「Ord」と一致するもの

 あんたのビスケットを盗み
 あんたのツレを笑い 
 あんたのトイレでマスをかく
“You're Brave”(2014)

 ひとりの人間の狂おしい思いが世界の見方を変える。こういうのは久しぶりだ。ぼくは日本におけるスリーフォード・モッズ過小評価を覆すためにライナーノーツの執筆を引き受け、書いた。同じテンションのまま違う言葉で彼らについてもういちど書くことは無理な話である。何クソという気持ちがぼくを駆り立てたのだから。だいたいこのぼくに、20代、30代とちやほやされたことのなかった人間の燃え上がる魂を、どうして否定できようか。




  19.4度 高いな

  18.6度 ボブ、ちょうどいいよな?

  19.2度 高い

  18.4度 ちょうどいいな(註)


  求職者!


  ストロングボウの缶

  俺は取っ散らかってる

  うつ病についてのパンフレットを絶望気味に握りしめる

  NHSからもらったやつだ

  どうして俺がこうなっちまったか

  これから俺がどうなっていくのか

  どいつもこいつもこう思ってるわけだ

  おれは手巻きを吸う 

 「ズボンをちゃんとはきなさい!」

  くそったれ 俺は家に帰るぜ


  求職者!


 「それではウィリアムソンさん、

  最後にお見えになってから実りある雇用にむけて、

  あなたは何かしてこられましたか?」

  クソくらえ!

  ずっと家でごろごろしながらマスかいてたよ

  それからさ 

  コーヒーの一杯くらい出してもいいんじゃねぇのか?

  約束の時間は11時10分のはずなんだけどよ 

  もう12時だぜ

  この臭うクズ野郎どもめ 

  くたばったちまえよ


“Jobseeker”(2013)

(註)トラックで鶏を輸送する労働者間での会話。ウィリアムソンの説明によれば、輸送中、鳥かごの温度は22度以下に保たなければいけない。温度計を見ながらふたりの作業員が話している。


 “Jobseeker(求職者)”──こんな曲をBBCで演奏するぐらいの度胸がスリーフォード・モッズにはある。面倒なので、スリーフォード・モッズにおいて重要なポイントを要約してみよう。


・ジェイソン・ウィリアムソンは10代でモッズ・カルチャーに影響を受け、アンドリュー・ファーンは菜食主義になるくらいザ・スミスのファンだった。


・ジェイソン・ウィリアムソンとアンドリュー・ファーンのふたり組になってからのスリーフォード・モッズのアルバムのタイトルが、『緊縮財政下の犬ども(『オーステリティ・ドッグス』)であったように、彼らはキャメロン前首相から加速した福祉予算カット時代の申し子として現れた。


・スリーフォード・モッズは緊縮時代の英国を見事に記述している。と、いう評価はさんざん英メディアに書かれている。


・とにかく彼らは怒っている。


・ガーディアンいわく「彼らを非凡にしているのは、怒りとその激烈さにあり、それは今日のポップにおいて絶対的に不足している感覚である」。


・その音楽は、ラモーンズ的でもあり、ESG的でもあり、スーサイドっぽくもあるが、なんだかんだいいながらダンス・ミュージックになっている。言葉ばかりに目がいきがちだが、パウウェルが言うように、彼らは音楽的にもユニーク。


・とはいえ、そのライヴにおいて、ファーンはPCのリターンキーを押すか缶ビールを片手に乗っているかで……。


・ウィリアムソンはジェレミー・コービンの支持者として知られるが、彼らの歌詞を読めばわかるように、スリーフォード・モッズは必ずしも政治的メッセンジャーというわけではない。


・むしろファンキーで、頻繁に出てくる「マスかき」も意訳すれば「惨めさ」であり「当てつけ」であり、また「やりたいことを自分がやりたいようにやったる」ってことだろう(さすがに)。


・ツイッターやSNSもまた彼らの批判対象である。



 パッとしねぇ火曜のはじまりだ

 バスの窓についた汗のシミ

 コートを台無しにしたかねぇけど

 なるようにしかならねぇ

 「がんばれよこのクソ野郎!」

 あいつはたしかにそう言った

 白いバンのセイント・ジョージ・フラッグ

 これが人類ってやつだ

 UKIP 貴様の恥さらし

 ロンドンの路上の 脳ナシども

 うじゃうじゃいやがるゾンビどもが

 Tweet Tweet Tweet


 売女を回す車

 このバスはゲス野郎でパンパンだ

 ゲドリング・カウンシルでの8時間

 まったくクソな人生だな

 予備部屋でのつばぜり合い

 重荷になってんのは生身の体

 俺らはもうはや特別じゃねぇ


 後ろ髪を引っ張られまくる

 生きられねぇ人生

 俺はそんなの気にも止めねぇ


 これが人類ってやつだ

 UKIP 貴様の恥さらし

 ロンドンの路上にたむろする 脳ナシども

 うじゃうじゃいやがるゾンビどもが

 Tweet Tweet Tweet


 俺は自分のメシを半分食ったとこ

 地下鉄に体をブチ込む

 電車で帰る頃にゃ

 ステラでぶっ飛ぶのさ


“Tweet Tweet Tweet”(2014)



 

 その昔ザ・ストリーツの『オリジナル・パイレーツ・マテリアル』で描かれた日常は、緊縮財政時代の地方の小さな街において、よりハードかつダーティなリアリズムへと変換される。彼らの遺伝子にはセックス・ピストルズからザ・ジャム、あるいはオアシスからクラブ・ミュージックまでと、さまざまな英国流の抗い方が含まれているようだ。「かまうもんか、やっちまえ」的な大胆不敵さもまたUKミュージックならではの魅力であったわけだが、スリーフォード・モッズがいるお陰でそれが途絶えることはなかったと。彼らこそいまこの時点でのジョーカー(最強のカード)である。

 そしていま、〈ラフトレード〉からリリースされる新作『イングリッシュ・タパス』によって、ようやく日本でちゃんとこのバンドが紹介される。さあ聴こう。我々がいまいちばん忘れてしまっている感性を呼び起こすためにも。

 これはロンドンの坂本麻里子宅からノッティンガムのジェイソン・ウィリアムソン宅への電話取材のほぼすべてだ。答えてくれたウィリアムソンはスリーフォード・モッズのヴォーカリストであり、ブレイン。怒りと同時に自己嫌悪めいたわだかまりも打ち明けつつ、彼のモッズ精神も垣間見れるロング・インタヴューとなった。彼らを理解するうえでの助けになれば幸いである。




“アナーキー・イン・ザ・UK”ってのは、フラストレーションのエネルギッシュな爆風、みたいな曲だったわけで。その意味で、あれは俺たちが初期にやっていた楽曲にかなり近いよね。ところがいまの俺たちっていうのは、自分たちのソングライティングの技術をもっと磨くべく努力する、そういう領域にグループとして達しているわけだ。









Sleaford Mods

English Tapas


Rough Trade/ビート

PunkModRapElectronicMinimal



Amazon
Tower
HMV

最新のプロモーション写真でもうひとりのメンバー、アンドリューの着てるピカチューのTシャツ、いいっすね。

JW:んーと……あー、それってどのTシャツのことを言ってるんだろ?? 

ポケモンのキャラの、ピカチューのTシャツですけど。

JW:ああ、(急にピン! ときたように)絵が描いてあるやつ、あれのことかな?! うん、わかる。うんうん、あれは俺もいいなと思う! あれはたしか、あいつがどっかから仕入れて来たシロモノで……っていうか、あいつ、どこであのTシャツを手に入れたんだっけな??

(笑)。

JW:あれを、奴はエドウィン・コリンズからもらったはずだよ。俺たち、(元パルプの)スティーヴ・マッケイ所有のスタジオで作業していたんだ。そこで、あのTシャツをゲットしたんだと思うけど。

(笑)マジですか!?

JW:うんうん、俺たち彼のスタジオで作業してたし……っていうか、俺がいまここで思い描いてるのって、「白地に黒でドローイングの描いてある」、そういう図柄のTシャツのことなんだけど?

いやいや、それのことじゃないですね。

JW:あー、そう!?

あの、あれ。「ピカチュー」です。日本の「ポケットモンスター」というアニメを元にした、ゲームでも有名なキャラのピカチューのことなんですけどね。

JW:(素直にびっくりしたように)へえ! なんと! そうなんだ。

はい。

JW:(どう返答していいのかわからない&どのTシャツなのかサッパリ見当がつかない、といった風で困った様子)ワーオ……オーケイ……。

ともあれ、アンドリューはあの手の妙なノベルティTシャツ(※他にも、米アニメ「シンプソンズ」の警察署長キャラ:ウィガムをフィーチャーしたTなどを着用)をたくさん収集してるみたいですよね?

JW:ああ、うん。あいつはそれこそ他に誰も着ないような、ケッタイな古い服を見つけてくるんだよな(苦笑)。

(笑)アハハ。
でまあ、それってあんまりこう、一般的には「すごくクールな服ですね!」って風には思われない、そういうシロモノなわけで。

(笑)いやー、あのピカチューTシャツはかっこいいな! と思いましたよ。まあ、それはあのキャラが日本のアニメ発だから、というのもあったかもしれませんけど。

JW:ふーん、なるほど。

でも、アンドリューがロゴTだのキャラの描かれたTシャツ姿なのが多いのに対して、あなたは無地/モノクロームというか、何も描かれてない服装が多いですよね?

JW:うんうん、たしかに……。

それって、あなたにとってのファッション面でのこだわり、みたいなものだったりします?

JW:いやぁー、それはないよ! ただ……だからまあ、俺は服を買いに行くとか、ショッピングするのはかなり好きな方だし……そうは言っても、俺の好みは(ノベルティTとかとは違う)、もうちょっと高級なタイプのファッション、みたいなものなんだけどさ。

へえ(笑)!?

JW:いやいや、だからさ、「高級」って言ったって、それはなにも「金がかかってる、これみよがしに派手な服」っていうのじゃなくて、一見したところ、ものすごーく平凡なんだよ。

ああ。

JW:ただ、見た目は地味でも非常に良く仕立てられているし、だからこそ長いこと付き合い愛用できる服、という。

なるほど。ちなみに、そんなあなたにとって、リアム・ギャラガーが関与しているモッズ系なブランド:Pretty Greenの服はどうですか?

JW:あれはひどい! うん、ひどい。

(苦笑)気に入らないみたいっすね……

JW:あれはダメだろ? っていうか、リアム・ギャラガー本人を非難するつもりは、俺には一切ないんだけどね。そこはわかってほしいし……言うまでもなく、彼はとても良いシンガーだしさ。ただ……(息を深く吸い込んで)彼の関わってるブランドの服、あれは、好きじゃない。ノー。あれはヒドいよ。

(笑)でも、彼はあのブランドを通じて「現代のモッズ」をやろうとしているんじゃないですか?

JW:あー、うん。そうだよな。ただ、あのブランドの「モッズ」って、とにかくミエミエ過ぎなんだって。

(苦笑)なるほど。

JW:だから──たとえばの話、かつての時代のモノホンのモッズを振り返ってみれば、彼らはあそこまでわかりやすい、ミエミエに「モッズ」って見た目じゃなかったわけ。

ええ、わかります。

JW:だから、「モロにモッズ!」な格好じゃなくて、実際の彼らは、ある意味もうちょっと控えめだった、という。だろ? それこそ、「これはファッショナブルとは言えないな」とすら映るような、野暮ったさの一歩手前なルックスだった。で、なんというか、そういう面に俺は魅力を感じるんだよ。「お洒落だろうか?」と気にしていないっていう。

なるほど。まあ、お金って面もあるでしょうしね。リアムみたいにいったん大金を手にしたら、その人間は道楽のように「モッズが好きだから、じゃあ自分自身の『モッズ・ギア』のファッション・ラインを作ってみるか」なんて考えるものなんでしょうし。

JW:ああ、だよな〜。でもまあ、あれってのは……いや、きっとあれ(Pretty Green)をやるのは、彼(リアム)にとってはいいヴェンチャー・ビジネスの機会でもあるんだと思うよ。

ええ、もちろん。

JW:きっと、あのブランドをやることで彼もいくらか稼いだんだろうし。だけど、こと……あのブランドそのもののテイスト/趣味って意味で言えば、ありゃあんまり上品とは言えないだろう、俺が思うのはそれだけだな。

はっはっはっはっはっ!

JW:(苦笑)分かるだろ?

(笑)それに、かなり高いお店ですしね。

JW:うん、ファッキン・イエス! 大枚はたかされるよな。とんでもない……ってのも、Pretty Greenはここ、ノッティンガムにも支店を出しててね。

あ、そうなんですか。

JW:ああ、まだ順調に経営が続いてる。うん……でまあ、あの店はたくさんの人間に受けててさ。こっちで言う、いわゆる「若い野郎連中向けのマーケット」にね。だから、アークティック・モンキーズだとか、もちろんオアシスもそうだし、それとか……カサビアンとか? とにかくまあ、その手の音楽にハマってる若いラッズをターゲットにしたマーケットのこと。で、Pretty Greenは、そういう音楽が好きでフレッド・ペリーなんかを買いに走る若い野郎、それとか若い女性連中の関心を掴んでるわけだ。だからそういう類いの「市場」がちゃんと存在してるってことだし、実際、もうかるマーケットなんだよ。かなりの額の金が動くからね。

ええ。

JW:というわけで……ただまあ、俺から見るとあれは「あんまり趣味が良くないな」。と。うん、服としてのテイストは良くないし、見てくれもヒドいよ。

(笑)了解です。

JW:おう。

[[SplitPage]]



ノッティンガムってのはかなりの多文化都市だしね。多様なカルチャー、色んな人びと、様々な肌の色、それらが混ざり合っている……それは快適で気持ちの良いミクスチャーであって、人びとはみんな、他の連中の持つ独自のカルチャーをリスペクトし合ってきたよ。ただ、そんななかにもごく一部に分派、かなり人種差別な傾向を持つ団体が存在している、だけど、それってもう、昔からずーっとそうだったわけだろ? 


Sleaford Mods
English Tapas

Rough Trade/ビート

PunkModRapElectronicMinimal

Amazon Tower HMV

ブレグジットが浮上して、半年以上が経ちますが、ノッティンガムに変化はありますか? 

JW:(軽く「ハーッ」と息をついて)「これ」といった変化はまだ起きていないと思うけど?

そうですか、それは良かった。

JW:(つぶやくように)まだ、この時点ではなにも起きてないよ。まだ、ね……。(一拍置いて)ただ──そうは言っても、いまの俺はもう、昔みたいな単純作業系の職には就いていないしね(※ジェイソンは2014年から専業で音楽活動をやっている)。だから、そうだな……俺は、いわゆる「クソみたいな仕事」であくせくしてはいない、ってこと。というわけで、ブレグジットが民営セクターにまで影響を与えているのかどうか、本当のところは俺にもわからないんだ。いままでのところは、ね。

そうは言っても、たとえば地元でパブに行ったり通りを歩いているうちに、ノッティンガムのなんらかの「変化」に気づくことはありませんか?

JW:ああ、ノッティンガムの都市部ではなく周辺の田舎のエリア、それはちょっとあるかも。俺の住んでるあたりでは、そういうのはそれほどないな。だから……なんというか、ある種の「人種差別的な気質」はたしかに存在するし、そうした面が表に出てきて目につく、というのはある。でも、そんなことを信じてるのはごくごく少数な連中だし、なのにあいつらは脚光を浴びて不相応な注目を集めている、と。

はい、わかります。

JW:だろ? だけど、連中の言ってることは広く伝わってしまうんだよ。というのも、あいつらの発しているメッセージはものすごく卑しいもので、だからこそ人目を引く。音を立ててる人間の数そのものは少ないのに、それが倍の音量で伝わってしまう、みたいな。

ですよね。

JW:でも……ノー、だね。「これ」といった、あからさまな経験は自分の身には降り掛かっていないな、正直言って──いまの段階では、まだないよ。うん、とりあえず、いまのところは、まだ。っていうか、ノッティンガムってのはかなりの多文化都市だしね。多様なカルチャー、色んな人びと、様々な肌の色、それらが混ざり合っている、そういう場所なんだ。だから……それは快適で気持ちの良いミクスチャーであって、人びとはみんな、他の連中の持つ独自のカルチャーをリスペクトし合ってきたよ。ただ、そんななかにもごく一部に分派、かなり人種差別な傾向を持つ団体が存在している、そこは俺にもわかっていて。だけど、それってもう、昔からずーっとそうだったわけだろ? 

はい。

JW:ただ、ブレグジットってのは……さっきも俺が言ったように、そういう不満を抱える少数の人間たちが、自分らの意見をもっと声高に叫ぶ機会を与えてしまった、と。

なるほど。それを聞いていると、日本も似たような状況なのかな? と感じます。イギリスと日本はどちらも島国ですし、そのぶん「自分たちの国境を守る」という意識が強いと思うんです。もちろん、日本人の9割は善良で優しいタイプだとは思いますけど──

JW:もちろん、そうだろうね。

ただ、一部にバカげた差別意識を持つひとがいるのは事実だ、と。

JW:ってことは、日本だと人種差別って結構多いの?

いや、おおっぴらで頻繁ってことはないと思いますけどね。ただ、イギリスがヨーロッパ大陸に面しているように、日本も中国・アジア/ロシアという大陸を背にしている国で。でも、アジアからやって来る人びとを蔑む傾向があったりしますし。

JW:うん、なるほど。

それってまあ、「日本は島国で、純粋な民族である」みたいな、アホでナンセンスな認識が残っているからだろうな、と思ってますけど。

JW:だろうね……うん、言ってることはわかるし、そうだよね。うん、いまの話は面白いな。でも、訊きたいんだけど、ってことは、いまも日本には「アンチ西洋」、あるいは「反米」みたいなフィーリングが強いのかな?

いやー、それはないと思いますよ!

JW:そう?

ええ、それはないですよ。心配しないでください。だから……日本人の奇妙なところって、知性とか文化の面で「こいつらは自分たちよりも進んでいるな」と感じる相手には、好意を示すんですよ。

JW:なるほど。

だから、外国人に対しても……これはとても大雑把な言い方になりますけども、もしもその外人がいわゆる「金髪青眼」だったら、日本人は「わー、かっこいい!」と気に入る、みたいな。

JW:あー、なるほど。

それってまあ、おかしな感覚ですけどね。

JW:うんうん……。

自分でも、そういうノリは理解できないんですけど。ただ、そういう感覚はまだ残っていて……うーん、すみません、自分でもうまく説明できない。

JW:オーケイ。興味深い話だ。

というわけで要約すると:「あなたがアングロ・サクソン系の見た目であれば、日本でトラブルに遭うことはまずないでしょう」というか(笑)。

JW:(苦笑)おー、オーケイ、わかった! だったら安心だな。俺たちもひとつ、日本に行くとしようか!

(笑)ぜひ、お願いします。

JW:クハッハッハッハッハッ!

 この生まれたばっかの地獄には
 悲しみまでもが積もってく
“Time Sands”(2017)

俺としてはさほど「怖がってる」わけでもないし、あるいは「連中を恐れてる」っていうんでもないんだけどね。そうではなくて、俺はあいつらが「憎い」んだ。ものすごい激しさで彼らを憎悪しているし、だからこそ、そんな俺にやれる唯一のことというのは、なんというか、自分自身をそこから切り離してしまうことだと感じる、みたいな。

ブレグジット、トランプ、世界はこの1年で大きな衝撃を経験しましたが、いまどんな気分でしょうか?

JW:うん、うん……(咳き込んで声を整える)いやほんと、かなり不安にさせられるよな。だから、だから……このあり得ない、ひどい状況をすべてギャグにして笑い飛ばすのは、ほんと簡単にやれるんだよ。ってのも、ある意味色んなヘマを起こしながら進んでいるわけで。

ただ、政治なんでジョーク沙汰じゃないですよね。

JW:ああ、もちろん冗談事じゃないよ。ノー、これはジョークなんかじゃない。だから、いまのこの事態を大笑いしている人間が多くいるのに気づくわけだけど──でも、そうやって笑っていないと、泣くしかないしさ。だろ? 

