「Ord」と一致するもの

Pan Sonic - ele-king

 パンソニックの「新作」がリリースされた。チェルノブイリ事故以降に初めて建設されたフィンランドの原子力発電所を巡るドキュメンタリー映画『リターン・オブ・ジ・アトム(Atomin Paluu)』のサウンドトラックである。監督はパンソニックのふたりとも交流のあるミカ・ターニラとユッシ・エロール。
 その内容からして現代文明社会への警告ともいえるドキュメンタリー映画だろうが、ここ日本でも(エンターテインメント映画であっても)『シン・ゴジラ』や『君の名は。』など、「3.11以降の表現」を模索した作品が相次いで公開されているので、ぜひとも公開を期待したいところである。

 パンソニックのオリジナル・アルバムとしても、2010年のラスト・アルバム『グラヴィトニ』から、じつに6年ぶりのリリースとなる(お馴染み〈ブラスト・ファースト〉から)。もっとも制作自体は2005年からスタートしていたらしく、工事中の原子力発電所でミカ・ヴァイニオとイルポ・ヴァイサネンがフィールド・レコーディングした音素材をベースにしつつ、昨年2015年にミカ・ヴァイニオが単独で最終編集作業をおこなったという。
 このタイムラグは諸般の事情で映画の制作と公開が遅れていたことも原因だったらしい。その結果として、ラスト・アルバム「以降」の新作であり、同時に、ラスト・アルバム「以前」から制作が始められていた未発表アルバムという、いささか複雑な成立過程の作品となったのだろう(ちなみに本サウンドトラックは2016年「フィンランド・アカデミー賞」の音楽部門受賞作品である。このようなエクスペリメンタルな作風の音楽が、国民的な映画賞において受賞をしたというのは素晴らしいことに思える)。

 だが、私としては、本作を彼らの「2016年新作」と称しても、まったく差し支えないと思っている。音響の質感が『グラヴィトニ』以前の脳内に直接アジャストするようなバキバキとしたサウンドから、「霞んだ音色のダークな質感」へと変化を遂げていたからだ。これは1曲め“パート1”のイントロの音響的質感からして明白である。
 むろん、その「変化」は、映画のテーマ性を反映してのことかもしれないし、工事中の原子力発電所で録音した音素材の質感ゆえの変化かもしれない。また、ミカのソロ作品『キロ』(2013年)のダークなサウンドに近い印象でもあり、ミカ・ヴァイニオ単独作業の影響かもしれない。だが、2曲め“パート2”や3曲め“パート3”など、あのヘビー&メタリックなビートも炸裂するのだから、まぎれもなく「パンソニックの音」なのだ。
 となれば、5曲め“パート5”以降のアルバム中盤で展開される霞んだ質感のドローンと不穏な環境音の交錯などは、2010年代以降のインダストリアル/テクノなどの「先端音楽」へのパンソニックからの応答といえなくもない。同時に4曲め“パート4”の冒頭など、どこか武満徹の「秋庭歌一具」を思わせるタイムレスな響きの持続も生成されてもいた(たしかミカは武満ファンでもあったはず)。
 聴覚にアディクションする強烈なノイズから空気を震わすような淡く不穏な音響へ。そう、本作においてパンソニックは音響と空間のあいだに、これまでにない「空気」を生成している。そして、その空気は、工事中の原子力発電所から採取された音素材がベースになっている。となれば、本作特有の「不穏さ」は、やはり原子力発電という制御不能な「力」への畏怖なのではないか?

 「力への畏怖としての電子音楽」。このダークなサウンドは、「われわれ」への警告なのかもしれない。3曲め“パート3”冒頭に鳴り響く、あの暗い雷鳴のように……。さまざまな領域から「資本主義の終わり」を感じつつある現在だからこそ、深く聴くべき問題作といえよう。

DJ Shadow - ele-king

 1996年に〈Mo' Wax〉からリリースされたDJシャドウのファースト・アルバム『Endtroducing.....』は、既存の音源のみで構築されたサンプリング・ミュージックの金字塔として、いまなおポップ・ミュージックの歴史に燦々と輝いている。
 同作は来る11月19日をもってリリース20周年を迎えるが、このたび、それを記念したリミックス盤の企画が進行中であることが明らかになった。DJシャドウは9月12日に放送された「トークハウス・ミュージック・ポッドキャスト」の最新回でクラムス・カシーノと対話をおこなっているが、そこで『Endtroducing.....』のリミックス・アルバムの計画について言及している。リリースの日程やトラック・リストなどはまだ明らかにされていないが、リミキサーとしてクラムス・カシーノやハドソン・モホークが参加しているとのことである。

 ちなみにDJシャドウは、去る7月27日にロンドンのエレクトリック・ブリクストンにておこなわれたライヴで、自身のクラシック "Midnight In A Perfect World" のハドソン・モホークによる未発表リミックスを披露している。その音源が計画中のリミックス・アルバムに収録されることになるのかどうか、注目である。

ファンが撮影した映像


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ヨーロッパのジャズと
周辺音楽カタログの決定版!!

『Jazz Next Standard』シリーズ、『CLUB JAZZ definitive』の監修者、小川充の新刊は、ヨーロッパのジャズとその周辺音楽の案内書。アメリカから伝播したジャズを消化し始めた1960年代のモダン・ジャズ(イアン・カー、マイク・ギブス)、独自のスタイルを築き上げる60年代後半のジャズ・ロック(マイク・ウェストブルック、ソフト・マシーン)、70年代のプログレ/アヴァンギャルド(キース・ティペット)、ビッグ・バンド(ケニー・クラーク、ピーター・ヘルボルツハイマー)などを年代やジャンル別に紹介する。さらには、国外音楽家の録音盤(ドン・チェリー『オーガニック・ミュージック・ソサエティ』)やヴォーカルもの(カーリン・クロッグ、ノヴィ・シンガーズ)などを独自の眼線で大胆にセレクト。ヨーロッパ・ジャズとその周辺音楽の入門書として、最適な一冊!!

