「Ord」と一致するもの

北欧に端を発し世界に広まったブラック・メタルというアンダーグラウンド音楽。その過激な音楽性に加え、悪魔崇拝に極右思想、さらには教会放火、殺人、テロといった犯罪行為に至り、衝撃を与えました。
いまやエクストリーム・メタルの一大勢力となったブラック・メタルの初期に起こった一連の出来事を丁寧に綴ったドキュメンタリー書籍が『ロード・オブ・カオス』です。
当事者であるミュージシャンに加え、オカルトや右翼思想の研究家、さらにはチャーチ・オブ・サタンの教祖アント・ラヴェイまで至る数多くの取材と、膨大な文献資料をもとに書き上げられた本書は大きな反響を呼び、映画化もされました。
その映画がついに日本で一般公開されるのに合わせ、かつて『ブラック・メタルの血塗られた歴史』として刊行されながらも長らく絶版となっていた本書をここに復刊します。

巻末には『プリミティヴ・ブラックメタル・ガイドブック』著者としても知られる田村直昭さんによる解説も追加収録。映画では描ききれなかったこのシーンの奥深さに触れられる一冊です。

目次

謝辞
新版の序
序 その闇の中へ
第一章 悪魔を憐れむ歌
第二章 デス・メタルの死とブラック・メタルの誕生
第三章 北の空を燃やす炎
第四章 デッド・ゾーンの騒乱(メイヘム)
第五章 ウェルカム・トゥ・ヘル
第六章 灰
第七章 死の沈黙
第八章 カウント・クヴィスリング
第九章 先祖返り―ヒーザン・ブラック・メタルの形而上学
第十章 サタニック・マジェスティーズ
第十一章 ゲルマンの激情
第十二章 混沌の王たち
第十三章 ラグナロク
附録
解説(田村直昭)
参考文献リスト/音源/脚注

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あのこは貴族 - ele-king

 名前を伏せても思わせぶりなのでそのまま記すが、以前つとめていた雑誌の特集に箭内道彦さんにご登場いただき、取材のあとなんとなく雑談にながれた。そこで箭内さんがおっしゃっていたことで妙に印象にのこったのが、移動中につかまえたタクシーの運転手さんが、あなた東京のひとじゃないでしょ、と声をかけてきたこと。箭内さんの特徴的な風貌はごぞんじの方もすくなくないだろうが、バックミラー越しに一瞥をくれた運転手さんが断定したのは、東京のひとはあなたみたいな目立ち方は好まないんですよ、ということだったと思う。じっさい箭内さんは福島のご出身で、ちょうど10年前の東日本大震災以降は地元にまつわる活動もさかんだが、お話をうかがったのはそれより前なので、たとえメンがわれていたとしても故郷(くに)までしれるとも思えない。だのにきめつけるのは職業的な生理か接客業由来の千里眼かヘタなテッポウ流の当て推量か、いずれにせよそういいたくなるなにかがあった。

『あのこは貴族』の冒頭で門脇麦が演じる榛原華子がのりこんだタクシーの運転手は、あなた東京の方でしょ、と話しかける。ときは2016年1月、ホテルにむかう車中で、正月早々の東京でそんなとこにいくなんて東京のひと以外にありえないというのが運転手のみたてだった。はたして華子は東京の裕福な家庭に生まれた三姉妹の末っ子で、家族が顔をそろえる会食へ急いでいたのだった。2015年の『グッド・ストライプス』につづく岨手(そで)由貴子監督の2作目『あのこは貴族』はこの華子と、水原希子演ずる時岡美紀を並行的に描くなかで私たちの暮らしに目にみえないかたちで覆いかぶさるものを描き出そうとする。東京うまれの箱入り娘の華子にたいして、地方出身者の美紀は大学進学を期に上京する。ただしふたりは物語の中盤まで出会うことはない。不可視のものが両者を線引きするからである。それがタイトルの「貴族」の由来でもある階級的なものだというのがこの映画の基調をなしている。
 階級ときいて、この国にそのようなものがあるのかといぶかる方もおられるかもしれない。日本における階級は近代にいちど再編し敗戦と日本国憲法の法の下の平等により廃止になったが、ここでいう階級とは法とはむすびつかない。職業や収入がつくりあげた地位などを親から子へ継承する過程で自然発生的にあらわれる「家柄」のようなものといえばよいだろうか、この点では英国やインドをひきあいに私たちがしばしば述べる階級ともニュアンスがいささかことなる。はっきりとはみえないけれど、あっちとこっちをへだてている壁のようなもの。コロナ禍のずっと前から私たちのまわりにはアクリル板みたいなのがあってひとはそれに沿って生きてきた――のかもしれない、と監督の岨手由貴子はいいたがっているかにみえる。

 山内マリコの原作による物語は5章からなる。そこでは二項対立的な価値観が通奏低音のようにくりかえしあらわれてくる。階層の上と下、社会的な領域の内と外、東京と地方に男と女などなど、私たちの日々の生活にそのような区分や線引きがいかに根を張っているか、岨手由貴子は告発調とも無縁に描いていく。親のお膳立てに応えつづける上流階級のひとたちも、地元が世界のすべての地方のひとたちにも、彼女はひとしくまなざしをそそぎ、俳優たちは監督の狙いに自然体でこたえている。主人公ふたりのほかにも、華子の友人役の石橋静河、美紀と地元と大学が同じ女友だち役の山下リオの存在が物語に奥行きをもたらしている。彼女たちをふくめて、作中人物はひとしなみにひかえめで楚々としており、家柄や性別や居住地や経済状況がさだめる条件に、積極的と消極的とにかかわらず、結果的には忠実に生きようとする、生きてしまう。
 ある側面からみれば、これは未来という来たるべき時間にたいする期待の剥奪であり、階級を再生産する統治の技法である。作中でも、東京は住み分けされていて、ちがう階層のひととは出会わないようにできている、というようなセリフがある。そこでは社会階層は固定化し流動性はきわめて低い。下から上へ、階層の移行が成立しない社会は努力しても報われない社会であり、そのような空間は反動的に生得的なものへの没入がおこりうる。ポール・ウィリスの『ハマータウンの野郎ども』(ちくま学芸文庫)は英国の労働者階級の若者がなぜ、親と同じ仕事に就く傾向にあるのかを考えた社会学の古典だが、そこで取材を受けた労働者階級のある若者は学校教育を不要なもの、まどろっこしいもの、寄り道みたいなものだと述べる。世間の荒波にすこしでも早くふれるのが人生のなんたるかを知る近道だと彼は語るのだが、教育の猶予と選択肢を捨て去ることは他方では階級移行の可能性にみずからフタをすることにほかならない。『ハマータウン』は1977年の刊行だが、これは同じことは40年後の日本の地方でも地元志向の名のもとにくりかえされている。地方都市に生まれた美紀は進学という機会をテコに、生得的な共同体への懐疑なき没入からの離脱をこころみるが、家庭の経済的な事情で東京での学生生活の夢はついえてしまう。