たしかに。

JW:で……まあ、うん、これからどうなるのか、まだわからないよね。ってのも、俺としても彼らが一体なにをやってるのか理解できない、彼らがイングランドでなにをやっているのか、さっぱりわからないんだ。彼らは本当にひどいし、とても残酷なことをやっていて……だから、どうしてそうなってしまうのか、理解できないっていう。混乱させられるばかりだし、俺は完全に疎外されてしまった。彼ら脱退賛成派を人間として理解できないし、どうして彼らがああいう風に動いているのかも理解できない。ってのも、ブレクシットを進めながら、彼らは緊縮財政で予算削減も続けてるわけだろ? この国はいまや、完全にどうしようもない状態にあるってのにさ。
 でも、まあ……かといって、俺としてはさほど「怖がってる」わけでもないし、あるいは「連中を恐れてる」っていうんでもないんだけどね。そうではなくて、俺はあいつらが「憎い」んだ。ものすごい激しさで彼らを憎悪しているし、だからこそ、そんな俺にやれる唯一のことというのは、なんというか、自分自身をそこから切り離してしまうことだと感じる、みたいな。わかる?

ええ。

JW:でも、思うに……トランプ政権に対しては、そこまで感じないな。というのも、あれはアメリカ人の問題であって、俺の国じゃない。アメリカに住んでるわけじゃないからね、俺は。だから、自分に(トランプの)直接的な影響が及ぶことはない、と。

ただ、あなたたちはもうすぐアメリカをツアーしますよね(苦笑)?

JW:ああ、アメリカ・ツアーを控えてる。うん、これから5週間後くらいにあっちに行くよ。だから、いまのアメリカがどんな感じなのか、現地で見聞きできるのは興味深いよな。

そうですね。

JW:それでもまあ、共有されてるコンセンサスっていうのはいまだに──「あなたが健康な身で、銀行口座に残高がある限りは大丈夫です」なんだよ。ところが、いったん健康を損ねたり、あるいはお金が尽きてしまうと、途端にその人間はおしまい、アウトだ、と。

ええ。

JW:というわけで……そういうもんだろ? その点はほんと、ちっとも変わっていないよな。ところがいまというのは、やかましい主張を掲げたもっと声のでかいアホどもが権力を握ってしまったし、しかもあいつらはひどい信念の数々を抱いてるわけで。でまあ……そうだね、前政権よりはわずかに劣るよな。

その前政権とは、キャメロンのこと?

JW:いやいや、アメリカの話、オバマだよ。だから、多くの意味で「みんなおんなじ」って感じじゃない、実は? いやまあ、俺だって無知な人間みたく聞こえる物言いはしたくないし、様々なことを実現させるべくオバマは最大限の努力をした、というのは承知しているんだよ。彼は「大統領を退任して優雅に引退」するに値する、多くのリスペクトを寄せられるにふさわしい、それだけの働きはしたんだし(※ちなみに:2月初め、引退後さっそくイギリスの大富豪リチャード・ブランソン所有のカリブ海にあるネッカー島でのホリデーに招かれ、ボート遊びやカイトサーフィンに興じるオバマの姿がSNSに登場。批判する声も多かった)。
 ただ、やっぱり人間ってエリート主義が抜けないんだなぁ、と。それってもう、ダメだよ。とにかく終わってるって。それって問題だよ。でも、そこで生じる問題というのは、これはとてもでかい問題だけど、じゃあ、そこでどうすればいいんだ?と。誰かが去って行っても、また代わりに他の人間が入ってきて「これからはこうなる」と指図するわけで。

なるほど。それってもう、「椅子取りゲーム」みたいなものですよね? 主義がリベラルであれ保守派であれ、エリートのグループに属していればいつか順番が回ってくる、みたいな。

JW:まさにそういうことだよな。で、こうしたことについてくどくど話してる自分自身が、我ながら嫌でもあってね。そうやって現れる小さな側面をいちいち理解しようとトライしているわけだけど、支配する側の集団はおのずと生まれている、という意味で。ってのも、ある意味同じ「鋳型」から彼らは出てくるんだし……だけど、人民ってのは巨大だし、ものすごい数の人類が存在するわけだろ? なのに、俺たちはみんな、ひとりの人間に、それからまた次のファッキン誰かさんの手へ、って風に振り回されているだけっていう。自分らがどこからやって来たのか、それも一切関係なし。
 だから、俺たちはあちこちに振り回されたらい回しされてるだけ、なんだよ。「これをやりなさい」、「あれをやりなさい」って命じられるばかりで、俺らは隅の一角にどんどん押しやられていく。戦争が起きると、ひとつの国は完全な悪者として処罰を受け、国土をすっかり破壊されてしまう。かたや相手の国は、そこまでひどい扱いを受けることはないわけで……ただまあ、世界って常にそういうものだったわけじゃない? で、そこが……(勢いあまって、やや言葉を詰まらせる)そこ、そこなんだよ、俺としてはとても混乱させられるし、そしてフラストレーションを感じさせられるものっていうのは。とにかく、「それ」なんだ。だから、統治する側は永遠に優勢な立場にいるし、それが変化することもないだろう、と。その状況にフラストレーションを感じるっていう。

その「諦め」に近い感覚は、日本にもあると思います。イギリスほど階級制が強くないとは思いますけど、やっぱり一部にエリートの支配層が根強いですし。「なにも変わらないんじゃないか」と感じるひとはいるでしょうね。

JW:うん、きっとそうだろうね。


 俺たちはこれ以上魂を売らねぇ 

 でも3ポンドでくれてやるよ

 お願いだよ もう最悪 

 ブレクジットはリンゴ・スターのアホを愛してる

“Dull”(2017)


[[SplitPage]]



『イングリッシュ・タパス』という言葉は、いまのイギリスの現状を大いに物語るものでもあるよな、と思ってね。だから、無学だし、チープ。そんな風に、人びとはとりあえずのありもので間に合わせざるを得ない状態にある、と。


Sleaford Mods
English Tapas

Rough Trade/ビート

PunkModRapElectronicMinimal

Amazon Tower HMV

「英国的」と言われているスリーフォード・モッズですが、自分たちの音楽が英国以外で聴かれることについてどう思いますか?

JW:(即答)グレイトだと思うよ!  

(笑)なるほど。

JW:うん、最高。だって、自分たちとしては「きっと俺らはノッティンガム止まりに違いない」とばかり思ってたしね。

あっはっはっはっはっ! そうだったんですか?

JW:(ややムキになった口調で)いや、マジにそう思ってたんだって! ってのも、俺たちの音楽ってのは、こう……とてもローカルで地方限定なものなわけじゃない? 他の地では通じないような言葉だらけ、ローカルな通語でいっぱいな音楽だしさ。

ええ、そうですよね。

JW:だから……「地方喋り」そのまんま、なわけ。それに、俺が歌のなかで語っている事柄にしたって……ぶっちゃけ俺以外の誰にも理解できないであろう、そういう話を扱ってるんだし。

(苦笑)なるほど。

JW:もちろん、その「正直さ」が伝わる、ってところはあるんだろうけどね。だから……うん、俺たちとしても、(英国以外の国の人びとが聴いている、という事実に)本当にびっくりさせられたよ。

そういえば、あなたたちはドイツで人気が高いなって印象を受けてるんですけども。

JW:ああ、あっちでは人気だね。

それってどうしてなのかな、なんでドイツ人はスリーフォード・モッズに反応してるんだろう? と不思議でもあって。やはりドイツだと、「言葉の壁」はあるわけですし。

JW:うん、それは間違いなくあるよ。ただ、俺が思うに……ドイツってのはパンク、あるいはポストパンクのあれだけ長い歴史がある国なわけで。だから、ミニマリストな国なんだよな。で、彼らが俺たちに惹かれるのは、俺らの音楽にあるミニマリズムもひとつの要因なんじゃないか? そう、俺は思っていて。で、んー……俺自身としては、自分たちの音楽にはかつてのなにかを思い起こさせる面もあると思う。と同時に、この歌い方のスタイルにしても、おそらく聴いていると昔いた誰かを思い出させるんだろうし……だからまあ、これってちょっと奇妙なバンド、なんだ。ただ、考え抜いた上でこういう音になったわけじゃない、っていう。うん、色々と考えあぐねたりはしないよ。

新作を『イングリッシュ・タパス(English Tapas)』と命名した理由を教えていただけたらと思います。

JW:まあ、俺たちはこれまでも「スペインのタパス」は体験してきたわけだよね。「スパニッシュ・タパス」と言っても、そのバリエーションの一種、ということだけど。だから、スペインのバーで出てくるタパスといえば、一般的にはピンチョス(※パンを使ったカナッペ風、あるいは楊枝を刺したバスク風の軽食。屋台他でも供される)なんかがそれに当たるよね。でも、その一方でもっと高級な「タパス」なんてのもあって……だからまあ、とにかく俺たちはスペインのタパスは経験豊富、色々と触れてきたわけ。で、ある日、アンドリューがイギリスでどっかのパブに入ったとき、そこのメニュー板に「イングリッシュ・タパス」って書かれているのを目にしてね。それがどういうシロモノかと言えば、スコッチ・エッグ(※ゆで卵を味付けしたミンチでくるみ、衣をつけて油で揚げた庶民的なスナック)にお椀に入ったフライド・ポテトが添えてあります……みたいな、(さも可笑しそうにクククッと半分吹き出しながら)とにかく、あーあ、これってマジにしょぼくてクソじゃん、(苦笑)、そういうメニューでさ。

(笑)。

JW:だから、俺たちも「これは笑える!」とウケたけど、と同時に、このフレーズってある意味、いまのイギリスの現状を大いに物語るものでもあるよな、と思ってね。だから、(タパスのなんたるかを知らないで「タパス」という言葉を使っている意味で)無学だし、(料理そのものも安上がりで)チープ。そんな風に、人びとはとりあえずのありもので間に合わせざるを得ない状態にある、と。そんなわけで、「これってどんぴしゃなフレーズだな」、俺たちにはそう思えた、というだけのことなんだよ、ほんと。

なるほど。フィッシュ&チップスみたいなありふれた料理のミニチュアでイギリス流に「スペインの伝統」をやっているのが滑稽に映った、と。

JW:うんうん、ほんとひどいよ! あれはひどい。せっかくタパスをやるんなら、もっと他に色んなやりようがあるのにさ……。ただまあ、これって一部のイギリス人にある態度だったりするけどね。だから、他のカルチャーに存在する美しいアイデアを引っ張ってきて、それをすっかり粗悪なものに歪曲してしまう、という。

ああ。でも、それがまたイギリス人の長けているところ、でもあると思いますけどね? 粗悪にしてしまうとは限らず、他のカルチャーから影響を受けて、それを自分たちなりに解釈し直す、という。

JW:うん。

たとえばレゲエのUK音楽への影響は大きいし、アメリカのブルースを、ローリング・ストーンズのようなバンドは1960年代のアメリカにある意味「逆輸入」したわけです。

JW:あー、うん、それはそうだよね……。たしかにそうだ。

その意味で、他文化の翻案はイギリスの遺産でもあるのであんまり恥じなくてもいいかな、とも思いますが?

JW:いやいや、全然、そういうつもりじゃないんだ! だから、そうしたイギリスの遺産を恥じるっていうのは、俺にはあんまりないんだよ。ってのも、俺がこういう音楽をやってるのも、主にそうしたかつてのイギリス産のバンドたちのおかげなんだしね。ただ……最近の自分たちってのは、この国の持つ良い面よりも、そのネガティヴな側面の方ともっとつながってしまっていて。

ああ、なるほど。

JW:だから、俺の考え方もネガティヴなそれになってしまうわけ。人びとに失望させられたって感じるし――保守党に投票した連中に裏切られた、EU脱退に賛成票を投じるのが得策だと考えた人びとに失望させられた、そう感じるっていう。というわけで、イギリスをネガティヴに捉えるのは俺個人の問題っていうか、うん、きっと俺の側にバイアスがかかっているんだろうね。

でも、その感覚はもっともだと思います。自分の周辺の正気な人間、イギリス人の友人はみんな、いまが大変な時期と承知していますし。聖ジョージ旗(※白地に赤いクロスが描かれたイングランド国旗で、連合王国フラッグの意匠の一部)だのユニオン・ジャックを誇らしげに振り回す時期ではない、と。

JW:まったくその通り。そういうのをやるには、実に悪いタイミングだよな、いまってのは。


[[SplitPage]]


イギリスの遺産を恥じるっていうのは、俺にはあんまりないんだよ。ってのも、俺がこういう音楽をやってるのも、主にそうしたかつてのイギリス産のバンドたちのおかげなんだしね。ただ……最近の自分たちってのは、この国の持つ良い面よりも、そのネガティヴな側面の方ともっとつながってしまっていて。









Sleaford Mods

English Tapas


Rough Trade/ビート

PunkModRapElectronicMinimal



Amazon
Tower
HMV

名前に“MODS”という言葉を入れたのは、ジェイソンがかつてザ・ジャムやMODカルチャーに影響されたからだと思いますが、最大級の皮肉にも感じます。

JW:だよな。

あなたたちの音楽にはモッズ風なギター・サウンドも、ランブレッタも含まれていないわけで。

JW:うん、ないない! ノー、それはまったくない。

では、バンド名になんでモッズと付けたのでしょうか?

JW:それはだから、俺が「モッズ」ってもんにすごく入れ込んでいるからであって。俺がハマってる「モッズ」の概念ってのは、新しいものを取り入れるって面なんだ(※モッズはもともと「Moderns」の略で、先進的な感覚を称揚した)。かつてのモッズというのは前向きに物事を考える、そういう考え方のことだったし……わかるだろ? 多くの人間が過去のなかで生きていたのに対して、モッズの姿勢は「過去に捕われずにいよう」、そういうものだった。それなんだよ、俺が好きな、多くの人間が抱いている「モッド」の概念ってのは。過去に留まってはいない、というね。
 だから、「モッズ」の字義通りの意味合いを考えなくちゃいけないんだよ。あれは要するに、「モダニズム」から来ている言葉だしね。だから、その本来の意味は考えてもらわないと。で──その意味で、「モッズ」というのはクリエイティヴィティを生み出すってことじゃなくちゃいけないし、同時代的なものであり、それに今日(こんにち)についてなにかを語らせる、そういうものであるべきなんだよ。

はい。

JW:ってのも、この世界の根本は変化していないしね。俺たちは永遠に、この「資本主義」っていうでかい傘の下で生き続けるんだろうし。まあ、この意見は「俺からすればそう思える」ってものだけど、少なくとも自分の知る限りはそう。だからこそ、その点について語るのは重要なんだよ。その点を音楽のなかに含めるのは大事なことなんだ、と。

なるほどね。この質問の意図には、日本における「モッズ」というものの理解も混ざっているかと思います。日本だとモッズは常に「ファッションのひとつ」という捉えられ方で。

JW:ああ、そりゃそうだろうね。

スクーターにモッズ・パーカ、映画「さらば青春の光」……とでもいうか、風俗として伝わっているけれど、さっきおっしゃっていた「(それそれの時代の)モダニスト」という真の意味はあまり伝わっていない気がします。

JW:うん。だけど、人びとはそこを理解しないといけないんだよ。だから、「モッズ=1963年」っていう概念は、捨ててもらう必要がある。ってのも、いまは1963年じゃないし、それは過ぎ去ってしまった。過去、だよ。

ただ、さっきも言ったように、いまでもPretty Greenの服やフレッド・ペリーのポロシャツを買う若者は絶えないわけで──

JW:ああ、その通り。だから、根強い人気があるんだよね。いまだにすごくポピュラー。ということは、俺の持つ「モッズ」の概念ってのはいつだって、彼らの考える「モッズ」ってのにかなわないのかもしれないな(苦笑)。

ハハハ!

JW:要するに、俺がスリーフォード・〝モッズ〟でなにがしかのトレンドをはじめたわけじゃない、と。ってのも、そんなの起こりっこないからさ!

はい。

JW:んー、だから、そういう風に一般化した「モッズ」の概念ってのは、これまでも、これからも続いていくものなんだよ。ただ、俺はとある時点で、その一般像に辟易してしまってさ。すっかり、嫌気がさした。ってのも、そんな「モッズ」の概念はなにもやってなかったし、形骸化していた、とにかく俺にはそう思えて。だからこそ俺はより突っ込んでモッズについて考えるようになったし、それに取り憑かれてしまった、と。というわけで……うん、だから、スリーフォード・モッズには「モッド」がたっぷり含まれているんだよ。ただし、聴く人間にすぐわかるあからさまなものではない、というだけで。

ちなみに、あなたたちのライヴをいわゆる「モッズ」なタイプは観に来る? それともそうした層からは無視されてる、とか?

JW:ああ、それなりの数のファンはいるよ。間違いなく、俺たちはモッズ連中からも共感は得ているね……うん、それは確実にそう。

それは良かった。というのも、自分のイメージだとモッズは純粋主義者というか、「ひたすらノーザン・ソウルで踊る」みたいな。

JW:うんうん、その面はあるよな。たしかにそういう面は持ってる。そうだなぁ、その手の「純粋主義」な連中が俺たちのことをどう思うのか……俺にもよくわからないけども。まあ、たぶん気に入らないんじゃない?

(笑)。

JW:きっと、全然俺たちの音楽を気に入らないと思う。聴いて即、「こいつらは却下!」だろうな。でも、そうは言ってもそうした純粋主義者のなかにもオープン・マインドな奴らはたくさんいるし、なんというか、「新しいこと」を取り入れるのに積極的って奴はいるからね。

**************

あなたたちの音楽から、自分は「いまのブリテン」に対する失意を多く感じるんですね。

JW:ああ。

では、10代、20代、30代のあなたがたは、人生に対してどんな夢を描いていたのでしょう? あなたの年齢だと10代は1980年代に当たりますが、まずそこからお願いします。1980年代のあなたの夢は?

JW:うん、とにかく生まれ故郷から脱出したかったね。そうやって外に出て行って……つまらない仕事に従事すること、その不快なリアリズムから逃れたかった。若いうちから住宅ローンを抱えていたし、それが鎖みたいに俺を縛り付けていたんだよ。

ああ〜、そうだったんですね。

JW:でも、俺自身はそんなのまったく欲していなかったし……俺はいろんなことを体験したかった。(軽く息をついて)でまあ、そういう生き方にトライしてみたし、ある程度それは実現させたんだ。けど、俺は自分自身の面倒をみるのがあんまり上手じゃなくてね。だから、しょっちゅうどうしようもない状態に自分自身を落とし込んでいた、と。だけどまあ……うん、若いうちから、俺はエスケープを求めていたね。

その状況は、20代=1990年代にはどう変化しました? この時期に、あなたはおそらく音楽をはじめて、バンドにも参加していたかと思いますが。

JW:うん、だからあの頃は、「音楽をつくる」のが夢だったんだよ。要するに、音楽活動を通じてどこかに出て行ければいいな、と。というわけで、俺は音楽について学び始めたし、自分の技術、クラフトを学んでいった。そこからだったんだよね、俺が「モッド」に対する疑問を非常に強めていったのは。「どうしてこうなるんだ?」と。ってのも、俺は以前にいろんなモッズ・バンドに参加していたし──それはまあ、「モッドな傾向を持つ」と言っていい類いのバンドのことで(※以下の発言からも伝わると思いますが、ここでジェイソンの言っている「モッズ寄りなバンド」というのは、一時のブラーやオアシスのように「ブリットポップにアレンジされて再燃した、広い意味でのそれ」のことだと思います)、そういうのに2、3、関与したことがあったんだ。で、それらは……とても限定されたものだと感じてね。リミットがあったんだよ。
 だから、当時の俺には世のなかが変わりつつあるのが見えたし、そういうのは終わりを迎えていた。ブリットポップ熱はあっという間に過ぎ去ってしまった。世界は変化してしまったし、なのに「モッズ」という概念は旧態依然としていた、と。

なるほど。ということは、あなたにとって最悪な時代というのは「その後」=30代に入った00年代、になりますか?

JW:うん、30代に最低な時期を迎えたね。まったくもって、良いとこなしの時期だった。

それは、あなたが自分の方向性を見失ってしまったから? 「なにをやればいいのかわからない」みたいな?

