「Ord」と一致するもの

tofubeats - ele-king

 インターネット・インディ、とでも言うのだろうか。サウンドクラウドやバンドキャンプの普及によって無限に拡張された「音楽を発表する権利」、その意義や可能性は、いつまでも手放しで称賛されていいものではないのかもしれない。『ele-king』では昨年、その象徴というか、あくまで端的な例としてヴェイパーウェイヴの紹介にかなり固執したけれど、一年が終わるころにはその反動を肌で感じるようになったし、個人的にはその思いを紙版『vol.8』号に書いたつもりだ。
 ひとつのキッカケになったのは間違いなくアルーナジョージの取った軌跡であり、シングル・デビューから〈Def Jam〉あたりが完全包囲していてもよさそうなこの逸材が、最終的には〈アイランド〉にたどり着きつつも、どこかもどかしいステップを踏んだことに違和感があったのだ。もちろん、強力な刺激を求めていくマーケットの要請に、より過剰な人材の投入で応えざるを得ないメジャーの音楽が一方的に退屈だと言うつもりはないし、インターネットが解放したインディの新領域にあらゆる自由があるとも思わない。
 そう、現時点ではまだ、「メジャーとインディとのあいだにある種の倒錯が起きている」というのはあまりフェアではない。だが、少なくとも、生まれたばかりのデモ音源(ときにメジャー契約にあるミュージシャンの新作)が、レコード会社の担当部門だけではなくインターネット上にも流布される現在、だからこそそのスピード感(やレーベルの度胸)という点で、ヤキモキした思いを抱かされるリスナーは決して少なくないと思う。

 とすれば、トーフビーツの登場は、ある意味では遅すぎ、ある意味では早すぎたというほかない。もちろん、ここ数年の活動――アイドル・ポップのプロデュースやリミックス、バンドキャンプからの配信――が単なる消耗戦だったというつもりはない。だが、〈WIRE〉への初出演からも、あるいはいまでこそ文句なしの代表曲となっている"水星"が初めて世に問われたときからも、すでに数年が経過している。彼が(インターネット・インディ以降の)J-POPにおける試金石であるなら、この事実は軽視されるべきではないだろう。
 「すっかり"メジャーなんて"みたいな言われ方する時代になったけど、10年前の俺はメジャーデビューしたくて仕方なかったなぁ。早く音楽だけやってていいようにならないかなって毎日思ってた。」――これは、とある(メジャー契約にある)ロック・バンドのヴォーカリストの言葉だが、"朝が来るまで終わる事の無いダンスを"や"水星"のミキシングが少しずつアップデートされ、少しずつ多くの人の耳に届いていく様子から、僕はトーフビーツの言葉にならない胸の内を見せられた気がした。
 彼の初期のデモ音源集『2006-2009 demo tracks』に、"Bonjour at 5:00AM"という曲があるが、トラックに挿し込まれたタイピングの作業音は、無名のトラックメイカーがなんの約束もない未来を、ベッドルームでひとり想像する孤独な姿を浮かび上がらせる。とすれば、本作の"Intro"に収められた音が割れるほどのエールを聴けば、彼(ら)がどのような世界を手に入れつつあるのかを高い熱量で伝える。とてもアンビヴァレントに。
 そしてトラックメイカーは、また部屋へと戻っていく。そう、多くの思いを胸にしまい、いつものたれ流しUstreamを聴かせるような驚くほど軽いタッチで、『lost decade』は幕を開ける。

 "SO WHAT!?"はさしずめ「ひとりモーニング娘。」状態で、ヴォーカルを取る仮谷せいらのノリノリなコーラスでこのアルバムは急発進する(ちなみにこの二人はティーンエイジ・ポップの傑作"大人になる前に"をリリース済み)。これと好対照をなすと言えるだろう、ファンキーなベース・ラインが妖艶に体をくねらす"No.1"は、G.RINAの艶がかったヴォーカルによって夜のラヴァーズ・ソウルに生まれ変わっている。
 逆に男子校的なノリでやんちゃに遊び回るのは、パンピー(from PSG)をフィートした"Les Aventuriers"、SKY-HI(a.k.a. 日高光啓)が参加した"Fresh Salad"などで、いずれも性急なBPMに合わせた高速ラップが原動力となり、甘いポップスを期待して『lost decade』を手に取ったリスナーを挑発するように激しく動き回っている。
 とすれば、ストリートとクラウドを行き来するラッパー・ERAとマイクをバトンするドリーミー・ラップ"夢の中まで"は、遊び疲れた男たちの涙、報われることのない涙だ。

 そして、理屈から言えば"No.1"のように強力なポップ・アンセムに再録できたであろう"touch A"や"synthesizer"といったトラックは、いずれも既発のヴァージョンで残してあり(本音を言えば、専門のヴォーカリストでいつかリテイクして欲しい!)、その余裕がなせる業だろうか、"I don't care"や"time thieves"といったエッジーなビートものもガッツリ収録してある。そのふり幅、その落差こそが、本作の肝のひとつだろう。
 ブックオフで250円のJ-R&Bやアイドル・ポップから、中古レコード屋で拾ったようなディスコやソウル、同時代のダンス・ミュージック、果てはヴェイパーウェイヴに象徴されるウェヴのフリー・ミュージックまで、彼がツイッターなどでリスナーを誘い込んできた音楽の世界の、その遠い射程を追体験させるような仕掛けが、『lost decade』にはあると思う(だいたい、"水星"の元ネタを水星以前に認知していた人なんてどれくらいいたんだろうか?)。
 トーフビーツの描いてきた軌跡でもって、インディという概念が次のパラダイムに突入したことを――アルーナジョージやスカイ・フェレイラの登場がおそらくは欧米の若いリスナーのあいだでそう機能したように――多くの人が感じ取っているのもまたたしかだろう。だが(この話題をグズグズ引っ張って申し訳ないが)、いくつかの収録曲が、もう何か月も前にバンドキャンプで聴くことができた、ということを考えれば、『lost decade』のリリースはあと1年くらい早くてもよかったのでは......、というか、そうあるべきだったのではとも思ってしまう。

 小さなポップと、その新しい輝きについて――。「きらきら光る星のはざまでふたりおどりあかしたら/もっと輝くところに君を連れて行くよ」――ここにもまた、明るい未来への兆しがある。しかし、ますます真実味を帯びていくこの"水星"のキラー・センテンスが2013年という季節に含むのは、決してプリミティヴな高揚だけではないハズだ。
 だが、やがて『lost decade』は、南波志帆を招いてのタイトル・ソング、パーティの終わりにピッタリの"LOST DECADE"で大団円を迎える。いま、たったこの瞬間を祝福し続けることで、次の10年を繋げていこうというような願いが、さまざまなネガティヴの気配を追い払うように、この5分40秒を堅守する。それは感動的でさえある。僕たちはどうにかして彼を発見したし、この迷える時代に、彼によって発見されもしたハズだ。それがどれほど彼を待たせた結果であったとしても。

 今年の7月にようやく発売されるアルーナジョージのフルレンス・アルバム『Body Music』と、この『lost decade』によって、インターネット・インディとメジャー・レーベルの関係がうまく仕切り直しになればいいなと思う。トーフビーツのメジャー進出は、それくらいの意味をきっと持つ。
 ところで相変わらず、歴史性を欠いたままに惰性とノスタルジーとだけが蔓延しているように思えるJ-POPは、どのように再編可能なのだろうか? そのヒントになるかはわからないが、そういえば昨年、トーフビーツがツイートしているという「だけ」の理由で、森高千里やモーニング娘。をよく聴いた。もちろん、〈マルチネ〉が配信する『街の踊り』や『PR0P0SE』とともに。そこを繋ぐ架け橋、という言葉ではあまりにクリシェだが、彼(ら)が照らす未来を僕はそろそろ待ちきれない。この作品がまた、未来の誰か――ニュータウンや地方都市の片隅に生きる名もない若者たち――を勇気づけることを祈って、僕もその先を考えていきたい。時代に負けるな!

〈キツネ〉2013! - ele-king

 さて、〈キツネ〉は過去か? 2002年の設立以来、エレクトロ・シーンとインディ・ロック・シーンとを軽やかなフットワークで往復し、ファッションとともにそれらを牽引してきた同レーベル。コンピレーション・シリーズ『キツネ・メゾン』を欠かさずチェックしていた方も多いことだろう。クラクソンズやブロック・パーティ、フェニックスにホット・チップ......しかし時代の移り変わりはどんなシーンにもやってくる。10年をこえて存続するレーベルがつねに新しくあるというのは大変なことだ。だが、その判断は『イズ・トロピカル』の新譜を聴いてみてからにしよう。
 ゲイリー・バーバー、サイモン・ミルナー、ドミニク・アパからなるこのロンドン3人組は、2009年に鮮やかなデビュー・シングルとともに現れ("When O' When"〈ヒット・クラブ〉)、2011年のフル・アルバムでもみずみずしいロマンチシズムをシンセ・ポップに溶け込ませていた。そしてセカンドとなる今作ではソング・ライティングに磨きをかけ、ポップスとしての爽やかな解をストレートに導き出している。愛らしく質の高いポップ・ミュージックとして洗練されることで、彼らのキャリアと〈キツネ〉のイメージを成長させていくような好盤だ。プロデューサーはフォールズやデペッシュ・モードを手がけてきた才人=ルーク・スミス。

■商品情報
アーティスト名:Is Tropical
タイトル:I'm Leaving
仕様:帯解説・ボーナストラック1曲収録 / 国内盤]
品番:TRCP119
価格:2,100円(税込)
発売日:2013.5.15
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70年代初期のサイケとブリット・ポップをテーマにロマンティックなエレポップ、疾走するロックンロール、さらに甘いメロディーを織り交ぜた新機軸サウンド!! 〈Kitsune〉発のスリー・ピース・バンド、イズ・トロピカル待望の2ndアルバム!!