 教育における階層化を論じるのは本稿の任ではないが、ひとことだけもうし述べれば、努力主義を内面化した果ての自助(自己責任)論は端的に欺瞞である。欺瞞のことばは未来をしぼませ、ひとを支配しようとする。生得的な属性はそのさい恰好の材料となり、ときに宿命を擬制するが、それらは偶然や宿命が本来的にそなえるあの複雑さを欠いている。せいぜいが占いレベル――であるにもかかわらず、固定化した社会通念がその価値観を内面化させるというこの無限ループ。むろん『あのこは貴族』に登場するだれひとりとしてこのような構図を俯瞰するものはない。彼らはあたりまえと思う暮らしをおくり、お見合いし、結婚し、ときに都合のいい女になり、家庭に入ったり仕事をしたりする。交錯することのないはずだった異なる階層のふたりの生がまじわるのも、高良健吾が演じる華子の夫幸一郎が美紀とも関係をもっていたからである。そのことに偶然勘づいた友人の仲介で華子と美紀ははじめて出会うが、ふたりは恋情のサヤあてをおこなうでも『黒い十人の女』さながら共謀して男をワナにかけることもない。物語における人物の相関関係は対立的なのがお約束だが美紀と華子はたがいに理解をしめし相手の領分にふみこもうとしない。ましてや「貴族」の表題から連想する革命的階級闘争(ということばを、私もひさしぶりに書きましたけれども)も出来しない。それぞれの問題をかかえそれぞれの暮らしにもどるのだが、出会いにより生まれた内面の揺れは、さざ波のように広がり、彼女と彼らが居るべき場所の外へほんのすこしふみだすときの背中を押す力にもなるだろう。そのかすかなうつろいを岨手由貴子はもうひとりの友だちのような距離感からていねいに掬いとっている。ロケーションや衣裳、小道具などの細部はそのさいのリアリティを担保し、渡邊琢磨のスコアは弦楽四重奏の形式に作中人物たちの関係性をおりこみ楽曲の構造で映画の主題を反復する、けっして大きくはないが、手仕事の巧みさとあたたかさの伝わる好ましい一作である。

映画『あのこは貴族』予告編


Jlin × SOPHIE - ele-king

 ポーランドで毎年開催されている音楽とアートの祭典《Unsound Festival》が、初めてのアルバムをリリースした。
 おもに同フェスに関わってきたアーティストたちによる楽曲が収められており(どれもパンデミックに対する応答として委嘱された作品のようだ)、エッセイや詩、小説などから成る325ページにもおよぶ本とのセットも用意されている。
 冒頭のクリス・ワトソンにはじまり、ニコラス・ジャーベン・フロストムーア・マザーディフォレスト・ブラウン・ジュニアティム・ヘッカーなど、強力な面々が大集合しているが、目玉はやはりジェイリンソフィーのコラボだろう。
 ほかにも上海の 33EMYBW、スウェーデンの Varg²™、ナイロビのスリックバックなど、近年要注目のアンダーグラウンドの精鋭たちが参加しており、ショウケースとしても楽しめる内容になっている。ヴァイナルは4月16日に発売。

Various
Intermission
Unsound Festival
March 5th, 2021

01. Chris Watson - Unlocked
02. Bastarda - Aperte
03. Slater, Guðnadóttir, Grisey - Happy, Healthy, Safe
04. mixed by Nicolás Jaar - Aho Ssan, Angel Bat Dawid, Dirar Kalash, Ellen Fullman, Księżyc, Laraaji, Nicolás Jaar, Paweł Szamburski, Resina, Rolando Hernandez and Wukir Suryadi - Weavings (Part 1)
05. Zosia Hołubowska and Julia Giertz - Community of Grieving (Part 1)
06. Ben Frost, Trevor Tweeten & Richard Mosse - Fire Front near Humaitá (excerpt from Double-Blind)
07. Lutto Lento - Good Morning Go Tears
08. Jlin X SOPHIE - JSLOIPNHIE
09. 33EMYBW - The Room
10. Varg2™ & VTSS - VARGTSS2
11. Moor Mother & Geng - This Week
12. Slikback - ZETSUBO
13. DeForrest Brown, Jr. & James Hoff - Project for Revolution in New York
14. Tim Hecker, Agata Harz & Katarzyna Smoluk - Demeter & Johannes' Song of Pandemia
15. Jana Winderen - re_Surge

https://unsoundfestival.bandcamp.com/album/v-a-intermission

 3月3日にLOFT 9 Shibuyaで伊基公袁(イギー・コーエン)監督のドキュメンタリー映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』がプレミア上映された。30分に満たない短編映画であり、阿部薫本人の映像は登場しないものの、さまざまな立場の人物による証言から稀代のサックス奏者を新鮮な視点で照らし出す、きわめて現代的な作品に仕上がっていた。


阿部薫の実家には遺影が飾られている。
映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』より。

 映画は軋るようなサックス・サウンドを彷彿させる走行音が鳴り響くなか、列車に揺られて阿部薫の墓所へと向かうシーンから幕を開ける。カメラはその後、神奈川県川崎市にある実家を訪ね、住宅の一室で実の母・坂本喜久代が息子との思い出を振り返るシーンを映し出していく。いまやオリジナル盤が70万円もの高額で売買されているというレコード『解体的交換』の元になった同名コンサートに親戚一同で足を運んだ話。あるいはライヴのフライヤーやチケットなどが几帳面にファイリングされている様子など、ここで浮かび上がってくるのはことあるごとに神聖視されてきた伝説のミュージシャンではなく、ごく普通に親の愛情を受けて育った一人の人間の姿だ。一方、映画の節々には2015年に新宿ピットインで開催された阿部薫トリビュート・イベントの記録映像が挿入されており、大谷能生、大友良英、纐纈雅代、竹田賢一、吉田隆一らさまざまな世代の5名のミュージシャンによるトークとライヴがモノクロームの映像でテンポよく流される。阿部薫とは同時代を生きた存在であり、あるいは多大なる影響をもたらした先達であり、あるいは音楽的な分析対象でもあるといったふうに、それぞれの立場によって異なる人物像が形成されていく。映画の終盤では阿部薫のサックスの音源が繰り返しループされたあと、サンプリング・コラージュの様相を呈しつつ、突如として小さな子供が玩具のサックスを吹きながら遊ぶシーンへと移り変わって幕を閉じる。映画内で吉田隆一は阿部薫について「自分のやりたいことに特化して、そのための技術を身につけた人」と評していたが、ジャズをはじめとした既存の音楽語法を習得することだけが「技術」ではないことを考えれば、たしかに阿部薫は、彼にしか出すことができない音のために完璧な表現手段を身につけた、きわめて技巧的なミュージシャンだったと言える。だが同時にそのサウンドは、あたかも列車が軋む走行音=環境音や、子供が無邪気に遊びながら玩具のサックスを吹く音と、ほとんど等しい美しさを湛えているようにも聴こえはしないだろうか。あるがままの響きと原初的な音の歓びが、研ぎ澄まされた技術の果てにある極北のサウンドと重なり合うこと。


千歳飴を手に持つ幼少期の阿部薫のポートレート。
映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』より。

