「Ord」と一致するもの

Booty Tune presents DJ PAYPAL Japan Tour 2k15 - ele-king

 シカゴのジュークは、瞬く間に世界的な音楽になった。UK、日本、そしてUSからベルリンへ。とくに DJラシャド以降は、「DJラシャド以降」という言い方が通用するほど、シーンは世界規模で拡張しているのだ。その中心には、シカゴのTEKLIFE がある。
 いや、しかし、DJ Paypalというネーミングが最高ですね。Paypalこそまさしく悪魔的なシステムです。深夜酔っぱらって、いつの間にかレコードやCDを買っていたなんてことはザラです。現代消費社会の象徴です。それをDJネームにするとは……なんて不遜な人でしょうか。
 しかも、この人のDJは、そうとうにポップなようです。
 これは期待するかありません。7月19日(東京)〜20日(大阪)です。みんなでこの謎のDJを冷やかしつつ、彼のハッピー・ジュークを楽しみましょう。

 世界を沸かす覆面ジューク DJ、ついに来日!
 ついに謎のジューク DJ が来日を果たす!  ジューク好きの間で密かに話題になりはじめた 2012年の活動開始から、この3年でまたたく間にシーンの中心に躍り出た、正体不明の覆面トラックメーカーDJ Paypal。その人を食ったDJ ネームゆえ、出演時はいつもTシャツを頭から被り、その素顔を見せることは決してない。最近、ネット決済会社の本家 Paypal から名称の未許可使用のクレームを受け、フェイスブックでも強制的に名前を変えさせられるほど、知名度も アップ中。
 大ネタを惜しげもなく使いまくる、老若男女問わず踊らせるアッパーかつポップなディスコ・スタイルは、北欧の Slick Shoota とともに現行パーティ・ジュー クのひとつの到達点と言える。自身のレーベル〈MallMusic〉からリリースされたファースト・シングル「Why」に収録された“Over”がクラブ・ヒット。さらに、新世代ベースを牽引するレーベル〈LuckyMe〉からもシングルをリリー スし、Machinedrum、Ikonikaらの著名アーティストたちのサポートを受けながら、UKベースやドラムンベースなど、ジューク・シーンに留まらない幅広い活躍を見せ続けている。2014 年からは現在のジューク・シーンの中心とも言える、シカゴ最大派閥の TEKLIFE クルーにも所属。UK の老舗レーベル〈Hyperdub〉の10周年コンピレーションにもその名を連ねた。
 今回の来日公演は Booty Tune が主宰となり、東京の大阪の 2 箇所で公演。日本勢の出演者陣もジューク・シーンをはじめ、タイトな顔ぶれがそろう。会場は、 日本フットワーク・ダンス・シーンの総本山「Battle Train Tokyo」の恵比寿KATA と大阪 Circus。全日本のジューク・ファンが待ち望んだ、ヨーロッパ最強のジューク・アーティストの来日公演。アッパーでハッピーなジュークに乗っ て、Let Me See Yo Footwork!!!

【東京】
Still Pimpin' feat.DJ Paypal
会場:KATA + Time Out Cafe & Diner [LIQUIDROOM 2F]
日程:7 月 19 日(日/祝前日)22:00~
出演:DJ Paypal (TEKLIFE, LuckyMe/Berlin, Germany)、D.J.Kuroki Kouichi、Guchon、TEDDMAN、D.J.APRIL(Booty Tune)、Dx (Soi Productions)、SUBMERSE、Boogie Mann (SHINKARON)、食品まつり aka Foodman、Kent Alexander(PPP/Бh○§†)、Frankie Dollar & Datwun (House Not House)、Dubstronica(GORGE.IN)、 Samurai08、コレ兄(珍盤亭)料金:Door Only ¥2,500 (With Flyer ¥2,000)

【大阪】
SOMETHINN vol.12
会場:CIRCUS
日程:7 月 20 日(月/祝日)19:00~
出演:DJ Paypal (TEKLIFE, LuckyMe /Berlin, Germany)、D.J.Fulltono (Booty Tune)、Keita Kawakami (Dress Down)、Hiroki Yamamura(Booty Tune)、AZUpubschool (Maltine Records / Sequel One Records)etc...
料金:TBA

■DJ Paypal(TEKLIFE, LuckyMe / Berlin, Germany)
アメリカ出身、ベルリン在住、本名不詳の謎の覆面トラックメーカー。DJ Spinn と故 DJ Rashad によって結成された世界的クルー「TEKLIFE」のメンバー。2012 年頃から徐々に頭角を現し始め、その後 Machinedrum、Jimmy Edger、Ikonika、Daedelus らからの熱烈なサポートを受け、そのキッチュな 名前に違わぬプロップスと実績を積み上げてきた。イーブンキック主体のサン プリングジュークを得意とし、アッパーかつポップなトラックメイキングで、 Juke/Footwork の枠を超え、多くの DJ に愛されている。これまでも前出の アーティストのほか、同じ TEKLIFE の盟友、DJ Earl や DJ Taye、DJ Rashad らのほか、Nick Hook や Sophie などともコラボ、リミックスワーク などを手がけている。
※20 歳未満の方のご入場はお断り致します。年齢確認のため、顔写真付きの公的身分証明書をご持参ください。(You must be 20 and over with photo ID.)


 今年で6年目に突入するギャラリー、KATA夏目前の恒例催事!(これが終わると1年も折り返し!!早っ!ヤバっ!!なのですが……)
 この夏、幡ヶ谷より新天地へ移転予定のレコード&CD&あれこれショップの老舗中の老舗"LOS APSON?"さんとのタッグで開催の「LOS APSON? x LIQUIDROOM presents T-SHIRT! THAT'S FIGHTING WORDS!!! 2015」。
 今回も多数のアーティスト/ブランドが一堂に会して、6月26日(金曜日)から3日間の限定開催。
 今回はユーズド(古着)のラインナップも加わり、ますます熱を帯びること間違いナシ!!
 日々の場内BGMはオリジナル・スタイリンなDJが揃い踏み。最終日には隣接のTime Out Cafe & Dinerにて、今年1月に当店1階メインフロアにて実に10年ぶりの復活となった「GOLD DAMAGE(通称ゴルダメ)」のジャパン・ヴァージョンも開催でまさに隙なし!
 そしてそして、今回のLOS APSONさんのTシャツ・デザインは五木田智央が担当! モリモリ盛り盛りの内容にてよろしくお願い申し上げます。

LOS APSON? x LIQUIDROOM presents
T-SHIRT! THAT'S FIGHTING WORDS!!! 2015

 1年とは早いものです。身震い系ゾクゾク〜〜〜っとすると思ったら、もう「T-SHIRT! THAT'S FIGHTING WORDS!!! 2015」の季節がやって参りましたっ!!!  ウギャーーーっと喜んでいいのか、戦(いくさ)が始まった焦りなのか、分からなくなっている私・ロスアプソン店主ですが、とにかくやりますよ〜〜〜、今回もギンギン・ビンビンにっっっ!!!

 今年は新作Tシャツの出品メンツを厳選し、ネクスト・レベルを模索!?!?  そして、ラインナップの目玉としては、レベルの高い? ユーズドのラインナップを充実させる予定です!!!  一着しか無いカッコいいユニーク古着は、争奪戦間違い無しでしょうね……。
 っつーーーことで、今年も楽しみにしていて下さいねっ!

 あ、最終日には、Time Out Café & Dinerスペースにて、オヤGパワー全開で今年復活した「GOLD DAMAGE」の“ジャパン!”ヴァージョン(和モノ&デビシルのJAPAN縛り)もやりますので、そちらもご期待下さいっ!!!(山辺圭司/LOS APSON?)

【Artists / Brands】
LOS APSON? / ackkyAkashic / ALCHEMY WORKS / amala / BLACK SHEEP / BOMBAY JUICE / BOOZE DESIGN WORKS / BREAKfAST / BUGPIPE / CELEBS / COMPUMA (SOMETHING ABOUT) / COREHEAD / DANCE HOLE by ヒューヒューボーイ / DJ DISCHARGE (Unconscious When) / DJ YOGURT (UPSET REC) / dublab.jp / ECD / FEEVER BUG / forestlimit / GEE Print / HE?XION! TAPES / ifax! / Indyvisual / JINTANA & EMERALDS / KEN2D SPECIAL / KIZM / KLEPTOMANIAC / LIBRARY RECORDS / MANKIND / MGMD A ORG. / midnightmealrecords / noise / PARANOID / PARTIZAN25 by WOM / PART2STYLE / SAMPLESS / SEMINISHUKEI / SHOGUN TAPES / SONIC PLATE / Summer Shot / SUMMIT / TACOMA FUJI RECORDS / Telepathy / TENT / Tetsunori Tawaraya / TEXACO LEATHERMAN / TURBO SONIC / Vincent Radio / VOVIVAV / WACKWACK / wacky COLORgung / WDsounds / 2MUCH CREW / 37A (PANTY) / 373 / 86ed / GRASSROOTS / LEF!!! CREW!!! / TRASMUNDO / ChillMountain / TWENTY SEVEN / MORE (DAY IN DAY OUT) / TARZANKICK!!! / mink / ESSU / CosmicLab. / TADZIO / KIRIHITO / 威力 / 大井戸猩猩 / 河村康輔 / 五木田智央 / 竹本侑樹 / ヘンタイワークス / 嫁入りランド / LIQUIDROOM

2015.6.26 friday→28 sunday
KATA[LIQUIDROOM 2F]
15:00-22:00
entrance free

■DJ Time@KATA[17:00-22:00]*28日(日曜日)のみ15:00-22:00
▼6.26(fri) feat. DJ DISCHARGE, KEIHIN, DJ YOGURT
イケイケ・ドンドンなDJメンツに声をかけました。ディープで華やかな一夜となることでしょう〜。皆さん乾杯しましょう〜♪
▼6.27(sat) feat. Shhhhh, BING (HE?XION! TAPES), 威力
奇祭の秘宝達を招集しました。ほんわかヘンテコ&異次元最先端を感じながら、Tシャツをお選び下さい。レッツ・ホニャララ!
▼6.28(sun) feat. SHOGO TSURUOKA (TURBO SONIC)
「GOLD DAMAGE 2015 Let's Go Crazy」にてラジカセ・インスタレーションをカマしたTURBO SONICの旦那が、とんこつラーメン風?ディスコにて、開店からラストまでの7時間ロングセットに身震いチャレンジ! レア体験を、お見逃し&お聴き逃し無くっ!

★Special Party!!!@Time Out Café & Diner[15:00-22:00]
▼6.28(sun) feat.『GOLD DAMAGE ジャパン!』
10年ぶりのゴルダメ復活地の階上にて、ゴルダメ・トリオが「ジャパン!」縛りで、またまたやらかします! チーママchampagneshowerに、今話題の(?)B2BユニットCocktail Boyzを迎え、和モノ&デビシルのJAPANのみの限定選曲にてバター・サロン作戦を試みます!
溶けてしまう虎は、ダ〜レだっ!?

GOLD DAMAGE Deejay's:ヤマベケイジ (LOS APSON?), 五木田智央, COMPUMA
Guest DJs:champagneshower (CELEBS), Cocktail Boyz[Q a.k.a. INSIDEMAN & KENKEN from KEN2D SPECIAL]

info
KATA https://www.kata-gallery.net
Time Out Café & Diner 03-5774-0440 https://www.timeoutcafe.jp
LIQUIDROOM 03-5464-0800 https://www.liquidroom.net


New Order - ele-king

 

 シカゴ・ハウス、デトロイト・テクノ、石野卓球、この3つに多大な影響を与えたポストパンクのUKのバンドは? 答:ニュー・オーダー。毎週月曜日の朝になると頭のなかでかかっている曲は? 答え:ブルー・マンデー。女(男)と別れる度に聴く曲は? 答:リグレット。

 ピーター・フック抜きのニュー・オーダーのライヴの評判がやたら良かったし、オールドファンにはまさかの〈ミュート〉レーベル移籍の第一弾です。ここは期待しちゃいましょう。ニュー・オーダーの10年ぶりのオリジナル・アルバムが9月23日にリリースされることが決まりました。アルバムのタイトルは『ミュージック・コンプリート』です。
 メンバーは、バーナード・サムナー、ジリアン・ギルバート、スティーヴン・モリスの3人+新ベーシストのトム・チャップマン、フィル・カニンガム。全11曲のうちの2をトム・ローランズがプロデュース、うち1曲を共作しています。アートワークはもちろんピーター・サヴィル。
 2000年代に入ってからの2枚のアルバムが、どちらかと言えばロック色が強かったものの、最近のジェイミーXXのアルバムのように、ダンス・ミュージックがポップ・カルチャーとなっている現状において、マンチェスターの大物がどのような作品を出してくるのか、注目したいと思います。

 続報を待て!

(※なんと、ele-king booksからはバーナード・サムナーの自伝『Chapter and Verse - New Order, Joy Division and Me』の翻訳本を新作と同時期に刊行する予定です)

Quantic presents The Western Transient - ele-king

 ここ数年来のクァンティックことウィル・ホランドはラテンというイメージだった。ラテンといっても幅広いが、2007年にイギリスからコロンビアへ移住してからは、コロンビアの伝統音楽であるクンビアに傾倒した作品が目立ち、それがコンボ・バルバロやオンダトロピカなどのバンドに表れていた。そんなクァンティックが、今度はアメリカに移住したのが2014年初頭のこと。現在はニューヨークを拠点に活動しているが、彼は根っからのボヘミアンであり、いつかまた見知らぬ土地へ旅立つのかもしれない。いずれにせよ、その土地や人々に根付く音楽に影響を受けるのは、クァンティックのいままでの活動を見れば想像がつく。

 アメリカといえばジャズだが、新しいバンドのウェスタン・トランシエントを率いての新作『A New Constellation』は、それを反映してジャズの影響が色濃い。ジャズといっても今流行の新世代ジャズとかではなく、たとえば“Latitude”を聴けばわかるように、1960年代後半から70年代初頭のソウル・ジャズやジャズ・ファンクなど、アーシーで土臭いものだ。また、レコーディングはロサンゼルスで、現地のミュージシャンたち(ビルド・アン・アーク、フライング・ロータス、カマシ・ワシントン、ケンドリック・ラマー、ブレイケストラらのセッション参加メンバーから構成される)との演奏ということもあり、温かでリラックスした雰囲気が漂う。同じ生音でもUK時代のクァンティック・ソウル・オーケストラが、ディープ・ファンクやレア・グルーヴといった英国のクラブ・サウンドの流れに属していたのに対し、本作でのレイドバック感はやはりUS西海岸の空気を孕んだものと言えよう。

 本作を制作するにあたってのインスピレーションとして、デヴィッド・アクセルロッドやカル・ジェイダー、スティーヴ・キューンの初期昨品などをクァンティックは挙げている。“The Orchard”や“A New Constellation”などはモロにアクセルロッド・マナーの作品と言え、そうした空気感を出すためにアナログ楽器や録音機材にも拘った。当時のレコーディング状況に近い設定で、全てワンテイクで録音したというところに、クァンティックの音楽に対する姿勢が表れている。“Nordeste”はブラジル北東部の主にバイーア音楽を指す言葉だが、その代表的アーティストであるアイアートやエルメート・パスコアルを彷彿とさせるナンバーだ(ちなみにアイアートは、キューンがゲイリー・マクファーランドと制作した1971年の傑作アルバムにも参加した)。この曲や“Jumble Sale”“Requiescence”に顕著だが、ジャズのなかにラテンやアフロ・キューバンの要素を持ち込み、コロンビア時代の音楽的ルーツがアメリカ音楽と融合したことによって出来上がった作品であることがわかる。

 ほかにガレージ・ロック的なテイストの“Bicycle Ride”、スティールパンの入ったカリビアン・ディスコ調の“Creation(East L.A.)”とバラエティに富むアルバムだが、いろいろなものから影響を受けつつも、根っ子の部分で自身の確固とした音楽基盤と繋がっている、そんなクァンティックのアルバムだ。

interview with Cornelius - ele-king


Cornelius
攻殻機動隊 新劇場版 O.S.T.music by Cornelius

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坂本真綾、Cornelius
あなたを保つもの/まだうごく

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V.A.
攻殻機動隊ARISE ALTERNATIVE ARCHITECTURE/新劇場版 Music Clips:music by Cornelius

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 小山田圭吾a.k.a.コーネリアス。
 彼と初めて会ったのは1990年だから、いまから25年前ということになる。25年の歳月は世界の様相を激変させたけれど、どんなときも自然体を守り、自分の生き方と時間軸を保ちながら、音楽的にもめざましい進化を遂げたコーネリアスの軌跡は、アーティスト・ネームの由来となったSF映画に因んで「この惑星の霊長類史上稀にみる」と形容したくなるほど稀有なものがある。

