通算6作目、じつに5年ぶりとなる待望のアルバムをリリースし、大いに称賛を浴びているフライング・ロータス。この秋には単独来日公演も決定し、ますます熱は昂まるばかりだけれど、多彩なゲストを迎えさまざまなスタイルを実践した渾身の新作『Flamagra』は、彼のキャリアにおいてどのような位置を占めているのか? そしてそれはいまの音楽シーンにおいてどのような意味を担っているのか? 原雅明と吉田雅史のふたりに語り合ってもらった。
ひとりで作ってきたトラックメイカーがそこからさらに成熟したことをやろうとすると、たいていは生楽器を入れたり、あるいは壮大なコンセプトを練るじゃないですか(笑)。彼は今回の新作でそれにたいする答えを出したんだと思います。 (原)
吉田:まずは、原さんが最初に『Flamagra』を聴いたときどう思われたか教えてください。
原:初めて聴いたときは、『You're Dead!』と比べると地味だなと思った。ゲストはたくさん参加してるけど、ひとりで作っている感じがして、すごくパーソナルな音楽に聞こえたんですよ。『You're Dead!』もいろんな人が参加していて、聴いた箇所によってぜんぜん音が違うという印象を受けたんですが、『Flamagra』は、もちろん各曲で違うんだけど、全体をとおして落ち着いていて、統一感のある作品だなと思ったんです。オフィシャルのインタヴューを読むと、今回は自分で曲を書いてキイボードも弾いて、クラヴィネットの音がポイントになっていると。じっさいに使われている音数もそれほど多くない。要素はたくさんあるけど、決めになる音が『You're Dead!』よりも拡散していない感じで、ずっとある一定のレヴェルでアルバムが進んでいくような印象を受けましたね。
吉田:曲のヴァリエーションは多様だけど、ひとつの原理に沿って聴こえるように「炎」というコンセプトを立てて、作り貯めたものをそこに全部入れたかったんだと思います。そのときひとつの軸になるのがクラヴィネットの音色で。ギター不在の今作では、鍵盤と弦楽器の両方の役割を担っているところがある。ソランジュとの曲(“Land Of Honey”)も4、5年前に作ったって言っていたけど、統一感のためにクラヴィネットの音はあとからオーヴァーダブしたんじゃないかと思うくらいで(笑)。それから今作の新しさを考えるにあたって、サンダーキャットを中心としたミュージシャンと一緒に書いてる曲が多い中で、ひとりで書いている曲がポイントになるのではないか。5曲目の“Capillaries”は、ビートやベースのパターンはこれまでのフライローっぽいんだけど、アンビエントなピアノの旋律が中心になることでピアノ弾きとしての彼の新しいサウンドに聴こえる。それから“All Spies”という曲もひとりで書いていて、これはひとつのリフをさまざまな音色のシンセやベースで繰り返し、その周縁でドラムが装飾的な使われ方をするという、シンプルながらひとつずつ展開を積み重ねる楽曲です。重要なのは、特定のサウンドで演奏されたメロディをサンプリングしてループするのではなくて、あくまでもリフとなる「ラドレファラド~」というひとつのシンセのメロディがあって、それをさまざまな音色がユニゾンしながら繰り返し演奏していく。つまりサンプリングループからアンサンブルへの移行を見てとれる。結果としてこの曲は、YMO的な印象もありますよね。そういう多様な楽曲がひとつの原理で繋がっている。
原:YMOは好きだったみたいな話を実際にしているよね。今回はやっぱり自分で曲を書いて、アンサンブルを活かしているのが大きい。
吉田:これまでは仲間のミュージシャン陣が演奏したラインをサンプリングフレーズのようにして彼が後から編集していた印象だけれど、今回はメインとなるリフや楽曲展開をあらかじめ書いて皆で一緒に弾いているようなところがある。今回ジョージ・クリントンが家にきて一緒に曲作りをしたとき、その場でぱっとセッションをしたらスポンティニアスに曲ができて、それがすごく自信になったと言ってますよね。それは自分で理論を学び直したことなんかもあって、ある程度即興的に楽曲を形にできるようになったからだと思うんです。とくに、『Cosmogoramma』以降は超絶ミュージシャンたちの演奏を編集するエディターの側面も強かったと思うんですが、今回は作曲者兼バンドマスターとしても自信をつけたんじゃないかなと。ちなみに俺は最初に聴いたときはポップなところがすごく印象に残りました。これまでのアルバムより多様性があるなと思ったとき、リトル・ドラゴンとやった“Spontaneous”や“Takashi”辺りが、とくにこれまでにない新しい景色だと。じっさいフライローは「もっと売れなきゃいけない」というようなことを言っていたから、意識的にポップな部分を入れているのかなと。そのあたりはどう思いました?
