「Ord」と一致するもの

The Gerogerigegege, Jon K & Peder Mannerfelt - ele-king

 ここ数年、順調にリリースを重ねている〈C.E〉オリジナルのカセットテープ・シリーズ。なんと新たに3本の発売が決定いたしました。
 1本目は、今年〈The Trilogy Tapes〉からLPを発表しているノイズの巨星、ザ・ゲロゲリゲゲゲの新作『>(decrescendo)』で、すでに12月7日に発売されています。
 もう1本は、マンチェスターを拠点に活動するジョン・K(デムダイク・ステアの〈DDS〉がイキノックスを出すことになったきっかけは彼だそう)によるミックスで、10月に開催された〈C.E〉のパーティ(素敵な一晩でした)にて録音されたもの。
 そしてもう1本は、近年どんどん存在感を増しているスウェーデン出身のテクノ・プロデューサー、ペデル・マンネルフェルトの新作『Work』で、来年頭に発売予定。
 いずれも〈C.E〉の旗艦店のみでの販売とのことなので、売り切れてしまうまえに急ぎましょう。

The Gerogerigegege / Jon K / Peder Mannerfelt



アーティスト:The Gerogerigegege
作品タイトル:>(decrescendo)
フォーマット:カセットテープ
収録音源時間:約80分(片面約40分)
発売日:2019年12月7日土曜日



アーティスト:Jon K
作品タイトル:Recorded live at WWW X, Shibuya, Tokyo on 25 October 2019
収録音源時間:約90分(片面約45分)
発売日:2020年1月頭予定



アーティスト:Peder Mannerfelt
作品タイトル:Work
収録音源時間:約70分(片面約35分)
発売日:2020年1月頭予定

販売場所:C.E
〒107-0062 東京都港区南青山5-3-10 From 1st 201
#201 From 1st Building, 5-3-10 Minami-Aoyama, Minato-ku, Tokyo, Japan 107-0062
問合せ先:C.E
www.cavempt.com

Mars89 - ele-king

 いま東京でもっともクールかつタフなサウンドを鳴らしていると言っても過言ではないDJ/コンポーザーの Mars89 が、新たな12インチ「The Droogs」を〈Undercover〉からリリースする。先頃〈Acrylic〉より発売された「TX-55/Successor Project」もめちゃくちゃかっこよかっただけに、今度の新作も期待大だけれど、驚くなかれ、「The Droogs」にはリミキサーとしてトム・ヨークゾンビー、ロウ・ジャックの3組が参加している! これはちょっとアナタ、完全に買い逃せないヤツですよ。
 ちなみに、12月26日に刊行される紙エレ年末号(特集:21世紀DUB入門/2019年ベスト・アルバム30)(密林はこちら)には Mars89 のインタヴューが掲載されています。音楽的バックグラウンドから現在の社会にたいする想いまで、思う存分語ってくれています。また、今回リミキサーに抜擢されているパリの要注目ダンスホール・プロデューサー、ロウ・ジャックのインタヴューも載っています。ぜひチェックを。

artist: Mars89
title: The Droogs
label: Undercover
catalog #: UCR003
release date: December 12, 2019

Tracklist:

A1. Horrorshow
A2. Ultraviolence
A3. Strack

B1. Horrorshow (Thom Yorke Remix)
B2. Strack (Zomby Remix)
B3. Strack (Low Jack Remix)

DISC SHOP ZERO / JET SET / disk union

30/70 - ele-king

 ハイエイタス・カイヨーテ(以下HK)の活躍以降、近年のオーストラリアの音楽シーンが世界的に脚光を集めるようになってきた。今年はジャイルス・ピーターソンが編纂したコンピ『サニー・サイド・アップ』もリリースされ、オーストラリアの中でもジャズやソウル系のベクトルを持つ新進アーティストたちに触れることができる。
 HKを生み出したメルボルンはオーストラリアの中でもっとも注目される都市で、レジャー・センター、エレクトリック・エンパイア、ミッドライフ、カクタス・チャンネル、ジャズ・パーティーなどさまざまなバンドやアーティストが活動している。今年はHKのメンバーのペリン・モスがクレヴァー・オースティンという名義でソロ・アルバム『パレイドリア』をリリースし、ブリスベン出身で現在はメルボルンを拠点とするレニアスことラックラン・ミッチェルが、HKのサイモン・マーヴィンとポール・ベンダーらの協力を得て『モンステラ・デリシオーサ』というアルバムを発表している。HKも関りを持つレーベルの〈ワンダーコア・アイランド〉からデビューしたシンガー・ソングライター/ラッパー、サンパ・ザ・グレートの新作『ザ・リターン』も出た(彼女はアフリカのザンビア出身で現在はメルボルン在住)。これらのアルバムに共通するのは、ジャズやソウルからときにオルタナ・ロックやサイケ、ヒップホップやビート・ミュージックなどいろいろな音楽のミクスチャーがおこなわれていて、そうした方向性はHKを筆頭にメルボルンのカラーにもなっているようだ。30/70もそうしたメルボルンが生んだミクスチャーなバンドである。

 30/70は男女混成の大所帯グループで、リード・シンガーのアリーシャ・ジョイがフロントに立っていることから、同じ女性リード・シンガーのネイ・パームを擁するHKと比較されることも多く、ポストHKというような紹介もされてきた。実際に両者は交流があり、30/70のセカンド・アルバム『エレヴェイト』のミックスはHKのポール・ベンダーがおこなっていた。2014年に30/70は自主制作でデモ・アルバム的な『サーティー・セヴンティ』を作り、2015年の『コールド・ラディッシュ・コーマ』で正式なアルバム・デビューを飾る。2017年にロンドンの〈リズム・セクション・インターナショナル〉と契約を結び、リリースした『エレヴェイト』によって世界的にも注目される存在となっていく。
 バック・コーラスなどを含めると総勢10名を超えるバンドで、レコーディングやライヴなどによってメンバーが入れ替わることもあるが、アリーシャ以外の現在の主要メンバーはジギー・ツァイトガイスト(ドラムス)、ホレイショ・ルナことヘンリー・ヒックス(ベース)、ジャロッド・チェイス(ピアノ、キーボード)、トム・マンスフィールド(ギター、シンセ、キーボード)、ジョシュ・ケリー(サックス、クラリネット)である。アリーシャは『アケィディ:ロウ』、ジギーは『ツァイトガイスト・フリーダム・エナジー・エクスチェンジ』というソロ・アルバムもリリースしており、前述の『サニー・サイド・アップ』にもアリーシャ、ジギー、ホレイショが別々にソロで楽曲提供するなど、メンバー個人でもそれぞれの活動をおこなっている。また〈リズム・セクション・インターナショナル〉所属ということで、南ロンドンのアーティストとも交流を持つ機会があるようで、ニュー・グラフィック・アンサンブルのアルバム『フォールデン・ロード』にアリーシャが参加したり、逆に『エレヴェイト』の収録曲をニュー・グラフィックがリミックスしたりしている。そんな30/70の2年ぶりのアルバムとなるのが『フルイド・モーション』である。

 アルバムはジャズ・ファンク調のインタールード的小曲“ブランズウィック・ハッスル”で幕を開け、ミディアム・テンポのブギー・トラック“アディクティッド”へ続く。アリーシャのエモーショナルなヴォーカルを生かした1曲で、ホレイショのベースとジョシュのサックスがソウルとジャズがミックスした雰囲気をうまく作り出す。タイトル曲の“フルイド・モーション”はフェンダー・ローズやサックスを配したディープ・ハウス的なトラックに、アリーシャのラップとポエトリー・リーディングの中間のようなヴォーカルをフィーチャー。1990年代のアシッド・ジャズ時代に見られた、Dノートやアウトサイドあたりを彷彿とさせるような1曲である。ゆったりとしたテンポの“N.Y.P”では、ジョシュの奏でる雄大なテナー・サックスがファラオ・サンダース張りのスケール感を生み出す。ジャズ・バンドとしての30/70の力量が表われた1曲だ。シングル・カットされた“テンプティッド”は、ミステリアスなムードとパワフルなビートやアリーシャのヴォーカルが鮮やかにマッチング。ウェスト・ロンドンのブロークンビーツから南ロンドンのジャズの影響が濃厚だ。

 そのムードはアフロ・ジャズ、ブロークンビーツ、ネオ・ソウルが融合した“リプライズ”へ引き継がれ、ロウなソウル・ファンクの“トゥルー・ラヴ”やエレクトロなダウンテンポの“エコープレックス”では、ジャズやファンクからビート・ミュージックやヒップホップのエッセンスまでもミックス。“バックフット”や“プッシュ・アンド・プル”はミディアム調のソウル/ファンクで、“クリスタル・ヒルズ”はドラムンベース調のビート・パターンのインスト曲とリズム・ヴァリエイションも豊かだが、“インパーマネンス”に見られるように1990年代後半頃のブロークンビーツを想起させる曲が目につく。ブロークンビーツ自体がジャズ、ソウル、ファンク、アフロ、ラテン、ハウス、テクノ、ヒップホップ、ダブ、レゲエなど種々の要素をハイブリッドしたものだったので、そうした匂いを30/70が持つのも当たり前かもしれない。そして最後を締めくくるメロウ・チューンの“フラワーズ”に顕著な、アリーシャのヴォーカルが持つソウルフルなムードが印象的なアルバムである。

Burial - ele-king

 この原稿を書いている今日12月2日の午前11時に、イギリスの諸大学では黙祷があった。先月29日にロンドン・ブリッジであった凄惨なテロの犠牲者(ふたりともケンブリッジ大卒の二十代の若者だった)を悼むためである。現在、大学はストライキ中なので、僕はキャンバスにはできるだけ立ち寄らないようにしている。なので家で1分間、目を閉じて、事件のことを思った。
 ロンドンとテロというと、意外かもしれないが、僕はベリアルのことを思い出す。2005年にロンドンで同時多発テロが起きたとき、ベリアルはダブステップのミックス・テープを聴きながら混乱する街を歩いていた。その時、音楽が街を癒していくように感じたと、彼は述べている。
 ベリアルの音楽とある種のアーバンスケープは切り離すことができず、その集合体は盤上に抽象的な何かを作り上げている。タイトル、雑踏、金属音、煙のようなクラックル・ノイズ、その他多くのパーツが、不可避的に見えない都市を浮かび上がらせてしまう。自分の作品から作り手の存在を意図的に消去し続けてきたベリアルだが、こればかりは作家性がにじみ出てしまっている。ひときわダークでエレガントで凶暴だったゼロ年代初期のダブステップ・サウンドに、崩壊しかける都市との相関性で癒しを感じたという強靭な感性の持ち主を僕は他に知らない。
 今作『Tunes 2011 to 2019』は、レーベルのボス、コード9が本誌インタヴューで語っているように、2011年から2019年の間にベリアルが〈Hyperdub〉からリリースしたソロ・シングルを網羅的に集めたものである。この期間に、ベリアルはゾンビーとの共作10インチ「Sweetz」(2016年)と、片面にコード9によるフットワーク・リミックスを収録した「Rodent」(2017年)が同レーベルから出ているものの、今作には収録されてはいない。
 デビュー・アルバム『Burial』(2006年)とセカンド『Untrue』(2007年)以降、彼はシングルを主なリリース形式として活動している。去年はコード9との共同ミックスを〈Fabric〉から出してはいるものの、サード・アルバムに匹敵するヴォリュームの楽曲集は出されてはいない。なので、このような形でこの8年間の音源を聴き返すのは、2019年にいたるベリアルのモードを考えるのに良い機会だ。

