「Ord」と一致するもの

Klein - ele-king

 リー・ギャンブルの次はクラインときましたか。〈Hyperdub〉、やりますね。先日ローレル・ヘイローのアルバムへの参加が話題となったブラック・エレクトロニカの俊才=クラインが、〈Hyperdub〉とサインを交わしました。いや、これはビッグ・ニュースですよ。同時に、8曲入りEP「Tommy」のリリースも発表されています。リリースは9月29日。じつに楽しみです。



Artist: Klein
Title: Tommy
Label: Hyperdub
Release date: 29 September 2017

https://klein1997.bandcamp.com/album/tommy-hdb112

Tracklist:
01. Prologue feat. atl, Jacob Samuel, thisisDA, Pure Water & Eric Sings
02. Act One feat. Embaci & Jacob Samuel
03. Cry Theme
04. Tommy
05. Runs Reprise
06. Everlong
07. B2k
08. Farewell Sorry


アーティスト:Klein / クライン
タイトル:Only / オンリー
発売日:2017/07/19
品番:PCD-24644
定価:¥2,400+税
解説:大石始
※ボーナス・トラック2曲収録 ※世界初CD化

https://p-vine.jp/music/pcd-24644

Kelela - ele-king

 ずっと待っていた。彼女の存在が知られるようになってから、いったい何年のときが流れただろう。ミックステープ『Cut 4 Me』(2013年)やボク・ボクとの“Melba's Call”(2014年)、アルカの参加も話題となったEP「Hallucinogen」(2015年)、あるいは様々なアーティストの作品への客演(ここ1年ではクラムス・カシーノソランジュダニー・ブラウン、ゴリラズなど)でその実力を見せつけてきたケレラがようやく、本当にようやくファースト・アルバムをリリースする。この混沌とした時代に彼女はいったいどんなR&Bを鳴らすのだろうか。タイトルは『Take Me Apart』。10月6日発売。

[10/4追記:まもなく発売されるアルバムから、収録曲“Waitin”が先行配信されました。試聴・購入はこちらから。ちなみに『FADER』最新号ではケレラが表紙を飾っています]

K E L E L A
ゴリラズ、ビョーク、ソランジュらも絶賛!
新進気鋭プロデューサーから大物アーティストまでもが待ち望んだ
新世代R&Bシンガー、ケレラ
デビュー・アルバム『TAKE ME APART』のリリースを発表&
新曲“LMK”をミュージック・ビデオとともに公開!

2013年に発表されたミックステープ『Cut 4 Me』が話題を呼び、世界中のメディアで「ポスト・アリーヤ」として一躍大きな注目を集めたケレラ(Kelela)が、ついに待望のデビュー・アルバム『Take Me Apart』のリリースを発表! 先週Beat 1の看板DJ、ゼーン・ロウの番組で解禁された新曲“LMK”のミュージック・ビデオを公開した。監督を務めたのは、ビョークの長年のコラボレーターとしても知られるアンドリュー・トーマス・ホワン。

Kelela - LMK (Official Video)
https://www.youtube.com/watch?v=ePi5BLJogyA

『Cut 4 Me』リリース後、誰もがアルバムを待ち望む中、オリジナル作品としてはシングルとEP作品「Hallucinogen」をリリースしただけだったが、「Hallucinogen」に収録された“Rewind”が、『ニューヨーク・タイムズ』紙の「これからの音楽の方向性を感じさせる25曲」に選出されるなど、再び話題に火がつき、ザ・エックス・エックスとのワールド・ツアー、ソランジュ『A Seat At The Table』や、ダニー・ブラウン『Atrocity Exhibition』、そしてゴリラズ『Humanz』への客演などつねに注目を集めてきたケレラ。さらにかねてよりビョークがその才能に惚れ込んでいることも知られており、自身のSNSで度々ケレラを賞賛している。

なお、国内盤CDには、賞賛を集めた「Hallucinogen」から、先日のフジロックでジェシー・カンダを従えた自身のオーディオ・ヴィジュアル・セットのみならず、ビョークのステージにも登場したアルカがプロデュースした「A Message」と、キングダム、ガール・ユニット、オベイ・シティら新鋭プロデューサーがプロデュースした「Rewind」がボーナス・トラックとして追加収録される。これら2曲がCDに収録されるのは初となる。

このアルバムは個人的な記録だけど、わたしのアイデンティティの政治的な背景が、どんな音にするとか、わたしの脆さや強さをどう表現するのかということを特徴づけているの。わたしは黒人女性で、エチオピア系アメリカ人の移民2世で、R&Bやジャズやビョークを聴いて郊外で育った。そういったすべてが、いろいろなところに表れているわ。
- Kelela

全世界待望のデビュー・アルバム『Take Me Apart』は10月6日(金)に世界同時リリース! 国内盤には、ボーナス・トラックが追加収録され、解説書と歌詞対訳が封入される。またiTunesでアルバムを予約すると、公開された新曲“LMK”がいちはやくダウンロードできる。


label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: KELELA
title: Take Me Apart

release date: 2017/10/06 FRI ON SALE

国内盤特典
ボーナス・トラック2曲収録
歌詞対訳/解説書封入
BRC-560 ¥2,200+税

beatkart: https://shop.beatink.com/shopdetail/000000002185
amazon: https://amzn.asia/dpODgJy
iTunes Store: https://apple.co/2vrIP2G
Apple Music: https://apple.co/2w4MiRS

Tracklisting
01. Frontline
02. Waitin
03. Take Me Apart
04. Enough
05. Jupiter
06. Better
07. LMK
08. Truth Or Dare
09. S.O.S.
10. Blue Light
11. Onanon
12. Turn To Dust
13. Bluff
14. Altadena
15. A Message (Bonus Track for Japan)
16. Rewind (Bonus Track for Japan)


Molecule Plane - ele-king

 電子音楽はどこにいくのか。そして、どこにあるのか。「ここ」なのか。それとも「未来」なのか。たしに「電子音楽」という言葉の響きには不思議なテクノロジーへのロマンティシズムを感じるものだし、それは21世紀の現在でも変わらない。未来の音楽。未来への音楽。未来と音楽。未来/音楽。だがしかし未来とは論理的帰結であり、それゆえ抽象的存在でもある。そして未来とは「テクノロジー」の連鎖でもあり、それゆえ音楽とテクノロジー=技術工学は極めて密接な関係にある。楽器。録音技術。ステージング。そもそも、「音楽」自体は数学的な構造によって成立しているものだし、テクノロジカルな構造によって生成する現象でもある。となればいわゆる「電子音楽」は、構造/抽象の極限性ゆえ、つねに「音楽」の最先端=未来に位置する音楽といえる。アブストラクト(抽象性)に対する近似性の高さが原因であろう。同時に電子音楽には未知・未来への希求というロマンティシズムも横たわってもいる(シュトックハウゼンもクセナキスも私には途轍もないほどのロマンティシズムを感じる。むろん19世紀的なロマンティシズムを解体・炸裂させる戦争の世紀たる20世紀後半的な「光のロマンティシズム」だが)。ゆえに電子音楽は「工学」ではなく「芸術」なのだ。アブストラクトの余白にロマンティシズムがある。ロマンティシズムの向こうに厳密なテクノロジカルな論理と構造がある。そのテクノロジカルな論理構造の向こうに美がある。音階や旋律のむこうにある真のロマンティシズムへの希求は、ある地点においてはクールになり、その向こうで超越的な/逸脱的な美を希求する。電子音楽が永遠に先端である理由は、音楽の構成要素を一度、極限まで抽象化するからであり、「だからこそ」古くならない。すきまのようなものを生んでしまうから聴取が永遠に完結しないのだ。むろんテクノロジーと直結しているゆえ、音質の変化(新しさ・古さ)が表面化しやすいものだが、「完結しないという永遠」は、無限のロマンティシズムを生む。電子音楽の普遍性はそこにあるのではないか。それを強い「意志」として音響に定着したとき、人は真の電子音楽家に「なる」。そういえる音楽家/アーティストの数は決して多くはない。しかし、京都府出身の大塚勇樹は、数少ないそのひとりではないか。

 大塚勇樹(Yuki Ohtsuka)のソロ・プロジェクト、モレキュル・プレーンは、音色の生成と変化に焦点を当てたプロジェクトである。大塚のプロフィールに関してはリリース・レーベルのインフォメーションに詳しいのでそちらを読んでほしいのだが、一読してもわかるように大阪芸術大学で学んだ現代/電子音楽家である。彼は多層化空間音響システム「アクースモニウム」を研究・実践する電子音楽家であり(CCMC2012でMOTUS賞を受賞)、日本の電子音楽(ミュジーク・コンクレート)を牽引する人物だ(hirvi、synkメンバー。日本電子音楽協会会員)。しかし彼は自らの出自を踏まえたうえで、大きく跳躍・逸脱するアーティストでもある。Route09名義ではテクノ、エレクトロニカ、ノイズを越境し、2013年には京都の老舗電子音響レーベル〈シュラインドットジェイピー〉 から2013年に、imaとのユニットA.N.R.i.名義のアルバム『All Noises Regenerates Interaction』をリリースした(傑作!)。そのほかネットレーベルでのリリース、マスタリング・エンジニアとしての活動などその創作領域は多岐に渡る。大塚勇樹は、shotahiramaや松本昭彦などと並ぶ並び、現代日本の最先端(最前衛)に位置する新しい世代の電子音楽家といえる。

 2016年にリリースしたファースト・アルバム『アコースティコフィリア』は、音響に対して「そこにあるモノとしての圧倒的な存在」を与えようとしていた。つまり「そこに存在するマシン」のような電子音楽/音響作品であった。そして本年、〈きょうRECORDS〉から発表したセカンド・アルバム『SCHEMATIC』において、大塚はモレキュル・プレーンのさらなるアップデートを試みている。彼は、電子音楽の抽象性に、まず「モノ性」を与え、その向こうに未知の音響世界を見出した(『アコースティコフィリア』)。次は、その地点からあえてもう一度反転し、「時間」という抽象性=問題に立ち返る。オルタナティブな方法論で電子音響を構築・生成することで、「時間」も「空間」も「制圧」しようとしているように思える。聴き手の聴取上の距離感、空間意識、遠近法すら変えてしまうために。ファーストとセカンドで共通している点は、電子音楽の録音作品において「状況」を生みだそうとしている点であろう。そこに彼の本質的研究「アクースモニウム」の真髄があるのだろう(「状況」を生成するという意味において)。その意味で彼はミュジーク・コンクレートの(正当な)後継者であり、ピエール・アンリやリュック・フェラーリの系譜を継ぐ音楽家でもある。じじつ『SCHEMATIC』においても、さまざまなサウンド・マテリアルが圧倒的な高密度なコンポジションで持続・接続・生成している。その音響工作の手腕はため息が出るほど見事で、まさに若手随一の電子音楽家である。しかし同時に本作は最先端モードの電子音響作品でもある。〈ラスター〉や〈アントラクト〉の作品群と匹敵するほどに。

 1分47秒ほどの1曲め“ENFOLD”をオープニングとするように本作『SCHEMATIC』ははじまる。細やかな粒子の電子音が持続し、生成し、変化し、消えていく。大塚の鋭敏な耳の感覚をスキャンしたような緻密な細やかな音響は、本作全編に通じる質感である。続く2曲め“FILAMENT”は、“ENFOLD”のトーンを持続させながらも7分に及ぶ音響空間を一部の隙も構成によって聴き手の耳を「ハック/制圧」するように展開する。そして、この曲にも随所だが、本作のモレキュル・プレーンの電子音響はどこか神経的なのだ。聴き手の神経にアディクションするという意味だけではなく、音響それ自体が、どこか神経的なのだ。音と音、響きと響き、モノとモノが、複雑な(無数の)線(ネットワーク)でつながれ、音響・楽曲自体が自律している……、そんな聴取感があった。これは『アコースティコフィリア』でも感じた質感だが、『SCHEMATIC』の音響(の層)は、より神経化が促進/進化しているように思えた(「神経」とは「回路」か)。

 3曲め“SHELTER (Version)”において、その神経的な音響工作=交錯は、サウンド・エレメントの「時間」すら変形させてしまう。この曲には、本作特有の音響による持続=時間=空間の制圧行為がある。変化する持続音と乾いた物音は変形させられ、不規則の連続性の中で未知の電子音響を生成する。そして高音域の音が刺激的な4曲め“SCREAMER”では70年代的電子音楽を現代の音響的な精度で再(=差異)生成を行い、スタティック/ダイナミックな電子音響による聴覚の拡張を試みる。インタールード的な5曲め“UNFOLD”は刺激的な電子音響が耳に圧倒的な快楽を与える。短いトラックだがサウンド・マテリアルの生成、時間軸の操作、音響の接続と融解など極めて精度の高い曲だ。そして6曲め“DESTINY”と、13分に及ぶラスト曲“TIAMAT”において、『SCHEMATIC』の音響=時間=制圧/生成はクライマックスを迎える。アルバム全曲の技法を総括するような“DESTINY”と、それらの方法論をゼロ地点で一気に消失させた先に生まれたスタティック/マニシックな音響ドローン“TIAMATの実に鮮やかな対比=終焉!『SCHEMATIC』が提示する神経、状況、制圧の音響空間は一気に総括されていく感覚を覚えた。