原:ポップさはあまり感じなかったかな。ポップだと思った曲もあるけど、相変わらず1曲が短いから、感情移入する前にすぐ変わっちゃうんですよね。だから、「この曲をシングルカットするぞ」みたいな感じは受けなくて。
コルトレーン一家という自身の出自へのがっぷり四つでの対峙がようやく終わって、みそぎが終わったというか。「俺が考えるジャズをひとまずはやり切った」みたいな感じがありますよね。 (吉田)
吉田:フライローの曲って、たとえばヒット曲とか代表曲がどれかって思い出しにくいですよね。曲が短くてたくさんあるから、曲単位で「あの曲がシングルでヒットした」というよりもアルバム単位で「あのアルバムはこういう感じだったよね」と記憶されている。だけどあらためて聴くと楽曲をさらに細分化した各パーツの部分、たとえば『Cosmogramma』だったら“Nose Art”のキックとベースの打ち方だったり、“Zodiac Shit”のエレピとストリングスとか“Table Tennis”のピンポン玉の音なんかは、とても印象的なんですよね。曲単位では残ってないんだけど、断片としてはけっこう残っている。
フライローがもともと持っているほかのアーティストと違う点は、アヴァンギャルドやアブストラクトさを追求しつつも、そういったエッジの効いたポップさのあるフレーズを量産しているところだと思うんですね。そういうポップさは昔から持っていた。ただ、全体としてはシリアス・ミュージックだった。扱ってきたテーマも、ジャズとどう向き合うかだったり、死とどう向き合うかという、スピリチュアルですごくシリアスで、その番外編としてキャプテン・マーフィーがあったり『Pattern+Grid World』があったりした。『KUSO』で雑多なイメージをコラージュできたことも活かされていると思うんです。今作も最終的にはアルバム後半に並ぶシリアスな楽曲群に回収されるけれど、そこまで展開はこれまでの雑多な世界観全部をひとつのアルバムにミックスしてもいいという感じになっている気がしますね。たとえばティエラ・ワックとやった“Yellow Belly”のように、『You're Dead!』のときのスヌープ・ドッグとの“Dead Man's Tetris”の奇妙なビート路線もひとつのイディオムになってきていたり、その雑多な世界観の中にクラヴィネットの裏拍のサウンドも含まれている。シリアス一辺倒ではない垢抜け感のようなものが、サウンド面でもリリック面でも楽曲構造面でもさまざまに表れている。リターン・トゥ・フォーエヴァーに『Romantic Warrior』というアルバムがありますよね。〈Polydor〉から〈Columbia〉へ移籍して、チック・コリアが使いはじめたARPの音色が印象的で、そしたらアルバムのサウンド全体も一気に垢抜けて。シリアスから脱皮したというか、ポップな要素もすごく入っている。少し似ているなと思いました。それこそ中世のシリアス・ミュージック=宗教音楽とポップ・ミュージック=世俗音楽の分裂という対置で考えられるかもしれない。ポップ化する以前のフュージョンやフライローのシリアスさにはそれこそスピリチュアルだったり、プレイを崇拝する宗教的な側面がありますし。
原:基本的に今回の作品は、ゲストを自分のところに呼んできたり自分がどこかへ行ったりして録り溜めてきたものが膨大になってしまって、自分でもどうしたらいいか見えなくなっていたところがあったと思うんですよ。時間をかけたというのも、個々の録音を録り溜めていた期間が長きに渡ってということで、そこから実際に曲として仕上げるまでの、手を動かしていない空白の時間も相当長かったんだと思う。それで「炎」というストーリーやクラヴィネットの音を見つけて、ストーリー立てできると思ったんじゃないか。そして、キイボードを習って、アンサンブルや理論を学んだうえで、ようやく見えてきた結果なんだろうなと思いましたね。素材となる録音物はたくさんあったにしても、最終的に完成に導いたのは彼の作曲の能力とか構成力とかそういった部分なんだろうなと。『You're Dead!』はコラボしたものをそのままバッと出したという面もあったと思うけど、コラボして融和的なものができ上がったとして、じゃあその次はどうするかというときに、もう一回、個に戻った表現をしようとすると、ふつうは変にコンセプチュアルな方向に走りがち。でも彼はそうではなくて……『Flamagra』も一応コンセプチュアルなふうにはしてありますが、僕はじつはそんなにコンセプトはないと思う。
