「Ord」と一致するもの

Kelly Lee Owens - ele-king

 セルフ・タイトル、そしてセルフ・ポートレイトとなるジャケットの色はグレー。このグレー、という感覚がケリー・リー・オーウェンスのエレクトロニック・ミュージックである。すでに「テクノの白昼夢」、あるいは「ドリーム・ポップとアンビエント・テクノのミックス」などと評されているが、彼女が作り出す夢はいろいろなものが混じり合いながら変幻していく。

 ケリー・リー・オーウェンスはウェールズ出身のプロデューサーで、かつてヒストリー・オブ・アップル・パイというインディ・バンドでベースを弾いていたが、のちにダニエル・エイヴリーのデビュー・アルバムにヴォーカルで参加するという少しばかり変わった経歴の持ち主だ。シンプルながらよくデザインされたアンビエント・テクノを収めたいくつかのシングルで注目を集め、そして何と言ってもジェニー・ヴァルの“Kingsize”のフロアライクなリミックスで話題となり、ノルウェーはオスロの〈スモールタウン・スーパーサウンド〉とサイン。本作がデビュー作だ。
 初期ビョークに比較する向きもあるようだが、それよりも近年活躍する女性プロデューサー陣とのリンクを連想させる部分が大きい。『エクスタシス』以前のジュリア・ホルター、ジュリアナ・バーウィック、あるいはローレル・ヘイロー……といった、自身の声や歌をどのように電子音楽に絡めるかという命題に非常に意識的な作家と同期しているように聞こえるのである。女声というのは楽曲のなかでよくも悪くもアイコニックに変換されがちで、エモーショナルに歌ってしまうといわゆる「ディーヴァ」のようにすぐに見なされてしまう。そうした罠から逃れるように、オーウェンスも先述のプロデューサー陣の慎重さに習うように自らの歌声にリヴァーブを施したり重ねてループさせたりすることによって声を音響化し、異化している。アーサー・ラッセルにオマージュを捧げるその名も“Arthur”はその最たる例で、まさにラッセルを連想させる水中のような音響のなかで断片化した彼女の声がこだまするアンビエント・テクノだ。だがいっぽうで、たとえばジュリアナ・バーウィック辺りの徹底ぶりに比べるとオーウェンスの場合は比較的輪郭を伴いながら「歌」の形を取っているトラックも多く、“S.O”、“Lucid”、“Throwing Lines”などはディーヴァ化を周到に避けながらも、聴き手の意識をメロディに預けることも許している。ジェニー・ヴァルを迎えた“Anxi.”がその方向性ではもっとも秀逸なトラックで、音響化された声と歌とが交互に立ち現れ、ミニマルな風景を柔らかく変貌させていく。やはりもっともあり方として共振しているのはジェニー・ヴァルなのだろう。

 対して硬質なビートとブリーピーなサウンドで聴かせる“Evolution”や“CBM”、フォークトロニカ期のフォー・テットを連想する簡素な反復とチャーミングな音色が特徴の“Bird”など、そもそも声の問題を度外視したトラックも興味深い。彼女自身の音のコア――それに一貫した態度――は、このアルバムではそれほど強調されていない。全編通してサイケデリックに心地いいのは違いないが、フワフワとsomewhere betweenという表現がずっと続いている感じなのだ。
 単音のベースとシンセが効果的に重なっていく“Keep Walking”は、タイトルと音で彼女の表現をよく言い表していると思う。白黒はっきりつけないある種の保留状態を保ったまま、とりあえず「歩き続ける」こと。ベッドルームとフロアの間のどこかでウロウロすること。彼女の音楽が優れて逃避的なのはたんに心地いいだけでなく、聴き手にグラデーションのなかで浮遊することを許しているからだ。このデビュー作だけではこの先どのような地点を目指していくのかはまだわからないが、その、未定であること自体の魅力を湛えた1枚である。

Spoko & Aguayo - ele-king

 2016年の音楽シーンを特徴づけたトレンドのひとつに、ゴムがあった。南アフリカのダーバンで生み出されたその音楽はクワイトの影響を受けているとも言われるが、いわゆるハウスの文脈よりもむしろベース・ミュージックの文脈に位置づけた方がしっくりくるサウンドで、うなり続ける低音ドローンやダビーな音響、グライム的な間の使い方、それらによってもたらされる奇妙なもたつき感など、なるほどコード9が興味を持つのも頷けるというか、そこにはたしかに「これこそが新しいトレンドだ」と騒がれるに足るじゅうぶんな要素が具わっていた。その潮流の一端は、コンピレイション『Gqom Oh! The Sound Of Durban Vol. 1』にまとめられている。

 そんなゴムの盛り上がりに触発されたのだろうか。昨年リリースされたDJスポコとDJムジャヴァによるEP「Intelligent Mental Institution」は、まるで「ゴムの前には俺たちがいたんだぜ」と宣言しているかのような、自信に満ち溢れた1枚だった。自らの音楽を「バカルディ(=酒)・ハウス」と呼称するスポコは南アフリカのプロデューサーで、近年は〈True Panther Sounds〉やJクッシュの主宰する〈Lit City Trax〉といった米英のレーベルからも作品を発表している。興味深いことに彼は、シャンガーン・エレクトロのドンであるノジンジャとも親交があったらしい(なんでも彼からエンジニアリングを学んだそうだ)。そのスポコの相棒を務めたムジャヴァの方も同じく南アフリカ出身のプロデューサーで、10年ほど前に“Township Funk”で世界中にその名を轟かせたハウス・レジェンドである。『RA』によれば、その“Township Funk”でパーカッションを担当していたのがスポコだったそうだから、彼らの交流はかなり古くまで遡ることができるのだろう。そのふたりが久しぶりにがっつりと手を組んだ「I.M.I」は、強烈なドラムとメロディアスなシンセが絡み合う最高にダンサブルな1枚で(“King Of Bacardi”や“Sgubhu Dance”の昂揚感といったら!)、王者の貫禄とでも言うべきか、とにかく矜持にあふれたEPだった。
 そのスポコが次にパートナーに選んだのがマティアス・アグアーヨである。アグアーヨは、自身のアルバム『Ay Ay Ay』が出たのと同じ2009年に、ムジャヴァの“Township Funk”のリミックスを手掛けているので、今回のコラボには前兆があったということになるが、スポコと共同作業をおこなうのはこの「Dirty Dancing」が初めてのはずだ。〈Kompakt〉というブランドの名を耳にすると、ある特定のミニマル・サウンドを思い浮かべてしまう人もいるかもしれないが、アグアーヨはそういうイメージの束縛から自由なアーティストで、チリ出身ということもあってか、彼の作品からは独特の「辺境」性を感じ取ることができる。したがってわれわれは、スポコの「バカルディ・ハウス」がアグアーヨのその「辺境」性と衝突したときにいったいどのような化学反応が起こるのか、という期待に胸を膨らませて本作を手に取ることになる。

 結論から言ってしまえば、この「Dirty Dancing」では何か特別なミラクルが起こっているわけではない。“Something About The Groove”におけるエルビー・バッドの参加が如実に物語っているが、良くも悪くも本作は、「バカルディ・ハウス」と欧米のハウス/テクノとの「出会い直し」(あるいは「再会」)といった趣に落ち着いている。そりゃまあ奇蹟なんてそんなに頻繁に起こるものではないから、しかたがないといえばそうなのだけれど、とはいえタイトル曲“Dirty Dancing”で繰り広げられるふたりのシンセの応酬や、あるいは“Taxi Rank”の不思議な疾走感からは、まだ見ぬ新天地の雄大な景色を想像することができる。
 成功するかしないかはひとまず脇に置いておいて、こういう特異なもの同士の接続それ自体はこれからもどんどん為されていくべきだろう。周縁的なものと周縁的なものとが出会ったときに奇蹟的に発生するかもしれない、豊穣なる余剰を夢想すること――それは音楽を享受する愉悦のひとつである。きっとゴムの次に到来するトレンドも、そういう刺戟的な出会いのなかから生み出されるに違いない。

Laurel Halo - ele-king

 もし「近年のエレクトロニック・ミュージックの担い手たちのなかで、OPNやアルカと肩を並べるくらいのタレントは誰か」と問われたなら、僕は迷わずローレル・ヘイローの名を挙げる。『Quarantine』『Chance Of Rain』『In Situ』と、作品ごとにスタイルを変えながらしかしつねに唯一無二のサウンドを響かせてきた彼女が、この初夏にニュー・アルバム『Dust』をリリースする。いま彼女が鳴らそうとしているのはいったいどんなサウンドなのか? 彼女は今年の1月に初音ミクにインスパイアされたプロジェクトの新曲も発表しているが、来るべき新作にはそれと関連した要素も含まれているのだろうか? いろいろと疑問は尽きないけれど、クラインラファウンダも参加していると聞いては、期待しないでいるほうが難しい。『Dust』は6月23日に〈ハイパーダブ〉よりリリース。

 ところで、「宅録女子」という言葉、いい加減なんとかならんのだろうか……

宅録女子から唯一無二の気鋭音楽家へ
〈Hyperdub〉に復帰し完成させた待望の新作『Dust』のリリースを発表!
ジュリア・ホルターやイーライ・ケスラーなど注目の才能が多数参加した注目作から
新曲“Jelly”のミュージック・ビデオを公開!