(目次)
■Part 1 - Modern / Contemporary Jazz
・GREAT BRITAIN
・GERMANY
・FRANCE
・ITALY
・WEST EURO
・NORDIC
・EAST EURO

■Part 2 - Jazz Rock / Progressive Rock / Avantgarde
・GREAT BRITAIN I (JAZZ ROCK / CANTERBURY)
・GREAT BRITAIN II (MOD JAZZ / NEW ROCK / PROGRESSIVE ROCK)
・GERMANY
・FRANDLE
・EURO
・SINGER-SONGWRITER / FOLKY

■Part 3 - Jazz Funk / Fusion
・GREAT BRITAIN
・GERMANY
・WEST EURO
・NORDIC
・EAST EURO

■Part 4 - Big Band
・BIG BAND
・CBBB / RC&B / GERMAN BIG BAND

■Part 5 - Euro Recordings
・ÉTRANGER
・SABA-MPS / HORO / STEEPLECHASE

■Part 6 - Vocal
・VOCAL

■Part 7 - World
・AFRO
・LATIN / BRAZILIAN

■Part 8 - Mood
・CINÉ JAZZ
・EASYLISTENING / LIBRARY

COLUMN 英国ジャズ未発表音源の発掘

 タイコ・スーパー・キックスの樺山太地と、元・森は生きているの岡田拓郎による対談&即興ギターセッションを収めた動画が公開された。
 本動画は9月4日に開催されたタイコ・スーパー・キックスによる自主企画、「オマツリ2」にて配布されたZINE『TBD』に収録された企画、「ソリッド・ギタリスト・セッション」によるもの。ふたりの即興演奏を交えた24分もの対談動画となっている。
 お互いのギター・プレイのルーツから、使用機材や音作りの話まで、ギタリストならではの濃密な内容のトークと、ブルース~ノイズを中心とした即興セッションは、ギタリストでなくても必見だ。
 ふたりのギタリストによるセッション、というのはよくある形式だが、そのスピンオフ感にときめいてしまうのは私だけだろうか。今回のセッション動画はそのときめきを感じさせてくれるものであるし、ふたりのギター・プレイの違いも顕著で、音からも、話からも彼らの背景が見えてくることが印象的であった。この企画の続編を願うばかりである。
 なお今回の企画が収録されたZINE『TBD』は、タイコ・スーパー・キックスのライブ会場で販売中とのこと。こちらも合わせてチェックすべし。

ソリッド・ギタリスト・セッション 樺山太地(タイコ・スーパー・キックス)×岡田拓郎(ex, 森は生きている)

■タイコ・スーパー・キックス(Taiko Super Kicks)
東京都内を中心に活動中。
2014年8月、ミニアルバム『霊感』をダウンロード・フィジカル盤ともにリリース。2015年7月、FUJI ROCK FESTIVAL'15「ROOKIE A GO-GO」に出演。
2015年12月、ファーストアルバム『Many Shapes』をリリース。
https://taikosuperkicks.tumblr.com/

■岡田 拓郎
1991年生まれ。東京都福生市で育つ。ギター、ペダルスティール、マンドリン、エレクトロニクスなどを扱うマルチ楽器奏者/作曲家。
コンテンポラリー・フォーク、インプロヴィゼーション、実験音楽、映画音楽など様々な分野で活動。
2012年にバンド「森は生きている」を結成。P-VINE RECORDSより『森は生きている』、自身がミキシングを手がけた『グッド・ナイト』をリリース。両アルバムとも、ジャケット写真も手がける。2015年に解散。個人活動としては、Daniel Kwon、James Blackshawなどのレコーディング、ライブに参加。2015年には菊地健雄監督作品、映画『ディアーディアー 』の音楽を担当。福岡のカセット・レーベルduennのコンピレーション・アルバム『V.A one plus pne』に楽曲提供。 『Jazz The New Chapter』、『ポストロック・ディスク・ガイド』、『レコード・コレクターズ』などにて執筆も行う。
https://www.outlandfolk.com/

interview with Michael Rother - ele-king


Harmonia - Musik Von Harmonia
Brain/Grönland/Pヴァイン

Krautrock

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Harmonia - Deluxe
Brain/Grönland/Pヴァイン

Krautrock

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 クラウトロック、あるいはジャーマン・エレクトロニク・ミュージックの最重要人物の一人であるミヒャエル・ローターが、去る7月末に来日公演をおこなった。
ローターは70年代初頭、結成されて間もないクラフトワークにギタリストとして短期間参加した後、同じくクラフトワークでドラムを叩いていたクラウス・ディンガーと共にノイ!を結成。“ハンマー・ビート”と呼ばれる剛直な8ビートを軸にしたパンキーなサウンドはクラウトロックの一つの象徴的モードとして、後のパンク~ニュー・ウェイヴに絶大な影響を与え、更に90年代以降のクラウトロック再発見/再評価のきっかけにもなった。
 ローターはまた、ノイ!での活動と並行してクラスター(ディーター・メビウス&ハンス・ヨアヒム・レデリウス)と共に結成したハルモニアでも活動。ポップでパンクでストレンジでアンビエントなそのエレクトロニク・サウンドは、80年代から今日に至る様々なスタイルのエレクトロニク・ミュージックに影響を与え続けている。ローターの業績に対するリスペクトを公言するミュージシャンも、古くはブライアン・イーノから近年はステレオラブやエイフェックス・ツイン、オウテカに至るまで、枚挙にいとまがない。
 ローターは、ハルモニア解散後はソロ活動に専念し、たくさんのアルバムを発表してきたが、特にここ数年、ノイ!やハルモニア時代のレパートリーを中心にしたライヴ活動が増えているのは、クラウトロックに対する若いリスナーたちの関心と評価がますます高まっている証でもある。今回の日本公演を企画したのがクラウトロックのテイストを受け継ぐ前衛ロック集団オウガ・ユー・アスホールだったことも、実に納得がゆく。ドラムのハンス・ランペ(ex.ノイ!~ラ・デュッセルドルフ)、ギターのフランツ・ベルクマン(ex.カメラ)とのトリオ編成によるそのライヴでは、ノイ!やハルモニアの名曲がふんだんに演奏され、会場につめかけた新旧クラウトロック/エレクトロニク・ミュージック・ファンたちを熱狂させた。
 おりしも『フューチャー・デイズ~クラウトロックとモダン・ドイツの構築』日本版も出たばかりというジャスト・ミートなタイミングでの本インタヴューがおこなわれたのは、東京でのライヴ直前の楽屋。時間が短かったため、ハルモニア結成あたりで話が終わってしまったのは残念だが、ほぼノーカットで、“クラウトロック大使”ミヒャエル・ローターの貴重な肉声をお届けしよう。

当時は音楽だけではなく、芸術や映画、さらに政治や社会制度でも大きな変化が起こっていた。私の成長をそのような変化と切り離すことは不可能だ。私は“変化の暴力”とでも言うべきものに強く影響されたんだよ。

近年、ライヴでノイ!やハルモニアの曲を積極的にやっているようですが、どういう理由からですか?

