「Ord」と一致するもの

OGRE YOU ASSHOLE - ele-king

 取材で出張版「RECORD YOU ASSHOLE」を聞いていたところ、出戸学が重要なことを言ったことを、わたしは聞き逃さなかった。Pファンクふうの下卑たシンセサイザーが鳴り響くローファイなアフロ・ファンクをかけながら、出戸はこういった。「僕らの音楽もよく〈引き算している〉って言われるんですけど、作っている身としては、これでちょうどいいと思ってやっているんです」(https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/23052)。イベントが終わってからも、その一言が頭の中でぐるぐると回り続けていた。

「引き算をする」とはダブの発想でもあり、先日立ち会った取材でエイドリアン・シャーウッドはそれを「less is more」といっていた。音と音の空隙が、音が鳴らないことが、残響と反響が多くを雄弁に語る、ということ。「新しい人」というこのアルバムのタイトルがフィッシュマンズのヘヴィなダブ・ソングをフラッシュバックさせるとしても、あくまでも音楽的には「これでちょうどいい」と考える OGRE YOU ASSHOLE のこころみは、それとはまたちがう。

 あるいは、ミニマル・ミュージック。もちろん、「minimal」とは「最小の」を意味する形容詞である。一般論をいうなら、「ミニマル」であることは、楽器の音の少なさ以上に「静的」であることが重要だ。つまり、おごそかで、ドラマティックで、耳が訓練された者にとって聞き心地のよい「動的」な機能和声をあからさまに無視し、和音を進ませないこと。同じ和音にとどまり、それを反復し、執拗に繰り返すこと。それは、西洋古典音楽が築き上げてきた大伽藍の否定形のひとつでもあった。

 だがしかし、「引き算をしている」かのように聞こえる OGRE YOU ASSHOLE の曲からは、たいていポップスやロック・ミュージックとしての和声の展開を聞くことができる(独自に変形し、奇形化した J-POP やこの国のロック・ミュージックなどと比べれば当然、ひじょうに簡素なものではあるが)。さらには、2本やそれより多くのギター、ベース、ドラムス、ヴォーカルが、「きちんと」聞こえてくる。またこの『新しい人』の多くの曲では、シンセサイザーやパーカッション、さらにはドラム・マシーンが鳴っている。ということは、「引き算」はされていないのではないか。OGRE YOU ASSHOLE は、音を少なくすることで多くのことを語ろうとするのではない。あるいは、ポップスとしての和声を放擲して、それらを否定してやろうというのではない。

 しいていうなら、楽器の音が重ならないようにして音が鳴らされていることは、たしかである。だから、「引き算をしている」かのように聞こえるのだろうか。OGRE YOU ASSHOLE の曲は、かみあわせのわるいパズルのピースがむりやり組み上げられているかのように、それぞれの楽器が順々に音を発し、ときにだらしなくかさなりあうことでできあがっていて、きちっとした音の咬合感、心地よさをあじわわせてはくれない。そうして、出戸の「これでちょうどいいと思ってやっているんです」という言葉にまた立ち返ることになる。どうどうめぐり。

 だから OGRE YOU ASSHOLE の音楽は、まるみをおびた音色のきわめて自覚的な選択もあいまって、研ぎ澄まされているというよりは、なまぬるく、まぬけですらある。とあるインタヴューでバンドのギタリスト、馬渕啓が「チョーキングしてもどこか無表情」と語っていたように(https://www.cinra.net/interview/201910-oya_ymmts)、OGRE YOU ASSHOLE の音楽においてギターの弦をくいっと指でもちあげることによるピッチの上昇が、なにかしらの情感やムードの変化を生むことはない。あるいはそれは、『新しい人』の音楽的なトピックであるアナログ・シンセサイザーの重用にしても同様で、“さわれないのに”や“過去と未来だけ”では、シンセサイザーがごくシンプルなリード・メロディをふぬけた単音で奏でているが(ロックやポップでシンセサイザーが試用されはじめた黎明期のころの音楽をほうふつとさせる)、機械的であるのではなく、ただひたすらにけだるい。“さわれないのに”のシンセサイザーのうねり、“自分ですか?”のモジュレーション、“朝”のスライド・ギターにしてもまたおなじである。ただそれらを耳にしても、あっ、なんかちょっとピッチが上がったな、なめらかにピッチがうつりかわったな、メロディっぽく聞こえるな、くらいの、微温の感想をせいぜい覚えるくらいのもの。まるで、道ばたに落ちているくしゃくしゃになったコンビニ店のビニール袋をちらっと見るくらいの感覚で。

 では、OGRE YOU ASSHOLE が引き算しているものとはなんなのか。それは、きわめてありがちで、おもしろみのない、そして抽象的な回答ではあるものの、エモーションである、というほかない。出戸は表題曲で、「新しい感情が生まれてくる」と、ぬるっと歌う。そこには、「新しい感情が生まれてくる」気配やムードは、からきしない。そもそもミシェル・ウエルベックの『素粒子』をリファレンスにしたという“新しい人”の詞は、2019年を生きる者にとって理解しえない、(そして、むこうにとってもこちらを理解しがたい)「新しい人」からの視点で書かれているのだという。この「新しい人」とは、「現代社会の苦々しい部分」を「克服した高次の存在」で、「遠い未来の人類」だと。つまりそれは、共約不可能な、まったき他者、ということである。そんな他者を想像し、ましてやその視点から歌うことなど、できないはなしなのではあるが、OGRE YOU ASSHOLE は、出戸は、それをやってみようとしている。そのためになされたことは、エモーションを極限までうすめ、なくすことである。いうなれば OGRE YOU ASSHOLE の引き算された(ように聞こえる)音楽とは、そして彼らのミニマリズムとは、「エモーションレス」といいあらわすのが近い。

 しかしそれは、たとえば「ひとの感情の機微を描いた」といった、わかりやすく経済的なキャプションには回収されない。「わかってないことがない」という二重否定の、二度目の否定が顔を現す寸前にがくっとずっこけ、しずみこむ、解決の延期とサスペンション。「さわれないのに」という逆説における、次のセンテンスの不在感。こうした「なにかがない」感覚は、繊細で微妙なエモーションですらなく、繊細さや微妙さも抜け落ちた、たしかな欠損感である。あるべきところになにかがない。なにかがすっぽりと、確実に抜け落ちている。しかし、その抜け落ちたものがなんなのかわからない。さらには、その欠損箇所がどこなのかもよくわからない。こういった、きわめて現代的で奇妙な感覚を、OGRE YOU ASSHOLE は奏で、歌っている。

『新しい人』は、たしかに OGRE YOU ASSHOLE の、現在のところの最高到達点である、と言ってしまおう。サイケデリアでもメロウネスでもなく、確実な欠損を(もしその欠損がエモーションというかたちになるとすれば、それは「かなしみ」であると、わたしは思う)、彼らは音楽にした。不在感がただあること、『新しい人』ではそれが鳴らされているのだ。

interview with Adrian Sherwood - ele-king

 トロトロに様々な具材が溶け合った濃厚なスープのようなアルバム『Heavy Rain』。リーの軽快なヴォーカルを温かなルーツ・リディムで彩った『Rainford』に対して、サイケデリックで混沌としたコラージュ感と重心の低いリズム・トラックは〈ブラックアーク〉末期を彷彿とさせる。しかし、本作『Heavy Rain』は単なる“ダブ・アルバム”と呼ぶにはいささか不思議な体制のアルバムになっている。そう、リー・スクラッチ・ペリーの最新作『Heavy Rain』は不思議なアルバムだ。いわゆるダブ・アルバム──アルバムの頭からお尻まで全ての曲を単にエイドリアン・シャーウッドがダブ・ミックスしたヴァージョン集ではない。もちろん続編やアウトテイク集でもない。そのオリジナルとも言える『Rainford』に収録されている楽曲のダブ・ミックスも収録されているが、今回はじめて登場するリディム・トラックの楽曲も収録されている。また単にトラックだけでなく、新たなアーティストも参加している。まず、リーのダブワイズされたヴォーカルが行き交うなか、ヘヴィなリディムをベースに、トロンボーン特有のゆったりとした心地よい熱風のような旋律が流れてくる。その主は、ヴィン・ゴードン──レゲエ・ファンにはおなじみの伝説的トロンボニスト──1960年代末からポスト・ドン・ドラモンド(実際にドン・ドラモンド・ジュニアと名乗っていたこともある)としてジャマイカの音楽シーンにて大量に名演を残しているレジェンドが参加している。インストに管楽器奏者やキーボーディストが新たな旋律を加えることはジャマイカ・ミュージックの常套手段でもあるが……おっと忘れてはいけない、なにより本作の大きなトピックとなっているのはブライアン・イーノの参加だ。『Rainford』の先行シングル・カット曲とも言える“Makumba Rock”のクレイジーで強烈なイーノとエイドリアンによるダブ・ヴァージョン、すでに『Heavy Rain』に先駆けて先行公開されている“Here Come The Warm Dreads”(イーノが自身の『Here Come The Warm Jets』をもじったものだとすれば、往年の〈ON-U〉ファンにはアフリカン・ヘッド・チャージの『My Life In A Hole In The Ground』がニヤリと頭に浮かぶだろう)。本作はある種リー・スクラッチ・ペリーのヴォーカル・アルバム『Rainford』を、その存在そのものをダブで拡張してみせた、そんなアルバムだ。

新しい人と一緒にやって新たなアイデアを取り入れる必要があるんだ。1975年ではなく2020年におけるリー・スクラッチ・ペリーらしいレコードを作ろうとしたわけだ。

今回の『Heavy Rain』は、いわゆるオリジナルの『Rainford』をもとにした純然なスタイルのダブ・アルバムではありませんよね?