吉田:意外とそうですよね。プログレのバンドとかに比べたらワンテーマでガチガチではない。だからこそこれだけ雑多な楽曲群をゆるくつなげてるんだと思います。デンゼル・カリーもジョージ・クリントンも「炎」をテーマにリリックを書いているけど、たとえばラヴ・ソングも「燃える想い(炎のように)」「あなたが好き(炎のように)」みたいな感じで、アンダーソン・パークも「ソウル・パワー(炎のように)」みたいな。もうなんでも炎じゃんみたいなところがある(笑)。
原:「炎」の話も読んだけど、コンセプト的には隙がある。だからやっぱりそれよりも、要となる音、音色を見つけたとか、作曲に関して自信を持てたとか、アンサンブルを作れるようになったとか、そういう手応えの方が大きかったんじゃないかな。
自分はこういうのを期待されているからそれを裏切って、もっと尖った方向に行かなきゃいけないとか、そういう意識もぜんぜん感じない。本人は「誰かがクリエイティヴになるのを励ますような作品にしたい」とふつうに良いことを言っているんですよ(笑)。 (吉田)
原:フライローが出てきた当初は、いわゆるひとりでこつこつと密室でビートを作っているビートメイカーのようなイメージでした。〈Stones Throw〉でインターンをやったりして、LAのビートメイカーのコミュニティのなかにはいたんだけど、じっさいはヒップホップ色は薄かったと思う。デビューも〈Plug Research〉だったし。当時『1983』は日本では「ポスト・ディラ」みたいな紹介のされ方をしていたけど、ぜんぜんそれっぽい音ではなかった。
吉田:いわゆる後期ディラの影響のあるブーンバップに電子音、サイン波ベースというイディオムで作られてるのも1曲目だけですね(笑)。
原:「黒い」か「白い」かでいえば「白」っぽい音だった。レコードより、ネットの隅を掘っているというか、マッドリブみたいな感じではない。だから〈Warp〉と契約したのもすごく納得がいって、むしろああいうのがLAのブラック系の人から出てきたということのほうが当時はおもしろかったんですよね。〈Warp〉は当時プレフューズ73を推していたけど、そのあたりの白人のビートメイカーもなかなかそのあとが作れないという状況だったから。ダブリーもそうだったけど、ヒップホップじゃなくて、テクノなどエレクトロニック・ミュージックの人が作るビートが、期せずしてディラのようなビートとシンクロする流れがあって、そこに影響されたのがフライローや初期の〈Brainfeeder〉のビートメイカーたちだった。その先駆けみたいなところはある。それでフライローをきっかけにLAのビート・ミュージックが注目されて、00年代後半から10年代頭にかけて広がったんだけど、それも頭打ちになった。フライローははやい段階で「俺のビートのマネするな」とか言ってたけど、そのころから特殊な位置に居続けている。
吉田:確かに『Los Angeles』で確立される16分音符で打つヨレたハットに浮遊感のあるシンセのウワモノ、シンセらしさが前面に出た動きの大きいベースライン辺りのビートの文法がフォロワーたちの間で蔓延する。それで本人は『Cosmogramma』に行っちゃいましたからね。
原:そこから先、ビートを作っている人たちがどういうふうに音楽的に成長できるか、成熟できるかということをフライング・ロータスは考えていたと思うんですよ。彼の音楽って、いろいろとごちゃごちゃ入っている要素を抜くと、根本にあるものはティーブスに近くて、すごくメランコリックな音楽の組み立て方をしていると思うんです。ティーブスとかラス・Gとかサムアイアムとか、あのへんが彼にいちばん近かった連中だと思う。そのコミュニティで作ってきたものがベーシックにあって、そのうえに何をくっつけていくのかというところでいろいろ思考錯誤して、それがその後の〈Warp〉での彼の音楽だと思う。
それで、それまでひとりで作ってきたトラックメイカーがそこからさらに成熟したことをやろうとすると、たいていは生楽器を入れたり、あるいは壮大なコンセプトを練るじゃないですか(笑)。彼は今回の新作でそれにたいする答えを出したんだと思います。『You're Dead!』までは筋道がわかるんです。『Cosmogramma』ではアリス・コルトレーンを参照して、じっさいにハープの音を印象的に入れてストリングスも入れたり、『You're Dead!』では凄腕のジャズ・ドラマーを4人も入れてフライロー流のジャズに接近する側面を見せたりして、でも今回の作品ではもう一度、密室でひとりでビートを作っていたころの感じがある。いろんなゲストを交えながらも、原点に戻っているようなところが。
吉田:ジャズとの距離感が変わったというか、ジャズの磁場をそれほど意識していない印象ですよね。コルトレーン一家という自身の出自へのがっぷり四つでの対峙がようやく終わって、みそぎが終わったというか。「俺が考えるジャズをひとまずはやり切った」みたいな感じがありますよね。
