「Ord」と一致するもの

Interview with Open Reel Ensemble - ele-king

 はじめに言っておくと、オープンリールというのは記録再生装置であって、けっして楽器の名ではない。しかし「オープン・リール・アンサンブル」なるこの5人組ユニットの発言にはたびたびそれを「演奏する」という表現が登場するから、困惑する人もいるだろう。

 はたして彼らはそれを本当に「演奏する」のである。

 東京を拠点として、いまや世界を舞台に活躍する5人組、オープン・リール・アンサンブル(以下ORE)。言葉を積み上げるよりも、ここは一見にしかず。ライヴ映像を一本ご覧になれば、彼らがどんな「演奏」をするのか、そのおおよそが見てとれるだろう。そして同時に、彼らがいかに定義と説明の困難な表現活動を行っているかということも、一瞬でご理解いただけるはずだ。

 以下は、そのオープンリールを「演奏する」男たちに、彼らの活動原理と理念、表現内容について解きほぐしてもらったインタヴューである。

 それは音楽のようであり、パフォーマンス・アートのようであり、ただ実験であり、遊びのようでもあり、歴史の研究であり、ワークショップ(教育)でさえある。さまざまな形態に分化しながらも、彼らは、はじめてオープンリールに触れたときの驚き──テープが回り、手のひらでダイレクトに音が歪む感触を得たという、その鮮やかな感動に駆動されて、いまも活動と探求を続けている。「オープンリール」と発音するときの彼らの目は、表現者というよりも、ほとんど冒険者であり科学少年のそれだ。


Open Reel Ensemble
Vocal Code

Pヴァイン

ElectronicExperimental

Tower HMV Amazon

 いったい彼らはオープンリール──歴史的にはいちどその役目を終えている装置を通して、何を再生しているのだろうか。

 今月発売されたアルバム『Vocal Code』への質問から、話題はいつしか宇宙をめざすエキゾチズム、“空中特急”の隠されたテーマ──彼らの持つ近代観/未来観、そして文明という「主電源」をオンにすることの興奮と畏れについての述懐へと深まっていった。

 演奏をご覧になったならばぜひ、「3ページめ」だけでもお読みいただきたいと思う。2020年、かの祭典の5つの輪に向かって5台のリールを回すのは彼らしかいない。

■Open Reel Ensemble / オープン・リール・アンサンブル
2009年より、和田永(Concept, Programming, Compose)を中心に佐藤公俊(Compose)、難波卓己(Vln)、吉田悠(Per)、吉田匡(Bass)が集まり活動開始。旧式のオープンリール式磁気録音機を現代のコンピュータとドッキングさせ、「楽器」としてして演奏するプロジェクト。リールの回転や動作を手やコンピュータで操作し、その場でテープに録音した音を用いながらアンサンブルで音楽を奏でる。2011年6月に発売されたNTTドコモのスマートフォン「GALAXY S SC-02B」”Space Balloonプロジェクト”(第15回文化庁メディア芸術祭エンターテイメント部門大賞プロジェクト)に音楽で参加し、10月には初となる音源作品『Tape to Tape』を5号オープンリールテープにて限定数リリース。ライブパフォーマンスへの評価も高く、Sonar Tokyo、Sense of Wonder、KAIKOO、BOYCOTT RHYTHM MACHINEなどに出演。海外ではSONAR 2011 Barcelona、ARS ELECTRONICA(in Linz of Austria)に出演している。2015年9月、佐藤と難波が「卒業」。

オープン・リールを初めて触ったときに、これは何かできるぞ、という感触があった──それがともかくもスタートなんです。(和田永)

これ……すごいですよね。


『回転 ~En‐Cyclepedia』(学研マーケティング、2013年)

和田永:はははは!

真面目な話、ネットにインタヴューもいっぱい上がってますし、なによりこの本を読めばOpen Reel Ensemble(以下ORE)については十分なんじゃないかと思います。編集者の方も素晴らしいですが、みなさんご自身もこの中ではかなり編集的に立ち回っておられますよね。誰にどんなインタヴューをするか、みなさんが決められたんですか?

吉田悠:そうですね。それぞれ要素に分けてお話をききたいと思ったんです。音楽的な面は誰で、機械の面は誰で、という感じで。

そうそう。ただ憧れの人に訊きました、というのではなくて、一冊を「編んで」いますよね。

吉田匡:ドクター中松が入っていないのが……心残りなんですけど。

お、では第2巻に期待ですね。そもそもOREはコンセプチュアルなバンドだなと思うわけなんですが、高木正勝さんへのインタヴューの中では、高木さんが「OREは僕と似ているんじゃないか」という旨のご発言をされていますね。いわく、「僕たちはプロではなくて“素人”なんじゃないか」と(※)。

和田:ああ、なんか思い出してきました!


※「いきなりですけど、実はね、オープンリールアンサンブルって僕と似てるなって思っているんです。僕って「音楽家」じゃないんですよ」「音楽のジャンルっていろいろあるじゃないですか。そこに「素人」っていうジャンルがあったら、僕はそこにぜひ入れてほしいなって思ってて(笑)」


たしかに、たとえば「エレクトロニカを突き詰める」というようなジャンル・マスター的な性質のバンドではなさそうですし、「年間シングル何枚出さなきゃいけない」というような産業的な条件にしばられたポップ・バンドでもないですし、かといってアート・パフォーマンス集団、と言うには音楽的すぎる。「プロ」じゃないという独特のニュアンスはよくわかるんです。
 みなさんご自身は、自分たちを何だと思っていらっしゃるんですか?

和田:そうですね、自分たちでそういう線引きを考えたことはあんまりないというか。オープン・リールを初めて触ったときに、これは何かできるぞ、という感触があった──それがともかくもスタートなんです。そのおもしろさや感触を伝えようと思ったし、どうやったら伝わるんだろうって考えた。それで生まれたものが、結果的にはジャンルの横断を起こしていたという感じでしょうか。オープン・リールによる演奏を見つけていく中で聞こえてきた音楽や見えてしまった世界を表現しているというか。

吉田匡:使える技術があって、知っている古い機械があって、それを併せたら新しいことができると思いました。しかも、オープン・リールをズラっと並べて、人も揃えれば、バンドみたいなことができるんじゃないか、って──感覚的にはバンドの結成みたいなものでしたね。僕や兄は楽器ができる人間だったし、バンドの経験があったので、そういう役割としてOREに加わったという感じです。
 でも、やっているうちに、このオープン・リールっていう機械がどこまでのポテンシャルを持ったものなんだろうって、その可能性を掘りつくしたいという思いもどんどん出てきて。

和田:確かに(笑)。

吉田匡:だから、たとえばオープン・リールのことを知らない人たちに向けて、このデッキの素晴らしさを伝えるワークショップをやったりとか、そういうことに専念した時期もありましたね。
活動としては、CDを出したり、音楽事務所に所属したりでミュージシャンっぽいんですが、もう……ほとんど、オープン・リール宣教師というか。

和田:まさに。

吉田悠:うん。

ははは! いや、まったく同じ表現を思い浮かべましたよ。「オープン・リール宣教師」──私のほうは「オープン・リール伝道師」かな。

吉田悠:高木正勝さんの言葉をいま思い出していたんですよ。先ほど「アート集団」とか「ミュージシャン」とか、いくつか表現が挙がりましたけど、そういう言葉には歴史とともにいろんなイメージが付随しているものじゃないですか。そういうイメージのために僕たちのやっていることが定義づけられてしまうのはもったいないなという感覚があるので、自分たちで自分たちのことをとくに名づける必要はないかなと思ってます。そういう意味で「素人」かもしれないですね。
 やっぱり、なにか、答えられないんですよね……「ミュージシャンなんですか?」って言われても、「はい」って(笑)。

和田:ひとつひとつ、便宜的な表現でしかないんですよね。

もう……ほとんど、オープン・リール宣教師というか。(吉田匡)

やっぱり、なにか、答えられないんですよね……「ミュージシャンなんですか?」って言われても、「はい」って(笑)。(吉田悠)

そうですね。まあ、資本主義においてはそれがないと流通していかないから、仕方なくプレス・リリースに一言で説明しなきゃいけない(笑)。

吉田悠:そうなんです、ぜったい訊かれますから。「何をする集団なんですか?」って。ビデオの資料をつくるときなんか、「何をする」っていうよりも、あれもこれもできることをすべて入れていきます。でも、それで納得してくれる人もいれば、「で、結局何に特化した人たちなの?」って困る人も多くて(笑)。

わかりますよ。

和田:それでもやっぱり、言葉に区切りきれない部分があるんです。ただ、いちばん中心にあるのはヴィジョンかもしれないですね。オープン・リールっていうものの、まさに宣教師、伝道師──それを使った独自の進化、風景を見せるものというか。OREっていうのは、ガムラン・アンサンブルをもじってるものでもあるんですよ。オープン・リールでアンサンブルをすることを中心にして、いろんなところに触手が伸びていってる。
 どこかに到達したということはなくて、いまもつねにそのときの興味で模索している感じです。CDをリリースするというのは、アウトプットのひとつですね。

ええ。アルバム制作の論理とか動機が、いわゆるミュージシャン的なものとはちょっとちがいますね。

和田:いろんな表現の架け橋として、オープン・リールという媒体があるというか。オープン・リールは、いろんなものをつないでミックスしていくメディアみたいなものです。


「OREのパフォーマンスはとてもおもしろいけど、CDになるとあのよさがわからなくなる」って言われて。(吉田悠)

なるほどなあ。根本の動機というか、オープン・リールの伝道師という面では、みなさんは本当に強烈なライヴを行っていらっしゃると思うんですよ。伝道師というからには、その魅力を言葉なり何なりの方法で伝えなければならないですよね。

吉田匡:そうですね。

ワークショップとか本も効果的かもしれませんけど、みなさんの場合はなんといってもライヴがすごい。オープン・リールがズラっと並んで、まず視覚的なカタルシスがやばいじゃないですか。もう、教会のミサでパイプオルガンに向いあうようなもので、儀式性がハンパないですよ。

吉田悠:正面向けてますからね、オープン・リール。

そう、奏者が背中を見せている(笑)。音を出す道具ってだけなら、卓みたいなものだから、こっち向けばいいんですよ。だけど、あくまでオープン・リールを神というか、祭壇みたいに──

和田:おっ立てて、照明で光らせるという。そして回転を見せる。

そう(笑)。ステージであれが5台、神々しく発光している。それに、あの和田さんの楽しそうに飛び回る姿、みなさんがなにかめちゃくちゃ真剣に回したり止めたりしているパフォーミング。あれを見ると、なんだかわからないなりに、いっしょに感染して打たれるというか……「ああー、なんか、オープン・リールすごいな万歳」って(笑)。一種敬虔な気持ちになってしまう。ほんと、ミサか何かなんですよ。

和田:たしかにそれはあるかもしれないですね(笑)。オープン・リールっていうものを前の世代から受け取って、自分たちなりに命を吹き込んでいく、新解釈を加えていく、っていうことなんですけどね。

「自分たちなり」すぎる(笑)。しかし、先ほども少し話題に上がりましたが、そうなるとますますOREにおけるアルバムの位置づけが気になりますね。もう、あの「ああ、回っている!」というライヴの瞬間に途方もないエネルギーがあるので。

吉田悠:今作の前に、〈コモンズ〉さんからリリースになったファースト・アルバムがあるんですが、あれはOREがパフォーマンスとして蓄積してきたものを一度音源化しようという試みだったんです。そのときにいろんな問題が表面化したんですよ。「OREのパフォーマンスはとてもおもしろいけど、CDになるとあのよさがわからなくなる」って言われて。
 自分たちも薄々そうかもしれないと思っていたことでもあったので、それはやっぱりひとつの壁になりました。もちろん意識してパフォーマティヴに見せているし、ORE自体が映像作品的な面を持っているとも思っているんですけれど、そうでありつつも、どうやって音でOREの世界に引き込むことができるのかというのは課題だと思っていて。そんなふうなことを感じながら、次のアルバムはどうするべきかということが話し合われたんです。

なるほど。


CDを出すって、ものすごく普通のことなんですけど、OREにとって「挑戦」になっている(笑)。(和田永)

吉田悠:だから、今回は「テープ・ポップ」なんてキーワードが出たりもしたんですが、ORE的な解釈に基づいてポップ・ソングをつくってみようということになりました。OREというものを音で伝えるための手段というか……「曲」的であるというか。

