その奇矯なエロティシズム、挑発的でビザールなヴィジュアル、ノイズ、ドローン、アンビエント、ダブ、ファンク、それから低俗なディスコまでもがミックスされる奇異な音楽性、混乱、混乱、また混乱、キッチュ、キッチュ、またキッチュ......あるいはヴァイナルとカセットで限定リリースされる大量の作品群(たとえば2005年の1年だけでも20枚以上の作品を限定リリースしている)。2004年にはじまったロサンジェルスの〈ノット・ノット・ファン〉は、現在リスナーにとってもっともミステリアスなレーベルのひとつである。
アマンダ・ブラウンはレーベルの創始者のひとりだ。彼女は......強いて喩えるのなら、ポスト・ライオット・ガールを代表する存在、ないしはUS ローファイ・アンダーグラウンド・シーンにおけるリディア・ランチ(ないしはマドンナ)のごとき存在である。彼女は政治的にも性文化的にも、そして社会的にも、旧来のコンテクストに組まれることを拒むかのように自由気ままに活動している。
アマンダ・ブラウンは、この5年は、レーベルの看板バンド、ポカホーンティットとしても何枚もの作品を発表し続けてきた。昨年はメンバーのひとり、ベサニー・カンテンティーノがバンドを脱退(ベスト・コーストとしての活動をはじめたため)、残されたアマンダ・ブラウンはL.A.ヴァンパイアーズと名義を変えてあらたな道を進んでいる。
2011年は12インチのダンス・ミュージックに的を絞ったサブレーベルとして〈100%シルク〉をスタートさせ、すでに11枚ものシングルをカットしているが、これが日本でも人気がある。数が少ないというのもあるが、わりとすぐに売り切れる。だいたい、ヒップホップ系、ハウス系、そしてインディ・ロック系のDJが同時に注目するようなレーベルはそう多くはない。もっともそれ以上に興味深いのは、ゼロ年代のUSアンダーグラウンドにおけるノイズ/ドローンがミラーボールがまぶしいディスコの世界へと到達したという事実である。男性的な実験音楽の世界に揺さぶりをかけるように、アマンダ・ブラウンはユーロビートとポルノをそこに持ち込む(マリア・ミネルヴァにもそれがある)。
『WIRE』誌の表紙を飾り、いよいよヨーロッパでその評価を高めている〈NNF〉レーベルにメールを送ったところ、返事はすぐに来た。「私はアマンダ! 質問を待っているわ」
女性はアンダーグラウンド・シーンでもっと評価されるべきなのよ。音楽のメインストリーム世界では女性をよく見る。稼ぎ手、ビジネス権力者、トレンドセッターといったところでね。しかしアンダーグラウンドの世界では、ショーにいる大多数は男性なのよ。
■今回、メール・インタヴューを引き受けていただき、ありがとうございます。ヨーロッパ・ツアーはいかがでしたか?
アマンダ:いや、結局ヨーロッパにはいかなかったんだけど、オーストラリアにいたわよ。とくに興味もなかったし、オーストラリアに行くなんてまったく思っていなかったのに、そしてそのツアーで、私の人生最高の音楽経験をするなんて、おかしいわよね。私は新しいセットをプレイするのに、とても緊張していたわ。でも、都市のバイブやエネルギーが自分のパフォーマンスをインスパイアして、はっきりいってオーストラリアでいちばん良いショーをすることができたのよ。
■あなたの〈100%シルク〉レーベルが日本のアンダーグラウンド・シーンで人気なのは知ってますか? ヒップホップ系、ハウス系、そしてインディ・ロック系のDJが買っているんですよ。
アマンダ:それは素晴らしいわ。欧米のミュージシャンにとってのゴールは日本で愛されることだよ思うのよ。日本人は何か、すばやくて、強烈で、アートへの情熱に満ち溢れているように思う。もし日本に行って、DJが〈シルク〉のレコードを回しているのを聴いたら、驚くでしょうね。
■あなたのレーベル〈NNF〉のどれもが独特の音だし、いくつかのリリースは実験的です。まずはあなたの歴史から教えてもらえますか?
