「Ord」と一致するもの

Chevel - ele-king

 マムダンスとロゴスが主宰するレーベル〈Different Circles〉は、ベース・ミュージック、ダブステップから派生しつつも、真に新しいビートとサウンドを追及している貴重なレーベルである。
 〈Different Circles〉は、彼らのトラックに加え、ラビット、ストリクト・フェイスなどのトラックを収録したコンピレーション『Weightless Volume 1』(2014)、シェイプドノイズやFISなどのトラックを収録した『Weightless Volume 2』(2017)、ラビットやストリクト・フェイスのスプリットやエアヘッドの12インチなどをリリースしている。

 〈Different Circles〉がリリースしたトラックは数はまだそれほど多くはないが、どれも刺激的なものばかりだ。中でもマムダンスとロゴスによる「FFS/BMT」(2017)は、インダスリアル/テクノやグライムを経由した「非反復性的」なサウンド/リズムを実現したひときわ、重要な曲である。
 この2トラックはマテリアルでありながら重力から逃れるような新しい浮遊感を実現し、最新型のエレクトロニック・ミュージックの重要なテーゼ「Weightlessness=ウェイトレスネス」を体現している。今、「新しい音楽とは何か?」と問われたら、即座に「FFS/BMT」と〈Different Circles〉の作品を挙げることになる。


 彼らは2015年にUKの〈Tectonic〉からアルバム『Proto』をリリースしており、先端的音楽マニアには知られた存在だったわけだが、この「FFS/BMT」で明らかにネクスト・ステップに突入したといえよう。
 ちなみに〈Different Circles〉のレーベル・コンピレーションアルバム『PRESENT DIFFERENT CIRCLES』(2016)にも、“FFS”がミックスされ収録されているので、こちらも聴いて頂きたい。

 と前置きが長くなったが、その〈Different Circles〉における初のアーティスト・アルバムとなったのが、本作、シェヴェル(Chevel)『Always Yours』である。
 シェヴェルことダリオ・トロンシャンはイタリア出身のプロデューサーで、2008年に〈Meerestief Records〉から12インチ「Before Leaving E.P」、2010年にはイタリアのエクスペリメンタル・テクノ・アーティストのルーシー主宰〈Stroboscopic Artefacts〉からEP「Monad I」などを発表し、2012年以降は、シェヴェル自身が運営するレーベル〈Enklav.〉から多くのトラックを継続的にリリースし続けた。
 そして2013年にはスペインの〈Non Series〉からアルバム『Air Is Freedom』を、2015年には〈Stroboscopic Artefacts〉からアルバム『Blurse』などをリリースする。特に『Blurse』は〈Stroboscopic Artefacts〉らしい硬質なサウンドを全面的に展開し、いわば「2010年代のインダスリアル/テクノの総括・結晶」のようなアルバムに仕上がっていた。メタリックなサウンドが、とにかくクールである。

 本作『Always Yours』は『Blurse』から約3年ぶりのアルバムだが、やはり時代のモードを反映し、〈Different Circles〉=「Weightlessness=ウェイトレスネス」的な音響の質感へと変化を遂げているように聴こえた。テクノ的な反復を超克しつつ、ミュジーク・コンクレート的な音響が重力から逃れるように接続されているのだ。これはモノレイクことロバート・ヘンケのレーベル〈Imbalance Computer Music〉からリリースされたエレクトリック・インディゴ『5 1 1 5 9 3』などにも共通するサウンドの構造と質感である。「非反復的構造の中で浮遊感と物質性」が同居するサウンドは2018年のモードといえる。

 性急なリズムがいくつも接続され、サウンドのランドスケープを次第に変えていく“The Call”、四つ打ちのキックを基調にしながらも重力から浮遊するようなサウンドを聴かせる“Arp 2600”、細やかなリズムと霞んだアンビエンスが交錯し、やがてヘヴィなリズムが複雑に接続されていく“Data Recovery”、変形したリズムが世界の状況をスキャンするように非反復的/点描的に配置され、「コンクレート・テクノ」とでも形容したいほどに独自のサウンドを展開する“Dem Drums”など、どのトラックも優雅さと実験性を秘めたテクノのニューモードを体現している。

 シェヴェルの『Always Yours』を聴くと、ブリアルが『Untrue』(2007)で提示した00年代後半以降の世界観の、その先の表象を感じてしまう。
 2010年代末期の現在は、末期資本主義の爛熟期である。それは金融、モノ、情報が加速度的に巨大化・流動化している時代でもある。そしてそれらが一気にヒトの存在=許容量を超えた時代でもある。「世界」が人間以外の何かの巨大な集合体として存在するのだ。
 私見だが、本作の物質が流動するモノ感覚には、そのような同時代的かつ現代的な感覚を強く感じる。モノが浮遊する感覚。非反復的構造の中で浮遊感と物質性。それらは極めて現代的なサウンド・コンクレート感覚だが、ゆえにいまの世界の同時代的な表象でもある。そのような時代にあって、シェヴェルが「Always Yours」と記すことの意味とは何か。本作の非反復的/反重力的なコンクレート・テクノに、今の時代を貫通する無意識と潮流を探るように知覚に浸透させるように聴き込んでいきたい。

 暗闇に浮かび上がる清涼飲料水の自動販売機を捉えた印象的なアートワークは日本人フォトグラファー山谷佑介の作品である。どこか「人間以降」の世界のムード(兆候)さえ漂わしている素晴らしいアートワークだが、この無人の商業マシンが放つ人工的な光=アンビエンスは、本作のトラックのアトモスフィアと共通するものを発しているようにも思えてならない。


Interpol - ele-king

 00年代前半、ポストパンク・リヴァイヴァルの波に乗って登場し、いまやNYを代表するバンドにまで成長したインターポール。昨年は、彼らの出発点となるファースト・アルバム『Turn On The Bright Lights』(Other Musicで売れたアルバム100枚のなかでは17位にランクイン)から15周年ということもあり、ロンドンにて同盤を丸ごと再現したライヴがおこなわれたが、去る5月11日にそのライヴを題材にしたドキュメンタリー映像が公開されている。

 バンドは先週、デヴィッド・ボウイの画像をあしらった謎めいた写真をInstagramに投稿してもおり、これを受け『NME』は、2014年の『El Pintor』に続く6枚目のフル・アルバムの発表が近づいているのではないかと報じている。

Interpolさん(@interpol)がシェアした投稿 -


 ちなみに『El Pintor』のリミックス盤にはファクトリー・フロアやティム・ヘッカーといった興味深い面子が起用されていたけれど、そういったアーティストからのフィードバックがあるのかも気になるところ。続報を待とう。

 2016年リリースの初となるオフィシャル・ソロ・アルバム『VOICE』でシーン内外に大きなインパクトを残した仙人掌(センニンショウ)。その完結編であり次作への始まりを感じさせてくれた限定EP『Word From ...』を挟み、待望のセカンド・アルバム『BOY MEETS WORLD』のリリースが決定! NY在住のビートメイカー、DJ SCRATCH NICEが全面サポートをする純度の高い仙人掌のHIPHOPを提示する作品となり、その確かな内容を確信させるティーザーがまずは公開!
 そして!そのリリースのアナウンスに合わせ、田我流、OYG、BES、jjjらをゲストに迎えてMONJUとしての新録音源も収録し、3月に完全限定プレスでリリースされたEP『Word From ...』も5/11(金)よりデジタル解禁!

仙人掌『BOY MEETS WORLD』 Teaser

仙人掌
BOY MEETS WORLD

WDsounds / Dogear Records / P-VINE
2018年6月27日(水)

PROFILE :
MONJU/DOWN NORTH CAMPのメンバー。東京最高峰のMC。
吐き出すバースの危険さは数々の楽曲で証明済み。今までにストリート・アルバム、メンバーズオンリー・アルバム、オフィシャル・ファースト・アルバム『VOICE』をリリース。2018年春に『Word
From ...』EPをリリースし、夏の始まりに2ndアルバムをリリース予定。

interview with Courtney Barnett - ele-king

 コートニー・バーネットが特別なのは、女性だからとか、オーストラリア出身だからだとか、絶滅の危機に瀕した(何度も)ロックに立ちむかう左利きのギタリストであるとか、フィンガー・ピッキングを用いているからだとか、あるいはジェンダーであるからとか、そういう特徴的なところではなくて、まず極めて優秀なシンガー・ソングライターだという真理を先に伝えておかなければならない。珍しさではないということを。


Courtney Barnett
Tell Me How You Really Feel
(歌詞対訳 / ボーナストラック付き)