JW:ああ、うん……でもまあ、「方向性を見失った」ってのはちょっと違うかな。ってのも、そんな時期にあっても、俺は「自分は音楽だ」って姿勢を崩さなかったし、曲を書き続け、学んでいたから。

なるほど。

JW:ただ、こと「自分が持つ自己のイメージ」っていう意味では、「こうありたいと思う自分」という意味で、自らの方向を失っていたね。だから、俺は長いこと……かなり思慮に欠けた人間だったんだよ。それでも、この考え、「音楽で進路を切り開こう、音楽で生計を立てよう」って思いつきになんとか執着し続けてきたわけだけど、と同時に同じ頃、自分でも悟った、というのかな。だから、いったん30代になってみて、「音楽のなかにおける自分の〝居場所〟を理解し、学ばなくちゃいけない」って思いが浮かんだんだ。
 というわけで、そんな俺にとって、ただ「自分以外の何者かのフリをする」ってだけでは物足りなくなってしまったんだよ。ってのも、あの手のバンドの多くがやってるのってそういうことじゃない?

はい。

JW:だから……うん、30代は「学びの時期」だったね。もちろんそうは言ったって、楽しい思いも味わったんだけどさ。でも……と同時に、あれは決して「グレイトな時期」ではなかった、という。

“Jobseeker”の歌詞は実体験を元にされているんですか?

JW:もちろんそう。

非常にタフな内容で、「うわぁ……」と感じてしまうんですが。

JW:あれは実体験に基づいてる。だから、あんな風に俺は長いこと、とても低調な状態にあったんだよ。職業斡旋所に申し込みをしなくちゃいけなくて……そうやって、職を見つけてなんとか事態を解決しようとするわけ。ところが俺にはそれができなかったし、最悪だった。どうにもうまくいかず、機会をおじゃんにし続けるばかりでね。というわけで、“Jobseeker”ってのはそういう状況にぱっと目線を落としてみた、という曲なんだ。で──あの曲のストーリーは、いまも語る価値のあるものだと俺は思っている。というのも、いまだに多くの人びとが毎日、あの体験を経ているわけだから。

ええ、ええ。

JW:だから、成功したにも関わらず俺たちがあの曲をプレイし続けている、その点を批判されてもきたんだよ。だけど、あそこで歌われているのは俺が実際に体験した物事なわけだし。で……「のど元を過ぎれば」って具合に、その人間が過去に味わった経験を忘れるのは当然だと人びとが考えるのって、ほんと無礼な話だと思っていて。
 だから、もしもあれが俺の実体験を歌ったものじゃなければ、なるほどそう批判されても仕方ない、ごもっともです、と。ところがあれは、俺自身がかなり何回も潜ってきた体験だからね。で、俺としてはあの経験/ストーリーはいまでも有効、伝える必要のあるものだと思っているし、“Jobseeker”はやっぱりまだかなりパワフルな歌であって。だから俺たちはいまも歌うよ、と。

具体的にはどんなお仕事をされていたのでしょうか? 以前は区の失業手当のアドバイザーもやっていたそうですが、他には?

JW:うん、洋服屋、色んな洋服屋で働いてきたよ。洋服屋の経験は豊富だし……あれはかなり良い仕事だよね。ってのも、俺はもともと洋服が大好きだし、だからある意味、あれは興味深い仕事だった。それから……倉庫の人夫仕事に、工場勤めもやったし、警備員だったこともある。カフェで働いたこともあったな。

(笑)あらゆる類いの仕事をやってきた、と。

JW:そう、なんでもやった。

(※ウィリアムソンの職歴に関して野田ライナーは間違えています。ここに訂正、お詫び申し上げます)


[[SplitPage]]

イギリスの遺産を恥じるっていうのは、俺にはあんまりないんだよ。ってのも、俺がこういう音楽をやってるのも、主にそうしたかつてのイギリス産のバンドたちのおかげなんだしね。ただ……最近の自分たちってのは、この国の持つ良い面よりも、そのネガティヴな側面の方ともっとつながってしまっていて。









Sleaford Mods

English Tapas


Rough Trade/ビート

PunkModRapElectronicMinimal



Amazon
Tower
HMV

さて、音楽的な話をしたいのですが、『イングリッシュ・タパス』は、『オーステリティ・ドッグス』の頃にくらべて、機材的な変化はありましたか? 

JW:それはない。変化なし。以前とおんなじ。

(笑)。

JW:いやまあ、アンドリューは2、3個くらい、「おもちゃ(ガジェット)」を買ったけどさ……。

はっはっはっはっ!

JW:ただ、それにしたって、たぶんたかがiPadとプログラムをいくつか購入、程度のもんだろうし。うん、変化と言ってもそれくらいだよ、ほんと。

あなたたちのライヴの映像をネットで観ても、基本アンドリューはラップトップ1台きりで、実に「経済的」なセットアップですもんね。

JW:うんうん、だから、実際のとこ、俺たちはあんまり多くの機材を必要していないんだよ。ふたりともエレクトロニカに入れ込んでるし、それにヒップホップもいまだに好きで。その手の音楽はシンプルな機材を使う媒体だし、そういうのが好きな俺たちもまた、自然にコンピュータ使いに向かう、と。それに言うまでもなく、テクノロジーは発展しているわけで。あれらの装置……マシーンも、技術の進歩を受けて小型化してもいる。だから、それこそもう、(苦笑)「なにも使わず音楽をやってる」みたいな?

(笑)なるほど。では2013年頃以来で、とくにレコーディングにおける機材面での変化はなし、と。

JW:ないない。唯一の変化と言えば、おそらく俺たちはもっとベターな曲を書く術を学んだ、その意味で、だね。だから、歌詞の面においてもいままでとは違う題材を扱うようになったし……それに、俺はシンガーとしても学んで、たぶん以前より良くなったんじゃないかな? だから……変化と言ったらとにかくそういう事柄だろうし、うん、そうやってなにもかも、実に絶え間なく発展している、と。
 でもほんと、そうあるべきなんだよ。ってのも、この俺たちの「公式」はあんまりいじれないからね。そもそもとてもミニマルなフォーミュラだから、過度にその領界を押し広げようとすると、逆に良さをブチ壊すことになってしまう、と。わかるだろ?

たしかに、ヘタにそれをやるとバカげたものになっちゃいますよね。

JW:うん。

たとえばあなたがたが急にEDM系のビートを取り込み始めたら、それだけでも「ソールド・アウトした!」ってことになるでしょうし(笑)。

JW:(苦笑)そうそう、まさにその通り。

マイクやサンプラーなどの機材はどのように集められたのでしょうか?

JW:まあ、「あっちでひとつ、こっちでひとつ」って具合に集めてきた、その程度のもんだよ。アンドリューは以前から色々機材を集めていたし、安物のラップトップだとか、チープなマイクロフォンなんかをいくつも持ってて。それに音楽づくりに使ってるプログラム群にしても、思うにアンドリューの奴は海賊版ソフトウェアとかをいくつか持ってた、程度じゃないかな。だから、他の連中の持ってたプログラムの複製、みたいな。でも、エレクトロニカをやるのに、そんなに色んな機材は必要じゃないんだよ。だから……エレクトロニカでためしになにかやってみるのに、最初の時点で大金をはたくことはまずない、と。

ええ。

JW:もちろん、その人間が「本物の、高級なサウンドでエレクトロニカをやりたい」と思うのなら、話はまた別だよ。そういう考え方だと、(機材他で)高額の出費を覚悟することになるだろうし。だけど、俺たちのサウンドってのは──あれはむしろ、そこからどんなアイデアが生まれるだろうか?なんだ。俺たちの手元にあるツールの数そのものはごくわずかだよ。ただ、それらをすべてちゃんと活かしてやりたい、それが狙いなんだ。

あなたたちの音楽はミニマルとはいえ、アルバムを聴き終わるとぐったりすることもありますしね。歌詞といい、その意味合いといい濃いので、40分足らずの作品でも大作を経験したような気がします(笑)

JW:うん、たくさん詰め込まれてるし、聴く側にはかなりの量だよな。

新作『イングリッシュ・タパス』では、ドラムマシン・ビートがよりミニマル(音数が少なく)で、ときに冷酷になっている気もするのですが、そこは意識しましたか?

JW:フム。でも、なんであれアンドリューが持ち込んだものだし、ビートはあいつ次第だから。

(笑)。

JW:要するに、ただあいつがつくってくるだけ、みたいな。で……彼がやっていることは、俺にもわかっちゃいないんだよ。彼がどんな影響を受けてああいうことをやることになったのか云々、そこらへんは俺も知らない。

(笑)なるほど、そうすか……。

JW:だから、詳しいところまでは俺もよくわからない、ってこと。だから、彼はすごく……とにかくうまくやってのけてるし……ほんと、とても、とても腕が立つ奴なんだよな。彼がビートを持ち込んできて、そこから俺たちは一緒に音楽に取り組む、と。

でも、アンドリューのつくる音楽部は、基本的にあなたの書く歌詞とそのムードにマッチしなくちゃいけないわけですよね?

JW:うん、基本的にはそういうこと。うんうん。ただ、俺の歌詞ってのは……型に合わせることが可能っていうか、ループに合わせるのも、ある程度までは簡単にできるものだからね。ばっちりハマるときもあるし、イマイチ合わないなってこともあるわけだけど……んー、だから、かなりストレートなプロセスなんだよ。

 オーガニックのチキンを食った
 ありゃクソだぜ
 夕暮れの寝室で1日が終わる
“Cuddly”(2017)

“Cuddly”なんかはダブっぽいんですけど――

JW:うん、あれもアンドリューが持ってきたビートで、とにかくかなりダビーなものだよね。あるいはスカっぽさがある。

ということは、今作において音楽的な変化は意識しましたか? あなたたちのセットアップはとてもシンプルで、音楽的なバリエーションは決して多くないわけですけども。

JW:ああ、それはあるよね。「音楽的に広げなければ」の考えは俺たちにもあったし、ふたりともそこは自覚していたよ。だからスタジオに入るときも、その点はちゃんとケアしなくちゃいけないんだよ。でまあ──ラッキーなことに、これまでのところ俺たちには曲が浮かんできた、書き続けることができたわけだけども、今後「(書き手としての)壁」にぶつかることになったら、それはそれとして、やっぱ対峙しなくちゃいけないだろうな、と。

つねに踊れる曲を意識していると思うんですけど、ダンス・ミュージックであることのポジティヴな点をどのように考えますか?

JW:うん、そういうポジティヴな要素は間違いなく含めたいね。ポジティヴだし、ほんと、俺たちの音楽って実はポジティヴな形式の音楽なんだ。というのも、中身が濃い音楽だし、たくさんの思考が注ぎ込まれてもいて……だから根本的に、俺たちのやってるのってポジティヴなことなんだよ。でも、うん、かなり「ノれてがんがんヘッドバングできる」、俺たち流のそういうなにかをやるのは、自分たちにとって大事だね。

はい。でも、Youtubeとかであなたたちのライヴの模様を観ていると、お客のなかには「これってなに? どうリアクションしていいかわからない」みたいに当惑しているひともいますよね。

JW:……(沈黙)。

いや、もちろん、ノリノリで踊ってるお客さんもたくさんいますよ! ただ、なかには「ワーオ……! なんでこのひと、こんなに怒りまくってるの??」と不思議そうな表情を浮かべている連中もいるな、と。

JW:ああ……そうだよね。ただまあ、俺がライヴでああいう風なのは、とにかくエネルギーが強いからであってさ。自分は曲そのものの持つエネルギーを取り入れているだけ、なんだ。

なるほど。

JW:でも、俺はなにも……(ハーッと軽く息をついて)まあ、俺って気難し屋の厄介な奴になっちまうこともあるしね!(苦笑)

あっはっはっはっはっ!

JW:(笑)だから、自分には「とてもポジティヴなひと」とは言いがたいときもある、と。思うに、そういう面もちょっと出て来るんだろうね。自分のパーソナリティに備わった側面をそこに乗せてもいる、と。

でも、とくにライヴをやっているときですけども、基本的にハッピーで楽しんでいるオーディエンスと向かい合っていて、ふと「なんで俺はぎゃぁぎゃあわめいてるんだ? なぜ自分はこんなに怒ってるんだ? 俺ってフリーク?」なんて感じることはありますか?

JW:いやいや、それはまったくないよ。どのライヴでも、毎晩俺たちのやろうとしているのは同じこと。ステージに上がり、思い切りプレイして、曲を良く響かせよう、それだけのことだから。

そうなんですね。いや、こっちにいるあなたと年代も近い知り合いには、普段の生活のなかで思わず怒りを感じる、「これは間違ってる」と思うような物事に遭遇して、人目をはばからず声を上げて怒るひとがいるんですよ。

JW:ああ。

それは別に根拠のない怒りでもなんでもなくて、怒って当然ってシチュエーションなんですけど、それでも彼らが我慢せずに怒っていると、周囲の人間はそれが理解できずに「こいつ、なにに怒ってるの? 問題ないじゃん、チルしなよ〜」みたいな冷静なノリで。

JW:ああ、うんうん。

で、そういう目に遭うと、彼らは疎外感を抱くそうなんですね。「みんな黙ってるのに、怒る自分の方がおかしいのか?」みたいな。

JW:(苦笑)だろうね。

で、あなたもときにそんな風に感じるんじゃないか? と想像してしまうんですが。

JW:いやー、そういうのはないな。それはただ、俺たちのやってる音楽のフォームがそういうものだから、であって。ああいう「表現の形式」を、俺たち自身でクリエイトした、ということに過ぎないから。

ふたりとも、レイヴの時代(89年〜91年)には、20歳前後だったと思いますが、その頃レイヴにはまることありましたか?

JW:うん、当時の俺はレイヴ・カルチャーに相当ハマってたよ。90年代前半、91、92年あたりだったかな? クラブにさんざん入り浸って、エクスタシーを食っていた。

(笑)。

JW:だからしばらく間、レイヴ・カルチャーはつねに俺の一部だったね。

あなたがヒップホップ好きだったことは知られていますが、ハウス・ミュージックもOKだった、と。

JW:うん、好きだったよ。

ノッティンガムには、DiYというとんでもないレイヴ集団がいたのですが、ご存じでしょうか? 

JW:あー、うんうん、DiYね。

おー、ご存知ですか! 

JW:DiYは、うん、ノッティンガムではかなり名が知れていたよ。それにいまも、形を変えてある意味続いているし。

そうなんですね。

JW:ああ、彼らはその名の通りかなり「Do It Yourself」な連中だったし、ノッティンガムの歴史のなかに自分たちで塹壕を築いた、みたいな。

彼らはフリーでパーティを企画していた集団ですよね。

JW:うんうん。いまだにフリー・パーティは続いているよ、折に触れて、ね。

ちなみにあなたは、ゲリラ的な野外レイヴに参加したことは?

JW:ああ、1、2回行ったことはあったよ。でも、俺はそっちよりもクラブの方にもっとハマっていたんだけどね。無料の野外パーティに行くよりも、俺はクラビングの方が好きだったんだ。

それはたとえば、野外レイヴには「どうなるかわからない」不安定さがあったから?

JW:いや、っていうよりも、とにかく俺は……クラブに出かけるときにつきものの、「良い服でキメる」みたいなのにもっと惹かれていたからさ(笑)。

 やったな おい これがブツだ
 家でフェイマス・グラウスを傾けながら
 俺のケータイで良い感じの曲でも流して
 俺とお前でキマるのさ
 どうしようもないエクランド(女優)みたいな 
 俺らはダメイギリス人
 クソ輸入モノの1パイン缶を飲み干す
 スパーへの旅行は火星へ行くようなもん
“Drayton Manored”(2017)

[[SplitPage]]


Sleaford Mods
English Tapas

Rough Trade/ビート

PunkModRapElectronicMinimal

Amazon Tower HMV

オーステリティ・ドッグス』から『デイヴァイド・アンド・イグジット』にかけて、ガーディアンをはじめとする欧米の主要メディアはスリーフォード・モッズに対して最大限の賛辞を送りましたよね(※ガーディアンは2年連続で年間ベスト・アルバム/後者はWIREも年間ベストに選出)。スリーフォード・モッズは新人ではないし、それより何年も前から活動してきたあなたがたが、2013年頃から急に脚光を浴びたことについてはどのように思っていますか?

JW:ああ。まあ、あれはかなり妙な状況だったけれども、いまの俺はもう「大丈夫、気持ちの落とし前はついた」ってもんで。オーケイ、わかった、と。ってのも、これは俺にとっての「仕事」でもあるんだしね。だからああした突然の脚光についても、自分なりのパースペクティヴに収めることができてるよ。

なるほど。

JW:だから、いまの俺はもう、ああいうのに驚かされたりショックを受けることはなくなった、と。ってのも……仮に自分たちがもっとビッグになって成功していたら、もしかしたら、ちょっとはそんな風に感じるのかもしれないよな? ただ、俺たちの音楽がそこまで「大きくなる、人気が出る」ってことは、まずないだろうと思っているし。

(苦笑)そうですか?

JW:まあ、未来がどうなるかは誰にもわからないけどね(笑)?

たしかに、あなたたちの音楽は聴き手に向き合う/ある種挑戦する類いJW:のものだし――
うん。

いわゆる「万人に愛される」音楽ではないですよね。

JW:ああ、それはない! まったくそういうものではないよ。ただ、そうは言ってもいままでのところ俺たちの人気はますます伸びているみたいだし、「これからどうなるか、お楽しみに」ってところだね。でも、うん、急に脚光を浴びるとか、そういうのには俺も慣れたよ。

なるほど。でも、そうなる以前はやはり違和感があった、「ええっ? 俺って急に人気者かよ?」みたいな感覚があった、と?(※新作では彼らの成功への妬みへの憤怒もちょくちょく出てくる)

JW:イエス! そうだった。だから、俺たちのギグに急に有名人なんかが来るようになった云々、そういうのはちょっとばかし妙だったね。けど、うん、いまはもうオーライ。これはとにかく自分のやってる「仕事」につきものの一部であって、だからいちいち「わあ!」なんて驚いちゃいられないしね。

そうやって「突然の奇妙な状況」も受け入れられたのは、あなたのなかに変化に左右されないような、「スリーフォード・モッズとはなにか」っていう強い理解があったから、でしょうか?

JW:うん。だから、それはまあ……

あなたにとって、こういう音楽をやる動機ってなんですか? もちろん、あなたは音楽が好きで、だから音楽をできるだけ長くつくり続けたいひとだ、そこはわかってますよ。

JW:ああ。

でも、それ以外でスリーフォード・モッズをやる目的、動機と言えば?

JW:とにかく「良い曲を書きたい」、それだよ。そうやって良い曲を書き続けたいし……

そこで言ってる「良い曲」というのは、長く聴き継がれる曲、という意味で? たとえば“アナーキー・イン・ザ・UK”みたいな?

JW:まあ、“アナーキー・イン・ザ・UK”ってのは、フラストレーションのエネルギッシュな爆風、みたいな曲だったわけで。その意味で、あれは俺たちが初期にやっていた楽曲にかなり近いよね。ところがいまの俺たちっていうのは、自分たちのソングライティングの技術をもっと磨くべく努力する、そういう領域にグループとして達しているわけで。どこまで自分のソングライティングをプッシュできるかやってみよう、と。それに俺たちは、必ずしも以前のように「ものすごく怒っている」というわけでもないからさ。だからいまの俺たちは、それよりむしろ「曲づくりという技」を研究している、というのに近いんだ。

 俺たちは国会を乗っ取り 
 アイツらをぶちのめさなきゃならねぇ 
 当然だろう?
 あいつらは貧乏人を殺そうとしてるんだぜ
“Dull”(2017)


なるほど。そこはちょうど次の質問にも被りますが:怒り(rage)がスリーフォード・モッズの音楽の根源にあるとよく言われますが、新作においてもそれは変わりないと思います。あなたがたは明らかにブレグジットに対して怒っている。ジェレミー・コービンが非難されたことにも怒った。いま、いちばん怒っているのはナンに対してですか?

JW:あーんと……(フーッ! と軽く息をつく)いま、俺がもっとも怒りを感じるもの、かい? そうだなぁ〜、クソみたいなバンド連中とか(笑)?

はっはっはっ!

