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The XX - ele-king

 今年も終わってしまった......。
 フジロックは3日間で100を超すアクトがライヴを繰り広げるのだが、そのなかで毎年いくつかの奇跡のようなステージが生まれている。毎年必ずフジに行く人たちはそのことをよく知っているので、自分のアンテナを最大限に広げ、最高の瞬間の目撃者たろうとがんばるのである。
 それはかならずしもメイン・ステージのヘッドライナーではないし、自分が大好きなアーティストであるわけでもない。普段はあまり聴かないアーティストでも、会場にいてタイムテーブルを眺めていると、妙に気になったりするのだ。
 そしてその予感につられて泥濘んだ山道をえんえん歩いた先にとんでもない瞬間を目撃するのは、このフェスの醍醐味のひとつだろう。

 今年は予想通り3日間断続的な雨に降られはしたものの、オーディエンスは雨などものともしない完全装備であの広い会場を移動していた。まったく目撃することはできなかったが、ライ(Rhye)やマムフォード・アンド・サンズ(Mumford & Sons)、マヤ・ジェイン・コールズ(Maya Jane Coles)そしてウィルコ・ジョンソン(Wilko Johnson)はよかったんじゃないだろうか? 僕は今年それほど多くのステージを観ることはできなかったが、それでもThe XXだけは見逃さなくてほんとによかった、まさに奇跡としか言いようのないステージだったのだ。

E王
The XX
Coexist

Young Turks/ホステス

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 彼らのセカンド・アルバム『コエグジスト』が発売になったときには全体のトーンがファーストより落ち着いていたこともあって聴き流してしまい、どうしても自分なりの入り口が見つからなかった。
 しかしその状況は3月ぐらいに一変した。きっかけはユーチューブにアップされたBBCのスタジオ・ライヴで、彼らがカヴァーしていたのは2001年に世界中で大ヒットとなったハウス・ナンバー、キングス・オブ・トゥモロー(Kings Of Tomorrow)の"ファイナリー(Finally)"だった。その解釈のあまりの素晴らしさにドギモを抜かれ、これは『コエグジスト』を完全に聴き逃しているに違いないと、即座にリピート再生を開始した。

 それは界面のあまりの滑らかさに、かえって手触りや特徴を消し去られているような純度の高いアルバムだったと、ようやく発売から半年たってから気がついた。そして4月のコーチェラ、6月のボナルーとグラストンバリーのライヴをユーストやユーチューブで見ると、演奏も歌もファースト発売時より格段にレベルアップしている。まさかこれほど旬な時期に彼らのライヴを観られるとは願ってもないタイミングだ。
 昼間のうちに降った雨の湿気が森に溜まり、照明の光がぼやけた輪郭となって反射するなか、ライヴは"トライ(Try)"からはじまった。まず驚いたのはビートの音色の多彩なことだった。決して音数は多くないリズム・パターンなのに、ひとつひとつの音がほんとによく響いてくる。
 彼等の大きな特徴はダンス・ビートとの絶妙な距離感にある。そう、ダンス・ミュージックそのものを作ろうとはしてないのだ。そうではなく自然とこのビートを感覚で選びとっているのだ。ちょうどユーチューブで"ファイナリー"を発見した頃、同じようにジェイミーがソロ名義でルイ・ダ・シルバ(Rui Da Silva)の"タッチ・ミー(Touch Me)"のカヴァーをやっているのを見つけたことを思い出した。"タッチ・ミー"は2002年に全英でナショナル・チャート初登場2位でランク・インしている。
 彼等にとってティーンネイジャーの入口だった2000年から2002年あたりのイギリスのチャートの半分はダンス・ミュージックだったのである。これから自分はどんな音楽を聴くべきかを彼等が真剣に考えはじめたときに、イギリスでいちばん勢いがあったのがダンス・ミュージックであったことは間違いない。少なくともテレビやラジオからはさまざまなダンス・ミュージックが、毎週トピックになる新譜として流れていたはずだ。だとするならば音楽が彼等にとって大事なものとして意識された時点から、すでにそれはダンス・ミュージックだった。そしてこれは僕の妄想かもしれないけれど、"ファイナリー"と"タッチ・ミー"に共通する存在はダニー・テナグリア(Danny Tenaglia)である。テナグリアのDJで2000年から2005年ぐらいに踊ったことのある人ならすぐわかるだろう。The XXがもしテナグリアやジョン・ジョン・ディグウィードになんらかの影響を受けていたとすれば、彼等のビートの洗練のされ方は納得がいく。
 ステージにはスモークが焚かれ、白を中心とした照明が黒い服を着たロミーとオリバーを照らす。ちょうどライヴの中盤あたりで"ナイト・タイム(Night Time)"、これまでのステージに圧倒され言葉も出ない。ここからの後半さらにふたりのヴォーカルの響きが強さと深さを増した。彼等は孤独を歌っているけれど決して孤独を嘆いてはいない。その部分は変わっていないのだが、彼等の声の響きと演奏から強力な自信と信念が伝わってくる。
 これまで共鳴というかたちで響き合っていたメンバーの関係性がさらに進んで有機的に絡み合っているように思えてならない。もし、彼等が、もしくはロミーとオリバーがより深く向き合ってこのステージを行っているとしたら、いまこのときにしか見ることのできないライヴだ。僕は"シェルター(Shelter)"あたりから、ロミーとオリバーからまったく目が離せなくなってしまった。彼らもオーディエンスの思いに応えるということでなく、オーデェンスもそれぞれの気持ちを重ねるということではなく、目の前に現れた予想を遥かに超えたなにか純粋なものに息を飲むというような瞬間が続く。

 ラストの"エンジェル(Angel)"を終えてステージ袖に消えてゆくロミーとオリバーが手をつないだ瞬間、僕はほんとに胸が締め付けられた。
 もしあのふたりが僕の想像するように向き合っているのなら、これほどまでにピュアな関係性が現実ならば、僕はこの先の彼等に訪れるものを想像して震えてしまう。いやそうではない、終わってほしくない物語がまたひとつはじまったのだ。
 イギリスでは3枚、4枚と続いて進化もしくは深化し、さらにテンションを維持しながらアルバムを作り続けるアーティストはまれである、それはしかたのないことなのだ。しかし彼等なら、次の次元あるいは想像を超えた風景を見せてくれるかもしれない。

The XX "finally"


Jamie XX & Yasmin "touch me"


YO.AN (HOLE AND HOLLAND) - ele-king

2013年7月24日にHOLE AND HOLLANDよりFUSHIMINGの初ソロEP"HEAVY MOON EP"がリリースされます!以前ALTZ氏のele-king DJチャートにピックアップされた"SELENADE"も収録されています。
https://soundcloud.com/hole-and-holland/sets/fushiming-heavy-moon-ep
リリースパーティーは8/16に渋谷SECOにて開催。
その他MIX、MASTERING作業やスケボーDVDの曲製作、EDIT、自身のソロもマイペースですがやってます。
2013年上半期にプレイし反応良かった曲や印象深い作品をリストしました。

DJ SCHEDULE
7/23 神宮前bonobo
7/27 東高円寺grassroots
8/15 恵比寿bBATICA
8/16 渋谷SECO
8/17~ 三浦BEACH WHISTLE
8/24 静岡EIGHT&TEN
8/31 中野Heavy sick zero
9/17 神宮前bonobo
9/21~23 CHILL MOUNTAIN@大阪

https://soundcloud.com/yoan
https://twitter.com/YOholeAN
https://instagram.com/holeandholland
https://www.hole-and-holland.com/

2013上半期(順不同)


1
FUSHIMING - SELENADE - HOLE AND HOLLAND

2
RAMSEY HERCULES - Disco Morricone - Stereopor Records

3
Grandmaster Flash & Melle Mel - White Lines (Don't Don't Do It) - Sugar Hill Records

4
stim - Blue (Taichi Remix) - Revirth

5
Altz.P - Dodop - Crue-L Records

6
BOTTIN&RODION - ONE FOR ALL - Tin

7
AKIOCHAM - JAMAICA mix - AKIOCHAM.com

8
ASHLEY BEEDLE VS DJ HARVEY - Voices Inside My Head - Bbv

9
Justin V - Version 2 - Keep It Cheap

10
YO.AN - HANG - HOLE AND HOLLAND(promo)

R.I.P. Mick Farren - ele-king

 去る7月27日、ミック・ファレンが亡くなった。享年69歳。彼のバンド、デヴァイアンツのライヴ中に心臓発作を起して倒れたそうだ。
 ミック・ファレンの音楽はサイケというか、いつでもプレ・パンクのような音楽だった。性格がパンクだったからだろう。
 「ミック・ファレンの業績は音楽だ」とあげる人が多いかもしれないが、ぼく的には音楽シーンにユーモアとアメリカン・コミック、SFを持ってきた人間ということで評価している。
 その辺のことは、彼の著書『アナーキストに煙草』に詳しく書かれているので読んで欲しい。
 そして、それ以上にこの頃、ぼくがミック・ファレンに対して気になっていた事は『アナーキストに煙草』の後半部分である。その部分には彼が『NME』にアメコミと笑いをどう反映していったか書かれているが、それ以上にぼくを惹き付けたのはプレ・パンク、パンク時代の『NME』のジャーナリストたちである。
 この頃のイギリスのロック・ジャーナリストは、各自が押すバンドを擁護するために派閥争いのような喧嘩をしていたというのを聞いていたので、ぼくはこの頃のロック・ジャーナリストが嫌いだったのだが、ミック・ファレンの本を読むとなんか、みんなかっこいいのである。
 この本を読む前に、ぼくはミック・ファレンの弟子のようなニック・ケントの『ザ・ダーク・スタッフ』を読んで、そこで『NME』なんかで原稿を書いていたニック・ケントが自分をもっと磨こうと、レスター・バングスの所に半年丁稚奉公しにいった話が書かれていて、そういうのもかっこいいなと思っていたからかもしれないが。
 イギリスのロック評論の方がずっと上だと思っていたのに、73年頃はアメリカにロック・ジャーナリズムの方が上だったというのは衝撃を受けた。
 でも、そりゃ、そうだよね、『ローリング・ストーン』というインディペンデントの雑誌がロック評論の新しい扉をひらいたわけだから、アメリカの方が上なのは当たり前だ。普通の出版社から発行していた『ミュージカル・エキスプレス』や『メロディ・メイカー』が『ローリング・ストーン』以上のことを出来るわけがない。
 でも、パンク以降はイギリスのロック評論が時代をリードしていくわけだ。その秘密がミック・ファレンの本には書いてあると思う。
 というか、自分はそういう風にして文章を書いてきた。
 自分はロック・フォトグラファーというのはダサイと思っていたんだけど、ロック・ジャーナリストというのはかっこいいかなとこの頃思っていた。そんなやさきにミック・ファレンの死はなかなか考え深いものがあった。


※明日、8月6日火曜日DOMMUNEにて、追悼番組あります。
19:00~21:00 MICK FARREN(THE DEVIANTS)追悼番組!「アナキストに献花を」
~ブリティッシュ・アンダーグラウンド・サイケ・シーンの始祖
出演:松谷健(CAPTAIN TRIP RECORDS)、赤川由紀子(翻訳家)他