 LOFT 9 Shibuyaでは、上映前に竹田賢一と吉田隆一が短いトークをおこない、上映終了後にはライターの大坪ケムタを司会に吉田隆一、柳樂光隆、沼田順、伊基公袁らによるトーク・セッションがおこなわれた。興味深いのは、阿部薫の音楽がマーク・ターナーやジョシュア・レッドマンら現代ジャズのサックス奏者によるミニマルで抑制された音色と比べられるかと思えば、ジャンルとしてのノイズ・ミュージックを聴く耳で体験する快楽が引き合いに出され、あるいはクラシック音楽のサックス奏者であるマルセル・ミュールとの類似が指摘されるなど、ジャンルを異にするさまざまなミュージシャンが議論の俎上に載せられたことだった。1970年代に活躍した阿部薫は、いまや日本のフリー・ジャズのコンテクストのみならず、多種多様な音楽を横に並べて聴きどころを探ることができるのだ。とりわけ昨年は、論集『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』が文遊社から刊行されたほか、未発表音源『STATION '70』、『LIVE AT JAZZBED』、『19770916@AYLER. SAPPORO』が立て続けにリリースされるなど、阿部薫はここにきてあらためて注目を集めることになったミュージシャンの一人でもある。パンデミックによって音楽状況が激変したニーゼロ年代に、彼の音は、あるいはその生き方は、どのように捉え直すことができるのだろうか。そのことを考えるためにも、このタイミングで彼の音楽を振り返っておくことは有意義だろう。以下のテキストは、阿部薫が音楽活動を始めてから没後半世紀が経過した現在に至るまでにリリースされてきたほぼすべてのアルバムを、発表された順に辿り直すことによって、時代ごとにどのようなサウンド像が形成されてきたのかを素描する試みである。あくまでも素描であり、証言や資料を交えたより一層精緻な検証と考察が必要であることは論を俟たないが、少なくとも、時代ごとに異なるコンテクストで魅力を放ってきたその音/音楽に潜在する可能性は、いまだ汲み尽くされることなく未来へと開かれていると言うことはできるだろう。

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前提──録音物によって再構成されるミュージシャンの軌跡

 1949年5月3日、神奈川県川崎市出身。本名・坂本薫。68年に地元のジャズ・スポット「オレオ」でデビュー。アルト・サックス奏者として形式をもたない自由即興演奏に取り組み、都内のライヴ会場を拠点に全国各地への楽旅も敢行。73年には作家の鈴木いづみと出会い、結婚。74年冬ごろから翌75年夏にかけて一時的に表舞台から姿を消し、その前後で演奏内容も大きく変化している。70年代前半はスピード感あふれるパッセージと矢継ぎ早に繰り出される洪水のような音の奔流を得意としていたものの、音楽活動を再開してからは沈黙と間の比重が増し表現的かつ即物的な音の実験へと向かうようになる。サックスやバス・クラリネット、ハーモニカといった吹奏楽器のほか、とりわけ晩年はピアノ、ドラムス、ギター、シンセサイザーなど多種多様な楽器を積極的に使用。また生涯を通じて既存の楽曲の旋律を即興演奏のなかで繰り返し取り上げ、そのバリエーションは歌謡曲 “アカシアの雨がやむとき” や童謡 “花嫁人形” からボブ・ディランの名曲 “風に吹かれて”、さらに “チム・チム・チェリー” “恋人よ我に帰れ” “暗い日曜日” “レフト・アローン” “ロンリー・ウーマン” といったジャズ・スタンダードとしても知られる作品まで多岐にわたる。1978年9月9日、前日に睡眠薬ブロバリンを98錠服用したことによる急性胃穿孔で死去──云々。

 いま現在わたしたちが阿部薫を聴くということは、粗雑に描いても以上のような情報に加えて時代状況をめぐるコンテクストを念頭におきながら彼の音楽に接することを少なからず意味している。わたしたちはいまや、発掘録音や特典盤を含め50枚以上のアルバム、あるいは同時代を生きた関係者の証言、批評家が残したテキスト、ファンのエッセー、さらには幼少期から晩年までを断片的に写し取った写真や演奏する姿をありありと観察することのできる映像まで、膨大な情報を参照することによって、それなりの精度で阿部薫という一人のミュージシャンの足跡を辿り直すことができる。データ化された彼の情報を縫合することによって、あたかも同時代を生きているかのようにリアルな感触をともないながら彼の音楽を再構成してみせることができる。なかには稲葉真弓の小説そして同書を原作にした若松孝二監督の映画『エンドレス・ワルツ』のように、虚構を織り交ぜた物語として劇的な生涯を知ることもできるかもしれない──むろん死を分割払いしていく破滅的な思想を阿部薫の音と足跡にそのまま当て嵌めてしまうこともまた現実に回収し得ない一種の虚構的振る舞いであると言えるものの。いずれにしてもそのような情報が増えれば増えるほど、阿部薫というミュージシャンの「本当の姿」すなわちその音楽の「真実」に近づくことができるように見える。

 だがしかし、このように全体像をイメージしたうえで阿部薫の音楽に接するということ自体が、彼の死後半世紀近く経過し、数多くの資料に容易にアクセスできるようになった現在であればこそ経験できる出来事であるということには留意しなければならない。いまやわたしたちは阿部薫の名前が冠された録音作品について、それが最盛期か否か、晩年か否か、同時期に私生活ではどのような変化があったのかを知ることができるものの、少なくとも同時代にあっては、いかに彼の音楽が死の匂いを濃厚に漂わせていようとも、死の直前の演奏だとはつゆ知らずに「晩年」の音楽を聴いていただろうし、ある録音物を10年という短い活動期間の時間軸上に配置するパースペクティヴも得ようがなかったはずである。新たな情報が客観的事実の正確性をより一層高めることはあったとしても、新たな録音物が日の目を見ることは阿部薫の音楽の「真実」に近づくのではなく、むしろそのサウンド像にこれまでとは異なる視点を設けることを可能とする出来事であるに他ならない。以上のことを踏まえ、本稿ではこれまでリリースされてきた音源を彼の人生に沿ってクロノロジカルに並べるのではなく、むしろ録音物がリリースされることでどのようなサウンド像がその都度形成されてきたのかを素描するべく、三つの時代に分けて音盤を見ていくこととする。三つの時代とは、作者が存命中あるいは没後数年間を含む1970年代〜80年代前半、再評価の機運が高まった1980年代後半〜ゼロ年代前半、そして阿部薫をインターネット上に浮遊する音声ファイルの一つとして聴くことが容易に可能となったゼロ年代後半以降である*。

(註)
* なお本稿は阿部薫の完全なディスコグラフィーを目指す性格のテキストではないため、特典盤やリイシュー盤など言及していない作品もあることをここに付記しておく。また個人史ではなく録音受容史をテーマに据えているため、アルバムには録音年ではなくリリース年を年号として付している。

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同時代の響き──1970年代〜80年代前半

 阿部薫が存命中にリリースされたアルバムは数えるほどしかない。サックス奏者の高木元輝率いるトリオに飛び入り参加したトラックが収録されている『幻野』(1971年)と海賊盤の『WINTER 1972』(1974年頃)を、本人の名義が記されていないため除くのであれば、代表的なアルバムとしては音楽批評家の間章プロデュースによる『解体的交感』(1970年)と『なしくずしの死』(1976年)の2枚を挙げることができる。前者はギター奏者の高柳昌行と結成したデュオ「ニュー・ディレクション」による約1時間のセッションであり、新宿厚生年金会館小ホールで1970年に開催された同名コンサートを収録したものである。ノイジーだがフリー・ジャズ的な快楽とは異なる起承転結のない演奏が延々と続き、途中で阿部はハーモニカに持ち替え一瞬静寂が辺りを包むものの、基本的には激しい音のエネルギーが放射され続けていく。ルイ=フェルディナン・セリーヌの代表的な小説『夜の果てへの旅』の一節を朗読するミシェル・シモンの声から幕を開ける後者は、セリーヌのもう一つの代表作『なしくずしの死』のタイトルにあやかった1975年の同名コンサートと、その二日前のリハーサルを兼ねたレコーディング・セッションを収録した2枚組の大作である。音楽的な性質を帯びる前にフレーズを切断していく円熟期の阿部の演奏を捉えた貴重な記録であり、聴き返すたびに快楽のポイントが変異していくような、彼が残した作品のなかでもっとも既存の価値基準の彼岸をいくサウンドとでもいうべき、アルト・サックスとソプラニーノを用いたソロ・インプロヴィゼーションのまさに極北をいく作品である。