いまはもうネタはすぐバレちゃうし、なんでも組み合わせられちゃうし、「こうすればこういうトラックができますよ」というのが当たり前の世界になっちゃったので、つまらないなと思うわけ。そういう意識は当然フライローにもあったと思う。 (原)
吉田:フライローのインタヴューで、今作のドラムの音色には大きく3つあって、それぞれを「小宇宙」だと思っていると言っていたんですよね。MPCとかソフトウェアサンプラーでブレイクビーツをサンプリングしてチョップしたドラムと、ミュージシャンが叩く生ドラム、そして808なんかのドラムマシンという3つです。それぞれのドラム・サウンドは探求し甲斐のある小宇宙と呼べるほどの深みを持っているわけですが、フライローはそれらを並列に扱っている。それぞれの楽曲やアルバムごとに3つの小宇宙の力関係が異なるという。「Reset EP」のときも、“Vegas Collie”という曲ではLAMP EYEの“証言”など多くの曲でお馴染みの、ラファイエット・アフロ・ロック・バンドの“Hihache”のドラムを16分で刻んで複雑なパターンにしていたけれど、他方で最後の“Dance Floor Stalker”ではドラムマシンも使っている。ふつうはそういうふうにまったくソースの異なる音色のドラムをひとつのアルバムに散りばめると、いかにも「さまざまな手法を取り入れてます」みたいな感じになっちゃいますが、フライローは初期からそれがうまくできている。ドラム・サウンドに限らず、ネタと生楽器と電子音をミッスクしたときに徹底的に違和感がない。今回のアルバムも1曲のなかでソースがさまざまに切り替わったりしているし、そういう素材の扱い方はすごく優れていて、それがよく発揮されたアルバムだと思います。
原:もちろんこれまでもやっていたんだけど、その混ぜる能力がすごく洗練されてきている感じはするね。自分ですべての音のデザインまでやる感じになっている。前回まではミックスやマスタリングはダディ・ケヴがやっていて、今回もケヴが関わっているけれど、フライロー自身がけっこうやっている。録音全体にもすごく気を使っているし、いままで以上にアルバム全体を見る力、構成力みたいなものがアップしていますね。ちなみに『You're Dead!』って、じつは40分くらいしかないんですよね。
吉田:意外と短い。
原:今回は60分以上ある。『You're Dead!』はたしかに、あの構成でやると40分しかもたなかったという感じはするんだよね。60分も聴いていられないと思うんだけど、今回は何度でも聴ける感じがある。
吉田:フライローは「ミックスはすごく難しい」と『Cosmogramma』のころに言っていて、当時もダディ・ケヴにも伝わらないから自分でもトライしている。『You're Dead!』では生ドラムの音をめちゃくちゃ歪ませていてすげえなと思いましたけど、あれに行きつくのにそうとう思考錯誤があったと思うんですよ。『Cosmogramma』ではアヴァンギャルドな楽曲のベクトルに合わせるようにベースやドラムは歪みや音圧に焦点を当てて、次作は空間的なアンビエンスに焦点を当てて電子ドラムはハイを出してレンジが広がっている。そういった実験もひと通りやり終えた感じがします。だから今回は極端な歪んだサウンドも聞こえてこない。そうなると普通は「売れ線に走った」とか「きれいになっちゃっておもしろくない」ってなるんだけど、フライローだと「あなたがあえて綺麗な音作りをするということは、そこに何か意味があるに違いない」という像ができあがっていて(笑)、でも本人は裏をかいているつもりはないだろうし、気にしないで自由にやっているだけだと思うんです。自分はこういうのを期待されているからそれを裏切って、もっと尖った方向に行かなきゃいけないとか、そういう意識もぜんぜん感じない。本人は「誰かがクリエイティヴになるのを励ますような作品にしたい」とふつうに良いことを言っているんですよ(笑)。
原:人の励みになる音楽を作りたいとか、そんなこといままで言ったことないよね。たぶん立ち位置が変わってきたんだろうね。〈Brainfeeder〉についてもかなりコントロールしているというか、たんに自分の名前を冠しているだけじゃなくて、アーティストのセレクトもちゃんと自分でやっているし。本腰を入れてやっているからこその責任もあるんだと思う。これまでは自己表現みたいなことで終わっていたのが、あきらかに違うレヴェルに行っている。
ジョージ・デュークとかスタンリー・クラーク的なフュージョンを通過して、このままいくとプログレからフランク・ザッパとか、超絶技巧の世界に行くのかなともちょっと思ったけど、やっぱりそっちじゃないんだなということがわかった。 (原)
吉田:原さんはフライローの音楽を聴いて、何かヴィジョンって浮かびますか?
