「Ord」と一致するもの

Flying Lotus - ele-king

 問答無用、この春最大のニュースの到着だ。フライング・ロータスが5年ぶりとなるニュー・アルバムをリリースする。読者の皆さんは覚えているだろうか? アンダーソン・パークとのコラボが報じられたのはすでに2年前。長かった。じつに長かった。散発的に新曲の発表はあった。フライロー自らが監督を務める映画『KUSO』の公開もあった。昨年のソニックマニアでのパフォーマンスも圧倒的だった。彼の主宰する〈Brainfeeder〉は10周年を迎えた。それを記念してわれわれele-kingは1冊丸ごと特集を組んだ。そして最近では渡辺信一郎の新作アニメ『キャロル&チューズデイ』への参加が話題を呼んだ。長かった。じつに長かったが、いよいよである。タイトルは『Flamagra』。これはもしかして「フライング・ロータスによるドグラ・マグラ」という意味だろうか? 詳細はまだわからないけれど、どうやら炎がコンセプトになっているようで、とりあえずは熱そうである。くだんのアンダーソン・パークに加え、ジョージ・クリントン、デヴィッド・リンチ、トロ・イ・モワソランジュと、参加面子もものすごい。発売日は5月22日。嬉しいことに日本先行発売だ。もう何も迷うことはない。

[4月24日追記]
 昨日、待望の新作『Flamagra』より2曲が先行公開されている。“Spontaneous”にはリトル・ドラゴンのユキミ・ナガノが、“Takashi”にはサンダーキャット、ブランドン・コールマン、オノシュンスケが参加。フライローいわく、オノシュンスケについては坂本慎太郎のリミックスを聴いて知ったのだという。なんでも Spotify でランダムにその曲が流れてきたのだとか。2曲の試聴は下記リンクより。

https://flying-lotus.ffm.to/spontaneous-takashi

FLYING LOTUS
FLAMAGRA

フライング・ロータス待望の最新作『FLAMAGRA』堂々完成
自ら監督したトレーラー映像「FIRE IS COMING」を解禁
27曲収録の超大作に、超豪華アーティストが集結!

アンダーソン・パーク|ジョージ・クリントン|リトル・ドラゴン|ティエラ・ワック|デンゼル・カリー|デヴィッド・リンチ|シャバズ・パレセズ|サンダーキャット|トロ・イ・モワ|ソランジュ

credit: Renata Raksha

グラミー賞候補にもなった前作『ユー・アー・デッド!』から5年。ケンドリック・ラマーの傑作『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』におけるコラボレーション、カマシ・ワシントンの大出世作『ジ・エピック』の監修、サンダーキャットの出世作『ドランク』では大半の楽曲をプロデュースし、ここ日本でも上映されたコミック・ホラー長編映画『KUSO』の監督・脚本を手がけ、主宰レーベル〈ブレインフィーダー〉が10周年を迎えるなど、底なしの創造力でシーンの大ボスとして君臨するフライング・ロータスが、マグマのごとく燃えたぎるイマジネーションを詰め込んだ27曲(*)の超大作、その名も『フラマグラ』を完成させた。(*国内盤CDにはさらに1曲追加収録)

発表に合わせてフライング・ロータスとデヴィッド・ファースが手がけたトレーラー映像「FIRE IS COMING」が公開された。
https://www.youtube.com/watch?v=aTrTtzTQrv0

本作は、12年に及ぶキャリアの中でロータスが世に提示してきた革新性のすべてを掻き集め、それをさらに推し進めている。ヒップホップ、ファンク、ソウル、ジャズ、ダンス・ミュージック、トライバルなポリリズム、IDM、そしてビート・ミュージックが図解不可能なほど複雑に絡み合い、まるでロータスの頭の中に迷い込んだような、もしくは宇宙に漂う灼熱の惑星の上にいるかのような、驚異的独創性が発揮された傑作だ。

いつも頭の中では一つのテーマが浮かんでいて、火にまつわるコンセプトが燻り続けていた。ある丘の上に永遠の炎が鎮座しているんだ。 ──フライング・ロータス

過去作品でも豪華な参加アーティストが話題を呼んだが、今作のラインナップは数もインパクトも過去作を上回るものとなっている。アンダーソン・パーク、ジョージ・クリントン、リトル・ドラゴンのユキミ・ナガノ、ティエラ・ワック、デンゼル・カリー、シャバズ・パレセズのイシュマエル・バトラー、トロ・イ・モワ、ソランジュ、そして盟友サンダーキャットがヴォーカリストとして参加。さらに、デヴィッド・リンチの不気味なナレーションが今作の異様とも言える世界観を炙り出している。

フライング・ロータス待望の最新作『フラマグラ』は5月22日(水)に日本先行リリース。国内盤にはボーナストラック“Quarantine”を含む計28曲が収録され、歌詞対訳と解説書が封入される。初回生産盤CDは豪華パッケージ仕様。またTシャツ付セットも限定数販売決定! 2枚組となる輸入盤LPには、通常のブラック・ヴァイナルに加え、限定のホワイト・ヴァイナル仕様盤、さらに特殊ポップアップ・スリーヴを採用したスペシャル・エディションも発売。Beatink.comでは50部限定で、スペシャル・エディションのクリア・ヴァイナル仕様盤が販売となり、本日より予約が開始となる。

なお国内盤CDを購入すると、タワーレコードではオリジナル・クリアファイル、Beatink.com、HMV、diskunion、その他の対象店舗ではそれぞれオリジナル・デザインのロゴ・ステッカー、Amazonではオリジナル肖像画マグネットを先着でプレゼント。また、タワーレコード新宿店でアナログ盤を予約するとオリジナルB1ポスターが先着でプレゼントされる。

label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: FLYING LOTUS
title: FLAMAGRA

日本先行リリース!
release: 2019.05.22 wed ON SALE

国内盤CD:BRC-595 ¥2,400+tax
初回盤紙ジャケット仕様
ボーナストラック追加収録 / 歌詞対訳・解説書付
(解説:吉田雅史/対談:若林恵 x 柳樂光隆)

国内盤CD+Tシャツセット:BRC-595T ¥5,500+tax
XXLサイズはBEATINK.COM限定

TRACKLISTING
01. Heroes
02. Post Requisite
03. Heroes In A Half Shell
04. More feat. Anderson .Paak
05. Capillaries
06. Burning Down The House feat. George Clinton
07. Spontaneous feat. Little Dragon
08. Takashi
09. Pilgrim Side Eye
10. All Spies
11. Yellow Belly feat. Tierra Whack
12. Black Balloons Reprise feat. Denzel Curry
13. Fire Is Coming feat. David Lynch
14. Inside Your Home
15. Actually Virtual feat. Shabazz Palaces
16. Andromeda
17. Remind U
18. Say Something
19. Debbie Is Depressed
20. Find Your Own Way Home
21. The Climb feat. Thundercat
22. Pygmy
23. 9 Carrots feat. Toro y Moi
24. FF4
25. Land Of Honey feat. Solange
26. Thank U Malcolm
27. Hot Oct.
28. Quarantine (Bonus Track for Japan)

Amgala Temple - ele-king

 ノルウェイの音楽的良心たるジャガ・ジャジストですが、その中心人物であるラーシュ・ホーンヴェットによるプロジェクト、アムガラ・テンプルが来日します。ジャガ・ジャジストはライヴも高い評価を得ているバンドだけに、初となるアルバム『Invisible Airships』をリリースしたばかりのアムガラ・テンプルがいったいどんなパフォーマンスを披露してくれるのか、気になるところです。5月18日から21日のあいだに都内3箇所をめぐるツアー、詳細は下記よりご確認を!

ジャガ・ジャジストから派生したジャズロック・プロジェクト、アムガラ・テンプル待望のジャパンツアー決定!

ジャガ・ジャジストのコア・メンバーである Lars Horntveth を中心に Amund Maarud、Gard Nilssen というノルウェーの異能プレイヤーが集結したアムガラ・テンプルは、ジャズ・ロックの系譜を受け継ぎながらもプログレからサイケ、クラウトロックまで飲み込んだまさに2020年代を迎えるに相応しい先鋭的なサウンド! ライヴの半分近くはインプロ(即興)で構成されるなど二度と同じ演奏をしないライヴ・アクトとしても熱狂的な支持を集めている彼らのパフォーマンスをお見逃しなく!

「Avenue Amgala」(ライヴセッション映像)
https://youtu.be/G-Lb29r7A24

Amgala Temple:
Amund Maarud (electric guitars)
Gard Nilssen (drums, gongs, bells, melodic drum)
Lars Horntveth (bass, keys, lap steel, guitar & vibraphone)

Amgala Temple (with member of Jaga Jazzist) JAPAN TOUR 2019

2019年5月18日(土) CROSSING CARNIVAL'19
会場:TSUTAYA O-EAST、duo MUSIC EXCHANGE、clubasia、WOMB LIVE、TSUTAYA O-nest
時間:Open / Start 13:00(時間予定)
チケット料金:¥4,800 (税込 / ドリンク別)

チケット ※枚数制限4枚
イープラス:https://eplus.jp/crossingcarnival19/
問い合わせ:SOGO TOKYO(03-3405-9999)

2019年5月20日(月) 六本木VARIT
Live :
・Amgala Temple (with member of Jaga Jazzist)
・東京ザヴィヌルバッハ・スペシャル
(坪口昌恭:Keys / David Negrete:Alt. Sax, Flute / 宮嶋洋輔:Guitar / 角田隆太:Bass (from ものんくる) / 守真人:Drums)
時間:Open 18:30 / Start 19:00
チケット料金:Adv. ¥2,800 / Door ¥3,300 (+1 drink order)

チケット発売/予約受付開始日:4月20日(土)
イープラス:https://eplus.jp
購入ページ:
https://eplus.jp/sf/detail/2939610001-P0030001
問い合わせ:六本木VARIT(03-6441-0825)

2019年5月21日(火) Shibuya 7th FLOOR
Live :
・Amgala Temple (with member of Jaga Jazzist)
・guru host (坂口光央+一樂誉志幸)
・角銅真実
時間:Open 18:30 / Start 19:00
チケット料金:Adv. ¥2,800 / Door ¥3,300 (+1 drink order)

チケット発売/予約受付開始日:4月20日(土)
イープラス:https://eplus.jp
7th FLOOR メール予約:4/20 (土)~5/20 (月) (nanakaiyoyaku+0521@gmail.com)
件名に公演名、本文にお名前(フリガナ)、予約人数をご記入ください。
ご予約の確認がとれましたら返信いたします。
*入場順:①イープラス(整理番号順)、②メール予約/その他のご予約の順番となります。