・フォールズやデペッシュ・モードを手がけてきた才人=ルーク・スミスがプロデュース。
・ 先行シングル『Yellow Teeth』にはEllie Fletcherがヴォーカル参加。

クラクソンズ好きも必聴!! カラフルでポップな楽曲を散りばめた彼らの最高傑作!!

デビュー前から雑誌『Dazed & Confusion』の表紙を飾り、破格の新人として『NME』でも大絶賛された〈Kitsune〉発ロンドン出身の覆面スリー・ピース・バンド、イズ・トロピカル。日本でも〈BRITISH ANTHEMS〉に代わる新進気鋭のニューカマーを紹介するイベント〈RADARS〉(レイダース)や〈Kitsune〉レーベル10周年記念イヴェント〈KITSUNE CLUB NIGHT〉で来日するなど根強いファンを持つ彼らが、トレード・マークでもある覆面を脱ぎ捨て、約2年振りとなる最新作を発表! 2ndアルバムとなる今作はフォールズ、デペッシュ・モードまでをも手掛けるルーク・スミスをプロデューサーに迎え、70年代初期のサイケとブリット・ポップをテーマに制作。トゥー・ドア・シネマ・クラブ同様、確かなソングライティングに加え、若き日のデーモン・アルバーンを彷彿させる歌声とスーパー・ファーリー・アニマルズ、ステレオラブ、ティーンエイジ・ファンクラブ、〈Creation Records〉好きにはたまらない甘酸っぱいギター・ポップやロマンティックで切ないエレクトロ・ポップとエッジの効いたダンサブルなトラックまでをも織り交ぜた新機軸サウンドを展開。JKデザインを彷彿させるカラフルな楽曲を散りばめた彼らの最高傑作と言えるアルバムです!

 4月29日から5月5日までの1週間は、〈ぺン・ワールド・ヴォイシィズ・フェスティバル・オブ・インターナショナル・リタラチャーズ〉というフェスティバルがあった。今年で9回めを迎え、この期間は、ハイチ、ビルマ、パレスチナ、南アフリカ、ヨーロッパなど、世界各地からジャーナリストや関係者が集まる。著者がよく行く〈SXSW〉や〈CMJ〉などの音楽コンベンションや〈トライベッカ・フィルム・フェスティバル〉のライター版とも言えるが、アメリカ人とインターナショナル・ライターとの社交イベント、政治や個人生活、アートについてのトーク、フィクション講義、出版や翻訳の細部、図書館ツアー、キャバレー&ミュージック・ショー他、さまざまな視点からジャーナリズムの世界をショーケースしている。

 筆者は、柴田元幸が指揮を執る、日本の新しい文学を紹介する雑誌『モンキー・ビジネス』に参加させていただくことになり、このフェスティバルを知った。


イヴェントのポスター

主催するのは世界的に有名なライター、民主主義、表現の自由などの問題を掲げるサルマン・ラシュディー。彼のパネルは早くにソールド・アウト。オープニング・パーティーでも「ラシュディがいる!」と彼と話したい人でまわりに列が出できていた。4月28日付けNYタイムスに、精神的勇気(whither moral courage)に関する彼の記事が載っているので参考までに。
https://www.nytimes.com/2013/04/28/opinion/sunday/whither-moral-courage.html?smid=tw-share&_r=1&

スポンサーには、スタンダード・ホテル、コスモポリタン、アマゾンなどのメディアの他、さまざまな公共機関の名前が並び、平均的なチケットは$15~35だが、なかには$1000(3コース・ディナーとワイン付き)というパネルもあった。実際払って行く人がいるのだろうか。

ザ・スーザン
ザ・スーザン

『モンキー・ビジネス』のメイン・ショーケース(キャバレーw/パブリック・スペース)は、歌人の石川美南、『さよならギャングスター』で知られる作家の高橋源一郎、リトルロック出身の作家、ケヴィン・ブロックメイヤーらによるリーディング。主宰の柴田は、新しく出版された村上春樹の作品の最初の部分を読んでいた(このショーケースには、村上春樹が来ると噂されていた)。オープニングに、ニューヨーク・ベースの日本人バンド、ネオブルース巻き、ラストにザ・スーザンが出演した。

テッド・ゴスマンと柴田元幸
テッド・ゴスマンと柴田元幸

『モンキー・ビジネス』週末のトーク・イヴェントは、アジア・ソサエティで。ポエトリーのチャールス・シュミックと石川美南、作家のポール・オースターと高橋源一郎、この2組に加え、モデレーターとしてテッド・ゴスマンと柴田元幸。

チャールス・シュミックと石川美南は、お互いの詩に対して質問。石川美南は、「ウラシマ」という短歌シリーズの説明(ベースは日本のおとぎ話の浦島太郎)、チャールス・シュミックは、彼の作品に何度も登場する出てくるコフィン(棺)について、お互い「箱」をテーマに語りあった。

高橋源一郎
高橋源一郎

ポール・オースターと高橋源一郎のコンビでは、スタートから、Kindleでリーディングする高橋氏を見てオースターが「電子リーディングを見るのははじめて」だとびっくりしたり、高橋氏が、オースターの作品『シティ・オブ・グラス』を読んで感動し、翻訳話を出版社にしたら、すでに柴田元幸さんに決まっていると言われた、など、笑いをいれながら進んでいった。オースターが、何をリーディングするのか期待していると、「自分の昔の作品に飽き飽きしているんだ。妻以外は誰も読んだことないんだけど」と前置きし、なんと、現在書いている新しい作品(『フィガソン』)を初リーディングした。柴田氏とオースターの関係だからあり得るのだろうが、またもや新作が待ち遠しい。オーディエンスからの質問も入れ、予定を30分ほど越え終了。いつまででも聞いていられるトークで、会場にいた人も、名残惜しいのか、なかなか帰らなかった。

『モンキー・ビジネス』週末のトーク・イヴェントの模様
『モンキー・ビジネス』週末のトーク・イヴェントの模様

最後の夜は、ペン主催のパーティへ。各国からさまざまな人が来ているので、お互いの文化や状況について質問しあい、自身を再確認し、ライティングという共通点での夢や希望、ビジネスなどを交換しあった中身の濃い国際交流週間となった。17日にはもう一本、『モンキービジネス』関連イヴェントがブルックリンであります(@dassara 7 pm)。お近くの方はぜひ。

Ord - ele-king

 ストーリーを覚えていない映画の記憶が、いや、そもそもまったく観たことすらない映画の記憶が、なぜかフラッシュ・バックのようによみがえる。映像すら霞むようなスクリーンの眩い光が瞬間、脳裏に再生する。しかし、その瞬間の映像には音はない。サイレント=イメージ。だが、それはその抽象性ゆえ、どこか音楽のようでもある......。

 京都〈シュラインドットジェイピー〉の最新作ord『w』を聴きながら、そんな記憶が想起されていく。優しく牧歌的で、儚く幻想的で、そして澄んだ空気のように清潔な音。その質感が生み出す記憶。その記憶=音の向こうにある静寂。さまざまな音楽フォームを見事に昇華したポップで瀟洒なエレクトロニカ/エレクトロニクス・ミュージックでありながら、同時に、サイレンス/サイレントな世界を希求する音楽に思えたのだ。

 そんな空想じみた結論らしきものへと先に急ぐ前に、アルバムについて簡単な説明をしておこう。ordは甲田達也とMihoyoのユニットだ。甲田は〈涼音堂茶舗〉から作品をリリースしていたheprcamの元メンバーである。彼らのアルバム『COHCOX』は涼音堂茶舗を知る人ならば記憶に残っているだろう。heprcamはドラマー/パーカッショニストの青木淳一とのデュオだが、ordはヴォーカリストMihoyoとのユニットである。ここにおいては「声」が、00年代以降のエレクトロニカのサウンド・フォームのなかで見事にエディットされている。たとえばプレフューズ73のヴォーカル・チョップとボーカロイドが00年代のエレクトロニクス・ミュージックにおける「声」の扱いという意味で、ふたつの解答を用意しているように、本作もまた声とエレクトロニクスの交錯を、とても繊細な手法で実現しているように思えたのだ(ちなみに、声とエレクトロニクスという意味ではATOM TMの最新作『HD』のエディットも重要であろう)。

 とはいえ、ヴォーカル・トラックは主に3曲であり、全8曲のトラックはヴァリエーションに富んでいる。アルバム1曲め"Koko"は、レコードのスクラッチ・ノイズに、ミニマルなサティのようなピアノのフレーズとフランス語による会話(映画からのサンプリング?)が重なっていくトラックだ。この瀟洒なトラックにおいては、ピアノと言葉のミニマルな反復が時折、絶妙にグリッチし、まるで壊れた記憶のような音像が生み出されていく。2曲めはMihoyoによるボーカル曲"Eriel"だ。メロディに対してトラックは極めてミニマルである。だがそのミニマルなトラックの隙間から、鳴っていない弦の音が聴こえてくるような不思議な感覚を味わうことができる。続く1分20秒ほどのギターをメインとした"Moyo"を経て、テープ反転の音からノイズが鳴り響くエレクトロニカ・シューゲイズ"Kugeuka"に。アコースティックからノイズへの世界の反転=暗転。そして、クリッキーなビート、そこに突如クラシカルなピアノ、ジャズのブラシワークのようなリズムなどがエディット/交錯する"Irena"へ。シンセウェイブ的なアンビエント・トラック"2006"を経て、ヴォーカル/ヴォイストラックであり、本アルバムの代表曲といってもいい"Msimu"に行き着く。独特のリズムとMihoyoのボーカルとサウンドが微細にエディットされ、聴き手の聴覚を軽やかに刺激する見事なトラックに仕上がっている。ラスト"Lala"においては、ギターのミニマルなフレーズに、微かな環境音がレイヤーされ、00年代初頭のフォークトロニカ(例えば、2002年に〈カーパーク〉からリリースされたグレッグ・デイヴィス『アルボール』など)が現在の音響的精度で再生したような曲でアルバムは静かに幕を閉じる。同時にこのラスト・トラックの響きは、冒頭"KoKo"のピアノの響きへと繋がっていくだろう。

