「Ord」と一致するもの

Kiyama Akiko - ele-king

 半野喜弘や田中フミヤら日本人アーティストにとどまらず、リッチー・ホーティンやリカルド・ヴィラロボスといった海外のトップDJたちから高い評価を獲得してきたキヤマアキコが、既存の音楽カテゴリーにとらわれることなく、音そのものがもつ純朴な響きにフォーカスした作品を発表するために始動したケブコ・ミュージック。これまでにカセットテープを中心にリリースを重ねてきた同レーベルがマガムラのアルバムを初めてヴァイナルでリリースする。

 ラドゥ、ペトレ・インスピレスク、ラレッシュらの拠点であり、現在のミニマルテクノ/ハウスを語るうえで避けて通ることのできない東欧シーン。同シーン屈指のレーベルであるオール・インから2013年に発表した「The Orphans」で話題を呼んだコールドフィッシュことローリン・フロストと、彼の盟友ギタリストであるエリル・フョードが結成したマガムラは、テクノ/ハウスに限定されない視点でとらえたエレクトロニックミュージックをフェスティバルやクラブで披露してきた。オフィシャルリリースは今回限りとして特別に発表される「Supernaturals」には、サウンドコラージュやドローンの要素も含んだ多彩な電子音楽が収録。現在ケブコ・ミュージックのバンドキャンプ・ページにて先行予約を受け付け中だ。


Magamura(マガムラ)

古くからの友人であるローリン・フロストとエリル・フョードが既成概念にとらわれない音楽を生み出すべく結成したプロジェクト、マガムラ。ハンガリー出身のふたりが初期電子音楽からの要素を取り入れたサウンドデザインと楽曲構造からは従来の音楽にはないフューチャリスティックなサウンドスケープが描き出される。ライブパフォーマンスに特化した活動を行ってきたマガムラは、様々なジャンルを絶妙なバランスで融合しながら、物語性のある音楽を紡いできた。2011年の結成以来、ライブごとの状況に応じて異なる即興パフォーマンスを繰り広げることで、音源のリリースに頼ることなく、多方面から高い評価を獲得してきた彼ら。2017年、キヤマアキコ主宰ケブコ・ミュージックのビジョンに共鳴したマガムラが待望のアルバム『Supernaturals』を遂にリリース。

Arto Lindsay - ele-king

 来ました! 1月にリリースされた13年ぶりの新作『Cuidado Madame』が好評のアート・リンゼイですが、なんと6月に来日します。昨年、晴れたら空に豆まいての10周年記念企画の一環として来日しているアート・リンゼイですが、今回は新作のレコーディング・メンバーを従えてのバンド・セットによるツアーです。東京、京都、大阪の3都市をまわります。オールスタンディングのライヴハウス公演としてはかなり久々の来日だそうで……アルバムのあのサウンドはいったいどんなふうに生まれ変わるのでしょう。必見です。

奇才アート・リンゼイ、超待望の来日ツアーが6月に決定!
13年ぶりの新作『Cuidado Madame』のレコーディング・メンバー
を率いた垂涎のバンド・セットです!

世界中に熱狂的なファンを生んできた真の奇才音楽家アート・リンゼイ、NO WAVE以来のパンク精神と近年のコスモポリタニズムが最高次元で融合した13年ぶりの新作『Cuidado Madame(邦題:ケアフル・マダム)』のレコーディング・メンバーを率いたバンド・セットでの来日公演が実現! オールスタンディングによるライヴハウス公演は、東京ではかなり久々となります! 新作のレコ発ツアーということで、あのサウンドがどのようにライヴで再現されるのか、絶対にお見逃しなく!!

【公演情報】
ARTO LINDSAY Japan Tour 2017

■ 東京 6月23日 (金) WWW X
OPEN 18:30 / START 19:30
TICKET オールスタンディング ¥8,000(税込/別途1ドリンク)
※未就学児入場不可
一般プレイガイド発売日:4/8 (土)
(問) クリエイティブマン 03-3499-6669

■ 京都 6月24日 (土) 京都メトロ
OPEN 17:00 / START 18:00
TICKET オールスタンディング ¥8,000(税込/別途1ドリンク)
※未就学児入場不可
一般プレイガイド発売日:4/8 (土)
(問) 京都メトロ 075-752-2787

■ 大阪 6月26日 (月) 梅田シャングリラ
OPEN 18:30 / START 19:30
TICKET オールスタンディング ¥8,000(税込/別途1ドリンク)
※未就学児入場不可
一般プレイガイド発売日:4/8 (土)
(問) キョードーインフォメーション 0570-200-888

企画・制作・招聘:クリエイティブマン https://www.creativeman.co.jp/
協力:P-VINE RECORDS


【作品情報】

アート・リンゼイ/ケアフル・マダム
Arto Lindsay / Cuidado Madame
in stores now
PCD-25212
定価:¥2,500+税
★日本先行発売
★日本盤ボーナス・トラック収録

まさに世界待望! 前作『Salt』以来およそ13年ぶりにリリースされた奇才アート・リンゼイのオリジナル・ニュー・アルバム! 盟友メルヴィン・ギブスの参加やマリーザ・モンチとの共作のみならず、ニューヨークの新世代ミュージシャンたちとの邂逅がもたらしたアート流「アヴァン・ポップ」のニュー・フェイズ。NO WAVE以来のパンク精神と近年のコスモポリタニズムが最高次元で融合したソロ・キャリア史上屈指の名作が誕生した!

『別冊ele-king アート・リンゼイ──実験と官能の使徒』
編集:松村正人

in stores now
ISBN: 978-4-907276-73-7
本体¥1,850+税
160ページ

ブラジル音楽の官能、ノーウェイヴの雑音、アヴァン・ポップの華麗なる試み──多岐にわたるアート・リンゼイの音楽の全貌をたどる必読の1冊。幼少期から現在までを語った本人ロング・インタヴューを皮切りに、カエターノ・ヴェローゾとの特別対談も掲載! 日本はおろか世界にも類をみないアート・リンゼイを総覧する試み。


【Arto Lindsayプロフィール】

1953年アメリカ生まれ。3歳で家族とともにブラジルに引っ越し、17歳までを過ごす。77年にNYでノイズ・パンク・バンド:DNAを結成。翌年、ブライアン・イーノのプロデュースによる歴史的コンピレーション『NO NEW YORK』にDNAとして参加する傍ら、ジョン・ルーリー率いるジャズ・コンボ:ラウンジ・リザーズにも参加。11本だけ弦を張った12弦ギターをノンチューニングで掻き鳴らす独自の奏法が衝撃を与え、“NO WAVE”シーンの中心的存在となる。80年代にはピーター・シェラーとアンビシャス・ラヴァーズを結成し、NYアンダーグラウンド音楽とポップ・ミュージックの融合を実践。80年代後半からはプロデューサーとしても活躍し、カエターノ・ヴェローゾ、ガル・コスタ、マリーザ・モンチ、ローリー・アンダーソン、デヴィッド・バーン、坂本龍一、大貫妙子、宮沢和史などを手掛ける。他にも三宅純や小山田圭吾、青葉市子など、日本人アーティストとは親交が深い。95年からはソロ名義でのリリースを開始し、04年にかけて1~2年に1枚のハイペースでアルバムを発表。14年のライヴ盤付きベスト・アルバム『Encyclopedia of Arto』を挟み、2017年1月、約13年ぶりとなるオリジナル・アルバム『Cuidado Madame』をリリースした。

Basic Rhythm - ele-king

 ベーシック・リズムとは、イマジナリー・フォーシズ(Imaginary Forces)名義で知られるプロデューサー、アンソニー・J・ハート(Anthoney J Hart)の別プロジェクトである。彼はこれまでIF名義でノイズやテクノの作品を数多くリリースしてきているが、じつはワイリーと同い年で、ずっとジャングルをやってきたプロデューサーでもある。昨年リリースされたBR名義でのファースト・アルバム『Raw Trax』は、危うい緊張感のなかで見事にジャングルとミニマリズムを共存させた野心作で、ダンスと実験主義を今日的な感覚で両立させる稀有な1枚だった(昨年の『ele-king』年間ベスト号では23位に選出)。そのベーシック・リズムの2作目が、3月24日にドロップされる。リリース元は1作目と同じ〈Type〉。これはベース・ファンもテクノ・ファンも見逃し厳禁!