 というわけで、まずはこの8年のベリアルのキャリアを振り返ってみよう。この間、アルバムの発表こそなかったものの、ベリアルはソロ、共作、リミックスの発表を精力的に行ってきた。まずは2011年にフォー・テットとの共作の発表が、彼の〈Text Records〉からあった。ヴァイナルでのみリリースされたシングル「Moth/Wolf Cub」、さらにはそのコラボにトム・ヨークを迎えた「Ego/Mirror」を同年に発表(ベリアルとフォー・テットは、2007年に出たヨークの『The Eraser Remix』にも参加している)。そこにふたりによる「Nova」のリリースが翌年に続いた。特に最初の「Moth/Wolf Cub」の評価が高く、真っ黒なラベルの12インチ上で、ベリアルの跳躍するガラージのリズムが、フォー・テットの荘厳で流浪なメロディと有機的に響いている。ソロイストとしての彼のポテンシャルは、この3枚でさらなる他者性へと解き放たれたと言ってよいだろう。
 2015年にはベリアルの良き理解者でもある、マーティン・クラークことジャーナリスト/DJ/プロデューサーのブラックダウンが主宰する〈Keysound Recordings〉から、ホワイトラベルの12インチ「Temple Sleeper」を発表(なおベリアルは2006年にブラックダウンの“Crackle Blues”をリミックスしている。ちなみに冒頭の2005年のテロの話は、ベリアルがクラークに語ったものだ)。彼が得意とするUKガラージのリズムと、ハードコアのブレイクを巧みに行き来する一枚だ。2017年にボディカの〈Nonplus〉から リリースされたシングル「Pre Dawn/Indoors」は、おなじみのヴォイス・サンプルやクラックル音がスキルフルにエディットされてはいるものの、思い切ってテクノの4/4のリズムに舵を切った作品でリスナーたちを驚かせた。この二枚は、この間、ベリアルがかつてないほどリズム・コンシャスになっていることを裏付ける好例である。
 リミックス業にも触れてみたい。2017年に、クリプティック・マインズの片割れであるサイモン・シュリーヴが別名義モニック(Mønic)で自らのレーベル〈Osiris Music UK〉から発表したシングル「Deep Summer」にベリアルはリミックスで参加。原曲はヘヴィーに響くスローなアンビエント・テクノだが、リミックスでは風鈴のような生楽器のサンプルを主軸に、オリジナルで流れるヴォーカルのピッチを変調させ、叙情的な楽曲へと変化させている。こちらとは対照的に、同年に話題になったゴールディ“Inner City Life”のリミックスでは、荒々しいドラム・ブレイクに、バッド・トリップへと誘うようなシンセのループが重なる。2019年にリリースされたルーク・スレーターの“Love”のリミックスでは、静寂なリズム・パターンをアンビエント・ブレイクで演出することによって、原曲の多幸感が、ベリアル独自のうつむいた悦楽へと変換された。この三曲においても、ベリアルは自身の傾向を保持しつつも、クラブ・ミュージック史の踏襲と展開の両方をおこなっていることがわかる。つまり、彼は確実に次へ進んでいるのだ。

 この活動の並行線上に『Tunes 2011 to 2019』はある。合計17曲の2時間と29分の厚さだ。1曲ずつ聴いていこう。
 前半では、主にノン・ビートの荒野が広がっている。思い返せば、この8年の間、ベリアルのシングルは高い確率でアンビエントを伴ってきた。1曲目の“State Forest”は、今年リリースのダンス・トラック“Claustro”のカップリング曲だが、約8分にも及ぶ持続するシンセのレイヤーは、シングルで聴取体験以上に聴き手を深遠へと誘い混んでいく。
 そこに続く“Beachfires”と“Subtemple”は、二曲入りのアンビエントのみのシングルとして2017年にリリースされている。1曲目に連なるような持続に重視した形でプレイされる、ベリアル・サウンドに満ちた前者と比べ、後者ではゆっくりと様々な光景が移り変わっていく。ノン・ビートのみの構成に困惑する声も当時はあったと記憶しているが、いま振り返ると、パーカッションを捨て去った先で、自分の声を見つけようとする彼の葛藤が見えてくるようである。
 この1曲におけるムードの移り変わりは、自曲の“Young Death”でも顕著であり、雨の音と電子的にストレッチされたヴォーカルが、自然とデジタル環境を越境していくような錯覚をもたらす。立ち替りに現れる音像は多くを語る前に、次へ、次へと進んでいく。続く“Night Market”は、同様の移り変わりを、持続音的連なりとアルペジエイターによる演出で描いている。1曲のなかに複数の曲が何層にもわたって待機しているかのようだ。この二曲も同じシングル盤として2016年に世に出ている。
 楽曲たちは双極性障害、あるいは精神分裂を引き起こしているかのようだ。6曲“Hider”は、シガー・ロスのアンビエントを思わせるようなシンフォニーに、突如、80年代のクリスマス・ソングのようなドラム・リズムが挿入される。そして、そのムードはほぼ無音状態によって突如として破られ、暗鬱たる静寂に飲み込まれていく。異なるバラードたちが10分のなかで現れる7曲目の“Come Down To Us”も同様の傾向をまとっている。
 ここで、今作は前半のラストに差し掛かる。CDでいえば最後の2曲だ。ここで1曲目のカップリング曲“Clasutro”が登場し、UKガラージの高速リズム上で、アイコニックなR&Bサンプルが舞う。アンビエントにおける抽象世界とは異なり、ダンス・チューンとしての一貫性があり、かつはっきりとした展開もある。前半を締めくくる“Rival Dealer”は2013年に6、7曲目ともにシングルの表題曲としてリリースされた楽曲だ。タイトルに示唆されるドラッグ・ディーラーの争いの顛末を描くように、強い感情を鼓舞する、ハードなブレイク・ビーツがかき鳴らされ、中域で4/4ビートに合流し、最後は光が埋めくアンビエントへと回帰していく。
 後半、あるいはCD2枚目は、対照的にリズム・セクションがメインの楽曲が続いていく。2012年のシングル「Kindred」に収録された表題曲、“Loner”、“Ashtray Wasp”が冒頭を飾る。まずはダークでパワフルなビートを持つ“Kindred”は、『Untrue』期と、様々なジャンルのリズム・アプローチをおこなう現在のベリアルの橋渡しのような存在なのかもしれない。他の2曲にも、UKの音楽史のみを参照としない手法が溢れている。
 13、14曲の“Rough Sleeper”と“Truant”も2012年に一枚のシングルとしてリリースされている。楽曲名は、それぞれ「路上生活者」と「学校をサボる生徒」を指す。ロンドンを歩いていて、路上生活者を目にしない日はないし、昼間のどんな時間でも学校に行っているはずの子供たちが路上にたむろしている。同じリズムを基調としつつも、サンプル・エディットで様々な風景を見せる前者、全体のなかで珍しく響く後者のゆったりとしたビートは、リズムにおける空間と低音に違った角度でスポットライトを当てている。
 今作の最後を締めくくるのは、2011年に出たEP「Street Halo」の表題曲、“Stolen Dog”、“NYC”の三曲だ。このようにして俯瞰してみると、この選曲は2019年作の1曲目にはじまり、最後にはこの楽曲群で最も古い2011年のシングルが配置されている。これを時代錯誤(アナクロニズム)的な意図と捉えることもできるが、個人的にはこの3曲には、この17曲の中で最も思い入れがあるのでラストにふさわしいと感じた。当時、『Untrue』の次を待っていたリスナーにとって、これまでのアプローチとハウス的手法がミックスされたサウンドでベリアルが戻ってきたときは、作家の成長を感じさせるものだった。ゴリゴリのベースと深遠なヴォーカル・サンプルが響く1曲目も、BPMを落とされたガラージのブレイクビーツの3曲目も素晴らしいが、やはり“Stolen Dog”の聴き手を突き放さない、優しくも物悲しいメロディとリズム・ワークは、8年後の現在も色褪せていない。

 DJやライヴを一切やらず、インタヴューも受けず、表舞台に出ることは極力さけつつも、シーンの一部として共作やリミックスをおこなってきたベリアル。その一方で彼がひとりで見てきた8年間のサウンドスケープは、ここで触れてきたように、ノン・ビートとダンス・ミュージックの間で揺れ動き、様々なグラデーョンを生んでいる。その彼を貫くものを、どうやったら捉えることができるのだろうか。
 楽曲に頻出するクラックル・ノイズは、2017年に亡くなった評論家のマーク・フィッシャーが『わが人生の幽霊たち』(2014年)で述べているように、確かに、レコード盤上に蓄積した傷跡や埃が奏でる時間の重みをダイレクトに映し出す。だがそれと同時に、その音はときに雨や焚き火のように美しく、郊外から見える都市中心部の明かりのように孤独に輝いている。それは、楽曲の放つ時代性というよりも、イメージを抱える空間/場所性と強くリンクし、過去に憑依された現在という時間観の脱構築、という手法のみで捉えきれるものではない。この17曲でそれを強く感じた。我々はフィッシャーのベリアルを引き継ぎつつも、さらに作り手と一緒に前に進まなければいけないのかもしれない。
 クラックル・ノイズだけではなく、ゲームの効果音、自然音など、ベリアルの手法において、サンプリングはなくてはならい存在だ。彼はそのネタをユーチューブなどから探してくることでも有名で、オリジナル曲だけではなくカヴァーなども参照することもある。つまり、彼は原曲という「真正性」をまといがちな対象に寄り添う、カヴァーをする一般人たちにも愛の目を向けてきた。それはいわば寄食者たち(Parasite:フランス語ではいわゆるパラサイトとノイズも意味する。今年亡くなった哲学者ミシェル・セールの『パラジット』を少し念頭に置いている)のための音楽である。彼の音楽は、ネット環境やレコード文化、あるいはレイヴという、音楽が循環するネットワークを体現しつつ、そこに点在する普通の小さなものたちを抱握する。今作に現れる路上生活者、学校をサボるキッズ、盗まれてさまよう犬。それらも小さな存在であるが、同時に逞しさも備えている。クラックル・ノイズも音楽を媒体するものがなければ存在しえないが、楽曲におけるそのプレゼンスは大きい。ベリアルの描く都市は、そのような存在によって支えられ、同時にそれらを肯定し続けている。
 先日、今作の日本流通盤のライナーを書いている野田努が、この楽曲たちにおいて参照されるR&Bなどの原曲が、当時どのような場所で鳴っていたのかが、このコンピを通してよくわかったと言っていた。聴き返して僕もなるほどなぁ、と思い、そこから自分でも書き進めた。その意味でも、今作はただのベスト盤以上のポテンシャルを備えており、通して聴くたびに様々なことを考えさせられる。
 ベリアルの場所性は、シングル「Rival Dealer」やその他の彼のアンビエントのように支離滅裂にねじれている。ベリアルの持つセンサーはそれを察知し、彼の音楽はそれを映し出す。リスナーはそこに自分の記憶を接続する。フィッシャーがそうであったように、そこで初めて彼の音楽は鼓膜に誰かの幽霊を生む。音そのものは酷な時代が通り過ぎていく環境を映し出しているに過ぎない。そこには先ほどの寄食者たちがうごめいている。そのサウンドが人を癒し、強烈にダンスをさせる。今日、ベリアルを聴く意味は、このようにしても生まれてくるのではないだろうか。

Big Thief - ele-king

 一聴するとよくできたフォーク・ロック・アルバム。だが注意深く聴けば、複雑で、ニュアンスに富み、こまやかなダイナミズムに満ちたロック・ミュージックだ。ヴァンパイア・ウィークエンドボン・イヴェールのアルバムに象徴されるように(インディ・)ロックのフィールドで「バンド」なるものが解体されつつある現在、しかし、ビッグ・シーフはバンド・ミュージックというものの可能性にそれでも懸けているようだ。4人の人間が集まってできたタイトな関係性によってのみ生まれるものがあることを、今年彼女らがリリースした見事な2枚──『U.F.O.F.』と『Two Hands』のジャケットは差し出している。
 まずビッグ・シーフの魅力とは何かと問われれば、多くのひとがバンドのソングライターでシンガーであるエイドリアン・レンカーの声と歌にあると答えるだろう。憂いと艶やかさを併せ持った声による、不安定な呼吸や発話そのものがドラマを紡いでいくような歌。それは〈サドル・クリーク〉からリリースされたバンドの初期2作だけでなく、昨年リリースされたレンカーのソロ作『abysskiss』でも存分に堪能することができる。だが、ソロとバンドを比べてみたときに、彼女の歌の魅力、その生々しさは、むしろ後者で発揮されているように思える。『abysskiss』に収録されている“From”と“Terminal Paradise”の2曲は『U.F.O.F.』でバンド・アンサンブルによって再録されているが、そこでレンカーの声は予想外に乱れ、かと思えば透明度を増すように広がっていく。柔らかな響きで繰り返されるギター・アルペジオがそこに寄り添う。