『なしくずしの死』

 『なしくずしの死』がリリースされた翌年の1977年から78年にかけて、やはり間章プロデュースによる海外のミュージシャンを迎えたスタジオ・セッションが録音されている。米国のドラマーであるミルフォード・グレイヴスとともにセッションをおこなった『メディテイション・アマング・アス』(1977年)は、阿部のほか近藤等則(トランペット)、高木元輝(テナー・サックス)、土取利行(パーカッション)が参加した作品だ。力強いドラミングを中心にクインテット編成で祝祭的な演奏をおこない、ミルフォードによるピアノおよびヴォイスの使用がスピリチュアルな雰囲気を醸し出すセッションのなかで、阿部はあくまでも全体のアンサンブルの一員としての役割を担っている。英国のギター奏者デレク・ベイリーが初来日した78年に録音された『デュオ&トリオ・インプロヴィゼイション』(1978年)は、ミルフォードを歓待した国内メンバーに吉沢元治(コントラバス)を加えた計六人が参加し、ベイリーとともにデュオまたはトリオでのセッションをおこなっている。阿部はベイリー、高木とのトリオ・セッションに参加しており、同じサックス奏者である高木の演奏と比較することで阿部に独自の音の鋭さと切り込みの速さがより一層際立って響いてくることだろう。なお2003年に復刻された際、全メンバーが参加したセクステット編成での集団即興がボーナストラックとして付されることになったのだが、阿部が残した音源のなかで最も多人数であろうこの演奏でも彼のサックスの鋭さと独立独歩の精神は際立っている。


のちに音盤化された1975年のコンサート「なしくずしの死」の半券。
映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』より。

 1978年に阿部が急逝すると、ドラマーの豊住芳三郎とのデュオ「オーヴァーハング・パーティー」のセッションを収録した『オーヴァーハング・パーティー』が翌79年に追悼盤としてリリースされた。ここで阿部はサックスのほかクラリネットやハーモニカ、ギター、ピアノ、マリンバなども演奏しており、まるで音遊びするかのような愉しさと、サックスだけでは決して到達し得ない音の領域を開拓する実験性を聴くことができる。81年にはデュオ作品として吉沢元治とのセッションを収めた『北〈NORD〉』がリリースされている。内容は『なしくずしの死』と同じ二種類の会場でおこなわれた演奏の記録である。静謐さのなかに一触即発の雰囲気を湛えたすこぶる緊張感あふれる音楽だ。一方で同年にリリースされた『彗星パルティータ』はソロ・アルバムで、阿部と親交の深かった劇作家で劇団駒場の主宰者・芥正彦プロデュースによる1973年の録音。70年代前半の阿部が到達した超絶的なテクニックをあますところなく収めており、高域の特殊な音響や地鳴りのような低域のノイズ、そしてフレージングの速度と、どれを取ってもきわめてレベルの高い内容となっている。さらにライヴ録音ではなく芥の自室兼劇団駒場のスタジオで録音されたということもあり、演奏がクリアな音質でダイレクトに耳に届くところも印象的だ。最後に付け加えておくと、評伝集『阿部薫1949 - 1978』(文遊社、1994年)で複数の人物が証言しているように、阿部が生きた時代にはライヴへと足を運んだ観客の一部が私的にカセットで演奏を録音し知人友人らとシェアしていた。それもまた録音物としての阿部の受容形態の一つであり、なかにはのちに発掘音源として音盤化された作品もある。

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再評価の機運──1980年代後半~ゼロ年代前半

 およそ8年の空白を経た1989年、阿部のあらたなアルバムとして、死の約二週間前の演奏を捉えた未発表音源『Last Date 8.28, 1978』がリリースされた。同時に、阿部と同時代を生きた人々の証言や資料などを収集した『阿部薫覚書』(ランダムスケッチ、1989年)も刊行。これを契機に再評価の機運が高まっていった。『Last Date 8.28, 1978』にはサックス、ギター、ハーモニカの三つの演奏が収められており、なかでも死の間際とは思えない闊達自在なサックス演奏と、タンギングを駆使した独創的なハーモニカ演奏が特筆に価する。同作品をリリースしたディスクユニオンのレーベル〈DIW〉は続けて阿部が70年代後半に頻繁にライヴをおこなっていた東京・初台のライヴ・スペース「騒」での演奏を収録した『ソロ・ライヴ・アット・騒』シリーズを1990年から91年にかけて計10作品リリース。晩年の貴重な記録であるとともに、70年代前半とは異なる沈黙と間を取り入れた減算の美学とでもいうべき姿勢を聴き取ることができる。こうした傾向は『スタジオ・セッション 1976.3.12』(1992年)にも刻まれているが、特定のスペースにおける演奏を辿り直すことができる録音としては、福島のジャズ喫茶「パスタン」でおこなわれた演奏の記録が全12枚の『Live At Passe-Tamps』(1998年)シリーズとして発表されている。同シリーズには阿部がシンセサイザーやエフェクトをかけたハーモニカ、ギター・フィードバックを駆使したライヴなど、電子音楽あるいはミュジーク・コンクレートの音像にも近い実験的色合いの濃い演奏も記録されており、サックス奏者とは異なる彼の即物的な音響現象に注目していた側面を垣間見ることができる。


『Last Date 8.28, 1978』

 〈DIW〉に加えて阿部薫再評価に貢献したもう一つの特筆すべきレーベルが、明大前モダーンミュージック店主でもあった生悦住英夫が主宰する〈PSFレコード〉である。同レーベルでは「J.I. COLLECTION」シリーズとして阿部薫をはじめとした日本のフリー・ジャズ黎明期の発掘録音を多数発表しており、『またの日の夢物語』(1994年)や『光輝く忍耐』(1994年)、『木曜日の夜』(1995年)といった70年代前半の切れ味鋭い阿部のソロ・インプロヴィゼーションの記録から、最初期の録音でありピアノとドラムスを率いたリーダー・トリオの音源『1970年3月、新宿』(1995年)、そしてかつて高柳昌行とともに「ニュー・ディレクション」として活動していたドラマーの山崎弘(現・比呂志)とのデュオを収めた『Jazz Bed』(1995年)などがリリースされている。また、やや時間をおいて2012年には「マイ・フーリッシュ・ハート」や「いそしぎ」など録音としてはあまり残っていないスタンダード・ナンバーを演奏に取り入れた『遥かな旅路』も発表。阿部は即興演奏のなかで繰り返し叙情的な旋律の歌謡曲やジャズ・スタンダード、あるいはポピュラー・ソングなどを取り上げ、あるときは原型がわからなくなるほどの解体と再構築を施し、あるときは演奏語彙のストックとしてサンプリングのように引用しているのだが、そうした彼の側面を見事に捉えた3枚のアルバムとして、1997年に徳間ジャパンのパンク/オルタナティヴ専門レーベル〈WAX〉から世に出されたドラマー佐藤康和(YAS-KAZ)とのデュオ作『アカシアの雨がやむとき』およびソロ作『風に吹かれて』『暗い日曜日』を挙げることができるだろう。