 2006年の『Sensuous』以来、オリジナル・アルバムこそリリースされていないが、インターナショナルなオファーが絶えないリミックスやCMワークス、Eテレの教育番組『デザインあ』の音楽制作、salyu ×salyuなどのプロデュース、そしてYoko Ono Plastic Ono Band、YMO、高橋幸宏&METAFIVEなどのメンバーないし準メンバーとしての活動を通じて積み重ねてきたコラボレーションの数々は、不在を感じさせるどころか、他に例を見ないほど充実している。

 彼が約3年間に渡って音楽を手がけた、89年の原作発表以来25周年を迎える日本におけるサイバー・パンクの金字塔的作品『攻殻機動隊』の前日譚『攻殻機動隊 ARISE』も、現在オンエア中のTVアニメ『攻殻機動隊 ARISE ALTERNATIVE ARCHITECTURE』ならびに映画『攻殻機動隊 新劇場版』をもって、一連のシリーズを完結する。
 作品の舞台は近未来――といってもいまからわずか12年後の――2027年の日本だが、坂本慎太郎との共作によるそれぞれの主題歌、“あなたを保つもの”と“まだうごく”は、映像作品のテーマ・ソングという役割を超えて、なぜか2015年現在の日本を覆う不穏な空気に対するアンサー・ソングのように響いてくる。

ほら 見て 今までの 約束 破棄された
新たな この世界 あなたを 保つものが
あな たの あな たが
あな たを あな たに
あな たの あな たが
あな たを あな たに
してる
“あなたを保つもの”

 しばらく会えずにいる間も、彼が創造する音楽はいつも近くに在った。
 心が波立つとき、彼の音楽に耳を傾けると、平穏な気持ちを取り戻す。感覚を研ぎ澄ませたいとき、彼の音楽に全身を浸せば、マインドのセットアップが完了する。
 ぼくにとって彼の音楽は、「自分を保つもの」として欠かすことができない。

 いま、ぼくらが生きるこの国で、奇妙な事態が進行している。
「今から おきる ありとあらゆる現実を 全部 見て 目に 焼き付けよう」
 4年前、坂本慎太郎と小山田圭吾が、salyu × salyuというプロジェクトで発したメッセージが、いま再び、別の意味合いを帯びはじめている。

どこまでも どこまでも 続く道を
すこしずつ すこしずつ 歩くために 理由がいる

まだ うごく
まだ みえる
“まだうごく”

 どこからか声が聞こえる。
 自分のゴーストに従え、と。


■コーネリアスが手掛ける「攻殻機動隊ARISE」シリーズの劇中曲
世界中のクリエイターに影響を与え、映像作品としても革命的なインパクトを残し、歴史にその名を燦然と刻む傑作SFアニメ映画『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(1995年)。その“生誕”──士郎正宗による原作『攻殻機動隊』25周年を記念して、今週末より長編アニメーション映画『攻殻機動隊 新劇場版』が公開される。同作は、現在放送中のテレビアニメ『攻殻機動隊ARISE ALTERNATIVE ARCHITECTURE』とともに「攻殻機動隊ARISE」シリーズの完結編となり、そのラストを締めくくるテーマソングを、同シリーズのサントラを手掛けてきたコーネリアスと主人公・草薙素子を演じる坂本真綾とが彩る。
Salyuや青葉市子から、ショーン・レノン、高橋幸宏までを迎え、坂本慎太郎が詞を提供することでも話題となった、このスペシャル・コラボレーションによる一連の音楽作品は、2枚のサントラ盤をはじめとしたいくつかのリリースによって楽しむことができる。川井憲次、菅野よう子からの連続性の上に、新たな“攻殻”の音世界が築かれていることがはっきりと感じられるだろう。このたび発表されるのは『攻殻機動隊 新劇場版O.S.T by Cornelius』ならびにシングル『あなたを保つもの / まだうごく』、そして貴重なライヴ映像等を収めたミュージック・クリップ集『攻殻機動隊ARISE ALTERNATIVE ARCHITECTURE/新劇場版 Music Clips:music by Cornelius』。どこから観て、どこから聴いても特別な作品群だ。

■Cornelius / コーネリアス
フリッパーズ・ギター解散後、1993年から開始された小山田圭吾によるソロ・プロジェクト。ソロ・デビュー22年を迎え、国内外多数のアーティストとのコラボレーションやリミックス、プロデュースなどますます幅広く活動する。2008年にリリースされた「Sensurround & B-Side」がグラミー賞のベスト・サラウンド・サウンド・アルバムにノミネート。「UNIQLO」「CHANEL」などのCMや「デザインあ」(NHKEテレ)といったTV番組ほか、映像とのコラボレーションも多い。https://www.cornelius-sound.com/

これまで僕がコラボレーションしてきた人たちが、ここに集まった、っていう感じはあるかな。

小山田圭吾(以下、小山田):すごい久しぶりだよね。ライヴでチラッと会うくらいだもんね。

北沢夏音(以下、北沢):そうだね。何回かそういうこともあったけど……。

小山田:いや、もう20年くらいは取材とかしていないんじゃない(笑)?

北沢:……かもしれない。つねに取材はしたかったんだけどね。音も聴いていたし、小山田くんの活動はつねにフォローしてる。

小山田:取材してたといっても、いちばんやったのはフリッパーズの頃だよね。

北沢:うん。だけど、『バァフアウト!』を創刊してしばらくのあいだ、コーネリアスのデビューから少なくとも『69/96』までは必ず取材してた。

小山田:そうだそうだ。それも20年近く前だからね(笑)。

北沢:『Fantasma』のときは『クイック・ジャパン』でクロス・レヴューする企画があって、ぼくは映画『渚にて』の終末観と重ね合わせて原稿を書いたことまでハッキリ覚えてるんだけど、取材が実現したかどうか……してないかもね。

小山田:そうか。不思議だね。

北沢:あんまり久しぶりだから、どこから切り出していいかわからないけれども。そうだな、まず、今回の『攻殻機動隊 新劇場版O.S.T by Cornelius』の音源を頂いてから、もうずーっと聴いてる。たんなる劇伴ではない、アルバムとしてのトータリティをすごく感じる。このサントラ盤自体、小山田くんがこのところ行ってきた、いろんな人たちとのコラボレーションの集大成といえるものになっていて、その精華がギュッと集約されてる。それだけでも十分すぎるくらい価値がある素晴らしいアルバムになっていると思った。
この『攻殻機動隊ARISE』のシリーズのサントラについては、前に出ているもの(※『攻殻機動隊ARISE O.S.T.』)も買って聴かせてもらってたんだけど、今作は前作とのつながりもありつつ、もっと広がりがあるというか。坂本真綾さんがヴォーカルをとるTVアニメ『攻殻機動隊ARISE ALTERNATIVE ARCHITECTURE』のオープニング・テーマ“あなたを保つもの”と『攻殻機動隊 新劇場版』主題歌“まだうごく”という核になる2曲がまずあって、だけどそれだけじゃなくて、高橋幸宏さんがヴォーカルの“Split Spirit”とか、ショーン・レノンがヴォーカルの“Heart Grenade”とか、既発の曲もピタッとハマっているし、アルバム全体がものすごく起伏に富んでいる。環境音楽的なアプローチだったり、ミニマルやノイズ、はたまたアグレッシヴでエッジィなギター・ロック・サウンドが聴けたり、曲想もヴァラエティに富んでいて、最後まで飽きずに聴けるし、繰り返し楽しめる。

小山田:よかった。

北沢:ぼくは、ショーンと合作した“Heart Grenade”がすごく好きで。メロディとか展開は完璧にコーネリアスなんだけど、ショーンが詞を書いて彼の世界観が投影されることによって、普遍的なモダン・ポップに仕上がっていて、最高だなと思った。今回『攻殻機動隊OST 2』をまとめるにあたって、どういう構想があったの?

小山田:うーん。まぁ、とくに構想というのはなくて、基本はサントラなんで、映画の劇伴と主題歌を集めたものなんだけど。『OST 1』はボーダー1(※攻殻機動隊ARISE border:1 Ghost Pain)と2(※攻殻機動隊ARISE border:2 Ghost Whispers)で、今回の『OST 2』はボーダー3(※攻殻機動隊ARISE border:3 Ghost Tears)、4(※攻殻機動隊ARISE border:4 Ghost Stands Alone)と劇場版ということで。「ボーダー1」は全部で50分ある最初のやつで、比較的多くの曲が必要だったから、(それを作った時点で)もうある程度のヴァリエーションが出揃ってて──だから1、2で“『攻殻』の劇伴”というのはすでにあったんだけど、3、4と劇場版で少しずつ曲が増えていったという感じ。それぞれの映画にテーマがあって、それに沿う形で曲ができていった感じかな。

北沢:その核にあったのは、やっぱりオープニングとエンディングのテーマ?

小山田:まぁ、そうですね。毎回エンディング・テーマがあって、それは主題歌ということで、映画によって多少内容が変わってくる、っていう感じなんだけど。


サイバー・パンク的なSFにYMOが与えた影響ってあるんだろうね。日本の未来感みたいな。そういう意味でも、僕がやってきたコラボレーションと、『攻殻機動隊』の世界観がハマったなっていう感じ。

北沢:おそらくSalyuのプロデュースをやったことから、現在にいたる流れがはじまったんじゃない? salyu × salyuの『s(o)un(d)beams』(2011年)の中の曲は前作のOSTに起用されてなかったっけ。あれはちがうか。

小山田:『s(o)un(d)beams』の中の曲じゃなくて、『攻殻機動隊』用の書き下ろし(※salyu × salyu“じぶんがいない”)だったんだけど。ちょうど「ボーダー1」をやる前にsalyu × salyuのプロジェクトをやって。それでSalyuに「最近何やってるの?」って訊かれて「『攻殻機動隊』のサントラやるんだよ」って話をしたら、彼女がこの映画をすごく好きだったみたいで、じゃあ、って頼んだという流れで。今回のも含めて、これまで僕がコラボレーションしてきた人たちが、ここに集まった、っていう感じはあるかな。
偶然かどうかはわからないんだけど、Salyuが『攻殻機動隊』を好きだったり、ショーンにも(ヨーコ・オノ・プラスティック・)オノ・バンドのライヴでロンドンに行ったときに『攻殻機動隊』の話をしたら、彼も観ていて好きだったみたいで、そういう縁があった。幸宏さんはさすがに観てなかったんだけど、以前のシリーズで“ソリッド・ステイト・ソサイエティ”っていう話があって(※『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society』)。

北沢:そのタイトル、モロにYMOだ。

小山田:そう。ああいうサイバー・パンク的なSFにYMOが与えた影響ってあるんだろうね。日本の未来感みたいな。そういう意味でも、僕がやってきたコラボレーションと、『攻殻機動隊』の世界観がハマったなっていう感じ。

北沢:ミレニアム以降、『Point』(2001年)を分岐点に小山田くんの楽曲の作り方が変わって、『Sensuous』(2006年)にいたるまで、その方法論を発展させてきた過程というのは、すなわちひとつの音をどう響かせるか、それを研ぎ澄ませてきた過程だという気がするんだけど。そういうなかで自分の声や言葉の響き、作詞についても新しいアプローチをして、その流れでSalyuとのコラボもあって。やっぱりすごく大きかったと思うのが、坂本(慎太郎)くんとの共作をそこでスタートさせたことかなと。共作のきっかけは?

小山田:それは僕から提案したんじゃなくて、Salyuが「(作詞は)坂本くんがいい」って言ったんだけどね。僕も坂本くんがいいなと思っていたんけど、バンドがちょうど解散したばっかりで。

北沢:ゆらゆら帝国はもうなかったんだね。(※2010年3月31日付けで解散を発表)

小山田:あんまり活動をやっていないし、(そんなときに)頼むのもどうかなって思っていたんだけど、Salyuが「坂本さんがいい」って言ってるからお願いしたら、やってくれるって。


視点が、僕としてはすごく共感できる。客観性を絶対に失わないで、ユーモアみたいなものも含んでて。いままで坂本くんが作ってきたものを含めて、そう思うんだけど。

北沢:小山田くんと坂本くんの共作のやり方って、先に坂本くんの詞があるわけじゃないよね? 彼自身のいつものスタイルも詞先じゃないっていうし。彼とどういうふうに共作したのか、あらためて教えてほしいな。

小山田:salyu × salyuのときは、僕がデモ・テープみたいなものを持って行って、アレンジも全部できていて、メロディ・ラインもシンセで入っている音源をSalyuにまず渡して。Salyuがそこにデタラメな──自分が発語したい言葉で仮メロを入れるんだけど、それは何語でもなくて、メロディに対して彼女が発語したい言葉を歌っているっていうすごい変なもので。それを坂本くんが聴くと、何か空耳的にいろいろ聴こえてくるらしいんですよ(笑)。それを歌詞の言葉に置き換えるみたいな作業だったのね。
salyu × salyuの頃はそういう作業だったんだけど、今回の『攻殻』に関してはデモ・テープを坂本くんに渡して、あとはとくにディレクションもなく、わりと好きに書いてもらった。でもその前に『攻殻機動隊』のDVDボックスを渡して観てもらって、なんとなくその世界観を掴んでもらってから、後はおまかせっていう感じだった。「じぶんがいない」(※「border.1」エンディング・テーマ)っていう曲に関しては、言葉がパズルみたいになってて、声が入り組んでいって、言葉が増えていくことによって、メロディができていくみたいな……。

北沢:「き、き、き、きく、きく、きおく」みたいな感じ?

小山田:うん。一文字で意味があって、二文字でも意味があって、三文字でも意味がある、みたいな言葉があったら当てはめてほしい、とかは(坂本くんに)言ったけど。

北沢:小山田くんからお題を出した?

小山田:うん。で、それ以外の曲に関しては、何もディレクションはなかったかな。

北沢:それにしてはものすごくジャストな詞だよね。しかも“あなたを保つもの”を聴いたとき、これは作詞が小山田くんだと言われたら信じちゃうような、わりと小山田くんっぽい感じも入ってるなって。最初にもらったとき、小山田くんはそう思わなかった?

小山田:うーん。そうかな?

北沢:自分ではあんまり?

小山田:「うで ゆび あし つめ」とか?

北沢:うん、そういうところも。

小山田:まぁわかるけど。メロディを作ってる人が僕だし、あんまり“日本語のポップス”(の常道)じゃないところに言葉を当てはめようとすると、そういう言葉が入るのかなっていうのは。でも、僕にはできないようなものにはなっていると思うんだけど。そこはやっぱり坂本くんの力。

北沢:“あなたを保つもの”だと、どの言葉がとくに坂本くんっぽいと思った?

小山田:うーん。具体的にはわからないけど、ホントに上手いなと思うんだよね。言葉のはめ方もそうだし、歌ってて……というか、発語して気持ちいい、みたいなところをまったく損なわないで、なおかつ文章としてもおもしろくて、深い意味も感じられるような歌詞の言葉を作れる人だと。しかも視点が、僕としてはすごく共感できる。客観性を絶対に失わないで、ユーモアみたいなものも含んでて。今回だけじゃなくて、いままで坂本くんが作ってきたものを含めて、そう思うんだけど。


「あなたを保つもの」、つまり「ゴースト」っていうものを、いろんな角度から言っている、ってことだと思うのね。そのなかで坂本くんのいままでやってきたことと重なる部分もあって、それがまたいろんなかたちで出てきているっていう。

北沢:“あなたを保つもの”と“まだうごく”を聴いて感じたのは、もともと彼自身のなかでも、「幻」(ゴースト)がかなり大きなテーマとして存在していたんじゃないかということ。坂本君の最初のソロ・アルバムのタイトルが『幻とのつきあい方』だし、一方『攻殻機動隊 ARISE』のシリーズを通してのオープニング・テーマが“GHOST IN THE SHELL ARISE”でしょう?
それで、「幻ってなんだろう?」と考えたときに、英語の「ghost」には「幻影」や「幽霊」のほかに、キリスト教的な「聖霊」という意味もある。これを日本的に解釈すると、草木に宿る「精霊」とか「死者の魂」、さらには人間の内奥にある魂(ソウル)や精神(スピリット)をも「ゴースト」と呼んでいいだろう、とぼくは思う。もしそうであるなら、「あなたを/保つもの」、あるいは「あな/たを/あな/たに/してる」ものとは、人間の五体に備わっているさまざまな器官のみならず、目に見えない、フィジカルではない霊的なもの――つまり、「体を/捨てても/あなたを/保つもの」――の力によって、人は自分自身を保ち、命と心を支えられているんじゃないか、と。そういう想いをこの2曲の詞から感じた。
それが当たっているかどうかは坂本くんに訊かないとわからないけど(笑)、ぼく自身はその考えにまったくうなずけるというか、自分はきっとそうだな、って思ったりもした。小山田くんは、自分が何によって保たれていると思う?