いきなり英『WIRE』誌のアルバム・オブ・ザ・イヤーを獲得し、主要メディアが絶賛したデビュー・アルバム『Quarantine』やエクスペリメンタル・テクノ作『Chance of Rain』などのアルバムを通し、高度なスキルと独創性を兼ね備えたポスト・インターネット世代の代表的アーティストとして注目を集めるローレル・ヘイローが、2015年に〈Honest Jon’s〉からリリースされたアルバム『In Situ』を経て、再び〈Hyperdub〉に復帰! 会田誠の『切腹女子高生』をアートワークに使用したことも話題となった『Quarantine』以来となるヴォーカル作『Dust』を完成させた。

今回の発表と同時に、昨年〈Warp〉からデビューを果たしたLafawndahとサウス・ロンドンのシンガー兼プロデューサー、Kleinがヴォーカル参加した新曲“Jelly”を公開した。

Laurel Halo - Jelly (Hyperdub 2017)
https://youtu.be/IrjeMN_U1hw

本作の作曲作業は、実験的な科学技術を使った作品、電子音楽やパフォーミング・アーツの発表/研究/作品制作のほか、ワークショップやトークなどをおこなう施設として設立されたメディア&パフォーミング・アーツ・センター(Experimental Media and Performing Arts Center)、通称EMPACでおこなわれている。そこで様々な機材へアクセスを得たローレル・ヘイローは、制作初期段階をひとりでの作業に費やし、終盤では前述のLafawndahと、ニューヨークを拠点にパーカッショニスト兼画家としても知られるEli Keszlerを招き、セッションを重ね、2年間の制作期間を経て完成させた。

より洗練されたソング・ライティングとカットアップ手法、即興を取り入れた電子音が特徴的な本作には、そのほか、Julia Holterや$hit and $hineのCraig Clouse、Zsのメンバーであるサックス奏者、Sam Hillmerのソロ名義Diamond Terrifierなどが参加し、そのハイセンスな人選にも要注目。

参加アーティスト:
Klein
Lafawndah
Michael Salu
Eli Keszler
Craig Clouse ($hit and $hine)
Julia Holter
Max D
Michael Beharie
Diamond Terrifier

ローレル・ヘイローの最新アルバム『Dust』は、6月23日(金)に世界同時リリース! 国内盤にはボーナストラックが追加収録され、歌詞対訳と解説書が封入される。iTunesでアルバムを予約すると、公開された“Jelly”がいちはやくダウンロードできる。

label: HYPERDUB / BEAT RECORDS
artist: LAUREL HALO
title: DUST
release date: 2017/06/23 FRI ON SALE

国内盤CD BRC-551 定価 ¥2,200(+税)
ボーナストラック追加収録 / 解説書・歌詞対訳封入

iTunes: https://apple.co/2pVIFwG

[TRACKLISTING]
01. Sun to Solar
02. Jelly
03. Koinos
04. Arschkriecher
05. Moontalk
06. Nicht Ohne Risiko
07. Who Won?
08. Like an L
09. Syzygy
10. Do U Ever Happen
11. Buh-bye
+ Bonus Tracks for Japan

Jeff Parker - ele-king

 去る4月に最新ソロ作『The New Breed』の日本盤がリリースされたジャズ・ギタリスト、ジェフ・パーカー。彼はトータスのメンバーとして有名ですが、ソロとしても魅力的な活動を継続しています。その彼の来日公演が来週から始まります。スコット・アメンドラ・バンドやトータスのステージも含めると、なんと14公演もプレイする予定です。詳細を以下にまとめましたので、ぜひチェックしてください!



■SCOTT AMENDOLA BAND featuring
 NELS CLINE, JEFF PARKER, JENNY SCHEINMAN & CHRIS LIGHTCAP

会場:COTTON CLUB
日程:2017年5月11日(木)~5月13日(土)
時刻:
●5.11 (thu) & 5.12 (fri)
[1st. show] open 5:00pm / start 6:30pm
[2nd. show] open 8:00pm / start 9:00pm
●5.13 (sat)
[1st. show] open 4:00pm / start 5:00pm
[2nd. show] open 6:30pm / start 8:00pm
出演:Scott Amendola (ds), Nels Cline (g), Jeff Parker (g), Jenny Scheinman (vln), Chris Lightcap (b)

* ウィルコのネルス・クラインとともにスコット・アメンドラ・バンドの公演に出演。

https://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/sp/artists/scott-amendola/


■Jeff Parker『The New Breed』発売記念ミニ・ライヴ、トーク&サイン会

会場:タワーレコード 渋谷店 6F
日時:2017年5月14日(日) 16:00 start
出演:Jeff Parker (Jeff Parker & The New Breed, TORTOISE), 柳樂光隆 (Jazz The New Chapter) ※インタヴュアー

* 〈HEADZ〉主催のインストア・イベントに出演。今回の来日公演のなかでは唯一のソロ・ライヴ。

https://towershibuya.jp/2017/05/01/95261


■TORTOISE

会場:Billboard LIVE TOKYO
日程:2017年5月15日(月) & 2017年5月17日(水)
時刻:[1st] 開場 17:30 開演 19:00 / [2nd] 開場 20:45 開演 21:30

会場:Billboard LIVE OSAKA
日程:2017年5月19日(金)
時刻:[1st] 開場 17:30 開演 18:30 / [2nd] 開場 20:30 開演 21:30

* ビルボードライブ東京およびビルボードライブ大阪にてトータスの単独公演が開催。

PC: www.billboard-live.com
Mobile: www.billboard-live.com/m/


■GREENROOM FESTIVAL ‘17

会場:横浜赤レンガ地区野外特設会場
日程:2017年5月21日(日)

* GREENROOM FESTIVAL ‘17の2日目、〈GOOD WAVE〉ステージにトータスとして出演。

https://greenroom.jp

【リリース情報】

アーティスト: Jeff Parker / ジェフ・パーカー
タイトル: The New Breed / ザ・ニュー・ブリード
レーベル: International Anthem Recording Company / HEADZ
品番: IARCJ009 / HEADZ 218
発売日: 2017.4.12
価格: 2,000円+税
日本盤ライナーノーツ: 柳樂光隆(Jazz The New Chapter)
※日本盤のみのボーナス・トラック Makaya McCraven Remix 収録

[Tracklist]
01. Executive Life
02. Para Ha Tay
03. Here Comes Ezra
04. Visions
05. Jrifted
06. How Fun It Is To Year Whip
07. Get Dressed
08. Cliche
09. Logan Hardware Remix (produced by Makaya McCraven)

https://www.faderbyheadz.com/release/headz218.html


【関連盤ご紹介】

アーティスト: Jamire Williams / ジャマイア・ウィリアムス
タイトル: Effectual / エフェクチュアル
レーベル: Leaving Records / Pヴァイン
品番: PCD-24617
発売日: 2017.4.19
価格: 2,400円+税
解説: 柳楽光隆(Jazz The New Chapter)
※日本盤限定ボーナス・トラック2曲収録

[Tracklist]
01. Who Will Stand?
02. The Fire Next Time
03. Selectric
04. Truth Remains Constant
05. Dos Au Soleil
06. Chase The Ghost
07. Wash Me Over (Pollock's Pulse)
08. In Retrospect
09. Futurism
10. [ Selah ]
11. Children Of The Supernatural
12. Illuminations
13. The Art Of Losing Yourself
14. Collaborate With God
15. Collaborate With God (Drums and Strings Mix)
16. Triumphant's Return

* ジェフ・パーカー『The New Breed』にも参加するドラマー、ジャマイア・ウィリアムスによるデビュー・アルバム。

https://p-vine.jp/music/pcd-24617

interview with Arca - ele-king

自分は100%プロデューサーだとも、あるいは自分は100%シンガー・ソングライターだとも感じていないんだよ。僕が「自分は中間にいる、どっちつかずだ」と感じる。そんなわけで、僕のこれまでの人生というのはずっとこう、思うに……「中間に存在する」っていう瞬間の集積なんじゃないかな。