アーティスト:Basic Rhythm
タイトル:The Basics
レーベル:Type Records
リリース:2017年3月24日

[Tracklist]
A1 Suburban Bass
A2 E18
A3 Fake Thugs
A4 Silent Listener (Adore)
B1 Cool Breeze (Summer In Woodford Green)
B2 Blood Klaat Core
B3 Bury Him
B4 Night Moves

La Femme - ele-king

 なんだかよくわからない。なんだかよくわからないが、強烈に惹きつけられる。3月21日、フランスでいま最も注目を集めるバンド、ラ・ファム(La Femme)が昨年リリースされた新作を引っさげて来日する。ジーン・ヴィンセントやヴェルヴェット・アンダーグラウンド、クラフトワークやステレオラブといった名前が引き合いに出されるかれらの音楽を一言で表わすと……ロカビリー? シンセ・ポップ? なんだかよくわからないが、かれらの音楽がエキサイティングであることは間違いない。ジャケも独特の雰囲気を醸し出しているし、何よりこのフランス語のヴォーカルは英米のポップ・ミュージックに慣れ切ってしまったわれわれの耳に新鮮に響く。とにもかくにも3月21日、原宿のAstro Hallへ足を運んでかれらの正体を突き止めよう。

ヴィンテージな雰囲気と尖ったサイケ感が混在する
ローファイ・サーフ・サウンドに世界が大注目!
フランスの異才サイケ・パンク・バンド、ラ・ファムが
待望の2ndアルバムをリリース! 来日も決定!

■フランス屈指のサーファーの聖地ビアリッツでサーフ・ミュージックとヴィンテージ・ロック好きのSacha Got(ギター)とMarlon Magnee(キーボード)が出会い結成、パリ移住後、Sam Lefevre(ベース)、Nunez Ritter(パーカッション)、Noé Delmas(ドラム)、そしてフランス・ギャルやフランソワーズ・アルディなど往年のフレンチ・ポップ・シンガーを彷彿させるClémence Quélennec 嬢が加わり今の布陣となったラ・ファム(フランス語で「女、女性」)。2013 年のデビュー・アルバム『Psycho Tropical Berlin』がフランスのデジタル・チャート1位に登りつめ、多くの雑誌の表紙を飾り、数々の有名フェスにも出演、CMに楽曲が使用されるなど、フランスでいま最も注目を集めるバンドのひとつとなった。
■セカンド・アルバム『Mystère』でもその音楽的多様性は健在だ。シンセ・ポップからサーフ・ロック、ステレオラブっぽいインディ・ロック、バロック調に近いギター・チューン、西部劇のサントラ風、そして牧歌的なサイケ・サウンドまでが溶け合う独特の音世界を作り上げている。セクシャルなキワドイ歌詞も刺激的、そのスタリッシュなレトロ調のヴィジュアル、エネルギッシュでトリッピーなライヴ・パフォーマンスも相まって、パリのインディ・シーンで絶大な人気を誇る彼ら。3月には新作を引っ提げてアジア・ツアーを敢行、ついに来日も実現!

『Mystère』は今年度ベスト・アルバムの1枚。最近のインディ・バンドでは滅多にないクールなヴァイブを本作で放っている。
—『The Guardian』誌

大胆で、想像力に富んだ、そして時には、とても楽しいほど奇妙だ。
— 『Uncut』誌

【来日公演】
■3月21日:東京:Astro Hall


ASIA TOUR 2017 - LA FEMME JAPAN DEBUT
(powered by Kaïguan Culture)

2017年3月21日
HARAJUKU 『ASTRO HALL』
https://www.astro-hall.com/
〒150-0001 
東京都渋谷区神宮前 4-32-12
ニューウェイブ原宿B1
https://www.astro-hall.com/schedule/6001/

18: 00 - Door open - DJ nAo12xu (†13th Moon†)
19:00 - 19:30 : Who the bitch
20:00 - La femme - Live start
ADVチケット: 6,000円 (数量限定) Include 1 DRINK
DOORチケット: 6,500円 Include 1 DRINK

チケット取扱店リスト:
https://la-femme-live-in-tokyo.peatix.com

https://www.lafemmemusic.com

アーティスト:LA FEMME
タイトル:Mystère
レーベル:Disque Pointu
フォーマット:CD / 2LP
品番:ZOD-006 (CD) / BB-086 (2LP)
バーコード:3700551781911 (CD) / 3521381539325 (2LP)

[TRACK LIST]
1. Sphynx
2. Le vide est ton nouveau prénom
3. Où va le monde
4. Septembre
5. Tatiana
6. Conversations nocturnes
7. S.S.D
8. Exorciseur
9. Elle ne t'aime pas
10. Mycose
11. Tueur de fleurs
12. Always In The Sun
13. Al Warda
14. Psyzook
15. Le chemin
16. Vagues

Gaika - ele-king

 こんばんは。良いお天気ですね。水カンのレヴューで盛大にディスられている小林です。どうやら僕は〈Warp〉しか聴いていないそうです。だったらもう開き直って、どんどんその道を突き進んじゃおうと思います。

 昨年レヴューを書こう書こうと思いながら、なんやかんやあってタイミングを逃してしまった作品のひとつに、ガイカ(Gaika)の「SPAGHETTO」がある(もうひとつはロレンツォ・セニ)。リアーナやドレイクといったメジャー勢をはじめ、ダンス/クラブ系で圧倒的な存在感を放ったイキノックスなど、2016年の音楽シーンを特徴づける潮流のひとつにダンスホールがあったわけだけれど、ガイカの「SPAGHETTO」はまさにそのトレンドを踏まえた12インチで、「いつも少し遅いがポイントははずさない」という〈Warp〉の流儀が見事に詰め込まれた1枚だった(ジャム・シティも参加)。
 ガイカはヒップホップやダンスホールから影響を受けたブリクストンのプロデューサー/ヴォーカリストで、マーケイジ(Murkage)というグループの一員でもある。これまでにケレラやダークスターの作品に客演したり、ミッキー・ブランコやディーン・ブラントとコラボしたりしながら、すでに2本のミックステープを発表している。そんな期待の新人が、来る4月に初の来日を果たす。会場はCIRCUS TOKYO(4月8日)とCIRCUS OSAKA(4月9日)。ロレンツォ・セニとともに今後の〈Warp〉の方向性を占うアーティストである彼のパフォーマンスを、こんなにはやくチェックできる機会に恵まれるとは。

 僕は行きますよ。悪いけど、いまはJ-POPに割いている時間なんてないんでね(でも宇多田は好き)。というか、ナンセンスは結局「ナンセンス」というセンスを持ってしまうんですよ。わかります?