小山田:なんだろうね(笑)。うーん。

北沢:こういう質問は面倒臭いかもしれないけど、ちょっと訊いてみたかった。

小山田:うーん、よくわからないな。


坂本真綾とコーネリアスによるシングル『あなたを保つもの / まだうごく』のジャケット。カバー・イラストは詞を提供した坂本慎太郎が自ら手掛けている。


北沢:体を捨ててもあなたを保つもの。

小山田:この映画のテーマ自体がそういうものっていうか。(草薙)素子っていう主人公がいて、(生まれる以前に)“義体”っていう体にされてて。

北沢:サイボーグ?

小山田:サイボーグ……、まぁサイボーグなんだよね。生まれながらにサイボーグで、ゼロ歳児の義体っていうところ(出生)から、「自分を保つものはいったい何なんだろう?」ってつねに悩んでいるというか。その魂みたいなものを映画のなかでは「ゴースト」と呼んでいるんだけど、基本的なテーマがその「あなたを保つもの」っていうこと。で、坂本くんの詞に関しても「あなたを保つもの」、つまり「ゴースト」っていうものを、いろんな角度から言っている、ってことだと思うのね。世界観やテーマもはっきりしているから、そのなかで坂本くんのいままでやってきたことと重なる部分もあって、それがまたいろんなかたちで出てきているっていう。

北沢:“まだうごく”には、「昔は幻に/名前がついていた/ひどく大切な/もののように」という一節があったり、「素敵な人たちは/先に行ってしまった」っていうフレーズがあったりするけど。なんか、それこそ石橋英子さんがジム・オルークさんたちとやっているバンドの名前「もう死んだ人たち」(石橋英子 with もう死んだ人たち)じゃないけど、もう死んでいる人たちの音楽を聴いていることが、やっぱり坂本くんは多いみたいで、それも小山田くんとの対談で言っていた気がするんだけど……。

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©士郎正宗・Production I.G / 講談社・「攻殻機動隊 新劇場版」製作委員会
『攻殻機動隊 新劇場版』6月20日(土)全国ロードショー
https://kokaku-a.jp/


ゴーストは見たことある? (北沢夏音)

ないです(笑)。UFOはあります。 (小山田圭吾)

北沢:実際に、偉大な人たちが、いまこうしている間にもどんどん死んでいって、でもぼくらはそういう人たちからインスピレーションをもらったり、励まされることがよくあるし。そういえば「自分のゴーストに従え」というメッセージが今回の『攻殻機動隊 新劇場版』にもあるね。

小山田:うん。出てくるよね。

北沢:(唐突に)ゴーストは見たことある?

小山田:ないです(笑)。UFOはあります。

北沢:どこで見たの?

小山田:タイで見ました。出そうでしょう?(笑)

北沢:都心部で?

小山田:ちょっと田舎の方ですよ。

北沢:チェンマイとかあっちの方?

小山田:いや、チェンマイまではいかないですけど、けっこう20人くらいで見たのでたぶん本物だと思うんですけど。自分ひとりだと自信がなくなるけど(笑)。

北沢:変な話だけど、守護霊が自分にいるとしたら何だと思う?

小山田:守護霊? なんだろうね。ぜんぜんわかんない(笑)。

北沢:(笑)そういうオカルティックな方面にはぜんぜん興味なかったっけ?

小山田:自分の守護霊に関してとか?

北沢:うん。

小山田:うーん、あんまわかんないですね。聞いたこともないです。UFOには興味があります。


流行っているものがあんまりよくわからないんで(笑)。いまは流行りも多様化しているじゃないですか。

小山田さんは、普通に新譜とか聴かれるんですか?

小山田:うーん、ちょいちょいですね。

最近は何かチェックされた新譜はありますか?

小山田:最近……何かチェックしたかな。名前が最近覚えられないです(笑)。

(笑)。それは再発とかじゃなくて新しい人の名前ですか?

小山田:新しい人の。新譜でもけっこうダウンロードで買ったりすると、コピペしてポンってやって名前を覚えないパターンが多くて。

北沢:気にしなくなっちゃうんだ。

小山田:うん。ぜんぜん気にしなくなっちゃうね。でも昔に比べたらあんまり買わないですね。まぁ、ちょいちょい聴いてるけど。

買われるものに関しては、どういうタイミングで「これがほしい」って思うんですか?

小山田:ネットを見ていて、とかユーチューブを見ていて「あっ、いいな」って思ったものとか。

じゃあ、巷でクラウト・ロックがリヴァイヴァルしているとか、インダストリアルがリヴァイヴァルしているとか、あるいはエイフェックス・ツインが昨年大復活したり、フライング・ロータスの存在感もジャンル横断的に大きかったとか、そういうようなことは感じていますか?

小山田:フライング・ロータスは、最初のやつは聴いた。去年出したやつは聴いてない。

そうなんですか。去年のは、ちょっとキング・クリムゾンというか、プログレっぽくなっていたりもするんですけど、いま挙げたようなものの全部の要素が今回の『攻殻機動隊 新劇場版』のサントラから感じとれるんですよね。小山田さんはたぶん絶対に意識されていないでしょうし、わざわざ追ってもいらっしゃらないとは思うんですが、全トラック中にごく自然にトレンドが溶け込んでいる感じがして、すごいなぁと。

小山田:あっ、たしかにクリムゾンっぽいのはちょっとあるかもね(笑)。

北沢:あるある。あとインダストリアルっぽいのもある。

小山田:うん、インダストリアルっぽいのもあるね。

エイフェックス・ツインっぽいのもありますよね。

小山田:あっ、エイフェックスっぽいのもあるかもね。

そういう時流みたいなことって今作を作るうえで意識されてたんですか?

小山田:流行っているものがあんまりよくわからないんで(笑)。いまは流行りも多様化しているじゃないですか。

それはありますね。今月何を聴けばいいかなんて、昔とちがって共有できない事柄ですよね。

小山田:うん。わかんないじゃん。自分のなかの流行りはなんとなくあるけど。いま、何が流行ってんだろう? わかんないや。インダストリアルも流行ってんの?

北沢:まぁ、密かにそういう潮流はあるよね。


インダストリアルと『攻殻機動隊』の親和性はけっこうある気がする。マシーンと(融合する)未来感みたいな。

小山田:どういうの? TG(スロッピング・グリッスル)みたいなの?

なかにはありますよ。話し出すと長いですが……。

北沢:シューゲイザーとチルウェイヴとドリーム・ポップの行末に、インダストリアルがどーっと流れ込んできた感じがする。

あとテクノも最近は聴こえてくるんですけど、そういうものが結びついている気がしますね。

北沢:ベース・ミュージック隆盛の反面、ここのところずっとふわふわしてる音が来てたけど、さすがに甘口に飽きたのか少し尖った音の方に流れが変わってる気がする。

小山田:インダストリアルとかは昔は聴いていたし、クリムゾンとかはそんなには聴いていないけど、エイドリアン・ブリューが入ってからのクリムゾンは好きで。

北沢:エイドリアン・ブリューって、小山田くんっぽいよね。音の遊び方、トリッキーなギターのフレージングとかユーモアのセンスが。

小山田:その前はあんまり聴かないんだけど、『ディシプリン』三部作くらいが好き。インダストリアルと『攻殻機動隊』の親和性はけっこうある気がする。マシーンと(融合する)未来感みたいな。

北沢:あるね。このサントラにも破裂音とかけっこう入ってるし。

クリムゾンみたいな要素がいまをときめくアーティストからふと聴こえてくる、その理由については意識されてないとしても、それが時代の差し色だったのは間違いないと思うんですね。そんな感性が自然に入っているところが、いま現在の新譜としてもすごいな、って思ったんですけど。そのあたりの手応えはどうですか?

小山田:もちろんこれは『攻殻機動隊』のサウンドトラックなんだけど、それと切り離してもアルバムとして聴けるものに構成したいと思っていて。単に劇伴の曲を並べているだけじゃなくて、アルバム用にリサイズしたり、ミックスしたりしてる曲もあったり、これに入っていない曲もたくさんあったりして、そのなかからアルバムとして聴けるようなエディットや選曲をしてるんだよね。
世界観が統一されているのは、もちろん作品の映像があってこそなんだけど、自分が自由に作りたいものを作るとなると、もうちょっと多面的で、興味も移りがちになって……、ここまでひとつのトーンで作品を作ることって、ひとりでは難しいのね。だけど、依頼があって限定された条件のなかでやるからこそ、こういうわりと世界観が統一されたアルバムができたんだなって思う。それが自分のなかではよかった。自分の作品だとやりたいことがいろいろ出てきちゃったりするんだけど、必ずしもそれがいいことじゃないなっていうか(笑)。


もちろんこれは『攻殻機動隊』のサウンドトラックなんだけど、それと切り離してもアルバムとして聴けるものに構成したいと思っていて。

北沢:それは、プロデューサーとしての小山田くんがそう思うってこと?

小山田:うん。まぁそうだね。今回やってみて思ったんだけど、そういう限定された条件で作ることによってしか生まれない作品っていうものもあるな、って。

北沢:『攻殻機動隊』のシリーズで、小山田くんが自分をヴォーカリストとして起用しないのは、自身のソロ作品と区別するため?

小山田:区別するためっていうわけじゃないんだけど。(しばし黙考して)まぁ、それもちょっとはあるかもね。なんか、自分とコーネリアスとその他の作品の境界線が、自分でもよくわからなくなってきていて(笑)。

北沢:溶けてきているよね(笑)。だんだん交じり合ってきたような。

小山田:何がどうなっているのか自分でもわからなくなってきていて、果たしてこれをコーネリアスと言っていいのか、小山田圭吾の作品なのか、それもよくわからない。でもそれを区別するとしたら自分の歌だってことは、あるといえばある。あと、あんまり自分の歌に責任が持てないっていうか(笑)。自分が歌うことはいつでもできるし、こういう機会がせっかくあるなら、いままでコラボレーションしてきた人とまたやるのもいいかなっていう。

北沢:たしかに、そういう人たちがサントラの一部として自然にハマっているからね。前に青葉市子さんとやった“外は戦場だよ”(※「border.2」エンディング・テーマ)は、本当にぞっとするような怖い歌詞だと思うけど、それが彼女のえもいわれぬクワイエット・ヴォイスで歌われると、よりリアリティが増すとも言えるし、聴いている自分も当事者になったような感覚が伝わってくる。青葉さんならではの不思議な憑依感というか。これはたしかに他の人には歌えない、演奏できないような曲だと、一度聴くとそう思ってしまうね。

青葉さんはじめ、いろんな女性ヴォーカリストが歌っておられますけれども、今回の坂本真綾さんは、歌い手として、あるいは素材として、どういう存在でしたか? 声優さんということは意識されましたか?

小山田:別に、いつも通りに作っていたんですけど。すごく歌が上手で、クセのない良い声だよね。すごくやりやすかったですよ。女優さんだからといっても、むちゃくちゃ強い個性があるっていう感じでもなくて、わりと水みたいにいろんなものに変われる部分もあって。歌録りは非常に速かったですね。

では、アプローチとしては他の女性ヴォーカルと変わることなく?

小山田:うん。ぜんぜん。

声を純粋に音として捉えている部分もあると思うんですね。それぞれの歌い手さんにもそういう意味でのちがいがあると思うんですけど、曲をつくる上で意識せざるを得ない差はなかったですか?

小山田:えーっと、歌い手さんに合わせて作るっていうこともあんまりなくて。それよりも楽曲に合わせるというか。ただ、salyu × salyuに関してはわりと歌をたくさん使ったり、コーラスだとか声を組み替えたりすることはこれまでもやってきたことだったんだけど、今回も(坂本真綾さんに)そういうことをやってみたりだとか。(青葉)市子ちゃんのときは、逆にそういうことはやらないとか。

北沢:青葉さんに関しては、彼女が自分で詞や曲を書いて歌うシンガー・ソングライターであるというところを尊重しようという気持ちがあるのかな?

小山田:市子ちゃんだったら、基本はギターと歌だけで成立するような世界をやってて、コーラスを重ねたりすることもあんまりなく、さらっとひと筆書きみたいなメロディが合うかなとか。Salyuの場合はコーラスとかもやるし、普通の一本の線みたいな歌も歌えるし、歌に特化した人だから、いろんなアプローチができると思う。真綾さんの、とくに“まだうごく”とかはシリーズ最期の劇場版だったので、スケール感のある歌ものをやって、彼女の声の質感みたいなものがちゃんと聴けるといいかな、と思って作った。
歌い手さんの条件によって変わることは、それくらいの意味ではあるけど、まぁそんなにはないと言えばない、というか。その時々の映画の内容によってだったり、いろんな条件が重なってこういう結果になっていると思う。

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劇場版の最終作なので。基本は悲しい話なんだけど、そのなかの微かな希望が印象に残るようにイメージしてたな。

北沢:小山田くんは、タイアップありきで楽曲を作っても、絶対にタイアップっぽくならないよね。小山田圭吾オリジナルのコーネリアス・サウンドの強度が前提にあるからこそ、そういうことができるんだろうね。歌い手のキャラクターとか、声の存在感に引っ張られると、たぶんそうならないんだけど、ホント不思議だよね。リミックスを集めた『CM』のシリーズも毎回楽しみにしてるんだけど、誰のどんな曲を手がけても、完璧にコーネリアス・サウンドになってしまうものね。そのオリジナルなサウンドの進化の過程がコーネリアスの歴史そのものになっている。誰とやっても負けないよね。それは字義通りの勝ち負けではなくて、相手に引っ張られることがほとんどない気がする。これは引っ張られたという例はある?

小山田:そうだなぁ(笑)。誰かに引っ張られるってことがどういうことなのかわからないんだけど(笑)。あくが強い……。

北沢:そういうことじゃないんだけどね(笑)。さらっとしてるのに、小山田くんの色は強烈だよね。

小山田:音の入れ方が独特、っていうのはあるのかもしれないけどね。

北沢:タイム感も独特だし。“まだうごく”はシンセ・ベースの使い方がすごくかっこいい。ゆっくり歩いている感じのウォーキング・テンポでこれは絶妙だなって思った。こういう技をパッと出してくる人はなかなかいないからね。

小山田:地味な感じでしょう(笑)?

北沢:いや、地味だとは思わないなあ。かっこいいよ。

小山田:けっして派手じゃないじゃない? テンポものろいし。

北沢:まぁ、布袋(寅泰)さんみたいな感じの派手さはないよね。

小山田:まぁ布袋さんではないと思うけど(笑)。いちおう劇場版の最終作なので。基本は悲しい話なんだけど、そのなかの微かな希望が印象に残るようにイメージしてたな。

北沢:いろんな仕事を小山田くんはやってるけど、そのすべてが真のコラボレーションになっているのが素晴らしいと思う。「これはおもしろそうだからやってみようかな」っていう判断の基準はあるの?

小山田:うーん……、勘ですね(笑)。野生の勘。なんとなくヤバそうなのはわかるんですよ、話をきくだけでも。これはちゃんとできそうだなとか、これは無理とか。

先ほどは、それは「縁」だともおっしゃっていましたね。

北沢:どこかで似たもの同士が集まったような雰囲気があるね。ある種の同族というのかな。

小山田:同族……なのかな(笑)。まぁでも、一部分では波長が合っているわけだから、そういう意味ではいっしょなのかもしれない。


これまではすごいストイックだったし。「音をなるべく鳴らすんじゃない」みたいな。でもいまはそういう気分じゃない。もうちょっと遊びがある感じというのかな。

北沢:ところで、最近の小山田くんはどういうモードなの? 『Point』のときはかなりミニマリズムを極めた感じがあったのが、『Sensuous』ではまた少し色づいてきた。僕はファーストからそれぞれの作品ごとに愛着があるけど、やっぱり『Sensuous』が小山田くんの作品のなかでいちばん好きだし、コーネリアスとしての決定版みたいな感じがしたのね。さらにその先を行くものを作るのは大変なことなのかな、と思ったりもするんだけど。でも、こうやっていろんなコラボレーションを重ねることで、自然に歩みを先に進めてきたようなところもあるから、この先どんな世界を見せてくれるのかすごく楽しみなんだ。

小山田:最近のモードとしては、どうなんだろうな(笑)。でも、『Point』や『Sensuous』よりも余裕がある感じというのは、なんとなく。

北沢:張り詰めてない感じ?