 『SCHEMATIC』の自律的な神経/制圧感覚は、いわゆる「聴くこと」に依存しがちなこの種の音響作品において稀な感覚・体験であった。モレキュル・プレーンが真に重要な存在であるのは、電子音楽史に連なる「現代音楽」だからではなく、むしろ現代において、ありきたりな行為になってしまった音響聴取状況(通俗化したジョン・ケージの亜流のような?)に対する強烈な反抗心・抵抗心が、その端正な音響交錯のなかに息づいている点ではないか(事実、大塚はモレキュル・プレーンの活動を「ドローン・パンク」(!)と名付けている)。そして本作『SCHEMATIC』は、『アコースティコフィリア』と比べて(わずか1年ほどという制作期間の短さもあるだろうが)、その電子音響の生成/運動/質感がさらに強い吸引力を持っているように聴こえたのだ(むろん前作と新作、どちらが良いという話ではなない)。音響と聴き手の距離がより「近い」とでもいうべきか。サウンドへのアディクション力が強烈なのである。長尺の曲が多く占めるアルバムだが、長い曲(音響)を聴いたという感覚はない。まるで瞬間と持続が常に刷新されるような感覚を得た。これはどういうことか。

 あえて簡略化してみよう。前作『アコースティコフィリア』は「意志と存在の電子音楽作品」であった。対して、新作『SCHEMATIC』は「無意識と時間を制圧する電子音楽作品」である、と。徹底的に作り込まれた音響的精度がもたらすドローンと速度感覚、生成する音の快楽、イマジネーション喚起力の強さなどによって、本作のサウンドは聴き手の意識(ある意味、作り手ですら)の領域を超え、どこか「無=意識」の根底にアジャスト/アディクションする力をサウンドが持っている。無=意識へのハックは記憶と時間も制圧する。これは極めて興味深い現象である。なぜなら21世紀の現在、音楽はジャンルや形式を問わず、意識と無意識の領域を融解してしまう傾向が強いからだ。『SCHEMATIC』は、そんな音楽世界の感覚変容の問題に正統的ともいえる電子音楽によってアクセス/アジャストしていく。時間が、瞬間が、空間が、音響の中で、複座な回路/神経のように複雑に、緻密に、粒子のように、繊細に溶け合う。聴取の足場が揺らぐ。音響が記憶を制圧する。記憶が消失し、再生する。本作の聴取体験は強烈であり、美的であり、刺激的である。いまいちど、問い直そう。電子音楽はどこにいくのか。どこにあるのか。そのヒントは、この『SCHEMATIC』にある。

interview with Arca - ele-king


« 痛み&&&電子&&音響──アルカ、ロング・インタヴュー(1)

 というわけで、アルカのロング・ロング・インタヴューの続編です。長いです。濃いです。ゆっくり時間をかけて読んで下さいね。読み終えたときには、なにか違った景色が見えているでしょう。

僕は……文化的にも、セクシュアリティの面においても、そしてエモーションという意味でも、どこにも属していなかった。どうしてかと言えば、僕の生まれ落ちた家族のなかでは、感情面での暴力がたくさん起きていてね。僕はそんな状況を生きてきたし、だからじつに多くの……悲しみを感じる理由が、自分の人生のなかにはあったんだよ。










Arca - Arca


XL Recordings/ビート

ExperimentalElectronic



Amazon
Tower
HMV

このアルバムのメランコリーは、あくまでも、あなたの個人的な経験から来るものなのでしょうか? それとももっとより大きなもの、社会や歴史も関わっていると思いますか?


アルカ:んん〜、そうだな。その両方だろうと思うけれど、おそらく、より僕自身のパーソナルな経験から来たものなんだろうね。というのも、さっきも話したように、ああいう育ち方をしたせいで多くの面で「自分はどこにも属さない」みたいに感じてきたし、僕は……文化的にも、セクシュアリティの面においても、そしてエモーションという意味でも、どこにも属していなかった。どうしてかと言えば、僕の生まれ落ちた家族のなかでは、感情面での暴力がたくさん起きていてね。僕はそんな状況を生きてきたし、だからじつに多くの……悲しみを感じる理由が、自分の人生のなかにはあったんだよ。で、それというのはどんなに年齢を重ねても、どれだけ賢くなっても関係ないもので。あるいはどんなにそれを克服しようと努力しても、僕のなかに存在する悲しみというのは、けっして去ってくれやしないものなんだ、そう自分でも悟ってね。いや、悲しみを追い払おうとトライしたことはあったんだよ。セラピーにも通ったし、そこで自分の抱えている問題を話し合ったりもしたしね。悲しみを除去しようと本当にたくさんのことを試してみたんだけど、こうして以前よりも歳をとったことで、いまの自分は「これは僕という人間を形成する一部なんだ」と理解するようになった。だから、いまはそれが自分にも美しいと思えるし、実際のところ、僕がクリエイトしようとしている美の源泉にもなっているんだよ。というわけで、僕が言わんとしたのは……内面にある苦痛や悲しみ、あるいはメランコリーを消去することではないんだよね。そうではなくて、それは、たぶん……「調べ」のようなものなんじゃないかな? 

 ミュージシャンになったつもりで想像してもらえば分かるだろうけど、あれはだから、つねに鳴っている音符や調べのようなもの、なんだよ。ということは、ひとは自分の人生を和音にしようとすることが可能なのかもしれないね? つねに鳴っているその音符と共振する、調和のとれたハーモニーを持つコードへと……。

なるほど。

アルカ:だから、まったく場違いなコードを鳴らそうとしたり、あるいはその空間にそんな音符は鳴っていない、というフリをしてごまかそうとする代わりにね。そうした音符に合わせて自らを配置することは可能だし、そうすることで、それは人生にある美の、その一部にだってなりうるんだよ。

先ほどあなたはご家族の中にエモーショナルな暴力が多かった、と話していましたよね。で、お若い頃にそうした体験を受けたとき、もちろん悲しみも感じたでしょうが、と同時にその暴力に対して怒りも感じたんじゃないでしょうか?

アルカ:その通り。うん、それは、すごく感じた。

ところが、このアルバムからあまり「怒り」は感じないんですよね。むしろ、情感に満ちているし、かつ、ある種のスピリチュアルな穏やかさがある作品だな、と感じます。

アルカ:うん……。

それは、どうしてなんだろう? とも思ったのですが。

アルカ:思うに、それは……僕の友だちに、怒りや悲しみを感じないように努力している、そういうひとたちがいてね。でも、僕は自分自身の経験をもとに彼らにこう言ったことがあるんだ。「その両方の感情を抱いたって構わない、それでいいんだよ」、と。それぞれにとって必要なだけ、そうした感情は続くものだからね。

ええ。

アルカ:で、そうした感情は、こういう順番で起きるものじゃないかと思う。まず、最初に訪れるのは悲しみ。で、続いて怒りが湧いてくる、と。一生を悲しみのなかに留まって過ごすひともいれば、怒りのなかで一生を過ごすひともいる。また、そのどちらも乗り越えていけるひとだっているんだよ。そういうひとはたぶん彼らの身の上に起きた体験と和解することができて、だからこそ、そうした感情に潜っていくことができたんだろうね。けれども、やっぱりそのふたつの感情の両方を経験する必要があるんだよ。というのも、悲しみというのはきっと……そんなことが自分に起きたことを自分自身気の毒に思う気持ち、「しかたない、自分のせいだ」みたいに感じる、というのから来ているんだと思う。
 で、怒りはその反対で、「そうじゃない、自分がこんな目に遭うのは間違いだ」という想いだし、そんな出来事が自分の身の上に起こったことに対して怒っている、という。だからある意味、そのひとはそうやって壁のようなものを作っているんだよ。怒りというのは、そのひとが自身とその出来事との間に壁を築いて、その内側でそのひとが自らを立て直そうとするプロセスに必要なパーツみたいなものだから。でも最終的には、その壁を打ち壊さなくてはいけない。そうしないと、その人は怒りに飲み込まれてしまうからね。
 だから、本当にわだかまりを解消したいのなら、そのひとは自らの内側に目を落とす必要があるんだと思う。そうやって自分のなかにある悲しみを見つけ出して、悲しみと目を合わせてしっかり向き合い、仲良しにならなくちゃいけない。それが済んだところで、今度は外に目を向ける、「何が起きたか」を見つめることができるようになる。で、その出来事を正面から見据え、それに対して怒りを感じ、「ノー。これは間違いだ」と言えるようになる。そうやってやっと、ひとはそのひと自身、そして願わくは……そんな出来事が起きたシチュエーションそのものも許すことができるようになるんだよ。
 まあ、これはナイーヴな考え方なのかもしれないよね。というのも、ひとによっては彼らの人生の状況がとても困難なものであって、それをやるのがとても難しい、ということもあるだろうし。だから、誰もがつねにそういうプロセスを自らに強いる必要がある、とまでは思っていなくて。それがあるから、僕が人びとに対して言うのはただ、「自分にはこれを感じる必要があると思える、そのフィーリングのなかに必要なだけ留まっていればいいんだ」ということで。ただし、「そのフィーリングから逃げちゃダメだよ」と。そこから逃げ出してしまうと、そのひとはその段階に永遠に留まり続けることになってしまうと思うし。それになかには、悲しく感じることすら自らに禁じてしまう人もいるだろうし、彼らもやっぱり、そこで足止めを食らってしまう。でも、(悲しみなり怒りを)真正面から目を見て見据えて、その何が君を不快に感じさせるのかを探り当てようとし、と同時に自分を落ち着かせようと努力する限り……そこにじゅうぶんな時間を費やせば、たぶん、いずれ傷を癒すことはできるんじゃないかな。もちろん、この考え方があらゆるシチュエーションに当てはまる、とまでは言わないよ。ただ、僕たちにはそれをやるだけの強さがあるし。僕たちは人間であって、だからみんな欠点を持っている。けれど……ああ、だからなんだよね、さっきのたとえ話を自分が出したのは。光を期待して待つこと、希望を持つってこと。人生のなかにその希望があれば、「自分は生きている」という事実をもっとありがたく感じやすくなる、という。

セクシュアリティはあなたにとって重要なテーマですが、あなたにとって音楽とセクシュアリティはどのように関連づけられるのでしょうか。

アルカ:そうだね、仮に、僕たちの持つ様々な側面はいろんなチャンネルだと考えてみてほしい。で、僕にとってセクシュアリティというのは……とてもダイレクトな回線なんだ。だから、僕たちのなかにある動物性と直でつながったラインという。

はい。

アルカ:僕の生まれた国、ヴェネズエラというのは非常に保守的でね。そのせいで、性の面でゲイであること、トランスジェンダーであること、あるいはクィアであることを、とても恥だと感じやすいんだよ。で、若かったころの自分の感じた様々な恥の感覚に対する、いまの大人としての自分の反応の仕方というのは……それはだから「恥を隠す」の正反対、というか。むしろ逆に、自らのセクシュアリティを祝福し、「これはべつに恥に思うようなことでもなんでもないんだ」って風に人びとと対決する、という。で、そうすることにはある種の無垢さがあるし、その点に僕がこうして立ち向かっていることは……さっきも話したように、それは強さでもあるんだよね。だから、おそらく僕は、「恥」というものを……ブルーから赤に変えることができたんだろうね(笑)。

なるほど。

アルカ:僕は……僕たちが自らを動物であると認識することで、人間はその内部にスピリチュアリティを育てることができると、そう思っていて。というのも、規律だったり、何かを恥として禁じることだったり……あるいは罪の意識を通じて得られる類いのスピリチュアリティというのは、非常に限定されたものだと思うから。でも、「自分は肉の塊で、血肉からできている」、「自分には抑えられない衝動がある」という点を認めることで達するスピリチュアリティというのは……僕からすれば、そうやって自分たちがエロティックな動物であり、官能的な存在であることを認めたときに、ひとはさらに高いレベルのスピリチュアリティに達することができるんじゃないか? と。もちろん、これは僕の個人的な意見に過ぎないよ。ただ、これまでの自分の人生のなかで、この意見にはいくらかの真実が含まれているな、そう信じられるような出来事があったのは事実であって。たとえば、僕が……ものすごく強度の不安発作に襲われた時期を過ごしていたとき、あたかも自分の頭、脳や精神が、自分の肉体から切り離されてしまったように感じたんだ。不安発作やパニック発作を経験したことのあるひとなら誰でも、それと同じようなことを言うはずだよ。「マインドと身体が分離してしまった」みたいな。

はい。

アルカ:で……僕にとって、セクシュアリティ、そしてエロティシズムというのは官能性のとるひとつの形なんだ。ここで言っている官能性(sensuality)というのは、僕たちの持つ触覚に……味覚、そして視覚に聴覚、といった意味合いのこと、なんだけどね。僕たちの体内に備わっている、世界を五感で理解するためのテクノロジー、というか。だから、意識的に理解するだけではなく、感覚や直観を通じて世界を感じること、という。で、セクシュアリティというのは、それを伴うものだと思う……セクシュアリティには直接性、あるいは動物性が備わっているわけだからね。で、それというのは、僕には祝福するのが恐くない事柄だし、あるいは……自分のやりたいこと、ひとりのアーティストとして「これは世界に思い起こさせるに値する」と自分が信じていること、その重要な部分のひとつなんだ。だからそうだね、それは僕が自分の作品のなかに含めるのを実際にとてもエンジョイしながらやっている、そういうものでもあって。
というのも、僕にとって、それが自分の不安発作を止めるためのやり方だったんだよ。そうやって自分自身の肉体に回帰する、というのがね。だから、あらゆる類いの不安、恥の意識、そして悲しみが僕の身体から養分を吸い取っていたように感じるし……だからこそ「自分たちには肉体が備わっているし、自分たちにはセクシュアリティもあるんだ」ってことを思い出させてくれる、そういった事柄を前面に押し出し、擁護するのは大事なんだ。自分の頭と身体とを切り離すことなく、肉の欲求を「恥」だと思わないようにすることは、僕たちが僕たち自身とより良い関係を持つための、その推進力になりうるからね。

なるほど。だからなのかもしれないですね、あなたの作る音楽が「はらわたに響く」というのか、奇妙な肉体性を伴ったものであるのは。滑らかにツルツルに磨かれた、そういう綺麗な音楽ではないですし、もっと剥き出しで生々しい、という。

アルカ:なるほど……。

もちろん、とんでもなく美しく聞こえる瞬間もあります。が、と同時に非常にノイジー、かつ不協和音に満ちてもいて。だからあなたの音楽を聴くのは、わたしにとってはとてもこう、感覚にじかに訴える体験なんだと思います。

アルカ:……んー……ひとつ、訊いてもいいかな?