 名門〈4AD〉に移籍しバンドにとってそれぞれ3作め、4作めとなった『U.F.O.F.』『Two Hands』は双子作で、どちらもドム・モンクスがエンジニア、アンドリュー・サーロがプロデューサーとして関わっているし、また同時期に作られた楽曲も多いという。しかしながら音や主題は少し異なる。『U.F.O.F.』はワシントンの森のなかに、『Two Hands』はテキサスの砂漠のなかにあるスタジオでレコーディングされ、それぞれ「天」と「地」を示しているという。
 演奏自体はワンテイクで録られたそうだが、『U.F.O.F.』は繊細な音響で聴かせるアルバムだ。翳りのあるギターの調べがサイケデリックなコーラスとドローン音に溶けていき、したたかに挿入されるサンプリングと戯れる“UFOF”。カントリーのフィーリングを持ったいなたいフォーク・ソングがエレクトロニカを思わせる音の粒に飲みこまれていく“Cattails”。えんえんと続く反復リズムのなかでリヴァーブが時間感覚を引き延ばす“Strange”。ニール・ヤングを思わせるフォーク・ロックが柔らかな響きのなかでまどろむ。それはまさに木々からこぼれ落ちる陽光のようで、たとえばキーの低い歌声で聴き手をディープなところへと連れていく“Betsy”に象徴されるように、レンカーの歌も非常に抽象的なフィーリングを喚起する。おそらく作品トータルとしての完成度が高いのは『U.F.O.F.』のほうだろう。
 しかし2枚を通じてキラーとなる1曲は『Two Hands』の“Not”にちがいない。この曲を前にして、僕はここのところ「オルタナティヴ・ロックは老いつつある」と書いてきたことを後悔している。“Not”はまるで衒いのない、誰かの内側の奥深くから発せられることによって生まれた紛れもない「オルタナティヴ・ロック」であり……それはそもそも「老い」とか「若さ」とか、トレンドを持ち上げてはすぐに忘れ去るメディアの狂騒なんかに左右されない、いまどうしようもなく迸るエモーションとして鳴らされている。「Not」という否定を畳みかけていくこの曲のサード・ヴァース、「本当に求めているものではなく」と歌うレンカーの声がかすかに揺れれば、すぐにそれは爆発的なエネルギーとなる。90年代の「オルタナ」を遠景に幻視せずにはいられない“Forgotten Eyes”、シューゲイズの香りを纏ったノイズ・ロック・チューン“Shoulders”……弾き語りのフォーク・ソング群もまたたしかに奥ゆきを与えている『Two Hands』だが、よりダイレクトで削ぎ落としたサウンドを目指したという本作は驚くほど「ギター・ロック・バンド」のスリルに満ちている。

 近年フォークが復権しつつあるのは、個々のアイデンティティが苛烈に問われた季節を経て、もう少し広範な意味での「時代の声」が求められるようになったからだと僕は考えている。しかしながらビッグ・シーフによるフォーク・ロックには、カルト集団から10代で抜けだしたという特殊な生い立ちを持つレンカーの「個」が強く反映されており、そういう意味でシンガーソングライター作に近い部分はたしかにある。「U.F.O.F.」とは「未知なる友」のことで、彼女にとって受け入れがたかった自分自身のコントロールできない部分を受け止めることを表しているという。それは彼女だけのものだ。ただ、バンドによってのみ実現される合奏で鳴らされ、聴き手にとって未知なる他者への恐怖を和らげるための内省という意味を持つとき、たしかに時代の音になりうると僕は思う。自分の立つ場所で、他者とアイデンティティを超えて融和すること──それはシンプルだが現代的なテーマで、わたしたちの大切な願いだ。
 ビッグ・シーフのロック・ミュージックは明るさと暗さ、強さと弱さ、不安と安堵、烈しさと穏やかさ、囁きと叫び、はるか空の彼方と自分のふたつの手の間にあるどこかで揺れている。その、いまにも壊れそうなバランスのなかで輝く美しさが細部でこそ息を立てている。

FilFla - ele-king

 日常のなかの祝祭。色彩の横溢。ミニマムな悦び。旋律の横溢。リズムの歓喜。杉本佳一によるフィルフラ(FilFla)、9年ぶりのアルバム『micro carnival』は、そんな「音楽」の喜びに満ちていた。まさに「エレクトロニカとポップの饗宴」か。それとも「マイクロ・ポップの宴」か。もしくは知性とプリミティヴの融合か。

 杉本佳一はフォーカラー(FourColor)名義、ベグファー(Vegpher)、フォニカ(Fonica)、ミナモ(Minamo)としても活動している作曲家/日本のエレクトロニカ・コンポーザー、サウンド・デザイナーである。NYのエレクトロニカ/アンビエント・レーベルの〈12k〉からもリリースされるなど海外での評価も高い音楽家だ。
 このフィルフラはポップを追及したプロジェクトで、彼の音楽を愛するリスナーの中でも特別な意味を持つ名である。〈HEADZ〉からリリースされた『Sound Fiction』もエレクトロニカとポップをつなぐ重要なアルバムであった。
 私は『micro carnival』は「エレクトロニカ」の可能性を大きく広げたのではないかと考える。ポップさと高密度なサウンドの融合ゆえである。緻密に作り込まれたトラック。美しいメロディ。ワクワクするようなリズム。リリースは同じく『Sound Fiction』同様に〈HEADZ〉。

 さて、『micro carnival』は杉本のみならず参加アーティストも重要だ。ソロ・アルバムをリリースするアーティスト moskitoo がヴォーカルして全5曲に参加(moskitoo もまた〈12k〉からアルバムをリリースしている)。作詞のみならず杉本と作曲を共作するなど多面的に活躍している。
 また Chihei Hatakeyama とのユニット、ルイス・ナヌーク(Luis Nanook)の活動でも知られるシンガーソングライターの佐立努もヴォーカルとして全2曲に参加。彼もまた作詞のみならず杉本との共作で作曲も担当している。全編にフィーチャーされているドラムは〈SPEKK〉からリリースした名盤『水のかたち』をリリースした松本一哉が担当している点も注目だ。彼らは単なるゲストではなく、アルバムの重要なコラボレーターである。
 もちろんアルバムの要となるのは杉本によるサウンド・デザインだ。90年代末期~00年代以降のエレクトロニカ・サウンドを継承しつつ、ドラムスも含めた楽器とのコンビネーションとエディットも卓抜のひとこと。何より親しみ深いメロディと耳を惹きつけてやまない工夫と創意にトラックは、杉本がCM音楽作曲家として得た技能を存分に投入した結果かもしれない。
 もちろん「音楽」を発見したような新鮮な驚きに満ちている点も重要だ。エレクトロニカ/音響の「仲間たち」によって奏でられる「マイクロ・ポップの宴」である。

 細やかなサウンドと大胆なリズムが光のように祝祭的な1曲め“papa mambo”と moskitoo のヴォーカルと切ないメロディと細やかなアレンジが胸に染み入る“breath”は本アルバムのキーとなる曲だろう。加えてトイ・ファンク・エレクトロニカ“strike zone”、ディズニカルなアレンジと瀟洒なアシッド・フォークと電子音楽の融合とでもいうべき佐立努のヴォーカルによる“mosaic”もアルバムの不思議なムードを決定付けている。ともあれ全曲、日常の光の中で鳴っているような作品ばかり。小さな音楽と大きな祝祭、大きなリズムと小さなノイズ、大きな喜びと小さな悲しみが、音楽の隅々から溢れて出ていた。
 それはエレクトロニカが音響の快楽から音楽の喜びを獲得した瞬間にすら思える。2019年、エレクトロニカ・ポップな電子音楽はこうまで普遍的になった。多くの人の届いてほしいアルバムである。

interview with Kode9 - ele-king

 今年で設立15周年を迎える〈Hyperdub〉。ベース・ミュージックを起点にしつつ、つねに尖ったサウンドをパッケージしてきた同レーベルが、きたる12月7日、渋谷 WWW / WWWβ にて来日ショウケースを開催する。
 目玉はやはりコード9とローレンス・レックによるインスタレイション作品『Nøtel』の日本初公開だろう。ロンドンでの様子についてはこちらで髙橋勇人が語ってくれているが、サウンドやヴィジュアル面での表現はもちろんのこと、テクノロジーをめぐる議論がますます熱を帯びる昨今、その深く練られたコンセプトにも注目だ。この機会を逃すともう二度と体験できない可能性が高いので、ふだんパーティに行かない人も、この日ばかりは例外にしたほうが賢明だと思われる。
 ほかの出演者も強力で、アルカのアートワークで知られるジェシー・カンダの音楽プロジェクト=ドゥーン・カンダ(11月29日に初のアルバム『Labyrinth』をリリース済み)や、昨年強烈なEP「Enclave」を送り出したアンゴラ出身のナザールと、なんとも刺戟的な面子が揃っている。さらにそこに〈Hyperdub〉からリリースのある Quarta 330 をはじめ、Foodman や DJ Fulltono、Mars89 といった日本のアンダーグラウンドの最前線を牽引する面々が加わるというのだから、これはもうちょっとしたフェスティヴァルである。
 というわけで、来日直前のコード9にレーベルの15周年や『Nøtel』、まもなく発売されるベリアルの編集盤などについて、いくつか質問を投げかけてみた。(小林拓音)


photo: David Levene

『Notel』の世界はデジタル化された不死の概念を展示するような場所でもあって、そこでは死んだ友人たちが生き続けている。

今年で〈Hyperdub〉は15周年を迎えます。2004年にレーベルをスタートさせたとき、どのような意図や野心があったのですか?

スティーヴ・グッドマン(Steve Goodman、以下SG):はじめたときは、亡きスペースエイプと一緒にやっていた自分の音楽をリリースするレーベルにしたいと考えていただけだった。それ以上の目標は持っていなかったよ。

それは、いまでも続いていますか? この15年で大きな転換点はありましたか?

SG:それが、当初の目的はあっという間にどこかへ行ってしまって、他のアーティストたちの作品をリリースするようになった。ある意味、まったく逆のことをやっている──いまでは自分の音楽をやる時間はほとんど持てないからね。ベリアルのアルバムを出したのは、間違いなく大きな転機だった。2014年に起こったDJラシャドとスペースエイプの死もそうだ。

『Diggin' In The Carts』のリミックスは、あなたのオリジナル作品と言っていいくらい独自にリミックスされていましたけれど、そのとき意識していたことや、4曲の選出理由を教えてください。

SG:2017年から、アニメイターの森本晃司が制作した映像を使って、オーディオヴィジュアル・ライヴを続けている──音楽は、コンピレイション・アルバム『 Diggin' In The Carts』の中から14曲を自分でリミックスしたものを使っている。リミックスEPには、その14曲から好きなトラックを選んだだけなんだ。

12月7日の来日公演に出演するドゥーン・カンダ(Doon Kanda)はヴィジュアル・アーティストとしてのほうが有名ですけれど、その音楽についてはどう思っていますか?

SG:彼の映像表現は、驚きに満ちていてすごく独特だ。音楽にかんしては、鋭敏で優美なメロディ・センスを持ち合わせていると思う。初めてその音楽を聴いたとき、これは アルカの曲だろうかと思ったんだけど、いまでは彼独自のサウンドを徐々に見つけていると思う。今回のアルバムはリズムもすごくおもしろくて、電子音でワルツを刻んでいると言ってもいいくらいだ。


photo: David Levene

おなじく今回来日するアンゴラのナザール(Nazar)ですが、彼の音楽の魅力とは?

SG:ナザールは、ここ最近〈Hyperdub〉で契約した新人でもとくに楽しみなひとりだ。他にはまったくないサウンドを持っていて、それを自分で「ラフ・クドゥーロ」(訳註:クドゥーロはアンゴラ発祥の音楽形式)と呼んでいる。彼がふだん鳴らしている音を説明するなら、ベリアルの音楽をさらに騒々しくしたヴァージョンと、マルフォックスニディア、あるいはニガ・フォックスらによる〈Príncipe〉レーベルの音楽の中間にあると言える。パフォーマンスをするときは、自分の音楽だけを演奏していて、何から何まで独創的な音の世界を聴かせてくれる。彼の作品テーマはアンゴラの内戦と関わりがあって、それで僕の著書『Sonic Warfare』とも共鳴する部分がある。そこがたいていのプロデューサーとちがうところだ。

まもなくベリアルのコンピレイションがリリースされます。彼のことですので、たんにレーベル15周年を祝ってという理由だけでなく、何か考えがあるように思えます。すべて既出の音源ですが、曲順も練られているように感じました。これは実質的に彼のサード・アルバムと捉えてもいいのでしょうか?