アマンダ:私はロサンジェルスに80年代初頭に生まれた。実を言うとね、音楽を演奏することには、そこまで興味がなかったのよ。ずっとライターになりたいと思っていた。その学位を取って、芸術のアウトレットとして続けていくものだと思っていたわ。音楽は別の方向から何となくやって来たのよ。ブリット・ブラウン(Robedoorとして数多くの実験作品を出している)と私はデートをしていて、彼はカシオとギターを持っていた。私たちはそれを面白おかしく使い、曲と歌詞を書いて遊んでいた。私たちは、この初期の空想を、大きな規模になったけど、まだプレイし続けているのだと思うわ。
■どんな10代を送りましたか?
アマンダ:いわゆる変人よね。普通に学校に通っていたけれど、 同時にモヒカンで口にピアスをしていたという意味でね。
■パンクに少し脱線した優等生ですか?
アマンダ:私はパンクではなかったのよ。R&Bやヒップホップが好きだったの。異常者でもなかった。私はただたんにクールでいたかったし、いまもそうなのよ。
[[SplitPage]]真面目な話、ドラッグの影響はないわ。ドラックは退屈で、興味を持ったことがないの。外の世界では私はかなりのストーナーだと思われているのかもしれないけど、それは私ではない。
■あなたにとっての音楽とは何でしょう?
アマンダ:私は音楽を作るってことよりも、まずは音楽の大ファンなのよね。インスパイアされる、すばらしいアーティストと仕事をするのが好きなのよ。すばらしい音楽に圧倒されるのが好きだし、ダンスするのも好きよ。
■音楽はどうやって学んだんですか?
アマンダ:いや、まったく学んでないわ。
■ブリット・ブラウンとはどのように〈NNF〉レーベルをはじめたんですか?
アマンダ:ブリットはファッション雑誌の仕事の私の上司だったのよ。私は、彼と出会ったとたんすぐに好きになったの。彼が私を好きになるまでは時間がかかったけどね(笑)。そして私たちはレーベルをスタートしようと思い立った。それがフルタイムの感情になるなんて考えてもいなかったけど。「音楽を作っている友だちがいて、私たちには彼らをサポートするお金がある。じゃあ、レコードを作ろう(let's make a record!)」、こんな感じだったのよ。
■〈NNF〉レーベルのポリシーについて教えてください。
アマンダ:ブリットと私が音楽とアーティストが作るモノを信じているということだけ。信頼と真実は私たちにとって大きいのよ。ファンが私たちがいままでリリースした作品についてどう思っているのか、すべて知っているわけではないけれど、私たちは音楽が好きで、アンダーグラウンドへの愛にふさわしい、という信頼を持たれるべきだと思っているわ。私たちは流行先導者ではないけれど、強い意見と特有なテイストを持っている。もし私たちが、あなたが「いけている」と思ったら、あなたも仲間よ。
■レーベルはなぜヴァイナル、カセット、あるいはCDRでリリースするのですか?
アマンダ:CDRは触れたりプレイしたり聴いたりするには楽しいものではないわ。まず美学的に面白くないし、メディアとして記憶に残るものでもない。
■CDを嫌っている理由は?
アマンダ:傷がつくし、ケースは壊れるし、たったひとつのシミでスキップするし、かなり迷惑よね。
■ちなみに〈Not Not Fun〉というレーベル名はどこから来たんですか?
アマンダ:これは昔私がよく言っていた言葉で、まぬけ風に使ってたのよ。最悪と、そんなに楽しくないの中間ぐらいの意味よ。
■あなたは長いあいだポカホーンティットとして活動してましたが、このバンドはどうやって生まれたんでしょう?
アマンダ:まずね、「ポカホーンティットというバンドをはじめた夢を見たのよね」と、私がベスアニー(現、ベストコースト)にかけた電話からはじまっている。いま聞いたらバカみたいだけど、本当の話よ。ベスアニーは素晴らしい声を持っているわ。私には、彼女の歌があり、言葉に表せないほど至福があって、ディストーションのギターがなり響く......というバンドのヴィジョンがあった。ラッキーなことに、彼女は私の空想を満足させることが好きだったのよ。
■初期の音はノイズ/ドローンでしたよね。これは何の影響なんですか?