Arca - Arca
XL Recordings/ビート

ExperimentalArca

Amazon

 無性の生命体である「ゼン」、あるいはその名の通りの「ミュータント」と、これまでのアルカの表現は自画像を極端なまでに奇形化したものとして出現していた。それは彼、アレハンドロ・ゲルシのルーツであるヴェネズエラにおいて同性愛を隠さねばならなかったことと密接に関わっていることはすでに明らかにされており、彼が描く官能はひどく禍々しくグロテスクなものだ。それはヴェネズエラ時代の彼にとってセクシュアリティ自体が端的に異物だったからだ。
 さらに過剰に断片化したビートやノイズが吹き荒れる攻撃的なミックステープ『Entrañas』を通過して、しかし、彼の新作『アルカ』はゲルシ自身の声と歌を中心に据えたもっとも甘美な一枚となった。そこではたしかにインダストリアルな音色や複雑怪奇な打撃音の応酬も聞こえはするが、それ以上に引きずりこまれるように誘惑的な旋律が響いている。それはかつて自分が話していた言葉であるスペイン語で歌うことを通して、自身の内面と過去の痛ましい記憶にさらに潜行し、そこにたんなる悲しみや苦しみで終わらない美しい何かを見出したことによるものだ。『アルカ』はだから、ゲルシが異物としての自分を柔らかく受容するアルバムである。
 
 以下のインタヴューでアルカは、自らのメランコリーやセクシュアリティ、歌うことやあるいは彼だけの「美」について驚くほど率直に語っている。隠蔽されていたものが解放される瞬間に沸き起こるエロス、その眩しさをアルカはわたしたちに余すことなく体感させようとする。 (木津)

このレコードで何が起きたかと言うと――たまたまなんだけれど、自分の取り組んでいたテーマ群そのものが、僕に自分のヴォイスを用いることを欲してきたんだ。だから、ある特定の類の……「傷つきやすさ」を現す、その必要が僕にはあった、と。それからまた、ある種の……「生々しさ」を体現する、その必要もあった。

坂本(以下、□):もしもし、アルカでしょうか?

アルカ:うん、アルカだよ。(日本語で)ハジメマシテー!

(笑)わぁ……ハジメマシテ! す、すごいな(笑)。えーと、電話インタヴューをやる予定なんですけども、始めてかまわないでしょうか?

アルカ:(児童が答えるように元気な日本語で)ハイッ!!

(笑)このまま、日本語でインタヴューしましょうか?

アルカ:いやいやいや、それはなし(笑)! どうなるか、想像してごらんよ(笑)……ヨロシクオネガイシマース!

(笑)ヨロシクオネガイシマース。にしても、アルカさん、日本語お上手ですね。

アルカ:日本に行ったことがあるし、日本は大好きだからね。フフフッ!

いつ、日本に行かれたんですか? 

アルカ:日本には何度も行ったよ。たしかもう4回、いや、5回くらい行ったことがあるんじゃないかな。

それは、ライヴをやるために、ですか?

アルカ:最初の3回は、旅行だったね。僕は……とても若い頃から、日本のカルチャーと強いつながりを感じていてね。だから、大学では日本映画と日本文学について学んだんだよ。

ああ、そうだったんですか! それは素晴らしい。

『アルカ』はとても独創的な音響を持ち、メランコリックで、しかもパワフルで、強く訴える何かを持った作品です。まず、アルカにとってはじめてのヴォーカル作品であり、ある意味ではシンガー・ソングライターとしてのアルバムだと言えます。高校生当時ニューロ(NUURO)名義で歌っていたとはいえ、やはりそれとは意味合いがかなり異なると思えますが、アルカというプロジェクトにおいて歌とは何を意味するのでしょうか? 

アルカ:フム……そうだな……君の言わんとしていることは理解できるけれども……そうだな、この点をもっとも簡単に説明するとすれば、思うに……ミュージシャンとして、自分が音楽を作る際に、僕は……ある種の「ゴーストたち」を、人間として、自分の人生のその時々の中に捜し求めているんだよ。で、僕はたいてい、いつも音楽を作っているわけだよね。だから……「これをやろう」と決めると言うよりも、むしろ「受け入れる」ってことなんだ。ときに、直観は僕にとある響きを持つひとつのレコードを作りなさいと言ってくるし、また、その次の作品はそれとはまったく違う音のものになることもある。ただ、そういう経験は僕にとってはべつに目新しいものでもなんでもなくてね。思うに、自分がつねに追い求めているのはそれなんじゃないか、と。
 というわけで……そうだな、今回はある意味、自分にとって楽ではないことをやろうと仕向けた、みたいな感じかな。自分自身にチャレンジしようと、とても努力したよ。というのも……もしも自分が挑戦を受けたら……そうやって、自分自身の内面で何かと闘おうとする、あるいは、自分でもこれまであまりよく知らなかった自分のとある側面にコネクトすべく奮闘すれば……おそらく、自分は自分の「正直さ」を見つけられるんじゃないか? と。コミュニケートするときの誠実さ、ということだよね。で、このレコードで何が起きたかと言うと――たまたまなんだけれど、自分の取り組んでいたテーマ群そのものが、僕に自分のヴォイスを用いることを欲してきたんだ。だから、ある特定の類の……「傷つきやすさ」を現す、その必要が僕にはあった、と。それからまた、ある種の……「生々しさ」を体現する、その必要もあった。だから、純粋に必然、だったんだ。なんというか、ほとんどもう自分の口が勝手に開いて声を出していた、みたいなね。というわけで、僕としては自然に声が出てくるのならそうさせようじゃないか、そう、意識的に決断するしかなかった、という。

なるほど。

アルカ:で……うん、これを「ある意味でのシンガー・ソングライター•アルバム」と呼ぶのはアリだろ? 僕もそう思うんだよ。ただ、僕は……自分のこれまでの過去が非常に……複雑なものであったこと、その点については本当に感謝している、というかな。だから、僕というのは……人生のじつに多くの面において、僕は「自分は“中間点(in between)”にいる」、そんな風に感じていてね。だから、僕はヴェネズエラで生まれたけれど、いまこうして話していてもお分かりのように、ヴェネズエラの訛りなしで英語で話している。だから、僕はふたつの言語をアクセントなしで喋っている、ということ。で、それがどういうことかと言えば、アメリカ、ヴェネズエラの両国でそれぞれ暮らしていたときも、僕はいつだって「自分はアメリカ人だ」とも、あるいは「ヴェネズエラ人だ」とも感じたためしがなかった、という。だから、その意味で、僕には「自分はどこにも属することがなかった」みたいなフィーリングがあるんだよ。で……おそらく僕のセクシュアリティ、それから……僕の装いを通じての自己表現の仕方について、それらを……「アルカは、彼の抱いている“自分は(「あちら」でも「こちら」でもない)中間点に存在する”という感覚を、ああして外に見える形で出している」と評することはできると思う。セクシュアリティ、そしてジェンダーの双方の意味合いでね。

はい。

アルカ:で……だから、僕はそれと同じように、自分は100%プロデューサーだとも、あるいは自分は100%シンガー・ソングライターだとも感じていないんだよ。思うにそれもまた、僕が「自分は中間にいる、どっちつかずだ」と感じる、そういう場所のひとつなんだろうね。そんなわけで、僕のこれまでの人生というのはずっとこう、思うに……「中間に存在する」っていう瞬間の集積なんじゃないかな。で、「中間点」っていうのは、普通はみんなが避ける場所なんだよ。というのも、ものすごく居心地の悪い状態だから。

(笑)たしかに。

アルカ:そういう状態にいるなと自分が感じていると、まず、他者とのコミュニケーションが難しくなる。それに……自分自身に対しても楽でいにくくなる。というのも、「自分はどこにも属せないんだ」って風に感じているわけだからね。だから、たぶん、僕のこれまでの人生というのはすべてそうした「中間点/どっちつかず」の連続だったんだろうし、そんな空間に存在することで自分の感じている苦痛を、僕は……美しいものとして見ようとしている、あるいは、その苦痛から何かしら美しいものを作り出そうとトライしているんだ。おそらく、それがある意味、人間としての僕がたどる人生における旅路なんだろうね。ということは、それらは僕の作る音楽の中にも反映されることになる、という。

なるほど。ある意味、音楽作りを通じて、あなたはあなた自身が快適に感じられる「自分の空間」をクリエイトしようとしてきた、とも言えますか?

