「Ord」と一致するもの

Kassel Jaeger - ele-king

 パリを拠点とするカッセル・イェーガー=フランソワ・J・ボネは、2010年以降、〈Senufo Editions〉、〈Editions Mego〉、〈Unfathomles〉などの名だたるエクスペリメンタル・ミュージック・レーベルからアルバムをリリースしつつ、ジム・オルークオーレン・アンバーチステファン・マシューアキラ・ラブレースティーヴン・オマリーなどのアーティストと精力的なコラボレーションもおこなう気鋭のサウンド・アーティストである。フランソワ・J・ボネはフランスはGRMのサウンド・エンジニアとしても活躍し、〈Recollection GRM〉のディレクション、ジム・オルークの『Shutting Down Here』をリリースした新レーベル〈Portraits GRM〉なども運営をしており、いわば「いま」の時代にGRMの魅力を伝える伝道師のような役割を担っている。つまりは現代の電子音響/エクスペリメンタル・ミュージック・シーンにおけるキーパーソンともいえる人物だ。

 そんなカッセル・イェーガーがモダン・エクスペリメンタル・ミュージック・シーンを代表するフランスのレーベル〈Shelter Press〉(https://shelter-press.com/)からソロ・アルバム『Swamps / Things』をリリースした。「沼/物事」と名付けられたこのアルバムは「言葉(テキスト)のみのオペラ」として構想され、彼の少年時代のお気に入りの場所であった永遠に続くかのような霧と清らかな水に満ちた「沼地」の記憶に基づいて制作されたという。じじつ、アルバムのそこかしこに「水」のサウンド/モチーフが繰り返し鳴っている。

 土、水、空気、そして霧。それらは土地と歴史のサイクルを表象している。いわば幼年期に見た不吉にして、しかし静謐で穏やかな場所である「沼」という灰色の記憶と、それへの親しみ、といったところか。2017年に〈editions Mego〉よりリリースした傑作『Aster』より本作のサウンドは丸みを帯び、環境録音や電子音、ミニマルな旋律らと渾然一体となって融合していく。一聴すると『Aster』のサウンドより刺激が少なく、つかみどころない、いわゆる地味な音に聴こえてしまうかもしれないが、しかし不思議と耳に残る音だ。繰り返し聴くと一音一音が非常に存在感を放ち、磨き抜かれた音であることがわかってくる。まるでサウンドアート/ドローンを基点しつつ、さまざまな音楽的な要素を重ね合わせた総合音楽作品のようなのだ(本作が「オペラ」である所以はそこにあるのかもしれない)。その意味で古いレコードからのサウンドコラージュとドローン、環境音、電子音な幽玄にミックスされるステファン・マシュー、アキラ・ラブレーとの共作『Zauberberg』と近い作風ともいえるだろう。『Zauberberg』は〈Shelter Press〉から2016年にリリースされた名作だ。

 本作『Swamps / Things』には全8曲が収められ、現代音楽的な弦の響きやミニマルなギターの音、ロマン派序曲を引き伸ばしたような電子音的弦楽などヴァリエーション豊かな曲/サウンドを展開している。彼の作品の中ではもっとも音楽的な要素が多いように聴こえるが、それら音楽的な要素はほかのサウンドと同様に音響作品としての本作を形成するひとつのマテリアルになっている。そしてそれらの音たちは、イェーガーの記憶と濃密かつ密接に繋がっているのだ。いわば物質と記憶の統合と融解から生まれる新世代のミュジーク・コンクレートの傑作とでもいうべきか(と、ここまで書いてふと思ったが音楽による総合作品という意味ではミュジーク・コンクレートとオペラには親和性が高いのかもしれない)。

 彼の音響音楽作品には、文学的なものへの希求を感じる。思えば『Zauberberg』はトーマス・マンの『魔の山』からインスピレーションを得たアルバムだった。私は本作の物質性と記憶が交錯し融解する作風にどこかル・クレジオ『物資的恍惚』を想起してしまった。記憶と音響、本作はそれらのアマルガム音による文学だ。「音による映画」は、リュック・フェラーリ以降、この種のミュジーク・コンクレート/音響作品によくあるものだが、「音による文学」というのは稀である。彼がリュック・フェラーリやピエール・シェフェールなど、20世紀フランスの電子音楽の系譜を継承しつつも、新世代の音響作家である理由はそこにあるように思える。「個」への接近だ。記憶と音響が交錯し、融解する。8曲めにしてアルバム最終曲の “Ré Island Fireflies (in a distance)” に至ったとき、これまで何度も立ち現れてきた水のモチーフが、虫の音や優美なドローンのなかに、アルバムの時間すべてが溶け合うように鳴り響く。なんと儚くも美しいサウンドだろう。記憶、音、融解、消失。沼というどこか暗いイメージをモチーフとしながらも、そのすべてを慈しむような感覚と時間の持続があるのだ。〈Moving Furniture Records〉から発表した『Retroactions』(2018)や、〈Latency〉からリリースされた『Le Lisse et le Strié』(2019)などの実験性を増したサウンドは興味深い出来栄えを示していたが、どこかで『Aster』以降の「中間報告的な」作品のようにも思えた。しかし本作は紛れもなく彼の新境地を実現した傑作である。大切な記憶の一瞬を永遠に引き伸ばしたようなこの曲に行き着くために、私はこれからも何度となくアルバムを再生することになるだろう。

 最後にカッセル・イェーガーは〈Shelter Press〉からフランソワ・J・ボネ名義で著書『The Music To Come』(https://shelter-press.com/francois-j-bonnet-the-music-to-come-la-musique-a-venir/)を刊行したばかりであることも付け加えておきたい。〈Shelter Press〉はレコード・リリースのみならず、書籍の刊行も精力的に行っている(音響論的な書物『SPECTRES』の1・2、ジュディ・シカゴ『To Sustain the Vision』なども出版)。まさにサウンドとアートとテキストを越境するレーベルといえよう。本年リリースのアルバムでは韓国出身、現ニューヨークを活動拠点とするチェリスト/インプロヴァイザーのオキュッグ・リー『Yeo-Neun』もエクスペリメンタルにしてクラシカルな傑作だった。本作『Swamps / Things』と共に聴いてみると、このレーベルの音楽的な豊かさが分かってくるのではないかと思う。

interview with Bing & Ruth - ele-king


 00年代後半~10年代のいわゆるモダン・クラシカルの勃興は、マックス・リヒターやニルス・フラームといった才能を第一線へと押し上げることになったが、NYのピアニスト、デヴィッド・ムーアもまたその流れに連なる音楽家である。彼を中心とした不定形ユニットのビング・アンド・ルースは、ライヒなどのミニマル・ミュージックやアンビエントのエキスを独自に吸収し、〈RVNG〉からの前々作『Tomorrow Was the Golden Age』(14)や〈4AD〉移籍作となった前作『No Home Of The Mind』(17)で高い評価を獲得、モダン・クラシカルの枠を越えその存在が知られるようになる(ムーアはその間、イーノが絶賛していたポート・セイント・ウィロウのアルバムにも参加している)。


 お得意のミニマリズムは3年ぶりのアルバム『Species』でも相変わらず健在ではあるものの、その最大の特徴はやはり、全面的に使用されているコンボ・オルガンだろう。つつましくもきらびやかなその音色はどこか教会的なムードを醸し出し、楽曲たちは反復と変化の過程のなかである種の祈りに似た様相を呈していく。ムーア本人は新作について「ゴスペルのアルバム」であり、「神の存在を感じる」とまで語っているが、とはいえけっして宗教色が濃厚なわけではなく、それこそ瓶に挿された一輪の花のごとく、ちょこっと部屋の彩りを変えるような、カジュアルな側面も持ち合わせている。大音量で再生して教会にいる気分を味わってみるもよし、かすかな音量で家事のBGMにするもよし、いろんな楽しみ方のできる、まさに「家聴き」にぴったりのアルバムだ。

 新作での変化や制作のこだわりについて、中心人物のデヴィッド・ムーアに話をうかがった。




ライヒが大好きだし、ドビュッシーも大好き。彼らの音楽が影響を与えたことは間違いない。でもそれらの影響はすべてひとつのシチューになったんだよ(笑)。スプーンですくってみるまでなにができてるかはわからない。


あなたの音楽は「モダン・クラシカル」に分類されることが多いと思いますが、音楽大学などでクラシカル音楽の専門教育は受けていたのでしょうか? 独学?


デヴィッド・ムーア(David Moore、以下DM):ぼくはクラシカル音楽の専門教育を受けて、その後、ジャズと即興の専門教育を受けて、音楽学校にも通っていたよ。

「モダン・クラシカル」や「ネオ・クラシカル」ということばが定着してからだいぶ経ちますが(日本では「ポスト・クラシカル」という言い方もあります)、それらは矛盾をはらんだことばでもあります。自身の作品がそのようなことばで括られることについてはどう思いますか?

DM:うーん、あまり好きではないね。じぶんの作品をことばで括られるのは誰も好まないと思うな。それでわかりやすくなるのなら、ぼくは気にしないけど、ぼくはじぶんがつくっている音楽をある特定の種類の音楽として認識していないからね。あるカテゴリーに入れるとしたら実験音楽だと思うけど、そのことばさえぼくはあまり好きじゃない。じぶんの音楽をカテゴライズしたり、他人にじぶんの音楽をカテゴライズされるようになると、型にはめられた感じがしていろいろと複雑になってしまうから、ぼくはしないようにしている。

前作『No Home Of The Mind』で〈RVNG〉から〈4AD〉へ移籍しましたね。それまで〈4AD〉にはどんな印象を抱いていました?