JW:(苦笑)クソみたいな、ファッキン・バンドども。

(笑)でも、ダメなクソ・バンドはずっと嫌ってきたじゃないですか。

JW:シットなバンド、同じくクソな音楽業界。ギョーカイは自己満なマスカキ野郎だし、政治もマスカキ。

でも『イングリッシュ・タパス』には、ダイレクトに「名指し」してはいませんけど、ボリス・ジョンンソン(※元ロンドン市長で、現英内閣の外務大臣である保守党政治家。EU懐疑派として知られ、ブレクシットでも大きな役割を果たした。ブロンドのおかっぱ髪と一見温和そうで政治家らしからぬ親しみやすい「クマのぬいぐるみ」的キャラで人気がある)のことかな? と解釈できるキャラが何度か出てきますよね(※“Moptop”、“Cuddly”の歌詞参照)。


 お前がやってることなんてまったく可愛くねぇよ 

 クソテディ・ベア野郎

“Cuddly”(2017)



 仲良くしろよって俺が言う前に

 そう言う前にセリフを忘れちまった

 あの野郎はブロンドだ

 おまけにモップトップだぜ

“Moptop”(2017)



JW:ああ〜、うんうん。

ということは、ボリス・ジョンソンはいまあなたが大嫌いな「道化野郎」のひとりなのかな?と思いましたが。

JW:ああ、最低なオマ*コ野郎じゃない、あいつ? 

(苦笑)。

JW:ファッキン・オマ*コ野郎。ただのクソだよ。

(笑)その通りだと思います……。

JW:っていうか、あいつはただの「ガキ」なんだよな。成長してない「子供さん」だから、こっちもどうしようもない、お手上げ、と。あいつはいまいましい子供だよ。というわけで……まあ、今回の作品で扱っている対象は色々だけど、その意味では、これまでとそんなに変わっていないんだ。

とはいえ『イングリッシュ・タパス』では、これまでにくらべて実在人物の名前を歌詞に含める、というのをあまりやっていませんね。

JW:ああ、そうだね。というのも、バンドとしてビッグになればなるほど……とにかく無理、ああいうことはやれなくなってしまうんだよ。ちょっとした嘆きの種をこっちにもたらすだけだ、みたいな。わかるだろ?

(苦笑)なるほど。

JW:それもあるし、自分のこれまでやってきたことを繰り返す、というのは避けたいわけで。だから、俺としてもただ他のバンドだの誰かをクソミソに罵るとか、そればっかり続けていたくはないっていう。仮にそれをやりたいと思ったら、(これまでのように実名ではなく)もっとさりげなくやるよ。だから……ビッグになればなるほどこちらに跳ね返ってくるものも大きくなるわけで、それにいちいち対応してると時間もやたらかかるし──

時間の無駄だ、と。

JW:そう。だからこっちとしてもわざわざ関わりたくないよ、と。俺は議論はそんなに得意な方じゃないし、誰かさんがなにか言ってくる、俺に反論してくるような状況って、対応に時間ばっかりかかるからさ。

それもありますけど、いまの過度なPC(ポリティカル・コレクトネス)の風潮、とくにSNSにおけるそれが怖い、というのもあります? 

JW:ああ、その面もあるよね。

ツィッターや発言の一部が、前後の文脈とまったく関係なしに取り上げられて、意図したこととは違うものが大騒ぎになったりしますし。

JW:うんうん。

でもツイッター上でのあなたはかなり活発ですよね? まあ、バンドをやっているから仕方ないでしょうけど。

JW:まあ、あれはやらないといけないしね。だから、間違いなくそういう面もあるけれど、んー、とにかくああしたもののベストな利用の仕方を自分で見極めようとトライするのみ、だからね。

SNSを罵りながら、あなたはツイッターを使い、たまに炎上していますよね? あなたがたは明らかにツイッターやSNSを嫌っていますが、使ってもいます。現代では必要なものだと思うからですか?

JW:ああ。まあ、欠点もあるけど、俺自身はそこまで気にしてないんだ。だから、乱用し過ぎると悪い結果に結びつくけど、そうならないように、たまにSNS等から離れるように心がけていればオーライ、と。

批判を受けたりツィッター上での粘着された経験があっても、別に構わない、やり続ける、と?

JW:ああ、もちろん! 全然、俺は構わないから。以前にいくつかそういうのもあったけど、そこにあんまりかかずらわっちゃいないしね。自分はそれほどあれこれと悩まされたりはしないし、そうならないようトライしてもいるし。

かつてよりも面の皮が厚くなった、と。

JW:イエス。まったくその通り。

**************

スリーフォード・モッズがケン・ローチの『わたしは、ダニエル・ブレイク』のプロモーションをサポートしたという話を聞きましたが、あなたがたは、あの映画をどのように解釈し、どこに共感しているのでしょうか?

JW:あの映画は、まだ観てないんだけどね。

ええっ、そうなんですか!?

JW:ああ。

でも、FBにあの映画の台詞を朗読するヴィデオ・メッセージをアップしてましたよね??

JW:うん、それはやったよ、うんうん。ただ、映画そのものはまだ観てないっていう。

あら〜、そうなんですね。

JW:だから……これから観なくちゃいけないんだけど、でも、あの映画がどんなものなのか、俺には観る前からすっかりわかっているよ。で……んー、だからまあ、どうなんだろうな? もちろん、どこかの時点で観るつもりなんだよ。ただ、あのヴィデオへの協力で俺がやろうとしたのは、あの映画の発するメッセージを応援する、ということだったわけでさ。

なるほど、わかります。でも、まだ観れていないというのは、単純に忙しくて観に行く時間がなかったから? それとも、あなたの知る現実にあまりに近い話なので、当事者として逆に観る気がなかなか起きない、という?

JW:うん、身近過ぎるよね。だから、あれは……心に深くしみる、そういう映画になるだろうし、自分が現役を退いたらやっと観れる、そういうものだろうね。でも、うん、いつか観るつもりだよ。

**************

最後に、UKのロック文化はなぜ衰退したんだと思いますか?

JW:どうしてだろうね? 俺にもわからないけど、やっぱりそれは、『The X Factor』でロックってものの概念にとどめが刺されちゃったから、じゃないの? だから、人びとはもうロック文化とはなにか? について学んだりしないし、なにもかも額面通りに受け止めるだけ、と。それにまあ、ここ10、15年くらいの間、イギリスで音楽的にすごいことってあんまり起きてこなかったしね。だから、いま出てきてる若い連中にとっても、励みになる、目指すような対象が正直そんなにたくさんいないっていう。で……いまのキッズが聴いてるバンドってのは、おそらく90年代発のバンド連中なんだろうし、それとか70年代勢に入れ込んでる子たちもいるよね。ただ、ただ……ギター・ミュージックってのは、もうさんざん複製されてきたものなわけでさ。だから、人びとにはもうちょっとイマジネーションを働かせはじめる、その必要があるんじゃないのかな?

はい。

JW:でも、バンド連中がやってないのはまさにそれ、であって。そんなわけで、レコード会社の側も「なんとなくいまっぽい」風に仕立て上げたアクトを色々と送り出してくるわけだけど、そこにはなにもない、空っぽなんだよ。そうしたアクトは、利益を生むためにコントロールされているからね。だから、イギリス産のアクトで伸びている、そういう連中はあんまりいないよね。ほんと。

ということは、もしかしたら90年代のオアシス以来、イギリスのロック界は変わっていない、と?

JW:ああ、そうだね。おそらく最後のグレイトなバンドだったんだろうな、オアシスが。

あ、オアシス、お好きなんですか?

JW:うんうん。素晴らしいよ──初期作はね。

(笑)なるほど。1枚目のアルバムはすごい! みたいな?

JW:ああ、(苦笑)1枚目ね。


 俺は自由にマスをかき 

 生まれながらにして自由 

“Dull”(2017)



 だからどうしたってんだ

 オレはやりてぇようにやる

“Army Nights”(2017)



(註)

『Xファクター』:2004年から始まり、現在も続くイギリス産の大人気リアリティTV。公募オーディション+視聴者投票による勝ち抜き音楽コンテストでレオナ・ルイス、ワン•ダイレクションら人気スターもこここから出発。「カラオケ・コンテスト」と揶揄する声もある。

OH91 Asia Tour 2017 - ele-king

 OH91——。この謎めいた記号は特定の化学物質を表すものではない。インドの国際電話番号「+91」でも、コーランの91章(スーラ)にならって「The Sun」を意味しているのでもなく、その太陽よりも高い位置で輝く今日のグライム・シーンで暗躍するひとりのプロデューサーを指している。OH91(オーナインワン)、名だたるプレイヤーたちと同じく、彼もまたイングランドのブリストルからやってきた。
 SkeptaやWiley、Stormzyらに代表されるMCたちの力作が続くここ最近のシーンにおいて、OH91はラップトップとCDJを駆使し、グライムとトラップの低音域化学反応を試み、クラクラするようなビートを熱心に発明してきた。このページの最後にあるプロフィールが言うように、彼は「グライムのプレミア・ヤング」であり、オーディエンスだけではなく、Sir SpiroやSpookyといった強者プロデューサー/DJたちからも注目を集める人物のひとりだ。
 そんなOH91が初の来日ツアーを敢行、3月3日に大阪、4日には東京にやってくる。両日とも、プレイするべき音を熟知しているDJたちが出るので、彼らと若き才能が衝突する火花散る夜を楽しんでほしい。

【公演情報】
【大阪】
【HILLRAISER Vol.2 ft.OH91】

2017年3月3日金曜日
会場:SocoreFactory
開演:19:00
料金:2000円+1D
出演:
OH91
young animal
CE$
satinko
ECIV_TAKIZUMI

【東京】
【PLAYGROUND】

2017年3月4日 土曜日
会場:Forestlimit
開演:23:00
料金:2000円+1D
出演:
OH91
Sivarider
DADDY VEDA
SHORTIE
Sakana
Shirakosound
dekishi

【プロフィール】
OH91(White Peach、Coyote Records)from Bristol

ブリストルの緊密な音楽コミュニティにおける重要人物、OH91(オーナインワン)。その超新星のごとき登場は2011年。以降、Kahn&Neek、Boofy、Lemzly Dale、Hi5Ghost、そしてJokerといったブリストルの同志たちや、良友のRoyal-Tとともに、過去6年にわたって自身のプロダクション・スキルに磨きをかけつつ、その周りで発展を遂げる膨大な音からも恩恵を受けてきた。彼の成長に真っ先に目をつけたブリストル拠点のインディペンデント・レーベル〈Durkle Disco〉と〈Subdepth Records〉からの一連のリリースに続き、2013年に〈Coyote Records〉から会心の単独デビュー作を発表。

その曲名は“Stealth”。このハードでサグいクラブ・チューンの照準はフロアへ直に向けられ、グライムのアイコンでありベテランのSpookyからは、リミックスという形で支持を得る。ファーストによって、広大なシーンの多くが彼のポテンシャルへ目を向けた。Royal-TのRinse FM内の番組で披露したライヴ・ミックスや、スリップストリームなクラブ・ブッキングの主催によって箔がつき、この1曲よって、彼はグライムのプレミア・ヤング・ビートメイカーとしての地位を確実なものとした。

そして2014年、よりヘヴィーでトリッピーなビートの“Goon Mode”は〈White Peach〉に見出され、4曲入りサンプラー「Peach Bits Vol.1」の1曲として12インチでリリースされた。その一方、シーンで暗躍し、OH91はMCたちのプロダクションにも目を向けはじめていた。今日に至るまで、ロンドンへ定期的に訪れ、Sir SpyroやGrandmixxerのような影響力のある人物の注目を浴びながら、KwamやMIKといったMCたちと楽曲を制作、そして後者との楽曲はFamily TreeのMCであるEgoとのフィーチャリング曲 “New Ting”として、彼のアルバム/ミックステープである『Ghostwriter』に収録されている。以来、先ほどのSir SpiroとはLil Nastyの2014年のシングル“I’m Heavy”でタッグを組んだ。

“New Ting”のバックドラックに、OH91は偶然にもRapidのクラシック・ナンバー“Xtra”の音を使用した。そしてレーベル・メイトのChemistと2014年の終わりに〈Coyote Records〉へ凱旋を果たしたのも同曲によってである。2曲入りの何も印刷されていない真っ白なラベルのレコードでリリースされると(この作品はレーベルの「WHT」シリーズの1目でもある)、リミックス曲“Xtra91”は10日も経たずに売り切れてしまった。

マンチェスターで産声をあげたばかりのインディペンデント・レーベル〈Trapped Audio〉からのリリースや、〈White Peach〉への凱旋作でもあるEP「Shanks」など、2016年もOH91は堅実に作品の発表を続けた。その一方で、〈Coyote Records〉のショー・ケースの担うひとりとして、Boiler RoomとFabricへ初出演。優れたDJとしての経歴にそのデビューは刻まれた。

2017年、MCを主体としたより多くのトラックのリリースと、3月には初のアジア・ツアーを予定。年を追う毎に、OH91は着実に前進していくのである。

Releases Info:
https://www.discogs.com/artist/3557160-OH91

Boiler room:

https://www.youtube.com/watch?v=&t=816s

Fabricmix:

Lawrence English - ele-king

 ローレンス・イングリッシュは、自身が主宰する〈ルーム40〉からヘキサ(ローレンス・イングリッシュとジェイミー・スチュワートのユニット)名義で『ファクトリー・フォトグラフス』というアルバムを2016年にリリースしている。これはデヴィッド・リンチの工場・廃墟写真集と音響作品を同梱した作品集で、もともとはリンチの展覧会で展示された写真作品のサウンドトラックであった。この『ファクトリー・フォトグラフス』のドローンは、リンチの写真イメージと同様に、インダストリーな廃墟感覚を醸し出しており、いかにもローレンス・イングリッシュ的な不定形なアンビエンスを称えた秀逸な音響作品である。

 不定形なアンビエンス。ローレンス・イングリッシュのドローンは、空気か雲のように、つまりは天候のように不定形だ。それは自然回帰などではなく、都市や文明空間のはざまに不意に表出するような不安定さや空虚さに似ている。いや、そもそも現代のアンビエント/ドローンとは、そういった「空虚さ」を、日々の生活や人生の中に導入する音楽とはいえないか。
 空虚であることの豊穣さ。この矛盾した言葉にこそドローン・リスニングの魅力があるように思える。だからこそリンチの工場・廃墟写真作品とイングリッシュらのサウンドは絶妙にマッチしたのだ。つまり、都市のなかにある空虚。ここに21世紀初頭を生きている「われわれ」の無意識に作用する文明観と音響感覚があるように思える。

 本年にリリースされたローレンス・イングリッシュの新作『クルーエル・オプティミズム』もまた同様の不定形なドローンの魅惑に満ちている。2014年にリリースされた『ウィルダネス・オブ・ミラーズ』は、ローレンス・イングリッシュの転換点ともいえるダーク・ドローン・アルバムだったが、この『クルーエル・オプティミズム』では、『ウィルダネス・オブ・ミラーズ』の方法論を継続しつつも、ゲスト参加したマッツ・グスタフソン 、クリス・アブラハムス(ザ・ネックス)、 トニー・バック(ザ・ネックス)、ノーマン・ウエストバーグ(スワンズ)、ソー・ハリス、ヴェァナー・ダフェルデッカーなど多彩なゲストとともに、現在の世界のムードを深遠に表現するようなアンビエント/ドローンを鳴らしている。それは不穏な世界への予兆のようでもあるし、不穏な世界を浮遊させる瞑想のようでもある。1曲め“ハード・レイン”冒頭、遠くの雷鳴のごとき衝撃音から、降り注ぐ雨のようなアンビエンスへの転換は、まさに荒れる気候、地球環境、世界状況を表象する音のようだ。
 さらに、本アルバムに収録されたトラックは、これまでのイングリッシュの、どの楽曲よりも明確なコンポジションを感じる仕上がりである。その頂点ともいえる楽曲が、6曲め“オブジェクト・オブ・プロジェクション”と7曲め“ネガティヴ・ドローン”であろう。持続音、環境音、ノイズ、それら「音楽」の痕跡が複雑に交錯し、ひとつ/複雑な音楽/音響を紡ぎ、構築しているのだ。まるでドローン・オーケストラのように。

 『ウィルダネス・オブ・ミラーズ』の制作時は「不安の雲が頭上にあった」と語るイングリッシュだが、数年の時を経て、彼は『クルーエル・オプティミズム』=「残酷な楽観主義」という名前のアルバムをリリースした。まるで残酷な楽観主義によって、不安の雲が世界を覆い尽くしたといわんばかりに。そう思うと、本作のアートワークや雨をモチーフにしたサウンドの意味も分かってくる(ちなみに「残酷な楽観主義」とは、アメリカの理論家=シカゴ大学教授ローレン・バラントの書名から取られたもの)。
 「不安定な天候」のように世界を覆う「残酷な楽観主義」。この必然としての合衆国の大統領選挙問題、難民問題、中東の戦争、UKのEU離脱、ジェンダー、人種差別など、21世紀初頭により表面化する深刻な世界情勢・問題。不穏。不安。本作のドローンは、そのような不安・不穏の世界に生きるわれわれの無意識にアジャストするメディテーションとして鳴らされているように思えてならない。

 結果的に、ここ数年でもっともショッキングなアカデミー賞授賞式になってしまった。自分もリアルタイムの放送を観ていたのだが、作品賞が『ラ・ラ・ランド』だと発表されて「今年もアカデミー賞は驚くようなことはなかったなー」と横になろうとしたら「間違いです。作品賞は『ムーンライト』です」との騒ぎに飛び起きてしまった。だが、まるでコントのような顛末以上に本当に驚くべきことは、貧しい黒人ゲイ少年を主役に据えた低予算の作品を、その古い体質を批判され続けるアカデミー賞が選んだことだろう。昨年の「白すぎるオスカー」から急旋回し、ビヨンセではなくアデルを選んだグラミー賞との差を見せつけた格好だ。昨年アメリカのエンターテイメント産業がもっとも評価した作品は、ビヨンセ『レモネード』でありフランク・オーシャン『ブロンド』でありそして『ムーンライト』であることはすでに確定していたが、それにしてもあのアカデミー賞までもが……。
 大本命と言われた『ラ・ラ・ランド』は、非常によくできたカラフルなミュージカル映画として多くの観客を楽しませたいっぽうで、「やはり白すぎる」という声も一部で上がっていた。曰く、ジャズを描いてるわりに黒人が白人カップルの背景として扱われている、というわけだ。もちろんそれに対する言いがかりだとか、行きすぎたポリティカル・コレクトネスだという反論もあったが、それでも客観的に見ると『ラ・ラ・ランド』は何だかんだ言って白人のおじさんが多くを占めるアカデミー会員には安全だろうなと想像できるものではある。僕自身、個人としては『ラ・ラ・ランド』よりも『ムーンライト』のほうをはるかに支持すると言いながら、後者がアカデミー賞の作品賞を獲ることなど絶対にないだろうと思っていた。だから、『ムーンライト』が大方の予想を裏切って作品賞に選ばれたのは、旧態然とした組織までもを動かす時代の要請があったのだろうと思わざるを得ない。

