「Ord」と一致するもの

Kamasi Washington - ele-king

 1960年代のジョン・コルトレーン、1970年代のファラオ・サンダースと、ジャズ・サックスの巨星たちの系譜を受け継ぐカマシ・ワシントン。もはや21世紀の最重要サックス奏者へと上り詰めた感のあるカマシは、2015年の『The Epic』で我々の前に鮮烈な印象を残し、2018年の『Heaven and Earth』で今後も朽ちることのない金字塔を打ち立てた。しかし、『Heaven and Earth』以降はしばらく作品が止まってしまう。もちろん音楽活動はおこなっていて、2020年にミシェル・オバマのドキュメンタリー映画『Becoming』のサントラを担当し、ロバート・グラスパー、テラス・マーティン、ナインス・ワンダーと組んだプロジェクトのディナー・パーティーで2枚のアルバムを作り、2021年にはメタリカのカヴァー・プロジェクトであるメタリカ・ブラックリストに参加して “My Friend of Misery” をカヴァーするなど、いろいろな試みをやっている。しかし、自身の作品やアルバムのリリースは止まってしまっていて、もちろん音楽活動そのものはずっと継続しているものの、気づけば『Heaven and Earth』から6年が経っている。

 この間にはコロナのパンデミックでいろいろな活動が制限される時期があり、自身の私生活での変化など、さまざまなこともあった。そうした私生活の変化のひとつに、パンデミックのさなかに娘が誕生したことがある。パンデミックの中で子育てをするという経験は、カマシにこれまでになかった視点をもたらし、新たなスタートを切るきっかけにもなった。そうして誕生したニュー・アルバムが『Fealess Movement』である。『Fealess Movement』というアルバム・タイトルは、パンデミックがもたらした世界的な混乱や恐怖と無関係ではないだろう。そうした恐怖に対して勇気をもって立ち向かうことを暗示するタイトルだ。「前に進むためには、手放すことを厭わないこと、恐れを知らないことを選択することが必要なんだ。恐怖にしがみついていたら、前に進むことはできないからね。自分の不安を全て捨て、動き、ただ音楽に身を任せる。アルバム・タイトルには、そういう意味が込められているんだ。アルバムのテーマは様々で、曲それぞれが意味を持っている。でも全体的には、これまでの作品よりももっと、身近な日常や自分の周りの人々とのつながりに焦点が当てられていると思う」

 『Heaven and Earth』は天と地になぞった社会における理想と現実の差異を映し出したもので、宇宙的なテーマと実存的な概念に基づく中で、人種差別の問題、世の中におけるさまざまな不平等なども投影されていた。一方で『Fearless Movement』は日常的なもの、すなわち地球上の生活を探求することに焦点を当てている。そうした日常のひとつに娘との生活がある。アルバム・ジャケットにも映っている幼女がその娘で、名前はアシャというそうだが、彼女が生まれたことによってカマシ自身も変化していった。「世界全体を見る視点が変わったんだ。彼女の視点から世界を見て、物事を考えるようになった。父親になり、大切な存在が出来たことで、僕を奥へ奥へと導き、自分を見つめ直させてくれた。彼女の視点から世界を見て、物事を考えるようになったんだ。例えば、僕があまり心配しないようなことでも彼女は心配するし、彼女が恐竜に興味を持ち始めた時は、僕も恐竜好きだったのを思い出させてくれた。そうやって、人生に新しい発見、新しい視点をもたらしてくれているのが娘の存在なんだ」。アルバム2曲目の “Asha The First” は、アシャがピアノをおもちゃのように遊びながら初めて弾いていたとき、そのメロディを元に書かれたものだ。