「曲」的。そうだと思います。

吉田悠:ORE的エッセンスが、「曲」というフォーマットの中で聴こえてきたほうが、アルバムをつくる上では武器になるんじゃないか、と。

ええ。

和田:まぁ、けっこういろんなフィードバックがある中でできあがっているので、ある瞬間にアルバムのすべてが決まったということではないんですけどね。

吉田匡:ひとつわかりやすい手法としては、声が吹き込まれていて、それがテープの中で歪(ゆが)んでいくというのは、きっと作品として魅力になるだろうと。それはたまたまみんなが出してきたもののなかで一致した要素でした。メンバーごとに曲を出し合ったんですけど、結果として声はひとつのテーマになっていきました。

和田:アルバムをリリースするというのは、アウトプットのかたちを選ぶときにいちばんスタンダードなフォーマットでもありますよね。そのスタンダードなフォーマットに対してどんなことができるだろう、っていうところに興味もありました。
──というか、CDを出すって、ものすごく普通のことなんですけど、OREにとって「挑戦」になっている(笑)。

ははは! たしかに。CDなりレコードなり配信なり、アルバムっていうものが自明で絶対的な単位になっていないってことですね、OREにとっては。CDを出すっていう普通のことが実験になってしまう。音楽産業というレールの上で何ができるのかという実験。

和田:そうなんですよね。それがインタヴューとかをしながら不思議な感覚に陥る瞬間なんですけど(笑)。OREのひとつの側面を切り取って、それがどう伝わるかという挑戦だったりもして。
オープン・リールにはアート的な側面にも可能性を感じているのですが、一方で、そこから出てくる音、奏でて出てくる音が純粋に特徴的で。あるときは暴力的で、ある時は幻想的。音それ自体にもキャラクターを感じます。今回はメンバー全員が作詞か作曲を通して「楽曲」に携わっているんですけど、そういうバンド的な作曲行為と、僕たちがこれまでに見つけてきた「オープン・リールのおいしさ」だなっていう音とがうまく結びついたらいいなという思いはありました。テクノロジー的なアプローチと、音楽的なアアプローチをつなげたいなと。


オープン・リールというものから想像した物語とか景色を歌ってもらっているんです。オープン・リールの歴史とシンクロしていたり。……物語の中の登場人物。(和田永)

Open Reel Ensemble - 帰って来た楽園 with 森翔太

そのふたつを結びつける上で、ポップ・ソングというフォームが機能するのではないかと。ということであればすごく今回のアルバムの意味はわかって、本当に、まず「曲」っぽいですよね。あと、それぞれの歌い手さんたちも、どういう原理で呼び寄せられているのかなということをお訊きしたかったんです。以前参加されていたやくしまるえつこさんや高橋幸宏さんは、「歌(唄)」をうたってもらうというよりは、もう少し「声」として、解体して戯れるという関係だったのかなって感じますが、今回は歌を歌ってもらっているという感じでしょうか。

吉田匡:そうですね。1曲めはいきなり「ヴォーカリスト」ではないですが(笑)。

和田:オープン・リールというものから想像した物語とか景色を歌ってもらっているんです。オープン・リールの歴史とシンクロしていたり。……物語の中の登場人物。キャスティングさせていただいたという感じに近いですかね。
1曲目に関しては、ザ・フォーク・クルセダーズの“帰ってきたヨッパライ”の勝手な続編をつくるっていう着想があって──歌とオープン・リールということで浮かぶのがあの曲だったんです。それで、勝手なオマージュを捧げようと思って、ヨッパライの息子が登場したらいいな、と。それで、お酒が飲めなくてミルクが大好きで、上京してきて社会に揉まれる髪が薄めのサラリーマンという設定が生まれてきて、森翔太さんにお願いすることになりました。

なるほど、息子はiPhoneユーザー。21世紀です。

吉田悠:森翔太さんについては、歌声を知らずにオファーしていました。

あ、声をずいぶん歪めている?

吉田匡:いえ、まるで編集したかのようなんですが、ほとんどそのままなんです。

すごい。『回典』の中の大友良英さんとの対話の中に出てきましたね、「レコード・ウィズアウト・ア・カバー」(クリスチャン・マークレー)。もともとノイズだけ録音されていて、カバーがないから後からどんどん傷が付くんだけど、再生するとそれがもともとのノイズか盤の傷のノイズかわからないっていう。あれみたいな(笑)。

吉田匡:ははは! 森さんの存在がすごい。

和田:森さんがふざけるとオープン・リールの声みたいになるもんね(笑)。

もう一回聴きなおしたい。すごいインパクトの冒頭曲です。2曲目の“回・転・旅・行・記 with 七尾旅人”ですが、七尾旅人さんはご自身の歌と世界と声、それぞれにあまりに強い個を持っておられると思います。それこそ簡単に解体なんてできるものではないですよね。

吉田悠:解体というより、これはもう完全にコラボレーションでしたね。両者が制作者でした。

和田:七尾さんと僕らの世界が一体になったような。

吉田匡:歌の部分はほぼ、歌詞もメロディも七尾さんにつくっていただいたような感じです。キャスティングといいつつ、本人役で出ていただいているような。それじゃただの歌い手と変わりないじゃないかとも言えますが、その方の持っておられるバックグラウンドをそのまままるごと中に置けるような人にお願いしています。七尾さんも、七尾旅人として入っていただいているので、そこはもう全部出してくださっていいというか。

なるほど。先にトラックはあるということですか?

吉田匡:トラックと曲のテーマから、歌詞もメロディラインも七尾さんのアウトプットでつくってもらって。

あ、テーマは先に伝わってるんですね。

吉田匡:曲名は決まってないですけど、ニュアンスとしてはお伝えしてました。

回転とか、そういうイメージですかね。歌詞にも「磁気テープ」って触れられていましたよね。

吉田匡:あれは、七尾さんからのウインクだと思ってます!

なるほど! 七尾さんの声自体を加工しようとは思いました? それこそ高橋幸宏さんのヴォーカルを加工したい、挑みたい! というのとは別の原理の歌や声かと思うんですが。

吉田悠:僕たちも高橋さんのときはそんな気持ちがありました。僕たちのテープの世界へようこそ! みたいな。連れ込ませていただいたからには、いじらせていただくぞ、と。

ええ、ええ。七尾さんの歌はその意味で崩すのが難しい?

和田:基本的に、中心にある歌はほとんどそのままにさせてもらって、僕たちの世界がそのまわりにあって、という感じです。ただ、いくつか声の素材としていただいたものについては、ちょっとオープン・リールを使って加工したりして、音源ではバランスをとってやらせてもらいました。ライブではけっこう歪ませていたりします(笑)。

そういう作業は、やっぱりPCも使ってですよね?

和田:そうですね、行ったり来たりですね。5人の家のすべてで、ほとんどつねにオープン・リールとパソコンとかつながったままになっているんです。それでデモを投げ合ったり、素材を投げ合ったり。


やっぱりオープン・リール伝道師的には、「回転崇拝」は重要なキーワードです(笑)。(和田永)

「Cyclatrous(サイクラトラウス/回転崇拝)」という言葉もできましたから。(吉田悠)

なるほど。七尾さんの歌詞は、地名とか国の名前がつながっていって、それ自体に反復的な雰囲気もありながら、意味の上でも、ああ、地球は丸いよなっていうモチーフが生まれていくような内容で。本当にたくみで。

吉田悠:そこは本当に七尾さんが素晴らしいんですよ。僕たちの世界を汲み取っていただいたので、それに応えたいという気持ちでした。これ、曲名も「回転」+「旅行」だから、「オープン・リールと七尾(旅人)さん」になっていると思いません? そのくらいいっしょにできたなって。

やけのはらさんとの“Rollin' Rollin'”って曲があるじゃないですか。あの曲もMVふくめて回転がモチーフになっていますよね。なにか、レコードが回ることに対する──みなさんはテープですけど、回転と音楽ということに対するある種の感覚には、通じるところがあるんじゃないでしょうか。

吉田匡:それはあるかもしれないですね。

和田:やっぱりオープン・リール伝道師的には、「回転崇拝」は重要なキーワードです(笑)。

吉田悠:「Cyclatrous(サイクラトラウス/回転崇拝)」という言葉もできましたから。

和田:“Cyclatrous”っていう、4楽章ある曲を作ったんですよ(※)。時間や反復は回転として空間に展開されますよね。音楽が時間であるならば、それは回転運動で視覚化するとやっぱりしっくりくる──

※『回典 ~En-Cyclepedia~』に「特転」DVDとして付属・収録されている。

わかりますよ。

吉田悠:ははは。大抵のひとは「は?」なんですけどね。

いや、よくわかりますよ(笑)。

吉田悠:うれしいな(笑)。

しかもテープの場合は、ほんとに手のひらの感覚として、それが現実の空間を歪めてるんだってことが感じられるわけでしょう? 音とつながってるんだって、和田さんがどこかで言っておられた。まさにその感じがすべてのはじまりというか、OREがダテではないんだということがわかるお話です。

和田:それは……すごく大事なことですね。(微笑む)

(一同笑)

うれしそうっていう(笑)。なにか、和田さんは中学くらいの頃からオープン・リールで始終遊んでいた、みたいなエピソードを読んだんですが。「ボールは友だち」的な。

吉田悠:実際、彼がオープン・リールに出会ったのは中学で、その前から自作楽器とか、自分の世界で何かをつくることには興味があった奴なんですよ。だから、オープン・リールだけが特別というよりは、その中の出会いのひとつという感じだと思います。
 でも他にも楽器をいろいろ作っていた中で、オープン・リールがいちばん大きいプロジェクトで、いまでも続いているという点では、やっぱりポテンシャルの高さがあったんだろうね。

和田:(感慨深げに)そうなんだねえ……。

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オープン・リールとは究極の「エキゾ」を立ち上げる装置である……のか!?
OREとそのニューエイジ的宇宙観を探る

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僕たち自身がまさに、正しい使い方を知らずに(オープン・リールに)出会ってるんですよ。僕たちが勝手に解釈したおもしろさから入り込んでいるんですね。(吉田悠)

いや、たとえばオーディオ・ファンのひととか、あるいは古くからご活躍のミュージシャンとかがオープン・リール愛を語るときって、もっと角度がちがうと思うんですよね。「オープン・リールだと太くて丸い音がしてね……」とか、もっぱら音質の話であって、みなさんはちょっとヘンですよね。オープン・リールそのものへのフェティッシュな愛というか……。

吉田悠:世代かな?

吉田匡:うん。それなりに値段も高くて、立派な現役の機材として使われていた時代があったわけですよね。僕らはそれが廃れた後の世界で、引っぱり上げてきて使っている。その感覚には差があると思います。

吉田悠:よく和田が譬え話として言うんですけど、オープン・リールがアマゾンとかを漂流していって、奥地にたどりついて、何も知らない原住民たちがそれを拾い上げて、用途を誤解したままそれを使いはじめた──結果、生まれてきたパラレル・ワールドなんです。僕たち自身がまさにそうで、正しい使い方を知らずに出会ってるんですよ。僕たちが勝手に解釈したおもしろさから入り込んでいるんですね。

うんうん。

吉田悠:そこは機械が現役だった時代の人たちからすれば楽しみ方がちがうというか、もしかしたら怒られるかもしれない部分ですよね。

吉田匡:テープだから音がいいとか、音楽編集においても優れているというような部分は、ある種、追求され尽くして廃れていった部分だと思うんですね。それとはまったく別のレールを歩いていると思います。

……ですよね。だから、オーディオ・マニアとかが抱く興味とはまるで関係ない。

和田:ああー、そういう関心とはちがうね。

ええ。もっとワンダーな感覚というか。

吉田匡:ワンダーですね。

和田:そう、エキゾチズムですよ。

そう、エキゾチズム。

ワンダーですね。(吉田匡)

そう、エキゾチズムですよ。(和田永)

和田:本(『回典』)の中で宇川直宏さんもおっしゃっていたキーワードですね。オープン・リールに対して抱く感情にはいろんなレイヤーがあるんですけど、出会いの瞬間はなんだこの異物はっていう。そしてそこから出て来るサウンドに異国性を感じましたね。一種の民族楽器のような。音や魅力の謎を紐解こうとするとサイエンスな興味関心も湧いて来る。磁気録音の仕組みとか、松岡正剛さんともお話ししているような──回転と自然界の関係性とか、っていう。で、次のレイヤーには触って楽しいとかっていう身体感覚がある。あとは、もうキュイーン! って回ることの高揚感とか。

吉田悠:僕らが高い塔の上にオープン・リールを置いてライヴをやったりするのも、単純にそのプロポーションがかっこいいとか、その程度の理由だったりするんですよね。

うん、うん。その驚きというか、ワンダーな感覚を、思いっきりきちんと表現できているから、見ているわれわれもつい感染してしまうんですよ。なんだろう、ドラえもんが取り出してくる道具みたいな驚き──あ、そうそう、古い機器なのに、まるで未来の道具かのような感触があるのかなあって。

和田:古い機械だけど、録音というテクノロジーのやばさをつねに体験できますね。


古い機械だけど、録音というテクノロジーのやばさをつねに体験できますね。(和田永)

だから、世代っていうのはそのとおりかも。リアタイ世代のおじさんが同じようなことをやっても、あの未知のものに触れるような楽しそうな感じって出ないかもしれませんね。

和田:もう、オープン・リールを早回しにして出てくる音とか、エキゾ以外のなにものでもない。ぐにゃーって歪む感じとか。

吉田悠:練習中にサウンド・チェックとかをしていると、中に何が入っているかわからないままテープを再生することがあるんです。そうすると前回のライヴの音が残っていたりするんですね。それがまた関西とかの公演だったりすると、電圧の関係で回転速度がちがっていることがありまして。急にヘンなピッチの音が流れてくるんですよ。その瞬間、みんな同時に手をとめて、「いいねー」みたいな(笑)。

あはは!