Marcellus Pittman - ele-king

 欧米のいまのテクノ/ハウスの盛り上がりは本当にすごい。NHK'Koyxeиとスカイプで話して、向こうの状況を聞いていると羨ましくなる。まず何がすごいかって、NHK'Koyxeиもローレル・ヘイローもマーク・フェルもディーン・ブラントも、そしてピート・スワンソンもネイト・ヤングもホアン・アトキンスもURもジュリアン・バーウィックもミカ・ヴァイニオもアンソニー・ネイプルスもアンディ・ストットも、同じようなイヴェントに出演している。境界線は取っ払われて、拡張し、開かれているというわけだ。『TECHNO definitive 1963-2013』で取りあげていた連中が、いま見事に合流している。ハウス・シーンが新旧入り乱れて活性化しているように。
 ジェイムス・ブレイクやエア・ヘッドらがデトロイト・ハウスに触発されている話は前にしたが、デトロイト・ハウスは何もセオ・パリッシュとムーディーマンだけではない。マルセラス・ピットマンも代表的なひとりだ。彼は3 Chairsの第4のメンバーでもあり、ジャジーでメロウなトラックは自らのレーベル〈Unirhythm〉から出している。ブラック・ミュージックとしてのハウスの最良なモノが彼の音楽にもある。この夏のお盆、君の魂をケアするのは、破産した米国の工業都市からやって来るマルセラス・ピットマンになるだろう。


Marcellus Malik Pittman Japan Tour 2013


8.9(FRI)Osaka@Triangle

Music by Maurice Fulton & Marcellus Pittman

open/start 21:00
Door 3000yen with 1Drink
With Flyer/Advanced 2500yen with 1Drink
Pia, e+

Info: Triangle https://www.triangle-osaka.jp
大阪市中央区西心斎橋2丁目18-5 TEL 06-6212-2264

AHB Production https://www.ahbproduction.com

Red Bull Music Academy Radio
https://www.redbullmusicacademy.jp
https://www.rbmaradio.com

8.10(SAT)Niigata @goldenpigs yellow
- Lights Down Low -

Guest DJ: Marcellus Pittman
DJ: Ichiya TAKIO KAIZU & smook
LJ: CON
SOUND SYSTEM: february audio

open 22:00
Door 3500yen
Advanced 3000yen

Info: Golden Pigs Yellow https://www.goldenpigs.com/yellow.html
新潟市中央区東掘通6番町1051-1 G.Eビル3F TEL 025-201-9981
WAXIN' https://waxin-essence.blogspot.com
Cave Records TEL 025-201-8878

8.11(SUN)Ueda @LOFT
- Sound of LOFT -

Guest DJ: Marcellus Pittman
DJ: Masahiko Uchikawa(Rhythm Of Elements, LOFTSOUL), Atsushi Fujisawa(H.R.N), Tatsuga&Tetsuta

open 21:00
Door 3000yen
With Flyer 3000yen with 1Drink

Info: LOFT https://www.facebook.com/loft0268
長野県上田市中央2-13-10ツカサビル3F TEL 0268-25-6220


8.15(THU)Kyoto @COLLAGE
- welcome Marcellus Pittman -

Guest: Marcellus Pittman
Act: hanky and friends

open 20:00
Adm 3000yen with 1Drink
With Flyer 2500yen with 1Drink

Info: COLLAGE https://www6.ocn.ne.jp/~collage/collage/
京都市中京区西木屋町通四条上ル紙屋町336?レイホウ会館3F TEL 075-256-6700


8.16(FRI)Tokyo @Amate-Raxi
- Marcellus Pittman Feat. Re:Funk -

B1F
Marcellus Pittman
AYUMU OKADA (yes. / disk union)
KAJI (JMC / XXX)
OHISHI (JMC / SODEEP)

DANCE PERFORMANCE...
Lagos APT. +SODEEP (NAO, UEMATSU)

1F
STOCK (JMC / World Spin)
konsin (WALKERS)
Dee Jay

open 22:00
Door 3500yen with 1Drink
With Flyer 2500yen with 1Drink

Info: AMATE-RAXI https://www.amrax.jp
東京都渋谷区渋谷3-26-16 TEL 03-3486-6861


8.17(SAT)Nagoya @Club Mago
- audi. -

Guest DJ: Marcellus Pittman
DJ: Sonic Weapon, Jaguar P
Lighting: Kool Kat

open 22:00
Door 3000yen
With Flyer 2500yen

Info: Club Mago https://club-mago.co.jp
名古屋市中区新栄2-1-9 雲竜フレックスビル西館B2F TEL 052-243-1818

TOTAL TOUR INFO: AHB Production 06-6212-2587 www.ahbproduction.com



我がためにある音楽は聴いた瞬間にわかるというもの
ブライオン・ガイシン

The 4000 year old Rock and Roll Band
ティモシー・リアリー/ウィリアム・バロウズ

 ブライオン・ガイシン、ウィリアム・バロウズ、ポール・ボウルズ、ブライアン・ジョーンズ、ティモシー・リアリー、オーネット・コールマン......世界のつわものを魅了してきたこの古代の響きを受け止められるだけの精神力が自分にあるのだろうか......? でも、たとえ精神的に戻れなくなってもいい、私にはその覚悟はできているんだ! 
 2012年6月、期待と不安に飲み込まれながら、私も先達と同じく、ジャジューカの魅力にとりつかれ村に吸い寄せられるように行ったひとりとなった。私の音楽観や人生観を一瞬にして変えてしまった3日間。村を後にしてからジャジューカを思い出さなかった日は1日もなかった。あれから丸一年、今年6月、私はまたジャジューカに戻ってきた。今回は友人たちとともに──。

 北アフリカ、モロッコ王国の北部、リフ山脈南に位置するアル・スリフ山にある小さな村ジャジューカ。この村で、アル・スリフ族のスーフィー音楽家たち‘The Master Musicians of Joujouka(ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカ)’(アラビア名:マレミーン・ジャジューカ)によって、息子たち、甥たち、村の子供たちへと千年以上も時代を超えて守られ受け継がれてきた音楽がある。
 それは、村から1キロくらい離れた、背の低い緑が茂る緩やかな山の斜面に鎮座する大きな岩の横腹にポッカリと口をあけた洞窟、このブゥジュルード洞窟の伝説が起源になっている。


緑の山の斜面にいきなり大きな岩がある。

  昔々──、ヤギを放牧していた村人のアターが、みんな恐れて近づかなかったこの洞窟でうたた寝をしていると、どこからともなく美しい音色が聞こえてくる。ふと目が覚めると半人半獣(人間とヤギ)のブゥジュルードが自分の目の前に立っていた。そして、ブゥジュルードが村の女性のひとりを花嫁にする代わりに、他の村人に教えてはならないと約束させ、アターに笛を渡し音楽を教える。しかし、アターは約束を破り音楽を村人に伝授してしまう。村から音楽が聞こえ、怒り狂ったブゥジュルードは村に行く。慌てた村人たちは、頭がクレイジーな村の女性アイーシャを花嫁として差出し、激しい音楽で彼らを踊らせた。踊り疲れたブゥジュルードは満足して洞窟に帰り、それから毎年一度村に来て踊るようになった。それ以来、やせていた村の土地は肥え、村には健康な子供がたくさん生まれた。


ブゥジュルード洞窟の岩。『Joujouka Black Eyes』のカヴァーで使われている。

  しかし、ある日突然ブゥジュルードが洞窟から姿を消した。そして、アイーシャも村からいなくなった。心配したアターはヤギの群れを連れてブゥジュルード探しの長い旅に出る。自分のヤギを順番に食べながら旅するが見つからない。ついに最後の4匹になった時、アターはそのヤギを殺しその皮をまとい変装して村に戻る。村人は彼をブゥジュルードが帰ってきたと思い込み、少年たちにアイーシャの恰好をさせ一緒に踊らせる。それ以来、アターはこの洞窟で生涯ブゥジュルードとして生きる。彼に死が近づいてきた時、村のある若い男に自分の変装の秘密を打ち明ける。そして、彼はその少年にジャジューカが繁栄するようにブゥジュルードとして踊ることを約束させた。


洞窟の中からリフの山々を望む。

  この音楽は1週間続くイスラームの祝祭エイド・エル・カビールで子孫繁栄と豊穣のため伝統的に毎年演奏されてきた。
 ギリシャ神話の牧羊神パーンに似通っているといわれるブゥジュルードのその音楽を私が初めて耳にしたのは今から2年数か月前、2011年春のことだった。1970年代後半から電子音に魅了され、それからずっと電子音楽だけを追い続け、94年に渡英し、気がつけば私はクラブ・カルチャーの真ん中にいた。自分の音楽史にロックを通過した跡がほとんどない私は、当然ローリング・ストーンズの元リーダー/ギタリストであるブライアン・ジョーンズのアルバム『Brian Jones Presents The Pipes of Pan at Joujouka』の存在など知るはずもなかった。
 ジャジューカに魅了されたブライアンが、68年に村で現地録音したテープをロンドンに持ち帰り、フェージングやクロス・フェード・エディティングによって完成させたこの作品は、69年、彼が不慮の事故死を遂げたことによって、残念ながらリリースがペンディングになっていた。しかし、彼の死から2年後の71年、ローリング・ストーンズ自身のレーベル第一弾として発売される。このアルバムの登場はジャジューカを世界的に知らしめ、その後世界中から人びとを村に引き寄せることになる。


ブライアン・ジョーンズのアルバム。カヴァーの絵はハムリ。レコードジャケットを広げると、並んだジャジューカのミュージシャンたちの真ん中に金髪のブライアンが描かれている。

  2009年末にモロッコへ旅し現地で音楽に触れたことがきっかけで、30年以上聴き続けた電子音楽を捨てるようにアラブ諸国の音楽にどっぷりと浸かっていった私に、友人はこのアルバムを教えてくれた。チャルメラに似た高い音を出すダブル・リードの木管楽器‘ライタ(ガイタ/Ghaitaともいう)のヒリヒリとした直線的な音と両面にヤギ革を張った木製のタイコ‘ティベル’がつくる原始的なリズムはとてもパワフルで、いきなり私の心を、いや、脳を直撃した。
 何度も何度もループさせて聴きかえす。出会いから約2ヶ月間、毎晩このアルバムをかけ続けた。窓から差し込む朝日の中でふと気がつくと、いつも私は居間のスピーカー前で倒れていた。私を2ヶ月間もベッドで寝かせてくれなかったジャジューカ! 周囲の心配をよそに、私はこの不思議な力を持った音に心をつかまれ、ジャジューカの世界にのめり込んでいったのだ。

 この小さな村の局所的な音楽が世界に知られる最初のキッカケは、ジャジューカ出身の母を持つモロッコ人画家モハメッド・ハムリが、カナダ人アーティストのブライオン・ガイシンを村に連れて行った1950年代初頭まで遡る。
 ガイシンが村へ行く前に、実は彼はボウルズと一緒にこの地域のとある町の祭りで、偶然この音楽に出会っている。その時彼はこの音楽を一生聴き続けたいと思ったという。しかし、それがハムリの村の音楽だったとは、実際に村で耳にするまでは知らなかった。
  ジャジューカにすっかり魅了されていたガイシンは54年ハムリと一緒に「1001 Nights Restaurant」をタンジェ(タンジール)に開き、村のミュージシャンたちを15人交代で呼び寄せ店で2週間ずつ演奏させ、次々と西洋のオーディエンスに紹介していった。そうすることによって、同時にハムリは、戦後とても貧しかった村のミュージシャンたちの生活をサポートした。
 タンジェに住みハムリやガイシンと交流があったアメリカ人作家のウィリアム・バロウズが村を訪れることは自然な流れだった。カットアップの手法で書かれた彼の小説『The Soft Machine』(61年)の中でジャジューカの音楽を思わせる‘Pan God of Panic piping’という言葉を使い、ガイシンの作品『The Dreamachine』が登場するバロウズのショートフィルム『Towers Open Fire』(64年)ではサウンドトラックにジャジューカを起用している。
 こうして、ガイシンやバロウズを通して、ジャジューカはビート・ジェネレーションと共振し、深く関わっていった。
 そして、ガイシンとハムリが先述のブライアン・ジョーンズを村に連れて行く。60年代を通じて、ティモシー・リアリー、ミック・ジャガー他、73年には、フリージャズの巨匠のひとり、オーネット・コールマンが村に滞在し、マスターズ(ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカ)とセッション。この曲「Midnight Sunrise」は76年に発売されたアルバム『Dancing in Your Head』に収録されている。
 また、80年代には、ついにザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカは3ヶ月間の長いヨーロッパ・ツアーに出た。
 このようなユニークなバックグラウンドを持つ彼らは、国内よりむしろ海外でより知られた存在になっていく。