SG:彼は適切な流れをつくれるように考えて曲順を決めていた。厳密にはサード・アルバムとは言えないだろう──アルバム『Untrue』以降にリリースされたトラックをほぼすべて網羅したものでしかない。ここに収録されたトラックはどれも、アルバムに入っていないからという理由で、見過ごされてきたように感じられる。われわれとしては、今回の楽曲には、アルバムの収録曲より優れたものさえ存在すると確信している。

今年はサブレーベルの〈Flatlines〉も始動しましたね。第1弾はマーク・フィッシャーとジャスティン・バートンによる作品『On Vanishing Land』で、フィッシャーゆかりのアーティストが多く参加しています。この作品は彼への追悼なのでしょうか?

SG:そうだと言ってかまわない。レーベルの名前は、彼が博士号を取得したさいのテーマにちなんでつけたもので、この作品は、彼の最後の著書『The Weird and the Eerie』に記されたアイディアのいくつかをオーディオエッセイというかたちで実践したものだ。

今後〈Flatlines〉はどのような作品を出していく予定なのでしょう?

SG:もしかしたら、僕自身のオーディオエッセイをいくつか出すかもしれない。

AIやテクノロジーのことがよく話題にのぼる昨今、「もともと人間のために作られたシステムが、人間消滅後もシステム自らのために稼働し続ける」という『Nøtel』の設定は示唆的です。作品のもととなったあなたのアルバム『Nothing』が出てから4年たちましたが、『Nøtel』にはどのような反応が返ってきていますか?

SG:『Nøtel』は興味深いプロジェクトとして続いてきた。最初は僕とローレンス・レックが加速主義(訳註:現行の資本主義プロセスを加速することで根本的な社会変革に結びつけようとする思想)について意見を交わすことからはじまった。それがアルバムの2つ折りジャケットのアートワークにつながった。それから仮想空間に建造物を再現し、僕がライヴ演奏をしているあいだにローレンスがゲーム用コントローラーを使って内部を移動する様子を映し出す(それぞれのトラックにひとつの部屋が割り当てられている)という形式ができて、さらにはユーザー参加型のVR作品に仕上がった。そして『Nøtel』を実際のホテルに見立てた架空の広告を制作し、香港のアート・バーゼルというイヴェントで最大規模のヴィデオ展示をおこなった。12月には上海での展示がおこなわれる──『Nøtel』はこれまで突然変異を繰り返して異なる環境をつくり出し、いまもなお発展を続けている。今回、初めて日本でのパフォーマンスが実現する。


photo: Philip Skoczkowski

『Nøtel』では、資本主義を打ち破るコンセプトとして、ジャーナリストのアーロン・バスターニが描いた全自動ラグジュアリー共産主義(Fully Automated Luxruy Communism)が、資本主義的に読み替えられた全自動ラグジュアリー(Fully Automated Luxury)というコンセプトとして登場します。『Nøtel』は、人間がいなくなったあとも資本主義リアリズムがテクノロジーによって構築され続ける世界です。わたしの記憶が正しければ、『Notel』のなかには、亡くなったスペースエイプやDJラシャドがまるで幽霊のようにホログラムや映像として登場します。人間のいない『Nøtel』の世界に幽霊がいるとすれば、それはどのような意味を持つのでしょうか?

SG:『Nøtel』の世界はデジタル化された不死の概念を展示するような場所でもあって、そこでは死んだ友人たちが生き続けている。『Nøtel』は、富裕な人びとが求める社会的分離が行き着くところまで行ってしまった皮肉な事態(従業員が機械化されたのみならず、『Nøtel』には、もはや宿泊客がやって来ない──ただ、なぜそうなったのかをわれわれは語らない)をあらわすと同時に、「完全自動ラグジュアリーコミュニズム」(訳註:技術革新によって実現できるとされる豊かな共産主義社会で、アーロン・バスターニの著書『Fully Automated Luxury Communism』のタイトルと一致する)という概念があっても、それが企業体によっていかに容易に私物化されうるかという皮肉を示している。『Nøtel』では、ドローンが従業員として仕事をする。そしてこの作品は、自分たちを使役する人間が存在しなくなったと認識したドローンが自由を獲得することで結末を迎える。

あなたは、今回一緒に来日するローレンス・レックの映像作品『AIDOL』に、声優として出演していますね。『AIDOL』の舞台は東南アジアです。では『Nøtel』の世界では、「東洋」はどのように存在しているのでしょう?

SG:物語の上で、『Nøtel』は国有の中国企業によって経営されている──そのブランド戦略を担うコンサルタントのひとりはロンドンのアートスクールで学んだ経験があり、そこで「完全自動ラグジュアリーコミュニズム」という言葉を耳にして、意味をとりちがえたまま中国に持ち帰り、迂闊にも高級ホテルチェーンのキャッチフレーズに転用してしまったんだ。

『Nøtel』における機械(ドローン)には、われわれ人間と同じような肉体があるわけではないですが、人間性のようなものが宿っているようにも見えます。われわれは機械の尊厳についても考えるべきでしょうか?

SG:ドローンには、自由になりたいという欲望がプログラムされていて、それは、主人である人間に仕えるよう定めたプログラムよりも根源的なものとして機能する。どうあれ、人間は自動化を進めたまま、やがて終焉を迎えたということだ。

Hyperdub

Kode9 率いる〈Hyperdub〉の15周年パーティーが "Local X9 World Hyperdub 15th" として WWW にて12月7日(土)に開催決定!
また、孤高の天才 Burial が歩んだテン年代を網羅したコレクション・アルバムが国内流通仕様盤CDとして12月6日(金)に発売決定!

00年代初期よりサウス・ロンドン発祥のダブステップ/グライムに始まり、サウンドシステム・カルチャーに根付くUKベース・ミュージックの核“ダブ”を拡張し、オルタナティブなストリート・ミュージックを提案し続けて来た Kode9 主宰のロンドンのレーベル〈Hyperdub〉。本年15周年を迎える〈Hyperdub〉は、これまでに Burial、Laurel Halo、DJ Rashad らのヒット作を含む数々の作品をリリースし、今日のエレクトロニック・ミュージック・シーンの指標であり、同時に先鋭として飽くなき探求を続けるカッティング・エッジなレーベルとして健在している。今回のショーケースでもこれまでと同様に新世代のアーティストがラインナップされ、東京にて共振する WWW のレジデント・シリーズ〈Local World〉と共に2020年代へ向け多様な知性と肉体を宿した新たなるハイパー(越境)の領域へと踏み入れる。

Local X9 World Hyperdub 15th

2019/12/07 sat at WWW / WWWβ
OPEN / START 23:30
Early Bird ¥2,000@RA
ADV ¥2,800@RA / DOOR ¥3,500 / U23 ¥2,500

Kode9 x Lawrence Lek
Doon Kanda
Nazar
Shannen SP
Silvia Kastel

Quarta 330
Foodman
DJ Fulltono
Mars89

今回のショーケースでは、Kode9 がDJに加えシミュレーション・アーティスト Lawrence Lek とのコラボレーションとなる日本初のA/Vライブ・セットを披露。そして最新アルバム『Labyrinth』が11月下旬にリリースを控える Doon Kanda、デビュー・アルバムが来年初頭にリリース予定のアンゴラのアーティスト Nazar、そしてNTSラジオにて番組をホストする〈Hyperdub〉のレジデント Shannen SP とその友人でもあるイタリア人アーティスト Silvia Kastel の計6人が出演する。

BURIAL 『TUNES 2011-2019』

Burial の久しぶりのCDリリースとなる『TUNES 2011-2019』が帯・解説付きの国内流通仕様盤CDとしてイベント前日の12月6日にリリース決定!

2006年のデビュー・アルバム『Burial』、翌年のセカンド・アルバム『Untrue』というふたつの金字塔を打ち立て、未だにその正体や素性が不明ながらも、その圧倒的なまでにオリジナルなサウンドでUKガラージ、ダブステップ、ひいてはクラブ・ミュージックの範疇を超えてゼロ年代を代表するアーティストのひとりとして大きなインパクトを残したBurial。

沈黙を続けた天才は新たなディケイドに突入すると2011年にEP作品『Street Halo』で復活を果たし、サード・アルバム発表への期待が高まるもその後はEPやシングルのリリースを突発的に続け、『Untrue』以降の新たな表現を模索し続けた。本作はテン年代にブリアルが〈Hyperdub〉に残した足取りを網羅したコレクション・アルバムで、自ら築き上げたポスト・ダブステップの解体、トラックの尺や展開からの解放を求め、リスナーとともに未体験ゾーンへと歩を進めた初CD化音源6曲を含む全17曲150分を2枚組CDに収録。

性急な4/4ビートでディープなハウス・モードを提示した“Street Halo”や“Loner”から、自らの世界観をセルフ・コラージュした11分にも及ぶ“Kindred”、よりビートに縛られないエモーショナルなス トーリーを展開する“Rival Dealer”、史上屈指の陽光アンビエンスが降り注ぐ“Truant”、テン年代のブリアルを代表する人気曲“Come Down To Us”、そして最新シングル“State Forest”に代表される近年の埋葬系アンビエント・トラックまで孤高の天才による神出鬼没のピース達は意図ある曲順に並べ替えられ、ひとつの大きな抒情詩としてここに完結する。

label: BEAT RECORDS / HYPERDUB
artist: Burial
title: Tunes 2011-2019
release date: 2019.12.6 FRI

Tracklisting

Disc 1
01. State Forest
02. Beachfires
03. Subtemple
04. Young Death
05. Nightmarket
06. Hiders
07. Come Down To Us
08. Claustro
09. Rival Dealer

Disc 2
01. Kindred
02. Loner
03. Ashtray Wasp
04. Rough Sleeper
05. Truant
06. Street Halo
07. Stolen Dog
08. NYC

interview with FINAL SPANK HAPPY - ele-king

 BOSS THE NK と OD という謎に包まれた(?)ふたりによる「三期」にして「最終」の SPANK HAPPY。ある意味、露悪的なまでにフェティシズム、マゾヒズム、サディズム、ペドフィリア、窃視……といった性倒錯をハウスのビートに乗せ歌っていた第二期 SPANK HAPPY (その極点が『Vendôme,la sick Kaiseki』だ)の「ファンダメンタリスト」は、2019年のいまも後を絶たないのではあるが、過去にすがる狂信者を尻目に FINAL SPANK HAPPY のふたりは Instagram やライヴで熱心かつモード系でコミカルな活動を繰り広げている。

 そんな FINAL SPANK HAPPY の全貌を、おそらく提示するであろうファースト・アルバム『mint exrocist』がこのたび届けられた。見る者を困惑させるカバー・アートが部分的に物語っているように、「最終スパンクハッピー」が体現するのは「切ない」、「明るい」、「おもしろい」、そして「元気」である。アメリカのラップ・ミュージックなどについてはいわずもがな、それとはまったくの別軸で(二期スパンクスが予見した)病みに病みまくっている、落ちに落ちまくっている本邦大衆音楽の潮流。そこに悪魔祓いとして、清涼で爽快な香りを漂わせたミントの葉が投げ込まれたのだ。

メンヘラはもうダメですね。表現としては。一般化しすぎた。ヒップホップがバッドやナスティである義務、みたいなものです。いまメンヘラは表現としては「皆さん、喉が渇いたら水を飲むと良いですよ」と言っているのと同じです。一大マーケットですよ。

まずは BOSS THE NK さんと OD さんが出会って FINAL SPANK HAPPY の結成に至るまでのお話をうかがいたいです。

BOSS THE NK(以下、BOSS):菊地成孔くんの有料ブログマガジン「ビュロ菊だより」に私の回想録(「BOSS THE NK回想録」)を連載していていまして、我々が出会ってからフジロックに出るまでのことを書かせて頂きましたが(加筆修正を加えた最新版はこちら→https://www.bureaukikuchishop.net/blog )、菊地くんが12年ぶりでSPANK HAPPYを再開したいんだけど、いろいろと忙しくて自分でできないから(笑)アバターを頼まれました。J-POP史上、というか世界音楽史上稀に見る(笑)アバターを使ってバンドをやるという。彼らしいコンセプチュアルな発想ですが、はたから見たら絶対に「キャラ設定でしょ」って思われるに決まってるんで、、、、というのは、ご覧の通りコイツ(OD を指差して)が、小田朋美さんとミラーリングぐらいに似てるんで、「本人がやってるでしょ? と思われ続けながらやれ(笑)」いうミッションをもらいました。
 で、まずは相方を探してほしいと。 前人の相方の岩澤(瞳)さんはお人形みたいな人で、音楽にいっさい関与しないし、ただ立って言われるようにしていた人だった。だから、今回はなんでも自分でできる天才的な能力を持った──それは身体能力も含めて──相方を探して一応、世界中探し回ったんですがダメで。。。で、疲れ果てまして、私の地元が川崎なので隠し部屋に寝に帰ろうとしたんですが、近くにパン工場があるんですが……。

川崎のパン工場。

BOSS:そこから歌が聞こえてくるんです。あんまりにも上手いから最初はCDだと思っていたんだけど、歌い直したり止まったりするからどうやら生らしいぞと。そしたら中に女の子がいて、その子は小麦粉が入っている袋を服にして着ているボサボサな感じなんだけど、ものすごい天才でバッハから MISIA まで歌えるわけです。
 それが OD なんですけど、彼女は工場から出たことがない捨て子で、工場長から懇意にされてパンを食べながら育ったんだと。その子を工場の外に連れ出して、デビューさせるっていう話を菊地くんと僕とで取り付けて。この子なら間違いないと思ったんですけど……ところが非常に困ったことに、これこの通り、小田朋美さんにそっくりで。。。。

まあ、そうですよね(笑)。

BOSS:本人にしか見えないんだよね、って菊地くんに言うと、おもしろがって「いいじゃん、それだったら誰もがみんな、俺と小田さんがやってるバンドだって思うし(笑)ダブルアバターだ(笑)」って言うんです。

ODさんは?