和田:そう、もう結成から5年経ってますけど、まったく変わらないですね。ヘンな音が出てきた瞬間に「いいね~」って(笑)。

アナログの可能性ですね。宇川さんが本の中で、エキゾチズムは究極的には宇宙に向かうっていうようなことを言っておられましたよね。アフリカだ何だっていうワールド志向は2000年代の半ばにも一回すごくリヴァイヴァルしましたけど、そういう借りてきたトライバリズムなりエキゾチズムではなくって、OREにはOREならではの、なんか別次元にスイッチするものがありませんか? 異界との出会いなんですよ、きっと。関西と東京の電圧の差の中に宇宙があって──

和田:50ヘルツと60ヘルツの境界にね。

(一同笑)

吉田匡:地理的なものじゃなくて、ちがうヘルツの世界に行ったっていう(笑)。

和田:関東と関西でモーターの速度が変わって音楽が変化する。そこにバージョン違いが生まれる(笑)。

そう、地理では分けられない異界なんだけど、地理も存在する。つまり、大阪なら大阪という現実の場所を何層にも分けるような感じ方なんですよ。異界をつくりだして何倍も楽しめる。──不況型かもしれないですね。お金かけないで世界を2倍にする楽しみ方。


実際、祭りにして巡礼したいと思ってるんですよね。(吉田悠)

とすると、ニューエイジ的でもあるというか。現実が変わらないなら薬でとんで脳内を変えよう、っていうのとある意味で似ていて、オープン・リールひとつを通して現実を変えないまま変えるという。

和田:そうなのかもしれない……。

吉田匡:しみじみしとる(笑)。

そうすると、やっぱりエキゾチズムの極致なのかもしれない。

吉田悠:実際、祭りにして巡礼したいと思ってるんですよね。

え、祭ですか? 「充電」……?

吉田悠:巡礼です。伝統と呼ばれているもの──いつ誰がつくったのかわからないお祭も、遡っていけば必ずそれをスタートさせた人間たちがいるわけじゃないですか。僕らがオープン・リールを通していつのまにかその第一回をやっていた、というふうにならないか。何十年か経ったときに、「この地域ではこの時期になるとオープン・リールの祭りをやるんだよ」ってふうにならないかなと思うんですよ。そういうかたちでのエキゾチズムへの接続もあるかもしれません。

ああ、なるほど。

和田:オープン・リールを紐解いていくと、すでにいろんな先人たちが築いてきた歴史が積み重ねられていますし。

オープン・リールを囲んで男たちが踊っている様子が、絵巻になって残ったりとか。「初期はこのように催されていたのだ」みたいな(笑)。

吉田悠:やぐらを建ててね(笑)。

吉田匡:俺たちのライヴ映像が資料として残る(笑)。

和田:「オープン・リール・トラディショナル」っていうキーワードも出たりしましたね。オープン・リールっていう歴史の軸に、われわれも登場したいです。大野松雄さんがいたりとかスティーヴ・ライヒがいたりする──

吉田匡:せまい(笑)。

おもしろいですね。ふつうトラディショナルな祭りって土地に紐付いて存在しているものだと思うんですよ。東京で催されていたとしても、河内音頭は河内のものだし、よさこいは北海道のもの。その意味では土地からは離れられないものなんですよね。でも、モノを介して、大野さんとかライヒとか、時空を超えたところにフラグを立てる祭があってもいいですよね──四次元祭みたいな?

和田:うふふふ。毎年録音して声を重ねていったり。

時空を超えた地図の上の祭なんて、やっぱりエキゾチズムの究極なんじゃないですか(笑)。

オープン・リールの最期を見届けるっていうのもやってみたかったり……(微笑)。(和田永)

だから、僕たちは「こういうお葬式をしてください」っていうことを遺していけばいいと思うんです。(吉田匡)

回典 ~En-Cyclepedia~ Open Reel Ensemble PV


ところで、オープン・リールってもう生産されていないわけじゃないですか。ということは、みなさんを見て「楽しそうだな」「やってみたいな」って思ったとしても、これからさらにどんどん手に入れにくくなる……?

和田:まあ、徐々には。

吉田匡:所有している方から譲ってもらったり、買ったりということになりますね。

和田:僕らのデッキについては、近所に偶然すごいエンジニアの人がいて、修理してもらえるんですよ。

ええ、すごいですね。おいくつくらいの方ですか?

和田:もう定年退職されて……。

やっぱりそんなご年齢なんですね。じゃあ、またみなさんの課題が見つかりましたね。グループの中で、修理できる能力を持った奴を育てないと。

和田:うふふふ。たしかに。製造もしないといけないし。

吉田悠:そういう意味では、CDのリリースだったりとか産業的な流れに僕たちがコミットしているのは、オープン・リールの需要を活性化させていきたいなということでもあるんですよ。世間を巻き込んでいって、未来にこの機材を生き残らせるぞという。内輪の楽しみだけじゃなくて、外の世界に関係していかなきゃというところもあります。

ああ、なるほど。

吉田匡:僕たちを見て、捨てようと思っていたデッキを譲ってくださる方もけっこういらっしゃるんですよ。「可愛がってあげてください」って。そもそも、捨てられようとしているものでもあるんです。

うん。みなさんが消えたら消えてしまうかもしれない。だから残さないと。

和田:そうですよねえ……。……でもどうなんだろう。なんか、こう……。

そんな文化的社会的な貢献とかよりも、もっと、パーソナルで原初的な楽しみを大切にしたい?

和田:いや、そういうことじゃなくて、(オープン・リールの)最期を見届けるっていうのもやってみたかったり……(微笑)。

(一同爆笑)

(笑)フェティシズムの極みだな。

吉田匡:結成と同時に解散の要件も決めているんですよ、僕たちは。

和田:でも、僕らが死ぬ頃くらいじゃ、きっとまだぜんぜん残っていますから。そういう意味では、まぁ、まだ遊んでていいかなって思ってます。

狂ってるよ……。

吉田匡:だから、僕たちは「こういうお葬式をしてください」っていうことを遺していけばいいと思うんです。

(笑)

和田:でも、この、死が前提っていう感じもいいというか、制約の中で今しかできないとか、テクノロジーの宿命も感じさせるじゃないですか。

うん、なるほど。みなさんの場合、オープン・リールが一度終わったところからはじめていますしね。

和田:そうですね。僕らが結成する前年にテープの生産がほぼ終了しました(笑)。

そうそう。逆に、そのあたりから、フォーマットとしてカセットテープを選択するアーティストが増えましたね。ブームというか。

吉田悠:僕たちはいちおう、もともとのテープ世代ですよ。カセットテープからMDに、っていう時代を知っています。

そうか、テープはいちおう日常にあったんですね。……というか、どうしよう。ぜんぜんアルバムの話きけてないですよ。

吉田匡:こういう話のほうがいいかもしれないです。


たとえば「テープが泣く」って表現したりするんですよ、エンジニアの人とか。立ち上がりのときにちょっとピッチが歪むことを指すんですけどね。そういう音をデジタルの世界で細かく構築していくということには、興味があるんですよね。(和田永)

ははは。でも、いちおうアルバムの話に戻りますと、資料には「声」がコンセプトとして挙げられていますね。便宜的な説明ではあるかもしれないですが、もう少し音と声の話をきかせてもらえませんか?

和田:オープン・リール自体が、そもそも肉声を録るというところからはじまったものなんですよね。

吉田悠:録音の歴史の最初が、人間の声の録音ですから。僕たちも、史上最初の磁気録音と言われる、フランツ・ヨーゼフ一世の声を楽曲に使ったりしているんです。

前作ですよね。ちょっと不思議なのが、「音」ということにこだわるなら、それこそ波形を気にしながら、画面とにらめっこして整えていくみたいな道もあるじゃないですか。そういう意味でのこだわりは、あまりないんでしょうか?

吉田悠:僕たちが空間が歪んだように感じて楽しいと思うときの音を、波形レベルで調べてみようとしたことはないですけど、たとえば“NAGRA”とかは、テープでパーツをつくって、その音を多用して構築していますね。ちょっと質問からはずれるかもしれないですが。

和田:この“Telemoon(with Babi)”という曲は、オープン・リールで出したピョーンという音をコンピュータにどんどん蓄積していって、それを音楽編集ソフトで細かく刻んで、こと細かに配置してつくりましたね。
なんていうんだろう……シズル感というか、ちょっと、いじったことのある人にしか伝えづらい感覚があるんですけど……(笑)、たとえば「テープが泣く」って表現したりするんですよ、エンジニアの人とか。立ち上がりのときにちょっとピッチが歪むことを指すんですけどね。そういう音をデジタルの世界で細かく構築していくということには、興味があるんですよね。

それって、波形っていうようなレベルよりは、もうちょっと神秘的なものへの興味だと思うんですよね。

和田:そう……ですね。波形からつくるというよりはある音がオープン・リールによってぐにゃっと変化する瞬間に、不確定な、ゆらぎが生まれて。

吉田悠:それはある意味では波形をいじることにはなるかもしれない。

和田:やっぱり最初に耳に入ってくる感触に対して、何かもっとできないかなというのは、いつも思っていることですね。


僕たちはオープン・リールのヴィブラートのことも「ヴォーカル・コード」って呼んでいたんですね。テープが起こす音の震え。だから「人の声にフォーカスした」というのは、ほんとはちがうんです(笑)。(吉田悠)

なるほど。その、最初に出てくる音って、みなさんの場合、マウスで削ったり計算したりじゃなくって、手でテープを押したり止めたりして出てくる、何かすごく身体的なものじゃないですか。本当に楽器を演奏しているような。

和田:そうですね。でもそのへんはほんとに行き来している感じですよ。なんか、いちどコンピュータで構築した音を、崩したいなってなったときに、オープン・リールに通して戻す。コンポジションするときにもそういうフィードバックがあります。
 ただ、今回はそうやってつくったトラックにヴォーカルを乗せているので、そこはあんまりオープン・リールを通しているわけではないですね。

なるほど。なんか、「声がコンセプト」って情報を読んじゃうと、音声というレベルとは別に、なにか人間主義的なものを感じさせるニュアンスも感じてしまって。

吉田悠:ああー。『ヴォーカル・コード』っていうタイトルは、当初はちょっと意味がちがっていて、「コード」のスペルが「cord」──つまり「声帯」っていう意味だったんですよ。のどの震え。僕たちはオープン・リールのヴィブラートのことも「ヴォーカル・コード」って呼んでいたんですね。テープが起こす音の震え。だから「人の声にフォーカスした」というのは、ほんとはちがうんです(笑)。

吉田匡:“Tape Duck”って曲はアヒルの声でやってますしね。クリウィムバアニーのように(“ふるぼっこ with クリウィムバアニー”)、歌じゃなくて叫び声でやることもあるし。

吉田悠:気持ちの上では、ひとがのどを震わせることと、テープが音を震わせることを掛けているんですよね。

なるほど! 「裸足になって声を出す」とかね、生命とか人間を祝うというか、「初音ミクには表現できないもの」とかなんとか……そういう意味での「声」じゃないんですね。
 なんだろう、こんなにコンセプトが一貫しているというか欲望が一貫しているというか、そんなバンドも珍しいと思います。

和田:いろいろ言われると、次にやりたいことが出てきちゃうな。プロモーションしなきゃいけないのに(笑)。

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“空中特急”の隠されたテーマとは?
僕たちが押す「主電源」は発展のためのスイッチか、それとも滅亡のためのそれなのか──。
OREの「近代的」未来観を解体する!