 ただ逆に言うと、それ以外に今年のアカデミー賞に驚きはあっただろうか? 自分にはどうもそうは思えない。司会のジミー・キンメルがトランプをからかうジョークを言えば言うほど気持ちが冷めていった。「リベラルも保守も関係ない」とキンメルはたしかに同じ口で言ったが、スターやセレブがゴージャスな格好をしてお互いの政治的立場を確認し合う仲良し会のように見えてしまう場面が多々あった。昨年の賞では、ノミネートに関わらずいかにハリウッドが業界全体でマイノリティを無視してきたかが浮き彫りになっていたわけだが、今年のノミネートのラインアップは一見様々な人種や階層の人間を描いた作品にスポットが当たっているように見える。それは多様性という観点では有効だし、たしかな前進と判断することもできるだろう。が、今年のアカデミー賞が決定的にオミットしていたものがある――それはクリント・イーストウッドだ。
 年末の紙ele-kingの年間ベストにイーストウッドの『ハドソン川の奇跡』を選んだのは、一般的には共和党支持者として知られる彼のその作品のなかで、政治的分断をも無効にする危機が取り上げられていたからである。それは、アメリカという国が直面する倫理的問題を見つめ続けてきた監督だからこそできる現状認識だろう。『ハドソン川の奇跡』が作品としてアカデミー賞にふさわしいかどうかはここで判断することは(アカデミー賞会員でもなくアメリカ人でもない自分には)できないが、しかし、それにしても彼の存在がかなり意図的に排除されているように見えてしまう場面があったのだ。それは、メリル・ストリープの過去の演技を讃える際に流された『マディソン郡の橋』の映像で、そこでは共演のイーストウッドの後ろ姿が数度映されるのみであった。映画監督としてはハリウッドに尊敬される存在であるから余計にややこしいが、政治的にはともかくこの場にふさわしくないとされる判断があったのではないかと邪推せずにはいられなかった。
 いっぽうでそのメリル・ストリープは大喝采である。ゴールデン・グローブ賞のスピーチでトランプを批判し、そしてそのことでトランプから攻撃されたことは彼女の「勲章」となった。キンメルが「過大評価された女優」とトランプの発言を引用してジョークを言うと、会場はスタンディング・オベーションで拍手を送る。それはしかし、業界の内輪のノリではないのか? 視聴率は今年も芳しくなかったそうだが、もちろん、トランプに投票した人びとのほとんどは大女優が讃えられるその映像を見ることもなかっただろう。だが『ハドソン川の奇跡』は、そうした人びとに向けても開かれた映画であったように自分には思えてならないのだ。

 7カ国からの入国を禁止する大統領令への反発として出席をボイコットしたイラン人監督、アスガー・ファルハディのスピーチには切実なものがあったと思う。問題はそうではなく、本人が望もうが望むまいが特権的な立場にいるスターたちが何にトライするか、だ。その点、『それでも夜は明ける』や『ムーンライト』に出資したブラッド・ピットは出席していなかったのか映像には映っていなかったと思うが、着飾って壇上で立派なスピーチをするよりも実践的だと言える。アンチ・トランプをセレモニーで叫ぶような単純な振る舞いではなく、いま起きていることを表現のなかに見つけたい。ショウが政治的になり過ぎるがゆえに、あるいは政治がショウとして消費されるがゆえに、作品本来の価値がそれに左右されることは避けられてしかるべきだ。

 だから、どうか、『ムーンライト』が「本命の『ラ・ラ・ランド』を抑えて政治的配慮からアカデミー賞に選ばれた作品」として残らないでほしい。『ハドソン川の奇跡』がそうであるように、賞の結果などに関係なく観られる価値のある映画だからだ。ここまで書いてきて何だが、本質的には賞などどうでもいいのである。
 『ムーンライト』はマイアミの貧しい家庭で……麻薬中毒の母親のもとで育った黒人少年が、父親代わりのドラッグ・ディーラーと交流し、やがて男に惹かれる様を叙情的に描いた作品だ。まるきりフランク・オーシャンの『チャンネル・オレンジ』であり、つまり、「わたしはゲイである」という社会的な表明ではなく、そのはるか前の段階としての恋の純粋な痛みを封じこめている。それこそがいままで見落とされてきた生から弱々しくも立ち上がるエモーションであり、その美しさに少なくないひとが気づき始めてきた時代の記憶としてそこに残されるだろう。

interview with Shota Shimizu - ele-king


清水翔太 - FIRE
MASTERSIX FOUNDATION

J-PopR&BSoul

(初回生産限定盤)
Amazon Tower HMV


(通常盤)
Amazon Tower HMV iTunes

 R&Bシンガー、清水翔太のデビュー10年目にしての並々ならぬ情熱が伝わってくる。清水が2016年にリリースした通算6作目となる『PROUD』が素晴らしい。それまでの彼の音楽から劇的な変化を遂げている。ゴスペルがあり、ヒップホップ・ソウルがあり、トラップがある。伝統的なリズム&ブルースの濃厚な味わいとJ・ポップの折衷があり、モダンR&Bのメロウネスがある。ドレイクやリアーナの影がちらつく。

 別の言い方をしてみよう。KREVAが最新作『嘘と煩悩』で「歌えるラッパー」としてのプロダクションの可能性をさらに追求したとすれば、清水は『PROUD』で「ラップするR&Bシンガー」の次なる可能性を提示している。日本語を母国語とする人びとが生み出したJ・ポップという音楽産業の荒波の中で――。

 「くだらないラブソングを聞いて/何がくだらないか見抜こうよ」「キツめの言葉でごめんなさい/でも、これで俺に保険はない」(“Good Conversation”)。清水は自身の想いをクールなテンションでそうラップする。清水は自ら曲と歌詞/リリックを書き、ビートを打ち込み、アレンジもこなす。言葉からは、彼の複雑な、そして熱い想いが滲み出している。

 日本語ラップ・ファンであれば、ラッパーのYOUNG JUJUが清水の楽曲を引用して話題となったことを知っているだろう。そんな清水は『PROUD』のリリース後、「My Boo」、そして先日「FIRE」という2枚のシングルをリリースした。“FIRE”は『PROUD』の経験を経て完成したヒップホップ・ソウルである。変化のときを迎えている清水翔太がいま何を考え、創作しているのか。おおいに、そして情熱的に語ってくれた。

清水翔太 『FIRE』Short Ver.

とにかく意味をわからせる、共感してもらう、みんなの耳に馴染みやすい音楽を作る、ということをずっと意識してやってきたんです。『PROUD』以降はそういう自制がかかるところを一切なくしたんです。

『PROUD』で音楽性が大きく変化した部分があると思います。その点についてまずお訊きしていいですか?

清水翔太(以下、清水):そうですね。僕の中でベスト・アルバム(『ALL SINGLES BEST』 2015年)を出すまではCDを出せることへの感謝というところで、自分を見つけてくれた人たちであったり、なるべく色んな人に還元できるようにしたいという感覚が強くあったんです。自分の音楽だし、そういう作品たちもすごく大事なんですけど、自分のエゴはあんまり出さずに、何を求められているかとかそういうことを考えながらやっていました。それをベスト・アルバムを出すことでリセットしたいというか、恩返し的なことは一旦終わりにしたんです。もちろんプロである以上は数字に対しての目標はつねにあるんですけど、その方法をちょっと変えていきたい、自分のやり方で狙っていきたいという思いが強くなった。実際にこれが売れるとみんなが信じているものをトライしてみてもいまいち思ったような結果が出なかったのもあって、自分のやり方で自分の音楽を主張することによっていまよりいい結果が出るかもしれないと考えるようになりました。でも、「じゃあどうすればいいのかな?」と考え始めたら、今度は全然曲が書けなくなってしまった。それでいまの環境でやっていることをやめて、いちど海外に住んでみようかなと思って、実際にLAに家を探しに行ったりとかもしました(笑)。

『ALL SINGLES BEST』を出したあと、『PROUD』をリリースする前ということは2015年くらいですか?

清水:そうですね。2015年だと思いますね。LAから帰国して思いっきり恐れずに自分の好きなことをやりまくる作品があってもいいのかなという気持ちになって、そういう気持ちにシフトした瞬間にバーッと曲ができて、『PROUD』が完成した。数字や評価よりもライヴをやってみたらすごく良くて、「これでいいのかな」という気持ちになれた。そういう経緯で作った作品でしたね。

USラップ・ミュージックやR&Bなどリスナーとしての清水さんが普段聴いている音楽をこれまで以上に創作に活かしていくというか、ダイレクトに直結させた作品なのかなと聴きました。先ほど「自分のエゴを出したかった」とおっしゃっていたじゃないですか。あるインタヴューで『PROUD』について“ドープ”という言葉を使って説明されていたと思うのですが、自分のエゴを出した部分はどういったところなのでしょうか?

清水:あんまりジャンルは意識していなくて、その瞬間に鳴らしたい音、言いたいことをバーッと言っちゃうみたいな感じで作りました。それまでは、これはちょっと言わないほうがいいかなとか、これは(リスナーが)意味がわかんないかなとか、自分でセーブしていたんです。とにかく意味をわからせる、共感してもらう、みんなの耳に馴染みやすい音楽を作る、ということをずっと意識してやってきたんです。『PROUD』以降はそういう自制がかかるところを一切なくしたんです。

例えば、タイトル曲の“PROUD”はラヴ・ソングという形を採りながら、音楽への愛や人生における向上心など複数の意味が折り重なっていますよね。

清水:そうですね。本当の意味でのラヴ・ソングは“lovesong”ぐらいしかないと思います。他の曲はラヴ・ソングっぽい書き方をしていても別の対象について歌っていたりしますね。このアルバムには裏テーマがたくさんあるんです。例えば、BUMP OF CHICKENに“K”って曲があって、けっこう好きな曲なんです。で、その曲の裏の意味や“K”というタイトルの意味について本人たちはそこまで説明していないんですけど、みんながそれを解明しようとしているんですよね。

リスナーとかファンが?

清水:そうですね。で、それを動画にしたりしている。『PROUD』について「この曲のここの歌詞は本当はこういうことを歌っていて……」という深読みをしてくれるんじゃないかと思っていたら誰もしてくれなかった。それはそれで意外と寂しいなと(笑)。

ははは。ただ、“Good Conversation”はわかりやすいですよね。「くだらないラブソングを聞いて/何がくだらないか見抜こうよ」とか、「キツめの言葉でごめんなさい/でも、これで俺に保険はない」とか、清水さんの先ほど語った気持ちを率直に攻めの姿勢でラップしています。

清水:そこはわかりやすいですけど、他にも裏テーマがあって意味深なところのある曲がアルバムの中にいっぱいあると思うんですけど、誰も言ってくれないなって……(笑)。なので、いまは自分だけの裏テーマみたいなものはそこまで入れずに作っていますね。

“MONEY”では、お金をテーマにして歌っていますね。「カネ」はヒップホップやラップの定番テーマでもありますね。青山テルマさんとSALUさんがラップしています。

清水:テルマにラップしてほしいなという思いがずっとあって、トラックが先にできてとりあえず軽いデモを作ってみようというところから始まりました。ヒップホップ的な観点だと、「俺は金を持ってるぜ」とかそういうリリックが多いじゃないですか。だからあえて“MONEY”というタイトルにして、お金が軸じゃなくて、男にお金を使って欲しそうな女性のことを書こうと思ったんです。女が男にお金を使って欲しそうな瞬間ってイヤじゃないですか。

ははは。

清水:僕はすごく嫌いなんですよ。卑しいじゃないですか。僕はまだ若いんでお金を目的に寄ってくる女性ってそんなにいないし、僕、お金そんなにないんですよ(笑)。

はっはっは。大丈夫ですか、そんなぶっちゃけて(笑)。

清水:だから余計にそういうシーンを見ると卑しいなと思って、自分の好きな女の子とか可愛い女の子がそうだったら嫌だなと思うんです。それよりももっとナチュラルな気持ちで異性と向き合っていたいし向き合ってほしい、という気持ちを曲にしたかったんです。だからタイトルは“MONEY”なんですけど、曲の中のストーリーは違うんですよね。そこは自分らしい目線かなって。

しかもSALUさんと一緒にやられていますよね。あるパーティで初対面して共作に至ったということらしいですね。

清水:知り合いのアーティストの誕生日パーティで会ったんですよ。自分は基本インドア派で限られた友だちとしか遊ばなくて、そういうところにはあまり行かないんです。でも、その日は珍しくフットワークが軽かったんですね。そうしたら、彼がいて。僕は彼が曲をYouTubeでアップしていたころから好きで、ずっと期待していたアーティストだったんです。でも、『PROUD』を出す前には思いきりやれていないコンプレックスというか、R&Bにせよヒップホップにせよ、コアなことをやっていたり、好きなことを思いっきりやっている人たちに対して怖さがあったんです。僕は「そっち側の音楽をやりたいし、作れるし、好きなんだけどなあ」と思っているけれど、「あいつは違う。リアルじゃねえから」みたいな線引きをされているんじゃないかって。「向こうはどう思っているんだろう?」って。でも話してみたら、「俺は(清水の音楽が)大好きだよ」という感じで来てくれたので、「それならぜひ一緒にやりましょうよ」とお願いした感じですね。

[[SplitPage]] 清水翔太 『MONEY feat. 青山テルマ, SALU』Short Ver.

いかにトラックがカッコよくても、歌がうまくても、コーラス・ワークがエグくてアドリブが良くても、詞がダサいと思うとなんか入ってこないんですよ。


清水翔太 - FIRE
MASTERSIX FOUNDATION

J-PopR&BSoul

(初回生産限定盤)
Amazon Tower HMV


(通常盤)
Amazon Tower HMV iTunes

J・ポップと呼ばれるジャンルがあるじゃないですか。一口に説明することのできないジャンルですけれど、清水さんはR&Bやラップ、ソウルやファンクなどのブラック・ミュージックをJ・ポップのフィールドでいかに表現して、しかもセールス的に結果を出すかを模索されてきましたよね。両者の融合の難しさはどこにあると感じてきましたか?

清水:まずいちばんに音楽としての純粋なR&Bというものが日本のリスナーにそこまで響かない。例えば、アーティストとしての人気があるとか別の要素が加われば、受け入れられるんですよ。だから人気のあるアーティストがそういう音楽に手を出したら売れたりもする。でも音楽一筋でやっているアーティストのR&Bってなかなか聴かれないんですよね。自分はビジュアルとか他のところのプラスアルファで勝負できる魅力ってそんなにないと思っているから、音楽だけでしか勝負できない。そこで、僕が思うのはやっぱり日本語ですね。

どのように歌ったり滑らかにラップでフロウして、いかに日本語を音としてハメていくか、というところのチャレンジですよね。

清水:そうですね。ただ自分なりにダサくない日本語の乗せ方を見つけてきてはいるんですよ。いつもそれだけを考えるんですよ。日本語のR&Bやヒップホップを聴いて、いいなと思うか、これは好きじゃないなと思うかの違いって日本語がうまく乗っているかどうかだけなんですよ。いかにトラックがカッコよくても、歌がうまくても、コーラス・ワークがエグくてアドリブが良くても、詞がダサいと思うとなんか入ってこないんですよ。そこはやっぱりナチュラルに聴けて、でもいいこと言っているとか、沁みるみたいな言葉のハマりと詞の良さというのが両立できているものが僕の中で響くんですよ。そういう音楽がR&Bには少ないですね。結局それならJ・ポップ寄りの音楽を聴いているほうが詞は刺さるんですよ。

清水さんは歌うようにラップすること、またラップするように歌うこと、その境界線をどれだけスムースに超えられるかを模索されているなと思いました。

清水:それがいちばんでかいですね。僕は日本語のヒップホップも好きで、唯一日本語でカッコよくできるのはヒップホップだと思っているんです。遊び心を入れられるんですよ。だから、ヒップホップとR&Bを合成していったほうがいいと思うんです。いまはアデルみたいなアコースティックな歌モノのR&Bと、リアーナみたいなヒップホップ的なR&Bがあるじゃないですか。僕はヒップホップのノリがあるほうが好きだったから、歌モノではなく、トラップの方向に行ったんですよね。そのほうが日本語を乗せてもカッコいいと思ったんです。だから『PROUD』もそういう作りなんです。ラップで韻を踏みまくって、メロウに歌う瞬間もある。そうやって日本語をカッコよく聴かせていくというテーマがこのアルバムにはありましたね。

例えば、KREVAさんのソロになってからのキャリアは「歌えるラッパー」になっていくことで、清水さんの場合はその逆で、「ラップする歌手」になっていくということをデビュー当初からやってきて、そして洗練させていく。そういうキャリアを経てきて、『PROUD』で清水さんなりの形を見つけたのかなと思いながら聴いていました。

清水:まさにそうですね。このアルバムに“N.E.E.D”って曲があるじゃないですか。すごくシンプルでオート・チューンを使っているあの世界観は、KREVAさんの“希望の炎”を継承している感じはあると思いますね。

たしかに。すごくわかります。

清水:日本語をカッコよく乗せていくとか、カッコよく聴かせるというところに関してずっとやり続けてきた結果が『PROUD』で出たかなという感じはしています。で、『PROUD』にはトラップっぽい感じのラップもありますけど、そこからヒップホップ・ソウルっぽいことをやろうとしたのが“FIRE”なんです。僕、エステルとかすごく好きで。

エステル、いいですよねー。UKの女性シンガー/ラッパーですよね。

清水:ローリン・ヒルも昔すごく好きだったし、ラップして歌う感じのルーツは僕の中にすごくあるんですよね。だからいまその感じは僕の中で前に出てきていますね。

先ほど触れた“Good Conversation”のファンキーなサンプリングのループやそのちょっと歪な鳴りから歌メロに入っていく感じとか、ローリン・ヒルの『ザ・ミスエデュケーション・オブ・ローリン・ヒル』に近いテイストを感じました。いろんなアイディアを持たれているんだなと。

清水:そうですね。“Good Conversation”は自分で作った曲ではないですけど、やっぱりいろんなルーツを持ちすぎて、それをどう出していくかということに迷ってしまう部分はありますね。いま次のアルバムを作らないといけなくて、“FIRE”ではヒップホップ・ソウルっぽい方向性をやって、次のアルバムもそういう雰囲気で行こうかなと思っているけど、やっぱり打ち込み始めると気づけばトラップを作っているんですよね。僕はだいたいビートから作るんですけど、“FIRE”はトラップのチキチキしたハイハットじゃなくて、ライドっぽいシンバルの打ち込みから始めたんです。そういう音ひとつひとつの生っぽい太さとかを意識しながらビートを打ち込んでいったので、生感のあるヒップホップ・ソウルみたいな雰囲気になったのかなと思いますね。

ビートから作るんですね。そこがもうヒップホップ的な作り方ですね。コードやメロディーから作るわけじゃない?

清水:じゃないですね。なんとなくのイメージがまず頭の中にあって、コードがこういう感じかなという雰囲気もありながらビートを作って、その上でコードを弾いていく。そうやって作っていくと、ビートと自分の中にあるなんとなくのコードがすごくハマる瞬間があるんですよね。ガチッとハマった瞬間に「これは作んないとな」とスイッチが入って本気で作り始める感じですね。

「気づけばトラップを作っている」というのは単純にいま好んで聴いているからということだけではない?

清水:トラップのビートだと、ラップっぽくフロウしていけるというのがあるんですよね。歌モノになってくると、AメロBメロの文字数とか、ストーリーとして組み立てるという制約が出てくるんですけど、ラップだととにかくまず歌詞を書くことができる。その後に歌いながらフロウを変えていったり、ここで韻を踏もうとか、あとから作り変えていける自由さがあって、結果的に言いたいことを完璧に言えるのはやっぱりラップが絡んでこないとできないんですよね。歌になるとキレイに組み立てられたものになっちゃって、自分の中の想定内の言葉で収まっちゃうんです。ラップになるとより自由に言いたいことが言えるんです。まさに“PROUD”っていう曲がそうなんです。

あと、曲名通りお酒のノリでラップする“Drunk”のトラップもそうですよね。

清水:そうですね。あの曲をカラオケに入れてほしいんですけどね(笑)。テキーラ5、6杯飲んで、「まだいくの?」ってときに「いくでしょ!」って片手で(テキーラを)持ちながらカラオケで歌いたいんですよ。(笑)。でも、入ってないんですよね。

はははは。あの曲はたしかに飲んでカラオケに行ってラップしたら盛り上がる。そう考えると“My Boo”のような恋愛感情の機微を描くラヴ・ソングは歌詞を作るのに苦労されるような気がするのですが、そうでもなかったですか? 

清水:“My Boo”を作るときはプロデューサー目線の自分が強くて、自分なりのキャッチーなワード・センスを出したりしていて、そこまで苦労はしていないですね。『PROUD』を経たいまの自分だからできるキャッチーさを一度しっかりやってみようとチャレンジした曲だったんです。だからすごく楽しみながら作っていましたよ。『PROUD』でやりたいことをやりきったというほどではまだないですけど、自分のエゴや欲が満たされた部分はあったので、ここらへんで一回くらい周りも安心させたかった(笑)。自分のリアルな恋愛観も出ていますしね。

[[SplitPage]] 清水翔太 『My Boo』Short Ver.