原:僕はそもそも音楽を聴いてもあまりヴィジョンが浮かばないんですよね。ただこのアルバムは映画的でもあるし、ヴィジュアルと連動している作品だなとは思っている。
吉田:インストの音楽って日常の生活の中で流しっぱなしにしたりして、多かれ少なかれBGMになりうるところがあると思うんです。歌詞があると、その内容と自分の経験がマッチしないとハマらないけど、インストはどんな場面にもハマる可能性がある。外を歩きながら聴いたり車で聴きながら走ることで街の見え方が変わったりするし、自分の個人的な体験と結びついたりもするから、ベッドルームで聴いていてもリスナー自身のサウンドトラックになるところがあると思うんです。でもフライローの曲はそういうものに結びつきづらいと思うんですよ。BGMとなることを無意識的に拒絶しているというか。今作は半分くらいの楽曲に言葉が入っているというのもありますが、彼は視覚的なヴィジョンを持っていて、自分が表現したいヴィジョンを聴いている人に伝える能力に長けている。たとえば今作の“Andromeda”とか『Cosmogramma』の“Galaxy In Janaki”なんて、そういったタイトルで名付けられているからとはいえ、めちゃくちゃ宇宙のヴィジョンが見えるじゃないですか(笑)。宇宙を表現するための音像や楽曲のスタイルが、この2曲で大きく変わってるのも興味深いですが。インスト作品には適当な曲名を付けてるケースも多いと思うし、フライロー作品のすべてがそうだとは思わないけど、明確に彼の脳内のヴィジョンとリンクしている曲もある。今回のアルバムにはそれが結実していて、聴き手が勝手に自分のヴィジョンを重ねられない感じがある。
原:たとえばニューエイジのアーティストが、この作品の背景にはこういうものがありますって言っても、それを聴いている人にはなかなか伝わらなくて、ヨガの音楽として機能するとか、具体的なところに作用する効果というのはあると思うけど、精神的なものと音楽じたいがどう結びついているのかわからないことが多いのとは対照的な話ですね。ジャズ・ドラマーのマーク・ジュリアナにインタヴューしたときに、彼はオウテカとかエイフェックス・ツインが好きで、理論を突き詰めてビート・ミュージックというプロジェクトもやってきたわけだけど、いまいちばん興味のあるのは、音楽のマントラ、レペティション(反復)、トランス的な部分をもっと精査することだと言っていたのね。人間じゃなくて機械をとおして表現される感情、精神を愛してるとも。理論と技術を突き詰めていった先にある、精神的なものをどう扱っていくのかという話で、それは機械の音楽、エレクトロニック・ミュージックをどう捉えるのか、ということでもある。フライローはその点でも、興味深いところにいると思うんです。彼はアリス・コルトレーンとも近いスピリチュアルな世界にも理解があって、一方でエレクトロニック・ミュージックにも当然深く関わってきた。さらに今回音楽理論も突き詰めはじめた。
吉田:フライローの音楽はフロア向きなのかベッドルーム向きなのかというのもちょっと判断しづらいところがおもしろいなと。曲は情報量が多すぎて1分とかで終わっちゃうし、踊りたくてもどこで乗ればいいのかが難しい。かといって静かに聴くものかというと、《ロウ・エンド・セオリー》出身ということもあって、フロアではバキバキにやってくる。《ソニックマニア》でもめちゃめちゃビートの音圧が凄くてオーディエンスも盛り上がっていた。だからフロアとベッドルームの間のグラデーションを行き来する音楽というか。
原:やっぱり曲がそもそも短いよね。1分、2分、長くて3分とか。初期のころはたしかに《ロウ・エンド~》の影響もあったと思う。《ロウ・エンド~》のDJはみんな1分か2分で次の曲をカットインでぶっこんで、それ以上は長くやらないという方針、スタイルだから、その周辺のビートメイカーも1分2分の曲ばかりだった。でもいま彼が1分2分の曲を量産しているのは、そうしたDJやフロア向けのためではないよね。なぜフロアでどんどん変えていたかというと、自分も、聴いているほうも飽きちゃうから。その「飽きちゃうから」という部分だけはいまの彼にも繋がっているような気がする。聴き手の意識をひとつの場所に留まらせずに、どんどん場面を展開していくという意味で。そのやり方が非常に巧みになってきた。
