「Ord」と一致するもの

Chino Amobi - ele-king

 昨年『Airport Music For Black Folk』をリリースし話題となったチーノ・アモービが待望の初来日を果たす。OPNやアルカに続く逸材として注目を集め、「ブラック・エクスペリメンタル・ミュージックの真髄」とも呼ばれる彼女の音楽は、ディアスポラやジェンダーといったさまざまなテーマとも絡んでいる。クラブ・ミュージックの最新の動向を特集した紙版『ele-king vol.20』(まもなく刊行)でも取り上げているが、まずはこの特異な「ブラック・エレクトロニカ」の正体をあなた自身の耳で確認してほしい。チーノ・アモービ、重要。

Local 🌐 World II Chino Amobi
7/1 sat at WWW Lounge
OPEN / START 24:00
ADV ¥1,500 @RA | DOOR ¥2,000 | U25* ¥1,000

世界各地で沸き起こる新興アフロ・ディアスポラによる現代黙示録。OPN、ARCA、ポスト・インターネット以降の前衛電子アート&ファッションとしてダンス・ミュージックを解体するアフリカからのブラック・ホール〈NON Worldwide〉日本初上陸! ナイジェリアの血を引く主謀Chino Amobiを迎え、コンテンポラリーな先鋭電子/ダンス・アクトを探究する〔Local World〕第2弾が新スピーカーを常設したWWWラウンジにて開催。

LIVE/DJ:
Chino Amobi [NON Worldwide / from Richmond]
脳BRAIN
荒井優作

DJ:
S-LEE
min (The Chopstick Killahz) [南蛮渡来]

#Electronic #ClubArt
#Afro #Bass #Tribal

*25歳以下の方は当日料金の1,000円オフ。受付にて年齢の確認出来る写真付きのIDをご提示ください。
*1,000 yen off the door price for Under 25.
Please show your photo ID at door to prove your age.
※Over 20's only. Photo ID required.

https://www-shibuya.jp/schedule/007862.php


■〈NON Worldwide〉とは?

“アフリカのアーティストやアフリカン・ルーツを持つアーティストのコレクティヴ。サウンドを第一のメディアとしながら、社会の中でバイナリ(2つから成るもの)を作り出す、見えるものと見えないフレームワークを表現し、そのパワーを世界へと運ぶ。“NON”(「非」「不」「無」の意を表す接頭辞)の探求はレーベルの焦点に知性を与え、現代的な規準へ反するサウンドを創造する。”

USはアトランタ発祥のトラップと交わりながら、もはや定義不問な現代の“ベース・ミュージック”をブラック・ホールのように飲み込み解体しながら、OPN、ARCA、そして〈PAN〉といった時の前衛アーティストやレーベルや、USヒップホップを筆頭としたブラック・ミュージックとも共鳴する現行アフロの潮流から頭角を現し、ヨーロッパの主観で形成された既存の“アフロ”へと反する、アフリカンとアフロ・ディアスポラによる“NON=非”アフロ・エクスペリメンタル・コレクティブ〈NON Worldwide〉。その主謀でもあり、ナイジェリアの血を引くリッチモンドのChino Amobi(チーノ・アモービ)をゲストに迎え、第1回キングストンのEQUIKNOXXから半年ぶりに〔Local World〕が新スピーカーを常設した渋谷WWWのラウンジにて開催。

国内からは、DJライヴとして最もワイルドな東京随一のエクスペリメンタル・コラージュニスト脳BRAIN、アンビエントからヒップホップまでを横断する新世代の若手プロデューサー、某ラッパーとの共作発表も控える荒井優作(ex あらべえ)、DJにはアシッドを軸に多湿&多幸なフロアで東京地下を賑わせる若手最注目株S-Lee、Mars89とのデュオChopstick Killazや隔月パーティー〔南蛮渡来〕など、ベース・ミュージックを軸にグローバルなトライバル・ミュージックの探求する女子、Minが登場。

ポスト・インターネットを経由した音楽の多様性と同時代性が生み出す、前衛の電子音楽におけるアフロ及びブラック・ミュージックの最深化形態とも言えるChino Amobiの奇怪なサウンドスケープを起点に、DJをアートフォームとしたコラージュやダンス・ミュージックがローカルを通じ、コンテンポラリーなトライバリズムやエキゾチシズムが入り乱れる、前人未到のエクスペリメンタル・ナイト。

*ディアスポラ=人の離散や散住を意味する。現在は越境移動して世界各地に住む、他の人口集団についても使われている。撒種を意味するギリシャ語に由来するこの概念は、離散してはいても宗教、テクスト、文化によって結びつけられている。

アフリカン・ディアスポラの研究はアフリカ大陸の外で生きているアフリカ系の子孫のグローバルな歴史を強力に概念化している。それは、アフリカ系の子孫の数世紀にわたるさまざまなコミュニティを、ナショナルな境界線を横断して統一的に議論することを可能にする用語でもあると同時に、補囚、奴隷化、そして大西洋奴隷貿易につづく強制労働の歴史を取り戻す議論のための方法でもある。1500年から1900年までの間に、およそ400万人のアフリカ人奴隷がインド洋の島々のプランティーションに、800万人が地中海に、そして1100万人がアメリカスという「新世界」へと移送された。

Amehare's quotesより
https://amehare-quotes.blogspot.jp/2007/07/blog-post_09.html

■Chino Amobi (チーノ・アモービ) [NON Worldwide / from Richmond]

1984年生まれ、米アラバマ州タスカルーサ出身のプロデューサー。ヴァージニア州リッチモンド在住。当初はDiamond Black Hearted Boy名義で活動。ARCAも巣立ったNYのレーベル〈UNO〉からEP『Anya's Garden』で頭角を表し、新興のアフロ・オルタナティヴなコレクティブ〈NON Worldwide〉を南アフリカのAngel HoやベルギーのNkisiと2016年より始動、“NON=非”ヨーロッパ主義の*アフロ・ディアスポラを掲げ、コンテンポラリーな電子音楽やダンス・ミュージックとしてワールドワイドに相応しい世界的な評価を受ける。またLee Bannon(Ninja Tune)率いるDedekind CutやテキサスのRabit(Tri Angle / Halcyon Veil)の作品に参加するなど、アフリカン・ルーツを持つアーティストと活発的に共作を続け、Brian Enoの『Ambient 1 (Music For Airports)』も想起させるコンセプト・アルバム『Airport Music For Black Folk』(NON 2016 / P-Vine 2017)が大きな反響を呼び、最新作となる実質のデビュー・アルバムとなる『Paradiso』ではトランスジェンダーのアーティストとしても名高い電子音楽家Elysia Cramptonもゲストに迎え、サンプリングを主体にアメリカひいては現代社会の黙示録とも言える不気味なサウンドスケープを披露。

《国内リリース情報》※メーカー資料より

アルカ、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーに続く恐るべき才能! 西アフリカに位置するナイジェリアの血を引くエレクトロニック・ミュージック・シーンの新興勢力〈NON〉から、主宰者チーノ・アモービによる最狂にブっ飛んだエクスペリメンタル・アルバムが登場!

アルカもリリースする名レーベル〈UNO〉からのアルバム・リリースも決定したエレクトロニック・ミュージック界の要注意人物!! UKの名門レーベル〈Ninja Tune〉を拠点に活動を続けるリー・バノン率いるユニット、デーデキント・カットのリリースや、躍進を続けるプロデューサー、エンジェル・ホーなども在籍するアフリカン・アーティストによる要注意な共同体レーベル〈NON〉。そのレーベルの主宰者の一人として早耳の間では既に大きな話題を呼んでいるアーティスト、チーノ・アモービが昨年デジタルのみでリリースしていた噂のアルバムが、ボーナス・トラックを加えて念願の世界初CD化! アンビエント・ミュージックの先駆者、ブライアン・イーノの名作『Ambient 1: Music For Airports』の世界観を継承しつつも、アルカ、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーにも匹敵するアヴァンギャルドさを加えた唯一無二のサウンドが生成された本作。ブラック・エクスペリメンタル・ミュージックの真髄を見せつけてくれる圧巻の内容です。

https://soundcloud.com/chinoamobi/sets/airport-music-for-black-folk

主催:WWW
協力:P-Vine

https://twitter.com/WWW_shibuya
https://www.facebook.com/WWWshibuya


■リリース情報

アーティスト:Chino Amobi / チーノ・アモービ
タイトル:Airport Music For Black Folk / エアポート・ミュージック・フォー・ブラック・フォーク
発売日:2017/04/05
品番:PCD-24604
定価:¥2,400+税
解説:高橋勇人
※ボーナス・トラック収録 ※世界初CD化

https://p-vine.jp/music/pcd-24604

interview with Dub Squad - ele-king

僕らはメンバーの3人で完結しているわけじゃなくて、ライヴの場に来ている人たちとの関連性みたいなものがすごく大きいし、そこを含めて活動してきているんですよ。だから、あらかじめ自分たちで「こういうことをやっていこう」というのはあえて決めないというか。「場」から受けるフィードバックってすごく大きいからね。(益子)


DUB SQUAD
MIRAGE

U/M/A/A Inc.