小山田:そうそう。緊張感みたいな部分ももちろんあるけど、もう少しゆとりがある感じがいいなって。これまではすごいストイックだったし。「音をなるべく鳴らすんじゃない」みたいな。でもいまはそういう気分じゃない。もうちょっと遊びがある感じというのかな。

北沢:いまのこの時代の空気を小山田くんはどういうふうに感じているのか、小山田くん自身の声と音で聴いてみたいよ。

小山田:いまの空気……。なんとも言えないね。なんとも言えない感じが続いてる、っていう感じだね(笑)。


いまの空気……。なんとも言えないね。なんとも言えない感じが続いてる、っていう感じだね(笑)。

北沢:何かものすごく大きな転換期、ターニング・ポイントに差し掛かってるような、コーナーを曲がっちゃう寸前みたいな切迫感があるし、その先はどうなるんだろうな、って。

小山田:漠然とした不安がつねにあるみたいな。それはずっとそうだけど。

北沢:それこそ、3.11の後、3月29日にsalyu × salyuの“続きを”をセッションした映像をネットにアップしたよね。あれなんかすごく不思議な、おそろしくジャストな曲として響いた。

小山田:そうだね……。あれは本当にそう思ったね。

北沢:あれは本当に、「呼ばれちゃって」できた曲なんじゃないかって。

小山田:震災直後のタイミングであのアルバム(『s(o)un(d)beams』)が出たんだけど、地震の頃にちょうどミックスとかマスタリングをしてたんだよね。震災の後、しばらくあんまり音楽を聴けなかったんだけど、仕事でしょうがないから聴いたりしてて。で、なんか坂本くんのつくった歌詞が頭の中に入ってくると、完全にいまの状況を歌ってるとしか思えないような内容だったんで、すごくびっくりしたことを覚えてる。坂本くんもきっと自分でびっくりしたんじゃないかな。そういう時代のムードを敏感に感じることのできる人だから、そういう偶然って、起きちゃうときは起きちゃうんだと思った。


震災の後、しばらくあんまり音楽を聴けなかったんだけど、仕事でしょうがないから聴いたりしてて。で、なんか坂本くんのつくった歌詞が頭の中に入ってくると、完全にいまの状況を歌ってるとしか思えないような内容だったんで、すごくびっくりしたことを覚えてる。

北沢:歌の歌詞が時代を予見してしまうことって、歴史的にこれまでにもあったことだと思うんだけど──

小山田:歌は世につれ世は歌につれ、って。そういうことはあるからね。

北沢:もう4年前か。でも毎年毎年、あの曲がだんだん近くに聞こえてくるような感覚ってないかな? 遠ざかっていけばいいものでもあるのに、逆にちょっと大きく聴こえてくるところが、ぼくにはあるのね。それは不気味なんだけど、この曲のすごさがどんどん巨大化する生き物のように……まるで竜みたいに感じられることがあるというか、繰り返し覚悟を問われているような感じがして。小山田くんにとっても、“続きを”はいまだに特別な曲だったりする?

小山田:うん。あの曲はすごく特別な曲だな、って思ってる。坂本くんといくつかsalyu ×salyuのプロジェクトで作ったんだけど、どれもすごく気に入ってて……。

北沢:去年の11月に、日本科学未来館で開催した『攻殻機動隊』25周年記念のライヴ・イヴェントでは、坂本くんに「出演しない?」って声をかけてみたりしなかったの?

小山田:しない(笑)。つねに「ライヴはもうやらない」って言ってるし。

北沢:たしかにね。彼はいつもそう言ってるんだけど、やっぱり観てみたい気持ちもある。

小山田:そりゃそうだよ。


『攻殻機動隊ARISE ALTERNATIVE ARCHITECTURE/新劇場版 Music Clips:music by Cornelius』
2014年11月24日に開催された日本科学未来館にて行われたイヴェントの模様やスタジオ・ライヴなども収録。
高橋幸宏&METAFIVE(小山田圭吾×砂原良徳×TOWA TEI×ゴンドウトモヒコ×LEO今井)による“split Spirit”では胸の熱くなるライヴ・パフォーマンスを目の当たりにすることができる。

北沢:あのライヴ・イヴェントのキュレーションは小山田くんだから、坂本くんに声をかけて断られたのか、彼の気持ちを慮って声をかけなかったのか、どっちかなと思って。

小山田:しょっちゅう彼もそう言われてるだろうし、その度に「もうライヴはやらない」という話も聞いてるから、ぼくが誘うまでもなく、やりたくなったらやるんだろうな、って思ってる。

北沢:(高橋)幸宏さんと(鈴木)慶一さんのザ・ビートニクスみたいに、ふたりでユニットを組んでみるという発想はないの?

小山田:うん。ぜんぜんない。

(一同笑)

北沢:たしかに想像つかないもんな。


(劇中に出てくる)感情の幅がわりと限定されているぶん、ひとつの感情でいくつかのヴァリエーションをつくらなきゃいけないってことがあって。

北沢:ところで、いまの気分で小山田くんが好きなサントラというと?

小山田:なんだろうね(笑)。

北沢:去年日本公開された、スカーレット・ヨハンソン主演の『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』(ジョナサン・グレイザー監督、2013年)という映画を観たんだけど、その音楽をミカチュー(Micachu)っていう女の子がやってたんだよね。

小山田:あ、ミカチューっているね。

北沢:うん、坂本龍一さんとかも評価してる。そのミカチューが、ミカ・レヴィ(Mica Levi)名義でサントラを手がけているんだけど、弦のチームをびしっと揃えて、ある意味、小山田くん的な──エクスペリメンタル、かつ“環境”的なアプローチで、弦を使って緊張感あふれる音色をひりひりとつくり上げてるの。それは聴いてみたらいいかもしれない。

新しい作品も映画館に観にいったりされますか?

小山田:たまには行きますよ。

サントラとして音楽を意識したりしますか?

小山田:まあ、全体で観ちゃうかな。でもサントラだけ持ってるのに映画は観たことない、みたいなものもあるからね(笑)。そういう聴き方もできるほうがいいなあ、と思うけど。

北沢:『インヒアレント・ヴァイス』(ポール・トーマス・アンダーソン監督、2014年)もおもしろかったよ。サントラはレディオヘッドのギタリスト(ジョニー・グリーンウッド)が劇伴を担当していて、1970年のロサンゼルスが舞台だから、その頃の古い曲とかもいろいろ入ってるんだよね。

『攻殻機動隊ARISE』というひとつの作品が展開するのに沿って、サントラもこうしてアルバム2枚を重ねているわけですが、その上で今回の『攻殻機動隊 新劇場版 O.S.T.』と『攻殻機動隊ARISE O.S.T.』を分けているものがあるとすると何でしょう?

小山田:どうなんだろうな……。必要になってくる曲にはヴァリエーションがあって、基本はこういう映画だから、そこに表れる感情の種類がある程度は限定されてくるんだよね。“緊張感”とか“悲しみ”とか“バトル”とか。いきなりギャグが入ってくるようなことはなくて、笑いの要素は少ない。そういうのが「1」「2」の中でだいたい出揃って。だから今回のサントラの方に入っているのは、それにいくつかプラスして、という感じ。「3」「4」「5」に関しては、どっちかというとメロウな話が多くて……(草薙)素子のラヴ・ストーリーとか。だからわりとピアノの曲とかアンビエントとかが多いかもしれない。それは自分で振り分けたというよりは、映画の内容によって、という感じかな。

北沢:たしかに“感情”って大きいよね。音って感情によって決まるようなところがある。劇伴ってそういうものなのかもね。

小山田:うん。感情とか雰囲気とかね。その中でも、(劇中に出てくる)感情の幅がわりと限定されているぶん、ひとつの感情でいくつかのヴァリエーションをつくらなきゃいけないってことがあって。

北沢:なるほどね。同じ曲でもメイン楽器を変えることで、いろんなヴァリエーションをつけたりとか。

小山田:そうそう、いろいろと。このサントラに入っているもの以外にもいろんな曲があって。入っているものでも、たとえば“Moments In Love”っていう曲にはピアノのヴァージョンとハープのヴァージョンのふたつがあって、それ以外にもいくつも──いろんなサイズだったり、リズムトラックが入っているものだったり、メイン楽器がちがっていたり――いろんなヴァージョンがたくさんあるのね。その中からこのアルバム用にエディットしたものが入ってる。


れをやっているとき「ちょっとアート・オブ・ノイズっぽいな」っていう要素があると思ってた。そういう元ネタはけっこうあるんだよね、曲のタイトルに。

北沢:“Moments In Love”ね。このタイトルも小山田くんがつけたの?

小山田:そうです。まあ、もとはタイトルってものが存在してないから。

北沢:坂本くんが詞を書いたものは坂本くんがタイトルを?

小山田:うん。

北沢:“Moments In Love”って聞くと、ふと頭の中をアート・オブ・ノイズがよぎるな(笑)。

小山田:うん、もちろん。そうです。

北沢:〈ZTT〉にもサントラもどきみたいな盤があったような気がする。

小山田:ちょっと〈ZTT〉っぽさもあるかもしれない(笑)。

北沢:トレヴァー・ホーン的な。

小山田:うん、あるかもね。これをやっているとき「ちょっとアート・オブ・ノイズっぽいな」っていう要素があると思ってた。そういう元ネタはけっこうあるんだよね、曲のタイトルに。

北沢:うんうん(笑)。「No.9」って付いてる曲が2曲あるけど、これはやっぱりビートルズの……。

小山田:それは、「9課(公安9課)」っていう設定があるからだね。

北沢:ああ、そうか! こんなふうに一曲一曲、全曲のタイトルの元ネタを訊けたらすごく楽しいんだけど、残念ながら時間が来てしまった……!!


Cornelius
攻殻機動隊 新劇場版 O.S.T.music by Corneliu
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坂本真綾、Cornelius
あなたを保つもの/まだうごく

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V.A.
攻殻機動隊ARISE ALTERNATIVE ARCHITECTURE/新劇場版 Music Clips:music by Cornelius
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 ここ何年か、K-POPにはまる友人がたくさんいて、なんだか友だちの一人や二人がつねに韓国にいるような錯覚を覚えるほどなのだが、ぼく自身もチャン・ギハと顔たちやヤマガタ・ツイークスター、フェギドン・タンピョンソンといった面々の来日ライヴやら、顔たちのメンバーにしてプロデューサーである長谷川陽平の『大韓ロック探訪記』(DU BOOKS)などを通じて新旧の韓国ロックには大いに興味のあるところなのだ。
 最近だと、韓国でも数少ない(と思われる)D-BEATノイズ・クラスト・バンド、スカムレイドのライヴが素晴らしかったですよね。新宿ロフトのバーステージがぐっちゃぐちゃになる盛り上がりっぷりで。

https://scumraid.bandcamp.com/album/rip-up-2015-ep

 さて、そんな韓国インディの中でもヤマガタやタンピョンソンら、ホンデ(弘大)地区で活動する「51+系」とも言われるシーンには音楽的なおもしろさとトンチのきいたポリティカルなメッセージ性を特徴とするバンドが現れている。紙版『ele-king』vol.9のヤマガタ・インタヴューにも出てくるが、彼らのそうした政治的スタンスには〈トゥリバン〉という食堂の強制撤去に反対する運動の経験が大きく影響しているという。
 その運動の経緯を記録したドキュメンタリー映画があるというので前々から見たくて仕方がなかったのだ(新宿のIrregular Rhythm Asylumで自主上映が行わていたのだが情弱なもんで行けなくて……)。その映画、『Party51』がいよいよ正式に日本公開される。

 一連の運動はホンデのうどん屋〈トゥリバン〉が、再開発のため一方的に「300万ウォンやるから出て行け」と宣告されたことに端を発する。しかし、女主人(これがまた肝っ玉母さんな感じでかっこいいんですよ)はそこで諦めずに立て籠りを開始。それを支援するミュージシャンたちがそこに集まり、毎週ライヴを行うようになる。

 もともとライヴハウスみたいなところだったのかなと思ってたのだけど、この映画で観るかぎりどうも普通に食堂だったようだ。彼らを動かしているのは「こういうことを許してしまうと、また同じことが起こる」という危機意識である。この「明日は我が身」っていう感覚はすごく大事だと思う。他人事だと思っているうちに取り返しのつかないところまで動いてしまってることって普通にありますからね。

 やがてライヴ以外にも活発な議論が展開されていき、「インディ」に替わる「自立音楽」を名乗って「自立音楽生産者組合」を立ち上げ、メーデーには51組のバンドを集めたフェス〈Newtown Culture Pary 51+〉を開催。運動は店内にとどまらず、食えないミュージシャンたちが自分たちの環境を改善するために情報や意見を活発に交換していく。労組の大会で演奏して会場のおばさんたちにドン引きされる場面なども(笑)。

 ヤマガタ・ツイークスターがライヴでラーメンを作るパフォーマンスは〈トゥリバン〉での経験がルーツにある。また、後に韓国のレコード大賞みたいなので新人賞を受賞するほどの成功を収める404などは、初ライヴが〈トゥリバン〉だった。〈トゥリバン〉での運動が終わった後もさまざまなかたちで「自分たちの場所を作る」ための工夫を続けている姿が映画では描かれており、東京でいう桜台の〈pool〉や落合の〈Soup〉といったオルタナティヴ・スペースを思い起こさせもする。

 そういえば、〈トゥリバン〉の運動でも大きな役割を演じたノイズ・ミュージシャンのパク・ダハムはレーベル・オーナー兼オーガナイザーとして日韓を頻繁に行き来している(磯部亮・九龍ジョー『遊びつかれた朝に』でも言及されてますね)のだが、ぼくがパクさんに初めて会ったのは〈pool〉で行われたジンのイベントだった。

 ブラックジョーク満載のステージングがとくに印象的なパンク・バンド「バムサム海賊団」と素人の乱の交流も描かれているけれど、こうした国際企業や国家主導のグローバリゼーションとはちがった等身大の草の根コミュニケーションがアジアの地下シーンで活発に行われている最近の状況は個人的にいちばんワクワクするところ。

 ということで、すごく身近ですごく勇気のもらえる映画である。日本でもある程度なじみのあるバンドマンたちがたくさん登場するので、まずはそんな彼らの考えや歌詞の内容を知ろうという興味で観にいってもいいと思う。映像祭〈オール・ピスト〉の一環として東京と京都で先行公開された後、10月に全国上映が行われる予定。(大久保潤)



『Party 51』
ドキュメンタリー映画 2013年/韓国/101分/韓国語/日本語字幕
監督:정용택 JUNG Yong-Taek
製作:パク・ダハム(Helicopter Records主宰)

韓国ソウル、弘大(ホンデ)地区で自立した活動を続けるソウルの音楽家たち。都市開発により弘大の家賃は上昇。ライブハウスの数も年々減少。30歳前後の年齢になった彼らは、不安定な収入に不安も抱く。2010年頃、音楽家たちは不動産屋からの立ち退き要請を拒否し立てこもった弘大の食堂オーナー夫婦と出会う。彼らはお互いに協力し、立てこもり真っ最中の食堂で連日あらゆる音楽ライブを開催する──。
『Party 51』は、ユーモアを取り入れながら自分たちの場づくりと人集めに奔走するソウルの音楽家たちを追った力強いドキュメンタリー作品。来日公演が話題を呼んだYamagata Tweaksterやタンビョンソン、日本の即興・実験音楽シーンとの交流の深いパク・ダハムといった、韓国インディー音楽シーンのキーパーソンたちが多数出演。

■HORS PISTES 2015 / オールピスト2015
https://www.horspistestokyo.com/ja/

東京 TOKYO
『Party 51』 上映+トーク
〈UPLINKセレクション〉
6月20日(土)
at UPLINK FACTORY(東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1階)
★上映終了後 トーク(Skype出演:パク・ダハム、聞き手:山本佳奈子/Offshore)
18:45開場 / 19:00上映開始
料金:¥1,800 一律
チケット予約:https://www.uplink.co.jp/event/2015/37967

京都 KYOTO
『Party 51』プレミア上映
6月21日(日)
at アンスティチュ・フランセ関西・京都
※上映前後のトークはありません。
14:30上映開始
料金:¥800


■『遊びつかれた朝に
──10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』

磯部涼×九龍ジョー

ホンデのシーンや韓国のインディ・ミュージックについても、興味深い情報や状況の紹介、また、東京のシーンと比較しながらの深い考察が加えられています。
詳しくは第2章を。
刊行から1年、まったく内容に古さを感じさせない、いや、ますます予言じみてくる言葉の数々に驚かされる対話集!

interview with KGDR(ex. キングギドラ) - ele-king


キングギドラ
空からの力

Pヴァイン

Hip Hop

20周年記念
デラックス・エディション

Tower HMV Amazon

20周年記念エディション

Tower HMV Amazon iTunes

 80年生まれのサイプレス上野と79年生まれの東京ブロンクス a.k.a SITEが日本のラップ・ミュージックの名盤を解説した単行本『LEGENDオブ日本語ラップ伝説』(リットーミュージック、2011年)の、キング・ギドラ(現・KGDR)『空からの力』の回には、「やっと渡されたラップ教科書」というタイトルが付けられている。95年12月10日に同作が発表された頃には、日本のラップ・ミュージックはすでに10年以上の歴史を持っていたが――たとえば、黎明期の重要作である、いとうせいこうがラップを、ヤン富田がプロデュースを担当した楽曲“業界こんなもんだラップ”収録作『業界くん物語』は、そのちょうど10年前にあたる85年12月21日に発表――言わば、長い試行錯誤の時代に終わりを告げ、初めて表現の定型を提示し得たのが『空からの力』だったのだ。