エイドリアン・シャーウッド(Adrian Sherwood、以下AS):確かにね。でも、だって同じもの、同じもの、同じ、同じ、同じ……ってやっててもなにも進歩がないだろう? 今回のレコードにはヴィン・ゴードンをはじめとする素晴らしいアーティスト、さらにブライアン・イーノも参加している。俺やリーはダブのはじまりからずっとやってきたけど、まだ新しい人と一緒にやって新たなアイデアを取り入れる必要があるんだ。そして1975年ではなく2020年におけるリー・スクラッチ・ペリーらしいレコードを作ろうとしたわけだ。実際すごく新鮮でエキサイティングなレコードになったと思うね。

リーをメインに添えた『Rainford』とも違ったものになっていると思いますが、アルバムのサウンド・コンセプトなどはあったんでしょうか?

AS:まず『Rainford』のコンセプトはリーの極私的なレコードを作るというものだった。リーが自らのライフ・ストーリーをその歌で語りつつ自分自身について明かしていくというね。実際とても親密で素晴らしいレコードになったと思う。対して『Heavy Rain』だけど、これは他のプロモーションのインタヴューでも話したことなんだけど、あえてリーの過去の傑作にたとえるならば『Super Ape』なんだ。これはダブの発展系であり、いろんなフレーバーが楽しめるものになっているんだよ。それに『Rainford』はあの形で完璧な作品だと思ったから、一緒にレコーディングした楽曲で、残念ながら入れられなかった曲がいくつかあった。でもクオリティ的には収録曲と何ら遜色のない素晴らしい曲たちだったから、それを『Heavy Rain』に入れたんだ。だから『Rainford』が好きなファンは絶対『Heavy Rain』も気に入ると思う。

『Rainford』に対して『Heavy Rain』というタイトルがつけられています、これはどこからもたらされたのでしょうか? よくあるダブ・アルバムっぽい、ヘヴィなサウンドとオリジナルのタイトルをもじったものだと思うけど。

AS:そこには明らかに二重の意味があって、まずひとつは、そのアルバムのヘヴィなベースラインを示唆している。そしてもうひとつは字義通りの「空から降ってくる激しい雨」という意味だけど、それは、このレコードが喚起するものすべてを表わしていると思う。「Rainford」はリーの名前で、彼も非常にパワフルでヘヴィだからね。

今回のジャケットは、キリストの肖像画をコラージュしたもののようですが、これにはなにか意味することがあるのでしょうか?

AS:いわゆる一般的に伝統的なキリストのイメージというのは白人のイタリア人として描かれている。それは、いまやいたるところで目にするわけだけど、実際のキリストはおそらくもっと肌の色が濃い誰かだったはずなんだよ(*おそらくエイドリアンは中東に生まれたことを示唆している)。ハイレ・セラシエ一世が古代イスラエルのソロモン王の末裔だとしたら、古代のイスラエル人は黒人の種族なわけだからね。つまりジャケットのアイデアは、キリストが黒人じゃないといまどうして言い切れるのかということなんだ。もっと言えば、黄色人種じゃないとも言い切れないだろ? こういうキリストのイメージを使うことで怒る人もいるかもしれないけど、でもそれはもう、ファック・ユー(失敬)と言うしかない。そもそもイタリア人が元のイメージを盗んで作り上げたものなんだしさ。伝統的と言われているものに、本当にひとつでも正確な描写があるのかよっていう。まあ俺の意見だけどね。

伝統的と言われているものに、本当にひとつでも正確な描写があるのかよっていう。

80年代、ジャマイカから移り住んだリー・ペリーとともにすでに40年近く作業を共にしていると思うのですが、いままでにリー・ペリーと一緒に作業をして驚かされたことはありますか?

AS:リーは不思議なものが好きで、いつもロウソクや電気で遊ぶんだ。『Time Boom X De Devil Dead』を作ってたときに、友だちのデヴィッド・ハロウ(*アフリカン・ヘッド・チャージなどに参加、1990年代に入るとテクノヴァ、ジェームス・ハードウェイ名義でテクノ・シーンで活躍)が、スタジオの中を指して「見ろ、見ろ」って言うんだよ。そうしたらリーがひとりでスタジオにいて椅子の上に立っていて。俺たちはそれを廊下から見ていたんだけど、彼は片手で天井の大きな電球を握っていて、それがショートして明滅してたんだ。そして左手には触ると電気ショックがくる子供のおもちゃを持っていたんだよ。だから右手で電球を握って自分の手を焦がしながら左手で感電していたわけさ。どうしてそんなことをするかって? そんなのリー本人のみが理由を知っているんだ。たぶん自分で電気を発生させようとしていたんじゃないかな。

リーがあなたのところにいたときに、いろんなもの(機材や7インチ・レコード)を土に埋めていたとききましたが、本当でしょうか? またあなたから見てそれはどういう意味があったと思いますか?

AS:埋めてたのは本当で、それはレコードを育てるため。そしてもっと売れるようにするため。面白がって一枚だけ庭に埋めてたんだよ。そしたらもっと売れると彼は考えたわけさ。

さて今回の一連の作品に関してリーはどの程度制作に関与していたのでしょうか?

AS:まずジャマイカに行ってリーと彼の妻の家で1週間ほど過ごしてヴォーカルを録り、次に彼がイギリスに来てそこでもいくつかリディムを作ったんだ。そのときにリー自身にもパーカッションを叩いてもらい、オーヴァーダブをした。もろもろサウンドの提案もしていったよ。そのあとで自分がミックス作業をしたんだ。だから彼の関与はミックスの工程よりもレコーディングの工程が大きいといえるね。『Time Boom X De Devil Dead』の頃とか、40年ほど前はもっとミキシングにも関わっていたけど。そうやって前にも一緒にミキシングもやっていて、ちゃんとコミュニケーションも取れていて、彼が求めているものは把握しているからね。逆に言えばリーから「これは好きだ、これは好きじゃない」といった意見も出てくるからうまくいっていると思う。

ブライアン・イーノとのコラボレーション“Here Come The Warm Dreads”はどのような経緯で?

AS:ブライアンとはこれまでに何度か会ったことはあったけど、お互いをよく知っているというよりも、お互いについて知っているという感じで、何かを一緒にやったことはなかった。ただマネージャーが同じなんだよ(笑)。だからマネージャーに「ちょっとブライアンに興味があるか聞いてみてもらえるかい?」と頼んだのがきっかけなんだ。そうしたら「ぜひともやりたい」という返事をもらったんだ。ものすごくシンプルな話なんだよ。

“Here Come The Warm Dreads”は片方のチャンネルが完全に喪失したりと、かなりトリッキーなミックスがなされていますね。相当スタジオで盛り上がって作ったんじゃないでしょうか?

AS:かなり楽しい作業だったよ。ただ一緒にスタジオに入ったわけじゃないんだ。作業の直前に、ブライアンがすぐに何週間かどこかへ行ってしまうというタイミングだったから一緒にスタジオに入れなくて。なので、素材を渡して彼は彼でミックスをして俺も俺でミックスをしたんだ。それを後で合体させたというわけ。事前のプランではスピーカーからそのまま音が飛び出してくる感じにしようと話してたから、ある瞬間に片方のスピーカーから俺のミックスが聴こえてきて、彼の音がもう片方から聴こえてきたり、次の瞬間にそれが真ん中で合流したりするという感じなんだ、まあ少々複雑なんだけど、あのトラックは完全にイカれてるね。

イーノはアンビエントの創始者ですが、リーもダブのパイオニアのひとりです。アンビエントとダブに共通するものはなんだと思いますか?

AS:余白、スペースがあるってことだね。たっぷりとしたスペースがあり、そして思考を刺激するところだ。

オリジナル・アルバム+ダブ盤ともに、バックヴォーカルで娘さんふたりが参加されていますね。彼女たちは音楽活動をしているんですか?

AS:ふたりとも声がすごくいいからさ。上の子は音楽をやっていて一緒に作ったレコードもあるんだけど、彼女は心理療法士なんだ。

今回の音源には、スタイル・スコットが殺される前、最後になってしまったレコーディング・セッションの音源が入っている。彼はジャマイカのリズムを変えたんだ。いまのバンドを聴いてみてもその影響がはっきりとわかるね。

ヴィン・ゴードンが多くの曲にフィーチャーされていますが、彼の起用はどんな理由から?