 もうひとつ、『Fearless Movement』にこめられたキーワードにダンスがある。カマシ自身はこのアルバムを「ダンス・アルバム」と呼ぶ。実際に収録曲の “Prologue” のミュージック・ビデオには多数のダンサーたちをフィーチャーしているが、俗にいうダンス・ミュージックのアルバムということではなく、人びとの身体を動かすようなリズムを持った音楽が詰まったアルバムという意味だ。「叔母がダンサーだから、僕は子供の頃、叔母のダンス・スタジオによく行っていたんだ。その影響で、僕は表現力豊かで即興的な動きと音楽の強いコネクションを身近に見てきた。そのダンス・スタジオでは、皆がマッコイ・タイナーやジョン・コルトレーンのような音楽に合わせて踊っていたからね。だから、僕はずっと、もっと人々がそれにインスパイアされて身体を動かしたくなるような音楽を作りたいと思っていた。このアルバムのサウンドについて言葉で説明するのは難しいけれど、僕はとてもリズミカルなサウンドだと思っている。強いリズムに包まれるような、そんなサウンド。“Dream State” のようなフリー・フローの曲でさえ、リズムがたくさん盛り込まれているしね」。ダンス(舞踏)の源流を辿ると、収穫祭などで神への感謝を捧げたり、祈祷するといったころがある。ジャズという音楽はアフリカを起源とし、そのリズムにはそうした舞踏のためのものという側面もある。ジャズという音楽の舞踏という側面が、カマシの中から素直に発せられたアルバムということが言えるだろう。

 “Lesanu” という曲は2020年に亡くなったカマシの友人の名前で、そのトリビュート曲であると同時に、神への感謝の意が込められている。その友人はカマシにエチオピアの言語と聖書について教えてくれたそうで、曲の中の言葉はエチオピアの教会で使われるゲエズ語という言語で、聖歌集の一部を朗読している。古代では音楽や舞は神への捧げものであり、“Lesanu” もそうした信仰心から生まれた作品である。『The Epic』や『Heaven and Earth』でもそうした神聖なものをモチーフとした作品はあったが、『Fearless Movement』は日々の生活を通じて生まれる素直な感謝の念や感情に包まれていて、カマシの肉声に近いものが音となっている。「このアルバムは、さまざまなアイデアや、人生におけるさまざまな場所について言及している。その中でも、僕は “Lesanu” でアルバムをスタートさせたかった。なぜなら、この曲は人生に対する感謝の祈りのような曲だから。僕にとってこの曲の目的は、ただ「ありがとう」と言うことなんだ。神様、あるいは宇宙を初め、僕に今の道を与えてくれた全てへの感謝を表現した曲。僕は音楽が大好きだし、自分の人生のために音楽を作ることができていることが本当に嬉しい。その機会、そしてその機会を与えてくれている全てに僕は感謝しているんだ」。『Fearless Movement』は「ダンス・アルバム」であると同時に、「祈りのアルバム」でもある。

 アルバムにはサンダーキャット、テラス・マーティン、パトリース・クイン、ブランドン・コールマンら旧知の仲間のほか、アウトキャストのアンドレ・3000BJ・ザ・シカゴ・キッド、イングルウッドのD・スモーク、コースト・コントラのタジとラス・オースティンなど、ヒップホップやR&B系アーティストの参加が目につく。さまざまな声(アーティスト)によるさまざまな日常風景や世界を描くのが『Fearless Movement』である。「彼らはそれぞれ、異なる世界観をもたらしてくれた。僕は、それらを必要としていたんだ。例えばタジとラスは、すごく若いのに、彼らのスタイルは1990年代のヒップホップの黄金時代に繋がるものがある。僕はそれが大好きで、彼らのラップを聴いていると、僕がヒップホップを聴き始めた頃に戻ったような気分になるんだ」。
 ゲスト・アーティストそれぞれの個性を鑑み、そこに音楽的にしっくり嵌る楽曲で起用しており、単純にヒップホップ調やR&B調の楽曲を用意し、そこに無難に当て嵌めた起用とはなっていない。例えば “Dream State” にはアンドレ・3000が起用されているが、ラップではなくフルート演奏で参加している。昨年彼がリリースしたアルバム『New Blue Sun』のようなアンビエントやニュー・エイジ的な作品となっている。「僕は以前、アンドレ・3000のためにレコーディングしたことがあって、その時に彼が、何か自分にできることがあれば言ってくれ、と言ってくれたんだ。で、彼にもちろん参加してもらいたいと思ったけど、具体的に何をしてもらおうかはわからないまま数曲用意していたんだけど、彼がスタジオに来た時、フルートを持ってきてさ(笑)それを彼が吹き始めたんだけど、その瞬間、レコーディングした曲のことは忘れようと思った(笑)そのフルートを使って、一から新しい曲を作ろうと思ったんだ。だから、あの曲はそのフルートを使って即興で出来たものなんだよ。それに合わせて皆でプレイして、その瞬間で出来上がった曲なんだ」。ある意味、もっともジャズ的な即興音楽である。