 くだんの回において、東京ブロンクスは「オン・ビートで、韻は固く踏むっていう、誰でも真似できる基本スタイルをギドラはハッキリ打ち出した」「これが日本語ラップの骨格になってるのは間違いね」と振り返っている。そして、サイプレス上野は言う。「だからギドラは教科書でしたよね。〈やっと渡された教科書〉って感じ」。しかし、単純だが重要なのは、同作が教科書に喩えられるとしても、それは、押し付けられるものではなく、キッズが自ら進んで学びたくなる格好良さに満ちあふれていたということだ。

以後、20年。『空からの力』に感化された高校生が、〝サイプレス上野とロベルト吉野〟として5枚のオリジナル・アルバムを発表し、ベテラン・ラッパーとして認知されているように、日本のラップ・ミュージックの歴史を変えた同作は、そこからまた長い歴史を紡いできた。もしくは、『空からの力』に、戦後の歴史観が変容しつつあった90年代半ばという時代の空気が影響を与えていることについてはもっと検証されなければならないだろう。『20周年記念デラックス・エディション』のリリースを機にKGDRの3人――Kダブシャイン、Zeebra、DJ OASIS――に、グループ及び日本のラップ・ミュージックの、また、彼らが青春時代を過ごした80年代から彼らが世に出た90年代までのこの国の、歴史を振り返ってもらった。

■KGDR(ex. キングギドラ)『空からの力:20周年記念エディション』
Kダブシャイン、Zeebra、DJ OASISによって1993年に結成され、日本のヒップホップ・シーンにおいて大きな影響力を示してきたグループのひとつ、キング・ギドラ。その「日本語ラップの金字塔」とも称えられる95年のデビュー・アルバム『空からの力』が、リリース20周年を記念したリマスタリング盤となって登場。リマスタリングを施されたレアなリミックス音源やデモ音源、また当時の映像作品「影 The Video」のDVDがカップリング(DVDはデラックス盤のみ)されるばかりでなく、リマスタリングをトム・コイン(ビヨンセ、サム・スミスなどを手掛ける)が担当するなど、名盤を祝福するメモリアルな仕様になっている。

オレが〈ジャクベ〉に溜まり出したのは中2で、ディスコに行くようになったのもその頃。そこに、当時の中学生とか高校生とかが溜まってたんだよ。(Zeebra)

まず、3人の出会いからうかがいたいのですが、Zeebraさんは著作『ZEEBRA自伝』(ぴあ、2008年)で、中学生のときに渋谷で出会った3歳上のKダブさんについて「Kダブはいつもチャリで現れた」と書いていましたね。

Zeebra(以下Z):うん。いつもチャリだったね。

「チャリで現れた」っていうのは、要するに、地元だったと。

Kダブシャイン(以下K):そうそう。公園通りの〈ジャクベ〉を覗くといつもヒデ(Zeebra)たちがいて。

〈ジャクベ〉?

K:〈ジャック&ベティ〉。

Z:いま、〈ディズニー・ストア〉が建ってるとこにあったカフェ・テラス。

K:セルフ・サービスのね。

Z:そこに、当時の中学生とか高校生とかが溜まってたんだよ。オレが〈ジャクベ〉に溜まり出したのは中2で、ディスコに行くようになったのもその頃。まだ慶應(義塾普通部)に通ってて、一個上について遊び回ってた。

K:ということは、オレは17だね。一回、アメリカに留学して、帰ってきたときぐらい。〈ジャクベ〉には同じ学年の女子が溜まってたから覗きにいったら、ヒデたちもいて、「中学生なのにすげぇチャラいなぁこいつら」みたいな感じで見てた。

Z:ははははは。

そして、ZeebraさんとOASISさんは幼馴染み。

Z:小学校からずっといっしょで。

DJ OASIS(以下O):知り合ったのは5年ぐらいだったかな? それから遊ぶようになって……。

Z:6年とか中1とかの頃にはずっといっしょにいるっていう感じになってた。ほら、小学生って、はじめのうちは自分のクラスの奴としか遊ばないけど、高学年になってくるとクラスを跨いで趣味の合う奴と遊ぶようになるじゃん。オア(OASIS)とも、もともとはクラスがちがって。

遊んでいるうちにクラスを越境し、学校を越境し、地域を越境し……そして、いまにいたるまで仲間が増えているわけですよね。

Z:そうだね。その越境していく過程の最初の頃にオアと知り合ったのかな。

O:ガキの頃、オレはメタルが好きで。エレキを買ったりもしてたし、その頃から「音楽をやりたい」ってぼんやりと思ってたんだけど、明確になったのが5年の頃で、そこから、クラスを跨いでレコードの貸し借りをするようになったんだ。それで、ヒデとも仲良くなったんじゃないかな。

Kダブさんと、Zeebraさん、OASISさんは3歳ちがうわけですが、それぐらい空いていると世代がちがうという感覚なのでしょうか?

K:出会ったときは高校生と中学生だからね。その頃はだいぶギャップがあったと思う。でも、あとで話してみると『ベストヒットUSA』(テレビ朝日/81年~87年)とか、音楽の情報ソースは同じだったし、聴いていたものもそんなに変わらなかったんじゃないかな。

Z:まぁ、オレたちもちょっと早熟だったっていうか。

O:オレはコッタくん(Kダブ)と同い年の兄貴がいたから。もともと、音楽はその兄貴に教えてもらって。

Z:オレも親が家でそういうアメリカのヒット・チャートものをかけてたし、5、6年になるとクラスで目立つやつはみんなわっと洋楽を聴き出す感じもあったよね。その流れで、“スリラー”や“ロック・イット”のヴィデオを観てムーン・ウォークやブレイク・ダンスを真似てみたり、ヒップホップにもハマっていった。

〈ジャクベ〉ではまだ音楽の話にはなってないですよね?

K:そのときはまだ。でも、それから1、2年する間にラップ好きだっていうことがわかって。ヒデはオレの後輩だったライムヘッド(現・T.A.K THE RHHHYME)とツルんでたから、あいつに「ヒデもラップ好きなんですよ」みたいな話は聞いてたんだよね。

Z:オレはオレで、「コッタくん家にR&Bのレコード、すげぇいっぱいあるよ」「マジで? 行ってみたい!」みたいな感じで遊びに行って、「すげぇすげぇ、これ何? 聴かして?」って感じで仲良くなった。

渋谷によく溜まっていたビルがあったんですよね。

Z:あぁ、〈Rビル〉? コッタ君の一個上にとんでもなく悪い先輩がいて(笑)。オレがそのひとに会いに行くとコッタくんもいて、みたいな感じだったかな。〈Rビル〉に溜まってたから「Rズ」って呼ばれてたもん。

K:自称でもあるんだけどね。最初は〈Rビルディングス〉だった。

Z:それは初めて知った(笑)。


イタロ・ディスコなんかは、やっぱり、遊びながら知っていったし、そういった中で「音楽はディグるもの」っていう感覚が身に付いていったよね。先輩のテープが回ってきて、「格好いい!」と思った曲を自分でも必死で探すみたいな。(Zeebra)

当時の渋谷は、いわゆる「チーマー」文化の前夜と言っていいですよね。90年代に入って、チーマーがマス・メディアに取り上げられ、暴力的なイメージが再生産されていきますが、『渋谷不良20年史~Culture編』(少年画報社、2009)で、Zeebraさんに、それ以前のチーマー文化は、流行に敏感な私立校生を中心としたムーヴメントだったというようなことを語ってもらったことがありました。

Z:エイティーズのチーマーはそんなに暴力的ではなかったよ。もちろん、たまに喧嘩はあったけど、そんなに大事には至らなかった。

K:まぁ、遊び人の集まりだよね。

興味深いのは、いま、遊び人の若者が新しい音楽を聴いているとはかぎらないと思うんですけど、初期のチーマーは音楽にも詳しかったということで。

Z:それは、まず、当時は「ディスコでしかかからない音楽」っていうのがあったじゃん。それこそ、ユーロ・ビートにしてもハイ・エナジーにしても、普通に生活してたら聴くことがないような曲。デッド・オア・アライヴとかニュー・オーダーとか、ディスコでかかる曲がチャートに入ったりもしてたけど、イタロ・ディスコなんかは、やっぱり、遊びながら知っていったし、そういった中で「音楽はディグるもの」っていう感覚が身に付いていったよね。先輩のテープが回ってきて、「格好いい!」と思った曲を自分でも必死で探すみたいな。

遊び場に足を運ばないと聴くことができない音楽があったからこそ、遊び人の若者たちが音楽に詳しかったと。

Z:格好もそうだよ。遊んでいる奴らなでらはのコードみたいなものがあって、たとえば、みんなブーツを履いてたりとか。チームでスタジャンをお揃いで着たりとか。あと、スタジャンの下にジージャンを重ね着したりとかさ。

K:はいはい。ジャケットの下にジージャンを着たり、とにかく、ジージャンを重ね着してたよね(笑)。

Z:ポケットからバンダナを垂らしたりね。

そのコードの中で、いかに着こなすか、着崩すかが重要なわけですよね。

Z:そうそう。そのために、服もディグるし、音楽もディグるし。で、ディグりきれてないやつは浅いやつ、ダサいやつって感じで見られてた。

そうやって、街の中で遊んでいるうちに、3人は出会っていった。

Z:ここ(Z)とここ(K)はそうだね。

O:オレとコッタくんが会ったのは、ギドラを結成するちょっと前ぐらいだから。

なるほど。では、キャリアに関して、順を追って訊いていきたいと思います。


とりあえず、弦巻(世田谷)だよね。「ふたりで曲をつくろう」って話をして、実際にやりだしたのは。(DJ OASIS)

ZeebraさんとOASISさんはキング・ギドラの前に「ポジティヴ・ヴァイブ」というラップ・グループを組んでいましたが、『ZEEBRA自伝』には「ポジティヴ・ヴァイブという名前をいつ、どうしてつけたのか。はっきりは覚えてない」と書かれていますね。だいたい、いつぐらいの話なのでしょう?

Z:17、8だから、88年、89年ぐらいなのかな? そこから、2、3年はやってたと思う。

O:とりあえず、弦巻(世田谷)だよね。「ふたりで曲をつくろう」って話をして、実際にやりだしたのは。

Z:オレが17ぐらいから弦巻でひとり暮らしをしだして、88年の暮れにニューヨークに行った後、リリックを書き出したんで、正確には結成は89年か。

ポジティヴ・ヴァイブでは英語でラップをしていたんですよね?

Z:そう。ただ、ラップも、並行してやっていたDJも、20歳ぐらいでいったん、止めちゃうんだよね。ニューヨークに行って帰ってきて、89年の1月か2月ぐらいから〈六J〉(ディスコ〈J TRIP BAR〉の通称)でDJをはじめることになったんだけど、オレは89年の4月で18だから、本当は駄目で、ただ、店の方も「まぁ、もうすぐ18だから平気だろう」って感じで採用してくれたんだ。ところが、20歳でガキができて、向こうの親から「水商売の奴にうちの娘はやれねぇ!」って言われちゃって。当時、DJは水商売だったのよ。それで、ちゃんと9 to 5の仕事に着かなきゃいけなくなって、一回、DJもラップも諦めた。その頃って、ZOOの影響でヒップホップが盛り上がりはじめてたし、もったいなかったよ。オレは〈六J〉の火曜日をひとりで任されてたんだけど、そこも誰かに継がなきゃいけないっていうことになって、当時、オアもDJを本格的にはじめてたし、「代わりにやってくんない?」って頼んだんだ。

O:でも、〈六J〉ではヒップホップをかけてたといっても、客はBPMが早い曲にしか反応しなかったね。

Z:そうだね。オレらとしては、もっと遅い、カンカンタッ(BPM90)みたいなのが大好きだったんだけど、それはさすがに……。

O:好きなんだけどかけられない曲がたくさんあった頃だったな。現場では普通にハウスとかもかけてたし。

Z:ニュージャック(・スウィング)とかね。ある程度、音が固くないとノってくれない。ジャンブラ(ジャングル・ブラザーズ)でも反応があるのは“アイル・ハウス・ユー”(88年)だけみたいな。

一方、Kダブさんがリリックを書きはじめたのは?

K:英語で、真似事みたいな感じでやりはじめたのは、オレも、88年の終わりとか、89年の頭とかなのかな。もちろん、その前からラップは聴いてて、ラン・DMCとかLL・クール・Jとかが好きだったんだけど、(LLの)“ゴーイング・バック・トゥ・キャリ”(88年)を聴いて、「よし、オレもやってみよう」って英語でライムを書きだした。

やはり、ZeebraさんとKダブさんの重要な共通点として、まずは英語でリリックを書きはじめたということがあると思うんですが。

K:まぁ、正直、日本人でヒップホップをやれてる奴がいるとは思ってなかったから、アメリカのシーンだけを見てたし、向こうで人気のあるラッパーを好きだったしね。


要するに、当時の日本のヒップホップにはストリートを感じさせるものがなかったんだよね。(Kダブシャイン)

Kダブさんは著作『渋谷のドン』(講談社、2007年)で、「1980年代後半から世界中で隆盛していったヒップホップだが、果たして日本はどうだったか。藤原ヒロシや近田春夫、いとうせいこうら、ロンドン経由の軟弱なアパレル系のものしかなく、それはファッションのひとつとして紹介された」と書いています。また、Zeebraさんも『ZEEBRA自伝』で、「1988年にはメジャー・フォース(高木完、藤原ヒロシ、屋敷豪太などが参加したヒップホップのインディーズ・レーベル)ができた。/その前にも近田春夫さん、いとうせいこうさんがヒップホップを取り入れたりはしていた。/ただ、それはあくまでもミュージシャンが新しいジャンルを取り入れているというスタンスだったと思う」「自分のやりたいものとはちょっと違う。向こうのとっぽいヤツらとは確実に雰囲気が違う」と、日本語ラップ第一世代の表現に対して、違和感を感じていたことを振り返っています。2人がラップをするにあたって英語を選択したのは、彼らに対するカウンターの意味もあったのでしょうか?

Z:そもそも、当時の日本で、ラップでビッグになるってことなんて想像もつかなかったし、「日本の奴らにヒップホップが伝わるのはいつのことなんだろう?」ぐらいに思ってたからね。というか、はっきり、「伝わらないだろう」と思って、向こうでデビューしたいって考えてた。だから、英語でやりはじめたってことなのかな。

87年には〈ヴェスタックス・オール・ジャパン・DJ・バトル〉が、翌年には〈DJ・アンダーグラウンド・コンテスト〉がはじまり、前者ではECDが優勝、後者ではスチャダラパーが入賞するなど、日本語ラップ第2世代が登場しはじめていた時期でしたが、そういったシーンとは関わるつもりがなかった?

Z:まぁ、結局、オレらが日本のラッパーをどこで観ることになるかっていうと、外タレが来たときの前座で、ただ、そのパフォーマンスがどうにも「うーん……」っていう。

K:オレも〈メジャー・フォース〉のレコードを買ってみたりしたけど……。

O:オレも買ったよ。

Z:オレだって(タイニー・パンクスの)「ラスト・オージー」(88年)を買ってみて、プロダクションに関しては、DJ的観点でつくってあっておもしろかったんだけど、ラップに関しては「もうちょっと格好良くならないもんかねぇ」と思ってしまって。都々逸みたいに聴こえたっていうか。(高木)完ちゃん、いますげぇ仲いいからこういうこと言うのは気まずいんだけど(笑)。正直、当時はそう感じちゃったからさ。「いやいや、いまのヒップホップってもうちょっとフリーキーなフロウもあるし」って。だから、ラップに関しては、オレがやりたいと考えてたことの2歩ぐらい手前の感じがしたし、「これはちょっとちがうかなぁ」と思ったっていうところかな。

たとえば、いとうせいこうや近田春夫、タイニー・パンクス等にとっては、80年代半ばのラン・DMCに感化された部分が大きかったと思うんですよね。ただ、80年代も後半になるとラキムが出てきたり、ラップという表現がより進化していきましたよね。そういった現行のラップ・ミュージックを熱心に追っていただろうZeebraさんやKダブさんにとっては、ラン・DMCを引きずり続けているような日本のラッパーたちが古臭く思えたんじゃないでしょうか?