DM:アーティストなら誰でも所属したいと思う、夢のようなレーベルだよ。ぼくにとっても夢だった。〈4AD〉が過去30年から40年にかけてリリースしてきた作品を見れば一目瞭然だ。〈4AD〉がリリースしてきた一連のアーティストや作品を見ても、ほかに拮抗できるレーベルは思いつかない。〈4AD〉は奇妙な音楽をリリースすることに恐れを感じていなくて、その音楽が結果的に大成功したりするし、まあまあ成功したり、成功しなかったりする。でもそれをリリースしたという事実が大事なんだ。ビッグなアーティストの音楽もリリースしていて、そういうグライムスザ・ナショナルディアハンターといったアーティストたちも非常に興味深くてユニークなアーティストたちだ。〈4AD〉にはそういう特徴が一貫として感じられる。

自身の作品が〈4AD〉から出ることについてはどう思いますか?

DM:とても光栄だよ。そして向上心を掻き立てられる。じぶんを限界まで追い詰めてつくったものでないとダメなんだという気持ちになる。ぼくは彼らと仕事をしていて、彼らはぼくと仕事をしている。そこには共通の想いがあって、ある方向性に感銘を受けているからだ。方向性とは先に進んでいるものであり、停滞はできないものなんだ。ぼくは〈4AD〉のスタート地点と〈4AD〉が向かっている方向が好きだし、〈4AD〉はぼくのスタート地点とぼくが向かっている方向が好きだと思うからそこに共感がある。

前作『No Home Of The Mind』は高い評価を得ましたが、それによって状況に変化はありましたか?

DM:変わらなかったね(笑)。ぼくの人生は、時間が経つにつれて変化するという理由から変化したし、新しいものをつくったという理由から変化したけれど、生活の質にかんしてはそんなに大きな変化はなかった。でもぼくは意識的にそういう影響されるようなものからじぶんを隔離しているんだよ。レヴューはあまり読まないし、SNSの投稿も読まないし、コメントも見ない。じぶんの音楽に対する反応にはなるべく関わらないようにしている。ぼくの役割は音楽をつくることで、その音楽をつくり終えたら、次につくる音楽のことを考えたい。ぼくがつくり終えたものに対してのほかのひとの考えは気にしていない。

ミニマル・ミュージックの手法を追求するのはなぜでしょう? それはあなたにとってどのように特別なのでしょうか?

DM:ミニマル・ミュージックというものがなんなのか、ぼくにはもうわからなくなってしまった。人びとが従来ミニマリストの音楽として定義してきたものに、じぶんの音楽が入っているとは思わない。これはまたジャンルについての話になってしまうけれど、ぼくはジャンルについては詳しく話せないんだよ。じぶんの音楽が、ある特定のジャンルや派に属しているとは思っていないからね。誰かのサークルに入りたいと思っているわけでもない。ぼくはじぶんがつくりたいと思う音楽やじぶんが聴きたいと思う音楽をつくろうとしているだけなんだ。それをなんと呼びたいのかはほかのひとに任せるよ(笑)。

あなたにとって、もっとも偉大なミニマル・ミュージックの音楽家は?

DM:偉大ということばを可能な限り定量化するとすれば、やはりジョン・ケージだろうね。


不思議な感覚だったよ。周辺で見る車は、ぼくが生涯をかけて働いても買えないようなものばかりだったし。とても不思議で非現実的な環境だった。そこでぼくは美しいほどの孤独を感じたんだ。とても美しい孤独だった。


あなたの作品はミニマル・ミュージックであると同時に、どこか印象派を思わせるところもあります。具体的なものや人間の感情、社会などよりも、漠然とした風景や雰囲気を喚起することを意識していますか?

DM:伝えておきたいたいせつなことがあって、それは、ぼくはじぶんのやっていることや、その理由について、ぼくはあまり深く考えていないということ。じぶんのやっていることについて考えれば考えるほど、その動機を疑ってしまって良くない方向に行ってしまうこともある。だからぼくは、「この要素を入れて、印象派の要素を入れて、ミニマルの要素を入れて、スティーヴ・ライヒの要素を入れて、ドビュッシーのパーツを入れて……」というようなアプローチはしていない。ぼくはスティーヴ・ライヒが大好きだし、若いころは彼の音楽をよく聴いていた。ドビュッシーも大好きでいまでもいつも聴いている。彼らの音楽がぼくの作曲の仕方に影響を与えたことは間違いない。でもそれらの影響はすべてひとつのシチューになったんだよ(笑)。スプーンですくってみるまでなにができてるかはわからない。とにかく、じぶんのやっていることにそこまで深く考えていないんだ。ほかのひとがそう思ってくれるのは嬉しいけれど、実際はずっと単純なことなんだ。

「家具の音楽」や「アンビエント」のアイディアについてはどう思いますか? あなたの音楽は、しっかりと聴き込まれることが前提でしょうか?

DM:アンビエントの音楽のなかには好きなものもあるよ。じぶんの音楽の機能というものについて考えるのはとてもたいせつなことだと思っている。それは作曲の過程というよりも、録音とミキシングの過程でとくに表現されるものだ。音が部屋に色彩を加えたり、アルバムをかけることで、その部屋の雰囲気が変わったりするのは素敵なことだと思う。ぼく自身、アルバムをわずかな音量でかけて流すという音楽の使い方も楽しんでいる。作曲しているときや、録音とミキシングをしているときにぼくが意識していることは、ヘッドフォンで音を大音量にしてかけても、音量を絞ってべつのことをしながら──たとえば、朝食をつくりながら──聴いていても効果的だと感じられる音にしようとすることなんだ。アーティストなら、リスナーはじぶんの音楽を聴くときはそれ以外のことをしないで、じぶんのアートをフルに体験するべきだと言いたくなるかもしれないけれど、人びとには毎日の生活があるしそうはいかない。だから音楽の形式として、ぼくはさまざまな機能的シナリオを持つアルバムをつくるのは好きだと言えるね。 

これまではピアノが主役でしたが、今回(ファルフィッサの)コンボ・オルガンにフォーカスしたのはなぜ?

DM:コンボ・オルガンにフォーカスしたのは、べつにこれをやろうとじぶんで決断したことではないんだ。ぼくはずっとファルフィッサ・オルガンを弾いていて、次第にオルガンを弾く時間のほうがピアノを弾く時間より多くなっていった。そしてついにはピアノをいっさい弾かなくなり、オルガンしか弾かないようになっていた。振り返って考えてみると、オルガンには持続音があり、ピアノにはそれがないとか、オルガンは音量が一定でピアノはそうでないとか、オルガンはライヴに持ち運ぶことができるけどピアノはできない、など、思いつく理由は芸術面でも実用面でもあるけれど、先にじぶんが決断したことではなくて、自然な流れでそうなった。じぶんが明確に求めていたものにフィットしたのがファルフィッサ・オルガンだったということなんだ。

今回コンボ・オルガンを使用するにあたって苦労したこと、または気をつけたことはなんでしょう?

DM:このオルガンはとても壊れやすくてね。いま、ぼくは2台所有しているけれど、どちらも50年以上前のものだ。初めてのファルフィッサを買ったとき、それはまったく使えないものだった。まったく音が出なかったんだよ(笑)。だからつねにショップに持っていって、直してもらったり、じぶんでも直し方を習ったりするんだけど、はんだのやり方もろくにできないぼくがオルガンを直すなんて、とうてい無理な話なんだ(笑)。だからツアーのときに、もしオルガンが壊れたらどうしようかと悩んでいたんだ。そうしたらコロナが広まって結局ツアーもすべて中止になってしまった。だからまだ解決していない問題なんだよ。

NYからカリフォルニアのポイント・デュムに一時的に移住したそうですね。街や環境には、どのようなちがいがありましたか? 土地柄は、制作する音楽に影響を与えると思いますか?

DM:ぼくはニューヨーク・シティからしばらく離れる必要性を感じていた。以前にもカリフォルニア南部には行ったことがあって、楽しい時間を過ごせたから良い場所だと思っていた。ロサンゼルスだと友だちがたくさんいるから、簡単に気が紛れてしまう。マリブのポイント・デュムで家を貸している友人がいて、マリブは超高級住宅地なんだが、家の借り手がつかずに、その家は解体される予定だったんだけど、それが延期になっていた。そんな理由からぼくたちが家を借りられることになった。すばらしかったよ。ビーチに近くて、天気もちょうど良くて、ぼくはそこでランニングに本格的にはまった。近所にはマシュー・マコノヒーやボブ・ディランが住んでいて、まったく不思議な感覚だったよ。その周辺で見る車は、ぼくが生涯をかけて働いても買えないようなものばかりだったし。とても不思議で非現実的な環境だった。そこでぼくは美しいほどの孤独を感じたんだ。とても美しい孤独だった。それはたしかにぼくの作曲に影響を与えた。孤独とはネガティヴな意味合いがあるけれど、ぼくの場合はちがった。一緒に家を借りた友人たちは母屋に住んでいて、ぼくは小さなバンガローのほうに住んでいて、彼らは不在のときも多かった。近隣の住民は誰も知らなかったし、みんなぼくとはちがう税率区分のひとたちだった。だからとてもひとりぼっちな感じがして、じぶんの想いをすべて音楽に注入することができた。

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新作は、テキサスの砂漠と農園のすぐそばのスタジオでレコーディングされたのですよね。ほとんどひとがいなそうですが、そのスタジオを選んだ理由は?