 そう、あらゆる時間が円環するように、このアルバムもまた最初の時間へと円環するのだ。2000年代のエレクトロニカを最良の音楽性がいち枚の作品に内包されているかのようなアルバムである。だが、ゴッタ煮的な騒がしさは全くない。アルバムの音は、ひとつのトーンできちんと統一され、音楽は記憶の残像のように展開する(糸魚健一の丁寧なマスタリングも、作品の本質を引き出しているように思える)。

 ここでアートワークを見てみよう。写真もまた甲田達也自身の作品だという。表面は、白地に宙を舞う鳥の瞬間を捉えており、対する裏面は黒のイメージ。ケースを開くと、青い空に強烈な光を放つ太陽の写真イメージ。「朝」と「夜」が、「昼」の瞬間の光を挟み込んでいるのだ。強烈な光の記憶。その記憶がもたらすサイレンスな朝と夜。その無音の記憶。その無音に向けての音楽。このアルバムは実にバリエーションに満ちた音楽を収録しながらも、ある種の静寂さのアトモスフィアを生成している。いわば本作は、エレクトロニクス/ポップによって、そんなサイレント/サイレンスの世界を繋いでいるように思えるのである。それはとても繊細な創作だと思う。

 なぜ、人が不意に映画のワン・カットを想起するとき、そこには音はないのか。映像と音響の乖離。だが、その瞬間の記憶に音をつけることはできるだろう。本作は、エレクトロニクス/ポップによって、そんなサイレント/サイレンスの世界を繋いでいるように思えた。それはとても繊細な創作であり、また同時に「聴くこと」が「無音の記憶のトレース」であることをも想起できる仕事のようにも思える。

 それにしても、〈シュラインドットジェイピー〉から相次いでリリースされる作品は、どれも日本の電子音楽の最先端を語る上で欠かせない重要な作品ばかりだ。近作A.N.R.i.『All Noises Regenerates Interaction』もエレクトロニカとミュージック・コンクレートを極めてポップな質感で実現した傑作であった。本作もまた、日本の電子音楽の最良のカタチを、密やかに、優雅に、セカイの耳に向けてプレゼンテーションしているように思えた。

風薫るお寺イヴェント第5弾 - ele-king

 彼を通して「ポスト・クラシカル」に触れることになったかたも多いかもしれない。デペッシュモードやスモッグのカヴァー・アルバムでも知られるピアノ・ミニマルの重要アクト、シルヴァン・ショヴォが来日! 今回はソロとアンサンブルに加え、Marihiko Hara、ILLUHAのステージを楽しむことができる。千駄木・養源寺などを舞台に絶妙なキュレートを行ってきたILLUHAによる音と空間のイヴェントを、気候もうららかなこの機会にぜひ体験してみよう。

Live at Ennoji/ライブアット圓能寺
Sylvain Chauveau & O 来日ツアー東京公演

特設サイト:https://live-ennoji.tumblr.com/

「妨害なき相互浸透」をテーマに、大田区大森にあるお寺「成田山 圓能寺」にて荘厳な音響空間の中、畳の上で全身に音を感じられるイベント第5弾! 今回はフランスより、人気作曲家Sylvain Chauveauが待望の再来日、東京公演! Sylvainソロ演奏に加え、新たに結成されたコレクティブ「0」もともに公演決定! 京都よりMarihiko Hara、東京よりilluhaと音響界の話題アーティストを交え開催。

■開催・日時・場所■
2013年5月4日(土)開場13:30 開演14:00
入場料:前売 3000円 / 当日 3500円
Facebook内イベントページ:https://www.facebook.com/events/448938585186555/
※限定130席。予約完売時、当日券の販売はいたしません。ご予約はお早めに。
会場:大田区大森 成田山圓能寺

住所:東京都大田区山王1丁目6-30
 JR京浜東北線大森駅北口(山王口)より徒歩3分
ホームページ https://ennoji.or.jp/index.html 
(当イベントについて圓能寺へのお問い合わせはお控えください)
お問い合わせ:kualauk at gmail.com
予約方法:特設サイト内予約フォームよりおねがいします。

This is the 5th live event under the theme "nonobstructive and interpenetrating". The venue, Ennoji Temple at Omori will provide you solemn atmosphere of sound and you will feel it over the entire body on tatami mats.

Performers: Sylvain Chauveau, 0 (Sylvain Chauveau、Joël Merah、Stéphane Garin), illuha, Marihiko Hara. Please Email early as seating is limited to 130.

出演者プロフィール

〈Sylvain Chauveau〉
シルヴァン・ショヴォは、1971年フランス生まれのミュージシャン。 90年代から本格的に音楽活動を始め、2000年頃からフランス期待のミュージシャンとして頭角を現す。これまでTypeやFatCatといったレーベルから、ソロ作品9枚をリリース、世界中でライヴを行うとともに、映画やダンス作品にも楽曲を提供してきた。ピアノ、ギタ−、ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、電子音などを自在に用いて繊細に音楽を表現し、近年では自らボーカルを務める。またSylvain Chauveauとしてのソロ名義の他に「Arca」,「O」「ON」 等のプロジェクトでも勢力的に活動する彼の音楽は、エレクトロニカ、音響、 実験音楽、ポストクラシカルなど様々な文脈で語られており、ここ日本でも大きな人気を誇っている。
近作は、flauよりリミックス集『Abstractions』、FatCatよりサウンドトラック集『Simple』、Stephan MatheiuとのコラボレーションによるSmogのカバー・アルバム『Palimpsest』など。
https://www.sylvainchauveau.com/

〈O〉
O(ゼロ)は2004年にJoël Merah(acoustic guitar)、Stéphane Garin(percussion, glockenspiel)、Sylvain Chauveau(glockenspiel,acoustic guitar)によって結成されたアンサンブル。フランス南西部のバイヨンヌ/ベルギーのブリュッセルを中心に活動している。これまでにヨーロッパ各地での様々な音楽祭やホールで公演、自身の作品演奏に限らず、Steve Reich, Morton Feldman, 杉本拓, John Cage, Eric Satie, Gavin Bryarsらの作品も演奏し、アンサンブルの持つ未知なる可能性を追求している。
https://youtu.be/K6Kn6UPC1Nk
https://0sound.tumblr.com/

member profile
ステファヌ・ガリン(Stéphane Garin)
パリ管弦楽団、アンサンブル・アンテルコンタンポラン、レ・シエクル室内管弦楽団に参加。ピエル・ブーレーズ、デイヴィッド・ロバートソン、レオン・フライシャー、フランソワ=グザヴィエ・ロト、フェサル・カルイ等の指揮のもとに演奏。
パスカル・コムラード、ミッシェル・ドネダ、ドゥニク・ラズロ、ピエル=イブ・マセ、ティエリー・マディオ、マーク ペロンヌ、ドミニク・レペコ等と共演。ヨーロッパやアメリカやアジア等で公演。

ジョエル・メラ(Joël Merah)
2003年度武満徹作曲賞の第1位。
作曲家として東京フィルハーモニー交響楽団やコート・バスク・バイヨンヌ地方の国立音楽院オーケストラ、オイアッソ・ノヴィスやアンサンブル・ケーン、インジ、ロクテゥオル・ア・ヴァン(L'octuor a vent)などのアンサンブル、Opiyo Okach(ダンサー)と様々なアーティストに作品を提供。 これまでにベルナール・リュバ、ベニャ・アチアリ、ドミニク・レペコ、ティエリー・マディオ、ラウル・バルボザ、Michel Etchecopar(ミシェル・エチェコパル)、Saïd Nissia(サイード・ニッシア)と共演している。

〈ILLUHA〉
アメリカ生まれ日本育ちのCoreyFullerとブラジル生まれ日本育ちの伊達ジュリアーノ伯欣はお互いの音楽を通じて2006年に出会い、 2007年にアメリカ北部ベリングハムにある古教会での録音を元に4年の歳月を経て完成された1stアルバム『Shizuku』がN.Y.の12Kより発売。雑誌WIREなどに掲載され1ヶ月で完売となり、幻の1stアルバムとなる。これまでに日本やアメリカ西海岸ツアーを行い、ライブバンドとしての評価が高い。この夏にはライブ盤アルバムの発売が予定されており、7月26日には山口県YCAMにて坂本龍一+TaylorDeupreeと共演する。Coreyは現在日本へ移住し、オーディオエンジニアおよび映像作家、ディレクターとして活動中。TomoyoshiDateはソロ作品やOpitope、Melodiaとしてもリリースを重ねる一方、西洋医学と東洋医学を用いる医師でもあり、自然と文明の関わり方を医療と音楽の側面から考察している。
illuha.com

〈原 摩利彦 / Marihiko Hara〉
音楽家。京都大学教育学部卒業。静けさの中の強さをテーマに、質感を追求した作曲活動を展開している。これまでにアルバム『Credo』(Home Normal)、『FAUNA』(shrine.jp)等をリリース。舞台や映像の音楽も手がけ、ダムタイプ高谷史郎氏のプロジェクトや伊勢谷友介監督『セイジ 陸の魚』のサウンドトラックに参加。「Shiro Takatani : CHROMA concert version」としてSonar Sound Tokyo 2013に出演。音楽を手がけた短編アニメーション『COLUMBOS』(監督:カワイオカムラ)はロカルノ国際映画祭やロッテルダム国際映画祭など海外主要映画祭 にて上映された。2013年4月に新作『Flora』(night cruising / Drone Sweet Drone)を発表。
www.marihikohara.com



opitope RELEASE PARTY

サイト:https://www.super-deluxe.com/room/3398/

opitope(ChiheiHataleyama+TomoyoshiDate)が6年ぶりのニューアルバム『a colony of kuala mute geeks』をWhite Paddy Mountainから発売! アルバム参加アーティストを含めた超豪華なゲスト11人とopitopeが怒濤の5ステージ!