MilK! Records/トラフィック

Indie Rock

Amazon Tower

 ファースト・アルバム『サムタイムス・アイ・シット・アンド・シンク、サムタイムス・アイ・ジャスト・シット』を2015年にリリースした後に、大ファンだと公言しているカート・ヴァイルとの昨年のデュエット作を経て3年ぶりに発売されるセカンド・アルバム『テルミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール』は、静寂を切り裂くようなグランジィなギターを響かせた“Hopefulessness"から幕を開ける。前作のラストに収められた“Boxing Day Blues"の続きのようにも聴こえるし、新しくダイナミックなコートニーのようにも聴こえるから不思議だ。彼女には様々な苦悩や葛藤を焼き尽くして淀みのないスタンダードでドライなロックに昇華させる力が携わっているようで、それは今作でもしっかりと健在。2018年に聴くべき音かと問われればポップスのように後に振り返れるような時代との連動性は無いけれど、3年後や10年後に聴いたとしても同じように伝わる普遍的な音であり、音楽史ではなく誰かの心に深く残る音だと答える。そして彼女のラフな佇まいや、気怠い歌声や、惚れ惚れするほど歪んだ音を鳴らすギター・プレイからは、何よりも自分自身であることの正しさ、大切さを受け取ることができる。それはフェミニズムにおける定義としてではなく、現代の多種多様な生き方の選択肢としてのさりげないメッセージのようにも思える。

 街が傷ついた魂を哀れんでる
 どんな素敵な散文も 心の穴を埋められない
 誰もが敵意に飲まれてる
 冬の厳しさは容赦なく 本心は口にできないわ
 友達は他人のように接してくるし
 他人は親友のように接してくる
 今日もまた 憂鬱な1日に目覚める
 まだ長い道のりがある ありがたく思わないと
“City Looks Pretty”

 憂鬱で笑っちゃうほど孤独、そんな俗世間にいる自分をユーモラスに切り取る歌詞は、今作では更に鋭いまなざしで何かを見つめ、しかし語り口は少し優しく変化している。優れたソングライターとは、リスナーがそこに自分がいると錯覚を起こすような言葉を曲のなかにいつも忍ばせているものだ。アルバムのタイトルが示唆するのは、つまりそれがあなたの本当の気持ちだということなのかもしれない。


Photo:Pooneh Ghana

自分はなんというか、つねに何かを学んでいるし、何であれ、いろいろと葛藤し続けているしね。そう……だから、とにかく自分にとっては常に続いている「学び」のプロセスみたいなものだし、その葛藤を続けることを本当に楽しめるようになってきた、という。だから、「自分は何もかも知っているわけじゃないんだ」という、その点を認めて受け入れるってことだし、だからわたしはすごくオープンになっている。

あなたのファースト・アルバム『Sometimes I Sit And Think,And Sometimes I Just Sit』は世界中のメディアに賞賛されましたが、3年前のことをいま振り返ってみるとどんな状態でしたか?

CB:そうだな、あれはとても……エキサイティングな旅路だった、みたいな。で、その旅はまだ続いているのよね、ほんと。とにかくこう、新しくエキサイティングなことがどんどん起こっているし。たとえば世界中を旅して人びとの前で自分の歌を歌えるだとか……それって、「自分にやれるだろう」なんて思ってもいなかったことだった。だから、そう、自分でも驚かされっぱなしなの。

じゃあグラミー賞ノミネート等々も、やはり驚きだったでしょうね。

CB:ええ、もちろん思ってもいないサプライズだった。だけど、わたしはそういった「外部のもろもろ」みたいなものはなるべく知らないままでおこうとしたっていうのか、ほんと、そこらへんはあまり考え過ぎないようにしていた。それよりももっとこう、とにかくライヴをやりに出向いていって、実際にチケットを買って音楽を聴きに来てくれた会場いっぱいのお客を相手に演奏する、そちらの方が自分にとっては大事、というか。それは、アウォード云々がもたらすような何よりもわたしにとっては重要だったから。

ライヴでなら、実際の聴き手/お客さんを前にして彼らとコネクトできるわけですしね。

CB:ええ。

昨年リリースされたカート・ヴァイルとの共作『Lotta Sea Lice』はおふたりともとてもリラックスして楽しんでる様子が伝わってくる大好きなアルバムなのですが、この作品を制作したことはあなたの新作にどんな影響を与えていますか?

CB:もちろん、影響はあったわ。っていうか、何にだって影響されるものなんじゃないかな? わたしが何か作ろうとすれば、いつだってそこでは何もかもが影響し合っているんだし……というのも、わたしたちはあのアルバム(『Lotta Sea Lice』)をやっている間にそれぞれ自分たちの作品に取り組んでいたし、わたしはあの間に自分の新作のソングライティングもやっていたのね。
だからそう、それって(わたしとカートの)双方向に作用するだろう、というか、わたしのこのアルバムはふたりでやったコラボレーション作に影響を受けただろうし、彼の作品にしてもそれは同様だ、と。だからほんと、わたしはたまたま同じデスクに腰を据えることになった、同じ時期に同じデスクに向かってあれらの曲を書いていた、みたいな? そうやって曲を書いていったたわけだけど、ただ、結果的にあれらは2枚の違うレコードに収まることになった、という。で、うん……それに、普段とは違うミュージシャンたちとプレイするだとか、いつもと違うジョークをいつもと違う人たち相手に言い合うとか、その程度のことだって、それらすべてが合わさっていくと、やっぱりいままでとは異なる体験やインスピレーションになっていくものだろうし。

そしてカートとの共作は今後も続く可能性はありますか?

CB:ええ! またやれれば良いなと思ってる。うん、割と最近彼ともそれについては話したし、2、3年後にでも、また一緒に集まろうか? それでどんな感じになるか試しやってみようよ、という話はしてる。

それは良いですね!

CB:(笑)ええ。

新作についてですが、『テルミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール(Tell Me How Really Feel)』というタイトルにこちらを覗き込むような顔、静かな怒りやメッセージを含んだ歌詞など新しいスタイルを感じました。

CB:うん。

それとは裏腹に歌い方は穏やかで優しくて、ギターは相変わらず荒々しく鳴っているアンバランスなところにも魅力を感じました。ファースト・アルバムを制作した後に何か大きな心情の変化はありましたか?

CB:そうね……でも、大きな変化はそれこそ毎年、コンスタントに自分に起きているな、そんな風に感じているけれども。来る年来る年、自分には常にある種の大きな変化が訪れてきたし、そうした変化って、一生続くものなんじゃないか?と。そうだな、そこが、自分でもわかりはじめてきたところなんだと思う。
だから、時間が経つにつれて自分は物事に対処しやすくなる、あるいは物事の筋道が理解しやすくなるだろう、と考えるわけだけど、実はそんなことってないんじゃないか、と思っていて。わたしからすれば、自分はなんというか、つねに何かを学んでいるし、何であれ、いろいろと葛藤し続けているしね。そう……だから、とにかく自分にとっては常に続いている「学び」のプロセスみたいなものだし、けれどもそのプロセスに抵抗して闘うのではなくて、その葛藤を続けることを本当に楽しめるようになってきた、という。

なるほど。

CB:だから、「自分は何もかも知っているわけじゃないんだ」という、その点を認めて受け入れるってことだし、だからわたしはすごくオープンになっている。そうやって色んなことに対してオープンである状態を続けながら、そうだな、さらに色んなものを学ぼうとしているってことじゃないかと思う。

ちなみに、このアルバムを作るにあたって特別なテーマなどを設けたのでしょうか?

CB:ノー! それはなかった。そうじゃなくて……なんというか、曲を書き続けていくうちにだんだんテーマがはっきりしていった、というものだったんじゃないかな。アルバムには繰り返し出て来るアイディアが2、3あるけれども、「これ」といったかっちりしたテーマはとくになくて。だから、自分でも「テーマはこういうものだ」って風に見定めてレッテルを貼り付けることをしないまま、とにかく曲を書いていっただけだし、そうすることで自然にどんな風に広がっていくかを見守ろう、と。

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Photo:Pooneh Ghana

まあわたしはそもそもネットやSNSにはそんなにハマっていないと思うけど、そういった面にはあまり関わらないように努めていた、みたいな? 自分もソーシャル・メディアはちょっと使うけど、すごく「活用してる」ってほどじゃないし……んー、あれってまあ、奇妙なものよね。


Courtney Barnett
Tell Me How You Really Feel
(歌詞対訳 / ボーナストラック付き)

MilK! Records/トラフィック

Indie Rock

Amazon Tower

前作の"Pedstian at Best"などはMVの制作にも関わっていたと伺いました。今作の"Nameless,Faceless"のMVはフランツ・フェルディナンドの"Take Me Out"を彷彿させる、実写映像とモーショングラフィックスを掛け合わせたようなユーモアの効いたMVですが、これはあなたのアイディアによるものですか?