ミヒャエル・ローター(Michael Rother、以下MR):まずは、それらの曲を演奏することが楽しいというのが第一の理由だ。あと、音楽に対する私の考え方が昔から変わっていないというのもあるね。いや、少しずつ変わってはいるんだげど、それが円を描くように元の場所に戻っていく様子を、違った場所から眺めているとでも言うか……。私の場合、時にはより抽象的な音楽を好むし、メロディやリズムにより強い関心が向かうこともある。近年は、実験を更に重ねる必要性を感じているんだけど、オーディエンスたちは、速くリズミカルなビートを求めているように思える。まあ私も最近はそういったものも好きなんだけどね。

昔の曲を演奏してほしいというリクエストが、プロモーターやファンから直接あるんですか?

MR:ない。それはあくまでも私が決めたことだ。だけど、ノイ!やハルモニアの曲をやると告知すれば、どんな感じのショウになるのかオーディエンスたちにとってイメージしやすいよね。だから昔の曲をやるとあらかじめ発表している部分もある。

ノイ!やハルモニアは90年代以降に再評価のムーヴメントが興ったわけですが、その背景にはソニック・ユースやステレオラブのリスペクト宣言の効果もあったと思いますか?

MR:うーん、それはわからないけど(笑)……確かに、私たちは80年代には一旦忘れ去られた存在であり、90年代にはノイ!について話しているドイツのミュージシャンなんて誰もいなかった。でも、我々の音楽がCDや海賊盤によって世界中を移動した結果、ソニック・ユースやステレオラブといったバンド、あるいは『クラウトロックサンプラー』(95年)を書いたジュリアン・コープなどのミュージシャンがその音楽を聴いてくれた。特にジュリアン・コープの本は、大きな衝撃をもたらしたと思う。理由はわからないんたけど、ずっと、ドイツのジャーナリストは私たちのようなミュージシャンに対する理解がなかったし、誇りにも思ってなかった(笑)。そういう状況の中、「あなたの音楽は素晴らしい」と外部からやってきた人間に言われたわけだ。ノイ!のアルバムが2001年に〈Gronland Records〉から再発されたのは、大きな一歩になった。それら再発アルバムはそれまで以上にたくさん売れたわけで。
当時は、Eメールやウェブ・サイトなど、コミュニケイションにおいても大きな変化が見られた時期で、世界中の人々と直接連絡をとれるようになった。今や私はフェイスブックだってやっているからね。もっとも、更新にはさほど時間をかけているわけじゃないけど。たとえば東京でライヴをすることになったら、その報告をする程度で。自分の朝食にコンプレックスがあるので、それをフェイスブックに載せるなんて、とてもじゃないができない(笑)。

90年代にはステレオラブが盛んにノイ!的なサウンドをやって人気を集めたわけですが、当時、クラウス・ディンガーはそれに対して怒っていましたよね。つまり、「おれたちのサウンドが盗まれた」と思っていた。あなた自身はどう思っていましたか?

MR:友人がステレオラブのライヴに連れて行ってくれたことがあった。私はそれまで彼らを聴いたことがなかったので、演奏が始まると「あれ? これは自分の曲かな?」と思ってしまったんだ(笑)。それはそれで面白いけどね。どんなミュージシャンも情報に晒されているので、そこから影響を受けることもあるし、むしろ影響に身を任せてしまった方がいろいろと楽なこともあるとは思う。
でも、私はそうじゃないんだ。ずっと、周囲とは違うことをやりたかったし、誰かのコピーではなくオリジナルになりたかった。だから私が満足することなんて、これからも決してないと思う。他人から「君のアイディアは20年前に別のミュージシャンがやっていたよ」なんて言われた日には動揺してしまうよね(笑)。もし音楽を作るのが好きなら、その創作活動のアイディアは、「なぜ音楽を作るのか?」というところからくるべきだ。そして心や空間に漂っているメロディやリズムを拾い上げる。そういうことをしないで、誰かのモノマネをするなんてけっしてやってはいけないことだと思っている。
私が音楽を始めたのは激動の時代だったので、新しいものを作ることによって自分自身の音楽的アイデンティティを獲得するのは自然なことだったんだ。当時は音楽だけではなく、芸術や映画、さらに政治や社会制度でも大きな変化が起こっていた。私の成長をそのような変化と切り離すことは不可能だ。私は“変化の暴力”とでも言うべきものに強く影響されたんだよ。
とはいっても、私が作った音楽に誰かが反応してくれるのは率直に嬉しいものだよ。オアシスやレッド・ホット・チリ・ペッパーズのような人気バンドまで関心を持ってくれているわけだしね(笑)。その結果、ある日、ジョン・フルシアンテに会ってセッションをして、ステージにも一緒に立つことになったわけで。共演がどんな感じになるのか最初は見当もつかなかったけどね。私だって、他のミュージシャンからインスパイアされることは大歓迎だ。いつも、新しいものを作るべきだと思っているからね。


photo: 松山晋也

ジミ・ヘンドリクスやビートルズを繰り返すことはまっぴらごめんだったんだ。とにかく違うことがしたいと、いつも意識していた。

最近の若者たちが、ノイ!やハルモニアのようなプリミティヴなロック・サウンドに魅せられるのはなぜだと思いますか?

MR:それは、どうして音楽が好きなのかを尋ねるようなもので、とても難しい質問だな(笑)……でも、ちゃんと答えるなら……その楽曲がある特定の状況に結びついているものだからだと思う。私たちはゼロから物事を始めなければならなかった。音楽に対するラディカルなアプロウチをもってして、アメリカやイギリス的な構造を持つ音楽的過去から脱却する必要があった。つまり……「OK、いったん全部をぶっ壊そう。そして小さなかけらを拾い集めて、新しい方向に向かい、新しい音楽を始めよう」という具合に。ジミ・ヘンドリクスやビートルズを繰り返すことはまっぴらごめんだったんだ。とにかく違うことがしたいと、いつも意識していた。私は昔も今も、他の音楽に対しては敬意を抱いている。でもそれは私の音楽じゃない。私のラディカルさが若い人々に魅力的に映るかもしれないのは、こういった姿勢がいつの時代でも生じうるものではないからじゃないかな。
たまに「これはノイ!やハルモニアにそっくりじゃないか !?」と思う曲に出会うけど、それが先週録音されたものなのか、はたまた15年前の作品なのか知る由はない。なぜならそれは、音楽の発展の時間軸とは切り離されているものであり、私のしてきたこととは違うまったく新しい一歩だからだ。特定の時代の音楽のテイスト、さらにはファッションなどから切り離された独自性があり、新鮮に感じる……そういった曲を作る若者たちが、私の作品を聴いてくれているのは嬉しい限りだね。だいたい、自分と同世代の人間にしか音楽が届かないのは悲しいことだし。

70年代初頭にクラフトワークに加わる前、あなたはいくつかアマチュアのバンドをやっていましたよね。スピリッツ・オブ・サウンドその他。当時は主にどのような音楽をやっていたんですか?