[アルバム情報]
タイトル:インヴィジブル・エアシップス / Invisible Airships
アーティスト:アムガラ・テンプル / AMGALA TEMPLE
レーベル:P-VINE
品番:PCD-24818
定価:¥2,400+税
発売日:2019年3月6日(水)
日本語解説:山﨑智之

-収録曲-
1. Bosphorus
2. Avenue Amgala
3. Fleet Ballistic Missile Submarine
4. The Eccentric
5. Moon Palace

https://p-vine.jp/music/pcd-24818

 この世から真っ先に消し去るべき概念のひとつに「男らしさ」がある。学校や会社に通っている男性は少なくとも一度は体験したことがあるはずだと思うのだけれど、これだけアイデンティティ・ポリティクスが猛威をふるう昨今においてさえ、男性にたいし暗に「男らしさ」を要求してくる連中のなんとまあ多いことか。しかもたいていの場合、当人たちは無自覚だから厄介だ。もしかしたら僕自身、誰かにたいしそのような身ぶりを強制してしまっているかもしれない。そのときは、ごめんなさい……としかここではいえないが、とまれ家父長制と呼べばいいのかマッチョイズムと呼べばいいのか、あるいは体育会系というのかホモソーシャルというのか、状況によってあてがうべき言葉は異なるだろうけども、ほんとうに因習というのは根が深い。

 2017年にリリースされたファースト・アルバム『Yesterday's Gone』によって大きな躍進を遂げたUKの若きラッパー=ロイル・カーナーは、とにかく「男らしさ」から遠ざかろうともがいている。ように見える。彼はいつもくよくよし、なよなよしている。ように見える。無論、褒め言葉である。彼の簡単な略歴についてはこちらを参照していただきたいが、そのリリックはドラッグ体験の自慢や血塗られた抗争とは無縁であり、トラックもまた雄々しさや猛々しさから距離をおいている。トラップのようなUSのメインストリームでもなく、ストリートを反映したグライムでもなく、あるいはルーツ・マヌーヴァに代表されるような、UKの音楽に特有のジャマイカからの影響を忍ばせたスタイルでもない、いわば「第四の道」を模索し続けているのがロイル・カーナーというアーティストではないだろうか。

 まもなく発売される彼のセカンド・アルバム『Not Waving, But Drowning』は、そのような「第四の道」をさらに推し進めたものとなっている。昨年、男性が弱さを吐き出すことについて議論を提起したのはジェイムス・ブレイクだったけれど、カーナーもまた自らのナイーヴでフラジャイルな「内面」や「感情」を臆することなく表現するラッパーだ。とはいえその題材は必ずしもミクロな恋愛や友情に限定されているわけではなく、たとえば“Loose Ends”や“Looking Back”では、これまで白人には黒人とみなされ黒人には白人とみなされてきたという彼の、混血としての社会的な葛藤が吐露されている。そんなふうにぼろぼろになっている自分をさらけ出し、ラップすること。そのスタンスにはブレイクとの親和性も感じられるが、それ以上に、カーナーをフックアップしたUKのソングライター=クウェズからの影響が大きいのではないか。

 日本ではなぜかそれほど人気のないクウェズだけど、彼は歌い手であると同時に特異なサウンドの作り手でもあって(昨年ひさびさにリリースされたEP「Songs For Midi」も良かった)、にもかかわらず近年は裏方にまわりっぱなしの印象があるが、たしかに彼の手がけたソランジュティルザなんかを聴いているとプロデューサーとしての才に恵まれていることはわかるので、もしかしたらそっちで食っていこうと考えているのかもしれない。まあなんにせよ『Yesterday's Gone』に引き続き本作でも5曲に参加しているクウェズは、カーナーのセンシティヴな言葉の数々を活かすべく大いに尽力している。その奮闘は“Still”や“Krispy”におけるピアノの響きや細部の音選びに、あるいは著名なイタリアン・シェフであるアントニオ・カルッチョの名が冠された“Carluccio”の奥行きに、あるいはカーナー同様クウェズがフックアップしたシンガーであるサンファ、彼による美しいヴォーカルが堪能できる“Desoleil (Brilliant Corners)”の旋律や残響によく表れている。

 しかし、このセカンド・アルバムにおける最大の功労者はじつはクウェズではない。本作の鍵を握るひとりは、2曲で作曲とプロダクションを務めるトム・ミッシュである。彼はカーナーに飛躍の機会を用意した人物であり、これまでふたりは幾度もコラボを重ねてきた。ミッシュの2016年のミックステープ『Beat Tape 2』やシングル「Reverie」、あるいは昨年大ヒットを飛ばしたアルバム『Geography』にはカーナーが客演しているし、逆にカーナーの『Yesterday's Gone』にはミッシュが招かれている。まさに盟友と呼ぶべき関係だろう。そのミッシュが手がけた“Looking Back”はもたつくビートの映える1曲で、他方“Angel”も背後のもこもこした電子音が耳をくすぐるのだけど、ベースをはじめとする低音部も魅力的だ。ここでドラムを叩いているのがユナイテッド・ヴァイブレイションズのユセフ・デイズだというのは見逃せない。おそらくは南ロンドンという地縁によって実現されたのだろうこのコラボは、カーナーとUKジャズとの接点をも浮かび上がらせ、じっさい、カーナーは5月にリリースされるエズラ・コレクティヴの新作にも参加している。

 そして、ミッシュ以上に重要なのがジョーダン・ラカイの存在である。本作全体を覆うメロウネスや叙情性は、6曲で作曲とプロダクションを担当するラカイによって誘発されている感があり、たとえばジョルジャ・スミスを迎えた“Loose Ends”や“Sail Away Freestyle”のアダルト・オリエンテッドな音像は、いわゆるクワイエット・ウェイヴの文脈に連なるものといえる。なかでも決定的なのは“Ottolenghi”だろう。これまた高名なシェフであるヨタム・オットレンギを曲名に持ってくるあたり、もしラッパーでなければシェフになりたかったというカーナーの料理好きな一面が強く表れているが、背後にうっすらと敷かれたシンセの持続音はそれこそイーノ=ラノワを彷彿させ、とにかくせつなさとはかなさが爆発している。すべてが過ぎ去っていくことを電車の進行と重ね合わせるリリックも、それを写真というテクノロジーによる時間の切断と結びつけるMVも印象的で、ほかの曲でも「過去」という単語がキイワードになっていることから推すに、この“Ottolenghi”こそが『Not Waving, But Drowning』を代表する1曲なのではないだろうか。

 ここで忘れてはならないのが、インタールード的な役割を与えられたスポークン・ワードの小曲、アルバムのタイトルにも採用された“Not Waving, But Drowning”だ。カーナーの祖父によるものだというこの言い回し、20世紀前半のイギリスの詩人スティーヴィー・スミスに着想を得たこの一句は、僕たちにとてつもなく残酷な現実を突きつけてくる。

溺死した男についての記事を読んだ
その男の仲間は、彼が海から手を振っていると思ったらしい
でも彼は溺れていたんだ

 手を振っているんじゃない、溺れているんだ(Not Waving, But Drowning)──。文字どおり死にそうなくらい苦しんでいるのに、楽しそうにしていると受けとられてしまう、そのようなリアルを毎日毎日毎日毎日生き続けなければならない人びと、頼れる友もいなければ帰るべき場所もないような人びと、つまりはあなたに向けて、ロイル・カーナーは丁寧に言葉を紡いでいく。まるで、それもいずれは過去になると、慰め、そっと寄り添うかのように。そう、僕たちは「自分たちで新たな過去を作らないといけない」(“Carluccio”)。
 社会の要請する「男らしさ」から遠く離れ、ヒップホップの王道からも距離を置き、己のか弱き魂を吐き出しながら、ミッシュやラカイに協力を仰ぐことで今日的な音像にアプローチしたカーナーのセカンド・アルバムは、彼の「第四の道」がオルタナティヴであることを証明すると同時に、そんなふうに規範に苦しめられている人びとをときに涼やかに、ときに暖かく包みこむ。これほど優しくて愛おしいラップ・ミュージックがほかにあるだろうか。

Carpainter - ele-king

 いま日本の音楽シーンにおいて何がオルタナティヴなのかということを考えたときに、僕が最初に思い浮かべたのは〈TREKKIE TRAX〉だった。彼らは昨年、レーベルとしてのベスト・アルバム第2弾『TREKKIE TRAX THE BEST 2016-2017』をリリースしたり、Maru & ONJUICY による「That's My S**t」のような強力なシングルを送り出したり(ONJUICY はその後スウィンドルともステージで共演)、813Jaymie Silk といった海外勢も果敢にフックアップするなど、どんどんその勢いを加速させていっている感がある。フィジカルでのリリースも着実に重ね、少なくとも当初の「ネット・レーベルのひとつ」というイメージはすでに大きく超え出ていると言っていいだろう。そんな〈TREKKIE TRAX〉から届けられた最新作2枚がこれまたどちらも魅力的だから困ってしまう。

 2年前に三浦大知のヒット曲(『仮面ライダーエグゼイド』主題歌)をプロデュースしたことでより広汎な層へもその名を轟かせることとなった Carpainter は、〈TREKKIE TRAX〉の創設者のひとりであり、同レーベルの核たる TREKKIE TRAX CREW のメンバーでもある(ボカロ・リスナーにとっては八王子Pやアナマナグチのリミックスも記憶に新しいだろう)。そんな彼による「勝利宣言」と題されたニュー・アルバムは、まさにいまの〈TREKKIE TRAX〉の勢いを象徴するような1作だ。
 終盤の“Wut U Tryin”や“Noctiluca”のようにブレイクスに光を当てた曲たちもチャーミングなのだけど、まずはやはり表題曲“Declare Victory”や先行公開された“Mission Accepted”のレイヴィなサウンドに耳を持っていかれる。じっさいには体験していない世代による独自のレイヴ解釈といえばゾンビーを筆頭にあげることができるが、Carpainter はよりスマートというか、継承の仕方がもっと素朴で、それはこのアルバムのもうひとつの顔であるデトロイト由来の美しい上モノたちについても言える。タイトルからして最高な“Future Folklore”はそのロマンティシズムを堪能するのにうってつけの1曲だし、ポーター・ロビンソンがセットに取り入れたことで話題となった“Sylenth Warrior”のミニマリズムも、ある時期のジェフ・ミルズやカール・クレイグ、リッチー・ホウティンあたりを彷彿させる仕上がりだ。もちろん、レイヴとデトロイト・テクノというのはこれまでも Carpainter の音楽を特徴づける大きな要素だったわけだけど、本作ではそれが成熟の域にまで達している。30年近く前の音楽に触発されているにもかかわらず、レトロ感が稀薄なのもポイントで、それはおそらく彼が10年代以降のベース・ミュージックの感覚をナチュラルに体得していることに起因するのだろう。双方のエッセンスを巧みに両立させたのが冒頭の“Transonic Flight”である。