アルカ:まあ、そういう風に言うことも可能だろうね。ただ、僕だったらべつの言い方をするだろうね。だから、自分だったら、それをこう言うんじゃないかな……「僕は、自らの弱さの数々を“パワー”に変えようとしている」と。

ああ、分かります。

アルカ:だから、たとえば僕が自ら「恥だ」と感じるような物事、それらを僕は……祝福しようとトライする、というか。自分を悲しくさせてきた色んな物事、それらの中に、僕は……美を見出そうとする、と。だから単純に公平でニュートラルというのではないし、ただたんに「自分が楽に存在できる空間を作ろうとする」ではないんだよ。そうではなく、自分が自分のままで輝けるスペースみたいなものであり、かつ……自分は愛情を受けるに値するんだ、そんな風に感じられる空間、ということなんだ。

はい。

アルカ:だから……ただ「自分のことを許容し、大目に見てもらえる」程度の場ではなくて……愛を見つけることのできる、そういう空間を作ろうとしているんだよ。

と同時に、そこは「あなたがありのままのあなた自身でいられる場所」、でもあるんでしょうね。

アルカ:うん、そうだね。ただし……そう言いつつ、僕はいまのこの回答もややこしくしたいな、と思ってしまうんだけど。

(苦笑)はい。

アルカ:だから、ただたんに「自分自身のままでいることを許す」だけではなくて、同時に自分自身に「変化」も許す、という。

ああ、なるほど。

アルカ:だから思うに、ある意味……「自己」というのはそもそも存在しないんだよ。僕にとっては、そうだね。そう思うのは、もしかしたら僕の生まれ育ちのせいかもしれないけれども。だから僕はこれまで数々の「中間点」に存在する経験を経てきたわけだし、それもあって……僕たちはみんな、ちょっとばかり役を演じているところがあるんじゃないか? そう僕は思っていてね。だからたとえばの話、Tシャツにどうってことのないただのショーツ姿の男性を見かけた、としようか。気取りはいっさいなしだし、とても普通な見てくれの男性。ところが、そんな格好にしたって、やっぱりひとつの選択であることに変わりはない、みたいなね。要するに、ごく普通の格好をするってのは、その人は「目立ちたくない」と思ってるってことだよね。ただ、その「目立ちたくない」という想い自体、その人間が何らかの決定を下した結果だ、という。
 そんなわけで僕からすれば、自分たちの内面世界を、それがどんなやり方であれ、外に見える形で現した表現というのはすべて……とにかく、そこには「リアル」も「フェイク」も存在しないんだ、と。だから、僕たちはたまに自分たち自身で「自分は何かにすごく捕われている」と感じる状態に追い込んでしまうんじゃないか、僕はそう思っていて。ひとは「わたしはこういう人間です、これがわたしなんです」、「わたしはこうじゃなくちゃいけない」などと言うことによって自らを閉じ込めてしまう。そんなわけで、きみに「あなたの音楽は、あなたが自分自身であるためのプロセスということでしょうか?」と問われたら、僕は「イエス」と答えるわけだけど、と同時に「だけど、それ以上に大切なのは、僕自身が変化することのできる、そういう場所を見つけることだ」と言うだろうね。だからそのときどきの僕の感じ方次第で、あるいはその日に自分の感じた「僕はこんな人間なんだな」というフィーリング次第で変われる、そういう場所。だから……たんに「どちらか一方」という話ではなくて、その両方を切り替えることのできる状態、という。それって……より自由に自らを表現させてくれる、そういう何か、なんじゃないかな?

何に対してもコメントがくっついてくる、という。だから、あらゆるものがインターネットによって消費されている時代だし、少なくとも西洋社会のウェブサイト群においては、そこにかならず「ユーザーのコメント欄」みたいなものが添えてあるじゃない?

あなたのアルバム作品はこれまでもセルフ・ポートレイト的な意味合いが大きかったと思うのですが――

アルカ:ああ、うん。

本作『アルカ』ではさらに踏み込んであなたの内面の愛や欲望、性愛といったモチーフが赤裸々に言葉で歌われています。アルバム・タイトルを『アルカ』にしたのも、自身の正体もしくはトラウマを明かすという意味があるのでしょうか?

アルカ:んー……僕としては……「さらに踏み込んだ」、以前よりもその度合いが増したとも、減った、とも言わないね。正直なとこ、そうだな。思うに……僕の中には……人々とコネクトする、それだけの強さを充分に備えた部分もあるからね。

ええ。

アルカ:だから、僕は……自分の音楽において「正直であろう」、そう非常に努力しトライしてきたんだよ。で……ただ、今回のアルバムについては、たまにこんな風に感じもしたんだ。「もしもここで自分を誤解されても、僕としてはオーケイ、かまわない。けれど、僕はより無防備で傷つきやすい何かを、自分自身にもっと近い何かを聴き手とシェアしたいんだ」、とね。で、それをやるのは本当に難しかったんだよ。というのも、とてもおっかないことだからね。そうやって自分の内面を明かすのは、とても恐ろしいことだ。というのも、思うにいまみたいな時代、この2017年という年は、何もかもがこう、ものすごく「即座」なわけじゃない? 僕たちが音楽を消費する、そのやり方にしても一瞬なわけで。

はい。

アルカ:そんなわけで、何に対してもコメントがくっついてくる、という。だから、あらゆるものがインターネットによって消費されている時代だし、少なくとも西洋社会のウェブサイト群においては、そこにかならず「ユーザーのコメント欄」みたいなものが添えてあるじゃない?

ええ。

アルカ:で、そういう2017年の社会に対し自分自身を開いて明かすってのは、かなり……なんというか……フム……だから「危険な行為だ」ってフィーリングがある、という。ゆえにそれをやるには、自分は本当に強いんだ、自らを明かすだけの確信が自分にはちゃんとある、そう強く感じる必要があるんだよ。でも僕にとっては、自分をもっとクリアなやり方で人びとから理解してもらうべくトライすること、それはとても重要だったし、かつ「自分はどちらでもない“中間点”にいる」という風に強く感じている、そういう他の人びととコネクトしようと努めることは非常に大切だったから、(たとえ危険な行為であっても)これはやるに値することだ、そう感じた、みたいな。

なるほど。

アルカ:きっと、それなんだろうね、ひとりの人間としての僕にとって重要なことというのは。だから、人びとから「あなたの音楽を聴いたおかげで、『自分はひとりじゃない』と感じて、孤独感が薄れました」と声をかけられたときだとか……あるいは、「自分は異形の者だ」とか、「自分はミュータントだ」なんて風に感じている誰かのことを、たぶん僕は自分の活動を通じて……ただたんにそのひとに「自分はこのままでかまわない、オーケイなんだ」って感じさせるだけではなくて、彼らを彼らたらしめている「他との違い」を、彼ら自身に祝福させることができるんじゃないかな。あるいは、彼らが自ら恥だと感じているような物事を、そうではなく美しいものとして眺めようとすること、というか。だから、さっききみが言っていたような「自らの内面を明かそう、自分自身の内面における対話をもっと表そう」っていう勇気を僕に与えてくれたのは、たぶん、そうした想いだったんだろうね。意味、通じるかな?

はい、分かります。で、自分自身でこれは重たい作品だと思いますか?

アルカ:(軽く、「ハーッ」と息をついて)……うん、たしかにヘヴィな作品だと感じるけれど……なんというか、その重さというのはある意味……重いんだけど、でも、同時にほとんどもう「祝福」みたいなものでもある重さ、というか。で、これって、以前に友だちに説明しようとしたことと同じ話なんだけど……僕たちのレコードというのは……そうだな、まあ、ここでは、自分が毎回使うおなじみのメタファーにまた戻らせてもらうけれども――まず、「自分はドロドロの沼地の中に立っている」、そういう図を想像してみてほしい。

はい。

アルカ:で……そこは何やら暗い場所で、しかも沼は毒を含んだ有害なもので。その水に、きみは膝まで浸かっている。いや、もっとひどくて、胸までその水に浸かった状態、としよう。

(苦笑)うーん、嫌ですねぇ。

アルカ:ところが、そんな君の頭上には、白い光のようなものが差している、と。だから、その有毒な水というのは、きっと……深淵(abyss。地獄の意味もある)や罪、そして悲しみすら表現しているんだよ。対して頭上にある光というのは、ある種の……希望だ、と。だから、そんな毒性のある水に浸かってきたとしても、その人間がいまだに頭上にある光に目を向け続けているとしたら……それはある意味、ただただ楽しいだけのレコード、「FUN」について歌っただけのレコードよりも、もっとオプティミスティックなものなんじゃないのかな? そうやって重さに敬意を表し讃えるのは、自分が楽しい状態になるための、そして「生」を祝福するための、僕なりのやり方なんだ。というのも、あらゆるものというのは……同じコインの裏/表みたいなものじゃないか、僕はそんな風に思っているからね。たとえば苦痛と歓喜とは、何らかの意味を持つためにそれぞれお互いを必要としているわけだし……そうだね、イエス! だから、僕はこれを「重いレコード」と呼ぶだろうけど、なぜヘヴィな方向に向かったのか? と言えば、それはある意味において、僕が光を信じているからなんだよ。

なるほど。

アルカ:もしも光を信じていなければ、これほど重く感じられる何かを作る、それだけの強さが僕には備わらなかっただろうからね。

そう言われると、これは個人的な印象に過ぎませんけど、アルバムの最後のトラックである“Child”は特に、聴いていると心の中に光を感じる、そういう美しい曲だと思います。

アルカ:それは、とても……(軽く感極まったような口調で)きみがそこを僕と分かち合ってくれたのは、本当に嬉しいよ!