OD:(パンを食べながら)その通りじゃないスか。インタヴュアーさんも、自分をミトモさん(*注:ODは小田朋美さんをそう呼ぶ)。だと思ってるデスか?

僕は BOSS THE NK さんと OD さんだと思って来ているんですが……(笑)。

OD:当然じゃないスか~(笑)。

OD さんは初対面のとき、BOSS さんについてどう思ったんですか?

BOSS:人さらいだと思ったんだよね(笑)。

OD:ハイ。なので「逃げろ~!」って。でも BOSS が走るのが早くて、ひっ捕まえられたじゃないスか。

BOSS:工場の上のほうまで追いかけるんだけど、OD があまりにも怖がって落っこちちゃってですね。。。でも下に製パン機があって、パン種があるところにボスンと落ちたから怪我しなかった。それで、父親代わりの工場長に相談して。

OD:パン工場のお兄ちゃんたちに囲まれてずっと暮らしていたデス。

BOSS:OD の口調は、そこに勤めている川崎のパン職人さんたちが川崎弁で「〇〇じゃないスか」って言っているのしか聞いたことがないからなんです。まあ、大きく「神奈川喋り」と言うか。

OD:そうなんスか? 全国共通弁だと思ってたじゃないスか~。

いま、ユースの幅も広がっちゃって、10代から50代くらいまでを一括りにできるじゃないですか。それを可能にしたのは、音楽だとロックとアイドルだと思うんだけど、そういう線でなく、10代から50代を「切なくていい」って感じさせられたらいいなと。いまは10代から50代まで青春ですから。

BOSS THE NK は BOSS THE MC が元ネタだと思いますが、「BOSS」に意味はあるのでしょうか?

BOSS:いや、ないです。私は普段は請負屋をしているので、名前は明かせません。それで菊地くんが「じゃあ、BOSS THE NK にしよう」って。北海道の人が怒んないのかっていう(笑)。

OD:なんでデスか?

BOSS:BOSS THE MC っていう、THA BLUE HERB っていうチームで北海道をレペゼンしているヒップホップの人がいるの。

OD:へ~!

BOSS:「ナル・ボスティーノ」かどっちかで迷って(笑)。

OD:「ナル・ボスティーノ」はやばいデスね。。。。

BOSS:で、OD は捨て子だから、コイツ自身も本名はわからないんですが、小田さんに似ているから携帯に「パン OD」ってしておいて(笑)。工場長からの携帯の着信は毎回「パン OD」って出るんですよ(笑)。で、そのまま「OD と BOSS THE NK」ということでスパンク・ハッピーをとりあえず始めたんですね。そうしたらおあつらえ向きに、伊勢丹さんから菊地くんのところに(2018年)5月のグローバル・グリーン・キャンペーンのキャンペーン・ソングをやってくれないかって依頼がきたんです。で、菊地くんがスパンク・ハッピーの再開をプレゼンしたら、すぐに通ってしまいまして(笑)。

FINAL SPANK HAPPY のファースト・シングル「夏の天才」(2018年)が生まれたんですね。

BOSS:その前にデモがあったんですよね。それがアルバムにも入っている“ヒコーキ”。それを聞かせたら、伊勢丹さんがめちゃくちゃよろこんでくれて。「OD、伊勢丹のタイアップ取れたよ」「やったじゃないスか!」っていうことで“夏の天才”ができたと。で、活動を始めて、あれよあれよという間にフジロックの出演も決まったっていう。まあ、SPANK HAPPY は歴史が長いので、12年ぶりに復帰したっていうこと自体がひとつのニュース・ヴァリューを持っちゃう。だから、フジロックからオファーが来たりしたんですけど、「持ち曲2曲しかないよ」っていう(笑)。それから1年半かけて、アルバムにたどり着いたっていう感じですね。

なぜ今回が「最終」なんでしょうか?

BOSS:いや、年齢的に――あっ、年齢は菊地くんと僕は同い年でして。56(歳)です――もしこのバンドがもしうまくいって3、4年続いちゃったら還暦になっちゃうんですよ。還暦になって、口パクで歌って踊っているわけにもいかないでしょう(笑)。

OD:でも、杖つきながら歌って踊るって言っていたじゃないスか!

BOSS:まあ、90(歳)までやってもいいんですけど(笑)。 いずれにせよ OD 以外のパートナーを見つけて第4期をする気はないので。これがトドメなのだ、ここから先はありません、ということで。

それほど OD さんは完璧なパートナー?

BOSS:そうですね。OD とやることが目的であって、OD がいなかったらやらなかった。誰でも良いから、どうしても SPANK HAPPY をやるんだっていう発想ではなく、菊地くんも「天才が見つかったら」ということでしたので。OD ありきなんです。
 あのう、あくまで、事情を知らないお客様から見れば、ですが、小田朋美さんっていうのは大変な才媛で、菊地くんがやっている DC/PRG と SPANK HAPPY のどちらにも、というか同時に 参加できる人材っていうのはいままでひとりもいませんでした。想像すらつかなかった。その点ひとつとっても大変なことです。藝大の作曲科を出ているからアカデミックな意味でも、作曲やアレンジの能力でも完璧っていう以上の特別な意味が小田さんにはある、ということになります。SPANK HAPPY のヴォーカルが DC/PRG のキーボードでもあるとか、トランペットであるとかさ。

OD:トランペットだったら卍ユンケルやばいデスね!(笑)

BOSS:小田さんのパブリック・イメージはクールでやや中性的で、でも歌うとけっこうエモくて鍵盤がものすごく上手くて作曲もできてっていう、完璧に近いような近寄りがたい女性ですよね。
 でも、OD はとにかく。。。。猿みたいなんです(笑)。OD は上京後しばらく小田さんと同棲していたので、小田さんが寝ていたりツアーへ行っていたりする間に勝手に機材をいじっていたら打ち込みができるようになってたんです(笑)。天才ザルというか(笑)。「猿の惑星」みたいな(笑)。

OD:それほどでもないじゃないスか~(笑)

BOSS:謙遜するところじゃない(笑)。「勝手に機械をいじっているうちに覚えたじゃないスか」、「ボスボス~、デモを作ったじゃないスか」って感じで。ジェンダーの問題でいうと、男の子が機械をいじって女の子がポエムを書くっていう、旧態的な役割分担じゃないんです。なにせ我々の場合は、機械をいじっているのもインスタグラムを管理してるのも OD なわけで。

OD:逆に、振付やお洋服は BOSS がやってるじゃないスか。

BOSS:そう。振付とスタイリングは私がやっています。私はダンサーではありませんが、ダンスは子供の頃から好きで、振付にも興味があるから、「OD がこう動いたら可愛いんな」とか、まあ、いろいろ考えて。で、まあ、当たり前ですが、OD も踊ったことがなかったので最初は目を回していたんだけど、あっという間に適応しました。適用能力と学習能力がすごいんですよ。しかも作詞と作曲とアレンジはふたりで共作してるから、もう世代もジェンダーもぐしゃぐしゃにゾルゲル状になっちゃっていて、誰のどっちの曲っていうのももうないんですよ。
 だいたい人間は、自分の正反面っていうのを隠し持っています。だから無教養で猿みたいな女の子で、口癖は川崎のパン工場の人々の言葉で、ものすごい元気でめちゃくちゃ踊ると。恥ずかしげもなんもないから、おしゃれで可愛いと思えばスイムウェアでステージへ上がるのも厭わないっていうのは、あくまで結果としてですが、小田さんの抑圧を集積したみたいなやつだった。天の采配としても完璧な構図ですね。
 それで、FINAL SPANK HAPPY の方向性が定まったんです。いま、皆さん基本的に暗いから。まあその。。。。お届けしますよ(笑)。
 いま、音楽の役割は、生きづらくて暗い自分を励ましてくれるとか、励ますのは素晴らしいことですが、「さあ励ましますよ、はい背中押します、あなたはそのままで良いんですよ」といったそのまんまな形が主流です。 あと、ドス黒いところを吐き出しているSSWの方とか。ディスではなくて、ひとつの成功フォームですから名前を出すけど、大森靖子さんとかですね。女性が暗部を吐き出すのは芸能の古典とも言えます。あとは、椎名林檎さんやコムアイさんみたいな「智将」というか。頭を使って計算して、マーケットはこんな感じでしょう、ふふふ、みたいな感じで、エロ具合からなにから完璧に計算してやる方々。
 そういうんじゃなくて、ポッと出の奴らが、軽くファニーでキュートにやるのだと。FINAL SPANK HAPPY が菊地成孔と小田朋美だったら「スーパー偏差値バンド」ですよね。それは最悪です。なので、私と OD っていう暴れん坊同士で楽しく、かつスーパーハイスキルで最高品質である。ということをブランディングしているつもりです。まあ、ブランディングたって、自然にそうなっちゃっただけなんですが(笑)。

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“エイリアンセックスフレンド”の振付くらいで「エロい」って言われるんだから、この国のピューリタニズムもロリコンもすごいところまできているよね。エロティックがパセティックという目的の素材になるべきです。エロさもあるが切ない。というのが大人の仕事で、AORの本懐である。

いま、BOSS さんがお話しされたのは「メンヘラ」についてですよね。

BOSS:はい。メンヘラはもうダメですね。表現としては。一般化しすぎた。ヒップホップがバッドやナスティである義務、みたいなものです。まあ、もっと一般性の高いことするんだけど(笑)。

FINAL SPANK HAPPY のテーマには「メンヘラの否定」もあるのでしょうか?

BOSS:いやいやいや。否定はしません。菊地くんがやっていた第二期 SPANK HAPPY はメンヘラ表現の先駆けになってしまったと思います。渋谷系っていう快楽的でおしゃれで、軽さのある人たちがいっぱいいた世界のなかに、二期スパンクスはフェティッシュだとか、そういうものを持ち込んだわけです。あと、二期ではとにかく「青春」っていう黄金を扱わないって決めていたので、そうなると幼児退行的で多形倒錯的になっていく。岩澤さんと菊地くんとで年齢差があったことによって、フェティッシュやインセストタブーも視野に入っていました。とにかく俗語としてはメンヘラ。だけど音楽は濃密で美しいんだ、という感じの世界観だったんですね(OD 寝始める)。
 二期は早すぎたので、後になって、フォロワーが、、、、SNSじゃないですよ(笑)、アーバンギャルドさんとか。あと、マーケットの需要もですね。菊地くんのあれは一種の病気だと思いますが、何やっても10年から15年早いって言われがちなんです。「いまだったら二期スパンクスは売れるよ」っていう人もいるんですけど、いまメンヘラは表現としては「皆さん、喉が渇いたら水を飲むと良いですよ」と言っているのと同じです。エコみたいですね(笑)。一大マーケットですよ。
 ですので、別に、アンチメンヘラ=健康思考という意味では全くありません。我々だって人間である限りしっかり病んでいます。単に違う商品を売りたい。コイツ(註:OD はもうとっくに寝ている)を獲得することで FINAL SPANK HAPPY のトーンとマナーが決まってきたんです。「エイリアンセックスフレンド」という曲名とか、ファースト・ヴァースで「甘いペニス」とか言うので、それを指して即物的に「エロい」と言われがちですが、でも、あの曲は切ない曲であって、エロい曲ではないです(笑)。

たしかに“エイリアンセックスレンド”からは「逢瀬」というイメージが浮かびました。

BOSS:セフレとはいえ「フレンド」なわけだから、お互いにちょっとは好きでしょうっていう、まあ、切ないところで(笑)。あとは、宇宙人のセフレっていう第一義と、不倫のダブルミーニングですね。年の差不倫の、しかも反復です。「あなたより子供な大人はいっぱいいたよ」と。そういうことほのめかしつつも全体的に切ないな、切なくてちょうどいいわっていう。あとは、タイトルの「エイリアンセックスフレンド」も、歌詞の最後の「ダンディ・ウォーホール」も、実在のバンド名で、ライミングしてる(笑)。
 いま、ユースの幅も広がっちゃって、10代から50代くらいまでを一括りにできるじゃないですか。それを可能にしたのは、音楽だとロックとアイドルだと思うんだけど、そういう線でなく、10代から50代を「切なくていい」って感じさせられたらいいなと。スティーリー・ダンみたいに「すごいだろ、俺たち」っていう上からには、どうせなれませんが、ただ、ハイクオリティな曲を丁寧に作っています。聴き心地軽いけど、切ないっていう。まあ、曲によってはストレートに悪ふざけてますけど(笑)。

1曲目の“NICE CUT”なんて、かなりふざけていますよね。ユースの幅が広がったことと「切なさ」、そして二期で避けていた「青春」はどういう関係性になるんでしょう?