DM:このスタジオを選んだ理由はいくつかあって、ひとつ目はとても実用的な理由で、予算内でスタジオが使えて、食事の施設もあって、スタジオに24時間アクセス可能だったという点。それはとてもたいせつな点だった。予算内で好きなときにスタジオが使えて、ぼくたちが宿泊できる施設があり、食事もできて、そういう心配をする必要がなく音楽に集中することができた。そして、実際にスタジオに行ったときに思ったのは、ぼくがいままで訪れたなかでもっとも魅惑的な場所のひとつだったということ。このアルバムがこういうサウンドになったのはこのスタジオの影響だ。ぼくたちの作業に多くのインスピレイションを与えてくれる場所だった。ぼくたちはスタジオに1週間滞在していたけれど、また機会があったらぜひそこでレコーディングしたいと思う。

曲名に意味は込められているのでしょうか? “I Had No Dream” や “Blood Harmony” などは深読みしたくなる題です。

DM:意味は込められているよ。それが狙いだからね。でもぼくはできるだけ物事の意味合いを、受けとる側の解釈に任せられるだけの余裕を与えたいと思っている。ぼくがタイトルを決めるときは、そのフレーズの響きが好きだったり、そのフレーズから連想するものが好きだったり、じぶんのマインドがそのフレーズから曲に繋がっていく過程が好きだったりという理由から決めている。“I Had No Dream” という曲はべつに、「夢がなかった」という意味ではなくて(笑)、聴き手が曲に入るための手助けをしているフレーズに過ぎない。曲に入る手助けはしているけれど、どこに入れという指示まではしていない。それが良いタイトルだとぼくは思っている。良いタイトルは、リスナーを引き込むけれど、そのときにリスナーがどの状態から入ってくるのかは問わない。リスナーを決まった扉に連れていくのではなく、その扉は各リスナーにあって、扉の入り方もリスナーの自由だ。


このアルバムはゴスペルのアルバムなんだ。ぼくにとってこのアルバムは神の存在を感じるということだった。ぼくは教会にも行かないし、聖書も読まないから、べつに信仰が厚いわけではないんだ。そういう意味での神ではなくて、各自にとっての神という意味でその存在を感じたということ。


アルバムのタイトルは『Species(種)』ですが、全体のテーマがあるとすれば、それはどのようなものなのでしょう?

DM:はじめに言っておきたいのは、アルバムがどういう意味だとか、どういうものであるべき、という話はあまりしたくないんだ。なぜなら、結局のところ、それはリスナーそれぞれによってちがうから。歌詞があるアルバムで特定のことについて歌っているのであれば、「これはぼくが大好きだった靴をなくしたときの話だ」などと答えられるかもしれないけれど(笑)、インストゥルメンタルの音楽ではそうはいかない。でも個人的な意見から言うと、このアルバムはゴスペルのアルバムなんだ。ぼくにとってこのアルバムは神の存在を感じるということだった。ぼくは教会にも行かないし、聖書も読まないから、べつに信仰が厚いわけではないんだ。そういう意味での神ではなくて、各自にとっての神という意味でその存在を感じたということ。それは個人的で深い体験だった。ぼくはそれまで何年もその存在に気づかないで生きてきたから。このアルバムによって、ぼくは神の存在に近づけたし、アルバムを制作する過程はぼくにとって非常にパワフルな過程だった。だからぼくにとってこれはゴズペルのアルバムなんだ。でもほかのひとにとっては、ディナーをつくっているときにかけるきれいな音楽かもしれない。それはなんでもいいんだ。そのひとの解釈がなんであれ、それはすばらしい。

NYには坂本龍一がいます。以前、彼がレストランのために編んだプレイリストにあなたの曲が選ばれていましたが、彼と会ったことはありますか?

DM:会ったことはないけど、ぜひ会ってみたいと思う。

ここ数年のアーティストで、共感できる音楽家は誰ですか?

DM:最初に思い浮かんだのは、スタージル・シンプソンだね。日本で有名かどうかは知らないけれど、彼はとてもすばらしいミュージシャンだよ。彼がリリースした作品も好きだけれど、ぼくがとくに好きなのは彼の観点や視点、それから歌詞の書き方やインタヴューの答え方なんだ。とても強い存在感のあるひとで、親和性を感じる。彼のほうがぼくよりも有名だし、状況はちがうけれど、彼が話すのを聞くと、彼のことを知っているような気になるんだ(笑)。音楽業界という世界に身を置きながらも、なんとか本来のじぶんというものを保とうとしている。彼のそういうところはぼくにとって大きなインスピレイションとなってきた。音楽的には彼の音楽とぼくの音楽はまったくちがうものだけれど、哲学や理念にかんしてはとても共感できるひとだと思う。それからフィオナ・アップルの新しいアルバムにもいますごくはまっている。最近出たアルバムでよく聴いているよ。あとは数週間前だったかな──もう時間の感覚がわからなくなってしまった──に出たラン・ザ・ジュエルズのアルバムもよく聴いている。新しい音楽もけっこう聴いているよ。

世界じゅうが新型コロナウイルスによりたいへんなことになりました。しばらくライヴはできず、音楽は家で聴くことが主流になりそうですが、本作は家で聴くのにも適した作品だと思います。どういったシチュエーションで聴いてほしいですか? あるいは、本作のどんな部分に注目して聴いてほしいですか?

DM:なるべく1秒くらいは注目しないで聴いてみるのが良いと思う(笑)。さっきも話したけれど、それはリスナーが好きな方法で聴いてくれたら良いと思う。ぼくが個人的に好きな聴き方は、リラックスした状態でヘッドフォンで大音量でかけるという聴き方や、公園を散歩しているときにヘッドフォンで聴いたり、低音量でリピートで家のなかでかけるという聴き方など。リスナーが引き込まれる瞬間があるなら、それが良い聴き方なんだと思う。このアルバムにはいろんな聴き方があるけれど、最終的にそれを決めるのはリスナー各自だ。

ライヴが可能になるのが1年後か2年後かはまだわからない状況ですが、パンデミックが収束し、外でプレイできるようになったとき、まずどのようなライヴをしてみたいですか?

DM:日本でライヴをしたいね(笑)。ぼくは日本に行ったことがないんだけど、日本でライヴをやった友人たちの多くが日本の観客のすばらしさや日本人のホスピタリティの高さをいつもぼくに伝えてくれる。だから日本にすごく行ってみたいんだ。日本に行ってライヴをやったり、取材の質問に答えたりして、ぼくの音楽を広めてくれるひとたちの手助けをしたい。どんな環境でライヴをやりたいかというと、大音量であることはたしかだ。今後、どのような形でライヴをするのが可能になっていくかはわからないけれど、ぼくのライヴは暗くて大音量のなか、強烈な体験にしたいと思っている。そしてそのあいだや、その上やその下にあるすべての要素、いろいろなものが含まれているライヴにしたいと思っているけど、まだ先のことは誰にもわからない。もう誰もなにもわからない! ぼくはもう二度とライヴができないかもしれない。いまはとても困惑した状況だからね。

INFORMATION

オフノオト
〈オンライン〉が増え、コロナ禍がその追い風となった今。人や物、電波などから距離を置いた〈オフ〉の環境で音を楽しむという価値を改めて考えるBeatinkの企画〈オフノオト〉がスタート。
写真家・津田直の写真や音楽ライター、識者による案内を交え、アンビエント、ニューエイジ、ポスト・クラシカル、ホーム・リスニング向けの新譜や旧譜をご紹介。
フリー冊子は全国のCD/レコード・ショップなどにて配布中。
原 摩利彦、agraph(牛尾憲輔)による選曲プレイリストも公開。
特設サイト:https://www.beatink.com/user_data/offnooto.php

Beyoncé - ele-king

 2016年、スーパーボウルでのショウや “Formation” のMV、アルバム『Lemonade』などでブラックパンサー党や BLM への共感をあらわにし、現在のムーヴメントの口火を切ったとも言えるビヨンセ。昨年は映画『ライオン・キング』にインスパイアされたアルバム『The Lion King: The Gift』をリリースしているが、その収録曲 “My Power” ではなんとダーバンのDJラグを迎えゴムに挑戦するなど、どメジャーの世界にありながら果敢な試みをつづけている(ちなみにDJラグはほぼ同時期に、オーケーザープとの共作「Steam Rooms EP」を〈Hyperdub〉よりリリース)。
 そんな彼女が7月31日、ヴィジュアル・アルバム『Black Is King』を公開することが明らかになった。ビヨンセみずからが脚本・監督を務めた映像作品で、ディズニー・プラスにて世界同時配信される。黒人の経験がテーマになっているそうなので、まさに今日にふさわしい作品になっていることだろう。要チェックです。

ビヨンセが脚本・監督・製作総指揮を務めたビジュアル・アルバム『ブラック・イズ・キング』が7月31日(金)よりディズニープラスにて世界同時プレミア配信決定

グラミー賞24度受賞の世界的スーパースターのビヨンセが脚本・監督・製作総指揮を務めたビジュアル・アルバム『ブラック・イズ・キング』が、2020年7月31日(金)よりディズニー公式動画配信サービス「Disney+ (ディズニープラス)」にて世界同時プレミア配信されることが決定しました。映画『ライオン・キング』(2019年)の全米公開から1周年を記念し、2020年7月31日(金)より世界同時配信、国内では同日16:00より配信されます。

ビヨンセは昨年、自身がナラ役の声優を務めた映画『ライオン・キング』のインスパイア―ド・アルバム『ライオン・キング:ザ・ギフト』をリリースしました。映画へのトリビュートとアフリカン・ミュージックへの敬意を称えた “アフリカへのラヴ・レター” を意味したものになり、ジェイZ、ファレル・ウィリアムス、チャイルディッシュ・ガンビーノ、ケンドリック・ラマー等、彼女と親交のあるアーティストや、アフリカン・アーティストが参加しました。

『ブラック・イズ・キング』は、その『ライオン・キング:ザ・ギフト』の音楽をベースに、アルバムに関わったアーティストたちやスペシャルゲストも参加し、黒人の体験を世界に届ける、まさに伝記と呼べる長編作品です。本来の自分自身を追い求める現代の若者たちに、『ライオン・キング』の教えをビヨンセが伝えるもので、まさに多種多様なキャストとスタッフたちの絆によって1年の歳月をかけて製作されました。

代々続いてきた黒人たちの伝統を、ある若き王が経験する裏切り、愛、自らのアイデンティティに満ちた驚きの旅の物語を通して、名誉あるものとして描きます。彼は先祖の導きにより運命と向き合い、父の教えや愛に育まれた子供時代のおかげで、故郷に帰り王座を取り戻すのに必要な資質を身につけていきます。

なお、本作は、世界同時配信のために、歌唱シーンでは英語音声のみとなり、歌の間のセリフ部分のみ日本語字幕が付きます。詳細は決定次第、ディズニープラス公式サイト等にてご案内させていただきます。

ディズニープラス 公式サイトはこちら

【リリース情報】

ビヨンセ | Beyoncé
『ライオン・キング:ザ・ギフト | The Lion King:The Gift』
配信中(2019年7月19日)
再生・購入はこちら

ブロンディのカリスマシンガーが波乱万丈の人生を綴る、未発表写真満載の決定的自伝!