 Native Rapper のファースト・アルバムも負けていない。これまで〈TREKKIE TRAX〉から2枚のEPをリリースしている彼は、プロデューサーであると同時にみずから歌唱をこなすシンガーソングライターでもある。ゆえに、種々の押韻や“Passion Fruit”、“Like a Swimming Pool”などの言葉遊びに体現されているように、彼の最大の魅力はその歌詞にこそ宿っている。“Swag Girl”の「ハイレゾの街、しばしおさらば/機内モードで全部チャラにしよう」という表現にも唸らされるが、より印象的なのは一昨年シングルとして発表された“Keep It Real”だ。「誰だって多少の変わりたい願望でちょっとおしゃれしてみたり/ずっと変わんねえなって褒め言葉受けて、らしくありたいと思ったり」という心理描写のあとに、「アップデイトした携帯電話/使いづらくてもすぐ慣れてしまう/SNSの次に来るのはなんだ」と今日のインフラにたいする感慨を接続してみせるところには、彼がどのように現代のリアリティを切りとろうとしているかがよく表れている。
 もちろんトラックのほうも忘れちゃいけない。きめ細やかなサウンドがめまぐるしい展開を見せる“Rainy Dance”や、先を急ぐように切り刻まれる電子音と ゆnovation によるピアニカが見事なコントラストを織り成す“Grand Melodica”といった曲には、トラックメイカーとしての Native Rapper の才が凝縮されている。シンプルにテクノとしてアガるのは表題曲の“TRIP”だが、歌詞も含めてキラーなのはやはり、上述の〈TREKKIE TRAX〉のベスト盤にも収録された、彼の代表曲たる“Water Bunker”だろう。ここには、朝四時頃にひとりでフロアに佇んでいるときの感傷がすべて詰め込まれている。

 レーベル主宰者のひとりである Seimei は昨年、取材したときだったか UNIT で会ったときだったかは忘れてしまったけれど、〈Warp〉や〈Brainfeeder〉のような存在になることを目標にしていると熱く語っていた。その夢ははっきり言ってもう、ほとんど実現してしまっているのではないだろうか──〈TREKKIE TRAX〉から立て続けにリリースされたこの2枚の新作は、そう思わせるに足るだけのクオリティと、そして何よりパッションに満ちあふれている。

ビューティフル・ボーイ - ele-king

 シガー・ロスの“Svefn-g-englar”をここまで恐ろしい曲に聴かせてしまうとは。フェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲン監督『ビューティフル・ボーイ』はティモシー・シャラメ演じるニック・シェフがふとしたきっかけで何度もドラッグに手を出してしまう重度の依存症を扱った作品。ようやくドラッグと縁が切れたと思ったニック・シェフがみんなと食卓を囲み、それなりに楽しい時間を過ごしているかと思いきや、彼はまるで“Svefn-g-englar”の中盤から渦を巻き始めるサイケデリック・ギターに引きずられるようにしてスプーンでドラッグを炙り始めている。シガー・ロスは確かに日常とドラッグによるトリップのボーダーをさらりと飛び越えるような曲作りがうまく、ドラッグ・カルチャーを抜きにして語れない存在ではあるけれど、ここまで悪魔のように描くことはないだろうと思うほど説得力があり、音楽とドラッグの結びつきをナチュラルに印象付けるシーンとなった。
『ビューティフル・ボーイ』には原作がふたつある。ニック・シェフのドラッグ依存に頭を痛める父親が書いたニューヨーク・タイムズの記事(後に単行本化されベストセラーに)と息子本人が書いた回顧録。これらを擦り合わせてひとつの作品としている。つまり、両者の視点が交錯したつくりとなり、ニック・シェフには自分の行動を説明する言葉が足りない分、息子から見た父親への批判的視線は父親役のスティーヴ・カレルがしっかりと演技に反映させている。誰に対してもすぐに怒鳴り、声のトーンが高すぎて言葉に説得力がないところなど、まったくといっていいほど愛される存在ではない父親をカレルは巧みに造形し、困り果てて頭を抱えるシーンにはパン・ソニックの重苦しいドローンが鳴り渡るなど音楽による心理描写はここでも実に効果的。おかげでドラッグに依存しているニック・シェフだけが悪という一面的な見方は最初から通用しない。

 父親のデヴィッド・シェフは生前最後にジョン・レノンのインタビューを取ったという実在のジャーナリストで、寄稿先には「ローリング・ストーン」のようなカウンター・カルチャーの媒体も含まれる。要はドラッグ・カルチャーを世に広めてきた側にかつては立っていたと想像でき、それを知っている息子は最初は父親と一緒にマリファナを吸おうと誘ったり、世界観を共有してこようとしたエピソードもいくつか挟み込まれている。ニック・シェフは6つの大学に合格するなど、ある時期まではけっこうな優等生で、それがプライマスのTシャツを着たり、ニルヴァーナ“Territorial Pissings”をシャウトしたり、フィッツジェラルドの『美しく呪われしもの』を読みふけるなど、ある時期を境に「反抗的になっていった」末のドラッグ・アディクトであった。ニック・シェフはことあるごとに「自立したい」と口にし、それは「家族から離れたい」と同義ではあっても、実際に自立するわけではなく、自立とドラッグが異次元で入れ替わったような生活態度に終始する。アメリカでは家から出て行かない子どもを親が裁判で訴えるケースもあるほどミレニアル世代は自立に対する欲求が低くなっているそうで、ニック・シェフの矛盾は未来に希望が持てず、無気力になりやすい世代の問題意識にもオーヴァーラップするところが大なのだろう。『ベニスに死す』のタジオ役、ビョルン・アンドレセンの再来とまで言われているティモシー・シャラメは理想だけが空回りし、気分の浮き沈みが激しいアディクトの様相をなかなか上手く演じている。

 父親は息子を理解したい、あるいは自分がロック・カルチャーを世に伝えてきたという自覚もあるから、息子のことを理解しようと自分でもクリスタル・メスを試してみたりもする(コルトレーンを鳴らしてみるものの、それはおよそドラッグによるトリップとは思えない描写に終始する)。そして彼は過去の回想ばかりにふけっている。ニック・シェフがまだ幼かった頃の仕草を思い出し、これにジョン・レノン「ビューティフル・ボーイ」の歌声が柔らかく重なっていく。なんとも後ろ向きなシーンで、ジョン・レノンがもはや現代には役立たずであるかのような印象さえ受けてしまう。ニック・シェフがサンフランシスコはイヤな雰囲気だといってドラッグ・カルチャーの聖地だった同地を離れニューヨークに行きたがる感覚も示唆的と言える。ニック・シェフは父親を責めて「管理するな」という言葉を投げつけたりもするけれど、(以下、ネタバレ)行方が分からなくなった息子を何度も探しに行く父親の動機は支配欲でしかないのかもしれず、子離れができていなかったのは実は父親の方だったということがこの辺りから濃厚に伝わってくるようになる。そして、家族というものの境界線がどこにあるかを見極めたかのようなクライマックスを経て、父親は「家に帰りたい」と懇願する息子に「戻ってくるな」と告げ、息子が死んでしまったとしてもそれは息子が自分で判断することだと考えを変えていく。これは父親が初めて息子が自立することを認めた瞬間といえ、実際、ニック・シェフは『トレインスポッティング』よろしくトイレの個室でそのまま動かなくなってしまう。ここではドラッグがもたらす天国的な気分がダイレクトに伝わり、この前後に停滞した親子関係に一定の距離感を与えるように響くペリー・コモ「サンセット・サンライズ」という選曲も見事だった。全編に渡って美しい自然の構図と選曲の妙はこの映画をとても品のある作品に昇華させていると思う。

 驚いたのは続けて公開されるピーター・ヘッジス監督『ベン・イズ・バック』との相似形である。『ビューティフル・ボーイ』はニック・シェフが麻薬更生施設に入院するところから始まり、『ベン・イズ・バック』はルーカス・ヘッジス演じるベンが麻薬更生施設から戻ってくるところから話は始まる。ニック・シェフもベンも、そして、どちらも前妻の子どもであり、親が再婚した家庭に馴染めないというところが共通している。ベンがドラッグに手を出した原因は医者による過剰な鎮痛剤の乱発であり、察するところそれがプリンスやリル・ピープの命を奪った合成アヘン(フェンタニル)へと向かう引き金になったのだろう。『ビューティフル・ボーイ』では父と息子の葛藤として描かれていた関係性は『ベン・イズ・バック』ではジュリア・ロバーツ演じる母親ホリーとのそれに置き換わり、ホリーの対処の仕方は、ここまで書いてきた文脈でいえば息子に自立を促すようなものではなく、息子が死んでしまっても仕方がないとは彼女は考えない。単純に比較はできない設定の違いはあるものの、ステップ・ファミリーとドラッグが深く結びつけられた作品を立て続けに観たことで、思ったよりも血の繋がりが実生活に影響を及ぼすアメリカというものを目撃してしまった感もあり、『俺たちステップ・ブラザーズ』や『なんちゃって家族』といった作品はやはり理想でしかないことも思い知らされた(あれはあれで面白かったけど)。

interview with Bibio - ele-king

 特筆すべきはそのアイリッシュでトラッドな趣だろう。たしかにこれまでもフォーキーな側面はあった、というよりむしろそれこそがビビオの音楽における特異性だったわけだけど、本日リリースとなる新作『Ribbons』ではそれが新たな局面を見せている。おそらくは昨年ヴァイオリンとマンドリンを弾きはじめたことが大きな影響を与えているのだろう。まずは先行シングルとなった“Curls”を聴いてみてほしいが、民俗的な要素が彼特有の音響や旋律と結びつくことによって、これまで以上に感情や記憶を揺さぶるじつに喚起力豊かなアルバムに仕上がっている。これはビビオのディスコグラフィのなかでもブレイクスルーとなる1作ではないだろうか。
 とはいえ彼はビビオである。ご存じのように彼はこれまでいろんなジャンルに挑戦してきたわけで、今回の新作もアイリッシュの要素ひとつに還元してしまうことはできない。アルバムにはほかにもさまざまな実験が詰めこまれていて、たとえば、これもヴァイオリンを弾きはじめたことの影響なんだろうけど、冒頭の“Beret Girl”や“Ode To A Nuthatch”にはバッハの影がとり憑いているし、あるいは“Before”や“Old Graffiti”には彼のソウルやファンクにたいする愛が滲み出ている。なかでも興味深いのは中盤に配置されたいくつかの曲たちだ。ビビオ流インダストリアルとも呼ぶべき“Pretty Ribbons And Lovely Flowers”には耳を奪われるし、ドアをノックする音と足音を核にした“Erdaydidder-Erdiddar”のリズムもじつに愉快である。
 そしてもちろん、それら種々の試みは彼のトレードマークとも言えるノスタルジーによって覆い尽くされている。ノスタルジーは懐古趣味とは違う、と以下のインタヴューにおいてビビオは強調しているが、たしかに彼の音楽はある特定の時代への帰属意識を煽るものではない。けだし、なぜわれわれはノスタルジーを抱くのか、そもそもノスタルジーとはなんなのか、そういった問いを投げかけることそれじたいがビビオの音楽の精髄ではないだろうか。レトロがある種の記号だとしたら、ノスタルジーはそれを超え出る想像である。新作『Ribbons』ではその想像の切れ端が、このお先真っ暗な現代を生きる私たちに新たな可能性の断片を示してくれているように思われてならない。