アマンダ:正直言うけど、直接影響を受けているものはない。あなたが聴いているのは、(ノイズ/ドローンというよりも)アマンダとベスアニーが純粋に即興している音なのよ。私も彼女もドローン音楽を聴いたことがない。私はファンクやダブ、ビョーク、シャーデー、ア・トライブ・コールド・クエストが好きで、彼女はビリー・ジョエル、スプリングスティーン、ブリンク182、ビーチ・ボーイズが好きだった。どこから私たちの音楽が来たのかわからないけど、私たちのあいだで何か生まれたんでしょうね。
■すごくサイケデリックな音楽だと思うんですけど、何を目的として作られたんでしょう?
アマンダ:目的は、私たちの友情、女らしさ(femininity)、ユーモア、そして創造性を祝うために接合することだった。それはともに、私たちの時代のタイムカプセルだった。注目されはじめたとき、私たちは自分たちの幸運を信じることができなかったわ。
■ドラッグ・カルチャーからの影響はありましたか?
アマンダ:いいえ、真面目な話、ドラッグの影響はないわ。ドラックは退屈だし、興味を持ったことがないの。外の世界では私はかなりのストーナーだと思われているのかもしれないけど、それは私ではない。
■〈NNF〉の初期のウェアハウス・パーティについて教えてください。
アマンダ:ロサンジェルスでは大きなフォロワーはつかなかったけどね。ほとんどのパーティは75~100人規模で、それ以下のときもたくさんあるほど親密だったわ。自分たちが何かかっこ良くて特別という感覚だったし、そんなにたくさんの人に気づかれなかったということでもある。正直言って、私たちはいつでもこれで良かったのんだけどね。
■2010年のポカホーンティット名義の最後のアルバム『Make It Real』はダビーで、ユニークなビートを持った作品でした。Pファンクのようなアートワークも面白かったし、そのファンキーな感じとか、それ以前のポカホーンティットとは別物というか......。
アマンダ:バンドが5人編成に変わるということはすべてのジャンルにおいて、かなりの変化なのよ。部屋に5人の人間がいるということは、ドローン音楽やアンビエント音楽にはエネルギーが高すぎるの。生のドラマーがいて、ファンキーなベース・プレイヤーがいて、それで突然、こんなグルーヴィーでサイケ・ワールド・ビート・アンセムを書いたのよ。リスナーに、よりアカデミックな音楽を......という初期のヴァージョンとは違って、私たちは人びとを動かしたかったし、自分たちも動きたかったの。私は自分の歌詞を信じると言うことにも気づいたし、何かモットー(従来の物語より深い自己表現)のようなモノに変えた。
■あなたのなかにそのような進化があったんですか?
アマンダ:私たちは新しい方向に行こうと意図的に発展した。どんなリスナーにむけてもまったく違う経験ができるように、古い音を洗い流すという、重大な意図を持って、何か震える、新しいものを作り出そうとした。私たちに1日目から最後の日までファンがいることを知ってびっくりしたけどね。
■何か特別な影響があったら教えてください。
アマンダ:私はいまでも音楽が好きで、音楽への愛がどんどん成長している。トリップ・ホップ、R&Bやヒップホップ、ダンス・ミュージック、そしてデジタル・アンダーグラウンド、ディー・ライト、ブラック・ボックス、ビギー、ポーティスヘッド、ミスター・フィンガーズ、ア・ガイ・コールド・ジェラルドが大好きなのよ!
[[SplitPage]]私たちは音楽が好きで、アンダーグラウンドへの愛にふさわしい、という信頼を持たれるべきだと思っているわ。私たちは流行先導者ではないけれど、強い意見と特有なテイストを持っている。
■女性アーティストだけを集めて『My Estrogeneration』というコンピレーション・アルバムを作りましたね。これはどんな経緯で生まれたんでしょう?