MR:私は65年にバンド活動を始めたんだが、その頃はまだギターを始めて1年くらいしか経ってなかったし、みんながみんなイギリスの音楽に夢中になっていた。ヒーローは言うまでもなくビートルズやストーンズだったから、私たちも進んでコピーをしていた。それを2~3年続けていくうちに、自分たちが何をやっているかがわかるようになり、即興演奏をするようになったんだ。そこから自分たちのアイディアを自由に持ち込むようになり、70年代に入る頃にはかなりの変化を遂げていた。あと、サイケデリック文化の影響などもあったよね。ひとつはっきりしているのは、そこにはいつも壁があったということだ。他人の音楽やポップ・カルチャーから引用してきたアイディアをいくら使っても、その壁の向こう側へは到達できなかった。つまり、そのドアを開けるために、いったん自分たちのやっていることをやめなければならなかったというわけだ。

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私たちは、白紙を前にしてその場でいきなり描き出す画家のようなものだった。

60年代から70年代半ばにかけて、他の国と同じように西ドイツはとても政治的な時代でした。ドイツのロック・シーンにも政治に積極的にコミットしていた人々が多くいましたが、あなた自身の立場はどうでしたか?

MR:当時のミュージシャンたちに比べたら、私は若手だった。特に60年代後半なんか、どこに顔を出してもみんな年上だった。でも、その時点で私は明確な政治的意見を持っており、具体的にはヴィリー・ブラント(註:ドイツ社会民主党党首で、69~74年には西独首相)を支持していた。過去にナチス・ドイツはポーランドに侵攻したりしたわけだが、そういった歴史を乗り越えて、彼は東側の国々との和解を主張していた。ヴィリー・ブラントの前は保守政権だったが、彼らはワシントンしか見ておらず、西側の一部になろうとしていて、当然、東側は敵と見なされていた。そんな政治状況の中、ブラントは東側との協調をはかり、それが1970年の“ワルシャワでの跪き”(註:ワルシャワのユダヤ人ゲットー跡地でブラントが跪いて献花し、ナチス・ドイツ時代のユダヤ人虐殺を公式に謝罪した)につながったわけだ。
私は学校を卒業した67年、当時義務だった兵役を拒否したんだが、その際、精神的な理由で銃を握れないことを証明するために、かなり厳しいテストを受けさせられた。それは、私の発言に矛盾がないかを検査する試験官を前にして、文章を書いていくというものだった。その時、試験官と激しい口論をしたのを憶えているよ。「君の意見にはまったく説得力がないが、もう行ってよろしい」と最後に試験官は言い放った。それで兵役を逃れる代わりに、精神病院で働くことになったんだ。あの体験は、私の人生でとても重要な意味を
持っている。
また、冷戦からの影響も避けては通れない。あの当時は、戦争の悪夢をよく見たものだ。ベルリンは、文字通り分断されていたし、80年代にソ連のゴルバチョフがグラスノスチやペレストロイカを唱えるまで、本当に何が起こるかわからない状況だったから。私はハルモニア時代(70年代半ば)にドイツの片田舎のフォーストに引っ越したんだが、とても綺麗な風景が広がっていたにもかかわらず、上空では戦闘機が飛び交っていた。彼らはレーダーに映るのを避けるために、家の屋根すれすれのところを低空飛行していて、その騒音は想像を絶するものだった。ほぼ毎日だよ。それを耳にした子供たちは泣き叫び、動物たちは暴れまわり……。街には戦車が列をなしていたし。いつでも臨戦態勢なんだ。そんな時代が終わった時、本当に嬉しかった。とにかくいつも、保守政党やその政策とは対極的
なところに私の考えは位置していたんだ。

その精神病院での雑務時代に、カンやアモン・デュールが登場してきました。当時、彼らの音楽をどのように感じていましたか?

MR:当時、私のガールフレンドはカンを知っていたんだが、私は知らなかった(笑)。その後、クラフトワーク時代にカンとは何回か一緒にコンサートをやったけどね。ヤキ・リーベツァイトは素晴らしいドラマーだと思う。彼のリズムの流れが本当に大好きなんだ。他には……(笑)いずれにせよ、バンドそのものもポジティヴに捉えていたよ。ただ当時は斜に構えがちで、自分たちはカンとは違うと思っていたけどね。

クラフトワークのラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダーに初めて会った時の印象はどうでしたか?

MR:クラフトワークについても、それまでは全く知らなかったんだ。知り合いのギタリストが、クラフトワークで演奏してくれと彼らに頼まれ、私も一緒に付いて行くことになった。「どんなバンドか知らないし、変な曲だなぁ。おまけに名前は“発電所”か(笑)。まぁ、行ってみよう」くらいの軽い気持ちだった。それがきっかけで、ラルフ・ヒュッターとジャムをしながら曲を作るようになったんだ。それまで私は、あまり他のミュージシャンには共感を覚えなかったんだが、彼らは違った。自分は一人じゃないんだな、と思えた。クラウス・ディンガーはフローリアン・シュナイダーの音楽を聴いていて理解があったので、バンドに誘われたという流れだった。

ノイ!時代、そのクラウス・ディンガーとあなたの間には常に衝突があったとファンの間では言われてきました。ですが、最近日本版も出た『フューチャー・デイズ』の中で、あなたは、クラウスとは音楽的ヴィジョンが完全に一致していて、いつも同じ方向を向いていたと語っています。その共通していたものを言葉で説明することはできますか?