■開催・日時・場所■
2013年5月12日 (日)
Open 17:00 / Start 17:30
Ad:2,000 +1d Door:2,500 +1d
Tokyo @ SuperDeluxe (Nishiazabu)

LIVE
aus, 秋山徹次, 大城真, Carl Stone, Christophe Charles,
Sawako, 杉本佳一, Tamaru, 中村としまる, 安永哲郎, yui onodera,
opitope

17:30~18:00 Sawako + Tamaru + opitope
18:10~18:40 秋山徹次 + 安永哲郎 + opitope
18:50~19:20 大城真 + 中村としまる + opitope
19:40~20:10 aus + 杉本佳一 + .opitope
20:20~20:50 Carl Stone + Christophe Charles + Yui Onodera + opitope

主催者情報
主催:Kualauk Table https://www.kualauktable.com/(Twitter:@kualauk)

共催:flau  https://www.flau.jp/
後援:HIGASHI TOKYO LABORATORY https://www.higashitokyolab.com/


Madegg - ele-king

 元旦にこれといった予備知識もなく有楽町マリオンでトム・フーパー監督『レ・ミゼラブル』を観ていたら、頭を坊主に刈られたアン・ハサウェイがシネイド・オコーナーさながらに熱唱していた。あれ、ハサウェイって歌はヘタだと言ってなかったっけ? 坊主頭のせいで鬼気迫るように思えるだけ? それにしてもイギリス人が撮ると『レ・ミゼラブル』なのに、なんだかディケンズに見えてしまうよなー。面白いのかな、この映画? クリストファー・ノーラン監督『バットマン ダークナイト・ライジング』もいまのアメリカをフランス革命前夜に喩えていた含みはあるにせよ、『レ・ミゼラブル』のそれはあまりに説得力がなかった。デヴィッド・クローネンバーグ監督『コスモポリス』もやはりオキュパイを念頭に置いた作品だったので、「無産階級による革命が失敗する話」というマーケットでもできつつあるのだろうか。それ以前に自民党の憲法「改正草案」では21条も《公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない》という内容だったりするので、失敗どころかデモやオキュパイが日本からはなくなっちゃうかもしれないですけどね。

 そんなことは忘れた頃にハサウェイの熱唱シーンをパロった動画がユーチューブに上がった。ハサウェイの坊主頭が意外と評価されず、歌が歌えるようになったことさえ「力みすぎ」だと悪評が続いたことに抗議し、28歳の女性がハサウェイをマネた容姿でアカデミー会員に「ご検討を!」と訴えかけたのである。結果的にハサウェイはアカデミー助演女優賞を受賞したものの、動画がアップされた時点では彼女にとってありがたいのか迷惑なのかわからない上に、ハサウェイより歌が上手いなどという評まで飛び出してしまった。しかも、その週だったか次の週に、今度はAKB48のメンバーがセックスしたかどうかして、
やはり坊主頭になり、ファンの皆様に詫びを入れていた。リアルな芸能界なので話題性を逆手にとって独立しても結局は干されるだけだろうから、そうまでして組織にいたいのかという議論は世間知らずでしかないとしても、それ以上のことはよく知らない僕としては男の方は坊主にはならなかったのかなと思ったり。また、次の日には、なぜか(本当に無意識に)アルベルト・ネグリン監督『アンネの追憶』をレンタルしてしまい、アウシュヴィッツに送られたアンネ・フランクがいきなり坊主頭にされるシーンに出くわした。どう考えても、2013年は女性の坊主頭元年である。勢いでローラ・ムヴーラのデビュー・アルバム『シング・トゥ・ザ・ムーン』まで買ってしまった。イギリスではR&Bシンガーのブライテスト・ ホープに選ばれた新人である。

 アン・ハサウェイやローラ・ムヴーラは役作りやファッションとしてやっていることなので、同じ坊主頭といってもAKBとはやっぱり意味が違う。 芸能人がプライヴェートを切り売りできるようになった/しなければならなくなって、けっこう経つとは思うけれど、それもつくりだろうと思われる領域は日を追って拡大し、これがわたしのプライヴェートですといって差し出せる範囲もすでに限界に来たのだろう(しょこたんや辻希美は除く)。プライヴェートというのは本来は格好をつけられない領域のはずだし、それが本音だと思われなければ大衆に差し出した意味もない。もしくは「わたしは等身大の存在で、あなたの手の届く範囲にいるんですよ」ということを信じてもらうためには演出方法も変えなければならないから、実力のない人ほど「本音らしいこと」を捏造しなければならなくなってくる。AKBの坊主頭は、そういう意味では、ブリトニー・スピアーズがボロボロになって生き残っている姿とどこか近いものがあるし、プライヴェートな領域でナスティなものを可視化できなければ、アイドルとして成立しなくなる日も近いのでは。かつてのように泣けば可愛いと思ってもらえた時代と図式的には同じですけどね(ということはウソ泣きの松田聖子ならぬウソ坊主頭もそのうち出てくるのかな)。

 京都から届いたマッドエッグことカズミチ・コマツのセカンド・アルバムを聴いていて(ファースト・アルバムはTシャツにダウンロード・コードが プリントされているというものだったらしい)、そのあまりにもクリーンな響きは、僕が80年代に日本の音楽を聴いていて、もうちょっとナスティなニュアンスを持つことはできないのかと、いつも絶望的な気持ちになっていたことを思い出させた。当時の洋楽といえば、それはいろいろなファクターがあるだろうけれど、僕にとっては清潔感がないということが圧倒的な魅力だった。とくにニューミュージックをぶっつぶすために業界主導で仕掛けられたシティ・ポップスはGSのカタキを取るという志に反して、あまりにもクリーンに過ぎた記憶しかない(それがブラック・ミュージックの導線になったこと自体、どこか奇跡に思えてしまう)。また、シティ・ポップスは、ニューミュージックを(いまでいう)ガラパゴスと断じて、世界へ出なければ意味がないと宣言していたものの、結果的にその志を受け継いだといえるYMOでさえ、海外盤ではベースをオーヴァーダビングされてしまうほど、ナスティであることにはほど遠かったのである。「電圧のせいじゃないかな」と忌野清志郎は考えた。そして、彼が86年にロンドンでレコーディングを行った『レザー・シャープ』はカッティングの溝が深すぎることを理由にジャスラックには保証のマークをつけてもらうことができなかった。低音を制限する溝の深さはどうやら日本の住宅事情から来る制約だったらしい。

 ピシピシと突き刺さるような、あるいは、もやもやとはぐらかすようなマッドエッグのサウンドを聴いていて、あれだけイヤだと思っていた「クリーンなサウンド」を思い出したということは、それなりに長い間、日本の音楽もナスティな響きを放ってきたということなのだろう。電気グルーヴやフィッシュマンズが洋楽のように聴けたということは、そういうことであり、本来的な意味でダイナミック・レンジは獲得されたのである。そこであえてクリーンなサウンドに立ち戻ろうとしたのか、何も考えていないのかはわからないけれど、『キコ』はエイフェックス・ツインやフライング・ロータスをかつての日本の音楽環境へと手際よく移し変えていく(......ように聴こえる)。低音が薄いのでムズムズしてくるというか、YMOをミニマルに組み替えたような"スロウイング・ア・フローティング・ガン"や高音だけでさまざまなイメージが繰り出される"オレンジ・ウエント・トゥ・イエロー"など、もはやどこにあるのかわからない引き出しを捜し続けているうちに曲も終わってしまい、それこそ1曲としてどこにもしまえないうちにアルバムも終わっていく。悲しいかな、シンセ・ベースが比較的重みを出してくれる"ザ・セントラル・ドッグス・アンド・プラスティック・フレンド"や混沌とした"シュアリー"、あるいは、いささか子どもじみた"グッド・ファニー・ナイト"がやはり僕には癖になりやすかった。でも、やっぱり数曲だけ試聴するなら後半をオススメしたいかな。

 デトロイト・テクノを平たく伸ばした"ストライプス"、シカゴ・ハウスをファンタジックにした"マース"、メランコリックがスピードをつけていく"スパイダー"、アシッドの河が流れていくような"ナイス・バード・フォーリング・ダウン・イン・ユア・ラウンズ"、エイフェックス・ツインとジャーマン・トランスを合体させたようなアルバム・タイトル曲と、なかなかに発想は豊か。クリーンなサウンドであることを逆手に取ったような発想 はとくに狂気じみた過剰さを引き寄せ、全体にケン・イシイのヴァージョン・アップとして「世代交代の波」を楽しめる内容になっている......なんて。 つーか、京都って、なんか、あるんですかね。最近いろいろ出てきますけど。まさか『けいおん』の影響じゃ......w

 以下は完全にヒマな人向け。

 昨年はマリリン・モンロー没後50周年だったので、ついにボックス・セットを買ってしまい、年が明けてからとりあえず順番に観ていたところ、さすがにモンロー・ウォークに目を奪われるだけでなく、いつしか男の職業が気になりはじめた。半分はいわゆる億万長者なので、これを除外すると、いわゆるあらくれどもが賃金労働者に組織化されていくプロセスに見えてきたのである。マリリン・モンローは、しかも、ゴールド・ラッシュに詰め掛ける男ではなく、それを尻目にひとり着々と畑を耕している男とくっついたり、いわゆる正業についていない男たちにはそれをやめさせて、どちらかというと賃金労働につかせる役回りを担っていたといえる。面白いのは遺作となった『荒馬と女』では、賃金労働者になっていく男のひとりがタンスの扉を開けると、内側にはモンローのピンナップがぎっしりと貼ってあり、それをモンロー演じるロズリン・ターベルに3回も見せるというメタ表現が盛り込まれていたことである。それはまるであらくれどもが自由を手放す代償としてセクシー・ガールのピンナップを手に入れたという図式がそのまま映像化され、そのフォーミュラがそのままAKBまで続いているような錯覚を覚えるに充分なものがあった。そう、工場労働からサーヴィス産業へと移り変わり、男性の働き方も根底から変わりつつあるという時代に、AKBのあれやこれやを見ていると、資本主義も必死だな、という感じがしてしまいました......とさ。

TADZIO presents センキュー☆vol.2 - ele-king

 GW、天気も良いそうだが、とくに行くところがないぜ。
 3日には、下北のスリーでECDを見てから、深夜になったら町田のRITTOとOMSBでも行こうと思っているくらい。どうせ4日は夕方まで爆死するつもりだしな。
 5日は......レコード売ってレコードを買いにでも行こうかな。
 そして、6日はまたしても下北スリーに行って、タッツィオとキラーボングでも見てくるよ。リーダーとこないだばったり会っちまったしな......考えてみれば、行動範囲は狭いが、忙しいGWになりそうだぜ。センキュー!!