僕のフォーク音楽の経験は限られている。僕はフォーク・ミュージックの大部分があまり好きではなくて、フォーク音楽の、突出した、特定の要素が好きなんだ。余分なものが取り除かれた感じ、加工されていない感じがとても好きなんだ。

今作では“Curls”を筆頭に、随所でヴァイオリンやマンドリンがフィーチャーされています。昨年はじめたそうですが、なぜそれらの楽器をやってみようと思ったのですか?

スティーヴン・ウィルキンソン(Stephen Wilkinson、以下SW):過去の作品でヴァイオリンのパートを弾いてくれた友人がいて、彼が去年のはじめにマンドリンを注文して入手したときに、その写真を僕に送ってくれたんだ。それを見たら僕も即座に欲しくなってしまってね(笑)。そこで自分もマンダリンを買って、習いはじめた。マンドリンのチューニングはヴァイオリンのと同じだから、同時にヴァイオリンも学ぼうと思ったのさ。

ヴァイオリンを独学で学ぶのはかなり大変だったのではないでしょうか? どのようなプロセスで習得していったのですか?

SW:僕はまだ習いはじめの生徒だよ。でもマンドリンの弾き方を学んでいたことが役に立った。僕は11歳か12歳のころからギターを弾いていたから、マンドリンの弾き方を学ぶのはそんなに難しくなかったんだ。ギターみたいにフレットもあるし、弦をつま弾いて弾くから、馴染みのある演奏方法だった。だからヴァイオリンへ移行しやすかったけれど、ヴァイオリンはずっと難しかった。僕にとっては新しい楽器だから、僕はまだビギナーなんだ。だけど僕の、楽器やその演奏方法に対するアティテュードというのは、その楽器から何らかの音、たとえばなんらかのメロディを出すことができれば、それを録音することができるから、それでいい、ということなんだ。何年か前、サックスを買ったときもそうだった。曲のパートさえ吹ければ、それを録音して使うことができる。だから僕は自分のことをサックス演奏者やヴァイオリン演奏者とは呼ばない。けれど、レコーディング用のパートを演奏することはできる。あとは、YouTubeでチュートリアル動画を見たりしたよ。そこから弓の持ち方や、簡単な演奏のテクニックなどの基本を学んだ。そして、マンドリンで学んだ、アイルランドのトラッドのメロディをヴァイオリンでも弾いてみて、技術を上げるようにした。

前作の『Phantom Brickworks』は「場所」をコンセプトにしたアンビエント作品でしたけれど、今回のアルバムにもテーマはあるのでしょうか?

SW:テーマはあまりないね。今回のアルバムは、ここ数年かけて起こったことを集めたような作品だから。『Phantom Brickworks』はサイド・プロジェクトとまでは言わないけど、10年以上かけて作った、テーマ作品だった。さまざまな場所に捧げる曲をまとめた、べつのプロジェクトだったんだ。それにたいして、僕の他の作品は、フォト・アルバムのようなもので、僕がその時期に興味があった要素が含まれた作品になっている。だからアルバムによって、その時期に受けた影響も違うから、作品のスタイルも異なっていると感じられるかもしれない。

本作にはケルト音楽やトラッドからの影響が大きいです。あなたの音楽はこれまでもフォーキーでしたが、それと今回新たな影響とが見事に溶け合って、ひと皮向けた印象があります。ケルティックな要素、トラッドな要素を取り入れようと思ったのはなぜでしょう?

SW:それらは僕にとっては新たな要素だと感じられないけどね。僕が昔から強く影響を受けていたのは、60年代のスコットランド出身のバンド、ジ・インクレディブル・ストリング・バンド(The Incredible String Band)で、彼らはトラッドというよりもサイケデリックの要素が強かった。僕はファースト・アルバムを出したときから、彼らのサウンドに強く影響を受けていた。だから伝統的な器楽編成法やアコースティック楽器には当時から興味があったんだ。ジ・インクレディブル・ストリング・バンドにも伝統的な音楽を演奏している曲があるからね。それと同時期に僕はニック・ドレイクにはまって、それが僕のギターの演奏方法に大きな影響を及ぼした。だからフォーキーな部分は僕のなかでけっこう前からあったけれど、今回のアルバムではその感じがより伝統的な方法で表現されたんだと思う。とくにヴァイオリンを学びはじめたから、アイルランド人のフィドル演奏者、ケヴィン・バーク(Kevin Burke)を聴いて、アイルランドのメロディなどを学ぼうとした。だからマンドリンとヴァイオリンを学びはじめたことによって、僕のサウンドに新たな一面が加えられたように聴こえるんだと思う。

僕たちはみんな、似たような感情を体験している。同時にその体験は私的で個人的なものでもあるんだ。だから具体的な時代を参照しなくてもノスタルジーを喚起させる方法があるということなんだよ。

今回のアルバムの制作にあたり具体的にインスパイアされたアーティストや作品はありますか?

SW:とくにないかな。先ほども言ったように僕がおもに影響を受けているのは、ニック・ドレイクとジ・インクレディブル・ストリング・バンドで、その後、『Parallelograms』というタイトルのアルバムを70年代初めに出したカルフォルニア出身のアーティスト、リンダ・パーハクス(Linda Perhacs)の音楽を知った。それが今作の影響にもなっていると思うけれど、僕のフォーク音楽の経験は限られている。僕はフォーク・ミュージックの大部分があまり好きではなくて、フォーク音楽の、突出した、特定の要素が好きなんだ。ケヴィン・バークは比較的最近影響を受けたアーティストで、彼が70年代80年代にレコーディングした作品が好きだ。ギターとヴァイオリンのみが使用されていて、余分なものが取り除かれた感じのする、伝統的な音楽だから、オーケストレイションがあまりされていなくて、加工されていない(=raw)感じがする。そういう感じがとても好きなんだ。

ペンタングルやバート・ヤンシュ、フェアポート・コンヴェンションなどは参照しましたか?

SW:彼らの名前は知っているけれど、作品は持っていないからあまりちゃんと聴いたことがないね。たぶん曲をいくつかは聴いたことはあると思うけれど……。

いまUKはEU脱退をめぐって揉めていますが、今回このようにイギリスのトラッドやケルトの要素を強く打ち出したことは、ブレグジットと関係していますか?

SW:それはまったくない。僕はEU残留派だから、イギリスの現状には満足していないよ。

“Ode To A Nuthatch”にはバッハからの影響が感じられます。彼のもっとも偉大なところはどこでしょう?

SW:彼の偉大な点はたくさんあるからそれに答えるのは難しいけれど、僕が好きなバッハの音楽の多くは、無伴奏チェロ組曲なんだ。マンドリンでそれらを練習したり、最近はチェロも手に入れたからチェロでも練習したりしている。バッハには、ひとつのメロディをとおして、ものすごくたくさんの、そして多様な感情を生み出せる能力があった。彼はオーケストラのアレンジにかんしても天才だったけど、彼にはメロディとハーモニーに対する驚異的な理解力があった。そしてひとつのメロディ・ラインをとおして、さまざまな感情を生み出す能力があった。彼は真の天才だった。

“Pretty Ribbons And Lovely Flowers”はこのアルバムのなかでもとくに異質で、惹きつけられました。インダストリアルっぽくもあり、他方でヴォーカルは不思議な加工を施されていて、ビビオの新規軸ではないでしょうか。曲名に「Ribbons」とあることからも本作の核なのではと思ったのですが、いかがでしょう?

SW:この曲はアルバムの核というわけではないよ。アルバムのなかに、アルバムを代表する曲というのはとくにないからね。でも、アルバムのタイトルはたしかに曲のタイトルの影響を受けている。そして、この曲がアルバムのなかでも異質だということも同感だ。この曲で使われている手法のいくつかは『Phantom Brickworks』のときに使用したものだから、その作品との関係性はある。この曲を作ったのは、かなり前だったんだけど、ずっとお気に入りの曲だったし、周りの友人たちも気に入ってくれたから、今度のアルバムには入れたいと思った。たとえ今作がフォーキーなサウンドになっていったとしても、この曲がアルバムに残されることは重要だった。

“Erdaydidder-Erdiddar”でリズムを刻んでいるのはタップシューズでしょうか? このアイディアには何か参照元があったのですか?

SW:タップシューズではないけど、足音だよ。それからドアをノックする音。これはじっさいのドアを使ってスタジオで録音したんだ。木のドアをスタジオに持ち込んでね。足音はサンプリングした。最初に足音をサンプリングして、そこからリズムを作った。それが曲のバックボーンになった。

“Old Graffiti”はファンク~ディスコのスタイルです。“Pretty Ribbons~”からここまでの中盤は本作のなかでも雰囲気が他と異なっていますけれど、アルバムをこのような構成にしたのはなぜでしょう?