70年代のニューヨーク・パンク・シーンから現れ、瞬くまにスターダムを駆け上がったブロンディ。バンドの顔であり、ロックする女性のパイオニアの一人でもあったカリスマシンガーが綴る決定的自伝。

養女として育った幼少期、ニューヨーク・ドールズやラモーンズといったシーンの仲間たち、大スターとしての狂騒の日──性暴力や破産などの障害も乗り越え、いまも活動する姿が飾らない言葉で生き生きと描かれる。

目次

序文(クリス・シュタイン)
一 愛ゆえの子供
二 可愛い娘ちゃん、天使みたいだね
三 カチリ、カチリ
客席照明
四 影に歌えば
五 生まれつきパンク
六 危機一髪
幕間
七 発射と着地点
八 マザー・カブリニと電熱器の火事
九 伴奏部
十 〈ヴォーグ〉のせいにしましょ
いないいないばあ
十一 レスリングと未開の地
十二 完璧な味
十三 日々の習慣
愛情の証
十四 妄執/欲動
十五 拇指対向性
写真とその他のイラスト類に関するクレジット
謝辞

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John Carroll Kirby - ele-king

 早耳たちのあいだで話題となっているジョン・キャロル・カービー、ブラッド・オレンジ『Freetown Sound』(16)やソランジュ『When I Get Home』(19)にも参加していたこのLAのキイボーディストが、なんと〈Stones Throw〉より新作をリリースする。日本盤はハイレゾ対応のMQA-CD仕様とのことなので、嬉しさ倍増だ。クールで落ち着いたジャズのムードを心行くまで堪能しよう。

John Carroll Kirby
MY GARDEN

ノラ・ジョーンズ、ソランジュやフランク・オーシャン、シャバズ・パレセズともコラボレ ーションする大注目の伴盤奏者、ジョン・キャロル・カービーによる、名門〈Stones Throw〉からのファースト・ソロ・アルバム!! ジャズ、R&B、ソウル、アンビエントまで 取り込み、レコーディングにプロデュース、作曲の全てを自身で行なっている。ボーナストラックを加え、CDリリース!!

Official Release HP: https://www.ringstokyo.com/johncarrollkirby

冒頭の “Blueberry Beads” をまずは聴いてみてほしい。日本のジャズ・ベーシスト、鈴木良雄が80年代に作ったアンビエント・ジャズから多大なるインスピレーションを得て、カービーはキーボードを弾いている。謎めいていて、さまざまな記憶を弄るジョン・キャロル・カービーの音楽のエッセンスが、この曲に詰まっている。カービーの音楽は、LAジャズの遺産からソランジュやフランク・オーシャンのアンビエントにまで接続する。そして、反転させた美しい世界を描きだす。 (原 雅明 rings プロデューサー)

アーティスト : JOHN CAROLL KIRBY (ジョン・キャロル・カービー)
タイトル : My Garden (マイ・ガーデン)
発売日 : 2020/9/23
価格 : 2,600円+税
レーベル/品番 : rings・stones throw (RINC67)
フォーマット : CD (ハイレゾMQACD対応フォーマット)

Tracklist :
01. Blueberry Beads
02. By The Sea
03. Night Croc
04. Arroyo Seco
05. Son Of Pucabufeo
06. San Nicolas Island
07. Humid Mood
08. Lay You Down
09. Wind
10. Lazzara (Bonus Track)

amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/B08C5CJT4W/

Sun Araw - ele-king

 これはめでたい。ユーモラスな電子音と独特のパーカッション、ギター、ヴォーカルが織り成すポリリズミックな宇宙ファンク・サウンド、2020年のベストな作品のひとつ、LAのキャメロン・スタローンズことサン・アロウによる最新作がめでたく日本盤化。7月15日に発売される。歌詞・対訳も封入されるので、要チェックです。

現代最高のサイケデリック・サウンド・クリエイター、キャメロン・スタローンズ=サン・アロウ最新アルバム、その名も『ロック経典』。途方もない恍惚感と酩酊感に満ちあふれた、中毒性たっぷりの経典。危険すぎる!

SUN ARAW 『ROCK SUTRA』
サン・アロウ/ロック・スートラ
PCD-25301
定価:¥2,500+税
Release Date: 2020.07.15
●米 Sun Ark / Drag City 原盤
●解説/歌詞・対訳付

TRACKLIST
1. ROOMBOE (9:29)
2. 78 SUTRA (10:59)
3. CATALINA BREEZE (7:41)
4. ARRAMBE (12:12)

CAMERON STALLONES: MIDI-GUITAR, SYNTHESIZERS, VOCALS
JON LELAND: V-DRUMS, PERCUSSION, CONGAS
MARC RIORDAN: SYNTHESIZERS
ALL RECORDED LIVE-TO-MIDI AT SUN ARK STUDIOS

CAN の名盤とさえ言える未発表曲集『Unlimited Edition』とサン・アロウの『ロック経典』を交互に聴いているのだが、1974年と2020年の作品は時空を越えて繋がっていることが確認できる。──野田努(ele-king)

ジャマイカの伝説的ヴォーカル・グループ、コンゴスとの共演盤や、ニューヨークのこれまた伝説的パーカッション奏者/電子音楽家、ララージとの共演盤も話題となった、カリフォルニア州ロングビーチを拠点とする現代最高のサイケデリック・サウンド・クリエイター、キャメロン・スタローンズ=サン・アロウによる最新スペース・ロック・アルバム。バンドとの生演奏をMIDIで録音したはじめてのアルバムで、これまでになくポリリズミックな展開がじつに刺激的だ。“Arrambe” では、CAN やホルガー・シューカイのアフリカ音楽解釈を彷彿させる。ファンクとロック、ダブの間を行き来する、エクスペリメンタルでありつつもどこかユーモラスな極上のトリップ・ミュージック。傑作。

interview with COM.A - ele-king

 いまの日本の音楽に決定的に欠けているのは、ようするに、パンクのマインドである。といってもそれは、たんに反抗的なポーズをとればいいということではなくて、多くのひとがスルーするだろう些細な矛盾や欺瞞に気づいたり、疑問を抱いたりできるかどうかということだ。コロナ騒ぎを筆頭に、2020年もこの半年だけでじつにさまざまな問題が発生しているわけだが、13年ぶりにリリースされたコーマのアルバムを聴いていると、そう強く思わざるをえない。

 80年代にメタルの洗礼を受け、90年代に〈Warp〉や〈Rephlex〉などのエレクトロニック・ミュージックを怒濤のごとく浴びて育ったコーマは、(ROM=PARI を経由しつつ)00年にUKの〈FatCat〉からデビューを飾っている。エイフェックス・ツインやオウテカの撒いた種が極東の地で見事に花開いた、その幸福な一例と言えるだろう。
 00年代のエレクトロニカは、一方で音響の洗練をつうじて「ただ気持ちいいだけ」の亜流も多く生み落としたが、他方コーマはというと、童心と悪意を正しく手なずけ、キッド606周辺とも共振しつつ、ユーモラスかつ獰猛なブレイクビーツで当時のシーンをかき乱していたように思う。そんなスタンスを持つIDMのアーティストは、今日においてもやはりなかなか見当たらない。
 であるがゆえに、まさにこのタイミングで彼が帰ってきたことは素直に喜ばしいことだと思う。みずからファースト・アルバムの『Dream and Hope』をおちょくった新作『Fuck Dream and Kill Hope』は、パンデミックやBLMで激しく時代が動いている現在だからこそ、強烈にわれわれの思考を揺さぶってくる(制作期間は3~4年に及ぶので、完全に偶然の一致なのだけど、この “引き” もまたコーマの才能かもしれない)。
 サウンド面で大いに成熟を聴かせながら、しかしけっしてパンクの精神を失わないIDMの異端児が、幼少期に受けた衝撃から親になった現在までを語りつくす。

なにをやっても結局ぜんぶ巨大なやつらの手のなかで踊らされてるだけじゃん、っていう気持ち……それに対するファックの気持ちはずっとあるよね。

緊急事態宣言中はどう過ごしていました?

コーマ:もちろんずっと家にいました。アルバムを出した後は、すぐまた新しい曲を、もっと暴力的な感じのをつくってましたね(笑)。あとは子どもと遊んだり。子どもたちがずっと家にいるから大変で。むかしから自宅勤務だけど、子どもがやっと幼稚園や小学校へ行くようになったと思ったら、またずっと家にいる状態になってしまった。

制作部屋はあるんですか?

コーマ:あります、ベッドルームが。レコード、CD、機材でごちゃごちゃになってるけど(笑)。友達とズーム飲み会をしたことがあったんだけど、「中学生の部屋みたい」って言われたくらいで(笑)。小学校のときに買ったカセットテープがいまだに置いてあったり。30年以上持っていることになる(笑)。ほとんどメタルのカセットテープで、ホワイトスネイク、ダンジグ、リヴィング・カラーとか。

ヘヴィメタルはいまでもよく聴く?

コーマ:メインでよく聴くわけではないけど、勝手に(ストリーミングの)おすすめに出てくるというか……

つまり聴いているということですね(笑)。

コーマ:ハハハ。ユーチューブとかでね。

懐かしくなって聴いてしまうというより、いまでもそもそもそういう音楽が好き?