■TADZIO presents センキュー☆vol.2!
骨折でしばらく休養していた部長(ds)が復帰し、ついに開催! 

 今回の出演アーティストは......。まずは、TADZIO企画にもはやなくてはならないTADZIOフェイバリッッットな爆裂ハード・フォーク・バンド、久土'N'茶谷! 
 先日、1.7mもある、"開くと戻らない"特殊ジャケットも話題のNEWアルバム『BONANZAS』をブチかました、最凶リズムを繰り出す、ドCOOL、ド漆黒な異系ハードコア・バンドbonanzas (from大阪)! 
 さらに、BLACK SMOKER RECORDS主宰、最も黒い男=KILLER-BONGが、KILLER-BONG所属のLEFTYのVJも務めるROKAPENISとともに参戦! 
 DJは、レコード・レーベルPANTY主宰、トラック・メイカーとしても活動する37A! という、なんとも濃厚な面々。現在、ニュー・アルバムを制作中のTADZIOも、新曲を織り交ぜ、爆音でブチかまします! 
 センキュー!!

5.6 (mon) 下北沢 THREE
OPEN 18:30 / START 19:00
ADV 2,000 yen / DOOR 2,500 yen (+ drink fee)
LIVE: TADZIO / 久土'N'茶谷 / bonanzas (大阪) / KILLER-BONG + VJ ROKAPENIS
DJ: 37A (PANTY)
INFO: THREE 03-5486-8804 www.toos.co.jp/3


「ぼく自身はあのプロダクションにすごく惹かれるんだよね。あと、あの時代の音楽には、すごく純粋な感触がある気がする。ある意味すっごくシリアスなんだけど、同時にシリアスでもないっていう。」ジャック・テイタム(本誌インタヴューより


Wild Nothing -
Empty Estate

Captured Tracks / よしもとアール・アンド・シー

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エイティーズのUKインディ・ロックへの思慕をあふれさせた美しい2枚のアルバムにつづき、ワイルド・ナッシングことジャック・テイタムからささやかな音の贈り物が届けられた。ミニ・アルバム『エンプティ・エステイト』は5月15日リリース。終わらない夢のつづきを、この10曲とともにたどってみよう。"ア・ダンシング・シェル"ではディスコ色が加味され、エール・フランスからメモリー・テープス、パッション・ピットまで想起させる涼しげなダンス・ビートが感じられるが、それでも依然として彼の夜はプール・サイドやクラブにはない。前作ののちにブルックリンに移り住んではいるが、それはいまだ、どこかジョージアあたりの田舎の家屋の、静かな窓のなかにある。

Wild Nothing "A Dancing Shell"


3月15日に行われた初来日公演もソールド・アウト!

米ヴァージニア州出身のドリーム・ポップ/シューゲイズ・バンド、ワイルド・ナッシングのミニ・アルバム『エンプティ・エステイト』のリリースが決定!!

3月15日に行われた初来日公演もソールド・アウト。ここ日本でも大きな注目を浴びる米ヴァージニア州出身のドリーム・ポップ/シューゲイズ・バンド、ワイルド・ナッシング。昨年の8月(日本は9月)にリリースされ、iTunesの「2012年ベスト・オルタナティヴ・アルバム」も獲得した傑作セカンド・アルバム『ノクターン』に続き、全10曲入り(日本盤ボーナス・トラック含む)ミニ・アルバム『エンプティ・エステイト』のリリースが決定。日本盤のみミシェル・ウィリアムズ(『マリリン 7日間の恋』『ブルーバレンタイン』『ブロークバック・マウンテン』)をフィーチャリングした「パラダイス」の別ヴァージョン他、ボーナス・トラックを3曲追加収録。

■ワイルド・ナッシング『エンプティ・エステイト』
Wild Nothing / Empty Estate
2013.05.15 ON SALE!
¥1,400 (税込) / ¥1,333 (税抜)
歌詞/対訳付
★日本盤ボーナス・トラック3曲収録★

[収録曲目]
01. The Body In Rainfall / ザ・ボディ・イン・レインフォール
02. Ocean Repeating (Big-eyed Girl) / オーシャン・リピーティング(ビッグ・アイド・ガール)
03. On Guyot / オン・ギヨー
04. Ride / ライド
05. Data World / データ・ワールド
06. A Dancing Shell / ア・ダンシング・シェル
07. Hachiko / ハチ公
08. Paradise (Radio Edit) / パラダイス(レディオ・エディット)*
09. Paradise (featuring Michelle Williams) / パラダイス(フィーチャリング・ミシェル・ウィリアムズ)*
10. Paradise (Setec Astronomy Remix) / パラダイス(セテック・アストロノミー・リミックス)*
* 日本盤ボーナス・トラック
All songs written and produced by Jack Tatum (ASCAP)

[バイオグラフィー]
ワイルド・ナッシングはアメリカのポップ・バンドだ。ただ、バンドと言ってもジャック・テイタムしか在籍していないワンマン・バンドである。2010年、21歳のテイタムはヴァージニアのブラックスバーグの大学の最終学年に籍をおいていた。そしてこの年の春にリリースされたのが、ワイルド・ナッシングのデビュー・アルバム『ジェミニ』である。このアルバムは2010年の夏のカルト・ポップ・レコードとなった。80年代のインディ・ポップをルーツに持つこの作品は、インターネットを通して瞬く間に人気を獲得することになり、評論家からも極めて高い評価を獲得した。2011年、テイタムはセカンド・アルバム『ノクターン』の制作を開始。「僕の理想世界の中でポップ・ミュージックは何だったのか、またどうあるべきなのか、といった感覚を表現したアルバムだ」と彼自身が語るこのニュー・アルバムは、まさにテイタムのポップ・ミュージックに対してのヴィジョンが詰め込まれた傑作となった。アルバムは、iTunesの「2012年ベスト・オルタナティヴ・アルバム」も獲得し、2013年3月に行われた初来日公演もソールド・アウトとなった。

※日本オフィシャル・サイト: www.bignothing.net/wildnothing.html


interview with Deerhunter - ele-king


Deerhunter - Monomania
4AD/ホステス

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 ディアハンターの新譜がリリースされた。タイトル・トラックでもある"モノマニア"は、20世紀初頭に活躍したアメリカの怪奇小説作家H.P.ラヴクラフトの『霊廟』にインスパイアされた曲だという。屋敷の裏に広がる暗鬱な森に閉ざされた古い霊廟と、そこに祀られている一族の呪わしい最期について、異常な関心を抱いて執着していく少年の物語。取り憑かれるかに毎夜屋敷を抜け出し、やがて霊廟を眺めながらそのかたわらに眠るようにさえなった彼は、ついに鍵を手に入れ、なかへと足を踏み入れる。するとそこにはたくさんの棺にまじって自分の名の書かれた空の棺が安置されている。彼は思いを遂げるかにように歓喜と満足とをもって身を横たえる......。その後しばらく、彼は棺のなかでの時間に安寧を得るのだが、亡霊たちとの蜜月は長くはつづかず、最終的には家族や村人たちによってとらえられ、精神異常者として療養と幽閉を余儀なくされてしまう。

 この話と、バンドの中心であるブラッドフォード・コックスとのつながりはとても腑に落ちるものだった。筆者には、ブラッドフォードという人間もまた、つねに自らの棺を求めて歩き回っているように見えるからだ。

「その通りだよ。もしかするとそれほどダークなものではないかもしれないけど......棺桶ではないかもしれないけどね。でもなにか、それはそうだと思う。」

 『モノマニア』はディアハンターとしては5枚めのアルバムだ。そもそもはシューゲイズとも紹介され、サイケデリックなノイズ・ロック・バンドという佇まいだったが、メディアの注目を集めた『クリプトグラムス』(2007年)と、出世作といえる翌年の『マイクロキャッスルズ』とのあいだにひとつの転換点があった。平たく言って歌やメロディに比重が置かれるようになり、サウンドもアンサンブルもまどろむようなアンビエンスをそなえ、〈4AD〉への移籍が印象づけられた。それはアニマル・コレクティヴに端を発し、やがてチルウェイヴにまで接続していくことになるドリーミー・サイケのムード――2000年代中盤以降のシーンの様相を決定的に特徴づけた流れでもある――とも並走して、シーンに鮮やかな存在感を刻みつけることになる。多作なブラッドフォードだが、まさにそのクリエイティヴィティが全開となったところに、時代の機運もめぐりあわせた瞬間だったのだろう。この間の作風が伸びきって、ひとつの区切りをつけるかに見えたのが前作『ハルシオン・ダイジェスト』。さて次はどうなるのか......今作はなんとなく気分を入れ替えるような転換があるのではないかというタイミングでのリリースだ。