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- いや、僕らは僕らの現実認識がありますよ。でも、そういう素朴な科学少年の夢みたいなものが、オープン・リールに宿ってるんです。(吉田匡)

これも訊きたいんですけど、OREにはレトロフューチャリスティックなヴィジョンがあるじゃないですか。昔の人が思い描いていた未来観みたいなもの──OREの世界とか音楽には、そういう「60年代かよ」的な明るい未来観を感じるんですよね。戦争は終わって、文明とか技術はさらに飛躍的に発展して、未来はどんどんよくなる、みたいな。それが不思議なんですよ。基本的に、同世代の人はもうちょっとシニカルじゃないですか? 右肩上がりの成長とかもうないでしょうし、みたいな。

和田:いや、まさにそういうテーマを隠した曲があるんですよ。

吉田悠:“空中特急”とかまさにいまおっしゃっていたような内容の曲なんです。

和田:希望と絶望を空中特急になぞらえて歌っている感じ。いや、ほんと、現実に対しては絶望してますよ。

(一同爆笑)

そうなんだ(笑)。

吉田匡:いや、僕らは僕らの現実認識がありますよ。でも、そういう素朴な科学少年の夢みたいなものが、オープン・リールに宿ってるんです。

……! ああ、なるほど、そういうことか! それはすごい。あれは「彼らの」夢なのか!

吉田匡:そうです。「彼らが」出している音なんです。

それを再生しているわけだ……。また媒体になって。

吉田悠:また伝道師なんですよ。

吉田匡:オープン・リールって、『スパイ大作戦』じゃないですけど、当時の科学力の象徴じゃないですか。その立ち居振る舞いはそのまま借りているんですけど、でも僕ら自身が未来に超希望を持っていたりするわけではないんです。

吉田悠:(明るい未来観に対して)それがいいとも言ってないですしね。そういう映画は観るけど(笑)。

たしかに、それがいいとは言っていない(笑)。

吉田匡:ただ、そういうヴィジョンをいやでも感じとってしまうほど、匂い立つものがあるんですよ、オープン・リールには。

和田:そういう音楽や世界観を楽器が引き出してくれる。

いや、ある意味いっしょなんですよ。未来に希望を抱いているということと、それの行きつく先が絶望であるというのは。(吉田悠)

科学が進歩すればより良い未来が来る、みたいなかつての明るい科学感と、確実にそうとも言えない現実と。(和田永)

うんうん。なんか、OREはつねに躁状態というか、ハレとケでいえばケがない感じがするんですよね。穏やかな曲も気持ちのいい曲もあるけれどチルアウトしないというか。つねに、前に前に向かってめちゃくちゃ回転しているものがある。

吉田悠:つくってる側が鬱だから出てくるのが躁なのかもしれない(笑)。

和田:でもオープン・リールが持っている生命力っていうは確実にあるんですよね。

吉田悠:どうしようもない事実として60年代という時代が存在して、その時代の未来観や、その時代のテクノロジーが象徴していたものがあるわけですよね。それを歴史として僕たちは共有しているわけだけど、全面に押し出して表現しているというわけではないですね。

なるほど。シンセ・ポップひとつとっても、ダークウェイヴだったり、ディストピックで暗いものっていうのはたくさんあるわけですよ。でもOREはその中の明るいものばっかり採ってきている感じがする、それはなんだろうって思ってたんです。

吉田悠:OREでディストピアはやりたいですよ。

和田:ディストピアなものは潜んでいますけどね。

その明るい未来観自体がディストピックなのかなあ(笑)。

吉田悠:いや、ある意味いっしょなんですよ。未来に希望を抱いているということと、それの行きつく先が絶望であるというのは。

和田:科学が進歩すればより良い未来が来る、みたいなかつての明るい科学感と、確実にそうとも言えない現実と。

なるほどね、結果が出たあとでみなさんはデッキを掘り出したんだから。

吉田悠:それが一体なのが現実というか、意外にそこに本質がある気もしますね。ネガティヴなものとポジティヴなもの。

和田:ふたつとも回ってるんですよ。互いに互いを生み出しながら、ぐるぐる。

回ってるのか……。

吉田悠:“空中特急”も、曲調的には希望的で、どんどん上に向かって推進していくような曲になっているんですね。で──

和田:でも、そのままさよならなんですよ。

はははは!

吉田悠:──このあと空中特急は墜落するしかないんです。それがわかっていても飛べるだけ飛ぶしかないってことなんですよ。もしこの曲のつづきがあるとしたら。

そう、この曲はたしかにそういう後日談をもっている。

和田:もっとそこが伝わりやすい歌詞にすればよかったかな。

いや、このほうがいい。象徴性があって。

和田:向かう先は闇。歌詞でいうと、「主電源」を点けることは、文明のスイッチを押す、みたいなことなんですよ。パンドラの箱を開けるというか。それに対する畏怖もあります。

なるほど。電源を入れるっていうのは、かつてはもちろんポジティヴなことだったはずなんですよ。スイッチをオンするってことは。

吉田悠:いまや「再稼働」させるための行為ですからね。

まさに。

和田:発展と滅亡、どちらのスイッチを押しているんだろうっていう。どっちも押しているのかも。


発展と滅亡、どちらのスイッチを押しているんだろうっていう。どっちも押しているのかも。

Open Reel Ensemble - 空中特急 short version (Official Video)

「特急」って飛行機とかじゃなくて電車にしか使わない言葉でしょう? かのトルストイの『アンナ・カレーニナ』って、まあ「進歩」を呪う話なんですけど、アンナは当時の「進歩」の象徴たる汽車に飛び込んで死ぬんですね。だから何か、特急とか汽車っていうとすごく呪われた近代の感じがある。──あと「主電源」って、ドイツ語に聞こえる。

和田:もちろん、それで作詞しましたね。シュデンゲン、シュデンゲン(笑)。

吉田匡:めっちゃドイツ語っぽく歌ってみてって、やってて。

編集長の野田努が……言っていいのかな、このあいだ「自転車は未来の乗り物だ」って言ってたんですよ。「テクノの最終形態だ」的に。なにげなく。

吉田悠:回転だ……。

たしかに、合理的で効率的で、しかもエコで、かつ美しい。たしか、起源はドイツらしいんですね。クラフトワークの『ツール・ド・フランス』のイメージもありますが。これもまたテクノ観だなって。

和田:テクノロジーと人間っていうのはOREのひとつのテーマかもしれないですね。

吉田悠:ロスト・テクノロジーという感覚もありますよね。人類がかつて一度失ったものに、もう一回チャレンジしているだけかもしれないという。

SFですね、ドキドキする。しかし自転車が未来で汽車が過去だとして、つくづく文明は車輪で回りますね。さっき「回転だ」っておっしゃったけど、オープン・リールしかり。

和田:いや、もう。

“空中特急”っていちばんくらいに好きなので、こんなに掘れる曲だったというのはうれしいです。名曲ですね。

和田:嬉しいですね。オープン・リールを触っていると、高度経済成長期の素朴な憧れと、今の現実を行ったり来たりする感じがして、その中から生まれた曲ですね。

オープン・リール(録音機)がモダンのひとつの象徴だとすれば、ニコ動なりがポストモダンにすごくおもしろい音楽のかたちを示しているいま、OREはわざわざモダンにフォーカスしていって、かつそれとは関係ないヘンなものを揺さぶり起こしている──

和田:モダンを再生しながら読み変えていくような。

──っていうのは、なんなんだろうって(笑)。ライヴを観たときから消えないですね、その感じが。

経済性とか効率性とかと別のところでオープン・リールを回してあげたい。(和田永)

さて、もうひとつ突っ込んでどうしてもおうかがいしたくて、変な意味はないので個人的な興味として聞いていただければと思うのですが──「モダン」って、まだ父権的なものに導かれる時代じゃないですか。前作の音源にも使用されているソニーの井深大さんとか、音効の大野松雄さんとかは、技術が国や未来を引っぱっていく時代の人だと思うんですね。その意味で彼らは父。で、フランツ・ヨーゼフ一世のエピソードにも顕著なように、技術と権力は結びつく。となると、けっしてみなさんをマッチョだと言うわけじゃないんですが、父権的なものへの漠然とした憧れってあるんじゃないかなと。

和田:うーん、権力は大嫌いですけど、言われれば漠然と父なるものへの憧れはあるかもしれないですね。ただ、さっきの話と同じで、それに対する揺らぎ、疑問はあるというか。近代的な当たり前っていう感覚は、ほとんど人為的につくり出されたものだから、そこに対してはつねに批評的な目線が必要だなって。経済性とか効率性とかと別のところでオープン・リールを回してあげたい。

ええ、なるほど。みなさんジェントルというか、むしろ草食とかフェミニンとさえ言えるような、ほんと柔軟で配慮のある方々だと思うので、誤解されたくはないんですけれども。……でも、この“Tape Duck”とかも、こんなグリークラブみたいにやらなくてもいいわけじゃないですか(笑)。

和田:男の子的な「好きなもの」っていうのはあると思いますけどね(笑)。指摘されて「そうかも」っていう程度で、意識的なものではないですね。

吉田匡:父権的な、ってなると、個人レベルの興味になるかもしれないです。僕ら兄弟はとくにないかな……。

吉田悠:これはとても繊細なニュアンスの話なので、言うのを躊躇してしまいますが、ナチスって……もちろん、まったく認められるべきでない非道であることは間違いないですけれど、あのデザインであったり意匠であったりを、どこか「かっこいい」とする視点もずっと存在してきたわけじゃないですか。

ええ、そうですね。

和田:ドイツにはそもそも、日用品なんかのレベルでも、ものすごいデザイン性があったわけじゃないですか。そういうものが、いい方向と悪い方向のどっちにも出ると思うんですが、その極端な例というか。方向がちがえば、ドイツにはバウハウスもあればクラフトワークもいるわけで。

そうですね。効率性のデザインというか。擁護ではなったくないですが、ナチスだって、おそらく非道さのみで歴史に刻まれているわけではない。


何か新しい領域に踏み出すような技術が発見されるときに、最初にあるのは、戦争に勝ちたいというような目的意識ではなくて、それを発見しようとした人たちの初期衝動だと思うんです。(吉田悠)

和田:言葉を選びますけれど、井深大さんとかが生みだしてきた技術には、もちろん権力的なものが絡んできたりはしますけど、でも、根本的に魅力を感じるのはその初期衝動なんですよ。井深さんがレープレコーダーを日本で初めてつくった、その初期衝動にはある種の探究心が強くあって、それはオープン・リールという楽器にも通じる。

吉田悠:戦争があったからテクノロジーが進んだという言われ方もありますよね。まったく戦争を支持しませんが。でも、何か新しい領域に踏み出すような技術が発見されるときに、最初にあるのは、戦争に勝ちたいというような目的意識ではなくて、それを発見しようとした人たちの初期衝動だと思うんです。それが権力によって利用されてしまうというだけで。

和田:原爆に関わった「E=mc2」だって、人の命を奪うために追求されたわけじゃなくて、宇宙の秘密を紐解こうとしたものですからね。

オープン・リールが再生する記憶には、そういう夢と影とが同時に宿っているわけですね。

和田:もはや壮大すぎてオープン・リールを越えすぎていますが(笑)僕らはオープン・リールを通して、楽園の側から現代を眺めてみるような。


日本だと、ものづくりにしろ、個人がいろんなものをつくれるようになっている技術とか、そういうものに希望を感じることもあるし、ある瞬間にはなんでこんなに頑張ってディストピアつくっているんだろうって絶望を感じることもあるし。(和田永)

ええ、なるほど。どっちが楽園かという議論も複雑で、回転するものかもしれない。いま現在において、夢を見る余地って、それほどヴァリエlーションがないかなって思うんですけど、OREは夢を見るための資材をオリジナルなやり方で掘り出してきてますね。

和田:そうかもしれませんね……。でも、いやいや、さっき「絶望してる」って言いましたけど、もちろん希望を感じる瞬間もある訳で。

都度、未来が書き換えられている(笑)。

和田:日本だと、ものづくりにしろ、個人がいろんなものをつくれるようになっている技術とか、そういうものに希望を感じることもあるし、ある瞬間にはなんでこんなに頑張ってディストピアつくっているんだろうって絶望を感じることもあるし。いい未来がくるかもしれないとも、いや、このままどん詰まりだとも、どっちも思いますね。諦めも奮起も絶望も希望も、個人のレベルでも国のレベルでもあります。

ええ。回るっていうのがね……生命とか宇宙とかのレベルでもそうだし、輪廻的な理もそうかもしれないし、もっとちいさな、近代とか現代という枠組みの中にも回転があるんだろうし。あまりにもリールとか回転ということの持つ哲学的な深度が深いものだから──

和田:ありますよね(笑)。ほんとに。

吉田匡:何でも回転って言っちゃう。

たとえば、ゼロって概念を表す記号がマルだっていうのも、ねえ(笑)。

吉田悠:無限とゼロがつながりますよね。

あはは、そうそう。きっとそういうものを最初からコンセプチュアルに見出したわけじゃないでしょうけど、オープン・リールを触っておもしろいなっていう感覚の中から、その「円」とか「回転」っていうコンセプトを拾い上げていったのは興味深いです。

吉田匡:後から発見したことも多いんですよ。僕らが思っていた以上のことばっかりで、いろんなものに接点があって。でも回転というモチーフに興味を持ってもらいたいという思いは一貫してありますね。

やっぱり……OREはオリンピックに何かしなきゃいけないですね。あれこそ近代の象徴にして棺桶っていうか(笑)。

和田:なるほどねー(笑)。僕らが──

吉田匡:代理をやる。

だって、シンボルマークだって、円がいくつ重なってんだよっていう。

吉田悠:五大陸の連帯だって言ってるけど……ほんと、近代の光と闇ですね。

ポストモダンにおいて、しかも東京で、なぜモダンの再現にわずらわされねばならないのか……。でも、今日のお話だと、OREは近代というものをその両側から見る目を持っていて、若くて、アイディアと衝動に溢れている。これはみなさんがなんとかしないと。5年後だから、ちょうどいろいろ脂が乗ってるころじゃないですか?