 “Get Lit” にフィーチャーしたD・スモークに関しては、ラッパーでありながらも音楽的だから彼を起用したということだ。「“Get Lit” はすごく音楽的で、あの曲にラップが欲しいと思いつつも、その音楽的な部分を大事にしたかったんだ。D・スモークはピアノも弾くからその辺のセンスがあるし、ハーモニーをはじめ、ラップ以上のものをもたらしてくれた。あれはヴォーカル・パフォーマンスだったし、それはまさにあの曲が必要としていたものだったんだ」。そして、この曲にはP・ファンクの総帥であるジョージ・クリントンも参加する。近年はフライング・ロータスのフック・アップによって、ロサンゼルスの音楽シーンにおいて若い世代のファンからも身近な存在となってきているジョージ・クリントンではあるが、やはり伝説的な存在であることには変わりない。カマシにとっても今回の共演は念願が叶ったもので、カマシの音楽にファンカデリック的な世界観が見事に融合した作品となっている。「僕は、小さい頃からずっとジョージ・クリントンの大ファンなんだ。昔スヌープ・ドッグと一緒にプレイしていた頃に何度か会ったことがあって、その後も数回会う機会があったんだけど、話す機会はなかった。でも去年、彼が展覧会を開いたんだよ。僕の妹のアマニが画家で、今回のアルバムのジャケットに載っている絵を描いたのも彼女なんだけど、ジョージ・クリントンがアート・ショーをやると教えてくれてね。彼はヴィジュアル・アーティストでもあって、そっちの才能も本当に素晴らしいんだけど、そのショーで彼の作品を観て、僕は本当に驚いたし圧倒された。で、その時に、せっかくだから彼に話しかけてみて、やっと彼と話すことが出来たんだ。そして、“Get It” という彼にピッタリの曲があったから、思い切ってその曲で演奏してくれと頼んでみたら、なんと話に乗ってくれてさ。それですぐにスタジオを予約して、彼が来るのを指くわえて待ってきたら、本当に来てくれたんだ」

 『Fearless Movement』は日常的なものごとを描いていると前述したが、想像や空想もそうした日常から生まれるもので、宇宙的なモチーフの “Interstellar Peace” やSF的な “Computer Love” が非日常的な曲というわけではない。“Interstellar Peace” は盟友のブランドン・コールマンが作曲した楽曲で、日頃の彼との会話の中から広がっていった。「彼と僕は、二人とも宇宙やSFが大好きで、それについてよく話すんだ。偽りを見破り、本当の自分を見つけるためには、自分の身近にある目に見えるものを超えて、想像力を伸ばす必要がある。星間の安らぎや平穏、というのがこの曲のアイデアだった。自分の住んでいる地域、都市や国、あるいは惑星を越えた、普遍的なものを考えながら作ったのがこの曲なんだ」
 日常の中から普遍的な真理について思いを馳せた楽曲である。“Computer Love” は1980年代にクラフトワーク、ザップ、エジプシャン・ラヴァーの同名異曲があったが、カマシはこの中でザップをカヴァーしている。サップはジョージ・クリントンに見出されてPファンクの前座を務め、1980年にデビューした。ザップのリーダーであるロジャー・トラウトマンが “Computer Love” を作ったのは1985年のことだ。「ザップのこの曲を聴いた時に、この自分のヴァージョンが頭の中に聴こえたんだ。人と人とのつながりについて考えさせられたんだよ。ロジャーがこの曲を書いたのは、ある種の予言のような気がした。なぜなら、彼はあの曲で、人ではなくコンピューターを通して伝わる愛について語っているから。当時はそれが普通の状況ではなかったのに、今はそれが普通になっている。でも、現在のそのエネルギーは、彼が想像していたものとは違うんだ。コンピューターを通して、という部分は同じなんだけれど、エネルギーが違う。だから、あの歌を書きながら彼が見ていたものを、実際の今の世界のものにチューニングしたらどうなるんだろう、と思ったんだ。今、僕たちはテクノロジーによってもっと繋がることが出来ているけど、スクリーンを通してつながっていることで、実際の繋がりは薄くなっている。実際に会って繋がる、という繋がり方は減っているわけで。だから、人間らしさというものに関して考えたんだ。距離が縮まっていながら、同時に遠くもなっている。僕のヴァージョンでは、それについて描かれているんだ」。人と機械やAIの関係ではなく、現在における人間関係のあり方についての楽曲なのだ。