SW:『Phantom Brickworks』は例外として、僕はアルバムにさまざまな、対照的な感情を含めるのが好きなんだ。僕にとってアルバムは映画のようなもので、映画にはさまざまなシーンがあって、ひとつのシーンから次のまったく違うシーンへと移ったりする。アルバムでもそういうような旅路を作りたいと思っている。だから曲の順番というのはとてもたいせつで、今回はそれを決めるのが大変で時間がかかった。新しい曲ができて、それをアルバムに追加するたびに、アルバムの構成をすべて変えなくちゃいけなかったからね。だからかなり難しかった。

本作にはディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)やディー・ディー・シャープ(Dee Dee Sharp)といったソウル・アーティストへのオマージュが込められているとのことですが、彼女たちの魅力を教えてください。他のシンガーと違っているところはどこでしょう?

SW:そのアーティストたちというよりも、ある特定の歌やアルバムを僕が知るようになって、今回のアルバムにわずかだか影響を与えているという感じだよ。“Before”や“Old Graffiti”には、僕が、ある特定のレコードを聴いてアイディアを得た要素が含まれている。いま挙げられたアーティストたちも、その人たちをサンプリングした最近の音楽、つまりマッドリブやJ・ディラ、MFドゥームなどを聴いて知るようになったんだ。彼らの音楽から、多くの60年代70年代のソウル・ミュージックのアーティストを知るようになった。だから僕が影響を受けているのは、ディオンヌ・ワーウィックやディー・ディー・シャープたちというよりも、彼女たちの曲に使われていたアレンジの方法のアイディアなんだ。ディー・ディー・シャープの曲に“I Really Love You”っていうのがあるけど、そこで使われているキイボードのような楽器のサウンドが、コードを弾くときに、タイムラグがあるような聴かせ方をしていて、その、時間がずれているような感じがとても好きなんだ。“Old Graffiti”を演奏しているときには、その感じを入れようとした。“Before”には、インストゥルメンタルのパートにメインのメロディがあるんだけど、エレクトリック・ギターが入っていて、シタールみたいに聴こえるように設定してある。そのアイディアも、ディオンヌ・ワーウィックやジャクソン5などの古いレコードを聴いてアイディアを得たものなんだ。当時のアーティストの多くはこういうサウンドを使っていたんだ。

人びとが求めているのは音楽だけではなく、自分が所有できて、見ることができて、集めることのできる、フィジカルな何かだ。それはとても人間らしいことだと思う。だからヴァイナルがまだ消滅していないということは理解できるし、良いことだと思う。

これまであなたはフォークだけでなくソウルやファンク、ヒップホップ、ハウスにアンビエントと、作品ごとにさまざまなスタイルに挑戦してきましたけれど、そのすべてに共通している「ビビオらしさ」はなんだと思いますか?

SW:ほかの人が僕にそういう意見を言ってくれることはあるけれど、自分で何かと言うのは難しいな。たとえば、僕が友人たちの前で曲をかけて、それが誰の曲か言わなかったとする。それはハウス・ミュージックかもしれないし、エレクトロニック・ミュージックかもしれないし、なんでもいい。だけど、彼らはたいてい、それが僕の音楽だということがわかるんだ。そして、僕も同じように、音楽を作る友人たちの曲を聴くだけで、誰がそれを作ったかがわかる。なぜだかはわからない。ある特定のメロディかもしれないし、リズムのアイディアかもしれない。歌を歌うアーティストなら、声で認識できるから、よりいっそうわかりやすいけどね。知り合いのなかでも、僕みたいに、さまざまなスタイルの音楽を作る人たちが何人かいる。マーク・プリチャードはその良い例だ。クリス・クラークも。ふたりとも〈Warp〉のアーティストたちだ。彼らはエレクトロニック・ミュージックを作ることもできるし、アコースティック楽器やピアノだけの曲を作ることもできる。だけど彼らの音楽には彼ららしさというものがたしかにある。でも、それがなんなのかというのは説明できない。それに、自分のサウンドを自分で判断するのは難しいと思う。

あなたの音楽を貫いているもののひとつにノスタルジーがありますが、それについてはどのようにお考えですか? ノスタルジーは人に何をもたらすものでしょう?

SW:ノスタルジーとレトロは違うものだと思う。何かが「レトロだ」と言うとき、それはある特定の時代のデザインなどを参照しているという意味で使われていると思う。たとえば70年代のレトロ・ファッションとか。レトロな音楽というのもそう。その一方でノスタルジーとは、リスナーのなかでの感情を呼び起こすことだと思う。だから音楽にあるノスタルジーは、大勢の集団にたいして、同じ特定の時代を思い起こさせるものではないと思う。むしろ、個人のなかにある、個人的な思い出を呼び起こそうとしている。僕は、僕の音楽にたいしてフィードバックをもらうけど、ノスタルジーがどのように作用するかということについて、いろいろな人の意見やコメントを読んでいる。そのコメントは世界各地の、まったく異なった環境にいる人たちから寄せられてきている。カルフォルニアの人とか日本の人とか、僕が育ってきた環境とはまったく違う人たちだ。でも、僕たちはみんな、似たような感情を体験している。同時にその体験は私的で個人的なものでもあるんだ。だから具体的な時代を参照しなくてもノスタルジーを喚起させる方法があるということなんだよ。僕が関心のあるノスタルジーは特定の時代のものではない。僕のそれは、かなり長い時間軸に及んでいるかもしれないからね。

プレス・リリースには「記憶や子供時代に感じたこと、昔の画家たちによる牧歌的な風景画にも影響を受けている」と書かれていましたが、それらについて具体的に教えてください。

SW:子どものときは、世界の見え方が違うと思う。政治についてもよく知らないし、人間であることの現実にあまり縛られていない。子どものころは、魔法や幽霊などの存在を信じている。だから子どものとき、世界はまったく違った場所のように感じる。経験することも新しいことばかりだ。僕が子供のころ田舎へ行って、父親と釣りにいったことを覚えている。それは素晴らしい体験だったことを覚えている。とても新しくていままでにしたことのない体験だったから。それを大人になったいまふたたび体験するのは非常に難しい。まったく新しい場所に行ったとしても、成長するにつれて、過去の経験によって条件づけられてしまい、ある意味、なかなか物事に感心・感動しなくなってしまう。いろいろな期待を抱いてしまったりするからね。だから子どもの世界観は大人のそれとはかなり違う。でも、自分の子ども時代の記憶もまたじっさいとは違っていたりする。人びとは子ども時代を美化して記憶している傾向がある。それは、素敵なことだと僕は思うんだけどね。
 風景画の画家たちについては、そのままの風景を記録しようとしているのではない人たちが好きだ。彼らは、その場所の写真みたいな記録を残したいわけではない。彼らは、その場にある何かしらの感情やフィーリングを捉えようとしている。僕が言っているのは、イギリスの画家ジョン・コンスタブルなどのことで、彼が描く田舎の風景には、イギリスの田舎にある静けさや穏やかさが表現されている。もちろん、それらが描かれた時代には騒音公害もなかったし、なんの汚染もなかった。いまそのような風景画を観ると、それはべつのことを表しているように僕には感じられる。僕はその時代に戻りたいと思う。そういう絵を見て、あの時代に行ってみたいと思い、あの時代、あの場所に行っている自分を空想して楽しんでいるんだ。

あなたが最初に〈Warp〉からアルバムをリリースして今年で10年になります。このレーベルに移った当時と現在とでもっとも変わったことはなんですか?

SW:音楽業界はいまストリーミングが重要で、それが10年前と比べて大きく変わったことだね。レーベルが生き残るためには、ストリーミングに真剣に取り組んでいかなければならない。人びとが音楽を聴くための新しい方法として最初にストリーミングが登場したとき、僕はあまりそれが気に入らなかった、というか興味がなかった。いまはストリーミングを受け入れていて、それが人びとの音楽の聴き方にどんな影響を及ぼしているのかを観察している。ストリーミングはラジオに近いものだと思うようになったんだ。人びとは自分で作ったプレイリストや、登録しているプレイリストを聴いていて、音楽をコンピレイションのように聴いている。さらに観察していて気づいたのは、ストリーミングではメロウな音楽やアンビエントな音楽、チルな音楽がよく聴かれているということで、これはおもしろいと思ったな。つまり、人びとはよりリラックス効果のある音楽を聴きたいと思っているということだ。それは目が疲れているからかもしれないし、職場で聴いているからかもしれない。仕事中にメロウなBGMが欲しいのかもしれない。だから、ストリーミングは人びとの音楽の聴き方にも影響を与えているということ。僕は音楽を作る側の人間で、アルバムを聴くことによって影響を受けていることが多いから、あまり音楽をストリーミングしないけどね。プレイリストを聴くよりも、アルバムを通しで聴くほうが多いな。自宅ではレコードを聴いている。だからアルバムのレコードをかけてそのアルバムを全部聴くか、少なくともレコードの片面は全部聴いている。この変化はおもしろいと思った。
 それと、この10年間でヴァイナルの売り上げが伸びているのも興味深い。それは、人びとが求めているのは音楽だけではなく、自分が所有できて、見ることができて、集めることのできる、フィジカルな何かだということの表れだと思う。それはとても人間らしいことだと思う。人間はモノが好きだ。フィジカルなモノが好きだ。だからヴァイナルがまだ消滅していないということは理解できるし、良いことだと思う。集めたヴァイナルには価値がある。その反面、曲をダウンロードするためにストリーミング・サービスにお金を払っても、曲を聴くことはできるけど、その後に残る資産が何もない。僕はレコードを聴くためにレコードを買うけれど、投資でレコードを買う人たちもいる。けれど、いつかレコードがいらなくなったときに、それを売ったらなんらかの価値があるというのも良いことだと思う。

CROOKED TAPES presents NEGATIVE INIFINITY - ele-king

 ゼロ年代US産ローファイ/ノーファイ・サイケデリア、DIYインディー・ミュージックを引率した〈Not Not Fun Records〉総帥ブリット・ブラウンによるレーベル発足と同時期にアレックス・ブラウンと共に活動を始動させたバンド、ローブドア〈Robedoor〉。現在までに大小様々なレーベルより膨大な音源をリリースしてきた彼らがヘヴィ・ドローンからドゥーム・メタル、クラウトロックからインダストリアル・ミュージックを消化しきたのはブリット曰く、彼らの「洞穴音楽」への探求に他ならない。〈Deathbomb Arc(デスボム・アーク)〉から来たる新譜、〈Negative Legacy(ネガティヴ・レガシー)〉からの新曲をひっさげ、中国ツアーを終えたばかりの彼らがその足で東京、大阪でのエクストラ・ショーケースを行う。春風の清々しさに欝気味のあなた、是非この機会にLA発ダンジョン・シンセを浴びて、堕ちるとこまで堕ちてみてはどうだろうか?