CB:いや、自分のアイディアという意味ではそこまでではなくて、あのMVは……友だちのルーシー、彼女がほとんどやってくれた、というか。「大体こういう感じ」と彼女に伝えて、でも、そこから先は彼女自身の発想であのヴィデオを作っていってくれた、という。わたしとしてもそうして欲しかったし、彼女のことは信頼していたし、彼女のアイディアを知ってわたしとしても「それでオーケイ、やってみて」と。

(笑)。

CB:うん。彼女はすごく良い仕事をしてくれたと思う。

じゃあ基本的に、彼女はあの曲を聴いて、それを彼女なりの解釈であのヴィジュアル、というかヴィデオへと変換した、という。

CB:そうね、そういうこと。

有名になることでそれこそ名前のない、顔のない人びとの誹謗中傷されることもあるかもしれませんが──

CB:ああ。

なかには誉めてくれるポジティヴな人もいるし、一方で悪口を言う人間もいる、と。で、インターネットやSNSとの付き合い方についてはどうお考えですか?

CB:うん、自分でもトライした、というか……まあわたしはそもそもネットやSNSにはそんなにハマっていないと思うけど、そういった面にはあまり関わらないように努めていた、みたいな? 自分もソーシャル・メディアはちょっと使うけど、すごく「活用してる」ってほどじゃないし……んー、あれってまあ、奇妙なものよね。そうだと思う。だから言うまでもなく、わたしであれ誰であれ、ああしたプラットフォームに出ている人たちは、何を言われても「非難された」って風に気にしない、それらを個人攻撃だとは受け取らない、そういう強い人間である必要があるわけよね。それに、たとえパーソナルな批判ではないと承知していても……だから、(ネットでの)人びとが持つああした姿勢というのは、その人間の抱く「恐れ」から来ているんじゃないか? と思っていて。

ああ、たしかに。

CB:たとえば、「自分は他のみんなについていけてない」とか、「自分は他よりも劣っている」みたいな恐怖感のこと。で、そういう恐れを抱いている人びとは、自分の優越感のために他の人間たちに対してパワーを誇示しようとする、という。で、いったんその仕組みを理解してしまえば、なんというか、ある意味ネットのもろもろに接するのが楽になる、っていうのかしら。
だから、自分自身に対して厳しく接するのって、人間に本来備わっている性質のようなものだと思うのね。自分のやっていることに対して「これで充分、ばっちり」って風に絶対に満足できないものだし、まだ自分には努力が必要だ、と考える。みんないつだって……っていうか、わたし自身はそうなんだけど、「誰もわたしのことなんか好きじゃない」、「自分のやっていることはまだまだ」云々ってことをいつも感じているし。
だから、どうなんだろう? それって恐れってことだし、とにかく誰もがそうした恐れだとか不安感は抱いているものだと思う。失敗するのが怖い、とかね。それらを乗り越えるのはなかなか難しいわけで。

若い人にとってはその不安感は大きいみたいですしね。ネットは便利だし役に立つけれども、逆に常に美しい世界や人びと、金持ちのライフスタイルを見せつけられて、「なんで自分はこうじゃないんだろう?」と悩んだりするみたいですし。

CB:そうよね。


Photo:Pooneh Ghana

先日10年ぶりに発売されたブリーダーズの新しいアルバムにあなたがコーラスで参加し、反対にあなたの曲"Nameless,Faceless"にはキム・ディールがコーラスで参加しているそうですが、どういった経緯でこの交流が行われたのですか?

CB:あれは、わたしたち……キム・ディールとわたしとで、2年くらい前に『Talkhouse』という番組のポッドキャストをやったのね(2015年4月)。お互いをインタヴューし合った、という。あれは最高だったし、以降もわたしたちはコンタクトをとり続けていた。で、あるときオハイオ州に立ち寄ったことがあって、そこで彼女に「せっかくだから会わない?」と電話してみたの。そうしたら彼女はブリーダーズとスタジオ入りしていたところで、「スタジオに来なさいよ」と言われて、それでわたしたちもお邪魔することにしたんだけど、彼女たちはちょうどあのヴォーカル・パートを録っていたところで、それでわたしたちも飛び入りで参加して歌うことになった、と。で、その2、3ヶ月後に……っていうか、1年くらい経ってからだったかな? 今度はわたしが自分のアルバムに取り組んでいて、そこで彼女たちに自分の音源を送ってみたのね。そうしたら彼女が電話してきてくれた、という。そういう成り行きだった。

いずれ、ブリーダーズとのツアーがやれたらいいですね?

CB:あー、そうなったらグレイト! うん、ぜひやれたらいいわよね。

"Nameless,Faceless"の歌詞のサビ部分ではカナダの女流作家マーガレット・アトウッドの言葉を引用、というか少し言葉を変えて引用しているということですが──

CB:ええ。

あのフレーズはすごく的を射ている、言い得て妙だな、と個人的にも思うんですが──

CB:そうよね。

で、先日、性被害撲滅運動を求める「MeToo」運動について彼女は、運動の行き過ぎと裁判なき非難や司法制度を迂回することに懸念を示す発言をしている、という記事を目にしました。オーストラリアの音楽業界の性差別の撲滅についての署名を行ったというあなたは、このことについてどう考えますか?

CB:そうね、っていうか、あの記事そのものに関しても、自分はいろんな立場/視点から書かれたものを目にした。だから、それだけ扱いが難しいのよね、こういうことって……もちろん、ああした何らかの「ムーヴメント」には、それがどんなものであれ、(「運動」である限り)ある種の良くない部分というのはつきものなわけで。ポジティヴで良い面があるけれども、一方で足を引っ張る側面も出て来る。だからとても難しくもあるのよね、というのも、みんなそれぞれに異なるヴァージョンを持っている、各人の見方を通じてそのムーヴメントの働きなり、「その運動は何か」というそれぞれの解釈がある、みたいなもので。

なるほど。

CB:だから、たとえば……(思わず噴き出す)それこそ1960年代頃の古い話まで遡っても、あの頃だって平和主義か、それとも好戦主義か? とのバランスの間で戦いが生じていたわけだし。ただ、今回が違うところ、というか、これに関して難しいのは、わたしにも人びとの様々な意見が理解できるからなのよね。ただ、意見は異なっていても、求めている最終的なゴールはみな同じだ、と。
だから、誰もが同じ目的で闘い、それについて語り合っているわけだけれども、困るのはそれで逆にゴールが見失われてしまうこともある、ということで。実際の問題を極力抑えようと努力する代わりに、様々な議論によって、本来の目的が見失われてしまったりする。で、その本来の問題っていうのは……男性/女性間の格差のバランスを是正しよう、ということだし、それに、あの……あー、何だっけ? とっさに単語を思い出せないな(と思いあぐねて困っている)……ああ、だから、「双方のちゃんとした同意に基づかない性的な関係(Non-consensual sexual relationship」に対する異議だ、と。

はい。

CB:で……要はそういったことなのに、話が大きくなって議論が様々にふくらむにつれてわたしたちはそのなかに立ち往生してしまって、肝心な本来の問題のことを忘れてしまっているんじゃないか? と。運動のそもそも主意は、いま言ったくらいシンプルなことだったというのにね。で、誰もが(性を基準にした格差や、同意なしのセックスの強要は)「それは良くない、悪だ」って点では同意しているというのに、(苦笑)なぜだかこう、それ以外のもっとスケールの大きい政治的な会話の数々のなかに巻き込まれて、その点が見失われている、と。
だから、自分が思うに、わたしたちはもっとこう……議論の原点、最終的に達成したかったゴールに繰り返し立ち返っていくことが大事なんじゃないかな。要するに、女性嫌悪は終わりにしよう、性差別もお断り……それもあるし、とにかくああいう、他人を常に自分よりも下へとおとしめようとする行為だったり、権力を持つ者/持たない者との間の葛藤ってことよね。で……うん、話がいろいろに広がっていくと、その点が見えにくくなってしまうものだ、そこはわたしも分かっているの。ただ、肝心な点はそこだったでしょう? と。そここそ、人びとが思い出さないといけない点なんじゃないか、わたしはそう思ってる。

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Photo:Pooneh Ghana

雑誌とかテレビなんかで男性のロック・バンドばかり目に入ってくると、「そういうものなんだ、女の自分が属する世界じゃないんだ」みたいな感覚を抱くでしょうし。ただ、その状況は今、大きく変わってきていると思う。もちろん、そうした状況はとても長く続いてきたけれども、ここしばらくはずいぶん変化してきていて、すごく良いなと思っている。


Courtney Barnett
Tell Me How You Really Feel
(歌詞対訳 / ボーナストラック付き)

MilK! Records/トラフィック

Indie Rock

Amazon Tower

同世代のミュージシャンの中であなたがシンパシーを感じる人がいれば教えてください。

CB:うん、たくさんいるわ。多過ぎるくらいで……というのも、わたしは今、ものすごく音楽に夢中って状態だから。過去2、3年ですごくたくさんの人びとに出会えたし、そのおかげで自分はまた音楽に改めて恋するようになった、みたいな感じで。

ああ、それは素敵ですね。

CB:それこそ、自分が10歳だった頃に戻った気分なの。で、わたしがカート(・ヴァイル)とツアーをやったとき……あのとき一緒にやったバンド(=The Sea Lice。スリーター・キニーのジャネット・ワイス他を含む)はとてもインスピレーションに満ちていたし、他にもメルボルン出身のCamp Copeってバンドだとか、アメリカのWaxahatchee……同じくアメリカ人のShamirにPalehound 、それからSpeedy Ortiz等がいる。自分たちの声をポジティヴに使っている優れたアーティストがこんなにたくさんいて、ほんと素晴らしいなと思う。

音楽そのものがもちろんもっとも大事でしょうが、あなたが何か音楽を好きになるときは、そのアーティスト/バンドが彼らの「声」を持っていること、何らかのメッセージを発している、というのも重要なファクターですか?