ただビジュアルがいい、ただ歌や声がいいというのに僕はあまり興味がないんです。小田さんといっしょにやって、「やっぱり自分はミュージシャンでありたいな」という気持ちが強くなったんです。


清水翔太 - FIRE
MASTERSIX FOUNDATION

J-PopR&BSoul

(初回生産限定盤)
Amazon Tower HMV


(通常盤)
Amazon Tower HMV iTunes

少し話題を変えるのですが、これまで多くのラッパー、シンガー、ミュージシャンと共作してきましたよね。自分の音楽観に影響を与えた客演とか、共作はありましたか?

清水:小田(和正)さんがすごく印象に残っています。僕は音楽をやる以上ミュージシャンでありたいんです。「ビートだけもらってラップだけやる」ではなくて、自分で音に入り込んで作りたい。いかにビートから作ろうがラップをバンバンやろうが、音楽的に何がどうなっているのか、というのをちゃんと話せる人間でいたい。あの曲(“君さえいれば”)はアレンジを小田さんがやられたんですけど、そのアレンジの過程を見ていると、全部の楽器が上手いんですよ。アレンジもするし、打ち込んでギターも弾いたりしていて、「ミュージシャンだなあ。カッコいいな」と思いましたね。自分もそうありたいし、音楽のプロである以上みんなにそうあってほしいとも思いますね。自分のできる範囲でいいと思うんですよ。それが例えばMPCでもいいし、ギター1本でもいいし、何でもいいからとにかく自分で奏でてひとつ作品を作れる、というのが僕のなかでの最低条件だと思っているんです。ただビジュアルがいい、ただ歌や声がいいというのに僕はあまり興味がないんです。小田さんといっしょにやって、「やっぱり自分はミュージシャンでありたいな」という気持ちが強くなったんです。

清水さんはギターも弾いて、ドラムも打ち込んで、自分で作曲もアレンジもしていますよね。それは子供のころに習得したものだったのでしょうか?

清水:いやいや、そんな偉そうなことを言いながら全部そんなに上手くないですよ。ピアノ、キーボードを15、6歳くらいのときに、ドレミファソラシドのドの音もわからないみたいなところから始めて、ギターもここ3、4年でちょっと触ってみているぐらいですね。ドラムも1年前くらいに電子ドラムを買った感じです。でも僕は教わるのが嫌なんで(笑)、全部自分で触りながらやっていきたいし、独学ですね。とりあえずは触っていくみたいな感じですね。ヒップホップ的な感覚でいけば、そんなに知識がなくたって、コードが全部わかって押さえられなくたって絶対いい曲作れますから。限られた技術や知識のなかでめちゃくちゃいい曲作る人もいっぱいいますしね。

「FIRE」のシングルの2曲目“Knocks Me Off My Feet”はスティーヴィー・ワンダーのカヴァーですよね。どうしてこの曲をカヴァーしようと思ったんですか?

清水:スティーヴィーの曲であの曲がいちばん好きなんです。それぐらいしかあの曲に関しては言うことがなくて(笑)。

ははは。ダニー・ハサウェイも大好きなんですよね。

清水:そうですね。いまでも歌自体の上手さというところではダニー・ハサウェイが僕のなかでいちばんですね。

ダニー・ハサウェイでアルバム1枚か1曲挙げるとするなら、清水さんはどれを選びますか?

清水:ベタですけどやっぱり『ライヴ』が好きです。あのアルバムのライヴ感って、いまでもずっと僕の理想としているライヴなんですよ。僕はお客さんにいっしょに歌ってほしいんですよね。それは自分にも責任があって、歌いたくなるようなキャッチーな部分がないから歌わないんだろうっていうのもあるんですけど、でも海外のアーティストのライヴってお客さんがバリバリ歌うじゃないですか。

そうですね。R・ケリーのライヴとか観るとすごいですもんね、オーディエンスの歌が。

清水:自分が客だったら聴こえないでしょ、っていうくらい客がほぼ全部歌うじゃないですか。自分のライヴもそうなって欲しいなって思うんですけど、でも曲のパワーがもうちょっと必要だなと思いますね。だから、“My Boo”を作るときに歌いたくなるフレーズも意識していたんです。そうしたら、あの曲がちょっとパーティ・アンセムっぽくなってくれたので、すごく嬉しいんです。北海道かどこかのクラブで“My Boo”が流れていて、それを客が大合唱しているのをツイッターで見て、「これこれ! これに憧れてた!」みたいな(笑)。だから、自分の理想とするライヴ像はあのアルバムからきてますね。それもあってキャロル・キングの“ユーヴ・ガッタ・フレンド”(ダニー・ハサウェイが『ライヴ』でカヴァーしている)をカヴァーしたんです。

ディアンジェロもすごく好きなんですよね。ディアンジェロでアルバム1枚選ぶとしたらどれですか?

清水:僕はぶっちぎりで『ブードゥー』ですね。

『ブラウン・シュガー』ではなく『ブードゥー』なんですね。

清水:『ブラウン・シュガー』から入りましたけど、もう『ブードゥー』を棺桶に入れてほしいですね。あれだけあればいいってレベルに好きですね。『ブラウン・シュガー』は音楽として完成されすぎちゃっている曲が多いというか、もちろん他のアーティストの曲と比べたら全然キレイじゃないですけど、ディアンジェロにしてはある程度キレイですよね。『ブードゥー』のぶっ飛び具合が好きすぎるんです。たぶん何万回か聴いたとしても発見があると思う。「やっぱりエグいな」とハッとする瞬間がいまだにある音楽はすごいですよね。

清水さんも『PROUD』で自分なりの“エグみ”を出して、そこで獲得した自信や方法論の延長で次作も創作していこうと考えていますか?

清水:そうですね。自由な感じはすごくありますね。やっぱりいままでみたいに「これはちょっと言わないほうが良い。ここはもっとキャッチーにしよう」みたいなのはやめたほうがいいとはすごく思っていますね。既存のキャッチーさではなくて、自分なりのキャッチーさとか、自分なりの表現をやればいいと思っていますね。

清水さんの音楽の変化に戸惑ったファンもいたんですか?

清水:それが意外といなかったと思いますね。もちろん多少はいると思うんですけど、想像してたよりかはだいぶ少ないと思います。そこが僕のリスナーのすごくいいところで、この10年のなかで僕の「本当はこういうことをやりてえんだ」というのを感じ取っているんですよね。

それは、『PROUD』以前のインタヴューなどでそういう葛藤とかジレンマみたいなものを表現されてきたからですか?

清水:軽くは言っていましたね。少しだけ。思っていた以上にファンのみんながそういうことを感じていて、だから「変わっちゃったね」というよりも「やっときたか」みたいな意見の方が多かったですね。

それは後押しになりますね。

清水:そうですね。ただ、「次のアルバムはマジでぶっ飛んじゃおう」みたいな気持ちになる日もあれば、次の日には「いや、もっと普通の聴きやすいものを作ろうよ」みたいな気持ちになったり、その次の日には「もうトラップっしょ」みたいな気持ちになったりするんでそういう自分にもう困っちゃうんですよ。しかもけっこう完璧主義なんでアルバムを通しての世界観とかを統一したいんです。でもそれを気にし過ぎると作れなくなるから、音楽は真剣に作るけれど、そういう気持ちとの向き合い方はテキトーにやらないとダメですね。自分のなかで良い曲なら良いというのがあるので、それがどういう形であれ、良い曲を作ればいいかなといまは考えていますね。

interview with Thundercat - ele-king


Thundercat - Drunk
Brainfeeder/ビート

Hip HopJazz

Amazon Tower HMV iTunes

 偏狭になる社会に反比例するようにいまこそ豊穣な広がりを見せる21世紀産のソウル・ミュージックだが、そのもっとも甘い展開がこのひとから届くと想像していたひとは多くはなかったのではないか。これは嬉しいギフトである。
 卓越したプレイヤーであるがゆえに数多くのミュージシャンの作品に客演として招かれてきたサンダーキャットだが、近年ではケンドリック・ラマー『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』、カマシ・ワシントン『ジ・エピック』への参加が彼にとってとりわけ大きな刺激になったのだろうと想像される。それらの作品が高く評価されたのは、新しい世代によるブラック・ミュージックの歴史に対する敬意とそれゆえの編集の巧みさがよく現れていたからで、それはサンダーキャットがかねてから自らの作品において取り組んでいたことでもあった。であるとすれば、彼が自分の個性を踏まえてその先を目指したのはロジカルな展開だと言える。
 サンダーキャットにとっての「その先」とは、結論から言えば、アクセスしやすくよく編集された歌ものポップスと自らのベース・プレイとの融合であったことが『ドランク』を聴けば理解できる。先行して発表されたマイケル・マクドナルドとケニー・ロギンスが参加した“ショウ・ユー・ザ・ウェイ”の70年代西海岸AOR路線は人選の意外さもあって驚きとともに受け止められたが、それとてアルバムのなかでは一部でしかない。西海岸の要素が強めとはいえ、そこに限定されたものでもない。ファンク、ジャズ、これまでの作品にも見られたエレクトロニカやヒップホップの要素、果てはソフト・ロックまでが現れて、しかしすべてはメロウでスウィートなソウルのフィーリングのなかに溶けていく。ケンドリック・ラマーやウィズ・カリファ、ファレル・ウィリアムスがゲストとして参加し、フライング・ロータスやカマシ・ワシントンらがプロダクションに参加するなど『ドランク』にはその人脈の広さがよく表れているが、全体を貫くのはサンダーキャット自身によるけっして線が太いとは言えない歌である。その軽やかさが中心にあるからこそ、演奏のテクニック主義に走りすぎない心地よいフワフワしたムードが保たれているのだろう。曲数が多く一曲一曲が短めなのも特徴で、このことから連想されるのはフライング・ロータスの諸作だ。その緩やかに変化し続ける時間のなかで、様々な時代の様々な音楽的要素が消えては現れ、あるいは過去と現在が優しくミックスされ、リスナーをじっくりとスムースに快楽へと導いていく。
 先述のマイケル・マクドナルドやケニー・ロギンスにしても敢えて狙ったわけではなく、単純に好きだから呼んだ、という無邪気さがサンダーキャットならではの闊達さに繋がっているように思える。それを彼は「ファンタジー」と呼ぶが、であるとすれば、強固に築かれた壁を溶かしてしまうオープン・マインドの持ち主だけが辿りつける極上の逃避行がここにはある。

俺は間違いなく黒人なわけだから、もちろんその経験は反映されてる。いまの社会で起きている問題を肌で感じないわけにはいかないよ。でも世のなかのすべてがひどい状態にあるわけじゃなくて、いまは人間として俺たちは逆境に立たされているんだ。もちろん、この作品は黒人としての体験を反映しているけど、地球上のほとんどの人間は有色人種なんだ(笑)。

ツアー前のお忙しいところお時間ありがとうござます。日本でニュースを見ていると、トランプとその反対勢力のデモ映像がこの1週間流れっぱなしです。日本もたいへんですがアメリカはいますごいことになっているようです。この騒動についてどう思われていますか?

サンダーキャット(Thundercat、以下TC):いまの状況を自分でまだ消化しきれてないけど、ただ言えるのは最悪な状況だね。それくらいしか言えないよ。あいつの言動によって、もっとバカな行動を取ってる連中が増えてる。いまのところは希望の光は見えていないよ。

アルバムが、ものすごくスウィートで、温かく、あなたは「ファンタジー」という言葉で説明しているようですが、この甘くドリーミーなフィーリングがとても素晴らしく思えました。エレクトロニック・ジャズ・ファンクとユーモアが混在したスペイシーなデルフォニックスというか。

TC:そういう音楽に確かに影響されてるし、俺の音楽にはジャズ、ファンク、フュージョンの要素は入ってる。だから、そういう風に言ってもらってもかまわないよ。

実際は、どういうサウンドを目指していたのでしょうか?

TC:自然にでてきたものを曲として作り上げただけなんだ。いろいろなクレイジーな体験をしたんだけど、自然体で曲を作ったんだ。

ヴォーカルのメロディラインのみならず、アートワークも70年代的なんですが、なぜ70年代を引用するのですか?

TC:70年代の影響はあるし、もちろん70年代に影響されてるけど、俺は1984年生まれだから、70年代を経験したわけじゃないんだ。ちょっと答えづらい質問だな。ただ俺が使ってる音色から、俺の音楽に70年代のフィーリングを感じる人はいると思う。70年代の要素は入ってるけど、それがメインの要素というわけじゃないんだ。

それではジャケのコンセプトについて説明してもらえますか?

TC:ジャケのアイデアは、エディ・アルカザール(Eddie Alcazar)というアーティストにインスパイアされたんだ。彼は映画監督であり、カメラマンでもある。エディ・アルカザールの要素と〈Brainfeeder〉を運営しているアダム・ストーヴァーのアイデアを組み合わせた。このジャケは、ホラー映画と70年代のレコードのジャケの要素が混ざっている。でも、それだけに限定されてるわけじゃなくて、いろいろな捉え方ができるんだ。

昨年は、大統領選ともうひとつ、ブラックライヴスマターに代表される現代の黒人運動がありました。『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』や『ジ・エピック』、あるいはビヨンセの『レモネード』はこうした運動と(共感するしないはともかく)少なからずリンクしていたと思います。『ドランク』にはケンドリック・ラマーも参加してますし、またずばり“Blackkk”なる曲もあります。あらためて訊きますが、『ドランク』はファンタジーであり、政治や社会とは切り離されて考えるべきでしょうか? 

TC:俺は間違いなく黒人なわけだから、もちろんその経験は反映されてる。いまの社会で起きている問題を肌で感じないわけにはいかないよ。でも世のなかのすべてがひどい状態にあるわけじゃなくて、いまは人間として俺たちは逆境に立たされているんだ。もちろん、この作品は黒人としての体験を反映しているけど、地球上のほとんどの人間は有色人種なんだ(笑)。だから、“ブラック”主体のアルバムじゃないんだよ。“ブラック”という言葉はヘンだと思う。ブラウンの人だっているわけだし、どこで線引きするかははっきりしてない。俺は黒人なわけだから、もちろん黒人の経験としての経験は音楽や曲名に反映されてるね。

時速100キロぐらいで走っていく“Uh Uh”もいいんですが、“Bus In These Streets”なんかはソフト・ロックにも聴こえます。この眩さってどこから来ているんですか?

TC:自然に湧きあがった気持ちを曲に反映してるだけなんだよ。アルバムを作りながら、「今度は速い曲を作らなきゃ」とか、そういうことを意識してるわけじゃない。俺はAbletonを使って曲を作ってるんだけど、直感的に曲を作れるから、プロセスが早くなる。だから、曲を聴いてると、自分の思考の流れがわかるんだ。俺が曲を作った順序通りに作品を聞くと、すごく遅い曲から、すごく速い曲とかがあるから、作ったときの気持ちがわかるんだよ。

1曲1曲が短く、アルバムは50分で終わりますが、この意図するところはなんでしょう?

TC:そのときの思考の流れをそのまま曲に仕上げてるからなんだ。自分のアイデアを曲として書いた時に、それがたまたま短かったんだ。俺の場合、五線譜ではなくコンピュータで曲を書いてるけどね(笑)。フライング・ロータスの“Descent Into Madness”を作ったとき、もともとは3部作のコンチェルトみたいな曲だったんだ。“Descent Into Madness”はフライング・ロータスのアルバムに入ってるけど、その曲の一部だった“Inferno”が俺のアルバムに収録されたんだ。だから、もともとは壮大な曲だった。その壮大な曲の細かいピースを、それぞれの作品に入れているんだよ。だから短い曲があったり、5分の曲があったり、30秒の曲もあるんだ。

アイズレー・ブラザースのサンプリングを使った“Them Change”。クールでスローなファンク・ナンバーで、個人的には好きな曲のひとつなんですけど、この曲にメッセージはありますか?

TC:失恋したことはあるかい(笑)? この曲は、ガールフレンドに対する怒りを表現してるんだよ。心を傷つけられたことについての曲なんだ。人生において、俺はいろいろな形で心に傷を負ったことがあるよ。それを全部この曲で表現してるんだ。恋愛での失恋だけじゃなくて、いろいろな意味での心の痛みを表現してる。“Heartbreaks and Setbacks”という曲と似たようなテーマだよ。人生において経験する様々な逆境についてなんだ。

マック・ミラーが日本盤のボーナス・トラックにフィーチャーされていますが、彼についてコメントいただけますか。

TC:彼は仲のいい友だちだし、しょっちゅうコラボレーションしてるよ。彼は根っからのミュージシャン気質だけど、テリー・ボジオやカマシ・ワシントンみたいなテクニシャン系のミュージシャンじゃないんだ。でも、彼は身も心もすべて音楽に捧げてる。俺とマック・ミラーは長い時間かけてよく制作してるんだけど、その一部がインターネットで発表されてるだけなんだ。この曲をアルバムに入れたかったのは、俺とマックの人生において傷ついてる時期だったからなんだ。いまの音楽業界において、音楽ビジネスによって汚されていないアイデアを表現するのは難しいんだよ。この曲は、2人にとって本当に愛情を込めて作った曲なんだ。このレベルでクリエイトできたことに、2人とも喜びを感じてたんだ。この曲をアルバムに入れると決めたとき、彼は「アルバムに入れてくれて本当にありがとう」って言ってくれたんだ。マックのことは前からリスペクトしてるんだよ。

いっぽうで『ドランク』はブラック・ミュージックだけに特化しているわけではなくて、たとえば“Show You The Way”でのマイケル・マクドナルドとケニー・ロギンスの存在も、このアルバムをもうひとつの側面を象徴していると思います。彼らのどのようなところが魅力だと思いますか?