ええ、どうぞ。

アルカ:きみは、僕のプレス関係を仕切っている人と、直接に連絡をとれたりする? だから、この取材を設定するために、彼らとじかに交渉したのかな?

いや、そこまではやってないです。この取材は、日本のレーベルを通じてアレンジしてもらいました。〈XL〉作品を日本で扱っている、ビートインクさん経由で。

アルカ:なるほどね。いや、ただ……こうして取材を通じて、きみが僕の音楽について言ってくれることを聞いているうちに、僕には分かった気がするっていうのかな。きみはとても深く僕の音楽に耳を傾けてくれている、と。そうしたきみの言葉を聞いていて、僕自身ある意味圧倒されるし、かつ、嬉しく感じもするんだよ。「ああ、この人は僕が音楽にこめた様々なディテールを味わってくれているんだな」と。

はぁ……(予想外のリアクションに驚いている)。

アルカ:ほんと、取材を中断させてしまってごめんね。

いやあ……そんな風に言っていただけて、こちらとしても光栄です(汗)。あなたの作品は敬愛していますし。

アルカ:でも、きみの言ったような言葉を使うひとって、ほんと、珍しいんだよ。うん、ほんと、興味深いな。というのも、僕はこれまでにたくさんインタヴューを受けてきたし、相手はアメリカ人ジャーナリストにドイツ人ジャーナリスト、イギリス人にスペイン/ラテン・アメリカンなど、という具合でいろんなひとたちと話してきたから。で、まあ、きみも同じように考えるかどうかは分からないけど……思うに、どこかに……何かがあるんじゃないかな? だから、日本の人びとの音楽の聴き方は世界の他の地域のそれとはかなり違う、という。そう思わない?

ああ、それは同意です。

アルカ:だから、彼らはたんに音符を追ってその調べに耳を傾けるだけではなく、それらが存在する空間、音を取り囲む空間や、音の建っている「建築」そのものも聴いているんじゃないか、と。たぶん、だからだと思うよ。日本でジャズやインスト音楽の人気がとても高いのは。要するに、音楽そのものの周囲に存在するフォルム、そして形状といったものも、日本では吟味されているんだろうね。

ええ。

アルカ:だから、いやまあ、きみが僕の音楽を形容してくれるその言い方を聞いていて、僕も何かに気づかされた、そう言いたかっただけなんだけどね。だから、それを聞いていて僕も非常に嬉しいなと思ったし、かつ、コンポーザーとして驚かされた、みたいな。ほんと、それだけなんだ。

わー、そう言っていただけて、こちらも感動です……。


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まず、最初に訪れるのは悲しみ。で、続いて怒りが湧いてくる、と。一生を悲しみのなかに留まって過ごすひともいれば、怒りのなかで一生を過ごすひともいる。また、そのどちらも乗り越えていけるひとだっているんだよ。そういうひとはたぶん彼らの身の上に起きた体験と和解することができて、だからこそ、そうした感情に潜っていくことができたんだろうね。けれども、やっぱりそのふたつの感情の両方を経験する必要があるんだよ。


Arca - Arca
XL Recordings/ビート

ExperimentalElectronic

Amazon Tower HMV

音楽的なところで言えば、たとえばFKAツィッグスやビョーク、最近ではフランク・オーシャンなどシンガーとの仕事に触発された部分はありますか?  それとも、そういうこととはいっさい関係なく、今回の歌は生まれたのでしょうか?

アルカ:んー、そうだな……。そんなに「強く触発された」とまではいかなかったんじゃないかと思うけど、いまあげられた名前の中で影響されたひとがいたとしたら、それはビョークだろうね。というのも、彼女といっしょに音楽作りに取り組む行為っていうのは……もちろん、僕自身も「学ぼう」という姿勢で参加しているわけだけど、ほんと、じつに多くを学んだんだ。だから、彼女との仕事からは……ある意味まったく妥協しない、でも、同時に治癒でもある、そういった相手に対して自分をさらけ出すことについて、たくさん教わった。それでもそれと同時に、僕たちはお互いどちらも「自分はとてもパワフルな存在だ」、と感じてもいて……それこそ自然界の力だ、自分は抗いがたいパワーのようなものだ、と。

(笑)ええ。

アルカ:たぶん、そのレベルで共感できた、ということなんだろうね。だから、僕は彼女のことをそれだけ敬愛しているわけだし、だからこそ、彼女に「あなたは『自分の音楽を歌ってみよう』と考えたことはあるの?」と訊かれたときに、それをとても真剣に受け止めるところが自分のなかにあった、という。彼女のレコードを作っていたときに、一度とても無邪気な調子で彼女にそう尋ねられたんだ。で……訊かれたその場では、僕はなんというか、はっきり返事をしなかったんだ。ところが、そこから1年半くらい、あるいは2年後くらいにスタジオに入っていたとき、そこで僕のなかにある何かが僕の口を開け、口に歌わせたいって感じた、そんな状況が起きてね。でも、そこで僕は彼女の言ったことを思い出したんだ。きっとあのときの記憶が、僕に歌ってみるに足る強さをもたらしてくれたんじゃないかな。

なるほど。このアルバムでのあなたの歌唱はとても美しいのですが、どうなんでしょう、あなた自身はこれまで、ご自分の声や歌唱になじめない、と感じたりしていましたか?

アルカ:いや、自分の声に対してぎこちなさはまったく感じないよ。というのも、多くの場合僕は歌詞を書き、そしてメロディをつけて歌う、というのはやらないからね。アルバムのなかでそれをやったのは2曲だけ。それ以外の楽曲ではリリックは即興だったんだ。

ああ、そうなんですか!

アルカ:だから録音ボタンを押して、最初に出てきたものをそのまま録って残した。修正は加えない。レコーディングされたものに、いっさい手を加えるつもりはなかった。そのやり方というのは僕にとってのポエティックな声明というか、「これが僕の内側から流れてきたものだ」と言おうとしているんだよね。だから、それに何らかの手を加えようとする、あるいは修正したり磨き上げようとしたり、もっとプロフェッショナルな仕上がりにしようと試みることは、そこにあるイノセンス、もろさ、そして純粋さを奪うことになってしまうだろう、と。いま出た3つの単語はすべて、僕に何度も繰り返し戻ってきた言葉なんだよね。で、もしも自分の声に自信がなかったら、僕はきっとどのヴォーカルもチューニングし直しただろうし、改めてレコーディングし直したりしていたと思う。でも、そうではなくて、僕が感じたのは……エモーションのほうが完璧さよりも大事だ、ということで。というか、僕にとっての「完璧さ」の定義というのは、真実においてパーフェクトであることであって、デザイン面における完璧さではなかった、という。ポピュラー・カルチャーの多くにおいて、ある種のクリエイターたちにとってはいかに美学が重要か、というのは見て取れると思うんだよね。

はい。

アルカ:テクスチャー、あるいはデザインといったもののほうが、多くの人びとにとってはストーリーや真実、あるいはフィーリングよりもはるかに大事だという風に映ることは多いわけ。で、このやり方というのは、フィーリングを優先させるための僕なりのやり方なんだ。だから、自分の声を……というか、このアルバムに収録した歌の多くで、レコーディングしながら僕はじつは泣き出してしまったんだよ。僕はたまに喘息を起こすし、だから……まあ、いまこうして話しているからきみも気づくかもしれないけれど、レコードのなかで何度か、僕が喘息を起こして呼吸困難に陥っているのは聴いてとれるはず。だからレコードのなかで僕は泣いてしまうし、喘息が始まってつらいし……って調子で、ほんともう、どうしようもない状態だったりするんだ。

(笑)

アルカ:(笑)ほんと、もしもレコーディング中の自分の様子をカメラを通じて観れたとしたら、自分でも笑ってしまうだろうね。それくらいじつにエクストリームだったし、ものすごく大げさ、みたいな。そうは言いつつ……あれらのレコーディング音源を聴き返すと、自分のなかには「参ったな」と渋い表情を浮かべたくなる側面もあるんだよ。たとえば、調子が外れたまま歌っている場面とか、僕の唾液がやたらとうるさく響いている箇所とかね。ただ、それ以上に深いのは、このレコーディングは僕にとって意味があるんだという、その理解であって。だから、僕はその……そこにある真実をリスペクトしたかったんだ。かつ、その点がレコードを聴いてくれる人にも伝わればいいな、そう思った。もしかしたら、聴き手もどうしてそう感じるのか分からずに、聴いていて少々居心地が悪くなるくらいかもしれない。ただ、彼らもこの作品のエモーションは感じ取れると思うんだ。そこだったね、僕がこのレコードで敢えて負ってみようと思ったリスクというのは。

レコーディングのピュアさ、ということですね。なるほど……。

アルカ:それに、たとえば歌い直したとしたら……自分はきっと、音程も正確に歌えるだろうと思うんだよ。ただ、レコードに収めたテイクにあった透明度や透けて見えるような感覚は、果たしてそこに備わるだろうか? と。誰かが歌っているとして、その人間の皮膚を透かして内面が見える、みたいなアイデアが僕は好きでね。要するに、その人間の中身がすっかり見える──臓器やそのひとの心臓がドクドク鼓動している様が見て取れる、みたいな……それは、ぱっと作ったデモだとか、あるいは作り上げたそのまま、テクノロジーによってきれいに「清掃」されていない、そうした音源にあるクオリティじゃないか、と思うね。

均質に整えられていない、純粋で生々しいままの状態、という。

アルカ:そう。だから、それ以外に他に何もくっついていない、ただ「それそのもの」という。

歌という意味では、ミックステープ『Entrañas』(『内臓』)でも“Sin Rumbo”が『アルカ』にも収録されています。そのことから“Sin Rumbo”はあなたのヴォーカル・トラックとして重要な位置づけのものだと思うのですが、『Entrañas』と『アルカ』でそれぞれの役割にどのような違いがあるのでしょうか?

アルカ:んー……正直、その点は考えたことがなかったな。でも、きっとそうなんだろうね。重要性があるんだと思う。ただ、僕にとっての“Sin Rumbo”という曲は、なんというか……そうだな、一種の「ロゴ」みたいなもの、あるいは「刻印」でもいいんだけど、あの曲は僕の信じる何かを表しているんだよ。それは何かと言えば……あの曲のリリックというのは、大まかに言えば「進む道を持たない」、あるいは「行き先を持たない」って意味なんだけれど──

「目的を持たずに流浪する」みたいな意味合いですよね。

アルカ:そう。で、おそらく……それは、僕にとって大事な何かを表現しているんだろうし、このアルバムに収録するだけの重要性がある、と自分には思えた、ということなんだろうね。というのも、自分の人生のなかで「迷ってしまった」と感じたいろんな場面において、僕は選択を迫られてきた。そのひとつは、「そのままじっとしていろ、動くな」という、いわばショックで麻痺してしまったような状態になること。あるいは、自分がどこに向かっているか分からないとしても、とにかく歩き続けること、という。で……これもまた、たぶんさっき話に出た「希望」、「光に目を向ける」ということになるんだろうけれど……だから、歩き続ける根拠は別にない、そんな風に感じられるシチュエーションにきみがいるとして、なのに、それでもやっぱりきみは歩いてしまう、と。

ええ。

アルカ:もしかしたら、歩くことで何かを見つけられるかもしれない、それだけで歩いただけの甲斐があったと思える何かに出会うかもしれないからね。だから、僕にとってのあの歌は、ある種そういう意味合いを持っているんだ。人生において「完全に方向を見失ってしまった」と感じる瞬間……あるいは、非常につらい損失、愛を失ったとか、誰かを亡くした、そうした損失を味わった瞬間だとか……だから、これはもしかしたら、よりプライヴェートな話なんだろうな。あまりに私的過ぎて、自分以外の他の誰も含められないのかもしれない。ただ、とにかくそうやって自分の内面が空っぽだと感じている、という。そうだな、あの歌は、だからある意味……喪失について、なんだ。で、その喪失に対して、とても穏やかな、メランコリックな希望によって反応している、という。損失にすっかり降伏してしまうのではなくて、ね。

はい。

アルカ:それって、もっとも穏やかな反抗の形、というか。

迷ってしまった/失ったとしても、あなたは歩き続けるわけですしね。

アルカ:うん、だけど、どうして歩いているのか自分でも分からないんだよ!  なぜ歩みを止めないのか、自分でも分かっちゃいないんだ。

それは、一種の生存本能でもあるんじゃないでしょうか?