 世紀転換後の2001年には〈DIW〉から高柳昌行と阿部薫のデュオ「ニュー・ディレクション」による音源『集団投射』『漸次投射』の2枚が発表された。『解体的交感』から数日後の演奏であるものの録音状態が大きく異なり、空間に迸るノイズをリアルに刻印したサウンドは一聴するだけでも圧倒される内容となっている。この時期、評伝集『阿部薫1949 - 1978』の増補改訂版が刊行されたほか、既発音源のリイシューなども盛んにおこなわれている。あらたな音源としてはさらに〈DIW〉から『Last Date 8.28, 1978』の翌日に録音された最晩年の作品である『The Last Recording』(2003年)がリリース。「騒」のシリーズをはじめ主に70年代後半の演奏を数多く世に出した〈DIW〉と、70年代前半の録音を立て続けに発表した〈PSFレコード〉の活動は、阿部薫の音楽性の変容を音響として明らかにし、約10年という短い活動期間に一つのパースペクティヴを与えることに資しただろう。なお90年代からゼロ年代にかけては海外のレーベルからも2枚のアルバムがリリースされている。デレク・ベイリー来日時のセッションを記録した『Aida's Call』(1999年)は音質が悪いものの資料的価値はあり、終盤では間章の声も聴くことができる。一方、豊住芳三郎とのデュオ「オーヴァーハング・パーティー」の演奏を記録した『Overhang Party / Senzei』(2004年)は、国内でリリースされた作品と同年のセッションだが内容は大きく異なり、アルト・サックスに徹した阿部が豊住の激しいドラムスと白熱したデュオを繰り広げる様子を聴き取ることができる。

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ポスト・インターネット時代──ゼロ年代後半以降

 レコードやCDとしてリリースされた音盤は、すでにこの世を去った阿部薫の音楽を聴覚によって検証可能としたものの、数年経つと廃盤となることもあり、一般的なリスナーにとってはアクセスすることが難しい作品が多かった。しかしインターネットの普及はこうした状況を大きく変えていく。たとえば以前、とある海外のミュージシャンと会話した際、阿部薫の話題に花が咲いたことがある。その人物はアルバムをほとんどすべて聴いたことがあるというものの、聞けば自宅の近くに日本のマイナーな音盤を置いているレコード店はなく、フィジカルで所有することなくインターネットを通じて阿部薫の音源を聴き込んだらしい。たしかに骨董品として不当な高値で取引されている音盤は、マニアならいざ知らず、端的に阿部の音を聴きたいという異国の地で暮らすミュージシャンにとって、手の届く距離にあるものではないだろう。そしてそうした時代にあって阿部の音楽は否応なく音声ファイルの一つとして、伝説や物語から切り離された音響として、古今東西の音と等しくアクセス可能なものとしてインターネット上を浮遊しているのである──むろんそこにステレオタイプな日本趣味の眼差しを向けられることが皆無だとは言い切れないものの。いずれにせよかつて阿部が求めたような、既存のジャンルやイメージとしての音楽ではなく端的に音そのものであることは、いまや聴取環境の条件の一つとなっており、あらゆるしがらみから遠く離れて彼が残した音楽を聴き、演奏技術として模倣し、あるいは音響現象として検証することが可能な時代を迎えている**。


トリオ時代のニュー・ディレクションの音源は昨年『LIVE AT JAZZBED』として発掘リリースされた。
映画『阿部薫がいた documentary of Kaoru Abe』より。

 とはいえ一方ではゼロ年代後半以降も阿部の未発表音源は続々とリリースされている。東京・八王子のジャズ喫茶「アローン」が閉店するに際してサックス奏者の井上敬三、ドラマーの中村達也とトリオでセッションした約20分間の音源が収録されている『Live at 八王子アローン Sep.3.1977』(2015年)は、つねに独立独歩の精神を貫いていた阿部の共演者とのコミュニケーションが垣間見える記録だ。たしかに相手の音に露骨に反応することはないものの、共演者と無関係に音を出しているわけではなく、互いにソロ回しをしたり相手が演奏できる間を用意したりしていることがわかる。また豊住芳三郎とのデュオ・アルバム『MANNYOKA』(2018年)は海外からリリースされた作品で、『Overhang Party / Senzei』と同じくフリー・ジャズ的な熱狂が刻印されている。そして2020年前半には3枚の発掘音源が日の目を見ることとなる。『解体的交感』直前の高柳昌行とのデュオを収めた『STATION '70』は、とりわけ1曲目 “漸次投射” の繊細な音のありようがデュオの新たな価値を照らし出している。さらにこの二人にドラマーの山崎弘を加えた編成での録音が『LIVE AT JAZZBED』で、2012年に『未発表音源+初期音源』として出された劣悪な音源の一部で聴くことのできた幻のトリオを存分に堪能できるようになった。さらに『19770916@AYLER. SAPPORO』は札幌のジャズ喫茶「アイラー」での演奏を録音したものであり、スピード感あふれるパッセージやノイジーな特殊音響、間を重視したアプローチ、あるいは既存の楽曲を引用した聴き手の記憶をまさぐるような叙情性など、サックス奏者としての阿部の魅力が凝縮されて詰め込まれた稀有な作品となっている。


『19770916@AYLER. SAPPORO』(※録音年月日は正しくは1977年9月18日)

 復刻盤を含めて阿部薫のアルバムは今後もリリースされ続けることだろう。まだ世に出ていないものの録音されているという証言が残された音源や、音盤化されることなくインターネット上で流通している未発表音源もある。だがその一方で彼の演奏を記録した音源はあくまでも有限であり、いずれはすべての録音が出尽くしてしまう日が来るはずだ。しかしたとえ阿部薫の生涯を記録したすべての音がアクセス可能となったとしても、それはそのまま彼の「本当の姿」に迫ることを必ずしも意味するわけではない。むろん事実としてより正しい情報に塗り替えられることはあるにせよ、わたしたちは聴き手としての有限な経験のうちで阿部薫の音楽を恣意的に切り取ることによってはじめて全体像を仮構することができるのであって、あらたなアルバムのリリースはサウンド像の完全性に向かうのではなく、むしろこうした切断の契機に多様性を担保するものであるに他ならない。そして彼の個人史はわずか29年間という短い尺度のなかに収めることができるのだとしても、この意味でわたしたちはこれからも録音物と阿部薫の音楽を異なるやり方で紐付けることによって連綿と受容史を紡いでいくこととなるに違いない。それは彼の音楽から価値を見出すためのあらたな基準を設定し、あるいは現在とは別種の聴き方を生み出し、さらには彼の演奏の録音を立脚点とするあらたなミュージシャンの試みを創出することへと向かい続けるだろう。