BreakbeatDubTechno

Amazon Tower HMV iTunes

 16年――そのあいだに僕たちは、オリンピックと大統領選挙を4度迎えることができる。無垢な赤子は生意気な高校生へと転生し、生意気な高校生はくたびれた労働者へと変貌する。前作『Versus』のリリースから16年。90年代にパーティの現場から登場してきたバンド=DUB SQUADが、そのあまりにも長い沈黙を破り、2017年の「いま」新たなアルバムを発表したことは非常に感慨深い。
 最近ジャングルが盛り上がっていることは『ele-king』でもたびたびお伝えしているが、その流れで思い浮かべるのがゾンビーである。彼が2008年にアクトレスのレーベルから放ったファースト・アルバムのタイトルは『Where Were U In '92?』、つまり「92年にお前はどこにいた?」だった。まさにその92年に渡英し、かの地でレイヴの現場を目撃したのが中西宏司と益子樹である。その光景に衝撃を受けたふたりは、帰国後、山本太郎を誘ってDUB SQUADを結成する。しかし、ではいったいレイヴの何がかれらを駆り立てたのか? 92年の何がそれほど衝撃的だったのか? そしてそのとき日本はどのような状況だったのか? DUB SQUADの3人は以下のインタヴューにおいてさまざまな体験を語ってくれているが、これは、リアルタイムでレイヴを目の当たりにすることのできなかった世代にとってはかなり貴重な証言だろう。
 件のゾンビーも92年には間に合わなかった世代である。彼は『Where Were U In '92?』を「その時代に対するラヴレター」だと発言しているが、当時のハードコア/プロト・ジャングルを直接体験することのできなかった若者が、そのエナジーを空想しそれをダブステップ以降の文脈へ落とし込むことによって、2010年代の音楽シーンにオルタナティヴな選択肢をもたらしたことは、いわゆる「創造的な誤読」の好例と言っていいだろう。その時代を体験していないからこそ生み出すことのできるサウンドというものもある。だから、そういった誤読の流れともリンクするような形で「いま」オリジナル・レイヴ世代のDUB SQUADが活動を再開したことは、きっと音楽シーン全体にとっても良き影響を及ぼすに違いない。
 ダブ/アンビエントなムードが途中でブレイクビーツ/デジタル・ロックへと切り替わる“Exopon”や、ギャラクシー・2・ギャラクシーのフュージョン・サウンドを想起させる“Star Position”のように、今回リリースされた『MIRAGE』は、けっしてリラックスしすぎることもなく、かといってハイ・テンションになりすぎることもない。この絶妙な匙加減こそが『MIRAGE』というアルバムの間口を大きく広げている。『MIRAGE』は、もともと彼らのことを知っている世代にだけでなく、もっと若い人たちにも積極的にアピールする何かを持っている。たぶん、こういう懐の深さのことを「歓待」と呼ぶのだろう。それは、これまで「場」との交流を音楽制作の大きな動機としてきたかれらだからこそ鳴らすことのできるサウンドなのだ。このアルバムを聴いた若者たちがいったいどんな反応を示すのか、そしてそれがどのような形でDUB SQUADへとフィードバックされるのか。いまからもう楽しみでしかたがない。


1996年、フリーズハウス/アムステルダム、オランダ

バンドだと、演奏者とお客さんというすごくはっきりした境界線がありますが、レイヴはそうじゃなくて、「場」というか、オーガナイズする側もお客さんたちも両方楽しむというか、ある意味ではすごくシンプルなことをみんなが力を合わせてやっている (益子)

DUB SQUADを結成されるまでは、それぞれどんな活動をされていたのですか?

中西宏司(以下、中西):僕はいわゆるインストのレゲエ/ダブ・バンドをやっていました。キーボード担当。でもライヴハウスで何回かやったという程度で、まあアマチュアですね。まだダブ処理とかを自分たちでできる状況ではなかったので、インストでレゲエをやっているみたいな状態でした。メロでピアニカ吹いたりしていましたよ。1990年前後かな。

益子樹(以下、益子):僕はすごく雑食なんで、いろんなバンドをやっていました。ロック・バンドもあればファンク・バンドもあって、ノイズのバンドもあったし、けっこうな数をやっていたと思う。音楽って、ちょっと日常とは違う何かがありますよね。そういうフッとテンションの上がるものだったらなんでもやりたいと思っていました。基本的にはギターで、あとはシンセも持っていたからそっちもやったり。でもまだそのときは、いまでいうクラブ・ミュージックにハマっていたわけではなくて、ふつうのバンド・キッズですよ。

山本太郎(以下、山本):僕はロック・バンドでベースを弾いていましたね。ただ、新しい音楽が好きでいろいろ聴いてはいたので、91年にジ・オーブのファースト・アルバムが出たときに「これはおもしろい」と思って。それで打ち込みに興味を持って、シーケンサーとかを買ったんです。バンドをやりながらそういうものにも興味が出てきた、というのがDUB SQUAD結成前ですね。

その後93年にDUB SQUADを結成されるのですよね。そこにいたるには、中西さんと益子さんがUKに行かれた経験が大きかったとお聞きしています。

益子:当時代々木に「チョコレート・シティ」というライヴハウスがあって、そこで、いまROVOを一緒にやっている勝井(祐二)さんや、ベーシストのヒゴヒロシさん(ミラーズ、チャンス・オペレーションなどに在籍)、それからDJ FORCEといった面々が「ウォーター」というハードコア/ブレイクビーツ・テクノのパーティをやっていたんです。ロンドンにヒゴさんの古い知り合いのカムラ・アツコさんという女性がいて、この方は当時フランク・チキンズというバンドにいて、その昔は水玉消防団というバンドにもいた人なんですけどね。そのカムラさんから「いまロンドンでおもしろいことが起きているから、一緒に行こうよ」と誘われて、ヒゴさんたちがレイヴ・パーティに行った。それで彼らはカルチャーショックを受けたんだと思いますが、日本へ戻ってきてから「ウォーター」を始めるんですね。そこに僕や中西君も遊びに行っていて、これはおもしろいなあと。それで、たしか92年の夏にカムラさんが日本に帰ってきていて、「ロンドンに遊びにいらっしゃいよ」と言われて。それで僕もイギリスに行って、いくつかレイヴ・パーティを体験して、本当にカルチャーショックを受けたというか。バンドだと、演奏者とお客さんというすごくはっきりした境界線がありますが、レイヴはそうじゃなくて、「場」というか、オーガナイズする側もお客さんたちも両方楽しむというか、ある意味ではすごくシンプルなことをみんなが力を合わせてやっているということ、あともちろんその場所で聴いた音の気持ち良さがものすごく大きな衝撃だったんですね。それで、僕が帰ってきてから半年後くらいに中西君もカムラさんのところに行って。

中西:そのときはまだ面識はなかったけどね。

益子:同じライヴハウスに出ていたり、リハで使っているスタジオが一緒だったりしたんですよ。もっと言うと3人とも一緒だった。世代も近いし、なんとなく友だちになって「じゃあなんか一緒にやろうか」というところから、いまのDUB SQUADが始まる感じです。

中西:何かのパーティに行ったときに益子君と話して、「僕もロンドンに行ってきたんだよ」という話になって。それで「何かやろうか」みたいな話になったんです。「ウォーター」だったかな。

おふたりがUKで体験されたレイヴはハードコアやブレイクビーツのパーティだったということですが、ジャングルもかかっていたんですか?

益子:そのときはまだジャングルはなくて、後にそこから派生した感じです。まだドラムンベースという言葉もなかった頃ですね。

中西:僕はその2年くらい後にまたUKに行ってるんですよ。そのときはもうジャングルになっている時期で、だいぶん雰囲気も変わっていて、それはそれで興味深かった。僕は、レイヴ的なハードコアが研ぎ澄まされて、いろいろなものを抜いていってダブになったものがジャングルとドラムンベースだというふうに思っているので、「こういうふうに変わっていっているんだ」と思った記憶がありますね。

「3人で何かを始めてみよう」となったときに、バンドという形態になったのはなぜなのでしょう? 先ほどお話に出たジ・オーブのように、向こうだとDJ/プロデューサーのユニットの形態が多いですよね。

益子:「バンドをやろう」とか「バンドじゃないものをやろう」とかそういうはっきりした意識があったわけじゃなくて、自分たちの出せる音を鳴らしていたら必然的にこういう形になったというか。一緒にやることになったときに、中西君はキーボードを弾きつつもベースが好きだったから、彼がベースを弾いて、僕はリズムマシンでちょっとしたドラム・パターンを流して、それをリアルタイムでダブ処理して遊んでいるような状態からスタートしたんです。

中西:ドラムとベースしかない(笑)。それでシーケンサーがないから、シーケンサーを持ってるやつを呼ぼう、ということになって。

益子:上モノがないわけ。それでも楽しくやっているんだけど、もうちょっと音楽的に充実させたいなと考えたときにフッと「そういえばタロちゃんがシーケンサー持ってたな」と思い出して(笑)。

山本:持っていたという(笑)。でも当時、僕はハードコアもダブもそんなによく知らなくて。「とりあえず遊びに来い」みたいな感じで誘われたので、行ってみたらふたりがそういうことをやっていて。これはどうすればいいんだろう、みたいな感じで(笑)。

中西:キョトンとしてたよね(笑)。

益子:でも「ジ・オーブとか好きなんだよねえ」とか言って(笑)。

山本:そうそう(笑)。当時はサンプラーも高価でなかなか個人では買えない値段だったんですけど、たまたまスタジオに古いサンプラーがあって。「じゃあサンプリングしてみよう」と(笑)。でもサンプラーなんていじったことなかったから、MIDIでノートの割り当てするとかもわからなくて、ひたすらプレイ・ボタンを押すだけとかで(笑)。そういうところから始まっているんですよね。

ちなみに益子さんと中西さんがUKに行かれたときは、のちのDUB SQUADのようなバンド・スタイルの人たちはいたのですか?

益子:それはなかったですね。僕が行ったときにはライヴはいっさいなかったと思う。DJと、あと謎のパフォーマンスをしている人はいたけど(笑)。楽器を持って演奏している人たちには遭遇したことはなかった。

中西:匿名性のある場だったから、なんだかわからないけどフライヤーを頼りにして、このDJの名前が載っているからまた行ってみよう、みたいな状態でしたね。

いまみたいにライトが当たっていたりするわけではなかった、ということですよね。

益子:そこがまさにおもしろかったところで。かれらはスポーツ・センターとかを借りてレイヴ・パーティをやっているんですが、たしかにスピーカーの向いている方向とかはある。けれどお客さんたちが誰も一方向を向いていないんですよ。もう好き勝手にいろんな方向を向いていて、それぞれに楽しく踊っているのね。DJがどこにいるのかもわからないし、何かに向かうというような感じではなかった。

中西:少なくともDJを見ようとする人はいなかったですよね。

益子:いないね。それはすごく新鮮な出来事で、バンドという形だと、観られる対象と観る人たちがいるわけで、自分もそれまでバンドをやっていたんだけど、観られる対象であることについてはあまり考えたことがなかったから、レイヴを体験してこういうやり方があるんだとわかって、少し楽になったところはあります。

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1996年、マッツォ/アムステルダム、オランダ

バンドという形だと、観られる対象と観る人たちがいるわけで、自分もそれまでバンドをやっていたんだけど、観られる対象であることについてはあまり考えたことがなかったから、レイヴを体験してこういうやり方があるんだとわかって、少し楽になったところはあります。 (益子)

そういうハードコアのパーティに刺戟されてDUB SQUADが始動したわけですが、最初に出たアルバムは『Dub In Ambient』(1996年)ですよね。そのときダブとアンビエントをやろうと思ったのはなぜだったのでしょう?