アルカ:ああ、そうだね。それもある程度は含まれているんだろうね。ただ、と同時に……もしもそれまでの人生のなかで、ほんの一瞬でもいい、真の美に出会ったり、あるいは本物の愛を一瞬でも体験したことさえあれば……それがあるだけで、その人間が「またいつか、その瞬間が起きるかもしれない」と信じるにはじゅうぶんなんだよね。

ああ、なるほど。

アルカ:だから、そうした経験がいままでに一度もなかったら「いつかきっと、それは起きる」と自分自身に言い聞かせ、歩き続けるのは、とても難しいだろうと思う。

たしかに。

アルカ:でも、たった一度でもいい、そうした経験があれば……それはもしかしたら、4歳のころにふと目にした、窓から日が差し込んできて、空気中に舞う埃が反射して光る光景なのかもしれない。とにかく、一瞬でもいい、何かしら強烈な美を味わったことがあれば、そこできっと……「自分にはまた、美しいものを見出せるんだ」って思えるようになるんじゃないか、と。

はい、わかります。

アルカ:で、さっききみの言った「生存本能」というのは、ときに「歩くな」と命じてくることもあるわけじゃない?

(笑)ああ、たしかに。

アルカ:というのも、生存本能っていうのは僕たちの幸福度と関わっているわけだし……だから、生存本能というのは、いつだって「もっと、もっと欲しい」と求めるってことであって。

ああ、はい。

アルカ:言い換えれば、すでに自分が持っているものだけでは決して満足しない、という。たとえば、「冬がやって来る。冬を生き残るために、必要以上の食物を集めて蓄えなくてはならない!」みたいな。

(苦笑)なるほど。

アルカ:それって、つねに「これから何が起きるか」にかまけていて、未来に向けてもっと、もっとと求めるってことだよね。自分の手元にすでにある物事をありがたがる、のではなくて。だから、生存本能というシロモノは、決して僕たちの助けになるばかりじゃない、ということ(苦笑)。

そうだと思います。でも、さっきあなたの言っていた「本物の愛や強烈な美を一度でも経験したら、その存在をそのあとも信じることができる」というのは、なんというか、そのひとが一生かけて追い求める蝶みたいなものなんでしょうね。

アルカ:うん、同意だね。

はかなくて捕まえるのは大変だけれど、「いつの日にか、捕まえることができる」っていう希望を与えてくれ、動き続ける原動力になる、というか。

アルカ:そうだね。というか、あるいは……もしかしたら、そうやって追い求めてみたところで、しばらく経って気づくのかもしれないよね、「自分が捕まえようとしているのは、蝶そのものではないんだ」と。そうではなくて、その旅路や過程を美しいものだと見なそうとしている、という。

ああ、はいはい。わかります。

アルカ:そっちのほうが、もしかしたら「蝶を捕まえる」ことより深いのかもしれないよね? だから、人生の最初の段階では、そのひとは蝶を捕まえるべく動き回るのが自分の目的だ、そう思っているのかもしれない。ところが本当のところは、ゆっくりと速度を落とすことなんだよ。だから、実際に蝶を見つけるよりも、動きの中に自らが存在し続けること、そちらのほうがもっと深い意味での美のフォルムなんだ。もしもそうやって自分の考え方を変えることができたなら……美を見つけようとする旅、それそのものが美しいものなんだと発想を転換できさえすれば、決して失意を感じることもないだろう、と。まあ、これってちょっと仏教めいた考え方なんだけど、そこには何かしらとても真実に近いものが含まれている、僕はそう思うね。

“Coraje”や“Miel”などのアンビエント色の強いビートレスのトラックが増えたのは、やはり今回のテーマとの関連性があると思わざるをえないのですが、すさまじくメランコリックな響きを有してますよね?

アルカ:そうだな、あの2曲について言えば……付け加えてみた他のいっさい何もかもが、自分には「不要だ」と思えた、みたいな。だから……ある種のメッセージでもあったんだよ。「何かを足してしまったら、歌の持つ輝きを損ねることになるだろう」と。それもあったし、自分にとっては、「自分の声とひとつの楽器だけ」というのに、どこかしらとても価値があるような気がしていて。
 他の歌、たとえば“Reverie”なんかでは、ものすごい数の楽器を使っているわけだよね。ドラムにベースに、じつに様々なサウンドが入っている。で、僕は考えたんだ──僕自身の内面の全景を描こうとするのなら、“Reverie”のような曲も、たしかに自分のある一面にとってはとてもリアルだ、と。ところがいっぽうで、それと同じくらい僕にとってリアルなのは、たったひとりで歩いているときの自分の面だろう、と。僕はよく近所の墓地をひとりで散歩するんだ。で、歩きながら、僕はただ歌っている、という。で……だから、付き添うものは何もなし、その必要がないんだよ。曲そのものがストーリーになっているし、それだけでじゅうぶん、と。

なるほど。

アルカ:でも、自分ではアンビエントと考えたことはなかったね。ただ、少しばかりミニマリズムについては考えたんじゃないかな。といっても、僕にとってのミニマリズムのフォルム、であって……それはだから、非常に古い形式のミニマリズムということ。ひとつの声にひとつの楽器というのは、とても古い音楽の形式なわけじゃない?

ええ。

アルカ:たとえば……歌声に三味線だけ、とか、声と打楽器だけ、みたいな。そういったものには、どこかしらとても古代を思わせるものがあるよね。だから、きっと……うーん、いまミニマリズムについて言った発言は撤回させてもらおうかな。そうではなく、表現のシンプルさなんだと思う。必要なものだけで気を散らすものはいっさい混じらない、そういうシンプルさだね。

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僕の生まれた国、ヴェネズエラというのは非常に保守的でね。そのせいで、性の面でゲイであること、トランスジェンダーであること、あるいはクィアであることを、とても恥だと感じやすいんだよ。で、若かったころの自分の感じた様々な恥の感覚に対する、いまの大人としての自分の反応の仕方というのは……それはだから「恥を隠す」の正反対、というか。むしろ逆に、自らのセクシュアリティを祝福し、「これはべつに恥に思うようなことでもなんでもないんだ」って風に人びとと対決する、という。


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音で言うと、本作で言えば“Whip”が端的ですが、激しい打撃音など「痛い音」があなたのトラックでは目立つように思います。

アルカ:(苦笑)うん。

このようなある種の暴力性を伴った音はどこから来るものなのでしょうか?

アルカ:まあ、傷つきやすさ/もろさを含むアルバムを作ろうとするのなら……で、そのもろさに何らかの意味を持たせたい、あるいは自分にとって真の意味を持つものにしたいと思ったら、それはもろさのすぐ隣に暴力を配置する、ということなんだ。

はい。

アルカ:だから、正反対の対極にあるふたつが並ぶことで、そのお互いの関係がよりインパクトのある、より深淵なものになる、というか。で、実際“Whip”は“Desafio”の前に来るわけだけど、“Desafio”はこのレコードのなかでもっともハッピーな曲だと思っているし。

なるほど。

アルカ:だから、それってこう……ある意味、カオスを祝福するというか、あるいはカオスに笑顔を向ける、みたいなものなんだ。だから、苦痛に笑顔で返す、という。で、僕たちは……こうした様々なフィーリングを自分たちの内面で生きているわけだけれど、そのフィーリングの推移というのは、じつはあまり経験しないものだよね。だから、すさまじく幸せだと感じる日もあれば、その次の日には急にものすごく憂鬱になってしまうこともあるわけで。だから、その両方のフィーリングに敬意を表するための、あれは僕なりのやり方なんだと思う。
 で、僕たちは社会的にも、そして文化的にも、暴力に対してあまり安心できないわけだよね。もちろん、ある種の型の暴力はオーケイで、許容してもいるけれど。たとえば映画や文学などのなかに描かれるヴァイオレンスのことだね。ところが僕たちは、それ以外の類の暴力に対しては非常に不愉快にさせられる、と。だから、おそらく僕のやっていることの一部には……僕のなかのどこかに、僕たちを不快にさせる何かとアイデンティファイしてしまう側面があるんだよ。で、人びとにその何かの目を正面から見据えさせようとする、という。この「相手の目を見る(look them in the eyes)」っていうのは、自分がとてもよく使う表現なんだ。アイ・コンタクトについて、ほんとよく考える。というのも、たとえばどこかの街で通りを歩いていて、通行人たちがほんの1秒でも誰かとダイレクトに目を合わせるのって、ものすごく珍しいことで。だから、僕はある意味……「僕たちは、自分自身のこともちゃんと目を見て見つめていないんじゃないか?」みたいに感じている、という。だから……ああした暴力の質感、あるいは暴力を示唆するテクスチャーというのに、僕は惹かれるんだよ。というのも、それは「相手の目をじっと見る」のに似ているから。

なるほど。

アルカ:僕たち誰もが理解できることだし、かつ、みんなが居心地悪く感じるものなわけで。それと、最後にもうひとつ言わせてもらえば……そうだな……僕は、暴力というのは、それ特有のとてもユニークな美を持つフォルムじゃないかと、そう思っていて。いや、もちろん、暴力を祝福するつもりは僕には毛頭ないんだよ。ここで言わんとしているのはそこじゃないから、誤解しないでほしい。

ええ、もちろん。

アルカ:ただ僕はとにかく、暴力というのは……リアルなものだと思う。かつ、それは色彩のひとつだ、と。で、画家としての僕は、やはりある種の色彩群に魅力を感じてしまうし、まったく違う色彩が隣り合わせに配されているのが好きなんだよ。で、それはまた、たまたま僕自身の世界観でもあるという。そうだね、だからこれもまた、その質問に対する別の答え方なのかもしれない。

あなたがアルカの表現において、サウンド面でもアートワークでもアルバム・タイトルでも異形のもの、奇形のものにこだわるのはどうしてなのでしょうか? それは意図的なものなのか、あるいはあなたにとって自然なことなのでしょうか?

アルカ:そうだね……アートワークに関しては……もちろん、僕たちはどの作品についても、ストーリーに関しても、いっしょに話し合うんだけどね。ただ、あれらは僕の親友のジェシー・カンダがクリエイトしたものであって。だから、僕としては……んー、彼をここで代弁したくはないな。彼には彼なりの考えがあるんだろうし。そうは言っても、僕たちは作品に関しては、ほぼ何に関しても了解し合っているんだけれども。だから、あれはたんに……祝福するってことなんじゃないかな? 要するに、ああいったものが僕たちには美しいと思える、というか。

ええ。

アルカ:ああしたものが僕たちには美しく映るし、でも、みんながみんなそう感じはしないってことも、僕たちは承知していて。だからこそ逆に、あの美を感じる自分たちをさらに誇りに思ういっぽうだという。

(笑)なるほど。

アルカ:(笑)というのも……違う見方をすれば、それはじつは美しいものだったんですという考え方を人びととシェアすること、それが有効だったとしたら──それは、この世界に美をさらに加えることに他ならないわけで。他の人びとにとって美しいとされる、そういったいろんなものに備わる美を愛でることも僕にはできるし、それが理解できることに満足して もいるんだよ。
 それに、これまでの人生で出会ってきたいろんな人びと……それは恋人だったり、あるいは友人でもいいんだけど、彼らのおかげで、僕はそれまで見えていなかった美を教わることにもなってね。だからいまの自分には、以前は見えなかったある種の色彩、テクスチャーといったものを見出すことができるんだよ。だから、これ(異形や奇形へのこだわり)というのはたぶん、僕たちにとっての……「グロテスクと思えるものは、実は決して醜いものではない」という意見みたいなものなんだろうね。要するに、「グロテスク=醜い」と教わってきただけじゃないか、と。たんに「これは美にあらず」って言われてきただけのことであって、でも、もしもそのひとがよーく目を凝らして見てみれば……凝視してみれば、たとえば作品に用いられたクリーチャーの胸に、光が反射しているのが見て取れる。かつ、そこには質感も備わっているし、その質感は複雑なもので……そのクリーチャーのすべては、なんというか、ギラギラと光る、濡れた素材から出来ている、と。で、それというのは……素材に差して反射している光を見る者に思い起こさせる。たぶん、それなんだろうね、考えない限り他の人びとには見えてはこないであろう、そういう僕たちの思う美のフォルムというのは。

なるほど。

アルカ:それは、たくさんの美しいヴィジュアルのパターン、そして美しいヴィジュアルの質感と関わっているんだよ。だから、それらを良いなと味わい、かつ、それらのパターンや質感が表しているとされるコンセプトを取り去り、自分はそれらを「好き」、あるいは「嫌い」と見なすべきなのか? といった既成概念から逃れることで……そのひとは本当の意味で「自分が美しいと思うのはこれだ」って風に、自ら選択することができるようになる。そうすれば、そのひとは日々のなかにより多くの美を見出すことができるようになる、ということなんじゃないのかな。