AS:彼は Ital Horns のトランペット奏者のデイヴ・フルウッドと友達で、デイヴからヴィンが来るという話をきいて、とにかく彼とレコーディングをするチャンスだと思ったんだ。彼との仕事はこの上ない喜びだった。もうだいぶ前に、ほんの少しだけ仕事をしたことがあったけど、今回参加してもらえて本当にうれしかったよ。ヴィンはものすごく紳士な人だ。その場で彼の演奏を聴いているときは彼がどんなにすごいことをしているのか気づかないんだけど、ふしぎとあとで聴くとすごいのがわかるんだよ。

フィーチャリングというと、ジ・オーブやユースなどとも活動している、ガウディというイタリア人のキーボーディストが今回のアルバムでフィーチャーされていますね

AS:ガウディは良い友だちで、めちゃくちゃ才能がある。そして、すごくいいやつだよ。珍しいおもちゃのシンセサイザーだったり、楽器をたくさん持っていたりとか、趣味が良いんだよね。正直、今回『Rainford』と『Heavy Rain』の両方でガウディが果たした役割は大きかったし重要だった。彼は今度出るホレス・アンディのアルバムもやってるよ。

また今回の作品は、最初期の〈On-U〉から活動しているクルーシカル・トニーなども参加しています、彼はあなたにとってどのような人物ですか?

AS:彼とは、俺が初めて作ったレコードから一緒だからね。今回のレコードにとってもトニーとジョージ・オバンは決定的に重要で、全曲で演奏してるんだ。言ってみれば彼らがバックボーンとして支えてくれているわけ。トニーは俺が一番好きなリズム・ギタリストでジョージは俺が一番好きなベーシストで、ふたりとも本物だよ。

そして今回は故スタイル・スコット、さらには〈On-U〉初期から活動しているパーカッショニストのマドゥーなどなど、往年のアーティストのクレジットがあります。それを考えると今回、古いマテリアルも入ってそうですが。

AS:今回の音源には、スタイル・スコットが殺される前、最後になってしまったレコーディング・セッションの音源が入っている。そのときのセッションから、リディムをふたつ使っていて、そのうちのひとつは『Rainford』の収録曲。さに、もうひとつ『Heavy Rain』で使っているよ。マドゥーは、〈On-U〉初期からの付き合いで若い頃から知ってるけど、昔の音源ということではなく、今回はわざわざパーカッションを演奏してもらってる。スタイル・スコットも21歳の頃から知っていて、40年来の仲だったわけだけどね。彼に起こったことを考えると毎日胸くそが悪くなる。彼はジャマイカのリズムを変えたんだ。いまのバンドを聴いてみてもその影響がはっきりとわかるね。本当に彼と友だちでよかったし、一緒にやることで自分のサウンドがすごくいいものになったと思えた。あれほど素晴らしい人物と接することができてよかったよ。

クレジットを見る限り、スタイル・スコットのドラムのマテリアル以外は“プリゾナー(Prisoner:囚人)”なる人物がプログラムしたドラムのようです。あなたの別名義なんでしょうか?

AS:ええと……まぁ、そうだね(苦笑)。昔ベースを弾いてる頃はクロコダイル(Crocodile)という名義だったけどね。ドラムのときはプリゾナーだったんだ。なぜその名前かというと、単に面白かったからだけど、あとはいろいろな音をサンプルして機械の中に音を閉じ込めてたからそういう意味もあったんだ。1980年代、いまのPCでのDAWができるもっと前に、AMS Audiofile (最初期のデジタル・オーディオ・エデター)という機材があって、それでサンプルした音を、テープを操作しながらレコードに挿入していったわけ。その当時、俺はその作業で作った音源を“キャプチャーした(捕らえられた)”サウンドと呼んでいたんだ。それでプリゾナーてわけさ。

本作に参加している往年のアーティストたちとの間に、〈On-U〉の音楽から派生したコミュニティがあるのでしょうか? かつてそこでパンクとレゲエが出会ったように、いまでも〈On-U〉の音楽に影響を与えていますか?

AS:コミュニティという感じは昔の方が強かったな。悲しいことに多くの友人が死んでしまったからね。リザード(Lizard、ベーシスト)も(ビム・)シャーマンもスタイル・スコットもプリンス・ファーライもさ。それに俺たちもみんな歳を取ったし……依然として出会いの場にはなってるけど音楽業界も昔とは違う。昔はそれこそ(マーク・スチュワート&)マフィアもタックヘッド、ダブ・シンジケート、リー・ペリー、あとはアフリカン・ヘッド・チャージもみんなしょっちゅうギグをやってたけど、いまはそうじゃない。アフリカン・ヘッド・チャージは調子いいけどね。いまでもレーベルは一目置かれているけど、全盛期のように毎週ギグがあるっていうことではないからさ。いまはレギュラーで活動しているというよりもスペシャルなイベントをやるという感じだな。まずはもうすぐレーベル40周年だからそれに向けて色々やる予定だよ。

Rian Treanor - ele-king

 数年前に〈The Death Of Rave〉からの12インチでデビューを飾り、昨年は復活した〈Arcola〉からの「Contraposition」(別エレ〈Warp〉号94頁参照)や、行松陽介がよくかけていたというホワイト盤エディット集「RAVEDIT」(紙エレ23号38頁参照)で注目を集め、今年は〈Planet Mu〉より強烈なファースト・アルバム『Ataxia』を送り出した新世代プロデューサーのライアン・トレナーが、なんと、早くも初来日を果たす! 迎え撃つのは、日本初のゴム・パーティ・クルーたる TYO GQOM の5人。いやいや、これは行くしかないっしょ。

Local X8 World Rian Treanor VS TYO GQOM

大陸を超える未来のハイパーIDM、Autechre や Mark Fell を継承するUKの新星 Rian Treanor 初来日!

ゴム、シンゲリ、ハウス、テクノ等を交え現行のアフリカン・ミュージックを東京にて追随するクルー〈TYO GQOM〉を迎えた、ウガンダの新興フェス〈Nyege Nyege〉とも共振する新感覚のアフロ・エレクトロニック/レイヴ・ナイト。

Local X8 World Rian Treanor VS TYO GQOM
2019/12/06 fri at WWWβ
OPEN / START 24:30
ADV ¥1,800@RA | DOOR ¥2,500 | U23 ¥1,500

Rian Treanor - LIVE [Planet Mu / UK]

[TYO GQOM]
- KΣITO
- mitokon
- Hiro "BINGO" N'waternbee
- DJ MORO
- K8

詳細: https://www-shibuya.jp/schedule/011898.php
前売: https://jp.residentadvisor.net/events/1348973

※ You must be 20 or over with Photo ID to enter.

■ Rian Treanor [Planet Mu / UK]

Rian Treanor は、クラブ・カルチャー、実験芸術、コンピューター・ミュージックの交差点を再考し、解体された要素と連動する要素の洞察に満ちた新しい音楽の世界を提示する。2015年にファースト12”「Rational Tangle」と〈The Death of Rave〉のセカンドEP「Pattern Damage」で鮮やかなデビューを果たし、〈WARP〉のサブ・レーベル〈Arcola〉は2018年に彼のシングル「Contraposition」でリニューアルしました。〈Planet Mu〉のデビュー・アルバム『ATAXIA』はハイパー・クロマチックなUKガレージと点描のフットワークを再配線し、UKアンダーグラウンド・クラブ・ミュージックの破壊的で不可欠な新しいサウンドとして確立される。2019年は故郷のシェフィールドの No Bounds Festival のレジデント、最近のライブでは Nyege Nyege Festival (UG)、GES-2 (RU)、Serralves (PT)、Irish Museum of Modern Art (IRL)、Berghain (DE)、OHM (DE)、Cafe Oto (UK)、グラスゴー現代美術センター(UK)、Empty Gallery (HK)、Summerhall (UK)に出演。香港の yU + co [lab] やインドでの Counterflows 2016-2017 のアーティスト・レジデンスへ参加。

英国で最も刺激的な新しいプロデューサーの1人 ──FACT

シェフィールドの音楽史を参照しながら、まったく新しい方向性を提示した ──WIRE

音楽の好奇心に火をつけると同時に体も持って行かれてしまう。ダンス・ミュージックはこれ以上面白くなることはないであろう ──MixMag

https://soundcloud.com/rian-treanor

■ TYO GQOM [Tokyo]