吉田:今回アンダーソン・パークとやった“More”はめずらしく4分以上あるんですよね。でも、最初の浮遊感のあるコーラスのシンガロング・パートは1分くらいで、次にラップ・パートが来ますが、それも1分半くらいすると一旦ブレイクが入ってアンダーソンのスキャット・パートへ展開する。だから1分から1分半で次々と展開する仕組みになっている。それこそテーマパークのライドみたいに飽きさせない構造になっている。それらの断片をどうやってつなげるかというのもポイントですよね。たとえば3曲目の“Heros In A Half Shell”も電子4ビート・ジャズという趣で、次の曲の“More”とはだいぶ毛色が違う。でも両者をうまくつなげるために、“Heros In A Half Shell”の最後の10秒ほどはミゲル・アトウッド=ファーガソンのストリングスだけが鳴るパートが入っていて、気が利いているなと。
原:ミックスとして非常におもしろいものになっているよね。だからある意味ではサウンド・アーティストみたいなところもあって、いまこんなミックスをしている人は特異だしおもしろい。ビートを作っていたときは短い曲の美学みたいなものがあったけど、そこにそのままコラージュに近いようなミックスの手法が入り込んでいて。今回の作品は謎のバランスで非常にうまくまとまっている。それが聴く人の意識を変えさせている。
吉田:27曲もあるから曲順はいろいろな可能性があったかと思いますが、同じようなカラーを持った曲が並ぶブロックがありつつも、個々の曲の並べ方はダイナミズムがある。たとえば中盤の流れだと“Yellow Belly”と“Black Balloons Reprise”とか、“Inside Your Home”に“Actually Virtual”とか、スムースにつなげるんじゃなくて、どちらかといえば対極のものをぶっこむ場面もありますよね。デペイズマンの美学というか。でもたんに落差を楽しむだけでなくて、落差のある両者をどうつなげば聴かせられるのかという点にはすごく意識的な感じがします。異質なものを突然入れるのはコラージュ的でもあるし、DJ的でもある。あるいはビートライヴをする際のビートメイカー的とも。現代音楽的なものに目配りをするクラブ・ミュージックの気配を反映しているともいえる。
原:でも、ヒップホップってもともとはそういうものだったからね。意外なネタを見つけてきて組み合わせて、そのなかにはふつうに現代音楽も入っていたんだけど、いまはもうネタはすぐバレちゃうし、なんでも組み合わせられちゃうし、「こうすればこういうトラックができますよ」というのが当たり前の世界になっちゃったので、つまらないなと思うわけ。それにたいする揺り戻しは、例えばザ・ルーツが『...And Then You Shoot Your Cousin』で突然ミッシェル・シオンのミュジーク・コンクレートを暴力的に挿入した様にも見て取れる。そういう意識は当然フライローにもあったと思う。
吉田:『KUSO』のコラージュ的な作風も含めて、いろいろなものをミックスする手つきの良さが際立つ。そういう意味で、スピリットの部分でヒップホップ黎明期のそれこそアフリカ・バンバーター的なものを体現していると考えると、またこのアルバムの聞こえ方も変わってくるかもしれない。
『Cosmogramma』以降聴いていなかった人たちにもぜひ聴いてもらいたいですね。絶対ドープだと思える曲があると思う。ヒップホップが出自のビートメイカーにはとくに“FF4”を聴いてほしいです。 (吉田)
吉田:僕の周りのビートメイカーなんかは、ヒップホップの人が多いので、フライローにかんしては『Los Angels』までで、『Cosmogramma』からはビート作りに参照するようなものではなくなったという意見が多かった。『You're Dead!』も参照するのは難しかったと思うし、もしかしたらいまのヒップホップのビートメイカーたちはフライング・ロータスを自分とはあまり関係のない遠い存在と思っているかもしれない。でも今回のアルバムはどのジャンルのどの人が聴いても、それこそJポップの人が聴いても、自分のサウンドにフィードバックできるんじゃないかなと思います。もともとそうでしたが、ミュージシャンズ・ミュージシャンとしての懐がさらに深くなって、彼を参照しうるミュージシャンの母数が拡大している気がします。
原:生ドラムを使ったり808を使ったり、まったく質感の違うものを共存させるところなんかはふつうに参考になると思うけどね。