日々色んなものを味わい、舌を肥やす、ということですね。

アルカ:うん、というか、たんに「伸ばしていこう」と。だから、自らを伸ばして広げていけば、それは……自分のものとは異なるカルチャーを美しいと思える、そうした感情にもつながるわけで。で……きみにとってまったくなじみのない何かをきみが「美しい!」という風に思えたら、それは……たぶん、きみが……うーん、これは慎重に言葉を選ばないといけない微妙な話だけれども……うん、ある種の問題、差別といったもの……人種に対する差別や、あるいは同性愛の男性に対する嫌悪/差別というのは、ある意味、「自分が“美しいものだ”と知っている(=教えられた)」以外の何かを「美しい」と認めるのを許すことができない、そこから来ているんじゃないのかな。

たしかに、文化の影響で「これが正しい美である」という風に、盲目的に信じている人はいますよね。でも、あなたが言うように、この世界の中には実に多種多様な「美」が存在するわけで。

アルカ:それに美というのは、人間が日々を生きるだけの甲斐をもたらす、そういうものだと僕は思っていて。だから、美に関する対話というのは、なにも表面的な事柄についての対話とは限らない、とても深淵で重要なものだと僕は思う。美、あるいは芸術を通じて、人びとは無意識のレベルで様々な交渉を行っているんじゃないかな。だからそうした交渉/対話というのは、じつは余計だったり不要なものでもなんでもなくて、とても緊急で語られるべきことなんじゃないか、と。というのも……ある人間の保持している世界の見方、それを意識的に変えようとその人を説得するのは、まず無理な話なんだよ。でも、人間というのは、なんというか……「新しいタイプの美」を学ぶことはできるんだよね。たとえ年老いた人間でも、それは可能なんだ。

なるほど。

アルカ:で、それっていうのは……これまでの自分を避けるというか、自分たちが意識的に、そして慣習に従って育んできた振る舞いのすべてを退けて、もっと深い何かにリーチしようとすること、という。その何かというのは、僕たちに死が訪れるその日まで、最後まで変えることができるんだよ。

なるほど……。それは、ある意味、一番良い生き方かもしれないですね? そうやって自分はつねに変われると分かっていれば──たとえばの話、「あーあ、自分が60歳とか70歳になったら、それこそ化石みたいに感じるんだろうな」と思うわけですけど──

アルカ:フフッ!(苦笑)

そうやって歳をとっても、つねに進化し、変化し、何か新しいことを学ぼうとしていれば、それはきっと、良い人生と言えるんじゃないか、と。

アルカ:まあ、たとえばの話だけど……きみがそういう経験をした人に実際に出会ったことがあるかどうかは分からないけども、じつは……自分の子供に非常に厳しくて、その子の全人生を通じてものすごくつらく当たってきた、そういう父親って、あんまり珍しくないんだよ。

ほう。

アルカ:ところが、そういう父親であっても、そうだなぁ……60歳を越えたあたりかな? そこらへんで、なんというか、彼らのホルモンが変化する、とでもいうのか。

(爆笑)

アルカ:まあ、ホルモンじゃないとしても、テストテロンの数値がちょっと低下する、みたいな?(笑)

(笑)はい、はい。

アルカ:だから、それくらいの年齢に達すると彼らも丸くなるってこと。で、これまでけっして口にしなかったようなことも言えるようになるんだよ。だから、突然「お前を愛しているよ!」と言い出したり、それまで表に出さなかった感情を見せはじめたり。

なるほど。

アルカ:それってだから、ものすごーく遅咲きな花がやっとほころぶのを眺める、みたいなものなんじゃないかな?

はい。

アルカ:で、どうしてそんなことになるのかと言えば、それはきっと、男性というのは……ホルモンが変化したあとで、過去に彼らが美を見出してきた場所とはまた違うところにある美を見つけることができるようになるからじゃないか、と。あるいは、それというのは、彼らの内側にある何かが脅かされてきたために、これまで彼らが絶対にそこに美を見つけようとしなかった、そういうフォルムなのかもしれないよね。
 ともあれいま言ったことは、そのひとがたとえ何歳であっても、あるいはそのひとがどれだけ強く、背も高くて……そんな風にがっしりしていて……身体だけではなくて、振る舞いやそのひと自身の自己がどんなに頑強であっても関係なしに、美というものは新しい形でそのひとの前に現れ続けるものだ、その、証なのかもしれないよね。それこそ死の直前まで美は訪れるんだよ。

ええ。

アルカ:だから、それって証明なんじゃないかな……僕たちって、ある程度の年齢に達する、あるいは歳をとって「自分自身のことはよくわかっている」と思ったところで、「自分はこれですっかり固まった、変わらない」みたいに考えるわけじゃない? ところが実際はどうかと言えば、そんな時期にあってすら、僕たちにはまだ新しいものを「美しい」と思うことが可能だったりする。ということは、それはもしかしたら、僕たちの内面には自分たちが考えているほど永遠にソリッドで堅固ではない面がある、その証なのかもしれない。ということは、そこにはまだ変化への希望がある、変化を求めてトライしようとするだけの根拠がある、ということだよね。だからなんだよ、音楽やアートは僕たちの生きる通常の日々にくっついているだけのもの、ただたんに「エクストラ」な要素ではなくて、じつはとてもヒーリング効果のあるものになりうるのは。

それだけ、人間の生にとって不可欠なものだと。

アルカ:うん、うん。


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だから、おそらく僕のやっていることの一部には……僕のなかのどこかに、僕たちを不快にさせる何かとアイデンティファイしてしまう側面があるんだよ。で、人びとにその何かの目を正面から見据えさせようとする、という。


電子音楽の多くは、多くを語らずして、聴き手の内側に多くを醸成させることができますし、あなたの音楽もそうした想像力の契機にはなっているのですが、しかしあなたはヴィジュアルを使います。今回のアルバムもそうですが、あなたの音楽にとってヴィジュアルはどんな役目を担っているのでしょうか?

アルカ:んー……そこは……やっぱり、ジェシーに負う部分が多いんじゃないかな? 彼とは14歳かそこらだった頃からの友だちだし、ネットを通じて知り合った仲なんだよ。

ええ。










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アルカ:で、彼は生まれつき、こう、とてもヴィジュアル思考なひとで。いや、僕もヴィジュアルへの意識は強いんだけど、彼みたいに視覚センスの非常に鋭いひとを友に持ち、かつそのひとといっしょに音楽作品を作ろうとすれば……なんというか、ヴィジュアル要素がただ重要なだけでなく、それ以上の……「必須な要素」になるのはある意味当然の話だ、と。僕たちはどちらも同類のテクスチャー、完璧ではないものの、光り輝いていて、有機的な、そういう質感に惹かれるし、だからこそ、彼もまた可能な限りオーガニックな3Dグラフィック作品を作ろうとする。合成テクノロジーを用いながら、自然を敬おうとしているんだよ。きっと、それは僕にしても同じなんだろうね。僕は合成素材を相手に作業するわけだけれど、それを通じて……自然、あるいは自然のなかで起きている何かを再現しようとしている。自然の持つランダムさ、カオス、そしてコントラストをね。というわけで、それが僕たちにとってのバランスのとり方なんじゃないかと思う。というのも、僕たちの用いている媒体は非常にデジタルだし、だからこそ参考例に有機的なものを持ってくる、という。

『ミュータント』でいっさいの取材を断りましたが、その理由を教えてください。

アルカ:いや、いっさいではなく、ごくわずかしか取材はしなかった、ってことじゃないかな。それこそ1本くらい? とにかくまあ、ほんの少ししか取材は受けなかった。というのも……とにかく、あのアルバムの発表をちょっとでも遅らせたくなかったし、それにたぶん、自分が喋る必要性をあまり感じなかったんだと思う。作品そのものに語らせたかった。
 でもこのレコードに関しては、取材を受けることに対して自分はもっとオープンになっていて。どうしてかと言えば、僕は……僕自身の自分の作品の捉え方、あるいは世界の見方というのは、人びとが僕のレコードを理解するのに役に立つこともあるんじゃないか、そう思っていて。彼らが作品に興味を抱いてくれ、そして知りたいなと思えば、彼らには僕の考え方を見つけることができる、と。僕にとってのインタヴューというのはそういうもので、だから僕自身、僕が尊敬している人びとやアーティストたちのインタヴューを読んだり、インタヴュー映像を観るのはエンジョイしてる。それに、毎回同じことを繰り返さないようにするのはいいことだと思うしね。

(笑)ああ、なるほど。

アルカ:そんなわけで、『ミュータント』時にあまり取材をしなかったから、今回の自分はもっと取材を受けても構わないって姿勢になっている。それもまた、自分にとって快適ではないことをつねに追い求める、やったことのない新しい何かを追い、お決まりのルーティンを避ける、ということなんだけどね。

あのセカンド・アルバムのすさまじいノイズからも、拒絶のようなものを感じました。それもかなり強度のある拒絶です。なので、あなたは取材も拒絶したのかな、と思ったのですが。

アルカ:んー、もしかしたらそうなのかもしれない。その部分は少しあったんだろうね。僕のなかには、こう、苛立たされてしまう部分もある、というか。たとえばの話……他の誰かに決めてもらう/判断してもらうのが好きなひとって多いな、と思うんだ。で、もちろん批評家や批評というのは、ある点においては価値のあるものだよ。けれど、そこにはまた……人びとが何かをとても真剣に受け止める、その妨げになっている部分もあるんじゃないか、と。だから、レヴューひとつで分かった気になってしまう。悪評レヴューはもちろんだけど、高評価のレヴューだとしても、逆に人びとがその作品をシリアスに捉える妨げになってしまったりするからね。だから、プレス、あるいはインタヴューというのは、人びとが音楽を作りはじめる、その動機にはならない、みたいな。

(苦笑)はい、それはもちろん。

アルカ:それに、言語による自己表現に満足できない人たちが、音楽作りに向かうんだしね。それはそうだよ。言葉が大好きならひとなら、やっぱりライターになろうとするだろうし……だから、ライターにとっては言語が彼らの「アート」だ、という。そんなわけで、ミュージシャンにとって、(言葉を使って)インタヴューを受けるのって、ある意味、奇妙な経験なんだ。

ああ、きっとそうなんでしょうね(笑)。それはあなたの使う媒体ではない、という。

アルカ:その通り。それって、自分で選んだものではないんだよね、ある意味。

僕はつねに、自分の作るどのアルバムでも、どの作品をリリースする際にも、またどのパフォーマンスにおいても、自分が次に何かやるときにはまた変われる、その権利を確保しようとしているんだ。その自由のためなら僕は闘うし、「アルカ」というのは、ある意味その面を表してもいる。その自由を讃え守っていくことを自分自身に思い出させてくれるもの、と。

『アルカ』はあなたのヴェネズエラのルーツやその記憶が重要なテーマのひとつだと思えます。それはあなたにとって自然な選択でしたか? なぜそうなったのでしょうか?

アルカ:そうだな、それはきっと、この作品はひとつの独特なやり方でメランコリーとコネクトしようとする、というものだったから、そうするのが理にかなっていた……潜在意識にそこに連れて行かれた、という。だから、意図的に選択した結果ではなかったんだよ。それを説明するとすれば……神経科医によれば、人間の左脳はロジックや理性により近く、いっぽうで右脳はフィーリングや記憶にもっと関わっている、と。で……僕にとって、英語というのは左脳寄りの言葉なんだよ。

はい、分かります。

アルカ:僕は17歳で、大学進学のためにヴェネズエラを後にした。だから、自分のアカデミックな頭脳というのは英語で形成された、と。理論だとか……あるいは音響工学を理解している僕の脳の部分、そこは英語で教育されたわけ。で、僕のエモーショナルな頭脳、小さかった頃のフィーリングや記憶を持つ脳は……たとえば僕の家族、大家族でのお祝い事を耳にしたり、あるいは……僕の両親がスペイン語で言い合いしているのを聞いた、そういう経験からできていて。だから、じっくり考えた上での選択ではなかったにせよ、僕はこの方向性を受け入れることにした、と。「英語で歌ってみたらどうなる?」と、チラッと想像してみたことはあったんだよ。ただ、それはどうにも正しいとは感じられなくて。

なるほど。

アルカ:それに、偶然だったんだけど、ヴェネズエラ音楽のトナーダ(※坂本註:アルカ自身は「ト・ナース」に近く発音していました)という面もあってね。だから、これもまた意図的なものではなかったんだけど、歌っているうちに「これはトナーダじゃないか」と自分でも気づいたし、それもまた、自分にはなるほどと納得できたという。というか、あれに気づいたときは我ながらとても嬉しかったな。ある意味、自分の過去に戻っていくようなものだったし……でも、と同時に、あれは僕にとっては未来に足を踏み入れる、みたいなものでもあって。というのも、トナーダは僕からすれば慣れ親しんだ音楽ではなかったし。

潜在意識、あるいは非常に根源的な状態を通じて、あなたはご自身のルーツを再発見した、と言えそうですね。

アルカ:うん。うん、その意見には納得できる。だから、ある意味……心理セラピーみたいなもの、という。

はっはっはっはっ!