コーマ:メタルに限らず、パンク、ソフトロック、プログレとかも好きなんだけど、やっぱりバンドが好きなのかなと思う。染みついちゃってるというか。小3か小4のときに、兄貴がメタリカの『Ride The Lightning』のカセットテープを借りてきたんです。それまでずっとエレクトーンをやっていたんだけど、ディズニーとか、70年代の映画音楽とかね。親の趣味みたいなやつ。レイ・パーカー・ジュニアがやった『ゴーストバスターズ』のファンクな曲とかは好きだったけど。初めてメタリカを聴いたときのことはいまでもよく覚えていて。完全に電撃が走ったという感じ。みんな一度はそういう経験があるよね。稲妻で撃たれたような感じというか。『Ride The lightning』はジャケに文字通り、思いっきり稲妻が出てて(笑)。スラッシュメタルやクロスオーヴァー・スラッシュが、いわゆるユース・カルチャーへの最初の入口だった。当時はアメリカに住んでいたので、日本から『BURRN!』をとりよせてたな。
中1になるとナパーム・デスが出てきて、中3くらいのときにミック・ハリスというナパーム・デスのドラマーと、ジョン・ゾーン&ビル・ラズウェルがペインキラーというバンドをやっていて、それもすっごい衝撃だった。『BURRN!』では2点とかだったんだけど(笑)、完全にギターだと思っていた音がサックスの音で。そこからミック・ハリスはダークなアンビエントをはじめたりして、「なんでナパーム・デスをやっていたひとがこういうのをやっているんだろう?」みたいな。そこからノイズ、フリー・ジャズ、インダストリアル、アンビエントに広がっていった。それで18歳のときに、エイフェックス・ツインの『Selected Ambient Works 85-92』に出会うことになる。人生でいちばん多感な時期のピークだよね(笑)。

なるほど、もうそれなりに音楽の知識がある歳になってエイフェックスに出会ったわけですね。

コーマ:もうこっちとしては評論家気どりなわけ(笑)。でもやっぱり初めて『Selected Ambient Works 85-92』を聴いたときはめちゃめちゃもっていかれたね。人生観を変えられた。

もっていかれたポイントはどのへんでした?

コーマ:音色もそうだし、メロディもそう。ファンタジー感もそうかな。ツイストされたファンタジー感というか。わかりやすいファンタジーではなくて、明らかに世間から切り離された感じというか。空想世界の広がり方。それにすごくいい感じのリヴァーブがかかっている。あれはいまだにコピーしようと思っても絶対につくれない音。

ぼくは完全に後追いですけど、初めて聴いたとき、あの音の悪さにはびっくりしましたね。でもそれが個性になっている。メロディラインを真似するひとはいるけど、あの感じはいまだにだれも出せていないと思う。

コーマ:それが電子音楽の不思議なところというか。やっぱり魔法がかかっているんだろうなと思う。それはエイフェックスに限らずだけど、魔法のかかった感じはあるもんね。

エイフェックスのベスト3はなんですか?

コーマ:やっぱり90年代のやつかな。『Selected Ambient Works 85–92』、とくに “Xtal” が1位とすると、2位が『Richard D. James Album』、3位が『...I Care Because You Do』かな。『Drukqs』以降はそんなにという感じ。

エイフェックスと出会って、じぶんでも音楽をやりたいと思った?

コーマ:いや、メタリカを初めて聴いた9歳のときに、俺は絶対に音楽で飯を食いたいと強く思ってね。俺の一生の仕事は音楽だと決めていた。ただ、『BURRN!』を読んでいると、ジャパメタもいろいろ出てくるんだけど、レザータイツに長髪っていうのが正直ぜんぜんかっこよく見えなかったのね(笑)。アメリカにいたからだと思うけど、東洋人がかっこつけようとしているのを見て、かなりキビしいなと。アジア人差別もあったからね。ブラック・ミュージックもそうだけど、東洋人が触れてはいけない部分がある感じがしたというか、それで電子音楽に行ったというのもある。

電子音楽にはある種の匿名性がありますもんね。記名性が比較的薄いというか。

コーマ:〈Skam〉のひととかがインタヴューのときに顔を隠したりしてたのにはすごい惚れた。日本人でも、グランジのちょい前の時期のスラッシュメタルのバンドにアウトレイジというのがいて。それは、初めて日本人でめちゃめちゃかっこいいと思った。 ファッションもちょっとスケーターっぽくて、いわゆるシンフォニックなメタルの格好ではなく、短パンにTシャツでアンスラックスみたいな。80年代にスケーターとスラッシュメタルがくっついて、スラッシャー文化が生まれてきていた。それがかっこいいなと思っているときに、アウトレイジが出てきた。でもそれ以外は、当時は、コンプレックスみたいなものがあって。たぶんアメリカにいたからだと思うけど、東洋人は白人と黒人には 、パワー勝負では勝てねえなという感覚があった。
でも、エイフェックスが出てきて、ケン・イシイさんが〈R&S〉と契約したのもそのころだけど、テクノを聴くようになったら、808とか909とか、ローランドにせよコルグにせよ、ヒップホップもハウスも機材がほとんど日本製じゃんということに気づいて、これは日本人はもっと誇りに思っていいことだと。そうして電子音楽にのめりこんでいった。
エイフェックスと出会うまえに、佐々木敦さんが UNKNOWNMIX というパーティをやっていて、それが高校生のころかな、四谷の P3 というハコでは山塚(アイ)さんと大友(良英)さんが一緒にやっていたり、そういうのを観にいっていた。あれはいまだに忘れられないね。もうこの世界しかないなって。それまでずっと体育会系で柔道をやったり、アメフトをやったりしたけど、一気に引きこもりになった。「引きこもり」というのもちょっと変かな、「アッパー系引きこもり」というか(笑)。打ち込みをはじめたのは94~95年ころだけど、そのあたりからネットも本格的になっていくでしょ。そのITムーヴメントとエイフェックス・ツインの両方が大きかった。あとオウテカもそうだね。〈Warp〉、〈Rephlex〉、〈Ninja Tune〉。それが18とか、19のころ。

羨ましいなあ。そのころのインターネットって希望に満ちていたと思うんですよね。

コーマ:当時パイレーツ系のホットラインというアプリがあって。そこにいろいろリリース前のプロモオンリーのMP3が置いてあったりして。そんななかでボーズ・オブ・カナダを見つけて、もうぶっ飛んで。CD、アナログが出たらすぐに買って。それが21歳くらいかな。多感な時期だね。ダムタイプとかがアカデミックなことをやっているのも好きだったけど、俺としては、あんまり小難しいことは言わないで、単純にネットのはじまりとかソフトウェアの発達をみんなで楽しもうよというか、「変な音ができたぜ、どうだおもしれーだろ」みたいな感覚で曲をつくっていた。そこがキッド606に共感できた部分。

キッド606とはいまでも連絡を取り合います?

コーマ:うん。近況を話したりするし、今回もアルバムを送った。

ROM=PARI のファーストが99年ですよね。

コーマ:でもつくっていたのは97年ころからなんだよね。ちなみに一応、俺は ROM=PARI のメンバーではないんだよ。コラボレイターという扱いで。

ROM=PARI はジョセフ(・ナッシング)さんの名義ということですか?

コーマ:そうそう(笑)。じつは ROM=PARI と同時期に、暗黒舞踏の音楽もつくってたんだよ。サンプラー買いたてくらいのころで、ノイズ・アンビエントみたいなサウンドだった。 BOX東中野(現ポレポレ東中野)というところがあって、90年代終わりごろって世紀末だったし、文化的にも退廃したものが多かった。そこで暗黒舞踏のひとと出会って、音楽をやらせてもらっていた。そんなふうに、じつは ROM=PARI のまえに背伸びしていた時期がある。あと、その少しまえには本名の “AGE” 名義でカセットテープもつくっていて、クララというノイズ系のレコード屋に卸したりとか。高3のときかな。当時ディスクユニオンに Hellchild や SxOxB とかのデスメタル系のひとたちがすごいカセットテープを置いていて、じぶんも〈パリペキン〉とかにテープを持っていってた。それで、ROM=PARI をやることになったあとも、ソロでもやっていこうと思って、3ヶ月に1枚くらいのペースでアルバムをつくっていた。合計4枚つくったかな。それを海外に送ってた。でも、ふつうにCD-Rを送っても絶対に聴いてもらえないと思ったから、バカでかいアクリル板を買ってきて、わざとアナログくらいのサイズに梱包して送って。目立つように(笑)。しかも、CD-Rをボルトとネジでとめてたから、工具を使ってそれを外さないと聴けないっていう(笑)。そしたら〈FatCat〉が返事をくれて。そこからキャリアがはじまった。

〈FatCat〉に反応してもらえたときはどんな気持ちでした?

コーマ:正直、受験に受かったときよりも嬉しかったよね(笑)。100倍くらい嬉しかった(笑)。連絡してくれた日が俺の誕生日だったから、めっちゃ嬉しくて(笑)。

タイミングによっては、〈FatCat〉がシガー・ロスを発掘するのよりもまえじゃないですか?

コーマ:まさにちょうどそのころ。シガー・ロスのサンプル盤を送ってきてくれた。嬉しかったな。

ポジティヴになった部分もあるけど、それまでのじぶんを構成していたネガティヴな性質も変わらない。楽観と悲観が、気持ち悪い感じで一緒になって今回のこのタイトルができたんじゃないかなと思う。

電子音楽に行くまえ、バンドは組まなかったんですか?

コーマ:バンドはもちろんやってた。高校生のときはふつうにザ・クラッシュとかビースティのコピー・バンドをやってた。5つくらいかけもちしてた時期もある。ジョン・ゾーンのコブラがすごく好きで。あと、〈Recommended〉ってレーベルがあって、佐々木敦さんがそれを啓蒙するイベントをやっていて、そこに遊びにいったときにSMをやっているひとたちがいて、仲良くなって。それで一軒家を借りきってSMのパーティみたいなのをやったり。ちょうど俺もサイキックTVとかスロッビング・グリッスルを聴きはじめたころだったから、ザ・テンプル・オブ・サイキック・ユースの儀式みたいなのやつは、じぶんたちでもやってみたいという(笑)。

ちなみに、〈Skam〉の面々ともお知り合いですよね。どのような経緯で知り合ったのでしょう?