吉田悠:5年後にその目標設定しなきゃ(笑)。

和田:毒を隠し持ちつつやりたいですね。

吉田匡:解釈次第では真逆になってしまうようなことをやる。

それをやってくれるんだったら、私はオリンピックを楽しみにしますよ。

(一同笑)

和田:課題がたくさんあるなあ。CDの宣伝してる場合じゃない(笑)。近代の光と闇。

そんなこと大上段で言ってるやついないよ(笑)。

吉田悠:そういうことに思いを馳せるきっかけはありますけどね。アナログテレビが終わっちゃったとか。そんなときにはっと気づくんです。別の世界線の存在に……。

ああ、なるほど。そしてそれがもっとも祝祭的に表現されるのが──

和田:それがやっぱりライヴですね。儀式的なものを通して何かを感じて、気づいてもらう。でもそこに音楽があるというか、そこで音楽を生みだしているというのは、なにか大きいことだと思うな。やっぱりすごく音楽の力を感じる瞬間ですね。

Special Request - ele-king

 ハウス・プロデューサー、ポール・ウールフォードが、UKダンスミュージックに特化した別名義であるスペシャル・リクエストとしてEP「モダン・ウォーフェア」を〈XLレコーディングス〉より発表する。作品は3作にわかれた12インチと、デジタルのフォーマットでリリースされる。発売日は10月30日。
 彼は2013年にロンドンの有名クラブであるファブリックが主宰するレーベル、〈ハウンズトゥース〉より、同名義でアルバム『ソウル・ミュージック』を発表。ブロークンビーツを用いたバック・トゥ・ベーシックなスタイルや、リミキサーに新人のテセラを起用するなどで話題となり、そのアイデア、そのクオリティともに高い評価を得た。
 今回発売されるEPに向けて、新曲の“アムニージア”が公開されている。



 またリリース元である〈XL〉は、今年に入ってからパウェルやマムダンス×ノヴェリストといった、UK 最先端のダンスミュージックを紹介している。ご存知の通り、姉妹レーベル〈ヤング・タークス〉からはジェイミーXXの『イン・カラー』が。さらにそのサブ・レーベル〈ホワイティーズ〉からは、コウトンやマイナー・サイエンスといった、アンダーグラウンドの先鋭たちのシングルがリリースされた。
もともとはレイヴ・カルチャーを背景に持つレーベルとしてはじまった〈XL〉。今年は、立て続けに重要なクラブ系のEPを出している。近々、日本独自編集盤のコンピレーションが出るのではないかという噂もある。アーティストとレーベルの周辺を今後ともチェックしていきたい。

参照:RA(https://www.residentadvisor.net/news.aspx?id=31361

Special Request
Modern Warfare EP

XL Recordings
Release:2015.10.30

EP1:
A1 Amnesia
B1 Reset It
B2 Modern Warfare

EP2:
A1 Take Me
B1 Damage
B2 Simulation

EP3:
A1 Tractor Beam
B1 Elegy
B2 Peak Dub


Metome (Schist) - ele-king

Recently

Yomeiriland - ele-king

 マムダンス&ノヴェリストといえば、いまやUKグライムの最強のタッグ。マムダンスは、今年はロゴスとの共作アルバムを出したトラックメイカー、そしてノヴェリストは期待大の若手MCだ。夏前には、彼らは正式にコンビを組んでXLから12インチを出している。
 そのふたりの2014年のコラボ曲“Take Time”を、なんと日本の3人組ラップ・グループ、嫁入りランドがカヴァー。先日SoundCloudで発表すると、さっそくFACT MAGは、「当然ながらブリリアントである」と賛辞を寄せている。
 ※引用訳につきまして「驚きはしないが、ブリリアントである」を「当然ながらブリリアントである」に訂正いたしました。関係の皆さま読者さまにお詫び申し上げます(2015.9.25)

 ちなみに、こちらがマムダンスのオリジナル。

 で、こちらが嫁入りランドのカヴァー。

ルビー・ローズ、ガリポリ、安保法案 - ele-king

 またしてもネットフリックスが当てた海外ドラマ『OITNB(オレンジ・イズ・ザ・ニュー・ブラック)』(囚人服のこと)の「シーズン3」で一般的にも完全にブレイクを果たしたルビー・ローズは、日本で人気のミランダ・カーと同じくオーストラリア出身のファッション・モデル。ローズの全身にはタトゥーが入っていて、ハイエイタス・カイヨーテのナイ・パームといい、さすがオーストラリア、『マッド・マックス』みたいなキャラが次から次へと出てくるなーと思っていたら、なんと、彼女はガリポリの戦いで生き残ったオーストラリア兵の子孫だという。オーストラリア軍は全滅したと思っていたので、生存者がいたことにも驚き、その子孫が「髪を切ったらジャスティン・ビーバー」などと言われて、いまやレズビアンのアイコン的存在になっているとはなかなか言葉もない。

 100年前、イギリス軍がトルコに上陸するためにオーストラリア兵を人間の楯として使ったのが、いわゆる「ガリポリ」で、ハリウッド進出前にピーター・ウイアーが『MASH』や『キャッチ22』と同じ手法で映画化している。要するに前半は兵士たちがふざけているだけ(邦題はなぜか『誓い』)。『マッド・マックス』と同じ主演のメル・ギブスンは、最初は戦争に行くことを拒否している。「パッとしないから」という理由で志願する友人たちに非国民とそしられても彼は「僕たちの戦争じゃない」「イギリスが勝手に」といって取り合わない。しかし、「ハクがつく」という理由で彼も宗主国であるイギリスとオーストラリアの合同作戦に志願。しまいには「♪イギリスさんが困ったら~ 僕たちがかけつける~」と陽気に合唱し、自分たちがイギリス軍の下部組織であることに大した自覚は持っていない。そして、彼らを取り巻く事態は急変する。イギリス軍が全員無事に上陸し、「お茶でも呑んでいるころ」にオーストラリア軍は上官も含めて全部隊が敵の銃弾に向かってダッシュしていく。エンディングは凄絶なものがある(ブライアン・メイとジャン・ミシェル・ジャールの音楽がいまとなってはかなりダサい)。

 衆参両議院で安保法案について審議されている間、僕の頭には「ガリポリ」が何度もよぎってしまった。前線と後方支援ではまったく意味が異なるし、自衛が人間の楯として使われるという局面が訪れるとはさすがに思わないけれど、実質的には自衛隊が米軍のパシリになるという法案にしか思えなかっただけでなく、最高責任者がどちらの軍に心を寄せているのかという部分でも「ガリポリ」と安部政権は正反対を向いていたとしか思えなかった。僕はずっと安倍は、イランでいえばホメイニ以前のパーレビみたいな存在だと考えていたこともあって、今度のことも独立性の面では右翼の方々が怒ってしかるべき法案ではなかったかと思えたし、スイスなど一国平和主義の国防意識を引き合いに出す賛成派も右翼の不在を過剰なレトリックとして使っていたに等しく、安保法案に関心を示していたテンションの高さに対して、それこそ安倍内閣の答弁はあまりにゆるゆるで、「♪アメリカさんが困ったら~ 僕たち皆がかけつける~」という鼻歌程度のものとしか考えていないような印象さえあった。日本が戦後の方針を大転換させるにしては、なんというか、理屈も弱いし、パッションも低いし、女性の口説き方でいえば「いいじゃん、ちょっとぐらい」とか「先っぽだけ」に近い感触で言い寄られたような法案だったというか。

 政府ではなく、法案に賛成する人のなかには耳を傾けてもいい意見はあった。賛成派にも反対派にもバカな意見というのはもちろんあって、とくに賛成派でも保留派でもバカバカしかったのは個別的自衛権と集団的自衛権を取り違えているもの。影響力が大きい人では、松本人志や田村淳などお笑いで、それが目立ったのはちょっと気になった。アメリカのコメディアンにはリベラルが圧倒的に多く、とはいえ、政治家をからかう時には民主党であれ共和党であれ、とにかく容赦がない。近年で最大のヒットといえばティー・パーティ後ろ盾にして出てきたサラ・ペイリンをまずはティナ・フェイが完コピし、さらにはペイリンが言いかねない政策を先回りして吹きまくるというものがあった。

 ヘタをすれば政治家のスタッフ・ライターになれる域である(ティナ・フェイのサラ・ペイリンが見たいばかりにティー・パーティに復活して欲しいぐらいだと思っていたらドナルド・トランプに呼応して、先週、「私がエネルギー大臣!」とブチあげてペイリンが復活してきました。いやー、お笑い的には面白くなるかも~)。
 ティナ・フェイが辞めた後に「サタデー・ナイト・ライヴ」のヘッド・ライターに就任したセス・マイヤーズがホワイトハウスのディナー・スピーチでドナルド・トランプを叩き潰した瞬間もなかなかのものがある。カメラに抜かれたトランプの表情は完全に固まっていた。

 ジミー・ファロンやクリス・ロックなど、この辺りは例を挙げれば切りがない。本誌15号でも取り上げたようにウィル・フェレルとスティーヴ・カレルが右翼報道で知られるフォックスTVを笑いのめす映画
『俺たちニュースキャスター』も最高でした。

 お笑いが政治にコミットするというのはこういうことであって、一国民として政治に振り回されるのではなく、個別的自衛権と集団的自衛権の区別がついてから、それを笑いのネタにしてもらいたいものだと思うばかりである。

 話を戻そう。賛成派のなかで耳に残ったというか、僕にもそういう気持ちがあるのは国際貢献である。かつて国境なき医師団(以下、MSF)はルワンダで武力行使を要請した事があり、それを聞いて僕は非常に葛藤を覚えたことがあった。MSFというのは目の前にケガ人がいれば黙々と救援活動を行うだけで、それ以上のことはしないと思っていたのに、最近の政治用語でいえば僕が思っていたよりも「積極的」だったのである。
 そして、そのことによって多数を救うことができると彼らは早期に判断し、実際には国連が武力行使どころか、ほとんど黙って見ていたために、MSFが恐れていた通り、市民同士の虐殺はマックスへと登りつめていく。ジャン=ステファーヌ・ソヴェール監督『ジョニー・マッド・ドッグ』(『憎しみ』のマチュー・カソヴィッツがプロデュース)のような展開を経て現在のルワンダがIT大国として飛躍的な経済成長を遂げたという後日談を知ると、これもまたなんともいえない気持ちにはなるけれど、100万人以上の死者を見過ごしたことはたしかであり、自衛隊がその主体になることはないにしても、国連軍が武力行使をする時に日本が何をできるのかということは、以来、気になり続けていた。
 今回の安保審議では、論点が米軍との連携に集中し、PKOが具体的にどう変わるのか、僕にはよくわからなかった。政府が「国際情勢の変化」というならば、イエメンの内戦やムガベの横暴、あるいはネパールやウクライナでは今年、憲法改正をめぐって暴動や警官の殺害まで起きているし、ISISの空爆に踏み切ったトルコはついでにクルド人まで空爆し始めるなど世界のどの部分を見ても「国際貢献」をしたいという気持ちを掻き立てられた人は少なからずだったのではないだろうか。安陪内閣の答弁を聞いていると、40%前後の支持率のうち、どれぐらいを占めているのかはわからないけれど、そういった真面目に国際貢献をしたいと思う人の気持ちは完全に裏切られていると僕には思えたし、それこそアメリカのニーズに応えて日本政府が憲法を破るというなら、アメリカのニーズがあれば日本国民も刑法や民法を破っていいのかな~と、法に支配される国民としての方針も大転換させたくなってしまう。