 『Heaven and Earth』は大がかりなオーケストレーションやコーラス隊がフィーチャーされ、ダイナミックでドラマ性に富むサウンドとなっていたが、『Fearless Movement』の楽器構成は比較的シンプルな小編成である。カマシの日常的な視点が、大がかりなものではなくコンパクトな編成、サウンドに繋がっているのだろう。「大抵の場合、僕はその曲に満足がいくまで色々と積み重ねていくような感じで曲を作っていく。そして、前回の時はそれが大きくなりオーケストレーションにつながっていったわけだけど、今回のアルバムは、曲があまりそれを必要としていなかったんだ。オーケストラ的な要素は、自分をどこか他の場所へと連れて行ってくれる。でも今回のアルバムは、その要素が要らなかった。その分、今回は他のアルバムよりもパーカッションやドラムが多いと思うね」。
 楽曲によって個々の楽器のソロが前面に出ているところもあるわけだが、特に耳につくのはロックやヘヴィ・メタル風のギター。ギターはサンダーキャットが弾く場合もあり、それ以外ではブランドン・コールマンがシンセを弾いてギター風の音色を出すこともあるそうだが、カマシ自身の “Prologue” でのサックスも、ある種ロック・コンサートにおけるギタリストのソロでの盛り上げに近いものを感じる。2021年にメタリカ・ブラックリストに参加したことも影響のひとつとなっているのだろう。「それがきっかけになったかまではわからないけど、今回はサックスでディストーションを使ったんだ。僕のアイデアで、エンジニアと一緒にいる時、なんかそれをやりたくなったんだよね。メタリカの影響も、意識まではしていないけどもしかしたらあるのかも。あのスタイルのサックスをやったのは、あの時が初めてだったから」

 この “Prologue” はアルバムの最終曲となっている。もともとはアルゼンチン・タンゴの巨匠として知られるバンドネオン奏者のアストル・ピアソラの曲だ(正式タイトルは “Prologue - Tango Apasionado”)。通常であればプロローグ(序章)はアルバムの冒頭に来るものだが、カマシは敢えてアルバムの最後にした。アルバムにある種の余韻を残すと同時に、このアルバムが何かの終わりではなく、始まりを示すものだということを暗示している。「今僕は娘がいるから、これからの世界がどんな世界であってほしい、という願望がより強くなった。多くの場合、何かの始まりは何かの終わりでもある。言い換えれば、何かが終わることで、新しい何かが始まるわけで、将来手に入れたい何かを掴むためには、今持っている何かを終え、手放す勇気が必要な時もある。僕にとってこの曲は、今あるものを手放して、次にやってくる新しい何かを掴む勇気を表現した曲なんだ」

valknee - ele-king

Good girlには程遠い けどBad bitchていうよりこっち Ordinary Vibes (“OG” より)

 広範に渡る、近年の valknee の活動をひとことで説明するのは難しい。怒りや不満を糧にヒップホップのボースティングの力を使いオルタナティヴなギャル像として打ち立ててきたスタイルがあり、それを唯一無二の粘着ヴォイスとフロウでぶちまけることで確固たる個性を築いてきた──本丸の音楽活動としてはまずそういった説明ができるだろうか。一方、パンデミック禍に女性ラッパーたちと連帯し結成した zoomgals をはじめとして、ヒップホップ・フェミニズムの文脈でも重要な役割を果たしてきた点も見逃せない。ルーツのひとつにアイドル音楽もあり、lyrical school や和田彩花から REIRIE まで(!)楽曲制作に参加することでプロデュース力も発揮している。映画『#ミトヤマネ』の音楽のディレクションもしていたし、ときには、んoon や Base Ball Bear といった面々とコラボレーションもおこなってきた。自身の作品については次第に音楽性を変化させ、ダンス・ミュージックの直線的なビート感を貪欲に取り入れるようにもなっている。世の中の旬な話題から身近なネタまで独自の切り口でトークする音声メディア「ラジオ屋さんごっこ」も界隈で人気を得ており、それだけジャンル横断的な活動を展開しながら、やはり王道のヒップホップも捨てない彼女は、昨年オーディション番組「ラップスタア誕生2023」に出演し国内ヒップホップのメインストリームに殴り込みをかけたりもした。以上のように、valknee の活動は非常に多岐に渡ってきている。だが、いつだってルーツや好きなものに忠実に立脚しながら Ordinary な自身を誇っていく姿勢は全てに共通しており、その点では、紛れもないヒップホップ精神というものが軸にある。