CROOKED TAPES presents
NEGATIVE INIFINITY
RBDR Japanese showcases 2019

4月18日 大阪 Socore Factory 〈line in da utopia〉
4月19日 東京 Galaxy銀河系 (開演は20時予定)

https://robedoor.bandcamp.com/

 ディアハンターのオープニングで彼女を見てからというもの、大ファンになった。NYに来るたびに欠かさず見に行った。日本にも行くと聞き、日本まで見に行こうかと真剣に考えた(キャンセルになりましたが)。ニュージーランドの歌姫オルダス・ハーディング。
 〈4AD〉と契約する前の、彼女のファーストがツボにハマり、一時そればかり聴いていた。『パーティ』が出てからは、それを繰り返し聴いた。教会でのショーを見たあかつきには、胸を打たれて涙が出てしまった。そこにいた人たちはみんな同じ気持ちだったはず。スタンディング・オベーションが止まらず、彼女は二回アンコールをした。それでも人びとの拍手はまだ鳴り止まなかった。最初に見たときは一人、教会で見たときは、NYで仲良くなったインヴィジブル・ファミリアーズのジャレッドの二人体制だった。
 彼女はこの春、新作『デザイナー』をリリースした。そしてNYのラフ・トレードから北米ツアーがはじまった。


 11日間、その大半がソールドアウトだった。最初のラフトレードもソールド・アウトだった。
 会場は、集まった人の熱気で熱かった。今回のショーはフルバンドで、ドラム、ギター、ベース、キーボード、そしてオルダス・ハーディング。グレーのTシャツに白いパンツというカジュアルな格好に、少しカールがかかった髪型。ツアー初日のため、緊張していたのか「昔ほど自信がないのよ」「なんだか初めからまたスタートするみたいね」と笑っていた。
 彼女の伸びやかで艶のある声。マラカスを振りながら、軽いグルーヴィーなタイトルトラックではじまった。アコースティック・ギター、キーボードなど楽器を持ち替えながら、彼女はニュー・アルバムの曲を最初から最後までプレイした。シングル曲の“バレル”では歓声が起こり、“ズーアイズ”では彼女のハスキーヴォイスからハイヴォイスまでの多彩なレンジを楽しんだ。“トレジャー”での、バンド・メンバーとのコーラスも美しく素敵だった。


@brooklyn vegan

 とくに印象的だったのは、アコースティック・ギターだけで演奏された“ヘブン・イズ・エンプティ”。彼女の本来の姿というか、何も飾りのないむき出しの彼女の深い深い声が大きな会場にこだました。もう何もいらなかった。
 彼女の動きはとてもゆっくりで丁寧で、ときには鋭く、ときには笑いかける、ロボットのようなダンスも可愛かった。
 ラストは『パーティ』からの“ブレンド”で、水着(?)を着た彼女の印象的なミュージック・ヴィデオを思い出しながら聞き入った(フランシス・フォード・コッポラの『地獄の黙示録』に影響されて作ったらしい)。

 アンコールの声援は止まらなかった。戻ってきた彼女は、驚きの選曲、スコティッシュ・ロック・シンガーソングライター、ゲリー・ラファティの定番ソング“ライト・ダウン・ザ・ライン”」のカヴァーを演奏した。さらに『デザイナー』にも入っていない新曲“オールドピール”を披露。ラフトレードのマグカップをカウベルの代わりに使い、アップテンポで、楽しい演奏はクライマックスでドラマーのマラカス(スティック)が爆発し、スモークが巻き起こるという最高のパフォーマンスになった。オルダスはメンバーを紹介し、オーディエンスは、ラヴコールをバンドに送った。
 余韻を残しつつショーは終了。誰もが、その足でマーチテーブルに走った。最高のツアー第1日目、彼女の旅ははじまったばかり。

The Future Eve featuring Robert Wyatt - ele-king

 ザ・フューチャー・イヴとロバート・ワイアットによるアルバム『KiTsuNe / Brian The Fox』を聴いて最初に思い浮かべたのは、ブライアン・イーノが70年代中末期から80年代初頭にかけて主宰していたレーベル〈Obscure〉からリリースされた諸作品である。特にワイアットが歌ったジョン・ケージの曲を収録したジャン・スティール/ジョン・ケージのアルバム『Voices And Instruments』(1976)を想起した。真夜中の透明な時のようなあのムード。むろんそれも一瞬のことだ。聴き進めていくにつれ次第に「音楽の記憶」は融解し、消失していった。
 やがて『KiTsuNe / Brian The Fox』は、ほかに類例のない音楽と音響であることに気がつく。直線的に進化するというような西洋的ではない時間感覚があり、反リニア的ともいえる時の積み重なりがあった。空間に満たされていくような時間=音楽・音響が生成していた。

 では、ザ・フューチャー・イヴとは誰か。それは近年80年代にリリースされたトモ・アキカワバヤ名義の諸作品・音源が、海外のシンセ音楽愛好家たちによって「発見」され、2015年にシンセウェイヴの名門レーベル〈Minimal Wave〉から『The Invitation Of The Dead』としてリイシュー/リリースされた日本人音楽家 Th である。「ザ・フューチャー・イヴ」は彼の新名義だ。
 Th は70年代に渡英した際にポストパンク・バンドのデスパレート・バイシクルズ(The Desperate Bicycles)にギターとして加入し、活動する。帰国後、Th は「トモ・アキカワバヤ」名義でほかに類例をみない独自の電子音楽を制作しはじめた。12インチ・シングル「Mars」(1983)、「Anju」(1985)、「1985」(1985)、「Kojiki To Onna」(1986)、アルバム『The Castle』(1984)を相次いで発表。1986年にはそれらをまとめたボックスセット『Rivage De La Convulsion』をリリースし、トモ・アキカワバヤ名義での活動を封印してしまう。これらの作品のリリース点数は少なく、極めて希少であったが、インターネットの恩恵もあって、次第にその作品が海外の電子音楽・シンセ・ミュージック・フリークたちに伝播し、アルバムは、希代のレア盤として知れ渡ることになった。
 それゆえ2015年に〈Minimal Wave〉がリリースした『The Invitation Of The Dead』はまさに福音ともいえるリリースだった。このアルバムを初めて聴いた電子音楽マニアは驚いたはずだ。その「存在」も未知だが、その「音」もまた、聴いたことがない未知の音楽だったのである。トモ・アキカワバヤのサウンドは、機材の変化や時代の変容などはあるものの、ほかの何にも似ていない独自の技法によって鳴らされる個の電子音楽であり、時間を超えた驚きを与えてくれる音楽なのだ。モデルのアンジュを被写体としたアートワークも印象的であり、Th の美意識が普遍的な、時間を超えるようなものを希求していることを示してもいた。じじつ、Th は文学から美術までに造詣が深いようで、そのヒントは作品に多く散りばめられていた(彼の人生については、このインタヴュー記事に詳しく、とても興味深い内容であった)。

 90年代は盟友であるシンセサイザー奏者の半谷高明とベアタ・ベアトリクス(Beata Beatrix) を結成し(19世紀のイギリスの画家・詩人のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの代表作からとられた名前だろう)、制作をはじめる。そして彼らが、97年、プロモCD(『87-96』だろうか?)を、ロバート・ワイアットに送ったことで Th たちとワイアットの交流・コラボレーションが始まった(ワイアットについてはもはや説明するまでもないだろう)。1998年に、ワイアットから1本のDATテープが送られてきたというのだ。
 その共作の成果は、やがてワイアットのアルバム『Cuckooland』(2003)に“Tom Hay's Fox”として収録された。“Tom Hay's Fox”が本作『KiTsuNe / Brian The Fox』のオリジナル・ヴァージョンの原曲である。彼らのコラボレーションはその後も継続し、『KiTsuNe / Brian The Fox』が、20年にわたる共作の最初のアルバムとなった(アルバムとしては2年の月日をかけて制作している)。

 『KiTsuNe / Brian The Fox』は「オリジナル・ヴァージョン」と「リング・ヴァージョン」の二部構成となっている。「オリジナル・ヴァージョン」はCD全4曲、LP全5曲、「リング・ヴァージョン」は全8曲がそれぞれ別ディスクに収録されている。
 ちなみに「オリジナル・ヴァージョン」は、〈12k〉のレーベル主宰者にして現代有数のアンビエント作家テイラー・デュプリーがマスタリングを担当し、アルバムのアートワークは Th による写真作品が用いられ、デザインを先端的音楽レーベルの象徴ともいえる〈Modern Love〉のアートワークで知られる Radu Prepeleac が手掛けた。音響から視覚に至るまで Th の「美意識」が隅々まで行き渡っている作品といえよう。リリースは日本のエレクトロニカ・電子音楽レーベルとして著名の〈flau〉である。歴史に残る偉大なリリースだ。

 実際に聴いて頂けると即座に理解できると思うのだが、本作に横溢する音(ドローン、ノイズなど)は、まったく「記号化」されていない。「ドローンならこういう音」、「アンビエントならこういう構造」というありきたりな形式や構造で成立していないのである。ここで音楽家たちは、それぞれに個/音を模索し、生成し、磨き上げ、創り上げているように思えた。ワイアットの詩と歌/声が電子音空間のなかで融解し、拡張し、聴き手の聴覚の記憶を融解するようなサウンドが生まれている。
 むろん音楽の種類でいえばアンビエントやドローンに当てはめることは可能だし、ときにラ・モンテ・ヤング的なラーガ・ドローン的な響きを聴き取ることも不可能ではない。しかしその音はすぐに別の響きへと姿を変えてしまい、安直な言葉の枠組みに収まることを周到に回避していくように展開する。ワイアットの声やヴォーカルも、音響の只中に空気のように揺らめき、やがてドローンの中に液状化するように同化し消失してしまう。「解釈」を拒むように、「解釈」に抗うように。
 そう、『KiTsuNe / Brian The Fox』は、音楽をとりまく無数の「言葉」たちから、するりと、しなやかに、まるで「狐」のように身をかわす。リニアな「時」の呪縛から自由になるために、とでもいうべきか。その結果、音と時間が溶け合っていくような時間が生成する。音楽が時間というノイズの只中に消失していくような感覚は、ザ・ケアテイカーの傑作連作『Everywhere at the End of Time』に近い喪失感を有しているように思えた。