コーマ:じつは〈FatCat〉にデモを送ったときに、〈Skam〉にも送ったんだけど、そのときは返事は来なかったんだよ。でも、〈Skam〉がやっていた海賊ラジオで、俺の音楽を流してくれていたみたいで。いまのコロナのタイミングでこういうこと言っていいのかわからないけど、当時は音楽でウイルスをばら撒いてやる、という気持ちだったんだよね。でもいまとなってはそんな夢も希望も崩れ(笑)。

まさに今回のアルバム・タイトルが『Fuck Dream and Kill Hope』ですね。

コーマ:これは……ひとつには、架空のカルトの経典みたいなイメージがあった。むかしからなぜかカルトに惹かれるところがあって。小学生のときに『ムー』を定期購読していたから、それも関係しているかもしれない。あと90年代はオウムの麻原の存在も大きかったけど、信者たちの修行の様子、とりわけヘッドギアがすごくインパクトがあって、なんともいえない恐怖とシュールさを感じた。00年代にはキリスト教原理主義者の狂い方に興味を持っていた時期もあって。
あと、ロスチャイルドとかロックフェラーとか、巨大な連中に牛耳られているんなら、なにをしても意味ねえじゃん、と思っちゃうところも今回のタイトルには入っているかな。「生きていてもしょうがなくね?」とまで言うとスーサイダルな感じになるけど(笑)、アイロニーはある。『ハンニバル』でも、とんでもない金持ちが世界を動かしていたし、キューブリックの『アイズ ワイド シャット』やリンチの『マルホランド・ドライブ』もそうだよね。そんなことを考えていると、なんか生きていることがばからしくなってきちゃう。なにをやっても結局ぜんぶ巨大なやつらの手のなかで踊らされてるだけじゃん、っていう気持ち……それに対するファックの気持ちはずっとあるよね。もちろん、陰謀論をがっつり信じているわけじゃなくて、エンターテインメントとして触れているんだけど。

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じぶんで気づいてほしい。たとえば、フェスとかに子どもを連れていく親がいるじゃない。俺はあれにはけっこう反対で。そういう遊びは子ども自身に見つけてもらいたいんだよね。

直接的には、ファースト・アルバム(『Dream And Hope』)を揶揄しているわけですよね?

コーマ:もちろん、じぶん自身でファースト・アルバムをおちょくっているというのもある。「音ショボいなー」とか。でも愛はある。ファースト・アルバムって、ミュージシャンにとって特別なものだから。童貞感すごいなっていう(笑)。じつはタイトルは最初は、『dream of prostitute』にしようと思っていたの。「夢オチ」みたいにしようと考えて。でもその後『Fuck Dream~』のアイディアが浮かんで、そっちのほうがしっくりきて。「夢も希望もない」状態って、ある意味ではスタート地点に立つイメージもある。13年ぶりのアルバムなんて、またファースト・アルバムを出すようなもんだから、初心に戻った気持ちは強いね。

それはやっぱり、成長しているということではないでしょうか。

コーマ:成長かあ。あんまりじぶんでは成長している意識はないけどね。もちろん子どもができたからむりやりポジティヴになった部分もあるけど、それまでのじぶんを構成していたネガティヴな性質も変わらない。楽観と悲観が、気持ち悪い感じで一緒になって今回のこのタイトルができたんじゃないかなと思う。今回のタイトルは、見る人によってネガティヴにもポジティヴにも捉えられる。ファーストの『Dream And Hope』自体が皮肉だったけど、それをさらに皮肉ってるので、よりツイストされた次元を表現できたと思っている。

リリースのタイミングが見事にパンデミックと重なって、時代とリンクしちゃった感じもありますね。

コーマ:俺としてはニヤッと笑ってもらいたいと思ってこのタイトルをつけたんだけど、たまたま時代に合致しちゃったという。しかも、それが良いメッセージとしても悪いメッセージとしても、両方でとれるから。俺としては、これをストレートに受け取るひととは仲良くなれないな、という感じ。「夢も希望もねえ」ってどういうことだよ、って言われても、そもそも俺はファーストのときからそういう気持ちだったし。

なによりまずサウンド的に、すごく「成長」とか「成熟」を感じたんですよ。

コーマ:打ち込み自体もう25年くらいやっているから、じぶんのことは職人だと思っていて。「アーティスト様」みたいな感じではなく。単純に音職人。そういう意味では技術的には向上していると思う。一方で、若いときはちょっと無理してふざけてたかなとも思う。当時もアブストラクトな音楽はあって、みんなそういうシブい感じの音楽ばかりやっていて、こっちはスラップスティックな感じでいけばカウンターになるんじゃないかって思っていたんだよね。たとえばヴォイスのカットアップとか、こっちはふざけた感じのサンプリングでやってたのが良かったと思う。俺も兄貴も、かっこつけてると思われるのがいやだったから。早川義夫じゃないけど、等身大というか、「人間ってこういうもんじゃね?」っていう、あの素の感じをもっと出したかったというか。

なるほど。たとえば “Rife” はいわゆる泣き系の感じですが、最後はすごく変なことになって余韻を与えないし、“You know who you are” は落ち着いたピアノのなかに、やはり変な要素がいっぱい入ってくる。そこはもしかしたら、ストレートにやることの照れなのかなとも思ったんですが。

コーマ:とくに泣かせようという意識はなくて。今回のアルバムはまったく野心もなく、売れたいとかそういうのもまったくなくて、完全にあきらめの境地でつくっている。
俺は一回、2009年ころに挫折してるんだよ。『Coming Of Age』を2007年に出して、そのあとだね。ライヴをやっても客が0人とか、そういうことが続いて。めちゃくちゃ酒飲んで、破れかぶれになっていた。ライヴでぶっ倒れてわき腹を骨折したり、PAモニターにぶつかって前歯3本失ったり。なんかもう死にたかったんだよね。あるいは逆に全員死ね、というか。こういう精神状態がつづくともうダメだなという感じで。逆にひとに優しくされたら泣き出したり(笑)。まぁいろいろありすぎて、じぶんの音楽はどうでもいいやという気持ちになっていた。
それと、3年前に入院したことがあって。全身麻酔で気絶している状態で2週間くらい入院していた。そのとき、「死ぬってこういう感じなんだな」と思った。あれも衝撃的だった。もう子どももいたし、これから人生どうやって生きていけばいいんだろうって悩んで。そこで結局、音楽をつくるしかない、ほんとうにやりたいことをやるしかないって思った。でも制作系の仕事は忙しくて、子育てもあるから、1日フリーになる時間なんてほとんどない。じぶんの時間がとれるのが月に1日あるかどうかで、だから1曲つくるのに3ヶ月くらいかかる。そうすると年に3~4曲くらいが限度で。だから今回のアルバムは2015年ころから3、4年かけてつくってるんだけど、そういう意味では成熟はしていると思う。子育てしてるから、人生観は変わるよね。若いときにあった変な野心とか気負い、ウケ狙い、技術自慢みたいなことはしなくなったので、とてもリラックスしてつくってた。

子どもができてよかったことは?

コーマ:子どもはタイムマシーンだね。俺自身がタイムマシーンに乗って、ガキに戻った感じ。たとえば子どもが4歳だったら、俺も4歳の気持ちになれて、一緒に楽しめる。それこそエイフェックス・ツインの世界というか、ガキに戻れる感じはすごいし、心地いい。

ひとつひとつのことに新鮮に驚ける?

コーマ:そう。いまはもう子どももそこそこ大きくなって、大人びてきちゃっているけど。でもたとえば、子どもに対してウソもつかなきゃいけないわけじゃない? 親としては「モノを盗むな」と教えるけど、こっちはサンプリングとかするわけで(笑)。トラックメイカーの仕事って、そういうディレンマがあると思う。俺はあえて子どもに保守的というか、ひととして当たり前のことを教えているんだけど、いつかそれに反抗してもらいたいんだよね。非常識を知るには常識を知らないといけない。だからいまは常識を叩きこんでいる段階というか。心のなかでは非常識の楽しみも背徳感もよく知っているわけだけど(笑)、そういうのは親が教えるものじゃない。じぶんで気づいてほしい。たとえば、フェスとかに子どもを連れていく親がいるじゃない。俺はあれにはけっこう反対で。そういう遊びは子ども自身に見つけてもらいたいんだよね。あと、日本の同調圧力、とくに小学校の同調圧力ってすさまじいし、いまや親もそういう世代になっている。SNSもあるし、そういう同調圧力には巻き込まれてほしくないなとは思った。今回のアルバムの曲は、そういうディレンマのなかで生まれてる。

“Rife” の叙情性なんかは、以前のコーマさんからは出てこないものだろうと思ったんですよ。

コーマ:墨田区に引っ越してから、労働者や職人の多い酒場に行くようになって。それで東東京の酒場というか、飲み文化が渋谷や新宿とはぜんぜんちがうことに衝撃を受けて。一度、すごく印象的な出来事があってさ。朝方4時くらいになって、ずっと一緒に飲んでた肉屋のおじさんに「俺の名前覚えてる?」って訊かれて、答えられなかった。俺はその場にすごく馴染んでるつもりだったんだけど、馴染んでるつもりなだけで、結局無礼なんだよね。じぶんの至らなさを思い知ったというか、調子に乗っていたじぶんの人生を反省したというか。それが7、8年前くらい。今回のアルバムにとりかかるまえだね。そういう場所でいろんなことを学んだ。それは大きな成長だったかもしれない。

ホラーやスプラッター映画は好きでよく見るけど、どんなモンスターや幽霊よりも恐ろしくて、かつ魅力的なのは狂った人間、とくにカルトだと思うので、どうしてもそれがじぶんの音楽のテーマになる。

曲名に意味は込めていますか? いくつかは深読みしたくなるような曲名ですね。

コーマ:ちょっとはあるけど、基本は後づけだね。曲名つけるのはいちばんめんどくさい作業で。数字だけでもいいくらい(笑)。“Rife” は「流行して、広まって、いっぱいで、充満して、おびただしくて」って意味だけど、ネットによってありとあらゆる情報が世界じゅうに広がって、人類を疲弊させているというのがテーマだった。つくったのは2年前だけど、たまたま今回コロナと連動するようなタイトルになった。

“Liar's hand” は?