吉田:これまでは「あの変な歪みは下手に真似するとあぶねぇ」みたいな、真似できないという感じがあったけど、今回はサウンドのバランスもめちゃくちゃ良いですからね。荘厳なパッド系やコーラスっぽいシンセがだいぶ引いた背景で鳴っているんだけど、手前に来ている楽器隊はリヴァーブやエフェクトも控えめで、何を弾いているのかが聴き取りやすい。サンダーキャットがいて、ブランドン・コールマンのクラヴィネットがあって、ミゲルのストリングスがあって、本当に5ピースくらいのバンドで演奏している感じが目に浮かぶ曲もある。そこはいままでと違う。
原:やっぱり自分でアンサンブルを作っているのが今回はいちばん大きいんじゃないかな。これまではどうしてもミゲルがアレンジをして、ミュージシャンが演奏して、それをうまく合わせるという感じだったけど、今回はミックスまで含めてフライロー自身がちゃんとアンサンブルを作り直している感じがする。
吉田:インプロ含めた演奏データがありきの「切って、貼って」のやり方だと、各パート間の展開や繋ぎの部分がこんなにうまく成立しないと思うんですよね。曲としてちゃんとバンドっぽいキメやユニゾン、エンディングが多かったりするじゃないですか。もともとフライローの強みはループをベースとしたビート・ミュージックにいかに手打ちのドラムや楽器で展開をもたらすかにあったわけで、そこに完全に振り切っているともいえる。キャリアの初期に、ジョン・ロビンソンやオディッシーといったラッパーに提供しているヒップホップ・ビートは思いっきりワンループで作ってますが、そうするとフライローらしさをぜんぜん読み取れないんですよね。
原:アンサンブルって00年代後半以降、キイになっていたと思うんです。それまではダブの残響とか、ベースの音圧とか、楽音以外が構成するサウンドに魅力があって、もちろんアンサンブルが活かされている音楽もあったけど、多少乱暴に言うとポピュラー・ミュージックでも力を持っていたのは音響のほうだった。それが00年代後半からまたアンサンブルが重視されてきて、ミゲルのようなクラシック畑の人がたくさんフィーチャーされたり、ジャズの復活もそういう部分が大きいと思う。その時代にフライローが出てきて、当初はそういう流れとはぜんぜん違うところにいるように見えたけど、じっさいはその流れとも並走していたことに今回の作品で気づくことができた。
吉田:エヴァートン・ネルソンが活躍して、4ヒーローとかドラムンベースなんかでもアンサンブルが重視された時代の回帰のように見えるところもありますよね。でも今回のアンサンブルの作り方はバランスがいいんですよね。たとえばサンダーキャットって、やっぱり弾きまくるじゃないですか。でも今作はフライローや彼がフェイヴァリットに挙げるジョージ・デュークやスタンリー・クラークのようなテクニカルさはないですよね。『You're Dead!』では、そういうサンダーキャットのバカテクやBPM速めの4ビートのドラムのパッセージをいかに自分の音楽と融合させるかという試みでもあったと思うんですけど、今回は良く聞かれるユニゾンは速弾きではないし、むしろゆったりしている。
原:もしかしたらほんとうはサンダーキャットはめちゃくちゃ弾いていたのかもしれないけど、それをぜんぶカットしている感じだよね(笑)。
吉田:たまに思い出したように速弾きやワイドストレッチっぽいアルペジオが聞こえてきますけど(笑)、分量としては少ないですもんね。そういう意味でもフライローはテクニカルなフュージョンと対峙するというみそぎをも済ませた感がある。
原:そういうジョージ・デュークとかスタンリー・クラーク的なフュージョンを通過して、このままいくとプログレからフランク・ザッパとか、超絶技巧の世界に行くのかなともちょっと思ったけど、やっぱりそっちじゃないんだなということがわかった。
吉田:そこで、今回自分でピアノを学んだっていうのは良い話ですよね。坂本龍一の『async』に大いに影響されたって。
原:今回の作品を聴いてちょっと安心した感はあるよ。
吉田:『You're Dead!』からさらに突き詰めると「どこ行っちゃうの?」という不安がね。
原:ライヴではどうなるのかわからないけどね。そこでは超絶技巧になっているかもしれない。
吉田:それはそれで観てみたいですけどね。《ソニックマニア》のときも、映像との融合というのはこれまで多くのアーティストが試みた手法ではあるけれど、やはり静と動の展開というか、広大なランドスケープを想起させる「静」のパートと、バキバキのビートが引っ張る「動」のパートのギャップが際立つような映像の使い方をしていて、あらためて彼がやると違って見えたから。