(註)
** ところで阿部薫の音楽がときに難解なものとして一般的なリスナーを遠ざけてしまうことには、少なくとも「価値基準の複数性」と「神秘化」という二種類の要因があるように思われる。前者はたとえば運指の速度やアタックの強度、ノイジーな音色など高度な演奏技術の快楽的側面に加えて、ノスタルジーを喚起させる旋律の引用や間を重視した表現主義的なアプローチ、あるいはどんな快楽にも寄り添うことのない非イディオム的な即興演奏、さらにアルト・サックスを用いた圧倒的な個性とは真反対をいくような匿名的な多楽器主義など、一つの評価軸には回収することのできない、場合によっては矛盾し得る複数の価値が彼の音楽には同居しているのである。後者については阿部薫存命中に代表作をプロデュースした間章による晦渋なテキストはもとより、80年代後半以降の再評価時代に一部の支持者が実際にライヴを経験しない限り検証不可能な現象を説明抜きで称揚したことも挙げることができる。たとえば1991年に放送された深夜番組『PRE STAGE・異形の天才シリーズ①〜阿部薫とその時代〜』で議論された「演奏していないにもかかわらず、音が出ている」というあたかも耳音響放射のような体験を「わかる人にはわかる」と片付けてしまうことは、その真偽を検証することのできない後続の世代には知り得ない「神秘」を否応なく呼び込んでしまう。そして以上のような「価値基準の複数性」および「神秘化」のいずれにおいても、一般的なリスナーが聴くことを楽しもうとするや否や「阿部薫の魅力はそんなところにはない」というエリート主義的な文言が壁のように立ちはだかってきたのである。しかし本稿で主張しているように阿部薫のサウンド像に「真の姿」などというものは存在せず、どのような価値基準の側面であっても、あるいはたとえ録音物であっても、それぞれのリスナーがそれぞれの視点から魅力を感じ取ることができるはずだ──むしろそのように非エリート主義的な開かれた音楽である点が阿部薫の最大の魅力だと言えるのではないだろうか。

Godspeed You! Black Emperor - ele-king

 打ち震えよ。ゴッドスピード・ユー!・ブラック・エンペラーの新作が出る。2017年の『Luciferian Towers』以来、4年ぶりとなるアルバムは『G_d's Pee AT STATE'S END!』と題されている。「国家の終わりに神さまのおしっこ!」とでも訳せばいいだろうか。彼らには圧倒的なサウンドの強度と、そしてアティテュードがある。怒りも悲しみも併せ呑みながら、GY!BEは現代のサウンドトラックを奏でつづける……発売は4月2日、〈Constellation〉から。


4521.0kHz 6730.0kHz 4109.09kHz from Constellation Records on Vimeo.

https://cstrecords.com/artist/godspeed-you-black-emperor/

Digga D - ele-king

 ロンドン郵便番号抗争はUKドリルにおけるメイン・トピックであるが、特に今回紹介する Digga D はその抗争の最前線のラッパーだ。Digga D が所属する Ladbroke を拠点とするギャング「CGM」は Fredo が所属する HRB と対立している(彼らの因縁は刑務所の中ではじまったという噂もある)。その対立は音楽的な競争という形で現れる。2月には Digga D のミックステープが Fredo のアルバムとほぼ同タイミングでリリースされており、実際の彼らのライバル関係を踏まえてこの作品は聴かれるはずだ。

 Digga D のキャリアを簡単に紹介すれば、2018年にフリースタイル動画で注目を集めたものの、同年、MVの撮影中に敵のギャングへの襲撃未遂の嫌疑で逮捕され、CBO(Criminal Behaviour Order)と呼ばれる、監視下の状態に置かれた。これは2000年代にロンドンの数々の海賊ラジオを取り締まった ASBO に代わる法的手段であり、「治安維持」を目的にドリル・ラッパーに活動の制限を課している。釈放後も Digga D の足には常にGPSトラッカーが付けられ、ミュージックビデオはロンドン警察のレヴューなしで動画アップロードすることはできなくなった。(こうした監視や検閲に対する批判はUK国内でもあり、BBC Three ではドキュメンタリーとしてまとめられている)

 四度の服役や、2019年には刑務所で目を刺され片目を失明するなどの困難もありながら、彼の勢いは止まらなかった。刑務所にいる期間にリリースされた 1st Mixtape に収録された “No Diet”(「コークはダイエットってことじゃない」という直球パンチライン)がヒットし、昨年は “Woi”(本作に収録)のヒットなど破竹の勢いで活躍を続け、2月には 2nd Mixtape『Made in the Pyrex』がリリースされた。

 前置きが長くなってしまったが、このアルバムはまさにローカルのギャングに対するメッセージがメインの作品だ。LAの Crips のように青いバンダナを旗のように掲げ、リリックにはだいたい敵側のメンバーの名前が入っている。ピー音で隠されているが、その直前のラインの韻から容易にその敵側の固有名詞が想像できる。グライムやフリースタイルで披露していた少し昔ながらのフローをリヴァイヴァルする “Bring It Back” で AJ Tracey が参加しているのも、AJ Tracey の地元が Digga D と同じ「Ladbroke Grove」だからであるし、“Folknem” に参加している Sav’O や ZK は Digga D が所属するギャング「CGM」のメンバーである。

45を撃て、トーラスに照準を合わせろ
俺たちは1対1(1 for 1)、非通知着信(141)みたく*
LOL、ナイフを手に持てよ
サウナをオープンしなくちゃな
ブリーチで肌が焼ける、8月みたく**
俺たちは Tallerz みたく、今でも危険を冒す

“No Chorus”

* イギリスでは電話番号の頭に141をつけると非通知着信になる
** 銃を打った後に手についた火薬を洗浄するため

 彼がここまでヒットしている理由はそのポップさにもある。“Woi” や “Bluuwuu” のような被せを上手く曲の中に取り入れて、音楽をポップに響かせる。音楽だけでなくダンスムーヴも必ず取り入れている。“Chingy” は「Chinging」(「刺す」というスラング)とUSのラッパー「Chingy」を掛けた言葉であるが、手を重ねるようなダンスムーヴが Tik Tok でバイラルヒットしている。いまや Tik Tok でのバイラルヒットはUKドリルでもヒットの必要条件であろう。

@mixtapemadness ♬ Chingy (It’s Whatever) - Digga D

 後半の流れではダンスホール・チューン “Window” で、ジャマイカ・ルーツを反映したパトワでのラップが非常に新鮮に感じた。王道で攻めた13曲は全てギャングスタについて歌ったものだ。自分のビジネス、ギャングにとことん拘る姿勢、そしてストリートの揉め事の渦中にあるスキャンダラスな存在として、いまUKストリートの中心にいるラッパーのひとりだ。

現代における「プログレッシヴ」とは何か?

ジャンル誕生から半世紀を経て、いまやオルタナティヴ/ポスト・ロック等あらゆる音楽性をも吸収し、かつてなく広大で多岐に渡る百花繚乱さを誇る現在のプログレッシヴ・ロック、そしてプログレッシヴ・メタル。

現代シーンに大きな影響を与えたスティーヴン・ウィルソン/PORCUPINE TREEや、DREAM THEATER、クラシックなプログの精神を継承し続けるTHE FLOWER KINGSやSPOCK‘S BEARD/ニール・モース、そしてMARILLIONからANATHEMAに至るまで、現代プログの全容を、2000年代以降の作品を中心とした500枚以上に及ぶディスクガイドとして包括的に紹介。

マイク・ポートノイ、スティーヴン・ウィルソンのほか、OPETHやDEVIN TOWNSENDの敏腕マネージャーとして知られるNorthern Music Co.社長アンディ・ファローといった、プログ界キーパーソンの独占インタビューも収録。

その他レビュー掲載アーティスト: BETWEEN THE BURIED AND ME、CIRCUS MAXIMUS、LEPROUS、HAKEN、THE MARS VOLTA、MESHUGGAH、TOOL、ULVER …and so on!