もちろん、この10年における最重要バンドのひとつとして彼らの評価を不動のものにしているのは、その単独性である。タグのつかない存在といえばよいだろうか。特定のジャンルにもスタイルにも人脈にも干渉されず、彼ら自身の原理に準拠するという在りかた。同年のブラッドフォードによるソロ・アルバムも、その理解の補助線となるかもしれない(アトラス・サウンド『レット・ザ・ブラインド・リード・ドーズ・フー・キャン・シー・バット・キャンノット・フィール』2008年)。モードをつかんでいるようでいて、その実まったくそれらに干渉されない......干渉されるスキもない音楽の在りかたが見えてくる。そこにはけっして普遍化されない種類の、彼にしか問えない固有の問いがある。

いまの時代のなかで自分たちがヒーローになりたいというわけではないんだけど、失われたもの、過去にあったおもしろいものを取り戻したいという思いはあって、そういう存在ではいたいよ。(ブラッドフォード・コックス)

「僕には大切なキャラクターがいて、それはジョーイ・ラモーンとかパティ・スミスとかロックンロールのアーティストなんだけど、(中略)いまいったような人たちはすごくつまらないところから脱出できた人たちだよ。マッチョイズムからもね。僕はすごく苦い人間なのに、みんなはセックスとかアルコールとかダンスだとかを求めてる。クソ・マッチョイズムというほかないよ。」

 これは筆者が1年前に行った本誌インタヴューからの引用だが、ブラッドフォードのなかにはこうした「つまらないところから脱出できた」単独者たちへのリスペクトとともに、音においても古いロックンロールへの憧憬がはっきりと感じられる。多くの曲から、パンクやガレージのフォームを透過してロイ・オービンソンやジョン・リー・フッカーが聴こえてくるし、ルー・リードやマーク・ボラン、グラム・ロックの艶やかさも顔をのぞかせる。ただ、かつてそれらは深い残響やドリーミーなメロディのなかに半身をうずめていたのだったが、この『モノマニア』からはかなりストレートに、ラフでルーズなロックンロールの魅力があふれ出てくる。これは多くの人にとって新鮮だったのではないだろうか。
 だがブラッドフォードのロックに「ご機嫌」はありえない。それがやすやすと手に入れられていたならディアハンターが生まれる理由もなかった。なにしろ墓なのだ。アトラス・サウンドの『パララックス』が出たころ、彼の目にはつめたい、不毛の光景が見えていたという。今作の乾いた音には、そうしたつめたさは含まれていないのだろうか?

「そうだね、"つめたい場所"ということについて言うなら、それは今回の音にもけっこう出ていると思う。怖い、奇妙な気持ちや感覚を表現したアルバムだよ。」

 するとすかさずドラムのモーゼズ・アーチュレタが補足する。結成のときからずっとバンドを支える存在だ。

「50年代のロックンロールをよく聴いていたから、そこから受けるパワーやインスピレーションに導かれていた部分は音の表面にはよく出ていると思う。だけど歌詞はすごくすごく暗いんだ。もしかしたら音もそれに引きずられてもっとダークになっていた可能性はある。グルーヴなんかを保っていられたのはひとえに、そのとき聴いていたロックンロールのおかげだよ。でもドライな、つめたい場所の感覚はかなり出ていて、とてもアンヴィバレントな作品なんだ。」


人気テレビ番組「レイト・ナイト・ウィズ・ジミー・ファロン」出演時の模様

 このアンヴィバレントについては、すぐに映像で確認できるだろう。人気テレビ番組「レイト・ナイト・ウィズ・ジミー・ファロン」出演時の演奏には鬼気迫るものがある。曲目は"モノマニア"。ファズが雄々しくうなる8ビートのロック・ナンバーで、けっしてダークな曲調ではない。しかし画面にはなんともいびつなムードが浮かび上がる。ニューヨーク・ドールズを彷彿させる出で立ちでマイクをつかむブラッドフォードだが、その指が見ていられないほど痛々しい怪我を負っているのだ(おそらくはそうしたいたずら)。笑えない冗談のような迫力は彼の歌にもみなぎっていて、「モノマニア」という言葉をまさにモノマニアックに繰り返しつづけるインプロ・パートに入るころにはそれがひとつの沸点を迎え、ブラッドフォードは突如スタジオを離脱。廊下を抜け、談笑している人の手の紙コップを奪い、それを飲み捨て、エレベーターに乗り込もうとする様子をカメラが追っていく。その間もマイクだけはスタジオの熱したドラミングとロケット・パントの雄弁なソロを拾いつづける......われわれはそこにありありと「つめたい場所」「怖い、奇妙な気持ち」を見るだろう。

 しかし、こんなロック・ヒロイズムが本気でキマってしまうアーティストがいま他にいるだろうか? 彼が古いロックにばかり心をひかれていくのはなぜだろう。ひょっとすると自らにとってヒーローと呼ぶべき存在のいなくなった世界で、自分がそれをやらざるを得ない、自分しかそれをやるものがいないというような孤独な思いが、ブラッドフォードにはあるのだろうか?

「僕のヒーローは父親だね。でも、そうだな、いまの時代のなかで自分たちがヒーローになりたいというわけではないんだけど、失われたもの、過去にあったおもしろいものを取り戻したいという思いはあって、そういう存在ではいたいよ。」

 彼にとって「失われたもの」「過去にあったおもしろいもの」というのはけっしてノスタルジーの産物ではないはずだ。筆者には、彼がロックのコスプレをしているのではなくて、かつてロック・ヒーローが担ったように、そこにたくさんの人が欲望や孤独や悪意を投影できる依り代になろうとしているように見える。

「うん。それがほんとにできたらうれしいよ。本望だ。実際にそういう歌詞もこのアルバムのなかに出てくるんだ。」

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 リリース・インフォには「精神病院で鳴らすための音楽を作りたい」といった発言も記されているが、病めるもの、いたみを知るものへのシンパシーも彼の音楽にとって大きなモチヴェーションだ。『霊廟』の主人公が墓のなかで見たものは、ある意味では現実でもある。彼の感じ方に病名をつけて納得するのは簡単だ。しかし、そうしたものに対する最大限のリスペクトや想像力を持っているのがディアハンターの音楽だと感じる。

「そう。すごくダークなとき、精神的に落ちてるときっていうのは、妄想することで救われたりする。墓のなかの想像も同じで、妄想することはそこから脱出する手段になることがある。」

50年代のロックンロールをよく聴いていたから、そこから受けるパワーやインスピレーションに導かれていた部分は音の表面にはよく出ていると思う。だけどドライな、つめたい場所の感覚はかなり出ていて、とてもアンヴィバレントな作品なんだ。(モーゼズ・アーチュレタ)


Deerhunter - Monomania
4AD/ホステス

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 妄想ということがドリーミーという感覚に短絡するわけではないが、彼らの甘くただれたような音像、深すぎるリヴァーブやディレイによる音の彩色は、その大部分がギターのロケットによるものである。それは彼のロータス・プラザ名義でのソロ2作から明瞭に聴き取ることができるし、アトラス・サウンドから引き算されている部分でもある。すでにシーンはこうした残響とヒプナゴジックの時代を通り抜けつつあるが、そうした影響もあるのかどうか、今作ではロケットのドリーム感はやや後退している。『モノマニア』における自身の役割についてロケットはどのように考えているのだろうか。

「ディアハンターの場合は曲ごとに自分の役割がぜんぜん違っていて、たとえば"レザー・ジャケットII"とそれにつづく曲でもまったく違うんだ。"モノマニア"なんかでは、ぼくのパートだけでひとつのムードを作り出したりできていると思う。」

 そう、とくにギター・ソロに顕著だが、外の世界を遮断するバリアのように機能していた彼の優しい音の幕は、突如その境界を押し広げ突き破るように動きはじめた。今作の音の変化はロケットの変化でもある。ブラッドフォードはある意味ではつねに変わらない。アーチュレタも、そこは強く意識している。

「ぼくは性質的にきちっとストラクチャーを立てるタイプというか。部分部分をきちんと決めていくのが好きなんだ。けどブラッドフォードっていうのはぜんぜん真逆だから、いっしょに音楽を作っていく上で、そこの違いがバンドにまた新たな方向性を生んでくれるんじゃないかと思う。役割とは言えないかもしれないけど、その違いを大事にしたいなと感じるよ。いつもの自分なら取らないような行動を、このバンドは引き出してくれる。みんなのことを信用しているからだと思うけど、そういう部分でリスクや挑戦をしてみようと思える場所だね。」

 それぞれに違う世界と方法を持ちながら、その内ふたりについてはソロも充実しながら、しかしぴったりと寄り添うようにいる。ディアハンターとは彼らにとってまるで場所の名のようだ。

「家族みたいなものだからね。いっしょにいる理由を問うという感じじゃないんだ。ディアハンターをやってないことなんて想像できなくて、これを家みたいなものだとするなら、逆にアトラス・サウンドは旅行って言ってもいい。ロケットもそうじゃない?」

 そう問いかけるブラッドフォードに、

「他のバンドに参加してるときに思ったんだけど、ディアハンターでは、話さなくても意思の疎通ができるんだ。以心伝心というか、だいたいすべてわかりあってる。ほんとに家族みたいな存在だよ。」