いやいや、こちらこそ、ありがとうございます。

» アルカ、ロング・ロング・インタヴュー(2)

Aphex Twin - ele-king

 フジロックフェスティバルへの出演も話題となっているエイフェックス・ツインが、去る4月28日、リチャード・D・ジェイムス名義で新たなデモ音源を公開した。タイトルは“4xAtlantis take1”で、『ピッチフォーク』によれば、Sequentix のシーケンサー Cirklon をテストするために作られたトラックだそうである。現在、同曲は Sequentix のプロモーション動画にて試聴することが可能。しかしこの曲、か、かっこいいじゃないか……

Lusine - ele-king

 昨年は、キルンの『ダスカー』(2007)や、テレフォン・テル・アヴィヴの『ファーレン・ハイト・フェア・イナフ』(2001)がリイシューされるなど、にわかに「00年代エレクトロニカ」再評価の機運が高まりつつある。
 近年ではIDMと称されることも多いエレクトロニカだが、テクノをルーツとしつつ(初期〈ワープ〉、エイフェックス・ツイン、初期オウテカなどのインテリジェント・テクノ)、ルーム・リスニング主体の音楽であったこと、サウンドにハードディスク制作以降の多層性や複雑さがあったということ、それゆえの細やかなサウンドレイヤーゆえ電子音楽の進化を感じることができたことなど、あの時代(90年代末期から00年代中頃まで)のエレクトロニカには不思議な固有性があった。それは90年代のダウンテンポやアブストラクト・ヒップホップなどがサンプリングからHD制作や録音の電子音楽/音響へと変わった時代ともいえよう。

 では2010年代中期である現在、「90年代末期から00年代中期のエレクトロニカ」は、どのような形で受け継がれているのだろうか。近年人気のアンビエント/ドローンにもその流れを聴きとることもできる。となればビートの入ったテクノ以降ともいえるエレクトロニカの系譜は?(それは〈ラスター・ノートン〉などのグリッチ/電子音響の系譜とも違う)と思っていた矢先、今年、ルシーン、4年ぶりの新作『センソリモーター』がリリースされたわけである。
 エレクトロニカ的にはこのリリースは事件といえる。「00年代エレクトロニカ」の技法をここまで継承・洗練させているアーティストやアルバムは、なかなか見つけることができないからだ。00年代の〈n5MD〉、〈U-カヴァー〉、〈メルク・レコード〉などのサウンドを受け継いでいるというべきか。

 ルシーンはジェフ・マキルウェインのソロ・プロジェクトである。1998年からカリフォルニア芸術大学で20世紀エレクトロニック・ミュージックとサウンド・デザイン、映画を専攻していたというジェフ・マキルウェインのサウンドには、実験性と聴き手の心理に寄り添うようなポップさが同居しており、ファースト・アルバム(L’usine名義)『L’usine』から聴き手を惹きつけてきた。続く、ルシーン Icl(Lusine Icl)名義で、〈U-カヴァー〉から『ア・スード・ステディ・ステート』(2000)やライヴ・アルバム『コアリション 2000』(2001)、〈ハイマン・レコード〉から名盤『アイアン・シティ』(2002)をコンスタントにリリースし、エレクトロニカ・リスナーからの信頼と高評価を得た。
 ルシーン(Lusine)名義として2004年に〈ゴーストリー・インターナショナル〉からリリースした『シリアル・ホッヂポッヂ』が最初で、以降は〈ゴーストリー・インターナショナル〉よりいくつものアルバムを送り出していくことになる(ルシーン Icl名義では2007年に〈ハイマン・レコード〉からリリースした アンビエント・アルバム『ランゲージ・バリア』などがある。そのほかレーベルを超えてのリミックス・ワークや本名での映画音楽制作など、その活動は多岐にわたっている)。

 彼のサウンドの特徴は、緻密なビート・プログラミングをベースにしながら、細やかな電子音をレイヤーさせている点にある。フロアとリスニング、聴きやすさと実験性を絶妙なバランスで成立させているのだ。まさに00年代エレクトロニカの特徴を体現しているような存在といえよう。
 そのダウンビート・エレクトロニカとも称したい作風は、4年ぶりの新作となる『センソリモーター』でも変わらない。2009年の『ア・サートン・ディスタンス』で結実した自身のサウンドをより磨き上げているのだ。どうやら「MPC1000、アナログ・シンセ、ハンド・パーカッション、グロッケンシュピール、フィールド・レコーディング、ライヴ・インストゥルメンツのサンプル」などを駆使しつつ、端正にサウンドメイクをおこなっているようで、細やかな電子音をレイヤーさせ、ポップなサウンドに仕上げる。
 なかでも格別にポップな4曲め“ジャスト・ア・クラウド”と8曲め“ウォント・フォーゲット”に注目したい。2曲とも Vilja Larjosto のヴォーカルを細かくエディットし、緻密なサウンドレイヤーの中に馴染ませるように構成・作曲され、どこか都会の夜の孤独な感覚と不思議なサウダージ感が同居し、本アルバム中、格別な存在感を放っている。

 ほかにも、カラカラと乾いた鈴の音のような音から次第にドラマティックなサウンドへと変化する1曲め“キャノピー”、彼の妻サラ・マキルウェインをフィーチャーしたエディット・ポップな2曲め“ティッキング・ハンズ”も良い。また、ミニマル・ミュージックのようなノンビートの音響空間を展開する7曲め“チャター”、ヴォイスなどを加工したノイジーなドローン・トラックの10曲め“トロポポーズ”などから、ジェフ・マキルウェインの幅広い音楽性を垣間見る(聴く)ことができるだろう。
 全曲、端正に作り込まれた、繰り返し聴いても飽きのこない普遍的なエレクトロニカ/エレクトロニック・ミュージックであった。まさに15年以上に及ぶ彼のキャリアを代表する傑作アルバムといえよう。

Oto Hiax - ele-king

 まったく新しい様式を発明したから素晴らしい。かつてないサウンドを鳴らしてみせたから優れている。たしかにそういう評価のしかたはある。あるいは、最近の傾向を反映しているから重要である。こんな時代にこんなサウンドを鳴らしているからこそ価値がある。そういう判断のしかたもある。でも、当たり前の話ではあるが、そういう基準からはこぼれ落ちてしまう作品だってある。特に目新しいわけではない。何かの波に乗っているわけでもない。でも、完成度自体はきわめて高い――Oto Hiaxのこのアルバムはまさにそういう「こぼれ落ちてしまう」作品だ。どうしても何らかの文脈を用意しなければならないのであれば、「90年代リヴァイヴァル」あるいは「00年代リヴァイヴァル」といった言葉をあてがうこともできるだろう。そのどちらにも当てはまってしまうところがこのアルバムの魅力でもあるのだが、しかしどうにもこの作品からは、そういうふうに「整理されてしまうこと」を拒むような不思議な温度が感じられる。
 Oto Hiax は、シーフィールの中心人物として90年代の音楽シーンに多大な痕跡を残したマーク・クリフォードと、ループス・ホーント名義でおもに〈Black Acre〉から作品を発表してきたスコット・ゴードンのふたりから成るユニットである。2015年に自主リリースされた最初のEP「One」の時点では、「とりあえずコラボしてみました」という印象が強く、まだ方向性の定まっていない感のあったかれらだが、ラシャド・ベッカーがカッティング&マスタリングを手掛け、名門〈Editions Mego〉からリリースされたこのファースト・アルバムは、その多彩な音響の実験とは裏腹にしっかりとしたまとまりを持っている。アンビエント、ドローン、シューゲイズ、サイケデリック、ノイズ、ミュジーク・コンクレート、ミニマル……本作にはさまざまなジャンルやスタイルの要素が盛り込まれているけれど、それらの音の群れをひとつの作品としてまとめ上げているのは、牧歌性である。
 このアルバムでは、ぬくもりのあるシンセやフィードバックがどこまでもノスタルジックな風景を現出させている。その繊細な情緒は、はかなげな電子音がよく晴れた穏やかな午後のイメージを呼び起こす冒頭の“Insh”から、すぐに聴き取ることができる。細かく切り揃えられた電子音がセンチメンタルなコードのなかを流れいき、そこにときおり鋭利な刃物が紛れ込む2曲め“Flist”なんかは、ゆったりと水中を漂っているかのような心地良さを与える。こうした牧歌性は、フィードバック・ノイズとエコーが極上のシューゲイズ的サイケデリアを錬成する5曲め“Creeks”にもっともよく表れており、そのたゆたう音の波のなかでわれわれはただただ安らかな光にくるまれることになる。