コーマ:諸星大二郎の「生命の木」というマンガがあるんだけど、ずっとその作品のテーマ音楽を作りたいと思っていて。“Liar's hand” をつくっているときはずっとその作品が頭のなかにあった。それと、世代的にオウム真理教が直撃だったから、新興宗教の欺瞞も入っている。それは他方で意味不明なことをやっているっていう魅力も感じるんだけど……『Coming Of Age』のころにキリスト教原理主義に興味を持ったことがあって。『ジーザス・キャンプ』っていうドキュメンタリー映画があって、みんな聖書を信じ込んで狂っていて、本気で世の中を聖書どおりに破滅させることを夢見ている人たちがいるんだなということを知って恐ろしくなった。ホラーやスプラッター映画は好きでよく見るけど、どんなモンスターや幽霊よりも恐ろしくて、かつ魅力的なのは狂った人間、とくにカルトだと思うので、どうしてもそれがじぶんの音楽のテーマになる。陰謀論にもつながるけど、それだけ狂った世界に生きているんだなっていうのがじつは『Coming Of Age』のテーマだった。“Liar's hand” はその延長線上にあるというか、そういうニセの救済みたいなものをテーマにした曲。抽象的だけどね。明確なメッセージではない。

“False Repentance” も「ニセの後悔」という意味で気になるタイトルです。それぞれちがう感情を表現しているような上モノとビートが同時に進行していくところは、おなじひとりの人間のなかにある、相反するなにかをあらわしているように聞こえました。

コーマ:これは、政治家や権力者、教祖がニセの懺悔をしているようなイメージだね。

なるほど。メロディの扱い方がすごく変わりましたよね。メロディアスさやキャッチーさ自体はむかしからありましたけど、その種類が変わったというか、旋律の動き方がちがうなと。以前はユーモラスで、あえてやっている感じがありましたけど、もっとハーモニーが意識されるようになったというか。

コーマ:たぶん若いころもやろうと思えばできたとは思うんだけど、いまはそういうことを素直にやれるようになって、しかも心地よく感じるようになったのかな。

とくに “Vanished Sprout” に成熟を感じましたね。

コーマ:これは完全に90年代のアンビエント・テクノ、とくにサン・エレクトリックを意識した曲。もっとダークだけどね。これまた陰謀論になっちゃうんだけど(笑)、ボヘミアン・グローブっていう、 歴代の大統領やエリートたちの集まる秘密クラブみたいなのがあって、アメリカの西海岸の森のなかで儀式をやってて。最後に生け贄を燃やすという。そこに司祭が出てきて、燃やしている最中にスピーチをする。そのなかに「Vanished」ということばが出てくるんだよ。それが、アルバム・タイトルにしてもいいなと思うくらいじぶんのなかですごくハマって。ネガティヴなことばだけど、曲はぜんぜんネガティヴじゃないし、そのギャップを表現したいというか。最初はそのスピーチをサンプリングしていたんだけど、あまりに直接的で説明的な気がしたからそれはやめた。あとで狙われたりするのは避けたいし(笑)。

ちなみに、三田さんのライナーノーツは、100点満点でいうと何点ですか?

コーマ:ハハハ。点数か……点数は難しいな。√10000とかかな(笑)。

√10000って、100点ですよね(笑)。

コーマ:ははは。でもあれはちょっと涙出たよ。ほんとうによく見てきてくれたんだなって。ROM=PARI のころから数えるともう20年以上だよね。歴史からちゃんと書いてくれて。やぶれかぶれになっていたころ、じぶんの音楽なんてもうどうでもいいやってなってたときに、三田さんと三茶のツタヤで会ったんだよ。はっきり覚えてるな。でも、ダブステップを通ってないからノスタルジーを感じる、っていうところは間違いかな。そこだけ引いて99点(笑)。ダブステップは当然通ってるし、ひと通りその時代のものは聴いてたので。CM音楽でもブロステップみたいなのはたくさんやったし。いまさらダブステップはやりたくないなっていう。そういうのが入っていてもなんか恥ずかしいでしょ(笑)。まあでもこのアルバムはなんてジャンルかわからないな。じぶんでは定義できない。アンビエントとかIDMって言われたらそうかもしれないけど。

2010年代は、リアルタイムのものだと、どういう音楽をよく聴いていました?

コーマ:2009年ころはスクリレックス周辺をよく聴いていたかな。エクシジョンがやってる〈Rottun〉っていうレーベルがあって、音は重いんだけど、マインドはすごく軽くて、技術的にもすごいなと思った。シンセの使い方とかは注目して聴いていたな。それがEDM前夜くらい。10年代だとデス・グリップスダイ・アントワードとか。あとはディプロ、フライローの活躍かな。トゥナイトの “Higher Ground” も衝撃だったね。最近だとポーター・ロビンソン、ソフィー、スキー・マスク、ゴーストメイン、AxDxT とか好きかな。ポーター・ロビンソンの持っている、じぶんが絶対に追いつけないあの青春感というか甘酸っぱさは、俺の気持ち悪さというか、男子校感というか、童貞感では打ち勝てないと、ひしひしと感じる(笑)。

〈Maltine〉や〈TREKKIE TRAX〉っぽさも少し感じました。

コーマ:〈TREKKIE TRAX〉の matra magic がすごく好きだったな。

今回は、アートワークもがらりと路線が変わりましたよね。

コーマ:真壁(昂士)さんはすごい。びっくりした。

真壁さんのデザインは何点ですか?

コーマ:1億点でしょう(笑)。からだに切り刻みたいくらい(笑)。真壁さんはインディ感をすごくよくわかっていて、オーダーしたときはいろいろ言っちゃったけど、あえてシンプルにまとめてくれた。

ぼくはオウテカのアートワークを思い浮かべたんですが、テーマはあったんですか?

コーマ: 最初にデザインが上がってきたときに感じたのはフェイス・ノー・モアだった。オファーしたときは、カルトをテーマにしてほしいとお願いしていた。ホドロフスキーの『サンタ・サングレ』のイメージとか。中近東と日本をくっつけたような感じにしてほしいと。

宗教はあまり感じませんでしたよ。

コーマ:もちろん。ニセモノの宗教だからね。薄っぺらい宗教感というか。ユダヤの六芒星があるでしょ、たしかそれが仏教とも関係があったと思うんだけど、そのイメージを「COM.A」というアーティスト名でやってくれていて、すごくバランスもいい。最初に真壁さんのアートワークを見せてもらったときに、エセ宗教観、UKやヨーロッパのパンク~ニューウェイヴ、ノイズの感じが伝わってきた。

やっぱり、そういう陰謀論的なものや宗教的なものにインスパイアされるのは、幼いころアメリカで暮らしていたというのが大きい?

コーマ:うーん、もう日本に住んでから30年経っているけど、アイデンティティが定まらない感はある。どこに行っても外から見てしまう感じというか、部外者という感じというか。もちろん日本は大好きだし、良いところも悪いところも見てるけど、でもアメリカの良いところも悪いところも知っている。イギリスは、生まれたってだけだけど。アイデンティティがいまいち定まらない人生を歩んでいるなとは思う。

つねに異邦人ということですね。

コーマ:だから、ヒップホップのレペゼン文化とかを見るといいなぁと思いますね。

Kevin Richard Martin - ele-king

 ザ・バグキング・ミダス・サウンド、テクノ・アニマルのケヴィン・リチャード・マーティンによるアンビエント作品がリリースされた。リリースはケヴィン・リチャード・マーティン自らが主宰するデジタル・レーベル〈Intercrannial Recordings〉から。
 本作は三作の連作で、世界の終わりから再生を喚起するような壮大なアンビエント・サウンドとなっている。
 重々しいムードの音響だが、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)感染拡大によるロックダウン中に作曲から録音、マスタリングまでされたものらしい。まさに時代のムードをリアルタイムで反映した「コロナ禍のダーク・インダストリアル・アンビエント」といえよう。
 マスタリングを手掛けているのは世界湯数のドローン作家にして、現行エクスペリメンタル・レーベルの最高峰〈ROOM 40〉を主宰する
ローレンス・イングリッシュ

 思えばソロ名義の前作『Sirens』も、ローレンス・イングリッシュの〈ROOM40〉からリリースされた作品であった。『Sirens』は圧倒的なサウンドの強度とパーソナリティか交錯するアルバムだ。対して本作『Frequencies for Leaving Earth』シリーズは、『Sirens』の音響的な強度を継承しつつも、どこかSF映画の音響のような、地球規模のサウンド・スペースを形成している。

 まず『Frequencies for Leaving Earth - Vol.1』には長尺の3曲が収録されている。1曲め “i left my body” は唸るような重低音のドローンから始まるトラックだ。重力のしがらみからしだいに解放されるようにゆっくりといくつかのサウンドがレイヤーされていく。アンビエントへと引き延ばされた後期ロマン派交響曲の序曲のごとき楽曲に思えた。
 2曲め “i lost my miind” は重力から遠く離れていくような清冽なドローンから幕を開ける。やがて暴風のような、もしくは炎のようなノイズが鳴り始め、世界の事象を俯瞰するような音響空間を生成していく。
 3曲め “i became light” は波のように、もしくは静かに揺れるカーテンなように反復するミニマルなサウンドだ。重力から解き放たれ、天井にある静謐な場へと辿りついたかのごとき楽曲に仕上がっている。全3曲、それらは組曲のように有機的に構成されており(モチーフの変化と拡張など)、ドローン/アンビエントによる交響曲とでも称したいほどであった。

 長尺3曲を収録した『Vol.1』に対して、『Frequencies for Leaving Earth - Vol.2』は10曲の小品が収められているアルバムだ。サウンドトラックのように多彩な曲調が展開するが、全体を包み込むSF的かつ不穏なムードは共通している。
 加えて曲調にヴァリエーションがあることから、ケヴィン・リチャード・マーティンならではの電気/電子的自然現象のようなゴリゴリの音響工作も聴きとることができた。その意味でこちらはアンビエントというよりは、ビートレスのインダストリアル・サウンドに思える。キング・ミダス・サウンド『K.M.S. - Solitude Instrumentals』のオリジンのような音響といえるかもしれないし、テクノ・アニマルの『Re-entry』のディスク2を思わせるサウンド・スペースともいえる。