益子:体験したレイヴ・カルチャーをそのまんまやろう、という発想が僕らにはなくて。僕と中西君にはそういう共通体験があったわけだけど、あくまでその「感覚」で、何か一緒にできないか、というシンプルな気持ちでした。互いにしっくりくることができたらいいなと。で、音を出してみたら結果的にそういうものだったという。

他方、当時はリスニング・テクノやベッドルーム・テクノみたいなものも出てきていたと思うのですが、そっち方面から影響されることはありましたか?

益子:いや、俺はあんまり聴いてなかったなあ。

山本:俺はちょいちょい聴いていたかな。ブラック・ドッグとかは好きでしたよ。

益子:俺はジ・オーブくらいかなあ。なんか聴いたっけなあ。

中西:エイフェックス・ツインのアンビエント(『Selected Ambient Works Volume II』)は好きだったけど。

益子:俺はエイフェックス・ツインってあんまり聴いたことないんだよな(笑)。いまだによくわかんない(笑)。

山本:俺もアンビエントのやつしかそんなに好きじゃない。

益子:あとはロッカーズ・ハイファイだね。

山本:あれね(笑)。ロッカーズ・ハイファイはもしかしたら影響を受けたって言えるかも。

益子:『Ambient Dub』というコンピレーションがあって。あれは中西君が買ったんだっけ? それは俺らとやっていることがすごく近いなと思った。全曲じゃないんだけど、一部ね。そのなかにすごく共感できる人たちがいて、それがオリジナル・ロッカーズで、その後ロッカーズ・ハイファイに名前が変わるんだけど。それはよく聴いていたかなあ。

山本:たしかバーミンガムの人たちだよね。

中西:それは3人ともおもしろいと思って聴いていて。たしかにそういうアンビエント・ダブ/テクノ/ハウスというか、そういうコンピレーションを聴いてはいたよね。何枚かいいのがあって。共感ではないけど、似たようなことやっているのかなと思ったり。でもべつにそういうものがあるからそういうことをやろうと思っていたわけではなく。

DUB SQUADを始めた頃は、クラブでライヴをやっていたのでしょうか?

山本:当時はなかなかクラブもなくて。

益子:いちばん最初って「チョコレート・シティ」かな?

山本:最初はそうじゃないかな。

益子:ライヴがやれるとしたらライヴハウスだったからそこでやってみたんですけど、さっき言ったような「観る/観られる」の関係がやっぱり違うなと感じて。その後はたしか「キー・エナジー」だよね? 当時大きいパーティだとセカンド・フロアみたいなチルアウト・ルームを持っていたので、そういうライヴ・アクトが出られるパーティにアプローチをして、やらしてもらっていましたね。

山本:93年頃はエレクトロニック・ミュージックの音がかかっているクラブもまだそんなになくて。「マニアック・ラヴ」のオープンが93年頃だったと思うんですけど、それより前からあったクラブにテープを持っていってもあんまり聴いてもらえなかった。じゃあパーティをやっているオーガナイザーに渡そうみたいな感じで。当時「キー・エナジー」というわりと大きなパーティがあって、そこのメイン・フロアはトランスっぽい音がかかっていたと思うんですが、そのチルアウト・ルームの方に出たりしたのがクラブ・シーンに入っていく最初のところかなと思います。『Dub In Ambient』の頃はメイン・フロアじゃなくてチルアウト・ルームでやっていたんです。その曲調で踊りたい人は踊るし、寝転がって聴いている人もいるし、みんな自由にやっていて、こっちとしてもすごくやりやすい環境がありました。

益子:いわゆるド・アンビエントじゃないもんね。

僕は『Versus』からDUB SQUADに入ったので、最初の2枚は遡って聴いたのですが、セカンドの『Enemy? Or Friend!?』(1998年)になると、僕の知っているDUB SQUADだなという感じがするんですよね。

山本:『Versus ‎』と繋がっている感じですよね。

益子:それは、96年にもうひとつ、僕らにとっての大きな転機があったんです。「アンビエント・ウェブ」というイベントを東京や茅ヶ崎でやっていたヤックというDJがいて、彼はアムステルダムのクリエイターとコネクションがあったので、96年の夏、ちょうど僕らがファーストを出す頃に「アムステルダムにライヴしに行かないか」と誘ってくれたんですね。「ブッキングとか大丈夫なの?」って訊いたら「ひとつは確実にとれる」と(笑)。で、1回ライヴをやればきっと地元のオーガナイザーが観てくれているから、次のライヴも決められるだろうと言われて。

山本:行ったらなんとかなるよって。

益子:そうそう。そのひとつだけブッキングがとれているというパーティが、地元の若い連中がスクウォットして運営しているところだったんです。

山本:もともとアメリカの食品倉庫だったところを不法占拠してやっているところで。

益子:そこをクラブとスケート・パークとギャラリーにしていて……

中西:あとレストラン(笑)。

益子:そこでライヴをやることになったんですが、その会場はワンフロアしかなかったんですよ。つまりメインのフロアしかない。だから、踊りたい人たちばかりが来ているわけで、そこで僕らがライヴを始めると、ファーストの音を聴いたらわかるように当時の僕らの音楽はBPMもすごくゆっくりしているし、激しく踊るような音楽じゃなかったから、お客さんがライヴ中に話しかけてくるんですよ(笑)。「もっと速い曲ないの?」って(笑)。

中西:「ブレイクが長すぎる!」とかね(笑)。

益子:それは雰囲気を見ていてもわかるから、僕らも「参ったな」と思っていて。「僕らが用意しているのはこういう曲しかないけれど、僕らの後のDJが速いのかけるからちょっと待っててよ」とか言ったりしながら(笑)。

中西:女の子に呼ばれてワクワクして行ったら、「なんであんなにブレイクが長いの!?」って怒られるという(笑)。

益子:僕らは来た人たちを楽しませたいという気持ちが強いから、踊りたい人は踊らせないといけないなと。その方がお互いに楽しいし。だからその1回めのライヴが終わった後にすぐ次のライヴに備えるための曲作りに入って。

中西:次のブッキングが決まったから、急遽その倉庫の部屋を借りて、持ち込んでいた機材を使って曲を作ったんだよね。

益子:そうそう。1回めのライヴは港の倉庫だったんだけど、次のライヴは街なかの「マッツォ」というクラブで、これはちゃんと踊らせないと白けるぞと(笑)。

山本:当時のアムステルダムではいちばんメジャーなクラブだと説明されて、それはヤバいなと(笑)。

中西:オシャレというか、ちゃんとしたクラブでね。

益子:それで、メイン・フロアで自分たちとお客さんとお互いに楽しむための音というのはなんだろう、というのを考えはじめたところでちょっと意識が変わったというか。東京に戻ってきてからもその延長線上でどんどん曲を作っていって、それが『Enemy? Or Friend!?』に結びついていくんですね。

山本:ちょうど『Enemy? Or Friend!?』が出る90年代後半くらいから、クラブのパーティでライヴをやるということがそんなに特殊じゃなくなっていったと思うんですよ。僕らもDJの間に挟まって踊れる曲をプレイするというのが、その頃からだんだんふつうのことになっていった。

中西:その場に応じて試してみたことでオーディエンスが踊ってくれたから、今度はそれをフィードバックして新たに曲を作る、というふうに「場」と曲作りが呼応していったというか。

山本:それで思い出したんですけど、「リターン・トゥ・ザ・ソース」というサイケデリック・トランスがメインのパーティがあって。TSUYOSHIさんがやっていたのかな。そのオープニングでライヴをやってくれという話があって。会場は山の中だったから、のんびりした感じでパーティを温めるように始めるのがいいよねって心づもりで行ったんです。そしたらこれがけっこうな大雨だったんですよ。で、大雨なのに、もう踊る気満々のやつしかいなくて(笑)。このクソ雨のなかよく集まるなってくらいフロアに人がいて。それで僕らがふわ~っとした感じで1曲めを始めたら、ピリッとした空気になって(笑)。

(一同笑)

益子:やってるのに「早くやれ」って言われそうな(笑)。いや、もう始まってるんだけど、と(笑)。あのときの1曲目はド・アンビエントだったよね。失敗したなと思いつつも、それはそれでおもしろいかなという気持ちもあったり。

山本:あれはいい体験になった。

中西:「アチャー」感があったね。

山本:そういう「場」とのフィードバックのなかで、「じゃあ今度はこういうのをやったらいいんじゃない?」みたいなことが積み重なっていったんです。

僕らは来た人たちを楽しませたいという気持ちが強いから、踊りたい人は踊らせないといけないなと。その方がお互いに楽しいし。 (益子)

その次に出るのが『Versus』(2001年)ですが、あのアルバムもそういう「場」とのやりとりのなかから生み出されていったものだったのでしょうか?

益子:90年代の半ばから97~8年あたりまでは、クラブとか野外レイヴ・パーティとか、いわゆるクラブ・ミュージックの延長にある場でやることが多かったけど、だんだんそれ以外にもロック系のフェスとか、そういう場に呼ばれたりすることが増えていって。そうすると、それぞれの場に対応していくことになるから、そういう過程で曲も少しずつ変わっていったとは思うんですよね。

中西:音も詰まっているしね。すごく圧が強いというか、とにかく高エネルギーな感じだよね。

山本:90年代後半~2000年代初頭の頃には、クラブ・ミュージックが細分化していって、ある程度決まったパターンみたいなものができ上がっていたと思うんですよ。たとえばドラムンベースならこういう感じ、ビッグ・ビートならこういう感じ、というふうに。でも僕らはテクノのパーティにもトランスのパーティにも出るし、フェスにも出るしで、そういう特定のパターンにハマらないようにやっていたから、その結果がああいう感じになったというのはあるかもしれないですね。

益子:たぶん、ライヴの場で僕らに求められることが変化していったというのが大きいと思うんですよ。「テンションが上がる」とか「盛り上がる」といったことを求められるような場が増えたから、中西君が言った「高エネルギー」っていうのはそれが反映された結果なのかもしれない。僕らのことを認識している人たちが増えると、それまでのDUB SQUADで盛り上がった記憶を持っているお客さんも増えるから、その「盛り上がるんだよね?」っていう期待に応えなくちゃというような強迫観念があって。

山本:ははは(笑)。

益子:そういうのに必死になっていたのかもしれない。

中西:いま思えばね。べつにそれが辛いと思ってやっていたわけではないし、むしろ楽しいんだけど、たしかにそういう側面はあったかもしれないね。

益子:だから、どれだけ曲にエネルギーを込められるかとか、どれだけ僕らの音からそういう過剰なものを感じてもらえるかということを意識してはいたと思う。

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僕たちはたとえばサイケデリック・トランスを好んで聴いていたわけではないけど、そのパーティに来るゴリゴリのサイケっぽい人たちがフッとチルアウト・ルームに立ち寄って僕たちの音楽を聴いたときにどんな反応をするのか、というのをおもしろいと思っていて。 (中西)