 しかしこのアルバムはただ夢見心地なだけではない。フィードバックを背後に具体音が舞い踊る3曲め“Dhull”や、民族的な高音とドローンに支えられながらさまざまな音の展覧会が催される4曲め“Eses Mitre”、もこもこした低音としゃらしゃらした高音が耳をくすぐる小品“Bearing & Writhe”と、トラックが進むごとにアルバムはミュジーク・コンクレートの側面を強めていき、それは9曲め“Lowlan”でひとつの山場を迎える。フィードバックとドローンの上をノイズが転がる7曲め“Littics”や、センチメンタルなコードの往復運動をバックに打撃音が乱れ舞う8曲め“Thruft”などでは、シューゲイズとミュジーク・コンクレートが同時に追究されている。ギターが電子音との一体化を目指しているかのような10曲め“Hak”もおもしろい。
 ノスタルジックでドリーミーなムードのなかに、即興的でノイジーな、ある意味では破壊的でもある要素が巧みに散りばめられている。このアルバムのなかを行き交うさまざまな音たちは、生の喜びを祝福すると同時にその喜びに疑いの眼差しを向けてもいる。音たちは交錯しながら、一方で牧歌的な風景を現出させつつ、他方でその素敵な夢の景色に小さな引っかき傷を刻み込もうとする。情緒に頼り切るのでもなく、かといってエクスペリメンタリズムに振り切れるのでもない。感傷と実験との絶妙な共存。
 このアルバムはけっして後世まで語り継がれるような「傑作」の類ではない。が、確実にある一部の人びとの耳を捉え、いつまでもその記憶の隅っこに留まり続けるだろう。ただ垂れ流しているだけでもじゅうぶん心地良いが、じっくり聴き込めば多くの発見がある。すでにさまざまな佳作や話題作が出揃ってきている2017年の音楽シーンだけれど、2月から3月にかけて個人的にもっともよく聴いていたのがこの Oto Hiax のアルバムであった。きっとこれからも何度も聴き返すことになるだろう。白熱する年間ベスト・レースからは「こぼれ落ちる」、地味ながらも愛おしい1枚である。

Patten - ele-king

 昨年放ったサード・アルバム『Ψ』で新機軸を打ち出したパテンが、ICAロンドンでの公演にあわせて、新たなEPのリリースを発表しました。現在、収録曲の“Amulet”が先行公開されています。はたしてこのEPは『Ψ』のアウトテイク集なのか、それとも次のアルバムへの重要な布石なのか? 公開された“Amulet”は無料でダウンロードすることが可能となっていますので、それを聴きながらあれこれ想像しちゃいましょう。ダウンロードはこちらから。

patten

〈Warp〉所属の新鋭プロデューサー・デュオ、パテンが
4曲収録の最新EP「Requiem」のリリースを発表
新曲“Amulet”を無料DLで配信!

〈Warp〉の実験性と音楽性の高さを継承する新鋭プロデューサー・デュオ、パテンが、新曲4曲を収録した最新EP「Requiem」のリリースを発表! 新曲“Amulet”を公開! 公式サイトでは無料DLも可能。

patten - Amulet
https://youtu.be/zK_1y36jjCg

公式サイトで「Amulet」を無料DL配信中
https://patttten.com/

label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: patten
title: Requiem
release date: 2017/05/12 FRI ON SALE

iTunes Store: https://itunes.apple.com/jp/album/id1231337426

interview with Carl Craig - ele-king


Carl Craig - Versus
InFiné/Planet E/ビート

Techno not TechnoOrchestral

Amazon Tower HMV iTunes

 かつてカール・クレイグは指揮者だった。
 彼は1999年の『ele-king』(vol.27)に興味深い発言を残している。「自分自身のことをミュージシャンである以上に作曲家とか指揮者だと思うことは?」というジョン・レイトの質問に対し、カール・クレイグは「それは思うね!」と即答している。「プロデューサーとしてであれ、指揮者としてであれ、作曲家としてであれ、僕たちがやってるのはすべてのものを構築するということ、つまりすべてのバランスをとることなんだよ」。これはインナーゾーン・オーケストラ(という名の仮想のオーケストラ)のアルバムがリリースされたときに組まれた、4ヒーローのディーゴとの対談記事における発言で、いまから18年前のものだ。カール・クレイグはかつて「すべてのものを構築する」ということに、そして「すべてのバランスをとる」ということに意識を向けていたのである。

『Versus』はオーケストラ vs エレクトロニックだ。エレクトロニック、テクノのアーティストである自分とオーケストラの対決だ。しかし、最終的には対決というよりも、コラボレイションになったかな。 (オフィシャル・インタヴューより)

 このたびリリースされたカール・クレイグの新作『Versus』は、本物のオーケストラとのコラボレイションである。そのリリースにあたって録られたオフィシャル・インタヴューでも彼は、それまでの自身の制作スタイルと今回のオーケストラとの共同作業とを対比するために、自らを指揮者になぞらえている。

ひとりでコンピュータを使って音楽をつくるときには、自分が指揮者で。自分の感情をシーケンサーに入れて録音すればいい。 (オフィシャル・インタヴューより)

 かつて彼は指揮者だった。では、実際にオーケストラとコラボレイトするにあたって彼は、どういうポジションに立つことになったのだろうか? 今回も彼は「すべてのものを構築すること」「すべてのバランスをとること」にその意識を向けていたのだろうか?
 以下に掲げる『ele-king』のエクスクルーシヴ・インタヴューにおいてカール・クレイグは、これまで実際にオーケストラの一員になることがどういうことなのかわかっていなかった、と語っている。オーケストラが実際に演奏する際に、自らは歯車の歯のひとつでしかないということ、自身が作曲家であるからといって特別な地位を占めるわけではないということ、演奏全体をコントロールするのは指揮者であって自分ではないということ、そういったことを『Versus』をプレイする過程で学んだのだという。
 カール・クレイグとオーケストラ、と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、今回の新作にもひっそり参加しているモーリッツ・フォン・オズワルドとの共同名義で発表された、2008年の名作『ReComposed』だろう。あのアルバムで素材として取り上げられていたのは、ラヴェルの『ボレロ』と『スペイン狂詩曲』、それにラヴェルが編曲したムソルグスキーの『展覧会の絵』という、まさに「超」のつく有名曲ばかりだったわけだが、『ReComposed』の核心はそれらの楽曲の知名度にあるわけではなかった。あのアルバムでもっとも重要だったのは、その素材としてカラヤンの指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音源が使用されていた点である。カラヤンといえば、音と音とを滑らかに繋いでいくレガート奏法で有名な指揮者だけれど、そんな彼の流れるように麗しい録音物をミニマル(クラブ・ミュージック的な意味でのそれ)の文脈に落とし込んで、ぶつぶつ切断しては繋ぎ直し、再構築してみせたことこそが『ReComposed』の真髄であった。そもそも流麗さが売りのカラヤンが、ミニマル(現代音楽的な意味でのそれ)の祖とも言われる『ボレロ』を振ること自体、ラヴェルに対する挑発的行為でもあったわけだが、そのカラヤンの虚飾を解体してみせたのがカール・クレイグとモーリッツ・フォン・オズワルドのコンビだったのである。素材にカラヤンの音源が選ばれたのがふたりの意図によるものだったのか〈ドイツ・グラモフォン〉側からの指定だったのかはわからないけれど、いずれにせよ『ReComposed』はカラヤンに対する優れた批評であると同時に、そこからラヴェルまで遡及して「ミニマル(両方の意味でのそれ)とは何か」ということを考えるためのひとつの問題提起でもあった。
 そんなふうにオーケストラの過去の録音物との格闘を試みたのと同じ2008年に、カール・クレイグは生のオーケストラとの共演にも挑戦している。2008年にパリでおこなわれたレ・シエクルとのコンサートがそれで(その様子はYouTubeにフルでアップされている)、そのときの試みをアルバムという形にまで昇華したのが今回の新作『Versus』である。
 ジェフ・ミルズのときと同じように、今回カール・クレイグがオーケストラとコラボレイトしたことに驚いているリスナーもいるだろう。カール・クレイグの音楽はテクノに分類されるのが慣例なので当然と言えば当然ではあるが、しかしこれまたジェフ・ミルズと同様、カール・クレイグは最近になって急にオーケストラ・サウンドに興味を抱いたわけではない。

若い頃から、ストリングスやオーケストラの音にはポップ・ミュージックを通じて親しんできた。当時からポップやジャズを聴いていたからね。〈モータウン〉やプリンスだったり、ジャズであればランディ・ルイスやマイルス・デイヴィスの『スケッチズ・オブ・スペイン』だったりとか。とにかく、若い頃から聴いてきたたくさんの音楽にオーケストラが使われていた。ウェンディ・カルロスによる『時計じかけのオレンジ』のサントラだったり、『2001年宇宙の旅』のサントラだったり。 (オフィシャル・インタヴューより)

 ここで彼がマイルスの『Sketches of Spain』を挙げていることは示唆に富む。というのも、あのアルバムの主幹をなしていたのは、ギル・エヴァンスによって再解釈されたホアキン・ロドリーゴの『アランフエス協奏曲』だったのだから。ということは、この『Versus』では、編曲を受け持ったフランチェスコ・トリスターノがギル・エヴァンスの役割を担っているのだろうか?