Z:もちろんそれはあったよね。話がいきなり飛ぶけど、『ソラチカ』(『空からの力』)でやっているデリヴァリー、ラップの譜割に関して言えば、収録曲のほとんどをつくった94年当時、向こうで流行っていた韻を置く場所を予測させないようなスタイルをすごく意識した。たとえばジェルー(・ザ・ダマジャ)とか、ケツ・ケツで踏まずに、ランダムに踏むっていう。そういう視点は英語でラップしていた80年代末から変わってない。

K:オレは85年にアメリカに留学して、地元の黒人と友だちになって。彼らと遊ぶ中で、アメリカにおける黒人の歴史や現在置かれている状況を知ったし、ブラック・ミュージックがそれに影響を受けていることも肌で感じて。それで、日本に帰ってきて日本人のラップを聴いたら、やっぱり、ブラック・ミュージックとしては物足りないと思っちゃったよね。

Z:本当にその通りだね。

K:そこに不満を感じて、日本でヒップホップをやることっていうか、日本語でラップをやること自体、不可能なんだなって決めつけちゃったんだ。英語もわかりはじめてたし、そもそも、文法がちがうじゃんって。80年代はそんな感じだったな。

Z:オレが思うに……当時、日本のヒップホップには2ラインあったじゃない? ひとつは、〈メジャー・フォース〉に代表される、ヒップホップにたどり着くまでにパンク/ニュー・ウェーヴを経て来たタイプ。もうひとつは、ユタカ君(DJ YUTAKA)たちみたいなブラック・ミュージックを経て来たタイプ。かたやファッション誌やカルチャー誌みたいなメディアに頻繁に登場するような華やかな世界で。片やディスコが現場で、客は基地のブラザーだったりして、いなたさもあって。オレにとっては、前者はコッタくんが言うようにブラック感が足りなかったし、後者はちょっと〝いま感〟が足りなかった。

そのどちらにも馴染めなかったと。

K:別の言い方をすると、当時、ヒップホップをカウンター・カルチャー的なものとして捉えるか、ポスト・モダン的なものとして捉えるかっていうちがいもあったと思うんだ。〈メジャー・フォース〉は後者だけど、オレはさっき話したようにアメリカでルーム・メイトの黒人からいろいろと聞かされたからさ。それで、ヒップホップのカウンター・カルチャー的な部分に共感するようになったし、ポスト・モダン的な見方っていうのはあまり好きじゃなかったんだよね。

Z:あとはあれだな。デ・ラ・ソウルの“ミー、マイセルフ・アンド・アイ”(89年)のPVがあるじゃん。学校でイジメられるやつ。あれのイジメる側だったからさ、オレらは(笑)。だから、スチャダラパーとかがステージに上がってるところの最前列でこう(煽るジェスチャー)やってるのがオレらの立ち位置だったの。どっちかっていうと。あと、当時、渋谷だの六本木だのでふらふらしてると、気がつけばひと回り上の先輩と知り合ってたりするじゃん。それで、そのひとたちは、車屋とかやってて、儲かってて、派手に遊んでるわけ。でも、日本のヒップホップの現場に行くと、そういう、悪い先輩と繋がってるひとはいないっていうか、こっちもとにかく若くて、何も知らないから、「お前ら誰なんだよ。オレはもっとヤバいひとたち知ってるし」みたいな感じもあったよね。

K:要するに、当時の日本のヒップホップにはストリートを感じさせるものがなかったんだよね。

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日本は日本の……いまで言うガラパゴス的なシーンで、そこに「ちゃんと本物を持って帰って来る」みたいな使命感はあった。(Kダブシャイン)

日本では〈メジャー・フォース〉のように、本来、オルタナティヴであるはずのものがメインになってしまっていたということでしょうか?

Z:イメージとしては、やっぱり、ファッションな感じがしてたかな。たとえば、オレがどーしても受け入れられなかったのが〈ヴィヴィアン・ウェストウッド〉。だから、あれがイイと言っているひとたちとは感覚がちがうわっていうのはあった。オレは〈ヴィヴィアン・ウェストウッド〉だったら、〈フットロッカー〉のほうが好きだったから(笑)。

タイニー・パンクス時代の藤原ヒロシはヴィヴィアンにアディダスを合わせたりしていましたよね。

Z:オシャレだとは思うけど、オーセンティックな、ストレートなヒップホップではないっていうところが自分の好みとはちがったな。

K:クイーンズ・ブリッジじゃそんな格好してるやついないよ、みたいなさ。

〈メジャー・フォース〉系には「ブラック感」が足りない。ディスコ系には「いま感」が足りない。自分たちがど真ん中だと思うもの〝だけ〟が日本のラップ・ミュージックからは欠けていたと。

K:ただ、オレはいとうせいこうさんがCMでやってた「ネッスルの朝ごはん」のラップ(87年)、あれは許容範囲だったんだよね(笑)。あと、88年か89年の年末に、横浜にあった〈グラン・スラム〉ってプリンスがプロデュースしたディスコでB-FRESHのライヴを観て、「こっちは〈メジャー・フォース〉よりはありだな」と思ったな。立ち居振る舞いとかも含めて。

Z:ちょっと悪そうだったもんね。

K:ブラザー感出てるっていうか、ファンキーな感じがして、可能性を感じた記憶がある。

Z:それで言ったら、オレは『ダンス!ダンス!ダンス』(フジテレビ、90年)を観てたらクラッシュ・ポッセが出てきて、オケが“ワイ・イズ・ザット?”(ブギー・ダウン・プロダクションズ、89年)か何かを使ってたのかな? 「おー、こういうやつらいるんだ!」ってアガったな。

K:実際には、いろいろなタイプのラッパーが出てきてたんだろうけど、自分のことで精一杯だったから目がいってなかったのもあるのかもしれないね。

ただ、〈メジャー・フォース〉は日本ならではのヒップホップの形を模索していたようなところもあったと思うんですよ。また、『ZEEBRA自伝』には、80年代のことを振り返る、「一時期、黒人になりたくて、なりたくて、しょうがなかった/もちろん無理なんだけどさ」という一節がありますが、ZeebraさんもKダブさんも、当初は英語でラップしていたのが、ある時期から日本語にスウィッチして、独自の表現を目指していきますよね。

Z:もちろん、それはいちばんはじめからわかっていたことであって、オレもブレイクダンスからヒップホップに入ってるし、「黒人ばかりじゃねぇよな」って印象はあって。「プエルトリカン、多いな」とか、何だったらアジア人のブレイカーだって、白人のブレイカーだっていたわけだし、オレは、もともと、この文化を黒人だけのものとしては捉えてない。だからこそ、「日本人の自分だって入っていけるはずだ」と思ってたっていうか。デカかったのは、88年に初めてニューヨークに行ったときに、ボビー・ブラウンとニュー・エディションとアル・ビー・シュアの3組がいっしょにやるっていうんで〈マディソン・スクエア・ガーデン〉に観にいったんだけど、真ん中のPA・ブースはエリック・Bをはじめヒップホップ・スターだらけで、「わー、ハンパねー」って感じで。それで、フロアは見渡す限りシスター。しかも、いまのビヨンセみたいな感じじゃなくて、みんな、格好が小汚いんだよ(笑)。そんな中で本編がはじまる前にビースティ・ボーイズがかかったら、どーん! どーん! って超盛り上がって。しかも、“ファイト・フォー・ユア・ライト”(87年)とかじゃなくて、“ポール・リヴェア”(86年)とかだよ? そのときに、「あ、ビースティ・ボーイズはちゃんと受け入れられてるんだ? ……ほう」と思った。オレはそれにだいぶ、背中を押された感じがある。

なるほど。つまり、名誉黒人になりたかったから英語でラップすることを選んだわけではなく、アメリカのヒップホップ・シーンは人種を問わず参戦可能だと思ったからこそ、共通言語である英語でラップすることを選んだのだと。

K:オレなんかは、高校の頃からアメリカで黒人とつるんでたし、なんとなく自分はもうアメリカ人だって気分でヒップホップを聴いてたんだよね。

Z:オレもそうだったな。

K:だから、キング・ギドラにしても、アメリカのヒップホップから枝分かれした存在というイメージで、対して日本は日本の……いまで言うガラパゴス的なシーンで、そこに「ちゃんと本物を持って帰って来る」みたいな使命感はあった。

O:ふたりの話を聞いてて思ったのは、『ソラチカ』をつくる上で、もちろん、刺激を受けた音楽が同じだったっていうのも重要なんだけど、昔の日本語ラップを聴いたときの違和感が同じだったっていうのもデカいのかなって。


キングギドラ
空からの力

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Hip Hop

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『空からの力』は、いまでこそ「名盤」だとか「教科書」だとか「王道」だとか言われますけど、やはり、リリース当時は日本のシーンに対するカウンターとしての側面も持っていたということですよね。

K:うん、そうなんだよね。


黒人の友だちに英語のラップを聴かせると、「まぁ、それはそれでいいけど、なんで日本語でラップしないの?」みたいなことを言われたしね。(Kダブシャイン)

Kダブさんが、「日本語でラップをやること自体、不可能なんだなって決めつけちゃったんだ。英語もわかりはじめてたし、そもそも、文法がちがうじゃんって」というところから方向転換をしたのはどうしてだったのでしょうか?

K:やっぱり、アメリカのラップを聴いてると、みんな、メイン・ターゲットが自分のコミュニティの人たちなんだよね。ブルックリンの奴らはブルックリンに向けて、クイーンズの奴らはクイーンズに向けて、サウスブロンクスの奴らはサウスブロンクスに向けてラップしている。西じゃ「ウェッサーイ!」とかさ。そういうふうに、自分の地域をレップして、その地域の奴らに聴かせるっていうのが基本なんだなっていうことがわかってくると、「〝日本から来て、アメリカに住んでいる日本人〟みたいなアイデンティティでは限界があるなぁ」と思いはじめて。あと、黒人の友だちに英語のラップを聴かせると、「まぁ、それはそれでいいけど、なんで日本語でラップしないの?」みたいなことを言われたしね。その意見が、自分の中で「どうするんだ、お前は?」っていう自問自答の声になっていってさ。それで、ある日、「じゃあ、日本語でやってみようかな」ってリリックを書きなぐってるうちになんとなく原型になるものができて。「あ、こういう感じで続けていけばいいのかな」って気づいたときにはもう夢中になっていて、半年とか1年とかひたすらやりつづけてたっていう感じかな。

つまり、先ほど、Zeebraさんが言っていたようにラップはマルチ・エスニックな、あるいは、グローバルなカルチャーでもあるわけですが、同時にローカルなカルチャーでもあって、それについて考えている中で、「やはり、日本語でやるしかない」という動機づけがされていったと。

K:そうだね。あと、やっぱり、アメリカに長くいることで、望郷の念みたいなものも膨らんでいってさ。日本人でいることを意識するようになったし、もちろん、アメリカにもいいところはいっぱいあるけど、「こういうところは日本のほうが良いよなぁ」と思うことも多くて、より日本を好きになっていったわけ。一方で、日本に帰るたびに、友だちがジャンキーになってたり、パクられてたり、死んじゃってたり、「ええー? 日本、大変なことになってるじゃん」って感じて。「いま、渋谷でこうなってるってことは、そのうち、全国的にこうなっていくんだろう」と思ったし、あるいは、アメリカでスラムを見て、「日本がこうなったらどうしよう」っていう危機感も持つようになった。そういうふうに、変わっていく日本に対して自分ができることはなんだろうって考えはじめた時期と、日本語のラップに取り組みはじめた時期がちょうど重なったんだよね。

アメリカがある種のディストピアに思えた。日本がこれから向かっていくような。

Z:当時、「日本が危ない感」みたいなものはいろんなところに感じてたよね。


当時、「日本が危ない感」みたいなものはいろんなところに感じてたよね。(Zeebra)

『空からの力』に顕著な雰囲気ですよね。

Z:それと、賛否両論はあると思うんだけど、当時、『ゴーマニズム宣言』(小林よしのり、92年~)とか、実際、おもしろかったし。

K:あぁ、オウムとか薬害エイズについて描いてたころだよね。

Z:隠されている真実をあからさまにするっていうことを、ヒップホップではパブリック・エナミーだったりがやってきたわけだけど、当時、『ゴー宣』にはそれに近い感覚があると思ったし、日本でもそういうものがパブリッシュされることで、そういう目線で物を見るひとが増えてるってことは、逆に言えば、「いま、パブリック・エナミーみたいなことを日本でやってもいけるんじゃねぇの?」って思わせてくれたし。

K:本当のことを言ったり、言いたいこと言ったりするのは当たり前だろうっていう。

『空からの力』をつくるにあたって、『ゴーマニズム宣言』に刺激を受けたようなところがあった?

Z:すごいでかいなぁと思って。たとえば、自虐史観みたいなことに関しても、「本当のことに気づかせてくれたな」っていう感じが、正直、オレはしたし。どこまでが真実で、どこまでが誰かがつくった虚構なのかっていうことはわからないけど、100%悪くないわけじゃないし、100%悪いわけじゃないしってことを知るだけでも、本当に意識が変わった。台湾のひとたちが日本をリスペクトしてるんだって知ったのも『ゴー宣』だったりするから。「あぁ、こういうことを、エンターテイメントとして世の中に伝えていくやり方があるのか。だったら、オレらもラップでそれをやればいいんじゃないか」っていうことは、当時、すげぇ思った。

なるほど。では、日本語でラップをはじめた頃に話を戻すと、『ZEEBRA自伝』には、「T.A.K THE RHHHYMEの家にたまに遊びに行った時に、(略)/「そういえば、この前、コッタ君(Kダブ)から電話あってさ」みたいな話になった。/「コッタ君、ラップ始めたらしいよ」/「しかも日本語でやってて、結構ライムがちゃんとしてたんだよ」って。/(略)その当時、Kダブはオークランドに住んでいたから、国際電話でラップを聴いたのかな。/あっ、これはこれまでの日本語ラップとは違うな。/聴いた瞬間に、そう思った」というエピソードが書かれています。そして、感化されたZeebraさん自身も日本語のリリックを書きはじめるという流れですよね。

Z:そうだね。(Kダブのラップは)ライムヘッド邸で聴いたんだと思う。

それって具体的に何年だったか覚えていますか?

Z:たぶん……92年くらい?

K:アメリカで黒人の友だちに聴かせて「何言ってるかわからないけど、いい感じだよ」みたいなことを言われたりとか、アメリカに住んでる日本人や、日本の友だちにも感想を求めたりとか、そういうふうにして、試行錯誤しながら自信をつけていってたんだよね。その流れでヒデにも聴かせたんだと思う。

ちなみに、『渋谷のドン』には、「次第にアメリカでオレの日本語ラップが認められるようになり、帰国した際にも、それを友だちに披露していたりした。その頃、汐留のレイブパーティでヒデ――Zeebraと再会」という記述があります。この、〝レイブパーティ〟とは?

Z:えー、何だっけそれ?

K:ああー、その電話のあとで偶然会ったのが、汐留っていうか、新橋の線路の下みたいなところでやってたレイヴで。

Z:はいはい。日本ではレイヴがまだこれからっていう頃だったんだけど、それはゲスト・リストに載ってないと入れないようなクローズドのパーティで、オレは友だちがみんな行くっていうからついていったら、たまたま、コッタくんに会って。

K:オレがうんざりして、「アメリカから帰ってきたばっかりなのに、こんな音楽聴くのエグいんだけど」って言ったら、「車の中でヒップホップ聴こうよ」みたいな話になったんだ。

いい話ですね!