 とロケットが答える。なぜ音楽をやっているのかという問いを向けても、おそらくは同じような答えが帰ってくるだろう。それは家に帰るくらいあたりまえのことだと。ディアハンターの音楽の偉大さは、新しさにこだわらない、ある意味ではつねに外界の思惑とは無関係な活動をつづけながら、どうしてか、どうしても時代性と結ばれていってしまうところだ。そのダイナミズムがこんなにスモールな関係性から生まれているということに、われわれは勇気を与えられる。自分たちだけの夢と妄想の世界は、それを徹底して見つめさえすれば、世界につながるのだ......ジャケットの赤いネオンは、彼らの「霊廟」の墓碑銘である。死んでしまったものではない。それは生きて見つめるための墓、偏執狂的な生の名前なのではないだろうか。

interview with The D.O.T. - ele-king


The D.O.T.
Diary

ホステス

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 取材当日の午前中、マイク・スキナーの具合が悪く、病院に行った。なので、急遽、ロブ・ハーヴェイひとりで対応して欲しいとホステスの担当者から電話がかかってきた。これは困った。僕は、ザ・ストリーツはデビューからずっと聴いている。しかし、ロブ・ハーヴェイのミュージックに関してはずぶの素人。申し訳ない。
 The D.O.T.を、マイク・スキナーの新しいプロジェクトと見るか、あるいはロブ・ハーヴェイの新しい作品と見るかでは、おそらく違うのだろう。僕は、日本では少数派かもしれないが、ザ・ストリーツの最後の作品、『コンピュータ&ブルース』(2011年)の延長で聴いている。その作品が、わりとロック寄りの内容だったので、部分的にではあるが、The D.O.T.の予習はできていた。
 それでも、最初に『アンド・ザット』(既発曲の編集盤)を聴いたときには、CDを間違えたのかと思った。ほとんどラップもないし、ガラージでもないし、クラブ・ミュージックでもない。その代わりに......エルトン・ジョンのような歌が聴こえる(!)。
 『コンピュータ&ブルース』が、リリースから2年経ったいま聴いても良い作品であるように、The D.O.T.のデビュー・アルバム『ダイアリー』も、良いポップ・アルバムだ。ザ・ストリーツの作品にように、シニカルかつアイロニカルに屈折しているわけでもない。雑食的な音だが、基本にあるのはポップ・ソングだ。エモーショナルで、耳に馴染みやすいメロディ、綺麗なハーモニーがあって、クラブ・ミュージックのセンスも注がれている。

 しかし......先述したように、筆者は、ミュージックなるロック・バンドの音楽を知らない。『コンピュータ&ブルース』に参加したロブ・ハーヴェイについては知っている。ロブはその現実を受け止め、とても真摯に答えてくれた。


言葉表現の能力の高さ、素晴らしさに尽きるね。思いを言葉にするだけじゃなくて、その言葉や意味を、人に聴かせうる質にまで高めることができるんだ。正直、うらやましいと思った。

正直に言いますと、僕は、あなたのことを『コンピュータ&ブルース』で知ったような人間です。誤解しないで欲しいのは、ロブのことはリスペクトしていますけど、それまでミュージックのこともロブ・ハーヴェイのことも知りませんでした。

ロブ:オッケー、オッケー、よくそう言われるよ(笑)。

でも、『コンピュータ&ブルース』であなたが歌っている3曲は好きでした。

ロブ:アリガト。

編集部の橋元からは、「常識的に言えば、ミュージックは人気バンドで、とても有名だし、知らないのは頭がおかしい」と言われました。

ロブ:はははは。

実際、『コンピュータ&ブルース』がD.O.T.のスターティング・ポイントだったと言えるのでしょうか?

ロブ:初めて共作したのはこの作品でした。スタジオに入ったのも初めてだったし、それが可能性について考えはじめた時期でもあったよね。

ロブから見て、ザ・ストリーツのどんなところが好きでしたか?

ロブ:言葉表現の能力の高さ、素晴らしさに尽きるね。思いを言葉にするだけじゃなくて、その言葉や意味を、人に聴かせうる質にまで高めることができるんだ。正直、うらやましいと思った。音楽をやっている人間なら誰しも過去にはないものをやりたいと思うものだけれど、それを実行することは難しい。マイクはそれをできた数少ないひとりだ。その影響力は、アークティック・モンキーズにもいたる。イギリス人の直面している現実っていうのものを巧い言葉で表現するんだ。アメリカの真似ではなく、イギリス的なやり方でね。

アルバムではどれがいちばん好きですか?

ロブ:おお、難しい。『コンピュータ&ブルース』と言いたいところだけど、自分が参加しているからね......やっぱりファースト・アルバム(『Original Pirate Materia』)かな。強さを感じたのは。セカンド・アルバムはコンセプトというものを形にした作品で、シングル曲も良かった。『Everything Is Borrowed』は、スピリチュアルな歌詞も良いし、サウンドの様式的には僕が好きなタイプでもある。

『Original Pirate Materia』にはイギリスの名もない野郎どもの日常が描かれていましたが、あなたにとってはあの作品のどこが良かったんですか?

ロブ:目の前にあるモノを的確な言葉で表現していることだね。つまり、表現の仕方が、「いかにも」的な、何度も聞いたことがあるような言葉ではなく、しかも、あからさまな表現をしていない。それでも、多くの人があの歌詞に共感したんだよ。何故なら、そこには、ユーモア、知性、それから繊細さもあった。イギリス人はだいたい、繊細さを見せると弱い人間だと思われるんで、繊細さを隠す傾向にある。しかし、マイクは、繊細でありながら、弱さに覚えれなかったんだよね。

あの歌詞で描かれているようなイギリスの若者の日常には、ロブも共感できるものなの?

ロブ:まあ、僕は当時、バンドにいたし、まったく違ったライフスタイルだったからな。マイクの場合は、たったひとりの日常を描いているわけじゃないんだ。いろんなタイプの人たちの日常を描いて、物語として伝える。そこがすごいところだ。

あのアルバムは2002年でしたっけ? ああいうUKガラージに興味はありました?

ロブ:なかったね。僕がその頃いた北部は、ガラージよりもハウスやテクノのほうがかかっていたんだよね。最初に行ったギグはレフトフィールドだったよ。こういう感じで......(ドンドンドンドンとテーブルを4つ打ちで鳴らす)。

はははは。

ロブ:そう(笑)。

『コンピュータ&ブルース』は、ザ・ストリーツのなかでもロック寄りの作品でしたよね。"Going Through Hell"なんか、いま聴くとD.O.T.の原型みたいな気がします。

ロブ:うーーーん、それはやっぱザ・ストリーツの曲だと思う。ザ・ストリーツのとき、マイクはすべてをひとりで作らなきゃいけなかったんだけど、D.O.T.はもっと楽しみながら制作している。"Going Through Hell"はふたりでやった最初の仕事には違いないけどね。でも、やっぱその曲はザ・ストリーツの曲だ。

D.O.T.の方向性にとくに影響を与えた作品はありますか?

ロブ:マイクのほうがいろいろな音楽を聴いているからね。僕は、他の音楽からの影響というよりも、自分自身が良いミュージシャンになりたいという気持ちのほうが強い。生きていて、生活のなかからインスピレーションをもらって、それをいかに音楽の形にするか。ソングライターとしてとにかく成長したいという思い、新しい音楽の作り方を模索したい、自分のメロディをさらに良いモノにしたい、歌い方も、いままでやったことのない歌い方に挑戦したい。そういった思いが僕を音楽に突き進ませるんだ。

とてもエモーショナルで、ソウルフルな音楽、そして親しみやすいポップ・ミュージックだと思ったんですが、あなたから見て、もっともD.O.T.らしい曲はどれでしょうか?

ロブ:"Blood, Sweat and Tears"だね。

ああ、メランコリックな曲ですね。

ロブ:そうだね。

僕は。"Under a Ladder"や"How We All Lie"のほうがD.O.T.らしく思ってしまったのですが。

ロブ:"Under a Ladder"は基本的にマイクひとりで書いた曲だよ。

"How We All Lie"は?

ロブ:僕らふたりと、もうふたりのミュージシャンとの合作だね。歌メロは僕が担当して、他のヴァースはマイクが書いた。

"Blood, Sweat and Tears"がもっともD.O.T.らしいと思う理由は何でしょう?

ロブ:それぞれが得意としているところをしっかり見せているからだね。プロダクションもシンプルで、歌も直接的で、装飾的ではなく、人の心に訴えるような曲だと思う。

"How We All Lie"や"How Hard Can It Be"のような、興味深い曲名が並んでいますよね。

ロブ:みんなに考えさせたいと思ってそういうタイトルにしたんだよ(笑)。

歌詞についてのあなたの考えを教えて下さい。

ロブ:ひとつの具体的なことを歌っているわけじゃないので、好きに解釈してくれればいいよ。より多くの人の感情がアクセスできるような、共鳴できるような歌詞にしているし、その言葉によって自分も救われたいというか。

その言葉は社会から来ているのでしょうか? それとももっとパーソナルなもの?

ロブ:どちらにも受け取れる。たとえば"How Hard Can It Be"は、政府のことかもしれない。あるいは、恋愛関係のことかもしれない。自分と自分のことかもしれないし。聴き手次第だね。

訳詞を読みながら聴くべきだと思いますか?