MR:それはとても直感的なものだ。私たちは音楽について議論することも計画を立てることもなかった。やりたいことがあったら、すぐに試していた。結果的に、お互いのやり方が好きだったし、周りにもそれが認められるようになった。そして完成したのがノイ!のファースト・アルバムだ。たとえるならば、私たちは、白紙を前にしてその場でいきなり描き出す画家のようなものだった。現代のミュージシャンたちはテクノロジーの発達もあり、簡単に準備ができまるけど、私たちは準備なんてしたことがなかった。事前に決めることといえば、「今からEメジャー・スケールの長い道を走るぞ」くらいだった(笑)。それで経過を見ながら色を足していくわけさ。作業を進めながら、今何が起こっているのか、これからどうすればいいのかがわかってくる。つまり、常に作業中の状態だった。だからこそ、コニー・プランクがノイ!のチームに加わったのは大きかった。彼には、作品に適した瞬間を捕まえる能力が備わっていたし、説明せずとも私たちがやろうとしていることを感じて理解してくれたからね。彼はどんな実験にも前向きで、私たちと同じくらいクレイジーで、クラスターやクラフトワークとの仕事も喜んでやっていた。彼がいなかったら、ノイ!の作品はありえなかったと思う。

今振り返ってみて、とりわけ際立っていたクラウス・ディンガーの才能は何だったと思いますか?

MR:私は、彼のパワフルなドラミングには強く感化された。クラウスはヤキ・リーベツァイトのように神がかった技術の持ち主ではなかったけど、彼の力強さには誰もが圧倒されていたよ。彼はマシーンのような存在で、ひとたび彼が音楽の中に投入されると、他のすべてが動き出すんだ。けれど、クラウスの先導力と決断力は、後に問題になることもあった。彼はけっして自分の見解や意図を説明しようとはしなかったからね。「なんで俺のやっていることをそのまま理解しようとしないんだ?」という具合だ。それに、私はクラウスの間違いを指摘することもできなかった。クラウスが亡くなった今、私は、彼の気難しさや意地悪なところではなく、その創造性に改めて注目するようになった。性格的には、私と彼は対極だ。クラウスは要求が強いし、あまり人を信用しなかった。そういったものが先天性なのか、両親との関係によるものなのかはわからないが、最終的には彼自身の才能の開花や私とのコンビネイションにも繋がっていった。かくして彼は、多くの人々にインスピレイションを与えるミュージシャンになったわけだ。


photo: 松山晋也

お互い影響されないことは不可能だよね。私たち3人はハルモニアの音楽を発展させることを大いに楽しんでいた。

あなたは73年の後半からクラスターの二人と一緒に本格的に演奏し始め、それはやがてハルモニアになったわけですが、彼らに初めて出会ったのはいつですか?

MR:あれは、私がクラフトワークと演奏していた71年だったね。二人がコニー・プランクと作業をしている時に知り合ったんだ。彼らの音楽を初めて聴いた時、私は希望を感じた。彼らと一緒だったら、(当時準備していた)ノイ!の曲をライヴでも演奏できるかもしれないなと思ったんだ。私とクラウスはデュオだったので、スタジオ・ワークの再現がうまくできず、サポート・メンバーを探していたんだ。それで私はギターを持って彼らの元へ行った。結果、ハルモニアは素晴らしいものになった(笑)。

あなたにとって彼らのサウンド、表現は、どういう点が特に魅力的だったんですか?

MR:まず耳を奪われたのは、『Cluster II』(72年)に入っている「Im Suden」という曲のメロディだった。(ハンス=ヨアヒム・)レデリウスによる、ギターの弦4本が奏でるリピート・フレーズの音程が素晴らしかったんだよ(笑)。それで彼らとはうまく作業ができると確信した。当時はまだギターでブルーズを弾くのが大多数であり、そういう類の音階を耳にする度に私は曲への関心を失っていた。今だってそうさ。1音でもそういうフレーズが鳴れば、「わかった、もうけっこうです」となってしまう(笑)。

レデリウスとディーター・メビウスも、かなり個性の異なるコンビですが、当時のあなたが受けた二人のキャラクターの印象はどのようなものでしたか?

MR:メビウスは前に出てくることはなく、後ろから状況を見極めるタイプだ。彼はまた、奇妙な音を追求していて、驚かせることのスペシャリストだった。レデリウスはもっとオープンで、一緒にメロディを書けるミュージシャンを探していた。レデリウスがキーボー
ドなどでメロディを反復させて、私がギターを重ね、メビウスが変な音を加える、といった形が多かったかな。
ただ、彼らのキャラクターを一言で説明するのは、とても危険だね。メビウスに関して言えば、彼と私はとても似ていると思う。亡くなる数週間前、彼は私の住むフォーストにやってきたこともあった。当時、私はハルモニアのボックス・セットの作業を進めており、メンバーの意向を確かめるためにメビウスの奥さんとレデリウスにアイディアをいろいろ送っていた。メビウスは(病気のため)ガリガリだったが、心は元気で、ユーモアも健在だった。だから彼の人柄を一言で言い表すなら、「ユーモア」を選ぶ。もちろん、私たちには違いもたくさんある。私は働くけど、彼は働きたかったことなんて一度もないはずだ(笑)。98年に、20年ぶりにメビウスからライヴに誘われた。スタジオに入り、最初の5分で機材をチェックし終えると、「じゃあ料理を始めるぞ」と彼は言った。つまり、彼は音楽で働くなんてことをしたがらなかったということだ。メビウスの才能は自発的な即興に特化していた。これははっきりしていることだが、私たちの音楽の作り方は兄弟関係のようなものだったんだ。

クラスターの二人とあなたが、互いに与えあった影響はどんなものだと思いますか?

MR:お互い影響されないことは不可能だよね。私たち3人はハルモニアの音楽を発展させることを大いに楽しんでいた。調子が良い時は、コンサートやスタジオで自発的に様々なアイディアが生まれた。あの一瞬一瞬は、3人揃って初めて生まれるものだった。ノイ!のようにスタジオのテクノロジーに依拠したものではない。3人の具体的な相互影響について語るのは、単純化してしまうかもしれないので避けたいが……ただ、私がリズムを彼らに与え、彼らはもっと抽象的な音楽へのアプロウチ方法を私に示してくれたとは言えるだろうね。

あなたは幼少期に数年間パキスタンで暮らしていましたよね。その体験は、あなたの音楽性にも深く影響しているように僕は感じているんですが、どうですか?

MR:その結びつきを明確にすることは難しいが……当時聴いた音楽はとても印象的だったね。単調だが魔術的で、どこで始まってどこで終わるのかがわからないエンドレスな音楽だった。路上で演奏していたバンドのことを今でもよく憶えている。けっしてヘビ使いの笛のようなものではなく(笑)、とても反復の多い音楽だったから、ノイ!の「Hallogallo」のような曲と直接的ではないけど、つながりがなくはないだろうね。私は今でもインドやパキスタンの音楽は好きだ。

あなたは猫も好きですよね。『Katzenmusik』(79年)というソロ・アルバムもあるし。猫のどういうところが好きですか?