水曜日のカンパネラ - ele-king

(菅澤捷太郎)

 我らがエレキング編集部はJ-POPに疎く──(こういうことを言うと、「敢えて」だそうで、編集長いわく「方針として海外文化の紹介を優先させている」そうであります)、2月の、まだまだ寒い、どんよりした曇りの日のこと、このままでは世間から見はなされるのではないかという不安に駆られたのである。誰が? 編集部の周辺、とくに泉智と野田のあいだでは、宇多田ヒカルvs水曜日のカンパネラという不毛な言い争いがあるようで、もういい加減にして欲しい。ビートルズのTシャツを着ながら言うのもなんだが、ぼくは編集部で唯一の20代だ。少なくとも〈Warp〉しか聴いてないような小林さんよりはJ-POPについて知っている。知っているどころじゃない。コムアイに足を踏まれたこともあるぞ!
 昨年の7月8日、代官山UNITだった。参議院議員選挙に向けたイベント『DON’T TRASH YOUR VOTE』。ぼくはイベントにザ・ブルシットのドラム担当として出演した。終盤ではSEALDsのメンバーがステージに上がり、選挙に向けたスピーチをおこなった。そのとき飛び入りしてマイクを持ったのがコムアイだった。
 で、彼女は開口一番、「さっきまで××に出てたんだけど、いてもたってもいられなくて来ました! こっちのほうが本番でしょ!」と言い放ったのである。その日彼女は某音楽番組に生出演していた。番組終了後イベントに直行した。会場は大盛り上がりだ。まさか、あのコムアイがやって来て、そんなことを口にするとは思ってもいなかったからだ。
 スピーチを終えたコムアイはステージから降りると、ぼくの目の前でしばらく他愛もないような会話をしていた(当然ながら、彼女はぼくのことなぞ知らない)。そして、談笑を終え立ち去ろうとした彼女は、その第一歩目をぼくの足の上に着地させてしまったのである。うぉ。ぼくはその感触をいまでも忘れない、と言ったら変態だろうか。彼女は「あ、すいませーん!」とハニカミながら去った。
 こうして、ぼくは水曜日のカンパネラを意識するようになった。ナンセンスなラップとエキセントリックなキャラクターでのし上がってきた彼女が、あのステージでスピーチをしたこと。しかも「こっちが本番だ」と言ったこと、ぼくと水曜日のカンパネラの距離は縮まったのである。
 さて、それで話題の新作『スーパーマン』である。すでにいろんなメディアに大々的に露出しているので、多くの方もご存じだと思うが、新作には、前作『UMA』でみせた脱J-POPとでも言えるような展開はない。よりポップに、より開かれた音楽として昇華しようとする水曜日のカンパネラのスタンスがはっきりと明示されている。
 サウンドの面だけでない。ナンセンスな歌詞とそれを成立させてしまうコムアイのキャラクターもそうで、“一休さん”のラップには洗練されすぎないことの美学がある。“チンギス・ハン”における(ラム肉料理の)のバカバカしさにもその美学を感じる。
 また、ぼくはコムアイのラップには独特のグルーヴを感じるのだ。例えば、今作における私的ベスト・トラックであるフューチャー・ガラージ調の“オニャンコポン”での弾けるような「ポンポンポポンポン」の言い回し。クワイトのリズムを採り入れた“チャップリン”での後ろにモタるような言葉のはめ方など素晴らしいし、ほかにも随所においてコムアイのスキルが発揮されている。今作の聴きどころのひとつである。
 たまに思うのだが、コムアイが先述のイベントで「こっちのほうが本番でしょ!」と言い放ったことは、果たして本気だったのだろうか。メディアでエキセントリックなキャラクターを演じながら、ナンセンスなラップを繰り返し吐き続ける彼女を見ていると、あの夜に出会った彼女と同一人物だということをつい忘れてしまうときがある。しかし、コムアイは戦略的なナンセンスによって、声を勝ち取ろうとしているのだ。メディアでナンセンスな水カンを見て油断しているぼくらは、思いがけないタイミングで食らわされる政治的発言や行動にノックダウンされる。ナンセンスによってこの社会と繋がる。それが水曜日のカンパネラの戦い方なんですよ、小林さん。わかりましたかぁ?

菅澤捷太郎

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(野田努)

 ハローキティには口がない──と海外のある思想家は指摘する。J-POPエキゾティシズムは、洋学的な広がりからいえば明白に孤立しているが、向こうからみればこっちが孤立しているわけで、兎にも角にも今日の消費社会において、立派に、堂々と、それはひとつの棚を確保している。そんなJ-POPにおける日本のキュート・ポップ文化はいまや世界を一周して、たとえば鏡を見ればケロ・ケロ・ボニトがいる。この──おかしくてキュート、そして清楚な──ポップ文化に、ぼくはときとして笑い、と同時にどこか居心地の悪さも覚える。ハローキティには口がないことに。
 コムアイには口がある。ラップはうまければいいってもんじゃないことも、結果、あらためて証明した。まずは下北ジェットセットに感謝だ。このレコード店で「トライアスロン」の12インチが売られていなかったら、こうしてぼくがレヴューを書くこともなかったのだから。
 コムアイには何かがある。海外で面白がられているエキゾティックでキュートなJ-POPではない何か……、そこからむしろはみ出そうとする型破りな何か……、そのほとんどが旧来の女性像を壊せなかった90年代ディーヴァたちとは違った何か……、90年代的自由奔放さを打ち出したビョークともUAとも違った何か……、ザ・ブルシットの内省とは違った何か……。
 とは言うもの、今回の水曜日のカンパネラが選んだ綱渡りは、音の冒険ではない。言葉の深みでもなければ、もちろん時代や社会の語り部でもない。そうした深刻さ、意味から解放されることなのだろう。ぼくが「トライアスロン」EP収録の“ディアブロ”で大笑いしたのも、世界は重苦しく政治や社会はたいへんで、正直ナンセンスに飢えていたというのもあった。
 そして、だが、新作において水曜日のカンパネラが選んだ綱渡りは、ポップ・チャート・ミュージックとしてのそれだろう。自分たちのサウンドを微調整しながら曲調の幅を持たせてはいるが、本作を聴く限りでは、前作で関わったマシューデイヴィッドやオオルタイチといった連中から何かを吸収したとは思えない。カタチだけ取り入れても意味はないし、毒を抜いた洋楽になるくらいなら……賢明そうな彼らのことだ、そう考えたのかもしれない。
 多くの曲はせっかちなダンス・ミュージックで、その音色においてお茶の間との回路を保ち、基本メロディアスである。当たり前だがMC漢のようなドープネスはなく、背徳のクラブ・ダンスフロアとはまずつながらない。まあ、J-POP的リング上ではある……が……、コムアイはそのなかでもあらがい、どこか異彩を放っているのは事実で、そして彼らはいまもウェットさを拒んでzany(滑稽さ)とnonsense(無意味さ)を追求している。その方向性は、J-POP──拒絶も否定もない特異な文化空間として完結することを裏切らんとし、じつは他との接続を求めているがゆえにほころびを探し、もちろん日本のキュート・ポップ文化から切り離され、数年後のヴァラエティ番組のゲスト席ないしはハローキティと草間彌生の水玉との境界線がぼやけるところを尻目に、ひたすら突っ走っている……のだろう。が、どこに? レイヴ会場? いやまさか。