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 ガイシン、バロウズ、ブライアンたちと同じようにジャジューカの生演奏を現地で体験できるというフェスティヴァルが、ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカと20年来彼らのマネージャー/プロデューサーを務めるフランス在住のアイルランド人、フランク・リンによってはじめられた。
 ジャジューカの音楽に“Brahim Jones Joujouka Very Stoned”という曲もあるほど彼らに敬愛されているブライアン・ジョーンズの村訪問40周年を記念して、村で行われた「The Master Musicians of Joujouka Brian Jones 40th Anniversary Festival 2008」は、ブライアンの元ガールフレンド、アニータ・パレンバーグも参加し大成功を収めた。それ以来、世界限定50人の3日間フェスティヴァル「The Master Musicians of Joujouka Festival」として、毎年6月に村で開催されている。
 このフェスティヴァルによって、年1回、村のミュージシャンたちは確実な収入をひと週末で保障され、これはハーベスト(収穫)のようになった。そのお金は、食糧や村の学校に教科書を購入したり、村を何ヶ月か維持するために使われる。このフェスティヴァルには毎年、大学教授、作家、音楽ライター、ミュージシャン、アーティスト、フォトグラファー、学生などなど、ジャジューカ音楽へ様々な入り口から辿りついたファンたちが世界各国から集まっている。
 実は、現在はもうひとつ、バシール・アッタール率いるThe Master Musicians of Jajouka(ジャジューカのスペルがJaで始まり、その後にLed by Bachir Attarなどと彼の名が続く)が対立して存在するのだが、このフェスティヴァルは実際にずっと村に住んでいるThe Master Musicians of Joujouka(ジャジューカのスペルがJoではじまる)のもので、彼らはスーフィー音楽家たちとして村にしっかりと根づき、人びとに尊敬され、今日も子供たちにジャジューカの音楽を教え続けている。このマスターズを率いるのは、村のコミュニティの中で選ばれたリーダー、アハメッド・エル・アターで、彼はミュージシャンたちのリーダーであり、部族のリーダーでもあるのだ。
 私が2012年から足を運んでいるこのフェスティヴァルの参加者たちは、タンジェから電車で約1時間半行ったところにあるクサール・エル・ケビールという駅に集合する。そこで用意されたタクシーに分乗し約20分、伝説のジャジューカ村へ着く。実はジャジューカはいくつかの村が集まるこの地域の名前でもあり、伝説の音楽が残るこの村そのものの名前でもある。そのジャジューカ村はそんなに山奥に位置するのでもなく、主要道路から斜めに入る山道を車で3分ほど上っていったところにある。村に行こうと試みて辿りつけなかったファンが日本に少なからずいるのは、単に村を示す標識のないこの山道を見つけられなかったからかもしれない。
 しかし、比較的大きな町のそばに位置しながら、電気と携帯のアンテナが同時に設置されてまだ10年くらい。舗装されて2年も経っていない山道は村の途中で突然途切れ、あとはウチワサボテンが茂る足場の悪いオレンジがかった砂利道がずっと続く。村にはモスク、小学校があり、そして、村に点在する井戸が村人の水源になっている。それを運ぶのはロバの仕事で、ポリタンクに入った水を背負ったロバがのんびりと歩いていく。


ジャジューカ村。向かって左にある角柱の塔はモスク。

  こののどかな村は、15世紀末に村に辿り着き生涯をここで過ごしたスーフィー(イスラーム神秘主義)の聖者・シィディ・アハメッド・シェイクのサンクチュアリーがあり、人びとの巡礼の地でもある。この聖者はここの音楽には治癒の力があると感じ、平穏、心の病気の治療、平和と調和を促進する精神的な目的として彼らに曲を書き、音楽を治癒のツールとして使った。村のミュージシャンたちは彼からバラカ(恩寵)、精神的なパワーをもらい、スーフィーである彼らが演奏することによってバラカはライタ自身の中に入り、したがってライタはバラカを持っているとされ、楽器で患者に軽く触れることで治癒することもできるという。この治癒の音楽はフェスティバルでは演奏されないのだが、約500年前から今日も続く聖者が起源の音楽が存在し、ジャジューカ全体にはバラカがかかっているとされるのだ。
 巡礼の地ではあるが、ここはいわゆるガイドブックに載る様な外国人向けの観光地ではない。小さなキオスクが2軒と地元の人たちが集う(彼らはカフェと呼んでいる)場所があるだけで、当然ホテルのような宿泊施設などない。フェスティヴァルの間、参加者たちはそれぞれマスターズの家にホームステイする。つまり、マスターズのコミュニティに入り彼らと一緒に音楽漬けの濃厚な3日間を過ごすのだ。
 今年の参加者は約40名。その2割は私を含めリピーターだ。日本人は全部で5名、その他、ガイシンの「ドリームマシーン」をジャジューカの生演奏で体験しようと、大きな「ドリームマシーン」のレプリカを担いで来たカナダの若者もいた。結局壊れていて使い物にならず、「The most Dreamachine experienceだったのにー!」という彼の悲痛な叫びとともに実験は失敗に終わった。
 村にはマスターたちがいつも集まる場所が村の広場から少し先に行ったところにある。ここがフェスの会場で、半分テントで覆われ片側が開いた半野外のその場所には赤い絨毯が敷いてあり、前方にはリフ山脈の美しい緑の山並みが目線と同じ位置に見える。普段も彼らはここに集いおしゃべりをしたり演奏したりして過ごす。マスターたちに憧れる子供たちはこのような環境の中で、マスターたちから音楽を教わる。


昼間のセッション。音楽に合わせて踊る村の少年たち。


バイオリンが入る昼間のセッション。

 フェスティヴァルではもちろんアンプもスピーカーも通っていないマスターズの生の音を昼夜聴き続ける。タイムテーブルもなく、マスターズの周りで参加者たちはゆったりとしたジャジューカ時間を過ごす。昼間に演奏される音楽はジベルという山の生活や民族的なテーマを歌った伝統的な民謡が主で、宗教的なものや恋心を歌ったラヴソングもあり、バイオリン、ダラブッカ(ゴブレット形太鼓)、ティベル、ベンディール(枠太鼓)、リラ(笛)などで演奏される。その他、ブゥジュルードの音楽のリラ・バージョンや「Brahim Jones Joujouka Very Stoned」のようにゲストが来た時に作られた比較的新しい曲も存在する。
 マスターズの数人が楽器を手にして音を出しはじめると、他のマスターたちも楽器を持って集まってくる。私は2回目だからもちろんわかるが、村のおじさんたちも私服のマスターズに交じっているので、楽器を持つまで誰がマスターかはっきりわからない。他の村人と全く変わらないこの男たちがひとたび楽器を持つとたちまちあの伝説のマスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカに変身する。今でも音楽だけで生活する彼らにとって音楽は生活の一部であり、演奏することがとても自然なのだ。


リラが中心の昼間のセッションで踊るマスター。

 そんな感じでゆるくはじまる1曲30分近くの音楽は、10分を過ぎたころからじょじょに盛り上がりグルーヴが出てくる。これでもか! とあおるようにじょじょにリズムも早くなり、ダラブッカを打つ手が腫れるのではないかと聴いている方が心配になるほどリズムも激しく音も大きくなって、「アイワ! アイワ!」(そうだ、そうだ! いいぞ!)の掛け声が飛ぶ。そんな掛け合いのコミュニケーションの中でグルーヴが生まれるのだと感じる。マスターズや村のおじさんたちに手を引かれ一緒に踊ったりしている中、ある者は散歩に行ったり、ある者はおしゃべりしたり――。こうして、地元の甘いミントティーでまったりしながらとても自由で贅沢な1日がゆっくりと過ぎていくのだ。


会場のテントからリフ山脈を眺める。

 マスターズの妻たちが会場の裏手にある家で作る新鮮な地元野菜をふんだんに使った家庭的なモロッコ料理、タジン、クスクス、サラダ、スープなどどれも優しい味でとても美味しい。モロッコは6回目だが、やはり私にとってジャジューカでの食事が一番美味しい。朝食は各自宿泊先の家庭でいただき、昼食と夕食は会場でみんな一緒に食べる。しかし、妻たちは一切表に出てこない。女の子供たちまでも入ってこないのだ。そんなジャジューカの女性たちにも実は彼女たちの音楽があるのだが、フェスティヴァルでは聞くチャンスはない。


北アフリカの伝統料理のひとつ、クスクス。


地元野菜のサラダ。

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 この時期の昼間は日差しが強く暑いジャジューカも夜になると涼しくなる。辺りもすっかり暗くなりテントに裸電球がいくつか灯る中、遅い夕食をとる。食事が終わり少ししてから夜0時頃、ブゥジュルード音楽の演奏のため準備がはじめられる。この音楽は、既述した木管楽器ライタとタイコのティベルのみというシンプルな楽器編成で演奏され歌はない。
 昼間は私服でいるマスターズは全員、この演奏のために一変して黄色のターバンを頭に巻き、カラフルなボンボンが付いた茶色の分厚い生地の正装ジュラバに着替え、向かって右側にティベル奏者が4人、その横から左側に7人のライタ奏者が、横一列に並んだオレンジ色のパイプ椅子に座る。
 演奏がはじまる前は期待でいつも緊張する。自分の目の前にあのザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカが勢ぞろいしているのだ! と、夢のような現実をもう一度自分に言い聞かせる。これからブゥジュルード伝説の音楽が目の前ではじまるのだ!   
 横一列に揃ったマスターズは数分間みなそれぞれライタで少し音を出した後、みんなの準備が整ったタイミングを見計らって、リードのライタ奏者がちょっとしたメロディでスタートの合図を出す。そのとたん、他の6本のライタと大小4台のティベルが続き、いきなり演奏がはじまる。そして、待ったなしの音のローラーコースターに乗った私たちはディープな世界へと連れていかれるのだ。
 ジャジューカをCDやレコードで聴くと、残念ながら何本ものライタ音は一本の大きな束になって平たくなってしまう。当たり前のことだが、ボリュームを上げればその束は大きくなりうるさくなる。しかし、生の演奏を目を閉じて聴くと、各ライタの直線的な音は一本一本きちんと分かれていて、それらがそれぞれ一直線状に額から飛び込んでそのまま脳をまっすぐ突き抜ける。今どこのライタの直線が脳を突き抜けたかがわかり、それはとても立体的で、耳で聴いているというより、他の感覚を使って音を捉えているとしか思えない。ライタ音は信じられないくらいにパワフルな音を出す。ところが、もの凄い大きさの音にもかかわらず、とても澄んでいて美しくまったくうるさくないのだ。
 循環呼吸で演奏するライタ奏者たちは向かって左にドローン、真ん中にメロディ、右にリードと三つのセクションに分かれ、ヒリヒリとした直線的なライタの高音が上をすべるように走る。その下を二台の小さいティベルが高速で回転するようなリズムを刻み、二台の大きいティベルが地に響く低音の力強いリズムでしっかりとテンポをキープしていく。そして、今度はティベルの真正面で目を閉じてみると、それぞれのタイコが生み出す複雑かつ立体的で跳ねるようなリズムがライタ音の前にググッと出る。ライタの前に立つかティベルの前に立つかで、また聞こえ方が変わる。