K:当時、オレはオークランドの地元のファンク・バンドとかラッパーと交流があって、ちょうど、ベイエリアのシーンが目立ちはじめていた時期だったから、その車の中で、「とりあえず、日本よりはおもしろいことになってるよ。ラップやるなら、オークランドに来れば?」みたいに誘ったんじゃないかな。あと、同じ頃、友だちの結婚式の二次会で、ヒデとノリでワン・ヴァースづつラップしたらすげぇ場が盛り上がって、いいケミストリーだなっていうのを感じたこともあった。


オレは韻をハメて気持ちよくさせることがラップの愉しさなんだって考えながら、92年からリリックを書いてるんで、言いたいことをとりあえず言って、後から韻を踏んで聴こえるように細工してるものとはレヴェルがちがう。(Zeebra)

ところで、ZeebraさんがKダブさんのラップで惹かれたのはどんな部分だったのでしょうか? 『ZEEBRA自伝』には、Kダブさんにラップを聴かされた当時、「RHHHYMEは3Aブラザーズっていうグループを組んでいて、UBG(アーバリアンジム)のINOVADERと1-Low(イチロウ)というMCと一緒に日本語のラップをやってたんで、たまに聴かせてもらったりしてた。/でもライムに関しては、もっと違うやり方があるんじゃないかって思っていた」という一文があるように、周囲でも同時多発的に日本語による新しいライミングの仕方が模索されていたと思うのですが。

Z:当時のライムヘッドたちはまだ最後の1文字を合わせるぐらいで。それに対して、コッタくんが聴かせてくれたのは、単語単位で、3文字とか4文字とかで踏んでたから、「あ、ちゃんと韻として成立してるじゃん」と感じた上に、「これだったらオレにもできるじゃん」と思わせてくれたんだよね。

ただ、それまでの日本にも、単語で踏んでいたラッパーはいましたよね。たとえば、いとうせいこうのアルバム『MESS/AGE』(89年)に付属されていた、〝福韻書〟と題したアルバムの中で使ったライミングのインデックスには、単語がずらっと並んでいます。

Z:いや、それまで、3文字、4文字の単語で、すべて母音を合わせるってことをやってたひとは、そんなにはいなかったんじゃないかな。4文字の単語で、最後の2文字が合ってるとかはあったかもしれないけど。たとえば「~の剣幕」と「~が開幕」とか。

K:「逆境」と「東京」とか。

Z:でも、「剣幕」と「円卓」みたいな踏み方はあまりなかった。

K:オレは、それまでの日本語ラップは、語尾を毎回、「あ~」とか「わ~」とか「ど~」とか延ばして響きを似せることを韻と定義しているという印象があって、ただ、それは韻じゃないって英語のラップを聴いてわかっていたから、自分としては英語の韻の構造を日本語に当てはめたみたんだよね。

Z:オレたちとそれまでのひとたちとは韻に対する考え方がちがったんじゃないかな。オレたちにとっては踏むことがメイン。だから、それまでのひとが「ここは踏めないけど、言いたいことがあるからいいか」ってスルーしちゃうのは、オレらにとってはおもしろくも何ともない。そこをなんとか踏んで、なんとか意味を通すことがアートだって考えてるから。

K:それまでの日本のラップは、作文の途中に韻を踏む言葉が入ってたりするぐらいの感じだったと思うんだよ。

Z:以前、ラキムが「ラップのデリヴァリーは、ジャズでトランぺッターやサキソフォニストがソロを吹くときのパターンと同じだ」っていう話をしてたんだけど、まったくその通りで、たとえば、パララ♪、ツッタタッタ、パララ♪、ツッタタッタ、パララ♪の〝パララ♪〟ってところがラップにとっては韻なんだ。そういうふうに、オレは韻をハメて気持ちよくさせることがラップの愉しさなんだって考えながら、92年からリリックを書いてるんで、言いたいことをとりあえず言って、後から韻を踏んで聴こえるように細工してるものとはレヴェルがちがう。

ライミングをひとつの演奏として捉える。

K:欧米で詩を書くときに使う思考法を、それまでの日本人が持ち合わせていなかったのに対して、たまたま、アメリカに行って、英語でものを考えるくせがついていた若者がその思考法をパッと日本語に置き換えたのが、当初のオレのラップだったと思うんだよね。

『渋谷のドン』には「日本語のラップが成立するかもしれない。そう思い、ひとりで研究をはじめた。そして、中国の漢文が韻を踏んでいることを思い出す。漢文にならって音読みを用い、倒置法や体現止めを試してみた」とも書かれていますね。

K:うん。大学生のときに、日本語って「~です」とか「~でした」とか「~ました」とか、いわゆる韻ではないけれど、韻律を合わせた語尾で終わるようになっているから、そもそも、韻を踏む必要がない言語だっていうことに気づいたのね。でも、新聞の見出しみたいに体現止めにして、漢文みたいに熟語で踏んで行けば、日本語でも韻のおもしろさがわかりやすく伝えられるんじゃないかと思ったんだ。ただ、研究しているうちに、「~なった」と「~あった」でも踏めるとかさ、「有り触れた言い回しでも、しっかりしたラインだったらOK」とか、自分の中でのルールができていって。だって、“スタア誕生”の「スターになる夢見育った/素直でかわいい女の子だった」とか、ぜんぜん、体現止めでもないし、普通の1ラインじゃない。だから、体現止めや熟語で踏むことにこだわってると思われがちだけど、そうではなくて。

Z:でも、「育った」と「子だった」って、ちゃんと、「そ」と「こ」から踏んでるんだよね。

K:そうそう。そこが気がきいてるのを汲み取ってよ、みたいなさ(笑)。


大体のやつが「I Rhyme」って言うわけ。だから、オレは「ラップしてる」って言い方はあまり格好良くないんだなと思って。「I Rhyme」っていうのは、要するに、韻踏んでなきゃラップじゃないってことでしょう。(Kダブシャイン)

『空からの力』のいちばんのメッセージは「韻を踏むことがモラルである」ということだと言っていいと思うんですけど、それが、日本のラップ・ミュージックを変え、ひいては日本語を変えていったわけですよね。

K:オレがアメリカに行った頃、ラップしてるらしきやつに会うたびに、当時の拙い英語で「Do You Rap?」って訊いてたのよ。そうすると、大体のやつが「I Rhyme」って言うわけ。だから、オレは「ラップしてる」って言い方はあまり格好良くないんだなと思って。「I Rhyme」っていうのは、要するに、韻踏んでなきゃラップじゃないってことでしょう。実際、向こうのラップを聴くと、「Rhyming」「Rhyming」「Rhyming」ってみんな言ってるからさ。それで、オレの中で韻を踏むっていうことが大前提になっちゃったんだよ。

OASISさんは、最初にKダブさんとZeebraさんのラップを聴いたときどう思いましたか?

O:まず、「日本語でもこういうふうになるんだ」と思ったし、同時に「ラップってこういうことなんだ」とも思った。それまで、パブリック・エナミーのラップを聴くにしても、対訳を読んだり、辞書を引いたり、理解しようとはしてたんだけど、やっぱり、ちゃんとは理解できてなかったし、どうしても、音として聴いてるようなところがあって。でも、コッタくんとヒデのラップは、向こうのラップがそのまま日本語になっているような感じで、それを聴くことによって、ヒップホップっていうものをより深く理解できたし、もっとヒップホップを聴きたいって欲が出てきた。そういうことは、それまでの日本語ラップではなかったよね。

そして、OASISさんもラップを始めます。

O:うん。『ソラチカ』を聴いて「ラップをやりたい」と思ったひとがたくさんいたのと同じように、オレはリリースの1年前とか2年前にそれを体験していて。ふたりのラップを聴かなければ、自分がマイクを持つようなことにはならなかったんじゃないかな。

Z:オレらも、その後、先人たちがやってきたことを振り返って、「あぁ、もうこの段階でこういうことをやってるんだ」「あぁ、こういうこともやってるんだ」って気づいたし、ただ、当時のオレらにそれが届かなかったのは、たとえば〈ヴィヴィアン・ウェストウッド〉を着てたからとか、フロウがちょっと古かったとか、それだけのことだったのかもしれない。あるいは、彼らが試行錯誤を公開してくれたからこそ、オレらは同じ轍を踏まずに済んだし、オレらは試行錯誤を公開せずにスタイルが完成した後、『ソラチカ』として世に出したからこそ、あのアルバムがラップの教科書として機能したのかもしれないよね。

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日本のシーンはシーンで、ある程度動きはじめてたから、「その中でやっていった方がいいんじゃないか」っていう話はしてたよね。(Zeebra)


キングギドラ
空からの力

Pヴァイン

Hip Hop

20周年記念
デラックス・エディション

Tower HMV Amazon

20周年記念エディション

Tower HMV Amazon iTunes

95年12月18日刊行のヒップホップ専門雑誌『FRONT』(シンコーミュージック)6号に掲載されたキング・ギドラのインタヴューの聞き手は佐々木士郎(現・宇多丸/ライムスター)で、リードにはこう書かれています。「そのデモ・テープが東京のヒップホップ・シーンを駆け巡ったのは、今からちょうど2年前のことだ」「一聴した者はその瞬間から、実体すらはっきりしないこのグループの名前をしっかりと記憶せざるを得なかった。カセット・レーベルにはこう印刷されていたのだ。「KING GIDDRA 見まわそう/空からの力」」「彼らのファースト・アルバム『空からの力』は、あらかじめジャパニーズ・ヒップホップの新たなクラシックとなるべく義務づけられた作品だったと言っていい」。つまり、日本のシーンの中では、93年末頃から出回りはじめたデモ・テープによって、すでに『空からの力』の方向性は周知されていたということですけど、その「デモ・テープ」というのが、今回、ボーナス・トラックとして収録される音源なのでしょうか?

Z:そう。93年の3月にオークランドに行ってギドラを結成して、日本に帰ってきてから録ったデモだね。当時、UZIのお兄さんが練習スタジオをやってて、ひと部屋だけレコーディングもできるところがあって、そこを借りて。

キング・ギドラ 『空からの力:20周年記念エディション』 Trailer

なるほど。では、そのデモについて訊く前に、オークランドでギドラ結成に至った経緯を教えてください。

K:ヒデがオークランドに着いて、何日かいっしょにヒップホップ活動をしている内に、「グループになろうか?」っていう話になって。それまでは、お互いにひとりでやってたし、ソロMCっていう自覚もあって、ソロのヴァースも書いてたんだけど、ちょうど、ラン・DMCが『ダウン・ウィズ・ザ・キング』(93年)でカムバックした頃で、「やっぱり、2MCのライヴって1MCより迫力あるなぁ」と思ってたところだったんだ。あと、なんとなく、「オレたちだったらうまくいくんじゃないかな?」っていう予感もあって。そうしたら、ヒデが「もう1人いいやつがいるんだよ」ってオアの名前を挙げて、その2ヶ月後ぐらいに会ったのかな?

そのときにはすでに、日本でリリースするということは決めていたんでしょうか?」

K:うーん、とにかく「つくる」ってことしか考えてなかったかな。もちろん、日本の皆に聴かせたいけど、具体的に日本での音楽活動の仕方をイメージしてたわけではなく。オレが向こうで仲がよかったエレメンツ・オブ・チェンジってラップ・グループの片割れの彼女が『ギャビン』って雑誌で働いてて業界に詳しくて、「ショッピングしてみるわ」って言うから任せたら、1個か2個いい話を持ってきたりして。

〈デフ・アメリカン〉からデビューするという予定もあったみたいですね。

K:もう1個あったんだけど、何だったっけ? あぁ、〈イモータル(・レコーズ)〉って〈エピック〉系のレーベルかな。でも、やっぱり、ターゲットはなんとなく日本って決めてたから。

Z:もうその時点で、日本のシーンはシーンで、ある程度動きはじめてたから、「その中でやっていった方がいいんじゃないか」っていう話はしてたよね。

『空からの力』は、もちろん、傑作なんですが、必ずしもその時期における異端的な作品ではなくて、同じ年の6月にはライムスターの『エゴトピア』が、10月にはコンピレーション『悪名』がリリースされていますし、ギドラとライミングの方法論が近いラッパーたちが集まりはじめていたという印象があるのですが?

Z:たとえば、(『悪名』に収録されたラッパ我リヤの)Qなんかは「ギドラのデモ・テープを1000回ぐらい聴いた」と言ってて、そこから、あんな韻フェチが生まれたってことだと思うし。

K:三木道三も同じようなことを言ってたよね。

つまり、ギドラのデモ・テープとアルバムの間が2年空いたことで、デモ・テープの影響が表出するのと、アルバムのリリースとが重なり、ギドラとライミングの方法論が近いラッパーが同時多発的に現れたように見えた側面もあったと。

Z:そうなんじゃないかなって気はするんだけど。あと、それだけデモ・テープが広まったのは、(DJ)KEN-BOがオレらのプロモーションをやってくれたからでもあるんだよね。「とにかく、韻がヤバいんだよ」みたいな説明をしながらデモ・テープを配りまくってくれて。

K:あと、『Fine』(日之出出版)としっかり組んだのも大きかったよね。あの雑誌は、マニアックなラップ好きとか音楽好きだけじゃない、遊び人の子たちが読んでた雑誌だったから。

Z:それこそ、ギャル全盛期でさ。みんな『Fine』読んでますって時代だったし、あの雑誌に載ったり、〈Fine Night〉に出ることによってファン層も幅広くなった。


だからこそ、「これ(『空からの力』)を聴いたら変わるよ」ぐらいに思ってたし。(Kダブシャイン)

一方、『FRONT』の、ギドラのインタヴューが掲載されたのと同じ号では、佐々木士郎が連載「B-BOYIZM」において、「日本のヒップホップ・アーティストを取り上げるのを快く思っていない層」に対する反論を書いていたりと、遊び人の中で、日本語ラップに対するイメージはそこまでよくなかったのかなとも思うんですが。

Z:士郎くんが言ってたのは、おそらく、遊び人っていうよりは、いわゆる〝ブラパン〟みたいな層に対してだね。当時、「ブラック・ミュージックが好き、ヒップホップが好き、だけど、日本語ラップは……」っていう奴がけっこういたんだ。

K:いや、気持ちはわからなくもないんだよ、オレらだってそうだったんだから(笑)。だからこそ、「これ(『空からの力』)を聴いたら変わるよ」ぐらいに思ってたし。

Z:外タレのフロント・アクトに出まくったのも、「っていうか、オレらのほうがぜんぜん格好よくねぇ?」ってことをわからせたかったからだしね。

K:まぁ、エリック・サーモンにしても、ショウビズ&AGにしても、みんな、「何言ってるかわかんないけどイイよ」「これならぜんぜん行けるよ」って言ってくれたからね。

80年代末に、Zeebraさんは外タレの前座をやっていた日本人ラッパーたちに違和感を感じてたいたという話がありましたが、そこで、ギドラがUSと日本の差を埋めたとも言えますよね。

Z:そうだね。エド・O.G.に至ってはオレらが完全に食っちゃたし。あと、その頃のことで印象に残ってるのが、グレイヴディガズが〈ジャングルベース〉(六本木のクラブ)でライヴをやったとき、オレはバーカウンターに寄っ掛かって観てたの。そうしたら、途中でプリンス・ポールが「この中でラップできるやついないのか?」みたいなことを言って、前のほうにいた基地の奴が、まぁ、どうってことのないラップをしだして。だから、「しょうがねぇな」ってオレがマイクを持ったらフロアも盛り上がったし、グレイヴディガズも「おー」みたいな感じになってさ。それで、ステージから降りたら、黒人に後ろから抱きつかれてるブラパンが「やるじゃーん」って言ってきて。そのとき、「ついに勝ったぜ、ブラパンに」にと思ったよね(笑)。

K:そういう意味では、〈Pヴァイン〉からリリースしたのもよかったよね。ブラック・ミュージック好きに認められてたレーベルだからさ。

そして、ライムスターの『エゴトピア』で「口からでまかせ」にソウル・スクリームとともにフィーチャリングされたあと、95年7月にリリースされたコンピレーション『THE BEST OF JAPANESE HIP HOP VOL.2』収録のSAGA OF K.G.名義「未確認非行物体接近中」のアウトロでは「ライムスター、メロー・イエロー、イースト・エンド、ソウル・スクリーム、マイクロフォン・ペイジャー、ランプ・アイ、ユー・ザ・ロック&DJベン、雷クルー、ECD、キミドリ、ガス・ボーイズ、クレイジーA、DJビート、DJ KEN-BO、ライムヘッド」といったアーティストたちにシャウトアウトを送っていますね。

K:うわ、そういえば、言ったね~!

Z:うん。この頃には、皆でやっていこうという意識の中で動いてたから。

『空からの力』をレコーディングしはじめたのもその頃でしょうか?

K:95年の夏からスタジオに入ったんじゃなかったかな。暑かった記憶がある。

アルバムには、それまでデモ・テープに収録していた曲は全部入ってる?

Z:いや、入ってない曲もある。


「いくら日本で悪い子ちゃんだって言っても、ガンを持ってるわけじゃないし、ひとを殺したわけでもないし、向こうに行ったら普通だよ」と思ったら、ファーサイドの具合がちょうどいいなって感じたんだよね。(Zeebra)

今回、「見まわそう」のデモ・ヴァージョンだけ、事前に聴かせてもらったんですけど、Kダブさんがアルバムとあまり変わらないのに対して、Zeebraさんの発声はぜんぜんちがいますよね。

Z:そうなんだよね。まったくちがう。

Zeebraさんは、その時代その時代の、ラップのモードに合わせてスタイルを変化させてきたと思うのですが……。

Z:ただ、そのデモの頃は、それこそ試行錯誤している最中だったかな。自分のラップ・スタイルはどれがベストなのか探ってた感じ。あと、ファーサイドの影響がモロに出てる。いま振り返ると、自分たちとしては、不良っぽかったり、ストリートっぽさを持ってたりっていうのは大前提だったんだけど、もともとはUSでやろうとしていたので、「いくら日本で悪い子ちゃんだって言っても、ガンを持ってるわけじゃないし、ひとを殺したわけでもないし、向こうに行ったら普通だよ」と思ったら、ファーサイドの具合がちょうどいいなって感じたんだよね。

あの声の高さはファーサイドですか。

Z:ファーストの『ビザール・ライド・トゥ・ザ・ファーサイド』(92年)が出て、「パック・ザ・パイプ」って曲もあったり、楽しそうだったり、ドロドロしてたり、「何かおもしろいなぁ」と思ったのが、まさに、デモ・テープをつくる半年前ぐらいだったんだよね。でも、「日本のシーンの中でやる」っていうことを考えるんだったら、もっとストリート性みたいなものを出した方がいいかなと思って、だんだん、声のトーンも下がっていった。だから、デモ・テープから、ソロのセカンドの『BASED ON A TRUE STORY』(2000年)までをひとつの流れとして見ると、オレのラップがどんどん男っぽくなっていくのがよくわかるんじゃないかな。

なるほど。ちなみに、『空からの力』は、リリース当時、どれぐらい売れたんでしょうか?