アマンダ:女性はアンダーグラウンド・シーンでもっと評価されるべきなのよ。音楽のメインストリーム世界では女性をよく見る。稼ぎ手、ビジネス権力者、トレンドセッターといったところでね。しかしアンダーグラウンドの世界では、ショーにいる大多数は男性なのよ。オンライン・バイヤー、ブログ運営者、ミュージック・ジャーナリストも男だらけよね。もっとも私たちが女性というだけでゲットー扱いされる考えは好きではないけどね。フェミニストの最善の提案は、パイのスライスを欲しいことではなく、自分たちの別々のケーキが欲しいってこと。私たち女性がみんなひとつの場所で、創造的な力、重要な存在として知覚されるのはいいわよね。
■サブレーベルの〈100% Silk〉をはじめた動機について話してください。
アマンダ:アンダーグラウンド・ダンス・ミュージックのアートを強調したかったからレーベルをはじめたのよ。ダンスのほとんどのチャンネルは健康的だと思う。ダンスというヴィジョンには、教養ある男性に美しいコンピュータや複雑な機材もある。ダンスのなかにソウルと優雅さ、ランダムと興奮、アウトサイダーの感覚を組み入れてやっている連中を知っていたので、私は彼らにハイライトを当てて、アーティストをサポートしたかった。コンセプトはダンスで、そう、本物のダンシングよ。
■チルウェイヴやシンセ・ポップは好きですか?
アマンダ:チルウェイヴはよくわからない。シンセ・ポップは好きじゃない。私はあくまでディスコを崇拝しているの。大好きよ。〈シルク〉からでている音楽はたんに電子楽器で作った音楽ではない。あなたをダンスさせ、グルーヴさせなければならないの。
■でもあなたの音楽には80年代のニューウェイヴからの影響がありますよね?
アマンダ:自分では80年代的だと思ってないんだけどね。ニューウェイヴでもないと思うけど、幾何学的なニューウェイヴのアートは好きよ。スペンサー・ロンゴは私を素晴らしいナーゲルの女性として描いてくれた。それが80年代の審美からの借りてきた物だとしても、スペンサーは古い物を新しい感覚で再生できる人だと思うわ。
■クラブ・カルチャーに関するあなたの考えを教えてください
アマンダ:クラブ・ミュージックは文字通りにいってセンセーショナルよね。ほとんど知覚の音楽で、大袈裟で、人を楽しませ、ドラマティックで、遊び心があって、セクシーで、催眠効果がある。私は踊るのも、汗をかくのも、ダンスフロアで自分の体を失うのも好きなのよ。もし私が他人のなかの同じ反応を刺激する音楽をリリースすることができたら、私が望んでいたよりも良いモノができたと満足するでしょうね。
■いろんなスタイルを楽しんでいるって感じですか?
アマンダ:そのときの感覚をね。その瞬間に何に惹かれているかによるわ。あるときはダブだったり、エクスペリメンタル・ポップだったり、ハウスだったり......。音楽を探しながら変化することが好きなのよ。ひとつのことを20年続けためにここにいるわけではないから。
LA Vampires So Unreal Not Not Fun |
■2010年末にL.A.ヴァンパイアーズ名義で出した『Unreal』はとてもパワフルな作品でしたけど、あのタイトルはどこから来たんですか?
アマンダ:あのアルバムをレコーディングしていたとき、私の人生すべてが非現実的に感じられた。ポカホーンティットは解散して、仲の良い友だちを失って、レーベルが私のフルタイムのジョブになって、私の最初の小説が売れたばかりで、かなり圧倒されていた。『Unreal』(非現実的)は、このセンセーションを表すいちばんの方法だった。
■アメリカであなたの音楽は受け入れられているんでしょうか?
アマンダ:答えるのに難しい質問よね(笑)。何人かは嫌いで、何人かは好きで、ひとりかふたりぐらいは大好きであって欲しいけど。
■あなたの音楽は、アメリカの主流文化とはどのような関わりがあると思いますか?
アマンダ:いいえ、私はアメリカ文化のメインストリームから外れているからね。人は私の音楽をただの騒音だと思っているし、ローファイのエクスペリメンタル・アーティストだと思っている。まあ、反論はしないけどね。
■音楽を通じて言いたいことは何でしょう?
アマンダ:まずはあなた自身が楽しむってこと。
■レディ・ガガについてどう思う?
アマンダ:深く考えたことはないけど、少なくともあの音楽が良いとは思えないわよね。でも彼女の体はすごいと思う。綺麗な形をしているし、ファッションも大好きで、その部分は尊敬している。ただ、彼女の音楽が彼女の個性やアウトサイダー感のように奇妙で壊れていれば良いのにと思う。そうすれば、彼女はメインストリームでもアンダーグラウンドでも重要人物になれるからね。
■今後の予定は?
アマンダ:仕事,仕事,仕事,仕事。良い音楽を作る。ベストな音楽をリリースする。愛し続ける。自分が楽しむ。