CB:ええ……っていうか、音楽には本当にいろいろなパワーが備わっている、ということよね。たとえば、わたしはインスト音楽もよく聴くけれども、インスト音楽というのは「言葉(歌詞)による」メッセージは含んでいないわけ。それでも、わたしたちはそれらを聴いてこう、(笑)自分たちなりのメッセージをこしらえていくわけじゃない? だから、人びとがどう言っていようと、わたしたちは最終的にはいつだって音楽を自分独自のやり方で解釈しているものだ、と。けれども、うん、そうね、わたしはとても強い歌詞を持つ「歌」といったものに惹かれがちだし……それはただ、ソングライターの責任ってことじゃないかとわたしは思っている。
というのも、ステージに立って人びとに向かって自分の歌を歌うことができる、それって本当に名誉で特別な立場だと思うし、だったらやっぱり一語たりとも無駄にしたくない、と。それくらい、人びとが歌に耳を傾けてくれるのって、本当に名誉なことだから(と言いつつ、我ながら生真面目な口調が照れくさくなったのか、「ハハッ!」と笑っている)。

たしかに。それに、ステージに立つのには別の責任も伴ってきますよね。だから、何もあなたが「お手本役」だとは言いませんけど、ロック・ミュージックやギター・ロックは伝統的に男性が多い世界なわけで……

CB:そうよね。

だからこそ、あなたみたいな存在はロックをやりたい若い女性や少女たちがギターを手にするきっかけ、励みになるだろうな、と。

CB:ええ。それってすごくクールだなと思う。それに……もしもロックをやりたいのに、それをあなたに踏みとどまらせているものってただひとつ、さっきも話した「恐れ」というか、社会の側が言ってくる「君たち(女性)にはそれは無理」っていう考え方なんだろうし。だけど……(苦笑)だから、「どのジェンダーが他のジェンダーよりもギターを上手く弾けるか」なんていう科学的な証拠なんてどこにもないんだし……

(笑)ですよね。

CB:バカバカしい話! それに、物事のプレゼンのされ方/視覚的な影響もあるんじゃないかな。だから、雑誌とかテレビなんかで男性のロック・バンドばかり目に入ってくると、「そういうものなんだ、女の自分が属する世界じゃないんだ」みたいな感覚を抱くでしょうし。ただ、その状況はいま、大きく変わってきていると思う。もちろん、そうした状況はとても長く続いてきたけれども、ここしばらくはずいぶん変化してきていて、すごく良いなと思っている。

いまは家にいるだけで誰もが世界中のありとあらゆる音楽を聴くことができるのでリスナー側にとってはありがたい世のなかではありますが、結果的に音楽の価値が下がってしまうことには強い抵抗感があります。いまの音楽の聴かれ方についてミュージシャン側から見るとどのように感じますか?

CB:そうね……どうなんだろう? だからわたしは、そのふたつって「是か非か」を判断するのがとても微妙な境目だな、とずっと思ってきたのよね。というのも、たとえばストリーミングにしたって、わたし自身、ストリーミングのおかげで聴けるようになったなかから素晴らしい音楽を本当にたくさん発見してきたんだし、これが以前だったら、わたしは実際にレコードを買っていたわけで。何かを聴きたいと思ったら、そのレコードを買うより他に聴く手段はなかった。それがいまでは、ストリーミング等のおかげでそれまで知らなかった新たなお気に入りをいろいろ見つけることになったし、彼らのライヴを観に行くこともできるわけで……でも、そうね、ちょっと奇妙な話だと思う。奇妙よね……だから、どこかの地点でわたしたちは、音楽というアートをリスペクトするのをやめてしまったのかも? というか、もしかしたら音楽に対する敬意なんてはじめからなかったのかもしれないけど(苦笑)。アートとしてではなく単なる「娯楽」として、わたしたちミュージシャンはずっと見くびられてきたのかもしれないし……んー、自分にもよくわからない。とにかく奇妙な……奇妙な職種ってことよね、これって(苦笑)。

まあ、いまは実際にミュージシャンにお金が入ってこない、とよく言われますよね。とは言っても、コンサートはまた別でしょうし、ますますライヴが重要になっている、と。

CB:うん、その点は良いことだと思う。ミュージシャン収入の多くはいまはツアー活動から発生しているんだろうし、もちろん、それはそれで、ひっきりなしに長く続けていくのは難しい活動だけれども。そうは言いつつ、ツアー、あるいは様々なフェスティヴァルにしても、それらの多くは企業スポンサーの投資で成り立っているんだし、ライヴ会場にしたって基本的には(チケット代ではなく)アルコールの売り上げで経営を続けているんだ、みたいな感覚もわたしは持っていて。その意味では……ある種のおかしなサークルに陥っている感じだし、とにかくほんと、ストレンジだなぁ、と。

たしかに(苦笑)。

CB:(笑)ね。

今作の歌詞の一部には「友だちは他人のように接してくるし他人は親友のように接してくる」や「みんなが自分の意見を言いたがる 交通事故が起きることを永遠に待ち望みながら」など、シニカルとまでは言いませんが、鋭い心理描写があるな、と。

CB:ええ。

で、そのなかに何となくあなたが傷ついているように感じたのですが、今作を作るためにスタジオに入る前に、あなたが傷ついていた、苦い体験があったりしたのでしょうか?

CB:そうね、たぶんビターとまではいかないと思うけど……もっとも、わたしのソングライティングにはいつだって苦さは混じってきたけれども。

ええ(苦笑)。

CB:っていうのも、たぶんわたしはそういう思いを日常生活のなかであんまり出さないし、だからこそつい書く歌のなかに入り込んできてしまうんでしょうね。まあとにかく、うん、作品を作っていた頃の自分の気分が必ずしもビターだった、とまでは思っていなくて。それよりも、ただ単にこう……嫌な気分だった、というのかな。だから、いまの世界の状況に対して嫌な気分になっていたし、いろんな人びとが苦しんであがいているなと感じたし、それで自分は悲しくなっていた、という。うん。

では、歌詞についてはいまも前作"Kim's Caravan"の一節の「I am just a reflection Of what you really wanna see」と考えていますか?

CB:そうだな……だから、それってソングライターとして担う興味深い役割なんじゃないか、と思っていて。さっきも少し話したことだけれども、曲をいろいろと書いていって、それらの歌にはある種の意味合い……はっきりとした、もしくは半分くらい「こういう意味だろう」と察しのつくような内容が含まれているわけだけど、ほとんどの場合、わたしたちは曲を自分なりに解釈しているわけよね? だから、作者がどんな意味を込めた曲であっても、最終的に聴き手は自分たちが感じたままにそれを好きに解釈していく、と。わたし自身の言わんとしたこととは一切関係がないかもしれないけれど、彼ら聴き手は違う方向へその曲を持っていってしまうわけ。だけど、それはまったく問題ないし、完全にノーマルな行為なのよね。わたし自身、音楽を聴いてそれと同じことをやっているんだし。みんなそうやって、自分の思うように解釈しているんだと思う。で、そこなのよね。だから、いったん曲を書き終えてレコーディングして世に出してしまうと、それは自分個人のものではなくなる。その曲を聴いてくれる誰も彼もに属する何かになってしまうわけだし、聴いた彼らはそこで彼らなりに解釈したストーリーを「こういうもの」という風にその歌に付与していくわけよね。で、彼らの解釈は、ある意味わたしが言おうとしていたこととはまったく関係がないものになっていってしまう、という。

なるほど。ある意味、自分で書いた曲に「さよなら」しなくちゃいけないんですね。

CB:ええ。

それってある意味悲しいんじゃないか?とも思いますけど。その曲を書くのにあなたはたくさんの時間や手間ひまをかけたのに、一度世に出てしまったら、もうあなたのものではない、人びとの解釈に任せる、ということでしょうし。

CB:うん。だけど、何も自分の努力が無駄になったとか、完全に失われてしまった、というわけじゃないんだけど。ただ……

あなたの手を離れて独立した何かになってしまった、という?