なるほど。そのように『Versus』の頃にはすでにDUB SQUADのことを知ってライヴに来る人が増えたり、あるいは僕が地方で『Versus』を手に取ったように、どんどん知名度が上がっていったと思うのですが、まさにそこからDUB SQUADは沈黙に入るという……

(一同笑)

益子:そうなんですよ。いま振り返ると、たぶん一度リセットしたくなっちゃったんだと思うんですよね。もう詰め込むだけ詰め込んでしまったから……

中西:次は何に手をつけたらいいのかということを考えた時期でしたね。

益子:手を打つとしたら次は何か、というのが見えない状態に入ってしまったんだと思います。

中西:そうですね。3人に共通している意識として、それまでわかりやすく「これ!」というのからはちょっと外したようなものをやってきていたつもりがあって。でもその外しようがなくなったというか。

益子:下手したら外しているんじゃなくて、メインのものになりすぎちゃうっていうか。そういう恐れみたいなものがあったのかもしれないですね。当時それを意識していたわけじゃないけど、いまこうやって振り返ってみると僕らはたぶんカウンターでありたかったんだと。でもカウンターというのは、そもそもメインのものがあって初めて成り立つわけだから、そのカウンターになるためのメインがないという。

山本:メインがなんなのか、わからなくなるという。

中西:話が戻っちゃうんですが、僕たちはたとえばサイケデリック・トランスを好んで聴いていたわけではないけど、そのパーティに来るゴリゴリのサイケっぽい人たちがフッとチルアウト・ルームに立ち寄って僕たちの音楽を聴いたときにどんな反応をするのか、というのをおもしろいと思っていて。あっちはあっちで「こんなのあるの!?」って思うし、こっちはこっちで「こんなお客さんもいるんだ」みたいな(笑)。

(一同笑)

山本:なんて格好してるんだ、お前ら、みたいな(笑)。

中西:そういう相互作用みたいなものを僕らは場に求めちゃうというか。

そういうことが薄れていったということでしょうか。

益子:クラブ・シーンみたいなものがある程度でき上がってしまって、パーティもそうだけど、2000年代初頭から半ばにかけては新鮮さがちょっとなくなっちゃった頃だと思うんですよ。

山本:バンドで踊るということも当たり前になってきた頃だと思うんですよね。そういう踊らせることができるいいバンドが他にもたくさん出てきて。それで、「あのバンドは踊れるよね」と期待して来るお客さんがいることが当たり前になってきた、というのはあったかもしれないですね。

1999年、〈RAINBOW 2000〉/白山、石川

その後、益子さんはエンジニアリングなどの仕事でよくお名前を拝見していたのですが、中西さんと山本さんはDUB SQUADが休止されているあいだ、どんな活動をされていたのですか?

山本:僕たちはふつうに仕事をしたりしていました。僕はDJもやっていたので、自分でパーティをやったりはし続けていましたけど。

益子:中西君は、DUB SQUADと並行して僕がやっているROVOというバンドに、一時期だけど参加してくれていたことがあって。『Versus』が出た後、2001~04年くらいだっけ。

中西:DUB SQUADのメンバーとも完全に会わなくなったわけではなくて。たまに会ってセッションしていた時期もあるし、今回のアルバムも、何年か前にやっていたセッションからでき上がったものも多いんで。そのあいだにライヴもやってきているし、まるまる16年何もしていなかったというわけではないです。

ライヴは2011年から再開されているという話を聞きました。ちょうど『Versus』から10年くらいですよね。そのときはどういう経緯で再開されたのですか?

山本:「METAMORPHOSE」に「ちょっとまたやろうと思ってる」という話をしたら、「それなら、出ない?」と誘われて。よし、じゃあそこで再開しようと思って準備を始めたんだけど、台風で「METAMORPHOSE」がなくなっちゃったんですよ。ただ、それに向けてもう活動を始めてはいたので、その後何本かはライヴをやっています。それで曲もある程度できたからレコーディングしようという話になったんですが、そこからけっこうかかっちゃいましたね(笑)。3年くらいかな。


2000年、“3D 10周年時〈WATER〉フライヤー” 王子、東京

今回のアルバムがどういうふうに受け取られて、どんな反応が返ってくるのかというのが僕は楽しみで。たとえばそれこそEDMフェスみたいなものは昔はなかったから、ああいう場で楽しんでいる若い子たちの耳に入ったらどういうふうに聴こえるのかなとか、興味がありますね。 (山本)

今回新作をレコーディングすることになった際、先ほど仰っていた「メインに対するカウンター」というか、新たな外し方みたいなものはあったのでしょうか?

益子:いや、当時はそういう感覚でいたと思うし、さっき言ったみたいに止まっちゃったというのもそういうことだったと思うけど、そこからだいぶ時間も経っているし、だからべつに何かに対峙するということじゃなくて、自分たちがいま素直に気持ちいいと思えることをまとめたのが今回のアルバムですね。そういう意味では、ファースト・アルバムの『Dub In Ambient』とすごく近いかもしれない。

中西:もうある程度リセットできたという気持ちはあります。だから初期の頃のような気持ちでまた曲作りに取り組めたかな。こんなふうに言うと、以前はすごく追い立てられていたみたいな感じだけど、それほど売れているバンドでもないから(笑)。でも話にするとそうなっちゃうよね(笑)。まあ流れとしてはそんな感じで、『Versus』で飽和して、一度リセットしてという。

益子:まあ、長いブレイクだったよね。

中西:得意のね(笑)。で、やっぱり今回はアンビエントっぽい要素が増えているし、そういうのもリセットしたかった気持ちの表れなのかな。

今回、16年ぶりの新作『MIRAGE』を聴かせていただいて、この言葉が適切かどうかはわからないですが、『Versus』などに比べると少しポップになった印象を抱きました。間口が広くなったと言いますか、たとえばクラブ・ミュージックを聴きはじめたばかりの人でもすんなり入っていけるような。その辺りは意識されたのでしょうか?

益子:まったく意識してないね。

山本:でも『Versus』よりは音がシンプルになりましたよね。

益子:クラブ・ミュージックって何か規定があるわけじゃないし、結局いまどういうスタイルが多く機能しているか、という話だから。そこに対しての意識というのは特にないなあ。でも、細かい部分では逆の意識はあったかな。いま使われているようなリズムとか、ドラムマシンの加工された音を使うのはあえてやめようということは思っていたけど。

山本:いまトレンドの音楽ってすごく作り込まれているし、若いクリエイターたちは凝った作り方をしていると思うんですが、DUB SQUADは基本的に使っている機材も昔と変わっていないんです。いまも『Versus』を作っていた頃とほとんど同じ。バンド名に「ダブ」という言葉が入っているように、出ている音にエフェクトをかけて変えるとか、そういう手法が原点なので。

益子:そうだね。「なぜバンドという形になったか」という質問のときに答えるべきだったけど、僕らは昔もいまも曲作りという制作作業のなかでパソコンを使うことがないんですよ。もちろん人によって作り方はいろいろだろうけど、おそらく多くの人たちがDAWとか、90年代だったらLogicとかソフトウェア・シーケンサーというものを使って作っていたと思う。僕らはそういう作り方をずーっとしていなくて。その理由は、ひとつのものを3人でああだこうだ言いながらいじくるのは大変じゃないですか。

なるほど(笑)。

益子:あれはひとりで制作するのに向いている作り方だと思う。複数の人間、なおかつバンドをやっていた人間にとっては、1回ずつ音を止めなきゃいけなかったりとか、何かするたびに待ち時間があったりするというのはすごくまどろっこしいんですよ。だから基本的には押したらすぐ音が出る楽器であったり、ハードウェアのサンプラーだったり、そういうものを使って作るほうが自分たちにとってすごく合っていた。それで、昔からぜんぜん機材が変わっていなくて。もちろんマイナーチェンジはあるんだけど、メインの機材はほぼ同じですね。

中西:僕の場合はさらに劣化して、シーケンサーを使わずやっていて。

(一同笑)

山本:劣化というか退化だね(笑)。

益子:手で弾いているよね。

中西:手で弾いてる。最初にセッションで始めた頃のことを、ただそのままやっているという。だから「ポップ」という感想は意外でした。意識はしていないので。

益子:もちろん奇をてらって変なものを作ろうなんて思っていないけど、何か選択をするときに「受け入れられやすいように」という気持ちで選択することもあまりないというか。たんにそれがおもしろいかおもしろくないか、というところでしか選んできていないから。

中西:そうだね。でも「間口が広い」と思ってもらえたのはいいことだよね。

益子:いいことだよね。よかったね。

中西:僕らのなかでの「これはいいでしょ!」という展開とか、「これはさすがに無理でしょ」みたいなものというのは、たぶん誰にも共感してもらえないなと。そういう暗黙のルールみたいなものがあって(笑)。

今回のアルバムは16年ぶりのリリースでしたが、これからもDUB SQUADとしてまだまだ出していきたいと考えていらっしゃるのでしょうか?