BOSS:簡単に言うと解禁ですよね(笑)。それこそいまは10代から50代まで青春ですから。二期スパンクスは周りが全員青春だった。なので、青春はもういいわっていう格好でしたが、FINAL SPANK HAPPY はメンヘラ退場で、青春再登場っていう(笑)。切なさ、というのは、単に青春は切ないいじゃないですか。特に、いい大人の青春は(笑)。

では、FINAL SPANK HAPPY は性的な倒錯や病理といったものは扱わないんですか?

BOSS:扱わないですね。FINAL SPANK HAPPY では、あくまで装飾物としてエロいものは入っていますし、何せ実際にアダルトですからね(笑)、基本的には大人は明るく切なくいたいよねっていう。「切ない」と「おもしろい」と「かわいい」と「お洒落」しかない(笑)。 あと「元気」か(笑)。OD ライヴ中お客さんにパンをぶん投げたりする元気さですが(笑)。

カバー・アートやアーティスト写真でも意味ありげに使われているパンはなにかの象徴なんですか?

BOSS:だってパン工場で育ったんだもの(笑)

OD:(突如眼を覚まして)うおー!! そうじゃないスか!

BOSS:最初は、本当にパンしか食わないのかと思ってた(笑)。

漫画のキャラクターじゃないですか(笑)。

OD:ラーメン大好き小池さんじゃないスか(笑)。

BOSS:「なんでパン?」っていうのは皆さん言いますが、しょうがないじゃんねえ(笑)。

OD:「ス『パン』クハッピー」からきているって言われたりしたデスね(笑)。

OD さん的には FINAL SPANK HAPPY の切な明るいモードについてはどう感じていますか?

OD:まんまボスと自分を出してるだけじゃないスか(笑)。

二期との関連でいうと、アルバムでは“アンニュイエレクトリーク”をカバーしているのに驚かされました。

BOSS:ライヴでは二期の曲を、前期からのご贔屓筋へのサーヴィスとして3、4曲やっているんですよ。“アンニュイエレクトリーク”は、タナカくん(Shiro “IXL” Tanaka)のピートのクオリティがかなり高かったので収録しました。あとはめちゃくちゃ細かい話ですけど、“アンニュイエレクトリーク”のメロディって、とうとう最後まで岩澤さんがちゃんと歌えなかったんです。当時は Melodyne なんてないから、ピッチを直せなかったんですよ。だから、ちがうメロディのまま録っちゃっていた。菊地くんはああいう人なんで、気にしてないけど、作曲家としてちゃんと作曲した状態のものを正しく歌ってくれる人がいたら嬉しかろうし、OD に完璧に歌ってもらってやっと完成したっていう気持ちがありますね。

OD:“アンニュイエレクトリーク”は15年も前に書かれた歌詞らしいデスけど、いま聞いてもハッとする、響くところがあるデスね。

BOSS:「クラブの閉店」とか「計画停電」とかね。

2010年代には震災と原発事故があって、風営法問題があって…… 。

BOSS:そのうえで、退屈なんだっていう。退屈な人間が、何をするか。

OD:“雨降りテクノ”も雨に注意注意じゃないスか!

BOSS:そうそう。雨が降ってきて濡れると機械は漏電するから(笑)。

会社のデスクに自分の好きなフィギュアを並べているとか、待ち受け画面を好きなアニメにして仕事をしているとか、昭和の日本じゃ考えられなかった。日本人だけじゃなく世界中の人間たちが退行していっている。大人と子どもの振る舞いのすみ分けがなくなってきちゃっている。いまが昭和だったら、私なんてもうシルバー世代ですよ(笑)。

あまり二期と比べすぎるのもよくないとは思うのですが、二期が扱っていたものとして「資本主義」があると思うんです。そこは FINAL SPANK HAPPY としてはどうですか?

BOSS:とにかく二期はあらゆることに対して予見的だったと。当時は資本主義がどうのこうのなんて、多くの人びとには「なに言ってんだ、こいつら」みたいな感じだったと思うんですけど。
 菊地くんの作品には、全体的にそれが張り巡らされちゃっていて、正直よくないところ、というか、さっきも言った通り、症状だと思いますね。ちょうどジャストなときに出せるっていうのが、本当に才能がある人なので。早すぎる人や遅すぎる人は……カラオケで早く出ちゃう人とか、なかなか歌い出さない人みたいなタイミングが悪い人だから(笑)。早すぎるっていうのは音楽家として致命傷だと。
 ただそれは、菊地くんひとりの力じゃどんなに遅らせても、ちょうどぴったりにならない。私にもその病理はあります。けれども OD は、とてもいい意味で古典的な人で。

OD:自分は遅いタイプだから。。。昔のものがすごく好きなんデス!!

BOSS:それにしても“エイリアンセックスフレンド”の振付くらいで「エロい」って言われるんだから、この国のピューリタニズムもロリコンもすごいところまできているよね。パソコンではいくらでもエグいものが見られるのに。ポップ・シティ・ミュージックと完全に分離してしまっている。なんか、一種の放送コードですよね。もし「未来の大人のポップス」があったとしたら、エロティックがパセティック(涙目になるような状態)という目的の素材になるべきです。エロさもあるが切ない。というのが大人の仕事で、AOR(「アダルト・オリエンテッド・ロック=大人志向のロック」)の本懐である。と思ってやっています。菊地くんはバブル世代だから陽気なほうだけど、それでもパニック障害とかやっているしさ(笑)。一方、小田さんはめちゃくちゃ明るい人ではないので、我々とはできることがぜんぜん違うと思いますよ。

OD:ミトモさんに聞いたんデスが、子どものころはすごく明るかったらしいデスよ。

BOSS:それを「暗い」って言うんじゃない?(笑)。 「子どものころは明るかった」っていうひとは暗いひとでしょ(笑)。

OD:なんか、ご家庭でも一番ひょうきんだったらしいじゃないスか~。

BOSS:無邪気だったけど、楽園を追放されて無邪気じゃなくなったんでしょう(笑)。普通の発達だよそれは。小田さんの視点に立ったら、OD は幼児退行という側面もあるでしょうね。

OD:二期も退行を歌っていたじゃないスか。それは「少女」とか「幼児」ぐらいだと思うんデスけど、ミトモさんにとって自分は。。。3歳児くらいの感じじゃないスか(笑)。

BOSS:まあ、天才ザルだからな(笑)。人間以前に(笑)。

その「退行」についてはどうお考えですか?

BOSS:大きく捉えれば社会問題くらいなものですよね。会社のデスクに自分の好きなフィギュアを並べているとか、待ち受け画面を好きなアニメにして仕事をしているとか、昭和の日本じゃ考えられなかったことだから。
 でも、日本人だけじゃなくって世界中の人間たちが退行していっている。大人と子どもの振る舞いのすみ分けがなくなってきちゃっているんです。「大人買い」って、そこからきているわけじゃないですか。大人になって、子どものころに欲しかったプラモデルを山ほど買うとか。まあだから、20世紀は、どうしても退行の世紀に見えちゃうんですよね。全人類的に退行しているのかどうか? っていうのは、『アフロ・ディズニー』っていう本で菊地くんが識者と話しています。
 その一方で、若いアイドル・ファンたちのわきまえがよくなって、べたべた触って追い出されちゃう人がいなくなり、礼儀がちゃんとしてきている、大人っぽくなっている面もあるんですよね。退行の逆行現象として。だから、退行の問題は簡単には語れないです。特に、市民の私生活と、音楽表現との関係においては。いまが昭和だったら、私なんてもうシルバー世代なんですよ(笑)。

退行は力にもなるんですね。

BOSS:そうですね。なおかつふたりとも運動が好きで、ダンスしているし、ボディケアもやっている。アンチエイジングですよね、ひとつの。

OD:SNSで「菊地さんの隣にいる、あの体育会系の女むかつく」って書かれていて、自分はパリピユンケル卍驚いたじゃないスか! 自分はバッキバキの文化系じゃないスか~、大体自分の隣にいるのは菊地さんじゃないし!!(笑)

BOSS:「○○じゃないスか」っていうのが体育会系の言葉づかいだからってだけじゃない? まあオマエはスポーティーだからな。

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薬ばっかり飲んでいたり、ネットで病気の情報を集めたりしていたらもっと悪くなっちゃうので。恋人でもだれでもいいんだけど、誰にも「あたしのエクソシスト」がいて、ちょっとキスをしてくれるだけで悪魔を払ってくれるんだと。

……ええっと、音楽の話がぜんぜんできていなくて恐縮なのですが、今回はリズムのアプローチが多彩ですよね。二期はハウスやディスコのビートを中心にやっていたので。

BOSS:そうですね。リズミック・アプローチについては、二期スパンクスは DC/PRG と並走していたから、菊地くんもシンメトリーを出したかったんでしょう。ものすごい大人数のプロ集団が複雑なリズムに取り組む DC/PRG と、素人でなにもできない女の子とふたりだけですごくシンプルなテック・ハウスみたいなのをやる SPANK HAPPY と。
 我々はその当時の菊地くんの企みとは無関係です。OD のコード進行やメロディのつくりかたはすごく古典的でありながら、斬新で素晴らしいと思いますね。私にはできないことを簡単にやってのけます。リズムの対応力も非常に高いですし。
 あとは、テクノロジーの力が上がったっていうのも大きいですよね。昔は5連符の打ち込みなんてできなかったから。Ableton Live とか、あらゆるテクノロジーがリズムの揺らぎとかを追求してきている。あと、Ableton Live に「MIDI化」っていうのがあって、どんな音声データでもMIDI情報にできちゃうんです。そんなん使ってないけど(笑)。

OD:それはヤバいじゃないスか。。。。。

BOSS:だから、(エルメート・)パスコアールみたいなことが簡単できちゃう。言葉が全部歌になるので、ミュージカルって概念がなくなるわけです。極論的に、どんな映画も、台詞を全部音程化して伴奏をつけちゃえばミュージカルにできちゃうんだと。
 ポップ・ミュージックは新しい機材や技術をプレゼンテーションする音楽です。だから、FINAL SPANK HAPPY は原義に忠実にポップ・ミュージックだと思いますよ。二期はデカダンだったので、過去志向というか、傷とか幼児退行は過去への志向です。いまは軽やかで最新であると。なにも知らない人に「OD かわいいよねー」、「この曲切ないよねー」って楽しんで頂きたいですね。

ふたりの引力と斥力で、ちょうどいいところにいると。

BOSS:僕はコンサバの力に感動したことってあんまりないんです。業務上、クラシックの弦のチームを、クラシック上がりの有名アレンジャーの方とかと一緒にやるんですけど、あんまり感動したことがないんです。
 でも、小田さんが書いた弦──『mint exorcist』の弦アレンジは小田朋美さんがやっているんですけど──にはすごく感動したんですよね。コンサバで古典的な響きをちゃんと譜面で書ける人の弦って、こんなに感動するんだっていうことに打たれて。小田と OD が唯一繋がっている古典=クラシックスの力は振り絞れるだけ振り絞って、全部使おうっていう気持ちがありますね(笑)。

OD:BOSS のアイディアは、たまに言っていることがわからなくて作業が進まないこともあるデス。でもそれをふたつ、がっちゃんこで合わせてみると「あっ、すごくいいな」ってなるじゃないスか。お互いのいい面が、ひとつの曲としてうまくはまるデスね。BOSS のリズムやコードに対するアプローチって、最初「これは何スか?」みたいな斬新な発想なんデスが、自分は──もちろん新しいものも取り込むけど──基本的にコンサバで古典的なものが好き好きなところがあるじゃないスか。

調性を信じる OD さんと、ジャズの無調や調性から外れることに惹かれる BOSS さんとの対照性や緊張関係があるわけですよね (https://realsound.jp/2018/06/post-208704.html)。

OD:緊張というより、むしろお互いすげーなと思っているじゃないスか。自分は調性と無調って対立しているものではないと思うデス。調性の先に無調があって、距離の問題だと考えているので。無調のなかにもすごく美しいハーモニーはあるし、実は古典的な響きもいっぱいあるじゃないスか。

BOSS:おおおお。その発言自体が超コンサバでしょ(笑)。まあこうやって自然にバランスしてるバディなのだと(笑)。

OD:“Devils Haircut”は調がないっていうか、調性じゃないものがいっぱい重なって入っているデス。とってもお気に入りじゃないスか~(笑)。

BOSS:ブルースやロックンロールは、もともと無調への通路だからね。我々の“Devils Haircut”には、現代ブルースの要素とクラシカルな多調性の要素が、まさに共作的に溶け合っています。

どうしてベックの“Devils Haircut”をカバーしたんですか?