南アフリカ・ダーバンで生まれたダンス・ミュージック「GQOM(ゴム)」を軸に現行のアフリカン・ミュージックをプレイする日本初の GQOM パーティー・クルー。GQOM が注目され始めた初期から自身のプレイや楽曲に取り入れてきたメンバーやアフリカの現行音楽に特化したメンバーを KΣITO が招集し、KΣITO、K8、mitokon、Hiro "BINGO" N'waternbee、DJ MORO の5人のDJにより発足。GQOM に留まらず、タンザニアの高速ダンス・ミュージック「シンゲリ」やアフロハウス、テクノなどを交えた5人それぞれの個性溢れるプレイと踊らずにはいられないグルーヴ、熱気を帯びた新感覚のパーティーは各地で話題を呼び、ホームである幡ヶ谷 forestlimit で定期的に開催される本編の他、様々なパーティーにも招かれるなど今熱い視線を集めているクルーである。

https://twitter.com/tyogqom

Nérija - ele-king

 現在のロンドンのジャズ・シーンの特徴のひとつに、女性ミュージシャンが数多く活躍していることが挙げられる。女性ということで切り分けることは、ときに批判を招く恐れもあるのだが、ただほかの国や地域と比べて女性ミュージシャンが圧倒的に多いことは事実で、特に女性が多いシンガーというジャンルだけでなく、さまざまな器楽演奏家に及んでいる。こうした土壌を生んだ要因のひとつに、トゥモローズ・ウォリアーズの存在が挙げられる。トゥモローズ・ウォリアーズはギャリー・クロスビーと、そのパートナーのジャニー・アイロンズによって設立されたミュージシャンの育成・支援機関であるが、ジャニーは慈善事業など社会活動家でもあり、そんな彼女がトゥモローズ・ウォリアーズを興したきっかけのひとつに、男性に比べて活動の場が制限されることの多い女性ミュージシャンの進出に貢献できればということがあった。そうしてトゥモローズ・ウォリアーズには多くの女性ミュージシャンの卵が集まり、巣立っていった。ザラ・マクファーレン、カミラ・ジョージ、サラ・タンディなど、現在の南ロンドンを中心に活動するミュージシャンがそうで、女性ミュージシャンが集まったヴィーナス・ウォリアーズというプロジェクトが組まれたことがある。このヴィーナス・ウォリアーズには、ワーキング・ウィークなどでも活躍したベテランのジュリエット・ロバーツほか(彼女はトゥモローズ・ウォリアーズ出身ではないが、コートニー・パインやギャリー・クロスビーらジャズ・ウォリアーズの面々と親交が深く、別働バンドのジャズ・ジャマイカにも参加していた)、ヌビア・ガルシア、シャーリー・テテ、ロージー・タートン、ルース・ゴラーなどが参加していたが、ヌビア、シャーリー、ロージーはトゥモローズ・ウォリアーズ内でほかにネリヤというグループも組んでいた。

 ネリヤは女性7人組グループとしてスタートし、初代メンバーはヌビア・ガルシア(テナー・サックス、フルート)、キャシー・キノシ(アルト・サックス)、シーラ・モーリス・グレイ(トランペット)、ロージー・タートン(トロンボーン)、シャーリー・テテ(ギター)、インガ・アイクラー(ベース)、リジー・エクセル(ドラムス)だった。ヌビアとシャーリーはマイシャでも活動し、またシード・アンサンブルにはキャシー、シーラ、シャーリーが参加し、シーラがリーダーを務めるココロコにもキャシーが参加するといった具合に、彼女たちのサークルは南ロンドンのジャズ・シーンの中核を担っていると言える。2016年に自主制作でデビュー作の「ネリヤEP」を発表するが、これが〈ドミノ〉のスタッフの目に留まり、今年改めて〈ドミノ〉から再リリースされると共に、ファースト・アルバムの『ブルーム』が発表された。〈ドミノ〉はどちらかと言えばインディー・ロック、オルタナ・ロックのイメージが強く、かつてはポスト・ロック期のフォー・テットはじめ、ジム・オルーク、マウス・オン・マーズなどを紹介していたことで知られるが、今年はシネマティック・オーケストラからブラッド・オレンジまで、ますます幅広いアーティストの作品をリリースしている。ネリヤのどのあたりに〈ドミノ〉が惹かれたのかはわからないが、恐らくオーソドックスなジャズ・バンドとしてではなく、ジャズの枠を超えた何かオルタナティヴなものを感じたからではないだろうか。ジャンルや音楽性は全く違うが、かつてのザ・スリッツやESG、ザ・レインコーツといったオルタナティヴなガールズ・グループ的なモノを感じたのかもしれない。

 さて『ブルーム』の録音では、ベースのインガ・アイクラーがリオ・カイへと替わっている。リオは男性なので、ネリヤは女性バンドではなくなっているのだが、音楽性そのものは「ネリヤEP」の頃を継承・発展させたものとなっている。なお「ネリヤEP」ではリミックスとジャケットのアートワークをクウェスが手掛けていたのだが、今回の『ブルーム』では全面的にプロデュースとミックスを行い、“EU(エモーショナリー・アンナベイラブル)”という曲ではシンセ・ベースなども演奏している。とは言ってもクウェス的な音に加工されているわけではなく、あくまでネリヤの音楽をストレートに表現するためにサポートに徹している。
 ネリヤの武器は、何と言ってもその芳醇で力強いブラス・アンサンブルだ。ライヴなどで4官がフロント・ラインに立って押しの強い演奏を繰り広げる光景は圧巻だが、本作では先行シングルとなった“リヴァーフェスト”にブラス・セクションの迫力が表われている。ニューオーリンズ的なクレオール・ジャズで、マルディ・グラのブラス・バンドに通じるようなアンサンブルを聴かせる。ゴツゴツと角の尖ったドラムは現代的であるが、ブラスやビートの強さの一方で、シャーリーのギターによるメロウで哀愁漂うメロディも印象的。大々的にソロを聴かせる“イクァニマス”など、彼女のギターもネリヤの中で大きなアクセントとなっている。アフロやファンクを取り入れた“ラスト・ストロー”はいかにも南ロンドンらしい曲で、やはりファンク・ビートを導入した“EU(エモーショナリー・アンナベイラブル)”、アフロ・ビート系の“スウィフト”ではダブやレゲエの要素も感じられる。とは言っても、南ロンドン・ジャズに多いクラブ・サウンドやダンス・ビートと結びついたものではなく、ヒップホップやグライム、R&Bなどの要素はほとんど見られない。アメリカのテリー・リン・キャリントンのモザイク・プロジェクトも女性のみのグループだが、こちらはそもそも歌などが入らない完全なインスト・アルバムで、有名曲や人気曲のカヴァーもなく、極めてストレートで硬派なジャズ・アルバムとなっている。ある意味で世の中に媚びていないアルバムであり、強さや包容力が込められた音楽ではないだろうか。

LORO 欲望のイタリア - ele-king

 デビッド・ボウイが亡くなったことに敬意を表したのか、それとも単にクイーンやエルトン・ジョンといった70年代のロック・スターを描いた映画が話題だからか、この春のメット・ガラは「キャンプ」がテーマだった(昨年のテーマは「カトリック」でマドンナが「Like A Prayer」を仰々しく歌い、来年は「時間の流れ」というテーマが予定されている)。メット・ガラはセレブたちがファッション・センスを競う大掛かりなファッション・イヴェントとして知られ、ここぞとばかりに栄耀栄華を見せつける現代の「虚栄の市」なのに、今年は誰も「キャンプ」を正しく理解できず、「ファン」や「キッチュ」に陥っているだけだという厳しい評が飛び交う事態となった。カーラ・デルヴィーニュもジェンナー姉妹もまとめてボロクソに言われるなんて、そうそうあることではないし、確かにエル・ファニングもジジ・ハディッドも泣きたくなるほどダサく、主宰のアナ・ウィンターや果ては審査員まで「まったくわかってない」とダメ出しの嵐であった(キム・カーダシアンは存在自体がキャンプという評は笑った)。70年代というのは、そんなにも遠い時代になってしまったのか。あまりにもノームコアやミニマルが長く続き、もはやミレニアム世代にはデヴィッド・ボウイやスーザン・ソンタグがファッションの文脈で起こした革命は「ジンバブエでムガベ大統領の妻がアイスクリーム屋を始めた」というニュースぐらい遠い出来事になってしまったのだろうか。それともエコとグラマラスはもう相容れない時代に突入し、「キャンプ」を理解できない方が正常だという認識に僕の頭も改めた方がいいのだろうか。デヴィッド・ボウイのことはもう忘れろと。教えてクロエ・スウォーブリック! 