MR:猫はミステリアスでインディペンデント、そして美しい。あと、猫は自分が友達になると決めた相手としか友達にならない。無理やり友達にならせることは不可能なんだよね。飼い主を尊敬してくれる犬とはまったく違う。そういう点に惹かれるんだ。

自分の音楽と猫に共通点があると思いますか?

MR:見当もつかないな(笑)。ただ、さっき君が言った『Katzenmusik』、あれはもちろん猫への愛から生まれた作品だ。少なくとも、猫はたくさんのインスピレイションを私に与えてくれる存在ではある。隣にいるとリラックスもできるしね。

Christ. - ele-king

 きみは『Twoism』を覚えているだろうか?
 1995年に〈Music70〉から100枚限定でリリースされ、一時期は15万円もの値で取引されていたというボーズ・オヴ・カナダの初期作品である(同作は2002年に〈Warp〉よりリイシューされている)。後の『Music Has The Right To Children』にも通じる、スウィートかつサイケデリックな電子音によって構築されたこの名盤が制作されたとき、実はボーズ・オヴ・カナダには3人目のメンバーがいた。Christ. こと Chris Horne である。
 彼はボーズ・オヴ・カナダを離れて以降も着実にリリースを重ねてきたのだが、今回の来日は2002年のメタモルフォーゼ以来、実に14年ぶりとなる。そんな彼を迎えるのは、世界中で活躍する「アンドロイドの歌姫」こと Coppe'(コッペ)の主宰するイベント《21rpm : japan》。Ametsub や KENSEI など、他の出演者も非常に豪華である。
 きみはこの機会を逃すことができるだろうか?

~mango + sweet rice : happy 21st. birthday !~
《21rpm : japan》
開催のお知らせ

アンダーグラウンドなエレクトロニック・ミュージック界ではもはやゴッドマザーのニックネームで活躍し、世界各地で数多き謎のクリエイションを仕掛けている“アンドロイドの歌姫コッペ”と彼女が率いる超非現実的な幻のレコード・レーベル〈mango + sweet rice〉の20周年を記念するパーティーが2015年、イギリスのロンドンにある由緒ある教会 st. giles church にて Plaid など錚々たる顔ぶれを迎え開催された。またその日本公演としてなんと Bola(〈skam records〉)が待望の来日を果たし、西麻布スーパーデラックスにて10年ぶりのスペシャル・ライヴを披露したのが記憶に新しい。
あれから1年、9月10日、同レーベルはさらに進化した《21rpm : japan》として壮大な世界ツアーの初日を日本からスタートする。そしてコッペ姫のために素晴らしい仲間が来日することが決定した。st. giles church での20周年パーティにも参加していた Christ.(ex. Boards Of Canada)が国内1ヶ所のみのエクスクルーシヴ・ライヴを披露する。彼は Boards Of Canada としてあまりにも有名な名盤『Twoism』にも参加していた人物だ。コアなファンにとっては涙ものの来日公演となるだろう。
《21rpm》と銘打った本ツアーはスコットランドのエディンバラやドイツのベルリンを含む世界ツアーの1発目の公演となる。いまのところ正式に発表されているもののみでも Plaid / Massonix(808 State's own Graham Massey, 〈Skam Records〉) / Funkstörung / Luke Vibert / Seefeel / Leila ……とすでにロンドンのコアなミュージック・ファンたちの間でバズり始めている。まさに“進化した”出演者たちにより st. giles church のフェスティヴァルは多くのファンに囲まれ開催される予定だ。
~happy 21st. anniversary sweetrice !~ として国内から華を添えるのは、コッペとも交流が深く先月リリースしたての自身初のビート集『IS PAAR』も好評の DJ KENSEI、日本を代表する音楽評論家として有名な Masaaki Hara(dublab)、そしてニューヨーク・シーン随一の才能と評されるトップ・プロデューサー、FaltyDL 主宰のレーベル〈Blueberry Records〉から新作EPをリリースするなど、 世界から注目を集める Ametsub のDJセットといった個性豊かな出演者たち。《21rpm : japan》の開催場所は前回と同じく西麻布のアート・スポットでもあるスーパーデラックスにて限定人数制でのショウケースでおこなわれることになっている。
2002年のメタモルフォーゼでトリを飾り、神がかったライヴを披露して以来の Christ. の来日に乞うご期待。

Clams Casino - ele-king

 インターネット時代の音楽のあり方を特徴づけるもののひとつに、ミックステープがある。もちろんミックステープそれ自体はその名の通りもっと昔から存在しており、ヒップホップという文化を構成する重要なメディアのひとつであり続けてきたわけだが、それが、店頭や路上とは異なり全世界に開かれているインターネットという場で公開されるようになったことの意義ははかりしれない。近年のUSインディ・ヒップホップの盛り上がりも、このミックステープ文化を抜きに語ることはできないだろう。
 クラムス・カシーノことマイケル・ヴォルプもその恩恵にあずかってきたアーティストのひとりだ。『Instrumental Mixtape』(2011年)でコアなリスナーたちの耳をかっさらい、続くEP「Rainforest」(2011年)で高い評価を勝ち取り、リル・Bやエイサップ・ロッキー、ザ・ウィークエンドなどへトラックを提供しながらめきめき頭角を現わし、それらのトラックを収録した『Instrumental Mixtape 2』(2012年)で独自の地位を確立したこのプロデューサーは、ミックステープという媒体を通して2010年代のヒップホップのオルタナティヴな側面を提示してきた。現実生活の息苦しさとパーティ的な軽やかさとを同時に打ち鳴らし、「わかっているさ、こうだろ?」とでも言わんばかりの、ポップ・ミュージックの虚飾をすべて引き受けたかのようなそのサウンドは、続く『Instrumental Mixtape 3』(2013年)にも引き継がれている。その後アルカとともにFKAトゥイッグスの楽曲を手掛けたことも記憶に新しい。そんな彼がいざオリジナル・アルバムを作り上げたら、どんな傑作が生みだされるのだろう──そう期待していたファンも多いだろう。