ライタを演奏するマスターズ。

 中央に座っているリードのライタ奏者が他のライタ奏者を目で伺いながら、次の曲に入る合図らしきメロディを出す。曲を移行させるのはティベルではなくリードのライタなのだ。リードのライタ奏者の合図に従い、他のライタ奏者たちが続く。それと同時にティベル奏者たちがリズムを変え、一瞬にして曲が変わる。曲は次の曲へとシームレスに変わり、一回のセッションに5〜6曲演奏される音のジャーニーはすべるようにノンストップで続いていく。
「現地で実際に体験しないとこの音楽の本当の凄さはわからないよなぁ......ガイシンやブライアンがハマったのがわかる......」なんて遠い思考の中でぼんやりと思うのだが、次々と押し寄せるライタの線の嵐にすぐにかき消されてしまう。そのうち、ライタのパワフルな音とティベルの原始的なリズムはさらにパワーを増し、私の思考を完全に破壊していく。私は目を閉じたまま意識の向こう側へ、意識を超えた感覚だけの世界へ深く入っていく。弾むようなティベルのリズムと待ったなしに次から次へとすべるように走り抜けるライタが織りなすグルーヴの中で、私の脳と身体は自由自在に音の世界を泳いでいく。


ライタを演奏するドローン・セクションのマスターズ。

 音のローラーコースターがどんどん奥に進んでいき、観客がうねるようなグルーヴにのみ込まれ興奮も最高潮に達しはじめたころ、急に電気が消え、テント前の芝の真ん中で火が燃え上がる。火は見る見るうちに真っ暗な空に向かって大きくなっていく。子供たちや村人たちも集まっている中、建物の横で隠れるようにみている村の女性たちの姿が炎で照らし出される。みんなが大きく燃え盛る焚火に釘づけになっていると、突然、黒いヤギの毛皮をまとい麦わら帽子をかぶった伝説のブゥジュルードがオリーブの枝を両手に持ち現れる。暗闇に立ちのぼる原始的な火をバックに、ブゥジュルードは狂乱したように踊る。オレンジ色の荒々しい炎に激しく揺れるブゥジュルードの黒いシルエットが重なる。


焚き火の前で踊るブゥジュルード。

 アイーシャに変装した3人の少年たちも現れ、腰を振りながら乱舞する。私たちも押し寄せるグルーヴの中に身をゆだね、踊る、踊る、踊る。音に操られるように全身が激しく動いていく。自分がどこの誰かなんて関係ない、今がいつなのかもどうでもいい。この音を全身に浴びて裸になった自由な精神があることだけで十分なのだ。


マスターズとブゥジュルード。

  最後の一音がバンッと大きく鳴り、音旅の終わりを告げる。パワフルな音の刺激とうねるグルーヴの大きな波にのみ込まれて、私は完全に圧倒されていた。大きな拍手が沸き起こる中で、私は「アズィーム ジッダン!」(とても素晴らしい!)と叫び、村人も何か叫びながらマスターズを称える。やがて拍手が止むと、辺りはいつもののどかな村の夜の顔に戻る。ぼわ~んとなった私の耳に人びとの話し声と虫の音がぼんやり聞こえてくる。夜露で湿った絨毯や自分の服の重たい感触に気づく。そして、腕時計をのぞいてみる。
 夜0時くらいにはじまった演奏が終わったのは夜中2時半過ぎだった。私たちは約2時間半の間、ノンストップでぶっ飛ばされ続けたのだった。息つく暇もないくらいに「もの凄かった!」としか言えないくらいもの凄かった......! としか言えない......。そして、マスターズの信じがたいタフさにもただただ感服するのだ。その凄すぎた世界からしばし出られずまだ余韻を引き摺って座っていると、あっという間に私服に着替えた私たちの宿泊先のマスター、ティベル奏者のムスタファが、テント前の芝から私たちを目で呼ぶ。そして、ついさっきまで2時間半休みなくティベルを叩き続けていた彼と一緒に真っ暗なオフロードを、彼の家までトボトボと15分くらい歩いて帰る。そして、寝るのは毎晩夜中の3時過ぎ。この生活が3日続く。

 繁栄や豊穣のための祭りや儀式で演奏されてきたこの音楽は、ブゥジュルードを踊らせる、つまり生粋のダンス・ミュージックであり、ダンス・ミュージックの源泉、そして、本物のトランス・ミュージックなのだと感じる。この音楽は耳で「聴く」のではなく、全身で「体験」する音楽なのだ。
 ふだん私は淋しいような切ないようなメロディを持つ曲を聴くとネガティヴな思い出とくっ付いて悲しい気持ちになることがある。私はメロディに自分の感情をコントロールされるのがあまり好きではない。記憶という時間軸に縛られているようで鬱陶しく、感情にわざとらしく訴えかけてくるようなおせっかいなメロディの音楽に心地良さをあまり感じない。
 しかし、ブゥジュルードの音楽は、感情に訴えかけてくるようなメロディを持っていない。この音楽は、「感情」の向こう側の時間軸を外れた「今」だけが連続する精神にダイレクトに届くような気がするのだ。だからこそ、この音楽は私の精神を自由にさせ、精神が自由になるからとても気持ちいいのかもしれない。そして、時間軸に縛られていないからこそ、この音楽は千年以上経った今でも常に新しく、どこの時代で切り取っても、ジャジューカの音楽は永遠に「今」の音楽なのだ。

 現在この村で音楽を守り続けているのは、ブライアンが村に来た時まだ11歳だったリーダーのアハメッド・エル・アター率いる最大で19人、普段は10〜12人のミュージシャンたちである。その他にもミュージシャンになるだろうと思われる10代半ばの少年が何人かいて、また、20代の少年たちも地域にいるが、マスターズの基準に達するにはまだまだ時間がかかるようだ。
 大きなセレモニーでは大きなグループで演奏し、比較的小さなセレモニーでは4~5人が2~3のグループに分かれ交代で演奏することも可能で、地元の生活のすべての宗教的な機会、大きな地域では、割礼、結婚式などのセレモニー、地元の公式なセレモニー、そして、ロイヤル・セレモニーで演奏する。
 昔ジャジューカのマスターたちはある王朝のスルターン(君主)に音楽を気に入られ、長い間に渡り援助を受けながら専属の音楽家として、セレモニーや軍の一部として戦場へ行き演奏していたこともあった。しかし1912年、モロッコがヨーロッパ列強の保護領になりスルターンからの援助が打ち切られた。
 過去には65人いたこともあったというザ・マスター・ミュージシャン・オブ・ジャジューカは、村がスペイン領だったときに兵士としてスペインへ内戦及び第二次世界大戦に連れて行かれた者たち、モロッコの近代化に伴い村を出て行った者たちなど......その他、時代のいろいろな困難を乗り越えて生き残ってきた。
 世界が目まぐるしく変化していく中で、伝統を継続させることはとても難しい。ここモロッコのジャジューカも例外ではない。
 マスターになるのは職人のようなシステムで、マスターたちについて訓練して訓練して、その後ティベル奏者なら半ドラマーになって、ライタ奏者なら半ライタ奏者になって、パンを取りに行ったり店に飲み物を買いに行ったりと、日々のマスターズのタスクをこなしながら一人前になっていく。そして、まず何よりも第一に音楽のために全てを犠牲にできるほどジャジューカの音楽を十分に愛していなければならない。しかし、全員が最終的にマスターになれるわけではない。マスターズの一員になるには、彼らに受け入れられ永遠に行動をともにし、仲間として仲良くやらなければならない。この音楽は集合体として連結しながら演奏されることからもわかるように、彼らは仲間同士の信頼と強い絆が必要なのだ。
 マスターになるのは決して強制ではない。だからこそ、子供たちや若者たちがジャジューカの音楽に魅力を感じ、この音楽の素晴らしさを理解し、そして、「マスターになりたい」と自発的に思うことが大切だ。そのために、マスターズは子供たちや若者たちが尊敬し憧れる存在であること、また音楽家として音楽で生活ができることを示し、伝統を継続させる大切さを自らみせることが必要なのだ。そうでなければ、若者たちは村を出てタンジェの工場に働きに行ってしまうだろう。しかし、フェスティヴァルでリズムに乗って激しく楽しそうに踊る子供たちをみると、この子たちの身体の中には確実にジャジューカの音楽の血が流れていることがわかる。どうかこの子供たちが大きくなったらマスターズになってジャジューカの伝統を担って欲しい、そして、どうかこの素晴らしい音楽が絶えることなくいつまでも続いて欲しいと切実に願う。

 2011年には、ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカはイギリスの野外音楽フェスティヴァル「グラストンベリー・フェスティヴァル」に出演。メインステージであるピラミッド・ステージにてオープニングを飾った。演奏していることが日常で自然な彼らはステージ以外の場所でも何度も演奏していた。それを聴きつけたクスリでぶっ飛んだ連中がマスターズの周りに集まってくる。そして、エレクトロニックのダンス・ミュージックで踊るように、この古代からのダンス・ミュージックで踊るのだった。

 今年6月初旬には、イギリスのDJ・エロル・アルカンも出演したイタリア・ローマのVilla Mediciで開催された「Villa Aperta 2013 IV edition」に招かれ、ダンス・ミュージックのオーディエンスからも喝采を浴びた。

 そして、今年2月6日DOMMUNEで配信された「21世紀中東音楽TV2 ジャジューカNOW!!」でサラーム海上氏と一緒に、今まで日本では詳しく明かされていなかったジャジューカについて語り、トークの最後に2012年のフェスティヴァルで録音してきたブゥジュルードの音源をスタジオの電気を消し暗闇から放送。視聴者は延べ2万5千人を超えた。

 現在のザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカはジャジューカの伝統的な音楽スタイルを忠実に守りながらも、ダンス・ミュージックという入り口から新しいオーディエンスを魅了し始めているようだ。ビート・ジェネレーションやブライアンとの出会いがそうだったように、ジャジューカにとってまた新しい何かがはじまろうとしているのかもしれない。

 精神の音楽を演奏し続ける素朴なマスターズに心打たれ、その純粋な音に自分の魂をすっかり裸にされた。私の音楽観や人生観までも変えてしまったジャジューカに、私は来年もまた行く。

赤塚りえ子

ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカ公式サイト
https://www.joujouka.org/

ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカ・フェスティバル 2014
日程:2014年6月20日~22日
フェスティヴァルの申し込みはこちらから
https://www.joujouka.org/the-festival/more-about-the-festival-and-booking/

ディスコグラフィー
『Joujouka Black Eyes』(1995年/Sub Rosa)

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『Boujeloud』(2006年/Sub Rosa)

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interview with Co La - ele-king


Co La
Moody Coup

Software / melting bot

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 対面インタヴューならば食い下がったのだが、あいにくのメール・インタヴューだ。コ・ラは自らの音楽についてこう解題した――「慌ただしいレストランでウェイターがグラスを落としたときと同じ印象や効果を音楽にしたくて」。今作の彼の音を見事に説明するイメージである。と同時に、これはたとえばジャム・シティやキングダムといったアーティストにもまったくよく当てはまるフィーリングだと思う。金属的で、神経の緊張を断続的に強いてくるようなサウンド・コラージュ。なぜわざわざそんなストレスフルな音に執着するのか、そして、インダストリアルという言葉に新しい表情を与えるようなそうした音が、複数のアーティストから同時に生まれてきているのはどうしてなのか、そのあたりを訊くことができたらよかった。なにせ、まだ名前のないムーヴメントなのだ。