TC:彼らと仕事できて嬉しかったのは、長年彼らの大ファンだったし、彼らの音楽に心から共鳴していたからなんだ。彼らの人生経験が、彼らのソングライティングにダイレクトに反映されてるところが大好きなんだよ。彼らの人生を彼らの音楽から感じ取ることができたから、俺もそのアプローチにインスパイアされて、自分の人生を音楽で表現したいと思うようになったんだ。そういう意味で、ジノ・ヴァネリもそうだけど、彼らは俺の先生のような存在なんだよ。

Dirty Projectors - ele-king

(細田成嗣)

 ダーティ・プロジェクターズによるセルフタイトルを冠した堂々たる最新作について、ひとまずはその表面から受け取ることのできるものを言語化してみることから始めてみよう。本作はこのグループの7枚めのアルバムであるとともに前作からメンバーがガラリと変わり、というかリーダーのデイヴ・ロングストレスしか残っておらず、改めてこのグループが通常の固定メンバーを従えたロック・バンドとは異なった、あくまでロングストレスの変名プロジェクトとも言うべきものであるということを印象付ける作品だった。アルバムの内容を眺めてみると収録された9つの楽曲は多様多彩であり、それぞれの楽曲ごとに参加メンバーも異なりコンセプトも異なるというヴァラエティーの豊かさがある。ビッグバンド・ジャズを彷彿させるホーン・セクションがあるかと思えば弦楽四重奏が加わった楽曲はまるで室内楽風でもクラシカルでもなく、あるいはバーナード・ハーマンの映画音楽を素材にした楽曲ではジョエル・マクニーリーの指揮によるロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の演奏の録音をサンプリング・コラージュし、かと思えば唯一の女声ヴォーカルであるドーン・アンジェリク・リチャードの歌が響き渡る。とっ散らかった印象を与えかねないそれら楽曲群が1枚のアルバムに収められることができたのは他でもない、彼のつまりロングストレスの歌声が全編を通して流れているからである。その声がおそらくは紐帯となっている。だがしかし、おそろしいのはその紐帯としての彼の声を彼は切り刻み変調し重ね合わせて録音し、自在に姿かたちを変幻しながらあらゆる角度から声の肌理の様相をあらわにしていることである。思えばダーティ・プロジェクターズの前作と前々作の特徴は3人の女声コーラスの見事なハーモニーがロングストレスの歌声と絡み合うアヴァン・ポップなロック・ミュージックであるところにもあったのだったが、そのフォーマットを根城にして新たな音楽に挑んでいくのではなく、やはりダーティ・プロジェクターズはロングストレスのプロジェクトなのであって、むしろそこからそうしたコーラス・ワークを手中に入れ、彼女らが不在の今作においても彼が彼自身の力量によってそれを披露したのだということなのだろう。そして今作において見過ごすことができないのはダーティ・プロジェクターズにおけるロングストレスのそうした前進と変化だけではなく、いや、ある意味ではそれに含まれもするのだが、彼とほぼ同世代で活躍する作曲家/電子音楽家であり元バトルスのメンバーでもあるタイヨンダイ・ブラクストンが参加していることである。

 一昨年リリースされたパーカッションと電子音のための作品『HIVE1』も話題を呼び、そのエレクトロ・アコースティック打楽器アンサンブルのアルバムは明らかにエドガー・ヴァレーズを参照点のひとつとしているとともにヴァレーズの遺産をいま一歩前に進め、それによって彼のもうひとつ前の作品『Central Market』において同様に参照され継承発展させられたイーゴリ・ストラヴィンスキーと併せてタイヨンダイ・ブラクストンの音楽的嗜好と背景の一端をある程度の幅を持って見ることができるようになったのだった。その彼が本作において参加しているのは5曲、全体のおよそ6割に参加しているのは単なるゲストというよりも半ば共作と言ってしまってもよいものだろう。モジュラー・シンセサイザーを用いた演奏やポスト・プロダクションを施す彼の手腕がロングストレスともっとも共振しているように聴こえるのはやはり“Keep Your Name”であり、それがもっとも不協和を奏でているような歪さを感じさせるがためにかえってふたりの類似と差異があらわれるところがおもしろく、また、別の共振のしかたを聴かせているとも言えるのは“Ascent Through Clouds”だろう。前者ではロングストレスの変調された低音のヴォーカルが印象的に響くところから幕を開け、彼が失恋の哀しみを歌い上げるそばでブラクストンによる変調された高音ヴォイス――あのバトルスがおそらくもっとも多くのリスナーの耳に焼き付けただろう“Atlas”で聴かせたそれ――が被さってきて、二声のエレクトロ・ヴォイスの対比的な絡み合いは見事としか言いようがない。しかし後者ではまるでぶつ切りにされたふたつの楽曲が強引に接ぎ木されたかのような構成をとっており、前半にロングストレスのヴォコーダーをかました歌声と爪弾かれるギターによるフォーキーな演奏、後半には打ち込みのビートにエレクトロニクス・ノイズとともに乗せられたブラクストンによる変調された高音ヴォイスのミニマルに反復する演奏がやってくる。そして後半にはさらにロングストレスの多重録音された歌声によるコール&レスポンスが差し挟まれていて、そこで生々流転する世界の循環について歌われたあとに続く打ち込みビートは興奮の閾値を超えるようにしてリズミカルにグルーヴする、それもまた圧巻なのである。そうした共同作業の成功の陰にあるのが、単に快楽主義的であるだけでなく、グリッチ・オペラや記憶のみを用いたアルバム・カヴァーなどといったアメリカ実験音楽の流れを汲むコンセプチュアルな作品制作に取り組んでいたロングストレスの音楽美学と、同様にアヴァンギャルドの遺産とエクスペリメンタルの可能性に浸りながら現代の音楽を創造するブラクストンのそれとのあいだに共有できるものがあったからなのかどうかは定かではないが、少なくともUSインディー・ロックなる矮小なジャンルには全くとどまることのないそうした志向をうちに秘めたふたりの音楽家の交わりのもとに生まれた最上の音楽のひとつがここにはあるのだということは言えるだろう。

細田成嗣

Next >> 小林拓音


[[SplitPage]]

(小林拓音)

 時代は変わった。昨秋リリースされたソランジュの『A Seat At The Table』は、インディ・キッズという迷い子たちを最新鋭のソウル/R&Bの領野へ誘導する決定的な分岐器となった。その領野から収穫された最高の果実のひとつが先日リリースされたサンファのアルバムであり、そしてもうひとつの果実がこのダーティ・プロジェクターズのアルバムである。
 サンファと同じように、デヴィッド・ロングストレスもまた『A Seat At The Table』でいくつかのトラックを手がけている。その経験が大きな転機となったのだろう。ダーティ・プロジェクターズにとって初のセルフタイトルとなったこのアルバムは、全編を通してR&Bへの強い意志に貫かれている。これまでの作品にもその要素は垣間見られたが、おそらく彼はいまはっきりと気がついたのだ。創造的な表現を試みる上で、ロックというフォーマットはもはや弊害にしかならないということに。
 失恋ソングの意匠を借りた冒頭の“Keep Your Name”は、一瞬ナオミ・クラインの名前に引っ張られて「これは商品や消費についての歌である」と解釈したくなるけれど、「バンドはブランド」というくだりを経るともうロックの失墜を憂う歎息にしか聞こえなくなる。「i wasn’t there for you(おまえのためにそこにいたんじゃない)」というブリッジの一節にはインディ・ロックに対するデヴィッドの複雑な思いが表れているし、その心情は「手遅れさ/巻き戻すことはできないんだ」という“Death Spiral”のヴァースからも聴き取ることができる。たしかに、ロックにできることなどもう何もないのだろう。バンドという形態に残されている可能性も皆無に等しい。「そんなことはない」とデヴィッドはこれまで、バンドに憧れるティーンエイジャーさながら自らに言い聞かせてきたのではないだろうか。だがついに彼はその慰めが現実逃避でしかないことを悟ったのだ。ソランジュが呪いを解いてくれたのである。

 とはいえデヴィッド・ロングストレスというタレントの創造性が、単なるR&Bという枠組みに収まり切るものでないことも容易に想像がつく。これまでダーティ・プロジェクターズが、ロックという沈没寸前の舟艇にしがみつきながらも特異なバンドたりえていたのは、彼の実験精神によるところが大きい。グリズリー・ベアのクリス・テイラーがプロデュースを手がけた『Rise Above』(2007年)には、「原曲を聴き返さずにカヴァーする」という大胆なコンセプトとアフリカ音楽の流用があった。その後かれらの評価を決定づけた『Bitte Orca』(2009年)や『Swing Lo Magellan』(2012年)には、リズムの探索や打楽器の音響的効果の開拓、それにかれらの代名詞とも言えるコーラスの妙技があった。その実験精神は姿を変え、このアルバムにもしっかりと受け継がれている。そのエクスペリメンタリズムの片棒を担ぐのがデヴィッドの旧友、タイヨンダイ・ブラクストンである。

 加工されたデヴィッドのヴォーカルが美しいメロディを紡ぎ出す“Ascent Through Clouds”は、中盤でぱたりと沈黙を迎えモジュラー・シンセを招き入れるが、この官能的なシンセ使いはまさしくタイヨンダイが『Oranged Out E.P』で試みていたものだ。“Keep Your Name”におけるサンプルの使い方もじつにタイヨンダイらしい。野太いシンセを命綱に快楽指数の高いパーカッションが冒険を繰り広げる“Death Spiral”でも、ブラック・ミュージックにおける伝統的なホーン・アンサンブルを解体しようとしているかのような“Up In Hudson”でも、そして『A Seat At The Table』のセッションの合間にデヴィッドとソランジュによって書かれ、ヴォーカルにドーン・リチャードを迎えたキラー・チューン“Cool Your Heart”でも、タイヨンダイの持ち味が遺憾なく発揮されている。その強烈な毒素はタイヨンダイが参加していないトラックにまで影響を及ぼしており、たとえば“Work Together”における音声のエディットと配置のしかたは、デヴィッドが電子音楽家としてタイヨンダイと肩を並べる域にまで達しつつあることを告げている。

 時代は変わった。いまやR&Bこそがエクスペリメンタリズムを展開するのに最もふさわしい土壌なのである。ダーティ・プロジェクターズのこのアルバムは、まさにそのような状況の変化を告げ知らせている。ためらう必要はないので言ってしまおう。本作はダーティ・プロジェクターズのキャリア史上、最も優れたアルバムである。

小林拓音

Next >> 野田努

[[SplitPage]]


(野田努)

 音楽はなぜ実験を必要とするのか──サティは旧来の音楽の硬直さに疑問を抱いた、シュトックハウゼンはロマン主義を否定しなければならなかった、ミニマル・ミュージックは陶酔を忘れた現代音楽に抗した。フランク・オーシャンをみればわかるように、R&Bとはポップ・ミュージックの最新型であり、音楽ビジネス・モデルの最新型であり、同時に広大な実験場である。かつてロックが大衆的実験場であったように。
 しかし『ダーティ・プロジェクターズ』における実験は、時代の要請というよりは個人的追求心の結実なのだろう。ブライアン・ウィルソンの『スマイル』のように、コーネリアスの『ファンタズマ』のように。
 『ダーティ・プロジェクターズ』を特徴付けているひとつは、細かいエディットとその繊細な音響加工とミキシングの妙技にある。『Blonde』の1曲目で歌っていたのは元メンバーで、デイヴィッド・ロングストレスの元彼女だったアンバー・コフマンだが、彼女はかつてメジャー・レイザーのご機嫌なレゲエで歌ったり、ちゃらいブロステップ系のルスコで歌ったりと、芸術的にはまるで一貫性がない。そして残されたロングストレスだが、タイヨンダイの強力なサポートを得たとはいえ、ひとりであるがゆえの想像力を拡張させ、かくもユニークなポップ・アルバムを完成させたというわけだ。
 “Death Spiral”や“Little Bubble”のような、いくつかの印象的な曲を聴くと、音楽的にみれば本作を『Blonde』や『ア・シート・アット・ザ・テーブル』と並べたくなるかもしれないが、クラウトロックめいた音響加工やミキシングの妙味を混入することの面白さでいえば、コーネリアスあるいはアーサー・ラッセルの“レッツ・ゴー・スウィミング”のような曲とリンクする。言うまでもなくダーティ・プロジェクターズとは、かつて脚光を浴びた(良くも悪くも素人臭い音響実験に特徴を持つ)ブルックリン系と括られており、10年前のリスナーはアニマル・コレクティヴのファンと重なっていたほど、フォーキーでローファイなインディ・ロックをやっていたバンドである。もちろんロックとは旧来は、このように他のスタイルをどんどん吸収しながら変化する音楽でもあった。
 本作の“Up In Hudson”や“Ascent Through Clouds”といった曲にはドゥーワップ的要素もみられる。だが、それらもレトロであることは許されず、いちいち音響加工されている。過剰に感じられるかどうかのすれのすれのレヴェルで音はいじくられ、タイヨンダイの力を借りていない曲のひとつ、“Work Together”における声のエディットやサンプリング・ビートの鳴り方は、コーネリアスどころか『ボディリー・ファンクションズ』の頃のハーバートさえ思い出させる。アシッド・フォーク調の“Ascent Through Clouds”は、それこそ60年代末のビーチ・ボーイズを現代にアップデートしているかのようで、ソランジュが作詞作曲に参加し、ドーン・リチャードが歌う“Cool Your Heart”は、カリブ海のリディムが咀嚼され、本作においてもっとも色気を持った親しみやすい曲となっている。つまり『ダーティ・プロジェクターズ』は、魅力たっぷりのスリルと冒険心を持ったモダン・ポップ・アルバムなのだ。
 音楽はなぜ実験を必要とするのか──我々のなかに前進したいという欲望があり、それを封じ込めることはできないからだ。このアルバムにノスタルジーは、ない。

野田努

Arca - ele-king

 ど、ど、どんと三段重ねのニュースである。アルカが〈Mute〉を離れ、〈XL〉とサインを交わした。そして4月7日にニュー・アルバム『Arca』がリリースされる。それに先駆け新曲“Piel”が公開されたが、そこではなんとアルカ本人が歌っている。
 本人によるヴォーカルがフィーチャーされているのは、今回公開されたこの1曲のみなのだろうか。それともアルバム全編にわたってアルカのヴォーカルが導入されているのだろうか。そのあたりの情報はまだ明かされていないが、レーベルの移籍やアルバムのタイトル、あるいは「内面」や「感情」といった本人のコメントから推測するに、来るべきアルカの新作はこれまでとは異なる作風に仕上がっている可能性が高い。
 「OPNとは何者なのか」という問いに答えが出ていないのと同様、アルカという現象もいまだ解明されていないと言っていいだろう。しかし今度の新作はもしかすると、「アルカとは何者なのか」という問いにひとつの手がかりを与える内容になっているのではないだろうか。まあ現時点ではまだ何もわからないので、さしあたりは公開された新曲を聴きながらおとなしく待っていよう。


A R C A
奇才アルカが〈XL Recordings〉との契約を発表!
最新アルバム『Arca』を4月7日(金)に世界同時リリース!
ジェシー・カンダによるアートワークと新曲“Piel”を解禁!

“我々の期待を完全に超えている”
- Pitchfork【Best New Track】獲得


Artwork by Jesse Kanda


これは僕の声であり、僕の内面の全てだ。自由に判断してほしい。
闘牛のように、喜びを求める感情の暴力を目撃することになる。
これは、感情のぶつかり合いの模倣的存在が、不自然なほど深く、自己陶酔していく姿なんだ。
- Arca

ベネズエラ出身ロンドン在住の奇才、アルカことアレハンドロ・ゲルシが〈XL Recordings〉と契約し、待望のサード・アルバム『Arca』の4月7日(金)世界同時リリースを発表した。長年のコラボレーターであるヴィジュアル・アーティスト、ジェシー・カンダの手がけるアートワークと、初めて自身の歌声を披露した新曲“Piel”を公開した。『Pitchfork』では早速【Best New Track】を獲得している。

Arca - Piel (Official Audio)

早くからカニエ・ウェストやビョークらがその才能を絶賛し、FKAツイッグスやケレラ、ディーン・ブラントといった新世代アーティストからも絶大な指示を集めるアルカ。セルフタイトル作となった本作『Arca』は、2014年の『Xen』、2015年の『Mutant』に続くサード・アルバムとなり、〈XL Recordings〉からの初作品となる。国内盤CDの詳細は近日発表予定。iTunesでは、アルバムを予約すると公開された“Piel”がいちはやくダウンロードできる。

Arca: Discography
『XEN』2014
『MUTANT』2015
BJORK『VULNICURA』2015
KANYE『YEEZUS』2013
FKA TWIGS『EP2』2013/『LP1』2014
KELERA『HALLUCINOGEN』2015
DEAN BLUNT『THE REDEEMER』2013
BABYFATHER『BBF: HOSTED BY DJ ESCROW』2016
FRANK OCEAN『ENDLESS』2016


label: BEAT RECORDS / XL RECORDINGS
artist: Arca
title: Arca

release date: 2017/04/07 FRI ON SALE

iTunes Store: https://apple.co/2m9K7um
Apple Music: https://apple.co/2l1GBNJ

Tracklisting
01. Piel
02. Anoche
03. Saunter
04. Urchin
05. Reverie
06. Castration
07. Sin Rumbo
08. Coraje
09. Whip
10. Desafío
11. Fugaces
12. Miel
13. Child
14. Saunter (Reprise) *Bonus Track for Japan

作品情報

『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』
2017年2月18日(土)より、有楽町スバル座、アップリンク渋谷ほか全国順次公開

監督:チュス・グティエレス
参加アーティスト:クーロ・アルバイシン、ラ・モナ、ライムンド・エレディア、ラ・ポロナ、マノレーテ、ペペ・アビチュエラ、マリキージャ、クキ、ハイメ・エル・パロン、フアン・アンドレス・マジャ、チョンチ・エレディア他多数
日本語字幕:林かんな/字幕監修:小松原庸子/現地取材協力:高橋英子
(2014年/スペイン語/94分/カラー/ドキュメンタリー/16:9/ステレオ/原題:Sacromonte: los sabios de la tribu)

提供:アップリンク、ピカフィルム 配給:アップリンク 宣伝:アップリンク、ピカフィルム
後援:スペイン大使館、セルバンテス文化センター東京、一般社団法人日本フラメンコ協会

公式サイト
https://www.uplink.co.jp/sacromonte/

 エレクトロニックなクラブ系の音楽にとって、フラメンコといえば、チル・アウトの一要素として流麗なギターが使われる程度のことが多い。しかし映画『サクロモンテの丘』のフラメンコの音楽と踊りは、はるかに荒削りで強烈なものだ。歌詞のストレートなあけすけさはラップに負けず、手拍子(パルマ)と踊り手のステップ(サパテアード)と打楽器的なギターによるリズムは、ミニマルなダンス・ミュージックに通じ、ときにトランシーでさえある。
 映画が撮られたのは、スペイン南部アンダルシア地方のグラナダ。町の郊外のサクロモンテの丘の洞窟には古くからヒターノ(ジプシー)が暮らし、フラメンコで身を立てている。グラナダ出身の監督チュス・グティエレスは、その丘と住民に焦点を当てた。


チュス監督

「ドキュメンタリー映画を撮ったのはこれがはじめて。テーマに興味があって、身近なものだったので、何かが語れる自信はあったけど、企画の段階では、それが何なのか、まだわからなかった。映画を作るときは、信じるものを追求して撮るだけよ。サクロモンテの人たちにインタビューすることからはじめて、撮りながら作っていったの」

 フラメンコ・ダンサー/歌手/研究者のクーロ・アルバイシンを案内役に、映画は少しずつサクロモンテに暮らす人々の中に分け入って行く。世界中を旅して回った人もいれば、踊るために結婚生活を断念した人もいる。ヒターノではないのに踊りを教える人もいれば、大人顔負けのステップを踏む少年もいる。インタビューや歌や踊りに合わせて、登場人物の若いころの姿などの貴重なアーカイヴ映像も挿入される。

「フラメンコは若い人たちの力強い踊りを見るものと思われているけど、わたしが感動したのは、年配の人たちが体力の限界の中で表現している微妙な動き。若い人のような激しさはないけど、抑制された踊りの動きが、かえって新しく見えたりする。その人たちは、みんな見よう見まねでフラメンコを覚えた世代の人たち。マノレーテのように、アントニオ・ガデスの踊りを見て影響を受けた人もいる」

 実は1963年の洪水で丘の洞窟住居は大きな被害をこうむり、以後ヒターノたちの生活環境も変化を余儀なくされた。

「この映画の主役はフラメンコだけでなく、昔ここにあった共同体のゆくえでもある。往年のこの丘ではフラメンコが生活と密着していた。それがどうだったのかを知りたかった。いまの子供たちはそんな環境には暮らしていない。学校で先生について学んで、伝統を受け継いでいる」

水害で失われたものは大きかったが、伝統が時代の変化に対応しながら継承されている様子は、映画から伝わってくる。ところでサクロモンテのフラメンコはアンダルシアの他の地域のフラメンコと異なる特徴を持っているのだろうか。

「フラメンコはフラメンコね。本質にちがいはない。ただ、狭い洞窟の店で、舞台の上ではなく、同じ目線の高さで、目と鼻の先にいる客を相手に踊るから、その熱が伝わってくる。床はセメントで、舞台の板のようには響かないから、音を出すためのステップも激しい。ライヴの場面は身内のパーティのような形で撮ったので、みんな親密にリラックスした形で、楽しんで踊ってくれた。奔放に踊るフラメンコになったと思う」

 イベリア半島は、8世紀から15世紀までイスラム王国の支配下だった。グラナダは最後の王国が残っていたところだ。グラナダのイスラム建築の精華アルハンブラ(アランブラ)宮殿の姿も、丘の上の踊りの場面で遠望できる。イベリア半島に残ったアラブの音楽家たちが、フラメンコの成立に影響を与えたという説もある。

「イスパニア王国はイスラム王国と戦うとき、鍛冶屋だったヒターノを連れてきて武器を作らせたと言われています。踊りの場面を撮影したタブラオ(フラメンコ酒場)の壁に金属の調理道具が飾ってあるのもその名残。アラブの音楽はフラメンコにもきっと影響を与えたでしょう。いまも北アフリカの弦楽器バンドゥーラを使ってフラメンコを演奏する人がいるし、踊り手が額にアラブの貨幣をつけて踊ったりもする」

 両者の古い関係は文献では跡づけられなくて諸説あるが、交流がまったくなかったとは考えにくい。短絡は避けなければならないが、推測する楽しみは尽きない。
 海外でのイメージとちがって、「フラメンコはスペインでは外縁的な文化扱いされ、大切にされていない。優れたアーティストは国外に出ていってしまう」と監督は嘆いていた。でもインドに起源を持つヒターノたちがユーラシア大陸の西端でフラメンコの担い手になったように、文化のDNAは国境や民族を越えて繋がっている。「だからこの映画も日本まで来ることができたのだと思う」と語る監督の目はうれしそうだった。

予告編

interview with Jeff Mills - ele-king




Jeff Mills & Orquestra Sinfónica do Porto Casa da Música
Planets

U/M/A/A Inc.