 となると次に、アルバム・タイトルに掲げられている「Ordinary」というタイトルが気になってくる。ここには、昨年からシーンを席巻している Awich ら「Bad Bitch 美学」のムーヴメントや、「Xtraordinary Girls」を標榜するラップ・グループ・XG の快進撃など、メインストリームで脚光を浴びる女性ラッパーの活躍に対するカウンターの視点があるのだろう。ラップの技術や、ラッパーらしさというリアリティを武器にラップ・ゲームを戦う猛者たちの中にいて、valknee は「平凡」であることを掲げて闘うが、しかしそれは戦略的には分が悪い。普通じゃないこと/非凡なことを競うのがこのゲームのルールであるからで、だからこそ、valknee は「私の平凡さこそが私のリアリティ」という点に懸け、平凡さのリアリズムを徹底的に突き詰めることで非凡さへと反転させようとする。

 そこで援用されるのが、今作で全編に渡って鳴り散らかしている、数々のハイパー・ダンス・ビート。valknee の音楽性は、あるときを境に変化した。私はそれを hirihiri 以前/以後と呼んでいるのだが、他にもピアノ男やバイレファンキかけ子、NUU$HI といったトラックメイカーの攻撃的なサウンドを導入するようになり、作品をトラップ・ミュージックからハイパーでダンサブルなビートへと変貌させていった。時期的には2021年の後半くらいからだろうか。とは言え2020年の時点で “偽バレンシアガ”の RYOKO2000 SWEET 16 BLUES mix という歪なダンス・ミュージックをリリースしており、以前からそういった性質がなかったわけではない。だが、ハイパーな要素は明らかに途中から加わったもので、valknee の賭けはまずそこにあると思う。

 所属するコミュニティも変化した。〈AVYSS Circle〉や〈もっと!バビフェス〉といったイベント/パーティに出演するようになり、インターネットとリアルを行き来しながら熱狂的に盛り上がるオルタナティヴなユース・カルチャーに身を投じていった。とりわけ、仲間とともにキュレーションを開始した Spotify プレイリスト「Alternative HipHop Japan」の存在は大きい。なかなか可視化されることのなかったシーンの動きが素早く反映されるようになったことで、どこかふわふわしていた界隈の動向に輪郭が与えられるようになった。valknee はいま、オルタナティヴなシーンにおける姉御肌的なポジションを築きつつあるのかもしれない。

 valknee はそうやってサウンドだけでなく身も心もいまのオルタナティヴなシーンにコミットする中で、その音楽性を完全に身体まで落とし込んできている。ネバネバした声と耳をつんざくダンス・ビートの、いわば鋭角×鋭角のハイカロリーな衝突が良い塩梅で融合してきており、これだけ尖っているにもかかわらず聴きやすい。KUROMAKU プロデュースの “Not For Me” では phonk のビートに難なく乗り、“SWAAAG ONLY” や “Load My Game”、“Even If” といった曲のメロディやフロウの作り方は、完全にオルタナティヴ・ヒップホップのそれである。裏を返せば、ある程度このカルチャー/音楽のマナーに沿っているとも言えるわけで、もしかするとその行儀の良さは、評価が分かれる点かもしれない。だが、むしろそういった点こそが彼女の魅力であるように思う。自分の好きなものに対して忠実であり正直であるのが valknee の美点であり、本作はオルタナティヴ・ラッパーに転身した彼女の再デビュー・アルバムのように聴こえてくる点で、これまでとは違った種類の覚悟を感じる。

 そういった『Ordinary』の中にあって、“Even If” から “Over Sea” に至る流れはいささか特異だ。先日渋谷の街を歩きながら聴いていると、valknee は声を丸くして小声でそっと語りかけるように訴えかけてきて、気づいたらほろほろと涙が流れてしまった。