フランチェスコには、クリエイティヴ的な自由をできるかぎり与えたんだ。あまり、「これは、こうじゃない」とか言わないように心がけていたよ。やはり実験的な試みや新しいことをやろうとしたときに、自分の権力をかざして否定してしまうのは制約になってしまうと思うんだ。むしろ、フランチェスコは自分とは違う音楽的な訓練を受けてきているわけだし、彼のアイデアによって自分のアイデアよりもよくなる可能性だってあるわけだから。 (オフィシャル・インタヴューより)

 やはりフランチェスコ・トリスターノの貢献は大きいようである。しかし、ギル・エヴァンスが編曲のみならずオーケストラの指揮まで担当していた『Sketches of Spain』とは異なり、『Versus』で指揮を務めているのはパリ生まれの気鋭の若手、フランソワ=グザヴィエ・ロトだ。

自分の感情を込めたシンセサイザーのソロがあって、それをフランチェスコが解釈してアレンジして、そのアレンジを指揮者が解釈して、ヴァイオリン奏者に伝えるわけだから、間に数人を介してのコミュニケーションになる。 (オフィシャル・インタヴューより)

 フランチェスコ・トリスターノ、フランソワ=グザヴィエ・ロト、彼の指揮するレ・シエクル、それにモーリッツ・フォン・オズワルド(かつて『ReComposed』でカールの相棒を務めた彼は、本作では「スピリチュアル・アドバイザー」なる肩書きを与えられている。「『ReComposed』の楽曲を最初の公演でやったから、彼も当初のラインナップには入っていたんだ。レコーディングの段階では、その曲は入っていなかったけれど、参加してもらうことにしたんだ。彼はスピリチュアルなアドバイザー的な役割をしてくれた。実際に手を動かす技術者というよりはね」とカール・クレイグはオフィシャル・インタヴューで説明している)――この『Versus』にはさまざまな人たちが関わっている。そんなかれらを統べるのは、カール・クレイグではない。彼は指揮者ではないのだ。まさにそれこそが本作の大きな特徴だろう。
 さらに、もうひとつ注目すべき点がある。『Versus』にはカール・クレイグが書き下ろしたいくつかの新曲とともにフランチェスコ・トリスターノの楽曲も収録されているが、しかしアルバムの中核を成しているのは“At Les”や“Desire”、“Domina”といったカール・クレイグの往年の名曲たちなのである。

選曲については、フランチェスコと僕で選んだ。基準はオーケストラでの再現性だった。だから、自分の曲でもオーケストラで再現することが不可能なものもあった、たとえば“Neurotic Behavior”だったりとか。プログラミングでできても、生演奏ではできないことがある。だから、フランチェスコが可能か不可能かのジャッジをしてくれた。 (オフィシャル・インタヴューより)

 再現、とカール・クレイグは言っているけれど、それはもちろんコピーということではない。既存の彼の楽曲を、いかに異なるスタイルへと変換してみせるか。言い換えれば、既存の彼の楽曲をいったん解体した後に、いかにそれを再構築してみせるか。それこそがこのアルバムのもうひとつの主眼と言っていいだろう。『Versus』は「構築」ではなく「再構築」を目指している。だからこそこのアルバムは、ジェフ・ミルズの『Planets』とは異なって、カール・クレイグの既存の曲を中心に構成されているのである。
 ゆえに本作は、「カール・クレイグ」という名義で発表されてはいるものの、いわゆる彼のソロ・アルバムではない。かつてラヴェルがムソルグスキーを管弦楽化したように、かつてカラヤンがラヴェルを骨抜きにしたように、かつてカール・クレイグとモーリッツ・フォン・オズワルドがカラヤンを解体して再構築したように、いまフランチェスコ・トリスターノやフランソワ=グザヴィエ・ロトたちが、カール・クレイグの解体と再構築を試みている。そしてカール・クレイグ本人は、その過程を受け入れるということをこそ自らの大きな任務と見做している。
 そのような再構築への意志があるからこそ彼は、以下のインタヴューで自らのキャリアの開始点がデリック・メイとのユニットだったことを強調しているのだろう。彼はいま「バンドの一員」であることに徹しようとしている。彼は司令官ではなく補佐官であろうと努めている。だからこのアルバムのジャケットに掲げられている彼の名は、クラシックのレコードにおける作曲家の名のようなものなのだろう。カール・クレイグは能動的に対象となった。彼は音楽家として次のステージへと進むために、自らの楽曲を他の人たちに再解釈させることで、自らとその楽曲たちを再構築しようとしているのである。
 かつてカール・クレイグは指揮者だった。いま彼は積極的に、歯車の歯であろうとしている。

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オーケストラの演奏時には、僕は、歯車の歯のひとつでしかないということ。僕が作曲家だということは一切関係なかった。軍の司令官は指揮者であり、僕は軍の補佐官だった。僕も司令官である必要はない。自分をそのような状況に置いたことで、とても謙虚な気持ちになった。

〈プラネットE〉からは最近ニコ・マークス(Niko Marks)のアルバムがリリースされていますね。いま他に注目しているアーティスト、〈プラネットE〉から出したいと考えているアーティストはいますか?

カール・クレイグ(Carl Craig、以下CC):最近は〈プラネットE〉から音楽を徐々にリリースしている。今回、初めてニコ・マークスのアルバムをリリースしたが、ニコの音楽はそれ以前もリリースしたことがある。〈プラネットE〉からは2枚目となるテレンス・パーカー(Terrence Parker)のアルバムも、もうすぐリリースされる。いろいろなアーティストから、良いデモがたくさん届いているから、その他にも、新しい音楽をリリースしたいと考えている。東京のアーティスト、ヒロシ・ワタナベ(Hiroshi Watanabe)もそのひとりだ。彼は素晴らしい音楽を作っている。〈プラネットE〉からリリースされる音楽は、僕のヴィジョンに合ったもので、リスナーにとって力強い音楽的主張があるものでなくてはならない。今年、レーベルは26周年を迎える。レーベルのレガシーをさらに広めていってくれるような作品を発表していきたい。僕が個人的にリリースする音楽は、そういう点に注意していままでやってきた。長年、同じような音楽をリリースするのではなく、可能性の領域を広げながら、リスナーが僕に期待しているような作品や、テクノに期待している音楽を発表していきたいとつねに意識している。

あなたはかつてナオミ・ダニエル(Naomi Daniel)を世に送り出しましたが、近年、彼女の息子であるジェイ・ダニエル(Jay Daniel)が精力的に活動しています。彼や、カイル・ホール(Kyle Hall)といった若い世代の活躍についてはどうお考えですか?

CC:デトロイト出身のアーティストもそうだが、僕は、興味深い活動をしている人たちは、サポートしたいとつねに思っている。10年前、僕とルチアーノ(Luciano)が一緒に活動を始めたとき、僕は彼を支持する第一人者だった。ルチアーノの才能を見出していたから。カイルやジェイも同じで、僕はインタヴューでは毎回彼らについて話すようにしている。彼らは今後の世代だし、素晴らしい音楽活動をしている。〈プラネットE〉を創立した1991年にとどまったまま、当時が最高であり、新しい音楽には良いものが何もない、などとは言っていられない。それは音楽というものにとって、まったく道理をなさない考えだ。音楽は成長する。若い世代による音楽の解釈や音楽スタイルの解釈は、つねに称賛されるべきだ。僕と同じような考えを持っていたのがマーカス・ベルグレイヴ(Marcus Belgrave)で、僕は彼をつねに意識してきた。マーカス・ベルグレイヴは、つねに若い世代のアーティストを世に送り出そうとしていた。若い世代を強く支持していた。彼がいたからこそ、次の世代のアーティストたちが才能を認められ、称賛された。マーカス・ベルグレイヴが指導していたのがアンプ・フィドラー(Amp Fiddler)で、アンプ・フィドラーはジェイ・ディラ(J Dilla)を指導していた。繋がりが見えてきただろう? このように、僕も、ジェイ・ダニエルや若い世代の奴らを指導できるような環境を整えるのは非常に重要なことだと思っている。僕と若い世代との間に20年以上の歳の差があったとしても、才能が感じられるのであれば、僕はその才能を支持したい。

今回のアルバムはオーケストラとのコラボレイションです。2008年にパリでおこなったレ・シエクル(Les Siècles)とのコンサートが本作の発端となっているそうですが、指揮者のフランソワ=グザヴィエ・ロト(François-Xavier Roth)や、彼が創始したオーケストラのレ・シエクルとは、どのような経緯で一緒にやることになったのでしょうか? 他の指揮者やオーケストラとやるという選択肢もあったのでしょうか?