野田努

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(仙波希望)



 もはや「水カン」は社会現象と言っても過言ではない。「ねぇ、水曜日のカンパネラって知ってる?」「知ってる。『いま』流行ってるやつね、なんだっけ、きっびっだーんのやつ」「そうそう」みたいな学校や職場での会話は容易に想像できるし、コムアイは私立恵比寿中学とコラボレーションした『FNS歌謡祭』や『ミュージックステーション』などに登場。音楽番組のみならず、『めざましテレビ』や『スッキリ!!』といった朝の情報番組にも出演を果たした。「J-POPなき後のJ-POP」における、新たなるミューズと化したコムアイの姿は、フォトジェニックな存在として幾多もの雑誌の表紙を飾ることも納得できよう。

 と、このように書くといつの時代の話だ、と錯覚してしまうかもしれない。満を持して発表されたメジャーでのファースト・フル・アルバムとなる『SUPERMAN』。本作のリード・トラック“一休さん”の歌詞にある「レインボー・ブリッジ、封鎖できません」――すなわち『踊る大捜査線』がふたつ目の映画化をはたしてしまった頃、それはJ-POPマーケットがまさに「終わりの始まり」を迎えた時期にあたる。指摘されすぎた事柄でもあるが、一般社団法人日本レコード協会の定点観測によれば、「CDシングル・アルバム」市場はおおよそミレニアムを境目に縮小を続けている。ゴールデン・タイムを占めていた「ランキング型」の音楽番組の多くは、その後を追うかのごとくお茶の間から退出する。例を挙げれば、『THE夜もヒッパレ』が終わったのは2002年、『速報!歌の大辞テン』の終了は2005年。いみじくもその2005年に YouTube は設立される。

 周知の通り、これ以降「J-POP」をめぐる状況は大きく様変わりした。無論それは「J-POP」というカルチャー自体の終焉を示すものではない。

 時代錯誤な用語使用を許してもらえれば、水曜日のカンパネラはたしかに「メディア・ミックス」の寵児だ。だが、彼女たちが遂行してきた戦略自体はアップデートされた「いま」のものである。2012年のβ版の時期から積み重ねられた YouTube 上のオフィシャル・ミュージック・ビデオの数々は、徹底した作りこみ、それぞれが異なる独特な世界観、そして累積された結果としてのアーカイヴ性をもってして、もしかすると新手のマーケティングの教科書に成功事例として掲載されてもおかしくないほどの成功をおさめ(「きっびっだーん」の“桃太郎”は2017年3月現在で1,500万再生にも届こうとしている。およそ8年前、そういえば前作『UMA』に参加した Brandt Brauer Frick も“Bop”のMVが YouTube 上で大変話題になった、しかしこちらは90万回再生)、冒頭に記した「水曜日のカンパネラって知ってる?」という質問に万が一答えられなかった人のためには、Google の検索窓の先に、驚くほど膨大な数のインタヴューが用意されている。水曜日のカンパネラを知らないままではいることのできない状況が広がっている、というのは、やはり過言ではないだろう。

 この「ポストJ-POP」的状況のなかで、水曜日のカンパネラはきわめて戦略的な姿勢を崩さない。Perfume に続くかたちとなったSXSWやシンガポールのフェスへの参加など、グローバル展開への睨みを保ちつつ、他方で3月8日にはアンシャン・レジームの象徴とも言える日本武道館でのライヴを成功裡に導いた。かつてのサクセス・ロードをトレースしつつも、「これまでとは異なる」像を追求し続ける。堅実にも積み重ねられた差異を武器に、「水カン」というムーヴメントはひとつの到達点に近づきつつあるように見える。

 そして『SUPERMAN』は――繰り返しになるが――「満を持して」上梓された。“桃太郎”や“ディアブロ”で見られた過剰さは後退し、全編ケンモチヒデフミが手がけた曲たちは、これまでの水曜日のカンパネラの延長線上に位置する、ビート・ミュージックに目配せしたハウス・トラックとして並んでいる。確かに歌詞は旧来通り風変わりだが、かつてその中身を占めていた「サブカル」要素は影を潜めた。例えば“モスラ”はその名の通り過去の「モスラ」シリーズへの深すぎる言及、“桃太郎”ではレトロ・ゲームからの参照など、楽曲ごとに所定のテーマからの専門用語を偏執的なまでに歌詞へ詰め込むのが「水カン」の常套句となっていたが、本作では“アラジン”でマニアックなホームセンター用品/メーカーが登場するものの、全体としていままでの「サブカル」的ジャーゴンは後景に退いている。「サブカル」の一聖地である下北沢ヴィレッジ・ヴァンガードをホームとした「水カン」の姿はここにはない。そのプロジェクトの性質の色をリプレゼントするように、より「開かれた」かたちとしての「水カン」を聞くことができる。

 しかしこの「開かれた」かたちとは、また同時に「閉じた」ものでもある。いかなる意味か。先ほど登場した Perfume であれば、(パッパラー河合からバトンタッチした)「中田ヤスタカ」というプロデューサーを媒介に、「ポリリズム」発売時に席巻していたエレクトロ・ムーヴメント、もしくは CAPSULE などの別プロジェクトへと容易に遷移することが可能であった。しかし、「水カン」を聞いたうえで、ケンモチヒデフミを通して Nujabes へ、もしくは前作『UMA』に参加した Matthewdavid からLAビート・シーンへ、Brandt Brauer Frick から〈!K7 Records〉へ、Cobblestone Jazz へ、といった聴取姿勢は想定されていないだろう。全ての要素は、「水カン」というプロジェクト自体へと還流される。本作『SUPERMAN』では、コムアイ自身が同作のインタヴューで繰り返す「スーパーマンが不在の現代日本」というイメージのもと、選定された古今東西の「スーパーマン」でさえ、周知の「水カン」色を触媒に、またプロジェクトの内側へと取り込まれている。端的に言えば、水曜日のカンパネラは、音楽的係留点としての機能を追い求めてはいない。

 ここで冒頭の描写に戻りたい。「水カン」はひとつの社会現象であり、コミュニケーションの中継地点であり、メディア環境に点在する存在となりつつある。誰にでも開かれた存在として/それだけで完結した存在として。何かしらのシーンから生み出された存在でなくとも、それ自体がひとつのムーヴメントとして。水曜日のカンパネラはだから、「ポストJ-POP」的時代の最中、また異なる解答を生み出そうとするプロジェクトである。メディアの寵児な「だけ」ではなく、奇抜さや楽曲の本格さ「のみ」を、もしくはコムアイの可憐さ「ばかり」を売りにするものではなく、その道途の先を見据える「異種混肴(heterogeneity)」的な姿勢そのものこそが、「ポストJ-POP」的なるものを内包している。