ねえ!Over sea あたしのはなし/目泳がし騒がしい街並みで/全世界中いないことになってる/ペンで描いた居たことの証 ( “Over Sea” より)

 ラッパーかくあるべし、というパンチラインだ。「し(-si)」の脚韻がいつもの valknee とは違った丸い小声で反復されることによって、「しーっ(静かに!)」という意味性が立ち上がってくる。あなたにだけ伝えるね、という優しい「し」。彼女はこうも歌う。

ちっさい声が伝わる/バカなミームみたいに/誰かしらに繋がる/点が線になってる/誰か誰か!じゃない/ないならつくる/輪になんかなんないでも/You stand out飛ぶ

 誰か誰か!じゃない。ないならつくる。そうか、ないなら作る! valknee が、オルタナティヴなコミュニティに身を投じてこの何年かやってきたことが分かった気がした。点が線になる。線は輪にならないかもしれない。でも、飛ぶ。……飛ぶ?! Ordinary=平凡さは、反転するどころか、海を越えて飛んでいくらしい。なんて最高なんだろう。

 全世界中の、いないことになっている人たち。自分のことを平凡だと思っている人たち。『Ordinary』を聴いて。Ordinary Vibes を出して、遠くに飛んで。いまあんなにたくさんの若手ラッパーとコミュニティを盛り上げている valknee が、客演なしで、ひとりでこの作品を歌うことの意義。新たなリスタート。このちっさい声が伝わりますように。あなたとともに海を越えて、全世界中に。

CLIFFORD JORDAN - ele-king

Clifford Jordan - ele-king

Jay Richford Gary Stevan - ele-king

Milford Graves - ele-king

John Gordon - ele-king

Li Yilei - ele-king

 ロンドンを拠点に活動を展開する中国出身のサウンド・アーティスト/コンポーザーのリー・イーレイの新作アルバム『NONAGE / 垂髫』は、まるで夢と現実の境界線を浮遊するような美しいエレクトロニカ・アルバムだった。リリースは日本のアンビエント・アーティスト冥丁の名作『Komachi』でも知られる〈Métron Records〉から。リー・イーレイは同レーベルから2021年にアルバム『之 / OF』も発表している。

 リー・イーレイの最初のアルバムは、2020年にセルフ・レーベル〈LTR Records〉からリリースされたノイズを構築的に配置したような電子音響作品『Unabled Form』だ。翌年2021年には〈Métron Records〉から名作『之 / OF』を発表した。2022年には再び〈LTR Records〉からよりノイジーなサウンドを展開するエクスペリメンタルな『Secondary Self』をリリースする。いわばダーク/ノイジー/エクスペリメンタルな電子音楽作品を〈LTR Records〉から、ドリーミー/ノスタルジックなコラージュ・エレクトロニカ・アンビエントを〈Métron Records〉からリリースすることで自身のアルターエゴを表現してきたとすべきだろうか。
 本作『NONAGE / 垂髫』は、〈Métron Records〉からのアルバムなので、その音からは濃厚なノスタルジアを感じる。じじつ本作は幼少期の記憶がテーマとなっているらしい。サウンドは内省的ではあるが、ただ暗いだけではなく、まるで夢のなかに散りばめられている記憶の欠片を積み重ねていったような幻想的なサウンドでもある。記憶の欠如が、さらなるノスタルジアを誘発し生成するような感覚とでもいうべきか。記憶の消失がもたらすエモーショナルな感情が微かに、そして確かに息づいていた。音のタイプは異なるもののクレア・ラウジーの音楽(新作『Sentiment』は素晴らしい出来だった!)と同じく「エモ・アンビエント」と言いたくもなる。記憶、消失、ノスタルジアの生成、感情の静かな、しかし確かにエモーショナルな昂まり。
 かといって無駄に「エモ」に陥りすぎないのも、リー・イーレイのサウンドの特徴といえる。イーレイの音楽は冷たくはないが静謐なのである。前作『之 / OF』と同様に、本作『NONAGE / 垂髫』もまた静けさのなかにドリーミーな音が舞い踊るように鳴り響き、まるで時間と空間を浮遊させるような音楽を展開している。
 じっさいこの『NONAGE / 垂髫』には、おもちゃのピアノや手まわしオルゴール、鳥の口笛や壊れたアコーディオン、中国の昔のテレビ番組からの断片など、多様なサウンドのサンプルが用いられている。サウンド・コラージュを基調としたミニマルで室内楽的なエレクトロニカとしても洗練された出来ばえなのだ。とはいえいかにも「コラージュしました」というような意図的な不自然さは微塵もなく、とても自然に、もしくは夢のなかを彷徨するような感覚で、さまざまなサウンドが紡がれている。