原:立ち位置的にさらにおもしろいところに来たなという感じはある。『Los Angels』までは好きだけどそれ以降はダメという人がいるとして、そういう意味でもこの作品はいろんなところで人を励ます作品だと思うんだよね。
吉田:いまのヒップホップは、トラップが生まれたことによって、そっちの人たちと、ゴールデンエイジしか受けつけない人たちとに分かれちゃってると思うんです。トラップについては自分もある時期まではどう聴けばいいのかわからなかった。でもあるときイヴェントに行ったら、トラップがなんなのか身体的に理解できて大好きになったんです。
原:そういえば今回トラップは入っていないね。トラップをやる人は使っているけど。
吉田:たしかにトラップはないですね。フライローが808のハットを乱打したら、それはそれでおもしろかったんだけどな(笑)。他方で、いま日々リリースされるヒップホップ作品には、たとえば〈Mello Music Group〉周辺とかアルケミストやマルコ・ポーロやロック・マルシアーノ周りとか、誰でもいいんですが、ゴールデンエイジ以降のヴェテランから若手まで原理主義的なプレイヤーもたくさんいて、そういうアクトたちのレヴェルがすごく高い。しかもよりメインストリームにはオッド・フューチャー勢なんかもいるわけで。だからじつはゴールデンエイジのものを聴き直す必要すらなくなっていて、現在進行形のアーティストたちだけでじゅうぶんに成立する世界が広がっている。
原:ジャズと一緒だよね。いまのジャズもめっちゃうまいプレイヤーがたくさんいて、彼らは当然昔の作法を身につけてもいるから、それを聴いていればべつに昔のジャズをことさらに懐かしがる必要のない世界になっている。
吉田:そういう作品が元ヘッズの耳に届いてない状況があると思うんですよ。それはすごくもったいないなと思う。90年代の耳で聴いても、すごくクオリティが高くてドープなヤツらがたくさんいるのに。情報収集をして探すハードルが高いってのはわかるんですが。なにせ数が多すぎて、腰が重くなりますよね。で、ずっとATCQやギャングスターやウータン聴いてればいいやって(笑)。
原:だからフライローは今回デンゼル・カリーにやらせたんじゃないかな(笑)。『ファンタスティック・プラネット』のサントラの曲(アラン・ゴラゲールの“Ten Et Tiwa”)とか、大ネタをそのままバーンと使って、しかもそれをわざわざデンゼル・カリーに昔風にラップさせているでしょう。
吉田:あれは熱かった! 何この90年代感っていう(笑)。急に98年のアングラ・クラシックに回帰したみたいな。まあフライローはもともと『1983』と同時期に90年代後半のアングラ・グループのサイエンズ・オブ・ライフ(Scienz of Life)のプロデュースもしてますからね。得意分野(笑)。
原:彼はあのころのアブストラクトなヒップホップも当然好きで聴いていた。今回のビートにも《ロウ・エンド・セオリー》以前の音というか、それっぽいものがあって、それと対等な感じでポップなものも混ざっている印象です。そういう意味ではヴァリエーションがあるんだけど、それも含めて全体をフライローがひとりで作り直した感じがしますね。
吉田:そういう目配りがフライローはさすがだなと。だから今回のアルバムは、『Cosmogramma』以降聴いていなかった人たちにもぜひ聴いてもらいたいですね。絶対ドープだと思える曲があると思う。ヒップホップが出自のビートメイカーにはとくに“FF4”を聴いてほしいです。サンクラ世代のビートメイカーたちへのアンサーのような、かつてなくシンプルなキックとスネアとハットを。それから彼自身と思われるピアノにミゲルのストリングスの上ネタも、シンプルだけどいっさい隙がない。
原:音楽を組み立てるってどういうことなのかを、ここから学ぶことができると思う。他人の録音があって、生の音と機械の音といろんなレイヤーがあって、それをどうまとめるかということにかんして、すごくアイディアのある作品だと思う。
吉田:バンドスコアとか出てほしいですね(笑)。フライローの完コピのバンドスコアとかアツくないですか(笑)。サンダーキャットのベースはタブ譜付きで。これまでの過去作品だとしっくりこない曲もあると思うんですけど、今回は行ける感じがします。まあティエラ・ワックとの曲とかどうするんだっていう問題はありますが(笑)。