 多ジャンルで活躍するルビー・ローズはこのところDJとしてもめきめき評価を上げている。

 ジェンダー・フリーを呼びかけるルビー・ローズからのメッセージ・ヴィデオ。

interview with MIKRIS - ele-king


MIKRIS
6COFFIN ReBoot

THE DOG HOUSE MUSIC

Hip Hop

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 MIKRISというアーティストは危険……いや“MAD"だ。
“MAD" と冠のついた連作(まだ完結作は出ていないから、いまからでもその話題に乗る事をお勧めしたい)のリリースしていたMIKRISという存在は、当初は本文中にも出てくるように44 BLOXのメンバー、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのサイドMCとしての印象が強く、現在持っている文字通りの“UNDERGROUND"なイメージとの距離はかなり遠い。
3rdアルバムである『6 Coffin』は、強烈な静と動がMIKRISの言葉とそれを固めるトラックにより“MAD"な棺桶が浮かび上がる。アルバム、ZINEとMIX CD、リミックス・アルバム 『6 Coffin ReBoot』によって完結するこの三部作は、20年近い彼のキャリアのなかでもここ数年が異質であることを示している。
彼が歩んで来た“MAD"な道のり、これから彼が魅せてくれるであろうさらなる“MAD"な世界の扉が開かれる。

ある日いきなり、一生懸命ダンスの練習してて。しかも、団地の駐輪所の暗がりのライトのとこで。それを発見しちゃって。かっこよくて。俺以外にもこの音楽はまってる人がいるってなって。

SAWADA(以下、S):訊いたことなかったけどMIKRISという名前の由来って?

MIKRIS(以下、M):俺、親父の名字がミキで、母親の名字がクリスなんですよ。それでミキクリス、それで、MIKRIS。10代の頃はMC MIKK(ミキ)でやっていて、DELIさんが(NITRO MICROPHONE UNDERGROUND)さんがデビューするってときに言いづらいから名前を変えたほうが良いという話になって、自分で決めました。

S: MC MIKKの頃の音源ってあるんですか?

M:たしか1999年ぐらいに千葉のラッパー、Mr.OMERIさんのTAPE ALBUMはその名義で参加してると思います。

S: 最近は東京でライヴというとBEDが多いけど、昔は渋谷が多かったイメージがあるけど、どうですか?

M:そうですね。昔は渋谷の円山町とかでのライヴが多かったけど、いまはもっぱら池袋(IKB)ですかね。10代の頃はあまり地元でのそうゆうCOMMUNITYなかったから、よく東京でライヴしましたよ。六本木とか、マダムカラス(池袋)とかで。

S: マダムカラスは池袋近辺で活動してる人はだいたい出演したことのある場所ですよね(笑)。自分も何回かハードコア/ パンクのレコードかけてDJさせてもらったことあります。

M: ハードコアといえば、俺、最近知ったMinor Threatの曲の歌詞がとてもささりました。

 MIKRISには千葉 ( CHIBA POWER ) の印象も強くある。千葉ではヒップホップはレゲエ、テクノやハードコア……さまざまな音楽が交差している。
 同世代の盟友であり、かの地で混ざり合うさまざまな事象を千葉の文化として叫び続けるラガマフィンソルジャー、SOLDIERの1stアルバム『邁進』において、千葉を代表するラッパー、E.G.G. MANとともに"CHIBA POWER" という曲に参加している。
 SOLDIERとともに開催するイベント〈AWAKE〉"は千葉のカルチャーを担う本物のショップで、SOUL ASSASINSとも深いつながりをもつWANNABESの地下にある、〈LIVE SALON WANNABES〉にて行われている。 ---


< DESFOGATE LIVE映像 >

S: MIKRIS君がハードコアに出会ったきっかけって、〈WANNABES〉ですか?

M:そうですね。あとは小岩の〈BUSHBASH〉ですね。DESFOGATEのコウスケ君の影響が大きいですね。

S: 自分もコウスケ君と親交あってMIKRIS君のことは聞いてました。 でも最初はMIKRIS = 44BLOCKのイメージがあったから、ずっと松戸とか柏の人だと思ってて。

M:それはよく言われますね。昔44でツアーやるってときに、「JBL(常磐線沿線)に住んでないですけど大丈夫すか?」てDELIさんに相談したら「お前は大丈夫 」って言われたんで、それでジョイントしてる。俺は千葉市のほうの出身です。さっきの昔やってた場所の話につながるんだけど、10代の頃は錦糸町の〈Nude〉とか潜り込んこともあります。PRC(元SOULSCREAM)とかやってたパーティがあって。

S: じゃあ、ヒップホップというカルチャーに最初に触れたのはどこになりますか?

M:実は小学生のころは北海道に住んでて、TVでダンス甲子園とかあったじゃないですか。姉とか従兄弟がいるんですけど、洋楽しか聴かない人だったんですよね。そういうなかでヒップホップに触れて、なんだこの魅力的で興奮する音楽はーってなって聴いてたんですよ。そしてら、同じ団地にすんでる3歳上のヤンキーのにいちゃんががいて、元々ヤンキーなんですけど(笑)。ダンス甲子園がやってるときに、ある日いきなり、一生懸命ダンスの練習してて。しかも、団地の駐輪所の暗がりのライトのとこで。それを発見しちゃって。かっこよくて。俺以外にもこの音楽はまってる人がいるってなって。来ましたね。

S:ちなみに、そのとき、そのヤンキーのにいちゃんはどういう格好してたんですか?

M:それはもう、ダンス甲子園って格好になってて(笑)。すげーなって、子供ながらに思いましたね。

S:というか、北海道住んでたことがあるのが、自分は驚きです。

M:俺は元々千葉県の生まれですけどね。親父は兵庫 お袋は茨城です。それで親父が千葉に移り住んで。それが、うちの一家の歴史の始まり。

S:なんか俺のイメージですが、MIKRIS君て国籍不明な感じですよね。 顔の濃い感じも。

M:純粋な日本人です(笑)。

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一応ターンテーブル持ってる奴がいて、そいつが持ってるレーコドをかけて、みんなでテレコを真んなかに置いて、一発録りして曲作ってました。MTRの存在も知ってたんですけど、誰も扱えないし、買えないし(笑)。


MIKRIS
6COFFIN ReBoot

THE DOG HOUSE MUSIC

Hip Hop

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S: 話横に行っちゃいそうなんで戻しますね。何でラップをやろうと思ったんですか?

M:そのヤンキーの兄ちゃんとかの影響で、ブラック・ミュージックをずっと聴いていて、その流れで日本語でラップして人たちの存在を知って、聴いてみたんですよ。でも、当時の俺が思ってるヒップホップと違うって思って。 なら俺がラップしたほうが絶対かっこいいと思っちゃったんですよね(笑)。それで自分でリリックを書いてテレコで録ってみてってのがはじまりですね。

S: 初めはどんな感じだったの?

M:中学校の時から仲いい奴がいて、そいつとまず曲を作ろうてなりましたね。高校で、その頃スケボーを一緒にやってた奴とか、仲いい奴とかみんなで勝手にラップ・グループ作って。俺がMCネームを全員決めてやってました。10人ぐらいいたかなあ。一応ターンテーブル持ってる奴がいて、そいつが持ってるレーコドをかけて、みんなでテレコを真んなかに置いて、一発録りして曲作ってました。MTRの存在も知ってたんですけど、誰も扱えないし、買えないし(笑)。

S:

M:19歳ぐらいのときに耐えかねて(笑)。メンバーの奴が挑戦して、MTRとMPCを買って、オリジナルトラックを作くるって言い出して。初めてちゃんとデモ作ってかんじですね。

S: その時作った曲名覚えてます?

M:たしか“太平洋"って曲作ったような。

S: CHIBAだから太平洋なんですね。

M:(笑)。

S: そのときのメンバーはいまは?

M:一番初めから一緒のやつはまだ千葉でDJやってますよ。いまはヒップホップていうか、違う感じの好きみたいだけど。

 現在、松戸の市会議員をつとめ、千葉を代表するラッパーであるDELI は、MIKRISにとって大きな影響を及ぼす。DELIはMIKRISにとってその路を開き、何だって出来ると思わせてくれた最重要なラッパーである。DELIなくしてMIKRISというラッパーの存在は生まれていない。

< DELI, MIKRIS, MACKA-CHIN feat. TINA "シャボン玉" >

S: MIKRISにとって重要な存在のDELIさんとはいつ知り合ったの?

M:俺、元々曲もなかったんで、フリースタイルでライヴとかしてて。 いろいろ都内とか、横浜とかのオープンマイクとかラップ・コンテストとかどうにか探し出して出てて。 ある日どこかの店でオープンマイク有りのフライヤーを見つけて。しかも千葉で俺の地元じゃんってなって、 行ったのがDELIさんとかREAL IMPACTがやってるイベントで。GORE-TEXやK- BOMBとか居て。なんでこんなとこにいるんだ! てなって。

S:デモはそのとき渡したの?

M:持ってたけど渡さなかったすね。その後に、当時、〈市川GIO〉って市川の駅前にあったライヴハウスでやってた〈LOCAL MOTION〉ってイベントに出て。それはいろんなアーティストが都内から来てたみたいですね。その頃、ちょうどDELIさんがニトロはじめる直前みたいな感じ。ソロでも曲出すみたいになってて、すげー盛り上がってましたね。そのイベントは、箱のキャッシャーから駅を挟んで逆のロータリーまで人並んだときもありましたね。本当に、日本のヒップホップってすごいって思うようになってましたね。

S: 当時はバンドしかやってなかったけど気になってましたね 。ヒップホップとバンドとヒップホップでやってたイベントもあったけど、正直あまりうまく混ざれななかった印象があります。2000年前くらいで。なんか、みんな無駄にとんがってたみたいな。認め合いが難しかったというか。それは感じましたね。自分が見れてなかった部分もあると思うんですけど。

M:それはありますね。いまの混ざり合ってる感じはないですね。

 MIKRISは数多くのミックステープをストリートに落として来た。宇田川の伝説のミックスCDストリートショップ〈BOOT STREET〉 や数多くのストリートショップがそのミックステープを拡散していく。千葉、茨城、東京にとどまらず、大阪のアーティストとも共作するなど、その動きは、ミックスCDが並ぶショップでは強い存在感を放っていた。
その一部は、MIKRISの運営する〈THE DOGHOUSE RECORS〉のBANDCAMPで確認が可能だ。< https://thedoghousemusic.bandcamp.com/ >

S: 話が変わりますけど、MIKRIS君ってミックステープを大量に出してますよね?

M:1stアルバム出して、いろいろステップアップしたいけど、いい方法が浮かばないで足踏みしてる時期があって。それでも新しい曲は録ってるから、これを正規盤じゃないStreet Shitとして出そうと思って出してました。たぶん10枚ぐらいある。お金にもなったし

S:その話もっと聞きたいですね。

M:もともと2003年にデビューして、2005年に44BLOXのツアーのときに1st(『M.A.D. 』)出して。その前もずーとDELIさんやDABO君、XBSさんのSideとして全国ツアー連れてってもらってて。それで初めていった日本全国の土地土地でコミュニティがあったり、お店があったり、その都市のアーティストやO.Gの人とかがいて。すごく世界が広がって。そしてイベンターの方たちやお店の方にも歳が若いから可愛がってもらってて。
そのなかでの付き合いで、自分のCDも直で置いてもらえたら、そこで少なからず俺のこと気になってくれた人が聴いてくれんじゃないかと思って。それで当時毎日のように遊んでたJBMやDJ NOBU a.k.a. BOMBRUSHやKGEやSESAMEたちと制作をはじめました

S:それから2ndアルバム『M.A.D.2』(2011年)のリリースですか?

M:いやその前にストリート・アルバムとして『STREET MADNESS』を初めて正規の流通で、自分のインディー・レーベル〈THE DOG HOUSE MUSIC〉から出して(2010年)。その年にMARSMANIEとのジョイント・アルバム『M's UP!』もうちから出しました。それで『M.A.D.2』ですかね。

S:〈THE DOG HOUSE MUSIC〉の由来は?