 そして『Frequencies for Leaving Earth - Vol.3』は全7曲を収録。前二作とは一変し、穏やかな、しかし人間以降世界のような、不穏な静けさを放つ音響世界が展開する。オルガンのようなシンセサイザーのゆったりと反復し、聴き手の意識を瞑想状態へと連れて行くような曲調はシンプルだが、絶大なアンビエント効果がある。
 特に11分に及ぶ4曲め “lost in you” は大変素晴らしい。静けさのなかに穏やかな展開があり、穏やかさのなかに不穏さがある。また乾いたノイズの向こうに微かな光を感じさせくれる5曲め “I will be your light” も卓抜なアンビエントを展開している。時代に闇夜から光が差してくるような構成も含めて、アルバムとしての構成は全3作中、もっとも完成度が高いと思う。

 全作、コロナ禍の地球全体に鳴り響くようなアンビエント/インダストリアルな音響空間を生成し展開している。〈ROOM40〉からリリースされた『Sirens』は極めてパーソナルなサウンドインスタレーション作品だったが、この連作は地球規模の危機を緻密にしてダイナミックな筆致で描き切る音響劇に思える。特に『Vol.2』の7曲め “Angel of Death” 以降の黙示録的な展開には圧倒されてしまった。

 神も天使もヒトも「地球」という巨大な自然に呑み込まれ絶滅していく黙示録的な光景と、しかし、その先にある再生の光を夢想すること。「個」のアンビエント・サウンドから「地球・天体規模」のアンビエンス/サウンドへ。想像力とリアルな感覚に満ちたアンビエントな電子音楽。これは紛れもなくレジェンド、ケヴィン・リチャード・マーティンの新たな挑戦である。

R.I.P.:エンニオ・モリコーネ - ele-king

 リカルド・ヴィラロボスと『Hubris Variation Parts 2 & 3』をリリースしたばかりのオーレン・アンバーチは「チャオ・マエストロ」とツイッターに短く投稿。イタリアの保健大臣も「アデュー・マエストロ」と投稿し、91歳で亡くなったエンニオ・モリコーネに別れを告げた。「マエストロ」というのはエンニオ・モリコーネの通称で、転倒による大腿骨骨折が原因の合併症と世界に伝えられる一方、現地の新聞には呼吸器疾患とも書かれているらしい。いずれにしろ去年もコンサートで舞台に立っていたというのだから健康に大きな問題はなかったようで、急逝は寝耳に水。イタリアの音楽界は大きな存在を失った。

 主に映画音楽の製作で知られるモリコーネは“続・夕陽のガンマン(The Good, the Bad, and the Ugly)”など1960年代に流行ったマカロニ・ウエスタンで名を挙げ、サイケデリック・ロックと同期したケレン味のあるギター・サウンドと情緒たっぷりのオーケストレーションが最大の特徴だった。“続・夕陽のガンマン”以外だと“荒野の用心棒”“ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ””アンタッチャブル”といったあたりが曲としてはすぐに思い浮かび、80年代後半にDJカルチャーがサンプリングという手法を取り入れるやそれらの曲の断片を聞かない日はなかったと思うほどDJたちはモリコーネをつぎはぎにしていた。ジ・オーブ”Little Fluffy Clouds”やビーツ・インターナショナル(ファットボーイ・スリム)“Dub Be Good to Me”をはじめ、ボム・ザ・ベース、コールドカット、トーマス・フェールマンズ・レディメイド、デプス・チャージ……。おかげで子どもの頃に軽く耳にしただけの原曲をフルで聴こうとLP盤を探し回る日々が続くことに(代表作以外がCD化されるのは2000年代後半から)。著作権法が改正されてサンプリングが違法(有料)となってからも、ディミトリ・フロム・パリ、デペッシュ・モード(のリミックス)、スーパー・ファーリー・アニマルズ、ピタ……とモリコーネの使用頻度は衰える気配がなく、最近ではフライング・ロータスが”Turtles”で”Piume Di Cristallo ”をサンプリング。さらにはヒップホップで、“Blueprint””So Ghetto””Can't Knock the Hustle”とジェイ~Zの代表曲は多くがモリコーネを元ネタとし、映画音楽を多用するRZAやウータン・クラン周辺でもモリコーネの引用は多い。モリコーネのメロディはわかりやすい疎外感を強調し、現代アメリカの寂寞とした無常感を引き出すのに最適だったということだろう。“続・夕陽のガンマン”はそれこそヴェンチャーズやイレイジャーにカヴァーされ、バスタ・ライムやディー・ライト、ヒカシューやスケプタに至るまでサンプリングされ続けた。

 モリコーネがイタリアのエスタブリッシュよりもアメリカやイギリスのアンダーグラウンドで生き延びたというのはさすがに言い過ぎだろうか。イタリアではモリコーネの存在感が霞んでしまった時期も実際にはあり、『ツイン・ピークス』の成功によってイタリアの映画音楽ではアンジェロ・バダラメンティの名声が高まり、ほとんどの人がそっちになびいてしまったのである。マイ・キャット・イズ・アン・エイリアンのマネージャーを務めていたラモーナ・ポンツィーニがトリノから日本に遊びに来た際、なぜかモリコーネの話になり、彼女が「イタリアの若い人は誰も知らないわ」と言ったのに驚いて、そんなバカなと返すと、名前を知ってるだけましと言いたそうな表情で「過去の人ですよ」と一蹴されてしまったこともある。確かに僕も『ミッション』や『ニューシネマ・パラダイス』といった80年代の作品を最後にモリコーネの作品は何も挙げられなかった。そして、久々にモリコーネの名前を聞いたのは2016年にクエンティン・タランティーノ監督『ヘイトフル・エイト』でモリコーネがアカデミー音楽賞を受賞した時だった。考えてみればわずか4年前である。『ヘイトフル・エイト』は低調だったタランティーノが久しぶりによくできた作品をつくったもので、「死んでしまうにはこの世界は甘美すぎる」というセリフがどこかモリコーネの音楽と合っていたことを思い出す。タランティーノはモリコーネの訃報を受けて「キング・イズ・デッド」とツイートした。

 ほとんどのメディアでは映画音楽家としての側面しか語られないけれど、モリコーネのキャリアはミュジーク・コンクレートやインプロヴァイゼイションなどの実験音楽にも遡ることができる。1966年から彼はグルッポ・ディ・ インプロヴィゼオ・ヌオーヴァ・コンソナンツア(Gruppo di Improvvisazione Nuova Consonanza)のメンバーとなり、近年はどれほどの参加率だったのかは知らないけれど、1968年に行われたパフォーマンスが2014年にようやく陽の目を見るなど、死ぬまで脱退は表明していない。さらにはデムダイク・ステアが2年前にグルッポ・ディ・ インプロヴィゼオ・ヌオーヴァ・コンソナンツアの音源からサンプリングしたデータをループさせるなどして『The Feed-Back Loop』として再構築し、イタリアの60年代と現在のイギリスが直線で結ばれていることを見事に証明してみせた。ここでもモリコーネがアンダーグラウンドで生き延びた感は否めない。グルッポ・ディ・ インプロヴィゼオ・ヌオーヴァ・コンソナンツアのデビュー・アルバムがラウンジ・ミュージックで知られるイタリアの<スキーマ>から再発されたのは2018年。野田努によればポップスにも優れた作品が多いそうで(これは僕は知らなかった)、その関係だと思えばそれほど奇妙な再発ルートではないのかもしれないけれど……(『アンビエント・ディフィニティヴ1958ー2013』を編集した時に、このアルバムをどれだけ探したことか)。

 最後に、僕が個人的に最も好きな曲はジョン・ブアマン監督『エクソシスト2』に提供された“Magic And Ecstasy”。スネークフィンガーのカヴァーでも知られる同曲はモリコーネのケレン味とドライヴ感が頂点に達したディスコ・ナンバーで、エイフェックス・ツインが復活させたブラック・デヴィル・ディスコ・クラブの原点ともいえる。洗練された悪趣味と無類のエンターテイメント性。音楽メディアでもほとんど触れられることのない70年代のエンニオ・モリコーネを聴いてくれ!

あのときは君は何を聴いていたのか

パンデミックの最中、音楽からトレンドは消え、部屋のなかで音楽作品は深く聴かれた
Deep 音楽リスナー15人の記録と200枚のアルバム

小山田圭吾/五木田智央/EYヨ
ジム・オルーク/デリック・メイ

松山晋也/水上はるこ/星野智幸
高橋智子/増村和彦/大塚広子
Chee Shimizu/Mars89
長屋美保/大前至/高橋勇人
三田格/後藤護/杉田元一
松村正人/野田努

目次

野田努 / 序文にかえて──世界からトレンドが消えたときに音楽を体験すること
EYヨ インタヴュー (松村正人)
小山田圭吾 インタヴュー (野田努)
松山晋也 / 人生のサウダージ
水上はるこ / 真夜中にニール・ヤングを聴く
星野智幸 / ベランダで口笛ライブを
三田格 / 今夜も飛沫ぶし
増村和彦 / ホームリスニングのサイケデリアを求めて
大塚広子 / 空腹に効く
Chee Shimizu / 徒然ならぬ世界と音楽と私の関係
Mars89 / サウンドトラックの旅
長屋美保 / 閉ざされたモンスター・シティに沁みる音
大前至 / 記憶を辿りながら現在を見る
高橋勇人 / ロックダウン・ダイアリー
高橋智子 / 耳を塞ぐための音楽
デリック・メイ インタヴュー (野田努)
五木田智央 インタヴュー (松村正人)
後藤護 / そもそも〈ホーム〉って何?
杉田元一 / 2020年120時間の旅 
松村正人 / 符牒と顕現
ジム・オルークの10枚

Cover photo: fuji kayo

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