アルカ:(笑)いやー、だからまあ……っていうか、ほんとフロイト心理学っぽいんだよねぇ。自分でも、しょっちゅう驚かされる、みたいな(苦笑)。

いまおっしゃっていたトナーダについてですが。これは、スペイン系のフォーク音楽、というので当たっていますか?

アルカ:うん、っていうか、あれはヴェネズエラの音楽。ヴェネズエラ産だし、興味深いことに……あれはなんというか……「労働者たちの音楽」みたいなものだったんだよ。ヴェネズエラの田舎の労働者たち、のね。

ほう、そうなんですか。

アルカ:でも、実のところシモン・ディアス(Simón Díaz)という歌手、彼の歌うトナーダだけだったな、僕が大きくなるなかで耳にしていたのは。で、トナーダというのはもともと非常に古い音楽なんだけど、1950年代のヴェネズエラで工業化が更に進んだ際に、シモン・ディアスはトナーダを救おうとしたんだ。だから彼は当時にしてはとても、とても古い音楽を歌い始めた、という。

それはおもしろいですね。

アルカ:で、奇妙なことに……いや、僕としては「自分はトナーダを救っている」みたいな感覚はないんだけどさ。

(笑)

アルカ:僕はシモン・ディアスじゃないからね。でも、だからなんだよ、トナーダの影響を感じて自分でも嬉しかったのは。というのも、ある意味あれは……非常にヴェネズエラ的な、長い歴史を持つソングライティングのテクノロジーなわけで。そのおかげで、何かに向けた熱望……あまりに深くて、ゆえにスピリチュアルですらある熱望の想いを歌うことができるようになる、という。メランコリーというのは、トナーダにとってとても大きい感情だと思う。トナーダはいつだって、月に向かって歌いかけるとか、あるいは失ってしまった愛に向けて、あるいは年老いてしまった人間の「愛を見つけたい」という強い思いに向けられている。だからある意味、トナーダというのは表現できずにいた、表に出せなかった物事についての歌、というか。で、自らをいろんなものの「中間点」に見出している僕のような人間にとって、それはとても意味のある音楽なんだ。

わかりました。また、チャンガ・トゥキ(Changa Tuki)はいかがですか? このアルバムにどのように影響を与えていると思います?

アルカ:いや、このアルバムに特に影響した、とは思わないな。ただ、ミュージシャンとしての僕にとってあの音楽は特別だし、だから間接的に影響しているのかもしれない。それに、自分がDJをやるときは、必ずチャンガ・トゥキをかけるからね。あれもまたヴェネズエラ産の音楽なんだけど……あれはあれで、僕にとってはまたべつの、まったく違う脳の領域、というか。

(笑)

アルカ:だから、左脳があり、右脳があり、でも、三つ目の領域がどこかにある! みたいな(笑)。DJをやってるときの自分の領域、とでもいうのかな。僕はDJをやるのが大好きだし、日本の〈WOMB〉、それから〈タイコクラブ〉でもDJをやったことがあって。

ああ、そうだったんですね。

アルカ:あの〈WOMB〉でやったDJセット、あれはものすごく気に入ったし、自分でも大好きなセットのひとつだよ。

その際の、チャンガ・トゥキに対する日本のお客の反応はいかがでした?

アルカ:ものすごい叫び声だった!

(笑)。

アルカ:あんなにハイパーな日本のクラウドって、初めて見たな。みんなものすご〜くエキサイトしていたし……立錐の余地なしってくらいギュウギュウで。それこそ、会場側が規定以上にお客さんを入れ過ぎちゃった、みたいな。

はっはっはっはっ!

アルカ:あれはもう、本当に……とてもビューティフルだった。だから、ヴェネズエラのダンス・ミュージックを東京のクラブでかけることの美しさ、だよね。とても普遍的で、かつとてもシンプルな音楽だから、説明不要で通じるという。

音楽の良さって、そこですよね。

アルカ:うん、本当にそう!

あなたはかつて「アルカという言葉に意味はない。だから自分自身に新しく意味づけができると思った」と説明していました。

アルカ:いや、実は、もっと入り組んだ話なんだ。というのも、「アルカ」という言葉に意味はあるんだけど、あまりにも古い言葉だから、誰もその意味をよく知らない、覚えていない、という。

そういうことなんですね。その、大昔の「アルカ」の意味というのは?

アルカ:あれは非常に古いスペイン語で、木製の箱(蓋のついた大きな箱)、みたいなもののこと。だから、何か大切なもの、たぶん宝石か何かをしまっておくのに使われた箱だね。言い換えれば、虚ろな空間ということ。で、いまでもこの言葉の意味は変わっていないけれども、多くの人間にとってその言葉が何の意味も持たない、というのが僕は好きでね。だけど、その意味を遡ろうとすれば、「空っぽの空間」、貴重なものをしまうための空間、ということなんだ。

なるほど。ではいま、「アルカ」という言葉にどのような意味を与えますか?あなたにとってその意味は? 

アルカ:うーん、たぶんその意味は変わっていないと思う。だから……それはこう……「あえて、何もしようとはしない空間」とでもいうか。そこで自らを花がほころぶように開き、広げることができる……いや、僕が自分を開いて広げられる、そういう空間。で、僕はつねに、自分の作るどのアルバムでも、どの作品をリリースする際にも、またどのパフォーマンスにおいても、自分が次に何かやるときにはまた変われる、その権利を確保しようとしているんだ。その自由のためなら僕は闘うし、「アルカ」というのは、ある意味その面を表してもいる。その自由を讃え守っていくことを自分自身に思い出させてくれるもの、と。その空間……変化するための、成長するためのスペースに敬意を表し、そして、絶え間なく変形し続けていくこと。そうすれば、人生が静止したままの、活気のないものなんかには絶対にならないわけで。

はい。

アルカ:僕は(そうやって変化を続けても)疲労を感じるってことがまずなくてね。自分はいつだって……まあ、そのせいでちょっとばかり楽になれない面もあるとはいえ、それは仕方のない代償であって。だから、本当の意味で「自分は100%生きている」と感じるための、そのご褒美に対して支払う対価というか。

そうやって変化し成長し続けるあなたというのは、大きな森、なのかもしれませんね。

アルカ:それ、最高! いままで言われてきたことのなかでも、一番素敵な言葉だよ、それは。

〈了〉

Lorde - ele-king

 女性誌のコーナーに行くと、10代の女子に向けた雑誌の表紙に「インスタジェニック」なる言葉が躍っている。ページをいくつかめくってみると、インスタグラム映えする投稿をすることは──そのためのライフスタイルを送ることは彼女たちにとって抜き差しならない問題のようで、そして、過度の写真加工は「イケてない」のだそうだ。雑誌のアドバイスいわく、「それは本当のあなたじゃない」と。いいね!がたくさんつくような「インスタジェニック」な投稿をすることと、自然体の自分を世に示すことのせめぎ合いがそこにはある。10代の人間関係のキツさを忘れた大人の目線から「そんなのくだらないよ」と言うのは簡単だが、彼女たちなりの自己表現や真剣なコミュニケーションがそこにはこめられているのだろう。
 テイラー・スウィフトとのセルフィーがインスタグラムで話題になるポップ・スターたるロードは、しかし、加工など必要としない特別な少女、10代として世に現れた。ニュージーランドでブリアルとジェイムス・ブレイクを聴き、レイモンド・カーヴァーとカート・ヴォネガットを読み、そしてハスキーなアルトで退屈な日常や物質主義への懐疑を歌う16歳……。シンガーソングライター化していった時期のジェイムス・ブレイクを強く意識したであろう簡素なエレクトロニック・ミュージックのプロダクションも含め、デビュー作『ピュア・ヒロイン』の時点で彼女、エラ・イェリッチ・オコナーは選ばれたヒロインだったわけだ。『ピュア・ヒロイン』には生意気な10代特有の魅力があったし、それに説得力を持たせる意志の強そうな眼差しがあった。

 そこで言うと、『メロドラマ』では、湿り気のあるピアノ・バラッド“ライアビリティ”で別れた男に向けて「わかってるよ、わたしは負担だって」としんみり歌っているロードは特別なヒロインであることを手放しているように見える。ありていに言えば普通の失恋ソングを歌う普通の女になっている。現在ヒット・メイカーとして名を馳せるジャック・アントノフを共同ソング・ライターとして迎えていることからもわかるが、チャート・ミュージックのスターであることを真っ向から受け入れていて、なかでもアンセミックなダンス・ポップ“グリーン・ライト”はその結実だろう。セルアウトだと言ってしまえば、そうだ。メロディはよりキャッチーに、プロダクションもはるかに派手になっていて、ウェル・プロデュースされたポップ・ソングというのはロードのオルタナティヴなイメージを幾分損なうものかもしれない。
 だがそれでも、海外の評に目を通してみると前作よりも『メロドラマ』が概して高く評価されているのは、ポップスとしてのフォルムの完成度が高まっているということ以上に彼女自身の言葉がいいのだという。『ガーディアン』は「アルバムでもっとも弱い楽曲である“ホームメイド・ダイナマイト”でさえ」と牽制しながら、リリシストとしてのロードを讃え、そして(ザ・スミスの)“ゼア・イズ・ア・ライト・ザット・ネヴァー・ゴーズ・アウト”を引き合いに出しつつ描写の巧みさを指摘している。そこではパーティに繰り出す女子が登場し、彼女の夜への期待が車の事故に喩えられているのだが、パーティ・ガールの刹那的な快楽主義に詩情がもちこまれているのだと。『メロドラマ』ではアルバムを通じて、夜遊びをする若い女が歌の主人公として繰り返し登場する。彼女たちは酒を飲んで騒ぎ、踊り、たぶんドラッグもやって、一夜限りの恋やセックスをするのだろう。きっとセルフィーを撮ってインスタグラムにアップもするだろう。ロードはそして、大人たちからは無視されるとくに立派でもない若い女たちの側に立ち、彼女たちの悲しみや一瞬その目に入る美しい光景を描こうとする……それは、加工しようがしまいがインスタグラムには投稿できない若い女たちの実存と感情だ。「目覚めると、違うベッドルームにいることがある/私が何か囁けば、街のざわめきが歌で返してくる」(“グリーン・ライト”)。ケイト・ブッシュによく比較される声でロードはここで、特別ではない女たちの声にならない声をポップにエモーショナルに開放しようとしている。ハーモニー・コリンの映画『スプリング・ブレイカーズ』のパーティに明け暮れる少女たちの姿がフラッシュバックする。
 「毎晩、わたしは生きて死ぬ」という歌い出しの開放的なシンセ・ポップ“パーフェクト・プレイス”でもやはり夜な夜な遊びに繰り出す若い女の軽薄さが少しの切なさを伴って描かれ(「わたしたちの憧れたひとたちはみんな、姿を消していく/いまはもう、わたしはひとりで立っていられない」)、しかしそれは当人にとって切実なものなのだと訴える(「ベロベロに酔って過ごした夜/理想の場所を探しながら」)。だが、彼女は続けてこう呟くのである──「それにしても、理想の場所っていったい何?」。そうして、アルバムは終わる。
 ラナ・デル・レイほど退廃的になれるわけでもない。それでもたしかに痛みや悲しみを抱えた若い女たちの「メロドラマ」がここにはあり、それは自分自身の生き方やそれを表現する術を探し求める10代の姿でもある。「チャート・ミュージックにリリシズムと知性を持ちこんだ」というのは批評家の言うことだ。ロードを聴いている女の子たちはきっと、自分たちと近い場所にこの物憂げだが強い声と歌があることを頼もしく思っている。


interview with Jeff Paker - ele-king

傑作アルバム『The New Breed』のリリースで、トータスのメンバーやジャズ・ギタリストとしてだけでなく、ソロ・アーティストとして大きな飛躍を見せたジェフ・パーカー。そのジェフが『The New Breed』のレコーディング・メンバーを率いて、初のリーダー・バンドでの来日を果たす。この来日を記念して、5月にタワーレコード渋谷店で行われた公開インタビューの模様をお送りする。インタヴュアーは、Jazz the new Chapterの柳樂光隆。

 2017年の5月、スコット・アメンドラ・バンド/トータスの一員として来日したジェフ・パーカーがタワーレコード渋谷店でトークショー&ライブを行った。世界中で高い評価を受けた2016年リリースの『The New Breed』はジェフが持っていたヒップホップやソウルやファンクへの愛情を惜しみなくさらけ出していただけでなく、これまではなかなかその本音を見せてくれなかったジャズ・ギタリストとしての自分を素直に表現しているアルバムでもあった。そんな作品のリリースに際しての公開インタヴューということで、ヒップホップとジャズ・ギターのふたつのトピックを中心にジェフ・パーカーとはどういうミュージシャンなのかを探るような話を振ってみた。東京でのオフにはレコードショップを回っていたというレコードショップ好きのジェフはたくさんのレコードやCDに囲まれたなかで、様々なアーティストの名前を出しながら、実に饒舌に自身に影響を与えた音楽について語ってくれた。

僕はものすごいヒップホップのファンなんだ。このアルバムではヒップホップとジャズの関係性を探りたかった。僕はジャズのフィーリングを持ったヒップホップのレコードだったり、ヒップホップのフィーリングを持ったレコードを作りたいとずっと思っていたしね。ヒップホップはプロデューサーの音楽で、もっと言えばプロダクションの音楽だ。ヒップホップっていうのは、音楽を再構築していくような音楽なんだ。それをジャズと一緒に表現したかったんだ。


Jeff Paker
The New Breed

International Anthem Recording Company / HEADZ

JazzExperimentalPost Rock

Amazon


Isotope 217°
The Unstable Molecule

Thrill Jockey / HEADZ

JazzExperimentalPost Rock

Amazon

東京ではレコードショップを回ってアナログを買ったそうですね

JP(ジェフ・パーカー):そうだね。普段はジャズのレコードをよく買うんだけど、たまにアフリカ音楽のレコードも買ったりするよ。

今回買ったもので特に気になったものは

JP:ドラマーのポール・ハンフリーのレコードを買ったね。あとはあまり名前は憶えていないんだ。前はすごくたくさん買っていて、しばらく落ち着いていた期間が続いていたんだけど、最近、また買うようになったんだよね。

あなたのアルバム『The New Breed』の話を聞いてもいいですか? どういうコンセプトでどういうきっかけで作りはじめたんですか?