 アルバム『NONAGE / 垂髫』は、ピアノを弾くような、乾いた透明な響きの一音から始まる1曲目 “Go, Little Book” で幕を開ける。やがて中国語のナレーションがコラージュされていくだろう。素朴でありながら、洗練されてもいる「音の流れ」が麗しい。続く2曲目 “O O O O” はミニマルでドリーミーな電子音が舞い踊るように連鎖する2分ほどの短い曲。3曲目 “Pond, Grief and Glee” は前2曲より落ち着いたトーンで展開するトラックだ。次第に浮かび上がってくる旋律が心身に浸透するように展開する。
 4曲目 “Tooth, Wallflower and Salt” では、1曲目のムードを反復するように浮遊するような音楽世界を展開する。5曲目 “++++” はグリッチ的な音の跳ねと鳥の鳴き声やノイズのコラージュが見事な曲だ。この2曲などは、かつて竹村延和が主宰したレーベル〈Childisc〉からの諸作品を連想してしまったほど。
 私がアルバム中、いちばん惹かれた曲は、夢のなかの光の瞬きのように音が生成し変化する6曲目 “Sand, Fable and Tiger Balm” と、アジア的な音がサウンドのなかに溶け合っていく2分ほどのインタールード的な7曲目 “Yip, Yip, Yip” である。この2曲がアルバムの中心に置かれていることも重要に思える。
 続く8曲目 “Conch, Soap and Whistle” では音が舞い踊るようなムードから次第に変化し、音と音が溶けあっていくようなサウンドを展開する。まるで夢の底に落ちていくような感覚とでもいうべきか。9曲目 “Nomad, Shelter and Creed” は再び音のうごめきが活性化する。これまでのトラックにあった音の舞と静謐なアンビエンスが融合する楽曲で、本作を代表する曲であろう。そして以降3曲は記憶の深層へと潜るように音が展開する。
 10曲目 “Sandalwood, Ivory and Summit” はアジア的な音楽のフラグメンツを用いた摩訶不思議なサウンドスケープを堪能することができた。11曲目 “Pillow, Mantra and Trance” は、どこか性急なミニマル・ミュージックを展開する。70年代の電子音楽やフィリップ・グラス的なミニマル・ミュージックとでもいうべきか。本作では特異なタイプの楽曲だが(やや緊張感のあるムードだ)、アルバムのラスト直前に置かれることで見事なアクセントになっていた。そしてアルバム最終曲にして12曲目 “Thé Noir, Rêvasser, Retrouvailles” では穏やかなムードに戻る。しかし反復するアルペジオに微かな緊張感があり、夢の世界から現実の世界へ帰還を促すような曲に思えてならない。

 本作に収録されている楽曲数は12曲。どの曲もリー・イーレイのサウンド・コンポーザーとしての手腕が発揮されており、その仕上がりは見事の一言である。そう、本作には、連続と断続、フラグメンツの集積、いわば全体の構築よりも断片の連鎖による構成、西洋的な構造/時間とは異なる東アジア的ともいえる感覚が横溢しているのだ。「時間」に拘った坂本龍一がもしも存命ならば、本作『NONAGE / 垂髫』を高く評価したのではないかと勝手に夢想してしまった。
 ともあれ未聴の方は「夢の中の夢」(ふとリー・イーレイによるコーネリアスのリミックスなども聴いてみたいと勝手に夢想してしまった!)とでもいうような本作のサウンドスケープを堪能してほしい。特に室内楽的なミニマルな電子音楽がお好きな方、幻想的なアンビエント作品がお好きな方などは、とても気に入るのではないかと思う。見事な工芸品のように、傷ひとつなく優雅に、かつ研ぎ澄まされたエレクトロニカ/電子音楽の逸品がここにある。

Milford Graves / Don Pullen - ele-king

Clifford Jordan - ele-king

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