監修・ディスク選: 高橋祐希 with Prog Project(櫻井敬子/楯 弥生/井戸川和泉)

執筆陣(50音順): 井戸川淳一/大越よしはる/奥村裕司/川辺敬祐/渋谷一彦/鈴木喜之/清家咲乃/関口竜太/長坂理史/中島俊也/夏目進平/西廣智一/平野和祥/高橋祐希/櫻井敬子/楯 弥生/井戸川和泉

[目次]

Introduction
DREAM THEATER
 Interview: Mike Portnoy
 DREAM THEATER 解説: 高橋祐希
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Interview: ARCH ECHO
コラム: '80年代メタルに継承され変異を遂げたプログ・ロック独特の物語性と異端性 by 平野和祥
STEVEN WILSON
 Interview: Steven Wilson
 Steven Wilson 解説: 櫻井敬子
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MARILLION
 MARILLION 解説: 高橋祐希
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Interview: THE OCEAN
THE FLOWER KINGS
 THE FLOWER KINGS 解説: 長坂理史
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 SPOCKʼS BEARD 解説: 関口竜太
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ANATHEMA
 ANATHEMA 解説: 井戸川淳一
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Interview: Andy Farrow
掲載アーティストIndex

[監修者プロフィール]

高橋祐希
音楽ライター。『ヘドバン』『EURO-ROCK PRESS』誌でコラム連載中。AERIAL名義で即興ノイズ/アンビエント音楽も演奏。https://twitter.com/yuki_sixx

櫻井敬子
1999~2009年『EURO-ROCK PRESS』編集部に在籍後、3年間のデザイン留学のため渡英、現地のプログ・シーンを肌で感じて帰国。本書では主に企画・編集を担当。

楯 弥生
ライヴが生き甲斐で、何度も欧州遠征するうちに、いつか日本で『Be Prog!』のようなフェスを開催したいという野望を抱き始め、あれこれ画策中。本業はデジタルマーケター。

井戸川和泉
QUEENSRŸCHEの「Empire」のアートワークに衝撃を受け、デザイナーになることを決意したグラフィック・デザイナー。デヴィン・タウンゼンド教信者日本代表。

Prog Project Twitter
https://twitter.com/prog_project

お詫びと訂正

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GoGo Penguin - ele-king

 マンチェスターのレーベル〈Gondwana〉からの諸作で頭角を現し、独自のやり方でジャズとエレクトロニック・ミュージックをつなぐ試みを実践、近年は名門〈Blue Note〉から作品を発表しつづけているゴーゴー・ペンギンが、初のリミックス・アルバムをリリースする。
 リミキサー陣にはコーネリアスマシーンドラムスクエアプッシャー、ネイサン・フェイク、808ステイト、ジェイムズ・ホールデン、クラークらが名を連ねており……これは、テクノではないか!(〈Gondwana〉のポルティコ・クァルテットも参加)。
 長年コンセプトを温めていた企画だそうで、仕上がりが楽しみです。現在、マシーンドラムによるリミックスが先行公開中。か、かっこいい……

2020年にリリースした最新作『ゴーゴー・ペンギン』のリミックス・アルバムが登場。
コーネリアス、Yosi Horikawa をはじめ世界最高峰のアーティストが参加!

ゴーゴー・ペンギン / GGP RMX
2021年5月7日発売[世界同時発売]
SHM-CD:UCCQ-1138 ¥2,860 (tax in)

●クリス・イリングワース(p)、ニック・ブラッカ(b)、ロブ・ターナー(ds)からなるマンチェスター発の新世代ピアノ・トリオ、ゴーゴー・ペンギン。ジャズ/クラシック/ロック/エレクトロニカなど幅広い影響を感じられるサウンドは唯一無二、ピアノ・トリオというフォーマットの可能性を広げた稀有な存在で、2009年の結成以降世界中から大きな称賛を集めています。
 2020年には名門ブルーノートから3作目となるアルバム『ゴーゴー・ペンギン』(UCCQ-1124)をリリース。自らのバンド名を冠した自信作で、大きな反響を呼びました。

●本作はそのセルフ・タイトルド・アルバム11曲のうち10曲について新たなリミックスを施した、バンドが数年にわたりコンセプトを温めていたというリミックス・アルバム。
世界最高峰のリミキサーが名を連ねる中、日本からはコーネリアスと Yosi Horikawa (ヨシホリカワ)が参加しています。
 1曲目の “コラ (Cornelius Remix)” を手掛けたコーネリアスの小山田圭吾は、「remixerに 808 state が入っていて、マンチェの血を感じました。ゴーゴー・ペンギンは、ヒプノティックな生演奏が魅力なので、なるべく彼らの演奏を残したいと思いました。世の中が落ち着いたら、ライブを見に行ってみたいです」とコメントしています。
 また、ピアノのクリス・イリングワースはこのトラックについて、「コーネリアスのミックスは知的で美しく、アルバムの始まりとしてとても良いと思ったよ。ピアノのメロディをシンセのラインと併せて再配置することでそのメロディがより強調されて、楽曲に新しくて個性的なキャラクターを加えている。リミックス・アルバムにピッタリさ」と語っています。

●もとよりエレクトロニカ的な色も濃いゴーゴー・ペンギンのサウンドだけに、リミックスとの相性は抜群。
 バンドのミュージシャンシップやユニバーサルなサウンドを違った形で体感出来る充実の仕上がりとなっています。

収録内容
01. コラ (Cornelius Remix) (4:22)
02. アトマイズド (Machinedrum Remix) (6:15)
03. エンバース (Yosi Horikawa Remix) (4:09)
04. F・メジャー・ピクシー (Rone Remix) (4:17)
05. F・メジャー・ピクシー (Squarepusher Remix) (6:22)
06. オープン (Nathan Fake Remix) (4:33)
07. シグナル・イン・ザ・ノイズ (808 State Remix) (5:38)
08. トーテム (James Holden Remix) (8:16)
09. トゥ・ザ・Nth (Shunya Remix) (6:51)
10. プチア (Clark Remix) (6:25)
11. ドント・ゴ ー (Portico Quartet Remix) (5:44)

Abul Mogard - ele-king

 セルビアのアンビエント・アーティストであるアブル・モガードの新譜『In Immobile Air』(https://abulmogard.bandcamp.com/album/in-immobile-air)がリリースされた。「不動の空気で」と名付けられたこのアルバムは、古いベヒシュタイン社製アップライトピアノの音を加工して制作されたアンビエント/ドローンである。アルバムはイタロ・カルヴィーノの短編小説にインスパイアされているようだ。印象的なアートワークは1983年生まれのイタリア在住のアーティスト、マルコ・デ・サンクティスの手によるドローイングで、彼が作り出したイメージは本作のフラジャイルなムードを見事に体現している。
 この『In Immobile Air』に収録された全5曲、どの楽曲も静謐さと透明な哀しみが、微かな音響と音楽のなかで儚げに交錯している。この濃厚なノスタルジアに満ちたサウンドスケープは、名盤の誉れ高い『Kimberlin - Music From The Film By Duncan Whitley』を超えている。まさにモガードの最高傑作ではないか。