 とくにジャム・シティやキングダムを擁する〈フェイド・トゥ・マインド〉は、こうした音像に視覚イメージを与えて意味づけ、ダンス・ミュージック・シーンに鮮やかなインパクトを生みつつある(ジャケでもロゴでも、レーベルとして一貫したスタイルを感じるだろう)。本作をリリースする〈ソフトウェア〉も、エッジイで批評性に富んだエレクトロニック・ミュージックを送り出すことに関してはもはや名門の域だ。主宰フォード&ロパーティンのレトロ・フューチャリスティックで硬質なサイバー趣味には、前者と同じようにツンケンした、金属っぽいサウンド・デザインが埋め込まれている。そして、以下、コ・ラ自身の口からも前者へのシンパシーが語られるように、毛色の異なる両者が、インダストリアル・ノイズの今日性を模索するようにして邂逅する様子には、どうしたってシーンの「次」を感じざるをえない。

 前作『デイドリーム・リピーター』が「家具の音楽」なら、今作でコ・ラはそれを置くべき場所を作った。ガラスを引っ掻くパンダ・ベア、というのがコ・ラことマシュー・パピッチの新作『ムーディー・クープ』の印象である。パンダ・ベアのまどろみと多幸感の島で、なぜかわざわざガラスを割りまくって引っ掻いている、それをなぜかと問い返すなかにいまのモードのひとつのかたちが見えてくるだろう。

 前作のタイトルは『デイドリーム・リピーター』だが、パンダ・ベアやアニマル・コレクティヴにはじまる2000年代のサイケデリックの成果が、2010年をまたぐ頃にドリーム・ポップの複合的な盛り上がりへと帰結し、シーンの内向化を促したとするならば、今作でのパピッチはその源流を角のあるもので傷つけながら、自分の居やすい空間へと改変しようとしているように見える。けっしてそこに穴を開けて風通しをよくし、外に出ようと促すのではない。あくまでベッドルーマーとしてデイドリーム・リピートする前提で、でも、気が散って落ち着かないようなドリーム空間があってもいいだろうというのが『ムーディー・クープ』ではないだろうか。ディストピアがユートピアの一種なのか、ユートピアがディストピアの一種なのかがわからなくなるような世界が立ち上がってくる。彼のような変種の存在は、この10年のUSのサイケデリック・ミュージックがいかに多様性持つものであるかをよく物語る。

 「耳障りでストレスフル」とは書いたが、あくまで品のあるダンス・アルバムだ。エキゾチックな表情やジャジーなフレーズも多数サンプリングしながら、聴く音としても洒落た仕上げを施している。前作から大きな飛躍を遂げ、かなり個性的な作品になったと思う。『ムーディーな一撃』......このタイトルのクールな矜持が、そのまま本作の魅力である。

ドライヤーや車の衝突音の方がサックスのソロよりも惹かれる。音楽がリズムで構築されるとき、日常にある偶然の音が入ってくる、それが未来の音楽を示していると僕は考えているんだ。

『デイドリーム・リピーター』について、コンセプトとしては「家具の音楽」(サティ)に通じるものだという説明をしておられましたが、実際に家具にするにはノイジーな仕掛けに満ちていると思います。今作はとくにそう感じました。あなたのめまぐるしいサンプリングやコラージュが持つ哲学について教えてください。

パピッチ:ジョン・ケージのような感覚かな。そういった音には常に興味があって、とくにいわゆる音楽じゃないものだね。ドライヤーや車の衝突音の方がサックスのソロよりも惹かれる。音楽がリズムで構築されるとき、日常にある偶然の音が入ってくる、それが未来の音楽を示していると僕は考えているんだ。背景や壁紙でなく、開いた窓のスクリーンような......空気ではない、「音」をフィルターしているつもりだよ。

金属的で鋭角的、あたりのキツめなプロダクションには、たとえばジャム・シティ(Jam City)などに共通するところがあると感じます。こうした音づくりはとくに今作から顕著になったものだと思いますが、どんなことを意識されていたのでしょう?

パピッチ:慌ただしいレストランでウェイターがグラスを落としたときと同じ印象や効果を音楽にしたくて、そのフィーリングを引き延ばして動的に表現にしたらそうなったんだ。

〈ナイト・スラッグス(Night Slugs)〉などのレーベルと交流があったりはしますか? 彼らもあなたも現代におけるインダストリアル・ミュージックのひとつのフロンティアと呼べるように思います。

パピッチ:全然ないけど好きだよ。DJをやるときはいつもKingdom(Fade To Mind)みたいな感じになるね。

ただテクニカルというわけではなく、硬質なマテリアルから多彩な感情表現を引き出しているのも素晴らしいと思います。あなたの音楽にとってエモーションはどのくらい重要なものでしょう?

パピッチ:新しい音楽を作るときはとくに重要だね。コンセプトやフィーリングでなく、そのときに聴いて影響を受けた音楽に近いところからスタートする。聴いている音楽からループをざっくり探して、くっつけて、エモーショナルなポイントを見つけ、そういった音そのものから得たアイデアを、曲作りのパワーにしているんだ。

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坂本九の歌に関しては、じつはそれが日本の歌だとまったく知らなくて、4 P.M(For Positive Music)のやつをいちばんよく聴いていたんだ。

同時代で好きだったり気になっているアーティストはいますか?

パピッチ:ニッキー・ミナージュ。

"スキヤキ・トゥ・ダイ・フォー(Sukiyaki To Die For)"には坂本九の"スキヤキ(上を向いて歩こう)"を思わせるフレーズが登場しますが、"スキヤキ"から感じられる日本人像と実際いま目の当たりにする日本人とのあいだに相違を感じますか?

パピッチ:坂本九の歌に関しては、歴史も世界的な人気もあって、いくつものカヴァーやヴァージョンが存在しているよね。そういったことに興味があるよ。じつはそれが日本の歌だとまったく知らなくて、4 P.M(For Positive Music)のやつをいちばんよく聴いていたんだ。基本的にはR&Bヴァージョンなんだけど、バーバーショップ(Barbershop)のハーモニーもあるし。2年くらい前のある日、家でケニー・ボール(Kenny Ball)のヴァージョンを聴いていてね。ビッグ・バンドのインストなんだけど。そしたらいっしょにいたダスティン・ウォン(Dustin Wong)が曲の歴史を教えてくれたんだ。彼はもちろんオリジナルをよく知っていた。その時点では重要なサンプルだったし、自身がクリエイトしようとする複雑な物語を作るという点で、的確な参考資料のように感じていた。

ボルチモアであなたが働いていたというギャラリーや、現在のボルチモアのアート・音楽シーンについて教えてください。

パピッチ:ボルチモアには知的で前衛的な、いいオーディエンスがいる。ここでのパーティーはシュールだと感じるよ。ボルチモアにはいわゆる音楽の「マーケット」はなく、経済的にも乏しい。そのおかげもあって、音楽を前進させるような空気があるんだ。そしてルールがまったくない。

フランク・ザッパやデヴィッド・バーンを輩出した土地でもありますが、そもそも実験的なムードや気質があるのでしょうか?

パピッチ:人によってはボルチモアをそう捉えているけど、実際はわからないな。もうここに住んで10年、年が経つにつれて好きになっていくね。ここにいる人はおもしろいよ。建築もユニークだし。貧乏な都市だけどそういった空気感が好きであれば最高の場所だと思う。

少し前ですと、ボルチモアというと〈スメル(smell)〉周辺の動きが気になりましたし、エイヴ・ヴィゴダ(Abe Vigoda)、ミカ・ミコ(Mika Miko)、ダン・ディーコン(Dan Deacon)、ジャパンサー(Japanther)などエクスペリメンタルでアーティなギター・バンドに存在感があったと思います。エクスタティック・サンシャイン(Ecstatic Sunshine)もそうした素晴らしいユニットのひとつだと思っていますが、ムーヴメントとしては一旦終息した感じなのでしょうか? それとも後続も出てきていますか?

パピッチ:その時代は3~4年前に終息したよ。破壊ではなく拡散した終わり方だったと思う。自分たちが出していた音楽はそのときその場所で鳴らされるものでしかなかったから。ウェアハウスなスタイルのパーティーで、PAもないしステージもない。規模は小さいけどダイレクトに反響のある音楽だった。そういったバンドにはもうあまり興味がないから、いまどうなっているかはなんとも言えないな。

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このレコードは夜だね。暗闇のなかから現れた歌だ。都会の雑音が好きで、それを重ねてなんともいえない音楽にする。


Co La
Moody Coup

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〈カー・パーク(Carpark)〉から〈NNA〉〈ソフトウェア(Software)〉という流れは、この10年の音楽の特徴のひとつを象徴するものだと思います。インディ・ロックとエレクトロニックな表現はさらに緊密に結びついていっていますし、ドリーミーなサイケデリアが通底していると感じます。あなた自身のなかで、エクスタティック・サンシャインとコ・ラとはどのような関係をもっているのでしょうか?

パピッチ:一年間くらい音楽を作らない時期があって、ちょっとずつギターから離れ、アンプやエフェクト、自分が持ってたほとんどの機材を売ったことがあったんだ。そのときに音楽をもっと聴くようになったよ。違ったレンズでね。エクスタティック・サンシャインに関しては、よりテクスチャーを追求して、最終的にはアブストラクトな方向へ向かったと思う。その休止期間の後に、新しい耳とともにまた一からという最初の地点に戻れたんだ。それがコ・ラだね。

〈NNA〉や〈ソフトウェア〉のことをどう思いますか?

パピッチ:どちらのチームもいっしょに活動できて本当に最高だよ。トビー(NNAテープスのA&R)、マット(ソフトウェアのディレクター)、ダニエル(ワンオートリックスポイントネヴァーOneohtrix Point Never)、ジョエル(Joel Ford aka Airbird)は素晴らしいキュレーターでありアーティストだし、彼らの文脈の一部になれたことを光栄に思っている。

先鋭的なテープ作品のリリースが増えているのはなぜだと思いますか? またあなたがそのフォームを選択する理由を教えてください。

パピッチ:こっちだととても簡単なフォーマットだと思うね。すぐにリリースできるフィジカルなフォーマットだし、古いタイプの多くの車にはまだカセット・プレイヤーがあるから簡単に聴けるんだ。

ダブやアンビエントに惹かれるのはなぜでしょう?

パピッチ:Tetrahydrocannabinol (THC)。

『Moody Coup』はどのような環境で聴かれてほしい(聴かれるのが理想)ですか?

パピッチ:このレコードは夜だね。暗闇のなかから現れた歌だ。都会の雑音が好きで、それを重ねてなんともいえない音楽にする。ヘリコプター、バス、都会の鳥、湿気のある環境、暗闇、そして人工的な光の輝き。

いま音楽以外で関心のあることについて教えてください。

パピッチ:味、花、光、霧、文字、政治にとても興味がある。

パンダ・ベアは好きですか?