 6つのTV局を所有し、首相としてイタリアの政界に計9年間も君臨した不動産王シルヴィオ・ベルルスコーニを描く『LORO 欲望のイタリア』(以下、『ローロ』)は政治家の映画なのに、『ペンタゴン・ペイパーズ』や『新聞記者』のように正義がどうしたといったパターンではなく、歌とダンス、乱交パーティにドラッグが飛び交い、ケン・ラッセルもかくやと思うほど華美と悪徳に彩られた映画である。いまの日本も政府に都合の悪いニュースはどのTV局もほとんど流さず、玉川徹がいなければ『1984』と大差ない政治状況だし、安倍政権が報道の独立性を脅かし続ければ、こんなにも簡単に国民をコントロールできるのかというイタリアの「前例」に習うばかりなのだろう(無神経な失言が多く、脱税や汚職の数々を裁かれることから逃れた手腕もモリカケ問題を思わせる)。『ローロ』が描くのは中道右派のベルルスコーニが2008年に第4次内閣として動き出すまでの「復権期」。政治を描くのに、こんな方法があるのかと驚かされる斬新さと、人々の欲望やバカさ加減をとりつくろうことなく厚塗りに厚塗りを重ねてテンペラ画のように盛りあげ、イタリア人以外の人類はちょっと真面目すぎるんじゃないのかと思わせるほど生きる歓びと裏表で表現されている。この作品には「事実を示す意図はない」と最初に但し書きが添えられていた通り、虚実もめちゃくちゃだし、どこでどうやって1本の作品となっていたのか、観終わって少し経ってしまうとまるで思い出せない(ので、もう1回観たけど、やっぱりストーリーを順序立てて思い出すことは不可能だった)。全体にわざとらしい音楽の使い方も猥雑さを煽るという意味ではこれ以上ないというほど効果を上げていて、とりわけベルルスコーニがナポリ民謡を歌うシーンは「キャンプ」=「不自然で、誇張されたものを愛好する美学」に肉薄しているとも。ちなみにパオロ・ソレンティーノ監督がベルルスコーニを題材にして映画を撮ろうと思ったきっかけはスーザン・ソンタグの言葉に触発されたからだという。

 実にシュールなオープニングは目を閉じた羊のアップから。この羊が何を思ったか、変な声で鳴いてから大邸宅に入り込み、しばらくTVを観ていると急にバタンと倒れて死んでしまう(ここまでが早くも無上に面白い)。ベルルスコーニが牛耳っているTV局はそれぐらいつまらないものしか流していないという意味にも取れるし、こうしたTV番組の断片がことあるごとにさしはさまれるので、イメージの乱舞は数かぎりなく、そして、とりとめもなく話の整合性をかき乱していく(9月から公開されているルカ・ミニエーロ監督『帰ってきたムッソリーニ』で現代にワープしてきたムッソリーニがイタリアのTV番組を見て「どのチャンネルも料理番組ばかりじゃないか! 政治を語れ!」と激昂するシーンを思い出す)。続いてヨットで娼婦に地方議員の接待をさせるセルジョ・モッラ(リッカルド・スカマルチョ)の物語。娼婦の尻にはベルルスコーニのタトゥーが入れられ、バックで娼婦を犯しながらそのタトゥーを見たセルジョ・モッラは地方を出てローマに向かう決意をする。実力のないセルジョ・モッラは政界へのとっかかりがなかなか掴めず、アルバニア出身のお高くとまったキーラ(カシア・スムトゥニアク)と出会い、ようやく作戦を立て始める。2人が美女たちを集めて夜のローマを歩いていると、ネズミをよけ損ねたゴミ収集車が橋から落ちて爆発し、ファッション・モデルたちの頭に綺羅星のごとくゴミが降り注ぐ。ゴミ収集車が撒き散らしたゴミはベルルスコーニ時代にゴミの回収が行われず、ナポリがゴミの街と化してしまったことをオーヴァーラップさせていることは明らかだけれど、このシーンがまた無上に素晴らしい。そして、夜空はサルディーニャの青空に一変し、ゴミは空一面から降り注ぐMDMAにかたちを変えると200人規模の乱交パーティへと場面は変わる。ベルルスコーニの大邸宅が見下ろせる場所にあるプールで大騒ぎをすればベルルスコーニの気を引けると2人は考えたのである。

 MDMAにはどんな効き目があるかを説明し、その効果を医師が「ビロード」に喩えてからスタートする乱交パーティはかつてパゾリーニやフェリーニなどイタリアの映画界が描いてきた性の過剰さを継承しつつ、現代的な表現に更新を試みる。参加者全員で夕陽に見惚れるシーンはかなり壮観で、MDMAによって高められた共感能力が退廃を通り越して崇高に達してしまったかのような錯覚まで覚えてしまう。そして、ようやく話はベルルスコーニ(トニ・セルヴィッロ)の登場となる。パーティ会場の隣の敷地で女装したベルルスコーニが(冒頭に登場した羊と同じコースをたどって)庭から家の中に入り、ベルルスコーニの淫行報道がきっかけで機嫌を損ねた妻ヴェロニカ・ラリオ(エレナ・ソフィア・リッチ)に花束を渡すも「笑えない」と一蹴され、孫との会話では「真実は口調で決まる」と教えたり、サッカー選手のミシェル・マルティネスにACミランへの移籍を持ちかけたり。ベルルスコーニは首相の座を「たった6議席」の差で失い、この時は「年金暮らしの老人みたいな存在」だったのである。ここにかつて会社を興した旧友、エンニオ(トニ・セルヴィッロが二役を演じた)が訪ねて来て「利他主義は利己主義の最善策」だとハッパをかけられ、政界への復帰を画策し始めることに。やる気になったベルルスコーニは偽名を使って、まずの一介の主婦にセールスの電話をかけてみる──。とにかくセリフがいちいちウィットに富んでいて、「心臓と前立腺に鞭打って」とか「キリスト教と共産主義の共通点は貧しさを説き、それを実現すること」だとか、深く言葉の意味を考えていたら女性の裸に見とれている暇もない。それどころか、これだけ女性の裸を洪水のように垂れ流しながら、(以下、ネタばれ)そうした女性たちのひとりであるステッラ(アリス・パガーニ)には「ここに来たわたしも哀れ」と、若者にしか言えないカウンターのひと言をいわせ、クライマックスでは離婚を切り出した妻との口論で一気に#MeTooへと舵が切られていく。

 ここまででまだ半分。後半、ベルルスコーニが首相に返り咲き、その途端、ラクイラ地方で大地震が起きる。まるでイタリアがベルルスコーニの復活を悲しんで国土が崩れ去ったかのような展開。被災地を見舞ったベルルスコーニが入れ歯を無くした老婆を気遣うシーンはステッラに哀れみをかけられたベルルスコーニが唯一、弱者とのつながりを覚えるものが「入れ歯」だと受け取れる場面で、妙な余韻がこの場面には漂う。全体にベルルスコーニを極悪人として描くわけではなく、専門家によればベルルスコーニの悪行はほとんど描かれていないにもかかわらず、ソレンティーノ監督が「彼の親しみやすさは、ミステリーでもあり、痛みでもありました」と回想する通り、ベルルスコーニが国民にとっての必要悪としてうまく造形された作品なのだろう。こうしたアンビバレンスは安倍晋三と日本国民の関係にも当てはまるのかもしれなくて、「道徳観念がないのが当たり前になっていく国で、抜け道を探しスモールビジネスばかりで変化も乏しい時代、つまりベルルスコーニが登場する前の時代に戻ってしまう恐怖」というものを同じように日本人も感じているのかもしれない(安倍晋三を選び続ける文学性が日本人にも存在するのではないかということで、それは自己憐憫や無常観がミックスされた中世の感覚と似ているのではないかと。『ローロ』では自己嫌悪を感じたステッラだけが、いわばイタリア国民とベルルスコーニとの共犯関係から抜け出すことができたわけだけれど、安倍以外の誰かに日本の舵取りを任せてみようとは考えない狭量さや自分とは違うものには一切、可能性を信じない感覚は一体何に由来するのだろうか)。物語はエンディングで、そうした選択をし続けた国民に断罪の雰囲気を帯びて閉じられていく。『キャッチ22』(70)や『M★A★S★H』(70)といった反戦映画がそうであったように、最後の瞬間にそれまでの狂騒状態がすべて否定されるかのように画調が切り替わり、イタリアのネオ・リアリスモを思わせるくらい風景のなか、瓦礫に埋もれたイエス・キリストの銅像がクレーンでゆっくりと引き上げられていく。ベルルスコーニ時代にイタリアが何を失っていたのか。ラスト・シーンは少しでもこの映画を楽しく観ていたイタリア人に思いっきり冷や水を浴びせたことだろう。

 アメリカには政治家に対して両義的な作品が多いけれど、イギリスが近年、サッチャーやチャーチルを持ち上げる映画をつくったことを知っているだけに、ここまで長期政権の座にいた政治家を叩きのめすかと、そのことにまず感心したい。イタリアは現在、極右政党を連立から追い落として中道左派の与党と最大野党が組んでいるため、右派を批判できる土壌があるということなのか、いずれにしろ、これぞイタリア映画と言いたくなるような作品の登場であり、崩壊しかけていたイタリア映画をベルルスコーニという在在が救ったように見えるのもまた皮肉な話である。登場人物のほとんどが「下心」だけで動いている世界がこんなにも愛すべきものに感じられたのは、それこそフェリーニや今村昌平以来だし、世俗というものの迫力と重みに圧倒させられるのはイタリア映画の醍醐味である。当然のことながらR-15です。

『LORO 欲望のイタリア』予告編

 

ヤプーズ情報 - ele-king

 予告通り、16年ぶりに再始動したヤプーズの復活ライヴ盤がリリースされます。今年8月に渋谷クアトロで行われたライヴ音源を中心にスタジオ録音も2曲収録。現在、ヤプーズのギタリストはDipのヤマジカズヒデが兼任していますが、今年2月に急逝された前任の石塚”BERA”伯広が参加する「好き好き大好き」も収録されています。令和になっても「ヤプーズの不審な行動」は続いています。
 なお、ele-king booksより来年2月20日、戸川純未発表写真集『ジャンヌ・ダルクのような人』も発売予定。

戸川純 芸能活動40周年記念盤!
平成のヤプーズの曲と令和の新曲「孤独の男」収録!
本年8月のライヴ音源を中心に「12才の旗」(作詞:戸川純、曲:中原信雄)と「孤独の男」(作詞:戸川純、曲:ライオン・メリィ)のスタジオ音源も収録。

■JUN TOGAWA 40th Anniversary


YAPOOS/ヤプーズの不審な行動 令和元年
2019.12.11 ON SALE
CD:TECH-26538 定価 : ¥2,364+税
発売元:テイチクエンタテインメント
(アナログ盤も来春発売予定!)