JP:僕はものすごいヒップホップのファンなんだ。このアルバムではヒップホップとジャズの関係性を探りたかった。僕はジャズのフィーリングを持ったヒップホップのレコードだったり、ヒップホップのフィーリングを持ったレコードを作りたいとずっと思っていたしね。ヒップホップはプロデューサーの音楽で、もっと言えばプロダクションの音楽だ。ヒップホップっていうのは、音楽を再構築していくような音楽なんだ。それをジャズと一緒に表現したかったんだ。音楽のローエンドや、ファンクのドラムサウンドとか、そういうところに意識を持っていくような音楽にしたいと思って作ったよ。このアイデア自体は10年間くらい持ちづけていたもので、ようやく実現できたのがこのアルバムなんだ。

ヒップホップだとどういうものがお好きですか。

JP:プロデューサーだと、DJプレミア、Jディラ、Qティップ、NY、イーストコースト・サウンドのクラシックスが好きなんだ。あまり追えてないんだけど、いまのヒップホップでも好きなものはあって、ケンドリック・ラマ―の『DAMN』は素晴らしいしね、前作の『To Pimp A Butterfly』も最高だったよ

『The New Breed』ではJディラの『Donuts』にも参加したエンジニアのデイブ・クーリーを起用してますよね

JP:そうだね、マスタリング・エンジニアは同じ人だね。僕はマッドリブの大ファンでもあるから、彼が〈ストーンズ・スロウ〉のレコードをいくつも手掛けていたことは大きいね。マドリビアンの『Madvillainy』とかね。僕はいま、LAに住んでいて、彼もLAに住んでいるから、マスタリングってなったときに彼のことしか思い浮かばなかったんだよね。彼もそのオファーを喜んでくれたしね、彼は僕が関わってきたシカゴ・アンダーグラウンドのことも好きだったみたいなんだ。あと彼はミッドウエストの出身でね、僕らには共通点が多かったし、シェアできることも多かった。だから、マスタリングの作業はすごくうまくいったよ。

以前、トータスのアルバムでもJディラ的なビートを取り入れていたと思うんですけど、『The New Breed』はそのころとはまた違ったヒップホップのフィーリングがあったような気がしますね。

JP:トータスはバンドなので、メンバー全員が持っているさまざまな音楽からの影響が反映されるからね。それをまとめてひとつにまとめることでトータスのサウンドが出来上がるんだ。もちろん、そのなかにJディラの影響も含まれているよ。前作『Beacons of Ancestorship』のころには、みんながJディラにはまっていたから、そのなかにはディラの影響がものすごく強い曲も収録されているよ。ディラはパワフルで、彼にしかできない音楽を作っていた。その彼の音楽が持っていたフィーリングを自分の音楽に取り入れようとしていた音楽家は世界中にものすごくたくさんいた。トータスのその一つと言えるよね。僕もディラの音楽の大ファンだから、僕の作品にはその要素は当然入ってくる。でも、それと同時に他のヒップホップのフィーリングが入っていることを感じ取ってもらえたらすごくうれしいね。

僕はジャズ・ギターに関してはトラディショナルなプレイヤーを聴いたり研究していたし、もっと現代的なプレイヤーもたくさん聴いたりしていたから、そういうスタイルのプレイをしていたんだ。例えば、ジョン・スコフィールドやパット・メセニーやビル・フリゼールのようなね。でも、オルガン奏者と仕事をするようになってから、ケニー・バレルやグラント・グリーンも聴くようになったんだ。

『The New Breed』ではドラマーがジャマイア・ウィリアムスだったと思うんですけど、彼と一緒にやるようになったきっかけは?

JP:彼と一緒にやるようになったきっかけはヴィオラ奏者でアレンジャーのミゲル・アトウッド・ファーガソンなんだ。それから仲良くなって、いろんなことを話すようになったよ。彼と演奏した時にすごく自然に演奏できたように感じたんだ。ベーシストのボール・ブライアン、サックス奏者のジョシュ・ジョンソンとジャマイア・ウィリアムスとの僕のバンドは、最初はからすごくいいケミストリーを感じていたから、彼らのことを想定しながら曲を書くこともできた。ちなみにジャマイアのバンドに僕が入ったこともあって、そのときはシンセを弾いたんだけど、そのコラボレーションでも愛称は抜群だったね。

『The New Breed』はプロダクションの部分はすごく大きいと思うんですけど、ライヴではどういう風になりますか?

JP:そんなに難しくないんだよ、ただレイヤーを変えればいいだけなんだ。レコーディングではふたつのシークエンスを流して、その周りに音を加えるように演奏していったんだけど、ライヴでもサンプラーを使って、それに合わせて、バンドが即興演奏のように音を加えていく、そんな形になると思う。ある意味で、トータスに近いやり方ともいえるかもね。最近はテクノロジーもどんどん発達して、いい機材もどんどん出てきているから、そういうものを駆使してやろうと思っているよ。

あと、今日はギタリストのお客さんも多いと思うので、ギターの話も聞かせてもらってもいいですか?海外のインタヴューで高柳昌行の話をされていましたよね。彼のどんなところがお好きですか?

JP:ギターの演奏に限らず、音楽に対してすごく幅広いコンセプトを持っているところが好きなんだ。ノイズギター、フィードバックも素晴らしいし、ジャズからきているラインを弾くこともあるし、スタンダードだって素晴らしい。プロダクションに関しても、いろんな実験をしていた人で、その幅広さが好きなんだ。そういうところは自分のギターとも似ているかもしれないね。

『Like-coping』などのあなたの初期のソロアルバムを聴くと、高柳昌行がレニー・トリスターノの音楽=クールジャズに取り組んでいたころと共通するものを感じるのですが、いかがですか?

JP:いまもトリスターノの音楽は好きだし、彼の音楽がものすごく好きだった時期があって、そのころは研究もしていたんだ。だから、それが反映されているかもしれないね。

ってことは、トリスターノのバンドで演奏していたギタリストのビリー・バウアーもお好きですか?

JP:彼はそんなに好きじゃないね。まあまあいいミュージシャンだけど、ギターに関してはベストじゃないね笑。僕が好きだったのは、リー・コニッツやトリスターノ、ウォーン・マーシュだね。彼らのコンポジション(作曲)が好きだったんだ。ギタリストとしてってことじゃないね。

以前に読んだあなたのインタヴューにグラント・グリーンのことがお好きだって書いてあって、『The New Breed』にはそういうテイストもあるなと納得したんですけど、彼のどういうところがお好きですか?

JP:サウンドだね。ソウルフルなミュージシャンだし。サウンドも美しいよね、とても美しいラインを奏でる。実は以前はそんなにたくさん彼の音楽を聴いていたわけじゃないんだ。でも、ある時、誰かに「君のサウンドはグラント・グリーンに似てるね」って言われたんだよね。それから聴くようになって、すごく好きになったんだ。もともと僕はトラディショナルなギターが好きで、チャーリー・パーカーのフレーズをギターで演奏したりして、そのジャズの共通言語を学んだりしていたんだけど、僕はシカゴに移住してからオルガン奏者のグループで演奏していたことがあった。チャールス・アーランドとかね。僕はジャズ・ギターに関してはトラディショナルなプレイヤーを聴いたり研究していたし、もっと現代的なプレイヤーもたくさん聴いたりしていたから、そういうスタイルのプレイをしていたんだ。例えば、ジョン・スコフィールドやパット・メセニーやビル・フリゼールのようなね。でも、オルガン奏者と仕事をするようになってから、ケニー・バレルやグラント・グリーンも聴くようになったんだ。

他に好きなギタリストがいたら教えてください

JP:まずはジム・ホールだね。すべてが素晴らしいよ。

ジム・ホールはどういうところが特に好きですか?

JP:彼は自分のサウンドを周りのサウンドにフィットさせることがすごくうまいんだ。彼は60年代にアート・ファーマーと一緒に活動していたんだけど、その時に録音された『To Sweden With Love』は僕のフェイバリット・ギター・アルバムだよ。
 さっき名前をあげたアーティストは自分の中の影響の一部なんだ。他に好きなギタリストはたくさんいて、マーク・リボーも好きだし、ジミ・ヘンドリックスも好きだし、ソニー・シャーロックも好き。デレク・ベイリーは僕もフェイバリット・ギタリストだし、ニール・ヤングも好きだね。ブルースのギタリストも好きなんだ、B.B.キングも好きだし、チャーリー・クリスチャンも大好きだよ。きりがないね、学ぼうと思えば素晴らしいギタリストはいくらでもいるんだ、今日来ている皆さんもたくさん聴いて、ギターを研究してもらえたら嬉しいね。

 そのあとのライヴでは、ジェフはソロギターで『Slight Freedom』に収録された楽曲(フランク・オーシャン「Super Rich Kids」カヴァーなど)や即興を演奏してイベントを終え、夜にはこの日、六本木でライブを行っていたヤコブ・ブロのライブに行って、ワンカップの日本酒を片手にヤコブのソロギターのパフォーマンスを興味深そうに見つめていた。ジェフは今でもギターを研究し続けているんだなと思った光景だった。
(了)

■ジェフ・パーカー、『The New Breed』メンバーとの来日公演

 今年5月、コットンクラブでのスコット・アメンドラ・バンドの公演(5/11〜13)に始まり、タワーレコード渋谷店でのソロのインストア(5/14)、トータスのビルボードライブ東京(5/15、5/17)と大阪(5/19)での単独公演、更にはGREENROOM FESTIVAL ‘17の2日目(5/21)の〈GOOD WAVE〉ステージでトリを務めたトータスのメンバーとして、11日間に14公演を行ったジェフ・パーカー。
 
 すでにライヴ会場等では、仮フライヤーで告知されていましたが、ジェフ・パーカーの傑作アルバム『The New Breed』のレコーディング・メンバーを従えての初の単独来日公演が、正式に決定致しました。
日程は、8月14日(月)、15日(火)、16日(水)の三日間で、会場はコットンクラブになります。
 ジェフの他、ベースにポール・ブライアン、サックスにジョシュ・ジョンソン、ドラマーにジャマイア・ウィリアムスを迎えての4人編成での公演となります。

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JEFF PARKER & THE NEW BREED
ジェフ・パーカー & ザ・ニュー・ブリード

2017. 8.14.mon - 8.16.wed
[1st.show] open 5:00pm / start 6:30pm
[2nd.show] open 8:00pm / start 9:00pm

MEMBER
Jeff Parker (g,sampler)
Josh Johnson (sax,key)
Paul Bryan (b,key)
Jamire Williams (ds,sampler)

https://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/sp/artists/jeff-parker/

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 ポール・ブライアンは、『The New Breed』にはジェフとともにプロデュースを担当し、録音・ミックスも手掛けています。
ポールはジャズ畑というよりもロック、ポップス系の作品で有名で、エイミー・マンのプロデュース(最新作『Mental Illness』も含め、2006年の『One More Drifter in the Snow,』以来の全アルバムを担当)やミシェル・ンデゲオチェロのツアー・メンバー、アラン・トゥーサンやノラ・ジョーンズの作品にもレコーディング・メンバーとして参加しています。
 ジョシュ・ジョンソンは、エスペランサ・スポルディングやミゲル・アトウッド・ファーガソンとも共演してきており、今回の来日ではサックス以外、キーボードでも参加予定。
ジャマイア・ウィリアムスは、ロバート・グラスパーの高校の後輩でロバート・グラスパー・トリオのメンバーでもあり、先鋭的ジャズ・コレクティヴ、エリマージも率いる新世代ドラマー。
カルロス・ニーニョのプロデュースのソロ・アルバム『///// EFFECTUAL』をLeaving Recordsから(日本盤もP-VINEより)リリースしたばかりで、日本でも注目度は高まっています。

 3月にはNY、4月にはヨーロッパで開催され、絶賛されたこの『The New Breed』のレコーディング・メンバーとのスペシャル・ライヴ「JEFF PARKER & THE NEW BREED」が日本でも開催されます。この貴重なチャンスを是非お見逃しなく。