 まずアブル・モガードのリリース歴を簡単に振り返っておきたい。彼にはある「謎」がある。モガードはドゥーム・サウンドの伝説的バンドであるアースの元メンバーであるスティーヴ・ムーアらが主宰する〈VCO Records〉から『Abul Mogard』(2012)、『Drifted Heaven』(2013)、Justin Wiggan、Siegmar Fricke らとの共作『Lulled Glaciers』(2014)などの初期作品をリリースした後、Walls が〈Kompakt〉傘下で運営するエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈Ecstatic〉から2015年に『The Sky Had Vanished』と『Circular Forms』などの傑作アンビエント・アルバムをリリースした。以降、同レーベルから継続的にアルバムを発表している。
 2017年には〈Ecstatic〉からマウリツィオ・ビアンキとのスプリット『Nervous Hydra / All This Has Passed Foreve』をリリースした。日本のアンビエント/エクスペリメンタル・マニアにモガードの名が知れ渡ったのは、このアルバムではないかと思う。
 続く『Above All Dreams 』(2018)、『Kimberlin - Music From The Film By Duncan Whitley』(2019)などの〈Ecstatic〉からのアルバムもアンビエント・マニアから高く評価された。ちなみに2016年に〈Ecstatic〉から〈VCO Records〉時代の曲のコンピレーション盤『Works』もリリースされている。
 それらのサウンドはどれも深いノスタルジアを湛え、まるでアンドレイ・タルコフスキーの長編映画『ノスタルジア』(1983)のイメージやサウンドを想起させてくれるような音響空間を生成していた。セルビアというヨーロッパのバルカン半島から発表されたアンビエントということもあり、聴き手のイマジネーションをおおいに刺激もした。そしてもうひとつ、われわれを強く惹きつけたことがあるのだ。

 そもそも彼は誰なのか。

 「セルビア出身の老齢の男性。長年勤めた金属工場を退職した後、自らの孤独を慰めるために、工場で聴こえた音をシンセサイザーで作りはじめた」というのが、その初期からレーベルなどによって提示されてきたモガードの基本的なプロフィールであり、人物情報だ。
 だがこのあまりに魅力的な、かつできすぎといえる「インダストリアルな経歴」を持った人物像の真意はいまのところ分からない。事実かもしれない。そうでもないかもしれない。じっさい2017年にベルリンの Atonal で披露されたライヴでは彼の姿は光のスクリーンの向こうに隠れてはいたものの、その微かに見えるシルエットは流布されていたモガードの写真(高齢の男性の写真だ)から連想されるものとは異なっていたようなのだ。
 もしかすると「モガード」という人物自体が虚構であり、存在しないかもしれないという可能性も十分にありえる。だがそのような偽装された経歴・匿名性は、この種のエクスペリメンタルな音楽にあってはそれほど不思議なことではない。
 同時に彼の作り出してきたアンビエント/アンビエンスは、「長年金属工場を勤め上げた初老の男性が作り上げたアンビエント音楽」というコンセプトを十分に体現するようなサウンド/トーンだったことも事実だ。淡い霧のような音の持続は、インダストリアルな音が記憶の層に溶け合ったかのような音響空間を生成しており、深いノスタルジアを醸し出している。
 事の真意ですらもモガードのアンビエント/アンビエンスの霧の中に溶け込んでいってしまっている。とすれば聴き手としては、その虚構の音響的時間の中に虚構ゆえの真実を聴きとり、充実したリスニング・タイムを送ることができれば十分だという見方もある。この種のエクスペリメンタルな音楽において、経歴疑惑問題は大きな問題ではないのだ。だが同時に「高齢の男性」というイメージによる操作がおこなわれていることも事実なのだ(エイジズム? 初期の頃に発表された初老の男性とは?)

 とはいえ事実が明らかになっていない以上、これ以上の追求はできない。たとえ彼の真の経歴の真意=正体が業界内でのコンセンサスであったにしても、われわれ聴き手は一旦は受け入れるしかないのだ。アーティストが作り出した音を聴くこと。ただ、それだけだ。そう考えると、モガードの謎に満ちた経歴は、むしろ作品をただ聴いてほしいという意志の表れかもしれない。
 それらをふまえた上で、もう一度、モガードの音を聴き入ってみよう。やはり彼のアンビエント/アンビエンスは圧倒的に素晴らしい。かつてのフェネスやティム・ヘッカーほどの分かりやすい先端性はないが、彼らのリスナーをも強くひきつける美しい音響を生みだしている。濃厚なノスタルジアは聴き手の聴覚とイマジネーションを深い霧を湛えた森に誘う。加えてアップライトピアノを用いたことによって、本作『In Immobile Air』ではクラシカルな要素も表出しはじめた。その結果、音楽と音響の境界線が溶け合っていくような感覚を与えてくれる。
 『In Immobile Air』は非常に充実したリスニングを与えてくれるノスタルジア・アンビエントだ。謎に満ちた彼の経歴のことは、いまのところ詳細不明で良いのかもしれない。とにかくこの美しい音はここに実在するのだから。
 経歴や物語に左右されず音を聴くことを彼は教えてくれる。モガードの音楽と存在は虚構と現実のあいだを彷徨いつつも、その果てにある音の空間に深く没入させてくれるのだ。そんな稀有なアンビエント・サウンドスケープがここにある。

Telex - ele-king

 〈ミュート〉が仕掛けるテレックス回顧プロジェクト、まずはその挨拶状的なベスト盤『this is telex』は4月30日にリリースされるのは既報の通りなのですが、昨日、その先行シングルの第二弾としてザ・ビートルズの“ディア・プルーデンス”のカヴァーが発表されました。これは未発表だったカヴァーなので、いきなりこれ公開しちゃうのかよーと思ったファンも少なくないでしょう。

 ちなみに『this is telex』は、彼らのファースト・アルバム『テクノ革命』から2006年のカムバック作『How Do You Dance?』までの全キャリアから選曲されていますが、アルバムの冒頭と最後は未発表曲(しかもどちらもカヴァー曲)という、憎たらしい構成となっています。“ディア・プルーデンス”は同アルバムのクローザートラックです。
 なお、〈ミュート〉の日本の窓口である〈トラフィック〉を通じて、細野晴臣からのコメントも発表されました。細野晴臣がプロデュースしたコシミハルの『Tutu』(1983年)において、テレックスの“L'Amour Toujours”が日本語でカヴァーされていますが、これは当時ブリュッセルにあったテレックスの自前スタジオ(Synsound Studio)での録音です。細野晴臣&コシミハルはそのスタジオを訪れているんですね。ちなみにバンドの中枢だった故マルク・ムーランも『Tutu』の“L'Amour Toujours”でシンセサイザーを弾いています。

■細野晴臣コメント
「先日Miharu Koshiと最近のフランスの新しいPOPSを聴いていて、『これはTelexみたいだ』と話してたんです。Telexのような音楽は今や普遍的なPOP MUSICになったんだと思いました。Telexの皆さんとセッションした暑い夏のブリュッセルがとても懐かしく、優しい心で迎えてくれたことを感謝してます。マルク・ムーランさんの逝去、とても残念ですが、きっと彼も僕たちと同じく、ベスト盤のリリースを喜んでいることでしょう。また、近い将来、あなたたちの新作が聴ける日を楽しみに待ってます」

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