パピッチ:はい。

Femi Kuti - ele-king

 フェラ・クティの音楽的継承者としての姿を求める人には、このフェミ・クティよりも彼の異母弟(フェラの末っ子)シェウン・クティの方がより"正統"として響くだろう。62年生まれのフェミより20年もあとの80年代に生まれたシェウンは、父親の音楽に、一定の距離を置いたところからかなり純粋な畏怖と憧憬をもって接している印象を受ける。現在30代以下のミュージシャンをして、70~80年代サウンドを"新しいもの"として解釈させるようなポジティヴな隔世感も少なからず作用しているだろうが、末っ子シェウンは父フェラのアフロ・ビート様式の泥臭さをフレッシュなものとしてほぼ全肯定し、自分の手で素直に再提示できるメンタリティーを持っている......つまり、父親のバンド:エジプト80を引き継ぐにふさわしい(無論いい意味で)ピュアな継承者なのだと思う。
 それに対し、父親の黄金期の70年代から父のバンドで修業し、そのスタイルを間近で学んだ長男フェミは、当然独り立ちする際には父親との差別化を意識したに違いない。加えて、ときは80年代、いわゆる"ワールド・ミュージック"が、主にパリ経由で、一定の西欧ナイズ&モダナイズを強要されながら......というか、事実その効果で、世界のマーケットに食い込み始める時期だ。フェミの西欧マーケットを視野に入れた〈アフロ・ビート×モダニズム〉の方向性は、おそらくそのときから一貫している。彼がしばしばインタヴューで語る"自分の音楽の原則"も実に明快だ。曰く:〈基礎が堅牢なアフロ・ビートの原理をあまり危うくしないこと〉。それは、父親の音楽様式をそのまま継ぐつもりはない、という意思の婉曲表明になっている。

 しばらく前にパリのエリゼ・モンマルトルでフェミ・クティのライヴを見たときに驚いたのは、演奏よりもむしろそのMC......というより演説だった。アフリカの窮状、その原因となっている西側諸国とアフリカ諸国の権力者間の密約、それによるアフリカの政治腐敗と、西側の後ろ盾によって温存され続ける、アフリカの市民が搾取される構造、慢性的貧困。それを理論的に担保する新自由主義経済/グローバリゼイション・システムの欺瞞を、演奏の合間に何度も、長々と、激しい口調で語るのだが、その演説がすべてフランス語だったのだ。
 生まれこそロンドンだが、旧英国領で英語を公用語とするオリジン国ナイジェリアのラゴスで育ち暮らすフェミが一体いつどこでフランス語を習得したのかと思ったら、実はラゴスのアリアンス・フランセーズ(フランス語学校)に自分から通い、それを音楽活動が軌道に乗って久しい30代に入って以降もしばらく続けていたらしい。そう報じる《ラディオ・フランス》の最新インタヴューでのフェミは、次のようなことも語っていた。

 ......フランスはアフリカ音楽の"メッカ"だ。サリフ・ケイタもアンジェリック・キジョもフランス経由で世界的な名声を得たし、昔、父がアフロ・ビートを世界に広めようとした際も、フランスより旧宗主国イギリスの方が父の音楽に対してずっと冷淡だった。その後、自分が初めてヨーロッパで公演しようとした際も、イギリスでブックできたのは2ヶ所だったが、フランスでは15ヶ所で演奏できた。財政面の問題で自分のバンド:ポジティヴ・フォースが解散の危機にあった際、在ラゴスのフランスの文化機関が尽力してナイジェリア=フランス文化交流イヴェントに招聘してくれたことで、オレのことをフランスの新聞が一面で評価してくれ、それが自分にとって決定的な転機となった、と。

 今回のアルバムでは、近作(『Day by Day』『Africa for Africa』)にあった派手さや、ポップなフィーリングが、音の生々しさ、ゴツゴツした感じに取って代わられている。しかし15年来の相棒であるフランス人プロデューサー/エンジニアのソディ・マルシスヴェール(Sodi Marciszwer)との共同作業の流れのなかで見れば、ああなるほど、今回はこういう音にしたかったんだな、と、すんなり腑に落ちる。

 これまでは単に Sodi と表記されることが多かったソディ・マルシスヴェールは、日本ではほとんど語られることがないが、フランスのストリート・ミュージック/プロテスト・ミュージックの分野では篤い信頼を置かれている人物だ。古くはレ・ネグレス・ヴェルト、マノ・ネグラから、IAM(アイアム/仏ヒップホップ・グループの最高峰)、ラシッド・タハ(ぼくが先日レヴューした『Zoom』のパリ録音部分のエンジニアは彼だ)など錚々たる面々と仕事をしてきたが、なにより1980年代後半以降、つまりパリがアフリカ音楽にとって最大の友好的"ハブ都市"になって以降の晩年のフェラ・クティが、時代感覚に長け、世界に売れるアフリカ音楽の音を作れる男と踏んで信頼を置いたエンジニアが彼なのである。それでソディはフェラの『Just Like That』『Beasts of No Nation』『O.D.O.O.』、遺作『Underground System』で仕事をするようになったし、フェラが没したのち、エイズ・チャリティーのフェラ・トリビュート盤『Red Hot + Riot』でも活躍したのだった。

 父が他界したあとにそのソディと15年以上もタッグを組んでいるフェミが父親から最も直接的に引き継いだのは、思うに、アフロ・ビートの様式以上に、その政治性、闘争心と、時代感覚に優れた相棒のソディなのである。父のバンド(音)を引き継いだのがシェウンなら、そのブレインを引き継いだのがフェミ、という対比を見ることもできるわけだ。そのシェウンの録音のプリミティヴな質感も当然意識したに違いないし、ここ最近の世界中のアフロ・ビート・バンドの、アナログでパワフルでシンプルな音のトレンドも考慮して、フェミは今回の音をソディとともに作ったはずだ。フェミ特有の持ち味(ソウル・ジャズ~ファンク・テイスト、メロディアスなヴォーカル・ライン、キャッチーでアップリフティングなホーンのリフ、コーラス隊とのコール&レスポンス etc.)はそのままに、それを近作にない"raw"なストロング・サウンドで表現したのだ。

 つまり戦略。フェミは戦略の人だと思う。アフロ・ビートを伝統芸能として守ることが目的ではなく、アフリカの問題が世界の問題(の象徴)である以上、より広く世界規模でその現状をつまびらかにすることを第一義と考える、そんな音楽家/活動家である。その手段として、(最もそれを届けなくてはならない対象である)西側のリスナーの耳を常に意識し、彼らに馴染みやすいそのときどきの時代の音を適度に採用することを全く厭わない。むしろその方が逆に、雄弁で舌鋒鋭いメッセンジャーとしてのフェミのキャラが鮮やかに立ち上がってくる。"アフロ・ビートの原理をあまり危うくしない"ように留意しながら、毎回そこを緻密に計算していると思うのだ。

 今作のリード・チューン"The World is Changing"のPVも、同じ意味で実にフェミらしい。例によって分かりやすい英語で歌われ、さらに非英語話者でも理解しやすいようにすべての歌詞を随時表示し、重要な単語は視覚的に強調されている。地球が苦しみに変わっていく......というテーマのヘヴィーさに軽快なギターの刻みとポップでテンポのいい映像が対置されて観る者を引き込む工夫がなされているし、持たざる者とすべてを失った者が呆然と立ちすくむとき、その背後に、歌詞で一切触れずして、地球規模で暴利をむさぼる打倒すべき巨大な権力構造を、観る者に意識させる。この、誰も心躍らない気の重いテーマを、いかにスムースに伝えるかに心を砕くのがフェミなのである。(余談だが、もちろんシェウンのプロテスト性もかなりのもので、『From Africa with Fury : Rise』でも〈モンサント〉や〈ハリバートン〉といった企業を名指しで糾弾していたくらいだが、その直接的なやり口も父親譲りな気がするし、その点のフェミとシェウンの表現法の違いに注目するのも面白いだろう)

 とにかく、そういう汎地球的メッセンジャーたらんとするフェミのアティテュードを思うに、彼が自分からフランス語を習得したことにも合点がいく。もちろん相棒ソディが仏人であることや、アフリカ音楽にとってのフランスの重要性を身をもって知ったフェミが、その自分を評価してくれ、世界へメッセージする足掛かりとしてもふさわしい場所を重要な活動拠点に位置づけようとしたことも、その大きな要因だろう。
 しかし、おそらく彼にとってフランス語のもっとも大きな有用性は、ツアーで各地を回ってステイジ上からメッセージする際、西側のフランス語圏だけでなく、フランスやベルギーの旧植民地/旧統治領であったアフリカ諸国の"同胞"にも、その国の公用語で語りかけられることなのだろうと想像する。ひとくちにアフリカといっても、植民地政策の成り行きから公用語の面で主に英語圏とフランス語圏とに二分されてしまっている。フェミの性格からしたら、"アフリカ・ユナイト"主義のメッセンジャーとしての理想像をストリクトに追求しそうではないか? 仏語圏アフリカのトップ・ミュージシャンで英語も使える人はいても、その逆はそう、いない気がする。

 そうしたフェミとフランスとの関係はあまり知られていないと思うが、ついでに言えば、フェミは自分のマネージメント・オフィス、レコード会社、ビジネス上のコネクション、銀行もすべてパリに置いている。そんな事情もあってだろう、前掲の《ラディオ・フランス》のインタヴューでのフェミは、〈パリのナイジェリア人〉とも形容されていた。ジョージ・ガーシュウィン『パリのアメリカ人』以降長らく、この言い回しはお約束の決まり文句なのだが。
 その〈パリのナイジェリア人〉は、この新作『No Place for My Dream』のワールド・ツアーを、パリ郊外のラ・デファンスからスタートさせた。ラ・デファンス地区とは、世界有数の多国籍企業が数多くそのフランス支社を構える同国最大のビジネス街、つまりフランスでもっとも新自由主義を象徴する場所だ。その場所で、この悲惨きわまりない荒廃したゴミの街(ラゴスのスラム)のジャケットの新作をアピールしたのである。近未来的な高層ビルが林立する、世界でも屈指の"ハイパー・アーバン"なビジネス街に、このポスターが貼られた場面を想像してみて欲しい。それがフェミ・クティのやり方なのである。

‪Femi Kuti‪ - The World is Changing (official video)‬

Nobuyuki Sakuma (Jesse Ruins / Cold Name) - ele-king

Jesse Ruins
Facebook: https://www.facebook.com/jesseruins
Twitter: https://twitter.com/JesseRuins

最近Nate Youngを聴きながら無理矢理ドストエフスキー読んでます。
Curt CrackrachもLust For Youthもジャケがかっこいいです。German Armyはカセットをこれからコレクトしようかなと。Strarredは音よりもボーカルLiza Thornの存在感でしょうか。
Jesse Ruinsはファーストアルバムが発売中です。Cold Nameは初ライブを8月×日にする予定です。

〈Jesse Ruins〉
Live Schedule
2013/09/21 Rhyming Slang at Ebisu Batica
w/ ミツメ, Elen Never Sleeps

〈Cold Name〉
DJ Schedule
2013/08/01 Dommune
2013/08/02 Co La Japan Tour at Seco Bar

2013/07/最近聴いてるレコード


1
Curt Crackrach - Alice Dee feat. Nikhil Singh & Carmen Incarnadine (Clan Destine Records)
https://www.youtube.com/watch?v=pVz1HSBUU6w

2
Tuff Sherm - Burglar Loops (The Trilogy Tapes)
https://www.youtube.com/watch?v=SarNlHxNi1Q

3
Destruction Unit - Sonic Pearl (Suicide Squeeze Records)
https://www.youtube.com/watch?v=BkbgRkHihvI

4
Lust For Youth - Breaking Silence (Sacred Bones Records)
https://www.youtube.com/watch?v=J5MD-yd0t6A

5
German Army - Folded Skin (Skrot Up)
https://vimeo.com/22063575

6
Young Echo - Voices On The Water (Ramp Recordings)
https://www.youtube.com/watch?v=fAPiosBC5T0

7
Nate Young - When Nothing Works (NNA Tapes)

8
V.A - Dark Acid (Clan Destine Records)
https://www.youtube.com/watch?v=tsKnV8nMmdM

9
Starred - Cemetery (Pendu Sound Recordings)
https://www.youtube.com/watch?v=rq-jsShPDi0

10
Sewn Leather - Φυλλ Σκυλλ(Phase! Records)
https://www.youtube.com/watch?v=8e-hlgxkLcc

interview with Washed Out - ele-king


Washed Out
Paracosm

Sub Pop/よしもとアール・アンド・シー
(8月7日発売予定)