C.E - ele-king

 クラブ・カルチャーとリンクしまくりのスケシンさんデザインが人気のブランド、〈C.E〉。今回はニューヨークのロー・ハウスの拠点〈L.I.E.S 〉レーベルとのコラボで、Tシャツ+カセットテープ。カセット音源は、今年の初頭に破壊力あるエレクトロ・ファンクなアルバムを発表した、Beau Wanzerによるものです。実店舗のみの販売です。



価格:各6,000円(税抜き)
発売日:2017年8月3日(木)
発売店舗:C.E
〒107-0062 東京都港区南青山5-3-10 From 1st 201
03-6712-6688
www.cavempt.com

L.I.E.S.
https://liesrecords.com
(ライズ (ロングアイランド・エレクトリカル・システムズ))は、Ron Morelli(ロン・モレリ)がニューヨークの身近なトラックメーカーたちの楽曲をリリースするために、2010年に立ち上げた音楽レーベルです。テクノのパイオニア的存在であるAdam Xの別名義ADMX-71をはじめ、オランダのシンセマスターLegowelt、Black DiceのEric Copeland、アップスタートなハウスプロデューサーDelroy Edwards、そしてマイアミ出身のGreg Beatoなど、多種多様なアーティストの楽曲をリリースしています。

Between the Borders - ele-king

 8月20日日曜日午後14時から、下北沢の駅近く、ビルの一室と屋上を使った良い感じのパーティがあります。BUSHMIND企画なので、ゆるいダウンテンポからディープなハウス、テクノ、そしてヒップホップにサイケデリック・ロックなど、いろいろありそう。屋上もあるし、入場料も安いのも良いです。
 

Between the Borders
2017/8/20 (sun)
at下北沢レインボー倉庫 4F & 5F
open : 14:00 / 1st drink : 1000 yen

4F
KUBOTA,TAKESHI
OVERALL
HASSY THE WANTED
RYOSUKE
ETERNAL STRIFE
DJ PK
THE SNIGGLERS
BUSHMIND

5F
DJ SHOWER TIME
ICE DOGG
YOKOHAMA BAY
CHANG YUU
TEE-SHORT
THE TORCHES
BBH

SOUNDSYSTEM
SARUYAMA

Gladdy Unlimited - ele-king

 2015年に他界した、ジャマイカのレゲエ黄金時代を60年代から支えてきた天才ピアニスト/プロデューサーのグラッドストーン・アンダーソンを讃えるイベント「Gladdy Unlimited」が、10月6日渋谷クアトロにて開催される。出演は、KODAMA AND THE DUB STATION BANDとMatt Sounds。
 グラッドストーン・アンダーソンといえば、ハリー・ムンディの〈Moodisc〉からリリースしたちょっとメロウなインスト作品もいまだクラシックとして人気で、日本の先駆的レゲエ・レーベル〈Overheat〉からも素晴らしいオリジナル盤を何枚も残しています。同レーベルから出ている、1987年のミュート・ビートとのライヴを収録した『Gladdy meets Mute Beat 1987 February. 14』もその当時の熱気を伝える貴重な作品です。そこには、当時のミュート・ビートのすごさも記録されているわけですが、今回の「Gladdy Unlimited」では、バンド演奏でのこだま和文が見れるのも楽しみのひとつです。数々のレゲエ・リジェンドたちのバック演奏を務めてきたMatt Soundsの演奏にも期待しましょう。
 10月6日とまだまだ先の話ですが、いまのうちから予定を空けておきます。
 

 

OVERHEAT MUSIC Presents Gladdy Unlimited

出演:KODAMA AND THE DUB STATION BAND、Matt Sounds
Selector:Tommy Far East

会場:渋谷クラブクアトロ
公演日:2017年10月6日(金)
19:00 開場 20:00 開演
前売り 4,500円(ドリンク代別)
当日 5,000円(ドリンク代別)
チケット発売日:2017年8月19日(土)
主催:株式会社OVERHEAT MUSIC
問い合わせ::OVERHEAT MUSIC(03-­‐3406-­‐8970)
発売所:ぴあ、ローソン、e+

https://www.overheat.com/g_unlimited/


●Gladdy Unlimitedとは?
 50年代末にジャマイカで産まれた音楽が地球の裏側のここ日本でも幅広く認知されるようになり、ジャマイカン・テイストの音楽がポピュラリティを得た。それは多くの日本のセレクター、シンガー、バンドがその魅力に気づき、ジャマイカのクオリティを手に入れてパフォーマンスすることができたからだ。
 世界的に見てもこのジャマイカ音楽が持っているオリジナリティとクリエイティブなアイディアは偉大だ。
 この独自のジャマイカ音楽を創り上げてきた草創期(1960年代〜)に大きく貢献したのがピアニスト、シンガー、プロデューサーであったGladstone ”Gladdy” Andersonである。彼は2015年に他界したが、彼の功績を讃えようと16年からスタートしたイベントが「Gladdy Unlimited」。同年5月には、彼の残した曲を愛する人たちによって「Tribute to Gladdy」と言うイベントが代官山UNITで開催され大盛況であった。

 現在の東京でおそらく最も熱望されている2つのバンドが、この「Gladdy Unlimited」でGladdyへの想いをひとつに初共演。こだま和文(THE DUB STATION BAND)は過去にGladdyと共演、レコーディングの経験もあり、Matt SoundsはGladdyのデモ曲をライヴで演奏しレコーディングもした。

-Gladstone Anderson (1934〜2015)-
 ジャマイカのセント・アンドリューで生まれトレンチ・タウンに移り、50年代末期から伯父のオウブレイ・アダムスの手ほどきでピアノを習得しカリプソ、メント、R&R、R&Bなどをプレイし、愛称はGladdyと呼ばれた。彼の才能を見抜いたデューク・リードが主宰したトレジャー・アイル・レーベルを始めとして、コクソン・ドッドのスタジオ・ワン、レスリー・コングのビバリーズ、ソニア・ポテンジャーのゲイ・フィートなどで数えきれないほどのセッションをしたピアニスト、シンガー、プロデューサーである。盟友ストレンジャー・コールは「60年代のレコーディングの80%はグラディが参加していた」と言う。スカタライツやドラゴニアーズがツアーなどを始める前のオリジナル・メンバーでもあり、ドン・ドラモンド、トミー・マクック、ジャッキー・ミットゥ、ローランド・アルフォンソ、リン・テイト、ボブ・マーリィ、ジミー・クリフ達ともレコーディング、さらに70年代後期から80年代にレゲエの時代を作ったレボリューショナリーズ、ルーツ・ラディックスなどでも活躍。
文字通り″ジャマイカン・ミュージックの父″であり、ジャマイカ音楽の黎明期に絶大な貢献を果たした伝説のキーボーディスト。
 彼をメインにしたドキュメント映画『ラフン・タフ』(監督:石井志津男 1987年制作)がある。Mute Beatとはジョイント・ライヴ(DVD『Gladdy meets Mute Beat』)とレコーディング曲「Something Special」もある。来日は4回。
OVERHEAT Records発売アルバム:『Don’t Look Back』(1985),『Caribbean Sunset』(1987),『Caribbean Breeze』(1989),『Piano In Harmony』(1994),『Gladdy’s Double Score』(2010)

■出演アーティスト

KODAMA AND THE DUB STATION BAND
こだま和文は、80年代を駆け抜けたジャパニーズ・DUBバンド、MUTE BEATのリーダーとして活躍。その後ソロ・トランぺッターとしてアルバムをリリース、現在は精鋭THE DUB STATION BANDを率いて、唯一無二のライヴを行っている。最新12インチ・シングルは「ひまわり」。メンバーはHAKASE-SUN(Key)、森俊也(Dr)、コウチ(B)、AKIHIRO(G) 。

MATT SOUNDS

2014年のキース&テックスのバックから始まり、カールトン&ザ・シューズ、リロイ・シブルス、ストレンジャー・コール、クリストファー・エリス、BBシートンらのバックを努め、彼らから「こんないいバンドがあったのか?」と驚嘆されてきた。60年代ジャマイカ音楽の黄金期を再現できる世界でも稀なバンドがMatt Sounds。16年4月、故“Gladdy”Andersonのデモ曲「How Good And How Pleasant」をレコーディングし7インチ・デビュー。2017年4月待望のファースト・アルバム『Matt Sounds』をリリース。レコーディング、ミックス、マスタリング、プレスにまで拘ったアルバムは、多方面から高い評価を受けている。 アルバムに収録された黒澤明監督の映画「七人の侍」のテーマ曲のSKAカバーは、シングル・カットされ話題。森俊也、外池満広、小粥鐵人、秋廣真一郎を中心に小西英理、大和田BAKUに加えライヴではホーンセクション(西内徹、黄啓傑、永田直、大沢広一郎)も加わり10人になる。

Mark Templeton - ele-king

 カナダのサウンド・アーティスト、マーク・テンプルトンのソロ新作がリリースされた。彼は、コンテンポラリーダンス、映画、オーディオヴィジュアルなどの分野からも楽曲の委嘱を受けるなど幅広い活動を展開しているアーティストである。

 〈アンティサペイテト・レコーディングス(Anticipate Recordings)〉からリリースされたファースト・アルバム『スタンディング・オン・ア・ハミングバード』(2007)や、セカンド・アルバム『アイランド』(2009)などはポスト・フェネス的なセンチメンタル/ロマンティックなグリッチ・エレクトロニカといった印象があったものだが(ミッド/レイト・ゼロ年代ならではのエレクトロニカ/アンビエントの記憶……)、現在の作風はアナログ・テープによるテープ・ループをメインにした作風へと変貌を遂げている。その変化は、2011年に〈モール・オックス・ヴァーシュ〉のライヴ録音シリーズの一作としてリリースされた『モール・オックス・ヴァーシュ』をはさみ、2013年に〈アンダー・ザ・スパイア〉からリリースされた『ジェラス・ハート』あたりから表面化してきた。『ジェラス・ハート』からヴァイナル(とデータ)・リリースになったことも大きな変化として挙げられるだろう。まるで、デジタル・グリッチのセンチメンタリズムからアナログと記憶と電子音の領域を溶かすようにノスタルジックでロマンティックな音楽性/音響作品へと変貌したのである。人生の、記憶の、結晶のような音楽/音響。いわば映像的ノスタルジアな電子音楽/エレクトロニカ・アンビエント。

 『ジェラス・ハート』リリース以降は、2014年に、ジュゼッペ・イエラシの〈セヌフォ・エディションズ〉からのリリースでも知られるニコラ・ラッティとのコラボレーション・アルバム『リゾフォニック』を〈13〉から発表し、2015年に、自身が主宰するレーベル〈グラフィカル・レコーディングス〉から映像作家カイル・アームストロングとのコラボレーション作品『エクステンションズ』をリリースするなど、コンスタントに作品を送り出してはきたもののソロ作品は2013年以来、4年ぶりのこと。リリースは『エクステンションズ』同様に〈グラフィカル・レコーディングス〉からで、本作の映像作品もカイル・アームストロングによって制作されている。ちなみに新作『ジェントル・ハート』は、2011年のカセット作品『スコッチ・ハート』、2013年の『ジェラス・ハート』に続く「ハート・トリロジー」の3作めである。全11曲が収録されており、全曲が記憶を遡行するような物語のようなムードで展開している。
 
 1曲め“バーにング・ブラッシュ”から記憶の糸を手繰り寄せるようなテープ・ループの音響で幕を開ける。ノスタルジックな音楽の欠片の反復。古い映画の1シーンの音響のような質感。それらが重なり、滲み、記憶の中に染み入る。続く2曲め“レンジ・ロード”では、ループされつつも微妙にズレているビートを導入しており、コーネリアスの新譜との親近性を感じもする。3曲め“ポンド”は、壊れたテープ・マシンで再生した『エンドレス・サマー』といった感覚もある。以降、アルバムは記憶と音楽の層を溶かすかのように、もしくは記憶の色彩を音楽/音楽によってゆったりと滲ませていくように音楽は展開するだろう。その音響のゆらめきは穏やかな波のようであり、まるで16㎜フィルムに定着された海の映像のようでもある。その音の波は、やがて10曲め“ジェントル・ストーリー・パート1”と11曲め“ジェントル・ストーリー・パート2”にゆるやかに収斂していくだろう。

 本作のように霞んだテープ・ループを用いたアンビエントは、エレクトロニカ以降の新しい潮流でもある。イアン・ウィリアム・クレイグ、マーク・バロンなど何人かの音響作家が、即座に思い浮かぶ。作風はやや違うがヴァレリオ・トリコリなどもアナログのテープ・マシンを用いた録音・パフォーマンスでも知られている。デジタル以降の現代のレコーディング技術とアナログ・テープマシンのループよって生まれる霧のような音色の反復と持続と逸脱。本作もまた、そのような音響作品ならではの「穏やかな波」がゆったりと、しかし独自の音楽的方法論で生成し反復している。カイル・アームストロングによる本作のヴィデオを観れば、その「メロウ・ウェイブ」(!)感もより伝わると思う。

 そう、本作こそまさにフェネス以降=「00年代のデジタル・グリッチ以降のアンビエント/エレクトロニカ」のひとつの「進化」のカタチでもあり、ひとつの「成熟」のカタチなのだ。何かと騒がしい2010年代後半の「世界」にあって、まるでループホールのように、慎ましく存在している……、そんな貴重な作品である。

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