうなあ、べつにラディカルなことをやって驚かせてやろうとか、そんなつもりはぜんぜんないけれど、なんかちょっと他とは違うことをやりたかったんだよね。自分なりの出口を模索した結果、というのかな。ピアノで何ができるのか、と考えた結果、こういう突破口を見つけた、と。TTTについて話したときに言ったように、僕はつねに電子音楽をライヴでやる手法に興味を持って探求してきた。どうすればライヴで優れた電子音楽を披露できるのか。電子音楽はそもそもライヴなものではなかった。シーケンサーやサンプラーやドラムマシーンといった機械を操作して動かすわけだけど、そこに人間という要素が入り込んできて電子音楽を演奏しようとしたら……あるいは電子音楽的なスタイルやサウンドや技術で演奏しようとしたらどうなるか、というのが僕のかねてからの関心事で、ドラムマシーンのように完璧なプレイができるドラマーなんていないし、完璧じゃないがゆえに人間を補おうとしてAIだなんだって洗練された技術が追い求められるのは、それはそれでけっこうなことだが、だったら人間にしかできないことってなんなんだろう、と思うよね。

不完全であること、ですよね。

TR:そうだよね。だから僕らのレコードではそれを許容することにしたんだ。

このレコードもいずれライヴで演奏することを想定して作っていたんですか?

TR:もちろん! 当然だよ。というか、もうやってる。このアルバムはライヴ映えしそうだ。もう少しするとビデオが公開されるから、それを観れば具体的にどうライヴで展開しているかわかるだろう。

そうなんですね。

TR:あと2週間くらい、かな。さっきも言ったようにレコードは即興演奏を文字通り記録(record)したものだけど、曲のもとになっているコンセプトの多くは永遠に拡大可能なんで、どんどん発展させて演奏することができるんだ。コンサートでは、たとえば最初の曲で最初の音を弾いたら、記憶しているその曲を数分弾き進め、どこかの時点でさらなる即興に転じる。あとはどうなるかわからない。もとが即興なんだから、1音1音完全に再現したところで無意味だ。その日のその瞬間にしか生まれえなかった曲なんだから、その精神を再現するという意味でライヴこそが僕にとっては生命線なんだ。レコーディング以上にライヴは興味深い。一度作った曲を世界へ持ち出して、行く先々で、みんなが観ている前で、さらに発展させてみせる。それがライヴの醍醐味。もちろん、そうかけ離れたものにはならないよ。でも、毎晩やるたびに曲が変わるという楽しみや、お客さんに彼らだけの経験をしてもらえるという喜び。曲単位ではなく、一晩ごとにそのときしか存在しない何かを体験するという、まさにそれこそが即興だよ。デジタル文化においては、撮った写真がぜんぶそのまま永久に保存されるけれど、即興は瞬時のものだけにものすごく集中力を要するし、その場にいなければ味わえないという、いまの文化に逆行するとても価値のある体験だと思うんだよね。ケータイに記録しておこう、なんて思った途端に本質から外れて台なしだ。体験することの価値、その場にいることの価値、その瞬間にそのミュージシャンがやっていたことは瞬時に消えて二度と戻らないという刹那の価値。やってる側もだけど、お客さんも思い切り集中しないと体感できないだろうね。

長らくありがとうございました。日本でもライヴを聴けますように。

TR:ああ、ぜひそうしたい。僕はまだ日本に行ったことがなくて、TTTもある程度ファンが日本にいたようだけど機会がなかったから……うん、日本に行けたら楽しいだろうな。音楽的に日本のカルチャーはすごく進んでいる印象がある。遠くから見ている印象だけど、なんだかすごくおもしろそうだ。とにかく、話を聞いてくれてありがとう。

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