 ここにようやく、クラムス・カシーノの記念すべきファースト・アルバムが届けられた。ミックステープをカウントすると通算4作目となる本作には、これまで様々なラッパーやシンガーにトラックを提供してきたプロデューサーのアルバムらしく、多彩なゲストが招かれている。リル・Bやエイサップ・ロッキー、ヴィンス・ステイプルズやミッキー・エッコといったおなじみの面々に加え、リアーナやプレフューズ73のアルバムに参加していたシンガーのサム・デュー、昨年〈Warp〉と契約しますますその存在感を増しているインディR&Bディーヴァのケレラ、アルト・ジェイのジョー・ニューマンやフューチャー・アイランズのサミュエル・T・ヘリング、ウェットのケリー・ズトラウなど、おそらくは今回が初顔合わせとなる面々がこの記念すべきファースト・アルバムに華を添えている。

 美しくも不穏なシンセの下方を低音がうなり続けるアルバム前半のトラック群は、たとえばファティマ・アル・カディリをマッチョにしてメジャー・レーベルに放り込んだらこうなるのかなといった趣で、"Be Somebody" や "All Nite"、"Witness" を貫き通すダークなムードはかなり意図的に演出された感もあるものの、メジャー特有の大げさな音響のなかで真摯に世界を映し出そうとしているように聴こえる。

 しかし、アルバム中盤から雲行きが怪しくなってくる。6曲目のタイトル・トラック以降はがらりと雰囲気が変わり、様々なタイプのトラックが様々なヴォーカリストを引き連れて次々と行進していく。いろいろ試したいのだろうなというのは伝わってくるのだけれど、冒険的であろうとしているのに妙に小ぎれいに落ち着いてしまっているというか、ゲスト・ヴォーカルの必要性が感じられなかったり、あるいはゲスト・ヴォーカルに食われてしまっていたりするトラックが多く("Into The Fire" なんて、これでは完全にミッキー・エッコが主役じゃないか)、結果的に全体として何をしたいのかよくわからないアルバムになってしまっている。それでも "A Breath Away" のパーカッションとヴォーカルの絡み具合は素晴らしいと思えたし、だからこそ、このアルバムを聴き終えた後には名状しがたいもやもや感が残り続ける。

 これがメジャーに行くということなのか──それが本作を聴いて最初に抱いた感想だった。もちろん、レーベルの意向なんて全然関係なくて、これこそがマイケル・ヴォルプ本人のやりたかったことなのかもしれない。でも、だとしたら彼は完全に迷走している。
 これまでのクラムス・カシーノのミックステープは、それが“単なる”寄せ集めであるからこそ面白かった。苦しみもあれば楽しみもあった。悲しみもあれば喜びもあった。様々な時期に様々な目的のために作られたトラックが雑然と並べられているがゆえにこそ、彼のミックステープには良い意味での多様性が具わっていた。たしかにデビュー・アルバムとなる本作も、まとまりがないという点においてはかつてのミックステープ作品と似通っている。けれど、本作には猥雑であることの歓喜がない。本作にあるのは、統制された多様性だ。「こっちのきみは存在してもいいけど、そっちのきみは存在しちゃだめ」。まるでそう言われているように聴こえる。
 多様であることを肯定するミックステープ文化によって確固たる名声を手にしたクラムス・カシーノは、これから先、一体どこへ進もうとしているのだろうか。

Jeff Mills - ele-king

 ジェフ・ミルズの探究心が止まらない。
 昨年おこなわれた相対性理論とのコラボレイションを覚えているだろうか? ザ・ウィザード時代もUR時代も、そしてもちろんソロとして独立してからもずっと彼は、デトロイトという地名とテクノという音楽を背負いながら、ひたすら前進し続けている。
 今回ジェフ・ミルズが共演を果たすのは、ユウガ・コーラーの指揮する東京フィルハーモニー交響楽団。ジェフは2006年に発表された『Blue Potential』(録音は2005年)より断続的にオーケストラとの共同作業を続けているが、いまその最新の姿があらわになる。来る日曜の朝は早起きして、テレビの前に座り込もう!

今年3月に、東京フィルハーモニー交響楽団とのコラボレーション公演を東京渋谷のBunkamura オーチャードホールでおこなったジェフ・ミルズが、9月11日にテレビ朝日系で放送される音楽番組『題名のない音楽会』に出演する。

9月11日放送分(BS朝日では9月18日)の『題名のない音楽会』では「オーケストラで高揚する音楽会」をテーマに、クラシック音楽イベント『爆クラ!』を主宰する湯山玲子がクラシック音楽の新たな聴き方を提唱。ジェフ・ミルズはゲストとして登場し、東京フィルハーモニー交響楽団とのコラボレーションでテクノ・アンセム "The Bells" とアンダーグラウンド・レジスタンス(UR)後期の名曲 "Amazon" を披露、指揮はユウガ・コーラーが担当する。

なお、ジェフ・ミルズはオーケストラ・サウンドを全面的にフィーチャーした新作『Planets』を来年初頭にリリースする予定。第一弾のトレーラーも公開されているので、ぜひチェックを。

Jeff Mills『Planets』Trailer1

【番組詳細】
テレビ朝日『題名のない音楽会』毎週日曜あさ9時放送
https://www.tv-asahi.co.jp/daimei/sphone/

【出演者】

ジェフ・ミルズ /DJ
1963年アメリカ、デトロイト生まれ。デトロイト・テクノと呼ばれる現代エレクトロニック・ミュージックの原点と言われるジャンルの先駆者。DJとして年間100回近いイベントを世界中で行なう傍ら、オーケストラとのコラボレーションを2005年より開始、それ以降世界中でおこなった全公演がソールドアウト。クラシック・ファンが新しい音楽を発見する絶好の機会となっている。来年初頭、オーケストラのために書き下ろした作品『Planets』を発売予定。

湯山玲子  ゆやま れいこ /著述家
日本大学藝術学部文芸学科非常勤講師。編集を軸としたプロデュースをおこなうほか、自らが寿司を握るユニット「美人寿司」を主宰する。著書に『女装する女』(新潮新書)、『文化系女子という生き方』(大和書房)、『男をこじらせる前に 男がリアルにツラい時代の処方箋』(角川書店)ほか多数。クラブ仕様のサウンドシステムで、クラシックを聴く「爆クラ」イベントをほぼ毎月一回のペースで開催。現在はテレビ番組のコメンテーターとしても活躍。