益子:うーん、特に何も考えてないな。でもこれで終わりにしようとかそういうつもりはまったくなくて、何か次に残したいと思えるようなものが貯まってきて、いいタイミングが来たらまたアルバムを出したいと思います。僕らは「契約があって、何年のうちに何枚かを出さなきゃいけない」というのではぜんぜんないから。

山本:あと、今回のアルバムがどういうふうに受け取られて、どんな反応が返ってくるのかというのが僕は楽しみで。長らく音楽シーンから離れていたということもあるし、僕たちが休止した頃といまとではシーンの状況もぜんぜん違うと思うので。たとえばそれこそEDMフェスみたいなものは昔はなかったから、ああいう場で楽しんでいる若い子たちの耳に入ったらどういうふうに聴こえるのかなとか、興味がありますね。聴いてくれるかわかんないですけど(笑)。

そういうポテンシャルのあるアルバムだと思います。

中西:またそういう反応で僕らの方向性がどういうふうになるのかというのも変わってくるんじゃないかな。もうド・アンビエントの作品しか出さなくなる可能性もあるし(笑)。

(一同笑)

山本:それがおもしろいと思えばそうなるかもしれない。

益子:本当に「場」というか、いまはライヴの本数は少ないけれど、僕らはメンバーの3人で完結しているわけじゃなくて、ライヴの場に来ている人たちとの関連性みたいなものがすごく大きいし、そこを含めて活動してきているんですよ。だから、あらかじめ自分たちで「こういうことをやっていこう」というのはあえて決めないというか。「場」から受けるフィードバックってすごく大きいからね。

DUB SQUADライヴ情報

R N S Tアルバム リリース パーティ「REMINISCENT」
日時:2017.07.08(土)OPEN 18:00 CLOSE22:00
料金:¥3000 (+¥600 drink charge) W/F ¥2500 (+¥600 drink charge)
会場:Contact

FUJI ROCK FESTIVAL ’17 “INAI INAI BAR” produced by ALL NIGHT FUJI
ステージ:Café de Paris
日程:2017.07.28(金)
会場:新潟県湯沢町苗場スキー場

詳細:https://dub-squad.net/

Kuniyuki - ele-king

 去るGW中にRDCのために来日したフローティング・ポインツことサム・シェパード、来日中の彼が別の日に、敬意を表しながら札幌プレシャス・ホールでKuniyukiとともにDJしたことは、現在進行形のディープ・ハウス・シーンのなんともじつに“いい話”である。
 シェパードも関わる〈Eglo〉レーベルは、今年に入ってもHenry Wuの12インチを出しているが、そのHenry Wu周辺のロンドンはペックハムのジャズ/アフロ/ハウス/ブロークンビーツのシーン、あるいはフローティング・ポインツの影響を受けているメルボルンやシドニーのハウス・シーン──このあたりはいまもっとも面白い動きを見せている。そして、このアンダーグラウンド・ミュージックのシーンの広がりを証明するかのように、今年、札幌のベテラン・ハウス・プロデューサーのKuniyukiは、DJ Nature、Vakula、Jimpsterらとのコラボレーション音源を集めたCDアルバム、『Mixed Out』を〈Soundofspeed〉からリリースしている。
 で、サム・シェパードはもちろん、Kuniyukiが2002年に発表した「Precious Hall」によって、札幌の伝説的クラブを知っている。(このあたりの流れについては、7月14日発売の紙エレvol.20をご覧いただきたい)
 この度、CDアルバム『Mixed Out』にも収録されていたDJ Sprinkles RemixおよびK15とのコラボレーション音源が12インチ・カットされる。A面はJIMPSTERとの共作をDJ SPRINKLES(鬼才TERRE THAEMLITZ)がリミックス。B面は、いまでは各方面から注目の、Henry Wu周辺のK15(先日カイル・ホールのレーベルからもEPを出したばかり)とのコラボレーション作品。フローティング・ポインツ以降の素晴らしいモダン・フュージョン・ハウスが2ヴァージョン聴ける。CDともどもぜひチェックして欲しい。


Kuniyuki & Friends
A Mix Out Session
Soundofspeed


Kuniyuki & Friends a Mix Out Session
Mixed Out
Soundofspeed

タワー渋谷で『Mellow Waves』発売記念 - ele-king

 いよいよ発売間近ですね。6月の夜の都会の夜に響くコーネリアス『Mellow Waves』──、そして7月1日、タワーレコード渋谷のB1にて、CD購入者を対象にした、発売記念プレミアム映像上映会&トークセッションが催されます。
 貴重なドキュメンタリー映像、プレゼント抽選会、またCDジャケットに使われている原画展やTシャツ販売もあり。ばるぼら(アイデア編集)×野田努(ele-king編集)のトークもあり、です! 渋谷か新宿のタワーどちらかで『Mellow Waves』購入の方に先着で「整理番号付き入場券」&「抽選会参加券」を配布します。(貴重音源も聴けるかも!?)

Second Woman - ele-king

 2017年、セコンド・ウーマンの新作『S/W』が〈エディションズ・メゴ〉傘下の〈スペクトラム・スプールス〉よりリリースされた。〈スペクトラム・スプールス〉は、元エメラルズのジョン・エリオットが主宰するレーベルで、イヴ・ド・メイ、コンテナ、ニール、ドナート・ドジーなどシンセティック/エクスペリメンタルな電子音楽を数多くリリースし、マニアから絶大な信頼を得ている。

 セコンド・ウーマンは、その〈スペクトラム・スプールス〉から、2016年にファースト・アルバム『セコンド・ウーマン』をリリースすることでデビューしたユニットである。とはいえ、彼らは「新人」ではない。メンバーは、あのテレフォン・テル・アヴィヴのヨシュア・ユーステスと、〈クランキー〉からのリリースで知られるビロングのターク・ディートリックなのである。
 もはや説明は不要だろうがテレフォン・テル・アヴィヴは、00年代エレクトロニカにおける最重要ユニットである。近年、〈ゴーストリー・インターナショナル〉からファースト・アルバム『ファーレン・ハイト・フェア・イナフ』とセカンド・アルバム『マップ・オブ・ホワット・イズ・エフォートレス』がリイシューされ、改めて00年代エレクトロニカ/IDMの再発見に一役を買っている存在だ。
 対して、ヨシュアがメンバーでもあるセコンド・ウーマンでは、「現在進行形のエレクトロニック・ミュージック/電子音響」を提示する。いわば、マーク・フェル以降のグリッチ・ミュージックとテクノとアンビエントの交錯の実現である。むろんそれは単に「テクノ化する」という意味ではない。いわば00年代のグリッチ/クリックから10年代のアンビエント/ドローンに移行したときの「中間地点」を、もういちど見直し、それを現代的な音響作品として(再)生成する試みなのである。いわば、グリッチ・テクノとアンビエント/ドローンの融合という形式の実現だ。
 それでも前作であるファースト・アルバム『セコンド・ウーマン』には、いかにもテクノ/IDM的なミニマリズム=反復性の残滓があったことも事実である。しかし、その反復性は、BPMの揺らぎによって、内側から機能を停止され、グリッチ的に散らばるサウンドの粒が次第に融解していくような感覚も聴き手に与えていた。これが重要なのだ。今ならば、『セコンド・ウーマン』は、10年代的なインダストリアル/テクノ的な重厚さを一度、解体するようなサウンドであったと理解できるだろう。このアルバムの真の役割は、インダストリアル/テクノなど、テン年代初頭のエレクトロニック・ミュージックを、一度、終わらせたことにある。

 そして、EP「E/P」を経由し、リリースされたセカンド・アルバム『S/W』においては、グリッチ・ノイズの音とテクノ的な反復が、シンセ・パッドの音色の中に融解しかけており、新しいアンビエントな音楽/音響として再生成されていく、そんな新しい感覚を生み出していた。グリッチでもあり、テクノ的であり、フットワーク的でもあり、アンビエント的でもあること。00年代のグリッチ/クリックから10年代のアンビエント/ドローンの「あいだ」に存在していた「かもしれない」のサウンドを、セコンド・ウーマンは構築しているのである。

 同時に、本作は、後半になるに従い、まるで時間がループするかのように、次第にテクノ的反復性が、表面化するような構成になっている。曲名が「/」で統一され、“/”、“//”、“///”、“////”となっていくわけだが、ちょうど折り返し地点である5トラックめ以降は、“////\”、“////\\”、“////\\\”……とバックスラッシュが逆向きから支える表記になっており、そこからもこの「反転」が意図的なものだと分かってくる。アルバム・ジャケットも赤と白で反転=対称的である。
 時代のヘゲモニーは、ある真理が、空虚=洗練に辿り着いたとき、すべてが反転する。本作のアンビエントからテクノへの反転は、そんな時代の反転(反動ではない)を象徴しているように思えてならない。彼らは「グリッチ以降とアンビエントの中間領域に消え去った音」=「消え去った二番目の女」を探し求めるうちに、また最初の地点へと戻ってしまったのだろうか。ループする並行世界の只中を生きるように。

 まあ、そんな妄想はさておき、少なくとも本作は、エレクトロニカの並行世界を生きているふたりによる「かつて、あったかもしれないサウンドの捜索(=創作)」の中間報告書ともいえるアルバムではないかとは思う。彼らは00年代以降の電子音楽/エレクトロニカ特有の「空虚さ=ミニマリズム」を現代からもう一度、辿りなおしてみせる。その結果、「かつてありえたかもしれない」グリッチとテクノとアンビエントの、精密で、マシニックで、美しい音のタペストリーを、われわれに向けて提出することになるのだ。
 2000年代末期から2010年代初頭にかけて、クリック&グリッチなサウンドが、もしも急速にロマンティックなドローンへと反動的に転換せずに、あの〈ミル・プラトー〉の理想を受け継ぐように、アンビエントとグリッチが融合・交錯していたら? そんなエレクトロニカ/電子音響の並行世界を、彼らはセコンド・ウーマンとして意図的に生成するのだ。そんな気がしてならない。
 真の未来とは、そして、本当の新しさとは、香水の残り香のように消え去った近過去の中に優雅に漂っているものだ。それは電子音楽でも変わらない真理である。セコンド・ウーマンの電子音には、そんなエレクトロニカ/電子音響の「二回めのゼロ地点」を聴き取ることができるはずだ。

special talk : ISSUGI × CRAM - ele-king


ISSUGI & GRADIS NICE
THE REMIX ALBUM "DAY and NITE"

Pヴァイン

Hip Hop

Amazon Tower HMV iTunes


CRAM & ILL SUGI
Below The Radar

Moevius

Hip Hop

Amazon Tower

 ISSUGIとCRAMの対談をお送りする。CRAMとは、ISSUGIがビートメイカー/DJのGRADIS NICEと共作した『DAY and NITE』のリミックス盤『THE REMIX ALBUM "DAY and NITE"』にリミキサーとして参加したビートメイカーである。ISSUGIとKID FRESINOと5LACKの3人がマイクリレーする“TIME”という哀愁漂う曲を、80年代の“ソーラー・サウンド”を彷彿させるファンク・フレイヴァーと強烈なアタックのビートで構成されたダンサンブルなリミックス・ヴァージョンに生まれ変わらせている。が、これはあくまでもCRAMのひとつの表情であり、彼のサンプリングを主体としたビートはより多彩な表情とウネリを持っている。

 この若き才能、CRAMについてもう少し説明しておこう。彼は1991年生まれ、福岡出身のビートメイカーで自主制作で数多くの作品を発表、bandcampではこれまで創作してきたビートが大量に聴ける。ISSUGIが毎月発表した7インチをコンパイルした『7INC TREE』にもビートを提供、昨年末にはラッパー/ビートメイカー、ILLSUGIとの共作ビート集『BELOW THE RADAR』をリリースしている。手前味噌だが、後者の作品は、僕が運営に関わる『WORDS & SOUNDS』というレヴュー・サイトでも取り上げさせてもらった。また、CRAMは6月末に、すでにbandcampとカセットテープで世に出した『THE DEVIL IN ME』という作品をCD-Rという形で発表する。このスピード感も彼の武器だ。