仙波希望

ハリウッドの地獄から西ドイツ・ベルリンへ、
多くの謎に包まれた1975年から1978年までのデヴィッド・ボウイを追う。
ベルリン3部作の背後に横たわる物語がいま明かされる──

デヴィッド・ボウイが、2016年1月10日、自らの死を想定して作られた新作『ブラックスター』をリリースした2日後に他界し、世界中に衝撃を与えたことは記憶に新しい。

長いキャリアのなかで多くの名作を残しているデヴィッド・ボウイだが、70年代のなかばアメリカに渡り、そして強度のコカイン中毒のなかで衰弱しながら、そしてベルリンへと移住して生まれることになる、通称「ベルリン3部作」──『ロウ』、『ヒーローズ』、『ロジャー』──は、ボウイのキャリアのなかのもうひとつのクライマックスとして知られる。

本書は、そのベルリン時代にスポットを当てた評伝である。じつに深い内容の、ファン待望の1冊と言える。


目次

   INTRODUCTION

 1 地獄から来た男
   THE MAN WHO CAME IN FROM HELL
 2 ボウイ教授のキャビネット
   THE CABINET OF PROFESSOR BOWIE
 3 『ロウ』、あるいはスーパースターの医療記録
   LOW, OR A SUPERSTAR’S MEDICAL RECORDS
 4 新しい街、新しい職
   NEW CAREER, NEW TOWN
 5 崖っぷちのパーティ
   THE PARTY ON THE BRINK
 6 デヴィッド・ボウイを見たかい?
   DID YOU SEE DAVID BOWIE?
 7 ヒーローズ
   HEROES
 8 さらばベルリン
   GOODBYE TO BERLIN

結び 彼は今どこに?
   CODA: WHERE IS HE NOW?


ロック画報読本 鈴木慶一のすべて - ele-king

鈴木慶一ミュージックは、北野武映画の「ヘソ」である。
――北野 武

★鈴木慶一未発表音源9曲54分! CD付き

2011年12月にムーンライダーズの活動休止を宣言した鈴木慶一。
その後、北野武監督の映画『アウトレイジ・ビヨンド』や
蜷川幸雄の舞台音楽を手がけるなど、ミュージシャンとしての活動はますます盛ん。
バンド、ソロ、ユニット、プロデュース(原田知世ほか)、
映画音楽(『アウトレイジ』、『座頭市』、『ゲゲゲの女房』、ほか)、
劇伴(蜷川幸雄、ほか)、CM音楽など、
幅広い音楽活動を網羅し、多面的な魅力を持つ鈴木慶一の本質に迫る!

ムーンライダーズからはちみつぱい、Controversial Spark、No Lie-sense、
THE BEATNIKS、ソロ作品、映画音楽、ゲーム音楽、プロデュース作品など、
テーマごとにまとめた章構成。

関連ミュージシャンのインタヴュー、昨年の話題作『Records and Memories』まで、過去の評論なども掲載。事務所秘蔵のビジュアル要素も豊富に掲載し、鈴木慶一の全仕事をアーカイヴ化したクロニクルとなっています。

さらに旧友であるイラストレーターの矢吹申彦氏の表紙で。

■Photos and Memories
■鈴木慶一インタヴュー
■アクティヴな音楽家としての鈴木慶一
■はちみつぱいと鈴木慶一
■ムーンライダーズと鈴木慶一
■ビートニクスと鈴木慶一
■鈴木慶一の歌詞からみる情けない男の系譜
■活動年表(14頁)
■インタヴュー:ゴンドウトモヒコ/曽我部恵一/高橋幸宏/鈴木博文/田中宏和/森昌行/藤本榮一/KERA/konore
■そして60頁にも及ぶ鈴木慶一関連のディスク・ガイド!
■未発表音源多数収録CD付き

Gábor Lázár - ele-king

 マーク・フェルやラッセル・ハズウェルなどとコラボレーション・アルバムをリリースし、そのうえロレンツォ・セニの〈プレスト!?〉からアルバムを発表しているなど、現在のエクスペリメンタル・ミュージック・シーンにおける(隠れた?)キーパーソン、ガボール・ラザールが〈シェルター・プレス〉からソロ・アルバムをリリースした。〈シェルター・プレス〉は、フランスはブルターニュを拠点として、個性的な電子音楽/エクスペリメンタル・ミュージック作品をコンスタントに送り出しているレーベルである。

 それにしても「危機の表象」とは、なんとも意味深なアルバム・タイトルではないか。じっさい、その名が示すように、本アルバムにおいては、どの曲もグリッチされたテクノの残骸が高速に展開していくわけである。となれば、この「危機の表象」とは、グリッチ・サウンド/ノイズのことだろうか。それを示すかのように、アルバム全曲に“クライシス・オブ・リプレゼンテーション”と共通の名前が付けられており、それぞれ「#」記号のあとに、1から8までがナンバリングされている(“クライシス・オブ・リプレゼンテーション #8”はCD盤ボーナス・トラック)。
 じじつ、このアルバムの各トラックは、ノイズ・モチーフが反復され、そしてそれが少しずつ壊れていく構成になっている。まるでグリッチ・ノイズ・サウンドの実験報告のような構成である。エラーの生成がリズムとなり、刺激的な電子ノイズ・サウンドを生成・展開していくのだ(ちなみにマスタリングはラシャド・ベッカー)。

 一聴して分かるように、本作は、SND/マーク・フェル直系のサウンドである。しかしグリッチが、新奇性やフェティシズムの対象ではなく、手法として「当たり前のもの」として存在している点に注目したい。オートマティックでありながら、じつに流麗にコンポジションなされているのである。「無意識」をコントロールするかのように。
 むろん、これはガボール・ラザールだけの特質ではない。たとえばリー・ギャンブル、イヴ・ド・メイ、ロレンツォ・セニなど、新世代エクスペリメンタル・テクノ・アーティスト全般の特徴といえる。彼らはテクノ・アーティストでありながら、同時に(90年代末期から)00年代初頭のグリッチ・サウンドに多大な影響を受けている世代なのである。じじつリー・ギャンブルは〈エディションズ・メゴ〉のマニアだという。
 そう、この10年代初頭においてエクスペリメンタルな電子音響/テクノを創りだしているアーティストたちは、テクノという形式を愛しながらも、しかしそれがグリッチというエラー・ノイズで破壊されていくさまから始まっている。いわば、あらかじめ引き裂かれた「表象の危機」の世代。その「危機」への感覚は、グリッチ以降を生きる者を貫通する意識/無意識ではないかと思う。
 前提となるべき条件がすでに壊れていること。この『クライシス・オブ・リプレゼンテーション』において生成するグリッチ・ノイズは、壊れた時代・世代における(無)意識の発露とはいえないか。私には、この精密で整ったグリッチ・サウンドに、今の時代特有の引き裂かれた無意識と、しかし、その意識を「引き裂かれたまま」統御しようとする強い欲望=意志が感じられてならないのである。

 また、アートワークを手掛けるのは ソフィア・ボダ(Zsófia Boda)。彼女の作品もまた「壊れていることが前提」という時代のアトモスフィアを感じさせる(https://zsofiaboda.tumblr.com/)。こちらも必見だ。