 同時に、ここで生まれている音響は、単なる破壊でも否定の結果でもない点も重要である。音色や構造に未知の感覚があるのだ。聴き手は聴いた瞬間には形式が理解できても、その構造は即座に理解できない。電子音が、声が、ギターの音が、ヴァイオリンの音が、ミニマムなノイズが、まるで夢のように、砂のように、水のように生成し、変化する。われわれはその「音のさま」に茫然となり、聴き惚れてしまうだけだ。「オリジナル・ヴァージョン」1曲め“01.01”と「リング・ヴァージョン」のラスト“04.08”においてワイアットの声が幽玄なドローンの中に消えゆく、音響、質感、感覚……。時間の感覚が変容する。
 つまり、直線的に流れゆく時=音楽から、堆積していく時=音楽の感覚への変容である。『KiTsuNe / Brian The Fox』には、どこか「東洋的」ともいえる時間感覚が横溢している。それはノシタルジアが未来化するような感覚を聴き手に抱かせることになる。未知の音が、未来のサウンドが、濃厚なノスタルジアと共に、堆積する時=音楽が、「幽霊」たちの再臨のように鳴り響く。

 「オリジナル・ヴァージョン」の“02.01”以降、「声」は音響のなかに融解し、電子音やノイズも拡張され、音響化し、まるで空気と時間の層が、液状化するように展開する。音は持続し、変化するが、静謐であり、ノイジーでもある。
 “02.03”は、コード進行や和声など音楽の痕跡が微かに表面化する。消え去る直前の音楽と声。喪失感と再生を象徴するかのような楽曲である。そして「オリジナル・ヴァージョン」の最終曲“03.01”においてワイアットの声/ヴォーカルが再蘇生するように鳴り響く。僅か50秒ほどの短いトラックだが、サウンドが有している時の感覚は実に濃厚だ。「オリジナル・ヴァージョン」は20数分ほどの作品であり(CDとヴァイナルでは収録曲数が違い、ヴァイナルではCD未収録の“02.02”を聴くことができる)、「リング・ヴァージョン」は40分ほどの作品だが、そこに実時間の長さとは無縁ともいえる濃厚な「時」が流れているように感じられた。その名のとおり「リング・ヴァージョン」は、「オリジナル・ヴァージョン」にある「円環する時」の感覚を引き出し、拡張させ、さらなる輪廻的な世界感へと生成変化させているのではないか。
 レーベル・インフォメーションにおいて「ワイアットの声と詩、テープのMIDI変換によってプリミティヴな音階を獲得し、まるでアクションペインティングのように特異な動きへと変貌を遂げ、生命の輪廻が表現された」と記されていたが、 「リング・ヴァージョン」はまるで時が溶け出し、別の時間層へと再生成するようなシルキーな質感の“04.01”で幕を開ける。
 39秒ほどの2曲め“04.02”では再びワイアットのヴォーカル/ヴォイスよって詩が提示され、続く8分20秒ほどの“04.03”では、さまざまなサウンド・エレメントがまるで真夜中の森の微かなざわめきのようにミックスされる。まるで静謐さのむこうにある蠢きを感じさせてくる不穏なトラックだ。
 4曲め“04.04”では再びワイアットのヴォーカルによって詩世界が提示され、音響世界を別のフェーズへと導く。7分ほどの“04.05”も“04.03”と同様に不穏なムードを展開するが、この曲では地上世界から離れ、宇宙的ともいえる深遠なムードが物質と非物質の差異を無効化するように漂っている。
 多層的な声のレイヤーによるドローン化した宗教曲のような“04.06”、ダークな音響空間が静謐な粒子の音響へと展開する“04.07”を経て、ふたたびワイアットの声が響く“04.08”でアルバムは幕を閉じる。この最終曲においてモノフォニーから明確なポリフォニーへと音楽が変化したのち、ふたたびすべてが溶け合う。堆積する時間の層と融解する時間の感覚が、真夜中の森が発する「幽霊」の気配のような本作のアンビエンスは、記憶=ノスタルジアを未知の音響空間として生成する。この2枚のディスクは通常の時間軸を崩すように、融解するように、聴き手の意識を変えてしまうような魅惑がある。

 見事なアルバム構成であり、終焉だが、これで終わりではないようである。現在 Th たちは、ワイアットの希望を汲んで、「ゴースト・ヴァージョン」も制作中という。引退をしたワイアットの最後のリリース作品となる可能性も高いので、いまからリリースに期待が高まる。
 また、本作のために制作されたサイト(https://ki-tsu-ne.com/)も開設された。モノクロームを基調としたヴィジュアルにも Th の美意識と普遍性を感じ取ることができるはずだ。音と共に鑑賞・体験することで、音響と視覚による総合的なアートとして生成するように思えた。

dialogue: Shinichiro Watanabe × Mocky - ele-king

 鍵盤の纏うノイズに、ギターの軋む音──第1話を視聴してもっとも驚いたのはそこだった。いやもちろん、ボンズによる映像も素晴らしいのだけど、それ以上に全篇をとおして繰り広げられる細やかな音の乱舞に、どうしようもなく惹きつけられてしまうのである。かつてこんなにも“生き生きした”具体音をTVアニメで耳にしたことがあっただろうか。そして続く第2話。モッキーによる劇判がこれまた冒険心に満ちあふれている。間違いない。渡辺信一郎、本気である。
 モッキーといえば、もともとはピーチズやゴンザレス(昨年ドキュメンタリー『黙ってピアノを弾いてくれ』が公開)、ファイストらとともに、カナダはトロントのアンダーグラウンドから浮上してきたアーティストだ。ジェイミー・リデルとの度重なる共作や、近年ではケレラ作品への参加でも知られる彼は、実験的な試みとユーモアを軽々と両立させてしまう才の持ち主で、その絶妙なバランス感覚は3月の来日公演でもしっかりと確認することができた。そんな彼が渡辺信一郎による新作アニメのサウンドトラックを手がけることになったのは、いったいどういう経緯からだったのだろう?
 本日深夜よりフジテレビ「+Ultra」ほかにて放送開始となるオリジナルTVアニメ、『キャロル&チューズデイ』。その記念すべき船出を祝して、総監督=渡辺信一郎と音楽担当=モッキーによる貴重な対談をお届けしよう。


みんなAIに興味を持つべきだと思う。その時代がもう来ているから。音楽もそう。僕はいまそれと闘っているんだ。そのなかでバランスを見つけるためにね。だから『キャロル&チューズデイ』のテーマは自分にとってすごく身近なものだった。 (モッキー)

今回、渡辺総監督が『キャロル&チューズデイ』の劇伴にモッキーさんを起用したのはなぜですか?

渡辺:元々、モッキーさんの音楽は好きでよく聴いてたんだけど、今回オファーしたのは、来日公演を観たのがきっかけかな。前回の来日のときのライヴで、どの曲も映像が浮かんでくるような感じがして、すごくサウンドトラックに向いてる音楽だなと。あとは、メンバー全員がすごく音楽を楽しんでる感じが伝わってきて、それがとても心地よくて。丁度そのころ『キャロル&チューズデイ』の企画を考えてたころで、音楽をやっていくうえで幸せって何だろう、と考えてたころで。たとえば何百万枚も売れてヒット出しててもすごく不幸なヴァイヴスを出してる人もいるなか、この多幸感はなんなんだと。そういうことを考えるきっかけにもなったライヴでしたね。

モッキーさんは、渡辺総監督から依頼を受けてどう思いました?

モッキー:ビッグで才能のある方からオファーを受けるというのはとても良いことだよ。

渡辺:ハハハハ(笑)。

モッキー:渡辺さんの作品も音楽と繋がりが深いものだと思う。渡辺さんの映像もすごく音楽を思い起こさせる。だから依頼があったときは嬉しくて飛びついたね。そのオファーを真剣に受け止めて、渡辺さんの作品にふさわしい雰囲気を持った音楽を作ろうと強く思ったよ。

これまでモッキーさんは、渡辺さんの作品には触れていたんでしょうか?

モッキー:そうだね、たくさんというほどではないけど、渡辺さんの特徴を知るくらいにはじゅうぶんに観ていたよ。僕はアニメのエキスパートじゃないけれど、それでも渡辺さんの作品は素晴らしいと感じたね。

本人に実際に会ってみてどうでした?

モッキー:すぐに繋がりを感じることができるアーティストだと思ったよ。話す言語はもちろん違うんだけど、まるで同じ言語で会話をして繋がっているような感じがしたんだ。言葉を交わさなくても通じ合えるというか。

渡辺:打ち合わせがすごく短かったんだよね。

モッキー:信頼があるからね。相手を信頼できるかどうかっていうのはとても重要なことで、それはコンサートでも同じだけど、「何か問題が起こってもこの人と協力すれば乗り切ることができる」というのを打ち合わせの段階で感じることができたから、安心して進めることができたんだ。

渡辺:あっというまに仕事の話は終えて、あとはほとんどくだらない雑談(笑)。だから周りのスタッフが、もっと詳しく説明したほうがいいんじゃないの?みたいな(笑)。いや経験上、こういうのは国籍とか関係なく伝わる人には伝わるものなんで大丈夫かなと。

渡辺さんはモッキーさんと実際に会ってみてどう思いました?

渡辺:とても気さくで陽気な人だったから、逆に「この人のどこからあんな切なく寂しい曲が出てくるんだろう」って思ったかな(笑)。

モッキー:それは僕自身にもわからないなあ。渡辺さんの作品も同じだと思うけど、すべての作品にはバランスがあって、悲しい曲が生まれる背景には何かハッピーなことがあるのかもしれない。悲しい曲でも歌詞がハッピーだったり、逆にハッピーな曲だけど歌詞が悲しいものもあったりするし。今回渡辺さんはAIというテーマを扱っているけど、それだけじゃなくて、他にもいろんなものがあるからこそ、そういうアイディアが生まれてくるんだと思う。あと、渡辺さんの場合はユーモアというのもすごく大きな要素だと思うね。それで繋がりを感じられたんじゃないかなと。

渡辺:そういえばAIに興味があるって言ってたよね。AIに支配された世界のPVまで作ったことがあるって、その場で見せてくれて。

モッキー:みんなAIに興味を持つべきだと思う。その時代がもう来ているから。音楽もそう。コンピュータとかロボットとか。80年代や90年代と違って、いまはドラマーがいらない時代だし、オートチューンが歌ってくれる時代でもあるし、音楽もロボットに支配されつつある。僕はいまそれと闘っているんだ。そのなかでバランスを見つけるためにね。だから『キャロル&チューズデイ』のテーマは自分にとってすごく身近なものだった。

渡辺:それを聞いたときは意外で。そんなことにも興味があるんだって。

じつは、いいサウンドトラックを作る秘訣というのがあるんですよ。それは、一度もサウンドトラックをやったことのない人に頼むということ。ビギナーズ・ラックというか、はじめての人特有のマジックみたいなものが必ずあるんですよね。 (渡辺)

『キャロル&チューズデイ』の世界では99%の音楽がAIによって作られていますが、もし同じ状況だったらモッキーさんはどういうスタンスで音楽を作っていきますか?