BOSS:ぜんぜん理由はないんですよね(笑)。OD はベック知らないし。「とにかく洋楽をカバーするじゃないスか!」ってなったので、時代もジャンルも関係なくふたりでランダムにどんどん音源を聞いていったんです。

OD:YouTubeでデス。

BOSS:我々のコンビネーションの別軸に「ポップスに対する教養のある/なし枠」っていうのもあるんです。OD は本当にいい意味でポップスの教養がないので、レッチリ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)はローリング・ストーンズの次くらいだと思っていましたからね(笑)。

ロックの歴史的には20、30年空いていますね(笑)。

BOSS:「ベートーヴェンの次がヴェーベルン」みたいな(笑)。すげーびっくりしたんだけど、ポップ・カルチャーという本来無教養なものだったのに対する教養、つまりサブカルですが、OD はポップスに対してパンクというか、アナキストですね。それでふたりでどんどんポップスを聴いていって「あっ、これかっこいいよね」ってなったからやっただけで。「いまこれをやったらセンスいいよね」っていう感覚では全くないです。ガラガラポンですよ(笑)。

OD:クレイジーな曲でカッコいい~と思ったデス。最初はFKAツイッグスの、チェロとピアノだけの静かな曲をやりたいとか、そういう話もしてたデスが、いつのまにか、「やっぱりこの曲良いよね、この曲をピアノでやって見たら面白そう」ってなったじゃないスか。

あのピアノはYMOの“体操”を思い出しました。

BOSS:あれはチャームですね。一番表面に置いてあるから、一聴して“体操”に聞こえるけれども、実際はコンロン・ナンカロウとか、同じ坂本(龍一)さんでももっと最近の作品の要素も入っている。“体操”ってもっとずっとポップだし、あれは形式が変形のブルースだからね。「これ“体操”だろう」っていうのは当然の反応ですけど、奥行きを作っています。
 あれはふたりじゃないとできないアレンジです。縦横に音楽的な奥行きがありながら、すごくふざけているので(笑)。

OD:ライヴの振り付けも、あの曲はスローモーションで卓球をやってるじゃないスか(笑)。それでそれで、最終的にはドライブデート中のふたりが車の事故で死んじゃうじゃないスか~(笑)。

音楽は、「簡単か難しいか」なんてことのはるか以前に、「向いてる向いてない」とか「できるできない」という軸すらないんです。一番似ているのは恋愛です。誰でも恋はする。でも、傷や不全で臆病になるでしょう。

ボニーとクライドじゃないですか(笑)。最後に、アルバム表題曲の“mint exorcist”についておうかがいしたいです。

BOSS:ヒステリーや恋愛依存症、誘惑依存症というのはいつの世にもありました。昔は悪魔祓い師やヒーラーがいて、現代では精神医療で投薬して治しましょうっていうふうに変わったわけですけど、それを一回、また戻したいんです。薬ばっかり飲んでいたり、ネットで病気の情報を集めたりしていたらもっと悪くなっちゃうので。恋人でもだれでもいいんだけど、誰にも「あたしのエクソシスト」がいて、ちょっとキスをしてくれるだけで悪魔を払ってくれるんだと──そういう話をパッと考えついたんですよね。最初はツアー・タイトルとして、適当に思いついたんですけど(笑)曲のテーマに発育させたと。

OD:自分がよくミントを食べていたからじゃないスか?(笑)

パン以外も食べるんですね(笑)。

BOSS:そう(笑)。OD はミントばっかり食って、なぜか途中でやめて、その食べ残しをそこかしこに、財産みたいに積んでるんですね(笑)。んで私は映画の『エクソシスト』が大好きなので、それもあって「mint exorcist tour」って適当に言っちゃったんですよ。で、夏にふたりでうなぎを食いに行って、昼から日本酒を飲んで「気持ちいいじゃないスか~」って言っていた帰りの数分間で、曲の骨格ができあがって。で、あなたは「mint exorcist」だと。涼しく甘く、悪魔を祓ってくれるんだと。

OD:その日のうちにばーって録って、できあがったんデスよね。

BOSS:最速でできた曲ですね。着想から完成まで5分かかってない。

OD さんが「音楽はみなさんが考えてるより、ず~っと簡単じゃないスか!」って言っているのが、いままでにない感じでいいなと思いました。

BOSS:まあ、時間をかけて作る曲もあるけど本当に一瞬でできる曲もある。だから、あの曲自体のことであり、人間が抱えている問題や、萎縮に関する解放ですよね。

OD:音楽が苦手だっていうひともいるじゃないスか。でも、向いていないとか苦手だとかって封じ込めちゃわないで、もっと音楽は簡単だって知って欲しいデスね。

BOSS:音楽は、「簡単か難しいか」なんてことのはるか以前に、「向いてる向いてない」とか「できるできない」という軸すらないんです。一番似ているのは恋愛です。誰でも恋はする。でも、傷や不全で臆病になるでしょう。

OD:臆病はダメダメじゃないスか~。

BOSS:無教養主義に対する肯定がキツすぎるんですよ。一方で、東大出の人が「人生に学歴なんて関係ない」って言ったらいやらしいじゃないですか。もしですよ。小田さんと菊地くんが「音楽なんて簡単ですよ」って言ったら、単純に腹たちますよね(笑)。それでおふたりが「いや、私は学校のなかでもドロップアウト組で……」とか話がグダッグダになっちゃう(笑)。
 だけど OD が、調子よく口笛吹いてる曲の途中で「みなさんが思ってるより音楽は簡単じゃないスか~。ウナギを食ったらすぐに曲ができてすごいじゃないスか~。ウナギには栄養があるじゃないスか~」って言うことで、本当にキツくなっちゃっている、難しく考えすぎちゃっている人たちのキツさをちょっと緩めてほしい。我々からの、小さな傷口へのキスだと思って頂きたいです。と、それぐらいは FINAL SPANK HAPPY はジャストに立っていると──実際どのくらいかっていうのは、これからやってみないとわからないんだけど(笑)。

わかるのは10年後かもしれませんね(笑)。

BOSS:そしたらジャストじゃないですね(笑)。「FINAL SPANK HAPPY はやっぱりマニアックだ」ってなるのか、「いやこれめちゃくちゃポップだよ」っていうふうになるのかは、聴いてくださった皆さんが決めることですから。

元ちとせ - ele-king

 私は元ちとせのリミックス・シリーズをはじめて知ったのはいまから数ヶ月前、坂本慎太郎による“朝花節”のリミックスを耳にしたときだった、そのときの衝撃は筆舌に尽くしがたい。というのも、私は奄美のうまれなので元ちとせのすごさは“ワダツミの木”ではじめて彼女を知ったみなさんよりはずっと古い。たしか90年代なかばだったか、シマの母が電話で瀬戸内町から出てきた中学だか高校生だかが奄美民謡大賞の新人賞を獲ったといっていたのである。奄美民謡大賞とは奄美のオピニオン紙「南海日日新聞」主催のシマ唄の大会で、その第一回の大賞を闘牛のアンセム“ワイド節”の作者坪山豊氏が受賞したことからも、その格式と伝統はご理解いただけようが、元ちとせは新人賞の翌々年あたりに大賞も受けたはずである。すなわちポップス歌手デビューをはたしたときは押しも押されもしない群島を代表する唄者だった。もっとも私は80年代末に本土の学校を歩きはじめてから短期の帰省をのぞいてはシマで暮らしたこともないので、彼女が群島全域に与えた衝撃を実感したわけではない。私のころはむしろ中野律紀さんがシマ唄のホープでありポップスとの架け橋だったのであり、電話口で元ちとせの登場に母の興奮した声音を聴いた90年代なかば、私はむしろゆらゆら帝国(まだ4人組でした)とかのライヴに足を運びはじめたころで、シマ唄なんかよりはそっちのがだいぶ大事だった。しかしそのように語るのはいくらか語弊がある。というのも、そもそも私のような1970年代生まれ以降のシマンチュにとってシマ唄はもとからそう身近なものではない。戦後、米軍統治からの本土復帰後、ヤマト並をめざす奄美にとっては文化も言語も標準化すべき対象でしかなく、私はよく憶えているが、私が小学の低学年だったころまでは学校のその週の努力目標にシマグチ(方言)を使わないようにしましょうというものがあり、使うと他の生徒の前で罰せられたのである(80年代のことですぜ)。私はこのことに子ども心ながら理不尽な気持ちを拭えなかったが、なにがおかしいか、なぜおかしいか、またひとはなぜそのような外部の視線を内面化することで恥と劣等感をおぼえるのか、語ることばをもたなかった。もっともその口にのぼらせるべきことばすら本土化されかかっていたのだとしたら、武装に足ることばなどどこにもなかった。とまれ私たちは中国のウイグル自治区への政策をしたり顔でもって他山の石などとみなすことなどできない。南西諸島にせよアイヌにせよ、境界を措定された空間の周縁は中央がおよぼす文化と政治と経済の波がもっとも可視化されやすい場所であり、言語におけるその顕れはおそらくドゥルーズのいうマイナー言語なるものを派生させ、近代性の波と同期すればポール・ギルロイいうところの真正性オーセンテイシテイを励起するはずだが、この点を論究するのは本稿の任ではない。つまるところ私にはともに90年代前半に見知ったおふたりが20年代のときを経てコラボレーションするにいたったことが事件だったのである。
 恥ずかしながら私はここしばらく元ちとせの動向を追っていなかったのでことのなりゆきがにわかにはのみこめなかったが、レーベルのホームページによるとリミックスはこんごもつづくとのこと。また今回のプロジェクトはもとになるアルバムがあるのもわかった。昨年リリースの『元唄(はじめうた)』と題したシマ唄集で、元ちとせはこのアルバムで盟友中孝介を客演に、勝手知ったるシマ唄の数々を招き吹きこみなおしている。坂本慎太郎の“朝花節”のリミックスは『元唄』の幕開けにおさめた楽曲のリミックスで、同様の主旨のリミックスが以後数ヶ月つづくこともレコード会社の資料は述べていた。したがって本作『元ちとせリミックス』の背景にはおよそこのような背景があることをご理解いただいたうえで、今回の坂本龍一のリミックス作のリリースをもって完了したプロジェクトをふりかえりつつ収録曲とリミキサーを簡単にご説明さしあげたい。

 