Rebound Tenderness No.2

interview with Lawrence English - ele-king


Lawrence English
Cruel Optimism

Room40

AmbientDroneExperimental

Amazon Tower HMV iTunes

 昨年のニューエイジ・ブームが、その現実逃避性をもって2016年という年の混乱を象徴していたのだとすれば、それとはまた別の形で世界の歪みを映し出す音楽もある。ドローンがそれだ。シドニー、メルボルンに次ぐオーストラリア第3の都市・ブリスベンに暮らす音楽家ローレンス・イングリッシュは、ためらうことなく「音楽は政治的である」と言い切る。彼の最新作はシリアの情勢やブラック・ライヴズ・マター、あるいはブレグジットや大統領選挙などから刺戟された作品だそうで、なるほど、たしかに『Cruel Optimism』が響かせる漆黒の音の連なりは、今日の世界の不穏なムードを一身に引き受けているかのようだ。『残酷な楽観主義』というタイトルの訴求力も群を抜いている。

 かつてわれわれは紙の『ele-king vol.7』で「ノイズ/ドローンのニューエイジ!」という特集を組んでいるが、ローレンス・イングリッシュが頭角を現してきたのもまさにそのような文脈においてである。ローレンス本人が自らの代表作と見做している2008年の『Kiri No Oto』はいまでも根強い人気を誇っているし、2014年にリリースされた『Wilderness Of Mirrors』はその年の『FACT』誌のベスト・アルバム50に選出されて話題となった。一昨年はデヴィッド・リンチの写真展覧会のサウンドトラックを手がけるなど、彼はすでに海の向こうにおいて大物の地位を築いていると言っていい。またそういった音楽制作と並行して彼は、自身の主宰する〈Room40〉からさまざまなアーティストの作品を世に送り出してもいる。ベン・フロスト、オーレン・アンバーチ、テイラー・デュプリー、ティム・ヘッカー、リュック・フェラーリ、グルーパー、デヴィッド・トゥープ……これらの固有名詞を並べるだけで、いかに彼が卓越したキュレイターであるかが見てとれよう。他方で〈Room40〉はツジコノリコやテニスコーツ、畠山地平といったアーティストの作品も数多くリリースしており、ローレンスとここ日本とのつながりはことのほか深い(ちなみに畠山地平は『ele-king vol.14』でローレンスにインタヴューをおこなっている)。

 そんな彼のバックグラウンドをより深く掘り下げるべく、われわれはいくつかの質問をブリスベンへ向けて送信した。彼はそれらの問いに快く、丁寧に、真摯に答えてくれた。彼の鳴らす重厚なドローンはどのようにして生み出されたのか。なぜ彼は音楽が政治的であると考えているのか――。ローレンス・イングリッシュは、ひとりの人間が抱えるにはあまりにも大きすぎる希望を抱いている。その希望の片鱗を、あなた自身の目で確認してほしい。

私は、音と音楽の可能性はすべての人に届くと非常に強く信じています。要は、人びとがいかに良き文脈と機会を通じて、有意義に音楽とのつながりを持てるか、ということです。

日本ではまだローレンス・イングリッシュという音楽家/キュレイターの存在を知らない方も多いと思いますので、まずは基本的なことから伺わせてください。あなたが〈Room40〉をスタートさせたのは2000年です。また、あなた自身の最初の作品『map51f9』が世に出たのは2001年です。1976年生まれとのことですが、それまではどのように過ごされていたのですか?

ローレンス・イングリッシュ(Lawrence English、以下LE):私はクイーンズランドのブリスベンで育ちました。さまざまな意味で、私の成長過程の話はブリスベンという都市の成長の話と重なります。70年代後期から80年代初期、クイーンズランドは政府からの退行的な圧力に苦しんでいました。その後、その傷跡から回復の兆しを見せるまで、およそ10年の月日がかかりました。1990年に私は初のファンジンと、のちに最初のレーベル、そして〈Room40〉へと至る、小さなカセット・レーベルを始めます。同時期にインダストリアル・バンドでも演奏をしていましたが、1997年には収束し、1998年からソロ・ワークとして本格的に実験的な試みを始めました。この時期はとてもおもしろい時期で、ステージのセッティング時期とも言えるでしょう。

音楽をやっていこうと思うきっかけのようなものはあったのでしょうか?

LE:初めは音そのものに興味があり、その後音楽へと移行しました。子ども時代のあらゆる体験から音に興味を持ちましたが、やはり特にバードウォッチングからのものが大きいでしょう。ヨシキリという素晴らしい声を持つ、見つけにくい小さな鳥がいます。ある日、沼地に隠れるヨシキリを双眼鏡で探していたのですが、そのとき父が私に、目を閉じて鳥の声に耳を澄ますようにと言いました。耳で鳥の居場所を感知してから、その姿を探すようにと。結果、鳥を見つけることができました。私たちの耳が、この世界を知覚するツールとしてとても可能性に溢れている、ということに気づく体験でした。この頃から、音と音楽の世界が拓かれていくのを感じました。

あなたの音楽的なルーツはどこにあるのでしょう? 音楽家として、もっとも影響を受けたアーティストを教えてください。

LE:音楽でないものから影響を受けることが多いです。いつも読書をして、自分の思考を可能な限り押し広げるようにしています。たとえば最近は、「緩やかに消失する未来(slow cancellation of the future)」という挑発的な主張を持つ、フランコ・ベラルディ(ビフォ)(註:アウトノミアの運動で知られるイタリアの思想家)の作品を読んでいます。彼は、進歩と資本主義の成長に根ざした20世紀の政治的な願望として想像する未来は、もはや有効ではないと主張しています。こういった挑発的な思考が、私の作品制作にとって最も重要だと考えています。もちろん私は音楽を愛していますが、音楽がいつも作品制作に直接的に影響するとは考えていません。

〈Room40〉は、ツジコノリコやテニスコーツ、畠山地平やminamoなど、日本のアーティストの作品も多くリリースしています。あなたがプロデューサーを務めているアルバムもありますよね。ほかにもあなたは鈴木昭男とコラボしたり、最近では福岡のレーベル〈duenn〉のコンピレイションにも参加したりしていますが、日本の音楽に興味を持つきっかけとなるようなことがあったのでしょうか?

LE:オーストラリア人として、日本は最も近い近隣諸国のうちのひとつである、ということを強く感じます。東京までは9時間なので、比較的近いと言えます。私個人としては、日本には、鈴木昭男や灰野敬二、メルツバウ(Merzbow)に代表されるような、とても特殊で極端に個性的な音へのアプローチがあると感じます。それは人生を通じての実践への深い考察に根ざしていて、私の「人生において実践と芸術はどのように発展を遂げるのか」という、深い興味の対象に通じます。また、水琴窟や、鶯張り(城への敵の侵入者を知らせる仕組み)に代表されるような、日本に存在する歴史的な音へのアプローチに非常に惹かれます。武満(徹)の作品もしかり。特に彼の音に関する著述は、注目せずにはいられません。日本には素晴らしい多様性があり、吸収すべきものがあります。

あなたの日本とのつながりや、実験的なものからポップなものまで手がけるそのスタンスは、どこかジム・オルーク(Jim O'Rourke)の活動を想起させる部分があります。彼がBandcampで展開している『Steamroom』シリーズの第29作では、〈Room40〉の15周年記念フェスティヴァルのために作られたセクションが含まれているようですが、彼と交流はあるのでしょうか? 彼の音楽や活動についてはどう思っていますか?