ロブ:僕なら読まないね。音を聴いて欲しい。だって、同じ言葉でも、僕の歌い方によって感じ取り方が違うと思う。歌詞ってそういうものじゃん。

たしかに感情的なところは歌い方によって違いますからね。

ロブ:そういう意味では、僕の歌はつねに個人的なところから来ていると思う。芸術家ってそういうものなんじゃないかな。商品を作っているんじゃないんだ。描きたいから描くのであって、僕も謡から歌っているんだ。D.O.T.では、マイクが頭脳担当なら、僕は感情担当なんだ(笑)。たしかにザ・ストリーツの素晴らしさは言葉表現だったと思う。でも、ミュージックは、誠実さ、迫力、もっとエモーショナルものだった。僕がD.O.T.に持ち込んでいるのは、そういうことなんだ。つまり、これは、ザ・ストリーツとは違うんだ。

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 その当日、結局マイク・スキナーの体調は戻らず、取材はキャンセル。帰国後、電話を使っての取材となった。ロブ・ハーヴェイが言うように、言葉表現の巧みさを持った彼の作品について訊くのは、歌詞を精読してからのほうがベターなのは間違いないが、いままで知らなかった彼の音質へのこだわりなど、興味深い話が聞けた。

僕はダンス・ミュージックが大好きでDJもよくするし、僕のルーツのひとつだからね。いまはThe D.O.T.のリミックスもやっているところなんだけど、そっちはよりクラブっぽい音になってるよ。


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『コンピュータ&ブルース』がラップ、ダンス、ロックのブレンドだったわけですが、ロブは3曲参加していますよね。ザ・D.O.T.は、『コンピュータ&ブルース』を契機に生まれ、その延長として発展したプロジェクトとして考えて良いのでしょうか?

マイク:そうだね。これがはじまったのは偶然みたいなものなんだ、ちょうどその頃僕たちふたりとも当時やっていたプロジェクトがひと段落するところでさ、最初にまず2曲くらい一緒に作ってみたらすごくいい感じのものができて、そこからそのまま一気に進んでいったんだよ。

『コンピュータ&ブルース』制作中にはすでにThe D.O.T.の構想はありましたか?

マイク:えーっと、ロブがザ・ストリーツのツアーを一緒に回って、その後にザ・ミュージックのラスト・ツアーに出てたから、はじまったのはザ・ストリーツの活動が終わってすぐかな。僕のスタジオを中心に、ロンドンのいろんなスタジオで制作していったんだ。僕にとっては、ずっとほとんどひとりで音楽を作っていたから他の誰かとやるっていうのは初めてだったし、ずっとバンドでやっていたロブにとってはふたりだけでやるのは初めてだったから、お互いに新しい挑戦だったよ。

『コンピュータ&ブルース』に入っている"Going Through Hell"なんかはザ・D.O.T.の原型みたいじゃないですか?

マイク:ああーうん、そうだね! The D.O.T.の基本的なアイデアとしては、僕のプロダクションの上にロブの歌やメロディをのせていくって感じのものが多いんだけど、"Going Through Hell"でもロブがメロディを書いたんだ。今回のアルバムの曲の多くとは、基本的な原理は同じで組み合わせている要素も同じだから、結果的にかなり近いものが出来たと思う。

あなたは、『コンピュータ&ブルース』というザ・ストリーツの最後のアルバムで、なぜロック的なアプローチを取り入れたのでしょうか?

マイク:いろいろな違った方法を試してみるっていうのは大事だと思うんだ。同じことを同じ方法でやってばかりいると、ありきたりで予想のつく音楽になってしまうからさ。ただ僕自身はあれがとくにロック的だとは思っていないよ。ロックっぽく聴こえるのは、良いヴォーカルを入れようとした結果じゃないかな。

ザ・D.O.T.で、よりソウルフルな、エモーショナルなポップ・ミュージックにアプローチした理由を教えてください。

マイク:今回The D.O.T.の音楽を作る上では、あんまりいろいろなことを意識してやっていたわけじゃないんだ。特定の誰かと一緒にスタジオに入ったときに、なんとなく楽器を手に持って弾きはじめる......みたいな感じだった。ただ僕は元々がラップ・ミュージックから来ているから、アルバムを作るときも自然とエモーショナルな方向にいくし、ロブはソウルフルなシンガーだからそういう音になったね。

とても聴きやすいアルバムだと思うのですが、とくにザ・D.O.T.らしい曲はだれだと思いますか? 

マイク:"Blood, Sweat and Tears"は僕らがThe D.O.T.としてできることのいい見本になっていると思うよ。かなり短時間でできたストレートな曲で、僕の好きなビッグなドラムの音が入っていて、ロブのヴォーカルにもすごく感情が込もっている。

"Under a Ladder"は?

マイク:"Under a Ladder"は僕がほとんど自分ひとりで作った曲だね。なんていうか、このアルバムは僕らが作った幾つものトラックの中から選んだベスト・トラック集みたいな感じなんだよ。

では実際に作ったトラックは何曲ぐらいあったんですか?

マイク:僕のデスクにある記録だと、70曲強だね。そのなかから完成させたのは40から50曲くらいかな。

かなりありますね! そちらのリリースはしないんですか?

マイク:次にアルバムを作るときは、またいちから新しい曲を書くと思うよ。これまでにインターネットに上げた曲や今回のアルバムの曲はみんな似たような雰囲気があるしさ。でも、またもう少ししたら新しい曲を書きはじめるつもりでいるよ。

トラックの基本はマイクが作ったんですよね?

マイク:その曲によって作り方は違ったよ。まずロブがメロディを作って僕がプロダクションをしてってパターンが多かったんだけど、その逆になるときもあった。僕がビートを作るところからはじまって、ふたりで完成させたりとかさ。ほとんどの曲は僕がプロダクションの部分を仕上げたけど、なかにはロブがほとんど完成までやった曲もあったしね。他のミュージシャンと一緒にスタジオに入って、みんなで曲を書いたこともあったよ。ひとつのパターンにはまるんじゃなくて、いろいろとやり方を変えることで、いろんな違ったものが作りたかったんだ。

プロダクション面はマイク主導でやっていたんですね。具体的にはどのような感じでしたか?

マイク:僕の持っているスタジオでやることが多かったんだけど、僕はオールドスクールなやり方で作るのが好きなんだ。もちろん基本はコンピュータを使っているけど、まわりの機材はアナログが多いから、ちょっと70年代っぽい音になっていると思う。僕らはマスタリングまで自分たちでやるんだけど、マスタリング関連の機材は使っていて楽しいよ。

アーティスト自らマスタリングまでやるというのは珍しいですね。

マイク:うん、僕にとっては、ミキシングやマスタリングまでやるっていうのは大事なんだ。ミキシングまでやるミュージシャンは多いけど、マスタリングまでっていうのはあんまり多くないよね。自分で曲を書いたならプロダクションまで自分でやる方がいいと思うんだ、その曲がどういう風に聴こえるべきか自分でわかってるんだからさ。とくにマスタリングって、その曲がどう聴こえるかに大きな影響を与えるから、自分でその部分のコントロールもするっていうのが理にかなっているよ。

ダンス・ミュージックというところは意識しましたか?

マイク:もちろんさ、僕はダンス・ミュージックが大好きでDJもよくするし、僕のルーツのひとつだからね。とくに(ザ・ストリーツの)ファースト・アルバムにはそういう部分がより出ていたと思う、クラシックっていうか、ストレートにアップビートな感じの曲が多かったセカンドよりも、より遊びのあるダンスっぽい感じの音さ。いまはThe D.O.T.のリミックスもやっているところなんだけど、そっちはよりクラブっぽい音になってるよ。

自分たちの方向性に影響を与えた作品はありますか?

マイク:わからないな。僕らふたりとも、年齢とともにだんだん「これに影響を受けた」ってはっきり言うのが難しくなってきてると思うんだ、これまでにいろんな音楽を聴いたり、映画を見たり、本を読んだりしてきたからさ。最近はとくに音楽以上に、映画や本から影響を受けているんじゃないかな。

映画や本ですか。普段どのような本を読むんですか?

マイク:いま読んでいるのはハリー・セルフリッジ(イギリスの高級デパートチェーンの創業者)についての本だけど、普段好きで読むのは第一次世界大戦前の、エドワード朝時代あたりを題材にしたものとかだね。世界大戦で人びとの生活も何もかもがすっかり変わったから、その前の時代のことってすごく魅力を感じるんだよ。

個人的にいちばん好きな曲のひとつなのですが、"How We All Lie"は何についての歌ですか?

マイク:The D.O.T.の曲の多くは抽象的で曖昧なんだ、それぞれの曲にはっきりしたストーリーや視点があったザ・ストリーツのときとは違ってね。僕自身、そういうストーリーとかの制約から自由なところで活動したかったからさ。"How We All Lie"では、基本は人びと全般について歌っているんだけど、スタジオに居たときにそこにあった新聞のスポーツ面を見ながら書いたから、サッカーについてのテーマも同時に曲全体に入って いるよ。
 ザ・ストリーツでは歌詞を書くのに時間をかけていたけど、今回はできるだけ時間をかけないようにしたんだ。そうするとその分、ほかの面でクリエイティヴになる余裕ができるんだよ。

"How Hard Can It Be"は社会風刺ですか?

マイク:あの曲はちょうど、次期首相を選ぶ総選挙の直前に書いたんだ。(その選挙で選ばれた)いまのイギリスの首相(デイヴィッド・キャメロン)はエリート学校出身のお坊ちゃんなんだけどさ。

それが歌詞の「You don't know the price of bread(アンタはパンの値段なんか知らないクセに)」に繋がるわけですね。

マイク:その通り! それとその曲では、人びとのなかには、世界で何が起こっているのかよくわかっていない人たちもいるっていうことにも触れているんだ。

ザ・ストリーツには作品ごとにそれぞれのコンセプトやテーマがありましたが、そういう意味でのコンセプトやテーマが今回もあったら教えてください。

マイク:そうだね、さっき言ったように今回はより抽象的だし、コンセプトっていうのはないと言えると思う。あんまり音楽にヘヴィで現実的なテーマばっかり求めてしまうのも良くないと思うんだ。
 僕はこれまでにコンセプト・アルバムっていうのはひとつだけ作ったことがあって、あれは曲それぞれにストーリーがあって、それを繋げていくっていうものだったから、それほど現実的なテーマではなかったんだ。それを批判する人も多かったんだけど、それも無理はないと思うよ、人って音楽に何か「リアル」なものを求めてしまうものだからさ。


ちなみに来日して病に伏したマイク・スキナーが作った曲がsoundcloudに挙がっている。


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