M:俺、THE DOG(ジ・ドック)ってユニットをKGEとSESAMEと組んでて。まあ頓挫しちゃうんですけど、その流れで俺が考えた名前だし、その屋号を自分のレーベルの名前に引き継いで。ほんとはこのスペルだと“ザ・ドック”になるんだけど、知ってる奴だけ“ジ”と読む。みたいな。俺そうゆうの好きなんですよね。

S:〈ジ・ドック・ハウス・ミュージック〉なんですね(笑)。それからが、“M.A.D.2”ですね? 俺はたぶん、M.A.D.2とM.A.D.Xのあいだに一度会ってますね。ROCKASENのパーティで。挨拶程度しかしてないですよね。

M:俺、初対面の人と上手く喋れないですね。すいません田舎者なんで(笑)。

S:それから、B.D.のILLSONのリリース・パーティですね。その頃やっとちゃんと喋った気がする

M:俺はじめILLSON SHOWCASEのフライヤーに〈WDsounds〉て入ってて、B.D.にこの〈WDsounds〉ってなに? って訊いたこと覚えてます。BROBUS時代からB.D.のILLSONまでは、作品に全部誘ってもらってますね。俺の作品も彼は全部はいってるし。

S:BULLDAWGS(B.D. / JBM / KGE THE SHADOWMAN / MIKRIS )って昔から聴いてない人にとっては謎のグループじゃないですか? 音源も出してるわけでもないし。どうゆう経緯なんですか?

M:2007か8にMUROさん監修の『TOKYOTRIBE 2』のアニメのコンピレーションの曲があって。それがこのメンツで。けっこういい感触で、このままこの4人でオールMUROプロデュースでアルバム作ろうてなって。たしか。それでまずBULLSて候補があったんですが、DOGをつけてBULLDOGS。でも少しいなたいから“DOGS"を“DAWGS"にかえてBULLDAWGSになって。まあ、その話は流れたんですけどね(笑)。

S:俺はその当時変な言い方じゃなくて、MIKRIS君のイメージはなんか渋谷というか、ニトロ(NITRO MICROPHONE UNDERGROUND)っていうか、日本語ラップのオーバーグラウンド的な感じがあって。日本語ラップて二分してたじゃないですか、当時? NITROのようなオーバーグランド的な感じの日本語ラップと、MSCや韻踏のようなアンダーグランドな感じの日本語ラップと。

M:そうですね。俺は気にしてなかったけどありましたね。

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俺、元々ホラー映画とかそうゆうB級なものが好きで。USでもクレイヴ・ディガスとか それこそデビュー当時のウータンとかモブディープとかとてもホラーな感じがして。あの当時の雰囲気を日本でやろうと思ってデビューからやってるんですよ。


MIKRIS
6COFFIN ReBoot

THE DOG HOUSE MUSIC

Hip Hop

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 『6 Coffin』と題されたアルバムは、ILLICIT TSUBOI、BUSHMIND、GOLBY SOUNDといったトラックメーカー陣の凄まじいまでの世界観に白と黒が似合う様なダークな世界がこれでもかと言わんばかりにMIKRISの口から吐き出されている。
リリシストとしてもライム巧者としても定評のあるMIKRISは、いままでもMADなラップをしてきたが、この作品に関しては異質のものだと言い切れる。

S:それゆうなかでのMIKRIS君は、『M.A.D.2』まではそういうイメージがあって。そこから『6 Coffin』(2013年)になって、がらっと変わるじゃないですか?

M:俺のなかで『M.A.D.2』までがいままでの自分のイメージの一番目の集大成で。それでワンマンライヴをやって一区切りじゃないですけど。それで次に何作るかとなり、『6 Coffin』ですね。『6 Coffin』については一番の転機じゃないですけど、ちょうど世の中の世相もあり。一番は世相だったかもしれません。

S:いままでのCDのジャケットっと並べて見ても、『6 Coffin』はちょっと異質じゃないですか。これはどう思ってほしいのかと?

M:そうですね。よく言われます。「どう思ってほしい?」って。これは俺が悪いかもですが。俺、元々ホラー映画とかそうゆうB級なものが好きで。USでもクレイヴ・ディガスとか それこそデビュー当時のウータンとかモブディープとかとてもホラーな感じがして。あの当時の雰囲気を日本でやろうと思ってデビューからやってるんですよ。だって俺のデビューEPはホッケーマスクかぶってますからね。

S:なるほど。そうゆうことで言えば、昔BUSHMINDと一緒に車乗ってて、これ聴いてよって言ってBUSHMINDにMIKRIS君の曲聴かせてもらって。俺はリリックがMADだと思ったけど、正直なんのこと歌ってるか全くわからなくて。これはこうゆうことを歌ってるってBUSHMINDに説明されて。テーマが複雑なんだよねって。そのあとからはちゃんとリリックが入ってくるようになって(笑)。『6 Coffin』は、ほんと圧倒的。トラックからキテるじゃないですか。

M:あれ、誰にも歌わせたくなかったからインストは公開してないです。まず、俺以外の人は歌えないし、俺の望む歌詞は他人には書けないと思ってました。で、ひとりでやったんですよね。

S:そのなかでリミックス作ろうってなったのはどうしてですか?

M:それはもうT.O.P.もそうだし、MEGA-GもそうだしJ.COLUMBUSもそうだし 客演陣は このラッパーたちなら書けると思って、お願いしました。チャンネルが合うかなと思って。

S:DELIやE.G.G.MANとの曲は?

M:これは正直、前作『6 Coffin』を作ってるときに作ってて。全体をまとめるときに少し違うかなと思って入れなかった曲です。

S:なんか今回の『ReBoot』(『6COFFIN ReBoot』)はリミックスとなってるけど、別モノになってる気がするんですよ。ほんと、このパッケージにしなくてもシングルとして出してもいいんじゃないかなぐらいの出来で。まあジャケットは続きモノですけど。今回のリミックスを聴いて、また次のタイトルが出たときに繋がる感じなのかなと?

M:この『6 Coffin』の続編はこの『ReBoot』、これで完結です。この作品/プロジェクトのテーマは漢字で言えば 反抗なんですよ。アート的反抗。続きでいうと映画は三部作なんで『M.A.D.3』は出したいと思ってますけど。
3部作って、まず1作目にこうゆうものがあると提示して、2作目にまた肉付けしたスケールアップしたものになり、3作目は好きなやつだけついて来い的な感じだと思ってて。

S:話が戻るんだけど、『6 Coffin』という作品はジャケットもそうなんだけど、なんかジャームッシュの『デッドマン』みたいな感じがあって。

M:俺は日本人のアート感覚でホラーとか奇妙な感じを音楽に落とし込みたいのがあって。

S:だから白黒なんだ

M:イエス。

S:“ STRAY SHEEP (Remix) ”とか聴くとほんと『デッドマン』みたいなイメージ。

M:あのJ.COLUMBUSのバースは俺も気に入ってます。ああゆうバースこそみんな理解しようとして頭おかしくしてもらいたい。

S:あれは作ってても頭おかしくなりました(笑)。あと。MATRIXについては、他と違って色があるかなと。

M:あの曲については奇跡で。もともと違う感じのトラックで録ってたんですが、最終段階で自分の予想をはるかに時空ごと飛ばした曲でした。もともと俺のラップ・キャリア初のスタジオ・レコーディングのエンジニアがILLICUT TSUBOIさんで。DELIさんの“クラッシャ”て曲で。そのときこんな変態な方がいるなんて思いました(笑)。それでいつか一緒に曲作りたいとはじめから思ってて。最高なのができました。

S:BUSHMINDのリミックスもまた別物になってていい感じにでしたし。

M:個人的にはラップとかアートとかって、みんなに理解されないとただのマスターベーションていう人もいるけど、俺は逆でマスターベーションにこそ金を払ってほしい。それが一番純粋な動機かと思うんです。

S:MIKRIS君はDJもやらないしトラックメークもしないし、ラップだけしかしないじゃないですか。ラッパー、MIKRISとしてまた作品だしたりライヴしたり、すると思うんですけど、最終的にどうしていきたい、どうなりたいとか、展望はありますか?

M:日本人がやる日本人のアンデンティティのもと作り出す世界のヒップホップをやりたい。強いて言えば千葉県の田舎者がやるを付け加えたいですね。学びの途中ですね。 精進。

S:学びは最後までが学びですからね。精進ですね。

M:間違いないと思います。

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押忍 = 押して忍ぶ / 自我を抑え我慢する
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 都内某所でのライヴの前に飲みながら話を聴いたあと、翌朝を迎える前に行われたライヴは相当狂っていたことも加えておく。

 そう、あの集団のことだ。現在はツアーまっただ中で、明日には東京公演を控えている。昼はワークショップ形式ということだから、オープンリールに触れたりするのだろうか……?
音楽好きも、そんなに音楽には興味がないという人も、何かライヴに行きたいという人も、ただデートの行き先が見つからないという人も、まるごと楽しませてくれるのがOREだ!
新作アルバム『Vocal Code』から冒頭の奇曲"”のMVが公開されたということだから貼っておこう。ぜひライヴに参加されたし!


Open Reel Ensemble - 帰って来た楽園 with 森翔太

ツアー真っ只中!!
旧式のオープンリール・デッキと現代のコンピュータをドッキングさせた圧倒的なパフォーマンスで見るものを熱狂させ世界中から注目を集めるコンテンポラリーアート楽団、Open
Reel Ensembleが”声”をテーマにしたニュー・アルバム『Vocal
Code』から、「仕込みiPhone」の動画等でメディアアートでも注目を集める映像作家・パフォーマーの”森翔太が歌っているコラボ曲「帰って来た楽園」のMVが公開された。

映像はカメラ周りの360度全方位の風景を、撮影・共有・視聴できる「360度動画」に対応しており、PCでは画面左上に表示される矢印を、動かしたい方向にクリックすることでアングルを変更でき、スマートフォンからは本体を動かすことで映像が見れるので、実際にその場にいるような体験ができる。出演しているのは、ディレクターの森翔太の他、本物のご両親や親族も出演している。

また「帰って来た楽園」は、60年代に同じくオープンリールを使って作られたザ・フォーク・クルセダーズのあの名曲をOpen Reel
Ensembleが勝手な続編として作った曲とのことで、異色のコラボとそのコンセプトに注目が集まる。

9/20(日)には渋谷7th Floorで昼・夜2部構成でそれぞれ違う内容の東京公演が開催される!

【動画】
Open Reel Ensemble - 帰って来た楽園 with 森翔太

【LIVE】
Open Reel Ensemble presents 『巡回』~「Vocal Code」Release Tour 東京公演~

9月20日(日)東京 渋谷7th Floor
昼公演
OPEN/START 13:30/14:00
Act:Open Reel Ensemble, 市原えつこ×菅尾なぎさ
Add3,500yen+D 全席自由
Door4,000yen+D 全席自由
チケット取扱・問い合わせ先:
7th Floor 03-3462-4466, https://7th-floor.net/

夜公演
OPEN/START 18:00/18:30
Act:Open Reel Ensemble, 市原えつこ×菅尾なぎさ
Add3,500yen+D 全席自由
Door4,000ye+D 全席自由
チケット取扱・問い合わせ先:
7th Floor 03-3462-4466, https://7th-floor.net/

注>>>昼公演と夜公演は内容が異なります。


【作品】
Open Reel Ensemble
Vocal Code
2015/09/02 release
PCD-25180
定価:¥2,500+税
https://p-vine.jp/music/pcd-25180

01. 帰って来た楽園 with 森翔太
02. 回・転・旅・行・記 with 七尾旅人
03. 空中特急
04. ふるぼっこ with クリウィムバアニー
05. Reel to Trip
06. 雲悠々水潺々
07. Tape Duck
08. アルコトルプルコ巻戻協奏曲 with 神田彩香
09. NAGRA
10. (Life is like a) Brown Box with Jan
11. Tapend Roll
12. Telemoon with Babi

 はっきり言って今年は当たり年です。とくに、いままでは日本で観られなかったヨーロッパの映画作家の作品が続々入ってきていて、しかも水準の高いものばかり。だからそれらを映画館で体感することは僕たちにとって幸福でしかなく、連休はあの暗闇のなかで旅をしましょう……ということで、公開中の作品と公開予定の作品を。

■EDEN/エデン

監督 / ミア・ハンセン=ラヴ
出演 / フェリックス・ド・ジヴリ、ポーリーヌ・エチエンヌ、ヴァンサン・マケーニュ 他
配給 / ミモザフィルムズ
2014年 フランス
新宿シネマカリテ、立川シネマシティ ほかにて、全国公開中。
© 2014 CG CINEMA – FRANCE 2 CINEMA – BLUE FILM PROD – YUNDAL FILMS