 例えばトラップだけが新しいラップ・ミュージックであり、ブーム・バップは90s懐古趣味のヒップホップであるという認識を持っている方がいるとすれば、それは安直である、とだけ指摘しておこう。そのように、新旧のスタイルを二項対立で理解できるほどこの音楽文化は単純ではない。ISSUGIを聴いてみるといい。彼は、黒い円盤がターンテーブルの上をグルグル回りながら新しい音を鳴らしていくように、自分のスタイルを堅持しながらラップとサウンドを更新し続けている。CRAMは、サウンド、リリース形態、そのスピード感も含め現在の世界的なビート・ミュージックの盛り上がりに共鳴している。そんな2人によるラップとビートと創作を巡る対話である。まず2人はいつ、どこで出会ったのだろうか。

冗談じゃなく、CRAMは天才だと思ってます。これだけは書いといてください。俺こういうことあんまり言わないんで(笑)。 (ISSUGI)

トロントはそれぞれのシーンが小さいからひとつのパーティにヒップホップのビートメイカーだけじゃなくて、エレクトロとかダブステップの人たちもみんな集まるんです。そこでヒップホップだけじゃないノリも吸収できたかなと思います。 (CRAM)

ISSUGI:たしか福岡の〈CLUB BASE〉で会ってCD-RをもらったときにCRAMとはじめて会いましたね。レーベル面の赤い、黒のレコードの形のCD-Rだったと思う。

CRAM:僕は高校のときにMONJUの3人で出場しているMCバトルの映像を観てはじめて知りました。司会がDARTHREIDERさんでした。

ISSUGI:〈3 ON 3 MC BATTLE〉(〈Da.Me.Records〉と池袋のクラブ〈bed〉が主催していたMCバトル)だ。

CRAM:それからMONJUの『Black.de ep』を聴きました。

『Black.de ep』を最初に聴いたときのインパクトはどんなものでしたか?

CRAM:スネアの音がめっちゃ小さいのにグルーヴがあるのがかっこよかった。90sのヒップホップってドラムの音にインパクトがあって大きいじゃないですか。ドンッドンッダッーン!って。そういうビートとは違うかっこよさがあって16FLIPが好きになりました。

ISSUGI:うれしいですね(笑)。

CRAMくんが2016年にリリースした『Call me 3324"CD-R"』の紹介にBOSSのSP-303、SP-404といったサンプラーを使っていると書かれていますよね。最初からSPで作り始めた感じなんですか?

CRAM:いちばん最初はMacのGarageBandです。それからマッドリブやMFドゥームを知って、SP404の存在も知ったんです。それで当時は安かったのもあって買いました。その後、マッドリブが使っているのが広く知られるようになって、いまはめっちゃ値段が上がってますね。

SPの好きな点、SPでビートを作る理由は何ですか?

CRAM:MPCだと音があたたかくてディラっぽい音になってそれはそれでかっこいいんですけど、SPはデジタルっぽい音、冷たい感じになるのが好きなんです。みんなと違う音を出せるのもいいなって思ったのもありますね。

ISSUGI:俺はCRAMのビートを聴いて、まず音の鳴りがヤバいって感じましたね。それからグルーヴをナチュラルに理解してるなって感じさせるところと、メロディのかっこよさの3つですね。全部のパーツが生き生きしていて意味のある動きをしているんです。しかもデモ音源で聴いてもありえないぐらい音がデカい。マスタリングをしていないのにバッチリ音が出せているのは耳が良い証拠だと思いますね。いまSoundCloudで公開されてる“Ride Or Die”っていうビートもヤバいっすね。

CRAMくんは独自に、ナズやジェイ・ZやレイクウォンといったUSのラッパーのリミックスもかなりやっていますよね。

CRAM:「俺のビートでジェイ・Zが歌っとうや! バリかっけぇ!」っていう感じで始めたのがきっかけでしたね。

ははは。今回、『THE REMIX ALBUM "DAY and NITE"』では、 ISSUGI、KID FRESINO、5LACKがラップする“TIME”をリミックスしています。ISSUGIくんからのディレクションはあったんですか?

ISSUGI:CRAMにはアカペラを全部送ったんですけど、“TIME”は絶対やってほしいと伝えましたね。CRAMにはリミックスを作るセンスがあると思ってるんで、メロディの入ってくる“TIME”をリミックスしてほしかったんです。

CRAM:日本語のラッパーのリミックスは初めてだったんですよ。ISSUGIさんから依頼されたのもあって、最初は意識しすぎて16FLIPに寄せた音になっちゃったりもしたんです。自分の色を出すために何度も作り直しましたね。時間はかかりました。

ISSUGI:でも俺はCRAMに関しては、マジで100%言うことないと思ってる。冗談じゃなく、CRAMは天才だと思ってます。これだけは書いといてください。俺こういうことあんまり言わないんで(笑)。

CRAM:ありがとうございます。

ISSUGI: REMIXって場合によってはビートよりラップの方が前に“走っちゃう”こともあるんです。俺は自分で作った曲のBPMやピッチを数字でおぼえてないけど、俺がラップしている曲だから、ラップが走ってるって俺が感じたらそれは走ってるんですよ。CRAMはその点でバッチリだった。ラップのタイミングをわかってる。CRAMのオリジナルの曲を聴いていてもそこが絶対間違いないとわかってましたね。

CRAM:MASS-HOLEさんとISSUGIさんで対談してる記事があるじゃないですか。

ISSUGI:『1982S THE REMIX ALBUM』をリリースしたときの対談だ。

CRAM:そこでISSUGIさんが自分のラップの乗せるタイミングについてMASS-HOLEさんにけっこう指摘したというのを読んだから、「うわ、これ、バチッとせなイカンやん」って。

ISSUGI:「こいつ、厳しいぞ」って(笑)。

ははは。CRAMくんはビートメイカーとしての基礎というか、リズム感やビート・メイキングする際の感覚をどのように手に入れていきましたか。

CRAM:ひとつはトロントですかね。カナダのトロントに一時期住んでいて、そこで感じた海外のノリがめちゃくちゃ新鮮でした。トロントはそれぞれのシーンが小さいからひとつのパーティにヒップホップのビートメイカーだけじゃなくて、エレクトロとかダブステップの人たちもみんな集まるんです。そこでヒップホップだけじゃないノリも吸収できたかなと思います。SoundCloudを通じて知り合った友だちのビートメイカー、CYがたまたまトロントに住んでたんです。一緒にパーティに遊びに行ったんですけど、そこで「『SP持ってきて!』って言えばよかったねー!」って言われて、「いや、実は……」ってバッグに忍ばせていたSPを取り出してライヴしたんですよ。そしたら、「お前、ヤバいから次もライヴして!」ってなって、トロントのシーンに乗り込んでったっすね(笑)。

ISSUGI:いいね、いいね。

ところで、ISSUGIくんは『THE REMIX ALBUM "DAY and NITE"』をどのように作っていったんですか?

ISSUGI:リミックス・アルバムを作ること自体、超久々だったので楽しんで作りましたね。『Thursday』のときに5曲のリミックスを入れた作品(『THURSDAY INSTRUMENTAL & REMIXES』)を出したり、それ以降、曲単位でのリミックスはありましたけど。今回はメロウな感覚がいつもより2割増しぐらいで出ましたね(笑)。それと新曲が何曲かあると聴く人も楽しいと思って新曲も入れてます。

“SPITTA feat. FEBB (Prod. by MASS-HOLE)”と“RHYZMIK & POET (Prod. by FEBB)”の2曲が新曲ですよね。“D N N”はNYのブロンクスのGWOP SULLIVANっていうビートメイカーが作ってますね。

ISSUGI:そうですね。“D N N”は新曲ではなくて、ある曲のタイトルを変えてみましたね。GWOP SULLIVANはO.C.のアルバム(『SAME MOON SAME SUN』)の“Serious”っていうビートを聴いて超ヤバいなと思ったのがきっかけですね。

仙人掌をフィーチャーした“MID NITE MOVE”はGRADIS NICEと16FLIPの2曲のリミックスがありますね。

ISSUGI:同じ曲のリミックスが2曲入っているのがリミックス・アルバムっぽいなって思って入れましたね。だから、自分がリミックス・アルバムと思う要素を詰め込んで作りましたね。このGRADIS(NICE)のリミックスは、俺が(ラップを)乗せたいと思うビートを選んで作ったんですよね。

ISSUGIくんとCRAMくんにはビートの共作のやり方や考え方についても聞きたいですね。ISSUGIくんがいまFRESH!でやっているレギュラー番組の「7INC TREE -TREE & CHAMBR-」ではBUDAMUNKと共作する様子を放送したりしてますし、本作の冒頭曲“BLAZE UP”は JJJがドラムで、プロデュースは16FLIPとクレジットされてますよね。一方、CRAMくんもこれまでAru-2との『MOVIUS ROOPS EP』、ILLSUGIとの『BELOW THE RADAR』といった作品もあります。

CRAM:『BELOW THE RADAR』に入っている曲は、ILLSUGIが「これ、良くね?」とか言ってネタを選んで、僕は「うーん、どうだろう、でもやってみるか!」と思いながらSP404を駆使してかっこよくしていきました。

ISSUGI:はははは。CRAMが組み立てていったの?

CRAM:あの曲に関してはそうですね。ILLSUGIが上ネタのシーケンスを組んで、僕がドラムを打ちました。それでかっこよかったらアルバムに入れようって感じでした。『MOVIUS ROOPS EP』の場合は、まずAru-2がピロ~ッてシンセを弾いただけの、ビートもない、BPMもあってないような音を送ってきたんです。そういう、「これをどう使うの?」みたいな素材をチョップしたりフリップしたりして組み立てていきました。そうやって頭を捻って考えて作るのが好きなんですよね。

ISSUGI:俺は人が打ったドラムに自分がネタを入れるのが好きですね。“BLAZE UP”も最初にJ(JJJ)がドラム・ループだけ送ってきたんですよ。「何かを入れて返してください」という感じで。元々は今回のリミックス・アルバム用ではなかったんですけど、そのドラムが気に入ったから上ネタだけ入れて返すタイミングで、「リミックス・アルバムで使わせてもらえないか?」と頼んでOKしてもらいました。そこからベースとかを足してビートとして完成させましたね。すごく気に入っています。

RAPも含めてドラムからどのパートも前に行っちゃダメだっていうのはありますね。 (ISSUGI)

鼻唄で「フンフン~♪」って歌えるのが僕は良い曲だと思います。音楽やっていない人もつかめるのも大事だと思いますし、そこは意識していますね。 (CRAM)

「7INC TREE -TREE & CHAMBR-」の第2回目の放送でBUDAMUNKのビートにISSUGIくんが上ネタを足していくシーンがあるじゃないですか。ビートをループさせて、あるフレーズをいろんなタイミングで鍵盤で弾いて被せたりしていましたよね。

ISSUGI:これまでに曲を作りまくってきてるんで、ここで終わりだっていうタイミングが自分のなかにあってそこに入れていくんです。そこに入れられたら完成でストップしますね。

CRAM:僕もそこを見つけたらそれ以上は深く考えないで終わりにしますね。それ以上やるとドツボにハマっちゃうんで。ピッて止めますね。

ISSUGIくんはラップのレコーディングにもそんなに時間をかけない印象があるんですけど、ラップに関してはどうですか? 一発OKが多いですか?