Z:気がついたら、20000枚か30000枚ぐらいは売れてたよね。

では、長い時間をかけて浸透していったという感じではなく。

K:うん、最初の2、3ヶ月でけっこう売れたんじゃないかな。HMV渋谷店のチャートでは6週ぐらい連続で1位になったり、大騒ぎになってたって言ったら大袈裟かもしれないけど……。

最初に影響を自覚したのはいつですか?

K:やっぱり、〈さんピンCAMP〉(96年)のときは、あの大雨の中、満員の客が盛り上がっていて……もちろん、自分たちだけが出てたわけじゃないけど、「あぁ、日本でもヒップホップがここまで影響力を持つようになったんだな」と思ったよね。ちょっと怖いぐらい熱狂的な感じ。

『ZEEBRA自伝』では、「あの頃はデカいイベントが月に1回くらいのペースであったんで、いつものルーティンな感じだった」とも書いてありましたが。

Z:いや、それは、〈さんピンCAMP〉だけのおかげで日本のヒップホップが盛り上がったわけではなく、〈(クラブ)チッタ〉でやっていたようなオムニバスのイベントだったり、〈イエロー〉や〈ゴールド〉でやっていたようなパーティだったりの積み重ねでシーンが出来上がったってことを言いたかったんであって。ただ、〈さんピンCAMP〉のキャパがそれまでで最大だったのはたしかだから。それこそ、“未確認非行物体接近中”のイントロが鳴り出して、ぐわーって歓声が上がったときはゾクゾクッときたよね。「よっしゃー!」って。

K:オレはどのアーティストも同じぐらい盛り上がったっていう印象だったんだけど、ひとによっては、「ギドラのときがいちばんだった」って言ってくれるのはうれしいよね。それだけ、アルバムが受け入れられてたんだなって思った。

ただ、そのステージにOASISさんはいませんでしたよね。

O:あのときはKENSEIがDJをやったんだっけ?

K:KENSEIとKEN-BO。

O:あぁ、ダブルDJだったんだ。オレは現場にすらいなかったから。あとから映像で観た。

K:当時、オアは音楽から身を引こうとすら思ってたみたい。


アルバムの中では自分の役割を果たせたと思ってるし、やりたいことができてるなって、今回、聴き直して感じたね。(DJ OASIS)

当時の文字情報……たとえば、『HIP HOP BEST100』(Bad News、96年)を読むと、「もともとあまり表舞台に出ることは少なかったトラック・メーカーのDJ OASIS」というふうに書かれています。

O:うん。ほぼ、表舞台には出てないかな。アルバムを出した年に結婚もしたし、生活を取ったっていう感じで。音楽で金を稼ぐっていうことにまだピンときてなくて、バイトもしてたからね。

自分が参加していないうちに、キング・ギドラがどんどん大きくなっていったことに対して、何か感じることはありましたか?

O:やっぱり、すごい感じてたよ。音楽雑誌に出ることは当たり前かもしれないけど、その頃から、一般誌にも出るようになってたからね。何気なく雑誌をパラパラめくってて、パッとふたりの写真が出てくると、「あぁ、オレも本当だったらここにいたんだよな」っていうことは思ったし。だからと言って、自分が選んだ道は後悔してなかったから、日々の仕事を淡々とこなしてたけど、ギドラがでかくなっていく一方で、いつまでも変わらない自分には違和感を感じてたね。「悔しい」とか「クソ!」みたいな感じではなく、心にポカンと穴が空いてるような……。

なるほど。

O:ただ、たしかにライヴに関しては何年も参加できなかったし、『ソラチカ』に関しても仕事でスタジオに行けなかったときもあったんだけど、アルバムの中では自分の役割を果たせたと思ってるし、やりたいことができてるなって、今回、聴き直して感じたね。

一方で、ZeebraさんとKダブさんは、後年、『空からの力』のレコーディングの時期を、グループとしてはあまりいい関係ではなかったと振り返っていますね。たとえば、『渋谷のドン』には「空中分解の状態」だったと、『ZEEBRA自伝』にはKダブさんに対して「うーんと思うことも増えてきた」と書かれています。

K:うーん……蜜月が終わったというか……。最初は一気に近づいていっしょにやるようになったわけだけど、そりゃあ、時間が経つごとに意見の相違も出てくるし……。

名盤と言われている作品の裏では、じつは、OASISさんが音楽から離れようと考えていたり、KダブさんとZeebraさんの関係がよくなかったりしたというのは、リスナーとして興味深いです。

K:たぶん、オレもヒデも本能的に「これを出さないと次につながらない」ってことがわかってたから、アルバムに関しては「ビジネス・ネヴァー・パーソナル」でとにかく完成させようと。ただし、その後は袂を分かつことにはなるんだろうな……みたいな予感はしつつ、レコーディングは無我夢中だったよね。もし、完成させられなかったら、それまで積み重ねてきた努力も台無しになるし、他の奴らにもデモで影響を与えたんだとしたら彼らにも申し訳が立たないし。『エゴトピア』の「口からでまかせ」は言わば予告編みたいなものだったので、その後、本編が幻になっちゃうようなことだけはやっちゃいけないなっていうのもあって。そこは、〈Pヴァイン〉もよくサポートしてくれてたと思うよ。

(『空からの力』のブックレットを熟読しているZeebraに対して)当時、Zeebraさんはどんなことを考えていましたか?

Z:……いま考えてたのは、この写真を見ると、オアがいちばん顔が変わったかなって(笑)。

K:あー、たしかに。

O:……わかんないけど、2人がぶつかった時期があったんだとしたら、それは、たぶん、オレがいない時期で。だから、もしかしてオレがいたら、和らいだりもしたのかなって思うことはあるね。

Z:もしかしたらそれはあったかもしれないね。

K:そうだね。

Z:ただ、オレが、正直に思うのは、ギドラ以降もいろんなアーティストと友だちになったけど、いま話してたようなことは、アーティストは誰しもが持つ問題だと思う。

K:うん。

Z:やっぱり、エゴじゃん、アートって。自分が表現したいものを100%表現したいと思うのがアートだから。もちろん、ギドラみたいに3人でひとつのアートを完成させるっていうことも大事なんだけど、それと同時に、「オレはこういうことをやってみたい!」っていうエゴもあって、「ただ、それにはコッタくんは合わないかも」って思うかもしれないし、コッタくんはコッタくんで「ヒデは合わないかも」って思うかもしれないし、オアはオアで思うかもしれない。そういうエゴのぶつかり合いは、アーティストが集まれば必ず起こることで、だから、すごく健康的なことなんじゃないかな。その後、『最終兵器』(キング・ギドラのセカンド・アルバム、2002年)もつくって、いま、こうしていい関係になってるわけだし。


たとえば93年にはウータンのアルバムが出てるわけで、オレたちにしても、全員がソロというスタンスを守りながらユニットとしてやっていくっていうのは、最初から何となく決めていたことではあったんだよね。(Kダブシャイン)

そのぶつかりあいこそがケミストリーを生んだのかもしれないですよね。

O:ふたりとも、性格もちがうし、表現したいこともちがうんだけど、ヒップホップの意識レヴェルみたいなものは同じ高さで。だからこそ、どんなに喧嘩しても「もう絶対会わねぇ」みたいなことにはならない。たぶん、ヒップホップに関して、いちばん刺激的に反応してくれるのがお互いなんだよ。なので、当時も、いろんなひとがふたりの関係のことを訊いてきたけど、「ふたりは根底では同じだから、最終的には割れないだろうな」って思ってたよ。

Z:それこそ、「あれ聴いた?」とかいう話をするときに、いちばんオン・ポイントで意見を交換できるのがコッタくん。以前、Twitterでもつぶやいたけど「俺とコッタくんはヒップホップに対して持ってる尺度がちょっと違うからたまに相反するんだけど、根っこは一緒」みたいな。本当にそういうところはすごいあって。

K:あと、さっきのオレの言い方はちょっとネガティヴに聞こえたかもしれないけど、たとえば93年にはウータンのアルバムが出てるわけで、オレたちにしても、全員がソロというスタンスを守りながらユニットとしてやっていくっていうのは、最初から何となく決めていたことではあったんだよね。その方がお互いに依存しなくなるし、そもそも、それぞれに才能があるし。だから、このアルバムにもふたりともソロが入ってるわけじゃん?

Z:だって、デモの段階でコッタくんのソロが入ってたんだもん。この、『空からの力』を出すまでは、オレらにとってはギドラしか表現する場所がなかったから、どうしても、エゴのぶつかり合いにもなったんだよね。でも、その後、ソロで3者3様の表現をしたから、もうぶつかり合うことはなくて。『最終兵器』で「じゃあ、キング・ギドラでまた1枚つくりましょうか」ってなったときは、もうノー・エゴで、100%、グループとしてのアルバムをつくることに集中できた。


『最終兵器』はいろいろと物議も醸したわけだけど、それも、「パブリック・エナミーのようなグループを日本でやりたい」っていう、『空からの力』の頃の目標が、ようやく、達成できたんだとも言える。(Zeebra)

『ZEEBRA自伝』には「『最終兵器』は『空からの力』完成版という意識でつくった」とあります。

Z:そういう意識はものすごくあったね。

O:オレもようやくがっつり参加できたし。

K:ヒデがフィーチャリングされたドラゴン・アッシュ(『Grateful Days』、99年)のヒットの余波もあったりとか、映画(『凶気の桜』、2002年)も巻き込んだりとか、レーベルの〈デフ・スター〉が本気で金を使ってくれたりとか、大きいプロジェクトにできたし、やっぱり、あのときの達成感は何ものにも換えられないものがあったね。

Z:オレだって、セールス・レヴェルの話で言ったら、いちばん売れてるのはあのアルバムだし。あと、『最終兵器』はいろいろと物議も醸したわけだけど、それも、「パブリック・エナミーのようなグループを日本でやりたい」っていう、『空からの力』の頃の目標が、ようやく、達成できたんだとも言える。

K:だから、ここで『最終兵器』の話をするのは変かもしれないけど、あれがなかったら、この20周年記念盤も出せてなかったかもしれないから。

O:それはそうだね。

Z:「あー、20年経ったかぁ」なんて言って、そっぽ向いてたかもしれない(笑)。

K:『空からの力』をクラシックとして確実なものにしてくれたのは、じつは『最終兵器』なんだよね。というわけで、7年後にはまたインタヴューをお願いします。

えっ、『最終兵器』20周年記念盤? それも論じがいがありそうですね……。ちなみに、3人とも表現を更新しつづけているアーティストであるわけですけど、今回、『空からの力』という20年前のアルバムをあらためて聴き直してみてどう感じたのでしょうか?

Z:まぁ、可愛いな、よくやってるな、頑張ってるな、って感じ。これをつくってた24歳のオレに向けて「けっこう、頑張ってんじゃん」って思う。

K:10年前は子供の頃の写真みたいで恥ずかしいから閉まっときたい感じだったけど、それからまた10年ぐらい経って、「あぁ、ここが原点だったんだな」って思うし、本当に感慨深いよね。

O:昔からクラシックだって言ってくれるひとは多かったけど、自分としても20年経って初めて「すごいことやってたんだな」って認められるようになったね。

Z:それにしても、デラックス・エディションを出してもらえるっていうのはものすごい誇らしいよ。だって、そんなアーティストなんてほとんどいないし。オレは王道のアーティストが大好きだから、R&Bにしたって、マーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダーの「○○周年記念盤」とか「○○周年ボックス」とかよく買ってたもんね。自分たちがそこに並ぶことができたのは本当にうれしい。


■KGDR(ex.キングギドラ) 〜「空からの力」20th Anniversary〜

7月18日(土) 「NAMIMONOGATARI 2015」 @ Zepp Nagoya
https://www.namimonogatari.com/

8月15日(土) 「SUMMER BOMB produced by Zeebra」 @ Zepp DiverCity TOKYO
https://summer-bomb.com/

9月6日(日) 「23rd Sunset Live 2015 -Love & Unity-」 @ 福岡県・芥屋海水浴場
https://www.sunsetlive-info.com

CARRE - ele-king

 NAGとMTRというイカしたネーミングのふたりによる日本屈指のインダストリアル・ミュージック・デュオCARRE(ケアル)が、画家である近藤さくらに「絵を描くとき用にミックスを作ってほしい」と依頼されたことからはじまったという〈GREY SCALE〉なる試み。結果、ミックスではなくケアルの新曲が用意されることになったこの試み──いや、「試み」と呼ぶには両作家の表現にはあまりにも秘めたる共通点が多く、近藤のモノクロームの平面作品からゆるやかに見えてくる/聞こえてくる光沢のある陰り、冷たく熱狂する軋みは、まさにケアルの音楽そのものである。
なので、ここに摩擦と衝突のくり返しを期待するのは野暮な話であって、あるのは音の肌ざわり、そして、線と形の膚ざわりにこだわり抜いたケアルと近藤の意識の落ち合い。それが解体するのではなく伸び縮みしながらブレンドされ、目的を追い越してずるずるズレながら行ったり来たりする屈曲の連続にスリリングな醍醐味があるのだ。

 4月に恵比寿のKATAで開催されたエキシヴィジョン〈GREY SCALE〉展オープニング(なんと6時間にも及ぶライヴ+ペインティングを決行!)でのあれこれは倉本諒氏のライヴレヴューに詳しいので割愛させていただくが、いよいよケアル待望の新作であり、この展示の音楽をまとめた作品『GREY SCALE』がリリースされた。もちろんアートワークは近藤さくらによるものである。

 1曲め“Tin Reverb”から堂々たる金属的エレクトロニクスが打ち鳴らされ、ぬーっと目の前に灰色の光景が広がる。つづく“LFTM #1”ではうねるベースマシンの上を不穏なシンセが木霊しながらゆらり行き交い、まるでスロッビング・グリッスルの“20 ジャズ・ファンク・グレイツ”なんかを彷彿とさせる。そして3曲めの“Open”では、モジュラーシンセによるコズミックな音の粒が弾けてポコポコと転がり回り、その艶っぽいユーモアにこちらの耳も悦びの手をたたくではないか。

 ケアルと近藤さくらによる音と絵画の共同作業は、往復書簡という形でやりとりが行われ、3年もの時間を費やして完成されたというが、ここにある線の痕跡と騒音の記録にはその長き時間によって磨き抜かれた美しさと硬度がある。そして、そのインテンシティはアルバムの後半からますます顕著になる。リズムボックスとマシンの空っぽなビートによる立体的な折り重なりに膝をカックンとされる“Tepid Liquid”、カルトでカオティックな音響が妖しくプリミティヴな生命エネルギーを感じさせる密教音楽のごとき“Vertigo”、そして、本作のハイライトである“LFTM #2”では、低周波エレクトロニクスの快感に耳を揉みほぐされてとろとろになるところを、ピントを合わせるようにいぶし銀な旋律が立ち現れ、エッジーなミニマル運動が駆動する。ああ、機械になりたい……。

 ここには、まるで彼らが敬愛するドーム(ワイヤーのブルース・ギルバートとグレアム・ルイスによって創設されたポストパンク〜音響〜インダストリアル・デュオ)を偲ばせる辺境最先端の音楽を奏でつつも、古きよきインダストリアル・ミュージックの焼き直しに終わらない新しさがある。誤解を恐れずに言うと、音の質感こそ金属に付着した赤錆のようにざらついて不適でストレンジだけれど、組み立てられた音楽はまるで流麗なシティ・ポップを聴いているかのようにパーンと抜けがよいのだ。

 かつて、消費社会から産まれた都市の生理のいびつさを象徴した(とかなんとか書くとたちまち文章が大げさになりますよね)インダストリアル・ミュージック。日々アップデートを重ね(都合良く利用され?)、アンチテーゼであったはずの言葉そのものが大量消費されてしまい、いまやその実態を細かく把握することは至難の技である。でも、ケアルの音楽を耳にすると使い古された「インダストリアル」という言葉に、深くて重みのある灰色の光輝が甦るのを見とることができる。そして、どくどく胎動する即物的な機能美と筋の通った電気美学(彼らのステージ中央には、ルイジ・ルッソロのイントナルモーリよろしくメガフォン型の巨大スピーカーがそびえている!)──その粋な風情を漂わせるちゃきちゃきのインダストリアル気質に、退廃的ロマンティシズムの明るい未来を感じとることができるはずだ。

DJ mew - ele-king

ここ最近のbass music10選

bass musicのミックスCDリリースしましたので「ここ最近のbass music10選」です。
この10選に入っている曲もいくつか収録されているミックス"BANGER"発売中です。
気になった方はお近くのレコード屋さんなどで聴いてみて下さい!!!
取り扱い店舗などはこちらのブログからどうぞ。(随時更新中)
https://djmew.exblog.jp/21301999/

Yasuyuki Suda (inception records) - ele-king

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