CB:うん、そういうことなんでしょうね。

アルバムのなかで1曲だけ聴いてほしい曲をいまの気分で選ぶとするとどれですか?

CB:あー、たぶん、“Sunday Roast”じゃないかな?

ナイス! あれはこう、穏やかで良い曲ですよね。

CB:うん。

今後、活動の幅を広げるために故郷のオーストラリアを抜け出して有名なプロデューサーと豪華なスタジオでレコーディングをする、というようなことに興味はありますか?

CB:んー、ああ。でも、自分でもわからないな……だから、自分としては、常にいろんなオプションに対してオープンでいようと思っているけれども。うん、今後どうなるか、誰にもわからないわけで。 

ええ。でも、有名なプロデューサーと仕事する、というのはどうですか?

CB:っていうか、その案は過去にも浮上したことがあったのよね……ただ、自分が考えるのは、もしもそれをやるとしたら、それはアート/音楽そのもののためになる、アートが向上するからやる、ということであって。要するに、ただ単にそのプロデューサーが有名人だから共演する、というのではなくてね。

はい。

CB:やるとしたら、自分は正しい根拠があった上でやるんだし。だから、ただ単に「こうすればもっと売れるだろう」とか、「この人は有名だから」といった理由で他の力を借りようとはしないし、とにかく、それって自分にとっては興味がないことだ、という。

ファースト・アルバムのジャケットのイラストを手掛けていましたが、あなたにとって絵を描くことは日常的ですか? 音楽を作ることとはまた違う表現の仕方なのでしょうか?

CB:ええ。でも、実はここしばらくはあんまりドローイングはやっていなくて。それが理由なのよね、今回、自分の写真をジャケットに使うことになったのは。イラスト/ドローイングをやるよりも写真を撮る方にもっと時間をかけていたから。

なるほど。でも、イラストであれ写真であれ、それらはあなたにとって音楽とはまた違う自己表現の仕方?

CB:そうね。だから、それぞれに……それら異なる媒体は、それぞれに違う面を引き出してくれるものだと思ってる。

音楽をやるうえであなたがいちばん大事にしていることや拘っていることは何ですか?

CB:そうだな、それってこう、ある意味……本来の目的に戻っていくことだ、というかな。それと同時に、真摯さに戻っていくこと、というか。ああ、それに、それと同時に、自分の脆さを受け入れること、もあるかな。自分自身の弱さ/脆さから逃げ出すのって、ある意味簡単なのよね。で、そうした自分の弱さを恐れて隠れてしまう、怖がってしまう、という。だけど、うん、自分にはそういう脆さがあるんだっていう事実を自分でも受け入れて、ある意味それを享受するようにまでなること……だから、そうした弱さを何かの形で役立てられるようにする、というのかな?

なるほど。では、反対にやりたくないと思っていることは?

CB:あー、でも、そういうことは、いざ自分の身に降り掛かってきたらすぐに「やりたくない!」とわかると思う。だから、本能的に「これはやりたくない、これは自分にはどうにも居心地が悪い」、って風に感じてやらないんじゃないかな。要は、そのときそのときで、「何が正しいか/正しくないか」って判断はみんなそれぞれに下しているんでしょうし。

アルバム・リリースに合わせて来日する予定はありますか?

CB:まだ公式な告知は一切していないけれども──そのプランには取り組んでいるところ。日本にまた行ける日が待ち遠しくて仕方ない。日本はすごく気に入ったし、ほんと、最高で……だからまた日本に行けたらいいよね? とみんなエキサイトしてるし、ほんと、できればまた来日が実現したらいいなと思ってる(笑)。

それは良かった。ファンもみんな再会を楽しみにしていると思います。

CB:うん。

今日は、お時間いただいてありがとうございました。

CB:ありがとう。バーイ!

Gwenno - ele-king

 世界は滅びる。あまりにもたやすく、それは消失する。核戦争なんか起こらなくたっていい。地球外生命体からの侵略を待つ必要もない。あなたがいつもどおり毎日の暮らしを送ってさえいれば、ただそれだけで世界は滅び去っていくのである。
 たとえば「This is a pen」という定型文がある。この言い回しから想像される風景は、「これはペンです」という言い回しから想像される風景と大きく異なっている。言語はそのおのおのに固有の認識の帝国を築き上げる。ようするに、言語こそが世界を作り上げているのである――なんて書くと構築主義っぽくなっちゃうけれど、言語にそういう側面があることは否定しがたい事実だろう。だから、あるひとつの言語が失われるということは、それによって認識されていた世界がひとつ滅亡するということなのだ。
 現在地球上に生存する言語の数は3000とも5000とも8000とも言われている。その正確な数をはじき出すことは不可能だが、2年前の『ワイアード』の記事によると、それらは4ヶ月にひとつのペースで失われていっているのだという。あるいは2週間にひとつ、という説もある。いずれにせよ、あなたが歯を磨いたり満員電車に揺られたりクラブで踊ったりして過ごしている数週間ないし数ヶ月のあいだに、少しずつ、だが確実に、世界は消滅していっているのである。

 そんなふうにいまにも消えてしまいそうな世界を崖っぷちのぎりぎりで支えている言語のひとつに、コーンウォール語(ケルノウ語)がある。ケルト語派に分類されるその言語はユネスコの評価によれば「極めて深刻」な消滅の危機にあり、日本でいうとアイヌ語がこれに相当する。
 コンセプチュアルなインディ・ポップ・バンド、ザ・ピペッツのシンガーだったグウェノー・ソーンダーズ、彼女にとって2枚目となるソロ・アルバム『Le Kov』は、そんな絶滅の危機に瀕したコーンウォール語で歌われている。タイトルの「Le Kov」が「the place of memory」すなわち「記憶の場所」を意味していることを知ると、なるほどこのアルバムは彼女の母語をとおしてその私的な思い出を回顧する類の作品なのかと思ってしまうけれど、しかしグウェノーはコーンウォール人ではなく、ウェールズはカーディフの出身である。じっさい、SFからの影響とフェミニズムなど政治的な題材を掛け合わせた前作『Y Dydd Olaf』(2014年)は、おもにウェールズ語で歌われていたのだった(収録曲“Chwyldro”はのちにウェザオールがリミックス)。とはいえ、コーンウォール語の詩人を父に持ち、幼い頃にその言語を教わった彼女にとってコーンウォール語は、ウェールズ語と同じように「ホーム」を感じることができる言語なのだという。

 エレクトロニック・ミュージックのリスナーにとってコーンウォールと言えば、何よりもまずエイフェックスである。彼は当地の出身というだけでなく、『Drukqs』でじっさいにコーンウォール語を曲名に使用してもいる。その14曲目、ピリペアド・ピアノが美しい旋律を奏でる小品“Hy A Scullyas Lyf A Dhagrow”から着想を得たのが、グウェノーのこのアルバムのオープナーたる“Hi A Skoellyas Liv A Dhagrow”だ。といってもエイフェックスから借りてきたのはどうやらタイトルだけのようで、レトロなストリングスと囁くようなヴォーカルの合間に挿入されるトリッシュ・キーナンのごときコーラスは、むしろブロードキャストを強く想起させる。いまはなきかのバーミンガムのバンドの影はこのアルバム全体を覆い尽くしており、シングルカットされた2曲目“Tir Ha Mor”や、8曲目“Aremorika”あるいは9曲目“Hunros”など、随所にその影響が滲み出ている。

 全篇がコーンウォール語で歌われているからといってグウェノーを、絶滅危惧言語の保護を声高に叫ぶアクティヴィストに仕立て上げてしまうのは得策ではない。4曲目“Eus Keus?”は英語に訳すと“Is there cheese?”となるそうで、古くからあるコーンウォール語の言い回しをそのまま使ったものらしいのだけれど、ようするにただ「チーズある? ない? あるの?」と歌っているだけの冗談のような曲である。つまり彼女はここで、マイナー言語による表現だからこそ尊い、というような反映論的な見方に対しても果敢に闘いを挑んでいるわけだ。