LE:私はジムを最高にリスペクトしています。彼の同時代のミュージシャンのなかでも、最も重要な人物のひとりだと思います。驚くべきほど豊かな電子音楽を創り出し、ウィットに富んだ詩を書き、インスピレイションを与える、いわゆる本物のアーティストです。彼から仕事を委託されたことはとても光栄でしたし、彼の作品をストックホルムやシドニー、ブリスベンへ普及できたことはとても嬉しいことでした。素晴らしい機会でした。

あなた自身や〈Room40〉の作品、あるいはオーレン・アンバーチ(Oren Ambarchi)のような実験的な音楽は、オーストラリアではどういう位置づけなのでしょう? 日本では、ミュージック・ラヴァーを除く大多数の一般の人びとは、チャートに入っている音楽だけで満足してしまい、そこから幅を広げようとはしないのですが、それはオーストラリアでも同じなのでしょうか?

LE:おそらくそれはどこでも同じでしょう。私は、音と音楽の可能性はすべての人に届くと非常に強く信じています。要は、人びとがいかに良き文脈と機会を通じて、有意義に音楽とのつながりを持てるか、ということです。

『Airport Symphony』(2007年)はブライアン・イーノ(Brian Eno)の『Music For Airports』へのオマージュだそうですが、イーノについて、また彼が創始した「アンビエント」というコンセプトについてはどうお考えですか?

LE:私はブライアンに多くの敬意を抱いています。私は彼を、思想家でありミュージシャンであると考えています。他のアーティストと制作をする際に、皆を見事に親和させる彼の能力には畏敬の念を感じます。彼は、人びとの作品の多様な側面を解き明かし、サポートする方法を知っていて、私たちそれぞれにとってとても有益なことです。数年前に彼と一緒にランチをしましたが、彼はとてもオープンな姿勢を持っていて、そのことが人びとに、普段のアプローチとは違う方法で新たなものを発見するスペースを与えるのだろうと感じました。ボウイのレコードを聴くだけでも、その音から素晴らしいパートナーシップを感じることができます。「アンビエント」についてですが、音と音楽へのアプローチの仕方として、素晴らしい表現手法だったと思います。ハリー・ベルトイア(Harry Bertoia)の音響彫刻作品にも明らかにルーツを持つでしょう。ベルトイア、イーノのふたりとも、私たち自身を巻き込む、特殊な共鳴空間を創り出すことに関心を示しています。

他方であなたは『For / Not For John Cage』(2012年)という作品も発表しています。ケージについてはどうお考えなのでしょうか?

LE:ケージを忘れることはできません。彼は20世紀最初の偉大な音への挑戦者でした。彼の暖かい笑顔と、問い続ける姿勢、このふたつの印象は私の心に刻みつけられています。彼は疑いなく伝説的な存在であり、彼の精神は時を超えて残り続けるでしょう。

あなたは〈A Guide To Saints〉というカセットテープに特化したレーベルも運営されていますよね。カセットテープというフォーマットに対する何か特別な思い入れのようなものがあるのでしょうか?

LE:音楽との出会い方という意味で、メディアは非常に影響力のあるものだと感じます。物体としてのメディアは、音響だけではなく表意的な一連の意味合いを包み、音楽の物理的なインターフェイスは、私たちと音楽とのつながりを形作ります。私にとってカセットは、唯一の線状の音楽メディアでした。レコードやCDでは、実際に早送り機能を使うことはほとんどなく、スキップを使用しますが、テープではこれは不可能です。私はある種の音楽はテープで聴いた方がより良いと感じます。

ヴェイパーウェイヴというムーヴメントについてはどうお考えですか? ヴェイパーウェイヴの作品はカセットテープで発表されることが多く、形態の上では〈A Guide To Saints〉と同時代性があるように思えるのですが。

LE:いくつかのリリースは大好きです。とても興味深いムーヴメントです。

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差異のなかでひとつになること。私はこのアイデアを『Cruel Optimism』のライヴ・セットでさらに探求することに興味があります。


Lawrence English
Cruel Optimism

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このたびリリースされた新作『Cruel Optimism』には、『A Colour For Autumn』(2009年)にあったような穏やかさやぬくもりはありません。また、『Kiri No Oto』(2008年)の寂寥感・荒涼感とも異なる雰囲気を持っています。他方で『Wilderness Of Mirrors』(2014年)の重厚なノイズ/ドローンとは共通する部分があるように聴こえたのですが、本作を制作するにあたりレコーディングやプロダクションの面で最も力を入れたこと、または注意を払ったことは何でしょう?

LE:『Cruel Optimism』では、いままでのレコード制作の方法を覆したいと考えていました。今回私は多くの音をスタジオ録音し、また、変換やメッシングなど、全範囲におよぶ新たな音編集の方法を開発しました。構成においても、過去の録音で実験した密度と高調波の歪みを高めたいと考えていました。また、レミー(・キルミスター、Lemmy Kilmister)の引用句のヴァリエイションとして「他のすべてのものよりも密度の高いものすべて」ということを念頭に置いていました。もともとは「他のすべてのものよりもラウドなものすべて」です(註:モーターヘッドに『Everything Louder than Everyone Else』というタイトルのライヴ盤がある)。私が制作の過程で気づいたことは、密度(density)と大きさ(amplitude)に関係性をもたせる必要はないということです。非常に高密度で静かな音楽を創ることが可能であり、その一方で、非常に高密度で激しい音楽を創ることができます。これらの側面がどこまで拡張できるのかを試してみたのですが、この試みはとても実りあるものとなりました。

『Wilderness Of Mirrors』を制作しているときにスワンズ(Swans)の影響を受けたそうですが、この新作にはそのスワンズのノーマン・ウェストバーグ(Norman Westberg)やソー・ハリス(Thor Harris)が参加しています。またザ・ネックス(The Necks)のトニー・バック(Tony Buck)やクリス・アブラハム(Chris Abrahams)も関わっていると聞いています。かれらとはどのように出会ったのですか? また、かれらはこのアルバムでどのような役割を果たしているのでしょう?

LE:私がミュージシャンにアプローチするのは、彼らの音楽作品のなかに非常に特殊なクオリティを耳にしたからです。例えばクリス・アブラハムは、そのプレイのなかに素晴らしいハーモニーのセンスを感じさせます。それは、つねに探求し続けているかのような落ち着かないハーモニーでもあるのですが、その点でクリスの作品はとても魅力的です。同様にソー・ハリスも素晴らしいハーモニーのセンスを持っていますが、それは私のものとは完全に異なるものです。彼は、いままで私が聴いたことのない関連性を音楽に持ち込むマジシャンのようです。ヴァネッサ・トムリンソン(Vanessa Tomlinson)というコラボレイターは、今回のレコードで私にとって未開のゾーンを拓いてくれました。(打楽器の)皮を共鳴させる彼女の能力は、真に強力でとても個性的です。彼らそれぞれが創り出すものがとても個性的であること、それこそが彼らミュージシャンを結びつけるのだと私は考えます。彼らの決意とやる気に感服します。
 より幅広く、コラボレイションというものについてですが、つい先ほど、友人のデヴィッド・トゥープ(David Toop)の、コラボレイションにおける楽観的な感覚についてのポストを読んだところです。コラボレイションが刺戟的であるという彼の意見には同意します。私はつねに作品制作過程で驚きを得たいと感じていましたし、それはまさにコラボレイションがもたらすものです。ノーマン・ウェストバーグやクリス・アブラハムのような、挑戦やアイデアへ反応を示す人びととともに制作すると、率直に深いインスピレイションを得ることができます。

新作は、シカゴ大学の教授ローレン・バラント(Lauren Berlant)の著作からインスパイアされたものだそうですが、その本はどういったことについて書かれているのでしょう?