ISSUGI:1回で録れるときもあるけど、ハマるときはもちろんありますよ。10回とか15回とか録り直すときもある。

CRAM:ハマったときはどうするんですか?

ISSUGI:くり返し録り直しているときは、リリックやフロウというよりも、ビートにラップを乗せるタイミングを調整しているね。速過ぎてもダメだし、遅過ぎてもダメだから。1小節めから16小節めまですべてが自分の頭のなかにあるリズムで置けたときにひとつのヴァースが完成じゃないですか。それと気持ちですね。その2つです。

さきほどISSUGIくんが、ラップがビートよりも先に“走っちゃう”とダメだという話をしていましたよね。その感覚はとても面白いと思いました。

ISSUGI:いまの時代はいろんな音のバランスでグルーヴを作ることができるので、グルーヴに関してもいろんな考え方があると思うんです。記憶が曖昧なので違ってたら申し訳ないんですけど確かマイルス・デイヴィスがどの楽器の演奏もドラムより絶対先に走っちゃいけないと語っていたんです。それを知ったとき、間違いないなと思いました。自分のなかの基本もそれなんですよね。RAPも含めてドラムからどのパートも前に行っちゃダメだっていうのはありますね。

なるほど。

ISSUGI:俺が好きで聴いているUSのラッパーとかミュージシャンの多くが当たり前に持っている感覚だと思うんです。黒人のラッパーでラップが走ってるヤツとか余り聴いた事ないので。多分HIPHOPの前にJAZZとかSOULとかがあったからだと思うんですけど、日本の音楽は走ってるなと思うときもありますね。ちょっと前にJJJが面白いことを言ってたんです。Jが福岡のクラブのイベントに行った時、フロアでずーっとビートを裏でノッてるヤツがいたらしいんですけど、Jは「こいつだけ裏でノッテルな」と思ってたらしくて、その日ビートのショウケースを観たらそいつが出てきてそれがCRAMだったんですよね。ビートを聴いたら「やっぱりヤバかった」って言ってて。CRAMはリズムキープの感じもやばいと思いますね。とぎれず円を描くようなループの感じ。

CRAMくんは、創作における鉄則というか、曲作りやビート・メイキングに関して意識していることはありますか?

CRAM:鼻唄で「フンフン~♪」って歌えるのが僕は良い曲だと思います。音楽やっていない人もつかめるのも大事だと思いますし、そこは意識していますね。だから、メロディアスなビートが僕は好きですね。

あと、「7INC TREE -TREE & CHAMBR-」でISSUGIくんがBUDAMUNKに「ファンクとは何か?」と訊くシーンがあって、これまでISSUGIくんがファンクという言葉を使っているのをあまり聞いたことがなかったのもあって興味深かったです。

ISSUGI:そうなんすよ。俺、最近ファンクが超気になっちゃってるんです。fitz(fitz ambro$e/ビートメイカー)っていうヤツが、〈Weeken'〉で俺がDJ終わったあとに、「超DJヤバかったよ。ファンクを感じたね」って言ってくれたことがあったんです。TRASMUNDOのハマさんにも「ISSUGIくんはファンキーだよね」って言われて、「俺ってファンキーなのかな?」ってここ最近考えることがあって。

CRAM:はははは。

ISSUGI:俺はBUDAくんからファンクを感じてきたんです。それは、ジェームズ・ブラウンのファンクというよりも、例えばエリック・サーモンやDJクイックに感じるファンクのことなんです。それでBUDAくんにああいう質問をしたんです。

そのときにBUDAMUNKが「動きが滑らかで流れてる感じ」というような表現をしていましたね。

ISSUGI:そうですね。言葉で説明するのは難しいけどノれる感じとかも言ってくれたときがあった気がしますね。それが動きがあるって事なのかなと思って。クールな感じのベースラインにも感じるし両方ありますよね。
 話変わるんですけどCRAMとILLSUGIのビートライヴ見た事ない人は出てるパーティに遊びにいってみて欲しいですね。ノリ方を目撃すると、「こいつらマジで音にノってんな」って伝わってくる。ビートライヴをやり出したらハンパじゃないなと思わせるものがあるんですよね。それがやっぱり音楽じゃないですか。CRAMがクラブでよくかける自分で作ったジェイ・Zのブレンドとかもハンパないです。

CRAM:あと、僕はいまのリル・ヨッティとかも好きなんですよ。それはチャラくてもノれるし、ラップが120点で上手いと思う。ジェイ・Zにもチャラい曲があったりするけど、確実にノリがあるんですよ。僕もそういう音楽が好きですね。

ISSUGIくんはリミックス・アルバムを出したばかりで、「7INC TREE -TREE & CHAMBR-」も進行中ですけど、2人は近い未来はどんな風に活動していく感じですか?

ISSUGI:〈Dogear〉からCRAMの作品を今年出したいと思ってます。CRAMは自分的に絶対にヤバいですから。「7INC TREE -TREE & CHAMBR-」では7インチをリリースする以外にもCRAMもそうだし、自分の周りのかっこいいやつを紹介できればと思ってます。あと例えばレコードをプレスしたり、スニーカーを探しに行くとか、あとはTOURの映像とかヒップホップが好きなヤツだったら楽しめる番組にしていければと思ってますね。

CRAMくんのアルバム、楽しみにしてます!

CRAM:ありがとうございます!

You me - ele-king

FORESTLIMITで聴いて良いと思った曲

RAMZA × TAKCOM - ele-king


Pessim (short film) from takcom™ on Vimeo.


「郊外」という場所が浮かび上がるのは時間の問題だったのかもしれない。

 この20年あまりのあいだにJポップのフィールドが空洞化していくのに並行して、日本各地で勃興したインディペンデントな音楽たち。その背景にはいうまでもなく、郊外のベッド・ルームから直接に作品を発表できるインターネットの普及があった。それはいままでの一極集中だった日本の音楽産業の脱中心化とも呼べる状況を引き起こしたのだけれど、神戸のニュータウン出身のインターネット世代のアーティストの代表格、TOFUBEATSがその素晴らしい最新アルバムでするどく問題提起したように、そうしたゲームのルールの変化を無邪気に祝福する事態でもなくなっているようだ。

 現在インターネットについてゆるやかに共有される「すべてあるようでなにもない」といった感覚は実は、濃密な歴史をもたない郊外やニュータウンについてよく口にされてきた常套句でもある。あらゆるものにイージーにアクセス可能なのに、なにか決定的なものが奪われてしまっている感覚。考えてみれば、インターネットという「場所」は、中心を持たないフラットな空間性、歴史を欠いたデータのカタログ化、フェイクとリアルがごちゃ混ぜになった噂話のエコー・チェンバー……といったいくつかの意味で、郊外という場所をつよく思わせる。郊外のニュータウンもインターネットも、すくなくともその誕生時には未来への夢を仮託されて創りだされたものなのだけれど、どうやらその夢の中身は必ずしも輝かしいものとは限らない、ということらしい。

 映像作家のTAKCOMが監督した『PESSIM』というショート・フィルムは、つまりはそんな郊外をめぐる磁場をすくなからず無意識に共有し、また別の角度から照射しているように思える。知っての通りこの映像作品は、東海地方のアンダーグラウンドなラップ・ミュージックの屋台骨をつくってきたビート・メイカー、RAMZAの同タイトルのファースト・アルバムから生み出された。RAMZAの作品には、エディットされたATOSONEのラップの断片が登場するだけで、アレサ・フランクリンを始めとするソウル・ミュージックのサンプルはあくまで音の断片としてその意味を剝ぎとられている。光根恭平と宮本彩菜をキャスティングし、VFXを抑制的に駆使したTAKCOMのフィルムにも、セリフらしいセリフはなく、ただ「郊外の悪夢」という短いシノプシスが添えられているだけ。両者ともにとても寡黙だ。

 しかし、郊外生まれのふたりの作家が創りだしたふたつの『PESSIM』には、20世紀に形成された日本の郊外という場所に由来する、強烈なイメージがそれぞれ棲みついている。郊外というのは不思議な場所で、各地のそれぞれの違う文脈の中で造形されながら、ひとめで「郊外的」としか言いようのない、なにか共通の感覚を思い起こさせる。その感覚はグローバルなものだ。郊外の風景は世界中どこでもよく似ているから、郊外生まれの人間はまるで移住性の鳥のように、遠く見知らぬ場所にさえデジャヴにも似た郷愁を抱く。都市の構造的にいって、いわばこの世界の人口の大半は郊外をその故郷にしているのだ。

 それにしても「郊外の悪夢」というイメージは示唆的だ。今年のはじめに大きな波紋を呼んだWIRED JAPANの記事「ニーズに死を」のきっかけは、去年の大統領選以降のアメリカの混乱にあるのだけれど、そのディストピアSFよろしくの状況の中心にいるドナルド・トランプは、ニューヨークやカリフォルニアといったリベラルな都市部とは真逆の、ラスト・ベルトと呼ばれる打ち棄てられた中西部の郊外の絶望をその源泉のひとつにしている。イギリスのEU離脱を決めたブレクジットへの賛否のマップにおいても、フランス大統領選で決選投票まで進んだ極右候補マリーヌ・ル・ペンの支持率を表すマップにおいても、各地の郊外はグローバルなリベラル都市への反発の色に染まっていた。現在の世界の反動を突き動かしているのは、リベラルな未来の夢を見続ける先進的な都市群への、置き去りにされた郊外からの復讐に見えなくもない。ここ日本に目をむけるなら、スーパー・パワーとして急成長する中国のそばで、あらゆる客観的な統計がかつてのアジアの経済大国の悲観的な未来を描いている現在、もしかすると「日本の郊外」というよりも「郊外としての日本」というイメージのほうが、これから重要になってくるのかもしれない。