 プロデューサーであるリース・エドワーズの仕事だろうか、ブレグジット後の孤立感が歌われているという3曲目“Herdhya”など、エレクトロニクスの使い方もまずまずで、かねてよりウェールズ語を己のアイデンティティとしてきたスーパー・ファーリー・アニマルズのグリフ・リースが気だるげな歌声を聴かせる“Daromres Y'n Howl”なんかは、アヴァン・ポップのお手本のような作りである。ドラムを担当しているのは同じくウェールズ人脈のピーター・リチャードソン(元ゴーキーズ・ザイゴティック・マンキ)で、全体的に催眠的だったり浮遊的だったりする上モノをきゅっと引き締めるその手さばきもまた、本作に良い効果を与えている。
 このようにグウェノーの『Le Kov』は、歌われている内容がまったく理解できなかったとしても、鳴っている音に耳を傾けるだけでじゅうぶんに楽しむことのできるアルバムとなっている。コーンウォール語という言語のマイナー性に頼らずに遊び心に溢れたサウンドを聴かせること――まさにそこにこそ本作の大きな魅力があるといえるだろう。

 たとえ世界が滅亡してしまったとしても、すなわちたとえコーンウォール語が完全に消失してしまったとしても、いまエイフェックスの『Drukqs』が若い世代に参照されそれまでとは異なる意味を帯びはじめているように、グウェノーのこのアルバムもまた文字どおりレコード=記録として永遠に……とまではいかなくともそれなりに長期にわたって振り返られることになるだろう。すでに滅び去った世界を指し示す、新たな想像=創造の契機として。

Novelist - ele-king

 デビュー・アルバム『Novelist Guy』をリリースしたノヴェリスト。これまでマムダンスとのコラボEPを2014年に〈XL・レコーディング〉よりリリース、スケプタのヒット・アルバム『Konnichiwa』への参加、チェース&ステータスの客演など印象的なコラボレーションをいくつも重ねてきている。その注目のデビュー・アルバムは何回かの発売延期の末、自身のレーベル〈ウーンイェア・レコード〉(Mmmyeh Records)からのリリースとなった。ほぼ全曲をノヴェリストが制作し、グライムのBPM140からラフサウンド(BPM160)までと幅を広げた。浮遊感のあるシンセが奏でるもの悲しげな雰囲気、モノトーンでエネルギッシュなラップが独特のサウンドを鳴らしている。
 もしノヴェリストのエネルギッシュなスタイルを知りたければ、まず“マン・ベター・ジャンプ・アップ”や”ノヴ・ウェイト・ストップ・ウェイト”を聴いてみればいい。ソウルが滲み出るラップ、歪んだキックと無骨なビートが組み合わさり、鋭くもポップな曲となっている。アルバムはそれだけではない。より重要なのは、若干21歳のノヴェリストがロンドンの同世代の若者に向けられたメッセージにあると思う。

 伝えられる情報は間違っている
 だからおまえ自身でおまえの欲するものを学べ
 そう、欲するものを学ぶんだ
“ドット・ドット・ドット”

 2曲目“ドット・ドット・ドット”には、ロンドンの若者を夢中にさせるノヴェリストからの責任感あるメッセージが込められている。彼はこの曲で、「自分で考えて行動しろ」と伝えている。だからといって、彼は上から目線で、聖人君主のようにロンドンの若者に教えを説いている存在ではない。ノヴェリスト自身が「俺らにはギャングスタのやり方しかわからない」と告白する3曲目“ギャングスタ”は、ノヴェリスト自身がギャングスタ、反抗的な若者の側であると主張する。

 ビッグボス・スピッター、それが俺のなるべき者
 フッドで生まれ育った、俺の邪魔はするなと奴らに言ってやらなきゃな
 郵便番号(コード)にこだわる、実はそれが俺のポリシー
 ギャングスタとしてそこは誠実にやるって自分に言い聞かせる
“ギャングスター”

 ノヴェリスト自身が、先日ツイッター上で「このアルバムがiTunesにエクスプリシット・マーク(Explicit)*を付与されたこと」について強く抗議していた。じっさい『Novelist Guy』には性的な表現やNワードのような露骨なスラングは一切使われていない。抗議の背景には、注意深く言葉を選び、スラングや“汚い”言葉を使わずに若者に広くメッセージ届ける、ロールモデルたる姿勢が感じられる。

 俺は明確なヴィジョンを持ったきちんとした大人
 俺みたいに考えたいか、なら聞いておけ
 俺は与えられたものを受け取る奴じゃない
 選択肢が見えないときでも選択肢が見える
 太陽が登って落ちる訳ではない、地球が回ってるんだ
 俺には光と闇が見える、
 輝きがないときでもそこに光はある
“アフロピック”

 この曲は、アフロの櫛(Afro Pick)を自身のブラックネスを象徴する存在として取り上げているのだろうか**。そこで語られるのは、黒人の若いギャングスタでありながら、違う考え方でものごとを捉える姿勢、それによってなるべき姿に近いているということだ。
 次の“ストップ・キリング・ザ・マンデム”でも、ブラックネスは強く意識されている。マンデム(Mandem)はロンドンの黒人の間でよく使われているスラングで、マン(Man)とほぼ同じ意味だが、「友だち」とか「身内」というようなニュアンスが含まれている。つまり、俺の友だちとか俺の身内を殺すな、というメッセージなわけだ。“ストップ・キリング・ザ・マンデム”という言葉は、ロンドンのブラック・ライヴス・マターの運動でノヴェリスト自身がデモ中に掲げたプラカードのメッセージでもあった。彼は世界中で黒人がターゲットされて警察に暴力を振るわれていることを問題視し、黒人を潜在的な意味で危険視するメディアにも厳しい目線を向けている。
 https://www.instagram.com/p/BhhYei2HVhs/

 法を破ることは文化のせいじゃない
 法を破ることは社会のせいじゃない
 問題にガンフィンガーを立てたからといって、
 俺はしょっぴかれる訳じゃないだろ
 黒人は世界的にターゲットになっていて
 ニュースはまるで俺ら自体のせいみたいに扱う、
 それは遠く、ローカルで起きていることみたいに話しやがる
 問題は、俺がこの問題について話すからって訳じゃないだろ
 少年が反社会的になるのは、
 彼らがもっと人生をソウルフルに過ごしたいってことなんだ
“ストップ・キリング・ザ・マンデム”

 ここで彼がBLMついて話すことは、なにも大文字の「政治」について話すことだけではない。彼の周りの若者やギャングスタについて話すことなのだ。
 アルバムの後半ではライヴのエネルギー溢れる雰囲気の曲が続き、スキットではインターネットラジオでのMCとのセッションの様子が垣間見える。(これがまためちゃくちゃ速射のラップで凄い)
 そして、ラストソング“ベター・ウェイ”のふたたび内省的なリリックでこのアルバムを締めることになる。ここでは、“アフロピック”で出てきた太陽の喩えが再び登場する。先ほど太陽は人生に選択肢を与える存在として出てきたが、ここではイナーピース***を象徴している。

 陽が落ちる。いい気分だ、疲れ切っていない。
 空を見上げる、理由はわからないが、頭は雲のうえにある
 疑いようもない、俺のエネルギーが尽きることはない
 俺は俺のギャングスタにリアルであり続ける、
 俺たちのママに俺らを誇らしくする
“ベター・ウェイ”

 『Novelist Guy』にはノヴェリストから団地の若者へ、ロンドンの黒人へ、ギャングスタへ向けられたポジティヴなメッセージが詰まっている。そう、アルバムのジャケットのように、彼らの頭上にいつか陽が昇り、光が照らすように。


* 教育的に問題のあると見なされた露骨な表現が含まれるというマーク、iTunes版のParental Advisory
**彼は最近アフロピックを刺したままフリースタイルをしている。
https://www.youtube.com/watch?v=AujWZ-SVsXM
***精神が落ち着いていて、内面的に落ち着いたな状態

Merzbow - ele-king

 ノイズ・ミュージックとVaporwaveの近似性については兼ねてから考えていたことだ。かつて秋田昌美が提唱した「スカム・カルチャー」という定義は、インターネットの下層に蓄積する消費社会の残滓に美学を見出したナードたちが、それを冗談半分にこねくり回すことで成立した初期Vaporwaveの意匠にも通ずる側面があるように思える。80~90年代のノイズ・ミュージック、そしてゼロ年代のVaporwave……。思想もスタイルも対極に位置していた両者がインターネット上で時代を超えて交わるとき、もはや縦の音楽史としてはあり得なかった文脈を経て、今年、Merzbowの『Pulse Demon』は再発を果たすこととなる。

 Merzbowといえば、80年代から現在に至るまで勢力的に活動を繰り広げているミュージシャンとして有名である。去年〈スローダウンRECORDS〉からリリースされたduenn、Nyantoraとのコラボレーションアルバム『3RENSA』、そのリミックス・プロジェクト『3RENSA_fb01』『3RENSA_fb02』『3RENSA_fb03』『3RENSA_fb04』が各所で大きな話題を呼んだことも記憶に新しい。そんな彼が1996年にリリースしたジャパノイズの金字塔『Pulse Demon』は、まさにMerzbowの代表作といっても差し支えないだろう。しかし、なぜいま、20年以上の時を経て『Pulse Demon』が再発に至ったのだろうか。