Amazon iTunes

 態度ははっきりしている。音楽にできる最良の行為、それは現実を忘れさせること。アドルノ以来、「醜い現実を酷くないかのように見えなくしてしまうのは実にけしからん」と、延々と批判されてきた大衆音楽の特性をアーネスト・グリーンは肯定する。まやかしであっても夢を選ぶ、そう思いたくなるときもたしかにある。現実が酷ければ酷いときほど、ダンス・カルチャーが燃え上がるように。
 現実直視音楽にも最高につまらないものがあるように、現実逃避音楽は誰にでも作れるわけではない。テクが要るし、スキルも、コンセプトも、時代を見る目も要る。フランク・オーシャンのように、ドリーミーな音楽が現実を軽視した浮ついたものであるとも限らない。時代と向き合うことでしかドリーミーな音楽は威力を発揮しないとも言える。
 夢作りの確信犯、ウォッシュト・アウトの新作『パラコズム』は、あなたを騙すことができるのだろうか。以下の取材から、彼は何を目的に、どんな思いで音楽を作っているのかが伺えるだろう。同時に、彼の音楽的な土台、その方向性もより明確にわかるはずだ。彼が夢見ているのは、ごくごく素朴な夢である。ゆえに彼は広く愛され、同時に非難される。が、しかし、この2年、どれほど彼のフォロワーが出てきたことか......

すごく昼間っぽいサウンドのアルバムを作りたかったんだ。晴れた夏の日に外で聴きたいレコードをね。曲を書いてたのは真冬で、すごく寒くて、でも頭にそんな場面を浮かべて書いてた。だから遅くても8月にはリリースしなきゃって思ったし、そこを目指してたんだよ。

アセンズに引っ越したと聞きましたが、住んでいるのはそこですか?

アーネスト:うん、ジョージア州アセンズ。いまもその家で電話してるんだ。いいところだよ。いまは春の終わりから初夏って感じで、いい季節。

ウィズイン・アンド・ウィズアウト』が2011年の7月ですから、ちょうど2年ぶりの新作となりますね。いまの心境は?

アーネスト:そうだな......最初に頭に浮かぶのはこの2年間のことかな。で、そのほとんどはツアーでライヴをたくさんやってたんだよね。この前のアルバムでは少なくとも1年半、2年近くツアーを続けたから。あいだには短い休みしかなくて、曲を書きだすには次のステップが何かちゃんとわかってなきゃいけないんだけど、いつも移動してライヴをやってるとそれがすごく難しくて。だから去年の8月にツアーが終わると、ほとんどすぐに新しいレコードの曲を書きはじめたんだよ。で、仕上げたのが今年の4月の初め。だから僕はツアーが終わるとほぼすぐに自分のスタジオにこもって、新曲を作ってた。休みなくね。

今回のアルバムのリリースが8月になったということに関しては理由がありますか? 夏に出したかったとか、夏の終わりに出したかったとか?

アーネスト:その通り。一番の理由は、この新しいレコードが......最初、僕はすごく昼間っぽいサウンドのアルバムを作りたかったんだ。晴れた夏の日に外で聴きたいレコードをね。曲を書いてたのは真冬で、すごく寒くて、でも頭にそんな場面を浮かべて書いてた。だから遅くても8月にはリリースしなきゃって思ったし、そこを目指してたんだよ。少なくともここジョージアでは9月、10月に涼しくなって季節が秋に変わりはじめるから、それまでに出せるよう、完成させるのが僕にとっては重要だった。実際、そうやって締切を設定するのがよかったんだよね。とはいえ、もし曲作りに詰まって素材が揃わなかったら、当然リリースは先に延ばしただろうけど、自分としては夏までに出そうと思ってたんだ。

あなたは、チルウェイヴという新しいジャンルの代表格となってしまったことで、賛同者も多い反面、多くの批判にも遭ったと思います。ここ日本でも賛否両論がありましたが、あなたは自分を取り巻いた、そうしたさまざまな言葉は気になりましたか? 傷ついたり、翻弄されたりしませんでしたか? 

アーネスト:変な気がするのは......いま2009年、2010年の頃を振り返ると、僕には音楽業界における経験がまったくなかったし、それ以上に音楽制作やプロダクションにさえ経験がなかったから、ものすごくナイーヴだったんだ。いまあの頃の曲を聴くと、自分ではそのナイーヴさが聞こえてくる。その経験のなさは、いいことでも悪いことでもあったと思う。例えば評価されても批判されても、自分の音楽について書かれること自体初めてだったから、受け入れやすかったっていうのかな。誉められてもリアルに感じられなかったし......うまく説明できないんだけど。変に聞こえるかもしれないけど、あんまり気にならなかったんだよ。
 たぶん、『ウィズイン・アンド・ウィズアウト』を作ってるときは期待されてるのがわかってたし、その前に出したレコードを気に入ってるファンが大勢いるのがわかってた。たぶんどんなアーティストにとって難しいのは、そういうファンの期待に応えながら、新しいことをやって前に進もうとすることなんだよね。僕自身、同じようなレコードを何枚も作りたくないから。
 で、批判に関していうと......かなり早い段階から、無視するのが一番だってわかったんだよ。レヴューは読まないほうがいい、って。それを早い段階で学んだのが大切だったと思う(笑)。とくにネガティヴなやつは。何の得にもならないし、僕はできるかぎり避けようとしてる。

ベッドルームで作った音楽をブログにあげたらいきなりそれが話題となって、そして、アルバムまで出すことになってしまいました。日本からも、いきなり野外レイヴにライヴで呼ばれたり、2010年から2011年は、いろいろな急展開があったと思います。ベッドルームで楽しみにのために作っていた音楽を、人前でライヴ演奏することは、最初、いろいろな困難があったと思います。いかがだったでしょうか?

アーネスト:そうだね。日本でのライヴに関して言うと、これまで何度かやったんだけど......最初の来日は〈フリークス・フェスティヴァル〉だっけ? あれはほんとにライヴをはじめたばっかりの頃だったんだ。だからまだ試行錯誤してたし、ベスト・パフォーマンスだったとは言えないな(笑)。でもその1年後に〈フジ・ロック〉でまた日本に行って、あれは個人的にあらゆる場所でやってきたたなかでも思い出深いライヴのひとつなんだよ。自分たちでも何歩か前に進んで、どうすればいいパフォーマーになれるか、やりかたがわかりはじめてた。で、いまはそこからまた進んで、より経験を積んで、用意ができてると思う。新作でも重要だったのが、これをライヴで演奏することになる、ライヴが前よりずっとよくなるってことだったんだ。

つまり、たくさんライヴをいろんな場所でやった経験が、音楽そのものやソングライティングにも影響したということ?

アーネスト:その通り。いま思ったんだけど、僕ら、いろんなバンドと一緒にツアーしたんだよね。演奏においてもソングライティングにおいても、よりビッグなバンドのサポートを務めたことがすごくいい経験になったと思う。最後のツアーではザ・シンズのサポートをやったんだ。僕は長年彼らのカジュアルなファンだったんだけど、実際に毎晩彼らのライヴを観て、そのプロフェッショナリズムに触れるのがすごく興味深かった。
 と同時に毎晩彼らの曲を聴いて、ソングライティングでも......聴いてて自分が盗みたいところを頭のなかでメモしてたんだよね(笑)。だからライヴをやればやるほど、どうすればうまくいくかトリックがいろいろわかってきて、それを自分の曲に取り入れたくなった。もしベッドルームでずっと曲を作りつづけてたら、絶対にこんなレコードはできなかっただろうな。ただのベッドルーム・レコードじゃなくて、ライヴの延長っていう部分がすごく大きいんだ。

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僕は、もちろんいまでも新しい音楽はネットで追いかけてるんだけど、ある意味クリエイティヴな距離を置こうともしてるんだ。トレンドってことで言えば、フランク・オーシャンとか、ドリーミーでありながらR&B寄りのサウンドがある。いまは、そのへんのサウンドをやってる面白い人たちが大勢いると思う。


Washed Out
Paracosm

Sub Pop/よしもとアール・アンド・シー
(8月7日発売予定)

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ライフ・オブ・レイジャー』のような音楽は、当時のリーマンショックと、直接的ではないにせよ、少なからず何らかの関係があると思いますか?

アーネスト:当然外の世界と関係してた。もちろん、全部僕個人の経験をフィルターにはしてるけど。だって僕はあの当時大学を卒業して、不況で職が見つけられなかったんだよ! 実際、タイトルの『ライフ・オブ・レジャー』もちょっとしたアイロニーのつもりだったんだ。僕は実家に戻って親と住みながら、"ライフ・オブ・レジャー=悠々自適の生活"を過ごしてたんだから。それが5年も続いた。家賃も払わずにすんで、すごく変な感じだったな。大人になったのに、何もやらずに親と同居して、気楽ではあるんだけど、同時に......まともな大人になれてないという後ろめたさもあった。
 罪悪感があったんだよ。あのレコードの歌詞はそれについてだしね。でも音楽的には、僕はずっとああいうフィーリングの曲を作ってきたと思う。そこは僕の直感的なものっていうか、喜びと悲しみの中間、何も起きてないけどオプティミスティックな感覚はある、みたいな――僕がいまあのレコードを聴くと、そういうフィーリングが聞こえるんだよね。

興味深いのは、ちょうど『ライフ・オブ・レイジャー』の頃から、ドリーミーで、逃避的な音がいろんなところから聴こえるようになったことです。これを時代の隠された声として捉えることはできると思いますか?

アーネスト:うん、できると思う。僕がやっていたことと似ていることをやってたバンドがいくつかいて......コンセプト的に同じようなものがあって、それを音楽にしていた。ちゃんとした理由は答えられないんだけどね。いくつか思い浮かぶのは......ひとつは当時テクノロジーにおいて、レコーディングができるセッティングが手に届くようになったこと。しかもそのレコーディングの方法が以前とは違ってた。テープや高価なスタジオを使わない、コンピュータでのレコーディングだね。そのことが曲作りにも影響を及ぼしてたんだ。そこは大きかったと思う。ネオン・インディアンやトロ・イ・モアみたいな人たちを考えると、僕らはみんな同じツールを使ってたし、みんな同世代で、たぶん似た音楽を聴いて育ってきてて。そこが一番大きいんじゃないかな。コンピュータ・テクノロジーの側面が。他の人たちにもその質問訊いてみたら面白いだろうけど。

とくにアメリカでは、こういうドリーミーな音は、ウォッシュト・アウトが出てくるまで、あまりになかったと思います。しかし、この2年、欧州のインディ・シーンでもドリーミーな音が目立っています。あなたに近いテイストをもった音楽で、共感できるアーティストはいますか?