LE:ローレン・バラントの著書は北米で出版されているなかで最も重要な批判書でしょう。「残酷な楽観主義(Cruel Optimism)」というアイデアは、彼女が理論化したもので、私たちの周りの現象の元となる状況に問いを投げかけるひとつの手段です。バラントの目を通せば、ブレグジット、トランプ、それから地政学的展開の下敷きとなるものなど、あらゆるものを有意義に捉えることができます。私たちは、個人としてまた集合として、日々の満足感と直結しないファンタジーを放棄するのに苦労し続けているということについて、自問するタイミングを逃してきました。現実では、これらのファンタジーはたやすくバリケードとなり、満足感をみつけることを阻害します。

新作『Cruel Optimism』はシリアの情勢やブラック・ライヴズ・マター、UKのEU離脱やUSの大統領選挙などからも刺戟された作品だそうですが、バラントの著作からとられた『残酷な楽観主義』というタイトルにはどのような意味が込められているのでしょうか?

LE:このレコードに関して言うと、私にとっては、バラントが感情、特にトラウマについて著述した部分が特に印象的でした。一節で、彼女はトラウマについて、「私たちはトラウマを所有できないことを知っていますが、私たち自身がトラウマに所有されているのです」と書いています。このレコードは、現状の永遠に不安定な状態、率直に言うと、私たちの周りの忌まわしい情勢を解き放つ意味があります。オーストラリア政府の難民や亡命希望者に対する扱いは完全に非人間的です。それは私たちが国家として大いに失敗したことを示しており、残念ながらこれらの人びとは政治力の道具として使われています。基本的に、私たちはこのような会話をする機会のたびに、人びとが私やあなたと同じように人間なのだということを思い出さなくてはいけません。彼らは夢を見、息をし、愛し、悲しみます。彼らを持ち物のように追い払うということに、私は反撥や失望を覚えずにはいられません。同じように、私たちは先住民に対する失策を見てきました。拘留中の黒人の死をはじめ、西オーストラリア州で殺されたMs Dhuの最近のビデオ資料にも例を見てとれます。これらは本当に悲惨です。現在、国際的にあまりにも多くの問題がありますが、ひとつ、シリア難民近辺のイメージについて話します。海岸に横たわるAlan Kurdiの遺体、アレッポから届く最近の画像、現在の困難な状況、それらが直接的にまた間接的に、今回のレコードの輪郭を描きました。私はこの永続的な苦痛とトラウマを操縦する術を見つけたかったのです。人びとや自分自身がどのようにこの状況を理解し処理するのかということを解読したかったのです。このレコードは、ナヴィゲイション・デヴァイスであると同時に解答でもあります。

私の希望は、新しい世紀を誕生させることです。それが多大なエネルギーと集中力を要求するとしても、私たちは未来の可能性を再評価し、活力と意志をもって前進しなくてはなりません。

社会や政治の出来事と音楽とは、どのように関わっているとお考えですか?

LE:私は、音楽は政治的だと考えます。聴取は政治的です。芸術は政治的です。緊迫した表現は作品の価値の中心です。音楽に関して言うと、その役割はふた通りあります。まず、私たちが夢中になる機会となることであり、その過程で、私たちが問いかけや諸問題に出会ったときに私たちの思考に異なるはたらきをさせる役割です。電車のなかや夜遅くに音に飲み込まれるような瞬間、そういう個人的な音の鑑賞の機会にあなたの心は開かれ、日常の習慣からあなたをあなた自身へと戻すささやかな時間となると言えるでしょう。私は、日々の習慣に気づくこと、そしてそれを破ることは、私たちのものの見方、経験の仕方を問う機会として、とても価値のあるものだと思います。新たな視点は新たな希望をもたらします。ふたつめは、会話が起こったり問いが練り上げられたりする、連鎖的なポイントとしての役割です。それは、物理的かつ仮想的な集会の場です。このことについて私は、コンサートのセッティングから大いに考えを深めてきました。コンサートができる政治的な環境というのを日に日に意識しています。音楽は、時間や場所、そして音を共有する人びとの集まりという機会を作り出します。音は皆を集合させひとつにしますが、同時に各メンバーに完全に個別の、心理的かつ生理的経験を与えます。これは、社会が集団的なものでありながら個人の経験と表現の臨界に価値を置くという形で機能していることへの、素晴らしい暗喩だと私は感じます。差異のなかでひとつになること。私はこのアイデアを『Cruel Optimism』のライヴ・セットでさらに探求することに興味があります。

ブレグジットや大統領選挙のとき、「善意」あるミュージシャンたち、良心的なアーティストたちが残留を訴えたりクリントンを支持したり、そういう主張をすればするほど逆に下層の人びと、貧しい人びとは反感を増していった、という話を聞いたことがあるのですが、それについてはどう思われますか?

LE:オーストラリア人としては、アメリカ政治への関わりや考えは一歩引いたものとなりますが、現在起きているこの状況は、20世紀から21世紀への重大な移行を象徴していると思います。とても複雑な問題ですが、ローレン・バラントの残酷な楽観主義にも深く関連するものです。未知の将来を前にすると私たちは、そうすることが悪い影響を及ぼすにもかかわらず、既存のものに執着しやすい傾向にあります。プレカリティ(労働や生活の不安定性)の増大、というのがこの問題に関する肝だと考えます。私たちは今後10年、あるいは20年、このプレカリティとともに歩むことになるでしょう。後期資本主義によって増殖したプレカリティと、残された新自由主義の課題は、今後さらに私たちに影響を与えるでしょう。この危機的な状況は全体的であり非常に複雑で、私たちにはとうてい手に負えないようにも感じられますが、私は以前にも増して、私たちが一体何に価値を置くべきなのか自問すること、さらに、私たちが何に価値を置きたいのか、どのようにして権力構造に対してその価値の提示をしていけるのか、という思考への必要性を強く感じています。
 自分の子どもたちを見るとき、私は彼らのなかに未来を見ます。彼ら、そして彼らの未来の子どもたちのために、地球が保持されることを願っています。彼らに耳を傾け、さらには彼らに周りを気にかけるよう促すような倫理機能をもった政治体制を私は望み、影響力のある社会的な場としてコミュニティの可能性を認識したいと思います。私の希望は、新しい世紀を誕生させることです。それが多大なエネルギーと集中力を要求するとしても、私たちは未来の可能性を再評価し、活力と意志をもって前進しなくてはなりません。

最後に、もっとも『Cruel Optimism』を聴いてほしいのは、どのような人びとですか?

LE:制作を終えた後は、この作品と人びとがどのように出会うかということは私の手中にはありません。この作品はすべての人に向けられたものです。この作品が人びとに出会い、影響を残すことを願います。音楽と記憶とには強い結びつきがあり、私はいつも、その関係性が自分の作品にどのように現れるのか、興味深く考えています。

cheers

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