ユウガ・コーラー /指揮
1989年生まれ、アメリカ、ボストン出身。日米ハーフ。ハーバード大学コンピュータ科学科を首席卒業後、ジュリアード音楽院で指揮を最年少としてアラン・ギルバートに師事。在学中アスペン、タングルウッド音楽祭に出演し、ブルーノ・ワルター賞、アンスバッカー・フェロウシップなどを授与される。現在はロサンゼルスのYMFデビュー・オーケストラの音楽監督を務め、最近のコンサートでは開演5時間前から聴衆が並び始めたことも話題を呼び、『LAタイムズ』紙・『ワシントンポスト』紙で好評を博す。

 ヒップホップという音楽には、アーティストたちが自分たちをヒップホップに縛り付けることによって、それ自体の強度や結束を固め、シーンの中の人間にしか理解できない、暗号化された言葉を用いる音楽として発展してきた側面がある。その暗号化こそがヒップホップの強さとして機能するのだが、ともすればその暗号は、読み解かれることがなく、忘れ去られてしまう危険性も備えている。では5lackの場合はどうだろうか。

 ここ最近の5lackの活動を追っていると、彼は自分がもともといたシーンを飛び越えていこうとしているかのように見える。2020年東京オリンピック・パラリンピックのキャンペーンCMに起用されたり、今年のフジロックでは野田洋次郎のソロ・プロジェクトであるイリオンのステージにゲスト出演したりするなど、最近の彼はシーンの外、あえて言えばオーヴァー・グラウンドな領域に飛び込むことに躊躇がないようにも見える。
 しかし、5lackは自らのシーンをないがしろにするようなことはしない。彼は先月末に、自身やブダモンクを始めとするおなじみの面々がレジデントを務めるパーティー「ウィーケン」を復活させたり、最新シングル『フィーリン29』ではコージョーをフィーチャーしたりしている。シーンの外に出ていくからといって、シーンと決別する必要はないということだ。
 彼が自分たちのシーンを「人柄だけ」で築き上げてきたのではないということは、彼のソロ作や、シック・チームのサウンドを聴けばよくわかるだろう。かつて、そしていまもなお「人柄だけじゃミュージックって思わない」と歌い続ける5lackは、まさにその言葉を体現するように、シーンの奴らとドープでタイトな音楽を作り上げているのだ。そして、その言葉はシーンの外においても例外ではなく、どこのどんな場所においても、5lackは妥協しない。それはどこに飛び込むか、という点においても、だ。
 わかる奴にはわかる。しかし、わからない奴にもそれは魅力的で、ディグるべきもののように見える。5lackが作り出してきたものには、そのような魅力がある。

 ここまで長くなったが、本題である。5lackは、10月15日にWWW Xにて、自身初のロングセット・ワンマンライヴを開催する。公演は約1ヶ月先の話であるが、公開されている情報はまだ少ない。
 唯一公表されているのは、mabanua bandとのバンド編成を含めたロングセットになるということだけだが、それだけで充分だ。多くを語らずとも、このライヴが最高の体験になることはわかっている。
 昨年の9月以来およそ1年ぶりとなる5lack with mabanua bandとしてのライヴは、日本のヒップホップ・シーンとだけでなく、ケンドリック・ラマーやアンダーソン・パークといった、USのヒップホップ・シーンとの共振を感じさせてくれるものになるだろう。それは、彼らがともにヒップホップを生音バンドでやっているから、という単純な話ではない。5lackもケンドリック・ラマーもアンダーソン・パークもみな、同世代の人間だからこそ共振することのできる、新しい音に対する貪欲な意識を持っているのである。バンド・サウンドによるヒップホップというスタイルも、新しい音への意識があるからこその選択の結果だ。彼らの作り出す音は、これまで存在してきたヒップホップの音を、確実に更新しているのである。

昨年9月26日にウィーケンでおこなわれた5lack with mabanua bandのライヴ映像

 先日、KOHHがフランク・オーシャンの新譜に参加し話題となっていたが、5lackも我々にそのようなサプライズを用意してくれるのではないか、とつい妄想してしまう。しかし、そんな妄想をしている場合ではない。現実は迫っている。呆けている間に5lackのワンマンライヴのチケットは売り切れてしまうだろう。我々は1ヶ月後に5lackの現実を目撃しなければならない。(菅澤捷太郎)

Congo Natty × Mala - ele-king

 1996年、ジャングル/ドラム&ベースがUKのダンス・ミュージック・シーンで旋風を巻き起こしているさなか、日本でもそのリアルな熱気を伝えるべく、いまはなき新宿LIQUIDROOMでスタートしたパーティ「Drum & Bass Sessions(DBS)」。今年で20周年を迎える同DBSだが、そのアニヴァーサリー・パーティが10月15日(土)にUNIT(東京・代官山)にて開催される。

 記念すべきイベントだけあって、出演者がとんでもないことになっている。ひとりは、90年代当時からオリジネイターしてジャングルを更新し続けてきたレベルMCことコンゴ・ナッティ。もうひとりは、ディジタル・ミスティックズとしてダブステップ・シーンの中核を担い、近年はベース・ミュージックとラテン・ミュージックの融合で圧倒的な評価を得ているマーラ。このふたりがヘッドライナーを務めるというだけでも十分アツいのだけれど、さらに日本からゴストラッドも参加するとなれば、これはもう行くしかないでしょう!

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【DBS20TH】
★1996年、熱波のようにUKアンダーグラウンド・シーンを席巻していったジャングル/ドラム&ベースのリアル・サウンズ&リアル・ヴァイブスを伝えるべく、今や伝説の新宿リキッドルームでスタートしたDrum & Bass Sessions(DBS)。2004年以降、代官山UNITを本拠にイベントを重ね、ドラム&ベースに限らず、JAH SHAKAに代表されるダブ/ルーツ・レゲエ、ブロークンビーツ~ニュージャズ、グライム、ダブステップ、UKファンキーの真髄、最前線を紹介し続けてきた。そこには英国の移民文化の歴史と密接な関係のもとに進化を遂げ、様々なエレメンツへと発展している広義のUKベース・ミュージック/サウンドシステム・カルチャーへの敬意と愛情しかない。
2016年、DBSは20周年を迎え、ジャングルの創始者CONGO NATTYとダブステップのパイオニアMALAという奇跡のダブル・ヘッドライナー! そして日本が誇るサウンド・オリジネイターGOTH-TRAD、PART2STYLE SOUND、DJ DON、HELKTRAM、TAKUTOら豪華なラインナップでDBS20THを開催する!
PEACE AND DUB! MORE BASS MORE VIBES MORE LOVE!!!

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