アーネスト:それはいま挙げたような人たちだよね。新しいバンドで言うと......難しいな。僕は、もちろんいまでも新しい音楽はネットで追いかけてるんだけど、ある意味クリエイティヴな距離を置こうともしてるんだ。トレンドってことで言えば、フランク・オーシャンとか、ドリーミーでありながらR&B寄りのサウンドがある。ああいうのが去年すごく人気になったよね。うん、フランク・オーシャンをはじめとして、そのへんのサウンドをやってる面白い人たちが大勢いると思う。
 ただ個人的にはもうちょっと古いレコードを聴いてるんだ。とくにこの新作はいま出てきてる新しいアーティストより、古いレコードのほうに影響を受けてる。新しい音楽に関しては、僕はDJをよくやるんだけど、そのときはもっとダンス・ワールドにプラグインしてるんだ。プールサイドっていうバンドはすごくいいと思う。面白いサウンドを持ってて、よくあるクラブっぽいサウンドのダンス・ミュージックじゃない。もっとスロウで......この前のレコードはすごく好きだったんだ。ただ、このレコードの大きな影響のひとつにヴァン・モリソンの『アストラル・ウィークス』があって。それってダンス・レコードからものすごく飛躍してるんだけど(笑)。だから自分としては今回、純粋なエレクトロニック・ミュージックとは違うサウンドの音楽に興味を持ってたんだよね。

あなたの音楽は初期の頃から、「戦わずに逃げよ」と言っていますよね? なぜそのような思いにいたったのでしょうか? とても興味深い反応だと思います。

アーネスト:その通りって気がするな。理由はわからないけど。僕は根っからのデイドリーマー、夢想家なんじゃないかな。生まれてからずっとそうだったし......いや、僕は大好きなことをやってるし、別に自分のミジメな存在から逃げだしたいってわけじゃない。それでも、本能的にそういうところがあるんだと思う。僕はきっと理想主義者で、ロマンティックで......僕の音楽から"エスケーピズム=逃避主義"っていう言葉を受け取って、それをネガティヴに考える人が多いんだけど、僕からするとアート自体がユートピア的なものなんだよね。日常の生活、いまここにおいてはすべてがパーフェクトってわけにはいかないかもしれないけど、なんであれ白昼夢として夢想することはできる。とくにこのレコードは全部それについてなんだ。頭のなかのもうひとつの世界、白昼夢、オルタナティヴな現実――なんて呼んでもいいけど。

トールキンやルイスの『ナルニア物語』のようなファンタジー小説をあなたが好む理由は何でしょう?

アーネスト:えーと、実際そういう本は読んでるし、ファンと言ってもいいけど、そういう物語が大好きだとは言えないな。でもファンタジーっていう言葉を聞くと、そういうものがまっさきに思い浮かぶ。一番先に思い浮かぶ世界がルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』だったり、トールキンの中つ国だったり。ただ、必ずしもこのレコードの制作時にそういうものを考えてたわけじゃなくて。むしろ、もっと現実的な世界をユートピア的視点から見てるっていうのかな? 別に動物がふわふわ浮かんでるとか、そういうんじゃないんだ(笑)。いま起きてることのもう少し良いヴァージョンなんだよね。
 僕、これが最初のインタビューだから、あと何度かやればもうちょっとうまく説明できるんだろうけど......。とにかく僕は毎日作業を続けてたんだけど、どんなアーティストでも作家でも、長い間ひとつの創造的空間を生み出そうとしてると......あるポイントにくると、もう問題は「ウォッシュト・アウトにとって意味が通じるか?」ってことじゃなくて、「自分が作りだしているその空間にとって意味が通じてるか?」ってことになるんだ。うまく言えないんだけど、僕にとってはその思考が興味深かった。その結果、2年前なら使わなかったような音楽的アイデアをたくさん使うことになったしね。頭のなかの空間で生きてるような感覚、創造的世界が存在してて、『どうすればこれを描きだせるだろう?』って感じだった。僕にとってこのレコードのサウンドは全部それなんだよ。とても温かくて、視覚的なサウンドで......ハープを多用してるよね? あのクラシックなハープ、グリッサンドっていうんだけど、あれは僕にとって夢の状態をリプリゼントするサウンドなんだ。初期のディズニー映画なんかでよく使われてる音なんだけど。とにかくそういうテキスチャーが、僕なりに自分が作りだそうとしていた世界を描きだしてるんだよ。

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僕の音楽から"エスケーピズム=逃避主義"っていう言葉を受け取って、それをネガティヴに考える人が多いんだけど、僕からするとアート自体がユートピア的なものなんだよね。日常の生活、いまここにおいてはすべてがパーフェクトってわけにはいかないかもしれないけど、なんであれ白昼夢として夢想することはできる。


Washed Out
Paracosm

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『ライフ・オブ・レイジャー』に収録された楽曲は、サンプリング・ベースの作りをしていました。そこから脱却するのに、あなたは自分の作曲法をどのように変えていきましたか?

アーネスト:サンプリングが素晴らしいのは、サウンドのテキスチャーが豊かなんだよね。何かしら処理が施されてるから、アコースティック・ピアノの純粋な音なんかとは感触が違う。僕はサンプリングのそういうところがすごく好きなんだけど、欠点としては曲を書くときにフレキシビリティがないんだ。あるループが曲の一部にはハマっても、曲を広げていこうとすると仕えなくなったり。反復的にしか使えないんだ。ダンス・ミュージックやヒップホップが反復的なのは、だからなんだよね。僕は新作ではそこから離れて、もうちょっと違うソングライティングのアイデアを試したかった。もう少し複雑なアイデアをやりたくて、そのためには普通のインストゥルメンテーションを使うほうが理に適ってたんだ。
 でも普通のインストゥルメンテーションをウォッシュト・アウト的にするには、さっき言ってたようなテキスチャーのある楽器を見つけなきゃいけなくて。で、いくつかのキーボードがこのアルバムのサウンドの核になったんだよ。一番有名なのがメロトロン、60年代初期に作られたキーボードで。オーケストラルな楽器、フルートやホーン、ハープ、そういう音があらかじめ録音されてて、ほとんどサンプラーみたいなキーボードなんだよね。元々の楽器、フルートなんかから録音された音がそれぞれの鍵盤に割り当てられてて、弾けるようになってる。しかも時代遅れのテクノロジーを通じて、面白いテキスチャーが生まれてるんだ。僕にとってはそれが両方の世界の一番いいとこどりだった。サンプリング的なテキスチャーがあるのに、ピアノを弾くように自由に弾けるんだ! 僕はそれでコードを弾いて、ハーモニーを作っていった。すごく楽しかったな。

今回は機材の面で、どのような変化がありましたか? セッティング自体も変わった?

アーネスト:機材もセッティングも変わったね。僕はジョージア州アトランタからアセンズへ引っ越したんだけど、そんなに遠いわけじゃなくて、車で1時間くらいかな? ただ田舎に移ったことがこのアルバムにとっては大きかった。僕にとっては初めてちゃんとしたスタジオを家に設置したことも重要だったと思う。
 うん、実際このレコードには、ウォッシュト・アウトの他のレコードで使われた音がひとつとしてないんだ。全部一から作っていったから。『ウィズイン・アンド・ウィズアウト』はかなりシンセサイザーを多用したレコードで、シンセサイザーの長所はほぼどんなサウンドでも作れるところだよね。ベースでもドラムでも、どんな楽器のどんな音でも大抵複製できる。だから『ウィズイン・アンド・ウィズアウト』は一握りのシンセサイザーで作ったレコードだったんだけど、新作ではそこをもっと広げたかった。全部にシンセサイザーを使うんじゃなくて、サウンドごとに合った楽器を使うっていうのかな? 例えばチェレスタっていう鍵盤楽器はベルみたいな音、高音域のキラキラした音が出るから、とくにそういうテキスチャーが欲しいときに使ってみたり。とにかくシンセサイザー一辺倒じゃなくて、もっと音のパレットを広げたかったんだ。できるだけ新しいサウンドを導入したかったんだよね。

(※この続きは紙『ele-king vol.10』に掲載。興味深いことに彼は、本作のインスピレーションとして、ヴァン・モリソンの傑作『アストラル・ウィークス』の他に、フォークトロニカ時代のフォー・テットを挙げている。初期のフォー・テット......というのは最近再発されているけれど、ウォッシュト・アウトとの親和性で言えば、実に辻褄が合う話だ。そうなるとやはり、少々強引な言い方だが、サマー・オブ・ラヴの種子は気がついたらアメリカに戻っていた、ということなのだろうか......。もしそうだとしたら、『コスモグランマ』もエメラルズもサン・アローも、そしてトロ・イ・モアやウォッシュト・アウトも......)



Sewn Leather - ele-king

 だいぶ前に僕が三田格の後ろ盾のもと、野田編集長以下を騙しつつもソーン・レザー(Sewn Leather)ことグリフィン・ピンとDJドッグ・ディック(DJ Dogdick)(犬チン)ことマックス・エイゼンバーグの合体ユニット、ドッグ・レザー(Dog Leather)を紙エレキング巻頭インタヴューにフィーチャーするという暴挙に出たにも関わらず、それ以降の布教活動をおろそかしている自分に憤りを感じる。

 三田格から「マーク・スチュワートの再来」とのお言葉を頂いたソーン・レザーではあるが、先日いつも〈ヴィンセント・レディオ〉にてお世話になっている阿部さんが我が家に訪れた際にヴィデオを観せたところ、まったく同じリアクションを取っていたのでなるほど、確かに。エレキング読者諸氏は果たしてどのようなリアクションを取ったのだろうか。真相は闇のままである。

 ここで紙エレキングを未読の方々にソーン・レザーの何たるかを知っていただくためにまずはこれを見てほしい。

 はい。いまのはグリフィンがシカゴでのショウへの道中、対バンのウルフ・アイズに向けてリスペクトを送るため車内で撮影されたものですね(もちろん自画撮り)。

 これがグリフィンなんです。ソーン・レザーなんです。

 僕は個人のパーソナリティをしっかりと体現している音楽に何よりもエキサイトするのだが、そういった意味で彼は最高である。

 まず80'sホラー・ムービーから飛び出してきたような風貌。終わることのないドリフト生活のなか、何度も繕い直されたサバスやヴェノム、バーニングウィッチにコラプテッド、ギズムのシャツが強烈なリアル・クラスト・スタイル。最高のDIYタトゥー(個人的にタトゥーってやっちまってる感があればあるほどイケてると思う)。

 まさかウルフ・アイズもウータンのWの頭文字でバンド名彫られるフォロワーが現れることを予想できたであろうか?

 近年のグリフィンの活動は、本国よりもヨーロッパの手厚いサポートを受けているようだ。それはおもにドラキュラ・ルイス(Dracula Lewis)として知られるシモーネ・トラブッチによるレーベル〈ハンデビス〉(Hundebiss)の、イタリアからの壮絶なラブ・コールによって企まれているのだろう。〈ハンデビス〉の美しいダイカット/変型カヴァーに包まれた特異なリリースには毎度感動させられてはいるが、ドラキュラ・ルイスのほうは個人的にちょっと......。

 と言うのも、昨今の猫も杓子もインダストリアル化現象を待っていたかのように復活したウルフ・アイズの新作を聴いたときの感覚に近い、この手のスタイルに必要不可欠である衝動の是非。グリフィンの前には、ベテランもイタリアはミランのヒップスターも霞んでしまうのは仕方あるまい。そういう意味ではウルフ・アイズを脱けたアーロン・ディロウェイはいまも変わらぬ衝動を昇華しているようにみえる。いい歳こいて。

 そしてグリフィンは繊細な男だ。昨年僕がLAに滞在していた際、たまたま郊外のクラスト・ハウス「ウーマン」に転がり込んでいた彼からのパーティーお誘いという名目の車での送り迎えのなかで触れた彼のグラス・ハート。その儚い輝きに魅せられて誰もがこの男を愛するのであろう。ゆえに彼は世界中をドリフトしつづけられるのだ。

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