CC:『Versus』プロジェクトのパートナーになってくれたのは、〈アンフィネ〉を運営する、アレックス・カザックで、フランソワと僕を繋げてくれたのは彼だ。最初、彼は、僕にフランチェスコ(・トリスターノ、Francesco Tristano)を紹介してくれた。そしてフランソワをプロジェクトに招待した。フランチェスコが音楽のアレンジを担当した。このプロジェクトはアレックスのヴィジョンによって始動したといっても過言ではない。フランソワはフランス人だし、僕はそれ以前にフランソワとは面識がなかった。僕の持っている、アメリカでのコネクションを超越したコネクションが必要だった。それを実現してくれたのがアレックスだった。

今回『Versus』で試みたのは、自分なりのサウンドトラックを作り上げるということだった。『Versus』はテクノ・アルバムではない。僕の作品をオーケストラ音楽にしたアルバムだ。

この新作にはさまざまな人が関与していますが、かれらとの作業やコミュニケーションはどのような体験でしたか? 苦労したことや新たに発見したことがあれば教えてください。

CC:今回は僕にとって新しい発見の連続だった。今回のような状況での作品制作はいままでおこなったことがなかったから。自分の曲が、再解釈・再編成され、オーケストラによって演奏された。過去にオーケストラの演奏を聴いたときも、オーケストラ音楽がどのような仕組みで演奏をし、オーケストラの一員になるということがどういうことなのか、あまり理解していなかった。2008年後半から2009年にかけて『Versus』の演奏をしたときに学んだのは、オーケストラの演奏時には、僕は、歯車の歯のひとつでしかないということ。僕が作曲家だということは一切関係なかった。軍の司令官は指揮者であり、僕は軍の補佐官だった。僕も司令官である必要はない。自分をそのような状況に置いたことで、とても謙虚な気持ちになった。学びのある経験だった。自分をそのような状況に置いたのは、プロジェクトの最終的な目標が、僕にとってのさらなる一歩となるとわかっていたから。インナーゾーン・オーケストラ(Innerzone Orchestra)をやったときや、ジャズのレジェンドたちと一緒にデトロイト・エクスペリメント(The Detroit Experiment)をやったとき、また〈トライブ〉とプロジェクトをやったときとも同じで、新しい一歩を踏み出すというのが目標だった。今回は、このプロジェクトを通して、オーケストラのなかでの自分の価値や位置付けを理解しようとした。今回のプロジェクトではたくさんの悟りを得ることができた。本当に素晴らしい経験だった。

〈アンフィネ〉はパリのレーベルです。指揮者のフランソワ=グザヴィエ・ロトもフランス人です。他方、フランチェスコ・トリスターノはルクセンブルク出身で、モーリッツ・フォン・オズワルド(Moritz von Oswald)はドイツ人です。そしてあなたはデトロイト出身です。あらかじめ意図したことではないと思うのですが、結果的にこのアルバムがそのような国際性を持つに至ったことについてどう思いますか?

CC:最高だよ! 僕がギグをやるとき、たとえば今夜はドバイに行ってプレイするが、そこにいるのはアラブ人だけではない。イギリス人、フランス人、アメリカ人など外国人居住者も集ってくる。アルバムは、僕のギグや、長年、僕と僕の音楽を支えてくれた人たちを反映している。また、この世界をも反映している。世界は、一種類の人間から成り立っているのではない。世界は、多文化で他民族だ。アルバムがそれを表している。

ジェフ・ミルズ(Jeff Mills)がオーケストラと作った新作『Planets』はお聴きになりましたか?

CC:まだ、聴いていない。もうリリースされているのか?

通訳:はい。日本では2月にリリースされました。

彼も10年ほど前からオーケストラに関心を持ち始め、コラボレイションを続け、今回あなたとほぼ同じタイミングでその成果を発表することになりましたが、そういう同時代性についてはどう思いますか? あなたの今回のアイデアとの類似性や親近感などはありますか?

CC:オーケストラに関して言えば、ジェフは僕より先に、壮大なプロジェクトを成し遂げている。ジェフは僕たちのために道を切り拓いてきた。オーケストラに対するジェフの概念や、オーケストラとのジェフの作品は、僕のそれとは少し違う。ジェフはオーケストラと音楽を作るときも、自分の音楽を作っていて、作曲家は自分である、ということを大切にしている。『Versus』プロジェクトを完成させるにあたり、僕が最終目標としていたのは、作品がバンドのように、まとまりのあるものになるということだった。「カール・クレイグ+オーケストラ」ではなく、ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)やバーケイズ(The Bar-Kays)のアルバムを聴くのと同じ感じで『Versus』を聴いてもらいたかった。ジェフと僕の思想は似ているかもしれないが、違いもある。ジェフは、僕とは違うタイプのアーティストだ。ジェフはデトロイトで大活躍するDJとしてキャリアを進めてきた。彼はつねにソロのアーティストとして活動してきた。一方、僕は、バンドの一員としてキャリアをスタートさせた。デリック・メイ(Derrick May)とリズム・イズ・リズム(Rhythim Is Rhythim)というバンドをやり、その後にソロ・アーティストになった。だから、僕の道のりはジェフのそれとは少し違う。もちろん、ジェフがオーケストラ音楽に傾倒し始めたとき、それは僕にとって大きなインスピレイションになったが、ジェフが80年代にDJとして活躍していた頃から、ジェフには大きなインスピレイションを受けていた。彼は驚異的なDJだった。

フランチェスコ・トリスターノが昨年リリースしたアルバム『Surface Tension』には、デリック・メイが参加していました。そして最近はジェフ・ミルズがオーケストラとの共作を発表しました。いま、デトロイトの巨匠たちが一斉にクラシック音楽に関心を向けています。もちろんみなさんは、ジャズや〈モータウン〉の音楽や、あるいはSF映画などを通して、若い頃からずっとオーケストラ・サウンドには触れてきていたとは思うのですが、なぜ2010年代後半というこの時代に、ほぼ同じタイミングで、3人の関心がそこへ向かっているのでしょう?

CC:先ほども言ったが、ジェフがオーケストラに興味を持ち始めたのは、僕より少し前だ。僕がオーケストラに興味を持ち、『Versus』プロジェクトを始めたのはジェフの1年、2年後だ。(ジェフの)『Blue Potential』はたしか2006年にリリースされ、『Versus』(のプロジェクト)は2008年に発表した。デリックが作品を最終的に発表したのは2015年だったと思う。だからその間にはかなりの時間が流れている。だが、1989年、1990年頃、僕がデリックのグループの一員だったときから、僕たちはサウンドトラックをやりたいという話をいつもしていた。僕たちの周りの人たちがサウンドトラックをやる話をするずっと前から、僕たちはサウンドトラックをやろうという話をしていた。ヴァンゲリス(Vangelis)のような音楽を作りたいと話していた。僕はクラシック音楽という呼び方が好きではない。変なものを連想する奴らがいるからな。交響曲音楽かオーケストラ音楽という呼び方をしている。その方が僕の活動にしっくりくるからだ。僕がやっているのはクラシック音楽ではない。今回僕が作ったのは交響曲アルバムだ。
 とにかく、僕たちはサウンドトラックを作るという、素晴らしいアイデアを昔から持っていた。最近のサウンドトラックは、エレクトロニック音楽と交響曲を巧みに合わせて作られている。今回『Versus』で試みたのは、自分なりのサウンドトラックを作り上げるということだった。『Versus』はテクノ・アルバムではない。僕の作品をオーケストラ音楽にしたアルバムだ。最近のサウンドトラック・アーティストたちの作品は素晴らしいと思う。彼らにも強い影響を受けてきた。だから、今回のアルバムができたのは、自然な流れによるものだった。まさに、僕とデリックが1989年、1990年頃に話していたことが、今回のリリースで実現したということだ。アルバムのストリングスの部分は2009年~2010年にレコーディングされたから、素材が7~8年もの間、温められていたということになる。ジェフの音楽がリリースされたのも、そのくらいの時期だ。同じような時期に、僕たちは似たような音楽活動をしていたということだ。

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