朝花節 REMIXED BY 坂本慎太郎
2019/6/26 Release

 “朝花節”は唄遊びや祝宴の席で最初に歌うことの多い、座を清めたり喉のウォーミングアップをかねたりする唄。唄者には試運転をかねるとともに、唄の場がひらいたことを宣し声を場にチューニングしていく役割もある。多くの唄者の音盤でも冒頭を飾ることが多く、元ちとせの〈セントラル楽器〉(名瀬のレコード店で唄者のアルバムを数多くリリースしている)時代のセカンド『故郷シマキヨら・ウム』(1996年)の冒頭を飾ったのも“朝花節”だった。1975年の敗戦の日の日比谷野音で竹中労が音頭をとり、嘉手苅林昌、知名定繁と定男父子、登川誠仁など、稀代の唄者が集ったコンサートの実況盤でも奄美生まれの盲目の唄者里国隆の“朝花節”が1曲目に収録されているのもおそらく同じ意味であろう。
坂本慎太郎のリミックスはもっさりしたチープなビートが数年前のクンビアあたりを彷彿する点で、『元唄』のボーナストラックだった民謡クルセイダーズの“豊年節リミックス”に一脈通ずるが、音と音との空間を広くとり、定量的なビートにも機械の悲哀といったものさえ感じさせるソロ期以降の坂本慎太郎の作風を縮約した趣きもある。背後からヘア・スタイリスティックスとも手を結ぶ作風ともいえるのだが、坂本は元や中の声を効果的にもちい、聴き手の感情をたくみに宙吊りにする。うれしくもなければ悲しくもない。笑いたいわけではないが怒っているのでもない、日がな一日砂を噛みながらみずからの鼻を眺めるかのごとき感情の着地を拒む幕開けはアルバム総体の行方も左右しない。

 

くばぬ葉節 REMIXED BY Ras G
2019/7/31 Release

 つづく“くばぬ葉節”のリミックスはラス・Gの手になる。ラス・Gは今年7月29日に逝去したがリミックスの公開はその二日後、はからずもいれかわるように世に出た。LAビート・シーンの立役者のひとりであり、幾多の独特なリズム感覚でビート・ミュージックの形式にとどまらない作風をものしたラス・Gらしく、ここでもパブリック・イメージをいなすノンビート・アレンジで意表を突いている。全体はスペーシーな風合いがつよく、冒頭のSEは極東の島国のさらにその南の島からの唄声に自身のサウンドをチューニングさせるかのよう。表題の「くばぬ葉」はビロウの葉のこと。シマでよくみるヤシ科の常緑の高木でその葉を編んで団扇にしたことなどから身よりのないシマでのひととのえにしの大切さになぞらえている。

 

くるだんど節 REMIXED BY Chihei Hatakeyama
2019/8/28 Release

 ここからアルバムはアンビエント・パートへ。数あるシマ唄でも代表的な“くるだんど節”を本邦アンビエント界の旗手畠山地平がカスミたなびく音響空間に仕上げている。表題の「くるだんど」とは「空が黒ずむ」の意。その点でも幽玄の情景を喚起する畠山のリミックスは唄のあり方を的確にとらえているといえる。もっともシマ唄の歌詞に決定稿は存在しない。歌詞は唄うものが唄い手が独自に唄い変える。じっさい畠山のリミックスの原曲となった『元唄』収録の“くるだんど節”は島の特産物産を自慢する内容だが、この歌詞は親への感謝を唄うオーソドックスなものともちがっている。むろんそれさえも「空が黒ずむ」ことともなんら関係ない。転々とシマからシマ、ひとからひとへ唄い継ぐうちに歌詞も節もグルーヴも変転する世界各地のフォークロアな音楽と通底するこのような口承性こそ、共同体の暮らしの唄としてのシマ歌の真骨頂といえるのだが、畠山地平は唄の古層を探るかのように原曲の音素をひきのばし、幾多の微細な響きに解体した響きが蜿蜿と蛇行する大河のような時間感覚をかたちづくっている。

長雲節 REMIXED BY Tim Hecker
2019/9/25 Release

 声の響きに着目した畠山のリミックスと対照的に、つづくティム・ヘッカーは“長雲節”のリミックスで元ちとせの唄の旋律線の動きに焦点をあてている。ティム・ヘッカーといえば、昨年から今年にかけて『Konoyo』と『Anoyo』の連作での雅楽との共演でリスナーをおどろかせたばかり。雅楽とは、いうまでもなく中国から朝鮮半島を経由に伝来した宮廷音楽だが、楽音と雑音とを問わずあらゆる音に色彩をみいだすこのカナダ人は雅楽という形式特有の持続とゆらぎに、おそらくは此岸(この世)と彼岸(あの世)のシームレスなつながりをみた、そのように考えれば、シマ唄、ことに元ちとせら「ひぎゃ唄」の唄者が自家薬籠中のものとする裏声によるポルタメントな唱法(グィンといいます)はヘッカーをしてシマ唄と雅楽の類似点を想起させなかったとはだれにも断定できない。原曲となる“長雲節”はしのび逢いの唄で、別れ唄とする地域もあれば祝い唄とみなすシマもある。このような背反性までもリミキサーが理解していたはずはないが、かろうじてかたちを保っていた唄が旋律の線形だけをのこし抽象化し、やがてサウンドの合間に姿を消すヘッカーの解釈は唄の物語世界にも同期する、好ミックスである。
ちなみにさきに述べた「ひぎゃ唄」の「ひぎゃ」とは東の意。元ちとせの出身地でもある奄美大島南部の瀬戸内町の旧行政区画名「東方村」に由来する。すなわち南方を東方と呼んでいたころのなごりで、北部を代表する「かさん唄」(「かさん」は現奄美市に合併した笠利町のこと)とシマ唄の傾向を二分する流儀である。武下和平から朝崎郁恵まで、著名な唄者がひぎゃ唄の唄い手に多いのは起伏に富む歌いまわしがテクニックに結びつくからだろうが、地鳴りのような唸りからファルセットまで一気にかけあがる唱法は、北部に比して急峻な南部の地形に由来するとも、信仰や風習や、はたまた薩摩世(薩摩藩支配時代)の過酷な労働に由来するとする説まで、諸説紛々だが真偽のほどはさだかでない。

 

Photo by "Jakob Gsoellpointner".

豊年節 REMIXED BY Dorian Concept
2019/10/30 Release

 フライング・ロータス、サンダーキャットらの〈ブレインフィーダー〉から『The Nature Of Imitation』を昨年リリースし一躍ときのひととなったドリアン・コンセプトは『元唄』では唯一のリミックス作“豊年節”を題材に選んだ。すなわち民謡クルセイダーズのリミックスのリミックスということになるが、ジャズからビート・ミュージックまで手がけるオーストリアの才人は原曲を活かしながら独自色をひそませ、島々を練り歩く放浪芸の一座のようだった原曲にサーカス風の彩りをくわえている。

 

Photo by zakkubalan(C)2017 Kab Inc.

渡しゃ REMIXED BY 坂本龍一
2019/11/27 Release

 『シマ唄REMIX』の参加者でそれまでに唯一元ちとせとの共演歴をもっていたのが“渡しゃ”を担当した坂本龍一である。坂本と元は2005年の8月6日に広島の原爆ドームの前で、トルコの詩人ナジム・ヒクメットが原爆の炎で灰になった少女になりかわり書き綴った詩の訳詞に外山雄三が曲をつけた“死んだ女の子”を演奏し、爾来夏を迎えるたびに限定で配信し収益のいちぶをユニセフに寄付しているという。元ちとせの2015年のアルバム『平和元年』も収める“死んだ女の子”はまぶりのこもった歌声と柔和なメロディに鋭いたちあがりの音が同居した、反戦と平和を希求するスタンダード・ナンバーとして灯りを点すように広がりつつあるが、ここでの坂本は元ちとせのリズミックな演奏に抑制的にアプローチすることで原曲の秘められた側面をひきだしている、その作風は畠山地平やティム・ヘッカーと同じくアンビエントと呼ぶべきだろうが、声の断片、電子音のかさなり、ピアノの打鍵、かぎられた響きで多くを語る方法は坂本龍一の作家性を端的に物語っている。
表題の「渡しゃ」は島と島を渡すもの、すなわち「船頭」の意。船頭が唄のなかで奄美大島、喜界、徳之島、沖永良部、与論からなる奄美群島をめぐっていく。歌詞にみえる「間切り」の文言は琉球と奄美にかつて存在した行政区画で、市町村の町みたいなものだが、島には陸地にはない海の道があり、海が隔てる別々の島のシマ(村)が同じ間切りに入っていたこともしばしばだった。今福龍太が『群島論』で指摘したように、海を道とみなす視点には陸地と海洋が反転した白地図が文字通り浮上するというが、形式を問わない自由な耳でしかあらわれない音もおそらくこの世には存在する。『シマ唄REMIX』が収めるのは純粋なシマ唄でもなければポップスでもない。リミックス集だがダンス・ミュージックでもないし、中身も歌手元ちとせの唄のみをひきたてるものではない。実験的で挑戦的な内容ともいえる一枚だが、エキゾチシズムに淫せず、伝統に拝跪せず、神秘主義に溺れず、反省的な文化人類学の反動性に与せず、ありきたりなポストコロニアルやカルチュラル・スタディーズの思弁にも回収されない、蠢動するものはそのような音楽がもっともよく体現するのである。

特設ウェブサイト:
https://www.office-augusta.com/hajime/remix/

Gang Starr - ele-king

 90年代のヒップホップ・シーンを代表する存在であり、その後に繋がるヒップホップ・サウンドの基礎を作ったデュオである Gang Starr が、まさか16年ぶりとなるニュー・アルバムを完成させるなんて、筆者も含めて誰も予想していなかったであろう。2003年にリリースされた前作となる『The Ownerz』を最後に、Gang Starr はグループとしては事実上、活動停止となり、その状態のまま2010年にMCである Guru がガンによって命を落とす。以降、Guru の相棒であった DJ Premier はDJ/プロデューサーとして精力的に活動を続けながら、Gang Starr 名義での作品の制作およびリリースについて度々言及していたものの、実現まで到ることはなかった。しかし、Gang Starr が活動停止していた時期に Guru のDJ/プロデューサーを務めていた Solar という人物が保有していた未発表のヴォーカル音源が2016年に売却され、それが DJ Premier の手に渡り、今回のアルバムが制作されたというわけだ。

 今年9月に本作リリースの一報と同時に、先行シングルとして J.Cole をフィーチャした“Family and Loyalty”が発表されたのだが、往年の Gang Starr のフレイヴァーがそのままダイレクトに表現されたこの曲に、Gang Starr ファンであれば誰もが驚かされたに違いない。もちろん、厳密な意味で技術的にはいま現在の質感の上にあるものであるが、チョップ&フリップによるサンプリング・ループにワードプレイを駆使したスクラッチが随所にはめ込まれたトラックは、一聴してすぐにわかるあの当時の DJ Premier のシグネチャー・サウンドそのもの。そして、J.Cole という現トップクラスのラッパーを従えながら、Guru のラップは相変わらずの最高の相性で DJ Premier のトラックの上でドライヴし、全盛期とも寸分違わない Gang Starr としての完成形に仕上がっている。それは本作『One of the Best Yet』も同様で、DJ Premier と Guru のふたりでなければ成立しない、誰もが思う Gang Starr サウンドそのものがアルバムの隅々にまで行き渡っている。

 繰り返しになるが、本作は Guru が『The Ownerz』以降、亡くなるまでの間にレコーディングした未発表のヴォーカル音源に、DJ Premier が後からトラックを合わせ、そして、曲によってはゲストを入れた上でアルバムとして完成させている。つまり通常のアルバム制作の流れとは異なるわけであるが、不思議なほどに不自然さを感じることはない。そんなことを考える前に、DJ Premier によるDJプレイで Gang Starr クラシックが“Full Clip”から全11曲立て続けに飛び出すイントロの“The Sure Shot”で一気に気持ちを持っていかれるだろう。Gang Starr Foundation とも呼ばれる彼らのクルーから M.O.P. (“Lights Out”)、Group Home (“What's Real”)、Jeru the Damaja (“From a Distance”)といったメンツが再度結集し、さらに Big Shug と Freddie Foxxx に到っては“Take Flight (Militia, Pt. 4)”にて Gang Starr クラシックである“The Militia”の続編を『The Ownerz』ぶりに披露。また、当時では共演の叶わなかった Q-Tip (“Hit Man”)や Talib Kweli (“Business of Art”)などもゲスト参加していたり、あるいはインタールード(“Keith Casim Elam”)で Guru の実の息子がシャウトアウトを送ったりと、こちらの予想を超える様々な仕掛けが盛り込まれており、さらにこのアルバムを魅力的なものにしている。

 もちろん、90年代や2000年代のヒップホップ・サウンドを知らないリスナーがこのアルバムを聴いても、単なるオールドスクールなものにしか感じないかもしれない。だが、10年以上も前にレコーディングされた Guru のラップのスタイルやリリックの内容も含めて、時代を超えたヒップホップとしての普遍的な魅力が本作には詰まっており、Gang Starr をリアルタイムでは経験していない世代にも、その良さが少しでも伝われば幸いです。

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