収録曲;

1. Y0817 -Introduction-
2. ヴィールス
3. 君の代
4. 赤い戦車
5. ヒト科
6. 好き好き大好き
7. 12才の旗
8. 孤独の男
Track 1 to 6 : Liveat Shibuya Club Quattro 17th Aug. 2019
Track 7,8 : NewlyRecordings.

YAPOOS;
戸川純(Vo)
中原信雄(B)
ライオン・メリィ(Key)
矢壁アツノブ(Ds)
山口慎一(Key)
ヤマジカズヒデ(G)
石塚”BERA”伯広(G) Track on Suki Suki Daisuki

発売記念ライブ
2020.1.28(tue) 渋谷 Club Quattro

出演:YAPOOS
18:00 open 19:00 start
Adv.¥4000 door¥4500(+drink¥600)
QUATTRO WEB先行:11/23(土) 12:00 ~ 11/25(月) 18:00
e+ pre-order:11/30(土) 12:00 ~ 12/2(月) 18:00
ぴあ、ローソン、e+、会場で12/7一般発売!

Manufactured and Distributed byTEICHIKU ENTERTAINMENT,INC. Japan

戸川純ライヴ情報(すべて戸川 純 avec おおくぼけいで出演)
11/25(月)渋谷duo MUSIC EXCHANGE 
12/1(日)神戸STUDIO KIKI
12/13(金)札幌KRAPS HALL

Yves Tumor - ele-king

 どこまで続くんだー! 盛り上がりまくりの〈Warp〉30周年、プラッドナイトメアズ・オン・ワックスの次はイヴ・トゥモアだって! 昨年、アルバム『Safe In The Hands Of Love』発表後のじつに適切なタイミングで初来日を果たしたイヴだけれど、今回は東京のDJ、speedy lee genesis が主催する《Neoplasia3》にジョイントするかたち。こりゃほんとうに年末まで気が抜けませんな(ちなみに今日は『WXAXRXP Sessions』の発売日ですよ~)。

YVES TUMOR
30周年を迎えた〈Warp〉新世代のカリスマ、イヴ・トゥモアの来日が決定!
12/14(土)、渋谷WWW にて一夜限りのライヴ・パフォーマンスを披露。

フライング・ロータス、!!!(チック・チック・チック)、バトルスの単独公演/ツアー、さらにスクエアプッシャー、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー、ビビオが集結したスペシャル・パーティー『WXAXRXP DJS (ワープサーティーディージェイズ)』の開催など、『WXAXRXP (ワープサーティー)』をキーワードに、様々なイベントを行なっている〈WARP〉より、新世代のカリスマ、イヴ・トゥモアの来日が決定! 2018年の『Pitchfork』最高得点を獲得したアルバム『Safe In The Hands of Love』をひっさげての初来日公演はソールドアウト。衝撃のパフォーマンスが話題となった。それ以来1年ぶりとなる今回は、渋谷WWW にて熱狂を生んできた謎のパーティー「Neoplasia3」にジョイントし、一夜限りのライヴ・パフォーマンスを披露する。

12月14日(土)
WWW, WWWβ: Neoplasia3 - Yves Tumor -

Line up:
Yves Tumor [WARP]
and more...

OPEN / START 24:00
Early Bird@RA ¥2,000+1D
ADV ¥2,800+1D | DOOR ¥3,500+1D | U25 ¥2,500+1D
Ticket Outlet: e+ / Resident Advisor

イヴ・トゥモアは2010年頃より Teams、Bekelé Berhanu など、様々な形態の活動を行なってきたショーン・ボウイという人物の物語である。2016年9月、Bill Kouligas が運営する〈PAN〉より幻惑的でノイジーなサイバーR&Bアルバム『Serpent Music』を発表。イヴ・トゥモアというショーン・ボウイの現在のメイン・プロジェクト人格が広く知られることとなった。さらに翌2017年9月には『Experiencing The Deposit Of Faith』というコンピレーション・アルバムをセルフリリースするなど、インディペンデントな活動を行いつつ、今年30周年を迎えたエレクトロニック・ミュージックにおける最もグローバルなレーベルのひとつ〈Warp Records〉へサインした。そして2018年9月にリリースした『Safe In The Hands of Love』は、その年の『Pitchfork』最高得点9.1を獲得した。

『Safe in the Hands of Love』は、抑圧された監禁状態を知覚し、自由への衝動を暴走させる音楽 ──Pitchfork

ここには、Frank Ocean と James Blake が探ってきたものの手がかりが確かに存在するが、何よりも Yves Tumor は黒人の Radiohead という装いが、自分に合うかどうかってことを試して遊んでいるのかもしれない ──The Wire

『Safe in the Hands of Love』を聴くと、大量のロービット音を積み重ねまくった、救済の祈りで塗りたくられたような、Yves Tumor の深くムーディーな循環型の愛を受け取ることが可能だ ──Tiny Mix Tapes

祈りを思わせる霊性とグロテスクで凶暴な獣性。二重性のらせんをポップへと昇華する音楽が大爆発し、2010年代を代表する傑作との評価を得た『Safe In The Hands of Love』。ジェネラルな集合意識を弄ぶかのような、反人間的、非ルーツ的なニュー・ヴィジュアルは混乱と共感を産み出した。

2019年のイヴ・トゥモアは、クラシックなロック・ミュージックのフォーマット、とりわけグラム・ロック的なアプローチを前進させた。9月にリリースされた新曲“Applaud”において、さらにその様相は強まっている。ニューオーリンズ出身で HBA のモデルとしても知られたミステリアス・ロックンローラーで、近年のライヴのコラボレーターでもある Hirakish とLAの才人 Napolian を召喚し、ラフでハードな側面がアップデートされた。

Yves Tumor - Applaud ft. Hirakish & Napolian (Official Video)
https://youtu.be/eeQZ93f2qNw

“Applaud”のミュージック・ビデオはフランシス・F・コッポラの孫、ジア・コッポラによってディレクションされている。円環、渦をモチーフに展開される、パーティーの混乱を収めたこのビデオは、ポスター・ヴィジュアルとともに Yves Tumor 流の古典へのルネサンス的感覚を映し出した。

母体となるのは、東京地下で暗躍するDJ、speedy lee genesis が主催する Neoplasia3。また、通算20回目を迎える WWW のレジデント・シリーズ〈Local World〉がイベント・プロモーションを務める。過去に前述の Hirakish を招聘したパーティーを敢行するなど、Yves Tumor との共感覚、親和性も見逃せない。同イベントは「Prelude 2020 Version」と題した特別編として WWW と WWWβ 両フロアを解放し深夜開催される。Yves Tumor に拮抗する注目の国内アクトの発表は後日。

label: WARP RECORDS
artist: Yves Tumor
title: Safe In The Hands Of Love
release date: NOW ON SALE

国内盤CD BRC-584 ¥2,400
国内盤特典:ボーナストラック追加収録/解説・歌詞対訳冊子

TRACKLISTING
01. Faith In Nothing Except In Salvation
02. Economy of Freedom
03. Honesty
04. Noid
05. Licking an Orchid ft James K
06. Lifetime
07. Hope in Suffering (Escaping Oblivion & Overcoming Powerlessness) ft. Oxhy, Puce Mary
08. Recognizing the Enemy
09. All The Love We Have Now
10. Let The Lioness In You Flow Freely
11. Applaud (Bonus Track for Japan)

〈WARP〉30周年 WXAXRXP 特設サイトにて WXAXRXP DJS で即完したロゴTシャツ&パーカーの期間限定受注販売開始!
受付は11月30日まで。商品の発送は注文後約2週間後を予定している。また会場で販売されたアーティスト・グッズのオンライン販売 も同時スタート! 数量が限られているため、この機会をお見逃しなく。
https://www.beatink.com/wxaxrxp/