 ゴタクはこれくらいにして、最新の情報をアップデートしておく。7月8日にはいよいよ渋谷WWW LOUNGEに凄腕の面子を集めて東京でのリリース・パーティも発表されたRAMZAの『PESSIM』は、盟友FREE BABYRONIA 主宰のインディペンデント・レーベルAUN MUTEからリリースされ、TOFU BEATSやCE$、FUMITAKE TAMURA(BUN)、ATOSONEなどが惜しみない賛辞を捧げている。コラージュ作家も名乗るRAMZAのアートワークが素晴らしいのでぜひフィジカル盤を手に取ってほしいけれど、反響にこたえてデジタルでの配信も始まった。
 TAKCOMのほうの『PESSIM』は、カルチャー・メディア『HIGHSNOBIETY』でプレミア上映され、最近ではTAKCOMの単独インタヴューも公開されるなど、海外メディアからもじわじわと注目を集めているようだ。プレミアに前後してひっそりとオープンされた公式サイトには、「ビート・サイエンス・フィクショニストは郊外の悪夢を見るか?  Does the Beat Science Fictionist Dream of Suburban Nightmare? 」と題した文章も寄稿させてもらった。モティーフは夢と、サイエンス・フィクションと、そして象徴としての郊外だ。重要なインスピレーションを与えてくれたふたりの作家に感謝する。(泉智)


■ PESSIM SHORTFILM オフィシャル・サイト(JAPANESE & ENGLISH)

https://www.pessim-shortfilm.com/

■ RAMZA 『PESSIM』 RELEASE PARTY 7/8(Sat)渋谷WWW LOUNGE

https://www-shibuya.jp/schedule/007855.php


OPEN/START
24:00 / 24:00
ADV./DOOR
¥1,500 / ¥2,000 (税込 / オールスタンディング)
LINE UP
[Beat live] Ramza / Free Babyronia
[Live] Campanella / Nero Imai / DUO TOKYO
[DJ] 行松陽介 / BUSHMIND / DJ HIGH SCHOOL
TICKET
一般発売日:6/3(土)
e+ / RA / WWW店頭
INFORMATION
WWW 03-5458-7685

Japan Blues - ele-king

 インスピレイション・ソースとしての「日本」は、どうも海の向こうにおいて一部の熱狂的なクラスタを発生させるようだ。たとえばフォレスト・スウォーズもそのひとりだが、ここに紹介するハワード・ウィリアムズのジャポニスムはそれとは比べものにならないほどすさまじい。彼は一昨年、自身の勤め先である〈Honest Jon's〉から浅川マキのコンピレイションを送り出しているが、それ以前にも〈Big Beat〉から平尾昌晃とオールスターズ・ワゴンや寺内タケシとブルージーンズの編集盤をリリースしたり、〈The Trilogy Tapes〉から和モノしばりのミックステープを発表したりしている。このことからも彼がかなりハードコアな日本通であることが窺えるが、じっさいウィリアムズはNTS Radioで日本の音楽に特化したプログラムを担当していて、その3周年を記念すべくリリースされたのが本作『Sells His Record Collection』である。このアルバムでは、彼のレコード・コレクションからサンプルされたと思しき音源と、日本滞在時にフィールド・レコーディングされたという音源が、独特のセンスでエディットされ配置されている。
 正直、アートワークを眺めた時点では嫌な予感しかしなかった。でも、1曲め“The Sun Goddess Steps Out In Old Asakusa”の冒頭で和太鼓の上をライヒのようなミニマリズムが駈け抜けていくのを耳にした瞬間、そんな浅はかな先入観はどこかへ吹き飛んでしまった。重厚な低音とパーカッション(おそらく和楽器)とを巧みに融合させるその手腕はシャクルトンにも引けをとらない。
 波の音からはじまる2曲め“Tepco Shareholder”は、雅楽アンサンブルの直後にグレゴリオ聖歌が放り込まれるなど、びっくりするような展開を見せる。終盤に挿入される「オラ」という音声はたぶん一人称の「おら」なのだろうけど、スペイン語のようにも聴こえるから不思議だ。このような虚を衝くカット&ペーストは本作の全編にわたって試みられており、この「予想の斜め上」を行くエディット・センスこそがアーティストとしてのハワード・ウィリアムズ=ジャパン・ブルーズの最大の武器なのだろう。
 三味線の調べの後に五木の子守唄を接続する“Everything Passes”は、しかし「ねんねいっぺんゆうて 眠らぬやつは」のオチ(「頭たたいて尻ねずむ」)を伝えることはせず、いきなり西洋音階のチャイルディッシュな電子音を挿入してくる。挙句の果てには「口三味線に乗せかけても、乗るような男でない。〔中略〕八右衛門を弄るかい」と近松門左衛門まで呼び出す始末で、もう何がなんだかわからない。こんなふうに次々とシークエンスを切り換えていくのは、「すべては過ぎゆく(Everything Passes)」ということのはかなさを表現するためなのだろうか。
 4曲めの“The Land Of The Gods Under Concrete”は尺八の独奏からはじまって、なぜかダウンテンポなビートを経由し、そのままパーカッシヴな局面へと突入する。が、その直後にリスナーはどこかの市場へと連れ込まれ、「100円100円100円ひゃくえええーん」と声を張る客引きに引き合わされることになる。出し抜けに乱入してくるジャズのコードに驚いていると、親切な女性の声が天から降ってきて「足元にご注意ください。電車とホームの間が広く空いております。出口は左側です」と丁寧なアドバイスを授けてくれるのだけれど、ふと気がつけば眼前にはふたたびパーカッシヴな風景が広がっている。
 最終曲“Yakuza No Uta”の元ネタは舛田利雄の映画『やくざの詩』(1960年)の主題歌で、その発音のしかたからサンプリングではなくウィリアムズ本人が歌っているものと思われるが(オリジナルの歌唱は小林旭)、そのヴォーカルは過剰なまでに加工されており、背後で鳴り響くドローンと相まってなんとも不穏な雰囲気を形成している。
 このように、このアルバムのユニークさを担保しているのは何よりもまずウィリアムズ自身のエキセントリックなエディット感覚なのだけれど、そこに素材それぞれの持つ記号性が加わることで、あまりにも奇妙なサウンドスケープが構築されている。この居心地の悪さ、気味の悪さはちょっと他に類を見ないというか、余人にはとうてい真似できない芸当で……などと感じてしまうのは、きっとわれわれが日本に暮らしているからなのだろう。(こちらから見れば)歪んだ(しかし向こうから見ればストレートな)日本像によって紡ぎ出される本作の異様なムードは、文化的素材としての「日本」だけでなく、それを生み出したこの国の歴史や社会をも的確に表現してしまっているのかもしれない。つまり、ふだんは意識していないかもしれませんが、「外」からの視点を参照して改めて眺めてみると、やっぱり日本ってとっても奇っ怪な国なんですよ、と、いまにも共謀罪が成立してしまいそうな夜半に書き添えておく。

!!! (Chk Chk Chk) - ele-king

 「構造と力」。この浅田彰の著書をアルバム・タイトルに掲げたのは2003年のデートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンだったが、確かに、ダンス・ミュージックは「構造と力」の音楽である。ドラムとベースを背骨としつつ、ギター、キーボードなどの和声・旋律楽器が音楽を彩る・生む。そして、その「構造」には身体を動かす力、つまりは律動が生まれている。まさに構造と力。

 2000年代初頭の80年代リヴァイヴァル期(ノーウェイヴ/エレクトロ・リヴァイヴァル)において、当時のトレンドであった〈DFA〉がNWリヴァイヴァリーなディスコ・パンクの後継だったとするなら、チック・チック・チックの根底には無骨ながらハウス・ミュジックがあった。つまりは享楽的なのである。そして、彼らの7作めのアルバムである本作において、その享楽性はいっそう強くなっていた。こんな戦争とテロの時代だから? つまりはトランプ政権時代のダンス・ミュージック? まあ、いずれにせよ、まさに「恐れを振り払え!」だ。強く、しかし柔軟なビートに、幾人ものボーカリストが召喚され、盛り上げていく。その反復されるビートやフレーズは、摂取するほどにどんどん体に効いてくる音楽なのである。
 レコーディングはバンドのホームであるブルックリンでおこなわれたという。ゲストボーカルには、UKのシンガー、リー・リー、シンガーソングライター/女優のミーア・ペイス、そしてグラッサー名義でも知られるキャメロン・メジロー、チェロ奏者/シンガーのモーリー・シュニックなどが参加している。彼もまたエレガントにアジテーションするように、トラックを盛り上げていく。

 何はともあれ、まずは4曲め“NRGQ”を聴いてほしい。性急なギターのカッティングとビート、シンプルなベースライン、リー・リーらのコーラスを追いかけるシーケンス。中間部のラップ・パート、サビのコーラス。チック・チック・チック史上最高ともいえるダンス・ミュージックの醍醐味が1曲の中に凝縮されているといってもいい。この曲には、「この最高の瞬間はやがて消え去ってしまう」という諦念と、しかし、それゆえ「この瞬間の生は永遠だ」という圧倒的な肯定感が横溢している。刹那と肯定。これもまた構造と力である。

 本作のサウンドには、80年代初頭のNYのダンスフロアのムードを2017年の今、再生するという倒錯的な快楽に満ちている(むろん、私は体験したことがないので想像でしかないが、そのような想像をかきたてる作品であること自体が音楽の豊かさではないか?)。こんな最低・最悪な時代だからこそ、「音楽」という瞬間の享楽にすべてを賭けること。世界を笑い飛ばすこと。世界に、権力に、抑圧に、従わないこと。彼らは「この打ち砕かれたような状況から、何か美しいものが育ってほしい」というメッセージも発しているというが、それはつまり「音楽をする」ということであろう。
 この作品は、いわば、希望と抵抗のアルバムなのだ。「戦争に反対する唯一のことは」という有名な言葉がある。ある文学者の名文句だ。2017年現在、その後に続けるとするなら、こうなるだろうか。「踊り続けること」ではないか。闘争でも逃走でもない。踊り続けること。それは「人生」そのものだ。生きている限り、それは永遠に鳴り続ける。構造と力。踊らせること。踊ること。この身体と音楽との関係性において、ダンス・ミュージックは、どんなに最悪な状況にアジャストしつつも、しかし、本質的に心身ともにヘルシーな音楽であるのだ。ダンス・ダンス・ダンス!


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