モッキー:もう現在すでにそんな感じだと思っているんだよ。人間は完璧ではないから、たとえばコンサートではミスを犯す。でもそれこそがアートを作っているんだと僕は思う。映画も同じで、これから何が起きるかとか、完璧なものができるってあらかじめわかっていたらおもしろくない。最高のテクノ・ミュージックも何かミスが起こったときのものだと思っていて、僕はそのときにこそ生まれるおもしろいものを捉えたいんだ。

AIが99%の音楽を作っているということは、『キャロル&チューズデイ』の世界ではそれだけ多くの人びとがAIの音楽に満足しているということだと推察しますが、AIが作ったものと生身の人間が作ったものとの違いってどこにあると思いますか? リスナーはその違いに気づくことができるでしょうか?

モッキー:若い人たちにはわからないと思う。経験がないから。(と言った直後に突然、力強く机を叩く。その場にいた一同が凍りつく)──驚かせてごめん。こんなふうに机を叩くとみんな「ウッ!」ってなるよね。それは机を叩くとヴァイブレイションが伝わって、何かを感じるからだと思うんだ。でもケータイのスピーカーから出てくる音じゃそのヴァイブレイションが作れない。それは人間だけが出せる音。ただ、だからといってコンピュータのようなテクノロジーで作られた音楽がダメだという話ではないよ。音楽はテクノロジーによってどんどん進化して、良いものになっていったと思うし、実際に自分もエレクトロニック・ミュージックを作っているわけだけど、そこでどうにかバランスをとって人間味を持ち続けていくことが大事だと思う。

先の質問をしたのには理由があって、モッキーさんは以前人間ではないリスナー、ずばり猿を相手に演奏をしたことがありますよね。

モッキー:若い頃にやったね。コンサートでいろんな都市をまわったんだけど、コンサートをする前に動物園へ行って、猿のまわりでセットアップして、そこで演奏をしたんだ。僕が演奏すると猿がジャンプしたりしてすごく昂奮しているんだよね。で、喜んでいるって思ったんだけど、動物園の係りの人に「喜んでるんじゃなくて、嫌がってるんですよ」って言われてしまった(笑)。だからそこでは悲しい曲、静かな曲を演奏したんだ。センシティヴになる必要があったんだよね。そういうふうに猿に対して演奏をすることによって自分のスタイルを築き上げていって、そのあと夜になったら人間に向かって演奏をしていたってわけ。そうやって自分のサウンドを見つけたんだ。

人と違うことをやれ、っていうのがパンク、ニューウェイヴの教えですよ(笑)。ってことで、普通より音楽を立てるというか、映像と音楽がフィフティ・フィフティぐらいのつもりでやってます。 (渡辺)

今回劇伴の制作はどのように進めていったのでしょう?

渡辺:モッキーさんにはサウンドトラックとして40曲くらいを作ってもらったんだけど、そのうち20曲はわりと普通の劇伴のスタイル、音楽メニューを書いてどういう音楽がほしいか説明してオーダーするって形でした。それで、残りの曲のうち12曲は、本人の希望により制約なしに感じたまま自由に作ってもらう、あと残りの8曲だけ、どうしても作品に必要な曲というものがあるんで、そこだけ自分がリファレンスを出してこういう曲を作ってくれとオーダーして。

モッキー:すごく厳しいボスなんだ。「これだけ作れ!」みたいな感じでいつも言われていたよ(笑)。

渡辺:いやいや(笑)。モッキーさんは、自由に作るほうも、オーダーに合わせて作るほうも両方できるのが凄いなと。

できあがった曲を聴いてみていかかでした?

渡辺:ちゃんとサントラでもありつつ、モッキーの曲にもなってるのがよかった。サントラになると急によそ行きというか、お仕事になっちゃうミュージシャンもいるんで(笑)。じつは、いいサウンドトラックを作る秘訣というのがあるんですよ。それは、一度もサウンドトラックをやったことのない人に頼むということ。ビギナーズ・ラックというか、はじめての人特有のマジックみたいなものが必ずあるんですよね。それは、アーティストのファースト・アルバム特有のマジックと同じようなものだと思うんだけど、手探りで新しいものを作っていくときにだけ生まれるものだと思いますね。

音と映像が組み合わさった第1話を観て、どう思いましたか?

渡辺:サウンドトラックってあくまで裏方としてドラマを盛り上げていくものという考えがあって、それはそれで正しいかもだけど、そんな他の人がやってるのと同じことやってもしょうがないじゃない。人と違うことをやれ、っていうのがパンク、ニューウェイヴの教えですよ(笑)。ってことで、普通より音楽を立てるというか、映像と音楽がフィフティ・フィフティぐらいのつもりでやってます。モッキーさんの曲は普通のサントラより音楽として強度があるから、それをなるべく活かしたいなと。

モッキー:音楽に関するアニメだし、それで大丈夫だよね。

渡辺:例えばハリウッドの映画を観ていても、見終わって音楽の印象が残るものってあんまりないじゃない?

モッキー:いまはそうだね。

渡辺:昔の映画にはもっと印象的な作品があったしね。ただし、こういうやり方はリスクもあって、失敗すると音も映像もつぶし合っちゃうから、ギリギリのバランスで成立するように考えてますね。

モッキー:やっぱり渡辺さんは天才だと思うよ。

モッキーさんは第1話を観て、いかがでした?

モッキー:ものすごく気に入ったよ。ジギー(作中に登場するフクロウの目覚まし時計兼ペット)が好きなんだ。欲しいんだよね。僕のために作ってもらえないかな(笑)。ジギーをコンセプトにしたアルバムを作りたいんだ(笑)。まあそれはともかく、『キャロル&チューズデイ』ではAIだけじゃなくて、友情だったり、人生における音楽の役割、なぜ人類が音楽を必要とするのかというのも大きなテーマのひとつになっていると思う。やっぱり音楽って、昔もいまも変わらず僕たちの人生の一部であり、欠かせないものだと思うんだ。たとえば仮に人間が火星で生活をすることになったとしても、みんな音楽を持っていくだろうとか、そういうことをよく考えるんだよね。なんで音楽なんだろうって。それってやっぱり、僕たちが生まれながらにして持っている感情だと思うんだ。子どもが泣けばお母さんは自然に歌を歌うしね。最近のメインストリームのアメリカ映画ではそういうことがぜんぜん語られなくて、人間の作る音楽というものが脇に置かれてしまって、注目されていない。『キャロル&チューズデイ』はそういうことを重要なテーマだと語ることができる作品だから、自分がそれに関わることができたのはすごく光栄に思っている。

モッキーさんが今回劇伴を作るにあたり、とくに意識したことはなんでしょう?

モッキー:とにかく渡辺さんを信用するのみで、僕はとくに何も意識しなかったね。ただもう信頼だけ。自分にとって渡辺さんはミュージシャンのような存在なんだ。初めて会ったときも他のミュージシャンに会っているような感じがしてね。ほんとうに安心することができるし、彼が作った作品の音楽を作っているというだけで、人間と人間が関わっているということを感じることができた。だから、とくに意識したことはないんだ。渡辺さんは音楽の知識が素晴らしいからね。音楽について少し会話をしただけで、すぐに音楽のことをすごく知っている人だってわかったよ。

渡辺:じつは、モッキーさんに音楽を頼んでもうひとつ良かったことがあって。今回、サウンドトラックとはべつにヴォーカル楽曲を国内外のいろんなミュージシャンにオファーしてるんだけど、普通はなかなかハードルが高いミュージシャンたちが「モッキーがやってるなら」ということで興味を持ってくれる場合が多かった。やっぱり彼はミュージシャンズ・ミュージシャンで、ミュージシャンのあいだで人気があるんですよ。「そのおかげで、多くのミュージシャンが参加してくれたとこもあるんじゃないかな。

いまおっしゃられたように、『キャロル&チューズデイ』にはモッキーさん以外にも多くのミュージシャンが参加していますけれど、彼らを選ぶときに何か基準はあったのでしょうか?

渡辺:もちろん自分が好きなアーティストっていう大前提はあるけど、今回はやっぱり作品内容に合ってる人、テイストが合っている人が中心。とくに『キャロル&チューズデイ』ではメロディを重視してるんで、メロディメイカーとしていいかどうかにウェイトを置いてたかな。

モッキー:それは僕も同じで、メロディを作るときって自分の意識とか注意が必要なんだよね。それは(AIではなく)人間だからこそできることなんだ。ほんとうに人間味のある人間だからこそメロディを気にかけるんだと思う。

渡辺:あと、オファーをしていくなかで話を聞きつけたアニメ好きのミュージシャンがオレにもやらせろと言ってきたり、そういうパターンもありますね(笑)。ちなみに今後、モッキーさんにはサントラのオファーがいろいろ来るんじゃないかな。売れっ子作曲家になったりして。

モッキー:日本だけかもしれないけどね(笑)。でも日本が大好きでお気に入りだから。日本は尊敬の念とか感謝の念が素晴らしい。

『キャロル&チューズデイ』では人生における音楽の役割、なぜ人類が音楽を必要とするのかというのも大きなテーマのひとつになっていると思う。最近のメインストリームのアメリカ映画ではそういうことがぜんぜん語られない。 (モッキー)

最後に、これから『キャロル&チューズデイ』を観る方に一言ずつお願いします。

渡辺:音楽が好きな人で、これまでアニメはあまり観てこなかったような人でも楽しめる作品になってると思うんで、ぜひ観てほしいです。音楽ファン必見です。

モッキー:僕もそう思うよ。みんなが楽しめる作品、大人も子どもも世代を問わず楽しめるアニメだと思う。

渡辺:あと、フクロウが好きな人もぜひ観てください!

モッキー:そのとおり! やっぱりジギーだけの作品も作ったほうがいいと思う(笑)。

ではスピンオフ決定ということで(笑)。

モッキー:ジギーが主役のコメディをやろうよ!

渡辺:プロデューサーに言っておきますか(笑)。でもジギーのおもちゃは作ってほしいですね。

モッキー:目覚まし時計もいいんじゃない? ジギーにステージ上で演奏してもらうのもいいね。もし実現したら最初に僕にくださいね!

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