Yatta - ele-king

 やっぱり画期だったんだろう。こういうのは少し時間が経過してみないとわからないものだけど、ムーア・マザークラインといったアーティストの登場は、10年後に振り返ってみたときに、エレクトロニック・ミュージックの大いなる転換点として如実に浮かび上がってくるにちがいない。あるいはそこにアースイーターの名を加えてもいい。それぞれサウンドは異なっているが、彼女たちはみなおなじ暗い時代の空気を吸いながら、おのおのに実験を突きつめ、既存のスタイルとは異なる道筋を示そうと果敢に闘いを続けている。みずからを「digipoet(デジタル詩人)」と規定するヤッタも、その戦線に加わる者のひとりだ。
 ヤッタ・ゾーカー(Yatta Zoker)はヒューストン出身で、現在はブルックリンを拠点に活動する、シエラレオネ系のアーティストである。ムーア・マザーとおなじく2016年にファースト・アルバム『Spirit Said Yes!』を自主で発表しており、翌2017年には彼女といっしょにNYのアート・ギャラリーのイヴェントに出演。2018年にはブルックリンのバンド、アヴァ・ルナのリーダーたるカルロス・ヘルナンデスのソロ作でヴォーカルを披露する一方、やはりムーア・マザーがキュレイターを務めるケンブリッジのフェスティヴァル《ワイジング・ポリフォニック》にも参加している。どうやらふたりは深い絆で結ばれているようで、ムーア・マザーは今年8月のNTSラジオのライヴでも、アリサ・フランクリンアート・アンサンブル・オブ・シカゴ、バーリントン・リーヴィやラス・Gといったビッグ・ネームたちとともに、ヤッタの楽曲をピックアップしている。
 かくして届けられたのがこのセカンド・アルバム『Wahala』ということになるわけだが、本作ではとにかく、ひたすら、えんえん、声の実験が続いていく。 まずはポエトリーや合成音声、チベットの聲明などがせわしなく駆け抜ける冒頭“A Lie”を聴いていただきたいが、アルバム全体をとおしてじつにさまざまな音声が狂宴を繰り広げている。背後でコラージュされる種々の電子音や生楽器、具体音も聴きどころで、アースイーターの参加する“Rollin”や聖俗入り乱れる“Shine”など、すばらしい音響を聞かせてくれる。

 タイトルの「Wahala」は、シエラレオネのクリオ語で「困難」や「問題」を意味する。このアルバムの制作はまず、躁や鬱について詩を書くことからはじめられたそうで、そんなふうにメンタル・イルネスが主題のひとつになっているところなんかは、きわめて今日的である。たとえば“Blues”では「わたしはブルーズをうまく歌う/そうする必要があるから/ここは地獄だから」と歌われているが、忘れてはならないのはそれが性や人種の問題と結びついている点だ。レーベルのインフォに掲げられている「ブラックであること、トランスであること、そして異邦の地でアフリカンであること」というヤッタのことばは、個人のメンタル・イルネスが社会的、歴史的、政治的なファクターに起因するものであることをほのめかしている。日本では精神疾患や鬱が個人の問題として処理されてしまうきらいがあるけれども、じっさいのところ「地獄」はむしろ、当人の外部からこそもたらされるのだ。
 もっとも注目すべきは、シングル化された“Cowboys”だろう。例によってさまざまな音声がコラージュされていくなかで、ヤッタはずばり、「カウボーイはブラックだ」と歌っている。ようするに同郷のソランジュや、あるいは今年尋常じゃないバズり方をみせている“Old Town Road”のリル・ナズ・X同様、ブラックがカウボーイの姿に扮する「イーハー・アジェンダ(Yeehaw Agenda)」のムーヴメントに乗っかっているわけだけど、それ以上に重要なのは後続のフレーズで、ヤッタは抑制を効かせながら「テクノもそう、テクノも、テクノも」と声をしぼり出していく。ここでデトロイトが念頭に置かれているのはほぼ間違いない。じっさい後半の“Galaxies”や、ムーア・マザーがラジオでとりあげた“Underwater, Now”といった曲のタイトルは、いやでも G2G やドレクシアを想起させる。
 鬱やカウボーイといったポップ・ミュージックのトレンドに反応しつつも、ヤッタは、けっして資本のど真ん中を狙ったり、ネットでウケるためにあれこれ画策したりしない。むしろ、徹底的にアンダーグラウンドを志向している。それはやはり根底に、「黒いテクノ」にたいするリスペクトが横たわっているからではないだろうか。

 ところで『The Wire』のインタヴューによれば、ヤッタは本作に着手したのとおなじころ、カントリー歌手シャナイア・トゥエインのヒット・ソング(彼氏の浮気に悶々とする内容で、MVには白人のカウボーイが多数登場)を聴き返したことで、みずからのマスキュリニティを無視できなくなってしまい、そこで自分がノンバイナリであることを理解したらしい。「ヤッタ」と繰り返すことでなんとかここまで回避してきたけれど、単数形の「they」って日本語でどう表現したらいいんだろう?

FKA Twigs - ele-king

 2010年にデビューし、ブライアン・イーノパティ・スミス以来の逸材と絶賛されたアンナ・カルヴィは、4年後、「EP2」に収録されていたFKAトゥイッグスの“Papi Pacify”(https://www.youtube.com/watch?v=OydK91JjFOw)をカヴァーしている。カルヴィはなるほどパティ・スミスを思わせる堂々とした歌いっぷりで、カントリー色が強く、“Papi Pacify”もスケール感を持たせた仕上がりとなっている(https://www.youtube.com/watch?v=ljI6eLcGyzw)。トゥイッグスとカルヴィの“Papi Pacify”を聴き比べてみると、その違いは歴然で、密室的な響きを重視するトゥイッグスにはヨーロッパ的な美と官能が横溢し、カルヴィのそれは対照的にドライでパワフル、それこそアメリカ的な解放感そのものである。そこは見事に変換されている(トゥイッグスをアメリカ的な空間概念に放り込んだスパイク・ジョーンズのCM「ホームパッド」はまるでわかってねーなー)。「Pacify」には「宥める」という意味があり、トゥイッグスが触感でそれを達成しようとするのに対し、カルヴィにはまったく色気がなく、風に吹かれるなど自然の摂理として同じ効果を期待させているといえばいいだろうか(“Papi Pacify”のカヴァーが収録されたEP「Strange Weather」にはデヴィッド・ボウイとのデュエットやカヴァーも)。

 FKAトゥイッグスの美と官能は何に由来するのか。ひとつには彼女の音楽的バックボーンがインダストリアル・ミュージックと近しいことにあるだろう。これまで僕がトゥイッグスについて書いたことを簡単にまとめると、それは「スクリュードされた賛美歌」だということで、何度も書いてきたことだけれど、ショスターコヴィッチがインダストリアル・ミュージックの元祖だと思っている僕にとってインダストリアル・ミュージックもモダン・クラシカルもポピュラー・ミュージックの場面では大差なく(ポスト・クラシカルと呼ぶのは日本だけ)、大きくいえば拘束の美学に貫かれ、とくにインダストリアル・ミュージックは機械文明のなかで疎外された肉体を誇張して表現してきた歴史があり、官能性はまさにその中心をなす理念といえる。トゥイッグスのヴィデオから音を消してデムダイク・ステアエンプティセットを流してもまったく違和感がなく、トゥイッグスのヴィジュアル表現がインダストリアル・ミュージックそのものだということはすぐに理解できるだろう。インダストリアル・ミュージックが前衛や回顧も含めて2017年にピークに達したということはスロッビン・グリッスルの再発評でも書いた通りで、明らかに2010年代の音楽的な屋台骨をなし、様々に分岐していった一本の小枝がトゥイッグスだったのである(なんて)。とくにアルカとの関係は興味深く、アルカのサウンドを覆う表面的なインダストリアル・テイストではなく、その根底にあるアーサー・ラッセルのスタティックな音楽性はトゥイッグスとアルカをこれ以上ないというほど強く結びつけた感がある。『MAGDALENE』ではアルカはブルガリアン・ヴォイスをサンプリングした“Holy Terrain”のヴォーカルをいじり、プログラムを手掛けた以上の関係ではないけれど、『LP1』(14)で構築されたモードから大きく逸脱することはないという意味で、やはりアルカが与えた指標には大きなものがあるだろう。『MAGDALENE』をつくっていた時期にトゥイッグスがアーサー・ラッセルばかり聴いていたというのもアルカの向こう側にあるものに興味を持ったからではないかと僕は邪推する。“Holy Terrain”はまた、プロデュースでスクリレックスが関わっていることにも驚かされる。