 この作品の再発を手掛けたのは、インダストリアルやノイズ・ミュージックに熱心なリスナーには耳馴染みのないであろう〈Bludhoney Records〉というアメリカのレーベルだ。それもそのはず。じつはレーベルのルーツを辿ってみると、意外にも行き着く先はVaporwaveである。レーベルのカタログナンバー1を飾る、OSCOB / Digital Sexの『OVERGROWTH』は、『ローリング・ストーン』でも取り上げられたVaporwaveの傑作、2814の『新しい日の誕生』をリリースしたことでも知られる〈Dream Catalogue〉のリイシューである。もともと〈Bludhoney Records〉はVaporwaveの美学に則ったカセットテープ・レーベルとして始動したのだ。

 〈Bludhoney Records〉は、日々先進的なエレクトロニック・ミュージックをリリースしているが、このレーベルのカタログに、Merzbowの『Pulse Demon』が加わったとしても、それは全く不思議なことではない。ここ近年、Vaporwaveシーン全体において、サンプリングを主体とした80年代から90年代の懐古趣味的な従来のスタイルからの脱却を図ろうとする動きが見て取れる。この数年で、ノスタルジアを標榜としたVaporwaveのベクトルは、夢想的な世界からフューチャー・リアリスティックな未来都市へと一気に移り変わってしまった。その鬱屈とした退廃的な未来都市のモチーフは、『ブレードランナー』や『攻殻機動隊』といったSF作品の世界を彷彿とさせる。Vaporwave特有のスクリューという技法が生み出した重厚なダブのようなビートは、のちに90年代のハードコアテクノと結びついたHardvapourというタームへと昇華し、サンプリングソースを執拗に引き伸ばすことで発生した無限にも続いていくような陶酔的アンビエンスは、陰鬱な都市の夜に響くかのような重厚なドローン、ダーク・アンビエントスタイルのアーティストを数多く輩出することに繋がった。Vaporwaveシーンは今、もっと先鋭的で刺激的なサウンドに飢えているのだ。そんな流れの中で、〈Bludhoney Records〉は、ASTROの名義やC.C.C.C.での活動でも知られる長谷川洋を迎えたスプリットアルバム『Saturnus Cursus』をリリースしている。

 ところで、1988年にドイツのユニット、Softwareがリリースした『Digital-Dance』は、YouTubeに無許可で転載された音源が「Vaporwaveっぽい」という理由から〈100% ELECTRONICA〉を主宰するESPRIT 空想ことGeorge Clantonの耳に止まり、リイシューを果たす結果となった。インターネットによって、あらゆる時代の音楽にアクセスできる現代、時系列に沿った縦の音楽史を語ることに、もはや意味などあるのだろうか。並列の点と点の偶発的な交わりこそが、新たな潮流を生み出すのだろう。それは偶然の連なりであり、必然でもある。『Pulse Demon』で繰り広げられる、曲間の切れ目なく押し寄せる冷徹なメタルパーカッションと、スペイシーなEMSヴィンテージ・シンセの衝突、まるで慟哭のような生命力に満ちたハーシュのうねりは、2018年のいま、時代がもっとも求める音色なのであろう。歪に捻じ曲げられた文脈を経て、パッケージも新たにカラーヴァイナル、カセットテープで再発がなされる本作。個人的にはCDとして手元に欲しかった作品でもあるが、〈Relapse Records〉のマスタリングによるあの暴力的な音圧が、アナログな音域でどのように鳴り響くのか楽しみである。

 忘れてた。昨年暮れ、ele-king booksの『超プロテスト・ミュージック・ガイド』に原稿を書くことになって、10代の時に耳に入ったポリティカル・ソングをあれこれと思い出すことができて、我ながら大した記憶力じゃないかと思っていたのに、すっかり忘れていた曲があった。白竜の“光州シティ”である。正確にいうと「10代の時に聞いた」のではなく、1981年に“光州シティ”という曲が入っていたがために「白竜のデビュー・アルバムは発売禁止になった」ということを知っただけで、曲そのものにショックを受けたわけではなかった。実際に曲を聴いたのはもっと後のことで、調べてみると、それは自主製作盤としてライヴ会場では売られていたらしい。そこまでは知らなかった。ニカラグアの政変をタイトルにしたクラッシュの『サンディニスタ!』は聴いていたのに、その翌年に韓国で起きた「光州事件」にはそこまでの興味はもっていなかったということだろう。そして、例によってどんな作品かもよく調べずに観始めたチャン・フン監督『タクシー運転手』が「光州事件」を扱った作品だということがわかった瞬間、発売禁止のことまで一気に思い出すことになった。ああ、これか。ということは、あっという間に曲にして、さっさと葬り去られたということだったのか。素直に発売されていた方がむしろ僕の記憶には残らなかったかもしれない。「光州事件」というキーワードはそれ以来、いつも頭のどこかにあり、それがいま、目の前のスクリーンで再現されている。“光州シティ”でキーボードを弾いているのは、ちなみに小室哲哉である。

『映画は映画だ』(08)というウィットの効いた作風でデビューしたチャン・フン監督は前作の『高地戦』(11)でもすでに大きく社会派に舵を切っていた。南北朝鮮を分ける38度線がどのようにして決まったのかを扱った『高地戦』は目を疑うような内容で、それこそ何日か前にキム=ジョンウンとムン=ジェインが交代で跨いだあのラインは僕には死体の山にしか見えなかった。『高地戦』ほど無力感を覚えた映画も珍しく、さらには同じ民族に対してここまでやるかというテーマが『タクシー運転手』には引き継がれている。ストーリーは実に単純で、日本のプレスセンターにいたドイツ人ジャーナリスト、ピーターことユルゲン・ヒンツペーター(トーマス・クレッチマン)は光州で何かあったらしいという情報を耳にし、単身、韓国に乗り込む。家賃が払えなくて困っていたタクシー運転手、キム・マンソプ(ソン・ガンホ)はソウルから光州まで往復してくれれば大金を払うというピーターを他の運転手から横取りし、軍の検問を突破して光州に辿り着く。政治にまったくといっていいほど関心を持っていないマンソプは金さえ貰えればいいと思っていたものの、チョン=ドハン(全斗煥)政権が光州で行なっていた虐殺を目の当たりにして動揺し、自分の目の前で起きていることをピーターが世界に報道しなければならないと思うようになっていく。僕にとっては馴染みがなかったけれど、映画はニュースなどで報道された場面がそっくりに再現され、さながらドキュメンタリーのようなつくりなのだという。エンドロールの前には役者ではなく、ユルゲン・ヒンツペーター本人が出てきて、回想を語るシーンもある。

 光州で軍事独裁に抗う様々な人々。キム・マンソプが光州で出会う学生や同業者たちはかなり念入りに造形されている。ソウルで軍事独裁に反抗していたのは一部の学生だけで、それらは理解しがたいものだと思っていたマンソプも光州市民と行動を共にしているうちにだんだんどっちが正しいのかわからなくなってくる。一気に考え方が変わってしまうわけではないところがこの映画は上手い。「おにぎり」の使い方も巧みだった。韓国映画を何本か観たことがある人なら、韓国にはチョルラド(全羅道)差別があることにはすでにお気づきのことでしょう。『サニー 永遠の仲間たち』(12)のような楽しい映画でも発音が少し違う友だちがそのことを隠そうとしていたり、最近でも『荊棘の秘密』(16)で「奥さんは全羅道出身だからなー」というわざとらしいセリフがあったりと、気になり始めるとあちこちに爪痕は残されている。チョン=ドハンがなぜ光州で歴史的な国民の大虐殺を始めたかは、民主化を求めるデモが特に激しかったからということもあるのだろうけれど、おそらくこの差別も影響しているだろうとは言われている。そのことは特には『タクシー運転手』では描かれていない。さらには軍事独裁を容認していたアメリカについても言及はない。実在したタクシー運転手の目を通して「光州事件」が淡々と描かれ、韓国国内でさえ民主化運動ではなく長らく「北朝鮮に扇動された暴動」だと見なされていたという「光州事件」を79年から始まった「ソウルの春」と同じものだったと位置付けていく。そして、後半は取材テープをどうやって外に持ち出すかというアクション・モードに切り替わり、『アルゴ』や『コロニア』といった政治サスペンスと同じ楽しみに変えてくれる。「光州事件」がどれだけのものであったかは韓国の猟奇映画に出てくるシリアル・キラーの多くが「光州事件」の年に生まれたという設定になっていることからも窺い知れるものがある。良いか悪いかはともかく、それだけで説明されてしまうことがあるということなのだろう。


THE NOUP - ele-king

 岡山からとんでもないブツが飛んできました。クラブ・ミュージックを通過したオルタナティヴなロック・サウンドを打ち鳴らす新世代バンド、THE NOUP。『バンドやめようぜ!』でもおなじみ、イアン・F・マーティンの主宰する〈Call And Response Records〉が編んだコンピ『THROW AWAY YOUR CDS GO OUT TO A SHOW』にも楽曲を提供していた彼らが、この5月に満を持してファースト・アルバム『Flaming Psychic Heads』を発表します。アートワークを手がけているのはなんと、宇川直宏!
 リリースにあたってメンバーからコメントも届いております。
「THE NOUPとしてこれまで作ってきた曲群をアルバムとしてまとめる際、音の中で常に探り続けてきた、根底に眠る意識を“開く”イメージを視覚的にも表現したいと思い、DOMMUNEの宇川直宏さんに依頼し、素晴らしいジャケットカバーを作成して頂きました。是非、音とアートワークを同時に体感して頂きたいと思います」。
 発売日は5月16日。要チェックです!