▼Side A 野田努
 映画のオープニングが最高。初めてクラブ・カルチャーを体験した青年は、お店が終わり人がいなくなったフロアにひとり残って、レコードを仕舞っているDJに歩み寄る。青年は、彼にとってその晩もっとも印象に残った曲が何という曲だったのかをDJに問う。DJはその曲のジャケを青年に見せる。画面に大きく写されるその美しいスリーヴ。そして曲がかかり、タイトルが出てオープニングがはじまる……。
 その曲名をここで明かしてしまうと見る楽しみが半減するので言わないでおくけれど、しかし、90年代初頭のクラブ・カルチャーを体験している人がこれを見たら、まず泣くだろう。ハウス/テクノの名盤中の名盤、「エデン」というタイトルに相応しい曲だが、ぼくはまさかのこのオープニングに涙した。クラブ・カルチャーが好きな人は、最初の30分のためだけにこの映画を見ても損はない。
 オープニングの次は、主人公の青年が親に嘘をついてウェアハウス・パーティに出かけるところだ。そこも時代をうまく描写している。いわゆるレイヴのシーンだが、かかっている曲はジ・オーブの“ラヴィング・ユー”と、まあ、わかっている選曲だ。
 そして時代は進み、90年代のクラブ黄金時代が描かれる。映画のなかでは、その時代その時代のアンダーグラウンドのヒット曲が流れてる。90年代以降のクラブ・ミュージックを聴いていた人は、クレジットを見なくてもほとんどの曲名がわかるだろう。
 ダフト・パンクの“ダ・ファンク”がかかるところも良い。あの曲は、当時は誰もが狂喜した完璧なアンダーグラウンド・ヒットで、多くのクラブ・ミュージック好きの耳をパリに向けさせる契機となった1曲だ。

 とはいえ、この映画は「フレンチ・タッチ」を描いているものではないし、パリのクラブ・カルチャー史を描いているものでもない(ロラン・ガルニエもDJディープも出てこない)。語られているのは、クラブ・カルチャーに心奪われDJとなったひとりの人間の、およそ20年の人生だ。
 90年代はよかった。が、移りゆく季節のなかで物事は思うようにはいかなくなっていく。時代に歓迎されたセンスも、時代が更新されるなかでズレていく。当たり前のことだ。ターンテーブルはCDJへと、そしてPCへと変わる……。

 残念なのは、この映画がDJカルチャー/ダンス・カルチャーのラジカルなところにはまったく無頓着な点だ。初期のクラブ・カルチャーの、未知の世界に繫がる扉を開けてしまったかのような興奮よりも、恋人との世知辛い別れや金銭的な現実が前景化されていくわけだが、実際のクラブ・カルチャーに関わっている多くの人たちはもっとタフに生きている……し、じつは現実にはもっとおもしろい話がいっぱいあるのだよ(長生きしたら、書いたる!)。
 せっかくこれだけの素晴らしいオープニングを作ったのだから、もったいなかったというか、話をもっと膨らませてもよかったのに……。まあ、それでも最初の30分は最高だけど。そう、オープニングですべてを許そう。

 これは自慢だが、ぼくは映画の舞台となったシャンゼリゼ通りのリスペクトに当時行ったことがある。DJはジェフ・ミルズとディミトリ・フロム・パリスだった。最高のメンツだ。行って、朝までそこにいて──外国のクラブであのときほど女性から声をかけられたことはなかったので、「俺はパリならいけるのかも!」と思っていたら、友人からパリではこれが当たり前だと言われた。主人公もぼくのように大勘違いをしたのだろう──、まあ、とにかくリスペクトではずいぶん気をよくして、最後のひとりとしてそこを出た。通りから細い路地に入ると、いっしょに行ったフランス人は「ここがジャン=ポール・ベルモンドが『勝手にしやがれ』で倒れた場所だよ」と教えてくれた。(野田努)

▼Side B 木津毅

 オリヴィエ・アサイヤス一派であるミア・ハンセン=ラヴの映画では、残酷なほどにあっけなく過ぎていく時間がつねに描かれていた。ミアの兄であるスヴェンがDJとして経験したことがもとになっている本作では、90年代前半からのパリ、フレンチ・タッチ・シーンがその勃興から描かれる……のだが、「シーン」以上にここで映されるのは時間の経過そのものである。つまり、ガラージに夢中だった大学生がDJとなり、音楽仲間たちとパーティを開き、ドラッグをやっていくつかの恋をして、そして……それらをひとつひとつ失っていくまでを。おそらくこの映画の観客が期待するような、ポップ史に刻まれるドラマティックな出来事はここではほとんど起こっていない。だが、ハンセン=ラヴ監督の『あの夏の子どもたち』(2009)において映画プロデューサーの自殺がすべてのその横を通り過ぎていく人びとの人生を少しずつ変えたように、重ね続けられるパーティの夜は主人公たちとその恋人たち、友人たち、仲間たち……の人生を動かしていく。それは「栄光と挫折」なんて華やかなものではけっしてなく、ディスコとハウスの名曲が連投される横で、ちょっとした、しかし取り返しのつかない失敗ばかりが積み重なっていく。
 映画のなかでダフト・パンクはほんの少しだけ実名で登場するのだけれど、きわめて象徴的な存在としてそこにいる。彼らが巨大になっていくいっぽうでポール(=スヴェン)の人生からはありとあらゆるもの――人間関係だけでなく、音楽への情熱や未来への眼差しといったことも含めて――が退場していき、そして彼自身も「そこ」からの撤退を余儀なくされる。だからこれはフレンチ・タッチ版『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』(https://www.ele-king.net/review/film/003843/)だが、余韻は本作のほうがはるかに切ない。
それでもこの映画を観た僕たちは知っている……彼らがたしかにそこにいたことを。『あの夏の子どもたち』で流れた“ケ・セラ・セラ”に涙したように、エンド・クレジットのパーティの映像には目頭が熱くなる。だって僕たちもまた、その夜が二度と戻らないことを身を持って知っているのだから。 (木津毅)

予告編



■夫婦の危機

監督 / ナンニ・モレッティ
出演 / シルヴィオ・オルランド、マルゲリータ・ブイ 他
配給 / パンドラ
2006年 イタリア
下高井戸シネマにて、特集上映〈Viva! イタリア! Vol.2〉中の一作として公開中。また、全国順次公開。

 イタリア映画祭で上映されたきり、この映画が日本に入ってこないことをナンニ・モレッティ・ファンの僕はずっと怒っていた。が、この2015年の日本でこの映画がようやく正式上映されることに何か宿命めいたものを感じてしまう……なぜなら本作は、ベルルスコーニ政権下、イタリアの政治の危機に向き合って撮られた映画だからだ。原題は『カイマーノ』――強欲を暗示する「ワニ」のことだ。僕が今年日本で観るべき映画は何かを問われれば、絶対に本作を挙げるだろう。

 とはいえ、この映画は単純なベルルスコーニ批判の映画ではなく、きわめて複雑な構造を取っている。まず、主人公は冷え切った夫婦関係に頭を悩ませ、また財政的にも窮地に陥っているB級映画のプロデューサー。そんな彼のもとに若い女性からある脚本『カイマーノ』が持ち込まれるのだが、斜め読みして企画を進めたら、なんてこった、ヒットなんてしそうもないベルルスコーニ批判の映画ではないか……。そもそも彼は「政治的な人間」ではない。だが気がついたときは映画制作は始まっている。何もかもうまくいかない――夫婦仲は悪化するいっぽうで、息子のサッカーの試合の応援にも行けない、映画の資金は集まらない、肝心のベルルスコーニ役は見つからないし、お土産のジェラートを買うことすらままならない。だが映画制作は動き出している。こんな映画を撮ったからって、経済も政治も生活も、何が解決するわけではない。だが、もう映画を作ることでしか何も始まらない。もう映画からは逃げられない。
 本作は政治映画であると同時にコメディでありメロドラマであり、それに映画と映画制作への愛の告白である。ナンニ・モレッティはとくに90年代の作品においてエッセイ的に「映画とともに生きる」ことを体現していたが、本作においてそれは徹底したテーゼになっている。映画は主人公ブルーノにとって仕事であり生活であり、悩みのタネであり災厄であり希望そのものでもある。自身の監督作に(それこそウディ・アレンのように)よく主演するモレッティが「今回はチョイ役だなー」と思っていたら、詳しくは書かないが、ラストで彼が映画そのものをすべて背負ってしまう様には感動を通り越して完全に打ちのめされてしまった。監督の映画作家として負った責任の重さがそこにはあり、と同時にこの映画が素晴らしいのは、撮影現場で叫ばれる「アクション!」を聞く瞬間を待つ喜びに満ちているからだ。意味があるか、勝てるかなんてわかりっこない。だけど、この映画でモレッティと向き合った僕たちは、とにかくやるしかないのだ。 (木津毅)

予告編(〈Viva! イタリア! Vol.2〉)


■わたしに会うまでの1600キロ

監督 / ジャン=マルク・ヴァレ
出演 / リース・ウィザースプーン、ローラ・ダーン 他
配給 / 20世紀フォックス映画
2014年 アメリカ
全国公開中。
©2014 Twentieth Century Fox

 女はひとりで南はメキシコ国境から北はカナダの国境まで約1000マイル歩くというバカな旅をしている。くじけそうになった瞬間に歌を口ずさみつつ、ひとり呟く。「ねえブルース、いっしょに歌って」……すると、そこにブルース・スプリングスティーンの“タファー・ザン・ザ・レスト”がほんの数秒重なってくる。いいシーンだ。いいシーンだし、音楽好きなら身に覚えのある光景だろう。
 本作はシェリル・ストレイドによる〈パシフィック・クレスト・トレイル〉の踏破体験の映画化であり、シングルマザーの母を喪い悲しみに暮れるあまりヘロインと行きずりのファックに溺れていた彼女が自分に向き合った旅を描いている。であれば、(邦題にあるような)自分探しの旅の映画だと思われがちだろうが、原題が『Wild』であることからもわかるように、それよりも「荒野」に出ることで「野性」を取り戻しつつ荷物を減らすことについて語られている。冒頭、立ち上がれないほどの荷物を背負っていた彼女は自身の記憶とともに旅をし、いくつかの出会いを通じて、少しばかり身軽になるだろう。
 過去の記憶がシームレスにフラッシュバックする映像はヴァレ監督らしい繊細な演出だが、そこでポップ・ミュージックが次々に流されるのもポイントだろう。とくにローラ・ダーン演じる母親との思い出はいつもサイモン&ガーファンクルの“コンドルは飛んでいく”とともにあり、だから気がつけば過酷な旅の道程でそのフォークロアのポップ・ヴァージョンが大音量で流れている。iPhoneではなく、記憶から音楽が流れ出す旅についての映画。観終えたら爆音でサイモン&ガーファンクルを聴きたくなる。それから荒野に旅立ってもいいだろう。 (木津毅)

予告編



■アメリカン・ドリーマー 理想の代償

監督 / J・C・チャンダー
出演 / オスカー・アイザック、ジェシカ・チャステイン 他
配給 / ギャガ
2015年 アメリカ
10月1日(木)より、TOHOシネマズ シャンテ 他にて全国公開。
© 2014 PM/IN Finance. LLC.

 70年代のニューヨークを描いた優れたギャング映画の空気を彷彿とさせつつ、本作は1981年のニューヨークを舞台として『もっとも暴力的な年』とのタイトルを持っている。つまり、燃料業界で成り上がることを夢見た男の物語でありながら主役は「その年のニューヨーク」に他ならず、フレームの外で起こっていること――「時代」そのもの――に翻弄され、あがき続ける人間たちのドラマである。監督は1971年生まれの気鋭J・C・チャンダーで、だからリアルというよりは彼が憧憬した街の荒涼さが画面に充満している。実際にはドンパチやるギャング抗争映画ではなく、30日間の期限のなか資金を集めるために奔走するという大変地味な話なのだが、それでもグラフィティだらけの電車のなかで追跡劇があったりとどうにもスリリングだ。
 『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』で浮上したオスカー・アイザックの弱々しい発話が印象的で、貪欲に成功を追いながらもそのこと自体に疲弊しているようにも見える。その両義性がアメリカということなのだろう。 (木津毅)

予告編


HOLY (NO MORE DREAM) - ele-king

~HR/HM 狂熱のVISUAL SHOCK 10選~

ご無沙汰upな10曲(順不同)

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