TechnoClassical

(初回生産限定盤)

Amazon
Tower
HMV



(通常盤)

Amazon
Tower
HMV


 まず確認しておくべきことがある。ザ・ウィザード時代に高速でヒップホップをミックスし、その後URのメンバーとしてヨーロッパを震撼させ、ソロでミニマル・テクノのフロンティアを切り拓いたあのジェフ・ミルズが、なんと今度はクラシックに取り組んだ! という意外性が重要なのではない。彼が幼い頃からSF映画などを通してクラシックに触れてきたであろうことを想像すると、今回のオーケストラとの共作がこれまでの彼の音楽的志向から大きく外れたものであると考えることはできない(実際この10年、彼はオーケストラとの共演を何度も重ねてきた)し、そもそもジェフ・ミルズのルーツであるディスコやハウスがいわば何でもアリの、それこそロックを上回るくらいの雑食性を具えたジャンルであったことを思い返すと、今回のアルバムがエレクトロニック・ミュージックからかけ離れたオーケストラの生演奏とがっつり向き合っていることも、これと言って驚くには値しない。ポルト・カサダムジカ交響楽団との共同名義で発表された新作『Planets』は、あくまでもこれまでの彼の歩みの延長線上にある作品である。だから、ちゃんとグルーヴもある。

 とはいえ、ではこの新作がこれまでの彼の作品の焼き直しなのかと言うと、もちろんそんなことはない。アルバムを聴けばわかるように、このオーケストラ・サウンドとエレクトロニクスとの共存のさせ方は、以前のジェフ・ミルズ作品には見られなかったものである。徹底的にこだわり抜かれた細部のサウンドは、テクノ・ファンには「オーケストラでここまで表現できるのか」という驚きを与えるだろうし、クラシック・ファンにはかつてない新鮮な余韻と感歎をもたらすだろう。ホルストを踏まえた「惑星」というコンセプトにも、ジェフ・ミルズ独自の視点が導入されている。それに何よりこのアルバムには、黒人DJが白人ハイカルチャーの象徴たるオーケストラをコントロールするという文化的顛倒の醍醐味がある。

 本作を制作するにあたりジェフ・ミルズ本人は、クラシックでもエレクトロニック・ミュージックでもない第3のジャンルへと到達することを目指していたそうだが、彼は1999年の『ele-king』のインタヴューで非常に興味深い発言を残している。「かつて僕は、スコアを書ける人間に自分の音楽を書き取らせようとしたことがあった・でも彼にはそれが出来なかった。というのもそこには、彼が上手く当てはまるような言葉にカテゴライズ出来ない要素がたくさんあったから」。要するに、ジェフ・ミルズの音楽をエンコードすることなどできないということだ。今回『Planets』で編曲を担当したシルヴェイン・グリオットは、しかし、見事にその不可能を可能にしてしまったということになる。だがそこで新たな困難が生じてしまった。プレイヤーがそのスコアを完全には再現できないのである。すなわち、オーケストラはジェフ・ミルズの音楽をデコードすることができないということだ。ゆえに彼は「譲歩」を強いられるが、まさにその折り合いのつけ方にこそ「第3のジャンル」の片鱗が示されていると言うべきだろう。だからこそ彼は本作に2枚組という構成を与え、オーケストラ・ヴァージョンとエレクトロニック・ヴァージョンを並置したのである。ジェフ・ミルズはいまコード化の可能性と脱コード化の不可能性とのはざまで、自らの音楽を更新しようと奮闘している。何しろ彼はこの作品を、100年先の人びとへも届けようとしているのだ。




クラシックやエレクトロニックのどちらでもない第3のジャンルのような音楽にまで到達できれば、と思いながら制作したね。

今回の『プラネッツ』は、2005年の『ブルー・ポテンシャル』から始まり、10年以上にわたって続けられてきたオーケストラとのコラボレイションの集大成のような作品で、ジェフさんにとっても念願の作品だと聞いています。クレジットでは「作曲:ジェフ・ミルズ、編曲:シルヴェイン・グリオット」となっていますが、このアルバムはジェフさんが原曲を書き、シルヴェインさんが編曲して、それに基づいてポルト・カサダムジカ交響楽団が演奏をおこない、それを録音する、というプロセスで作られたのでしょうか?


ジェフ・ミルズ(Jeff Mills、以下JM):プロセスについてはいま言ったことで間違いないけど、編曲をする段階で編曲者のシルヴェインとすごくいろいろな話し合いを重ねたね。話し合いの内容は具体的なアレンジ方法というよりは曲のコンセプトについて、たとえば惑星がどういったもので構成されているかといったことについてで、物質的なことも含めて音として表現したいと思っていた。たとえば土星であれば、その輪の重要性や、あるいは輪が凄まじいスピードで廻っているということに関して、「それはテンポに反映するのがいいのではないか、ならば土星はいちばんテンポを早くしよう」というふうに、コンセプトや科学的な事実をどういった形で音に反映するかということを話し合った。その話し合いの後、シルヴェインが編曲し、また変更点を話し合うといったやりとりを何度もおこない、曲を完成させていったんだ。

ホルストの「惑星」は神話がもとになっていますが、ジェフさんは科学的なデータに基づいてシルヴェインさんと曲を作っていったのですよね。神話の場合だと、たとえば「マーズは戦の神なので曲を荒々しく」というふうに曲のイメージがなんとなく想像できるのですが、惑星の物質的な要素を曲に反映させる場合は、いまおっしゃったような「土星の輪の回転速度をテンポに反映させる」といったこと以外に、どういったパターンがあるのでしょうか。

JM:僕もホルストからの影響は受けているよ。どういうことかと言うと、(僕は)実際の神話をもとにしてはいないけど、ホルストがそういった考えをもとに作曲したというそのことに影響を受けた。惑星に対してどういう見方をするかということを勉強した。僕の場合は、科学的な事実に基づくとともに、「僕たちが惑星をどのように見ているか」ということに重点を置いている。たとえばネプチューン(海王星)やプルート(冥王星)のような太陽系の端にある星というのは、いまだにわからないことが多くあって非常にミステリアスなんだけど、自分たち人間がまだすべてを把握できていないというその事実を音として表現したんだ。もう少し具体的な例を挙げれば、ガスで構成されている惑星、天王星や海王星は表面がはっきりと識別できないので、曲の雰囲気を軽くしてみたり、逆に岩石でできているような惑星は足元があるので、しっかりとしたソリッドな雰囲気で曲作りをおこなった。

なるほど。科学的な事実に基づいているとのことですが、個人的にはこのアルバムを聴いていて、たとえば8曲目の“マーズ”からは戦のイメージを思い浮かべたり、10曲目の“ジュピター”からは神々しさのようなものを感じたりしました。それはあらかじめ聴き手がそういう神話を知ってしまっているためかなとも思ったのですが、神話ではないにせよ、ある程度はジェフさんも意識して、人間が持っている惑星のイメージや見方を曲に込めていらっしゃったと考えてもいいのでしょうか?

JM:君の言う通りで科学的な事実だけに特化したわけではなく、普段から影響を受けているSFであったり、宇宙科学はもちろんのこと、たとえば火星に関する映画であったり、実際の惑星の写真であったり、人間が蓄積してきたものすべてから影響を受け、作曲をおこなった。宇宙科学の話で言うと、今後人類が火星に行くかもしれないという段階に来ているので、そういったこともいろいろと考慮しながら曲を作ったよ。

今回のアルバムはポルトガルのポルト・カサダムジカ交響楽団との共同名義となっています。ジェフさんはこれまでも様々なオーケストラと共演されてきたと思うのですが、今回一緒にアルバムを制作したポルト・カサダムジカ交響楽団が他のオーケストラと違っていたところがあれば教えてください。

JM:ポルト・カサダムジカ・オーケストラとは『プラネッツ』を制作する以前に別の作品で共演したことがあったんだ。その際に非常に良い印象だったことと、そのコンサートが大成功だったこともあって、オーケストラのマネージャーからも「また何か一緒にやりたい」という話をもらった。そのときちょうど『プラネッツ』を制作していたので、こういう作品を制作しているという話と、一緒にレコーディングしてみないかという話を伝えたところ、今回の共同制作が実現したんだ。

6曲目“アース”を聴いていて、管楽器奏者の息継ぎ(ブレス)の音が効果的に使われているように感じました。またこの曲は他の曲とは違って唐突に終わり、すぐ次の曲に移りますよね。「地球」は私たちの住む星なので、やはりこの曲には他の惑星とは異なり何か特別な意味合いや思いが込められていたりするのでしょうか?

JM:アレンジャーとの話し合いの際に強調したことは、もちろん「地球」は僕たちがいちばん慣れ親しんでいる星なので、何かなじみのあるような音をシンプルな形で表現したいということだった。地球自体は太陽系の中でも比較的若い星であり、その若さというものを表現したかったし、地球はまだ進化し続けているので、はっきりとした結末を迎えるのではなく、アンフィニッシュな感じの曲作りをお願いしたんだ。曲自体の長さもあまり長くならないよう心がけた。僕がオリジナル・スケッチを制作した際は、わりとおとぎ話のような雰囲気を持たせ、子どものようなイタズラ感のある音作りをしたんだけど、それは地球がまだ若い星であることに注目したからなんだ。

少し「地球」での出来事についてお伺いしたいと思います。去年アメリカで大統領選挙がおこなわれ、デトロイトでは失業したりした貧しい人たちがトランプに票を入れたという話を聞きました。まさにいまそのトランプが大統領に就任して、さっそく中東やアフリカからの入国を禁止する大統領令を発しています。彼はこれからもそういった政策をどんどん実行していくのだろうと思います。ジェフさんは昨年末『ハフィントン・ポスト』紙のインタヴューで、人種差別に関して「もう手遅れだ」というようなことをおっしゃっていましたが、このトランプの時代に何か私たちにできるポジティヴなことは残されていると思いますか?

JM:イッツ・ア・メス(めちゃくちゃだ)! この先4年間ローラー・コースターのようにいろいろなことが起こるだろうね。大統領たる人物が自分の好き勝手なことを躊躇せず発言しているけど、発言の細かい内容がどうこうではなく、そのような事態になってしまっているというモラルの低下がいちばんの大きな問題だと思っている。国のトップに立つ人物がそのような行動をすることによって、みんなに(悪い)例を示してしまっている状況だ。まだ大統領が就任して日が浅いから、これからそれがどのように影響していくのかはまだはっきりとは見えていないけど、みんなの雰囲気がいままでとは少し異なっているような印象を抱いている。インターネットの力もかなり大きいと思うけど、個人個人が好き勝手なことを発言してもそれが許されるという状況で、ますます洗練とは逆の方向に向かってしまった。その結果がどのような形になって現れるのか、はっきりとは言えないけれど、今後しばらくはこのような状況が続いてしまうのではないかと思う。ポジティヴなことは考えられないね。


[[SplitPage]]

僕が強調したかったのは「ミックスする」ということと「ミックスされた結果がどのようなものになるのか」ということなんだ。

ではまたアルバムについての話に戻りたいと思います。12曲目“サターン”の打楽器は、とてもテクノ的あるいはエレクトロニック・ミュージック的な鳴り方をしているように聴こえました。終盤から電子音が乱入してきますが、弦楽器がピッツィカートでそれと呼応・並走して、エレクトロニクスと生楽器との間におもしろい共存関係が成立していると思いました。16曲目の“ネプチューン”でもピッツィカートが電子音のように使われていますよね。今回このアルバムを制作するにあたって、オーケストラの奏でるサウンドをエレクトロニックなサウンドに「近づける」、「似せる」というような意図はあったのでしょうか?

JM:どちらかと言うとクラシカルな音とエレクトロニックな音がうまく融合して、区別がつかないような音像にしたいというのが最終的な目標だった。特に太陽から離れていった、太陽系の端にある惑星に関しては、そういったミクスチャーをより強調していくことを心がけている。むしろクラシックやエレクトロニックのどちらでもない第3のジャンルのような音楽にまで到達できれば、と思いながら制作したね。

なるほど。なぜこの質問をしたのかと言いますと、もし「近づける」ことが意図されていたのであれば非常に興味深いと思ったからです。実際は「似せる」ことではなく両者の区別がつかなくなることを意図されていたということですが、オーケストラ・サウンドをエレクトロニック・サウンドに「近づける」ことは、たとえば「人間がAIを模倣する」というような関係性に近いと思ったのです。一般的には機械やエレクトロニックなものは人間や自然を模倣して作られたものですが、それが逆転しているという関係性はおもしろいと思いました。もしそのような逆転があるとするならば、人類の未来のあり方としてそのような状況についてどのように考えますか?

JM:その考えはとてもおもしろいね。自分が考えていたのは2017年といういま人間が置かれている状況、つまり「ミックスされている」ことを表現したいということだった。人類が進化するにつれて性別や人種などいろいろなものが混じっていったということ。アメリカという国の成り立ちを踏まえても、「ミックス」という考え方を表現したかった。もうひとつ考えていたのは、与えられた情報をいかに有効活用するかということ。今回の『プラネッツ』に関しては科学的な情報を自分に取り込み、そこから何か新しいものを生み出すというような方法をとった。それは様々なことを伝える考え方で、僕が強調したかったのは「ミックスする」ということと「ミックスされた結果がどのようなものになるのか」ということなんだ。

細かい音を連続で鳴らすときに、エレクトロニクスの場合はひとつの音をすぐ止めることができると思うのですが、生の楽器の場合は構造上どうしても残響が生じてしまいますよね。アルバムを聴いていると両者のその差が揺らぎのようなものを形成しているように感じて、それはたとえば宇宙空間の無重力などを演出しているのかなと思いました。エレクトロニクスとオーケストラを共演させる際に最も苦心したこと、苦労したことは何ですか?

JM:揺らぎのようなものについてだけど、今回の作品では「旅」がメイン・テーマになっていて、宇宙は無重力空間だから、太陽から徐々に離れて太陽系の外に向かっていくということを止めることはできないんだ。そのため(演奏が)沈黙(サイレンス)する状態がないようにすべてが延々と繋がっているような曲作りをした。その際に浮遊感のようなものを演出するため、いろいろな工夫を施している。苦心したことに関しては、ひとつには楽譜を作っていく段階で、特に後半の“ウラヌス”、“ネプチューン”、“プルート”は譜面が難しくて、ミュージシャンが演奏するのに苦労した部分が多々あったこと。あまり難しくしすぎると(オーケストラのメンバーが)ミスなく演奏できないということが起こりえるので、そのあたりは多少の譲歩があった。そういう意味では、レコーディングだと1度きりのパフォーマンスと違って何度も演奏し直すことができるし、ポスト・プロダクションでそれぞれの音を多少調整することもできるから、レコーディングに関しては比較的スムースにおこなえたよ。もうひとつ、難しいというか大変だったのが、僕自身の楽譜というものがないから、自分で演奏するパートはもちろん、他のミュージシャンの演奏する音をすべて暗記して本番に臨まなければならなかったということだね。それに、(自分には楽譜がないので)決められた中である程度即興的に演奏しなければならなかったこともすごく苦労した。


いまこれを聴いてくれる人たちはもちろん、自分が100年前に作られたホルストの「惑星」を聴いていまでも楽しめるように、この『プラネッツ』も100年先に生きている人びとにも聴いてもらえるのであればいいなと期待しながら作ったんだ。

最終曲の“プルート”は終盤にノイズが続き、それが唐突に途切れて、その後15秒の沈黙(サイレンス)を経てトラックが終わりますよね。他方、ディスク2のエレクトロニック・ヴァージョンの方の“プルート”はフェイドアウトしていく終わり方です。オーケストラ・ヴァージョンの不思議な終わり方を聴いたとき、それまでアルバムの冒頭から旅を続けてきた人が急に宇宙という広大な空間に放り出されるような印象を抱きました。宇宙船なのか他のものなのかはわかりませんが、人類が自らの技術力に頼って最後の冥王星まで辿り着いた結果、難破してしまうようなイメージ、つまりある種のバッドエンドを想像したのですが、それは深読みでしょうか? なぜこのような形でアルバムを終わらせたのですか?

JM:“プルート”の終わりにあるノイズは、太陽系を出たところにカイパーベルトという宇宙の塵のようなもので構成されているリングがあるんだけど、それを塵=ホワイトノイズとして表現している。15秒のサイレンスについては、たしかに僕たちが実際に聴くことのできる形での音楽はそこで終わっているけれど、マスタリングの際に沈黙の部分を可能な限りレヴェルを高くして何度も何度もサイレンスを重ねることで、そこにじつは非常に高いレヴェルのサイレンスがあるようにしたんだ。もしもそこに沈黙ではなく音を配置したとしたら、スピーカーが飛んでしまうようなレヴェルの沈黙になっている。それはつまり、自分たちが知っている太陽系というものを出てしまった後は本当に未知の世界で、何がそこに潜んでいるのかわからないから、非常に注意しなければいけないという警告の意味があるんだ。なのでここで終わってしまった、ということではないね。

ジェフさんは先ほどこのアルバムは「ジャーニー」がテーマであるとおっしゃっていましたが、頭から順番に通して聴いてみると次々に惑星を訪れていくような映像が頭に浮かびます。そこで旅をしているのは一体誰、または何なのでしょうか? 人類なのでしょうか? それともたとえばボイジャー探査機に搭載された人類の情報を刻んだレコードのような、人の思いや願い、あるいはメッセージのようなものなのでしょうか?

JM:旅をしているのは基本的に人間だ。誰のためにこれを作ったのかということを説明すると、いまこれを聴いてくれる人たちはもちろん、自分が100年前に作られたホルストの「惑星」を聴いていまでも楽しめるように、この『プラネッツ』も100年先に生きている人びとにも聴いてもらえるのであればいいなと期待しながら作ったんだ。この作品はそういう未来を見据えた考えに基づいている。“ループ・トランジット”という、惑星と惑星の間を旅するというコンセプトのセクションが9つあって、その箇所は現在の人間の知識では基本的に無の空間として認識されると思うんだけど、いまの人間の能力では何も見えず、何も聴こえず、何もわからないだけであって、もしかしたら何百年も経った後にはそこに何かがあるということを人間が発見するかもしれないよね。そういったことが起こりうるということを期待しつつ作曲したんだ。

このアルバムはオーケストラのサウンドがメインになってはいますが、いくつかの曲からはいわゆる普通のクラシックの曲からは感じられないテクノやダンス・ミュージックのグルーヴが感じられました。それは意識して出されたものなのでしょうか? それとも自然と出てきたものなのでしょうか?

JM:僕のオリジナル(・ルーツ)としては、やはりグルーヴ(・ミュージック)から入っていったので、グルーヴについては入れ込めるところには可能な限り入れたいと思っている。アレンジャーのシルヴェインももともとジャズのピアニストなので、彼自身ファンキーなことはできるし、ふたりでできる限りそういった要素を入れることを試みたよ。

このアルバムはCD2枚組になっていて、2枚目には1枚目の楽曲のオリジナル・エレクトロニック・ヴァージョンが収録されていますよね。両者を聴き比べるとその違いが際立ったり、いろいろなイメージが膨らんだりしておもしろいのですが、なぜこのような2枚組という形態にしたのでしょうか? 『プラネッツ』というアルバムはオーケストラ・ヴァージョンだけでは完結しない、ということなのでしょうか? それとも2枚目はあくまでボーナスあるいは参考資料のような位置づけなのでしょうか?

JM:(2枚組にしたのには)『プラネッツ』という作品の全体像をみんなに把握してもらいたいという意図があった。オリジナル・エレクトロニック・ヴァージョンの方もボーナスという位置づけではなくて、作品に欠かせない存在だ。あえてオリジナルのトラックをみんなに聴いてもらうことで、「クラシカルなアレンジをすることでそれがどのような変化を遂げたのか、どの部分が取り上げられてどの部分が取り上げられなかったのか」ということをいろいろと考えてもらったり、評価してほしいという意図があるんだ。





  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431