バンド名: THE NOUP
タイトル: Flaming Psychic Heads
NOUP3/CD/¥2,200(+tax)
リリース日: 2018/5/16 (水)

曲目:
1. Noup Parade!
2. Utopia
3. Flowmotion
4. Monochrome Dead
5. Impotents Anaaki

Amazon
Tower
HMV


■THE NOUP
2013年より現メンバー岡田高史(vo, dr, syn)、矢野駿典(gt, per)、清原基之(ba, syn)で活動開始。
楽曲は主にパルス調のギター、反復する硬質なドラムビートとベースから構成され、そこに囁きかけるかの如きボーカルが加わることで、独特のドライブ感を持ったグルーヴを作りあげる。
最近ではアナログシンセサイザーを導入し、ダンス・ミュージックというカテゴリーではない、よりポリリズミックでミニマルな楽曲も演奏している。
自身のイベント《NOUP PARADE!》を岡山でコンスタントに企画しながら、これまでに3つのカセットテープ、2015年に7インチEP「PARADE!」を自主リリース。2017年には〈Call And Response records〉主宰のコンピレーションCDに参加。
2018年5月16日には1st album『Flaming Psychic Heads』をリリース予定であり、アートワークはDOMMUNE宇川直宏が担当。

https://thenoup.com/

Alva Noto - ele-king

 本作『UNIEQAV』は、カールステン・ニコライの新レーベル〈ノートン〉におけるカールステン・ニコライ=アルヴァ・ノトによる初のソロ・アルバムであり、同時に08年の『UNITXT』、11年の『UNIVRS』から続いてきた「UNI」シリーズの完結編でもある。

 ここで「UNI」シリーズについて簡単に説明しておこう。まず、00年代中盤以降のアルヴァ・ノトが〈ラスター・ノートン〉で展開した連作シリーズはふたつあった。ひとつは「UNI」シリーズ。もうひとつは「ゼロックス」シリーズである。「ゼロックス」シリーズは07年に「Vol.1」、09年に「Vol.2」、15年に「Vol.3」が発表され、このシリーズも三作目で一区切りをつけたようだ。ゼロックスの名前のとおり「コピー」をテーマとしたアンビエント・ドローン連作である。
 対して「UNI」シリーズはリズミックなトラックを中心に収録するシリーズだ。発端は「アルヴァ・ノトが数十年前に東京のクラブ“UNIT”にブッキングされた際、その環境に応じたサウンドを作り出そうとしたのがきっかけ」という。つまり最初から「クラブユース」のトラックであることを目指していたようである。
 同時に『UNITXT』の後半部分で聴かれるように、音素からノイズ領域に還元された音響もサウンドの特徴を形成していたことも大きな特徴であった。いわばリズム/ノイズという音楽・音響の構成要素を素材の状態から再蘇生するように突き詰め、サウンド/トラックの生成・構成・構築を行っているのだ。
 その意味で「UNI」シリーズは00年代初期までの初期のサイン派のリズミックなコンポジションによるウルトラ・ミニマルな電子音響の流れにあるシリーズともいえる。コピー/生成という「ゼロックス」シリーズに近いテーマ性を読み込むことも可能だろう。

 新作『UNIEQAV』においては、そんなカールステン・ニコライのリズム/ノイズの生成・構築が洗練の極を迎えていた。かつての過激なまでのウルトラ・ミニマリズムは影を潜め、実にエレガントで端正なテクノ・トラックである。細やかなリズム、高密度な低音、ミニマムな電子ノイズなどが、ときにダイナミックに、ときにしなやかにコンポジションされ、聴き手を音響の渦の中に巻き込んでいく。グリッチ・サウンドを経由した10年代後半的な「モダン・テクノ」といっても過言ではない見事なトラックだ。

 この『UNIEQAV』では、そんなモダン・テクノ的なマシン・グルーヴに加えて、「ゼロックス」シリーズ(特に「Vol.3」)や、坂本龍一との共作である映画『レヴェナント』のサウンドトラックなどにあった音楽的な和声感覚もそこかしこに埋め込められてもいる。たとえば「ゼロックス」『レヴェナント』的な持続音で幕を開ける“Uni Mia”、その途中から鳴り始める「二つ目のコード」のように。
 加えて「声」の導入も「UNI」シリーズの重要な要素である。カールステン・ニコライが「声」をトラック内に本格的に用いたのは、おそらくは「UNI」シリーズからのはず。そして「UNI」シリーズの「声」といえば、フランスの音響詩人アン=ジェイムス・シャトンである。
 彼は〈ラスター・ノートン〉から11年に『Événements 09』、2012年にアルヴァ・ノトと、長年のコラボレーターであるアンディ・ムーアらとの共作で『Décade』をリリースしている。二作とも途轍もなくクールなヴォイス+電子音響だ。
 そのふたりの最初の共作トラックが収録されたアルバムが、08年にリリースされた『UNITXT』であった。カールステンの電子音響トラックに、アン=ジェイムス・シャトンの無機的な質感の声がこれほどの見事なマッチングを聴かせるとは思いもよらなかった。それは電子音響ヒップホップとでも形容したいほどの「クールさ」だが、何より世界の満ちている資本主義社会的な記号=言葉を反復するヴォイスは、「UNI」シリーズが内包していた世界認識論を体現していた。じじつ、11年の『UNIVRS』にもアン=ジェイムス・シャトンは参加し、三文字の企業・団体名/ロゴの英字を繰り返し発声し、アルバムのメッセージを強く体現していた。
 それは『UNIEQAV』の“Uni Dna”でも同様だが、前作までとは反対に、まずはトラックが先行制作され、そこにアン=ジェイムス・シャトンのヴォイスが重ねられたらしい(曲名どおりDNA情報に関するワードだ)。結果、アン=ジェイムス・シャトンによる「声」のリズムとアルヴァ・ノトのトラックのリズムの関係性が、ふたりのこれまでのコラボレーションから反転しているのだ。

 ではカールステン・ニコライは、この『UNIEQAV』ではトラック優先で、ビートの可能性を追及したかったのだろうか。しかしそれはビートというより、ある法則で区切られた音の線=リズムというべきかもしれない。「声」もまた法則で区切られた音の分割=リズムである。じじつ『UNIEQAV』におけるリズムは、“Uni Clip”などで聴かれるようにキーボードをタイプする音にも聴こえるし、“Uni Sub”のベースの3連などは、アン=ジェイムス・シャトンの声のようにも聴こえる。横溢する分断されるリズム=音の線。

 リズム。ノイズ。分断される音。これらが交錯する本作を聴いていると、不意にカールステン・ニコライが育った「東ドイツ」のことを考えてしまった。たとえば、彼が少年期などに耳にしていた東ドイツにおけるラジオ放送などを。
 私見だが、この最先端の電子音響の本質には、どこかカールステン・ニコライの記憶の層が織り込まれているように聴こえてならない。もしかすると「東」に住むカールステン少年・青年は、(おそらくは検閲によって)消えかけて(分断された)ラジオ放送を耳にしていたのではないか、と。思えば「ゼロックス・シリーズ」の「Vol.3」もまたどこか記憶の旅のようなアルバムあったが、本作『UNIEQAV』も音楽のフォームは違えども、やはり、同様のものを感じてしまった。
 サイン・ウェイヴ、グリッチ。ノイズ。マシン・リズム。90年代以降、ヒトから離れたマシン/エラーな音響作品を作り続けてきたカールステン・ニコライだが、00年代後期から10年代以降のシリーズ/アルバムには、彼の幼年期の記憶/人生も結晶しているようにも思えるのだ。20世紀後半、東ドイツの記憶。モダニズム建築。放送。ノイズ。音響。リズム。
 そう、知覚を圧倒するテクノロジーの交錯による最先端電子音響/モダン・テクノ『UNIEQAV』が放つマシニック・リズムのむこうには、ヒトの記憶が、まるで光のように交錯し、反射しているのだ。


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