 とはいえ、『MAGDALENE』を生み出す大きな立役者となったのはニコラス・ジャーだという。全体をコントロールしているのはトゥイッグスだけれど、彼女のなかにあったものを引っ張り出してくれたのはジャーの手腕によるところが大きいとトゥイッグスはオフィシャル・インタヴューで強調している。ジャーが関わっていないのは前出の“Holy Terrain”とダニエル・ロパティン(OPN)&モーション・グラフィックスとの“Daybed”だけで、プロデュースに参加していない曲でもジャーはドラムやパーカッションを叩くなど、なんらかのかたちでほとんどの曲に関わっている。ジャーによる2016年のサード・アルバム『Sirens』にはどことなく賛美歌めいた曲もあり、官能性からはほど遠いものの、「Pacify」という感覚を敷衍するという意味でモダン・クラシカルの文脈を共有することができたということなのだろう。ジャーにしても『MAGDALENE』は大きな飛躍を意味したに違いない。それはモダン・クラシカルが主に再生産している18世紀のロマン主義における両義性というものだったのでははないだろうか──彼の新作を聴いてみなければわからないけれど(“Papi Pacify”のカヴァーを含むアンナ・カルヴィのEP「Strange Weather」にはスーサイド“Ghost Rider”のカヴァーが収録され、『Sirens』にもこれに通じるような“Three Sides of Nazaret”だったり、なぜかロックンロールの痕跡が散りばめられている)。

 オフィシャル・インタヴューでトゥイッグスは気になることを語っている。18世紀のドレスとストリート・ファッションのミックスに興味があるというのである(これを聞いてのけぞらないパンク世代はいないだろう。パンク以降、ヴィヴィアン・ウエストウッドとマルカム・マクラーレンはバック・トゥー・ヴィクトリアに向かった前者とBボーイ・ファッションに入れ込んだ後者に分かれて敵対し、ウエストウッドは「Bボーイ・ファッションは低脳」とまで罵っていたのだから)。18世紀のドレスとモダン・クラシカルが掘り起こす18世紀のロマン主義。それらをヨーロッパにおける伝統回帰の範疇として捉え直すと、2010年代のもう一方のトレンドであるワールド・ミュージックの掘り起こしとは、ある意味、同じことを並行してやっているという印象を持ってしまう。ヨーロッパの伝統とアフリカの伝統。どちらにもアイデンティティが契機としてあり、悪くすれば移民排斥の原動力にもなりかねない(南アフリカでは周辺国からの移民が殺される事件が相次ぎ、移民が引き揚げていく現象が起きている)。それぞれの回帰作業を横断してしまうこと。これがトゥイッグスの音楽を特別なものにしているのではないだろうか。「スクリュードされた賛美歌」というのはそういう意味である。ボディ・ミュージックをファンクでねじ伏せたジェフ・ミルズと大枠でやっていることは同じというか。

 ロマン主義とはまた、神の不在が意識された時代でもある。タイトルの由来となった「マグダラのマリア」についてトゥイッグスは、これまで「罪深い女」だとされてきたマグダラのマリアの評価が変わってきたことをあげている。マグダラのマリアには子どもの頃から興味があり、とくに「罪深い女」であり「聖女」でもあるという二面性に惹かれてきたと彼女は続けている。これと同じことをマーティン・スコセッシが1988年に映画化した『最後の誘惑』の原作者ニコス・カザンザキスもイエス・キリストについて述べている。「極めて人間的なものと超人間的なものの両面性を持っていた。キリストのこの二元性は私にとって以前から尽きぬ謎であった」(映画字幕より)。『最後の誘惑』はそして、キリストが磔にならず、マグダラのマリアと結婚して幸せな家庭を営みかけるというアナザー・ストーリーを構築する。そうでなくともキリストを当時、イスラエルにはごろごろいた革命家のひとりとして荒くれ者のように描いた同作は、キリスト教右翼が勢力を伸ばしていたアメリカ各地でボイコットに会い、上映禁止に追い込まれてしまうものの、『聖書』にはマリアとイエスが「結婚していない」という記述は見つからず、少なからずの支持者を得た考え方となり、キリストとその信者の結びつきを考える上ではユニークなアプローチをなしていることは否めない。マグダラのマリアが同じように評価を変えているとしたら、例えば僕にはコージー・ファニ・トゥッティがストリップをやっていたことについて自伝で肯定的に語っていることや、チッチョリーナやサーシャ・グレイといったストリッパーたちが広い意味で文化的に、あるいは政治的にも活躍してきた時代背景との関連を考えずにはいられない。コージー・ファニ・トゥッティもそうだし、マドンナが『ワンダーラスト』(08)でポール・ダンスに寄せていた思いはとても複雑なものに感じられ、“Cellophane”のヴィデオ(https://www.youtube.com/watch?v=YkLjqFpBh84)でトゥイッグスがポール・ダンスを題材に選んだことは(彼女にはマドンナやムツミ・カナモリが性を売って乗り越えなければならなかったハードルはなかったはずだけれど)、そうした歴史の延長上にある表現だったといえるだろう。ジミー・ファロンの「レイト・ナイト・ショー」でトゥイッグスが踊るポール・ダンス(https://www.youtube.com/watch?v=yRyrvdB_3lQ)はまさに息を呑むような美しさであった(それにしても相当な腕の力ですよね、これは)。

 インダストリアル・ミュージックがダンスホールと結びつき、トゥイッグスの横断性に習ったのが2016年。あれから3年が経ち、イキノックスと結びついたロウ・ジャックがヴァチカン・シャドウにもダブをやらせてしまった(https://www.youtube.com/watch?v=BqiRpPZU7V4)。これをファッション・トレンドと呼ばずして何を?

Mall Boyz - ele-king

 この夏、初のミックステープ 『angel』をリリースし、NTSラジオにヘッドライナーとして出演するなど、もはや2019年の顔になりつつあるといっても過言ではない Tohji。その彼と gummyboy のふたりを核とするクルー Mall Boyz が、11月22日より全国ツアー《4XL Tour》を開催する。京都、広島、仙台、沖縄、北海道、茨城の6公演が予定されているとのことなので、近場の人はぜひ。

東京のユースを中心に熱狂的な支持を集める Mall Boyz が、全国ツアー「4XL Tour」を開催

既成概念を軽々と更新し続ける幅広い活動と、その圧倒的な存在感で同世代から強く支持される Tohji 率いる Mall Boyz が11月22日から約1ヶ月の全国ツアー「4XL Tour」を開催。

2019年を代表する楽曲となった“Higher”が収録されている『Mall Tape』のリリース後、勢い収まることないまま Tohji は 1st Mixtape 『angel』、gummyboy はEP「pearl drop」を立て続けに発表。Mixtape リリース直後 Tohji は渡英し、ロンドンのラジオ局で自主企画の放送やサウンドクラッシュにヘッドライナーとして出演するなど、その活躍はすでにグローバルレベルになりつつある。東京でも10月に行われた自主企画の「HYDRO」は2000を超える応募があり、先日の全感覚祭では超満員の O-East で1500人近くの観客をロック。その人気の拡大は止まることを知らない。

Tohji はファッション誌『Ollie』の表紙を10月に飾り、先月の東京ファッションウィークでは「LANDLORD NEW YORK」のランウェイに登場。gummyboy もダンスミュージックシーンで支持の厚い Masayoshi Iimori との楽曲をリリースするなど、メンバーはそれぞれ活躍の幅を広げ続けている。また Mall Boyz 名義でもロンドンのパーティークルーである Eastern Margins とコラボレーションパーティ『6 pac』を開催。海外のアーティスト招致だけでなく、全国から同世代のクリエイターを募集しフリーマーケットを開催するなど、これまでの音楽アーティストやクルーには見られなかった積極的な試みをいくつも行なっている。

いま東京でユースから圧倒的に支持されている Mall Boyz。彼らの作り出そうとしてる新しいムーブメントを肌で感じることのできるまたとない機会である今回の「4XL Tour」。近くの会場まで足を運んでも絶対に後悔はしないはずだ。

「4XL Tour」は11月22日の京都からスタートし、約1ヶ月で広島/仙台/沖縄/北海道/茨城の計6箇所での公演が予定されている。ツアー中には会場でしか購入できない限定のTシャツやグッズも発売されるとのこと。

チケットや開催時間等の問い合わせは各会場へ。

◆Tour info
11月22日(金)京都CHAMBERS(ナイト)
11月23日(土)広島CLUB L2(ナイト)
11月30日(土)仙台CLUB SHAFT(デイ)
12月07日(土)沖縄G+OKINAWA(デイ)
12月10日(火)北海道SOUND LAB MOLE(デイ)
12月14日(土)茨城CLUB GOLD(ナイト)

◆Artist info
Mall Boyz はラッパーの Tohji と gummyboy を中心としたクルー。2018年末にリリースした『Mall Tape』から“Higher”が大ヒット。8月にはそれぞれソロ名義で Tohji は 1st Mixtape 『angel』、gummyboy は新作EP「pearl drop」をリリース、圧倒的な存在感で同世代から強く支持されている。10月にはロンドンを中心に活動する Eastern Margins とのコラボレーション・パーティ『6 pac』を開催し、ファッション誌『Ollie』の表紙を飾るなど、インディペンデントに活動を続ける彼らの今後の動きは、音楽のみならずシーンの垣根を超えた注目を集めている。


Twitter:https://twitter.com/_tohji_
Instagram:https://www.instagram.com/_tohji_/


Twitter: https://twitter.com/8gummyboy8
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